ロマ書第16章
分類
5 結尾
15:14 - 16:27
5-(1)-(2) 挨拶
16:1 - 16:23
5-(1)-(2)-(イ) フイベを薦む
16:1 - 16:2
註解: 最後にパウロは個人的の挨拶及び紹介を以て本書の終となしている。
16章1節
口語訳 | ケンクレヤにある教会の執事、わたしたちの姉妹フィベを、あなたがたに紹介する。 |
塚本訳 | ケンクレヤの集会の執事である、わたし達の姉妹のフィベを紹介する。 |
前田訳 | ケンクレアの集まりの執事である、われらの姉妹フィベを紹介します。 |
新共同 | ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。 |
NIV | I commend to you our sister Phoebe, a servant of the church in Cenchrea. |
註解: フイベは多分この書簡を持ちてロマに行く使であろうと想像せられている。或はケンクレヤよりロマに所用ありて行く途中コリントに立寄り、パウロは彼に托さんとてこの書簡を認 めたのであるかも知れない。
辞解
[ケンクレヤ] アカヤ州コリントの東方の海港でエーゲ海サロニカ湾に臨んでいる都市。
[執事] 職名なれども実際の働きに対して名づけたもので選任の形式や資格や権利義務等が確定せる如き近代的の意味の職名ではない。
[女執事] なる名称の生じたのは二世紀以後である。
16章2節 なんぢら
口語訳 | どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい。彼女は多くの人の援助者であり、またわたし自身の援助者でもあった。 |
塚本訳 | どうか聖徒にふさわしく主にあって彼女を歓迎し、彼女があなた達を必要とする事があれば、助力してもらいたい。彼女自身が多くの人の、またわたし自身の、援助者であったから。 |
前田訳 | あなた方が聖徒にふさわしく主にあって彼女を迎え、彼女があなた方を必要とする場合には助けてください。彼女自身多くの人の、またわたしの、助け手でしたから。 |
新共同 | どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。彼女は多くの人々の援助者、特にわたしの援助者です。 |
NIV | I ask you to receive her in the Lord in a way worthy of the saints and to give her any help she may need from you, for she has been a great help to many people, including me. |
註解: パウロはこれによりフイベの人格を紹介してその信用すべき姉妹たる事を示すと同時に、ロマ人に対し基督者として如何に振舞うべきかを教えている。
辞解
[主にありては] 主に在る者は互に一体となり得るからである。
[聖徒たるに相應 しく] 「聖徒らしき態度で」との意味に解し、複数故にロマの信徒の取るべき態度を教えたものとする方が優っている。
[何にてもその要する所を助けよ] 「何にても汝らを必要とする事柄に於て彼を助けよ」彼らの助力を勧めた言。
[「容れよ」「助けよ」] 原文「容れん為、又助けん為に」で前節の薦むに懸る。
註解: パウロは一人一人につきての功績を賞揚する事を忘れなかった。フイべは恐らく富裕なる商人で伝道者や貧しき聖徒を助けた事であろう。
16章3節 プリスカとアクラとに
口語訳 | キリスト・イエスにあるわたしの同労者プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい。 |
塚本訳 | キリスト・イエスにあるわたしの共働者のプリスカとアクラとによろしく。 |
前田訳 | キリスト・イエスにあるわたしの協力者のプリスカとアクラとによろしく。 |
新共同 | キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。 |
NIV | Greet Priscilla and Aquila, my fellow workers in Christ Jesus. |
16章4節 わが
口語訳 | 彼らは、わたしのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである。彼らに対しては、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会も、感謝している。 |
塚本訳 | 彼らはわたしの命の代りに自分の首をも差しだした。わたしばかりでなく、異教人のすべての集会も、彼らに感謝している。 |
前田訳 | 彼らはわたしのいのちのかわりにと自分の首をも差し出しました。わたしだけでなく、異邦人のすべての集まりも彼らに感謝しています。 |
新共同 | 命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけでなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。 |
NIV | They risked their lives for me. Not only I but all the churches of the Gentiles are grateful to them. |
註解: パウロと最も親しく且つ重要なる関係を有っていたこの夫婦に彼は最初に挨拶をなし、且つキリストのための彼らの働きを賞揚している。彼らは実に初代基督教会の大恩人であり異邦人諸教会よりも感謝さるべき人であった。
辞解
[プリスカとアクラ] 夫婦でアクラはポント生れのユダヤ人で(使18:1)ロマに住んでいたがクラウデオ皇帝(41-54年)の迫害によりローマよりコリントに逃れ、パウロに教えられて信仰に入り、同業の好 を以てパウロと共に天幕を造り、その後エペソに移り(使18:18、使18:26。Tコリ16:19)、その後叉ロマに移ったものらしく、この書簡の認 められし時はロマにいた。恐らく彼らの職業の性質上自由に転々する事が可能であり叉或は有利でも有ったらしく、殊に彼らはパウロの為、福音の為に各地に転居したものと思われる。彼らの至る処によき教会が建てられた。
[己の首をも惜まざりき] 原語「己の首を〔剣の〕下に横えたり」でこれは恐らく徴象的な言い方で生命の危険をさえ冒した事を指すのであろう。但し歴史上の確実なる証拠はなく、何時、何処で、如何にしてかかる危険に身を晒したかにつきては何等の記録も伝説もない。
口語訳 | また、彼らの家の教会にも、よろしく。わたしの愛するエパネトに、よろしく言ってほしい。彼は、キリストにささげられたアジヤの初穂である。 |
塚本訳 | 彼らの家の集会にもよろしく。わたしの愛するエパネトによろしく。彼は(回心して)キリストのものになったアジヤ(州)の初穂である。 |
前田訳 | 彼らの家の集まりにもよろしく。わが愛するエパネトによろしく。彼はキリストを信じたアジアの初穂です。 |
新共同 | また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。 |
NIV | Greet also the church that meets at their house. Greet my dear friend Epenetus, who was the first convert to Christ in the province of Asia. |
註解: パウロの愛の心持はその知人且つ共働者であったアクラ夫婦の上のみならずその家にある信徒の集会に集う未知の人々にも及んで居る。キリストにある者は真の意味に於ける四海同胞である。
辞解
[家にある教会] 初代基督教はユダヤ教より次第に分離するに至り、分離の結果ユダヤ教の会堂に集う事は出来なかった。而して第三世紀頃までは基督教徒の為の特別の会堂が建立せられし形跡が無く(L3)、それまでは信徒はその中の重立ちたる人にして且つ集会に適する室を有する人々の家に集っていた、これを「家にある教会」と云っている、寧ろ「家にある集会」と云う程度の意味であったろう。Tコリ16:19。コロ4:15。ピレ1:2。又本章14、15節の「彼らと偕にあるもの」も恐らくかかる家の教会であったろう(I0、Z0)。尚5-13節の多数の人名がアクラ、プリスカの家の教会に属せし人々なりとする説あれど(Z0)適当ならず、寧ろ必ずしも所属の教会と云うものを持たざる当時の信徒の独立自由なる生活を反映するものと見るべきである。▲かかる状態はキリスト教発展の原始的段階における必然的状態で、当時の基督者は現在の欧米のごとき制度的儀式的教会を想像だにし得なかったであろう。
註解: 初の実は種々の意味に於て尊 まるべきものである。パウロは本節以後に於ても一人一人に就てその特長を掲げてこれを紹介する事を忘れなかった。パウロが人を見る事に於て如何に注意を払ったかを知る事が出来る。神が人を見給う見方も亦かかるものであるであろう。
辞解
[アジア] 今の小アジアの西端の一州。エペソはその主府であった。従ってエパネトはエペソ人ならんと想像せられるけれども勿論確定は出来ない。当時ロマに移っていたものであろう。
16章6節
口語訳 | あなたがたのために一方ならず労苦したマリヤに、よろしく言ってほしい。 |
塚本訳 | マリヤによろしく。彼女はあなた達のために非常に苦労したのである。 |
前田訳 | マリヤによろしく。彼女はあなた方のために多くの労苦をしました。 |
新共同 | あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。 |
NIV | Greet Mary, who worked very hard for you. |
辞解
[労せし] 不定過去形故「労せし事あるマリヤ」と云う意味、特別の場合(迫害か、疫病か、又は他の事件か)に多く労せし事があったのであろう。その内容はロマの人々には説明を要しなかった。パウロが特にこれを書いたのはマリヤに対する賞賛の意味とロマ人がマリヤのこの労を忘れないが為であった。
16章7節
口語訳 | わたしの同族であって、わたしと一緒に投獄されたことのあるアンデロニコとユニアスとに、よろしく。彼らは使徒たちの間で評判がよく、かつ、わたしよりも先にキリストを信じた人々である。 |
塚本訳 | わたしの同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中で秀でた者であり、わたしより先にキリストを信ずる者になっていた。 |
前田訳 | わが同胞で同囚のアンデロニコとユニアスとによろしく。彼らは使徒の中ですぐれたもので、わたしより前にキリストを信じていました。 |
新共同 | わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。この二人は使徒たちの中で目立っており、わたしより前にキリストを信じる者になりました。 |
NIV | Greet Andronicus and Junias, my relatives who have been in prison with me. They are outstanding among the apostles, and they were in Christ before I was. |
註解: パウロの信仰の先輩であり且つ使徒間に定評あり太鼓判を押されているこの二人の人々に挨拶を送っている。
辞解
[我とともに囚人 たりし] 何時、何処にて彼らとパウロとが共に囚われしかは不明であるがパウロの入獄はこの時以前にも屡々 ありし事であれば(Uコリ11:23。Uコリ6:5。クレメント書簡に七回とあり)その中の何れかであったろう。又必ずしも同時に入獄したものとは限る必要がない(Z0)。
「同族」 は「親族」の意味に主として用いられている語であるがここではロマ9:3の場合及11、21節の場合と共にユダヤ人即ち同種族と見るべきである。
[使徒たちの中に〔名聲 〕定評あり] 彼らをも広義の使徒の中に数え(▲「使徒の中の定評あるもの」即ち「定評ある使徒」の意となり、当時「使徒」の語は広義にも用いられていた事実があることから、かく解する説が生れた。注意すべき説である。)「定評ある使徒にして」と訳す事が出来、又かく訳すべしとする説が多数である(A1、B1、B2、C1、C2、L1、G1、I0)。かく読む事は文字の上からは不可能ではなく、且つ古代教父は全部かく読んでいるけれども恐らく改訳の方が正しいであろう(M0)。
[名聲 ある] episêmos は印を押されているとの意味で善悪両様に用いられている。「定評ある」と訳す可きであろう。
16章8節
口語訳 | 主にあって愛するアムプリアトに、よろしく。 |
塚本訳 | 主にあってわたしの愛するアムプリアトによろしく。 |
前田訳 | 主にあってわが愛するアムプリアトによろしく。 |
新共同 | 主に結ばれている愛するアンプリアトによろしく。 |
NIV | Greet Ampliatus, whom I love in the Lord. |
16章9節 キリストにある
口語訳 | キリストにあるわたしたちの同労者ウルバノと、愛するスタキスとに、よろしく。 |
塚本訳 | キリストにあるわたし達の共働者のウルバノと、わたしの愛するスタキスとによろしく。 |
前田訳 | キリストにあるわれらの協力者ウルバノとわが愛するスタキスとによろしく。 |
新共同 | わたしたちの協力者としてキリストに仕えているウルバノ、および、わたしの愛するスタキスによろしく。 |
NIV | Greet Urbanus, our fellow worker in Christ, and my dear friend Stachys. |
註解: ウルパノはラテン名、スタキスはギリシャ名である。「我らの」と「我が」との使い分けは伝道の事はパウロ一人の事でないのでこれを「我らの」としたのである。尚8節以下に「主に在りて」又はこれに相当する文字を多く用いている事に注意せよ。パウロの友人関係は必ずキリストに在りて結ばれていた。
16章10節 キリストに
口語訳 | キリストにあって錬達なアペレに、よろしく。アリストブロの家の人たちに、よろしく。 |
塚本訳 | キリストにあって試練を経た者であるアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。 |
前田訳 | キリストにあって試練を経たアペレによろしく。アリストブロの家の人たちによろしく。 |
新共同 | 真のキリスト信者アペレによろしく。アリストブロ家の人々によろしく。 |
NIV | Greet Apelles, tested and approved in Christ. Greet those who belong to the household of Aristobulus. |
辞解
[練達せる] 「試験済みの」と云う如き意味。
[家の者] 家族と解する事を得れどここでは恐らく奴隷の意ならん、アリストプロは信仰に入らずして既に死せる人らしく見える。ヘロデ大王の孫であったとの説が或は事実ならん。
16章11節 わが
口語訳 | 同族のヘロデオンに、よろしく。ナルキソの家の、主にある人たちに、よろしく。 |
塚本訳 | わたしの同胞のヘロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人たちによろしく。 |
前田訳 | わが同胞へロデオンによろしく。ナルキソの家の主にある人々によろしく。 |
新共同 | わたしの同胞ヘロディオンによろしく。ナルキソ家の中で主を信じている人々によろしく。 |
NIV | Greet Herodion, my relative. Greet those in the household of Narcissus who are in the Lord. |
辞解
[ナルキソ] 伝説によればローマ皇帝の一族の大官であったとの事であるが不明である。
16章12節
口語訳 | 主にあって労苦しているツルパナとツルポサとに、よろしく。主にあって一方ならず労苦した愛するペルシスに、よろしく。 |
塚本訳 | 主にあって苦労したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって非常に苦労したのである。 |
前田訳 | 主にあって労苦したツルパナとツルポサとによろしく。愛するペルシスによろしく。彼女は主にあって多くの労苦をしました。 |
新共同 | 主のために苦労して働いているトリファイナとトリフォサによろしく。主のために非常に苦労した愛するペルシスによろしく。 |
NIV | Greet Tryphena and Tryphosa, those women who work hard in the Lord. Greet my dear friend Persis, another woman who has worked very hard in the Lord. |
註解: この二人は恐らく姉妹ならん、この名称は原語 trophê 「贅沢なる生活」より来り、「労せし」はその反語の如き形をなす。
註解: 以上の二人よりも多く労せし姉妹であった。
辞解
本節の「労せし」も6節の場合と同じ。
16章13節
口語訳 | 主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある。 |
塚本訳 | 主にあって選ばれたルポスとお母さんとによろしく。彼女はわたしのお母さんでもある。 |
前田訳 | 主にあって選ばれたルポスとその母によろしく。彼女はまたわが母です。 |
新共同 | 主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女はわたしにとっても母なのです。 |
NIV | Greet Rufus, chosen in the Lord, and his mother, who has been a mother to me, too. |
辞解
[選ばれたる] ここでは基督者とし選ばれし意味ではなく「選良」と云う如き意味である。ルポスはマコ15:21のルポス(ルフと読み方を別にするは誤りなり)と同一人と思わる、従ってクレネ人シモンの子で当時ロマに移住していたものであろう。マルコ伝はロマにて書かれしものと想像せられ、ルポスを既知の人として取扱っている点が本節の事実に一致している。
「彼の母は我にも亦母なり」 は原語「及び我の」なる二語よりなる、パウロは多分エルサレムに於てクレネ人シモンの家に寄寓した事があり、ルポスの母より親切に待遇されたのであろう。
16章14節 アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス
口語訳 | アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスおよび彼らと一緒にいる兄弟たちに、よろしく。 |
塚本訳 | アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一しょにいる(主にある)兄弟たちによろしく。 |
前田訳 | アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマスと彼らとともにいる兄弟たちによろしく。 |
新共同 | アシンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、および彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。 |
NIV | Greet Asyncritus, Phlegon, Hermes, Patrobas, Hermas and the brothers with them. |
16章15節 ピロロゴ
口語訳 | ピロロゴとユリヤとに、またネレオとその姉妹とに、オルンパに、また彼らと一緒にいるすべての聖徒たちに、よろしく言ってほしい。 |
塚本訳 | ピロロゴとユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパ、彼らと一しょにいる聖徒一同によろしく。 |
前田訳 | ピロロゴとユリア、ネレオとその姉妹、オルンパ、彼らとともにいる聖徒の皆さんによろしく。 |
新共同 | フィロロゴとユリアに、ネレウスとその姉妹、またオリンパ、そして彼らと一緒にいる聖なる者たち一同によろしく。 |
NIV | Greet Philologus, Julia, Nereus and his sister, and Olympas and all the saints with them. |
註解: 二つの集会がこれらの主要なる人々を中心として存在していたものと見る事が出来る。恐らくその集会の場所が一定して居ないので家の教会と称しなかったのであろう。但しこれらの人々につきては一切知られて居ない。ユリヤはピロロゴの妻であろう。
16章16節
口語訳 | きよい接吻をもって、互にあいさつをかわしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく。 |
塚本訳 | 聖なる接吻で互によろしくを言いなさい。キリストのすべての集会からあなた達によろしく。 |
前田訳 | 聖い口づけで互いによろしくいってください。キリストのすべての集会(エクレシア)からあなた方によろしく。 |
新共同 | あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。 |
NIV | Greet one another with a holy kiss. All the churches of Christ send greetings. |
註解: 接吻は東方諸邦(小アジヤ、アラビヤ等)殊にユダヤ人の挨拶の方式であった。初代基督者はその兄弟愛の印としてこの挨拶を交す風習があり、これは二世紀以後礼拝の儀式の一部となった。パウロは「潔き」なる文字を加えてその弊害を戒めている。但し比較的後期の書簡(獄中書簡、牧会書簡)にはこれを薦めて居ないのは或は弊害が起ったからであろうと想像している学者もある(B1)。「諸教会みな」即ち「キリストにある凡ての教会」とあるは各地に於ける教会一般が如何にロマの教会に対してその関心を持っているかを示している。
要義1 [パウロの挨拶の性質] 3-16節にパウロは二十六人の名を挙げて(他に二人は名を挙げずに)厖大 なる挨拶を送っている所以は、彼自身がこれ等の人々のローマ教会の建設に対する偉大なる功労を充分に認識しているからである事は勿論であるが、尚その他にもパウロはロマの信徒をして同様にこれらの人々の功績を忘れない様にと願っている心持もあったと見なければならない。又パウロがその一人々々につきていちいち異れる文言を以てその特徴や功績を挙げているのはパウロがこれらの人々の一人々々に対して如何に深い関心を持っていたかが窺われる。且つパウロが自ら建設せる教会に対する場合よりも一層この挨拶に力を注いだのは、パウロが未知の教会に対する礼儀からであって、単に使徒として彼らを威圧せんとせず、彼らの各々に謙遜なる心を以て対している事を示している。一見乾燥無味なるが如き人名録の中にもパウロの深き智慧と愛とを充分に汲み取る事が出来る。
要義2 [ロマの教会と家にある教会] 基督教会の自然の発展の最良の模範を我らはロマの教会に於て見る事が出来る。そこには大使徒が教会の基礎を置いた訳でもなく、唯ユダヤ、アジヤ、ギリシヤ地方より来れる多くの平信徒たちによりて福音の種子がロマの大都市に蒔かれ、それが次第に発育して当時のロマの全教会をなしていた。平信徒の伝道はかくの如く最も有力であり叉自然である。而してそこに特別の会堂がある訳ではなく、又所謂教職や教会組織もなく、唯幾人かの主要の信徒を中心としてその周囲に集会を開いていたのであった。これが所謂「家にある教会」であり、初代基督教会の発展の必然にして自然なる形態であった。而してパウロがこれに対して充分の尊敬と関心と喜悦とを有っていた事は、注意すべきであって、凡てをローマ法王の権威の下に服せしめんとするカトリック教会は勿論、制度とこれに伴える教職なしには教会が存在し得ないと考うるプロテスタント教会に取りても良き指針である。
註解: 将に書簡を終らんとしてパウロの心中一の心配が台頭して来た。それはアンテオケ、ガラテヤ、コリント等に侵入してパウロの伝道に妨害を与えたユダヤ主義の偽教師の事であった。それ故に予めこれにつき警戒をしておく事を必要と感じた、卒然に語調を一変したのはこの為である。ピリ3:17参照。
16章17節
口語訳 | さて兄弟たちよ。あなたがたに勧告する。あなたがたが学んだ教にそむいて分裂を引き起し、つまずきを与える人々を警戒し、かつ彼らから遠ざかるがよい。 |
塚本訳 | 兄弟たちよ、あなた達に勧める、あなた達が学んだ教えにそむいて、仲違いや罪のいざないをおこす者に注意せよ。彼らから遠ざかれ。 |
前田訳 | 兄弟たちよ、あなた方に勧めます、あなた方が学んだ教えに反して、仲たがいやつまずきをおこすものに注意なさい。彼らから離れなさい。 |
新共同 | 兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。 |
NIV | I urge you, brothers, to watch out for those who cause divisions and put obstacles in your way that are contrary to the teaching you have learned. Keep away from them. |
註解: 何れの時代にもこの種の分離と蹟きとが沢山にあった。これを起す原因たる偽教師から遠ざからなければならない。
辞解
[汝らの学びし処] 必ずしもパウロ主義と限らず使徒たちの皆一致して信じた処。
[分離] 教会の統一に関す。
[顛躓 ] その信仰及び道徳に関連す。
16章18節 かかる
口語訳 | なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。 |
塚本訳 | こんな者はわたし達の主キリストの奴隷ではなくて、自分のお腹[下等な欲求]の奴隷であり、あまい言葉と諂いとで無邪気な人たちの心を惑わすからである。 |
前田訳 | そんな人たちはわれらの主キリストの奴隷ではなくて、自らの腹の奴隷であり、甘言とへつらいとで純な人々の心を迷わしています。 |
新共同 | こういう人々は、わたしたちの主であるキリストに仕えないで、自分の腹に仕えている。そして、うまい言葉やへつらいの言葉によって純朴な人々の心を欺いているのです。 |
NIV | For such people are not serving our Lord Christ, but their own appetites. By smooth talk and flattery they deceive the minds of naive people. |
註解: 前節の如き偽教師はキリストの僕にあらず、自己の腹の僕、即ち己の腹を神とする者であり(ピリ3:19)自己中心主義、自已満足至上主義者である。而して善言美辞を連ねて悪意無き無邪気なる人の心を欺く。
辞解
[事ふ] douleuô で奴隷となる事、
[己の腹] これを自己の快楽、殊に飲食の満足、享楽等を意味すと解するのが普通であるけれども、寧ろ自己の思想至上主義、霊的自己満足主義、人間中心主義等を指したものと見るべきであろう。ユダヤ主義の教師は必ずしも享楽主義者ではない。唯彼らの律法遵守に自己満足を見出し、これにより己を義としている人々であった。
[甘き言] chrêstologia で善、親切、柔和等を内容とする言、
[媚諂 ] eulogia は「祝福」と訳される語で美辞を意味す。この二語は何れも善き意味に多く用いらる。本節の場合はこれを用うる者の悪意の為めに、その語る処の「善言」「美辞」が「甘き言」「媚諂 」と変るのである。
16章19節
口語訳 | あなたがたの従順は、すべての人々の耳に達しており、それをあなたがたのために喜んでいる。しかし、わたしの願うところは、あなたがたが善にさとく、悪には、うとくあってほしいことである。 |
塚本訳 | なぜなら、あなた達の(福音に対する)従順は、すべての人に知れ渡っているのだから。そのことをわたしはあなた達のために喜ぶが、善いことに対しては知恵があり、悪いことに対しては純真であってもらいたい。 |
前田訳 | あなた方の従順はすべての人に伝わっています。そのことをあなた方のためによろこびますが、善にはさとく、悪には潔癖で、と望みます。 |
新共同 | あなたがたの従順は皆に知られています。だから、わたしはあなたがたのことを喜んでいます。なおその上、善にさとく、悪には疎くあることを望みます。 |
NIV | Everyone has heard about your obedience, so I am full of joy over you; but I want you to be wise about what is good, and innocent about what is evil. |
註解: この改訳は意味として解し易いけれども原文の訳としては無理である。原文は「そは汝らの従順は凡ての人に達したればなり。されば我汝らのために喜ぶされど我が欲する所は云々」となる、即ち17節の勧めの理由としてロマの信徒の従順の聞えが一般に広まっている事を挙げたのである。何となれば不従順の人々には教を与うるも益なき故である。「されば」容易に偽教師に欺かれる事無き事を思いパウロは喜んで居るのである。尚本節前半の「そは……なればなり」 gar の関係につきては数多の解釈あれど前述の如くに解した(I0、E0)。
註解: 「而して」は「されど」でパウロはロマの信徒の従順を喜んで居るけれどもされど尚彼らに希望する処があるとの意、その希求する事は善に智く、凡ての善に就きて注意、理解、体得が行き渡っている事(正しき福音を確保する事もこの中にあり)。而して悪につきては純粋であり悪を混合せざる事、悪を悪として絶対にこれを拒否する事が必要である。
辞解
[疏 し] マタ10:16に素直と訳せられし akeraios で悪を混合せず人を害する事なき事を意味す。
16章20節
口語訳 | 平和の神は、サタンをすみやかにあなたがたの足の下に踏み砕くであろう。どうか、わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。 |
塚本訳 | 平和の神が間もなく悪魔をあなた達の足の下に踏み砕かれるであろう。わたし達の主イエスの恩恵、あなた達と共にあらんことを。 |
前田訳 | 平和の神がまもなくあなた方の足の下に悪魔を踏み砕かれましょう。われらの主イエスの恩恵があなた方とともにありますように。 |
新共同 | 平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。 |
NIV | The God of peace will soon crush Satan under your feet. The grace of our Lord Jesus be with you. |
註解: 偽教師の分争を終焉せしむるものは平和の神である。恰 も創3:15に女の裔が蛇の頭を砕くと同じく神はこれ等の偽教師として活動するサタンを汝らの足の下に、即ち汝らによりて砕き給うであろう。
註解: パウロはロマの教会の敵の砕かれん事を予想していてその時の光景を考えてこの希願の言を発したのであろう。書簡の終を意味したものでは無い。尚寫本によりこの一句は24節に又は27節の後に置かれるものあり一定しない。
註解: パウロはここまで書き終って彼と共に居る人々を顧み、その希望に従って以下の挨拶を書き送った。
16章21節 わが
口語訳 | わたしの同労者テモテおよび同族のルキオ、ヤソン、ソシパテロから、あなたがたによろしく。 |
塚本訳 | (御存じの)わたしの共働者のテモテと、わたしの同胞のルキオとヤソンとソシパテロとから、あなた達によろしく。── |
前田訳 | わが協力者テモテとわが同胞ルキオとヤソンとソシパテロとから、あなた方によろしく。 |
新共同 | わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。 |
NIV | Timothy, my fellow worker, sends his greetings to you, as do Lucius, Jason and Sosipater, my relatives. |
註解: テモテを他の書簡の場合の如くに(Uコリ1:1。ピリ1:1。コロ1:1。Tテサ1:1。Uテサ1:1。ピレ1:1)彼と共同の発信人の中に加えない所以はロマ書は特に使徒として彼の全責任に於て認 められ且つテモテをロマの信徒の上に置く如き心持を避けたからであろう。ルキヨは使13:1のクレネ人ルキオと、ヤソンは使17:5のヤソンとソシパテロは使20:4のベレヤ人ソパテロと同一人ならんと想像されている。彼らはパウロに伴い又はパウロを訪ねてコリントに来たのであろう。
16章22節 この
口語訳 | (この手紙を筆記したわたしテルテオも、主にあってあなたがたにあいさつの言葉をおくる。) |
塚本訳 | (はなはだぶしつけですが、)この手紙を書記しましたわたくしテルテオからも、主にあってあなた達によろしく申し上げます。── |
前田訳 | この手紙を筆記しましたわたしテルテオからも、主にあってあなた方によろしく申します。 |
新共同 | この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。 |
NIV | I, Tertius, who wrote down this letter, greet you in the Lord. |
註解: パウロはその書記テルテオに向い「君も一つ挨拶を書き給え」と云ったのであろう。彼を単なる速記者の如くに機械的に扱わない処にパウロの人格の香が表われている。因にパウロは他の多くの書簡と同じくこの書簡をも口授して筆寫せしめたのであった(Tコリ16:21。ガラ6:11。コロ4:18。Uテサ3:17)。
16章23節
口語訳 | わたしと全教会との家主ガイオから、あなたがたによろしく。市の会計係エラストと兄弟クワルトから、あなたがたによろしく。〔 |
塚本訳 | わたしの、また全集会の宿の主人であるガイオから、あなた達によろしく。町の会計係のエラストと、(主にある)兄弟のクワルトとから、あなた達によろしく。 |
前田訳 | わたしと集まり全体の宿主であるガイオからあなた方によろしく。町の経理係のエラストと兄弟のクワルトからあなた方によろしく。 |
新共同 | わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。 |
NIV | Gaius, whose hospitality I and the whole church here enjoy, sends you his greetings. Erastus, who is the city's director of public works, and our brother Quartus send you their greetings. |
註解: ガイオは恐らくパウロが授洗せる者の一人なるガイオ(Tコリ1:14)ならん。使20:4と別人なるべし、エラストは使19:22。Uテモ4:20のと同人ならんか。クワルトにつきては何も知られて居ない。
辞解
[全教会の家主] 意味は(1)コリントに於ける全基督者の集会所、(2)既知未知の基督者が皆歓迎せられ、客として扱われる家、(3)パウロと共にその時に集っていた全集合者の主人役。この第三が書簡の前後より見て最も適当であろう。故にここでは「全集会」と訳す方が適当であろう。
[町の庫司 ] コリントの市の財務部長の如きもの。
口語訳 | わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように、アァメン。〕 |
塚本訳 | [無シ] |
前田訳 | 〔われらの主イエス・キリストの恵みが皆さんとともにありますように。アーメン。〕 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。 |
NIV |
5-(1)-(3) 頌栄
16:25 - 16:27
口語訳 | |
塚本訳 | わたしの福音すなわちイエス・キリストを説く言葉によって、あなた達を強くすることの出来るお方に──この福音は長い間秘められた秘密の啓示であり、 |
前田訳 | わが福音、すなわちイエス・キリストの宣教によって、あなた方を強めうる方に、−−この福音は長い間秘められた奥義の啓示であり、 |
新共同 | 神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。 |
NIV | Now to him who is able to establish you by my gospel and the proclamation of Jesus Christ, according to the revelation of the mystery hidden for long ages past, |
16章26節
口語訳 | 願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、 |
塚本訳 | 今現わされ、預言者たちの書き物により、永遠の神の命令に応じて、従順に信仰を受けいれさせようとしてすべての国の人に知らせられたのである── |
前田訳 | 今現わされ、預言者たちの書きものにより、永遠の神のおいいつけで、信仰の従順を与えるため、すべての民に知らされました−− |
新共同 | その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。 |
NIV | but now revealed and made known through the prophetic writings by the command of the eternal God, so that all nations might believe and obey him-- |
16章27節
口語訳 | すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン。 |
塚本訳 | このただひとりの賢い神に、イエス・キリストによって、栄光、永遠より永遠にあらんことを、アーメン。 |
前田訳 | このただひとりの賢い神に、イエス・キリストによって栄光が永遠から永遠へとありますように。アーメン。 |
新共同 | この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 |
NIV | to the only wise God be glory forever through Jesus Christ! Amen. |
註解: 雄大無比の頌栄であってロマ書全体の主要の思想がこの中に含まれている。これを分解して考察すれば(1)頌栄をささぐる対象は勿論神であり、この神は福音によりて「我らを堅うし」信仰に堅く立たしめ得給う神であり(26節末尾)又「唯一の智き神」(27節)に在し給う。能力と知恵は真の意味に於ては唯彼のみこれを有ち給う。(2)而して我らを堅うする途は「福音」とその「宣伝」である。パウロはこれを26節に「我が福音」と云いて十字架の奥義は彼に特に明かに示されしものなる事を暗示し、又「イエス・キリストを宣ぶる事」と云いて、福音の内容がイエス・キリスト而も十字架につけられ給いし彼(Tコリ2:2)に在る事を示している。(3)而してこの福音とその宣伝はそこに神の御手が加っているのであってこれは「神の奥義の黙示」によるより外なく人智を以て量るべからざる神の秘密が啓示せられて福音が宣伝えられるに至ったのである。(4)この奥義は「長き世の間」(直訳、永遠の時の間)即ち無限の昔より隠されていて今に至って顕わされしものである。この意味に於て本質的に永遠の神の経綸の中にあり乍ら事実としては全く新しく顕われし真理である。(5)而してこの「奥義が顕わされ」、これが「もろもろの国人に示された」のは(a)その方法は「永遠の神の命により」パウロその他の使徒が遣されて凡ての異邦人に伝道せしめられる事であり、(b)その根拠はこれが「預言者たちの書」即ち旧約聖書にその奥義が録されている事(ロマ書中に数多き引用あり)であり、(c)その目的は「信仰の従順を得しめん為」即ち凡ての国人を信仰に導かんが為であった。
辞解
この三節の文字の順序は訳文の都合上原文と異っている。尚原文には構造上の難問題あり。叉27節はこれを直訳すれば「・・・・唯一の智き神に、イエス・キリストにより、その神に栄光世々限りなくあらん事を」となり、「イエス・キリストにより」の後に「感謝す」又は「祈る」等の文字を脱したものと見るか、又は「その神に」 hô を除くに非ざれば文章として不完全である。尚この頌栄の各部の関係につきては異説あり。
「奥義の黙示に循ひ」を「堅し」に関連せしむる説(M0)又「もろもろの国人に」を「信仰の従順を得しめん為に」に関連せしむる説(I0)等あり、改訳を採る。
[奥義] mystêrion はエペソ書コロサイ書等の獄中書簡に最も多く用いられ、神の経綸の最も深き処を指し、種々の内容を有つ語である。
要義 [ロマ書の概観] 聖書中の最も重要なるこの一書簡は神と人との間の関係を最も根本的に解決したものであって、人間の義を粉砕して神の義を堅立せしめ、罪人が義人とせられ、死ぬべきものが永生を与えられ、サタンの僕がキリストの僕とせられ、暗黒の世界が光明の世界に化せられ、要するにキリスト・イエスによる宇宙的革命の宣言書であると云う事が出来る。この意味に於て実に稀有 の書であり、まことに神の言中の神の言であると云う事が出来る。人生問題、社会問題、国家問題、宇宙問題等あらゆる問題の解決の鍵を我らはこの書簡の中に見出す事が出来る。この書簡は量として決して尨大なものではない。併し乍ら質としては実に宇宙大である。
附記 [15、16の両章に就て] 寫本によりては、(1)16:25-27の頌栄が14章の末尾にあるもの又は雙方にあるものがある事、(2)又寫本によりては全然これを欠くものがある事、(3)又マルキオン輯集 の聖書には15、16の両章を欠く事、(4)16:3-16の人名がラテン名が少く殊にプリスカとアクラは少し以前まではエペソにいた筈であり(Tコリ16:19)、パウロに取りて未知の教会としては知人が多過ぎる様に思われる事、その他諸種の理由より最後の2章殊に16章は本来ロマ書に属せずエペソに宛てられしものならんと主張する學者があるけれども、(1)マルキオンの聖書は彼特有の立場より取捨したもの故信頼し難く、(2)教会等に於て朗読される場合の如きは最後の2章はこれを欠くとも差支が無く、殊に16章の如きは必要なき故これを除いたものが行われた事も考える事が出来、(3)人名にラテン名の少き事はロマ人にしてギリシャ名の人もあり叉東方よりロマに移住せる人も多かるべく、パウロの知人の多き事は彼の如き世界的伝道者に取りては極めて自然であり、且つ世界の中心都市のローマとしては他地方よりの移住が頻繁であった事は少しも怪しむに足らず、従って各地に転々せるアクラ、プリスカ夫妻のことゆえこの頃エペソよりローマに移住したものと考える事は差支が無い。然のみならずパウロが却って未知の教会に対して深い個人的関心を示した事は彼の人間としての偉大さと聖なる知恵とを表わすものと考える事が出来る。それ故にこの2章は現在の聖書のままにロマ書に属するものと見るのが至当である。