黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2テモテ書

第2テモテ書第4章

分類
3 テモテに対する教訓 2:1 - 4:8
3-2 苦難と闘え 3:1 - 4:8
3-2-ハ 伝道者の職を全うせよ 4:1 - 4:5  

註解: パウロは進んでテモテに教訓を与え、パウロなき後の伝道の職を全うすべきことを教えた。

4章1節 われ(かみ)(まへ)また()ける(もの)()にたる(もの)とを(さば)かんとし(たま)ふキリスト・イエスの(まへ)にて、その顯現(あらはれ)御國(みくに)とをおもひて(おごそ)かに(なんぢ)(めい)ず。[引照]

口語訳神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
塚本訳神の御前、また生者と死者を審かんとし給うキリスト・イエスの御前で、且つその(最後の日における)顕現とその(時うち建てられる)王国とをかけ、誓って(君に)命令する、
前田訳神の前に、また生者と死者とを裁くべきキリスト・イエスの前に、彼の出現と彼の国とのゆえに命じます。
新共同神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
NIVIn the presence of God and of Christ Jesus, who will judge the living and the dead, and in view of his appearing and his kingdom, I give you this charge:
註解: パウロはその死期の近きを知り、テモテをして彼無き後の伝道の任務を果さしめんとして厳粛なる命令を発している(この命令の原語は誓または呪詛(のろい)の意味にも用う)。この場面は神とキリストとがパウロの前に在し給う光景であってパウロがテモテに命ずることは結局神とキリストがこれを裁可し給うことの意味である。そしてパウロはこの場合、キリストの再臨により最後の審判の場合を想像したのであって、その顕現はキリストの再臨であり御国はかくしてキリストの支配し給う国である。パウロは単に神とキリストの前にて命ずるというだけでなく、このキリスト再臨の光景を指してこの命を与えた(指して誓うというがごとし。E0)。

4章2節 なんぢ御言(みことば)宣傳(のべつた)へよ、[引照]

口語訳御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
塚本訳御言を宣べよ、折よくも折悪くも(たえずそのために)準備して居れ。寛容と教訓の限りを尽くして咎め、叱り、(また)諭せ。
前田訳みことばをのべ伝えなさい。おりを得ても得なくてもそれに努め、あくまで寛容に教えつつ、導き、いましめ、勧めなさい。
新共同御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
NIVPreach the Word; be prepared in season and out of season; correct, rebuke and encourage--with great patience and careful instruction.
註解: 神の御言を宣伝えることが伝道者の職務の中心である。

(をり)()るも(をり)()ざるも(つね)(はげ)め、

註解: 都合の良い時でも悪い時でも何時でも御言を宣伝える用意をしておくべしとの意で、この都合は聴者(M0、W2)の都合のみならず伝道者の都合をも含む。それ故に結局如何なる場合においてもの意味に解して差支えなし。そしてこの都合の中には社会情勢をも含むこと勿論なり。
辞解
[常に勵め] ephistêmi は「近づく」「近きに在る」意味の語であるが、本節の場合用意が何時でもできていることを意味す。すなわち一触即発というがごとし。

寛容(くわんよう)教誨(をしへ)とを(つく)して()め、(いまし)め、(すす)めよ。

註解: 罪は責めなければならず悪は戒めなければならず、そしてこれと同時に善を勧めなければならない。そしてこれらは凡て寛容の心と親切なる教誨(おしえ)とをもって為なければならぬ。教師たる者の態度は凡てかくのごとくであるべきである。

4章3節 人々(ひとびと)健全(けんぜん)なる(をしへ)()へず、(みみ)(かゆ)くして私慾(しよく)のまにまに(おの)がために教師(けうし)()(くは)へ、[引照]

口語訳人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
塚本訳というのは、(今に)人が健全な教えに我慢出来ず、自分の慾のままに先生を狩り集めて耳を擽り、
前田訳時が来て、人々が健全な教えに耐えず、おのが欲に従って教師を集めて耳を快くしましょう。
新共同だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、
NIVFor the time will come when men will not put up with sound doctrine. Instead, to suit their own desires, they will gather around them a great number of teachers to say what their itching ears want to hear.
註解: 「健全なる教」につきてはTテモ1:10辞解を見よ、不健全さや誤謬を含まざる教えは、人間を霊的に健康ならしむる教えであるにもかかわらず、自己の自然の慾望を満足せしむる性質のものではない。むしろ自然に発露する私慾を制して、神の御旨に従うべきことを教える処のものである。それ故にかかる人々はこれに堪え得ず、何らか奇抜なる教えに接し、または自己の放縦なる生活を承認し、または自己の嗜好する問題を解明するごとき教えを聞かんとの熱望にその耳の痒きを覚え、自分で勝手に自分の気に合う教師をたくさんに持つに至る。この種の教師は責め戒め勧むることをせず聴く者の耳に快く、心に(へつら)う言のみ出す。▲例えば「生長の家」教団のごこときはかかる要求に適合する。

4章4節 (みみ)眞理(まこと)より(そむ)けて昔話(むかしばなし)(うつ)(とき)(きた)らん。[引照]

口語訳そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
塚本訳真理に耳を背けて(つまらぬ)昔話に外れゆく時が来るからである。
前田訳そして真理から耳をそむけて作り話に向かうでしょう。
新共同真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
NIVThey will turn their ears away from the truth and turn aside to myths.
註解: 真理を聞くことを苦痛に思い、ことさらに真理に耳をおおいて無意味なる昔話、架空の神秘談(Tテモ1:4辞解参照)に浸るに至る。これはその人の好奇心を満足せしめ、他人に対しては博識を誇り、その良心の苦痛を紛らわすために有効であって、まじめに真理を求めるがごとくに装いつつ実は真理より遠ざかりつつある者である。

4章5節 されど(なんぢ)何事(なにごと)にも(つつし)み、苦難(くるしみ)(しの)び、傳道者(でんどうしゃ)(わざ)をなし、なんぢの(つとめ)(まった)うせよ。[引照]

口語訳しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
塚本訳しかし君は何事にも真面目であれ、苦難に耐え、伝道者の仕事を為し、君の職務を全うせよ。
前田訳しかしあなたは何につけても慎しみ、苦しみを忍び、福音のわざをしてあなたの務めを全うしなさい。
新共同しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
NIVBut you, keep your head in all situations, endure hardship, do the work of an evangelist, discharge all the duties of your ministry.
註解: テモテは前節のごとき者に堕落してはならない。凡てにおいて慎み、真面目に事を為し、迫害その他より来る苦難を忍び伝道者として活動し、人々に奉仕を充分に為すべし。
辞解
[傳道者] 一定の羊を牧せざる点において牧者と異なり、キリストより直接に派遣されない点において使徒と異なり、福音を宣伝うることに中心を有する点において預言者と異なる。各地を巡回して福音を宣伝うる人をいう。
[職] diakonia で奉仕のこと、執事が為すごとき種類の仕事。

3-2-ニ 我が終りは近し 4:6 - 4:8  

註解: 6−8節はパウロ自身の終りが近きことを示し、その一生を回顧して勝利の叫びをあげ、テモテをしてこれに(なら)わしめんとしている。

4章6節 (われ)(いま)供物(そなへもの)として()(そそ)がんとす、[引照]

口語訳わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。
塚本訳もう(直に)私は(犠牲の)血を注ぐのであって、別離の時は迫った。──
前田訳わたしはすでに自らを犠牲にしています。そしてわが去る時が近づきました。
新共同わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。
NIVFor I am already being poured out like a drink offering, and the time has come for my departure.
註解: 直訳「我はすでに灌祭(かんさい)として献げられたり」で、間もなく来るべきパウロの殉教の死を現実に感じ、その血を灌ぐことを祭壇にささげられる犠牲の死にたとえてかく言う。パウロはすでに死を覚悟していた。

わが()るべき(とき)(ちか)づけり。

註解: 「去るべき時」は「死期」を意味す、「近づけり」は「すでに至れり」(E0)というがごとき強き意味。

4章7節 われ()戰鬪(たたかひ)をたたかひ、(はし)るべき道程(みちのり)(はた)し、信仰(しんかう)(まも)れり。[引照]

口語訳わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
塚本訳ああ、善い戦いを戦った、競争を終わった、忠誠を守った。
前田訳わたしは善戦をし、走るべき行程を全うし、信仰を守りました、
新共同わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
NIVI have fought the good fight, I have finished the race, I have kept the faith.
註解: パウロはその一生を回顧してその為すべき義務を(ことごと)く果したことを思い、欣喜(きんき)にたえざるもののごとくに叫んでいるのである。
辞解
「たたかひ」「果し」「守れり」何れも完了形の動詞を用い、それらがすでに過去において終了し、現在はその状態にあることを示す、すなわちパウロはすでにこの世におけるその務めを(ことごと)く果した心持でかく叫んでいるのである。如何ばかり心地よきことであろう。
[善き戰鬪(たたかひ)] 「善き闘争」と訳すべく、競技における競争にたとえたのである。「走るべき道程」も同上。

4章8節 (いま)よりのち()冠冕(かんむり)わが(ため)(そな)はれり。かの()(いた)りて(ただ)しき審判(さばき)(ぬし)なる(しゅ)、これを(われ)(たま)はん、[引照]

口語訳今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
塚本訳今や(ただ)義の冠が私を待っている(だけである)。かの日、義しい審判者である主は、私に、(否、)私だけでなくその顕現を待ち焦れた凡ての人に、これを賜うであろう。
前田訳今や義の冠がわたしを待っています。正しい審判者である主はかの日にそれをお与えでしょう。それはわたしにだけでなく、すべて彼の出現を熱望するものにもです。
新共同今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
NIVNow there is in store for me the crown of righteousness, which the Lord, the righteous Judge, will award to me on that day--and not only to me, but also to all who have longed for his appearing.
註解: すでに為すべき務めを(ことごと)く為したのである以上残っていることは正義の冠冕(かんむり)(勝利者に賞品として(いただ)かしむる冠冕(かんむり))が我がために備えられ、彼の日すなわちキリストの再臨、最後の審判の日に正しき審判者たる主が予の生涯の勝利を認めてこれを予に賜うことだけである。やがてこれは予が上に実現するであろう。
辞解
[義の冠冕(かんむり)] (1)正義の褒賞として与えられる冠冕(かんむり)、(2)正義を表示する冠冕(かんむり)、すなわちこれを受ける者が正義の生涯を送ったことを示す冠冕(かんむり)、等種々に解せらる。第二の解釈を採る。
[今より後] むしろ「残っていることは」の意味に採るを可とす(E0、M0)。

(ただ)(われ)のみならず、(すべ)てその顯現(あらはれ)(した)(もの)にも(たま)ふべし。

註解: キリストの再臨を切に待望む凡ての者はこの光栄を与えられる。
要義 [義の冠冕(かんむり)]パウロの生涯が徹頭徹尾イエスに対する信従と奉仕の生涯であった。唯パウロはこれに対して義の冠冕(かんむり)の賞賜(または報償その他の語をもって表わされる褒美)を期待していたことは確かである。この思想はイエスにも存し(マタ5:3−12)、ヨハネにもこれを見ることができる(黙2:7黙2:11黙2:17黙2:26−28。黙3:5黙3:12黙3:21)。この思想は一見卑しい心持を持つもののごとくに思われるけれども、実は然らず、神の御旨を深く覚る場合、神は明かにかかる者に褒美を賜うことを疑うことができない。神の与えんとするものを感謝と歓喜とをもって期待し、またこれを受けることが神の最も喜び給う処である。ただしこの褒賞を期待し得るが故に善行を為す者のごときは勿論褒賞に与ることはできない。

分類
4 消息一般 4:9 - 4:21
4-1-イ 同労者、背教者の消息ならびに雑用 4:9 - 4:18  

4章9節 なんぢ(つと)めて(すみや)かに(われ)(きた)れ。[引照]

口語訳わたしの所に、急いで早くきてほしい。
塚本訳急いで早く私の所に来い。
前田訳努めて早くわたしのところに来てください。
新共同ぜひ、急いでわたしのところへ来てください。
NIVDo your best to come to me quickly,
註解: テモテを招致せんとしたのは一つは殉教の死を遂げる前に一度彼を見んと欲したのかも知れず、また次節以下にあるごとく多くの弟子に棄てられし淋しさに耐え得なかったためかもしれない。21節には「冬の前に」と時期までも指定している。

4章10節 デマスは()()(あい)し、(われ)()ててテサロニケに()き、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに()きて、[引照]

口語訳デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。
塚本訳デマはこの世を愛し私を棄ててテサロニケに行き、クレスケはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ってしまったから。
前田訳デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行き、クレスケンスはガラテアに、テトスはダルマテアに行きました。
新共同デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っているからです。
NIVfor Demas, because he loved this world, has deserted me and has gone to Thessalonica. Crescens has gone to Galatia, and Titus to Dalmatia.

4章11節 (ただ)ルカのみ(われ)とともに()るなり。[引照]

口語訳ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。
塚本訳ルカだけが私と一緒にいる。マルコは私の仕事に(非常に)役立つから一緒に連れて来い。
前田訳ルカひとりがわたしといっしょです。マルコを連れていっしょにいらっしゃい。彼はわたしの務めに役だちます。
新共同ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。
NIVOnly Luke is with me. Get Mark and bring him with you, because he is helpful to me in my ministry.
註解: デマスは獄中書簡が(したた)められし頃はパウロの同労者として彼に伴っていた(コロ4:14ピレ1:24)。何故にパウロを棄てしかは不明であるがパウロにとりては大なる悲しみであったにちがいない。(▲今日も伝道者は同様の悲劇を経験させられる場合が多い。パウロのごとき大使徒にもかかる事実があったことは一般伝道者も少しく自ら慰めることができる。)彼がテサロニケに往った訳はそこが彼の故郷なるがためにあらずやと想像する学者もある。あるいは商用を含めるものかも知れない。クレスケンスは他に出て来ぬ人物故詳細は不明、ガラテヤは異本ガリヤとあり、もしパウロが第一回幽囚より解放されし後イスパニヤまで伝道したとすればあるいはフランスのガリヤ(ゴール)地方などに人を遣わすことは有り得ないことではない。またテトスはイルリコ地方に近きダルマテヤに行った。これによりテトスはテト1:5の職務を完遂した後クレタ島をまもなく離れたものと思われる。かくしてパウロと共にいる者はルカのみとなった。

(なんぢ)マルコを()れて(とも)(きた)れ、(かれ)(つとめ)のために(われ)(えき)あればなり。

註解: マルコにつきては本註解マルコ伝緒言参照。「(つとめ)」はパウロが使徒としてローマの信徒のために尽す務めを指す。パウロは不自由なる幽囚生活に在りてマルコのごとき助手を必要とすることが多かったのであろう。▲▲第一回幽囚の際はマルコはパウロと共にいた。コロ4:10

4章12節 (われ)テキコをエペソに(つかは)せり。[引照]

口語訳わたしはテキコをエペソにつかわした。
塚本訳テキコはエペソに遺った。
前田訳テキコはエペソへつかわしました。
新共同わたしはティキコをエフェソに遣わしました。
NIVI sent Tychicus to Ephesus.
註解: テキコはアジヤ人であり(使20:4、5)、獄中書簡の携帯者であって(コロ4:7エペ6:21)パウロの同労者たる忠実なる役者であった。なおもしテモテがこの書簡を受領する時にエペソにいたとすれば「エペソ」にということは不可解なのであるいは(1)前二節に場所を表示したのに対応するようにせるものと解し、(2)あるいはテモテ前書の携帯者を意味すと解しているけれども、むしろ(3)当時テモテは一時エペソを去り巡回伝道者として働いていたものと想像する方(5節)が適当ならんと思わる。Uテモ1:15Uテモ1:18の場所的表示もこのことを暗示する(E0)。なおテト3:12と併せ考うる時アルテマスがテトスの許にまず遣わされ、残れるテキコがテモテの許に遣わされたのであろう(Z0)。

4章13節 (なんぢ)きたる(とき)わがトロアスにてカルポの(もと)(のこ)()きたる外衣(うはぎ)(たづさ)へきたれ、また書物(しょもつ)(こと)羊皮紙(やうひし)のものを(たづさ)へきたれ。[引照]

口語訳あなたが来るときに、トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。
塚本訳(もう直き冬だから、)トロアスのカルポの所に置いて来た外套を来る時に持って来てくれ。それから書物、とりわけ羊皮紙のを(忘れないように)。
前田訳おいでのとき、トロアスのカルポのところに置いてきた上衣を持ってきてください。それから書物も、とくに羊皮紙をお願いします。
新共同あなたが来るときには、わたしがトロアスのカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙のものを持って来てください。
NIVWhen you come, bring the cloak that I left with Carpus at Troas, and my scrolls, especially the parchments.
註解: テモテはなおアジヤにいるものと見え、ローマに来る時にトロアス経由の途を取ることがパウロには当然と考えられた。その時に外套と書物と殊に羊皮紙の書物とを持参すべきことを命じている。
辞解
[外衣(うわぎ)] 防寒用上衣ならん、これを書籍の上包または荷造箱(書物入)と解する説あれど適当ではない。
「書籍」と「羊皮紙のもの」の内訳如何(いかん)につき種々の推測があるけれども要するに推測に過ぎず、「羊皮紙のもの」につきてはこれを旧約聖書の羊皮紙の巻物と解する説(E0、A1、B1)と、羊皮紙を綴り合せた帳簿様のものでパウロの雑記帳ならんとの説(W2、Z0)等あり、前者と見るべきであろう。「書籍」は当時としては、パピルスに書かれしものであった。なお死を前にしてパウロがかかる書籍を入用と考えたことを不可解とする人があるけれども、パウロは死を前にしてもなお一日として研究を怠らなかったと見ることができる。

4章14節 (きん)細工人(さいくにん)アレキサンデル(おほい)(われ)(なやま)せり。(しゅ)はその行爲(おこなひ)(したが)ひて(かれ)(むく)いたまふべし。[引照]

口語訳銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。
塚本訳鍛冶屋のアレキサンデルが悪い事を沢山私にした。“主はその仕業に応じて”彼に“報い給うであろう”。
前田訳銅工のアレクサンデルはわたしをさんざんな目にあわせました。主はそのわざに従ってお報いでしょう。
新共同銅細工人アレクサンドロがわたしをひどく苦しめました。主は、その仕業に応じて彼にお報いになります。
NIVAlexander the metalworker did me a great deal of harm. The Lord will repay him for what he has done.

4章15節 (なんぢ)もまた(かれ)(こころ)せよ、かれは(はなは)だしく(われ)らの(ことば)(さから)ひたり。[引照]

口語訳あなたも、彼を警戒しなさい。彼は、わたしたちの言うことに強く反対したのだから。
塚本訳君も彼を警戒せよ、ひどく私達の言に逆らったのだから。
前田訳あなたも彼に気をつけなさい。彼はわれらのいうことに激しく逆らったのです。
新共同あなたも彼には用心しなさい。彼はわたしたちの語ることに激しく反対したからです。
NIVYou too should be on your guard against him, because he strongly opposed our message.
註解: このアレキサンデルとTテモ1:20のアレキサンデルとは同一人と見るを通説とす(Z0反対)るけれども、使19:33のアレキサンデルとは別人と見る学者多し。ただしこれをも同一人と見ることは必ずしも無理でも困難でもない。Tテモ1:20にはパウロは彼をサタンに付したとあり、本節ではなお彼がパウロを悩ますとあることを不可解と考える学者があるけれども、これは「サタンに付す」ことを中世カトリック教会の破門のごとくに考えるより生ずる誤解である。以上のごとくこの三つのアレキサンデルを同一人と仮定するならば、エペソにおいて金細工人デメテリオよりパウロ一行が迫害されし時は、同じ金細工人としてテメテリオとも知己(ちき)でありかつ雄弁家であったと想像せられ、またパウロらの同情者(あるいはキリスト者であったかも知れぬ)と思われる彼がパウロの弁護のために立った。その後彼はパウロの弟子として入信したのであったがついに背教者となったものと思われる。本節の場合如何にしてパウロを悩ましたかは記されていないけれども、あるいはエペソよりローマに来り、16節の弁明の際にパウロの告訴者としてかれを苦しめたのかも知れない。なおパウロは主がその行為に随いて報い給うべしといったのはアレキサンデルに対する復讐心を満足せんとしたのでは勿論なく、現在如何に猛威を振ってパウロを苦しめていても主は必ず彼の行為に正しき報復を為し給うことの事実、すなわち神の義の勝利と不義の敗北に対する彼の確信を述べたに過ぎない。
辞解
[大に我を悩ませり] 「多くの悪を示した」で多くの意地悪を行ったこと。
[汝もまた彼に心せよ] テモテがローマに来れる後のことか、またはアレキサンデルがその後エペソに帰ったためか不明。
[我らの言] パウロおよびテモテの言と解し、パウロがエペソに行きし時のことと解する説あれど(B1)、むしろローマにおけるパウロとその同労者たちの言と見るを可とす。

4章16節 わが(はじめ)辯明(べんめい)のとき(たれ)(われ)(たす)けず、みな(われ)()てたり、(ねが)はくはこの(つみ)(かれ)らに()せざらんことを。[引照]

口語訳わたしの第一回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。
塚本訳私の始めの弁明の時には誰一人扶けてくれず、皆私を棄てた──この罪が彼らに帰せられないように!──
前田訳わたしの最初の弁論のとき、だれもわたしを支持せず、皆がわたしを見捨てました。どうか彼らが責められませんように。
新共同わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。
NIVAt my first defense, no one came to my support, but everyone deserted me. May it not be held against them.
註解: この第一回弁明は使23:1以下の審判でもなく、また第一回ローマ幽囚の時の弁明でもなく、この度の第二回ローマ幽囚の時の第一回弁論と見るのが最も適当である。やがて第二回弁論が近付いていたのでパウロは殊にテモテの来援を望んだのかもしれない。悲しいかな第一回弁論の時は、彼の側になお数多の信仰の弟子があったにもかかわらず(21節)だれも彼を助けず彼を見棄てた。これ世の人の顔を恐れたからである。その結果アレキサンデルが暴威を(たくま)しくしてパウロを苦しめたのであろう。しかもパウロは彼らにその罪が帰せざらんことを祈るのであった。人間の弱さに対する理解と、彼らに対する愛とよりかかる祈りが出たのである。己に対する罪をもかく赦し得る者は幸福である。

4章17節 されど(しゅ)われと(とも)(いま)して(われ)(つよ)めたまへり。これ(われ)によりて宣教(せんけう)(まった)うせられ、(すべ)ての異邦人(いはうじん)のこれを()かん(ため)なり。(しか)して(われ)獅子(しし)(くち)より(すく)()されたり。[引照]

口語訳しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるように、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い出されたのである。
塚本訳しかし私によって宣教が全うされ、異教人が皆(これを)聴く(ことが出来る)ために、主は私を援け、力づけ給うて、私は“獅子の口から”救い出されたのである。
前田訳主はわたしを支えて力づけ、わたしによって宣教が全うされて、すべての異邦人がそれを聞くようになさいました。そしてわたしは獅子の口から解放されたのです。
新共同しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。
NIVBut the Lord stood at my side and gave me strength, so that through me the message might be fully proclaimed and all the Gentiles might hear it. And I was delivered from the lion's mouth.
註解: この一節が如何なる事実を指すか難解である。人間が凡て彼を棄て去りたる時、そこに主偕に在し、傍らに立ち給い、パウロを強め給うた。これがために孤軍奮闘第一回の訊問を終った。かく主が彼を(たす)け彼を強め給える所以はパウロによりて福音の宣伝が完成し、従来の伝道をもってしてはなお足らざる処があったのを充実せしめ、そしてローマ帝国の主都の裁判所において全世界の異邦人の代表者ともいうべき人々の前にて福音の真理を弁護し、もって福音を凡ての異邦人に聞かしめんがためであった。そして自分は最も切迫せる生命の危険より救われたのである。たとい第二回の訊問により死刑に処されることがあっても ─ それはおそらくそうなることであろうが ─ 第一回の弁明と救出とにてすでに自分の果すべき使命を果したのである。
辞解
[凡ての異邦人云々] パウロ特有の誇張と解するにしてもあまりに大袈裟なので種々に解されているけれども、上記のごとき意味と解するをよしとす。
[獅子の口] 生命の危険を意味す(詩22:21)。パウロはローマの市民権を有していたので獅子に喰わしむる刑罰に遭うはずはない。また獅子をネロまたは他の暴君を指すと見または幻影に獅子を見たのであろうと解する(B1)必要はない。

4章18節 また(しゅ)(われ)(すべ)ての()しき(わざ)より(すく)()し、その(てん)(くに)(すく)()れたまはん。(ねが)はくは榮光(えいくわう)世々(よよ)(かぎ)りなく(かれ)にあらん(こと)を、アァメン。[引照]

口語訳主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。
塚本訳(かくてまた)主は私を凡ての悪の業から救い出して、天の王国に導き給うであろう。栄光世々限りなく彼にあらんことを、アメーン!
前田訳主はわたしをすべての悪のわざから解放して、天にある彼の国に救い入れてくださるでしょう。栄光が世々とこしえに主にありますように。アーメン。
新共同主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
NIVThe Lord will rescue me from every evil attack and will bring me safely to his heavenly kingdom. To him be glory for ever and ever. Amen.
註解: 過去において然りしごとく、未来においても主イエスはパウロをその敵の奸悪(かんあく)なる業より救い出し、たとい死しても、または殺されても天なるその御国に救い入れ給うであろう。かくしてローマの獄中に、その目前に迫れる死を眺めつつ、パウロは永遠の勝利にその心躍り、ついに本節後半のごとき頌栄がその口より(ほとばし)り出でたのである。
要義 [パウロの孤独]イエスの弟子が次第にイエスを去り、ついにイエスをして「汝も亦去らんと思ふや」(ヨハ6:67)とのやるせなき淋しき呻吟(しんぎん)を発せしめしごとく、パウロもまたその晩年において非常な淋しさを味わなければならなかった。しかしながらキリスト者の生命はこの世において淋しさが増すに従ってその天国における歓喜が増して来るのであって、ついにこの世においてその生命を断つに至る瞬間においてに完全なる勝利の自覚と、永遠の栄光の希望に躍ることができるのである。

4-1-ロ 結尾の挨拶 4:19 - 4:21  

4章19節 (なんぢ)プリスカ(およ)びアクラ、またオネシポロの(いへ)安否(あんぴ)()へ。[引照]

口語訳プリスカとアクラとに、またオネシポロの家に、よろしく伝えてほしい。
塚本訳プリスカとアキラに、またオネシフォロの家によろしく。
前田訳プリスカとアクラとに、またオネシポロの家によろしく。
新共同プリスカとアキラに、そしてオネシフォロの家の人々によろしく伝えてください。
NIVGreet Priscilla and Aquila and the household of Onesiphorus.
註解: やがてテモテが巡回伝道を終えてエペソに帰った場合のことであろう。プリスカ、アクラの夫婦は初代キリスト信徒の中の大黒柱であった(ロマ16:3辞解参照)。この当時は彼らはエペソにいたのであろう。「オネシポロの家」につきてはUテモ1:16註参照。彼はおそらく死去していたのでその家族に対して挨拶を送った。

4章20節 エラストはコリントに(とどま)れり。トロピモは(やまひ)ある(ゆゑ)(われ)かれをミレトに(のこ)せり。[引照]

口語訳エラストはコリントにとどまっており、トロピモは病気なので、ミレトに残してきた。
塚本訳エラストはコリントに留まっている。トロピモは病気であったのでミレトに遺して来た。
前田訳エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気なのでミレトに残しました。
新共同エラストはコリントにとどまりました。トロフィモは病気なのでミレトスに残してきました。
NIVErastus stayed in Corinth, and I left Trophimus sick in Miletus.
註解: このエラストが使19:22においてテモテと共にエペソよりマケドニヤに遣わされしエラストと同人ならん。ロマ16:23にあるコリントの庫司(くらづかさ)エラストとは別人と見るべきであろう(M0、E0)。パウロは第一回のローマ幽囚より釈放されたる後その最後の伝道旅行において(Z0)エラストおよびトロピモをも伴ったのであったがエラストをばコリントに残し、トロピモ(使21:29参照)をばエペソの南なるミレトに遣わした。彼が病んだからである。ただしこの場合何故テモテ前書にこのことが記されなかったかにつきては問題が発生し得るのであるがテモテ前書の性質上かかることにまで筆が及ばなかったのであろう。
辞解
三人のエラストの異同性につきては諸説あり、上記と反対に本節のエラストとロマ16:23のそれとが同一人なりとする説あり(Z0)。

4章21節 なんぢ(つと)めて(ふゆ)のまへに(われ)(きた)れ、[引照]

口語訳冬になる前に、急いできてほしい。ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤならびにすべての兄弟たちから、あなたによろしく。
塚本訳冬(になる)前に急いで来い。ユブロとプデとリノとクラウデヤと兄弟達皆から君によろしく。
前田訳冬にならぬうちに、努めて来てください。ユブロとプデスとリノスとクラウデアとすべての兄弟から、あなたによろしくいっています。
新共同冬になる前にぜひ来てください。エウブロ、プデンス、リノス、クラウディア、およびすべての兄弟があなたによろしくと言っています。
NIVDo your best to get here before winter. Eubulus greets you, and so do Pudens, Linus, Claudia and all the brothers.
註解: 冬期には航海が途絶する故にその前に来る必要があり、殊にパウロの死が近付いていたこと故なおさらに急ぐ必要があった(9節参照)。

ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、(およ)(すべ)ての兄弟(きゃうだい)、なんぢに安否(あんぴ)()ふ。

註解: これらの人々はパウロの同労者にあらず、テモテの知人ならん、なおこれら人名は聖書の他の箇所にはあらわれていない。後代の学者の詳しい穿鑿(せんさく)も推測の範囲を出ない。リノスは初代ローマの監督リノスと同人なりとの伝説あり。

分類
5 祝祷 4:22

4章22節 (ねが)はくは(しゅ)なんぢの(れい)(とも)(いま)し、御惠(みめぐみ)なんぢらと(とも)()らんことを。[引照]

口語訳主が、あなたの霊と共にいますように。恵みが、あなたがたと共にあるように。
塚本訳主、君の霊と共に、恩恵、君達と共にあらんことを!
前田訳主があなたの霊とともにいますように。恵みがあなた方にありますように。
新共同主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように。
NIVThe Lord be with your spirit. Grace be with you.
註解: 「なんぢの霊と偕に」といい「なんぢと偕に」と言わないのは、おそらくテモテの外的生活は常に主の守護の下にありと感じ得る状態であったけれどもパウロは特にテモテの心の中に主の宿り給わんことを祈っていたからであろう。