黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2ペテロ書

第2ペテロ書第2章

分類
2 教訓 1:3 - 3:13
2-3 偽教師に対する警戒 2:1 - 3:13
2-3-イ 自由佚楽主義の偽教師 2:1 - 2:22  

2章1節 されど(たみ)のうちに(にせ)預言者(よげんしゃ)おこりき、その(ごと)(なんぢ)らの(うち)にも(にせ)教師(けうし)あらん。[引照]

口語訳しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
塚本訳しかし(昔イスラエルの)民の中に(真の預言者の外に)偽預言者がいたが、そのように君達の中にも偽の先生が出て来て、(帰依者を)滅亡(に陷れるか)の(勝手な)教義を持ち込み、(高い値をもって)彼らを買い取り給うた主人(イエス・キリスト)をさえ否定して、忽ち滅亡を身に招くのである。
前田訳(イスラエルの)民の中に偽預言者も出たように、あなた方の中にも偽教師が現われましょう。彼らは滅びの異端を導入し、彼らのあがない主を否み、すみやかな滅びを自らに招いています。
新共同かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、
NIVBut there were also false prophets among the people, just as there will be false teachers among you. They will secretly introduce destructive heresies, even denying the sovereign Lord who bought them--bringing swift destruction on themselves.
註解: ペテロは本節より偽教師の本質とその行状とを暴露して信徒を戒め、彼らに(そこな)われざらんことを勉めている。
辞解
[民] イスラエルの民。
[あらん] 今後も生ずるであろう。そして今すでに生じつつあることは二章全体の調子からこれを知ることを得。

(かれ)らは滅亡(ほろび)にいたる異端(いたん)()()れ、(おのれ)らを()(たま)ひし(しゅ)をさへ(いな)みて、(すみや)かなる滅亡(ほろび)(みづか)(まね)くなり。

註解: 偽教師の行動、態度および終局を示す。偽教師の行動はキリストの教会に分離を起さしめ信徒を自己に引き寄せるにあり、その態度は宝血の値をもって自分たちを贖い給える贖い主なるキリストを否み教理的には彼の神の子たること、彼の死が罪の贖いたることを信ぜず、また実行的にはあたかも彼が彼らの主にあらざるがごとくに放佚(ほういつ)の行動をなし、かくして自らは結局卒然に滅亡に見舞われるのである。
辞解
[異端] hairesis は本来一派、異説等を示す文字で、それの正邪如何を問わない意味であった。教理的異端の意義が加わるに至ったのは後のことに属す。
[主] despotês = despot 主として神を指す。ここではキリストについて用いている。
[速かなる] Uペテ1:14辞解参照。

2章2節 また(おほ)くの(ひと)かれらの好色(かうしょく)(したが)はん、(これ)によりて(まこと)(みち)(そし)らるベし。[引照]

口語訳また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。
塚本訳そして(迷わされた)多くの人は彼らの放埒の跡を追い、この人達“の故に”真理の道は“罵られるであろう”。
前田訳そして多くの人が彼らの放縦を見習い、彼らによって真理の道が汚されましょう。
新共同しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。
NIVMany will follow their shameful ways and will bring the way of truth into disrepute.
註解: ユダ1:4参照。悲しむべきことは偽教師に従い、その放埓(ほうらつ)、好色の行為を真似る者の輩出することである。かかる徒輩(偽教師およびその弟子)あるがためにその真偽を見分け得ざる外部の人々より真のキリスト者が非難される。
辞解
[之によりて] 「彼らによりて」。
[真の道] 「真理の道」と訳すべきである。キリスト教を指して「道」と呼べる場合は少なくない(使9:2使22:4使24:14。救の道、使16:17。主の道、使18:26)。

2章3節 (かれ)らは貪慾(どんよく)によりて飾言(かざりことば)(まう)け、(なんぢ)()より()をとらん。[引照]

口語訳彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。
塚本訳且つ彼らは貪欲のため言巧みに君達を(も)手に入れる(けれども、)既に永い間彼らに対する審判は怠らず、滅亡は微睡まない!
前田訳また彼らは欲望のためにあなた方を甘言で釣るでしょう。しかし彼らへの裁きは古くからやまず、彼らの滅びはたじろぎません。
新共同彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。
NIVIn their greed these teachers will exploit you with stories they have made up. Their condemnation has long been hanging over them, and their destruction has not been sleeping.
註解: 偽教師らはその弟子を甘い言をいって欺き、自己の利益のために弟子たちを利用してその慾望を満足している。彼らは宗教商売人、売僧に過ぎない。
辞解
[飾言] Uペテ3:4節はその例。
[汝らより利を取らん] 「汝らを商品として商売せん」との意味で、直接に金銭を掠取(りゃくしゅ)することのみならず間接に利用することをも含む。すなわち弟子を偽教師自身の勢力や利益のために犠牲とすることである。要するにキリスト中心か自己中心かによって教師の真偽が分れるのであって正統教会より権限を授けられしや否やによりて分かれない。

(かれ)らの審判(さばき)(いにし)へより(さだ)められたれば(おそ)からず、その滅亡(ほろび)()ねず。

註解: 私訳「彼らの審判は古よりやすむことなく、その滅亡はまどろむことなし」。偽教師らの上に神の下す審判と滅亡は間もなく必ず来るべきことを示す。多くの人を迷わす彼らの罪は思い。
辞解
[遅からず] 怠業せずとの意。

2章4節 (かみ)(つみ)(をか)しし御使(みつかひ)たちを(ゆる)さずして地獄(じごく)()げいれ、(これ)黒闇(くらやみ)(あな)におきて審判(さばき)(とき)まで看守(かんしゅ)し、[引照]

口語訳神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
塚本訳何故なら、もし神が罪を犯した天使達を容赦せず、闇の洞窟の地獄に入れ、審判のために引き渡して監禁し給うたとするならば、
前田訳神は罪を犯した天使たちをゆるさずに、闇の穴に閉じ込めて、裁きのために拘束なさいました。
新共同神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。
NIVFor if God did not spare angels when they sinned, but sent them to hell, putting them into gloomy dungeons to be held for judgment;
註解: 4−6節に神の審判の例を示す。本節の天使の審判はノアの洪水の物語または他の伝説を指すとの説があるけれども、ユダ1:6のごとく創6:1以下の伝説によったのであろう。本節のみよりこれを決定することができない。何れにしても人間より優れる天使すら神の審判を免れ得ないとすれば人間は罪ある場合に神の審判を免れ得るはずがない。
辞解
本節初頭に原文に「そはもし」とあり、若しは8節の終りまでに関連し、そはもし是らの人も審判を免れずとすれば「まして偽教師においておや」を省略している。
[地獄に投入れ] tartarô 聖書中ここにのみ用いられ、タルタロスに投込むこと、タルタロスはゲヘナ、ハーデース(黄泉)等と異なり地の最も深き処というごとき意味。
[穴におき] 「鎖につなぎ」と訳する説もある。
[審判の時まで] 「審判のために」と訳すべきである。

2章5節 また(ふる)()(ゆる)さずして、ただ()宣傅者(せんでんしゃ)なるノアと(ほか)七人(しちにん)とをのみ(まも)り、敬虔(けいけん)ならぬ(もの)()洪水(こうずゐ)(きた)らせ、[引照]

口語訳また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
塚本訳もしまた(神が)古い世界を容赦せず、洪水を不敬虔な人々の世界に来たらせ給うた時(ただ)義の宣教者ノアとも八人(だけ)を(滅亡から)守り給うたとするならば、
前田訳また、古い世をゆるさずに、義の宣伝者ノアら八人だけを守って、不信者の世に洪水をおおこしでした。
新共同また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
NIVif he did not spare the ancient world when he brought the flood on its ungodly people, but protected Noah, a preacher of righteousness, and seven others;
註解: 第二の例はノアの洪水で、救われしものと審判(さば)かれし世とが截然(せつぜん)と区別された。引照およびエゼ26:20参照。
辞解
[古き世] 洪水以前の世界。
[義の宣伝者] ノアは自ら義たりしのみならずまた義を宣伝した(B1)。
[敬虔ならぬ者の世] 原語「不敬虔の世界」。

2章6節 またソドムとゴモラとの(まち)滅亡(ほろび)(さだ)めて(はひ)となし、(のち)()敬虔(けいけん)をおこなふ(もの)(かがみ)とし、[引照]

口語訳また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし、
塚本訳もしまたソドムとゴモラの町を灰にして破滅の宣告を下し、将来不敬虔である人々の見せしめにし給うたとするならば、
前田訳そしてソドムとゴモラの町々を灰にして全滅に処し、後の不信者の見せしめとなさいました。
新共同また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。
NIVif he condemned the cities of Sodom and Gomorrah by burning them to ashes, and made them an example of what is going to happen to the ungodly;
註解: ユダ1:7参照。第三の例はソドム、ゴモラの町の滅亡とロトの救いである。ノアの例は水による審判を示し、本節は火をもってする滅亡を掲げている。いずれも神の審判の適例である。

2章7節 ただ無法(むほふ)(もの)どもの好色(かうしょく)擧動(ふるまひ)(うれ)ひし(ただ)しきロトのみを(すく)(たま)へり。[引照]

口語訳ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。
塚本訳しかしもし無法者どもの放埒な振舞いによって苦しめられていた義しいロトは、(これを)救い出し給うたとするならば──
前田訳ただ、悪者どものふしだらな行ないに悩まされていた義人ロトはお救いでした。
新共同しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。
NIVand if he rescued Lot, a righteous man, who was distressed by the filthy lives of lawless men
註解: ロトの信仰はアブラハムのそれに比して劣っていた。それにもかかわらず彼が義人であったので、そのために救われた。
辞解
[無法のもの] athesmos 道徳を蹂躙(じゅうりん)し善良なる風俗習慣を破壊するもの。

2章8節 (この(ただ)しき(ひと)(かれ)らの(うち)()みて、日々(ひび)その()(はう)行爲(おこなひ)()(きき)して、(おの)(ただ)しき(こころ)(いた)めたり)[引照]

口語訳(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。)
塚本訳というのはこの義人は彼らの中に住み、日に日に(彼らの)不法の行跡を見聞して、(その)義しい心を悩ましたのである──
前田訳この義人は彼らの中に住んでいて、見るにつけ聞くにつけ、日々その正しい心を彼らの不法の行ないのゆえにいためていたのです。
新共同なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。
NIV(for that righteous man, living among them day after day, was tormented in his righteous soul by the lawless deeds he saw and heard)--
註解: 原文括弧なし。不法と腐敗に充てる市の中に住みてその有様を見聞しつつ絶えずその心を傷めつつあった美しきロトの心は神の喜び給う処であった。
辞解
[不法] anomos 律法に反すること。

2章9節 [かく](しゅ)敬虔(けいけん)なる(もの)試煉(こころみ)(うち)より(すく)ひ、また(ただ)しからぬ(もの)審判(さばき)()まで看守(かんしゅ)して(これ)(ばっ)し、[引照]

口語訳こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
塚本訳主は敬虔な者を試練から救い出し、義しからぬ者を懲罰のため(最後の)審判の日まで監禁し得給う(ことは確かである。)
前田訳かくて主は敬虔な人々を試みから救い、不義者を裁きの日までこらしめて拘束することがおできです。
新共同主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。
NIVif this is so, then the Lord knows how to rescue godly men from trials and to hold the unrighteous for the day of judgment, while continuing their punishment.
註解: 前数節の例によって示されし真理を掲げて後節の前提としている。敬虔なる者はノアやロトのごとき正義の人、信仰の人を指し、正しからぬ者はその反対に不信不義なる世の人を指す。
辞解
[審判の日] キリストの再臨による最後の審判を指す。
[罰し] 現在分詞で、現在といえども彼らはすでに神の罰を受けて苦しみつつある。

2章10節 ()けて、(にく)(したが)ひて、(けが)れたる(じゃう)(よく)のうちを(あゆ)み、(けん)ある(もの)(かろ)んずる(もの)を[(ばっ)することを()(たま)ふ]。この曹輩(ともがら)(きも)(ふと)放縱(ほしいまま)にして、(たふと)(もの)どもを(そし)りて(おそ)れぬなり。[引照]

口語訳特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。
塚本訳殊に不潔の情慾にかられ肉を追うて歩き、且つ支配権を軽蔑する者については言うまでもない。彼ら横柄な向こう見ずどもは(天使の)栄光を罵って憚らない。
前田訳とくに汚れた欲の中に肉に従って歩み、権威をあざける者どもをそうなさいます。彼らは向こう見ずのうぬぼれで、はばからず栄光あるものたちをそしっています。
新共同特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。
NIVThis is especially true of those who follow the corrupt desire of the sinful nature and despise authority. Bold and arrogant, these men are not afraid to slander celestial beings;
註解: 前節の救いと審判に関する概論を受けて本節にこれを偽教師に適用し、彼らの当然審判(さば)かれるべきことを示す。これがペテロの論旨の中心である。そして彼らの審判(さば)かれるべき当然の理由として偽教師の放蕩、倨傲(きょごう)剛胆(ごうたん)、誹謗等を掲げ、その反面にキリスト者としての聖潔、謙遜、柔和、従順なるべきことを教えている。なお本節および次節はユダ1:8、9節と共に読むべきである。
辞解
本節および次節が何を意味するかはやや不明で、殊にその「権あるもの」「尊き者」の何を意味するかにつきては異説多く帰着するところを知らない。「権あるもの」 kuriotês は政府の当局者(C1)、天使(エペ1:21コロ1:16)、教会の権を握っている人(Z0)、神、キリスト(M0、Z0)、堕落せる天使の首長(B2)など種々に解せられ、「尊き者」 doxa も悪魔または悪しき天使(M0)、堕落せる天使(B1)、聖き天使(A1)、神(C1)、教会の支配者や使徒など種々の意味に解されている。しかしながらその中の一つに限る理由はなく、要するに天的のもしくは地的の栄光を持つ凡てのものを概称したものと見るべきであろう(B2)。そして偽教師らはその倨傲(きょごう)にして剛胆(ごうたん)なる態度をもってこれらのすべてよりも自己を高しとしてこれらを謗って少しも畏れなかった。要するに彼らの態度は己を最も高しとする処のものであった。
[(きも)太く] tolmêtai は剛胆(ごうたん)にして敢為(かんい)の精神に富める人々。
[放縱(ほしいまま)] authadês は我意が強いこと。

2章11節 御使(みつかひ)たちは[かの(たふと)(もの)どもに](まさ)りて、(おほい)なる權勢(けんせい)能力(ちから)とあれど、(かれ)らを(しゅ)御前(みまへ)(そし)(うった)ふることをせず。[引照]

口語訳しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。
塚本訳ところで天使達は力も能力も(彼らより)優れていながら、彼らを罵る宣告を主の前に申し出たことはないのである。
前田訳天使たちは強さと力においてすぐれていても、彼らを主の前に訴えてそしることをしません。
新共同天使たちは、力も権能もはるかにまさっているにもかかわらず、主の御前で彼らをそしったり訴え出たりはしません。
NIVyet even angels, although they are stronger and more powerful, do not bring slanderous accusations against such beings in the presence of the Lord.
註解: 「かの尊き者どもに」は原文になし。多くの学者はこの語を挿入する。余はこれを「かの偽教師等」を意味すると解す(B2)。「彼らを」kat’ autôn は「尊き者どもを」意味する。すなわち偽教師らは尊き者、権ある者に対して誹謗を行って得意になっているけれども、ユダヤ人の間に信じられている物語(例えばユダ1:9に引用せる経外書、モーセ昇天記のごとき、また多くの学者が推測する経外書エノク書のある部分のごとき)によれば彼ら偽教師よりも権勢と能力において遙かに勝っている天使すら他の権あるもの(それがよし悪しき天使であっても)を神の前に(そし)り訴えることを為さない。これを見ても彼ら偽教師の態度の倨傲(きょごう)は憎むべきである。(注意)ペテロ書がユダ書を引用せることを唱うる学者は本節をもってユダ1:9の具体的記述を抽象的にしたものと解するけれども反対にペテロは概念的に記し、これが不可解なのでユダが詳説したものともいえる。ユダ1:10、11の二節には種々の解あれど明確なるものがない。

2章12節 ()れど、かの曹輩(ともがら)(あたか)(とら)へられ(ほふ)らるるために(うま)れたる辨別(わきまへ)なき生物(いきもの)のごとし、()らぬことを(そし)り、不義(ふぎ)(あたひ)をえて(かなら)(ほろぼ)さるべし。[引照]

口語訳これらの者は、捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。
塚本訳しかるにこの人達は、生来(ただ)捕らえられて滅ぼされるために生まれた無知な獣のようであって、知りもせぬことを罵り、(最後の日)獣が滅びると共に彼らもまた滅ぼされるであろう。
前田訳彼らは捕えられて殺されるために生まれたわけわからずの動物のようで、自ら知らぬことをそしり、動物の滅びとともに滅びましょう。
新共同この者たちは、捕らえられ、殺されるために生まれてきた理性のない動物と同じで、知りもしないことをそしるのです。そういった動物が滅びるように、彼らも滅んでしまいます。
NIVBut these men blaspheme in matters they do not understand. They are like brute beasts, creatures of instinct, born only to be caught and destroyed, and like beasts they too will perish.
註解: 偽の教師らの態度は無茶苦茶で理性を具えざる動物と(えら)ぶ処がない。従ってその運命も動物と同じく滅ぼされるより外ないであろう。唯動物の場合はそれが彼らの生れながらの運命であり、偽教師の場合はその不義の報いである。
辞解
[辯別なき] 理性を欠くこと。
[「屠らる」「亡さる」] 同一の語。
[價] misthos は多くの場合「報」と訳せられている。この場合も16節のごとく報の方が優っている。改訳はRVによったものであろう。
[知らぬことを(そし)り] 真の信仰を持たないものは真の信仰を理解せずしてこれを(そし)る。偽教師もこの類である。

2章13節 (かれ)らは(ひる)もなほ酒食(しゅしょく)快樂(けらく)とし誘惑(まどはし)(たの)しみ、(なんぢ)らと(とも)宴席(ふるまひ)(あづか)りて、汚點(しみ)となり(きず)となる。[引照]

口語訳彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。
塚本訳彼らは(斯くして)不義の(生活の)報酬をふいにするのである。彼らは昼間の酒宴を快楽と思い、汚点また欠点となって、君達と一緒に席について腹をふくらせ、その情慾に耽っている。
前田訳彼らは不義の報いとして罰せられます。彼らは真昼の宴をたのしみ、あなた方と食を共にするとき、彼らはその欲のまま飽食します。それゆえ彼らは汚れやしみです。
新共同不義を行う者は、不義にふさわしい報いを受けます。彼らは、昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。彼らは汚れやきずのようなもので、あなたがたと宴席に連なるとき、はめを外して騒ぎます。
NIVThey will be paid back with harm for the harm they have done. Their idea of pleasure is to carouse in broad daylight. They are blots and blemishes, reveling in their pleasures while they feast with you.
註解: 私訳「彼らは今日あって明日なき佚楽(いつらく)を快となす。彼らは欺瞞を楽しみ汝らと共に宴席に与りて汚点となり(きず)となる。」偽教師らの非行の第一は奢侈(しゃし)佚楽(いつらく)である。彼らはおそらくユダ1:12の場合のごとくキリスト者の愛餐に加わり、これを単なる佚楽(いつらく)と利己主義の宴と化し、彼らこそ真のキリスト者なるがごとくに振舞いて真の信徒を欺いていたのであろう。教会が社交場と化せんとする時我らは警戒しなければならない。
辞解
[晝もなほ] en hêmera は「日々の」「日中の」(Z0)、「ある日の」(B1、I0)、「一時的の」(M0、A1、C1)等と訳する節あり。最後の説を取る。
[酒食] truphê はむしろ奢侈(しゃし)佚楽(いつらく)の意。
[誘惑] apatê はむしろ欺瞞の意、異本に agapais 「愛餐」とありユダ1:12節に一致する。何によりて瞞くやにつき異説多し。
[宴席に與る] 恐らく初代教会に行われし愛餐をいうのであろう。

2章14節 その()淫婦(いんぷ)にて滿()(つみ)()くことなし、(かれ)らは靈魂(たましひ)(さだめ)らぬ(もの)(まどは)し、[引照]

口語訳その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。
塚本訳眼は姦婦に満ち、また罪を(求めて)休むことがなく、貪欲に鍛錬された心をもっていて、(信仰に入ったばかりでまだ)心の定まらない人々をおびき寄せる。彼らは呪いの子である!
前田訳その目は淫欲で満ちて罪に飽かず、気弱のものを迷わし、心は貧欲に慣れ、呪いの子になっています。
新共同その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
NIVWith eyes full of adultery, they never stop sinning; they seduce the unstable; they are experts in greed--an accursed brood!
註解: 第二の罪はその淫乱である。淫婦がその目を満すことは淫慾を満さんとして目を淫婦より離さない有様で甚だしき淫乱を示す。「罪」はここでは肉慾の罪を指す。「惑す」は誘捌すること。淫乱の罪は他人をもその道連れとなすことを好む。

その(こころ)貪欲(どんよく)()れて呪詛(のろひ)()たり。

註解: 私訳「貪慾に鍛錬せられし心を持つ。呪咀の子なるかな」。第三の罪は貪慾である。しかもその貪慾は充分に練習を積める結果、第二の天性とまでなったものである。嗚呼彼らは呪咀の子、この世に呪咀を投げかける徒輩なるかなとペテロはここに嘆声を発しているのである。

2章15節 (かれ)らは(ただ)しき(みち)(はな)れて(まよ)ひいで、ベオルの()バラムの(みち)(したが)へり。バラムは不義(ふぎ)(むくい)(あい)して、[引照]

口語訳彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、
塚本訳彼らは真直ぐな道を捨てて迷い出て、(遂に)不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従った。
前田訳彼らは正しい道を捨てて迷い、ベオルの子バラムの道に従いました。バラムは不義の報酬を好み、
新共同彼らは、正しい道から離れてさまよい歩き、ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです。バラムは不義のもうけを好み、
NIVThey have left the straight way and wandered off to follow the way of Balaam son of Beor, who loved the wages of wickedness.

2章16節 その()(はう)(とが)められたり。(もの)()はぬ驢馬(ろば)(ひと)(こゑ)して(かた)り、かの預言者(よげんしゃ)(くるひ)(とど)めた[ればな]り。[引照]

口語訳そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。
塚本訳しかし彼はその律法違反に対して(神の)詰責をうけた。(すなわち、)物の言えぬ驢馬が人間の声で口を利き、この預言者の乱心を止めたのである。
前田訳自らの不法へのとがめを受けました。物いわぬろばが人の声で物をいい、この預言者の狂気をとめました。
新共同それで、その過ちに対するとがめを受けました。ものを言えないろばが人間の声で話して、この預言者の常軌を逸した行いをやめさせたのです。
NIVBut he was rebuked for his wrongdoing by a donkey--a beast without speech--who spoke with a man's voice and restrained the prophet's madness.
註解: ユダ1:11節を見よ。バラムの例をもって偽教師を戒む。民22:1−41によればバラムは大なる報酬に誘惑されてバラクの許に赴かんとした。彼は神を見るの目を失ったがために神は驢馬をして彼に語らしめ給うた。利慾のために正しき道を迷い出でる偽教師の末路もまたかくのごとく神は驢馬のごとき愚なるものをして彼らを審判(さば)かしめ給うであろう。

2章17節 この曹輩(ともがら)(みづ)なき()なり、[引照]

口語訳この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。
塚本訳この人達は水の出ない泉、疾風に追いまくられる霧雲であって、彼らのために暗い闇が取って置かれている。
前田訳彼らは水のない泉やあらしに追われる霧で、暗闇が彼らをとざしています。
新共同この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、彼らには深い暗闇が用意されているのです。
NIVThese men are springs without water and mists driven by a storm. Blackest darkness is reserved for them.
註解: ゆえに深さあるがごとくに装っているけれども実は人に生命を与えることができず、自らも涸渇しているのである(ヨハ7:38エレ2:13イザ58:11)。これ生命の源なるキリストに(そむ)いているからである。

颶風(はやて)()はるる[雲]霧(くもきり)なり、

註解: (1)確乎たる信念なく世の風潮、思想に従ってあるいは動きあるいは消える、(2)雨を得んとする期待を裏切る(M0、B1)、(3)冷気を得んとする希望を裏切る(Z0)、(4)風は害を与え霧は何の利益をも与えない(C1)など種々に解せられる。第一の解を取る。

(くろ)(やみ)かれらの(ため)(そな)へられたり。

註解: かかる偽教師らの受くべき刑罰はこの真っ暗な闇である。

2章18節 (かれ)らは(むな)しき(ほこり)をかたり、[引照]

口語訳彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
塚本訳何故なら彼らは横柄なしかし空なことを語って、肉の慾情をもって、放埒により、かの漸く迷いの生活から逃げ出した者をおびき寄せるからである。
前田訳彼らはむなしいほらをいい、迷いの中に生きる者どもからやっと逃れた人々を、肉欲と放縦でいざない、
新共同彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からやっと抜け出て来た人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです。
NIVFor they mouth empty, boastful words and, by appealing to the lustful desires of sinful human nature, they entice people who are just escaping from those who live in error.
註解: 私訳「彼らは空虚なる大言壮語をなし」、偽教師らはあくまでも倨傲(きょごう)である。

(まよひ)(うち)にある(もの)どもより(から)うじて(のが)れたる(もの)を、(にく)(よく)好色(かうしょく)とをもて(まどは)し、

註解: 彼らは未だ信仰の堅くならない人々すなわち不信者の中より遁れ出たばかりの者を捕えて肉慾と好色とをもってこれを惑わし、さらに大なる罪の中に陥れてしまう。かかる堕落は初代教会内にもすでに発していた(Tコリ5章)。
辞解
[迷いの中にあるもの] 異邦人の不信者を指すならん。
[辛うじて] oligôs は逃れて間もないものとの意。

2章19節 (これ)自由(じいう)(あた)ふることを(やく)すれど、自己(みづから)滅亡(ほろび)奴隷(どれい)たり、()くる(もの)()(もの)奴隷(どれい)とせらるればなり。[引照]

口語訳この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
塚本訳(そして)彼らに自由を約束するけれども、自分たちは滅亡の奴隷である。降参した者はその奴隷となったのであるから。
前田訳この人々に自由を約束しながらも、自らは滅びの奴隷です。それは、だれでも自らを従えるものの奴隷になるからです。
新共同その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。
NIVThey promise them freedom, while they themselves are slaves of depravity--for a man is a slave to whatever has mastered him.
註解: 偽教師らは弟子に向い、権ある者、尊き者(10節)を恐れず、肉慾を超越するごとき自由を与うるがごとくに大言壮語を発していた。また彼ら自身かかるものであると信じていた。しかしながら実は彼ら自身に真の自由なく滅亡すべきもの、すなわち悪魔と肉の奴隷であった。その故は「負かされし者に奴隷とせらる」(私訳)ということは当然であって、偽教師らは主にある信仰の自由と肉の自由とをはきちがえて滅亡すなわち朽つべきものに負かされているからである。
辞解
[滅亡] phthora に負かされたというのはTコリ15:50の ta phtharton 「朽つべきもの」に敗れしことの意味に取ることができる(Z0)。

2章20節 (かれ)()もし(しゅ)なる救主(すくひぬし)イエス・キリストを()るによりて、()汚穢(けがれ)をのがれしのち、(また)これに(まと)はれて()くる(とき)は、その(のち)(さま)(まへ)よりもなほ()しくなるなり。[引照]

口語訳彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
塚本訳然り、もし彼らが主また救い主イエス・キリストを知る知識によって、この世の穢れから逃げ出し(た後)再びこれに絡みつかれて降参すれば、後は(きっと)前より悪くなるのである。
前田訳主また救い主イエス・キリストを知って世の汚れを逃れたものが、ふたたびそれに巻き込まれて従うならば、後の様子は前よりも悪くなります。
新共同わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。
NIVIf they have escaped the corruption of the world by knowing our Lord and Savior Jesus Christ and are again entangled in it and overcome, they are worse off at the end than they were at the beginning.
註解: ヘブ10:26参照。前の状態は凡ての人間が生れながらにして有する罪の状態であって、神の愛を知らず、キリストの十字架の贖いに接せざるが故に神より離れし罪であった。然るに一旦主なる救い主イエス・キリスト(すなわち神の子にして十字架の贖いによりて我らを罪より救い給うイエス・キリスト)を知って後に再びこの世の汚穢と罪とに纏われて堕落する者は、知りて故意に神と救い主とを拒む行為であって絶大なる罪であり、もはや救わるべき道がない。サタンと同じ態度と行為に出ているのである。偽教師らはこの罪に陥っているのであった。
辞解
[彼ら] 18節の誘惑されし人々を指すか(B1、I0、E0)、偽教師らを指すか(M0、A1)、または一般的に言われし言であるか(Z0)につき異論あり、ペテロの論鋒より見てこれを偽教師に対する非難と見るのが最も適当であろう。

2章21節 ()(みち)()りて、その(つた)へられたる(せい)なる誡命(いましめ)()()かんよりは(むし)()(みち)()らぬを(まさ)れりとす。[引照]

口語訳義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
塚本訳(一旦)義の道を知った後で、授けられた聖なる戒めから後戻りするより、むしろ(始めから)知らなかった方がましであるから。
前田訳彼らにとっては、むしろ義の道を知らなかったほうが、それを知って与えられた聖なるいましめから離れるよりよろしい。
新共同義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。
NIVIt would have been better for them not to have known the way of righteousness, than to have known it and then to turn their backs on the sacred command that was passed on to them.
註解: 真理を知りて後これを離れて行く姿ほど憐れむべきものはない。そこには恢復すべからざる頑固の心と、永遠に閉じて開かんとせざる良心と、神を敵として戦わんとする悪魔の心とがある。
辞解
[義の道] キリスト教または福音の別名で極めて適切なる名称である。
[伝えられたる] 使徒たちによりて伝えられた。
[聖なる誡命] キリスト者として守るべき道徳。この二者がキリスト教の内容を為していた。

2章22節 俚諺(ことわざ)に『(いぬ)おのが()きたる(もの)(かへ)(きた)り、(ぶた)()(あら)ひてまた(どろ)(なか)(まろ)ぶ』と()へるは(まこと)にして、()(かれ)らに(あた)れり。[引照]

口語訳ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。
塚本訳(まことに)「“犬は自分で吐いた物に戻る”」、「豚は体を洗って泥に転ぶ」なる諺の真理は、この連中に適中している。
前田訳ことわざに、「犬が自ら吐いたものに帰る」また、「豚は洗われても泥にまみれる」とあるのは彼らにそのままあてはまります。
新共同ことわざに、/「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、/「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。
NIVOf them the proverbs are true: "A dog returns to its vomit," and, "A sow that is washed goes back to her wallowing in the mud."
註解: ペテロが偽教師らに対して発せる非難はここにその頂点に達している。すなわちペテロは彼らを犬豚に比較しているのであって、この比較は極めて適切である。何となれば一旦救いに入りし者は犬豚にあらざる以上誰も昔の汚穢の中に逆戻りすることを敢えてしないからである。
辞解
この諺は箴26:11より取りしものなりや、または単に当時の俚諺を引用せるものなりやは明らかではない。
要義 [偽教師の解剖]本章全般にわたりてペテロが極力非難して止まなかった偽教師の如何なる人々なりやにつきて歴史上にこれを指示することはできない。唯本章およびユダ書よりその心理状態を診断して達し得る結論は第一に彼らは一旦キリストを信ずる信仰に入りし者なること(20)。第二に彼らは自己をキリスト者と信じ、その教師をもって任じ、彼らの間に交わり(13)彼らを導いていたこと(18)。第三に彼らはあらゆる律法や伝統より自由となり、彼らを束縛すべき何ものもなきことを信じ(1019)、従って、キリストをさえ否み(1)尊き者、権ある者を(そし)ること(10)を何とも思わなかったこと。第四に彼らは自己を最も高しとして自由に振舞った結果、肉慾殊に色慾において放縦であり(21013)他人をもこれに誘い(18)て少しも恥じなかったこと。第五に彼らは貪慾にして利益のためには不正をも敢えてするの大胆さをもっていたこと(Uペテ3:15−16)等である。これら種々の罪悪を別々にもっていた種々の教師があったと見るよりも、かかる多くの傾向を有っているある種の教師らがあったと見るべきであろう。, 察するところこれらの傾向はギリシャの哲学やその快楽主義の影響の下に起り得るべき状態であって、キリスト教の自由の誤認、霊と肉との関係の誤解等よりかかる種類の偽教師が生じたのであろう。なおユダ書参照。

第2ペテロ書第3章
2-3-ロ 偽教師は再臨を嘲弄す 3:1 - 3:13  

註解: 前章の偽教師らはその自由を濫用して預言者の書、主イエス・キリストの命令等を自由に無視しまたは否定するに至りキリストの再臨をも嘲笑するに至っていたのであろう。これに対してペテロはここに注意を喚起している。

3章1節 (あい)する(もの)よ、われ(いま)この第二(だいに)(ふみ)(なんぢ)らに()(おく)り、[引照]

口語訳愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。
塚本訳愛する者よ、最早これで二度目の手紙を君達に書き、これら(の手紙)により記憶を喚び起こして君達の純な心に眼を覚まさせ、
前田訳親しい方々、今この第二の手紙をお書きしています。両方の手紙でご記憶に訴えてあなた方の純粋な気持をおこそうとしているのです。
新共同愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。
NIVDear friends, this is now my second letter to you. I have written both of them as reminders to stimulate you to wholesome thinking.
註解: 第一の書はペテロ前書であろう(A1、B1、M0、I0)。第一の書簡は他の紛失せる書簡なりとする反対説(Z0、スピツタ)あれどその理由とする処は決定的でない。

[第一(だいいち)なると(これ)と]をもて(なんぢ)らに(おも)()させ、その(いさぎ)よき(こころ)(はげ)まし、

註解: 読者をして偽教師の欺瞞の言に耳を貸すことなく、聖書の言や使徒たちの教えを思い起して邪説に曇らされない理性を振起させようとするのがペテロの書簡の目的であった。
辞解
[思い出させ] 次節に詳説す。
[潔き] eilikrinês は太陽の光に照らしても純粋であって、邪説や肉慾に曇らされざること。
[心] dianoia は理解、感覚の方面。邦訳に「念」と訳される場合が多い。

3章2節 (せい)なる預言者(よげんしゃ)たちの(あらか)じめ()ひし(ことば)、および(なんぢ)らの使徒(しと)たちの[(つた)へし](しゅ)なる救主(すくひぬし)誡命(いましめ)(おぼ)えさせんとす。[引照]

口語訳それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。
塚本訳聖なる預言者達が前以て言った言と、君達の使徒達が伝えた主また救い主の戒めを思い出させよう(と思う)。
前田訳それは聖なる預言者によって前からいわれたことと、あなた方の使徒の伝えた主また救い主のいましめとを思い出してもらうためです。
新共同聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。
NIVI want you to recall the words spoken in the past by the holy prophets and the command given by our Lord and Savior through your apostles.
註解: キリストの再臨に関する旧約聖書の預言および再臨に対する準備として使徒たちを通して彼らに与えられしキリストの誡命を思い起すことは最も大切なことで、もし彼らが偽教師の言によってこれらを忘却してしまうならば彼らは重大なる真理を失ったのである。今日の多くのキリスト者はこの真理を忘却している。

3章3節 (なんぢ)()まづ()れ、(すゑ)()には(あざけ)(もの)嘲笑(あざけり)をもて(きた)り、おのが(よく)(したが)ひて(あゆ)み、[引照]

口語訳まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
塚本訳それには第一にこのことを知らねばならない──末の日には嘲弄をもって嘲弄者が現れ、自分の情慾に従って歩きながら、
前田訳まずこのことをご存じです。終わりの日にあざける者どもがあざけりをもって現われ、自らの欲によって歩むでしょう。
新共同まず、次のことを知っていなさい。終わりの時には、欲望の赴くままに生活してあざける者たちが現れ、あざけって、
NIVFirst of all, you must understand that in the last days scoffers will come, scoffing and following their own evil desires.

3章4節 かつ()はん『(しゅ)(きた)りたまふ約束(やくそく)何處(いづこ)にありや、先祖(せんぞ)たちの(ねむ)りしのち、(よろづ)のもの開闢(かいびゃく)(はじめ)(ひと)しくして(かは)らざるなり』と。[引照]

口語訳「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。
塚本訳言う、「彼の来臨の約束は何処にあるか、父祖たちが眠って以来、凡ての事が創造の初めからあった通りにしているではないか」と。
前田訳そして「主の再臨の約束はどうなったか、先祖たちが眠ってから、すべてが創造のはじめのままではないか」というでしょう。
新共同こう言います。「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ。父たちが死んでこのかた、世の中のことは、天地創造の初めから何一つ変わらないではないか。」
NIVThey will say, "Where is this `coming' he promised? Ever since our fathers died, everything goes on as it has since the beginning of creation."
註解: 己の欲するがままに歩む者は主の約束を軽蔑する。彼らはその先祖の時代以来万物が開闢(かいびゃく)の時と等しく、何処にも約束の実現の可能性が見えないという理由だけで、キリストの再臨を嘲笑する。今日のキリスト教会の中に主の再臨を否定する者があるのも同一の理由によるのである。
辞解
[おのが慾] 直訳「彼ら自身の慾」、重複して意味を強めている。慾は肉の慾ですなわち自己の智慧や思想の要求をも含む。再臨を(あざけ)る者は多く自己の肉の念を主とする輩である。
[先祖たち] 「アダムとエバ」「初代キリスト者」等と解する説あれどむしろ「ユダヤ人の祖先」にして約束を受けたる者と解すべきであろう。

3章5節 (かれ)らは殊更(ことさら)(つぎ)(こと)()らざるなり、(すなは)(いにし)(かみ)(ことば)によりて(てん)あり、()(みづ)より()(みづ)によりて成立(なりた)ちしが、[引照]

口語訳すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
塚本訳(しかし)そんなことを言い張るのはその人達が次のことに気付かないからである──すなわち既に永い間天と地はあり、神の言により、水を以て、また水によって出来たが、
前田訳このように考える人々には神のことばによって古くから天があり、地が水から水によって成ったことが隠されているのです。
新共同彼らがそのように言うのは、次のことを認めようとしないからです。すなわち、天は大昔から存在し、地は神の言葉によって水を元として、また水によってできたのですが、
NIVBut they deliberately forget that long ago by God's word the heavens existed and the earth was formed out of water and by water.

3章6節 その(とき)()(これ)(ら)により(みづ)(おぼ)はれて(ほろ)びたり。[引照]

口語訳その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
塚本訳この神の言によって当時の世界は水に浸されて亡びたのである。
前田訳みことばによりそのころの世界は水でおおわれて滅びました。
新共同当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。
NIVBy these waters also the world of that time was deluged and destroyed.
註解: 創世記第一章の天地創造の記事と第七章ノアの洪水の記事とに極めて明らかに示されている事実を、彼ら(あざけ)る者らはわざと知らぬふりをしているのである。もし上の事実に表顕せられし神の創造と神の審判の事実を認めるならば、彼らはこの罪の世がやがてキリストの再臨により最後の審判を受くべき時が来ることを否定し得ないであろう。ゆえに彼らは故意にこれを忘れしもののごとくに振舞っているのである。
辞解
[殊更に] 「故意に」の意。
[知らざるなり] 「隠されたればなり」または「忘れたればなり」(8節)。
[水によりて成立つ] dia を用いし所以は水の一部は天に登り一部は天の下の一処に集りて地が形成されし故である(Winer)。
[世] この場合地上の生物を意味する。
[之ら] 何を指すかにつき説多し。創7:11より「天よりの水と地よりの水とによりて」の意(Z0)。

3章7節 されど(おな)御言(みことば)によりて(いま)(てん)()とは(たくは)へられ、()[にて()かれん](の)(ため)に、敬虔(けいけん)ならぬ人々(ひとびと)審判(さばき)滅亡(ほろび)との()まで(たも)たるるなり。[引照]

口語訳しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
塚本訳そして今の天と地は同じ(神の)言によって、(今度は)火(による滅亡)のために蓄えられ、(最後の)審判と不敬虔な人達の滅亡との日のために取って置かれているのである。
前田訳しかし今の天と地は、同じみことばによって火で焼かれるよう保たれています。不信の人々の裁きと滅びの日へと取っておかれています。
新共同しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。
NIVBy the same word the present heavens and earth are reserved for fire, being kept for the day of judgment and destruction of ungodly men.
註解: 神は最後の審判を行い給う時、火をもって今の天地を焼き尽し給うであろう。このことは聖書の所々に暗示されるところである(引照1、Uテサ1:7)。ゆえに現存する天地はそのまま永続し得べきではなく、唯現在においては神の忍耐により(ロマ2:4)その存在を続けて行くにすぎない。やがてはその審判を受け不信なるものの滅亡の時は来るのである。そしてこのように保たれる所以は創造の場合と同じく神の言によるのである。従って滅亡も同様神の言によって来る。
辞解
[火にて焼かれん為に] 原語は唯「火の為に」とあり意味に差異なし。

3章8節 (あい)する(もの)よ、なんぢら()一事(いちじ)(わす)るな。(しゅ)御前(みまへ)には一日(いちにち)千年(せんねん)のごとく、千年(せんねん)一日(いちにち)のごとし。[引照]

口語訳愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
塚本訳愛する者よ、“主の前では”一日が千年の如く、“千年”が一“日の如く”である、この一つの事を忘れるな。
前田訳親しい方々、この一事をお忘れなく。主のみもとでは一日は千年、千年は一日のごとくです。
新共同愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
NIVBut do not forget this one thing, dear friends: With the Lord a day is like a thousand years, and a thousand years are like a day.
註解: 神は時間を超越せる存在で、我らと時間の観念を異にし給う。永遠も現在の一瞬間であり一瞬間も永遠である。我らも真に神と偕に在るならば時間につきかくのごとくに考えることができるであろう。ゆえに主の再臨が二千年遅れたとしてもそれは遅れたのではない。本詩は詩90:4の敷衍であって、意味もいっそう広くなっている。

3章9節 (しゅ)その約束(やくそく)(はた)すに(おそ)きは、(ある)(ひと)(おそ)しと(おも)ふが(ごと)きにあらず、[引照]

口語訳ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
塚本訳主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。
前田訳主はある人々が遅いと思うように約束をおくらせておいでではなく、あなた方に寛容であって、だれも滅びず、万人が悔い改めへ至ることをお望みなのです。
新共同ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
NIVThe Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. He is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.
註解: 私訳「主はある人々の遅しと思うごとくにその約束を遅延し給わず」。主イエスにとりては約束を遅らすというごときことはない、それは人間より見たる誤った判断である。

ただ一人(ひとり)(ほろ)ぶるをも(のぞ)(たま)はず、(すべ)ての(ひと)悔改(くいあらため)(いた)らんことを(のぞ)みて(なんぢ)らを[(なが)く](しの)(たま)ふなり。

註解: 万人を救済することは主の切なる本願である(予定説との関係につき要義参照)。ゆえに主にありては唯凡ての人の悔改めを望みて忍び給うその御心があるのみで、約束を遅延せしむるごときことはない。それ故に我らは主の御心に目を注ぐべきであって時間に心を奪わるべきではない。主は人類を救わんために速やかに来たらんことを欲し給う(黙22:20)。しかしながら滅びようとする魂を見てはその悔改めるを得ようとしてこれを忍び給う。

3章10節 されど(しゅ)()盜人(ぬすびと)のごとく(きた)らん、[引照]

口語訳しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
塚本訳しかし主の日は盗人のように来るであろう。(そして)その日天は轟然たる響きと共に消え失せ、日月星辰は燃えて解け去り、地とその上にある(人間の)事業は燃え失せるであろう。
前田訳主の日は盗びとのように来ましょう。その日、天は響きを立てて消え、天体は燃えてくずれ、地とその中のなりわいは溶け去るでしょう。
新共同主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
NIVBut the day of the Lord will come like a thief. The heavens will disappear with a roar; the elements will be destroyed by fire, and the earth and everything in it will be laid bare.
註解: 嘲笑者が如何に(あざけ)るとも主の言は必ず成る(イザ14:24)。思わざる時主の審判の日は来るであろう。
辞解
[主の日] キリストの来り給う日、また「神の日」(12節)とも言う。日は時代。
[盗人のごとく] イエスもかく教え給い、パウロもヨハネもこれを祖述している(引照2)。されど目を覚ましているキリスト者にとってその日は盗人のごとくではない(Tテサ5:4−6)。

その()には(てん)とどろきて()り、

註解: 主再臨して新天新地の復興が行われる時は旧き諸天は何処にか過ぎ去ってしまう。
辞解
[とどろきて] rhoizêdon の訳としては適度ではない。この語は矢が空気を切って飛ぶ時に発するごとき音をいう。矢が一瞬間にしてヒューッと過去ること。

もろもろの天體(てんたい)()(くづ)れ、

註解: 天の日月星晨(じつげつせいしん)は火をもって分解させられてしまう。キリスト再臨の時この驚くべき光景が行われるであろう。△10節は「元素は焼けて分解せん」、12節は「天体は燃えて分解せん」で原語を異にする。
辞解
[天體] 原語 stoicheia は「元素」「初歩」「小学」等の意あり、ここでは「元素」と訳する訳も有力であるが、元素の中に火をも含む関係、および前後の排列上天体すなわち日月星晨(じつげつせいしん)と見るを可とする(B1、M0、A1、I0)。
[崩れ] 分解すること。▲「天体焼け崩れ」はまた「元素は焼けて分解し」とも訳すことができる。この訳は原子爆弾の発明によって一層適切となった。

()とその(うち)にある(わざ)とは()()きん。

註解: 天そのもの、天体のみならず地とその中に存する天然的または人工的のすべての工は焼かれてしまうであろう。この地の美わしさも新天新地の美わしさに比するべくもなく、いかなる人工の美もその醜さを知らしめられる時が来るであろう。▲▲「焼き尽きん」は原文乱れて不明。異本非常に多し。

3章11節 かく(これ)()のものはみな(くづ)るべければ、(なんぢ)()いかに(きよ)行状(ぎゃうじゃう)敬虔(けいけん)とをもて、[引照]

口語訳このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
塚本訳これらのものが皆このように解け去るとすれば、【君達は】如何に聖い行いと敬虔とにあって、
前田訳すべてがこのように解体するのですから、あなた方はいかに聖く敬虔な行ないの中に生きるべきでしょうか。
新共同このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
NIVSince everything will be destroyed in this way, what kind of people ought you to be? You ought to live holy and godly lives

3章12節 (かみ)()(きた)るを()(これ)(すみや)かにせ[んことを(つと)む]べきにあらずや、[引照]

口語訳極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
塚本訳神の日の到来を待ち望みつつ(これを)早め(ることに努力せ)ねばならぬことであろう!その日“天は”焼けて解け去り、日月星辰は燃えて“溶けるであろう”。
前田訳神の日の到来を待ち望んで備えるあなた方です。その日には天は焼けくずれ、天体は燃えて溶け去るのです。
新共同神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
NIVas you look forward to the day of God and speed its coming. That day will bring about the destruction of the heavens by fire, and the elements will melt in the heat.
註解: キリスト者の希望はやがて崩壊して消滅すべきこの天や地に懸っているのではない。ゆえに彼らは神の日すなわちキリストの再臨の日の来る(parousia)を待つべきであり、かつこれを早めるべきである。そしてキリスト者はいわゆる再臨狂のごとき態度をもって待つべきではなく、またかかる態度をもってはキリストの再臨を早めることができない。唯潔き生活態度と敬虔こそ、再臨を早める最良の方法である。
辞解
[神の日] 稀なる用語、結局「主の日」と同義でキリスト再臨の日に相当する。
[来る] キリストの再臨につき用いる語 parousia をここに用いている。
[勉む] 原語になし。

その()には(てん)()(くづ)れ、もろもろの天體(てんたい)()()けん。

註解: 嘲弄者の誇りは凡て虚しきに帰し、神はその約束を実現し給うであろう。そして神を信ぜずその約束を無視するものは天地と共に審判(さば)かれるに至るであろう。△10節は「元素は焼けて分解せん」、12節は「天体は燃えて分解せん」で原語を異にする。
辞解
[その日] むしろ「その来臨に当って」と訳すべきである。

3章13節 されど(われ)らは(かみ)約束(やくそく)によりて、()()むところの(あたら)しき(てん)(あたら)しき()とを()つ。[引照]

口語訳しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
塚本訳しかし私達は彼の約束によって、義の住む“新しい天”と“新しい地”とを待ち望む。
前田訳しかしわれらは約束をお受けして、義の住む新天と新地とを待ち望んでいるのです。
新共同しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。
NIVBut in keeping with his promise we are looking forward to a new heaven and a new earth, the home of righteousness.
註解: 神の約束を信ずるキリスト者は福である。彼にはこの天と地とは崩れるともこれと全く異なれる新天新地に入ることを得るの希望がある(イザ65:17イザ66:22黙21:1以下)。そしてこの新天新地は単に新しいだけではなくそこには正義が住んでおり不義は存在することができない。この新しき天地を思って我らの心は躍る。これよりも美わしきものを我らは想像することができない。黙21:1−4要義参照。
辞解
[新しき] kainos を用う。すなわち性質において旧きものと異なっていること。
要義1 [キリスト再臨の時期について]キリストも間もなく再び来り給うべきことを預言せられ、使徒を始め初代のキリスト者もみな再臨の速に起るべきことを信じ、これを望んで慰めていた。しかしながら事実今日までキリストの再臨はなかった。然らばこの約束は誤ったのであろうか。再臨はないのであろうか、そうではない。今日のキリスト者も初代の信者と同様再臨の近きことを思ってこれを待ち、かつこれを早めるべきである。何となれば天国における時間の観念は全く異なれる基礎の上に立つのであって、神は永遠の過去より永遠の未来までをも一瞬間のごとくにこれを見ることを得給い、反対に一瞬間をも永遠のごとくに取扱い給う。これと同じくキリスト者もまたキリストの再臨を慕うことによりてその近きを思うべきである。
要義2 [新天新地]かかることは有り得べからざることであると科学者はいうかも知れない。しかしながらもし人類が復活して全く新たなる感覚を持つに至るならば、凡てのものは全く新たなる姿において彼らに現われるであろう。いわんや天地を創造し給える神がこれを改造し得ざる理由はない。
要義3 [九節と予定説]「神は一人の亡ぶるをも望み給はず、凡ての人の悔改に至らんことを望みて汝らを永く忍び給ふなり」との一節は神はある人々を滅亡に予定し給えりとする予定説に反する。ゆえにカルヴィンはこの一説に対し次のごとき苦しき解釈を与えている。「もし神が一人の滅ぶるをも望み給わないならば何故多くの人が滅ぶるのであるかという問いが起り得る。これに対する予の答は、ここでは神の隠れたる御計画については何もいわれていないので、(この御計画によれば reprobate は滅亡に定められているのである。)ここでは唯福音書によりて我らに示されし神の御意について言われているに過ぎない。何となれば神はそこでは凡ての人々に無差別に手を伸べ給うけれども、唯世の創めの先より選び給える者のみを彼に引き寄せるために捉え給うのである」と。カルヴィンは予定説を論理的に進め過ぎたためにかかる過ちに陥ったのであって、聖書によれば神はある者を救いに予定し給うたけれども、滅亡に予定し給うたことは録されていない。この点に注意を要する。▲ロマ9:19−26、殊に22節註参照。

分類
3 結尾のすすめ 3:14 - 3:18

3章14節 この(ゆゑ)(あい)する(もの)よ、(なんぢ)()これを()てば、(かみ)(まへ)汚點(しみ)なく(きず)なく安然(やすらか)()らんことを(つと)めよ。[引照]

口語訳愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。
塚本訳だから愛する者よ、これを待ち望むならば、(その日)神に汚点のない、疵のない、平安にある者として見られるよう努力せよ。
前田訳それゆえ、親しい方々、このことを待ち望みつつ、彼の前にしみなく汚れなく平和のうちにあるよう努めてください。
新共同だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。
NIVSo then, dear friends, since you are looking forward to this, make every effort to be found spotless, blameless and at peace with him.
註解: 私訳「汚点なく瑕なくして平和の中に彼に見出されんことを勉めよ」。改訳は誤りではないけれども再臨の日のこととして考える時かく訳すを可とす(Tテサ5:23Tテモ6:14)。イエス来り給う時我らに汚点や瑕があるならば、我らは良心の平安をもって彼に見ゆることができない。ゆえに彼の再臨を待つ以上かかることなく彼が平和の中にある我らを見出し給うよう努めなければならない。なお本節をキリスト者の現在の状態と解する学者が多い。改訳はこの解によったのであろう。
辞解
[この故に] 前節までの内容、すなわち再臨の必ずあるべきことを受けているけれども、同時にこの書簡全体の結末たらしめんとする心持ちも窺われる。すなわち二章の偽教師に対する警戒として道徳的聖潔を薦めていると見るべきであろう。

3章15節 (かつ)われらの(しゅ)寛容(くわんよう)(すくひ)なりと(おも)へ、[引照]

口語訳また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。
塚本訳また私達の主の寛容をもって(君達の)救い(の保証)と考えよ。私達の愛する兄弟パウロも授けられた知恵に従って君達に書いた通りである。
前田訳われらの主の寛容こそ救いとお思いなさい。愛する兄弟パウロも、彼に与えられた知恵によってお書きしたとおりです。
新共同また、わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい。それは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、神から授かった知恵に基づいて、あなたがたに書き送ったことでもあります。
NIVBear in mind that our Lord's patience means salvation, just as our dear brother Paul also wrote you with the wisdom that God gave him.
註解: 主の寛容のお陰で救われるのであるのに、(あざけ)る者らはこの寛容を「再臨の遅延と思い」(9節)嘲笑しているのは大なる誤りである。ゆえに主の再臨を待ち望みつつ偽教師の誤れる自由に(まが)されることなく、その救いを握らなければならない。

これは(われ)らの(あい)する兄弟(きゃうだい)パウロも、その(あた)へられたる智慧(ちゑ)にしたがひ[(かつ)て](なんぢ)らに()(おく)りし(ごと)し。

註解: パウロの教えを曲解して、自由主義の偽教師や再臨を(あざけ)る者が出来たのであろう。しかしパウロも決して異端を教えないことをペテロがここに注意している。この書簡の読者はパウロの影響を受けている人々であることがわかる。
辞解
[これは] 「かくのごとく」で、その指す処は(1)15節前半、(2)14節、(3)本書簡全体など種々に考えられる。文法上は(1)(2)のごとく見ゆるけれども、意味の上および6節との関係上(3)と見るべきがごとし。
[われらの愛する兄弟パウロ] すなわちペテロはこの書簡の読者に彼とパウロとの使徒としての関係を明示し、パウロとペテロとを異なる教えを為すがごとくに考える者の誤りを示す。
[その與へられたる智慧にしたがひ] 使徒といえども各々その与えられたる智慧を異にしている。各々がこれにしたがいて教うる処に意義がある。
[書き贈りし] いずれの書簡を指すかにつき多くの想像説あり。「これは」が何を指すか、またこの書簡の読者が何地方の人なるかによりて判断することができる。「これは」を前述のごとく本書簡全体の内容と見、本書簡を前書と同じく小アジアの教会に宛てられたものとすれば、エペソ書、コロサイ書、ガラテヤ書などこれに相当するであろう。

3章16節 (かれ)はその(すべ)ての(ふみ)にも(これ)()のことに()きて(かた)る、その(うち)には(さと)りがたき(ところ)あり、無學(むがく)のもの(こころ)(さだめ)らぬ(もの)は、(ほか)聖書(せいしょ)のごとく(これ)をも()()きて(みづか)滅亡(ほろび)(まね)くなり。[引照]

口語訳彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。
塚本訳これについて述べているその凡ての手紙においても同様であるが、その中には難解なものも少なくないので、教養のない者や心の定まらない者は他の(聖)書と同様これをも曲解して自分の亡滅を招いている。
前田訳彼はそのすべての手紙でこのことをいっています。しかし手紙には、いくつかむずかしいところがあって、無学で気弱のものが、他の書きものにもしているように、誤解して自らの滅びを招いています。
新共同彼は、どの手紙の中でもこのことについて述べています。その手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています。
NIVHe writes the same way in all his letters, speaking in them of these matters. His letters contain some things that are hard to understand, which ignorant and unstable people distort, as they do the other Scriptures, to their own destruction.
註解: ペテロはここにパウロの書簡につきて必要なる注意を与え、無学なるものすなわち聖書の真理につき充分に教えられていない者および心の定まらない動揺し易い信仰の者などは牽強付会(けんきょうふかい)の解釈を施し易いのでこれを警戒している。
辞解
[此等のこと] 前節と同じく本書簡の主なる内容全体を指す。必ずしもこれを再臨の問題、キリスト者の自由の問題、復活の問題、道徳問題等と限定する必要がない。
[他の聖書] 旧約聖書および当時行われし使徒らの書簡を指す。これを「他の書」に訳して旧約聖書をこの中に入れず、唯の書簡のみを指すとする説あれど(A1、M0、Z0) graphê は常に聖書の意味に用いられる故、ここのみにこれを別の意味に解する必要がない。パウロの書簡や使徒の書簡は当時すでにこれを旧約聖書と同列またはその上に置かれていたものと見るべきである(I0)。そこに使徒たちの自信のほどが窺われる。この点Uコリ3:4−11参照。ただしこれを当時すでに固定せる正経 canon の中に包含せしめたという意味ではない。

3章17節 されば(あい)する(もの)よ、なんぢら(あらか)じめ[(これ)を]()れば、(つつし)みて無法(むほふ)(もの)(まよひ)にさそはれて(おの)(かた)(こころ)(うしな)はず、[引照]

口語訳愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。
塚本訳だから愛する者よ、君達は前以てこのことを知って、無法者どもの迷いに引き込まれ自分の堅い決心から落ち(ることの)ないように気をつけ、
前田訳しかし、親しい方々、あなた方は前からご存じのように、放縦の人々の惑わしに導かれて、自らの立場を失わぬよう気をつけてください。
新共同それで、愛する人たち、あなたがたはこのことをあらかじめ知っているのですから、不道徳な者たちに唆されて、堅固な足場を失わないように注意しなさい。
NIVTherefore, dear friends, since you already know this, be on your guard so that you may not be carried away by the error of lawless men and fall from your secure position.
註解: 私訳「汝らは予め知るが故に無法の者の迷誤に誘引せられて己が堅き土台より堕ちぬように慎むべし」。本節および次節前半にこの書簡の読者に対して本書簡を(したた)めし主要の目的であった処の注意を与えている。本節はその消極的方面、次節前半は積極的方面を示す。
辞解
[之を] 原語になし。
[預め知る] 前節の「無学」に対応している。
[無法の者] Uペテ2:7辞解参照。
[(まよひ)] planê は迷いの結果の誤りを指す。
[さそはれて] sunapachthentes は「共に彼方に導かれて」の意(ガラ2:13)。
[堅き心] 堅き基礎、堅き地位等の意。
[失ふ] 「より堕ちる」(ガラ5:4)。

3章18節 ますます(われ)らの(しゅ)なる救主(すくひぬし)イエス・キリストの恩寵(めぐみ)と[(しゅ)()る]知識(ちしき)とに(すす)め。[引照]

口語訳そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。
塚本訳私達の主また救い主イエス・キリストの恩恵と知識とに成長せよ。(願う、)今も永遠の日までも栄光彼にあらんことを!
前田訳われらの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識において成長してください。今も永遠の日にも、栄光が彼にありますように。
新共同わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。このイエス・キリストに、今も、また永遠に栄光がありますように、アーメン。
NIVBut grow in the grace and knowledge of our Lord and Savior Jesus Christ. To him be glory both now and forever! Amen.
註解: ペテロの奨励の積極的方面、すなわち誤りに陥ることを避けて救い主、主イエス・キリストの賜う恩恵と知識とにおいて発育成長しなければならない。誤れる自由主義は恩恵を誤解せるものであり、再臨を否定する者は知識の発育せざるものである。
辞解
[進め] auxanete は「成長せよ」「発育せよ」の意。なお本節の訳し方従って意味の取り方に三種あり、(1)恩寵とイエス・キリスト〔を知る〕の知識(M0、Z0、C1)、(2)イエス・キリストの〔賜う〕恩寵と〔彼を知るの〕知識(A1、改訳)、(3)イエス・キリストの〔賜う〕恩寵と知識(E0、I0)、第三説を取る。

(ねが)はくは(いま)および永遠(とこしへ)()までも榮光(えいくわう)かれに()らんことを。

註解: キリストの栄光に対する讃美と祈祷。
辞解
[永遠の日] 永遠までもというに同じ、永遠の日には夜はない(黙22:5)。
要義 [パウロの書簡について]パウロの書簡はおそらくパウロと同様に深き信仰の状態に達して始めて誤りなくこれを理解し得るであろう。信仰のみにより行いによらずして義とされる教理のごときも、単にこれを文字の上のみより見る場合には無律法主義となり、または偽安心となり易く、律法より解放たれて霊の自由に歩む教理のごときも肉の自由放佚(ほういつ)主義に陥り易い。而してかかる弊害に陥らざらんがためには17、18節のごとく偽教師に迷わされることなくキリストの賜う恩恵と知識に発育することが必要である。