黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2ペテロ書

第2ペテロ書第3章

分類
2 教訓 1:3 - 3:13
2-3-ロ 偽教師は再臨を嘲弄す 3:1 - 3:13  

註解: 前章の偽教師らはその自由を濫用して預言者の書、主イエス・キリストの命令等を自由に無視しまたは否定するに至りキリストの再臨をも嘲笑するに至っていたのであろう。これに対してペテロはここに注意を喚起している。

3章1節 (あい)する(もの)よ、われ(いま)この第二(だいに)(ふみ)(なんぢ)らに()(おく)り、[引照]

口語訳愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。
塚本訳愛する者よ、最早これで二度目の手紙を君達に書き、これら(の手紙)により記憶を喚び起こして君達の純な心に眼を覚まさせ、
前田訳親しい方々、今この第二の手紙をお書きしています。両方の手紙でご記憶に訴えてあなた方の純粋な気持をおこそうとしているのです。
新共同愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。
NIVDear friends, this is now my second letter to you. I have written both of them as reminders to stimulate you to wholesome thinking.
註解: 第一の書はペテロ前書であろう(A1、B1、M0、I0)。第一の書簡は他の紛失せる書簡なりとする反対説(Z0、スピツタ)あれどその理由とする処は決定的でない。

[第一(だいいち)なると(これ)と]をもて(なんぢ)らに(おも)()させ、その(いさぎ)よき(こころ)(はげ)まし、

註解: 読者をして偽教師の欺瞞の言に耳を貸すことなく、聖書の言や使徒たちの教えを思い起して邪説に曇らされない理性を振起させようとするのがペテロの書簡の目的であった。
辞解
[思い出させ] 次節に詳説す。
[潔き] eilikrinês は太陽の光に照らしても純粋であって、邪説や肉慾に曇らされざること。
[心] dianoia は理解、感覚の方面。邦訳に「念」と訳される場合が多い。

3章2節 (せい)なる預言者(よげんしゃ)たちの(あらか)じめ()ひし(ことば)、および(なんぢ)らの使徒(しと)たちの[(つた)へし](しゅ)なる救主(すくひぬし)誡命(いましめ)(おぼ)えさせんとす。[引照]

口語訳それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。
塚本訳聖なる預言者達が前以て言った言と、君達の使徒達が伝えた主また救い主の戒めを思い出させよう(と思う)。
前田訳それは聖なる預言者によって前からいわれたことと、あなた方の使徒の伝えた主また救い主のいましめとを思い出してもらうためです。
新共同聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。
NIVI want you to recall the words spoken in the past by the holy prophets and the command given by our Lord and Savior through your apostles.
註解: キリストの再臨に関する旧約聖書の預言および再臨に対する準備として使徒たちを通して彼らに与えられしキリストの誡命を思い起すことは最も大切なことで、もし彼らが偽教師の言によってこれらを忘却してしまうならば彼らは重大なる真理を失ったのである。今日の多くのキリスト者はこの真理を忘却している。

3章3節 (なんぢ)()まづ()れ、(すゑ)()には(あざけ)(もの)嘲笑(あざけり)をもて(きた)り、おのが(よく)(したが)ひて(あゆ)み、[引照]

口語訳まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
塚本訳それには第一にこのことを知らねばならない──末の日には嘲弄をもって嘲弄者が現れ、自分の情慾に従って歩きながら、
前田訳まずこのことをご存じです。終わりの日にあざける者どもがあざけりをもって現われ、自らの欲によって歩むでしょう。
新共同まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
NIVFirst of all, you must understand that in the last days scoffers will come, scoffing and following their own evil desires.

3章4節 かつ()はん『(しゅ)(きた)りたまふ約束(やくそく)何處(いづこ)にありや、先祖(せんぞ)たちの(ねむ)りしのち、(よろづ)のもの開闢(かいびゃく)(はじめ)(ひと)しくして(かは)らざるなり』と。[引照]

口語訳「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
塚本訳言う、「彼の来臨の約束は何処にあるか、父祖たちが眠って以来、凡ての事が創造の初めからあった通りにしているではないか」と。
前田訳そして「主の再臨の約束はどうなったか、先祖たちが眠ってから、すべてが創造のはじめのままではないか」というでしょう。
新共同こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
NIVThey will say, "Where is this `coming' he promised? Ever since our fathers died, everything goes on as it has since the beginning of creation."
註解: 己の欲するがままに歩む者は主の約束を軽蔑する。彼らはその先祖の時代以来万物が開闢(かいびゃく)の時と等しく、何処にも約束の実現の可能性が見えないという理由だけで、キリストの再臨を嘲笑する。今日のキリスト教会の中に主の再臨を否定する者があるのも同一の理由によるのである。
辞解
[おのが慾] 直訳「彼ら自身の慾」、重複して意味を強めている。慾は肉の慾ですなわち自己の智慧や思想の要求をも含む。再臨を(あざけ)る者は多く自己の肉の念を主とする輩である。
[先祖たち] 「アダムとエバ」「初代キリスト者」等と解する説あれどむしろ「ユダヤ人の祖先」にして約束を受けたる者と解すべきであろう。

3章5節 (かれ)らは殊更(ことさら)(つぎ)(こと)()らざるなり、(すなは)(いにし)(かみ)(ことば)によりて(てん)あり、()(みづ)より()(みづ)によりて成立(なりた)ちしが、[引照]

口語訳すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
塚本訳(しかし)そんなことを言い張るのはその人達が次のことに気付かないからである──すなわち既に永い間天と地はあり、神の言により、水を以て、また水によって出来たが、
前田訳このように考える人々には神のことばによって古くから天があり、地が水から水によって成ったことが隠されているのです。
新共同彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、
NIVBut they deliberately forget that long ago by God's word the heavens existed and the earth was formed out of water and by water.

3章6節 その(とき)()(これ)(ら)により(みづ)(おぼ)はれて(ほろ)びたり。[引照]

口語訳その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
塚本訳この神の言によって当時の世界は水に浸されて亡びたのである。
前田訳みことばによりそのころの世界は水でおおわれて滅びました。
新共同当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。
NIVBy these waters also the world of that time was deluged and destroyed.
註解: 創世記第一章の天地創造の記事と第七章ノアの洪水の記事とに極めて明らかに示されている事実を、彼ら(あざけ)る者らはわざと知らぬふりをしているのである。もし上の事実に表顕せられし神の創造と神の審判の事実を認めるならば、彼らはこの罪の世がやがてキリストの再臨により最後の審判を受くべき時が来ることを否定し得ないであろう。ゆえに彼らは故意にこれを忘れしもののごとくに振舞っているのである。
辞解
[殊更に] 「故意に」の意。
[知らざるなり] 「隠されたればなり」または「忘れたればなり」(8節)。
[水によりて成立つ] dia を用いし所以は水の一部は天に登り一部は天の下の一処に集りて地が形成されし故である(Winer)。
[世] この場合地上の生物を意味する。
[之ら] 何を指すかにつき説多し。創7:11より「天よりの水と地よりの水とによりて」の意(Z0)。

3章7節 されど(おな)御言(みことば)によりて(いま)(てん)()とは(たくは)へられ、()[にて()かれん](の)(ため)に、敬虔(けいけん)ならぬ人々(ひとびと)審判(さばき)滅亡(ほろび)との()まで(たも)たるるなり。[引照]

口語訳しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
塚本訳そして今の天と地は同じ(神の)言によって、(今度は)火(による滅亡)のために蓄えられ、(最後の)審判と不敬虔な人達の滅亡との日のために取って置かれているのである。
前田訳しかし今の天と地は、同じみことばによって火で焼かれるよう保たれています。不信の人々の裁きと滅びの日へと取っておかれています。
新共同しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
NIVBy the same word the present heavens and earth are reserved for fire, being kept for the day of judgment and destruction of ungodly men.
註解: 神は最後の審判を行い給う時、火をもって今の天地を焼き尽し給うであろう。このことは聖書の所々に暗示されるところである(引照1、Uテサ1:7。)。ゆえに現存する天地はそのまま永続し得べきではなく、唯現在においては神の忍耐により(ロマ2:4)その存在を続けて行くにすぎない。やがてはその審判を受け不信なるものの滅亡の時は来るのである。そしてこのように保たれる所以は創造の場合と同じく神の言によるのである。従って滅亡も同様神の言によって来る。
辞解
[火にて焼かれん為に] 原語は唯「火の為に」とあり意味に差異なし。

3章8節 (あい)する(もの)よ、なんぢら()一事(いちじ)(わす)るな。(しゅ)御前(みまへ)には一日(いちにち)千年(せんねん)のごとく、千年(せんねん)一日(いちにち)のごとし。[引照]

口語訳愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
塚本訳愛する者よ、“主の前では”一日が千年の如く、“千年”が一“日の如く”である、この一つの事を忘れるな。
前田訳親しい方々、この一事をお忘れなく。主のみもとでは一日は千年、千年は一日のごとくです。
新共同愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
NIVBut do not forget this one thing, dear friends: With the Lord a day is like a thousand years, and a thousand years are like a day.
註解: 神は時間を超越せる存在で、我らと時間の観念を異にし給う。永遠も現在の一瞬間であり一瞬間も永遠である。我らも真に神と偕に在るならば時間につきかくのごとくに考えることができるであろう。ゆえに主の再臨が二千年遅れたとしてもそれは遅れたのではない。本詩は詩90:4の敷衍であって、意味もいっそう広くなっている。

3章9節 (しゅ)その約束(やくそく)(はた)すに(おそ)きは、(ある)(ひと)(おそ)しと(おも)ふが(ごと)きにあらず、[引照]

口語訳ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
塚本訳主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。
前田訳主はある人々が遅いと思うように約束をおくらせておいでではなく、あなた方に寛容であって、だれも滅びず、万人が悔い改めへ至ることをお望みなのです。
新共同ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
NIVThe Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. He is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.
註解: 私訳「主はある人々の遅しと思うごとくにその約束を遅延し給わず」。主イエスにとりては約束を遅らすというごときことはない、それは人間より見たる誤った判断である。

ただ一人(ひとり)(ほろ)ぶるをも(のぞ)(たま)はず、(すべ)ての(ひと)悔改(くいあらため)(いた)らんことを(のぞ)みて(なんぢ)らを[(なが)く](しの)(たま)ふなり。

註解: 万人を救済することは主の切なる本願である(予定説との関係につき要義参照)。ゆえに主にありては唯凡ての人の悔改めを望みて忍び給うその御心があるのみで、約束を遅延せしむるごときことはない。それ故に我らは主の御心に目を注ぐべきであって時間に心を奪わるべきではない。主は人類を救わんために速やかに来たらんことを欲し給う(黙22:20)。しかしながら滅びようとする魂を見てはその悔改めるを得ようとしてこれを忍び給う。

3章10節 されど(しゅ)()盜人(ぬすびと)のごとく(きた)らん、[引照]

口語訳しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
塚本訳しかし主の日は盗人のように来るであろう。(そして)その日天は轟然たる響きと共に消え失せ、日月星辰は燃えて解け去り、地とその上にある(人間の)事業は燃え失せるであろう。
前田訳主の日は盗びとのように来ましょう。その日、天は響きを立てて消え、天体は燃えてくずれ、地とその中のなりわいは溶け去るでしょう。
新共同主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
NIVBut the day of the Lord will come like a thief. The heavens will disappear with a roar; the elements will be destroyed by fire, and the earth and everything in it will be laid bare.
註解: 嘲笑者が如何に(あざけ)るとも主の言は必ず成る(イザ14:24)。思わざる時主の審判の日は来るであろう。
辞解
[主の日] キリストの来り給う日、また「神の日」(12節)とも言う。日は時代。
[盗人のごとく] イエスもかく教え給い、パウロもヨハネもこれを祖述している(引照2)。されど目を覚ましているキリスト者にとってその日は盗人のごとくではない(Tテサ5:4−6)。

その()には(てん)とどろきて()り、

註解: 主再臨して新天新地の復興が行われる時は旧き諸天は何処にか過ぎ去ってしまう。
辞解
[とどろきて] rhoizêdon の訳としては適度ではない。この語は矢が空気を切って飛ぶ時に発するごとき音をいう。矢が一瞬間にしてヒューッと過去ること。

もろもろの天體(てんたい)()(くづ)れ、

註解: 天の日月星晨(じつげつせいしん)は火をもって分解させられてしまう。キリスト再臨の時この驚くべき光景が行われるであろう。△10節は「元素は焼けて分解せん」、12節は「天体は燃えて分解せん」で原語を異にする。
辞解
[天體] 原語 stoicheia は「元素」「初歩」「小学」等の意あり、ここでは「元素」と訳する訳も有力であるが、元素の中に火をも含む関係、および前後の排列上天体すなわち日月星晨(じつげつせいしん)と見るを可とする(B1、M0、A1、I0)。
[崩れ] 分解すること。▲「天体焼け崩れ」はまた「元素は焼けて分解し」とも訳すことができる。この訳は原子爆弾の発明によって一層適切となった。

()とその(うち)にある(わざ)とは()()きん。

註解: 天そのもの、天体のみならず地とその中に存する天然的または人工的のすべての工は焼かれてしまうであろう。この地の美わしさも新天新地の美わしさに比するべくもなく、いかなる人工の美もその醜さを知らしめられる時が来るであろう。▲▲「焼き尽きん」は原文乱れて不明。異本非常に多し。

3章11節 かく(これ)()のものはみな(くづ)るべければ、(なんぢ)()いかに(きよ)行状(ぎゃうじゃう)敬虔(けいけん)とをもて、[引照]

口語訳このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
塚本訳これらのものが皆このように解け去るとすれば、【君達は】如何に聖い行いと敬虔とにあって、
前田訳すべてがこのように解体するのですから、あなた方はいかに聖く敬虔な行ないの中に生きるべきでしょうか。
新共同このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
NIVSince everything will be destroyed in this way, what kind of people ought you to be? You ought to live holy and godly lives

3章12節 (かみ)()(きた)るを()(これ)(すみや)かにせ[んことを(つと)む]べきにあらずや、[引照]

口語訳極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
塚本訳神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日“天は”焼けて解け去り、日月星辰は燃えて“溶けるであろう”。
前田訳神の日の到来を待ち望んで備えるあなた方です。その日には天は焼けくずれ、天体は燃えて溶け去るのです。
新共同神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
NIVas you look forward to the day of God and speed its coming. That day will bring about the destruction of the heavens by fire, and the elements will melt in the heat.
註解: キリスト者の希望はやがて崩壊して消滅すべきこの天や地に懸っているのではない。ゆえに彼らは神の日すなわちキリストの再臨の日の来る(parousia)を待つべきであり、かつこれを早めるべきである。そしてキリスト者はいわゆる再臨狂のごとき態度をもって待つべきではなく、またかかる態度をもってはキリストの再臨を早めることができない。唯潔き生活態度と敬虔こそ、再臨を早める最良の方法である。
辞解
[神の日] 稀なる用語、結局「主の日」と同義でキリスト再臨の日に相当する。
[来る] キリストの再臨につき用いる語 parousia をここに用いている。
[勉む] 原語になし。

その()には(てん)()(くづ)れ、もろもろの天體(てんたい)()()けん。

註解: 嘲弄者の誇りは凡て虚しきに帰し、神はその約束を実現し給うであろう。そして神を信ぜずその約束を無視するものは天地と共に審判(さば)かれるに至るであろう。△10節は「元素は焼けて分解せん」、12節は「天体は燃えて分解せん」で原語を異にする。
辞解
[その日] むしろ「その来臨に当って」と訳すべきである。

3章13節 されど(われ)らは(かみ)約束(やくそく)によりて、()()むところの(あたら)しき(てん)(あたら)しき()とを()つ。[引照]

口語訳しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
塚本訳しかし私達は彼の約束によって、義の住む“新しい天”と“新しい地”とを待ち望む。
前田訳しかしわれらは約束をお受けして、義の住む新天と新地とを待ち望んでいるのです。
新共同しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
NIVBut in keeping with his promise we are looking forward to a new heaven and a new earth, the home of righteousness.
註解: 神の約束を信ずるキリスト者は福である。彼にはこの天と地とは崩れるともこれと全く異なれる新天新地に入ることを得るの希望がある(イザ65:17イザ66:22黙21:1以下)。そしてこの新天新地は単に新しいだけではなくそこには正義が住んでおり不義は存在することができない。この新しき天地を思って我らの心は躍る。これよりも美わしきものを我らは想像することができない。黙21:1−4要義参照。
辞解
[新しき] kainos を用う。すなわち性質において旧きものと異なっていること。
要義1 [キリスト再臨の時期について]キリストも間もなく再び来り給うべきことを預言せられ、使徒を始め初代のキリスト者もみな再臨の速に起るべきことを信じ、これを望んで慰めていた。しかしながら事実今日までキリストの再臨はなかった。然らばこの約束は誤ったのであろうか。再臨はないのであろうか、そうではない。今日のキリスト者も初代の信者と同様再臨の近きことを思ってこれを待ち、かつこれを早めるべきである。何となれば天国における時間の観念は全く異なれる基礎の上に立つのであって、神は永遠の過去より永遠の未来までをも一瞬間のごとくにこれを見ることを得給い、反対に一瞬間をも永遠のごとくに取扱い給う。これと同じくキリスト者もまたキリストの再臨を慕うことによりてその近きを思うべきである。
要義2 [新天新地]かかることは有り得べからざることであると科学者はいうかも知れない。しかしながらもし人類が復活して全く新たなる感覚を持つに至るならば、凡てのものは全く新たなる姿において彼らに現われるであろう。いわんや天地を創造し給える神がこれを改造し得ざる理由はない。
要義3 [九節と予定説]「神は一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望みて汝らを永く忍び給ふなり」との一節は神はある人々を滅亡に予定し給えりとする予定説に反する。ゆえにカルヴィンはこの一説に対し次のごとき苦しき解釈を与えている。「もし神が一人の滅ぶるをも望み給わないならば何故多くの人が滅ぶるのであるかという問いが起り得る。これに対する予の答は、ここでは神の隠れたる御計画については何もいわれていないので、(この御計画によれば reprobate は滅亡に定められているのである。)ここでは唯福音書によりて我らに示されし神の御意について言われているに過ぎない。何となれば神はそこでは凡ての人々に無差別に手を伸べ給うけれども、唯世の創めの先より選び給える者のみを彼に引き寄せるために捉え給うのである」と。カルヴィンは予定説を論理的に進め過ぎたためにかかる過ちに陥ったのであって、聖書によれば神はある者を救いに予定し給うたけれども、滅亡に予定し給うたことは録されていない。この点に注意を要する。▲ロマ9:19−26、殊に22節註参照。

分類
3 結尾のすすめ 3:14 - 3:18

3章14節 この(ゆゑ)(あい)する(もの)よ、(なんぢ)()これを()てば、(かみ)(まへ)汚點(しみ)なく(きず)なく安然(やすらか)()らんことを(つと)めよ。[引照]

口語訳愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。
塚本訳だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。
前田訳それゆえ、親しい方々、このことを待ち望みつつ、彼の前にしみなく汚れなく平和のうちにあるよう努めてください。
新共同だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
NIVSo then, dear friends, since you are looking forward to this, make every effort to be found spotless, blameless and at peace with him.
註解: 私訳「汚点なく瑕なくして平和の中に彼に見出されんことを勉めよ」。改訳は誤りではないけれども再臨の日のこととして考える時かく訳すを可とす(Tテサ5:23Tテモ6:14)。イエス来り給う時我らに汚点や瑕があるならば、我らは良心の平安をもって彼に見ゆることができない。ゆえに彼の再臨を待つ以上かかることなく彼が平和の中にある我らを見出し給うよう努めなければならない。なお本節をキリスト者の現在の状態と解する学者が多い。改訳はこの解によったのであろう。
辞解
[この故に] 前節までの内容、すなわち再臨の必ずあるべきことを受けているけれども、同時にこの書簡全体の結末たらしめんとする心持ちも窺われる。すなわち二章の偽教師に対する警戒として道徳的聖潔を薦めていると見るべきであろう。

3章15節 (かつ)われらの(しゅ)寛容(くわんよう)(すくひ)なりと(おも)へ、[引照]

口語訳また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
塚本訳また私達の主の寛容をもって(君達の)救い(の保証)と考えよ。私達の愛する兄弟パウロも授けられた知恵に従って君達に書いた通りである。
前田訳われらの主の寛容こそ救いとお思いなさい。愛する兄弟パウロも、彼に与えられた知恵によってお書きしたとおりです。
新共同また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。
NIVBear in mind that our Lord's patience means salvation, just as our dear brother Paul also wrote you with the wisdom that God gave him.
註解: 主の寛容のお陰で救われるのであるのに、(あざけ)る者らはこの寛容を「再臨の遅延と思い」(9節)嘲笑しているのは大なる誤りである。ゆえに主の再臨を待ち望みつつ偽教師の誤れる自由に(まが)されることなく、その救いを握らなければならない。

これは(われ)らの(あい)する兄弟(きゃうだい)パウロも、その(あた)へられたる智慧(ちゑ)にしたがひ[(かつ)て](なんぢ)らに()(おく)りし(ごと)し。

註解: パウロの教えを曲解して、自由主義の偽教師や再臨を(あざけ)る者が出来たのであろう。しかしパウロも決して異端を教えないことをペテロがここに注意している。この書簡の読者はパウロの影響を受けている人々であることがわかる。
辞解
[これは] 「かくのごとく」で、その指す処は(1)15節前半、(2)14節、(3)本書簡全体など種々に考えられる。文法上は(1)(2)のごとく見ゆるけれども、意味の上および6節との関係上(3)と見るべきがごとし。
[われらの愛する兄弟パウロ] すなわちペテロはこの書簡の読者に彼とパウロとの使徒としての関係を明示し、パウロとペテロとを異なる教えを為すがごとくに考える者の誤りを示す。
[その與へられたる智慧にしたがひ] 使徒といえども各々その与えられたる智慧を異にしている。各々がこれにしたがいて教うる処に意義がある。
[書き贈りし] いずれの書簡を指すかにつき多くの想像説あり。「これは」が何を指すか、またこの書簡の読者が何地方の人なるかによりて判断することができる。「これは」を前述のごとく本書簡全体の内容と見、本書簡を前書と同じく小アジアの教会に宛てられたものとすれば、エペソ書、コロサイ書、ガラテヤ書などこれに相当するであろう。

3章16節 (かれ)はその(すべ)ての(ふみ)にも(これ)()のことに()きて(かた)る、その(うち)には(さと)りがたき(ところ)あり、無學(むがく)のもの(こころ)(さだめ)らぬ(もの)は、(ほか)聖書(せいしょ)のごとく(これ)をも()()きて(みづか)滅亡(ほろび)(まね)くなり。[引照]

口語訳彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
塚本訳これについて述べているその凡ての手紙においても同様であるが、その中には難解なものも少なくないので、教養のない者や心の定まらない者は他の(聖)書と同様これをも曲解して自分の亡滅を招いている。
前田訳彼はそのすべての手紙でこのことをいっています。しかし手紙には、いくつかむずかしいところがあって、無学で気弱のものが、他の書きものにもしているように、誤解して自らの滅びを招いています。
新共同彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
NIVHe writes the same way in all his letters, speaking in them of these matters. His letters contain some things that are hard to understand, which ignorant and unstable people distort, as they do the other Scriptures, to their own destruction.
註解: ペテロはここにパウロの書簡につきて必要なる注意を与え、無学なるものすなわち聖書の真理につき充分に教えられていない者および心の定まらない動揺し易い信仰の者などは牽強付会(けんきょうふかい)の解釈を施し易いのでこれを警戒している。
辞解
[此等のこと] 前節と同じく本書簡の主なる内容全体を指す。必ずしもこれを再臨の問題、キリスト者の自由の問題、復活の問題、道徳問題等と限定する必要がない。
[他の聖書] 旧約聖書および当時行われし使徒らの書簡を指す。これを「他の書」に訳して旧約聖書をこの中に入れず、唯の書簡のみを指すとする説あれど(A1、M0、Z0) graphê は常に聖書の意味に用いられる故、ここのみにこれを別の意味に解する必要がない。パウロの書簡や使徒の書簡は当時すでにこれを旧約聖書と同列またはその上に置かれていたものと見るべきである(I0)。そこに使徒たちの自信のほどが窺われる。この点Uコリ3:4−11参照。ただしこれを当時すでに固定せる正経 canon の中に包含せしめたという意味ではない。

3章17節 されば(あい)する(もの)よ、なんぢら(あらか)じめ[(これ)を]()れば、(つつし)みて無法(むほふ)(もの)(まよひ)にさそはれて(おの)(かた)(こころ)(うしな)はず、[引照]

口語訳愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。
塚本訳だから愛する者よ、君達は前以てこのことを知って、無法者どもの迷いに引き込まれ自分の堅い決心から落ち(ることの)ないように気をつけ、
前田訳しかし、親しい方々、あなた方は前からご存じのように、放縦の人々の惑わしに導かれて、自らの立場を失わぬよう気をつけてください。
新共同それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
NIVTherefore, dear friends, since you already know this, be on your guard so that you may not be carried away by the error of lawless men and fall from your secure position.
註解: 私訳「汝らは予め知るが故に無法の者の迷誤に誘引せられて己が堅き土台より堕ちぬように慎むべし」。本節および次節前半にこの書簡の読者に対して本書簡を(したた)めし主要の目的であった処の注意を与えている。本節はその消極的方面、次節前半は積極的方面を示す。
辞解
[之を] 原語になし。
[預め知る] 前節の「無学」に対応している。
[無法の者] Uペテ2:7辞解参照。
[(まよひ)] planê は迷いの結果の誤りを指す。
[さそはれて] sunapachthentes は「共に彼方に導かれて」の意(ガラ2:13)。
[堅き心] 堅き基礎、堅き地位等の意。
[失ふ] 「より堕ちる」(ガラ5:4)。

3章18節 ますます(われ)らの(しゅ)なる救主(すくひぬし)イエス・キリストの恩寵(めぐみ)と[(しゅ)()る]知識(ちしき)とに(すす)め。[引照]

口語訳そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。
塚本訳私達の主また救い主イエス・キリストの恩恵と知識とに成長せよ。(願う、)今も永遠の日までも栄光彼にあらんことを!
前田訳われらの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長してください。今も永遠の日にも、栄光が彼にありますように。
新共同わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
NIVBut grow in the grace and knowledge of our Lord and Savior Jesus Christ. To him be glory both now and forever! Amen.
註解: ペテロの奨励の積極的方面、すなわち誤りに陥ることを避けて救い主、主イエス・キリストの賜う恩恵と知識とにおいて発育成長しなければならない。誤れる自由主義は恩恵を誤解せるものであり、再臨を否定する者は知識の発育せざるものである。
辞解
[進め] auxanete は「成長せよ」「発育せよ」の意。なお本節の訳し方従って意味の取り方に三種あり、(1)恩寵とイエス・キリスト〔を知る〕の知識(M0、Z0、C1)、(2)イエス・キリストの〔賜う〕恩寵と〔彼を知るの〕知識(A1、改訳)、(3)イエス・キリストの〔賜う〕恩寵と知識(E0、I0)、第三説を取る。

(ねが)はくは(いま)および永遠(とこしへ)()までも榮光(えいくわう)かれに()らんことを。

註解: キリストの栄光に対する讃美と祈祷。
辞解
[永遠の日] 永遠までもというに同じ、永遠の日には夜はない(黙22:5)。
要義 [パウロの書簡について]パウロの書簡はおそらくパウロと同様に深き信仰の状態に達して始めて誤りなくこれを理解し得るであろう。信仰のみにより行いによらずして義とされる教理のごときも、単にこれを文字の上のみより見る場合には無律法主義となり、または偽安心となり易く、律法より解放たれて霊の自由に歩む教理のごときも肉の自由放佚(ほういつ)主義に陥り易い。而してかかる弊害に陥らざらんがためには17、18節のごとく偽教師に迷わされることなくキリストの賜う恩恵と知識に発育することが必要である。