黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第13章

分類
7 集会礼拝に関する諸問題 11:1 - 14:40
7-4 愛の讃歌 13:1 - 13:13
7-4-イ 愛なき賜物の無益なる事 13:1 - 13:3

註解: 此の一章は12章と14章との接続点をなしていて、12章にて説明せられし霊の賜物を正しく用うるが為には14章の如き注意を要するけれども、此の注意の根本に横たわるものは凡ての賜物よりもまされる、愛の精神に他ならぬ事を示しているのである。而して此の章は此の前後の関係より切り離しても立派に独立せる意味を有つているのであつて、パウロの深き体験より流れ出でし愛の讃歌として古より凡ての聖徒を力付けし一章である。

13章1節 たとひ(われ)もろもろの[(くに)(びと)(ことば)および御使(みつかひ)(ことば)(かた)るとも、(あい)なくば()(かね)(ひび)鐃鈸(ねうはち)(ごと)し。[引照]

口語訳たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
塚本訳たといわたしが人間や天使の霊言を語っても、愛がないなら、響くゴング、騒々しいシンバルである。
前田訳たとえわたしが人のことば、また天使のことばを語っても、愛がなければ、響くどらや騒がしいシンバルに過ぎません。
新共同たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
NIVIf I speak in the tongues of men and of angels, but have not love, I am only a resounding gong or a clanging cymbal.
註解: 茲にパウロはコリントに於て異常に尊重せられし異言の賜物を先づ第一に掲げて、愛なしには此の賜物も意味無き事(あたか)も楽器の空音の如きものである事を示している。異言そのものは、一見非常に高き霊的状態の如くであるけれども、之を動かすに愛を以てしないならば無益無意味のものである。其の大なる音声は人を驚かし、又は之を感動せしむる事はあつても結局無意味の空騒ぎに過ぎない。今日の教会に於ても神癒とか、聖霊による恍惚状態とかに重きを置きて愛を無視する者は此の誤に陥つているのである。
辞解
[もろもろの人の言及び天使の言] 人間社会に行われている種々の言語及び天上界にのみ行われる言語、要するにあらゆる言葉を語る事。
[鐘] 恐らく単に真鍮の片か又は金属製の板の如き楽器ならん。
[鐃鈸(にょうはち)] 打ちて高き騒がしき音を出す金属製のたらい形の楽器。
[の如し] 直訳すれば「愛なくば我は・・・となりたるなり」で、愛なくして霊の賜物を有つ者はかかる無益のものに堕落したのである事を示す。
[愛] 要義を見よ。

13章2節 假令(たとひ)われ預言(よげん)する能力(ちから)あり、(また)すべての奧義(おくぎ)(すべ)ての知識(ちしき)とに(たっ)し、また(やま)(うつ)すほどの(おほい)なる信仰(しんかう)ありとも、(あい)なくば(かぞ)ふるに()らず。[引照]

口語訳たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
塚本訳またたといわたしが預言の賜物を持ち、あらゆる秘密とあらゆる知識とに通じていても、たといわたしがあらゆる信仰を持っていて山を動かすことができても、愛がないなら、わたしは無価値である。
前田訳たとえ預言があり、すべての奥義とすべての知識に達しようとも、そして山を移すほどの全き信仰があろうとも、愛がなければ、わたしは無です。
新共同たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
NIVIf I have the gift of prophecy and can fathom all mysteries and all knowledge, and if I have a faith that can move mountains, but have not love, I am nothing.
註解: 1-3節に於て12:8-10に示されし三種の霊の賜物を網羅している。或人は預言の賜物を持ち神の御旨を感じ之に動かされて神の事につきて預言する。人は其の言の力強さに動かされるであろう、されど愛なくば「無に等しい」。又神学に詳しく聖書の知識を有ち、神の経綸の奥義に就きて深き広き悟りを有つていても愛なくば我は無価値である。(ただ)にそれのみではない、最も大切なる信仰があつても、否其の信仰が非常に強くして山を移す程であつても愛なくば無に等しい。実に愛は我に与えられし凡ての賜物を聖くし美わしくし永遠に真価あらしむるものである。

13章3節 たとひ(われ)わが財産(ざいさん)をことごとく(ほどこ)し、(また)わが(からだ)()かるる(ため)(わた)すとも、(あい)なくば(われ)(えき)なし。[引照]

口語訳たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
塚本訳またたといわたしの全財産をほどこしても、たとい焼かれるためにわたしの体をささげても、愛がないなら、わたしにはなんの益もない。
前田訳たとえわが全財産を分かち与え、わが体を焼かれるようにと引き渡しても、愛がなけれぼ、わたしは役立ちません。
新共同全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
NIVIf I give all I possess to the poor and surrender my body to the flames, but have not love, I gain nothing.
註解: 若し慈善家たる名声を得んがために全財産を施し、又は殉教者たる栄誉を得んがために断頭台上に立つ如き行為を為すとも神は之をよろこび給う筈がない、否之を審判きたまうであろう。単にかかる行為を善なりと信じて為すだけであるならば、神は之をさえも喜び給わない、故にかかる行為も我に何の益をも与えない。神の喜び給う事は是等の行為の奥底に愛がある場合である。若し愛さえあるならば必ずしも英雄的行為を必要としない。小さき善行であつても神の前に偉大なる行為である(マタ25:31-46)。
要義1 [愛とは何ぞ]愛に二種あり自然愛、聖愛である。新約聖書は此の二種の区別を表わすに別の文字を用い、前者をフイリヤ philia と云い後者をアガペー agapê と云う。前者は親子、兄弟、男女、朋友の愛を云い後者は神より出づる愛である。Iヨハ4:7以下に此の神の愛の本質を示している。此の愛は神より出で(Iヨハ4:7)キリストを我らに賜う事によりて始めて顕われ(同9)、我らが神を愛するよりも先に神我らを愛し(同10)従て我等相互の愛の原因をなすものである(同11)。是によりて自熱愛との差異を知る事が出来よう。本章に於ける愛は皆此の聖愛を示す、聖書に此のニ種の愛を区別する翻訳なき事は遺憾である。英欽定訳は本章に於て特にアガペー を charity と訳している、けれども本章だけにかく訳する事は無意義である。RVは之を love と改めた。
要義2 [愛なき行為の価値]前掲の諸行為は智的(2節)情的(1節)意的(3節)の行為を代表し、夫自身としては何れも優れた行為であると見なければならない。乍併愛即ちアガペーは人間の知情意を超越したる神の働きであって、此の愛のみが真に更生せるものの特質であり、是のみが神の御前に価値あるものである。故に愛なき行為は如何にそれが知識と智慧に於て豊富であっても「数うるに足らず」「零であり」(直訳)、如何にそれが熱情的に燃え上っても唯「空音」に過ぎず、又如何にそれが慈善家的であり献身的であっても、それは「無益」の行為である。聖書的信者、正統的信者にして愛なき者(第一種)リバイブリスト(第二種)慈善事業家(第三種)の如き今日の基督者にも其のまま適用されるであろう。要するに是等の人々は其の行為によりて他人を益するかも知れない、併し自己は愛なき故を以て主の御前より(しりぞ)けられるであろう(マタ7:23)。

7-4-ロ 愛の性質 13:4 - 13:7

註解: 4-7節に於てパウロは単に愛に関する抽象論を記しているのでは無く、愛の如何なるものなるかを示すと同時にコリントの信者の愛の欠乏が如何なる結果を生ずるかを、念頭において記したものである。

13章4節 (あい)寛容(くわんよう)にして慈悲(じひ)あり。[引照]

口語訳愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
塚本訳愛はじっと辛抱する、愛は親切である。妬まない、愛は自慢しない、得意にならない。
前田訳愛は耐えしのび、心あつく、愛は妬まず、おごらず、たかぶらず、
新共同愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
NIVLove is patient, love is kind. It does not envy, it does not boast, it is not proud.
註解: 「寛容」は他人より害を与えられる場合に之を忍びて激情に身を委せない事「慈悲」の原語は他人の益となる事を常に努むる事である。是を単に自己の意志のみを以て行わんとする場合には決して永続せず、或は偽善に陥つてしまうのであつて、愛がある場合には是等の徳が自然と其処から流れ出るのである。主の御生涯を見よ(ロマ15:1-3。Iテモ1:16)。そして我らかかる愛の果を有つているかを顧みよ。

(あい)(ねたみ)まず、[(あい)は](ほこ)らず、

註解: 他人の優越成功を妬み自己のそれを誇るのは愛が無いからである、愛あれば他人の成功をよろこび自己のそれに関して謙遜(へりくだ)るキリストを見よ(ピリ2:6-8)。コリントの信者は愛なき結果妬み(12:14-17)又誇つて(12:21-26)いた。

(たかぶ)らず、

註解: 「驕り」は内心の驕りであつて、愛はかかる心とは両立しない、コリント教会の分離は此の結果であつた。
辞解
[驕らず] 4:6の「誇らず」は此の「驕らず」と原語を同じうす。

13章5節 非禮(ひれい)(おこな)はず、[引照]

口語訳不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
塚本訳無作法をしない、自分勝手をしない。激昂しない、“(人の)悪いことを根にもたない”。
前田訳ぶしつけせず、身勝手せず、激怒せず、悪を考えず、
新共同礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
NIVIt is not rude, it is not self-seeking, it is not easily angered, it keeps no record of wrongs.
註解: 他人の感情を無益に害することは愛なき結果である。自己の知に囚われて愛なき者は必ず非礼を行う。我らは虚礼を行う必要は無い。併し乍ら愛による礼を守らなければならない。女の被物、聖餐の状態、異言等に於てコリントの信者は互に非礼を行つていた、愛さえあればかかる事は無かつたであろう。
辞解
[▲非禮を行はず] 7:36の「(よろ)しきに(かな)わず」と同語で aschêmoneô 即ち schêma (定形)に由らない事を意味する。schêma を「礼」とすれば「非礼」は適訳。

(おのれ)の[()]((こと))を(もと)めず、

註解: 自己中心主義の人は必ず愛なき人である。例えばコリントの信者が自己の信仰の自由のみを主張して其の行動が他人を害する事を思わないのは愛なき結果である。8-10章の食物の問題は此の愛の必要を示している。

(いきど)ほらず、(ひと)(あく)(おも)はず、

註解: 「憤る」は人に害を与えられて激する事であつて、愛を以て相手方の罪を赦し己に不利を甘受する心がない事である。其の結果争論、喧嘩となる事は自然の成行であつて、第6章の訴訟の如き此の愛無き結果である。人の悪を(おも)うとは執念深く人の悪を心にいだく事であつて「憤り」は外部に発し「悪を(おも)う」事は内部に蔵するの差があるのみで同じく愛なき心である、かかる心は自らを不幸にし、友人をも不幸にする。

13章6節 不義(ふぎ)(よろこ)ばずして、眞理(まこと)[の(よろこ)ぶところを](と(とも)に)(よろこ)び、[引照]

口語訳不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
塚本訳偽りを見て喜ばない、むしろ真理を喜ぶ。
前田訳不義をよろこばず、真理をよろこびます。
新共同不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
NIVLove does not delight in evil but rejoices with the truth.
註解: 純粋の愛は必ず正義と真理とに一致する。神の愛が如何に正義を愛し不義を憎み給うかを見れば之を知る事が出来よう。不義を責めないのは一見愛であるかの如くに見えるけれども、之れ愛では無く不親切即ち愛なき証である。イエスがパリサイ人らを責め給うたのは彼らの不義を喜ばないからであつた。「真埋の喜ぶところを喜び」は原語「真理と共に喜び」の意訳であつて、真理の喜ばざるものを喜ぶのは肉の愛である。男女の恋愛の如きは往々真理を離れるのはそれが聖愛でないからである。真理と愛との一致は実に美わしい状態である。コリントの信徒が其の中に姦淫の罪を犯せる者があつた場合に之を除かなかつたのは、真理とともに悲しまなかつた証拠である(7章)。

13章7節 (おほよ)(こと)(しの)び、おほよそ(こと)(しん)じ、おほよそ(こと)(のぞ)み、おほよそ(こと)()ふるなり。[引照]

口語訳そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
塚本訳すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。
前田訳すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐えます。
新共同すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
NIVIt always protects, always trusts, always hopes, always perseveres.
註解: 他人の罪咎を見た場合、殊にそれが自己に害を与うる場合にも凡て之を「掩い之を赦し」てあらわに之を責め立てず(「忍び」は此の場合「掩い」と訳する方よろし)、而してたとい罪を犯した場合でも、その人の中に尚神の造り給える良心と天性とがある事を「信じ」、信じても尚之が実現して来ない場合にも之を「望み」て失望する事なく、此の希望が空しきに帰しても尚之に「耐え」て行く。是が即ち愛の積極的方面である。愛なきものは人の悪を(あば)き、人の良性を信ぜず悪しき人に対して希望を放棄し、自己の受けし悪に耐うる事が出来ない。愛ありて我ら此の美わしき性質を有つ事が出来る。此の愛は我ら生れ乍らに有つているのではない、新生によりて聖霊を注がれ、此の愛を有つ事が出来る様になるのである。

7-4-ハ 愛の永続性 13:8 - 13:13

13章8節 (あい)長久(いつ)までも[()ゆ](()つ)ることなし。[引照]

口語訳愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。
塚本訳愛は決してすたらない。預言も無くなるであろう、霊言もやむであろう、知識も無くなるであろう。
前田訳愛は決して絶えません。預言はすたれ、異言は止むでしょう。知識もすたれましょう。
新共同愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
NIVLove never fails. But where there are prophecies, they will cease; where there are tongues, they will be stilled; where there is knowledge, it will pass away.
註解: 此の一句は是より後の説明の題目とも見ることが出来る。愛の永遠性と完全とを高調し、他の凡ての賜物の一時的たるのに比して愛の優越性を示している。

()れど預言(よげん)(すた)れ、異言(いげん)()み、知識(ちしき)もまた(すた)らん。

註解: 愛の永久的なるに反し預言、異言、知識の如き現にコリントの教会に於て最も重んぜられているものは皆一時的のものである。悲しきかなコリントの教会は此の一時的のものを尊重して永遠なる愛を無視していた。

13章9節 それ(われ)らの()るところ(まった)からず、(われ)らの預言(よげん)(まった)からず。[引照]

口語訳なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。
塚本訳なぜなら、わたし達がいま知っているのは部分的であり、預言しているのも部分的であって、
前田訳われらが知るのは部分的、われらが預言するのは部分的です。
新共同わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
NIVFor we know in part and we prophesy in part,

13章10節 (まった)き[(もの)の]((もの))(きた)らん(とき)(まった)からぬもの(すた)らん。[引照]

口語訳全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
塚本訳完全なものが来る(最後の)時には、部分的なものは(みな)無くなるからである。
前田訳全きものの来るとき、部分的なものはすたれましょう。
新共同完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
NIVbut when perfection comes, the imperfect disappears.
註解: 直訳「我らは部分的に知り部分的に預言す、されど完全なるもの来る時部分的のもの廃らん」完全なるものはイエス・キリストの再臨の時に始めて来るのであつて、其の時迄は我らの知識も預言も皆一部に過ぎない、其の部分としてはたとい正しいとしても決して完全と云う事が出来ない。かかる不完全なものはキリストの再臨の時に皆廃れ、預言は実現し、知識は完全なる神の知識に化するであろう。

13章11節 われ童子(わらべ)(とき)(かた)ることも童子(わらべ)のごとく、(おも)ふことも童子(わらべ)(ごと)く、(ろん)ずる(こと)童子(わらべ)(ごと)くなりしが、(ひと)()りては童子(わらべ)のことを()てたり。[引照]

口語訳わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。
塚本訳わたしが幼児であった時は、幼児のように語り、幼児のように思い、幼児のように考えていたが、おとなになると、幼児の時のことを捨ててしまった(のと同じである)。
前田訳われらは幼子であったとき、幼子のように語り、幼子のように思い、幼子のように考えました。しかし成人してからは、幼子のことをやめました。
新共同幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
NIVWhen I was a child, I talked like a child, I thought like a child, I reasoned like a child. When I became a man, I put childish ways behind me.
註解: 「語り」「思い」「論ず」る事は言語、信仰、知識の三種の賜物に相当している。童子の時代には此の三者とも不完全であるけれども成人して後は是等の凡てを棄てている。即ち成人になつてからと童子の時代とは全然別人の感がある。再臨迄の我らと再臨の後の我らとはかかる差異があるであろう、そして再臨の時には不完全なるものは之を放棄して凡て跡方もなく消え去る事(あたか)も成人になりてより、童子の事柄を放棄する如くであろう。
辞解
[▲思ふこと] 口語訳の「感じ」は phroneô の訳としては当たらない。「思考する」こと。
[▲論ずる事] logizomai は「推論する」こと。

13章12節 (いま)われらは(かがみ)をもて()るごとく()るところ(おぼろ)なり。()れど、かの(とき)には(かほ)(あは)せて(あひ)()ん。(いま)わが()るところ(まった)からず、()れど、かの(とき)には()()られたる(ごと)(まった)()るべし。[引照]

口語訳わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。
塚本訳わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう。
前田訳今われらは鏡によってさだかならず見ていますが、かの時には顔と顔と相対するでしょう。今わたしの知るのは部分的ですが、かの時には(神に)知りつくされているように知りつくすでしょう。
新共同わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
NIVNow we see but a poor reflection as in a mirror; then we shall see face to face. Now I know in part; then I shall know fully, even as I am fully known.
註解: 我らは神の御経綸につきて示され之を預言するけれども、其の御経綸は(あたか)も謎の如く不明瞭に示され、当時世に行われた金属製の鏡を以て見ると同じであり、又我が神やキリストに関する知識も(パウロはわれらと云わず自己の個人的経験として示す)今は部分的で不完全であるけれども、彼の再臨のとき我は復活して完全に主を知り奉る事が出来よう。(あたか)も現在既に自己は神より完全に知られていると同様に。
辞解
[(おぼろ)なり] エン・アイニグマテイ en einigmati「謎的に」なる文字であつて、茲では預言に関するものと見るを適当とする(G1)。聖書の預言も聖霊による預言も皆謎的であり、鉄の鏡を以て見る如く或はゆがみ又は不明瞭である。之を今日の鏡を以て見る如くに明瞭なものとして、一言一句解釈することは却て誤を生ずる原因である。謎は謎の如くに説くべきものである、やがて時来つて凡てが明かになるであろう。民12:6-8のモーセの経験は此の未来の光景の型であつて「隠語を用いず」とあるは、同様「謎によらず」の訳である。

13章13節 げに信仰(しんかう)希望(のぞみ)(あい)()()つの(もの)は[(かぎ)りなく](のこ)らん、(しか)して()のうち(もっと)(おほい)なるは(あい)なり。[引照]

口語訳このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
塚本訳それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!
前田訳今残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。しかしこれらの中で最大のものは愛です。
新共同それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
NIVAnd now these three remain: faith, hope and love. But the greatest of these is love.
註解: 信、望、愛の三者は霊の賜物の如くキリストの再臨、万物の復興と共に滅びず永遠に存続する。如何なる意味に於て存続するのであるか。パウロは他の個所に於て信仰は見ることを以て終止し(IIコリ5:7。ヘブ11:1)、希望は之を獲得する事を以て終止する事を教え(ロマ8:24)、(あたか)も彼らが永続せざるものの如くに見ゆる。併し乍ら神とキリストに信頼し奉る意味に於ては信仰は永遠に存続すべきであり、又希望も同様、今日の希望がキリストの再臨によりて実現したならば更に新なる希望が与えられる事なるべく、此の二者は此の意味に於て愛と共に永続するものである。而して此の三者の中に愛が最も大なる所以は、信仰は人より神に対するもの希望は人がその栄光に対するものであり、共に上述の如き変化を受くるものであるけれども、愛のみは神の本質そのものであつて永遠に変化する事が無いからである。実に愛こそは真理中の真理、道中の道、生命中の生命、真善美の極致である。
要義 [信、望、愛]福音の三綱領(こうりょう)鼎足(ていそく)である。故にパウロは常に此の三者を並び称うる事を忘れなかった(エペ1:15、18。ピリ1:9、10。コロ1:4、5、23。Iテサ1:3。5:8。IIテサ1:3、4。ヘブ6:10)。信仰は神とキリストとに対する信従であって之により人は神の前に義とせられ、希望は神の約束を望みて疑わず、此の世にありて既に天国を握っている事であり、愛は神に対する愛を以て同時に兄弟を愛する事である。他の霊の賜物は之を欠く事が出来るけれども、此の三つは其の一つを欠く時既に不完全なる基督者である、今日多くの基督者の中に此の中の何れかに重きを置きて他を欠くものがある事は事実である、もし自ら顧みて或は信頼の点に欠くる処があり、其の結果生活の憂慮、迫害に対する恐怖等がある場合、又或は希望を欠くがために復活、再臨等基督者に与えられし大なる望を持ち得ざる場合、或は愛を欠きてコリントの信者の場合の如き党争、分派、嫉妬、憤激等に陥る場合我らは慎まなければならぬ。今日の教会に是等の何れもが充満している事は其の信仰の堕落を証して余ありと云うべきである。而して是等の中愛が最も大であって、何が有っても愛を欠くならばそれは凡てを欠くものである、今日全世界の基督者が互に愛する事をせず相争っている事のみを以てしるも、我らは皆卑下りて主の御前に其の罪を謝さなければならぬ。

第1コリント第14章
7-5 異言に関する注意 14:1 - 14:40

註解: 第13章に於て愛の根本的重要さを説いたパウロは茲に12章の問題に立帰つて、コリント教会を悩ました異言の賜物に就て述べている。パウロは之を預言の賜物と比較して其の劣つている事を示している。其の理由は一は教会の徳を立てない事(2-20)、他は未信者を躓かせる事(21-25)である。

14章1節 (あい)()(もと)めよ、また(れい)の[賜物(たまもの)]、ことに預言(よげん)する[能力(ちから)]を(した)へ。[引照]

口語訳愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。
塚本訳愛を追い求めよ。(同時に)またいろいろな霊の賜物を得ることを、ことに預言することができるようにと努力せよ。
前田訳愛を追い求め、霊の賜物、とくに預言を目ざしなさい。
新共同愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。
NIVFollow the way of love and eagerly desire spiritual gifts, especially the gift of prophecy.
註解: 私訳「愛を追求めよまた霊なるもの殊に預言せん事を慕え」 「追求」diôko は欠くべからざるものとして之を得るまで追い求める事「慕う」zêloô は熱心に之を得んと欲する事である。パウロは茲に前章に示せる愛の欠くべからざることを示し、次に霊なるものを求むべきであるけれども就中(なかんずく)優れたる預言の賜物を慕うべく、異言を語る事はコリントの信者の為すが如く重要なものではないことを示さんとしている。

7-5-イ 異言は教会の徳を建てず 14:2 - 14:19

14章2節 異言(いげん)(かた)(もの)(ひと)(かた)るにあらずして(かみ)(かた)るなり。そは(れい)にて奧義(おくぎ)(かた)るとも、(たれ)(さと)(もの)なければなり。[引照]

口語訳異言を語る者は、人にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
塚本訳なぜなら霊言を語る者は人間相手でなく、神相手に語るのだから。(聞いて)だれもわからず、彼は御霊で(普通の人に不可解な)秘密を語るからである。
前田訳異言を語るものは人々にではなく神に語っています。それは、だれもわからず、霊によって奥義を語っているからです。
新共同異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。
NIVFor anyone who speaks in a tongue does not speak to men but to God. Indeed, no one understands him; he utters mysteries with his spirit.
註解: 聖霊に導かれて神秘的なる「奥義」を語るとも聞く〔悟る〕人が無いのは当然である、故に異言を語る者は神に向つて語るだけで人をば無視しているのである。
辞解
[奥義] 茲では単に神秘的の事を意味すると見て差支が無い、エペ1:9。3:3、4等の奥義は更に一層深い意味を有つている。

14章3節 されど預言(よげん)する(もの)(ひと)(かた)りて()(とく)()て、(すすめ)をなし、慰安(なぐさめ)(あた)ふるなり。[引照]

口語訳しかし預言をする者は、人に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
塚本訳しかし預言する者は(普通の言葉で)、人間相手に(、信仰を)造りあげることと勧めと慰めとを語るのである。
前田訳預言するものは人々に建設と勧めと慰めを語っています。
新共同しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。
NIVBut everyone who prophesies speaks to men for their strengthening, encouragement and comfort.
註解: 預言する者は神の御旨を示されて語るけれども異言の如く人を無視せず、目的と自覚とを以て人のために語る、其の結果人の徳を建て(Iコリ8:1註)「勧めをなし」て人の怠惰を戒め、「慰安を与え」て人の艱みを除く。

14章4節 異言(いげん)(かた)(もの)(おのれ)(とく)()て、預言(よげん)する(もの)教會(けうくわい)(とく)()つ。[引照]

口語訳異言を語る者は自分だけの徳を高めるが、預言をする者は教会の徳を高める。
塚本訳霊言を語る者は自分(の信仰)を造りあげ、預言する者は集会(の信仰)を造りあげる。
前田訳異言を語るものは自らを建て、預言するものは集まりを建てます。
新共同異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。
NIVHe who speaks in a tongue edifies himself, but he who prophesies edifies the church.
註解: 故に愛ある者は自ら後者を選ぶであろう。

14章5節 われ(なんぢ)()がみな異言(いげん)(かた)らんことを(ほっ)すれど、(こと)(ほっ)するは預言(よげん)せん(こと)なり。異言(いげん)(かた)(もの)、もし()きて教會(けうくわい)(とく)()つるにあらずば、預言(よげん)する(もの)のかた(まさ)るなり。[引照]

口語訳わたしは実際、あなたがたがひとり残らず異言を語ることを望むが、特に預言をしてもらいたい。教会の徳を高めるように異言を解かない限り、異言を語る者よりも、預言をする者の方がまさっている。
塚本訳わたしはあなた達みんなに霊言を語ってもらいたいが、それよりもむしろ預言してもらいたい。霊言を語る者がそれを解釈して集会(の信仰)が造りあげられるようにするのでない限りは、霊言を語る者より預言する者の方がまさっている。
前田訳わたしはあなた方がみな異言を語ることを欲しますが、それよりもむしろ預言してください。預言するものの方が異言を語るものよりはすぐれています。集まりが建設的であるために、説明が行なわれる場合は別です。
新共同あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
NIVI would like every one of you to speak in tongues, but I would rather have you prophesy. He who prophesies is greater than one who speaks in tongues, unless he interprets, so that the church may be edified.
註解: パウロは異言の賜物を軽視しなかつた。唯彼自ら之を釈く事を要求したのである(13、15節)之れ「教会が徳を建つるがために異言を受け得る様に」(私訳)する必要があつたからである。之を為すにあらざれば彼よりは預言する者が勝つている。◎(注意)此の節は預言が無意識状態にて語るものではない事の証拠となる。異言の通訳とは恐らく其の恍惚状態を記憶をたどつて語るのであろう。

14章6節 (しか)らば兄弟(きゃうだい)よ、(われ)もし(なんぢ)らに(いた)りて異言(いげん)をかたり、(あるひ)默示(もくし)、あるいは知識(ちしき)、あるいは預言(よげん)、あるいは(をしへ)をもて(かた)らずば、(なに)(えき)かあらん。[引照]

口語訳だから、兄弟たちよ。たといわたしがあなたがたの所に行って異言を語るとしても、啓示か知識か預言か教かを語らなければ、あなたがたに、なんの役に立つだろうか。
塚本訳実際、兄弟たちよ、たといわたしがあなた達の所に行って霊言を語っても、啓示か、知識か、預言か、教訓かの形で語(って信仰を造りあげ)るのでないならば、あなた達になんの得があろう。
前田訳さて、兄弟方、わたしがあなた方のところへ来て異言を語るならば、黙示か知識か預言か教えかで語らない限り、あなた方に何の役に立ちましょう。
新共同だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。
NIVNow, brothers, if I come to you and speak in tongues, what good will I be to you, unless I bring you some revelation or knowledge or prophecy or word of instruction?
註解: パウロがコリントの信者に益を与えたのは異言を語る事によつてでは無かつた、之を見ても翻訳なき異言の無用である事がわかる。
辞解
「黙示」と「知識」とは内的方面であり「預言」と「教」とはそれが外部に顕われた姿であつて、此の四者をまとめて預言の中に包含することが出来る。

14章7節 生命(いのち)なくして(こゑ)(いだ)すもの、(あるひ)(ふえ)、あるいは立琴(たてごと)、その(おと)もし差別(わかち)なくば、(いか)()くところ()くところの(なに)たるを()らん。[引照]

口語訳また、笛や立琴のような楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹いているのか、弾いているのか、どうして知ることができようか。
塚本訳同じく、あの命のない楽器、(たとえば)笛でも竪琴でも、もしその音に(高さとリズムの)区別がなければ、その吹かれているもの、弾かれているものを、どうして知ることができよう。
前田訳笛にせよ、絃にせよ、音を出す無生物が、もし音に区別を与えねば、笛で吹かれ絃で弾かれたものが、どうしてわかりましょうか。
新共同笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。
NIVEven in the case of lifeless things that make sounds, such as the flute or harp, how will anyone know what tune is being played unless there is a distinction in the notes?
註解: 無生物の楽器ですら、明瞭なる音の高低、強弱、タイム等を以て之を奏しないで騒音を発するのみであるならば、其の音曲を理解する事が出来ない。
辞解
[▲聲を出すもの] 「声を出す無生物」の意味で楽器の事。口語。

14章8節 ラッパ()(さだま)りなき(おと)()さば、(たれ)戰鬪(たたかひ)(そなへ)をなさん。[引照]

口語訳また、もしラッパがはっきりした音を出さないなら、だれが戦闘の準備をするだろうか。
塚本訳またもしラッパが不明瞭な音を出すならば、だれが戦闘準備をするだろうか。
前田訳もしラッパが不明瞭な音を出すならば、だれが戦いに備えましょうか。
新共同ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。
NIVAgain, if the trumpet does not sound a clear call, who will get ready for battle?
註解: 進軍、退却夫々異つた音を出すべきラツパが混沌たる音を発するならば、人は之を聞いて如何にすべきかに迷う。

14章9節 ()くのごとく(なんぢ)らも(した)をもて(あきら)かなる(ことば)()さずば、いかで(かた)るところの(なに)たるを()らん、これ(なんぢ)()ただ空氣(くうき)(かた)るのみ。[引照]

口語訳それと同様に、もしあなたがたが異言ではっきりしない言葉を語れば、どうしてその語ることがわかるだろうか。それでは、空にむかって語っていることになる。
塚本訳そのようにあなた達も、もし舌ではっきり分る言葉を話さないならば、あなた達の語ることがどうして知られよう。それでは空気に向かって語っているのではないか。
前田訳そのように、あなた方も異言のため明白なことばを発しなければ、どうして語られたことがわかるでしょうか。あなた方は空気に話しかけることになります。
新共同同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。
NIVSo it is with you. Unless you speak intelligible words with your tongue, how will anyone know what you are saying? You will just be speaking into the air.
註解: 異言を語るものは舌をもて不明の音を発するのである、之では人に向つて語るのでは無い。

14章10節 ()には國語(くにことば)(たぐひ)おほかれど、(ひと)つとして意義(いぎ)あらぬはなし。[引照]

口語訳世には多種多様の言葉があるだろうが、意味のないものは一つもない。
塚本訳世の中には言語の種類がどんなに沢山あるか知れないが、無意味なものは一つもない。
前田訳世の中にことばの種類は数知れずありますが、意味のないものはありません。
新共同世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。
NIVUndoubtedly there are all sorts of languages in the world, yet none of them is without meaning.

14章11節 (われ)もし國語(くにことば)意義(いぎ)()らずば、(かた)(もの)(たい)して夷人(えびす)となり、(かた)(もの)(われ)(たい)して夷人(えびす)とならん、[引照]

口語訳もしその言葉の意味がわからないなら、語っている人にとっては、わたしは異国人であり、語っている人も、わたしにとっては異国人である。
塚本訳だからもしわたしがその言葉の意味を知らないならば、語る者にわたしはチンプンカンであり、わたしには語る者がチンプンカンであろう。
前田訳それで、もしことばの力を知らねば、わたしは語るものにとって異国人となり、語るものはわたしにとって異国人になりましょう。
新共同だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。
NIVIf then I do not grasp the meaning of what someone is saying, I am a foreigner to the speaker, and he is a foreigner to me.
註解: 意義のある国語ですら然り況んや異言の如きは互に理解しない事となるの結果、互に親密なる交を得ず、其の間に徳を建てる事が出来ない。

14章12節 (しか)らば(なんぢ)らも(れい)[の賜物(たまもの)]を(した)(もの)なれば、教會(けうくわい)(とく)()つる目的(もくてき)にて[賜物(たまもの)]の(ゆたか)ならん(こと)(もと)めよ。[引照]

口語訳だから、あなたがたも、霊の賜物を熱心に求めている以上は、教会の徳を高めるために、それを豊かにいただくように励むがよい。
塚本訳あなた達も同じである。あなた達は霊のものを得ようと努力する者であるから、集会(の信仰)を造りあげるために、それが豊富になることを求めよ。
前田訳あなた方もそのとおりで、霊のことに熱心である以上、集まりの建設のため力あふれるよう努めてください。
新共同あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。
NIVSo it is with you. Since you are eager to have spiritual gifts, try to excel in gifts that build up the church.
註解: 前二節よりの結論として、コリントの信徒が元来熱心に霊の賜物を求める以上、異言の如き徳を建てないものよりも教会の徳を建つる事を目的として、賜物の豊ならん事を求むべきである。
辞解
[霊の賜物] 原語「霊」(複数)を用う。
[霊を慕う] 霊の種々の相を慕う事である。

14章13節 この(ゆゑ)異言(いげん)(かた)(もの)(みづか)()()んことをも(いの)るべし。[引照]

口語訳このようなわけであるから、異言を語る者は、自分でそれを解くことができるように祈りなさい。
塚本訳だから霊言を語る者は、それを解釈できるようにと祈れ。
前田訳それゆえ、異言を語るものは説明しうるよう祈りなさい。
新共同だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。
NIVFor this reason anyone who speaks in a tongue should pray that he may interpret what he says.
註解: 異言を以て祈る時、後に自ら之を釈かんとの心組を以て祈るべきである(M0、G1)。他人の事を顧慮せずに異言を以て祈る事は愛なき行為である。
辞解
[▲()()んこと] ()かんこと」と訳すべきである。

14章14節 (われ)もし異言(いげん)をもて(いの)らば、()(れい)(いの)るなれど、()(こころ)()(むす)ばず。[引照]

口語訳もしわたしが異言をもって祈るなら、わたしの霊は祈るが、知性は実を結ばないからである。
塚本訳なぜなら、もしわたしが霊言で祈る(だけ)ならば、霊は祈っているが、わたしの理知は(集会の信仰のために)実を結ばないからである。
前田訳もしわたしが異言で祈るならば、わが霊は祈っても、わが理性は実を結びません。
新共同わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。
NIVFor if I pray in a tongue, my spirit prays, but my mind is unfruitful.
註解: 霊は直観的で心即ち理解力は反省的である、異言を語る場合には心は働かない。唯霊の恍惚陶酔の状態が異言となりて顕われるだけで、其の心には何等果を結ばない。

14章15節 (しか)らば如何(いか)にすべきか、(われ)(れい)をもて(いの)り、また(こころ)をもて(いの)らん。(われ)(れい)をもて(うた)ひ、また(こころ)をもて(うた)はん。[引照]

口語訳すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。
塚本訳では、どうしたらよいだろうか。わたしは霊(言)で祈りもしよう、しかし理知でも祈ろう。霊(言)で讃美の歌をうたいもしよう、しかし理知でもうたおう。
前田訳それならどうしましょう。わたしは霊において祈り、また理性においても祈りましょう。わたしは霊において歌い、また理性においても歌いましょう。
新共同では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。
NIVSo what shall I do? I will pray with my spirit, but I will also pray with my mind; I will sing with my spirit, but I will also sing with my mind.

14章16節 (なんぢ)もし(しか)せずば、(れい)をもて(しゅく)するとき、凡人(ただびと)(なんぢ)(かた)ることを()らねば、その感謝(かんしゃ)(たい)如何(いか)にしてアァメンと()はんや。[引照]

口語訳そうでないと、もしあなたが霊で祝福の言葉を唱えても、初心者の席にいる者は、あなたの感謝に対して、どうしてアァメンと言えようか。あなたが何を言っているのか、彼には通じない。
塚本訳そうでないと、もしあなたが霊(言)で(神を)讃美(し感謝)するならば、(集会で)初心者の席を占める者は、あなたの感謝の祈りに対してどうしてアーメンを言うことができようか。あなたがなんと言っているのかわからないのだから。
前田訳そのわけはこうです。もしあなたが霊において祝福するならば、新人の席にいるものがあなたの感謝に対してどうして「アーメン」といいえましょう。彼はあなたのいうことがわからないからです。
新共同さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。
NIVIf you are praising God with your spirit, how can one who finds himself among those who do not understand say "Amen" to your thanksgiving, since he does not know what you are saying?

14章17節 なんぢの感謝(かんしゃ)はよし、()れど、その(ひと)(とく)()つることなし。[引照]

口語訳感謝するのは結構だが、それで、ほかの人の徳を高めることにはならない。
塚本訳あなたはたしかにりっぱな感謝をしようが、しかし人は(それですこしも信仰を)造りあげられない。
前田訳あなたが立派に感謝しても、他の人は建設されません。
新共同あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。
NIVYou may be giving thanks well enough, but the other man is not edified.
註解: 然らば異言を以て「祈り」「謳い」「感謝する」事を禁ずべきかと云うにそうでは無い、霊を以て祈り謳うと共に之を()きて心を以て祈り又謳う事が最善であるとして、パウロは自らかく為さんとの決心を示している。
辞解
[祝する] 感謝すると同意義。
[凡人(ただびと)] 原語「凡人(ただびと)の地位を占むる者」凡人(ただびと)は信仰に入りかけた求道者、従つて霊の言をとく賜物を持たない人々。
[アァメン] 牧師等の説教、祈祷等の終りに会衆がアァメンと云う事は、ユダヤの会堂の集会より伝つてキリスト教会に入つて来たのである。

14章18節 (われ)なんぢら(すべて)(もの)よりも(おほ)異言(いげん)(かた)ることを(かみ)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れることを、神に感謝する。
塚本訳わたしはあなた達のだれよりも多くの霊言を語(り得)ることを神に感謝する。
前田訳わたしは皆さんよりも多く異言を語ることを神に感謝します。
新共同わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。
NIVI thank God that I speak in tongues more than all of you.

14章19節 ()れど(われ)教會(けうくわい)にて異言(いげん)をもて一萬(いちまん)(げん)(かた)るよりも、(むし)(ひと)(をし)へんために()(こころ)をもて五言(いつことば)(かた)らんことを(ほっ)するなり。[引照]

口語訳しかし教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語る方が願わしい。
塚本訳しかし集会の会合では、霊言で一万の言葉を語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、(むしろ)わたしの理知で(だれにもわかるただの)五つの言葉を語りたい。
前田訳しかし集まりでは、わたしは異言で一万言を語るよりは、他の人々をも教えるために、わが理性で五つのことばを語りたく思います。
新共同しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
NIVBut in the church I would rather speak five intelligible words to instruct others than ten thousand words in a tongue.
註解: パウロは一般の人間以上に、異言の賜物を多く有つている事を感謝していながら、之を用うる事をせず愛を以て人を教えんために「心をもて」、即ち理解力をもて五言を語る事を欲している。かくの如くしてコリントの信者が異言の賜物を過度に尊重する事を警戒し、却て預言と教訓との賜物を慕うべき事を示している。

7-5-ロ 異言は未信者の躓となる 14:20 - 14:25

14章20節 兄弟(きゃうだい)よ、智慧(ちゑ)(おい)ては子供(こども)となるな、(あく)(おい)ては幼兒(をさなご)となり、智慧(ちゑ)(おい)ては成人(せいじん)となれ。[引照]

口語訳兄弟たちよ。物の考えかたでは、子供となってはいけない。悪事については幼な子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。
塚本訳兄弟たちよ、判断力の点では子供であってはならない。むしろ悪(を行なうこと)については(無力な)幼児であり、判断力の点では成人らしくせよ。
前田訳兄弟方、知性において子どもとならず、悪には未熟であり、知性において成人になってください。
新共同兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。
NIVBrothers, stop thinking like children. In regard to evil be infants, but in your thinking be adults.
註解: コリントの信徒はその自負に反して、悪に於て成人の如く発達していながら、智慧に於て非常に不完全であつた、其結果異言の如きあまりに有用ならざるものをも唯その華々しさのために、之を重んずるに至つた。パウロは之を戒めて痛烈にコリントの信者の心を剌したのである。
辞解
[智慧] phrên は「理解力」を意味す。

14章21節 律法(おきて)(しる)して『(しゅ)(のたま)はく、(あだ)(ことば)(たみ)により、(あだ)國人(くにびと)口唇(くちびる)をもて()(たみ)(かた)らん、()れど(なほ)かれらは(われ)()かじ』とあり。[引照]

口語訳律法にこう書いてある、「わたしは、異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも、彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。
塚本訳律法[聖書]にこう書いてあるではないか、「“外国語の者を使い、外国人の唇を使って、わたしはこの民に語るが”、それでも“彼らは聞きいれないであろう”と主は言われる」と。(神は不信仰なイスラエル人を、彼らにわかりにくい外国語を使って躓かせられたというのである。この外国語とはあなた達の霊言のことである。)
前田訳律法に書かれています、「他国語の人や別人の唇によってわたしはこの民に語ろう。しかしそのとおりには彼らは聞き入れまい、と主はいわれる」と。
新共同律法にこう書いてあります。「『異国の言葉を語る人々によって、/異国の人々の唇で/わたしはこの民に語るが、/それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』/と主は言われる。」
NIVIn the Law it is written: "Through men of strange tongues and through the lips of foreigners I will speak to this people, but even then they will not listen to me," says the Lord.

14章22節 されば異言(いげん)は、(しん) (ずる) (じゃ)(ため)ならで()信者(しんじゃ)のための(しるし)なり。預言(よげん)は、()信者(しんじゃ)(ため)ならで(しん) (ずる) (じゃ)のためなり。[引照]

口語訳このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。
塚本訳従って霊言は、信者のためでなく不信者のため、(神の刑罰)の徴になるものである。しかし預言は、不信者のためでなく信者のため、(彼らを教え高めるため)のものである。
前田訳このように、異言は信者でなく不信者のためのしるし、預言は不信者でなく信者のためのしるしです。
新共同このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。
NIVTongues, then, are a sign, not for believers but for unbelievers; prophecy, however, is for believers, not for unbelievers.
註解: 茲に引用せられしイザ28:11-12は、エホバが預言者を以て其の民に語り給いしにも関わらず、其の民イスラエルは之を受けないが為めに「(あだ)し言の民」殊にアツシリヤ人を遣わしてイスラエルを責めしめ、之によりてイスラエルを悔改めしめんとしたけれども、それでもイスラエルはエホバの言に従わなかつた事の意味である。即ち「(あだ)し言」の民は不従順なるイスラエルに対し懲罰の意味にて遣わされたのに尚エホバを信ぜす、遂には審判をうくるに至つたのである。夫故に異言は信ずる者には役に立たず不信者に対し其の不信仰に向つて下される審判であり、不信者の頑固なる心のために信者と不信者との離別の徴である。然もパリサイ人らの不信の結果イエスが比喩を以て語り給い、之が不信の民との離別の徴であつたと同様である(マタ13:13)。反対に預言は信者のためで不信者には解らない、故に教会に於て預言よりも異言を重ずるのは無意味である。
辞解
[律法] 「預言者」をも含み旧約聖書を意味する・・・イザ28よりの引用はヘブルの原書とも少しく異り、七十人訳とも(やや)異る。パウロは聖霊により自由に之を訳した。

14章23節 もし(ぜん)教會(けうくわい)一處(ひとつところ)(あつま)れる(とき)、みな異言(いげん)にて(かた)らば、凡人(ただびと)または()信者(しんじゃ)いり(きた)らんに、(なんぢ)らを(くる)へる(もの)()はざらんや。[引照]

口語訳もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信者かがはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。
塚本訳だから、もし全集会が一しょに集まって皆が霊言を語っているとき、(霊言のわからない)初心者か不信者たちが入ってきたならば、「あなた達は気が狂っている」と言われないだろうか。
前田訳もし全集会がひと所に集まって、皆が異言で語るならば、新人か不信者が入って来たとき、あなた方は狂ったといわないでしょうか。
新共同教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。
NIVSo if the whole church comes together and everyone speaks in tongues, and some who do not understand or some unbelievers come in, will they not say that you are out of your mind?
註解: 凡人(ただびと)」は求道者「不信者」は唯一時の思い付きで教会に足を入れた程度の人と見るべきであろう。かかる人が全会衆異言にて語るのをきいたならば之を狂人と思い、其の求道心も冷えてしまうであろう。

14章24節 ()れど()しみな預言(よげん)せば、()信者(しんじゃ)または凡人(ただびと)()りきたるとき、會衆(くわいしゅう)のために(みづか)()められ、會衆(くわいしゅう)のために是非(ぜひ)せられ、[引照]

口語訳しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、
塚本訳しかし皆が預言しているとき、ある不信者か初心者が入ってきたならば、その人は皆に誤りを認めさせられ、皆に批判され、
前田訳もし皆が預言するならば、だれか不信者か新人が入って来たとき、皆からことを公にされ、皆から裁かれ、
新共同反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、
NIVBut if an unbeliever or someone who does not understand comes in while everybody is prophesying, he will be convinced by all that he is a sinner and will be judged by all,

14章25節 その(こころ)秘密(ひみつ)あらはるる(ゆゑ)に、()して(かみ)(はい)し『(かみ)()(なんぢ)らの(うち)(いま)す』と()はん。[引照]

口語訳その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
塚本訳自分の心の中の隠れたことが明らかになり、こうして、地にひれ伏して神を“おがみ、「ほんとうに神はあなた達の中においでに成る」”と公言するであろう。
前田訳彼の心の隠れたものが明らかになり、かくてひれ伏して神を拝み、「まことに神があなた方のうちにいます」と告白するでしょう。
新共同心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。
NIVand the secrets of his heart will be laid bare. So he will fall down and worship God, exclaiming, "God is really among you!"
註解: 若し全会衆が異言を言わずして預言するならば、其の結果は凡人(ただびと)、未信者に良結果を与えて遂に彼らを信仰に導く事が出来るであろう。
辞解
[自ら責められ] 日本語として意味をなさない。原語 elenkein 「罪咎を自覚せしめられること」。
[是非せられ] anakrinein 心の中の善悪を示される事。
要義 [集会の状態の未信者に対する責任]パウロは異言の賜物を一も二もなく否定し圧迫せず、之に対して充分に其の価値を認めつつ、而も結局其の殆んど無用なる事を示すに至っている事は彼の優れたる教訓的手腕である。蓋し始めに(2-6)異言の預言よりも劣れる事を示し、次に(6-15)異言は之を()かざれば全く無用なる事を教え、次に(16-19)パウロ自身が異言を語るよりも寧ろ預言すべき事の決心を示して暗に異言の価値を卑くし、最後に(20-25)異言は不信者に対する排斥の徴である事を示して()く者無しには教会に於ては、却て有害なる事を暗示しているのである。パウロの最も心を労せる点は如何にして教会の徳を建て不信者を神に導くべきかにあった。故に集会の状態は未信者をして神の臨在を感ぜしめ、其の預言(説教等)によりて彼等の罪を知らしめ、過を悔改めしむる如きものでなければならない。今日の基督教会に果してかかる心持が有りや否や、多くの未信者が基督教会に来り、其処に何等か不快なるものを感じて教会を去る事多きは大に自ら顧る事を要する事実であろう。無益に未信者を躓かする者は勉めて之を教会より除き去らなければならない。

7-5-ハ 集会の諸規則 14:26 - 14:33

14章26節 兄弟(きゃうだい)よ、さらば如何(いか)にすべきか、(なんぢ)らの(あつま)(とき)はおのおの聖歌(せいか)あり、(をしへ)あり、默示(もくし)あり、異言(いげん)あり、()く[能力(ちから)]あり、みな(とく)()てん(ため)にすべし。[引照]

口語訳すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである。
塚本訳では、兄弟たち、どうしたらよいだろうか。あなた達が集まる時には、それぞれ聖歌を持ち、教えを持ち、啓示を持ち、霊言を持ち、その解釈を持っている。皆、(集会の信仰を)造りあげるために用いられねばならない。
前田訳兄弟方、そこでどうしましょう。あなた方が集まるとき、おのおのが詩を持ち、教えを持ち、黙示を持ち、異言を持ち、解釈を持ちますが、すべてを建設のためになるようにしてください。
新共同兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。
NIVWhat then shall we say, brothers? When you come together, everyone has a hymn, or a word of instruction, a revelation, a tongue or an interpretation. All of these must be done for the strengthening of the church.
註解: パウロは茲に兄弟に向つて「如何にすべきか」との問を発して自ら之に答えている。即ち教会に於て各々皆別々の賜物を受けているけれども、之を徳を建てる目的にて用いるべしと云う一事に帰して来るのであつて、要するに愛を以て賜物を用いるべしと云うに異らない。
辞解
[聖歌] 讃美歌、当時は之を即興歌として歌う人もあつた、教、黙示、異言、釈解等次第に霊的状態に移り行く順序と見ることが出来る(G1)。

14章27節 もし異言(いげん)(かた)(もの)あらば、二人(ふたり)(おほ)くとも三人(さんにん)順次(じゅんじ)(かた)りて一人(ひとり)これを()くべし。[引照]

口語訳もし異言を語る者があれば、ふたりか、多くて三人の者が、順々に語り、そして、ひとりがそれを解くべきである。
塚本訳霊言で語る場合は、毎回二人か、たかだか三人が、一人ずつ順々にせよ、そしてだれか一人が解釈せよ。
前田訳もしだれかが異言で語るならば、二人か、せいぜい三人ずつでし、順々に語って一人が説明なさい。
新共同異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。
NIVIf anyone speaks in a tongue, two--or at the most three--should speak, one at a time, and someone must interpret.

14章28節 もし()(もの)なき(とき)は、教會(けうくわい)にては(もく)し、(しか)して(おのれ)(かた)り、また(かみ)(かた)るべし。[引照]

口語訳もし解く者がいない時には、教会では黙っていて、自分に対しまた神に対して語っているべきである。
塚本訳もし解釈する者がなければ、集会の会合では黙っていて、(家に帰って、)自分にまた神に語るがよい。
前田訳説明者がなければ、集まりでは黙っていて、自らと神とに語るべきです。
新共同解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。
NIVIf there is no interpreter, the speaker should keep quiet in the church and speak to himself and God.
註解: パウロは此の二節に先づ異言に関する注意を与え、而して次の諸節に於いて序を以て預言(29-33)婦人の発言(34-36)につきて集会の秩序を乱す事を禁じ、最後に結論(37-40)を加えている。即ち異言に就ては其の数(二人で充分止むを得ずば三人)其の順序(同時にではなく順次に)其の方法(之を()く事)を定めている、是れ皆其の集会の秩序のためであつた、而して()く者なき場合には集会にては沈黙し、独り自己と神との間に異言を語るべき事を命じた。是も徳を建てる目的に外ならぬ、パウロの心は常に此の愛に支配されていた。

14章29節 預言者(よげんしゃ)二人(ふたり)もしくは三人(さんにん)かたり、その(ほか)(もの)はこれを(わきま)ふべし。[引照]

口語訳預言をする者の場合にも、ふたりか三人かが語り、ほかの者はそれを吟味すべきである。
塚本訳預言者も、二人か三人語れ、ほかの(預言する)者たちはそれを判断せよ。
前田訳預言者は、二人か三人で語り、他の人々は吟味なさい。
新共同預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。
NIVTwo or three prophets should speak, and the others should weigh carefully what is said.
註解: 預言の場合は人数も方法も異言の場合より自由であつた。唯之を「(わきま)え」其の預言に誤謬の混ぜぬ様に注意することが必要であつた 新約聖書が未だ出来ない時であつたからである、その他のもの即ち全会衆が之を(わきま)えるのであつて、法王でも監督博士でもない信仰ある平信徒は最も正しき判断を為すことが出来る、是れ教会の特権階級の如く伝統や利害に左右せられないからである。

14章30節 もし()しをる、(ほか)のもの默示(もくし)(かうむ)らば、(さき)のもの(もく)すべし。[引照]

口語訳しかし、席にいる他の者が啓示を受けた場合には、初めの者は黙るがよい。
塚本訳しかしもし(一人が立って預言している時)、坐っているほかの人に啓示があったら、(その人が立って語り、)先の者は話をやめよ。
前田訳もしそこにすわる他のものに黙示があるならば、はじめのものは黙りなさい。
新共同座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。
NIVAnd if a revelation comes to someone who is sitting down, the first speaker should stop.

14章31節 (なんぢ)らは(みな)すべての(ひと)(まな)ばせ(すすめ)()けしめんために、一人(ひとり)一人(ひとり)((みな)預言(よげん)することを()べければなり。[引照]

口語訳あなたがたは、みんなが学びみんなが勧めを受けるために、ひとりずつ残らず預言をすることができるのだから。
塚本訳なぜなら、あなた達皆が(機会を待って)一人ずつ預言することが出来るからであり、こうすれば皆が学び、皆が励まされることができるのである。
前田訳それはあなた方は皆ひとりひとり預言できるからです。それは皆が学び、皆が励まされるためです。
新共同皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。
NIVFor you can all prophesy in turn so that everyone may be instructed and encouraged.
註解: 之は順序に関するもので後の者が待つ代りに先のものが黙すべしと云うのである。(やや)不穏当(ふおんとう)の様であるけれども実際に於て、後の者の受けし黙示を消さない様にし、又集会が無気力に長過ぎるの弊を防ぐ事が出来る、又先の者が力ある預言を為しつつある間は後の者の霊は自然に差控えるであろう。此の注意は適切な注意である。又二人同時に語出す事を禁じたのは、之が為めに騒がしさを増し集会の秩序が乱れ、且つ聴く者が不可解に陥る事を防ぐ為である。何となれば一人一人順次に預言する事が出来るのに之を為さないならば、凡ての人に教え之を慰める(勤める)事が出来ない事となるからである。

14章32節 また預言者(よげんしゃ)(れい)預言者(よげんしゃ)(せい)せらる。[引照]

口語訳かつ、預言者の霊は預言者に服従するものである。
塚本訳(預言は途中でやめられないと言う者には答える、まことの)預言者の霊は預言者の命令に服従するものである(と)。
前田訳預言者たちの霊は預言者たちに従うものです。
新共同預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。
NIVThe spirits of prophets are subject to the control of prophets.
註解: 30節の如くに行い得る所以は預言者の霊の賜物は我儘(わがまま)勝手に動くものではなく他の預言者の制する処となるからである。即ち同じ聖霊の働きであるから、ある預言者の霊の賜物には自然他の預言者の心が作用を及ぼして之を制する神秘的作用を起すものである。故に先のものが黙して後のものが語るのも決して其の霊の働きに反して之を為すのではなく、聖霊夫自身の働きである。
辞解
[預言者に制せらる] 又は「預言者に順う」は「自己に制せらる」即ち自ら制する事が出来るとの意味に解する説もある。此の説によれば預言者の霊〔預言の賜物〕は、制し得ざる力を以て作用するものでは無く自ら制することが出来るものであるとの事である(オリゲネス、ヒエロニムス)。

14章33節 それ(かみ)(みだれ)(かみ)にあらず、平和(へいわ)(かみ)なり。[引照]

口語訳神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように、
塚本訳(その霊をお与えになった)神は無秩序の神でなく、平和の神だからである。聖徒の集会全体での(習わしの)ように、
前田訳神は無秩序の神ではなく、平和の神にいますからです。聖徒のすべての集まりにならって、
新共同神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、
NIVFor God is not a God of disorder but of peace. As in all the congregations of the saints,
註解: 神御自身は其の内部に不一致混乱を有ち給わない。全体統一せる一の平和の神に在し給う、故に神の聖霊の働きによりて行動する者の間に一致があるのは自然の結果である。

7-5-ニ 女は黙すべし 14:34 - 14:36

14章34節 聖徒(せいと)(しょ)教會(けうくわい)のするごとく、(をんな)教會(けうくわい)にて(もく)すべし。(かれ)らは(かた)ることを(ゆる)されず。律法(おきて)()へるごとく(したが)ふべき(もの)なり。[引照]

口語訳婦人たちは教会では黙っていなければならない。彼らは語ることが許されていない。だから、律法も命じているように、服従すべきである。
塚本訳婦人は集会の会合では黙っていなさい。なぜなら、婦人は語ることを許されず、律法も言うように、ただ服従すべきだからである。
前田訳婦人たちは集まりで沈黙すべきです。彼女たちは語ることを許されず、服従すべきことは律法もいうとおりです。
新共同婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。
NIVwomen should remain silent in the churches. They are not allowed to speak, but must be in submission, as the Law says.
註解: 諸教会一般に行われし良習慣に従てコリントの教会に於ても、女は創3:16に従つて従順の態度を取るべきであつて、男子を教うる如き態度に出づべきでは無い。即ち男子の前にて語る事は従順の美徳に反し、自己を男子の上に置くの態度である。解放されしコリントの婦人中にはかかる出過ぎた態度を取るものがあるに至つた、尚11:5には女子が祈り、又は預言する事を禁じて居ない。其所の註参照。

14章35節 何事(なにごと)(まな)ばんとする(こと)あらば、(いへ)にて(おの)(をっと)()ふべし、(をんな)教會(けうくわい)にて(かた)るは()づべき(こと)なればなり。[引照]

口語訳もし何か学びたいことがあれば、家で自分の夫に尋ねるがよい。教会で語るのは、婦人にとっては恥ずべきことである。
塚本訳もし何か学びたいと思うなら、家で夫に尋ねるがよい。婦人が集会の会合で語るのは恥ずべきことだから。
前田訳もし何かを学びたければ、家で自分の夫にたずねなさい。集まりで語るのは女性にとって恥です。
新共同何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。
NIVIf they want to inquire about something, they should ask their own husbands at home; for it is disgraceful for a woman to speak in the church.
註解: 男子を教うる事は勿論の事、質問を発する事さえも家庭内にて之を行うべし、教会に於て之を為す事は不体裁である。茲にパウロは婦人の家庭的特質を失わせる、あらゆる出過ぎた行動を戒めているのである。

14章36節 (そもそも)(かみ)(ことば)(なんぢ)()より()でしか、また(なんぢ)()にのみ(きた)りしか。[引照]

口語訳それとも、神の言はあなたがたのところから出たのか。あるいは、あなたがただけにきたのか。
塚本訳それとも、(その習わしはあなた達の会合独得だというのか。)神の言葉はあなた達(の集会)から出たのか、あるいは、あなた達だけのところに来たのか。
前田訳神のことばはあなた方から出たのですか。それとも、あなた方にだけ来たのですか。
新共同それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。
NIVDid the word of God originate with you? Or are you the only people it has reached?
註解: 「若しコリントの教会が神の言の流れ出でた源であるとか、又は神の言を受けた唯一の教会であると云うならば、汝らの中に行はれる婦人の発言の習慣も相当の根拠があるとも云えよう。併し他にも同様神の言を受け又之を他に伝えている教会があつて、それらが別の習慣を守つているならば汝らだけが正しいと主張する事は出来ないであろう」。

7-5-ホ 結論 14:37 - 14:40

14章37節 (ひと)もし自己(みづから)預言者(よげんしゃ)(とし)、(あるひ)御靈(みたま)(かん)じたる(もの)(なり)と(おも)はば、わが(なんぢ)らに()きおくる(ことば)(しゅ)(めい)なりと()れ。[引照]

口語訳もしある人が、自分は預言者か霊の人であると思っているなら、わたしがあなたがたに書いていることは、主の命令だと認めるべきである。
塚本訳自分を預言者あるいは霊を授けられた者だと思う者は、わたしがあなた達にいま書いていることが、主の掟であることを認めなければならない。
前田訳もしだれかが預言者または霊感者と思うならば、わたしがあなた方に書き送ることを主の命令と認めなさい。
新共同自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。
NIVIf anybody thinks he is a prophet or spiritually gifted, let him acknowledge that what I am writing to you is the Lord's command.
註解: コリント教会にはかかる自負心を有つている者が多かつた、パウロは彼らに向い「若し真に自己をかかる者と思うならば以上に我が書き送れる集会の秩序の問題を主イエスの命と思え」と命じ以て、パウロの確信を披瀝(ひれき)し同時にコリントの人々が真の預言者、又は真の霊を受けしや否やを検している。

14章38節 もし()らずば()()らざるに(まか)せよ。[引照]

口語訳もしそれを無視する者があれば、その人もまた無視される。
塚本訳それを認めない者があるなら、その人は(神にも)認められない。
前田訳もしそれを認めなければ、その人は神に認められません。
新共同それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。
NIVIf he ignores this, he himself will be ignored.
註解: 「それでもさう思わぬ連中は放つて置け」と云う様な荒き意気を含んだ言であつて、パウロはコリントの教会に彼の言を是非する者の少く無い事を知つていたのでかく断然たる言を発したのである。

14章39節 されば()兄弟(きゃうだい)よ、預言(よげん)することを(した)ひ、また異言(いげん)(かた)ることを(きん)ずな。[引照]

口語訳わたしの兄弟たちよ。このようなわけだから、預言することを熱心に求めなさい。また、異言を語ることを妨げてはならない。
塚本訳従って、わたしの兄弟たちよ、預言することを努力せよ、また霊言を語ることを禁ずるな。
前田訳それゆえ、わが兄弟方、預言するよう努めなさい。そして異言で語ることを禁じなさるな。
新共同わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。
NIVTherefore, my brothers, be eager to prophesy, and do not forbid speaking in tongues.

14章40節 (すべ)ての(こと)(よろ)しきに(かな)ひ、かつ秩序(ちつじょ)(まも)りて(おこな)へ。[引照]

口語訳しかし、すべてのことを適宜に、かつ秩序を正して行うがよい。
塚本訳しかし万事品位を保って、秩序正しくあれ。
前田訳すべてを折目正しく秩序をもってしてください。
新共同しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
NIVBut everything should be done in a fitting and orderly way.
註解: パウロは以上の如くに論じ来つたとは(いえど)も、之を聞く者があまりに之を取り過ぎて極端に走り異言を禁ずる迄に至る事あらん事を恐れて、一方預言を「慕う」べきと同時に異言を語る事を「禁ず」べからざる事を教えた。彼の用意の周到さを見るべきである、反対の場合即ちIテサ5:19、20にも同様の用意周到さを見る事が出来る。彼の言わんとせる要点は、結局最後の一句に集中するのであつて11-14章の全体を茲に要約しているのである。