黙示録第1章
分類
1 序言およびイエスの顕現
1:1 - 1:20
1-(1) 序言
1:1 - 1:8
1-(1)-(イ) 本書の性質
1:1 - 1:3
口語訳 | イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。 |
塚本訳 | これは(王国来臨の奥義に関し)イエス・キリストの(与え給うた)黙示(である。)すなわち(必ず)直に起こらねばならぬことをその僕達に示すために、神が彼に与え給うたものを、彼がその使いを遣ってその僕ヨハネに示し給うたものである。 |
前田訳 | イエス・キリストの黙示。それは神が彼に与えて、おのが僕たちに間もなくおこるべきことを示されたもの。彼は天使をつかわしてそれを僕ヨハネに見せられた。 |
新共同 | イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。 |
NIV | The revelation of Jesus Christ, which God gave him to show his servants what must soon take place. He made it known by sending his angel to his servant John, |
註解: イエス・キリストが示し給える黙示が本書全体の内容をなす。
辞解
[黙示] apokalypsis は覆い(ヴェール)をもって掩 われていたものをその覆いを除いて内容を顕わすこと、本書は神の経綸の中に隠れている未来の審判および救いに関する事柄を黙示せられこれを書き表せるもの。
註解: この黙示は神がキリストに与え給いしものであってキリストといえども本来これを知り給いしにあらず(マタ24:36)。そして神がキリストにこの黙示を与え給いし所以は神の僕どもすなわち一般のキリスト者に速やかに起るべきことを予め示さんがためであった、これによりて彼らがその行くべき途を示されまた困難の中に慰められ、力付けられんがためである。
辞解
[その僕ども] 「その」はキリストの(A1)と見るよりも「神の」と見るを可とす(黙22:6。Z0、B1、S3)。「僕ども」は使徒、預言者等特別の僕にあらず一般のキリスト者なり。
[速 かに] 神の観念より見て云える速 かさで人間の時間の観念にあらず。
註解: ヨハネの想像や思索にあらず、啓示である(黙22:6、黙22:8、黙22:16)。ただし御使によらずイエスの直接の黙示なる場合が多い。黙1:10以下、黙4:1その他。創22:15以下。出3:2以下のごとし。
1章2節 ヨハネは
口語訳 | ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。 |
塚本訳 | (それで)彼(ヨハネ)は(今)神の言と、イエス・キリストの(為し給うた)証明、すなわち彼が(自ら異象の中に)見(また聞い)た(一切の)こと(について、その真実であること)を証明する。 |
前田訳 | 彼は、見たものすべてによって、神のことばとイエス・キリストの証をあかしした。 |
新共同 | ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。 |
NIV | who testifies to everything he saw--that is, the word of God and the testimony of Jesus Christ. |
註解: 預言者は先見者すなわち「見る人」である。思索者、理論家にあらず、そしてその見し処は神の言とイエス・キリストの証であって、神の示し給う事柄の内容とその証明である(黙1:9。黙6:9。黙12:17。黙20:4)。
辞解
[イエス・キリストの証]イエス・キリストの為し給う証ではなくイエスをキリストと証する証と見るを可とす。▲黙22:16によりこれを「イエス・キリストの為し給う証し」と解する方が正しい故、この部分を訂正する。
1章3節
口語訳 | この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。 |
塚本訳 | 幸福なる哉、この預言の言を朗読する人、及び(それを)聞いて、その中に書かれてある(一切の)ことを守る人々!(この言の成就する)時が(はや既に)近いからである。 |
前田訳 | さいわいなのは預言のことばを読み上げる人、またそれを聞いてそこに書かれたことを守る人たち。時は近いから。 |
新共同 | この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。 |
NIV | Blessed is the one who reads the words of this prophecy, and blessed are those who hear it and take to heart what is written in it, because the time is near. |
註解: ユダヤ教時代より集会において聖書が会衆の前に読まれる習慣あり、キリスト教はこの習慣を踏襲し (ルカ4:16。使13:15。使15:21) 旧約聖書の外使徒の書簡等が読まれていた。「読む者」は単数で会衆の前に朗読する人を意味し「聴く者」は複数で会衆を意味す。而して単に聴くだけでは不充分であるがさらにこれを「守り」行う人々は幸福である。その故はこれらの預言が凡て実現する時が近づいているからである。預言は実生活の指導者である。この書は一つの「預言」であることはヨハネのしばしば主張する処であり (黙10:11。黙19:10。黙22:6、7、黙22:9、10、黙22:18、19) またこれを会衆の前において読むべきものなることを主張していることが判明 る。「幸福なり」は本書に七回用いられている (黙14:13。黙16:15。黙19:9。黙20:6。黙22:7、黙22:14) 。「時近し」は当時の一般的信仰であった (ロマ13:11。Tコリ7:29。ピリ4:5) 。
要義1 [黙示録は理解し難き書に非ず]既に緒言の末尾において述べしごとく、ヨハネは神の経綸すなわち将来の歴史を支配する原理を霊的に啓示せられこれを表徴的に記せしものとすれば、ヨハネはその原理を系統的に排列せるものと解しなければならぬ。そしてヨハネは本書の読者が本書の内容を理解するものなることを前提としているのを見るも(1:2)、本書は一般に考えられるごとく難解なるものにあらず、また意味不確定のものにあらず、極めて明瞭なる真理の記述であることを認めなければならない。
要義2 [何のために啓示を与え給いしや]単に未来に起るべき事実を示してその知識欲を満足せしめんとしたのではなく、神はその愛する者の躓かんことを憂いてその準備として未来のことどもを示し給うたのである。ゆえに未来の事件に心を奪われることなく、これを示し給える神の愛の労苦を思うべきである。
1章4節 ヨハネ[
口語訳 | ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、 |
塚本訳 | ヨハネからアジヤ(州)にある七つの教会への手紙。願わくは(第一に、今)在り給う(者、昔)在り給いし(者、また後に)来たり給うべき者から、また(第二に、)その御座の前にある七つの霊──(七つにして一つに在し給う御霊)──から、 |
前田訳 | ヨハネからアジアにある七つの集会へ。恩恵と平和が今いまし、昔いまし、来たるべきものから、彼のみ座の前の七つの霊から、 |
新共同 | -5ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、 |
NIV | John, To the seven churches in the province of Asia: Grace and peace to you from him who is, and who was, and who is to come, and from the seven spirits before his throne, |
註解: 普通の書簡の冒頭の形式である(ロマ1:1参照)。
辞解
[アジヤ] 小アジヤの西端の一州の名称。
[七つの教会] 11節に列挙される教会でアジヤの主要の教会ではあつたけれども他にコロサイ、ヒエラポリス、トロアス、ミレトス(Uテモ4:20)その他にも教会があつた。その中七つを選んだ理由は「七」なる完全数によつたもので、これによりあらゆる時代および地方の全教会を代表せしめたものである。
註解: 神を指す。出3:14の解釈としてかかる表し方が用いられていた。ただし「後来りたまふ者」 ho erchomenos なる現在分詞の代りに「後有らんもの」 ho esomenos なる未来分詞を用いるのが普通である(タルグム)。ここに「後来りたまうもの」なる語を用いし所以は本書がキリストの再臨を録す所の書であって、神はキリストにおいてこの世に来りたまうが故である。5節前半までは祈、願、後半より6節迄は讃美、7、8節はヨハネの宣言である。
および
註解: 聖霊を指す。「七つ」は聖霊の完全さを示すがために用いられたのであって、「父」および「子」も同様に諸方面より形容せられているために、聖霊の場合もこれをもってその豊富さを表わしたものである。ゆえにこの「七つの霊」は七人の天使を指すのではなく、また聖霊の七つの教会に対する別個の働きでもない。
口語訳 | また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、 |
塚本訳 | 及び(第三に、死に至るまで)忠実な証人(であり、甦りによって、)死(から生命に生まれる)人(達)の長子(となり給うた者、そしてその故に)また地上の諸王の君侯であり給うイエス・キリスト(──この三方)からの恩恵と平安とが、君達に在らんことを! 願わくは、私達を愛し、その血によって私達を罪から釈き放ち、 |
前田訳 | また真実な証人、死人たちの初子で地の王たちの頭にいますイエス・キリストから、あなた方に与えられるように。われらを愛しておのが血でわれらを罪から解放し、 |
新共同 | |
NIV | and from Jesus Christ, who is the faithful witness, the firstborn from the dead, and the ruler of the kings of the earth. To him who loves us and has freed us from our sins by his blood, |
註解: イエスはその言と生活とをもって神の御旨と神の真理とを忠実に証し給うた。そして復活のイエスは今もこの証を為したまう。
註解: コロ1:18その他にも録される通りイエスは復活の魁 となり給い、彼にある凡ての者の永遠の生命の初穂となり給うた。
註解: イエスの第三の資格は地の諸王の君として諸王を支配し給うということである。ローマ皇帝を神としての礼拝が強要せられし当時においてこのイエスの資格は信徒を力付けることが多かった。以上の三つの資格は黙示録の中心としてのイエスに欠くべからざる諸点である。恩恵と平安とを祈ることは当時のキリスト者の間の書簡の冒頭または結尾の形式であった(ロマ1:7の註および引照参照)。
註解: 本節後半(原文の順序)および次節はキリストと信者との関係を叙して彼に頌栄をささぐ。第一「愛し」は現在分詞で昔より今に至るまで愛し続けていること。第二に「その血をもて云々」はキリストの十字架の贖の血によりて我らの罪が赦され、我らは罪の束縛より脱出したることを示す。「解放 ち」は不定過去分詞ですでに終った行為。
1章6節 われらを
口語訳 | わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。 |
塚本訳 | 斯くして私達を(来るべき)王国(の民となし、)その神また父への祭司となし給うた彼に、栄光と権力とが永遠より永遠にあらんことを! アーメン |
前田訳 | われらに王国を与え、彼の父なる神の祭司となしたもうたものに、栄光と権力が永遠(とこしえ)から永遠にあれ。アーメン。 |
新共同 | わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。 |
NIV | and has made us to be a kingdom and priests to serve his God and Father--to him be glory and power for ever and ever! Amen. |
註解: 第三はキリストの贖によりキリスト者は神の王国(換言すれば王国の国民)となりまた常に神の前にありて神に仕うる祭司となった。サタンの支配を脱して神の支配の下に立ち、サタンを拝せずして神の祭司となることがキリスト者の本質である。かかることを我らの中に成就せしめ給いしものはキリストであり永遠の栄光と権力は彼に帰すべきである。
辞解
[国民] basileia で本来王国または支配を意味するけれども、時にはその王国に属しその支配の下にある民をも意味することがある故、本節の場合かく見るを可とす(S3)とする説があるけれども、これを他の場合と同じく「国」または「王国」と読んでも差支はない(黙5:10参照)。
[祭司] 新教の万人祭司主義はこれであってキリスト者は他の祭司の仲介を要せずして直接に神に見えこれに事 うることを得。(ヘブ10:19−22参照)
口語訳 | 見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。 |
塚本訳 | 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン |
前田訳 | 見よ、彼は雲とともに来たもう。すべての目は彼を見よう。彼を刺したものたちもまた。そして地のすべての民が彼を悔んで胸を打とう。然り、アーメン。 |
新共同 | 見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。 |
NIV | Look, he is coming with the clouds, and every eye will see him, even those who pierced him; and all the peoples of the earth will mourn because of him. So shall it be! Amen. |
註解: ダニ7:13によりキリストは雲と共に(meta)再臨し給うと信ぜられていた、彼は今天に神の右に在し給うが故である (マタ24:30。マタ26:64。マコ13:26。マコ14:62。ルカ21:27)。
註解: 彼の再臨は全人類の目の前に行われる。
註解: 彼らにより殺され亡ぼされたはずのイエスが図らずも再び来って彼らを審 かんとす。彼らのおどろきは絶大である。
辞解
[殊に] 「また」kai で、それ程強き意味を附する必要なし。
[彼を刺したるもの] 直接彼を刺殺したもののみならず、彼を拒まんとの意思を有する凡てのものを含むと見ることを得。
かつ
註解: キリストの再臨はキリスト者にとりてよろこびであり地上の諸族諸民にとりて歎きである。
辞解
[然り] nai とアァメンとは大体同意義であるけれどもアァメンは一層宗教的なる意義を有す(黙3:14)。
1章8節
口語訳 | 今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである」。 |
塚本訳 | 「我はアルパである、またオメガである。(我このことの真実なることを証明する」と、(今)在り給う(者、昔)在り給いし(者、また後に)来たり給うべき者、(また)全能の主なる神言い給う。 |
前田訳 | 「われはアルパ、かつオメガ」と主なる神はいいたもう。彼は今いまし、昔いまし、来たるべきもので、全能者にいます。 |
新共同 | 神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」 |
NIV | "I am the Alpha and the Omega," says the Lord God, "who is, and who was, and who is to come, the Almighty." |
註解: 4節註参照。アルパはギリシャ語の仮名の最初の文字オメガはその最後の文字、すなわち神は最初にしてそして最後に在し初にして終に在し給う(黙21:6。黙22:13)すなわち創造者にしてそして完成者に在し給う。ここにこの一節を挿入せるはこの神の言により本書に録される凡ての事柄の真実なることを証明せんがためである。
辞解
[全能の神] 特にこの一語を加えて本節の意義目的を完全ならしめている。
1章9節
口語訳 | あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 |
塚本訳 | 君達の兄弟であり、(主にある)患難と、(来るべき)王国(における幸福)と、(また)イエス(来臨)の待望とを共にする(この)私ヨハネは、神の言とイエスの証明と(を伝えたこと)のために、パトモスという島に(流されて)いた。 |
前田訳 | わたくしヨハネはあなた方の兄弟で、イエスにある悩みと支配と忍耐を共にするもの。神のことばとイエスの証のために、パトモスと呼ばれる島にいた。 |
新共同 | わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。 |
NIV | I, John, your brother and companion in the suffering and kingdom and patient endurance that are ours in Jesus, was on the island of Patmos because of the word of God and the testimony of Jesus. |
註解: ヨハネはここに本文に入るに際して自ら名乗りをあげ、かつ本書の読者との間に共通の苦難と共通の希望とを持つことを示して、その愛を表わす。
辞解
[我ヨハネ] ことさらに「使徒ヨハネ」と云わない理由は、一は読者にそれが明瞭であった為と、一はこの場合殊に兄弟としての彼を強調せんとしたのであろう。自ら名乗るのは預言者殊に黙示文学にその例が多い(ダニ8:1。10:2その他の黙示文学)。
「イエスの」は「イエスに在りて」または「イエスに在る」と訳すべきで前者とすれば、「共に与る」に懸り後者とすれば「艱難と国と忍耐」とに懸る。この「艱難」は信仰の故に受ける迫害その他の苦難、「国」はキリストの国、艱難を経過せるものに対し、キリストの再臨によりて顕わるべき神の国(▲「国」(Basileia = 支配)はまたキリストの支配の下に属する状態とも解することができる)、そして「忍耐」はこの両者の間に介在し神の国を獲得するに必要なる條件である。そしてヨハネはこの書の読者たる兄弟たちと「共に」これらに「与る」者であって、艱難と国と忍耐とはイエスに在る凡てのキリスト者に共通の事実である。
註解: ヨハネは信仰の迫害に遭いパトモスに流されたとの伝説がある。そのことを指したものであろう。
辞解
[神の言] 福音を指す。
[イエスの証] イエスをキリストと証しすること。
[為に] (▲▲ dia でこの場合四格を支配し「・・・・・の故に」の意味で理由を示す。)(一)神の言とイエスの証とを宣伝えしことのために、(二)これらを宣伝えんがために、(三)これら(すなわちこの書の内容たるべきもの)を受けんがために等種々に解せられるけれども第一説を採る。
[パトモス] ミレトスの西南西四十哩エーゲ海にあり幅五、六哩長さ十哩程の小島で港湾あり、人跡少く当時罪人を流罪に処したる処。
[ありき] ヨハネがこの書を認 めた時はパトモスにいなかったことを表わす。△あるいはヨハネは全啓示を過去の事実として客観している意味にも取ることができる。
1章10節 われ
口語訳 | ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 |
塚本訳 | (或る)主の日に私は御霊に感じた。そして(突然)私の後でラッパのような大きな声が(して、)こう言うのを聞いた、 |
前田訳 | わたくしは主の日に霊のうちにあった。そしてうしろにラッパのような大声を聞いた。 |
新共同 | ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。 |
NIV | On the Lord's Day I was in the Spirit, and I heard behind me a loud voice like a trumpet, |
註解: 次節の命令はヨハネに大きく響いて来た。
辞解
[主日] 「主の日」とは用語を異にし、主の復活を記念する一週の初の日でこの日を礼拝または信徒の集会の日とすることは初代より行われ遂に固定的習慣となつた(Tコリ16:2。使20:7)。このことはその後の文献によりて知ることができる。
[御霊に感じいたるに] ヨハネが「御霊の内にありしに」で御霊が全心を支配し、恍惚の状態に陥つたことを示す、かかる場合には異常なる事柄が啓示される。無意識状態となつたのではない。
[ラッパ] 多くの場合神の審判に関連して考えられる(マタ24:31。Tコリ15:51、52。Tテサ4:16)。この声は天の使の声ならんとの説あれど(S3)不確実なる推測なり。
1章11節
口語訳 | その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。 |
塚本訳 | 「お前が(今直に)見るもの(また聞くもの)を(悉く)巻き物に書いて、七つの教会、(すなわち)エペソとスミルナとペルガモとテラテヤとサルデスとヒラデルヒヤとラオデキヤとに(それを)遺れ。(お前が今見る異象はこの七つの教会、また凡ての教会に関わるものである。)」 |
前田訳 | いわく、「なんじが見ることを巻物に書きしるして七つの集会へ送れ。すなわちエペソへ、スミルナへ、ペルガモンへ、テアテラへ、サルデスへ、フィラデルフィアへ、ラオデキアへ」。 |
新共同 | その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」 |
NIV | which said: "Write on a scroll what you see and send it to the seven churches: to Ephesus, Smyrna, Pergamum, Thyatira, Sardis, Philadelphia and Laodicea." |
註解: この命令によりヨハネはその後に示される幻につきて充分にこれを心に留めなければならなかった。この書を録すこととこれを贈ることとは後にパトモスよりエペソに帰ってからのことであった、9節辞解参照(9節脚注▲および△も含め参照)。
辞解
[七つ] 4節辞解參照、これらの各々につきては2、3章を見よ。
1章12節 われ
口語訳 | そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。 |
塚本訳 | そこで私は自分に語っている声(の主)を見ようとして(後を)振り返った。振り返った時(そこに)七つの金の燭台と、 |
前田訳 | わたくしは振り返って語りかける声を見ようとした。振り返って見えたのは七つの金の燭台であった。 |
新共同 | わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、 |
NIV | I turned around to see the voice that was speaking to me. And when I turned I saw seven golden lampstands, |
註解: 灯台は燭台のこと、旧約聖書(出25:31以下。ゼカ4:2)には七つの灯盞(ともしびさら)を持つ一つの灯台につき録さる。ヨハネは自由にこれを変更して七つの教会を表示せんとしたのである(20節)。キリスト者は世の光であり(マタ5:14。ピリ2:15)従って教会は灯台に譬えられることは適当である。
口語訳 | それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。 |
塚本訳 | その燭台の真中に(ダニエルが見たと同じ)人の子のような者が(いて、王が祭司のように、)足までとどく上衣を着、胸のところに金の帯を締めているのを私は見た。 |
前田訳 | そして燭台の間に人の子のようなものが長衣をまとい、胸のところに金の帯をしめているのが見えた。 |
新共同 | 燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。 |
NIV | and among the lampstands was someone "like a son of man," dressed in a robe reaching down to his feet and with a golden sash around his chest. |
註解: キリストはその教会の中に住みたまう。「人の子」はダニ7:13によりイエスが御自身について用いし名称である(マタ8:20辞解参照。本節の場合は冠詞なし)。本節は復活のキリスト故、これに似たる相貌を有ち給うたのである。
註解: 高位高官の人の着用する衣で王またはユダヤの大祭司等これを着用した。▲▲この場合大祭司としてのイエスを示す。
辞解
[足まで垂れる衣] podêrês は七十人訳に種々の意味に用いられているけれども何れも高位を示す衣服を指す。
註解: 胸高に帯を結ぶこと、殊に金の帯を帯ぶることは高位を示す。ユダヤの大祭司等のごとし(E0)。天上の生活は金、白、光輝等をもって示さる。殊に金はその貴さ、不変性、美しさ等のために天上の生活に似ている。
1章14節 その
口語訳 | そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。 |
塚本訳 | その頭と髪の毛とは白い羊毛のように、雪のように白く、その目は焔のよう(に輝き)、 |
前田訳 | 彼の頭と髪の毛が白いことは純白の羊毛や雪のよう、目は火の炎のよう、 |
新共同 | その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、 |
NIV | His head and hair were white like wool, as white as snow, and his eyes were like blazing fire. |
註解: ダニ7:9に「日の老いたる者」すなわち神に対して用いたる形容を少しく変更してここにキリストについて用いている。頭髪の白きは老年の標 で、賢さすなわち智慧を示している(あるいは永遠性を示していると見る解あり)。なお「その頭と頭髪」は「その頭すなわち頭髪」と訳するを可とす(B3)。
その
註解: ダニ10:6によったもので目の鋭さ、その善悪を分つ力、正しき怒等を示す、不義者はかかる眼の前に立つことができない。
1章15節 その
口語訳 | その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。 |
塚本訳 | その足はあたかも鎔炉で灼熱された(金色燦然たる)真鍮に似て居り、その声は大水の(轟く)音のようであった。 |
前田訳 | 足は炉で熱せられた真鍮のよう、声は多くの水のようであった。 |
新共同 | 足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。 |
NIV | His feet were like bronze glowing in a furnace, and his voice was like the sound of rushing waters. |
註解: 足すらも非常なる熱と光輝にかがやいていた。彼はこれをもって敵を蹂躙 り給う意味にも取ることができ、または彼の行状の立派さ目を眩ますばかりなることの意味にも解することができる。
辞解
[輝ける真鍮] 原語は意義不明の語、多分真鍮のごとき合金ならん、かかる合金が炉にて焼かれる時の光輝は人の目を眩まするばかりである。△審判者としてのキリストの恐ろしさを示す。
その
註解: 多くの水の轟きは大濤 のごとくまたナイヤガラの瀑布のごとく、深く強き響を与え当るべからざる勢いを示す。審判の恐ろしさを表現している。
口語訳 | その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。 |
塚本訳 | そして右の手には七つの星を持ち、その口からは鋭い両刃の剣が突き出で、その顔は真盛りに照る太陽のようであった。 |
前田訳 | 右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃(もろは)の剣が出ていて、顔は日盛りの太陽のように輝いていた。 |
新共同 | 右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。 |
NIV | In his right hand he held seven stars, and out of his mouth came a sharp double-edged sword. His face was like the sun shining in all its brilliance. |
註解: 星は教会の使すなわち天的教会である(20節註参照)。右の手にこれを保持することはこれを安全に保護することを示す。
その
註解: 神の言の審判は非常なる鋭さをもって悪を滅す、(イザ11:4。イザ49:2。エペ6:17。ヘブ4:12)。
その
註解: 頭、目、足のみならずその顔も太陽のごとくにかがやきこれを正視することすらできないくいらいであった。
1章17節
口語訳 | わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、 |
塚本訳 | 私は(この荘厳極まりない)彼(の異象)を見た時、死んだように(なって)その足許に倒れた。すると彼はその右の手を私の上に於て言い給うた──「懼れるな。私は最初の者、最後の者、 |
前田訳 | 彼を見たとき、わたくしは死人のように彼の足もとに倒れた。彼は右手をわが上に置いていわく、「おそれるな。わたくしはいやさきで、いやはて、 |
新共同 | わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、 |
NIV | When I saw him, I fell at his feet as though dead. Then he placed his right hand on me and said: "Do not be afraid. I am the First and the Last. |
註解: 13−16のごとき絶大なる光輝の前には、ヨハネは真直に立ちて正視し得なかった、その稜威に打たれて死ぬるもののごとくであった。
辞解
[足下に倒れ] この種の光景を叙する場合しばしば黙示文学において用いられている(ダニ8:17。ダニ10:9。マタ17:6。使26:14)。
註解: 彼の深き愛はかかる態度にあらわれている。右手に七つの星を持ちつつ(16節)これをヨハネの上に按 けるのだろうかとの論あれども、この種の幻象はかく機械的に解すべきではない。
『
註解: 「懼るな」「我・・・・・なり」等の語は主の口より弟子たちが直接に聞き覚えのある懐かしき言であった(マタ14:27および引照)。最先最後は神の属性であるのを(8節)キリストに転用したのである(イザ44:6。イザ48:12)。ヨハネはここに幻象の中に神なるイエスを仰ぎ見たのである。
口語訳 | また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。 |
塚本訳 | また(永遠に)活きる者である。(だからかつて)死んだけれども、視よ、(今)私は(再び)永遠より永遠に活きる者である。私は死と陰府の(門の)鍵を有つ。(私には凡てのものを活かし、また殺す権能がある。) |
前田訳 | 今生きるものである。かつて死人であったが、見よ、今は永遠に生きるものであり、死と黄泉の鍵をにぎる。 |
新共同 | また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。 |
NIV | I am the Living One; I was dead, and behold I am alive for ever and ever! And I hold the keys of death and Hades. |
註解: エホバは活き給う、畏 れかしこまなければならぬ、(申10:20。イザ45:23。エレ4:2。エレ5:2。詩42:2)そしてこの場合前節と同じくこのエホバの性質をキリスト・イエスに帰しており、イエスは凡てにおいて神に等しく在すことを示す。
われ
註解: 私訳「われ先に死ねる者となりたりしが視よ今は世々限りなく生きる者なり」すなわちキリストの十字架の死と、その復活とを示す(Tコリ15:3、4)。この事実は何れもキリスト教の中心でありキリストの本質を示す上に欠くべからざる事柄である。彼死に給いしが故に我らの罪赦され、彼生き給うが故に我らは義とされるのである(ロマ4:25)。この二者の一つを欠く時イエス・キリストの意義は消失する。
また
註解: 人を生かすことと殺すこと、および永遠の滅亡に入れることはキリストの権威の内にあり。
辞解
[鍵] 異教の思想にも、ユダヤの当時の思想にも権威の表徴である。
1章19節 されば
口語訳 | そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。 |
塚本訳 | だから、お前が(今私について)見たことと、(これからお前に示す天と地とに今)あることと、この後に起ころうとしていることとを書け。 |
前田訳 | それゆえなんじが見たこと、今あること、これからおころうことを書きしるせ。 |
新共同 | さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。 |
NIV | "Write, therefore, what you have seen, what is now and what will take place later. |
註解: 本書の内容の要約であって「見しこと」は黙1:14−18の幻、「今あること」は2、3章のアジアの七つの教会の現状「後に成らんとする事」は4章以下の未来の出来事を指す。異解あれど(B3)適当ではない。
1章20節
口語訳 | あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。 |
塚本訳 | お前が(今)私の右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義を示せば──七つの星は七つの教会の使いである。七つの燭台は七つの教会である。」 |
前田訳 | なんじがわが右手のうちに見た七つの星と七つの金の燭台の秘義はこれ−−七つの星は七つの集会の天使たち、七つの燭台は七つの集会である。 |
新共同 | あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。 |
NIV | The mystery of the seven stars that you saw in my right hand and of the seven golden lampstands is this: The seven stars are the angels of the seven churches, and the seven lampstands are the seven churches. |
註解: キリストはその右手に全教会を保持してこれを護り導き給う。ここに教会はその天的および地的の両方面より表わされ、天的の姿においては天に輝く「星」であって神の御座の周囲に輝き地的の姿においては燈臺 であって地上にその光を輝かす、「教会の使」は教会そのものを神との交通の姿において見たるもの、「教会」はその地上における実在の姿において見たるものである。
辞解
本節は文法上の困難あり「すなわち ・・・・・ 奥義なり」と読むよりもむしろ「汝が見しところの我が右の手にある七つの星の奥義と七つの金の燈臺 について云えば」と訳すべきであろう(Z0、S3、B3)。
[教会の使] (1)長老、監督のごとき人(Z3)、(2)守護の天使(E0)(マタ18:10。使12:15。ダニ10:13、ダニ10:21)、(3)諸教会よりヨハネの許に遣 せる使者等の意味に取る説あれども(4)当時の思想に従い無生物にすら御使が付いていると見し処より(黙7:1。黙14:18。黙16:5。黙9:11)「教会そのもの」と云うに等しく、教会を天との交りの姿において見し場合の言い表わし方であると見るを可とする(B3、S3)。
要義1 [イエスの御姿について]13−18節に録されるイエスの御姿は、これを彼が地上に歩み給いし時の御姿に比して著しく異なっているのを見る。イザ53:2−3のごときイエスの御姿は彼が救い主として、人類の罪を負うべく我らと同じ体を取り給うたのであって、罪以外の点で彼は凡てのことにおいて我らと同一に在し給うた(ヘブ4:15)。これに反し本章において録されるイエスは審判者としてのイエスであり、従ってその御姿は神に等しき者であり、その種々の属性は神につける属性に等しいものであった。我らはイエスをこの二方面において完全に理解しなければならない。人間的イエスに偏する時我らの信仰は地的となり、神的イエスに偏する時我らの信仰は現実をはなれた空なる観念となる。
要義2 [イエスに関する預言の二方面]旧約聖書にはイエスに関する預言と見られている多くの箇所がある。そしてこれには二つの方面がある。その一は苦難のキリストであり、その二は栄光のキリストである。前者はイザ53:1以下のごとく人類の罪を負うて屠られるメシヤであり、後者はイザ2:1以下、詩2:8のごとき栄光をもって支配し給うメシヤである。前者はキリストの初臨において成就し、後者はその再臨をもって成就する。かくして全聖書の預言はことごとく成就するのである。
黙示録第2章
分類
2 七つの教会への書簡
2:1 - 3:22
2-(1) エペソの教会への書簡
2:1 - 2:7
註解: 第2、3章は七つの教会への書簡であって、みなほぼ同一の構造から成っている。すなわち(1)「○○の教会に書きおくれ」との命令。(2)イエスの相貌(主として第1章に録されるイエスの諸属性中、各々の教会にとりて最も適切なる部分を選びたるもの)。(3)賞賛の辞。(4)非難、叱責、訓戒の辞。(5)悔改めざる者に対する審判、(6)勝を得る者に対する報賞の約束。(7)「耳ある者は聴くべし」との命令より成る。ただし順序の前後ありまたこの中のあるものを欠く場合もある。
口語訳 | エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。 |
塚本訳 | エペソ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、その右手に七つの星を握る者、(また)七つの金の燭台の真中を歩く者、(すなわち七つの教会と、七つの教会の御使い達との上に権を有っている人の子)が斯く言うと── |
前田訳 | エペソの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、七つの星を右手に持ち、七つの金の燭台の間を歩みたもうもの。 |
新共同 | エフェソにある教会の天使にこう書き送れ。『右の手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が、次のように言われる。 |
NIV | "To the angel of the church in Ephesus write: These are the words of him who holds the seven stars in his right hand and walks among the seven golden lampstands: |
辞解
[エペソ] 小アジア第一の都市でその西端カイステル河口にあり、アルテミスの神殿あり(使19:35)偶像崇拝およびカイザル礼拝の中心地であり、従って巫術 (シャーマニズム)その他の迷信もまた盛んであった。パウロは永くここに伝道し(使19:1−10)アポロ(使18:24以下)テモテ等もこの地に働いた。後にヨハネもこの地を中心として伝道したことが言い伝えられている(緒言参照)。従ってこの地が小アジアにおける伝道の中心地であり七つの教会の最初に置かるべき都市であつた。
[使] 黙1:20辞解参照。書簡の内容より見るも、この「使」は教会全体を指すことは明かである。
「
註解: (黙1:13、黙1:16註参照)この意味におけるイエスはエペソ教会に最もよく適当している。またエペソ教会への書簡は七つの教会への書簡全体の緒論的性質を持っているものとも見ることができる。
口語訳 | わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。 |
塚本訳 | 私はお前の(善い)業、(すなわち、異端と戦う)お前の労苦と、(私の名のためのお前の)忍耐とを知っている。また、(お前が教会を擾そうとする)悪者どもを我慢することが出来ず、且つ、使徒でもないのに(勝手に自分で)自分を使徒と称えている者どもを験して(化の皮を剥ぎ、)それが(大)虚言者であることを見破ったことを私は(よく)知っている。 |
前田訳 | わたしはなんじのわざと労苦と忍耐を知り、悪者を入れ得ず、自ら使徒というが、じつはそうでないものを試みて、彼らを偽(にせ)と見抜いたことを知る。 |
新共同 | 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。 |
NIV | I know your deeds, your hard work and your perseverance. I know that you cannot tolerate wicked men, that you have tested those who claim to be apostles but are not, and have found them false. |
註解: 信仰より出づる行為、愛による労苦、希望のための忍耐は凡てのキリスト者の当然有つべき事柄であり(Tテサ1:3および註参照)、この点においてエペソの教会は立派な状態に在った。
辞解
[知る] oida を用う、本書においてはキリストについては常にこれを用いて ginôskô を用いない。前者は一層直観的、徹底的である。なお「労」と「忍耐」とを「行為」の内訳と見る説あれど(B3)採らない。
また
註解: 悪を行う者を忍ぶは正義に対する鈍感を証明する。コリントの教会はかかる状態にあった。(Tコリ5:1以下参照)。然るにエペソの教会はかかる者を忍び得なかった。これを忍ぶは忍耐や寛容ではなく柔弱である。またエペソの教会は使徒と自称する偽使徒を試験してこれを見破った。これはエペソ人の信仰が如何に正しかったかを示す。当時すでに伝道者の中に自ら聖霊に感じたりと称して誤れる教をなすものがあった。
辞解
[忍ぶ] bastazô は背負わされてそのままにしていること。
[使徒] 巡回伝道者もかく呼ばれた。
[試みる] マタ7:16のごとく。
2章3節 なんぢは
口語訳 | あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。 |
塚本訳 | お前には忍耐がある。お前は私の名のために(凡てを)我慢し、そして倦まなかった(──これら凡てのことについて、私はお前を褒める)。 |
前田訳 | なんじは忍耐し、わが名のゆえに労して倦まなかった。 |
新共同 | あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。 |
NIV | You have persevered and have endured hardships for my name, and have not grown weary. |
註解: 苦難に対する忍耐である。当時すでに迫害が到る処に行われていた。これを耐え忍ぶことがキリスト者の第一の任務となった。そうしてエペソの教会はイエスの御名の故によくこれを忍んだ。
辞解
[忍耐] hupomonê を用い困難の下にありてこれに耐えることを意味す。「忍びて」bastazô 前節の「悪しき者を忍ぶ」の忍ぶと同語、苦難をその身に負うこと。二語の差に注意すべし。
2章4節
口語訳 | しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。 |
塚本訳 | しかしながら、お前を責めねばならぬことがある。それは、お前が(兄弟達に対して有っていた、あの)最初の(純な)愛を棄ててしまったことである。 |
前田訳 | しかしわたしにいい分がある、なんじは初めの愛を捨てた、と。 |
新共同 | しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。 |
NIV | Yet I hold this against you: You have forsaken your first love. |
註解: 異教的信仰の中心地において最初に十字架の福音によりて救い出されし当時はエペソの教会は主に在る愛に充ちていた(使20:37、38)。これ主イエスを心より愛していたからである。信徒間に外的結合が固くなり信仰の正邪につき審 くようになると往々にして最初の自然にして熱烈なる愛が失われるようになる。エペソの教会はかかる状態に陥った。
2章5節
口語訳 | そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。 |
塚本訳 | だから、お前は(そもそも)何処から堕ちて来た(のである)かを(よく)考えよ。そして悔い改めて、(あの)最初の(日のような善い)業をせよ。もしそうでなくして、悔い改めないならば、私は(直に)お前の所に行って、お前の燭台をその場所から(取り去って他に)移すであろう。 |
前田訳 | 思いみよ、どこから堕落したかを。悔い改めて初めのわざをなせ。さもなくばわたしはすみやかに来て、なんじの燭台をその場から除こう、なんじ悔い改めぬ限り。 |
新共同 | だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。 |
NIV | Remember the height from which you have fallen! Repent and do the things you did at first. If you do not repent, I will come to you and remove your lampstand from its place. |
註解: 我らはしばしば信仰の始めを回想する必要がある。信仰の始めは最も純粋にして真実である。これより堕落して信仰はその生命を失う。故に悔改めなければならぬ。而して初の愛に立還りこの愛より出づる行為を為すことを要する。前節の「愛」と本節の「行」とが全く同一物を指すごとくに用いられていることは意義深い事柄である。
註解: 「灯台」は地上における光としての教会を指す、この灯台を除かれた場合教会は地上の光たる資格を失い、真の教会としての存在は消滅する。多くの教会は現在その灯台を取除かれているのを見る。悔改めないからである。
2章6節
口語訳 | しかし、こういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる。 |
塚本訳 | しかし(また、)お前がニコライ派の(者どものあの忌まわしい)業を憎むこと、そのことはお前が有っている善い所である。私もそれを憎む。 |
前田訳 | しかしなんじにこの取り柄がある。なんじはニコライ人のわざを憎むが、それはわれもまた憎むところ。 |
新共同 | だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。 |
NIV | But you have this in your favor: You hate the practices of the Nicolaitans, which I also hate. |
註解: イエスの憎み給う処のものを憎むことは賞讃に値することである
辞解
[ニコライ宗] 14節によれば偶像に献げし物を食わせ、淫行をなさしむる者であって、一種の自由放任主義または無律法主義である。その名称の由来につき古よりの解釈として使6:5の七人の執事の一人なるアンテオケの改宗者ニコラオが、極めて厳格なる生活を送りし反動として堕落して無律法主義者となりしことより、かかる主義の人をニコライ宗と呼ぶとの説あり、近来はニコラオスは「民に勝つ」「民を打敗る」の意あり、バラムもこれをバラー、アムと読むことによりて同意義となる故ニコライ宗はバラム宗と云うに同じく一つの仮の称呼であると解する説がある(▲バラムについてはUペテ2:15、ユダ1:11を見よ)。本書の性質上名称に意を寓すること多き故この説最も有力である。特定の個人の主張または特定の教理ではなく当時の信者の徳性に対し有害なる影響を与える自由主義享楽主義的傾向を指したものと見るべきであるように思う。
2章7節
口語訳 | 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。 |
塚本訳 | 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には、神の楽園にある生命の樹からその実を食うことを許すであろう。 |
前田訳 | 耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者には神の楽園にあるいのちの木から食するを許そう』。 |
新共同 | 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」』 |
NIV | He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. To him who overcomes, I will give the right to eat from the tree of life, which is in the paradise of God. |
註解: キリストの言は御霊の言である。ヨハネは肉体の耳をもって物質的の音を聞いたのではなく霊の耳(単数なることに注意せよ)をもって霊の言を聴いたのである。そしてこの御霊の言はエペソのみならず、他の諸教会にも語られし処のものである(この命令は各教会に対して繰返されている)。
註解: 凡ての苦難と試誘 と欺瞞とに打勝ちて潔き生涯を終りまで全うすることを得るものは永遠の生命をもって報いられる。
辞解
[パラダイス] またエデンの園とも云われ(創2:8)罪なき人の住むべき場所。
[生命の樹の実] エデンの園にあり。人類の始祖アダムとエバは罪に堕りし結果、生命の樹の実を食うことを得ざるに至つた。罪のまま永遠に生きることは最大の不幸であるから。
要義1 [エペソの教会の状態]以上の諸節によリて考察すれば、エペソの教会はさすがにアジア第一の教会だけあって、堅き信仰に立ち、信仰の正邪を識別し(2節)、困難、迫害に耐え(3節)、偶像崇拝と享楽主義とを憎み(6節)、立派な信仰状態を保持していたことが判明 る(2節)。しかしながらこの種の教会に取リての危険は信仰生活が一の習性または形式となり、または一つの排他的信條となりて、その間に愛が欠乏することである。エペソの教会は当にかかる状態にあった(4、5節)。これは各個人についても、また各時代についても言い得る事実である。
要義2 [偽使徒の識別]偽使徒を識別するには、今日のごとく正式に当局より任命せられしや否や、または信仰箇條に一致する信仰を有つや否や等によらずまたよることができなかった。これらによりては決して使徒の真偽を知ることができない。その区別の標準は果して彼らが神より遣わされし者なりや否やの点に在った。そしてエペソの信徒は彼らの信仰の直観によりこれを識別したのである
要義3 [初の愛]人間同志の恋愛においても初は純粋にして熱烈なるを常とするのであるが、信仰においても同様の事実がある。キリストの十字架の血汐によりて自己の罪が贖われしことを示されし当初においては自己の心は全く打砕かれ、全心全霊をもってキリストを愛し、またその兄弟を愛する。この「初の愛」を失う場合はその愛は不自然となり、形式となる。そしてこの愛なき信仰は死ねる信仰である故初の愛を保持することは凡てのキリスト者にとりて最も必要である
要義4 [ニコライ宗]神のみに依り頼まざることが偶像崇拝であり、自己を喜ばせんとする享楽主義が淫行であるとすれば(黙2:14、15)この種のニコライ宗は何れの時代何れの国にも存在しないためしは無い。これは一つの宗派や教理ではなく人類を堕落せしむる一つの精神であって、この精神は今日の教会内にも有力なる支配者である。
口語訳 | スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。 |
塚本訳 | また、スミルナ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、最初の者、最後の者、(一度)死んで(今)また活きた者(である人の子)が斯く言うと── |
前田訳 | スミルナの集会の天使に書け。『こういいたもうのは、いやさきで、いやはて、死してまた生きかえられたもの。 |
新共同 | スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。 |
NIV | "To the angel of the church in Smyrna write: These are the words of him who is the First and the Last, who died and came to life again. |
辞解
[スミルナ] エペソの北にある海港で、当時より今日に至るまで小アジアの大都市である。皇帝礼拝が盛んに行われローマ帝国の圧迫の下にありユダヤ人の嫉視 もこれに加わりて、キリスト教徒の迫害が盛んであつた。有名なる監督ポリカープが殉教の死を遂げたのはこの地である。聖書にはこの地における教会の設立の歴史は録されていないけれども、伝説によればパウロは一度この地を訪うたとのことである。
「
註解: (黙1:17b註参照)
註解: (黙1:18註参照)迫害の下に悩む教会にとりては最後に悪しき者を審き給うキリスト、また復活の望みを与えるキリストは最も相応しきキリストである。
辞解
[生きし者] 黙1:18の「世々限りなく生きる者なり」と異なり不定過去形を用い復活の事実に中心を置く。
2章9節 われ
口語訳 | わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。 |
塚本訳 | 私はお前(が私の名のために受けた、また受けつつある数々)の患難と、(またお前の)貧しさとを知っている──しかし(貧しいのはただ外見だけであって、神の前では)お前は(一番)富んでいる(のである。)──また、(自分で)自分をユダヤ人であると称え(て誇り)ながら、(その実、決して真の)ユダヤ人でなく、むしろサタンの会堂に属する者達からの罵詈を(お前が受けていることを、)私は知っている。(お前が今日までよくこれに耐えて来たことを私は褒める。) |
前田訳 | わたしは知る、なんじの苦しみと貧しさを。しかしなんじは富んでいる−−自らユダヤ人というが、じつはしからず、サタンの会堂であるものからけがしごとを受けていることも知る。 |
新共同 | 「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。 |
NIV | I know your afflictions and your poverty--yet you are rich! I know the slander of those who say they are Jews and are not, but are a synagogue of Satan. |
註解: 迫害その他によりスミルナの信徒は艱難を嘗め貧窮に陥っていた、これらのことは主凡てこれを知悉 し給う(単に知識として知るのではなく、これについて深く心を労し給う)。しかもかかる状態の下に彼らの霊的状態は益々恩恵と信仰とに富んでいた。ラオデキヤの教会の姿はその正反対であった。
註解: イエスやパウロと同じく、スミルナの信徒は殊にユダヤ人より譏 られていた。かかるユダヤ人はヱホバの会(民16:3、民20:4)に属せず サタンの会 synagôgê (黙3:9)に属する(▲synagôgêはユダヤ人の会堂のこと。マタ4:23、マタ6:2その他参照)。ゆえに名のみユダヤ人であって真のユダヤ人ではない(黙3:9。ロマ2:28。ガラ6:16)。従ってキリスト者を迫害するのは当然である(ヨハ8:42−44)。ここに真のユダヤ人と云うはキリスト者を指すと見るべきであって、黙示録全体の立場としてユダヤ人のみの特別の救いを認めていない。ユダヤ人もキリストを信ずることによって救われ、異邦人のキリスト者は真の意味のユダヤ人となる。
2章10節 なんぢ
口語訳 | あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。 |
塚本訳 | お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。 |
前田訳 | 来たるべき苦しみをおそれるな。見よ、悪魔がなんじらのあるものを牢に投げ入れて試み、十日間、なんじらは苦しもう。死に至るまで忠実であれ。いのちの冠を与えよう。 |
新共同 | あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。 |
NIV | Do not be afraid of what you are about to suffer. I tell you, the devil will put some of you in prison to test you, and you will suffer persecution for ten days. Be faithful, even to the point of death, and I will give you the crown of life. |
註解: (▲▲「試み」は「試誘 」の意。)御霊はスミルナの教会に臨むべき苦難をここに予告している。これは悪魔の試みに過ぎないのであるから有限でありやがては取除かるべきものである故、懼れてはならない。
辞解
[十日のあひだ] 十の数につきては緒言参照。人間にとりては充分なる期間であってそれ以上耐え難きことを意味する。
なんぢ
註解: ここに迫害の結果として殉教の死を予想し、死に至るまで忠実にその信仰を維持してキリストより離るべからざることを教えている。かかる者には勝利の印の冠として永遠の生命が約束されている。ポリカープのごときはその最も良き例である。
辞解
[生命の冠冕 ] 生命に冠する冠冕 ではなく、永遠の生命そのものが冠冕 である。
2章11節
口語訳 | 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない』。 |
塚本訳 | 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。 |
前田訳 | 耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者は第二の死に害なわれまい』。 |
新共同 | 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」』 |
NIV | He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. He who overcomes will not be hurt at all by the second death. |
註解: (7節註参照)
註解: 第一の死は肉体の死、第二の死は一旦復活して後に審判 かれて永遠の苦痛に入ること (黙20:6、黙20:14。黙21:8)である。 迫害の中を忠実に通過せる者は第二の死に害 われることなく第一の復活(黙20:5)に与りて永遠に生きることができる。
要義1 [スミルナの教会の状態]七つの教会の中で非難を受けること最も少いのはスミルナの教会である。これ教会は迫害の中に在る場合に最も緊張していることを示す一例であると共に、迫害の中にある子らに対してさらに非難叱責の声を浴せることは、傷める葦を折ることなきイエスにはできないことを示す。ポリカープによりて指導されしスミルナの教会が如何に霊的に富んでいたかはこれによりても察知することができる。
要義2 [迫害について]主の名のために迫害されることはキリスト者にとりては恩恵でありまた光栄である。信仰の純真はこれによりて保たれ神の愛はこれによりて益々豊かに注がれる。そして迫害に対する態度は唯終りまで忠実であるべきことに尽きている。死に至るまで忠実なりしイエスの弟子たちはまた死によリてその忠実を証しなければならない。迫害は信仰の最良の試金石である。
口語訳 | ペルガモにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次のように言われる。 |
塚本訳 | またペルガモ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、(人の子、その口に)鋭い両刃の剣を有っている者が斯く言うと── |
前田訳 | ペルガモンの集会の天使に書け。『こういいたもうのは鋭い両刃の剣を持ちたもうもの。 |
新共同 | ペルガモンにある教会の天使にこう書き送れ。『鋭い両刃の剣を持っている方が、次のように言われる。 |
NIV | "To the angel of the church in Pergamum write: These are the words of him who has the sharp, double-edged sword. |
辞解
[ペルガモ] スミルナの北約百キロメートルの処にあり、ムシヤの一都市でエペソ、スミルナに及ばないけれども殷賑 にして美わしき一大都市であつた。そこに多くの神々の宮があり、またアウグスツス帝を祭る神殿あり神殿の町と称えられていた。従ってキリスト教に反対する偶像信仰の力が非常に強烈であつたことは当然である。「サタンの座位」(13節)とはこの事実を指したものであろう。
「
註解: (黙1:16b註参照)真の信仰と偶像的信仰との境界は必ずしも明確ではない。Tコリ5章。Tコリ6:12−20。Tコリ8章。エペ5:3−14等にパウロがその区別の標準を示したのはその必要からであった。ここにイエスを「両刃の利き剣を持つもの」として示したのは、これによりて彼らの心の髄を打開き彼らの心の中の不純物を示さんがためである。
2章13節 われ
口語訳 | わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある。あなたは、わたしの名を堅く持ちつづけ、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住んでいるあなたがたの所で殺された時でさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。 |
塚本訳 | 私はお前がどんな処に住んでいるかを知っている。其処にはサタンの玉座がある(ため、お前の信仰を言い表わすことがどんなに難しいかを私はよく知っている。)しかもお前は私の名を(堅く)守って、私の忠実な証人(であったあの)アンデパスが、お前達の間(で、すなわち)サタンの住んでいる処で殺された時にも、(なお)私(へ)の信仰を捨てなかった。(このことを私は褒める。) |
前田訳 | わたしはなんじの住むところ、サタンの座を知る。なんじはわが名を守り、わが真実を否まなかった、わが忠実な証人アンテパスがサタンの住むなんじらのところで殺された日にも。 |
新共同 | 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。 |
NIV | I know where you live--where Satan has his throne. Yet you remain true to my name. You did not renounce your faith in me, even in the days of Antipas, my faithful witness, who was put to death in your city--where Satan lives. |
註解: ペルガモのキリスト者の住むところはサタンの働きの中心地であり皇帝礼拝、偶像崇拝、享楽主義等においてサタンが最も暴威を振っている処である。
辞解
[サタンの座位] 何を指すかにつきて諸説あり、(1)異教の中心地たること、(2)ゼウスの神殿があること、(3)アスクレピオスの宮があること、(4)皇帝礼拝が盛んなること、(5)アンテパスが殉教せること等を指すと解されているけれども、かかる一事実を指したのではなく、これらの諸事実ならび享楽主義等、神の民に敵し、またこれを試誘 せんとするあらゆる力がペルガモの市に充満しその王座を占めていたことを指すものと見るを可とす。
註解: サタンの迫害と誘惑の激しき処においてキリストの御名を確く保ち彼に対する信仰を維持することは容易ではない。然るにペルガモの信者はその中より殉教者が顕われし時ですらなおその信仰を棄てなかったことは確かに賞讃に値することであった。
辞解
[アンテパス] この人名につきては信ずべき伝説は存在しない。これを実際の人名と見るよりも他の多くの固有名詞と同じくこれを寓意的に「凡てに敵するもの」の意に解し、サタンの支配する社会においては神に属する者は凡てに敵しなければならないことを示し、これを殉教者の名称とせるものと見ることは今日多くの学者に好まれないけれども、実在の人名を用いざる本書においてはかく解すべきであろう。
2章14節
口語訳 | しかし、あなたに対して責むべきことが、少しばかりある。あなたがたの中には、現にバラムの教を奉じている者がある。バラムは、バラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである。 |
塚本訳 | しかしながら、少しくお前を責めねばならぬことがある。それはお前の処にバラアムの教えを奉じている者があることである。彼は(お前も知っているように、)バラクに教えてイスラエルの子ら(を誘い、そ)の前に躓物を置き、(彼らをして)偶像の供物を食わせ、淫行を行わしめたのである。 |
前田訳 | しかしわたしに少しいい分がある。なんじのところにバラムの教えを守るものたちがいる。彼はバラクに教えてイスラエルの子らにつまずきを与え、偶像への供え物を食べさせ、不義をさせた。 |
新共同 | しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。 |
NIV | Nevertheless, I have a few things against you: You have people there who hold to the teaching of Balaam, who taught Balak to entice the Israelites to sin by eating food sacrificed to idols and by committing sexual immorality. |
註解: サタンの「迫害」には敢然として抗することができたペルガモのキリスト者も、サタンの「誘惑」に対しては案外に弱かった。これキリストの責め給える点である。たしかにイエスの御名を堅く保つ者のある半面に、単に空名を保つに過ぎないものがあり、サタンはかかるものを惑わしたのである。サタンの誘惑は偶像に献げしものを食すること、すなわちサタンの僕たるこの世の人々と同一の歩調を取りこれと妥協することおよび当時の風習に従い淫行を行うことであり、殊にキリスト者中のある者がこれを為しかつかく教えたため他のキリスト者も容易にこれに誘われた。近代のキリスト者は財宝を神とし享楽主義と淫する点においてみなバラムの弟子である。
辞解
[バラクとバラム] 民22:1−25:5(J、E資料)および民31:8および民31:16(P資料)参照。J、E資料とP資料との間には差異あり、前者においてはバラムがイスラエルの前に躓物を置きしもののごとくに録されず後者においてかく録されている。本節はこの後者に依つたものである。ただしJ、E資料を注意して読む者はバラムの心に財宝を求めつつ口にエホバとその民とを祝福せる事実を見ることができる、また神の民が神の敵に祝福されることはかえって大なる誘惑の危険に晒されていることとなる (民31:16。Uペテ2:15、16。ユダ1:11参照) 。すなわちバラムのごとき態度をもってペルガモのキリスト者を誘う者が信徒の中に在った。偶像に献げし肉の問題についてはTコリ8−10章を見よ。「一二あり」は原語「少しく」。神はその民を妻として愛し給う故に神に背くことは淫行である。
2章15節
口語訳 | 同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教を奉じている者もいる。 |
塚本訳 | 斯くお前(の中)にもまた、同じくニコライ派の教えを奉じている者がある。 |
前田訳 | 同じように、なんじのところにニコライ人の教えを守るものもいる。 |
新共同 | 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。 |
NIV | Likewise you also have those who hold to the teaching of the Nicolaitans. |
辞解
[ニコライ宗] 6節辞解参照、本節と前節とにより「バラムの教」と「ニコライ宗の教」とが同一であり、かつ一つの教派ではなく一つの精神であると見る方が事実に近いであろう。かく見ればニコライ宗は何時何れの処にも存在する。
2章16節 さらば
口語訳 | だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう。 |
塚本訳 | だから(早く)悔い改めよ。もしそうでないならば、私は直にお前の所に行って、私の口の剣を以て彼らと戦うであろう。 |
前田訳 | 悔い改めよ、さもないとわたしはすみやかに来てわが口の剣で彼らと戦おう。 |
新共同 | だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。 |
NIV | Repent therefore! Otherwise, I will soon come to you and will fight against them with the sword of my mouth. |
註解: この世と妥協し、苟合 しこれと淫を行うことをもって世を愛しこれを導くことであるように誤解し、また信仰の自由による行動のごとくに主張する人がある。かかる教の正邪を区別するものはイエスのロより出づる両刄の剣すなわち神の言であって、凡ての隠れし悪を割ち分つことができる。イエスはこれをもってかかる偽教師と戦い給う(黙1:16)。
2章17節
口語訳 | 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある』。 |
塚本訳 | 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者には隠されたマナを与えるであろう。また白い石を与えるであろう。その石の上には、(それを)貰った者でなければ誰も(その意味を)知らない新しい名が書かれてある。 |
前田訳 | 耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け。勝利者には隠されたマナを与え、白い石を与えよう。その石にはそれを受けるもののほか、だれも知らない新しい名が書いてある』。 |
新共同 | 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」』 |
NIV | He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. To him who overcomes, I will give some of the hidden manna. I will also give him a white stone with a new name written on it, known only to him who receives it. |
註解: (7節註参照)。
註解: 偶像にささげしものを食わず、世の罪と交らずして終りまで勝ちを得るものには、神との交りを得しめ神の賜う天よりのマナの饗応に与ることを得しめるであろう。
辞解
[かくれたるマナ] マナについては出16:14以下参照。「かくれたる」は、契約の櫃と共にマナを容れたる金の壷が(ヘブ9:4)カルデヤ人によりて神殿が破壊される前に、エレミヤまたはヨシヤによりて何れにか隠されたとの伝説によりたるものなるべく(バルク黙示録29:8参照)聖餐がキリストとの交りを示すと同じく、マナの饗応は神との交りを示す。すなわち神によりて霊的に養われること。
また
註解: 「白き石」は勝利の徴であり(アレクス、アンドレアス、Z0)、「新しき名」は天国の民としての新なる身分と共に与えられし新しき名であり(イザ62:2。イザ65:15。創32:29。黙3:12)、「たれも知らざる」は天国の民たる資格は神より直接に与えられて何人もその間に介在せず、神の直伝なる貴重なる名称たることを示す(黙19:12)。本節前半マナは誘惑に対し後半白き石は迫害に対す。
辞解
[白き石] 何たるかにつきては多種多様の想像説あり、(1)近来最も多く採用される説は(B3、S3、H0)当時広く行われし災厄除の守札に秘密の名を録しこの名の霊験によりて災厄を免れることに関連すと見る説である。その他(2)裁判所における無罪の投票に白き石を用いること、(3)アロンの胸当またはウリム、(4)自由饗応の切符等その他数多くあれど、ここでは迫害に対する勝利の印と見ることが前後の関係に最も適当している(Z0)。
[受ける者の外誰も知らざる新しき名] ギリシャの競技において勝者に対し白き石に勝者の名を印したるものを勝利の証として与えた。
[新しき名] 日本人が死して諡号 または戒名を与えられるごとく新しき資格の証として与えられる名。
要義1 [ペルガモの教会の状態]12−17節の録す処によれば、ペルガモの教会は最も強き迫害と誘惑とに曝されていた。そしてその信徒は迫害に対して大なる勇気をもってこれと戦いイエスに対する忠実を示したけれども、誘惑に対しては極めて弱く容易に世と妥協し、サタンと交り、その饗応に与リ、その淫行に感染した。かかる者に対してはイエス自ら剣を取リてこれと戦い給う。かかる者はキリストの御名を称えつつ実はその敵である。
要義2 [イエスの空名を保つもの]イエスの名を保つことは絶対の必要である。しかしながらイエスの空名を保つことは危険である。単にイエスの空名を保つのみである場合には、その反面に必ず偶像崇拝と淫行とがこれに伴って発生する。これイエスの空名を保つことによリて油断しつつあるに乗じてサタンがこれをその陥穽 に陥れんとするが故である。ペルガモの信徒の長所が同時にその短所となったのはかかる意味においてであった。
要義3 [試誘 の二方面]サタンは迫害と誘惑とを巧みに使い分ける。一方に大なる迫害をもってキリスト者を威嚇しつつ、他方に彼らの逃げ途に陥穽 を置き、世と妥協せしめて彼らをサタンの術中に陥れんとする。我らの注意を要するはかかる場合であって、我らは迫害の中に死に至るまで忠実であることを要求すると共にサタンの饗応に与り彼らの交りに入らないように非常なる警戒を要する。これは神に対する背信であり偶像との姦淫である。この両方面よりの攻撃に勝ち終せる者は、天のマナの饗宴に与って神との交りに入り、白き石を与えられて勝利の凱歌を奏することができる。
要義4 [バラムの教]心に財宝と享楽を求めつつ祝福したのがバラムであった。今日の全世界のキリスト者は今日の世界と共にその物質的幸福の偶像を拝し豊かなる享楽と姦淫を行っている。かくして口に神の御名を唱えるならばそれは明かにバラムの態度である。キリスト者はこの世に詛われ迫害される時かえって幸福であり安全である。
口語訳 | テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。 |
塚本訳 | また、テアテラ教会の御使いに(斯く手紙を)書け、神の子、【その】目は焔のよう、その足は真鍮に似ている者が斯く言うと── |
前田訳 | テアテラの集会の天使に書け。『こういいたもうのは神の子。火の炎のような目があり、足は輝く真鍮に似る。 |
新共同 | ティアティラにある教会の天使にこう書き送れ。『目は燃え盛る炎のようで、足はしんちゅうのように輝いている神の子が、次のように言われる。 |
NIV | "To the angel of the church in Thyatira write: These are the words of the Son of God, whose eyes are like blazing fire and whose feet are like burnished bronze. |
辞解
[テアテラ] ペルガモの東南約六十五キロの処にあり、サルデスとの間に位す、エペソ、スミルナ、ペルガモ等に及ばないけれども工業都市として有名であり、多くの組合があり、使16:14のルデヤもその一人であつたろうと想像される。その他染色工業、毛織業をもって有名であった。教会は比較的小さかったらしく主として異邦人より成り、二世紀の終りには教会は消滅していたとのことである。
「
註解: 黙1:14、15参照。ここにキリストは人の腎 と心とを究 める目と(23節)これを審き給う足とを持ち給うことを表す。「神の子」なる名称は黙示録にてはこの処のみに用いられている。
2章19節 われ
口語訳 | わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。 |
塚本訳 | 私はお前の(善い)業、(すなわち、)お前の愛と信仰と働きと忍耐と、そしてお前の後の業は先のものよりも大きく(立派で)あることとを知っている。(私はこれを褒める。) |
前田訳 | わたしは知る、なんじのわざと愛と真実と奉仕と忍耐を。なんじの後のわざは、はじめのそれにまさる。 |
新共同 | 「わたしは、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。更に、あなたの近ごろの行いが、最初のころの行いにまさっていることも知っている。 |
NIV | I know your deeds, your love and faith, your service and perseverance, and that you are now doing more than you did at first. |
註解: エペソの教会よりも一層丁重に賞讃の辞を用いているのはやがて大に叱責せんとする準備とも見ることができる。
辞解
[行為] 黙示録は審判の対象として常に行為を主なる地位に置く、この「行為」と「愛」と「信仰」とを合して一の完全なる信者の生活を描き出している。これに希望に伴う苦難に対する「忍耐」を加えたのは当時の時勢が然らしめたのである。ことさらに「職」diakonia ( ロマ15:25、ロマ15:31。Tコリ16:15。Uコリ8:3 と同じく貧しき人に施すこと)を加えし所以はテアテラの信徒が殊にこの方面に優れていたからであろう。
註解: テアテラの信者の信仰状態はエペソと異なりむしろ進歩しつつあったことは著しい事実である。
2章20節 されど
口語訳 | しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。 |
塚本訳 | しかしながら、お前を責めねばならぬことがある。それは、お前が(あの妖婦──(勝手に自分で)自分を女預言者と称して、私の(善い)僕達を教え惑わし、淫行を行わしめ、偶像の供物を食わせる(あの)女エザベルを(黙って)放って置くことである。 |
前田訳 | しかしわたしにはなんじにいい分がある。女イゼベルを放置するがゆえに。彼女は預言者と自称し、わが僕らを教え迷わせて不義をさせ、偶像への供え物を食べさせる。 |
新共同 | しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、わたしの僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている。 |
NIV | Nevertheless, I have this against you: You tolerate that woman Jezebel, who calls herself a prophetess. By her teaching she misleads my servants into sexual immorality and the eating of food sacrificed to idols. |
註解: 教会内に不純の分子を認容することは大なる危険である。テアテラの教会における腐敗のパン種も、エペソおよびペルガモの場合と同じく淫行と偶像に献げし物を食わしむることであった。すなわちこの世と淫を行い、この世の神なるサタンとの交りに入り、神に対する貞潔を汚すことであった。そしてテアテラの教会はかかる精神を鼓吹する者を排斥せずしてこれを認容しておりし点において大に責むべき点があった。
辞解
[イゼベル] アハブ王の后で異邦の王女でありアハブ王およびイスラエルをして偶像を拝せしめた邪悪の標本的人物である(T列18:4、T列18:19。U列9:22)。本節の「イゼベル」をある女預言者の表徴的名称なりとし、またはある特定の人、または特定の教を指したるものと解する説あれども、むしろバラム教やニコライ宗の場合と同じく、イゼベルをもって代表される精神または主義を指したものであろう(S3、A1)。それゆえに「かれの子供」(23節)のごときもこれを表徴的に解するを可とす。
2章21節
口語訳 | わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。 |
塚本訳 | 私は(度々彼女を、戒め、)彼女に悔い改めの時を与えたけれども、彼女は(私の言に従って)その淫行から悔い改めようとしない。 |
前田訳 | わたしは彼女に悔い改める時を与えたが、彼女は不義から悔い改めようとしない。 |
新共同 | わたしは悔い改める機会を与えたが、この女はみだらな行いを悔い改めようとしない。 |
NIV | I have given her time to repent of her immorality, but she is unwilling. |
註解: イエスはテアテラにおけるこの種の精神を教える者を直ちに罰し給わず、一定の余裕を与えてこれを悔改めしめんとし給うたけれども彼らはそれを欲せずして今に至っている。
辞解
[機] chronos は「期間」、ある余裕を与えたること。
[与うれど] 「与えたれど」と訳すべき不定過去形で、ある特定の事実を指す。
[欲せず] 現在形で今もなおその状態をつづけている。
口語訳 | 見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。 |
塚本訳 | (だから)視よ、私は彼女を(その快楽の床から疫病の)床の中に投げ入れる。そして彼女と姦淫を犯している者も、もし彼女(から惑わされた淫行)の(忌まわしい)行為から悔い改めないならば、大きな患難に投げ入れる(であろう)。 |
前田訳 | 見よ、わたしは彼女を病床に投げすて、彼女と不義をなすものを大きな苦しみへと投げこむ、もしそのわざから彼らが悔い改めなければ。 |
新共同 | 見よ、わたしはこの女を床に伏せさせよう。この女と共にみだらなことをする者たちも、その行いを悔い改めないなら、ひどい苦しみに遭わせよう。 |
NIV | So I will cast her on a bed of suffering, and I will make those who commit adultery with her suffer intensely, unless they repent of her ways. |
註解: 「牀 」は病の床であって、淫行の床に在るものは審かれて病の床に投入れられる。主の審判のあざやかさを示す。
辞解
[かれ] 「彼女」でイゼベルを指す、従ってイゼベル主義を教える人または人々を意味す。
註解: イゼベルと共にその姦淫の行為にならう者すなわちイゼベル主義の共鳴者も、もし悔改めずば激しき審判を免れることができない。
辞解
[かれと共に姦淫を行ふ] イゼベルに対して姦淫する意味ではなく、イゼベルと同様に、またこれと一緒に姦淫を行うこと(A1、B3)。
[その行為] 「彼女の行為」で彼らが行う行為はイゼベル主義の行為である。
口語訳 | また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。そしてわたしは、あなたがたひとりびとりのわざに応じて報いよう。 |
塚本訳 | そして、彼女の子供らを(も)疫病をもってうち殺すであろう。斯くして全教会は、私が(人の最も隠れた所である)腎臓をも心臓をも尋ね究め(て、彼らを罰す)る者であることを知る(に至る)であろう。そして(また、)私はお前達の業に従って一人一人に報ゆるであろう。 |
前田訳 | 彼女の子らを死で滅ぼそう。そうすれば、すべての集会はわたしが肝と心を見極めるものであることを知ろう。わたしはなんじらおのおのに、わざに従って報いよう。 |
新共同 | また、この女の子供たちも打ち殺そう。こうして、全教会は、わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは、あなたがたが行ったことに応じて、一人一人に報いよう。 |
NIV | I will strike her children dead. Then all the churches will know that I am he who searches hearts and minds, and I will repay each of you according to your deeds. |
註解: イゼベル主義の中に生れその主義の中に育ちたるものもまた審かれ、これによりて間接にまたイゼベルに対する審判が行われるであろう。これアハブ王の罪(后イゼベルにより陥りし罪)のためにその七十人の子が殺されし事実(U列10:7)を寓したものである。
辞解
[かれの子] イゼベルをテアテラに実在せる一人の女預言者と見、「子」をその姦淫による実際の子と見る解釈を取る学者が多いけれども(B3、H0、E0)あまりに文字の意味に固執することは本書の性質に反する故、これをこの種の思想または精神の後裔 と見るを可とす(S3、S1)。
註解: 神と同じく(詩7:9、エレ17:10)キリストは人心の奥底を洞察し給う。彼がテアテラの教会に対して下す大なる患難は、彼らの行為に対する報償で彼の焔のごとく輝く偉大なる眼光が如何に鋭いかを示す(18節b)。また彼は凡ての者の行為を洞見しこれに従いて審判と報賞とを与え給い、輝ける真鍮のごとき足の偉力を示し給う(18節c)。
辞解
[腎 ] 心の奥底に潜む思想感情を指すに用いられる。
[汝ら] イゼベルの弟子たち、子たちをも含ましめたのである。
2章24節
口語訳 | また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。 |
塚本訳 | しかし(この)他のテアテラの人達──この(エザベルの)教えを受けず、いわゆる「サタンの深い所」を知らなかったお前達に私は言う──私は(何も新しい)他の重荷をお前達に負わせ(ようとは思わ)ない。 |
前田訳 | なんじらテアテラの残りのもので、彼女の教えを持たず、いわゆるサタンの深みを知らぬものにいう、ほかの重荷をなんじらには負わせない、と。 |
新共同 | ティアティラの人たちの中にいて、この女の教えを受け入れず、サタンのいわゆる奥深い秘密を知らないあなたがたに言う。わたしは、あなたがたに別の重荷を負わせない。 |
NIV | Now I say to the rest of you in Thyatira, to you who do not hold to her teaching and have not learned Satan's so-called deep secrets (I will not impose any other burden on you): |
註解: 主は22−23節においてイゼベル主義者に対する審きを宣言し給い本節以下においてその他の人々に対する注意を与え給う。イゼベル主義者達は自ら信仰の自由を把握し、神の深きところを知れりと称し、彼らの教えに従わざる者を指して「深きところを知らぬ者」「浅薄なるもの」と称していた、しかしながら「彼ら」すなわちイゼベル主義者またはニコライ主義者の知っている深きところは神の深さではなくサタンの深さであることを主イエスは示し給う。「かかる事を知らぬ汝ら」こそかえって幸である。
辞解
[所謂] 邪教を唱える者どもが言う語。
[サタンの] 彼らの言と見るよりも主イエスの解説と見る方が適当である。
註解: イゼベル主義を断然拒否することは異教国に生活する上に非常な重荷であるけれどもこれだけは負わなければならない。しかしこれ以上の重荷を主は我らに負わせ給わない。
辞解
[ほかの] (1)次節以外の(B3)。(2)使15:28、29の使徒会議の決議以外の(S3、A1)等の解あれど前者は文法的に困難であり(A1)、後者は実質上は差支えが無いけれどもあまりに連絡がはなれている故、上掲のごとくに解するを可とす(H0)。
2章25節 ただ
口語訳 | ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。 |
塚本訳 | ただお前達は、私が(再び)来る(時)まで、(いま)有っているものを(確り)握って居れ。 |
前田訳 | ただ、わたしが来るまで、なんじらが持つものを堅く保て。 |
新共同 | ただ、わたしが行くときまで、今持っているものを固く守れ。 |
NIV | Only hold on to what you have until I come. |
註解: 19節のごとき信仰を有っている彼らは唯これを維持して行くだけで結構である。キリストの再び来給う時までこの信仰を維持して行けるならば、それは非常なる勝利である。
辞解
[保て] 不定過去形命令法で、現在形命令怯に比して意味が強められている。
2章26節
口語訳 | 勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。 |
塚本訳 | 勝利を得て最後まで私(に対する信仰)の業を保つ者には、諸国の民の支配権を与え、 |
前田訳 | 勝利者でわがわざを終わりまで守るものには、諸民を治める権威を与えよう。 |
新共同 | 勝利を得る者に、わたしの業を終わりまで守り続ける者に、/わたしは、諸国の民の上に立つ権威を授けよう。 |
NIV | To him who overcomes and does my will to the end, I will give authority over the nations-- |
註解: イゼベル主義者が審判によりて亡ぼされることの反対にイエスの命を守るものにはイエスに約束せられしと同様の(詩2:8以下)権威が約束され諸国の民の支配者たるべき権威が与えられる。イエスの足が輝ける真鍮のごとくなるに相応している。
辞解
[我が命ぜしこと] 直訳「我が業」または「我が行為」で22節の「その(彼女の)行為」と相対している。
[イエスの業を守る] イエスが我らをして為さしめ給う業を守ることで改訳で大意は通ずる。▲口語訳はこれを「わざ」と改めている。
2章27節
口語訳 | 彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。 |
塚本訳 | 彼は(聖書にあるように、)鉄の杖を以て彼らを牧し、(彼に手向かう者を)土の器のように打ち砕くであろう。 |
前田訳 | 彼は鉄の杖で彼らを牧しよう、土の器が砕かれるように。 |
新共同 | 彼は鉄の杖をもって彼らを治める、/土の器を打ち砕くように。 |
NIV | `He will rule them with an iron scepter; he will dash them to pieces like pottery' -- just as I have received authority from my Father. |
註解: 詩2:9にメシヤが諸国を治むる姿が預言せられているごとくに、キリスト者は諸国の民を絶対の権力をもって治め、従わざるものはこれを打砕くであろう。
辞解
[鉄の杖] 黙12:5。黙19:15。破壊力の強さを示す。
[治め] poimainô「牧する」で一方に羊を牧するがごとくに治め他方に羊を損うものを土の器を砕くがごとくに砕く。
口語訳 | わたしはまた、彼に明けの明星を与える。 |
塚本訳 | そして私が私の父から(それを)戴いたように、彼にもまた暁の明星を与えるであろう。(彼は斯くして新しい救いの光に接することが出来るであろう。) |
前田訳 | それはわたしが父から受けたごとくである。わたしは彼に明けの明星を与えよう。 |
新共同 | 同じように、わたしも父からその権威を受けたのである。勝利を得る者に、わたしも明けの明星を与える。 |
NIV | I will also give him the morning star. |
註解: 黙22:16によればキリストは曙の明星である。これキリスト再臨し給う時は、これによりてやがて来るべき新天新地の旭光の前駆として曙の明星のごとくに輝くからである。本節は前節と同じくこのキリストの特質が信徒に与えられることの約束であって、この意味においてキリスト者は新天新地の曙を告ぐる朝の明星である。
辞解
[曙の明星] キリスト御自身と解する説の他種々の解釈あり、何れとも確定し難き故前掲の解釈を取る。
2章29節
口語訳 | 耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい』。 |
塚本訳 | 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。 |
前田訳 | 耳あるものは、霊が諸集会にいうことを聞け』。 |
新共同 | 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』 |
NIV | He who has an ear, let him hear what the Spirit says to the churches. |
註解: テアテラの教会に与うる書簡以下の諸書簡において「耳ある者は云々」が最後に来る。この順序の変更につきては理由不明なり。
要義1 [テアテラの教会の状態]18−29節によりて推察するところによればテアテラの教会は二つの傾向に分たれていた。その一は真面目に信仰の生活を送り苦難に耐え、貧しきものに施し、主イエスの命に従順に従う処の人々であり、他の一はイゼベル主義を奉じニコライ主義と同じく世と妥協し、世の人と同一の行動に出てある程度の偶像崇拝と享楽主義とを是認し、信仰の自由を濫用する人々であった。そして前者は後者を教会内に認容していたのである。かかる状態に対してはイエスの厳然たる審判が行われることが必要であった。22−23節はこのことを示す。
要義2 [悪の主義の絶対拒否]アハブがイゼベルを容れしことがイスラエルに臨める凡ての禍害の源であった。斯のごとくイゼベル主義すなわちキリストを離れて偶像と交る主義は遂には全教会を淫行の中に滅ぼすに至るものである。それ故にキリスト者はかかる主義をば断然これを拒否して教会の神聖を保たなければならない。今日の教会の多くの堕落はこのイゼベル主義の侵入を防がなかったからである。
要義3 [イゼベル主義]イゼベルの主張する処はニコライ主義と差異がない。最も恐るべきは神を信ずる心が動揺することである。そしてこの種の堕落は今日のキリスト教会内に常に目撃する処であリキリスト者として非常に警戒を要することである。