黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版黙示録

黙示録第3章

分類
2 七つの教会への書簡 2:1 - 3:22
2-(5) サルデスの教会への書簡 3:1 - 3:6

3章1節 サルデスに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳サルデスにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『神の七つの霊と七つの星とを持つかたが、次のように言われる。わたしはあなたのわざを知っている。すなわち、あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる。
塚本訳また、サルデス教会の御使いに(手紙を)書け、神の七つの霊と、七つの星とを持つ者がこう言うと──私はお前の業を知っている。活きているという(えらい)評判はあるが、お前は死んでいる。
前田訳サルデスの集会の天使に書け。『こういいたもうのは神の七つの霊と七つの星を持ちたもうもの。わたしはなんじのわざを知る。生きるというは名ばかりで、じつは死んでいる。
新共同サルディスにある教会の天使にこう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星とを持っている方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
NIV"To the angel of the church in Sardis write: These are the words of him who holds the seven spirits of God and the seven stars. I know your deeds; you have a reputation of being alive, but you are dead.
辞解
[サルデス] テアテラの東南約五十キロの処にあり、四通八達(しつうはったつ)の道路の交差点でテアテラと同じく毛織物、染色業の中心地であつた。市民は昔より奢侈(しゃし)淫佚(いんいつ)とをもって有名であり、このことはまたそのキリスト教会にも影響を及ぼし活気なき信仰となった。ローマの地方庁あり皇帝礼拝が盛んであつた。

(かみ)(なな)つの(れい)(なな)つの(ほし)とを()(もの)かく()ふ、

註解: 黙1:4黙1:16 参照、サルデスの教会にとりてはその霊の働きが一層豊かなること、その教会の天的姿が一層秀でていることが必要であるためにこの姿におけるキリストが最も適当している。

われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、(なんぢ)()くる()あれど()にたる(もの)なり。

註解: 彼らの行為は不信者と何らの(えら)ぶ処なきものであった。これ彼らは名だけキリスト者であり、永遠に生きる者と自らも称し、人にも思わせていながら、実はその生命は死に瀕しており、有るか無きかの信仰であって何らの力ともなっていなかった。この眠れるごとき状態に在る教会は今日も到る処に存在する。

3章2節 なんぢ()(さま)し、(ほとん)()なんとする(のこり)のものを(かた)うせよ、(われ)なんぢの行爲(おこなひ)のわが(かみ)(まへ)(まった)からぬを()とめた(ればな)り。[引照]

口語訳目をさましていて、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたのわざが、わたしの神のみまえに完全であるとは見ていない。
塚本訳(早く)目を覚まして、死にそうになっていた(少しばかりの生き)残りのものを堅め(て生命を取り止め)よ。(人の前ではともかく、)私の神の前ではお前の業が完全でないことを私は見たのである。
前田訳目覚めよ。そして死にかけの残りのものを強めよ。わたしはなんじのわざが、わが神の前に成しとげられたとは思わない。
新共同目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。
NIVWake up! Strengthen what remains and is about to die, for I have not found your deeds complete in the sight of my God.
註解: 前節のごとき状態にある教会にとりて最も必要なることは目を覚すことと僅かに存する信仰の燃え残りを堅くしこれを育て上げることである。目を覚すことによって彼らは自己の如何なる状態にあるかに心付き、残りのものを堅くすることによりて、死滅を免れ、再び信仰の生涯に立還ることができる。キリストがこの命令を与え給える所以はこの教会の行為が神の聖前において充ち足りていることを認め給わなかったからである。▲「(まった)からぬを()とめた(ればな)り」の原文は口語訳および註のごとく「全きを見出さなかった」となる。
辞解
[全からぬ] plêroô ならず、欠陥だらけなること。
[我が神] マコ15:34ヨハ20:17 キリストは常に「我が父」と呼び給うた、この場合審判者としての父を考え給うたのである。

3章3節 ()れば(なんぢ)如何(いか)()けしか、如何(いか)()きしかを(おも)ひいで、(これ)(まも)りて悔改(くいあらた)めよ。もし()(さま)さずば、盜人(ぬすびと)のごとく(われ)きたらん、(なんぢ)わが(いづ)れの(とき)((なんじ)に)きたるかを()らざるべし。[引照]

口語訳だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない。
塚本訳だから、お前は(前に一体)何を(私から)受けたか、また(何を)聴いたか(、よくそれ)を思い出してみよ。そして、(その時受けたこと、聴いたことをしっかり)守って、(今直ぐに)悔い改めよ。それで、もし目を覚まさなければ、私は泥棒のようにやって来る。そして何時私がお前の所に来るかを、お前は決して知らないであろう。
前田訳思い出せ、いかに受け、また聞いたかを。それを守って悔い改めよ。もし目覚めねば、わたしは盗びとのように行こう。なんじはいつわたしがそちらに行くか知るまい。
新共同だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決して分からない。
NIVRemember, therefore, what you have received and heard; obey it, and repent. But if you do not wake up, I will come like a thief, and you will not know at what time I will come to you.
註解: 彼らはかつて(不定過去動詞)非常なる熱心をもって福音を聴き (ロマ10:17ガラ3:2) 大なる喜びをもってこれを受けて今日に至った(完了動詞)。この信仰の始めを思い起すことは何人にも必要なことである。そしてその初めの態を守りつづけ(現在命令動詞)、今日の惰眠の状態より断然悔改めよ(不定過去命令動詞)、名のみの信仰の上に惰眠を貪っている者には主イエスの再臨は不信者に対すると同じく盗人のごとく突然に襲い来るであろう(マタ24:43。およびその引照)。名義のみの信仰をもって安心している者に対する恐るべき警戒である。

3章4節 ()れどサルデスにて(ころも)(けが)さぬもの數名(すめい)あり、(かれ)らは(しろ)(ころも)()(われ)とともに(あゆ)まん、()くするに相應(ふさは)しき(もの)なればなり。[引照]

口語訳しかし、サルデスにはその衣を汚さない人が、数人いる。彼らは白い衣を着て、わたしと共に歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である。
塚本訳しかし、サルデスにも(穢れた生活によって)その着物を汚さなかった者が少数はある。彼らは(来るべき王国で)白い着物を来て私と一緒に歩くであろう。彼らはそうすることを許されるに相応しい。(彼らは潔く生きている)からである。
前田訳しかしサルデスにはその着物を汚さなかった人が、わずかながらいる。彼らは白い装いでわたしとともに歩もう。それは彼らにふさわしい。
新共同しかし、サルディスには、少数ながら衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着てわたしと共に歩くであろう。そうするにふさわしい者たちだからである。
NIVYet you have a few people in Sardis who have not soiled their clothes. They will walk with me, dressed in white, for they are worthy.
註解: サルデス教会の死せる信仰は世の罪と戦う力が無く汚れたる行為となって顕われた。然るにかかる惰気満々たる教会の中にも数人の例外的信仰の選良が存在した。彼らは一般的堕落と無気力の中に在りて唯独り信仰に立ち、罪の汚れに染まずその純潔を維持した。少数とはいえ彼らは神の前に貴き魂である。イエスは彼らを彼とともに同じ装をもって神の国に歩むに相応しき者と唱え給う
辞解
[衣を汚す] ユダ1:23。これを性的汚穢のみに限る説あれど(Z0)一般的に罪に汚されることと解するを可とす(B3、S3、E0、A1)。
[白き衣] キリストにより贖われしものの義または勝利を示す衣である(引照3、4を見よ)。
[我とともに歩まん] アダムは罪に陥る前に神と共に歩んだ。エノクも然り、勝を得しキリスト者は神の国においてキリストと共に歩むことができる。

3章5節 (かち)()(もの)(かく)のごとく(しろ)(ころも)()せられん、(われ)その()生命(いのち)(ふみ)より()(おと)さず、()(ちち)のまへと御使(みつかひ)(まへ)とにてその()()ひあらはさん。[引照]

口語訳勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。
塚本訳(しかし)勝利者は(誰でも皆、)このように白い着物を着せられるであろう。そして私はその名を決して生命の書から消さず、また、私の父の前とその御使い達の前でその名を告白するであろう。
前田訳勝利者は白い着物を着せられよう。わたしはその名をいのちの書から取り去らず、その名をわが父と天使たちの前でいいあらわそう。
新共同勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。わたしは、彼の名を決して命の書から消すことはなく、彼の名を父の前と天使たちの前で公に言い表す。
NIVHe who overcomes will, like them, be dressed in white. I will never blot out his name from the book of life, but will acknowledge his name before my Father and his angels.
註解: さらに三つの美しき約束が勝を得る者に対して与えられる。その一は信者自身の美わしき姿を示すために勝利純潔、天的生活の徴なる白き衣を着されること、その二は彼の救いの確実なることの証拠として救われる者の名簿なる生命の書よりその名は消されることなきこと、その三はイエスが父なる神とその御使たちの前にて彼らの名を告白して神の民なることを証明し給うこと (マタ10:32ルカ12:8) である。これによりて彼らの天国における地位は確定される。その反対に罪に衣を汚す者はその名は生命の書より抹消され、イエスは神の前に彼らを知らずと言い給うであろう。
辞解
[生命の書] 旧約時代より生命の書の思想があつた。(出32:32詩69:28)。

3章6節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
註解: 黙2:7参照。
要義1 [サルデスの教会の状態]黙3:1−6によリ判断すればサルデスは商工業の都市だけあって実際家多くまた迫害等少かりしため信徒は一般に理想低く元気なく、またその生活態度もこの世の力に引込まれ易く、キリスト者とは名のみであって、実はその信仰は死にたる信仰であり、何らよきものをその中より期待し得ざるごとき状態にあった。従ってその行為も堕落して罪悪を罪悪と感じなくなるに至った。かかる一般的無活気の中にありて唯少数の真実なる信者のみ宝石のごとくに輝いていた。今日も我ら往々にしてこの種の教会を目撃することがある。
要義2 [名のみの信仰]最も警戒しなければならないのは名のみ立派な信者であって実なき場合である。あるいは教会の正会員であり洗礼を受け晩餐に列し献金をなし凡ての点より見て完全にキリスト者の名に叶うごとくに見えてしかもその信仰が死んでいる者がある。また聖書に精通し、神学は正統的であり、純福音を信ずと称してしかもその信仰が生命なきものがある。かかる人は自ら天国の民たる資格を有するものと考えているけれども、キリストはかかる者の上に盗人のごとくに来り給うことを宣言しその名を生命の書より消し落すことを明かにし給う。名のみの信者は恐れなければならない。
要義3 [信仰が死に至る原因]恐るべきは信仰が死んで名のみとなることである。そして信仰が死に至る主なる理由は、植物や動物の場合と同じく(1)栄養分や水分に不足すること。(2)反対にあまりにそれが多過ぎること。(3)害虫黴菌(ばいきん)等を除かざること。(4)自己の力以上の困難に進んで自己をさらすこと。(5)あまりに安佚(あんいつ)なる生活を求めて世との戦を為さざること等である。我らは甚深(じんしん)の注意をもって我らの信仰の生命を(はぐく)まなければならない。
要義4 [目を覚してキリストの来り給うを待つべし]キリストの来り給うを目を覚して待つこと、あたかも花婿の来るを待つ乙女のごとくでなければならない。かかる心は常に主を望み、その潔きがごとく己を潔くし主の前に瑕なからんことを欲する心である。かかる者には神の御霊豊かに与えられ、その教会には天的の光輝がかがやき出づるに至るのである。

2-(6) ヒラデルヒヤの教会への書簡 3:7 - 3:13

3章7節 ヒラデルヒヤにある教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。
塚本訳また、ヒラデルヒヤ教会の御使いに(手紙を)書け、聖なる者、真実なる者、ダビデの(家の)鍵を有ち、開けば閉ずる者なく、閉ずれば開く者なき者がこう言うと──
前田訳フィラデルフィアの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、聖なるもの、真なるもの、ダビデの鍵を持ちたもうもの。彼が開けばだれも閉じず、彼が閉じればだれも開かない。
新共同フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Philadelphia write: These are the words of him who is holy and true, who holds the key of David. What he opens no one can shut, and what he shuts no one can open.
辞解
[ヒラデルヒヤ] サルデスの東南にあり、地震地帯にある一都市で紀元一七年の震災で破壊されたのをチベリウス帝によって再建されたものである。交通の要路にあり富裕なる商業都市であつた。教会はむしろ小さくかつ微力であつたらしく見えるけれども(8節)その質においては主の賞讃に値するものであつた。そして教会に対する困難は主として外部よりユダヤ人によりて起された。

(せい)なるもの(まこと)なる(もの)、ダビデの(かぎ)()ちて、(ひら)けば()づる(もの)なく、()づれば(ひら)(もの)なき(もの)かく()ふ、

註解: ここにイエスはダビデの裔なる真のメシヤであって天国の鍵を所有し給うものとして表顕されている。たしかにヒラデルヒヤにはユダヤ人の反対が盛んであって(9節)イエスのメシヤ(キリスト)たることを拒んでいたからである。
辞解
[聖なるもの] 「聖者」または「神の聖者」なる称呼はメシヤを指す (マコ1:24ルカ4:34ヨハ6:69)。
[真なる者] hoalêthinos は虚偽の反対の真実ではなく偽物の反対の本物の意味で、イエスこそ正真正銘のメシヤに在し給うことを示す。
[ダビデの鍵] メシヤはダビデの子孫であり天国の鍵の所有者として考えられた(イザ22:22)。天国の門の開閉は全く彼の権威の中に在る。そして彼はこの権威を使徒たちおよび弟子たちに与え給うた (マタ16:19マタ18:18)。

3章8節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、()よ、(われ)なんぢの(まへ)(ひら)けたる(もん)()く、これを()()(もの)なし。[引照]

口語訳わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
塚本訳私はお前の(善い)業を知っている。(だから)視よ、私は(お前を王国に入れるために、)お前の前に(広く)開いた門を置いてやった。誰もそれを閉ずることは出来ない。(何故なら、)お前は(この世にほんの)少しの勢力しか有たないのに、(よく)私の言を守って、(どんな場合にも決して)私の名を否まなかったからである。
前田訳わたしはなんじのわざを知る。見よ、わたしはなんじの前に戸を開いてあげる。だれもそれを閉じえない。なんじの持つ力は小さいが、わがことばを守り、わが名を否まなかったから。
新共同「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。
NIVI know your deeds. See, I have placed before you an open door that no one can shut. I know that you have little strength, yet you have kept my word and have not denied my name.
註解: ヒラデルヒヤに対しては主は唯賞揚の言のみを発し給う、イエスは彼らの行為を見て彼らのために天国の門を開き何人にも妨げられずに神の国に入り得ることを約束し給う。
辞解
[開けたる門] パウロは多くの場合これを福音を宣伝える道が開かれしことに用いているので (使14:27Tコリ16:9Uコリ2:12コロ4:3) 本節の場合もこれをかく解する学者が多い(S3、A1、H0)、そして「視よ」以下を括弧に入れ「汝すこしの力あり」以下を「汝の行為」の説明と見る。しかしかく解するよりも前節の開閉の鍵と関連させて上掲註のごとくに解するを可とす(B3、Z0、E0)以下はその理由と見る。

(なんぢ)すこしの(ちから)ありて()(ことば)(まも)り、()()(いな)まざりき。

註解: 私訳「そは汝少しの力あるのみなるに我が言を守り我が名を否まざりし故なり」。「少しの力」は信者たちの身分、地位、資産等が有力にあらざること、それにもかかわらずかつてキリストの命令を守り、また彼に対してはあくまでも忠実であったことが神より開けたる門を与えられる理由となる。

3章9節 ()よ、(われ)サタンの(くわい)、すなはち(みづか)らユダヤ(びと)(とな)へてユダヤ(びと)にあらず、ただ虚僞(いつはり)をいふ(もの)(うち)より(ある)(もの)をして(なんぢ)足下(あしもと)(きた)(はい)せしめ、わが(なんぢ)(あい)せしことを()らしめん。[引照]

口語訳見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。
塚本訳(だから)視よ、私はサタンの会堂(の或る者、)すなわち(自分で)自分をユダヤ人であると称えながら、(その実決して真の)ユダヤ人でなく、かえって虚言をつく者の或る者に、こうさせる──視よ、私は彼らをしてお前の足下に来て(お前を)拝ませる。そして、(その時)彼らは(はじめて、)私がお前を愛していたことを知るであろう。"         
前田訳見よ、わたしはサタンの会堂のものを連れて来る。彼らは自らユダヤ人というが、じつはそうではなく、うそをついている。見よ、わたしは彼らがなんじの足もとに来てひれ伏し、わたしがなんじを愛したと知るようにしよう。
新共同見よ、サタンの集いに属して、自分はユダヤ人であると言う者たちには、こうしよう。実は、彼らはユダヤ人ではなく、偽っているのだ。見よ、彼らがあなたの足もとに来てひれ伏すようにし、わたしがあなたを愛していることを彼らに知らせよう。
NIVI will make those who are of the synagogue of Satan, who claim to be Jews though they are not, but are liars--I will make them come and fall down at your feet and acknowledge that I have loved you.
註解: 黙2:9註参照。最後の審判の日至り、キリストに在る者は万有を支配する権を与えられる、これキリストが彼らを愛し給うが故である。それ故に現在ユダヤ人(彼らは真のユダヤ人と称する資格がないが、黙2:9註参照)は虚偽を語りてキリスト者を誹謗し、迫害し、その結果キリスト者は苦難と圧迫の中に置かれているけれども、最後の審判の日至らば、キリスト者はキリストと共に万民の支配者となり、ユダヤ人の中のある者は悔改めてキリストを信ずるに至り、その結果今迫害者として暴威を振っているユダヤ人は、今圧迫せられているキリスト者の足下に来りて、彼らを拝せざるを得ない時が来るのである。ユダヤ人は今メシヤに愛せられるものは自分たちであると信じているけれども、その時に至ればキリスト(すなわちメシヤ)に愛せられしものは思いがけなくもキリスト者であったことを彼らは知らしめられる。

3章10節 (なんぢ)わが忍耐(にんたい)(ことば)(まも)りし(ゆゑ)に、(われ)なんぢを(まも)りて、()()(もの)どもを(こころ)むるために全世界(ぜんせかい)(きた)らんとする試錬(こころみ)のときに(まぬか)れしめん。[引照]

口語訳忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。
塚本訳お前は私の忍耐(に傚って忍耐し、これについて私)の言を(よく)守っ(てくれ)たから、私もまた、地上に住む者を試煉るため全世界に臨もうとしている試煉の時に、お前を守るであろう。
前田訳なんじはわが忍耐のことばを守ったから、わたしもなんじを試みの時から守ろう。それは地に住むものを試みるために、全世界にのぞもうとしている。
新共同あなたは忍耐についてのわたしの言葉を守った。それゆえ、地上に住む人々を試すため全世界に来ようとしている試練の時に、わたしもあなたを守ろう。
NIVSince you have kept my command to endure patiently, I will also keep you from the hour of trial that is going to come upon the whole world to test those who live on the earth.
註解: キリストの再臨を待望みて忍耐する者はキリストの守りにより再臨に先立ちて全世界に臨む大苦難を免れる。
辞解
[わが忍耐の言] (1)忍耐を教えしキリストの言、(2)キリストの忍耐に(なら)うべしと教える言(S3、A1)、(3)キリストを待望むべきことを教えし言(Z0)等種々の解あり、(2)を採る。
[忍耐] hupomonê はキリストがユダヤ人の凡ての誤解と迫害とを耐え忍び給えることを指す(Uテサ3:5)。
[地に住む者] 「天に住む者」の反対で神を知らずキリストを信ぜざる状態において生活するもの (黙6:10黙8:13黙13:8黙13:12黙13:14黙17:2黙17:8) 。地に「住む」はkatoikeô を用い、天に「住む」は skênoô ですなわち天幕生活をなすことを意味す、神の幕屋にいること。
[全世界に来らんとする試錬] キリスト再臨の前には全世界に大困難が及ぶことは一般黙示文学に共通の思想であつた (黙7:14黙13:10黙14:12マタ24:21以下) 。
[とき] hôra は一時期。
[免れしめん] ek で困難に遭わないのではなく困難の中に守られてこれを脱出することができることを意味す。また試錬は聖徒のみに与えられると解する説も誤れり。

3章11節 われ(すみや)かに(きた)らん、(なんぢ)()つものを(まも)りて、(なんぢ)冠冕(かんむり)(ひと)(うば)はれざれ。[引照]

口語訳わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。
塚本訳私は直に来る。(だから今)有っているものを(確り)握って、誰にもお前の(光栄の)冠を取られないようにせよ。
前田訳わたしはすみやかに来る。なんじの持つものを守れ、だれもなんじの冠を取らぬように。
新共同わたしは、すぐに来る。あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。
NIVI am coming soon. Hold on to what you have, so that no one will take your crown.
註解: 「われ速かに来らん」は本書の中心であり、信ぜざる者には恐れを、信ずる者には慰めを与う。「汝の有つ処のもの」は如何に微少であってもこれを確保することによりて救われる。信仰はその大小よりもその確乎たるや否やが重要なる問題である。
辞解
[汝の有つものを守りて] 黙2:25参照。
[冠冕(かんむり)] 黙2:10参照。
[奪はれざれ] 盗賊より奪われる意味よりも、競争者によりて奪い去られる貌。

3章12節 われ(かち)()(もの)()(かみ)聖所(せいじょ)(はしら)とせん、(かれ)(ふたた)(そと)()でざるべし、[引照]

口語訳勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。
塚本訳勝利者はこれを私の神の宮における柱にしよう。そして最早決して外に(離れ)出ることがないであろう。また私はその上に、私の神の名と、天から、私の神から降って来る新しいエルサレム、(すなわち)私の神の都の名と、私の新しい名とを書くであろう。
前田訳勝利者、彼をわたしは神の宮の柱としよう。彼はもはや外に出ることはない。わたしは彼の上にわが神の名と、わが神の都、すなわち天のわが神から下る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書こう。
新共同勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱にしよう。彼はもう決して外へ出ることはない。わたしはその者の上に、わたしの神の名と、わたしの神の都、すなわち、神のもとから出て天から下って来る新しいエルサレムの名、そして、わたしの新しい名を書き記そう。
NIVHim who overcomes I will make a pillar in the temple of my God. Never again will he leave it. I will write on him the name of my God and the name of the city of my God, the new Jerusalem, which is coming down out of heaven from my God; and I will also write on him my new name.
註解: 勝者に対する約束は天国において重要にして不動なる地位を与えられることである。彼は再びその場所より動かされることが無い。7節以下凡て建物に関する譬をもって説明されることに注意すべし。
辞解
[聖所の柱] ソロモンの神殿とかその他の宮を指したのではなく、譬喩的に用いられ(Tテモ3:15ガラ2:9)、宮の建物の支柱としての重要なる地位、または確乎たる不動の地位を指す、この場合この雙方を意味するものと見ることを得。その中の後者をば「再び外に出でざるべし」をもって説明している。

(また)かれの(うへ)に、わが(かみ)()および()(かみ)(みやこ)、すなはち(てん)より()(かみ)より(くだ)(あたら)しきエルサレムの()と、()(あたら)しき()とを()(しる)さん。

註解: 額に名を記すことはそのものの所属なることを意味する(黙13:17黙14:1)。ここに彼の上に神と新しきエルサレムとキリストの新しき名との三つの名が記される。これによりて彼が神の所属であり、新しきエルサレム(黙21:2ガラ4:26)すなわち神の国の市民であり、また新しき名を有ち給うキリスト(栄光をもって再び来給うキリストは新なる資格をもって神の国の支配者となり給う)に属することを示す。ゆえに現在はこの世において無視される無名の一匹夫(ひっぷ)であっても大なる希望をもって生きることができる。

3章13節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches.
要義1 [ヒラデルヒヤの教会の状態]7−13節によりほぼ察する処によれば、その信仰は偉大なる信仰ではなかったけれども堅い不動の信仰であった。それ故に主よリ特別の非難を受けなかった。この種の信仰は特に目立たないけれども14節以下のラオデキヤの信仰のごとき微温ではなく、賞揚に値する堅実性を有っているところの信仰であった。キリストを否まずして他よりの誤解と嫌忌と迫害とを忍耐することは、神を知らざる世界においては容易なることではない。七つの教会の中、この教会のみが主の叱責を受けないのは故あることである。
要義2 [堅き信仰]熱し易い信仰はまた冷め易く、微温の信仰は無信仰に劣る(黙3:16)。たとい「すこしの力」(黙3:8)に過ぎないとしても、イエスをキリストと信ずる信仰に立ち、イエスの言を守りて正しき行為を為し、そして如何なる患難の中にもこれを守リて動かざる堅実にして不動なる信仰は貴い信仰であり、かかる信仰に対して主は天国の門を開き、大なる患難を通過してその中に入らしめこれに勝利の冠冕(かんむり)を与えて彼を天国の聖所の柱たらしめ給う。たとい(からし)種程の信仰であっても、我らはこれを堅く保ち、我らの冠冕(かんむり)を人に奪われざることが必要である。
要義3 [試錬の時より免れ出づること]キリスト者は試錬に遭わないというのではなく、その中より(ek)守られ救われることを意味する。試錬の大きさは真のキリスト者と然らざる人々との間に差異はない。唯それより免れ出づる力を与えられるや否やの点に差異を生ずる。

2-(7) ラオデキヤの教会への書簡 3:14 - 3:22

3章14節 ラオデキヤに()教會(けうくわい)使(つかひ)()きおくれ。[引照]

口語訳ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『アァメンたる者、忠実な、まことの証人、神に造られたものの根源であるかたが、次のように言われる。
塚本訳また、ラオデキヤ教会の御使いに(手紙を)書け、アーメンである者、忠実な、真実な証人、神の創造の本源である者がこう言うと──
前田訳ラオデキアの集会の天使に書け。『こういいたもうのはアーメンのもの、忠実で真実の証人、神の創造のはじめのもの。
新共同ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。
NIV"To the angel of the church in Laodicea write: These are the words of the Amen, the faithful and true witness, the ruler of God's creation.
辞解
[ラオデキヤ] フリギヤ州の一市でヒラデルヒヤの東南七十キロ、メアンデル川の支流リコス河の谷間にあり、紀元前三世紀にシリア王アンテオクス二世(紀元前261-247)の建設せる都市である。商業の中心地でありかつ毛氈(もうせん)の製造が盛んなる富裕の都市であつたので紀元六十年の大震災に際してもその復興のためにローマ国庫の補助を拒否せるほどであつた。ヒエラポリスおよびコロサイに近くパウロはこの三つの教会に回覧の書簡を送つた。コロサイ書とエペソ書はそれであろう(コロ2:1コロ4:13-16)。

「アァメンたる(もの)忠實(ちゅうじつ)なる(まこと)なる證人(しょうにん)

註解: キリストの真実性を高調す。微温の信仰は不真実の結果である。
辞解
[アァメンたる者] アァメンはヘブル語にて「誠に」の意、イザ65:16の「真実の神」は原語「アァメンの神」。イエスは「誠に誠に汝らに告ぐ」なる語を常に用い給いし故これをもってイエスを指したものであろう。
[忠実なる証人] 黙1:5註参照。「真なる証人」は証人として真正なるものの意、神より遣わされし真の証人。

(かみ)(つく)(たま)ふものの本源(ほんげん)たる(もの)かく()ふ、

註解: 直訳は「神の被造物の初め」で一見キリストも被造物の中に属するがごとくに見えるけれどもコロ1:15コロ1:18黙21:6黙22:13等によりて明かなるごとくキリストは無限の初めより無限の終りに至る存在で凡ての被造物よりも先に存在し給えることを示す。なお箴8:22の七十人訳参照。

3章15節 われ(なんぢ)行爲(おこなひ)()る、なんぢは(ひやや)かにもあらず(あつ)きにもあらず、(われ)はむしろ(なんぢ)(ひやや)かならんか、(あつ)からんかを(ねが)ふ。[引照]

口語訳わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。
塚本訳私はお前の業を知っている。お前は冷たくもなければ熱くもない。(いっそ)冷たいか熱ければよいのに!
前田訳わたしはなんじのわざを知る。冷たくも熱くもない。冷たいか熱いかであってほしい。
新共同「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。
NIVI know your deeds, that you are neither cold nor hot. I wish you were either one or the other!

3章16節 かく(あつ)きにもあらず、(ひやや)かにもあらず、ただ微温(ぬるき)(ゆゑ)に、(われ)なんぢを()(くち)より()(いだ)さん。[引照]

口語訳このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。
塚本訳私はお前がこんなに生暖くて、熱くも冷たくもないから、お前を口から吐き出そうとしている。
前田訳なんじが生ぬるく、熱くも冷たくもないゆえに、わたしは口からなんじを吐こうとする。
新共同熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。
NIVSo, because you are lukewarm--neither hot nor cold--I am about to spit you out of my mouth.
註解: ここに「(ひやや)か」とは単に冷淡と云うよりもむしろ冷酷に、積極的にキリストに反対すること、回心前のパウロのごときものを指すと見るべきである。信仰は絶対的であり、また冒険的である。信仰の生活と調和せざるものにして微温のごときはない。キリストはかかるものを極端にきらい給う。全心全霊をもってキリストを愛するにあらざればむしろ反対に極端に彼を憎む方がかえって有望である。不徹底、曖昧は信仰の敵である。

3章17節 なんぢ、(われ)()めり、(ゆたか)なり、(とぼ)しき(ところ)なしと()ひて、(おの)(なや)める(もの)(あはれ)むべき(もの)(まづ)しき(もの)盲目(めしひ)なる(もの)(はだか)なる(もの)たるを()らざれば、[引照]

口語訳あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。
塚本訳お前は、「自分は金持ちである。金持ちになった。何も足りないものは無い」と言うて(いる。なるほどお前には金がある。しかし)自分(の精神)が(どんなに)惨めな、かわいそうな、貧乏な、盲目な、裸な者である(かという)ことを知らない。
前田訳なんじはいう、自分は豊かで、富を積み重ねて来、何もこと欠かないと。そして知らない、自分がみじめで、あわれで、貧しく、目しいで裸であることを。
新共同あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。
NIVYou say, `I am rich; I have acquired wealth and do not need a thing.' But you do not realize that you are wretched, pitiful, poor, blind and naked.
註解: ここに前節において非難を受けしラオデキヤの教会の実状が描かれている。すなわち彼らは彼らが霊的に非常に貧弱なる状態に在るに関らず、(ただ)にこれに気付かざるのみならず、かえって非常なる高ぶりと誤りとに陥りて自らを霊的に富めりと思惟するごとき状態に立到っている。事実彼らは18節に記されるごとく信仰にも真理にも知識にも徳行にも非常に欠乏していながらこれに心付かずにいるごとき状態であった。これ彼らは信仰を求め真理に(あこが)れることが熱烈でなかったからである。
辞解
[富めり] 物質に富めることを意味する語であるけれどもここではこれを霊的意味に用いている。
[豊なり] peploutêka 現在完了形の動詞で自ら先に豊なるものとなり今日も豊でいるとの意、霊的の意味に取る。
[乏しき所なし] 自ら充ち足れりと思う者は他に要求する処がない。かかるキリスト者ほど憐れむべきものはない。
[悩める者] ロマ7:25参照。
[貧しき者] 何らの霊的財宝をも所有せぬ者。
[盲目] 貧弱にして見すぼらしき姿、霊的事物を見分け得ざる状態をいう。
[裸なる者] 極貧者の姿、霊的には罪の中に在りて、これを掩うべき義の衣を所有せざること。

3章18節 (われ)なんぢに(すす)む、なんぢ(われ)より()にて()りたる(きん)()ひて()め、[引照]

口語訳そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
塚本訳(だ)から私はお前に勧める──(一つ)私から火で煉った金を買って(本当の)金持ちになり、白い着物を買って、着て、お前の裸体の恥じが露されないようにし、目に塗る眼薬を買って、見えるようになれ。
前田訳それゆえわたしから買うように勧める、富むために火で煉った金を、身につけて裸の恥を見られないために白い着物を、そして見えるように目につける目薬を。
新共同そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。
NIVI counsel you to buy from me gold refined in the fire, so you can become rich; and white clothes to wear, so you can cover your shameful nakedness; and salve to put on your eyes, so you can see.
註解: 「金」は純粋なる信仰であって火に煉りてその(かす)を除けるもの、「我より」はキリストの賜物として信仰が与えられなければならないことを示す。かかる信仰ありて始めて富めりと云うことができる。財宝の富は信仰の富とは別事である。この富は「貧しき」に対す。なお「金」はラオデキヤに豊富であったのでここに特に例示したものであろう。以下もこれに同じ。

(しろ)(ころも)()ひて()(まと)ひ、

註解: 「白き衣」は義の衣である。ラオデキヤの名産は黒衣であった故これに対して白き衣の例を取りしものならん。彼らは真黒に罪に汚れている故に、罪を洗われ義の白衣を(まと)わなければならない。

なんぢの裸體(はだか)(はぢ)(あらは)さざれ、

註解: 「裸体」は罪の姿、我らはキリストを衣ることによりて裸体の恥を覆い隠される。創3:7

眼藥(めぐすり)()ひて(なんぢ)()()り、()ることを()よ。

註解: 「眼薬」は聖霊の剌戟である。これによりて始めて霊界の真理を見分けることができる。フリギヤ州には有名な眼薬を産せる由。▲「買ふ」ためには代価を払わなければならぬ。その代価はラオデキヤ人の富であって彼らはその凡てを売ってイエスの富を得なければならない。ルカ18:18-30

3章19節 (すべ)てわが(あい)する(もの)は、(われ)これを(いまし)め、(これ)(こら)す。この(ゆゑ)に、なんぢ(はげ)みて悔改(くいあらた)めよ。[引照]

口語訳すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。
塚本訳(何も私のこの烈しい言に驚くことはない。)私は愛する者を罰し、また躾る。だから熱心になって、(早く)悔い改めよ。
前田訳わたしは愛するものを皆こらしめ、しつける。それゆえ熱意をもち、悔い改めよ。
新共同わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。
NIVThose whom I love I rebuke and discipline. So be earnest, and repent.
註解: 15−18節の激しき叱責は主がラオデキヤの信徒を愛し彼らを悔改めしめんがためであった。
辞解
[愛する] 人間的感情を豊に表わす phileô を用いし所以は、恐らく主は強き叱責を与えているにかかわらず彼らとの間に感情の疎隔(そかく)と云うごときことなく決して彼らを嫌い給いしにあらず、かえって彼らを愛するが故にかく叱責し給いしことを示す。
[戒め] elenchô は自己の過ちを確認せしめこれを暴露することより転じて叱責訓戒することを意味す。
[懲す] paideuô は子弟を訓練、教育することより転じて或は(むち)により或は艱難によりこれを懲しめることを意味す。故に paideuô は具体的方法を用いたる elenchô なり(S3、セーヤー)。
[励みて悔改めよ] 「励めかつ悔改めよ」で「励め」は熱心に求めよとの意、なおヘブ12:5以下、箴3:12と密接なる関係あり。

3章20節 ()よ、われ()(そと)()ちて(たた)く、(ひと)もし()(こゑ)()きて()(ひら)かば、(われ)その(うち)()りて(かれ)とともに(しょく)し、(かれ)もまた(われ)とともに(しょく)せん。[引照]

口語訳見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
塚本訳視よ、私は(お前の家の)戸の前に立って叩いている(ではないか)。もし私の声を聞いて戸を開ける者があれば、私はそこに入って彼と一緒に、彼はまた私と一緒に食事をするであろう。
前田訳見よ、わたしは戸のところに立って叩く。わが声を聞いて戸を開く人があれば、その人のところへ行こう。そして、わたしは彼と、彼はわたしと、食を共にしよう。
新共同見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
NIVHere I am! I stand at the door and knock. If anyone hears my voice and opens the door, I will come in and eat with him, and he with me.
註解: 主イエスはかくもラオデキヤの高慢と微温とを責め給いつつも、しかもなお彼らを愛し、彼らの家の前に立ち戸を叩きて彼らの開くを待ち給う。彼は決して強制的に戸を押開かんとし給わない。そして熱心に主を求める者はこれを聞きつけて直ちに戸を開き主を迎へ、主と親しき霊交に入ることができる。
辞解
[共に食し] 共に食することは親しき霊の交わりを意味する。新約聖書において天国を饗宴に比較し(マタ8:11マタ26:29ルカ22:30)、主の再臨を戸を叩くことにたとえ(マタ24:33ルカ12:36ヤコ5:95)またこれを迎えることを婚筵に新郎を迎える処女に比較すること(マタ25:1以下)等より本節をキリストの再臨の場合の事柄と解し彼の再臨を迎うべきことを教えしものと解する説が近来の通説である(B3、S3、E0、H0)。しかしながら本節の場合にはむしろ現在のラオデキヤに対する主の愛を示したるものとして、これを現在における彼らの悔改めを要求し給いしものと解するを可とす(A1、Z0)。

3章21節 (かち)()(もの)には(われ)とともに()座位(くらゐ)()することを(ゆる)さん、(われ)(かち)()しとき、()(ちち)とともに()御座(みくら)()したるが(ごと)し。[引照]

口語訳勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。
塚本訳勝利者には私と一緒に私の座に坐ることを許すであろう。丁度私が勝って、私の父と一緒に彼の玉座に坐ったように!
前田訳勝利者、彼に、わたしとともにわが座にすわることを許そう、わたしも勝ってわが父とともに彼の座にすわったように。
新共同勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。
NIVTo him who overcomes, I will give the right to sit with me on my throne, just as I overcame and sat down with my Father on his throne.
註解: たとい現在において堕落し果てているラオデキヤの信者であっても悔改めてサタンと戦い、勝を得るものには神の国における最高の栄光が約束されているのを見る。キリストと共に同じ座位に坐して万民を支配することは無上の光栄でありそしてこれは同時に父の御座位であって最高の座位である。キリストも「勝を得しとき」この座位に坐し給うた。我らもまた勝ちつづけなければならぬ。
辞解
[勝を得しとき] 不定過去、ただしイエスの生涯は勝利に始まり勝利に終つた(ヨハ16:33)。そしてその最後の勝利は万民のために十字架につき給いし時でありその勝利の証拠はその復活であつた(マコ16:19エペ1:20ヘブ1:3ヘブ8:1ヘブ12:2)。不定過去は最後の勝利を指したものであろう。

3章22節 (みみ)ある(もの)御靈(みたま)(しょ)教會(けうくわい)()(たま)ふことを()くべし」』[引照]

口語訳耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』」。
塚本訳耳を有っている者は、御霊が(全)教会に何と言い給うかを聴け。
前田訳耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』」。
新共同耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」
NIVHe who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches."
要義1 [ラオデキヤの教会の状態]迫害らしき迫害もなく、異端によりて撹乱されることもなく、富裕にして財政的困難に悩まされることなきラオデキヤにおいては教会は自然に平穏無事に慣れ、この世の人々と異なることなき生活を送りながら、教会生活の外形の整美に自己満足を感じつつ、自ら誇って自己の霊的状態の貧弱さに心付かず、真理と正義とに対する熱愛なく、さりとてまた真理を迫害しこれを拒否するの勇気もなく、微温にして不徹底なる生活を送っていた。今日も富裕にして順境にある教会または信者にこの種の微温的信仰が多い。彼らの心は真理に対して鈍感となり、その心の戸はキリストに対して閉じられている。しかしながら彼らに救われる望みが無いのではなく、悔改めて心の中にキリストを迎うることによりて彼らといえども永遠の救いとその栄光とに入ることができる。
要義2 [微温的信仰]熱烈なる信仰とは一時に熱して間もなく冷える様な感情的なる信仰を言うのではなく、主イエスにその全身をささげ、正義の上に立ちて一歩も退かない信仰をいう。微温的信仰はこの世と戦うことが無い、故にこの世と歩調を合せ、世とその繁栄を共にすることができる。故にこの世において成功し、この世より歓迎されるごとき教会の陥る最大の危険は真理に対して鈍感となり微温となることである。主の最も嫌い給いしはこの種の者であった。キリスト者の生涯は戦闘の生涯である。微温であるべきではない。
要義3 [七つの教会について]2、3章の七つの教会は当時実在せる教会であり、各々録されるごとき長所と短所とを有っていたけれども、これは歴史的に見るも時代によりこの中の何れかに相当するごとき場合あり、また今日の諸教会もそれぞれ異なれる傾向を有し、またキリスト者の個人々々の間にも、これらの七つの教会の何れかの特徴に相当する場合を見るのであって、要するに七なる数の示すごとく七つの教会は時代的地域的に凡ての教会、凡てのキリスト者を網羅するものと考えることができる。
なお注意すべきことは各教会は、その長所とする処に同時に短所とも云うべきものが附随しており、各々主よリ賞詞と叱責とを受けているということである。地上の教会は如何なる意味においても完全無欠であることができないと同時に、悔改めて主の御言に従うことによって大なる報賞が約束せられているのである。
要義4 [キリストとの交り]アァメンたる者、忠実なる真なる証人たるキリストを戸外に立たしむる教会に真の生命は亡び失せてしまう。キリスト者の生命およびその戦闘とこれに伴う熱とは、キリストが彼らの心中に自由に出入し給うことによってのみ可能である。かくして自己の心の有りのままの姿をキリストによりて審判(さば)き、キリストに従いてサタンとの戦を戦う処に彼との霊交が行われる。自已に満足してキリストを受入れざる心の中には唯滅亡のみが宿っているに過ぎない。

黙示録第4章

分類
3 この世の審判と救 4:1 - 18:24
3-(A) 神の御座の栄光 4:1 - 4:11

註解: 第3章の終りまでは教会の間を歩み給えるキリストの御声であったが本章よりその光景一変して天上の神の御座の光景となる。そして第4、5章は6章以下の審判に入る前提であって、地上に行われる救いと審判の凡てはその源を神の御座に発することを示す。

4章1節 この(のち、)われ()しに、()よ、(てん)(ひら)けたる(もん)あり。[引照]

口語訳その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起るべきことを、見せてあげよう」と言った。
塚本訳この(異象の)後で、私は(また一つ異象を)見た。そして視よ、天に(一つの)開いた門があった。すると、(前に)ラッパのように(大きな声で)私に語るのが聞こえた(あの)最初の声が、(私に)言うた、「ここに上れ、この後起こらねばならぬ(ように決まっている)ことをお前に示そう。」
前田訳その後わたしは見た。見よ、天で戸が開かれて、わたしが聞いた最初の声がラッパのようにわたしに語った。いわく、「ここに上れ、この後おこるべきことを示そう」と。
新共同その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパが響くようにわたしに語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここへ上って来い。この後必ず起こることをあなたに示そう。」
NIVAfter this I looked, and there before me was a door standing open in heaven. And the voice I had first heard speaking to me like a trumpet said, "Come up here, and I will show you what must take place after this."
註解: 天全体の光景ではなく門を開きてその処より窺い得る光景なり。
辞解
[この後われ見しに] 幻が一変する場合、すなわち重要なる光景の変化につきしばしば用いられている(黙7:1黙7:9黙15:5黙18:1)。

(はじめ)(われ)(かた)るを()きしラッパのごとき(こゑ)いふ『ここに(のぼ)れ、(われ)この(のち)おこるべき(こと)(なんぢ)(しめ)さん』

註解: 「ラッパのごとき声」はキリストの御声に相違ない(黙1:10)。ここには唯声のみ聞えてキリストの御姿は見えない。「ここに登れ」は天における御座の有様を示さんがための命令である。ヨハネはこの時より天上における神の御座の奇しき光景を示される。たしかに神の御座の前において地上に行わるべき凡ての事柄が決定されるからである。故に第4章は「この後起るべき事」のいわば帷幄(いあく)(=本陣:広辞苑)の光景であると言うことができる。

4章2節 (ただ)ちに、われ御靈(みたま)(かん)ぜしが、()よ、(てん)御座(みくら)(まう)けあり。[引照]

口語訳すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。
塚本訳(すると)直に私は御霊に感じた。そして視よ、天に玉座があった。そして玉座の上に坐し給う者があって、
前田訳すぐわたしは霊的になった。見よ、天に王座が置かれていて、王座に座したもうものがある。
新共同わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
NIVAt once I was in the Spirit, and there before me was a throne in heaven with someone sitting on it.
註解: ヨハネの肉体は地上に在ったけれども彼はこの時さらにまた(黙1:10)霊的な状態に陥り、肉の目をもって見得ないものを見ることができた。第一に彼の目に映じたものは天の神の御座の栄光であった。凡ての審判の源は神の御座より出る。3−5aは「神」の説明。

4章3節 その御座(みくら)()したまふ(もの)あり、その()(たま)ふものの(さま)碧玉(へきぎょく)赤瑪瑙(あかめのう)のごとく、[引照]

口語訳その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。
塚本訳その坐し給う者は、外観が碧玉及び赤瑪瑙に似ていた。そして(その)玉座の周囲には、外観が緑玉に似ている虹があった。
前田訳座したもうものは、見たところ碧玉(へきぎょく)または紅玉髄(こうぎょくずい)に似る。そして王座をめぐる虹は見たところ緑玉(りょくぎょく)に似る。
新共同その方は、碧玉や赤めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
NIVAnd the one who sat there had the appearance of jasper and carnelian. A rainbow, resembling an emerald, encircled the throne.
註解: 神の栄光の形容であって、宝玉のあらゆる美をもって形容されている。
辞解
碧玉(へきぎょく)」 iaspis、「赤瑪瑙(めのう)」 sardion は次に来る「緑玉」 smaragdinos と共に宝玉中の宝玉であるけれども(プラトーン)その各々が今日の如何なる宝玉に相当するかは不明でありまた旧約の宝玉と新約のそれとの関係も明白ではない。それゆえに一々これらに特別の意味を附加することは危険である。碧色は神の恵、赤色は神の怒というがごときこれである。

かつ御座(みくら)周圍(まはり)には緑玉(りょくぎょく)のごとき(にじ)ありき。

註解: 虹は神の契約と関連している。そして契約を与える神は恩恵の神なるが故に恩恵の思想もこの中に含まれる。
辞解
[緑玉] smaragdinos は多分エメラルドならんと想像されている。

4章4節 また御座(みくら)のまはりに二十四(にじふし)座位(くらゐ)ありて、二十四人(にじふよにん)長老(ちゃうらう)(しろ)(ころも)(まと)ひ、(かうべ)(きん)冠冕(かんむり)(いただ)きて、その座位(くらゐ)()せり。[引照]

口語訳また、御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。
塚本訳また玉座の周囲に二十四の座があり、その座の上には、(祭司のように)白い着物を着、その頭に(は王のように)金の冠を被っている二十四人の長老が坐っていた。
前田訳王座をめぐって二十四の座があり、それらの座には二十四人の長老がすわっている。彼らは白い着衣を着、頭に金の冠をつけている。
新共同また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
NIVSurrounding the throne were twenty-four other thrones, and seated on them were twenty-four elders. They were dressed in white and had crowns of gold on their heads.
註解: 神の御座はその周囲に神の謀議に与るべき二十四人の長老の座位があり一層その荘厳さを加える。この長老は、義または純潔の徴なる白衣(黙3:18)と尊貴の徴なる金の冠冕(かんむり)とを戴いている。これらの長老は恐らく栄光の座位に坐する(マタ19:28)十二使徒と十二の族長とを表わすものなるべく(A1、および古代註解家のあるもの)彼らをもって旧約と新約とを貫通せる理想の唯一の教会を代表せしめたものであろう。
辞解
[二十四] 十二の二倍、十二は天の数三と地の数四との積で天と地を貫く神の国の数であり、二は証人の数(緒言参照)。
[長老] 諸説あり。(1)天使の諸王(B3)、(2)ユダヤ人と異邦人とを貫ける理想の教会、(3)T歴24:1−19の二十四班列の祭司、(4)イスラエルの長老(出24:11)、(5)バビロン星占学の二十四の星座等多くの解釈あれど上記のごとくに解す。なお黙11:16黙19:4参照。

4章5節 御座(みくら)より數多(あまた)電光(いなづま)(こゑ)雷霆(いかづち)()づ。[引照]

口語訳御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また、七つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の七つの霊である。
塚本訳そして玉座からは、電光と、(鳴り轟く雷の)声と、雷霆とが(絶えず)出ている。そして神の七つの霊である七つの炬火が、(その)玉座の前に燃えている。
前田訳王座からいなずまとひびきと雷が出る。そして七つの火の炎が王座の前に燃える。それは神の七つの霊である。
新共同玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。これは神の七つの霊である。
NIVFrom the throne came flashes of lightning, rumblings and peals of thunder. Before the throne, seven lamps were blazing. These are the seven spirits of God.
註解: 電光(いなづま)雷霆(いかづち)とは神の威力を表わす、出19:16のシナイ山上における律法授与の当時を思い出させる光景であり、審判の神に相応しき有様である。「声」は審判の声である。本書において「声」なる語が非常に多く用いられているのはそのためである。経外聖書にもこの種の表現法多く存す。

また御座(みくら)(まへ)()えたる(なな)つの燈火(ともしび)あり、これ(かみ)(なな)つの(れい)なり。

註解: 本章は「神」と「聖霊」とにつき述べ、次章にキリストについて述ぶ。七つの霊は完全なる霊で(黙1:4註および緒言参照)、燈火のごとく燃え世の不浄を焼き尽す使命をもつ。

4章6節 御座(みくら)のまへに水晶(すゐしゃう)()たる玻璃(はり)(うみ)あり。御座(みくら)中央(ちゅうおう)御座(みくら)周圍(まはり)とに()つの活物(いきもの)ありて(まへ)(うしろ)數々(かずかず)()にて滿()ちたり。[引照]

口語訳御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。
塚本訳また玉座の前には(透徹った)水晶に似た、玻璃の海のようなものがある。そして玉座の真中と玉座の周囲には、前にも後にも一杯に眼がある四つの活者がいる。
前田訳王座の前には水晶に似たガラスの海のようなものがある。王座の真ん中と王座のまわりには前も後も目でいっぱいの四つの生きものがいる。
新共同また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
NIVAlso before the throne there was what looked like a sea of glass, clear as crystal. In the center, around the throne, were four living creatures, and they were covered with eyes, in front and in back.
註解: 玻璃(はり)の海は御座の前の広々とした光景を示す。玻璃(はり)は当時宝玉のごとくに貴重であったのでその海の形容として用いしもの、四つの活物(いきもの)エゼ1:5以下の生物に類似し、智慧の表徴として前後とも目をもって掩わる。この四つの活物(いきもの)の位置は神の御座の四方の中央と云う意味ならん、9節より想像する時はこれらの活物(いきもの)はその顔を御座の方に向けているのであろう。

4章7節 第一(だいいち)活物(いきもの)獅子(しし)のごとく、第二(だいに)活物(いきもの)(うし)のごとく、第三(だいさん)活物(いきもの)(かほ)のかたち(ひと)のごとく、第四(だいし)活物(いきもの)()(わし)のごとし。[引照]

口語訳第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。
塚本訳第一の活物は獅子に似て居り、第二の活物は犢に似て居り、第三の活物は人間のような顔を有ち、第四の活物は(空を)翔っている鷲に似ている。
前田訳第一の生きものは獅子に似、第二の生きものは雄牛に似、第三の生きものは人のような顔を持ち、第四の生きものは飛ぶ鷲に似る。
新共同第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
NIVThe first living creature was like a lion, the second was like an ox, the third had a face like a man, the fourth was like a flying eagle.
註解: この四つの活物(いきもの)は神の創造り給える凡ての活物(いきもの)の中最も優れたもので、獅子は権威、牛は力、人は智慧、鷲は活動を示すものとも解せられ、これらの活物(いきもの)はその諸性質をもって神を表顕し、神の御旨を天使または世界に伝えると同時に(黙6:1−7。黙15:7)被造物中の最優者として神を讃美するのがその使命である(黙4:9黙7:11黙19:4)。すなわち神の被造物を表示している。
辞解
[第四の活物(いきもの)] この四つの活物(いきもの)が何を表わすかにつき多くの説あり。(1)四福音書。(2)四大使徒。(3)四元素。(4)主イエスの救の四方面。(5)四つの徳。(6)被造物の四代表等(その他につきA1参照)種々の解釈があるけれども前後の関係上上記のごとくに解す。なおこの活物(いきもの)エゼ1:5以下イザ6:2以下のセラビムにならえるものでしかもこれを自由に変化したものである。

4章8節 この()つの活物(いきもの)おのおの()つの(つばさ)あり、(つばさ)(うち)(そと)數々(かずかず)()にて滿()ちたり、[引照]

口語訳この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者」。
塚本訳そして四つの活物にはそれぞれ六つずつの翼があり、(その翼には)周囲にも内側にも一杯に眼がある。そして昼も夜も絶え間なく(讃美の歌をうとうて)言う、聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主なる神、全能者、(昔)在り給いし者、(今)在り給う者、(後に)来たり給うべき者!
前田訳四つの生きものはそれぞれに六つずつ翼があり、まわりも内側も目でいっぱいである。そして昼も夜も休まずにいう−−「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者、昔いまし、今いまし、来たるべきもの」と。
新共同この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
NIVEach of the four living creatures had six wings and was covered with eyes all around, even under his wings. Day and night they never stop saying: "Holy, holy, holy is the Lord God Almighty, who was, and is, and is to come."
註解: 六つの翼はイザ6:2以下のセラピムに(なら)えるものであろう。もし然りとすればその二つをもて面をおおい(畏敬)、その二つをもて足をおおい(畏敬)、その二つをもて飛翔る(自由)ためであろう、すなわち造物主に対する被造物の態度を示し、翼の内外の目はこの活物(いきもの)の智慧と視力とを示し、これによりて世界のあらゆる事実がその目に映ずることを意味するのであろう。神の御座の前に(はべ)活物(いきもの)として相応しき姿である。なおこの「翼」および「目」につきても種々の解あることは前節の場合に同じ。

(ひる)(よる)絶間(たえま)なく()ふ、『(せい)なるかな、(せい)なるかな、(せい)なるかな、(むかし)()まし、(())まし、(のち)(きた)りたまふ(しゅ)たる全能(ぜんのう)(かみ)

註解: 被造物殊にその活物(いきもの)の代表たる四つの活物(いきもの)の主なる使命は神を讃美することである。神は全宇宙の絶間なき讃美の中に在し給う。神の至聖に在すこととその永続性とが讃美の内容である。
辞解
聖名三称はイザ6:3と同じ。
[聖] hagios は造物主(つくりぬし)と被造物との間の絶対的離隔を示す、転じて神聖にして近付くべからざる畏敬の意味となる。
「昔在し」以下は黙1:8参照。本書の性質上、神の永遠性、殊にその「来り給う」神なることを強調することが必要である。

4章9節 この活物(いきもの)ら、御座(みくら)()世々(よよ)(かぎ)りなく()きたまふ(もの)榮光(えいくわう)尊崇(たうとき)とを()し、感謝(かんしゃ)する[(とき)]((ごと)に)、[引照]

口語訳これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、
塚本訳そして(この四つの)活物が、玉座の上に坐し永遠より永遠に活き給う者(を斯く讃美しつつ彼)に栄光と栄誉と感謝とを捧ぐる時、
前田訳これら生きものが王座に座して永遠から永遠に生きたもうものに、栄光と誉れと感謝をささげるとき、
新共同玉座に座っておられ、世々限りなく生きておられる方に、これらの生き物が、栄光と誉れをたたえて感謝をささげると、
NIVWhenever the living creatures give glory, honor and thanks to him who sits on the throne and who lives for ever and ever,

4章10節 二十四人(にじふよにん)長老(ちゃうらう)御座(みくら)()したまふ(もの)のまへに()し、世々(よよ)(かぎ)りなく()きたまふ(もの)(はい)し、おのれの冠冕(かんむり)御座(みくら)のまへに()(いだ)して()ふ、[引照]

口語訳二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、
塚本訳二十四人の長老は(その座を立ち、)王座の上に坐し給う者の前に平伏して、永遠より永遠に活き給う者を拝し、彼らの冠を玉座の前に投げ出して言う
前田訳二十四人の長老は王座に座したもうものの前にひれ伏し、永遠から永遠に生きたもうものを拝し、彼らの冠を王座の前に投げ出していう−−
新共同二十四人の長老は、玉座に着いておられる方の前にひれ伏して、世々限りなく生きておられる方を礼拝し、自分たちの冠を玉座の前に投げ出して言った。
NIVthe twenty-four elders fall down before him who sits on the throne, and worship him who lives for ever and ever. They lay their crowns before the throne and say:
註解: 「御座に坐し世々限りなく活きたまう者」は「神」である(10節にはこれを二つに分けているのは文章の飾に過ぎない)。活物(いきもの)らによりて代表される被造物、天然界が神に讃美をささぐる毎に、長老によりて代表される神の国すなわち教会もまたこれに和して神を拝しこれに服従をささげる。天然界は神の一般的創造、教会はその特別の創造である。
辞解
[伏し、拝し、冠冕(かんむり)を投出す] 神に対する絶対的服従の態度であって、神より賜わりし栄光と尊栄(冠冕(かんむり))すらも神の御前に何らの誇りとならないことを示す、これらは未来形動詞で「感謝する時」の「時」も「与う」なる未来動詞を伴ふ故これをば「栄光と尊貴と感謝とをささぐる度毎に」の意味に解するを可とす。すなわち一回だけの行為でなく毎日毎夜幾度も繰り返されることを示す。なお長老と活物(いきもの)が神の御前に平伏すのは最も重大なる機会に限られている(9節引照2参照)。

4章11節 (われ)らの(しゅ)なる(かみ)よ、榮光(えいくわう)尊崇(たうとき)能力(ちから)とを()(たま)ふは(うべ)なり。(そは)(なんぢ)萬物(ばんもつ)(つく)りたまひ、萬物(ばんもつ)御意(みこころ)によりて(そん)し、かつ(つく)られた(ればな)り』[引照]

口語訳「われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります」。
塚本訳われらの主なる神よ、貴神は(凡ての創造られたものから)栄光と栄誉と権能とを受け、(また凡ての創造られたものを支配し)給うに相応しい。万物を創造り給うたのは貴神であり、万物は貴神の御意によって存在し、また創造られた(のである)からである。
前田訳「われらの主なる神、あなたは栄光と誉れと力を受けたもうのにふさわしい。あなたはすべてを創造したまい、すべては御意によって存在し、また創造されたゆえに」と。
新共同「主よ、わたしたちの神よ、/あなたこそ、/栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、/御心によって万物は存在し、/また創造されたからです。」
NIV"You are worthy, our Lord and God, to receive glory and honor and power, for you created all things, and by your will they were created and have their being."
註解: コロ1:16の思想と同一である。神は創造者に在し、かつ万物の創造もその維持もみな神の御意によるが故に、神は当然に神の国および被造物の代表者すなわち全宇宙によりて讃美さるべきである。
要義1 [神の御座の光景]第4章は神の御座の光景であって、神と聖霊とを中心としてその周囲に神の国(教会)を代表する二十四人の長老と、披造物を代表する四つの活物(いきもの)とあって神を讃美する有様を描いたものである(次章に至りて始めてキリストあらわれ給う)。キリストの再臨とその審判とをもって主題とする本書において、その最初にかかる光景を描き我らの心を天における神の御座に引上げ、凡ての審判がそこより下ることを明かに示していることは本書の後の部分を理解する上に非常に必要でかつ有効である。我らはまず神の稜威の絶対性を確かに認識し、創造主と被造物との絶対的区別を明かにするにあらざれば、神の審判の何たるかを解することができない。
要義2 [神に対する被造物の態度]被造物が創造主に対して取るべき態度は9節10節において適切に言い表わされている。すなわち一方において神に対してでき得る限りの讃美をささげ、栄光と尊栄と感謝とを彼に帰すると共に他方に神の前にひれ伏し、彼を拝し、彼の前に己の冠冕(かんむり)を投出すことである。今日キリスト者のその神に対する態度の軽薄にして、神の愛に()れ、少しの畏敬の念をも持たずその結果神の怒りとその審判とを軽蔑しているのは神を知らないからである。我らは四つの活物(いきもの)、二十四人の長老の取れるごとき態度を神に対して取らなければならない。