黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第13章

分類
5 異邦に於けるパウロの伝道 13:1 - 21:16
5-1 パウロの第一伝道旅行 13:1 - 14:28
5-1-1 パウロ等の出発まで 13:1 - 13:3

註解: 1−12章は主としてエルサレムを中心とするパレスチナ及びその近隣異邦の伝道に関する記事であってその中心人物はペテロであった。13章よりは異邦伝道の本舞台に入り中心人物はパウロである。大体の区分は(1)第一伝道旅行(13、14章)、(2)エルサレムの使徒会議(15・1−35)、(3)第二伝道旅行(15・36−18・23a)、(4)第三伝道旅行(18・23b−21・16)、(5)捕囚のパウロ(21・17−28章)となる。

13章1節 アンテオケの教會(けうくわい)にバルナバ、ニゲルと(とな)ふるシメオン、クレネ(びと)ルキオ、國守(こくしゅ)ヘロデの()兄弟(きゃうだい)マナエン(およ)びサウロなどいふ預言者(よげんしゃ)教師(けうし)とあり。[引照]

口語訳さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。
塚本訳アンテオケにはそこの集会に、バルナバとニゲルと言われたシメオン、クレネ人ルキオ、および領主ヘロデ(・アンテパス王)の幼な友達マナエンとサウロらの、預言者や教師がいた。
前田訳アンテオケで、土地の集まりに預言者と教師がいた。それはバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの幼な友だちマナエンとサウロらであった。
新共同アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。
NIVIn the church at Antioch there were prophets and teachers: Barnabas, Simeon called Niger, Lucius of Cyrene, Manaen (who had been brought up with Herod the tetrarch) and Saul.
註解: 異邦人教会のエルサレムとも言うべきアンテオケは多士済々(たしせいせい)であり、異邦伝道者の発祥地とも称し得る如き勢であった。彼らはあるいは預言者として神の言を人に伝え又は教師として之を他人に説明した。
辞解
文法的に見てこの五人の中始の三人は預言者、後の二人が教師であると見る説があるけれども(M0)その必要はない。
[ニゲル] 「黒人」の意。
[ルキオ] 使11:20の数名のクレネ人の一人ならん、ロマ16:21と同人なりや不明、
[乳兄弟] と訳された、syntrophos はまた一処に養育されし者にも用いられる語、また宮廷の貴人の称号なりとする説あり(ダイスマン)、何れにしても、こうした貴人が教会の中心人物となっている事は、一通りの事柄ではなかったに相違ない。斯の如くアンテオケの教会は人種の差別、地位の高下を超越していた事が判明る。五人の順序は年齢順ならんか。預言者は同時に教師であり得るけれども教師は預言者ではない。
[国守ヘロデ] ヘロデ・アンテパス。

13章2節 (かれ)らが(しゅ)(つか)斷食(だんじき)したるとき(せい)(れい)いひ(たま)[引照]

口語訳一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。
塚本訳(ある日)彼らが主に祈りをし、断食をしていると、聖霊が言われた、「さあ、わたしがバルナバとサウロとを呼び出してさせようとしている仕事(異教人の伝道)に、二人を聖別せよ。」
前田訳彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊がいわれた、「わがためにバルナバとサウロとを選んで、わたしが授けた仕事につけよ」と。
新共同彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
NIVWhile they were worshiping the Lord and fasting, the Holy Spirit said, "Set apart for me Barnabas and Saul for the work to which I have called them."
註解: 彼らが共同の礼拝を行い断食していた際、即ち彼らと主イエスとの霊の交わりがその最高潮に達した時、彼らは聖霊の御声をきいた。
辞解
[彼ら] アンテオケ教会全体を指すか(C1、M0)または五人を指すか(E0)不明である。職務の性質上及び使14:27等より全教会と見るべきが如きも一節に特に数名の名を列挙せる処より見れば後者の説正しきが如し。
[事へ] leitourgeô 及びその名詞 leitourgia は宮に於ける祭司の行事を指し、それより転じて新約に於ける礼拝にも用いられるに至った。而して新約の礼拝は、祈祷、聖書朗読、聖晩餐等の外に施済(ほどこし)の行為にも用う(ロマ15:27Uコリ9:12ピリ2:17ピリ2:30ヘブ10:11)。断食は聖書に命ぜられたのはレビ23:27-29の場合のみでその他は後代の制定である、敬虔家は週に二三回も断食した。

『わが()して(おこな)はせんとする(わざ)(ため)に、バルナバとサウロとを(えら)(わか)て』

註解: アンテオの教会の信徒に二つの事柄が聖霊によりて示された。其一は世界伝道の必要でありその二はバルナバとパウロとをこの為に選任する事であった。
辞解
[選び別て] apholizô は重要なる意義を有しパウロが屡々(しばしば)自己の聖別につきて用いている(ロマ1:1ガラ1:15)。原文「我がために選び別て」とあり、特に聖霊の所属物となる事を示す。

13章3節 (ここ)(かれ)斷食(だんじき)し、(いの)りて二人(ふたり)(うへ)()()きて()かしむ。[引照]

口語訳そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。
塚本訳そこで人々は断食をし、祈りをしたのち、彼らに手をのせて旅立たせた。
前田訳そこで彼らは断食し、祈り、彼らに手を置いてから送り出した。
新共同そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
NIVSo after they had fasted and prayed, they placed their hands on them and sent them off.
註解: 彼らに職責を委任せる事を按手の式を以て形式的にも表明して彼らを派遣した。是が教会の公の事業としての世界伝道の発端である。
辞解
[按手] 使6:6註參照。聖霊の働きを人の行為によりて表明する形式である。
[彼ら] 前節辞解参照。

5-1-2 クプロ島の出来事 13:4 - 13:12

13章4節 この二人(ふたり)(せい)(れい)(つかは)されてセルキヤに(くだ)り、彼處(かしこ)より(ふね)にてクプロに(わた)り、[引照]

口語訳ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。
塚本訳ところで二人は聖霊に遣わされて(アンテオケから)セルキヤに下り、そこから(バルナバの郷里)クプロ(島)に船で渡った。
前田訳彼らは聖霊につかわされてセレウキアに下り、そこからキュプロスヘ船旅した。
新共同聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、
NIVThe two of them, sent on their way by the Holy Spirit, went down to Seleucia and sailed from there to Cyprus.
註解: ここに再び「聖霊に遣され」たる事を明示してこの伝道旅行の真の意義を明かにしている。この確信なしに伝道に従事する事は誤でありまた罪である。セルキヤは、セリウカス一世の築造せる海港でアンテオケの西25キロの処にあり欧亜通商の要路に当る。先づクプロに渡りし所以はバルナバの故郷でもありまたアンテオケ教会の創始者中にクプロ人がいた為(使11:20)、自然クプロとの関連が密接であった為でもあり、またクプロの銅山等を目的に多くのユダヤ人が移住していた為であろう。一々旅程までも聖霊が直接に指示した訳ではないが、自然にこうした事情に導かれたのも聖霊の働である。

13章5節 サラミスに()きてユダヤ(びと)(しょ)會堂(くわいだう)にて(かみ)(ことば)宣傳(のべつた)へ、[引照]

口語訳そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。
塚本訳そしてサラミス(の町)につくと、あちこちのユダヤ人の礼拝堂で神の言葉を宣べ伝えた。(通り名をマルコという)ヨハネが助手であった。
前田訳サラミスにつくと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばをのべ伝えた。助手としてヨハネもいた。
新共同サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。
NIVWhen they arrived at Salamis, they proclaimed the word of God in the Jewish synagogues. John was with them as their helper.
註解: 異邦人の伝道ではあったけれども彼らは到る処先づユダヤ人の会堂にて福音を伝えた。「ユダヤ人を始めギリシヤ人」の主義を実行したのである。
辞解
[サラミス] クプ口の東岸の海港でユダヤ人の植民地あり
[神の言] イエス・キリストを中心とせるもの。

またヨハネを助人(たすけて)として(ともな)ふ。

註解: ヨハネ・マルコを随員として同伴したのは聖霊によりて示されたのではなかった。13節使15:37の如き事件が起ったのはその為である。
辞解
[ヨハネ] ▲マルコ伝の著者使12:12参照。
[助人] hupêretês 下役僕等とも訳される文字、助手の意。

13章6節 (あまね)くこの(しま)()()きてパポスに(いた)り、[引照]

口語訳島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。
塚本訳彼らは島中を巡回してパポスまで行き、(そこで)ひとりの魔術師に出会った。ユダヤ人の偽預言者で、バルイエスといい、
前田訳島中をめぐってパポスまで行くと、魔術をする男がいた。ユダヤ人の偽預言者で、名はバルイエスといった。
新共同島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。
NIVThey traveled through the whole island until they came to Paphos. There they met a Jewish sorcerer and false prophet named Bar-Jesus,
註解: パポスは島の西端にあり、ローマの総督の邸宅あり、彼らは島内を巡回伝道しつつここに到着した。
辞解
[経往き] dierchomai は使徒行伝に於ては主として巡回伝道の為の巡回に用いらる。

バルイエスといふユダヤ(びと)にて(にせ)預言者(よげんしゃ)たる魔術(まじゅつ)(しゃ)()ふ。

13章7節 (かれ)地方(ちはう)總督(そうとく)なる(さと)(ひと)セルギオ・パウロと(とも)にありき。[引照]

口語訳彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。
塚本訳地方総督セルギオ・パウロと親しかった。総督は物わかりのよい人であった。バルナバとサウロとを招いて、神の言葉を聞きたいと願った。
前田訳彼は地方総督セルギオ・パウロという賢い人の部下であった。総督はバルナバとサウロとを招いて、神のことばを聞くことを願った。
新共同この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。
NIVwho was an attendant of the proconsul, Sergius Paulus. The proconsul, an intelligent man, sent for Barnabas and Saul because he wanted to hear the word of God.
註解: パウロはこの魔術者を支配する悪の霊と戦いセルギオ・パウロの魂を福音に導くまことに困難なる任務を授けられた、当時ローマの高官達はこの種の魔術者を寵愛し従って魔術者の勢力は軽視し得ない状態に在った。
辞解
[バルイエス] 「イエスの子」の意味でサタンの子に相応しからざる名称である。偽預言者、魔術者、共に最も卑しめられし名称である。セルギオ・パウロにつきてはこの記事以外に確実には知られて居ない。

總督(そうとく)はバルナバとサウロとを(まね)(かみ)(ことば)()かんとしたるに、

註解: 彼は真理を求むる心を有っていたと見える。然らざればユダヤ人の伝道者の言を聞かんとする如き熱心は有り得ないはずである。「慧き人」として記されている事もこの点を裏書する。
辞解
[したるに] 「求めたるに」と訳すべきである。

13章8節 かの魔術(まじゅつ)(しゃ)エルマ(この()()けば魔術(まじゅつ)(しゃ)二人(ふたり)(てき)(たい)して總督(そうとく)信仰(しんかう)[の(みち)]より(はな)れしめんとせり。[引照]

口語訳ところが魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」との意)は、総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。
塚本訳しかし魔術師エルマは──エルマを訳すると「魔術師」──総督を信仰に入れまいとして、しきりに二人に反対した。
前田訳しかし魔術師エルマ−−この名を訳すと魔術師であるが−−は彼らに反対して、総督を信仰から離そうとした。
新共同魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。
NIVBut Elymas the sorcerer (for that is what his name means) opposed them and tried to turn the proconsul from the faith.
註解: 魔術者は総督を何時までも自己の薬籠中(やくろうちゅう)の者となさんとして二人に敵対した。霊魂の仕事に従事する者は往々にして非常に嫉妬心が深い。
辞解
[エルマ] アラビヤ語で「智者」を意味するとの事、即ち魔術者を指す、この名称よりこの魔術者はアラビヤ生れのユダヤ人ならんと想像せられている。尚エルマはバルイエスの訳なりとする説あり。

13章9節 サウロ(また)()はパウロ、(せい)(れい)滿(みた)され、(かれ)()()めて()ふ、[引照]

口語訳サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて
塚本訳するとサウロは──またパウロともいう──聖霊に満たされ、彼をじっと見つめて
前田訳するとサウロ、またの名パウロは、聖霊に満たされ、彼を見つめて
新共同パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、
NIVThen Saul, who was also called Paul, filled with the Holy Spirit, looked straight at Elymas and said,
註解: サウロはこの時始めてパウロの名を以て呼ばれ、以後は凡てこの名による。セルギオ・パウロを改心せしめし記念として彼の名を自分の本当の名としたのであると解する学者が多い(M0、B1)けれども、またこの名はローマ市民として既に有していたのを、ルカはこの場合に持ち出すのを適当と考えたのであろうとする説もある(H0、Z0、E0、C1)。パウルスはラテン語に「僅少(さんしょう)」を意味し、彼自身この名を好んだのであろう。「聖霊に満され」既に聖霊によりて遣されていたけれども更にこの場合サタンとの戦の為に聖霊の満盈(まんえい)が必要であった。

13章10節 『ああ()らゆる詭計(たばかり)奸惡(かんあく)とにて滿()ちたる(もの)惡魔(あくま)()、すべての()(てき)よ、なんぢ(しゅ)(なお)(みち)()げて()まぬか。[引照]

口語訳言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。
塚本訳言った、「ああ、あらゆる悪巧み、あらゆるごまかしで一ぱいの、この悪魔の子よ、あらゆる正しいことの敵よ、“主の真直ぐな道を”曲げることをやめないのか。
前田訳いった、「おお、あらゆる偽りとたくらみに満ちた悪魔の子よ、あらゆる義の敵よ、主の直き道を曲げることをやめないのか。
新共同言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。
NIV"You are a child of the devil and an enemy of everything that is right! You are full of all kinds of deceit and trickery. Will you never stop perverting the right ways of the Lord?

13章11節 ()よ、いま(しゅ)御手(みて)なんぢの(うへ)にあり、なんぢ盲目(めしひ)となりて(しばら)()()ざるべし』[引照]

口語訳見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。
塚本訳さあ、主の御手がお前の上にくだるのだ。お前は盲になって、時が来るまで日の光が見えなくなる。」たちどころに暗い霞が彼の目にかかった。彼は手を引いてくれる人を手さぐりでさがしまわった。
前田訳今や主のみ手がなんじに下る。時のくるまで、なんじは目しいになって日の光が見えなくなろう」と。たちまち霞と闇が彼をおおった。彼は手を引いてくれる人を探しまわった。
新共同今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。
NIVNow the hand of the Lord is against you. You are going to be blind, and for a time you will be unable to see the light of the sun." Immediately mist and darkness came over him, and he groped about, seeking someone to lead him by the hand.
註解: 聖霊によるパウロの義憤は非常なる強さを以て爆発した、パウロの心には一点の私心がなかった。夫ゆえに彼はエルマを聖霊の敵と見たのである。聖霊の敵に対してはパウロはあらゆる悪罵を注ぎ出して恥じなかった。私情が無かったからである。また盲目たるべしとの審きの如きは聖霊の指示なしに言い得る事ではない。パウロのこの場合の態度は神の敵に対する神の怒の雛型である。
辞解
[悪魔の子] バル・イエスの反対。
[主の御手] 審判の御手を指す(使5:5)。
[暫く] パウロはエルマの上に下る審きが一定期間だけである事をも知った。
[日を見ざるべし] 魔術者は太陽を観測する事または日を暗くする事等を仕事としていた。

かくて立刻(たちどころ)(かすみ)(やみ)と、その()(おほ)ひたれば、(さぐ)(まは)りて(みちび)きくるる(もの)(もと)む。

註解: 天体の事に通暁(つうぎょう)し、天体を自由に使役する如くに唱えていたエルマはこの時全く盲目となってしまった。(あたか)もエリヤがバアルの預言者等に勝ちし如く、パウロは聖霊によりて偽預言者の霊に打勝った。
辞解
[曚] achlys は一種の眼病。
[闇] skotos は全く視力を失える貌。

13章12節 (ここ)總督(そうとく)この()りし(こと)()て、(しゅ)(をしへ)(をどろ)きて(しん)じたり。[引照]

口語訳総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。
塚本訳すると総督はこの出来事を見て、信者になった。主の教え(の力)に驚いてしまったのである。
前田訳そのとき、この出来事を見て総督は信徒になった。主の教えにおどろいたのである。
新共同総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。
NIVWhen the proconsul saw what had happened, he believed, for he was amazed at the teaching about the Lord.
註解: パウロは未だ主の教を述べた様ではないけれども、総督はパウロの中に真実なるものの姿を見出し、彼よりイエスの教を聞かんとしたのであろう。而してこれを聞きていたく驚きて信ずるに至った。▲伝道の成功は聖書知識や、牧会技術や、神学論等によって来るのではなく、伝道する者の真実な生活態度に由るのである。
要義1 [世界伝道の意義]本章よりイエスの福音はいよいよ全世界に向って宣伝えられる事となった。基督教と世界伝道とは不可離の関係にある。蓋し儒教に於ては唯修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国平天下(ちこくへいてんか)の志あるもののみに道を伝うれば、それで事足りるのであり、佛教に於ても個人の悟を主とする結果、転迷開悟を欲せざる者をも教に導かざるべからざる義務を感じないのであるが、キリストの福音は、人が神を求める教ではなく、神が人を求める教なるがゆえに、この神の愛と、その独子を賜える犠牲と、罪の(ゆるし)の恩恵とは、万人に宣伝へられなければならず、万人がこれを信ずる義務がある訳である。この点において福音の全世界への宣伝には特殊の意義と必要とがある。
要義2 [伝道者の闘い]パウロ等はその世界伝道の門出に於てクプロ島の魔術者エルマと戦わなければならなかった。預言者の真偽を見分ける最良にして唯一の方法は常にキリストを仰ぎ()る事である。而してこれと闘う最良の方法は聖霊に満される事である。聖霊は敵の性質の如何に応じて最も功なる戦闘方法を示し給う。パウロがあらゆる悪罵をもってエルマを一喝したのは、この場合における最良の戦闘方法であった。伝道戦線における最大の緊要(きんよう)事は敵状を知ることと、いかにしてこれに勝つべきかの戦闘方法を知ることである。

5-1-3 ピシデヤのアンテオケまで 13:13 - 13:15

13章13節 さてパウロ(およ)(これ)(ともな)人々(ひとびと)、パポスより船出(ふなで)してパンフリヤのペルガに(いた)り、[引照]

口語訳パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。
塚本訳さてパウロの一行はパポスから船出して、パンフリヤ(州)のペルガに着た。しかし(通り名をマルコという)ヨハネは(一緒に旅行することを喜ばず、)二人を離れてエルサレムに帰った。
前田訳パウロの一行はパポスから船出してパンフリアのペルガに来た。しかしヨハネは彼らと別れてエルサレムヘ帰った。
新共同パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
NIVFrom Paphos, Paul and his companions sailed to Perga in Pamphylia, where John left them to return to Jerusalem.
註解: 「パウロ及びこれに伴ふ人々」は原語「パウロの周囲の人々」でパウロがこの時より中心人物となりバルナバは主たる地位より下りた。異邦伝道者としての実力がこの順序を決定したのである。彼らは共にパポスより船出して小亜細亜に渡った。
辞解
[パンフリヤ] 今の小亜細亜の南岸の一州でアタリヤの港(使14:25)に上陸してペルガに達する。

ヨハネは(はな)れてエルサレムに(かへ)れり。

註解: この事が後日のパウロとバルナバとの争論(使15:37-39)の原因となった。何ゆえにマルコ(ヨハネ)がエルサレムに帰ったかに就ては幾多の想像説があるけれども(例えば旅の疲れ、異邦人に対する恐怖、バルナバの勢力失墜に対する憤慨、パウロの自由主義への反感、思郷病(ホームシック)等々)確定的なるものはない。

13章14節 (かれ)らはペルガより(すす)()きてピシデヤのアンテオケに(いた)り、安息(あんそく)(にち)會堂(くわいだう)()りて()せり。[引照]

口語訳しかしふたりは、ペルガからさらに進んで、ピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。
塚本訳二人はペルガからさらに巡回をつづけて、ピシデヤ(地方)のアンテオケに来た。そして安息の日に(ユダヤ人の)礼拝堂に入って坐った。
前田訳彼らはペルガから各地を巡ってピシデアのアンテオケに達した。そして安息日に会堂に入ってすわった。
新共同パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
NIVFrom Perga they went on to Pisidian Antioch. On the Sabbath they entered the synagogue and sat down.
註解: ピシデヤは当時ローマの一州となっていた。アンテオケは他に同名の市多くあり殊にメアンデル河畔のアンテオケと区別する為にピシデヤのアンテオケと称した。ユダヤ人は安息日に会堂に入りて礼拝するは当然の義務であり、基督者のユダヤ人もこれを実行していた。

13章15節 律法(おきて)および預言者(よげんしゃ)(ふみ)朗讀(らうどく)ありしのち、[引照]

口語訳律法と預言書の朗読があったのち、会堂司たちが彼らのところに人をつかわして、「兄弟たちよ、もしあなたがたのうち、どなたか、この人々に何か奨励の言葉がありましたら、どうぞお話し下さい」と言わせた。
塚本訳律法と預言書との朗読がすんだ後、礼拝堂監督たちは二人に言わせた、「兄弟の方々、人々へ何か奨励の言葉をお持ちの方は、話してください。」
前田訳律法と預言書との朗読の後、会堂司たちが彼らに人をつかわしていわせた、「兄弟方、民のため奨励のことばが何かおありでしたらお話しください」と。
新共同律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
NIVAfter the reading from the Law and the Prophets, the synagogue rulers sent word to them, saying, "Brothers, if you have a message of encouragement for the people, please speak."
註解: 安息日の行事はシエマー修了の後第一の日課は律法の書より、第二の日課は預言書より抜粋せる朗読であった。

會堂(くわいだう)(つかさ)たち(ひと)(かれ)らに(つかは)し『兄弟(きゃうだい)たちよ、もし(たみ)(すすめ)(ことば)あらば()へ』と()はしめたれば、

註解: 当時の集会に於ては適当と思はれる人を会堂司が指名して民の為に慰の言を語らしむる習慣があった。
辞解
「もし汝らの中に民に対する(すすめ)の言云々」とあり、「汝らの心の中に」または「汝ら一行の中に」の意。
[(すすめ)の言] また「慰の言」とも訳する事が出来る。ベザ寫本には「智慧または慰安の言」とあり。

5-1-4 アンテオケに於けるパウロの説教 13:16 - 13:43

13章16節 パウロ()ちて()(うご)かして()ふ、[引照]

口語訳そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。
塚本訳そこでパウロが立ち上がり、手で合図をして、それから言った。「イスラエル人諸君、ならびに敬神家の方々、聞いてください。
前田訳パウロは立ち上がり、手ぶりで静めていった、「イスラエルの方々、ならびに敬神家の方々、お聞きください。
新共同そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
NIVStanding up, Paul motioned with his hand and said: "Men of Israel and you Gentiles who worship God, listen to me!
註解: 「手を(うごか)す」は重要なる発言を示す(使10:34マタ5:2)。尚お次節より41節に至るパウロの説教は、転々各地に於て行われしものの代表的なるものとしてここに掲げられたのである。

『イスラエルの人々(ひとびと)および(かみ)(おそ)るる(もの)よ、()け。

註解: 会堂の中にはイスラエルの人々のみならず改宗者もいた、是が異邦に於ける集会の普通の姿であった。

5-1-4-イ 福音の前提としてのイスラエルの歴史 13:17 - 13:25

註解: 17-25節は福音の前提としてのイスラエルの歴史を述ぶ。

13章17節 このイスラエルの(たみ)(かみ)は、(われ)らの先祖(せんぞ)(えら)び、そのエジプトの()寄寓(やどり)せし(とき)、わが(たみ)をおこし、(つよ)御腕(みうで)にて(これ)(みちび)きいだし、[引照]

口語訳この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。
塚本訳この民イスラエルの神はわたし達の先祖(アブラハム、イサク、ヤコブ)を(約束の担い手として)選ばれた。そしてエジプトの地に身を寄せている間に、この民(の数と力と)を大きくし、“強い御腕をもってそこからつれだし、”
前田訳この民イスラエルの神はわれらの先祖をお選びでした。そしてエジプトの地に滞在中に、この民を大きくし、強いみ腕でそこから導き出し、
新共同この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。
NIVThe God of the people of Israel chose our fathers; he made the people prosper during their stay in Egypt, with mighty power he led them out of that country,
註解: アブラハムの時より出エジプト記の始めまでの歴史をこの一節に要約す。イスラエルが神の選民たる事、そのエジプト寄寓(きぐう)とその繁栄、その苦難とその脱出まで、凡て神の御手の下に導かれた事等、皆この中より救主を生れしめんが為であった。
辞解
[おこし] 「高め」でその人口を播殖せしめ、富を増さしめヨセフをして功績をあげしめ、モーセをして奇蹟を行わしむる等凡ての事を含む。
[強き御腕] 人間の力ではない。

13章18節 (おほよ)四十(しじふ)(ねん)のあひだ、荒野(あらの)にて、(かれ)らの所作(しわざ)(しの)び、[引照]

口語訳そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、
塚本訳およそ四十年の間“荒野で彼らを抱きかかえて育て、”
前田訳約四十年間、荒野で彼らを養い育て、
新共同神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、
NIVhe endured their conduct for about forty years in the desert,
註解: エジプトを出でてカナンに入るまで四十年間の荒野の放浪の旅をつづけ、その間種々の不信の態度があったのを、神は忍びてこれを保護し給うた、出エジプト記の要約である。
辞解
[所作を忍び] etropophorêsen は異本に「育て子の如くに抱き」etrophophorêsenとあり(申1:31)、意味は充分に通ずる、B1は前者も後者と同一文字と見る。

13章19節 カナンの()にて(なな)つの民族(みんぞく)をほろぼし、その()(かれ)らに()がしめて、[引照]

口語訳カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。
塚本訳“カナンの地で七つの(異教の)民族を滅ぼし、”その地を“(彼らに)相続財産として与えて、”
前田訳カナンの地で七つの民を滅ぼして、その地を相続させて
新共同カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。
NIVhe overthrew seven nations in Canaan and gave their land to his people as their inheritance.
註解: 神はアブラハムに対する約束(創12:5-7)をこの時至りて果しカナンの地を彼らに与え給うた。七つの民族とは申7:1にあるヘテ人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を指す。

13章20節 (おほよ)()(ひゃく)()(じふ)(ねん)()たり。[引照]

口語訳それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。
塚本訳およそ四百五十年たった。そののち、預言者サムエル(の現われる時)まで士師たちを与え(て治めさせ)られた。
前田訳約四百五十年たちました。そののち預言者サムエルのときまで士師たちをお与えでした。
新共同これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。
NIVAll this took about 450 years. "After this, God gave them judges until the time of Samuel the prophet.
註解: この年代はT列6:1と一致しないけれども、ヨセフスの歴史と(ほぼ)一致する故、異りたる資料によりたるものならん。

()ののち、預言者(よげんしゃ)サムエルの時代(じだい)まで審判(さばき)(びと)(たま)ひしを、

註解: 「審判人」は旧約聖書のいわゆる士師でその事蹟は士師記に録されている。その年代は精確には知り得ない。

13章21節 (のち)(いた)りて(かれ)(わう)(もと)めたれば、(かみ)(これ)にキスの()サウロと()ふベニヤミンの(やから)(ひと)四十(しじふ)(ねん)のあひだ(たま)ひ、[引照]

口語訳その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。
塚本訳それから彼らが王を求めたので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウルを四十年(王として)彼らに与えられた。
前田訳それから彼らが王を求めたので、神はベニヤミンの族(やから)の人、キスの子サウルを四十年間お与えでした。
新共同後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、
NIVThen the people asked for a king, and he gave them Saul son of Kish, of the tribe of Benjamin, who ruled forty years.
註解: 是キリストの王国の型である。四十年なる年代は旧約に記して居ない、ヨセフスの古代史(6・14・9)にあれど、同書他の部分に異れる年代あり。

13章22節 (これ)退(しりぞ)けて(のち)、ダビデを()げて(わう)となし、(かつ)これを(あかし)して「(われ)エッサイの()ダビデといふ()(こころ)(かな)(もの)見出(みいだ)せり、(かれ)わが(こころ)をことごとく(おこな)はん」と宣給(のたま)へり。[引照]

口語訳それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。
塚本訳彼を退けたのちに、ダビデを立てて王にし、こう言って賞賛された、『エッサイの子“ダビデを見つけた。”“この人はわたしの気に入った。””なんでもわたしの思うことをするにちがいない”』と。
前田訳そして彼を退けてからダビデを立てて王にし、こういって証されました、『わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわが心にかない、わが思うことをすベて行なおう』と。
新共同それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』
NIVAfter removing Saul, he made David their king. He testified concerning him: `I have found David son of Jesse a man after my own heart; he will do everything I want him to do.'
註解: エホバがイスラエルの民に対する特別の愛護はダビデ王に於てその頂点に達し、彼に於てメシヤの型を見る事が出来た。即ち神は彼を挙げ、彼を王となし、且つ彼につきて証を為し給いしが故である。神がイエスに対して為し給いし事、また証し給いし事も亦これと同一であった(ピリ2:9-11。ヘブ5:5マタ3:17)。ダビデ王を心より崇むるイスラエルは、当然の結論として「ダビデの子」(マタ9:27等)なるメシヤ、即ちイエス・キリストを崇むべきであった。
辞解
[退けて] Tサム15:16以下の記事を指す。引用の句は詩89:31Tサム13:14との混合せる自由なる引用。
[わが意を行はん] ダビデの従順を示す。

13章23節 (かみ)約束(やくそく)(したが)ひて()(ひと)(すゑ)より、イスラエルの(ため)救主(すくひぬし)イエスを(おこ)(たま)ひしが、[引照]

口語訳神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、
塚本訳このダビデの子孫から、神は約束によりイエスを救い主としてイスラエルに来させられたが、
前田訳彼の子孫から神は約束どおり、イエスを救い主としてイスラエルにお送りでした。
新共同神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。
NIV"From this man's descendants God has brought to Israel the Savior Jesus, as he promised.
註解: Uサム7:12-16にダビデに与えられた約束は、アブラハムに対して与えられた約束(創12:7創13:15創17:7創22:18)の更新である。従ってイエスはまたアブラハムの裔(ガラ3:16)である(マタ1:1)。ここにパウロは始めてイエスの事を引出し、イスラエルの歴史とこれを結付けてその重要性を力説した。前節までは何等の反対もなく、誇を以てパウロの言に耳を傾けていた会衆は、この時全く不意打を喰い周章(しゅうしょう)狼狽したことであろう。

13章24節 その(きた)(まへ)にヨハネ(あらか)じめイスラエルの(すべ)ての(たみ)悔改(くいあらため)のバプテスマを宣傳(のべつた)へたり。[引照]

口語訳そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。
塚本訳(洗礼者)ヨハネがその登場の先駆けをして、イスラエルの民全体に悔改めの洗礼を前もって説いた。
前田訳彼の出現に先立って、ヨハネはイスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を、あらかじめのべ伝えました。
新共同ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。
NIVBefore the coming of Jesus, John preached repentance and baptism to all the people of Israel.
註解: 前節にイエスの救主なる事を聴きて驚きたる会衆は、彼らが尊敬してやまないバプテスマのヨハネの事をきき、再び耳を傾けた事と思う。彼の悔改のバプテスマは、イエスによる、新生の前提であった。而しヨハネは、イエスの先駆者たる任務を完うした。彼によりて悔改めたイスラエルの民は、当然にイエスを信ずべきであった。
辞解
[来る] eisodos で救主としての公の任務に就く事。

13章25節 (かく)てヨハネ(おの)(はし)るべき道程(みちのり)()へんとする(とき)「なんぢら(われ)(たれ)(おも)ふか、(われ)はかの(ひと)にあらず、()よ、(われ)(おく)れて(きた)(もの)あり、(われ)はその(くつ)(ひも)()くにも()らず」と()へり。[引照]

口語訳ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。
塚本訳そしてヨハネは(務めを果たして)走るべき道を終ろうとする時に、『あなた達がそれだと考えている者は、わたしではない。今すぐわたしのあとから来られる。わたしはその足の靴をぬがしてあげる資格もない者である』と言った。
前田訳ヨハネはその歩みを終えようとするころいいました、『あなた方がわたしをそれとお考えのものは、わたしではありません。確かにその方はわがのちに来られます。わたしはその足の靴をお脱がせする資格もありません』と。
新共同その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』
NIVAs John was completing his work, he said: `Who do you think I am? I am not that one. No, but he is coming after me, whose sandals I am not worthy to untie.'
註解: ヨハネの任務はイエスの来臨によりて終り、その走るべき道程は全うせられた。このヨハネの語は、自己のメシヤにあらざる事と後に来るイエスが「かの人」即ち期待せられしメシヤなる事を示す。即ちイエスを指示した事となる。最大の預言者なるヨハネ(マタ11:11)が奴隷としてその鞋の紐を解くにも足らずと云いし事によりイエスの価値は、凡てのイスラエルの人々に明かにされたのである。
辞解
[走るべき道程を終え] 「走るべき道程を充した時」と直訳される文字で、ここでは死ぬる時を意味せず、イエスが来り給える時を指す。
[我はかの人にあらず] 「かの人」は原文になし、意味の補充である。
[鞋の紐を解く] 奴隷の仕事。

5-1-4-ロ 福音の内容としてのイエス 13:26 - 13:37

13章26節 兄弟(きゃうだい)たち、アブラハムの血統(ちすぢ)()(およ)(なんぢ)()のうち(かみ)(おそ)るる(もの)よ、この(すくひ)(ことば)(われ)らに(おく)られたり。[引照]

口語訳兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。
塚本訳兄弟の方々──アブラハムの子孫の方々と、あなた達の中の敬神家の方々よ、(神から)わたし達に、この(イエスの)救いを知らせる“言葉は送られたのです。”
前田訳兄弟方、アブラハムの子孫とあなた方の中で敬神家の方々、われらにこそ、この救いのことばは送られたのです。
新共同兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。
NIV"Brothers, children of Abraham, and you God-fearing Gentiles, it is to us that this message of salvation has been sent.
註解: 救の言はイエス・キリストの福音であり、これは神より人類、殊にイスラエルの民に贈られた嘉信である。神の特別の約束の下にあるイスラエルは、(いか)でこの救の言を無視し得ようか。
辞解
[兄弟たち] 総称で、これが「アブラハムの血統の子ら」と「神を畏れるもの」即ち改宗者とに別れる。この後者は更に「義の改宗者」と「門の改宗者」とに別れる。

13章27節 それエルサレムに()める(もの)および()(つかさ)らは、(かれ)をも安息(あんそく)(にち)ごとに()むところの預言者(よげんしゃ)たちの(ことば)をも()らず、[(かれ)を](つみな)ひて[預言(よげん)を]成就(じゃうじゅ)せしめたり。[引照]

口語訳エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。
塚本訳なぜなら、エルサレムに住んでいる人と彼らの(最高法院の)役人たちとは、この方がわからず、安息日のたびごとに朗読される預言者たちの言葉もわからずに、判決を下してそれを成就し、
前田訳エルサレムに住む人々とその指導者たちとは、この方をも安息日ごとに読まれる預言者のことばをも認めず、彼を裁いてそれを成就しました。
新共同エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。
NIVThe people of Jerusalem and their rulers did not recognize Jesus, yet in condemning him they fulfilled the words of the prophets that are read every Sabbath.
註解: Tコリ2:8。神より送られしこの救の言をエルサレムの民衆も当局も全くこれを無視し、イエスを知らずまたイエスに就きて証せる聖書をも知らず、(はなは)だしき無智を以て遂にイエスを十字架に釘けて殺した。この事が結局多くの聖書の言を成就する事になったのである(マタ1:22マタ2:15マタ2:17マタ2:23マタ4:14マタ5:17マタ12:17等々)。
辞解
「彼を知らずして、(つみな)ひて安息日ごとに読むところの預言者たちの言を成就せしめたり」と訳すべしとの説(▲口語訳はこの説に由ったものと思われる)と(M0、B1)、また本文の如くに訳すべしとする説と(H0)がある。
「彼を」、「預言を」、原文になし。

13章28節 その()(あた)るべき(ゆゑ)()ざりしかどピラトに(ころ)さんことを(もと)め、[引照]

口語訳また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。
塚本訳死罪にあたるなんの罪も認められないにもかかわらず、ピラトに願って彼を死刑にしてしまったのだから。
前田訳死罪にあたる何の理由も見いだせなかったのに彼を殺すようピラトに頼んだのです。
新共同そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。
NIVThough they found no proper ground for a death sentence, they asked Pilate to have him executed.

13章29節 (かれ)につきて(しる)されたる(こと)をことごとく()しをへ(かれ)()より(おろ)して(はか)(をさ)めたり。[引照]

口語訳そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。
塚本訳そして彼について(聖書に)書いてあることを一つのこらず完了すると、(十字架の)木から(死体を)下ろして墓に納めた。
前田訳そして彼について書かれたことをすべて満たすと、木からおろして墓に納めました。
新共同こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。
NIVWhen they had carried out all that was written about him, they took him down from the tree and laid him in a tomb.
註解: 是等の事実につきては四福音書に詳細の記録がある。ユダヤ人はこのイエスを殺した事により、一面神に対する大罪を犯し、他面に聖書に録されることを(ことごと)く成就した。奇しき縁である。
辞解
[墓に納めたり] ニコデモとアリマタヤのヨセフである。ここでは唯漠然と述べたので主語をそのままにしたのであった。

13章30節 されど(かみ)(かれ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)へり。[引照]

口語訳しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。
塚本訳しかし神は彼を死人の中から復活させられ、
前田訳しかし神は彼を死人の中からお起こしでした。
新共同しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。
NIVBut God raised him from the dead,
註解: キリストの十字架とその復活が福音の中心点であった(Tコリ15:1-3)。たといそれが如何に信じ難き事柄であっても、この点を述べずしてはキリストの福音は成立たなかった。このことを聞き多くのユダヤ人は心の中に躓きを感じたことであろう。

13章31節 (かく)てイエスは(おのれ)(とも)にガリラヤよりエルサレムに(のぼ)りし(もの)(おほ)くの()のあひだ(あらは)(たま)へり。その人々(ひとびと)(いま)(たみ)(まへ)にイエスの證人(しょうにん)たるなり。[引照]

口語訳イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。
塚本訳彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。
前田訳彼はガリラヤからエルサレムヘいっしょに上った人たちに、幾日もの間現われたまいました。この人たちが、今民に対して彼の証人になっています。
新共同このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。
NIVand for many days he was seen by those who had traveled with him from Galilee to Jerusalem. They are now his witnesses to our people.
註解: イエスと偕にガリラヤよりエルサレムに上りし者はイエスの弟子たち、殊に使徒たちであった。復活のイエスが彼らに現れ給いし事につきては四福音書の末尾及びTコリ15:5-7を見よ。是らは今はイエスの証人としてその十字架と復活とを証しているのである。本節により、イエスの復活は間違なき事実である事と、使徒たちの宣教の中心点がここにある事とが示されている。

13章32節 (われ)らも先祖(せんぞ)たちが(あた)へられし約束(やくそく)につきて(よろこ)ばしき音信(おとづれ)(なんぢ)らに()ぐ、[引照]

口語訳わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。
塚本訳わたし達も、先祖に与えられたこの約束の福音を、(こうして)あなた達に伝えているのです。
前田訳われらも先祖になされた約束を福音としてあなた方に伝えています。
新共同わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。
NIV"We tell you the good news: What God promised our fathers

13章33節 ( (すなは)ち)(かみ)はイエスを(よみが)へらせて、その約束(やくそく)(われ)らの子孫(しそん)成就(じゃうじゅ)したまへ(る(こと)な) り。[引照]

口語訳神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。
塚本訳すなわち、『“あなたこそわたしの子、わたしがきょうあなたを生んだ”』と詩篇第二にも書いてあるように、神はイエスを復活させて、子孫たるわたし達にその約束を果たしてくださったことを。
前田訳この約束は神がイエスをよみがえらせて、子孫であるわれらに果たされたものです。詩篇の第二篇に、『なんじこそわが子、きょう、わたしがなんじを生んだ』と書かれているとおりです。
新共同つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、/『あなたはわたしの子、/わたしは今日あなたを産んだ』/と書いてあるとおりです。
NIVhe has fulfilled for us, their children, by raising up Jesus. As it is written in the second Psalm: "`You are my Son; today I have become your Father. '
註解: エルサレムに在る使徒たちのみならずパウロ、バルナバ等も同様にイエスの復活によりて実現せし神の約束に関する福音を宣伝うと云うのである。イスラエルの先祖たちに与え給いし神の約束(23節註参照)が如何にして成就せられしか、この成就はイスラエルの民の熱心に待望んで居る処であったけれども未だその実現を見なかったのであるが、此度神がイエスを不朽の体に甦らしめ給いし事によりて、約束が成就されたのである。是はイスラエルの民に対する最大の嘉信であった。
辞解
[我らの子孫に] 異本に「かれらの子孫なる我らに」とありこの方意味は通じ易し。

[(すなは)]詩()第二(だいに)(へん)に「なんぢは()()なり、われ今日(けふ)なんぢを()めり」と(しる)されたるが(ごと)し。

註解: 詩2:7-9は詩人の霊感に映じたる理想の王者の姿であって、従ってメシヤ預言として解せられている。パウロはイエスの復活はその永遠の生命への誕生であり、「今日」は復活の日を指すと解し、この詩がそのままイエスの復活によりて成就したのであると見る。
辞解
[詩の第一篇] 異本に「第一篇」とあるはこの二篇が合して第一篇となっている寫本があった為である。

13章34節 また朽腐(くされ)()せざる(さま)(かれ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へらせ(たま)ひし(こと)()きては、()宣給(のたま)へり。(いは)く「われダビデに(やく)せし(かた)(せい)なる[恩惠(めぐみ)]を(なんぢ)らに(あた)へん」[引照]

口語訳また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。
塚本訳なお、神がイエスをもう二度と朽ち果ててしまうことのない者として、死人の中から復活させられたことについては、『わたしは“ダビデに約束した永遠不動の聖なる賜物[永遠の命]をあなた達に”与えよう』とこう言われた。
前田訳神が彼を、またもや朽ちることのないものとして、死人の中からよみがえらせたもうたのは、『ダビデに約束された聖にして確かなものをあなた方に与えよう』といわれたとおりです。
新共同また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、/『わたしは、ダビデに約束した/聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』/と言っておられます。
NIVThe fact that God raised him from the dead, never to decay, is stated in these words: "`I will give you the holy and sure blessings promised to David.'
註解: イザ55:3の七十人訳より自由に引用せるもの、即ちUサム7:8-16に与えられし約束が真の意味に於て実現するのは、この復活より外にない故、この聖句はイエスが不朽の体に復活する事を指したものと解するのである。「確き聖なる恩恵」即ち真の意味に於て確乎不動であり、且つ聖きものは地上の王位ではなくイエスの復活体である。使徒たちにとりてはイエスの復活により聖書の難解の預言は凡て成就した。
辞解
[確き聖なる恩恵] ヘブル原典によれば「不変の恩恵」であり七十人訳はこれこそ「信頼すべき聖なるもの(中性)」と訳した。現行改訳はその意訳である。

13章35節 そは(ほか)(へん)に「なんぢは(なんぢ)聖者(しゃうじゃ)朽腐(くされ)()せざらしむべし」と()へり。[引照]

口語訳だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。
塚本訳だから、(詩篇の)ほかの所でも『“(神よ、)あなたはあなたの聖者(救世主)を朽ち果てさせられないであろう”』と言っている。
前田訳それゆえほかの所でも、『あなたはあなたの聖者を朽ちるままにはされまい』といわれています。
新共同ですから、ほかの個所にも、/『あなたは、あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしてはおかれない』/と言われています。
NIVSo it is stated elsewhere: "`You will not let your Holy One see decay.'
註解: イエスの復活が「確き聖なる恩恵」である証拠として詩16:10を引用し、聖者(前節の「聖なるもの」の男性)は決して朽腐に帰せざる事の預言がイエスの復活によりて成就した事を示す。ペテロは(さき)にこの詩を以てイエスのメシヤに在す事を証明した(使2:27及註参照)。

13章36節 それダビデは、その()にて(かみ)御旨(みむね)(おこな)ひ、(つい)(ねむ)りて先祖(せんぞ)たちと(とも)()かれ、かつ朽腐(くされ)()したり。[引照]

口語訳事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。
塚本訳というのは、“ダビデは”彼の時代の人々に奉仕したのち神の御心によって“眠り、先祖たち(の中)に”加えられて朽ち果てたのであるが、
前田訳ダビデは自分の時代に神のみ心に仕えてから眠り、先祖たちのところに帰られて朽ち果てました。
新共同ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。
NIV"For when David had served God's purpose in his own generation, he fell asleep; he was buried with his fathers and his body decayed.

13章37節 されど(かみ)(よみが)へらせ(たま)ひし(もの)朽腐(くされ)()せざりき。[引照]

口語訳しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。
塚本訳神が復活させられたイエスは、朽ち果てられなかった。
前田訳しかし神がお起こしの方は朽ち果てたまいませんでした。
新共同しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。
NIVBut the one whom God raised from the dead did not see decay.
註解: 詩16:10の預言がイエスに於て成就しダビデに於て成就せざりし事の証拠としてダビデは遂に死してその肉は朽腐に帰し、イエスは甦りて永遠に生き給う事を以てした。使2:29-31のペテロの論法と同一である。ゆえに35節はダビデが自己につきて言ったのではなく、イエスに就きて云った事となる。
辞解
[共に置かれ] 「加えられ」と云う如き意味。
[神の甦えらせ給いし者] 「神の起し給いし者」と訳すべしとの説あり(B1、E0)、その必要なし。

5-1-4-ハ 聴者に対する薦め 13:38 - 13:43

註解: 以上を以てイエスのメシヤたる事の証明は終り38-41節に聴者に対するすすめをなす。

13章38節 この(ゆゑ)兄弟(きゃうだい)たちよ、(なんぢ)()れ。この(ひと)によりて(つみ)(ゆるし)のなんぢらに(つた)へらるることを。[引照]

口語訳だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、
塚本訳だから兄弟の方々、このイエスによる罪の赦しがいまあなた達に宣べ伝えられていることを、知ってください。モーセ律法では義とされることが出来なかったどんなことからでも、
前田訳兄弟方、このことを知ってください、この方のおかげで罪のゆるしがあなた方にのべ伝えられており、モーセの律法によっては義とされえなかったすべてのことから、
新共同だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、
NIV"Therefore, my brothers, I want you to know that through Jesus the forgiveness of sins is proclaimed to you.

13章39節 (なんぢ)らモーセの律法(おきて)によりて()とせられ()ざりし(すべ)ての(こと)も、(しん)ずる(もの)(みな)この(ひと)によりて()とせらるる(こと)を。[引照]

口語訳信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。
塚本訳信ずる者は一人のこらず、このイエスによって義とされるのです。
前田訳信ずるものはだれでもこの方によって義とされるのです。
新共同信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
NIVThrough him everyone who believes is justified from everything you could not be justified from by the law of Moses.
註解: イスラエルの先祖たちに与えられし神の約束がイエスの復活によりて成就した事はイスラエルの子孫、並びに全人類に取りて如何なる意義があるかと云うに、このイエスに対する信仰によりて凡ての罪が赦され義とせられる事である。是が神と人との間の最大の問題であって、これによりてモーセの律法以来イスラエルを苦しめし問題は取り除かれ、アダムの罪以来神と人類との間に存せし間隙は消失し、真の神の国が実現し、イスラエルの凡ての期待は成就するに至ったのである。神の子イエスの十字架とその復活はまことに絶大なる意義を有している事を知らなければならぬ。十字架の贖罪と、信仰のみによりて義とされる事等の問題の詳細はここに触れられて居ない。ロマ書、ガラテヤ書等の中心問題がそれである。

13章40節 ()れば(なんぢ)(こころ)せよ、(おそ)らくは預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)()ひたること(きた)らん、[引照]

口語訳だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
塚本訳だから預言書に言われていることが(あなた達に)起こらないように、気をつけなくてはいけない。
前田訳それゆえ預言にいわれていることがおこらないよう気をつけてください。
新共同それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。
NIVTake care that what the prophets have said does not happen to you:

13章41節 (いは)く「あなどる(もの)よ、なんぢら()よ、(おどろ)け、(ほろ)びよ、われ(なんぢ)らの()(ひと)つの(こと)(おこな)はん。これを(なんぢ)らに(つぶさ)()ぐる(もの)ありとも(しん)ぜざるほどの(こと)なり」』[引照]

口語訳『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。それは、人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたのとうてい信じないような事なのである』」。
塚本訳“(わたしの言葉を)軽んずる者たち、見ておれ、そして、たまげて、消えてなくなれ、私はあなた達の時に一つの事をする、どんなに話してきかせる者があってもあなた達が決して信じない”(恐ろしい裁きの)事である!(と神が言われたではないか。)」
前田訳『見よ、あざけるものども、おどろけ、そして滅びよ、われはなんじらの時代にひとつのことをする、それは、いい聞かせてもなんじらが決して信じないということである』と。
新共同『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、/お前たちにはとうてい信じられない事を。』」
NIV"`Look, you scoffers, wonder and perish, for I am going to do something in your days that you would never believe, even if someone told you.' "
註解: ハバ1:5の七十人訳よりの自由なる引用、原文はユダヤ人の堕落に対しカルデヤ人によりて来るべき神の刑罰を告知する処であるが、パウロはこれを用いて神の子イエスを信ぜざる場合に、イスラエルの上に降るべき神の審判の預告としたのである。神の為し給う処を蔑視する者は、遂に神の激しき審判を受けなければならないであろう。イエスを信ぜざるものの審かれる事は当然の事柄である。▲またこの引用は、審判が主ではなく、神の子イエスの来臨が人間の思いを超えている事実であることを示したものと解することができる。
辞解
[亡びよ] 「顔色を失えよ」の意。
[あなどる者よ] 「国々の民の中を」なる文字を七十人訳の訳者が読みちがえたものであろう。
[行わん] 原語、現在動詞、将に為さんとしている切迫せる姿。

13章42節 (かれ)らが會堂(くわいだう)()づるとき、人々(ひとびと)これらの(ことば)(つぎ)安息(あんそく)(にち)にも(かた)らんことを()ふ。[引照]

口語訳ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
塚本訳二人が(礼拝堂を)出るとき、人々は次の安息日にこのことを話してくれるようにと頼んだ。
前田訳彼らが会堂を出るとき、人々は次の安息日にこれらのことどもを話してくれるよう頼んだ。
新共同パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。
NIVAs Paul and Barnabas were leaving the synagogue, the people invited them to speak further about these things on the next Sabbath.
註解: 会の修了前にパウロやバルナバは会堂を辞去したものの如くである(次節を見よ)。会衆はイエスの事につき幾分は聞及んでいたであろうけれども、この時パウロの秩序整然たる弁論をきき、非常に啓発される処が有ったものの様で、再びこれを聞かん事を彼らに要求した、44節を見れば彼らの間にパウロの弁論が如何に評判が高かったかが判明る。
辞解
[次の安息日] 原語は種々に解せらる、(1)日曜以外の週日、(2)其地に滞在中の一安息日、(3)次の安息日等で44節より見るも最後の解を取る。

13章43節 集會(あつまり)(さん)ぜし(のち)ユダヤ(びと)および敬虔(けいけん)なる改宗者(かいしゅうしゃ)おほくパウロとバルナバとに(したが)()きたれば、(かれ)らに(かた)りて(かみ)恩惠(めぐみ)(とどま)らんことを(すす)めたり。[引照]

口語訳そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。
塚本訳集会がすむと、多数のユダヤ人と敬虔な改宗者とがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語って、(いつまでも)神のこの恩恵(の福音)をはなれずにいるようにと熱心に説きすすめた。
前田訳集会が終わってから、多くのユダヤ人と敬虔な改宗者とがパウロとバルナバとについて来たので、ふたりは彼らと話して、神の恩恵から離れないよう説き勧めた。
新共同集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。
NIVWhen the congregation was dismissed, many of the Jews and devout converts to Judaism followed Paul and Barnabas, who talked with them and urged them to continue in the grace of God.
註解: 集会の帰途パウロとバルナバとに従い途中またはその宿所までも語りつつ帰った事と思われる。彼らの真理を求むる熱心を思うべし。
要義1 [イスラエルの歴史と我らの救]イエスがイスラエルの祖先に約束せられし約束の実現者であり成就者である事が我らの救の問題と如何なる関係ありやは重要なる問題である。イスラエルの民にあらざる我らに取リてこの問題は無関係なるが如くであるけれども実は然らず、神の救は単に我らの個人的の悟りまたは修養と異なり、神の経綸の発展なるがゆえに、その経綸の如何を確実に知りてそこに神の御業を認め得る場合、我らは一層神の救いにつき確実さを増すこととなる。キリスト・イエスが単に偶然に生れ出でし宗教的偉人なりとするもなおその教えは偉大なる教たることを失わない。然るにそのイエスが永き年月の間神の約束とその保護の下にありしイスラエルの歴史に関係あることを知りてイエスの宗教の永遠性が一層確実となる。我らはユダヤ人の歴史を見て、そこに神の経綸が明らかに存することを否むことができず、従ってイエス・キリストが神より遣わされし救主に在すことを否むことができない。▲基督者に取って非常に重要なことは、聖書におけるイスラエルの歴史および予言と、今日に至るまでのイスラエル民族の世界史的意義を深く攻究することである。
要義2 [イエスの復活の事実と我らの救]イエスが不朽の体に復活し給える事により(1)イエスの神の子に在す事が明かにせられ(ロマ1:4)、(2)その罪なき聖者なりし事が証拠立てられ(使2:27使13:35)、(3)従ってその死は己の罪の為ではなく我ら人類の罪に代リ給える死であり、(4)聖書中にある多くの不可解なりしメシヤ預言は実現し、(5)アブラハム、ダビデ等に与えられし約束は実現し、(6)アダム以来人類を支配せる死は滅ぼされ、かくして全世界を支配せるあらゆる不幸はすべて取り去られるに至った。復活を離れて我らの救いは無い(マタ28:10要義参照)。
要義3 [不信者の審き]神はその絶大なる愛を以て、またその愛のゆえに凡ての人類を救い給うやも知れない。併し乍ら是は我らの推測の範囲を出でず、今からこれを断定する事は出来ない(ロマ11:36要義参照)。今より明かに断言し得る事は、神の遣し給える独子イエス・キリストを信ぜざるものは審かれると言うことである。これは神の御旨に対する根本的反逆だからである。

5-1-5 パウロ、バルナバ迫害せらる 13:44 - 13:52

13章44節 (つぎ)安息(あんそく)(にち)には(かみ)(ことば)()かんとて(ほとん)(まち)(こぞ)りて(あつま)りたり。[引照]

口語訳次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。
塚本訳その次の安息日には、ほとんど町中が神の言葉を聞きに集まってきた。
前田訳次の安息日にはほとんど町全体が神のことばを聞きに集まって来た。
新共同次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。
NIVOn the next Sabbath almost the whole city gathered to hear the word of the Lord.
註解: パウロの説教が非常なる感激を聴衆に与え、聴衆がこれを主として異邦人よりなる全市民に伝えた事が判明る。この非常なる評判が、却ってパウロらに不利益となった。ユダヤ人の嫉視の原因となったからである。迫害者の心中には恐怖の念が主となっている事が多い。

13章45節 ()れどユダヤ(びと)はその群衆(ぐんじゅう)()(ねたみ)滿(みた)され、パウロの(かた)ることに()(さから)ひて(ののし)れり。[引照]

口語訳するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。
塚本訳すると(神の言葉は自分たちだけのものと思っていた)ユダヤ人たちは、(異教人の)群衆を見て嫉妬にかられ、(イエスを)冒涜しながら、パウロの話すことに反対した。
前田訳するとユダヤ人たちは群衆を見て妬みに満ち、パウロのいうことに口ぎたなく反対した。
新共同しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。
NIVWhen the Jews saw the crowds, they were filled with jealousy and talked abusively against what Paul was saying.
註解: 是らはユダヤ教に熱心なるユダヤ人であった。宗教家または熱信家ほど嫉妬心の強いものはない。彼らはパウロの語ることの真理なりや否やを考慮する(いとま)もなく、これに反対した。如何なる真理と雖も悪意を以て反対せんとする場合相当の理由を見出し得るものである。

13章46節 パウロとバルナバとは(おく)せずして()ふ『(かみ)(ことば)()(なんぢ)らに(かた)るべかりしを、(なんぢ)()これを(しりぞ)けて(おのれ)永遠(とこしへ)生命(いのち)相應(ふさは)しからぬ(もの)(みづか)(さだ)むるによりて、()よ、(われ)(てん)じて異邦人(いはうじん)(むか)はん。[引照]

口語訳パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。
塚本訳そこでパウロとバルナバとは公然こう宣言した、「神の言葉は(お約束どおり)まず第一に、君たち(ユダヤ人)に語られねばならなかった。(だから、そうしたのだ。)しかし君たちがそれをはねつけ、自分で自分を永遠の命にふさわしからぬ者とするので、それでは、よし、異教人(の伝道)へ方向をかえる。
前田訳パウロとバルナバとははばからずいった、「神のことばはまずあなた方に語られねばなりませんでした。しかしあなた方がそれを拒み、自分を永遠のいのちにふさわしからぬものとするからには、今、われらは異邦人の方へと向きをかえます。
新共同そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。
NIVThen Paul and Barnabas answered them boldly: "We had to speak the word of God to you first. Since you reject it and do not consider yourselves worthy of eternal life, we now turn to the Gentiles.
註解: 神の言なる福音は当然第一にユダヤ人に語られなければならない(26節ロマ1:16ロマ2:10)。救はユダヤ人中心であり、救主はダビデの裔より生れる事が期待されていた。ユダヤ人はこれを拒めるゆえに自然福音は異邦人に宣伝えられるに至った。この微妙なる関係の意味につきてはロマ11章を見よ。尚ユダヤ人の反逆と永遠の生命を継ぎ得ざる事を以て、神の予定とせず、彼らの自ら定むる処とせし点に注意すべし。またパウロは今後と雖もユダヤ人伝道を全く放棄した訳ではない(使14:1使17:1、2其他)。ユダヤ人に取りて最も貴重なる宝が異邦人の手に付される事はユダヤ人に取りては大なる恥辱であるに関らずユダヤ人はこれに気付かなかった。

13章47節 それ(しゅ)()(われ)らに(めい)(たま)へり。(いは)く「われ(なんぢ)()てて異邦人(いはうじん)(ひかり)とせり。()(はて)にまで(すくひ)とならしめん(ため)なり」』[引照]

口語訳主はわたしたちに、こう命じておられる、『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。
塚本訳主はこのようにわたし達(伝道者)にお命じになっているから。“わたしはあなたを立てて異教人の光にした、あなたが地の果てまで救いを伝えるために。”」
前田訳主はこのようにわれらにお命じです、『われはなんじを立てて異邦人の光とした、なんじが地の果てまで救いをもたらすために』と。
新共同主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」
NIVFor this is what the Lord has commanded us: "`I have made you a light for the Gentiles, that you may bring salvation to the ends of the earth.' "
註解: イザ49:6(七十人訳)の自由なる引用で、神の僕に関する預言が、従来明瞭なる意味を捕捉し得なかったのを、ここに始めて明瞭なる意味が発見されたと云っても過言ではない。神の経綸は人類の罪によりて妨げられず、却て神は人間の罪を用いて御旨を実現し給う。イスラエルの不信は異邦人が福音を受くる原因となった。尚この「汝」はキリストを指すけれども、使徒たちはキリストと一つであると見ているのである。

13章48節 異邦人(いはうじん)(これ)()きて(よろこ)び、(しゅ)(ことば)をあがめ、(また)とこしへの生命(いのち)(さだ)められたる(もの)はみな(しん)じ、[引照]

口語訳異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。
塚本訳これを聞いて異教人は喜び、主の言葉を讃美し、永遠の命へあらかじめ定められていた者はみな信者になった。
前田訳これを聞いて異邦人はよろこび、主のことばをたたえ、永遠のいのちへと定められていたものはみな信徒になった。
新共同異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。
NIVWhen the Gentiles heard this, they were glad and honored the word of the Lord; and all who were appointed for eternal life believed.

13章49節 (しゅ)(ことば)この()(あまね)(ひろま)りたり。[引照]

口語訳こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。
塚本訳こうして主の言葉がこの地全体に広まった。
前田訳そして主のことばが地方全体に広まった。
新共同こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。
NIVThe word of the Lord spread through the whole region.
註解: 使徒たちはユダヤ人を離れてその地の異邦人に伝道して非常なる成績をあげた。信じた人々は「とこしえの生命に定められた人」である事は勿論である。但しこの預定の教理についてはロマ9:33(9章末尾)の附記参照。パウロ等は異邦人の入信を観察しつつ、それが全くパウロ等の力にあらず、また信ぜしものの力にもあらず唯神の預定による事を感じたのである。但し是等のガラテヤの信徒の中に後日に至って背教せるものが少くなかった(ガラ1:6ガラ3:1)。神が預定し給いし人なりや否やは人是を決定する事が出来ない。尚46節に「永遠の生命に相応しからぬものと自ら定む」とあるを対照すべし。

13章50節 (しか)るにユダヤ(びと)敬虔(けいけん)なる貴女(きぢょ)たち(およ)(まち)重立(おもだ)ちたる人々(ひとびと)(そその)かしてパウロとバルナバとに迫害(はくがい)をくはへ、(つい)(かれ)らを()(さかひ)より()(いだ)せり。[引照]

口語訳ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出させた。
塚本訳しかしユダヤ人は敬神家の上流婦人や町の有力者をそそのかし、パウロとバルナバとに向かって迫害を起こさせ、二人をその土地から追い出した。
前田訳しかしユダヤ人は敬虔な貴婦人や町の実力者をそそのかし、パウロとバルナバとに対して迫害をおこさせ、ふたりをその土地から追い出した。
新共同ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。
NIVBut the Jews incited the God-fearing women of high standing and the leading men of the city. They stirred up persecution against Paul and Barnabas, and expelled them from their region.
註解: 福音伝道の当初に於ける主なる迫害者はユダヤ人であった。ユダヤ人の歴史は神より遣されし預言者を迫害する事の罪に充ちている。人類が如何に神に反けるものであるかを示す好例である。ユダヤ人は基督者を迫害する場合に於ては官憲の力や此世の有力者等を利用する事を少しも恥としない。
辞解
[敬虔なる] この場合「神を畏れる」と同様ユダヤ教に帰依している事を意味す。

13章51節 二人(ふたり)(かれ)らに(むか)ひて(あし)(ちり)をはらひ、イコニオムに()く。[引照]

口語訳ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。
塚本訳二人は彼らに対し(縁を切った証拠に)足の埃を払いおとして(そこを去り、)イコニオムへ行った。
前田訳ふたりは彼らに対して足のちりを払って イコニオムへ行った。
新共同それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。
NIVSo they shook the dust from their feet in protest against them and went to Iconium.
註解: 足の塵をはらう事は全く無関心である事、その地の罪に与らざる事、従って神の詛がその地に降るべき事を暗示する。軽蔑または呪詛(のろい)の態度である(マタ10:14)。イコニオムは昔はフリギヤ州に属しルカオニヤ州の境に接せる美しき市、後ルカオニヤに属するに至った。

13章52節 弟子(でし)たちは喜悦(よろこび)(せい)(れい)とにて滿(みた)され()たり。[引照]

口語訳弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。
塚本訳しかし(アンテオケの主の)弟子たちは(失望どころか、かえって)歓喜と聖霊とに満たされていた。
前田訳弟子たちはよろこびと聖霊とに満たされていた。
新共同他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
NIVAnd the disciples were filled with joy and with the Holy Spirit.
註解: イエス・キリストを発見する時の心持。
要義1 [福音、異邦人に及ぶ]福音が異邦人に及んだと云う事は、凡ての真理の普遍性より言えば当然の事の如くであるけれども、これを神の経綸の実現の一大階段と見る時は、極めて重大なる意義を有する事柄となる。殊にその事がユダヤ人が福音を拒んだ結果である事は、驚くべき事実であるといわなければならない。神はその経綸を実現し給うに際して用い給う手段は無限である。然るに殊更(ことさら)にユダヤ人の叛きを利用してその御旨を実現し給える所以は、一は神において能わざることなく、人が神に反対すればする程、神はこの反逆を利用してその栄光を揚げ得給うことと、一つはユダヤ人をしてその不信を一層明らかにすることを得しめ、彼らをして真に悔改むるに至らしめんがためである。
要義2 [民族宗教と世界宗教]ユダヤ教は民族宗教であった。これがイエスを拒む事によりて世界宗教に転化した事は重要なる意義がある。即ち(1)基督教は世界的であると同時に民族的であり得る事の原因となり(2)民族宗教はイエスを拒む場合世界的たり得ざる者となり、イエスを受くることによりて世界宗教たり得ることである。

使徒行伝第14章
5-1-6 イコニオムよりルステラまで 14:1 - 14:7

14章1節 二人(ふたり)はイコニオムにて(あひ)(とも)にユダヤ(びと)會堂(くわいだう)()りて(かた)りたれば、(これ)()りてユダヤ(びと)およびギリシヤ(びと)あまた(しん)じたり。[引照]

口語訳ふたりは、イコニオムでも同じようにユダヤ人の会堂にはいって語った結果、ユダヤ人やギリシヤ人が大ぜい信じた。
塚本訳イコニオムでも、二人は同じようにユダヤ人の礼拝堂に入って(御言葉を)語ったところ、ユダヤ人とギリシヤ人との大勢の群が信者になった。
前田訳イコニオムでふたりがいつものようにユダヤ人の会堂に入って語ったときのこと、大勢のユダヤ人とギリシア人とが信徒になった。
新共同イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。
NIVAt Iconium Paul and Barnabas went as usual into the Jewish synagogue. There they spoke so effectively that a great number of Jews and Gentiles believed.
註解: 二人はアンテオケを去ってイコニオムに来た。此処でも彼らは先づユダヤ人に福音を伝えた。彼らは異邦人の使徒であり、また「転じて異邦人に向わん」と云いつつも終生ユダヤ人に伝道する事を()めなかった。
辞解
[イコニオム] 政治上の区域としては其頃ルカオニヤに属していたけれども従来フリギヤの一市であった。
[相共に] 「同時に」「同様に」等の意味にも取り得る文字であるが「相共に」が適している。
[ギリシヤ人] 会堂内にいた事及び次節の異邦人と対照している事を見れば、神を畏れるギリシヤ人即ち改宗者であった。

14章2節 (しか)るに從わぬユダヤ(びと)異邦人(いはうじん)(そその)かし、兄弟(きゃうだい)たちに(たい)して惡意(あくい)(いだ)かしむ。[引照]

口語訳ところが、信じなかったユダヤ人たちは異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対して悪意をいだかせた。
塚本訳しかし信じようとしなかったユダヤ人は、(パウロ、バルナバだけでなく、)兄弟たち(全体)に対し、異教人の心を刺激して敵意を抱かせた。
前田訳しかし信じようとしないユダヤ人は、兄弟たちに対して異邦人の心をそそのかして悪意をおこさせた。
新共同ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。
NIVBut the Jews who refused to believe stirred up the Gentiles and poisoned their minds against the brothers.
註解: 不信のユダヤ人と云うのはベザ写本によれば会堂の司等とその重立ちたる人々即ち教会の有力者と云う如き人々であった。是等は多くは政治家的であって、平日は犬猿(ただ)ならざる異邦人をも巧に利用して自己擁護の為に使役する事を知っている。
辞解
原文は「兄弟たちに対し異邦人の心をいら立たしめ激せしめた」との意、基督教は到る処で人にきらわれる。

14章3節 (それ(ゆえ)に)二人(ふたり)(ひさ)しく(とどま)り、(しゅ)によりて(おく)せずして(かた)り、(しゅ)(かれ)らの()により、(しるし)不思議(ふしぎ)とを(おこな)ひて(めぐみ)御言(みことば)(あかし)したまふ。[引照]

口語訳それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。
塚本訳それでも二人はかなり長い間(そこに)滞在していて、主を信じて堂々と語り、主は彼らの手で徴や不思議なことをおこなわせながら、(彼らが説く)主の(救いの)恩恵の言葉の正しいことを証明された。
前田訳それでもふたりはかなりの間滞在して主によってはばからず語り、主は彼らの手で徴と不思議を行なわせてその恩恵のことばの証をなさった。
新共同それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。
NIVSo Paul and Barnabas spent considerable time there, speaking boldly for the Lord, who confirmed the message of his grace by enabling them to do miraculous signs and wonders.
註解: かくも反対が濃厚なるにも関らず、否、却ってそのゆえに、二人は久しく留って大胆に福音を述べた、これは「主によりて」即ち主に信頼してのみ為し得る事であった、本節後半はこの「主」の説明句である。
辞解
[それゆえに] oun はこの場合に不適当に見ゆる為種々論議される文字であるけれども実は不適当ではない。敵があればある程福音の戦士はその勇気を増す。尚おベザ写本には前節の終りに「されど主は(すみやか)に平和を与え給えり」とあり、これを採用すれば「それ故に」は問題が無くなるけれども却って味を失う。
[主] この場合は神と見るよりもキリストと見るを適当とする。
[恵の御言] 福音で、使徒たちの手によりて徴と不思議即ち奇蹟が行われたのは、神がこれを行わしめたのであり、これが主自ら福音を証する手段である。ここに於て使徒たちは完全に主の道具となっている。

14章4節 (ここ)(まち)人々(ひとびと、)(あひ)(わか)れて(ある)(もの)はユダヤ(びと)(くみ)し、(ある)(もの)使徒(しと)たちに(くみ)せり。[引照]

口語訳そこで町の人々が二派に分れ、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒の側についた。
塚本訳すると町の住民が(二つに)割れ、ある者はユダヤ人に組し、ある者は使徒たちに組した。
前田訳すると町の住民は分裂し、あるものはユダヤ人につき、あるものは使徒たちについた。
新共同町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。
NIVThe people of the city were divided; some sided with the Jews, others with the apostles.
註解: 福音は人類を二分する。統一の基礎たるべき福音が分離の原因となることは悲しき矛盾である。併し神に対する不信の存する限りこの分離は止むを得ない。

14章5節 異邦人(いはうじん)、ユダヤ(びと)および()(つかさ)(あひ)(とも)使徒(しと)たちを(はづか)しめ、(いし)にて()たんと(くはだ)てしに、[引照]

口語訳その時、異邦人やユダヤ人が役人たちと一緒になって反対運動を起し、使徒たちをはずかしめ、石で打とうとしたので、
塚本訳そして(とうとう)異教人とユダヤ人とが役人と一緒になって、彼らをひどい目にあわせて石で打とうとする動きが起こると、
前田訳異邦人とユダヤ人とが彼らの指導者とともに使徒たちを苦しめて石打ちする企てをしたとき、
新共同異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、
NIVThere was a plot afoot among the Gentiles and Jews, together with their leaders, to mistreat them and stone them.
註解: 2節及び前節の不安がいよいよ熟して将に爆発せんとする危機に達した。
辞解
[企て] hormê は感情を指す語で、止むに止まれぬ心持を示す。

14章6節 (かれ)(さと)りてルカオニヤの(まち)なるルステラ、デルベ(およ)びその(あたり)()にのがれ、[引照]

口語訳ふたりはそれと気づいて、ルカオニヤの町々、ルステラ、デルベおよびその附近の地へのがれ、
塚本訳彼らはそれと気づき、ルカオニヤ(地方)の町であるルステラ、デルベ、およびその周囲にのがれ、
前田訳彼らはそれに気づいてルカオニアの町であるルステラ、デルベとその周辺にのがれた。
新共同二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。
NIVBut they found out about it and fled to the Lycaonian cities of Lystra and Derbe and to the surrounding country,

14章7節 彼處(かしこ)にて福音(ふくいん)宣傳(のべつた)ふ。[引照]

口語訳そこで引きつづき福音を伝えた。
塚本訳そこで福音を説いていた。
前田訳そしてそこでも彼らは福音を説いていた。
新共同そして、そこでも福音を告げ知らせていた。
NIVwhere they continued to preach the good news.
註解: ベザ写本はこれに加えて「全民衆はその教によりて動かされたり、パウロとバルナバはルステラに滞留せり」とあり。パウロ等は是等の暴力による迫害をば出来るだけこれを避けていた。是れ出来るだけ多くの人々に福音を宣伝えん為である。
辞解
[ルカオニヤの町] イコニオムがルカオニヤに属せざるものの如くに言っている所以は1節註の如く従来の習慣によったものである。ルステラにはテモテ及びその母ユニケあり(使16:1-3。Uテモ1:5)、或はパウロが其家に宿泊したのであろう。
要義 [福音と分争]福音は平和の福音であって分争はその望む処ではない。併し乍ら福音はまた悪と妥協せざる純粋なるものたる事を必要とする。それゆえにこの世の悪と妥協して平和を得るかまたはこれと戦って分争するかの二つの中の一途を択ばざるを得ざる場合は、勿論後者を採らなければならない。「われ地に平和を投ぜんために来たれりと思うな、平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり」(マタ10:34)とイエスの言い給いしはこの意味である。平和の福音が分争の原因たる所以はここにある。

5-1-7 ルステラに於ける奇蹟、民衆パウロを拝せんとす 14:8 - 14:18

14章8節 ルステラに(あし)(よわ)(ひと)ありて、()しゐたり、(うま)れながらの跛者(あしなへ)にて(かつ)(あゆ)みたる(こと)なし。[引照]

口語訳ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生れながらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。
塚本訳当時ルステラに、足のきかない一人の男が坐っていた。母の胎内から足なえで、まだ一度も歩いたことがなかった。
前田訳ルステラに足のきかないある男がすわっていた。生まれつき足なえで、一度も歩いたことがなかった。
新共同リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。
NIVIn Lystra there sat a man crippled in his feet, who was lame from birth and had never walked.
註解: 路傍に坐して物乞いしていたものであろう。

14章9節 この(ひと)パウロの(かた)るを()きゐたるが、[引照]

口語訳この人がパウロの語るのを聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼にあるのを認め、
塚本訳この人がパウロの話を聞いていると、パウロはじっと見つめ、(足が)直るに必要な信仰があるのを見て、
前田訳この人がパウロの語るのを聞いていると、パウロは彼を見つめ、救われるための信仰があるのを見て、
新共同この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、
NIVHe listened to Paul as he was speaking. Paul looked directly at him, saw that he had faith to be healed
註解: この「聴きいたるが」は未完了過去形にて継続または反復を示す。この足()えたる乞食は熱心にまたは幾回もパウロの説教を傾聴していた。

パウロ(これ)()をとめ、(すく)はるべき信仰(しんかう)あるを()て、

註解: パウロはこの跛者(あしなえ)の顔貌の中に誠実と熱心と謙虚の心とが溢れているのを見た、霊は霊と相感応する。
辞解
[救わるべき] 霊魂の救と共にここでは肉体の病より救われる事をも含む。

14章10節 大聲(おほごゑ)に『なんぢの(あし)にて眞直(ますぐ)()て』と()ひたれば、かれ(をど)(あが)りて(あゆ)めり。[引照]

口語訳大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言った。すると彼は踊り上がって歩き出した。
塚本訳大声で、「“自分の足で”まっすぐに“たちなさい!”」と言った。すると(たちまち)躍って歩きまわった。
前田訳大声でいった、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と。すると飛びあがって歩き回った。
新共同「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。
NIVand called out, "Stand up on your feet!" At that, the man jumped up and began to walk.
註解: パウロの大喝一声は聖霊の働きであり、その力がこの跛者(あしなえ)を立処に医した。尚この奇蹟は多くの奇蹟中の一例と見るべきであらう。(3節参照)。
辞解
[足にて] を加へし所以は足弱き人であったから、使9:34使9:40参照。
[躍り上り] 不定過去形で一瞬間的行為。
[歩めり] 未完了過去形で継続的行為、原文はこの動作の状態を明示する。

14章11節 群衆(ぐんじゅう)、パウロの()ししことを()(こゑ)()げ、ルカオニヤの國語(くにことば)にて『(かみ)たち(ひと)(かたち)をかりて(われ)らに(くだ)(たま)へり』と()ひ、[引照]

口語訳群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。
塚本訳群衆はパウロがしたことを見て、声を張り上げ、ルカオニヤ弁で「神様たちが人間の姿をして下ってこられた!」と言って、
前田訳群衆はパウロのしたことを見、声を高めてルカオニア語でいった、「神々が人間と同じ姿でお下りだ」と。
新共同群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。
NIVWhen the crowd saw what Paul had done, they shouted in the Lycaonian language, "The gods have come down to us in human form!"
註解: 彼ら群衆がパウロの奇跡が人間以上の力による事を認めた点に於て正しかったけれども、これを人造の神のカに帰する点に於て誤っていた。真の神を知らない者は、神の御業をも正しく認識する事が出来ない。
辞解
[ルカオニヤの国語にて] パウロはギリシヤ語にて語り土人はこれを理解しまた自らギリシヤ語を用いた。唯、驚駭とか狼狽とかの如き匆卒(そうそつ)の場合には地方の言葉を用うる様になる。
[人の形をかりて] この附近にゼウスの神とヘルメスの神が人間となりて天降(あまくだ)ったとの伝説もある由。

14章12節 バルナバをゼウスと(とな)へ、パウロを(むね)(かた)(ひと)なる(ゆゑ)にヘルメスと(とな)ふ。[引照]

口語訳彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。
塚本訳バルナバをゼウス(の神)、パウロは重な話し手なのでヘルメス(の神)と呼んだ。
前田訳そしてバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもな話し手なのでヘルメスと呼んだ。
新共同そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。
NIVBarnabas they called Zeus, and Paul they called Hermes because he was the chief speaker.
註解: ゼウスはギリシヤの神々の中、主として崇められる神、ヘルメスは神々の使者、神託伝達者、言語の発明者、雄弁家としての幸運の神、土民は使徒たちをこの二神の化身と信じた。真の神以下のものを神とする者は、容易に人間を神に祭上げる。

14章13節 (しか)して(まち)(そと)なるゼウスの[(みや)の]祭司(さいし)數匹(すひき)(うし)(はな)(かざり)とを(もん)(まへ)(たづさ)へきたりて群衆(ぐんじゅう)とともに犧牲(いけにへ)(ささ)げんとせり。[引照]

口語訳そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪とを門前に持ってきた。
塚本訳また町の(門の)前にあるゼウス(神殿)の神主は、数匹の雄牛と花輪とを門のところに持ってきて、群衆と共に犠牲を捧げようとした。
前田訳町の前にあるゼウス神殿の祭司は雄牛数頭と花輪を門の所に持ってきて、群衆とともにいけにえをささげようとした。
新共同町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。
NIVThe priest of Zeus, whose temple was just outside the city, brought bulls and wreaths to the city gates because he and the crowd wanted to offer sacrifices to them.
註解: 神々に対する当然の祭として犠牲をささげて神々の怒をさけ幸福を祈らん為であった。祭司自身果してパウロ等を神々と信じたりや否やは疑わし、唯彼はこれを機会に群衆の信心を起さしめ結局これを自己の利益に転ぜんとするに過ぎなかった。
辞解
[町の外なるゼウス] 宮が町の外にあった。ベザ写本では「市外ゼウス」と固有名詞の如くに記さる。
[宮の祭司] 原文「宮の」を欠く、祭司はゼウス神の祭司であって宮の祭司ではない。
[花飾] 牛を装飾せんが為。
[門の前] 門は町の門か宮の門か使徒の宿れる家の門か不明、恐らく宮の門ならん(ラムゼー)。

14章14節 使徒(しと)たち、(すなは)ちバルナバとパウロと(これ)()きて(おの)(ころも)をさき群衆(ぐんじゅう)のなかに()()り、[引照]

口語訳ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで
塚本訳使徒たち、バルナバとパウロとはこれを聞いて、自分の上着を引き裂き、群衆の中に飛び出していって、叫んだ、
前田訳使徒たち、バルナバとパウロとはこれを聞いて、その上衣を裂き、群衆の中に飛びこんで叫んだ、
新共同使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで
NIVBut when the apostles Barnabas and Paul heard of this, they tore their clothes and rushed out into the crowd, shouting:
註解: 衣を裂く事は有るべからざる事が行われ、見るべからざるものを見、聞くべからざる事を聞ける時等に、恐懼(きょうく)懺悔等の心を表わす態度(マタ26:65U歴34:27Uサム13:19エズ9:3ヨブ1:20ヨブ2:12)群衆のいわゆる神とは、たといエホバの神では無いにしても、幾分たりとも人間以上の栄光を自己に帰せしむる事は、エホバの神に対する冒涜であった。ゆえに彼らは恐懼(きょうく)してその衣を裂いたのであった。

14章15節 (よば)はりて()ふ『人々(ひとびと)よ、なんぞ(かか)(こと)をなすか、(われ)らも(なんぢ)らと(おな)(じゃう)()てる(ひと)なり、[引照]

口語訳言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
塚本訳「諸君、何をするのか。わたし達(二人)もあなた達と同じ人間です。あなた達に福音を説いて、こんな(ゼウスなどのような命のない空な)偶像から離れ、”天と地と海とそれらの中の一切の物とをお造りになった、”生ける(まことの)神に転ずるようにしているのです。
前田訳「皆さん、なぜこんなことをするのですか。われらもあなた方と同じ人間です。これらむなしいものを捨てて、生ける神に向かうようあなた方に福音を説いているのです。この神こそ天と地と海とそれらの中にあるすべてをお造りになった方です。
新共同言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。
NIV"Men, why are you doing this? We too are only men, human like you. We are bringing you good news, telling you to turn from these worthless things to the living God, who made heaven and earth and sea and everything in them.
註解: 真の神を知らざる者は容易に人間を崇拝して神の如きものと考え易い。また神を知らざる宗教家は自己を神の地位に高める事によりて信者を(あざむ)く事を常とする。併し乍ら人間は飽くまでも人間であってその間に差別はない。同じ弱点を有する同じ罪人である。多くの宗教や道徳は自己を高きものとする事によりて人を自己にまで導かんとし、キリストの福音は自己を他の人と同一視する事によりて人を神にまで導かんとする。▲もしパウロやバルナバが、自己を宣伝することに専念している宗教家であったならば、この機会を利用して自己を神の地位に置いたことであろう。人は崇拝されることを好む。基督教の伝道者にもこの誘惑ありまたこれに陥って弟子たちに崇められるのを喜ぶ者もある。

(なんぢ)らに福音(ふくいん)()べて(かか)(むな)しき(もの)より(はな)れ、(てん)()(うみ)とその(なか)にある()らゆる(もの)とを(つく)(たま)ひし()ける(かみ)(かへ)らしめんとするなり。

註解: 福音宣伝の目的は神ならざる虚しき者を神とする事ではなく、天地の創造主なる真の神に立ち帰らしむる事である。
辞解
[斯る虚しき者] 複数、前文を受けるとすれば、「我らや汝等の如き虚しき者」の意となり、もし前文に「従って我らは神々にあらず」の意を含むとすれば「神々」の意味となるがパウロば暗黙にゼウスやヘルメスの神を「虚しき者」と云ったのであろう。
[天と地と・・・] 使4:24使17:24出20:11。何人にも理解され納得される神の属性を掲げて是等偶像崇拝の異邦人を教化せんとしているのである。

14章16節 ()ぎし時代(じだい)には(かみ)、すべての國人(くにびと)(おの)道々(みちみち)(あゆ)むに(まか)(たま)ひしかど、[引照]

口語訳神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、
塚本訳過ぎた時代には、神はすべての異教人に自分の(好きな)道を歩かせておられたが、
前田訳神は過ぎた時代にはすベての民におのが道を行かせておいででした。
新共同神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。
NIVIn the past, he let all nations go their own way.
註解: 卒直に言えば勝手に偶像を造ってこれを拝する如き事をもその為すに任せ給うた。従って異邦人が是までに行っていた偶像崇拝の罪である事を彼らは知らなかったのである。是は人類の罪に対する罰であった(ロマ1:24-32)。
辞解
本節及び次節は前節の「神」の説明句である。

14章17節 また自己(みづから)(あかし)(たま)はざりし(こと)なし。[引照]

口語訳それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである」。
塚本訳それでも、天から雨を振らせて実りの季節を与え、(豊かな)食べ物の楽しみであなた達の心を満たすなど、かずかずの恩恵を施されたのであって、御自分のことを証明せずにおられたわけではない。」
前田訳しかしそれでもご自分のことを証せずにおかれたわけではありません。天から雨を降らせて実りの季節を与え、食物と楽しみであなた方の心を満たすなど、恵みをお与えです」と。
新共同しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」
NIVYet he has not left himself without testimony: He has shown kindness by giving you rain from heaven and crops in their seasons; he provides you with plenty of food and fills your hearts with joy."
註解: 神が人類をその罪のままに放任し給いしは、彼らをして自己の無価値を知らしめんが為であって、決して彼らを亡ばす事を欲し給うたのではなかった。夫ゆえに、神は種々の方法を以て彼らに自己を示し給うた。ゆえに彼らは、既に神の存在を覚るべきであって、その無智に対しては言逃れる術がない(ロマ1:20)。

(すなは)()(こと)をなし、(てん)より(あめ)[を(たま)ひ、](と)豐穰(みのり)(とき)をあたへ、食物(しょくもつ)勸喜(よろこび)とをもて(なんぢ)らの(こころ)滿()()らはせ(たま)ひしなり』

註解: 人類がその生命を維持し社会生活を行って行く事は神の賜物に外ならざる事を示す。人類に衣食が与えられ家庭の団欒が与えられる事は皆神の為し給う善き事である。斯くパウロは人類生活の幸福な方面のみを示して彼らに神を知らしめんとしたのは、この程度の知識が彼らに適当していたからである。
辞解
[善き事をなし] 自然界に於ける凡ての神の恩恵。
[雨] この地方の作物に取って絶対に必要なるもの(ヤコ5:7)。
[歓喜] 酒に酔える場合などにも用うる語、人間の幸福感に酔える心持を示す。本節に於てパウロは神の審判の方面を示さず、神の恩恵のみを示し、彼らをして神に立帰る事を得しめんとした。

14章18節 ()()ひて(から)うじて群衆(ぐんじゅう)(おのれ)らに犧牲(いけにへ)(ささ)げんとするを(とど)めたり。[引照]

口語訳こう言って、ふたりは、やっとのことで、群衆が自分たちに犠牲をささげるのを、思い止まらせた。
塚本訳こう言って、やっと群衆をおし静め、自分たちに犠牲を捧げないようにした。
前田訳こういって、ふたりはやっと群衆をおさえて、自分たちにいけにえをささげないようにした。
新共同こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。
NIVEven with these words, they had difficulty keeping the crowd from sacrificing to them.
註解: 群衆はこのパウロの説教を聴き、パウロ、バルナバ等が神にあらざる事を覚ったのであろう。
要義1 [異邦人に福音を伝える方法]ルステラに於けるパウロの奇蹟に伴える説教は()く異邦人の心理を把握したものと言う事が出来る。パウロは、彼らの犠牲を献げんとする態度を、真の神に対する冒涜として責めずして、自己の人間としての弱さを彼らに示し、彼らの神の無為無力を直接に非難せずして、真の神の恩恵の豊かさを示した。より善きものを示して彼らの誤を覚らしむることがパウロの説教の方式であった。これ真の神を知らざる者に対する同情ある言葉である。もしこの物語の場合においてパウロが正面より彼らの神々を攻撃したならば、彼らは直ちにパウロを殺したであろう。
要義2 [自然に於ける神の顕現]神の啓示に二種あり、一般的と特殊的とである。一般的恩恵は自然界に於ける人間生活の幸福の原因たるべきあらゆる恩恵であり、衣食住、家庭、自然の風景、愛玩すべき動植物等これに属す。特殊的恩恵とはイスラエルを選びてこれを試みこれを訓練し給う事、ついにイエスを与えてこれによって人類を永遠に救い給う恩恵である。後者を知る者は必ず前者をも知っているけれども、前者を知る者必ずしも後者を知らない。
要義3 [偶像と日本の神社]日本の神社の由緒の正しきものは国民の祖先の功労者または皇室関係の祭神を祭れる記念の営造物で、日本国民の祖先を崇敬する心及び国民の一体観の表顕であって偶像ではない(▲真の神を知らない者は、全く価値なき物をも神として拝するようになる位であるから、日本人も祖先を神として礼拝する誘惑に陥り易い、これは天地の創造主に対する明白な罪である。この区別はこれを明白ならしめる必要がある。)(従って淫祠(いんし)はこれと混同すべからず、また神社に混合せる宗教的行為はこれを除くべきである)。しかしながらまたその神々は天地の造り主たる神とは異なる。日本語の「カミ」なる語義は(すこぶ)る広く、内容如何によりてその性質を異にするものはこれを混同してはならない。

5-1-8 デルベを経でアンテオケに帰る 14:19 - 14:28

14章19節 (しか)るに數人(すにん)のユダヤ(びと)、アンテオケ(およ)びイコニオムより(きた)り、群衆(ぐんじゅう)(すす)め、(しか)してパウロを(いし)にて()ち、(すで)()にたりと(おも)ひて(まち)(そと)()(いだ)せり。[引照]

口語訳ところが、あるユダヤ人たちはアンテオケやイコニオムから押しかけてきて、群衆を仲間に引き入れたうえ、パウロを石で打ち、死んでしまったと思って、彼を町の外に引きずり出した。
塚本訳するとアンテオケとイコニオムとからユダヤ人がおしかけて来て、群衆を説いて味方にし、パウロを石で打って町の外に引きずり出した。死んでしまったと思ったのである。
前田訳アンテオケとイコニオムからユダヤ人がおしかけて、群衆を説得し、パウロを石で打って町の外に引きずり出した。死んでしまったと思ったのである。
新共同ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。
NIVThen some Jews came from Antioch and Iconium and won the crowd over. They stoned Paul and dragged him outside the city, thinking he was dead.
註解: 百三十哩ほどの道を遙にパウロ迫害の目的を以て下り来れるユダヤ人の執拗さを見よ。またパウロを神として崇めんとせし群衆が一転して、彼を石にて撃ちたるその豹変を見よ、かくもパウロを憎ましめし手段は、恐らく、もしパウロを生し置かばユダヤ人の信仰は勿論ゼウスの神の信仰すらも(くつが)えされるであろうと説いたのであろう。
辞解
[石にて撃ち] Uコリ11:25Uテモ3:11
群衆の豹変についてはマタ21:9マタ27:23とを比較せよ。尚使28:6>参照。

14章20節 弟子(でし)たち(これ)立囲(たちかこ)みゐたるに、パウロ()きて(まち)()る。[引照]

口語訳しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいる間に、彼は起きあがって町にはいって行った。そして翌日には、バルナバと一緒にデルベにむかって出かけた。
塚本訳(主の)弟子たちが(来て)彼を取り囲んで(見守って)いると、(やがて)立ち上がり、町に入った。翌日バルナバと一緒にデベルへ向かって出発した。
前田訳しかし弟子たちが彼を取り囲んでいると、彼は起きあがって町に入った。あくる日、彼はバルナバといっしょにデルベへと出かけた。
新共同しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
NIVBut after the disciples had gathered around him, he got up and went back into the city. The next day he and Barnabas left for Derbe.
註解: パウロのみ迫害されしはパウロに特に著しき力があるのを敵は感じたからであり、弟子たちがパウロを助けなかったのは力及ばず無益に紛乱を大ならしむるに過ぎなかったからであろう。死にしと思われしパウロが起き上った事は、そこに神の御力が多く加っていた事を示す。

()くる()バルナバと(とも)にデルベに()()き、

註解: 最早やその町に止まる事の危険と無益とを知りデルベに赴いた。デルベはルステラの東南数哩の処にあり、現在はその場所を確定し難い。

14章21節 その(まち)福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へ、(おほ)くの(ひと)弟子(でし)として(のち)、ルステラ、イコニオム、アンテオケに(かへ)り、[引照]

口語訳その町で福音を伝えて、大ぜいの人を弟子とした後、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に帰って行き、
塚本訳二人は(しばらく)その町で福音を説き、だいぶ大勢弟子にしたので、(来た道をもどり、)ルステラ、イコニオムを経て(ピシデヤの)アンテオケに引き返した。
前田訳ふたりはその町で福音を説き、かなりの人を弟子にして、ルステラ、イコニオム、アンテオケへと戻った。
新共同二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、
NIVThey preached the good news in that city and won a large number of disciples. Then they returned to Lystra, Iconium and Antioch,
註解: パウロとバルナバは如何なる迫害にも屈せず執拗に福音宣伝に固執した。デルベのガイオ(使20:4)はこの時の弟子の一人であろう。斯くしてデルベを第一伝道旅行の終点として再び帰路につき(さき)に迫害せられしルステラ、イコニオム、アンテオケをも恐れる処なく歴訪した。是れその信仰に入りし弟子たちを訪わんが為であった。

14章22節 弟子(でし)たちの(こころ)(かた)うし信仰(しんかう)(とどま)らんことを(すす)め、また(われ)らが(おほ)くの艱難(なやみ)()(かみ)(くに)()るべきことを(をし)ふ。[引照]

口語訳弟子たちを力づけ、信仰を持ちつづけるようにと奨励し、「わたしたちが神の国にはいるのには、多くの苦難を経なければならない」と語った。
塚本訳(道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。
前田訳弟子たちの心を強め、信仰にとどまるよう勧め、「われらは多くの苦しみを経て神の国に入らねばならない」といった。
新共同弟子たちを力づけ、「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。
NIVstrengthening the disciples and encouraging them to remain true to the faith. "We must go through many hardships to enter the kingdom of God," they said.
註解: 是が信仰に入りし弟子たちに与え得る最善の注意である。心は弱くして動揺し易く、信仰は変化し易く、艱難に遭えば信仰を失い易い。如何なる教の嵐にも心を動かさず、如何なる誘惑にも信仰を離れず、如何なる艱難にも屈せざる者にして始めて神の国に入る事が出来る。迫害は神の国に入る門である。基督者には一般の人よりも多くの艱難が与えられる。
辞解
[入るべき] dei 入る事が当然である事。

14章23節 また教會(けうくわい)(ごと)長老(ちゃうらう)をえらび、斷食(だんじき)して(いの)り、弟子(でし)たちを()(しん)ずる(ところ)(しゅ)(ゆだ)ぬ。[引照]

口語訳また教会ごとに彼らのために長老たちを任命し、断食をして祈り、彼らをその信じている主にゆだねた。
塚本訳また(今度の伝道で生まれた)集会にはどこでも長老を選び、断食をして祈って、(主の)弟子たちを彼らの信じている主にお任せした。
前田訳彼らは集まりごとに長老をえらび、断食しつつ祈って、弟子たちを彼らの信じている主にゆだねた。
新共同また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。
NIVPaul and Barnabas appointed elders for them in each church and, with prayer and fasting, committed them to the Lord, in whom they had put their trust.
註解: 外部に対して教会を代表し、内部に対して指導訓練を行う為に各教会毎に長老を選ばしめた。是が教会の制度の始めである。唯この時代は主にある信仰団体そのものの生命が主であってこの制度は便宜規定に過ぎなかった。ゆえに彼らをこの制度に委ねずして「主に委ね」たのであった。後世に至って制度が主となりイエスを教会外に放逐するに至った為に教会の堕落が始った。
辞解
[長老] presbyteros 老人の事、但し年令のみによらず教会の主要なる働きを為す人。
[選ぶ] cheirotoneô 本来手を挙げて意思を表明する方式による選挙を意味したのであるが後には方式如何を問わず「選む事」または単に「指名する事」に用う(Uコリ8:19)。この場合如何なる方法により長老を定めたかは確定し難い。当時は是等につきその場合に応じて自由に異れる方法を採ったものと思われる。マツテヤの選任(使1:24-26)。七人の執事の選任(使6:5、6)。パウロとバルナバの選任(使13:2、3)等の場合を比較すべし。

14章24節 (かく)てピシデヤを()てパンフリヤに(いた)り、[引照]

口語訳それから、ふたりはピシデヤを通過してパンフリヤにきたが、
塚本訳それからピシデヤを通ってパンフリヤ(州)に来、
前田訳そしてピシデアを経てパンフリアに来、
新共同それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、
NIVAfter going through Pisidia, they came into Pamphylia,
註解: ピシデヤ、パンフリヤは州の名で、そこには伝道しつつ巡回したとしても格別記すべき事件はなかったらしい。

14章25節 ペルガにて御言(みことば)(かた)りて(のち)アタリヤに(くだ)り、[引照]

口語訳ペルガで御言を語った後、アタリヤにくだり、
塚本訳ペルガで御言葉を語ったのち、アタリヤ(の港)に下り、
前田訳ペルガでみことばを語ってから、アタリアに下り、
新共同ペルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、
NIVand when they had preached the word in Perga, they went down to Attalia.
註解: ペルガに就ては使13:13を見よ、往路にも多分伝道の機会が有ったものと思われるけれども記事が無い、アタリヤはペルガより約十六哩の海港で近世まで小アジア南岸の唯一の良港である。

14章26節 彼處(かしこ)より船出(ふなで)して、その()()てたる(つとめ)のために(かみ)(めぐみ)(ゆだ)ねられし(ところ)なるアンテオケに()けり。[引照]

口語訳そこから舟でアンテオケに帰った。彼らが今なし終った働きのために、神の祝福を受けて送り出されたのは、このアンテオケからであった。
塚本訳そこから(シリヤの)アンテオケに船で渡った。このアンテオケから、二人は神の恩恵にゆだねられて(伝道の)仕事に出発したのであったが、(いま見事に)それを終え(て帰ってき)たのである。
前田訳そこからアンテオケヘ船旅をした。そこはふたりが神の恵みにゆだねられて働きに出たところである。それを彼らはなしとげたのである。
新共同そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。
NIVFrom Attalia they sailed back to Antioch, where they had been committed to the grace of God for the work they had now completed.
註解: 第一伝道旅行の期間及年代につきては緒言の年代表を見よ、かくして二人は再びスリヤのアンテオケなる母教会に帰った。これによりアンテオケの教会は偉大なる世界教化の事業に第一歩を印した次第である。▲異邦伝道がエルサレムの母教会に始まらずアンテオケの異邦人教会から始まったことは注意すべき事実である。

14章27節 (すで)(いた)りて教會(けうくわい)人々(ひとびと)(あつ)めたれば、(かみ)(おのれ)らと(とも)(いま)して()(たま)ひし(すべ)てのこと、(ならび)信仰(しんかう)(もん)異邦人(いはうじん)にひらき(たま)ひしことを()ぶ。[引照]

口語訳彼らは到着早々、教会の人々を呼び集めて、神が彼らと共にいてして下さった数々のこと、また信仰の門を異邦人に開いて下さったことなどを、報告した。
塚本訳彼らは(アンテオケに)着くと、集会の人々を集めて、神が自分たちと一緒にいてしてくださったことをのこらず、また異教人に信仰への門を開いてくださったことを、報告した。
前田訳そこに着くと、彼らは集まりの人々を集め、神が自分たちにしてくださったことすべてを、とくに異邦人に信仰の門をお開きのことを語った。
新共同到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。
NIVOn arriving there, they gathered the church together and reported all that God had done through them and how he had opened the door of faith to the Gentiles.
註解: パウロ等は多くの迫害を受けたけれどもそれにつき語って居ない。よし語ったとしてもそれを録してないのはそれが主要の事柄でなかったからである。主要な事柄は唯二つで、其一は神が偕に在して働き給いし事、其二は異邦人にも信仰の門を開き給いし事であった。凡てを神の働きに帰している処に伝道の真の精神があらわれている。

14章28節 (かく)(ひさ)しく(とどま)りて弟子(でし)たちと(とも)にゐたり。[引照]

口語訳そして、ふたりはしばらくの間、弟子たちと一緒に過ごした。
塚本訳そして相当長い間(そこの主の)弟子たちと一緒に過ごした。
前田訳そしてかなり長い間を弟子たちとともに過ごした。
新共同そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。
NIVAnd they stayed there a long time with the disciples.
註解: 「久しく」なる語は使徒行伝のみの八回用いられ他に用いられて居ない。ルカは年月の長短を問題としなかった様に見える。永遠の神の国の事を宜ぶる者に取りてはこの世の年月日は問題にならないからであろう。