黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2ペテロ書

第2ペテロ書第1章

分類
1 冒頭の挨拶 1:1 - 1:2

1章1節 イエス・キリストの(しもべ)また使徒(しと)なるシメオン・ペテロ、[(ふみ)を](われ)らの(かみ)および救主(すくひぬし)イエス・キリストの()によりて、(われ)らと(おな)(たふと)信仰(しんかう)()けたる(もの)に[(おく)る。][引照]

口語訳イエス・キリストの僕また使徒であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。
塚本訳イエス・キリストの奴隷また使徒(なる)シメオン・ペテロ(より、)我らの神と救い主イエス・キリストとの義によって私達と同じ(尊い)信仰を戴いた人達に(手紙を遺る)。
前田訳イエス・キリストの僕また使徒シモン・ペテロから、われらの神また救い主イエス・キリストの義によってわれらと同じ信仰を受けた人々に。
新共同イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。
NIVSimon Peter, a servant and apostle of Jesus Christ, To those who through the righteousness of our God and Savior Jesus Christ have received a faith as precious as ours:
註解: この一節によりこの書簡の発送者の態度(僕)および資格(使徒)とその受領者の価値の貴きことを示し、語る者も聴く者も共にその心が天の高きに挙げられることであろう。
辞解
[シメオン] シモンのヘブル語。使15:14に用いられるのみ。これをもってこの書簡がユダヤ人に与えられし証拠とする学者もある。
[義によりて] 我らの信仰は各人の能力や品性によるのでなく神の義が顕われ(ロマ3:21ロマ3:25)、キリストの義が与えられて(Tコリ1:30)罪を赦されるが故に得る信仰である。ゆえに人々の個人的価値如何にかかわらず信仰はみな同じ価値を有つ。ゆえにキリスト以外の人間を神と人との間に介在させて特種な権威を持たせるべきではない。
[受けたる] 恩恵として、エペ2:8
[同じ貴き] 同価値の。

1章2節 (ねが)はくは(かみ)および(われ)らの(しゅ)イエスを()るによりて、恩惠(めぐみ)平安(へいあん)(なんぢ)らに()さんことを。[引照]

口語訳神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。
塚本訳(祈る、)神及び我らの主イエスを知る知識によって、恩恵と平安(いよいよ)君達に豊かならんことを!
前田訳神とわれらの主イエスを知って恵みと平安があなた方に満ちますように。
新共同神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
NIVGrace and peace be yours in abundance through the knowledge of God and of Jesus our Lord.
註解: 本書簡の中心問題を為している多くの異端、堕落は神とキリストとを知らないことより来る(コロ2:2−15)。従って恩恵を(むだ)にし平安を失う。この知識(理解 epignôsis )があって恩恵益々加わり平安は益々増してくる。

分類
2 教訓 1:3 - 3:13
2-1 聖潔なる生涯のすすめ 1:3 - 1:11

1章3節 キリストの(かみ)たる能力(ちから)は、生命(いのち)敬虔(けいけん)とに(かかは)(すべ)てのものを(われ)らに(たま)へり。(これ)おのれの榮光(えいくわう)(とく)とをもて()(たま)へる(もの)(われ)()るに()りてなり。[引照]

口語訳いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。
塚本訳然り、(主は必ずこの祈りを聴き給うであろう。見よ、)彼の神性の能力はその栄光と威力とによって、私達を召し給うた方を知る知識の故に、生命と敬虔(を得る)に必要な凡てのものを私達に賜うたのである。
前田訳彼の神的な力がわれらにいのちと敬虔のためのものすべてを与えました。それはわれらをお召しの方自らの栄光と徳によって彼を知りうることによるのです。
新共同主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。
NIVHis divine power has given us everything we need for life and godliness through our knowledge of him who called us by his own glory and goodness.

1章4節 その榮光(えいくわう)(とく)とによりて(われ)らに(たふと)(おほい)なる約束(やくそく)(たま)へり、これは(なんぢ)らが()()(よく)滅亡(ほろび)をのがれ、(かみ)性質(せいしつ)(あづか)(もの)とならん(ため)なり。[引照]

口語訳また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。
塚本訳(そしてまた)この栄光と威力とによって、(主は)尊い最大の約束、(すなわち神の国の成就に関する約束)を賜い、これによって君達を、慾情によってこの世に働く滅亡から逃げ出させ、神性の共有者たらしめんとし給うのである。
前田訳これらによって彼は尊く偉大な約束をわれらにお与えです。それはこれらによってあなた方がこの世の欲による腐敗を逃れて神的な性質にあずかるためです。
新共同この栄光と力ある業とによって、わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるためです。
NIVThrough these he has given us his very great and precious promises, so that through them you may participate in the divine nature and escape the corruption in the world caused by evil desires.
註解: この3、4節は一つの文章として第5節の理由を示すがために次のように私訳する必要がある。「たしかに彼(キリスト)の神たる力は、己の栄光と徳とをもって召し給える者(キリスト)を知り奉る〔我らの〕知識によりて、生命と敬虔とに関わる凡てのものを我らに賜い、またこの栄光と徳とによって我らに貴き絶大なる約束を賜い、これによって汝らをして世にある慾の腐敗より逃れて神の性質に与る者たらしめんとし給いたれば」云々。ペテロの言わんとする主要の点は我らの新生命(生命)と信仰生活(敬虔)とに必要なるものは凡てキリストにより与えられている以上、我らの現世の信仰生活において欠ける処なきはずであり、かつまたキリストの再臨と未来の栄光とに関する約束が与えられている以上、我らはこの世の慾に囚われることがなきはずであるというのである。これが第5節以下の薦めの理由となる。
辞解
[神たる力] 本書にはキリストの神としての力を常に強調している(Uペテ1:16)。キリストの力を知らずしてその再臨を解することができない。
[栄光と徳] 栄光は「腐敗」の反対、徳は「慾」の反対(B1)で4節における信徒の義務の前提となる。それは彼がこの栄光と徳とをもって信徒を召してくださったからである。人はキリストに召される時その栄光と徳とを仰がざるを得ない。
[我ら知識によりて(私訳)] キリストを知ることの知識は新生命に生きんとする者の必要なる基礎である。新生命に関する凡ての必要なる事柄はこの知識なしに与えられることができない。
[生命と敬虔] 生命は新生命、信徒の本質、敬虔は主として信仰的行為について言われている(E0)。すなわち信徒の新生命とその働きを指す。
[凡てのもの] 一つも欠けるところがない。
[貴き絶大なる約束] 再臨とこれによって我らに与えられる栄光に関する約束、この約束もキリストの「栄光と徳」との故に信ずべきものとなる。
[腐敗より逃れ] キリスト者には来世における栄光の約束があるので、この世とその慾とに囚われて腐朽に帰することができない。「逃れ」は大急ぎでそれを離れる貌。
[神の性質に與る] 人は生れながらにして神性をもっているのではなく信仰によってキリストに連なり彼に従うことによって神性の所有者とせられる。「與る」koinônia は「交り」の意。神の性質と共通になること。

1章5節 この(ゆゑ)(はげ)(つと)めて(なんぢ)らの信仰(しんかう)(とく)(くは)へ、[引照]

口語訳それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、
塚本訳この故に、(その感謝の印として)あらん限りの努力をして、君達の信仰によって徳を、徳によって知識を、
前田訳それゆえにこそあなた方はすべての熱意を注いで信仰に徳を加え、徳に知識を、
新共同だから、あなたがたは、力を尽くして信仰には徳を、徳には知識を、
NIVFor this very reason, make every effort to add to your faith goodness; and to goodness, knowledge;
註解: 3、4節のごとき賜物と約束とを受けたので、もはやこの世の慾は我らを壊滅に帰せしむべきではない。「この故に」本節以下において信徒が果たすべき勉めについて教えているのである。以下八個の項目はきわめて順序正しく排列せられていることに注意を要す。その第一に信仰を働かすことによりて徳行を修すべきことである。信仰は実体にして徳行はその働きである。行なき信仰は死ぬるものである(ヤコ2:17)。
辞解
[勵み勉めて] 原語は「凡ての熱心を自分の方よりも持ち込んで」の意。
[加へる] epichorêgeô は必要欠くべからざるものを供給する意であって無関係なる他のものを附加する意味ではない。

(とく)知識(ちしき)を、

註解: 如何にして、何時、何を行うべきかを知るの知識がないならば徳行は無意味である。真の徳は知識を伴わなければならない。

1章6節 知識(ちしき)節制(せつせい)を、[引照]

口語訳知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、
塚本訳知識によって節制を、節制によって忍耐を、忍耐によって敬虔を、
前田訳知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に敬虔を、
新共同知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には信心を、
NIVand to knowledge, self-control; and to self-control, perseverance; and to perseverance, godliness;
註解: 正しき知識であるならば行為の節度を弁別し、適宜の程度を保ち、悪より逃れて善に移ることができる。

節制(せつせい)忍耐(にんたい)を、

註解: 克己節制の生活は忍耐力を強からしめる、また忍耐なくして真の節制はできない。

忍耐(にんたい)敬虔(けいけん)を、

註解: 敬虔は神に対し信仰的態度を持つことである。これなくして忍耐も無意味に終るであろう。

1章7節 敬虔(けいけん)兄弟(きゃうだい)(あい)を、[引照]

口語訳信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。
塚本訳敬虔によって兄弟愛を、兄弟愛によって愛を捧げよ。
前田訳敬虔に同胞愛を、同胞愛に愛をお加えなさい。
新共同信心には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
NIVand to godliness, brotherly kindness; and to brotherly kindness, love.
註解: 神に対して敬虔なるものはまた信仰の兄弟を愛するはずである。前者あって後者なきものは実は偽の信仰である(Tヨハ4:20ヤコ2:15、16)。

兄弟(きゃうだい)(あい)に[博]愛(はくあい)(くは)へよ。

註解: 同信の兄弟のみを愛してその他の一般の人々を愛せざるものは真の愛を持たないものである。
辞解
[兄弟の愛] philadelphia で phileô すなわち自然愛を示し「博愛」は agapê で聖愛を示す。後者は前者よりも難い。

1章8節 (これ)()のもの(なんぢ)らの(うち)にありて彌増(いやま)すときは、(なんぢ)()われらの(しゅ)イエス・キリストを()るに(おこた)ることなく、()(むす)ばぬこと()きに(いた)らん。[引照]

口語訳これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。
塚本訳これら(凡てのもの)が君達にあり且つ増して行く時には、それが君達を働かせず実を結ばせずに置くことはなく、必ず私達の主イエス・キリストを知る知識に到達させるからである。
前田訳これらがあなた方に備わって、いや増すならば、われらの主イエス・キリストを知ることについてあなた方を無益、また不毛にしますまい。
新共同これらのものが備わり、ますます豊かになるならば、あなたがたは怠惰で実を結ばない者とはならず、わたしたちの主イエス・キリストを知るようになるでしょう。
NIVFor if you possess these qualities in increasing measure, they will keep you from being ineffective and unproductive in your knowledge of our Lord Jesus Christ.
註解: 私訳「そはこれらのもの(諸徳)汝らのうちに存しかつ(いや)増すときは、これらは汝らをして懶惰(らんだ)ならしめず、また実を結ばざることなからしめ、我らの主イエス・キリストを知るの知識に進ましむればなり」。6、7節に掲げられしごとき諸徳を心にいだき、かつ益々増し加わる場合においては、人々は道を行うに熱心努力すべく、従って善行の実が豊かに結ばれ、その結果として益々深くキリストを知るの知識に進むに至るであろう。キリストを知らんがためにはこれらの諸徳を熱心に実行することが最善の手段である。
辞解
[キリストを知るに] eis epignôsin は勤勉、結実の原因を示すか、またはその結果を示すかにつき異論あり。コロ1:10コロ2:2コロ3:10Tテモ2:4Uテモ2:25等のごとく結果と見るを可とす。キリストを知るの知識は無限に深くしてこれを汲み尽くすことができない。

1章9節 (これ)()のものの()きは盲人(めしひ)にして(とほ)()ること(あた)はず、(おの)(ふる)(つみ)(きよ)められしことを(わす)れたるなり。[引照]

口語訳これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である。
塚本訳これらの(徳から徳への進歩の)無い人は(道徳的の)盲人で近眼で、その旧い罪の潔めを(受けたことを)忘れたのである。
前田訳これらを欠く人は近視、また目しいであり、おのが旧悪が清められたことを忘れたものです。
新共同これらを備えていない者は、視力を失っています。近くのものしか見えず、以前の罪が清められたことを忘れています。
NIVBut if anyone does not have them, he is nearsighted and blind, and has forgotten that he has been cleansed from his past sins.
註解: 信仰は遠視的たることを要する。すなわちキリストの血によって旧き罪より潔められて聖き者とせられしその昔より、キリストの再臨によりて賜わるべき栄光の将来までを見通さなければならない。この凡てを見通すことができるならば5−7節の諸徳(此等のもの)は自ら具備するはずである。然らざるものはこれを忘れし近視的キリスト者である。
辞解
[遠く見ること能はず] 原語「近視なり」。
[潔められしこと] 信ずる者は凡ての旧き罪より潔められし者である。
[忘れたるなり] 原語「忘却を受取りたり」強き意味(Z0)。

1章10節 この(ゆゑ)兄弟(きゃうだい)よ、ますます(はげ)みて(なんぢ)らの()されたること、(えら)ばれたることを(かた)うせよ。()(これ)()のことを(おこな)はば(つまづ)くことなからん。[引照]

口語訳兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。
塚本訳だから兄弟達よ、(上に言ったように)いよいよ努力をして君達の(受けた)召しと選びを確かにせよ。これをすれば、決して躓くことはないからである。
前田訳兄弟よ、それゆえますます励んであなた方への召しと選びをお竪めなさい。これらを行なえば決して憂き目に会いますまい。
新共同だから兄弟たち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。これらのことを実践すれば、決して罪に陥りません。
NIVTherefore, my brothers, be all the more eager to make your calling and election sure. For if you do these things, you will never fall,
註解: キリスト者は3、4節に示すがごとく神に選ばれて召されし者である。ゆえにキリスト者にはこの選召を堅くすること、すなわち信仰生活の終りを全うすることの努力が必要である。その方法は5−7節の諸徳を行うに在る。もしこれらを行うならば半途にして失脚することはないであろう。
辞解
[励みて・・・・・・堅うせよ] 「堅うすることを努力せよ」。
[此等のこと] 異解あれど5−7節の諸徳と解するを可とす。
[躓く] ptaiô ヤコ3:2を見よ。

1章11節 (そは)(かく)(なんぢ)らは(われ)らの(しゅ)なる救主(すくひぬし)イエス・キリストの永遠(とこしへ)(くに)()る[恩惠(めぐみ)]を(ゆたか)(あた)へら[れん](るべければなり)。[引照]

口語訳こうして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの永遠の国に入る恵みが、あなたがたに豊かに与えられるからである。
塚本訳何故なら、かくして君達に(その報いとして)私達の主また救い主イエス・キリストの永遠の御国に入ることが、豊かに与えられるからである。
前田訳かくてあなた方に豊かに備えられるのは、われらの主、また救い主イエス・キリストの永遠の国に入る道です。
新共同こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。
NIVand you will receive a rich welcome into the eternal kingdom of our Lord and Savior Jesus Christ.
註解: 前節のごとくに躓かざる理由は「(かく)て」前述せるごとき行為を為す場合には今度は神の方より我らが堂々とキリストの国に入ることができるようにして下さるからである。
辞解
[恩恵] 原語になし、原語は「入ること eisodos(exodosの反対)を豊かに供給し給う」とあり「辛うじて破船や火事より逃れて入るがごとくではなく凱旋しつつ入るを得ること」(B1)である。
要義1 [神の賜物と我らの努力]3−11節においてこの両者の関係が極めて明らかに示されている。神はまず3−4節において罪人なる我らを召し、これに新生を賜い必要なる凡ての物を供給しかつ大なる約束を与え給うた。この選びと召しとを思うならば、キリスト者は感謝をもってその全生涯を潔めて神のものたらしめなければならない。これ5−9節に示されしキリスト者の義務であって、これ我らを束縛する律法ではなく、我らの感謝の献げ物である。神の召しとその約束とを忘れるものはこの献げ物をなすことができない。そして人の側より為されるこの献げ物に対して10、11節に神はまたさらにこれに豊かなる賜物を供給し給う。すなわち彼をしてキリストの永遠の国に勝利をもって入ることを得しめ給うのである。かくして神と人との間に互に与え合う処の生涯こそ真に神の国の生活である。
要義2 [聖潔なる生涯]聖潔なる生涯の秘訣は神の選召とその約束とを確保するに在る。神が我らを義とし給うことのみを見て他を見ざる近視的キリスト者は、無律法主義、放蕩主義に陥り易い。反対に自己の熱心や努力によりて聖潔なる生涯を送らんとする者は律法主義者となりて高慢となり、または聖潔に失敗して失望に陥る。これらはみな近視者流である。キリストの救いを永遠の相において眺めるものが真に聖潔にして智慧あり節度ある生涯を送ることができる。

2-2 使徒の教訓と預言とを思い起すべきこと 1:12 - 1:21

1章12節 されば(なんぢ)らは[(これ)()のことを]()り、(すで)()けたる眞理(まこと)(かた)うせられたれど、(われ)つねに(これ)()のことを(おも)()させんとするなり。[引照]

口語訳それだから、あなたがたは既にこれらのことを知っており、また、いま持っている真理に堅く立ってはいるが、わたしは、これらのことをいつも、あなたがたに思い起させたいのである。
塚本訳だから私は君達にこの(最も大切な)ことをいつも思い出させようと思う、君達は(もちろんこれを)知って居り、且つ(伝えられて今)君達の所に来ている真理において強くされている(にはいる)けれども。
前田訳それゆえ、たとえそれらをご存じで与えられた真理に堅くお立ちでも、はばからずつねにあなた方にこれらを思い出させましょう。
新共同従って、わたしはいつも、これらのことをあなたがたに思い出させたいのです。あなたがたは既に知っているし、授かった真理に基づいて生活しているのですが。
NIVSo I will always remind you of these things, even though you know them and are firmly established in the truth you now have.
註解: 本節以下には2−11節に述べし真理に関しペテロ自身の関心を述べんとしているのであって「(いやしく)もキリスト者たる以上諸君は上述のごとき真理は知りつくしており、また諸君に与えられし真理を確保しているとはいうものの、以上に述べしことは極めて重大なることであるが故、不断にこれを思い起させたいと願っている」とペテロは信徒に対するその心尽くしを披瀝(ひれき)しているのである。
辞解
[既に受けたる真理] hê parousê alêtheia で「汝らに現在する真理」。

1章13節 (われ)(なほ)この幕屋(まくや)()るあいだ、(なんぢ)らに(おも)()させて(はげ)ますを正當(せいたう)なりと(おも)ふ。[引照]

口語訳わたしがこの幕屋にいる間、あなたがたに思い起させて、奮い立たせることが適当と思う。
塚本訳私はこのテントにいる間に(斯く)君達にこれを思い出させ目を覚まさせておくことを、義務と考える。
前田訳わたしがこの身に宿る間、あなた方を思い出に目ざめさせることは正しいと思います。
新共同わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。
NIVI think it is right to refresh your memory as long as I live in the tent of this body,
註解: ペテロはその死の近きを知り信徒を激励する切なる義務を感じた。
辞解
[幕屋] 仮の住居としての人間の肉体を指す(Uコリ5:1)。
[思ひ出させて] 前節に関連す。

1章14節 そは(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの(われ)(しめ)(たま)へるごとく、(われ)わが幕屋(まくや)()()ることの(すみや)かなるを()ればなり。[引照]

口語訳それは、わたしたちの主イエス・キリストもわたしに示して下さったように、わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである。
塚本訳私達の主イエス・キリストも私に示し給うたように、私のテントを脱ぎ棄てるのが間もないことを知っているからである。
前田訳それは、われらの主イエス・キリストがお示しくださったように、わが身を去るのが間近いことを承知だからです。
新共同わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。
NIVbecause I know that I will soon put it aside, as our Lord Jesus Christ has made clear to me.
註解: ペテロはその死の間もなく卒然に来ることを知っていた。これは彼の予感もあったけれどもキリストも彼に示し給うたことであった(ヨハ21:18以下)。前節の必要なる所以はここにある。
辞解
[キリストの] 「キリストもまた」とあり、このイエス・キリストの啓示はヨハ21:18以下のことではなく別の啓示であるとする学者があるけれども、かく見ざるべからざる必要はない。
[速か] tachinos は「卒然」の意味(M0、B1)と「間もなく」の意味とあり、この場合何れにでも意味が通じるのみならず(I0、Z0)、もし老ペテロが卒然の死を予期していたとすれば、それが遠い将来であるとは考えることができないであろう。ゆえにこの両意味を共に含むと解すべきであろう。日本語の「速か」は適訳である。

1章15節 (われ)また(なんぢ)()をして()()()らん(のち)にも、(つね)(これ)()のことを(おも)()させんと(つと)むべし。[引照]

口語訳わたしが世を去った後にも、これらのことを、あなたがたにいつも思い出させるように努めよう。
塚本訳しかし私が去った後も君達が何時でもこれを思い出すように、努力しよう。
前田訳それで、世を去って後も、あなた方がつねにこれらの思い出をお持ちのよう努めましょう。
新共同自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます。
NIVAnd I will make every effort to see that after my departure you will always be able to remember these things.
註解: これらのことを思い出すことがキリスト者にとって基礎的なことである以上、ペテロはその死後にもこれらが失われることなきように今からあらゆる努力を払うことが必要であった。ペテロはその覚悟をここに示している。これを行う方法については記されていない。強いて一二特定の方法に制限するの必要はない。

1章16節 (われ)らは(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの能力(ちから)(きた)りたまふ(こと)とを(なんぢ)らに()ぐるに、(たくみ)なる作話(つくりばなし)(もち)ひざりき、(われ)らは(した)しくその稜威(みいつ)()(もの)なり。[引照]

口語訳わたしたちの主イエス・キリストの力と来臨とを、あなたがたに知らせた時、わたしたちは、巧みな作り話を用いることはしなかった。わたしたちが、そのご威光の目撃者なのだからである。
塚本訳というのは、私達は私達の主イエス・キリストの能力と来臨とを君達に(告げ)知らせるのに、(一派の人達が)頭を捻って考え出した作り話に従わなかった。否、(私達はおおけなくも)かの(変貌の)稜威の目撃者(として、その証人)となったのである。
前田訳われらが主イエス・キリストの力と来臨とをお知らせしたのは、作り上げた神話によったのではありません。われらは彼の威光の目撃者なのです。
新共同わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。
NIVWe did not follow cleverly invented stories when we told you about the power and coming of our Lord Jesus Christ, but we were eyewitnesses of his majesty.
註解: 私訳「我ら主イエス・キリストの能力とその来臨につきて汝らに告げしは巧妙なる作話に従えるにあらず、かの稜威の目撃者とせられて為したるなり」。キリストの恩恵(3節)とその約束(4節)の信頼し得べき所以は、キリストにこれを与え給う「能力」があり、また再び「来り」給いてその約束を実現し給うが故である。本節以下においてペテロがこの点を強調する所以はそれがためである。そしてキリストの能力はその多くの奇蹟にあらわれ、その来臨の証拠は彼の変貌(マタ17:1−8)にあらわれている。ペテロはその不思議の光景を目撃せるが故に、目撃者としてこれを物語った。ゆえに異教徒の間に行われるごとき作話を用うる必要がなかった。
辞解
[作話] mythos 神話、寓話の類。
[親しく見し者] epoptai ギリシャの神殿の神秘を目撃する者を指して用いられし語。

1章17節 いとも(たふと)榮光(えいくわう)[の(うち)]より(かかる)(こゑ)()でて『こは()(いつく)しむ()なり、(われ)これを(よろこ)ぶ』と()(たま)へるとき、[(しゅ)は](ちち)なる(かみ)より尊貴(たふとき)榮光(えいくわう)とを()(たま)へり。[引照]

口語訳イエスは父なる神からほまれと栄光とをお受けになったが、その時、おごそかな栄光の中から次のようなみ声がかかったのである、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。
塚本訳というのは彼は(其処で)父なる神から尊貴と栄光とを受けられ、(私達はそれを見たのである。)且つ(その時、)「これは我が“愛子”なり、”わが心に適えり”」と、かような声が尊厳なる栄光の間から出た──
前田訳彼は父なる神から誉れと栄光とをお受けでした。それは崇高な栄光の下に、このような声が彼にかかったときです、「これはわがいとし子、わが心にかなうもの」、と。
新共同荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
NIVFor he received honor and glory from God the Father when the voice came to him from the Majestic Glory, saying, "This is my Son, whom I love; with him I am well pleased."
註解: 変貌の山におけるペテロの経験を叙述す。(▲イエスの変貌についてはマタ17:1以下を参照すべし。)この声を聴きこの変貌を目撃せるペテロはもはや彼の神の子に在して偉大なる能力を有ち給うことと彼再び来りて万人を(さば)き給うこととを疑うことができなかったであろう。
辞解
[いとも貴き栄光] 「神」というに同じ。(注意)三福音書の記事と些細(ささい)の差あり。ペテロが独立にこれを録せることの証拠である。この文章は述語を欠き不完全なる形を為しており、従って読み方につき異論あり、ラゲ訳参照。
[言い給へるとき] 「とき」は英語改正訳によりたるものならんも適訳ではない。この場合時よりも理由を示す。

1章18節 (われ)らも(かれ)(とも)(せい)なる(やま)()りしとき、(てん)より()づる()(こゑ)をきけり。[引照]

口語訳わたしたちもイエスと共に聖なる山にいて、天から出たこの声を聞いたのである。
塚本訳然り、私達はこの声が天から出たのを彼と共に聖なる山にいて聞いたのでる。
前田訳この声をこそ、われらは彼とともに、聖なる山にいて天からかけられたのを聞いたのです。
新共同わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。
NIVWe ourselves heard this voice that came from heaven when we were with him on the sacred mountain.
註解: ペテロ自身この光景の目撃者(声の聴取者)たることを示す。
辞解
[聖なる山] 神の在し給う処凡て聖所である。ここでは変貌の山を指す。この字句を捕えて本書簡が後代の作たる証拠なりとする説があるけれども充分の理由とはならない。

1章19節 かくて(われ)らが()てる預言(よげん)(ことば)は[一層(いっそう)](かた)うせられたり。[引照]

口語訳こうして、預言の言葉は、わたしたちにいっそう確実なものになった。あなたがたも、夜が明け、明星がのぼって、あなたがたの心の中を照すまで、この預言の言葉を暗やみに輝くともしびとして、それに目をとめているがよい。
塚本訳かくして私達に預言の言が一層確かなものとなった。どうか(この言を)真暗な所に輝く燈火として、日が照り出で暁の明星が君達の心の中に出るまで、これに注意してもらいたい。
前田訳それで、われらは預言のことばを、より確かなものとして持つのです。夜が明けて明星が上ってあなた方の心を照らすまで、このことばを暗闇に照る燈火として尊んでください。
新共同こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
NIVAnd we have the word of the prophets made more certain, and you will do well to pay attention to it, as to a light shining in a dark place, until the day dawns and the morning star rises in your hearts.
註解: 旧約聖書の預言はキリストにおいて成就せられ、従って使徒たちにとってこれらは一層堅く確かなものとして認められるに至った。預言はその成就によって一層確かさを増す。
辞解
[言] 単数名詞。
「モーセ、イザヤその他の凡ての預言者の多くの言は単一の言を形成し、凡ての点においてまとまったものである」(B1)。

(なんぢ)()この(ことば)(くら)(ところ)にかがやく燈火(ともしび)として、夜明(よあ)け、明星(みゃうじゃう)(なんぢ)らの(こころ)(うち)にいづるまで(かへり)みるは()し。

註解: この世は汚穢に充てる暗黒の世界である。そしてキリストとその再臨に関する旧約聖書の預言の言は我らの行き先を示し、踏むべき途を照らすランプである。ゆえに我ら暗黒の中にありても迷わず望みを失わない。しかしながら我らは何時までも預言の言のランプの光るを頼っているのではない。未だキリストは義の太陽として審判のために再臨し給わないけれども、信徒の心にはすでに夜は曙となり、キリストは曙の明星のごとくに上っているのである(黙22:16)。信者にこのことが明らかになるまで旧約の預言をよく顧なければならない。偽教師がこれをも否定するがごときは赦すべからざることである。
辞解
[暗き] auchmêros は単に暗き意味ではなく主として不潔、陰気、蕪雑(ぶざつ)等を意味し暗黒の観念もこれに加わっている。
[夜明け明星の汝らの心にいづるまで] 汝らの心にあるのでキリストの再臨に関係なき事柄と解せんとする説もあるけれども(A1、Z0、C1、B1)「曙の明星」はキリストを指し(黙2:28黙22:16)かつ16節以下はキリストの再臨について証明せんとしている故本節をも再臨に関係あるものと見るべきであろう(M0、I0)。なおキリスト再臨の信仰を得れば旧約の預言は無用に帰するというのではない。義の太陽が輝くまでは必要である。唯再臨の信仰を確かにせざる間に旧約の預言をも顧みざるに至る信徒およびかく教うる偽教師を戒めたのである。

1章20節 なんじら()()れ、聖書(せいしょ)預言(よげん)は、すべて(おの)がままに()くべきものにあらぬを。[引照]

口語訳聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
塚本訳ただ聖書の預言はどれも自分勝手な解釈をしてはならぬことを第一に知らねばならない。
前田訳しかしまず注意すべきは、聖書のどんな預言でも勝手な解釈はできないということです。
新共同何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
NIVAbove all, you must understand that no prophecy of Scripture came about by the prophet's own interpretation.
註解: 預言は次節が示すごとく聖霊によりて録されしもの故、聖霊によりて()かるべきもので、人間の理知や学問をもって勝手に解釈せらるべきものではない。これを知りて、そうして後、前節のごとくに預言を顧るべきである。それ故に預言を自己の欲するがままに解する偽教師に警戒しなければならない。カトリック教会は本節を楯にして聖書の解釈権をローマ法王と宗教会議に独占し個人の自由解釈を禁じているけれども、ペテロのは勿論かかる未来の制度を予見したのではなく、また予見してもかかるものに預言の解釈権を与うる意味ではない。(注意)なお本節の読み方には有力なる異説あり。それによれば「聖書の預言は(未来の事件に対する)自己流の解釈より成るものにあらず」と読むのであって、次節の聖霊によりて成りしことの反対を意味すると解する(A1、B1、C1)。余はこの読み方を優れるものと思う。

1章21節 預言(よげん)(ひと)(こころ)より()でしにあらず、人々(ひとびと)(せい)(れい)(うご)かされ、(かみ)によりて(かた)れるものなればなり。[引照]

口語訳なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
塚本訳というのは、預言はかつて人間の意志から出たことがなく、人が聖霊に駆り立てられ神(の霊)によって語ったものである。
前田訳預言が人の意志によってできあがったことはかつてなく、聖霊に導かれた人々が神によって語ったものです。
新共同なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。
NIVFor prophecy never had its origin in the will of man, but men spoke from God as they were carried along by the Holy Spirit.
註解: ここに人間の意思と神の聖霊とを対立せしめ、預言は人間が語ったものではあるが人間がその自由意思によりて決定したのではなく、人が聖霊に動かされて語ったものであり、従って神より来れるものである。勿論無意識の状態においてこれを語ったのではない。聖霊に動かされる時は我にして我に非ず、聖霊我にありて凡てのことを為し給う。
辞解
[心] thelêma 意思、意欲。
[動かされ] 波が風にゆられるごとき貌。
要義 [預言について](1)預言の性質。預言は神、人をして語らしめ給いし言である。ゆえにその意味はこれを語れる人がその語れる時に心に(いだ)ける内容と必ずしも同一たるを要しない。(ヨハ11:53要義二参照。)また人の意思や思想の発表にあらざる故、これを解するにも人の思想をもってすべきではなく聖霊をもって為すべきである。(2)預言の成就。預言はその一部にても成就する場合において益々預言全般に対する信頼を堅うすることができる。キリストの初臨に関する預言の成就はその再臨に関する預言に対する信仰を堅うする原因となる。(3)預言の効果。預言はこれを信ずるものにとりてはこの世における生活を一変せしむるの力がある。キリスト教よりその預言的分子を除去する時、そこに堕落と無力とが生ずるのは当然の結果である。ペテロが12−21節において預言に関する諸点を高調せる所以は、次章における諸種の警戒を与えんがために外ならなかった。預言とこれに対する信仰は現世の生活を高め潔める所以の力である。

第2ペテロ書第2章
2-3 偽教師に対する警戒 2:1 - 3:13
2-3-イ 自由佚楽主義の偽教師 2:1 - 2:22  

2章1節 されど(たみ)のうちに(にせ)預言者(よげんしゃ)おこりき、その(ごと)(なんぢ)らの(うち)にも(にせ)教師(けうし)あらん。[引照]

口語訳しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。
塚本訳しかし(昔イスラエルの)民の中に(真の預言者の外に)偽預言者がいたが、そのように君達の中にも偽の先生が出て来て、(帰依者を)滅亡(に陷れるか)の(勝手な)教義を持ち込み、(高い値をもって)彼らを買い取り給うた主人(イエス・キリスト)をさえ否定して、忽ち滅亡を身に招くのである。
前田訳(イスラエルの)民の中に偽預言者も出たように、あなた方の中にも偽教師が現われましょう。彼らは滅びの異端を導入し、彼らのあがない主を否み、すみやかな滅びを自らに招いています。
新共同かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、
NIVBut there were also false prophets among the people, just as there will be false teachers among you. They will secretly introduce destructive heresies, even denying the sovereign Lord who bought them--bringing swift destruction on themselves.
註解: ペテロは本節より偽教師の本質とその行状とを暴露して信徒を戒め、彼らに(そこな)われざらんことを勉めている。
辞解
[民] イスラエルの民。
[あらん] 今後も生ずるであろう。そして今すでに生じつつあることは二章全体の調子からこれを知ることを得。

(かれ)らは滅亡(ほろび)にいたる異端(いたん)()()れ、(おのれ)らを()(たま)ひし(しゅ)をさへ(いな)みて、(すみや)かなる滅亡(ほろび)(みづか)(まね)くなり。

註解: 偽教師の行動、態度および終局を示す。偽教師の行動はキリストの教会に分離を起さしめ信徒を自己に引き寄せるにあり、その態度は宝血の値をもって自分たちを贖い給える贖い主なるキリストを否み教理的には彼の神の子たること、彼の死が罪の贖いたることを信ぜず、また実行的にはあたかも彼が彼らの主にあらざるがごとくに放佚(ほういつ)の行動をなし、かくして自らは結局卒然に滅亡に見舞われるのである。
辞解
[異端] hairesis は本来一派、異説等を示す文字で、それの正邪如何を問わない意味であった。教理的異端の意義が加わるに至ったのは後のことに属す。
[主] despotês = despot 主として神を指す。ここではキリストについて用いている。
[速かなる] Uペテ1:14辞解参照。

2章2節 また(おほ)くの(ひと)かれらの好色(かうしょく)(したが)はん、(これ)によりて(まこと)(みち)(そし)らるベし。[引照]

口語訳また、大ぜいの人が彼らの放縦を見習い、そのために、真理の道がそしりを受けるに至るのである。
塚本訳そして(迷わされた)多くの人は彼らの放埒の跡を追い、この人達“の故に”真理の道は“罵られるであろう”。
前田訳そして多くの人が彼らの放縦を見習い、彼らによって真理の道が汚されましょう。
新共同しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。
NIVMany will follow their shameful ways and will bring the way of truth into disrepute.
註解: ユダ1:4参照。悲しむべきことは偽教師に従い、その放埓(ほうらつ)、好色の行為を真似る者の輩出することである。かかる徒輩(偽教師およびその弟子)あるがためにその真偽を見分け得ざる外部の人々より真のキリスト者が非難される。
辞解
[之によりて] 「彼らによりて」。
[真の道] 「真理の道」と訳すべきである。キリスト教を指して「道」と呼べる場合は少なくない(使9:2使22:4使24:14。救の道、使16:17。主の道、使18:26)。

2章3節 (かれ)らは貪慾(どんよく)によりて飾言(かざりことば)(まう)け、(なんぢ)()より()をとらん。[引照]

口語訳彼らは、貪欲のために、甘言をもってあなたがたをあざむき、利をむさぼるであろう。彼らに対するさばきは昔から猶予なく行われ、彼らの滅亡も滞ることはない。
塚本訳且つ彼らは貪欲のため言巧みに君達を(も)手に入れる(けれども、)既に永い間彼らに対する審判は怠らず、滅亡は微睡まない!
前田訳また彼らは欲望のためにあなた方を甘言で釣るでしょう。しかし彼らへの裁きは古くからやまず、彼らの滅びはたじろぎません。
新共同彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。
NIVIn their greed these teachers will exploit you with stories they have made up. Their condemnation has long been hanging over them, and their destruction has not been sleeping.
註解: 偽教師らはその弟子を甘い言をいって欺き、自己の利益のために弟子たちを利用してその慾望を満足している。彼らは宗教商売人、売僧に過ぎない。
辞解
[飾言] Uペテ3:4節はその例。
[汝らより利を取らん] 「汝らを商品として商売せん」との意味で、直接に金銭を掠取(りゃくしゅ)することのみならず間接に利用することをも含む。すなわち弟子を偽教師自身の勢力や利益のために犠牲とすることである。要するにキリスト中心か自己中心かによって教師の真偽が分れるのであって正統教会より権限を授けられしや否やによりて分かれない。

(かれ)らの審判(さばき)(いにし)へより(さだ)められたれば(おそ)からず、その滅亡(ほろび)()ねず。

註解: 私訳「彼らの審判は古よりやすむことなく、その滅亡はまどろむことなし」。偽教師らの上に神の下す審判と滅亡は間もなく必ず来るべきことを示す。多くの人を迷わす彼らの罪は思い。
辞解
[遅からず] 怠業せずとの意。

2章4節 (かみ)(つみ)(をか)しし御使(みつかひ)たちを(ゆる)さずして地獄(じごく)()げいれ、(これ)黒闇(くらやみ)(あな)におきて審判(さばき)(とき)まで看守(かんしゅ)し、[引照]

口語訳神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。
塚本訳何故なら、もし神が罪を犯した天使達を容赦せず、闇の洞窟の地獄に入れ、審判のために引き渡して監禁し給うたとするならば、
前田訳神は罪を犯した天使たちをゆるさずに、闇の穴に閉じ込めて、裁きのために拘束なさいました。
新共同神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。
NIVFor if God did not spare angels when they sinned, but sent them to hell, putting them into gloomy dungeons to be held for judgment;
註解: 4−6節に神の審判の例を示す。本節の天使の審判はノアの洪水の物語または他の伝説を指すとの説があるけれども、ユダ1:6のごとく創6:1以下の伝説によったのであろう。本節のみよりこれを決定することができない。何れにしても人間より優れる天使すら神の審判を免れ得ないとすれば人間は罪ある場合に神の審判を免れ得るはずがない。
辞解
本節初頭に原文に「そはもし」とあり、若しは8節の終りまでに関連し、そはもし是らの人も審判を免れずとすれば「まして偽教師においておや」を省略している。
[地獄に投入れ] tartarô 聖書中ここにのみ用いられ、タルタロスに投込むこと、タルタロスはゲヘナ、ハーデース(黄泉)等と異なり地の最も深き処というごとき意味。
[穴におき] 「鎖につなぎ」と訳する説もある。
[審判の時まで] 「審判のために」と訳すべきである。

2章5節 また(ふる)()(ゆる)さずして、ただ()宣傅者(せんでんしゃ)なるノアと(ほか)七人(しちにん)とをのみ(まも)り、敬虔(けいけん)ならぬ(もの)()洪水(こうずゐ)(きた)らせ、[引照]

口語訳また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
塚本訳もしまた(神が)古い世界を容赦せず、洪水を不敬虔な人々の世界に来たらせ給うた時(ただ)義の宣教者ノアとも八人(だけ)を(滅亡から)守り給うたとするならば、
前田訳また、古い世をゆるさずに、義の宣伝者ノアら八人だけを守って、不信者の世に洪水をおおこしでした。
新共同また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
NIVif he did not spare the ancient world when he brought the flood on its ungodly people, but protected Noah, a preacher of righteousness, and seven others;
註解: 第二の例はノアの洪水で、救われしものと審判(さば)かれし世とが截然(せつぜん)と区別された。引照およびエゼ26:20参照。
辞解
[古き世] 洪水以前の世界。
[義の宣伝者] ノアは自ら義たりしのみならずまた義を宣伝した(B1)。
[敬虔ならぬ者の世] 原語「不敬虔の世界」。

2章6節 またソドムとゴモラとの(まち)滅亡(ほろび)(さだ)めて(はひ)となし、(のち)()敬虔(けいけん)をおこなふ(もの)(かがみ)とし、[引照]

口語訳また、ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し、不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし、
塚本訳もしまたソドムとゴモラの町を灰にして破滅の宣告を下し、将来不敬虔である人々の見せしめにし給うたとするならば、
前田訳そしてソドムとゴモラの町々を灰にして全滅に処し、後の不信者の見せしめとなさいました。
新共同また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。
NIVif he condemned the cities of Sodom and Gomorrah by burning them to ashes, and made them an example of what is going to happen to the ungodly;
註解: ユダ1:7参照。第三の例はソドム、ゴモラの町の滅亡とロトの救いである。ノアの例は水による審判を示し、本節は火をもってする滅亡を掲げている。いずれも神の審判の適例である。

2章7節 ただ無法(むほふ)(もの)どもの好色(かうしょく)擧動(ふるまひ)(うれ)ひし(ただ)しきロトのみを(すく)(たま)へり。[引照]

口語訳ただ、非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。
塚本訳しかしもし無法者どもの放埒な振舞いによって苦しめられていた義しいロトは、(これを)救い出し給うたとするならば──
前田訳ただ、悪者どものふしだらな行ないに悩まされていた義人ロトはお救いでした。
新共同しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。
NIVand if he rescued Lot, a righteous man, who was distressed by the filthy lives of lawless men
註解: ロトの信仰はアブラハムのそれに比して劣っていた。それにもかかわらず彼が義人であったので、そのために救われた。
辞解
[無法のもの] athesmos 道徳を蹂躙(じゅうりん)し善良なる風俗習慣を破壊するもの。

2章8節 (この(ただ)しき(ひと)(かれ)らの(うち)()みて、日々(ひび)その()(はう)行爲(おこなひ)()(きき)して、(おの)(ただ)しき(こころ)(いた)めたり)[引照]

口語訳(この義人は、彼らの間に住み、彼らの不法の行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのである。)
塚本訳というのはこの義人は彼らの中に住み、日に日に(彼らの)不法の行跡を見聞して、(その)義しい心を悩ましたのである──
前田訳この義人は彼らの中に住んでいて、見るにつけ聞くにつけ、日々その正しい心を彼らの不法の行ないのゆえにいためていたのです。
新共同なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。
NIV(for that righteous man, living among them day after day, was tormented in his righteous soul by the lawless deeds he saw and heard)--
註解: 原文括弧なし。不法と腐敗に充てる市の中に住みてその有様を見聞しつつ絶えずその心を傷めつつあった美しきロトの心は神の喜び給う処であった。
辞解
[不法] anomos 律法に反すること。

2章9節 [かく](しゅ)敬虔(けいけん)なる(もの)試煉(こころみ)(うち)より(すく)ひ、また(ただ)しからぬ(もの)審判(さばき)()まで看守(かんしゅ)して(これ)(ばっ)し、[引照]

口語訳こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども、
塚本訳主は敬虔な者を試練から救い出し、義しからぬ者を懲罰のため(最後の)審判の日まで監禁し得給う(ことは確かである。)
前田訳かくて主は敬虔な人々を試みから救い、不義者を裁きの日までこらしめて拘束することがおできです。
新共同主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。
NIVif this is so, then the Lord knows how to rescue godly men from trials and to hold the unrighteous for the day of judgment, while continuing their punishment.
註解: 前数節の例によって示されし真理を掲げて後節の前提としている。敬虔なる者はノアやロトのごとき正義の人、信仰の人を指し、正しからぬ者はその反対に不信不義なる世の人を指す。
辞解
[審判の日] キリストの再臨による最後の審判を指す。
[罰し] 現在分詞で、現在といえども彼らはすでに神の罰を受けて苦しみつつある。

2章10節 ()けて、(にく)(したが)ひて、(けが)れたる(じゃう)(よく)のうちを(あゆ)み、(けん)ある(もの)(かろ)んずる(もの)を[(ばっ)することを()(たま)ふ]。この曹輩(ともがら)(きも)(ふと)放縱(ほしいまま)にして、(たふと)(もの)どもを(そし)りて(おそ)れぬなり。[引照]

口語訳特に、汚れた情欲におぼれ肉にしたがって歩み、また、権威ある者を軽んじる人々を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。こういう人々は、大胆不敵なわがまま者であって、栄光ある者たちをそしってはばかるところがない。
塚本訳殊に不潔の情慾にかられ肉を追うて歩き、且つ支配権を軽蔑する者については言うまでもない。彼ら横柄な向こう見ずどもは(天使の)栄光を罵って憚らない。
前田訳とくに汚れた欲の中に肉に従って歩み、権威をあざける者どもをそうなさいます。彼らは向こう見ずのうぬぼれで、はばからず栄光あるものたちをそしっています。
新共同特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。
NIVThis is especially true of those who follow the corrupt desire of the sinful nature and despise authority. Bold and arrogant, these men are not afraid to slander celestial beings;
註解: 前節の救いと審判に関する概論を受けて本節にこれを偽教師に適用し、彼らの当然審判(さば)かれるべきことを示す。これがペテロの論旨の中心である。そして彼らの審判(さば)かれるべき当然の理由として偽教師の放蕩、倨傲(きょごう)剛胆(ごうたん)、誹謗等を掲げ、その反面にキリスト者としての聖潔、謙遜、柔和、従順なるべきことを教えている。なお本節および次節はユダ1:8、9節と共に読むべきである。
辞解
本節および次節が何を意味するかはやや不明で、殊にその「権あるもの」「尊き者」の何を意味するかにつきては異説多く帰着するところを知らない。「権あるもの」 kuriotês は政府の当局者(C1)、天使(エペ1:21コロ1:16)、教会の権を握っている人(Z0)、神、キリスト(M0、Z0)、堕落せる天使の首長(B2)など種々に解せられ、「尊き者」 doxa も悪魔または悪しき天使(M0)、堕落せる天使(B1)、聖き天使(A1)、神(C1)、教会の支配者や使徒など種々の意味に解されている。しかしながらその中の一つに限る理由はなく、要するに天的のもしくは地的の栄光を持つ凡てのものを概称したものと見るべきであろう(B2)。そして偽教師らはその倨傲(きょごう)にして剛胆なる態度をもってこれらのすべてよりも自己を高しとしてこれらを謗って少しも畏れなかった。要するに彼らの態度は己を最も高しとする処のものであった。
[(きも)太く] tolmêtai は剛胆(ごうたん)にして敢為(かんい)の精神に富める人々。
[放縱(ほしいまま)] authadês は我意が強いこと。

2章11節 御使(みつかひ)たちは[かの(たふと)(もの)どもに](まさ)りて、(おほい)なる權勢(けんせい)能力(ちから)とあれど、(かれ)らを(しゅ)御前(みまへ)(そし)(うった)ふることをせず。[引照]

口語訳しかし、御使たちは、勢いにおいても力においても、彼らにまさっているにかかわらず、彼らを主のみまえに訴えそしることはしない。
塚本訳ところで天使達は力も能力も(彼らより)優れていながら、彼らを罵る宣告を主の前に申し出たことはないのである。
前田訳天使たちは強さと力においてすぐれていても、彼らを主の前に訴えてそしることをしません。
新共同天使たちは、力も権能もはるかにまさっているにもかかわらず、主の御前で彼らをそしったり訴え出たりはしません。
NIVyet even angels, although they are stronger and more powerful, do not bring slanderous accusations against such beings in the presence of the Lord.
註解: 「かの尊き者どもに」は原文になし。多くの学者はこの語を挿入する。余はこれを「かの偽教師等」を意味すると解す(B2)。「彼らを」kat’ autôn は「尊き者どもを」意味する。すなわち偽教師らは尊き者、権ある者に対して誹謗を行って得意になっているけれども、ユダヤ人の間に信じられている物語(例えばユダ1:9に引用せる経外書、モーセ昇天記のごとき、また多くの学者が推測する経外書エノク書のある部分のごとき)によれば彼ら偽教師よりも権勢と能力において遙かに勝っている天使すら他の権あるもの(それがよし悪しき天使であっても)を神の前に(そし)り訴えることを為さない。これを見ても彼ら偽教師の態度の倨傲(きょごう)は憎むべきである。(注意)ペテロ書がユダ書を引用せることを唱うる学者は本節をもってユダ1:9の具体的記述を抽象的にしたものと解するけれども反対にペテロは概念的に記し、これが不可解なのでユダが詳説したものともいえる。ユダ1:10、11の二節には種々の解あれど明確なるものがない。

2章12節 ()れど、かの曹輩(ともがら)(あたか)(とら)へられ(ほふ)らるるために(うま)れたる辨別(わきまへ)なき生物(いきもの)のごとし、()らぬことを(そし)り、不義(ふぎ)(あたひ)をえて(かなら)(ほろぼ)さるべし。[引照]

口語訳これらの者は、捕えられ、ほふられるために生れてきた、分別のない動物のようなもので、自分が知りもしないことをそしり、その不義の報いとして罰を受け、必ず滅ぼされてしまうのである。
塚本訳しかるにこの人達は、生来(ただ)捕らえられて滅ぼされるために生まれた無知な獣のようであって、知りもせぬことを罵り、(最後の日)獣が滅びると共に彼らもまた滅ぼされるであろう。
前田訳彼らは捕えられて殺されるために生まれたわけわからずの動物のようで、自ら知らぬことをそしり、動物の滅びとともに滅びましょう。
新共同この者たちは、捕らえられ、殺されるために生まれてきた理性のない動物と同じで、知りもしないことをそしるのです。そういった動物が滅びるように、彼らも滅んでしまいます。
NIVBut these men blaspheme in matters they do not understand. They are like brute beasts, creatures of instinct, born only to be caught and destroyed, and like beasts they too will perish.
註解: 偽の教師らの態度は無茶苦茶で理性を具えざる動物と(えら)ぶ処がない。従ってその運命も動物と同じく滅ぼされるより外ないであろう。唯動物の場合はそれが彼らの生れながらの運命であり、偽教師の場合はその不義の報いである。
辞解
[辯別なき] 理性を欠くこと。
[「屠らる」「亡さる」] 同一の語。
[價] misthos は多くの場合「報」と訳せられている。この場合も16節のごとく報の方が優っている。改訳はRVによったものであろう。
[知らぬことを(そし)り] 真の信仰を持たないものは真の信仰を理解せずしてこれを(そし)る。偽教師もこの類である。

2章13節 (かれ)らは(ひる)もなほ酒食(しゅしょく)快樂(けらく)とし誘惑(まどはし)(たの)しみ、(なんぢ)らと(とも)宴席(ふるまひ)(あづか)りて、汚點(しみ)となり(きず)となる。[引照]

口語訳彼らは、真昼でさえ酒食を楽しみ、あなたがたと宴会に同席して、だましごとにふけっている。彼らは、しみであり、きずである。
塚本訳彼らは(斯くして)不義の(生活の)報酬をふいにするのである。彼らは昼間の酒宴を快楽と思い、汚点また欠点となって、君達と一緒に席について腹をふくらせ、その情慾に耽っている。
前田訳彼らは不義の報いとして罰せられます。彼らは真昼の宴をたのしみ、あなた方と食を共にするとき、彼らはその欲のまま飽食します。それゆえ彼らは汚れやしみです。
新共同不義を行う者は、不義にふさわしい報いを受けます。彼らは、昼間から享楽にふけるのを楽しみにしています。彼らは汚れやきずのようなもので、あなたがたと宴席に連なるとき、はめを外して騒ぎます。
NIVThey will be paid back with harm for the harm they have done. Their idea of pleasure is to carouse in broad daylight. They are blots and blemishes, reveling in their pleasures while they feast with you.
註解: 私訳「彼らは今日あって明日なき佚楽(いつらく)を快となす。彼らは欺瞞を楽しみ汝らと共に宴席に与りて汚点となり(きず)となる。」偽教師らの非行の第一は奢侈(しゃし)佚楽(いつらく)である。彼らはおそらくユダ1:12の場合のごとくキリスト者の愛餐に加わり、これを単なる佚楽(いつらく)と利己主義の宴と化し、彼らこそ真のキリスト者なるがごとくに振舞いて真の信徒を欺いていたのであろう。教会が社交場と化せんとする時我らは警戒しなければならない。
辞解
[晝もなほ] en hêmera は「日々の」「日中の」(Z0)、「ある日の」(B1、I0)、「一時的の」(M0、A1、C1)等と訳する節あり。最後の説を取る。
[酒食] truphê はむしろ奢侈(しゃし)佚楽(いつらく)の意。
[誘惑] apatê はむしろ欺瞞の意、異本に agapais 「愛餐」とありユダ1:12節に一致する。何によりて瞞くやにつき異説多し。
[宴席に與る] 恐らく初代教会に行われし愛餐をいうのであろう。

2章14節 その()淫婦(いんぷ)にて滿()(つみ)()くことなし、(かれ)らは靈魂(たましひ)(さだめ)らぬ(もの)(まどは)し、[引照]

口語訳その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。
塚本訳眼は姦婦に満ち、また罪を(求めて)休むことがなく、貪欲に鍛錬された心をもっていて、(信仰に入ったばかりでまだ)心の定まらない人々をおびき寄せる。彼らは呪いの子である!
前田訳その目は淫欲で満ちて罪に飽かず、気弱のものを迷わし、心は貧欲に慣れ、呪いの子になっています。
新共同その目は絶えず姦通の相手を求め、飽くことなく罪を重ねています。彼らは心の定まらない人々を誘惑し、その心は強欲におぼれ、呪いの子になっています。
NIVWith eyes full of adultery, they never stop sinning; they seduce the unstable; they are experts in greed--an accursed brood!
註解: 第二の罪はその淫乱である。淫婦がその目を満すことは淫慾を満さんとして目を淫婦より離さない有様で甚だしき淫乱を示す。「罪」はここでは肉慾の罪を指す。「惑す」は誘捌すること。淫乱の罪は他人をもその道連れとなすことを好む。

その(こころ)貪欲(どんよく)()れて呪詛(のろひ)()たり。

註解: 私訳「貪慾に鍛錬せられし心を持つ。呪咀の子なるかな」。第三の罪は貪慾である。しかもその貪慾は充分に練習を積める結果、第二の天性とまでなったものである。嗚呼彼らは呪咀の子、この世に呪咀を投げかける徒輩なるかなとペテロはここに嘆声を発しているのである。

2章15節 (かれ)らは(ただ)しき(みち)(はな)れて(まよ)ひいで、ベオルの()バラムの(みち)(したが)へり。バラムは不義(ふぎ)(むくい)(あい)して、[引照]

口語訳彼らは正しい道からはずれて迷いに陥り、ベオルの子バラムの道に従った。バラムは不義の実を愛し、
塚本訳彼らは真直ぐな道を捨てて迷い出て、(遂に)不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従った。
前田訳彼らは正しい道を捨てて迷い、ベオルの子バラムの道に従いました。バラムは不義の報酬を好み、
新共同彼らは、正しい道から離れてさまよい歩き、ボソルの子バラムが歩んだ道をたどったのです。バラムは不義のもうけを好み、
NIVThey have left the straight way and wandered off to follow the way of Balaam son of Beor, who loved the wages of wickedness.

2章16節 その()(はう)(とが)められたり。(もの)()はぬ驢馬(ろば)(ひと)(こゑ)して(かた)り、かの預言者(よげんしゃ)(くるひ)(とど)めた[ればな]り。[引照]

口語訳そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。
塚本訳しかし彼はその律法違反に対して(神の)詰責をうけた。(すなわち、)物の言えぬ驢馬が人間の声で口を利き、この預言者の乱心を止めたのである。
前田訳自らの不法へのとがめを受けました。物いわぬろばが人の声で物をいい、この預言者の狂気をとめました。
新共同それで、その過ちに対するとがめを受けました。ものを言えないろばが人間の声で話して、この預言者の常軌を逸した行いをやめさせたのです。
NIVBut he was rebuked for his wrongdoing by a donkey--a beast without speech--who spoke with a man's voice and restrained the prophet's madness.
註解: ユダ1:11節を見よ。バラムの例をもって偽教師を戒む。民22:1−41によればバラムは大なる報酬に誘惑されてバラクの許に赴かんとした。彼は神を見るの目を失ったがために神は驢馬をして彼に語らしめ給うた。利慾のために正しき道を迷い出でる偽教師の末路もまたかくのごとく神は驢馬のごとき愚なるものをして彼らを審判(さば)かしめ給うであろう。

2章17節 この曹輩(ともがら)(みづ)なき()なり、[引照]

口語訳この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。
塚本訳この人達は水の出ない泉、疾風に追いまくられる霧雲であって、彼らのために暗い闇が取って置かれている。
前田訳彼らは水のない泉やあらしに追われる霧で、暗闇が彼らをとざしています。
新共同この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、彼らには深い暗闇が用意されているのです。
NIVThese men are springs without water and mists driven by a storm. Blackest darkness is reserved for them.
註解: ゆえに深さあるがごとくに装っているけれども実は人に生命を与えることができず、自らも涸渇しているのである(ヨハ7:38エレ2:13イザ58:11)。これ生命の源なるキリストに(そむ)いているからである。

颶風(はやて)()はるる[雲]霧(くもきり)なり、

註解: (1)確乎たる信念なく世の風潮、思想に従ってあるいは動きあるいは消える、(2)雨を得んとする期待を裏切る(M0、B1)、(3)冷気を得んとする希望を裏切る(Z0)、(4)風は害を与え霧は何の利益をも与えない(C1)など種々に解せられる。第一の解を取る。

(くろ)(やみ)かれらの(ため)(そな)へられたり。

註解: かかる偽教師らの受くべき刑罰はこの真っ暗な闇である。

2章18節 (かれ)らは(むな)しき(ほこり)をかたり、[引照]

口語訳彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、
塚本訳何故なら彼らは横柄なしかし空なことを語って、肉の慾情をもって、放埒により、かの漸く迷いの生活から逃げ出した者をおびき寄せるからである。
前田訳彼らはむなしいほらをいい、迷いの中に生きる者どもからやっと逃れた人々を、肉欲と放縦でいざない、
新共同彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からやっと抜け出て来た人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです。
NIVFor they mouth empty, boastful words and, by appealing to the lustful desires of sinful human nature, they entice people who are just escaping from those who live in error.
註解: 私訳「彼らは空虚なる大言壮語をなし」、偽教師らはあくまでも倨傲(きょごう)である。

(まよひ)(うち)にある(もの)どもより(から)うじて(のが)れたる(もの)を、(にく)(よく)好色(かうしょく)とをもて(まどは)し、

註解: 彼らは未だ信仰の堅くならない人々すなわち不信者の中より遁れ出たばかりの者を捕えて肉慾と好色とをもってこれを惑わし、さらに大なる罪の中に陥れてしまう。かかる堕落は初代教会内にもすでに発していた(Tコリ5章)。
辞解
[迷いの中にあるもの] 異邦人の不信者を指すならん。
[辛うじて] oligôs は逃れて間もないものとの意。

2章19節 (これ)自由(じいう)(あた)ふることを(やく)すれど、自己(みづから)滅亡(ほろび)奴隷(どれい)たり、()くる(もの)()(もの)奴隷(どれい)とせらるればなり。[引照]

口語訳この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。
塚本訳(そして)彼らに自由を約束するけれども、自分たちは滅亡の奴隷である。降参した者はその奴隷となったのであるから。
前田訳この人々に自由を約束しながらも、自らは滅びの奴隷です。それは、だれでも自らを従えるものの奴隷になるからです。
新共同その人たちに自由を与えると約束しながら、自分自身は滅亡の奴隷です。人は、自分を打ち負かした者に服従するものです。
NIVThey promise them freedom, while they themselves are slaves of depravity--for a man is a slave to whatever has mastered him.
註解: 偽教師らは弟子に向い、権ある者、尊き者(10節)を恐れず、肉慾を超越するごとき自由を与うるがごとくに大言壮語を発していた。また彼ら自身かかるものであると信じていた。しかしながら実は彼ら自身に真の自由なく滅亡すべきもの、すなわち悪魔と肉の奴隷であった。その故は「負かされし者に奴隷とせらる」(私訳)ということは当然であって、偽教師らは主にある信仰の自由と肉の自由とをはきちがえて滅亡すなわち朽つべきものに負かされているからである。
辞解
[滅亡] phthora に負かされたというのはTコリ15:50の ta phtharton 「朽つべきもの」に敗れしことの意味に取ることができる(Z0)。

2章20節 (かれ)()もし(しゅ)なる救主(すくひぬし)イエス・キリストを()るによりて、()汚穢(けがれ)をのがれしのち、(また)これに(まと)はれて()くる(とき)は、その(のち)(さま)(まへ)よりもなほ()しくなるなり。[引照]

口語訳彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。
塚本訳然り、もし彼らが主また救い主イエス・キリストを知る知識によって、この世の穢れから逃げ出し(た後)再びこれに絡みつかれて降参すれば、後は(きっと)前より悪くなるのである。
前田訳主また救い主イエス・キリストを知って世の汚れを逃れたものが、ふたたびそれに巻き込まれて従うならば、後の様子は前よりも悪くなります。
新共同わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。
NIVIf they have escaped the corruption of the world by knowing our Lord and Savior Jesus Christ and are again entangled in it and overcome, they are worse off at the end than they were at the beginning.
註解: ヘブ10:26参照。前の状態は凡ての人間が生れながらにして有する罪の状態であって、神の愛を知らず、キリストの十字架の贖いに接せざるが故に神より離れし罪であった。然るに一旦主なる救い主イエス・キリスト(すなわち神の子にして十字架の贖いによりて我らを罪より救い給うイエス・キリスト)を知って後に再びこの世の汚穢と罪とに纏われて堕落する者は、知りて故意に神と救い主とを拒む行為であって絶大なる罪であり、もはや救わるべき道がない。サタンと同じ態度と行為に出ているのである。偽教師らはこの罪に陥っているのであった。
辞解
[彼ら] 18節の誘惑されし人々を指すか(B1、I0、E0)、偽教師らを指すか(M0、A1)、または一般的に言われし言であるか(Z0)につき異論あり、ペテロの論鋒より見てこれを偽教師に対する非難と見るのが最も適当であろう。

2章21節 ()(みち)()りて、その(つた)へられたる(せい)なる誡命(いましめ)()()かんよりは(むし)()(みち)()らぬを(まさ)れりとす。[引照]

口語訳義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。
塚本訳(一旦)義の道を知った後で、授けられた聖なる戒めから後戻りするより、むしろ(始めから)知らなかった方がましであるから。
前田訳彼らにとっては、むしろ義の道を知らなかったほうが、それを知って与えられた聖なるいましめから離れるよりよろしい。
新共同義の道を知っていながら、自分たちに伝えられた聖なる掟から離れ去るよりは、義の道を知らなかった方が、彼らのためによかったであろうに。
NIVIt would have been better for them not to have known the way of righteousness, than to have known it and then to turn their backs on the sacred command that was passed on to them.
註解: 真理を知りて後これを離れて行く姿ほど憐れむべきものはない。そこには恢復すべからざる頑固の心と、永遠に閉じて開かんとせざる良心と、神を敵として戦わんとする悪魔の心とがある。
辞解
[義の道] キリスト教または福音の別名で極めて適切なる名称である。
[伝えられたる] 使徒たちによりて伝えられた。
[聖なる誡命] キリスト者として守るべき道徳。この二者がキリスト教の内容を為していた。

2章22節 俚諺(ことわざ)に『(いぬ)おのが()きたる(もの)(かへ)(きた)り、(ぶた)()(あら)ひてまた(どろ)(なか)(まろ)ぶ』と()へるは(まこと)にして、()(かれ)らに(あた)れり。[引照]

口語訳ことわざに、「犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く」とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである。
塚本訳(まことに)「“犬は自分で吐いた物に戻る”」、「豚は体を洗って泥に転ぶ」なる諺の真理は、この連中に適中している。
前田訳ことわざに、「犬が自ら吐いたものに帰る」また、「豚は洗われても泥にまみれる」とあるのは彼らにそのままあてはまります。
新共同ことわざに、/「犬は、自分の吐いた物のところへ戻って来る」また、/「豚は、体を洗って、また、泥の中を転げ回る」と言われているとおりのことが彼らの身に起こっているのです。
NIVOf them the proverbs are true: "A dog returns to its vomit," and, "A sow that is washed goes back to her wallowing in the mud."
註解: ペテロが偽教師らに対して発せる非難はここにその頂点に達している。すなわちペテロは彼らを犬豚に比較しているのであって、この比較は極めて適切である。何となれば一旦救いに入りし者は犬豚にあらざる以上誰も昔の汚穢の中に逆戻りすることを敢えてしないからである。
辞解
この諺は箴26:11より取りしものなりや、または単に当時の俚諺を引用せるものなりやは明らかではない。
要義 [偽教師の解剖]本章全般にわたりてペテロが極力非難して止まなかった偽教師の如何なる人々なりやにつきて歴史上にこれを指示することはできない。唯本章およびユダ書よりその心理状態を診断して達し得る結論は第一に彼らは一旦キリストを信ずる信仰に入りし者なること(20)。第二に彼らは自己をキリスト者と信じ、その教師をもって任じ、彼らの間に交わり(13)彼らを導いていたこと(18)。第三に彼らはあらゆる律法や伝統より自由となり、彼らを束縛すべき何ものもなきことを信じ(10、19)、従って、キリストをさえ否み(1)尊き者、権ある者を(そし)ること(10)を何とも思わなかったこと。第四に彼らは自己を最も高しとして自由に振舞った結果、肉慾殊に色慾において放縦であり(2、10、13)他人をもこれに誘い(18)て少しも恥じなかったこと。第五に彼らは貪慾にして利益のためには不正をも敢えてするの大胆さをもっていたこと(Uペテ3:15−16)等である。これら種々の罪悪を別々にもっていた種々の教師があったと見るよりも、かかる多くの傾向を有っているある種の教師らがあったと見るべきであろう。
 察するところこれらの傾向はギリシャの哲学やその快楽主義の影響の下に起り得るべき状態であって、キリスト教の自由の誤認、霊と肉との関係の誤解等よりかかる種類の偽教師が生じたのであろう。なおユダ書参照。