黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第24章

分類
9 イエスの受難問題 21:1 - 27:26
9-4 キリストの再臨に関する預言 24:1 - 24:51
9-4-イ 世の終以前に起こるべき出来事 24:1 - 24:14
(マコ13:1-13) (ルカ21:5-19)  

24章1節 イエス(みや)()でてゆき(たま)ふとき、弟子(でし)たち(みや)建造物(たてもの)(しめ)さんとて御許(みもと)(きた)りしに、[引照]

口語訳イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。
塚本訳イエスが宮を出て(オリブ山の方へ)歩いておられると、弟子たちが近寄ってきて、イエスに宮の(堂々たる)建築を指差した。(この宮が荒れ果てるなどとは考えられなかったのである。)
前田訳イエスが宮を出て歩いておられると、弟子たちが近よって宮の建物を指さした。
新共同イエスが神殿の境内を出て行かれると、弟子たちが近寄って来て、イエスに神殿の建物を指さした。
NIVJesus left the temple and was walking away when his disciples came up to him to call his attention to its buildings.
註解: 当時エルサレムの神殿は建築中であって未完成の時であった、ヨハ2:20。しかもその荘厳なること無比であった。マタ23:38の御言をきける弟子たちはこの宮こそは廃墟となるごときことはないであろうと考えたのであろう。イエスに示さんとしたのはそのためであった。

24章2節 (こた)へて()(たま)ふ『なんぢら()一切(すべて)(もの)()ぬか。(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、此處(ここ)(ひと)つの(いし)(くづ)されずしては(いし)(うへ)(のこ)らじ』[引照]

口語訳そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
塚本訳彼らに答えられた、「あれをすべてよく見ておけ。アーメン、わたしは言う、ここでそのまま重なっている石が一つもなくなるほど、くずれてしまうであろう。」
前田訳彼が答えていわれた、「これらすべてが見えるか。本当にいう、ひとつの石も他の石の上に残るまい。皆こわれよう」と。
新共同そこで、イエスは言われた。「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
NIV"Do you see all these things?" he asked. "I tell you the truth, not one stone here will be left on another; every one will be thrown down."
註解: イエスは弟子たちの心を読みこれに対して答え給うた「なんぢらこの一切の物を見ないのか、この一切のものの外形を見るのみでは真にこれを見たのではない。この外観の壮麗の裏にやがて神の審判が下るべき淋しみが見えているではないか、我は汝らに向って断言する、この宮の石は皆ことごとく崩されてしまうであろう」と。

24章3節 オリブ(やま)()(たま)ひしとき、弟子(でし)たち(ひそか)御許(みもと)(きた)りて()ふ『われらに()(たま)へ、これらの(こと)何時(いつ)あるか、(また)なんぢの(きた)(たま)ふと()(をはり)とには、(なに)(しるし)あるか』[引照]

口語訳またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。
塚本訳オリブ山に坐っておられると、弟子たちだけでそばに来て言った、「(宮がくずれると言われますが、)そのことはいつ起るか、また、あなたの来臨と世の終りとには、どんな前兆があるか、話してください。」
前田訳オリブ山ですわっておられると、弟子たちが近よって内輪に話した、「おっしゃってください。いつこのことはおこりましょうか。あなたの来臨と世の終わりの徴は何でしょうか」と。
新共同イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
NIVAs Jesus was sitting on the Mount of Olives, the disciples came to him privately. "Tell us," they said, "when will this happen, and what will be the sign of your coming and of the end of the age?"
註解: マコ13:3によればこの質問を発したのはペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレの四人の弟子たちであった。質問の内容は第一はエルサレムと神殿の破滅(「これらの事」)がいつ起るかとの質問であり、第二はキリストの再臨と世の終の兆は何であるかとの質問である。而して弟子たちの心の中にはイエスの再臨が極めて近いことを信じていたので、この二者が同一事柄と思われたのであり、唯第一問はむしろ時期に関し、第二問はその兆に関するものであった(Z0)。これに対してイエスは次の全章をもってこれに答え給うたのである。元来預言は神が預言者の心に一の幻象として示し給う処のものをそのままに表すのであって、この画像の中にはあたかも遠近の山々が一平面に描かれると同じく、時の差異をばこれを明示することなしに未来に起るべき多くの事件を相交らしめてこれを一平面に示しているのである。イエスの場合においてもこれと同じく、次に示されし預言の中にはエルサレムの陥落と、世の終末におけるキリスト再臨の光景とが相錯綜して画かれているのであって、これを判然と区別することができない。唯イエスはエルサレムの陥落や、キリスト再臨の際における光景についての好奇心的探索に満足を与えんとし給わず、実際その大事件に処していかに振舞うべきかについて愛をもって注意を与え給うたのであることに注意して本章を読むことが必要である。然らざれば本章の主意を解することができない。
辞解
[世] aiônでキリスト再臨の時までの時期をいう、世界の意味ではない、再臨以後は又新なる「世」となる。▲「世」aiônはむしろ「世代」と訳すべきである。

24章4節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『なんぢら(ひと)(まどは)されぬやうに(こころ)せよ。[引照]

口語訳そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
塚本訳そこでイエスが答えてこう話された。──「人に迷わされないように気をつけよ。
前田訳イエスは答えていわれた、「だれにも迷わされぬよう注意なさい。
新共同イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
NIVJesus answered: "Watch out that no one deceives you.
註解: 神の国の現われることは弟子たちの切に待望する処であった。この焦慮に乗じてサタンの誘うことなからんためにイエスは人に惑わされぬように戒め給うたのである。イエスはその再臨につきての神学的説明を与え給わず、唯その愛する弟子たちをサタンの攻撃より保護せんとし給う。

24章5節 (おほ)くの(もの)わが()(をか)(きた)り「(われ)はキリストなり」と()ひて(おほ)くの(ひと)(まどは)さん。[引照]

口語訳多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
塚本訳いまに多くの人があらわれて、『救世主はわたしだ』と言ってわたしの名を騙り、多くの人を迷わすにちがいないから。
前田訳多くのものがわが名をかたって来て『わたしはキリスト』といい、多くのものを迷わそう。
新共同わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
NIVFor many will come in my name, claiming, `I am the Christ, ' and will deceive many.
註解: 世の終末より以前に起り、世の終末と混じやすき事実の第一は「我はキリストなり」と言いて来る人の多く起ることである。これをもってキリストの再臨であると誤認してはならない。世が終末に近付き霊界が混沌状態に陥れば、メシヤの再臨を期待する心が益々強くなり、これに乗じて「偽キリスト」が多く顕われる。弟子たちはこれを警戒しなければならない(Tヨハ2:18)。

24章6節 (また)なんぢら戰爭(いくさ)戰爭(いくさ)(うはさ)とを()かん、(つつし)みて(おそ)るな。かかる(こと)はあるべきなり、されど(いま)(つひ)にはあらず。[引照]

口語訳また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
塚本訳戦争(を目のあたりに見たり、)また戦争の噂を聞くであろうが、あわてないように注意せよ。“それはおこらねばならないことである”が、しかしまだ最後ではない。
前田訳あなた方は間もなく戦いの響きや戦いのうわさを聞こう。おどろかぬよう注意なさい。それは必ずおこる。しかしそれはまだ終わりではない。
新共同戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
NIVYou will hear of wars and rumors of wars, but see to it that you are not alarmed. Such things must happen, but the end is still to come.
註解: この世が戦乱のちまたと化し去る時、人々は極度の不安に襲われて、世の終が来たことを感ずるけれども、未だ終そのものが来たのではない。世の終が来る前にはこの種の出来事は必ず起らなければならないけれども、世の終においては一層大なる苦痛がこの世に臨むのである。

24章7節 (すなは)ち「(たみ)(たみ)に、(くに)(くに)(さから)ひて()たん」[引照]

口語訳民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
塚本訳(世の終りが来る前に)“民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、”またここかしこに飢饉や地震があるのだから。
前田訳民は民と、王国は王国と戦おう。飢饉と地震が各地におころう。
新共同民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
NIVNation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in various places.
註解: 人種間の戦争、国家間の大戦争が、キリストの来り給う前に必ず起る。

また處々(ところどころ)饑饉(ききん)地震(ぢしん)とあらん、

註解: 戦争は人間の活動と関係があり、飢饉、地震は直接自然界の活動である。人間の作り出せる不幸に加うるに自然界もまたその激怒をもって人間を襲う、世の終が近付き来ることをこれらのことによりて知ることができる。

24章8節 (これ)()はみな(うみ)苦難(くるしみ)(はじめ)なり。[引照]

口語訳しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
塚本訳しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。
前田訳これらすべては陣痛のはじめである。
新共同しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
NIVAll these are the beginning of birth pains.
註解: 新世界が生れ出づる前に産の苦難がある。而して最後に大なる苦痛が臨む前に間歇(かんけつ)的に陣痛が襲って来ると同様に、以上のごとき出来事が時を隔てて世界に臨むのである。

24章9節 そのとき人々(ひとびと)なんぢらを患難(なやみ)(わた)し、また(ころ)さん、(なんぢ)()わが()(ため)に、もろもろの國人(くにびと)(にく)まれん。[引照]

口語訳そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
塚本訳その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
前田訳そのときあなた方は苦しめられ、殺されよう。そしてわが名のゆえにすべての民に憎まれよう。
新共同そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
NIV"Then you will be handed over to be persecuted and put to death, and you will be hated by all nations because of me.
註解: 人類一般の苦難(戦争)自然の災害(飢饉、地震)の外にキリストの弟子に特別の苦難がある。すなわちキリスト者はキリストの名のために迫害に遭い、殺されかつ万国人に憎まれる。「キリスト教は奇異なことには、他のあらゆる宗教をば容認するこの腐敗せる世から憎まれる」(B1)。

24章10節 その(とき)おほくの(ひと)つまづき、(かつ)たがひに(わた)し、(たがひ)(にく)まん。[引照]

口語訳そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
塚本訳するとその時、“多くの人が信仰から離れて、”互に裏切り、互に憎むであろう。
前田訳そのとき多くのものがつまずき、互いに裏切り互いに憎もう。
新共同そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
NIVAt that time many will turn away from the faith and will betray and hate each other,
註解: 他よりの迫害よりも一層耐え難き苦痛は、信者がその信仰を失いて互に敵に付し合い又憎み合うことである。信者相互の争は悲劇中の悲劇である。

24章11節 (おほ)くの(にせ)預言者(よげんしゃ)おこりて、(おほ)くの(ひと)(まどは)さん。[引照]

口語訳また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
塚本訳また多くの偽預言者があらわれて、多くの人を迷わすにちがいない。
前田訳多くの偽預言者がおこって多くの人々を迷わそう。
新共同偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
NIVand many false prophets will appear and deceive many people.
註解: 以上2節に生ぜる教会の混沌状態に乗じてさらにこれを撹乱(かくらん)せしむる偽預言者が生じ、キリスト信徒社会の状態は一層悪化する。

24章12節 また()(はう)()すによりて、(おほ)くの(ひと)(あい)ひややかにならん。[引照]

口語訳また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
塚本訳また(兄弟たちの間に)不法がふえるので、多くの人の愛が冷える。
前田訳不法が満ちるので多くの人の愛が冷えよう。
新共同不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
NIVBecause of the increase of wickedness, the love of most will grow cold,
註解: 迫害、信仰の冷却、偽預言者の出現の結果、キリスト者の中の多数の間に、不道徳、律法違反(Tヨハ3:4)が甚だしくなり、教会は次第に腐敗し、キリスト者の魂なる愛が冷却してしまう。これが「多くの人」すなわちキリスト者の多数の状態であって「真のキリスト者が極めて少数となるであろう」(Z0)。以上5−12節において世の状態が世の終末の前には非常に悪化することをイエスは預言し給う。イエスは決してこの世の文明に望みをおく楽観論者ではなかった。

24章13節 されど(をはり)まで()へしのぶ(もの)(すく)はるべし。[引照]

口語訳しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
塚本訳しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
前田訳しかし終わりまで忍ぶ人こそ救われよう。
新共同しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
NIVbut he who stands firm to the end will be saved.
註解: 「終」は「世の終末」すなわちキリストの再臨の日を意味し、「忍ぶ」は5−12に示すごとき戦争、天災、地変、迫害、憎悪、腐敗の中に忍耐して正しき信仰と愛とを失わぬことを意味する。かかる者は救われるであろう。

24章14節 御國(みくに)のこの福音(ふくいん)は、もろもろの國人(くにびと)(あかし)をなさんため全世界(ぜんせかい)宣傅(のべつた)へられん、(しか)してのち(をはり)(いた)るべし。[引照]

口語訳そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。
塚本訳すなわち、あらゆる国々の人に(わたしとわたしの業を)証しするために、(まず)この御国の福音が全世界に説かれ、それから最後(の裁きの日)が来るのである。
前田訳そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。
新共同そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
NIVAnd this gospel of the kingdom will be preached in the whole world as a testimony to all nations, and then the end will come.
註解: 世の有様がかく悪化しつつも一方御国の福音は「もろもろの国人に対する証として(直訳)」全世界に宣伝えられ、全世界の人々がこの福音に接することができるようになり、世の終末はその後に来るのである。5−12節の状態は全世界に関するものでありユダヤのみの問題ではない。
要義1 [世の終末とキリストの再臨について]キリスト者の中にはキリストの再臨は、その当時のユダヤ思想に過ぎずとしてこれを否定せんとしている者があるけれど、もしそれだけで否定の理由となるならば、一神教をすら否定しなければならないであろう。又イエスがかくも真剣に荘厳にこれを述べ給うことを見れば、イエスは堅くその再来を信じ給えることは明らかである。又世界は経済的進歩、社会の法律制度の進化、慈善事業、救貧設備の増加、教育の発達、国際連盟等により而して又世界のキリスト教化によりて次第に理想的状態に近付いて来るものと考えているキリスト者があるけれども、それはこの聖書の預言に反する思想であって、イエスはかかる浅薄なる楽観主義の空想家ではなかった、キリスト再臨の前には世界には事実24:5−11に記されしごとき状態が臨むであろう。
要義2 [24:3−14の解釈について]第二十四章全体の難解なると共に、この諸節も学者によりて種々に解釈せられている。中にも多くの学者は、これを主としてエルサレムの陥落以前の出来事と解し「偽キリスト」とは或はバロクバ、シモン・マグス(使8:9)、チゥダ(使5:36)等ならんかといい、「戦争」とはローマ皇帝カリグラ、クラゥデウス、ネロ等がユダヤ人に対する開戦の威嚇、その他その当時の戦争、「飢饉」は使11:28、ヨセフスの歴史等に所載のもの、「地震」は紀元46−60年にクレタ、ローマ、フリギヤのアパメア、ラオデキヤ、カムパニヤ等に起れるもの、「迫害」「殺戮」はヘロデが大ヤコブを殺し、ネロがペテロを殺せる等のこと、等一々これをエルサレムの陥落以前の出来事に応用する解釈があるけれども、むしろこの預言は主として世の終末、キリストの再臨以前の出来事と解し、ただこの預言が完全に実現する前の一つ予兆のごときものとして、エルサレムの陥落とその前後の出来事が起りたるものと見るべきであろう。又この預言をイスラエルのみに関しキリスト者とは関係なきものと解する人もあるけれども、これはキリスト者は「大なる患難の日」(マタ24:21)以前に空中に携えられ (Tテサ4:17Tテサ5:4黙4:1) 、この患難に遭遇せず、ただユダヤ人のみこの「大なる患難の日」に遭うべしとの預言的解釈を取るより生ずる結論であって、聖書の文字を機械的に解釈する人々の説である。この解釈は ヨハ16:33マタ24:9黙2:22黙7:14 等の解釈に差支えを生ずるのみならず、「選民」 (マタ24:22マタ24:24マタ24:31ロマ8:33ロマ16:13コロ3:12Tペテ1:2) なる語の新約聖書全体の解釈と矛盾を生ずる等多くの困難を伴う。それゆえに24:3註に示せるごとくキリストの再臨及びその予兆として起り得べき遠近の事実が一画幅のごとく、一平面に展開せるものであって、キリスト者、ユダヤ人及び全世界に関係せる預言であると見るべきであろう。

9-4-ロ 最後の大患難に対する注意 24:15 - 24:28
(マコ13:14-23) (ルカ21:20-24)  

24章15節 なんぢら預言者(よげんしゃ)ダニエルによりて()はれたる「(あら)(にく)むべき(もの)」の(せい)なる(ところ)()つを()ば(()(もの)さとれ)[引照]

口語訳預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
塚本訳それで、預言者ダニエルをもって言われた“(聖なる所を)荒らす忌わしいものが聖なる所に”立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、
前田訳預言者ダニエルのいう『荒廃のおそれ』が聖所に立つのをあなた方が見るとき(読者は悟れ)、
新共同「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、
NIV"So when you see standing in the holy place `the abomination that causes desolation,' spoken of through the prophet Daniel--let the reader understand--
註解: 旧約の預言者らがその当時の出来事につき、又は自己の思想につき語れることがイエス・キリストに関する預言であった場合が多くあると同様に (ホセ11:1マタ2:15イザ6:9マタ13:14詩78:2マタ13:35ゼカ13:7マタ26:31詩41:9ヨハ13:18等々) 、イエスはまさに起らんとするエルサレムの神殿冒涜(而してこれは実際紀元70年にローマ軍がエルサレムを陥れて、ユダヤの大祭司の外入るを得ざるその神殿の聖所を荒したことによって実現した)すなわち神とその祭司以外のものがその聖所に立ちて神殿を荒廃せしむることを預言し給うことにより、同時に世の終末に起るべき出来事を示してこれに処すべき途を弟子たちに教え給うた。而してこの教訓は単に未来の出来事を想像して、弟子たちの頭脳の中にキリスト再臨の光景を描かしめんとするのではなく、最後の瞬間が来た場合(すなわち神殿冒涜、又は偽キリストがキリストの座を占むること)における弟子たちの取るべき途につきて教え給うたのである。「読む者さとれ」とは「荒す悪むべき者の聖所に立つ」とは何の意味であるかをさとるべしとのことであって、エルサレムの信徒は紀元70年ローマの将軍テトスによるエルサレムの陥落の際にこの意味をさとったことであろうと共に我らにもまたかかることが起る時があるのであろう。

24章16節 その(とき)ユダヤに()(もの)どもは(やま)(のが)れよ。[引照]

口語訳そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
塚本訳その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
前田訳ユダヤにいるものは山々にのがれよ。
新共同そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
NIVthen let those who are in Judea flee to the mountains.
註解: 「ユダヤに居る者ども」はユダヤの田舎に住み居る者。この厄難が世界全般にわたるものであるが、その中でもユダヤに居る弟子たちの運命につき代表的に示し給うたのである。

24章17節 ()(うへ)()(もの)はその(いへ)(もの)()()さんとして(くだ)るな。[引照]

口語訳屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
塚本訳屋根の上におる者は、下におりて家にある物を取りだそうとするな。
前田訳屋上にいるものは家にあるものを取りに下におりるな。
新共同屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
NIVLet no one on the roof of his house go down to take anything out of the house.
註解: ユダヤ地方の家の屋根は水平でその上にいることができる(使10:9)。かかる場合に遭遇せる者はとるものも取りあえず非常に急いで逃げ出さなければならない。

24章18節 (はた)にをる(もの)上衣(うはぎ)()らんとて(かへ)るな。[引照]

口語訳畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
塚本訳畑におる者は上着を取りに“(家に)もどる”な。
前田訳畑にいるものは上着を取りに帰るな。
新共同畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
NIVLet no one in the field go back to get his cloak.
註解: この患難はそれほど大きくかつ急である。

24章19節 その()には(みごも)りたる(もの)(ちち)()まする(もの)とは禍害(わざはひ)なるかな。[引照]

口語訳その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
塚本訳それらの日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、ああかわいそうだ!
前田訳身重の女や乳のみ子のある女は気の毒だ。
新共同それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
NIVHow dreadful it will be in those days for pregnant women and nursing mothers!
註解: この災難を避けるに最も困難な者はかかる婦人たちであってイエスはその日のことを思いて彼らに対する憐みの心に充され給うた。

24章20節 (なんぢ)らの()ぐることの(ふゆ)または安息(あんそく)(にち)(おこ)らぬように(いの)れ。[引照]

口語訳あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
塚本訳逃げるのが冬や安息日にならないように祈れ。
前田訳あなた方が逃げるのが冬や安息日でないよう祈れ。
新共同逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
NIVPray that your flight will not take place in winter or on the Sabbath.
註解: 冬はその天候のため、安息日は二千ヤード以上を歩行すべからざる規律があるため、いずれも逃亡に不便である。かかる日にそのことが起らぬように祈らなければならない。
辞解
[安息日] ユダヤ人のキリスト者は従来と同じく安息日を守ることを予知し給うたのである。

24章21節 そのとき(おほい)なる患難(なやみ)あらん、()(はじめ)より(いま)(いた)るまでかかる患難(なやみ)はなく、また(のち)にも()からん。[引照]

口語訳その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
塚本訳その時、“世の始めから今日までになかった、”また(これからも)決してない“ような、”大きな“苦難が”臨むのだから。
前田訳そのときのなやみは大きかろう。世のはじめから今までになく、これからも決しておきないほどであろう。
新共同そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
NIVFor then there will be great distress, unequaled from the beginning of the world until now--and never to be equaled again.
註解: キリストの再臨の前には大なる患難がある。聖書の教うる処によればキリストに()る聖徒は空中に携え挙げられ(Tテサ4:17)、その後に大なる患難の時代が地上に臨むものとして記されているけれども、彼らが携え挙げられる前にもキリスト者は大なる患難に遭わなければならない(使14:22〔▲使14:22の引照1を参照〕。ヨハ16:33ピリ1:29。等々)。キリスト再臨の前の患難はその大きさと強さにおいて空前絶後である。

24章22節 その()もし(すくな)くせられずば、一人(ひとり)だに(すく)はるる(もの)なからん、[引照]

口語訳もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
塚本訳もしそれらの(苦難の)日が短くされなかったら、だれ一人助かる者はあるまい。しかし選ばれた人々のために、それらの日が短くされるであろう。
前田訳もしその日々が短くされねばだれも救われまい。しかし選ばれたもののためにその日々は短くされよう。
新共同神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
NIVIf those days had not been cut short, no one would survive, but for the sake of the elect those days will be shortened.
註解: その患難の程度の極めて大なることを示す、これが永続するならば、生き残り得る人はないほどの大なる患難である。エルサレムの陥落の預言と共に世の終におけるキリスト再臨前の光景の預言である。
辞解
[一人だに] 原語は「すべての肉は」とあり、すなわち救はこの肉体の生存を意味する。

されど選民(せんみん)(ため)にその()(すくな)くせらるべし。

註解: その時に生存しているキリスト者を救わんがために、この患難の日数が短縮されること、すなわち今一息で全人類が滅亡するであろうと思われるとき、神の御手が加わりてこの患難の日は去ってしまう、而して残存者はすなわち終まで忍んでいた選ばれし者(キリスト者)である。

24章23節 その(とき)あるひは「()よ、キリスト此處(ここ)にあり」(あるひ)は「此處(ここ)にあり」と()(もの)ありとも(しん)ずな。[引照]

口語訳そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
塚本訳その時『そら、ここに救世主が』とか、『ここに』とか言う者があっても、信ずるな。
前田訳そのとき、もしだれかがあなた方に『見よ、ここにキリストが』、また、『あそこに』といっても信ずるな。
新共同そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
NIVAt that time if anyone says to you, `Look, here is the Christ!' or, `There he is!' do not believe it.

24章24節 (にせ)キリスト・(にせ)預言者(よげんしゃ)おこりて、(おほい)なる(しるし)不思議(ふしぎ)とを(あらは)し、()()べくば選民(せんみん)をも(まどは)さんとするなり。[引照]

口語訳にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
塚本訳偽救世主たち、“偽預言者たちが”あらわれて、大がかりな“奇蹟や不思議なことをして、”あわよくば、選ばれた人々までも迷わそうとするのだから。
前田訳偽キリストや偽預言者がおこって大きな徴や奇跡を行ない、できることならと、選ばれた人たちをも惑わそう。
新共同偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
NIVFor false Christs and false prophets will appear and perform great signs and miracles to deceive even the elect--if that were possible.
註解: 非常なる災禍と混乱に際しては根拠なき風説すら容易に信ぜられ、さらにその混乱を増すものである。いわんや「大なる不思議と徴」とを行い得るごとき者が自らをキリスト又は預言者と主張する場合には、人はこれに惑わされ、選民なるキリスト者さえこれに惑わされることが()り得るのであって、イエスは特にこのことを憂慮し給い、その選べる者を失わざらんがために、かかる場合に対する訓戒を与え給うた。(▲平静な時代にすら、キリストの名で徴と不思議を行う者に迷わされるキリスト者が多い。目をキリストに注ぎさえすれば迷わされることがない。)人々は堅くこの御言を握っていなければその場合に至って惑わされるであろう。キリストは27、29、30節のごとくにして来給う、その時までは見得べきではない。

24章25節 ()よ、あらかじめ(これ)(なんぢ)らに()げおくなり。[引照]

口語訳見よ、あなたがたに前もって言っておく。
塚本訳この通り、あなた達には前もって言っておく。
前田訳見よ、わたしが前もっていったことである。
新共同あなたがたには前もって言っておく。
NIVSee, I have told you ahead of time.

24章26節 されば(ひと)もし(なんぢ)らに「()よ、(かれ)荒野(あらの)にあり」といふとも()()くな「()よ、(かれ)部屋(へや)にあり」と()ふとも(しん)ずな。[引照]

口語訳だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
塚本訳だから、たとえ『そら、(救世主は)荒野にいる』と言う者があっても、出て行くな。『そら、奥の部屋に』と言っても、信ずるな。
前田訳もし彼らがあなた方に、『見よ、彼は荒野にいる』といっても出かけるな。『見よ、彼は奥の部屋に』といっても信ずるな。
新共同だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
NIV"So if anyone tells you, `There he is, out in the desert,' do not go out; or, `Here he is, in the inner rooms,' do not believe it.
註解: 23節をさらに詳述してこれを強めたのであり「荒野にあり」「部屋にあり」は形容的対句と見るべきであって、群衆を()って荒野に集むるごとき扇動家も、室内にあって瞑想に耽るがごとき神秘家も、その他いかなる人々をも信ずべからず、主の再臨は非常に明瞭にしてかつ顕著なる出来事であって万人に隠れることなく、又多くの自然界の激変がこれに伴うのである。

24章27節 電光(いなづま)(ひがし)より()でて西(にし)にまで(ひらめ)きわたる(ごと)く、(ひと)()(きた)るも(また)(しか)らん。[引照]

口語訳ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
塚本訳人の子(わたし)の来臨は、ちょうど稲妻が東から西に輝きわたるよう(に、はっきりわかるの)であるから。
前田訳いなずまが東から来て西にまで輝くように、人の子の来臨もそのようであろう。
新共同稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
NIVFor as lightning that comes from the east is visible even in the west, so will be the coming of the Son of Man.
註解: 「イエスの再臨はかくのごとくその栄光の耀きは六合にわたるであろう」(C1)。電光の比喩をもってその再臨が彼の初臨と異りその来ること突然にしてその耀きが全世界に及び、何人もこれを仰ぎ、而して又突然として消ゆることを示す。キリストの再臨の第一段階ともいうべき眠れる信者が復活して主の御許に集められ、地上に生き居る信者は化して主の御許に携え挙げられるその時のことを示したのである。

24章28節 それ死骸(しがい)のある(ところ)には(わし)あつまらん。[引照]

口語訳死体のあるところには、はげたかが集まるものである。
塚本訳死骸のある所には、どこにでも鷲が集まる。
前田訳死体のあるところはどこでもはげたかが集まる。
新共同死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」
NIVWherever there is a carcass, there the vultures will gather.
註解: 一方に選民なるキリスト者は、天のこの極よりかの極まで集められるがごとくに(31節)死骸すなわち罪に死せるもの(マタ8:22ルカ16:24)のある処には再臨のキリストによりて遣わされし天の使らすなわち鷲(複数)はその審判のために下って来るであろう(マタ13:41マタ24:41ルカ17:37参照)。この節には多数の異れる解釈があり難解の節の一である。例えば死骸は肉的ユダヤ主義、鷲は偽キリスト、偽預言者又はローマ軍であると解するごとき(B1)その他類似の解釈が多くあるけれども、上記のもの以外に中に、比較的適切と思われるものは一つは死骸(単数)はキリストであって鷲(複数)は選民すなわちキリスト者であり、キリストにより霊の糧を得んためにそこに集ると解するものと(C3、L1、C1)他の一つは単に機熟すれば、そこに再臨が行われ、世界が腐敗して審判を受くべき状態が熟すれば(死骸)主とその使来りて審判を行い給うと解する説である(Z0、I0、W1)。ただ前者は鷲が地上に下るのであってキリストが地上に下ることの形容として不適当であり、後者はルカ17:37の「何処(いずこ)ぞ」なる問に対する答えとして不適当である。▲▲「死骸のある処に集ると同様な状態で再臨のキリストの許に全世界から復活のキリスト者が集るであろう」31節及びTテサ4:14−17。

9-4-ハ キリスト再臨の兆 24:29 - 24:31
(マコ13:24-27) (ルカ21:25-28)  

24章29節 これらの()患難(なやみ)ののち(ただ)ちに()(くら)く、(つき)(ひかり)(はな)たず、(ほし)(そら)より()ち、(てん)萬象(ばんしゃう)ふるひ(うご)かん。[引照]

口語訳しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
塚本訳それらの苦難の日の後に、たちまち“日は暗く、月は光を放たず、”“星は”天から“落ち、もろもろの天体が”震われるであろう。
前田訳その日の苦しみの直後に日はかげり、月は光を放たず、星は天から落ち、天体はゆられよう。
新共同「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
NIV"Immediately after the distress of those days "`the sun will be darkened, and the moon will not give its light; the stars will fall from the sky, and the heavenly bodies will be shaken.'
註解: 「これらの日」は世の終における大なる患難の日(24:19−22)を指す、この患難の後直ちに天界にも激変が起るであろう。キリストの再臨が宇宙全体の復興である以上、そこに大なる動揺が伴うことは当然である。
辞解
[これらの日] エルサレム陥落の日と解する人は「直ちに」を時間の計算の「直ちに」にあらず観念上の「直ちに」であって事実エルサレムの陥落と世の終末とは非常に隔っていることの弁明としている、その他種々の解釈を用いてこの困難を除かんとしている。
[天の萬象] 原語「もろもろの力」である、もろもろの力とは或は「悪魔及び其の使達」(エペ2:2エペ6:12)とも解することを得べく、又天体の運行や、地上の万象を支配する力とも解することができる。いずれにしても偉大なる変動が天上に起ることを示す。

24章30節 そのとき(ひと)()(しるし)(てん)(あらは)れん。[引照]

口語訳そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
塚本訳するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、“地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。”そして“人の子(わたし)が”大いなる権力と栄光とをもって、“天の雲に乗って来るのを”見るであろう。
前田訳そのとき人の子の徴が天に現われよう。そのとき地のすべての民はなげき、人の子が大きな力と栄光をもって天の雲の上に乗って来るのを見よう。
新共同そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
NIV"At that time the sign of the Son of Man will appear in the sky, and all the nations of the earth will mourn. They will see the Son of Man coming on the clouds of the sky, with power and great glory.
註解: 第3節の質問に対する答に当る。ただしいかなる兆であるかにつきては示されていない、十字架であろうと想像する人が多いが別に根拠がある訳ではない。ダニ7:13によりイエスが常に自ら人の子と呼び給いし理由がこの節及び次節において最も明らかに顕われている。

そのとき地上(ちじゃう)諸族(しょぞく)みな(なげ)き、

註解: 人の子の兆が天にあらわれしを見て地上の(もろもろ)の国人はその不信を顧み、その審判を懼れ、万物改まりて新なる時代が実現することを思い、人類の愛着し来れるこの世の滅び行くのを知りて耐え難く嘆く、ダニ12:10黙1:7

かつ(ひと)()能力(ちから)(おほい)なる榮光(えいくわう)とをもて、(てん)(くも)()(きた)るを()ん。

註解: キリストの初臨はこれとは反対に「見るべき美はしき容なく」「屠所(ほふりば)()かれる羔羊(こひつじ)のごとく」にしてベツレヘムの馬槽(まぶね)の中に来り給い、ただ少数の人のみ彼を見ることができた、その再臨に際しては偉大なる能力と栄光とを帯び天の雲に乗りて来り給うであろう。

24章31節 また(かれ)使(つかひ)たちを(おほい)なるラッパの(こゑ)とともに(つかは)さん。使(つかひ)たちは(てん)()(きはみ)より(かれ)(きはみ)まで、四方(しはう)より選民(せんみん)(あつ)めん。[引照]

口語訳また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
塚本訳すると(その時、)人の子は“大いなるラッパの響きと共に”自分の使いたちをやって、“天のこの果てからかの果てまで”“四方から、”選ばれた人々を“集めさせるであろう。”
前田訳彼は大きなラッパで天使をつかわし、彼の選民を四方から、天のこの果てから、かの果てまで集めさせよう。
新共同人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
NIVAnd he will send his angels with a loud trumpet call, and they will gather his elect from the four winds, from one end of the heavens to the other.
註解: 世界の諸族が嘆きの中にあるときも、キリストに在る人々は安全である、彼らは「キリストの顕現を慕う者」(Uテモ4:8)である、何となればキリストの遣し給える天の使たちはキリストに在る民を地の隅々より(マコ13:27)残りなく集めて(死者は甦らせ生者をば化して)御許に携え行くからである。▲この意味で28節の脚注註のように解するのが適当であろう。勿論難点はあるけれども。Tコリ15:52Tテサ4:17
辞解
[「使」「ラッパ」] これらはキリストの再臨の時に必ず伴うものとして示されている(引照1、2)。
[天の極] 「地の極」に同じ、地の極から天が始まると考えられていたからである。

9-4-ニ 主の再臨の時期 24:32 - 24:36
(マコ13:18-31) (ルカ21:29-33)   

24章32節 無花果(いちぢく)()よりの(たとへ)をまなべ、その(えだ)すでに(やはら)かくなりて()()ぐめば、(なつ)(ちか)きを()る。[引照]

口語訳いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
塚本訳無花果の木で(この天の国の)譬を学ぶがよい。──枝がすでに柔らかになって葉が出ると、夏が近いと知るのである。
前田訳いちじくから譬えを学べ。はや若枝になって葉がのびると、夏が近いと知る。
新共同「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
NIV"Now learn this lesson from the fig tree: As soon as its twigs get tender and its leaves come out, you know that summer is near.

24章33節 かくのごとく(なんぢ)らも(これ)()のすべての(こと)()ば、[(ひと)()すでに](ちか)づきて門邊(かどべ)(いた)るを()れ。[引照]

口語訳そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
塚本訳そのようにあなた達も、これら一切のことを見たら、人の子(わたし)が門口近く来ていることを知れ。
前田訳そのようにあなた方もこれらすべてを見れば終わりが戸口に迫っていると知ろう。
新共同それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
NIVEven so, when you see all these things, you know that it is near, right at the door.
註解: 夏を知るには無花果の枝や葉を見れば分る。かくのごとくキリストの再臨の時期を知るには以上に述べし諸々の現象を見るべきである。本節は第3節に対する答の要約のごときものであって第3節の「これらの事」のみならず、4−31節に示されしその他の「凡てこれらの事」が起ればそれは「キリストの再臨と世の終末の兆」である。ただしその「時期」については何人もこれを知ることができない(36節)ことをもってイエスは第3節の答となし給うたのである。
辞解
[此等のすべての事] 人によりて4−14節に記されしことと解し(Z0)、または29−31節に記されしことと解する(M0)けれども、4−31節の全体を意味するものとして差支えがない。
[人の子すでに] 原文になし、原文には主格なきゆえ、これを補充しなければならない、或はルカ21:31により主格として「神の国」を補充し(C1)又は第三節により「世の終」を補充す(その他種々あり)ることもできる。事実において大差なき結果となるであろう。

24章34節 (まこと)(なんぢ)らに()ぐ、これらの(こと)ことごとく()るまで、(いま)()()()くまじ。[引照]

口語訳よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
塚本訳アーメン、わたしは言う、これらのことが一つのこらずおこってしまうまでは、この時代は決して消え失せない。
前田訳本当にいう、これらすべてがおこる前にはこの世は過ぎ行くまい。
新共同はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
NIVI tell you the truth, this generation will certainly not pass away until all these things have happened.
註解: 今現に生存している人の一代の中に、これらの事件が皆ことごとく起るであろうとのことである、この一節はマタ10:23マタ16:28マタ23:39等と同じくキリストの再臨の切迫せることを示し、36節と矛盾せるがごときも、その解釈は第3節註に示せるごとく預言の性質上自ら生ずる矛盾であって、ここにはエルサレムの陥落につきて預言し給えるものと見るべきであろう。
辞解
[代] geneaは人の一生を言うのであって、これを「人類」「ユダヤ人」「キリスト教会」等の意味に解することはできない。

24章35節 (てん)()()ぎゆかん、されど()(ことば)()()くことなし。[引照]

口語訳天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
塚本訳天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。
前田訳天と地は過ぎ行こうが、わがことばは過ぎ行くまい。
新共同天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
NIVHeaven and earth will pass away, but my words will never pass away.
註解: 今の世の人々はこのキリストの御言を信ぜず、かかることは有り得ずと否定している。天地すら滅失しない間にイエスの言は滅失せるもののごとくに取扱っている、(はなは)だしき不信ではないか。

24章36節 その()その(とき)()(もの)なし、(てん)使(つかひ)たちも()らず、()()らず、ただ(ちち)のみ()(たま)ふ。[引照]

口語訳その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
塚本訳ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使たちも知らない。
前田訳その日その時についてはだれも知らない。天使も人の子も知らず、父だけが知りたもう。
新共同「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
NIV"No one knows about that day or hour, not even the angels in heaven, nor the Son, but only the Father.
註解: 「その日」は再臨の日、審判の日であって、いずれの時に再臨があるかを知るのは唯神のみである。子イエス・キリストすらこれを知り給わない、その他は勿論である。いつかは知らないが汝らは汝らの一生の中にこれを経験するであろう(少なくともその型たるべき出来事をもって)。
辞解
[子も知らず] これをもってキリストが全知の神に在さざる証拠とせんとしている人がある、しかしキリストはこの完全なる服従のゆえをもって神の子に在し給うのであって、神の示しなきものを知り給わない点において真に神の子である。マタ20:23も同様の意味に解すべきである。

9-4-ホ 再臨の時の審判とノアの比喩 24:37 - 24:41
(ルカ17:26-27) (ルカ17:34-35)   

24章37節 ノアの(とき)のごとく(ひと)()(きた)るも(しか)あるべし。[引照]

口語訳人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
塚本訳人の子の来臨は、ちょうどノアの(洪水の)時のようであるから。
前田訳人の子の来臨はノアの日のごとくであろう。
新共同人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
NIVAs it was in the days of Noah, so it will be at the coming of the Son of Man.
註解: 洪水に関する予告がノア及びその一族のみに信ぜられ、彼らのみ方舟を造ってこれに備えしごとく、人類の審判に関する預言はキリスト者のみに信ぜられ、キリスト者はキリストの血によりて救われ審判を免れることができる。しかも審判の来るべき日と時とはノアも知らずキリスト者も知らず、而して方舟以外の人間は皆洪水によりて滅ぼされしごとく、キリストの中にいない者は皆その再臨の稜威(みいつ)によりて亡ぼされる。これらすべての点においてノアの洪水とキリストの再臨とは似寄っている。

24章38節 (かつ)洪水(こうずゐ)(まへ)ノア方舟(はこぶね)()()までは、人々(ひとびと)()(くら)ひ、(めと)(とつ)がせなどし、[引照]

口語訳すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
塚本訳すなわち洪水の前のあのころ、“ノアが箱船に入った”日まで、人々は飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていて、
前田訳洪水以前のころ、ノアが箱舟に入る日までは、人々は会い、飲み、めとり、とつぎしたが、
新共同洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
NIVFor in the days before the flood, people were eating and drinking, marrying and giving in marriage, up to the day Noah entered the ark;

24章39節 洪水(こうずゐ)(きた)りて(ことご)とく(ほろび)すまでは()らざりき、(ひと)()(きた)るも(しか)あるべし。[引照]

口語訳そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
塚本訳洪水が来て一人のこらずさらってゆくまで、それに気づかなかった。人の子の来臨もこのようである。
前田訳洪水が来て彼らすべてをさらうまで何も知らなかった。人の子の来臨もそのようであろう。
新共同そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
NIVand they knew nothing about what would happen until the flood came and took them all away. That is how it will be at the coming of the Son of Man.
註解: キリストの再臨は人々の不用意の間に突然起り、平常のごとく享楽的生活を行っている者が急に滅亡に帰してしまうこと、あたかもノアの洪水の時に異らない。ゆえに早くその準備をしなければならぬ。

24章40節 そのとき二人(ふたり)(をとこ)(はた)にをらんに、一人(ひとり)()られ一人(ひとり)(のこ)されん。[引照]

口語訳そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
塚本訳その時、二人の男が畑にいると、一人は(天に)連れてゆかれ、一人は(地上に)のこされる。
前田訳男がふたり畑にいれば、ひとりは天に連れられ、ひとりは残される。
新共同そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
NIVTwo men will be in the field; one will be taken and the other left.

24章41節 二人(ふたり)(をんな)(うす)ひき()らんに、一人(ひとり)()られ一人(ひとり)(のこ)されん。[引照]

口語訳ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。
塚本訳二人の女が臼をひいていると、一人は連れてゆかれ、一人はのこされる。
前田訳女がふたり臼をひいていれば、ひとりは天に連れられ、ひとりは残される。
新共同二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。
NIVTwo women will be grinding with a hand mill; one will be taken and the other left.
註解: 「取られ」はキリストの御許に集められ(31節)「遺されん」は審判を受くべく遺されるのである(マタ13:41)、この例はキリストが思いがけなき時に再臨し給うこと、及びいかに親密なる間柄でも選ばれしものと然らざるものとの間に非常なる運命の差が起って来ることを示している。主もし今再臨し給うならば我らの血族の間にもこの離別の悲を味わなければならないであろう。

9-4-へ 再臨を迎える態度 24:42 - 24:51
(ルカ12:39-40) (ルカ12:42-46)   

24章42節 されば()(さま)しをれ、(なんぢ)らの(しゅ)のきたるは、(いづ)れの()なるかを()らざればなり。[引照]

口語訳だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
塚本訳だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は主がいつの日来られるか、知らないのだから。
前田訳目覚めていよ、あなた方の主がいつの日に来られるかわからぬゆえに。
新共同だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。
NIV"Therefore keep watch, because you do not know on what day your Lord will come.
註解: 主の再臨は必ずあることは確実であるけれどもその期日が分らない。ゆえに弟子たちの任務は目を覚して主の来り給うのを待つことである。Tテサ5:6。イエスが世の終末に関し詳しく述べ給いしは皆この警戒を与えんがためであって、好奇心を満足せしめんがためではなかった。

24章43節 (なんぢ)()これを()れ、家主(いへあるじ)もし盜人(ぬすびと)いづれの(とき)きたるかを()らば、()をさまし()て、その(いへ)穿(うが)たすまじ。[引照]

口語訳このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
塚本訳あなた達はこのことを知っているはずだ。──夜の何時に泥坊が来るとわかっておれば、家の主人は目を覚ましていて、みすみす家に忍び込ませはしないであろう。
前田訳このことを知れ――家の主人は夜の何時に盗人が来るとわかれば、目覚めていて家にしのび込ませまい。
新共同このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
NIVBut understand this: If the owner of the house had known at what time of night the thief was coming, he would have kept watch and would not have let his house be broken into.
註解: しかるに実際盗賊に穿(うが)たれるのは、その時を知らないので目を覚していなかったからである。聖書においてキリストの再臨はしばしば盗人が夜来るのに比較されている(Tテサ5:2Tテサ5:4Uペテ3:10黙3:3黙16:15)。

24章44節 この(ゆゑ)(なんぢ)らも(そな)へをれ、(ひと)()(おも)はぬ(とき)(きた)ればなり。[引照]

口語訳だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
塚本訳だから、あなた達も用意していなさい。人の子(わたし)は思いがけない時に来るのだから。
前田訳それゆえあなた方も心を構えよ、人の子は思わぬときに来ようから。
新共同だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
NIVSo you also must be ready, because the Son of Man will come at an hour when you do not expect him.
註解: 備え整ってさえいるならばキリスト再び思わぬ時に来給うとも、我らは狼狽することはない。Tテサ5:4−6。而して備え整える有様は次に示されるごとき諸々の比喩によりてこれを知ることができる。

24章45節 主人(あるじ)(とき)(およ)びて食物(しょくもつ)(あた)へさする(ため)に、(いへ)(もの)のうへに()てたる忠實(ちゅうじつ)にして(さと)(しもべ)(たれ)なるか。[引照]

口語訳主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
塚本訳(旅行に出かける)主人が一人の僕を(えらんで)奉公人たちの上に立て、時間時間に食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな僕が忠実で賢いのであろうか。
前田訳まめで賢い僕はだれであろう、時間どおりに食事を整えるよう主人が家政を託したときに。
新共同「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。
NIV"Who then is the faithful and wise servant, whom the master has put in charge of the servants in his household to give them their food at the proper time?
註解: 45−51節は備えの必要を説明する比喩である。「家の者」は大家の多数の従僕を意味し、これらに給与する任務を与えられし牧者の長は、適当の時刻に彼らに食物を与えなければならぬ。もし彼が忠実でかつ慧くあるならばその義務を果すであろう。ここに僕の長と言える意味は使徒、預言者、牧者等教会における重要なる職務を与えられし人々をいうのである。

24章46節 主人(あるじ)のきたる(とき)、かく()()るを()らるる(しもべ)幸福(さいはひ)なり。[引照]

口語訳主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
塚本訳それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸いである。
前田訳さいわいなのは帰って来た主人にそのようにしたのを見られるその僕!
新共同主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
NIVIt will be good for that servant whose master finds him doing so when he returns.
註解: 前節の義務を皆実行し、いつ主人が来るも差支えなき状態におる僕は、目を覚している僕であって幸福なる者である。

24章47節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、主人(あるじ)すべての所有(もちもの)(かれ)(つかさ)どらすベし。[引照]

口語訳よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
塚本訳アーメン、わたしは言う、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
前田訳本当にいう、彼は主人の持ちものすべてを託されよう。
新共同はっきり言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
NIVI tell you the truth, he will put him in charge of all his possessions.
註解: この世における忠実にして慧き行為は、かの世においてこれに相応(そうおう)する報いを受ける原因となる。我ら果して主の命じ給える責務をこの意味において果しているであろうか。

24章48節 もしその(しもべ)()しくして、(こころ)のうちに主人(あるじ)(おそ)しと(おも)ひて、[引照]

口語訳もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
塚本訳しかしそれが悪い僕で、主人はおそい、と心の中で考えて、
前田訳もし悪い僕で、主人はおそいと心に思い、
新共同しかし、それが悪い僕で、主人は遅いと思い、
NIVBut suppose that servant is wicked and says to himself, `My master is staying away a long time,'

24章49節 その同輩(どうはい)(たた)きはじめ、酒徒(さけのみ)らと飮食(のみくひ)(とも)にせば、[引照]

口語訳その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
塚本訳仲間をなぐり始め、酔っぱらいどもと一しょに飲んだり食ったりしていると、
前田訳仲間を打ち、酔っぱらいと飲み食いすれば、
新共同仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりしているとする。
NIVand he then begins to beat his fellow servants and to eat and drink with drunkards.
註解: 彼がその同輩なる他の僕どもを虐待し、酒徒(さけのみ)と共に飲食することはその不忠実にして愚昧(おろか)なることの証である。これ皆主人の帰りを待つ心が薄いからである。ここに主人を思う心に支配される僕と自己の性情と欲望とに支配される僕との間に非常なる差を生ずることを見ることができる。前者は主人の帰宅を待ちてその備えをなし、後者はこれを忘れて自己の欲望を(ほしいまま)にする。我らはこの前者のごとくに切に主の再臨を待つ者とならなければならぬ。

24章50節 その(しもべ)主人(あるじ)おもはぬ()しらぬ(とき)(きた)りて、[引照]

口語訳その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
塚本訳予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、
前田訳その僕の主人は予期せぬ日、知らぬ時に帰って来て、
新共同もしそうなら、その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、
NIVThe master of that servant will come on a day when he does not expect him and at an hour he is not aware of.

24章51節 (これ)(はげ)しく(むち)うち、その(むくい)僞善者(ぎぜんしゃ)(おな)じうせん。其處(そこ)にて哀哭(なげき)切齒(はがみ)することあらん。[引照]

口語訳彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
塚本訳僕を八つ裂きにし、偽善者と同じ目にあわせるにちがいない。そのとき彼はわめき、歯ぎしりするであろう。
前田訳彼を引き裂こう。そして彼は偽善者と同じ目にあい、そこではなげきと歯ぎしりがあろう。
新共同彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ目に遭わせる。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
NIVHe will cut him to pieces and assign him a place with the hypocrites, where there will be weeping and gnashing of teeth.
註解: キリスト予期せざる時に来り給う時キリストの再臨を待ちて備えざるものは名義上の信者といえども、この運命を免れないであろう。
辞解
[烈しく(むち)うち] 原語「両断し」。
[その報] 原語「その分」
要義 [再臨に対する備え]イエスの預言によればその再臨は遠きがごとく又近きがごとく、その弟子の一生涯に起るべくしてしかもいつ起るかにつきては唯父なる神のみ知り給うとのことである。もし我ら今日主イエスに向い我らの「代」すなわち一生涯に主は再臨し給うことなきやを問うならば、彼は同じく「これらの事ことごとく成るまで今の代は過ぎ往くまじ」と言い給うであろう。ゆえに今日もまたキリストの日と同じく我ら備えして彼の来り給う日を待たなければならぬ、而して主にありては千年も一日のごとく一日も千年のごとくであると同じく、我らも主を待つの心の切なる一日千秋の思いであると同時に、主を待つ心の変らざる千年一日のごとくでなければならない。かくして主の再臨は時間を超越して、唯我らの心において切に主を待つことが唯一重要なる事柄であることを知るのである。我らは再臨の年月日を数うるを要せず、ただ毎日彼を待つをもって足るのである。また再臨の状態を好奇心をもって探るを要せず、聖書に示されしごとき事実に面して、自ら警戒すれば足るのである。第二十四章は極めて難解の一章であるにも関わらず、この意味をもって読む時我らの心に大なる光を投げ与えるであろう。

マタイ伝第25章
9-5 世の終の審判に関する譬喩 25:1 - 25:46
9-5-イ 十人の処女の譬喩 25:1 - 25:13  

註解: イエスはこれよりなお比喩を用いて、その再臨に対する必要なる準備を示し給う。

25章1節 このとき天國(てんこく)は、燈火(ともしび)()りて新郎(はなむこ)(むか)へに()づる、(じふ)(にん)處女(をとめ)(なずら)ふべし。[引照]

口語訳そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
塚本訳(人の子が来る)その時、天の国は、十人の乙女がそれぞれランプを手に持って花婿を迎えに出かけるのにたとえられる。
前田訳その(終わりの)時の天国をたとえれば、十人のおとめがめいめい明りを持って花むこを迎えに出かけるのに似る。
新共同「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
NIV"At that time the kingdom of heaven will be like ten virgins who took their lamps and went out to meet the bridegroom.
註解: 「このとき」はキリスト再臨の時。「處女(おとめ)」ユダヤ地方においては花婿が花嫁の(いえ)(おもむ)き花嫁を連れ帰り、そのとき花嫁の友なる処女らが花婿を迎うる習慣であるらしい。「十人」は一団を意味する(ルツ4:2)。キリストはその花嫁たる教会(Uコリ11:2エペ5:26、27)を御許に招き給うことが聖書において婚姻の譬をもって示される場合が多い(マタ22:1−14.黙19:6−10)。しかるにこの譬喩において信者は花嫁に譬えられず、キリストの花婿の来るを待つ十人の処女に比較されている。

25章2節 その(うち)()(にん)(おろか)にして()(にん)(さと)し。[引照]

口語訳その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
塚本訳そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
前田訳その五人は愚かで五人は賢かった。
新共同そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
NIVFive of them were foolish and five were wise.
註解: 同じキリスト教会に属しキリスト者の名称を持っているものでも、その中に差別があって、それがキリスト再臨の時に明かに区別される。「愚」と「慧」の内容は3、4節にあり。

25章3節 (おろか)なる(もの)燈火(ともしび)をとりて(あぶら)(たづさ)へず、[引照]

口語訳思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
塚本訳愚かな女たちはランプを持っていったが、(予備の)油を持ってゆかず、
前田訳愚かなほうは明りを持ったが油をたずさえなかった。
新共同愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
NIVThe foolish ones took their lamps but did not take any oil with them.

25章4節 (さと)きものは(あぶら)(うつは)()れて燈火(ともしび)とともに(たづさ)へたり。[引照]

口語訳しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
塚本訳賢い女たちは油を入れ物に入れて、ランプと一しょに持っていった。
前田訳賢いほうは油を器に入れて明りとともに持って行った。
新共同賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
NIVThe wise, however, took oil in jars along with their lamps.
註解: この時代のランプは素焼の器であって、これに油を注ぎ灯心をこれに入れて点火するの方法を取った。油は聖霊の表徴である(イザ61:1-3、ゼカ4:2-6、ヘブ1:9Tヨハ2:20Tヨハ2:27)。十人の処女は皆キリスト者の名称を持っている人々である。而してその一半は(さと)くして心に油断なく、常に花婿なるキリストの来り給うことの準備をなし、これに反し他の五人は(おろか)であってこの準備を怠っていた。すなわち前者は信仰によりてキリストに(つらな)り聖霊を豊に受け、後者は信仰によりてキリストに連らない結果聖霊を持たなかった。この差異はキリスト再臨の時に明かになるのであって、今日直ちにこれを区別することができない。

25章5節 新郎(はなむこ)(おそ)かりしかば、(みな)まどろみて()ぬ。[引照]

口語訳花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
塚本訳ところが花婿がおそくなったので、皆眠気がさして眠っていた。
前田訳しかし花むこがおくれたので皆まどろんで眠っていた。
新共同ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
NIVThe bridegroom was a long time in coming, and they all became drowsy and fell asleep.
註解: (さと)きも(おろか)なるも共に目を覚していることができなかった。肉の弱さはすべての信者に共通である(マタ26:40、41)。

25章6節 夜半(よなか)に「やよ、新郎(はなむこ)なるぞ、()(むか)へよ」と(よば)はる(こゑ)す。[引照]

口語訳夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
塚本訳すると夜中に、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と呼ぶ声がした。
前田訳すると真夜中に叫びがした、『見よ、花むこ、迎えに出でよ』と。
新共同真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
NIV"At midnight the cry rang out: `Here's the bridegroom! Come out to meet him!'
註解: マタ24:44マタ24:50のごとく思わぬ時にキリスト来り給う、それゆえに「目を覚して慎まなければならない」(Tテサ5:6)。

25章7節 ここに處女(をとめ)みな()きてその燈火(ともしび)(ととの)へたるに、[引照]

口語訳そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
塚本訳そこで乙女たちは皆目をさました。それぞれランプを用意した。
前田訳そこでおとめらは皆起きてめいめい明りを整えた。
新共同そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
NIV"Then all the virgins woke up and trimmed their lamps.

25章8節 (おろか)なる(もの)(さと)きものに()ふ「なんぢらの(あぶら)()けあたへよ、(われ)らの燈火(ともしび)きゆるなり」[引照]

口語訳ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
塚本訳愚かな女が賢い女に言った、『油を分けてくれませんか。わたし達のランプは(油がなくなって)消えそうです。』
前田訳愚かな女は賢い女にいった、『あなた方の油を分けてください、わたしたちの明りは消えます』と。
新共同愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
NIVThe foolish ones said to the wise, `Give us some of your oil; our lamps are going out.'
註解: キリスト再臨の時には各個人皆各その準備をしなければならない。その時聖霊の準備なき者は、キリストに見ゆることができないことを発見して狼狽し、聖霊の源にあらざる人間に頼ってその欠乏を補わんとし、同輩の油の分与を受けんと請うのである。

25章9節 (さと)きもの(こた)へて()ふ「(おそ)らくは(われ)らと(なんぢ)らとに()るまじ、(むし)()るものに()きて(おの)がために()へ」[引照]

口語訳すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
塚本訳賢い女は答えた、『自分たちとあなた達の分には、とても足りそうにない。それよりも店に行って、自分でお買いなさい。』
前田訳賢い女は答えた、『いいえ、あなた方とわたしたち皆には足りますまい。むしろ店に行って自分のをお買いなさい』と。
新共同賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
NIV"`No,' they replied, `there may not be enough for both us and you. Instead, go to those who sell oil and buy some for yourselves.'
註解: 人は皆自己の信仰によりて立たなければならない、人は他人にその信仰とその聖霊を頒ち与うることができない。ゆえにキリストよりこれを受けなければならない。「賣るもの」はキリストである、ただし聖霊を売買すると言う意味ではなく聖霊の蓄積を()ち給うこと、油を売るものに比すべきであるとの意味である。

25章10節 (かれ)()はんとて()きたる(うち)新郎(はなむこ)きたりたれば、(そな)へをりし(もの)どもは(かれ)とともに婚筵(こんえん)にいり、(しか)して(もん)(とざ)されたり。[引照]

口語訳彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
塚本訳しかし彼らが買いに行っているあいだに花婿が着いたので、用意のできていた(賢い)女たちは花婿と一しょに宴会場に入り、戸はしめられた。
前田訳しかし、彼女らが買いに行っているうちに花むこが来た。そして用意のいいおとめが彼とともに婚宴に入った。そして戸が閉ざされた。
新共同愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
NIV"But while they were on their way to buy the oil, the bridegroom arrived. The virgins who were ready went in with him to the wedding banquet. And the door was shut.
註解: キリスト再臨の時は一瞬間にして信仰あるものと然らざるものとが区別せられる。名義上教会に加入し洗礼を受けキリストの名称を持っていてもそれは何の役にも立たない、キリストと共に天国に入り得るものは真の信仰を有ち聖霊を貯えているものに限る。

25章11節 その(のち)かの(ほか)處女(をとめ)ども(きた)りて「(しゅ)よ、(しゅ)よ、われらの(ため)にひらき(たま)へ」と()ひしに、[引照]

口語訳そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
塚本訳あとでほかの(愚かな)乙女たちも来て、『御主人さま、御主人さま、あけてください』と言った。
前田訳あとでほかのおとめたちも来ていった、『ご主人、ご主人、わたしたちを入れてください』と。
新共同その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
NIV"Later the others also came. `Sir! Sir!' they said. `Open the door for us!'

25章12節 (こた)へて「まことに(なんぢ)らに()ぐ、(われ)(なんぢ)らを()らず」と()へり。[引照]

口語訳しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
塚本訳しかし主人は、『アーメン、わたしは言う。わたしはあなた達を知らない』と答えた(という話)。
前田訳彼は答えた、『本当にいう、わたしはあなた方を知らない』と。
新共同しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
NIV"But he replied, `I tell you the truth, I don't know you.'
註解: 他の処女は勿論どこにもその油を得る処がなかったであろう。真の信仰と聖霊なきものは、たといキリストの婚筵に連らんとするの意思と熱心とがあっても、イエスは「汝らを知らず」と言い給う。今日のキリスト者の中にたとい再臨のイエスを迎えんとする真面目にして熱心なる信者があるにしても、もし彼らが真の信仰によりてキリストの霊を持っていないで、キリストの来り給うのを待つの準備ができていないならば、イエスは彼らを否み給うであろう。

25章13節 されば()(さま)しをれ、(なんぢ)らは()()その(とき)()らざるなり。[引照]

口語訳だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
塚本訳だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は(人の子が来る)その日も時間も知らないのだから。
前田訳それゆえ、目を覚ましていよ。あなた方はその日もその時も知らないのだから。
新共同だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
NIV"Therefore keep watch, because you do not know the day or the hour.
註解: 原語「知らざればなり」。目を覚すことはイエスに対する活ける信仰を有つことであり、日々イエスとの一致において活き又動くことである。而してその結果聖霊は豊かに注がれるのであって、油を用意して主の再臨に備えるのと同意義である。信者は再臨の日時は絶対に知ることができない。これ我らに取って最も幸なる事柄である。我らをして常に主に在る霊の交を得しめ、その幸福に与ることを得しむるものは、その再臨の時日に関する無知である。父なる神は我らに対する愛よりこの点を秘密に保ち給う。
要義 [再臨の準備]キリスト者にとりて必要なことは、キリスト再び来り給うことを単に知るだけではない(愚かなる処女もこれを知っていた)。又その日時をダニエル書や黙示録を材料として計算することでもない(いかに計算してもこれを知ることができるはずはない、神これを秘し給うがゆえである)。ただ彼の来り給うことに対して準備をすることである。その準備の第一は信仰によりてキリストに連り、聖霊の油を蓄え信仰の涸渇を来たさないようにすることである。十人の処女の比喩はこのことを示しているのであって、これを見てもキリスト再臨の時には教会の所属も、神学的知識も、洗礼晩餐等の礼典も何の役にも立たず、ただ聖霊を有つ者のみ神の国に入ることができることを知ることができるであろう。

9-5-ロ タラントの譬喩 25:14 - 25:30
(ルカ19:12-27)   

註解: 十人の処女の比喩は「主を待つ」べきこと、この比喩は委せられし任務を「忠実に果たすべきこと」を教える。すなわち前者は内面的信仰につき後者は外面的行為につきてである。この二者は密接の関係がある(マコ13:34−36。ルカ19:12以下は類似の比喩であるけれども同一のものではない)。

25章14節 また(ある)(ひと)とほく旅立(たびだち)せんとして、()(しもべ)どもを()び、(これ)(おの)所有(もちもの)(あづ)くるが(ごと)し。[引照]

口語訳また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
塚本訳(ほんとうに目を覚ましておれ。人の子が来る時、)天の国は、旅行に出かける人が僕たちを呼んで財産を預けるようなものであるから。
前田訳天国は、旅立つ人がおのが僕を呼んで財産を預けるのに似る。
新共同「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
NIV"Again, it will be like a man going on a journey, who called his servants and entrusted his property to them.
註解: 「或人」はキリストを示し、僕は弟子たちを顕わす。当時の僕すなわち奴隷は主人の財産を預ってこれを忠実に働かする義務を持っていた。この比喩はキリスト昇天と再臨の間を主人の旅行による不在に譬え、今の時代における信者が主イエス・キリストより「所有」すなわち霊の賜物(Tコリ12章)及び学問、知恵、財産、健康等の肉の賜物を托されており、これをいかに働かすかによりて、再臨の時に各々異った取扱を受けることを示している。

25章15節 各人(おのおの)能力(ちから)(おう)じて、(ある)(もの)には()タラント、(ある)(もの)には()タラント、(ある)(もの)には(いち)タラントを(あた)()きて旅立(たびだち)せり。[引照]

口語訳すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。
塚本訳それぞれの力に応じて、一人には五タラント[千五百万円]、一人には二タラント[六百万円]、一人には一タラント[三百万円]を渡して旅行に出かけた。
前田訳ひとりには五タラント、ひとりには二、ひとりには一、すなわち各人の力に応じて与えて旅立った。
新共同それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
NIVTo one he gave five talents of money, to another two talents, and to another one talent, each according to his ability. Then he went on his journey.
註解: 人には生れながらにして能力の差異がある、これ主が各々をその目的に叶えるごとくに用い給わんがためである。而して諸種の賜物をこの能力に従い個人々々について異れる程度に与え給う。一タラントは約二千円。

25章16節 ()タラントを()けし(もの)は、(ただ)ちに()き、(これ)をはたらかせて(ほか)()タラントを(まう)け、[引照]

口語訳五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。
塚本訳五タラントあずかった者はさっそく行ってそれを働かせ、ほかに五タラントをもうけた。
前田訳五タラント受けた人はただちに行ってそれを活用してもう五タラントを得た。
新共同五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
NIVThe man who had received the five talents went at once and put his money to work and gained five more.

25章17節 ()タラントを()けし(もの)(おな)じく(ほか)()タラントを(まう)く。[引照]

口語訳二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。
塚本訳同じように、二タラントの者もほかに二タラントをもうけた。
前田訳そのように二タラント受けたものはもう二タラント得た。
新共同同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
NIVSo also, the one with the two talents gained two more.
註解: (おのおの)その全能力を働かせたことを表わしている(ルカ19:16-18の場合はこれと異り、同じ賜物を受けし者の異りたる働きを示す)。而して神より与えられし能力はこれを使用することによりて益々増大することは事実である。

25章18節 (しか)るに(いち)タラントを()けし(もの)は、()きて()()り、その主人(あるじ)(ぎん)をかくし()けり。[引照]

口語訳しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
塚本訳しかし一タラントあずかった者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
前田訳しかし一タラント受けたものは行って地をうがち、主人の金を隠した。
新共同しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
NIVBut the man who had received the one talent went off, dug a hole in the ground and hid his master's money.
註解: (ともしび)をともして升の下におく者のごとくに(マタ5:15)、その与えられし賜物を働かさず、これを死蔵していた。キリスト者として何らかの賜物を()たぬものはない、これを働かさない者はこの僕に等しい。

25章19節 (ひさ)しうして(のち)この(しもべ)どもの主人(あるじ)きたりて(かれ)らと計算(けいさん)したるに、[引照]

口語訳だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
塚本訳かなり日がたってから主人がかえって来て、僕たちと貸し借りを清算した。
前田訳かなりの時ののち僕たちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
新共同さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
NIV"After a long time the master of those servants returned and settled accounts with them.
註解: 聖書において再臨の時期は時に近きがごとく時に「久しく」後なるごとくに記されている。「計算」はキリストの臺前(だいぜん)に立ちて審判かれる場合を示す(Uコリ5:10)、すべての信者は各々その行為によりて審判かれなければならない。

25章20節 ()タラントを()けし(もの)(ほか)()タラントを()ちきたりて()ふ「(しゅ)よ、なんぢ(われ)()タラントを(あづ)けたりしが、()よ、(ほか)()タラントを(まう)けたり」[引照]

口語訳すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
塚本訳(まず)五タラントあずかった者が進み出て、ほかの五タラントを差し出して言った、『御主人、五タラント預りましたが、御覧ください、ほかに五タラントをもうけました。』
前田訳五タラント受けてもう五タラント得たものが来ていった、『主よ、五タラントお預けでしたが、ごらんください、もう五タラント得ました』と。
新共同まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
NIVThe man who had received the five talents brought the other five. `Master,' he said, `you entrusted me with five talents. See, I have gained five more.'
註解: 22節と共に、主の再臨に対する心の準備のみならず、その行為についてもその全力を尽くしたことの自信のある者の、審判の日に勇敢にキリストの前に立つ有様を示している。我らもまたこの時のことを今より思い回らすべきである。

25章21節 主人(あるじ)いふ「()いかな、(ぜん)かつ(ちゅう)なる(しもべ)、なんぢは(わづか)なる(もの)(ちゅう)なりき。(われ)なんぢに(おほ)くの(もの)(つかさ)どらせん、(なんぢ)主人(あるじ)勸喜(よろこび)()れ」[引照]

口語訳主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
塚本訳主人が言った、『感心々々、忠実な善い僕よ、少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一しょに喜んでくれ。』
前田訳主人はいった、『けっこう、まめなよい僕、わずかのものにまめであったから多くのものをまかせよう。主人のよろこびにあずかれ』と。
新共同主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
NIV"His master replied, `Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master's happiness!'
註解: 主人の喜びは非常に大きかった。「善良」と「忠実」とはキリスト者の()つべき最も大切なる性質である、26節はその反対の場合。「僅なる物」は地上の職務、「多くの物」は天国における任務である、キリスト者の地上生活は天国における生活の準備であって、又その試験である。「主人の歓喜」は主人の帰宅の祝宴における歓喜をいうのであって、この善にして忠なる僕はこの祝宴に列することができる。すなわち天国に招き入れられることの型である。

25章22節 ()タラントを()けし(もの)(きた)りて()ふ「(しゅ)よ、なんぢ(われ)()タラントを(あづ)けたりしが、()よ、(ほか)()タラントを(まう)けたり」[引照]

口語訳二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。
塚本訳二タラントの者も進み出て言った、『御主人、二タラント預りましたが、御覧ください、ほかに二タラントもうけました。』
前田訳二タラントのものが来ていった、『主よ、二タラントお預けでしたが、ごらんください、もう二タラント得ました』と。
新共同次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
NIV"The man with the two talents also came. `Master,' he said, `you entrusted me with two talents; see, I have gained two more.'

25章23節 主人(あるじ)いふ「()いかな、(ぜん)かつ(ちゅう)なる(しもべ)、なんぢは(わづか)なる(もの)(ちゅう)なりき。(われ)なんぢに(おほ)くの(もの)(つかさ)どらせん、(なんぢ)主人(あるじ)勸喜(よろこび)にいれ」[引照]

口語訳主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
塚本訳主人が言った、『感心々々、忠実な善い僕よ、少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一しょに喜んでくれ。』
前田訳主人はいった、『けっこう、まめでよい僕、わずかのものにまめであったから、多くのものをまかせよう。主人のよろこびにあずかれ』と。
新共同主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
NIV"His master replied, `Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master's happiness!'
註解: 僕の言とその態度も主人の言も、五タラントを受けし僕の場合と二タラントを受けし僕の場合と全く同一であることに注意しなければならぬ。キリスト者はその受けし賜物を全力を尽くして働かせる場合においては神の前にその働きの大小(量)は問題ではなく、その忠実の程度(質)が問題となるのであって、この二人の僕は共にその全力をもって忠実にその委托せられし任務を果した点において、全く同一の賞詞を賜ったのである。(▲各自の能力を顧みず他人より上に立ち、他人より多くの成績を挙げようとする立身出世主義者はキリストの精神に叶わない。)

25章24節 また(いち)タラントを()けし(もの)もきたりて()ふ「(しゅ)よ、(われ)はなんぢの(きび)しき(ひと)にて、()かぬ(ところ)より()り、()らさぬ(ところ)より(あつ)むることを()るゆゑに、[引照]

口語訳一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
塚本訳(最後に)一タラントあずかっていた者も進み出て言った、『御主人、あなたは(種を)まかない所で刈り取り、(金を)まき散らさない所で集める、きつい方と知っていたので、
前田訳一タラント受けたものも来ていった、『主よ、あなたはきびしいお方で、まかぬところで刈り、散らさぬところでお集めと知っていましたので、
新共同ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
NIV"Then the man who had received the one talent came. `Master,' he said, `I knew that you are a hard man, harvesting where you have not sown and gathering where you have not scattered seed.

25章25節 (おそ)れてゆき、(なんぢ)のタラントを()(かく)しおけり。()よ、(なんぢ)はなんぢの(もの)()たり」[引照]

口語訳そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
塚本訳(商売をするのが)恐ろしく、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。そら、お返しします。』
前田訳おそろしくなってお預けのタラントを地に隠しました。ごらんください、これがあなたのものです』と。
新共同恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
NIVSo I was afraid and went out and hid your talent in the ground. See, here is what belongs to you.'
註解: 彼は神は愛に(いま)し給うことを知らずしてただその厳しさのみを思い、神が豊に恩恵を賜うことを知らずして「播かぬ処より刈り、散らさぬ処より(あつ)むる」ほど綿密にして吝嗇(りんしょく)であると考えた。彼は神を知らず又これを信じなかったのである。ゆえに彼は彼が商売を為すことによりて万一利益を得ざれば主人の怒を買うならんと「懼れ」、また苦心して商売することの煩労を嫌い、これを「地中に埋め」て自己の危険を免れその安佚(あんいつ)を貪っていた。すなわち彼は主人のためを思わずして自己の安全をのみ謀っていたのである。「汝はなんぢの物を得たり」は元のままでその金銭を返却したこと。我らの与えられし賜物を全く働かせずにキリストの前に出たことを示している。

25章26節 主人(あるじ)こたへて()ふ「()しくかつ(おこた)れる(しもべ)、わが()かぬ(ところ)より()り、(ちら)さぬ(ところ)より(あつ)むることを()るか。[引照]

口語訳すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
塚本訳主人が答えた、『怠け者の、悪い僕よ、わたしがまかない所で刈り取り、まき散らさない所で集めることを知っていたのか。
前田訳主人は答えていった、『怠けものの悪い僕、まかぬところで刈り、散らさぬところで集めるのを知っていたのか。
新共同主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
NIV"His master replied, `You wicked, lazy servant! So you knew that I harvest where I have not sown and gather where I have not scattered seed?

25章27節 さらば()(ぎん)銀行(ぎんかう)にあづけ()くべかりしなり、(われ)きたりて利子(りし)とともに()(もの)をうけ()りしものを。[引照]

口語訳それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
塚本訳それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうすればかえって来たとき、(元金に)利子をつけてもどしてもらえたのに。
前田訳それならわたしの金を預金すべきであった。わたしが帰ったときに利子つきで戻してもらえたのに。
新共同それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
NIVWell then, you should have put my money on deposit with the bankers, so that when I returned I would have received it back with interest.
註解: 主人の不興(ふきょう)の心持が言外にあふれている。主人はその性質を僕が誤解しているのを訂正せずにそのままにこれを繰返し、そしてかかる酷薄(こくはく)なる主人である場合でさえ、もし僕が善かつ忠であったならば、その銀を銀行に預けるだけの知恵は出たであろう。これすらできなかったのは「悪しくかつ(おこた)れる」者である証拠であるといって彼を叱責しているのである。「銀行に預ける」ことはキリスト者の賜物の場合には、これを他の有力にして確実なる人の指導共力の下に置きてその小なる賜物を働かせることを意味すと見るべきであろう。要するに手段のいかんは大問題ではなく、小なる賜物といえどもこれを充分に働かせなければならぬと考うるその心の態度が大切なのである。

25章28節 されば(かれ)のタラントを()りて(じふ)タラントを()てる(ひと)(あた)へよ。[引照]

口語訳さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
塚本訳では、その一タラントをその男から取り上げて、十タラントを持っている者に渡しなさい。
前田訳そのタラントを取りあげて十タラント持つものに与えよ。
新共同さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
NIV"`Take the talent from him and give it to the one who has the ten talents.
註解: 使用せざる能力は衰微してしまう、あたかも我らの筋肉はこれを使用することによりて強くなり、使用せざることによりて弱くなると同じである。ゆえにそのタラントを使用せしものはそれが増加し、これを死蔵せしものは増加せざるのみならず、これを奪い取られて全くこれを失うに至るのである。而して彼の怠慢の結果彼より奪い取られしそのタラントすなわち能力、他の十タラントを有てるものに与えられて彼は益々その能力を増すに至るのである。これ自然の現象であって同時に霊界の事実である。

25章29節 すべて()てる(ひと)は、(あた)へられて愈々(いよいよ)(ゆたか)ならん。されど()たぬ(もの)は、その()てる(もの)をも()らるべし。[引照]

口語訳おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
塚本訳だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
前田訳すべて持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持つものも取られよう。
新共同だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
NIVFor everyone who has will be given more, and he will have an abundance. Whoever does not have, even what he has will be taken from him.
註解: これ経済界の普通の現象であって、主はかかる事実が天国において行われることを示し給い、賜物が少しとてこれを用いることを怠るべからざることを教え給うた(天国のことを示すに悪しき事実をもってし給うことは往々ある。盗人をもって主の再臨を示すがごとし)。

25章30節 (しか)して()()(えき)なる(しもべ)(そと)暗黒(くらき)()ひいだせ、其處(そこ)にて哀哭(なげき)切齒(はがみ)することあらん」[引照]

口語訳この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
塚本訳さあ、この役に立たない僕を外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
前田訳この無益の僕を外の闇に放り出せ。そこではなげきと歯ぎしりがあろう』と。
新共同この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
NIVAnd throw that worthless servant outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.'
註解: 怠慢なる僕に対する罰はその有てる物を奪われるのみならず、さらに祝宴に加わることを許されずして外の暗闇の中に投出されることである(マタ8:12註)。
要義 [小なる賜物を受けし人々の責任]キリスト教会においては賜物の小きものはこれを働かせずして、他人にのみその働きを一任しているがごとくに見える。自らもその賜物の小きゆえをもってこれを意に介せず、又他人も大なる注意をかかる人々に払わない場合が多い。しかしながらキリスト再臨の時、彼らも同じくその委托せられしタラントについて計算しなければならないのであって、この点において多くの賜物を受けし者との間に差別がない、ゆえにキリスト者はその賜物の大小を問わずすべて全力を尽くしてこれを用いて主の御心を歓ばすべきである。

9-5-ハ 万国民の審判 25:31 - 25:46  

註解: 31−46節の審判は世界万国のキリスト者の愛の奉仕について為される審判である(A1、M0)。主の再臨を待つこと(1−13節)主の賜物を働かすこと(14−29節)の外に、さらにこの愛の奉仕がキリスト者としての欠くべからざる性質である。

25章31節 (ひと)()その榮光(えいくわう)をもて、もろもろの御使(みつかひ)(ひき)ゐきたる(とき)、その榮光(えいくわう)座位(くらゐ)()せん。[引照]

口語訳人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
塚本訳(こんど)人の子(わたし)が栄光に包まれ、“すべての天使を引き連れて来る”時には、栄光の(裁きの)座につくのである。
前田訳人の子が栄光のうちに来臨してすべての天使を従えるとき、彼は栄光の座につこう。
新共同「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
NIV"When the Son of Man comes in his glory, and all the angels with him, he will sit on his throne in heavenly glory.
註解: キリストの肉体をもって来たり給える時に比して、その再臨の時の栄光はいかにまばゆいことであろう。その時彼は王として御使たちを率いて来り給う。

25章32節 かくてその(まへ)にもろもろの國人(くにびと)あつめられん、[引照]

口語訳そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
塚本訳ありとあらゆる国の人がその前に集められ、人の子は羊飼が羊と山羊とを分けるように彼らを互にえり分け、
前田訳そしてすべての民が彼の前に集められ、牧者が羊と山羊を分けるように彼は民を互いに分けよう。
新共同そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
NIVAll the nations will be gathered before him, and he will separate the people one from another as a shepherd separates the sheep from the goats.
註解: この時福音は全世界に宣伝えられている(マタ24:14)、従って「すべての国民」(直訳)の中よりキリスト者が集められる(マタ24:31)。しかしながらすべてのキリスト者が天国に入ることができるのではなく、この中に亡びに入るものもあることに注意しなければならぬ。

(これ)(わか)つこと牧羊者(ひつじかい)(ひつじ)山羊(やぎ)とを(わか)(ごと)くして、

25章33節 (ひつじ)をその(みぎ)に、山羊(やぎ)をその(ひだり)におかん。[引照]

口語訳羊を右に、やぎを左におくであろう。
塚本訳羊(である正しい人)を右に、山羊(である悪い人)を左に立たせるであろう。
前田訳彼は羊を右に、山羊を左に置こう。
新共同羊を右に、山羊を左に置く。
NIVHe will put the sheep on his right and the goats on his left.
註解: 山羊は羊より価値なきもの、右は左より貴き場所を一般に認められていた。▲付記第二参照(25章末尾)。31−46節についての本註解は一つの解釈であるが、むしろ従来の種々の解釈に拘泥せずに付記第二のごとくに、第25章の三つの譬論を一つと見て解したいと思う。無教会主義を徹底すればそこまで行くのではあるまいか。

25章34節 ここに(わう)その(みぎ)にをる(もの)どもに()はん「わが(ちち)(しゅく)せられたる(もの)よ、(きた)りて()(はじめ)より(なんぢ)()のために(そな)へられたる(くに)()げ。[引照]

口語訳そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
塚本訳それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
前田訳そのとき王は右のものにいおう、『来たれ、父に祝福されるものよ、世のはじめからあなた方のためにそなえられた王国を継げ。
新共同そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
NIV"Then the King will say to those on his right, `Come, you who are blessed by my Father; take your inheritance, the kingdom prepared for you since the creation of the world.
註解: ここにキリストは王としてあらゆる祝福を正しき者の上に注ぎ給う、すなわち彼らは父なる神より祝せられし者であり、天国は世の創より彼らのために備えられていたのである。これを主の再臨の時に彼らに与え給う。その理由は次節に示さる。

25章35節 なんぢら()()ゑしときに(くら)はせ、(かわ)きしときに()ませ、旅人(たびびと)なりし(とき)宿(やど)らせ、[引照]

口語訳あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
塚本訳あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
前田訳わたしが飢えたときあなた方は食を与え、渇いたとき飲み物を与え、わたしがよその者であったとき宿をかし、
新共同お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
NIVFor I was hungry and you gave me something to eat, I was thirsty and you gave me something to drink, I was a stranger and you invited me in,

25章36節 (はだか)なりしときに(ころも)せ、()みしときに(おとな)ひ、(ひとや)()りしときに(きた)りたればなり」[引照]

口語訳裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
塚本訳裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
前田訳裸のとき着物を与え、病のとき見舞い、捕われのとき訪れてくれた』と。
新共同裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
NIVI needed clothes and you clothed me, I was sick and you looked after me, I was in prison and you came to visit me.'
註解: キリストは彼らに対し、その愛の奉仕について、その行為を一つ一つ思い起して満腔の喜びを表し給う。

25章37節 ここに、(ただ)しき(もの)(こた)へて()はん[引照]

口語訳そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
塚本訳その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
前田訳そのとき正しい人々は答えよう、『主よ、われらはいつあなたの飢えを見て食を与え、渇きを見て飲み物を与えましたか。
新共同すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
NIV"Then the righteous will answer him, `Lord, when did we see you hungry and feed you, or thirsty and give you something to drink?
註解: 「正しき者」は「選ばれし者」というに同じ、神との正しき関係にあるもの。

(しゅ)よ、何時(いつ)なんぢの()ゑしを()(くら)はせ、(かわ)きしを()()ませし。

25章38節 何時(いつ)なんぢの旅人(たびびと)なりしを()宿(やど)らせ、(はだか)なりしを()(ころも)せし。[引照]

口語訳いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
塚本訳また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
前田訳いつあなたをよその者と見て宿をかし、裸なのを見て着物を与えましたか。
新共同いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
NIVWhen did we see you a stranger and invite you in, or needing clothes and clothe you?

25章39節 何時(いつ)なんぢの()みまた(ひとや)()りしを()て、(なんぢ)にいたりし」[引照]

口語訳また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
塚本訳また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
前田訳いつ病気であり捕われているのを見て訪れましたか』と。
新共同いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
NIVWhen did we see you sick or in prison and go to visit you?'
註解: 彼らはキリストに対して直接に何らの奉仕を為せる覚えがなかった(これキリスト再臨まで不在の間であれば当然である)。ゆえに彼らはキリストの言を疑ったのである。

25章40節 (わう)こたへて()はん「まことに(なんぢ)らに()ぐ、わが兄弟(きゃうだい)なる(これ)()のいと(ちひさ)(もの)一人(ひとり)になしたるは、(すなは)(われ)()したるなり」[引照]

口語訳すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
塚本訳すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』
前田訳王は答えよう、『本当にいう、このいと小さいわが兄弟のひとりにあなた方がしたことはわたしにしてくれたことになる。
新共同そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
NIV"The King will reply, `I tell you the truth, whatever you did for one of the least of these brothers of mine, you did for me.'
註解: キリスト者はいずれの時代にもどこの国にも「愚かなる者、弱き者、賎しき者」(Tコリ1:26)、「貧しき者、迫害される者」(ルカ6:20−23)が多い、そこにキリストの周囲に集められし者もかかる者が多かったのであろう、これらをキリストは「わが兄弟なるこれらのいと小き者」と呼び給うた。而してキリスト者らがその同輩に対して為せる些細の行為も、皆キリストの御前に記憶せられ、キリストはこれを「我になせるもの」と喜び給うマタ18:5マタ10:40。これキリストの愛が常に信者をはなれず、殊にその弱き小さき信者を離れないからである。

25章41節 かくてまた(ひだり)にをる(もの)どもに()はん「(のろ)はれたる(もの)よ、(われ)(はな)れて惡魔(あくま)とその使(つかひ)らとのために(そな)へられたる永遠(とこしへ)()()れ。[引照]

口語訳それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
塚本訳それから王は左側の者に言う、『わたしを離れよ、この罰当りども、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
前田訳そのとき左のものにもいおう、『わたしを去れ。呪われて、悪魔とその使いのためにそなえられた永遠の火に入れ。
新共同それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
NIV"Then he will say to those on his left, `Depart from me, you who are cursed, into the eternal fire prepared for the devil and his angels.
註解: 左にいる者は名はキリスト者であっても愛の奉仕を為さざりしものであった、かかる者は詛われて永久の火に入れられるのである。「わが父に祝せられたる者よ」と言いて「わが父に詛はれたる者よ」と言い給わず、「汝のために備へられたる国」と言いて「汝らのために備へられたる永久の火」と言い給わない処に注意しなければならない。神は始より人を詛いて亡びに定め給わない、人の罪がこれを為さしめるのである(34節)。

25章42節 なんぢら()()ゑしときに(くら)はせず、(かわ)きしときに()ませず、[引照]

口語訳あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
塚本訳あなた達はわたしが空腹のときに食べさせず、渇いたときに飲ませず、
前田訳わたしが飢えたときあなた方は食を与えず、渇いたとき飲み物を与えず、
新共同お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
NIVFor I was hungry and you gave me nothing to eat, I was thirsty and you gave me nothing to drink,

25章43節 旅人(たびびと)なりしときに宿(やど)らせず、(はだか)なりしときに(ころも)せず、()みまた(ひとや)にありしときに(おとな)はざればなり」[引照]

口語訳旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
塚本訳宿がなかったときに宿をかさず、裸のときに着せず、病気のとき、牢に入っていたときに見舞ってくれなかったのだから。』
前田訳よそものであったとき宿をかさず、裸のとき着物を与えず、病気であり捕われているとき訪れてくれなかった』と。
新共同旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
NIVI was a stranger and you did not invite me in, I needed clothes and you did not clothe me, I was sick and in prison and you did not look after me.'
註解: 正しき者に対すると同一の事項を掲げて、これを行わざりしことをもって彼らの詛わるべき理由としている、これらの愛の奉仕がいかに必要であるかを見るべきである。「裸」が省略されているけれども格別の意味がない。

25章44節 ここに(かれ)らも(こた)へて()はん「(しゅ)よ、いつ(なんぢ)()ゑ、(あるひ)(かわ)き、(あるひ)旅人(たびびと)、あるひは(はだか)、あるひは()み、(あるひ)(ひとや)()りしを()(つか)へざりし」[引照]

口語訳そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
塚本訳その時、彼らも答える、『主よ、いつわたし達は、あなたが空腹であったり、渇いたり、お宿がなかったり、裸でおられ、御病気であり、牢に入っておられたりするのを見て、お世話をしてあげませんでしたか。』
前田訳そのとき彼らも答えよう、『主よ、あなたが飢え、渇き、よその者であり、裸で、病気で、捕われのとき、いつあなたに仕えませんでしたか』と。
新共同すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
NIV"They also will answer, `Lord, when did we see you hungry or thirsty or a stranger or needing clothes or sick or in prison, and did not help you?'
註解: キリスト昇天後再臨まで彼は地上に在さない、従って彼らは主に対する奉仕を怠っており、今この叱責に遭いつつもなおかかることを為さざりし覚えがないことを主張している、主の不在の間彼を忘れるキリスト者の憐れなる状態を見よ。

25章45節 ここに(わう)こたへて()はん「(まこと)になんぢらに()ぐ、(これ)()のいと(ちひさ)きものの一人(ひとり)()さざりしは、(すなは)(われ)になさざりしなり」と。[引照]

口語訳そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
塚本訳その時、王は答える、『アーメン、わたしは言う、このいと小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったのと同じである。』
前田訳そこで彼らに答えよう、『本当にいう、あなた方がこれらいと小さきものにしなかったことはわたしにしてくれなかったことになる』と。
新共同そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
NIV"He will reply, `I tell you the truth, whatever you did not do for one of the least of these, you did not do for me.'
註解: 彼らもし一人の憐むべき信者を顧みないならば、キリストを飢えしめ渇かしめ奉るのであることを忘れてはならない。ここにキリストはその再臨の時において信者として最も必要なる事実は信者相互間の愛であることを強く示し給うた。

25章46節 かくて、これらの(もの)()りて永遠(とこしへ)刑罰(けいばつ)にいり、(ただ)しき(もの)永遠(とこしへ)生命(いのち)()らん』[引照]

口語訳そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
塚本訳こうして、“この(悪い)人たちは永遠の”刑罰に、正しい人たちは“永遠の命に”入るであろう。」
前田訳彼らは永遠の罰に、正しい人々は永遠のいのちに入ろう」。
新共同こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
NIV"Then they will go away to eternal punishment, but the righteous to eternal life."
註解: かくして神の審判は完うされるのである。
要義 [キリストの着眼点と審判の要件]キリスト再臨の時、彼はその審判に際して、人がカトリック教会に属するや、新教々会に属するや、又はいかなる信条を信ずるや等を眼中に置かずして、キリストに対する信仰をもっていかにキリスト者に対して愛の奉仕を為したかによって区別することは、重要なる真理である。今日自己の真のキリスト者たることをその教会の所属や、その教理の正統をもって誇りつつあるものは、キリスト再臨の日に永遠の刑罰に定められるであろう。
附記1 この比喩は種々の解釈を与えられる余地のある比喩であって、中にもアウグスチヌス以来多くの人々によりて解されるごとくに、この審判はキリスト者以外の万国民に関わるものであるとすることも、意義ある見方であることをここに追加しなければならぬ。この解釈によれば、この教訓の中に三種類の人あり、一、キリスト者(40節、わが兄弟なる此等のいと小き者)、二、正しき者(34節、すなわちキリスト者に対して愛の行為をなせるもの)、三、悪しき者(41節、キリスト者に対して愛の行為をなさざりし者)の三種類であって、諸国民はそのキリスト者に対する態度いかんによりて或は永遠の生命に入り、或は永遠の刑罰に入るものと解するのである。この解釈は「もろもろの国人」「わが兄弟なる此等のいと小さき者」等の文字通りの解釈を許す点において長所を有っているけれども、同時に「世の創より汝らのために備へられたる国」「正しき者」「主よ」等の文字の解釈に困難あり、かつ審判の理由がやや不充分なるものがあることをその欠点とする。
附記2 ▲31−46節を一層徹底的に考えて、神はその最後の審判の時は名義上のキリスト者と然らざる者との区別をさえ無視して万国の民を一視同仁の態度をもって審判の座に招き、そしてその審判の標準をすべての人の愛の行為に置いたものと考え、「いと小さき者」は36、37節のごとき人々で、イエスは常にかかる人々を自分と同視したもうこと、「正しき者」は愛の行為を為す者と解すべきではあるまいか。すなわち最後の審判は「信仰」(十人の乙女の譬)「使命の遂行」(タラントの譬)及び「愛の行為」(山羊と綿羊の譬)によって行われることを示したものと見るべきである。