第2テサロニケ書第1章
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1 挨拶 1:1 - 1:2
1章1節 パウロ、シルワノ、テモテ、[
口語訳 | パウロとシルワノとテモテから、わたしたちの父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。 |
塚本訳 | パウロ、シルワノ、テモテより、私達の父なる神と主イエス・キリストに在るテサロニケ人の教会に手紙を遺る。 |
前田訳 | パウロとシルワノとテモテから、われらの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケ人の集まりへ。 |
新共同 | パウロ、シルワノ、テモテから、わたしたちの父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。 |
NIV | Paul, Silas and Timothy, To the church of the Thessalonians in God our Father and the Lord Jesus Christ: |
註解: 受信者も発信者も前書の冒頭の挨拶に等し、「我らの」だけが加えられている。
1章2節 [
口語訳 | 父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 |
塚本訳 | 父なる神と主イエス・キリストの恩恵と平安、君達にあらんことを。 |
前田訳 | 恵みと平安が父なる神と主イエス・キリストからあなた方に与えられますように。 |
新共同 | わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 |
NIV | Grace and peace to you from God the Father and the Lord Jesus Christ. |
註解: 恩恵と平安の源は神およびキリストより来る。恩恵は神がキリストによりて我らを罪より救い出して神の子となし給いし恩恵であり、「平安」はこの救いによりて神の怒りは宥められ神との間の平和が成就せる結果である。
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2 パウロの感謝と祈願 1:3 - 1:12
1章3節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。 |
塚本訳 | 兄弟達よ、当然のことながら、私達がいつも君達のために神に感謝しなければならないのは、君達の信仰が著しく成長し、また互いにの愛が君達一人一人に皆増し加わっていることであって、 |
前田訳 | 兄弟たちよ、あなた方のことをわれらはいつも神に感謝せざるをえません。それは当然です。あなた方の信仰が伸びに伸び、皆さんのお互いの愛がいや増すからです。 |
新共同 | 兄弟たち、あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。また、そうするのが当然です。あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです。 |
NIV | We ought always to thank God for you, brothers, and rightly so, because your faith is growing more and more, and the love every one of you has for each other is increasing. |
註解: テサロニケの教会の状態につきては前書と同じくパウロは神に感謝すべき義務を感じていた。それは彼らの信仰は増し愛は豊かになっていたからである。Tテサ1:3と異なり希望につきてここに記していないのは、本書の本来の目的が再臨の希望に関する誤謬を訂正せんがために書かれたからであって、4節以下も同様希望の一方面を明示して誤れる希望に堕せざらんことを努めている。
辞解
[これ当然の事なり] 幾分冷静な調子(L2、W2)があるのは、パウロがこの部分を教会の礼拝用たらしめんがためにユダヤ的形式を幾分キリスト教化したから(L2)ではなく、むしろパウロの心中にはテサロニケ教会の一部の再臨狂に対する憂慮が主たる感情となって彼を支配したためであろう。それ故にこの感情はパウロとしては理性的に考えた結果であった。
1章4節 されば
口語訳 | そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。 |
塚本訳 | そのため私達は自分(の口)で、君達があらゆる迫害と患難に耐えているその忍耐と忠実とを神の諸教会の中で自慢しているのであるが、 |
前田訳 | あなた方は今お受けのあらゆる迫害や苦難の中で忍耐づよく信仰をおつづけですが、それをわれら自ら神の諸集会に誇っています。 |
新共同 | それで、わたしたち自身、あなたがたが今、受けているありとあらゆる迫害と苦難の中で、忍耐と信仰を示していることを、神の諸教会の間で誇りに思っています。 |
NIV | Therefore, among God's churches we boast about your perseverance and faith in all the persecutions and trials you are enduring. |
註解: 信仰と愛とに関する前節を受けてテサロニケ教会の望みにつき述べる代りに、その結果たる苦難の中における忍耐と真実とにつきてここに述べ、パウロがこれをその伝道せる諸教会に誇っていたことを示す。キリスト者の最大の恥辱は迫害と苦難に屈して信仰の純潔を失うことであるからである。
辞解
[ありて保ちたる] 「於ける汝らの」と直訳する方が適当である。
[信仰] この場合「真実」と訳するを可とす(M0)。
1章5節 これ
口語訳 | これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。 |
塚本訳 | (実はかく)君達が苦しんでいることが(とりも直さず)神の正しい(最後の)審判の(既に切迫している)兆であり、(またそれにより)君達が神の国に相応しい者とされるためであって、君達は(今)その御国のために苦しんでいるので、 |
前田訳 | これはあなた方を神の国にふさわしくなさるための神の裁きの正しさの証拠です。神の国ゆえにこそあなた方はお苦しみなのです。 |
新共同 | これは、あなたがたを神の国にふさわしい者とする、神の判定が正しいという証拠です。あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。 |
NIV | All this is evidence that God's judgment is right, and as a result you will be counted worthy of the kingdom of God, for which you are suffering. |
註解: 迫害と苦難の中において忍耐と真実を保つことはすでに敵にとりては敗北の徴であって(ピリ1:27−30)汝らにとりては救いの徴である。すなわち神の正しき審判の徴である。これは汝らを訓練して、汝らが苦しみつつ得んとしている神の国に相応しき者と汝らを為さんがためである。
辞解
[兆 ] 予兆の意味(M0)と見るよりも「証拠」の意味に取るを可とす。
[審判] 未来において完成するのであるけれども現在においてすでに実現している。
[▲ならん為] は「せられんため」。
1章6節
口語訳 | すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。 |
塚本訳 | 神は(きっと)──これは神において正しいことであるから──(今)君達を苦しめている者達には患難をもって、 |
前田訳 | 神が、あなた方を苦しめるものには苦難をもって、 |
新共同 | 神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、 |
NIV | God is just: He will pay back trouble to those who trouble you |
註解: 神の審判の正しさは、その報復の公平さを見てこれを知ることができる。すなわち世の終末に神の審判が顕れる時は lex talionis の法則(復讐法)が行われて現世において迫害者として他人を苦しむる者は自らも苦難を受け、罪なしに苦しめられる我らは平安の中に安息を受ける。
辞解
6−10節は日本訳にては原文の連絡を示し難し。7−10節は6節の審判が行われる時期と有様との説明的副詞句なり。なお6節の一部は原文では7節に入る。
[神の正しき事なり] 「神において正しき事なりとせば」とあり、仮定の形式をもってする断定の意味なり。なお本節以下にユダヤ教的報復思想が濃厚に出て来るのでこれをもって本書間のパウロの作にあらざる証拠となし、または本書間がテサロニケ教会の中のユダヤ人の少数に宛てられたものとする説(ハルナック)あれど、むしろこの場合パウロはテサロニケの信徒に神の審判の前に立ち得る正しき者となることが最大の必要であることを告げんとしているのであって、キリストの再臨を信ずると称して、神の国に相応しからざる態度を取る者に対する警戒としてこれを解すべきである。福音はユダヤ思想の放棄ではなく、その完成である(なおロマ2:6−11)。
1章7節
口語訳 | それは、主イエスが炎の中で力ある天使たちを率いて天から現れる時に実現する。 |
塚本訳 | また(これに反し今)苦しめられている君達には私達と一緒に安息をもって報い給うのであって、そのことは主イエスが天からその能力なる天使(の群)と共に“火焔の中に”現れ給う時に実現し、 |
前田訳 | 苦しめられるあなた方には、われらと同じく、安息をもってお報いなのは正当です。それは主イエスが天から力ある天使たちとともに炎の中に姿をお見せの時です。 |
新共同 | また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報いを実現なさいます。 |
NIV | and give relief to you who are troubled, and to us as well. This will happen when the Lord Jesus is revealed from heaven in blazing fire with his powerful angels. |
1章8節
口語訳 | その時、主は神を認めない者たちや、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者たちに報復し、 |
塚本訳 | (その時)主は“神を知ろうとせぬ(異教の)者”と、私達の主イエスの福音に“従順でない者に仕返しをし給う”ので、 |
前田訳 | 彼は神を認めないものや、われらの主イエスの福音を聞き入れないものに、報いをなさるでしょう。 |
新共同 | 主イエスは、燃え盛る火の中を来られます。そして神を認めない者や、わたしたちの主イエスの福音に聞き従わない者に、罰をお与えになります。 |
NIV | He will punish those who do not know God and do not obey the gospel of our Lord Jesus. |
1章9節 かかる
口語訳 | そして、彼らは主のみ顔とその力の栄光から退けられて、永遠の滅びに至る刑罰を受けるであろう。 |
塚本訳 | これらの人達は罰を受けて“主の御顔とその御力の栄光とから”永遠に滅び失せる── |
前田訳 | 彼らは永遠の滅びという罰を受けて、主のお顔と彼の力の栄光とから絶たれましょう。 |
新共同 | 彼らは、主の面前から退けられ、その栄光に輝く力から切り離されて、永遠の破滅という刑罰を受けるでしょう。 |
NIV | They will be punished with everlasting destruction and shut out from the presence of the Lord and from the majesty of his power |
註解: 6節前半の原理に対し7−9節はその適用を示し、6節後半の原理に対しては10−12節はその適用を示す。限りなき滅亡の刑罰を受けるものは「神を知らぬ者」と「主イエスの福音に服 はぬ者」とである。前者は異邦人、後者はユダヤ人の不信者をも含む。そしてこの刑罰の行われる時期はイエスの再臨の時で、その有様はイエスの能力を示すべき天使と共に焔の中に天より顕れ給うと考えられた。そして刑罰を受ける者は主の御顔とその力の栄光とを離れて限りなき滅亡に入る。イエスの再臨につきてはキリスト者はまずこの審判の原則を明らかにしなければならぬ。これによりてキリスト者は、己を迫害する者の結局の運命を明らかに知ることができ、迫害の中にありて望みを失わずにいることができる。
辞解
[焔の中に] 審判は火をもって行われる思想と関係して、神の顕現の貌として旧約聖書にしばしば記されている(8節引照1参照)。
[能力の御使] あるいは「能力ある御使」(B1)とも訳し得るけれども現行訳を可とす。上掲のごとくに解した。御使たちと共に降ることにつきてはTテサ4:14。経外聖書エノク1:4参照。
[主の顔とその能力の栄光とを離れて] apo はまた「・・・・・・とより」とも訳すことができる。主の御顔と能力の栄光とより刑罰が流れ出づる貌と解す。2節の apo のごとし(B1、Z0)。この解釈を採る。ただし現行訳のごとくに解する説多し(A1、M0、L2)。全体的に見てこの三節は著しくユダヤ的であるので、これはユダヤ的終末思想にキリスト教的変更を加えて礼拝に用うべき一種の信仰告白を作り出したのである(L2)と称える学者があるけれども、パウロの心中にはかかる要素はなかったものと思われる。パウロはむしろテサロニケの信徒を迫害する者に対する審判を示さんとしてユダヤ教時代より慣用し来れる語句が自然にその口に浮び出たのであろう。なお6節辞解参照。
1章10節 その
口語訳 | その日に、イエスは下ってこられ、聖徒たちの中であがめられ、すべて信じる者たちの間で驚嘆されるであろう—わたしたちのこのあかしは、あなたがたによって信じられているのである。 |
塚本訳 | そしてこれは主が“聖徒達の間に崇められ”、凡ての信者の間にて【(もちろん君達の間にても)──私達の(福音の)証は君達の所で信じられたのだ!】“誉めたたえられんとて来たり給うかの日に”実現するのである。 |
前田訳 | その日に彼は来臨なさって、彼の聖徒らから栄光を受け、信ずるものらにあがめられましょう。実に、われらがお伝えした証をあなた方はお信じです。 |
新共同 | かの日、主が来られるとき、主は御自分の聖なる者たちの間であがめられ、また、すべて信じる者たちの間でほめたたえられるのです。それは、あなたがたがわたしたちのもたらした証しを信じたからです。 |
NIV | on the day he comes to be glorified in his holy people and to be marveled at among all those who have believed. This includes you, because you believed our testimony to you. |
註解: 不信者に対する刑罰の日は主イエスが信ずる者(テサロニケの信徒もパウロらの証を信じた故勿論この中に入るのであるが)すなわち聖徒によりて崇められ讃めれられ、為に再び来り給う栄光の日である。かく言いてパウロは間接に聖徒たちが主イエスの再臨を飾る栄光となることを示し、不信者の刑罰と対照せしめている。
1章11節 これに
口語訳 | このためにまた、わたしたちは、わたしたちの神があなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さるようにと、あなたがたのために絶えず祈っている。 |
塚本訳 | そのため私達はまた、私達の神が君達をその御召しに相応しい者とし、また(君達の)善に対する凡ての悦びと信仰の業とを力づよく完成し給わんことを、いつも君達のために祈っているのであるが、 |
前田訳 | このためにもわれらはいつもあなた方のために祈るのです−−われらの神があなた方をお招きにふさわしくなさり、善へのあらゆる意欲と信仰のわざとを力強くお満たしのようにと。 |
新共同 | このことのためにも、いつもあなたがたのために祈っています。どうか、わたしたちの神が、あなたがたを招きにふさわしいものとしてくださり、また、その御力で、善を求めるあらゆる願いと信仰の働きを成就させてくださるように。 |
NIV | With this in mind, we constantly pray for you, that our God may count you worthy of his calling, and that by his power he may fulfill every good purpose of yours and every act prompted by your faith. |
註解: パウロがテサロニケの信者の未来の栄光を思うにつけて、祈らざるを得ないことは彼らがこの栄光を受けるに足るものとせられんことである。詳言すれば神が彼らを神の召しに適う者すなわちその召されしことによりて与えられる天的資格に相応せる者とされること、並びに神がその力によりて彼らに凡て神の御旨にかなう善きことと信仰の業とを充たし給わんことである。
辞解
[凡て善に就ける願] また「神の御意に叶う凡ての善」と訳すことができる(B1)。かく解すれば後半は「能力をもて凡て御意に適う善き事と信仰の業とを充し給わんことなり」となる。この解釈は近代の多くの学者が拒否している処であるが、かえって適切なるがごとく思わる。
1章12節 これ
口語訳 | それは、わたしたちの神と主イエス・キリストとの恵みによって、わたしたちの主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためである。 |
塚本訳 | これは私達の神と主イエス・キリストの恩恵によって、私達の主イエスの“御名が君達の間にて崇められ”、また君達も彼に在って崇められ“んためである”。 |
前田訳 | それはわれらの神と主イエス・キリストとの恵みによって、あなた方の間でわれらの主イエスのみ名が栄化され、あなた方も彼によって栄化されるためです。 |
新共同 | それは、わたしたちの神と主イエス・キリストの恵みによって、わたしたちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主によって誉れを受けるようになるためです。 |
NIV | We pray this so that the name of our Lord Jesus may be glorified in you, and you in him, according to the grace of our God and the Lord Jesus Christ. |
註解: イエスの再臨により信者の復活と不信者の審判とが行われ、「神、人と共に住み、人、神の民となる」時には(黙21:3)、人は神の民として神の栄光を帯びて輝き、神の栄光はまたこの民の栄光によりて掲げられるのであるが、この事実に類似せる現象が、現在における教会の中にも行われるのである。これは信者が神とキリストとの恩恵によりて、その召しに適 うものとせられ、神の御旨に適 う善と信仰の業とにて充つるものとされる時に起る現象であって、この時には主イエスの御名は、この恩恵によりて充たされる信者たちの中に崇められ、またイエス・キリストを信ずる者は、イエスに在りてその信仰の生活を送ることによりて世の人々より崇められるのである。
要義 [迫害、苦難の中における再臨の希望]信仰のために受くる苦難や迫害に対しては、己が正義に立っていることを確信することによりて、その苦難や迫害に耐え得ることは事実であるが、しかもこれよりもはるかに力強いところのものはキリストの再臨によりて、正しき審判が行われ、信ずる者は救われ、神に叛く者は限りなき刑罰に入れられることの確信と希望とである。この希望と確信を有するものは如何なる苦難の中にも満々たる希望を持し、迫害のただ中にありても勝利の栄光を望んで凱歌を挙げることができる。
第2テサロニケ書第2章
分類
3 再臨問題と救の確実性 2:1 - 2:17
3-1 キリスト再臨に関する誤謬とその注意 2:1 - 2:12
註解: 1−12節は本書の中心をなすキリストの再臨の問題に関する部分で、難解にして問題の多い箇所である。
2章1節
口語訳 | さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。 |
塚本訳 | 兄弟達よ、お願いだが、【私達の】主イエス・キリストの来臨と、(その時)私達が御許に集まることとについては、 |
前田訳 | 兄弟たちよ、われらの主イエス・キリストの来臨と彼がわれらをみもとにお集めのことについてお願いします。 |
新共同 | さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。 |
NIV | Concerning the coming of our Lord Jesus Christ and our being gathered to him, we ask you, brothers, |
註解: 主の再臨がパウロの伝道の初期における教会において殊に重大なる問題であった。テサロニケ教会においては殊にその問題が熱心に考えられた。その結果再臨狂とも称すべき熱心家が起ったので、それらを正しき軌道に戻さんがためにパウロは「汝らに求む」と言いて次節以下の諸点を念頭に置くべきことを要求した。
辞解
[主の許に集ふこと] Tテサ4:13−17。
[兄弟よ] 親密さを示す。
2章2節
口語訳 | 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。 |
塚本訳 | (たとい)霊(の語)によって、あるいは私達から(出た)と(吹聴)されている言によりあるいは手紙によって、主の日は(既に)来ていると言われても、(決して)直に心を騒がせたり、狼狽えたりしないようにしてもらいたい。 |
前田訳 | 霊によれ、ことばによれ、われらからと称する手紙によれ、「主の日がもう来た」ということで、すぐに心が動かされたり、うろたえたりしないでください。 |
新共同 | 霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。 |
NIV | not to become easily unsettled or alarmed by some prophecy, report or letter supposed to have come from us, saying that the day of the Lord has already come. |
註解: 一部私訳「或は我等より出でし如き言或は書により」とする方がよろし、当時ある者は「霊」すなわち聖霊に導かれたと称し、またはパウロの言であると称し、或はパウロらの書簡を偽造し、すなわち権威あるかのごとくに装って主の日すでに到れりと唱うる者があった。これにつきパウロはテサロニケの信徒に訴えてこれによりて心を動かしかつ驚かされてはならないことを戒めている。前書(Tテサ5:2、3等)により主の再臨近しと信んじて熱狂する者は往々にしてかかる狂信に陥り、またはかかる狂信者に動かされ易いものである。主の再臨の非常に近きを信じつつかかる狂信に陥らなかったパウロの信仰を学ぶべきである。
辞解
[心を動かし] 動揺によりて心がその立場を失うごとき意味。「動かし」は海の波の動揺につきていう語である。
口語訳 | だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 |
塚本訳 | 誰が何と言っても決して騙されてはならない。何故なら、(主の日が来る前には必ず)まず背教が起こり、そして不法の人、(すなわち)滅亡の子が顕れねばならぬからである。 |
前田訳 | だれにもどんなことがあっても、だまされないでください。まず背教がおこり、不法の者すなわち滅びの子が現われるのです。 |
新共同 | だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。 |
NIV | Don't let anyone deceive you in any way, for that day will not come until the rebellion occurs and the man of lawlessness is revealed, the man doomed to destruction. |
註解: 主の再臨が非常に近いということを信じつつ、すでに来れりということを信じないことは甚だ困難であるが、それには以下のごとき条件があることに注意しなければならない。以下に述ぶるパウロの終末思想はユダヤ教の終末思想の影響を多分に受けていることに注意すべきである。
その
註解: 要義一参照。背教 apostasia はユダヤ教においては異教に堕落することで、これがメシヤの来臨の前兆とされていた。マタ24:10−12。パウロは具体的の背教の事実を指しているのではなく、これを一つの原理として述べたのである。しかしながら当時の世界においても、これに類する事を多く見ることができた。
2章4節
口語訳 | 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。 |
塚本訳 | これは“凡て神”とか聖なるものとか呼ばれるものに反抗して自ら“高ぶり”、斯くして(遂に)“神の”聖殿“に坐り込み”、自分を”神”なりとする者である。 |
前田訳 | 彼は反逆者で、神あるいは聖なるものと呼ばれるすべてのものに反抗して立ち上がり、神の宮に座して自ら神であると宣言します。 |
新共同 | この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。 |
NIV | He will oppose and will exalt himself over everything that is called God or is worshiped, so that he sets himself up in God's temple, proclaiming himself to be God. |
註解: 「不法の人」「滅亡の子」ヨハ17:12等はユダヤ的終末観の術語であり、ダニ11:36−39はこの不法の人を描いており、本節はこれに效 える文章より成っている。なおTヨハ2:18、Tヨハ2:22(およびその引照)等にはこれを「非キリスト」Antichrist と呼んでいて、キリスト再臨の前に出現すべき人物と考えられている。本文の示すがごとくこの非キリストは不法の人であって神の律法を無視しこれを破る者であり、「滅亡の子」であって、やがて神の審判によりて滅ぶべきものであり、そして自己を神の地位に置いて神の聖所に坐するに至る者である。なおこの思想は多くの経外聖書にもこれを見出すことができる。そしてパウロはキリストの再臨の前には必ず不法の人なる非キリストが顕るべきことを告げている。ただしパウロはある歴史上の特定人物を指して言っているのではなく、一つの原理を示しているのであるが、この原理は歴史上しばしばこれに相当する人物に適用し得る場合がある。現に上掲ダニエル書よりの引用の箇所はアンテクオス・エピファネス王を指していることは今日の学者の通説であるが、パウロがここで何人を指したかにつきては異説が多い。予はパウロは歴史上の何人をも特に指してはいなものと考える。
2章5節 われ
口語訳 | わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。 |
塚本訳 | これは私がまだ君達の所にいた時(度々)言ったことであるが、思い出さないのか。 |
前田訳 | わたしがそちらにいたとき、このことをいいつづけたのをお覚えでないのですか。 |
新共同 | まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。 |
NIV | Don't you remember that when I was with you I used to tell you these things? |
註解: パウロはテサロニケに伝道せる際にもすでに口づからこれを彼らに告げたのであって、今日新たに考え出した説ではない。
辞解
[これらの事] 3、4節の内容。
2章6節
口語訳 | そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。 |
塚本訳 | そして彼がその定められた時に(はじめて)顕れるため、今(これを)引き留めているものがあることを君達は知っている(はずである。) |
前田訳 | 今はご承知のように、彼が時を得て現われるように、彼を引き止めるものがあります。 |
新共同 | 今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。 |
NIV | And now you know what is holding him back, so that he may be revealed at the proper time. |
2章7節
口語訳 | 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。 |
塚本訳 | 然り、既に不法は秘密に働いている。ただ、それは今(これを)引き留めている者が取り除かれるまでであって、 |
前田訳 | すでに不法の奥義が働いていますが、それは単に今の阻止者が除かれる時までのことです。 |
新共同 | 不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。 |
NIV | For the secret power of lawlessness is already at work; but the one who now holds it back will continue to do so till he is taken out of the way. |
註解: 私訳「而して彼をして己が時に至りて顕れしめんための制止物を今汝らは知る。そは不法の奥義はすでに働き、唯制止者の除かるまでなればなり」。ここに「制止物」と「制止者」と二種の語を用い、中性と男性に使い分けているのは、前者は原理を示し、後者はその具体化せる人間を示しているのであろう。非キリストが未だ顕われないのはこの「阻めをる者」すなわち「制止者」があるからで、この制止者は神の御旨によりて不法の人、非キリストの顕るべき時まで置かれており、この制止者が除かれるや否や非キリストが現れるのである。そして不法の奥義はすでに働いており、唯この奥義の具体化のみが時の問題である。この「制止物」(to katechôn)および「制止者」(ho katechôn)を多数の学者はローマ帝国およびローマ皇帝と解しているけれども疑わし。「要義」を参照すべし。
2章8節 かくて
口語訳 | その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。 |
塚本訳 | その時(いよいよ)“不法の者”が顕れ、これを主【イエス】が“その口の息で殺し”、その来臨の出現で亡ぼし給うであろう。 |
前田訳 | その時には不法の者が現われ、主イエスが口の息で彼を殺し、来臨の輝きによってお滅ぼしでしょう。 |
新共同 | その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。 |
NIV | And then the lawless one will be revealed, whom the Lord Jesus will overthrow with the breath of his mouth and destroy by the splendor of his coming. |
註解: 「制止物」として置かれたものが除かれる時至れば非キリストが顕れるけれども、この時主イエスの降臨ありてこの非キリストを絶滅し給う。
辞解
[御口 の氣息 ] その御言の力の強さを意味すると見るよりも単に再臨のキリストの能力の偉大さを示すと見るべきである。
[降臨の輝耀 ] 「臨在の顕現」の意訳、すなわちキリストが単に顕現し給うことによりて非キリストは滅亡する。
2章9節
口語訳 | 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 |
塚本訳 | そしてこの不法の者はサタンの働きによって来臨し、あらゆる偽りの奇蹟と徴と不思議と、 |
前田訳 | 不法の者の到来は悪魔のわざで、あらゆる偽りの力と不思議と徴と、 |
新共同 | 不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、 |
NIV | The coming of the lawless one will be in accordance with the work of Satan displayed in all kinds of counterfeit miracles, signs and wonders, |
2章10節
口語訳 | また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。 |
塚本訳 | あらん限りの不義の眩惑とをもって、亡び行く人達に向かうのである。というのは、この人達は彼らを救う(福音の)真理に対する愛を(少しも有たず、福音を示されながら遂にこれを)受けなかったからである。 |
前田訳 | あらゆる不義の誘惑が滅びるものに向けられています。滅びは彼らが救われるための真理愛を受け入れなかったためです。 |
新共同 | そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。 |
NIV | and in every sort of evil that deceives those who are perishing. They perish because they refused to love the truth and so be saved. |
註解: 非キリストの原動力はサタンであってサタンより力を与えられて来り、その活動の方法は凡ての虚偽なる力と徴と不思議と不義の誑惑 とであり、その活動の相手は「亡ぶる者」である。すなわちサタンが神に対抗すると同じく非キリストはキリストに対抗する力を有し、その活動はキリストのごとく力と徴と不思議とを行う、そしてキリストが正義と公平とをもって働き給うのに対し、非キリストは不義の誑惑 を行い、キリストが救わるべきものに福音を宣伝うるに対し、非キリストは滅ぶる者どもに向う、凡ての点において非キリストはキリストの正反対である。
註解: 滅ぶる者は救われざらんとして真理を愛する愛を受けない。もし彼らにして真理を愛する愛を受けるならば、不義の誑惑 に陥ることなく、非キリストに滅ぼされることはないはずである。
2章11節 この
口語訳 | そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 |
塚本訳 | そこで神は彼らが虚偽を信ずるため惑わす力を彼らに送って、 |
前田訳 | それで神は彼らが偽りを信じるように迷いの力を送り、 |
新共同 | それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。 |
NIV | For this reason God sends them a powerful delusion so that they will believe the lie |
2章12節 これ
口語訳 | こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。 |
塚本訳 | 真理を信ぜず悪を喜ぶ人達を悉く審判き給うのである。 |
前田訳 | 真理を信ぜずに不義をよろこぶものが、みな裁かれるようになさいました。 |
新共同 | こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。 |
NIV | and so that all will be condemned who have not believed the truth but have delighted in wickedness. |
註解: 真理を愛する愛を受けない者には神はかえって惑いをその中に働かせて彼らをして虚偽を信ぜしめ給う、神は頑固なるパロを頑固にし給えるごとく、真理を愛する愛を受けざる者には惑いを働かせて虚偽を信ぜしめ給う。これ不義を喜ぶ者のみな審 かれんためである。かく言いてパウロはキリストの再臨を待ち望む態度は、主の日すでに到れりと考えて動揺することではなく、また主の日何時来るかを計算することでもなく、唯、真理を愛する愛を受けることであることを教えている。▲なおこの部分を理解するためにはマタ24章の主イエスの再臨に関するイエスの言を参照すべし。双方とも謎のごとくまた詩のごとく、理論的にこれを理解することは困難である。イエスの再臨の光輝に伴う反射光線のごときものと見るべきである。
要義 [キリスト再臨に至るまでの状態]ここに2:1−12にパウロの述べし処は甚だ不可解の点が多く、殊にパウロが「不法の人」、「滅亡の子」、「非キリスト」、「制止者」等によりて何を意味したかは非常に解釈上の困難を来らしめている。学者によっては、非キリストはヘロデ王またはローマ皇帝カリグラその他誰彼を指したのであると主張し、「制止物」はローマ帝国、すなわちその政治力で、「制止者」はローマ皇帝なりと解しているけれども、パウロがこれらの具体的人物を描き出さんとしたことの証拠はなく、またたといこれらの歴史的人物および事実によりて示唆を与えられたとしても、直接にこれらを指したと解することは困難である。むしろパウロはこれらの全体を一つの原理として指示したものと考えるべきであろう。しかのみならずキリストの再臨はパウロが期待したように速やかには実現しなかったので、その後の歴史の進展に伴い、非キリストの解釈につきても種々の変遷あり、ルーテル、カルヴィン等の宗教改革家らは、ローマ教会制度を非キリストとなし、法王は罪の人であり、制止物はローマ帝国であると解した。その他「非キリスト」は、或はモハメット教徒たるトルコ人、またはキリスト教に敵するユダヤ人なりとし、或は近代に至りてこれをナポレオン、ムッソリーニ、ヒットラー等の英雄なりとし、或はフランス革命、ロシア革命または種々の罪悪の総称、またはパリサイ主義等のごとき主義等、種々のものをもってこれに当てていた。同様に、この非キリストの来ることを制止する者も或はパウロ自身なりとか、またはキリスト教の伝播であるとか、または地上の権力であるとか種々に考えられ、「不法の秘密」も、ユダヤ教徒が異教に堕落すること、キリスト教徒のモハメット教への転向、無神論、共産主義等解釈者が勝手にその思うがままをこのパウロの言に読み込んでいるけれども、何れも適切なるはなく不動なるはない。要するにこのパウロの終末論はユダヤ教的思想および伝統の継承ではあるけれども、パウロは無反省に盲目的にこれを祖述したのではなく、この具体的表顕の中に含まれる原理の中に神の経綸に相応する真理が在することを信じて、この表顕方法を用いたものであると考えるべきである。
以上のごとくであるとしても、その原理の何であるかを知ることは困難であるけれども、パウロの考えはおそらく下のごときものであろう。すなわち神の反対がサタンであると同じくキリストに反対する者が非キリストであり最後にキリストが勝利を得て非キリストを亡ぼすのであるが、この非キリストはおそらくある人格的なるものとして現れるであろう。そしてキリストの顕現にその時期があると同じく、非キリストの顕現にもその時期があり、それまでは現れない。ただし一方にはキリストの福音の奥義が今日すでにこの世において働いていると同じく、「不法の奥義(現行訳─不法の秘密)」は今日すでに働いているのであるが、これがその頂点に達して一つの人格に化身するまでは、不法はその完全なる貌において顕われない。そしてそれはその現れんとするのを「制止する者」があるからであって、この「制止者」が除かれる時、不法は人格化して非キリストとなって現れる。この制止する者の何たるかは具体的に表顕し得ないのであるが、神の経綸そのものと解すべきであろう。神は適当時にその御手を弛めて非キリストを解放ち、キリストをしてこれを亡ぼさしめ給う。如何なる時に神がこれをなし給うかは全くその経綸の中にある。
口語訳 | しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、 |
塚本訳 | しかし、“主に愛されている”兄弟達よ、私達は常に君達のために神に感謝しなければならない。というのは、神は君達を霊の聖潔と真理の信仰とによって始めから救いに選び、 |
前田訳 | しかし、主に愛される兄弟よ、われらはあなた方ゆえに、つねに神に感謝せずにはいられません。神はあなた方を初めから選んで、霊の聖潔と真理への忠実のうちに救われるようになさいました。 |
新共同 | しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。 |
NIV | But we ought always to thank God for you, brothers loved by the Lord, because from the beginning God chose you to be saved through the sanctifying work of the Spirit and through belief in the truth. |
註解: 前節までは亡ぶる者どもの状態と運命と録したのであるが、これに対して反対に救われるものにつきて語る故かくいう。
註解: Tテサ1:4参照。
われら
註解: 亡ぶる者どもに比して救われる者の幸福を思う時、パウロは感謝の念が溢れ来るを覚え、感謝せずにいられなくなった。
註解: 感謝の第一の理由は、信者の選びの問題である。信者は(テサロニケの信者も同様)救わんがために神の選び給いし者である。そしてこの選ばれしことの事実として顕われたのが一つは「御霊によれる潔 」で聖霊が我らに働いて我らを潔め給う、その二は我らに真理に対する信仰を与え、虚偽の惑(11節)を信ずることなからしめ滅亡に入ることを防ぎ給うた。
2章14節 [また](
口語訳 | そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。 |
塚本訳 | 私達の主イエス・キリストの栄光を得させようとして、私達の福音によって君達をも召し給うたからである。 |
前田訳 | そのためにこそわれらの福音を通じてあなた方をお召しになり、われらの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださるのです。 |
新共同 | 神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。 |
NIV | He called you to this through our gospel, that you might share in the glory of our Lord Jesus Christ. |
註解: ついにキリストの再臨の時に至れば、我らは救われてキリストの有ち給う栄光と同じ栄光を与えられる(Uコリ3:18)。これが神が我らを招き給える目的であった。そしてその方法は「我らの福音」すなわちパウロらが主イエスによりて示されし福音を宣伝うることである。テサロニケの信徒がかかる栄光に招かれしことを思うならばパウロはテサロニケの信徒のために感謝せざるを得ないわけである。なお前節と本節にキリスト、神、聖霊の三位が自然に並記せられていることに注意すべし。
2章15節 されば
口語訳 | そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。 |
塚本訳 | それだから、兄弟達よ、堅く(信仰に)立って、私達が言や手紙で教えた言い伝えを確り守ってくれ。 |
前田訳 | それで、兄弟よ、堅く立って、われらのことばや手紙で教えられたいい伝えを守ってください。 |
新共同 | ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。 |
NIV | So then, brothers, stand firm and hold to the teachings we passed on to you, whether by word of mouth or by letter. |
註解: 他の偽使徒、偽預言者の言または書によりて迷わされてはならない。かく言いてパウロは使徒としての権威をもってテサロニケの信徒を迷いより防がんとしたのである。
辞解
[我らの言あるいは書] 2節の「我らより出でし如き言及び書」と対応す、そしてこの区別を知る方法はUテサ3:17を見よ。
[傳 ] paradosis すなわちいわゆる「伝統」でカトリック教会が聖書以外に伝統を重んずべしとする根拠となっている(Uテサ3:6)。ただし如何なる「言伝え」「伝統」が使徒伝来であるかは事実上聖書によるより外に確める方法がない。
要義 [聖選と聖召]キリスト者は神に選ばれ、また召されて信仰に入った者である。この予定の教理は、理論的には種々の困難と反対とを伴うけれども、信仰の体験の上よりいうならばそれは全く動かすべからざる事実である。そこから尽きざる感謝が流れ来るのである。▲▲ロマ9:14−33参照、その他予定の教理につき研究すべし。
2章16節
口語訳 | どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、 |
塚本訳 | 願わくは、私達の主イエス・キリスト彼自らと、私達を愛し、恩恵により永遠の慰めと善き希望を与え給うた私達の父なる神とが、 |
前田訳 | われらの主イエス・キリストご自身とわれらを愛して恩恵のうちに永遠の慰めとよい希望をお与えの父なる神とが、 |
新共同 | わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、 |
NIV | May our Lord Jesus Christ himself and God our Father, who loved us and by his grace gave us eternal encouragement and good hope, |
註解: 苦難の中にありてキリストの再臨による救いを信じて慰めを得、善き望みを確保しているのがテサロニケの信者であった。これを彼らに与え給える父なる神を呼んで祈るのがこの場合最も適切なる称呼であった。再び来り給うべき主イエス・キリストに祈るのもまたこの場合必要なることである。
2章17節 [
口語訳 | あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。 |
塚本訳 | 君達の心を慰め、あらゆる善き業と言とにおいて(君達を)強くし給わんことを! |
前田訳 | あなた方の心を励まして、すべてのよいわざとことばに強くなさいますように。 |
新共同 | どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。 |
NIV | encourage your hearts and strengthen you in every good deed and word. |
註解: Tテサ4:13以下を見ればテサロニケの信徒はすでに眠れる者につき憂えていた。また本書2:1以下には再臨の問題に関し狂信的信者が起って彼らの心を動かしていた。またそのために為すべき業をなさず、虚しき言を語っているものがあった。本節はかかる者の心を慰め、善き業と言とに堅うせんことの祈りであって当時のテサロニケの信者にとりては最も必要なる祈りであった。
要義1 [再臨問題と狂信者]古来再臨問題は多くの狂信者を生み、この狂信が波及して社会を騒がした例は枚挙に遑 がない。その故はこの信仰はこの世と来るべき世との対立を信ずる者、すなわちこの世のあらゆる不完全さと、苦悩との中より完全なる来るべき世を望む者にとりては、最も大なる期待を懸ける点であり、何よりも待たれるのはキリストの再臨だからである。しかしながら我らはこれに対し飽くまでも常に待望の態度をとっているべきであって、父なる神より外に何人も知らず、また知り得ざるはずの再臨の年月日を計算したり、または一時の歴史上の事件を見てこれを直ちにこの預言の成就と考うることのごときは、厳に慎むべきことである。この点を忘れて自己の感情に捕われる者は狂信者となり、己を亡ぼし人を惑わすに至るものである。
要義2 [再臨近しとの信仰]キリストの再臨の時期を計算すべからずとせば我らは如何にして再臨の近きことを信ずることができるか。パウロは再臨の近きことを信じつつ遂にそれが実現しなかった。我らもまたパウロと同じく、かく信ずることによりて欺かれるのではないかという考えが起り得るのである。しかしながら我らはキリストの再臨と新天新地の問題を考える時は、全く我らの今日有する時間空間の観念を超越して全く異なれる観念に立つことが必要である。すなわち千年も一日のごとく、一日も千年のごとく、千万里も一寸のごとく、一寸も千万里のごとくに感じ得るごとき時空の観念である。今日の我らにかかる観念はないけれども、信仰によりて主の再臨を極めて近しと感ずることによりてこの観念の初穂を味わうことができる。やがてキリスト来給う時我らは今日とは全く異なれる時空の世界に飛躍する。