第2テサロニケ書第2章
分類
3 再臨問題と救の確実性 2:1 - 2:17
3-1 キリスト再臨に関する誤謬とその注意 2:1 - 2:12
註解: 1−12節は本書の中心をなすキリストの再臨の問題に関する部分で、難解にして問題の多い箇所である。
2章1節
口語訳 | さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。 |
塚本訳 | 兄弟達よ、お願いだが、【私達の】主イエス・キリストの来臨と、(その時)私達が御許に集まることとについては、 |
前田訳 | 兄弟たちよ、われらの主イエス・キリストの来臨と彼がわれらをみもとにお集めのことについてお願いします。 |
新共同 | さて、兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストが来られることと、そのみもとにわたしたちが集められることについてお願いしたい。 |
NIV | Concerning the coming of our Lord Jesus Christ and our being gathered to him, we ask you, brothers, |
註解: 主の再臨がパウロの伝道の初期における教会において殊に重大なる問題であった。テサロニケ教会においては殊にその問題が熱心に考えられた。その結果再臨狂とも称すべき熱心家が起ったので、それらを正しき軌道に戻さんがためにパウロは「汝らに求む」と言いて次節以下の諸点を念頭に置くべきことを要求した。
辞解
[主の許に集ふこと] Tテサ4:13−17。
[兄弟よ] 親密さを示す。
2章2節
口語訳 | 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。 |
塚本訳 | (たとい)霊(の語)によって、あるいは私達から(出た)と(吹聴)されている言によりあるいは手紙によって、主の日は(既に)来ていると言われても、(決して)直に心を騒がせたり、狼狽えたりしないようにしてもらいたい。 |
前田訳 | 霊によれ、ことばによれ、われらからと称する手紙によれ、「主の日がもう来た」ということで、すぐに心が動かされたり、うろたえたりしないでください。 |
新共同 | 霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。 |
NIV | not to become easily unsettled or alarmed by some prophecy, report or letter supposed to have come from us, saying that the day of the Lord has already come. |
註解: 一部私訳「或は我等より出でし如き言或は書により」とする方がよろし、当時ある者は「霊」すなわち聖霊に導かれたと称し、またはパウロの言であると称し、或はパウロらの書簡を偽造し、すなわち権威あるかのごとくに装って主の日すでに到れりと唱うる者があった。これにつきパウロはテサロニケの信徒に訴えてこれによりて心を動かしかつ驚かされてはならないことを戒めている。前書(Tテサ5:2、3等)により主の再臨近しと信んじて熱狂する者は往々にしてかかる狂信に陥り、またはかかる狂信者に動かされ易いものである。主の再臨の非常に近きを信じつつかかる狂信に陥らなかったパウロの信仰を学ぶべきである。
辞解
[心を動かし] 動揺によりて心がその立場を失うごとき意味。「動かし」は海の波の動揺につきていう語である。
口語訳 | だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 |
塚本訳 | 誰が何と言っても決して騙されてはならない。何故なら、(主の日が来る前には必ず)まず背教が起こり、そして不法の人、(すなわち)滅亡の子が顕れねばならぬからである。 |
前田訳 | だれにもどんなことがあっても、だまされないでください。まず背教がおこり、不法の者すなわち滅びの子が現われるのです。 |
新共同 | だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。 |
NIV | Don't let anyone deceive you in any way, for that day will not come until the rebellion occurs and the man of lawlessness is revealed, the man doomed to destruction. |
註解: 主の再臨が非常に近いということを信じつつ、すでに来れりということを信じないことは甚だ困難であるが、それには以下のごとき条件があることに注意しなければならない。以下に述ぶるパウロの終末思想はユダヤ教の終末思想の影響を多分に受けていることに注意すべきである。
その
註解: 要義一参照。背教 apostasia はユダヤ教においては異教に堕落することで、これがメシヤの来臨の前兆とされていた。マタ24:10−12。パウロは具体的の背教の事実を指しているのではなく、これを一つの原理として述べたのである。しかしながら当時の世界においても、これに類する事を多く見ることができた。
2章4節
口語訳 | 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。 |
塚本訳 | これは“凡て神”とか聖なるものとか呼ばれるものに反抗して自ら“高ぶり”、斯くして(遂に)“神の”聖殿“に坐り込み”、自分を”神”なりとする者である。 |
前田訳 | 彼は反逆者で、神あるいは聖なるものと呼ばれるすべてのものに反抗して立ち上がり、神の宮に座して自ら神であると宣言します。 |
新共同 | この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです。 |
NIV | He will oppose and will exalt himself over everything that is called God or is worshiped, so that he sets himself up in God's temple, proclaiming himself to be God. |
註解: 「不法の人」「滅亡の子」ヨハ17:12等はユダヤ的終末観の術語であり、ダニ11:36−39はこの不法の人を描いており、本節はこれに效 える文章より成っている。なおTヨハ2:18、Tヨハ2:22(およびその引照)等にはこれを「非キリスト」Antichrist と呼んでいて、キリスト再臨の前に出現すべき人物と考えられている。本文の示すがごとくこの非キリストは不法の人であって神の律法を無視しこれを破る者であり、「滅亡の子」であって、やがて神の審判によりて滅ぶべきものであり、so して自己を神の地位に置いて神の聖所に坐するに至る者である。なおこの思想は多くの経外聖書にもこれを見出すことができる。そしてパウロはキリストの再臨の前には必ず不法の人なる非キリストが顕るべきことを告げている。ただしパウロはある歴史上の特定人物を指して言っているのではなく、一つの原理を示しているのであるが、この原理は歴史上しばしばこれに相当する人物に適用し得る場合がある。現に上掲ダニエル書よりの引用の箇所はアンテクオス・エピファネス王を指していることは今日の学者の通説であるが、パウロがここで何人を指したかにつきては異説が多い。予はパウロは歴史上の何人をも特に指してはいなものと考える。
2章5節 われ
口語訳 | わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。 |
塚本訳 | これは私がまだ君達の所にいた時(度々)言ったことであるが、思い出さないのか。 |
前田訳 | わたしがそちらにいたとき、このことをいいつづけたのをお覚えでないのですか。 |
新共同 | まだわたしがあなたがたのもとにいたとき、これらのことを繰り返し語っていたのを思い出しませんか。 |
NIV | Don't you remember that when I was with you I used to tell you these things? |
註解: パウロはテサロニケに伝道せる際にもすでに口づからこれを彼らに告げたのであって、今日新たに考え出した説ではない。
辞解
[これらの事] 3、4節の内容。
2章6節
口語訳 | そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。 |
塚本訳 | そして彼がその定められた時に(はじめて)顕れるため、今(これを)引き留めているものがあることを君達は知っている(はずである。) |
前田訳 | 今はご承知のように、彼が時を得て現われるように、彼を引き止めるものがあります。 |
新共同 | 今、彼を抑えているものがあることは、あなたがたも知っているとおりです。それは、定められた時に彼が現れるためなのです。 |
NIV | And now you know what is holding him back, so that he may be revealed at the proper time. |
2章7節
口語訳 | 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。 |
塚本訳 | 然り、既に不法は秘密に働いている。ただ、それは今(これを)引き留めている者が取り除かれるまでであって、 |
前田訳 | すでに不法の奥義が働いていますが、それは単に今の阻止者が除かれる時までのことです。 |
新共同 | 不法の秘密の力は既に働いています。ただそれは、今のところ抑えている者が、取り除かれるまでのことです。 |
NIV | For the secret power of lawlessness is already at work; but the one who now holds it back will continue to do so till he is taken out of the way. |
註解: 私訳「而して彼をして己が時に至りて顕れしめんための制止物を今汝らは知る。そは不法の奥義はすでに働き、唯制止者の除かるまでなればなり」。ここに「制止物」と「制止者」と二種の語を用い、中性と男性に使い分けているのは、前者は原理を示し、後者はその具体化せる人間を示しているのであろう。非キリストが未だ顕われないのはこの「阻めをる者」すなわち「制止者」があるからで、この制止者は神の御旨によりて不法の人、非キリストの顕るべき時まで置かれており、この制止者が除かれるや否や非キリストが現れるのである。そして不法の奥義はすでに働いており、唯この奥義の具体化のみが時の問題である。この「制止物」(to katechôn)および「制止者」(ho katechôn)を多数の学者はローマ帝国およびローマ皇帝と解しているけれども疑わし。「要義」を参照すべし。
2章8節 かくて
口語訳 | その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。 |
塚本訳 | その時(いよいよ)“不法の者”が顕れ、これを主【イエス】が“その口の息で殺し”、その来臨の出現で亡ぼし給うであろう。 |
前田訳 | その時には不法の者が現われ、主イエスが口の息で彼を殺し、来臨の輝きによってお滅ぼしでしょう。 |
新共同 | その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。 |
NIV | And then the lawless one will be revealed, whom the Lord Jesus will overthrow with the breath of his mouth and destroy by the splendor of his coming. |
註解: 「制止物」として置かれたものが除かれる時至れば非キリストが顕れるけれども、この時主イエスの降臨ありてこの非キリストを絶滅し給う。
辞解
[御口 の氣息 ] その御言の力の強さを意味すると見るよりも単に再臨のキリストの能力の偉大さを示すと見るべきである。
[降臨の輝耀 ] 「臨在の顕現」の意訳、すなわちキリストが単に顕現し給うことによりて非キリストは滅亡する。
2章9節
口語訳 | 不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、 |
塚本訳 | そしてこの不法の者はサタンの働きによって来臨し、あらゆる偽りの奇蹟と徴と不思議と、 |
前田訳 | 不法の者の到来は悪魔のわざで、あらゆる偽りの力と不思議と徴と、 |
新共同 | 不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、 |
NIV | The coming of the lawless one will be in accordance with the work of Satan displayed in all kinds of counterfeit miracles, signs and wonders, |
2章10節
口語訳 | また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。 |
塚本訳 | あらん限りの不義の眩惑とをもって、亡び行く人達に向かうのである。というのは、この人達は彼らを救う(福音の)真理に対する愛を(少しも有たず、福音を示されながら遂にこれを)受けなかったからである。 |
前田訳 | あらゆる不義の誘惑が滅びるものに向けられています。滅びは彼らが救われるための真理愛を受け入れなかったためです。 |
新共同 | そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。 |
NIV | and in every sort of evil that deceives those who are perishing. They perish because they refused to love the truth and so be saved. |
註解: 非キリストの原動力はサタンであってサタンより力を与えられて来り、その活動の方法は凡ての虚偽なる力と徴と不思議と不義の誑惑 とであり、その活動の相手は「亡ぶる者」である。すなわちサタンが神に対抗すると同じく非キリストはキリストに対抗する力を有し、その活動はキリストのごとく力と徴と不思議とを行う、そしてキリストが正義と公平とをもって働き給うのに対し、非キリストは不義の誑惑 を行い、キリストが救わるべきものに福音を宣伝うるに対し、非キリストは滅ぶる者どもに向う、凡ての点において非キリストはキリストの正反対である。
註解: 滅ぶる者は救われざらんとして真理を愛する愛を受けない。もし彼らにして真理を愛する愛を受けるならば、不義の誑惑 に陥ることなく、非キリストに滅ぼされることはないはずである。
2章11節 この
口語訳 | そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 |
塚本訳 | そこで神は彼らが虚偽を信ずるため惑わす力を彼らに送って、 |
前田訳 | それで神は彼らが偽りを信じるように迷いの力を送り、 |
新共同 | それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。 |
NIV | For this reason God sends them a powerful delusion so that they will believe the lie |
2章12節 これ
口語訳 | こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。 |
塚本訳 | 真理を信ぜず悪を喜ぶ人達を悉く審判き給うのである。 |
前田訳 | 真理を信ぜずに不義をよろこぶものが、みな裁かれるようになさいました。 |
新共同 | こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。 |
NIV | and so that all will be condemned who have not believed the truth but have delighted in wickedness. |
註解: 真理を愛する愛を受けない者には神はかえって惑いをその中に働かせて彼らをして虚偽を信ぜしめ給う、神は頑固なるパロを頑固にし給えるごとく、真理を愛する愛を受けざる者には惑いを働かせて虚偽を信ぜしめ給う。これ不義を喜ぶ者のみな審 かれんためである。かく言いてパウロはキリストの再臨を待ち望む態度は、主の日すでに到れりと考えて動揺することではなく、また主の日何時来るかを計算することでもなく、唯、真理を愛する愛を受けることであることを教えている。▲なおこの部分を理解するためにはマタ24章の主イエスの再臨に関するイエスの言を参照すべし。双方とも謎のごとくまた詩のごとく、理論的にこれを理解することは困難である。イエスの再臨の光輝に伴う反射光線のごときものと見るべきである。
要義 [キリスト再臨に至るまでの状態]ここに2:1−12にパウロの述べし処は甚だ不可解の点が多く、殊にパウロが「不法の人」、「滅亡の子」、「非キリスト」、「制止者」等によりて何を意味したかは非常に解釈上の困難を来らしめている。学者によっては、非キリストはヘロデ王またはローマ皇帝カリグラその他誰彼を指したのであると主張し、「制止物」はローマ帝国、すなわちその政治力で、「制止者」はローマ皇帝なりと解しているけれども、パウロがこれらの具体的人物を描き出さんとしたことの証拠はなく、またたといこれらの歴史的人物および事実によりて示唆を与えられたとしても、直接にこれらを指したと解することは困難である。むしろパウロはこれらの全体を一つの原理として指示したものと考えるべきであろう。しかのみならずキリストの再臨はパウロが期待したように速やかには実現しなかったので、その後の歴史の進展に伴い、非キリストの解釈につきても種々の変遷あり、ルーテル、カルヴィン等の宗教改革家らは、ローマ教会制度を非キリストとなし、法王は罪の人であり、制止物はローマ帝国であると解した。その他「非キリスト」は、或はモハメット教徒たるトルコ人、またはキリスト教に敵するユダヤ人なりとし、或は近代に至りてこれをナポレオン、ムッソリーニ、ヒットラー等の英雄なりとし、或はフランス革命、ロシア革命または種々の罪悪の総称、またはパリサイ主義等のごとき主義等、種々のものをもってこれに当てていた。同様に、この非キリストの来ることを制止する者も或はパウロ自身なりとか、またはキリスト教の伝播であるとか、または地上の権力であるとか種々に考えられ、「不法の秘密」も、ユダヤ教徒が異教に堕落すること、キリスト教徒のモハメット教への転向、無神論、共産主義等解釈者が勝手にその思うがままをこのパウロの言に読み込んでいるけれども、何れも適切なるはなく不動なるはない。要するにこのパウロの終末論はユダヤ教的思想および伝統の継承ではあるけれども、パウロは無反省に盲目的にこれを祖述したのではなく、この具体的表顕の中に含まれる原理の中に神の経綸に相応する真理が在することを信じて、この表顕方法を用いたものであると考えるべきである。
以上のごとくであるとしても、その原理の何であるかを知ることは困難であるけれども、パウロの考えはおそらく下のごときものであろう。すなわち神の反対がサタンであると同じくキリストに反対する者が非キリストであり最後にキリストが勝利を得て非キリストを亡ぼすのであるが、この非キリストはおそらくある人格的なるものとして現れるであろう。そしてキリストの顕現にその時期があると同じく、非キリストの顕現にもその時期があり、それまでは現れない。ただし一方にはキリストの福音の奥義が今日すでにこの世において働いていると同じく、「不法の奥義(現行訳─不法の秘密)」は今日すでに働いているのであるが、これがその頂点に達して一つの人格に化身するまでは、不法はその完全なる貌において顕われない。そしてそれはその現れんとするのを「制止する者」があるからであって、この「制止者」が除かれる時、不法は人格化して非キリストとなって現れる。この制止する者の何たるかは具体的に表顕し得ないのであるが、神の経綸そのものと解すべきであろう。神は適当時にその御手を弛めて非キリストを解放ち、キリストをしてこれを亡ぼさしめ給う。如何なる時に神がこれをなし給うかは全くその経綸の中にある。
口語訳 | しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、 |
塚本訳 | しかし、“主に愛されている”兄弟達よ、私達は常に君達のために神に感謝しなければならない。というのは、神は君達を霊の聖潔と真理の信仰とによって始めから救いに選び、 |
前田訳 | しかし、主に愛される兄弟よ、われらはあなた方ゆえに、つねに神に感謝せずにはいられません。神はあなた方を初めから選んで、霊の聖潔と真理への忠実のうちに救われるようになさいました。 |
新共同 | しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。 |
NIV | But we ought always to thank God for you, brothers loved by the Lord, because from the beginning God chose you to be saved through the sanctifying work of the Spirit and through belief in the truth. |
註解: 前節までは亡ぶる者どもの状態と運命と録したのであるが、これに対して反対に救われるものにつきて語る故かくいう。
註解: Tテサ1:4参照。
われら
註解: 亡ぶる者どもに比して救われる者の幸福を思う時、パウロは感謝の念が溢れ来るを覚え、感謝せずにいられなくなった。
註解: 感謝の第一の理由は、信者の選びの問題である。信者は(テサロニケの信者も同様)救わんがために神の選び給いし者である。そしてこの選ばれしことの事実として顕われたのが一つは「御霊によれる潔 」で聖霊が我らに働いて我らを潔め給う、その二は我らに真理に対する信仰を与え、虚偽の惑(11節)を信ずることなからしめ滅亡に入ることを防ぎ給うた。
2章14節 [また](
口語訳 | そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。 |
塚本訳 | 私達の主イエス・キリストの栄光を得させようとして、私達の福音によって君達をも召し給うたからである。 |
前田訳 | そのためにこそわれらの福音を通じてあなた方をお召しになり、われらの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださるのです。 |
新共同 | 神は、このことのために、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせるために、わたしたちの福音を通して、あなたがたを招かれたのです。 |
NIV | He called you to this through our gospel, that you might share in the glory of our Lord Jesus Christ. |
註解: ついにキリストの再臨の時に至れば、我らは救われてキリストの有ち給う栄光と同じ栄光を与えられる(Uコリ3:18)。これが神が我らを招き給える目的であった。そしてその方法は「我らの福音」すなわちパウロらが主イエスによりて示されし福音を宣伝うることである。テサロニケの信徒がかかる栄光に招かれしことを思うならばパウロはテサロニケの信徒のために感謝せざるを得ないわけである。なお前節と本節にキリスト、神、聖霊の三位が自然に並記せられていることに注意すべし。
2章15節 されば
口語訳 | そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。 |
塚本訳 | それだから、兄弟達よ、堅く(信仰に)立って、私達が言や手紙で教えた言い伝えを確り守ってくれ。 |
前田訳 | それで、兄弟よ、堅く立って、われらのことばや手紙で教えられたいい伝えを守ってください。 |
新共同 | ですから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。 |
NIV | So then, brothers, stand firm and hold to the teachings we passed on to you, whether by word of mouth or by letter. |
註解: 他の偽使徒、偽預言者の言または書によりて迷わされてはならない。かく言いてパウロは使徒としての権威をもってテサロニケの信徒を迷いより防がんとしたのである。
辞解
[我らの言あるいは書] 2節の「我らより出でし如き言及び書」と対応す、そしてこの区別を知る方法はUテサ3:17を見よ。
[傳 ] paradosis すなわちいわゆる「伝統」でカトリック教会が聖書以外に伝統を重んずべしとする根拠となっている(Uテサ3:6)。ただし如何なる「言伝え」「伝統」が使徒伝来であるかは事実上聖書によるより外に確める方法がない。
要義 [聖選と聖召]キリスト者は神に選ばれ、また召されて信仰に入った者である。この予定の教理は、理論的には種々の困難と反対とを伴うけれども、信仰の体験の上よりいうならばそれは全く動かすべからざる事実である。そこから尽きざる感謝が流れ来るのである。▲▲ロマ9:14−33参照、その他予定の教理につき研究すべし。
2章16節
口語訳 | どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、 |
塚本訳 | 願わくは、私達の主イエス・キリスト彼自らと、私達を愛し、恩恵により永遠の慰めと善き希望を与え給うた私達の父なる神とが、 |
前田訳 | われらの主イエス・キリストご自身とわれらを愛して恩恵のうちに永遠の慰めとよい希望をお与えの父なる神とが、 |
新共同 | わたしたちの主イエス・キリスト御自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、 |
NIV | May our Lord Jesus Christ himself and God our Father, who loved us and by his grace gave us eternal encouragement and good hope, |
註解: 苦難の中にありてキリストの再臨による救いを信じて慰めを得、善き望みを確保しているのがテサロニケの信者であった。これを彼らに与え給える父なる神を呼んで祈るのがこの場合最も適切なる称呼であった。再び来り給うべき主イエス・キリストに祈るのもまたこの場合必要なることである。
2章17節 [
口語訳 | あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。 |
塚本訳 | 君達の心を慰め、あらゆる善き業と言とにおいて(君達を)強くし給わんことを! |
前田訳 | あなた方の心を励まして、すべてのよいわざとことばに強くなさいますように。 |
新共同 | どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。 |
NIV | encourage your hearts and strengthen you in every good deed and word. |
註解: Tテサ4:13以下を見ればテサロニケの信徒はすでに眠れる者につき憂えていた。また本書2:1以下には再臨の問題に関し狂信的信者が起って彼らの心を動かしていた。またそのために為すべき業をなさず、虚しき言を語っているものがあった。本節はかかる者の心を慰め、善き業と言とに堅うせんことの祈りであって当時のテサロニケの信者にとりては最も必要なる祈りであった。
要義1 [再臨問題と狂信者]古来再臨問題は多くの狂信者を生み、この狂信が波及して社会を騒がした例は枚挙に遑 がない。その故はこの信仰はこの世と来るべき世との対立を信ずる者、すなわちこの世のあらゆる不完全さと、苦悩との中より完全なる来るべき世を望む者にとりては、最も大なる期待を懸ける点であり、何よりも待たれるのはキリストの再臨だからである。しかしながら我らはこれに対し飽くまでも常に待望の態度をとっているべきであって、父なる神より外に何人も知らず、また知り得ざるはずの再臨の年月日を計算したり、または一時の歴史上の事件を見てこれを直ちにこの預言の成就と考うることのごときは、厳に慎むべきことである。この点を忘れて自己の感情に捕われる者は狂信者となり、己を亡ぼし人を惑わすに至るものである。
要義2 [再臨近しとの信仰]キリストの再臨の時期を計算すべからずとせば我らは如何にして再臨の近きことを信ずることができるか。パウロは再臨の近きことを信じつつ遂にそれが実現しなかった。我らもまたパウロと同じく、かく信ずることによりて欺かれるのではないかという考えが起り得るのである。しかしながら我らはキリストの再臨と新天新地の問題を考える時は、全く我らの今日有する時間空間の観念を超越して全く異なれる観念に立つことが必要である。すなわち千年も一日のごとく、一日も千年のごとく、千万里も一寸のごとく、一寸も千万里のごとくに感じ得るごとき時空の観念である。今日の我らにかかる観念はないけれども、信仰によりて主の再臨を極めて近しと感ずることによりてこの観念の初穂を味わうことができる。やがてキリスト来給う時我らは今日とは全く異なれる時空の世界に飛躍する。
第2テサロニケ書第3章
分類
4 信徒への教訓 3:1 - 3:15
4-1 信仰に堅く立て 3:1 - 3:5
口語訳 | 最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。 |
塚本訳 | 最後に、兄弟達よ、どうか私達のために祈ってくれ──君達の場合と同様、主の言が駈け足で弘まり、また(至る所で)崇められるように、 |
前田訳 | 終わりに、兄弟よ、われらのために祈ってください−−主のことばがあなた方のところでのように、早く広まってあがめられますように、 |
新共同 | 終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、 |
NIV | Finally, brothers, pray for us that the message of the Lord may spread rapidly and be honored, just as it was with you. |
註解: Tテサ5:25註参照。なお以下と2節とがこの祈りの内容たるべき目的を示す。
註解: 「汝らの中におけるがごとく」は次節にも関連する。テサロニケにおいては福音が極めて迅速に弘まりかつ崇められたから、パウロはコリントにおいても、また他の場所においても、伝道がかかる迅速なる弘布を見んことを自身も祈り、またこのために祈らんことをテサロニケの信徒に要求した。
辞解
[疾 く弘 まり] trechô は「走る」という語。
3章2節 われらが
口語訳 | また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。 |
塚本訳 | 且つ私達が邪な悪人ども(の手)から救い出されるように!誰にも信仰がある訳ではないのだから。 |
前田訳 | そしてわれらが困った悪い人々から救われますように、と。すべての人にまことがあるのではありません。 |
新共同 | また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。すべての人に、信仰があるわけではないのです。 |
NIV | And pray that we may be delivered from wicked and evil men, for not everyone has faith. |
註解: パウロはコリントにおいてもまたテサロニケにおけるがごとく、無法にして悪しき人々から苦しめられた(使18:6、使18:12)。パウロは彼らより救われんことを欲し、その祈りをテサロニケの信徒に求めた。彼らもその経験があったのでこの祈りは切なるものがあったろう。
辞解
[無法なる] atopos は、いるべき普通の場所にいないことで、神の法則にも人間社会の通則にも反した行動を取る人。
そは
註解: 神に対する信仰は人をして無法と悪より免れしめる。
3章3節 されど
口語訳 | しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。 |
塚本訳 | しかし主は忠実であり給う、君達を強くして悪人から守り給うであろう。 |
前田訳 | 主はまことです。彼はあなた方を強めて、悪者からお守りでしょう。 |
新共同 | しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。 |
NIV | But the Lord is faithful, and he will strengthen and protect you from the evil one. |
註解: パウロは自分たちのために祈らんことを乞いつつその思いはかえって直ちにテサロニケの信徒たちの上に馳せ、彼らを迫める悪人どもの首ともいうべきサタンよりの救いを祈願せざるを得なかった。しかしながらこの祈願は神の真実を信ずるが故に、パウロにとりてはすでに確信となっていた。かくして神は必ずその選び給えるテサロニケの信徒の信仰を堅くしこれをサタンより護り給うであろうと信じた。
辞解
[神] 多くの写本に「主」とあり、キリストを指すと見るべきである。
[悪しき者] 男性なりや中性なりやにつき議論があり、男性とすればサタンを意味し(M0、Z0、B1)(マタ6:13)、中性とすれば悪念、道徳的悪を指す(L2)。前者と解するを可とす。すなわち前節の「悪しき人々」を一括してサタンの輩下と見たのである。
3章4節 かくて
口語訳 | わたしたちが命じる事を、あなたがたは現に実行しており、また、実行するであろうと、わたしたちは、主にあって確信している。 |
塚本訳 | 君達が私達の命令を今【も】後も行うであろうことを、主に在って確信している。 |
前田訳 | われらは主にあってあなた方を信頼します。われらがのべ伝えたことを実行し、また実行なさるであろうからです。 |
新共同 | そして、わたしたちが命令することを、あなたがたは現に実行しており、また、これからもきっと実行してくれることと、主によって確信しています。 |
NIV | We have confidence in the Lord that you are doing and will continue to do the things we command. |
註解: 神(キリスト)の護りによりてテサロニケの信徒はパウロの命ぜし処をこれまでのごとくに今後も行って行くことをパウロは信じていた。
辞解
[今も行い後もまた行はんことを] この一句はこの他に過去を示す文字を加えたるもあり、異本多し。
[主によりて] 何人も人間そのものとしては信じ得ない。
3章5節
口語訳 | どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせて下さるように。 |
塚本訳 | 願わくは主が君達の心を、神の愛とキリストによる忍耐とに導き給わんことを! |
前田訳 | 主があなた方の心を神の愛とキリストの忍耐へとお向けになりますように。 |
新共同 | どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。 |
NIV | May the Lord direct your hearts into God's love and Christ's perseverance. |
註解: 最後にパウロは祈りをささげ、主がテサロニケの信徒の心を導きて神の愛のごとき愛とキリストの忍耐のごとき忍耐を持つに至らしめ給わんことを祈願した。この愛をもって神と人を愛し、この忍耐をもって迫害と苦難とに耐えて行くのが信徒の目的である。
辞解
[神の愛とキリストの忍耐] 「神の愛」を「神を愛する愛」と解する説多し(M0、L2、A1)。また「キリストの忍耐」を「キリストを待ち望みて忍耐する心」(B1)または「キリストを信ずるが故に信者に宿る忍耐」と解する説あり(L2)、上註のごとくに解する説(M0、A1、W2、Z0)を採る。ただしこの神の愛とキリストの忍耐を力としてまた模範として自己の上に作用せしむる(Z0)というのではなく、自分の心をこの理想に至らしめんとするのである。▲本節の「神の愛とキリストの忍耐」を註のように解したのであるが、またこれを「神の我らを愛する愛、キリストの我らを忍ぶ忍耐」の意味にも解することができる。
要義 [神の愛とキリストの忍耐]己に背く者、己を迫害する者をも救わんとしてこれを愛する愛こそ神の愛である。神に対する絶対の信頼をもってあらゆる苦難を忍ぶ忍耐こそキリストの忍耐である。無理解なる敵に迫害されるキリスト者にとりて最も必要なるはこの愛とこの忍耐である。これより以外にキリスト者をして迫害と無理解に対し正しく処せしむる途はない。このことを実験より知ったのがパウロであった。
3章6節
口語訳 | 兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。 |
塚本訳 | 兄弟達よ、主イエス・キリストの名において命令する。ふしだらな生活をし、私達から受けた言い伝えに拠って歩かぬ兄弟とは誰とも交際を避けよ。 |
前田訳 | 兄弟よ、主イエス・キリストのみ名によって申します。ふしだらな生活をして、われらから受けたいい伝えに従わないすべての兄弟からお離れなさい。 |
新共同 | 兄弟たち、わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた教えに従わないでいるすべての兄弟を避けなさい。 |
NIV | In the name of the Lord Jesus Christ, we command you, brothers, to keep away from every brother who is idle and does not live according to the teaching you received from us. |
註解: パウロは使徒の権威をもってこの命令を発している。4節参照。
註解: パウロらの伝授せし教えに従わず、勝手な意見と行動とを取る者に対しては、これらより遠ざかるのが最上の途であり、パウロはこのことを命じている。
辞解
[妄 に] Tテサ5:14註参照。なお11節に録されるごとく、この場合、再臨の狂信のために自己の職務を疎 にして騒ぎ廻っている人々を指す。
3章7節
口語訳 | わたしたちに、どうならうべきであるかは、あなたがた自身が知っているはずである。あなたがたの所にいた時には、わたしたちは怠惰な生活をしなかったし、 |
塚本訳 | どう私達を真似ねばならぬかを、君達は自分で(よく)知っているはずだから。私達は君達の所で(決して)ふしだらな生活をせず、 |
前田訳 | われらにいかにならうべきかは自らご存じのはずです。あなた方のところでわれらはふしだらにせず、 |
新共同 | あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。 |
NIV | For you yourselves know how you ought to follow our example. We were not idle when we were with you, |
註解:妄 りに歩むものの反対はパウロたちであった。すなわち次に陳ぶるがごとく、自己の権利をも用いずして、己が労働によりて生活していた。この態度をパウロは一般に效 わしめんとしたのである。
註解: 立派に社会的制約に従って生活した。
口語訳 | 人からパンをもらって食べることもしなかった。それどころか、あなたがたのだれにも負担をかけまいと、日夜、労苦し努力して働き続けた。 |
塚本訳 | また無代で他人のパンを食ったこともないではないか。否、誰にも厄介をかけまいとして、苦労し骨折りながら夜も昼も(手ずから)働いた。 |
前田訳 | ひとからのただめしをも食わず、あなた方のだれにも世話にならないよう、日夜苦しみ、あくせくして働きました。 |
新共同 | また、だれからもパンをただでもらって食べたりはしませんでした。むしろ、だれにも負担をかけまいと、夜昼大変苦労して、働き続けたのです。 |
NIV | nor did we eat anyone's food without paying for it. On the contrary, we worked night and day, laboring and toiling so that we would not be a burden to any of you. |
註解: これはユダヤ人またはギリシャ人の間に行われし俚諺 であったろう。他人から只で食わして貰うことはしないとのこと。
註解: パウロはその職業であった天幕製造をなして自己の生活費を稼ぎ、その間に伝道していた。
辞解
[累 わす] 重荷となること、すなわち伝道が信者の重荷とならぬようにしたのであった。Tテサ2:9。
3章9節 これは
口語訳 | それは、わたしたちにその権利がないからではなく、ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである。 |
塚本訳 | これは(何も君達の所でパンを食う)権利がないというのではない。ただ私達の真似をさせるために、自分を君達の手本にしようとしたまでである。 |
前田訳 | 世話になる権利がないからではなく、あなた方がわれらにならうよう自ら模範を示したのです。 |
新共同 | 援助を受ける権利がわたしたちになかったからではなく、あなたがたがわたしたちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。 |
NIV | We did this, not because we do not have the right to such help, but in order to make ourselves a model for you to follow. |
註解: パウロは使徒の権威を用うることができた。すなわち信徒をしてパウロの生活を支えしめる権利があることを信じていた(Tコリ9:4−6)。それにもかかわらずパウロは、自己の労働によりて生活することが、伝道者としての最上の生活法であることを信じ、これを一般信徒にも效 わしめんとしたのであった。
3章10節 また
口語訳 | また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 |
塚本訳 | 君達の所にいた時にも、働きたくない者は食ってはならぬと言ったではないか! |
前田訳 | そちらにいたとき、「働きたくないものは食うべからず」とわれらはいっていたはずです。 |
新共同 | 実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。 |
NIV | For even when we were with you, we gave you this rule: "If a man will not work, he shall not eat." |
註解: これはユダヤ人またはギリシャ人の間における格言であったろう。パウロは自ら働きつつ生活していながら、テサロニケの信徒にこの格言を教えて、彼に效 わしめたのであった。▲キリスト教の伝道もこの精神で行われたならば、今日より遙かに多くの結果を来したであろう。
3章11節
口語訳 | ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。 |
塚本訳 | ところが聞くところによると、君達の所にふしだらな生活をする者、(すなわち)何も仕事をせず、無駄事ばかりしている者があるそうである。 |
前田訳 | 聞くところによると、あなた方の中にふしだらな生活をし、働かないでいたずらに右往左往するものがあるそうです。 |
新共同 | ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。 |
NIV | We hear that some among you are idle. They are not busy; they are busybodies. |
註解: キリストの再臨近しとの信仰は、往々にして現世生活の職業にいそしむことを無意義と考えるに至らしめ、自己の職責を尽くさずして、妄 りに歩み社会的常道を踏外し、しかも徒事 にたづさわり、あちこちと駈け廻って自己の責任以外の種々の事柄に干渉するがごときことを為している者ができやすい。テサロニケにもUテサ2:1−12の信仰的動揺の結果かかる者が生じた。
辞解
[何の業をも為さず、徒事 にたづさはり] ergazomai と periergazomai とを用いて用語の上の対照を巧みに示している(ロマ5:16。ロマ12:3参照)。
3章12節
口語訳 | こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。 |
塚本訳 | そんな人達に、落ち着いて働き自分のパンを食うように、主イエス・キリストにおいて命令しまた勧める。 |
前田訳 | そういう人々にわれらは主イエス・キリストにあって命じ、また勧めます、静かに働いて自ら得たパンを食べるように、と。 |
新共同 | そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。 |
NIV | Such people we command and urge in the Lord Jesus Christ to settle down and earn the bread they eat. |
註解: 前述のごとく、狂信的態度に陥り凡ての落着きを失い、自己の職務を放棄して騒ぎ廻っている者に対し、パウロは彼らが落着いて自己の職務を行い、自ら獲たパンを食うべきことを主イエス・キリストに由り、その権威をもって命じかつ勧めている。この種の熱狂者に対しては単に勧めるだけでは容易に納得せしめ得ないものがあるので、特に「命ず」ることを必要と感じだのであろう。
口語訳 | 兄弟たちよ。あなたがたは、たゆまずに良い働きをしなさい。 |
塚本訳 | しかし兄弟達よ、君達は倦まず善を行え。 |
前田訳 | しかしあなた方は、兄弟よ、たゆまずに善をなさい。 |
新共同 | そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい。 |
NIV | And as for you, brothers, never tire of doing what is right. |
註解: キリストの再臨に対する準備として最善の態度は、たゆまずに善事を実行することである。妄 りに歩み、空しく騒ぎ廻ることではない。
3章14節 もし
口語訳 | もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。 |
塚本訳 | もし私達のこの手紙の言に従わない者があるならば、その人を注意人物にして付き合わないようにせよ。その人が恥じ(て過ちを改め)るためである。 |
前田訳 | もしわれらが手紙でいったことにだれかが従わねば、その人に注意して、交わらないでください。彼が恥じ入るためです。 |
新共同 | もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。 |
NIV | If anyone does not obey our instruction in this letter, take special note of him. Do not associate with him, in order that he may feel ashamed. |
註解: もし前記のごとき命令に従わぬ者がある場合は如何にすべきか。パウロはかかる人を特に公に示してこれと絶交すべきことを教えている。ただしこれはいたずらに彼らを排斥して自らの潔さ正しさを誇るためではなく、彼らをして自らを卑くせしめ、自己の誤謬を悟らしめんがためである。
辞解
[認め] sêmeioô は徴 をつけること。明らかにその人として示すこと。
[交る] 混合すること。
[恥づ] 自らを卑 くする意味、相済まなかったと思うこと。
3章15節
口語訳 | しかし、彼を敵のように思わないで、兄弟として訓戒しなさい。 |
塚本訳 | しかし敵と思わず、兄弟として訓戒せよ。 |
前田訳 | しかし彼を敵とせず、兄弟としていましめてください。 |
新共同 | しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。 |
NIV | Yet do not regard him as an enemy, but warn him as a brother. |
註解: パウロはかかる絶交が極端に走って仇敵のごとき態度となることを戒めている。絶交は信仰生活の態度を明らかにするための必要からであるから、できるだけ兄弟のごとくに訓戒して愛をもって彼を正しき信仰に引戻さなければならぬ。
要義 [終末の信仰と日常生活]キリストの再臨と世の終末との近きことを信ずる者は、自然日常の生活を軽視しやすい。しかしながらかかる信仰はキリストの再臨により起るべき結果に目を奪われている一種の利己主義的信仰であって真の信仰ではない。真の信仰は来り給う主イエスを愛し、彼を待ち望みつつ、その結果を凡て主イエスに任せ、自らはただその与えられたる日常の生活を全きものたらしめんとする。真の聖潔の生活はかくして始めて完成する。
分類
5 結尾 3:16 - 3:18
3章16節
口語訳 | どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。主があなたがた一同と共におられるように。 |
塚本訳 | 願わくは、平和の主自ら、何時如何なる場合においても、君達に平安を与え給わんことを!主が君達一同と共に在し給わんことを! |
前田訳 | 平和の主ご自身、いつもどこでもあなた方に平和をお与えになりますように。主が皆さんとともにいますように。 |
新共同 | どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。 |
NIV | Now may the Lord of peace himself give you peace at all times and in every way. The Lord be with all of you. |
註解: パウロは最後に祈願をこの書簡に追加している。常にかつ万事に平和を与えられんこととキリストが凡ての者と偕に在らんこととである。この平和は信徒相互間の平和とかまたは神との間の平和と見るよりも、この場合は心の中の平和と見るを適当と思う。その故は、テサロニケの信徒の間には、キリストの再臨に関する異説の故に、心の平和を失いて落着かない生活を送る者が多かったからである。パウロの書簡は単なる形式として録されず、常に生ける実際を相手として録されている処に力強さがある。
3章17節
口語訳 | ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。 |
塚本訳 | これがパウロの自筆の挨拶で、凡ての手紙の記号である――私は(いつも)こんな風に書く |
前田訳 | わたくしパウロ自らの手でごあいさつします。これはどの手紙にも書く印で、わたくしはこのように書きます。 |
新共同 | わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。これはどの手紙にも記す印です。わたしはこのように書きます。 |
NIV | I, Paul, write this greeting in my own hand, which is the distinguishing mark in all my letters. This is how I write. |
註解: 当時の習慣として書簡は多く他人をして筆記せしめた。然るにUテサ2:2のごとき事柄が起ったのでパウロは特に書簡の末尾に自筆の結末を記して、彼自身の書簡たることの証拠とすることを必要とした。なおガラ6:11註参照。ただし本書簡の場合はTコリ16:21.コロ4:18と同じく、ガラ6:11の場合と異なると解するを可とす。
これ
註解: パウロはこの際特に偽造書簡に注意することの必要を感じたことが判る。
3章18節
口語訳 | どうか、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。 |
塚本訳 | 願わくは、私達の主イエス・キリストの恩恵、君達一同と共にあらんことを! |
前田訳 | われらの主イエス・キリストの恵みが皆さんとともにありますように。 |
新共同 | わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。 |
NIV | The grace of our Lord Jesus Christ be with you all. |
註解: Tテサ5:28註参照。