使徒行伝第17章
分類
5 異邦に於けるパウロの伝道
13:1 - 21:16
5-3 パウロの第二伝道旅行
15:36 - 18:23
5-3-4 テサロニケに於けるパウロ
17:1 - 17:9
17章1節
口語訳 | 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。 |
塚本訳 | 彼らはアムポリスとアポロニヤ(の町々)を通過してテサロニケに行った。そこにはユダヤ人の礼拝堂があった。 |
前田訳 | 彼らはアムピポリスとアポロニアを通ってテサロニケへ来た。そこにはユダヤ人の会堂があった。 |
新共同 | パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。 |
NIV | When they had passed through Amphipolis and Apollonia, they came to Thessalonica, where there was a Jewish synagogue. |
註解: アムピポリスはピリピ西南五十二キロの地点にあるマケドニヤの主府、アポロニヤはそれより更に西南五十キロにあり、是等の二市に於てパウロは何等の活動をも為なかった。テサロニケは更に西方五十八キロの地点にありこの地方の首府でサロニカ湾頭にあり政治及び貿易の中心地でユダヤ人の植民地があり会堂があった。このパウロの通過せる道筋はローマの大幹線道路である。
註解: パウロは矢張りユダヤ人を無視する事が出来ず先づ第一にその会堂に赴いた。
17章2節 パウロは
口語訳 | パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、 |
塚本訳 | パウロはいつものとおり入っていって、三度の安息日に聖書に由って彼らに話をした。 |
前田訳 | いつものとおりパウロは彼らの中に入って、三つの安息日にわたって、聖書によって彼らと論じた。 |
新共同 | パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、 |
NIV | As his custom was, Paul went into the synagogue, and on three Sabbath days he reasoned with them from the Scriptures, |
註解: パウロは例の如く安息日の礼拝日を利用しまたその他の日にも熱心に福音を伝えた。是が未知の人々に対して語り得る最良の機会であった。
辞解
[三つの安息日にわたり] 三週間と云うに同じ、ゆえにその中間の日にも彼らと語ったのであろう。
[論じ] dialegomai はギリシヤの哲学者の用いし如き弁論法による討論を云う。
[聖書に基きて] 「聖書より引用して」の意で、聖書の真理を明かにする事が第一の仕事であった。尚お「聖書に基きて」を後の句に掛け「解き明し」と「述べ」とに関係せしむる説あり(M0)。
かつ
17章3節 キリストの
口語訳 | キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。 |
塚本訳 | すなわち救世主は苦しみを受けて(十字架の上に死に、)死人の中から復活せねばならなかったこと、また、「わたしがあなた達に宣べ伝えているイエス、この人こそ救世主である」と説き明かし、論証した。 |
前田訳 | すなわち、「キリストは苦しみをうけて死人の中から復活せねばならなかった」ことと、「わたしがあなた方にのべ伝えているこのイエスこそ、キリストである」こととを説明し、また論述した。 |
新共同 | 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。 |
NIV | explaining and proving that the Christ had to suffer and rise from the dead. "This Jesus I am proclaiming to you is the Christ, " he said. |
註解: 私訳、「キリストは必ず苦難を受け死人の中より甦るべきこと及び我が汝らに宣伝えるイエス、この人こそキリストなることを開陳せり」パウロの議論は二つの点に集中された。(1)は旧約聖書の示す処によればキリスト(メシヤ)として来るべき者は必ず苦難を受けなければならず(イザ53:1以下の如く)また必ず死人の中より甦るべき事(使13:28-37。詩2:7。詩16:10。イザ55:3)であって、是は前提でありまた一般論であった。而して(2)に彼が宣伝えるイエスが即ちこのメシヤなる事を証明した。
辞解
[解き明して] anoigô は「開く」の意味。
[述べ] paratithêmi は陳列する意味。即ち従来閉じられていたものを開いてこれを人の前に並べる如き意味あり、私訳「開陳」とせし所以である。
17章4節 その
口語訳 | ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。 |
塚本訳 | すると、中には信じて、パウロとシラスとに従った者もあった。なお敬神家の異教人の大勢の群と、少なからぬ有力な婦人たちも従った。 |
前田訳 | 彼らのあるものは納得して、パウロとシラスとに従った。大勢の敬虔なギリシア人と、少なからぬ一流の婦人も、そうであった。 |
新共同 | それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。 |
NIV | Some of the Jews were persuaded and joined Paul and Silas, as did a large number of God-fearing Greeks and not a few prominent women. |
註解: この地に数多の立派なる信徒が生じた事はTテサ1:5-10よりもこれを知る事が出来る。マケドニヤに於ては一般に婦人が尊重されていたので婦人の立派なる信者も多かった。
辞解
[その中] 「ユダヤ人の中」の意。
[敬虔なる] ユダヤ教に接したるのみならずこれに帰依せる改宗者。
[従えり] prosklêroô は神の導きによりパウロに属する運命とされた事、鬮 によりてパウロに附属せしめられたとの意。
17章5節
口語訳 | ところが、ユダヤ人たちは、それをねたんで、町をぶらついているならず者らを集めて暴動を起し、町を騒がせた。それからヤソンの家を襲い、ふたりを民衆の前にひっぱり出そうと、しきりに捜した。 |
塚本訳 | しかしユダヤ人は嫉妬のあまり、下層社会の無頼漢らと語らって野次馬を集め、町(中)を騒がせた。そしてヤソンの家に押しかけて、二人を民衆の前に引き出そうとした。(ヤソンがかくまっていると思ったのである。) |
前田訳 | しかしユダヤ人は妬みにかられ、広場の悪者を集め、群衆を扇動して町を騒がせた。そしてヤソンの家に押しかけて、ふたりを民衆の前に引き出そうとした。 |
新共同 | しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。 |
NIV | But the Jews were jealous; so they rounded up some bad characters from the marketplace, formed a mob and started a riot in the city. They rushed to Jason's house in search of Paul and Silas in order to bring them out to the crowd. |
註解: 「人の仇はその家の者なるべし」(マタ10:36)とある如く、最も親密なるべきものが最悪の敵であり、最も宗教的なりと自信するものが真の信仰に反対する場合が多い。パウロの場合もユダヤ人が常に彼を迫害した。彼らが無頼漢や群衆の力を借らんとしたのは、既にその心の卑劣なる事と真理に対する確信なき事とを示す。真理は無頼漢の暴力によりて保護される必要が無い。
辞解
[市の無頼者] 原語「市場浪人中の悪者共」と云う意で、市場浪人agoraioi は市場 agoraに放浪して悪事を働く浮浪人の類を云う。
[集民] dêmos はデモクラシーなる文字の起源をなす民衆の事、テサロニケに於ては民衆が政治上の権力を有する自由都市であった。
[ヤソンの家] パウロがそこに宿っていたのであろう。ヤソンはロマ16:21のヤソンと同一人とすればユダヤ人である。然りとすればヤソンはヨシユアのギリシヤ化したるもの。
17章6節
口語訳 | しかし、ふたりが見つからないので、ヤソンと兄弟たち数人を、市の当局者のところに引きずって行き、叫んで言った、「天下をかき回してきたこの人たちが、ここにもはいり込んでいます。 |
塚本訳 | しかし見つからないので、ヤソンと(主の)兄弟数人とを町役人たちの前に引っ張っていって、叫んだ、「帝国中をひっかき回したあの人たちがここにも来ているのを、 |
前田訳 | しかし見つからないので、ヤソンと兄弟たち数名とを町の役人の前に引っ張っていって叫んだ、「世界じゅうを騒がせたあの人たちがここにも来ています。 |
新共同 | しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。 |
NIV | But when they did not find them, they dragged Jason and some other brothers before the city officials, shouting: "These men who have caused trouble all over the world have now come here, |
註解: パウロ等は偶然不在であったのか、または形勢の険悪なるを見て避難したのであるかは判明 らない。ヤソン等を町司の前に曳いて来たのはパウロの一味を訴える事によりて間接にもパウロ等を苦しめんとしたのである。
辞解
[町司] politarchês なる語が古典ギリシヤ語の中に見出されない為、一時ルカの精確さが疑われていたけれども近代に至りこの語を含む碑石の銘が多く発見せられ、ルカの精確さが実証されるに至った。
『
17章7節 ヤソン
口語訳 | その人たちをヤソンが自分の家に迎え入れました。この連中は、みなカイザルの詔勅にそむいて行動し、イエスという別の王がいるなどと言っています」。 |
塚本訳 | このヤソンが(家に)かくまっています。あの人たちは皆(ローマの皇帝のほかに)イエスという別の王があると言って、帝国の勅令にそむいた行動をしているのです。」 |
前田訳 | ヤソンが彼らを引き受けています。あの人たちは皆『イエスという別の王がある』といって、皇帝(カイサル)の勅令に反したことをしています」と。 |
新共同 | ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」 |
NIV | and Jason has welcomed them into his house. They are all defying Caesar's decrees, saying that there is another king, one called Jesus." |
註解: 町司等に訴うる最良の手段は社会秩序の紊乱と云う事と、カイザルに対する反逆と云う二点である。この二点は町司等の最も憂慮する点であり、基督者を迫害するに最も効果的なる点である。今日も基督教は多くこの点より攻撃を受ける(▲第二世界戦争(1941-1945)中、日本の基督者もこの理由で迫害された)。ヤソンがパウロ等を迎入れた事も犯人隠匿の罪となる。「転覆」はむしろ「撹乱」の意でパウロの到る処必ず一種の撹乱が起っているため、パウロ等は天下の撹乱者とも見え、また「カイザルの詔勅 にそむき」とは、此頃屡々 発布せられし大逆罪を禁ずる布令を指すと見るべきであろう。「他にイエスと云う王あり」は神の国の王としてのイエスを宣伝えるがゆえにカイザルに対する反逆なりと誤認しまたは曲解する事は可能である。イエスも同じ罪に問われ給うた(ルカ23:2-3。ヨハ19:12、ヨハ19:15)。高き霊界の事実に盲目なる者はこの両者の区別を認識する能力が無い。
口語訳 | これを聞いて、群衆と市の当局者は不安に感じた。 |
塚本訳 | これを聞いて群衆と町役人とは動揺し、 |
前田訳 | これを聞いた群衆と町の役人たちとは心を動かされ、 |
新共同 | これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。 |
NIV | When they heard this, the crowd and the city officials were thrown into turmoil. |
17章9節
口語訳 | そして、ヤソンやほかの者たちから、保証金を取った上、彼らを釈放した。 |
塚本訳 | 町役人はヤソンとほかの人たち[主の兄弟]から保証金を取った上で、彼らを釈放した。 |
前田訳 | 役人たちはヤソンと他の人々から保証金を取ってから彼らを釈放した。 |
新共同 | 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。 |
NIV | Then they made Jason and the others post bond and let them go. |
註解: ユダヤ人らの訴は重大事であったけれどもパウロ等が居ない為め確証を得ず、止むを得ず更に取調を受くる場合に必ず出頭する約束の下に保釈金を納入せしめて彼らを釈 した。
要義1 [テサロニケの教会]パウロがテサロニケを去りベレア、アテネを経てコリントに至れる時に、テサロニケ人に宛てたるテサロニケ前書によれば、其後も同地の教会には迫害が行われ(Tテサ1:6。Tテサ2:13-16。Tテサ3:3、4)たるにも関らず信徒は立派なる信仰を持続し(Tテサ1:3-7。Tテサ2:13、Tテサ2:19。Tテサ4:1以下)パウロと彼らとの間に切なる愛の結合があった(Tテサ2:8、Tテサ2:17、18。Tテサ3:6、Tテサ3:11、12)。僅かに三週間の伝道を以てこうした結果を来した事はまことにおどろくべき事実である。
要義2 [基督教の嫌われる理由]当時の社会に於て基督教が嫌忌される理由は、ユダヤ人にとりては唯一神の外にイエスなる神ありとする点及びユダヤ人の律法と伝統とを超越している点であり、ギリシヤ、ローマ等の異邦人に取リては社会の秩序を紊乱 し、公の秩序、善良なる風俗に反する事(使16:20、21)及び、カイザルの他に王ありと主張する如くに見ゆる点であった。是等の事実は全然存在せずと云う事が出来ず、多くの場合、斯く誤解せらるべき可能性は充分に存在しているのである。例えば旧来の習慣に反する習慣を伝える場合あり、また信仰の為に親子夫婦等家族間に不和を生ずる場合あり、またキリストを霊界の王と信ずるがゆえに、霊界の問題につき理解なきこの世の人は、この世の王以外にまたは以上に他の王を戴くものの如くに誤解し易い。而して凡て是等の誤解は、二千年前の小亜細亜、ギリシヤ、ローマの社会に於けると、今日の日本の社会に於けるとの間に大なる相似点がある事を見るのである。
17章10節
口語訳 | そこで、兄弟たちはただちに、パウロとシラスとを、夜の間にベレヤへ送り出した。ふたりはベレヤに到着すると、ユダヤ人の会堂に行った。 |
塚本訳 | (テサロニケの)兄弟たちはすぐ夜の間に、パウロとシラスとをベレヤへ送り出した。二人はそこに着くと、ユダヤ人の礼拝堂に行った。 |
前田訳 | 兄弟たちはすぐ夜のうちにパウロとシラスとをベレアへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂に行った。 |
新共同 | 兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。二人はそこへ到着すると、ユダヤ人の会堂に入った。 |
NIV | As soon as it was night, the brothers sent Paul and Silas away to Berea. On arriving there, they went to the Jewish synagogue. |
註解: 基督者迫害の気運が非常に濃厚になって来たので兄弟たちは危険を避けしめんとて強てパウロ等をベレヤまで送り出した。強て彼を送り出したのは恐らくパウロ等はヤソン等の苦難を見て棄て去る事を肯 んじなかったからであろう。
辞解
[兄弟たち] とあるを見れば短期の伝道により既に若干の信徒がそこに出来た事を示す。尚其後テサロニケに於て迫害が激しかった事はTテサ2:14。Tテサ3:1-5。Uテサ1:6等よりこれを確める事が出来る。
[ベレヤ] テサロニケの西南六十五キロの地点にありマケドニヤの重要都市の一つである。交通の要路にあらざる静寂なる都市であったので一時テサロニケの騒擾 を避けて再びそこに帰る目的であったのであろう(Tテサ2:18)。
註解: パウロ等は如何程迫害を受けても、それでもユダヤ人を見限り得ず、更に新なる危険を冒してその会堂に入った。
17章11節
口語訳 | ここにいるユダヤ人はテサロニケの者たちよりも素直であって、心から教を受けいれ、果してそのとおりかどうかを知ろうとして、日々聖書を調べていた。 |
塚本訳 | ここの人たちはテサロニケの者よりもりっぱであり、非常な熱心をもって御言葉を受け入れ、はたしてその通りであるかどうかと、毎日聖書を調べた。 |
前田訳 | そこの人たちはテサロニケの人たちより、立派で、非常な熱意でみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べていた。 |
新共同 | ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。 |
NIV | Now the Bereans were of more noble character than the Thessalonians, for they received the message with great eagerness and examined the Scriptures every day to see if what Paul said was true. |
註解: ベレヤのユダヤ人等は真面目に道を求め、信仰の事柄に関して熱心にして研究的であり、寛容にして徒 にパウロ等を迫害しなかった。
辞解
[善良] eugenesteros は素質 が良いと云う如き意。
[心より] 乗り気になってと云う如き意。
使20:4のソパテロはベレヤ人であった。この時の伝道の果実であろう。
この
註解: パウロの述ぶる福音が果して聖書に適っているかどうかを彼らは研究し、その然る事を発見して確信を得た。彼らはパウロの所説を軽々しく受けず、また軽々しく排斥しなかった。その標準を聖書に求むる事は基督者の取るべき最も正しき手段である。
17章12節 この
口語訳 | そういうわけで、彼らのうちの多くの者が信者になった。また、ギリシヤの貴婦人や男子で信じた者も、少なくなかった。 |
塚本訳 | だから彼らのうちの多くの者が信じた。異教人の上流婦人や男子で、信じた者も少なくなかった。 |
前田訳 | それで、彼らの多くが信じた。異邦人の貴婦人や男子で信じたものも少なくなかった。 |
新共同 | そこで、そのうちの多くの人が信じ、ギリシア人の上流婦人や男たちも少なからず信仰に入った。 |
NIV | Many of the Jews believed, as did also a number of prominent Greek women and many Greek men. |
註解: 彼らの態度がかく真面目であった為に信仰に入るものが多かった、ユダヤ人のみならすギリシヤの身分ある男女も信仰に入った。貴人が信仰に入るは容易ではない。ベレヤの貴人が少からず入信した事は、その地の気風の真面目なる事の反映である。但しベレヤの教会が其後如何なる状態であるかは全く記されて居ない。
17章13節
口語訳 | テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神の言を伝えていることを知り、そこにも押しかけてきて、群衆を煽動して騒がせた。 |
塚本訳 | しかしテサロニケのユダヤ人たちは、ベレヤでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、やって来て、ここでも群衆をそそのかし、動揺させた。 |
前田訳 | しかしテサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神のことばが伝えられていると知ると、やって来て、ここでも群衆をそそのかして騒がせた。 |
新共同 | ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、ベレアでもパウロによって神の言葉が宣べ伝えられていることを知ると、そこへも押しかけて来て、群衆を扇動し騒がせた。 |
NIV | When the Jews in Thessalonica learned that Paul was preaching the word of God at Berea, they went there too, agitating the crowds and stirring them up. |
註解: パウロは到る処にて迫害より脱する事が出来なかった。またユダヤ人はパウロに対し、基督教に対して到る処その執拗なる迫害を罷 めなかった。
辞解
[動かし] 地震の如く。
[騒がす] 海の浪の如くに。
17章14節
口語訳 | そこで、兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して、海べまで行かせ、シラスとテモテとはベレヤに居残った。 |
塚本訳 | そこですぐ、(危険を感じた)兄弟たちはパウロを送り出して海の方へ行かせた。シラスとテモテとはベレヤにのこった。 |
前田訳 | そこですぐ兄弟たちはパウロを送り出して海の方へ行かせた。シラスとテモテとはベレアに残った。 |
新共同 | それで、兄弟たちは直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせたが、シラスとテモテはベレアに残った。 |
NIV | The brothers immediately sent Paul to the coast, but Silas and Timothy stayed at Berea. |
註解: 危険は主としてパウロの身辺にあった。パウロの存在は何時も乍ら敵に取っての邪魔物であったに相違ない。シラスとテモテは左程の危険を感ぜずしてベレアに留る事が出来た。海辺に往かしめし所以はアテネに通ずる街道は一旦海岸に出でて更に南に転ずる為とも見られ、または海岸より海路アテネに徒 けるものとも解せられる。
辞解
[海辺に] 異本によれば「海辺の方向に徒 くが如くにして」と読み得るものあり、行先を晦 ました意味に取る学者もある。
17章15節 パウロを
口語訳 | パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行き、テモテとシラスとになるべく早く来るようにとのパウロの伝言を受けて、帰った。 |
塚本訳 | パウロの供をした人たちはアテネに送りとどけると、シラスとテモテとに出来るだけ早く来るようにとの言付けを受けて、帰った。 |
前田訳 | パウロに付き添った人々はアテナイまで送った。そしてシラスとテモテに、「なるべく早く来るように」とのことづけを受けて帰っていった。 |
新共同 | パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。 |
NIV | The men who escorted Paul brought him to Athens and then left with instructions for Silas and Timothy to join him as soon as possible. |
註解: ベレヤの兄弟はパウロをアテネまで送り届けた。前節以来パウロの身辺を兄弟たちが護衛しているのは、パウロがその持病(Uコリ12:7註)の為に一人旅が困難であったからと解する学者があり、Tテサ2:18の妨碍 もこの疾病の為と解す、併し本節及ぴ前節の場合はむしろその身辺の危険を掩護 せんが為と解すべきであろう。
要義 [ベレアの教会]ベレアの教会は本章の記事より見れば真面目にして立派なる信徒が多かった事と思わる。然るにパウロよりベレアの教会に宛てた書翰が一つも残存せずまたベレアの教会につき一言も言及しないのは如何なる理由であろうか。学者によりては、其後間もなくベレアの教会が消滅したのであろうと想像しているけれども必ずしも確証が無い。但し一般的に言い得る事は、ベレアの信徒の様ないわゆる立派な人間、または理智的にして研究的なる信徒は、たとえ信仰を継続しても問題を起す事少くパウロに心配を与えないと同時にまた大なる歓喜をも与えなかった為、自然書翰もなく、また記事も少いのかとも思われる。▲容易に信仰に入るものが必ずしも永続きせず多くの苦闘の後確信を得た信仰は永続性が強い。
17章16節 パウロ、アテネにて
口語訳 | さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。 |
塚本訳 | パウロはアテネで二人を待っているあいだに、都が偶像だらけであるのを見て、その心が怒りに燃えた。 |
前田訳 | パウロは、アテナイでふたりを待っているとき、町が偶像で満ちているのを見て心が怒りに燃えた。 |
新共同 | パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。 |
NIV | While Paul was waiting for them in Athens, he was greatly distressed to see that the city was full of idols. |
註解: パウロが本来アテネに於て伝道する意思があったかどうかは不明である。シラスとテモテを待っている間に自らその霊が燃されたのであろう。Tテサ3:1、2によればテモテは一旦アテネに来りて再びテサロニケに遣されしものの如く、而してシラスと共にコリントに於てパウロと落合った(使18:5)。
辞解
[アテネ] ギリシヤ文化の中心地であって、哲学、文学、芸術の栄えし旧都であり、ローマの時代となりて後も自由市として取扱われ、当時の東西の貴顕 達は、アテネを訪いてその美観に接しその旧蹟を訪れるを常としていた。即ち当時の世界に於ける第一の文化都市であった。
註解: こうした文化の中心地であり乍ら、その町には低級なる偶像が充ちていた。文化は人の心に安心を与えない、この不安が彼らを偶像崇拝に走らしめる。
辞解
[心] 「霊」と訳すべきで、パウロの霊が偶像を見て黙し得ざるに至ったのである。
[憤慨] 非常な刺激を受けた事。
17章17節 されば
口語訳 | そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。 |
塚本訳 | それで、礼拝堂ではユダヤ人や敬神家たち、また広場では毎日毎日そこに居合わせた人たちに、話をした。 |
前田訳 | そこで彼は会堂ではユダヤ人と敬神家たちに、広場では毎日そこに居合わせた人々と論じた。 |
新共同 | それで、会堂ではユダヤ人や神をあがめる人々と論じ、また、広場では居合わせた人々と毎日論じ合っていた。 |
NIV | So he reasoned in the synagogue with the Jews and the God-fearing Greeks, as well as in the marketplace day by day with those who happened to be there. |
註解: パウロは此処にても常の如く会堂に人った。これに加うるにアテネの人々が為すが如くに市場にて逢う程の人々と自由に論議した。その問題の中心は常にイエスと復活とであった(18節)
辞解
[市場] agora は市の中央にある広場でその周囲に官公衙 裁判所あり、また商店、市場等あり、多くの人々日々集り来りて公私の用を弁ず、殊にアテネに於てはソクラテス等の為せる如く自由に人々と論議してその主張を検討する風がこの頃に於ても尚お行われた。パウロも郷に入っては郷に従い、この習慣によりて行動したのであった。
17章18節
口語訳 | また、エピクロス派やストア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。 |
塚本訳 | 数人のエピクロス派やストア派の哲学者も彼と会談したが、「このお喋りはいったい何が言いたいのだろう」と言う者もあれば、「どうも外国の神々の宣伝者らしい」と言う者もあった。パウロがイエスと復活のこととを伝えていたからである。 |
前田訳 | エピクロス派とストア派の哲学者数人も彼と談じたが、あるものは、「このおしゃべりは何をいいたいのか」といい、またあるものは、「外国の神々の宣伝者らしい」といった。彼がイエスと復活とをのべ伝えていたからである。 |
新共同 | また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。 |
NIV | A group of Epicurean and Stoic philosophers began to dispute with him. Some of them asked, "What is this babbler trying to say?" Others remarked, "He seems to be advocating foreign gods." They said this because Paul was preaching the good news about Jesus and the resurrection. |
註解: この二派は当時最も広く行われ勢力ある哲学上の学派であった。
辞解
[エピクロス派] 人生の目的を自己の幸福に置き、無神的であり、従って往々享楽主義唯物主義に傾き易い主義である。エピクロスの唱始せる主義。
[ストア派] 人間の合理的、合自然的道徳生活を理想とし、これが為めに情慾激情を離脱して自己の完全統御の生活に入るべき事を主張す、これが宇宙理性に合致する事を唱え、一種の汎神的神観を有す。且つエピクロス派の幸福を求むる点、ストア派の道徳生活を強調する点等に於て基督教に近く感ずる点があったのであろう。此他ギリシヤの哲学派の中にはアカデミー学派、逍遙 学派(ペリパテテイツク)、懐疑派等あれども当時は微力であった。
註解: 是等の人々はパウロの言う処に少しも尊敬を払わず、一言の下にこれを葬り去った。イエスの福音の尊さが肉の人には理解出来ざる所以をパウロは此時既に充分にこれを感知したのであろう(Tコリ1:26)。▲信仰は生命であり、哲学は思想である。生命は生活することによってのみ理解される。
辞解
[囀 る者] spermologos 本来「みやまからす」の類を指し、(1)「囀 る者」の意味に解する説と、(2)「餌を拾う者」の意に解する説とあり、後者は、他人の説を拾い集めてこれを誇示する衒学者 を指す。
註解: ギリシヤには多くの神々があった。従って他に種々の神々を伝えるものが絶えない。ソクラテスも異る神々を伝える理由を以て訴えられたのであった。ここにパウロの唱うる神々とは何を指せるかにつき、(1)イエスと神、(2)イエスと復活の神等種々に解せられるけれども、評者は漠然とイエス其他の異る神々を宣ぶる様に感じたのであろう。
辞解
[復活] なる語を女神の名と解したものとする説あれど疑わし。
17章19節
口語訳 | そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。 |
塚本訳 | そこで彼を引っ張ってアレオパゴス[アレスの丘]法院につれてゆき、こう言った、「あなたが語っているその新しい教義はいったい何か、教えてもらう訳にゆくまいか。 |
前田訳 | そこで彼を引っ張ってアレオパゴスへ連れてゆき、こういった、「あなたのお話のその新しい教えが何であるか、知らせていただけませんか。 |
新共同 | そこで、彼らはパウロをアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。 |
NIV | Then they took him and brought him to a meeting of the Areopagus, where they said to him, "May we know what this new teaching is that you are presenting? |
註解: アレオパゴス即ち「アレース(マルスの神)の丘」はアテネの北西の丘でそこに旧き歴史を有する裁判所がある。パウロがそこに引き立てられたのは一般に解される如く、市場の雑踏をさけて静粛なる場所に於て充分にその説を聴かんが為であったろう。是を裁判の為とかまたは教師の資格を検する為と云う如きは前後の事情に適しない様に思われる。
辞解
[アレオパゴス] アレース即ちマルスの神の丘の意、マルスの神の裁判の行われし場所と称せられた裁判所あり。
『なんぢが
17章20節 なんぢ
口語訳 | 君がなんだか珍らしいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。 |
塚本訳 | なんだか妙なことをわたし達の耳に入れるのだから。それで、それはどういうことか知りたいと思う。」―― |
前田訳 | あなたは何か珍しいことをわれらの耳にお入れです。われらはそれが何であるか知りたいのです」と。 |
新共同 | 奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」 |
NIV | You are bringing some strange ideas to our ears, and we want to know what they mean." |
註解: アテネ人はその特徴たる好奇心、新知識欲を発揮してパウロの教の何たるかを知らんと要求した。彼らは唯その「新しさ」とその「異る点」のみに興味を持ったのであって、彼らの求むる心は神の前に謙遜なる態度ではなく、従って自己の罪につきては全く考えず、唯自ら益々知識に富まんとする要求があるのみであった。富める者の天国に入るは難い事である。
辞解
[異る事] xenizonta 全く見慣れぬ事転じて驚くべき事にも用う。
17章21節 アテネ
口語訳 | いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。 |
塚本訳 | アテネ人は皆、またそこに来て仮住いしている外国人も、何か新しいことを言ったり聞いたりすることばかりに、時間をつぶしていたのである。── |
前田訳 | アテナイ人も、在留の外国人もみな、何か耳新しいことをいい、また聞くだけに、時を過ごしていたのである。 |
新共同 | すべてのアテネ人やそこに在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである。 |
NIV | (All the Athenians and the foreigners who lived there spent their time doing nothing but talking about and listening to the latest ideas.) |
註解: 当時のアテネの状況を適切に記録している。この好学心、進歩心がギリシヤ文化を建設せしめし所以であったけれども、それがこの時代に至っては堕落して一の悪風習に過ぎざるものとなった。こうした好奇的求道心は決して果を結ばない、パウロのアテネ伝道が成功しなかったのはパウロの罪ではなく聴く者の心の罪であった。
17章22節 パウロ、アレオパゴスの
口語訳 | そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。 |
塚本訳 | パウロはアレオパゴス法院の真中に進み出て言った。「アテネ人諸君、あなた達はどの点からしても、最高に信心深いようにわたしには見えます。 |
前田訳 | パウロはアレオパゴスの真ん中に立っていった、「アテナイ人の方々、あらゆる点からわたしはあなた方が非常に宗教的であると認めます。 |
新共同 | パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。 |
NIV | Paul then stood up in the meeting of the Areopagus and said: "Men of Athens! I see that in every way you are very religious. |
註解: 聴衆の中には相当に教養ある人々も多かった事であろう。パウロはギリシヤのあらゆる哲学思想と文化との前に立ちて、充分なる確信を以て語り出した。而してこの説教の大なる特徴は、パウロがギリシヤ人にはギリシヤ人の如くになり充分に彼らの心の内部を理解して、これに対して福音の真理を伝えた事である。浅薄なる知識を以て他宗教を撃破せんとするは拙なる手段である。むしろその長所を取りつつその終局の有限さを知らしめる事が必要である。
『アテネ
註解: andres Athenaioi ソクラテス、プラトーン等がアテネ人に話しかけた口調そのままである。
註解: パウロは16節に於てアテネ人の偶像崇拝を見て憤慨にたえなかったのであるが、ここでは彼らのこの傾向を善き方向に導かんが為に、始よりこれに対して非難せず、唯事実を常識的に観察せるままを述べている。
辞解
[神々を敬う心の篤き] deisidaimonesteros は「ヨリ信心深き」の意、他の国民または市民と比較してアテネ人の「ヨリ信心深き」を意味す。なおこの語は神々を恐れる意味で、従って信仰の意にも迷信の場合にも用いらる。本節の場合、C1、L1等はこれを迷信と解しているけれども、かく明瞭に区別すべきでなく、日本語の「信心深き」に相当し双方の意味に取れる語をこれに当つべきである。
註解: 23-24は神観につき論ず。
17章23節 われ
口語訳 | 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 |
塚本訳 | その証拠には、町を通りながらあなた達の聖殿を注意して見ていたところ、知らぬ神に(献ずる)という銘のある祭壇すらありました。だからあなた達が(こうして)知らずに敬っているもの、それをわたしは伝えよう。 |
前田訳 | 道すがらあなた方の聖物をよく見ますと、『知らぬ神に』ときざまれた祭壇が目にとまりました。それゆえ、あなた方が知らずに崇拝なさるもの、それをお伝えします。 |
新共同 | 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。 |
NIV | For as I walked around and looked carefully at your objects of worship, I even found an altar with this inscription: TO AN UNKNOWN GOD. Now what you worship as something unknown I am going to proclaim to you. |
註解: パウロはアテネの市を漫歩 してそこに今日の日本に見る如き種々の祭壇、寺院、偶像等が充ちているのを見た。而してその中に一つ「知らざる神に」と記されし祭壇を見た。パウロはこの事を利用して福音を宣ぶる手がかりとしたのである。
辞解
[知らざる神に] Agnostôi Theôi はエピメニデス(紀元前六世紀)がアテネ市を疾病より救った時彼は多くの神々を祭りつつ尚おそれに洩れている神の有らん事を恐れ、感謝の印として黒、白の羊を多数放し、それらが坐った処に祭壇を建てて「知らざる神に」と記しこれを祭ったものであるとのことである。パウロがこの事実を知っていたかどうかは不明であるけれども恐らく知らなかったのであろう。夫ゆえに「知らざる神に」を単に人が知らずに神を拝しているものと解してこれを利用したのであろう。▲口語訳の「知られない神」は原語の直訳ではあるが日本語として普通使用されない表現である。
註解: ギリシヤ人は人間の想像によって勝手に自らの神々を造り上げていた。これに対してユダヤ人に於ては神は黙示によりて御自身を示し給うた。パウロはこの神の内容をギリシヤ人に物語らんとしたのである。単に多くの神々の中の一つの未知の神について語らんとしたのではない。
辞解
[▲示さん] katangellô は「宣伝えん」。
17章24節
口語訳 | この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。 |
塚本訳 | 世界“とその中のもの”すべて“とをお造りになった神は天地の”主であられるので、(人間の)手で造った宮などにお住みにならない。 |
前田訳 | 世界とその中のすべてのものをお造りの神は天地の主にいまし、手で造った宮には住みたまいません。 |
新共同 | 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。 |
NIV | "The God who made the world and everything in it is the Lord of heaven and earth and does not live in temples built by hands. |
註解: 24、25節は神に就て、26-29節は人間に就て30、31節は救済と審判とにつきて録さる。天地の創造主にしてまたその支配者たる神は無限に大に在すがゆえに人間の造れる宮の中に閉籠めてしまう訳には行かない、パウロは先づこの事を示してギリシヤ人の神観を打破せんとしているのを見る。真の神を知らざる者は、無意識的に神を宮の中にのみ押込めんとする。
註解: 25-29節は人間観。
17章25節 みづから
口語訳 | また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、 |
塚本訳 | また何か不自由があるかのように、人間の手によって奉仕されることはない。(むしろ反対に、)彼みずからすべての者に命と“息”と(その他)すべてのものとを“お与えになる”のだから。 |
前田訳 | また、何か事欠くかのように人の手で奉仕されもなさいません。おん自らすべての人にいのちと息と万物をお与えです。 |
新共同 | また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。 |
NIV | And he is not served by human hands, as if he needed anything, because he himself gives all men life and breath and everything else. |
註解: 「手にて事うる」は「御給仕をする」事、神は人々の献物等によってその生命を保ち給う必要が無い、却って人に生命を与え、その生命の継続の為に呼吸せしめまた必要なる食物を供給し給う(詩50:10-14)。ギリシヤの神々の如くに人がこれを養う必要がある神は、天地の造主に在し給う真の神ではない。
口語訳 | また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。 |
塚本訳 | また一人の人(アダム)から万国民を造り、一定の時期[四季]と住いの限界とを定めて、彼らを地の全面に住まわせられた。 |
前田訳 | そして、ひとりから万国の人々を造って地の全面に住まわせ、一定の季節と住まいの限界とをお決めでした。 |
新共同 | 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。 |
NIV | From one man he made every nation of men, that they should inhabit the whole earth; and he determined the times set for them and the exact places where they should live. |
註解: 人種の紀元は一人である故万民皆その先祖を同うする。夫ゆえに国によりて異る神々を拝むべきではなく、皆唯一の真の神を拝すべきである。
註解: 全世界の人類はこの意味に於て一種族であり、兄弟である。アテネ人のみ誇り得るはずが無い。
註解: 時間的にも空間的にも国民の上に制限を与えて神自らこれを導き給う、即ち人間は個人的にも国民的にも神によりてその生活が支配されているのであって、決して偶然に生きているのでもなくまた自分の自由に自己を支配し得るのでもない。
17章27節 これ
口語訳 | こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。 |
塚本訳 | これは神をさがし求めさせるためであって、こうしてあるいは手探りで彼を発見することもあろうかとの大御心である。また実際のところ、神はわたし達一人一人から遠く離れてはおられない。 |
前田訳 | これは人が神に触れて見出すこともあろうと思って神を求めるためです。事実、神はわれらのおのおのから遠くないところにいまします。 |
新共同 | これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。 |
NIV | God did this so that men would seek him and perhaps reach out for him and find him, though he is not far from each one of us. |
註解: 神は人々に自由を与えてこれにより神を見出さしめんとしたもうた。然るに世界の入類はこの神を求むる事をせず、恣 に自己の為に偶像を造った。
辞解
[尋ね] 熱心に求むる事。
[探る] 盲人が暗中に杖を以て探るが如く、手さぐりをする事。
[見出す] その結果神を見出す事。
されど
17章28節
口語訳 | われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。 |
塚本訳 | わたし達は彼の中に生き、動き、また存在するのだから。あなた達の詩人たちも言っているとおりです。われわれもそのお方[神]の子孫であるから。 |
前田訳 | 『われらは彼の中に生き、動き、また存在しているのです』。あなた方の詩人たちもいっているとおりです。『われらも彼の種族であるから』と。 |
新共同 | 皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。 |
NIV | `For in him we live and move and have our being.' As some of your own poets have said, `We are his offspring.' |
註解: パウロはストア派の汎神的傾向を出来るだけ生さんとし、神の内在、否むしろ神に在る生涯を主張する事によりて神の霊的存在を高調した。必ずしも汎神論に堕 せずして、然も彼らに理解し易からしめんとせるパウロの愛の努力は貴い。
註解: ギリシヤ人に対して旧約聖書を引用する事は無益であったので、パウロはキリキヤのストイツク詩人アラツスの詩を引用してその所論の支持たらしめんとした。
辞解
[詩人の中の或者ども] アラツスは紀元前三世紀の詩人、その詩の中にこれと同一の文句あり、尚おゼノーの弟子にしてアテネにて教えたるムシアのクレアンテスにも類似の詩があるとの事である。
[裔] genos は種族を意味す。なおこの引用より見て、及びTコリ15:33。テト1:12より見てパウロがギリシヤの詩文に通じていたことを知ることが出来る。
17章29節 かく
口語訳 | このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。 |
塚本訳 | だから、わたし達は神の子孫、(すなわち神に造られた者)である以上、神性を金や銀や石など、(わたし達)人間の技巧や考えで刻んだものに似ていると考えてはならない。 |
前田訳 | それで、神の種族である以上、神性を金や銀や石など、人間の技術や考えでつくったものに似ると思うべきではありません。 |
新共同 | わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 |
NIV | "Therefore since we are God's offspring, we should not think that the divine being is like gold or silver or stone--an image made by man's design and skill. |
註解: 人の技術と考案とを以て刻める金銀・石等の偶像は当然人間以下のものである。人間は神の裔であって神は人間以上である。人間以上のものと人間以下のものと等しくする事の誤謬は明かである。
辞解
[神] to theion 神性、神たるもの、等の意、神 theos を用いないのは活ける神を知らざる人々に語る場合の親切なる用語、パウロは是によりて、遂にアテネ人の偶像崇拝を攻撃し、彼らの「信心深さ」を真神への信仰に向けんとしているのである。
註解: 30、31は救済観。
17章30節
口語訳 | 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。 |
塚本訳 | ところで神は(こんな)無知な時代を大目に見ておられるが、今や人類に対し、どこの者でも皆、悔改めねばならないことをお告げになっています。 |
前田訳 | さて、神はこの無知の時代を大目に見ておられましたが、今や人々にどこのものでもみな悔い改めるべきことをお告げです。 |
新共同 | さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 |
NIV | In the past God overlooked such ignorance, but now he commands all people everywhere to repent. |
註解: 30、31節は救済と審判とに関する簡単なる叙述でキリストその中心問題となる。神は人が神に背いているのはその無智の故であるとして直にはこれを審かず、忍耐を以てこれを見遁し給うた。(ロマ3:25、26。ロマ2:3-5)。併し乍ら今や事態は全く一変した。キリスト来り給い、死にて甦り給うたからである。これによりて全世界に審判が宣言せられ(ヨハ16:8)悔改が要求せられたのである。キリストを知らざる者には真の悔改が起り得ない。
17章31節 (
口語訳 | 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。 |
塚本訳 | 神は一つの日を決め、その日に御自分の定めた一人の人(イエス)を使って“正しく(全)世界を裁こうと”計画しておられるからです。そして彼を死人の中から復活させて、すべての人に(彼が世界を裁くべき人であるという)その保証をお与えになったのであります。」 |
前田訳 | 神はある日を決めて、その日にご自身の定められたひとりの人によって、世界を義で裁こうとなさるのです。そしてその人を死人の中から復活させて万人に確証をお与えでした」と。 |
新共同 | それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 |
NIV | For he has set a day when he will judge the world with justice by the man he has appointed. He has given proof of this to all men by raising him from the dead." |
註解: キリストをこの世に遣し給えるは、この世が審かれる事及び、それはやがて来るべき一定の日に於てである事を示さんが為であった。人類はアダムの罪以来、パラダイスを逐われて神の御顔を直接に見る事が出来なくなった為め、自分等が審判を受くべきものである事を忘れていた。キリストを見るに及んで人類は始めて自己の罪を明かに知る事が出来る様になるのである。而してこのキリストが死して甦り給うた事がその確実なる証拠であって、キリストはその復活によりて神の子たる事が顕れたのであり(ロマ1:4)、神の子たる以上、救済と審判との為に遣され給いし事を知るのである(ヨハ5:22)。
辞解
本節の始めに kathoti あり、前節の方法手段の説明をなしている事となる。
[保証] 信仰とも訳さる pistis で、ここにもこれを「信仰」と訳さんとする説もあれど「保証」を適当とす。
17章32節
口語訳 | 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。 |
塚本訳 | 死人の復活と聞くと、嘲る者もあり、「そのことはまたいつかあなたに聞こう」と言う者もあった。 |
前田訳 | 死人の復活を聞いて、ある者はあざけり、ある者は、「それについてはまたいつかうかがおう」といった。 |
新共同 | 死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。 |
NIV | When they heard about the resurrection of the dead, some of them sneered, but others said, "We want to hear you again on this subject." |
註解: パウロの折角の苦心の説教も、「復活」の事実を述ぶる時に至って悉 く水泡に帰した。彼らは新奇の説を聴かんが為に集ったのであったけれども「復活」の嘉信は彼らにはあまりに奇にして信じ難く、また救を得んが為ではなかったゆえに、神の立て給いしキリストの意義を悟る事が出来なかったのである。嘲笑ひしものは露骨にパウロを排斥し、「復このことをきかん」と云いし人々は、真に再び聴かんとの要求があったのではなく体よくその場を逃れる口実に過ぎなかった。パウロが彼らを離れ去ったのは(次節)その為である。
辞解
[われら復云々] 後日パウロに就き再び学ばんとの意思あるものと解する説もあり(H0、B1)、また邦訳「しが」はその意味を含める訳語であるけれども、上記の如く解するを可とす(M0)。
口語訳 | こうして、パウロは彼らの中から出て行った。 |
塚本訳 | こんなことで、パウロは彼らの中から出ていった。 |
前田訳 | こうして、パウロは彼らの中から出ていった。 |
新共同 | それで、パウロはその場を立ち去った。 |
NIV | At that, Paul left the Council. |
註解: パウロの説教はその苦心にも関らず大体に於て失敗であった。パウロは知識ある異邦人伝道の困難をつくづく思った事であろう。コリントに於て全く伝道方針を一変せるはその為と思われる。
17章34節 されど
口語訳 | しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。 |
塚本訳 | しかし数人の者は、弟子になって信仰に入った。その中にはアレオパゴス法院の裁判官デオヌシオと、ダマリスという婦人と、なおその他の人がいた。 |
前田訳 | しかし数人のものは彼に従って、信徒になった。その中にはアレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという名の婦人と、その他の人々がいた。 |
新共同 | しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。 |
NIV | A few men became followers of Paul and believed. Among them was Dionysius, a member of the Areopagus, also a woman named Damaris, and a number of others. |
註解: 真に自己の罪を知る者に取りてイエスの福音ほど有り難いものはない。而してこうした人は何れの時にも処にも必ず少数はある。而してそれには老幼、男女、貴賤、貧富の差別は無い。福音はこうした者を救われる歓喜に入れ、他の多数の人の嘲弄の的となる。
要義 [パウロのアテネ伝道]アテネに於けるパウロの説教(23-31節)は極めて特微多きものであった。それはパウロがユダヤ人たる衣を脱ぎすて、ギリシヤ人にはギリシヤ人となり切って彼らの立場に立ちて福音を述べんとした事であった。或学者はこれを以て異邦人に対する伝道説教の白眉となしているのも故ある事である。然るに事実この説教は全く失敗に終ってしまった。而してパウロは其後コリントに於ては「言と智慧との優れたるを用いず、イエス・キリスト及びその十字架に釘けられ給いし事」のみを宣伝えた(Tコリ2:1、2)。即ち同じギリシヤに於てパウロはその態度を改めたのであった。ギリシヤ人に対してギリシヤ人の如くになる事は結構であるけれども、福音は他の哲学、宗教と異り、人間より出でしものにあらず神より出でしものである。従って福音は人間的哲学や宗教の補充ではなく、凡ての人間的なるものに対して一旦死して甦る事によって人間的なるものを完成する処のものである。アテネ人は人間的なるものをそのまま完成せんとする希望を以て諸種の教に耳を傾けたのであった。パウロの伝えし福音が耳に入らなかったのは当然である。福音の伝道のあまりに時代の思潮に引摺られてはならないのはそのためである。▲パウロのアテネ伝道の失敗の責任はパウロのみにあるのではなく、アテネ人の心の態度にも重大な理由があった。それは彼らが知恵sophiaに誇っていたことである。心の貧しからざる彼ら文化人は不幸である。
使徒行伝第18章
5-3-7 コリントに於けるパウロ
18:1 - 18:17
5-3-7-イ パウロの自任法
18:1 - 18:4
18章1節 この
口語訳 | その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 |
塚本訳 | その後パウロはアテネを去って、コリントに行った。 |
前田訳 | その後、彼(パウロ)はアテナイを去ってコリントヘ来た。 |
新共同 | その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 |
NIV | After this, Paul left Athens and went to Corinth. |
註解: コリントはアテネを距 る八十キロ、アカヤの首都でローマとアジヤとの通商要路に当り人口稠密の商業都市であった、多種の人種が雑居し、風俗は乱れていた。斯る処に却って神の民が見出されるのである(10節)。尚10節)。尚コリント前書註解の緒言を見よ。
18章2節 アクラと
口語訳 | そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。 |
塚本訳 | そこで、偶然アクラというポント生まれのユダヤ人、およびその妻プリスキラと知合いになった。二人は(皇帝)クラウデオがユダヤ人全体にローマ退去の命令を出したため、最近イタリヤから来ていたのであった。パウロが彼らを訪ねると、 |
前田訳 | そこでポント生まれのアクラというユダヤ人とその妻プリスキラとに出会った。ふたりは、クラウデウスがユダヤ人全部にローマを去るよう命じたので、近ごろイタリアから来ていた。パウロが彼らを訪ねると、 |
新共同 | ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、 |
NIV | There he met a Jew named Aquila, a native of Pontus, who had recently come from Italy with his wife Priscilla, because Claudius had ordered all the Jews to leave Rome. Paul went to see them, |
註解: ポントは小アジヤの北部黒海の岸、アクラは其妻プリスキラ(または略してプリスカと云う、ロマ16:3)と共にローマに赴き、逐われてコリントに来り、更にパウロと共にエペソに行き、其後またロマ、エペソ等各地に転住していた。その商売上の必要も有ったのであろう。
クラウデオ、ユダヤ
註解: スエトニウスのクラウデオ伝によれば追放の理由としては「ユダヤ人らはクレストスなる者の煽動によりて絶えず紛擾 を醸 していたから」との事である。このクレストスをクリストス即ちキリストの事と解する学者(E0、H0、R0)とこれを別人とする説(M0)とあり。前者を採る。恐らくキリスト問題(メシヤ問題)を中心としてユダヤ人の間にこの頃既に意見の相違が起っていたのであろう。但しこのクラウデオ帝の布令は其後間もなく効力を失っていたものと見える、(使28:17-29。ロマ16:3)。
註解: アクラ、プリスキラ夫妻がこの時既に基督者であったか、または後に信仰に入ったかは不明であるが、パウロとの関係を始めより同信の友の如き心持を以て録している事実を見れば、彼らは既にローマに於て信仰に入ったのであろう(ラツカム)。但しパウロによりて回心せるものまたは確信を得るに至りしものとする学者も少なくない(E0、M0)。
18章3節 パウロ
口語訳 | パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。 |
塚本訳 | 同業であったので、その家に泊まって一緒に仕事をした。職業は天幕造りであった。 |
前田訳 | 同業であったので、彼らのところに泊まって仕事をした。彼らの職業はテント造りであった。 |
新共同 | 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。 |
NIV | and because he was a tentmaker as they were, he stayed and worked with them. |
註解: ユダヤのラビは自活し得る様に何等かの商売を習う事の慣 しがあった。パウロの故郷キリキヤ産の天幕用布は殊に尊重されていた(S1)。パウロは故郷に於てこの業を習得したのであろう。但し幕屋製造はむしろ布を以て天幕を仕立てる裁縫仕事であるとする方が適当であろう。
18章4節
口語訳 | パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。 |
塚本訳 | パウロは安息日のたびごとに礼拝堂で話をして、ユダヤ人、異教人の別なく、説得しようとした。 |
前田訳 | パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人をもギリシア人をも説得しようとした。 |
新共同 | パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。 |
NIV | Every Sabbath he reasoned in the synagogue, trying to persuade Jews and Greeks. |
註解: この頃のパウロの論調は、アテネに於ける哲学的論調(使17:23-31)を放棄して、単純に主イエスの十字架とその復活とにつき語った(Tコリ2:1、2。Tコリ15:1-4)。
辞解
[勧む] epeithen なる未完了過去形を用い次から次へと説明し(▲また説得し)た事を示す。
18章5節 シラスとテモテとマケドニヤより
口語訳 | シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。 |
塚本訳 | しかしシラスとテモテとがマケドニアから下ってきてからは、パウロは(生活の心配がなくなったので)ただ御言葉(を伝えること)に身をゆだね、ユダヤ人にイエスが(彼らの待ち望んでいる)救世主であることを証しした。 |
前田訳 | しかし、シラスとテモテとがマケドニアから下って来てからは、パウロは専心みことばを伝え、ユダヤ人たちにイエスがキリストであることを証した。 |
新共同 | シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。 |
NIV | When Silas and Timothy came from Macedonia, Paul devoted himself exclusively to preaching, testifying to the Jews that Jesus was the Christ. |
註解: 使17:15及17:16註参照。此処でベレヤ以来三人始めて一処に落合った。
パウロ
註解: 「御言に捕えられ」または「御言に専念し」等の意、原語suechomai。Uコリ5:14の「迫れり」と同語。シラスとテモテとの到着せる後は心に安心を得たのと、手仕事に従事する時間を幾分省く事が出来たから(但しTコリ9:12)、パウロは伝道に専念した。
イエスのキリストたることをユダヤ
註解: 福音の中心点はイエスがメシヤ即ちキリストなりや否やの点である。この点が決定すれば、他の諸点は自然に解決する。
18章6節
口語訳 | しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。 |
塚本訳 | しかしユダヤ人にはこれに反対して(イエスを)冒涜するので、パウロは(絶縁のしるしに)上着の塵を払いおとして彼らに言った、「(最後の裁きの日に流す)あなた達の血の責任は、あなた達自身に負わされる!わたしは良心の咎めなく(あなた達をすてて、)今からのち異教人へ(伝道に)行く。」 |
前田訳 | 彼らが反対して侮辱するので、パウロは上衣の塵を払っていった、「あなた方の血は自らの上にかかれ。わたしに責めはない。今からのちは異邦人の方へ行く」と。 |
新共同 | しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」 |
NIV | But when the Jews opposed Paul and became abusive, he shook out his clothes in protest and said to them, "Your blood be on your own heads! I am clear of my responsibility. From now on I will go to the Gentiles." |
註解: パウロはユダヤ人らの反対に遭い、その罪が自己に附着せざる様にとの意味を表す態度としてその衣を払った(使13:51)。
『なんぢらの
註解: 「なんぢらの血」は「汝らの上に下る審判によりて流される血」を意味す、即ち神の遣し給えるキリストを拒む事によりて神の審判が彼らの上に下るであろう事を宣言し、パウロ自身はその審判に関りなき事を示す。パウロは何時もユダヤ人を先にし、彼らが福音を拒むに及んで異邦人に伝道した。
18章7節
口語訳 | こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。 |
塚本訳 | そしてそこ[礼拝堂]を去り、テテオ・ユストという敬神家の家に行っ(て伝道を始め)た。その家は礼拝堂の隣にあった。 |
前田訳 | そしてそこを去り、テテオ・ユストという敬神家の家に入った。その家は会堂の隣にあった。 |
新共同 | パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。 |
NIV | Then Paul left the synagogue and went next door to the house of Titius Justus, a worshiper of God. |
註解: パウロがその宿舎をアクラの家よりユストの家に移したと云う意味ではなく、使19:9の如く福音を宣ぶる場所をユダヤ人の会場より移してその隣家ユストの家に移したのであった。ユストは神を敬う人即ち改宗者であった。何ゆえにパウロが態々 会堂の隣家で福音を伝えたかは不明である。特にこれを選んだとすれば、道を求むるユダヤ人にも便宜多き様取計らったのであろう(B1)。
辞解
[テテオ・ユスト] 異本テトス・ユストまたは単にユストとあり。
18章8節
口語訳 | 会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。 |
塚本訳 | しかし礼拝堂監督のクリスポは全家族そろって主を信じた。また多くのコリント人もパウロの話を聞き、つぎつぎに信じて洗礼を受けた。 |
前田訳 | 会堂司クリスポは一家そろって主を信じた。そして多くのコリント人もパウロに耳傾けてつぎつぎに信じ、また洗礼をうけた。 |
新共同 | 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。 |
NIV | Crispus, the synagogue ruler, and his entire household believed in the Lord; and many of the Corinthians who heard him believed and were baptized. |
註解: コリントに於てパウロ自らバプテスマを授けしものの一人はこのクリスポであった(Tコリ1:14)(▲このバプテスマの中パウロ自身の授けたのはクリスポだけであった(Tコリ1:14))。会堂司すら信ずるに至った事はユダヤ人に取って大なる驚駭であったに相違ない。況んや多くの信徒が出来た事は彼らをしてパウロに対する迫害を強化せしむるに充分であった(Uテサ3:2参照)。
18章9節
口語訳 | すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。 |
塚本訳 | するとある夜主が幻でパウロに言われた、「“恐れることはない。”語りつづけよ、沈黙するな。 |
前田訳 | 主はある夜、幻でパウロにいわれた、「おそれるな、語りつづけて沈黙するな。 |
新共同 | ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。 |
NIV | One night the Lord spoke to Paul in a vision: "Do not be afraid; keep on speaking, do not be silent. |
18章10節
口語訳 | あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。 |
塚本訳 | “わたしはいつもあなたと一緒にいて、”だれもあなたを襲って害を加える者はない“のだから。”またこの町にはわたしの民が沢山いるのだから。」 |
前田訳 | わたしはあなたとともにあり、だれもあなたを襲って害を加えまい。この町にはわが民が多いから」と。 |
新共同 | わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 |
NIV | For I am with you, and no one is going to attack and harm you, because I have many people in this city." |
註解: 使16:9の場合の如く、パウロは此処でも亦幻影を見てその態度を決定しいよいよ勇敢に福音を宣伝えた。蓋しパウロは多くの迫害を受けて苦んでいた時にこの声を聴いたのであろう。もし然りとすればこの御言はパウロを力付ける事多大であった。
辞解
10節前半は「おそるな」の理由、後半は「語れ、黙すな」の理由に当る。
18章11節
口語訳 | パウロは一年六か月の間ここに腰をすえて、神の言を彼らの間に教えつづけた。 |
塚本訳 | そこでパウロは一年六か月の(長い)あいだ(コリントに)とどまっていて、人々の間で神の言葉を教えた。 |
前田訳 | そこでパウロは一年六か月の間とどまって、彼らの間で神のことばを教えた。 |
新共同 | パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。 |
NIV | So Paul stayed for a year and a half, teaching them the word of God. |
註解: パウロとしてはエペソに次ぐ長期の滞在であった(使19:20)。それにも関らず後に反パウロ党が起り(Tコリ1:12)、またはパウロの使徒たる資格を疑う者が起った事は(Uコリ1:17)彼に取りて大なる悲しみであったに相違ない。
口語訳 | ところが、ガリオがアカヤの総督であった時、ユダヤ人たちは一緒になってパウロを襲い、彼を法廷にひっぱって行って訴えた、 |
塚本訳 | (その間にこんな事件があった。)ガリオがアカヤ(州)の地方総督であったとき、(ここの)ユダヤ人はパウロに向かって一せいに立ち上がり、彼を裁判席に引き出して |
前田訳 | ガリオがアカイアの地方総督であったとき、ユダヤ人がこぞってパウロに反抗して法延に引いて行き、 |
新共同 | ガリオンがアカイア州の地方総督であったときのことである。ユダヤ人たちが一団となってパウロを襲い、法廷に引き立てて行って、 |
NIV | While Gallio was proconsul of Achaia, the Jews made a united attack on Paul and brought him into court. |
註解: ガリオ、本名ノヴァツス、有名なるストア哲学者セネカの兄弟で、雄弁家ガリオの養子となる。柔和なる好人物たりし事で有名である。ガリオの総督たりし年代は使徒行伝の年代を決定すべき重要なる手掛りであるけれども諸説あり、恐らく五十年前後ならん、アカヤはギリシヤ全土を指す、総督 anthupatos は元老院所領の長官。
ユダヤ
18章13節 『この
口語訳 | 「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々をそそのかしています」。 |
塚本訳 | こう言っ(て訴え)た、「この者は人々を説き伏せて、(われわれユダヤ人の)律法にそむいて神を拝ませようとしています。」 |
前田訳 | 「この人は律法に反して神を敬うよう人々を説き伏せています」といった。 |
新共同 | 「この男は、律法に違反するようなしかたで神をあがめるようにと、人々を唆しております」と言った。 |
NIV | "This man," they charged, "is persuading the people to worship God in ways contrary to the law." |
註解: ユダヤ人に取りてはパウロが律法や伝統に束縛せられずに自由なる信仰を伝えている事が気に入らなかった。宗教は常に死せる形式に化せんとする傾向あり、この形式的なるものは常に生命の活躍する信仰を憎む。但しこのユダヤ人の訴はあまりに宗教的に過ぎて総督はこれを取り入れなかった。
18章14節 パウロ
口語訳 | パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人たちに言った、「ユダヤ人諸君、何か不法行為とか、悪質の犯罪とかのことなら、わたしは当然、諸君の訴えを取り上げもしようが、 |
塚本訳 | そこでパウロが(弁明のため)口を開こうとすると、ガリオがユダヤ人に言った、「ユダヤ人諸君、もしこれが何か不正をしたとか、悪事をはたらいたとかいうのであったら、わたしはあなた達の希望どおりに訴えを認めるが、 |
前田訳 | パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人にいった、「ユダヤ人の方々、不正や悪質の犯罪であったら、当然あなた方の訴えを取り上げよう。 |
新共同 | パウロが話し始めようとしたとき、ガリオンはユダヤ人に向かって言った。「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、 |
NIV | Just as Paul was about to speak, Gallio said to the Jews, "If you Jews were making a complaint about some misdemeanor or serious crime, it would be reasonable for me to listen to you. |
18章15節 もし
口語訳 | これは諸君の言葉や名称や律法に関する問題なのだから、諸君みずから始末するがよかろう。わたしはそんな事の裁判人にはなりたくない」。 |
塚本訳 | 問題が(宗教の)教義や、(救世主という)人物や、あなた達の律法に関するものなら、自分で始末したがよかろう。わたしはそんなことの裁判官になりたくない。」 |
前田訳 | しかし訴えがことばや名前やあなた方の律法についてであるなら、自分で片づけなさい。わたしはそんなことの裁判官ではありたくない」と。 |
新共同 | 問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」 |
NIV | But since it involves questions about words and names and your own law--settle the matter yourselves. I will not be a judge of such things." |
註解: ガリオは信仰問題とこの世の政治との区別を正しく認識して居り、パウロに答弁さするまでもなくこの訴を受理しなかった。即ち不正、奸悪 等によりて相手方に損害を与えている場合ならば民事、または刑事の訴訟は成立するけれども、宗教上の教義、名称、律法等の問題ならば訴訟は成立しないと云うのである。此区別はまことに正当なる区別であって、今日の立法政策に取っても適正なる標準を示す。
辞解
[奸悪 の事]奸悪 を恣 にする事。
[言] 教訓、教理等の事で他人を害する行為とならないもの。
[名] イエスがメシヤなりや否やと云う如き名称上の争。是等は社会に実害を与えない限り政治上の問題とならない。カルヴインはこのガリオの態度に反対しているけれども、それはカルヴインが政治と信仰とを混同せる結果である。
口語訳 | こう言って、彼らを法廷から追いはらった。 |
塚本訳 | そして彼らを裁判席から追い出した。 |
前田訳 | そして彼らを法廷から追い出した。 |
新共同 | そして、彼らを法廷から追い出した。 |
NIV | So he had them ejected from the court. |
註解: パウロに対する訴訟はかくして無効となる。
18章17節
口語訳 | そこで、みんなの者は、会堂司ソステネを引き捕え、法廷の前で打ちたたいた。ガリオはそれに対して、そ知らぬ顔をしていた。 |
塚本訳 | するとみんなが礼拝堂監督のソステネをつかまえて、裁判席の前で袋叩きにした。ガリオは知らぬ顔をしていた。 |
前田訳 | それで皆は会堂司ソステネを捕えて、法廷の前で打ちのめした。ガリオは何も口を出さなかった。 |
新共同 | すると、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた。しかし、ガリオンはそれに全く心を留めなかった。 |
NIV | Then they all turned on Sosthenes the synagogue ruler and beat him in front of the court. But Gallio showed no concern whatever. |
註解: 何ゆえにソステネを打ちしやにつき(1)パウロに対する訴が手ぬるしとの理由でユダヤ人らが彼を打ちしと見る説(E0)、(2)ユダヤ人を平生より憎んでいるローマの役人やギリシヤ人らがこの騒擾 の責任者として彼を打ちしとする説(M0、H0)とあり。重要ならざる写本に「人人みな」の代りに「ユダヤ人らみな」とあるは(1)の解釈よりせる追加であり、他の写本に「ギリシヤ人らみな」とあるは(2)の解釈よりせる追加であろう。本文のままとすればソステネの性質が読者に理解される事を前提とせざれば不可解故、このソステネをTコリ1:1のソステネと同一人と見、パウロに同情を表せる会堂司と解して(1)の説を取るを可とす。ガリオは自己の責任以外の事は全然無関心であった。
要義1 [コリントの教会]コリントの教会はパウロが永く滞在伝道せる意味に於て、またコリント前後書を今日に遺したる意味に於て重要なる教会である。コリント市の道徳的堕落の影響を受けて、コリントの信者にも多く道徳的の問題を起す者あり、パウロの苦痛の種となった。またコリントの信徒の中にはパウロに反対する者あり、種々の非難をパウロに向けていた。是等の諸問題に対しパウロは丁寧に説明を与え、また自己を排斥せんとする者に対しては、自己の使徒職の神聖なる所以を反復説明しているのを見る。而して他方に於てこの教会には多くの霊の賜物が与えられた(Tコリ12章)。要するにコリントの教会は善にも悪にも強く、常に活溌に動いていた事が判明る。その結果パウロに多くの憂慮を与えたけれども、これによりてまた他に於ては求め得ない多くの真理をこの教会の人々はパウロよリ学ぶ事が出来た。是が今日我らに与うる利益は絶大である。
要義2 [パウロの独立伝道]パウロは第一に経済的に独立して伝道した。この事は彼自身誇としていた事であり(Tテサ2:9。Uテサ3:8、9。Uコリ12:13。Tコリ9:12)また伝道の為に非常に有効であった。何となれば経済的に従属している者は霊的独立をも失い易いからである。第二にパウロは遂にユダヤ人の会堂を離れて個人の家に於て伝道の集会を開いた。主義主張を異にする者が強て同一歩調を取らんとしても不可能なるが故である。斯くしてパウロは自然の必要に迫られて、遂に信仰のみに立たざるを得ざるに至った。
要義3 [ガリオの不干渉的態度]カルヴインは神の正しき礼拝を擁護する事は為政者 の義務なる故、ガリオがユダヤ人の訴訟に際しパウロをしてその主張を語らしめなかった事を不可としているけれども、信仰の正邪を純粋に思想的に判断する事は為政者 として困難なる問題であり実は不可能である。ゆえに信仰そのもの即ち無形の霊的世界の事はこれを政治の範囲外に置き、その信仰が行為となって表われて社会に何等かの影響を及ぼす場合、その範囲に於て為政者 の行動の対象となるべきである。この意味に於てガリオの態度は正しかったと云わなければならない。▲ジュネーブにおけるカルビンの神制政治が多くの善を為したと共にまた多くの害悪と偽善との源となったことは顕著な事実である。
口語訳 | さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。 |
塚本訳 | パウロはなお相当の日数引きつづき(コリントに)留まったのち、(いよいよ)兄弟たちに別れを告げ、船でシリヤへ向けて出発した。プリスキラとアクラも一緒であった。(途中)彼はケンクレヤ(の港)で頭を刈った。かねて(ナジル人の)誓願を立てていた(のが満ちた)からである。 |
前田訳 | パウロはなおかなりの間そこに滞在してから、兄弟たちに別れをつげ、シリアに向かって出帆した。プリスキラとアクラもいっしょであった。彼はケンクレアで髪をそった。ある誓いを立てていたのである。 |
新共同 | パウロは、なおしばらくの間ここに滞在したが、やがて兄弟たちに別れを告げて、船でシリア州へ旅立った。プリスキラとアキラも同行した。パウロは誓願を立てていたので、ケンクレアイで髪を切った。 |
NIV | Paul stayed on in Corinth for some time. Then he left the brothers and sailed for Syria, accompanied by Priscilla and Aquila. Before he sailed, he had his hair cut off at Cenchrea because of a vow he had taken. |
註解: 即ち全体にて1年6ヶ月(11節)、
註解: 是より第二伝道旅行の帰路となる。誓願の理由は不明である。これはナザレ人の誓願ならん(S2)。使21:23以下及び民6:1-8参照。この誓願は剃髪を以て始め剃髪を以て終り、その期間葡萄酒その他を断ち、髪を切る事、汚に触れる事を禁じている。而して誓願の結末は聖地の神殿に於て為なければならなかった。夫ゆえにパウロはケンクレヤ(コリントに近き海港)にて剃髪し、律法に循 い(民6:13以下)エルサレムに上ってこの誓願を解かんとしたのであろうと見るのが、普通の見方であるけれども、重要なる写本には22節の「エルサレムに」を欠く故、結末の明瞭さを欠く事となる。尚お原文の意義より見て、この誓願を為せる者はパウロにあらずしてアクラなりとの説(M0)も成立ち得るのであって、何れと見るべきかは不確実である(H0)けれども、前後の事情より矢張りパウロと見る方が適切であろう。
辞解
[誓願] この「誓願」がナザレ人の誓願なりや否やにつき諸説あり。ナザレ人の警願には終生のナザレ人(バプテスマのヨハネ、ルカ1:15。また伝説によれば主の兄弟ヤコブ等)及び一定期間のナザレ人あり、この期間は三十日より短かるべからず。尚その期間及びその修了の際の行事につきては民6章參照。
[プリスキラとアクラ] 妻の名を先にせる所以は、アクラが誓願を為せる事を示す為(M0)ではなく信仰の点に於てプリスキラが主たる存在であった為であろう。二人の名が並べられている六ヶ所中四ヶ所までこの順序を取る。
18章19節
口語訳 | 一行がエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残しておき、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。 |
塚本訳 | 一行が(アジヤ州の)エペソに着くと、パウロは(一人で旅行を続けることにして)二人をそこに残し、自分だけ礼拝堂に入ってユダヤ人に話をした。 |
前田訳 | エペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂に入ってユダヤ人と論じた。 |
新共同 | 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。 |
NIV | They arrived at Ephesus, where Paul left Priscilla and Aquila. He himself went into the synagogue and reasoned with the Jews. |
註解: 二人を留めおける事は26節以下を説明する為である。パウロは6節の宣言にも関らず、常にユダヤ人を無視し得なかった。福音は先づユダヤ人に宣伝えられるのが当然だからである。尚ガラテヤ書の認 められし時期については諸説あれど、恐らくこの時エペソより認 められしものならんか。
18章20節
口語訳 | 人々は、パウロにもっと長いあいだ滞在するように願ったが、彼は聞きいれないで、 |
塚本訳 | 人々はもっと長く留まっていてもらいたいと頼んだが、承知せず、 |
前田訳 | 彼らはもっと長くとどまるよう頼んだが、彼は承諾しなかった。 |
新共同 | 人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、 |
NIV | When they asked him to spend more time with them, he declined. |
註解: 何故パウロが此地に長く滞留する事を肯 んじなかったかにつき説明されて居ない。ベザ写本Dによれば21節「別を告げ」の後に「われは是非来るべき祭をエルサレムに於て守らざるべからず」とあり、かくする事によりて誓願の結末をエルサレムに於て果さんとの願望も推測する事が出来る、本節の意味を一層明瞭ならしめんが為の後よりの挿入であろう。但し前述の如くこのエルサレム行につきては有力なる写本がこれを欠く故確定的とは云えない。
18章21節
口語訳 | 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。 |
塚本訳 | 「神の御心ならばあなた達の所に引き返してこよう」と言って別れを告げ、エペソから船出して、 |
前田訳 | そして、「神のみ心ならばあなた方のところへまた帰って来ましょう」といって別れをつげ、エペソから船出した。 |
新共同 | 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。 |
NIV | But as he left, he promised, "I will come back if it is God's will." Then he set sail from Ephesus. |
18章22節 カイザリヤにつき、
口語訳 | それから、カイザリヤで上陸してエルサレムに上り、教会にあいさつしてから、アンテオケに下って行った。 |
塚本訳 | カイザリヤに上陸し、(エルサレムに)上って集会(の人々)に挨拶し、アンテオケに下った。 |
前田訳 | そしてカイサリアに上陸し、エルサレムに上って集まりにあいさつし、アンテオケに下った。 |
新共同 | カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。 |
NIV | When he landed at Caesarea, he went up and greeted the church and then went down to Antioch. |
註解: 「エルサレムに」は原文になし、「上り」は一般にエルサレム上りの場合に用いられているけれども是等は前後の関係上エルサレムたる事が明かなる場合たるのみならず、この語はまた其他の場合にも用うる事が出来る。従って20節のD写本の追加(20節註参照)なき場合は「上り」は「カイザリヤに上り」の意味となる。またある写本には19:1にエルサレム行が妨げられし旨を附記す。斯く解すればパウロは第二伝道旅行の終にはエルサレムに上らなかった事となり、一層パウロらしさを増す。附記参照。
註解: この教会は上記写本の如何により或はエルサレム或はカイザリヤを意味する事となる。
口語訳 | そこにしばらくいてから、彼はまた出かけ、ガラテヤおよびフルギヤの地方を歴訪して、すべての弟子たちを力づけた。 |
塚本訳 | そして(ここで)しばらく時を過ごしたのち、(また旅行に)出かけ、ガラテヤ地方とフルギヤ(地方)とをつぎつぎに通りながら、すべての(主の)弟子たち(の信仰)を強めた。 |
前田訳 | そこにしばらくとどまってから出発し、ガラテア地方とフリギアとを順々に回って、すべての弟子たちを強めた。 |
新共同 | パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。 |
NIV | After spending some time in Antioch, Paul set out from there and traveled from place to place throughout the region of Galatia and Phrygia, strengthening all the disciples. |
註解: 「暫く」の期間は不明である。パウロはその母教会たるアンテオケに於て一休みしたのであろう。
附記 [誓願とエルサレム上りにつきて]18-22節の誓願及びエルサレム行きにつきては多くの難問あり。即ち
(1)この誓願はナザレ人の誓願なりやまたはこれに類する他の誓願なりや。
(2)ケンクレヤに於ける剃髪は誓願開始の剃髪なりやまたはその終結の際の剃髭なリや。
(3)果してエルサレムに上りしや否や。
(4)パウロが為したる誓願かアクラが為したる誓願か。
(5)何の目的を以て為したる誓願か。
等の諸問題である。その答としては(1)異教徒間にも剃髪その他の禁断によりて誓願を行いし形跡があるけれどもパウロ(またはアクラ)がこうした事を行う事は考え難く、従ってナザレ人の誓願か、少くともその略式のものと見る必要あり。(2)然りとすればその終了の剃髪式及び犠牲はエルサレムに於て行う必要ある故、ケンクレヤに於ける剃髪は誓願の開始と見なければならず、(3)然りとすれば20節をエルサレム行と解する事が好都合であるけれども、エルサレムなる文字を欠く事と、異本に19:1にエルサレム行を妨げられし旨を附記せるものが存する等の事より、エルサレムには行かなかったと思はわれる節がある事が困難なる問題を生ず、恐らくパウロはエルサレム行を省略して何地かに於て終了の剃髪を行ったのではあるまいか。(4)の問題につきてはパウロと見る事が至当である。其故はアクラにつきこうした事を記す必要が無いからである。(5)につきてはパウロの病気治癒、コリントに於て艱難より免れし事の感謝等、種々の説あれども不明である。以上の如く解して稍 真相に近いものと思考す。
註解: ガラテヤ州のフルギヤ地方を意味すと見るべきで(使16:6註参照)パウロは是より第三伝道旅行(18:23-21:14)に出立してその第一第二伝道旅行に於て福音の種を蒔けるデルベ、ルステラ、イコニオムの地方を歴訪して弟子たちの信仰を固めたのであった。
18章24節
口語訳 | さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。 |
塚本訳 | さて、(パウロがエペソを去ったあとで、エジプトの)アレキサンドリヤ生まれのアポロというユダヤ人がエペソに来た。能弁な人で、聖書に精通していた。 |
前田訳 | さて、アポロというアレクサンドリア生まれのユダヤ人がエペソに来た。彼は雄弁な人で、聖書に通じていた。 |
新共同 | さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。 |
NIV | Meanwhile a Jew named Apollos, a native of Alexandria, came to Ephesus. He was a learned man, with a thorough knowledge of the Scriptures. |
註解: アレキサンドリヤは当時のギリシヤ文化及びその諸学問の一大中心地でアテネと並称せられていた。従って学術と雄弁が非常に重んぜられていた。有名なるユダヤ人哲学者フイロンもこの地で活躍した。聖書に通じて且つ雄弁である事は当時のユダヤ人及びギリシヤ人を動かすに充分なる武器を有っている事である。
18章25節 この
口語訳 | この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。 |
塚本訳 | この人は主の道[キリスト教]について手ほどきを受けていたが、情熱をもって語り、またイエスのことを精密に教えていた。ただし、ヨハネの洗礼だけしか知らなかった。 |
前田訳 | この人は主の道を教えられていて、霊に燃えて語り、イエスのことを詳しく教えていた。しかし洗礼はヨハネのだけを知っていた。 |
新共同 | 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。 |
NIV | He had been instructed in the way of the Lord, and he spoke with great fervor and taught about Jesus accurately, though he knew only the baptism of John. |
註解: アポロはアレキサンドリヤに於てイエスの事を学んだ。但しイエスに就て知る事とイエスを主と知る事とは全く別事である。前者は知識であって何人もこれを所有しこれを他人に伝える事が出来るけれども、後者は信仰であって唯救われし者のみこれを有つ。ヨハネのバプテスマは罪を悔ゆる心を表わすに過ぎず、新生のバプテスマではない。また人は知識と熱心とがあれば人を動かす事が出来るけれども、霊による新生なきものは人に福音を伝える事が出来ない。
18章26節 かれ
口語訳 | 彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。 |
塚本訳 | この人が礼拝堂で大胆に話を始めた。プリスキラとアクラとが彼の話を聞くと、(家に)迎え、なお一層精密に神の道[キリスト教]を説明した。 |
前田訳 | この人が会堂で大胆に語りはじめた。プリスキラとアクラとは彼の話を聞くと、家に迎えて、なお詳しく神の道を説明した。 |
新共同 | このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。 |
NIV | He began to speak boldly in the synagogue. When Priscilla and Aquila heard him, they invited him to their home and explained to him the way of God more adequately. |
註解: 博学にして雄弁なるアポロも信仰の事に於てはプリスキラ、アクラの教を受けなければならなかった。これによりてアポロは真の福音の何たるかを始めて覚り、その学問と雄弁とは、其後福音の伝道の為に用いられる様になった。凡ての人は皆夫々異れる賜物を神より与えられている。それらが皆神の福音のために用いられるに及んでその使命を全うしたのである。
辞解
[神の道] 25節の「主の道」と相対立するが如きも然らず、主の道はおもにイエス・キリストの教訓を指したるものの如く「神の道」は神がキリストによりて人類を救わんとし給える経綸を指したものと見るべきである。
[なおも詳細に] 恐らくパウロの書簡に表われている教理の内容に相当するものであろう。アポロは恐らく福音書の内容に相当する知識を得ていたのであろう。尚おプリスキラとアクラが常に伝道者を優遇する事は彼らの信仰の表顕であると同時に、彼らは是によりて大に福音の宣伝を援助している事となり功績偉大である。
18章27節 アポロ
口語訳 | それから、アポロがアカヤに渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、先方の弟子たちに、彼をよく迎えるようにと、手紙を書き送った。彼は到着して、すでにめぐみによって信者になっていた人たちに、大いに力になった。 |
塚本訳 | そして彼がアカヤに渡りたいと言ったとき、(エペソの)兄弟達は(コリントの主の)弟子たちに、彼を歓迎するようにと手紙を書いて勧め励ました。アポロは(コリントに)着くと、(与えられた)恩恵(の福音)によって(そこの)信者に大いに役だった。 |
前田訳 | 彼がアカイアに渡りたく思ったとき、兄弟たちは彼を励まし、弟子たちに彼を迎えるよう手紙を書いた。彼は着くと、信徒になっていた人々を恩恵によって大いに助けた。 |
新共同 | それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。 |
NIV | When Apollos wanted to go to Achaia, the brothers encouraged him and wrote to the disciples there to welcome him. On arriving, he was a great help to those who by grace had believed. |
註解: プリスキラとアクラを中心としてパウロによりて導かれた兄弟たちは、またアポロをも愛し、その賜物を認めて彼と共に信仰の生活に進みそのアカヤ伝道を奨励して紹介と依頼の書簡を添えて彼をアカヤに送った。プリスキラ、アクラの二人は極めて党派心の少き人であった事が判明る。尚ベザ写本によれば「エペソに幾人かのコリント人住み居り」てアポロにコリント行をすすめた事を録している。▲パウロの伝道地にアポロを紹介してやることは動機において責むべき点は無かったけれども、思慮を欠く方法であった。その結果はコリントにおける宗派心の発生となった(Tコリ1:10-4:21、コリント後書参照)。
註解: パウロがコリントに於て伝道せる結果として多くの信者があったけれども其中になお不確実なる信仰のものも有ったのでそれらはアポロによりて尚多くの益を受けた。併しそれが同時にコリントの教会に党派が起れる所以であった(Tコリ1:11-13)。人は容易に自己を党派的に色附けてしまうものである。
18章28節
口語訳 | 彼はイエスがキリストであることを、聖書に基いて示し、公然と、ユダヤ人たちを激しい語調で論破したからである。 |
塚本訳 | 彼は聖書によって公然とイエスが救世主であることを示し、痛烈にユダヤ人を論破したからである。 |
前田訳 | 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを公然と示しつつ、強くユダヤ人を論破したからである。 |
新共同 | 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。 |
NIV | For he vigorously refuted the Jews in public debate, proving from the Scriptures that Jesus was the Christ. |
註解: 彼の聖書に関する知識と雄弁とは、イエスのキリストたる事を論ずる上に非常に役立った。
要義1 [信仰と知識]知識は信仰に必要である。イエスに関する知識なくしてはイエスを信ずる事が出来ない。併し乍ら知識のみでは信仰とはならない。イエスの生涯に関する事実やイエスに関する神学を如何に多く知っていても、それは信仰ではない。信仰は自己の罪を悔改めてイエスの前に平伏し、イエスの十字架による贖を信じてイエスを救主と仰ぐ事である。夫ゆえに自己の罪を知りて悔ゆるのみであるならば、これはヨハネのバプテスマであって、イエスによる新生ではなく、それは一の知識であって信仰ではない。アポロの初の状態はこの程度に止っていた。
要義2 [信仰と技能]学問や雄弁(▲▲や人物)は福音を伝える上に有力なる武器であるけれども、学問や雄弁(▲▲や人物)のみが光って信仰が光を発しないならば、結局人に福音を伝える事が出来ない。学問や雄弁(▲▲や人物)の美は往々にして肉の心を喜ばせ、人をしてその美に眩惑せしめる。こうした場合是等は却って福音の妨となる。人は往々にしてこの容器の美に目を奪われて内容たる福音の貴さを見失う事が多い。夫ゆえに学問や雄弁(▲▲や人物)はむしろ無くともその内容たる福音の信仰を豊にすべきであり、もし学問や雄弁(▲▲や人物)が与えられている場合、信仰をしてそれ以上に輝くものとならしめなければならぬ。学問や雄弁(▲▲や人物)は飽くまでも信仰の侍婢 であってその主ではない。
要義3 [信仰と熱心]熱の無い信仰は死せる信仰であり神の口より吐き出される。併し乍ら知識によらざる熱心(ロマ10:2)は徒 に人を迷路に導き入れ、または一時の感情の満足を与えるに過ぎない。迷路に入って正しき信仰を失い、一時の感情の満足は醒めて後唯淋しさを増すのみとなる。熱心は自己の感情的熱心であってはならず、主の愛による熱心でなければならない。