ルカ伝第15章
分類
8 神の国の教訓 14:1 - 18:30
8-2 神の国に関する比喩 15:1 - 16:31
8-2-イ 迷える羊の比喩 15:1 - 15:7
(マタ18:13-14)
15章1節
口語訳 | さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。 |
塚本訳 | さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。 |
前田訳 | 取税人や罪びとが皆彼の近くに集まって耳傾けようとしていた。 |
新共同 | 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 |
NIV | Now the tax collectors and "sinners" were all gathering around to hear him. |
註解: これまでルカの旅行記の中でイエスの御言を聞くことができた人々は弟子たちの外、 教法師(ルカ10:25。ルカ11:45)、群集(ルカ11:14。ルカ12:13。ルカ13:1。ルカ14:25)、パリサイ人(ルカ11:37、ルカ13:31。ルカ14:1) 等であったが、本章は転じて取税人、罪人らに向って語り給う。本章三つの比喩は、何れもこの相手の性質に相応しいものである。すなわち「失せたる羊」(3−7)「失せたる銀貨」(8−10)および「放蕩息子」(11−32)である。この三つをそれぞれ愚かなる罪人、罪を犯してそれを知らずにいる者、故意に罪を犯したる者(B1)を代表すると解することができ、また第一は神の愛の目的、第二は神の価値認識の目的、第三は無価値なる者をも愛し給う神の愛とも解することができる。
15章2節 パリサイ
口語訳 | するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。 |
塚本訳 | パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」 |
前田訳 | しかしパリサイ人と学者らはつぶやいた、「この人は罪びとを迎えて食事を共にする」と。 |
新共同 | すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 |
NIV | But the Pharisees and the teachers of the law muttered, "This man welcomes sinners and eats with them." |
註解: 罪人とは学者やパリサイ人らが、律法に対して厳格に振舞わない一般人を指す称呼であった。パリサイ人らは自己をそれらとは別人種のごとくに考え、彼らと食事を共にすることを忌み嫌っていた。然るにイエスは平気で彼らと交わり給うた故、パリサイ人らの反対を受けた。この二種の人々の何れのためにイエスはこの世に来り給うたか、またこの種の人々の何れが果して救われるかの問題について、イエスは次の比喩をもって驚くべき真理を発表し給うた。結局救いにもっとも遠い者はパリサイ人、学者らであることが間接に明らかにされた。
口語訳 | そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、 |
塚本訳 | そこで彼らにつぎの譬を話された。 |
前田訳 | そこで彼らにこの譬えをいわれた、 |
新共同 | そこで、イエスは次のたとえを話された。 |
NIV | Then Jesus told them this parable: |
15章4節 『なんぢらの
口語訳 | 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 |
塚本訳 | 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。 |
前田訳 | 「あなた方のだれかが羊を百匹持っていて、その一匹を失ったとき、九十九匹を荒野に置いて、失われた一匹を見つけるまで探し歩かないか。 |
新共同 | 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 |
NIV | "Suppose one of you has a hundred sheep and loses one of them. Does he not leave the ninety-nine in the open country and go after the lost sheep until he finds it? |
註解: 羊群は聖書においてしばしば神の民としてのイスラエルを意味している。従ってその羊群の所有者は神である。百匹中の一匹であるから失せても問題ではないと思う者は誤りである。神の愛はその一匹を尋ね出すまでは休むことができない。「神は唯一人の亡ぶことをも望み給わず」(Uペテ3:9)九十九匹を野に残してその失せたる一匹の捜索に全力を尽くす。かかる神の愛の対象となっているのはパリサイ人や学者ではなく罪人、取税人、遊女などである。
口語訳 | そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 |
塚本訳 | そして見つけると、喜んで肩にのせて、 |
前田訳 | 見つけると、よろこんで肩にのせ、 |
新共同 | そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 |
NIV | And when he finds it, he joyfully puts it on his shoulders |
15章6節
口語訳 | 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 |
塚本訳 | 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。 |
前田訳 | 家に帰って友だちや隣びとを呼び集めていおう、『いっしょにおよろこびください。失われた羊を見つけましたから』と。 |
新共同 | 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 |
NIV | and goes home. Then he calls his friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost sheep.' |
註解: 己の肩にのせるのは愛情と喜びの表れである。イエスに見出されて家につれ帰られることは、神に叛ける罪人がイエスによって救われて再び神との交わりに入り神の国の一員となることに相当する。これは単に所有者全家の喜びであるのみならず、その友人や隣人までも喜ぶのであって、天における神の御座の周囲全体に歓喜が充ち渡ることの比喩と見ることができる。
15章7節 われ
口語訳 | よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。 |
塚本訳 | わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。 |
前田訳 | わたしはいう、このように、ひとりの罪びとが悔い改めると、悔い改めなくてもよい九十九人の正しい人にまさって天によろこびがあろう。 |
新共同 | 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 |
NIV | I tell you that in the same way there will be more rejoicing in heaven over one sinner who repents than over ninety-nine righteous persons who do not need to repent. |
註解: 神は一人の罪人にその全愛を注ぎ給う。人間の社会においては無用有害の徒と見られている罪人が、かくも神の愛の目的となっていることは、イエスによって明らかにされた重大なる真理であった。これはイエス自身が罪人をかくなし給うたからである。「悔改の必要なき九十九の正しき者」をすでに悔改めて神の国にいる人々(B1)と解することはルカ5:32(マタ9:13。マコ2:17)より見るも正しくない。イエスはここでは一般の常識的判断を標準として論じ、常識的に見て亡ぶべき者と考えられている者が神の愛と救いの対象であることを強調したのであって、一般に「悔改の必要なき正しき者」と考えられている者が厳密なる意味においては正しくない(ロマ3:10)という問題については触れずに置かれていると見るべきであろう。
15章8節
口語訳 | また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。 |
塚本訳 | また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。 |
前田訳 | また、ある女がドラクマを十枚持っていて、その一枚を失ったとき、明りをともして家を掃き、それを見つけるまで念入りに探さないか。 |
新共同 | 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 |
NIV | "Or suppose a woman has ten silver coins and loses one. Does she not light a lamp, sweep the house and search carefully until she finds it? |
15章9節
口語訳 | そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 |
塚本訳 | そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。 |
前田訳 | 見つけると、友だちや隣びとを呼び集めていおう、『いっしょにおよろこびください。失われた銀貨を見つけましたから』と。 |
新共同 | そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 |
NIV | And when she finds it, she calls her friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost coin.' |
15章10節 われ
口語訳 | よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。 |
塚本訳 | わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」 |
前田訳 | わたしはいう、このように、ひとりの罪びとが悔い改めると、神の使いたちによろこびがある」と。 |
新共同 | 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」 |
NIV | In the same way, I tell you, there is rejoicing in the presence of the angels of God over one sinner who repents." |
註解: 銀貨十枚の中の一枚は所有者にとって非常に貴重な一枚であること勿論である。罪人一人の場合は非常に多数の中の一人であるけれども、親にとって多数の子の中の一人一人が全体の愛を注ぐ価値ありと思うように、神にとって一人一人は全体に等しい価値がある。銀貨の比喩はこの価値に対する神の態度と考えることができる。神の目には失せたる罪人の一人一人が真珠のごとく、銀貨のごとくに尊い。銀貨は羊と同様悔改めたのではないから「悔改むる一人の罪人」に相当しないけれども、それは比喩だからであって、重点は、それが見出されて天に喜びがあることに置かれてある。
註解: イエスは実に比喩の天才であったが11−32節の放蕩息子の物語は彼の多くの比喩の中の白眉ともいうべきものである。人情の機微を巧みに捕えた点、心理の巧みな描写、用語の適切にして洗練されていること、而して物語全体が人類の罪の姿、神の愛、罪の赦し、神の歓び、律法主義的道徳的思想との差別等を巧みに表顕している点において非常に優れている比喩である。
15章11節 また
口語訳 | また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 |
塚本訳 | また話された、「ある人に二人の息子があった。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「ある人にふたりの息子があった。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 |
NIV | Jesus continued: "There was a man who had two sons. |
15章12節
口語訳 | ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。 |
塚本訳 | 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。 |
前田訳 | 弟が父にいった、『父上、財産の分け前をわたしにください』と。父は身代をふたりに分けた。 |
新共同 | 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 |
NIV | The younger one said to his father, `Father, give me my share of the estate.' So he divided his property between them. |
註解: 弟は自分の受くべき分を受けてこれを自由に用いてみたかった。自由は神が人に賜う恩恵であるが、そこにサタンの誘いに陥る機会がある。この父は次男の請いに応じて財産の分配をした。幾分危険を感じたことであろうが、いつまでも子を奴隷や嬰児のごとくにして独立を与えずにおくことは父の欲することではなかった。「各人は神よりその分を受ける」(B1)。これを神の御旨に従って用いるのが各人の義務である。
辞解
[我が受くべき分] 申21:17によれば、長男は財産の分配に際して他の兄弟たちの二倍を受ける権があった。従ってこの場合弟は父の財産の三分ノ一を受けたこととなる。
15章13節
口語訳 | それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 |
塚本訳 | 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。 |
前田訳 | いく日もせぬうちに、弟はその分全部をまとめて遠い国へ行き、そこで放蕩に財産をばらまいた。 |
新共同 | 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 |
NIV | "Not long after that, the younger son got together all he had, set off for a distant country and there squandered his wealth in wild living. |
註解: 独立自由は同時に放恣と無責任とに陥り易い。弟は父の監視の下にあることを煩わしく思い、何人にも制肘 されない生活を求めて遠国に移住した。「おのが物をことごとく」とあることに注意すべし。人はみな神よりその分を受けるけれども、これは「おのが物」であってしかも「おのが物」ではない。人は常に神と共に居って、おのが分を神の御心に叶うように用いなければならぬ。弟は凡てにおいてその正反対を行っていた。
註解: 神を離れし罪人の生活は、そのままこの放蕩息子の生活に相当する。罪人は神より受けし分、すなわちその富、知識、健康をみな自己のために浪費する。
辞解
[放蕩] asôtia は語源的に「済度 すべからざること」、「救われざること」の意。
15章14節 ことごとく
口語訳 | 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 |
塚本訳 | すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。 |
前田訳 | 皆使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、彼は困窮しだした。 |
新共同 | 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 |
NIV | After he had spent everything, there was a severe famine in that whole country, and he began to be in need. |
註解: 不運不幸は多くの場合連続して襲いかかってくるものである。しかしこれは人を神に立還らしめんとする神の愛の御旨である場合が多い。「自ら乏しくなる」ことは霊的に救いを求むる第一歩である。自ら足りている者には求める心がない。
15章15節
口語訳 | そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。 |
塚本訳 | そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。 |
前田訳 | そこでその国に住むある人に身をよせると、畑へやって豚を飼わせた。 |
新共同 | それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 |
NIV | So he went and hired himself out to a citizen of that country, who sent him to his fields to feed pigs. |
註解: 苦難に際しては人は神に依り頼むべきであるのに、誰しも見えざる神に依り頼むことを頼りなく感ずるので、見える人間に依りすがり易い。しかし人間は結局において無力の存在であることを知らねばならぬ。豚はユダヤ人が汚れた動物として嫌っていたもので、従って豚飼いは最も恥ずべき職業であった。
15章16節 かれ
口語訳 | 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。 |
塚本訳 | 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。 |
前田訳 | 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思ったが、だれもそれをくれなかった。 |
新共同 | 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 |
NIV | He longed to fill his stomach with the pods that the pigs were eating, but no one gave him anything. |
註解: 飢餓の極点まで陥ったけれども、依りすがった雇い主も頼りにならず、充分の食事すらもできなかった、豚を飼いつつ彼は豚の食事を羨ましく思うほどであった。人は霊魂の飢えを感ずる時往々にして手当り次第に、無差別に救いの対象を求めるものである。しかし神より外に真に救いを与え得るものはない。
辞解
[蝗豆 ] 高さ十メートルに達する荳 科植物の莢 形の果実、莢 の大きさは二十五センチ半に達す。その実は食うこともできるけれども主として動物の飼料となり貧民が稀にこれを食うことがあるとのこと。
口語訳 | そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。 |
塚本訳 | ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。…… |
前田訳 | そこでわれに立ちかえっていった、『父上のところではあれほど大勢の雇人に食べ物が余っているのに、わたしはここで飢え死にしようとしている。 |
新共同 | そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 |
NIV | "When he came to his senses, he said, `How many of my father's hired men have food to spare, and here I am starving to death! |
註解: 回心である。これまでは彼の心は凡て外界の事物に支配されていた。この時その心は自分に立帰り、やがて父を思うに至った。神に立帰る者の心もこの順序を取る。
『わが
註解: 彼は父のことを考えたけれども、父の心を考えず、父が如何に彼について心配しているかについては思い当らなかった。唯父の豊富なる食物のことを考え、これに与る雇人を羨んだのであった。神のことを考える場合も同様に、その愛を考えるよりもその賜物に目を注ぐ者が多い。
15章18節
口語訳 | 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 |
塚本訳 | よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。 |
前田訳 | 出かけて父上のところへ行っていおう、父上、天に対しても、あなたに向かっても、わたしは罪を犯しました。 |
新共同 | ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 |
NIV | I will set out and go back to my father and say to him: Father, I have sinned against heaven and against you. |
15章19節
口語訳 | もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 |
塚本訳 | もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。 |
前田訳 | もはやあなたの息子と呼ばれる資格はありません。あなたの雇人のひとりのようにしてください』と。 |
新共同 | もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 |
NIV | I am no longer worthy to be called your son; make me like one of your hired men.' |
註解: 彼は神(天とも言われていた)と父とに対し、罪を犯したことを悔いる心で一杯であり、その結果もはや父より子として取扱われる資格がないと思った。かくも彼の心は卑 っていたけれども、この時には未だ父の大愛を知ることができなかった。それ故せめては雇人の一人に加えてもらうように父に願おうと決心したのであった。神に叛ける罪人が神の子とされるというようなことは、人間の心に思いも及ばないことである。
口語訳 | そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 |
塚本訳 | そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。 |
前田訳 | そこで出かけて父のところへ行った。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見てあわれみ、走りよって首を抱いて口づけした。 |
新共同 | そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 |
NIV | So he got up and went to his father. "But while he was still a long way off, his father saw him and was filled with compassion for him; he ran to his son, threw his arms around him and kissed him. |
註解: 彼はその心の思いを実行に移した。悔改めの心はこれを実行に移さずしては死滅してしまう。
なほ
註解: 子が父を見出さない中に父は遠くから彼を見出した。父は威儀をととのえ厳然として家に待つことができず、老躯を杖にすがってその子に走り寄った。襤褸 を着た身体をいだき塵埃 にまみれた顔に接吻しつづけた(未完了過去)。父の心の堰を切って溢れ出でた愛情と歓喜の表顕である。独り子キリストにより我ら罪人の許に走り寄り給える神の愛を思うべきである。
15章21節
口語訳 | むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。 |
塚本訳 | 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』 |
前田訳 | 息子はいった、『父上、天に対しても、あなたに向かっても、わたしは罪を犯しました。もはやあなたの息子と呼ばれる資格はありません』と。 |
新共同 | 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 |
NIV | "The son said to him, `Father, I have sinned against heaven and against you. I am no longer worthy to be called your son. ' |
註解: 以上で子の咽は塞がってしまった。これ以上言い得なかったのである。この父の切なる愛、おそらく彼が遠国に旅立つ以前にも経験しなかったこの愛の前に「我を雇人の一人のごとくになしたまえ」というごとき言葉は出せなくなった。微妙にして巧妙な、しかも深い真理を示しているこの描写に注意しなければならぬ。
辞解
二三の有力な写本に本節末尾に「我を汝の雇人の一人のごとくになし給え」が附加されているけれども、おそらくはこれは19節よりの無用の導入であろう。採用しない学者が多い。
15章22節 されど
口語訳 | しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 |
塚本訳 | しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。 |
前田訳 | しかし父は僕たちにいった、『早く一番よい着物をもって来て着せなさい。手に指輪をはめ、足に靴をはかせなさい。 |
新共同 | しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 |
NIV | "But the father said to his servants, `Quick! Bring the best robe and put it on him. Put a ring on his finger and sandals on his feet. |
註解: 指輪をはめるのは貴人の風習であり、鞋をはかないのは奴隷の姿である。かくして父はその全精神を尽くして彼を迎え、彼はこの愛によりその乞食のごとき相貌は一変して立派な貴族の青年と化した。これと同じくキリスト者は義の衣を着せられて凡てにおいて新しくなった罪人である(Uコリ5:17)。
15章23節 また
口語訳 | また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 |
塚本訳 | それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。 |
前田訳 | それから肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おう。 |
新共同 | それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 |
NIV | Bring the fattened calf and kill it. Let's have a feast and celebrate. |
15章24節 この
口語訳 | このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。 |
塚本訳 | このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。 |
前田訳 | このわたしの息子は死んでいたがよみがえり、失われていたが見つかったから』と。そこで祝いが始まった。 |
新共同 | この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 |
NIV | For this son of mine was dead and is alive again; he was lost and is found.' So they began to celebrate. |
註解: 最上の肉をもつ肥えたる犢 を屠って一家揃ってその帰還を祝賀した。「天に歓喜あるべし」(7節)と同一の歓喜がこの一家に充ち始めたのであった。思いがけなく「このわが子」は死より復活したもののごとくに現れて来たからである。迷える羊も失える銀貨もみなその所有者にとって一旦失われたのであった。かくのごとく神に叛ける罪人は神にとって死んで失われた者であり、その帰還は復活である。天において歓喜の大なる所以である。
15章25節
口語訳 | ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 |
塚本訳 | 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、 |
前田訳 | 兄は畑にいたが、帰りに家に近づくと、音楽や踊りが聞こえた。 |
新共同 | ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 |
NIV | "Meanwhile, the older son was in the field. When he came near the house, he heard music and dancing. |
15章26節
口語訳 | ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。 |
塚本訳 | ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。 |
前田訳 | そこで下男のひとりを呼びよせて、あれは何かとたずねた。 |
新共同 | そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 |
NIV | So he called one of the servants and asked him what was going on. |
註解: 父と直接に話すことを嫌ったのは父との間が愛に欠けていたことを示す。また弟の帰還を第一に兄に知らせそうなものであるが、これを知らせなかったのは兄弟の間の愛がなかったことを示すと見なければならない。
15章27節
口語訳 | 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。 |
塚本訳 | 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。 |
前田訳 | 下男はいった、『弟さまがお帰りです。無事に戻ったとて、お父さまが把えた子牛をほふらせなさいました』と。 |
新共同 | 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 |
NIV | `Your brother has come,' he replied, `and your father has killed the fattened calf because he has him back safe and sound.' |
15章28節
口語訳 | 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、 |
塚本訳 | 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、 |
前田訳 | 兄は怒って家に入ろうとしなかった。父が出て来ていろいろなだめると、 |
新共同 | 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 |
NIV | "The older brother became angry and refused to go in. So his father went out and pleaded with him. |
15章29節
口語訳 | 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。 |
塚本訳 | 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。 |
前田訳 | 父に答えた、『ごらんのとおり、何年もわたしはあなたにお仕えし、一度もお言いつけにそむいたことはありません。それだのに、わたしには友だちと楽しむために山羊一匹も下さったためしがありません。 |
新共同 | しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 |
NIV | But he answered his father, `Look! All these years I've been slaving for you and never disobeyed your orders. Yet you never gave me even a young goat so I could celebrate with my friends. |
15章30節
口語訳 | それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。 |
塚本訳 | ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』 |
前田訳 | ところがあのあなたの息子が遊女といっしょにあなたの身代を食いつくして帰って来ると、肥えた子牛をほふるとは』と。 |
新共同 | ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』 |
NIV | But when this son of yours who has squandered your property with prostitutes comes home, you kill the fattened calf for him!' |
註解: 「彼の身代」と言わずに「汝の身代」と言ったのは弟が身代を分け与えられたことに対して真の理解を持っていないことを示し、「此の汝の子」と言って「我が弟」と言わなかったのは弟に対する愛の欠乏を示す。兄は知らずに帰ったので家の内の歌舞音曲の声に不審にたえず、そして僕の一人からその理由を聴いて非常に憤慨した。憤慨の理由は二つある。その一は弟は歓迎されるに足らざる無頼者であること、その二は自分に対する父の態度と比較すれば不公平であるということである。自分は従順であるのに弟は父に背き、自分は勤勉であり父より受けた財産を守ったけれども弟はこれを放蕩と怠惰に使い尽くした。然るに自分は小山羊一匹も父より貰ったことがなく、弟は犢 の饗応 を受けているというのである。道理ある主張であるが、彼と父との間の関係において、愛の結合を見ることができず、唯律法的道徳的の関係に過ぎないこと、および、失せたる子が帰って来たことより生ずる父の歓喜に対するの一点の同情も理解もないのが特徴である。「我が弟」と言わずして「汝の子」、「彼の身代」と言わずして「汝の身代」と言っている点も(30節)彼の心境を描写し得て至妙である。もし弟をもって悔改めし罪人・取税人に比較し得るならば、兄は彼らを冷眼をもって批判的に眺めているパリサイ人・学者らに相当する。
15章31節
口語訳 | すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 |
塚本訳 | 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。 |
前田訳 | 父はいった、『子よ、おまえはいつもわたしといっしょだ。わがものは皆おまえのものだ。 |
新共同 | すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 |
NIV | "`My son,' the father said, `you are always with me, and everything I have is yours. |
15章32節 されど
口語訳 | しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。 |
塚本訳 | だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」 |
前田訳 | しかし、よろこび祝わずにおられようか、このおまえの弟は死んでいたが生きかえり、失われたが見つかったから』」と。 |
新共同 | だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 |
NIV | But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.'" |
註解: 兄の身分は完全である。それは常に父と共にいることと父の凡てのものを自分のものとしていることである[この二点はキリスト者の神との関係に相当し、殊にイエスと父なる神との関係に相当している(ヨハ14:11。ヨハ17:10)。ただし兄はこの最上の身分を充分に味わい得なかった。それは彼はなお律法的立場以上に出で得なかったからである。律法的立場にある者は神の恩恵を知らず、「罪の増すところには恩恵も彌 増す」ことを知らない(ロマ5:20)。それ故に弟の罪を責め、父の恩恵を非難した]。それ故兄の方には父を恨むべき理由がなく、反対に弟は父にとって全く失われており多年父の苦悶憂慮の原因であったものが悔改めて帰って来たのであるから、あたかも九十九匹の迷わない羊よりも一匹の迷って見出された羊を喜ぶと同様、この一人の放蕩息子が帰って来ることは父にとって全財産をもって祝賀しても足らない喜びであった。なお注意すべきことは、罪を赦されし弟の方が正しい兄よりも遙かに幸福なる人間となったことである。すなわち幸福は自己の所有や自己の道徳にあるのではなく、神に立帰り神の愛に生きることである。
要義 [放蕩息子の比喩の神学的意義]この比喩が罪の問題、救いの問題、神の愛の問題等、すなわち信仰の問題と如何なる関係があるかは、上記註解の中に略述したのであるが、他にこの比喩について二つの問題が古くから起っていた。(その一)はこの比喩の中に単に悔改めによる罪の赦しがあるだけで、キリストの十字架がないこと、(その二)は、兄をもって代表されているごとくに見ゆるパリサイ人・学者等のごとき律法主義的存在が、そのまま神の国の民と認められることが聖書の他の部分、殊にパウロの教えに反しないかという点である。殊に極端な主張としては、それ故にパウロの論は誤謬であって、イエスのこの比喩にキリスト教の中心的真理があり、人の罪が赦されるのはキリストの贖罪の死を必要とせず、唯神の愛のみによって赦され、また人は道徳的に正しくあることによって義とせられる。信仰のみによって義とせらるのではないことを唱える学者をも生ずるに至った。これに対し、如何なる比喩も真理の一面を示すために語られ、また一面を示すことは可能であるけれども、一つの比喩をもって真理の全部を語っているものと見るべきではないこと、今一つは比喩によって真理のある一面を殊に強調するために(この場合では罪人の救いのこと)他の一面は軽く扱われていることをもって答えることができる。ただしなお深くこの比喩の内容を味読するならば、老父が態々 その老体を起して子を迎えたこと、およびそのあらゆる善きものをもって子を飾ったことの中に、神がイエスを世に遣わして罪人に接せしめ、これにキリストの義を着せて(ロマ13:14)神の子とならしめたことに非常によく類似しており、精神においてキリストの贖罪と一致していると考えることができ、また律法的である兄の救いを問題なしとしていることは、罪人さえも救われることをもっぱら示すがためであったと考えることができる。そして神学的公式よりも血の通っているイエスのこの比喩の方がはるかに強く真理そのものの響きを伝えていることを看過してはならない。
ルカ伝第16章
8-2-ニ 富める不義なる支配人の比喩 16:1 - 16:13
口語訳 | イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持のところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。 |
塚本訳 | また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、 |
前田訳 | 彼は弟子たちにもいわれた、「ある金持に支配人があった。主人の財産を浪費していると告げ口するものがあったので、 |
新共同 | イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。 |
NIV | Jesus told his disciples: "There was a rich man whose manager was accused of wasting his possessions. |
註解: ルカ12:22参照。
『
16章2節
口語訳 | そこで主人は彼を呼んで言った、『あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから』。 |
塚本訳 | 主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』 |
前田訳 | 主人は支配人を呼んでいった、『あなたについて耳にすることは何だ。会計の報告を出しなさい。もう支配人はつとまらない』と。 |
新共同 | そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 |
NIV | So he called him in and asked him, `What is this I hear about you? Give an account of your management, because you cannot be manager any longer.' |
16章3節
口語訳 | この家令は心の中で思った、『どうしようか。主人がわたしの職を取り上げようとしている。土を掘るには力がないし、物ごいするのは恥ずかしい。 |
塚本訳 | 番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし…… |
前田訳 | 支配人は心に考えた、『どうしよう。主人がわたしの仕事を取りあげる。土を掘る力はなく、物乞いをするのは恥ずかしい。 |
新共同 | 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 |
NIV | "The manager said to himself, `What shall I do now? My master is taking away my job. I'm not strong enough to dig, and I'm ashamed to beg-- |
16章4節
口語訳 | そうだ、わかった。こうしておけば、職をやめさせられる場合、人々がわたしをその家に迎えてくれるだろう』。 |
塚本訳 | よし、わかった、こうしよう。こうしておけば仕事が首になった時、その人たちがわたしを自分の家に迎えてくれるにちがいない。』 |
前田訳 | わかった、こうしよう。仕事をやめさせられたとき、こうすれば、その人たちはわたしを自分の家に迎えてくれよう』と。 |
新共同 | そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 |
NIV | I know what I'll do so that, when I lose my job here, people will welcome me into their houses.' |
註解: この比喩は弟子たちに地上の財寳を賢明に使用すべきこと、神と財寳とに兼ね仕うべからざること(ルカ9:13節)を示すために語られたので、その例として不義なる支配人のことを語り給うた。弟子たちにとっては神に事 うることが根本であり、そのために地上の財寳をも有効に使用し、これを多くの人に惜しみなく与えて福音のために用い、天国に入るべき友を多く造ることが必要であることを示す。地の事と天の事、地の宝と天の宝とを混同せずに味読することが必要である。支配人は自己の罪状が主人に知られたので、直ちに自己の罷免後の生活に関して工夫した。徹底的に「この世の子」であることが知られる。次の三節はその方法を二つの例をもって示す。
16章5節
口語訳 | それから彼は、主人の負債者をひとりびとり呼び出して、初めの人に、『あなたは、わたしの主人にどれだけ負債がありますか』と尋ねた。 |
塚本訳 | そこで主人の債務者をひとりびとり呼びよせて、まず最初の人に言った、『うちの主人にいくら借りがあるのか。』 |
前田訳 | そこで主人の借り手をひとりずつ呼びよせて、最初の人にいった、『わたしの主人にいくら借りがありますか』と。 |
新共同 | そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 |
NIV | "So he called in each one of his master's debtors. He asked the first, `How much do you owe my master?' |
16章6節
口語訳 | 『油百樽です』と答えた。そこで家令が言った、『ここにあなたの証書がある。すぐそこにすわって、五十樽と書き変えなさい』。 |
塚本訳 | 『油百バテ[二十石]』とこたえた。番頭が言った、『そら、あなたの証文だ。坐って、大急ぎで五十と書き直しなさい。』 |
前田訳 | 『油百パテ』と答えた。支配人がいった、『ここにあなたの証文がある。すぐすわって五十と書きかえなさい』と。 |
新共同 | 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 |
NIV | "`Eight hundred gallons of olive oil,' he replied. "The manager told him, `Take your bill, sit down quickly, and make it four hundred.' |
註解: ▲原文「汝の証書を取れ」とあり、口語訳「ここにあなたの証書がある」は意訳ならん。次節の場合も同じ。
16章7節
口語訳 | 次に、もうひとりに、『あなたの負債はどれだけですか』と尋ねると、『麦百石です』と答えた。これに対して、『ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい』と言った。 |
塚本訳 | それから他の一人に言った、『あなたはいくら借りがあるのか。』『小麦百コル[二百石]』とこたえた。彼に言う、『そら、あなたの証文だ。八十と書き直しなさい。』 |
前田訳 | それからもうひとりにいった、『あなたはいくら借りがありますか』と。『小麦百コル』と答えた。支配人がいった、『ここにあなたの証文がある。八十と書きかえなさい』と。 |
新共同 | また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 |
NIV | "Then he asked the second, `And how much do you owe?' "`A thousand bushels of wheat,' he replied. "He told him, `Take your bill and make it eight hundred.' |
註解: 支配人の取った方法は自分の権限を悪用して負債者の債務を軽減し、主人の損失において債務者に利益を与えて恩を売り、やがて自分の遁れ場所を作ったのであった。自分は少しの損をも受けずして不義の利益を得んとする奸計 であり、しかも極めて適切なる手段であった。一人には債務を半減し、一人は二割引きにしたことについては格別比喩的の意味があると考える必要はない。
16章8節 ここに
口語訳 | ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめた。この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。 |
塚本訳 | すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。 |
前田訳 | すると主人はこの不正な支配人の賢い仕方をほめた。この世の子らはおのが世代に対しては光の子よりも賢い。 |
新共同 | 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 |
NIV | "The master commended the dishonest manager because he had acted shrewdly. For the people of this world are more shrewd in dealing with their own kind than are the people of the light. |
註解: 不義を誉めたのではなく、その手段の巧みなことを誉めたのであった。これを混同して考えないことが必要である。イエスがかかる寓話を語り給うた目的は、専ら弟子たち(1節)をしてその地上の所有に対して正しくかつ賢明なる処置を取り、自由に用い自由に施し、神の国建設の準備たらしめようとの目的であった。ゆえにこの寓話の中でこれに無関係な点を強いて説明する必要なく、またその中の多くの困難(8a、9、11節等)な点を凡て無難に解釈し尽くすことは容易ではないけれども、右の中心点を明確に把握すれば比較的全体が解し易い。
この
註解: 「光の子」はキリストを信ずる者であり「此の世の子」は彼を信じない者である。この世の事柄、自己の利害の問題等についてはキリスト者は断然この世の子らに比して愚昧 である。しかし神の国のことについては愚昧 であってはならない。如何にすべきか次節を見よ。
16章9節 われ
口語訳 | またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。 |
塚本訳 | それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。 |
前田訳 | それでわたしはいう、不正の富で友だちをつくりなさい。富がなくなったとき、あなた方を永遠の住居に迎えてくれよう。 |
新共同 | そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 |
NIV | I tell you, use worldly wealth to gain friends for yourselves, so that when it is gone, you will be welcomed into eternal dwellings. |
註解: 弟子たちよ、もし汝らに「不義の富」すなわちこの世の富があるならば、金銭、学問、健康などの何であっても曩 の支配人が利用した「不義の富」と同じく神より汝らに委托せられたものである。それ故汝ら「光の子」は、これを天国に迎えられる準備のため、すなわち神のため福音のために用いて多くの人々に奉仕し、これによって多くの友をつくるその巧妙さにおいてはこの世の子であった支配人に劣らないようでなければならぬ。これらの「友」はキリスト者同士であること(Z0)もあるべく、また然らざる場合もあろう(マタ25:40)。彼らは汝ら弟子たちがその富を失った時、すなわち死んでこの世を去る時には天国において汝らを永遠の幕屋に迎えるであろう。
辞解
多くの問題を起し、解釈上の迷路である。「不義の富」を以上のごとくに解した(Z0、L2、A1)訳は、一般に「富」なるものが本来「不義なる」ものが多いからということよりも、ここでこの世と神の国とを対立せしめこの世の富は「不義の富」神の国の富は「真の富」(11節)という簡単な区別をもって表顕したものと思われるからである。なお一つは前記「不義の支配人」の連想より、弟子たちが財寳を卑 めていた関係からこの名称はさほど不適当ではない。
16章10節
口語訳 | 小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。 |
塚本訳 | ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。 |
前田訳 | 小事に忠実なものは大事にも忠実である。小事に不忠実なものは大事にも不忠実である。 |
新共同 | ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 |
NIV | "Whoever can be trusted with very little can also be trusted with much, and whoever is dishonest with very little will also be dishonest with much. |
註解: 一般に使用されていた格言、この世の財寳すなわち不義の財寳は天国における真の財寳に比較すれば小事である。しかしこれを忠実にその委托者なる神の御旨に叶うように使用しないような者は、多くの人の霊魂の救いというごとき大なる問題にも忠実であり得ない。この世の財寳を貧しき者に施さないのは、一つの不義である。
16章11節 さらば
口語訳 | だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。 |
塚本訳 | だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。 |
前田訳 | それゆえ、不正な富に忠実でなければ、だれが真の富をまかせよう。 |
新共同 | だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 |
NIV | So if you have not been trustworthy in handling worldly wealth, who will trust you with true riches? |
16章12節 また
口語訳 | また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。 |
塚本訳 | もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。 |
前田訳 | また、(地上にある)他人のものについて忠実でなければ、だれがあなた方に(天にある)自分のものを与えよう。 |
新共同 | また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 |
NIV | And if you have not been trustworthy with someone else's property, who will give you property of your own? |
註解: 前述のごとく「不義の富」を「この世の富」、「真の富」を「天国の富」なる意義に解すれば意味が通ずる。この世の富を如何に神の御旨に従って忠実に用うべきかを真面目に考える弟子でないならば、神は永生、義認、罪の赦し等のごとき真の富を彼らに委托し給わないであろう。またもし彼ら弟子たちが他人の事柄に忠実でないならば、すなわち、他人のために自己の不義の富をささげることをしないならば「汝らのもの」すなわち汝らの受くべき天国の祝福を神は汝らに与え給わないであろう。
辞解
[汝等のもの] 異本に「我らのもの」「我がもの」等とあるのもあるが、「他人のもの」に対しては「汝等のもの」が適当である。
16章13節
口語訳 | どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。 |
塚本訳 | しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」 |
前田訳 | どの僕もふたりの主人には仕ええない。ひとりを憎んで他を愛するか、ひとりに親しんで他をうとんじるか、である。あなた方は神と富との両方には仕ええない」と。 |
新共同 | どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」 |
NIV | "No servant can serve two masters. Either he will hate the one and love the other, or he will be devoted to the one and despise the other. You cannot serve both God and Money." |
註解: この二節はマタ6:24参照。この二節の精神をもって1節以下の精神として考察する時は上記のごとき解釈が最も適当と思われる。すなわち弟子とこの世の財寳との関係を示し給うたものと解するのである。
要義 [不義なる支配人の比喩について]上記のごとき困難のためにこの比喩は多くの専門的また非専門的の解釈から種々勝手な解釈が与えられている例の一つである。それらの解釈を一々ここに挙げることはいたずらに繁雑さを増すに過ぎない故これを省略する。唯この比喩が如何に多様に解されているかの例として、1節の「富める人」は、1.ローマ人、2.ローマ皇帝、3.神、4.悪魔、5.財寶、6.意味なきもの等々、その他「支配人」は、1.一般の人、2.富裕な人、3.イスラエルの民、4.イスラエルの有力者、5.罪人、6.イスカリオテのユダ、7.パリサイ人、8.取税人、9.弟子たちその他。9節の「不義の富」は、1.不義の行為により貯えられし富、2.誘惑的の財寶、3.不敬虔の富、不浄財、4.空にして無なる財寶、5.弟子が禁慾的思想から凡て富を不義なるものと考えたことに対する隠れた皮肉と解するがごときそれである。一々数え挙げたならば解釈の種類は無数であり、一人一解釈というごとき結果となるであろう。
16章14節 ここに
口語訳 | 欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。 |
塚本訳 | 金の好きなパリサイ人の人々は一部始終を聞いて、イエスを鼻で笑った。(富は信仰の褒美と考えていたのである。) |
前田訳 | 金好きのパリサイ人がこの話をのこらず聞いて、彼をあざけった。 |
新共同 | 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。 |
NIV | The Pharisees, who loved money, heard all this and were sneering at Jesus. |
註解: ルカ14:1。ルカ15:2等のパリサイ人らがなおこの時も続けてイエスの御言を聞いていたものと思われる。イエスを嘲笑ったのはイエスが弟子たちに教えた1−13節の教訓、すなわち地上の富に仕えず神のみに仕え、地上の富は神の国を建てる準備のために吝 しむことなく用うべきことの教訓が全く無一物のイエスやその弟子たちでなければ実行できない教訓であると考え、また社会の現実を知り尽くしている彼らは、イエスの教訓は全く現実から遊離した空論であると考えたからであろう(▲何れの時代でもこの世の人は真面目なキリスト者を嘲笑する。キリスト者はそれを恐れてこの世の人に俲 ってはならぬ)。また彼らは「慾深き」(原語 ─ 金銭を愛する)人であったので、俗人中の俗人であり、イエスの御心を正しく解することができなかった。かかる人々に対しイエスは次の諸点(15−18)に注意を与え、最後に19−31節の比喩をもって訓戒を与え給うた。
16章15節 イエス
口語訳 | そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。 |
塚本訳 | そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。 |
前田訳 | そこで彼らにいわれた、「あなた方は人の前で自らを正しいとするが、神はあなた方の心をご存じである。人の間で尊ばれるものは神の前ではきらわれる。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。 |
NIV | He said to them, "You are the ones who justify yourselves in the eyes of men, but God knows your hearts. What is highly valued among men is detestable in God's sight. |
註解: これらのパリサイ人らは自己の貪慾をば巧みに掩い隠しつつ、律法を形式的に厳守することにより人の前に自己を義人と見せかけていた。しかし神は汝らの心を見給う、そこには唯金銭を愛する心があるばかりである。人の前に尊ばれる者は必ず偽善があり、また人を喜ばせんとする肉の念(律法や道徳等の上辺の価値を人に示してこれを喜ばせようとの念)がある。神はかかる者を深く憎み給う。
16章16節
口語訳 | 律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している。 |
塚本訳 | (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。 |
前田訳 | 律法と預言書はヨハネまでで、そのとき以来神の国がのべ伝えられ、だれでもそこに無理押しして入り込む。 |
新共同 | 律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。 |
NIV | "The Law and the Prophets were proclaimed until John. Since that time, the good news of the kingdom of God is being preached, and everyone is forcing his way into it. |
16章17節 されど
口語訳 | しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい。 |
塚本訳 | しかし(神の言葉はすたったのではない。)律法(と預言書と)の一画がくずれ落ちるよりは、天地の消え失せる方がたやすい。 |
前田訳 | しかし律法の一画が落ちるよりは天地が消え去るほうがやさしい。 |
新共同 | しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。 |
NIV | It is easier for heaven and earth to disappear than for the least stroke of a pen to drop out of the Law. |
註解: パリサイ人よ汝らは「律法と預言者」すなわち旧約聖書を重んじ、我ら(イエスとその弟子)を律法を軽んじる者として非難するけれども、旧約の時代はヨハネをもって終りを告げたのである。その後はイエスと弟子たちとによって神の国の福音が宣伝えられ、多くの人これに入らんとして殺到している。汝らが我が言を理解しないのはこのことを知らないからである。神の国に入らんとするものはこの世の凡てを棄てる。しかし律法が終ったことはそれが消滅したのかというに然らず、その一点一画も決して失墜することはない。必ずこれを成就しなければならぬ。それ故汝らには次節のことが大切である。
16章18節
口語訳 | すべて自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うものであり、また、夫から出された女をめとる者も、姦淫を行うものである。 |
塚本訳 | (だから、)妻を離縁して別な女と結婚する者は皆、姦淫を犯すのであり、夫から離縁された女と結婚する者も、姦淫を犯すのである。 |
前田訳 | 妻を出して別の女をめとるものは皆姦淫し、夫から出された女をめとるものも姦淫する。 |
新共同 | 妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」 |
NIV | "Anyone who divorces his wife and marries another woman commits adultery, and the man who marries a divorced woman commits adultery. |
註解: 神の合せ給えるものは人がこれを離すことができない永遠的のものであるから、以上の場合は当然姦淫罪となるのであるが、汝らはかかることを平気で行っており、しかも自ら律法の擁護者をもって任じていることは誤っている。
要義 [愛は律法の成就]富を吝 みなく与うることは愛より出づる行為である。これを嘲笑うパリサイ人には、律法遵守の誇りがあるけれども愛がない。この愛の律法に照して考えるならば、妻を出す者は律法違反者であり、金銭を愛する者もまた律法違反者である。
16章19節
口語訳 | ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。 |
塚本訳 | (つぎに、利巧な番頭と反対に、神の国の準備をしなかった人の話を聞け。)一人の金持があった。紫(の上着)と細糸の亜麻布(の下着)を着て、毎日華やかに楽しく暮していた。 |
前田訳 | ある金持がいて、紫の衣と細糸の布を着て毎日はでな生活を楽しんでいた。 |
新共同 | 「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 |
NIV | "There was a rich man who was dressed in purple and fine linen and lived in luxury every day. |
16章20節
口語訳 | ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、 |
塚本訳 | またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。 |
前田訳 | その門の前に、ラザロという名の貧乏人ができ物だらけで寝ていて、 |
新共同 | この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、 |
NIV | At his gate was laid a beggar named Lazarus, covered with sores |
16章21節 その
口語訳 | その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。 |
塚本訳 | せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。 |
前田訳 | 金持の食卓から落ちるもので飢えをしのげればと思っていた。そのうえ犬が来てでき物をなめていた。 |
新共同 | その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。 |
NIV | and longing to eat what fell from the rich man's table. Even the dogs came and licked his sores. |
註解: 乞食の名が挙げられ富人の名が示されないのは注意すべき点である。神の目には富者よりも貴人よりもこの可憐 の乞食が大きく見えるのである。この富者は特別に悪人でもなく、積極的の律法違反の罪を犯しているのでもないが、隣人を愛すべしとの根本的律法を実行せず門前の貧者を憐れまず、唯自己の贅沢、享楽生活のみを送っていた点がかえって大きい罪人であった。一方腫れ物にて腫れただれている一乞食は餓えのあまり富者の残飯でもほしく思ったけれども与えられた形跡がないので、おそらく道行く人の憐みによって生きていたことであろう。かえって犬どもがその貧病者を憐みこれを看病するかのごとくにその腫れ物を舐めてくれたのであった。何たる皮肉であろう。なお富者の門に放置され他に逐いやられないこと、および富者はラザロを名をもって知っていたこと、等より考えるならばラザロは従順な愛すべき人間で天国に直行する人間と感じられていたのであろう。唯問題は富者の奢侈 と貧者を顧みないことであった。
辞解
「紫色の衣」も「細布」も値高き貴人の衣服であり、「楽しむ」 euphrainomai は多く酒宴楽の楽しみについて用いられている (15:24、29、32) 。「飽かんと思う」は「飽かせられん事を絶えず願っている」という意。「而して」の原語はここでは「反って」のごとき意(Z0)、「ラザロ」なる名は実在の人であったとすれば問題はないが、寓話であるとすれば、その意味「神助け給えり」= エレアザルからかく名づけたのであろう。
16章22節
口語訳 | この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。 |
塚本訳 | やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。 |
前田訳 | やがてその貧乏人は死んで、天使たちにアブラハムのふところへと連れられた。金持も死んで葬られた。 |
新共同 | やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 |
NIV | "The time came when the beggar died and the angels carried him to Abraham's side. The rich man also died and was buried. |
16章23節
口語訳 | そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。 |
塚本訳 | 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、 |
前田訳 | 金持は黄泉(よみ)で苦しみのうちに目をあげると、はるかかなたにアブラハムとそのふところにいるラザロとが見えたので、 |
新共同 | そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。 |
NIV | In hell, where he was in torment, he looked up and saw Abraham far away, with Lazarus by his side. |
註解: 二人とも死んだのであるが、この世の生活とは正反対にラザロは「御使いたちに携えられ」て天国に赴き、先祖アブラハムの懐で永遠の幸福に与り、富者は黄泉 で苦悩の中に投込まれた。注意を要する点は、富者が特別の不善を為したためでもなく、またラザロが特別に善事を行ったためでもなしに二人の死後の運命が非常に違っている点である。しかし富者が貧者を少しも顧なかったことが、すでにかかる死後の審判に値していること、およびその運命に従順に従い、呟かず疑わずに一生を送る者をこそ神は特に愛し給うことをイエスは示し給うたのであって、イエスを嘲笑ったパリサイ人らをして、彼らもまた愛なき律法主義者である点でこの富者のごときものであることを知らしめんとしたのであった。ラザロが善人であったとか信仰が有ったとかを説明する方法はないが同時にまた彼が悪人であると考えることもできない。ここでは富者と貧者の生活態度が問題である。なおイエスは死後の世界について、当時の通俗の考え方を材料として所要の真理を示し給うたのであって、死後の世界がどのようなものであるかを説明し給うたのではない。従ってこの部分をイエスの終末観の材料とするのは往き過ぎである。
辞解
[黄泉 ] 死後善人も悪人も往く処と考えられていた。善人はそこより甦り悪人はそこで苦しむ。
16章24節
口語訳 | そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。 |
塚本訳 | 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』 |
前田訳 | 声をあげていった、『父アブラハム、わたしをあわれんで、ラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえています』と。 |
新共同 | そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』 |
NIV | So he called to him, `Father Abraham, have pity on me and send Lazarus to dip the tip of his finger in water and cool my tongue, because I am in agony in this fire.' |
註解: 富者の心理は苦痛の中においても相も変らず自己中心的であり利己的である。その生時に一顧だにもせず一片のパンだに与えなかったラザロであったが、今に至って彼はラザロをして自分を助けさせようとしているのである。この一節によりイエスはこの富める人の苦痛の激しさとその悪の甚だしさとをパリサイ人らに示し、陰にその反省を促し給う。なお富者がラザロの名を知っていたこと、および彼の助けを求めたことは、二人の間に生前必ずしも反感がなかったことを示すと見るべきである。
16章25節 アブラハム
口語訳 | アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。 |
塚本訳 | しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。 |
前田訳 | アブラハムはいった、『子よ、思いおこせ、おまえは生前よいものを受け、ラザロは同じく生前悪いものを受けた。今ここでは彼が慰められ、おまえはもだえる。 |
新共同 | しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。 |
NIV | "But Abraham replied, `Son, remember that in your lifetime you received your good things, while Lazarus received bad things, but now he is comforted here and you are in agony. |
註解: 富者は前節に「父アブラハムよ」と言いてアブラハムの子孫であることの自覚を表顕したのであるが、アブラハムも本節において富者に対して反感らしいものを有たず、唯この世における生活態度がその人の永遠の運命を決定すること、そしてモーセと預言者とに真実に服 う者はイエスを信じて救われ、反対にたとい聖書を学んでも真実にこれに服 おうとしない者は復活のイエスを見てもこれを信じないことを示す。富者が「生ける間に善き物を受けた」という理由だけで、かかる苦悩に遭うのであるとアブラハムは言っているのであるが、彼が少しもラザロを憐まなかったことが重大なる理由を為していることは言外に含まれ、パリサイ人らがこれを聴いて自然自己の良心に反省させられるようにされたのであった。結局余裕あるほど資産が一人に与えられるのはこれを有効に神のために使用するがためであるのだから、これを自己に保留して「富者」となること、またさらにこれを自己の享楽に使用すること、そのことの中にすでに永遠の死に値する罪があることは何人も認め得る処である。
16章26節
口語訳 | そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。 |
塚本訳 | そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』 |
前田訳 | そのうえわれらとおまえらとの間に大きな裂け目があって、ここからおまえらのところへ渡ろうとしてもできず、そちらからわれらのほうへ越えて来れもしない』と。 |
新共同 | そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』 |
NIV | And besides all this, between us and you a great chasm has been fixed, so that those who want to go from here to you cannot, nor can anyone cross over from there to us.' |
註解: アブラハムのいる世界と黄泉 との間には大きい間隙があり、互に行き来することができない。死後に陥った運命はもはや変更ができないのだから、生前に如何なる生活をすべきかを考えなければならない。後悔してもそれは間に合わない。
16章27節
口語訳 | そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 |
塚本訳 | 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。 |
前田訳 | 金持はいった、『父よ、お願いです、ラザロをわたしの父の家にやってください、 |
新共同 | 金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣わしてください。 |
NIV | "He answered, `Then I beg you, father, send Lazarus to my father's house, |
16章28節
口語訳 | わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 |
塚本訳 | わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』 |
前田訳 | わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よくいってください』と。 |
新共同 | わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 |
NIV | for I have five brothers. Let him warn them, so that they will not also come to this place of torment.' |
註解: 富者はその五人の兄弟がやがて自分と同じような耐え難い苦痛に陥ることが有っては可哀そうに思い、自分の地上生活と死後の現状について知っているラザロを彼らに遣わして彼らに警告を与えてくれるようアブラハムに願った。黄泉 との間には淵があって渡れずとも娑場には行けるだろうと彼は考えたのであった。
16章29節 アブラハム
口語訳 | アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 |
塚本訳 | しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』 |
前田訳 | アブラハムはいう、『彼らにはモーセと預言者がある。それに耳傾ければよい』と。 |
新共同 | しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』 |
NIV | "Abraham replied, `They have Moses and the Prophets; let them listen to them.' |
註解: 彼らにはすでにモーセと預言者、すなわち旧約聖書があるのだから、もしそれらの人々がこの聖書に従うならば、ラザロが行く必要はない。この一言が、この富める者に多くの反省を与えたことであろう。もし彼がその生時、一層徹底的に聖書の精神を学び、その教えに従ったならば、かかる苦しみに遭わなかったであろうと。
16章30節
口語訳 | 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。 |
塚本訳 | 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』 |
前田訳 | 彼はいった、『いいえ、父アブラハム、もし死人のだれかが行ってやれば悔い改めましょう』と。 |
新共同 | 金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』 |
NIV | "`No, father Abraham,' he said, `but if someone from the dead goes to them, they will repent.' |
註解: 死人が彼らの処に往き、死後の状態を語ったならば悔改めるであろう。さもなくば聖書だけでは、自分もそうであったと同じく彼らも悔改めないであろう。彼らの心はパリサイ人も同様、形式的に律法に違反しない点で満足し誇っており、それが彼らの永遠の死を意味することを知らないのであった。
16章31節 アブラハム
口語訳 | アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。 |
塚本訳 | しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」 |
前田訳 | アブラハムは答えた、『モーセと預言者に耳傾けねば、たとえ死人のだれかがよみがえって行っても従うまい』」と。 |
新共同 | アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」 |
NIV | "He said to him, `If they do not listen to Moses and the Prophets, they will not be convinced even if someone rises from the dead.'" |
註解: 「死人の中より甦へる者」はイエスが自らを指し給うたのであることは明らかである。イエスはパリサイ人の徹底せる頑固さを経験し給うた。パリサイ人は自らモーセと預言者とを信じ、その教えを実行しているつもりでいるが実はモーセをも預言者をも信じていなかったのである。「彼の書を信ぜずば、いかで我が言を信ぜんや」(ヨハ5:47)、かくして結局においてイエスを信じないパリサイ人らは永遠の苦悶の中に陥るより外に途がないのである。ラザロを彼らに遣わす必要はない。汝ら速やかにイエスを信じなければならない。
要義1 [貧富の問題]この寓話は金銭を愛するパリサイ人に対する教訓として残されたのであるが、これは一般に貧富の問題に対して多くの示唆を与えていることを注意しなければならない。元来貧富の差の生ずる原因は本人の能力のみならず、運命、健康、社会状態等、種々の原因があり、また一面道徳的に事業を経営するより来る利益によることもあり、また他面悪事を行って利益を得、これによって富を蓄積する場合も多くあり得るのである。従って富を凡て善行の報いと見ることもできず、また反対にすべて悪行の結果とも見ることが出来ない。貧も同様である。唯如何なる場合においても凡ての富は神のものであり、神のため、また凡ての人のために存するものであることは不動の真理であり、貧富の問題の解決の大前提である。従って如何なる富者もその富を自己の奢侈 享楽のために消費する権利はなく、また富の不公平なる分配や偏在が一般の不幸を来たらしむるごとき事態は許すことができない。その富が全く正当に得られたものであっても同様である。この比喩における富者の死後の運命は、この立場より考えて極めて正当なる結論であることを見ることができる。
同様に貧者の方でも、たとい自己の貧が自然力や社会の変遷などの不可抗力から来た場合でも、富者のものを掠奪する権利がなく、従順に神の与え給える運命に服従すべきである。いわんや自己の怠惰等から貧困に陥った場合はなおさらである。神は如何なる場合でも暴力による掠奪を認め給わず、また反対に富者の剰余的富の私有を許し給わない。