マルコ伝第2章
分類
2 ガリラヤにおけるイエスの活動 1:21 - 7:23
2-2 イエスに対する反対の興起 2:1 - 3:12
2-2-イ 中風の者を醫し給う 2:1 - 2:12
(マタ9:1-8) (ルカ5:17-26)
註解: 2:1−3:6はイエスに対し宗教家すなわち祭司、学者、パリサイ人等の反対が起り次第にその反対が高まって来る事情を叙す。
2章1節
口語訳 | 幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、 |
塚本訳 | 数日の後、カペナウムにかえられると、家におられることがすぐ知れわたって、 |
前田訳 | 数日後、カペナウムに帰られると、家においでと知れわたった。 |
新共同 | 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、 |
NIV | A few days later, when Jesus again entered Capernaum, the people heard that he had come home. |
註解: イエスの隆々たる名声が四方に広まって若干の時日を経過して再びカペナウムに帰り、たぶんペテロの外姑 の家に入り給い、このこと忽 にして人々に知れわたった。
辞解
「数日の後」を「その家に在すことを聞きて」に懸けることもできる(E0)。大体として福音書記者は日時について不精確である。「家」につきてはマコ1:33註解参照。
2章2節
口語訳 | 多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまでも、すきまが無いほどになった。そして、イエスは御言を彼らに語っておられた。 |
塚本訳 | もはや門口にも場所がないほど、大勢の人が集まってきた。この人たちに御言葉を語っておられると、 |
前田訳 | あまり大勢が集まったので、もはや戸口にも場所がなかったが、イエスは彼らに教えをのべておられた。 |
新共同 | 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、 |
NIV | So many gathered that there was no room left, not even outside the door, and he preached the word to them. |
註解: イエスの居りし室内は一杯であり、その門口の前すら人が一杯であった。イエスの名声の嘖々 たりしことを知ることができる。反対者が起るのは多くかかる時である。
イエス
註解: 神の国の福音がイエスの御言であった。
2章3節 ここに
口語訳 | すると、人々がひとりの中風の者を四人の人に運ばせて、イエスのところに連れてきた。 |
塚本訳 | 人々が一人の中風の者を、四人にかつがせてつれて来る。 |
前田訳 | そこへ人々は四人にかつがせて中風やみをひとり連れて来た。 |
新共同 | 四人の男が中風の人を運んで来た。 |
NIV | Some men came, bringing to him a paralytic, carried by four of them. |
註解: 床に臥さしめ四隅をもって運んだのであった。この四人は信仰ある彼の友人または家族であろう。
口語訳 | ところが、群衆のために近寄ることができないので、イエスのおられるあたりの屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま、床をつりおろした。 |
塚本訳 | 群衆のためイエスのところにつれて行けないので、おいでになる所の(上の)屋根をはがして穴をあけ、中風の者を担架に寝かせたまま(イエスの前に)吊りおろす。 |
前田訳 | しかし群衆のためにイエスに近づけないので、彼のおられたところの屋根をはずして穴をあけ、中風やみの寝ている床をおろした。 |
新共同 | しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。 |
NIV | Since they could not get him to Jesus because of the crowd, they made an opening in the roof above Jesus and, after digging through it, lowered the mat the paralyzed man was lying on. |
註解: イエスの周囲は立錐の余地もなき群衆に充ち、室の内外とも寸隙がなかった。
註解: 家の外側の階段より屋根の上に上り平面なる屋根に穴を穿 った。この地方の家の構造よりかくすることが可能である。かくしてまでもイエスに接せんとする彼らの熱心を見よ。イエスに見 えんがためには人は多くの障害を通過しなければならぬ(B1)。
口語訳 | イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 |
塚本訳 | イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われる、「子よ、いまあなたの罪は赦された。」 |
前田訳 | イエスは彼らの信仰を見て中風やみにいわれる、「わが子よ、あなたの罪はゆるされます」と。 |
新共同 | イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。 |
NIV | When Jesus saw their faith, he said to the paralytic, "Son, your sins are forgiven." |
註解: 「彼ら」は病者を運び来れる人々で、彼らの信仰は彼を癒す原因となった。代祷の効果の実例である。
註解: 疾病、不幸等は罪の結果であるとはユダヤ人の思想であった。イエスがかく言い給いし所以は一つは中風の者をまず霊的に更生せしめんがためと一つは群衆の中にありてイエスを窺 い居る学者たちに対し一矢を酬 いんがためであった。イエスはその全き愛をもて罪を赦す権あることを確信し給うた。
2章6節 ある
口語訳 | ところが、そこに幾人かの律法学者がすわっていて、心の中で論じた、 |
塚本訳 | 数人の聖書学者がそこに坐っていたが、心の中で考えた、 |
前田訳 | 学者が何人かそこにすわっていて、心の中で考えた、 |
新共同 | ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。 |
NIV | Now some teachers of the law were sitting there, thinking to themselves, |
註解: 彼らはイエスの非常なる風評を見て、嫉妬の念にたえずイエスを陥れる隙を窺 わんがために群衆と共に来り会したものである。ルカ5:17によればパレスチナの各地より来たりしパリサイ人教法学者であったとのこと。
2章7節 『この
口語訳 | 「この人は、なぜあんなことを言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」。 |
塚本訳 | 「この人はなぜあんなことを言うのだろう。冒涜だ。神お一人のほか、だれが罪を赦せよう。」 |
前田訳 | 「この人はなぜこういうのか。けがしごとだ。神おひとりのほか、だれが罪をゆるせるか」と。 |
新共同 | 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 |
NIV | "Why does this fellow talk like that? He's blaspheming! Who can forgive sins but God alone?" |
註解: 神学者を神学論をもってイエスに対し、イエスは事実をもって彼らに答え給う。人は人の罪を赦し得ず罪は神に対するもの故神のみこれを為し得るはずである。ゆえにイエスの言は冒涜であると言うのである。
2章8節 イエス
口語訳 | イエスは、彼らが内心このように論じているのを、自分の心ですぐ見ぬいて、「なぜ、あなたがたは心の中でそんなことを論じているのか。 |
塚本訳 | イエスは彼らがひそかにこう考えているのを、すぐ霊で見抜いて、「なんで、そんなことを心の中で考えているのか。 |
前田訳 | イエスは彼らがひそかにこう考えているのにすぐ霊で気づいて、彼らにいわれる、「なぜそのようなことを心の中で考えているのか。 |
新共同 | イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。 |
NIV | Immediately Jesus knew in his spirit that this was what they were thinking in their hearts, and he said to them, "Why are you thinking these things? |
註解: 学者らは口にはその心持を発表しなかったけれども、イエスはその霊の力によりてこれを感得し給うた。
2章9節
口語訳 | 中風の者に、あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きよ、床を取りあげて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 |
塚本訳 | この中風の者に、あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて担架をかついで歩け、と言うのと、どちらがたやすい(と思う)か。 |
前田訳 | 中風やみに『あなたの罪はゆるされます』というのと、『起きて床を持ちあげて歩け』というのとどちらがやさしいか。 |
新共同 | 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 |
NIV | Which is easier: to say to the paralytic, `Your sins are forgiven,' or to say, `Get up, take your mat and walk'? |
註解: 勿論前者が易い、その故は後者はその結果が人の目に見え、前者は見えないからである。それ故にもしイエスが後者のごとき命令を発して、中風の人がこれに従うならば、このイエスは勿論罪を赦す権があることを認めなければならぬ。
2章10節
口語訳 | しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、 |
塚本訳 | では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と彼らに言いながら、中風の者に言われる、 |
前田訳 | しかし、人の子が地上で罪をゆるす権威を持つことをあなた方に知らせよう」と。そして中風やみにいわれる、 |
新共同 | 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。 |
NIV | But that you may know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins...." He said to the paralytic, |
註解: イエスは御自身を「人の子」と呼び給うた。メシヤを意味す。マタ8:20辞解参照。イエスがこの権威を自覚し給うたのは神との合一意識によったものと見るべきである。ヨハ5:19、ヨハ5:30等の思想はこのイエスの自覚の敷衍である。
2章11節 『なんぢに
口語訳 | 「あなたに命じる。起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 |
塚本訳 | 「あなたに命令する、起きて担架をかついで、家に帰りなさい。」 |
前田訳 | 「あなたにいう、起きて床を持ちあげて家にお帰り」と。 |
新共同 | 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」 |
NIV | "I tell you, get up, take your mat and go home." |
2章12節
口語訳 | すると彼は起きあがり、すぐに床を取りあげて、みんなの前を出て行ったので、一同は大いに驚き、神をあがめて、「こんな事は、まだ一度も見たことがない」と言った。 |
塚本訳 | すると彼は起き上がり、すぐ担架をかついで、皆の見ている前を出ていった。皆が呆気にとられ、「こんなことはかって見たことがない」と言って、神を讃美した。 |
前田訳 | 彼は起きてすぐに床を持ちあげて皆の前を出て行った。皆はおどろき、「こんなことはかつて見たことがない」といって神をたたえた。 |
新共同 | その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。 |
NIV | He got up, took his mat and walked out in full view of them all. This amazed everyone and they praised God, saying, "We have never seen anything like this!" |
註解: イエスの一言によりて中風はたちどころに醫され、学者たちの内心の反対はイエスの示し給える事実によって粉砕された、かくて民衆は単純にイエスの御業におどろき神を崇めた。学者、パリサイ人らはこの場合敗北しついに一言も発し得なかったけれども、それだけ心の中に益々イエスを憎んだ。
要義 [権威の自覚]権威の自覚は絶対正義の立場より来り、絶対正義の意識は神の御旨に一致していることの意識より生ず、イエスの権威の自覚は神より来れるものであった。従ってその奇蹟力もこの自覚に伴って起って来た。
2章13節 イエスまた
口語訳 | イエスはまた海べに出て行かれると、多くの人々がみもとに集まってきたので、彼らを教えられた。 |
塚本訳 | また湖のほとりに出てゆかれた。群衆が皆あつまって来たので、教えられた。 |
前田訳 | ふたたび彼は湖畔に出て行かれた。群衆が皆彼のところに来たのでお教えになった。 |
新共同 | イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。 |
NIV | Once again Jesus went out beside the lake. A large crowd came to him, and he began to teach them. |
註解: 次節を起さんがための序文のごとき一節で、時、処等につき明確なる指摘を欠く、イエスの教室は山上でありまた海辺であった。
2章14節
口語訳 | また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。 |
塚本訳 | それから通りがかりに、アルパヨの子レビが税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。 |
前田訳 | 進んで行かれると、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのを見受けて、彼にいわれる、「わたしについて来なさい」と。すると立って従った。 |
新共同 | そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 |
NIV | As he walked along, he saw Levi son of Alphaeus sitting at the tax collector's booth. "Follow me," Jesus told him, and Levi got up and followed him. |
註解: マタ9:9以下と対照してこのレビがマタイ(マコ3:18)であることは明かである。レビは取税人であった。
辞解
取税人はローマ政府の関税徴収事務の請負を為すユダヤ人で、ユダヤ人より搾取して私腹を肥やす者多きために一般にユダヤ人に憎悪と軽蔑の目をもって見られていた。
[アルパヨ] マコ3:18のヤコブの父とは別人である。
『われに
註解: イエスの見る処は世の見る処と異なっていた。世人に義人と見ゆるパリサイ人よりも、世人より罪人と同視される取税人にかえって救わるべき素質があった。「我に従へ」は弟子としてイエスに事 えイエスと行動を共にすること。
2章15節
口語訳 | それから彼の家で、食事の席についておられたときのことである。多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。こんな人たちが大ぜいいて、イエスに従ってきたのである。 |
塚本訳 | イエスが(レビの)家で食卓についておられたとき、大勢の税金取りや罪人も、イエスや弟子たちと同席していた。──(すでにこの時)多くの人がイエスに従っていたのである。── |
前田訳 | イエスが彼の家で食卓につかれると、多くの取税人や罪びとも彼や弟子たちと同席した。彼に従うものは多かったのである。 |
新共同 | イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。 |
NIV | While Jesus was having dinner at Levi's house, many tax collectors and "sinners" were eating with him and his disciples, for there were many who followed him. |
註解: レビの家にて袂別 の饗宴を催したのであろう。
辞解
[其の家] 「イエスの家」と解する説あれど前後の事情より不適当なり。
註解: この一群は一般のユダヤ人の目には非常に穢わしく低級に見えた、祭司、学者、パリサイ人、サドカイ人等宗教的に尊敬される階級の人々は取税人・罪人らと食を共にすることを絶対に為さなかった。
▲イエスのこの態度は彼が人種、階級、職業等の差別を無視してすべての人を愛していたことと、誤った伝統によって人間の間に差別を設けることに対して抵抗的態度を取っていたことの証拠である。
辞解
[罪人] モーセの十誡をすら充分に守らない生活を為す人、取税人と並び称せらる。彼らはパリサイ人や学者、祭司らに嫌われまた彼らもこれらを嫌ったけれどもイエスには引付けられた。
2章16節 パリサイ
口語訳 | パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと食事を共にしておられるのを見て、弟子たちに言った、「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。 |
塚本訳 | パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」 |
前田訳 | すると、パリサイ人の学者は彼が罪びとや取税人と食を共にされるのを見て、弟子たちにいった、「彼は取税人や罪びとと食を共にするのか」と。 |
新共同 | ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 |
NIV | When the teachers of the law who were Pharisees saw him eating with the "sinners" and tax collectors, they asked his disciples: "Why does he eat with tax collectors and `sinners'?" |
註解: 2:6において学者たちはイエスに対し内心の不満を懐いた。本節に至って彼らはこの不満を間接にその弟子たちに洩らした。かくして彼らのイエスに対する反対は次第にその度を高めて来るのを見る。「なに故」と言いて穏やかに質問しているけれども、内心は「実に赦すべからざることである」との意を含むことは勿論である。
2章17節 イエス
口語訳 | イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 |
塚本訳 | イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」 |
前田訳 | イエスはそれを聞いて、彼らにいわれる、「医者を要するのは健康人ではなくて病人である。わたしが招きに来たのは、義人をではなく罪びとをである」と。 |
新共同 | イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 |
NIV | On hearing this, Jesus said to them, "It is not the healthy who need a doctor, but the sick. I have not come to call the righteous, but sinners." |
註解: イエスの使命は病を醫し罪人を救うに在った。自ら無病と考うる者、自ら義人と信ずる者はイエスには用なき人々であった。しかしながら死に勝つほど健康な者が無いと同じく罪無きほど義しき者はない。ここにイエスが「義しき者」「罪人」と言い給いしは当時の一般人の用語と意味とに従い、半面において反語としてこれを用い給うたのである。ロマ3:10の考え方をここに適用することはできない。
要義 [イエスの行動の自由さ]イエスの生涯は一面において保守的であり他面において革命的であった。イエスは変更の必要なき習慣伝統において保守的であり、人間の本性の価値に関する問題において革命的であった。自ら義人として誇る宗教家よりも取税人・罪人として蔑視される人々の中にかえって救わるべき魂があることをイエスは重視し給い、これに反する習慣を破って、破天荒と思われる行動に出で給うたのであった。キリスト者は徒 に新奇を衒 うべきではない、けれども根本的の問題につきては断然旧来の陋習 を破るべきである。
2章18節 ヨハネの
口語訳 | ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 |
塚本訳 | (ある断食日に洗礼者)ヨハネの弟子とパリサイ人が断食をしていると、人々が来てイエスに言う、「ヨハネの弟子とパリサイ人の弟子は断食をするのに、なぜあなたの弟子は断食をしないのか。」 |
前田訳 | ヨハネの弟子たちとパリサイ人が断食していると、人々が来てイエスにいう、「なぜヨハネの弟子とパリサイ人の弟子は断食するのに、あなたの弟子は断食しませんか」と。 |
新共同 | ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 |
NIV | Now John's disciples and the Pharisees were fasting. Some people came and asked Jesus, "How is it that John's disciples and the disciples of the Pharisees are fasting, but yours are not?" |
註解: この訳語によればヨハネの弟子とパリサイ人とは断食する習慣であったとの意味となる。「とは」を「と」とすれば「ある時断食を行っていた」こととなる(L2)。双方とも可能であるが、ここでは前者と見る方が適当である。
[
註解: 「彼らイエスに来りて言う」とも訳することができる(E0、M0)。然る時は断食している人々よりの質問となる。現行訳のままにて可なり。
『なにゆゑヨハネの
註解: イエスに対する反対は次第に高まり、ついにイエスに対して直接反対を表明するに至った(6節、16節参照)。なおイエスの弟子は断食を行わなかった(ただし絶対に断食しなかったかどうかは不明であるが少なくとも他の人々と同様に規定せられし時刻にはこれを行わなかった)。(▲宗教的行事は固定せる習慣となる場合、その意義と効力とを失う。イエスは精神を重んじて形式に拘泥しなかった。今日のキリスト教会にもこのパリサイ的精神が支配的となる危険なきか。)パリサイ人やヨハネの弟子らのごとき厳格なる人々にはこの態度がいかにも放埓 で不信仰のごとくに見えた。
2章19節 イエス
口語訳 | するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「婚礼の客は花婿がまだ一しょにいるうちに、断食(をして悲しむこと)が出来ようか。(もちろん)花婿と一しょにいる間に断食は出来ない。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「花むこが共にいる間、婚礼の客が断食できるか。花むこが共にいる間、断食はできない。 |
新共同 | イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 |
NIV | Jesus answered, "How can the guests of the bridegroom fast while he is with them? They cannot, so long as they have him with them. |
註解: 新郎の友だちは婚姻の席に招かれてその歓楽を共にし、その歓喜を共にすべき者故、その座で断食のごとき憂鬱なる態度を為すべきではない。
辞解
[新郎の友だち] 原語「新郎の子ら」であるが訳語のごとき意味に用う。▲口語訳「婚礼の客」は意訳。
2章20節
口語訳 | しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。 |
塚本訳 | しかしいまに花婿を奪いとられる時が来る。その時、彼らは(いやでも)断食をするであろう。 |
前田訳 | しかし花むこが彼らから取られる日が来よう。そうすればその日に彼らは断食しよう」と。 |
新共同 | しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。 |
NIV | But the time will come when the bridegroom will be taken from them, and on that day they will fast. |
註解: イエスは御自身を新郎にたとえ、弟子たちを「新郎の子ら」にたとえ給うた。而してイエスはこの時すでにその受難を予感し給うたのである。イエスはその弟子たちが今は新郎イエスと偕にありて歓喜の絶頂にあること故断食せんとするごとき心持は起らないことを当然として弁解し、やがて彼の死に給う時至れば、弟子たちは悲しみのあまり自ら断食するに至るであろうことを告げ給うた。
辞解
「取られる日」の「日」は複数で「その日」の「日」は単数である。「その日には」なる単数名詞句を終末的に用いたためであろう。B1は「新郎の取り去られる日は一日で、その不在の日は多くに日に及ぶ」といっている。
註解: イエスは断食問題に関する弟子たちの態度をさらに他の例をもって説明し、一般的原則を示し給うた。
2章21節
口語訳 | だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。 |
塚本訳 | 真新しい布切れで古い着物に継ぎをあてる者はない。そんなことをすれば、新しい当て切は古い着物をひきさき、裂け目はますますひどくなる。 |
前田訳 | 「だれも織りたての布で古い衣につぎをあてない。あてると、新しいつぎが古い布からやぶけて、裂け目は前よりひどくなる。 |
新共同 | だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。 |
NIV | "No one sews a patch of unshrunk cloth on an old garment. If he does, the new piece will pull away from the old, making the tear worse. |
註解: 旧きユダヤ教の律法主義を保存せんとして新しきキリスト教の布の裂 を用いても無駄である。新しき布は新しき途に用いらるべきものである。イエスの弟子を無理に古き習慣をもって束縛してその中に入れてはならない。
2章22節
口語訳 | まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」。 |
塚本訳 | また新しい酒を古い皮袋に入れる者はない。そんなことをすれば、酒は皮袋を破って、酒も皮袋もだめになる。」 |
前田訳 | だれも新しい酒を古い皮袋には入れない。入れると、酒は皮袋を裂き、酒も皮袋もだめになる。新しい酒は新しい皮袋に!」。 |
新共同 | また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」 |
NIV | And no one pours new wine into old wineskins. If he does, the wine will burst the skins, and both the wine and the wineskins will be ruined. No, he pours new wine into new wineskins." |
註解: 福音の新酒はユダヤ教の古袋の中に入れらるべきものではない。無理にこれを容れようとすれば双方とも破滅に帰するだけである。
辞解
[革嚢 ] 羊の革をもって造れる水袋で肩に斜に負いて水を運ぶ。旧きものは弾力を失い、新しき酒の膨張力に堪えない。
註解: イエスの弟子たちの中に旺溢 する新しき精神を旧き断食の形式の中に盛ることはできない。たとい断食することありとも新しき意味の断食でなければならぬ。
要義 [新なる福音]イエスの宣伝える福音は全く新なる生命の生れ出でたものであった。強き生命はそれ自身の途を歩み、それ自身に適せる形態を取る。旧き物の中よりも己に適せるものを取り適せざるものをばこれを排斥する。強き生命の特徴は旧き形式の中に固定し得ない点に存する。それ故に一見破壊的に見えるけれども実は建設的である。▲キリスト教の生命が古い形式の殻の中に窒息して死にかかる時には、古い殻を棄てて新しい生命に復活しなければならない。
2章23節 イエス
口語訳 | ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。そのとき弟子たちが、歩きながら穂をつみはじめた。 |
塚本訳 | ある安息日に麦畑の中を通られたときのこと、弟子たちが(空腹を覚えて)歩きながら穂を摘み始めた。 |
前田訳 | 安息日に麦畑を通られたときのこと、弟子たちが道すがら穂を摘みはじめた。 |
新共同 | ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。 |
NIV | One Sabbath Jesus was going through the grainfields, and as his disciples walked along, they began to pick some heads of grain. |
註解: 安息日に禁止せられし三十九種の行為の一つに「収穫すること」が含まれており、穂を摘むことは収穫の一種と解釈されていた。すなわち弟子たちの行為は律法違反であることとなる。
辞解
[とほり] 原語傍らを通過すること。
[歩みつつ穂を摘み始め] 直訳「穂を摘みつつ歩み始め」となる。おな「歩む」を「道を開く」と訳すべしとの説あれど、この場合現行訳を可とす。また他人の麦畑にて穂を摘みて食することは平日において許されていた(申23:25)。この場合安息日なるが故に問題となった。またちょうど収穫時であり、大麦ならば過越の祭の前、小麦ならばその後となる故イエスの十字架が過越の祭の時とすればおそらくこれより一年または二年の後となる。
2章24節 パリサイ
口語訳 | すると、パリサイ人たちがイエスに言った、「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。 |
塚本訳 | パリサイ人がイエスに言った、「なぜあの人たちは、あんな、安息日にしてはならぬことをするのか。」 |
前田訳 | パリサイ人らが彼にいった、「あのように、彼らはなぜ安息日にすまじきことをしているのですか」と。 |
新共同 | ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。 |
NIV | The Pharisees said to him, "Look, why are they doing what is unlawful on the Sabbath?" |
註解: 陽に弟子たちを非難しつつ間接にその師たるイエスを非難している。律法主義者は他人の行為を審くことに熱心であり、自己の律法の尺度に照らして他人を審く。
2章25節
口語訳 | そこで彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが食物がなくて飢えたとき、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。 |
塚本訳 | イエスが言われるには、「あなた達は、ダビデ(王)が自分も供の者も食べるものがなくて空腹の時に何をしたか、(まだ聖書で)読んだことがないのか。 |
前田訳 | 彼はいわれる、「ダビデとお伴が何も持たなくて飢えたとき何をしたか、あなた方は読まなかったのか。 |
新共同 | イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。 |
NIV | He answered, "Have you never read what David did when he and his companions were hungry and in need? |
註解: ダビデの先例であればパリサイ人もこれを非難し得ず。イエスの反駁 は彼の優れし智慧と、聖書に精通し給えることを示す。
2章26節
口語訳 | すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」。 |
塚本訳 | ──彼が大祭司アビアタルの時、神の家に入って、祭司のほかだれも食べてはならない、“供えのパンを”食べ、供をしている者にもわけてやったことを。」 |
前田訳 | 彼は大祭司アビヤタルのとき神の家に入って供えのパンを食べた。それを食べることは祭司たちだけにゆるされるのに、彼はそれをお伴にも与えた」と。 |
新共同 | アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」 |
NIV | In the days of Abiathar the high priest, he entered the house of God and ate the consecrated bread, which is lawful only for priests to eat. And he also gave some to his companions." |
註解: Tサム21:1−6の記事の引用で、平常ならば祭司以外に食うべからざる聖きパンを、特別非常の際とて大祭司はこれを飢えしダビデ一行に与えて食わしめた。重大なる場合には時に律法の外形に違反してその精神を実行するも差支えがない。飢えて食を必要とする時安息日の規定を破ることもこれと同一の場合である。
辞解
「アビアタル」はこの時の大祭司「アビメレク」の子(Tサム22:20)であった。これをアビアタルと録した理由は(1)マルコの記憶の誤りとする説、(2)この父子は双方ともアビアタルなる名を有っていたとする説、(3)アビアタルがアビメレクの補佐として働いたためとする説等あり、(1)を採る、「神の家」「供のパン」につきてはマタ12:4辞解参照。
2章27節 また
口語訳 | また彼らに言われた、「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「安息日は人のためで、人が安息日のためにあるのではない。 |
前田訳 | さらにいわれた、「安息日は人のためにあり、人が安息日のためにあるのではない。 |
新共同 | そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。 |
NIV | Then he said to them, "The Sabbath was made for man, not man for the Sabbath. |
註解: マルコ伝のみに録されている貴重の一節である。人間に信仰と幸福とを与えんがために規定せられし安息日の律法は、パリサイ人らの律法主義の結果、かえって人間の桎梏 となり苦痛の原因となった。かくして人間は律法の奴隷となり、律法が人間の禍害の原因となった。イエスの炯眼 この一言をもってよくこの大真理を喝破して、律法の奴隷たちに対する覚醒の警鐘となった。(原書欄外に「設けられて」について『▲▲口語訳「設けられてあるので」は適訳』とあるが、現存口語訳では単に『あるので』となっている:編集者加筆)
口語訳 | それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。 |
塚本訳 | だから人の子(わたし)はまた安息日の主人である。」 |
前田訳 | それゆえ、人の子は安息日の主でもある」と。 |
新共同 | だから、人の子は安息日の主でもある。」 |
NIV | So the Son of Man is Lord even of the Sabbath." |
註解: 人の子たるメシヤは人類を支配すべきであり、従って人類のために設けられし安息日も当然人の子の支配の下にある。人の子に在し給うイエスは自由に安息日を処理し得給う。而してイエスに在りて御霊の自由に生くるキリスト者もまた安息日に律法的に束縛せらるべきではない。なおマタ12:8要義「安息日問題」参照。
要義1 [律法とイエス]イエスの安息日に対する態度はイエスの律法に対する態度の代表的なるものである。イエスは律法の形体に束縛せられず、常にその核心を生かし給うた。それ故に形式主義者より見る時、往々にして反律法主義者として見られ給うた。しかしながらイエスの霊は律法そのものに束縛せられ給わざるは勿論、これを完成して一致の高所に引き揚げ給うた。すなわち人間の生命を維持しまたはその病を醫すことのごときは、律法以上のことであり安息日の律法を無視してもこれを行い給うた。これすなわち律法の成就であってその破壊ではない(マタ5:17)。
要義2 [安息日と日曜安息]ユダヤの安息日は神の天地創造の六日を終えて第七日目に安息し給えることの記念であり土曜日であった。キリスト者の日曜安息はこれと異なり、イエスの復活の朝を記念する歓喜と希望の日である。それ故に日曜の安息は律法として我らを束縛すべきではなく、恩恵として感謝をもって受くべきであり、この恩恵の一日を特にイエスの日として記念することによりて、日曜安息日(主日 ─ 黙1:10)の目的が達せられるのである。日曜をあたかもユダヤ教の安息日と同視し、殊にこれをパリサイ主義者の安息日のごとき意味に守らんとすることは誤りでありまた土曜安息をキリスト者に要求するごときも、割礼を異邦のキリスト者に要求すると同様に誤りである(使15:1以下。ガラ2:1以下。コロ2:16)。
マルコ伝第3章
2-2-ホ 安息日に醫し給う 3:1 - 3:6
(マタ12:9-14) (ルカ6:6-11)
註解: 前章末尾の安息日問題を一層深刻ならしむる事件が起った。
3章1節 また
口語訳 | イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。 |
塚本訳 | ふたたび(ある安息日に)礼拝堂に入られると、そこに片手のなえている人がいた。 |
前田訳 | ふたたび会堂に入られると、手のなえた人がそこにいた。 |
新共同 | イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 |
NIV | Another time he went into the synagogue, and a man with a shriveled hand was there. |
註解: イエスは深き憐憫をもってこれに目を留め給い、イエスの敵はこの不具者には目もくれず、イエスの態度を悪意をもって注目した。
辞解
[会堂] どこの会堂か不明。マタ12:9。ルカ6:6には冠詞あるゆえカペナウムの会堂と解し得る可能性あり。
[なえたる] 分詞形ゆえ生まれながらの不具にあらざることを示す。
3章2節
口語訳 | 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。 |
塚本訳 | (パリサイ派の)人々がイエスは安息日にこの人をなおされるかどうかと、ひそかに様子をうかがっていた。訴え出る(口実を見つける)ためであった。 |
前田訳 | 人々は安息日にこの人をいやされるかどうかと見守っていた。それは彼を訴えるためであった。 |
新共同 | 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 |
NIV | Some of them were looking for a reason to accuse Jesus, so they watched him closely to see if he would heal him on the Sabbath. |
註解: これは学者パリサイ人等であった。悪意をもって人の行動を注視することは最も卑 むべき行動である。マタイ伝はマルコ伝とややこの場合の記事内容を異にす。
口語訳 | すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、 |
塚本訳 | イエスは(それと知って)、手のなえた人に「立って真中に出てこい」と言っておいて、 |
前田訳 | 彼は手のなえた人にいわれる、「立って真ん中に来なさい」と。 |
新共同 | イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 |
NIV | Jesus said to the man with the shriveled hand, "Stand up in front of everyone." |
註解: 「中に立て」は原語「立ちて真中に出でよ」との意あり、衆人環視の中に、彼らに真理の戦闘を挑み給うたのであった。
3章4節 また
口語訳 | 人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「安息日には、善いことをするのと悪いことをするのと、命を救うのと殺すのと、どちらが正しいか。」彼らは黙っていた。 |
前田訳 | そして人々にいわれる、「安息日に善をなすのと悪をなすのと、いのちを救うのと殺すのと、どちらが正当か」と。彼らは黙っていた。 |
新共同 | そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 |
NIV | Then Jesus asked them, "Which is lawful on the Sabbath: to do good or to do evil, to save life or to kill?" But they remained silent. |
註解: 為すべき善を為さざるは悪を為すことであり、救うべき生命を救わざることは殺すことである。聴者がこの意味を解せりや否やは不明なるも、善と悪との明瞭なる対比でもあり、殊に安息日にても死なんとする者を救うことは許されていたこと故、彼らはこのイエスの問に対して答うる処を知らなかった。
辞解
[孰 かよき] 「孰 か正当か」または「律法上許されるや」等の意。
註解: 「善を為す方がよろし」と言えばイエスの治病は正当となり、「善を為すは宜しからず」と言えば彼らの道徳観が誤っていることとなり、結局彼らの安息日の律法を擁護せんがためには、沈黙より以外に方法は無かった。
3章5節 イエスその
口語訳 | イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。 |
塚本訳 | するとイエスは怒気をふくんで人々を見まわし、彼らの心の頑ななのをふかく悲しんで、その人に言われる、「手をのばせ。」のばすと手が直った。 |
前田訳 | そこでイエスは怒りをもって人々を見まわし、彼らの心の頑(かたくな)なのをなげいて、その人にいわれる、「手をおのばし」と。すると手がなおった。 |
新共同 | そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 |
NIV | He looked around at them in anger and, deeply distressed at their stubborn hearts, said to the man, "Stretch out your hand." He stretched it out, and his hand was completely restored. |
註解: このイエスの感情と態度とに注意すべし、「何たる頑固さであろう」と怒気を含んで彼らを見廻し給うたけれども心の中は彼らに対する同情の憂い悲しみ(▲sullupeomai はまた「心の中に苦悶する」意味にも用いられる。彼らの頑固な心と、病者に対する同情が無いのを怒り悲しみ給うた。)に充たされ給うた。
辞解
[憂ひ] sullupeomai はそれらの人々のために憂い悲しむ意味。
註解: かくしてイエスは安息日の律法を超越して安息日に善を為し給うた。善を行うがためには何をも懼れざるその態度を見よ。
3章6節 パリサイ
口語訳 | パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。 |
塚本訳 | パリサイ人たちは出ていって、すぐヘロデ党の者と、イエスを殺す相談をはじめた。 |
前田訳 | パリサイ人は出て行って、ヘロデの一味とともに彼をなきものにする相談をはじめた。 |
新共同 | ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 |
NIV | Then the Pharisees went out and began to plot with the Herodians how they might kill Jesus. |
註解: 出31:14の規定によりイエスを殺さんと相談を始めた。彼らはその宗教上の形式に忠実なるあまり善悪の判断を誤り、律法的形式に忠実なることのみを善事と考うるに至った。宗教が一つの形式に堕落する時、往々にして善悪の判断を誤りまたは判断力が曇らされる。
辞解
[ヘロデ党] ローマの支配に反対してヘロデ王朝を擁護する立場を取る一種の政治的結社である。宗教上政治上パリサイ人とは反対の立場を取ったけれども、その保守的なる点において共通点があり、イエスに反対する場合にのみ彼らは共力した。
要義 [イエスとパリサイ精神]パリサイ人は聖書に偽善者と呼ばれる故、往々にして善を装って悪(道徳的悪事)を為すものと誤解され易いが、実は然らず神の御旨に反しておりながら、自らこれに忠実であると信ずる人々である。すなわち道徳的偽善者にあらず宗教的偽善者である。宗教が一つの制度と化し職業と化する時、神の御旨の本体は忘却せられ、唯その制度の擁護と職業の遂行を神の御旨と考うるに至り、ここに善悪の判断が転倒するに至る。それにもかかわらず彼らは自らを最も美しく最も宗教的なりと信ずるが故に、イエスは激しくその偽善を責め給うた。
3章7節 イエスその
口語訳 | それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、 |
塚本訳 | イエスが弟子たちを連れて湖の方へ立ちのかれると、ガリラヤから来た大勢の人の群がついて行った。またユダヤ、 |
前田訳 | イエスは弟子たちとともに湖へと立ち去られた。ガリラヤ出の大勢の群衆が従って行った。またユダヤ、 |
新共同 | イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、 |
NIV | Jesus withdrew with his disciples to the lake, and a large crowd from Galilee followed. |
註解: イエスはパリサイ人らの攻撃と群衆の蝟集 とを避けんとて海辺に退き給うた。それでも彼はなお夥多 しき民衆に押迫られざるを得なかった。(▲イエス自身から神の力が溢れ出たからである。)如何に集めんとしても集らない今日の教会と比較すべし。
口語訳 | エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。 |
塚本訳 | ことにエルサレムから、イドマヤや、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)や、(遠く)ツロ、シドンあたりから(までも)、大勢の人の群が彼の所にあつまって来た。しておられることをみな、聞いたからである。 |
前田訳 | エルサレム、イドマヤ、ヨルダンのかなた、ツロ、シドンあたりからも、大勢の群衆が彼のなさることのすべてを耳にして、おそばに集まって来た。 |
新共同 | エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。 |
NIV | When they heard all he was doing, many people came to him from Judea, Jerusalem, Idumea, and the regions across the Jordan and around Tyre and Sidon. |
註解: これはパレスチナの東南隅、
ヨルダンの
註解: すなわちペレヤ地方、
およびツロ、シドン
註解: 北方フェニキヤの地中海岸
の
註解: イエスの風評が四方に広まりたる有様を記す。この光景は必ずしも短時日の出来事を記したのではなく、長期に亙れる現象の要約である。マタ4:25参照。
辞解
[夥多 しき民衆] 前節のそれと文字の順序を異にす、本節は「民衆数多」と訳してこれに応ずることを得。
3章9節 イエス
口語訳 | イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。 |
塚本訳 | イエスは自分のために小舟を一艘用意しておくようにと、弟子たちに言いつけられた。群衆に押しつぶされないためであった。 |
前田訳 | そこで弟子たちに自分のため小舟を用意するよういいつけられた。それは群衆に押しつぶされぬためであった。 |
新共同 | そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。 |
NIV | Because of the crowd he told his disciples to have a small boat ready for him, to keep the people from crowding him. |
註解: マルコ特有の一節。熱心なる群衆を避くることは愛の主なるイエスに似合しからざるがごときも、常に人間の要求に応うことをすることが必ずしも愛ではない。時にはその反対が真の愛である場合がある。
3章10節 これ
口語訳 | それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。 |
塚本訳 | 大勢の者をなおされたので、病気になやむ者がみな彼にさわろうとして、どっと押し寄せたのである。 |
前田訳 | いやされた人が多く、わずらうものが皆彼にさわろうと押しよせたからである。 |
新共同 | イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。 |
NIV | For he had healed many, so that those with diseases were pushing forward to touch him. |
註解: イエスが病める者を醫し給えるはその愛の現れであった。しかしイエスの愛はこれに止まらなかった。しかるに病者がイエスに押迫るのは唯その病を醫されんとの私慾からであった。12節の戒めも、前節の回避もみなこのためであった。かかる者の治癒に一生をささぐるはイエスの使命ではないからである。
辞解
[病] mastix 風土的流行病。
[觸 る] イエスが觸るまでもなく彼らがイエスに觸ることにより醫された。
3章11節 また
口語訳 | また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。 |
塚本訳 | また汚れた霊どもはイエスを見ると、その前にひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫ぶのであった。 |
前田訳 | けがれた霊どもは、彼を見るとひれ伏して、「あなたは神の子」と叫ぶのであった。 |
新共同 | 汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。 |
NIV | Whenever the evil spirits saw him, they fell down before him and cried out, "You are the Son of God." |
註解: 群衆はイエスに醫されんとして集って来たけれども、彼を神の子と信仰したるものなく、弟子たちも同様であった。唯悪鬼に憑かれし者のみ、これを知ることができた。悪鬼はこの点において人間よりも賢い。
口語訳 | イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。 |
塚本訳 | イエスは自分のことを世間に知らせるなと、きびしく戒められた。 |
前田訳 | イエスはご自身を公にせぬようにと、彼らをきびしくいましめられた。 |
新共同 | イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。 |
NIV | But he gave them strict orders not to tell who he was. |
註解: イエスは神の命のままに動き給うが故に人に顕されることを必要とせずまたこれを好み給わなかった。伝道者は人に顕われんことを望んではならない。
要義1 [群集とイエスの治癒]孰 れの時代でも人はその病を醫されんことを最大の願いとして持っている。それ故に治病を標榜して人を引寄せる宗教は、常に門前市をなすに至るものである。イエスは反対に治病を標榜せずできるだけ隠微の中に愛の治病を行わんとした。それにもかかわらずイエスの門前市を為すに至った。これ人間がその病を忌む感情が古今同一だからである。しかしながらイエスの宗教と病気治癒を表看板とせる宗教との差別はイエスがこれをできるだけ隠されんことを望んだことによりてもこれを知ることができる。イエスの生涯は人を喜ばせんとすることではなく、神を喜ばせんとすることにあったからである。
要義2 [人はイエスの中に何を見るべきか]群衆はイエスの中に治病力を見出してこれを利用せんとした。狂人はイエスの中に神の子を見出して畏れおののいた、我らは彼の中に恩恵に充てる救い主としての神の子を見出さなければならぬ。イエスのごとき偉大なる存在は見る人の見方と見られるイエスの特質の方面とによりて種々の差異を生ず、従って正しくイエスを見、イエスが我らに与えられし使命においてイエスを見得るものは幸いなり、然らざる方面にイエスを利用せんとする者はイエスを無にするものである。
3章13節 イエス
口語訳 | さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。 |
塚本訳 | それから(近くの)山に上り、自分でこれぞと思う人たちを呼びよせられると、あつまって来た。 |
前田訳 | それから山に上って、お望みの人々を呼ばれると、彼らはおそばに来た。 |
新共同 | イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。 |
NIV | Jesus went up on a mountainside and called to him those he wanted, and they came to him. |
註解: イエスはここに十二弟子を選び給う。充分にこれを訓練して責任をもってイエスの神の国宣伝を助くる者たらしむることを要し給うたからである。
辞解
[山] 冠詞ありガリラヤ湖に臨む山。
[来る] 凡てをすてて来れることの意あり(B1)。
口語訳 | そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 |
塚本訳 | そこで十二人(の弟子)をお決めになった。そばに置くため、またこれを派遣して、教えを説かせたり、 |
前田訳 | そこで十二人をお決めになった。彼の近くに置くため、またつかわして福音をのべ、 |
新共同 | そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、 |
NIV | He appointed twelve--designating them apostles --that they might be with him and that he might send them out to preach |
註解: 十二はイスラエル民族の特愛の数、黙示録註解の緒言参照。殊に十二の支族に因みたるものである(マタ19:28。ルカ22:30)。
註解: この二ヶ條はマルコ特有である。訓育のためおよびイエスに事 えしむるためにイエスと共にいることが使徒の任務の第一であり、また教えを宣べ、悪鬼を逐い出すために遣されれることはその任務の第二である。この間に矛盾(L2)はない。
3章15節
口語訳 | また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 |
塚本訳 | 全権をさずけて悪鬼を追い出させたりするためであった。 |
前田訳 | 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 |
新共同 | 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 |
NIV | and to have authority to drive out demons. |
註解: (▲14節後半および15節の口語訳は原文の構造を破壊している。文語訳の方が正しい。すなわち原文では十二使徒選任の目的は、一は「御側に置くため」、二には「彼らを派遣するため」であり、そして「宣教」と「権威を有つこと」は派遣の目的内容を為す。)イエスよりこの権を受けてイエスに代りてこれを用うることが使徒の任務であった。
3章16節
口語訳 | こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、 |
塚本訳 | すなわち十二人を決めて、シモンにペテロという名をつけ、 |
前田訳 | すなわち十二人を決めて、シモンをペテロと名づけ、 |
新共同 | こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。 |
NIV | These are the twelve he appointed: Simon (to whom he gave the name Peter); |
註解: ペテロは「岩」でイエスの教会の礎石をなす人物。マタ16:18はこれより後、ヨハ1:42はこれより前にこの名を付けられている。おそらく時期としてはヨハネ伝が精確ならん。
3章17節 ゼベダイの
口語訳 | またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。 |
塚本訳 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟のヨハネと──この二人にはボアネルゲ、すなわち「雷の子」という名をつけられた。── |
前田訳 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネとはボアネルゲ、すなわち雷の子らと名づけられた。 |
新共同 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。 |
NIV | James son of Zebedee and his brother John (to them he gave the name Boanerges, which means Sons of Thunder); |
註解: 何故にかかる名を与え給いしや不明であるがおそらく彼らの激しい性急なる性質(マコ9:38。マコ10:35−37。ルカ9:54)より来れるものならん。なおボアネルゲの原語の綴り方、起源等不確実にして性格に知り難い、普通ベネー・レゲシ(「雷の子」ベをボアと発音することにより)の写音と見られている。
口語訳 | つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 |
塚本訳 | アンデレとピリポとバルトロマイとマタイとトマスとアルパヨの子ヤコブとタダイと熱心党のシモンと |
前田訳 | さらにアンデレとピリポとバルトロマイとマタイとトマスとアルパヨの子ヤコブとタダイと熱心党のシモンと |
新共同 | アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 |
NIV | Andrew, Philip, Bartholomew, Matthew, Thomas, James son of Alphaeus, Thaddaeus, Simon the Zealot |
註解: トロマイの子を意味す。
マタイ、
註解: レビの別名、マコ2:14参照。
トマス、アルパヨの
註解: またの名はレバイ、
註解: 熱心党は反ローマ政府を主義とする過激主義。
3章19節
口語訳 | それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、 |
塚本訳 | イスカリオテのユダ。この人は(あとで)イエスを売った。 |
前田訳 | イスカリオテのユダ。これはイエスを売った人である。 |
新共同 | それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 |
NIV | and Judas Iscariot, who betrayed him. |
註解: 十二使徒選任の記事は三福音書および使徒行伝にあり、十二人の地位、分類、順序、能力、性質等につきてはマタ10:2−4註参照。
3章20節
口語訳 | 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。 |
塚本訳 | 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。 |
前田訳 | 家に帰られると、また群衆が集まったので、彼らは食事さえできなかった。 |
新共同 | イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。 |
NIV | Then Jesus entered a house, and again a crowd gathered, so that he and his disciples were not even able to eat. |
註解: 20、21節はマルコ伝特有なり、陰に陽に多くの反対が醸成しつつあったにもかかわらず、イエスの霊力とその名声とは多くの人を引付け、彼のいる処、何処にも群衆が殺到し、彼らはその雑閙 のため食事もできないほどであった。かくして彼のいる処は異常なる光景を呈した。
辞解
[食事をする暇もなかりき] 直訳「パンを食うことすら能わざりき」。
3章21節 その
口語訳 | 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。 |
塚本訳 | 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。 |
前田訳 | 身うちのものがこれを聞いて、彼を押えに来た。人々がイエスは気がふれたといったからである。 |
新共同 | 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 |
NIV | When his family heard about this, they went to take charge of him, for they said, "He is out of his mind." |
註解: 31節のイエスの母と兄弟がこの親族の者と同一であろう。すなわちイエスの家族は、家を離れ行きしイエスがカペナウムの附近において非常なる人気を博しいるを聞き、これを狂気の沙汰と考え彼を迎えんとしてカペナウムに赴いた。全く神に支配せられし者の心は常人には狂人のごとくに見える。
辞解
[親族の者] 原語「彼の近親の者」で種々の意味に解せらる、「親族」と見るのが最も適当ならん。
[狂へり] イエスを狂人とすることを不適当と思う人は、そのためこの原語 exestê を「疲れ果てたり」「逃亡せり」等その他種々に解せんとしているけれどもその必要はない。マルコ伝が最も事実の修飾なき点に注意すべし。
3章22節
口語訳 | また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。 |
塚本訳 | またエルサレムから下ってきた聖書学者たちは、「あれはベルゼブル[悪魔]につかれている」とか、「悪鬼どもの頭[悪魔]を使って悪鬼を追い出している」とか言った。 |
前田訳 | エルサレムから下って来た学者も「イエスはベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊の頭によって悪霊を追い出す」とかいった。 |
新共同 | エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 |
NIV | And the teachers of the law who came down from Jerusalem said, "He is possessed by Beelzebub ! By the prince of demons he is driving out demons." |
註解: 学者や宗教家は他人の悪口を創造することにおいて達人である。殊に彼らは嫉妬心強くイエスの名声の隆々たるを見てこれを悪 み、イエスを悪鬼に憑かれし者と言った。すなわち狂人よりも一層悪質の精神状態にある者をいう。かくして群衆をイエスより離さんとした。
辞解
[学者] マタ12:24にはこれを「パリサイ人」と録している。
[ベルゼブル] ヘブル語のベエル(すなわちバアル)ゼブール(家の主人)より転化せる語で悪鬼の名称として用いられた。
かつ『
註解: イエスが多くの悪鬼に憑かれし者より悪鬼を逐い出し給うたのは彼自身にも一層強力な悪鬼の首が憑いているためであると言う。かく言いてイエスの治癒力を悪性の力として非難しているのである。すなわちイエスが父なる神にのみ導かれ聖霊に充されて為し給う凡てのことを悪鬼の業と呼んだのあった。
3章23節 イエス
口語訳 | そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。 |
塚本訳 | イエスは彼らを呼びよせ、譬をもって話された、「悪魔にどうして悪魔が追い出せるか。 |
前田訳 | そこで彼らを呼んで、譬えで話された、「どうして悪魔が悪魔を追い出せよう。 |
新共同 | そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 |
NIV | So Jesus called them and spoke to them in parables: "How can Satan drive out Satan? |
註解: 一つのサタンは他のサタンと同一の性質傾向を有する以上、彼らは協力することができても、一つが他を逐い出すことはできない(心理的または道徳的に不能である)。
3章24節 もし
口語訳 | もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。 |
塚本訳 | もし国が内輪で割れれば、その国は立ってゆけない。 |
前田訳 | 王国が内輪で割れれば、その王国は立ちゆかない。 |
新共同 | 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 |
NIV | If a kingdom is divided against itself, that kingdom cannot stand. |
3章25節 もし
口語訳 | また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。 |
塚本訳 | また、もし家が内輪で割れれば、その家は立ってゆけない。 |
前田訳 | 家が内輪で割れれば、その家は立ちゆかない。 |
新共同 | 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 |
NIV | If a house is divided against itself, that house cannot stand. |
註解: 一国一家内の分争を仮定し、かかる国や家が立つ能わざることを示しこれより次の節の結論を誘導する。イエスの推論は常に巧妙にして力強い。
3章26節
口語訳 | もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。 |
塚本訳 | (同じように)悪魔(の国)が内輪もめで割れれば、立ってゆけず、ほろびてしまう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。) |
前田訳 | 悪魔が内輪もめして割れれば、それは立ちゆかずに滅びる。 |
新共同 | 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 |
NIV | And if Satan opposes himself and is divided, he cannot stand; his end has come. |
註解: ここではサタン全体を一つの統一的存在と見、その中に多くの仲間があるごとき心持である。すなわち仲間の分争は「己に逆う」こととなる。而してかかる状態に立到れば最早サタンとしての統一的存在は亡びてしまう。それ故に「悪鬼の首をもって悪鬼を逐い出す」というごときことは有り得ないことである。
3章27節
口語訳 | だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。 |
塚本訳 | まず強い者を縛りあげずに、だれも強い者の家に入って家財道具を掠め取ることは出来ない。縛ったあとで、その家を掠めるのである。(だから悪鬼が追い出されるのは、悪魔がすでに縛られた証拠だ。) |
前田訳 | 強いものの家に入ってその持ちものを奪うには、まず強いものを縛らねばならない。縛ってからその家をかすめる。 |
新共同 | また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 |
NIV | In fact, no one can enter a strong man's house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man. Then he can rob his house. |
註解: この譬は間接に「それ故にイエスが悪鬼を逐い出したことは悪鬼の首なるサタンまたはベルゼブルよりも強くしてこれに打勝ち給える証拠である」との意味となる。イエスはこれを自己に適用しこれによって22節後半の非難を打砕き給うた。
3章28節
口語訳 | よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、人の子らの(犯す)罪も、また、いかなる冒涜の言葉でも、すべて赦していただける。」 |
前田訳 | 本当にいう、人の子らのいろいろな罪も、どんなけがしごとをいっても、皆ゆるされよう。 |
新共同 | はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。 |
NIV | I tell you the truth, all the sins and blasphemies of men will be forgiven them. |
3章29節
口語訳 | しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。 |
塚本訳 | しかし聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠の罪に処せられる。」 |
前田訳 | しかし聖霊をけがすものは永遠にゆるされず、永遠の罪に処せられる」と。 |
新共同 | しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 |
NIV | But whoever blasphemes against the Holy Spirit will never be forgiven; he is guilty of an eternal sin." |
註解: 「誠に」は原語「アーメン」である。かく言いてイエスは重大なる宣言を発し給うた。すなわち人の子らがその肉の弱きより犯せる凡ての罪、または人に対してなせる凡ての非難(涜しの言)とは赦されるけれども、イエスが聖霊によりて行い給えることを非難することは、サタンの働き以外の何ものでもなく、永遠に赦されざる永遠の罪である。イエスは、その神に導かれ給いし純真なる御心より流れ出づる御業に対してサタン呼ばわりを為す者に対して満腔の憤怒を吐露し給うた。マタ12:32には「人の子に逆う罪」を「聖霊に逆う罪」と対比している。人間イエスに反対する者は赦されるけれども聖霊に逆う者は赦されない。
3章30節 これは
口語訳 | そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。 |
塚本訳 | こう言われたのは、彼らが(聖霊によるイエスの業を罵って)、「あれは汚れた霊につかれている」と言ったからである。 |
前田訳 | これは「イエスがけがれた霊につかれている」と彼らがいったからである。 |
新共同 | イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。 |
NIV | He said this because they were saying, "He has an evil spirit." |
註解: すなわちイエスの中にある聖霊を穢れし霊と呼んだこととなる。これ直接に神を冒涜したのである。キリスト者の正しい信仰を非難する者はこれと同じく永遠の刑罰をその身に受ける。
要義1 [聖霊を涜すこと]最も聖なるものに対してこれを聖と感ぜざるに至ることほど恐るべきことはない。聖なるものを聖と感ぜざるに至れば罪を罪と感ずることができない。罪を罪と感ぜずしてはもはやキリストの救いに与ることはできない。ゆえに聖霊を涜す罪は永遠に赦されることがない。
要義2 [狂人と思われしイエス]ヨハネのバプテスマを受けんがために漂然として家出せられしイエスは、その後家に帰らずに四十日間荒野にさまよい、その後直ちにガリラヤに行きて福音を伝え給い、上よりの力に満ちて寝食を忘れて人の病を醫し給うた。近親の者よりこれを見たならば、これまで三十年間のこの生涯とはあまりに大なる変化であったので、気が狂ったものと思うのも無理もなかった。彼らはイエスの神の子たることを知らなかったからである。神の霊に動かされる時人は別人のごとくになる。
3章31節
口語訳 | さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 |
塚本訳 | そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。 |
前田訳 | 彼の母と兄弟たちが来て、外に立ったまま人をやって彼を呼ばせた。 |
新共同 | イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 |
NIV | Then Jesus' mother and brothers arrived. Standing outside, they sent someone in to call him. |
註解: 外に立ったのは群衆のために入ることができなかったからである(マコ3:20、マタ12:46)。
3章32節
口語訳 | ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。 |
塚本訳 | 大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねておられます。」 |
前田訳 | 彼のまわりに群衆がすわっていて彼にいう、「あのように、あなたの母と兄弟姉妹が外であなたをたずねています」と。 |
新共同 | 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 |
NIV | A crowd was sitting around him, and they told him, "Your mother and brothers are outside looking for you." |
註解: 異本には「汝の姉妹」を欠く、31節と一致せしめんがためならん。事実として何れが実際であったかは知る由もない。
3章33節 イエス
口語訳 | すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。 |
塚本訳 | イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、 |
前田訳 | イエスは答えられた、「だれがわが母と兄弟たちか」と。 |
新共同 | イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 |
NIV | "Who are my mother and my brothers?" he asked. |
註解: 天なる父の御心に充され給いしイエスにとって、彼は今戦場において激戦中の大将軍のごとく、その家族を顧るべきではなかった。
3章34節
口語訳 | そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
塚本訳 | 自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。 |
前田訳 | そしてまわりにすわる人々を見まわしていわれる、「ここにわが母、わが兄弟たちがいる。 |
新共同 | 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
NIV | Then he looked at those seated in a circle around him and said, "Here are my mother and my brothers! |
註解: この時のイエスの力ある風貌を目のあたり見るごとくである。
『
3章35節
口語訳 | 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。 |
塚本訳 | 神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」 |
前田訳 | 神のみ心を行なうものこそわが兄弟、姉妹、また母である」と。 |
新共同 | 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 |
NIV | Whoever does God's will is my brother and sister and mother." |
註解: イエスはその周囲に集っている群衆の老幼男女に対し、限り無き愛の目を向け、これを母と呼び兄弟姉妹と呼び給うた。イエスにとりて最大の関心事は神の御意を行うことであった。かかる者こそ天国の家族であって、母以上の母、兄弟以上の兄弟である。かくして肉の家族よりもさらに高度の家族は神の家族、霊の家族であることを示し給う。
要義1 [イエスの肉親とその不信]イエスの兄弟たちは、後にイエスの復活を見てよりイエスを信ずるに至ったらしく、殊にその中でもヤコブはエルサレムの信徒の柱石ともなったけれども、この当時は勿論イエスを普通の兄弟以外の何者とも思わなかったので、彼を信ぜず(ヨハ7:5)これに対し狂人扱いをした。これかえって自然の事実に相違なく、イエスを神の子と信ずることは決して容易のことではない。マリヤのごときは種々の神託をうけつつもなおこれを確信するに至らなかった。この事実は、肉体にて来り給えるイエスを神の子キリストと信ずることの如何に難いかの証拠である。
要義2 [神の国における家族と地上の家族]地上の家族は天上の家族の雛型である。ゆえに神の国の家族関係が完全に成立する場合、地上の家族関係そのものも化してこの真の潔き家族関係の中に融け込んでしまう。しかも地上における親子、夫婦、兄弟の関係の認識は消滅することなく、これが凡て完全なる形において成就せられているのを見るに至るであろう。