黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版黙示録

黙示録第2章

分類
2 七つの教会への書簡 2:1 - 3:22
2-(1) エペソの教会への書簡 2:1 - 2:7

註解: 第2、3章は七つの教会への書簡であって、みなほぼ同一の構造から成っている。すなわち(1)「○○の教会に書きおくれ」との命令。(2)イエスの相貌(主として第1章に録されるイエスの諸属性中、各々の教会にとりて最も適切なる部分を選びたるもの)。(3)賞賛の辞。(4)非難、叱責、訓戒の辞。(5)悔改めざる者に対する審判、(6)勝を得る者に対する報賞の約束。(7)「耳ある者は聴くべし」との命令より成る。ただし順序の前後ありまたこの中のあるものを欠く場合もある。

2章1節 エペソに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。
塚本訳エペソ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、その右手に七つの星を握る者、(また)七つの金の燭台の真中を歩く者、(すなわち七つの教会と、七つの教会の御使い達との上に権を有っている人の子)が斯く言うと──
前田訳エペソの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、七つの星を右手に持ち、七つの金の燭台の間を歩みたもうもの。
新共同エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Ephesus write: These are the words of him who holds the seven stars in his right hand and walks among the seven golden lampstands:
辞解
[エペソ] 小アジア第一の都市でその西端カイステル河口にあり、アルテミスの神殿あり(使19:35)偶像崇拝およびカイザル礼拝の中心地であり、従って巫術(ふじゅつ)(シャーマニズム)その他の迷信もまた盛んであった。パウロは永くここに伝道し(使19:1−10)アポロ(使18:24以下)テモテ等もこの地に働いた。後にヨハネもこの地を中心として伝道したことが言い伝えられている(緒言参照)。従ってこの地が小アジアにおける伝道の中心地であり七つの教会の最初に置かるべき都市であつた。
[使] 黙1:20辞解参照。書簡の内容より見るも、この「使」は教会全体を指すことは明かである。

(みぎ)()(なな)つの(ほし)()(もの)(なな)つの(きん)燈臺(とうだい)(あいだ)(あゆ)むもの()()ふ、

註解: 黙1:13黙1:16註参照)この意味におけるイエスはエペソ教会に最もよく適当している。またエペソ教会への書簡は七つの教会への書簡全体の緒論的性質を持っているものとも見ることができる。

2章2節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)(らう)忍耐(にんたい)とを()る。[引照]

口語訳わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。
塚本訳私はお前の(善い)業、(すなわち、異端と戦う)お前の労苦と、(私の名のためのお前の)忍耐とを知っている。また、(お前が教会を擾そうとする)悪者どもを我慢することが出来ず、且つ、使徒でもないのに(勝手に自分で)自分を使徒と称えている者どもを験して(化の皮を剥ぎ、)それが(大)虚言者であることを見破ったことを私は(よく)知っている。
前田訳わたしはなんじのわざと労苦と忍耐を知り、悪者を入れ得ず、自ら使徒というが、じつはそうでないものを試みて、彼らを偽(にせ)と見抜いたことを知る。
新共同「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。
NIVI know your deeds, your hard work and your perseverance. I know that you cannot tolerate wicked men, that you have tested those who claim to be apostles but are not, and have found them false.
註解: 信仰より出づる行為、愛による労苦、希望のための忍耐は凡てのキリスト者の当然有つべき事柄であり(Tテサ1:3および註参照)、この点においてエペソの教会は立派な状態に在った。
辞解
[知る] oida を用う、本書においてはキリストについては常にこれを用いて ginôskô を用いない。前者は一層直観的、徹底的である。なお「労」と「忍耐」とを「行為」の内訳と見る説あれど(B3)採らない。

また(なんぢ)()しき(もの)(しの)()ざることと、(みづか)使徒(しと)(とな)へて使徒(しと)にあらぬ(もの)どもを(こころ)みて、その虚僞(いつはり)((もの))なるを()あらはししこととを()る。

註解: 悪を行う者を忍ぶは正義に対する鈍感を証明する。コリントの教会はかかる状態にあった。(Tコリ5:1以下参照)。然るにエペソの教会はかかる者を忍び得なかった。これを忍ぶは忍耐や寛容ではなく柔弱である。またエペソの教会は使徒と自称する偽使徒を試験してこれを見破った。これはエペソ人の信仰が如何に正しかったかを示す。当時すでに伝道者の中に自ら聖霊に感じたりと称して誤れる教をなすものがあった。
辞解
[忍ぶ] bastazô は背負わされてそのままにしていること。
[使徒] 巡回伝道者もかく呼ばれた。
[試みる] マタ7:16のごとく。

2章3節 なんぢは忍耐(にんたい)(たも)ち、()()のために(しの)びて()まざりき。[引照]

口語訳あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。
塚本訳お前には忍耐がある。お前は私の名のために(凡てを)我慢し、そして倦まなかった(──これら凡てのことについて、私はお前を褒める)。
前田訳なんじは忍耐し、わが名のゆえに労して倦まなかった。
新共同あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。
NIVYou have persevered and have endured hardships for my name, and have not grown weary.
註解: 苦難に対する忍耐である。当時すでに迫害が到る処に行われていた。これを耐え忍ぶことがキリスト者の第一の任務となった。そうしてエペソの教会はイエスの御名の故によくこれを忍んだ。
辞解
[忍耐] hupomonê を用い困難の下にありてこれに耐えることを意味す。「忍びて」bastazô 前節の「悪しき者を忍ぶ」の忍ぶと同語、苦難をその身に負うこと。二語の差に注意すべし。

2章4節 ()れど(われ)なんぢに()むべき(ところ)あり、なんぢは(はじめ)(あい)(はな)れたり。[引照]

口語訳しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
塚本訳しかしながら、お前を責めねばならぬことがある。それは、お前が(兄弟達に対して有っていた、あの)最初の(純な)愛を棄ててしまったことである。
前田訳しかしわたしにいい分がある、なんじは初めの愛を捨てた、と。
新共同しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。
NIVYet I hold this against you: You have forsaken your first love.
註解: 異教的信仰の中心地において最初に十字架の福音によりて救い出されし当時はエペソの教会は主に在る愛に充ちていた(使20:37、38)。これ主イエスを心より愛していたからである。信徒間に外的結合が固くなり信仰の正邪につき(さば)くようになると往々にして最初の自然にして熱烈なる愛が失われるようになる。エペソの教会はかかる状態に陥った。

2章5節 ()れば、なんぢ何處(いづこ)より()ちしかを(おも)へ、悔改(くいあらた)めて(はじめ)行爲(おこなひ)をなせ、[引照]

口語訳そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。
塚本訳だから、お前は(そもそも)何処から堕ちて来た(のである)かを(よく)考えよ。そして悔い改めて、(あの)最初の(日のような善い)業をせよ。もしそうでなくして、悔い改めないならば、私は(直に)お前の所に行って、お前の燭台をその場所から(取り去って他に)移すであろう。
前田訳思いみよ、どこから堕落したかを。悔い改めて初めのわざをなせ。さもなくばわたしはすみやかに来て、なんじの燭台をその場から除こう、なんじ悔い改めぬ限り。
新共同だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。
NIVRemember the height from which you have fallen! Repent and do the things you did at first. If you do not repent, I will come to you and remove your lampstand from its place.
註解: 我らはしばしば信仰の始めを回想する必要がある。信仰の始めは最も純粋にして真実である。これより堕落して信仰はその生命を失う。故に悔改めなければならぬ。而して初の愛に立還りこの愛より出づる行為を為すことを要する。前節の「愛」と本節の「行」とが全く同一物を指すごとくに用いられていることは意義深い事柄である。

(しか)らずして()悔改(くいあらた)めずば、(われ)なんぢに(いた)り、(なんぢ)燈臺(とうだい)を、その(ところ)より取除(とりのぞ)かん。

註解: 「灯台」は地上における光としての教会を指す、この灯台を除かれた場合教会は地上の光たる資格を失い、真の教会としての存在は消滅する。多くの教会は現在その灯台を取除かれているのを見る。悔改めないからである。

2章6節 ()れど(なんぢ)()るべき(ところ)あり、(なんぢ)はニコライ(しゅう)行爲(おこなひ)(にく)む、(われ)(これ)(にく)むなり。[引照]

口語訳しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。
塚本訳しかし(また、)お前がニコライ派の(者どものあの忌まわしい)業を憎むこと、そのことはお前が有っている善い所である。私もそれを憎む。
前田訳しかしなんじにこの取り柄がある。なんじはニコライ人のわざを憎むが、それはわれもまた憎むところ。
新共同だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。
NIVBut you have this in your favor: You hate the practices of the Nicolaitans, which I also hate.
註解: イエスの憎み給う処のものを憎むことは賞讃に値することである
辞解
[ニコライ宗] 14節によれば偶像に献げし物を食わせ、淫行をなさしむる者であって、一種の自由放任主義または無律法主義である。その名称の由来につき古よりの解釈として使6:5の七人の執事の一人なるアンテオケの改宗者ニコラオが、極めて厳格なる生活を送りし反動として堕落して無律法主義者となりしことより、かかる主義の人をニコライ宗と呼ぶとの説あり、近来はニコラオスは「民に勝つ」「民を打敗る」の意あり、バラムもこれをバラー、アムと読むことによりて同意義となる故ニコライ宗はバラム宗と云うに同じく一つの仮の称呼であると解する説がある(▲バラムについてはUペテ2:15ユダ1:11を見よ)。本書の性質上名称に意を寓すること多き故この説最も有力である。特定の個人の主張または特定の教理ではなく当時の信者の徳性に対し有害なる影響を与える自由主義享楽主義的傾向を指したものと見るべきであるように思う。

2章7節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし、[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には、神の楽園にある生命の樹からその実を食うことを許すであろう。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者には神の楽園にあるいのちの木から食するを許そう』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. To him who overcomes, I will give the right to eat from the tree of life, which is in the paradise of God.
註解: キリストの言は御霊の言である。ヨハネは肉体の耳をもって物質的の音を聞いたのではなく霊の耳(単数なることに注意せよ)をもって霊の言を聴いたのである。そしてこの御霊の言はエペソのみならず、他の諸教会にも語られし処のものである(この命令は各教会に対して繰返されている)。

(かち)()(もの)には、われ(かみ)のパラダイスに()生命(いのち)()()(くら)ふことを(ゆる)さん」

註解: 凡ての苦難と試誘(こころみ)と欺瞞とに打勝ちて潔き生涯を終りまで全うすることを得るものは永遠の生命をもって報いられる。
辞解
[パラダイス] またエデンの園とも云われ(創2:8)罪なき人の住むべき場所。
[生命の樹の実] エデンの園にあり。人類の始祖アダムとエバは罪に堕りし結果、生命の樹の実を食うことを得ざるに至つた。罪のまま永遠に生きることは最大の不幸であるから。
要義1 [エペソの教会の状態]以上の諸節によリて考察すれば、エペソの教会はさすがにアジア第一の教会だけあって、堅き信仰に立ち、信仰の正邪を識別し(2節)、困難、迫害に耐え(3節)、偶像崇拝と享楽主義とを憎み(6節)、立派な信仰状態を保持していたことが判明(わか)る(2節)。しかしながらこの種の教会に取リての危険は信仰生活が一の習性または形式となり、または一つの排他的信條となりて、その間に愛が欠乏することである。エペソの教会は当にかかる状態にあった(4、5節)。これは各個人についても、また各時代についても言い得る事実である。
要義2 [偽使徒の識別]偽使徒を識別するには、今日のごとく正式に当局より任命せられしや否や、または信仰箇條に一致する信仰を有つや否や等によらずまたよることができなかった。これらによりては決して使徒の真偽を知ることができない。その区別の標準は果して彼らが神より遣わされし者なりや否やの点に在った。そしてエペソの信徒は彼らの信仰の直観によりこれを識別したのである
要義3 [初の愛]人間同志の恋愛においても初は純粋にして熱烈なるを常とするのであるが、信仰においても同様の事実がある。キリストの十字架の血汐によりて自己の罪が贖われしことを示されし当初においては自己の心は全く打砕かれ、全心全霊をもってキリストを愛し、またその兄弟を愛する。この「初の愛」を失う場合はその愛は不自然となり、形式となる。そしてこの愛なき信仰は死ねる信仰である故初の愛を保持することは凡てのキリスト者にとりて最も必要である
要義4 [ニコライ宗]神のみに依り頼まざることが偶像崇拝であり、自己を喜ばせんとする享楽主義が淫行であるとすれば(黙2:14、15)この種のニコライ宗は何れの時代何れの国にも存在しないためしは無い。これは一つの宗派や教理ではなく人類を堕落せしむる一つの精神であって、この精神は今日の教会内にも有力なる支配者である。

2-(2) スミルナの教会への書簡 2:8 - 2:11

2章8節 スミルナに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。
塚本訳また、スミルナ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、最初の者、最後の者、(一度)死んで(今)また活きた者(である人の子)が斯く言うと──
前田訳スミルナの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、いやさきで、いやはて、死してまた生きかえられたもの。
新共同スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Smyrna write: These are the words of him who is the First and the Last, who died and came to life again.
辞解
[スミルナ] エペソの北にある海港で、当時より今日に至るまで小アジアの大都市である。皇帝礼拝が盛んに行われローマ帝国の圧迫の下にありユダヤ人の嫉視(しっし)もこれに加わりて、キリスト教徒の迫害が盛んであつた。有名なる監督ポリカープが殉教の死を遂げたのはこの地である。聖書にはこの地における教会の設立の歴史は録されていないけれども、伝説によればパウロは一度この地を訪うたとのことである。

最先(いやさき)にして最後(いやはて)なる(もの)

註解: 黙1:17b註参照)

死人(しにん)となりて(また)()きし(もの)、かく()ふ、

註解: 黙1:18註参照)迫害の下に悩む教会にとりては最後に悪しき者を審き給うキリスト、また復活の望みを与えるキリストは最も相応しきキリストである。
辞解
[生きし者] 黙1:18の「世々限りなく生きる者なり」と異なり不定過去形を用い復活の事実に中心を置く。

2章9節 われ(なんぢ)艱難(なやみ)貧窮(まづしさ)とを()る――されど(なんぢ)()める(もの)なり。[引照]

口語訳わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。
塚本訳私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。)
前田訳わたしは知る、なんじの苦しみと貧しさを。しかしなんじは富んでいる−−自らユダヤ人というが、じつはしからず、サタンの会堂であるものからけがしごとを受けていることも知る。
新共同「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。
NIVI know your afflictions and your poverty--yet you are rich! I know the slander of those who say they are Jews and are not, but are a synagogue of Satan.
註解: 迫害その他によりスミルナの信徒は艱難を嘗め貧窮に陥っていた、これらのことは主凡てこれを知悉(しりつく)し給う(単に知識として知るのではなく、これについて深く心を労し給う)。しかもかかる状態の下に彼らの霊的状態は益々恩恵と信仰とに富んでいた。ラオデキヤの教会の姿はその正反対であった。

(われ)はまた(みづか)らユダヤ(びと)(とな)へてユダヤ(びと)にあらず、サタンの(くわい)()(もの)より(なんぢ)(そしり)()くるを()る。

註解: イエスやパウロと同じく、スミルナの信徒は殊にユダヤ人より(そし)られていた。かかるユダヤ人はヱホバの会(民16:3民20:4)に属せず サタンの会 synagôgê (黙3:9)に属する(▲synagôgêはユダヤ人の会堂のこと。マタ4:23マタ6:2その他参照)。ゆえに名のみユダヤ人であって真のユダヤ人ではない(黙3:9ロマ2:28ガラ6:16)。従ってキリスト者を迫害するのは当然である(ヨハ8:42−44)。ここに真のユダヤ人と云うはキリスト者を指すと見るべきであって、黙示録全体の立場としてユダヤ人のみの特別の救いを認めていない。ユダヤ人もキリストを信ずることによって救われ、異邦人のキリスト者は真の意味のユダヤ人となる。

2章10節 なんぢ()けんとする苦難(くるしみ)(おそ)るな、()よ、惡魔(あくま)なんぢらを(こころ)みんとて、(なんぢ)らの(うち)(ある)(もの)(ひとや)()れんとす。(なんぢ)十日(とをか)のあひだ患難(なやみ)()けん、[引照]

口語訳あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。
塚本訳お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。
前田訳来たるべき苦しみをおそれるな。見よ、悪魔がなんじらのあるものを牢に投げ入れて試み、十日間、なんじらは苦しもう。死に至るまで忠実であれ。いのちの冠を与えよう。
新共同あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。
NIVDo not be afraid of what you are about to suffer. I tell you, the devil will put some of you in prison to test you, and you will suffer persecution for ten days. Be faithful, even to the point of death, and I will give you the crown of life.
註解: (▲▲「試み」は「試誘(こころみ)」の意。)御霊はスミルナの教会に臨むべき苦難をここに予告している。これは悪魔の試みに過ぎないのであるから有限でありやがては取除かるべきものである故、懼れてはならない。
辞解
[十日のあひだ] 十の数につきては緒言参照。人間にとりては充分なる期間であってそれ以上耐え難きことを意味する。

なんぢ()(いた)るまで忠實(ちゅうじつ)なれ、()らば(われ)なんぢに生命(いのち)冠冕(かんむり)(あた)へん。

註解: ここに迫害の結果として殉教の死を予想し、死に至るまで忠実にその信仰を維持してキリストより離るべからざることを教えている。かかる者には勝利の印の冠として永遠の生命が約束されている。ポリカープのごときはその最も良き例である。
辞解
[生命の冠冕(かんむり)] 生命に冠する冠冕(かんむり)ではなく、永遠の生命そのものが冠冕(かんむり)である。

2章11節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし。[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者は第二の死に害なわれまい』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. He who overcomes will not be hurt at all by the second death.
註解: (7節註参照)

(かち)()るものは第二(だいに)()(そこな)はるることなし」

註解: 第一の死は肉体の死、第二の死は一旦復活して後に審判(さば)かれて永遠の苦痛に入ること (黙20:6黙20:14黙21:8)である。 迫害の中を忠実に通過せる者は第二の死に(そこな)われることなく第一の復活(黙20:5)に与りて永遠に生きることができる。
要義1 [スミルナの教会の状態]七つの教会の中で非難を受けること最も少いのはスミルナの教会である。これ教会は迫害の中に在る場合に最も緊張していることを示す一例であると共に、迫害の中にある子らに対してさらに非難叱責の声を浴せることは、傷める葦を折ることなきイエスにはできないことを示す。ポリカープによりて指導されしスミルナの教会が如何に霊的に富んでいたかはこれによりても察知することができる。
要義2 [迫害について]主の名のために迫害されることはキリスト者にとりては恩恵でありまた光栄である。信仰の純真はこれによりて保たれ神の愛はこれによりて益々豊かに注がれる。そして迫害に対する態度は唯終りまで忠実であるべきことに尽きている。死に至るまで忠実なりしイエスの弟子たちはまた死によリてその忠実を証しなければならない。迫害は信仰の最良の試金石である。

2-(3) ペルガモの教会への書簡 2:12 - 2:17

2章12節 ペルガモに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。
塚本訳またペルガモ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、(人の子、その口に)鋭い両刃の剣を有っている者が斯く言うと──
前田訳ペルガモンの集会の天使に書け。『こういいたもうのは鋭い両刃の剣を持ちたもうもの。
新共同ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Pergamum write: These are the words of him who has the sharp, double-edged sword.
辞解
[ペルガモ] スミルナの北約百キロメートルの処にあり、ムシヤの一都市でエペソ、スミルナに及ばないけれども殷賑(いんしん)にして美わしき一大都市であつた。そこに多くの神々の宮があり、またアウグスツス帝を祭る神殿あり神殿の町と称えられていた。従ってキリスト教に反対する偶像信仰の力が非常に強烈であつたことは当然である。「サタンの座位」(13節)とはこの事実を指したものであろう。

兩刃(もろは)()(つるぎ)()つもの()()ふ、

註解: 黙1:16b註参照)真の信仰と偶像的信仰との境界は必ずしも明確ではない。Tコリ5章。Tコリ6:12−20。Tコリ8章。エペ5:3−14等にパウロがその区別の標準を示したのはその必要からであった。ここにイエスを「両刃の利き剣を持つもの」として示したのは、これによりて彼らの心の髄を打開き彼らの心の中の不純物を示さんがためである。

2章13節 われ(なんぢ)()むところを()る、彼處(かしこ)にはサタンの座位(くらゐ)あり、[引照]

口語訳わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
塚本訳私はお前がどんな処に住んでいるかを知っている。其処にはサタンの玉座がある(ため、お前の信仰を言い表わすことがどんなに難しいかを私はよく知っている。)しかもお前は私の名を(堅く)守って、私の忠実な証人(であったあの)アンデパスが、お前達の間(で、すなわち)サタンの住んでいる処で殺された時にも、(なお)私(へ)の信仰を捨てなかった。(このことを私は褒める。)
前田訳わたしはなんじの住むところ、サタンの座を知る。なんじはわが名を守り、わが真実を否まなかった、わが忠実な証人アンテパスがサタンの住むなんじらのところで殺された日にも。
新共同「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
NIVI know where you live--where Satan has his throne. Yet you remain true to my name. You did not renounce your faith in me, even in the days of Antipas, my faithful witness, who was put to death in your city--where Satan lives.
註解: ペルガモのキリスト者の住むところはサタンの働きの中心地であり皇帝礼拝、偶像崇拝、享楽主義等においてサタンが最も暴威を振っている処である。
辞解
[サタンの座位] 何を指すかにつきて諸説あり、(1)異教の中心地たること、(2)ゼウスの神殿があること、(3)アスクレピオスの宮があること、(4)皇帝礼拝が盛んなること、(5)アンテパスが殉教せること等を指すと解されているけれども、かかる一事実を指したのではなく、これらの諸事実ならび享楽主義等、神の民に敵し、またこれを試誘(こころみ)せんとするあらゆる力がペルガモの市に充満しその王座を占めていたことを指すものと見るを可とす。

(なんぢ)わが()(たも)ち、わが忠實(ちゅうじつ)なる證人(しょうにん)アンテパスが(なんぢ)()のうち(すなは)ちサタンの()(ところ)にて(ころ)されし(とき)も、なほ(われ)(しん)ずる信仰(しんかう)()てざりき。

註解: サタンの迫害と誘惑の激しき処においてキリストの御名を確く保ち彼に対する信仰を維持することは容易ではない。然るにペルガモの信者はその中より殉教者が顕われし時ですらなおその信仰を棄てなかったことは確かに賞讃に値することであった。
辞解
[アンテパス] この人名につきては信ずべき伝説は存在しない。これを実際の人名と見るよりも他の多くの固有名詞と同じくこれを寓意的に「凡てに敵するもの」の意に解し、サタンの支配する社会においては神に属する者は凡てに敵しなければならないことを示し、これを殉教者の名称とせるものと見ることは今日多くの学者に好まれないけれども、実在の人名を用いざる本書においてはかく解すべきであろう。

2章14節 ()れど(われ)なんぢに()むべき一二(いちに)(こと)あり、(なんぢ)(うち)にバラムの(をしへ)(たも)(もの)どもあり、バラムはバラクに(をし)へ、(かれ)をしてイスラエルの子孫(しそん)(まへ)躓物(つまづき)()かしめ、偶像(ぐうざう)(ささ)げし(もの)(くら)はせ、かつ淫行(いんかう)をなさしめたり。[引照]

口語訳しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。
塚本訳しかしながら、少しくお前を責めねばならぬことがある。それはお前の処にバラアムの教えを奉じている者があることである。彼は(お前も知っているように、)バラクに教えてイスラエルの子ら(を誘い、そ)の前に躓物を置き、(彼らをして)偶像の供物を食わせ、淫行を行わしめたのである。
前田訳しかしわたしに少しいい分がある。なんじのところにバラムの教えを守るものたちがいる。彼はバラクに教えてイスラエルの子らにつまずきを与え、偶像への供え物を食べさせ、不義をさせた。
新共同しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。
NIVNevertheless, I have a few things against you: You have people there who hold to the teaching of Balaam, who taught Balak to entice the Israelites to sin by eating food sacrificed to idols and by committing sexual immorality.
註解: サタンの「迫害」には敢然として抗することができたペルガモのキリスト者も、サタンの「誘惑」に対しては案外に弱かった。これキリストの責め給える点である。たしかにイエスの御名を堅く保つ者のある半面に、単に空名を保つに過ぎないものがあり、サタンはかかるものを惑わしたのである。サタンの誘惑は偶像に献げしものを食すること、すなわちサタンの僕たるこの世の人々と同一の歩調を取りこれと妥協することおよび当時の風習に従い淫行を行うことであり、殊にキリスト者中のある者がこれを為しかつかく教えたため他のキリスト者も容易にこれに誘われた。近代のキリスト者は財宝を神とし享楽主義と淫する点においてみなバラムの弟子である。
辞解
[バラクとバラム] 民22:1−25:5(J、E資料)および民31:8および民31:16(P資料)参照。J、E資料とP資料との間には差異あり、前者においてはバラムがイスラエルの前に躓物を置きしもののごとくに録されず後者においてかく録されている。本節はこの後者に依つたものである。ただしJ、E資料を注意して読む者はバラムの心に財宝を求めつつ口にエホバとその民とを祝福せる事実を見ることができる、また神の民が神の敵に祝福されることはかえって大なる誘惑の危険に晒されていることとなる (民31:16Uペテ2:15、16。ユダ1:11参照) 。すなわちバラムのごとき態度をもってペルガモのキリスト者を誘う者が信徒の中に在った。偶像に献げし肉の問題についてはTコリ8−10章を見よ。「一二あり」は原語「少しく」。神はその民を妻として愛し給う故に神に背くことは淫行である。

2章15節 ()くのごとく(なんぢ)らの(うち)にもニコライ(しゅう)(をしへ)(たも)(もの)あり。[引照]

口語訳同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。
塚本訳斯くお前(の中)にもまた、同じくニコライ派の教えを奉じている者がある。
前田訳同じように、なんじのところにニコライ人の教えを守るものもいる。
新共同同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。
NIVLikewise you also have those who hold to the teaching of the Nicolaitans.
辞解
[ニコライ宗] 6節辞解参照、本節と前節とにより「バラムの教」と「ニコライ宗の教」とが同一であり、かつ一つの教派ではなく一つの精神であると見る方が事実に近いであろう。かく見ればニコライ宗は何時何れの処にも存在する。

2章16節 さらば悔改(くいあらた)めよ、(しか)らずば(われ)すみやかに(なんぢ)(いた)り、わが(くち)(つるぎ)にて(かれ)らと(たたか)はん。[引照]

口語訳だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。
塚本訳だから(早く)悔い改めよ。もしそうでないならば、私は直にお前の所に行って、私の口の剣を以て彼らと戦うであろう。
前田訳悔い改めよ、さもないとわたしはすみやかに来てわが口の剣で彼らと戦おう。
新共同だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。
NIVRepent therefore! Otherwise, I will soon come to you and will fight against them with the sword of my mouth.
註解: この世と妥協し、苟合(こうごう)しこれと淫を行うことをもって世を愛しこれを導くことであるように誤解し、また信仰の自由による行動のごとくに主張する人がある。かかる教の正邪を区別するものはイエスのロより出づる両刄の剣すなわち神の言であって、凡ての隠れし悪を割ち分つことができる。イエスはこれをもってかかる偽教師と戦い給う(黙1:16)。

2章17節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし、[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には隠されたマナを与えるであろう。また白い石を与えるであろう。その石の上には、(それを)貰った者でなければ誰も(その意味を)知らない新しい名が書かれてある。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者には隠されたマナを与え、白い石を与えよう。その石にはそれを受けるもののほか、だれも知らない新しい名が書いてある』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. To him who overcomes, I will give some of the hidden manna. I will also give him a white stone with a new name written on it, known only to him who receives it.
註解: 7節註参照)。

(かち)()(もの)には(われ)かくれたるマナを(あた)へん、

註解: 偶像にささげしものを食わず、世の罪と交らずして終りまで勝ちを得るものには、神との交りを得しめ神の賜う天よりのマナの饗応に与ることを得しめるであろう。
辞解
[かくれたるマナ] マナについては出16:14以下参照。「かくれたる」は、契約の櫃と共にマナを容れたる金の壷が(ヘブ9:4)カルデヤ人によりて神殿が破壊される前に、エレミヤまたはヨシヤによりて何れにか隠されたとの伝説によりたるものなるべく(バルク黙示録29:8参照)聖餐がキリストとの交りを示すと同じく、マナの饗応は神との交りを示す。すなわち神によりて霊的に養われること。

また()くる(もの)(ほか)、たれも()らざる(あたら)しき()(しる)したる(しろ)(いし)(あた)へん」

註解: 「白き石」は勝利の徴であり(アレクス、アンドレアス、Z0)、「新しき名」は天国の民としての新なる身分と共に与えられし新しき名であり(イザ62:2イザ65:15創32:29黙3:12)、「たれも知らざる」は天国の民たる資格は神より直接に与えられて何人もその間に介在せず、神の直伝なる貴重なる名称たることを示す(黙19:12)。本節前半マナは誘惑に対し後半白き石は迫害に対す。
辞解
[白き石] 何たるかにつきては多種多様の想像説あり、(1)近来最も多く採用される説は(B3、S3、H0)当時広く行われし災厄除の守札に秘密の名を録しこの名の霊験によりて災厄を免れることに関連すと見る説である。その他(2)裁判所における無罪の投票に白き石を用いること、(3)アロンの胸当またはウリム、(4)自由饗応の切符等その他数多くあれど、ここでは迫害に対する勝利の印と見ることが前後の関係に最も適当している(Z0)。
[受ける者の外誰も知らざる新しき名] ギリシャの競技において勝者に対し白き石に勝者の名を印したるものを勝利の証として与えた。
[新しき名] 日本人が死して諡号(しごう)または戒名を与えられるごとく新しき資格の証として与えられる名。
要義1 [ペルガモの教会の状態]12−17節の録す処によれば、ペルガモの教会は最も強き迫害と誘惑とに曝されていた。そしてその信徒は迫害に対して大なる勇気をもってこれと戦いイエスに対する忠実を示したけれども、誘惑に対しては極めて弱く容易に世と妥協し、サタンと交り、その饗応に与リ、その淫行に感染した。かかる者に対してはイエス自ら剣を取リてこれと戦い給う。かかる者はキリストの御名を称えつつ実はその敵である。
要義2 [イエスの空名を保つもの]イエスの名を保つことは絶対の必要である。しかしながらイエスの空名を保つことは危険である。単にイエスの空名を保つのみである場合には、その反面に必ず偶像崇拝と淫行とがこれに伴って発生する。これイエスの空名を保つことによリて油断しつつあるに乗じてサタンがこれをその陥穽(おとしあな)に陥れんとするが故である。ペルガモの信徒の長所が同時にその短所となったのはかかる意味においてであった。
要義3 試誘(こころみ)の二方面]サタンは迫害と誘惑とを巧みに使い分ける。一方に大なる迫害をもってキリスト者を威嚇しつつ、他方に彼らの逃げ途に陥穽(おとしあな)を置き、世と妥協せしめて彼らをサタンの術中に陥れんとする。我らの注意を要するはかかる場合であって、我らは迫害の中に死に至るまで忠実であることを要求すると共にサタンの饗応に与り彼らの交りに入らないように非常なる警戒を要する。これは神に対する背信であり偶像との姦淫である。この両方面よりの攻撃に勝ち終せる者は、天のマナの饗宴に与って神との交りに入り、白き石を与えられて勝利の凱歌を奏することができる。
要義4 [バラムの教]心に財宝と享楽を求めつつ祝福したのがバラムであった。今日の全世界のキリスト者は今日の世界と共にその物質的幸福の偶像を拝し豊かなる享楽と姦淫を行っている。かくして口に神の御名を唱えるならばそれは明かにバラムの態度である。キリスト者はこの世に詛われ迫害される時かえって幸福であり安全である。

2-(4) テアテラの教会への書簡 2:18 - 2:29

2章18節 テアテラに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。
塚本訳また、テアテラ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、神の子、【その】目は焔のよう、その足は真鍮に似ている者が斯く言うと──
前田訳テアテラの集会の天使に書け。『こういいたもうのは神の子。火の炎のような目があり、足は輝く真鍮に似る。
新共同ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Thyatira write: These are the words of the Son of God, whose eyes are like blazing fire and whose feet are like burnished bronze.
辞解
[テアテラ] ペルガモの東南約六十五キロの処にあり、サルデスとの間に位す、エペソ、スミルナ、ペルガモ等に及ばないけれども工業都市として有名であり、多くの組合があり、使16:14のルデヤもその一人であつたろうと想像される。その他染色工業、毛織業をもって有名であった。教会は比較的小さかったらしく主として異邦人より成り、二世紀の終りには教会は消滅していたとのことである。

()(ほのほ)のごとく、(あし)(かがや)ける眞鍮(しんちゅう)(ごと)くなる(かみ)()、かく()ふ、

註解: 黙1:14、15参照。ここにキリストは人の(むらと)と心とを(きわ)める目と(23節)これを審き給う足とを持ち給うことを表す。「神の子」なる名称は黙示録にてはこの処のみに用いられている。

2章19節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)および(なんぢ)(あい)信仰(しんかう)(つとめ)忍耐(にんたい)とを()る、[引照]

口語訳わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。
塚本訳私はお前の(善い)業、(すなわち、)お前の愛と信仰と働きと忍耐と、そしてお前の後の業は先のものよりも大きく(立派で)あることとを知っている。(私はこれを褒める。)
前田訳わたしは知る、なんじのわざと愛と真実と奉仕と忍耐を。なんじの後のわざは、はじめのそれにまさる。
新共同「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。
NIVI know your deeds, your love and faith, your service and perseverance, and that you are now doing more than you did at first.
註解: エペソの教会よりも一層丁重に賞讃の辞を用いているのはやがて大に叱責せんとする準備とも見ることができる。
辞解
[行為] 黙示録は審判の対象として常に行為を主なる地位に置く、この「行為」と「愛」と「信仰」とを合して一の完全なる信者の生活を描き出している。これに希望に伴う苦難に対する「忍耐」を加えたのは当時の時勢が然らしめたのである。ことさらに「職」diakonia ( ロマ15:25ロマ15:31Tコリ16:15Uコリ8:3 と同じく貧しき人に施すこと)を加えし所以はテアテラの信徒が殊にこの方面に優れていたからであろう。

(また)なんぢの(はじめ)行爲(おこなひ)よりは(のち)行爲(おこなひ)(おほ)きことを()る。

註解: テアテラの信者の信仰状態はエペソと異なりむしろ進歩しつつあったことは著しい事実である。

2章20節 されど(われ)なんぢに()むべき(ところ)あり、(なんぢ)はかの(みづか)預言者(よげんしゃ)(とな)へて()(しもべ)(をし)(まどは)し、淫行(いんかう)をなさしめ、偶像(ぐうざう)(ささ)げし(もの)(くら)はしむる(をんな)イゼベルを()れおけり。[引照]

口語訳しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。
塚本訳しかしながら、お前を責めねばならぬことがある。それは、お前が(あの妖婦──(勝手に自分で)自分を女預言者と称して、私の(善い)僕達を教え惑わし、淫行を行わしめ、偶像の供物を食わせる(あの)女エザベルを(黙って)放って置くことである。
前田訳しかしわたしにはなんじにいい分がある。女イゼベルを放置するがゆえに。彼女は預言者と自称し、わが僕らを教え迷わせて不義をさせ、偶像への供え物を食べさせる。
新共同しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。
NIVNevertheless, I have this against you: You tolerate that woman Jezebel, who calls herself a prophetess. By her teaching she misleads my servants into sexual immorality and the eating of food sacrificed to idols.
註解: 教会内に不純の分子を認容することは大なる危険である。テアテラの教会における腐敗のパン種も、エペソおよびペルガモの場合と同じく淫行と偶像に献げし物を食わしむることであった。すなわちこの世と淫を行い、この世の神なるサタンとの交りに入り、神に対する貞潔を汚すことであった。そしてテアテラの教会はかかる精神を鼓吹する者を排斥せずしてこれを認容しておりし点において大に責むべき点があった。
辞解
[イゼベル] アハブ王の后で異邦の王女でありアハブ王およびイスラエルをして偶像を拝せしめた邪悪の標本的人物である(T列18:4T列18:19U列9:22)。本節の「イゼベル」をある女預言者の表徴的名称なりとし、またはある特定の人、または特定の教を指したるものと解する説あれども、むしろバラム教やニコライ宗の場合と同じく、イゼベルをもって代表される精神または主義を指したものであろう(S3、A1)。それゆえに「かれの子供」(23節)のごときもこれを表徴的に解するを可とす。

2章21節 (われ)かれに悔改(くいあらた)むる(をり)(あた)ふれど、その淫行(いんかう)悔改(くいあらた)むることを(ほっ)せず。[引照]

口語訳わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。
塚本訳私は(度々彼女を、戒め、)彼女に悔い改めの時を与えたけれども、彼女は(私の言に従って)その淫行から悔い改めようとしない。
前田訳わたしは彼女に悔い改める時を与えたが、彼女は不義から悔い改めようとしない。
新共同わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。
NIVI have given her time to repent of her immorality, but she is unwilling.
註解: イエスはテアテラにおけるこの種の精神を教える者を直ちに罰し給わず、一定の余裕を与えてこれを悔改めしめんとし給うたけれども彼らはそれを欲せずして今に至っている。
辞解
[機] chronos は「期間」、ある余裕を与えたること。
[与うれど] 「与えたれど」と訳すべき不定過去形で、ある特定の事実を指す。
[欲せず] 現在形で今もなおその状態をつづけている。

2章22節 ()よ、(われ)かれを(とこ)()()れん、[引照]

口語訳見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。
塚本訳(だから)視よ、私は彼女を(その快楽の床から疫病の)床の中に投げ入れる。そして彼女と姦淫を犯している者も、もし彼女(から惑わされた淫行)の(忌まわしい)行為から悔い改めないならば、大きな患難に投げ入れる(であろう)。
前田訳見よ、わたしは彼女を病床に投げすて、彼女と不義をなすものを大きな苦しみへと投げこむ、もしそのわざから彼らが悔い改めなければ。
新共同見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。
NIVSo I will cast her on a bed of suffering, and I will make those who commit adultery with her suffer intensely, unless they repent of her ways.
註解: (とこ)」は病の床であって、淫行の床に在るものは審かれて病の床に投入れられる。主の審判のあざやかさを示す。
辞解
[かれ] 「彼女」でイゼベルを指す、従ってイゼベル主義を教える人または人々を意味す。

(また)かれと(とも)姦淫(かんいん)(おこな)(もの)も、その行爲(おこなひ)悔改(くいあらた)めずば、(おほい)なる患難(なやみ)()()れん。

註解: イゼベルと共にその姦淫の行為にならう者すなわちイゼベル主義の共鳴者も、もし悔改めずば激しき審判を免れることができない。
辞解
[かれと共に姦淫を行ふ] イゼベルに対して姦淫する意味ではなく、イゼベルと同様に、またこれと一緒に姦淫を行うこと(A1、B3)。
[その行為] 「彼女の行為」で彼らが行う行為はイゼベル主義の行為である。

2章23節 (また)かれの子供(こども)()(ころ)さん、[引照]

口語訳また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。
塚本訳そして、彼女の子供らを(も)疫病をもってうち殺すであろう。斯くして全教会は、私が(人の最も隠れた所である)腎臓をも心臓をも尋ね究め(て、彼らを罰す)る者であることを知る(に至る)であろう。そして(また、)私はお前達の業に従って一人一人に報ゆるであろう。
前田訳彼女の子らを死で滅ぼそう。そうすれば、すべての集会はわたしが肝と心を見極めるものであることを知ろう。わたしはなんじらおのおのに、わざに従って報いよう。
新共同また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。
NIVI will strike her children dead. Then all the churches will know that I am he who searches hearts and minds, and I will repay each of you according to your deeds.
註解: イゼベル主義の中に生れその主義の中に育ちたるものもまた審かれ、これによりて間接にまたイゼベルに対する審判が行われるであろう。これアハブ王の罪(后イゼベルにより陥りし罪)のためにその七十人の子が殺されし事実(U列10:7)を寓したものである。
辞解
[かれの子] イゼベルをテアテラに実在せる一人の女預言者と見、「子」をその姦淫による実際の子と見る解釈を取る学者が多いけれども(B3、H0、E0)あまりに文字の意味に固執することは本書の性質に反する故、これをこの種の思想または精神の後裔(こうえい)と見るを可とす(S3、S1)。

(かく)てもろもろの教會(けうくわい)は、わが(ひと)(むらと)(こころ)とを(きは)むる(もの)なるを()るべし、(われ)(なんぢ)()おのおのの行爲(おこなひ)(したが)ひて(むく)いん。

註解: 神と同じく(詩7:9エレ17:10)キリストは人心の奥底を洞察し給う。彼がテアテラの教会に対して下す大なる患難は、彼らの行為に対する報償で彼の焔のごとく輝く偉大なる眼光が如何に鋭いかを示す(18節b)。また彼は凡ての者の行為を洞見しこれに従いて審判と報賞とを与え給い、輝ける真鍮のごとき足の偉力を示し給う(18節c)。
辞解
[(むらと)] 心の奥底に潜む思想感情を指すに用いられる。
[汝ら] イゼベルの弟子たち、子たちをも含ましめたのである。

2章24節 (われ)この(ほか)のテアテラの(ひと)にして(いま)だかの(をしへ)()けず、(かれらの)所謂(いはゆる)サタンの(ふか)きところを()らぬ(なんぢ)らに()くいふ、[引照]

口語訳また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。
塚本訳しかし(この)他のテアテラの人達──この(エザベルの)教えを受けず、いわゆる「サタンの深い所」を知らなかったお前達に私は言う──私は(何も新しい)他の重荷をお前達に負わせ(ようとは思わ)ない。
前田訳なんじらテアテラの残りのもので、彼女の教えを持たず、いわゆるサタンの深みを知らぬものにいう、ほかの重荷をなんじらには負わせない、と。
新共同ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。
NIVNow I say to the rest of you in Thyatira, to you who do not hold to her teaching and have not learned Satan's so-called deep secrets (I will not impose any other burden on you):
註解: 主は22−23節においてイゼベル主義者に対する審きを宣言し給い本節以下においてその他の人々に対する注意を与え給う。イゼベル主義者達は自ら信仰の自由を把握し、神の深きところを知れりと称し、彼らの教えに従わざる者を指して「深きところを知らぬ者」「浅薄なるもの」と称していた、しかしながら「彼ら」すなわちイゼベル主義者またはニコライ主義者の知っている深きところは神の深さではなくサタンの深さであることを主イエスは示し給う。「かかる事を知らぬ汝ら」こそかえって幸である。
辞解
[所謂] 邪教を唱える者どもが言う語。
[サタンの] 彼らの言と見るよりも主イエスの解説と見る方が適当である。

(われ)ほかの(おもき)(なんぢ)らに()はせじ。

註解: イゼベル主義を断然拒否することは異教国に生活する上に非常な重荷であるけれどもこれだけは負わなければならない。しかしこれ以上の重荷を主は我らに負わせ給わない。
辞解
[ほかの] (1)次節以外の(B3)。(2)使15:28、29の使徒会議の決議以外の(S3、A1)等の解あれど前者は文法的に困難であり(A1)、後者は実質上は差支えが無いけれどもあまりに連絡がはなれている故、上掲のごとくに解するを可とす(H0)。

2章25節 ただ(なんぢ)()はその()つところを()(いた)らん(とき)まで(たも)て。[引照]

口語訳ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。
塚本訳ただお前達は、私が(再び)来る(時)まで、(いま)有っているものを(確り)握って居れ。
前田訳ただ、わたしが来るまで、なんじらが持つものを堅く保て。
新共同ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。
NIVOnly hold on to what you have until I come.
註解: 19節のごとき信仰を有っている彼らは唯これを維持して行くだけで結構である。キリストの再び来給う時までこの信仰を維持して行けるならば、それは非常なる勝利である。
辞解
[保て] 不定過去形命令法で、現在形命令怯に比して意味が強められている。

2章26節 (かち)()(をはり)(いた)るまで()(めい)ぜしことを(まも)(もの)には、諸國(しょこく)(たみ)(をさ)むる權威(けんゐ)(あた)へん。[引照]

口語訳勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。
塚本訳勝利を得て最後まで私(に対する信仰)の業を保つ者には、諸国の民の支配権を与え、
前田訳勝利者でわがわざを終わりまで守るものには、諸民を治める権威を与えよう。
新共同勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、/わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
NIVTo him who overcomes and does my will to the end, I will give authority over the nations--
註解: イゼベル主義者が審判によりて亡ぼされることの反対にイエスの命を守るものにはイエスに約束せられしと同様の(詩2:8以下)権威が約束され諸国の民の支配者たるべき権威が与えられる。イエスの足が輝ける真鍮のごとくなるに相応している。
辞解
[我が命ぜしこと] 直訳「我が業」または「我が行為」で22節の「その(彼女の)行為」と相対している。
[イエスの業を守る] イエスが我らをして為さしめ給う業を守ることで改訳で大意は通ずる。▲口語訳はこれを「わざ」と改めている。

2章27節 (かれ)(てつ)(つゑ)をもて(これ)(をさ)め、(つち)(うつは)(くだ)くが(ごと)くならん、()(ちち)より()()けたる權威(けんゐ)のごとし。[引照]

口語訳彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。
塚本訳彼は(聖書にあるように、)鉄の杖を以て彼らを牧し、(彼に手向かう者を)土の器のように打ち砕くであろう。
前田訳彼は鉄の杖で彼らを牧しよう、土の器が砕かれるように。
新共同彼は鉄の杖をもって彼らを治める、/土の器を打ち砕くように。
NIV`He will rule them with an iron scepter; he will dash them to pieces like pottery' -- just as I have received authority from my Father.
註解: 詩2:9にメシヤが諸国を治むる姿が預言せられているごとくに、キリスト者は諸国の民を絶対の権力をもって治め、従わざるものはこれを打砕くであろう。
辞解
[鉄の杖] 黙12:5黙19:15。破壊力の強さを示す。
[治め] poimainô「牧する」で一方に羊を牧するがごとくに治め他方に羊を損うものを土の器を砕くがごとくに砕く。

2章28節 (われ)また(かれ)(あけ)明星(みゃうじゃう)(あた)へん。[引照]

口語訳わたしはまた、彼に明けの明星を与える。
塚本訳そして私が私の父から(それを)戴いたように、彼にもまた暁の明星を与えるであろう。(彼は斯くして新しい救いの光に接することが出来るであろう。)
前田訳それはわたしが父から受けたごとくである。わたしは彼に明けの明星を与えよう。
新共同同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。
NIVI will also give him the morning star.
註解: 黙22:16によればキリストは曙の明星である。これキリスト再臨し給う時は、これによりてやがて来るべき新天新地の旭光の前駆として曙の明星のごとくに輝くからである。本節は前節と同じくこのキリストの特質が信徒に与えられることの約束であって、この意味においてキリスト者は新天新地の曙を告ぐる朝の明星である。
辞解
[曙の明星] キリスト御自身と解する説の他種々の解釈あり、何れとも確定し難き故前掲の解釈を取る。

2章29節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
註解: テアテラの教会に与うる書簡以下の諸書簡において「耳ある者は云々」が最後に来る。この順序の変更につきては理由不明なり。
要義1 [テアテラの教会の状態]18−29節によりて推察するところによればテアテラの教会は二つの傾向に分たれていた。その一は真面目に信仰の生活を送り苦難に耐え、貧しきものに施し、主イエスの命に従順に従う処の人々であり、他の一はイゼベル主義を奉じニコライ主義と同じく世と妥協し、世の人と同一の行動に出てある程度の偶像崇拝と享楽主義とを是認し、信仰の自由を濫用する人々であった。そして前者は後者を教会内に認容していたのである。かかる状態に対してはイエスの厳然たる審判が行われることが必要であった。22−23節はこのことを示す。
要義2 [悪の主義の絶対拒否]アハブがイゼベルを容れしことがイスラエルに臨める凡ての禍害の源であった。斯のごとくイゼベル主義すなわちキリストを離れて偶像と交る主義は遂には全教会を淫行の中に滅ぼすに至るものである。それ故にキリスト者はかかる主義をば断然これを拒否して教会の神聖を保たなければならない。今日の教会の多くの堕落はこのイゼベル主義の侵入を防がなかったからである。
要義3 [イゼベル主義]イゼベルの主張する処はニコライ主義と差異がない。最も恐るべきは神を信ずる心が動揺することである。そしてこの種の堕落は今日のキリスト教会内に常に目撃する処であリキリスト者として非常に警戒を要することである。

黙示録第3章
2-(5) サルデスの教会への書簡 3:1 - 3:6

3章1節 サルデスに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
塚本訳また、サルデス教会の御使いに(手紙を)書け、神の七つの霊と、七つの星とを持つ者がこう言うと──私はお前の業を知っている。活きているという(えらい)評判はあるが、お前は死んでいる。
前田訳サルデスの集会の天使に書け。『こういいたもうのは神の七つの霊と七つの星を持ちたもうもの。わたしはなんじのわざを知る。生きるというは名ばかりで、じつは死んでいる。
新共同サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
NIV"To the angel of the church in Sardis write: These are the words of him who holds the seven spirits of God and the seven stars. I know your deeds; you have a reputation of being alive, but you are dead.
辞解
[サルデス] テアテラの東南約五十キロの処にあり、四通八達(しつうはったつ)の道路の交差点でテアテラと同じく毛織物、染色業の中心地であつた。市民は昔より奢侈(しゃし)淫佚(いんいつ)とをもって有名であり、このことはまたそのキリスト教会にも影響を及ぼし活気なき信仰となった。ローマの地方庁あり皇帝礼拝が盛んであつた。

(かみ)(なな)つの(れい)(なな)つの(ほし)とを()(もの)かく()ふ、

註解: 黙1:4黙1:16 参照、サルデスの教会にとりてはその霊の働きが一層豊かなること、その教会の天的姿が一層秀でていることが必要であるためにこの姿におけるキリストが最も適当している。

われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、(なんぢ)()くる()あれど()にたる(もの)なり。

註解: 彼らの行為は不信者と何らの(えら)ぶ処なきものであった。これ彼らは名だけキリスト者であり、永遠に生きる者と自らも称し、人にも思わせていながら、実はその生命は死に瀕しており、有るか無きかの信仰であって何らの力ともなっていなかった。この眠れるごとき状態に在る教会は今日も到る処に存在する。

3章2節 なんぢ()(さま)し、(ほとん)()なんとする(のこり)のものを(かた)うせよ、(われ)なんぢの行爲(おこなひ)のわが(かみ)(まへ)(まった)からぬを()とめた(ればな)り。[引照]

口語訳目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
塚本訳(早く)目を覚まして、死にそうになっていた(少しばかりの生き)残りのものを堅め(て生命を取り止め)よ。(人の前ではともかく、)私の神の前ではお前の業が完全でないことを私は見たのである。
前田訳目覚めよ。そして死にかけの残りのものを強めよ。わたしはなんじのわざが、わが神の前に成しとげられたとは思わない。
新共同目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。
NIVWake up! Strengthen what remains and is about to die, for I have not found your deeds complete in the sight of my God.
註解: 前節のごとき状態にある教会にとりて最も必要なることは目を覚すことと僅かに存する信仰の燃え残りを堅くしこれを育て上げることである。目を覚すことによって彼らは自己の如何なる状態にあるかに心付き、残りのものを堅くすることによりて、死滅を免れ、再び信仰の生涯に立還ることができる。キリストがこの命令を与え給える所以はこの教会の行為が神の聖前において充ち足りていることを認め給わなかったからである。▲「(まった)からぬを()とめた(ればな)り」の原文は口語訳および註のごとく「全きを見出さなかった」となる。
辞解
[全からぬ] plêroô ならず、欠陥だらけなること。
[我が神] マコ15:34ヨハ20:17) キリストは常に「我が父」と呼び給うた、この場合審判者としての父を考え給うたのである。

3章3節 ()れば(なんぢ)如何(いか)()けしか、如何(いか)()きしかを(おも)ひいで、(これ)(まも)りて悔改(くいあらた)めよ。もし()(さま)さずば、盜人(ぬすびと)のごとく(われ)きたらん、(なんぢ)わが(いづ)れの(とき)((なんじ)に)きたるかを()らざるべし。[引照]

口語訳だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
塚本訳だから、お前は(前に一体)何を(私から)受けたか、また(何を)聴いたか(、よくそれ)を思い出してみよ。そして、(その時受けたこと、聴いたことをしっかり)守って、(今直ぐに)悔い改めよ。それで、もし目を覚まさなければ、私は泥棒のようにやって来る。そして何時私がお前の所に来るかを、お前は決して知らないであろう。
前田訳思い出せ、いかに受け、また聞いたかを。それを守って悔い改めよ。もし目覚めねば、わたしは盗びとのように行こう。なんじはいつわたしがそちらに行くか知るまい。
新共同だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない。
NIVRemember, therefore, what you have received and heard; obey it, and repent. But if you do not wake up, I will come like a thief, and you will not know at what time I will come to you.
註解: 彼らはかつて(不定過去動詞)非常なる熱心をもって福音を聴き (ロマ10:17ガラ3:2 大なる喜びをもってこれを受けて今日に至った(完了動詞)。この信仰の始めを思い起すことは何人にも必要なことである。そしてその初めの態を守りつづけ(現在命令動詞)、今日の惰眠の状態より断然悔改めよ(不定過去命令動詞)、名のみの信仰の上に惰眠を貪っている者には主イエスの再臨は不信者に対すると同じく盗人のごとく突然に襲い来るであろう(マタ24:43。およびその引照)。名義のみの信仰をもって安心している者に対する恐るべき警戒である。

3章4節 ()れどサルデスにて(ころも)(けが)さぬもの數名(すめい)あり、(かれ)らは(しろ)(ころも)()(われ)とともに(あゆ)まん、()くするに相應(ふさは)しき(もの)なればなり。[引照]

口語訳しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
塚本訳しかし、サルデスにも(穢れた生活によって)その着物を汚さなかった者が少数はある。彼らは(来るべき王国で)白い着物を来て私と一緒に歩くであろう。彼らはそうすることを許されるに相応しい。(彼らは潔く生きている)からである。
前田訳しかしサルデスにはその着物を汚さなかった人が、わずかながらいる。彼らは白い装いでわたしとともに歩もう。それは彼らにふさわしい。
新共同しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。
NIVYet you have a few people in Sardis who have not soiled their clothes. They will walk with me, dressed in white, for they are worthy.
註解: サルデス教会の死せる信仰は世の罪と戦う力が無く汚れたる行為となって顕われた。然るにかかる惰気満々たる教会の中にも数人の例外的信仰の選良が存在した。彼らは一般的堕落と無気力の中に在りて唯独り信仰に立ち、罪の汚れに染まずその純潔を維持した。少数とはいえ彼らは神の前に貴き魂である。イエスは彼らを彼とともに同じ装をもって神の国に歩むに相応しき者と唱え給う
辞解
[衣を汚す] ユダ1:23。これを性的汚穢のみに限る説あれど(Z0)一般的に罪に汚されることと解するを可とす(B3、S3、E0、A1)。
[白き衣] キリストにより贖われしものの義または勝利を示す衣である(引照3、4を見よ)。
[我とともに歩まん] アダムは罪に陥る前に神と共に歩んだ。エノクも然り、勝を得しキリスト者は神の国においてキリストと共に歩むことができる。

3章5節 (かち)()(もの)(かく)のごとく(しろ)(ころも)()せられん、(われ)その()生命(いのち)(ふみ)より()(おと)さず、()(ちち)のまへと御使(みつかひ)(まへ)とにてその()()ひあらはさん。[引照]

口語訳勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
塚本訳(しかし)勝利者は(誰でも皆、)このように白い着物を着せられるであろう。そして私はその名を決して生命の書から消さず、また、私の父の前とその御使い達の前でその名を告白するであろう。
前田訳勝利者は白い着物を着せられよう。わたしはその名をいのちの書から取り去らず、その名をわが父と天使たちの前でいいあらわそう。
新共同勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。
NIVHe who overcomes will, like them, be dressed in white. I will never blot out his name from the book of life, but will acknowledge his name before my Father and his angels.
註解: さらに三つの美しき約束が勝を得る者に対して与えられる。その一は信者自身の美わしき姿を示すために勝利純潔、天的生活の徴なる白き衣を着されること、その二は彼の救いの確実なることの証拠として救われる者の名簿なる生命の書よりその名は消されることなきこと、その三はイエスが父なる神とその御使たちの前にて彼らの名を告白して神の民なることを証明し給うこと (マタ10:32ルカ12:8) である。これによりて彼らの天国における地位は確定される。その反対に罪に衣を汚す者はその名は生命の書より抹消され、イエスは神の前に彼らを知らずと言い給うであろう。
辞解
[生命の書] 旧約時代より生命の書の思想があつた。(出32:32詩69:28)。

3章6節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
註解: 黙2:7参照。
要義1 [サルデスの教会の状態]黙3:1−6によリ判断すればサルデスは商工業の都市だけあって実際家多くまた迫害等少かりしため信徒は一般に理想低く元気なく、またその生活態度もこの世の力に引込まれ易く、キリスト者とは名のみであって、実はその信仰は死にたる信仰であり、何らよきものをその中より期待し得ざるごとき状態にあった。従ってその行為も堕落して罪悪を罪悪と感じなくなるに至った。かかる一般的無活気の中にありて唯少数の真実なる信者のみ宝石のごとくに輝いていた。今日も我ら往々にしてこの種の教会を目撃することがある。
要義2 [名のみの信仰]最も警戒しなければならないのは名のみ立派な信者であって実なき場合である。あるいは教会の正会員であり洗礼を受け晩餐に列し献金をなし凡ての点より見て完全にキリスト者の名に叶うごとくに見えてしかもその信仰が死んでいる者がある。また聖書に精通し、神学は正統的であり、純福音を信ずと称してしかもその信仰が生命なきものがある。かかる人は自ら天国の民たる資格を有するものと考えているけれども、キリストはかかる者の上に盗人のごとくに来り給うことを宣言しその名を生命の書より消し落すことを明かにし給う。名のみの信者は恐れなければならない。
要義3 [信仰が死に至る原因]恐るべきは信仰が死んで名のみとなることである。そして信仰が死に至る主なる理由は、植物や動物の場合と同じく(1)栄養分や水分に不足すること。(2)反対にあまりにそれが多過ぎること。(3)害虫黴菌(ばいきん)等を除かざること。(4)自己の力以上の困難に進んで自己をさらすこと。(5)あまりに安佚(あんいつ)なる生活を求めて世との戦を為さざること等である。我らは甚深(じんしん)の注意をもって我らの信仰の生命を(はぐく)まなければならない。
要義4 [目を覚してキリストの来り給うを待つべし]キリストの来り給うを目を覚して待つこと、あたかも花婿の来るを待つ乙女のごとくでなければならない。かかる心は常に主を望み、その潔きがごとく己を潔くし主の前に瑕なからんことを欲する心である。かかる者には神の御霊豊かに与えられ、その教会には天的の光輝がかがやき出づるに至るのである。

2-(6) ヒラデルヒヤの教会への書簡 3:7 - 3:13

3章7節 ヒラデルヒヤにある教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
塚本訳また、ヒラデルヒヤ教会の御使いに(手紙を)書け、聖なる者、真実なる者、ダビデの(家の)鍵を有ち、開けば閉ずる者なく、閉ずれば開く者なき者がこう言うと──
前田訳フィラデルフィアの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、聖なるもの、真なるもの、ダビデの鍵を持ちたもうもの。彼が開けばだれも閉じず、彼が閉じればだれも開かない。
新共同フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Philadelphia write: These are the words of him who is holy and true, who holds the key of David. What he opens no one can shut, and what he shuts no one can open.
辞解
[ヒラデルヒヤ] サルデスの東南にあり、地震地帯にある一都市で紀元一七年の震災で破壊されたのをチベリウス帝によって再建されたものである。交通の要路にあり富裕なる商業都市であつた。教会はむしろ小さくかつ微力であつたらしく見えるけれども(8節)その質においては主の賞讃に値するものであつた。そして教会に対する困難は主として外部よりユダヤ人によりて起された。

(せい)なるもの(まこと)なる(もの)、ダビデの(かぎ)()ちて、(ひら)けば()づる(もの)なく、()づれば(ひら)(もの)なき(もの)かく()ふ、

註解: ここにイエスはダビデの裔なる真のメシヤであって天国の鍵を所有し給うものとして表顕されている。たしかにヒラデルヒヤにはユダヤ人の反対が盛んであって(9節)イエスのメシヤ(キリスト)たることを拒んでいたからである。
辞解
[聖なるもの] 「聖者」または「神の聖者」なる称呼はメシヤを指す (マコ1:24ルカ4:34ヨハ6:69)。
[真なる者] hoalêthinos は虚偽の反対の真実ではなく偽物の反対の本物の意味で、イエスこそ正真正銘のメシヤに在し給うことを示す。
[ダビデの鍵] メシヤはダビデの子孫であり天国の鍵の所有者として考えられた(イザ22:22)。天国の門の開閉は全く彼の権威の中に在る。そして彼はこの権威を使徒たちおよび弟子たちに与え給うた (マタ16:19マタ18:18)。

3章8節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、()よ、(われ)なんぢの(まへ)(ひら)けたる(もん)()く、これを()()(もの)なし。[引照]

口語訳わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
塚本訳私はお前の(善い)業を知っている。(だから)視よ、私は(お前を王国に入れるために、)お前の前に(広く)開いた門を置いてやった。誰もそれを閉ずることは出来ない。(何故なら、)お前は(この世にほんの)少しの勢力しか有たないのに、(よく)私の言を守って、(どんな場合にも決して)私の名を否まなかったからである。
前田訳わたしはなんじのわざを知る。見よ、わたしはなんじの前に戸を開いてあげる。だれもそれを閉じえない。なんじの持つ力は小さいが、わがことばを守り、わが名を否まなかったから。
新共同「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。
NIVI know your deeds. See, I have placed before you an open door that no one can shut. I know that you have little strength, yet you have kept my word and have not denied my name.
註解: ヒラデルヒヤに対しては主は唯賞揚の言のみを発し給う、イエスは彼らの行為を見て彼らのために天国の門を開き何人にも妨げられずに神の国に入り得ることを約束し給う。
辞解
[開けたる門] パウロは多くの場合これを福音を宣伝える道が開かれしことに用いているので (使14:27Tコリ16:9Uコリ2:12コロ4:3) 本節の場合もこれをかく解する学者が多い(S3、A1、H0)、そして「視よ」以下を括弧に入れ「汝すこしの力あり」以下を「汝の行為」の説明と見る。しかしかく解するよりも前節の開閉の鍵と関連させて上掲註のごとくに解するを可とす(B3、Z0、E0)以下はその理由と見る。

(なんぢ)すこしの(ちから)ありて()(ことば)(まも)り、()()(いな)まざりき。

註解: 私訳「そは汝少しの力あるのみなるに我が言を守り我が名を否まざりし故なり」。「少しの力」は信者たちの身分、地位、資産等が有力にあらざること、それにもかかわらずかつてキリストの命令を守り、また彼に対してはあくまでも忠実であったことが神より開けたる門を与えられる理由となる。

3章9節 ()よ、(われ)サタンの(くわい)、すなはち(みづか)らユダヤ(びと)(とな)へてユダヤ(びと)にあらず、ただ虚僞(いつはり)をいふ(もの)(うち)より(ある)(もの)をして(なんぢ)足下(あしもと)(きた)(はい)せしめ、わが(なんぢ)(あい)せしことを()らしめん。[引照]

口語訳見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
塚本訳(だから)視よ、私はサタンの会堂(の或る者、)すなわち(自分で)自分をユダヤ人であると称えながら、(その実決して真の)ユダヤ人でなく、かえって虚言をつく者の或る者に、こうさせる──視よ、私は彼らをしてお前の足下に来て(お前を)拝ませる。そして、(その時)彼らは(はじめて、)私がお前を愛していたことを知るであろう。"         
前田訳見よ、わたしはサタンの会堂のものを連れて来る。彼らは自らユダヤ人というが、じつはそうではなく、うそをついている。見よ、わたしは彼らがなんじの足もとに来てひれ伏し、わたしがなんじを愛したと知るようにしよう。
新共同見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。
NIVI will make those who are of the synagogue of Satan, who claim to be Jews though they are not, but are liars--I will make them come and fall down at your feet and acknowledge that I have loved you.
註解: 黙2:9註参照。最後の審判の日至り、キリストに在る者は万有を支配する権を与えられる、これキリストが彼らを愛し給うが故である。それ故に現在ユダヤ人(彼らは真のユダヤ人と称する資格がないが、黙2:9註参照)は虚偽を語りてキリスト者を誹謗し、迫害し、その結果キリスト者は苦難と圧迫の中に置かれているけれども、最後の審判の日至らば、キリスト者はキリストと共に万民の支配者となり、ユダヤ人の中のある者は悔改めてキリストを信ずるに至り、その結果今迫害者として暴威を振っているユダヤ人は、今圧迫せられているキリスト者の足下に来りて、彼らを拝せざるを得ない時が来るのである。ユダヤ人は今メシヤに愛せられるものは自分たちであると信じているけれども、その時に至ればキリスト(すなわちメシヤ)に愛せられしものは思いがけなくもキリスト者であったことを彼らは知らしめられる。

3章10節 (なんぢ)わが忍耐(にんたい)(ことば)(まも)りし(ゆゑ)に、(われ)なんぢを(まも)りて、()()(もの)どもを(こころ)むるために全世界(ぜんせかい)(きた)らんとする試錬(こころみ)のときに(まぬか)れしめん。[引照]

口語訳忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
塚本訳お前は私の忍耐(に傚って忍耐し、これについて私)の言を(よく)守っ(てくれ)たから、私もまた、地上に住む者を試煉るため全世界に臨もうとしている試煉の時に、お前を守るであろう。
前田訳なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。
新共同あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。
NIVSince you have kept my command to endure patiently, I will also keep you from the hour of trial that is going to come upon the whole world to test those who live on the earth.
註解: キリストの再臨を待望みて忍耐する者はキリストの守りにより再臨に先立ちて全世界に臨む大苦難を免れる。
辞解
[わが忍耐の言] (1)忍耐を教えしキリストの言、(2)キリストの忍耐に(なら)うべしと教える言(S3、A1)、(3)キリストを待望むべきことを教えし言(Z0)等種々の解あり、(2)を採る。
[忍耐] hupomonê はキリストがユダヤ人の凡ての誤解と迫害とを耐え忍び給えることを指す(Uテサ3:5)。
[地に住む者] 「天に住む者」の反対で神を知らずキリストを信ぜざる状態において生活するもの (黙6:10黙8:13黙13:8黙13:12黙13:14黙17:2黙17:8) 。地に「住む」はkatoikeô を用い、天に「住む」は skênoô ですなわち天幕生活をなすことを意味す、神の幕屋にいること。
[全世界に来らんとする試錬] キリスト再臨の前には全世界に大困難が及ぶことは一般黙示文学に共通の思想であつた (黙7:14黙13:10黙14:12マタ24:21以下) 。
[とき] hôra は一時期。
[免れしめん] ek で困難に遭わないのではなく困難の中に守られてこれを脱出することができることを意味す。また試錬は聖徒のみに与えられると解する説も誤れり。

3章11節 われ(すみや)かに(きた)らん、(なんぢ)()つものを(まも)りて、(なんぢ)冠冕(かんむり)(ひと)(うば)はれざれ。[引照]

口語訳わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
塚本訳私は直に来る。(だから今)有っているものを(確り)握って、誰にもお前の(光栄の)冠を取られないようにせよ。
前田訳わたしはすみやかに来る。なんじの持つものを守れ、だれもなんじの冠を取らぬように。
新共同わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
NIVI am coming soon. Hold on to what you have, so that no one will take your crown.
註解: 「われ速かに来らん」は本書の中心であり、信ぜざる者には恐れを、信ずる者には慰めを与う。「汝の有つ処のもの」は如何に微少であってもこれを確保することによりて救われる。信仰はその大小よりもその確乎たるや否やが重要なる問題である。
辞解
[汝の有つものを守りて] 黙2:25参照。
[冠冕(かんむり)] 黙2:10参照。
[奪はれざれ] 盗賊より奪われる意味よりも、競争者によりて奪い去られる貌。

3章12節 われ(かち)()(もの)()(かみ)聖所(せいじょ)(はしら)とせん、(かれ)(ふたた)(そと)()でざるべし、[引照]

口語訳勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
塚本訳勝利者はこれを私の神の宮における柱にしよう。そして最早決して外に(離れ)出ることがないであろう。また私はその上に、私の神の名と、天から、私の神から降って来る新しいエルサレム、(すなわち)私の神の都の名と、私の新しい名とを書くであろう。
前田訳勝利者、彼をわたしは神の宮の柱としよう。彼はもはや外に出ることはない。わたしは彼の上にわが神の名と、わが神の都、すなわち天のわが神から下る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書こう。
新共同勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。
NIVHim who overcomes I will make a pillar in the temple of my God. Never again will he leave it. I will write on him the name of my God and the name of the city of my God, the new Jerusalem, which is coming down out of heaven from my God; and I will also write on him my new name.
註解: 勝者に対する約束は天国において重要にして不動なる地位を与えられることである。彼は再びその場所より動かされることが無い。7節以下凡て建物に関する譬をもって説明されることに注意すべし。
辞解
[聖所の柱] ソロモンの神殿とかその他の宮を指したのではなく、譬喩的に用いられ(Tテモ3:15ガラ2:9)、宮の建物の支柱としての重要なる地位、または確乎たる不動の地位を指す、この場合この雙方を意味するものと見ることを得。その中の後者をば「再び外に出でざるべし」をもって説明している。

(また)かれの(うへ)に、わが(かみ)()および()(かみ)(みやこ)、すなはち(てん)より()(かみ)より(くだ)(あたら)しきエルサレムの()と、()(あたら)しき()とを()(しる)さん。

註解: 額に名を記すことはそのものの所属なることを意味する(黙13:17黙14:1)。ここに彼の上に神と新しきエルサレムとキリストの新しき名との三つの名が記される。これによりて彼が神の所属であり、新しきエルサレム(黙21:2ガラ4:26)すなわち神の国の市民であり、また新しき名を有ち給うキリスト(栄光をもって再び来給うキリストは新なる資格をもって神の国の支配者となり給う)に属することを示す。ゆえに現在はこの世において無視される無名の一匹夫(ひっぷ)であっても大なる希望をもって生きることができる。

3章13節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
要義1 [ヒラデルヒヤの教会の状態]7−13節によりほぼ推察する処によれば、その信仰は偉大なる信仰ではなかったけれども堅い不動の信仰であった。それ故に主よリ特別の非難を受けなかった。この種の信仰は特に目立たないけれども14節以下のラオデキヤの信仰のごとき微温ではなく、賞揚に値する堅実性を有っているところの信仰であった。キリストを否まずして他よりの誤解と嫌忌と迫害とを忍耐することは、神を知らざる世界においては容易なることではない。七つの教会の中、この教会のみが主の叱責を受けないのは故あることである。
要義2 [堅き信仰]熱し易い信仰はまた冷め易く、微温の信仰は無信仰に劣る(黙3:16)。たとい「すこしの力」(黙3:8)に過ぎないとしても、イエスをキリストと信ずる信仰に立ち、イエスの言を守りて正しき行為を為し、そして如何なる患難の中にもこれを守リて動かざる堅実にして不動なる信仰は貴い信仰であり、かかる信仰に対して主は天国の門を開き、大なる患難を通過してその中に入らしめこれに勝利の冠冕(かんむり)を与えて彼を天国の聖所の柱たらしめ給う。たとい(からし)種程の信仰であっても、我らはこれを堅く保ち、我らの冠冕(かんむり)を人に奪われざることが必要である。
要義3 [試錬の時より免れ出づること]キリスト者は試錬に遭わないというのではなく、その中より(ek)守られ救われることを意味する。試錬の大きさは真のキリスト者と然らざる人々との間に差異はない。唯それより免れ出づる力を与えられるや否やの点に差異を生ずる。

2-(7) ラオデキヤの教会への書簡 3:14 - 3:22

3章14節 ラオデキヤに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
塚本訳また、ラオデキヤ教会の御使いに(手紙を)書け、アーメンである者、忠実な、真実な証人、神の創造の本源である者がこう言うと──
前田訳ラオデキアの集会の天使に書け。『こういいたもうのはアーメンのもの、忠実で真実の証人、神の創造のはじめのもの。
新共同ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Laodicea write: These are the words of the Amen, the faithful and true witness, the ruler of God's creation.
辞解
[ラオデキヤ] フリギヤ州の一市でヒラデルヒヤの東南七十キロ、メアンデル川の支流リコス河の谷間にあり、紀元前三世紀にシリア王アンテオクス二世(紀元前261-247)の建設せる都市である。商業の中心地でありかつ毛氈(もうせん)の製造が盛んなる富裕の都市であつたので紀元六十年の大震災に際してもその復興のためにローマ国庫の補助を拒否せるほどであつた。ヒエラポリスおよびコロサイに近くパウロはこの三つの教会に回覧の書簡を送つた。コロサイ書とエペソ書はそれであろう(コロ2:1コロ4:13-16)。

「アァメンたる(もの)忠實(ちゅうじつ)なる(まこと)なる證人(しょうにん)

註解: キリストの真実性を高調す。微温の信仰は不真実の結果である。
辞解
[アァメンたる者] アァメンはヘブル語にて「誠に」の意、イザ65:16の「真実の神」は原語「アァメンの神」。イエスは「誠に誠に汝らに告ぐ」なる語を常に用い給いし故これをもってイエスを指したものであろう。
[忠実なる証人] 黙1:5註参照。「真なる証人」は証人として真正なるものの意、神より遣わされし真の証人。

(かみ)(つく)(たま)ふものの本源(ほんげん)たる(もの)かく()ふ、

註解: 直訳は「神の被造物の初め」で一見キリストも被造物の中に属するがごとくに見えるけれどもコロ1:15コロ1:18黙21:6黙22:13等によりて明かなるごとくキリストは無限の初めより無限の終りに至る存在で凡ての被造物よりも先に存在し給えることを示す。なお箴8:22の七十人訳参照。

3章15節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、なんぢは(ひやや)かにもあらず(あつ)きにもあらず、(われ)はむしろ(なんぢ)(ひやや)かならんか、(あつ)からんかを(ねが)ふ。[引照]

口語訳わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
塚本訳私はお前の業を知っている。お前は冷たくもなければ熱くもない。(いっそ)冷たいか熱ければよいのに!
前田訳わたしはなんじのわざを知る。冷たくも熱くもない。冷たいか熱いかであってほしい。
新共同「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
NIVI know your deeds, that you are neither cold nor hot. I wish you were either one or the other!

3章16節 かく(あつ)きにもあらず、(ひやや)かにもあらず、ただ微温(ぬるき)(ゆゑ)に、(われ)なんぢを()(くち)より()(いだ)さん。[引照]

口語訳このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
塚本訳私はお前がこんなに生暖くて、熱くも冷たくもないから、お前を口から吐き出そうとしている。
前田訳なんじが生ぬるく、熱くも冷たくもないゆえに、わたしは口からなんじを吐こうとする。
新共同熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
NIVSo, because you are lukewarm--neither hot nor cold--I am about to spit you out of my mouth.
註解: ここに「(ひやや)か」とは単に冷淡と云うよりもむしろ冷酷に、積極的にキリストに反対すること、回心前のパウロのごときものを指すと見るべきである。信仰は絶対的であり、また冒険的である。信仰の生活と調和せざるものにして微温のごときはない。キリストはかかるものを極端にきらい給う。全心全霊をもってキリストを愛するにあらざればむしろ反対に極端に彼を憎む方がかえって有望である。不徹底、曖昧は信仰の敵である。

3章17節 なんぢ、(われ)()めり、(ゆたか)なり、(とぼ)しき(ところ)なしと()ひて、(おの)(なや)める(もの)(あはれ)むべき(もの)(まづ)しき(もの)盲目(めしひ)なる(もの)(はだか)なる(もの)たるを()らざれば、[引照]

口語訳あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
塚本訳お前は、「自分は金持ちである。金持ちになった。何も足りないものは無い」と言うて(いる。なるほどお前には金がある。しかし)自分(の精神)が(どんなに)惨めな、かわいそうな、貧乏な、盲目な、裸な者である(かという)ことを知らない。
前田訳なんじはいう、自分は豊かで、富を積み重ねて来、何もこと欠かないと。そして知らない、自分がみじめで、あわれで、貧しく、目しいで裸であることを。
新共同あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
NIVYou say, `I am rich; I have acquired wealth and do not need a thing.' But you do not realize that you are wretched, pitiful, poor, blind and naked.
註解: ここに前節において非難を受けしラオデキヤの教会の実状が描かれている。すなわち彼らは彼らが霊的に非常に貧弱なる状態に在るに関らず、(ただ)にこれに気付かざるのみならず、かえって非常なる高ぶりと誤りとに陥りて自らを霊的に富めりと思惟するごとき状態に立到っている。事実彼らは18節に記されるごとく信仰にも真理にも知識にも徳行にも非常に欠乏していながらこれに心付かずにいるごとき状態であった。これ彼らは信仰を求め真理に(あこが)れることが熱烈でなかったからである。
辞解
[富めり] 物質に富めることを意味する語であるけれどもここではこれを霊的意味に用いている。
[豊なり] peploutêka 現在完了形の動詞で自ら先に豊なるものとなり今日も豊でいるとの意、霊的の意味に取る。
[乏しき所なし] 自ら充ち足れりと思う者は他に要求する処がない。かかるキリスト者ほど憐れむべきものはない。
[悩める者] ロマ7:25参照。
[貧しき者] 何らの霊的財宝をも所有せぬ者。
[盲目] 貧弱にして見すぼらしき姿、霊的事物を見分け得ざる状態をいう。
[裸なる者] 極貧者の姿、霊的には罪の中に在りて、これを掩うべき義の衣を所有せざること。

3章18節 (われ)なんぢに(すす)む、なんぢ(われ)より()にて()りたる(きん)()ひて()め、[引照]

口語訳そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
塚本訳(だ)から私はお前に勧める──(一つ)私から火で煉った金を買って(本当の)金持ちになり、白い着物を買って、着て、お前の裸体の恥じが露されないようにし、目に塗る眼薬を買って、見えるようになれ。
前田訳それゆえわたしから買うように勧める、富むために火で煉った金を、身につけて裸の恥を見られないために白い着物を、そして見えるように目につける目薬を。
新共同そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
NIVI counsel you to buy from me gold refined in the fire, so you can become rich; and white clothes to wear, so you can cover your shameful nakedness; and salve to put on your eyes, so you can see.
註解: 「金」は純粋なる信仰であって火に煉りてその(かす)を除けるもの、「我より」はキリストの賜物として信仰が与えられなければならないことを示す。かかる信仰ありて始めて富めりと云うことができる。財宝の富は信仰の富とは別事である。この富は「貧しき」に対す。なお「金」はラオデキヤに豊富であったのでここに特に例示したものであろう。以下もこれに同じ。

(しろ)(ころも)()ひて()(まと)ひ、

註解: 「白き衣」は義の衣である。ラオデキヤの名産は黒衣であった故これに対して白き衣の例を取りしものならん。彼らは真黒に罪に汚れている故に、罪を洗われ義の白衣を(まと)わなければならない。

なんぢの裸體(はだか)(はぢ)(あらは)さざれ、

註解: 「裸体」は罪の姿、我らはキリストを衣ることによりて裸体の恥を覆い隠される。創3:7

眼藥(めぐすり)()ひて(なんぢ)()()り、()ることを()よ。

註解: 「眼薬」は聖霊の剌戟である。これによりて始めて霊界の真理を見分けることができる。フリギヤ州には有名な眼薬を産せる由。▲「買ふ」ためには代価を払わなければならぬ。その代価はラオデキヤ人の富であって彼らはその凡てを売ってイエスの富を得なければならない。ルカ18:18−30。

3章19節 (すべ)てわが(あい)する(もの)は、(われ)これを(いまし)め、(これ)(こら)す。この(ゆゑ)に、なんぢ(はげ)みて悔改(くいあらた)めよ。[引照]

口語訳すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
塚本訳(何も私のこの烈しい言に驚くことはない。)私は愛する者を罰し、また躾る。だから熱心になって、(早く)悔い改めよ。
前田訳わたしは愛するものを皆こらしめ、しつける。それゆえ熱意をもち、悔い改めよ。
新共同わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
NIVThose whom I love I rebuke and discipline. So be earnest, and repent.
註解: 15−18節の激しき叱責は主がラオデキヤの信徒を愛し彼らを悔改めしめんがためであった。
辞解
[愛する] 人間的感情を豊に表わす phileô を用いし所以は、恐らく主は強き叱責を与えているにかかわらず彼らとの間に感情の疎隔(そかく)と云うごときことなく決して彼らを嫌い給いしにあらず、かえって彼らを愛するが故にかく叱責し給いしことを示す。
[戒め] elenchô は自己の過ちを確認せしめこれを暴露することより転じて叱責訓戒することを意味す。
[懲す] paideuô は子弟を訓練、教育することより転じて或は(むち)により或は艱難によりこれを懲しめることを意味す。故に paideuô は具体的方法を用いたる elenchô なり(S3、セーヤー)。
[励みて悔改めよ] 「励めかつ悔改めよ」で「励め」は熱心に求めよとの意、なおヘブ12:5以下、箴3:12と密接なる関係あり。

3章20節 ()よ、われ()(そと)()ちて(たた)く、(ひと)もし()(こゑ)()きて()(ひら)かば、(われ)その(うち)()りて(かれ)とともに(しょく)し、(かれ)もまた(われ)とともに(しょく)せん。[引照]

口語訳見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
塚本訳視よ、私は(お前の家の)戸の前に立って叩いている(ではないか)。もし私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私はそこに入って彼と一緒に、彼はまた私と一緒に食事をするであろう。
前田訳見よ、わたしは戸のところに立って叩く。わが声を聞いて戸を開く人があれば、その人のところへ行こう。そして、わたしは彼と、彼はわたしと、食を共にしよう。
新共同見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
NIVHere I am! I stand at the door and knock. If anyone hears my voice and opens the door, I will come in and eat with him, and he with me.
註解: 主イエスはかくもラオデキヤの高慢と微温とを責め給いつつも、しかもなお彼らを愛し、彼らの家の前に立ち戸を叩きて彼らの開くを待ち給う。彼は決して強制的に戸を押開かんとし給わない。そして熱心に主を求める者はこれを聞きつけて直ちに戸を開き主を迎へ、主と親しき霊交に入ることができる。
辞解
[共に食し] 共に食することは親しき霊の交わりを意味する。新約聖書において天国を饗宴に比較し(マタ8:11マタ26:29ルカ22:30)、主の再臨を戸を叩くことにたとえ(マタ24:33ルカ12:36ヤコ5:95マタ25:1以下)等より本節をキリストの再臨の場合の事柄と解し彼の再臨を迎うべきことを教えしものと解する説が近来の通説である(B3、S3、E0、H0)。しかしながら本節の場合にはむしろ現在のラオデキヤに対する主の愛を示したるものとして、これを現在における彼らの悔改めを要求し給いしものと解するを可とす(A1、Z0)。

3章21節 (かち)()(もの)には(われ)とともに()座位(くらゐ)()することを(ゆる)さん、(われ)(かち)()しとき、()(ちち)とともに()御座(みくら)()したるが(ごと)し。[引照]

口語訳勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
塚本訳勝利者には私と一緒に私の座に坐ることを許すであろう。丁度私が勝って、私の父と一緒に彼の玉座に坐ったように!
前田訳勝利者、彼に、わたしとともにわが座にすわることを許そう、わたしも勝ってわが父とともに彼の座にすわったように。
新共同勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
NIVTo him who overcomes, I will give the right to sit with me on my throne, just as I overcame and sat down with my Father on his throne.
註解: たとい現在において堕落し果てているラオデキヤの信者であっても悔改めてサタンと戦い、勝を得るものには神の国における最高の栄光が約束されているのを見る。キリストと共に同じ座位に坐して万民を支配することは無上の光栄でありそしてこれは同時に父の御座位であって最高の座位である。キリストも「勝を得しとき」この座位に坐し給うた。我らもまた勝ちつづけなければならぬ。
辞解
[勝を得しとき] 不定過去、ただしイエスの生涯は勝利に始まり勝利に終つた(ヨハ16:33)。そしてその最後の勝利は万民のために十字架につき給いし時でありその勝利の証拠はその復活であつた(マコ16:19エペ1:20ヘブ1:3ヘブ8:1ヘブ12:2)。不定過去は最後の勝利を指したものであろう。

3章22節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」』[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』」。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches."
要義1 [ラオデキヤの教会の状態]迫害らしき迫害もなく、異端によりて撹乱されることもなく、富裕にして財政的困難に悩まされることなきラオデキヤにおいては教会は自然に平穏無事に慣れ、この世の人々と異なることなき生活を送りながら、教会生活の外形の整美に自己満足を感じつつ、自ら誇って自己の霊的状態の貧弱さに心付かず、真理と正義とに対する熱愛なく、さりとてまた真理を迫害しこれを拒否するの勇気もなく、微温にして不徹底なる生活を送っていた。今日も富裕にして順境にある教会または信者にこの種の微温的信仰が多い。彼らの心は真理に対して鈍感となり、その心の戸はキリストに対して閉じられている。しかしながら彼らに救われる望みが無いのではなく、悔改めて心の中にキリストを迎うることによりて彼らといえども永遠の救いとその栄光とに入ることができる。
要義2 [微温的信仰]熱烈なる信仰とは一時に熱して間もなく冷える様な感情的なる信仰を言うのではなく、主イエスにその全身をささげ、正義の上に立ちて一歩も退かない信仰をいう。微温的信仰はこの世と戦うことが無い、故にこの世と歩調を合せ、世とその繁栄を共にすることができる。故にこの世において成功し、この世より歓迎されるごとき教会の陥る最大の危険は真理に対して鈍感となり微温となることである。主の最も嫌い給いしはこの種の者であった。キリスト者の生涯は戦闘の生涯である。微温であるべきではない。
要義3 [七つの教会について]2、3章の七つの教会は当時実在せる教会であり、各々録されるごとき長所と短所とを有っていたけれども、これは歴史的に見るも時代によりこの中の何れかに相当するごとき場合あり、また今日の諸教会もそれぞれ異なれる傾向を有し、またキリスト者の個人々々の間にも、これらの七つの教会の何れかの特徴に相当する場合を見るのであって、要するに七なる数の示すごとく七つの教会は時代的地域的に凡ての教会、凡てのキリスト者を網羅するものと考えることができる。
なお注意すべきことは各教会は、その長所とする処に同時に短所とも云うべきものが附随しており、各々主よリ賞詞と叱責とを受けているということである。地上の教会は如何なる意味においても完全無欠であることができないと同時に、悔改めて主の御言に従うことによって大なる報賞が約束せられているのである。
要義4 [キリストとの交り]アァメンたる者、忠実なる真なる証人たるキリストを戸外に立たしむる教会に真の生命は亡び失せてしまう。キリスト者の生命およびその戦闘とこれに伴う熱とは、キリストが彼らの心中に自由に出入し給うことによってのみ可能である。かくして自己の心の有りのままの姿をキリストによりて審判(さば)き、キリストに従いてサタンとの戦を戦う処に彼との霊交が行われる。自已に満足してキリストを受入れざる心の中には唯滅亡のみが宿っているに過ぎない。