ロマ書第12章
分類
4 実行論
12:1 - 15:13
4-(1)-(1) 信仰より行為への通路
12:1 - 12:2
註解: 信仰救済諭は第11章にて終を告げ、本章よりは一転して信仰の適用、即ち実際生活の原理を叙述する。パウロの書簡の中この形式によるものが多い。
12章1節 されば
口語訳 | 兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。 |
塚本訳 | (このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない) |
前田訳 | それゆえ、兄弟たちよ、神の慈悲にたよってあなた方に勧めます。あなた方の体を、生き生きとした、聖らかな、そして神のお気に召すいけにえとしておささげなさい。それがあなた方の霊的な礼拝です。 |
新共同 | こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 |
NIV | Therefore, I urge you, brothers, in view of God's mercy, to offer your bodies as living sacrifices, holy and pleasing to God--this is your spiritual act of worship. |
辞解
[されば] oun は1-11章に於ける救済即ち義とされる事潔められる事、栄化される事及この救が神の憐 によりて全人類に及ぶを叙べ終りたる故、汝らはかかる大なる救に預りたる以上はとの意。理論より実行に移る回転軸をなす語。エペ4:1。ガラ5:1、2。コロ3:1。Tテサ4:1。Uテサ3:6參照。パウロはこれより言わんとする処を彼らに命ぜずして勤めているのは実行に於て自己を彼らと同じ地位に置くからである。
[もろもろの慈悲によりて] 神の憐 によりてこの大なる救に与 り、その感謝に溢 れての意。
註解: 我らの霊は既に信仰によりて新生し神のものとなりたれば(されば)その新生の霊の宿る処たるこの身体をも神のものとして、神に対する供物として捧ぐべきである。而してこの供物即犠牲(いけにえ)は旧約の犠牲の如き死ねる物たるべからず、生きて働くものたる事を要し、又潔くして聖別せられ従ってあらゆる汚穢 より遠ざかれるものたるを要し、又神の御意に叶うものでなければならない、これ救われし霊に課せられし任務であり為すべき当然の神への奉仕(礼拝)である。
辞解
[身] sôma 「身体」を意昧する、霊は既に神に捧げられている故(ロマ6:16)体をささげる事が必要となって来る。
[これ霊の祭なり] 誤訳ではないが、寧 ろ「これ道理に叶える礼拝なり」と訳すべきで(M0、G1、I0、B1、C1)旧約時代はそれに相当せる礼拝の方法が有ったけれども、新約時代に至ってはかくして已が身をささげる事がその救の性質に相応せる礼拝である。形式的礼拝、動物の犠牲等は新約の必要物ではない。
[潔] からざるものは異教のささげものであり、「生命なき」ものは旧約の犠牲である、これらは何れも「神の悦び給う」処ではない。
口語訳 | あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。 |
塚本訳 | また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。) |
前田訳 | また、この世の型にはまらず、新しい精神で自らを変容し、何が神のみ心か、善か、お気に召すか、完全か、を見わけうるようになさい。 |
新共同 | あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 |
NIV | Do not conform any longer to the pattern of this world, but be transformed by the renewing of your mind. Then you will be able to test and approve what God's will is--his good, pleasing and perfect will. |
註解: この世より選び出されて神に己をささげし基督者はこの世と同じ流行を逐い、同じ形態のものを求める者、即ち神に背き已の利を求め肉の慾求を追う生活を送るものとなってはならない。Tヨハ2:15-17。
辞解
[世] aiôn で人類歴史の全時間は幾つかのアイオーン「世代」に分たれていると見られている。各世代が夫々特有の意義あり、その結果「世」と云う語が道徳的意義を有するに至っている。従て kosmos 「世」と異る。
[効 ふ] suschêmatizô で schêma=scheme 流行、習慣、形態(外部的)を sun 共にする事。尚本節末尾の「心を更へて」と対比せよ。
註解: 私訳「善にして悦ぶべく且つ全き神の御意を弁別せんために心を新にして化体せよ」基督者に必要な事は化体する事、即ち生活の外部的形態のみならず、その内部から一変する事である。これには心即ち理解、判断、思考等を凡て従来とは全く異ったものに一変しなければならぬ。かくして始めて神の御旨を弁別する事が出来る。この世に傚 う者は神の御意を知る事が出来ない。基督者はその霊が新なるものとなりしと共にその心もその生活態度も全く一変しなければならない。
辞解
[善にして云々] 「神の御意」の形容詞と見るを可とす(G1、I0)。▲口語訳 RSV は之らを独立の語と解した。
[辨 へ知る] 「弁別する」 dokimazô は試験して見分ける事。
[心] nous は霊 pneuma と異り人間本来の理解力思考力判断力等を意味し、この心が霊の力によりて「新たにされる」。
[更 へて] 私訳「化体せよ」metamorphoomai 本質の表顕としての形体が変化する事の意味で、動物の変態metamorphosis にもこの語を使用している。尚マタ17:2。Uコリ3:18の場合を見よ、又本節前半の「効 ふ」との微妙なる差異に注意すべし。
要義1 [信仰より行為への通路] 己が身を供物として神にささげる事(12:1)と心を新にして化体する事(12:2)とは、信仰そのものでもなく行為そのものでもない。恰 も信仰より行為に通ずる通路の如きものである。この二つのものなしには信仰は行為となって動き出す事が出来ない。この二者は新に生れし者の神に対する奉仕、神に事うるの途であり、又神の子とせられし者の取るべき当然の態度である。
要義2 [合理的礼拝] 基督者は皆祭司である。祭司がその一生を神殿の礼拝にささげ、その毎日の生活も礼拝を以て送ると同じく基督者の生涯も亦礼拝の生涯でなければならない。但し基督者の礼拝は特定の場所に於て、一定の形式により一定の祭司によりて為される形式的礼拝ではない。神の霊によりて新生せる者に相応しき如くに、その身体を悉 くささげて行う礼拝でなければならない。故にその礼拝の場所は家庭、台所、工場、學校、事務所、役所であり、その祈は彼らの焼く香である。凡ての日、凡ての時が礼拝の時であり、凡ての活動が礼拝の動作である。神はかかる態度を以て神に事うるものを悦び給う。
要義3 [潔き活ける供物] 「潔き」は聖別せられしものとして、キリストの血によって凡ての汚 が洗い去られしものを意味する。人若し潔からずば神に見ゆる事を得ず、神にささぐべきこの身体は、凡ての汚 より洗われし者である事を要する。信仰は罪のまま彼に倚り頼む事である。献身は潔められし者の神への己身 委譲である。故に凡ての基督者は献身しなければならない。否献身したものである。
要義4 [この世に傚 うな] この世の流行を逐い、その習慣に束縛せらるる事は、基督者の取るべき態度ではない。基督者はその霊が新にせられし如くその心も亦新なる心とならなければならない。時代思潮と共に流動し時代の習性に遵 て移るは基督者の心ではない。基督者は全く新なる標準に従い新なる姿を持たなければならぬ。故にこの世が自然主義的となれば教会も自然主義を唱え、マルクス主義が流行すればマルクス主義に近寄り、世の軍国主義と共に軍国主義となる事の如きは基督者の態度と云う事が出来ない。
要義5 [新なる心と新なる姿] 基督者の心はその新なる霊の影響の下に、全く新なるものとならなければならない。従って基督者の判断も理解も皆新となり、一般の人々と異れる立場より為され異れる結論に達する。それ故に基督者はある意味に於て変り者である。思想も判断も凡てこの世の人々と同一であるならば、それは基督者ではない事の証拠である。而してかかる新なる心を以て生くる者は、自然その姿も亦新なるものとなる。基督者は必ず異色ある存在となる。
12章3節 われ
口語訳 | わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。 |
塚本訳 | それでわたしは、(神から)賜わった恩恵、(この使徒の権威)によって、あなた達のひとりびとりに忠告する。思うべき限りをこえて思いあがらぬように、神がめいめいに分けあたえられた信仰の量を思って、謙遜な思いをもつように。 |
前田訳 | わたしは与えられた恩恵によって、あなた方ひとりひとりにいいます。思うべきことをこえて思いあがらぬように。神が分かたれた信仰の量に従って節度ある思いをするように。 |
新共同 | わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。 |
NIV | For by the grace given me I say to every one of you: Do not think of yourself more highly than you ought, but rather think of yourself with sober judgment, in accordance with the measure of faith God has given you. |
辞解
第1節の「勧む」よりも一層強く「告ぐ」と云いて殆んど命令の如き意味をあらわしている。
[与えられし恩恵] 使徒職を意味し、これよりパウロは教会の状態は如何にあるべきかにつき述べている。而して信者同志の生活に於て第一に必要な事は謙遜であって各々その分に従うべき事である。
註解: 人は各神よりある分量(その結果種類性質も自然に異って来るのであるが)の信仰を分配されている、その分に応じて自已の価値、職掌、立場等を判断すべきである。信仰の弊は自らを高く評価し過ぐる点にある。
辞解
原文には修辞法を用い、「思う」phronein 「自己を高しとする」huper-phornein、「慎む」sô-phroneinの三語を以て巧に表顕されている。
[慎む] sôphroneô は均整の取れた考え方又は心持を意味し、自己に与えられし信仰の量以上にも以下にもあらざる思い方を言う。人は自然自己を高めんとする傾向を有する故この語は又已を制御する意味にも用いられる。「慎む」はこの意味の訳語であろう。
12章4節
口語訳 | なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、 |
塚本訳 | なぜなら、わたし達には一つの体に多くの器官があるが、すべての器官が同じ働きをしないと同様に、 |
前田訳 | われらのひとつ体には多くの肢があり、すべての肢が同じはたらきをするのではないように、 |
新共同 | というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、 |
NIV | Just as each of us has one body with many members, and these members do not all have the same function, |
12章5節
口語訳 | わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。 |
塚本訳 | わたし達(信者)も大勢が(全体としては)キリストにおいて一つの体であり、一つ一つとしては互が互の器官であ(って、互に補い合うからであ)る。 |
前田訳 | 大勢のわれらはキリストにあってひとつ体であり、おのおのが互いの肢です。 |
新共同 | わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 |
NIV | so in Christ we who are many form one body, and each member belongs to all the others. |
註解: 「従って各人互にその使命を異にす」を附加えて読むべし。キリストは首、教会はその体である(エペ5:30。コロ1:18)。身体の各部目、耳、手、足等各その運用を異にするけれど互に助け合いて一つ身体を完成する如く、教会の各人も信仰によりてキリストに連りて一つ体となり各人はその肢となる。この関係はTコリ12章に詳述されている。
12章6節 われらが
口語訳 | このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、 |
塚本訳 | (すなわち)わたし達は与えられた恩恵(の分量と種類と)に応じて、(ひとりびとりが)ちがった賜物を持っているのだから、(たとえば、)預言(の力)を持っているなら、信仰の量に応じて預言せよ。 |
前田訳 | われらは与えられた恩恵に従って違った賜物を持っていますから、預言の賜物を持つならば信仰に応じてなさい。 |
新共同 | わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 |
NIV | We have different gifts, according to the grace given us. If a man's gift is prophesying, let him use it in proportion to his faith. |
註解: キリストの体の肢たる各人は各々神より恩恵 charis を異る程度に与えられ、これに伴いて賜物 charismata(恩恵の具体的事実)も異っている故、各々その賜物に従ってその分を果さなければならない。
註解: 預言の賜物を有てる者はその与えられし信仰に比例して預言すべしと云うのであって、使徒に亜 いで重要なものは預言の賜物を与えられし者である、預言とは必ずしも未来の事を預言するのみの意味ではなく、聖霊によりて神の御旨を示されこの真理を発表する事である。信仰に比例するとは黙示は本来その人の信仰の程度に循 って与えられるものである故、与えられざる預言を虚偽の心を以て預言する如き事なく、又怯懦 にして与えられし預言をも発表せざる如き事の無き事を云う。神に示されしそのままを発表する事が預言者の責務である(Tコリ14:1。Tテサ5:20)。
辞解
[量にしたがひて] analogia は数學上の用語で「比例」を意味す。
口語訳 | 奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、 |
塚本訳 | (貧しい人の救済その他の)職務を持っているなら、その職務に、教師なら教育に、 |
前田訳 | 奉仕するなら奉仕に、教師ならば教育に、 |
新共同 | 奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、 |
NIV | If it is serving, let him serve; if it is teaching, let him teach; |
註解: 「務」は「執事の職」と云うに同じく(Tテサ2:8)使7:1-6の場合の如く貧者、病者等の救済に専ら従事する人々を云う。かかる賜物を与えられしものはこの為に尽さなければならぬ。
辞解
[務] diakonia、
[執事] diakonos
註解: 聖書に就て人を救うる賜物を与えられし人がある、かかる人はその方面に力を尽すべきである。主として知識的方面の賜物を受けている人はこの務に当るべきである。
口語訳 | 勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである。 |
塚本訳 | 伝道なら伝道に、精を出せ。施す者は純粋に、世話をする者は熱心に、慈善を行う者は喜んで、しなければいけない。 |
前田訳 | 勧誘者なら勧誘に、応分の処置をなさい。施すものは純粋に、援助者は熱心に、慈善家はよろこんでなさい。 |
新共同 | 勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。 |
NIV | if it is encouraging, let him encourage; if it is contributing to the needs of others, let him give generously; if it is leadership, let him govern diligently; if it is showing mercy, let him do it cheerfully. |
註解: 信仰の弱き者を勧め励まし力付ける事の賜物を与えられし者はこれを為す事に努力する事がその務である。情性の豊なる賜物を受けている人に適する仕事である。
註解: 自己の財産に余裕ありて他に施す事を霊の賜物として与えられし者は、何等為にする処なく単純な心を以て施を行うべきである。
辞解
[をしみなく] haplotês は「単純」を意味する語で、施しを行い乍ら自己の利益、名誉を求めたり、又は惜む心や高ぶる心等を起さない事。
註解: 人の上に立ちて事を処理する賜物を持てる者の心得べき事は熱心にこれを遂行し、怠惰不精に陥らない事である。
辞解
[治むる者] を監督、執事等の職名と同一視する見方は不適当である。
[心を尽して] 熱心に又は迅速にの意味で怠惰の反対の意。
註解: 病める者、悩める者、罪に陥れる者等を憐憫 む事をその天職とする人は「喜びて」愉快なる心持と態度とを以てこれを行わなければならぬ。これは困難な仕事の一である。
要義 [霊の賜物と職制] 多くの註解家は12:6-8に掲げられし七つの中始めの三つは職名であり、後の四つは然らずと解している。勿論後代に至りてかかる状態を生じた事は事実であるけれども、パウロがここに列挙せる場合はかかる区別が無く、凡ては霊の賜物の差別と見たのである。賜物の差別は自然その任務の差別を生じた。併し乍ら職掌を主として賜物を第二義とする如き制度的の考は当時には存在しなかったと見る事が至当であろう。
註解: 9-21節は特別の賜物に就てではなく、基督者として一般に心得なければならない事柄を録している。
口語訳 | 愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、 |
塚本訳 | 愛に偽りがないように。悪を忌みきらい、善にはしっかりくっついておれ。 |
前田訳 | 愛に偽りなく。悪をいとい、善に親しく。 |
新共同 | 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 |
NIV | Love must be sincere. Hate what is evil; cling to what is good. |
註解: 偽善的の愛は愛ではない。愛の陥り易き最大の危険はそれが偽善的となる事である。10節の兄弟愛に対しここでは一般の愛につきて云う。
辞解
[虚偽あらざれ] 原語「非偽善的なれ」
註解: 真の愛はかかる形に於てあらわれる。
辞解
[にくみ] apostugêo 甚だしく忌み嫌う事。
[したしみ] kollaomai 密接して離れない事。
口語訳 | 兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。 |
塚本訳 | 親身の兄弟のように互に愛し合い、尊敬し合って互に(人を自分より)えらく思え。 |
前田訳 | 兄弟愛をもって互いに愛しあい、尊敬をもって互いをまさるとなさい。 |
新共同 | 兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 |
NIV | Be devoted to one another in brotherly love. Honor one another above yourselves. |
註解: 基督者同志の愛は兄弟愛で家族の関係の如き親密さを持つべきである。
辞解
[をもて] を「に就て云えば」と訳するを可とす。以下13節迄の凡ての項目皆同じ。
[愛しみ] philostorgos は親子、兄弟間の如き自然の愛情を云う。
註解: 人に対する尊敬に就ては常に他人に劣らずに多くの尊敬を払う事。即ち他人に先立ちてこれに尊敬を払う事。
辞解
種々の訳が可能である。(1)「尊敬に関しては互に相譲らず」即ち第一に他を尊敬する事(2)「尊敬に関しては指導者の地位につき」、(3)「他を尊敬する事につきては互に相劣らず」、何れも大同小異である。改訳は(3)による。
註解: 本節は主として基替者の愛を以てする活動につきて述ぶ。
口語訳 | 熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、 |
塚本訳 | 熱心で倦まず、(神の)霊に燃え、主に仕えよ。 |
前田訳 | 勤勉で倦まず、霊に燃え、主に仕え、 |
新共同 | 怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 |
NIV | Never be lacking in zeal, but keep your spiritual fervor, serving the Lord. |
註解: 熱心に就 て云えば怠惰に流れない事が大切であり、これは愛より自然流れ出づる結果である。
註解: 霊に就 て云えばそれは熱し切っている事が要であり、
註解: (異本「時を利用し」とありこれを採る学者も多い)かくして各人はその教会に対する責務を全うする事が出来る。
註解: 本節は希望に関して述ぶ。
口語訳 | 望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。 |
塚本訳 | 希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。 |
前田訳 | 希望のうちによろこび、苦難に耐え、たゆまず祈り、 |
新共同 | 希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 |
NIV | Be joyful in hope, patient in affliction, faithful in prayer. |
註解: 現在の状態が如何に苦痛であっても基督者は希望を持つが故に歓喜をいだく事が出来る。
註解: 迫害等より来る患難に際しては忍耐して行く事が基督者の態度である。
註解: 聖徒の霊的生命の呼吸である。
註解: 本節は隣人愛の実効的方面を示す。
口語訳 | 貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。 |
塚本訳 | 力を合わせて聖徒の欠乏をおぎない、旅人の接待に努めよ。 |
前田訳 | 協力して聖徒の欠乏を補い、旅人の接待につとめなさい。 |
新共同 | 聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。 |
NIV | Share with God's people who are in need. Practice hospitality. |
註解: 信徒同志は互に相補い合うのが当然である。故にその中に欠乏する者あらば、その苦痛を共にする事が当然である。
辞解
[賑 し] koinôneô は苦楽を共通にする意味で、多く持てるものが持たぬ者に与うる事もその一種である。ガラ6:6。
註解: 当時の社会に於て最も重要視せられし隣人愛の実行法であった(ヘブ13:2。Tテモ3:2。Tテモ5:10。テト1:8。Tペテ4:9)。殊に基督者に於ては全世界の聖徒が一家族なりとの観念が殊にこの行為を重視した。
辞解
直訳すれば「旅人接待を追い求めよ」となり熱心に積極的にその実行に努力する事。
12章14節
口語訳 | あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。 |
塚本訳 | (あなた達を)迫害する者に(神の)祝福を求め、祝福して呪うな。 |
前田訳 | あなたの迫害者を祝福し、祝福して呪いなさるな。 |
新共同 | あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 |
NIV | Bless those who persecute you; bless and do not curse. |
註解: 基督者は彼らを迫害する敵をも愛しその祝福を祈るべきである、これイエス御自身の教え給いし愛の極到である(マタ5:44)。併し乍ら偽りなき愛(9節)を以て之を実行する事は難事中の難事である。自己もその敵と同じ罪人たる事及び如何なる敵も神の子としての自分を害し得ない事を確信して、始めてこの愛を持つ事が出来る。パウロはイエスのこの御言を間接に聴きてこれを暗記していたのであろう。
12章15節
口語訳 | 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 |
塚本訳 | 喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け。 |
前田訳 | よろこぶものとともによろこび、泣くものとともに泣きなさい。 |
新共同 | 喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 |
NIV | Rejoice with those who rejoice; mourn with those who mourn. |
註解: 愛と同情の極致である。基督者同志の間には他人の事柄を自分の如くに考える。これ即ち交り kinônia である。泣く者と共に泣く事よりも喜ぶ者と共に喜ぶ事が一層困難である。
口語訳 | 互に思うことをひとつにし、高ぶった思いをいだかず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。 |
塚本訳 | 互に思いを同じくせよ。高くなろうと思わず、低い方に従え。”自分で賢いなどとうぬぼれてはならない。” |
前田訳 | 互いに思いを同じくなさい。高きを思わず、低きにつきなさい。「みずから賢いと思うな」です。 |
新共同 | 互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 |
NIV | Live in harmony with one another. Do not be proud, but be willing to associate with people of low position. Do not be conceited. |
註解: 私訳「相互に対し同じ念を持ち」相愛するものは、他を思う事己を思うが如くである為、結局に於て同様の念を以て相対している事となる。これにまさりて美わしき関係は無い。
辞解
ロマ15:5と稍 文法上の差異あり。
註解: 私訳「高きを思わず却って卑 きにつけ」自己を高めんとする野心を放棄して、賤しき者、弱き者、なやめる者にその心が引き寄せられる如き状態が最も健全なる信仰の美しき姿である。
辞解
[卑 きにつけ] 「高き」は中性なれど「卑 き」は男性なりと解せんとする説あれど(G1)、「高き」と同じく中性と見るを可とす(M0、I0)。
[つけ] sunapagomenoi は「共に彼方に導き行かれて」の如き意味で卑 き者に対して同情にたえず、自然その方に心が引き行かれる如き形を云う、基督者の愛の姿である。
なんぢら
註解: 自らを聡しとして高ぶる事が種々の不和の原因であり、又卑 きにつき得ざる理由である。已の信念に忠実であって而も他人の唱うる事の中に真理を見出さんとする謙遜が必要である。
口語訳 | だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。 |
塚本訳 | だれにも悪をもあって悪に報いず、どんな”人の前でも善をするように心がけよ。” |
前田訳 | だれにも悪をもって悪に報いず、すべての人の前でよいことを心がけなさい。 |
新共同 | だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 |
NIV | Do not repay anyone evil for evil. Be careful to do what is right in the eyes of everybody. |
註解: マタ5:38-48の如きイエスの教訓がパウロに伝わりパウロの心は「悪を以て悪に報いよ」と云うギリシヤの格言やマタ5:34の如きパリサイ主義を克服した。
註解: たとい自分に対して悪を為せる人に対してもその人の為を図る事、善を以て悪に報ゆる事、これ愛の極致である。
12章18節
口語訳 | あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。 |
塚本訳 | 出来るなら、(少なくとも)あなた達の方では、どんな人とも仲良くせよ。 |
前田訳 | できれば、せめてあなた方は、すべての人と平和を保ちなさい。 |
新共同 | できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 |
NIV | If it is possible, as far as it depends on you, live at peace with everyone. |
註解: 直訳「若し得べくば汝らの為し得る範囲に於て凡ての人と和げ」相手方が絶対に平和を望まない時にはこれを如何ともする事が出来ないが、出来得べき場合ならば力の及ぶ限り神の御栄の損われない限り平和を求むべきである。平和を求むる者は幸福なり。
12章19節
口語訳 | 愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。 |
塚本訳 | 愛する者たちよ、自分で仕返しをするな、(裁きの日の神の)怒りにまかせよ。こう書いてあるではないか、「主は言われる、“仕返しはわたしのもの、”わたしが“報いをする”と。」 |
前田訳 | 愛するものよ、自分で仕返ししなさるな。(神の)怒りにまかせなさい。聖書にあります、「主はいわれる、仕返しはわがもの、わたしが報いる」と。 |
新共同 | 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 |
NIV | Do not take revenge, my friends, but leave room for God's wrath, for it is written: "It is mine to avenge; I will repay," says the Lord. |
註解: 凡ての不正不義の上に神の怒が必ず下る。故に基督者は自ら復讐すべきではなく、敵をも愛してその救われる事を祈るべきである。
辞解
[神の怒に任せまつれ] 直訳「怒に所を与えよ」でこの怒は次節との関係より解釈上神の怒と見る事が至当である。尚他に自分の怒、敵の怒等と解する説あれど採らず。また「怒に所を与える」事はこの神の怒の下るべき場所を自分の怒を以て塞いではならない事を示す。
註解: 申32:35よりの引用でヘブル原典とも七十人訳とも少しづつの差異あり。ヘブ10:30の引用と同一形である。当時この格言はこの形で人口に膾炙 (=広く知れわたること:広辞苑)していた形跡がある。主自ら復讐し給う以上は不正が遂に勝利を得る事は絶対にない。この信仰を持つならば己を害する者をも愛する事が出来る。
12章20節 『もし
口語訳 | むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃えさかる炭火を積むことになるのである」。 |
塚本訳 | むしろ、“あなたの敵が飢えているなら、食べさせてやれ。渇いているなら、飲ませてやれ。こうするのはその頭に炭火を積むことであるから、(いつかは恥じて悔改める。)” |
前田訳 | むしろ、敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませなさい。こうするのはその頭(こうべ)に炭火をつむことです。 |
新共同 | 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 |
NIV | On the contrary: "If your enemy is hungry, feed him; if he is thirsty, give him something to drink. In doing this, you will heap burning coals on his head." |
註解: 箴25:21、22よりの引用。仇はこれを責むれば責むる程自己の非を覆いこれを是として主張せん事を努力し、反対にこれを愛しこれを助くる時は却てその心和らぎ自責の念に耐え得ざるに至るものである。かくして彼を悔改に導かんとするの目的を達する事を得。
辞解
[熱き火] 直訳「火の炭」、後悔の念が強い事を形容せるもの。これを神の審判と見る説あれど取らない。
12章21節
口語訳 | 悪に負けてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい。 |
塚本訳 | 悪に勝たれるな、善によって悪に勝て。 |
前田訳 | 悪に負けず、善によって悪に勝ちなさい。 |
新共同 | 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。 |
NIV | Do not be overcome by evil, but overcome evil with good. |
註解: 他人が自己に対して為す悪のために自己の心が正しき態度を失う時は悪に勝たれたのである。反対に自己の善を以て悪を行える者の心を悔改めしむる事が出来るならば、善を以て悪を征服したのである。
要義1 [敵を愛する事] 自分に害を与え又は与えんとする敵を愛する事は至難である。かかる敵に対し我らの心は自ら詛 の心となって働く。併し乍ら若し我ら(一)自分も根本に於て彼らと同じ罪人であり同じ罪の心を持つものである事を知り、(二)又我らはキリストにある時既に永生を獲得し、万物の世嗣であることを知るならば、敵をあわれむと同時に敵に打勝って余りある事が出来る。詛 は敵を憎み敵に害を受くる事を恐れるより来る心持である故、以上の二点を明かにする事により、換言すれば信仰より出づる愛によりてこれに打勝つ事が出来る。
要義2 [神の復讐] 神自ら報をなし給うが故に我ら敵を愛す可しとする事は、神が我らに代って敵を審判く事を痛快に考えると云う様な心持ではない。唯悪が善に勝つ如き外観を呈する時、我らは唯神がこれを報い給うことを信ずる信仰のみによりて悪に勝たれずに進む事が出来る。若しこの信仰が無いならば自己も同一の悪をその敵に対して行うに非ずば満足する事が出来ない。基督者が復讐を行うべからざる所以は正義の神が巌として存在し給うが故である。
要義3 [愛と謙遜] 謙遜より出でざる愛は宗教的高慢に陥る危険が非常に多い。敵に対する愛の如きは一層そうである。真の愛は神に対して絶対的謙遜の心より出なければならない。即ち自已に敵する悪人すら神の前に於ては自分と同じ罪人である事の自覚を持ち、始めて真の愛を以てその敵を愛する事が出来る。然らざる愛は一種の霊的高慢である。
ロマ書第13章
4-(1)-(3) 対社会関係
13:1 - 13:14
4-(1)-(3)-(イ) 権を執る者に対する服従
13:1 - 13:7
註解: 1-7節に於てパウロは社会国家の権力に対する基督者の義務を示す。
口語訳 | すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。 |
塚本訳 | 人は皆上に立つ(国家の)官憲に服従せねばならない。神からではない官憲はなく、現存の官憲は(ことごとく)神から任命されたものであるから。 |
前田訳 | 人は皆、上に立つ権力に従うべきです。神によらぬ権威はなく、今ある諸権力は神によって立てられたものです。 |
新共同 | 人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。 |
NIV | Everyone must submit himself to the governing authorities, for there is no authority except that which God has established. The authorities that exist have been established by God. |
註解: 在上者が神を信ずると否とを問わずこの服従の義務は普遍的である。基督者には殊に善悪に対する鋭敏なる感覚があり又神を諸王の王としていただくとの自信を持っているので権力階級に対し批判又は反抗し易い傾向を持っていたのでこの注意を与える必要があった。
辞解
[凡ての人] 原語 psuchê を用い「凡ての生命」「凡ての魂」を意味する。特にこの語を用いし所以は権威に対する服従が凡ての人間の生れながらの義務たる事を示さんが為であろう。
そは
註解: 前半の命題の理由を示す、即ち(1)権威の出所が神にある事、(2)権威者を職に任ずる事も神の為し給う処であるからである。かくの如くパウロは国権そのもの及びその保持者を神の御手の中にあるものと解した。そして国権保持者が信仰を有するや否や、善人なりや否やを問題としなかった。彼の社会観叉国家観として重要なる事実である。
辞解
二つの「権威」なる語の中前者は単数で権威又は職権そのものを指し後者は複数でこの権威を把る個々の人々を指す。
13章2節 この
口語訳 | したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。 |
塚本訳 | 従って官憲に反抗する者は、神の命令に違反する者である。違反する者は、自分で自分に(神の)裁きを招くであろう。(この世で罰を受けるばかりでなく、最後の日にも。) |
前田訳 | それで、権力にさからうものは神の命にそむくものです。そむくものは自らに裁きを招くでしょう。 |
新共同 | 従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。 |
NIV | Consequently, he who rebels against the authority is rebelling against what God has instituted, and those who do so will bring judgment on themselves. |
註解: 神を信ぜず基督教を迫害するロマの政府ですら、これにさからうは神の定に悖 るのであるとするパウロの態度を見よ、権威に対する服従は基督者の社会生活の最も重要なる一面である。夫故に基督者は暴力により革命運動をなすべきではない。これに反するものは神の審判を免れないのは当然である。尚服従の限度、方法等につきては要義を見よ。
辞解
[審判 ] 何人の審判 なりやは録されて居ないけれども多くの場合と同じく「神の審判 」と解する事が適切である。但し最後の審判の意味ではなく、一時的審判 の意味で事実上権威保持者によりて課せられる場合が多い。
13章3節
口語訳 | いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは、善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。 |
塚本訳 | 役人が恐ろしいのは、善いことをする者でなく、悪いことをする者である。(だから)あなたは官憲を恐れたくなければ、善いことをせよ。そうすれば官憲から誉められる。 |
前田訳 | 支配者は、善をするものにではなく、悪をするものにおそれられます。あなたが権力をおそれたくなければ、善をなさい。そうすれば権力からほめられましょう。 |
新共同 | 実際、支配者は、善を行う者にはそうではないが、悪を行う者には恐ろしい存在です。あなたは権威者を恐れないことを願っている。それなら、善を行いなさい。そうすれば、権威者からほめられるでしょう。 |
NIV | For rulers hold no terror for those who do right, but for those who do wrong. Do you want to be free from fear of the one in authority? Then do what is right and he will commend you. |
13章4節 かれは
口語訳 | 彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。 |
塚本訳 | 官憲はあなたの最善のためにつくす神の召使であるから。しかしもし悪事をすれば、恐れねばならない。見えのために剣をささげているのではないのだから。官憲は神の召使で、悪事を行う者に対して(神の)怒りをあらわす復讐者である。 |
前田訳 | 権力はあなたに善をそなえる神の召使いですから。しかしあなたが悪をすれば、おそれねばなりません。むなしく剣を帯びてはいませんから。権力は神の召使いで、悪をするものに怒りをおこす復讐者です。 |
新共同 | 権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。 |
NIV | For he is God's servant to do you good. But if you do wrong, be afraid, for he does not bear the sword for nothing. He is God's servant, an agent of wrath to bring punishment on the wrongdoer. |
註解: 権威はその本質として勧善懲悪を目的としている事は古今東西に亙 る普遍的事実である。故に善を行う者に対しては権威は何等恐れるに足らない。
辞解
[善き業、悪しき業] 擬人法で、これらを行う「人」を指す。
註解: 基督者は濫りに上司を恐れてはならない。併し乍ら悪を行いつつも尚恐れないのは上司を軽蔑する所以である。悪の報は必ず来るべければ恐れなければならぬ。
辞解
[剣をおびる] 剣を帯る事は有司(役人のこと:広辞苑)のしるしである。
13章5節
口語訳 | だから、ただ怒りをのがれるためだけではなく、良心のためにも従うべきである。 |
塚本訳 | だからかならず服従せねばならない。ただ怒りの(恐ろしさの)ためだけでなく、(それが信ずる者の義務であることを知っているあなた達は、自分の)良心のためにも。 |
前田訳 | だから服従が必要です、怒りのためだけでなく、良心のためにも。 |
新共同 | だから、怒りを逃れるためだけでなく、良心のためにも、これに従うべきです。 |
NIV | Therefore, it is necessary to submit to the authorities, not only because of possible punishment but also because of conscience. |
註解: 上司に対する服従はただにその怒を恐れると云う利害問題にあらず良心問題なり、その故は上司に従う事が神の御旨なるが故である。パウロは国家存立の原理を功利主義的に見ず、それ以上のものと見ていた事が判る。
13章6節 また
口語訳 | あなたがたが貢を納めるのも、また同じ理由からである。彼らは神に仕える者として、もっぱらこの務に携わっているのである。 |
塚本訳 | それゆえに(同じ理由で、)あなた達は貢をも納めねばならない。官憲は神につかえる者であり、いま言った職務に全力をそそいでいるからである。 |
前田訳 | それゆえ貢も納めるべきです。権力は神の奉仕人で、このことに力をつくしているのですから。 |
新共同 | あなたがたが貢を納めているのもそのためです。権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。 |
NIV | This is also why you pay taxes, for the authorities are God's servants, who give their full time to governing. |
註解: 租税を納むる事は信仰的にも良心問題であって決して権力に対する恐怖よりする止むを得ざる行為ではない、その故は権威保持者は神の役者でその職に熱心に従事するものなるが為であって、租税は神に対する信仰より払わるべきものである。たとい異教の支配者の下にある場合でも同じことである。
辞解
[仕人 ] leitourgos 牧師、伝道者、祭司等にも適用される文字で(ロマ15:16)、国家の支配者はこの意味に於て宗教的である。
[此の職に] 「此の事の為に」で「仕人 」にかかると解する説もあるけれども(G1、I0、E0)、改訳の方が優っている(M0、Z0)。
口語訳 | あなたがたは、彼らすべてに対して、義務を果しなさい。すなわち、貢を納むべき者には貢を納め、税を納むべき者には税を納め、恐るべき者は恐れ、敬うべき者は敬いなさい。 |
塚本訳 | (彼らに対して、信ずる者には普通の人以上の、言わば借りがある。)すべての役人にこの借りを返しなさい。貢取りには貢を、官税取りには官税を、恐るべき者には恐れを、尊敬すべき者には尊敬を。 |
前田訳 | すべての人に債務を返しなさい、貢取りには貢を、税取りには税を、おそるべきものにはおそれを、尊敬すべきものには尊敬を。 |
新共同 | すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。 |
NIV | Give everyone what you owe him: If you owe taxes, pay taxes; if revenue, then revenue; if respect, then respect; if honor, then honor. |
註解: 支配される者は凡ての支配者に対して償うべき負債を持つ、支配者は神の役者としてその務を励むが故なり、故にこの負債はこれを償わなければならぬ。
註解: 基督者なりとてこれ等の義務を粗略 にしてはならない。
辞解
[貢 ] phoros は人に課せられる租税、
[税] telos 物に課せられる関税その他の租税を云う。
註解: 畏敬と尊敬は支配者に対して払わるべき負債である。
辞解
[畏 れ] 一層大なる「尊敬」。
要義1 [国家の権力の基督教的解釈] 神を知らざる国家及び国民の場合に於てその支配者は神の敵、サタンの僕にあらずやとの観念はユダヤ人及び基督者には起り易き観念である。殊に彼らは多くの場合国家の権力に迫害される故一層かく考え易い。而して歴史上ユダヤ人の場合に於てかかる例が多く起った。これに対し聖書は全く異りたる立場を取っている事は注意しなければならない。即ち上にある権威は全く神を知らざる人の場合でも神の御旨によりて立てられたものである。換言すれば全世界は直接間接に神の支配の下にあると云う歴史観である。それ故に神を知り神を信ずる基督者の場合に於ても、神を知らざる支配者を軽視叉は無視することなく、況 やこれに反対する事なく、これに服従し、これに対して果すべき義務を償うべきである。而してこれは神に対する義務として良心の命に循 い為さるべきものである。この歴史哲学は国権の原因を人間の生得権、社会の契約等に置く見方よりも遥に貴きものである。基督者なるが故に国権に対してこれを軽視するは大なる誤である。
要義2 [権威に従う程度如何] パウロは絶対的服従を無條件に示している故、一見支配者の命であれば神の御旨に反する事をも行うべきものの如くに思われる。併しながらこれは勿論パウロの意志ではない。上にある権威の尊ぶべき所以はそれが神より出づるが故であって、従て神が最後の権威である。また上にある権威は社会の秩序と平和を維持するが為に存する権威であって、我らの行為の動機を左右するが為に存する権威ではない。我らの行為は飽く迄も神の御旨に従う事をその動機としなければならない。故に我らの神に対する信仰と全然反対の行動を取るべき命令が下る場合に於ては我らはこれに従う事が出来ない。併し乍らこれが為に我らに果せられる刑罰には絶対に服従するが故に、服従の原則を破壊せず社会の秩序はこれによりて保たれる。若しかかる処罰が神の御旨に反する事が明かであっても我らはこれを受けなければならない。神は別にかかる処罰を課せる権威者そのものを処置し給う故、我らは唯黙して従うべきである。
要義3 [基督者と暴力革命] 基督者は以上の如く権威に服従すべきものなるが故に、基督者には暴力による革命は有り得ない。唯現在の為政者又は権力者の罪悪非政に対してこれを非として指摘する事は基督者として為すべき当然の事である。かくして基督者が当時の権力に迫害され、殺戮される事があっても、それは却て真に革命を成就する所以となるのである。故に基督者は暴力による革命を行ってはならない。
要義4 [政権所有者変更の場合如何] 諸外国に多く行われる革命又は征服等の場合、基督者は何れの政府を以て神の立て給える政府と目すべきかの実際問題に出遭う事がある。パウロはかかる場合について何も諭じて居ない。併しパウロの根本思想より判断するならば事実権力を保持し秩序を維持する者を神の立て給えるものと見るべきであろう。但し感情上新政府に服従する事を欲しない者はその国を離れる事によりてその義務を免除せられるものと見るべきは当然である。政権保持者の変更はよしそれが神の立て給えるものと見るべきであるにしても、旧政権に対する自己の愛着や、又は正義観までもこれを捨つべしと云う意昧ではない。そこに基督者の自由がある。
要義5 [パウロがこの点を強調せる所以] パウロのみならずペテロまでが極めて類似の語を以て、同一の問題を極諭しているのは何の為であるか(Tペテ2:13、14)。当時のローマ政府は善く世界を統治して居り、基督教の迫害は未だ始まらない時であった。唯ユダヤ人は神の国を地的に見た結果、時のローマ政府に反対する者が多かった為に、この事が基督者にも及ぶ事あらん事を憂いたのであろう。而して後日ローマ政府の迫害が起るに及んで基督者はこのパウロの教に従い信仰を固持しつつ従順にローマ政府の迫害に晒 されていた。而してこれが福音の勝利に帰した事は驚くべき事実である。
13章8節
口語訳 | 互に愛し合うことの外は、何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は、律法を全うするのである。 |
塚本訳 | (官憲ばかりでなく、)だれにも何も、借りがあってはならない。ただし、互に愛することだけは例外である。(この借りは、いつまでも返してしまわないように。)人を愛する者は(モーセ)律法を完全に果たしたのである。 |
前田訳 | 互いに愛することのほか、だれにも何も借りなさるな。人を愛するものは律法を全うしたのです。 |
新共同 | 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 |
NIV | Let no debt remain outstanding, except the continuing debt to love one another, for he who loves his fellowman has fulfilled the law. |
註解: 本節以下は支配者のみならず一般に対して言われている。義務は凡てこれを果たしてしまい、他人に対して負債を残してはならない。但し愛するの義務は無限であってこれを果し尽す事が出来ない事は勿論である。人に負う事の不可なる所以は果すべき義務を果さざる事はそれ自身不正の行為であり、非難の口実を未信者に与えるからである。基督者は信仰による自由の結果、その義務を果するに於て怠り易い。
辞解
[愛を負う] 「愛する事の義務を負う」意味で他人の愛を受ける意味ではない。
註解: (私訳-- そは他人を愛する者は律法を全うしたればなり)愛する義務だけは例外的であってこれを負わない訳には行かないけれどもこれは結局真の意味に於て律法を全うする所以であって、愛があれば、あらゆる負債は自然皆果される。
辞解
[全うするなり] 「全うしたるなり」で現在完了形である。
13章9節 それ『
口語訳 | 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する。 |
塚本訳 | なぜなら、“姦淫をしてはならない、殺してはならない、盗んではならない、(人のものを)欲しがってはならない”など、このほかにどんな掟があっても、“隣の人を自分のように愛せよ”というこの一言に帰するからである。 |
前田訳 | 姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな、そのほかどんな掟があっても、隣びとを自分のように愛せよ、のひとことにまとまるからです。 |
新共同 | 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 |
NIV | The commandments, "Do not commit adultery," "Do not murder," "Do not steal," "Do not covet," and whatever other commandment there may be, are summed up in this one rule: "Love your neighbor as yourself." |
註解: 愛する者は姦淫する事なく殺す事も盗む事も貪 る事も無い、あらゆる消極的誡命 は、「愛せよ」なる積極的誡命 の中に包含される。
辞解
モーセの十戒の第二部のみを掲げたのは対人関係について論じているからである。順序はマコ10:19。ルカ18:20。ヤコ2:11と同じく七十人訳の順序と同じ。
13章10節
口語訳 | 愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。 |
塚本訳 | 愛は隣の人に悪事を働かない。だから愛は律法の完成である。 |
前田訳 | 愛は隣びとに悪をはたらきません。それゆえ愛は律法の完成です。 |
新共同 | 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。 |
NIV | Love does no harm to its neighbor. Therefore love is the fulfillment of the law. |
註解: 愛を有ちつつ隣人に対し悪を行う事は出来ない。即ち愛は諸々の律法の成就せられし状態である。
辞解
[完全] plêrôma 満ち溢れる状態。
要義 [律法と愛] 律法は愛を生む事は出来ないけれども、愛は自ら律法を完成せしめる。而して人間の生れ乍らに有する自然の愛は、同様に自然に有する慾望の為に無カとされる事があるけれども信仰によりキリストに在りて上より受くる愛は人の自然性に打ち勝ちて律法を完全に行い得る力となる。信仰によりて律法を撤廃して却て律法を成就する事となるのはその為である。
13章11節 なんぢら
口語訳 | なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。 |
塚本訳 | しかも、あなた達は今の時代を、すなわちもはや眠りからさめるべき時であることを、よく知っている(のだから、なおさらのことである。)今は、信仰に入った時よりも、わたし達の救いが近づいているのである。 |
前田訳 | ご存じのようにこの時代はすでにあなた方が眠りから覚めるべきときです。今は信仰に入ったときよりも、われらの救いは近いのです。 |
新共同 | 更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。 |
NIV | And do this, understanding the present time. The hour has come for you to wake up from your slumber, because our salvation is nearer now than when we first believed. |
註解: 以上ロマ12:1以下の事、殊にロマ13:8の薦めは、キリストの再臨の時が次第に近付きたる故に尚更の事である。基督者の心は往々にして眠り易い、主を見ず主の御声を聴かずに生きているならば、それは主に対して眠っている状態である。主来り給う事近き故この眠りから覚むべきである。
辞解
私訳「以上に述べし処は汝ら既に眠より覚むべき時なりとの時勢を知るが故に尚更の事なり」。「眠」は霊的の眠、無知覚の状態でこの世の事に心を奪われる時霊的には眠った状態となる。基督者は一度は覚醒して信仰に入ったのであるが往々にして眠気を催す故絶えず警鐘を以てこれを覚 す事が必要である。
註解: この場合「救」はキリストの再臨による身体の復活、万物の復興等を基礎とする完全なる救を意味する。この救はキリストの再臨が近づくと共に近づくのであって、パウロは他の使徒たちと共にその時の近き事を確信していた。
辞解
[始めて] 原文になけれども「信ぜし」は不定過去形でこの意味を含む。
13章12節
口語訳 | 夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。 |
塚本訳 | 夜がふけて、(最後の)日が近づいた。だから闇の業をぬぎすて、光りの武具をつけようではないか。 |
前田訳 | 夜がふけて、日が近づきました。闇のわざを脱ぎ捨てて、光の武具を身につけましょう。 |
新共同 | 夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。 |
NIV | The night is nearly over; the day is almost here. So let us put aside the deeds of darkness and put on the armor of light. |
註解: (▲口語訳の「・・・着けようではないか」が正しい。)神の光を受納れざる夜の世界も既に更けてキリスト義の太陽として再臨し給うべき昼が既に近づいている。故に我らは暗黒の中に於て行われる、人目に恥づる諸種の行為をば、夜の衣服を脱ぐが如くに脱ぎ棄てて戦陣に赴く武士の如く光明の中に於て行う正しき行為を甲 として着用すべきである。
辞解
[夜、日] キリストの再臨は旭日の昇天に譬えられる。マラ3:20。その接近と共に我らは益々これに相応しく準備しなければならない。キリスト再臨前と雖も基督者は昼に属する光の子である(Tテサ5:1、2、Tヨハ1:5-7。Tヨハ2:8-11)
[すて] 脱ぎ棄つる如き意。
[甲 ] 「器」の意味もあるけれども(ロマ6:13。G1)この場合パウロは基督者を武士にたとえたものと見るを可とす(Tテサ5:8。Uコリ6:7。エペ6:13以下)
13章13節
口語訳 | そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。 |
塚本訳 | 昼間にふさわしく、きちんとして生活しようではないか、酒宴と酩酊でなく、淫楽と放蕩でなく、喧嘩と嫉妬でなく。 |
前田訳 | 日のあるとき、折目正しく歩みましょう、宴会と酩酊でなく、淫乱と放蕩でなく、争いと妬みでなく。 |
新共同 | 日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、 |
NIV | Let us behave decently, as in the daytime, not in orgies and drunkenness, not in sexual immorality and debauchery, not in dissension and jealousy. |
註解: (▲口語訳の「・・・歩こうではないか」が正しい。)多くの醜き行為は夜間に行われ、基督者はその反対に昼間に於ける行動として立派な態度を取る。
辞解
[昼のごとく] 「昼に於ける如く」の意。
[正しく] 、不正に対する「正」ではなく「立派に」と云う如き意味で醜悪の反対を云う、醜行は暗黒の中に行われる。
[宴樂 醉酒 ] 肉の慾、
[淫樂 好色 ] 色慾、
[爭鬪 嫉妬 ] 激情の爆発である。かかるものに支配されてはならぬ。
口語訳 | あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。 |
塚本訳 | 主イエス・キリストを着なさい。肉をいたわるのはよいが、情欲に陥らないように。 |
前田訳 | 主イエス・キリストを着なさい。肉の思いを欲望にしないように。 |
新共同 | 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。 |
NIV | Rather, clothe yourselves with the Lord Jesus Christ, and do not think about how to gratify the desires of the sinful nature. |
註解: キリストは我らの智慧、義、聖、贖である(Tコリ1:30)。キリストの中に没入して、我らは始めて神の前に立つ事が出来、叉聖きものと認められる。
辞解
何某 を「衣る」とは古代ギリシヤ語にて何某 の如くに思惟し、感受し、行動する事を云う、キリストを衣るとはキリストらしく生活する事。
註解: 私訳「慾を充さんとて肉の備を為す事なかれ」肉は罪の住所であり、霊の働きの妨害者である。故に肉はこれを十字架につけなければならぬ(ガラ5:24)。従ってこの肉につき予め思い煩う事はキリストらしからざる事であり、我らを情慾、貪慾の奴隷とするに至る。故にこれをいましめなければならぬ、13、14節はアウグスチヌスを回心せしめし有名なる節である。
辞解
[備 す] pronoiaは予めかれこれ思い煩う事。
[慾] epithumia あるものを得んとする欲情、故に主として色慾、貪慾等に用う。
[慾のため] 「慾を起さしむるに至る如き」(M0)と解すべきで結局慾を充すがためにと云うに同じ。
要義1 [キリストの再臨の接近] 初代の信徒がキリストの再臨の近き事を信じ、これを以て自己の道徳的生活の激励とした事は著しい事実である。學者はこれを以て初代基督者の誤認としているけれども然らず。彼らの信仰はその時間の観念をも変更せしめ(Uペテ3:8)、時間を超越して主の再臨の近き事を信じ、空間を超越して主と共に居る事を信じた。これが今日の我らの信仰でなければならない。
要義2 [肉の慾のために備すな] 肉の慾は我らを罪に陥れんとて常に我らを誘う、我ら肉の為に預じめ思い煩う時、遂にこれが我らを罪にRUBY class="ruby2">陥 れる機会となるのである。主イエス・キリストを衣たるものは又彼の如くにその肉を十字架に釘くべきであって慾を充さんが為に肉の備をしてはならない。