黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版使徒行伝

使徒行伝第19章

分類
5 異邦に於けるパウロの伝道 13:1 - 21:16
5-4 パウロの第三伝道旅行 18:23 - 21:6
5-4-2 エペソに於けるパウロ 19:1 - 19:41
5-4-2-イ 聖霊を受けざる弟子たち 19:1 - 19:7

19章1節 (かく)てアポロ、コリントに()りし(とき)、パウロ(ひがし)地方(ちはう)()てエペソに(いた)り、[引照]

口語訳アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、
塚本訳アポロがコリントにいた時、パウロは(小アジヤの)奥地(ガラテヤ、フルギヤ)を通ってエペソに来たが、数人の(主の)弟子に出会って、
前田訳アポロがコリントにいたとき、パウロは内陸地方を経てエペソに来て、数人の弟子たちに出会った。
新共同アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、
NIVWhile Apollos was at Corinth, Paul took the road through the interior and arrived at Ephesus. There he found some disciples
註解: 東の地方は原語「上部地方」で、海岸にあるエペソより見て東の山岳地方を指す、即ち使18:23に掲げられし地方より西エペソに至りたる事を示す。尚、D写本には「パウロその企図する処に(したが)いエルサレムに行かんと欲せし時聖霊は彼にアジアに向うべき事を告げたれば」とあり、使18:21のD写本の挿入と異る意味に於て挿入されたものか。即ち誓願の結末として期待されるエルサレム行が実現せざりし事の弁解的挿入ならん。この二つの挿入は互に調和を欠いている。

(ある)弟子(でし)たちに()ひて、

註解: 是等は基督者として立っていた人々であるが、ヨハネのバプテスマ以外を知らなかった事を見れば(3節)福音に関する不完全なる知識の所有者であった。これをアポロの弟子と見る学者もあるけれども、アポロは既にプリスキラ及びアクラより福音につき一層詳しく学んでいるため、アポロを知らざる他のユダヤ人の基督者であろう。当時の基督教徒の間には種々の種類の多くの団体あり、各々特殊の立場に立っていた。

19章2節 『なんぢら信者(しんじゃ)となりしとき(せい)(れい)()けしか』と()ひたれば、[引照]

口語訳彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。
塚本訳「あなた達は信仰に入ったとき、聖霊を受けたか」とたずねると、「それどころか聖霊があることを聞いたことすらありません」とこたえた。
前田訳彼はたずねた、「あなた方が信じたとき、聖霊を受けましたか」と。彼らは答えた、「いいえ、聖霊のあることさえ聞いたことがありません」と。
新共同彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。
NIVand asked them, "Did you receive the Holy Spirit when you believed?" They answered, "No, we have not even heard that there is a Holy Spirit."
註解: パウロは彼らを見し時、ユダヤ的ヨハネ的律法主義の臭味強く聖霊の果実とも云うべき愛、喜悦平和等(ガラ5:22)の性質を認むる事が出来ず、またイエスに対する理解並に聖霊の賜物を認むる事が出来なかった為にこの質問を発したのであろう。

(かれ)()いふ『いな、(われ)らは(せい)(れい)()ることすら()かず』

註解: 旧約聖書にも聖霊につきて記される故、彼ら是を知らぬはずなし、唯キリスト昇天後、彼に替りて聖霊が地上に遣され(ヨハ14:16ヨハ14:26ヨハ16:7、8)、今現に基督者と共に居給う事を知らなかった(B1、C1、M0)。各人に与えられる聖霊の賜物は、地上に在すこの聖霊が各人を通じて働き給う姿である。バプテスマのヨハネの弟子であった是等の人々は、アポロと同じくイエスの事を知っていたけれども、聖霊についてはこの重大なる事を知らなかった。
辞解
[有ることをすら] 「有る」を有無の意味でなく存在の意に解すれば(M0、H0)、上記の如き解釈となる。ヨハ7:39も同様なり。

19章3節 パウロ()ふ『されば(なに)によりてバプテスマを()けしか』(かれ)()いふ『ヨハネのバプテスマなり』[引照]

口語訳「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。
塚本訳「ではいったい何で洗礼を受けたのか」と言うと、彼らが言った、「ヨハネの洗礼で。」
前田訳彼はいった、「それでは何によって洗礼を受けましたか」と。答えは、「ヨハネの洗礼によってです」であった。
新共同パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。
NIVSo Paul asked, "Then what baptism did you receive?" "John's baptism," they replied.
註解: ヨハネのバプテスマは自己の罪(律法違反)を認めてこれを悔改むる心の表明である。イエスの名によるバプテスマは、自己の罪(根本的の罪、即ち神に対する反逆)を知り、神の恩恵によりイエスの贖によるこの罪の赦を知りて、イエスと共に十字架上に死に聖霊を受けてイエスと共に甦る事を表明する式である(ガラ2:19、20。ガラ3:2ロマ6:1-3)。イエスに関する知識を持ちつつヨハネのバプテスマを受くる事は可能である。ここに録される十二人はこの種の人々であった。

19章4節 パウロ()ふ『ヨハネは悔改(くいあらため)のバプテスマを(さづ)けて(おのれ)(おく)れて(きた)るもの((すなは)ちイエス)を(しん)ずべきことを(たみ)()へるなり』[引照]

口語訳そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。
塚本訳パウロが言った、「ヨハネは(水で)悔改めの洗礼を授けて、自分のあとに来られる方、すなわちイエスを信ずるように、(そしてその聖霊の洗礼を受けるように)と民に言ったのである。」
前田訳パウロはいった、「ヨハネは自分のあとに来られる方を信ずるよう民衆に告げつつ、悔い改めの洗礼を授けました。その方とはイエスのことです」と。
新共同そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」
NIVPaul said, "John's baptism was a baptism of repentance. He told the people to believe in the one coming after him, that is, in Jesus."
註解: ヨハネのバプテスマはイエスを信ずるの前提であり、イエスを信ずる信仰によりて完成される(マタ3:11マコ1:8ルカ3:16)。ゆえにヨハネのバプテスマのみにて止るはヨハネの本意でない。我らは師が立っている足許を見ず、師の指す指先を見るべきである。

19章5節 (かれ)()これを()きて(しゅ)イエスの()によりてバプテスマを()く。[引照]

口語訳人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。
塚本訳彼らはこれを聞いて、主イエスの名で洗礼を受けた。
前田訳それを聞いて彼らは主イエスの名で洗礼を受けた。
新共同人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。
NIVOn hearing this, they were baptized into the name of the Lord Jesus.
註解: (▲これらの人々が二回洗礼をうけたことと、パウロが洗礼を授けず他の何人かが授けたとみなければならないことは、再洗礼派の主張を是認し、洗礼の形式的結果を主張するかに見えて困難な場所である。しかしかかる特異の事実をある法則や規則の基礎としてはならない。)彼らはバプテスマの受け直しをした。この時イエスは彼らの主として告白された。彼らが聖霊を受けしが故である(Tコリ12:3Tヨハ4:2)。尚おこの際水にてバプテスマを受けたのではないと主張する説があるけれども(C1)、誤である。要義2参照。

19章6節 パウロ()(かれ)らの(うへ)()きしとき、(せい)(れい)その(うへ)(のぞ)みたれば、(かれ)異言(いげん)(かた)り、かつ預言(よげん)せり。[引照]

口語訳そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。
塚本訳そしてパウロが彼ら(の頭)に手をのせると、(たちまち)聖霊がくだって、彼らは霊言を語りまた預言しはじめた。
前田訳そしてパウロが彼らに手を置くと、聖霊が彼らに下り、彼らは異言を語り、また預言をした。
新共同パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。
NIVWhen Paul placed his hands on them, the Holy Spirit came on them, and they spoke in tongues and prophesied.
註解: 使2:4使10:46の場合の如く、聖霊を受し徴が彼らの上に明かに顕れた。彼らは是によりて完全に新生を経験したのである。基督者と称する者の中に多くの段階がある事はこれによりても知る事が出来る。

19章7節 この人々(ひとびと)(すべ)十二(じふに)(にん)ほどなり。[引照]

口語訳その人たちはみんなで十二人ほどであった。
塚本訳その人たちは皆で十二人ばかりであった。
前田訳その人たちは皆で十二人ほどであった。
新共同この人たちは、皆で十二人ほどであった。
NIVThere were about twelve men in all.
註解: この十二の数に別段の意味を有たしむる必要はない。
要義1 [バプテスマと按手と聖霊の降臨]この三者の関係につきては聖書は種々の場合を記録している。
(1)バプテスマも按手も無しに聖霊が各人の上に降った場合(使2:4使4:31使10:44使11:15
(2)イエスの名によりてバプテスマを受けたけれども聖霊が下らざる場合(使8:16
(3)イエスの名によりてバプテスマを受けても聖霊が下らなかったけれども手を按いて聖霊が下った場合(使8:17
(4)イエスの名によりてバプテスマを受けて聖霊が降る場合(使2:38
(5)イエスの名によるバプテスマと按手とによりて聖霊が臨みたる場合(使19:5、6)
(6)バプテスマを受くる前に按手によりて聖霊を受けたと思はれる場合(使9:17
以上の諸例によリバプテスマ、按手等の形式と聖霊を受くる事との間には何等定まりたる関係なきを知る事が出来る。是はまことに当然であって、形式は我らに聖霊を与える力がない。形式はその場合に応じ聖霊の指導によりて行われる行動であるに過ぎない。
要義2 [再洗礼について]1-7節の十二人は再度バプテスマを受けた事となり、これが再洗礼主義の論拠となる。この論を撃破せんが為にカルヴインはこの場合は聖霊のバプテスマを受ける事であって水のバプテスマを受けたのではなく、またヨハネのバプテスマとイエスの名によるバプテスマとは同一である事を主張しているけれども、この十二人は明かに水にて再度バプテスマを受けたものと見るべく、また聖書はヨハネのバプテスマとイエスの名によるバプテスマとを明かに区別している故(マタ3:11マコ1:8ルカ3:16)この説は不当である。併し乍らイエス及び十二使徒は明かに一回しかバプテスマを受けず、アポロも再洗礼せしものとも思われず、要するに形式の問題は極めて自由に取扱われ、その場合と人とに応じて最も神の御旨をその人々または他の人々に明かならしめ得る如き手段を取ったものと思われる。これを一定の規則に統一せんとする時は却って死せる形式と化するに至る。
要義3 [聖霊の臨在に就て]使2:1-4に関する要義一参照。基督者にして聖霊に関し全く知識なき者は無いけれども、聖霊がイエスの昇天後五旬にして地上に降り人類と偕に在し、基督者の心の中に住み給う事を知らない者は多い。即ち今は聖霊の時代である。

5-4-2-ロ エペソに於ける伝道の効果 19:8 - 19:20

19章8節 (ここ)にパウロ會堂(くわいだう)()りて、三个月(さんかげつ)のあひだ(おく)せずして(かみ)(くに)()きて(ろん)じ、かつ(すす)めたり。[引照]

口語訳それから、パウロは会堂にはいって、三か月のあいだ、大胆に神の国について論じ、また勧めをした。
塚本訳それからパウロは礼拝堂に入って、(ユダヤ人に)三か月の間大胆に話をし、神の国について説得しようとした。
前田訳パウロは会堂に入り、三か月の間はばからず話し、神の国について論じ、また説得した。
新共同パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。
NIVPaul entered the synagogue and spoke boldly there for three months, arguing persuasively about the kingdom of God.
註解: ユダヤ人らは自分たちこそ神の国を形造っていると考えた。パウロはこれに対しイエスを信ずる者の中に神の国が成立つ事を述べたに相違ない。ユダヤ人らは自国民を中心とする見ゆる神の国を考え、パウロはキリストを中心とする見えざる神の国を宣伝えた。

19章9節 (しか)るに(ある)(もの)ども頑固(かたくな)になりて(したが)はず、會衆(くわいしゅう)(まへ)(かみ)(みち)(そし)りたれば、パウロは(かれ)らを(はな)れ、弟子(でし)たちをも退(しりぞ)かしめ、[引照]

口語訳ところが、ある人たちは心をかたくなにして、信じようとせず、会衆の前でこの道をあしざまに言ったので、彼は弟子たちを引き連れて、その人たちから離れ、ツラノの講堂で毎日論じた。
塚本訳しかし(その中の)数人が頑なで信じようとせず、会衆の前で(キリストの)道[キリスト教]の悪口を言った時、彼はその人たちを離れて、(主の)弟子たちをも引き離し、ツラノの講堂で毎日話をした。
前田訳しかしあるものは心を頑にして受け入れず、会衆の前でこの道を悪くいったので、彼はその人たちから離れ、弟子たちをも彼らから遠ざけて、日ごとツラノの教室で論じた。
新共同しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。
NIVBut some of them became obstinate; they refused to believe and publicly maligned the Way. So Paul left them. He took the disciples with him and had discussions daily in the lecture hall of Tyrannus.
註解: パウロの説教は必ずしも凡ての人を納得せしめず、中には極力これに反対する者があり、また此反対に賛成する者も多かった。ここに於てパウロとしては彼らを会堂より逐ひ出す事は出来ず、また彼らを説得する事が出来ずとすれば自然彼らより離れて自ら去るより外に途はなかった。夫ゆえにパウロはその弟子たちを伴って彼らと手を分ち、彼らと絶縁した。一つの立場が公けの非難の的となる場合、その(まま)そこに止る事は出来ない。

日毎(ひごと)にツラノの會堂(くわいだう)にて(ろん)ず。

19章10節 ()くすること二年(にねん)(あひだ)なりしかば、アジヤに()(もの)は、ユダヤ(びと)もギリシヤ(びと)もみな(しゅ)(ことば)()けり。[引照]

口語訳それが二年間も続いたので、アジヤに住んでいる者は、ユダヤ人もギリシヤ人も皆、主の言を聞いた。
塚本訳これが二年つづいたので、アジヤ(のこの地方)に住んでいる者は皆、ユダヤ人も異教人も、主の言葉を聞いた。
前田訳これが二年の間つづいたので、アジアに住むものは皆、ユダヤ人もギリシア人も、主のことばを聞いた。
新共同このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。
NIVThis went on for two years, so that all the Jews and Greeks who lived in the province of Asia heard the word of the Lord.
註解: ツラノは異邦人の雄弁家ならん。彼の所有に属する教室をパウロは借用して、毎日「第五時より第十時まで」(D0による)即ち午前十一時頃より午後四時頃まで講義を行った。云わば基督教神学校の開祖とも云うべき形であった。パウロの分離は、ユダヤ人より見れば異端を唱うる者との非難に値していたけれども、パウロの為には自由に福音を述ぶる機会を得て却って幸福であった(テト3:10)。分離徒党は悪事である(ガラ5:20)、併し乍ら真理を滅す事は一層悪事である。一片の私心もなき場合、分離は正当の態度である場合がある。
辞解
[講堂] scholê=school 本来閑暇の意味であるけれども閑暇を利用する場所即ち教室等の意味にも用いらる。
[二年] これに8節の三ケ月と他の数ケ月とを加え総計三年(使20:31)となる。

19章11節 (しか)して(かみ)はパウロの()によりて尋常(よのつね)ならぬ能力(ちから)ある(わざ)(おこな)ひたまふ。[引照]

口語訳神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
塚本訳また神はパウロの手で、ただならぬかずかずの奇跡を行われた。
前田訳神はパウロの手でなみなみならぬ奇跡を行なわれた。
新共同神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。
NIVGod did extraordinary miracles through Paul,
註解: 13節の魔術者の出来事と対照して読むべし。パウロは自ら求めずして異常なる能力ある業を為した。これは神の御業であったからである。

19章12節 (すなは)人々(ひとびと)かれの()より(あるひ)手拭(てぬぐひ)あるひは前垂(まへだれ)をとりて()める(もの)()くれば、(やまひ)()(あく)(れい)()でたり。[引照]

口語訳たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
塚本訳彼の肌についた手拭や前掛を取って病人につけると、病気が去り、悪霊が出てゆくほどであった。
前田訳それは、手拭あるいは覆いを彼の肌から取って病人にあてがうと、病は去り、悪霊が出てゆくほどであった。
新共同彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。
NIVso that even handkerchiefs and aprons that had touched him were taken to the sick, and their illnesses were cured and the evil spirits left them.
註解: 使5:15のペテロ、マコ5:28のイエスの場合の如く、パウロに対する尊崇は、その身に附ける布の一片にまで及び、治癒の効果を顕した。この種の事実は必ずしも真の神に対する信仰より出でざる場合にも起り得る事であり、殊に単純なる時代、または単純なる人間に於て多く起り得る事であるけれども、パウロの場合には、彼自身にはこうした事を行わんとする意思の無き場合にも治癒が行われたのを見れば、神の特別の働きの顕れと見なければならない。然らざる場合は人間的の能力が中心となり、人はこの能力を誇示せんとするを常とする。パウロにこうした能力が与えられし所以は、エペソの如き迷信や魔術の多き土地に於ては、人々の頑固な心に福音を植付ける為には、こうした手段を以て心の岩を打砕く事が必要であった為であろう。
辞解
[身] cbrôs 皮膚の事。

19章13節 (ここ)諸國(しょこく)遍歴(へんれき)咒文(じゅもん)()なるユダヤ(びと)數人(すにん)あり、(こころ)みに(あく)(れい)()かれたる(もの)(たい)して、(しゅ)イエスの()()び『われパウロの()ぶるイエスによりて、(なんぢ)らに(めい)ず』と()へり。[引照]

口語訳そこで、ユダヤ人のまじない師で、遍歴している者たちが、悪霊につかれている者にむかって、主イエスの名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって命じる。出て行け」と、ためしに言ってみた。
塚本訳そこでユダヤ人である数人の巡回呪師も、試みに悪霊どもにつかれている者たちに向かって主イエスの名を唱えながら、「パウロが説いているイエスによってお前たちに命令する、(出て行け)」と言った。──
前田訳ユダヤ人の巡回魔よけ師の数名も、試みに、悪霊につかれたものどもに向かって主イエスの名をとなえ、「パウロが説くイエスによってなんじらを祓(はら)う」といった。
新共同ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。
NIVSome Jews who went around driving out evil spirits tried to invoke the name of the Lord Jesus over those who were demon-possessed. They would say, "In the name of Jesus, whom Paul preaches, I command you to come out."
註解: パウロによりて行われし能力ある業は、その宣伝えるイエスの名号の功徳であると考えるのが、是等の咒文師の信念であった。夫ゆえに彼らはイエスの名号を以て悪霊を逐出さんと試みた。併し乍ら名号そのものに能力があるのではなく、殊にイエスの御名はこうした輩に濫用さるべきではなかった為に、それは失敗に終わった。但しマコ9:38ルカ9:49の如くこうした手段が成功する場合もある。凡ては神の御旨によるものと見なければならぬ。
辞解
[咒文師] ユダヤ人に多かった。

19章14節 ()くなせる(もの)(うち)に、ユダヤの祭司長(さいしちゃう)スケワの七人(しちにん)()もありき。[引照]

口語訳ユダヤの祭司長スケワという者の七人のむすこたちも、そんなことをしていた。
塚本訳このことをしたのは、スケワというユダヤ人の大祭司の七人の息子たちであった。──
前田訳これをしたのはスケワというユダヤ人の大祭司の七人の息子たちであった。
新共同ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。
NIVSeven sons of Sceva, a Jewish chief priest, were doing this.
註解: ユダヤの祭司の一族スケワにつきては全く知られて居ない。その七人の子もこの咒文師であった。この場合はその中の二人がこの咒文を唱えたものと見るべきである(16節)。
辞解
本節はD写本には著しく敷衍されているが、然らざる主なる写本によれば「かく為せる者はユダヤの大祭司スケワ某の七人の子なりき」と訳すべきである。

19章15節 (あく)(れい)こたへて()ふ『われイエスを()り、(また)パウロを()る。()れど(なんぢ)らは(たれ)ぞ』[引照]

口語訳すると悪霊がこれに対して言った、「イエスなら自分は知っている。パウロもわかっている。だが、おまえたちは、いったい何者だ」。
塚本訳ところが一つの悪霊が彼らに答えた、「自分はイエスも知っておれば、パウロもわかっているが、お前たちはいったい何者だ!」
前田訳悪霊はいった、「わたしはイエスを知り、パウロもわかっている。しかしおまえらは何ものか」と。
新共同悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」
NIV[One day] the evil spirit answered them, "Jesus I know, and I know about Paul, but who are you?"
註解: イエス及びその弟子たちを最も早く認識するものはサタンに憑れし人々である。サタンは人間よりも賢い(マタ8:28マコ5:7

19章16節 (かく)(あく)(れい)()りたる(ひと)、かれらに()びかかりて二人(ふたり)()ち、これを打拉(うちひし)ぎたれば、(かれ)裸體(はだか)になり(きず)()けて()(いへ)()()でたり。[引照]

口語訳そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。
塚本訳そしてその悪霊のついた者は彼らに飛びかかって皆を押えつけ、打ち負かした。彼らは裸で、怪我をさせられて、その家から逃げだしたほどであった。
前田訳するとその悪霊につかれた人は彼らに飛びかかり、抑さえつけて打ち負かしたので、彼らは裸で傷をつけられたまま、その家から逃げた。
新共同そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。
NIVThen the man who had the evil spirit jumped on them and overpowered them all. He gave them such a beating that they ran out of the house naked and bleeding.
註解: この事実は一面に於て単に形式的にイエスの御名を唱うる事の無力無意味たる事を示し、他面に於てこれは大なる罪としてその罰を受くべきである事を示す。
辞解
[二人] に限られし事につき種々の説明が試みられているけれども重要なる意味を示すもの無き故略す、恐らく14節註の如くに見るべきであろう。

19章17節 ()(こと)エペソに()(すべ)てのユダヤ(びと)とギリシヤ(びと)とに()れたれば、(おそれ)かれら一同(いちどう)のあひだに(しゃう)じ、(しゅ)イエスの()(あが)めらる。[引照]

口語訳このことがエペソに住むすべてのユダヤ人やギリシヤ人に知れわたって、みんな恐怖に襲われ、そして、主イエスの名があがめられた。
塚本訳するとこのことがエペソに住んでいる者全体、ユダヤ人にも異教人にも知れわたったので、恐れが彼らすべてをおそい、主イエスの名があがめられた。
前田訳このことはエペソに住むすべてのユダヤ人とギリシア人に知れわたった。そしておそれが彼らすべてを包み、主イエスの名があがめられた。
新共同このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。
NIVWhen this became known to the Jews and Greeks living in Ephesus, they were all seized with fear, and the name of the Lord Jesus was held in high honor.
註解: 主イエスの御名の濫用者が(たちま)ちにして天罰を受けたと云う事によりエペソの人々の間にイエスの御名に対する畏敬の念を生じた。この種の畏敬は迷信的な心持も多分に交っているけれども、こうした心持を以てイエスを見直す事はイエスの真の姿を認め得るに至る第一歩である。畏懼崇敬の心は信仰に入るの前提である。

19章18節 信者(しんじゃ)となりし(もの)おほく(きた)り、懴悔(ざんげ)して(みづか)らの行爲(おこなひ)()ぐ。[引照]

口語訳また信者になった者が大ぜいきて、自分の行為を打ちあけて告白した。
塚本訳すでに信者になっていた者も沢山来て罪を告白し、自分の(使っていた)魔術の呪文を打ち明けた。
前田訳すでに信徒になっていたものも、大勢来て罪を告白し、自らの行状を打ち明けた。
新共同信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。
NIVMany of those who believed now came and openly confessed their evil deeds.
註解: 是まで人の前に隠蔽していた自己の罪も、神を懼れる心が生じた為にこれを隠し置く事の恐ろしさを感じてこれを告白した。人は恥を忍んで罪を告白する時その罪の重荷を(おろ)す事が出来る。

19章19節 また魔術(まじゅつ)(おこな)ひし(おほ)くの(もの)ども、その書物(しょもつ)()ちきたり、衆人(しゅうじん)(まへ)にて()きたるが、()(あたひ)(かぞ)ふれば(ぎん)()(まん)ほどなりき。[引照]

口語訳それから、魔術を行っていた多くの者が、魔術の本を持ち出してきては、みんなの前で焼き捨てた。その値段を総計したところ、銀五万にも上ることがわかった。
塚本訳また魔術を使っていたかなり多くの人が(魔術の)書物を持ち寄って、皆の目の前で焼きすてた。その値段を総計すると、銀五万(ドラクマ[二、五00万円])であった。
前田訳魔術を行なっていたもののかなり多くが書物を持ちよって、皆の前で焼きすてた。その値打ちを数え合わせると銀貨五万であった。
新共同また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。
NIVA number who had practiced sorcery brought their scrolls together and burned them publicly. When they calculated the value of the scrolls, the total came to fifty thousand drachmas.
註解: 魔術者はその魔術に関する多くの書籍を有し、また魔術用の札や其他の用具を有っていた。エペソに於ては殊に此種の奇術が盛に行われていた。彼らがその収入の途の絶ゆるをも厭わず、その書籍の多数を焼却し、その魔術の仕事を棄てた事は信仰による大英断であって、パウロの伝道が如何に力強くエペソの人々の心に働いていたかを見る事が出来る。
辞解
[銀五万] 五万ドラクマ(五万デナリ)であって約平時の一萬七千五百円(▲1939年頃の日貨の価値。一デナリは大体労働者の一日の賃金に相当する)に相当する。

19章20節 (しゅ)(ことば)(おほい)(ひろま)りて權力(ちから)()しこと()くの(ごと)し。[引照]

口語訳このようにして、主の言はますます盛んにひろまり、また力を増し加えていった。
塚本訳こうして主の言葉は勢いよく成長し、また力を増した。
前田訳かくて主の力によってみことばは成長し、勢いを増した。
新共同このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。
NIVIn this way the word of the Lord spread widely and grew in power.
註解: エペソに於けるパウロの伝道はこの時その成功の頂点に立っていた。

5-4-2-ハ パウロの伝道旅行の予定 19:21 - 19:22

19章21節 (これ)()(こと)のありし(のち)パウロ、マケドニヤ、アカヤを()てエルサレムに()かんと(こころ)(さだ)めて()ふ『われ彼處(かしこ)(いた)りてのち(かなら)ずロマをも()るべし』[引照]

口語訳これらの事があった後、パウロは御霊に感じて、マケドニヤ、アカヤをとおって、エルサレムへ行く決心をした。そして言った、「わたしは、そこに行ったのち、ぜひローマをも見なければならない」。
塚本訳(エペソで)これらのことが終ると、パウロは(アジヤでの仕事が一応完成したことを知り、)マケドニヤ、アカヤを通ってエルサレムに行く決心をした。彼はこう言うのであった、「そこに行ったあとで、わたしはローマをも見なければ成らない」と。
前田訳これらが終わると、パウロはマケドニアとアカイアとを通って、エルサレムヘ行くことを心に決めた。そしていった、「あそこに着いたあとでローマをも見ねばならない」と。
新共同このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。
NIVAfter all this had happened, Paul decided to go to Jerusalem, passing through Macedonia and Achaia. "After I have been there," he said, "I must visit Rome also."
註解: この旅程はTコリ16:5-7の旅程計画に一致している点より見ればこの頃にパウロはコリント前書を(したた)めたのであろう。この順序を取ったのはエルサレムの聖徒のために寄附金を集めんが為であった(Tコリ16:1-3。Uコリ8章。9章。ロマ15:25-28)。彼が当時の政治上の首都ローマに赴かんとせしその雄大なる企図(きと)を見よ。

19章22節 (かく)(おのれ)(つか)ふる(もの)(うち)にてテモテとエラストとの二人(ふたり)をマケドニヤに(つかは)し、自己(みづから)はアジヤに(しばら)(とどま)る。[引照]

口語訳そこで、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストとのふたりを、まずマケドニヤに送り出し、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまった。
塚本訳そこで彼は自分の手助けをしている者の中からテモテとエラストとの二人を(さきに)マケドニアにやり、自分は(なお)しばらくアジヤに留まった。
前田訳彼は手伝いの中のふたりテモテとエラストとをマケドニアにつかわしたが、自らはしばらくアジアにとどまっていた。
新共同そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。
NIVHe sent two of his helpers, Timothy and Erastus, to Macedonia, while he stayed in the province of Asia a little longer.
註解: このエラストはUテモ4:20のエラストと同一人ならんも他には何事も知られていない。ロマ16:23のエラストはこれとは別人なり。このアジア滞在中にパウロは今一度緊急の事件の為にコリントを訪問したのであろう(Uコリ2:1Uコリ12:14Uコリ12:21Uコリ13:1、2)。この第二回の訪問の事は使徒行伝に録されて居ない。問題が重大でありコリントの信徒をいたく憂いしめたので、パウロは予定通り五旬節の頃までエペソに留り(Tコリ16:8)、それより21節の予定を変更して直接にコリントを訪問する事を約束したのであろう。然るにデメテリオの事件の為に急にエペソを出立つ必要が起り、その為に急遽コリントを訪う事の時期尚早くして不適当なる事を考え、約束を変更して始の予定に立帰り、マケドニヤを経てコリントに行く事とし先づテトスをコリントに遣しその事情を(うかが)わしめたのであった(Uコリ1:15-17註。Uコリ2:13Uコリ7:6)と見るのが至当であろう。かくして21節の旅程に再び逆戻りした事となりコリントの信徒にはパウロが変節漢の如くに見えたのであろう(Uコリ1:17)。
要義1 [内容なき称名]咒文師が試にイエスの御名を称えて失敗した記事は、興味多き事実である。今日の基督者の中に魔術を行わんが為に、イエスの御名を称うる者は無いけれども、形式のみの信者であって、信仰なき者は(すこぶ)る多い。こうした基督者は名称のみはキリストに属しているけれども、信仰によってキリストに連るにあらず、従って信仰より来る力が無い。その結果全く無力なる存在と化し去りサタンの襲撃に一たまりもなく敗北する。こうした基督者はこの咒文師の如く全く空なる名称を唱うるのみであって、何等の内容をも有せざる事となる。我らはこの咒文師を笑う前に、自らを顧み、基督者たる名称が果して内容に相応しきや否やを検すべきである。
要義2 [魔術書籍の焼却]信仰のためには往々にして我らに取りて最も貴重なるものを(ことごと)く棄て去る事が必要な場合がある。主は我らに凡てを棄てて主に従うべき事を要求し給う。富も地位も名誉も家族も皆これを主の為に棄て得るものにして始めて主イエスの弟子となる事が出来る。
要義3 [懺悔の必要]懺悔は自己の恥を人の前に出す事である故、何人もこれを行う事を躊躇する。併し乍ら意を決して懺悔せる場合は重荷を卸せる如き気軽さを感ずるものである。カトリック教会はこの二つの点を巧に利用して僧侶に対してのみ懺悔せしむるの途を取っている。併し乍らこれは同時に弊害を伴う。神を畏れる心が恥を憂慮する心に打ち勝ちて自然に懺悔せんとする心が湧き出でし場合、必要なる相手方に向って自己の罪を懺悔すべきである。

5-4-2-二 デメテリオ事件 19:23 - 19:41

19章23節 その(ころ)この(みち)()きて一方(ひとかた)ならぬ騷擾(さわぎ)おこれり。[引照]

口語訳そのころ、この道について容易ならぬ騒動が起った。
塚本訳そのころに、(キリストの)道のことで由々しい騒ぎがおこった。(それはこういう事件である。)
前田訳そのころこの道についてただならぬ騒ぎがおこった。
新共同そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。
NIVAbout that time there arose a great disturbance about the Way.
註解: この事件は全く不意に起ったのであったけれども、一方パウロの勢力が伸張するに伴い、次第に反対の気勢が揚りつつあった事は想像に難くない。
辞解
[道] 往々にして異端または宗派を表す場合あり。当時の程度に於ける基督教を表すに他の適当の語を見出し難かったのであろう。

19章24節 デメテリオと()(ぎん)細工人(さいくにん)ありしが、アルテミスの(ぎん)小宮(こみや)(つく)りて細工人(さいくにん)らに(おほ)くの(げふ)()させたり。[引照]

口語訳そのいきさつは、こうである。デメテリオという銀細工人が、銀でアルテミス神殿の模型を造って、職人たちに少なからぬ利益を得させていた。
塚本訳(エペソで)デメテリオという銀細工人が、アルテミス神の(像の入っている小さな)銀の厨子を造って(売り出し、多くの)職人達に少なからぬ収益を得させていた。
前田訳デメトリオという銀細工人がアルテミスの銀の宮を造って職人たちに少なからぬ利益を得させていた。
新共同そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。
NIVA silversmith named Demetrius, who made silver shrines of Artemis, brought in no little business for the craftsmen.
註解: アルテミス即ちデイアナの宮の模型を銀を以て造りこれを参拝者に売り付け、参拝者はこれを恐らくそのまま女神にささげたのであろう(ラムゼー)。或は家に持ち帰りて奉置せしものとも考うる事が出来る。デメテリオはその銀細工の総元締の如き人。エペソのアルテミスは当時広く崇敬されし神であった。

19章25節 それらの(もの)および(おな)(たぐひ)職業(しょくげふ)(しゃ)(あつ)めて()[引照]

口語訳この男がその職人たちや、同類の仕事をしていた者たちを集めて言った、「諸君、われわれがこの仕事で、金もうけをしていることは、ご承知のとおりだ。
塚本訳彼は(一日)職人たちと、同じ仕事に関係している者たちとを集めて言った、「諸君、この商売がわたし達の福の神であることは御承知のとおりだが、
前田訳彼は職人たちと関連の業者とを集めていった、「皆さん、ご承知のとおりわれらが裕福なのはこの仕事のおかげです。
新共同彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、
NIVHe called them together, along with the workmen in related trades, and said: "Men, you know we receive a good income from this business.
註解: 職業者 ergatai は細工人 technitai よりも地位の低き労働者でこの職業に関連あるものを指したるなり。

人々(ひとびと)よ、われらが()(げふ)()りて()(えき)()ることは、(なんぢ)らの()(ところ)なり。

註解: 人は真理が蹂躙されても沈黙するけれども自己の利益が侵害される場合は(たちま)ちにして死物狂いとなる。

19章26節 (しか)るに、かのパウロは()にて(つく)れる(もの)(かみ)にあらずと()ひて、(ただ)にエペソのみならず、(ほとん)(ぜん)アジヤにわたり、(おほ)くの人々(ひとびと)()(すす)めて(まどは)したり、これ(また)なんぢらの()(きき)する(ところ)なり。[引照]

口語訳しかるに、諸君の見聞きしているように、あのパウロが、手で造られたものは神様ではないなどと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説きつけて誤らせた。
塚本訳あなた達が見もし聞きもするように、あのパウロという奴は、(人間の)手で出来たものは神ではないと言って、エペソだけでなく、ほとんどアジヤ全体の大勢の人々を説きつけて、背かせてしまった。
前田訳しかるに、見聞きなさるように、エペソばかりかほとんど全アジアであのパウロが、『手でできたものなど神々でない』といって、かなりの群衆を説得して迷わせました。
新共同諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。
NIVAnd you see and hear how this fellow Paul has convinced and led astray large numbers of people here in Ephesus and in practically the whole province of Asia. He says that man-made gods are no gods at all.
註解: デメテリオはパウロの主張と活動をここに略述しているけれどもその主張の正邪については一言も述べて居ない。これを述べる事が出来ないからである。

19章27節 (かく)ては(ただ)(われ)らの職業(しょくげふ)(かろ)しめらるる(おそれ)あるのみならず、また大女神(おほめがみ)アルテミスの(みや)(なみ)せられ、(ぜん)アジヤ、全世界(ぜんせかい)のをがむ大女神(おほめがみ)稜威(みいつ)(ほろ)ぶるに(いた)らん』[引照]

口語訳これでは、お互の仕事に悪評が立つおそれがあるばかりか、大女神アルテミスの宮も軽んじられ、ひいては全アジヤ、いや全世界が拝んでいるこの大女神のご威光さえも、消えてしまいそうである」。
塚本訳これではお互の仕事が信用を失う恐れがあるばかりか、(第一)偉大なる女神アルテミスのお宮も馬鹿にされ、アジヤ全体はもちろん、世界(中)で拝んでいるこのお方の御威光までなくなりそうな恐れがある。」
前田訳これでは、われらの仕事が信用を失うおそれがあるばかりか、偉大な女神アルテミスの神殿も無にされ、全アジアまた全世界が拝んでいる女神のご威光さえ失われそうです」と。
新共同これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
NIVThere is danger not only that our trade will lose its good name, but also that the temple of the great goddess Artemis will be discredited, and the goddess herself, who is worshiped throughout the province of Asia and the world, will be robbed of her divine majesty."
註解: デメテリオの論鋒は如何にも大女神に対する敬神思想の擁護が主要の目的であるかの如くに見せかけつつ実は自分等の懐の問題を主眼としているのである。宗教上の争論が純粋に真理に関する論争である限り君子の争であるけれども、その背後に利害の問題がひそむ場合極めて醜悪なるものとなる。而して実際は多くこの種の争闘が行われている。
辞解
[輕しめられる] ▲「評判が悪くなる」意味もある。

19章28節 (かれ)()これを()きて憤恚(いきどほり)滿(みた)され、(さけ)びて()ふ『(おほい)なる(かな)、エペソ(びと)のアルテミス』[引照]

口語訳これを聞くと、人々は怒りに燃え、大声で「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びつづけた。
塚本訳これを聞いて彼らは非常に憤慨して、「エペソ人のアルテミス神、万歳!」と叫んだ。
前田訳彼らはこれを聞いて怒りに満ち、「偉大にいます、エペソ人のアルテミス」と叫んだ。
新共同これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。
NIVWhen they heard this, they were furious and began shouting: "Great is Artemis of the Ephesians!"
註解: アルテミスの女神に関する崇敬は一般的の事実であった為、この叫声は無批判に正当視せられた。夫ゆえにこの叫声はデメテリオ始めその一団の利益を擁護するが為の最善の護符の如きものであった。

19章29節 (かく)(まち)(こぞ)りて(さわ)()ち、人々(ひとびと)パウロの同行(どうかう)(しゃ)なるマケドニヤ(びと)ガイオとアリスタルコとを(とら)へ、(こころ)(ひと)つにして劇場(げきじゃう)押入(おしい)りたり。[引照]

口語訳そして、町中が大混乱に陥り、人々はパウロの道連れであるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコとを捕えて、いっせいに劇場へなだれ込んだ。
塚本訳それで町中が上を下への混乱におちいり、一せいに(青天井の)劇場になだれ込んだ。──パウロの道連れであるマケドニア人のガイオとアリスタルコをも一緒に引いていった。
前田訳それで町中が混乱で満ち、人々は一団となって(野外)劇場へなだれ込んだ。パウロの道連れであるマケドニア人ガイオとアリスタルコをも捕えていった。
新共同そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。
NIVSoon the whole city was in an uproar. The people seized Gaius and Aristarchus, Paul's traveling companions from Macedonia, and rushed as one man into the theater.
註解: 群衆は常に煽動に乗り易いものである。デメテリオの陋劣(ろうれつ)なる心事を察するの明なく、唯その装う敬神の言に欺かれてパウロとその一派を駆逐せんとした。パウロは丁度その時そこに居なかったので他の弟子たちを捕えて劇場に押入った。
辞解
[ガイオ] 使20:4のガイオとは別人、Tコリ1:14ロマ16:23。Vヨハ1等のガイオと同一人なりや否やは不明。
[アリスタルコ] 使20:4使27:2コロ4:10ピレ1:24と同一人。
[劇場] 観劇の目的の外に人民の集会にも用いられた。エペソは共和都市であって人民の集会によりて政治が行われた。

19章30節 パウロ集民(しふみん)のなかに()らんと()たれど、弟子(でし)たち(ゆる)さず。[引照]

口語訳パウロは群衆の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそれをさせなかった。
塚本訳パウロも民衆の中にわけ入ろうと思ったが、(主の)弟子たちが承知しなかった。
前田訳パウロは群衆の中に入ろうとしたが、弟子たちが承知しなかった。
新共同パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。
NIVPaul wanted to appear before the crowd, but the disciples would not let him.
註解: パウロは一は集民を説服してその反対を静めん為、一はガイオやアリスタルコを救出さんが為に集民の中に飛込まんとした。併し乍ら集民の目的はパウロの殺害にあったので弟子たちはこれを制止した。熱狂せる群衆に真理を説く事は爆薬に火を点ずるが如きものである。
辞解
[集民] dêmos 集団となれる群民を指す。

19章31節 (また)アジヤの(まつり)(つかさ)のうちの(ある)(もの)どもも(かれ)(した)しかりしかば、(ひと)(つかは)して劇場(げきじゃう)()らぬやうにと(すす)めたり。[引照]

口語訳アジヤ州の議員で、パウロの友人であった人たちも、彼に使をよこして、劇場にはいって行かないようにと、しきりに頼んだ。
塚本訳またアジヤ州会の議員で、パウロに好意をもっていた人たちも、彼の所に使をやって、彼自身は劇場に入らないようにと頼ませた。──
前田訳アジア州の議員でパウロに友好的であった人々も、彼のところに使いをやって、劇場に入らないよう勧めた。
新共同他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。
NIVEven some of the officials of the province, friends of Paul, sent him a message begging him not to venture into the theater.
註解: 弟子のみならず友人も亦パウロの劇場に入る事を止めた。是は結局賢い方法であった。
辞解
[アジヤの祭の司] Asiarchos 即ち「アジヤの守」でその地方の議会の長として、また地方の祭事または競技等の催しの指揮者としての職を有する人、複数を用いしは、是等の人は退職後もこの名称を保持するが為なり(他の州にも同様の「守」あり)、パウロがこの種の人々との間に交際を有っていた事は、注意を要する事実である。▲すなわちパウロは信仰を異にする人を悪魔のごときものと見なかったことを示す。

19章32節 ここに會衆(くわいしゅう)おほいに(みだれ)れ、大方(おほかた)はその(なに)のために(あつま)りたるかを()らずして、(ある)(もの)はこの(こと)を、(ある)(もの)はかの(こと)(さけ)びたり。[引照]

口語訳中では、集会が混乱に陥ってしまって、ある者はこのことを、ほかの者はあのことを、どなりつづけていたので、大多数の者は、なんのために集まったのかも、わからないでいた。
塚本訳さて(劇場では)めいめいがそれぞれ違ったことを叫んでいた。集会はすっかり混乱し、大部分の者はなんのために集まっているか知らなかったのである。
前田訳めいめいが違ったことを叫んでいた。それは、集会が混乱していて、多数のものは何のために集まったのか、わからなかったからである。
新共同さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。
NIVThe assembly was in confusion: Some were shouting one thing, some another. Most of the people did not even know why they were there.
註解: 群衆混乱の状況を叙述す。神の子の福音は往々にしてこうした盲目的混乱によりて妨害される。

19章33節 (つい)群衆(ぐんじゅう)(ある)(もの)ども、ユダヤ(びと)()(いだ)したるアレキサンデルに(すす)めたれば、かれ()(うごか)して集民(しふみん)辯明(べんめい)をなさんとすれど、[引照]

口語訳そこで、ユダヤ人たちが、前に押し出したアレキサンデルなる者を、群衆の中のある人たちが促したため、彼は手を振って、人々に弁明を試みようとした。
塚本訳すると、(事情を聞くため)ユダヤ人たちから前の方に押し出されたアレキサンデルに、群衆の中のある者が訳を話したので、アレキサンデルは手を振って、民衆に(ユダヤ人のことを)弁明しようとした。
前田訳人々はユダヤ人から推されたアレクサンデルを群衆の前に押し出した。アレクサンデルは手を動かして民衆に弁明しようとした。
新共同そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。
NIVThe Jews pushed Alexander to the front, and some of the crowd shouted instructions to him. He motioned for silence in order to make a defense before the people.
註解: このアレキサンデルがもしTテモ1:20Uテモ4:14のアレキサンデルと同一人なりとすれば、彼は後に背教者となった事が判る。一時は殉教の決心までなせる者が、後に至りて背教者となる場合は少くない。
辞解
[ユダヤ人] ここでは基督者に対するユダヤ人ではなく、ギリシヤ人に対する意味のユダヤ人と見るを可とす。ゆえにアレキサンデルを基督者と見るべきである。
[勤め] sunbibazô は教えると云う如き意。

19章34節 ()のユダヤ(びと)たるを()り、みな同音(どうおん)に『おほいなる(かな)、エペソ(びと)のアルテミス』と(よば)はりて()時間(じかん)ばかりに(およ)ぶ。[引照]

口語訳ところが、彼がユダヤ人だとわかると、みんなの者がいっせいに「大いなるかな、エペソ人のアルテミス」と二時間ばかりも叫びつづけた。
塚本訳しかしそれがユダヤ人だとわかると、人々は声をそろえて、「エペソ人のアルテミス神、ばんざい!」と二時間ばかりも叫んでいた。
前田訳しかし彼がユダヤ人であると知って、人々は皆声をひとつにして、「偉大にいます、エペソ人のアルテミス」と二時間ほども叫んでいた。
新共同しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。
NIVBut when they realized he was a Jew, they all shouted in unison for about two hours: "Great is Artemis of the Ephesians!"
註解: 群衆より見てはユダヤ人も基督者も同一であり、また事実偶像神に対する態度に於ては同一であったので、彼らは大声にアルテミスの神を讃美してユダヤ人の声を葬ってしまった。

19章35節 (とき)書記役(しゅきやく)群衆(ぐんじゅう)(しづ)めおきて()ふ『さてエペソ(びと)よ、(たれ)かエペソの(まち)大女神(おほめがみ)アルテミス(およ)(てん)より(くだ)りし(ざう)宮守(みやもり)なることを()らざる(もの)あらんや。[引照]

口語訳ついに、市の書記役が群衆を押し静めて言った、「エペソの諸君、エペソ市が大女神アルテミスと、天くだったご神体との守護役であることを知らない者が、ひとりでもいるだろうか。
塚本訳そこで(町の)書記が群衆をおし静めて言う、「エペソ人諸君、このエペソ人の町が、偉大なるアルテミス神と天から下ってきた御身体との番人であることを、知らない人がいったいあるのだろうか。
前田訳町の書記が群衆を静めていった、「エペソ人の皆さん、エペソ人の町が偉大なアルテミスとその天来の像との守り手であることを知らない人がありますか。
新共同そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。
NIVThe city clerk quieted the crowd and said: "Men of Ephesus, doesn't all the world know that the city of Ephesus is the guardian of the temple of the great Artemis and of her image, which fell from heaven?
註解: この混沌の中に鎮静の役を買って出たのが書記役であった。彼は飽くまでも宗教の本質論に入る事を避け、事実に基き常識論と手続上の事につきて群衆をさとした。その挙げし第一の事実はエペソの町がアルテミスの女神の宮守である事を一般が知っていると云う事であった。パウロ及びその弟子たちがこの事実を如何に認めるか等の問題に触れない処が、彼の実際家としての賢さである。
辞解
[書記役] grammateus。
[天より降りし像] diopetês 神話によればアルテミスの女神の像はゼウスの神即ち天より降ったものと信ぜられていた。
[宮守] 宮を掃除し、これを清浄に保つ役。

19章36節 これは()()(がた)きことなれば、なんぢら(しづ)かなるべし、(みだり)なる(こと)()すべからず。[引照]

口語訳これは否定のできない事実であるから、諸君はよろしく静かにしているべきで、乱暴な行動は、いっさいしてはならない。
塚本訳これは争われない事実だから、諸君は静かにしていて、決して軽はずみなことをしてはならない。
前田訳このことは争われぬ事実であるから、あなた方は静かにしているべきで、何も早まったことをしてはなりません。
新共同これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。
NIVTherefore, since these facts are undeniable, you ought to be quiet and not do anything rash.
註解: エペソの市がアルテミスの女神の宮守である事実は厳然として存していて誰が何と云おうとも言い消し得ない事であるから(すこし)も心配するに及ばない。パウロ等がこの事実を否定しているかどうかにつきては触れず、たとい否定しても心配する事は無いとの意を含む。
辞解
[静かなる] katastalmenos 鎮静の意、興奮せる状態を落付かせる事。
[妄なる事] propetês 猪突に相当す。▲「無茶をするな」の俗語が当てはまる。

19章37節 この人々(ひとびと)(みや)(もの)(ぬす)(もの)にあらず、(われ)らの女神(めがみ)(そし)(もの)にもあらず、(しか)るに(なんぢ)(これ)()(きた)れり。[引照]

口語訳諸君はこの人たちをここにひっぱってきたが、彼らは宮を荒す者でも、われわれの女神をそしる者でもない。
塚本訳諸君は、宮荒しでもなく、われわれの女神を冒涜する者でもないこの人たちを、(ここに)引いてきたではないか。
前田訳あなた方はこの人々を引き連れて来ましたが、彼らは宮荒しでもなく、われらの神を汚すものでもありません。
新共同諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。
NIVYou have brought these men here, though they have neither robbed temples nor blasphemed our goddess.
註解: パウロ等は宮の物を盗まなかったのは勿論、女神を(そし)らなかった故何等の罪も無い。この語によりてパウロ等が偶像の宮に対して如何なる態度を取ったかを知る事が出来る。即ちパウロ等は先づ人を真の信仰に導く事によりて自然に偶像の問題を解決せんとしたのであって、先づ偶像とその宮を冒涜して後に信仰に導かんとしたのではなかった。
辞解
[宮の物を盗む者] hierosulos 手を触るべからざる聖物を盗む事は最も厚顔なる罪である。尚この場合、この語を行為によりて神を涜す事の意味に取る説もある。

19章38節 もしデメテリオ(およ)(とも)にをる細工人(さいくにん)ら、(ひと)()きて(うった)ふべき(こと)あらば、裁判(さいばん)()あり、かつ(つかさ)あり、(かれ)()おのおの(うった)ふべし。[引照]

口語訳だから、もしデメテリオなりその職人仲間なりが、だれかに対して訴え事があるなら、裁判の日はあるし、総督もいるのだから、それぞれ訴え出るがよい。
塚本訳だから、もしデメテリオとその仲間の職人たちとが、だれかを相手取って請求することがあるなら、(そのために)裁判は開かれ、地方総督もおられることだから、互に訴訟をやったらよかろう。
前田訳それで、もしデメトリオとその仲間の職人たちが、だれかを訴えることがあるならば、裁判は開かれるし、地方総督らもいることですから、互いに訴えたらよいでしょう。
新共同デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。
NIVIf, then, Demetrius and his fellow craftsmen have a grievance against anybody, the courts are open and there are proconsuls. They can press charges.
註解: 群衆を煽動する如き危険にして下等な態度をさけ、堂々として正式の訴訟を提起すべし、その途は備わっているからとの意。この手段を取らないのはデメテリオの方に(やま)しい処があるからではないかとの意を含む。これによりてデメテリオはその虚を衝かれた訳である。

19章39節 もし(また)ほかの(こと)につきて()する(ところ)あらば正式(せいしき)議會(ぎくわい)にて(けっ)すべし。[引照]

口語訳しかし、何かもっと要求したい事があれば、それは正式の議会で解決してもらうべきだ。
塚本訳しかしもし何かそれ以上の(裁判所の扱えない)要求を持っているなら、正式の議会で決定してもらうがよい。
前田訳もしあなた方が何かそれ以上を求めるのならば、正式の議会で決めてもらえるでしょう。
新共同それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。
NIVIf there is anything further you want to bring up, it must be settled in a legal assembly.
註解: 何人かを訴うるのではなく、何事かを決しようとするのであれば人民の衆会を正式に召集して、これを解決すべきである。何れにしてもかく不秩序なる群衆を無目的に糾合するは宜しくない。
辞解
[議する] epizêteô は求むるの意。「何か注文があるならば」と訳して可ならん。
[議会] ekklêsia。
[決すべし] 「解くべし」なる文字を用う。

19章40節 (われ)今日(けふ)騷擾(さわぎ)につきては(なに)理由(りいう)もなきにより(とがめ)()くる(おそれ)あり。この會合(くあいがふ)につきて()ひひらくこと(あた)はねばなり』[引照]

口語訳きょうの事件については、この騒ぎを弁護できるような理由が全くないのだから、われわれは治安をみだす罪に問われるおそれがある」。
塚本訳今日のことは、この騒擾について申開きの出来るような理由が一つもないので、暴動の罪に問われる恐れがあるのだから。」彼はこう言って、集会を解散させた。
前田訳きょうのことについては、何も理由がないのですから、騒擾罪(そうじょうざい)に問われるおそれがあります。われらはこの騒ぎの言いわけができないのです」と。こういって彼は集会を解散させた。
新共同本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。
NIVAs it is, we are in danger of being charged with rioting because of today's events. In that case we would not be able to account for this commotion, since there is no reason for it."
註解: (私訳)「今日の事につきては、何の理由もなく、この会合につきて言いひらくこと能わざれば、我ら騒擾罪を以て訴えられる恐あり」最後に書記役は刑罰を以て群衆を威嚇した。群衆を制御する最良の方法である。

19章41節 ()()ひて集会(あつまり)(さん)じたり。[引照]

口語訳こう言って、彼はこの集会を解散させた。
塚本訳
前田訳
新共同
NIVAfter he had said this, he dismissed the assembly.
註解: 書記役の鎮撫(ちんぶ)が功を奏して集会は解散し、パウロは難を免れガイオやアリスタルコは釈放された。
要義1 [信仰迫害の動機]信仰に対する迫害は、表面上は常に宗教的の理由を以て為されているけれども、裏面に於ては殆んど例外なしに利慾と打算とによりて動かされているのであって、或は自己の勢力範囲が縮少せられ、或は自己の収入に影響を及ぼす事の為に、猛然として迫害の火の手を揚げるのである。但しユダヤ教の如き熱心なる排他的の宗教に在りては往々にして狂信家が現れ、利害の打算を離れて異教徒を迫害する事がある。但し是等の場合に於ても多くは背後に利害に敏なるものが糸を引いている事が多い。夫ゆえに宗教上の争議は多くの場合利害問題である。デメデリオの場合もその一例に過ぎない。夫ゆえに我らの注意すべきの事は利害を真理の問題に介在せしめない事である。
要義2 [パウロは異教徒または偶像の宮に対して如何なる態度を取りしか]37節より見るならば、パウロ及びその弟子たちは決して(みだり)にエペソ人の崇尊せるアルテミスの神を(そし)らなかった事を知る事が出来る。もし彼らがこの女神を(そし)っていたならば、群衆の中にこれを聞ける者が必ず有るはずであり、書記役の言は(たちま)ちにして群衆の反対の中に葬り去られた事であろう。この事の無かりしはパウロ等の三年間のエペソ伝道に於て偶像に対する彼らの注意深き態度を(うかが)う事が出来る。即ち(みだり)りに偶像を(そし)らず、先づ人々に真の信仰を与うる事によりて自然にこの問題を解決せしめたものと思われる。また31節により、パウロはアジアの祭の司の中にも友人を有ったとの事実も、彼の態度の如何を知る一の重要なる事実である。要するに信仰は心の中の事実であって外部よりこれを強制する事も出来ずまたこれを形成する事も出来ない。偶像を破壊してもそれで信仰を与える訳には行かない。此点に於て日本に渡来せる欧米宣教師の、日本の神社及び偶像に対する態度に遺憾なる事が少くない。

使徒行伝第20章
5-4-3 マケドニヤよりギリシャに至る 20:1 - 20:2

20章1節 騷亂(さうらん)のやみし(のち)[引照]

口語訳騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを呼び集めて激励を与えた上、別れのあいさつを述べ、マケドニヤへ向かって出発した。
塚本訳(デメテリオ)騒動がやんだ後、パウロは(主の)弟子たちを呼んで励ました上、別れの挨拶をしてマケドニアへ出かけた。
前田訳騒ぎがやんだ後、パウロは弟子たちを集めて励まし、別れを告げてマケドニアへ出発した。
新共同この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
NIVWhen the uproar had ended, Paul sent for the disciples and, after encouraging them, said good-by and set out for Macedonia.
註解: デメテリオの事件(使19:23以下)のためパウロがエペソに滞在する事が自己の危険のみならず却ってエペソに於ける信徒の為に妨げとなったに相違ない。こうした場合パウロは(いたずら)にそこに固執するの愚を為さなかった。但し基督教の重要なる問題の為に死を期してエルサレムに上った事は自ら別である。22、23節および38節要義一参照。

パウロ弟子(でし)たちを(まね)きて(すすめ)をなし、

註解: 訣別の辞として信仰と忍耐とを薦めたのであろう、是がパウロに取りて最後の辞となる事の予感があったに相違ない。

(これ)(わかれ)()げ、

註解: 訣別の接吻を為す事が当時の習慣であった。

マケドニヤに()かんとて()()つ。

註解: 先づトロアスに到り(Uコリ2:12)それよりマケドニヤに渡った。▲パウロはそれより先、Uコリ1:15の計画を持っていたのを、本節の様に旅程を変更した。その事情についてはUコリ緒言を見よ。

20章2節 (しか)して、かの地方(ちはう)(めぐ)(おほ)くの(ことば)をもて弟子(でし)たちを(すす)めし(のち)[引照]

口語訳そして、その地方をとおり、多くの言葉で人々を励ましたのち、ギリシヤにきた。
塚本訳そしてその地方を巡回しながら、言葉をつくして信者たちを励まして、ギリシア[アカヤ州]に行った。
前田訳そしてその地方を通り、多くのことばで人々を励ましてギリシアへ来た。
新共同そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、
NIVHe traveled through that area, speaking many words of encouragement to the people, and finally arrived in Greece,
註解: この地方の諸都市は彼の第二伝道旅行に際して経過せし処であり多くの弟子たちが各地にいて彼を迎へた。ロマ15:19のイルリコ地方の伝道は或はこの時に行われたのであろう。尚コリント後書はこの時に(したた)められた。恐らくピリピよりであろう。

ギリシヤに(いた)る。

註解: アカヤの別名。▲▲このギリシャ訪問に際して、コリントの訪問も行い、懸案をすべて解決したのであろう。

5-4-4 マケドニヤを経てトロアスに着く 20:3 - 20:6

20章3節 そこに(とどま)ること三个月(さんかげつ)にして[引照]

口語訳彼はそこで三か月を過ごした。それからシリヤへ向かって、船出しようとしていた矢先、彼に対するユダヤ人の陰謀が起ったので、マケドニヤを経由して帰ることに決した。
塚本訳(そこで)三か月を過ごしたのち、(エルサレムに上るため)シリヤに向かって船出するつもりであったが、彼に対してユダヤ人の陰謀がおこったので、(急に計画を変え、陸路)マケドニヤを通って帰ることに決心した。
前田訳そして三か月を過ごしてから、シリアに向かって船出しようとしたとき、彼に対してユダヤ人による陰謀があったので、マケドニアを経て帰ることに決めた。
新共同そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。
NIVwhere he stayed three months. Because the Jews made a plot against him just as he was about to sail for Syria, he decided to go back through Macedonia.
註解: この期間は大部分コリントに於て費され、ロマ書はその宿泊所たるガイオの家に於て(ロマ16:23(したた)められた。

シリヤに(むか)ひて船出(ふなで)せんとする(とき)

註解: シリヤはパウロの母教会アンテオケのあるところ、当時は過越の節を守るためにエルサレムに上る旅客が多かった。パウロも過越の節をエルサレムにて守らんが為にコリントより直接にエルサレムに上らんとしたのであろう。

おのれを(そこな)はんとするユダヤ(びと)らの計略(はかりごと)()ひたれば、

註解: ユダヤ人は多くの巡礼者の中に混り、航海の途中パウロを海に投ぜんとしたのであろう。ユダヤ人は到る処パウロを迫害する。

マケドニヤを()(かへ)らんと(こころ)(さだ)む。

註解: 即ち再びマケドニヤを迂回する事とした。安全なる陸路によらんとしたのであった。

20章4節 (これ)(ともな)へる人々(ひとびと)[引照]

口語訳プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、それからテモテ、またアジヤ人テキコとトロピモがパウロの同行者であった。
塚本訳彼に付いてゆくのは、プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオと(それから)テモテ、アジヤ(州)人テキコとトロピモであった。
前田訳ついて行くのはプロの子でベレア人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオとテモテ、アジア人テキコとトロピモであった。
新共同同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。
NIVHe was accompanied by Sopater son of Pyrrhus from Berea, Aristarchus and Secundus from Thessalonica, Gaius from Derbe, Timothy also, and Tychicus and Trophimus from the province of Asia.
註解: 多くの異本に「アジヤまで伴える人々は」とあり、然るに使21:29によればトロピモは尚エルサレムにパウロと偕に居り、使27:2はアリスタルコがパウロと共にカイザリヤにあり、そのために此句が除かれたものであろう。この句を保留する事を主張する学者は(1)これをソパテロのみに関係せしめるかまたは(2)「アジヤまで」をその先を否定せざる意味に解す。

ベレア(びと)にしてプロの()なるソパテロ、

註解: ロマ16:21のソシパテロと同人ならん。

テサロニケ(びと)アリスタルコ

註解: 使19:29のと同一人ならん、尚彼はローマまでペテロに従い行き彼と共に幽囚の身となった(使27:2コロ4:10ピレ1:24)。

(およ)びセクンド、

註解: この人につきては他に知られて居ない。

デルベ(びと)ガイオ

註解: 使19:29のガイオとは別人、

(およ)びテモテ、

註解: テモテに就ては使16:1註参照。

アジヤ(びと)テキコ(およ)びトロピモなり。

註解: テキコに就てはエペ6:21コロ4:7Uテモ4:12テト3:12

20章5節 (かれ)らは先立(さきだ)ちゆき、トロアスにて(われ)らを()てり。[引照]

口語訳この人たちは先発して、トロアスでわたしたちを待っていた。
塚本訳この人たちは先発してトロアスでわたし達(一五節マデノ「ワタシ達記録」ノ記者ヲ含ムパウロ一行)を待っていた。
前田訳彼らは先に出かけてわれらをトロアスで待っていた。
新共同この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、
NIVThese men went on ahead and waited for us at Troas.
註解: 「彼ら」は原語「是ら」で(1)テキコ及びトロピモ、(2)上掲の七人全部、(3)これにパウロを加えし八人等種々に解せられて不明瞭なる一節である。従って「我ら」の誰なりやも異説を生ず、唯「我ら」の中にルカが加わっている事だけは間違が無い。此中(2)が最も適切ならん。即ちパウロはルカと共にピリピに止まった。ルカはここで再びパウロと一処になる(使16:40参照)。かく別々の行動を取った所以は不明であるが或はユダヤ人らをして乗ずる機会なからしめんが為であろう。

20章6節 (われ)らは除酵祭(ぢょかうさい)(のち)、ピリピより船出(ふなで)し、五日(いつか)にしてトロアスに()き、(かれ)らの(もと)(いた)りて七日(なぬか)のあひだ(とどま)れり。[引照]

口語訳わたしたちは、除酵祭が終ったのちに、ピリピから出帆し、五日かかってトロアスに到着して、彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。
塚本訳わたし達の方は種なしパンの祭の日の(終った)後ピリピから船出して、五日でトロアスの先発隊の所に着き、そこに七日滞在した。
前田訳われらは種なしパンの日の後にピリピから船出し、彼らのいるトロアスへ五日のうちに着き、そこに七日滞在した。
新共同わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。
NIVBut we sailed from Philippi after the Feast of Unleavened Bread, and five days later joined the others at Troas, where we stayed seven days.
註解: パウロはユダヤ人として一人静にピリピに於て除酵祭を守ったのであろう。飲食物、祭日、安息日等の事につき自由である事を主張した彼は(コロ2:16)、彼自身最も適当と思う処に従って行動した。ユダヤ人を恐れてこれを為したのではなかった。

5-4-5 トロアスに於ける一夜 20:7 - 20:12

20章7節 一週(ひとまはり)(はじめ)()われらパンを()かんとて(あつま)りしが、[引照]

口語訳週の初めの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語りつづけた。
塚本訳週の始めの日[日曜日]に、わたし達はパンを裂くために集まった。パウロは人々に話をしたが、翌日出発するつもりであったので、夜中まで話が続いた。
前田訳週のはじめの日に、われらはパンを裂くために集まった。パウロは人々に語っていたが、翌日出発の予定であったので、夜中まで話をつづけた。
新共同週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
NIVOn the first day of the week we came together to break bread. Paul spoke to the people and, because he intended to leave the next day, kept on talking until midnight.
註解: 一週の首の日即ち日曜日は基督者の集会に最も適当なる日であった(引照[週の初めの日]参照)。イエスの復活も、聖霊の降臨も共に日曜日であった。使徒時代より日曜日が礼拝日であったかどうかは確定出来ないけれども多分多くの場合この日に合同の礼拝を行い、共にパンを()き食事をなした事が遂に規則となったのであろう。パンを()く事は愛餐の一部として行われたのが後に一の儀式として愛餐と分離し、遂に愛餐は消滅しパンを()く聖餐式のみ後日に至るまで残存するに至った。日曜日はユダヤの暦法によればタ刻に始まる。

パウロ明日(あす)いで()たんとて(かれ)()とかたり、夜半(よなか)まで(かた)(つづ)けたり。

註解: 訣別の前夜であったので、パウロの心熱し語り続けて尽くる事を知らなかった。日曜礼拝が何時も夜半まで語りつづけたものと解すべきではない。当時の信徒の集会の自然さと自由さとを見よ。これを儀式に固定するに至ったのは信仰の死骸の保存に過ぎない。

20章8節 (あつま)りたる高樓(たかどの)には(おほ)くの燈火(ともしび)ありき。[引照]

口語訳わたしたちが集まっていた屋上の間には、あかりがたくさんともしてあった。
塚本訳集まっていた階上の部屋にはランプが沢山ともしてあった。
前田訳われらの集まっていた階上には明りがたくさんともしてあった。
新共同わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。
NIVThere were many lamps in the upstairs room where we were meeting.
註解: 聖餐式の式場として装飾したものと見るよりも、多数の会衆があった為と見るべきであろう。
辞解
[高楼] 家の最上階即ち屋根裏の室、この場合は三階であった(9節)。使1:13使9:37参照。

20章9節 (ここ)にユテコといふ若者(わかもの)(まど)()りて()しゐたるが、[引照]

口語訳ユテコという若者が窓に腰をかけていたところ、パウロの話がながながと続くので、ひどく眠けがさしてきて、とうとうぐっすり寝入ってしまい、三階から下に落ちた。抱き起してみたら、もう死んでいた。
塚本訳ユテコという一人の青年が窓に腰をかけていたところ、パウロがながながと話をするので、深い眠りに落ち、(とうとう)眠りに負けて三階から下に落ちた。だき起こすと、もう事切れていた。
前田訳ユテコという若者が窓に腰をかけていたが、パウロが長く話しつづけたので深く眠りこんだ。そして眠りに負けて三階から下に落ち、抱き起こすと死んでいた。
新共同エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
NIVSeated in a window was a young man named Eutychus, who was sinking into a deep sleep as Paul talked on and on. When he was sound asleep, he fell to the ground from the third story and was picked up dead.
註解: 窓に倚りては「窓の上に」即ち窓の敷居の上に腰をかけた貌。会衆の多かりし為ならん。ユテコにつきては他に知られて居ない。

(いた)眠氣(ねむけ)ざすほどに、パウロの(かた)ること愈々(いよいよ)(ひさ)しくなりたれば、(つい)熟睡(じゅくすゐ)して三階(さんがい)より()つ。

註解: 肉体的疲労の為に眠気を催す事は罪悪と見る事が出来ない。夫ゆえにこの青年が三階より墜落せる事を居睡りの罰と見る事は宜しくない。殊に未だ信仰の事に目醒めざる青年に於ては尚更である。

これを(たす)(おこ)したるに、はや()にたり。

註解: 是は実際死んだので、死んだと誤認した(W2)のではない。

20章10節 パウロ()りて()(うへ)()し、[引照]

口語訳そこでパウロは降りてきて、若者の上に身をかがめ、彼を抱きあげて、「騒ぐことはない。まだ命がある」と言った。
塚本訳パウロが下りてきて青年の上にのしかかり、抱きしめて(人々に)言った、「騒ぐことはない。命はあるのだから。」
前田訳パウロが下りてきて若者の上に身をかがめ、抱きあげていった、「騒ぎなさるな、いのちがあります」と。
新共同パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」
NIVPaul went down, threw himself on the young man and put his arms around him. "Don't be alarmed," he said. "He's alive!"
註解: T列17:17-24のエリヤの如く祈りの態度を取る為か、またはU列4:34のエリシヤの如く、その死屍を温める為かは不明であるが、こうした場合に自然にこうした態度を取る様になるものである。尚パウロはその講話を中断した事に注意すべし、こうした愛の行為が却ってよりよき説教である。

かき(いだ)きて()ふ『なんぢら(さわ)ぐな、生命(いのち)は[なほ](うち)にあり』

註解: 「なお」は原文になし、除くべきである。パウロのこの言は「生命はなお内にあり」でもなく「生命は再び内にあり」でもない。前者ならば仮死、後者ならば復活を意味する事となる。パウロは唯現在の事実をそのままに述べた。即ちその時生命がこの青年の内に在ったのである。ここにパウロの謙遜なる心持と、死者を復活せしめ給うたのは自分ではなく神である事の心持が自然にあらわれている。尚マコ5:39マタ9:24のイエスの御言を参照すべし。

20章11節 (すなは)(また)のぼりてパンを()き、(しょく)してのち(ひさ)しく(かた)りあひ、夜明(よあけ)(いた)(つい)()でたてり。[引照]

口語訳そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した。
塚本訳そして(階上に)上がっていって、(一同と)パンを裂いて食べ、ゆっくり明け方まで話して、それから出かけた。
前田訳そして上がってパンを裂いて食べ、ゆっくり夜明けまで話し、それから出発した。
新共同そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。
NIVThen he went upstairs again and broke bread and ate. After talking until daylight, he left.
註解: 夜半以後に食事を為した。またパンを()いたのもキリストを記念する自然の儀式であった。凡ての点に於て極めて自然な動作として行われた。食事と聖餐式とは別々に考えられなかった事が判明る。徹夜の集会は特別の場合と見るべきである。

20章12節 人々(ひとびと)かの若者(わかもの)()きたるを()れきたり、(いた)慰藉(なぐさめ)()たり。[引照]

口語訳人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた。
塚本訳人々は生きかえった少年を(家に)つれて行った。みんなが一方ならず喜んだ。
前田訳人々は生き返った子を連れてゆき、ひとかたならず慰められた。
新共同人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。
NIVThe people took the young man home alive and were greatly comforted.
註解: 死者の復活、パウロの信仰の力等を知りて、パウロ去りて後もその慰藉(なぐさめ)は豊に彼らに与えられた。
辞解
[若者] 「僕」または「子供」と訳される文字、従ってユテコが至って幼年なりし事が判明り、その家または集会の下僕であったろうとの想像の根拠となる。
[甚く] 「量なく」の意。
要義 [異邦人教会の集会の状態]7-12節の記事より推測し得る諸点は、使徒時代の異邦人の教会は(1)多く日曜日の夕刻に集れる事、(2)儀式張らざる自然なる集会であった事、(3)会食をなし(愛餐)その場合の家長または司会者がパンを()く事に特別に重要なる意味が附せられた事、(4)聖餐式なる特別なる儀式が分離して存在しなかった事、(5)説教の時間等に一定の規則が無かった事、等である。是より次第に転化して一定の日時に一定の形式によって行われる礼拝式が生ずるに至った。

5-4-6 トロアスよりミレトまで 20:13 - 20:16

20章13節 (かく)(われ)らは先立(さきだ)ちて(ふね)()り、[引照]

口語訳さて、わたしたちは先に舟に乗り込み、アソスへ向かって出帆した。そこからパウロを舟に乗せて行くことにしていた。彼だけは陸路をとることに決めていたからである。
塚本訳さてわたし達は(パウロより)先に立って船に乗り、アソス(の町)に向けて船出した。そこからパウロを船に迎えるつもりであった。彼自身は(アソスまで)歩いてゆこうとしていたので、そのように言いつけていたからである。
前田訳われらは先に船に乗ってアソスに向かって出かけた。そこからパウロを船に迎える予定であった。彼自身は徒歩で行く予定であったので、そのように決めていたのである。
新共同さて、わたしたちは先に船に乗り込み、アソスに向けて船出した。パウロをそこから乗船させる予定であった。これは、パウロ自身が徒歩で旅行するつもりで、そう指示しておいたからである。
NIVWe went on ahead to the ship and sailed for Assos, where we were going to take Paul aboard. He had made this arrangement because he was going there on foot.
註解: 「我ら」はパウロを除外せる人々、「船」に冠詞ある点(38節も同様)及びエペソに立寄らずしてパウロの欲する如き他の諸港に立寄れる点及び使21:2の「船」に冠詞なき点等よりこの船は一行の為に借切った沿岸航行の船であったと想像する事が出来る(M0)。

アソスにてパウロを()せんとして彼處(かしこ)船出(ふなで)せり。(かれ)徒歩(かち)にて()かんとて(かく)くは(さだ)めたるなり。

註解: トロアスよりアソスまで約三十二キロ、何ゆえにパウロは徹夜の講話をも物ともせず徒歩にて行きしかは不明であり、種々の想像説あれど、恐らくその地の信徒を訪わんが為ならん(H0)、尚(1)ユダヤ人の陥穽(おとしあな)を免れる為、(2)一時淋しく暮さん為、(3)健康の為(C1)、(4)同伴者を休養せしむる為等種々の説あり。

20章14節 (われ)らアソスにてパウロを()(むか)へ、[引照]

口語訳パウロがアソスで、わたしたちと落ち合った時、わたしたちは彼を舟に乗せてミテレネに行った。
塚本訳アソスで落ち合うと、わたし達は彼を船に迎えてミテレネ(の町)に行き、
前田訳彼はアソスでわれらと落ち合い、われらは彼を船に迎えてミテレネに行った。
新共同アソスでパウロと落ち合ったので、わたしたちは彼を船に乗せてミティレネに着いた。
NIVWhen he met us at Assos, we took him aboard and went on to Mitylene.
註解: 原文「彼アソスにて我らに落合いしとき」となる。

これを()せてミテレネに(わた)り、

註解: ミテレネはレスボス島の首都、美しき市。

20章15節 また彼處(かしこ)より船出(ふなで)して翌日(よくじつ)キヨスの彼方(かなた)にいたり、(つぎ)()サモスに()()り、その(つぎ)()ミレトに()く。[引照]

口語訳そこから出帆して、翌日キヨスの沖合にいたり、次の日にサモスに寄り、その翌日ミレトに着いた。
塚本訳そこを出て翌日キヨス(島)の沖合に着き、次の日サモス(島)に渡り、その次の日に(ミレトの町)に来た。
前田訳そこから翌日、船出してキオスの沖に達し、次の日サモスに渡り、その次の日ミレトに来た。
新共同翌日、そこを船出し、キオス島の沖を過ぎ、その次の日サモス島に寄港し、更にその翌日にはミレトスに到着した。
NIVThe next day we set sail from there and arrived off Kios. The day after that we crossed over to Samos, and on the following day arrived at Miletus.
註解: サモスはエペソと相対する島。パウロはエペソに立寄らなかった。トロアスよりミレトに至るまで五日の航海であった。尚異本にはミレトに着く前に「トロギリウムに一泊し」とあり。

20章16節 パウロ、アジヤにて(とき)(つひや)さぬ(ため)にエペソには(ふね)()せずして()ぐることに(さだ)めしなり。これは()るべく五旬節(ごじゅんせつ)()エルサレムに()ることを()んとて(いそ)ぎしに()る。[引照]

口語訳それは、パウロがアジヤで時間をとられないため、エペソには寄らないで続航することに決めていたからである。彼は、できればペンテコステの日には、エルサレムに着いていたかったので、旅を急いだわけである。
塚本訳これはパウロがアジヤで暇取らないように、エペソに寄らずに行くことにきめていたからである。彼は出来ることなら五旬節の祭の日にエルサレムについていたいと、(旅行を)急いだのである。
前田訳これはパウロが、アジアで暇どらないために、エペソを素通りすることに決めていたからである。彼は、できることなら、五旬節の日にエルサレムにいるよう急いでいたのである。
新共同パウロは、アジア州で時を費やさないように、エフェソには寄らないで航海することに決めていたからである。できれば五旬祭にはエルサレムに着いていたかったので、旅を急いだのである。
NIVPaul had decided to sail past Ephesus to avoid spending time in the province of Asia, for he was in a hurry to reach Jerusalem, if possible, by the day of Pentecost.
註解: エペソは彼と密接なる関係あり数日の滞在にては不充分であった。且つ敵も多きことゆえ如何なる事が起らんとも予測し得ず、従って滞在の日数も予定出来ず、エルサレム行の失敗に帰せん事を恐れた。夫ゆえに(わざ)とエペソに立寄らなかった。五旬節にエルサレムに到らんとしたのはエルサレムにてこの祝節を記念する事の意義ある事たるのみならず、各地より集う多くのユダヤ人らに福音の証を為さんが為であった。尚おエペソに立寄らなかったにも関らずトロアス(6節)、ツロ(使21:4)、カイザリヤ(使21:10)等に比較的長く滞留せるを見てもエペソに立寄らなかったのは敵の為にエルサレム行を妨げられる事を憂えた事が重なる理由であった事が判明る。

5-4-7 エペソの長老との決別 20:17 - 20:38

20章17節 [(しか)してパウロ、]ミレトより(ひと)をエペソに(つかは)し、教會(けうくわい)長老(ちゃうらう)たちを()びて、[引照]

口語訳そこでパウロは、ミレトからエペソに使をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。
塚本訳パウロはミレトからエペソに使をやって、そこの集会の長老たちを呼びよせた。
前田訳パウロはミレトからエペソに使いをやって集まりの長老たちを呼びよせた。
新共同パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。
NIVFrom Miletus, Paul sent to Ephesus for the elders of the church.
註解: ミレトよりエペソまでは約四十八キロあり態々(わざわざ)こうした遠距離の地に呼出した事も上掲の理由による、「長老」は原語「老人」の意味であるけれども必ずしも年令上の老人ではなく主要の人物を指す。

20章18節 その(きた)りしとき、かれらに()ふ『わがアジヤに(きた)りし(はじめ)()より如何(いか)なる(さま)にて(つね)(なんぢ)らと(とも)()りしかは、(なんぢ)らの()(ところ)なり。[引照]

口語訳そして、彼のところに寄り集まってきた時、彼らに言った。「わたしが、アジヤの地に足を踏み入れた最初の日以来、いつもあなたがたとどんなふうに過ごしてきたか、よくご存じである。
塚本訳そしてあつまって来ると、こう言った。「あなた達にはこのことがよくわかっているはずだ、このアジヤの地を踏んだ最初の日から、わたしはいつもあなた達と一緒にいて、
前田訳彼らが集まってくると、こういった、「あなた方はご存じです、わたしがアジアに来た最初の日から、いかにあなた方とともに過ごして来たかを。
新共同長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。
NIVWhen they arrived, he said to them: "You know how I lived the whole time I was with you, from the first day I came into the province of Asia.
註解: パウロは常に自己の実生活を証拠としてその使徒職とその福音の神より出づる事を証明する。例えばTコリ4:16Tコリ11:1Uコリ1:12ピリ3:17の如し。

20章19節 (すなは)謙遜(けんそん)(かぎり)をつくし、(なみだ)(なが)し、ユダヤ(びと)計略(はかりごと)によりて(せま)()艱難(かんなん)()へて(しゅ)につかへ、[引照]

口語訳すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。
塚本訳謙遜のかぎりを尽くし、多くの涙を流し、ユダヤ人の陰謀でわたしに起こったかずかずの試みの間にあって、主に仕えたことが。
前田訳謙遜をきわめ、涙を流し、ユダヤ人の陰謀で受けた試みの数々の中で、わたしは主に仕えました。
新共同すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。
NIVI served the Lord with great humility and with tears, although I was severely tested by the plots of the Jews.
註解: 「謙遜」以下凡て「主につかえ」を形容す。多くの辱かしめを受くるも謙遜を保ち如何なる卑しき立場にも自己を置き、種々の憂慮と誤解と離反とに遭いて涙を流し、種々の試練に際して忍耐を表わした。かくして彼は徹頭徹尾主につかうることに専念したのであった。「涙を流し」た事はエペソの教会に関しては記事なし、使19:9の場合は「ユダヤ人の計略」の例であるが、この場合にも彼は涙を流したのであろう。「艱難」は「試練」と訳すべし。

20章20節 (えき)となる(こと)(なに)くれとなく(はばか)らずして()げ、公然(おほやけ)にても家々(いへいへ)にても(なんぢ)らを(をし)へ、[引照]

口語訳また、あなたがたの益になることは、公衆の前でも、また家々でも、すべてあますところなく話して聞かせ、また教え、
塚本訳またあなた達(の救い)に役立つことを、公にでも家庭(の集会)ででも、人をはばかって知らせなかったり教えなかったりしたことは、何一つないことが(あなた達にはわかっているはずだ。)
前田訳あなた方に役だつことはひとつとしておろそかにせず、公にも家々でもあなた方に知らせ、また教えました。
新共同役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。
NIVYou know that I have not hesitated to preach anything that would be helpful to you but have taught you publicly and from house to house.
註解: 私訳「益となる事は一もこれを留保せずして、公然にても家々にても汝らに告げ、また汝らを教えたり」パウロの伝道の公明正大なりし事、及びその内容の有益なりし事を明かにす。「告げ」は「宣伝える」事で「公然」と関連し、「教う」は「家々にて」に関連す。

20章21節 ユダヤ(びと)にもギリシヤ(びと)にも、(かみ)(たい)して悔改(くいあらた)め、われらの(しゅ)イエスに(たい)して信仰(しんかう)すべきことを(あかし)せり。[引照]

口語訳ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、強く勧めてきたのである。
塚本訳わたしはユダヤ人にも異教人にも、神に帰る悔改めと、わたし達の主イエスに対する信仰とを、証ししたのであった。
前田訳そしてユダヤ人にもギリシア人にも神への悔い改めとわれらの主イエスへの信仰とを証しました。
新共同神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。
NIVI have declared to both Jews and Greeks that they must turn to God in repentance and have faith in our Lord Jesus.
註解: ユダヤ人とギリシヤ人は人類全体と云うに同じく、悔改めと信仰とは福音の要約である。以上はパウロの過去の態度及び行動の回想であった。

註解: 22-24節は今後の見通し。

20章22節 ()よ、(いま)われは(こころ)(から)められて、エルサレムに()く。[引照]

口語訳今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。
塚本訳(だがいよいよお別れだ。)さあ、わたしは御霊に縛られて、エルサレムにのぼって行く。そこでどんな目に会うか、わたしは知らない、
前田訳今わたしはみ霊に縛られてエルサレムに上るところです。そこでどんな目にあうか、わかりません。
新共同そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。
NIV"And now, compelled by the Spirit, I am going to Jerusalem, not knowing what will happen to me there.
註解: 霊的に止むに止まれずして、往くの意。
辞解
[心搦められて] 直訳「霊に於て捕縛されて」で種々の意味に解せられているけれども本文の如くに解するよりも「聖霊によりて捕えられ」(C1)と解するを可とす。聖霊がパウロを捉えて強てエルサレムに引き往く如き心持であった。

彼處(かしこ)にて如何(いか)なる(こと)(われ)(およ)ぶかを()らず。

註解: 原文「知らずにエルサレムに行く」となり前半に関連す、何等か重大なる運命が彼を待ちつつあるが如き予感がしきりに彼を襲った。

20章23節 ただ(せい)(れい)いづれの(まち)にても(われ)(あかし)して縲絏(なはめ)患難(なやみ)(われ)()てりと()げたまふ。[引照]

口語訳ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。
塚本訳ただ、聖霊は(預言者たちをもって)到る所の町で、縄目と苦難とが(あそこで)わたしを待っていると証しをしてくださったことのほかは。
前田訳ただわかるのは、逮捕と苦難がわたしを待っているといって、聖霊が町ごとに証をなさることです。
新共同ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。
NIVI only know that in every city the Holy Spirit warns me that prison and hardships are facing me.
註解: 町々にて、預言する者が聖霊によりてパウロについて預言し彼の運命の多難なるべき事を告げた。「町々にて」とある故、この聖霊はパウロの内心に啓示し給うたのではなく、町々の預言者をして語らしめ給うた。使11:28使13:2使21:4使21:11の如し。

20章24節 ()れど(われ)わが(はし)るべき道程(みちのり)[引照]

口語訳しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。
塚本訳しかしわたしは、自分の走るべき道を走りおえて、主イエスから託された、神の恩恵をつたえる福音を証しする役目をはたすためなら、自分の命のことなど口にする値打もないと思う。
前田訳しかしわたしは、走るべき道のりを終え、神の恩恵の福音を伝えるという主イエスから受けたつとめを全うするためならば、わがいのちには何の値打ちも認めません。
新共同しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。
NIVHowever, I consider my life worth nothing to me, if only I may finish the race and complete the task the Lord Jesus has given me--the task of testifying to the gospel of God's grace.
註解: 走るべき道程を全うする事は(引照1参照)その天職を全うして一生を終る事。

(しゅ)イエスより()けし(つとめ)

註解: 「職」は原語diakonia で執事の職を意味す、当時教会職員の職名は今日の如く明瞭なる区別が無かった。

すなわち(かみ)(めぐみ)福音(ふくいん)(あかし)する(こと)

註解: 福音は神がその恩恵によりその独子を人類に賜い、その十字架の贖によりて凡ての人間の罪が赦される事の音信である故神の恩恵の福音と云う事が適切である。

(はた)さん(ため)には(もと)より生命(いのち)をも(おも)んぜざるなり。

註解: パウロの伝道は主イエスにその生命をささげていたことゆえ、自分の為に生命を惜む如き事は全く無かった。
辞解
[固より] 原語「如何なる理由の下にも」。
[重んぜざるなり] 「我自身に取りて価値あるものとしない」で、主の為には生命を泰山(たいざん@)よりも重しとするけれども、自分の為にはこれを鴻毛(こうもう)よりも軽しとした。

20章25節 ()よ、(いま)われは()る、(さき)(なんぢ)らの(うち)()(めぐ)りて御國(みくに)宣傳(のべつた)へし()(かほ)(なんぢ)(みな)ふたたび()ざるべきを。[引照]

口語訳わたしはいま信じている、あなたがたの間を歩き回って御国を宣べ伝えたこのわたしの顔を、みんなが今後二度と見ることはあるまい。
塚本訳さあ、もう二度と、あなた達みんなはわたしの顔を見ることはあるまい。わたしにはそれがわかっているのだ!ほんとうにわたしはあなた達の間を、御国(の福音)を説きながら回ったのだ。
前田訳さらに、今わたしにわかることは、皆さんがもうわが顔をごらんのことはあるまいということです。わたしは皆さんの間を回ってみ国を説いたのでした。
新共同そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。
NIV"Now I know that none of you among whom I have gone about preaching the kingdom will ever see me again.
註解: パウロはここに感情が高まって自己の死の必然さを益々強く信ずるに至った。而してそこに集れる長老たちのみならず彼が伝道旅行の際に経過せる各所の人々すらも生きて再び彼の顔を見ないであろうと思うに至った。この確信は前に(したた)められしロマ15:22-29。後に(したた)められしピレ1:22ピリ2:24と矛盾しているけれども、この言はこの場合に於けるパウロの確信であったと見る事は少しも差支がない。この心持が28節以下の(すす)めを一層力強きものたらしめた。

20章26節 この(ゆゑ)に、われ今日(けふ)なんぢらに(あかし)す、[引照]

口語訳だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。
塚本訳だから(わたしの福音を聞いた)何人が滅びようとも、わたしは良心のとがめがないことを、今日はっきりあなた達に言っておく。
前田訳それゆえ、きょうあなた方に明言します、だれが裁きの血を流そうとも、わたしに責めがないことを。
新共同だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。
NIVTherefore, I declare to you today that I am innocent of the blood of all men.
註解: 最後の言として重大なる宣告を汝らに与える。
辞解
[今日] 原語「今日という日に」で強き意味、訣別の日にの意。

われは(すべ)ての(ひと)()につきて(いさぎ)よし。

註解: 血は死を意味し、この場合不信仰による永遠の滅亡を指す、パウロは生命の福音を充分に伝えた故、今後不信のために亡ぶるものありともそれはパウロの責任ではない。

20章27節 (そは)(われ)(はばか)らずして(かみ)御旨(みむね)をことごとく(なんぢ)らに()げ[し](たれば)なり。[引照]

口語訳神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。
塚本訳わたしは人をはばかって、神の御心を全部あなた達に知らせないようなことは、しなかったのだから。
前田訳神のみ心のすべてをあなた方に伝えるに際して、わたしは何もおろそかにしませんでした。
新共同わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。
NIVFor I have not hesitated to proclaim to you the whole will of God.
註解: 神の御旨、御計画を(ことごと)く一も留保せずして宣言せし以上、最早やパウロに於ては手落は無い。神の御旨を正しく残なく告ぐる事は伝道者の重大なる責任である。

註解: 28-30節はエペソの長老たちに対する薦奨の言。

20章28節 (なんぢ)()みづから(こころ)せよ、[引照]

口語訳どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。
塚本訳自分自身に、また(信者の)群全体にも気をつけなさい。聖霊があなた達を群の監督にされたのは、神が御自分の(御子の)血で“かち取られた神の”集会を牧させるためである。
前田訳ご自身に、また群れ全体にお気をつけなさい。聖霊が群れの中にあなた方を監督としてお立てになったのは、神がご自身の血でかち取られた集会(エクレシア)を牧させるためです。
新共同どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。
NIVKeep watch over yourselves and all the flock of which the Holy Spirit has made you overseers. Be shepherds of the church of God, which he bought with his own blood.
註解: 自己の信仰と行為とに注意を払わず、そこに欠陥を有する者はその群を監督指導する事は出来ない、ゆえに先づ自らに注意する事が必要である。

(また)すべての(むれ)(こころ)せよ、

註解: 信徒の一団は羊の群でありこれを見守るよき牧者を要する。

(せい)(れい)(なんぢ)()(むれ)のなかに()てて監督(かんとく)となし、(かみ)(おのれ)()をもて()(たま)ひし教會(けうくわい)(ぼく)せしめ(たま)ふ。

註解: このエペソの長老たちをその職に任じたものは聖霊であり(使14:23の如く選挙による場合と(いえど)もこれを導くものは聖霊である)其職掌は群即ち教会を監視督励しまたこれを牧してこれに聖書の食を与うる事である。即ち長老、監督、牧師等権限の分離はこの当時に於ては未だ存在せず、是等の名称は権限の分界を示すものではなくその職務の内容の大体を示すものであった。従って互に相融通して用いられていた(テト1:5テト1:7)。尚教会は神がキリストの血を以て己が所有となし給いしものであって最も貴重なる存在である、従ってこれを監督することは重大な仕事である。また「己の血」即ち「神の血」と云う事は不適当であるけれどもキリストを神と呼ぶ信仰より出でし言である。また監督の職を牧者にたとえたのはルカ12:32ヨハ10:1-5。Tペテ5:2の思想による。

20章29節 われ()る、[引照]

口語訳わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んできて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。
塚本訳わたしが立ち去った後、獰猛な狼どもがあなた達の間に入ってきて、群を(荒して)容赦しないことが、わたしにわかっている。
前田訳わたしにはわかります、わたしの出発ののち荒々しい狼どもがあなた方の中に入って来て、群れを容赦なく荒らすことが。
新共同わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。
NIVI know that after I leave, savage wolves will come in among you and will not spare the flock.
註解: 「我」を特に強めてその確信を表明す。

わが()()るのち(あら)豺狼(おほかみ)なんぢらの(うち)()りきたりて(むれ)(をし)まず、

註解: 外部より来りて教会を迫害する敵は暴き狼に譬えられている(ルカ10:3ヨハ10:12)。彼らは基督者を惜まずこれを迫害し、殺戮し、散乱せしめる、暴力を以て教会を迫害するユダヤ人や異教徒等これに属す。パウロが居る間はこうした狼はその威を(たくま)しくする事が出来ない。パウロ無き後が危険である。

20章30節 (また)なんぢらの(うち)よりも、弟子(でし)たちを(おの)(かた)()()れんとて、(まが)れることを(かた)るもの(おこ)らん。[引照]

口語訳また、あなたがた自身の中からも、いろいろ曲ったことを言って、弟子たちを自分の方に、ひっぱり込もうとする者らが起るであろう。
塚本訳またあなた達の中からさえ、異端邪説をとなえて、(主の)弟子たちを自分の方に引きずりこもうとする者どもがあらわれるであろう。
前田訳そしてあなた方自身の中からも、曲がったことを語って、弟子たちを自分の方に引きずりこむ者どもが現われるでしょう。
新共同また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。
NIVEven from your own number men will arise and distort the truth in order to draw away disciples after them.
註解: 内部より起って異る教を唱えて教会を分裂せしむる偽預言者、偽教師であるかれらは自己中心であり宗派心強く己が徒党に人を引入れん事に専念する。

註解: 31-35節はパウロを模範とすべき事を教へる。

20章31節 されば(なんぢ)()(さま)しをれ。[引照]

口語訳だから、目をさましていなさい。そして、わたしが三年の間、夜も昼も涙をもって、あなたがたひとりびとりを絶えずさとしてきたことを、忘れないでほしい。
塚本訳だから目を覚ましていなさい。この三年のあいだ夜昼涙を流しながら、たえずあなた達それぞれに注意を与えたことを忘れないように。
前田訳それゆえ、目覚めていてください。三年の間、夜昼涙を流しつつ、あなた方ひとりひとりをたえず指図したことを思い出してください。
新共同だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
NIVSo be on your guard! Remember that for three years I never stopped warning each of you night and day with tears.
註解: 暴き狼、偽教師等、一瞬も油断出来ない敵である。牧者、監督者の重大の任務は目を覚している事である。

三年(さんねん)(あひだ)わが(よる)(ひる)(やす)まず、(なみだ)をもて(なんぢ)()おのおのを訓戒(くんかい)せしことを(おぼ)えよ。

註解: パウロの三年間のエペソ伝道は熱心と緊張の三年間であり(使19:8使19:10)悲憤と絶望と苦痛との涙を流し、一人一人に訓戒を与え、かくして善き牧者の任務を果さんとした。エペソの信者はパウロのこの態度を忘れてはならない。尚おパウロが自己を模範として呈出した事につきては35節註を見よ。

20章32節 われ(いま)なんぢらを、(しゅ)および()(めぐみ)御言(みことば)(ゆだ)ぬ。[引照]

口語訳今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせる力がある。
塚本訳今わたしは(神なる)主とその恩恵の御言葉とに、あなた達をお任せする。この御言葉にはあなた達を造りあげ、“すべてのきよめられた人たち”の仲間に入れ、“(御国の)相続財産を”与える力がある。
前田訳今わたしはあなた方を主とその恵みのことばにゆだねます。そのことばにはあなた方を形づくり、すべての聖められた人々の中でみ国の相続権を与える力があります。
新共同そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。
NIV"Now I commit you to God and to the word of his grace, which can build you up and give you an inheritance among all those who are sanctified.
註解: パウロはエペソの教会に自分の後継者を立てず、彼らを主に委ね、また恵の御言葉、即ち恩恵の福音に委ねた。この福音を信じて主に依頼むならばそれで充分である事をパウロは知っていた。

[御言(みことば)は]( (しゅ)は)(なんぢ)らの(とく)()て、すべての(きよ)められたる(もの)[とともに](の(なか)に)嗣業(しげふ)を[()けしめ()る]( (あた)ふる(こと)()たまふ)なり。

註解: 「御言は」とするよりも「主」を受けると見る方が文法上(やや)不円滑であるけれども意味より見て正しい。また徳を建つる事は教会の霊的建物の完成を目的とする。「潔められたる者」は「聖徒」であって基督者の全体を指し、嗣業を受くる事は旧約時代にはカナンをイスラエルの嗣業として受くる事を意味したけれども、新約に至りてこれを霊的に解し神の國を継ぐ事を意味す。主は是ら凡ての事を為し得給うがゆえに、主に依り頼み主に委ねる事ほど安全な事はない。

20章33節 (われ)(ひと)(きん)(ぎん)衣服(いふく)(むさぼ)りし(こと)なし。[引照]

口語訳わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。
塚本訳わたしはだれに対しても、金銀や、(高価な)衣服を欲しがったことはない。
前田訳わたしは銀や金や衣服をだれからも欲しがったことはありません。
新共同わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。
NIVI have not coveted anyone's silver or gold or clothing.
註解: パウロはエペソの長老たちを先づ主なる神の御手に委ね、次に自己がエペソに於て行える態度を例示してこれに倣わん事を薦めている。而してその第一は貪欲を慎む事であった。パウロは如何なる苦境に於ても他人のものを貪り不当にこれを自分に取った事は無い、偶像教は結局金儲けの為に存するけれども、福音は然らず自己の凡てを与えて他人を救う事である。

20章34節 この()()必要(ひつえう)(そな)へ、また(われ)(とも)なる(もの)(そな)へしことを(なんぢ)()みづから()る。[引照]

口語訳あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。
塚本訳この二つの手が、わたしの必要のためにも、わたしと一緒にいる者たちのためにも働いたことは、あなた達自身が知っている。
前田訳自らご存じのとおり、この両手が、わたしの必要のためにも、わたしといっしょにいる人々のためにも役だってきました。
新共同ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。
NIVYou yourselves know that these hands of mine have supplied my own needs and the needs of my companions.
註解: パウロは自ら労働して自己及び一行の生活を維持した事を非常に誇っていた(使18:3。及びその引照。殊にTテサ2:9Uテサ3:8)。彼は「この手は」と云いてその労働により骨太くなれる手を示し、「汝らみづから知る」と云い彼らをして事実を事実として承認せしめた。尚要義参照。

20章35節 (われ)すべての(こと)(おい)(れい)(しめ)せり、(すなは)(なんぢ)らも()(はたら)きて、(よわ)(もの)(たす)け、[引照]

口語訳わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。
塚本訳わたしはあらゆる機会にあなた達に例を示したのだから、あなた達も同じように一生懸命に働いて、経済的に恵まれない者たちを助けなさい。主イエス御自身が言われた、『与えるのは貰うより幸いである』という御言葉を忘れずに!」
前田訳わたしはすべてについてあなた方に示しましたが、このように働いて、弱いものを助けるべきです。そして、主イエス自らがいわれた、受けるよりも与えるがさいわい、というおことばを思い出すべきです」と。
新共同あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
NIVIn everything I did, I showed you that by this kind of hard work we must help the weak, remembering the words the Lord Jesus himself said: `It is more blessed to give than to receive.'"
註解: パウロは大胆に彼自身を模範として提供した(Tコリ4:16Tコリ11:1ピリ3:17ピリ4:9Tテサ1:6Uテサ3:9)、彼が神の御旨のままに生活している事の確信があったからである。而して信仰の弱き者は伝道者の労苦を見る事によりて信仰に入る場合多く、反対に伝道者が教会の俸給に衣食する場合に、その伝える福音に躓く場合多き故、この為にパウロは自給伝道の必要とエペソの長老もこれに倣うべき事を強調した。尚要義参照。

また(しゅ)イエスの(みづか)()(たま)ひし「(あた)ふるは()くるよりも幸福(さいはひ)なり」との御言(みことば)記憶(きおく)すべきなり』

註解: 人は与うるを嫌い受くる事を好む、併し乍ら事実は与うる事が却て受くる事よりも幸福である。福音を宣伝える場合に於ても、これに対して報を受くる事よりも、福音を与うる事に幸福を見出すべきであって、これを見出すならば自ら労働し自活する事は決して苦痛ではない。尚この主の御言は福音書には記されて居ない。従って他の文書に記録せられしものなりやまたは口頭にて伝えられしものなりや否やは不明である、クレメンス書簡に類似の句あり。

20章36節 ()()ひて(のち)、パウロ(ひざま)づきて一同(いちどう)とともに(いの)れり。[引照]

口語訳こう言って、パウロは一同と共にひざまずいて祈った。
塚本訳こう言ったあと、ひざまずいて、皆と一緒に祈りはじめた。
前田訳こういってから、ひざまずいて、皆とともに祈った。
新共同このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。
NIVWhen he had said this, he knelt down with all of them and prayed.
註解: 共に居りてこれを目撃せるルカの簡単なる叙述を以て、よく当時の光景を髣髴せしめているのを見る。

20章37節 みな(おほい)(なげ)きパウロの(くび)(いだ)きて接吻(くちつけ)し、[引照]

口語訳みんなの者は、はげしく泣き悲しみ、パウロの首を抱いて、幾度も接吻し、
塚本訳すると皆が大声で泣き出し、パウロの首に抱きついて接吻してやまなかった。
前田訳皆が大声で泣き出し、パウロの首を抱いて口づけしつづけた。
新共同人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。
NIVThey all wept as they embraced him and kissed him.
註解: 長く彼らと共に在りしパウロと訣別する事の歎きは大きくあった。彼らは当時の習慣に従い離別の接吻を交した。
辞解
[接吻し] この場合の原語は激しく繰返し接吻する事を意味する文字。

20章38節 そのふたたび()(かほ)()ざるべしと()ひし(ことば)によりて(こと)(うれ)ひ、(つい)(かれ)(ふね)まで(おく)りゆけり。[引照]

口語訳もう二度と自分の顔を見ることはあるまいと彼が言ったので、特に心を痛めた。それから彼を舟まで見送った。
塚本訳もう二度と顔を見ることはあるまいと言ったパウロの言葉が、わけても悲しかったのである。一同は彼を船まで見送った。
前田訳もはや彼の顔を見まいと彼がいったことばが、とくに悲しかったのである。皆は彼を船まで見送った。
新共同特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。
NIVWhat grieved them most was his statement that they would never see his face again. Then they accompanied him to the ship.
註解: 25節を見よ。師弟の情愛と尊敬がかくまで深くあるのが本当である。今の世は、教師は講談師の如く信者はその聴衆の如し。
要義1 [パウロのエルサレム行]デメテリオの事件の際には、エペソを逃れ出でて自己の生命を全うせるパウロは、此度は万難を冒し生命をすててもエルサレムに行かんとの決心であった(22-24節)。パウロがかくその態度を変化せし理由は、前者の場合に於ては無智貪慾の異邦人よリ迫害される場合で、彼らの為に空しく殺される事の愚なるが故であり、後者の場合はパウロが異邦人の基督者とユダヤ人の基督者との間に於ける一体の関係を実現せんが為に、マケドニヤ、アカヤ等より醵金(きょきん)せるものを集めてエルサレムに上る場合であって、教会全体がキリストにある一体の関係を実現する大切な場合であり、これが為に彼の生命をも惜まなかったからである。
要義2 [長老、監督其他の職名]今日の教会に於てはこの三つの職名が各々異れる権限を有するものとして考えられているのであるけれども、初代基督教会に於ては是は明瞭なる限界はなく、同一人を時に長老と呼び時に監督と呼ぶ如き事は屡々(しばしば)あった(17節28節テト1:6、7)。またヨハネ、ペテロは自己を長老と呼び(Uヨハ1:1Vヨハ1:1Tペテ5:1)パウロは自己を執事と呼び(使20:24)、長老たちを牧師と呼んでいる(使20:28)。是等の事実を見るならば、是等の職名は初代教会に於ては権限の区別を示さず、職務の性質の如何を指せるものであり従って諸種の職掌を行う同一人を別の名称を以て呼び得る事となる。
要義3 [パウロの自給伝道]パウロは自己の日常の生活費を信者より徴集せず、自ら労働に従事してそれより得たる報酬を以て自己及び共働者の生活費に充てた。勿論彼も臨時の寄附を受け(Uコリ11:9)、また他の人々の為には屡々(しばしば)これを募集した(Tコリ16:1-3。ロマ15:25-28。Uコリ8:1-4。Uコリ9:1、2、Uコリ9:12等)。併し乍ら自分の日常の生活費の為には勉めて信徒を煩わさざらんとしたのであった。これ彼に使徒としての権威が無いからではなく、弱き信者を躓かせぬ為、また自由なる伝道を為し得んが為であった。パウロはこれを律法または規則として信徒に課しなかったけれども、彼の経験によりてこの態度が福音の伝道の為に如何に必要且つ有益であるかを知った為に、彼はエペソの長老達にもこの態度を取るべき事をすすめ、また彼は他の場合にもこの態度につき大なる誇を持っていた(Tコリ9:12-15。Tテサ2:9Uテサ3:7、8)。今日の基督教会も、もしこの態度を取る事が出来るならば、教会は制度によりて結ばれたる一団ではなく、自由なる信仰により聖霊によりて結ばれる一団となるであろう。