黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第25章

分類
9 イエスの受難問題 21:1 - 27:26
9-5 世の終の審判に関する譬喩 25:1 - 25:46
9-5-イ 十人の処女の譬喩 25:1 - 25:13  

註解: イエスはこれよりなお比喩を用いて、その再臨に対する必要なる準備を示し給う。

25章1節 このとき天國(てんこく)は、燈火(ともしび)()りて新郎(はなむこ)(むか)へに()づる、(じふ)(にん)處女(をとめ)(なずら)ふべし。[引照]

口語訳そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
塚本訳(人の子が来る)その時、天の国は、十人の乙女がそれぞれランプを手に持って花婿を迎えに出かけるのにたとえられる。
前田訳その(終わりの)時の天国をたとえれば、十人のおとめがめいめい明りを持って花むこを迎えに出かけるのに似る。
新共同「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
NIV"At that time the kingdom of heaven will be like ten virgins who took their lamps and went out to meet the bridegroom.
註解: 「このとき」はキリスト再臨の時。「處女(おとめ)」ユダヤ地方においては花婿が花嫁の(いえ)(おもむ)き花嫁を連れ帰り、そのとき花嫁の友なる処女らが花婿を迎うる習慣であるらしい。「十人」は一団を意味する(ルツ4:2)。キリストはその花嫁たる教会(Uコリ11:2エペ5:26、27)を御許に招き給うことが聖書において婚姻の譬をもって示される場合が多い(マタ22:1−14.黙19:6−10)。しかるにこの譬喩において信者は花嫁に譬えられず、キリストの花婿の来るを待つ十人の処女に比較されている。

25章2節 その(うち)()(にん)(おろか)にして()(にん)(さと)し。[引照]

口語訳その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
塚本訳そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
前田訳その五人は愚かで五人は賢かった。
新共同そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。
NIVFive of them were foolish and five were wise.
註解: 同じキリスト教会に属しキリスト者の名称を持っているものでも、その中に差別があって、それがキリスト再臨の時に明かに区別される。「愚」と「慧」の内容は3、4節にあり。

25章3節 (おろか)なる(もの)燈火(ともしび)をとりて(あぶら)(たづさ)へず、[引照]

口語訳思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
塚本訳愚かな女たちはランプを持っていったが、(予備の)油を持ってゆかず、
前田訳愚かなほうは明りを持ったが油をたずさえなかった。
新共同愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
NIVThe foolish ones took their lamps but did not take any oil with them.

25章4節 (さと)きものは(あぶら)(うつは)()れて燈火(ともしび)とともに(たづさ)へたり。[引照]

口語訳しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
塚本訳賢い女たちは油を入れ物に入れて、ランプと一しょに持っていった。
前田訳賢いほうは油を器に入れて明りとともに持って行った。
新共同賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
NIVThe wise, however, took oil in jars along with their lamps.
註解: この時代のランプは素焼の器であって、これに油を注ぎ灯心をこれに入れて点火するの方法を取った。油は聖霊の表徴である(イザ61:1-3、ゼカ4:2-6。ヘブ1:9Tヨハ2:20Tヨハ2:27)。十人の処女は皆キリスト者の名称を持っている人々である。而してその一半は(さと)くして心に油断なく、常に花婿なるキリストの来り給うことの準備をなし、これに反し他の五人は(おろか)であってこの準備を怠っていた。すなわち前者は信仰によりてキリストに(つらな)り聖霊を豊に受け、後者は信仰によりてキリストに連らない結果聖霊を持たなかった。この差異はキリスト再臨の時に明かになるのであって、今日直ちにこれを区別することができない。

25章5節 新郎(はなむこ)(おそ)かりしかば、(みな)まどろみて()ぬ。[引照]

口語訳花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
塚本訳ところが花婿がおそくなったので、皆眠気がさして眠っていた。
前田訳しかし花むこがおくれたので皆まどろんで眠っていた。
新共同ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
NIVThe bridegroom was a long time in coming, and they all became drowsy and fell asleep.
註解: (さと)きも(おろか)なるも共に目を覚していることができなかった。肉の弱さはすべての信者に共通である(マタ26:40、41)。

25章6節 夜半(よなか)に「やよ、新郎(はなむこ)なるぞ、()(むか)へよ」と(よば)はる(こゑ)す。[引照]

口語訳夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。
塚本訳すると夜中に、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と呼ぶ声がした。
前田訳すると真夜中に叫びがした、『見よ、花むこ、迎えに出でよ』と。
新共同真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
NIV"At midnight the cry rang out: `Here's the bridegroom! Come out to meet him!'
註解: マタ24:44マタ24:50のごとく思わぬ時にキリスト来り給う、それゆえに「目を覚して慎まなければならない」(Tテサ5:6)。

25章7節 ここに處女(をとめ)みな()きてその燈火(ともしび)(ととの)へたるに、[引照]

口語訳そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
塚本訳そこで乙女たちは皆目をさました。それぞれランプを用意した。
前田訳そこでおとめらは皆起きてめいめい明りを整えた。
新共同そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
NIV"Then all the virgins woke up and trimmed their lamps.

25章8節 (おろか)なる(もの)(さと)きものに()ふ「なんぢらの(あぶら)()けあたへよ、(われ)らの燈火(ともしび)きゆるなり」[引照]

口語訳ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
塚本訳愚かな女が賢い女に言った、『油を分けてくれませんか。わたし達のランプは(油がなくなって)消えそうです。』
前田訳愚かな女は賢い女にいった、『あなた方の油を分けてください、わたしたちの明りは消えます』と。
新共同愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
NIVThe foolish ones said to the wise, `Give us some of your oil; our lamps are going out.'
註解: キリスト再臨の時には各個人皆各その準備をしなければならない。その時聖霊の準備なき者は、キリストに見ゆることができないことを発見して狼狽し、聖霊の源にあらざる人間に頼ってその欠乏を補わんとし、同輩の油の分与を受けんと請うのである。

25章9節 (さと)きもの(こた)へて()ふ「(おそ)らくは(われ)らと(なんぢ)らとに()るまじ、(むし)()るものに()きて(おの)がために()へ」[引照]

口語訳すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
塚本訳賢い女は答えた、『自分たちとあなた達の分には、とても足りそうにない。それよりも店に行って、自分でお買いなさい。』
前田訳賢い女は答えた、『いいえ、あなた方とわたしたち皆には足りますまい。むしろ店に行って自分のをお買いなさい』と。
新共同賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
NIV"`No,' they replied, `there may not be enough for both us and you. Instead, go to those who sell oil and buy some for yourselves.'
註解: 人は皆自己の信仰によりて立たなければならない、人は他人にその信仰とその聖霊を頒ち与うることができない。ゆえにキリストよりこれを受けなければならない。「賣るもの」はキリストである、ただし聖霊を売買すると言う意味ではなく聖霊の蓄積を()ち給うこと、油を売るものに比すべきであるとの意味である。

25章10節 (かれ)()はんとて()きたる(うち)新郎(はなむこ)きたりたれば、(そな)へをりし(もの)どもは(かれ)とともに婚筵(こんえん)にいり、(しか)して(もん)(とざ)されたり。[引照]

口語訳彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
塚本訳しかし彼らが買いに行っているあいだに花婿が着いたので、用意のできていた(賢い)女たちは花婿と一しょに宴会場に入り、戸はしめられた。
前田訳しかし、彼女らが買いに行っているうちに花むこが来た。そして用意のいいおとめが彼とともに婚宴に入った。そして戸が閉ざされた。
新共同愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。
NIV"But while they were on their way to buy the oil, the bridegroom arrived. The virgins who were ready went in with him to the wedding banquet. And the door was shut.
註解: キリスト再臨の時は一瞬間にして信仰あるものと然らざるものとが区別せられる。名義上教会に加入し洗礼を受けキリストの名称を持っていてもそれは何の役にも立たない、キリストと共に天国に入り得るものは真の信仰を有ち聖霊を貯えているものに限る。

25章11節 その(のち)かの(ほか)處女(をとめ)ども(きた)りて「(しゅ)よ、(しゅ)よ、われらの(ため)にひらき(たま)へ」と()ひしに、[引照]

口語訳そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
塚本訳あとでほかの(愚かな)乙女たちも来て、『御主人さま、御主人さま、あけてください』と言った。
前田訳あとでほかのおとめたちも来ていった、『ご主人、ご主人、わたしたちを入れてください』と。
新共同その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
NIV"Later the others also came. `Sir! Sir!' they said. `Open the door for us!'

25章12節 (こた)へて「まことに(なんぢ)らに()ぐ、(われ)(なんぢ)らを()らず」と()へり。[引照]

口語訳しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
塚本訳しかし主人は、『アーメン、わたしは言う。わたしはあなた達を知らない』と答えた(という話)。
前田訳彼は答えた、『本当にいう、わたしはあなた方を知らない』と。
新共同しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
NIV"But he replied, `I tell you the truth, I don't know you.'
註解: 他の処女は勿論どこにもその油を得る処がなかったであろう。真の信仰と聖霊なきものは、たといキリストの婚筵に連らんとするの意思と熱心とがあっても、イエスは「汝らを知らず」と言い給う。今日のキリスト者の中にたとい再臨のイエスを迎えんとする真面目にして熱心なる信者があるにしても、もし彼らが真の信仰によりてキリストの霊を持っていないで、キリストの来り給うのを待つの準備ができていないならば、イエスは彼らを否み給うであろう。

25章13節 されば()(さま)しをれ、(なんぢ)らは()()その(とき)()らざるなり。[引照]

口語訳だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。
塚本訳だから(たえず)目を覚ましておれ。あなた達は(人の子が来る)その日も時間も知らないのだから。
前田訳それゆえ、目を覚ましていよ。あなた方はその日もその時も知らないのだから。
新共同だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
NIV"Therefore keep watch, because you do not know the day or the hour.
註解: 原語「知らざればなり」。目を覚すことはイエスに対する活ける信仰を有つことであり、日々イエスとの一致において活き又動くことである。而してその結果聖霊は豊かに注がれるのであって、油を用意して主の再臨に備えるのと同意義である。信者は再臨の日時は絶対に知ることができない。これ我らに取って最も幸なる事柄である。我らをして常に主に在る霊の交を得しめ、その幸福に与ることを得しむるものは、その再臨の時日に関する無知である。父なる神は我らに対する愛よりこの点を秘密に保ち給う。
要義 [再臨の準備]キリスト者にとりて必要なことは、キリスト再び来り給うことを単に知るだけではない(愚かなる処女もこれを知っていた)。又その日時をダニエル書や黙示録を材料として計算することでもない(いかに計算してもこれを知ることができるはずはない、神これを秘し給うがゆえである)。ただ彼の来り給うことに対して準備をすることである。その準備の第一は信仰によりてキリストに連り、聖霊の油を蓄え信仰の涸渇を来たさないようにすることである。十人の処女の比喩はこのことを示しているのであって、これを見てもキリスト再臨の時には教会の所属も、神学的知識も、洗礼晩餐等の礼典も何の役にも立たず、ただ聖霊を有つ者のみ神の国に入ることができることを知ることができるであろう。

9-5-ロ タラントの譬喩 25:14 - 25:30
(ルカ19:12-27)   

註解: 十人の処女の比喩は「主を待つ」べきこと、この比喩は委せられし任務を「忠実に果たすべきこと」を教える。すなわち前者は内面的信仰につき後者は外面的行為につきてである。この二者は密接の関係がある(マコ13:34−36。ルカ19:12以下は類似の比喩であるけれども同一のものではない)。

25章14節 また(ある)(ひと)とほく旅立(たびだち)せんとして、()(しもべ)どもを()び、(これ)(おの)所有(もちもの)(あづ)くるが(ごと)し。[引照]

口語訳また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
塚本訳(ほんとうに目を覚ましておれ。人の子が来る時、)天の国は、旅行に出かける人が僕たちを呼んで財産を預けるようなものであるから。
前田訳天国は、旅立つ人がおのが僕を呼んで財産を預けるのに似る。
新共同「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
NIV"Again, it will be like a man going on a journey, who called his servants and entrusted his property to them.
註解: 「或人」はキリストを示し、僕は弟子たちを顕わす。当時の僕すなわち奴隷は主人の財産を預ってこれを忠実に働かする義務を持っていた。この比喩はキリスト昇天と再臨の間を主人の旅行による不在に譬え、今の時代における信者が主イエス・キリストより「所有」すなわち霊の賜物(Tコリ12章)及び学問、知恵、財産、健康等の肉の賜物を托されており、これをいかに働かすかによりて、再臨の時に各々異った取扱を受けることを示している。

25章15節 各人(おのおの)能力(ちから)(おう)じて、(ある)(もの)には()タラント、(ある)(もの)には()タラント、(ある)(もの)には(いち)タラントを(あた)()きて旅立(たびだち)せり。[引照]

口語訳すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。
塚本訳それぞれの力に応じて、一人には五タラント[千五百万円]、一人には二タラント[六百万円]、一人には一タラント[三百万円]を渡して旅行に出かけた。
前田訳ひとりには五タラント、ひとりには二、ひとりには一、すなわち各人の力に応じて与えて旅立った。
新共同それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
NIVTo one he gave five talents of money, to another two talents, and to another one talent, each according to his ability. Then he went on his journey.
註解: 人には生れながらにして能力の差異がある、これ主が各々をその目的に叶えるごとくに用い給わんがためである。而して諸種の賜物をこの能力に従い個人々々について異れる程度に与え給う。一タラントは約二千円。

25章16節 ()タラントを()けし(もの)は、(ただ)ちに()き、(これ)をはたらかせて(ほか)()タラントを(まう)け、[引照]

口語訳五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。
塚本訳五タラントあずかった者はさっそく行ってそれを働かせ、ほかに五タラントをもうけた。
前田訳五タラント受けた人はただちに行ってそれを活用してもう五タラントを得た。
新共同五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
NIVThe man who had received the five talents went at once and put his money to work and gained five more.

25章17節 ()タラントを()けし(もの)(おな)じく(ほか)()タラントを(まう)く。[引照]

口語訳二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。
塚本訳同じように、二タラントの者もほかに二タラントをもうけた。
前田訳そのように二タラント受けたものはもう二タラント得た。
新共同同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
NIVSo also, the one with the two talents gained two more.
註解: (おのおの)その全能力を働かせたことを表わしている(ルカ19:16-18の場合はこれと異り、同じ賜物を受けし者の異りたる働きを示す)。而して神より与えられし能力はこれを使用することによりて益々増大することは事実である。

25章18節 (しか)るに(いち)タラントを()けし(もの)は、()きて()()り、その主人(あるじ)(ぎん)をかくし()けり。[引照]

口語訳しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
塚本訳しかし一タラントあずかった者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
前田訳しかし一タラント受けたものは行って地をうがち、主人の金を隠した。
新共同しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
NIVBut the man who had received the one talent went off, dug a hole in the ground and hid his master's money.
註解: (ともしび)をともして升の下におく者のごとくに(マタ5:15)、その与えられし賜物を働かさず、これを死蔵していた。キリスト者として何らかの賜物を()たぬものはない、これを働かさない者はこの僕に等しい。

25章19節 (ひさ)しうして(のち)この(しもべ)どもの主人(あるじ)きたりて(かれ)らと計算(けいさん)したるに、[引照]

口語訳だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
塚本訳かなり日がたってから主人がかえって来て、僕たちと貸し借りを清算した。
前田訳かなりの時ののち僕たちの主人が帰って来て彼らと清算をした。
新共同さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
NIV"After a long time the master of those servants returned and settled accounts with them.
註解: 聖書において再臨の時期は時に近きがごとく時に「久しく」後なるごとくに記されている。「計算」はキリストの臺前(だいぜん)に立ちて審判かれる場合を示す(Uコリ5:10)、すべての信者は各々その行為によりて審判かれなければならない。

25章20節 ()タラントを()けし(もの)(ほか)()タラントを()ちきたりて()ふ「(しゅ)よ、なんぢ(われ)()タラントを(あづ)けたりしが、()よ、(ほか)()タラントを(まう)けたり」[引照]

口語訳すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。
塚本訳(まず)五タラントあずかった者が進み出て、ほかの五タラントを差し出して言った、『御主人、五タラント預りましたが、御覧ください、ほかに五タラントをもうけました。』
前田訳五タラント受けてもう五タラント得たものが来ていった、『主よ、五タラントお預けでしたが、ごらんください、もう五タラント得ました』と。
新共同まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
NIVThe man who had received the five talents brought the other five. `Master,' he said, `you entrusted me with five talents. See, I have gained five more.'
註解: 22節と共に、主の再臨に対する心の準備のみならず、その行為についてもその全力を尽くしたことの自信のある者の、審判の日に勇敢にキリストの前に立つ有様を示している。我らもまたこの時のことを今より思い回らすべきである。

25章21節 主人(あるじ)いふ「()いかな、(ぜん)かつ(ちゅう)なる(しもべ)、なんぢは(わづか)なる(もの)(ちゅう)なりき。(われ)なんぢに(おほ)くの(もの)(つかさ)どらせん、(なんぢ)主人(あるじ)勸喜(よろこび)()れ」[引照]

口語訳主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
塚本訳主人が言った、『感心々々、忠実な善い僕よ、少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一しょに喜んでくれ。』
前田訳主人はいった、『けっこう、まめなよい僕、わずかのものにまめであったから多くのものをまかせよう。主人のよろこびにあずかれ』と。
新共同主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
NIV"His master replied, `Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master's happiness!'
註解: 主人の喜びは非常に大きかった。「善良」と「忠実」とはキリスト者の()つべき最も大切なる性質である、26節はその反対の場合。「僅なる物」は地上の職務、「多くの物」は天国における任務である、キリスト者の地上生活は天国における生活の準備であって、又その試験である。「主人の歓喜」は主人の帰宅の祝宴における歓喜をいうのであって、この善にして忠なる僕はこの祝宴に列することができる。すなわち天国に招き入れられることの型である。

25章22節 ()タラントを()けし(もの)(きた)りて()ふ「(しゅ)よ、なんぢ(われ)()タラントを(あづ)けたりしが、()よ、(ほか)()タラントを(まう)けたり」[引照]

口語訳二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。
塚本訳二タラントの者も進み出て言った、『御主人、二タラント預りましたが、御覧ください、ほかに二タラントもうけました。』
前田訳二タラントのものが来ていった、『主よ、二タラントお預けでしたが、ごらんください、もう二タラント得ました』と。
新共同次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
NIV"The man with the two talents also came. `Master,' he said, `you entrusted me with two talents; see, I have gained two more.'

25章23節 主人(あるじ)いふ「()いかな、(ぜん)かつ(ちゅう)なる(しもべ)、なんぢは(わづか)なる(もの)(ちゅう)なりき。(われ)なんぢに(おほ)くの(もの)(つかさ)どらせん、(なんぢ)主人(あるじ)勸喜(よろこび)にいれ」[引照]

口語訳主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。
塚本訳主人が言った、『感心々々、忠実な善い僕よ、少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一しょに喜んでくれ。』
前田訳主人はいった、『けっこう、まめでよい僕、わずかのものにまめであったから、多くのものをまかせよう。主人のよろこびにあずかれ』と。
新共同主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
NIV"His master replied, `Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master's happiness!'
註解: 僕の言とその態度も主人の言も、五タラントを受けし僕の場合と二タラントを受けし僕の場合と全く同一であることに注意しなければならぬ。キリスト者はその受けし賜物を全力を尽くして働かせる場合においては神の前にその働きの大小(量)は問題ではなく、その忠実の程度(質)が問題となるのであって、この二人の僕は共にその全力をもって忠実にその委托せられし任務を果した点において、全く同一の賞詞を賜ったのである。(▲各自の能力を顧みず他人より上に立ち、他人より多くの成績を挙げようとする立身出世主義者はキリストの精神に叶わない。)

25章24節 また(いち)タラントを()けし(もの)もきたりて()ふ「(しゅ)よ、(われ)はなんぢの(きび)しき(ひと)にて、()かぬ(ところ)より()り、()らさぬ(ところ)より(あつ)むることを()るゆゑに、[引照]

口語訳一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。
塚本訳(最後に)一タラントあずかっていた者も進み出て言った、『御主人、あなたは(種を)まかない所で刈り取り、(金を)まき散らさない所で集める、きつい方と知っていたので、
前田訳一タラント受けたものも来ていった、『主よ、あなたはきびしいお方で、まかぬところで刈り、散らさぬところでお集めと知っていましたので、
新共同ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
NIV"Then the man who had received the one talent came. `Master,' he said, `I knew that you are a hard man, harvesting where you have not sown and gathering where you have not scattered seed.

25章25節 (おそ)れてゆき、(なんぢ)のタラントを()(かく)しおけり。()よ、(なんぢ)はなんぢの(もの)()たり」[引照]

口語訳そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。
塚本訳(商売をするのが)恐ろしく、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。そら、お返しします。』
前田訳おそろしくなってお預けのタラントを地に隠しました。ごらんください、これがあなたのものです』と。
新共同恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
NIVSo I was afraid and went out and hid your talent in the ground. See, here is what belongs to you.'
註解: 彼は神は愛に(いま)し給うことを知らずしてただその厳しさのみを思い、神が豊に恩恵を賜うことを知らずして「播かぬ処より刈り、散らさぬ処より(あつ)むる」ほど綿密にして吝嗇(りんしょく)であると考えた。彼は神を知らず又これを信じなかったのである。ゆえに彼は彼が商売を為すことによりて万一利益を得ざれば主人の怒を買うならんと「懼れ」、また苦心して商売することの煩労を嫌い、これを「地中に埋め」て自己の危険を免れその安佚(あんいつ)を貪っていた。すなわち彼は主人のためを思わずして自己の安全をのみ謀っていたのである。「汝はなんぢの物を得たり」は元のままでその金銭を返却したこと。我らの与えられし賜物を全く働かせずにキリストの前に出たことを示している。

25章26節 主人(あるじ)こたへて()ふ「()しくかつ(おこた)れる(しもべ)、わが()かぬ(ところ)より()り、(ちら)さぬ(ところ)より(あつ)むることを()るか。[引照]

口語訳すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。
塚本訳主人が答えた、『怠け者の、悪い僕よ、わたしがまかない所で刈り取り、まき散らさない所で集めることを知っていたのか。
前田訳主人は答えていった、『怠けものの悪い僕、まかぬところで刈り、散らさぬところで集めるのを知っていたのか。
新共同主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
NIV"His master replied, `You wicked, lazy servant! So you knew that I harvest where I have not sown and gather where I have not scattered seed?

25章27節 さらば()(ぎん)銀行(ぎんかう)にあづけ()くべかりしなり、(われ)きたりて利子(りし)とともに()(もの)をうけ()りしものを。[引照]

口語訳それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。
塚本訳それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうすればかえって来たとき、(元金に)利子をつけてもどしてもらえたのに。
前田訳それならわたしの金を預金すべきであった。わたしが帰ったときに利子つきで戻してもらえたのに。
新共同それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
NIVWell then, you should have put my money on deposit with the bankers, so that when I returned I would have received it back with interest.
註解: 主人の不興(ふきょう)の心持が言外にあふれている。主人はその性質を僕が誤解しているのを訂正せずにそのままにこれを繰返し、そしてかかる酷薄(こくはく)なる主人である場合でさえ、もし僕が善かつ忠であったならば、その銀を銀行に預けるだけの知恵は出たであろう。これすらできなかったのは「悪しくかつ(おこた)れる」者である証拠であるといって彼を叱責しているのである。「銀行に預ける」ことはキリスト者の賜物の場合には、これを他の有力にして確実なる人の指導共力の下に置きてその小なる賜物を働かせることを意味すと見るべきであろう。要するに手段のいかんは大問題ではなく、小なる賜物といえどもこれを充分に働かせなければならぬと考うるその心の態度が大切なのである。

25章28節 されば(かれ)のタラントを()りて(じふ)タラントを()てる(ひと)(あた)へよ。[引照]

口語訳さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。
塚本訳では、その一タラントをその男から取り上げて、十タラントを持っている者に渡しなさい。
前田訳そのタラントを取りあげて十タラント持つものに与えよ。
新共同さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
NIV"`Take the talent from him and give it to the one who has the ten talents.
註解: 使用せざる能力は衰微してしまう、あたかも我らの筋肉はこれを使用することによりて強くなり、使用せざることによりて弱くなると同じである。ゆえにそのタラントを使用せしものはそれが増加し、これを死蔵せしものは増加せざるのみならず、これを奪い取られて全くこれを失うに至るのである。而して彼の怠慢の結果彼より奪い取られしそのタラントすなわち能力、他の十タラントを有てるものに与えられて彼は益々その能力を増すに至るのである。これ自然の現象であって同時に霊界の事実である。

25章29節 すべて()てる(ひと)は、(あた)へられて愈々(いよいよ)(ゆたか)ならん。されど()たぬ(もの)は、その()てる(もの)をも()らるべし。[引照]

口語訳おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
塚本訳だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。
前田訳すべて持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持つものも取られよう。
新共同だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
NIVFor everyone who has will be given more, and he will have an abundance. Whoever does not have, even what he has will be taken from him.
註解: これ経済界の普通の現象であって、主はかかる事実が天国において行われることを示し給い、賜物が少しとてこれを用いることを怠るべからざることを教え給うた(天国のことを示すに悪しき事実をもってし給うことは往々ある。盗人をもって主の再臨を示すがごとし)。

25章30節 (しか)して()()(えき)なる(しもべ)(そと)暗黒(くらき)()ひいだせ、其處(そこ)にて哀哭(なげき)切齒(はがみ)することあらん」[引照]

口語訳この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
塚本訳さあ、この役に立たない僕を外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
前田訳この無益の僕を外の闇に放り出せ。そこではなげきと歯ぎしりがあろう』と。
新共同この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
NIVAnd throw that worthless servant outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.'
註解: 怠慢なる僕に対する罰はその有てる物を奪われるのみならず、さらに祝宴に加わることを許されずして外の暗闇の中に投出されることである(マタ8:12註)。
要義 [小なる賜物を受けし人々の責任]キリスト教会においては賜物の小きものはこれを働かせずして、他人にのみその働きを一任しているがごとくに見える。自らもその賜物の小きゆえをもってこれを意に介せず、又他人も大なる注意をかかる人々に払わない場合が多い。しかしながらキリスト再臨の時、彼らも同じくその委托せられしタラントについて計算しなければならないのであって、この点において多くの賜物を受けし者との間に差別がない、ゆえにキリスト者はその賜物の大小を問わずすべて全力を尽くしてこれを用いて主の御心を歓ばすべきである。

9-5-ハ 万国民の審判 25:31 - 25:46  

註解: 31−46節の審判は世界万国のキリスト者の愛の奉仕について為される審判である(A1、M0)。主の再臨を待つこと(1−13節)主の賜物を働かすこと(14−29節)の外に、さらにこの愛の奉仕がキリスト者としての欠くべからざる性質である。

25章31節 (ひと)()その榮光(えいくわう)をもて、もろもろの御使(みつかひ)(ひき)ゐきたる(とき)、その榮光(えいくわう)座位(くらゐ)()せん。[引照]

口語訳人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
塚本訳(こんど)人の子(わたし)が栄光に包まれ、“すべての天使を引き連れて来る”時には、栄光の(裁きの)座につくのである。
前田訳人の子が栄光のうちに来臨してすべての天使を従えるとき、彼は栄光の座につこう。
新共同「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
NIV"When the Son of Man comes in his glory, and all the angels with him, he will sit on his throne in heavenly glory.
註解: キリストの肉体をもって来たり給える時に比して、その再臨の時の栄光はいかにまばゆいことであろう。その時彼は王として御使たちを率いて来り給う。

25章32節 かくてその(まへ)にもろもろの國人(くにびと)あつめられん、[引照]

口語訳そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
塚本訳ありとあらゆる国の人がその前に集められ、人の子は羊飼が羊と山羊とを分けるように彼らを互にえり分け、
前田訳そしてすべての民が彼の前に集められ、牧者が羊と山羊を分けるように彼は民を互いに分けよう。
新共同そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
NIVAll the nations will be gathered before him, and he will separate the people one from another as a shepherd separates the sheep from the goats.
註解: この時福音は全世界に宣伝えられている(マタ24:14)、従って「すべての国民」(直訳)の中よりキリスト者が集められる(マタ24:31)。しかしながらすべてのキリスト者が天国に入ることができるのではなく、この中に亡びに入るものもあることに注意しなければならぬ。

(これ)(わか)つこと牧羊者(ひつじかい)(ひつじ)山羊(やぎ)とを(わか)(ごと)くして、

25章33節 (ひつじ)をその(みぎ)に、山羊(やぎ)をその(ひだり)におかん。[引照]

口語訳羊を右に、やぎを左におくであろう。
塚本訳羊(である正しい人)を右に、山羊(である悪い人)を左に立たせるであろう。
前田訳彼は羊を右に、山羊を左に置こう。
新共同羊を右に、山羊を左に置く。
NIVHe will put the sheep on his right and the goats on his left.
註解: 山羊は羊より価値なきもの、右は左より貴き場所を一般に認められていた。▲付記第二参照(25章末尾)。31−46節についての本註解は一つの解釈であるが、むしろ従来の種々の解釈に拘泥せずに付記第二のごとくに、第25章の三つの譬論を一つと見て解したいと思う。無教会主義を徹底すればそこまで行くのではあるまいか。

25章34節 ここに(わう)その(みぎ)にをる(もの)どもに()はん「わが(ちち)(しゅく)せられたる(もの)よ、(きた)りて()(はじめ)より(なんぢ)()のために(そな)へられたる(くに)()げ。[引照]

口語訳そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
塚本訳それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
前田訳そのとき王は右のものにいおう、『来たれ、父に祝福されるものよ、世のはじめからあなた方のためにそなえられた王国を継げ。
新共同そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
NIV"Then the King will say to those on his right, `Come, you who are blessed by my Father; take your inheritance, the kingdom prepared for you since the creation of the world.
註解: ここにキリストは王としてあらゆる祝福を正しき者の上に注ぎ給う、すなわち彼らは父なる神より祝せられし者であり、天国は世の創より彼らのために備えられていたのである。これを主の再臨の時に彼らに与え給う。その理由は次節に示さる。

25章35節 なんぢら()()ゑしときに(くら)はせ、(かわ)きしときに()ませ、旅人(たびびと)なりし(とき)宿(やど)らせ、[引照]

口語訳あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
塚本訳あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
前田訳わたしが飢えたときあなた方は食を与え、渇いたとき飲み物を与え、わたしがよその者であったとき宿をかし、
新共同お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
NIVFor I was hungry and you gave me something to eat, I was thirsty and you gave me something to drink, I was a stranger and you invited me in,

25章36節 (はだか)なりしときに(ころも)せ、()みしときに(おとな)ひ、(ひとや)()りしときに(きた)りたればなり」[引照]

口語訳裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
塚本訳裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
前田訳裸のとき着物を与え、病のとき見舞い、捕われのとき訪れてくれた』と。
新共同裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
NIVI needed clothes and you clothed me, I was sick and you looked after me, I was in prison and you came to visit me.'
註解: キリストは彼らに対し、その愛の奉仕について、その行為を一つ一つ思い起して満腔の喜びを表し給う。

25章37節 ここに、(ただ)しき(もの)(こた)へて()はん[引照]

口語訳そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
塚本訳その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
前田訳そのとき正しい人々は答えよう、『主よ、われらはいつあなたの飢えを見て食を与え、渇きを見て飲み物を与えましたか。
新共同すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。
NIV"Then the righteous will answer him, `Lord, when did we see you hungry and feed you, or thirsty and give you something to drink?
註解: 「正しき者」は「選ばれし者」というに同じ、神との正しき関係にあるもの。

(しゅ)よ、何時(いつ)なんぢの()ゑしを()(くら)はせ、(かわ)きしを()()ませし。

25章38節 何時(いつ)なんぢの旅人(たびびと)なりしを()宿(やど)らせ、(はだか)なりしを()(ころも)せし。[引照]

口語訳いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
塚本訳また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
前田訳いつあなたをよその者と見て宿をかし、裸なのを見て着物を与えましたか。
新共同いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。
NIVWhen did we see you a stranger and invite you in, or needing clothes and clothe you?

25章39節 何時(いつ)なんぢの()みまた(ひとや)()りしを()て、(なんぢ)にいたりし」[引照]

口語訳また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
塚本訳また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
前田訳いつ病気であり捕われているのを見て訪れましたか』と。
新共同いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
NIVWhen did we see you sick or in prison and go to visit you?'
註解: 彼らはキリストに対して直接に何らの奉仕を為せる覚えがなかった(これキリスト再臨まで不在の間であれば当然である)。ゆえに彼らはキリストの言を疑ったのである。

25章40節 (わう)こたへて()はん「まことに(なんぢ)らに()ぐ、わが兄弟(きゃうだい)なる(これ)()のいと(ちひさ)(もの)一人(ひとり)になしたるは、(すなは)(われ)()したるなり」[引照]

口語訳すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
塚本訳すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』
前田訳王は答えよう、『本当にいう、このいと小さいわが兄弟のひとりにあなた方がしたことはわたしにしてくれたことになる。
新共同そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
NIV"The King will reply, `I tell you the truth, whatever you did for one of the least of these brothers of mine, you did for me.'
註解: キリスト者はいずれの時代にもどこの国にも「愚かなる者、弱き者、賎しき者」(Tコリ1:26)、「貧しき者、迫害される者」(ルカ6:20−23)が多い、そこにキリストの周囲に集められし者もかかる者が多かったのであろう、これらをキリストは「わが兄弟なるこれらのいと小き者」と呼び給うた。而してキリスト者らがその同輩に対して為せる些細の行為も、皆キリストの御前に記憶せられ、キリストはこれを「我になせるもの」と喜び給うマタ18:5マタ10:40。これキリストの愛が常に信者をはなれず、殊にその弱き小さき信者を離れないからである。

25章41節 かくてまた(ひだり)にをる(もの)どもに()はん「(のろ)はれたる(もの)よ、(われ)(はな)れて惡魔(あくま)とその使(つかひ)らとのために(そな)へられたる永遠(とこしへ)()()れ。[引照]

口語訳それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
塚本訳それから王は左側の者に言う、『わたしを離れよ、この罰当りども、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。
前田訳そのとき左のものにもいおう、『わたしを去れ。呪われて、悪魔とその使いのためにそなえられた永遠の火に入れ。
新共同それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
NIV"Then he will say to those on his left, `Depart from me, you who are cursed, into the eternal fire prepared for the devil and his angels.
註解: 左にいる者は名はキリスト者であっても愛の奉仕を為さざりしものであった、かかる者は詛われて永久の火に入れられるのである。「わが父に祝せられたる者よ」と言いて「わが父に詛はれたる者よ」と言い給わず、「汝のために備へられたる国」と言いて「汝らのために備へられたる永久の火」と言い給わない処に注意しなければならない。神は始より人を詛いて亡びに定め給わない、人の罪がこれを為さしめるのである(34節)。

25章42節 なんぢら()()ゑしときに(くら)はせず、(かわ)きしときに()ませず、[引照]

口語訳あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
塚本訳あなた達はわたしが空腹のときに食べさせず、渇いたときに飲ませず、
前田訳わたしが飢えたときあなた方は食を与えず、渇いたとき飲み物を与えず、
新共同お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、
NIVFor I was hungry and you gave me nothing to eat, I was thirsty and you gave me nothing to drink,

25章43節 旅人(たびびと)なりしときに宿(やど)らせず、(はだか)なりしときに(ころも)せず、()みまた(ひとや)にありしときに(おとな)はざればなり」[引照]

口語訳旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
塚本訳宿がなかったときに宿をかさず、裸のときに着せず、病気のとき、牢に入っていたときに見舞ってくれなかったのだから。』
前田訳よそものであったとき宿をかさず、裸のとき着物を与えず、病気であり捕われているとき訪れてくれなかった』と。
新共同旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
NIVI was a stranger and you did not invite me in, I needed clothes and you did not clothe me, I was sick and in prison and you did not look after me.'
註解: 正しき者に対すると同一の事項を掲げて、これを行わざりしことをもって彼らの詛わるべき理由としている、これらの愛の奉仕がいかに必要であるかを見るべきである。「裸」が省略されているけれども格別の意味がない。

25章44節 ここに(かれ)らも(こた)へて()はん「(しゅ)よ、いつ(なんぢ)()ゑ、(あるひ)(かわ)き、(あるひ)旅人(たびびと)、あるひは(はだか)、あるひは()み、(あるひ)(ひとや)()りしを()(つか)へざりし」[引照]

口語訳そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
塚本訳その時、彼らも答える、『主よ、いつわたし達は、あなたが空腹であったり、渇いたり、お宿がなかったり、裸でおられ、御病気であり、牢に入っておられたりするのを見て、お世話をしてあげませんでしたか。』
前田訳そのとき彼らも答えよう、『主よ、あなたが飢え、渇き、よその者であり、裸で、病気で、捕われのとき、いつあなたに仕えませんでしたか』と。
新共同すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
NIV"They also will answer, `Lord, when did we see you hungry or thirsty or a stranger or needing clothes or sick or in prison, and did not help you?'
註解: キリスト昇天後再臨まで彼は地上に在さない、従って彼らは主に対する奉仕を怠っており、今この叱責に遭いつつもなおかかることを為さざりし覚えがないことを主張している、主の不在の間彼を忘れるキリスト者の憐れなる状態を見よ。

25章45節 ここに(わう)こたへて()はん「(まこと)になんぢらに()ぐ、(これ)()のいと(ちひさ)きものの一人(ひとり)()さざりしは、(すなは)(われ)になさざりしなり」と。[引照]

口語訳そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
塚本訳その時、王は答える、『アーメン、わたしは言う、このいと小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったのと同じである。』
前田訳そこで彼らに答えよう、『本当にいう、あなた方がこれらいと小さきものにしなかったことはわたしにしてくれなかったことになる』と。
新共同そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
NIV"He will reply, `I tell you the truth, whatever you did not do for one of the least of these, you did not do for me.'
註解: 彼らもし一人の憐むべき信者を顧みないならば、キリストを飢えしめ渇かしめ奉るのであることを忘れてはならない。ここにキリストはその再臨の時において信者として最も必要なる事実は信者相互間の愛であることを強く示し給うた。

25章46節 かくて、これらの(もの)()りて永遠(とこしへ)刑罰(けいばつ)にいり、(ただ)しき(もの)永遠(とこしへ)生命(いのち)()らん』[引照]

口語訳そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
塚本訳こうして、“この(悪い)人たちは永遠の”刑罰に、正しい人たちは“永遠の命に”入るであろう。」
前田訳彼らは永遠の罰に、正しい人々は永遠のいのちに入ろう」。
新共同こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
NIV"Then they will go away to eternal punishment, but the righteous to eternal life."
註解: かくして神の審判は完うされるのである。
要義 [キリストの着眼点と審判の要件]キリスト再臨の時、彼はその審判に際して、人がカトリック教会に属するや、新教々会に属するや、又はいかなる信条を信ずるや等を眼中に置かずして、キリストに対する信仰をもっていかにキリスト者に対して愛の奉仕を為したかによって区別することは、重要なる真理である。今日自己の真のキリスト者たることをその教会の所属や、その教理の正統をもって誇りつつあるものは、キリスト再臨の日に永遠の刑罰に定められるであろう。
附記1 この比喩は種々の解釈を与えられる余地のある比喩であって、中にもアウグスチヌス以来多くの人々によりて解されるごとくに、この審判はキリスト者以外の万国民に関わるものであるとすることも、意義ある見方であることをここに追加しなければならぬ。この解釈によれば、この教訓の中に三種類の人あり、一、キリスト者(40節、わが兄弟なる此等のいと小き者)、二、正しき者(34節、すなわちキリスト者に対して愛の行為をなせるもの)、三、悪しき者(41節、キリスト者に対して愛の行為をなさざりし者)の三種類であって、諸国民はそのキリスト者に対する態度いかんによりて或は永遠の生命に入り、或は永遠の刑罰に入るものと解するのである。この解釈は「もろもろの国人」「わが兄弟なる此等のいと小さき者」等の文字通りの解釈を許す点において長所を有っているけれども、同時に「世の創より汝らのために備へられたる国」「正しき者」「主よ」等の文字の解釈に困難あり、かつ審判の理由がやや不充分なるものがあることをその欠点とする。
附記2 ▲31−46節を一層徹底的に考えて、神はその最後の審判の時は名義上のキリスト者と然らざる者との区別をさえ無視して万国の民を一視同仁の態度をもって審判の座に招き、そしてその審判の標準をすべての人の愛の行為に置いたものと考え、「いと小さき者」は36、37節のごとき人々で、イエスは常にかかる人々を自分と同視したもうこと、「正しき者」は愛の行為を為す者と解すべきではあるまいか。すなわち最後の審判は「信仰」(十人の乙女の譬)「使命の遂行」(タラントの譬)及び「愛の行為」(山羊と綿羊の譬)によって行われることを示したものと見るべきである。

マタイ伝第26章
9-6 受難前の出来事 26:1 - 27:26
9-6-イ イエスの死期近づく 26:1 - 26:5
(マコ14:1-2) (ルカ22:1-2)   

26章1節 イエスこれらの(ことば)をみな(かた)りをへて、弟子(でし)たちに()(たま)[引照]

口語訳イエスはこれらの言葉をすべて語り終えてから、弟子たちに言われた。
塚本訳イエスはこれらの話をことごとく終えた時、弟子たちに言われた、
前田訳イエスがこれらのことばを皆終えられたときのこと、弟子たちにいわれた、
新共同イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。
NIVWhen Jesus had finished saying all these things, he said to his disciples,

26章2節 『なんぢらの()るごとく、二日(ふつか)(のち)過越(すぎこし)[の(まつり)]なり、[引照]

口語訳「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。
塚本訳「知っているとおり、あさっては過越の祭である。(その日)人の子(わたし)は十字架につけられるために(敵の手に)引き渡される。」
前田訳「あなた方の知るように、二日後に過越(すぎこし)になる。そのとき人の子は引き渡されて十字架につけられよう」と。
新共同「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」
NIV"As you know, the Passover is two days away--and the Son of Man will be handed over to be crucified."
註解: ゆえにこの日はニサンの月の十三日であった。
辞解
[過越] イスラエルの三大節の第一であって、ニサンの月の十四日より二十一日まで一週間これを祝う。イスラエルがエジプトにおいて羔羊の血によりて救われ、エジプトより逃れ出づることの記念日である、キリストの死はこの羔羊の死によりて表徴せられている(出12:1-51。その他を見よ)。

(ひと)()十字架(じふじか)につけられん(ため)()らるベし』

註解: イエスは過越の祭と己の十字架との時間的一致を預言し給うた。この両者はその意義においても一致している(Tコリ5:7)。

26章3節 そのとき祭司長(さいしちゃう)(たみ)長老(ちゃうらう)ら、カヤパといふ(だい)祭司(さいし)(うち)(には)(あつま)り、[引照]

口語訳そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、
塚本訳折りしも大祭司連と国の長老たちは、カヤパという大祭司の官邸に集まり、
前田訳そのころ大祭司や民の長老らがカヤパという大祭司の邸に集まり、
新共同そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、
NIVThen the chief priests and the elders of the people assembled in the palace of the high priest, whose name was Caiaphas,
註解: 彼らはユダヤ人の衆議所の議員として、ユダヤ人中の最有力者であった。

26章4節 詭計(たばかり)をもてイエスを(とら)へ、かつ(ころ)さんと(あひ)(はか)りたれど、[引照]

口語訳策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した。
塚本訳計略でイエスを捕えて殺そうと決議した。
前田訳イエスを計略で捕えて殺そうと相談した。
新共同計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。
NIVand they plotted to arrest Jesus in some sly way and kill him.
註解: イエスは神の御旨に従って十字架の苦しみを受けんと用意しつつある間に彼らは詭計(たばかり)をもって彼を捕えて殺さんとした、この著しき対照を見よ。職業化せる宗教家は常に権謀術数(けんぼうじゅっすう)をもってその生命となしている。

26章5節 (また)いふ『まつりの(あひだ)()すべからず、(おそ)らくは(たみ)(うち)(らん)(おこ)らん』[引照]

口語訳しかし彼らは言った、「祭の間はいけない。民衆の中に騒ぎが起るかも知れない」。
塚本訳しかし「(早く片付けよう。)祭の時(に手を下して)はいけない。人民どもの間に騒動がおこると困る」と言っていた。
前田訳しかし彼らはいった、「祭りの時はよそう。民の間に騒ぎがおこるといけない」と。
新共同しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
NIV"But not during the Feast," they said, "or there may be a riot among the people."
註解: 当時過越の祭のために各地方、殊にガリラヤよりも多くの人エルサレムに集っていた。彼らの中にはイエスをメシヤと信ずる者も多かった、ゆえにこの際大事を決行して人民が騒擾(そうじょう)を起すことあらんことを恐れたのである。但しユダの裏切によりてこの予定を変更し、神の予定が実現した。

9-6-ロ マリア香膏をイエスに塗る 26:6 - 26:13
(マコ14:3-9) (ヨハ12:1-8)   

26章6節 イエス、ベタニヤにて癩病人(らいびゃうにん)シモンの(いへ)居給(ゐたま)(とき)[引照]

口語訳さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、
塚本訳イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、
前田訳イエスがベタニアでらい者シモンの家におられると、
新共同さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、
NIVWhile Jesus was in Bethany in the home of a man known as Simon the Leper,
註解: この物語はルカ7:36以下の物語に類似しているけれども、全く別事実である。ただヨハ12:1−8はこれと同一事実の記録。シモンはイエスに癒されし癩病人であろう。この出来事の起った日は21:1より前であったのを、ユダの裏切の問題と関連せしめんためにここに揚げたのであろう(ヨハ12:1以下参照)。

26章7節 ある(をんな)[引照]

口語訳ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。
塚本訳一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。
前田訳高価な香油の壺を持ってひとりの女が近より、食卓につかれた彼の頭に注ぎかけた。
新共同一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。
NIVa woman came to him with an alabaster jar of very expensive perfume, which she poured on his head as he was reclining at the table.
註解: ヨハ12:3によればこの女はベタニヤのマルタの妹マリヤであった。匿名とせる理由についてはヨハ11:57附記。

石膏(せきかう)(つぼ)()りたる(たふと)(にほひ)(あぶら)()ちて、(ちか)づき(きた)り、食事(しょくじ)(せき)()居給(ゐたま)ふイエスの(かうべ)(そそ)げり。

註解: 人はこのマリヤのごとく己の有てる最も貴きものをキリストに献げなければならない。マリヤのキリストに対する愛はかくも深きものであった。ヨハ12:3にはイエスの御足にこれを塗ったと記されている。双方とも事実であって各記者がその一方のみを記したのであろう。

26章8節 弟子(でし)たち(これ)()(いきど)ほり()ふ『(なに)(ゆゑ)かく(みだり)なる(つひえ)をなすか。[引照]

口語訳すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。
塚本訳弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
前田訳弟子たちはそれを見ていきどおっていう、「このぜいたくは何のためか。
新共同弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。
NIVWhen the disciples saw this, they were indignant. "Why this waste?" they asked.

26章9節 (これ)(おほ)くの(きん)()りて、(まづ)しき(もの)(ほどこ)すことを()たりしものを』[引照]

口語訳それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
塚本訳これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
前田訳これは高く売れて貧しい人々に施せたのに」と。
新共同高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」
NIV"This perfume could have been sold at a high price and the money given to the poor."
註解: かかる事を発言せるはイスカリオテのユダであった、ヨハ12:4。しかし内心他の弟子も同一の心を持っていた。彼らは外部に顕われし行為のみを重んじた結果、イエスに対する心よりの愛と讃美とが欠けていた。この点においてマリヤは彼らに比して遥によきことを為していたのである。律法的立場をもって信仰の子を審判くこと(ガラ4:29)は今も昔も変りがない。一定の道徳形式を決定してこれをもって他を審くことは信仰の自由に対する反逆である。

26章10節 イエス(これ)()りて()ひたまふ『(なに)ぞこの(をんな)(なやま)すか、(われ)()(こと)をなせるなり。[引照]

口語訳イエスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
塚本訳それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
前田訳イエスはそれを知って彼らにいわれた、「なぜこの女の人をいじめるのか、わたしによいことをしてくれたのに。
新共同イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。
NIVAware of this, Jesus said to them, "Why are you bothering this woman? She has done a beautiful thing to me.
註解: マリヤはその行為がかくのごとき善行であることを知らずして、ただキリストに対する愛とキリストの死の切迫せる予感より無意識にこれを行ったのであろう、弟子たちの道理ある非難の前に彼女はなやんでいた。しかしながらイエスは打算的行為を嫌いて信仰より出づる行為を貴び給う。ルカ10:38−42。ゆえにここに彼女の行為を弟子たちに弁護し給うた。

26章11節 (まづ)しき(もの)(つね)(なんぢ)らと(とも)にをれど、(われ)(つね)(とも)()らず。[引照]

口語訳貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
塚本訳貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
前田訳貧しい人々はいつもあなた方のところにいるが、わたしはいつもではない。
新共同貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。
NIVThe poor you will always have with you, but you will not always have me.

26章12節 この(をんな)()(からだ)(にほひ)(あぶら)(そそ)ぎしは、わが(はうむ)りの(そなへ)をなせるなり。[引照]

口語訳この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
塚本訳この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
前田訳彼女がわたしの体にこの香油をかけてくれたのはわたしを葬るためであった。
新共同この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
NIVWhen she poured this perfume on my body, she did it to prepare me for burial.
註解: 天地の創造以来の最大の事件ともいうべきイエスの十字架が切迫していた。これに対して無感覚でいることはイエスを愛しない証である。イエスを愛せずして真に貧者を愛することができない。而して貧者は常にこの世に絶えることがない、ゆえにマリヤが無意識にイエスの葬りのために油を注いだことは、この際における最も善き行為であった。

26章13節 まことに(なんぢ)らに()ぐ、全世界(ぜんせかい)いずこにても、この福音(ふくいん)宣傅(のべつた)へらるる(ところ)には、この(をんな)のなしし(こと)記念(きねん)として(かた)らるベし』[引照]

口語訳よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
塚本訳アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」
前田訳本当にいう、全世界この福音が伝えられるところ、この女の人のしたことも彼女をおぼえて語られよう」と。
新共同はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
NIVI tell you the truth, wherever this gospel is preached throughout the world, what she has done will also be told, in memory of her."
註解: イエスの福音はその死を中心としている、従ってこの死を飾れるマリヤの行為はこの福音と共に亡びない。現今までもこの行為が光を放っているのである。
要義 [愛の神秘]マリヤがキリストに油を注いだ理由は、恐らく彼女自身これを知らなかったのであろう。唯キリストに対する愛が彼女をしてその最もよきものを献ぐるに至らしめ、而してこの行為が、彼女自身の予想せざりし重大なる意義を有っていたのであろう。我らは計画や打算や予測や習慣や、模倣等によって事をなす場合に失敗し、これに反し純なる愛のみより(ほとばし)り出でし行為が最も深い意義を有っていることを後から発見する場合が多い。キリストの最も喜び給いしことは彼を愛することであり、キリストに対して最も意義深い行為は彼を愛する行為であることを我らはマリヤの行為によりて学ぶことができる。

9-6-ハ ユダ、イエスを付さんとす 26:14 - 26:16
(マコ14:10-11) (ルカ22:3-6)   

26章14節 ここに十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)イスカリオテのユダといふ(もの)祭司長(さいしちゃう)らの(もと)にゆきて()[引照]

口語訳時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って
塚本訳そのあと、イスカリオテのユダという十二人の(弟子の)一人が大祭司連の所に行って、
前田訳そのとき、イスカリオテのユダといわれる十二人のひとりが大祭司のところへ出かけて、いわく、
新共同そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、
NIVThen one of the Twelve--the one called Judas Iscariot--went to the chief priests
註解: この時よりユダはイエスを付さんとした。十二弟子の一人ともいうべき者すらかかる罪に陥ることを見るならば、我らは一層戒心することが必要である。(けだ)し、サタンは常に我らを狙い、最も重大な瞬間において我らを捕えて罪を犯すに至らしむるが故である。ゆえに我らに一瞬間の油断もあってはならない。

26章15節 『なんぢらに(かれ)(わた)さば、(なに)ほど(われ)(あた)へんとするか』(かれ)(ぎん)三十(さんじふ)(はか)(いだ)せり。[引照]

口語訳言った、「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
塚本訳「いくらくれますか、あの男をあなた達に売ってもいいが」と言った。“彼らは(シケル)銀貨三十枚[六万円]を払い渡した。
前田訳「いくらくれますか、わたしが彼をあなた方に引き渡しましょう」と。彼らは銀貨三十を払った。
新共同「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
NIVand asked, "What are you willing to give me if I hand him over to you?" So they counted out for him thirty silver coins.
註解: 銀三十は奴隷の代価であった(出21:32)。この事実はゼカ11:12の預言が実現したのである。ユダは既にイエスに従うことの自己に何らの利益を与えざるを思い、かつ6−13節におけるごとく特にイエスに叱責せられしことを恨み、イエスを離れ去らんと決心したのであろう。既にこの決心をした以上銀三十はたとい少額であっても彼はこれを得んとしたのであろう。多くの註解家の(こころみ)るごとく、僅か銀三十を得んためにイエスを付したのであると解する時には、貪慾なるユダがあまりに少額のために動かされしこととなりて不可解であるけれども、むしろユダがイエスを棄てし原因は、彼に従ってメシヤの国における高貴権勢の地位を占めんとする野心が絶望に帰したからであって、銀三十は俗にいう「行きがけの駄賃」と見るならば解釈上の困難は除かれるであろう。従ってこの銀三十より推測せるユダに関する種々の異なれる推測は、根拠なきものとなるであろう。
辞解
[銀三十] 三十シケルで、一シケルは一円三十銭程に当たる。

26章16節 ユダこの(とき)よりイエスを(わた)さんと()(をり)(うかが)ふ。[引照]

口語訳その時から、ユダはイエスを引きわたそうと、機会をねらっていた。
塚本訳この時からユダは、イエスを引き渡すよい機会をねらっていた。
前田訳彼はそのときからイエスを引き渡すによい折をうかがっていた。
新共同そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
NIVFrom then on Judas watched for an opportunity to hand him over.
註解: ヨハ13:2ヨハ13:27ルカ22:3等を比較すれば、悪魔が彼に入りし時刻の些細の差があるけれども、勿論かかることを精確に時刻をもって見るべきものではない。
要義 [イスカリオテのユダと我ら]我らもし自己の安心、自己の思想の満足等、すべて自己の欲望を充さんがためにイエスに行くならば、必ず失望して彼を棄てるであろう。そしてユダのごとく或は金銭上、或はその他の最も誘われ易き方面に誘われて行くであろう。我らはただ自己の罪の赦を受けんがためにイエスに行き、彼に仕えんがために彼に従わなければならぬ。一旦キリスト教に入りて後にこれを離れて他に自己の利益となり、自己の要求を満足せしむべき方面に(むか)い、かえってキリスト教に向って悪声を放つに至るものあるは、このユダと同一の心理である。我らもし自己中心の立場においてイエスに来るならば、いかなる機会にこのユダと同一の行動に出でないとも限らないのであって、我らは各自、自己の中よりこのユダの姿を逐い出さなければならない。

9-6-ニ 最後の晩餐 26:17 - 26:30
(マコ14:12-26) (ルカ22:7-20、39)   

26章17節 除酵祭(じょかうさい)(はじめ)()弟子(でし)たちイエスに(きた)りて()ふ『過越(すぎこし)(しょく)をなし(たま)ふために、何處(いづこ)(われ)らが(そな)ふる(こと)(のぞ)(たま)ふか』[引照]

口語訳さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。
塚本訳種なしパンの祭の初めの日(の朝)、弟子たちがイエスの所に来て言った、「どこで過越のお食事の支度をしましょうか。」
前田訳種なしパンの祭りの初日に弟子たちがイエスのところへ来て行った、「どこで過越のお食事を用意しましょうか」と。
新共同除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。
NIVOn the first day of the Feast of Unleavened Bread, the disciples came to Jesus and asked, "Where do you want us to make preparations for you to eat the Passover?"
註解: この日は木曜日でニサンの月の十四日であった、イエスは律法の命ずる処を従順に守り給うたことを見ることができる。「過越の食をなす」原語「過越を食す」で過越の小羊を食う意味。

26章18節 イエス()ひたまふ『(みやこ)にゆき、(それがし)のもとに(いた)りて「()いふ、わが(とき)(ちか)づけり。われ弟子(でし)たちと(とも)過越(すぎこし)(なんぢ)(いへ)にて(まも)らん」と()へ』[引照]

口語訳イエスは言われた、「市内にはいり、かねて話してある人の所に行って言いなさい、『先生が、わたしの時が近づいた、あなたの家で弟子たちと一緒に過越を守ろうと、言っておられます』」。
塚本訳イエスは言われた、「都のだれそれの所まで行って、『わたしの時は近づいた。あなたの所で弟子たちと一しょに過越の食事をまもる、と先生が言われる』と言いなさい。」
前田訳彼はいわれた、「町のだれそれのところへ行っていえ、先生が、『わが時は近い、あなたのところで弟子たちと過越をしよう』といわれる」と。
新共同イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」
NIVHe replied, "Go into the city to a certain man and tell him, `The Teacher says: My appointed time is near. I am going to celebrate the Passover with my disciples at your house.'"
註解: 「都」はエルサレムであってこの時イエスは未だベタニヤに居給うた(6節)。「(それがし)」は何らかの理由でマタイがその名を記さなかったのであろう。「我が時」はイエスの死すべき時を指す。イエスはこの晩餐が彼の地上における最後のものであることを知り給うた。マコ14:13ルカ22:7にはこの物語の奇跡的方面が一層詳細に記されている。

26章19節 弟子(でし)たちイエスの(めい)(たま)ひし(ごと)くして、過越(すぎこし)(そなへ)をなせり。[引照]

口語訳弟子たちはイエスが命じられたとおりにして、過越の用意をした。
塚本訳弟子たちはイエスに命じられたとおりにして、過越の食事の支度をした。
前田訳弟子たちはイエスが命じられたようにして過越の用意をした。
新共同弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。
NIVSo the disciples did as Jesus had directed them and prepared the Passover.

26章20節 ()()れて十二(じふに)弟子(でし)とともに(せき)()きて、[引照]

口語訳夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
塚本訳夕方になると、イエスは十二人の弟子たちをつれて席につかれた。
前田訳夕になると、彼は十二人と食事につかれた。
新共同夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。
NIVWhen evening came, Jesus was reclining at the table with the Twelve.
註解: イエスは家長、弟子は家族のごとき資格をもって彼らは過越の食をとった。

26章21節 (しょく)するとき()(たま)ふ『まことに(なんぢ)らに()ぐ、(なんぢ)らの(うち)一人(ひとり)われを()らん』[引照]

口語訳そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
塚本訳彼らが食事をしているとき、言われた、「アーメン、わたしは言う、あなた達のうちの一人が、わたしを(敵に)売ろうとしている!」
前田訳彼らの食事中いわれた、「本当にいう、あなた方のひとりがわたしを引き渡そう」と。
新共同一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
NIVAnd while they were eating, he said, "I tell you the truth, one of you will betray me."
註解: イエスは既にその死を予見し給うのは勿論、その死に至るべき順序をも予感し給うた。弟子たちは勿論これを知ることができない。この出来事の前後には神秘的なる雲霧がイエスの周囲にとざされていた。

26章22節 弟子(でし)たち(いた)(うれ)ひて、おのおの『(しゅ)よ、(われ)なるか』と()ひいでしに、[引照]

口語訳弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
塚本訳(これを聞くと)弟子たちはすっかり悲しくなって、「主よ、わたしではないでしょう!」(「わたしではないでしょう!」)と、ひとりびとりイエスに言い始めた。
前田訳彼らはたいそう悲しんでひとりひとりいいはじめた、「主よ、わたしのことですか」と。
新共同弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
NIVThey were very sad and began to say to him one after the other, "Surely not I, Lord?"
註解: 何人も「自分だけは大丈夫そんなことはしない」といい得る者はない。人はかかる高慢なる考えを起す時かえって失敗に陥る。弟子たちが「我なるか」と(はなはだし)く憂いて問うたのはまことに謙遜にして正しき態度である。

26章23節 (こた)へて()ひたまふ『(われ)とともに()(はち)()るる(もの)われを()らん。[引照]

口語訳イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。
塚本訳イエスは答えられた、「わたしと一しょに同じ鉢から食べている者、それがわたしを売る。
前田訳彼は答えられた、「わたしとともに手を鉢に入れて食べているものがわたしを引き渡そう。
新共同イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
NIVJesus replied, "The one who has dipped his hand into the bowl with me will betray me.
註解: ユダヤ地方の食事においては醤油のごときものを皿に入れ二三人共同にその中にパンを浸して食事をするの習慣があった、ゆえにここでは我と共に現に食事をしている者との意味(Z0)。或は丁度イエスと同時に鉢に手を入れし者と解する人もある。ヨハ13:26は更に一層この事実を限定している。

26章24節 (ひと)()(おのれ)()きて(しる)されたる(ごと)()くなり。[引照]

口語訳たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
塚本訳人の子(わたし)は聖書に書いてあるとおりに死んでゆく。だが人の子を売るその人は、ああかわいそうだ!生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった。」
前田訳人の子は聖書にあるとおりに去り行く。わざわいなのは人の子を引き渡すその人!その人は生まれなければよかったのに」と。
新共同人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
NIVThe Son of Man will go just as it is written about him. But woe to that man who betrays the Son of Man! It would be better for him if he had not been born."
註解: 「逝く」は原語は「去り行く」意味であって死ぬという意味はない。即ちキリストは己につきて預言せられしごとく苦難を経て栄光に入り父の御許に行くことに定まっておりこれを人の計画によりて変更することはできない。

されど(ひと)()()(もの)禍害(わざはひ)なるかな、その(ひと)(うま)れざりし(かた)よかりしものを』

註解: キリストは予定せられしごとき方法をもって死を遂げ給うべきであるけれども、彼を売る者の罪はそれだから軽いという訳には行かない。神の子キリストを売るの罪は、人間の犯し得る最大の罪であってあたかも国民として皇太子を敵に売渡すがごとき大罪である。かかる罪を犯す者は禍である。生れなかったならば遥に幸福であったろう。
辞解
[売る者] 原語「売るその人」であってその人を二度繰り返していることに注意しなければならぬ。

26章25節 イエスを()るユダ(こた)へて()ふ『ラビ、(われ)なるか』イエス()(たま)ふ『なんぢの()へる(ごと)し』[引照]

口語訳イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。
塚本訳イエスを売るユダが口を出した、「先生、わたしではないでしょう。」彼に言われる、「いや、そうかも知れない。」
前田訳彼を引き渡すユダが答えた。「わたしのことですか、先生」と。彼はいわれる、「あなたのいうとおり」と。
新共同イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
NIVThen Judas, the one who would betray him, said, "Surely not I, Rabbi?" Jesus answered, "Yes, it is you."
註解: この問答はマタイ伝のみにあるのであって他の福音書にはない。少くともこの問答はイエスとユダとの間にのみ行われたとみるべきである、何となれば他の使徒らはこれを知らなかったから(ルカ22:23ヨハ13:28−29)。この時ユダは席を立ちて去ったのであろう。

26章26節 (かれ)(しょく)しをる(とき)、イエス、パンをとり、(しゅく)してさき、弟子(でし)たちに(あた)へて()(たま)[引照]

口語訳一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。
塚本訳(ユダが立ち去ったあと、)彼らが食事をしているとき、イエスは(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)賛美して裂き、弟子たちに渡して言われた、「取って食べなさい、これはわたしの体である。」
前田訳食事中イエスはパンを取り祝福して裂き、弟子たちに与えていわれた、「取ってお食べ。これはわが体である」と。
新共同一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
NIVWhile they were eating, Jesus took bread, gave thanks and broke it, and gave it to his disciples, saying, "Take and eat; this is my body."
註解: 過越の食事が余程進行してから後26−29節の特別の御言をイエスが述べ給いしことが、その後の聖餐式の起源となった、しかしこれに関する最も古き記事は1コリント11:23−26である。
辞解
[祝し] 神に感謝しその祝福を祈り

()りて(くら)へ、これは()(からだ)なり』

註解: イエスはパンを割くことによりてその死を示し給い、これを食うことによりて人類の罪のために死に給うイエスを完全に受けて、これを自分のものとなすべきことを教え給う(ヨハ6:51以下)。

26章27節 また酒杯(さかづき)をとりて(しゃ)し、(かれ)らに(あた)へて()(たま)ふ『なんぢら(みな)この酒杯(さかづき)より()め。[引照]

口語訳また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。
塚本訳また杯を取り、(神に)感謝したのち、彼らに渡して言われた、「皆この杯から飲みなさい。
前田訳そして、杯を取り、感謝して彼らに与えていわれた、「皆この杯からお飲み。
新共同また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。
NIVThen he took the cup, gave thanks and offered it to them, saying, "Drink from it, all of you.

26章28節 これは契約(けいやく)のわが()なり、(おほ)くの(ひと)のために、(つみ)(ゆるし)()させんとて(なが)(ところ)のものなり。[引照]

口語訳これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。
塚本訳これは多くの人の罪を赦されるために流す、わたしの“約束の血”であるから。
前田訳これはわが契約の血、多くの人の罪のゆるしのために流すもの。
新共同これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
NIVThis is my blood of the covenant, which is poured out for many for the forgiveness of sins.
註解: キリストはまさに十字架にその血を流さんとし給う処であって、これは全人類の罪の贖のためであった。而してこの血を飲む者、換言すればキリストの贖を信じてキリストを受け、その生命を受くる者はこの罪の赦しを自分のものとすることができるのである。而してこの血はモーセがシナイ山においてイスラエルの民にそそげる契約の血(出24:8)と同じく、神と人との契約の印となれる血であって、前者は旧き契約であって人は律法を遵守することによりて救われることの約束であり、後者は新しき契約(新約)であって(Tコリ11:25)、キリストを信ずることによりて功なくして義とされることの約束である。モーセの場合には血をそそいだに過ぎなかったけれどもイエスはこれを飲むことを命じ給うた、前者は外部より与えられる律法であり、後者は内部より更生する新生命である。

26章29節 われ(なんぢ)らに()ぐ、わが(ちち)(くに)にて(あたら)しきものを(なんぢ)らと(とも)()()までは、われ(いま)より(のち)この葡萄(ぶだう)()より()るものを()まじ』[引照]

口語訳あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
塚本訳しかしわたしは言う、わたしの父上の国で、あなた達と一しょに新しいのを飲むその日まで、わたしは今後決して、この、葡萄の木から出来たものを飲まない。」
前田訳わたしはいいおく、わが父の国であなた方とともに新しいのを飲むその日まで、わたしはこれから決してこのぶどうの実のものを飲むまい」と。
新共同言っておくが、わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
NIVI tell you, I will not drink of this fruit of the vine from now on until that day when I drink it anew with you in my Father's kingdom."
註解: キリストが弟子たちと共にパンを食し葡萄酒を飲み給うことは、この世においてはこれが終りであった。而して彼が再び来給いて、すべてのサタンの力を亡ぼし、国を父なる神に付し給う時(Tコリ15:24)に復活の弟子たちと共に新なる葡萄酒を飲み給う時までは、もはや再び葡萄酒を飲み給わないであろう。即ちこれが彼にとっての最後であって、その臨終が近付き彼の再臨の時までこのことが再び繰返されないことを示し給うた。ゆえに弟子たちはこの以後常にこの主の晩餐の式を繰返し「主の死を示してその来りたまふ時にまで及ぶ」(Tコリ11:26)のである。ゆえに聖餐式はキリスト昇天より再臨までの間のものである。

26章30節 (かれ)讃美(さんび)(うた)ひて(のち)オリブ(やま)()でゆく。[引照]

口語訳彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。
塚本訳(食事がすむと、)みなで讃美歌をうたったのち、オリブ山へ出かけた。(もう真夜中すぎであった。)
前田訳彼らは讃美歌をうたってからオリブ山へと出かけた。
新共同一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。
NIVWhen they had sung a hymn, they went out to the Mount of Olives.
註解: 詩篇113乃至(ないし)118篇を二部に分ちて前半(113−114)を過越の食の途中に後半(115−118)をその終りに歌う習慣であった、これをハレルと称していた。
要義1 [過越の祭について] (出12:1以下参照)エホバ神、モーセをしていよいよ最後にイスラエルをエジプトより導き出さしめんとし給うとき、エホバは王パロ以下全エジプトの家庭の長子をことごとく撃ち給い、家畜の初子にまで及んだ。唯イスラエル人のみはエホバの命に従い「疵なき当歳の牡の羔羊」(キリストの型)を屠り、その血を門口の両柱と鴨居とに塗り置きしため、エホバは血を見てその家の前を「過越し」給い、イスラエルの長子を救い給うた。これより後ユダヤ人は毎年これを記念せんがためにニサンの月の十四日に過越の羊を食し十五日より七日間この過越の祭を行って来たのである。
その過越の祭の最初の晩に過越の食を共にする習慣があった。即ち夕刻宮において屠られし羔羊又は(こうし)闇暗(くらやみ)のとざす頃に家々に持ち帰り十人以上の人々をもってこれを食うのである。即ち初めに家父は葡萄酒の杯を取り感謝の祈をもってこれを飲みてこれを会衆に回わし、次に過越の羔羊の焼きたるもの及び付属の食物(つぎ)にパンが供えられ、第二の酒杯が一巡して後家父は同じくパンを感謝をもって割き、「これ我らの先祖がエジプトにおいて食せる悩みのパンなり」と言いて会衆に渡し、次に同様にして羔羊を食する。讃美は第二の酒杯の前と最後の酒杯の後とに歌われ、始めに詩113、114篇、後には115−118篇を歌う。この過越の祭がキリストの型であった。屠られる羔羊は十字架上のキリストであり(Tコリ5:7)その葡萄酒はキリストの血である。あたかもイスラエルがパロの束縛より放たれてエジプトを出づるがごとくに、キリスト者は罪の束縛より放たれて神の国に入る。このことを表徴せしものが聖餐式である。
要義2 [聖餐式について] 聖餐式に与ることによりて、我らのために肉を割き血を流して、御自身を我らに与え給えるキリストを記念することができるのであって、キリストによりて罪を贖われ救に入れられしキリスト者にとりては、その最も愛し奉るキリストを追憶し、その再び来り給うを待つことほどその心をよろこばすものはない。ゆえに聖餐式は単にこれを一片の儀式たらしめずして、心よりキリストを記念しつつこれを行うことによってその真の意義を発揮するのである。信仰により心よりキリストの体と血とを受くる時、パンと葡萄酒との性質に関する歴史上の多くの論争は無用に帰してしまうのであって(Tコリ11:35の要義参照)、我らはかかる論争の世界を超越して直接にキリストを追憶記念するのが聖餐の真の目的である。「我が記念として之を行へ」(Tコリ11:24、25)なる命令は福音書にこれを見出すことができない(ルカ22:14−23の付記参照)。けれどもイエスが聖餐を過越の食に対立すべきものたらしめ給いし意味は、明らかにこれを感得し得るのであって、この意味においてイエスは無言の命令を発し給えるものと解することができる。ただしこの命令は、これが形式的反覆を命じ給えるものにあらざることは、イエスの全態度よりこれを推定することができる。

9-6-ホ イエス、弟子の躓を預言し給う 26:31 - 26:35
(マコ14:27-31) (ルカ22:31-34)   

26章31節 ここにイエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ『今宵(こよひ)なんぢら(みな)われに()きて(つまづ)かん「われ牧羊者(ひつじかい)()たん、さらば(むれ)(ひつじ)()るべし」と(しる)されたるなり。[引照]

口語訳そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。
塚本訳その時イエスは弟子たちに言われる、「今夜あなた達は一人のこらずわたしにつまずくであろう。(聖書に)“わたしは羊飼いを打つ、羊の群はちりぢりになるであろう”と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。)
前田訳そのときイエスは彼らにいわれる、「今夜あなた方は皆わたしにつまずこう。聖書にいわく、『われは羊飼いを打とう、すると群れの羊は散らされよう』と。
新共同そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。
NIVThen Jesus told them, "This very night you will all fall away on account of me, for it is written: "`I will strike the shepherd, and the sheep of the flock will be scattered.'
註解: キリストはこの預言(引照参照)を思い巡らしていかに淋しき予感に打たれ給うたことであろう。これは弟子たちに取ってもまた思いがけなき予告であった。彼らは終までイエスに対し忠実に止まり得るものと確信していた。彼らは人間の肉の弱さを知らなかったのである。
辞解
[なんぢら皆] 文章の首にあり、強き意味を有つ。

26章32節 されど(われ)よみがへりて(のち)、なんぢらに(さき)()ちてガリラヤに()かん』[引照]

口語訳しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。
塚本訳しかしわたしは復活した後、あなた達より先にガリラヤに行く。(そこでまた会おう。)」
前田訳しかしわたしがよみがえってのちにわたしはあなた方に先立ってガリラヤへ行こう」。
新共同しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
NIVBut after I have risen, I will go ahead of you into Galilee."
註解: そこにまた始めのごとく我が羊を(やしな)うであろう。この預言は実現した(マタ28:16以下)。

26章33節 ペテロ(こた)へて()ふ『假令(たとひ)みな(なんぢ)()きて(つまづ)くとも(われ)はいつまでも(つまづ)かじ』[引照]

口語訳するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。
塚本訳するとペテロは答えた、「仰せのとおり皆があなたにつまずいても、このわたしは断じてつまずきません。」
前田訳ペテロは答えて彼にいう、「たとえ皆があなたにつまずいてもわたしは決してつまずきますまい」と。
新共同するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。
NIVPeter replied, "Even if all fall away on account of you, I never will."
註解: 我は罪を犯さなくなったと言い得る者は一人もない。高慢と軽率がペテロをしてこの失敗を為さしめたのである。

26章34節 イエス()(たま)ふ『まことに(なんぢ)()ぐ、こよひ(にはとり)()(まへ)に、なんぢ()たび(われ)(いな)むベし』[引照]

口語訳イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。
塚本訳イエスはペテロに言われた、「アーメン、わたしは言う、今夜、鶏が鳴く前に、三度、あなたはわたしを知らないと言う。」
前田訳イエスは彼にいわれる、「本当にいう、今夜にわとりが鳴く前に、三たびあなたはわたしを知らないといおう」と。
新共同イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」
NIV"I tell you the truth," Jesus answered, "this very night, before the rooster crows, you will disown me three times."
註解: 我らが我ら自身を知るよりもよく主は我らを知り給う。我らのいかなるものなりやは我ら自ら考うるよりも更に確実に聖霊によりて聖書の中に示されている。ペテロの断言と決心に反して彼に関するこの預言は遂に実現した(マタ26:75)。

26章35節 ペテロ()ふ『(われ)なんぢと(とも)()ぬべき(こと)ありとも(なんぢ)(いな)まず』弟子(でし)たち(みな)かく()へり。[引照]

口語訳ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。
塚本訳ペテロが言う、「たとえご一しょに死なねばならなくても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」(ほかの)弟子たちも皆、口をそろえてそう言った。
前田訳ペテロは彼にいう、「たとえあなたとともに死なねばならぬとも、決してあなたを知らぬとはいいますまい」。すべての弟子も同じようにいった。
新共同ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
NIVBut Peter declared, "Even if I have to die with you, I will never disown you." And all the other disciples said the same.
註解: 弟子たちの決心は真面目で且つ堅かった。しかし肉による決心はサタンに敗られ易い。後に弟子たちの上に聖霊が注がれるに及んで(使2:1以下)彼らは新に生れ(かわ)り、主イエスを否まずして殉教の死を遂ぐることを得るに至った(ヨハ21:20)。

9-6-ヘ ゲッセマネの祈り 26:36 - 26:46
(マコ14:32-42) (ルカ22:40-46)   

26章36節 ここにイエス(かれ)らと(とも)にゲツセマネといふ(ところ)にいたりて、弟子(でし)たちに()(たま)ふ『わが彼處(かしこ)にゆきて(いの)(あひだ)、なんぢら此處(ここ)()せよ』[引照]

口語訳それから、イエスは彼らと一緒に、ゲツセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。
塚本訳ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」
前田訳それからイエスは弟子たちとゲツセマネというところに来て、彼らにいわれる、「わたしがあそこへ行って祈る間ここにすわっていなさい」と。
新共同それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
NIVThen Jesus went with his disciples to a place called Gethsemane, and he said to them, "Sit here while I go over there and pray."
註解: 「此處に坐せよ」は最も容易なる命令であった。次にイエスは「我と共に目を覺ましをれ」(38節)と命じ給い、最後に「目を覺まし且つ祈れ」(41節)と命じ給うた。イエスの感情の高潮に達するに従い、弟子たちに対する要求も益々切になってきた。
辞解
[ゲツセマネ] ケデロンの小川の東、オリブ山の麓なる小園であった(ヨハ18:1)。この名称は多分「搾油所」を意味するらしい。

26章37節 かくてペテロとゼベダイの()二人(ふたり)とを(ともな)ひゆき、(うれ)(かな)しみ()でて()(たま)ふ、[引照]

口語訳そしてペテロとゼベダイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。
塚本訳そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。
前田訳そして、ペテロとゼベダイのふたりの子を伴ううちに悲しみなやみはじめられた。
新共同ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
NIVHe took Peter and the two sons of Zebedee along with him, and he began to be sorrowful and troubled.
註解: 「悲しみ出でて」は原語「悲しみ始めて」であって、この時よりイエスはその受難の死につきて苦悶し始め給うた。その死の肉体的苦痛は勿論であるがそれよりも更に一層苦痛であったのは、イエスが人類の罪を負うて自ら罪人となり(Uコリ5:21)神より(のろ)わるものとなり(ガラ3:13)て、神の御顔を見失い給うことであった。彼は他のいかなる苦痛にも優りてこの苦痛に堪え難かった。

26章38節 『わが(こころ)いたく(うれ)ひて()ぬばかりなり。(なんぢ)此處(ここ)(とどま)りて(われ)(とも)()(さま)しをれ』[引照]

口語訳そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
塚本訳それから彼らに言われる、「“心がめいって”“死にたいくらいだ。”ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
前田訳そして彼らにいわれる、「わが心は悲しみをこえて死ぬほどである。ここにいて共に目覚めていよ」。
新共同そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
NIVThen he said to them, "My soul is overwhelmed with sorrow to the point of death. Stay here and keep watch with me."
註解: イエスの憂いはただ彼独りこれを知っていた。何人も彼とその悲しみを共にし得ざる性質のものであった。ただイエスはその愛する弟子たちが彼と共に目を覚しおり、その師に降り掛らんとする大事を幾分にても感得することを望み給うた。

26章39節 (すこ)(すす)みゆきて、平伏(ひれふ)(いの)りて()(たま)ふ『わが(ちち)よ、もし()べくば()酒杯(さかづき)(われ)より()()らせ(たま)へ。[引照]

口語訳そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
塚本訳そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
前田訳そして少し進んでうつむけに伏し、祈っていわれる、「わが父上、できることならこの杯がわたしを通りすぎますように。しかしわが願いのままでなく、み心のままに」と。
新共同少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
NIVGoing a little farther, he fell with his face to the ground and prayed, "My Father, if it is possible, may this cup be taken from me. Yet not as I will, but as you will."
註解: 平伏して祈ることは最大の謙遜の姿である。「もし得べくは」といいてイエスは父の御意(みこころ)に対する従順の態度を示し給うた。「酒杯(さかづき)」は苦難と死とを示す。イエスは完全に我らと同じ肉体を()つ人間に(いま)し給うた。ゆえに苦難と死はイエスにとっても同じ苦杯であった。のみならずイエスの贖罪の死は彼の霊的存在の全否定であり、全く父より離れるの苦痛であった。

されど()(こころ)(まま)にとにはあらず、御意(みこころ)のままに()(たま)へ』

註解: イエスの父に対する希願そのものが既に充分なる謙遜の表われであった。かかる絶大なる苦難に際してその希願のいかに従順なりしことよ。しかるにイエスはこの従順なる希願より進んでここに絶対服従の態度に出で給うた。いかにつらくとも苦しくとも我が意のままになることは決して望ます、ただ御意(みこころ)のままに為し給えと祈り給うた。己の苦痛を忍びても父の御意の成らんことを祈ること、これ父に対する完全なる服従である。

26章40節 弟子(でし)たちの(もと)にきたり、その(ねむ)れるを()てペテロに()(たま)ふ『なんぢら()(いち)(とき)(われ)(とも)()(さま)()ること(あた)はぬか。[引照]

口語訳それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
塚本訳やがて弟子たちの所に来て、彼らが眠っているのを見ると、ペテロに言われる、「あなた達、そんなに、たった一時間もわたしと一しょに目を覚ましておられないのか。
前田訳弟子たちのところへ来て眠っているのを見、ペテロにいわれる、「そのようにあなた方は一時間もわたしとともに目覚めていられなかったのか。
新共同それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。
NIVThen he returned to his disciples and found them sleeping. "Could you men not keep watch with me for one hour?" he asked Peter.
註解: 弟子たちも勿論憂いていた(ルカ22:45)。しかし彼らの憂いはイエスのそれに比すべくもなかった。イエスの祈が長引くにつれて彼らは疲労のために眠りに落ちた。これに対しイエスは、(なお)も目を覚ましおることを要求し給う。神が人類を愛してこれを救わんがために苦しみ給うのに対し、我らは彼と共にいかに苦しんでも足らない筈である。然るに人類が充分にその苦悶を感じ得ないのは、この弟子たちがイエスの苦悶を感じ得なかったと同じである。人間の罪性のいかに深いかを思うべきである。

26章41節 誘惑(まどはし)(おちい)らぬやう、()(さま)しかつ(いの)れ。()(こころ)(ねつ)すれども肉體(にくたい)よわきなり』[引照]

口語訳誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
塚本訳目を覚まして、誘惑に陥らないように祈っていなさい。心ははやっても、体が弱いのだから。」
前田訳目覚めて祈れ、試みにあわないように。心ははやるが体は弱い」と。
新共同誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
NIV"Watch and pray so that you will not fall into temptation. The spirit is willing, but the body is weak."
註解: 眠っている間にサタンは我らの心に悪しき種を播き我らを誘惑する(マタ13:25)。我らの心が緊張を欠く時最もサタンに乗ぜられ易い時である。心はたとい熱していてすら肉体よわきために眠りに陥るのである。ゆえに目を覚まして祈ることが必要である。人間には心と肉との戦いがある。目を覚すことと祈りとによりて肉に打勝たなければならぬ。イエスはその絶大の苦悶の中にもなお弟子たちの霊を護ることを忘れ給わなかった。

26章42節 また二度(ふたたび)ゆき(いの)りて()(たま)ふ『わが(ちち)よ、この酒杯(さかづき)もし(われ)()までは()()りがたくば、御意(みこころ)のままに()(たま)へ』[引照]

口語訳また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。
塚本訳また二度目に向こうへ行って、祈られた、「お父様、どうしてもわたしが飲まねば通りすぎない杯ならば、どうかお心のままになさってください。」
前田訳二度目に彼らを離れて祈られた、「わが父上、もしわたしが飲まねばこれを通りすごすことができませんのなら、あなたのみ心が行なわれますように」と。
新共同更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」
NIVHe went away a second time and prayed, "My Father, if it is not possible for this cup to be taken away unless I drink it, may your will be done."
註解: この第二の祈りはイエスの絶対の従順の表顕であって「死に至るまで十字架の死に至るまで(したが)ひ給ふ」(ピリ2:8)ことの祈りである。彼の祈りは御意(みこころ)ならばこの酒杯(さかづき)を飲まんことの祈りであった、これによりて彼はますますその十字架に近付き給うた。

26章43節 (また)きたりて(かれ)らの(ねむ)れるを()たまふ、(これ)その()(つか)れたるなり。[引照]

口語訳またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。
塚本訳また来て見られると、彼らはまたもや眠っていた。(悲しみのために疲れて、)瞼が重かったのである。
前田訳また来てみると彼らは眠っていた。まぶたが重かったのである。
新共同再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。
NIVWhen he came back, he again found them sleeping, because their eyes were heavy.
註解: 夜遅くなっていたので弟子たちの疲労は益々加わったのであろう。一方十二弟子の一人なるユダはイエスを付さんがために(しき)りに活動しつつあった間にペテロ、ヤコブ、ヨハネ等は眠りに陥っていた。人は神に支配されるか又は悪魔に支配される時、最も強くなることができる。ペテロ以下の無力は我らの肉の姿である。

26章44節 また(はな)れゆきて、()たび(おな)(ことば)にて(いの)(たま)ふ。[引照]

口語訳それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
塚本訳イエスは彼らをのこして、もう一度向こうに行き、また同じ言葉で、三度目に祈られた。
前田訳彼らを離れて三度目に祈り、同じことばを繰り返された。
新共同そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。
NIVSo he left them and went away once more and prayed the third time, saying the same thing.
註解: 御意(みこころ)のままに成し給へ」なる祈りは父なる神にも必要であった、もし父なる神がイエスのこの受難に対する憂苦(ゆうく)に耐えないのを見給うならば、十字架の上に彼を附け給うことに非常なる苦痛を感じ給うたことであろう。しかるにイエスのこの泰然たる態度を見給いて、その予定し給える人類の救拯(きゅうじょう)を成就し得給うた。イエスはこの祈りにより、自己の苦痛を逃れんことよりも一層切に父の御意(みこころ)に苦痛を与えざらんとし給うたのである。

26章45節 (しか)して弟子(でし)たちの(もと)(きた)りて()(たま)ふ『(いま)(ねむ)りて(やす)め。()よ、(とき)(ちか)づけり、(ひと)()罪人(つみびと)らの()(わた)さるるなり。[引照]

口語訳それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
塚本訳それから弟子たちの所に来て、(また眠っているのを見ると)言われる、「もっと眠りたいのか。休みたいのか。そら、人の子が罪人どもの手に渡される時が近づいた。
前田訳そして弟子たちのところへ来ていわれる、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が近づいた。人の子は罪びとの手に渡される。
新共同それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。
NIVThen he returned to the disciples and said to them, "Are you still sleeping and resting? Look, the hour is near, and the Son of Man is betrayed into the hands of sinners.
註解: いよいよ罪人らの手に付されることを決心し、この苦杯を父より受け給いて、彼の心はもはや落附いた。弟子たちが目を覚して祈りをもって彼に仕える必要の時刻が過ぎ去った。そこでイエスは間もなく罪人らの手に付されるけれども、それまでの間できるだけ休めよと弟子たちに命じ給うた(Z0)。(これを諧諧謔(かいぎゃく)的にこれからは休みたくとも休めないだろうとの意に解する節もある〔M0〕。)
辞解
[今は] 原語の loipon は「余りの時間は」という意味(Z0)。

26章46節 ()きよ、(われ)()くべし。()よ、(われ)()るもの(ちか)づけり』[引照]

口語訳立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。
塚本訳立て。行こう。見よ、わたしを売る者が近づいてきた!」
前田訳起きよ、行こう。見よ、わたしを引き渡すものが近づいた」と。
新共同立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
NIVRise, let us go! Here comes my betrayer!"
註解: 弟子たちに休息を命じ給うや否やユダの近附くを見給いて、止むを得ず彼らを起し給うたこの御言は非常に切迫せる状態を示している。
要義 [ゲッセマネの祈について] なぜにイエスはその近付きつつある死に対して、かくも苦悶し給えるかについては種々の解釈がある。しかし聖書にはイエス御自身の言葉としてはその理由を掲げていない。或はこの苦悶の中にイエスがその恐るべき残酷なる死を予想して苦しみ給えること、即ち完全なる人間として我らと同じ弱さを持ち給えることを示すものと見ることができよう(M0)。しかしながらこれのみをこの苦悶の原因と見るならば、この苦悶は彼としてはあまりに大き過ぎるように思われる。ゆえに予は多くの宗教改革家の解釈と同じくこれは全世界の罪を負いて神より審判かれ、神より離されることの苦痛であったことを思わざるを得ない。主イエスのごとく一瞬間たりとも父よりその目を離し給わず、又父なる神もその愛子としてこれをいつくしみ給える場合、罪人として父より離され審判かれることの苦痛は堪え得なかったことはこれを想像することができる(尚56節要義参照)。
而してこの祈の中心点は「此の杯を我より過ぎ去らせ給へ」よりもむしろ「御意のままに成し給へ」にあると見るべきであって、この絶対の服従がなかったならば、父なる神はその十字架の贖を成就し給うについていかに苦痛を覚え給いしか。おそらく十字架の贖はこの絶対的服従なしに成就できなかったであろう。死に至るまで従わんとするこの祈こそ実に地上において為されし祈の最大なるものであり、人類の祈の範である。而してこれにより人類の歴史は変わった。

9-6-ト イエス捕らわれ給う 26:47 - 26:56
(マコ14:43-52) (ルカ22:47-53) (ヨハ18:2-12)  

26章47節 なほ(かた)(たま)ふほどに、()よ、十二(じふに)弟子(でし)一人(ひとり)なるユダ(きた)る、祭司長(さいしちゃう)(たみ)長老(ちゃうらう)らより(つかは)されたる(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)(つるぎ)(ぼう)とをもちて(これ)(ともな)ふ。[引照]

口語訳そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。
塚本訳イエスの言葉がまだ終らぬうちに、見よ、十二人の一人のユダが来た。大祭司連、国の長老から派遣された大勢の人の群が、剣や棍棒を持ってついて来た。
前田訳まだ彼が話しておられるとき、見よ、十二人のひとりユダが来た。剣や棒を持った多くの群衆がいっしょであった。彼らは大祭司や民の長老につかわされていた。
新共同イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長たちや民の長老たちの遣わした大勢の群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。
NIVWhile he was still speaking, Judas, one of the Twelve, arrived. With him was a large crowd armed with swords and clubs, sent from the chief priests and the elders of the people.
註解: 金曜日、ニサンの月の十五日である。イエスを捕えんとするものは神の代表者ともいうべき祭司長や民の代表者なる長老であり、ルカ22:52、その先頭に立ちて来るものはその愛する弟子の一人であった。人類全体の代表として神の子を拝すべき彼らが第一に彼を殺すのを見ても人類の罪の大なることがわかる。人類は神の子を殺して自ら神のものを私有せんとするのである(マタ21:33−41)。かかる罪人らの罪を赦さんがために、自らその罪を負い給うイエスの愛を思い見よ。

26章48節 イエスを()(もの)あらかじめ合圖(あひづ)(しめ)して()ふ『わが接吻(くちつけ)する(もの)はそれなり、(これ)(とら)へよ』[引照]

口語訳イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。
塚本訳イエスを売る者は、「わたしが接吻するのがその人だ。それを捕えよ」と、(あらかじめ)合図をきめておいた。
前田訳彼を引き渡すものが合図していった、「わたしが口づけするのがその人です。彼を捕えなさい」と。
新共同イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ」と、前もって合図を決めていた。
NIVNow the betrayer had arranged a signal with them: "The one I kiss is the man; arrest him."
註解: ユダヤ人は親密なる間柄、又は師弟の間においては、相逢う時も相別れる時も接吻をもってその愛を示し「シャローム」(安かれ)との挨拶の言を交す習慣があった。ロマ16:16Tコリ16:20等。

26章49節 かくて(ただ)ちにイエスに(ちか)づき『ラビ、(やす)かれ』といひて接吻(くちつけ)したれば、[引照]

口語訳彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。
塚本訳そこでいきなりイエスに近寄って、「先生、御機嫌よう」と言って接吻した。
前田訳ただちにイエスに近づいて、「ごきげんよう、先生」といって口づけした。
新共同ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。
NIVGoing at once to Jesus, Judas said, "Greetings, Rabbi!" and kissed him.
註解: 人は堕落して悪魔の捕囚となる時、いかなる悪事をも為すの勇気が与えられる。十二弟子の一人であったユダも、この時となっては最大の偽善を行いつつその師を付すことを敢てした。表面に接吻しつつ心をもって人を詛い、これを売ることは世の常習である。ユダはこの程度まで堕落したのである。

26章50節 イエス()ひたまふ『(とも)よ、(なに)とて(きた)る』[引照]

口語訳しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。
塚本訳イエスはユダに言われた、「友よ、そのために来たのではあるまいが!」その時人々が進み寄って、イエスに手をかけて捕えた。
前田訳イエスはいわれた、「友よ、そのために来たのか」と。そのとき彼らは近づいてイエスに手をかけて捕えた。
新共同イエスは、「友よ、しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
NIVJesus replied, "Friend, do what you came for." Then the men stepped forward, seized Jesus and arrested him.
註解: 「友よ」の原語ヘタイロスhetairos を呼びかけに用いる場合は、相手方に対して不満足の心持を()っている場合である(マタ20:13マタ22:12詩41:9)。イエスは彼を裁き給わず、なおも彼の良心に訴え給うた。

このとき人々(ひとびと)すすみてイエスに()をかけて(とら)ふ。

註解: ヨハ18:6によればイエスを捕えんとせる者どもは、イエスの御言によりて一旦地に倒れたとのことである。神の独子に手をかくることにより人類はその罪の絶頂に到達した。

26章51節 ()よ、イエスと(とも)にありし(もの)のひとり、()をのべ(つるぎ)()きて、(だい)祭司(さいし)(しもべ)をうちて、その(みみ)()(おと)せり。[引照]

口語訳すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。
塚本訳すると、見よ、イエスと一しょにいた一人の人が手をのばして剣を抜き、大祭司の下男に切りかかって片耳をそぎ落してしまった。
前田訳すると見よ、イエスの連れのひとりが手をのべて剣を抜き、大祭司の僕に切りつけてその耳をそいだ。
新共同そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切り落とした。
NIVWith that, one of Jesus' companions reached for his sword, drew it out and struck the servant of the high priest, cutting off his ear.
註解: これはペテロであった(ヨハ18:10)。三福音書の記されし頃ペテロはなお在世中であったために、ユダヤ人の当局との間に不都合が生じないようにその名を秘したのであろう(M0)。ペテロの態度は師を思うの熱情より出でた行為であった。しかし父の御言に(したが)うことは一層高き行為であることを思わなければならない。

26章52節 ここにイエス(かれ)()(たま)ふ『なんぢの(つるぎ)をもとに(をさ)めよ、すべて(つるぎ)をとる(もの)(つるぎ)にて(ほろ)ぶるなり。[引照]

口語訳そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
塚本訳その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。
前田訳するとイエスはいわれる、「なんじの剣をさやにおさめよ。剣をとるものは剣に滅びる。
新共同そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。
NIV"Put your sword back in its place," Jesus said to him, "for all who draw the sword will die by the sword.
註解: 古来劒をもって征服せし英傑にして劒によって倒されなかった例はない。真の勝利は正義の上に立ちて暴力を用いず、正義の力をもって勝つことである。肉体は殺されることありとも正義は必ず勝つ(ヨハ16:33)。

26章53節 (われ)わが(ちち)()ひて、十二(じふに)(ぐん)(あま)御使(みつかひ)(いま)あたへらるること(あた)はずと(おも)ふか。[引照]

口語訳それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。
塚本訳それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。
前田訳それとも、わが父上に願って十二軍団以上の使いをすぐわたしに送ってもらうことがわたしにできないと思うのか。
新共同わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。
NIVDo you think I cannot call on my Father, and he will at once put at my disposal more than twelve legions of angels?
註解: イエスが敵に捕えられ給うのは彼に彼自身を防御する力がなかったからではない。彼もし父に請うならば父は今直にも十二軍にも余る御使の軍勢を遣わし給い、彼の敵を打ち亡ぼし給うであろう。ゆえに勿論ペテロの加勢を必要とするものではない。イエスが敵にその身をまかせ給うのは、これが聖書に示されしごとく父の御意(みこころ)であるからである。
辞解
[十二軍] 一軍(レギオン)は六千人。

26章54節 もし(しか)せば、()くあるべく(しる)したる聖書(せいしょ)はいかで成就(じゃうじゅ)すべき』[引照]

口語訳しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。
塚本訳しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。」
前田訳それならば、かくならねばならぬという聖書はいかに成就するのか」と。
新共同しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」
NIVBut how then would the Scriptures be fulfilled that say it must happen in this way?"
註解: 聖書全体がイエスの受難の死の預言であると見ることができる。イエスはこれが父の御意(みこころ)であると信じてこれに服従し給うたのである。ゆえにイエスの死は強制されたのではなく、又敵より(おとしい)れられたのでもなく、全くその自由意志よりその生命を捨て給うたのである(ヨハ10:18)。

26章55節 この(とき)イエス群衆(ぐんじゅう)()(たま)ふ『なんぢら強盜(がうたう)(むか)ふごとく(つるぎ)(ぼう)とをもち、(われ)(とら)へんとて()(きた)るか。(われ)日々(ひび)(みや)()して(をし)へたりしに、(なんぢ)(われ)(とら)へざりき。[引照]

口語訳そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
塚本訳その時イエスは群の人々に言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってつかまえに来たのか。わたしは毎日宮で坐って教えていたのに、捕えずにおいて、(どうして今、こんな真夜中に来たのか。)
前田訳同時にイエスは群衆にいわれた、「強盗に向かうかのように剣と棒を持ってわたしを捕えに来たのか。日ごと宮にすわって教えたのに、あなた方はわたしを捕えなかった。
新共同またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。
NIVAt that time Jesus said to the crowd, "Am I leading a rebellion, that you have come out with swords and clubs to capture me? Every day I sat in the temple courts teaching, and you did not arrest me.
註解: 今汝らは、汝らを救わんがために宮において教えし我をあたかも強盗のごとくに捕えた。しかしながら我再び来る時はあたかも盗人の夜来るがごとくに来りて汝らを裁くであろう(Tテサ5:1−3)。

26章56節 されどかくの(ごと)くなるは、みな預言者(よげんしゃ)たちの(ふみ)成就(じゃうじゅ)せん(ため)なり』[引照]

口語訳しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
塚本訳しかしこれはみな、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)預言者たちの聖書の言葉が成就するためにおこったのである。」その時弟子たちは皆イエスをすてて逃げた。
前田訳これはすべて預言者の書物が成就するためにおこったことである」と。そのとき弟子たちはみな彼を見捨てて逃げ去った。
新共同このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
NIVBut this has all taken place that the writings of the prophets might be fulfilled." Then all the disciples deserted him and fled.
註解: これによりてイエスは群衆に向い、己の捕われ給う理由を示し、間接にそのメシヤに(いま)し給うことを教え給うた。

ここに弟子(でし)たち(みな)イエスを()てて()げさりぬ。

註解: ヨハ16:32の実現である。この時のイエスの淋しさはいかばかりであったろうか。この時こそイエスは天上天下ただ独りのみとなり給うた。弟子たちすらも皆罪人の群に入り、ただイエス一人全人類の罪を負うてゴルゴタの上に殺され給うた。しかし父の御手が彼の上に下り彼を復活せしめ給うた。我ら父と共なる時、全世界我に敵対するもなおこれに向って勝ち誇ることができる。
要義 [劔をとるものは劍にて滅ぶ]ここに一方真理の上に立ちて他に狡計(こうけい)をも暴力をも用いず、友なく、同志なく、権力も富もなきイエスと、他方狡計(こうけい)と暴力と同志と権力と富とを有する祭司長その他との明らかなる対照が我らの目の前に呈出されているのを見ることができる。而してその勝敗は一見明かであって勝は後者にあることを疑う者はない。しかるに事実はしからずしてイエスは勝者であって今日に至るまで人心を支配し、後者すべてやがて地上より失せてしまった。この真理は今日もなお真理であって、我ら真理の上に立たんとするものは他の何ものにもよらずして唯一人立つの決心を必要とするのである。これ弱きがごとくにして弱からず、ついには最後の勝利者となるのである。

9-6-チ 議会の前のイエス 26:57 - 26:68
(マコ14:53-65) (ルカ22:54-71) (ヨハ18:13-16)  

26章57節 イエスを(とら)へたる(もの)ども、學者(がくしゃ)長老(ちゃうらう)らの(あつま)()(だい)祭司(さいし)カヤパの(もと)()きゆく。[引照]

口語訳さて、イエスをつかまえた人たちは、大祭司カヤパのところにイエスを連れて行った。そこには律法学者、長老たちが集まっていた。
塚本訳人々はイエスを捕らえると、大祭司カヤパの所に引いていった。そこには(前もって最高法院の役人、すなわち大祭司連、)聖書学者、長老たちが集まっていた。
前田訳イエスを捕えた人々は彼を大祭司カヤパのところへ連れて行った。そこには学者や長老が集まっていた。
新共同人々はイエスを捕らえると、大祭司カイアファのところへ連れて行った。そこには、律法学者たちや長老たちが集まっていた。
NIVThose who had arrested Jesus took him to Caiaphas, the high priest, where the teachers of the law and the elders had assembled.
註解: ヨハ18:12-23にアンナスのことを記してこれを補充している。学者、長老らは衆議所の議員でイエスの捕縛せられて引き来られるのを待っていた。

26章58節 ペテロ(とほ)(はな)れ、イエスに(したが)ひて(だい)祭司(さいし)(うち)(には)まで(いた)り、その成行(なりゆき)()んとて、そこに()下役(したやく)どもと(とも)()せり。[引照]

口語訳ペテロは遠くからイエスについて、大祭司の中庭まで行き、そのなりゆきを見とどけるために、中にはいって下役どもと一緒にすわっていた。
塚本訳ペテロは見えがくれにイエスについて大祭司の官邸まで行き、中(庭)へ入って下役らと一しょに坐っていた、成り行きを見ようとしたのである。
前田訳ペテロは遠くから彼について大祭司の邸(やしき)に至り、中に入って下役らとともにすわった。結果を見ようとしたのである。
新共同ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた。
NIVBut Peter followed him at a distance, right up to the courtyard of the high priest. He entered and sat down with the guards to see the outcome.
註解: ペテロは半ば憂い半ば恐れて遠く従った。結局イエスの成行を見届けんとするがその目的であった。下役と共に坐したのは見あらわされないためであった。このペテロの行動は真実と虚偽との混合であった。この二者が混ずる時必ず後者が勝ちを制する。

26章59節 祭司長(さいしちゃう)らと(ぜん)議會(ぎくわい)と、イエスを()(さだ)めんとて、いつはりの證據(しょうこ)(もと)めたるに、[引照]

口語訳さて、祭司長たちと全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた。
塚本訳大祭司連をはじめ全最高法院は、イエスを死刑にしようとしてしきりにイエスに不利な偽証をさがした。
前田訳大祭司と全法院(サンヘドリン)はイエスを死刑にしようとして彼に不利な偽証を探しつづけた。
新共同さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスにとって不利な偽証を求めた。
NIVThe chief priests and the whole Sanhedrin were looking for false evidence against Jesus so that they could put him to death.

26章60節 (おほ)くの僞證者(ぎしょうしゃ)いでたれども()ず。[引照]

口語訳そこで多くの偽証者が出てきたが、証拠があがらなかった。しかし、最後にふたりの者が出てきて
塚本訳しかし偽証は多く出たが、(証拠は)見つからなかった。最後に二人の者が出て
前田訳多くの偽証人が出たが証拠は見つからなかった。ついにふたりのものが出ていった、
新共同偽証人は何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、
NIVBut they did not find any, though many false witnesses came forward. Finally two came forward
註解: 偽りの証を立てるものは、その要求せる刑罰を自ら受けなければならないことが律法に定められていた(申19:19)。この律法を祭司長ら自ら破らんとしているのである。律法によりて神の前に義たらんとする者、教権を握り、正統なる教会に属することをもって神の前に義とされることを信ずる者は、この種の矛盾を敢てして自らこれに心付かず、かえって正しきを行っていると信ずる場合がある。イエスの場合においては祭司長らは死刑に処し得べき証拠(民35:30申17:6申19:15)を求めたけれども結局その目的を達することができなかった。

(のち)二人(ふたり)(もの)いでて()

26章61節 『この(ひと)は「われ(かみ)(みや)(こは)三日(みっか)にて()()ベし」と()へり』[引照]

口語訳言った、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に建てることができる、と言いました」。
塚本訳言った、「この人は『神のお宮をこわして、三日のうちに建てて見せる』と言った。」
前田訳「この人は『神の宮をこわして三日のうちに建てうる』といった」と。
新共同「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。
NIVand declared, "This fellow said, `I am able to destroy the temple of God and rebuild it in three days.'"
註解: 人を死刑に処するには二人の証人を必要とした。この証人の語はイエス御自身の語(ヨハ2:19)とは異なっている。すなわち彼らは有意識か無意識に偽証を為したのである。些細(ささい)の語句の変更が重大なる結果を引起すことがある。

26章62節 (だい)祭司(さいし)たちてイエスに()ふ『この人々(ひとびと)(なんぢ)(たい)して()つる證據(しょうこ)(なに)をも(こた)へぬか』[引照]

口語訳すると、大祭司が立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。これらの人々があなたに対して不利な証言を申し立てているが、どうなのか」。
塚本訳そこで大祭司は立ち上がってイエスに言った、「何も答えないのか。この人たちは(あんなに)お前に不利益な証言をしているが、あれはどうだ。」
前田訳そこで大祭司は立ちあがってイエスにいった、「何も答えないのか、この人たちがおまえに不利な証言をしているのに」と。
新共同そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか。」
NIVThen the high priest stood up and said to Jesus, "Are you not going to answer? What is this testimony that these men are bringing against you?"
註解: この原文を「汝は何も答えざるか、この人々が汝に対して立つる証拠は何ぞや」と二つの疑問として読む説が多い。イエスは彼らの偽証に対して答え給わなかったために、大祭司は心いら立ちてこの質問を発したものであろう。イエスが答え給わなかった理由は、恐らくかかる言葉尻の争を為すべきあまりに荘厳なる瞬間であるからであろう。▲「対して」は原文「反対して」の意。

26章63節 されどイエス(もく)居給(ゐたま)ひたれば、(だい)祭司(さいし)いふ『われ(なんぢ)(めい)ず、()ける(かみ)(ちか)ひて(われ)らに()げよ、(なんぢ)はキリスト、(かみ)()なるか』[引照]

口語訳しかし、イエスは黙っておられた。そこで大祭司は言った、「あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓ってわれわれに答えよ」。
塚本訳しかしイエスは黙っておられた。大祭司が言った、「生ける神に誓ってわれわれにこたえよ。お前が、神の子救世主か。」
前田訳しかしイエスは黙っておられた。大祭司は彼にいった、「生ける神に誓って命ずる。答えよ。おまえは神の子キリストか」。
新共同イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか。」
NIVBut Jesus remained silent. The high priest said to him, "I charge you under oath by the living God: Tell us if you are the Christ, the Son of God."
註解: これが裁判の際に被告を誓わしむる形式であって、これに対する答弁は神に誓えるものと見做(みな)された。大祭司がイエスを陥れんとせる要点はイエスが己を神とするや否やの点であった(ヨハ5:18)。人間にして己を神とするものは神を涜すものであって殺されるべきことは当然である。レビ24:16

26章64節 イエス()(たま)ふ『なんぢの()へる(ごと)し。かつ(われ)なんぢらに()ぐ、(いま)より(のち)、なんぢら(ひと)()全能者(ぜんのうしゃ)(みぎ)()し、(てん)(くも)()りて(きた)るを()ん』[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。
塚本訳イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後“人の子(わたし)が”“大能の(神の)右に坐り、”“天の雲に乗って来るのを”見るであろう。」
前田訳イエスはいわれる、「仰せのとおり。しかし、わたしはいう、今からのち人の子が大能の神の右にすわって天の雲に乗って来るのをあなた方は見よう」と。
新共同イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る。」
NIV"Yes, it is as you say," Jesus replied. "But I say to all of you: In the future you will see the Son of Man sitting at the right hand of the Mighty One and coming on the clouds of heaven."
註解: イエスはここに御自身の神の子に(いま)し給うこと、及び復活して神の右に坐し給うこと、而してダニ7:13の示すごとく天の雲に乗りて人類を裁かんがために再臨し給うことを断言し給うた。イエスの神性と復活と再臨とはイエスの口より出でし彼の確実なる信念であった。イエスがこれを言い給えることは重大なることであって、その死を()してにあらざればかかることを言うことができない。イエスはその神の子に(いま)し給うことを証するがためには死をもいとい給わなかったのである。イエスの神性と復活と再臨とを否定する者は、イエスのこの確信を否定しなければならぬ。▲▲イエスがエルサレムに上るのには死を覚悟しなければならなかったのは、この告白をしなければならなかったからであった。マタ16:21

26章65節 ここに(だい)祭司(さいし)おのが(ころも)()きて()ふ『かれ涜言(けがしごと)をいへり、(なに)(ほか)證人(しょうにん)(もと)めん。()よ、なんぢら(いま)この涜言(けがしごと)をきけり。[引照]

口語訳すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。
塚本訳そこで大祭司は自分の上着を引き裂いて言った、「冒涜だ!これ以上、なんで証人の必要があろう。諸君は今ここに(おのれを神の子とする許しがたい)冒涜を聞かれた。
前田訳そのとき大祭司は衣を裂いていった、「彼は神をけがした。そのうえ何の証人がいろう。今あなた方はけがしを聞いた。
新共同そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。
NIVThen the high priest tore his clothes and said, "He has spoken blasphemy! Why do we need any more witnesses? Look, now you have heard the blasphemy.

26章66節 いかに(おも)ふか』[引照]

口語訳あなたがたの意見はどうか」。すると、彼らは答えて言った、「彼は死に当るものだ」。
塚本訳(この者の処分について)お考えを承りたい。」「死罪を相当とする」と彼らが答えた。
前田訳何とお考えか」と。彼らは答えた、「死罪にあたる」と。
新共同どう思うか。」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。
NIVWhat do you think?" "He is worthy of death," they answered.
註解: 衣を裂くことは異常なる苦悩の場合、又は涜神的言語が耳に入りたる場合であった。大祭司はイエスの神の子に(いま)し給うことを信じなかった。ゆえにイエスの御言を涜神的の言葉と解したのである。ゆえにレビ24:16によりて死に値しているのであった。而して群衆をこの言葉の証人たらしめたのである。

(こた)へて()ふ『かれは()(あた)れり』

註解: 六日前に「ダビデの子にホサナ」(マタ21:9)と言いてイエスを迎えし同じ群衆は今や一転して「彼は死に当れり」と叫ぶ様になった。いずれの世においても付和雷同は群衆の常であって彼らに頼むことができない。最も罪深きものはこの群衆心理を利用して自己の利益を擁護し真理を(こば)む者である。

26章67節 ここに(かれ)()その御顏(みかほ)(つばき)し、(こぶし)にて()ち、(ある)(もの)どもは手掌(てのひら)にて(たた)きて()[引照]

口語訳それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、
塚本訳それから(法院の役人のある者は)イエスの顔に唾をかけ、拳でうち、ある者は(目隠しをして)棒でたたきながら、
前田訳そして彼らは彼の顔に唾し、挙で打ち、あるものは棒でたたきながら、
新共同そして、イエスの顔に唾を吐きかけ、こぶしで殴り、ある者は平手で打ちながら、
NIVThen they spit in his face and struck him with their fists. Others slapped him
註解: 神を(けが)す者はあらゆる侮辱に逢うもなお足らない。ただし彼ら(大祭司、長老、群衆)はこれによりて神を侮辱していたのであることを常に念頭に置くべきである。

26章68節 『キリストよ、(われ)らに預言(よげん)せよ、(なんぢ)をうちし(もの)(たれ)なるか』[引照]

口語訳「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。
塚本訳「おい救世主、だれがぶったか、当ててみろ」と言った。
前田訳「キリストよ、おまえを打ったのはだれか当ててみよ」といった。
新共同「メシア、お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言った。
NIVand said, "Prophesy to us, Christ. Who hit you?"
註解: キリストに打ちしものを言い当てることを要求して彼を愚弄した。キリスト再臨の時、彼を打ちし者共は皆彼を見て歎くであろう(黙1:7)。
要義 [キリストもし神の子に在さば如何]マタ16:16はペテロの告白であった、ここにはイエス自らその神の子なることを証し給う。このことは我らにとって極めて重大なる問題を提供する。もし我らまことに唯一の神を信じているならば、もし人あり自ら神の子なりと称する時、我らの彼に対して取り得る態度は唯二つだけである。その一は彼を涜神者として殺すことであり、その二は彼を真に活ける神の子なりと信ずることである。イエスのこの告白に対し人類はこの二つに別れなければならない。キリスト者はイエスの栄光と満ち足れる徳とその復活し給えることとを見て彼が神の子と信ずる者であり、不信者は彼を十字架にかけて殺す者である。

9-6-リ ペテロ、イエスを否む 26:69 - 26:75
(マコ14:66-72) (ルカ22:56-61) (ヨハ18:17-27)  

26章69節 ペテロ(そと)にて(うち)(には)()しゐたるに、一人(ひとり)婢女(はしため)きたりて()ふ『なんぢもガリラヤ(ひと)イエスと(とも)にゐたり』[引照]

口語訳ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。
塚本訳ペテロは外で中庭に坐っていた。すると一人の女中が寄ってきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一しょだった」と言った。
前田訳ペテロは外で中庭にすわっていた。そこへ召使いが来ていった、「あなたもガリラヤ人イエスといっしょにいました」と。
新共同ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
NIVNow Peter was sitting out in the courtyard, and a servant girl came to him. "You also were with Jesus of Galilee," she said.
註解: 何人も自分を知らないであろうと思っていたペテロにとって、この不意の一撃は非常なる驚駭(きょうがい)であった。人は自分の罪はすべての人が知っていると考うべきである。

26章70節 かれ(すべ)ての(ひと)(まへ)(うけが)はずして()ふ『われは(なんぢ)()ふことを()らず』[引照]

口語訳するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。
塚本訳しかしペテロは皆の前で、「何をあなたが言っているのかわからない」と言って打ち消した。
前田訳しかし彼は皆の前でそれを否み、「あなたのいうことがわからない」といった。
新共同ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
NIVBut he denied it before them all. "I don't know what you're talking about," he said.
註解: 自分の安全を計らんがために(いつわり)を言うことはキリストの一弟子、キリストの教会の礎石と言われるペテロにとりては、(まこと)に不似合なことであると言わなければならない。しかしながら彼はここに人間の肉の弱さをそのまま暴露したのであって、自分の安全を要求する本能が不用意の中にその実相を顕わしたのである。ここに人間の罪性がペテロにおいて顕われていることは、「義人なし一人だになし」との言の真理なることを裏書する(ロマ3:10)。

26章71節 かくて(もん)まで()()きたるとき、(ほか)婢女(はしため)かれを()て、其處(そこ)にをる(もの)どもに(むか)ひて『この(ひと)はナザレ(びと)イエスと(とも)にゐたり』と()へるに、[引照]

口語訳そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
塚本訳そして玄関に出てゆくと、ほかの女中がペテロを見て、そこにいる人たちに「この人はあのナザレ人イエスと一しょだった」と言う。
前田訳彼が玄関のほうへ出て行くと、もうひとりの召使いが彼を見てそこにいる人々にいう、「この人はナザレ人イエスといっしょにいました」と。
新共同ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。
NIVThen he went out to the gateway, where another girl saw him and said to the people there, "This fellow was with Jesus of Nazareth."

26章72節 (かさ)ねて(うけが)はず、(ちか)ひて『(われ)はその(ひと)()らず』といふ。[引照]

口語訳そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
塚本訳ペテロは誓いまで立てて、「そんな男は知らない」と、また打ち消した。
前田訳そこで誓って、「その人を知らない」とふたたび否んだ。
新共同そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
NIVHe denied it again, with an oath: "I don't know the man!"
註解: マタ16:16のペテロの告白と比較して何たる差違であろうか。あたかもイエスを知らざるもののごとく冷淡なる語を用いて彼を「その人」と呼ぶに至ったペテロの心事を悲しむべきである。しかも彼はこの罪を再びした。人はその罪を悔改むること遅き場合には、試誘(こころみ)は繰返して来るものであることを学ばなければならぬ。
辞解
[ナザレ人イエス] 当時イエスなる名称を有てる人は少なくなかった、彼らと区別するためにナザレ人イエスと言ったのである。マタ2:23

26章73節 (しばら)くして其處(そこ)()(もの)ども(ちか)づきてペテロに()ふ『なんぢも(たしか)にかの黨與(ともがら)なり、(なんぢ)國訛(くになまり)なんぢを(あらは)せり』[引照]

口語訳しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。
塚本訳しばらくすると、そこに立っていた人たちが寄ってきてペテロに言った、「確かにあなたもあの仲間だ。あなたの国訛りでもそれがわかる。」
前田訳しばらくしてそこに立っている人たちが近づいてペテロにいった、「たしかにあなたもあの仲間だ。あなたのなまりでお里が知れる」と。
新共同しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」
NIVAfter a little while, those standing there went up to Peter and said, "Surely you are one of them, for your accent gives you away."
註解: 発見せられんとする危険が益々近付いて来たにも関わらず(ヨハ18:26を見よ)、尚主イエスの身の上を思いて去り兼ねしペテロの美わしき心事を汲むべきである。而して一方ペテロには(なお)自己の安全を保護せんとする本能が働きつつあった。これがすべての人間の常態であって、人はその奥深く罪に支配せられつつ(なお)ある程度までの道徳美を発露しているのである。我らはここにペテロにおいて我ら自身の姿を見ることができる。

26章74節 ここにペテロ(うけ)ひかつ(ちか)ひて『(われ)その(ひと)()らず』と()()づるをりしも、(にはとり)()きぬ。[引照]

口語訳彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
塚本訳そこでペテロは、「そんな男は知らない。(これが嘘なら、呪われてもよい)」と、幾たびも呪いをかけて誓った。するとすぐ鶏が鳴いた。
前田訳そこで彼は呪って誓いはじめた、「あの人は知らない」と。折しもにわとりが鳴いた。
新共同そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。
NIVThen he began to call down curses on himself and he swore to them, "I don't know the man!" Immediately a rooster crowed.
註解: ペテロはここに「(うけ)ひかつ(ちか)ひ」てこの罪の上塗りをした。かかる折りしも鶏が鳴いたことは最も適切な時機であった。
辞解
[盟ひ] katathematizeinは「詛う」という意味で常に悪しき意味に用いる。

26章75節 ペテロ『にはとり()(まへ)に、なんぢ三度(みたび)われを(いな)まん』と、イエスの()(たま)ひし御言(みことば)(おも)ひだし、(そと)()でて(いた)()けり。[引照]

口語訳ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
塚本訳ペテロは、「鶏が鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出ていって、さめざめと泣いた。
前田訳そこでペテロは、にわとりが鳴く前に三度自分を知らないといおうとのイエスのことばを思い出した。そして外へ出て、さめざめと泣いた。
新共同ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
NIVThen Peter remembered the word Jesus had spoken: "Before the rooster crows, you will disown me three times." And he went outside and wept bitterly.
註解: 我らは神の言をききつつ往々にして罪を犯す以前にこれを思い出さずして、後に至りてこれを思い泣き悲しむことがある。この場合のペテロがそれであった、神の言を常に心から離してはならないのはこのためである。
要義 [ペテロと我ら]主を否みしペテロの罪は深い。唯我らはこのペテロの中に人間の肉の働きをさながらに見ることができるのであって、我らも今日この世の中にありてキリストに対する信仰を勇敢に告白し得ざる場合なかりしやを顧みなければならなぬ。もしそれがあるならば、そこにこのペテロの罪に等しき罪が働いているのであって、我らを愛して我らのために十字架に釘き給いしイエスを、我らの安全のために否むことになるのである。ペテロの罪は他人の問題にあらず我らの問題である。
注記 [四福音書の記事の相違]この物語の内容につきては四福音書にかなりの重大なる差異があり、この差異を調和せんとしても到底不可能である。唯各福音書の記者がこの物語によりペテロの例をもって我らを教えんとすることに主眼を置いたのであってこの点においては完全に一致している。唯、ここに至る事実上の経過などはさほどに重視しなかったのであろう。