黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ルカ伝

ルカ伝第11章

分類
6 エルサレムに向って進み始め給う 9:51 - 12:48
6-3 弟子たるものの生活 10:25 - 11:53
6-3-ニ 主の祈り 11:1 - 11:4
(マタ6:9-13)   

11章1節 イエス(ある)(ところ)にて(いの)居給(ゐたま)ひしが、その(をは)りしとき、弟子(でし)一人(ひとり)いふ[引照]

口語訳また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
塚本訳ある所で祈っておられた時のこと、それがすむと、ひとりの弟子が言った、「主よ、(洗礼者)ヨハネが弟子たちに教えたように、わたし達にも祈りを教えてください。」
前田訳あるところで祈っておられたときのこと、それがすむと、ある弟子がいった、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、われらにも祈りをお教えください」と。
新共同イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
NIVOne day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, "Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples."
註解: この記事の起った時と処とは不明である。マタ6:9−13の場合も時と処とについて明かにし得ない。イエスの静かにして熱心なる祈りを弟子たちは目撃しつつ、これを妨げないためにその終るまで待っていたのであろう。

(しゅ)よ、ヨハネの()弟子(でし)(をし)へし(ごと)く、(いの)ることを(われ)らに(をし)(たま)へ』

註解: イエスが祈り給う時、彼の顔には耀きがあり、彼の全身には力が充ち来るのを弟子たちは感得したのであろう。それ故イエスの祈りの秘訣を知りたいと願った。バプテスマのヨハネがその弟子に祈ることを教えたことは他に録されていない。如何なる祈りを教えたかについて種々の伝説があるけれども確実ではない。弟子たちはユダヤ人の間に行われていた定時の祈りは知っていたけれども、その以外にイエスの祈りについて知りたかった。

11章2節 イエス()(たま)ふ『なんぢら(いの)るときに[()]く()へ「(ちち)よ、(ねが)はくは御名(みな)(あが)められん(こと)を。[引照]

口語訳そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
塚本訳彼らに言われた、「祈る時には、こう言いなさい。──お父様、お名前がきよまりますように。お国が来ますように。
前田訳彼らにいわれた、「祈るときはこういいなさい、父上、み名の聖まりますように。み国が来ますように。
新共同そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、/御名が崇められますように。御国が来ますように。
NIVHe said to them, "When you pray, say: "`Father, hallowed be your name, your kingdom come.
註解: いわゆる「主の祈り」についてはマタ6:9−13を参照すべし。マタ6:9には「天にいます我らの父よ」とあり、形式的には完備しているけれども、ルカ伝の方が単純率直であって、イエスの教え給える原形に近いのであろう。「御名」は神御自身を指す。「崇められんことを」 hagiasthêtô は「聖しとせられよ」で聖別せられんことをとの意味である。我らの不信・不義等凡ての冒涜的思想や行為をもって神を涜してはならない。神に対する完全なる服従によって神を崇めなければならぬ。全人類全被造物がかかる態度を取るようになることを祈るべきである。

御國(みくに)(きた)らん(こと)を。

註解: 「神の国」は神の支配し給う世界である。「神の支配」とも訳し得る語である。「神の国は近付けり」ということも事実であるけれども、未だ神の支配は完全に実現しない。その実現を祈るのが我らの祈りでなければならない。マタ6:10b「御意の天のごとく地にも行われんことを」は省略されている。「御国の来たらん事を」の中に包含されているとも見ることができる。以上の二つの祈りは、神がその当然立ち給うべき地位に立たれんことを祈る祈りであって、未来に関する希望である。3、4節は自己に関するもので、現世の問題である。

11章3節 (われ)らの日用(にちよう)(かて)日毎(ひごと)(あた)(たま)へ。[引照]

口語訳わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
塚本訳その日の食べ物を日ごとにわたしたちに戴かせてください。
前田訳その日の食べ物を日ごとわれらにお与えください。
新共同わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
NIVGive us each day our daily bread.
註解: マタ6:11には「今日も与へ給へ」とあり、「日毎に」はやや緊張を欠いている祈りである。マタイが原形に近いのであろう。有資産者や生活の安定を得ている者は、ルカの記事のごとき心持になり易い。絶対信頼の態度は、一日以上のことを思い煩わない。▲「日用の」 epiousion の意味についてはマタ6:11辞解参照。

11章4節 (われ)らに負債(おひめ)ある(すべ)ての(もの)(われ)(ゆる)せば、(われ)らの(つみ)をも(ゆる)(たま)へ。[引照]

口語訳わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
塚本訳罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を皆赦しておりますから。わたしたちを試みにあわせないでください。」
前田訳われらの罪をおゆるしください、われらも加害者を皆ゆるしますから。われらを試みにおあわせなく」と。
新共同わたしたちの罪を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
NIVForgive us our sins, for we also forgive everyone who sins against us. And lead us not into temptation. '"
註解: 前節は我らの肉体の保持に関する祈りであり、本節は我らの霊魂の健全に関する祈りである。後者に二方面あり、我らの霊が己に罪を犯せる場合は神よりの赦しを必要とし、いまだ罪に陥らない場合は試誘(こころみ)より保護される必要がある。神に対する罪の赦しは我らの切なる祈りである。ただしこれは利己的動機から罪の赦しを乞うのであってはならない。心から悔改めた上のことでなければならぬ。この悔改めの証拠として、我らに対し負債ある者、罪を犯せる者を我らも心から赦していることが必要である。この事実がある場合、始めて神に対して悔改めたことを知り得るのである。自己の罪を自覚して真に悔改めた者は、他人の罪を責める心が無くなるのが当然である。

(われ)らを嘗試(こころみ)にあはせ(たま)ふな」』

註解: 神が我らを試誘(こころみ)にあわせて誘惑に引入れ給うことがあると考える必要がない。この祈りは、我らが嘗試(こころみ)に引入れられようとする時神がこれを守り、我らをかかる危険より救い給わんことを祈る心であると解して差支えがない。マタ6:13の「悪より救出し給へ」はこれを説明する。従ってこれを省略しても同じ意味であると見ることができる。またマタ6:9−13とルカ11:1−4とを比較すると(1)マタイは形式的に完備し、ルカは簡単である。(2)ルカの本文は多くの異本があり、マタイによって補充された形跡があるけれども、マタイをルカによって変更または補充したものは無い。(3)これを主が二つの別の祈りの型を示し給うたものと解することはできない。(4)主の祈りが当時の信徒の間にその原文の字句のままで暗誦され、今日の「主の祈り」のように繰返し唱えられていたかについては諸説あり、もし繰り返されていたとすれば、マタイとルカとの差異は何故であるか説明が困難であり、もし繰返し唱えられていなかったとすれば、その後に至って教会一般の風習として唱えられるに至った事情との関連が証明し難い。初代教会ではおそらく極めて自由な態度で、主の教え給える語句のままではなくその大体を基礎とし、その精神に則って個人的にまたは集会等で祈るようになったものと思われる。(5)主イエスはこの祈りをその語句のまま繰返すべしと命じ給うたのであるか、または日毎の祈りの根本要素を教え給うたのであるかは聖書の本文からは明かではないがこの後者がイエスの態度に相応しいものと考えられる。後日に至って日毎の祈りが次第にこの根本から遠ざかるに従ってその語句が大切に保存されるようになったのであろう。▲「主の祈り」はこれを暗誦して無意識的に繰返すために与えられたのではなく、我らの祈りの内容の代表的要約である。

6-3-ホ 熱心に祈るべきこと 11:5 - 11:13
(マタ7:7-11)   

11章5節 また()(たま)ふ『なんぢらの(うち)たれか(とも)あらんに、夜半(よなか)にその(もと)()きて「(とも)よ、(われ)()つのパンを()せ。[引照]

口語訳そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
塚本訳また彼らに言われた、「あなた達のうちのだれかに友人があって、夜中にその友人の所に行き、『友よ、パンを三つ貸してくれ。
前田訳また彼らにいわれた、「あなた方のだれかに友だちがあって、真夜中にたずねてこういったとする、『友よ、パンを三つ貸してください、
新共同また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
NIVThen he said to them, "Suppose one of you has a friend, and he goes to him at midnight and says, `Friend, lend me three loaves of bread,

11章6節 わが(とも)(たび)より(きた)りしに、(これ)(そな)ふべき(もの)なし」と()(とき)[引照]

口語訳友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
塚本訳旅先からわたしの友人が来たのに、何も出すものがないから』と言ったとき、
前田訳わたしの友だちが旅先から来たのに何も出すものがないので』と。
新共同旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
NIVbecause a friend of mine on a journey has come to me, and I have nothing to set before him.'

11章7節 かれ(うち)より(こた)へて「われを(わづら)はすな、()ははや()ぢ、()らは(われ)(とも)臥所(ふしど)にあり、()ちて(あた)(かた)し」といふ(こと)ありとも、[引照]

口語訳彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
塚本訳その友人は内から、『勘弁してくれ。もう戸締りをしてしまったし、子供たちもわたしと一しょに寝ている。起きてかしてやるわけにはゆかない』と答えるにちがいない。
前田訳その友だちは中から答えよう、『邪魔しないで。もう戸はしめたし、子どもらもわたしと寝ている。起きて貸してはあげられない」と。
新共同すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
NIV"Then the one inside answers, `Don't bother me. The door is already locked, and my children are with me in bed. I can't get up and give you anything.'

11章8節 われ(なんぢ)らに()ぐ、(とも)なるによりては()ちて(あた)へねど、(もとめ)(せつ)なるにより、()きて()(えう)する(ほど)のものを(あた)へん。[引照]

口語訳しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
塚本訳しかしわたしは言う、(その人がなおもせがんで止まなければ、)友人だからというのでは起きて(パンを)かしてやらなくても、その厚かましさにはかなわず、起き上がって、必要なだけのものをかしてやるにちがいない。
前田訳わたしはいう、友だちだからとて起きて貸しはしなくても、その厚かましさのゆえに起きて、要るだけ貸してやるであろう。
新共同しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
NIVI tell you, though he will not get up and give him the bread because he is his friend, yet because of the man's boldness he will get up and give him as much as he needs.
註解: 神は必ず人の切なる祈りを聴き給うことを知らしむるための例として人間同志の関係を示す。この二人は友人関係である。神と人との関係はさらに密なる愛の関係である。(1)求める人は「夜半」にその友を起すほど不躾(ぶしつけ)であった。それは旅よりの友の訪問によって与うるものが無く困り果てたからである。切なる祈りは、自己のことに関する場合と他人のことに関する場合とを論ぜず神に向けらるべきである。神にとっては夜半も日中も差別がない。何時祈り求めても差支えがない。(2)もとめるものは三つのパンであった。欲張って無用のものまでも求むべきではない。その時々の必要を求むべきである。(3)求められし友人はすでに子供と共に臥床(がしょう)中であり、彼の友愛の情は、彼を動かすほどの力がなかったので断った。神の愛は友の愛にまさる。神は切なる祈りには必ず動かされる。(4)友人は求むる友の「求めの切なるにより」ついにこれを与えた。切なる願いは、愛の足らざる友人をも動かす力を有っている。いわんや愛の神は切なる祈りに動かされないはずはない。(5)友は隣人の「要する程のもの」を与えた。神は人の要するまたは欲する以上のものを与え給う。切なる祈りを神にささげよ、神は必ずこれを聴き給う。1−4節の主の祈りも切なる心をもってこれを祈らなければならぬ。

11章9節 われ(なんぢ)らに()ぐ、(もと)めよ、さらば(あた)へられん。(たづ)ねよ、さらば見出(みいだ)さん。(もん)(たた)け、さらば(ひら)かれん。[引照]

口語訳そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
塚本訳それで、わたしもあなた達に言う、(ほしいものはなんでも神に)求めよ、きっと与えられる。さがせ、きっと見つかる。戸をたたけ、きっとあけていただける。
前田訳それでわたしはいう、「求めよ、さらば与えられよう。探せ、さらば見いだそう。戸をたたけ、さらば開かれよう。
新共同そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
NIV"So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you.

11章10節 すべて(もと)むる(もの)()(たづ)ぬる(もの)見出(みいだ)し、(もん)(たた)(もの)(ひら)かるるなり。[引照]

口語訳すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
塚本訳だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。
前田訳すべて、求めるものは受け、探すものは見いだし、戸をたたくものには開かれよう。
新共同だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
NIVFor everyone who asks receives; he who seeks finds; and to him who knocks, the door will be opened.
註解: マタ7:7、8)「求む」「尋ぬ」「叩く」は次第に熱心と労力との程度が増加する求め方である。求むる熱心の度が強ければ強い程、その得る処の結果も大きい。神の救いは神の自由なる賜物であるが、これさえ求むることなしには与えられない。マタ7:7以下にこれと同一の語があるが前後の連絡は異なっている。ルカはこれら凡て主の祈りに従属せしめて熱心なる祈りの効果について主の教訓を一括している。

註解: 11−13節は父なる神は祈りに応じて最上の賜物を与えることを示す(マタ7:9−11)。

11章11節 (なんぢ)()のうち(ちち)たる(もの)、たれか()()(うを)(もと)めんに、(うを)(かわり)(へび)(あた)へ、[引照]

口語訳あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
塚本訳あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。
前田訳あなた方のうちのどんな父でも、子が魚を求めるのに魚のかわりに蛇を与えようか。
新共同あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
NIV"Which of you fathers, if your son asks for a fish, will give him a snake instead?

11章12節 (たまご)(もと)めんに(さそり)(あた)へんや。[引照]

口語訳卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
塚本訳また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。
前田訳卵を求めるのにさそりを与えようか。
新共同また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
NIVOr if he asks for an egg, will give him a scorpion?

11章13節 さらば(なんぢ)()しき(もの)ながら、()賜物(たまもの)をその()らに(あた)ふるを()る。まして(てん)(ちち)は、(もと)むる(もの)(せい)(れい)(たま)はざらんや』[引照]

口語訳このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。
塚本訳してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」
前田訳そのように、あなた方は悪者ながら、おのが子によいものを与えることを知っている。まして、天の父が、求めるものに聖霊を賜わらないであろうか」と。
新共同このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
NIVIf you then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!"
註解: 人間は神に比べては凡て「悪しき者」であり多くの悪事を行い易いものでありながら、その子を愛するが故に子の求めに応じて必要なるものを与える。決して子を恐れしめたり、害を与えたりするようなもの、蛇や(さそり)を与えはしない。魚や卵等、子の求めに応じて善き物を与えることを知っている。不完全な悪しき人間の父すらそうであるから完全にして愛に在し給う父は、必ず「善き物」(マタ7:11)を与え給うと確信して父に求むべきである。ルカはこの「善き物」を「聖霊」であると記している。魚や卵は人間の肉の生命の必要物であるが、霊の生命に必要なものは聖霊であるから、神に求めさえすれば神は人間の父の与える日毎のパンを与え給うこと、または誘惑(まどわし)より守り給うことは勿論さらに進んで、人間の新生命の原動力である聖霊を与え給う。かくして人間を神と等しきものとなし給う。ここに神の愛の絶大なる所以があり、祈りの効果の窮極がある。
要義 [祈りについて]ルカは祈りの人であったと思われる。主が常に祈り給えることを繰返し記載しているのもそのためであり、ここに「主の祈り」に続いて祈りに関する種々の教訓を一括して、一層祈りの本質および効果を明らかにしていることに注意しなければならない。これらを総合すれば、(1)祈りは神のこと、人のことに関する凡てのことに及ぶべきであり、(2)真心から出て、真心の要求にかられた熱心な祈りでなければならず、(3)これを得るまでたゆむことなく祈らなければならない。そして、(4)父なる神の愛を信ずる者にとっては、神は必ず最上の賜物を与え給うことを確信して祈りつづくべきである。時に人間は祈りに応えられない悲しみを味わうことがあるけれども、神は何時かは必ず我らの求むる以上の善きものを我らに与えて我らの祈りを聴き給う。

6-3-ヘ ベルゼブル論争 11:14 - 11:26
(マタ12:22-30) (マコ3:22-18)  

11章14節 さてイエス(おふし)惡鬼(あくき)()ひいだし(たま)へば、惡鬼(あくき)いでて(おふし)もの()ひしにより、群衆(ぐんじゅう)あやしめり。[引照]

口語訳さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。
塚本訳(ある日)悪鬼を追い出しておられた。それは唖(の霊)であった。その悪鬼が出てゆくと(すぐ)唖が物を言うようになったので、群衆が驚いた。
前田訳彼は悪鬼を追い出しておられた。それは唖者(の霊)であった。悪鬼が出ると、唖者が口をきいたので、群衆は驚いた。
新共同イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。
NIVJesus was driving out a demon that was mute. When the demon left, the man who had been mute spoke, and the crowd was amazed.
註解: この頃よりイエスに対する故意の反感が次第に強化し来ることに注意すべし。
辞解
[▲唖の悪鬼] 悪鬼はそのものが唖であってその悪鬼が人に入ってその人が唖となったものと考えた。

11章15節 ()(うち)(ある)(もの)ども()ふ『かれは惡鬼(あくき)(かしら)ベルゼブルによりて惡鬼(あくき)()(いだ)すなり』[引照]

口語訳その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、
塚本訳しかしそのうちには、「あれは悪鬼どもの頭ベルゼブル(悪魔)を使って悪鬼を追い出している」と言った者もあり、
前田訳そのあるものがいった、「悪鬼の頭ベルゼブルによって悪鬼を追い出している」と。
新共同しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、
NIVBut some of them said, "By Beelzebub, the prince of demons, he is driving out demons."

11章16節 また(ある)(もの)どもは、イエスを(こころ)みんとて(てん)よりの(しるし)(もと)む。[引照]

口語訳またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。
塚本訳またある者は(イエスを)試そうとして、(神の子である証拠に)天からの(不思議な)徴を彼に求めた。
前田訳またあるものは彼を試みて天からの徴を彼に求めた。
新共同イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。
NIVOthers tested him by asking for a sign from heaven.
註解: イエスの奇蹟を信じない者はあるいは、イエスの奇蹟力をサタンの業と解し、イエスをサタンの使いと見、あるいはエリヤの場合のごとく(T列17:1以下、T列18:1以下、T列18:38等)天よりの徴が無ければ信じ得ないと主張した(Tコリ1:22)。すなわちイエスは悪鬼の首ベルゼブルを使って悪鬼を逐い出すのであると主張してイエスの奇蹟を非難した。
辞解
[ベルゼブル] マコ3:22註参照。

11章17節 イエスその(おもひ)()りて()(たま)ふ『すべて(わか)(あらそ)(くに)(ほろ)び、(わか)(あらそ)(いへ)(たふ)る。[引照]

口語訳しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。
塚本訳イエスは彼らの思いを知って言われた、「内輪で割れるいかなる国も荒れ果てて、家が重なり合って倒れる。
前田訳彼はその心の中を察していわれた、「内輪もめすれば国は皆滅び、家は重なりあって倒れる。
新共同しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。
NIVJesus knew their thoughts and said to them: "Any kingdom divided against itself will be ruined, and a house divided against itself will fall.

11章18節 サタンもし(わか)(あらそ)はば、その(くに)いかで()つべき。(なんぢ)()わが惡鬼(あくき)()(いだ)すを、ベルゼブルに()ると()へばなり。[引照]

口語訳そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、
塚本訳(同じように)悪魔(の国)も内輪で割れれば、どうしてその国が立ってゆこう。あなた達は、わたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出していると言うのだが。
前田訳悪鬼も内輪もめすれば、どうしてその国が立とう。あなた方はわたしがベルゼブルによって悪鬼を追い出すという。
新共同あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。
NIVIf Satan is divided against himself, how can his kingdom stand? I say this because you claim that I drive out demons by Beelzebub.
註解: イエスを非難する者は、極めて見易き道理をすら(わきま)えていない。サタンは一つの統一体を為しているのであるが、その首長ベルゼブルとその部下とが分争するならばその統一は破れ、その国は亡びる。然るに悪鬼の力がなおも強く人の心を支配しているのが事実である以上は、悪鬼の国が厳存し、その首長と部下とは緊密な関係に立っている証拠ではないか、とイエスは言い給う。

11章19節 (われ)もしベルゼブルによりて惡鬼(あくき)()()さば、(なんぢ)らの()(たれ)によりて(これ)()(いだ)すか。この(ゆゑ)(かれ)らは(なんぢ)らの審判(さばき)(ひと)となるべし。[引照]

口語訳もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
塚本訳またわたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出すとすれば、(同じことをしている)あなた達の弟子は、いったい何を使って(悪鬼を)追い出しているのか。(まさかベルゼブルではあるまい。だからこのことについては、)あなた達の弟子に裁判官になってもらったがよかろう。
前田訳しかし、もしわたしがベルゼブルによって悪鬼を追い出すならば、あなた方の仲間は何によって追い出すのか。それゆえ、あなた方の仲間がことを明らかにしよう。
新共同わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。
NIVNow if I drive out demons by Beelzebub, by whom do your followers drive them out? So then, they will be your judges.
註解: マタ12:27註参照。ユダヤ人らの中にも悪鬼を逐い出す術を行うものが有った。もし彼らもベルゼブルによって悪鬼を逐い出すのであるといったら、彼らは汝らを(さば)きその非難を反駁するであろう。軽々しくかかる意見を発表すべきではない。

11章20節 されど(われ)もし(かみ)(ゆび)によりて惡鬼(あくき)()()さば、(かみ)(くに)(すで)(なんぢ)らに(いた)れるなり。[引照]

口語訳しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
塚本訳しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の指で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。
前田訳もし神の指でわたしが悪鬼を追い出すのならば、神の国はあなた方のところに来ている。
新共同しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。
NIVBut if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come to you.
註解: 「神の指」は出8:19を見よ。モーセは神の力によって奇蹟を行った。イエスも同じく神の力によって悪鬼を逐い出し給うたのであった。この事実は、その治癒を受けた者の上に神の支配が及んだことであり、神の国が彼らの中に到来したことであった。ベルゼブルによるのとは全然異なった祝福が汝らに及んでいることを知らなければならない。▲「神の国」はむしろ「神の支配」と訳せば意味明白となる。

註解: 21−26節(マタ12:29参照)は悪鬼を逐い出された者には神の国がすでに到来しているにも関らず、その態度如何により、以前よりもかえって悪い結果を生ずることが有り得ることを述べ、イエスに反対するものの警告となし給うた。

11章21節 (つよ)きもの武具(ぶぐ)をよろひて(おの)屋敷(やしき)(まも)るときは、()所有(もちもの)安全(あんぜん)なり。[引照]

口語訳強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
塚本訳強い者が武装して自分の城を守っている時には、その持ち物は安全であるが、
前田訳強いものが武装して自分の城を守れば、その持ちものは安全である。
新共同強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。
NIV"When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe.

11章22節 されど(さら)(つよ)きもの(きた)りて(これ)()つときは、(たのみ)とする武具(ぶぐ)をことごとく(うば)ひて、分捕物(ぶんどりもの)(わか)たん。[引照]

口語訳しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
塚本訳より強い者が襲ってきてこれに打ち勝つと、その頼みにしている武具を奪い、分捕品を分けるのである。
前田訳しかしより強いものが襲って来て勝てば、彼らは頼みの武具を奪い、分捕品を分ける。
新共同しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。
NIVBut when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up the spoils.
註解: これまではサタンが人類に君臨し、人間を捕虜としてこれを(もてあそ)び、あらゆる肉の快楽と魂の誘惑(まどわし)の武具をよろいて安全にその分捕物を守っていた。サタンよりも強い人間は無いが今や神の子来り給うて、サタンより強き力をもってサタンの武具を奪い分捕物を取返し給うた(エペ4:8)。悪鬼を逐い出し給うことはその一つの現れに過ぎない。

11章23節 (われ)(とも)ならぬ(もの)(われ)にそむき、(われ)(とも)(あつ)めぬ(もの)(ちら)すなり。[引照]

口語訳わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
塚本訳(だからわたしは言う、神と悪魔との戦いはすでに始まっている。)わたしの側に立たない者は、わたしに反対する者、わたしと一しょに集めない者は、散らす者である。
前田訳わたしといっしょでないものはわたしに反対し、わたしといっしょに集めないものは散らす。
新共同わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」
NIV"He who is not with me is against me, and he who does not gather with me, scatters.
註解: 神の子とサタンとの天下分け目の戦いであるから、そこに中立は有り得ない。神の子に従うかサタンに従うか、全人類はこの二つの陣営に分れる。キリストに従わず、彼と偕に神の国の民を集めない者は神の敵である。イエス・キリストこの世に来り給うことにより人類は彼に従うか否かの二者択一を迫られており、結果として死か生かの二者択一を強要されていることを畏れをもって自覚しなければならない。

11章24節 (けが)れし(れい)(ひと)()づる(とき)は、(みづ)なき(ところ)(めぐ)りて(やすみ)(もと)む。されど()ずして()ふ「わが()でし(いへ)(かへ)らん」[引照]

口語訳汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
塚本訳汚れた霊が(追い出されて)人間から出て行くと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからないので、『出てきた自分の家にもどろう』と言って、
前田訳けがれた霊が人から出ると、水のない荒地を歩きまわって休み場所を探す。しかし見つからない。そこでいう、『出て来た家に戻ろう』と。
新共同「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。
NIV"When an evil spirit comes out of a man, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, `I will return to the house I left.'

11章25節 (かへ)りて()(いへ)()(きよ)められ、(かざ)られたるを()[引照]

口語訳帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
塚本訳かえって見ると、(家は)掃除ができて、飾り付けがしてあった。
前田訳戻ると、掃き清められて、整頓してあった。
新共同そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。
NIVWhen it arrives, it finds the house swept clean and put in order.

11章26節 (つい)()きて(おのれ)よりも()しき(ほか)(なな)つの(れい)()れきたり、(とも)()りて此處(ここ)()む。さればその(ひと)(のち)(さま)は、(まへ)よりも()しくなるなり』[引照]

口語訳そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
塚本訳そこで行って、自分よりも悪い、ほかの(汚れた)霊を七つも連れてきて入りこみ、そこに住む。するとその人のあとの有様は、(追い出す)前よりも、もっとひどくなるのである。」
前田訳そこで出かけて自分より悪いほかの七人の霊を連れて来て、入ってそこに住み込む。それでその人ののちの様子は前よりも悪くなる」と。
新共同そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」
NIVThen it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that man is worse than the first."
註解: 24−26節についてはマタ12:43−45参照。イエスはここに悪鬼を逐い出すことによる肉体的治癒を霊的の事実に当て()め、もしイエスの力によって悪霊を逐い出しただけで、イエスに従うことをしないならば、かえって悪結果を来すであろうことを教え給う。この比喩の悪霊のごとく、サタンは常に人の心に侵入せんことを求めて機会を窺っている(Tペテ5:8)。それ故に単にイエスの力によって一時その悪鬼を逐い出すだけではかえって危険である。その空虚を直ちにイエスの霊をもって充さなければならぬ。
要義 [イエスを迎えよ]イエスの教えに感激して、一時は自己の罪が潔められ、悪習が除かれ、別人のごとくになって喜ぶキリスト者は多い。しかしこれは単に自分の心が掃き浄められ飾られたに過ぎない。もしイエスを心に迎えイエスの霊を我が衷に宿らしめ、イエスをおのが主とならしめないならば、一時の喜びはかえって自己を誇る心となり、前よりも一層悪しきサタンの住家となるであろう。

6-3-ト 幸福者は誰か 11:27 - 11:28  

11章27節 (これ)()のことを()(たま)ふとき、群衆(ぐんじゅう)(うち)より(ある)(をんな)(こゑ)をあげて()ふ『幸福(さいはひ)なるかな、(なんぢ)宿(やど)しし(たい)、なんぢの()ひし乳房(ちぶさ)は』[引照]

口語訳イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。
塚本訳こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、「なんと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」
前田訳こうお話しのときに群衆の中からある女が声を高めて彼にいった、「さいわいなのはあなたを宿した胎、あなたがすった乳房」と。
新共同イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」
NIVAs Jesus was saying these things, a woman in the crowd called out, "Blessed is the mother who gave you birth and nursed you."
註解: イエスがベルゼブル論争によって相手を沈黙せしめ、さらに引き続き耀かしい教えを垂れ給うたのを聞いて、ある女はかかる息子を持つ母親こそ、どのように幸福であろうと感じて思わず声をあげてその感想を漏らした。

11章28節 イエス()ひたまふ『(さら)幸福(さいはひ)なるかな、(かみ)(ことば)()きて(これ)(まも)(ひと)は』[引照]

口語訳しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。
塚本訳しかしイエスは言われた、「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである。」
前田訳彼はいわれた、「ちがう。さいわいなのは、神のことばを聞いて守る人々」と。
新共同しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
NIVHe replied, "Blessed rather are those who hear the word of God and obey it."
註解: ルカ8:21に、イエスは真の父母兄弟の誰なるかを示し給うたのであるが、ここでもそれと同じく神の言を聴いてこれを守る人は肉によるイエスの母よりも一層幸福であり、その声を挙げた女も、神の言を聴いてこれを守ることによりイエスの母マリヤよりも幸福なる女性となり得ることを示し給うた。そしてこれは何人も経験し得る幸福である。31節は神の言を聴くことの例、32節はこれを行う者の例である。

6-3-チ イエスを見ることの幸福 11:29 - 11:32
(マタ12:38-42)   

11章29節 群衆(ぐんじゅう)おし(あつま)れる(とき)、イエス()()でたまふ『(いま)()邪曲(よこしま)なる()にして(しるし)(もと)む。されどヨナの(しるし)のほかに(しるし)(あた)へられじ。[引照]

口語訳さて群衆が群がり集まったので、イエスは語り出された、「この時代は邪悪な時代である。それはしるしを求めるが、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
塚本訳群衆がなおも押し寄せてきたとき、イエスは話し出された、「この時代は悪い時代である。(だから信ずるのに)徴を求める。しかしこの時代には、(預言者)ヨナの徴以外の徴は与えられない。
前田訳群衆が押しよせて来たとき、彼は話しだされた、「この世代は悪い世代である。それは徴を求めるが、徴はヨナの徴のほか与えられまい。
新共同群衆の数がますます増えてきたので、イエスは話し始められた。「今の時代の者たちはよこしまだ。しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
NIVAs the crowds increased, Jesus said, "This is a wicked generation. It asks for a miraculous sign, but none will be given it except the sign of Jonah.

11章30節 ヨナがニネベの(ひと)(しるし)となりし(ごと)く、(ひと)()もまた(いま)()(しか)らん。[引照]

口語訳というのは、ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう。
塚本訳すなわちヨナが(大きな魚の腹から出てきて)ニネベの人に徴となったように、人の子(わたしも地の中から出てきて)この時代の人に徴となるのである。
前田訳ヨナがニネベの人に徴となったように、人の子もこの世代の人に徴となろう。
新共同つまり、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。
NIVFor as Jonah was a sign to the Ninevites, so also will the Son of Man be to this generation.
註解: ルカ11:16節に天よりの徴を求めた者があったが、イエスはここで(29−32=マタ12:38−42)それに対して答える意味をも含めてユダヤ人の不信を責め給う。徴を求めることは信仰なき邪曲の心である。ヨナが三日三夜大魚の腹の中に呑まれて、後にその口より吐き出されてニネベ人に向って預言したのと同じく、イエスも三日三夜地の中に在ってやがて甦り給い、聖霊をもって全世界に福音を伝え給うであろう(マタ12:40)。それ以外の徴は与えられない。それ故今の間に彼を信ずべきである。

11章31節 (みなみ)女王(にょわう)審判(さばき)のとき、(いま)()(ひと)(とも)()きて(これ)(つみ)(さだ)めん。(かれ)はソロモンの智慧(ちゑ)()かんとて()(はて)より(きた)れり。()よ、ソロモンよりも(まさ)るもの此處(ここ)にあり。[引照]

口語訳南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果からはるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。
塚本訳(しかし人々は信じない。だから)南の国(シバ)の女王がこの時代の人たちと一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。
前田訳南の国の女王がこの世代の人々といっしょに裁きに現われて、その人々を裁こう。それは彼女が地の果てからソロモンの知恵を聞きに来たからである。しかし今ここにソロモン以上のものがいる。
新共同南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。
NIVThe Queen of the South will rise at the judgment with the men of this generation and condemn them; for she came from the ends of the earth to listen to Solomon's wisdom, and now one greater than Solomon is here.
註解: 異教国シバの女王すらソロモンの智慧を聴かんとてはるばるユダヤを訪れたのに、ソロモンより勝れるイエスがい給うにもかかわらず今の代の人にこれに聴こうとする者がないとは何たることであろうか、審判の日には、神の選民をもって誇っている汝らは、かえって異教国の女王に(さば)かれなければならないであろう(T列10:1以下参照)。

11章32節 ニネベの(ひと)審判(さばき)のとき、(いま)()(ひと)(とも)()ちて(これ)(つみ)(さだ)めん。(かれ)らはヨナの()ぶる(ことば)によりて悔改(くいあらた)めたり。()よ、ヨナよりも(まさ)るもの此處(ここ)()り。[引照]

口語訳ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。
塚本訳(また、)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、今)ここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。
前田訳ニネベの人々がこの世代の人々といっしょに裁きに現われて、それを裁こう。それはニネベの人々はヨナの説くことばによって悔い改めたからである。しかしいまここにヨナ以上のものがいる。
新共同また、ニネベの人々は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」
NIVThe men of Nineveh will stand up at the judgment with this generation and condemn it; for they repented at the preaching of Jonah, and now one greater than Jonah is here.
註解: ヨナ3:5−10参照。ニネベの人はヨナの預言を聴いて罪を悔改めたので、ヨナの預言は実現せず、神はその審判をニネベ市に加うることを中止し給うた。然るにヨナより勝れるイエスの御言を聴いて悔改めないのは何ということであろうか、今の代の人たる汝らは審判の日には異邦ニネベの人から(さば)かれるに至るであろう。
要義 [真理に聴く者]ユダヤ人は唯一の神を知っていると誇り、選ばれた民であることを自認していた。然るにもかかわらず、彼らは真理に耳を傾けず、イエスを受納れなかった。彼らは異教国ニネベの民、神を知らざるシバの女王に対して恥じなければならない。今日神を信ずるキリスト者と称して誇っている者も、もし神の霊によって語られる真理の言に耳を傾けないならば、イエスの当時のユダヤ人と同じく、彼らが未信者として軽蔑する者がかえって彼らの審判人となるであろう。

6-3-リ 心の光 11:33 - 11:36
(マタ5:15、6:22-23)   

11章33節 (たれ)燈火(ともしび)をともして、穴藏(あなぐら)(うち)または(ます)(した)におく(もの)なし。()(きた)(もの)(ひかり)()んために、燈臺(とうだい)(うへ)()くなり。[引照]

口語訳だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。
塚本訳だれも明りをつけて片隅に置いたり、枡をかぶせたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。(そのように人の子が来たのも世を照らすためである。それを見わけられないのは、見る人の心が暗いからである。)
前田訳だれも明りをつけて片すみや枡の下には置かない。入って来るものに光が見えるように燭台の上に置く。
新共同「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。
NIV"No one lights a lamp and puts it in a place where it will be hidden, or under a bowl. Instead he puts it on its stand, so that those who come in may see the light.

11章34節 (なんぢ)()燈火(ともしび)()なり、(なんぢ)()(ただ)しき(とき)は、全身(ぜんしん)(あか)るからん。されど()しき(とき)は、()もまた(くら)からん。[引照]

口語訳あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。
塚本訳体の明りはあなたの目である。目が澄んでいる間は、体全体も明るいが、悪いとなると、体も暗い。
前田訳体の明りはあなたの目である。あなたの目が澄んでいるときは、全身が明るいが、目が悪いと、体も暗い。
新共同あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。
NIVYour eye is the lamp of your body. When your eyes are good, your whole body also is full of light. But when they are bad, your body also is full of darkness.

11章35節 この(ゆゑ)(なんぢ)(うち)(ひかり)(やみ)にはあらぬか、(かへり)みよ。[引照]

口語訳だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。
塚本訳だから、あなたの内の光(である目、すなわち心)が暗くならぬように注意せよ。
前田訳それゆえ、あなたの内の光が暗くならぬよう心せよ。
新共同だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
NIVSee to it, then, that the light within you is not darkness.

11章36節 もし(なんぢ)全身(ぜんしん)(あか)るくして(くら)(ところ)なくば、(かがや)ける燈火(ともしび)(てら)さるる(ごと)く、その()(まった)(あか)るからん』[引照]

口語訳もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。
塚本訳もし体全体が明るくてすこしも暗い部分がなければ、明りがその輝きであなたを照らしている時のように、すべてが明るいであろう。」
前田訳もしあなたの全身が明るくて少しも暗い部分がなければ、明りがその輝きであなたを照らすように、すべてが明るかろう」と。
新共同あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」
NIVTherefore, if your whole body is full of light, and no part of it dark, it will be completely lighted, as when the light of a lamp shines on you."
註解: (1)33節はマタ5:15に相当しているけれども、マタイ伝には14節16節もこれに関連して一括した教訓を与えていること、(2)ルカ伝の場合33節のみを独立の一節と見るべきか否か明かではないこと。(3)34−36節はマタ6:22、23に類似しているが、マタイ伝には36節に相当するものがなく、また36節は「全身明くば・・・全身明からん」とあり、意味不明であること。(4)目は自ら光を放たず、光を受ける機関であるから燈火に比較するのは無理があること、以上の諸々の理由からこの数節は解釈上困難があり、また異本に36節を欠くもの、また35節がマタ6:23bに等しきものがある等、種々本文の混乱があるのも意味不明のためであろう。本文を現在のままとし、33節も34節以下に関連あるもとして強いて解釈するならば次のごとくである。すなわち「燈火は燈台の上に置いて室全体を照らすべきものである。目は自ら光を発しないが光を受納れ得る目は全身を明るくする。あたかも室内に燈火があると同じである。目が光を受納ると同様、心が真理を受け納れ得る場合全身が光明に充される。それ故我らは注意して心の眼を明かにし真理を悟って全身を光明に充されなければならない。かかる人は明るい燈火で室内を照らされられるように全身が明るくなる。」
辞解
[正しくば] haplous で単純、純真にして真実を感受すること、なお35、36節を次のごとくに訳して幾分意義を明かにしようとする試みもある(Z0)。「この故に汝らの内の光、闇にはあらぬか、汝の全身の明るきかを省みよ。もし暗き所なくば全身明るきこと燈火がそのきらめきをもって汝を照す時のごとくならん」。

6-3-ヌ 禍害なるかな 11:37 - 11:53
(マタ23)   

11章37節 イエスの(かた)(たま)へるとき、(ある)パリサイ(びと)その(いへ)にて食事(しょくじ)(たま)はん(こと)()ひたれば、()りて(せき)()きたまふ。[引照]

口語訳イエスが語っておられた時、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。
塚本訳こう話しておられた時、一人のパリサイ人がその家でお食事をと願ったので、(家に)入って食卓に着かれた。
前田訳お話しのとき、あるパリサイ人がその家でお食事をと願ったので、入って食卓につかれた。
新共同イエスはこのように話しておられたとき、ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。
NIVWhen Jesus had finished speaking, a Pharisee invited him to eat with him; so he went in and reclined at the table.
註解: パリサイ人はイエスの教えに感激したのであろう。またイエスはパリサイ人であってもこれを軽視し給わなかった。

11章38節 食事(しょくじ)(まへ)に[()を](あら)(たま)はぬを、()のパリサイ(びと)()(あや)しみたれば、[引照]

口語訳ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った。
塚本訳するとそのパリサイ人は、イエスが(規則どおり)食事の前にまず(手を)すすがれないのを見て不思議がった。
前田訳そのパリサイ人は彼が食前にまず清めをされないのを見ておどろいた。
新共同ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。
NIVBut the Pharisee, noticing that Jesus did not first wash before the meal, was surprised.
註解: ユダヤ人は食前に手を洗う習慣があったが、イエスはそれを必ずしも重視し給わず、従って弟子たちらもこれを実行しない場合があった(マタ15:2)。手を洗うことは衛生上良い習慣であるが、これに道徳的殊に宗教的意義を持たせるようになることは避くべきである。
辞解
[手を] 原文になし、原文は単に baptizô。

11章39節 (しゅ)これに()ひたまふ『(いま)(なんぢ)らパリサイ(びと)は、酒杯(さかづき)(ぼん)との(そと)(きよ)くす、されど(なんぢ)らの(うち)貪慾(どんよく)(あく)とにて滿()つるなり。[引照]

口語訳そこで主は彼に言われた、「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。
塚本訳主は彼に言われた、「よろしい、では君たちパリサイ人、君たちは杯や盆の外側は清潔にするが、(心の)内側は強欲と悪意とでいっぱいではないのか。
前田訳主は彼にいわれた、「さてさて、あなた方パリサイ人は杯や盆の外側は清めるが、内側は欲望と悪意に満ちている。
新共同主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。
NIVThen the Lord said to him, "Now then, you Pharisees clean the outside of the cup and dish, but inside you are full of greed and wickedness.

11章40節 (おろか)なる(もの)よ、(そと)(つく)りし(もの)は、(うち)をも(つく)りしならずや。[引照]

口語訳愚かな者たちよ、外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか。
塚本訳無知な人たちよ、外側を造った方が、内側もお造りになったのではないか。
前田訳わからずやよ、外側をお造りの方が内側もお造りではないか。
新共同愚かな者たち、外側を造られた神は、内側もお造りになったではないか。
NIVYou foolish people! Did not the one who made the outside make the inside also?

11章41節 (ただ)その(うち)にある(もの)(ほどこ)せ。さらば一切(すべて)(もの)なんぢらの(ため)(きよ)くなるなり。[引照]

口語訳ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。
塚本訳とにかく、(杯や盆の)内のものを施してみよ。見る間に、君たちのもの一切が清潔になるであろう。
前田訳しかし内のものを施しにせよ。たちまちあなたのすべてが清まる。
新共同ただ、器の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。
NIVBut give what is inside [the dish] to the poor, and everything will be clean for you.
註解: 外部を潔くし、形式を立派にしても、それがために心の内部まで潔くはならず、また潔いことにもならない。反対に心の内部が潔くなるならば、たとい外部が潔くなくともそれらもみな潔いものとなる。悪人が美服を着ても、その美衣まで醜く見え、善人が粗服を纏えば粗服までも美しく見える。神は内部も外部も共に造り給うたのに、唯外部にのみ心を奪われることは無意義である。汝らの内部には貪慾、悪、偽善で一杯ではないか、まず「内にある物」すなわち汝の心を占領している汝の財宝を施せ、さらば手を洗わずとも全身神の霊によって潔められるであろう。▲「施せ」を口語訳では「きよめなさい」と訳したのは理由不明。註解的訳語であろう。

11章42節 禍害(わざはひ)なるかな、パリサイ(びと)よ、(なんぢ)らは薄荷(はくか)芸香(うんかう)その(ほか)あらゆる野菜(やさい)十分(じふぶん)(いち)(をさ)めて、公平(こうへい)(かみ)(たい)する(あい)とを等閑(なほざり)にす、されど(これ)(おこな)ふべきものなり。(しか)して(かれ)もまた等閑(なほざり)にすべきものならず。[引照]

口語訳しかし、あなた方パリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。
塚本訳ああ禍だ、君たちパリサイ人!君たちは薄荷や芸香やすべての野菜の(収穫の)一割税は(神妙に)納めるが、(大切な)正義と神に対する愛とをゆるがせにしているからだ。しかしこれこそ行うべきである。だがあれもなおざりにしてはならない。
前田訳わざわいなのはあなた方パリサイ人、薄荷(はっか)や芸香(うんこう)やすべての野菜の十分の一税は納めるが、正義と神の愛はなおざりにするから。これこそ行なうべきであり、あれもなおざりにすべきでない。
新共同それにしても、あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もおろそかにしてはならないが。
NIV"Woe to you Pharisees, because you give God a tenth of your mint, rue and all other kinds of garden herbs, but you neglect justice and the love of God. You should have practiced the latter without leaving the former undone.
註解: マタ23:23参照。形式的律法の遵守に熱心であることは差支えないが、それよりもさらに重要な正義、公平、神に対する愛を等閑(なおざり)にすることは非常な誤りである。根本を棄てて枝葉を重んずるのは罪である。

11章43節 禍害(わざはひ)なるかな、パリサイ(びと)よ、(なんぢ)らは會堂(くわいだう)上座(じゃうざ)市場(いちば)にての敬禮(けいれい)(よろこ)ぶ。[引照]

口語訳あなたがたパリサイ人は、わざわいである。会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる。
塚本訳ああ禍だ、君たちパリサイ人!君たちは礼拝堂の上席や、市場で挨拶されることを好むからだ。
前田訳わざわいなのはあなた方パリサイ人、会堂の上座や市場でのあいさつを好むから。
新共同あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。会堂では上席に着くこと、広場では挨拶されることを好むからだ。
NIV"Woe to you Pharisees, because you love the most important seats in the synagogues and greetings in the marketplaces.
註解: マタ23:6、7参照。ただし7節に相当するものをルカは省略している。彼らの虚栄の強さと、宗教的誇りとを非難し給う。

11章44節 禍害(わざはひ)なるかな、(なんぢ)らは(あらは)れぬ(はか)のごとし。()(うへ)(あゆ)(ひと)これを()らぬなり』[引照]

口語訳あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる」。
塚本訳ああ禍だ、君たちは!君たちは見分けのつかない(汚れた)墓のようで、人は(それと)知らずにその上を歩くからだ。(同じように、きたない君たちに接する人は皆汚れる。)」
前田訳わざわいなのはあなた方、目だたぬ墓のようで、人は知らずにその上を歩くから」と。
新共同あなたたちは不幸だ。人目につかない墓のようなものである。その上を歩く人は気づかない。」
NIV"Woe to you, because you are like unmarked graves, which men walk over without knowing it."
註解: ユダヤ人は墓地を汚れたものと考え、その上を歩むものは汚れを受けると信じて極力これを避けていた。然るにパリサイ人は墓であることが判明(わか)らなくなっている墓地のようなもので、人は知らずにこれに接近して汚されてしまう。甚だ危険な存在である。マタ23:27は本節に類似しているけれども反対の比喩である。

11章45節 教法師(けうほふし)一人(ひとり)(こた)へて()ふ『()よ、()かることを()ふは、(われ)らをも(はづか)しむるなり』[引照]

口語訳ひとりの律法学者がイエスに答えて言った、「先生、そんなことを言われるのは、わたしたちまでも侮辱することです」。
塚本訳するとひとりの律法学者が口を出した、「先生、あなたはそう言って、わたし達までも侮辱しておられます。」
前田訳するとひとりの律法学者が答えた、「先生、あなたはそうおっしゃって、われらをも侮辱なさいます」と。
新共同そこで、律法の専門家の一人が、「先生、そんなことをおっしゃれば、わたしたちをも侮辱することになります」と言った。
NIVOne of the experts in the law answered him, "Teacher, when you say these things, you insult us also."
註解: イエスは以上にパリサイ人に対して四つの非難を浴びせたのでその座にいた教法師も、その非難が自分にも当嵌(あては)まることを感じてイエスに抗議した。
辞解
[辱しむ] hubrizô 正しくない非難のこと。

11章46節 イエス()(たま)ふ『なんぢら教法師(けうほふし)禍害(わざはひ)なる(かな)。なんぢら(にな)(かた)()(ひと)(おは)せて、(みづか)(ゆび)(ひと)つだに()()につけぬなり。[引照]

口語訳そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。
塚本訳イエスが言われた、「ああ禍だ、君たち律法学者も!君たちは人には負いきれない荷を負わせながら、自分では(担ってやるどころか、)ただの指一本、その荷にさわってやらないからだ。
前田訳彼はいわれた、「あなた方律法学者もわざわいだ、人には負い切れぬ荷を負わせながら、自分では指一本その荷にふれてやらないから。
新共同イエスは言われた。「あなたたち律法の専門家も不幸だ。人には背負いきれない重荷を負わせながら、自分では指一本もその重荷に触れようとしないからだ。
NIVJesus replied, "And you experts in the law, woe to you, because you load people down with burdens they can hardly carry, and you yourselves will not lift one finger to help them.
註解: マタ23:4参照。教法師はむずかしい律法をもって人を束縛し、人に不可能を強いながら少しもこれを助けようとしない、愛が無いからである。愛なき律法ほど禍なものはない。

11章47節 禍害(わざはひ)なるかな、(なんぢ)らは預言者(よげんしゃ)たちの(はか)()つ、(これ)(ころ)しし(もの)(なんぢ)らの先祖(せんぞ)なり。[引照]

口語訳あなたがたは、わざわいである。預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなたがたの先祖であったのだ。
塚本訳ああ禍だ、君たちは!君たちは預言者の記念碑を建てるが、その預言者を殺したのは君たちの先祖だからだ。
前田訳わざわいなのはあなた方、自分の先祖が殺した預言者の碑を建てるから。
新共同あなたたちは不幸だ。自分の先祖が殺した預言者たちの墓を建てているからだ。
NIV"Woe to you, because you build tombs for the prophets, and it was your forefathers who killed them.

11章48節 げに(なんぢ)らは先祖(せんぞ)所作(しわざ)()しとする證人(しょうにん)ぞ。それは(かれ)らは(これ)(ころ)し、(なんぢ)らは()(はか)()つればなり。[引照]

口語訳だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから。
塚本訳それゆえ君たちは先祖がした(預言者殺しの)業の証人であり、またその賛成者である。先祖は殺し、君たちは(その記念碑を)建てるからだ。
前田訳あなた方は自分の先祖のわざの証人かつ支持者である、先祖は殺し、あなた方は碑を建てるから。
新共同こうして、あなたたちは先祖の仕業の証人となり、それに賛成している。先祖は殺し、あなたたちは墓を建てているからである。
NIVSo you testify that you approve of what your forefathers did; they killed the prophets, and you build their tombs.
註解: マタ23:29−31はこれに類似しているけれども理路明白であるに反し、ルカ伝の記載方はやや難解である。その意味は「汝らは先祖たちが殺した預言者を尊敬する振りをして預言者の墓を建てているけれども、それは結局汝らの先祖の行いの記念碑になるわけである。もし真に汝らの祖先の行為を非とするならばかかる記念碑を建てる勇気はでないはずである。然るに汝らはこれを建てるのだから先祖の行為を是認する証拠である」。而してイエスは言外にさらに「その証拠に汝らは神の子とその弟子とを迫害するではないか」との意味を含ませていることは勿論である。

11章49節 この(ゆゑ)(かみ)智慧(ちゑ)いへる(ことば)あり、[引照]

口語訳それゆえに、『神の知恵』も言っている、『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』。
塚本訳だから神の知恵も(預言して)言っている、『わたしが預言者や使徒を派遣すると、彼らはそのある者を殺し、また迫害するであろう。
前田訳それゆえ神の知恵もいった、『預言者や使徒をつかわすと、彼らはそのあるものを殺し、また迫害しよう』と。
新共同だから、神の知恵もこう言っている。『わたしは預言者や使徒たちを遣わすが、人々はその中のある者を殺し、ある者を迫害する。』
NIVBecause of this, God in his wisdom said, `I will send them prophets and apostles, some of whom they will kill and others they will persecute.'
註解: 以下は旧約聖書よりの引用ではなく、恐らく旧訳の精神を取り、これに新約の事実をも加えてイエス自ら言い給える預言であろう。

われ預言者(よげんしゃ)使徒(しと)とを(かれ)らに(つかは)さんに、その(うち)(ある)(もの)(ころ)し、また()(くる)しめん。

辞解
[逐い苦しめん] 「迫害せん」。

11章50節 ()(はじめ)より(なが)されたる(すべ)ての預言者(よげんしゃ)()[引照]

口語訳それで、アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。
塚本訳これは、(こうして彼らが迫害する預言者の血だけでなく、)世の始めから流されたすべての預言者の血に対して、この時代が勘定を取られるためである、
前田訳これは、世のはじめから流されたすべての血に対してこの世代が跡始末させられるためである。
新共同こうして、天地創造の時から流されたすべての預言者の血について、今の時代の者たちが責任を問われることになる。
NIVTherefore this generation will be held responsible for the blood of all the prophets that has been shed since the beginning of the world,

11章51節 (すなは)ちアベルの()より、祭壇(さいだん)聖所(せいじょ)との(あひだ)にて(ころ)されたるザカリヤの()(いた)るまでを、(いま)()(ただ)すべきなり。(しか)り、われ(なんぢ)らに()ぐ、(いま)()(ただ)さるべし。[引照]

口語訳そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。
塚本訳(すなわち、最初の殺人であった)アベルの血から、祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで(の血に対して。)』ほんとうに、わたしは言う、この時代(の君たち)は勘定を取られるであろう。
前田訳アベルの血から、祭壇と聖所との間で殺されたザカリヤの血にいたるまで。本当にいう、この世代は跡始末をさせられよう。
新共同それは、アベルの血から、祭壇と聖所の間で殺されたゼカルヤの血にまで及ぶ。そうだ。言っておくが、今の時代の者たちはその責任を問われる。
NIVfrom the blood of Abel to the blood of Zechariah, who was killed between the altar and the sanctuary. Yes, I tell you, this generation will be held responsible for it all.
註解: マタ23:34−36参照。今の代すなわちイエスの言を聴きつつある代の人々はイエスを受けず、(やがて)てこれを殺すであろう。そしてイエスの福音を宣伝うる使徒たちをも迫害するであろう。かくして彼らはイエスに対する最大の罪を犯すことによって人類始まって以来、今日に至るまでのあらゆる流血の罪の報いをその身に受けるであろう。まことに恐るべきことである。
辞解
[アベルとザカリヤ] 旧約聖書の最初(創4:8−10)と最後(U歴24:20、21)の殺人事件を掲げて、全部を網羅したことにしたもの。
[今の代に(ただ)すべきなり、今の代は(ただ)さるべし] 双方とも原文同一で「血は・・・・今の代より追及されるであろう」となり「今の代に責任を追及すること」となる。
[▲聖所] 原語 oikos (家)でU歴24:21の「神の家」を指す。異本に「宮」 naos とあり。

11章52節 禍害(わざはひ)なるかな教法師(けうほふし)よ、なんぢらは知識(ちしき)(かぎ)()()りて(みづか)()らず、()らんとする(ひと)をも()めしなり』[引照]

口語訳あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた」。
塚本訳ああ禍だ、君たち律法学者!君たちは(神の国の)知識の鍵を取り上げて、自分も入らず、また入ろうとする者の邪魔をするからだ。」
前田訳わざわいなのはあなた方律法学者、知識の鍵を取りあげて、自らも入らず、入ろうとするものを妨げるから」と。
新共同あなたたち律法の専門家は不幸だ。知識の鍵を取り上げ、自分が入らないばかりか、入ろうとする人々をも妨げてきたからだ。」
NIV"Woe to you experts in the law, because you have taken away the key to knowledge. You yourselves have not entered, and you have hindered those who were entering."
註解: マタ23:13参照。結局において教法師は知識の鍵を取去ってしまっている。知識の鍵はキリストであり、イエスをキリストと知ることによって宇宙の凡ての神秘は開かれ、神の知識が与えられる。然るにこのイエスを彼らは受けず、ついには迫害してこれを世より取去ってしまう(イザ53:8)。その結果彼らは神の国のことについて無知となり、自らはこれに入らず、入らんとする人をも禁止している結果となる。「禍害なるかな」である。

11章53節 此處(ここ)より()(たま)へば、學者(がくしゃ)・パリサイ(びと)(はげ)しく()()せて、樣々(さまざま)のことを(なじ)りはじめ、[引照]

口語訳イエスがそこを出て行かれると、律法学者やパリサイ人は、激しく詰め寄り、いろいろな事を問いかけて、
塚本訳イエスがそこを出てゆかれると、聖書学者とパリサイ人とは(イエスに対して)ひどく敵意をいだき、いろいろな質問をあびせ始めた。
前田訳彼がそこを出られると、学者とパリサイ人はひどく反発し、たくさんの質問をあびせはじめた。
新共同イエスがそこを出て行かれると、律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、いろいろの問題でイエスに質問を浴びせ始め、
NIVWhen Jesus left there, the Pharisees and the teachers of the law began to oppose him fiercely and to besiege him with questions,

11章54節 その(くち)より何事(なにごと)をか(とら)へんと待構(まちかま)へたり。[引照]

口語訳イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらいはじめた。
塚本訳あわよくば、その口から何か言葉質をとろうと狙っていたのである。
前田訳彼の口から何かことばじりをとらえようとねらっていたのである。
新共同何か言葉じりをとらえようとねらっていた。
NIVwaiting to catch him in something he might say.
註解: 52節に至るまでのイエスの徹底的非難のために彼らの反イエス的感情は益々強くなってきた。そしてイエスを告訴する手掛りを求めて彼をして口を割らしめようと狙っていた。
辞解
[捉へる] thêreuô は漁師が獲物を捕えること。
[待構へる] endreuô はワナをかけること。
要義1 [パリサイ人・学者・教法師等の不信]宗教や律法に関する専門家ともいうべき彼らが、何故にイエスを受けず、イエスより最も激しき呪詛(のろい)の声を受けなければならなかったかというに、それは彼らは形式的宗教に満足して偽善に陥り、自己のみを義しとする心が強く、謙遜な心をもって真理を受納れないためである。真理に対する感受性の最も弱い者は、宗教を職業としている者である場合が多い。その故はその思想や用語や形式に慣れ過ぎ、その包含する真理をその充分な深さにおいて感じなくなるからである。従って彼らにとってはイエスの言も批判の対象となるだけで、イエスを信ずる態度に出るに至らなかった。また彼らの職業意識は、イエスにおいてその職業的敵手を見出したからである。最も詛われたもの、最も天国に遠い者は職業的宗教家や神学者であろう。
要義2 [今日のキリスト者とパリサイ人]37−52節のパリサイ人に対するイエスの非難は、今日のキリスト者とその教会に対して無関係であると考えてはならない。彼らの反省すべきは彼らが果して(1)38−41節のごとくに信者としての形式に満足して、心の姿を無視しはしないか、(2)また42節のごとく外的の義務に重点を置き過ぎて正義と愛の実行を忘れていないか、また(3)43節のごとく人の目に立派に見えるように体裁を作り、神の前に正しい者となることを軽視はせぬか、(4)また42節のごとく美しい雰囲気の中に包蔵される醜い心の姿が、何時の間にか教会内のキリスト者に感化を与えることがないか、また(5)46節のごとく信者に多くの義務を負わせるだけで、共に重荷を負うことが足りなくはないか、また(6)47−51節のごとく、知らずに真の預言者を迫害してはいないか、また(7)52節のごとく神を知る知識の鍵たる聖書の理解を自ら有たず、またこれを有たんとすることを妨げはしないか、等の諸点である。そして謙虚な心をもって反省する者は、何人もこのイエスの非難が今日のキリスト者にもそのまま適用し得ることを発見するであろう。

ルカ伝第12章
6-4 弟子の生活態度を教え給う 12:1 - 12:48
6-4-イ 迫害を恐るな 12:1 - 12:12
(マタ10:26-33)   

12章1節 その(とき)無數(むすう)(ひと)あつまりて、群衆(ぐんじゅう)ふみ()ふばかりなり。イエスまづ弟子(でし)たちに()()(たま)[引照]

口語訳その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。
塚本訳とかくするうちに、(足を)踏み合うほど数かぎりない群衆が集まってきた。イエスはまず弟子たちに言い出された、「パリサイ人のパン種──彼らの偽善──を警戒せよ。
前田訳そのうちに数万の群衆が集まって来て、互いに踏みあうほどであった。彼はまず弟子たちにいいだされた、「パリサイ人のパン種に気をつけよ。それは偽善である。
新共同とかくするうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種に注意しなさい。それは偽善である。
NIVMeanwhile, when a crowd of many thousands had gathered, so that they were trampling on one another, Jesus began to speak first to his disciples, saying: "Be on your guard against the yeast of the Pharisees, which is hypocrisy.
註解: 数千の群衆が集って来たので、弟子たちは師の伝道の花やかさに目を奪われ、唯歓喜に充されて、その伝道事業の困難さを思う余裕も無かった。かかる弟子を「先ず」訓戒しなければならないことをイエスは感じ給うた。

『なんぢら、パリサイ(びと)のパンだねに(こころ)せよ、これ僞善(ぎぜん)なり。

註解: パン種はマタ16:6マタ16:11、12やマコ8:15Tコリ5:7の場合と異なり、ここでは偽善を意味す。殊に本節の場合は次の2、3節より見て虚偽と、隠し立ての態度を指す。なおパン種は粉の塊を脹れさせる故に、悪い分子の伝播力が強く感化が及び易い意味に用いられている(Tコリ5:6)。

12章2節 (おほ)はれたるものに(あらは)れぬはなく、(かく)れたるものに()られぬはなし。[引照]

口語訳おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
塚本訳覆われているものであらわされないものはなく、隠れているもので(人に)知られないものはない。
前田訳おおわれたもので現わされぬものはなく、隠されたもので知られぬものはない。
新共同覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。
NIVThere is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known.

12章3節 この(ゆゑ)(なんぢ)らが(くら)きにて()ふことは、(あか)るきにて(きこ)え、部屋(へや)(うち)にて(みみ)によりて(かた)りしことは、()(うへ)にて()べらるべし。[引照]

口語訳だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。
塚本訳(伝道も同じである。)だからあなた達が暗闇で(こっそり)言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことは、屋根の上で宣伝される(時が来る)のである。
前田訳それゆえ、あなた方が闇でいったことはすべて明るみで聞かれ、奥の部屋でいったことは屋根の上で伝えられる。
新共同だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」
NIVWhat you have said in the dark will be heard in the daylight, and what you have whispered in the ear in the inner rooms will be proclaimed from the roofs.
註解: 弟子たちはその信仰を隠してはならない。たとい迫害を恐れたりまたは福音を恥としてこれを隠してもそれは結局明かにされるであろう。(おお)われたものは必ず顕れ、隠れたるものは必ず知られる。偽善は結局何の役にも立たない。それ故結局マタ10:27のイエスの命令はここにも適用されなければならぬ。マタ10:26、27参照。

12章4節 ()(とも)たる(なんぢ)らに()ぐ。()(ころ)して(のち)(なに)をも()()(もの)どもを(おそ)るな。[引照]

口語訳そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。
塚本訳あなた達、わたしの友人に言う、体を殺しても、そのあと、それ以上には何もできない者を恐れるな。
前田訳わが友としてあなた方にいう、体を殺しても、そのあとでそれ以上は何もできないものをおそれるな。
新共同「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。
NIV"I tell you, my friends, do not be afraid of those who kill the body and after that can do no more.
註解: 汝らの敵は汝らを迫害し、汝らを殺そうとするであろう、がしかし彼らはそれ以上のことは何もできない。我らの肉体が死んでも我らの霊魂は死なない、それ故に彼らを恐れる理由は全くない。
辞解
[何をも] perissoteron 「ヨリ以上のこと」。

12章5節 (おそ)るべきものを(なんぢ)らに(しめ)さん。(ころ)したる(のち)ゲヘナに()()るる權威(けんゐ)ある(もの)(おそ)れよ。われ(なんぢ)らに()ぐ、げに(これ)(おそ)れよ。[引照]

口語訳恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
塚本訳恐るべき者はだれか、おしえてあげよう。殺したあとで、地獄に投げ込む権力を持っておられるお方を恐れよ。ほんとうに、わたしは言う、そのお方(だけ)を恐れよ。
前田訳あなた方がおそれるべきものを示そう。殺したあとで地獄(ゲヘナ)に投げ入れる権威をお持ちの方をおそれよ。本当に、わたしはいう、その方をおそれよ。
新共同だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
NIVBut I will show you whom you should fear: Fear him who, after the killing of the body, has power to throw you into hell. Yes, I tell you, fear him.
註解: マタ10:28)懼るべきものは神だけである。神は我らの霊魂を救うことも亡ぼすこともできる権威を有ち給う。この神をこそ懼るべきであるが、それ以外に懼るべきものは有ってはならぬ。
辞解
[ゲヘナ] 地獄というごとき意、人間が永遠の火に焼かれる場所、本来エルサレムの南にあるヒンノムの谷(ゲイ・ヒンノム=ゲヘンナ)から転じたる名称で、この谷で異教徒がその子をモロクにささげて焼き殺した処。

12章6節 ()()(すずめ)二錢(にせん)にて()るにあらずや、(しか)るに()(いち)()だに(かみ)(まへ)(わす)れらるる(こと)なし。[引照]

口語訳五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。
塚本訳雀は五羽二アサリオン(六十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、神に忘れられてはいないのである。
前田訳雀は五羽二アサリオンで売られるではないか。しかし、神の前にはその一羽も忘れられていない。
新共同五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
NIVAre not five sparrows sold for two pennies ? Yet not one of them is forgotten by God.

12章7節 (なんぢ)らの(かしら)(かみ)までもみな(かず)へらる。(おそ)るな、(なんぢ)らは(おほ)くの(すずめ)よりも(すぐ)るるなり。[引照]

口語訳その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
塚本訳それどころかあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。恐れることはない、あなた達は多くの雀よりも大切である。
前田訳それどころか、あなた方の髪の毛もすべて数えられている。おそれるな。あなた方は多くの雀よりもすぐれている。
新共同それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
NIVIndeed, the very hairs of your head are all numbered. Don't be afraid; you are worth more than many sparrows.
註解: マタ10:29−31)五羽で二銭の雀に対する神の配慮、我らの頭の髪の1本ずつに対する神の御業を思うならば、汝らの上に神は如何ばかり御心を注ぎ給うかが判明(わか)るであろう。それ故に如何なる場合でも神の守護が汝らを離れることはない故、絶対に懼れる必要がない。それ故に凡ての人の前に大胆に汝らの信仰を告白し、福音の宣伝を為さなければならぬ。

12章8節 われ(なんぢ)らに()ぐ、(おほよ)(ひと)(まへ)(われ)()ひあらはす(もの)を、(ひと)()もまた(かみ)使(つかひ)たちの(まへ)にて()ひあらはさん。[引照]

口語訳そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。
塚本訳それで、わたしは言う、(恐れずに説け。)だれでも人の前で公然わたしを(主と)告白する者を、人の子(わたし)も(裁きの日に、)神の使たちの前で(弟子として)認める。
前田訳わたしはいう、だれでも人々の前でわたしをいいあらわすものを人の子も神の使いたちの前でいいあらわそう。
新共同「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。
NIV"I tell you, whoever acknowledges me before men, the Son of Man will also acknowledge him before the angels of God.

12章9節 されど(ひと)(まへ)にて(われ)(いな)(もの)は、(かみ)使(つかひ)たちの(まへ)にて(いな)まれん。[引照]

口語訳しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。
塚本訳しかし人の前でわたしを否認する者は、神の使たちの前で(わたしから)否認されるであろう。
前田訳しかし人々の前でわたしを否むものは神の使いたちの前で否まれよう。
新共同しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。
NIVBut he who disowns me before men will be disowned before the angels of God.
註解: マタ10:32、33)イエスに対する信仰を人の前に告白することは勇気を要することであるが、もしこれを懼れて告白しないならば、かかる偽善者は神の前でイエスに否まれるであろう。神の護りを信じて勇気を得、凡ての虚偽を克服するのが弟子たちの真の生活である。
辞解
[神の使] マタ10:32、33には「父の前」とあり、意味同一なり。

12章10節 (おほよ)(ことば)をもて(ひと)()(さから)(もの)(ゆる)されん。されど(せい)(れい)(けが)すものは(ゆる)されじ。[引照]

口語訳また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。
塚本訳また、人の子(わたし)を冒涜する者ですら、皆、赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は(決して)赦されない。
前田訳人の子にいいさからうものは皆ゆるされよう。しかし聖霊をけがすものはゆるされまい。
新共同人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は赦されない。
NIVAnd everyone who speaks a word against the Son of Man will be forgiven, but anyone who blasphemes against the Holy Spirit will not be forgiven.
註解: 人の子イエスを神の子と知らずして彼に言い逆う者は、悔改めさえすれば赦されるであろう。しかし聖霊がすでにイエスが神の子であることを我らの心に示しているのに、この聖霊を(けが)してイエスを否む者はもはや赦されない。イエスを信ずる者が偽って彼を否むことの罪は大きい。マタ12:32は全く異なった場合に本節と同じ言をイエスは言い給うたとしてある故自然解釈は二つの場合異なってくる。なお「聖霊を涜す」を弟子たちの伝道を受入れないことと解する説(Z0)もありその他に諸説あれど取らず。

12章11節 (ひと)なんぢらを會堂(くわいだう)(あるひ)(つかさ)、あるひは權威(けんゐ)ある(もの)(まへ)()きゆかん(とき)、いかに(なに)(こた)へ、または(なに)()はんと(おも)(わづら)ふな。[引照]

口語訳あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。
塚本訳人々があなた達を礼拝堂や役所や官庁に引っ張っていった時には、いかに、何と弁明しようか、何を言おうかと、心配するな。
前田訳あなた方が会堂や役人や官権へと引っ張られるとき、いかに、何を弁明し、何をいおうかと心配するな。
新共同会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
NIV"When you are brought before synagogues, rulers and authorities, do not worry about how you will defend yourselves or what you will say,

12章12節 (せい)(れい)そのとき()ふべきことを(をし)(たま)はん』[引照]

口語訳言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。
塚本訳言うべきことは、その時に聖霊が教えてくださるのだから。」
前田訳聖霊がそのとき何をいうべきかを教えよう」と。
新共同言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」
NIVfor the Holy Spirit will teach you at that time what you should say."
註解: マタ10:19)前数節に述べしごとく、神汝を守り給うが故に、迫害者を懼れる必要は全くないのであるが、いよいよ迫害に遭ってユダヤ人の当局者の前に引き往かれる場合になっても、その訊問に対して如何様に答うべきかにつき心配すべきではない。聖霊はその時になって凡てを正しく指導し給う、信ずる者の平安はかくして絶対的である。
要義 [弟子たちの対世間的態度]最も重要なことは明白にその信仰を告白して、少しも偽らず隠さず、胡麻化さないことである。そのために迫害があっても、霊魂を主に委ねて平安である。訊問があっても、聖霊が我らの代りに答え給うが故に安心である。かくして弟子たるものは大胆に率直にその信仰を告白し、これを証することができる。

6-4-ロ 貪慾を戒め給う 12:13 - 12:21  

註解: 13−21節はルカ特有の物語である。

12章13節 群衆(ぐんじゅう)のうちの(ある)(ひと)いふ『()よ、わが兄弟(きゃうだい)(めい)じて、嗣業(しげふ)(われ)(わか)たしめ(たま)へ』[引照]

口語訳群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。
塚本訳すると群衆の中の一人がイエスに言った、「先生、遺産を分けてくれるように、兄に言ってください。」
前田訳群衆のひとりが彼にいった、「先生、遺産をわたしに分けるよう兄におっしゃってください」と。
新共同群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
NIVSomeone in the crowd said to him, "Teacher, tell my brother to divide the inheritance with me."
註解: イエスの名声と信用とを利用してその兄弟を説得してもらうつもりであったか(Z0)またはイエスの正義と公平とを信じ(B1)たためであったか、いずれかは不明であるが、父の死後その財産の分配に与らなかったかまたは不公平の分配であったために争っていた人がイエスに仲裁を乞う。

12章14節 (これ)()ひたまふ『(ひと)よ、(たれ)(われ)()てて(なんぢ)らの裁判人(さいばんにん)また分配(ぶんぱい)(もの)とせしぞ』[引照]

口語訳彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。
塚本訳イエスは「君、だれがわたしを、あなた達の裁判官また遺産分配人に任命したのか」とこたえておいて、
前田訳彼はいわれた、「君、だれがわたしをあなた方の裁判官また分配人に任命したのか」と。
新共同イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
NIVJesus replied, "Man, who appointed me a judge or an arbiter between you?"
註解: 「霊魂の師を崇めるの余り往々にしてその師を家庭争議や民事争議の審判官にしようと希望するように下落しやすいものである」(B1)がイエスの使命はこれよりもさらに根本的な点にあったので、イエスはこれに応じ給わず、かえってその人の貪慾を戒め、また一般の群衆にも貪慾を戒むべきことを教え給う(次節)。

12章15節 かくて人々(ひとびと)()ひたまふ『(つつし)みて(すべ)ての慳貪(むさぼり)をふせげ、(ひと)生命(いのち)所有(もちもの)(ゆたか)なるには()らぬなり』[引照]

口語訳それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。
塚本訳人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
前田訳そして人々にいわれた、「すべての欲望に注意し、心せよ。あり余っていても財産からいのちは出て来ないから」と。
新共同そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
NIVThen he said to them, "Watch out! Be on your guard against all kinds of greed; a man's life does not consist in the abundance of his possessions."
註解: (▲本節の訳語は口語訳が勝っている。)イエスはさらに群衆に向って慳貧(むさぼり)を防ぐべきことを教え、人間の生命の維持のためには、所有が豊富であることは必要ではないこと、従って地上に多くの財を蓄えんとすることの愚かさを述べ給う。

12章16節 また(たとへ)(かた)りて()(たま)ふ『ある()める(ひと)、その(はた)(ゆたか)(みの)りたれば、[引照]

口語訳そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。
塚本訳そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
前田訳そして彼らに譬えを話された、「ある金持の畑が豊作であった。
新共同それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
NIVAnd he told them this parable: "The ground of a certain rich man produced a good crop.

12章17節 (こころ)(うち)(はか)りて()ふ「われ如何(いか)にせん、()作物(さくもつ)(をさ)めおく(ところ)なし」[引照]

口語訳そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして
塚本訳『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
前田訳そこでそっと考えた、『どうしよう。作物をしまう場所がない』と。
新共同金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
NIVHe thought to himself, `What shall I do? I have no place to store my crops.'
註解: いわゆる嬉しい悲鳴である。天然と勤労との結果として現れる豊作によって富むことは、最も自然で正しく罪の無い財産の増加である。それでも、そのことが人をして罪に陥らしむる原因となることが多い(B1)、神の恩恵よりも財産そのものに捕われるからである。

12章18節 (つい)()ふ「われ()()さん、わが(くら)(こは)ち、(さら)(おほい)なるものを()てて、其處(そこ)にわが穀物(こくもつ)および()(もの)をことごとく(をさ)めん。[引照]

口語訳言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。
塚本訳やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
前田訳やがていった、『こうしよう、倉をこわして大きいのを建て、わが穀物と財産をしまって、
新共同やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
NIV"Then he said, `This is what I'll do. I will tear down my barns and build bigger ones, and there I will store all my grain and my goods.

12章19節 かくてわが靈魂(たましひ)()はん、靈魂(たましひ)よ、多年(たねん)(すご)すに()(おほ)くの()(もの)(たくは)へたれば、(やす)んぜよ、飮食(のみくひ)せよ、(たの)しめよ」[引照]

口語訳そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
塚本訳それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
前田訳わが魂にいおう、魂よ、おまえには長年のための財産がたくさんしまってある。休み、食べ、飲み、楽しめ』と。
新共同こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
NIVAnd I'll say to myself, "You have plenty of good things laid up for many years. Take life easy; eat, drink and be merry."'
註解: この計画とその実行の中には、人間的の打算をもって、その財産の安全と自己の生命の安泰と享楽とを企てる以外の何ものも無い。これで人間は自分の目的を達し、何らの心配も不安もないとして喜ぶのであるが、人間のこの計画は凡て画餅(がべい)に帰してしまうかもしれないことを彼は考えなかった。神を知らない人間は凡てこの富める人のごとくに愚である。
辞解
[霊魂] psychê はまた「生命」とも訳し得る語である。かく解して本節および次節の意味の内容は一層豊富となる。

12章20節 (しか)るに(かみ)かれに「(おろか)なる(もの)よ、今宵(こよひ)なんぢの靈魂(たましひ)とらるべし、さらば(なんぢ)(そな)へたる(もの)は、(たれ)がものとなるべきぞ」と()(たま)へり。[引照]

口語訳すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。
塚本訳しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
前田訳しかし神はその人にいわれた、『愚かものよ、今夜おまえの魂はとられよう。おまえが用意したものはだれのものになるのか』と。
新共同しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
NIV"But God said to him, `You fool! This very night your life will be demanded from you. Then who will get what you have prepared for yourself?'
註解: 我らの生命は神の御手の中にあることを考えたならば、多年の先まで思い煩うことの愚かさを何人も知ることができるはずである。その夜卒然に死んだならばかの富める男が自分の霊魂に向って語った言葉の凡てが無効となってしまうであろう。このことが起らないとは誰が言うことができるか。この教訓はまた兄弟相争っている13節の人を教訓するに充分であった。

12章21節 (おのれ)のために(たから)(たくは)へ、(かみ)(たい)して()まぬ(もの)()くのごとし』[引照]

口語訳自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
塚本訳自分のために(地上に)宝を積んで、神のところで富んでいない者はみな、このとおりである。」
前田訳自分のために宝をつんで、神に対して富まぬものはこのようである」と。
新共同自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
NIV"This is how it will be with anyone who stores up things for himself but is not rich toward God."
註解: 「神に対して富む」とは財寳を天に貯えること(マタ6:20)である。自己の財産を神のために用いること、自己の富をもって苦しむ者貧しき者を助けることも神に対して富むための方法であるが、広く神の御許に記憶される行為を為すことを指す。従ってここでは単に「神のために財産を貯える」とか「貯えた財を神のために使う」という狭い意味ではない。
要義 [富と罪]富を積むことが必ずしも悪事ではないが、富が増すに従って人間は罪を犯しやすい。すなわちその富に心を奪われて神の国と神の義とを忘れ、貧しき者を思いやる心を失い、富に依り頼んで神に依り頼まず、その平安を富に求めて神にある平安を忘れる。これらは凡て罪の根本的なものであって、これがほとんど例外なしに富の蓄積に伴って生ずる。

6-4-ハ 衣食のことを思い煩うな 12:22 - 12:34
(マタ6:25-33)   

12章22節 また弟子(でし)たちに()(たま)[引照]

口語訳それから弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。
塚本訳それから(また)弟子たちに言われた、「だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。
前田訳彼は弟子たちにいわれた、「それゆえわたしはいう、何を食べようかといのちのことを、何を着ようかと体のことを気にするな。
新共同それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。
NIVThen Jesus said to his disciples: "Therefore I tell you, do not worry about your life, what you will eat; or about your body, what you will wear.
註解: 群衆よりさらに復転して弟子たちに向って語り給うた。一層深い真理でありかつ、凡てを棄ててイエスに従った弟子たちに必要な教訓だからである。

『この(ゆゑ)にわれ(なんぢ)らに()ぐ、(なに)(くら)はんと生命(いのち)のことを(おも)(わづら)ひ、(なに)()んと(からだ)のことを(おも)(わづら)ふな。

12章23節 生命(いのち)(かて)にまさり、(からだ)(ころも)(まさ)るなり。[引照]

口語訳命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。
塚本訳命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)だから。(命と体とを下さった神が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
前田訳いのちは食べ物以上、体は着物以上である。
新共同命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。
NIVLife is more than food, and the body more than clothes.
註解: マタ6:25−33はほぼ22−31に相当する。その部分の註をも参照すべし。衣食は生命身体を保存するための材料であるが、世の人は本末を転倒して衣食のために全力を費やして人間の生命身体が神の特別の保護の下にあることを忘却してしまう。

12章24節 鴉を(おも)()よ、()かず、()らず、納屋(なや)(くら)もなし。(しか)るに(かみ)(これ)(やしな)ひたまふ、(なんぢ)(とり)(すぐ)るること幾許(いくばく)ぞや。[引照]

口語訳からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。
塚本訳烏をよく見てごらん。まかず、刈らず、納屋も倉もないのに、神はそれを養ってくださるのである。ましてあなた達は、鳥よりもどれだけ大切だか知れない。
前田訳烏を考えてみよ、まかず、刈らず、納屋も倉もないのに、神は養いたもう。あなた方はどれだけ烏にまさることか。
新共同烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。
NIVConsider the ravens: They do not sow or reap, they have no storeroom or barn; yet God feeds them. And how much more valuable you are than birds!
註解: 少しも思い煩わなくとも神は人間を養い給うことに絶対の信頼を持つべきである。ただし人間も播かず刈らずにいるべしとのことではない。(からす)の例は、その自然に在るがままの姿で思い煩わないことを示したのである。人間もその自然にあるがままの知能を働かせ、使命を果しつつ、衣食は全くこれを神に(まか)すべきである。

12章25節 (なんぢ)らの(うち)たれか(おも)(わづら)ひて、()(たけ)一尺(いっしゃく)(くは)()んや。[引照]

口語訳あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
塚本訳(だいいち、)あなた達のうちのだれが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
前田訳あなた方のだれが、気を配って寿命を少しでも延ばせるか。
新共同あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
NIVWho of you by worrying can add a single hour to his life ?

12章26節 されば(いと)(ちひさ)(こと)すら(あた)はぬに、(なに)(ほか)のことを(おも)(わづら)ふか。[引照]

口語訳そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。
塚本訳それなら、こんな小さなことさえ出来ないのに、なぜほかのことを心配するのか。
前田訳そんな小さいこともできずに、なぜほかのことを気にするか。
新共同こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。
NIVSince you cannot do this very little thing, why do you worry about the rest?
註解: 人間は如何に思い煩っても、その生命を思うままに延長したり身体を変化したりすることはできない。凡てを神の働きに任すべきである。
辞解
「身の長一尺」はまた「生命を寸陰も」と訳する説あり、前者を採る。

12章27節 百合(ゆり)(おも)()よ、(つむ)がず、()らざるなり。されど(われ)なんぢらに()ぐ、榮華(えいぐわ)(きは)めたるソロモンだに、()服裝(よそほひ)この(はな)(ひと)つにも()かざりき。[引照]

口語訳野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
塚本訳花は紡ぐことも、織ることもしないのに、よく見てごらん。しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
前田訳花は紡ぎも織りもしないことを考えてみよ。わたしはいう、栄華をきわめたソロモンもこの花のひとつほども着飾ってはいなかった。
新共同野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
NIV"Consider how the lilies grow. They do not labor or spin. Yet I tell you, not even Solomon in all his splendor was dressed like one of these.
註解: ▲口語訳で何故「野の花」と訳したのか不明。百合種である故とにかく「百合」と訳して差支えない。

12章28節 今日(けふ)ありて、明日(あす)()()()れらるる()(くさ)をも、(かみ)()(よそほ)(たま)へば、(まし)(なんぢ)らをや、ああ信仰(しんかう)うすき(もの)よ、[引照]

口語訳きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
塚本訳きょうは野に花咲き、あすは炉に投げ込まれる草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことである。信仰の小さい人たちよ!
前田訳きょう野にあり、あす炉に投げ込まれる草を神がこのように装いたもうならば、ましてあなた方はなおさらである。信仰の小さい人々よ。
新共同今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。
NIVIf that is how God clothes the grass of the field, which is here today, and tomorrow is thrown into the fire, how much more will he clothe you, O you of little faith!

12章29節 なんぢら(なに)(くら)(なに)()まんと(もと)むな、また(こころ)(うご)かすな。[引照]

口語訳あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。
塚本訳あなた達も、何を食べよう、何を飲もうと考えるな、また気をもむな。
前田訳あなた方も何を食べ何を飲もうと求めるな、気にするな。
新共同あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。
NIVAnd do not set your heart on what you will eat or drink; do not worry about it.

12章30節 (これ)みな()異邦人(いはうじん)(せつ)(もと)むる(ところ)なれど、(なんぢ)らの(ちち)は、(これ)()(もの)のなんぢらに必要(ひつえう)なるを()(たま)へばなり。[引照]

口語訳これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることを、ご存じである。
塚本訳それは皆この世の異教人の欲しがるもの。あなた達の父上は、それがあなた達に必要なことを御承知である。
前田訳それらはみな世の民が欲するもの。あなた方の父上はあなた方にそれらが要ることをご承知である。
新共同それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。
NIVFor the pagan world runs after all such things, and your Father knows that you need them.

12章31節 ただ(ちち)御國(みくに)(もと)めよ。さらば(これ)()(もの)は、なんぢらに(くは)へらるべし。[引照]

口語訳ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。
塚本訳あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
前田訳ただ彼のみ国を求めよ。そうすればそれらは加えて与えられよう。
新共同ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。
NIVBut seek his kingdom, and these things will be given to you as well.
註解: マタ6:28b−33註を参照すべし。財産と職業とを棄ててイエスに従っている弟子たちにとって最も困難な問題はその生活問題であった。これについてイエスは彼らに神に対する絶対信頼の態度を教え、唯神の国のみを求むべきことを示し給うた。そしてかかる者に神はその必要なるものを凡て供給し給う証拠として(からす)のごとき価値なき鳥、野辺に咲く一輪の花を神は如何に養い、如何に装い給うかを示したのであった。絶対に神を信頼して、唯神の御国を求むる者にとっては、このイエスの教訓は必ずそのまま実現することは、これを実行する者のみな経験し得る事実である。かくして無一物にして神に信頼するものの生活は鳥のごとくに自由であり花のごとくに美しい。
辞解
[心を動かすな] meteôrizomai で「上の空になる」という俗語が適切である。

12章32節 (おそ)るな、(ちひさ)(むれ)よ、なんぢらに御國(みくに)(たま)ふことは、(なんぢ)らの(ちち)御意(みこころ)な(ればな)り。[引照]

口語訳恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。
塚本訳小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。
前田訳おそれるな、小さい群れよ、あなた方の父上はよろこんでみ国を賜わるから。
新共同小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
NIV"Do not be afraid, little flock, for your Father has been pleased to give you the kingdom.
註解: 本節はルカ伝特有。無一物を心配して懼れをいだく必要は全くない。人間の親は少しばかりの財産をその子に残したいと思うのであるが、汝らの天の父は汝らに神の国をすら賜うことを欲しておられるのであるから、生活の資を賜らないはずはないからである。

12章33節 (なんぢ)らの所有(もちもの)()りて施濟(ほどこし)をなせ。(おの)がために(ふる)びぬ財布(さいふ)をつくり、()きぬ財寶(たから)(てん)(たくは)へよ。かしこは盜人(ぬすびと)(ちか)づかず、(むし)(やぶ)らぬなり、[引照]

口語訳自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。
塚本訳(ただ御国のために働けばよろしい。)持ち物を売って施しをしなさい。(すなわちそれによって)自分のために古び(て破れ)ることのない財布をつくり、泥坊が近づくことも、衣魚が食うこともない天に、使いつくすことのない宝をつんでおきなさい。
前田訳持ちものを売って施しをなさい。自分のために古びない財布をつくり、盗人が近づかず、しみも食わない天に無限の宝をつみなさい、
新共同自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。
NIVSell your possessions and give to the poor. Provide purses for yourselves that will not wear out, a treasure in heaven that will not be exhausted, where no thief comes near and no moth destroys.

12章34節 (なんぢ)らの財寶(たから)のある(ところ)には、(なんぢ)らの(こころ)もあるべし。[引照]

口語訳あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。
塚本訳宝のある所に、あなた達の心もあるのだから。
前田訳あなた方の宝のあるところにあなた方の心もあるから。
新共同あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
NIVFor where your treasure is, there your heart will be also.
註解: 33節はマタ6:19、20を異なる表現をもって示したものである。22−31節のごとくに神は弟子たちの生活を保証し給い、32節のごとく御国をすら賜うのであるから、今や自分の財産を心配する必要がないからこれを売却して貧者に施すべきである。この世の財布は使用するに従い年と共に旧び、この世における財寳は蓄えても間もなく尽きてしまう。然るに神の御心に従い、貧しき者に施し、悩める霊魂を慰むる行為は天において旧びざる財布の中に貯えられる尽きざる財寳である。これこそ盗難も蟲害も受けることのない最も安全な貯蓄といえる。弟子たちは主のこの御言の通り、無所有の生活に入ったのであった。そして彼らの一人も生活難のために倒れたものもなく、その伝道を放棄した者もなかった。
要義1 [生活問題一般]22−34節は特に弟子たちの生活問題について、その取るべき態度を示し給うたのであるが、これはその原理において凡ての人の生活態度の根本を示したるものである。社会事情の全然異なっている今日、文字通りにこの教訓に従うことはできず、また主はそれを要求し給わないであろうけれども、それを口実にしてこの教訓の中に示されている原理をも無視しようとするならば、それは甚だしい誤りである。形式は絶対ではないが原理は絶対である。キリスト者は凡てこの原理、この教えの精神を今日の形態において完全に実行し実現しなければならない。
要義2 [絶対信頼の生活]空の鳥を養い、野の百合を装い給う神が、人間をも養いまた飾り給わないはずがないことは、道理として何人も一応納得することではあるが、これを信じて絶対に信頼し、思い煩いのない生活を送ることは容易ではない。しかし信仰は冒険である。唯神の国のみを求めてこの冒険を実行するならば、必ずこのイエスの御言の真理であることを実験することができるであろう。そしてこの真理は個人の場合のみでなく、国家社会の場合においても事実である。

6-4-ニ 再臨のイエスを待望め 12:35 - 12:48
(マタ24:43-51)   

12章35節 なんぢら(こし)(おび)し、燈火(ともしび)をともして()れ。[引照]

口語訳腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。
塚本訳裾ひきからげ、明りをともしておれ。
前田訳腰に帯し、明りをともしておれ。
新共同「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
NIV"Be dressed ready for service and keep your lamps burning,
註解: 22−34節の絶対信頼の教えは怠慢無為の生活を為すべきことを教えるのではない。35節以下は絶対に神に信頼する者の生活態度が如何にあるべきかを示す。32節に神がその御国を賜うことが示されたのであるが、それはイエスの再臨の時であり、この再臨に対しては、腰に帯し、燈火をともして、何時でも主を迎え得る準備をしていなければならぬ。

12章36節 主人(あるじ)婚筵(こんえん)より(かへ)(きた)りて()(たた)かば、(ただ)ちに(ひら)くために()(ひと)のごとくなれ。[引照]

口語訳主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。
塚本訳あなた達は、主人が宴会からかえって来て戸をたたいたときすぐあけられるように、帰りいつかと待ちかまえている人のようであれ。
前田訳あなた方は、主人が婚宴から帰って戸をたたくとすぐあけられるように待ちかまえている人のようであれ。
新共同主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
NIVlike men waiting for their master to return from a wedding banquet, so that when he comes and knocks they can immediately open the door for him.
註解: 当時の社会で主人が婚筵に招かれて往く時は、その宴会のために帰りは通常遅くあった。もしその僕たちが目を覚し、火をともし、腰に帯して主人が帰るや否や直ちに戸を開いてこれを迎えないならば、すなわち寝衣を着、燈火を消して寝床の中に眠ってしまうならば、主人を家に迎え入れることはできない。主の再臨を迎うる者は常に彼を迎うる心の用意を為し、何時でも彼を迎うることができるようになっていなければならぬ。

12章37節 主人(あるじ)(きた)るとき、()(さま)しをるを()らるる(しもべ)どもは幸福(さいはひ)なるかな。われ(まこと)(なんぢ)らに()ぐ、主人(あるじ)(おび)して()(しもべ)どもを食事(しょくじ)(せき)()かせ、(すす)みて給仕(きふじ)すべし。[引照]

口語訳主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言っておく。主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。
塚本訳主人がかえって来たとき、目を覚ましているところを見られる僕たちは幸いである。アーメン、わたしは言う、主人の方で裾をひきからげて、僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕をしてくれるであろう。
前田訳さいわいなのは、主人が帰ったとき目を覚ましているのを見られる僕たち。本当にいう、主人が帯をし、僕たちを食卓につかせ、そばに来てもてなそう。
新共同主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
NIVIt will be good for those servants whose master finds them watching when he comes. I tell you the truth, he will dress himself to serve, will have them recline at the table and will come and wait on them.

12章38節 主人(あるじ)(よる)(なかば)ごろ(もし)くは(よる)()くる(ころ)(きた)るとも、かくの(ごと)くなるを()らるる(しもべ)どもは幸福(さいはひ)なり。[引照]

口語訳主人が夜中ごろ、あるいは夜明けごろに帰ってきても、そうしているのを見られるなら、その人たちはさいわいである。
塚本訳第二夜回りのころにせよ、第三夜回りのころにせよ、主人がかえって来たとき、こうして(目を覚まして)いるところを見られたら、その人たちは幸いである。
前田訳主人が夜中または夜明けに帰ってこのように目覚めているのを見れば、僕たちはさいわいである。
新共同主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
NIVIt will be good for those servants whose master finds them ready, even if he comes in the second or third watch of the night.
註解: 僕が自ら食事をも取らずに主人を待ち居るその忠実な態度を喜び、婚筵の歓びを帯びて帰って来た主人は自ら僕となってその僕どもに給仕するであろう。かくされる僕こそはまことに幸福である。再臨のイエスは王者の栄光をもって来給うのであるが、もしキリスト者が忠実に目を覚して再臨の主を待っているならば主はこれをよろこび、我らのためにあらゆる愛の御業を示し、我らをして真の幸福に浴せしめ給うであろう。主の帰来は「第二夜警時」すなわち夜遅くかまたは、「第三夜警時」すなわち夜の半過ぎ頃になるかもしれない(当時はユダヤ人はローマの習慣に従い夜を四分して三時間ずつの夜番を置いた。ただし当時もユダヤ人は宮の事については昔のまま夜を三分して各々の夜番を置いたと思われる。(S2)。すなわちイエスの再来は非常に遅れるかもしれないがそれでも同一の変らない態度で彼を待たなければならない。なお37、38節についてはマタ25:1−13を参照すべし。

12章39節 なんぢら(これ)()れ、家主(いへあるじ)もし盜人(ぬすびと)いづれの(とき)(きた)るかを()らば、その(いへ)穿(うが)たすまじ。[引照]

口語訳このことを、わきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、自分の家に押し入らせはしないであろう。
塚本訳あなた達はこのことを知っているはずだ。──何時に泥坊が来るとわかっておれば、家の主人は(目を覚ましていて、)みすみす家に忍び込ませはしないであろう。
前田訳このことを知れ、何時に盗人が来るとわかっていれば、家主は家に押し入らせまい。
新共同このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
NIVBut understand this: If the owner of the house had known at what hour the thief was coming, he would not have let his house be broken into.
註解: 本節より比喩は一変して主人と僕の関係ではなく盗人と家主との関係となる。盗人が入って来る時間が判明(わか)っていれば「目を覚しており」(異本にこの句を加えているのがある)家に押し入らせるようなことはない。盗人侵入の時刻は勿論何人も知らないで眠ってしまうから失敗するのである。イエスの再臨も何れの時か全く判明(わか)らない点においては盗人の侵入のごときものである。

12章40節 (なんぢ)らも(そな)へをれ。(ひと)()(おも)はぬ(とき)(きた)ればなり』[引照]

口語訳あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。
塚本訳あなた達も用意していなさい。人の子(わたし)は思いがけない時に来るのだから。」
前田訳あなた方も用意していよ。人の子は思わぬときに来るから」と。
新共同あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
NIVYou also must be ready, because the Son of Man will come at an hour when you do not expect him."
註解: イエスの再臨は全くその日その時を知らないのであるから(マタ24:42−44参照)、常に備えをしていなければならぬ。▲キリスト・イエスの再臨に対する備えとは、常に心を主より離さず、常に主の御業を実行しつづけることである。

12章41節 ペテロ()ふ『(しゅ)よ、この(たとへ)()(たま)ふは(われ)らにか、また(すべ)ての(ひと)に(も)か』[引照]

口語訳するとペテロが言った、「主よ、この譬を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。
塚本訳するとペテロが言った、「主よ、この譬はわたし達(世話をしている者)のためですか、それとも皆の者のためにも話されたのですか。」
前田訳ペテロがいった、「主よ、この譬えはわれらのためにお話しですか、それとも皆のためにもですか」と。
新共同そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、
NIVPeter asked, "Lord, are you telling this parable to us, or to everyone?"
註解: 「この譬」は単数名詞を用いている故、最後の(39・40)譬を指していると見るべきである。すなわち主の再臨の準備をしていることである。

12章42節 (しゅ)いひ(たま)ふ『主人(あるじ)(とき)(およ)びて(しもべ)どもに(さだめ)(かて)(あた)へさする(ため)に、その(しもべ)どもの(うへ)()つる忠實(ちゅうじつ)にして(さと)支配人(しはいにん)(たれ)なるか、[引照]

口語訳そこで主が言われた、「主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。
塚本訳主が言われた、「(旅行に出かける)主人が一人の番頭を(えらんで)召使たちの上に立て、時間時間にきまった食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな番頭が忠実で賢いのであろうか。
前田訳主はいわれた、「主人が支配人を召使いの上に立て、時間によってきまった食事を与えることにした場合、いったいどんな支配人が忠実で思慮があろうか。
新共同主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
NIVThe Lord answered, "Who then is the faithful and wise manager, whom the master puts in charge of his servants to give them their food allowance at the proper time?
註解: イエスは直接にペテロの問いに答えず間接に比喩をもってこれに答え給う。主人が外出する時、この支配人に全権を委ねて他の僕たちに食事を供給せしめる場合、忠実な支配人はその委任を主人の意のままに実行する支配人である。
辞解
[支配人] 単数を用う。この比喩は、「支配人」は使徒たちであり、「僕ども」は一般の群衆である。

12章43節 主人(あるじ)のきたる(とき)、かく()()るを()らるる(しもべ)幸福(さいはひ)なるかな。[引照]

口語訳主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
塚本訳それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸いである。
前田訳それは、主人が帰ったとき、いわれたようにしているのを見られる僕で、その僕はさいわいである。
新共同主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。
NIVIt will be good for that servant whom the master finds doing so when he returns.

12章44節 われ(まこと)をもて(なんぢ)らに()ぐ、主人(あるじ)すべての所有(もちもの)(かれ)(つかさ)どらすべし。[引照]

口語訳よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
塚本訳本当にあなた達に言う、主人は彼に全財産を管理させるに違いない。
前田訳本当にいう、彼に全財産を管理させよう。
新共同確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。
NIVI tell you the truth, he will put him in charge of all his possessions.
註解: ペテロ始め他の使徒たちは、一般の信徒の上に立てられた支配人に相当する。もし忠実にイエスの再臨を待望しそれに備えており、また一般の信徒をもかくせしめるならば、イエスの再臨の時かかる使徒たちはさらに大きい責任を負わされるであろう。かく言いてイエスはペテロに答え給い、39、40の比喩が使徒たちのみに言われたのではないが、使徒たちは殊に多くの責任を負わされているのであることを示し給うた。

12章45節 ()しその(しもべ)(こころ)のうちに、主人(あるじ)(きた)るは(おそ)しと(おも)ひ、(しもべ)婢女(はしため)をたたき、飮食(のみくひ)して()(はじ)めなば、[引照]

口語訳しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば、
塚本訳しかしその僕が、主人のかえりはおそい、と心の中で考えて、下男や下女をなぐったり、飲んだり食ったり酔っぱらったりし始めていると、
前田訳しかしその僕が、主人の帰りはおそい、と心に考えて、下男や下女をたたき、飲み食いして酔いはじめると、
新共同しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、
NIVBut suppose the servant says to himself, `My master is taking a long time in coming,' and he then begins to beat the menservants and maidservants and to eat and drink and get drunk.

12章46節 その(しもべ)主人(あるじ)、おもはぬ()()らぬ(とき)(きた)りて、(これ)(はげ)しく(むち)うち、その(むくい)()(ちゅう)(もの)(おな)じうせん。[引照]

口語訳その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう。
塚本訳予期せぬ日、思いもよらぬ時間に、その僕の主人がかえってきて、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせるにちがいない。
前田訳待ちもうけぬ日、思わぬ時にその僕の主人が帰って、僕を八つ裂きにし、不信者と同じ目にあわせよう。
新共同その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。
NIVThe master of that servant will come on a day when he does not expect him and at an hour he is not aware of. He will cut him to pieces and assign him a place with the unbelievers.
註解: 「その僕」は「支配人」を指す。使徒に相当する彼はイエスが再び来り給ふことを充分に知っておりながら、その時期は遅いだろうと考えて主を迎うる準備をせず、主に命じられた義務を果さず、かえって主人不在の時間を自己の享楽に消費するならば、思わぬ時に主人帰り来て、彼を不信者と同じ罰をもって処罰するであろう。使徒たるものの準備の絶対的必要を教えている。
辞解
[烈しく(むち)うち] dichotomeô は「二つに割くこと」の意味もある。
[不忠者] apistos は「不信者」と同語。42節の「忠実にして」は「信仰ある」と同語。

12章47節 主人(あるじ)(こころ)()りながら用意(ようい)せず、(また)その(こころ)(したが)はぬ(しもべ)は、(むち)うたるること(おほ)からん。[引照]

口語訳主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。
塚本訳主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。
前田訳主人の心を知りつつも用意せず、あるいはその心に従わなかった僕ははげしく鞭打たれよう。
新共同主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。
NIV"That servant who knows his master's will and does not get ready or does not do what his master wants will be beaten with many blows.

12章48節 されど()らずして()たるべき(こと)をなす(もの)は、(むち)うたるること(すくな)からん。[引照]

口語訳しかし、知らずに打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである。
塚本訳しかし(主人の心を)知らない者は、打たれるようなことをしても、打たれ方が少ない。(神に)多く渡された者は皆多く請求され、(信頼して)多く任された者は一そう多く要求される。
前田訳しかし知らないものは、鞭打たれても、打たれ方が少なかろう。すべて多く与えられたものからは多く求められ、多くまかされたものからはより多く期待される。
新共同しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」
NIVBut the one who does not know and does things deserving punishment will be beaten with few blows. From everyone who has been given much, much will be demanded; and from the one who has been entrusted with much, much more will be asked.
註解: 使徒たちは殊に深く主イエスの御旨を知り、その来り給うことをも示されているのであるから、是非ともこれに対する準備を整え、また主の御意を行うべき義務がある。ゆえにこれに違反すれば強く処罰される。反対に一般の民衆は神の奥義を知らされることが少ないから、たとい同一の罪を犯して打たれることになってもその罪は軽い。
辞解
[その意に従はぬ] 原文「御意を行わぬ」。

(おほ)(あた)へら[るる](れし)(もの)は、(おほ)(もと)められん。(おほ)(ひと)(あづ)くれば、(さら)(おほ)くその(ひと)より()(もと)むべし。

註解: 弟子たちは主イエスより多くを与えられた者であり、また多くの仕事を委托された者であるからその当然の結果としてキリスト再臨の時彼は弟子たちより多くを求め、また多くを受取るであろう。それ故にキリストの再臨に関しては殊に多くのことが弟子たちに期待されていることを忘れてはならない。以上をもって41節のペテロの質問は明瞭に答えられた。なお41−46節はマタ24:45−51節参照。47、48節はルカ伝特有の節。

分類
7 苦難の増大 12:49 - 13:35
7-1-イ イエスに対する反抗 12:49 - 12:53
(マタ10:34-36)   

12章49節 (われ)()()(とう)ぜんとて(きた)れり。()()すでに()えたらんには、(われ)また(なに)をか(のぞ)まん。[引照]

口語訳わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
塚本訳火を地上に投げるために、わたしは来た。火がもう燃え出していたらと、どんなに願っていることであろう!
前田訳わたしは火を地上に投げに来た。それがもう燃えあがることが、どんなに願わしいことか。
新共同「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
NIV"I have come to bring fire on the earth, and how I wish it were already kindled!
註解: 「火」は聖霊の火であり、従ってそれは審判の働きを為す(マタ3:11、12)。聖霊の火は天より地に投ぜられる。そして地上の人にバプテスマを施す、その火は未だ燃え上がらない。もし燃えていたならばイエスの満足はこれに過ぎないであろう。しかしその前にイエスの十字架がなければならない。このことにつきイエスは次節にこれを陳べ給う。
辞解
[火] 「神の言」「霊的動揺」等の意味に取る学者もある。

12章50節 されど(われ)には()くべきバプテスマあり。その()()げらるるまでは、(おも)(せま)ること如何(いか)ばかりぞや。[引照]

口語訳しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。
塚本訳しかしわたしには、受けねばならない洗礼がある。それがすむまで心配でたまらないのだ。
前田訳しかしわたしには受けるべき洗礼がある。それがすむまでは、何と心苦しいことか。
新共同しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
NIVBut I have a baptism to undergo, and how distressed I am until it is completed!
註解: 聖霊のバプテスマを人類の上に施さんがためにイエスは来給うたのであるが、そのイエスは自ら苦難のバプテスマ、十字架の死を遂げなければならない。そのことが成就するまでは、イエスの心は(おさ)え付けられるような、苦難を嘗めなければならぬ。
辞解
[思い(せま)る] sunechomai で緊握されること。

12章51節 われ()平和(へいわ)(あた)へんために(きた)ると(おも)ふか。われ(なんぢ)らに()ぐ、(しか)らず、(かへ)つて分爭(ぶんさう)なり。[引照]

口語訳あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
塚本訳あなた達は、地上に平和をもたらすためにわたしが来たと思うのか。そうではない、わたしは言う、平和どころか、内輪割れ以外の何ものでもない。
前田訳わたしが地上に平和を与えに来たとあなた方は思うか。そうではない、わたしはいう、むしろ分裂をである。
新共同あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
NIVDo you think I came to bring peace on earth? No, I tell you, but division.
註解: 平和の君なるキリストは平和を与えんために来り給うたことは勿論であるが、人間はサタンの僕であり、サタンは人間を用いてキリストと聖霊とに対して反抗せしめる。従ってそこに必ず分争が生ずる。キリストの平和は利害問題についての妥協による折衷主義の平和ではなく、神にある平和であり、従ってサタンとの争いである。聖霊の火の投ぜられる処必ずそこに分争が生ずる。イエスの立ち給うところ必ずユダヤ人との間に分争が起ったことに注意すべし(ヨハ7:43ヨハ9:16ヨハ10:19等)。この分争を懼れる者は神の国に入ることができない。

12章52節 (いま)よりのち(いち)(いへ)()(にん)あらば、三人(さんにん)二人(ふたり)に、二人(ふたり)三人(さんにん)(わか)(あらそ)はん。[引照]

口語訳というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
塚本訳今からのち、一軒の家で五人が割れて、三人対二人、二人対三人に
前田訳今からのち、ひとつ家の五人が割かれて、三人対二人、二人対三人となり、
新共同今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
NIVFrom now on there will be five in one family divided against each other, three against two and two against three.

12章53節 (ちち)()に、()(ちち)に、(はは)(むすめ)に、(むすめ)(はは)に、姑姆(しうとめ)(よめ)に、(よめ)姑姆(しうとめ)(わか)(あらそ)はん』[引照]

口語訳また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。
塚本訳割れるからである。父対息子”息子対父、”母対娘”娘対母、”姑対嫁”嫁対姑”!」
前田訳父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に割かれよう」と。
新共同父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」
NIVThey will be divided, father against son and son against father, mother against daughter and daughter against mother, mother-in-law against daughter-in-law and daughter-in-law against mother-in-law."
註解: 肉親としての最も親しき者も聖霊の火によって(ふる)い分けられる時、そこに分争の火が燃え上る。
要義1 [分争の必然性]家庭でも、社会でも、キリスト者と非キリスト者との間には必然に分争が起る。その理由は両者の間に(1)自己本位か神本位か、(2)真理か虚偽か、(3)キリストを信じるか信じないかの差別があり、この差異は妥協する余地のない対立であるためである。キリストの居り給う処に必ず対立が起ったのと同様(ヨハ6:52ヨハ7:43ヨハ9:16ヨハ10:19等)キリスト者の在る処、そこに必ず対立が起る。
要義2 [福音と家庭争議]家族主義を根本とし、両親を神の地位に置く東洋道徳から見ればイエスのこの御言(52、53節)は甚だしく不道徳に思われ、キリスト教に対する躓きの大きい原因を為しているのであるが、神を信ずる者は如何にしても神に反し、聖霊に逆う者と妥協することはできない。たとえそれがいかに親しき肉親であっても然りである。もちろんキリスト者が(みだ)りに彼らに反抗するのではなく、父母を敬い、父母に(したが)うべしと教えられている以上、凡てのことにおいて孝道に叶う生活をすべきではあるが、神に関する限り、父を神の上に置くことはできない故、父母に従うために神に叛くことができず、従って父母がその子に神に従うことを禁ずる場合、そこに分争が生ずる。

7-1-ロ 時の徴を見よ 12:54 - 12:56
(マタ16:2-3)   

12章54節 イエスまた群衆(ぐんじゅう)()(たま)[引照]

口語訳イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。
塚本訳また群衆にも言われた、「あなた達は雲が西に出るのを見ると、即座に『俄雨が来そうだ』と言うが、はたしてそのとおり。
前田訳また群衆にもいわれた、「あなた方は雲が西に出るのを見るやいなや、『にわか雨が来る』というが、はたしてそのとおりになる。
新共同イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。実際そのとおりになる。
NIVHe said to the crowd: "When you see a cloud rising in the west, immediately you say, `It's going to rain,' and it does.
註解: マタ16:2以下)これまでは弟子たちに語り給うたのであるが(22−53)、すでに火が投ぜられた重要な時代になったことを群衆にも悟らしめる必要があるのでイエスは語をつづけ群衆に向いて語り給う。

『なんぢら(くも)西(にし)より(おこ)るを()れば、(ただ)ちに()ふ「急雨(はやさめ)きたらん」と、(はた)して(しか)り。

12章55節 また(みなみ)(かぜ)ふけば、(なんぢ)()いふ「(つよ)(あつさ)あらん」と、(はた)して(しか)り。[引照]

口語訳それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。
塚本訳また南風が吹きだすと、『暑くなりそうだ』と言うが、はたしてしかり。
前田訳南風が吹くと、『暑くなろう』というが、はたしてそうなる。
新共同また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。事実そうなる。
NIVAnd when the south wind blows, you say, `It's going to be hot,' and it is.

12章56節 僞善者(ぎぜんしゃ)よ、(なんぢ)(てん)()氣色(けはひ)(わきま)ふることを()りて、(いま)(とき)(わきま)ふること(あた)はぬは(なに)ぞや。[引照]

口語訳偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。
塚本訳この偽善者たち、天地の模様を見ることを心得ていながら、どうしてこの時(のせまった様子)がわからないのか。
前田訳偽善者どもよ、地と天の様子を見分けることを知りながら、どうしてこの時を見分けないのか。
新共同偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
NIVHypocrites! You know how to interpret the appearance of the earth and the sky. How is it that you don't know how to interpret this present time?
註解: (ママタ16:2、3は少しく異なった関連にあり)今の時は神の国の近付いた時であり、聖霊の火が地に投げ込まれた時である。これによって禾場(うちば)はきよめられ麦は倉に入れられ、殻は焼かれる時である。聖霊によって家に里に分争が起る時であり、自己の生きるか滅びるかの分れる時である。天候を(わきま)え知りこれに対して準備することを汝らは知っていながら、何故今の時を(わきま)えてこれに対処することを知らないのであるか。偽善者よ、一刻も猶予すべき時ではないことを知れ。
辞解
[西より] 地中海を西に持つパレスチナは西より雲が起れば地中海の水分を運んで雨を降らせる。
[強き(あつさ)] kausôn 沙漠の上を(主に東より)吹いて来る熱風を指す。

7-1-ハ 全き悔改めの必要 12:57 - 12:59
(マタ5:25-26)   

12章57節 また(なに)(ゆゑ)みづから(ただ)しき(こと)(さだ)めぬか。[引照]

口語訳また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。
塚本訳あなた達は(こんな時に)どうすればよいかを、なぜ自分で判断しないのか。
前田訳あなた方は、正しいことをなぜ自ら判断しないのか。
新共同「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか。
NIV"Why don't you judge for yourselves what is right?
註解: 「正しき事を定める」とは正しきを正しとすること。従って直ちにこれを実行に移さなければならないことを意味す。正しと知りつつこれを胡麻化すべからざること、57−59節は前節のごとく時の(しるし)(わきま)えた者は直ちにこれを実行に移して永遠の審判から救われる準備を為すべきことを比喩をもって示す。マタ5:25、26とは前後の関係を異にし、適用も自然異なる。

12章58節 なんぢ(うった)ふる(もの)とともに(つかさ)()くとき、(みち)にて和解(わかい)せんことを(つと)めよ。(おそ)らくは(うった)ふる(もの)なんぢを審判(さばき)(ひと)()きゆき、審判(さばき)(ひと)なんぢを下役(したやく)にわたし、下役(したやく)なんぢを(ひとや)()()れん。[引照]

口語訳たとえば、あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい。そうしないと、その人はあなたを裁判官のところへひっぱって行き、裁判官はあなたを獄吏に引き渡し、獄吏はあなたを獄に投げ込むであろう。
塚本訳あなたは(いま、裁判所に訴えられているようなものである。)告訴人と一しょに役人の所に行く間に、途中でその人と話をつけるよう努力すべきである。そうでないと、告訴人はあなたを裁判官の前に引きずってゆき、裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に入れるにちがいない。
前田訳あなたは訴え手といっしょに役人のところに行く間に、道すがらその人と話をつけるよう努めよ。さもないと、訴え手はあなたを裁き人の前へ引き行き、裁き人は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込もう。
新共同あなたを訴える人と一緒に役人のところに行くときには、途中でその人と仲直りするように努めなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官のもとに連れて行き、裁判官は看守に引き渡し、看守は牢に投げ込む。
NIVAs you are going with your adversary to the magistrate, try hard to be reconciled to him on the way, or he may drag you off to the judge, and the judge turn you over to the officer, and the officer throw you into prison.

12章59節 われ(なんぢ)()ぐ、(いち)レプタも(のこ)りなく(つくの)はずば、其處(そこ)()づること(あた)はじ』[引照]

口語訳わたしは言って置く、最後の一レプタまでも支払ってしまうまでは、決してそこから出て来ることはできない」。
塚本訳わたしは言う、最後の一レプタ[五円]を返すまでは、決してそこから出ることはできない。(早く悔改めよ。)」
前田訳わたしはいう、最後の一レプタを払うまで決してそこから出られまい」と。
新共同言っておくが、最後の一レプトンを返すまで、決してそこから出ることはできない。」
NIVI tell you, you will not get out until you have paid the last penny. "
註解: 汝らはやがては神の審判の座に立たなければならない。もし汝ら時の(しるし)を見分け、今こそイエスによって神と和解すべき時であることを悟るならば、即刻その罪を告白し、償いをなしてイエスを信じなければならぬ。イエスは汝らを救い、汝らを悔改めしめんために来り給い、聖霊の火を汝らの中に投じ給うた。もし汝ら今の時において悔改めることを躊躇するなれば、ついに永遠の火に焼かれるより以外に途はない。何故自ら正しきことを正しとしてこれを即刻に実行しないのであるか。以上のごとくに解することにより53節までと54節以下の関連が明瞭となる。Z0は54節以下はその以前とは関係少なきことを主張している。
辞解
[和解せんことを(つと)めよ] 原文「和解放免される行為を為せ」。
要義 [時の徴を見分け、これに即応すべきこと]全世界如何なる処でも、何時の時でも、イエスの福音の宣伝えられる場合は、そこに神の国が近付いており、その神の国に入るものと然らざるものとが区別される時が来たのである。すなわち福音の宣伝は凡ての人に決意を迫る神よりの警報である。これによって各人は、重大なる時期の到来を見分けてこれに対処し、その凡ての罪を悔改めて神との和解を確保しなければならない。我らは福音によって死と生との岐路に立たされ、一刻の躊躇も許されない立場に立たされているのである。