黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第17章

分類
6 イエスその使命及び十字架を予告し給う 16:13 - 17:27
6-4 イエスの変貌 17:1 - 17:8
(マコ9:2-8)(ルカ9:28-36) 

17章1節 六日(むゆか)(のち)、イエス、ペテロ、ヤコブ(およ)びヤコブの兄弟(きゃうだい)ヨハネを()きつれ、(ひと)()けて(たか)(やま)(のぼ)りたまふ。[引照]

口語訳六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
塚本訳(それから)六日の後、イエスはペテロとヤコブとその兄弟のヨハネだけを連れて、高い山にのぼられた。
前田訳六日ののちイエスはペテロとヤコブとその兄弟ヨハネを連れ、彼らだけで高い山に上られた。
新共同六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
NIVAfter six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves.
辞解
[六日の後] ルカ伝には「八日ばかり後」とあり、ユダヤ人の日数や年数の数え方は日本人の場合と同様不精確である。
[ペテロ、ヤコブ、ヨハネ] この三人は十二弟子中にも殊に重きをなしており、重要なる機会にイエスと共にいた(引照2参照)。三人のみに示し給える理由は、事柄が重大であればあるだけ、多くの人にこれを示すことは害あって益がないからである。
[高き山] ヘルモン山、タボール山、ハッチン山等の説あり確定することはできない。

17章2節 かくて(かれ)らの(まへ)にてその(さま)かはり、()(かほ)()のごとく(かがや)き、その(ころも)(ひかり)のごとく(しろ)くなりぬ。[引照]

口語訳ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
塚本訳すると彼らの見ている前でイエスの姿が変った。顔は太陽のように照りかがやき、着物(まで)が光のように白くなった。
前田訳すると彼らの目の前でイエスの姿が変わり、顔は日のように輝き、着物は光のように白くなった。
新共同イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
NIVThere he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light.
註解: キリスト再臨の時の(かたち)(まさ)にかくのごときものであろう(Uペテ1:16−18)。この現象は今日の科学をもってこれを説明することができない。唯、(さなぎ)が蛾に変るがごとき動物の変態を目撃している我らは、かかる現象を想像することはできる。
辞解
[その状かわり] metamorphoomai は動物の「変態」metamorphosis と同語。

17章3節 ()よ、モーセとエリヤとイエスに(かた)りつつ(かれ)らに(あらは)る。[引照]

口語訳すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
塚本訳すると見よ、モーセとエリヤとが彼らに現われた。二人はイエスと話していた。
前田訳すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現われてイエスと話していた。
新共同見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
NIVJust then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
註解: モーセは律法、エリヤは預言者を代表し、共に異常なる死を遂げた人である(申34:6U列2:11)。旧約の律法と預言者とが、ここにイエエスの死によりて完成されることを示している。会話の内容はルカ9:31によればイエスの死についてであった。▲口語訳は適訳ではない。

17章4節 ペテロ差出(さしい)でてイエスに()ふ『(しゅ)よ、(われ)らの此處(ここ)()るは()し。御意(みこころ)ならば(われ)ここに()つの(いほり)(つく)り、(ひと)つを(なんぢ)のため、(ひと)つをモーセのため、(ひと)つをエリヤの(ため)にせん』[引照]

口語訳ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
塚本訳ペテロが口を出してイエスに言った、「主よ、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。もしよろしければ、わたしはここに小屋を三つ造りましょう。あなたに一つ、モーセに一つ、エリヤに一つ。」
前田訳ペテロがイエスにいった、「主よ、われらがここにいるのはよいことです。お望みなら、ここに幕屋を三つ作りましょう、一つをあなたに、一つをモーセに、一つをエリヤに」と。
新共同ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
NIVPeter said to Jesus, "Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters--one for you, one for Moses and one for Elijah."
註解: ペテロの異常なる歓喜を表わしており、この稀有(けう)の機会に遭遇せることに対する喜悦の情あふれて、この状態をいつまでも継続せまほしき希望を言い表わしたのである。ペテロは律法や預言は廃れて、唯キリストのみ永遠に残り給うものであることを考えなかった(Tコリ13:8)。「全き者の来らん時は全からぬもの廃らん」(Tコリ13:10)。

17章5節 (かれ)なほ(かた)りをるとき、()よ、(ひかり)れる(くも)かれらを(おほ)ふ。また(くも)より(こゑ)あり、(いは)く『これは()(いつく)しむ()、わが(よろこ)(もの)なり、(なんぢ)(これ)()け』[引照]

口語訳彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
塚本訳ペテロの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、光る雲が彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩い、そのとき、「これはわたしの“最愛の子、”“わたしの心にかなった。”“彼の言うことを聞け”」と言う声が雲の中から出た。
前田訳ペテロがなお語るうちに、見よ、光る雲が彼らをおおい、加えて雲の中から声がした、いわく、「これはわがいとし子、わが心にかなうもの、彼に耳傾けよ」と。
新共同ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
NIVWhile he was still speaking, a bright cloud enveloped them, and a voice from the cloud said, "This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!"
註解: マタ3:17の場合はイエスの伝道の門出であり、この場合はその死を経て天に昇り給う門口であった。共に同一の語が天から響いてきたのである。これにより弟子たちにイエスがメシヤたることが明かに示されたのであった。「汝らこれに聞け」は3:17にはない。この時よりいよいよモーセの律法を聴きてこれを行うべき時代が過ぎて、神の右に(いま)すイエスの言を聴きてこれを行うべき時代とならんとしていたのである。ゆえにモーセもエリヤも皆イエスと共に雲に隠されたけれども、神の証は唯イエス一人に関するものであった。▲▲かくして三人の弟子たちは、人の子がその国をもて(異本・栄光をもて)来るのを(すなわち再臨の雛形を)見たのであった。

17章6節 弟子(でし)たち(これ)()きて(たふ)()し、(おそ)るること(はなは)だし。[引照]

口語訳弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
塚本訳これを聞くと弟子たちは地にひれ伏して、非常に恐ろしくなった。
前田訳それを聞いて弟子たちは地に倒れ伏し、おそれおののいた。
新共同弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
NIVWhen the disciples heard this, they fell facedown to the ground, terrified.
註解: 神の稜威に眩惑したのである。

17章7節 イエスその(もと)にきたり(これ)(さは)りて『()きよ、(おそ)るな』と()(たま)へば、[引照]

口語訳イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
塚本訳イエスは近寄り、彼らにさわって言われた、「起きよ、恐れることはない。」
前田訳イエスは近より、彼らに手を触れていわれた、「起きよ、おそれるな」と。
新共同イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
NIVBut Jesus came and touched them. "Get up," he said. "Don't be afraid."
註解: 無限の稜威と無限の慈愛とを()ち給うイエスの御言と御手は、我らを()たしめ、我らの(おそ)れを除く。黙1:17

17章8節 (かれ)()()げしに、イエス一人(ひとり)(ほか)(たれ)()えざりき。[引照]

口語訳彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
塚本訳目を上げると(そこには)だれも見えず、ただイエスだけがおられた。
前田訳彼らが目をあげると、イエスひとりのほかだれも見えなかった。
新共同彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
NIVWhen they looked up, they saw no one except Jesus.
註解: すなわち天よりの声がイエスに関するものであり、旧約の時代は去って新約の時代となり、律法は廃れてキリストの律法が支配する時となったことを弟子たちも悟ることができた。イエス一人と共にいる処、そこに天国がある。
要義 [イエスの変貌の意義]イエスの死は近付きつつあった。弟子たちがメシヤとして期待せるイエスが、十字架上に最大の恥辱の死を遂げなければならないということは彼らの考え得ない事柄であった。「受難のメシヤ」の観念は彼らには不可解であった、それゆえに彼らが肉の念のために躓くことなからんがために、イエスは特にこの変貌によりてそのメシヤたることを示し、特に彼とモーセ及びエリヤとの関係を明らかにして、十字架の死が弟子たちの失望とならぬように為し給うたのである。それゆえにたとい一時はイエスの死によりて彼らは失望、為す処を知らなかったとはいえ、やがてイエス復活昇天し給い、聖霊彼らに与えられるに及んでこの変貌の意義が明らかになったのである。しかのみならず、彼らにとってイエスの再来が疑うことができない事実であった訳も、またこの変貌を実見したからであった。ゆえにこの出来事は弱き人類のために恩恵をもって啓示し給える神の御業であった。

6-5 エリヤに就いて 17:9 - 17:13
(マコ9:9-13) 

17章9節 (やま)(くだ)るとき、イエス(かれ)らに(めい)じて()ひたまふ『(ひと)()死人(しにん)(うち)より(よみが)へるまでは、()たることを(たれ)にも(かた)るな』[引照]

口語訳一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
塚本訳山を下りながら、イエスは、「人の子(わたし)が死人の中から復活する前には、(いま)見たことをだれにも言うな」と彼らに命じられた。
前田訳山をおりながら、イエスは彼らに命じられた、「人の子が死人の中から復活するまで、見たことをだれにもいうな」と。
新共同一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。
NIVAs they were coming down the mountain, Jesus instructed them, "Don't tell anyone what you have seen, until the Son of Man has been raised from the dead."
註解: マタ16:20註参照。他の弟子たちにさえも語ってはならなかったかかる事柄は好奇心や虚しき談論の目的たらしめてはならない。▲イエスの変貌は、一般の人々にこれを理解させることはできない。超自然的事実だからである。

17章10節 弟子(でし)たち()ひて()ふ『さらばエリヤ()(きた)るべしと學者(がくしゃ)らの()ふは(なに)ぞ』[引照]

口語訳弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。
塚本訳すると弟子たちがこう言ってイエスに尋ねた、「では、なぜ聖書学者は、まずエリヤが(来てそのあとで人の子が)来るべきである、と言うのですか。(人の子は来られたのに、エリヤはまだ来ないではありませんか。)」(彼らは山の上のことを思い浮かべたのである。)
前田訳すると弟子たちは彼にたずねた、「それなら、学者がまずエリヤが来るはずというのはなぜですか」と。
新共同彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
NIVThe disciples asked him, "Why then do the teachers of the law say that Elijah must come first?"
註解: メシヤの来臨の前にエリヤ先ず来るべしとの預言(マラ3:23〔新共同訳〕)は学者らによりて(しき)りに唱えられていた。「もし山上においてエリヤが顕われしことを人に告げてはならないというならば、かの現象はエリヤが来たということにはならないのであるか」とは弟子たちのイエスに対する質問である。
辞解
[さらば] この意義については多くの註解があって難解である。

17章11節 (こた)へて()ひたまふ『()にエリヤ(きた)りて(よろづ)(こと)をあらためん。[引照]

口語訳答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
塚本訳答えられた、「たしかに“エリヤが”来て万事を“整頓するであろう。”
前田訳彼は答えられた、「エリヤが来てすべてを整えよう。
新共同イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
NIVJesus replied, "To be sure, Elijah comes and will restore all things.

17章12節 (われ)なんぢらに()ぐ、エリヤは(すで)(きた)れり。されど人々(ひとびと)これを()らず、(かへ)つて(こころ)のままに(あしら)へり。かくのごとく(ひと)()もまた人々(ひとびと)より(くる)しめらるべし』[引照]

口語訳しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
塚本訳しかしわたしは言う、すでにエリヤは来た。ただ人々は彼を(それと)認めず、したい放題のことを彼にし(て殺してしまっ)たのである。(だから)同じように、人の子(わたし)も人々から苦しみをうけねばならない。」
前田訳しかしわたしはいう、エリヤはすでに来た。しかし人々は彼を認めず、思うままに彼をあしらった。そのように人の子も彼らに苦しめられよう」と。
新共同言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
NIVBut I tell you, Elijah has already come, and they did not recognize him, but have done to him everything they wished. In the same way the Son of Man is going to suffer at their hands."
註解: イエスの答えは「実に預言のごとくエリヤは来りて万物を復興せしむるであろう、否実際に既に来たのであるが人々これを知らなかったのである。人の子もこれと同じ運命に陥るであろう。心の目の開かれないものにはエリヤが来てもキリストが来ても何らこれを(さと)らないのみならず、かえってこれを殺すのである」との意味である。ここにイエスの悲哀の情調が充満している。

17章13節 ここに弟子(でし)たちバプテスマのヨハネを()して()(たま)ひしなるを(さと)れり。[引照]

口語訳そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
塚本訳その時弟子たちは、洗礼者ヨハネのことを指して(エリヤと)言われたのだと悟った。
前田訳そこで弟子たちは洗礼者ヨハネのことをいわれたと悟った。
新共同そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
NIVThen the disciples understood that he was talking to them about John the Baptist.
註解: (さき)マタ11:14にイエスはこのことを語り給いしことがあった。それにも関わらずヨハネはヘロデのために殺された。イエスがその変貌につき誰にも告ぐなと(のたま)いしはそれが無效だからである。弟子たちはイエスのこの暗示がバプテスマのヨハネを指していることを(さと)って、イエスの禁止の意義が結局これを語るも無益であることの意味なるを(さと)ることができた。

6-6 癇癪の児を癒し給う 17:14 - 17:20
(マコ9:14-21)(ルカ9:37-43) 

17章14節 かれら群衆(ぐんじゅう)(もと)(いた)りしとき、(ある)(ひと)御許(みもと)にきたり(ひざま)づきて()ふ、[引照]

口語訳さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
塚本訳(山を下りて)群衆の所にかえると、ひとりの人がイエスに近寄り、ひざまずいて
前田訳彼が群衆のところへ来られると、ひとりが近づいてひざまずいていった、
新共同一同が群衆のところへ行くと、ある人がイエスに近寄り、ひざまずいて、
NIVWhen they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him.

17章15節 (しゅ)よ、わが()(あはれ)みたまへ。癲癇(てんかん)にて(なや)み、しばしば()(うち)に、しばしば(みづ)(うち)(たふ)るるなり。[引照]

口語訳「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
塚本訳言った、「主よ、どうぞ伜にお慈悲を。癲癇で、ひどく苦しんでおります。幾たびも幾たびも火の中、水の中に倒れるのです。
前田訳「主よ、わが息子をあわれんでください。てんかんで苦しんでいます。火の中や水の中へたびたび倒れます。
新共同言った。「主よ、息子を憐れんでください。てんかんでひどく苦しんでいます。度々火の中や水の中に倒れるのです。
NIV"Lord, have mercy on my son," he said. "He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water.

17章16節 (これ)御弟子(みでし)たちに()(きた)りしに、(いや)すこと(あた)はざりき』[引照]

口語訳それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
塚本訳それでお弟子たちのところにつれて来ましたが、なおおしになれませんでした。」
前田訳それで、あなたのお弟子たちのところへ連れて来ましたが、なおせませんでした」と。
新共同お弟子たちのところに連れて来ましたが、治すことができませんでした。」
NIVI brought him to your disciples, but they could not heal him."
註解: マルコ伝には一層詳細にこの間の消息を伝えている。モーセの不在中イスラエルの民は金の(こうし)を拝し(出32:1)、イエスの不在中弟子たちはその無力を暴露した。一方に栄化し給えるキリストがあり、他方無力なる弟子があった非常なる対比である。

17章17節 イエス(こた)へて()(たま)ふ『ああ(しん)なき(まが)れる()なるかな、(われ)いつまで(なんぢ)らと(とも)にをらん、何時(いつ)まで(なんぢ)らを(しの)ばん。その()(われ)()れきたれ』[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
塚本訳イエスは答えられた、「ああ不信仰な、腐り果てた時代よ、わたしはいつまであなた達と一しょにおればよいのか。いつまであなた達に我慢しなければならないのか。その子をここにつれて来なさい。」
前田訳イエスは答えられた、「不信で曲がった世代よ、わたしはいつまでいっしょか、いつまで辛抱するのか。その子をここにお連れ」と。
新共同イエスはお答えになった。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をここに、わたしのところに連れて来なさい。」
NIV"O unbelieving and perverse generation," Jesus replied, "how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me."
註解: イエスはその死の近きを知りて、益々弟子たち(及び彼らに接する人々も同様)の不信を憂え給うた。人々はイエスがいつまでも彼らと共に(いま)し、かつ彼らの不信を忍び給わんことを要求しているかのごとき心の状態であったけれども、是は()り得べからざる事柄であった。やがてイエスは取り去られ、不信に対する審判が彼らに下らなければならなかった。それゆえにイエスは強き語をもって彼らを叱責し給うたのである。しかもイエスの愛はこの最後の場合においても彼をして無為に終らしめなかった。彼はこの叱責を与えつつも尚この病者を癒し給うたのである。

17章18節 (つい)にイエスこれを(いやし)(たま)へば、惡鬼(あくき)いでてその()この(とき)より()えたり。[引照]

口語訳イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。
塚本訳そしてイエスが悪鬼を叱りつけられると、悪鬼が出ていって、その時から子はなおった。
前田訳イエスが子をしかりつけられると、悪魔が去り、子はそのときからいやされた。
新共同そして、イエスがお叱りになると、悪霊は出て行き、そのとき子供はいやされた。
NIVJesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed from that moment.
註解: ▲「これ」は「悪鬼」を指す。「てんかん」は当時悪鬼の業と考えていたものと見なければならない。
辞解
[(いまし)め] 「叱責する」の意味で、悪鬼がその子に入りしことを責め給うたのである。

17章19節 ここに弟子(でし)たち(ひそか)にイエスに(きた)りて()ふ『われらは(なに)(ゆゑ)()()()ざりしか』[引照]

口語訳それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
塚本訳あとで弟子たちは人のいない時にイエスの所に来て言った、「なぜわたし達には悪鬼を追い出せなかったのでしょうか。」
前田訳そこで弟子たちがイエスのところへそっと来ていった、「なぜわれわれは悪霊を追い出せなかったのですか」と。
新共同弟子たちはひそかにイエスのところに来て、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と言った。
NIVThen the disciples came to Jesus in private and asked, "Why couldn't we drive it out?"
註解: 弟子たちは17節のイエスの御言が彼ら自身に関係していることを充分に悟らなかったのであろう群衆の面前にて質問することを恥じて(ひそか)にイエスに来りて質問を発した。
辞解
[何故に] ▲▲原文「これを」がある。「われらは(これを)何故に…」。

17章20節 (かれ)らに()(たま)ふ『なんぢら信仰(しんかう)うすき(ゆゑ)なり。まことに(なんぢ)らに()ぐ、もし芥種(からしだね)一粒(ひとつぶ)ほどの信仰(しんかう)あらば、この(やま)に「此處(ここ)より彼處(かしこ)(うつ)れ」と()ふとも(うつ)らん、かくて(なんぢ)(あた)はぬこと()かるべし』[引照]

口語訳するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
塚本訳彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
前田訳彼はいわれる、「あなた方の小信のため。本当にいう、からし種ほどの信仰があれば、この山にここからあそこに移れといえば移り、あなた方にできないことはなかろう」と。
新共同イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」
NIVHe replied, "Because you have so little faith. I tell you the truth, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, `Move from here to there' and it will move. Nothing will be impossible for you. "
註解: 信仰はいかに小さくとも偉大なる力を有っており異常に大なる業を為すことができる。信仰によりていかなることでも能わぬことがないとの確信は、我らの生涯に量るべからざる大なる力を与えるものである。我らもこの確信に立たなければならない。▲「うすい信仰」oligopistiaとは、信実性pistis(=信仰)の少ないoligosのことを意味する。神学や聖書知識や宗教的活動が如何に大きくとも、真実性の少ないものは無力である。芥種は小粒でも強い味を()っている。真実なものは強い。
辞解
[うすき信仰] 稀薄なる信仰で、悪鬼を逐出し得るや否やとの疑念を混ぜるもの、「小さき信仰」とは疑念を混ぜざる純真な信仰で唯その量において大ならざる信仰である。
[芥種程の信仰] 芥種は当時小さきものの譬に用いられていた。
[山を移す] 不可能に見ゆることをも為した場合に用いられる通用語であった(Tコリ13:2)。

17章21節 [なし][引照]

口語訳〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
塚本訳〔無し〕
前田訳
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)しかし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行かない。
NIV
註解: ナシ、異本にはマコ9:29と略同様の一節あり、その箇所の註参照
要義 [信仰の力]信仰は不思議な力である、信仰をもって祈る時不可能事を為すことができる。不治の病がこれによって癒され、飢渇に死せんとする場合にも救いがこれによりて来り、非常なる困難がこれによりて除かれ、絶大なる誘惑がこれによりて打勝たれし実例は枚挙に(いとま)なき程である。人間の力より判断せる能不能はこれを重視してはならない。「神において能わざる処なき」ことを信ずることがキリスト者の信仰であり、この信仰によりて、不可能と思われることをも為すことができる。

6-7 再び受難を予告し給う 17:22 - 17:23
(マコ9:30-32)(ルカ9:44-45) 

17章22節 (かれ)らガリラヤに(つど)ひをる(とき)、イエス()ひたまふ『(ひと)()(ひと)()(わた)され、[引照]

口語訳彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子は人々の手にわたされ、
塚本訳一行がガリラヤを旅行しているとき、イエスは(また)弟子たちに言われた、「人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない。
前田訳ガリラヤのうちをめぐりつつ、イエスは彼らにいわれた、「人の子は人々の手に渡されて
新共同一行がガリラヤに集まったとき、イエスは言われた。「人の子は人々の手に引き渡されようとしている。
NIVWhen they came together in Galilee, he said to them, "The Son of Man is going to be betrayed into the hands of men.

17章23節 人々(ひとびと)(これ)(ころ)さん、かくて三日(みっか)めに(よみが)へるべし』弟子(でし)たち(いた)(かな)しめり。[引照]

口語訳彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。弟子たちは非常に心をいためた。
塚本訳彼らに殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
前田訳殺され、三日目に復活しよう」と。彼らの悲しみは深かった。
新共同そして殺されるが、三日目に復活する。」弟子たちは非常に悲しんだ。
NIVThey will kill him, and on the third day he will be raised to life." And the disciples were filled with grief.
註解: これは無意味にマタ16:21を繰返したのではない、弟子たちが充分にイエスの死に対して準備している必要があったからである。弟子たちは復活に関して充分なる確信がなかったので「甚だしく悲しんだ」、マルコ、ルカの記事と併せて考うるならば弟子たちには何とはなしに物凄き気分ともの悲しき心持とに襲われたものの如くである。イエスの御言は、後にその復活を目撃し聖霊が降下せる場合のごとくに明らかに彼らには理解せられなかった。

6-8 納金の問題 17:24 - 17:27

17章24節 (かれ)らカペナウムに(いた)りしとき、納金(をさめきん)(あつ)むる(もの)どもペテロに(きた)りて()ふ『なんぢらの()納金(をさめきん)(をさ)めぬか』[引照]

口語訳彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。
塚本訳彼らがカペナウムに来たとき、宮の奉納金の取立て人がペテロの所に来て言った、「あなた達の先生は奉納金を納めないのか。」
前田訳彼らがカペナウムに来ると、宮の納金の徴収者がペテロのところに来ていった、「あなた方の先生は宮の納金を納めないのか」と。
新共同一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
NIVAfter Jesus and his disciples arrived in Capernaum, the collectors of the two-drachma tax came to Peter and asked, "Doesn't your teacher pay the temple tax ?"
註解: この質問を発せる理由は恐らくイエスのメシヤたることの風評を耳にして、かかる人が果してこれを納むべきものなりや、又納むるものなりやを疑ったからであろう。
辞解
[納金] 原語ディドラクマ didrachma すなわち二ドラクモンで貨幣の名称である。二ドラクモンは半シケルに当り我が七十銭程に相当している(▲▲1928年頃の日本貨幣に換算したもの。銀3.898グラムの重量の貨幣。イエスの時代では労働者一日の賃金)。パビロンの捕囚より帰って後、二十歳以上のユダヤ人は皆この税金を宮のために納めなければならなかった。出30:13以下の規定によったものである。▲唯、宮に仕える祭司たちはこれを納めなかった。

17章25節 ペテロ『(をさ)む』と()ひ、やがて(いへ)()りしに、逸速(いちはや)くイエス()(たま)ふ『シモンいかに(おも)ふか、()(わう)たちは(ぜい)または(みつぎ)(たれ)より()るか、(おの)()よりか、(ほか)(もの)よりか』[引照]

口語訳ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。
塚本訳ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
前田訳彼はいう、「お納めになる」と。ペテロが家に入るとイエスのほうから話しかけられた、「シモン、どう思うか、地の王たちは税や貢をだれから取るか。自らの子たちからか、他人の子たちからか」と。
新共同ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
NIV"Yes, he does," he replied. When Peter came into the house, Jesus was the first to speak. "What do you think, Simon?" he asked. "From whom do the kings of the earth collect duty and taxes--from their own sons or from others?"

17章26節 ペテロ()ふ『ほかの(もの)より』イエス()(たま)ふ『されば()自由(じいう)なり。[引照]

口語訳ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。
塚本訳「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
前田訳「他人の子たちからです」と答えると、イエスはいわれる、「それなら、子たちは無税だ。
新共同ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
NIV"From others," Peter answered. "Then the sons are exempt," Jesus said to him.
註解: イエスはペテロと取税人との会話を感知し給うた。そしてペテロに向い神の子はその父なる神の宮に関する税を納むる理由なきことを、世の王とその子との関係を例として説明し給うた。
辞解
[他のもの] 王子以外の臣民その他のもの。
[自由なり] 租税や貢を納むる義務なきこと。

17章27節 されど(かれ)らを(つまづ)かせぬ(ため)に、(うみ)()きて(つり)をたれ、(はじめ)(あが)(うを)をとれ、()(くち)をひらかば銀貨(ぎんくわ)(ひと)つを()ん、それを()りて(われ)(なんぢ)との(ため)(をさ)めよ』[引照]

口語訳しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。
塚本訳しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」
前田訳しかし、彼らをつまずかせぬために、湖へ行って釣針を投げ、かかった最初の魚をとれ。その口を開くとスタテル銀貨が見つかろう。それを取って、わたしとあなたの分として彼らに与えよ」と。
新共同しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
NIV"But so that we may not offend them, go to the lake and throw out your line. Take the first fish you catch; open its mouth and you will find a four-drachma coin. Take it and give it to them for my tax and yours."
註解: 「この世のことを(つかさど)っている人は金銭関係について最も聖徒に対して躓き易い」(B1)。而してイエスは一方彼らのイエスに躓くことなからんため、又その一方神の子に(いま)し給うことを証せんため、この奇跡を行い給うた。この奇跡は聖書中最も難解なるものの一つであるがために、この事実を否定しつつ、この記事を種々の姑息なる説明をもって説き去ろうとしている学者があるけれども、いずれも信ずるに足りない。マタイが記せるままの事実があったものと見るより外になく、又かく見ることに何らの差支えはない。△ただしこのイエスの命令をペテロが実行したとは録されていない点より見ればペテロの働いた収入の中から納めよとの教訓であったとも解される。
辞解
[銀貨] 四ドラクマに相当する貨幣であって二人分の納金に当っている。

マタイ伝第18章

分類
7 天国の民 18:1 - 18:35
7-1 祝福される幼児 18:1 - 1:14
(マコ9:33-48)(ルカ9:47-50) 

18章1節 そのとき弟子(でし)たちイエスに(きた)りて()ふ『しからば天國(てんこく)にて(おほい)なるは(たれ)か』[引照]

口語訳そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。
塚本訳その時、弟子たちがイエスの所に来て、「ではいったい(われわれのうちの)だれが天の国で一番えらいのですか」とたずねた。
前田訳そのとき弟子たちがイエスのところに来ていった、「天国で最大なのはだれですか」と。
新共同そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。
NIVAt that time the disciples came to Jesus and asked, "Who is the greatest in the kingdom of heaven?"
註解: 変貌の山において三人の弟子が特に伴われ、納金を納むる場合にペテロがイエスと共同に奇跡的に得し金をもって納金せる等の事実あり、他方イエスの死の近付いたのを見て、弟子たちの心の中にこの疑問が起って来た。「しからば」は「事情かくの如くであるならば」との意味である。ここに弟子たちが如何に天国の名誉や地位を求めていたかがわかる。

18章2節 イエス幼兒(をさなご)()び、(かれ)らの(うち)()きて()(たま)[引照]

口語訳すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、
塚本訳イエスはひとりの子供を呼びよせ、彼らの真中に立たせて
前田訳するとひとりの子どもを呼んで彼らの間に置いていわれた、
新共同そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、
NIVHe called a little child and had him stand among them.

18章3節 『まことに(なんぢ)らに()ぐ、もし(なんぢ)(ひるが)へりて幼兒(をさなご)(ごと)くならずば、天國(てんこく)()るを()じ。[引照]

口語訳「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。
塚本訳言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達は生まれかわって子供のように(小さく)ならなければ、決して天の国に入ることはできない。
前田訳「本当にいう、転身して子どものようにならなければ天国には入れない。
新共同言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
NIVAnd he said: "I tell you the truth, unless you change and become like little children, you will never enter the kingdom of heaven.

18章4節 されば(たれ)にても()幼兒(をさなご)のごとく(おのれ)(ひく)うする(もの)は、これ天國(てんこく)にて(おほい)なる(もの)なり。[引照]

口語訳この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。
塚本訳だから、この子供のように自分を低くする者、それが天の国では一番えらい人である。
前田訳この子のように自らへりくだるものこそ天国で最大である。
新共同自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。
NIVTherefore, whoever humbles himself like this child is the greatest in the kingdom of heaven.
註解: (▲神の国における神と人との関係は、本質的に愛の関係である。神に愛されることが人間最大の幸福である。人間の地位や功績の大小は、天国における価値の大小ではない。)弟子たちの心の中を見透し給えるイエスは彼らの倨倣(たかぶり)を誡めんとし給い、而してこれと同時に神の愛はかかる者に注がれずして幼児のごとき者に注がれることを示し給うた。「幼児のごとく」天真爛漫で、率直で、謙虚で、信頼の心に満ちている者にあらざれば天国に入ることすらできない。()して天国において大なる者となるがごときは思いもよらざる事柄である。天国において大ならんとせばこの幼児のごとく謙虚なる心にならなければならない。ゆえに弟子たちのごとく自らを高しとする者は翻って(方向を一転して)この幼児のごとくにならなければならない。ここにイエスは幼児に対する親の深き慈愛を例として、天の父が謙卑(へりくだ)る者に対する愛を表示し給うた。まことに幼児がその母に対する信愛の情と謙卑従順の態度ほど信者の神に対する態度の模範として適切なるはない。

18章5節 また()()のために、かくのごとき一人(ひとり)幼兒(をさなご)()くる(もの)は、(われ)()くるなり。[引照]

口語訳また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。
塚本訳またわたしの名を信ずるこんな一人の子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。
前田訳わが名のゆえにこのような子ひとりを受けるものはわたしを受ける。
新共同わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」
NIV"And whoever welcomes a little child like this in my name welcomes me.
註解: 弱き(へりくだ)りたる一人の信仰の幼児にはイエスの全愛が集注せられている。それゆえにもし人、かかる幼児をイエスの名のために、すなわちイエスを信ずる者たる理由のために(マコ9:42)愛をもって受入れるならば、それはイエス御自身を受入れたのである。何となればこの信仰の幼児の中にイエスが宿り給うがゆえである。イエスがかくまでも幼児たる弱き信者を愛し給う以上、我らも同じ愛をもってかかる人々を愛しこれを受入れなければならない。

18章6節 されど(われ)(しん)ずる()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(つまづ)かする(もの)は、(むし)(おほい)なる碾臼(ひきうす)(くび)()けられ、(うみ)深處(ふかみ)(しづ)められんかた(えき)なり。[引照]

口語訳しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。
塚本訳しかしわたしを信ずるこの小さな者を一人でも罪にいざなう者は、大きな挽臼を頚にかけられて深い海に沈められる方が得である。
前田訳わたしを信ずるこれら小さい人のひとりをつまずかせるものは、臼を首にかけて海の深みにおぼれた方がいい。
新共同「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。
NIVBut if anyone causes one of these little ones who believe in me to sin, it would be better for him to have a large millstone hung around his neck and to be drowned in the depths of the sea.
註解: 「躓かする」ことは「受くる」ことの反対であって小さきものの信仰とその歩みの前に躓きの石を置くことである。すなわちかかる者を誘い、又は迫害し、又は信仰を失わしめんとするごとき行為を為すことである。かかる者に対してイエスはその満腔の悲憤を吐露し給うた。ゆえに弱き一人のキリスト者を愛せずしてこれを躓かするごとき者は最も重き罪人であって、最も重き神の刑罰に値している者である。これあたかも人間の場合において、嬰児に対し残虐なる行為を為すものは最も残忍性の(はなは)だしきものであると同じである。この御言の中にも信仰の幼児に対するイエスの愛のいかに深きかを窺うことができる。
辞解
[ひき臼] 驢馬にひかする大なる臼、これを頭に懸けて海に投ずる処刑法は、ユダヤ以外の諸国に行われ、ローマ人もこれを行った。すなわち最も残忍なる刑罰の一種である。

18章7節 この()躓物(つまづき)あるによりて禍害(わざはひ)なるかな。躓物(つまづき)(かなら)(きた)らん、されど躓物(つまづき)(きた)らする(ひと)禍害(わざはひ)なるかな。[引照]

口語訳この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。
塚本訳この世は罪のいざないがあるから禍だ、罪のいざないの来るのを避けることができないからである。しかしいざないを来させる人は禍だ。
前田訳つまずきのあるこの世はわざわいだ。つまずきは必ず来る。しかし、わざわいなのはつまずきのもとになる人!
新共同世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。
NIV"Woe to the world because of the things that cause people to sin! Such things must come, but woe to the man through whom they come!
註解: かくてイエスは信仰の幼児の住むべきこの世を眺め、そこに躓物が充ちているを見て嘆き給うた。そして躓物は必ず来るべきで免れることができない。イエスは神の定めによりて人の手に付され、十字架に釘き給うべきであった。これすべての人にとっての躓きである(マタ26:31)。ゆえにこの世はキリスト者にとって禍いである。殊にこの躓物の原因となる人は一層禍いである(マタ26:24)。幼児に対する愛が深ければ深い程、この躓物に対する嫌忌が強い。我らもまたすべての躓物に対してかかる(のろい)の言を発し、またすべての躓きを我らの前より除かなければならない。▲口語訳ではこの「躓物」skandalonを「罪の誘惑」と訳し「躓かす」sukandalizô を「罪を犯させる」と訳しているけれども、この訳語は原語の意味を狭めている。

18章8節 もし(なんぢ)()または(あし)なんぢを(つまづ)かせば、()りて()てよ。不具(ふぐ)または蹇跛(あしなへ)にて生命(いのち)()るは、兩手(りゃうて)兩足(りゃうあし)ありて永遠(とこしへ)()()()れらるるよりも(まさ)るなり。[引照]

口語訳もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
塚本訳(だから)もし手か足があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。両手両足があって永遠の火の中に投げ込まれるよりも、片手片足で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
前田訳もし手か足があなたをつまずかせるなら、切って投げ捨てよ。片手片足でいのちに入るほうが両手両足で永遠の火に投げ込まれるよりはいい。
新共同もし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。
NIVIf your hand or your foot causes you to sin cut it off and throw it away. It is better for you to enter life maimed or crippled than to have two hands or two feet and be thrown into eternal fire.

18章9節 もし(なんぢ)()なんぢを(つまづ)かせば、()きて()てよ。片眼(かため)にて生命(いのち)()るは、兩眼(りゃうめ)ありて()のゲヘナに()()れらるるよりも(まさ)るなり。[引照]

口語訳もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。
塚本訳もしまた目があなたを罪にいざなうなら、くじり出して捨てよ。両目があって火の地獄に投げ込まれるよりも、片目で(永遠の)命に入る方が仕合わせである。
前田訳もし目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して投げ捨てよ。片目でいのちに入るほうが両目で火の地獄に投げ込まれるよりはいい。
新共同もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
NIVAnd if your eye causes you to sin, gouge it out and throw it away. It is better for you to enter life with one eye than to have two eyes and be thrown into the fire of hell.
註解: マタ5:29、30(同註参照)においては律法の成就の意味においてイエスは語り給い、ここには信仰の幼児に対する愛よりこれを語り給うた。生命を全うせんためには躓きが外より来ると、自己に在るとに関わらずこれを除去しなければならない。

18章10節 (なんぢ)(つつし)みて()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)をも(あなど)るな。(われ)なんぢらに()ぐ、(かれ)らの御使(みつかひ)たちは(てん)にありて、(てん)にいます()(ちち)御顏(みかほ)(つね)()るなり。[引照]

口語訳あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。
塚本訳この小さな者を一人でも軽んじることのないように注意せよ。わたしは言う、(わたしの父上は片時も彼らをお忘れにならない。)あの者たちの(守り)天使は、天でいつもわたしの天の父上にお目にかかっているのだから。
前田訳心がけて、これらの小さいもののひとりを軽んじないようにせよ。わたしはいう、彼らには(守り)天使があって、天にいますわが父のお顔をいつも見ている。
新共同「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。
NIV"See that you do not look down on one of these little ones. For I tell you that their angels in heaven always see the face of my Father in heaven.
註解: イエスはさらに進んで信仰の幼児に対するその愛の御旨を述べ給うた。すなわち弟子たちは(すべてのキリスト者も同様)決して信仰の幼児の一人を侮ってはならない。彼らを護っている御使いたちは、父なる神に最も接近している最高の地位にある天使であって(T列10:8)、この幼児を侮る者は直ちに父なる神の怒りを受けなければならないからである。
辞解
[彼らの御使たち] 神が天使の手によりて、その民を護り給うとの旧約聖書の思想をここにそのままに用いたのである。かかる天使の中幼児を護っているものは殊に高き位にある天使である。これ幼児が神の特別の恩恵を受けていることを示しているのであって信仰の幼児においてもまた同じである。

18章11節 [なし][引照]

口語訳〔人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕
塚本訳〔無し〕
前田訳〔人の子はうせたものを救いに来た〕。
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)人の子は、失われたものを救うために来た。
NIV
註解: 異本には「それ人の子の来れるは失せたる者を救わんためなり」とあり。

18章12節 (なんぢ)()いかに(おも)ふか、百匹(ひゃくぴき)(ひつじ)()てる(ひと)あらんに、()しその一匹(いっぴき)まよはば、()(じふ)()(ひき)(やま)(のこ)しおき、()きて(まよ)へるものを(たづ)ねぬか。[引照]

口語訳あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
塚本訳あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
前田訳あなた方はどう思うか。ある人に羊が百匹あって、その一匹が道に迷ったら、九十九匹を山に置いたまま迷ったのを探しに行かないか。
新共同あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
NIV"What do you think? If a man owns a hundred sheep, and one of them wanders away, will he not leave the ninety-nine on the hills and go to look for the one that wandered off?
註解: イエスはさらに進んで、幼児に対するこの神の愛は実に深くして、幼児の一人にもその全愛を注ぎ給うことを示し給う。羊を愛する牧者は百匹の群の中の一匹を失うことをも欲しない。その一匹のためにあらゆる困難を冒してこれを尋ね、見出すまでは(やす)むことがない。神の檻より一人の信者が迷い出でし時の御心は全くこれと同じであって、人類の中の一人でも迷っている間は神は見出すまでこれを尋ね求め給う。

18章13節 もし(これ)見出(みいだ)さば、まことに(なんぢ)らに()ぐ、(まよ)はぬ()(じふ)()(ひき)(まさ)りて()一匹(いっぴき)(よろこ)ばん。[引照]

口語訳もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
塚本訳そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
前田訳そしてそれが見つかったら、わたしはいう、この一匹のほうが迷わなかった九十九匹よりうれしい。
新共同はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。
NIVAnd if he finds it, I tell you the truth, he is happier about that one sheep than about the ninety-nine that did not wander off.
註解: 弱ければ弱い程、罪深ければ深い程、益々神の愛はかかる者に注がれる。それゆえに迷える者を見出し、罪に沈める者を救い出す場合の神の喜びは、何ものよりも大きい。これ迷わざる羊を愛し給わないのではない。迷えるものをさらに愛し給うのである。

18章14節 かくのごとく()(ちひさ)(もの)一人(ひとり)(ほろ)ぶるは、(てん)にいます(なんぢ)らの(ちち)御意(みこころ)にあらず。[引照]

口語訳そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
塚本訳このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない。
前田訳そのように、これら小さいもののひとりが滅びるのは、あなた方の天の父のみ心ではない。
新共同そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」
NIVIn the same way your Father in heaven is not willing that any of these little ones should be lost.
註解: 弟子たちは天国においていずれが大ならんとの問題より先に、一人の亡ぶるをも望み給わない神の愛を思うべきである。
要義 [信仰の幼児に対する神の愛]第十八章全体と通して、信者が誤謬に陥れる場合に対する誡めを記しており、その1−14節においては信仰の幼児に対する神の切なる愛が示されている。すなわち天国において大なる者は決して自己の信仰に誇る強き信者ではなく、幼児のごとき弱き信者であること(1−4)、而してかかる幼児をばキリストはその目の瞳のごとくに愛し給い、これを受くるものを喜び、これを躓かする者を詛い給うこと(5−9)、かかる幼児は神の特別の寵愛を受けているので人はこれを侮るべからざること(9、10)、而して最後に神はかかる弱き信者の一人の亡ぶるをも望み給わぬことを示している。この全体を通して弱き信者に対する神の深き愛が溢れるばかりに露わされているのであって、かかる愛をもって我らを愛し給う神と御子イエス・キリストに在る者の幸の実に大なることを知ることができる。

7-2 兄弟の罪について 18:15 - 18:20

18章15節 もし(なんぢ)兄弟(きゃうだい)(つみ)(をか)さば、()きてただ(かれ)とのみ(あひ)(たい)して(いさ)めよ。もし()かば()兄弟(きゃうだい)()たるなり。[引照]

口語訳もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。
塚本訳それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。
前田訳兄弟が罪を犯したら、行って、あなたと彼だけの間でさとしなさい。彼が聞けば、あなたは兄弟をかち得たのだ。
新共同「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。
NIV"If your brother sins against you, go and show him his fault, just between the two of you. If he listens to you, you have won your brother over.
註解: (▲「彼とのみ相対して」は原語直訳「彼と汝のみの間で」)一人の亡ぶるは天の父の御心ではない、ゆえに亡びんとする兄弟あらばこれを救い出さなければならない。兄弟の中に罪を犯している者ある場合は、彼は迷える羊のごとくサタンなる豺狼(おおかみ)の餌食とならんとしているのである。かかる場合にはこれを放棄せず、あらゆる手段をもって彼を導き返さなければならない。ここに先ず第一に採るべき手段として、唯一人その罪人を()うべきこと教えている。一人静かに(いさ)めることは柔和なる心の徴であり、自ら罪人の(もと)(おもむ)きて彼を()うことは(ルカ15:20)キリストの愛心の発顕(はつげん)である。極めて人心の機微(きび)穿(うが)てる教訓であることを見るべきである。
辞解
[罪を犯さば] 異本に「汝に対し罪を犯さば」とあり、しかしこの場合は「汝に対する」罪も然らざるものも包含していると見るべきであって、異本によらざるを可とする。
[得たるなり] 迷い失いしものを得たること。

18章16節 もし()かずば、一人(ひとり)二人(ふたり)(ともな)()け、これ()(さん)證人(しょうにん)(くち)()りて、(すべ)ての(こと)(たしか)められん(ため)なり。[引照]

口語訳もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
塚本訳しかし(どうしても)聞かないなら、ほかに一人か二人、一しょに連れてゆくがよい。“すべてのことは、二人もしくは三人の証言によって定められる”(というモーセの掟に従う)ためである。
前田訳彼が聞かなければ、あなたとともに一人か二人を連れよ。万事二人か三人の証によって定まる。
新共同聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。
NIVBut if he will not listen, take one or two others along, so that `every matter may be established by the testimony of two or three witnesses.'
註解: 第一の方法によりて目的を達しない場合は、一、二人を伴い行くべきである。人の罪を公表することは万止むを得ざる場合の手段であって、先ず愛によりでき得るだけ少数の範囲にその公表を限るべきである。一、二人を伴い行くことによりその兄弟の不従順の事実及び理由を確めることができる(申19:15Uコリ13:1)、従って次に採るべき手段の準備となる。

18章17節 もし(かれ)()にも()かずば、教會(けうくわい)()げよ。もし教會(けうくわい)にも()かずば、(これ)異邦人(いはうじん)または取税人(しゅぜいにん)のごとき(もの)とすべし。[引照]

口語訳もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。
塚本訳しかし彼らの言うことを聞かないなら、集会に申し出よ。集会の言うことも聞かないなら、(その時は已むを得ないから、その人と交際をたって)異教人か税金取りのように思ってよろしい。
前田訳彼らにもさからうなら、集まりにいえ。集まりにもさからうなら、異邦人や取税人とみなしなさい。
新共同それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
NIVIf he refuses to listen to them, tell it to the church; and if he refuses to listen even to the church, treat him as you would a pagan or a tax collector.
註解: 第二の手段に成功せざれば、第三の手段として始めてその罪を公表して教会に告ぐべきである。かくして彼を恥ぢしめて立帰ること()らんためである。これにも聴かない場合は、最早取るべき手段がないので止むを得ず彼とキリストにある兄弟姉妹としての交わりを取らないこととなるのである。ただし敵をすら愛することがキリスト教の本旨である以上かかる人をも愛することが必要であること勿論である。
辞解
[教会] 単に信者の集団の意義であって、今日見るごとき個々の教会やその制度を指したものではない(M0)。
[異邦人または取税人のごとき者とす] 今日教会に行なわれる法律的破門を意味するのではなく、事実的にキリスト者の兄弟姉妹の交わりを断つことを意味する。

18章18節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、すべて(なんぢ)らが()にて(つな)(ところ)(てん)にても(つな)ぎ、()にて()(ところ)(てん)にても()くなり。[引照]

口語訳よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。
塚本訳アーメン、わたしは言う、あなた達が地上で結ぶことはみな天でも結ばれ、地上で解くことはみな天でも解かれるであろう。
前田訳本当にいう、あなた方が地で縛ることはみな天でも縛られ、地でゆるすことはみな天でもゆるされよう。
新共同はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
NIV"I tell you the truth, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven.
註解: マタ16:19にペテロに対して発せられし御言は、ここで教会の会衆一般に向って発せられている。その箇所の註参照。M0 は「汝ら」は使徒たちであると解しているけれども、前後の関係上使徒ならびに全教会と解すべきであると思う。▲この一節によってもローマ法王の権威なるものの誤りであることが解る。又キリストを信ずる者の集会は天的権威を有っていることを知らなければならない。教会の堕落は神に対する大なる罪である。

18章19節 また(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、もし(なんぢ)()のうち二人(ふたり)(なに)にても(もと)むる(こと)につき()にて(こころ)(ひと)つにせば、(てん)にいます()(ちち)(これ)()(たま)ふべし。[引照]

口語訳また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。
塚本訳なお、アーメン、わたしは言う、何事によらず、もしあなた達のうちの二人が心を一つにして地上で祈るならば、わたしの天の父上は(きっとその願いを)かなえてくださるだろう。
前田訳なおわたしはいう、あなた方のうち二人が心を合わせて地上で願うことはみな天のわが父によってなされよう。
新共同また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
NIV"Again, I tell you that if two of you on earth agree about anything you ask for, it will be done for you by my Father in heaven.
註解: すなわち教会が心を一つにしてかかる人が罪より救い出されんこと、又は正しくかかる兄弟を審くことを祈るならば父はこれを成し給うであろう、その他の何事においても同様である。ここに二人と一人との間に特に差を設け給うた所以は一人の求めをば聞き給わないという意味ではない(マタ7:7)。二人心を一つにする処にそこに教会があり、神は心を一つにせる二人を特に喜び給い、その祈りを聞き給うことを意味している。而して一人の弱さのために祈りが妨げられる場合には、他の者の祈りをもってこれを補うことができることは事実である。

18章20節 二三人(にさんにん)わが()によりて(あつま)(ところ)には、(われ)もその(うち)()るなり。[引照]

口語訳ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
塚本訳二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
前田訳二人、三人とわが名で集まるところ、そこにわたしは彼らの仲間としている」と。
新共同二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」
NIVFor where two or three come together in my name, there am I with them."
註解: ()るなり」は「()ればなり」であって、前節の理由を説明しているのである。すなわち少数のものがキリストの御名に集められる時、その集会は天的の集会であって、キリストそこに(いま)し、キリスト(いま)す処に父なる神も共に在して、キリストの御名を通して捧げられる祈りを聴き給うのである。これが真の教会であって、天的家庭の団欒がここに実現しているのである。▲ここで教会と訳された ekklesia は集会の意味であって、今日の教会と全く異なったものであることを知り得るであろう。
要義 [個人と教会]神がイスラエルを選び給うたのは個人としてではなく国民としてであった。これに反し教会は団体として救われたのではなく、個人として救われた者の団体である。ゆえに教会の根底はあくまでも救われし個人でなければならない。すなわち個人と神との間に完全なる霊の結合一致がなければならない。しかしながら教会は決してこれらの個人の機械的集合ではない。縦に神と結合せるものは又横に相互の間に霊的結合ができ、ここに神と人、人と人、及び神と教会(人の集合)との間に不可離の結合ができるのである。而してかかる結合が特に神の目に貴いのであって、あたかも一家の父にとってその子女一人々々が貴いと共に団欒せる和気藹々(あいあい)たる家庭そのものが特別の貴さを有っていると同様である。ゆえに教会の貴さは、それが信仰を有ちて主に在る個人の自然の結合であることと、それが和合一致心を併せて共に祈る団体であるの点であって、人造の規則によりて束縛せられ、互に相紛争する団体はこの意味における真の教会ではない。

7-3 兄弟の罪を赦せ 18:21 - 18:35

18章21節 ここにペテロ御許(みもと)(きた)りて()ふ『(しゅ)よ、わが兄弟(きゃうだい)われに(たい)して(つみ)(をか)さば(いく)たび(ゆる)すべきか、七度(ななたび)までか』[引照]

口語訳そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。
塚本訳その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
前田訳そこでペテロが近よっていった、「主よ、わが兄弟がわたしに罪を犯したとき、何度ゆるしてやりましょうか。七度までですか」と。
新共同そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
NIVThen Peter came to Jesus and asked, "Lord, how many times shall I forgive my brother when he sins against me? Up to seven times?"
註解: 本章1−4節には信仰の幼児に対する神の愛を示し、15−20節には罪を犯せる者に対して教会の取るべき態度を示したる後、21節以下に個人が自己に対して罪を犯せる者に対しいかなる態度に出づるべきかを教えている。
辞解
[七度] 当時の格言に人の己に対する罪は、三度までは赦し四度とならば赦すべからずということを教えていた。ペテロは前の教訓より罪を犯せる者に対するイエスの深い愛を知り、この回数を倍加して「七度までか」と問うたのであろう。

18章22節 イエス()ひたまふ『(いな)、われ「七度(ななたび)まで」とは()はず「七度(ななたび)(しち)(じふ)(ばい)するまで」と()ふなり。[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。
塚本訳イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!
前田訳イエスは彼にいわれる、「わたしはいう、『七度までといわず、七度の七十倍まで』と。
新共同イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
NIVJesus answered, "I tell you, not seven times, but seventy-seven times.
註解: 罪を悔改むる者には無限にこれを赦すべきである。人は己の受けし損害をば無視して相手方を迷える道より立帰らしむることを専ら考えなければならない。これ愛の途である。人は己の受くる損害を思う場合には到底人を幾回も赦すことができないようになるのである。

18章23節 この(ゆゑ)に、天國(てんこく)はその家來(けらい)どもと計算(けいさん)をなさんとする(わう)のごとし。[引照]

口語訳それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
塚本訳だから天の国は、王が家来たちとの貸し借りを清算しようとするのに似ている。
前田訳それゆえ天国をたとえると、王が僕たちと金勘定しようとするに似る。
新共同そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
NIV"Therefore, the kingdom of heaven is like a king who wanted to settle accounts with his servants.

18章24節 計算(けいさん)(はじ)めしとき、一萬(いちまん)タラントの負債(おひめ)ある家來(けらい)つれ(きた)られしが、[引照]

口語訳決算が始まると、一万タラントの負債のある者が、王のところに連れられてきた。
塚本訳清算を始めると、(王に対し)一万タラント[三百億円]の借りのある家来がつれて来られた。
前田訳勘定しはじめると、一万タラント借りのある僕が連れて来られた。
新共同決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
NIVAs he began the settlement, a man who owed him ten thousand talents was brought to him.
辞解
[計算] 王より借財をしていた家来が数多くいたことを想像しなければならぬ。王は今彼らとの間に決算しようとしているのであって、神に対して罪を負う我らが世の終りにおいて神に対して決算をするのと同じである。
[タラント] 一タラントは大略二千円(1928年頃の日本貨幣の価値に換算したもの。イエスの当時では6千日分の労働者の給料に相当)ほどであって、一万タラントは二千百万円位に相当する。我らの神に対して負う罪の負債はかくも大きいのである。

18章25節 (つくの)(かた)なかりしかば、()主人(あるじ)、この(もの)とその(つま)()(すべ)ての所有(もちもの)とを()りて(つくの)ふことを(めい)じたるに、[引照]

口語訳しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
塚本訳返すことができないので、主人は(その家来に、)自分も妻も子も持ち物も全部売って返すように命じた。
前田訳返せないので、主人は自分も妻も子も持ちものすべてを売って返すよう命じた。
新共同しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
NIVSince he was not able to pay, the master ordered that he and his wife and his children and all that he had be sold to repay the debt.
註解: 彼は己のみならずその家族の自主的存在を犠牲にするより以外にこの負債を償うすべがなかった。罪の負債を償わんとする者もまたこれに同じ、我らの過去の罪はあまりに大にして将来の努力によりてこれを償うことはできない。罪の払う値は死なり、我ら死をもてこれを償うより外にない。

18章26節 その家來(けらい)ひれ()(はい)して()ふ「(ゆる)くし(たま)へ、さらば(ことご)とく(つくの)はん」[引照]

口語訳そこで、この僕はひれ伏して哀願した、『どうぞお待ちください。全部お返しいたしますから』。
塚本訳家来はひれ伏して、しきりに願った、『しばらく待ってください。全部お返ししますから。』
前田訳僕はひれ伏していった、『しばしご猶予を。皆お返ししましょう』と。
新共同家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
NIV"The servant fell on his knees before him. `Be patient with me,' he begged, `and I will pay back everything.'
註解: 家来はその苦悩のあまり寛容の取扱いを乞い、かつ自らの力以上のことを約束したのであって、実際はことごとく償うことはできない。▲▲「寛くし給たまへ」は口語訳「お待ち下さい」よりも「寛大に御扱い下さい」の意。

18章27節 その家來(けらい)主人(あるじ)あはれみて(これ)()き、その負債(おひめ)(ゆる)したり。[引照]

口語訳僕の主人はあわれに思って、彼をゆるし、その負債を免じてやった。
塚本訳そこで主人は気の毒に思って、身柄をゆるした上、借金にまで棒を引いてやった。
前田訳僕の主人はあわれんで彼をゆるし、借りを帳消しにしてやった。
新共同その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
NIVThe servant's master took pity on him, canceled the debt and let him go.
註解: 主人は同情のあまりその要求をことごとく撤回して彼の負債を免じた。いわんや天の父は砕けたる悔いし心(詩51:17)に対してその罪の負債をことごとく宥し給わないはずがない。

18章28節 (しか)るに()家來(けらい)いでて、(おのれ)より(ひゃく)デナリを()ひたる一人(ひとり)同僚(どうれう)にあひ、(これ)をとらへ、(のど)()めて()ふ「負債(おひめ)(つくの)へ」[引照]

口語訳その僕が出て行くと、百デナリを貸しているひとりの仲間に出会い、彼をつかまえ、首をしめて『借金を返せ』と言った。
塚本訳ところがその家来は出ていって、自分に百デナリ[五万円]を借りているひとりの同僚に出合うと、これをつかまえ、喉頚をしめて、『借りているものを返せ』と言った。
前田訳その僕が出かけて、自分に百デナリ借りのある仲間に会うと、彼を捕え、のどをしめて、『借りを返せ』といった。
新共同ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
NIV"But when that servant went out, he found one of his fellow servants who owed him a hundred denarii. He grabbed him and began to choke him. `Pay back what you owe me!' he demanded.
註解: 百デナリは約三十五円(△1928年頃の日本の貨幣価値。一デナリはイエスの時代の一日の労銀)に相当する。山の如き己の負債を王より免されしことをも忘れて塵のごとき同僚の負債について彼を責める。神より罪を宥されし者にして他人の罪を宥し得ざる者はかくのごとき人である。
辞解
[負債を償え] 直訳「負債あらば償え」であって、この語法は弱きがごとくにしてかえって強い意味を示している。

18章29節 その同僚(どうれう)ひれ()し、(ねが)ひて「(ゆる)くし(たま)へ、さらば(つくの)はん」と()へど、[引照]

口語訳そこでこの仲間はひれ伏し、『どうか待ってくれ。返すから』と言って頼んだ。
塚本訳同僚はひれ伏して、『ちょっと待ってくれ。返すから』と頼んだ。
前田訳仲間はひれ伏していった、『しばしご猶予を。お返ししますから』と。
新共同仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
NIV"His fellow servant fell to his knees and begged him, `Be patient with me, and I will pay you back.'

18章30節 (うけが)はずして()き、その負債(おひめ)(つくの)ふまで(これ)(ひとや)()れたり。[引照]

口語訳しかし承知せずに、その人をひっぱって行って、借金を返すまで獄に入れた。
塚本訳しかし承知せず、(裁判官につれて)行って、負債を返すまで牢に入れた。
前田訳しかし承知せず、訴えに行って仲間が借りを返すまで牢に入れた。
新共同しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
NIV"But he refused. Instead, he went off and had the man thrown into prison until he could pay the debt.
註解: 彼自ら王に乞いしと同一の語をもって同僚は彼に寛容を乞うた。これを(うけが)わざりし彼の罪の重さを見るべきである。

18章31節 同僚(どうれう)ども()りし(こと)()(いた)(かな)しみ、()きて()りし(すべ)ての(こと)をその主人(あるじ)()ぐ。[引照]

口語訳その人の仲間たちは、この様子を見て、非常に心をいため、行ってそのことをのこらず主人に話した。
塚本訳その人の同僚たちはこの出来事を見て非常に悲しみ、行って、出来事の一部始終を主人に報告した。
前田訳仲間の僕たちは出来事を見てはなはだ悲しみ、行って、主人に一部始終を話した。
新共同仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
NIVWhen the other servants saw what had happened, they were greatly distressed and went and told their master everything that had happened.

18章32節 ここに主人(あるじ)かれを()()して()ふ「()しき家來(けらい)よ、なんぢ(ねが)ひしによりて、かの負債(おひめ)をことごとく(ゆる)せり。[引照]

口語訳そこでこの主人は彼を呼びつけて言った、『悪い僕、わたしに願ったからこそ、あの負債を全部ゆるしてやったのだ。
塚本訳すると主人はその家来を呼び出して言う、『不埒な家来、あなたが頼んだから、わたしはあの負債に全部、棒を引いてやったのだ。
前田訳そこで主人は彼を呼んでいう、『この悪い僕、おまえが頼んだから、あの借りをみな帳消しにしてやったのに!
新共同そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
NIV"Then the master called the servant in. `You wicked servant,' he said, `I canceled all that debt of yours because you begged me to.

18章33節 わが(なんぢ)(あはれ)みしごとく、(なんぢ)もまた同僚(どうれう)(あはれ)むべきにあらずや」[引照]

口語訳わたしがあわれんでやったように、あの仲間をあわれんでやるべきではなかったか』。
塚本訳だからあなたもわたしに情をかけてもらったように、同僚に情をかけてやるべきではなかったのか。』
前田訳わたしがおまえをあわれんだように、おまえも仲間をあわれむべきではなかったのか』と。
新共同わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
NIVShouldn't you have had mercy on your fellow servant just as I had on you?'
註解: 主人より負債を免されしことを心より感謝して、その心に主人の恩恵を深く感銘している者は、その心自ら主人の愛心に同化して、その同僚をも憐れむようになるのである。これに反し主人より負債を免されしことによりて受けし自己の利益を喜ぶ者は、その心益々利己的となり同僚を憐れまざるに至るのである。かくのごとくキリストの十字架の贖いによりて罪を赦されし場合に、かかる深き罪を宥し給う愛の主イエスを喜ぶ者は、その心イエスに同化して愛に充てる心を持つようになり、反対に自己の罪を赦されし事実を自己の利益として喜び、かえって愛の主を忘れるものは他人に対して罪を赦すの心を失ってしまうのである。

18章34節 ()くその主人(あるじ)(いか)りて、負債(おひめ)をことごとく(つくの)ふまで(かれ)獄卒(ごくそつ)(わた)せり。[引照]

口語訳そして主人は立腹して、負債全部を返してしまうまで、彼を獄吏に引きわたした。
塚本訳そこで主人は怒って、負債を全部返すまでその男を獄吏に引き渡した、(という話。)
前田訳主人は怒って、借りをみな払うまで彼を獄吏(ごくり)に渡した。
新共同そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
NIVIn anger his master turned him over to the jailers to be tortured, until he should pay back all he owed.
註解: 罪の赦免の宣告を受けてもこれを単に利己主義的立場より信ずるものは、この家来と同じく主の審判を免れることができない。かかるキリスト者は決して少なくはないであろう。
辞解
[獄卒] 原語は「拷問吏」と訳する方が適当である。単なる獄卒ではない。

18章35節 もし(なんぢ)()おのおの(こころ)より兄弟(きゃうだい)(ゆる)さずば、()(てん)(ちち)(また)なんぢらに()のごとく()(たま)ふべし』[引照]

口語訳あなたがためいめいも、もし心から兄弟をゆるさないならば、わたしの天の父もまたあなたがたに対して、そのようになさるであろう」。
塚本訳わたしの天の父上も、もしあなた達ひとりびとりが心から兄弟を赦さないならば、同じようにあなた達になさるであろう。」
前田訳このように天のわが父もあなた方になさろう、もしめいめいが心から兄弟をゆるさないならば」と。
新共同あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」
NIV"This is how my heavenly Father will treat each of you unless you forgive your brother from your heart."
註解: キリスト者はキリストの功によりそのすべての罪(一万タラントにも相当すべき)を赦されし者である。ゆえにこの神の愛に感激し、神の愛心をもって己の心とし、心からその兄弟を赦さなければならない。形式的に又は強いて忍耐して赦せるごとく装うだけでは足らない。もし心から兄弟を赦すことができないならば天の父はこの比喩のごとく彼を罰せずに置き給わないであろう。而して兄弟の罪を赦す度数は無限でなければならない。
要義 [罪の赦について]我らの罪は自らこれを償うことができず、唯キリスト・イエスの十字架の功により自らの功なくして義とせられるのである。これは十字架の福音の中心的真理である。然るにこれを法律的、機会的に自己に当てはめる人々は、これにより自己はすべての道徳的義務より解放せられしもののごとくに誤信し、少しも他人を憐まず、他人の罪を赦さない傾向がある。しかしながら十字架の福音をその心に受けた者はかくのごとくで有り得ない。彼は心から同じ罪人を愛し、彼の罪を赦さざるを得ざるに至るのである。ゆえにマタ6:12、14、15のごときもこれを単なる律法と見るべきではなく、キリスト者にして心より他人の罪を赦し得ざる者に対する当然の刑罰である。エペ4:32はこのことを示している。