黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2コリント

第2コリント第13章

分類
7 パウロの自己弁明の目的 12:19 - 13:10
7-2 罪人を罰する必要なきに至るため 13:1 - 13:10

13章1節 (いま)われ三度(みたび)なんぢらに(いた)らんとす、[引照]

口語訳わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。
塚本訳わたしはあなた達の所にこれで三度目の訪問をする。“すべての事は、二人もしくは三人の証人の証言によって定められる”(と律法にあるではないか、三度の訪問が三人の証言に当る。)
前田訳そちらへ行くのはこれで三度目です。「すべてのことは二人か三人の証人によって確認される」。
新共同わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。
NIVThis will be my third visit to you. "Every matter must be established by the testimony of two or three witnesses."
註解: Uコリ1:16Uコリ12:14註参照

()(さん)證人(しょうにん)(くち)によりて(すべ)てのこと(たしか)めらるべし。

註解: 申命記の引用(引照2)であって、周知の律法である。パウロは己単独の決定によらず教会の主要なる人々を証人として、万事を(たしか)めんとしているのであってマタ18:16Tコリ5:12、13と同一の方針によっているのである

13章2節 われ(すで)()げたれど、(いま)(はな)れをりて、二度(ふたたび)なんぢらに()ひし(とき)のごとく、(まへ)(つみ)(をか)したる(もの)とその(ほか)(すべ)ての人々(ひとびと)とに(あらか)じめ()ぐ、[引照]

口語訳わたしは、前に罪を犯した者たちやその他のすべての人々に、二度目に滞在していたとき警告しておいたが、離れている今またあらかじめ言っておく。今度行った時には、決して容赦はしない。
塚本訳(だから)わたしが二度目に行ったとき、前に罪を犯した者たちとほかのみんなに、あらかじめ言ったように、今離れていて、(同じことを)あらかじめ言っておくが、──わたしがもう一度行ったら、(その時こそ)容赦しない。
前田訳かつて罪を犯した人々と他のすべての人々に、二度目にそちらにいたときに前もっていい、今離れていても前もっていいますが、この次そちらへ行ったときには容赦しません。
新共同以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。
NIVI already gave you a warning when I was with you the second time. I now repeat it while absent: On my return I will not spare those who sinned earlier or any of the others,
註解: 私訳「二度目に汝らに逢いし時に既に告げし如く、今離れていて前に罪を犯したる者とその他の凡ての人々とに予じめ告ぐ」。「他の凡ての人々」にも告ぐる意味は、彼らもまた各々省みてその罪を告白する様にすべき事、また必要なる処置を罪を犯せる者に対して取るべき事を警戒しているのである

われ(また)いたらば(けっ)して(なだめ)さじ。

註解: 二度目に逢いし時も、かく告げたのであった。何故に二度目に彼らを罰しなかったかに就いては知る事ができないが、恐らく彼らを(ゆる)さんがためにこれを忍んだのであろう。ロマ2:4

13章3節 (なんぢ)らはキリストの(われ)にありて(かた)りたまふ證據(しょうこ)(もと)むればなり。[引照]

口語訳なぜなら、あなたがたが、キリストのわたしにあって語っておられるという証拠を求めているからである。キリストは、あなたがたに対して弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い。
塚本訳あなた達はキリストがわたしにあって語っておられる証拠を求めているのだから、(願いどおり、彼がわたしによって働かれる力を見るであろう。)彼はあなた達に対して弱くない。いや、あなた達の間で強い。
前田訳あなた方はわたしの中に語りたもうキリストの証拠を求めているからです。彼はあなた方に対して弱くはなく、あなた方の中にあって強いのです。
新共同なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。
NIVsince you are demanding proof that Christ is speaking through me. He is not weak in dealing with you, but is powerful among you.
註解: コリントの人々は「パウロはキリストが己の中に在りて語り給うと主張しながら(ガラ2:20)実際、面を合わせる場合には至って弱虫である(Uコリ10:1Uコリ10:10)。故にパウロが来ても、彼が口にて言うほど厳しくする事は無いであろう」と称えてパウロに挑んでいる。これ結局パウロの語る処はキリストに在りて語るのであって、真実にして偽りなき事の証拠を呈出せしめんとしているのである

キリストは(なんぢ)らに(むか)ひて(よわ)からず、(なんぢ)()のうちに(つよ)し。

註解: 汝らが証拠を要求しており、我がうちに語り給うそのキリストは決して汝らに対して何事も出来ない弱者ではなく、汝ら教会の中に在して力強く働き給う御方である。故に彼に在りて我もまた汝らの中に力強く行うであろう

13章4節 微弱(よわき)によりて十字架(じふじか)()けられ(たま)ひたれど、(かみ)能力(ちから)によりて()(たま)へばなり。[引照]

口語訳すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。
塚本訳ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。
前田訳それは、弱さのゆえに十字架につけられ、神の力のゆえに生きたもうからです。われらも彼にあって弱いのですが、神の力によって彼とともにあなた方のために生きるでしょう。
新共同キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。
NIVFor to be sure, he was crucified in weakness, yet he lives by God's power. Likewise, we are weak in him, yet by God's power we will live with him to serve you.
註解: キリストは肉体を取りて我らと同じ人間となり給い、「自らも弱きに(まと)われ」給うた(ヘブ5:2)。その十字架は人としての弱さの結果である。然るにキリスト神の力によりて復活し給い、今現に強き力を以て活きて在し給う

(われ)らもキリストに()りて(よわ)(もの)なれど、

註解: 我らも弱者であって、地位なく権力なく多くの艱難に晒されている。しかし我らはキリストに在り、彼と共に十字架上に死んでいる(ロマ6:4ガラ2:20

(なんぢ)らに(むか)(かみ)能力(ちから)によりて(かれ)(とも)()きん。

註解: キリスト神の能力によりて生き給うと同じく、我らもまたキリストと共に神の力によりて生き、汝らに対してキリストと同じく審判の権を行使するであろう。これによりて我にありて語り給うキリストの証拠を与えるであろう。「汝らに向う」は「神の力」の形容句ともなり、または「神の能力により彼と共に汝らに対して生きん」とも訳する事ができる。日本改訳は前者を取っており、予は後者を優れりと思う(A1・M0)。何となれば神の能力は本節前半のキリストに働けるものと同じく一般的のものであり、特にコリント人に対する神の能力に限られていない。而してパウロはここに特にこの力をコリントの教会に対して用うる事を明示する必要上、この力により「汝らに対して生きん」と云ったのである。

13章5節 なんぢら信仰(しんかう)()るや(いな)や、みづから(こころ)(みづか)(ため)しみよ。[引照]

口語訳あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。
塚本訳あなた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰があって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ!
前田訳あなた方が信仰に生きているかどうか、自らをためし、自らをお調べなさい。イエス・キリストがあなた方のうちにいますことをご存じないのですか。それはあなた方が不適格でない限りのことですけれども。
新共同信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。
NIVExamine yourselves to see whether you are in the faith; test yourselves. Do you not realize that Christ Jesus is in you--unless, of course, you fail the test?
註解: パウロに試みられる迄も無く彼ら自ら果たして信仰があるや否やを自分で試して見るがよい、そして信仰があるならばそれを証明するがよい。「試み」パイラゾー peirazô はある人または物の中にある善、または悪を験出する事であって、往々にして悪を(ため)し出す事の意味が主となる場合がある。「(ため)し」ドキマゾー dokimazô ある人または物の中にある善きものを(ため)し出す事のみに用いらる。故に神も悪魔も「試みる」事 peirozô はあるけれども、悪魔は「(ため)す」事 dokimazô は無い(T0)日本訳語は必ずしもかく一定していない。 (ヘブ11:17創22:1出15:25ヤコ1:2ヤコ1:22マタ4:1Tコリ7:5黙2:10

(なんぢ)らみづから()らざらんや、()()てらるる(もの)ならずば、イエス・キリストの(なんぢ)らの(うち)(いま)(こと)を、

註解: (▲原文後半が三様に訳される可能性がある。即ち「(前半)君等はイエス・キリストが君等の中に在す事を知らないのか(後半)(1)もし棄てらるものでなかったら(そんな筈はない)(2)もし知らなかったら君等は棄てられる者である(3)もしキリスト、君等の中に在さなかったら君等は棄てられる者である。」文語訳は(3)口語訳は(2)RSVは(1)による。予は(3)を採る。)イエス・キリスト御自身が内在し給う事はその基督者たるの証拠でありまた条件である。而してこの事は、他人がこれを知る事ができず、自らこれを知る事ができる事柄である。而して若しイエス・キリストが我らの中に在し給わぬならば我らは棄てられるもの、亡ぶべきものである。基督者なりや否やの分れる点が宗派や、教義や行為によらずイエス・キリストが内在し給うや否やにある事は誠に幸なる事であって、これによりて自ら信仰の有無を(ため)す事ができる。若し我らキリストを信ずるならば彼は必ず我らの中に住み給うであろう(Tヨハ5:12、13を熟思せよ)。
辞解
[棄てらるるもの] アドキモスadokimosは「(ため)す」事dokimazôの結果放棄される部分を云う、神は人類を(ため)してその中より信者を救い不信者を棄て給う、(あたか)も金銀を吹き分けて鋳屑(いくず)を棄つるが如し。マタ3:10マタ7:9マタ8:11

13章6節 (われ)(われ)らの()てらるる(もの)ならぬを(なんぢ)らの()らんことを(のぞ)む。[引照]

口語訳しかしわたしは、自分たちが見捨てられた者ではないことを、知っていてもらいたい。
塚本訳しかしそれにしても、わたし達はまがい物ではないことを認めてくれるように、わたしは望む。
前田訳われらは不適格でないことをお認めのよう、わたしは望みます。
新共同わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。
NIVAnd I trust that you will discover that we have not failed the test.
註解: パウロ自身はキリスト内在の確信があり、従って棄てられる者にあらざる事を知っていたけれども、彼はコリント人らもこの事を知る事を望んだ。これ「キリストが彼にありて語り給う」事を彼は実現し(Uコリ13:3)必要な場合には審判を行はなければならないからである

13章7節 (われ)らは(なんぢ)らの(すこ)しにても(あく)(おこな)はざらんことを(かみ)(いの)る。[引照]

口語訳わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈る。それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためである。
塚本訳けれどもわたし達が神に祈るのは、あなた達が何一つ悪いことをしないようにということである。(もちろん)それはわたし達が本物(の使徒)と見えるためではなく、わたし達はまがい物のようであっても、ただあなた達が(悔改めて)善いことをするようになるためである。
前田訳われらはあなた方が何の悪もしないよう神に祈ります。それはわれらが適格であることが明らかになるためでなく、われらが不適格のようであっても、あなた方が善をなすためです。
新共同わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。
NIVNow we pray to God that you will not do anything wrong. Not that people will see that we have stood the test but that you will do what is right even though we may seem to have failed.
註解: パウロはその使徒たる権を以て彼らを審判く事を望まない。従って彼らが少しも悪を行わない事を望んでいる、その希望が強い為に彼はこれを神に祈っている事をここに告白している

これ(われ)らの()とせらるるを(あらは)さん(ため)にあらず、

註解: 前項の如くに神に祈る所以はこれにより彼らの悪が改められた結果、我らが使徒たる職務を全うしたとの誉を得んが為では無い。
辞解
[()とせらるる] ドキモスdokimosは「棄てられるもの」の反対で神に義とせられ選び出される者の意

よし(われ)らは()てらるる(もの)(ごと)くなるとも、(なんぢ)らの(ぜん)(おこな)はん(ため)なり。

註解: 自分たちの事は問題ではなく唯コリントの人々の善を行う事を願うのが、パウロの心である。ロマ9:3もこれと同じ心持を示している。
辞解
[棄てらるるものの如くなるとも] コリントの信徒が善を行へば、パウロ等は彼らを審判く機会を失い、恰もキリストの内在し給わざるものの如くに見えるであろう

13章8節 (われ)らは眞理(まこと)(さから)ひて能力(ちから)なく、眞理(まこと)のためには能力(ちから)あり。[引照]

口語訳わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。
塚本訳というのはわたし達は神の真理に逆らっては何も出来ないが、真理のためには何でも出来るからである。
前田訳われらは真理に反しては何もできず、真理のためにのみ何かできます。
新共同わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。
NIVFor we cannot do anything against the truth, but only for the truth.
註解: 彼らが真理に(したが)い、善を行う場合には我らはこれに逆らって力を出す事ができない、全くこれに対して無力である。反対に彼らが真理に反し悪を行う場合には、我らの能力が顕われて彼らを審判くに至るのである。パウロが能力ある如くに見ゆるのも、無き如くに見ゆるのも、要するにコリントの教会が真理の上に立つや否やによりて定まる

13章9節 われら(よわ)くして(なんぢ)らの(つよ)きことを(よろこ)ぶ、[引照]

口語訳わたしたちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜ぶ。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが完全に良くなってくれることである。
塚本訳ほんとうに、わたし達は弱く(て何も出来なく)ても、あなた達が強い(ので善いことが出来るというの)なら、嬉しいのである。わたし達が祈るのは(結局)このこと、あなた達が完成されることである。
前田訳われらが弱くあなた方が強いときは、いつでもよろこびます。われらが祈り求めるのはあなた方の完成です。
新共同わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。
NIVWe are glad whenever we are weak but you are strong; and our prayer is for your perfection.
註解: 前節の説明。彼ら真理に(したが)って強く、われらはその結果無力にして何等の権力を彼らの上に行使する機会が無い、しかしこれほど喜ぶべき事は無い

また(これ)()きて(いの)るは、(なんぢ)らの(まった)くならん(こと)なり。

註解: 「全くならん事」は準備整い、全体に欠陥なきに至っている事。即ちパウロが到らんとき何等非難すべき点なきに至っている事をパウロが祈っているのである。
辞解
[全くなる] カタルティザインkatartizeinにつきTコリ1:10註参照

13章10節 われ(はな)()りて(これ)()のことを()(おく)るは、(なんぢ)らに()ふとき、(しゅ)(やぶ)(ため)ならずして()つる(ため)(われ)(たま)ひたる權威(けんゐ)(したが)ひて(きび)しくせざらん(ため)なり。[引照]

口語訳こういうわけで、離れていて以上のようなことを書いたのは、わたしがあなたがたの所に行ったとき、倒すためではなく高めるために主が授けて下さった権威を用いて、きびしい処置をする必要がないようにしたいためである。
塚本訳こういう訳で、(今度)一所にいるとき、主が授けてくださった全権によって、(あなた達に)きびしく振舞う必要のないために、(今)離れていてこれを書くのである。この全権は(あなた達の信仰を)造り上げるためのもので、破壊するためではないのだから。
前田訳それゆえ、このことを離れていて書くのは、わたしが行ったとき、主がわたしにお与えの権威によって、きびしく振る舞う必要のないためです。この権威は建設のためで、破壊のためではありません。
新共同遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。
NIVThis is why I write these things when I am absent, that when I come I may not have to be harsh in my use of authority--the authority the Lord gave me for building you up, not for tearing you down.
註解: Uコリ2:3Uコリ10:4Uコリ10:8Uコリ10:11等の註参照。以上の諸節その他全書簡に充満する思想の結尾である。12:19以下ここに至るまでが本書を(したた)めし最も根本的の動機であった。
要義 [権威と愛との共働]若しパウロにしてその使徒たるの権威のみを用いたならば、コリントの教会は早く既に審判かれ、彼らはパウロの愛を感ずる事ができなかったであろう。若しまたパウロがその権威を用いずして愛のみに立ったならばコリント教会は彼を軽視したであろう。この二者その一を欠くとき使徒たるの職務を全うする事ができない。それ故に本書簡においてパウロは一方にその使徒職の権威を強調すると同時に、他方にこれを用いずに済ませんとの愛の希望が、熱烈に燃え上がっているのを見る事ができる。而してここにパウロにおいてこの二者の中常に愛が勝たんとしているのを見る事はまことに尊き事実であって、自己は棄てられるものとなりてもなおコリント教会を救わんとの熱望は、(あたか)も主イエスが十字架に懸かり給いて我らの罪を贖わんとし給えると同一の心情であった。コリント後書は実にパウロの十字架上の叫びであると云う事ができる。

分類
8 結尾の薦め 13:11 - 13:13

13章11節 (をはり)()はん、兄弟(きゃうだい)よ、(なんぢ)(よろこ)べ、[引照]

口語訳最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。
塚本訳それでは、(愛する)兄弟たちよ、御機嫌よう。正しい道にもどってくれ。自分を戒めよ。思いを同じくせよ。平和を保て、そうすれば、愛と平和との神が一緒にいてくださる。
前田訳終わりに、兄弟方、ごきげんよう。自らを全うし、互いに慰め、思いをひとつにし、平和であってください。愛と平和の神はあなた方とともにいますでしょう。
新共同終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
NIVFinally, brothers, good-by. Aim for perfection, listen to my appeal, be of one mind, live in peace. And the God of love and peace will be with you.
註解: 以上において厳格に彼等を叱責せるパウロは、ここに言葉を和らげて彼等に結尾の挨拶を為している(但し問題の中心は離れずに)。「汝ら喜べ」はパウロの書簡により気分が沈鬱にならない様にとの心使いであろう。基督者は一般に艱難の中に喜ぶべき事は勿論であるけれども(ピリ3:1ピリ4:1ロマ5:3)、この場合はこれを特にコリントの教会の現状に適用したものと見るべきであろう

(まった)くなれ、

註解: Uコリ13:9註参照。パウロの心にかかっている事は、コリント教会の不完全さであった

慰安(なぐさめ)()けよ、

註解: 私訳「慰められよ」。Uコリ1:6、7誘惑と困難は当時の教会には必ず伴っており、常に慰められる必要が有った。神とキリストより及びパウロ等よりの慰め、また相互の慰めにより慰めらるべしとの事である

(こころ)(ひと)つにせよ、

註解: 分離徒党を戒めている

(むつ)(した)しめ、

註解: 直訳「平和なれ」。相互の間に紛争なき様にすべしとの事、心を一つにする結果自然にこれが行われるに至るであろう

(しか)らば(あい)平和(へいわ)との(かみ)なんぢらと(とも)(いま)さん。

註解: 心を一にし平和を保つ事は、愛と平和の神がともに在すに適当なる状態である、徒党と紛争のある処に愛と平和の神が宿り給う事ができない

13章12節 (きよ)接吻(くちつけ)をもて(あひ)(たがひ)安否(あんぴ)()へ、 (すべ)ての聖徒(せいと)なんぢらに安否(あんぴ)()ふ。 [引照]

口語訳きよい接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。聖徒たち一同が、あなたがたによろしく。
塚本訳聖なる接吻で互に挨拶せよ。(この地の)聖徒たちみんなからあなた達によろしくとのことである。
前田訳聖い口づけで互いにあいさつなさい。すべての聖徒があなた方によろしくいっています。
新共同聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
NIVGreet one another with a holy kiss.
註解: 「凡ての聖徒」はパウロにその当時接触していたマケドニヤ地方の信徒を一般的に指しているのである。当時の教会相互の親密なる交わりの表顕である

13章13節 (ねが)はくは(しゅ)イエス・キリストの恩惠(めぐみ)(かみ)(あい)(せい)(れい)交感(まじはり)、なんぢら(すべ)ての(もの)(とも)にあらんことを。 [引照]

口語訳主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。
塚本訳主イエス・キリストの恩恵と、神の愛と、聖霊の交りとが、あなた達一同と共にあらんことを。
前田訳主イエス・キリストの恵みと神の愛と聖霊の交わりとが皆さんとともにありますように。
新共同主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
NIVAll the saints send their greetings.
註解: 三位の神が各々その特質を以て信者とともに在し給う。先ずキリストはその恩恵によりて我らを救い給い、我らこれによりて神の愛を直接に受くるを得るに至り、而して聖霊によりて神及びキリストと交わり相互に霊交を結ぶ事ができる。これが基督者の常態でなければならない。

13章14節 (無し:NIVのみ分節)

口語訳
塚本訳
前田訳
新共同
NIVMay the grace of the Lord Jesus Christ, and the love of God, and the fellowship of the Holy Spirit be with you all.