テトス書第1章
分類
1 挨拶 1:1 - 1:4
1章1節
口語訳 | 神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから—わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、 |
塚本訳 | 神の奴隷またイエス・キリストの使徒(なるわれ)パウロ(より、)共通の信仰によって(私の)実子(なる)テトスに手紙を遺る。──私が使徒とされたのは(凡て)神に選ばれた者の信仰(のため、)また敬虔なる真理の知識のためで、 |
前田訳 | 神の僕イエス・キリストの使徒パウロからです。わたしがかくあるのは神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にかなう真理の把握とによるもので、 |
新共同 | 神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。 |
NIV | Paul, a servant of God and an apostle of Jesus Christ for the faith of God's elect and the knowledge of the truth that leads to godliness-- |
1章2節
口語訳 | 偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基くのである。 |
塚本訳 | (何れも)永遠の生命の希望に基づくもので(あって、)欺き給わぬ神はこの生命を(与えんことを)永遠の昔において約束し給うた。 |
前田訳 | 永遠のいのちの希望にもとづくものです。このいのちは偽りのない神が永遠の時以前にお約束になったものです。 |
新共同 | これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。 |
NIV | a faith and knowledge resting on the hope of eternal life, which God, who does not lie, promised before the beginning of time, |
1章3節
口語訳 | 神は、定められた時に及んで、御言を宣教によって明らかにされたが、わたしは、わたしたちの救主なる神の任命によって、この宣教をゆだねられたのである— |
塚本訳 | (そして)時来るや宣教によって御言を顕し給い、私が(この)われらの救い主なる神の命によってこの宣教を託されたのである。 |
前田訳 | いま時宜を得て神は宣教によって彼のことばを明らかになさいました。この宣教はわれらの救い主にいます神の命によってわたしにゆだねられたものです。 |
新共同 | 神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。わたしたちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。―― |
NIV | and at his appointed season he brought his word to light through the preaching entrusted to me by the command of God our Savior, |
註解: かく訳する場合思想の連絡は不明である。日本文に訳することは極めて困難であるが、次のごとくに私訳する場合幾分思想の連絡を知ることができよう。私訳「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロ ─〔この使徒職は〕神の選民の信仰と、2 永遠の生命の希望に基ける敬虔にかなう真理の知識との為にして、偽らざる神は永遠の昔よりこの生命を約束し給い、3 時至りて、我らの救い主なる神の命により、我に委ね給いし宣教によりて御言を顕し給えり─」。パウロはここに自己の使徒職の意義を明らかにし、以て偽教師らによりて信仰が撹乱されることを防がんとしているのである。それ故にパウロは第一にその使徒職は「何の為」であるかを述べ、それが偽教師らにより迷わされる者のためにあらず神の選民の信仰の(益々強められん)為であり、また異教的敬虔 ではなく永遠の生命の希望を基礎とする敬虔 に相応しき真理の知識を与えんが為であることを教えている。そしてパウロはさらに進んでこの永遠の生命の何たるかを説明し、それが、きりなき系図(テト3:9。Tテモ1:4)のごときものではなく神によりて約束せられしものであり、時至りて神がその約束を実現せんとして御言を顕し給うたのである。その方法はパウロに委ねられし宣教を以てし給うたのであった。
辞解
[為に] kata の意味につきては諸説あり「・・・に循 い」「・・・を確かにせん為」等種々あり。
[永遠の生命の希望に基き] 「信仰」と「知識」との双方に関連せしむる説(E0、W2)、または「使徒」に直接せしむる説(M0)等あり、「知識」にのみ関連せしむる方が適当なるがごとし。
1−3節は全体として発信人たるパウロにつきて言えるもの。
1章4節 [われ
口語訳 | 信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。父なる神とわたしたちの救主キリスト・イエスから、恵みと平安とが、あなたにあるように。 |
塚本訳 | 願う、父なる神と、われらの救い主なるキリスト・イエスよりの恩恵と平安あれ! |
前田訳 | このわたしから信仰を共にする嫡子テトスに宛てます。父なる神とわれらの救い主キリスト・イエスの恵みと平安がありますように。 |
新共同 | 信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。 |
NIV | To Titus, my true son in our common faith: Grace and peace from God the Father and Christ Jesus our Savior. |
註解: 受信人と挨拶の祈願とである。書簡の冒頭の一般の形式につきてはロマ1:1-7註参照。「真実な子」はテモテの場合にも用いられている(Tテモ1:2)。「同じ信仰」すなわち「共通の信仰」、「恩恵と平安」ロマ1:7註参照。
分類
2 教会の統制 1:5 - 1:16
2-1 長老たるべき人の資格 1:5 - 1:9
1章5節 わが
口語訳 | あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない。 |
塚本訳 | 君をクレタに遺して来たのは(私に代わって)跡かたづけをし、(殊に)私が君に言いつけたように町毎に長老を任命してもらいたいためであった。 |
前田訳 | わたしがあなたをクレタに残したのは、未処理のことを片づけ、わたしがいいつけたように、町ごとに長老たちを立てるためです。 |
新共同 | あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。 |
NIV | The reason I left you in Crete was that you might straighten out what was left unfinished and appoint elders in every town, as I directed you. |
註解: パウロは曩 にテトスと共にクレテに赴き若干の活動を為したけれども短時日であったので、充分の仕事ができず、なお残っている仕事(「缺けたる所」)があった。これをさらに進んで整頓せしめ、かつ町ごとに長老を立てしめ、これをして教会を統治せしめんためにテトスをクレテに残したのであった。
辞解
[町々に] クレテ島は「百町島」と称された(W2)。その中の幾何 に教会があったかは不明である。
[命ず] diatassomai 順序を追って次々に遂行すべきことを命ずるがごとき場合に用いる語。
口語訳 | 長老は、責められる点がなく、ひとりの妻の夫であって、その子たちも不品行のうわさをたてられず、親不孝をしない信者でなくてはならない。 |
塚本訳 | (すなわち)非難すべき処が無く、(ただ)一人の妻の夫で、(その)子達は信仰があり放蕩の風評なくまた頑固でないならば、(長老に立てるべきである。) |
前田訳 | 長老は非のない人で、ひとりの妻の夫であり、その子は信仰があって、ふしだらのそしりがなく、不従順でないものにしてください。 |
新共同 | 長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。 |
NIV | An elder must be blameless, the husband of but one wife, a man whose children believe and are not open to the charge of being wild and disobedient. |
註解: 長老たらしむべき人の条件を列挙す。非難すべき点がある人は他人の上に立つことができない。Tテモ3:2、Tテモ3:10。
註解: Tテモ3:2註参照。「妻」と「女」と同一の語。
註解: 子女の不品行、不信仰、不従順は、親の訓育の不完全さを示す、かかる人は長老として不適当なり。
辞解
[服従せぬ] 無軌道にして秩序や命令に従はぬこと。
口語訳 | 監督たる者は、神に仕える者として、責められる点がなく、わがままでなく、軽々しく怒らず、酒を好まず、乱暴でなく、利をむさぼらず、 |
塚本訳 | というのは、監督は神の(家の)番頭として非難すべき処なく、横柄でなく、短気でなく、酒好きでなく、喧嘩好きでなく、けちでなく、 |
前田訳 | 監督は神の奉仕人として責むべきところなく、わがままでなく、怒りやすくなく、酒のみでなく、暴れず、欲深くなく、 |
新共同 | 監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、 |
NIV | Since an overseer is entrusted with God's work, he must be blameless--not overbearing, not quick-tempered, not given to drunkenness, not violent, not pursuing dishonest gain. |
註解: 当時は長老と監督との間に区別がなく何れの名称をもっても呼ばれていた(使20:17、使20:28および使20:38要義2参照)。この点も本書簡の時代的の古さを示す(反対W2)。神の家司、すなわち家令であり、神の家なる教会の百般の事柄を監督し神に対して責任をもつ故、
註解: 6節註。
註解: 自分勝手に我意を主張し我意に従って無遠慮に行動するものならざること(Uペテ2:10)。
註解: 怒りっぽくないこと。
註解: Tテモ3:3註参照。
註解: Tテモ3:8においてはこれが執事の義務として掲げられている。一般の業務上において不正の利得を得ることの不可なるは勿論、殊に長老執事の職務を利用して利を貪ることの不可なることを教えている。
註解: 6、7節は消極的条件ともいうべきものであり、8、9節は積極的条件を示す。
口語訳 | かえって、旅人をもてなし、善を愛し、慎み深く、正しく、信仰深く、自制する者であり、 |
塚本訳 | 接待好きで、善い事好きで、考え深く、真直ぐで、信心ぶかく、自制力が強く(なければならぬ)、 |
前田訳 | もてなしがよく、善を愛し、良識があり、正しく、きよく、自制家で、 |
新共同 | かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、 |
NIV | Rather he must be hospitable, one who loves what is good, who is self-controlled, upright, holy and disciplined. |
註解: Tテモ3:2.旅舎の設備少なき当時の社会の必要より生じた美徳であり、大切なる道徳として勧められていた。
註解: 6、7節に掲げられるごとき諸悪を嫌う者たること。
註解: sôphronos 自分の心を適当に統御すること。
註解: 「正しく」 dikaios は人に対する関係において不義を為さざること。「潔く」 hosios は神を涜すごとき行為を為さざること。
註解: 性的要求のみならず凡ての肉的要求を制御すること。
口語訳 | 教にかなった信頼すべき言葉を守る人でなければならない。それは、彼が健全な教によって人をさとし、また、反対者の誤りを指摘することができるためである。 |
塚本訳 | (そして)健全な教えをもって(人を)諭し、反対者を説得し得るために、(教会の)教(義)に適った信ずべき言を(常に)心に置いて居らねばならぬ。 |
前田訳 | 教えにかなう信ずべきことばを守る人でなければなりません。それは彼が健全な教えによって勧めをし、反対者を論破しうるためです。 |
新共同 | 教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。 |
NIV | He must hold firmly to the trustworthy message as it has been taught, so that he can encourage others by sound doctrine and refute those who oppose it. |
註解: 「教」はキリスト教の教理教訓の全体を指す。「信ずべき言」はキリストによりて与えられし啓示の総体を指す(Tテモ1:15。Uテモ2:11−13)故にキリスト教の教理による福音の真理というがごとし。「守る」は堅持して離れぬこと。偽教師等の言はこれに反しキリスト教の教理に反せる信ずべからざる言であるとの意を言外に含んでいる。
これ
註解: 福音の真理に固執することは二重の必要がある。積極的には健全なる教え(Tテモ1:10)をもって人を勧め、正しき信仰に導くため、消極的には偽教師らのごとく正しき教えに反対する者を駁撃 し叱責するためである。なお長老の資格についてはTテモ3:1−7およびTテモ3:13要義参照。
1章10節 (そは)
口語訳 | 実は、法に服さない者、空論に走る者、人の心を惑わす者が多くおり、とくに、割礼のある者の中に多い。 |
塚本訳 | というのは、(クレタには)頑固で、馬鹿話をし、(人を)ごまかす者が、とりわけ割礼を受けた者の中に多い。 |
前田訳 | 不法の者、暴論家、誘惑者が多いのですが、彼らはたいてい割礼あるものです。 |
新共同 | 実は、不従順な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多いのです。特に割礼を受けている人たちの中に、そういう者がいます。 |
NIV | For there are many rebellious people, mere talkers and deceivers, especially those of the circumcision group. |
註解: 前節の理由を説明する。すなわち監督、長老たちが福音の真理すなわち教えに適う信ずべき言を堅く守るの必要のある所以は、真の福音とこれに基ける教会の統制に服従せず、真理の言を語らずして虚しき事、役に立たない事をむやみに喋り立て、かくして人の心を惑わし、これを己の方に引寄せ、自己の利益を図る者多く、殊に割礼の者すなわちユダヤ人の中に多いからである。
辞解
[虚しき事をかたり] Tテモ1:6註参照。
[割礼の者] ユダヤ人のキリスト者(ガラ2:12)と解する説あれど(M0、E0)、これはむしろ前後の関係上かく解すべきで、この語そのものにこの意味があると解すべきではない(ロマ4:12)。
1章11節
口語訳 | 彼らの口を封ずべきである。彼らは恥ずべき利のために、教えてはならないことを教えて、数々の家庭を破壊してしまっている。 |
塚本訳 | その口を封ずる必要がある。彼らは汚い金儲けのために、(教う)べからざることを教えて家中を破壊するのである。 |
前田訳 | 彼らの口を封じるべきです。恥ずべき利益のために彼らは教えてはならないことを教えて、家族ぐるみ破滅させています。 |
新共同 | その者たちを沈黙させねばなりません。彼らは恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、数々の家庭を覆しています。 |
NIV | They must be silenced, because they are ruining whole households by teaching things they ought not to teach--and that for the sake of dishonest gain. |
註解: 彼らの口を塞ぐのが当然であるとの意、その故は彼らは多くの信徒を不信仰に導きてついに数々の家を転覆してしまうからである。彼らは虚しき事を語り、教えるべきでない事を教え、しかもこれを利用して恥ずべき利を得んとする故に、彼らに欺かれる者は真理を覚らず、正しき信仰より迷い、信仰を失い、併せて金銭をも失うに至る。かく恐るべき害毒を流すが故にその口を塞がせるのは当然である。
辞解
[全家] ことごとくの家々の意、一家全体にあらず。
1章12節 クレテ
口語訳 | クレテ人のうちのある預言者が「クレテ人は、いつもうそつき、たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」と言っているが、 |
塚本訳 | クレタ人である彼ら自身の(詩人なる)預言者がクレタ人は以前から嘘つきで、悪い獣で、怠け者の大飯食い。と言っている。 |
前田訳 | 彼らのひとりで、はえぬきの預言者がいいました、「クレタ人はいつもうそつき、悪いけもの、怠けものの胃袋」と。 |
新共同 | 彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。「クレタ人はいつもうそつき、/悪い獣、怠惰な大食漢だ。」 |
NIV | Even one of their own prophets has said, "Cretans are always liars, evil brutes, lazy gluttons." |
註解: これは紀元前六世紀のクレテの哲人エピメニデスの語であるとされている。そしてこの語はパウロの時代にも適切であって、クレテ人は習慣的に虚偽を言う悪徳に捕われており、当時「クレテ語を語る」と言うことは「虚偽を語る」の意味であった。また彼らは「悪しき獣」であって乱暴狼藉 を働き、懶惰 の腹であって肉慾を追及して飽くことを知らない。なおこのクレテ人と10節の「割礼の者」と同一人とみるのは(W2)事実に適せず。本節の場合、ユダヤ人の偽教師がクレテ人に及ぼす影響につき述べんとし、そのクレテ人自身かかる人間である故、偽教師の言に惑わされ易きことを言ったのであろう。
辞解
[預言者] エピメニデスは聖書にいわゆる預言者ではないが彼の言えることが多く適中しているとのことにてかく呼んだのであろう。なおエピメニデスにつきては使17:23辞解参照。
1章13節 この
口語訳 | この非難はあたっている。だから、彼らをきびしく責めて、その信仰を健全なものにし、 |
塚本訳 | この証言は本当である。それ故に彼らを厳しく説得して、彼らが信仰を健全にし、 |
前田訳 | この証言はほんとうです。それゆえ、彼らが信仰において健全になるようにきびしく説得し、 |
新共同 | この言葉は当たっています。だから、彼らを厳しく戒めて、信仰を健全に保たせ、 |
NIV | This testimony is true. Therefore, rebuke them sharply, so that they will be sound in the faith |
註解: パウロは前節の言の真なるを認めている。すなわちクレテ人は最も伝道に困難なる人々であった故、パウロはテモテに厳しく彼らを叱責すべきことを命じている。ただしその目的は次節末尾(原文は本節の一部なり)にあるごとく彼らの信仰を健全にせんためであって愛の笞 を加えることを意味す。信徒を叱責し得ざる牧者は子女を叱責し得ざる親と同じくその資格がない。
1章14節
口語訳 | ユダヤ人の作り話や、真理からそれていった人々の定めなどに、気をとられることがないようにさせなさい。 |
塚本訳 | ユダヤ人の昔話や、真理に背く人間の誡命に耳を傾けないようにせよ。 |
前田訳 | ユダヤ的な神話や真理からそれた人々のいましめにかかり合わないようにさせてください。 |
新共同 | ユダヤ人の作り話や、真理に背を向けている者の掟に心を奪われないようにさせなさい。 |
NIV | and will pay no attention to Jewish myths or to the commands of those who reject the truth. |
註解: 前節の厳しく彼らを叱責することの目的は彼らの信仰を健全にせん為であり彼らを心より愛するが故の叱責である。そして信仰を健全にするにはユダヤ人の昔話(Tテモ1:4註参照)すなわちユダヤ人の中より起れる偽教師らの好んで為す処の神話的話題や、また真理すなわちキリスト教の福音の真理を棄てし背教者たちが、自ら偽教師として振舞い、婚姻を禁じたり汚れし食物につき禁止の命令を与えたりなどの人間より出でたる禁欲的命令に心を寄せないことである。一般に人は奇矯 なる神話や、禁欲的誡命を尊重し易いものであり、そこが偽教師らの乗ずる処である。これらに乗ぜられないように厳しく叱責することが必要である。
辞解
[真理] パウロの言う意味ではキリスト教の真理すなわち福音の真理である。
1章15節
口語訳 | きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。 |
塚本訳 | 潔い者には凡てが潔く、穢れた、不信仰の者には一つも潔いものがなく、その理性も良心も穢れている。 |
前田訳 | きよい人々にはすべてがきよく、汚れた人々、不信の人々には何ものもきよくなく、彼らの精神と良心は汚れています。 |
新共同 | 清い人には、すべてが清いのです。だが、汚れている者、信じない者には、何一つ清いものはなく、その知性も良心も汚れています。 |
NIV | To the pure, all things are pure, but to those who are corrupted and do not believe, nothing is pure. In fact, both their minds and consciences are corrupted. |
註解: 「神の創造し給える物に一つとして潔からざるはない」(C2)。それ故に潔き人すなわち神を信ずることにより心が潔められ、凡てのものを神の御旨に従って用いんとする人には、神が潔く造り給える凡ての物はみな潔く、これに反し自己の慾望に従って生活し、神に対する信仰を有せざる者はその心が私慾に汚されている者である故、この心をもって萬の物を用うる時その物はその心によりて汚される。それ故に特定の食物のみ汚れているもののごとくに考うることは誤りである。なお本節の「潔きもの」「汚れたるもの」「潔し」「潔き物なし」を各人の主観的状態として解しているのが一般的であるけれども(すなわち潔い心の人には凡てのものが潔く見え、汚れたる心の人や不信者には凡てのものが汚れて見えると解す)これは事実に叶わないのみならず、偽教師の教うる処とも一致しない故、上記のごとく解することとした。「汚れたる人と不信者とには」は中間に冠詞なきことと、上記註のごとき意味に取る方が適当であることより見て「汚れたる不信者には」と訳すべきものと思われる。
註解: 心は知性、理解力の方面、良心は道徳的判断力である。汚れたる不信者にはこの双方とも汚れている。
1章16節 みづから
口語訳 | 彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良いわざに関しては、失格者である。 |
塚本訳 | (口では)神を知っていると公言しながら、(その)業で否定している。彼らは(神の目に)忌まわしく、不従順で、凡ての善い業に不適当である。 |
前田訳 | 彼らは神を知ると口ではいいますが、行ないでは否定しています。彼らはいむべきもの、不従順ですべてのよいわざに役だたぬものです。 |
新共同 | こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。嫌悪すべき人間で、反抗的で、一切の善い業については失格者です。 |
NIV | They claim to know God, but by their actions they deny him. They are detestable, disobedient and unfit for doing anything good. |
註解: 偽教師らの特色は口頭をもっては神を知ると告白しつつその行為は全く神を知らざるもののごとく、神を畏れず神の義を行わず、神を無視しているごとき行為を敢えてする。すなわち実行をもって神を否定しているのである。それ故にその告白は全く虚偽であることとなる。
註解: 偽教師らの本質および帰趨 を示す。彼らは神にそむくが故に憎むべきものであり、神の誡命に従順に服 わぬ者であり、すべての善き業に関し試験の結果不合格なるもの、すなわち善き業を行っていないと刻印を押されている者である。この種の人々に対しては充分に警戒し、またクレテ人をも警戒せしめなければならない。
要義 [信仰の一致と教理の統一]人間の思想の傾向は、その面貌 の異なるごとく種々雑多である。従って同一の神とキリストに対する信仰も、それが教理の形をもって表顕される時種々雑多の形を取るの傾向を有することは当然である。しかしながらかかる傾向に放任する時ついには信仰そのものも分裂し、不信の中に陥る者の生ずることは免れ得ない事実である。さればといってこれをカトリック教会のごとくに、またはその他の教会のごとくに教理や信仰箇条をもって統一することは機械的統一であって意味をなさず、また初代の諸教会のごとくにこれを自由に放任する時は信仰は不統一となり不信仰を生む、唯我らに聖書が与えられてることにより我らはカトリック教会のごとくに機械的統一を要せず、また初代の信徒のごとく偽教師に蹂躙 されることなく、聖霊によりて聖書を正しく解することにより信仰の一致を実現することができる。
テトス書第2章
分類
3 信徒の訓育 2:1 - 2:15
3-1 信徒各自の生活態度 2:1 - 2:10
3-1-イ 老人に対して 2:1 - 2:3
口語訳 | しかし、あなたは、健全な教にかなうことを語りなさい。 |
塚本訳 | しかし君は健全な教えに相応しいことを語れ── |
前田訳 | しかしあなたは健全な教えにかなうことを語ってください。 |
新共同 | しかし、あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい。 |
NIV | You must teach what is in accord with sound doctrine. |
註解: 偽教師らと正反対の態度を取り(Tテモ6:11。Uテモ3:10。Uテモ4:5)、不健全なる事柄(テト1:14)を語らず、人を健全ならしむる教え─福音─に適うことを語るべきである。
註解: 次に10節までに列挙される処はクレテの教会がその信仰および道徳の程度において低きことを示す。
口語訳 | 老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、 |
塚本訳 | (すなわち)老人達には真面目で、謹厳で、考え深く、信仰、愛、忍耐に健全であるように語り、 |
前田訳 | 長老の男性には、酒を慎しみ、端正で、節度があり、信仰と愛と忍耐に健全であるように、 |
新共同 | 年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい。 |
NIV | Teach the older men to be temperate, worthy of respect, self-controlled, and sound in faith, in love and in endurance. |
註解: Tテモ3:2註参照。大酒等自己の要求を制せざる態度に陥らぬように注意すること。
註解: semnos 主として行動についての厳格さをいう(Tテモ2:2。Tテモ3:8)。
註解: sôphrôn は生活態度の厳格なること。
また
註解: 信仰、愛、忍耐は往々にして並記されている(Tテモ6:11)。老いたる人々はこの点において健全であることが必要である。
2章3節
口語訳 | 年老いた女たちにも、同じように、たち居ふるまいをうやうやしくし、人をそしったり大酒の奴隷になったりせず、良いことを教える者となるように、勧めなさい。 |
塚本訳 | 老婦人達にも同様、(その)態度が聖者らしく、(人の)悪口を言わず、大酒の奴隷とならず、(凡ての)善いことの教師となり、 |
前田訳 | 長老の女性にも同じく態度を敬虔にし、そしらず、大酒に負けず、良い教えをするよう勧めなさい。 |
新共同 | 同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。 |
NIV | Likewise, teach the older women to be reverent in the way they live, not to be slanderers or addicted to much wine, but to teach what is good. |
註解: 「清潔にかなふ行為」は原語の意味は「聖徒たるに相応しき様子」のこと、老いたる女性は往々にして厚顔無恥に陥り易い。
註解: Tテモ3:11。Uテモ3:3。
註解: Tテモ3:8には執事につき同様の注意を与えている。
註解: 「善き事を教ふる者」なる語は他に用いられていないが、偽教師らの悪しきことを教えることに対応せしめたものである。ただしキリストの福音のみに限る要なく、一般的に善き事をその多年の経験より教えるべきである。
2章4節 かつ
口語訳 | そうすれば、彼女たちは、若い女たちに、夫を愛し、子供を愛し、 |
塚本訳 | 若い婦人達に勧めて、夫を愛し、子を愛し、 |
前田訳 | それは若い女性に夫を愛し、子を愛し、 |
新共同 | そうすれば、彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子供を愛し、 |
NIV | Then they can train the younger women to love their husbands and children, |
2章5節
口語訳 | 慎み深く、純潔で、家事に努め、善良で、自分の夫に従順であるように教えることになり、したがって、神の言がそしりを受けないようになるであろう。 |
塚本訳 | 貞淑で、純潔で、家庭的で、有能で、自分の夫に従順で、神の言が(彼らのふしだらの故に)涜されぬようにせよと語れ。 |
前田訳 | 節度があり、純潔で、家事にはげみ、善良で、おのが夫に従うよう勧めることになります。そしてそれは神のことばが汚されないためです。 |
新共同 | 分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです。 |
NIV | to be self-controlled and pure, to be busy at home, to be kind, and to be subject to their husbands, so that no one will malign the word of God. |
註解: パウロはこの場合老いたる女をして若き女を教えしめんとしたことと、この若き女(主として結婚初期の女を目標にしていることは明らかであるが)に対する教訓の内容が全体として極めて当然のことが多い点とより考えるに、おそらくクレテにおいては若き女に対する家庭の教育が不充分であって、結婚後も自己の快楽や自己の主張を強く持ち、妻として、母として家庭の主婦としての義務を果さなかったからと思われる。テトスをして直接これらを教えしめなかったのは、パウロは更に深くクレテ人の家庭を潔めるの必要を感じたのであろう。
辞解
「夫を愛し」以下極めて自然の感情にさえも反するものの有ったことは、如何にクレテの女子が自己追及に沈溺していたかを知ることができる。
[これ神の言の汚されざらん為なり] 単にその前の夫に服 うことのみに関連する句と見る説あり、10節、Tテモ6:1等より見ればかく解することも可能であるけれども、4節以下の全体に関連せしむる方が一層適切である。
口語訳 | 若い男にも、同じく、万事につけ慎み深くあるように、勧めなさい。 |
塚本訳 | 若い男達にも同様、万事に考え深くあるよう訓戒し、 |
前田訳 | 若い人々にも同じく、すべての節度があるよう勧めなさい。 |
新共同 | -7節 同じように、万事につけ若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、 |
NIV | Similarly, encourage the young men to be self-controlled. |
註解: 4節の若き女に対して若き男子に関する教訓上の注意を与えている。すなわち青年男子にも同様に謹慎 を奨励しなければならない。
辞解
[謹愼 む] sôphroneô は心が極端に走らず、健全なる状態にあること。この語および同語源の語は牧会書簡に殊 に多く用いられている。
2章7節 なんぢ
口語訳 | あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、 |
塚本訳 | 自分を善い仕事の手本として示し、純潔と威厳をもって教え、 |
前田訳 | あなた自らよいわざの模範を示し、教えには清廉と謹直をもってし、 |
新共同 | |
NIV | In everything set them an example by doing what is good. In your teaching show integrity, seriousness |
註解: 「ギリシャ人は教理を教理それ自身により判断せず、生活や行為を教理の試験とする」(C2)とあるごとく、実行の如何はキリスト教の真価を不信者に示す標準となる。
口語訳 | 非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。 |
塚本訳 | (君の)言を健全な論駁の余地のないものにして、敵が私達に就き何一つ悪しざまに言うものなく、恥じ入るようにせよ。 |
前田訳 | 健全な非の打ちどころないことばでなさい。反対者はわれらについて何も悪くいえなくて恥じるでしょう。 |
新共同 | 非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、わたしたちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。 |
NIV | and soundness of speech that cannot be condemned, so that those who oppose you may be ashamed because they have nothing bad to say about us. |
註解: テトスが人を教うる場合に注意すべきことを示す。
辞解
[邪曲 なき事] aphthoria(異本多し)は純潔、貞潔等を意味し、不純の要素を含まざる純真な教たるべきをことを示す。
[謹厳] semnotês は威厳に満ちたる態度(Tテモ2:2その他)。牧会書簡に特に多く用いらる。
[責むべき所なき] akatagnôstos は1:6の「責むべき所なく」と異なり、「訴えらるべき点なき」等を意味す。
[以てすべし] 前節の「示せ」を繰返す方が文法的である。
これ
註解: 逆う者とはキリスト教に反対する不信者や異教徒を指す。彼らはキリスト教を非難せんとして常に虎視眈々としているのであって、キリスト教教師の教えに不完全なる点、詛 わるべき内容等がある場合またはキリスト者の行為に欠点を見出す場合には、彼らは直ちにこれをもって非難を福音そのものに向ける。これに反してもし我らに関して言うべき悪事が存在しない場合は彼らは恥じて当惑するより外にない。
辞解
[恥づる] entrepô は「顧る」「敬う」等の意味もあり重大なる関心を持つことである。従って自己に欠点を見出せば恥じて当惑する結果となりこの意味にも用いらる。
2章9節
口語訳 | 奴隷には、万事につけその主人に服従して、喜ばれるようになり、反抗をせず、 |
塚本訳 | 奴隷には何事においても自分の主人(の命)に服し、(その)満足を図り、口答えせず、 |
前田訳 | 奴隷には何につけ主人に従って気に入られ、いい逆らわず、 |
新共同 | 奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、 |
NIV | Teach slaves to be subject to their masters in everything, to try to please them, not to talk back to them, |
2章10節
口語訳 | 盗みをせず、どこまでも心をこめた真実を示すようにと、勧めなさい。そうすれば、彼らは万事につけ、わたしたちの救主なる神の教を飾ることになろう。 |
塚本訳 | (主人の物を)横領せず、かえって完全な立派な忠実さを示して、何事においても我らの救い主なる神の教えを飾り得るように訓戒せよ。 |
前田訳 | 盗みをせず、善意に満ちた全き真実を示すよう勧めなさい。それは彼らが何につけ、われらの救い主にいます神の教えを飾るためです。 |
新共同 | 盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、わたしたちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります。 |
NIV | and not to steal from them, but to show that they can be fully trusted, so that in every way they will make the teaching about God our Savior attractive. |
註解: 次に信者となれる奴隷、僕婢に関する注意を与えている(エペ6:5以下および引照参照)。信仰の自由を得、人間として神の前に平等であるとの観念は、往々にしてこの世の秩序と義務とより解放せられしもののごとくに誤解する虞 があったので特に奴隷に対してこの注意を与えたのであった。すなわち従来より存在する秩序とこれに伴う社会的道徳的義務をそのままに尊重するのみならず、一層これを完全に行うべきことを教えている。
辞解
9節の「凡ての事において」を「主人に服 ひ」の方に関連せしむる読み方あり(E0、W2、Z0)、エペ5:24その他類似の例より見てこの方を採る。「之を喜ばせ」は「気に入る様にする」こと、他の箇所は凡て神に対する関係において用いられている。「物を盗まず」は「胡魔化さず」と訳する方が適当と思われる。使5:2、3の「匿 す」参照。「飾る」立派にすること、神の教えは従順にして正直なる信者たる奴隷の態度によりて立派に飾られる。日本の僕婢においてこの道徳が著しく発達していることは、日本においてキリスト教の信仰が受容れらるべき素地ができていることを示す、初代教父クリソストムは「善良なる奴隷があるということは困難なことであり驚異に値することである」と言っている。
註解: 1節以下の全体の教訓を守らなければならない訳(gar)をその最高の原理をもって述べている。そのgar(何となれば・・・・・・の故に)は現行訳には訳されていない。
2章11節
口語訳 | すべての人を救う神の恵みが現れた。 |
塚本訳 | というのは、凡ての人を救うべき神の恩恵は(既に世に)顕れ、 |
前田訳 | 神の恵みが現われて、すべての人に救いとなりました。 |
新共同 | 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。 |
NIV | For the grace of God that brings salvation has appeared to all men. |
註解: 神が御子キリストを我らに賜い、彼の贖罪の死によりて万人に救いを得させ給うことが、神の恩恵のあらわれであり、これがキリスト者の凡ての生活の原動力となる。
辞解
[凡ての人に] 万人救済が神の御計画であった(Tテモ2:4。Uペテ3:9)。
2章12節
口語訳 | そして、わたしたちを導き、不信心とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、信心深くこの世で生活し、 |
塚本訳 | 私達を導いて、不敬虔とこの世の情欲とを離れ、考え深く、真直ぐに、また敬虔にこの世に生きさせ、 |
前田訳 | それはわれらを育てて、不敬虔と世俗の欲とを離れ、節度をもって正しく敬虔に今の世に生きるようにします。 |
新共同 | その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、 |
NIV | It teaches us to say "No" to ungodliness and worldly passions, and to live self-controlled, upright and godly lives in this present age, |
2章13節
口語訳 | 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている。 |
塚本訳 | 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。── |
前田訳 | われらは大いなる神でわれらの救い主にいますキリスト・イエスの栄光の現われという、さいわいな希望の実現を待っているのです。 |
新共同 | また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。 |
NIV | while we wait for the blessed hope--the glorious appearing of our great God and Savior, Jesus Christ, |
註解: 救いを得さする神の恩恵が顕れたことは我らに以下の三点につき教える。すなわち(1)過去において我らに附着せる不敬虔すなわち不信仰と神に叛けるこの世的の諸種の要求を拒否すること、(2)自ら制し、自ら慎み、正義を行いて不義を憎み、敬虔なる信仰をもってこの時代に生活すること、(3)大なる神にして我らの救主なるイエス・キリストの栄光の顕現すなわちキリストの再臨とこれに伴う幸福なる希望を待望することである。第一は過去に関し何を棄つべきか、第二は現世において如何に生くべきか、第三は未来に対して何を望むべきかの問題であって、此の三者各々その正しき解決を得ることによりキリスト者はその救いを全うすることができる。
辞解
[世の慾] Tヨハ2:16、17。「世」は「神の国」と対立する存在と考えられている。
[此の世を過し] 直訳「今の時代に生活し」で今の時代とはキリストの昇天よりその再臨に至るまでの時代を指す。
第13節の重大なる問題は「大なる神」を「救主イエス・キリスト」の形容と見て「大なる神なる」と訳するか、または別の一位として「大なる神の栄光と救主イエス・キリストの顕現」と訳するかの問題である。現行訳は前者によるもののごとくであるけれども、後者の意味にも訳し得ることは明らかであり(M0、E0)、従ってその間に説が分れる。第一説の欠点はキリストを直接に神と呼ぶ場合が稀であることであるが、これは絶無ではなく(ロマ9:5)、また間接にこの思想を示せる箇所は少なくない(ロマ9:5註参照)。かつ、本節の場合冠詞が重複されていない点を厳格に解するならば(ただしこの文法上の規則は凡ての場合に強いることは無理である故絶対的の理由とはならないが)現行訳に若干の変更を加えて大体次のごとくに訳すべきであろう(Z0)。「大なる神にして我らの救主なるイエス・キリストの栄光の幸福なる望(のぞみ)と顕現(あらわれ)とを待つべきことを我らに教う」(Z0、W2)。なお「栄光の望」につきてはロマ5:2.コロ1:27参照。
2章14節 キリストは
口語訳 | このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。 |
塚本訳 | 彼は私達を“凡ての不法から贖い出し”、また(私達を)“潔めて”、善い仕事に熱心な“自分の選民にしよう”として、私達のために自分を与え給うたのである。 |
前田訳 | 彼は自らをわれらのためにお与えでした。それはわれらをすべての不義からあがない、よいわざに熱心な選びの民として自らのためにお聖めになるためです。 |
新共同 | キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。 |
NIV | who gave himself for us to redeem us from all wickedness and to purify for himself a people that are his very own, eager to do what is good. |
註解: 前節の末尾にあるキリスト・イエスの説明であり、同時に人類救済の目的を示す。すなわちキリスト・イエスは我らのために己を与え(ガラ1:4、Tテモ2:6)、十字架の上に血を流し給うた。あたかも奴隷が主人の払う犠牲の代償によりて贖い出されるように、キリストの宝血の贖いによりて我らは凡ての不法、凡ての罪より贖い出されるのである。そしてキリストがかく我らを救い給う所以はキリストの為に特選の民(珍宝として尊重される民、俗語の「取って置きの民」が最も原語に相当する)すなわち善行を熱心に行わんとする民を潔めんがためである。そしてキリストの栄光の顕現(13節)も要するにこの民がキリストの栄光となりて顕現するのである。▲マタ24:31およびその前後参照。
辞解
[己を與ふ] 「己を付す」とほとんど同義。
[特選の] periousios は「余分に存在するもの」の意味で従って「富」「所有」の意味となり、「特選の民」は神が自己の所有たらしめんとて多くの民の中より選べる民の意味であり、上記「取って置きの民」なる俗語に相当する。
[潔める] 神の民は潔くなければならない。
2章15節 なんぢ
口語訳 | あなたは、権威をもってこれらのことを語り、勧め、また責めなさい。だれにも軽んじられてはならない。 |
塚本訳 | 斯く語り、諭し、断乎として責めよ。誰にも馬鹿にされるな。 |
前田訳 | あなたはこのことを語り、勧め、断固として論じなさい。だれにも侮られないようになさい。 |
新共同 | 十分な権威をもってこれらのことを語り、勧め、戒めなさい。だれにも侮られてはなりません。 |
NIV | These, then, are the things you should teach. Encourage and rebuke with all authority. Do not let anyone despise you. |
註解: これらのことは1節以下の各種の教訓である。単にこれを「語る」だけではいけない、さらにこれを「勧め」て信徒をして実行せしめなければならない。もし実行しない者がある場合これを「叱責し」なければならない。教会を牧する者は、この凡てを一様に実行し、かつ権威をもって命令的にこれを行わしめなければならない。もしこの中の一を欠くならば人に軽んぜられる故、注意すべしとの意味である。
要義 [キリスト教道徳の特質]第2章1−10節に掲げられる老年男女および青年男女に与えられし諸種の道徳的教訓は一見他の宗教や道徳教において教えられる処と何らの差異なきを思わしめる。然らばキリスト教はその道徳の点においてその他の宗教や道徳教と何らの差別なきやというに決して然らず。この道徳を行わせる原動力において根本的の差異が存しているのである。そして11−14節はこの原動力を示しているのであって、我らは神の恩恵によって救われ、神の特選の民とされているが故に、我らは未来の栄光を望んで生きることができ、その為に我らを支配するあらゆる罪と世につける慾とを棄てることができ、その結果この時代において立派なる生涯を送ることができるのである。以上のごとくキリスト教道徳が一見他の諸宗教や儒教等の道徳と大差ないこととその原動力において根本的に差異のあることとは二つの重要なる事実である。すなわち外観において大差なき故に、キリスト者であっても必ずしも他人に異様に思われるごとき奇抜なる道徳をもっているわけではなく、極めて平凡なる道徳律に支配されているのであるが、原動力において大差あるが故に、キリスト者にはこれらの道徳を行う力が与えられてこれを実行する者となり得るのである。故にキリスト者は平凡なるがごとくして非凡であり、特質なきがごとくして大いなる特質がある。