ルカ伝第10章
分類
6 エルサレムに向って進み始め給う 9:51 - 12:48
6-2 弟子たちの派遣 10:1 - 10:24
6-2-イ 七十人の派遣 10:1 - 10:12
(マタ10:7-16)
10章1節 この
口語訳 | その後、主は別に七十二人を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。 |
塚本訳 | そのあとで、主は(十二人のほかに)別に七十二人を定め、自分で行こうとしておられる、あらゆる町や場所に二人ずつ先発された。 |
前田訳 | そののち主は別の七十〔二〕人を定め、自ら行こうとされるすべての町や里へふたりずつ先発させられた。 |
新共同 | その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 |
NIV | After this the Lord appointed seventy-two others and sent them two by two ahead of him to every town and place where he was about to go. |
註解: 神の国の福音を広めるためには働き人の数は如何に多くとも多過ぎることはない。主は十二弟子の外にさらに七十人を選び給うた。
辞解
[ほかに] 「ほかの」で十二弟子(ルカ6:13−16)以外の意味。
[あげ] anadeiknumi は公けに任命し布告する形式。
[七十人] 完全数七を人間的完全数十をもって倍したるものならん。ある異本に七十二人とあり、何れを正しとすべきかは決定し難い。七十人とすればモーセがエホバの命によって選んだ長老の数に因んだものと思われ(民11:16)、七十二人とすれば十二使徒の数を六倍した数となる。
[二人]証人 の数であり、やがてイエス自ら行かんとし給う処にその草分けとして遣わし給うた。
10章2節 『
口語訳 | そのとき、彼らに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「刈入れは多いが、働き手が少ない。だから刈入れの主人に、刈入れのため(多くの)働き手を送られるよう、お願いしなさい。 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「刈入れは多く、働き手は少ない。それゆえ、刈入れの主に刈入れのため働き手を送られるようお願いしなさい。 |
新共同 | そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 |
NIV | He told them, "The harvest is plentiful, but the workers are few. Ask the Lord of the harvest, therefore, to send out workers into his harvest field. |
註解: 七十人でもなお足らず、彼らをしてさらに神に祈らしめ、さらに多くの労働人を求めしめ給うた。福音は全世界をその収穫場としなければならぬ。この一節はマタイ伝では十二使徒選任の前に語り給うたものとして記されている(マタ9:37、38)。▲収穫場 therismos は口語訳のごとく「収穫」(かりいれ)の意味。従って「収穫場に遣す」は「収穫に送り込む」と訳すべきである。
辞解
[遣し] ekballô 「放り出す」こと。
10章3節
口語訳 | さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。 |
塚本訳 | 行け、いまわたしがあなた達を送り出すのは、羊を狼の中に入れるようなものだ。 |
前田訳 | 行っていらっしゃい。こうしてあなた方をつかわすのは羊を狼の中に入れるようだ。 |
新共同 | 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 |
NIV | Go! I am sending you out like lambs among wolves. |
註解: (マタ10:16参照)遣される弟子たちは、常に豺狼 の襲撃に遭うことを覚悟しなければならない。キリストの弟子たちは常に柔和であり、この世の子らは常に狂暴である。マタ10:16では「この故に蛇のごとく慧く、鳩のごとく素直なれ」との注意を与えている。狼の中に遣される羊にとっては必要な注意である。
口語訳 | 財布も袋もくつも持って行くな。だれにも道であいさつするな。 |
塚本訳 | (だからただ信仰で武装せよ。)財布も旅行袋も持ってゆかず、靴もはくな。だれにも道で挨拶をするな。 |
前田訳 | 財布も袋も持たず、靴もはくな。道でだれにもあいさつするな。 |
新共同 | 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 |
NIV | Do not take a purse or bag or sandals; and do not greet anyone on the road. |
註解: (マタ10:9、10a)何れも旅行に必要欠くべからざる用具であるが、主の福音を伝える者はこれを携える必要が無い。何となれば主は彼らを守り、福音を伝えられる者を通して彼らの必要を充し給うからである。もし絶対に主を信頼するならば一物をも携えずに伝道の生涯に発足することができる。神の召命を信じて伝道の生涯に突入する者もこれと同じ。ただし今日これを文字通りに実行することを要する訳ではなくこの精神を実現すべきであること勿論である。
また
註解: 東洋の風習として挨拶は形式的で多くの無用の時間を費やしまた真実性を害する。イエスはかかる無意味の形式と時間の空費とは、伝道のために全力と全時間とをささげ尽くすべき者にとって不相応であり不必要であることを教え給うたのである。一般的に礼儀を無視すべきことを教えたのではない。
10章5節
口語訳 | どこかの家にはいったら、まず『平安がこの家にあるように』と言いなさい。 |
塚本訳 | ある家に入ったら、まっ先に『平安この家にあれ』と言いなさい。 |
前田訳 | ある家に入ったら、まず、『平安この家に』といいなさい。 |
新共同 | どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 |
NIV | "When you enter a house, first say, `Peace to this house.' |
註解: 「平安あれ」シャーロームは今日に至るもなおユダヤ人の間の挨拶の語であって、語の意義を考えずに用いられているけれども、イエスはこの形式に生命を吹き込み、神を信じキリストを受けることにより与えられる心の平安あらんことを祈る意味で用いられていることに注意すべし(マタ10:12)。その家に対して愛の心をもって接すべきことを教えたのであった。
10章6節 もし
口語訳 | もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう。もしそうでなかったら、それはあなたがたの上に帰って来るであろう。 |
塚本訳 | もしそこに一人でも平安を愛する者がおれば、あなた達の(祈った)平安はその人に止り、もし一人もいなければ、あなた達に返ってくる(、そしてあなた達のものとなる)であろう。 |
前田訳 | もしそこに平安の人がいれば、あなた方の平安はその人にとどまろう。もしいなければ、それはあなた方にかえろう。 |
新共同 | 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 |
NIV | If a man of peace is there, your peace will rest on him; if not, it will return to you. |
註解: 「平安の子」平安に値する子、神に在る平安を持てる者または持たんとする者の意。一人でもかかる子がその家にあるならば、弟子たちが「平安あれ」と挨拶したその平安が、その家の上に腰を落ちつけて永く滞留するであろう。すなわちその挨拶そのものすら、効果を発生して伝道の使命が果されるであろう。
辞解
[汝らの祝する平安] 直訳「汝らの平安」で弟子たちの心の中の平安とも解し得るけれども、むしろ弟子たちが「平安〔あれ〕」といった平安すなわち挨拶として言った言葉がそのまま事実となったとの意味であろう。
[その上] 文法上「子」とも「家」とも解し得るけれども、前節の挨拶から考えて「家」と見る方が適当である。B1はこれを双方にかけている。
[上に留まる] epanapauô あるものの上に留まること。
[平安の子] 「怒の子」(エペ2:3)「亡 の子」(ヨハ17:12)「光の子」(ルカ16:8)「ゲヘナの子」(マタ23:15)等を参考すべし。
もし
註解: もしその家に一人の平和の子もいなかったとしても、その挨拶は無益に空費されたのではなく、再び自分に帰って来るであろう。それ故その挨拶が無効であったからとて怒ることも悲しむことも宜しくない。平安が汝らに帰り来り、汝らの心を平安ならしめるであろう。
10章7節 その
口語訳 | それで、その同じ家に留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人がその報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。 |
塚本訳 | (どんな家でも一度入ったら、その土地を立ってゆくまでは)同じ家に泊まっていて、家の人が出すものを(遠慮なく)飲み食いせよ。働く者が報酬をいただくのは当然だから。家から家へと移ってはならない。 |
前田訳 | 同じ家に泊まって、そこの人々の出すものを飲み食いせよ。働き手に報酬は当然である。家から家へと移るな。 |
新共同 | その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 |
NIV | Stay in that house, eating and drinking whatever they give you, for the worker deserves his wages. Do not move around from house to house. |
註解: (マタ10:11参照)伝道者の生活は神まかせでなければならぬ。従って彼を迎うる者の処には満足して留まるべく、また彼よりその食物を受ける権利がある。それはその労働に対する正当の報酬である。
辞解
[その家] 原語では強意的で、「その家そのもの」というごとき意。
[與ふる物] 「彼らよりのもの」または「彼らに属するもの」の意であり、何れにしても主人の供えてくれるものの意味で、邦訳の通りにて可し。本節後半直訳は「労働人はその報酬に値すればなり」。
註解: (マタ10:11)対人信頼の態度を取るべきであり、かつ宿所に関して不満や不足を持つべきではない。宿所を移動することは種々の弊害を引起すことも有り得るからである。
10章8節
口語訳 | どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい。 |
塚本訳 | ある町に入ったとき、人があなた達を歓迎するなら、出されるものを食べて、 |
前田訳 | ある町に入って、人々があなた方を歓迎するなら、出されるものを食べよ。 |
新共同 | どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 |
NIV | "When you enter a town and are welcomed, eat what is set before you. |
10章9節
口語訳 | そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 |
塚本訳 | その町の病人をなおし、また(町の)人々に、『あなた達には神の国(の喜び)が近づいた』と言え。 |
前田訳 | そしてその町の病人をいやし、『あなた方に神の国は近づいた』といいなさい。 |
新共同 | その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 |
NIV | Heal the sick who are there and tell them, `The kingdom of God is near you.' |
註解: 8−15節は町村がイエスの福音使を受けるか如何かに関して取るべき態度を教えている。「汝らの前に供えられる物を食すべし」との注意は7節の反復ではなく、ユダヤ人と異邦人との混合している町では、ユダヤ人から見て潔からざる食物が供えられる場合もあるので、それらを問題にしないで食せよとの意味であろう(Z0、マコ7:18、19)。「病を醫す」力は弟子たちにも与えられた。「神の国は汝らに近付けり」はイエスの伝道の第一声であり、またその要約であった。イエスの心の中に完全なる神の国(神の支配)が成立っており、このイエスに連なる者に神の国は広まって行った。それ故イエスの使徒を受くる者には神の国は已 に近付いていたのである。なおマタ10:7参照。
10章10節
口語訳 | しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、 |
塚本訳 | しかしある町に入ったとき、人が歓迎しないなら、大通りに出て言え、 |
前田訳 | ある町に入って、人々があなた方を歓迎しないなら、大通りに出ていいなさい、 |
新共同 | しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 |
NIV | But when you enter a town and are not welcomed, go into its streets and say, |
10章11節 「
口語訳 | 『わたしたちの足についているこの町のちりも、ぬぐい捨てて行く。しかし、神の国が近づいたことは、承知しているがよい』。 |
塚本訳 | 『わたし達は足についたこの町の埃まで、あなた達に拭いてかえす。(縁を切った証拠だ。)しかし(あなた達には、恐ろしい裁きである)神の国が近づいたことを知れ』と。 |
前田訳 | 『われらは足についたこの町のちりまであなた方に拭いて返す。しかし知れ、神の国が近づいたことを』と。 |
新共同 | 『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。 |
NIV | `Even the dust of your town that sticks to our feet we wipe off against you. Yet be sure of this: The kingdom of God is near.' |
註解: 8、9節の場合と反対にイエスの弟子を受けない場合の態度を教えている(マタ10:14)。イエスを拒む村ではその塵をもその足より払い除ける程、その町とは全く無関係であり、全く異なった存在であることを公示すべしとのことである。イエスを受くる者とこれを拒む者との間には天と地、救いと亡び、光と闇との差異がある。「されど」以下は、9節と同じことを彼らにも知らせなければならないことをイエスは教え給う。すなわち拒絶の態度をもって彼らを反省せしめ、神の国の近づけるを示して彼らを滅亡より救わんとし給う愛心の顕れである。従って足の塵を払うことは侮蔑の心持からする嘲弄の態度ではなく、本質的差異を明かにするための証しの態度である。▲「足の塵を払ふ」ことの意味についてはルカ9:5の註参照。
10章12節 われ
口語訳 | あなたがたに言っておく。その日には、この町よりもソドムの方が耐えやすいであろう。 |
塚本訳 | わたしは言う、かの日には、(あの堕落町)ソドムの方が、まだその町よりも罰が軽いであろう。 |
前田訳 | わたしはいう、かの日には、ソドムのほうがその町よりは耐えやすかろう。 |
新共同 | 言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」 |
NIV | I tell you, it will be more bearable on that day for Sodom than for that town. |
註解: 「かの日」は最後の審判の日、「ソドム」は創18:16−19:29に記されてある死海附近の低地で、その住民の罪のために火で亡ぼされた町。イエスを拒む罪は最大の罪であるから、審判によって受くる苦痛もまたソドム以上であることは当然である。
10章13節
口語訳 | わざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちの中でなされた力あるわざが、もしツロとシドンでなされたなら、彼らはとうの昔に、荒布をまとい灰の中にすわって、悔い改めたであろう。 |
塚本訳 | ああ禍だ、お前コラジン!ああ禍だ、お前ベツサイダ!わたしがお前たちの所で行っただけの奇跡をツロやシドンで行ったなら、(あの堕落町でも、)とうの昔に粗布を着、灰の中に坐って悔改めたにちがいないのだから。 |
前田訳 | 呪われている、コラジンよ。呪われている、ベツサイダよ。あなた方のところで行なわれた奇跡がツロやシドンで行なわれたら、彼らはとうの昔に灰の中にすわって悔い改めたろう。 |
新共同 | 「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところでなされた奇跡がティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰の中に座って悔い改めたにちがいない。 |
NIV | "Woe to you, Korazin! Woe to you, Bethsaida! For if the miracles that were performed in you had been performed in Tyre and Sidon, they would have repented long ago, sitting in sackcloth and ashes. |
10章14節 されば
口語訳 | しかし、さばきの日には、ツロとシドンの方がおまえたちよりも、耐えやすいであろう。 |
塚本訳 | ところで、裁きの時には、ツロやシドンの方が、まだお前たちよりも罰が軽いであろう。 |
前田訳 | しかし裁きの日にはツロやシドンのほうがあなた方よりは耐えやすかろう。 |
新共同 | しかし、裁きの時には、お前たちよりまだティルスやシドンの方が軽い罰で済む。 |
NIV | But it will be more bearable for Tyre and Sidon at the judgment than for you. |
註解: (マタ11:21−23)イエスは弟子たちに対して町々の不信仰に際して取るべき態度を示し給える後、イエスを拒めるガリラヤの諸邑コラジン、ベテサイダ、カペナウム等のことを想起し、それらの上に「ウーアイ」(禍害なるかな)の叫びを注ぎ給うた。これによって弟子たちを受けない町の運命をも暗示し、弟子たちを力付けるためでもあったろう。これらはカペナウムに近接する諸邑で、イエスを受けなかった。ツロ、シドンはパレスチナの北方地中海に沿える異邦の港であり、腐敗の標本とされる地方であった。最も堕落していると思われるツロ、シドンすらもしイエスの奇蹟を見たならば、忽 ちにして根本的に悔改めたであろうに、ユダヤ人の町ともいうべきこれらの町がイエスの能力ある奇蹟を見つつもなお悔改めないのは何たる頑迷な態度であろうか。これらの上にはツロ、シドン以上の重き審判が下るであろう。▲「荒布をき、灰のなかに坐す」についてはマタ11:22辞解参照。
10章15節 (
口語訳 | ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう。 |
塚本訳 | それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか“天にまで挙げられる”などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)“お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。” |
前田訳 | さておまえカペナウム、天にまで挙げられようか。否(いな)、黄泉(よみ)にまで落とされよう。 |
新共同 | また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。 |
NIV | And you, Capernaum, will you be lifted up to the skies? No, you will go down to the depths. |
註解: イエスのガリラヤ伝道の本拠であったカペナウムは天まで挙げらるべき光栄に与り得る町であったのに、イエスを受けなかった。その結果この町は審 かれて黄泉に下るであろう。13−15節はマタ11:21−23に他の機会に語られたことになっている。以上1−15節までの各節はそれぞれの節に引用せるマタイ伝の記事とは語句の順序と語られた場合とを異にしているだけで内容はほぼ一致している。十二弟子の派遣も七十人の派遣も実質的に差異があるはずがない故、イエスがこれら二つの場合にほぼ同様のことを語り給うたと見ても差支えない。
10章16節
口語訳 | あなたがたに聞き従う者は、わたしに聞き従うのであり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。そしてわたしを拒む者は、わたしをおつかわしになったかたを拒むのである」。 |
塚本訳 | (七十二人の者に言っておく。──)あなた達の言うことを聞く者は、わたしの言うことを聞くのであり、あなた達を排斥する者は、わたしを排斥するのである。わたしを排斥する者は、わたしを遣わされた方を排斥するのである。」 |
前田訳 | あなた方に耳傾けるものはわたしに耳傾け、あなた方を拒むものはわたしを拒む。そしてわたしを拒むものはわたしをつかわされた方を拒む」と。 |
新共同 | あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」 |
NIV | "He who listens to you listens to me; he who rejects you rejects me; but he who rejects me rejects him who sent me." |
註解: マタ10:40−42に一層詳細に記されている通り、イエスの弟子を拒みこれを放逐する者は、イエスに対しまた神に対して同じ罪を犯すこととなるのであって重大なる罪であることを示す。弟子たちはこのことを聞いて彼らの責任の重いことを知ると共に、また彼らを拒否する市邑の運命の重大さを思い真実の心をもってその伝道を始めたことであろう。弟子に対する態度がそのままイエスおよび神に対する責任を生ずる理由は、一つは神がイエスを遣し、イエスが弟子を遣したのであるから遣されし者は遣した者の代表者であることと、今一つはイエスも弟子もみな神の霊を受けて神との一つ生命に生きている故生命の一部分に対する行動は、そのまま全生命に対する行動であるからである。
要義1 [伝道者の生活問題]10:4、7、8等においてイエスがその七十人の弟子に示し給うた生活法は、凡ての伝道者の生活法の基礎的原理であり、根本的精神である。すなわち伝道者はその衣食住の問題については少しも思い煩うことなく、何らの準備も計画も不要であり、凡てを神に任せて前進すべしとのことである。然る時は神はそれぞれの場合において適当の人を動かし、彼をして伝道者に衣食を提供し、住居を備えしめ給うであろうというのである。伝道者の生活は神の直轄であり、常に奇蹟が行われる。
要義2 [伝道の態度]伝道者は全心全霊をもってその使命に突進し、途上で挨拶のために時を空費する遑 すら無いほど心の緊張をもたなければならぬ。未知の人、未知の家に対しても臆せず福音を伝うべきである。そしてその福音を受くるかこれを拒むかによって相手方の上に臨むべき運命については、明確にこれを示すべきである。そして同時に愛をもって病める者を醫し、悩む者をなぐさめなければならぬ。而して何よりも重要なことは「神の国の到来」を知らせることである。
要義3 [福音を受けざる者]真の伝道者を受けざる者はイエスを受けざる者、イエスを受けざる者は神を受けざる者である。しかして神を受けざる者のやがて審 かるべきことは当然のことである故、一伝道者を受けないことは決して小事ではない。かかる者の上に永遠の神の詛いと審判とが臨むことを知らなければならぬ。
10章17節
口語訳 | 七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従します」。 |
塚本訳 | 七十二人が喜んで帰ってきてイエスに言った、「主よ、あなたの名を使うと、悪鬼までがわたし達に服従します。」 |
前田訳 | 七十〔二〕人がよろこび帰っていった、「主よ、あなたのみ名によって、悪鬼もわれらに従います」と。 |
新共同 | 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 |
NIV | The seventy-two returned with joy and said, "Lord, even the demons submit to us in your name." |
註解: 悪鬼に憑かれた者に対し、イエスの名を呼んで病人から出ることを命ずれば、悪鬼はその命令に服従して、その病人は醫された。かかる事実が多く起ったことを弟子たちは帰って来てから喜びをもってイエスに報告した。イエスが悪鬼を制する権を彼らに与え給うことは特に記されていないが、これはイエスの弟子となった者には当然に与えられていたものと見るべきである。
10章18節 イエス
口語訳 | 彼らに言われた、「わたしはサタンが電光のように天から落ちるのを見た。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「悪魔が稲妻のように天から落ちるのを、わたしは見ていた。 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「悪魔(サタン)がいなずまのように天から落ちるのが見えていた。 |
新共同 | イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 |
NIV | He replied, "I saw Satan fall like lightning from heaven. |
註解: イエスは弟子たちの喜びに幾分制御を加えよう(Z0)としていると見るべきである。すなわちそれは当然のことで驚くに足りないことであり、また格別喜ぶほどのことではない。その故は弟子たちの勇躍伝道に出発し、イエスの名を呼んで悪鬼を逐い出しつつあった際に、その弟子たちの霊の力に恐れを為してサタンが敗北して天から落ちた姿を霊の眼をもって見給うたからである。凡ての弟子の力強いはたらきによって、悪鬼の王たるサタンすら天に止まってその権を振い得なくなったのであるから、サタンの子分たる悪鬼の逐い出されることは当然である。
辞解
サタンの堕落を、荒野の試誘 の時とか(Z0)、キリスト受肉の時とか、またはサタンが罪のために天より落ちた[時(編者補充)]等の説あれど不適当なり。
10章19節
口語訳 | わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。 |
塚本訳 | (悪魔の下働きをする)“蛇”や蝎“を踏みつけ、”また敵のあらゆる力に打ち勝つ全権をあなた達に授けたではないか。だから、あなた達に害を加えるものは一つもない。 |
前田訳 | このとおり、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に勝つ権威をあなた方に与えた。何ものもあなた方をそこなうまい。 |
新共同 | 蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 |
NIV | I have given you authority to trample on snakes and scorpions and to overcome all the power of the enemy; nothing will harm you. |
註解: すでにサタンがその位より落ちたのであり、またイエスはその霊の力を弟子たちに与えて彼らをして毒蛇や蠍 またその他のあらゆる敵の襲撃から彼らを護る権威を賜ったのであるから、今後の伝道旅行においても何ら心配すべきことがない。悪鬼が逐い出されることのごときは勿論これを当然のことと考えて差支えがない。かく言いて弟子たちを一層力付け給うた。「毒蛇」「蠍 」等は具体的にも抽象的にも取ることができる。「敵(仇)」は単数でサタンを指すと見るべし。
10章20節 されど
口語訳 | しかし、霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」。 |
塚本訳 | しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。」 |
前田訳 | しかし諸霊があなた方に従うことをよろこばず、自分の名が天にしるされていることをよろこびなさい」と。 |
新共同 | しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」 |
NIV | However, do not rejoice that the spirits submit to you, but rejoice that your names are written in heaven." |
註解: イエスによって能力を与えられている以上諸霊が弟子たちに服するのは当然である。別に喜ぶほどのことはない。しかし天における生命の書に、汝ら弟子たちの名はすでに記されているのである。これは永遠に亡びざる生命の保証である。汝らが我に従うことの結果かかる永遠の生命に入るのであるから、それこそ「汝らの喜びでなければならぬ」とイエスは言い給う。弟子に選ばれた伝道の生涯を送る者は、多くの苦難の中を通らなければならないけれども、永遠の国において生命の書にその名が記されていることを思うならば、彼らの凡ての苦難は報いられて余りあるであろう。弟子たちが非常な勢いをもって伝道を始めた時、すでに完全なる勝利が約束されていた。▲神がその独り子を世に遣し給うた時、サタンの支配権は失われたのであった。ゆえに悪鬼がイエスの弟子たちに服することは当然の事実でそれほど喜ぶに当らない。弟子たちは已 にサタンに勝つ権威を与えられてその名は天において生命の書(黙21:27)に録されているのである。
要義 [伝道者のよろこび]伝道者はその伝道が成功する時には非常に嬉しい心持に満されるものである。しかしこの喜びは往々にして誇りを伴うのみならず、やがて来るべき失意の時代があることをも覚悟しなければならない。成功に有頂天になるものは必ず不成功に失望落胆する。それ故イエスは彼らの喜びを制肘 し給うた。唯彼らの持つべきものは、彼らが如何なる危険からも困難からも免れる能力を持ち、かつ必ず勝利を得るという確信である。それはサタンがすでに天より落ちたのであるから、勝利は弟子たちのものであり、かつイエスは凡ての敵に打勝つ力を彼らに与え給うたからである。そして伝道者の喜びはその成功ではなく、たとい如何に不成功であっても彼らの名が生命の書に記されており、永遠に生きることができることがその喜びでなければならぬ。伝道者の生涯はそれが真実なものである限り、如何に不成功であっても勝利の生涯であり、生命の書に記された不死の生涯である。
10章21節 その
口語訳 | そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これはまことに、みこころにかなった事でした。 |
塚本訳 | この時イエスは聖霊にみたされ、感激にあふれて言われた、「天地の主なるお父様、(神の国の秘密に関する)これらのことを(この世の)賢い人、知恵者に隠して、幼児(のような人たち)にあらわされたことを、讃美いたします。ほんとうに、お父様、そうなるのがあなたの御心でした。 |
前田訳 | そのとき彼は聖霊に満ちてよろこび、こういわれた、「讃美します、天地の主にいます父上、これらのことを賢人知者に隠して幼子にあらわされましたことを。そうです、父上、それはみ心にかなうことでした。 |
新共同 | そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 |
NIV | At that time Jesus, full of joy through the Holy Spirit, said, "I praise you, Father, Lord of heaven and earth, because you have hidden these things from the wise and learned, and revealed them to little children. Yes, Father, for this was your good pleasure. |
註解: 21−23節はマタ11:25−27と殆んど同一なり。ただし連絡は異なる。ルカ伝の方が思想の連絡としてはなだらかである。「聖霊により」てと殊に説明しているのは、イエスにとっては当然のことのようであるが、このイエスの歓びは完全に人間的の歓びではないことを強調するためであろう。イエスは「父」に感謝讃美をささげているのであるが、殊に「天地の主なる父」と呼んだのは、この歓喜の内容が特定の部分的問題ではなく、全宇宙的問題であるからである。「此等のこと」はサタンの敗北、神の子らの勝利、その永遠の栄光に関する17−20節の記事と見るべきである。これらの真理は哲理に「智きもの」や、思慮あって「慧きもの」でもこれを知ることができず、神はこれを彼らに「隠し」給うた。然るにその反対に七十人の弟子たちのごとくに無智無学な凡人である「嬰兒」のごときものに神はこれを啓示し給うた。これは偶然ではなく、これがかえって神の御旨に適ったことである。何となれば神は人間的知識によって知らるべきものではなく、信仰の謙遜に対して神より掲示されて知り得るのが正しい道であるからである。神の真理は如何なる大学者でも大政治家でもこれを知ることができないにも関らず、幼兒のごとくに彼を信ずる者には、神は凡てのことを啓示し給う。Tコリ1:21もこれと同様の意味である。
辞解
[その時] 強い表顕を用いている。「その瞬間に」という意味。
[われ感謝す] 「われ汝を讃む」。
[智 きもの] sophoi 知識的学問的に智きもの。
[慧 き者] sunetoi 思慮あり理解ある慧きもの。
[顕す] apokaluptô 黙示す、啓示す。学者智者には神は隠されていることに注意すべし。
10章22節
口語訳 | すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子がだれであるかは、父のほか知っている者はありません。また父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほか、だれも知っている者はいません」。 |
塚本訳 | (──知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)が何であるかを知る者は一人もなく、また、子と、子が父上をあらわしてやる者とのほかに、父上が何であるかを知る者はない。」 |
前田訳 | すべては父からわたしにまかされている。父のほか子を知るものはなく、子と、子が父をあらわしてあげるものとのほか父を知るものはない」と。 |
新共同 | すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに、子がどういう者であるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と、子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」 |
NIV | "All things have been committed to me by my Father. No one knows who the Son is except the Father, and no one knows who the Father is except the Son and those to whom the Son chooses to reveal him." |
註解: 父はイエスの誰なるかを知り給う。神の御子だからである。同様に子たるイエスは父を知る。而して子たるイエスはその欲するままに弟子たちに父を啓示し給うが故に、弟子たちもまた父の誰なるかを知ることができる。ゆえに弟子はまたイエスの神の子たることを知ることができるのである。かくして父と子と信者たる弟子との間には完全なる理解と一致とが成り立つのである。
口語訳 | それから弟子たちの方に振りむいて、ひそかに言われた、「あなたがたが見ていることを見る目は、さいわいである。 |
塚本訳 | それから特に弟子の方へ振り向いて言われた、「あなた達が(いま)見ているものを見る目は幸いである。 |
前田訳 | それから弟子たちのほうをむいて、そっといわれた、「さいわいなのはあなた方が見ているものを見る目。 |
新共同 | それから、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。 |
NIV | Then he turned to his disciples and said privately, "Blessed are the eyes that see what you see. |
註解: 23、24節はマタ13:16、17にあり異なった場合に言われたものとなっている。弟子たちを顧み給うたところを見れば他にも群衆がいたことが判明 る。「窃 に」 kat’ idian は「個人的に」の意味で「秘密に」の意味ではない。弟子たちにのみ語るべき性質の事柄であったからである。
『なんぢらの
10章24節 われ
口語訳 | あなたがたに言っておく。多くの預言者や王たちも、あなたがたの見ていることを見ようとしたが、見ることができず、あなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである」。 |
塚本訳 | わたしは言う、多くの預言者と王とは、あなた達が(いま)見ているものを見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」 |
前田訳 | わたしはいう、多くの預言者と王とはあなた方が見ているものを見たいと思っても見えず、あなた方が聞いているものを聞きたいと思っても聞けなかった」と。 |
新共同 | 言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 |
NIV | For I tell you that many prophets and kings wanted to see what you see but did not see it, and to hear what you hear but did not hear it." |
註解: 弟子たちがイエスを見ることができ、イエスの声を聞くことができたことは人類歴史において経験し得る最大の幸福であった。神の子、メシヤ、救い主を見たいとの念願はイスラエルの歴史を一貫した大きい希願であり、預言者はこのメシヤに憧れ、王たちはその救いを求めていた。然るに彼らにはその機会が与えられずして、嬰兒のごとき弟子たちに与えられたのである。彼らは歴史上の最大の幸福者であった。しかし、見て見えず、聞きて聞えない群衆はこの幸福に与ることができず、反対に我ら肉の目をもってイエスを見得ない者でも霊の目で彼を見、霊の耳で彼を聞き得る者は、弟子たちに劣らず幸福者である。
10章25節
口語訳 | するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。 |
塚本訳 | するとそこに、ひとりの律法学者があらわれて、イエスを試そうとして言った、「先生、何をすれば永遠の命がいただけるのでしょうか。」 |
前田訳 | そこにひとりの律法学者が現われ、彼を試みようとしていった、「先生、永遠(とこしえ)のいのちを継ぐには何をすべきでしょうか」と。 |
新共同 | すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 |
NIV | On one occasion an expert in the law stood up to test Jesus. "Teacher," he asked, "what must I do to inherit eternal life?" |
註解: 25−28節はマタ22:34−40。マコ12:28−31と極めて類似しているけれども、語られし場合が異なり、また質問の内容が異なっている。これを全く別の場合の別の出来事と解する学者(Z0)もあるけれども、同一事件の異なった伝説または編集と見るべきである(L2、M0、B1)。試みは誘惑する意味ではなく試験するごとき意味である。イエスがその弟子たちの永遠の生命を保証し給い(20節)、またイエスを見ることをもって最大の幸福とする点、またイエスおよび弟子たちは、学者やパリサイ人らが極力重んずる律法を、軽んずるとの風評も有ったので、多分イエスの律法に関する観念に誤謬と弱点とがあるならんと考え、この質問を発した。彼は「教法師」で律法に詳しかったからである。彼は他のユダヤ人らと同様、永遠の生命もその行為(「何をなして」)の種類如何によって得られるものと考えたのである。
10章26節 イエス
口語訳 | 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「律法[聖書]に何と書いてあるか。解釈はいかに。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「律法に何と書いてあるか。あなたの読み方はどうか」と。 |
新共同 | イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 |
NIV | "What is written in the Law?" he replied. "How do you read it?" |
註解: マタイ伝マルコ伝は律法の中孰 れが第一かとイエスに向って質問した形になっているが、ルカ伝ではイエスが教法師に反問した形になっている。イエスは教法師の質問の態度を見て快からず思い、答うることをしないで反対質問を発したのであった。
10章27節
口語訳 | 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。 |
塚本訳 | 学者が答えた、「“心のかぎり、精神のかぎり、力のかぎり、”思いのかぎり、“あなたの神なる主を愛せよ。”また”隣の人を自分のように愛せよ”です。」 |
前田訳 | 彼は答えた、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ、また、隣びとを自分のように愛せよ』とあります」と。 |
新共同 | 彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」 |
NIV | He answered: "`Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your strength and with all your mind' ; and, `Love your neighbor as yourself.' " |
註解: 前半は申6:5であり後半はレビ19:18よりの引用であり、孰 れも全律法の中心的なるものであり、イエスの意見とも一致していた。ユダヤ人は毎朝夕申6:5と申11:13以下とを繰返す習慣があった。ただしレビ19:18はかかる習慣が無かったので、如何にして教法師がイエスの心に叶うこの句を引用したかは問題となるのであるが、モーセの十誡も神に対する部分と人に対する部分とがある以上この二つの部分の要約をこの二句に見出したものと考えることは差支えない。
10章28節 イエス
口語訳 | 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 |
塚本訳 | 彼に言われた、「その答は正しい。“それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。”」 |
前田訳 | 彼にいわれた、「あなたの答えは正しい。それを実行なさい。そうすれば生きえよう」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」 |
NIV | "You have answered correctly," Jesus replied. "Do this and you will live." |
註解: 25節の質問の答をここに見ることができる。「何をなす=行ふべきか」に対して「之を行へ」をもって答え、「永遠の生命」に対して「生くべし」をもって答え給うた。すなわち律法は唯学者や教法師のごとくこれを知るだけでは無意味であり、これを行うことが必要であるとの意味である。天国に入る者はイエスの教えを行う者であるとの思想はイエスが常に教え給うた処であった(ルカ6:46。マタ7:21。マタ25:11、12)。行わなければならないとの心が起る時、その不可能と自己の無力を知り、心砕かれて神に依り頼み、永遠の生命に入ることができるようになる。▲「之を行へ」はパウロの「律法の行為によって人は義とせられない」との言に反するようであるがそうではない。この行為は律法を律法として行うことではなく真に神を愛する心(申6:5)から出る行為であり、そしてこの愛は神の子イエスの贖いに由って罪が赦されたことを信じ神の愛に依り頼む心から生ずるのである。
10章29節
口語訳 | すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。 |
塚本訳 | すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」 |
前田訳 | 彼は自らを守るためにイエスにいった、「では、わが隣びとはだれですか」と。 |
新共同 | しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。 |
NIV | But he wanted to justify himself, so he asked Jesus, "And who is my neighbor?" |
註解: この教法師が自分はこれを行っていると答え得なかった訳は「隣」の意義如何が彼にも問題となり得るからであった。もしこれがユダヤ人のみの意味であるとするかまたはさらに自分の近親や近接せる処に住んでいる人の意味に限り得るとすれば、自分を義とし得ると考えたのであろう。これに対してイエスは直接に答え給わず、寓話をもって答え給うた。
10章30節 イエス
口語訳 | イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。 |
塚本訳 | イエスが答えて言われた、「ある人が(──それはユダヤ人であった──)エルサレムからエリコに下るとき、強盗に襲われた。強盗どもは例によって(着物を)はぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。 |
前田訳 | イエスはそれを受けていわれた、「ある人がエルサレムからエリコへ下って行くとき、強盗にやられた。彼らははぎとり、なぐり、半殺しにして逃げた。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。 |
NIV | In reply Jesus said: "A man was going down from Jerusalem to Jericho, when he fell into the hands of robbers. They stripped him of his clothes, beat him and went away, leaving him half dead. |
註解: エリコは死海に近く、ヘロデ王家の別荘地であり、収税署もあり相当の都市であった。エルサレムよりペレアを経てガリラヤに往く途に当っていて、またサマリヤにも途が通じていた。エルサレムよりエリコまでは山間の谷間を縫って道路が通じており、従って強盗の出没に適していた。この物語は実話ではなくイエスの作り給うた寓話であろう。
10章31節
口語訳 | するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。 |
塚本訳 | たまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ながら、向こう側を通っていった。 |
前田訳 | たまたまある祭司がその道を下ってきたが、その人を見ながら、向こう側を通って行った。 |
新共同 | ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 |
NIV | A priest happened to be going down the same road, and when he saw the man, he passed by on the other side. |
10章32節
口語訳 | 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。 |
塚本訳 | 同じくレビ人もその場所に来たが、見ながら向こう側を通っていった。 |
前田訳 | 同じようにレビ人もそのところに来たが、見ながら向こう側を通って行った。 |
新共同 | 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。 |
NIV | So too, a Levite, when he came to the place and saw him, passed by on the other side. |
註解: 祭司とレビ人はユダヤ人の中心的種族であり、神に仕うる人々である。彼らは常に聖書を読み神殿に奉仕し形の上からは最も神に近い人々であった。従ってその同族が半死半生で苦しんでいるのを見たならば何を措いてもこれを助くべきであった。然るにこの二人ともこの悩んでいる者に一指も触れず、あたかも汚らわしいものに対するごとくに、道路の反対の側を通って行ってしまった。宗教が形式となり学問となった場合の無力と無意義とは、イエスが常に憤慨して止まなかった処であった。「我憐憫を好みて祭を好まず」をしばしば繰返し給うたのもこのためである。この寓話の中心問題からいえばサマリヤ人に対立するものとして必ずしも祭司やレビ人たることを必要とせずユダヤ人であればよいのであるが、イエスは祭司とレビ人とを登場せしめることによって一層その対立を明確化し給うた。
口語訳 | ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、 |
塚本訳 | ところが旅行をしていたひとりのサマリヤ人は、この人のところに来ると、見て不憫に思い、 |
前田訳 | しかし旅するあるサマリア人はその人のところに来ると、見てあわれに思い、 |
新共同 | ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 |
NIV | But a Samaritan, as he traveled, came where the man was; and when he saw him, he took pity on him. |
註解: サマリヤ人とユダヤ人との間の反感と対立とについてはヨハ4:9註参照。
10章34節
口語訳 | 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 |
塚本訳 | 近寄って傷にオリブ油と葡萄酒を注いで包帯した上、自分の驢馬に乗せて旅籠屋につれていって介抱した。 |
前田訳 | 近よって傷にオリブ油とぶどう酒を注いで包帯し、自分のろばに乗せて宿屋に連れて行って手当てした。 |
新共同 | 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。 |
NIV | He went to him and bandaged his wounds, pouring on oil and wine. Then he put the man on his own donkey, took him to an inn and took care of him. |
10章35節 あくる
口語訳 | 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。 |
塚本訳 | そればかりか、次の日、デナリ銀貨[五百円]を二つ出して旅篭の主人に渡し、『この方を介抱してくれ。費用がかさんだら、わたしが帰りに払うから』と言った(という話)。 |
前田訳 | そしてあくる日宿屋の主人に二デナリ渡していった。『この人に手当てをしてください。もっと金がかかったら、わたしが帰りに払いましょう』と。 |
新共同 | そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』 |
NIV | The next day he took out two silver coins and gave them to the innkeeper. `Look after him,' he said, `and when I return, I will reimburse you for any extra expense you may have.' |
註解: 肉親も及ばざる親切をもってせる行き届いた介抱である。ユダヤ人には軽蔑され排斥されながら、苦しむユダヤ人にかかる憐憫をもって接したのである。敵をも愛する愛が無くしてはできない業である。
辞解
「油」と「葡萄酒」は旅行の際も携帯するほどこの地方には豊富であった。何れも食料であるが医療にも主として用いられた。今日の医学上から見ても適切な手当てである。
[デナリ] 一デナリは当時の労働者の一日の労銀に相当した金額である。負傷者を自分の畜(おそらく驢馬)に乗せて自分が徒歩することなどは一通りの親切ではできないことであり、宿屋の主人にまで介抱を依頼せる行届いた態度はこのサマリヤ人の深い愛を示すに充分である。
10章36節
口語訳 | この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。 |
塚本訳 | (それで尋ねるが、)この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣の人であったとあなたは考えるか。(同国人の祭司か、レビ人か、それとも異教のサマリヤ人か。)」 |
前田訳 | この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣びとであったとあなたは思うか」と。 |
新共同 | さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」 |
NIV | "Which of these three do you think was a neighbor to the man who fell into the hands of robbers?" |
10章37節 かれ
口語訳 | 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 |
塚本訳 | 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)」 |
前田訳 | 彼はいった、「その人に親切にした人です」と。イエスはいわれた、「行って、あなたも同じようになさい」と。 |
新共同 | 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 |
NIV | The expert in the law replied, "The one who had mercy on him." Jesus told him, "Go and do likewise." |
註解: 教法師の問い(29節)は「隣人とは誰か」というのであったが、イエスはこれに正面から答え給わず「如何にしたら隣人になれるか」をもって答え給うた。すなわち隣人なる固定的な範囲が客観的に定まっているのではなく、人は愛をもって他に接する時、その人との間に隣人の関係が成立することを教え給うた。従って「己のごとく汝の隣を愛すべし」は敵をも愛すべき絶対的愛の心をもって自分を支配せしむることである。愛なき者には隣人が無い。従って27節の誡命を実行することができない。教法師が「サマリヤ人」と答え得なかったのは、常に敵視しているサマリヤ人の名を呼ぶことを躊躇したためであろう。
イエス
註解: 25節の問いに対する答として、イエスはこの一句をもって終りとし給うた。千均の重さを有する一句であり、教法師にとってはその肺腑 を貫く言であったろう。結局凡ての律法を成就する者はこの愛敵の精神をもって行動する者である。このイエスの一言より見て、この善きサマリヤ人がこの一つの行為のみによって永遠の生命を嗣ぐものであることをイエスは考え給うたと決定することは行き過ぎである。ただしこのイエスの言とパウロの信仰との外観上の矛盾に拘泥してその本質的一致を見逃してはならない。
要義 [善きサマリヤ人の寓話の教訓]この寓話は、これによって示さんとせる中心的問題、すなわちサマリヤ人の深き愛以外に種々の真理を我らに暗示する。第一にイエスは祭司、レビ人等のごとき宗教の制度に対して常に大きい反感をいだき給うたこと。すなわち信仰生活はかかる外部的制度とは全く没交渉であるのみならず、それらの制度がかえって信仰と反対の事実を生じやすいこと。第二に人種的、種族的、宗派的反感や対立がいかに無意味なものであるかということ。第三に敵をも愛する愛が神の前に如何に貴いものであるかということ。第四に実行に顕れない学問や知識は神の国においては無意味であること等を我らはこの寓話から学ぶことができる。イエスは確かに比喩や寓話の偉大なる天才であった。▲「学問や知識」の外に更に「信仰」をここに加える方が一層適切であろう。今日のキリスト者や教師牧師の多くがこの祭司やレビ人のごとくではないか。そして彼らの軽蔑する不信者がこのサマリヤ人のごとくではないか。反省すべき事実である。
10章38節 かくて
口語訳 | 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。 |
塚本訳 | さてみなが旅行をつづけるうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が家にお迎えした。 |
前田訳 | 彼らが道行くうち、彼はある村に入られた。マルタという女が彼を家にお迎えした。 |
新共同 | 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 |
NIV | As Jesus and his disciples were on their way, he came to a village where a woman named Martha opened her home to him. |
註解: 「或村」はベタニヤであるが(ヨハ11:1)ルカの記事によれば未だベタニヤまで来ているとは考えられない。ただしルカ9:51−18:14は大体においてルカの特種資料を適宜に排列したもので、時と場所とを精確に記した旅行記ということはできない。なおヨハ11:1の記載法は、ルカのこの記事を読者が知っていることを前提としているかのごとくである。また、ルカは女子に関する記事に豊富であることも注意すべき点である。
10章39節 その
口語訳 | この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。 |
塚本訳 | マルタにマリヤという姉妹があった。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。 |
前田訳 | 彼女にマリヤという姉妹があって、主のお足もとにすわってお話を聞いていた。 |
新共同 | 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 |
NIV | She had a sister called Mary, who sat at the Lord's feet listening to what he said. |
10章40節 マルタ
口語訳 | ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。 |
塚本訳 | するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」 |
前田訳 | マルタはあれこれのもてなしに忙しくしていたが、進み出ていった、「主よ、姉妹がわたしだけにおもてなしをさせているのをお気にとめてくださいませんか。手伝うようおっしゃってください」と。 |
新共同 | マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 |
NIV | But Martha was distracted by all the preparations that had to be made. She came to him and asked, "Lord, don't you care that my sister has left me to do the work by myself? Tell her to help me!" |
註解: マリヤはマルタの妹であったものと推察される。二人の性格に各々特徴あり、マルタは事務的、活動的、具体的であり、マリヤは詩的、瞑想的、内面的であった。マルタは広く配慮し、マリヤは深く直感した。マルタはイエスの食事やその身辺のことに心を奪われ、マリヤはイエスの伝道の御言を聴くことにその心を奪われていた。マルタは具体的のことには有能であったけれども霊的のことには関心が薄かった。この二人の性格の差が、自然イエスに対する歓迎の態度を異にする結果となった。
辞解
[心いりみだれ] perispaomai 心を何物かに奪われること。
『
註解: マルタは激しくマリヤを責むると同時に、これを黙許し給うイエスの態度を責めた。そしてイエスをしてマリヤに命じてマルタの働きを助けしめんとした。マリヤの心情の貴さを理解する能力が欠けていた。
辞解
「のこして」とある点より見れば、それまではマリヤも妹と共に家事に働いていたことが判る。
[何とも思ひ給はぬか] 原語「気にし給わないか」の意
10章41節
口語訳 | 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 |
塚本訳 | 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、 |
前田訳 | 主は答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはあれこれと心を配って落ち着かないが、 |
新共同 | 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 |
NIV | "Martha, Martha," the Lord answered, "you are worried and upset about many things, |
10章42節 されど
口語訳 | しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」。 |
塚本訳 | 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 |
前田訳 | 無くてならぬものはただひとつである。マリヤはよいほうを選んだ。それを取りあげてはいけない」と。 |
新共同 | しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 |
NIV | but only one thing is needed. Mary has chosen what is better, and it will not be taken away from her." |
註解: 「マルタよ、マルタよ」と繰返し給いしは、強くその教訓をマルタに印象せしめんとしたのである。イエスは勿論マルタの心遣いを嬉しく思わないではなかった。しかしそれよりもさらに大切でありしかも欠くべからざる一つのことがあることをマルタは知らなかった。この世のこと、第二義以下のことに多く心を労するものは、この第一義的のこと、欠くべからざることを忘却してしまうことが多い。この一事はイエスと偕に在り、イエスの御言を聞くことである。マリヤはこれを選んだのであった。たといこのために世の中の風習に反し義務を果たし得ないことがあっても、非難すべきことではなく、かえって善き部分を選んだのであるから、彼に命じてマルタを助けしめることは宜しくないというのがイエスの御旨であった。「途にて誰にも挨拶すな」と教え給いしイエスは、ここでもまた俗的義務を超越して唯一筋に神の国のことを求むべきことを教え給うた。
要義 [マリヤとマルタ]この記事においてイエスはマルタの性格を責め、マリヤの性格を賞 め給うたのではない。天性は生れながらの傾向であって如何とも為し難い。唯マルタのごとき天性を有っている者は、多くの場合マリヤのごとき性格とその態度とを理解せずにこれを非難する場合が多いので、イエスはこの無理解を戒めると同時に、この世的の人間から無用のごとくに思われる態度の中に、最も重要なるものがあることを示し給うたのである。個人的にも人種的にもこの二種の傾向は分かれているのであるが、その孰 れであるかを問わず、無くてならぬ一事があることを記憶すべきである。この一事を欠くならば、これらの二種の傾向の孰 れも無意味の存在となる。殊にマリヤ的傾向の者は、無くてならぬ一事を選ばないならばこの世にも無益であり、天国にも相応しからざるものとなる。
ルカ伝第11章
6-3-ニ 主の祈り 11:1 - 11:4
(マタ6:9-13)
11章1節 イエス
口語訳 | また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。 |
塚本訳 | ある所で祈っておられた時のこと、それがすむと、ひとりの弟子が言った、「主よ、(洗礼者)ヨハネが弟子たちに教えたように、わたし達にも祈りを教えてください。」 |
前田訳 | あるところで祈っておられたときのこと、それがすむと、ある弟子がいった、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、われらにも祈りをお教えください」と。 |
新共同 | イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。 |
NIV | One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, "Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples." |
註解: この記事の起った時と処とは不明である。マタ6:9−13の場合も時と処とについて明かにし得ない。イエスの静かにして熱心なる祈りを弟子たちは目撃しつつ、これを妨げないためにその終るまで待っていたのであろう。
『
註解: イエスが祈り給う時、彼の顔には耀きがあり、彼の全身には力が充ち来るのを弟子たちは感得したのであろう。それ故イエスの祈りの秘訣を知りたいと願った。バプテスマのヨハネがその弟子に祈ることを教えたことは他に録されていない。如何なる祈りを教えたかについて種々の伝説があるけれども確実ではない。弟子たちはユダヤ人の間に行われていた定時の祈りは知っていたけれども、その以外にイエスの祈りについて知りたかった。
11章2節 イエス
口語訳 | そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「祈る時には、こう言いなさい。──お父様、お名前がきよまりますように。お国が来ますように。 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「祈るときはこういいなさい、父上、み名の聖まりますように。み国が来ますように。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。 |
NIV | He said to them, "When you pray, say: "`Father, hallowed be your name, your kingdom come. |
註解: いわゆる「主の祈り」についてはマタ6:9−13を参照すべし。マタ6:9には「天にいます我らの父よ」とあり、形式的には完備しているけれども、ルカ伝の方が単純率直であって、イエスの教え給える原形に近いのであろう。「御名」は神御自身を指す。「崇められんことを」 hagiasthêtô は「聖しとせられよ」で聖別せられんことをとの意味である。我らの不信・不義等凡ての冒涜的思想や行為をもって神を涜してはならない。神に対する完全なる服従によって神を崇めなければならぬ。全人類全被造物がかかる態度を取るようになることを祈るべきである。
註解: 「神の国」は神の支配し給う世界である。「神の支配」とも訳し得る語である。「神の国は近付けり」ということも事実であるけれども、未だ神の支配は完全に実現しない。その実現を祈るのが我らの祈りでなければならない。マタ6:10b「御意の天のごとく地にも行われんことを」は省略されている。「御国の来たらん事を」の中に包含されているとも見ることができる。以上の二つの祈りは、神がその当然立ち給うべき地位に立たれんことを祈る祈りであって、未来に関する希望である。3、4節は自己に関するもので、現世の問題である。
口語訳 | わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。 |
塚本訳 | その日の食べ物を日ごとにわたしたちに戴かせてください。 |
前田訳 | その日の食べ物を日ごとわれらにお与えください。 |
新共同 | わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。 |
NIV | Give us each day our daily bread. |
註解: マタ6:11には「今日も与へ給へ」とあり、「日毎に」はやや緊張を欠いている祈りである。マタイが原形に近いのであろう。有資産者や生活の安定を得ている者は、ルカの記事のごとき心持になり易い。絶対信頼の態度は、一日以上のことを思い煩わない。▲「日用の」 epiousion の意味についてはマタ6:11辞解参照。
11章4節
口語訳 | わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。 |
塚本訳 | 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を皆赦しておりますから。わたしたちを試みにあわせないでください。」 |
前田訳 | われらの罪をおゆるしください、われらも加害者を皆ゆるしますから。われらを試みにおあわせなく」と。 |
新共同 | わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」 |
NIV | Forgive us our sins, for we also forgive everyone who sins against us. And lead us not into temptation. '" |
註解: 前節は我らの肉体の保持に関する祈りであり、本節は我らの霊魂の健全に関する祈りである。後者に二方面あり、我らの霊が己に罪を犯せる場合は神よりの赦しを必要とし、いまだ罪に陥らない場合は試誘 より保護される必要がある。神に対する罪の赦しは我らの切なる祈りである。ただしこれは利己的動機から罪の赦しを乞うのであってはならない。心から悔改めた上のことでなければならぬ。この悔改めの証拠として、我らに対し負債ある者、罪を犯せる者を我らも心から赦していることが必要である。この事実がある場合、始めて神に対して悔改めたことを知り得るのである。自己の罪を自覚して真に悔改めた者は、他人の罪を責める心が無くなるのが当然である。
註解: 神が我らを試誘 にあわせて誘惑に引入れ給うことがあると考える必要がない。この祈りは、我らが嘗試 に引入れられようとする時神がこれを守り、我らをかかる危険より救い給わんことを祈る心であると解して差支えがない。マタ6:13の「悪より救出し給へ」はこれを説明する。従ってこれを省略しても同じ意味であると見ることができる。またマタ6:9−13とルカ11:1−4とを比較すると(1)マタイは形式的に完備し、ルカは簡単である。(2)ルカの本文は多くの異本があり、マタイによって補充された形跡があるけれども、マタイをルカによって変更または補充したものは無い。(3)これを主が二つの別の祈りの型を示し給うたものと解することはできない。(4)主の祈りが当時の信徒の間にその原文の字句のままで暗誦され、今日の「主の祈り」のように繰返し唱えられていたかについては諸説あり、もし繰り返されていたとすれば、マタイとルカとの差異は何故であるか説明が困難であり、もし繰返し唱えられていなかったとすれば、その後に至って教会一般の風習として唱えられるに至った事情との関連が証明し難い。初代教会ではおそらく極めて自由な態度で、主の教え給える語句のままではなくその大体を基礎とし、その精神に則って個人的にまたは集会等で祈るようになったものと思われる。(5)主イエスはこの祈りをその語句のまま繰返すべしと命じ給うたのであるか、または日毎の祈りの根本要素を教え給うたのであるかは聖書の本文からは明かではないがこの後者がイエスの態度に相応しいものと考えられる。後日に至って日毎の祈りが次第にこの根本から遠ざかるに従ってその語句が大切に保存されるようになったのであろう。▲「主の祈り」はこれを暗誦して無意識的に繰返すために与えられたのではなく、我らの祈りの内容の代表的要約である。
11章5節 また
口語訳 | そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「あなた達のうちのだれかに友人があって、夜中にその友人の所に行き、『友よ、パンを三つ貸してくれ。 |
前田訳 | また彼らにいわれた、「あなた方のだれかに友だちがあって、真夜中にたずねてこういったとする、『友よ、パンを三つ貸してください、 |
新共同 | また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。 |
NIV | Then he said to them, "Suppose one of you has a friend, and he goes to him at midnight and says, `Friend, lend me three loaves of bread, |
11章6節 わが
口語訳 | 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、 |
塚本訳 | 旅先からわたしの友人が来たのに、何も出すものがないから』と言ったとき、 |
前田訳 | わたしの友だちが旅先から来たのに何も出すものがないので』と。 |
新共同 | 旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』 |
NIV | because a friend of mine on a journey has come to me, and I have nothing to set before him.' |
11章7節 かれ
口語訳 | 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。 |
塚本訳 | その友人は内から、『勘弁してくれ。もう戸締りをしてしまったし、子供たちもわたしと一しょに寝ている。起きてかしてやるわけにはゆかない』と答えるにちがいない。 |
前田訳 | その友だちは中から答えよう、『邪魔しないで。もう戸はしめたし、子どもらもわたしと寝ている。起きて貸してはあげられない」と。 |
新共同 | すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』 |
NIV | "Then the one inside answers, `Don't bother me. The door is already locked, and my children are with me in bed. I can't get up and give you anything.' |
11章8節 われ
口語訳 | しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。 |
塚本訳 | しかしわたしは言う、(その人がなおもせがんで止まなければ、)友人だからというのでは起きて(パンを)かしてやらなくても、その厚かましさにはかなわず、起き上がって、必要なだけのものをかしてやるにちがいない。 |
前田訳 | わたしはいう、友だちだからとて起きて貸しはしなくても、その厚かましさのゆえに起きて、要るだけ貸してやるであろう。 |
新共同 | しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。 |
NIV | I tell you, though he will not get up and give him the bread because he is his friend, yet because of the man's boldness he will get up and give him as much as he needs. |
註解: 神は必ず人の切なる祈りを聴き給うことを知らしむるための例として人間同志の関係を示す。この二人は友人関係である。神と人との関係はさらに密なる愛の関係である。(1)求める人は「夜半」にその友を起すほど不躾 であった。それは旅よりの友の訪問によって与うるものが無く困り果てたからである。切なる祈りは、自己のことに関する場合と他人のことに関する場合とを論ぜず神に向けらるべきである。神にとっては夜半も日中も差別がない。何時祈り求めても差支えがない。(2)もとめるものは三つのパンであった。欲張って無用のものまでも求むべきではない。その時々の必要を求むべきである。(3)求められし友人はすでに子供と共に臥床 中であり、彼の友愛の情は、彼を動かすほどの力がなかったので断った。神の愛は友の愛にまさる。神は切なる祈りには必ず動かされる。(4)友人は求むる友の「求めの切なるにより」ついにこれを与えた。切なる願いは、愛の足らざる友人をも動かす力を有っている。いわんや愛の神は切なる祈りに動かされないはずはない。(5)友は隣人の「要する程のもの」を与えた。神は人の要するまたは欲する以上のものを与え給う。切なる祈りを神にささげよ、神は必ずこれを聴き給う。1−4節の主の祈りも切なる心をもってこれを祈らなければならぬ。
11章9節 われ
口語訳 | そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 |
塚本訳 | それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。 |
前田訳 | それでわたしはいう、「求めよ、さらば与えられよう。探せ、さらば見いだそう。戸をたたけ、さらば開かれよう。 |
新共同 | そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 |
NIV | "So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. |
11章10節 すべて
口語訳 | すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 |
塚本訳 | だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。 |
前田訳 | すべて、求めるものは受け、探すものは見いだし、戸をたたくものには開かれよう。 |
新共同 | だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 |
NIV | For everyone who asks receives; he who seeks finds; and to him who knocks, the door will be opened. |
註解: (マタ7:7、8)「求む」「尋ぬ」「叩く」は次第に熱心と労力との程度が増加する求め方である。求むる熱心の度が強ければ強い程、その得る処の結果も大きい。神の救いは神の自由なる賜物であるが、これさえ求むることなしには与えられない。マタ7:7以下にこれと同一の語があるが前後の連絡は異なっている。ルカはこれら凡て主の祈りに従属せしめて熱心なる祈りの効果について主の教訓を一括している。
註解: 11−13節は父なる神は祈りに応じて最上の賜物を与えることを示す(マタ7:9−11)。
11章11節
口語訳 | あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。 |
塚本訳 | あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。 |
前田訳 | あなた方のうちのどんな父でも、子が魚を求めるのに魚のかわりに蛇を与えようか。 |
新共同 | あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。 |
NIV | "Which of you fathers, if your son asks for a fish, will give him a snake instead? |
口語訳 | 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。 |
塚本訳 | また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。 |
前田訳 | 卵を求めるのにさそりを与えようか。 |
新共同 | また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。 |
NIV | Or if he asks for an egg, will give him a scorpion? |
11章13節 さらば
口語訳 | このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。 |
塚本訳 | してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」 |
前田訳 | そのように、あなた方は悪者ながら、おのが子によいものを与えることを知っている。まして、天の父が、求めるものに聖霊を賜わらないであろうか」と。 |
新共同 | このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 |
NIV | If you then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!" |
註解: 人間は神に比べては凡て「悪しき者」であり多くの悪事を行い易いものでありながら、その子を愛するが故に子の求めに応じて必要なるものを与える。決して子を恐れしめたり、害を与えたりするようなもの、蛇や蠍 を与えはしない。魚や卵等、子の求めに応じて善き物を与えることを知っている。不完全な悪しき人間の父すらそうであるから完全にして愛に在し給う父は、必ず「善き物」(マタ7:11)を与え給うと確信して父に求むべきである。ルカはこの「善き物」を「聖霊」であると記している。魚や卵は人間の肉の生命の必要物であるが、霊の生命に必要なものは聖霊であるから、神に求めさえすれば神は人間の父の与える日毎のパンを与え給うこと、または誘惑 より守り給うことは勿論さらに進んで、人間の新生命の原動力である聖霊を与え給う。かくして人間を神と等しきものとなし給う。ここに神の愛の絶大なる所以があり、祈りの効果の窮極がある。
要義 [祈りについて]ルカは祈りの人であったと思われる。主が常に祈り給えることを繰返し記載しているのもそのためであり、ここに「主の祈り」に続いて祈りに関する種々の教訓を一括して、一層祈りの本質および効果を明らかにしていることに注意しなければならない。これらを総合すれば、(1)祈りは神のこと、人のことに関する凡てのことに及ぶべきであり、(2)真心から出て、真心の要求にかられた熱心な祈りでなければならず、(3)これを得るまでたゆむことなく祈らなければならない。そして、(4)父なる神の愛を信ずる者にとっては、神は必ず最上の賜物を与え給うことを確信して祈りつづくべきである。時に人間は祈りに応えられない悲しみを味わうことがあるけれども、神は何時かは必ず我らの求むる以上の善きものを我らに与えて我らの祈りを聴き給う。
11章14節 さてイエス
口語訳 | さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。 |
塚本訳 | (ある日)悪鬼を追い出しておられた。それは唖(の霊)であった。その悪鬼が出てゆくと(すぐ)唖が物を言うようになったので、群衆が驚いた。 |
前田訳 | 彼は悪鬼を追い出しておられた。それは唖者(の霊)であった。悪鬼が出ると、唖者が口をきいたので、群衆は驚いた。 |
新共同 | イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。 |
NIV | Jesus was driving out a demon that was mute. When the demon left, the man who had been mute spoke, and the crowd was amazed. |
註解: この頃よりイエスに対する故意の反感が次第に強化し来ることに注意すべし。
辞解
[▲唖の悪鬼] 悪鬼はそのものが唖であってその悪鬼が人に入ってその人が唖となったものと考えた。
11章15節
口語訳 | その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、 |
塚本訳 | しかしそのうちには、「あれは悪鬼どもの頭ベルゼブル(悪魔)を使って悪鬼を追い出している」と言った者もあり、 |
前田訳 | そのあるものがいった、「悪鬼の頭ベルゼブルによって悪鬼を追い出している」と。 |
新共同 | しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、 |
NIV | But some of them said, "By Beelzebub, the prince of demons, he is driving out demons." |
11章16節 また
口語訳 | またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。 |
塚本訳 | またある者は(イエスを)試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を彼に求めた。 |
前田訳 | またあるものは彼を試みて天からの徴を彼に求めた。 |
新共同 | イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。 |
NIV | Others tested him by asking for a sign from heaven. |
註解: イエスの奇蹟を信じない者はあるいは、イエスの奇蹟力をサタンの業と解し、イエスをサタンの使いと見、あるいはエリヤの場合のごとく(T列17:1以下、T列18:1以下、T列18:38等)天よりの徴が無ければ信じ得ないと主張した(Tコリ1:22)。すなわちイエスは悪鬼の首ベルゼブルを使って悪鬼を逐い出すのであると主張してイエスの奇蹟を非難した。
辞解
[ベルゼブル] マコ3:22註参照。
11章17節 イエスその
口語訳 | しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。 |
塚本訳 | イエスは彼らの思いを知って言われた、「内輪で割れるいかなる国も荒れ果てて、家が重なり合って倒れる。 |
前田訳 | 彼はその心の中を察していわれた、「内輪もめすれば国は皆滅び、家は重なりあって倒れる。 |
新共同 | しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。 |
NIV | Jesus knew their thoughts and said to them: "Any kingdom divided against itself will be ruined, and a house divided against itself will fall. |
11章18節 サタンもし
口語訳 | そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、 |
塚本訳 | (同じように)悪魔(の国)も内輪で割れれば、どうしてその国が立ってゆこう。あなた達は、わたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出していると言うのだが。 |
前田訳 | 悪鬼も内輪もめすれば、どうしてその国が立とう。あなた方はわたしがベルゼブルによって悪鬼を追い出すという。 |
新共同 | あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。 |
NIV | If Satan is divided against himself, how can his kingdom stand? I say this because you claim that I drive out demons by Beelzebub. |
註解: イエスを非難する者は、極めて見易き道理をすら弁 えていない。サタンは一つの統一体を為しているのであるが、その首長ベルゼブルとその部下とが分争するならばその統一は破れ、その国は亡びる。然るに悪鬼の力がなおも強く人の心を支配しているのが事実である以上は、悪鬼の国が厳存し、その首長と部下とは緊密な関係に立っている証拠ではないか、とイエスは言い給う。
11章19節
口語訳 | もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。 |
塚本訳 | またわたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出すとすれば、(同じことをしている)あなた達の弟子は、いったい何を使って(悪鬼を)追い出しているのか。(まさかベルゼブルではあるまい。だからこのことについては、)あなた達の弟子に裁判官になってもらったがよかろう。 |
前田訳 | しかし、もしわたしがベルゼブルによって悪鬼を追い出すならば、あなた方の仲間は何によって追い出すのか。それゆえ、あなた方の仲間がことを明らかにしよう。 |
新共同 | わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。 |
NIV | Now if I drive out demons by Beelzebub, by whom do your followers drive them out? So then, they will be your judges. |
註解: マタ12:27註参照。ユダヤ人らの中にも悪鬼を逐い出す術を行うものが有った。もし彼らもベルゼブルによって悪鬼を逐い出すのであるといったら、彼らは汝らを審 きその非難を反駁 するであろう。軽々しくかかる意見を発表すべきではない。
11章20節 されど
口語訳 | しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。 |
塚本訳 | しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の指で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。 |
前田訳 | もし神の指でわたしが悪鬼を追い出すのならば、神の国はあなた方のところに来ている。 |
新共同 | しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。 |
NIV | But if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come to you. |
註解: 「神の指」は出8:19を見よ。モーセは神の力によって奇蹟を行った。イエスも同じく神の力によって悪鬼を逐い出し給うたのであった。この事実は、その治癒を受けた者の上に神の支配が及んだことであり、神の国が彼らの中に到来したことであった。ベルゼブルによるのとは全然異なった祝福が汝らに及んでいることを知らなければならない。▲「神の国」はむしろ「神の支配」と訳せば意味明白となる。
註解: 21−26節(マタ12:29参照)は悪鬼を逐い出された者には神の国がすでに到来しているにも関らず、その態度如何により、以前よりもかえって悪い結果を生ずることが有り得ることを述べ、イエスに反対するものの警告となし給うた。
11章21節
口語訳 | 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。 |
塚本訳 | 強い者が武装して自分の城を守っている時には、その持ち物は安全であるが、 |
前田訳 | 強いものが武装して自分の城を守れば、その持ちものは安全である。 |
新共同 | 強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。 |
NIV | "When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe. |
11章22節 されど
口語訳 | しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。 |
塚本訳 | より強い者が襲ってきてこれに打ち勝つと、その頼みにしている武具を奪い、分捕品を分けるのである。 |
前田訳 | しかしより強いものが襲って来て勝てば、彼らは頼みの武具を奪い、分捕品を分ける。 |
新共同 | しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。 |
NIV | But when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up the spoils. |
註解: これまではサタンが人類に君臨し、人間を捕虜としてこれを弄 び、あらゆる肉の快楽と魂の誘惑 の武具をよろいて安全にその分捕物を守っていた。サタンよりも強い人間は無いが今や神の子来り給うて、サタンより強き力をもってサタンの武具を奪い分捕物を取返し給うた(エペ4:8)。悪鬼を逐い出し給うことはその一つの現れに過ぎない。
11章23節
口語訳 | わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。 |
塚本訳 | (だからわたしは言う、神と悪魔との戦いはすでに始まっている。)わたしの側に立たない者は、わたしに反対する者、わたしと一しょに集めない者は、散らす者である。 |
前田訳 | わたしといっしょでないものはわたしに反対し、わたしといっしょに集めないものは散らす。 |
新共同 | わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」 |
NIV | "He who is not with me is against me, and he who does not gather with me, scatters. |
註解: 神の子とサタンとの天下分け目の戦いであるから、そこに中立は有り得ない。神の子に従うかサタンに従うか、全人類はこの二つの陣営に分れる。キリストに従わず、彼と偕に神の国の民を集めない者は神の敵である。イエス・キリストこの世に来り給うことにより人類は彼に従うか否かの二者択一を迫られており、結果として死か生かの二者択一を強要されていることを畏れをもって自覚しなければならない。
11章24節
口語訳 | 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、 |
塚本訳 | 汚れた霊が(追い出されて)人間から出て行くと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからないので、『出てきた自分の家にもどろう』と言って、 |
前田訳 | けがれた霊が人から出ると、水のない荒地を歩きまわって休み場所を探す。しかし見つからない。そこでいう、『出て来た家に戻ろう』と。 |
新共同 | 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。 |
NIV | "When an evil spirit comes out of a man, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, `I will return to the house I left.' |
11章25節
口語訳 | 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 |
塚本訳 | かえって見ると、(家は)掃除ができて、飾り付けがしてあった。 |
前田訳 | 戻ると、掃き清められて、整頓してあった。 |
新共同 | そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。 |
NIV | When it arrives, it finds the house swept clean and put in order. |
11章26節
口語訳 | そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。 |
塚本訳 | そこで行って、自分よりも悪い、ほかの(汚れた)霊を七つも連れてきて入りこみ、そこに住む。するとその人のあとの有様は、(追い出す)前よりも、もっとひどくなるのである。」 |
前田訳 | そこで出かけて自分より悪いほかの七人の霊を連れて来て、入ってそこに住み込む。それでその人ののちの様子は前よりも悪くなる」と。 |
新共同 | そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」 |
NIV | Then it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that man is worse than the first." |
註解: 24−26節についてはマタ12:43−45参照。イエスはここに悪鬼を逐い出すことによる肉体的治癒を霊的の事実に当て嵌 め、もしイエスの力によって悪霊を逐い出しただけで、イエスに従うことをしないならば、かえって悪結果を来すであろうことを教え給う。この比喩の悪霊のごとく、サタンは常に人の心に侵入せんことを求めて機会を窺っている(Tペテ5:8)。それ故に単にイエスの力によって一時その悪鬼を逐い出すだけではかえって危険である。その空虚を直ちにイエスの霊をもって充さなければならぬ。
要義 [イエスを迎えよ]イエスの教えに感激して、一時は自己の罪が潔められ、悪習が除かれ、別人のごとくになって喜ぶキリスト者は多い。しかしこれは単に自分の心が掃き浄められ飾られたに過ぎない。もしイエスを心に迎えイエスの霊を我が衷に宿らしめ、イエスをおのが主とならしめないならば、一時の喜びはかえって自己を誇る心となり、前よりも一層悪しきサタンの住家となるであろう。
11章27節
口語訳 | イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。 |
塚本訳 | こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、「なんと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」 |
前田訳 | こうお話しのときに群衆の中からある女が声を高めて彼にいった、「さいわいなのはあなたを宿した胎、あなたがすった乳房」と。 |
新共同 | イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」 |
NIV | As Jesus was saying these things, a woman in the crowd called out, "Blessed is the mother who gave you birth and nursed you." |
註解: イエスがベルゼブル論争によって相手を沈黙せしめ、さらに引き続き耀かしい教えを垂れ給うたのを聞いて、ある女はかかる息子を持つ母親こそ、どのように幸福であろうと感じて思わず声をあげてその感想を漏らした。
11章28節 イエス
口語訳 | しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。 |
塚本訳 | しかしイエスは言われた、「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「ちがう。さいわいなのは、神のことばを聞いて守る人々」と。 |
新共同 | しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」 |
NIV | He replied, "Blessed rather are those who hear the word of God and obey it." |
註解: ルカ8:21に、イエスは真の父母兄弟の誰なるかを示し給うたのであるが、ここでもそれと同じく神の言を聴いてこれを守る人は肉によるイエスの母よりも一層幸福であり、その声を挙げた女も、神の言を聴いてこれを守ることによりイエスの母マリヤよりも幸福なる女性となり得ることを示し給うた。そしてこれは何人も経験し得る幸福である。31節は神の言を聴くことの例、32節はこれを行う者の例である。
11章29節
口語訳 | さて群衆が群がり集まったので、イエスは語り出された、「この時代は邪悪な時代である。それはしるしを求めるが、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。 |
塚本訳 | 群衆がなおも押し寄せてきたとき、イエスは話し出された、「この時代は悪い時代である。(だから信ずるのに)徴を求める。しかしこの時代には、(預言者)ヨナの徴以外の徴は与えられない。 |
前田訳 | 群衆が押しよせて来たとき、彼は話しだされた、「この世代は悪い世代である。それは徴を求めるが、徴はヨナの徴のほか与えられまい。 |
新共同 | 群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 |
NIV | As the crowds increased, Jesus said, "This is a wicked generation. It asks for a miraculous sign, but none will be given it except the sign of Jonah. |
11章30節 ヨナがニネベの
口語訳 | というのは、ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう。 |
塚本訳 | すなわちヨナが(大きな魚の腹から出てきて)ニネベの人に徴となったように、人の子(わたしも地の中から出てきて)この時代の人に徴となるのである。 |
前田訳 | ヨナがニネベの人に徴となったように、人の子もこの世代の人に徴となろう。 |
新共同 | つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。 |
NIV | For as Jonah was a sign to the Ninevites, so also will the Son of Man be to this generation. |
註解: ルカ11:16節に天よりの徴を求めた者があったが、イエスはここで(29−32=マタ12:38−42)それに対して答える意味をも含めてユダヤ人の不信を責め給う。徴を求めることは信仰なき邪曲の心である。ヨナが三日三夜大魚の腹の中に呑まれて、後にその口より吐き出されてニネベ人に向って預言したのと同じく、イエスも三日三夜地の中に在ってやがて甦り給い、聖霊をもって全世界に福音を伝え給うであろう(マタ12:40)。それ以外の徴は与えられない。それ故今の間に彼を信ずべきである。
11章31節
口語訳 | 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果からはるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。 |
塚本訳 | (しかし人々は信じない。だから)南の国(シバ)の女王がこの時代の人たちと一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。 |
前田訳 | 南の国の女王がこの世代の人々といっしょに裁きに現われて、その人々を裁こう。それは彼女が地の果てからソロモンの知恵を聞きに来たからである。しかし今ここにソロモン以上のものがいる。 |
新共同 | 南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。 |
NIV | The Queen of the South will rise at the judgment with the men of this generation and condemn them; for she came from the ends of the earth to listen to Solomon's wisdom, and now one greater than Solomon is here. |
註解: 異教国シバの女王すらソロモンの智慧を聴かんとてはるばるユダヤを訪れたのに、ソロモンより勝れるイエスがい給うにもかかわらず今の代の人にこれに聴こうとする者がないとは何たることであろうか、審判の日には、神の選民をもって誇っている汝らは、かえって異教国の女王に審 かれなければならないであろう(T列10:1以下参照)。
11章32節 ニネベの
口語訳 | ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。 |
塚本訳 | (また、)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、今)ここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。 |
前田訳 | ニネベの人々がこの世代の人々といっしょに裁きに現われて、それを裁こう。それはニネベの人々はヨナの説くことばによって悔い改めたからである。しかしいまここにヨナ以上のものがいる。 |
新共同 | また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」 |
NIV | The men of Nineveh will stand up at the judgment with this generation and condemn it; for they repented at the preaching of Jonah, and now one greater than Jonah is here. |
註解: ヨナ3:5−10参照。ニネベの人はヨナの預言を聴いて罪を悔改めたので、ヨナの預言は実現せず、神はその審判をニネベ市に加うることを中止し給うた。然るにヨナより勝れるイエスの御言を聴いて悔改めないのは何ということであろうか、今の代の人たる汝らは審判の日には異邦ニネベの人から審 かれるに至るであろう。
要義 [真理に聴く者]ユダヤ人は唯一の神を知っていると誇り、選ばれた民であることを自認していた。然るにもかかわらず、彼らは真理に耳を傾けず、イエスを受納れなかった。彼らは異教国ニネベの民、神を知らざるシバの女王に対して恥じなければならない。今日神を信ずるキリスト者と称して誇っている者も、もし神の霊によって語られる真理の言に耳を傾けないならば、イエスの当時のユダヤ人と同じく、彼らが未信者として軽蔑する者がかえって彼らの審判人となるであろう。
11章33節
口語訳 | だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。 |
塚本訳 | だれも明りをつけて片隅に置いたり、枡をかぶせたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。(そのように人の子が来たのも世を照らすためである。それを見わけられないのは、見る人の心が暗いからである。) |
前田訳 | だれも明りをつけて片すみや枡の下には置かない。入って来るものに光が見えるように燭台の上に置く。 |
新共同 | 「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 |
NIV | "No one lights a lamp and puts it in a place where it will be hidden, or under a bowl. Instead he puts it on its stand, so that those who come in may see the light. |
11章34節
口語訳 | あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。 |
塚本訳 | 体の明りはあなたの目である。目が澄んでいる間は、体全体も明るいが、悪いとなると、体も暗い。 |
前田訳 | 体の明りはあなたの目である。あなたの目が澄んでいるときは、全身が明るいが、目が悪いと、体も暗い。 |
新共同 | あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。 |
NIV | Your eye is the lamp of your body. When your eyes are good, your whole body also is full of light. But when they are bad, your body also is full of darkness. |
11章35節 この
口語訳 | だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。 |
塚本訳 | だから、あなたの内の光(である目、すなわち心)が暗くならぬように注意せよ。 |
前田訳 | それゆえ、あなたの内の光が暗くならぬよう心せよ。 |
新共同 | だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。 |
NIV | See to it, then, that the light within you is not darkness. |
11章36節 もし
口語訳 | もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。 |
塚本訳 | もし体全体が明るくてすこしも暗い部分がなければ、明りがその輝きであなたを照らしている時のように、すべてが明るいであろう。」 |
前田訳 | もしあなたの全身が明るくて少しも暗い部分がなければ、明りがその輝きであなたを照らすように、すべてが明るかろう」と。 |
新共同 | あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」 |
NIV | Therefore, if your whole body is full of light, and no part of it dark, it will be completely lighted, as when the light of a lamp shines on you." |
註解: (1)33節はマタ5:15に相当しているけれども、マタイ伝には14節16節もこれに関連して一括した教訓を与えていること、(2)ルカ伝の場合33節のみを独立の一節と見るべきか否か明かではないこと。(3)34−36節はマタ6:22、23に類似しているが、マタイ伝には36節に相当するものがなく、また36節は「全身明くば・・・全身明からん」とあり、意味不明であること。(4)目は自ら光を放たず、光を受ける機関であるから燈火に比較するのは無理があること、以上の諸々の理由からこの数節は解釈上困難があり、また異本に36節を欠くもの、また35節がマタ6:23bに等しきものがある等、種々本文の混乱があるのも意味不明のためであろう。本文を現在のままとし、33節も34節以下に関連あるもとして強いて解釈するならば次のごとくである。すなわち「燈火は燈台の上に置いて室全体を照らすべきものである。目は自ら光を発しないが光を受納れ得る目は全身を明るくする。あたかも室内に燈火があると同じである。目が光を受納ると同様、心が真理を受け納れ得る場合全身が光明に充される。それ故我らは注意して心の眼を明かにし真理を悟って全身を光明に充されなければならない。かかる人は明るい燈火で室内を照らされられるように全身が明るくなる。」
辞解
[正しくば] haplous で単純、純真にして真実を感受すること、なお35、36節を次のごとくに訳して幾分意義を明かにしようとする試みもある(Z0)。「この故に汝らの内の光、闇にはあらぬか、汝の全身の明るきかを省みよ。もし暗き所なくば全身明るきこと燈火がそのきらめきをもって汝を照す時のごとくならん」。
11章37節 イエスの
口語訳 | イエスが語っておられた時、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。 |
塚本訳 | こう話しておられた時、一人のパリサイ人がその家でお食事をと願ったので、(家に)入って食卓に着かれた。 |
前田訳 | お話しのとき、あるパリサイ人がその家でお食事をと願ったので、入って食卓につかれた。 |
新共同 | イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。 |
NIV | When Jesus had finished speaking, a Pharisee invited him to eat with him; so he went in and reclined at the table. |
註解: パリサイ人はイエスの教えに感激したのであろう。またイエスはパリサイ人であってもこれを軽視し給わなかった。
11章38節
口語訳 | ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った。 |
塚本訳 | するとそのパリサイ人は、イエスが(規則どおり)食事の前にまず(手を)すすがれないのを見て不思議がった。 |
前田訳 | そのパリサイ人は彼が食前にまず清めをされないのを見ておどろいた。 |
新共同 | ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。 |
NIV | But the Pharisee, noticing that Jesus did not first wash before the meal, was surprised. |
註解: ユダヤ人は食前に手を洗う習慣があったが、イエスはそれを必ずしも重視し給わず、従って弟子たちらもこれを実行しない場合があった(マタ15:2)。手を洗うことは衛生上良い習慣であるが、これに道徳的殊に宗教的意義を持たせるようになることは避くべきである。
辞解
[手を] 原文になし、原文は単に baptizô。
11章39節
口語訳 | そこで主は彼に言われた、「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。 |
塚本訳 | 主は彼に言われた、「よろしい、では君たちパリサイ人、君たちは杯や盆の外側は清潔にするが、(心の)内側は強欲と悪意とでいっぱいではないのか。 |
前田訳 | 主は彼にいわれた、「さてさて、あなた方パリサイ人は杯や盆の外側は清めるが、内側は欲望と悪意に満ちている。 |
新共同 | 主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。 |
NIV | Then the Lord said to him, "Now then, you Pharisees clean the outside of the cup and dish, but inside you are full of greed and wickedness. |
11章40節
口語訳 | 愚かな者たちよ、外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか。 |
塚本訳 | 無知な人たちよ、外側を造った方が、内側もお造りになったのではないか。 |
前田訳 | わからずやよ、外側をお造りの方が内側もお造りではないか。 |
新共同 | 愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。 |
NIV | You foolish people! Did not the one who made the outside make the inside also? |
11章41節
口語訳 | ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。 |
塚本訳 | とにかく、(杯や盆の)内のものを施してみよ。見る間に、君たちのもの一切が清潔になるであろう。 |
前田訳 | しかし内のものを施しにせよ。たちまちあなたのすべてが清まる。 |
新共同 | ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。 |
NIV | But give what is inside [the dish] to the poor, and everything will be clean for you. |
註解: 外部を潔くし、形式を立派にしても、それがために心の内部まで潔くはならず、また潔いことにもならない。反対に心の内部が潔くなるならば、たとい外部が潔くなくともそれらもみな潔いものとなる。悪人が美服を着ても、その美衣まで醜く見え、善人が粗服を纏えば粗服までも美しく見える。神は内部も外部も共に造り給うたのに、唯外部にのみ心を奪われることは無意義である。汝らの内部には貪慾、悪、偽善で一杯ではないか、まず「内にある物」すなわち汝の心を占領している汝の財宝を施せ、さらば手を洗わずとも全身神の霊によって潔められるであろう。▲「施せ」を口語訳では「きよめなさい」と訳したのは理由不明。註解的訳語であろう。
11章42節
口語訳 | しかし、あなた方パリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たちパリサイ人!君たちは薄荷や芸香やすべての野菜の(収穫の)一割税は(神妙に)納めるが、(大切な)正義と神に対する愛とをゆるがせにしているからだ。しかしこれこそ行うべきである。だがあれもなおざりにしてはならない。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方パリサイ人、薄荷(はっか)や芸香(うんこう)やすべての野菜の十分の一税は納めるが、正義と神の愛はなおざりにするから。これこそ行なうべきであり、あれもなおざりにすべきでない。 |
新共同 | それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。 |
NIV | "Woe to you Pharisees, because you give God a tenth of your mint, rue and all other kinds of garden herbs, but you neglect justice and the love of God. You should have practiced the latter without leaving the former undone. |
註解: マタ23:23参照。形式的律法の遵守に熱心であることは差支えないが、それよりもさらに重要な正義、公平、神に対する愛を等閑 にすることは非常な誤りである。根本を棄てて枝葉を重んずるのは罪である。
11章43節
口語訳 | あなたがたパリサイ人は、わざわいである。会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たちパリサイ人!君たちは礼拝堂の上席や、市場で挨拶されることを好むからだ。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方パリサイ人、会堂の上座や市場でのあいさつを好むから。 |
新共同 | あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。 |
NIV | "Woe to you Pharisees, because you love the most important seats in the synagogues and greetings in the marketplaces. |
註解: マタ23:6、7参照。ただし7節に相当するものをルカは省略している。彼らの虚栄の強さと、宗教的誇りとを非難し給う。
11章44節
口語訳 | あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる」。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たちは!君たちは見分けのつかない(汚れた)墓のようで、人は(それと)知らずにその上を歩くからだ。(同じように、きたない君たちに接する人は皆汚れる。)」 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、目だたぬ墓のようで、人は知らずにその上を歩くから」と。 |
新共同 | あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」 |
NIV | "Woe to you, because you are like unmarked graves, which men walk over without knowing it." |
註解: ユダヤ人は墓地を汚れたものと考え、その上を歩むものは汚れを受けると信じて極力これを避けていた。然るにパリサイ人は墓であることが判明 らなくなっている墓地のようなもので、人は知らずにこれに接近して汚されてしまう。甚だ危険な存在である。マタ23:27は本節に類似しているけれども反対の比喩である。
11章45節
口語訳 | ひとりの律法学者がイエスに答えて言った、「先生、そんなことを言われるのは、わたしたちまでも侮辱することです」。 |
塚本訳 | するとひとりの律法学者が口を出した、「先生、あなたはそう言って、わたし達までも侮辱しておられます。」 |
前田訳 | するとひとりの律法学者が答えた、「先生、あなたはそうおっしゃって、われらをも侮辱なさいます」と。 |
新共同 | そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。 |
NIV | One of the experts in the law answered him, "Teacher, when you say these things, you insult us also." |
註解: イエスは以上にパリサイ人に対して四つの非難を浴びせたのでその座にいた教法師も、その非難が自分にも当嵌 まることを感じてイエスに抗議した。
辞解
[辱しむ] hubrizô 正しくない非難のこと。
11章46節 イエス
口語訳 | そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「ああ禍だ、君たち律法学者も!君たちは人には負いきれない荷を負わせながら、自分では(担ってやるどころか、)ただの指一本、その荷にさわってやらないからだ。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「あなた方律法学者もわざわいだ、人には負い切れぬ荷を負わせながら、自分では指一本その荷にふれてやらないから。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。 |
NIV | Jesus replied, "And you experts in the law, woe to you, because you load people down with burdens they can hardly carry, and you yourselves will not lift one finger to help them. |
註解: マタ23:4参照。教法師はむずかしい律法をもって人を束縛し、人に不可能を強いながら少しもこれを助けようとしない、愛が無いからである。愛なき律法ほど禍なものはない。
11章47節
口語訳 | あなたがたは、わざわいである。預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなたがたの先祖であったのだ。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たちは!君たちは預言者の記念碑を建てるが、その預言者を殺したのは君たちの先祖だからだ。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、自分の先祖が殺した預言者の碑を建てるから。 |
新共同 | あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。 |
NIV | "Woe to you, because you build tombs for the prophets, and it was your forefathers who killed them. |
11章48節 げに
口語訳 | だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから。 |
塚本訳 | それゆえ君たちは先祖がした(預言者殺しの)業の証人であり、またその賛成者である。先祖は殺し、君たちは(その記念碑を)建てるからだ。 |
前田訳 | あなた方は自分の先祖のわざの証人かつ支持者である、先祖は殺し、あなた方は碑を建てるから。 |
新共同 | こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。 |
NIV | So you testify that you approve of what your forefathers did; they killed the prophets, and you build their tombs. |
註解: マタ23:29−31はこれに類似しているけれども理路明白であるに反し、ルカ伝の記載方はやや難解である。その意味は「汝らは先祖たちが殺した預言者を尊敬する振りをして預言者の墓を建てているけれども、それは結局汝らの先祖の行いの記念碑になるわけである。もし真に汝らの祖先の行為を非とするならばかかる記念碑を建てる勇気はでないはずである。然るに汝らはこれを建てるのだから先祖の行為を是認する証拠である」。而してイエスは言外にさらに「その証拠に汝らは神の子とその弟子とを迫害するではないか」との意味を含ませていることは勿論である。
口語訳 | それゆえに、『神の知恵』も言っている、『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』。 |
塚本訳 | だから神の知恵も(預言して)言っている、『わたしが預言者や使徒を派遣すると、彼らはそのある者を殺し、また迫害するであろう。 |
前田訳 | それゆえ神の知恵もいった、『預言者や使徒をつかわすと、彼らはそのあるものを殺し、また迫害しよう』と。 |
新共同 | だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』 |
NIV | Because of this, God in his wisdom said, `I will send them prophets and apostles, some of whom they will kill and others they will persecute.' |
註解: 以下は旧約聖書よりの引用ではなく、恐らく旧訳の精神を取り、これに新約の事実をも加えてイエス自ら言い給える預言であろう。
われ
辞解
[逐い苦しめん] 「迫害せん」。
11章50節
口語訳 | それで、アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。 |
塚本訳 | これは、(こうして彼らが迫害する預言者の血だけでなく、)世の始めから流されたすべての預言者の血に対して、この時代が勘定を取られるためである、 |
前田訳 | これは、世のはじめから流されたすべての血に対してこの世代が跡始末させられるためである。 |
新共同 | こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。 |
NIV | Therefore this generation will be held responsible for the blood of all the prophets that has been shed since the beginning of the world, |
11章51節
口語訳 | そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。 |
塚本訳 | (すなわち、最初の殺人であった)アベルの血から、祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで(の血に対して。)』ほんとうに、わたしは言う、この時代(の君たち)は勘定を取られるであろう。 |
前田訳 | アベルの血から、祭壇と聖所との間で殺されたザカリヤの血にいたるまで。本当にいう、この世代は跡始末をさせられよう。 |
新共同 | それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。 |
NIV | from the blood of Abel to the blood of Zechariah, who was killed between the altar and the sanctuary. Yes, I tell you, this generation will be held responsible for it all. |
註解: マタ23:34−36参照。今の代すなわちイエスの言を聴きつつある代の人々はイエスを受けず、軈 てこれを殺すであろう。そしてイエスの福音を宣伝うる使徒たちをも迫害するであろう。かくして彼らはイエスに対する最大の罪を犯すことによって人類始まって以来、今日に至るまでのあらゆる流血の罪の報いをその身に受けるであろう。まことに恐るべきことである。
辞解
[アベルとザカリヤ] 旧約聖書の最初(創4:8−10)と最後(U歴24:20、21)の殺人事件を掲げて、全部を網羅したことにしたもの。
[今の代に糺 すべきなり、今の代は糺 さるべし] 双方とも原文同一で「血は・・・・今の代より追及されるであろう」となり「今の代に責任を追及すること」となる。
[▲聖所] 原語 oikos (家)でU歴24:21の「神の家」を指す。異本に「宮」 naos とあり。
11章52節
口語訳 | あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた」。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち律法学者!君たちは(神の国の)知識の鍵を取り上げて、自分も入らず、また入ろうとする者の邪魔をするからだ。」 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方律法学者、知識の鍵を取りあげて、自らも入らず、入ろうとするものを妨げるから」と。 |
新共同 | あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」 |
NIV | "Woe to you experts in the law, because you have taken away the key to knowledge. You yourselves have not entered, and you have hindered those who were entering." |
註解: マタ23:13参照。結局において教法師は知識の鍵を取去ってしまっている。知識の鍵はキリストであり、イエスをキリストと知ることによって宇宙の凡ての神秘は開かれ、神の知識が与えられる。然るにこのイエスを彼らは受けず、ついには迫害してこれを世より取去ってしまう(イザ53:8)。その結果彼らは神の国のことについて無知となり、自らはこれに入らず、入らんとする人をも禁止している結果となる。「禍害なるかな」である。
11章53節
口語訳 | イエスがそこを出て行かれると、律法学者やパリサイ人は、激しく詰め寄り、いろいろな事を問いかけて、 |
塚本訳 | イエスがそこを出てゆかれると、聖書学者とパリサイ人とは(イエスに対して)ひどく敵意をいだき、いろいろな質問をあびせ始めた。 |
前田訳 | 彼がそこを出られると、学者とパリサイ人はひどく反発し、たくさんの質問をあびせはじめた。 |
新共同 | イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、 |
NIV | When Jesus left there, the Pharisees and the teachers of the law began to oppose him fiercely and to besiege him with questions, |
11章54節 その
口語訳 | イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらいはじめた。 |
塚本訳 | あわよくば、その口から何か言葉質をとろうと狙っていたのである。 |
前田訳 | 彼の口から何かことばじりをとらえようとねらっていたのである。 |
新共同 | 何か言葉じりをとらえようとねらっていた。 |
NIV | waiting to catch him in something he might say. |
註解: 52節に至るまでのイエスの徹底的非難のために彼らの反イエス的感情は益々強くなってきた。そしてイエスを告訴する手掛りを求めて彼をして口を割らしめようと狙っていた。
辞解
[捉へる] thêreuô は漁師が獲物を捕えること。
[待構へる] endreuô はワナをかけること。
要義1 [パリサイ人・学者・教法師等の不信]宗教や律法に関する専門家ともいうべき彼らが、何故にイエスを受けず、イエスより最も激しき呪詛 の声を受けなければならなかったかというに、それは彼らは形式的宗教に満足して偽善に陥り、自己のみを義しとする心が強く、謙遜な心をもって真理を受納れないためである。真理に対する感受性の最も弱い者は、宗教を職業としている者である場合が多い。その故はその思想や用語や形式に慣れ過ぎ、その包含する真理をその充分な深さにおいて感じなくなるからである。従って彼らにとってはイエスの言も批判の対象となるだけで、イエスを信ずる態度に出るに至らなかった。また彼らの職業意識は、イエスにおいてその職業的敵手を見出したからである。最も詛われたもの、最も天国に遠い者は職業的宗教家や神学者であろう。
要義2 [今日のキリスト者とパリサイ人]37−52節のパリサイ人に対するイエスの非難は、今日のキリスト者とその教会に対して無関係であると考えてはならない。彼らの反省すべきは彼らが果して(1)38−41節のごとくに信者としての形式に満足して、心の姿を無視しはしないか、(2)また42節のごとく外的の義務に重点を置き過ぎて正義と愛の実行を忘れていないか、また(3)43節のごとく人の目に立派に見えるように体裁を作り、神の前に正しい者となることを軽視はせぬか、(4)また42節のごとく美しい雰囲気の中に包蔵される醜い心の姿が、何時の間にか教会内のキリスト者に感化を与えることがないか、また(5)46節のごとく信者に多くの義務を負わせるだけで、共に重荷を負うことが足りなくはないか、また(6)47−51節のごとく、知らずに真の預言者を迫害してはいないか、また(7)52節のごとく神を知る知識の鍵たる聖書の理解を自ら有たず、またこれを有たんとすることを妨げはしないか、等の諸点である。そして謙虚な心をもって反省する者は、何人もこのイエスの非難が今日のキリスト者にもそのまま適用し得ることを発見するであろう。