ルカ伝第14章
分類
8 神の国の教訓 14:1 - 18:30
8-1 神は弱き者を愛し給う 14:1 - 14:35
8-1-イ 安息日にも醫し給う 14:1 - 14:6
14章1節 イエス安息日に食事せんとて、或パリサイ人の頭の家に入り給へば、人々これを窺ふ。[引照]
口語訳 | ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。 |
塚本訳 | ある安息日に、パリサイ派に属する(最高法院の)ある役人の家に食事に(招かれて)行かれた時のこと、人々はひそかにイエスの様子をうかがっていた。 |
前田訳 | ある安息日に、パリサイ人である役人の家に食事に行かれたときのこと人々は彼を監視していた。 |
新共同 | 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。 |
NIV | One Sabbath, when Jesus went to eat in the house of a prominent Pharisee, he was being carefully watched. |
註解: 1−24節はこの宴会におけるイエスの御業および神の国についての教訓である。(1)パリサイ人(1節)、(2)招かれた者(7節)、(3)招きたる者(12節)、(4)同席の者(15節)、(5)一般の群衆(25節)に対しそれぞれの角度より見た神の国の真理を教え給うた。神の国に入る者は如何なるものであるか、如何にして入り得るかの問題についての教訓である。内1−14節はルカ伝特有の記事。この宴会にイエスは招かれ給うたのであろう。パリサイ人の頭で有力者であったので大きい会合であったものと思われる(7−11)。「これを窺ふ」は、イエスを陥れる機会を窺っていたとみるよりも、むしろ好奇心と冷やかな心で見守っていたのであった。かかる場合にもイエスは恐れることなく彼らの会合に加わり給うた。▲なお注意すべきことはイエスはここでも特に安息日を破り給うたその勇気と敵なるパリサイ人をも人間として嫌わず、隔てなくこれと交わり給うたことである。
14章2節 視よ、御前に水腫をわづらふ人ゐたれば、[引照]
口語訳 | するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。 |
塚本訳 | すると、水気をわずらった人がイエスの前にあらわれた。 |
前田訳 | すると見よ、水気の人が彼の前に現われた。 |
新共同 | そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。 |
NIV | There in front of him was a man suffering from dropsy. |
註解: パリサイ人がこの病者に対して何をイエスが為し給うかを見ようとてここに連れ出したものと思われる。
14章3節 イエス答へて教法師とパリサイ人とに言ひたまふ『安息日に人を醫すことは善しや、否や』[引照]
口語訳 | イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。 |
塚本訳 | イエスは自分の方から律法学者やパリサイ人たちに向かって口を切られた。「安息日に病気をなおすことは正しいか、正しくないか。」 |
前田訳 | イエスは自ら律法学者やパリサイ人らに向かっていわれた、「安息日にいやしをしてよいか、悪いか」と。 |
新共同 | そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」 |
NIV | Jesus asked the Pharisees and experts in the law, "Is it lawful to heal on the Sabbath or not?" |
14章4節 かれら默然たり。[引照]
口語訳 | 彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。 |
塚本訳 | 彼らが黙っていると、その人(の手)をつかんで、病気を直してお帰しになった。 |
前田訳 | 彼らは黙っていた。すると彼はその人の手をとって、いやして帰された。 |
新共同 | 彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。 |
NIV | But they remained silent. So taking hold of the man, he healed him and sent him away. |
註解: ルカ13:12、13の場合と異なり、イエスはパリサイ人らの「所置」に「答へて」先ず彼らに安息日に醫すことの可否を問い給うた。けれども彼らは答えなかった。この場合のパリサイ人らは積極的にイエスを陥れようとまではしていなかったらしい。
イエスその人を執り、醫して去らしめ、
14章5節 且かれらに言ひ給ふ『なんぢらの中その子あるひは其の牛、井に陷らんに、安息日には直ちに之を引揚げぬ者あるか』[引照]
口語訳 | それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。 |
塚本訳 | そして彼らに言われた、「あなた達のうちには、息子か牛かが井戸に落ちたとき、安息の日だからとてじきに引き上げてやらない者がだれかあるだろうか。」 |
前田訳 | そして彼らにいわれた、「子か牛が井戸に落ちたとき、安息日だからとてすぐ引きあげないものがあろうか」と。 |
新共同 | そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」 |
NIV | Then he asked them, "If one of you has a son or an ox that falls into a well on the Sabbath day, will you not immediately pull him out?" |
14章6節 彼等これに對して物言ふこと能はず。[引照]
口語訳 | 彼らはこれに対して返す言葉がなかった。 |
塚本訳 | 彼らはこれに対して返答ができなかった。 |
前田訳 | 彼らはそれに返事ができなかった。 |
新共同 | 彼らは、これに対して答えることができなかった。 |
NIV | And they had nothing to say. |
註解: ルカ13:15に比しこの比喩は一層強調されており、「子」を加えかつ「井に陥った」場合となっているが、精神には変りなし。イエスの全行動と二回の質問に対して全会衆は唯沈黙をもってこれに応えたのみであった。驚愕のためか反感のためか、これを判断する材料はないが、15節等より見ればおそらく好意と驚異の情をもって眺めたのであろう。
8-1-ロ 己を卑うせよ 14:7 - 14:11
14章7節 イエス招かれたる者の上席をえらぶを見、譬をかたりて言ひ給ふ、[引照]
口語訳 | 客に招かれた者たちが上座を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬を語られた。 |
塚本訳 | またイエスは招かれた人たちが上座を選ぶのに目をとめて、彼らに一つの譬を話された、 |
前田訳 | 彼は招かれた人々が上座を選ぶのに目をとめて、ひとつの譬えをいわれた、 |
新共同 | イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。 |
NIV | When he noticed how the guests picked the places of honor at the table, he told them this parable: |
註解: パリサイ人学者等は一般の人から尊敬され、自らも威厳を示そうとして上席をえらぶのが普通であった。イエスはこれを見てその事実の中に重大なる真理をさとりこれを説明し給うた。
14章8節 『なんぢ婚筵に招かるるとき、上席に著くな。恐らくは汝よりも貴き人の招かれんに、[引照]
口語訳 | 「婚宴に招かれたときには、上座につくな。あるいは、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。 |
塚本訳 | 宴会に招かれた時には、上座についてはいけない。あなたよりもえらい人が招かれていると、 |
前田訳 | 「婚宴に招かれたとき、上座につくな。あなたより偉い人が招かれていると、 |
新共同 | 「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、 |
NIV | "When someone invites you to a wedding feast, do not take the place of honor, for a person more distinguished than you may have been invited. |
14章9節 汝と彼とを招きたる者きたりて「この人に席を讓れ」と言はん。さらば其の時なんぢ恥ぢて末席に往きはじめん。[引照]
口語訳 | その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入って末座につくことになるであろう。 |
塚本訳 | あなた達を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかも知れない。その時あなたは恥ずかしい思いをして、下座に着かねばならない。 |
前田訳 | あなたとその人とを招いたものが来て、『この方に席をゆずってください』といおう。そのときあなたは恥じて下座に着こう。 |
新共同 | あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。 |
NIV | If so, the host who invited both of you will come and say to you, `Give this man your seat.' Then, humiliated, you will have to take the least important place. |
註解: 自らを他人よりも高しと思うのは一般の人情である。たといこの比喩のごとくに外部に表れない場合でも、心の中で他人を卑しめつつ自らを高しとする者は非常に多い。かかる人は神の国の宴においてこの客のごとくに恥じなければならないであろう。「末席」とあるに注意すべし。これが社会的実情でもあるが、同時に霊的真理を示す。
14章10節 招かるるとき、寧ろ往きて末席に著け、さらば招きたる者きたりて「友よ、上に進め」と言はん。その時なんぢ同席の(凡ての)者の前に譽あるべし。[引照]
口語訳 | むしろ、招かれた場合には、末座に行ってすわりなさい。そうすれば、招いてくれた人がきて、『友よ、上座の方へお進みください』と言うであろう。そのとき、あなたは席を共にするみんなの前で、面目をほどこすことになるであろう。 |
塚本訳 | 招かれた時には、むしろさっさと下座にすわりなさい。そうすればあなたを招いた人が来て、『友よ、もっと上の方に進みください』と言う時に、満座の中で面目をほどこすであろう。 |
前田訳 | 招かれたときは進んで下座にすわりなさい。そうすればあなたを招いたものが来て、『友よ、もっと上座にお進みを』というとき、あなたは同席のもの皆の前で面目をほどこそう。 |
新共同 | 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。 |
NIV | But when you are invited, take the lowest place, so that when your host comes, he will say to you, `Friend, move up to a better place.' Then you will be honored in the presence of all your fellow guests. |
註解: 末席が自らにとって最も相応しい場所であると思い、かく振舞うものは、神より誉れを受けるであろう。神の前では、我らは凡ての人の最下位に坐し、凡ての人の僕としてこれに仕えることが必要である。自己の罪の大きさを知る者は、他人と自己とを比較して自分が優っていると考え、また人をしてかく考えしめることができない。「罪人のうち我は首なり」(Tテモ1:15)がパウロのみならず凡てのキリスト者の心である。それ故自らは凡ての人の最下位に坐すべきものであると考えるのが自然である。
14章11節 凡そおのれを高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり』[引照]
口語訳 | おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。 |
塚本訳 | 自分を高くする者は皆低くされ、自分を低くする者は高くされるのである。」 |
前田訳 | だれでも、自らを高めるものは低められ、自らを低めるものは高められる」と。 |
新共同 | だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」 |
NIV | For everyone who exalts himself will be humbled, and he who humbles himself will be exalted." |
註解: 己を他人よりも高いものと考えること、そのことの中に神の前に大きい罪と過ちとを犯していることを知らなければならぬ。人間は皆神の前に平等である。等しく罪人であり、等しく神の救いによらなければならない者である。自己に少しでも価値ありと考える者は罪のあがないを必要と考えない者であり、神に拒まれる者である。「神は高ぶる者を拒ぎ謙遜る者に恩恵を与え給ふ」(ヤコ4:6)。人はみな罪人の首であり、凡ての人の最下位に坐する心を持つべきである。かかる者のみが神によって高うせられるであろう。
要義 [パリサイ人の誇り]イエスがこの宴席に招かれ、多くのパリサイ人の間に伍して深く感じ給うたことはパリサイ人、教法師らが、自らを高しとする心および態度であった。律法主義者、道徳家、学者らは、みな自己の道徳や学問の価値をもって自ら他よりも優っていると誇り、この誇りをもって神の前に立とうとしているのである。しかし、神の目より見れば、彼ら自身の価値は毫も誇るに足らず、その誇りはかえって彼らの罪を重くするだけである。かかる誇りほど人を滅びに導くものはない。厳密に言えば凡ての人にこの種の誇りがあり、そのために謙ってイエスを受納れることができない。イエスがこの婚筵の比喩をもってパリサイ人に語り給うたことは、勿論単なる宴席の儀礼の問題ではなく、パリサイ人らの高慢の問題であり、イエスを拒む態度がその高慢に在ることを知らしめ給うたのであった。
8-1-ハ 弱者を愛せよ 14:12 - 14:14
14章12節 また己を招きたる者にも言ひ給ふ『なんぢ晝餐または夕餐を設くるとき、朋友・兄弟・親族・富める隣人などをよぶな。恐らくは彼らも亦なんぢを招きて報をなさん。[引照]
口語訳 | また、イエスは自分を招いた人に言われた、「午餐または晩餐の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼を受けることになるから。 |
塚本訳 | また自分を招いた人にも言われた、「朝飯や夕飯の会を催す時には、友人も、兄弟も、親族も、近所の金持も呼ぶな。そうでないと、その人たちもあなたを招待してお返しをするかも知れない。 |
前田訳 | 彼は自分を招いた人にもいわれた、「昼食や夕食の会を開くとき、友だちも兄弟も親族も近くの金持も招くな。さもないと、彼らのほうでもあなたを招いてお返しをしよう。 |
新共同 | また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。 |
NIV | Then Jesus said to his host, "When you give a luncheon or dinner, do not invite your friends, your brothers or relatives, or your rich neighbors; if you do, they may invite you back and so you will be repaid. |
14章13節 饗宴を設くる時は、寧ろ貧しき者・不具・跛者・盲人などを招け。[引照]
口語訳 | むしろ、宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい。 |
塚本訳 | 御馳走をする時には、むしろ貧乏人、片輪、足なえ、盲人を招きなさい。 |
前田訳 | ふるまいをするときは、貧乏人、不具の人、足なえ、目しいを招きなさい。 |
新共同 | 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。 |
NIV | But when you give a banquet, invite the poor, the crippled, the lame, the blind, |
14章14節 彼らは報ゆること能はぬ故に、なんぢ幸福なるべし。正しき者の復活の時に報いらるるなり』[引照]
口語訳 | そうすれば、彼らは返礼ができないから、あなたはさいわいになるであろう。正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。 |
塚本訳 | この人たちはお返しができないから、あなたは幸いである。(最後の日)義人の復活の時に、あなたは(神から)お返しをうけるのだから。」 |
前田訳 | そうすればあなたはさいわいである。この人たちはお返しができないから。義人の復活のとき、あなたはお返しを受けよう」と。 |
新共同 | そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」 |
NIV | and you will be blessed. Although they cannot repay you, you will be repaid at the resurrection of the righteous." |
註解: 現世において報いを得るの予想をもってする行為は、無意味である。「汝ら、すでにその報いを得たり」(マタ6:5、マタ6:16)。それよりもむしろ貧者、不具者、跛者、盲人等全く報いをする力の無い人、人々に嫌われる人を招くべきである。すなわちそれらの人を愛しこれに奉仕し、これを幸福ならしむべきである。かかる慈悲の行為は、現世では全く報いられない。それだけこれを行う人の心は神の喜び給う処であって、その人はそれだけ幸福である。神は義人の復活の時、すなわちイエスの再臨の日に彼らに報い給うであろう。我らのこの世における幸福はその為したことがこの世において報いられるや否やによって決定されず、弱者、貧者、病者等、この世の人から顧みられない人に対する無報酬の愛をもって行動すること、そのことにおいて幸福を享有すべきである。この比喩もルカ特有の資料が残されたのであって、イエスを招いた主人に対する力強い批判であり警告であった。これに対して主人は如何なる印象を与えられたかについては録されていない。おそらく反感は有たなかったのであろう。次節の空気がこの事実を反映する。なおこの教訓は神が罪人を招き給う態度も全くそのごとくであることを示し給うたのであることをも見逃してはならない。神は自らに満ち足っている者を招かず貧者弱者を招き給う(ルカ5:31)。
要義 [習俗に対する反省]風俗習慣となって固定しているものは、多くの場合何らの批判もなく行われやすい。それが悪風、悪習にあらざる限り、別格の害があるわけではないが、その代りにさらに善き行為を為し得る機会は甚だ多いことを考えなければならぬ。かかるヨリ善き行為の機会が多く存しているにもかかわらず、これを行わないのは、一つは単に旧習慣を固守しているからであり、一つは自己の損失とならない程度に行動することを欲するからである。この後者に対し、イエスは警告を与え、地上における現世的報償を超越した行為を為すべきことを教え給うた。人間は現代を超越するだけでは足らず、この世の生活全体を超越して神の国に生き、神よりの報いを望む生活に入らなければならぬ。
8-1-ニ 神の国の招宴に応ずる者 14:15 - 14:24(マタ22:1-10)
14章15節 同席の者の一人これらの事を聞きてイエスに言ふ『おほよそ神の國にて食事する者は幸福なり』[引照]
口語訳 | 列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。 |
塚本訳 | これを聞いて、ひとりの客がイエスに言った、「神の国で食事のできる者は、なんと幸いでしょう。」 |
前田訳 | 相客のひとりがこれを聞いて彼にいった、「さいわいなのは神の国で食事できる人」と。 |
新共同 | 食事を共にしていた客の一人は、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。 |
NIV | When one of those at the table with him heard this, he said to Jesus, "Blessed is the man who will eat at the feast in the kingdom of God." |
註解: この人もパリサイ人の一人であろう。この人はイエスの教訓を聞きつつ、復活の時に神の国にて食事をする者の幸福に念が及んだ。これは彼にとって善き思い付きであったけれども、如何なる人が神の国の宴に就き得るかについて、彼の考えは足らなかった。それゆえイエスは彼のこの言を捉えて、さらに新しい真理すなわち如何なる人が神の国の宴に坐し得るやを教え給うた。ただしルカ13:22−30の場合はユダヤ人と異邦人との差別を示し、本節以下の比喩は、パリサイ人らとユダヤ人の中の罪人らおよび異邦人中より召される者との差を示す。
14章16節 之に言ひたまふ『或人、盛なる夕餐を設けて、多くの人を招く。[引照]
口語訳 | そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。 |
塚本訳 | その人に言われた、「(そのとおり。しかしこの譬を聞きなさい。)ある人が大宴会を催して大勢(の客)を招いた。 |
前田訳 | その人にいわれた、「ある人が大夕食会を開いて、大勢を招いた。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、 |
NIV | Jesus replied: "A certain man was preparing a great banquet and invited many guests. |
14章17節 夕餐の時いたりて、招きおきたる者の許に僕を遣して「來れ、既に備りたり」と言はしめたるに、[引照]
口語訳 | 晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。 |
塚本訳 | 宴会の時刻になったので、一人の僕をやって招いた人たちに、『お出でください、もう用意ができています』と言わせると、 |
前田訳 | 会の時間になったので僕をつかわして招いた人々に『おいでください。もう用意ができました』といわせた。 |
新共同 | 宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。 |
NIV | At the time of the banquet he sent his servant to tell those who had been invited, `Come, for everything is now ready.' |
14章18節 皆ひとしく辭りはじむ。初の者いふ「われ田地を買へり。往きて見ざるを得ず。請ふ、許されんことを」[引照]
口語訳 | ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。 |
塚本訳 | 皆が異口同音にことわり始めた。第一の人は言った、『畑を買ったので見に行かねばなりません。どうか失礼させてください。』 |
前田訳 | すると皆がそろって断わりはじめた。第一の人がいった、『畑を買ったので見に行かねばなりません。どうぞご勘弁を』と。 |
新共同 | すると皆、次々に断った。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。 |
NIV | "But they all alike began to make excuses. The first said, `I have just bought a field, and I must go and see it. Please excuse me.' |
14章19節 他の者いふ「われ五耜の牛を買へり、之を驗すために往くなり。請ふ、許されんことを」[引照]
口語訳 | ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、 |
塚本訳 | 次の人は言った、『五対の牛を買ったので、いま改めに行くところです。どうか失礼させてください。』 |
前田訳 | 次の人がいった、『牛を五対買ったのでしらべに行きます、どうぞご勘弁を』と。 |
新共同 | ほかの人は、『牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。 |
NIV | "Another said, `I have just bought five yoke of oxen, and I'm on my way to try them out. Please excuse me.' |
14章20節 また他も者いふ「われ妻を娶れり、此の故に往くこと能はず」[引照]
口語訳 | もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。 |
塚本訳 | もう一人の人は言った、『家内をもらったばかりで、行かれません。』 |
前田訳 | もうひとりがいった、『妻をめとりましたので行けません』と。 |
新共同 | また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。 |
NIV | "Still another said, `I just got married, so I can't come.' |
註解: この夕餐は天国の饗宴の比喩である。「招きおきたる者」(17節)はモーセの律法を教えられこれを守ろうとしている人と考えるべきであろう。一般にこれらの人が神の国に入る人と考えられていた。いよいよ準備が出来上がって主人なるイエスは招いておいた人々の処に使いを遣して準備が出来たことを告げてその出席を求めた。「神の国は近付けり悔改めよ」の叫びは天国の招宴への召集の叫びである。然るにいよいよこの招待が来ると、予じめ招かれていた多くの人はその出席を拒んだ。その理由は、農業(18節)・牧畜(19節)・結婚(20節)等凡てこの世の生活に関する処のものであった。彼らはこの世の生活事情に妨げられて、天国の宴への招きを辞退したのであった。神の国に相応しきものはこの世の凡ての慾に打克ち、唯神とイエスとのみに従うものでなければならぬ。
14章21節 僕かへりて此等の事をその主人に告ぐ、[引照]
口語訳 | 僕は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなどを、ここへ連れてきなさい』。 |
塚本訳 | 僕がかえって来てそのことを主人に報告すると、主人は怒って僕に言った、『大急ぎで町の大通りや路地へ行って、貧乏人や片輪や盲人や足なえをここにつれて来なさい。』 |
前田訳 | 僕が帰ってそれを主人に告げると、主人は怒って僕にいった、『すぐ町の大通りや小道へ行って、貧乏人や不具の人や目しいや足なえをここに連れて来い』と。 |
新共同 | 僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』 |
NIV | "The servant came back and reported this to his master. Then the owner of the house became angry and ordered his servant, `Go out quickly into the streets and alleys of the town and bring in the poor, the crippled, the blind and the lame.' |
註解: イエスがその弟子たちの伝道の経験からもこのことを聞いた。
家主いかりて僕に言ふ「とく町の大路と小路とに往きて、貧しき者・不具者・盲人・跛者などを此處に連れきたれ」
註解: 神の招きに応じないこと、しかも予め招かれている者が来なかったことは家主なるイエス・キリストにおいて大なる失望であり、大なる怒りを禁じ得なかった。それ故にその招きは罪人として軽視され、神の国に入り得べからざる人々と考えられていた人たち、すなわちユダヤ人の中で最も天国に縁が無いと考えられた人々に及んだのであった。「遊女と取税人とは汝らに先立ちて神の国に入るべし」とイエスが言い給うたのもこの意味である。天国の宴が貧者・不具者・盲人・跛者などの集会であることは何という意外なことであろう。しかしそこにこそ神の愛と、悔改めて神の招きに応じた者との真の価値があるのである。これらの無価値なる者にして、始めて神の国に入ることができる。
14章22節 僕いふ「主よ、仰のごとく爲したれど、尚ほ餘の席あり」[引照]
口語訳 | 僕は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。 |
塚本訳 | やがて僕が(かえって来て)言った、『御主人、仰せのとおりにしましたが、まだ席があります。』 |
前田訳 | やがて僕がいった、「ご主人、仰せのとおりにしましたが、まだ席があります」と。 |
新共同 | やがて、僕が、『御主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、 |
NIV | "`Sir,' the servant said, `what you ordered has been done, but there is still room.' |
14章23節 主人、僕に言ふ「道や籬の邊にゆき、人々を強ひて連れきたり、我が家に充たしめよ。[引照]
口語訳 | 主人が僕に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。 |
塚本訳 | 主人が僕に言った、『田舎道や垣根のところに行き、(そこにいるひとたちに)無理にも来てもらって、家をいっぱいにしなさい。』 |
前田訳 | 主人が僕にいった、『道や垣根のあたりに出かけて、人々を無理に来させなさい。わが家がいっぱいになるように』と。 |
新共同 | 主人は言った。『通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。 |
NIV | "Then the master told his servant, `Go out to the roads and country lanes and make them come in, so that my house will be full. |
註解: 天国の宴会場は広い(ヨハ14:2)。それ故イエス・キリストは僕に命じて異邦人をも宴席に加わらしめ給うた。「道や籬」は「町」の外を意味するのであろう。「強ひて」は暴力をもっての意味ではなく、彼らを拒み得ざるまでにすすめて連れ来ることであろう。あるいは疾病その他の苦難を人間に与え、あるいは社会的苦難や不幸などによって人間の反省を促し、神に引付け給うことは、「強ひて」夕餐に招き給う方法であると見ることができよう。かくして神はその宴席に必要な数をもって満し給う(ロマ11:25)。救いが異邦人に及んだのはユダヤ人の不信のためであった(ロマ11:11、12)。
14章24節 われ汝らに告ぐ、かの招きおきたる者のうち、一人だに我が夕餐を味ひ得る者[なし](なからん)」』[引照]
口語訳 | あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。 |
塚本訳 | ──あなた達に言う、(神の国もこのとおり。最初に)招いた人たちで、わたしの宴会に連なる者は一人もあるまい。」 |
前田訳 | わたしはいう、招かれた人々のうちからはひとりもわが夕食会につらなるまい」と。 |
新共同 | 言っておくが、あの招かれた人たちの中で、わたしの食事を味わう者は一人もいない。』」 |
NIV | I tell you, not one of those men who were invited will get a taste of my banquet.'" |
註解: 始めに招かれた者は安心して夕餐に与り得ると思ったのであろうけれども、いよいよその時となって彼らはこれを味わい得なかった。自分たちだけが救われると思っているパリサイ人や学者らはこのイエスの御言によって深く反省せしめられたことであろう。(▲しかしまた他面イエスに対して反感を持つに至った者も有ったであろう。パリサイ人のごとく自らを高しとする者は常に真理に反撥する。)自ら勝手に標準を作り、これに叶うことによって天国に入り得ると考える信仰ほど危険なものはない。イエスを外にして他に天国への門は無いからである。なお注意すべきことは最後にイエスはこの夕餐を「わが夕餐」と称したことである。問うに落ちず語るに落ちた形で、イエスは始めより天国の宴の主人はイエス自身であり、イエスの招きを拒みイエスを信ぜざる者が天国に入り得ないことを教えんとし給うたのであったことがわかる。なお15−24節とママタ22:1−10とは似寄っているけれども意味は異なっている。
要義 [異邦人の救い]15−24節の比喩は罪人および異邦人の救いに関するロマ5:20および9−11章を思い出さしめるものがある。イエスによる救いが人類的であり、そしてそれが律法的正義によらず、信仰によって神に来る罪人の救いだからである。この比喩の中にもユダヤ人の不信、殊にパリサイ人や学者等の階級の人々の不信に対するイエスの燃ゆるがごとき憤懣があらわれているのであるが、また同時にそれが神の救いの奇しき経綸であることも表れている。神は凡てのものを御自身の栄光のために用い給う。
8-1-ホ イエスに従うことの困難 14:25 - 14:35(マタ10:37-38)
14章25節 さて大なる群衆イエスに伴ひゆきたれば、[引照]
口語訳 | 大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、 |
塚本訳 | 大勢の群衆がイエスと一しょに旅行をしていると、振り向いて言われた、 |
前田訳 | 大勢の群衆が彼のお伴をしていると、振り向いていわれた、 |
新共同 | 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。 |
NIV | Large crowds were traveling with Jesus, and turning to them he said: |
註解: 次ぎは宴席を終えて外に出た時の光景と見るべきであろう。場所はおそらくペレアならんか(Z0)。
顧みて之に言ひたまふ、
14章26節 『人もし我に來りて、その父母・妻子・兄弟・姉妹・己が生命までも憎まずば、我が弟子となるを得ず。[引照]
口語訳 | 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。 |
塚本訳 | わたしの所に来て、その父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、なおその上に、自分の命までも憎まない者は、だれもわたしの弟子になることは出来ない。 |
前田訳 | 「わたしのところに来て、おのが父と母と妻と子と兄弟と姉妹と、さらにおのがいのちまでも憎まぬものは、わが弟子ではありえない。 |
新共同 | 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。 |
NIV | "If anyone comes to me and does not hate his father and mother, his wife and children, his brothers and sisters--yes, even his own life--he cannot be my disciple. |
註解: イエスの弟子となろうと思って彼の許に来る者は、自己の生命は勿論のことその肉親をも「憎む」のでなければならない。人間は自然のままでは自己中心的であり、本能、私慾が彼を支配する。肉親の愛もこの本能から生じ、私慾私情がこれに附随する。この人間の自然性は神中心の心、イエスに従う心に対して反対の方向に働く。真にイエスに従わんと欲する者は、必然の結果としてこの自然性の反抗に対して聖なる憎をいだく。この憎みは勿論自己中心の、利害本位の、または人情的の憎悪ではない。自然性それ自身に対する憎悪でなければならぬ。しかし真にイエスのみを愛しその弟子となる者はまたその聖愛をもって父母・兄弟、および己が生命をすら愛するに至る。
辞解
[己が生命までも] 原語で「猶又己が生命をも」である。
[憎む] 上記のごとくに解すべきで、これを「少なく愛する」とか「愛せず」と同じ意味に薄めることは不可である。▲それ故原語「憎む」を「捨てる」と口語に訳したのは原文の妙味を失ってしまう。
14章27節 また己が十字架を負ひて我に從ふ者ならでは、我が弟子となるを得ず。[引照]
口語訳 | 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。 |
塚本訳 | 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることは出来ない。 |
前田訳 | おのが十字架を負ってわたしについて来ないものは、わが弟子ではありえない。 |
新共同 | 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。 |
NIV | And anyone who does not carry his cross and follow me cannot be my disciple. |
註解: (マタ10:38。マタ16:24。その他参照)イエスの弟子となる者は、イエスの受くる苦難を共に受けなければならない。それが弟子の負うべき十字架である。世はイエスを憎む、それはイエスは世の罪を指摘し給うからである。同様に世は弟子たちを憎む故に迫害が必ず彼らに及び、それが彼らの負う十字架となる。これを欲しない者はイエスの弟子とはなり得ない。
辞解
「また己が十字架を負わずして我に従う者は・・・・」と訳すこともできる(B1)。
要義 [イエスの弟子となることの困難]イエスの弟子となるには26、27節の示すごとく、一方凡ての人間が愛着してやまない肉親や自己に対する徹底的憎悪、他面に信仰生活に必ず伴う苦難の十字架の二者を覚悟しなければならぬ。自然人の好む処のものを憎み、最も嫌う処のものを自己に引受ける覚悟が必要である。このことを決心することなしに、軽々しくイエスの弟子とならんとする者は、必ず中途で脱落する。
14章28節 汝らの中たれか櫓を築かんと思はば、先づ坐して其の費をかぞへ、己が所有、竣工までに足るか否かを計らざらんや。[引照]
口語訳 | あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。 |
塚本訳 | (このように、わたしの弟子になるには最初の覚悟が必要である。)なぜか。(次の譬を聞きなさい。)あなた達のうちには櫓を建てようと思うとき、まず坐って、はたして造りあげるだけの金があるかと、その入費を計算しない者がだれかあるだろうか。 |
前田訳 | あなた方のだれかがやぐらを建てようと思うとき、まずすわって、仕上げに十分な金があるかと、費用を数えないか。 |
新共同 | あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。 |
NIV | "Suppose one of you wants to build a tower. Will he not first sit down and estimate the cost to see if he has enough money to complete it? |
14章29節 然らずして基を据ゑ、もし成就すること能はずば、見る者みな嘲笑ひて、[引照]
口語訳 | そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、 |
塚本訳 | そうしないで、土台をすえただけで完成ができないと、見る人が皆、 |
前田訳 | さもないと、土台を据えただけで完成できず、見るものが皆こういって笑おう、 |
新共同 | そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、 |
NIV | For if he lays the foundation and is not able to finish it, everyone who sees it will ridicule him, |
14章30節 「この人は築きかけて成就すること能はざりき」と言はん。[引照]
口語訳 | 『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。 |
塚本訳 | 『あの人は建てかけたが、完成できなかった』と言って笑うであろう。 |
前田訳 | 『この人は建てかけたが完成できなかった』と。 |
新共同 | 『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。 |
NIV | saying, `This fellow began to build and was not able to finish.' |
註解: (28−33節はルカの特有)櫓を築くことのごときこの世の普通の事柄でも、その終局までを考慮に入れて自己の資力で竣工し得るや否やを考えて着手するのが当然の態度である。況してイエスの弟子となるというごとき重大な問題は、その最も困難な場合をも考慮に入れた上に決心しなければならぬ。然らざれば半途で挫折して人の物笑となるか(29節)または30節のごとく不徹底な役に立たぬものとなって外に棄てられてしまうであろう。▲▲文語訳の「櫓」が口語訳では「邸宅」となっている。purgos は高い塔で防衛または警備のために用いるもの。普通の邸宅ではない。
14章31節 又いづれの王か出でて他の王と戰爭をせんに、先づ坐して、此の一萬人をもて、かの二萬人を率ゐ(て進み)きたる者に對ひ得るか否か籌らざらんや。[引照]
口語訳 | また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。 |
塚本訳 | また、ある王が他の王と戦いを交えようとする時には、まず坐って、(自分の)一万(の兵)で、二万(の兵)を率いてすすんで来る敵をむかえ撃てるかどうかを考えないだろうか。 |
前田訳 | また、ある王がほかの王と戦いを交えに行くとき、まずすわって、二万人で向かい来る敵を一万人で迎えうてるかと考えないか。 |
新共同 | また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。 |
NIV | "Or suppose a king is about to go to war against another king. Will he not first sit down and consider whether he is able with ten thousand men to oppose the one coming against him with twenty thousand? |
14章32節 もし及かずば、敵なほ遠く隔るうちに、使を遣して和睦を請ふべし。[引照]
口語訳 | もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。 |
塚本訳 | そして、もしかなわないと見たら、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を派遣して講和を申し出るであろう。 |
前田訳 | もしかなわねば、敵がまだ遠いうちに使いをやって和を請おう。 |
新共同 | もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。 |
NIV | If he is not able, he will send a delegation while the other is still a long way off and will ask for terms of peace. |
註解: この比喩は28−30節の比喩と同じく、二倍も優勢な敵が攻撃して来、半分の兵力をもってこれに対抗し得ないことが明白である場合は、戦うことをせずに和を講ずることが必要であること。すなわち不可能な戦を始めないのが賢明であることを示す。これら二つの比喩をもって明かであるように、自分で成し遂げる力が無い者はこれを始むべきではないと同様、イエスの弟子となる者も26、27節の困難を考慮に入れ、これらの困難にたえ得ないことが明かな者はイエスの弟子となり得ないことを知るべきである。
辞解
[和睦を請うべし] 「降参すべし」と訳する説あり(L2)。
14章33節 かくのごとく、汝らの中
(誰にても)
その一切の所有を退くる者ならでは、我が弟子となるを得ず。[引照]
口語訳 | それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。 |
塚本訳 | だから同じように、(家族や財産など)一切合切、自分のものと別れなければ、あなた達のだれ一人、わたしの弟子になることは出来ない。 |
前田訳 | このように、あなた方はだれでも、おのがものすべてと別れねば、わが弟子ではありえない。 |
新共同 | だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」 |
NIV | In the same way, any of you who does not give up everything he has cannot be my disciple. |
註解: 本節は前二つの比喩の結論で、誰でも自己の凡ての所有 ─ 物質的所有も精神的所有も悉く ─ から離れる者でなければイエスの弟子となることができないことを示す。すなわち自己の心を惹きつけ、これを支配するあらゆるもの、肉親も、財産も名誉も凡てを棄て去って苦難の十字架を負うことがイエスの弟子としての必要条件である。
14章34節 鹽は善きものなり、然れど鹽もし效力を失はば、何によりてか味つけられん。[引照]
口語訳 | 塩は良いものだ。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。 |
塚本訳 | だから、(それは塩に似ている。)塩はよいもの。しかし塩でももし馬鹿になったら、何で(もう一度)塩気がつけられるか。 |
前田訳 | 塩はよいものである。しかし塩もきかなくなれば、何で塩づけられよう。 |
新共同 | 「確かに塩は良いものだ。だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。 |
NIV | "Salt is good, but if it loses its saltiness, how can it be made salty again? |
14章35節 土にも肥料にも適せず、外に棄てらるるなり。聽く耳ある者は聽くべし』[引照]
口語訳 | 土にも肥料にも役立たず、外に投げ捨てられてしまう。聞く耳のあるものは聞くがよい」。 |
塚本訳 | 畑にも肥料にも役立たず、外に捨てられるばかりである。(わたしの弟子もそのとおり。)耳のきこえる者は聞け。」 |
前田訳 | 畑にも肥料にも役立たず、外に捨てられよう。聞く耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | 畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。聞く耳のある者は聞きなさい。」 |
NIV | It is fit neither for the soil nor for the manure pile; it is thrown out. "He who has ears to hear, let him hear." |
註解: マタ5:18参照。イエスの弟子は地の鹽である。然るに弟子にしてもし26、27節の条件に適せず、28−32節のの比喩のごとくに半途にしてその態度を変更するならば、それは味を失った鹽であって何の役にも立たない。鹽にも土にも肥料にもならない。味を失った不徹底のキリスト者は未信者ほどの役にも立たない。勿論キリストの弟子とは称し得ない。キリスト者にも棄てられこの世にも棄てられてしまう。
要義 「味を失える鹽」キリスト者はこの世に対して味を持たなければならぬ。また鹽は世の腐敗を防止する力を有つ。これらの作用を失う場合、鹽はもはや鹽ではなく、キリスト者はもはやキリスト者ではない。そして鹽としてその味を失わない方法は、26、27節のごとくにイエスに従うことに徹底し、己が十字架を負うてイエスの弟子となることより外にない。困難であるが、この以外の道をもってはイエスの弟子とはなり得ない。世俗的教会は結局この世に履み付けられるより外にないであろう。
ルカ伝第15章
8-2 神の国に関する比喩 15:1 - 16:31
8-2-イ 迷える羊の比喩 15:1 - 15:7
(マタ18:13-14)
15章1節 取税人、罪人ども、みな御言を聽かんとて近寄りたれば、[引照]
口語訳 | さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。 |
塚本訳 | さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。 |
前田訳 | 取税人や罪びとが皆彼の近くに集まって耳傾けようとしていた。 |
新共同 | 徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。 |
NIV | Now the tax collectors and "sinners" were all gathering around to hear him. |
註解: これまでルカの旅行記の中でイエスの御言を聞くことができた人々は弟子たちの外、
教法師(ルカ10:25。ルカ11:45)、群集(ルカ11:14。ルカ12:13。ルカ13:1。ルカ14:25)、パリサイ人(ルカ11:37、ルカ13:31。ルカ14:1)
等であったが、本章は転じて取税人、罪人らに向って語り給う。本章三つの比喩は、何れもこの相手の性質に相応しいものである。すなわち「失せたる羊」(3−7)「失せたる銀貨」(8−10)および「放蕩息子」(11−32)である。この三つをそれぞれ愚かなる罪人、罪を犯してそれを知らずにいる者、故意に罪を犯したる者(B1)を代表すると解することができ、また第一は神の愛の目的、第二は神の価値認識の目的、第三は無価値なる者をも愛し給う神の愛とも解することができる。
15章2節 パリサイ人・學者ら呟きて言ふ、『この人は罪人を迎へて食を共にす』[引照]
口語訳 | するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。 |
塚本訳 | パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」 |
前田訳 | しかしパリサイ人と学者らはつぶやいた、「この人は罪びとを迎えて食事を共にする」と。 |
新共同 | すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 |
NIV | But the Pharisees and the teachers of the law muttered, "This man welcomes sinners and eats with them." |
註解: 罪人とは学者やパリサイ人らが、律法に対して厳格に振舞わない一般人を指す称呼であった。パリサイ人らは自己をそれらとは別人種のごとくに考え、彼らと食事を共にすることを忌み嫌っていた。然るにイエスは平気で彼らと交わり給うた故、パリサイ人らの反対を受けた。この二種の人々の何れのためにイエスはこの世に来り給うたか、またこの種の人々の何れが果して救われるかの問題について、イエスは次の比喩をもって驚くべき真理を発表し給うた。結局救いにもっとも遠い者はパリサイ人、学者らであることが間接に明らかにされた。
15章3節 イエス之に譬を語りて言ひ給ふ、[引照]
口語訳 | そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、 |
塚本訳 | そこで彼らにつぎの譬を話された。 |
前田訳 | そこで彼らにこの譬えをいわれた、 |
新共同 | そこで、イエスは次のたとえを話された。 |
NIV | Then Jesus told them this parable: |
15章4節 『なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。[引照]
口語訳 | 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 |
塚本訳 | 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。 |
前田訳 | 「あなた方のだれかが羊を百匹持っていて、その一匹を失ったとき、九十九匹を荒野に置いて、失われた一匹を見つけるまで探し歩かないか。 |
新共同 | 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。 |
NIV | "Suppose one of you has a hundred sheep and loses one of them. Does he not leave the ninety-nine in the open country and go after the lost sheep until he finds it? |
註解: 羊群は聖書においてしばしば神の民としてのイスラエルを意味している。従ってその羊群の所有者は神である。百匹中の一匹であるから失せても問題ではないと思う者は誤りである。神の愛はその一匹を尋ね出すまでは休むことができない。「神は唯一人の亡ぶことをも望み給わず」(Uペテ3:9)九十九匹を野に残してその失せたる一匹の捜索に全力を尽くす。かかる神の愛の対象となっているのはパリサイ人や学者ではなく罪人、取税人、遊女などである。
15章5節 遂に見出さば、喜びて之を己が肩にかけ、[引照]
口語訳 | そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 |
塚本訳 | そして見つけると、喜んで肩にのせて、 |
前田訳 | 見つけると、よろこんで肩にのせ、 |
新共同 | そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、 |
NIV | And when he finds it, he joyfully puts it on his shoulders |
15章6節 家に歸りて其の友と隣人とを呼び集めて言はん「我とともに喜べ、失せたる我が羊を見出せり」[引照]
口語訳 | 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 |
塚本訳 | 家にかえり、友人や近所の人たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。いなくなっていたわたしの羊が見つかったから』と。 |
前田訳 | 家に帰って友だちや隣びとを呼び集めていおう、『いっしょにおよろこびください。失われた羊を見つけましたから』と。 |
新共同 | 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。 |
NIV | and goes home. Then he calls his friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost sheep.' |
註解: 己の肩にのせるのは愛情と喜びの表れである。イエスに見出されて家につれ帰られることは、神に叛ける罪人がイエスによって救われて再び神との交わりに入り神の国の一員となることに相当する。これは単に所有者全家の喜びであるのみならず、その友人や隣人までも喜ぶのであって、天における神の御座の周囲全体に歓喜が充ち渡ることの比喩と見ることができる。
15章7節 われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のためには、悔改の必要なき九十九人の正しき者にも勝りて、天に歡喜あるべし。[引照]
口語訳 | よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。 |
塚本訳 | わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、悔改める必要のない九十九人の正しい人以上の喜びが、天にあるのである。 |
前田訳 | わたしはいう、このように、ひとりの罪びとが悔い改めると、悔い改めなくてもよい九十九人の正しい人にまさって天によろこびがあろう。 |
新共同 | 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 |
NIV | I tell you that in the same way there will be more rejoicing in heaven over one sinner who repents than over ninety-nine righteous persons who do not need to repent. |
註解: 神は一人の罪人にその全愛を注ぎ給う。人間の社会においては無用有害の徒と見られている罪人が、かくも神の愛の目的となっていることは、イエスによって明らかにされた重大なる真理であった。これはイエス自身が罪人をかくなし給うたからである。「悔改の必要なき九十九の正しき者」をすでに悔改めて神の国にいる人々(B1)と解することはルカ5:32(マタ9:13。マコ2:17)より見るも正しくない。イエスはここでは一般の常識的判断を標準として論じ、常識的に見て亡ぶべき者と考えられている者が神の愛と救いの対象であることを強調したのであって、一般に「悔改の必要なき正しき者」と考えられている者が厳密なる意味においては正しくない(ロマ3:10)という問題については触れずに置かれていると見るべきであろう。
8-2-ロ 失える銀貨の比喩 15:8 - 15:10
15章8節 又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。[引照]
口語訳 | また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。 |
塚本訳 | また、どんな女でも、ドラクマ銀貨[五百円]を十枚持っていて、もしその銀貨を一枚無くしたとすれば、明りをつけて家(中)を掃き、それを見つけ出すまでは、丹念にさがしつづけるのではないだろうか。 |
前田訳 | また、ある女がドラクマを十枚持っていて、その一枚を失ったとき、明りをともして家を掃き、それを見つけるまで念入りに探さないか。 |
新共同 | 「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。 |
NIV | "Or suppose a woman has ten silver coins and loses one. Does she not light a lamp, sweep the house and search carefully until she finds it? |
15章9節 遂に見出さば、其の友と隣人とを呼び集めて言はん、「我とともに喜べ、わが失ひたる銀貨を見出せり」[引照]
口語訳 | そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。 |
塚本訳 | そして見つけると、友だちや近所の女たちを呼びあつめてこう言うにちがいない、『一しょに喜んでください。無くした銀貨が見つかりましたから』と。 |
前田訳 | 見つけると、友だちや隣びとを呼び集めていおう、『いっしょにおよろこびください。失われた銀貨を見つけましたから』と。 |
新共同 | そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。 |
NIV | And when she finds it, she calls her friends and neighbors together and says, `Rejoice with me; I have found my lost coin.' |
15章10節 われ汝らに告ぐ、かくのごとく悔改むる一人の罪人のために、神の使たちの前に歡喜あるべし』[引照]
口語訳 | よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。 |
塚本訳 | わたしは言う、このように、一人の罪人が悔改めると、神の使たちに喜びがあるのである。」 |
前田訳 | わたしはいう、このように、ひとりの罪びとが悔い改めると、神の使いたちによろこびがある」と。 |
新共同 | 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」 |
NIV | In the same way, I tell you, there is rejoicing in the presence of the angels of God over one sinner who repents." |
註解: 銀貨十枚の中の一枚は所有者にとって非常に貴重な一枚であること勿論である。罪人一人の場合は非常に多数の中の一人であるけれども、親にとって多数の子の中の一人一人が全体の愛を注ぐ価値ありと思うように、神にとって一人一人は全体に等しい価値がある。銀貨の比喩はこの価値に対する神の態度と考えることができる。神の目には失せたる罪人の一人一人が真珠のごとく、銀貨のごとくに尊い。銀貨は羊と同様悔改めたのではないから「悔改むる一人の罪人」に相当しないけれども、それは比喩だからであって、重点は、それが見出されて天に喜びがあることに置かれてある。
8-2-ハ 放蕩息子の比喩 15:11 - 15:32
註解: イエスは実に比喩の天才であったが11−32節の放蕩息子の物語は彼の多くの比喩の中の白眉ともいうべきものである。人情の機微を巧みに捕えた点、心理の巧みな描写、用語の適切にして洗練されていること、而して物語全体が人類の罪の姿、神の愛、罪の赦し、神の歓び、律法主義的道徳的思想との差別等を巧みに表顕している点において非常に優れている比喩である。
15章11節 また言ひたまふ『或人に二人の息子あり、[引照]
口語訳 | また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 |
塚本訳 | また話された、「ある人に二人の息子があった。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「ある人にふたりの息子があった。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 |
NIV | Jesus continued: "There was a man who had two sons. |
15章12節 弟、父に言ふ「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」父その身代を二人に分けあたふ。[引照]
口語訳 | ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。 |
塚本訳 | 『お父さん、財産の分け前を下さい』と弟が父に言った。父は身代を二人に分けてやった。 |
前田訳 | 弟が父にいった、『父上、財産の分け前をわたしにください』と。父は身代をふたりに分けた。 |
新共同 | 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 |
NIV | The younger one said to his father, `Father, give me my share of the estate.' So he divided his property between them. |
註解: 弟は自分の受くべき分を受けてこれを自由に用いてみたかった。自由は神が人に賜う恩恵であるが、そこにサタンの誘いに陥る機会がある。この父は次男の請いに応じて財産の分配をした。幾分危険を感じたことであろうが、いつまでも子を奴隷や嬰児のごとくにして独立を与えずにおくことは父の欲することではなかった。「各人は神よりその分を受ける」(B1)。これを神の御旨に従って用いるのが各人の義務である。
辞解
[我が受くべき分] 申21:17によれば、長男は財産の分配に際して他の兄弟たちの二倍を受ける権があった。従ってこの場合弟は父の財産の三分ノ一を受けたこととなる。
15章13節 幾日も經ぬに、弟おのが物をことごとく集めて、遠國にゆき、[引照]
口語訳 | それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 |
塚本訳 | 幾日もたたないうちに、弟は(分け前)全部をまとめて(金にかえ、)遠い国に行き、そこで放蕩に財産をまき散らした。 |
前田訳 | いく日もせぬうちに、弟はその分全部をまとめて遠い国へ行き、そこで放蕩に財産をばらまいた。 |
新共同 | 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。 |
NIV | "Not long after that, the younger son got together all he had, set off for a distant country and there squandered his wealth in wild living. |
註解: 独立自由は同時に放恣と無責任とに陥り易い。弟は父の監視の下にあることを煩わしく思い、何人にも制肘されない生活を求めて遠国に移住した。「おのが物をことごとく」とあることに注意すべし。人はみな神よりその分を受けるけれども、これは「おのが物」であってしかも「おのが物」ではない。人は常に神と共に居って、おのが分を神の御心に叶うように用いなければならぬ。弟は凡てにおいてその正反対を行っていた。
其處にて放蕩にその財産を散せり。
註解: 神を離れし罪人の生活は、そのままこの放蕩息子の生活に相当する。罪人は神より受けし分、すなわちその富、知識、健康をみな自己のために浪費する。
辞解
[放蕩] asôtia は語源的に「済度すべからざること」、「救われざること」の意。
15章14節 ことごとく費したる後、その國に大なる饑饉おこり、自ら乏しくなり始めたれば、[引照]
口語訳 | 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 |
塚本訳 | すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。 |
前田訳 | 皆使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、彼は困窮しだした。 |
新共同 | 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 |
NIV | After he had spent everything, there was a severe famine in that whole country, and he began to be in need. |
註解: 不運不幸は多くの場合連続して襲いかかってくるものである。しかしこれは人を神に立還らしめんとする神の愛の御旨である場合が多い。「自ら乏しくなる」ことは霊的に救いを求むる第一歩である。自ら足りている者には求める心がない。
15章15節 往きて其の地の或人に依附りしに、其の人かれを畑に遣して豚を飼はしむ。[引照]
口語訳 | そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。 |
塚本訳 | そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。 |
前田訳 | そこでその国に住むある人に身をよせると、畑へやって豚を飼わせた。 |
新共同 | それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 |
NIV | So he went and hired himself out to a citizen of that country, who sent him to his fields to feed pigs. |
註解: 苦難に際しては人は神に依り頼むべきであるのに、誰しも見えざる神に依り頼むことを頼りなく感ずるので、見える人間に依りすがり易い。しかし人間は結局において無力の存在であることを知らねばならぬ。豚はユダヤ人が汚れた動物として嫌っていたもので、従って豚飼いは最も恥ずべき職業であった。
15章16節 かれ豚の食ふ蝗豆にて、己が腹を充さんと思ふ程なれど、何をも與ふる人なかりき。[引照]
口語訳 | 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。 |
塚本訳 | 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。 |
前田訳 | 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思ったが、だれもそれをくれなかった。 |
新共同 | 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 |
NIV | He longed to fill his stomach with the pods that the pigs were eating, but no one gave him anything. |
註解: 飢餓の極点まで陥ったけれども、依りすがった雇い主も頼りにならず、充分の食事すらもできなかった、豚を飼いつつ彼は豚の食事を羨ましく思うほどであった。人は霊魂の飢えを感ずる時往々にして手当り次第に、無差別に救いの対象を求めるものである。しかし神より外に真に救いを与え得るものはない。
辞解
[蝗豆] 高さ十メートルに達する荳科植物の莢形の果実、莢の大きさは二十五センチ半に達す。その実は食うこともできるけれども主として動物の飼料となり貧民が稀にこれを食うことがあるとのこと。
15章17節 此のとき我に反りて言ふ[引照]
口語訳 | そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。 |
塚本訳 | ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。…… |
前田訳 | そこでわれに立ちかえっていった、『父上のところではあれほど大勢の雇人に食べ物が余っているのに、わたしはここで飢え死にしようとしている。 |
新共同 | そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 |
NIV | "When he came to his senses, he said, `How many of my father's hired men have food to spare, and here I am starving to death! |
註解: 回心である。これまでは彼の心は凡て外界の事物に支配されていた。この時その心は自分に立帰り、やがて父を思うに至った。神に立帰る者の心もこの順序を取る。
『わが父の許には食物あまれる雇人いくばくぞや、然るに我は飢ゑてこの處に死なんとす。
註解: 彼は父のことを考えたけれども、父の心を考えず、父が如何に彼について心配しているかについては思い当らなかった。唯父の豊富なる食物のことを考え、これに与る雇人を羨んだのであった。神のことを考える場合も同様に、その愛を考えるよりもその賜物に目を注ぐ者が多い。
15章18節 起ちて我が父にゆき「父よ、われは天に對し、また汝の前に罪を犯したり。[引照]
口語訳 | 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 |
塚本訳 | よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。 |
前田訳 | 出かけて父上のところへ行っていおう、父上、天に対しても、あなたに向かっても、わたしは罪を犯しました。 |
新共同 | ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 |
NIV | I will set out and go back to my father and say to him: Father, I have sinned against heaven and against you. |
15章19節 今より汝の子と稱へらるるに相應しからず、雇人の一人のごとく爲し給へ』と言はん」[引照]
口語訳 | もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 |
塚本訳 | もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。 |
前田訳 | もはやあなたの息子と呼ばれる資格はありません。あなたの雇人のひとりのようにしてください』と。 |
新共同 | もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 |
NIV | I am no longer worthy to be called your son; make me like one of your hired men.' |
註解: 彼は神(天とも言われていた)と父とに対し、罪を犯したことを悔いる心で一杯であり、その結果もはや父より子として取扱われる資格がないと思った。かくも彼の心は卑っていたけれども、この時には未だ父の大愛を知ることができなかった。それ故せめては雇人の一人に加えてもらうように父に願おうと決心したのであった。神に叛ける罪人が神の子とされるというようなことは、人間の心に思いも及ばないことである。
15章20節 乃ち起ちて其の父のもとに往く。[引照]
口語訳 | そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 |
塚本訳 | そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。 |
前田訳 | そこで出かけて父のところへ行った。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見てあわれみ、走りよって首を抱いて口づけした。 |
新共同 | そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 |
NIV | So he got up and went to his father. "But while he was still a long way off, his father saw him and was filled with compassion for him; he ran to his son, threw his arms around him and kissed him. |
註解: 彼はその心の思いを実行に移した。悔改めの心はこれを実行に移さずしては死滅してしまう。
なほ遠く隔りたるに、父これを見て憫み、走りゆき、其の頸を抱きて接吻せり。
註解: 子が父を見出さない中に父は遠くから彼を見出した。父は威儀をととのえ厳然として家に待つことができず、老躯を杖にすがってその子に走り寄った。襤褸を着た身体をいだき塵埃にまみれた顔に接吻しつづけた(未完了過去)。父の心の堰を切って溢れ出でた愛情と歓喜の表顕である。独り子キリストにより我ら罪人の許に走り寄り給える神の愛を思うべきである。
15章21節 子、父にいふ「父よ、我は天に對し又なんぢの前に罪を犯したり。今より汝の子と稱へらるるに相應しからず」[引照]
口語訳 | むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。 |
塚本訳 | 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』 |
前田訳 | 息子はいった、『父上、天に対しても、あなたに向かっても、わたしは罪を犯しました。もはやあなたの息子と呼ばれる資格はありません』と。 |
新共同 | 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 |
NIV | "The son said to him, `Father, I have sinned against heaven and against you. I am no longer worthy to be called your son. ' |
註解: 以上で子の咽は塞がってしまった。これ以上言い得なかったのである。この父の切なる愛、おそらく彼が遠国に旅立つ以前にも経験しなかったこの愛の前に「我を雇人の一人のごとくになしたまえ」というごとき言葉は出せなくなった。微妙にして巧妙な、しかも深い真理を示しているこの描写に注意しなければならぬ。
辞解
二三の有力な写本に本節末尾に「我を汝の雇人の一人のごとくになし給え」が附加されているけれども、おそらくはこれは19節よりの無用の導入であろう。採用しない学者が多い。
15章22節 されど父、僕どもに言ふ「とくとく最上の衣を持ち來りて之に著せ、その手に指輪をはめ、其の足に鞋をはかせよ。[引照]
口語訳 | しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 |
塚本訳 | しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。 |
前田訳 | しかし父は僕たちにいった、『早く一番よい着物をもって来て着せなさい。手に指輪をはめ、足に靴をはかせなさい。 |
新共同 | しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 |
NIV | "But the father said to his servants, `Quick! Bring the best robe and put it on him. Put a ring on his finger and sandals on his feet. |
註解: 指輪をはめるのは貴人の風習であり、鞋をはかないのは奴隷の姿である。かくして父はその全精神を尽くして彼を迎え、彼はこの愛によりその乞食のごとき相貌は一変して立派な貴族の青年と化した。これと同じくキリスト者は義の衣を着せられて凡てにおいて新しくなった罪人である(Uコリ5:17)。
15章23節 また肥えたる犢を牽ききたりて屠れ、我ら食して樂しまん。[引照]
口語訳 | また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 |
塚本訳 | それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。 |
前田訳 | それから肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おう。 |
新共同 | それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 |
NIV | Bring the fattened calf and kill it. Let's have a feast and celebrate. |
15章24節 この我が子、死にて復生き、失せて復得られた(ればな)り」かくて彼ら樂しみ始む。[引照]
口語訳 | このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。 |
塚本訳 | このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。 |
前田訳 | このわたしの息子は死んでいたがよみがえり、失われていたが見つかったから』と。そこで祝いが始まった。 |
新共同 | この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。 |
NIV | For this son of mine was dead and is alive again; he was lost and is found.' So they began to celebrate. |
註解: 最上の肉をもつ肥えたる犢を屠って一家揃ってその帰還を祝賀した。「天に歓喜あるべし」(7節)と同一の歓喜がこの一家に充ち始めたのであった。思いがけなく「このわが子」は死より復活したもののごとくに現れて来たからである。迷える羊も失える銀貨もみなその所有者にとって一旦失われたのであった。かくのごとく神に叛ける罪人は神にとって死んで失われた者であり、その帰還は復活である。天において歓喜の大なる所以である。
15章25節 然るに其の兄、畑にありしが、歸りて家に近づきたるとき、音樂と舞踏との音を聞き、[引照]
口語訳 | ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、 |
塚本訳 | 兄は畑にいたが、家の近くに来ると鳴り物や踊りの音が聞えるので、 |
前田訳 | 兄は畑にいたが、帰りに家に近づくと、音楽や踊りが聞こえた。 |
新共同 | ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 |
NIV | "Meanwhile, the older son was in the field. When he came near the house, he heard music and dancing. |
15章26節 僕の一人を呼びてその何事なるかを問ふ。[引照]
口語訳 | ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。 |
塚本訳 | ひとりの下男を呼んで、あれはいったい何ごとかとたずねた。 |
前田訳 | そこで下男のひとりを呼びよせて、あれは何かとたずねた。 |
新共同 | そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 |
NIV | So he called one of the servants and asked him what was going on. |
註解: 父と直接に話すことを嫌ったのは父との間が愛に欠けていたことを示す。また弟の帰還を第一に兄に知らせそうなものであるが、これを知らせなかったのは兄弟の間の愛がなかったことを示すと見なければならない。
15章27節 答へて言ふ「なんぢの兄弟歸りたり、その恙なきを迎へたれば、汝の父肥えたる犢を屠れるなり」[引照]
口語訳 | 僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。 |
塚本訳 | 下男が言った、『弟さんがかえってこられました。無事に取り戻したというので、お父様が肥えた小牛を御馳走されたのです。 |
前田訳 | 下男はいった、『弟さまがお帰りです。無事に戻ったとて、お父さまが把えた子牛をほふらせなさいました』と。 |
新共同 | 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 |
NIV | `Your brother has come,' he replied, `and your father has killed the fattened calf because he has him back safe and sound.' |
15章28節 兄怒りて内に入ることを好まざりしかば、父いでて勸めしに、[引照]
口語訳 | 兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、 |
塚本訳 | 兄はおこって、家に入ろうとしなかった。父が出てきていろいろ宥めると、 |
前田訳 | 兄は怒って家に入ろうとしなかった。父が出て来ていろいろなだめると、 |
新共同 | 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 |
NIV | "The older brother became angry and refused to go in. So his father went out and pleaded with him. |
15章29節 答へて父に言ふ「視よ、我は幾歳もなんぢに仕へて、未だ汝の命令に背きし事なきに、我には小山羊一匹だに與へて友と樂しましめし事なし。[引照]
口語訳 | 兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。 |
塚本訳 | 父に答えた、『わたしは何年も何年もあなたに仕え、一度としてお言い付けにそむいたことはないのに、わたしには友人と楽しむために、(小牛どころか)山羊一匹下さったことがただの一度もないではありませんか。 |
前田訳 | 父に答えた、『ごらんのとおり、何年もわたしはあなたにお仕えし、一度もお言いつけにそむいたことはありません。それだのに、わたしには友だちと楽しむために山羊一匹も下さったためしがありません。 |
新共同 | しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 |
NIV | But he answered his father, `Look! All these years I've been slaving for you and never disobeyed your orders. Yet you never gave me even a young goat so I could celebrate with my friends. |
15章30節 然るに遊女らと共に、汝の身代を食ひ盡したる此の汝の子歸り來れば、之がために肥えたる犢を屠れり」[引照]
口語訳 | それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。 |
塚本訳 | ところがあのあなたの息子、きたない女どもと一しょに、あなたの身代をくらいつぶしたあれがかえって来ると、肥えた小牛を御馳走されるのはどういうわけですか。』 |
前田訳 | ところがあのあなたの息子が遊女といっしょにあなたの身代を食いつくして帰って来ると、肥えた子牛をほふるとは』と。 |
新共同 | ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』 |
NIV | But when this son of yours who has squandered your property with prostitutes comes home, you kill the fattened calf for him!' |
註解: 「彼の身代」と言わずに「汝の身代」と言ったのは弟が身代を分け与えられたことに対して真の理解を持っていないことを示し、「此の汝の子」と言って「我が弟」と言わなかったのは弟に対する愛の欠乏を示す。兄は知らずに帰ったので家の内の歌舞音曲の声に不審にたえず、そして僕の一人からその理由を聴いて非常に憤慨した。憤慨の理由は二つある。その一は弟は歓迎されるに足らざる無頼者であること、その二は自分に対する父の態度と比較すれば不公平であるということである。自分は従順であるのに弟は父に背き、自分は勤勉であり父より受けた財産を守ったけれども弟はこれを放蕩と怠惰に使い尽くした。然るに自分は小山羊一匹も父より貰ったことがなく、弟は犢の饗応を受けているというのである。道理ある主張であるが、彼と父との間の関係において、愛の結合を見ることができず、唯律法的道徳的の関係に過ぎないこと、および、失せたる子が帰って来たことより生ずる父の歓喜に対するの一点の同情も理解もないのが特徴である。「我が弟」と言わずして「汝の子」、「彼の身代」と言わずして「汝の身代」と言っている点も(30節)彼の心境を描写し得て至妙である。もし弟をもって悔改めし罪人・取税人に比較し得るならば、兄は彼らを冷眼をもって批判的に眺めているパリサイ人・学者らに相当する。
15章31節 父いふ「子よ、なんぢは常に我とともに在り、わが物は皆なんぢの物なり。[引照]
口語訳 | すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 |
塚本訳 | 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。 |
前田訳 | 父はいった、『子よ、おまえはいつもわたしといっしょだ。わがものは皆おまえのものだ。 |
新共同 | すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 |
NIV | "`My son,' the father said, `you are always with me, and everything I have is yours. |
15章32節 されど此の汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、我らの樂しみ喜ぶは當然なり」』[引照]
口語訳 | しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。 |
塚本訳 | だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』」 |
前田訳 | しかし、よろこび祝わずにおられようか、このおまえの弟は死んでいたが生きかえり、失われたが見つかったから』」と。 |
新共同 | だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」 |
NIV | But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.'" |
註解: 兄の身分は完全である。それは常に父と共にいることと父の凡てのものを自分のものとしていることである[この二点はキリスト者の神との関係に相当し、殊にイエスと父なる神との関係に相当している(ヨハ14:11。ヨハ17:10)。ただし兄はこの最上の身分を充分に味わい得なかった。それは彼はなお律法的立場以上に出で得なかったからである。律法的立場にある者は神の恩恵を知らず、「罪の増すところには恩恵も彌増す」ことを知らない(ロマ5:20)。それ故に弟の罪を責め、父の恩恵を非難した]。それ故兄の方には父を恨むべき理由がなく、反対に弟は父にとって全く失われており多年父の苦悶憂慮の原因であったものが悔改めて帰って来たのであるから、あたかも九十九匹の迷わない羊よりも一匹の迷って見出された羊を喜ぶと同様、この一人の放蕩息子が帰って来ることは父にとって全財産をもって祝賀しても足らない喜びであった。なお注意すべきことは、罪を赦されし弟の方が正しい兄よりも遙かに幸福なる人間となったことである。すなわち幸福は自己の所有や自己の道徳にあるのではなく、神に立帰り神の愛に生きることである。
要義 [放蕩息子の比喩の神学的意義]この比喩が罪の問題、救いの問題、神の愛の問題等、すなわち信仰の問題と如何なる関係があるかは、上記註解の中に略述したのであるが、他にこの比喩について二つの問題が古くから起っていた。(その一)はこの比喩の中に単に悔改めによる罪の赦しがあるだけで、キリストの十字架がないこと、(その二)は、兄をもって代表されているごとくに見ゆるパリサイ人・学者等のごとき律法主義的存在が、そのまま神の国の民と認められることが聖書の他の部分、殊にパウロの教えに反しないかという点である。殊に極端な主張としては、それ故にパウロの論は誤謬であって、イエスのこの比喩にキリスト教の中心的真理があり、人の罪が赦されるのはキリストの贖罪の死を必要とせず、唯神の愛のみによって赦され、また人は道徳的に正しくあることによって義とせられる。信仰のみによって義とせらるのではないことを唱える学者をも生ずるに至った。これに対し、如何なる比喩も真理の一面を示すために語られ、また一面を示すことは可能であるけれども、一つの比喩をもって真理の全部を語っているものと見るべきではないこと、今一つは比喩によって真理のある一面を殊に強調するために(この場合では罪人の救いのこと)他の一面は軽く扱われていることをもって答えることができる。ただしなお深くこの比喩の内容を味読するならば、老父が態々その老体を起して子を迎えたこと、およびそのあらゆる善きものをもって子を飾ったことの中に、神がイエスを世に遣わして罪人に接せしめ、これにキリストの義を着せて(ロマ13:14)神の子とならしめたことに非常によく類似しており、精神においてキリストの贖罪と一致していると考えることができ、また律法的である兄の救いを問題なしとしていることは、罪人さえも救われることをもっぱら示すがためであったと考えることができる。そして神学的公式よりも血の通っているイエスのこの比喩の方がはるかに強く真理そのものの響きを伝えていることを看過してはならない。