黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第1章

分類
1 挨拶 1:1 - 1:3

註解: 第1節より第3節まではロマ書其の他の書翰の場合と同じく、発信者より受信者に対する挨拶であつて、普通の形式の中に基督教的精神を盛り、コリントの信者に対するパウロの大体の態度を決定する重要なる部分である。

1章1節 (かみ)御意(みこころ)により()されて[引照]

口語訳神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、
塚本訳神の御心によって、召された、キリスト・イエスの使徒であるパウロと、(主にある)兄弟のソステネとから、
前田訳神のみ心によってキリスト・イエスの使徒として招かれたパウロと兄弟ソステネとから、
新共同神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、
NIVPaul, called to be an apostle of Christ Jesus by the will of God, and our brother Sosthenes,
註解: パウロが使徒となりしは自己の決心や、自己の学徳や、他人の奨励によつたのでは無く、神の御意(みこころ)によりて召されたのである(使9:15)。故に、如何に困難でも、如何なる不愉快が来ようとも、之を捨てる事が出来ない。
辞解
[▲召されて使徒となれる] 原語では「召されたる使途」

イエス・キリストの使徒(しと)となれるパウロ

註解: パウロはイエス・キリストより遣わされたる使者であつて、神の御意(みこころ)をその示されしままに宣伝うる任務を負わせられたのである。

(およ)兄弟(きゃうだい)ソステネ、

註解: 兄弟は信仰の兄弟の事、ソステネは此の書翰の筆記者ならんとの想像説あり、以上が此の書の発信者で次節に受者が記されている。

1章2節 [(ふみ)を]コリントに()(かみ)教會(けうくわい)[引照]

口語訳コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。
塚本訳コリントにある神の集会、すなわちキリスト・イエスにあって聖別され、(神に)召された聖徒たちに、および、到る所でわたし達の──わたし達ばかりでなくまた彼らの──主イエス・キリストの名を呼ぶ人一同に、この手紙をおくる。
前田訳コリントにある神の集会(エクレシア)へ。すなわち、キリスト・イエスにあって聖められ、招かれた聖徒たちへ、また、至るところで彼らの、またわれらの主にいますイエス・キリストの名を呼ぶすべての人々へ。
新共同コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。
NIVTo the church of God in Corinth, to those sanctified in Christ Jesus and called to be holy, together with all those everywhere who call on the name of our Lord Jesus Christ--their Lord and ours:
註解: 本節の主語は「教会」であつて其の他の文字は此の「教会」の形容詞である。第一の形容は「神の」であつて、人間の集会にあらず、此の世の団体にあらず、神に属する一団である事を示す、コリントの如き淫靡(いんび)なる都市に神の教会がある事は、一の不思議なる神の御業である。
辞解
[▲教会] ekklesiaは「呼び出されし者の集会」を意味し、本来政治的集会にも用いられていたけれども、新約聖書では新約の集団とその集会について専ら用いられる様になった。

(すなは)ちいづれの(ところ)にありても、

註解: 「凡ての処にありて」と訳する事が出来る。コリントに限らず全世界凡ての処に於て。

(われ)らの(しゅ)、ただに我等(われら)のみならず(かれ)らの(しゅ)なるイエス・キリストの()()(もと)むる(もの)とともに、

註解: コリントに於ける教会分離の状勢を改めんがために、主イエス・キリストは凡ての信徒の主なる事を風刺す。
辞解
[名を呼び求むる者] キリストを信じ彼に凡ての感謝と祈願をささぐるために彼の名を呼ぶ者、即ち基督信徒。
[ただに我らのみならす彼らの] 「いづれの処」の形容句と見る説あり、之に従えば「凡ての処にありて、即ちただに我らの処のみならず彼らの処にあつて我らの主イエス・キリストの名を呼求むる者とともに」となりて大体の意味に大差なし。

聖徒(せいと)となるべき(めし)(かうむ)り、

註解: 原語は「召されたる聖徒」であつて、全世界の信徒とともに、主に召されたるものなる事を示す。「聖徒」と云うも必ずしも完全無欠なる人々を意味しない、此の世より聖別されて神のものとせられたる人々を指す。

キリスト・イエスに()りて(きよ)められたる(なんぢ)らに[(おく)る]。

註解: イエスを信じて過去の罪は十字架上に死し新なる潔き生命に甦り過去の凡ての罪は洗ひ潔められたる人々。即ちコリントの教会はたとい其の中に多くの腐敗があつてもキリストの血によりて潔められし信者の身分は尊いものである事に変りはない。

1章3節 (ねが)はくは(われ)らの(ちち)なる(かみ)および(しゅ)イエス・キリストより(たま)恩惠(めぐみ)平安(へいあん)(なんぢ)らに()らんことを。[引照]

口語訳わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
塚本訳わたし達の父なる神と主イエス・キリストとから、恩恵と平安、あなた達にあらんことを。
前田訳われらの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平安があなた方にありますように。
新共同わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
NIVGrace and peace to you from God our Father and the Lord Jesus Christ.
註解: 人より与えられし恩恵、此の世の与うる平安は頼む事が出来ない、神とキリストより是等が与えられて我らの生涯は歓喜と威謝との連続である、たとい如何なる不幸困難の中にありても此の恩恵は溢れ此の平安は動かない
要義 [聖徒の身分]不潔なる信者や、相争う信者の多かったコリントの教会に向って斯の如き言を発し得たる事は偽善的挨拶にあらざれば偉大なる信仰によるのである。而してパウロの場合に於てはそれが後者である事を疑う事が出来ない。たとい如何に罪に陥れる人ありてもコリントの教会は神の召によりて聖別せられ、潔められてイエス・キリストを主と仰ぐに至った神の教会であった。かかる人々のためにキリストは十字架につき給うた。此の重大なる身分を第一にコリント人に自覚せしむる事によりて其の生活を一変せしめんとするのがパウロの心持である。人は其の尊き身分を自覚する事によりて其の生活の態度が一変する。パウロの深き憂慮と大なる信仰はコリント人の現状の如何を問わず、之を(おおい)て余りある神の恩恵に其の目を注いだのである。

分類
2 パウロの感謝 1:4 - 1:9

1章4節 われ(なんぢ)らがキリスト・イエスに()りて(かみ)より(たま)はりし恩惠(めぐみ)()きて、(つね)(かみ)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを思って、いつも神に感謝している。
塚本訳わたしがあなた達のためにいつも神に感謝しているのは、神の恩恵がキリスト・イエスにおいて与えられたからであり、
前田訳わたしはあなた方のことをつねに神に感謝しています。それはキリスト・イエスによってあなた方に与えられた神の恩恵のゆえです。
新共同わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。
NIVI always thank God for you because of his grace given you in Christ Jesus.
註解: キリストを離れて神より信者としての恩恵を受ける事が出来ない。基督者としての恩恵は皆キリストに在りて之を受けるのである。パウロは最も憂慮すべきコリントの教会に就ても大体として多くの感謝すべき事柄を持ち、之について常に感謝していた。

1章5節 (なんぢ)らはキリストに()りて、諸般(もろもろ)のこと(すなは)(すべ)ての(ことば)(すべ)ての(さとり)とに()みたればなり。 [引照]

口語訳あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、
塚本訳あなた達が彼にあって、あらゆることに、すなわちあらゆる言葉とあらゆる知識とに富まされたことである。
前田訳あなた方は彼によってあらゆること、すなわちあらゆることばとあらゆる知識に富まされたからです。
新共同あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。
NIVFor in him you have been enriched in every way--in all your speaking and in all your knowledge--
註解: 「言」は説教其他福音を口を以て他人に伝うる賜物、「悟」は福音を理解する力、ギリシヤ人は大体此の方面に恵まれ、従てコリント人も其の例に漏れず、是等のことに於て富み、キリストに在りて是等を豊かに受けていた。
辞解
[▲悟] 口語訳「知識」の方が適訳である。

1章6節 これキリストの(あかし)なんぢらの(うち)(かた)うせられたるに()る。[引照]

口語訳キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、
塚本訳救世主の(福音の)証明があなた達の間にはそれほど根を張った。
前田訳あなた方の間にキリストの証が確かになりました。
新共同こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、
NIVbecause our testimony about Christ was confirmed in you.
註解: 「これ」其の原因はの意、「キリストの(あかし)」即ちキリストの福音が汝らの中に堅く信ぜられ根を卸したからである。福音が堅く根を卸せば種々の賜物が人々の本性に応じて豊かに与えられる。福音を信ずる事によりて人の天性は生きて働く。

1章7節 ()(なんぢ)らは(すべ)ての賜物(たまもの)()くる(ところ)なくして、[引照]

口語訳こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。
塚本訳それであなた達はどんな恩恵にも事欠くことなく、(安心して)わたし達の主イエス・キリストが(ふたたび)現われるのを待っているのである。
前田訳あなた方はどんな恩恵にも欠けることがなく、われらの主イエス・キリストの出現をお待ちです。
新共同その結果、あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。
NIVTherefore you do not lack any spiritual gift as you eagerly wait for our Lord Jesus Christ to be revealed.
註解: 言と悟とに欠けざるのみのらず他の凡ての賜物に豊かであった(12:1)。
辞解
[▲▲凡ての賜物に欠くる所なくして] 原語「如何なる恩恵にも欠くる所なく」で口語訳「恵の賜物」はその意訳。

(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの(あらは)(たま)ふを()てり。

註解: 主の再臨を待つ心は信者の重要なる特徴である。主の再臨を恐れるところのものは、奴隷的律法主義者であつて神の子では無い。之を軽蔑するところのものは、罪に安住する世の子等である。唯基督者のみ主の再臨を切なる心を以て待ち望む、コリントの信徒は此の恵まれたる心を持つていた。現代の基督者の中果して幾何(いくばく)が主の現れ給うを待つているであろうか。

1章8節 (かれ)(なんぢ)らを(をはり)まで(かた)うして、(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの()[引照]

口語訳主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。
塚本訳キリストはなおも最後まであなた達をしっかり立たせてくださるであろう、わたし達の主イエス・キリストの(来臨の)日に、(すこしも)非難するところのないように。
前田訳彼はわれらの主イエス・キリストの日に落度のないように、あなた方をなおも最後まで確かにお支えでしょう。
新共同主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださいます。
NIVHe will keep you strong to the end, so that you will be blameless on the day of our Lord Jesus Christ.
註解: 「此の世の終り即ちキリストの再臨の時まで信徒をして信仰に堅く立たしめ」の意、信徒の信仰もキリストの恩恵によって堅くされるのであつて自己の力によるのでは無い。「主の日」は主として最後の審判に関し「キリストの日」は主としてその報償に関する場合に用いられる(IIコリ1:14。ピリ1:6、10。2:16)傾向がある。

()むべき(ところ)なからしめ(たま)はん。

註解: キリスト再臨の日に責むべき所が無い事が信徒の最大の願である(人間社会に於ける毀誉褒貶(きよほうへん)は問題ではない)。パウロは常に之を祈願し、又我らを召し給える主イエス・キリストは必ず之をなし給う事を確信していた(ピリ1:8、10。Iテサ3:13。5:23)。

1章9節 (なんぢ)らを()して()()われらの(しゅ)イエス・キリストの交際(まじはり)()らしめ(たま)(かみ)眞實(まこと)なる(かな)[引照]

口語訳神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。
塚本訳神は誠実であられる。この神によって、御子なるわたし達の主イエス・キリストとの交わりに、あなた達は召されたのである。
前田訳神は誠実でいまします。神によってあなた方はみ子にいますわれらの主イエス・キリストの交わりへとお招かれです。
新共同神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。
NIVGod, who has called you into fellowship with his Son Jesus Christ our Lord, is faithful.
註解: 交際は霊の交りであつて、今日も尚活き給う主と我らとの間の関係である。「真なる(かな)」即ち神は真実にして偽り給う事無く一旦交りに入らしめ給える以上之を離し給う如き事は無い。我らの救拯は我らの価値によるに非ずして、此の神の誠実に基いている事が救拯の確実なる所以の原因である。▲4-9節の中に基督者の信仰の重要な内容が列挙されている。その一つ一つが非常に大きい意義と重要さとを持っている事に注意すべし。
要義 [感謝の必要]人は日々神より多くの恩恵を受けつつ之に対して感謝する事を忘れているのに反し、パウロはコリント教会中に多くの悲むべき事が存在していたのにも関わらず、尚神の愛と其の約束とを信じ、その恩恵を感謝する事を忘れなかった。感謝する事少くしてつぶやく事の多き者は此の聖句に学ぶべきである。

分類
3 教会分離の問題 1:10 - 4:21
3-1 人間崇拝 1:10 - 1:17
3-1-イ コリントに於ける諸派 1:10 - 1:13

註解: パウロに書翰を持参せる者の中にクロエなる婦人信者の家の者があつた。彼はコリント教会の分離に就て悲しむべき報告をパウロに伝えた。パウロの心を最も痛めたのは此の問題であつた。故に彼は書翰の中にありし質問に答うる以前に先づ此の問題に就て論じ、而も第四章の終に至るまで、専ら此の問題を論じているのは注意しなければならない、殊に今日新教教会が無数に分離し、分離に分離を重ねている際に、此のパウロを通して我らに与えられし神の言は我らに重要なる教訓を与えているのである。茲に注意しなければならない事は、此の問題に対するパウロの解決が、今日の教会合同論者の態度と非常に異つている事である。今日の合同論者は各教会の特異の点を主張する事をやめ、歩み寄りによつて妥協せんとしているに反し、パウロは深く福音の本質に立入り、其処に一致点を見出すべき事を教えている。故に信條の改訂によらず、礼典の改廃によらず、教会法規の修正によらず、信仰の本質夫自身によつて教会の一致を維持せんとしたのである。是より以外に教会の一致を得るの途は無い。而してパウロは教会分離の原因を諸種の方面より観察し、而して其の何れもが信仰の根本を捕えざるより起る事であるのを明かにし、彼らを信仰の奥義に導き以て教会の一致を来さしめんとした。パウロの認めし教会分離の原因は(1)人間崇拝 1:10-17。(2)人間の智慧を重視する事 1:18-2:16。(3)人間の働きの過重 3:1-23。(4)コリント信徒の不謙遜の態度 4:1-21であつた。此の(おのおの)につき彼は其の根源を絶つべき原理を教えている。
当時コリントにはパウロ党、アポロ党、ケパ党、キリスト党等と称する党派が起つた。是が凡ての党派を網羅したものであるか、又は単に之を例として分争的傾向を示したものであるかは明かでは無い、何れにしても人間に対する愛憎より党派的分争が生じつつあつた事は明かである、パウロは此の恐るべき傾向を警戒して次の如くに云つている。

1章10節 兄弟(きゃうだい)よ、[引照]

口語訳さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。
塚本訳兄弟たちよ、わたし達の主イエス・キリストの名を指してあなた達に勧める。皆が一致してもらいたい。またあなた達の間に仲間割れがなく、同じ考え、同じ意見で団結してもらいたい。
前田訳兄弟方、われらの主イエス・キリストの名によってお勧めします。皆がひとつことをいい、あなた方の間に分裂がなく、同じ心、同じ考えで団結してください。
新共同さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
NIVI appeal to you, brothers, in the name of our Lord Jesus Christ, that all of you agree with one another so that there may be no divisions among you and that you may be perfectly united in mind and thought.
註解: 当時の信徒同志の呼びかけ。パウロも亦自己を(ひく)くして、信徒を兄弟として呼んでいた。

(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの()()りて(なんぢ)らに(すす)む、

註解: パウロの心は主イエスに集中し彼に連なっていた、故に主の御名は彼の口をついてほとばしり出た。本書に於て茲迄既に十一回の多きに及んでいる。即ち次に述べんとする警戒はキリストの名によるものであつてパウロの個人的思想では無い。
辞解
[▲イエス・キリストの名に由りて] 「イエス・キリストに在りて」と言うに同じ。パウロの全心はイエスに捕われ、彼に在り、彼に従って生きていた事を示す。

おのおの(かた)るところを(おな)じうし、

註解: 同一の主イエスに(つか)うる者は、其の語る処も亦主の御心であり、従て其の間に一致がある可き筈である。▲▲同一の事を口真似で語れとの意味ではない。

分爭(ぶんさう)する(こと)なく、

註解: 基督信徒はキリストを頭とせるその体である(エペ1:23)。故に一体で無ければならない。今日の教会の実状は甚だしく此の本旨に(もと) っている。

(おな)(こころ)おなじ(おもひ)にて

註解: 「心」は思想観念を示し、「念」は思想を基として為す判断を顕はす。

(まった)(ひと)つになるべし。

註解: [一つになる」と訳せられし原語カタルテイザイン katartizeinは機械の各部を組合せて正規の運転を為さしむる事、故に或は「準備」の意味に用い又は「修繕」等の意にも用いられる。即ち信徒が一致団結融合調和すべしとの意味である。尚お「一つとなる」の状態については後に之を詳述する。

1章11節 わが兄弟(きゃうだい)よ、クロエの(いへ)(もの)、なんぢらの(うち)紛爭(あらそひ)あることを(われ)()らせたり。[引照]

口語訳わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。
塚本訳わたしの兄弟たちよ、あなた達の間に喧嘩があることを、クロエの家の者たちから知らせてきた。
前田訳兄弟方、あなた方のことがクロエの家の人々から知らされたのですが、そちらに争いがあるとのことです。
新共同わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。
NIVMy brothers, some from Chloe's household have informed me that there are quarrels among you.
註解: クロエはコリントに住む婦人信徒であつて、家の者は果して家族の一員なりや又は奴隷なりやは明かでは無い。16、17の三人の中の何れかがそれであるかも知れない。「紛争」は議論喧嘩の意味であつて分離までに至らず、分離の前提をなしている事柄である。当時コリントの教会は、未だ今日の教会の如き(はなは)だしき分離の状態に至らなかつた。
辞解
[わが兄弟よ] ▲▲▲コリント後書は此の徒党の争いに対するパウロの熱涙記である。

1章12節 (すなは)(なんぢ)()おのおの『(われ)はパウロに(ぞく)す』[引照]

口語訳はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。
塚本訳もっとはっきり言うとこうである。──あなた達はめいめい、「わたしはパウロ(先生)に」、「わたしはアポロ(先生)に」、「わたしはケパ(先生)に」、わたしは(主)キリストに」と言っている。
前田訳それはこうです−−あなた方はそれぞれ、「わたしはパウロに」、「わたしはアポロに」、「わたしはケパに」、「わたしはキリストに」、といっています。
新共同あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。
NIVWhat I mean is this: One of you says, "I follow Paul"; another, "I follow Apollos"; another, "I follow Cephas "; still another, "I follow Christ."
註解: 所謂パウロ党であつてパウロの能力と信仰とに帰依するのみならずパウロがコリント教会の建設者なるの故を以て其の旗下に集らんとするもの。

『われはアポロに』『(われ)はケパに』

註解: アポロはアレキサンドリヤより来れる熱心なる伝道者であつてイエスのキリストなる事を宣伝え雄弁と哲学的素養とに於てコリント人の心に投じた。従つて彼に帰依する者が多数あつた。使18:24以下。ケパ即ちペテロはキリストの直弟子で、十二使徒の首位を占めていたので、彼こそ教会の主長たるべき人であつてパウロやアポ口は皆其の価値なしと主張する人々もあつた。ペテロはコリントに来た事は無いらしい。

(われ)はキリストに』と()ふこれなり。

註解: 所謂キリスト党の如何なるものであつたかに就ては多くの学説ありて決し難い、或は是のみが唯一の正しき党派であるとの意味であると解する人もあり、又はエルサレムにあるヤゴブを中心とせるユダヤ人の基督信徒の団体と連絡ある信徒であると解し、又はキリストに属する事を主張するの余り他の使徒等の権威を排斥せんとする団体であると解せられている。大体最後の解釈が正しいのであつて要するにキリストに属する事を主張するの余り(此の主張夫自身は正当であるけれども)此の主張が同時に排他的心情を起さしむるに至つた様な団体であると解すべきであろう。

1章13節 キリストは(わか)たるる(もの)ならんや、[引照]

口語訳キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。
塚本訳救世主が分裂しているのか。まさかパウロがあなた達のために十字架につけられたのではあるまい。それとも、(キリストでなく)パウロの名で、あなた達は洗礼を受けたというのか。
前田訳キリストは分裂したのですか。パウロがあなた方のために十字架につけられたのですか。あなた方はパウロの名によって洗礼されたのですか。
新共同キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのですか。
NIVIs Christ divided? Was Paul crucified for you? Were you baptized into the name of Paul?
註解: (▲文語訳は mê のある少数写本に依ったものであろう。口語訳「キリストは、いくつにも分けられたのか」の方よろし。)復活して神の右に座し給うキリストは其信徒と共に一体をなしているのが教会の本質である。此の一体は事実であつて理論では無い。故に生命を有する一体を数多に分割する事が出来ないと同じく、キリストの体は之を区分する事が出来ない。故に区分し得るものはキリストでは無い。之れ教会の分離を許されざる原因の第一である。

パウロは(なんぢ)らの(ため)十字架(じふじか)につけられしや、

註解: キリスト十字架につけられ給いしは我らのためであつた、此の贖により我らは罪を赦されて神の子とせられ、未来の栄ある嗣業を継ぐものとせられるのである。此の恩恵を受くる事が出来るのは全然キリストの十字架の贖による事であつてパウロの功績ではなかつた、アポロもペテロも同様此の点では全く無力であつた。即ち基督者たる資格を我らに得しめしはキリストの十字架による点に於て、凡ての信者が一致しているのである。

(なんぢ)らパウロの()()りてバプテスマを()けしや。

註解: 当時の信徒は多くイエス・キリストの名に頼りてバプテスマを受けていた(使2:38。8:16。11:48。19:5)。三位の神の御名を用いたのは後に起つた事であろう。「イエスの名に頼りて」又は[イエスの名に入れて]とはバプテスマによりてイエスと一体となる事を意味する(ロマ6:3)。夫故に茲に「パウロの名に入れて」と記されし意味はバプテスマによりてパウロと一体となるの意味であつて、基督者はかかる者に非ざる事を示す。
要義 [徒党の害]基督者はキリストの十字架によりて罪を赦されバプテスマによりてキリストの死と其の復活とに合致せる生命、即ち新生命を獲得した者である。夫故にキリストが彼等の主であり救主である。信徒の心も語も念も皆キリストに集中し、キリストに於て其の一致点を見出す可きである。故に此の点より観察するならば宗派は絶対に有るべきものでは無い。コリン卜に於て宗派が起りかけたのは此の中心から離れて人間崇拝に陥ったのである。
英雄崇拝は何れの国にも存している事実である。唯之がためにキリストを忘れ、又はキリストの体なる教会が分離するに至っては之を赦す事が出来ない。パウロは自己の崇拝すべきものにあらざる事を云っているけれどもアポロもケパも皆同一である事勿論である。

3-1-ロ パウロの態度 1:14 - 1:17

註解: パウロはバプテスマに際して充分なる注意をなし、自己の党派を造らない様に努力した事を茲に説明している。

1章14節 (われ)感謝(かんしゃ)す、[引照]

口語訳わたしは感謝しているが、クリスポとガイオ以外には、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマを授けたことがない。
塚本訳わたしは(あの)クリスポとガイオ以外、あなた達のだれにも洗礼を授けなかったことを(神に)感謝する。
前田訳ありがたいことに、わたしはクリスポとガイオのほか、あなた方のだれにも洗礼しませんでした。
新共同クリスポとガイオ以外に、あなたがたのだれにも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています。
NIVI am thankful that I did not baptize any of you except Crispus and Gaius,
註解: 従来注意して来た事柄が、図らずも此の際教会一致の大原則を主張する役に立つたのでパウロの心には感謝が溢れた。

クリスポと

註解: ユダヤ人の会堂司。

ガイオとの(ほか)には、

註解: 授洗人数の少きを見よ。

(われ)なんぢらの(うち)一人(ひとり)にもバプテスマを(ほどこ)さざりしを。

註解: パウロに代つて他の人々がバプテスマを施したのであろうと解する人があるけれども何等の根拠がない。▲本節より16節迄の主意を理解する為には、恐らくアポロがコリントの信者の多くにバプテスマを施し(使18:25、19:3参照)夫等の人々がアポロ党となったと推測する事が適当であろう。

1章15節 (これ)わが()()りて(なんぢ)らがバプテスマを()けしと(ひと)()(こと)なからん(ため)なり。[引照]

口語訳それはあなたがたがわたしの名によってバプテスマを受けたのだと、だれにも言われることのないためである。
塚本訳このことは、あなた達がわたしの名で洗礼を受けたと、人が言うことのないためである。
前田訳これはあなた方がわたしの名で洗礼されたとだれもいわないためです。
新共同だから、わたしの名によって洗礼を受けたなどと、だれも言えないはずです。
NIVso no one can say that you were baptized into my name.
註解: パウロは自分の党派に人を引き入れる事を欲しなかつた、又人がそう解する事をも恐れた。之によりてキリストが無視せられん事を恐れたからである。今日の基督教会が一人でも多く自己の教派に人を引き入れんとするの態度とは雲壌(うんじょう)の差がある。又パウロは自分の心さえ正しいならば人は誤解してもかまはないと云う態度を取らなかつた。何となれば、之れ自分一身の問題ではなく福音全体に関係している事であるからである。

1章16節 またステパノの家族(かぞく)にバプテスマを(ほどこ)しし(こと)あり、[引照]

口語訳もっとも、ステパナの家の者たちには、バプテスマを授けたことがある。しかし、そのほかには、だれにも授けた覚えがない。
塚本訳そうだ、ステパナ一家もわたしが洗礼を授けた。その他には、だれかほかの人に洗礼を授けたかどうか、覚えていない。
前田訳わたしはステパナの家族も洗礼しましたが、ほかの人には洗礼したおぼえはありません。
新共同もっとも、ステファナの家の人たちにも洗礼を授けましたが、それ以外はだれにも授けた覚えはありません。
NIV(Yes, I also baptized the household of Stephanas; beyond that, I don't remember if I baptized anyone else.)
註解: ステパノはステパナの誤り16:15、17参照。

()(ほか)には(われ)バプテスマを(ほどこ)しし(こと)ありや()らざるなり。

註解: パウロは此の点につき明かな記憶を有つていなかつた、受洗者名簿も作つていなかつたのであろう。如何に彼が此の方面に於て潔白であつたかが分る。

1章17節 そはキリストの(われ)(つかは)(たま)へるはバプテスマを(ほどこ)させん(ため)にあらず、福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へしめんとてなり。[引照]

口語訳いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。
塚本訳救世主がわたしをお遣わしになったのは、洗礼を授けさせるためでなく、福音を説かせるためなのだから。それも、言葉の上の知恵をもって(説くの)ではない。それでは(人間の言葉の力が大きくなり)、キリストの十字架(の救い)が空虚なものになる恐れがあるからである。
前田訳キリストがわたしをおつかわしになったのは、洗礼するためでなく、福音を伝えるためです。しかもことばの知恵によらずにです。それはキリストの十字架がむなしくならないためです。
新共同なぜなら、キリストがわたしを遣わされたのは、洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためであり、しかも、キリストの十字架がむなしいものになってしまわぬように、言葉の知恵によらないで告げ知らせるためだからです。
NIVFor Christ did not send me to baptize, but to preach the gospel--not with words of human wisdom, lest the cross of Christ be emptied of its power.
註解: 大切な事は福音を宣伝うる事であつて、バプテスマを施す事では無い。福音の宣伝とバプテスマとの間には、其の重要さに於て非常の差があり其の一はパウロ自ら自分の使命であると感じ、他は然らずと信じた。

(しか)して(ことば)智慧(ちゑ)をもつてせず、

註解: (▲▲アポロは又言葉と智慧とに優れた人であった。此の雄弁と知恵とがギリシャ人を捕らえたのであろう。併し此の種のものは肉に属するもので霊のものではない。福音のみが霊である。)智慧はギリシヤ人の誇であつた、多くの哲学者を輩出したのもその為である。殊ににコリントは学術の盛な都市であつたので尚更智慧を重んじた。其の中に在りてパウロは言の智慧を用いずに福音を宣伝えるのが其の使命であると信じた。此の「智慧」が18節以下の主題となつている。

(これ)キリストの十字架(じふじか)(むな)しくならざらん(ため)なり。

註解: 福音はキリストの十字架によりて救われる事であつて智慧では無い。言の智慧を用いて人を説服せんとすれば十字架は無用とならざるを得ない。
要義 [バプテスマに就て]バプテスマに対するパウロの自由なる態度は最もキリストの御旨に叶っている事であろう。初代教会に於てバプテスマは(あまね)く行われていたけれども、此の形式に一種特別の重要さを附するに至ったのは自由なるキリストの福音が次第に形式化制度化した後の事である。キリストは宗教を凡て是等の形式制度を超越せるものとした。パウロも其の心を受けて自由なる福音を宣伝し自由なる態度に終始していた。是が後日一種の固定せる形式となったのは悲むべき事である。聖餐及バプテスマは主イエスの定め給いし事であるとしても是を固き形式と化してしまう事はイエスの御心では無い。▲二年近くもコリントに伝道し其処に大きい群を持っていたパウロが僅かに数人だけにバプテスマを施したと云う事実は注意を要す。

3-2 人間の智慧の過重 1:18 - 2:16
3-2-イ 愚なる十字架 1:18 - 1:25

註解: パウロは自己の態度につき一言せる後、更に進んで福音の根本に立入り、十字架の福音は人間の智慧に基礎を置くものでなく、即ち哲学的なものでは無く、実験的なものである事を示し、此の根本を理解せしむる事により教会分離の弊を除かんとした。

1章18節 それ十字架(じふじか)(ことば)(ほろ)ぶる(もの)には(おろか)なれど、[引照]

口語訳十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
塚本訳なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。
前田訳十字架のことばは滅びるものには愚か、われら救われるものには神の力です。
新共同十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。
NIVFor the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God.
註解: キリストが十字架上に我らの罪を贖い給い、我らは自己の行為によらず信仰によつて救われると云う教は(ロマ3:25-28)之を理性によりて解釈せんと(こころみ)る場合に無数の困難を生ずる。即ち人間の理性に取つては非常に愚なるものに見えるのが当然である。之を強て言の智慧によりて理知的なるものにしようとして却て十字架が虚しくなるのである。換言すれば十字架の教は非哲学的である。
辞解
[亡ぶる者] 福音を信じないがために亡ぶる人々のことを意味する。

(すく)はるる(われ)らには(かみ)能力(ちから)なり。

註解: 罪になやめる我らが遂に十字架の贖によりて凡ての重荷を卸され、罪より救い出されし経験より見れば十字架の言はたとい理知に訴えて無価値であつても確かに我らを救い出す神の能力である事は疑う事が出来ない。

1章19節 (しる)して、『われ智者(ちしゃ)智慧(ちゑ)をほろぼし、(さと)(もの)のさときを(むな)しうせん』とあればなり。[引照]

口語訳すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。
塚本訳(聖書に)こう書いてあるではないか、“知恵者の知恵をわたしは滅ぼし、賢い者の賢さをわたしは無にする”と。
前田訳聖書にあります、「わたしは知恵者の知恵を滅ぼし、賢いものの賢さを無にする」と。
新共同それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さを意味のないものにする。」
NIVFor it is written: "I will destroy the wisdom of the wise; the intelligence of the intelligent I will frustrate."
註解: 此引用の示す如く此の世の智慧には限りあり、天が人智を嘲るが如き例は数うるに(いとま)が無い。人造の思想も人智によりて計画せられし文明も皆遂には破滅に帰してしまう。バベルの塔も此の例である。神は凡て是等を空しきに帰せしめ結う、人は之に誇る事が出来ない。
辞解
[智慧] 智と慧との区別は、智は一般の智慧、慧は処世上の分別に用いられる。コロ1:9。

1章20節 智者(ちしゃ)いづこにか()る、學者(がくしゃ)いづこにか()る、この()論者(ろんしゃ)いづこにか()る、[引照]

口語訳知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
塚本訳“どこに知恵者が”、“どこに聖書学者が、どこに”この世の議論家がいるのか。神は(この)世の“知恵を馬鹿なものにされた”ではないか。
前田訳どこに知恵者が、どこに学者が、どこにこの世の論客がいますか。神はこの世の知恵を愚かになさったではありませんか。
新共同知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。
NIVWhere is the wise man? Where is the scholar? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world?
註解: 知者はギリシヤの哲学者、学者はユダヤ人の学者、此の世の論者はギリシヤの詭弁家(ソフイスト)などに相当するものと見る事が出来る、異説もあるけれども大体の意味に差異が無い、又パウロも果して明瞭に目指すものがあつて是等の語を用いたのであるかどうかは知る事が出来ない。「いづこにかある」は要するにパウロは其の存在を認むる価値なき事を述べ、極めて高処より彼らを見下している如き姿である。
辞解
[学者] ▲▲口語訳では此の grammateus を一般に「律法学者」と訳しているが此の訳語は狭過ぎる。

(かみ)()智慧(ちゑ)をして(おろか)ならしめ(たま)へるにあらずや。

註解: 茲にパウロは[世の智慧]と称して暗に神の智慧に対立せしめている。是迄世の智慧は果して何を成し遂げたか、神一度び御手を下し給えば、世の智慧の結果は一朝にして破滅し、愚人の仕業と何等選ぶ処が無い。

1章21節 ()は[(おのれ)の]智慧(ちゑ)をもて(かみ)()らず(これ(かみ)智慧(ちゑ)(かな)へるなり)[引照]

口語訳この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
塚本訳なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
前田訳この世がその知恵のゆえに神を認めなかったのは、神の知恵によるものでした。それで神は信ずるものを救うには宣教の愚かによるのがよいとお考えでした。
新共同世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
NIVFor since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe.
註解: 原語は又次の如くに訳する事が出来る「神の智慧により世は己の智慧をもて神を知らず」。即ち世がその智慧すなわち理性によりて神を知る事は神の御旨では無く、神は其の計るべからざる智慧を以て人類の智慧を局限し、世はその智慧を以てしては神を知る事が出来ないものとなし給うた。此の節は難解の句であつて従つて異説も多い、中にも[世はその智慧を以てしては神の全智に於て神を知る事が出来ない]と解する説、(ラゲ訳)又「神の智慧は完全であるので世はその智慧を以て神を知る事が出来ない」と解する説(B1)「神の智慧が被造物の中にあらわれているのに其の中にあつて世はその智慧によつて神を知らない」と解する説(M0)等は穏健な解釈であるけれども予は取らない。其の故は後半節との対照に於て意味が不明瞭となるからである。日本改訳は予の解釈と同じ意味に於て意訳したものと思われる。原文に此の括弧はない。

この(ゆゑ)(かみ)宣教(せんけう)(おろか)をもて、(しん)ずる(もの)(すく)ふを()しとし(たま)へり。

註解: (▲口語訳の「救うこととされたのである」は弱過ぎる。eudokêsen「喜びとした」「気に入った」が訳されていない。)人間の智慧すなわち理性を以て神を知る事は神の御心に(かな)わないけれども、其の反対に、愚に見ゆる十字架の福音を宣べ伝うる事により、信ずる者、(即ち理解する者にあらず唯単純に信ずる者)を救う事が神の御旨に(かな)つたのである。理性よりも信仰、理解よりも救済、智慧よりも愚なる福音の宣伝が却て神と人とを真の関係に入らしむるものであつて、此の信仰によりて救われる状態こそ人類が神の御前に於て採るべき唯一の態度であり、此の態度のみが神の御旨に叶うものである。故に神が人類の理性を局限して唯信仰によりてのみ救われる様になし給うた事は驚くべき神の智慧と云わなければならぬ。

1章22節 ユダヤ(びと)(しるし)()ひ、[引照]

口語訳ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
塚本訳実際、ユダヤ人は(信ずるための証拠に神からの不思議な)徴を乞い、異教人は(真理を知るために)知恵を求めるが、
前田訳実にユダヤ人は徴を求め、ギリシア人は知恵を欲します。
新共同ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、
NIVJews demand miraculous signs and Greeks look for wisdom,
註解: メシヤの来臨には必ずそれに相応すべき徴即ち奇蹟が行われるものと信じた。(ヨハ2:18。6:30)メシヤは神の力を帯びて来る筈であるからである。

ギリシヤ(びと)智慧(ちゑ)(もと)む。

註解: 理論的哲学的なるギリシヤ人は、其の方面の要求を充し得んことを要求する。

1章23節 されど(われ)らは十字架(じふじか)()けられ(たま)ひしキリストを宣傳(のべつた)ふ。これはユダヤ(びと)躓物(つまづき)となり、異邦人(いはうじん)(おろか)となれど、[引照]

口語訳しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
塚本訳わたし達は十字架につけられたキリストのこと(だけ)を説く。すなわち、ユダヤ人にはつまづき、異教人には馬鹿なことであるけれども、
前田訳しかしわれらは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。彼はユダヤ人にはつまずき、異邦人には愚かです。
新共同わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
NIVbut we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles,
註解: されど我らは徴をも与えず、又智慧の言をも用いず、全く無力なるが如くに見ゆる十字架上のキリストを、唯だ単純に宣伝えている。メシヤが無力のために十字架に釘けられると云う如き事は有る筈が無いとユダヤ人は考え、従つて十字架に躓く、ギリシヤ人其の他の異邦人に取つては十字架の贖によりて救われると云うが如きは極めて愚論の如くに見える。

1章24節 ()されたる(もの)にはユダヤ(びと)にもギリシヤ(びと)にも、(かみ)能力(ちから)また(かみ)智慧(ちゑ)たるキリストなり。[引照]

口語訳召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
塚本訳(神に)召された者だけには、ユダヤ人、異教人の別なく、(これこそ)神の力、また神の知恵なるキリストを(説くのである)。
前田訳しかし招かれたものには、ユダヤ人でもギリシア人でも、キリストは神の力、神の知恵です。
新共同ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
NIVbut to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God.
註解: 人の救われるは神の召による(ロマ8:30)。召されし者はユダヤ人たるとギリシヤ人たるとの区別は無く十字架に釘けられ給いしキリストが彼らを罪より救う力であり、徴即ち奇蹟以上の奇蹟であり、又人間の智慧を以ては罪より救わるべき途が無いのに此の十字架のキリストによりて罪より救われる事は、世の智慧を以ては想像する事だに出来ない神の智慧である。此のキリストをパウロ等は宣伝えているのである。

1章25節 (かみ)(おろか)(ひと)よりも(かしこ)く、(かみ)(よわき)(ひと)よりも(つよ)ければなり。[引照]

口語訳神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
塚本訳というのは、神の(業はどんなに)馬鹿なこと(に見えても、それ)は人よりも知恵があり、神の(業はどんなに)無力(に見えても、それ)は人よりも力があるからである。
前田訳それは、神の愚かは人間たちよりも知恵があり、神の弱さは人間たちよりも強いからです。
新共同神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
NIVFor the foolishness of God is wiser than man's wisdom, and the weakness of God is stronger than man's strength.
註解: キリストの十字架の死は愚なる如くに見え、又弱くして無力なるが如くに見ゆる、而も之によりて人の智慧と力との為し得ざる事を為し給うた、故に人の力と人の智慧とは基督者に取つて第一の問題では無い。
要義1 [世の智慧と神の智慧]人類は其の絶対の無智無力を知りて始めて神の智慧と力の偉大さを知り、信仰によりて神に立帰る事が出来、自己に何等の価値なきを知りて始めて十字架の贖の貴さと神の智慧の無限に深い事を知る事が出来る。「世の智慧」の窮極する処に「神の智慧」がある。
要義2 [十字架と徒党との関係]十字架の福音は人間の無価値を教える、従って党派的紛争の一原因たる人間の智慧に対する誇りが無くなる訳である。パウロは此の根本的真理を提げて紛争の根源を除かんとしているのである。

3-2-ロ 愚なる信仰 1:26 - 1:31

註解: 十字架の福音それ自身が愚なるものである当然の結果として、其の信徒も世の人の目には愚なるものが多かつた。

1章26節 兄弟(きゃうだい)よ、(めし)(かうむ)れる(なんぢ)らを()よ、(にく)によれる(かしこ)(もの)おほからず、[引照]

口語訳兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
塚本訳論より証拠、あなた達のお召しのことを考えてみるがよい。兄弟たちよ、この世的には、(あなた達の中に)多くの知恵者がなく、多くの有力者がなく、多くの高貴の人がないではないか。
前田訳兄弟方、あなた方のお招き(のいきさつ)をお考えなさい。あなた方には肉にあって多くの知恵者がなく、多くの有力者がなく、多くの家柄がありません。
新共同兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
NIVBrothers, think of what you were when you were called. Not many of you were wise by human standards; not many were influential; not many were of noble birth.
註解: (▲口語訳「召された時のこと」となっているが klêsis は「召された事」を意味す。)「肉」は人間の自然性を意味する、「肉によれる智き者」とは此の世の智者、学者、博士等の事。

能力(ちから)ある(もの)おほからず、

註解: 肉によれる能力を意味している、官吏(かんり)君侯(くんこう)の如き権力者を指す。

(たふと)きもの(おほ)からず。

註解: 高貴なる身分の人。以上の如き人々が少く、かえつて無学者、無権力者、賎民が多かつたのは、何れの国、何れの時代に於ても同様であつて、次の理由による。

1章27節 されど(かみ)(かしこ)(もの)(はづか)しめんとて()(おろか)なる(もの)(えら)び、(つよ)(もの)(はづか)しめんとて(よわ)(もの)(えら)び、[引照]

口語訳それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
塚本訳それどころか、世の馬鹿なものを神はお選びになった、知恵者に恥をかかせるためである。また世の無力なものを神はお選びになった、力のあるものに恥をかかせるためである。
前田訳しかし神は知恵者をはずかしめるためにこの世の愚かなものをお選びでした。神は強いものをはずかしめるためにこの世の弱いものをお選びでした。
新共同ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
NIVBut God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong.
註解: 無学なる一信徒は博学なる智者を辱むるに充分である、何となれば彼は既に天国の市民であり従つて智者の知らざる最も貴重なるものを知つているからである。神はかかる愚なる者を選びて智者を辱しめ、智者をも遂に神に帰せしめ給う。キリストに在る最も弱き者も、此の世の最強の権力を以ても動かし得ざる力を持つている、殊に道徳的の事柄に於ては世の強者は弱者であり、キリストに在る弱者は強者である。
辞解
[もの] 原語に中性(物)複数を用いているけれども、是れ此の種の人々の群衆を意味する、以下同じ。

1章28節 ()(もの)(ほろぼ)さんとて()(いや)しきもの、(かろ)んぜらるる(もの)、すなわち()きが(ごと)(もの)(えら)(たま)へり。[引照]

口語訳有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
塚本訳また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。
前田訳神はこの世の卑しいもの、軽んぜられているものをお選びでした。それは有るものを無くするために、無いものをお選びになったのです。
新共同また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
NIVHe chose the lowly things of this world and the despised things--and the things that are not--to nullify the things that are,
註解: 卑賎(ひせん)にして人に軽んぜられ此の世よりは無視せられて一見生存の価値なきが如き群衆を選び、価値あるが如くに振舞う者をして其の無価値なる事を知らしめんとし給う、其の目的は次節にあり。
辞解
[▲無きが如き者] 原語「無なる者」で「有る者」の反対。

1章29節 これ(かみ)(まへ)(ひと)(ほこ)(こと)なからん(ため)なり。[引照]

口語訳それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。
塚本訳こうして、だれ一人神の前で誇ることのないようにされたのである。
前田訳これは人が皆、神の前に誇らないようにするためです。
新共同それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
NIVso that no one may boast before him.
註解: 智慧ある者、能力ある者、貴き者、有るが如き者を選ばなかつたのは、神が彼等を愛するが故であつて、彼らは之によりて其の誇を奪われ、やがて神に立ち帰る事が出来るがためである。人を滅亡に導くものは、其の高慢である。

1章30節 (なんぢ)らは(かみ)()りてキリスト・イエスに()り、[引照]

口語訳あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
塚本訳この神ゆえに、あなた達は(はじめて)キリスト・イエスにあるのであり、このキリストが、神から賜わるわたし達の知恵、また義、また聖さ、また(罪の)あがないになられたのである。
前田訳この神のおかげであなた方はキリスト・イエスのうちにあります。キリストは神から出てわれらのために知恵におなりでした。彼はまた義と聖とあがないとにおなりでした。
新共同神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
NIVIt is because of him that you are in Christ Jesus, who has become for us wisdom from God--that is, our righteousness, holiness and redemption.
註解: 「神に頼りて」即ち[神の御蔭で]信者はキリスト・イエスとの霊の交に生き、(あたか)も嬰児が母の懐にいるが如くに、復活し現に活きて在し給うキリストの中にいるのである。

(かれ)(かみ)()てられて(われ)らの智慧(ちゑ)()(せい)救贖(あがなひ)とになり(たま)へり。

註解: 我らに智慧ありと思うならば誤りである、殊に其の智慧に誇つていたギリシヤ人と雖も神の前には愚に過ぎない。又我らは本来神に叛き「不義」なる生活を行い、罪に汚れて何等の「聖さ」もなく従つて「救」わるべき望なきものであつた。而して我らの努力や精進によりては我らは之らを自分のものとすることが出来ず、又智慧も義も聖も救贖も我らは如何なる方法を以てしても是を我らの内より生み出すことが出来ない。然るに我ら神の恩恵によりてキリストを信じキリスト・イエスとの霊交に生きる時、神はキリストを立てて絶対に無価値にして無一物なる我らのものとなし給うのである。茲に於て神は我らを我らの無価値の状態に於て眺め給わず、キリストの智、義、聖、贖をそのまま我らのものとして眺め給い、我らも亦キリストに在る事によつて我ら自身の如何を問題とせず、唯キリストの智慧、義しさ、聖さ、及びその贖いを其のまま自分のものとして受け、尽きざる感謝と主にある誇の中に生きるのである。’

1章31節 これ『(ほこ)(もの)(しゅ)()りて(ほこ)るべし』と(しる)されたる(ごと)くならん(ため)なり。[引照]

口語訳それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
塚本訳(聖書に)“誇る者は主[キリスト]にあって誇れ”と書いてあるとおりになるためである。
前田訳それは、「誇るものは主にあって誇れ」と聖書にあるとおりになるためです。
新共同「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
NIVTherefore, as it is written: "Let him who boasts boast in the Lord."
註解: 人間には誇るべき何物も無い。我らに与えられしよきものは皆主より来るのであつて(雅1:17)、我らはキリストのもの、キリストは神のものであり、誇る事は唯主に在りてのみ可能である(3:22)。
要義1 [真の誇り]18-25節に於て人は智慧に対する誇を除くべき事を教えて紛争の原因を除き、更に此の段に於て人の身分も力も誇るに足らず、唯キリストのみ我らの誇である事を教えて教会の一致を促進する事をパウロは努力したのである。人皆キリストを誇るのみであったならば、パウロもアポロもペテロも之を誇りとする事が出来ない事を知るであろう。従って教会の根本的一致を来す事を得るであろう。
要義2 [十字架の福音の賢さ]ここに人間の無価値と神の絶対とを対照する事によって我らに自己の如何なるものであるかを知らしめられ、かかる自己をも神の子と栄め給える神の愛と智慧と力とを思わしめられるのである。而して之を成就し給えるは十字架によることゆえ、十字架の福音は愚かなるが如くにして最も賢、弱きが如くにして最も強い。

第1コリント第2章
3-2-ハ 愚なる伝道法 2:1 - 2:5

註解: 前章に述べられし愚なる十字架の福音を、パウロは如何なる態度を以て之をコリントに宣伝えたか。此の事をパウロ自らここに告白している。当時コリントは哲学の一中心であり、雄弁術、詭弁学が盛に行われ、風采の堂々たるもの弁舌の爽やかな者が衆望の帰する処となつた。此の間に在りて、風采の揚らない言語の卑しいパウロが(IIコリ10:10)如何なる態度を取つたかは重大なる問題である。

2章1節 兄弟(きゃうだい)よ、[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。
塚本訳わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。
前田訳兄弟方、わたしもあなた方のところへ行くに当たって、すぐれたことばや知恵を用いて神の証をのべ伝えることをしませんでした。
新共同兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
NIVWhen I came to you, brothers, I did not come with eloquence or superior wisdom as I proclaimed to you the testimony about God.
註解: 此の書翰には「兄弟よ」なる呼びかけが非常に多い事に注意しなければならぬ。叱責を与えんとしてパウロは却て其の切なる親愛の情を注ぎ出している。

われ(さき)(なんぢ)らに(いた)りしとき、(かみ)(あかし)(つた)ふるに(ことば)智慧(ちゑ)との(すぐ)れたるを(もち)ひざりき。

註解: パウロは神の証を伝え、福音を宜ぶるのに雄弁術を用いず、又哲学的説明に依らなかつた。是れ肉のギリシヤ人らには歓迎されなかつた所以である。

2章2節 イエス・キリスト(およ)びその十字架(じふじか)()けられ(たま)ひし(こと)のほかは、[引照]

口語訳なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。
塚本訳あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には!
前田訳それは、あなた方の間で、イエス・キリストのほか、とくに十字架につけられた彼のほか何も知るまいと決めたからです。
新共同なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
NIVFor I resolved to know nothing while I was with you except Jesus Christ and him crucified.
註解: 原語直訳「イエス・キリスト及び十字架に釘けられ給いし彼のほかは」であつて、人の自然性に取つては何等「見るべきうるわしき容なき」(イザ53:2)イエス・キリスト、殊に十字架に釘けられ、人の目には最も恥ずべき死を経給えるイエス・キリストの外は。

(なんぢ)らの(うち)にありて(なに)をも()るまじと(こころ)(さだ)めたればなり。

註解: キリストとその十字架以外、ギリシヤの哲学も雄弁学も、ぞの他、人の肉的方面を喜ばすべき何事をも知る事は役に立たない事を断定した。
辞解
[心を定めたり] 原語 Krinein は「判断する」の意味であつて転じて「良しと決定する」事を意味する。かかる決定をなせる所以は節を逐って明かになるであろう。

2章3節 (われ)なんぢらと(とも)()りし(とき)に、(よわ)くかつ(おそ)れ、(いた)(おのの)けり。[引照]

口語訳わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
塚本訳[アテネではこの世の知恵で福音を説こうとしたので失敗した。]それでわたしは、弱く、恐れて、またひどく震えて、あなた達の所にいたのである。
前田訳わたしは弱さと恐れと多くのおののきのうちに、あなた方のところへ行きました。
新共同そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。
NIVI came to you in weakness and fear, and with much trembling.
註解: 心弱きを感じ、戦々競々として生活していた、堂々たる態度を取つていて少しも恐れる事無き学者雄弁家等に比し非常に見劣りがする貧弱なる姿であつた。パウロはギリシヤ哲学を研究して相当の博学を装う事が出来たであろう。併し彼はそれをせずに愚なる十字架の言を携えて、哲学、芸術の盛であつたギリシヤの首都に肉薄したのである、戦々競々として懼れたのも無理もない。

2章4節 わが談話(だんわ)も、宣教(せんけう)も、[引照]

口語訳そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。
塚本訳そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。
前田訳わがことばと宣教とは、感心させる知恵のことばによらず、霊と力の現われによるものでした。
新共同わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
NIVMy message and my preaching were not with wise and persuasive words, but with a demonstration of the Spirit's power,
註解: 談話は小さき会合に於て個人的談話をなす場合、宣教は多数の公衆に向つて宣教する塙合。

智慧(ちゑ)(うるわ)しき(ことば)によらずして、御靈(みたま)能力(ちから)との證明(しょうめい)によりたり。

註解: 「智慧の語」は人間の理智に訴え得べき哲学的用語、「美わしき」と訳せられし原語の意味は「人を説服する処の」、即ち人を説服し得べき哲学的用語を用いなかつたとの事、換言すればパウロは人の理智に訴える事をせず、御霊によつて動かされるままに証し、従つて力強き証をなす事を専一(せんいつ)としていた。

2章5節 これ(なんぢ)らの信仰(しんかう)の、(ひと)智慧(ちゑ)によらず、(かみ)能力(ちから)()らん(ため)なり。[引照]

口語訳それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
塚本訳それはあなた達の信仰が人間の知恵に基づくのでなく、神(御自身)の力に基づくためであった。
前田訳それはあなた方の信仰が人の知恵によらず、神の力によるためでした。
新共同それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
NIVso that your faith might not rest on men's wisdom, but on God's power.
註解: 人の智慧に基礎を置く信仰は一寸賢く見えるけれども力が無く、反対に神の能力に基礎を置く者は御霊の働きによるのであつて決して動く事が無い。
要義 [哲学芸術と福音との差]パウロはアテネに於て(やや)哲学的説教を試みて失敢した(使17章)。夫故にコリントに於ては専ら御霊の働きによりキリストの証をする事に方針を変更したものであろう。今日と(いえど)も哲学や芸術に迎合せんがために理智的基督教を説き音楽礼拝等を盛んにせんとする者があるけれども、是等は外見の美と智慧とに過ぎず、神の智慧と能力とは是によって証される事が出来ない。要するに哲学的に基督の福音を説かんとする者は神の智慧を人の智慧にまで引下ぐるに過ぎない、決して取るべがらざる方針である。

3-2-ニ 神の智彗と人の智慧 2:6 - 2:16

註解: パウロは福音を宣伝えるのに智慧の言を用いなかつた。然らば福音は全然智慧に反し、理智と矛盾するものであろうか。パウロは決して其の然らざる事を叙べ、却て真の智慧、真の理智が其処に存する事を論じている。

2章6節 されど(われ)らは成人(せいじん)したる(もの)(うち)にて智慧(ちゑ)(かた)る。[引照]

口語訳しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
塚本訳こうは言うものの、(霊的に)成人した人たちの前では、わたし達も知恵を話す。ただそれはこの世の知恵でも、やがて滅びるこの世の支配者ども(すなわち悪魔の手下)の知恵でもない。
前田訳われらは成熟者の間で知恵を語りますが、それはこの世の知恵でもなく、この世の消えゆく支配者たちの知恵でもありません。
新共同しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
NIVWe do, however, speak a message of wisdom among the mature, but not the wisdom of this age or of the rulers of this age, who are coming to nothing.
註解: 此の節の原語は「智慧」なる文句を冒頭に置きて之を強めているのであつて、其の心持は「そは云うものの成人したる者の中にありては、我らは却て真の智慧を語るのである」との意味である、「智慧をこそ我らは語れ」と訳して(やや)原語の語勢に近いであろう。「成人したる者」は3:1の「幼児」の反対であつて、信仰に於て成熟し、高き智慧を解するの力を持つに至つたもの。

これ()()智慧(ちゑ)にあらず、

註解: 世は「時代」と訳するを可とする。此の時代、即ちキリストの再臨により天地が一新する迄の間の期間を意味する。堕落せる人間の自然性よりはかかる智慧は出て来ない(1:21参照)。たといソクラテースの智慧であつてもパウロの所謂神の智慧に対しては此の世の智慧であり、更生せざるものの智慧である。福音の中心たる十字架と復活とは、此の世の智慧によりては之を解する事が出来ない。

(また)この()(すた)らんとする(つかさ)たちの智慧(ちゑ)にあらず、

註解: 此の世の政治上、宗教上の司たち即ち有力者、当局者等は皆盛者必滅の理法に支配せられているものであつて彼等の智慧も亦彼らと共に廃滅に帰するであろう。パウロの語らんとするはかかる智慧でも無い。

2章7節 (われ)らは奧義(おくぎ)()きて(かみ)智慧(ちゑ)(かた)る、[引照]

口語訳むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
塚本訳わたし達が話すのは神から来る(神の)秘密を示す知恵であり、(世に)隠されていた知恵であり、神がわたし達に栄光を与えるために、世の始めの前からあらかじめお定めになった知恵である。
前田訳われらが語るのは奥義の中にある神の知恵で、それは隠されています。神はそれをわれらの栄光のためにこの世以前からあらかじめお定めでした。
新共同わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
NIVNo, we speak of God's secret wisdom, a wisdom that has been hidden and that God destined for our glory before time began.
註解: パウロは茲に「神の智慧」と「世の智慧」とを対立せしめている。[奥義]は従来知られずにいて今に至り神の啓示によりて始めて明かにせられし神秘的事実(ロマ16:25。エペ3:4。Iコリ15:51)。「奥義を解きて」は原語「奥義により」であつて「語る」に関連している。即ち我らの語る処は神の智慧であつて、此の世の智慧ではなく、語るに人の智慧の欲する説明を用いずして、奥義の啓示として之を語るとの意味である。▲本節上半は又「奥義なる隠れたる神の知恵を我らは語る」とも訳すことが出来る。en mysteriô を形容句と見る。

(すなは)(かく)れたる智慧(ちゑ)にして、(かみ)われらの光榮(くわうえい)のために、()(はじめ)(さき)より(あらか)じめ(さだ)(たま)ひしものなり。

註解: 「隠れたる」智慧は人間の力によりて発見する事が出来ず、然るに神は啓示によりて之を我らに示し給う、何たる幸であろうか、その智慧の目的は我らを天的の光栄に浴せしめんが為め、又その智慧の起源は「代々の以前より」神の定め給いしものである。実に偉大なる奥義である。

2章8節 この()(つかさ)には(これ)()(もの)なかりき、[引照]

口語訳この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
塚本訳この世の支配者のだれ一人、これのわかっていた者はなかった。もしわかったならば、栄光の主(キリスト)を十字架につけなかったはずであるから。
前田訳この世の支配者はだれもそれを知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
新共同この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
NIVNone of the rulers of this age understood it, for if they had, they would not have crucified the Lord of glory.
註解: いわんや、一般人民は尚更これを知らない。

もし()らば榮光(えいくわう)(しゅ)十字架(じふじか)()けざりしならん。

註解: 神の智慧は其の独子を我らに賜いて我らを救う事であつた。之を知るものは此の世の司たちではなく、天の父によりて啓示せられし人のみである(マタ16:17)。キリストを十字架に釘けたのは、神の智慧を持つていない事実上の証拠である。

2章9節 (しる)して『(かみ)のおのれを(あい)する(もの)のために(そな)(たま)ひし(こと)は、()いまだ()ず、(みみ)いまだ()かず、(ひと)(こころ)いまだ(おも)はざりし(ところ)なり』と()るが(ごと)し。[引照]

口語訳しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
塚本訳しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。“目も見ず耳も聞かず”、人の“心に起こらなかった”もの、“これを神は御自分を愛する者たちのために”用意された。
前田訳聖書にあるとおりです、「目が見ず、耳が聞かず、人の心に浮かばなかったもの、それを神はご自身を愛するもののためにお備えでした」と。
新共同しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
NIVHowever, as it is written: "No eye has seen, no ear has heard, no mind has conceived what God has prepared for those who love him" --
註解: 神が人類のために準備し給える事即ち「キリストとその十字架」は全然人智を超越し人間の感覚思慮以外の事柄であつた。故に神の智慧によるより外に之を知る事が出来ない。此の事をパウロは茲に更に預言によりて証明せんとしている。此の引用は旧約聖書に文字通りの句を発見する事が出来ない。或は経外聖典エリアの黙示録より取れるものなりとの説もあるけれども、恐らくイザ64:4の七十人訳より引用して少しく之を変化せるものであろう。

2章10節 されど(われ)らには(かみ)これを御靈(みたま)によりて(あらは)(たま)へり。[引照]

口語訳そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
塚本訳しかしわたし達には、神が御霊によって(すべてを)あらわしてくださった。(わたし達に住ませてくださる)その御霊は、すべてのことを、神の(御心の)深いところまでも、見抜かれるからである。
前田訳われらにはそれを神がみ霊(たま)によってお示しでした。み霊はすべてを神の深みまでも探るからです。
新共同わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
NIVbut God has revealed it to us by his Spirit. The Spirit searches all things, even the deep things of God.
註解: 我ら自らの目を以て見、耳を以て聞いたのではなく神自らその智慧を我らに啓示し給い、且つ人間の智慧に頼らず、御霊を賜うて、之を我らに顕わし給うた。

御靈(みたま)はすべての(こと)を[(きは)め]、(かみ)(ふか)(ところ)まで(きは)むればなり。

註解: 「すべての事」と云いて必ずしも全智の人となる事を意味せず、御霊を受けない人の究め得ない範囲の事、即ち此の世以外の神の事をも究め知る事が出来る事を意味する、そして進んで神の深き所即ち神意の奥底までも之を知る事が出来るのが御霊の働きによるのである。御霊によらざれば之を知る事が出来ない。(マタ13:11)

2章11節 それ(ひと)のことは(おの)(うち)にある((ひと)の)(れい)のほかに(たれ)()(ひと)あらん、[引照]

口語訳いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
塚本訳なぜなら、(たとえば)人間のことも、その人間の中にある霊のほかに、いったいだれがわかっていよう。そのように神のことも、神の霊のほかに、わかった方はいままでなかった。
前田訳人のことは、人の中にある霊以外にだれが知っていましょう。そのように、神のことは神の霊以外にだれも知りません。
新共同人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
NIVFor who among men knows the thoughts of a man except the man's spirit within him? In the same way no one knows the thoughts of God except the Spirit of God.
註解: パウロは茲に人の霊を例として神の霊の事を証明せんとしているのである。我ら他人の喜怒哀楽につき知る事が出来るのは我らの中に「人の霊」があるからである。虫鳥獣にも魂はある。併し彼等には「人の霊」が無いので「人のこと」を詳しく解する事が出来ない。◎(注意)原文には「人の」なる文字あり、必要欠くべからざる文字であつて、改訳に之をはぶいたのは誤りである。

()くのごとく(かみ)のことは(かみ)御靈(みたま)のほかに()(もの)なし。

註解: 上述の例と同様に神のこと、即ち神の心情とその工と其の意味、尚詳言すれば神が人類の救拯のためにその独子キリストを賜い、かれを十字架に釘け給える意味は、「人の霊」を以て知る事が出来ず、神の霊のみ之を知る事が出来る。

2章12節 (われ)らの()けし(れい)()(れい)にあらず、(かみ)より()づる(れい)なり、[引照]

口語訳ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
塚本訳しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。
前田訳われらは世の霊をでなく、神からの霊を受けました。それはわれらが神によって恵まれたものを知るためです。
新共同わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
NIVWe have not received the spirit of the world but the Spirit who is from God, that we may understand what God has freely given us.
註解: 我らは生れ乍らにして霊を持つている霊的生物である、此の霊は人の霊であつて神の事を知る事が出来ない。然るに我らキリストを信ぜし事によりて新に霊を注がれれた、此の霊は人の霊ではなく、神より出づる霊である。「世の霊」は人の霊と云うと同じ。

(これ)われらに(かみ)(たま)ひしものを()らんためなり。

註解: 神の賜いし物は其の独子イエス・キリストであつた。我ら神の霊によりてのみ之を知り、イエスをキリスト(救主)と云う事が出来る、Iヨハ4:2。Iコリ12:3。故に此の信仰は凡て神の賜物である。エペ2:8。

2章13節 (また)われら(これ)(かた)るに(ひと)智慧(ちゑ)(をし)ふる(ことば)(もち)ひず、御靈(みたま)(をし)ふる(ことば)(もち)ふ、[引照]

口語訳この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
塚本訳またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。
前田訳これについてわれらが語るのは、人間的な知恵が教えることばによらず、霊の教えることばによってです。霊のことを霊によって解くのです。
新共同そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。
NIVThis is what we speak, not in words taught us by human wisdom but in words taught by the Spirit, expressing spiritual truths in spiritual words.
註解: 此の神の賜物を人に語るに、たとい哲学的用語を用いても、人は之を解する事が出来ない、故にパウロは「智慧の美わしき(もっともらしき)言」を用いないで、御霊即ち神より出づる霊によりて導かれる用語を用いた。ギリシヤ人に通じにくかつたのは、其の為であると云う意味である。

(すなは)(れい)(こと)(れい)(ことば)()つるなり。

註解: (▲此の一句種々の解釈があるが、文語訳が最も適当と思う。パウロは、彼の語る言葉が非哲学的であるとの非難に答えているのである。)人の事に御霊の言が当はまらないと同様御霊の事に人の智慧の言、即ち哲学的用語が当はまらない。

2章14節 性來(うまれつき)のままなる(ひと)(かみ)御靈(みたま)のことを()けず、[引照]

口語訳生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
塚本訳しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
前田訳生まれながらの人は神の霊のことを受け入れません。それは彼にとって愚かだからで、それを悟りえません。それは霊的に判断されるものだからです。
新共同自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。
NIVThe man without the Spirit does not accept the things that come from the Spirit of God, for they are foolishness to him, and he cannot understand them, because they are spiritually discerned.
註解: 性来(うまれつき)のままなる人]の原語は「心的の人」で、十五節の[霊に属する者]即ち「霊的の人」に対立しているのであつて、前者は神の霊によりて更生する以前の性来(うまれつき)のままの自然人を意味し、後者は再生せる基督者を意味する。神の目の前には此の世の賢愚の差別は無く、再生せるや否やの差別、即ち「性来(うまれつき)のままなる人」であるか、又は「霊に属する者」であるかが重大なる区別である。此の性来(うまれつき)のままなる人は如何に深遠なる思想家であつても、又如何に賢明なる哲人であつても、又如何に博識なる学者であつても、神の御霊の事を受けない、之れ別世界の事柄であるからである。

(かれ)には(おろか)なる(もの)()ゆればなり。

註解: 世の智慧を持つている者に取つては、神のことは愚に見える、今日も亦同様である。(使17:32)

また(これ)(さと)ること(あた)はず、[御靈(みたま)のことは](れい)によりて(わきま)ふべき(もの)なるが(ゆゑ)なり。

註解: ただに之を愚視して軽蔑するのみならず、たとい之を悟らんとしても悟る力が無い。再生によつて聖霊が与えられるにあらざれば、神の御霊の事を悟ることが出来ない。

2章15節 されど(れい)(ぞく)する(もの)は、すべての(こと)をわきまふ、[引照]

口語訳しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
塚本訳反対に、霊の人はすべてのことを判断することができるが、しかし彼自身はだれからも判断されることがない。
前田訳霊の人はすべてを判断しますが、自分はだれにも判断されません。
新共同霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
NIVThe spiritual man makes judgments about all things, but he himself is not subject to any man's judgment:
註解: 再生の霊を受け新なる生命に属しているものは此の世の事、人の霊の事のみならず、神の御霊の事をも、わきまえ知る力を持つている。

(しか)して(おのれ)(ひと)(わきま)へらるる(こと)なし。

註解: 未信者は基督者が持つ信仰と智慧と希望とを解する事が出来ないで、之を以て迷信の如くに考える。

2章16節 (たれ)(しゅ)(こころ)()りて(しゅ)(をし)ふる(もの)あらんや。()れど(われ)らはキリストの(こころ)()てり。[引照]

口語訳「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
塚本訳なぜなら(聖書に)、“だれが主の御心を知って、主を教えることができるか”とあるからである。ただわたし達(主キリストを信ずる者)は、キリストの(霊を持ち、その)心を持っているのである。
前田訳「だれが主のみ心を知って主を導くことができましたか」。しかしわれらはキリストの心を持っています。
新共同「だれが主の思いを知り、/主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。
NIV"For who has known the mind of the Lord that he may instruct him?" But we have the mind of Christ.
註解: 性来(うまれつき)の人に取っては主の心は高くして之を知ることが出来ず、いわんや之を教える事の如きは全く出来ない。されど我ら更生せる者は此の高きキリストの心を持っているのであって、性来(うまれつき)の人との間には非常なる程度の智慧の差別が生じているのである。
要義1 [神の智慧と人の智慧]基督教が哲学的に見て極めて幼稚であり、又大乗佛教の教理等に比して理論的に劣っている事は常に基督教に向って与えられる批難である。乍併、此の批難をなす者は未だ人の霊と神の霊との区別を知らず、神の智慧と人の智慧との区別を見ない人々である。神の霊によりて一度び更生の経験を有する者は、愚なるが如くに見ゆる十字架の福音の中に神の無限の智慧を見る事が出来、他方賢く見ゆる哲学的理論の極めて愚なる人造の議論に過ぎない事を発見するのである。「肉によりて生れるものは肉なり、霊によりて生れるものは霊なり」(ヨハ3:6)。此の二者の間に根本的区別がある。「人もしキリストにあらば新に造られたる者なり」(IIコリ5:17)。基督者は神の新なる創造である(エペ2:10)故に旧き人の見るを得ざりし世界を知る事が出来る。
要義2 [教会の一致と神の智慧]パウロが茲に神の智慧について論じた理由は、之によってコリント教会の分離を防がんとしたのであった。蓋しコリント教会はギリシヤ哲学の影響の下に、パウロの純なる福音を愚なるものと思い、彼等の哲学的要求を満足せしむべき方向に赴きパウロと分離せんとしたのであった。夫故に若しパウロの福音が実は神の智慧であって性来(うまれつき)の人の理解し得ざる高さを有っているものである事を知る事が出来たならば、コリントの信徒は分離の如き愚挙に出でなかったであろう。人若しキリストの福音に人間的智慧の満足を求めるならば、其の結果必ず福音より離れる事となるのである。パウロは此の根本的の最大の真理を闡明(せんめい)する事によりて教会の一致を来さしめんとしたのであって、今日多く行われる会議や妥協によりて教会の合同を来さしめんとするのとは根本的の差異がある事を見る事が出来る。基督教会は此の霊の新生なしに存在する事も出来ず、又其の一致を保つ事も出来ない。