マルコ伝第10章
分類
5 ユダヤにおけるイエス 10:1 - 10:52
5-1-イ 離婚問題 10:1 - 10:12
(マタ19:1-12)
註解: ルカ伝にはこの間に所謂ルカによる旅行記(ルカ9:51−18:14)の長文の記事あり。
10章1節 イエス
口語訳 | それから、イエスはそこを去って、ユダヤの地方とヨルダンの向こう側へ行かれたが、群衆がまた寄り集まったので、いつものように、また教えておられた。 |
塚本訳 | そこを立って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう(のペレヤ)とに行かれる。すると群衆がまた彼の所に集まってきたので、またいつものように教えられた。 |
前田訳 | そこを立ってユダヤの地方とヨルダンの向こう岸に行かれると、群衆がまたおそばに集まって来たので、またいつものようにお教えになった。 |
新共同 | イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 |
NIV | Jesus then left that place and went into the region of Judea and across the Jordan. Again crowds of people came to him, and as was his custom, he taught them. |
註解: 「此處 」はカペナウム(マコ9:33)でイエスはそれより南下しヨルダン川の東岸を下りてヨルダンの彼方なるユダヤ地方に着き給うた。
辞解
[ユダヤの地方およびヨルダンの彼方] 道順としては逆になるのでこれを逆にして「ヨルダンの彼方およびユダヤの地方」と読むベしとする説もあるけれども(L2)、この「および」を「すなわち」と読めばマタ19:1と同じく「ヨルダンの彼方なるユダヤ」なる意味となる(I0、E0、M0)。
[教え給ふ] 未完了過去形で継続的行為を示す。
10章2節
口語訳 | そのとき、パリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして質問した、「夫はその妻を出しても差しつかえないでしょうか」。 |
塚本訳 | そこにパリサイ人たちが進み出て、イエスを試そうとして尋ねた、「夫は妻を離縁してもよろしいか。」 |
前田訳 | するとパリサイ人が近よって、夫は妻を離縁してよいかとたずねた。彼を試みたのである。 |
新共同 | ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 |
NIV | Some Pharisees came and tested him by asking, "Is it lawful for a man to divorce his wife?" |
註解: この当時もユダヤ人はその妻に離縁状を与えてこれを出すことを正当と考えていた。イエスが極めて厳格なる道徳を教えかつモーセの律法をそれよりもいっそう高きものに完成することを唱えていたので、パリサイ人らは離婚の問題につきてもイエスに独特の考えがあるならんと想像し、この質問を出した。
辞解
マタ19:3には「何の故にかかはらず」とあり、離婚の理由如何に重点を置いている。マルコはさらに一般的にこの問題を取扱い離婚の可否に関する概括的の答弁をイエスに求めたのである。
10章3節
口語訳 | イエスは答えて言われた、「モーセはあなたがたになんと命じたか」。 |
塚本訳 | 彼らに答えられた、「モーセはあなた達になんと命じているか。」 |
前田訳 | 彼は答えられた、「モーセはあなた方に何と命じたか」と。 |
新共同 | イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 |
NIV | "What did Moses command you?" he replied. |
10章4節
口語訳 | 彼らは言った、「モーセは、離縁状を書いて妻を出すことを許しました」。 |
塚本訳 | 彼らが言った、「モーセは、“離縁状を書いて(妻を)離縁することを”許した。」 |
前田訳 | 彼らはいった、「モーセは離縁状を書いて離縁することをゆるしました」と。 |
新共同 | 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 |
NIV | They said, "Moses permitted a man to write a certificate of divorce and send her away." |
註解: イエスはまずパリサイ人らに質問して、彼らの立場を明かにし給うた。彼らの答えは申24:1-3の引用によりモーセの律法に従っていることの理由をもって彼らが離縁状を与えて簡単に妻を出すことの習慣を弁護した。ただし「何を命ぜしか」の答えに対して「許せり」と答えたのは、彼らにも幾分離婚の罪なることを感じていることを示す。なお申24:1の条件の解釈に広狭二種あり、ヒレル派はこれを広く解してあらゆる理由をこの中に含ましむる故結局何らの理由をも必要とせざることとなる。
10章5節 イエス
口語訳 | そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。 |
塚本訳 | イエスは彼らに言われた、「モーセはあなた達の心が(神に対して)頑固なために、この掟を書いたのである。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「モーセはあなた方が頑なためにこのような掟を書いた。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 |
NIV | "It was because your hearts were hard that Moses wrote you this law," Jesus replied. |
註解: モーセのこの律法は、離婚が正しき行為であること示しているのではなく、むしろ横暴なる男性より女性を保護せんがためであることを示している。人間は肉の念に放任される場合、夫婦の間に多くの不満を発見することが普通の事実である。
辞解
[無情] 粗暴なることまた従って頑固なること。
10章6節
口語訳 | しかし、天地創造の初めから、『神は人を男と女とに造られた。 |
塚本訳 | しかし(天地)創造の始めから、“神は彼らを男と女とに造られた。” |
前田訳 | しかし創造のはじめから神は人を男と女とに造られ、 |
新共同 | しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 |
NIV | "But at the beginning of creation God `made them male and female.' |
口語訳 | それゆえに、人はその父母を離れ、 |
塚本訳 | “それゆえに人はその父と母とをすてて、 |
前田訳 | それゆえに人は父と母とを離れて、 |
新共同 | それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 |
NIV | `For this reason a man will leave his father and mother and be united to his wife, |
口語訳 | ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。 |
塚本訳 | 二人は一体となる”(とモーセは書いている。)従って、もはや二人ではない、一体である。 |
前田訳 | ふたりがひとつ体となる。したがってもはやふたりでなくひとつ体である。 |
新共同 | 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 |
NIV | and the two will become one flesh.' So they are no longer two, but one. |
註解: 創1:27。創2:24の記事を引用してモーセの語と対象せしめ、創造主の本来の意思は、一夫一婦の制であったことを示し、モーセの律法は単に一時の便宜法に過ぎざることを教えんとし給う。創2:24はアダムの言かエホバ典記者の解説かは問題であるとしても、イエスはそこに真の神意を見出し給うた。7節末尾に「その妻に合い」を略したるは簡単にするためならん。▲創2:24を一夫一婦制の基礎と解したのはイエスの烱眼 であった。
10章9節 この
口語訳 | だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。 |
塚本訳 | だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。人間がこれを引き離してはならない。」 |
前田訳 | 神がひとつ軛(くびき)に結ばれたものを人が離すべきでない」と。 |
新共同 | 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 |
NIV | Therefore what God has joined together, let man not separate." |
註解: 夫婦はその結合によりて一つの体となる。而してこれは神の定め給える関係なるが故に、たとい人間的に如何なる不満ありとも、人はこれを離してはならない。神の御旨として畏れかしこまなければならない。
口語訳 | 家にはいってから、弟子たちはまたこのことについて尋ねた。 |
塚本訳 | 家で弟子たちが、またこのことをお尋ねした。 |
前田訳 | 家でまた弟子たちがこのことについておたずねした。 |
新共同 | 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 |
NIV | When they were in the house again, the disciples asked Jesus about this. |
10章11節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは言われた、「だれでも、自分の妻を出して他の女をめとる者は、その妻に対して姦淫を行うのである。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「妻を離縁してほかの女と結婚する者は、妻に対して姦淫を犯すのである。 |
前田訳 | 彼らにいわれる、「妻を離縁してほかの女をめとるものは妻に対して姦淫する。 |
新共同 | イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 |
NIV | He answered, "Anyone who divorces his wife and marries another woman commits adultery against her. |
10章12節 また
口語訳 | また妻が、その夫と別れて他の男にとつぐならば、姦淫を行うのである」。 |
塚本訳 | もし妻が夫を離縁してほかの男と結婚すれば、(これも)姦淫を犯すのである。」 |
前田訳 | 妻が夫を離縁してほかの男と結ばれても姦淫する」と。 |
新共同 | 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」 |
NIV | And if she divorces her husband and marries another man, she commits adultery." |
註解: 以上のごとく夫婦は神の合せ給える一体なる故、人はこれを離すべきではなく、たとい離縁状を与えてこれを出しても、これは無効であってその夫婦たる関係は不変である。それ故に他の女を娶 る場合はこの結合は真の夫婦の結合ではなく姦淫である。妻の場合も勿論同様である。
辞解
[其の夫を棄てて] 「棄て」は11節の「妻を出して」の「出し」と同一の語なり。ゆえに「その夫を出して」となる。然るにユダヤの律法では妻が夫を追い出すことは絶対になき故(S2)、これはマルコがローマ人やギリシャ人に読ませるためにその異なれる習慣に適応したのであろう(L2、I0)。それ故に異本には「もし女その夫より出で行く時は」と訂正しているのである。
要義 [離婚の絶対禁止]婚姻は神の為し給える業であるとすれば、如何なる場合にもそれが無上命令であり我らの絶対の服従を要求する。人間として夫婦間に如何に多くの不満がある場合でも、神の与え給える苦難の一種としてこれを耐え忍ばなければならない。而してこの不幸なる関係の中に神の愛の御旨を見出す場合、人はその不幸なる婚姻関係の中より神にある聖なる使命観を汲み出し、聖なる愛を生み出すことができる。なお姦淫のみが例外的に離婚の原因として許されているのは(マタ19:9)、姦淫それ自身が神の定めに対する叛逆であり、婚姻関係を破壊してしまったからである。
10章13節 イエスの
口語訳 | イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 |
塚本訳 | イエスにさわっていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。 |
前田訳 | 人々がおそばに子どもらを連れて来た。さわっていただくためである。しかし弟子たちは彼らをとがめた。 |
新共同 | イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 |
NIV | People were bringing little children to Jesus to have him touch them, but the disciples rebuked them. |
註解: イエスは手をもって觸ることによりて多くの病苦を癒し給うた。これを見て人々はその手に特別の祝福力があることと思い幼児に觸ることによりてその将来を祝福してもらいたいと願った。弟子たちは師を尊敬するのあまり、かかることをもって師を煩わすまじとてこれを禁 めた。弟子がその師の真の心を知り尽すことはなかなかに困難である。
10章14節 イエス
口語訳 | それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 |
塚本訳 | イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた、「子供たちをわたしの所に来させよ、邪魔をするな。神の国はこんな(小さな)人たちのものである。 |
前田訳 | イエスはそれを見ていきどおっていわれた、「子どもらをよこしなさい。邪魔をしないで。神の国はこんな人たちのものである。 |
新共同 | しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 |
NIV | When Jesus saw this, he was indignant. He said to them, "Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of God belongs to such as these. |
註解: イエスは弟子たちの処置を憤り給うた。イエスは打算的なる弟子たちの姿よりも、無邪気にして率直なる幼児の姿が、かえって神の国の民の姿に近いことを感じ、単純にして自然なる幼児の姿を心より愛し給うたのであった。イエス自身まことに幼児のごとく単純率直にして自然である。
10章15節
口語訳 | よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、子供のように(すなおに)神の国(の福音)を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできない。」 |
前田訳 | 本当にいう、神の国を子どものように受け入れねば決してそこに入れまい」と。 |
新共同 | はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 |
NIV | I tell you the truth, anyone who will not receive the kingdom of God like a little child will never enter it." |
10章16節
口語訳 | そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。 |
塚本訳 | それから子供たちを抱き、(頭に)手をのせて祝福された。 |
前田訳 | そして子どもらを抱き、手を置いて祝福された。 |
新共同 | そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 |
NIV | And he took the children in his arms, put his hands on them and blessed them. |
註解: 神の国を受けてこれに入るには幼児のごとき単純さをもってイエスを信じこれに依り頼まなければならない。利害の打算にあらず理屈にあらず、これらを超越せる信頼である。イエスは父なる神に対し幼児のごとき信頼を有ち給うた。
辞解
[神の国を受くる] 神の国は「来る」ものなるが故にこれを「受くる」のであって、結局神の支配に服することを意味す。
要義 [神の国に入るもの]幼児のごとき信仰とは、聖書の知識にあらず、信仰箇条の受諾にあらず、神学の理解にあらず、また教会への所属またはその儀式への参加にあらず、幼児のごとき自然さと単純さとをもって神に信頼することである。自然なるが故に、そこに虚偽がなく、単純なるが故に力強い。父なる神に信頼せるイエスの姿こそ、正しくこの幼児のごとき信仰であった。我らもまた彼に倣いて幼児のごとくにならなければならない。
10章17節 イエス
口語訳 | イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。 |
塚本訳 | 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」 |
前田訳 | 彼が旅に出ようとされると、ひとりの人が駆けて来てひざまずいてたずねた、「よい先生、永遠(とこしえ)のいのちを継ぐには何をすべきですか」と。 |
新共同 | イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 |
NIV | As Jesus started on his way, a man ran up to him and fell on his knees before him. "Good teacher," he asked, "what must I do to inherit eternal life?" |
註解: イエス、家より(10節)途に出で給いし時の事件であった。走り来れるはその道を求むる熱心を示し、跪 きたるはそのイエスを尊敬する心を表し、「善き師よ」と言えるはイエスの憐憫を求めまたこれを信頼していることを暗示す。「永遠の生命を嗣ぐ」はメシヤ王国に入ることと同義に用いられていた(I0)。彼は何を「為す」べきかを問うた。しかしながら「為す」前に「成ら」なければならない。この人は富める青年であった(マタ19:22)。
10章18節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「なぜわたしのことを『よい』というのか。神おひとりのほかによい方はない。 |
新共同 | イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 |
NIV | "Why do you call me good?" Jesus answered. "No one is good--except God alone. |
註解: 青年は単に人間的の意味および程度においてイエスを「善き師」と呼んだのであった。イエスはこの青年の心をまず第一に至高善に向けることの必要を感じ給うた。然らざれば自己の不完全さを充分に認識することができないからである。マタ19:17の質問応答は異る形をとっているけれども、イエスの意図としては同一の結果を来すこととなる。ただしマルコ伝の問答(ルカ18:19も同じ)の方がむしろ自然である。またこの答えによりてイエスが自己の神性を否定し給うたと見るは誤っている。イエスは神学的に論じ給うたのではなく、青年の心を捕えて訓練し給うたのである。
10章19節
口語訳 | いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。 |
塚本訳 | (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──“殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、”奪い取ってはならない、“父と母とを敬え。”(ただこれだけである。)」 |
前田訳 | あなたは掟を知っているはず。いわく、『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父と母とを敬え』と」。 |
新共同 | 『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 |
NIV | You know the commandments: `Do not murder, do not commit adultery, do not steal, do not give false testimony, do not defraud, honor your father and mother.' " |
註解: イエスはモーセの十誡の第二の石版に属する部分を提示してこの青年がはたしてこれを実行しているや否やを反省せしめ給う。永遠の生命を継ぐために必要なことは真の意味において律法を守ることである。その他に何らの奇抜なものがない。
辞解
第五誡の「汝の父と母を敬え」を最後に置く所以は不明である。▲もし十誡が二枚の石の板に平分されたとすれば第五誡は第一の石板に記されたこととなる。
[欺き取るなかれ] マルコ伝のみに在り恐らく第十誡の「貪るなかれ」に相当するものならん。
10章20節
口語訳 | すると、彼は言った、「先生、それらの事はみな、小さい時から守っております」。 |
塚本訳 | その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」 |
前田訳 | その人はいった、「先生、それなら皆若い時から守っています」と。 |
新共同 | すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 |
NIV | "Teacher," he declared, "all these I have kept since I was a boy." |
註解: これ必ずしも特に高慢ある態度であるということはできない。幼少の時より真面目なる生活を続け来りしこの青年の偽らざる告白であった。しかしながら彼は唯十誡をその表面において守ることをもって誇りとしている点に彼の霊魂の欠陥があった。これがために彼は彼のたましいの深所 に巣くう己が罪の正体を看破し得なかったのであった。彼の心に深き不安があり、その解決をイエスに求めたのも、この深き病根のためであり、また彼が「皆これを守れり」と簡単に答うることができたのもこの認識の欠陥の結果であった。
口語訳 | イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 |
塚本訳 | イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」 |
前田訳 | イエスは彼をじっと見て愛着を感じていわれた、「ひとつあなたに欠けている。行って持ちものを皆売って貧しい人々に与えよ。そうすれば天に宝を得よう。それから来てわたしに従いなさい」と。 |
新共同 | イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 |
NIV | Jesus looked at him and loved him. "One thing you lack," he said. "Go, sell everything you have and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me." |
註解: イエス彼を見て、その真面目なる態度と、求むる心の豊かなるとを知り、心より彼を愛しみ給うた。もしこの青年がイエスのこの愛を知ったならば、彼は次節の言に躓かなかったであろう。
『なんぢ
註解: この青年は外部的には全く欠点なき青年であった。しかし彼には神に対する絶対の信頼すなわち信仰が欠けていたのである。この根本的病源を発見したのがイエスの烱眼 であり、イエスはこの点に一撃を与え給うた。すなわちこの青年が無意識の中にその資産に依り頼み、神に依り頼まなかったのであった。それ故にイエスは彼の心をその財宝より引き離してイエスに従わしめんとし給うたのであった。
辞解
「所有をことごとく売りて貧しき者に施す」ことは、この青年の心を救うがための手段であって、イエスの社会政策的プログラムではなく、またこの青年に積極的に善行を為すべしと教えた(I0)のでもない。
[一つを缺く] 「施すこと」と「イエスに従うこと」との二つを含む。これを「一つ」と称するはこの二者の根源たる神に対する信頼を指すからである。
10章22節 この
口語訳 | すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。 |
塚本訳 | 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。 |
前田訳 | 彼はこのことばに顔を曇らせ、悲しんで立ち去った。大金持であったからである。 |
新共同 | その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 |
NIV | At this the man's face fell. He went away sad, because he had great wealth. |
註解: 彼にはイエスの御言に従う勇気がなかった。彼にとりては見えざる神の力よりも、見ゆる資産の力の方が大きく見えたのであった。アブラハムが神の言に従ってその子イサクをささげんとしたのと同様に、この青年がもしイエスの言に従ってその資産を売りて貧しき者に施す決心をしたならば、彼の霊魂はこれによりて救われ、資産もまた彼に取戻されたのであろう。信仰の試錬に際してはかかる危機一髪の刹那が大切の瞬間である。
辞解
[憂を催し] 口語訳、塚本訳のごとく「顔を曇らせ」の意。
10章23節 イエス
口語訳 | それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。 |
塚本訳 | イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」 |
前田訳 | イエスはあたりを見て弟子たちにいわれる、「金持が神の国に入るのはなんとむずかしかろうことか」と。 |
新共同 | イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」 |
NIV | Jesus looked around and said to his disciples, "How hard it is for the rich to enter the kingdom of God!" |
註解: 富める者はこの世においてすでに多くの満足を得るが故に神の国を求めず、求めてもこの世に対する執着を棄て得ざるが故に神の国に入ることができない。この点において富者は貧者よりも遙かに不幸である。
口語訳 | 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。 |
塚本訳 | 弟子たちはその言葉にびっくりした。(彼らは富むことが、神に特別に愛されているしるしと信じたのである。)イエスはかさねて言われる、「子供たちよ、神の国に入ることは、なんとむずかしいのだろう。 |
前田訳 | 弟子たちはこのことばにおどろいた。イエスはふたたびいわれる、「子どもらよ、神の国に入るのはなんとむずかしいことか。 |
新共同 | 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。 |
NIV | The disciples were amazed at his words. But Jesus said again, "Children, how hard it is to enter the kingdom of God! |
註解: 彼らが驚きし理由は、富める者がもし悉 くその資産を売りて貧者に施さざれば天国に入り難しとすれば、それは何人にとりても至難のことであって、富者に課せられし条件があまりに苛酷に思えたためであろう。普通の考え方としては富者は若干の施済を行う程度で容易に神の国に入り得るものと考えられていたからである。
イエスまた
10章25節
口語訳 | 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 |
塚本訳 | 金持が神の国に入るよりは、駱駝が針の孔を通る方がたやすい。」 |
前田訳 | らくだが針の穴を通るほうが、金持が神の国に入るよりはやさしい」と。 |
新共同 | 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 |
NIV | It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter the kingdom of God." |
註解: イエスは一般的に神の国に入ることの至難なることを述べ殊に富者においてはそれが一層困難なして駱駝が針の孔を通るよりも難く、ほとんど不可能であることを語り給うた。もし我らこの語を発し給えるイエスの御心を汲み得るならば、イエスはおそらく資産に富める者のみならず、学問に、知識に、地位に、経験に、凡て自己の所有に誇りこれに依り頼む者を眼中に置き給うたのであろう(マタ19:30要義一参照)。これらを凡て棄て去ってイエスに従う者にあらざれば神の国に入ることはできない。
辞解
「駱駝」を少しく文字を加えて「大綱」と読むべしとする説、また「針の穴」をエルサレムのある門と解せんとする説あれどその必要なし。
10章26節
口語訳 | すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。 |
塚本訳 | 弟子たちはいよいよ驚いて互に言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」 |
前田訳 | 彼らはますますおどろいて互いにいった、「それならだれが救われえよう」と。 |
新共同 | 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。 |
NIV | The disciples were even more amazed, and said to each other, "Who then can be saved?" |
註解: この世に貧者の数は富者に比して無数に多い。それ故に富者が神の国に入り難しとしても他に救わる者はいくらでもあり得るわけである。然るに弟子たちが「誰か救われる事を得ん」と言って驚いた所以は、二つの理由を考えることができる。その一はこの富める青年のごとく立派なる人間が単にその資産を悉 く施すことをしないために救われないとすれば、はたして誰が救われるであろうかとの疑問と見ることができ、その二は、資産に富む者のみならず、学問、知識、経験、地位、権力等に富む者も、これを悉 く売りて貧者に施さなければ救われないとすれば救われるものは非常に少ないこととなるだろうとの疑問である。
10章27節 イエス
口語訳 | イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 |
塚本訳 | イエスは彼らをじっと見て言われる、「人間には出来ないが、神には出来る。“神にはなんでも出来る。”」 |
前田訳 | イエスは彼らを見つめていわれる、「人にはできないが、神はおできになる。神は全能にいますから」と。 |
新共同 | イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」 |
NIV | Jesus looked at them and said, "With man this is impossible, but not with God; all things are possible with God." |
註解: 人は自己の所有に依り頼むことをやめんとしてやめる力がない。すなわち自己をその罪より救うことができない。しかしながら神はその独り子を人類の罪のために十字架につけ給い、かかる人間にその罪を悟らしめ、凡てを捨てて神に従うことを得しめ給う。かくして人に能 わぬことを神が為し給うのである。
要義 [富める者とは誰ぞ]ここに富める者とは必ずしも金銀財宝を多額に所有している者ではなく、その所有に心を奪われ、これに依り頼むことによりて心の平安を維持している類の人をいうのである。而して世の所謂富者は概ねこの種の人であることは周知の事実である。しかしながらこれは必ずしも金銀財宝に富める者に限られていない。自己の学問、知識、経験等、凡てこれに依り頼んでいる者はそれらについての富者である。これらは神を神とせずしてその所有を神としているのであって、彼らにとりてはその所有が偶像である。それ故に我らはたとい金銀において貧しくあっても心を許してはならない。もし我らの心の中に何なりと捨て難きものがあるとすれば、我らはそれについて富める者であり、神の国に入り得ざる者となる。
10章28節 ペテロ、イエスに
口語訳 | ペテロがイエスに言い出した、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従って参りました」。 |
塚本訳 | ペテロがイエスに、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました」と言い出した。 |
前田訳 | ペテロが彼にいいだした、「ごらんのとおりわれらはすべてを捨ててあなたに従っています」と。 |
新共同 | ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。 |
NIV | Peter said to him, "We have left everything to follow you!" |
註解: この場合もペテロは他の弟子たちの総意を代表せるものと見るべきである。彼はイエスに向い、イエスの二つの要求 ─ 凡てを棄てることと彼に従うこと ─ を充したことを主張し、この犠牲に対する報いとして何を得べきかを質問した。イエスが21節に「財宝を天に得ん」と教え給える意味を解し兼ねたのと、また彼ら果して何を得べきやにつき甚だ不安なる心持を感じたからである。
10章29節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もしくは畑を捨てた者は、 |
塚本訳 | イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、 |
前田訳 | イエスはいわれた、「本当にいう、わたしのため、福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てたものはだれでも、 |
新共同 | イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、 |
NIV | "I tell you the truth," Jesus replied, "no one who has left home or brothers or sisters or mother or father or children or fields for me and the gospel |
10章30節
口語訳 | 必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。 |
塚本訳 | 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。 |
前田訳 | 今この世では、迫害とともにではあるが、百倍の家、兄弟、姉妹、母、子、畑を受け、来世では、永遠のいのちを受ける。 |
新共同 | 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 |
NIV | will fail to receive a hundred times as much in this present age (homes, brothers, sisters, mothers, children and fields--and with them, persecutions) and in the age to come, eternal life. |
註解: 「百倍を受けぬはなし」とは家百軒、兄弟百人、姉妹百人というごとき意味ではなく、イエスのため、福音を信じまたこれを伝うるがためにこれらを棄つるものは、それらの所有に遙かに優れる幸福を現世においても与えられることの意味である。しかもその幸福は迫害がこれに伴うのであって、迫害が来るにしてもなお百倍の幸福を享有し得るとすれば、その幸福の大なることを知ることができる。イエスとその福音のために家、兄弟、姉妹等々を棄つるものがかくも絶大なる幸福を享け得る所以は、人間の凡ての不幸の原因が自己中心、すなわち自己の所有物をもって自己を幸福ならしめんとする利己心に在るからである。これらの凡てを棄てるとはこれに伴う凡ての私情私慾を断ち切ることである。その結果天空海闊 、凡てのものを神に属するものとして考え、神のものとしてさらに神よりこれを受けるが故に、百倍の幸福としてこれを受けることができるのである。而してさらにイエスの再臨によりて来るべき新たなる世においては、永遠の生命が与えられ、永遠に亡びざる幸福を獲得する。
辞解
[妻] ルカ18:29にあるのみでマタイ伝にもこれを欠く、これあるいは欧州人の道徳観には妻を棄てることが特に悪事として感ぜられしためか、または後に妻を百人も得るということが面白からざる感じを与うるがためか、または妻を自己と一体と見る観念より、この場合妻も捨てられる側ではなく捨てる側、すなわちこの困難なる捨身を実行する側に立つものと考えられたためであろう。また30節に「父」を欠くのは、偶然の脱落か、または「多くの父を有つ」ということが不倫なる関係を連想せしむるのを避けたのであろう。しかしながら「百倍」なる文字がすでに表徴的である以上、以上のごとき凡てのことは実は杞憂に過ぎない。
[百倍] 伝道によりて多くの父母兄弟姉妹にも相当すべき人を霊的に獲得することを意味すと見る説あれど(B1)むしろ、霊的の意味に解し、棄てて後に与えられらる父母兄弟姉妹らは、以前のそれらよりも遙かに多くの幸福を我らに与うる。
10章31節
口語訳 | しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」。 |
塚本訳 | しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。」 |
前田訳 | しかし最初のものが最後になり、最後のものが最初になることが多い」と。 |
新共同 | しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」 |
NIV | But many who are first will be last, and the last first." |
註解: 神の国には情実はなく、その実際の情態によりてその位置の前後、上下が定まる。ゆえに他人より先にイエスに従える者ももし怠惰に過し居る場合は他の者に先立たれる。イエスの最初の弟子といえども必ずしも最初に神の国に入ることを保証されない。
要義 [百倍の祝福]人間の幸福は各人がその己を棄てし程度によりて決定する。誰にも最も親しくして棄て難しとする肉親、資産等を棄つる場合、これによりて受くる祝福もまたそれに比例して大となる。それ故に人は幸福を求めんとしてかえってこれを失い、これを棄つることによりてかえってこれを獲得する。イエスの弟子は事実この世において物質的または家庭的幸福を得ることは難いけれども、信仰によりて獲得する真の幸福ははるかにこれらに優れるものである。然のみならず、凡てを棄てて一旦信仰に入りて後は父母、兄弟、姉妹、財産の意義は一変し、真の父母、兄弟、財産となり、その価値もまた百倍する。その故はそれらを神のものとして見ることができるからである。かくして、彼らは物質的にも家庭的にも結局において真の幸福を味わうに至る。而して単にこの世におけるのみならず永遠の相において見るも、彼らはついに永遠の生命を得るに至るのである。
10章32節 エルサレムに
口語訳 | さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、 |
塚本訳 | 一行はエルサレムへ(の道を)上る途中であった。イエスが(十二人の)弟子たちの先頭に立って(どしどし)歩かれるので、彼らは薄気味わるく思い、ついて行く(ほかの)人たちは恐ろしがっていた。イエスはまた十二人(だけ)をそばに呼んで、自分の身に起ろうとしていることを話し出された、 |
前田訳 | 彼らはエルサレムへと上る道すがらであった。先頭に立たれたのはイエスで、彼らはおじけ、従うものはおそれていた。彼はまた十二人を呼んで、ご自身におころうとすることを話しはじめられた、 |
新共同 | 一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。 |
NIV | They were on their way up to Jerusalem, with Jesus leading the way, and the disciples were astonished, while those who followed were afraid. Again he took the Twelve aside and told them what was going to happen to him. |
註解: イエスのこの時の態度と気勢は全く特別であった。平日は弟子たちと語りながら群を為して進み給うたのにこの時だけは目をエルサレムに向けて突撃し給う姿勢であった。おそらくその目は血走っていたであろう。イエスはこの時いよいよ彼に対する反対者の根拠地なるエルサレムを衝かんとし給うが故である。イエスの神の子たる所以の使命を果さんがためには、たとい如何なる危険を冒してもエルサレム行を避くべきではなかった(マタ16:22、23)。このイエスの猛然たる決死の態度を見て弟子たちはその御心を理解せずして驚き、その他の随 い往く者は何事の起らんかを懼れた。
辞解
[先だち往き] ルカはルカ9:51およびルカ19:28にイエスがいよいよエルサレムに往かんとし給うときにこの光景を録す。
イエス
註解: イエスは弟子たちの驚きを覚りその歩を緩めて弟子たちを近づけ、エルサレムにおいて起るべきことを預言し給う。イエスの御心に満ちているものはこの運命であった。
10章33節 『
口語訳 | 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。 |
塚本訳 | 「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子(わたし)は(そこで)大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異教人に引き渡し、 |
前田訳 | 「いよいよ、われらはエルサレムへ上る。人の子は大祭司や学者に引き渡され、彼らは死に定めて異邦人に引き渡し、 |
新共同 | 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。 |
NIV | "We are going up to Jerusalem," he said, "and the Son of Man will be betrayed to the chief priests and teachers of the law. They will condemn him to death and will hand him over to the Gentiles, |
10章34節
口語訳 | また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう」。 |
塚本訳 | 異教人はなぶり、唾をかけ、鞭で打って、ついに殺すのである。しかし三日の後に復活する。」 |
前田訳 | 異邦人はあざけり、唾し、鞭打って殺そう。そして彼は三日ののちに復活しよう」と。 |
新共同 | 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」 |
NIV | who will mock him and spit on him, flog him and kill him. Three days later he will rise." |
註解: イエスの受難週間において起れる出来事に全く合致する。殊に34節のごときは逐語的に成就した。学者の想像するがごとくに(I0)かく逐語的に一致することはおそらく事後に事実に引付けて曲げこれをイエスの語としたものであろう。それにもかかわらず、イエスがその運命の大体を預言し給えることは明かであって、イエスはその極めて鋭き直観をもって、その受くべき苦難につき予感し給うたのであった。それ故にこの預言は大体において前二回(マコ8:31以下。マコ9:31)の預言と共に、たしかにイエス自ら語り給えるものであることを疑うべきではない。
辞解
[異邦人に付さん] マコ8:31以下。マコ9:31の場合にはこれを欠く。
「殺す」ことはユダヤ人の衆議所の権限に許されていない。これはローマ人の権内に留保されていた。
註解: (▲イエスの体内に宿った生命は神の生命であって肉体に隷属していないことを直覚し給うたものと見るべきである。)復活の預言はイエスの内心に宿れる神の子たる意識より発生せる当然の所産であった。しかしながらこれはあまりにも神秘的であるために、弟子たちすらこの御言をさとることができなかった(ルカ18:34)。
要義 [第三回の苦難の予告]イエスはかくもしばしばその受難につきて弟子たちに告げ給うた理由はおそらくイエスの胸裏に受難の自覚が強烈に湧き出でて抑え切れなかったためと、またその受難が凡ての弟子たちの躓きとならんことを憂い、これを予告することによりて、彼の死後弟子たちをして、真にイエスのキリストたることを知るに至らしめんためであったろう。また弟子たちがこれらの預言につき少しも悟ることができなかったのは、彼らに未だこれを悟るべき智慧が与えられていなかったからであった。
10章35節
口語訳 | さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちがお頼みすることは、なんでもかなえてくださるようにお願いします」。 |
塚本訳 | ここに、ゼベダイの子ヤコブとヨハネとが進み寄ってイエスに言う、「先生、お願いがあります、きいていただきたいのです。」 |
前田訳 | ゼベダイの子らヤコブとヨハネがおそばに来ていった、「先生、お願いです。われらが望むものをかなえてください」と。 |
新共同 | ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 |
NIV | Then James and John, the sons of Zebedee, came to him. "Teacher," they said, "we want you to do for us whatever we ask." |
註解: 29、30節のイエスの御言により弟子たちの中にますます多くの欲求が燃え上った。伝道者の警 むべきはその野心である。殊に32−34節の受難の予告を受けつつなお自己の野心に没頭する無理解さと醜さを見よ。
辞解
マタ20:20にはヤコブとヨハネの母がその子らのためにイエスに求めたこととなっている。この方が事実であろうとする学者(M0)と、これはこの要求がヤコブとヨハネのために不名誉である故、その不名誉を緩和せんために母を登場せしめたのであるとする説(L2)とあり。二種の伝説が伝わっていたのであろう。
[為したまへ] 「為したまわんことを望む」ということ。
10章36節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに「何をしてほしいと、願うのか」と言われた。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「何をしてほしいのか。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「望みはなにか」と。 |
新共同 | イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 |
NIV | "What do you want me to do for you?" he asked. |
10章37節
口語訳 | すると彼らは言った、「栄光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にすわるようにしてください」。 |
塚本訳 | 彼らが言った、「(来ようとしている)あなたの栄光の中で、わたし達の一人をあなたの右に、一人を左に坐らせてください。」 |
前田訳 | 彼らはいった、「あなたの栄光の中に、われらのひとりを右に、ひとりを左にすわらせてください」と。 |
新共同 | 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」 |
NIV | They replied, "Let one of us sit at your right and the other at your left in your glory." |
註解: イエスの心がその受難の予感に充されている間に、これらの弟子たちの心は空しき野心に支配せられていた。彼らの野心はこの世の栄誉利達ではなかったけれども、己が慾心に支配せられている点において何らの差異がなかった。父よりの報賞を求むる心は父の御心を喜ばせまつらんとする心であって、自分の慾望を充さんとする心ではない。ゆえにまず第一に父の御心を喜ばすることを求むべきである。
辞解
[なんぢの栄光の中] 世革 まりイエスが王として栄光の座位に坐し給う時をいう。
[右と左] 右は王座に次ぎ左はまたその次なること我が国に同じ。栄光の国の最高の位置を要求したのである。
10章38節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができるか」。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。わたしが飲む(苦難の)杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることが出来るのか。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「あなた方は求めるものをわきまえない。わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 |
NIV | "You don't know what you are asking," Jesus said. "Can you drink the cup I drink or be baptized with the baptism I am baptized with?" |
註解: イエスの受け給う苦難は父の御意に服 うがためであった。我らの求むべきものは天における栄位ではなくまず父の御意に服 うことである。ヨハネもヤコブもまず父の御意に従い、如何なる苦難をも嘗むべきであった。イエスはこれを彼らに要求し、その可能なりや否やを問い給う。
辞解
[酒杯、バプテスマ] 「酒杯」は旧約聖書においても運命を意味し吉凶共に用いられていた。ここでは勿論苦杯であってこれを飲むことは苦難を受くることを意味す(イザ51:17、イザ51:22)。「バプテスマ」も同様に苦難を意味す、水中に浸されるがごとくに苦難の中に没されること。酒杯は迫害による苦難、バプテスマはその十字架の死を意味すると見ることを得(B1)。両者ともイエスの受難を指す。マタイ伝にはバプテスマのことを欠く。
口語訳 | 彼らは「できます」と答えた。するとイエスは言われた、「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けるであろう。 |
塚本訳 | 「出来ます」と彼らがこたえた。イエスは言われた、「(いかにも、)あなた達はわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるにちがいない。 |
前田訳 | 彼らはいった、「できます」と。イエスはいわれた、「あなた方はわが飲む杯を飲み、わが受ける洗礼を受けよう。 |
新共同 | 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 |
NIV | "We can," they answered. Jesus said to them, "You will drink the cup I drink and be baptized with the baptism I am baptized with, |
註解: 彼らにはこれに対するだけの決心があった。唯、彼らの誤謬はまず神の御旨に服 わんことを求めずして、第一に褒賞を求めしことであった。
イエス
註解: 事実ヤコブは44年頃殉教の死を遂げた(使12:2)。ヨハネについては殉教せりとの伝説もあれど天寿を全うせるものとみるべきがごとし。しかしヨハネも生涯多くの迫害に遭うたのであった。。
10章40節
口語訳 | しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、ただ備えられている人々だけに許されることである」。 |
塚本訳 | しかし、わたしの右と左の席は、わたしが与えるのではなく、(あらかじめ神に)定められた人々に与えられるのである。」 |
前田訳 | しかしわが右と左の座はわたしが与えるものではなく、(神に)定められた人々のものである。 |
新共同 | しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 |
NIV | but to sit at my right or left is not for me to grant. These places belong to those for whom they have been prepared." |
註解: イエスはヤコブ、ヨハネに対 い、イエスの受け給う苦難と同じき苦難を受くる覚悟を要求し給い、この覚悟があることを認め給うたけれども、その報いとしてイエスの左右に坐せしめんとの約束を与え給わなかった。これを与うる権は全く父の有ち給う処であって父が適当と思召す者にこれを備え給う。ゆえに与えられるも与えられざるも、これを意に介すべきではなく、凡ては神の御旨に従うべきである。イエスもこの完全なる従順さをもってその苦難を受け、十字架の死に至るまで順 い給うた。それ故に神は彼を復活栄化せしめ、その褒賞を与え給うたのであった(ピリ2:8、9)。我らも主の足跡に従い、受くべき苦難を受け、凡ての報賞を神にまかすべきである。
辞解
「ただ備えられたる人こそ」を「他の人に備えられたり」とも読むことを得れど、かく読むことは適切ではない。
10章41節
口語訳 | 十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことで憤慨し出した。 |
塚本訳 | (ほかの)十人(の弟子)はこれを聞いて、ヤコブとヨハネとのことを憤慨し始めた。 |
前田訳 | ほかの十人がこれを耳にして、ヤコブとヨハネのことを怒りはじめた。 |
新共同 | ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 |
NIV | When the ten heard about this, they became indignant with James and John. |
註解: 二人のみ他の十人を差置きて優位を獲得せんとせしことが他の使徒たちを怒らしめたのであった。かくして彼らの中にも同一の心情が存在していることを自ら暴露している。人は他人を非難する際に、かえって自己の正体の醜さを暴露することが多い。
10章42節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者と見られている人々は、その民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。 |
塚本訳 | イエスは彼らを呼びよせて言われる、「あなた達が知っているように、世間ではいわゆる主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである。 |
前田訳 | そこでイエスは彼らを呼んでいわれる、「あなた方が知るように、この世では民の頭と思われる人々が支配し、偉い人々が権力をふるう。 |
新共同 | そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 |
NIV | Jesus called them together and said, "You know that those who are regarded as rulers of the Gentiles lord it over them, and their high officials exercise authority over them. |
註解: ここにイエスは十人の弟子たちにもその誤謬を訓戒し給う。これがまた同時にヤコブ、ヨハネの野心を聖き意味において成就する途である。この世の国々の支配者やその在上者は民を圧迫し、その権威をもって民を抑圧するのが普通である。かかる力を有するものが偉大なる者、在上者、支配者と認められる。
辞解
[異邦人] 原語は普通イスラエル以外の諸国民を指すけれどもここでは必ずしもかく解しなければならない理由はない。
[認められる者] 「自認する者」とも訳す。現行訳を可とす。
「宰 り」 katakurieuô、「権を執る」 katexousiazô は共に kata を用い強く圧迫する意味を有す。
10章43節
口語訳 | しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 |
塚本訳 | しかしあなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。 |
前田訳 | しかしあなた方の間ではそれは当たらない。あなた方の間では、偉くなりたいものは召使いになれ。 |
新共同 | しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 |
NIV | Not so with you. Instead, whoever wants to become great among you must be your servant, |
10章44節
口語訳 | あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、すべての人の僕とならねばならない。 |
塚本訳 | 一番上になりたい者は皆の奴隷になれ。 |
前田訳 | 一番上になりたいものは皆の僕になれ。 |
新共同 | いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 |
NIV | and whoever wants to be first must be slave of all. |
註解: 神の国の民の中に在りては、人間の価値は転倒する。愛をもって凡ての人に事 うるものが最大の人物であり、力をもって凡ての人を使役する者は最小の存在となる。信仰の英雄はこの世の人の目には微小の存在であり、この世の英雄は神の民の目には無視せらるべきである。弟子たちが真に大ならんと欲するならば、まず凡ての人の僕として最少の存在とならなければならぬ。これを完全に実行し給えるイエスを見よ。人の目に大ならんとする者は必ず神の目に少なる者となる。▲大臣に相当する minister なる語が本来「僕」を意味するのはこの思想の所産である。
10章45節
口語訳 | 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。 |
塚本訳 | 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」 |
前田訳 | 人の子が来たのは仕えられるためでなく、仕えるため、多くの人のあがないとしておのがいのちを与えるためである」と。 |
新共同 | 人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」 |
NIV | For even the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many." |
註解: イエスの生涯は完全にして徹底せる奉仕の生涯であった。彼は全人類に事 えてその生命をそのために与え給うた。彼の死は全人類を愛しこれを罪より救い出さんがための死であった。彼の死なしには人類はその罪より逃れて神に立帰ることができなかったのである。罪の中に在る人類は神の前に罰されるより外になき状態に在る、然るにイエスの死によりて神の怒りは解け、イエスに在りて神に来る者を凡て子として受納れ給う。かくしてイエスは人を神に買取るための贖い代のごとき役目を果し給うた。
辞解
[贖償 ] lutron は贖い金として奴隷を買戻して自由人となす時に払われる金である。
要義 [贖罪論とイエスの死]パウロの贖罪論はイエスの与り知らざる処であると主張する学者は多くある。事実イエスが「贖い」なる語を用い給いしはこの箇所のみである。勿論イエスの贖罪をあまりに神学の項式的に考うることは、適当ではない。イエスも決してかく考え給うたのではあるまい。すなわち奴隷の主人に贖い代を払うごとくに罪人の主なるサタンに代価を払いて罪人を買戻すごとき意味にておいて十字架の死を味わい給うたのではない。唯イエスは凡ての人を罪より救わんとの愛の心のために自己を凡ての人に与え給うた。神は彼の祈りを聴き給わず、このイエスをして、ついに十字架の死を嘗めしめ給い、彼の絶対的従順を試し給うた。かくして神はイエスの絶対的従順(▲ピリ2:8参照)のゆえに凡ての人をその罪より赦し給うたのである。この意味においてイエスの死は全く贖い代のごとき働きを為したのであった。なおマタ20:28要義一、二参照。
註解: この盲人治癒の奇蹟はイエスのエルサレム入りを前にして、メシヤとして彼を表わす好機会であった。なお46−52節の記事につきてはマタ20:29−34註および要義参照。マタイ伝は二人の盲人につきて録し、ルカ伝はエリコに入る前の事件として録す。不精確なる言い伝えの結果、この程度の差異が起ることは避け難い。
10章46節
口語訳 | それから、彼らはエリコにきた。そして、イエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。 |
塚本訳 | 彼らはエリコ(の町)に来る。イエスが弟子たちや多くの群衆と一しょにエリコを出られると、テマイの子のバルテマイという盲の乞食が道ばたに坐っていた。 |
前田訳 | 彼らはエリコに来る。彼と弟子たちとかなりの群衆がエリコを出ると、目しいの物乞いテマイの子バルテマイが道ばたにすわっていた。 |
新共同 | 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。 |
NIV | Then they came to Jericho. As Jesus and his disciples, together with a large crowd, were leaving the city, a blind man, Bartimaeus (that is, the Son of Timaeus), was sitting by the roadside begging. |
註解: イエスはペレア地方よりヨルダン川を西に渡りてエルサレムに向う途中、その道筋なるエリコを通過し給うた。この附近は豊饒 なる土地として人口稠密 であった。
辞解
[大なる群衆] イエスの風評を耳にして彼に従い来れる附近の人々である。
テマイの
註解: 盲人にして乞食なるは不幸の極である。盲人の名を掲げているのはマルコ伝のみである。バルは「子」を意味するけれども一般に一つの固有名詞のごとくに取扱われている。ゆえに註解的に「テマイの子」と加えておいたのであろう。テマイなる人は名の知れている人なのであろう(B1)。
10章47節 ナザレのイエスなりと
口語訳 | ところが、ナザレのイエスだと聞いて、彼は「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」と叫び出した。 |
塚本訳 | ナザレのイエス(のお通り)だと聞くと、「ダビデの子イエス様、どうぞお慈悲を」と言って叫び出した。 |
前田訳 | 彼はナザレのイエスだと聞くと叫びだしていった、「ダビデのみ子、イエスさま、おあわれみを」と。 |
新共同 | ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。 |
NIV | When he heard that it was Jesus of Nazareth, he began to shout, "Jesus, Son of David, have mercy on me!" |
註解: 一般の群衆は単にナザレのイエスなりと呼んでいたがバルテマイのみはその盲人としての直感より彼をメシヤなりと信じ、ダビデの子と呼んだ。その信仰は偉大である。「我を憫みたまへ」との祈りもまたその真実の心より迸 り出づる処であった。人は苦悩の中にある時には無事平安の時よりも遙かに明かに主イエスを認めることができる。
10章48節
口語訳 | 多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。 |
塚本訳 | 多くの人が叱りつけて黙らせようとしたが、かえってますます「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と叫びつづけた。 |
前田訳 | 多くの人がたしなめて黙らせようとしたが、ますます「ダビデのみ子、おあわれみを」と叫びつづけた。 |
新共同 | 多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 |
NIV | Many rebuked him and told him to be quiet, but he shouted all the more, "Son of David, have mercy on me!" |
註解: 一般の人には盲人を憐む同情の心はない、唯冷かに彼の喧騒を止めんとした。一般人の冷淡なる批評は熱心に求むるものの心を冷すことはできない。バルテマイはあらゆる妨害を突破して救いを求めて叫んだ。求めよさらば与えられん、彼の熱心とそのイエスを信ずる信仰がついに彼を救うに至ったのであった。48、50節の活き活きした叙述はマルコ伝特有である。
10章49節 イエス
口語訳 | イエスは立ちどまって「彼を呼べ」と命じられた。そこで、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。 |
塚本訳 | イエスは立ち止まって、「あれを呼べ」と言われた。人々が盲人を呼んで言う、「安心せよ。起きよ。お呼びだ。」 |
前田訳 | イエスは立ちどまっていわれた、「あれを呼べ」と。人々か目しいを呼んでいう、「安心せよ。起きよ。お呼びだ」と。 |
新共同 | イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」 |
NIV | Jesus stopped and said, "Call him." So they called to the blind man, "Cheer up! On your feet! He's calling you." |
註解: イエスの目は冷淡なる群衆に注がれずして、自己の救いになやむ盲人に注がれる。イエスは悩める心の友である。
辞解
[心安かれ云々] 非常に矢継早に言える口調を示しており、群集がイエスの言葉に驚きて盲人を呼べる有様を目前に髣髴することができる。目撃者の実話であることを示す。次節も同様なり。
10章50節
口語訳 | そこで彼は上着を脱ぎ捨て、踊りあがってイエスのもとにきた。 |
塚本訳 | 盲人は上着をぬぎ捨て、躍り上がってイエスの所に来た。 |
前田訳 | 目しいは上着を脱ぎ捨て、躍りあがってイエスのおそばに来た。 |
新共同 | 盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。 |
NIV | Throwing his cloak aside, he jumped to his feet and came to Jesus. |
註解:欣喜雀躍 の貌をあらわす、何故に上衣を脱ぎ捨てしやは不明であるが運動を活発ならしめんがためならん。
10章51節 イエス
口語訳 | イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。 |
塚本訳 | イエスが彼に言われた、「何をしてもらいたいのか。」盲人がこたえた、「先生、見えるようになりたい。」 |
前田訳 | イエスは彼にいわれた、「何をしてもらいたいのか」と。目しいはいった、「先生、目が見えますように」と。 |
新共同 | イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。 |
NIV | "What do you want me to do for you?" Jesus asked him. The blind man said, "Rabbi, I want to see." |
註解: イエスの質問は盲人をして自己の心を告白せしめんがための質問であり、この告白によりて盲人の心の状態を知ることができる。彼は単純であって唯ひたすらに見えんことを熱望した。而してイエスによりてこの熱求が充されるであろうことを信じた。複雑なる要求、不熱心なる要求、充されることを確信せざる要求は決して充されない。
辞解
[わが師よ] 原語ラボニ(ヨハ20:16)。
10章52節 イエス
口語訳 | そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。 |
塚本訳 | そこでイエスが、「お帰り。あなたの信仰がなおした」と言われると、すぐ見えるようになって、イエスの旅行について行った。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「お帰り。あなたの信仰があなたを救った」と。彼はすぐ目が見えるようになって、道中お伴をした。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。 |
NIV | "Go," said Jesus, "your faith has healed you." Immediately he received his sight and followed Jesus along the road. |
註解: 彼の信仰の故にイエスの一言が彼を救い彼の目を開いた。彼のよろこびは如何ばかりであったろう。またこれを目撃せる群集の驚きも如何ばかりであったろう。苦悩の極にあるものにとりては往々にしてイエスの一言が彼に徹底的の救いを与える。
要義1 [盲人の信仰]バルテマイはその盲なることの苦痛に耐えかねている心によりてイエスを仰ぎ見たるが故に、イエスのメシヤたることを霊の眼をもって見ることができた。肉の眼をもってイエスを見る者は、多くイエスに躓き彼を信じ得ない。これ彼らに深き悩みなく、イエスを見る目が開かれていないからである。人間は肉の物を見る目に自信を有する間は霊の目は開かれない。肉の目(理性、判断力、智力等)に絶望したる場合、始めて霊の眼が開かれる。
要義2 [単純なる熱求]我らの要求は単純にして直截でなければならない。 金と神とを共に得んとし、この世と神の国とを共に掴まんとするごときは結局において充されない要求である。また多岐にわたる要求は要求の力を減殺する。我らがイエスの十字架の救いを理論的にも哲学的にも満足なる説明を得て後イエスを信ぜんとしてもそれは不可能である。唯一筋に救われんことを求めてイエスに来る者は、その求むる処を与えられる。而してついには他の凡ての問題も自然と解決されるに至る。
マルコ伝第11章
分類
6 イエスの受難週間 11:1 - 15:47
6-1 エルサレムにおけるイエス 11:1 - 12:44
6-1-イ イエスのエルサレム入城 11:1 - 11:11
(マタ22:1-11) (ルカ19:28-40)
註解: 本章よりイエスの受難週の記事である(マタ21章序註参照)。他の福音書も同様であるがマルコは一層この一週間の記事のために力を尽し全記事の五分の二弱の紙数を費やしている。この一週間の出来事が如何に重要なる地位を弟子たちの心に占めていたかを知ることができる。共観福音書によれば〔第一日─日曜日ニサンの月の十日〕11:1−11。〔第二日─月曜日十一日〕11:12−14(15−19)。〔第三日─火曜日十二日〕11:20−13:37。〔第四日─水曜日十三日〕14:1−11。〔第五日─木曜日十四日〕14:12−16。〔第六日─金曜日十五日〕14:17−15:47。〔第七日─土曜日十六日〕。〔第八日─日曜日十七日〕16:1−8となる。ヨハネとの差異につきてはヨハ19:42附記を見よ。
11章1節
口語訳 | さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 |
塚本訳 | 一同がエルサレムの近く、(すなわち)オリブ山の中腹にあるベテパゲとベタニヤとに来ると、イエスはこう言って弟子を二人使にやられる、 |
前田訳 | 彼らがエルサレムに近づいて、オリブ山のベテパゲとベタニアに来ると、彼は弟子をふたりつかわされる。そのときいわれるには、 |
新共同 | 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 |
NIV | As they approached Jerusalem and came to Bethphage and Bethany at the Mount of Olives, Jesus sent two of his disciples, |
註解: 受難週第一日、日曜日、ニサンの月の十日に当る。これよりイエスのエルサレム入城の記事である。イエスはこの入城をゼカ9:9のメシヤ預言の成就なることを意識しことさらにその預言のごとく驢馬に乗って入城し給うた。
辞解
[オリブ山] すなわち橄欖山はエルサレムの東二キロすなわち安息日の行程にあり、海抜九百メートルの高さを有す。その山頂および山腹よりはエルサレムを眼下に一望することを得。
ベテパゲはオリブ山の西側面、ベタニヤは東南の麓にあり、道順よりいえばベタニヤが先であるが弟子たちはこの二つを一括してかく言いならしたのであろう。ベタニヤを後よりの挿入と想像する学者もある。またベテパゲを欠く異本もあり。
イエス
11章2節 『むかひの
口語訳 | 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。 |
塚本訳 | 「あの向いの村まで行ってきなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗らない一匹の子驢馬がつないであるのが見える。それを解いて、引いてきてもらいたい。 |
前田訳 | 「あの向かいの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗らない子ろばがつないであるのが見えよう。それを解いて連れて来なさい。 |
新共同 | 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 |
NIV | saying to them, "Go to the village ahead of you, and just as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here. |
註解: イエスが如何にしてこの事実を洞見し給いしやにつきては何等の記事がない。驢馬の所有者がイエスの弟子の独りであったと想像する学者(Z0)もあるけれども、福音書の記者がこれにつきて沈黙しているのは、むしろイエスの霊的洞見によれるものと解したのであろう。人の未だ乗りたることなき驢馬の子は民19:2。申21:3。Tサム6:7などのごとく聖なる用途に用いられるためなり。
辞解
[むかいの村] マタ21:1によればベテパゲを指す。
「驢馬の子」と訳されし pôlon は他の動物の子にも用うる語であるけれども、普通の用い方は驢馬の子を指す。マタ21:2にその母なる驢馬につきても記す。ゼカ9:9に一致せしめんため(L2)であるとしても、事実にあらざるものを附会したのではなく仔馬が母馬と共にいることの事実を詳述したのである。
11章3節
口語訳 | もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。 |
塚本訳 | もし『何をするのか』と言う者があったら、『主がお入用です。すぐここにお返しになります』と言えばよろしい。」 |
前田訳 | もし、『なぜそうするのか』という人があれば、『主のご用です、すぐまたここにお返しになります』といいなさい」と。 |
新共同 | もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 |
NIV | If anyone asks you, `Why are you doing this?' tell him, `The Lord needs it and will send it back here shortly.'" |
註解: この事実もイエスの不思議なる力が未知の驢馬を所有者を動かすものと見なければならない。緊張し透徹し給える当時のイエスにはおそらく一種の遠視的または遠方より他を動かす力が働いていたのであろう。驢馬の主がイエスの弟子団の一人であるとする見方はこの記事を解し易からしめるけれども同時にこの記事よりその魅力を失わしめる。
辞解
[彼ただちに返さん] 異本により原文より「再びここに」 palin hode を除けば「彼ただちに遣さん」となり主の用なりと言えばその人直ちに遣さんとの意味となる(L2)。
[主] 冠詞あり直ちに誰と明示し得る人と指す。この場合弟子たちの言が先方に理解されるや否やは問題にあらざるごとき態度である。
11章4節
口語訳 | そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。 |
塚本訳 | 二人が行って見ると、はたして(ある家の)外の通りに向いた戸に、子驢馬がつないであったので、それを解いた。 |
前田訳 | ふたりが行くと、外の通りに、戸につながれた子ろばがあったので、それを解いた。 |
新共同 | 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 |
NIV | They went and found a colt outside in the street, tied at a doorway. As they untied it, |
11章5節
口語訳 | すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。 |
塚本訳 | するとそこに立っていた人たちが「子驢馬を解いて、何をするのか」と言ったので、 |
前田訳 | そこに立っていた人たちがいった、「子ろばを解いて何をするのか」と。 |
新共同 | すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 |
NIV | some people standing there asked, "What are you doing, untying that colt?" |
11章6節
口語訳 | 弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。 |
塚本訳 | イエスに言われたとおりにこたえると、許してくれた。 |
前田訳 | ふたりがイエスがいわれたとおりに答えると、そのままにしてくれた。 |
新共同 | 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 |
NIV | They answered as Jesus had told them to, and the people let them go. |
註解: 凡てがイエスの告げ給いし通りに実現したことは驚くべき事実であった。人生の行路において我らも我らの行先につき、全く予知し得ずして、唯盲目的にイエスの御言に服従して事を行う時、不思議にもイエスの示す給えるごとき結果となることが多い。弟子たちがイエスに従いし結果そのごとくになった。この事実は将来イエスの弟子として行動する場合、唯一筋にイエスの御言に従って他を顧みずに行くことができた一原因であろう。人は結果を無視して唯主の御言に従って行動すべきである。なおマタイはここにゼカ9:9の預言を引用して、イエスが驢馬に乗りてエルサレムに入城し給うことがゼカ9:9の預言が実現したのであることを附加しているのは、この事実を反省してこの預言の成就と見るべきものとして録されたからである。
11章7節
口語訳 | そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。 |
塚本訳 | 二人が子驢馬をイエスの所に引いてきて、自分たちの着物をその上にかけると、イエスはそれに乗られた。 |
前田訳 | ふたりが子ろばをイエスのところに連れて来て、自分らの着物を上にかけると、イエスはそれに乗られた。 |
新共同 | 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 |
NIV | When they brought the colt to Jesus and threw their cloaks over it, he sat on it. |
註解: 衣を驢馬の上に置くはイエスに対する尊敬の意思表示であり、軍馬を用いずして驢馬を用いたのは、平和の君の入場として最も相応しき光景であった。ゼカ9:9の預言の意味はこのイエスの入城によりて始めて知られたのである。蓋しイスラエルを救うべき王は軍馬に跨り征服者として入城する大将軍ではなく、柔和にして軛を負う驢馬の子に乗り、王らしからざる姿において来給う王であることを示す。単にイスラエルのみならず、世界を救い世界を征服する王はこのイエスである。
11章8節
口語訳 | すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。 |
塚本訳 | 大勢の者は着物を道に敷いた。野原から小枝を切ってき(て敷い)た者もあった。 |
前田訳 | 多くの人が自分らの着物を道に敷いた。あるものは野原から切ってきた小枝を敷いた。 |
新共同 | 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 |
NIV | Many people spread their cloaks on the road, while others spread branches they had cut in the fields. |
註解: エルサレムの群衆はナザレのイエス来ると聞きあらゆる熱心をもって彼を歓迎した。王の入来に際してかくすることが習慣であったのを見れば(U列9:13)、エルサレムの民衆は王を迎うるごとき熱心をもって彼を迎えたのであった。イエスの評判は当時かくもエルサレムに鳴り響いていた。ただしこの群衆は数日の後イエスを十字架に釘 けよと叫べる群衆であった。
11章9節 かつ
口語訳 | そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。 |
塚本訳 | (イエスの)前に行く者もあとについて行く者も、叫んだ。──“ホサナ!、主の御名にて来られる方に祝福あれ。” |
前田訳 | そして先に行くものも、うしろにつくものも叫んだ、「ホサナ。祝福あれ、主のみ名によっておいでの方。 |
新共同 | そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。 |
NIV | Those who went ahead and those who followed shouted, "Hosanna! " "Blessed is he who comes in the name of the Lord!" |
註解: マタ21:9註参照。ホサナは原音ホーシアーナーで「救い給えかし」の意味なれど、歓呼の声として常用されるに至って必ずしもその原意に従って用いられず、単に「万歳」のごとき意味に用う。本来はハレル歌集の一部をなす詩118:25の語であって、過越の祭、仮廬の祭等にこの歓呼を為す。「主の名によりて」は「主の名において」でメシヤとして来る者の意。かくして群衆はイエスを主の名において来る者すなわちメシヤとして歓迎したのである。
11章10節
口語訳 | 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。 |
塚本訳 | 来たるわれらの父ダビデの国に祝福あれ。いと高き所に“ホサナ!” |
前田訳 | 祝福あれ、来たるべきわれらの父ダビデの国。いと高き所にホサナ」と。 |
新共同 | 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 |
NIV | "Blessed is the coming kingdom of our father David!" "Hosanna in the highest!" |
註解: 群衆はダビデの国すなわちメシヤによりて回復せらるべきダビデ王国の再建がこのイエスによりて為されることを信じてこの叫びを掲げ、いと高き処に在す神に向いて「救いたまえかし」(ホサナ)の祈りをあげたのであった。イエスはこの群衆の歓呼の中を驢馬に跨り静々として入城し給うたのであった。
辞解
[父ダビデの国] ダビデはイスラエル王国の理想の王であり、その国の永続はエホバの約束し給える処であった。而してイスラエルの民はその再建はこれをメシヤに期待して熱心に待ち望んでいたのを、今その実現を見ることができるとして歓呼しているのである。しかしながらイエスの建て給う国は彼らの期待せるがごとき国ではなかった。
11章11節
口語訳 | こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわった後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。 |
塚本訳 | やがてエルサレムについって宮に入られた。隅なく見てまわれたのち、時間もはやおそくなったので、十二人を連れてベタニヤに出てゆかれた。 |
前田訳 | 彼はエルサレムに来て宮に入った。イエスはすべてを見まわってから、はや時もおそくなったので、十二人とベタニアへと出て行かれた。 |
新共同 | こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。 |
NIV | Jesus entered Jerusalem and went to the temple. He looked around at everything, but since it was already late, he went out to Bethany with the Twelve. |
註解: 宮に入りて凡ての物を見廻し給える時イエスの心中すでに悲憤に充ちていたものと思われる。蓋しこの宮は紀元前二十年頃にヘロデ大王によりて起工せられし大工事であって、イエスの伝道の当初すでに四十六年を経過していた(ヨハ2:20)けれども未だ竣工しなかった。その輪奐 の美なるにもかかわらずユダヤ人の心の中にはエホバを信ずる信仰の一片だになく、唯パリサイ的形式主義と異邦的利慾主義とが支配していた。これを見廻してイエスの御心は耐え切れない悲憤に充されたのであった。その翌日無花果の樹を枯らし給えるも、また宮を潔め給えるもみなこの悲憤の結果であったと見るべきである。マタイ伝は宮潔めをこの第一日にありしごとくに録しているけれども、おそらくマルコ伝の方が事実であろう。
辞解
[宮] hieron は神殿地域の全部を指す。
要義1 [イエスの御言に対する信従]イエスの御言のままを実行することが果して最善の結果を来すや否や、また如何なる結果を生ずるやも不明である場合がある。否、多くの場合イエスの御言のままを実行することがかえって不結果を来すごとくに思われる。しかしながらイエスを信じその御言のままに服 う者には、不思議にも思わざる良結果が与えられるのである。驢馬を牽 きに行ける弟子たちの態度もこれであった。雲を掴むごときイエスの御言も、これを実行することによりて最も確実なる事実となった。
要義2 [人民の声は神の声なりや]Vox populi vox Dei なる格言は有名であり、かつそれが事実である場合も存在することは確実である。しかしながら神の国の事柄に関しては人民の声は必ずしも神の声ではない。性来 の人は神の御霊のことを知らず、従って彼らの声は神の声ではない。それ故に神の国のことにつき群衆の向背 を意に介することは誤っている。イエスのエルサレム入城に際して心より歓呼の叫びをあげし群集はやがてまた彼を十字架につけた群集であった。群集は欺かれやすい、神の国の民は神の声を聴くべきで群集の声を聴くべきではない。
要義3 [何故イエスはエルサレムに入り給いしや]真理を宣伝うるに必ずしもエルサレムにおいてするを要せずと考うることも不可能ではない。真理は到る処において真理だからである。然りとすれば何故イエスはわざわざ危険を冒してエルサレムに入り給うたのであるか。これイエスの唱うる真理に対し、その最後の敵はエルサレムに巣喰う処の教権主義であったからである。この教権主義と正面より衝突することによりて始めてイエスの教えの何であるかが明かにせられたのであって、もしこのことが無かったならばイエスの教えは単に一種の主張として一地方に無事に唱えられたに過ぎず、ついにその真面目 を発揮することを得ずに終ったであろう。ユダヤの教権主義をその本拠において衝き、これと戦うことによりて始めてイエスの教えの真相が明かにされたのである。イエスが王者の態度をもってエルサレムに入り給いしことの意義はこれによりても知ることができる。
註解: 無花果の樹を枯らし給える奇蹟は、イエスがエルサレムにおいて行い給いし唯一の奇蹟である点において特に注意を要するのみならず、それが刑罰を意味する奇蹟である点において一層の興味がある。
口語訳 | 翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。 |
塚本訳 | あくる日、弟子たちとベタニヤから出てくるとき、イエスは空腹であった。 |
前田訳 | あくる日、彼らがベタニアから出てくると、イエスは空腹であった。 |
新共同 | 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。 |
NIV | The next day as they were leaving Bethany, Jesus was hungry. |
註解: 受難週の第二日(月曜日ニサンの月の十一日)であった。
かれらベタニヤより
註解: イエスの自然性には我らと異なる処のものが無かった。
11章13節
口語訳 | そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当らなかった。いちじくの季節でなかったからである。 |
塚本訳 | それで葉のしげった無花果の木を遠くから見て、何か(実が)ありはしないかとそこに行かれた。が行って見ると、葉ばかりで何もなかった。(まだ)無花果の季節でなかったのである。 |
前田訳 | 葉のあるいちじくの木を遠くから見て、何かあろうとそこに行かれた。しかしそこへ行かれると、葉のほかに何もなかった。いちじくの季節でなかったのである。 |
新共同 | そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。 |
NIV | Seeing in the distance a fig tree in leaf, he went to find out if it had any fruit. When he reached it, he found nothing but leaves, because it was not the season for figs. |
註解: 四月頃は無花果の季節ではない。従って多くの無花果の樹には、果も葉も共に無いのが普通である。然るに偶然遙かに葉のある無花果をイエスは見出し給うた。葉が存する以上果実もあるやも知れずと期待することは無理ではない。しかし季節にあらざる故果実が存しないこともまた当然であった。
11章14節 イエスその
口語訳 | そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。 |
塚本訳 | イエスはその木に言われた、「もはやいつまでも、だれもお前の実を食べることのないように!」弟子たちは(この呪いの言葉を)聞いていた。 |
前田訳 | そこで木にいわれた、「これから永遠にだれもおまえの実を食べないように」と。弟子たちはそれを聞いていた。 |
新共同 | イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。 |
NIV | Then he said to the tree, "May no one ever eat fruit from you again." And his disciples heard him say it. |
註解: イエスは葉のみ繁りて果のなき無花果を見て、直ちにイスラエルの信仰的堕落を連想し給うた、昨夕宮を見廻して悲しみにたえざりし思いが勃然として彼の心に浮び出でた。無花果は葡萄と共にイスラエルの最も重要な産物であり、イスラエルと密接なる関係を持てるものであった。イエスはこの無花果をあたかもイスラエルの状態を示すもののごとくに思い給うた。蓋しイスラエルは宗教的形式を豊富に所有しながらその中に真の信仰を見出し得なかったからである。
附記 マタイ伝には(マタ21:18−19)この記事を簡略にし無花果の季節にあらざることを省略し、また無花果は立ちどころに枯れたるごとくに録している。おそらくマルコ伝の記事が事実を示しているのであろう。なお当然果の有るべからざる無花果を、果なき故をもって詛い給えることはイエスらしからざるをもって13節を種々に曲解してこの困難を除かんとし(M0参照)、またはこの記事全体を後世の作話とする説等あれど(L2参照)、かくする必要もなく、またかくすべき確実なる証拠もない。イエスはこの特種の無花果を見てイスラエルの信仰を連想し、この無花果を詛い給える処に、彼の激しき性格と、道学先生以上の自由さを認めることができる。
註解: 宮潔めの記事はマタイ伝には第一日の中に行われしものとして録され、ヨハネ伝にはイエスの伝道の始めに(ヨハ2:13−17)行われしものとして録さる。ただしヨハネ伝の記事は他の事実と見るべきであって(多くの学者はこれに反対す)イエスの名声が未だ充分に顕れざりし当時の出来事として祭司長、学者らの注意に止らなかったのであろう。マタイとマルコとの相違はマルコ伝の方が正確なるもののごとし。なおこの事件をその行われし時日が不明なる一事件であったのを後に福音書の記者が己の適当と思惟する場所に入れたと見る説もあれど、確定的ではない。
11章15節
口語訳 | それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、 |
塚本訳 | エルサレムに来た。イエスは宮に入り、宮(の庭)で物を売る者や買う者を追い出し始め、両替屋の台や、鳩を売る者の腰掛を倒された。 |
前田訳 | 彼らはエルサレムに来た。彼は宮に入り、宮で物を売るものや買うものを追い出しはじめ、両替屋の台や、鳩を売るものの椅子を倒された。 |
新共同 | それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。 |
NIV | On reaching Jerusalem, Jesus entered the temple area and began driving out those who were buying and selling there. He overturned the tables of the money changers and the benches of those selling doves, |
註解: 当時は過越の祭の前であったので世界の各地よりユダヤ人は勿論、異邦人も多数集り、これらに犠牲の動物、香油その他犠牲をささぐるために必要なるものを売買し、また各地の通貨をヘブル人の通貨(またはツロの通貨)と交換して宮に納金を為すことを得しめるための両替商もいた。「鴿 」は貧者の供物として必要であった。イエスはこれらの人々の中に利慾より外の何ものも無きを見て、神の宮に相応しからざることの甚しきを思い、これらを逐い払い給うた。神の宮なるイエスはかかる不潔に耐え得ざることを示したのである。
11章16節 また
口語訳 | また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。 |
塚本訳 | (また近道をするために)器物を持って宮(の庭)を通り抜けることを許されなかった。 |
前田訳 | そして器を持って宮を通り抜けるのをおゆるしにならなかった。 |
新共同 | また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。 |
NIV | and would not allow anyone to carry merchandise through the temple courts. |
註解: マルコ伝特有の一句。宮を潔く保つための規則として古くより定められている規則であった。後にユダヤ人の会堂においてもこの規則が行われた。イエスがかかる形式を重んじ給うたことは不思議のようであるけれども、宮を潔むべきことを教うるがためには当時の人々にとりてかくすることが最善の方法であった。
11章17節 かつ
口語訳 | そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。 |
塚本訳 | それからこう言って教えられた、「“わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである”と(聖書に)書いてあるではないか。ところがあなた達はそれを“強盗の巣”にしてしまっている。」 |
前田訳 | そして彼らを教えていわれた、「『わが家はすべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである』と書いてあるではないか。しかるにあなた方はそれを強盗の巣にしてしまった」と。 |
新共同 | そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」 |
NIV | And as he taught them, he said, "Is it not written: "`My house will be called a house of prayer for all nations' ? But you have made it `a den of robbers.' " |
註解: イエスは旧約聖書の二箇所を引用して、その宮潔めの意義を示し給うた。前者はイザ56:7より後者はエレ7:11よりの引用で、神の宮の本質が万国民の祈りの家たるべきにもかかわらずあたかも強盗の巣のごとく、利慾のみを追うものの集合所となっていることを嘆き給うた。
辞解
マタイ伝よびルカ伝に「もろもろの国人の」を省略せる所以は不明である。この二書をエルサレム陥落以後の作と見る学者は、神殿の存在せざるためこれを省略せりとなす。かく見るよりもむしろこの際異邦人なる思想をここに混入せしむる必要なき故にこれを省けるものと見るを可とす。
11章18節
口語訳 | 祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。 |
塚本訳 | 大祭司連と聖書学者たちはこれを聞いて、どうしてイエスを殺そうかと(その手段を)考えていた。民衆が皆その教えに感心しきっていたので、イエス(の勢力)を恐れたのである。 |
前田訳 | 大祭司と学者はそれを聞いて、どうして彼を殺そうかと考えていた。群衆が皆その教えに魅せられていたので、彼をおそれたのである。 |
新共同 | 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。 |
NIV | The chief priests and the teachers of the law heard this and began looking for a way to kill him, for they feared him, because the whole crowd was amazed at his teaching. |
註解: 宮が不潔に保たれることによりて利益を得るものは祭司長、学者らであり、彼らにはこれを恥ずるだけの良心が無かった。彼らの恐れる処は民衆が正義に目覚めて彼らの行動を批判するに至らんことであった。而してイエスは権威をもって民衆を教え、民衆は強く彼に引付けられるを見て彼らは甚しくイエスを懼れ、これを殺さんと図るに至った。
要義 [宮潔めの目的]宮潔めの行為は柔和をもって一貫し給えるイエスには相応しからぬごとくに見えるけれども、イエスは審 き主として凡ての悪の上にその怒りを注ぎ給う時が必ず来るのである。これが羔羊の怒り(黙6:16)であって、イエスは最後にその大なる怒りをもってその宮なる全世界を潔め給う。而してその予表的意味においてエルサレムの宮を潔め給うたのは、ユダヤ人の良心が麻痺して宮の神聖さを感じないようになったからであった。最も聖なるべきものに対して聖なる感覚を失うことは、人間としての堕落の最も大なるものである。なおイエスはこの宮潔めによりて、イスラエルの祭司、長老、学者らのごとき不潔なる存在が如何に真の神の宮を汚しつつあるかを示し給うた。なおマタ21:17要義参照。
11章19節
口語訳 | 夕方になると、イエスと弟子たちとは、いつものように都の外に出て行った。 |
塚本訳 | 夕方になると、イエス達はいつも都を出て(ベタニヤに)いった。 |
前田訳 | 夕方になると、イエスらは町を出て行った。 |
新共同 | 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。 |
NIV | When evening came, they went out of the city. |
註解: 祭のために上京せる巡礼者の群も同様であった。この際イエスの宿所はベタニヤ(マタ21:17)であった。ルカ21:37にはオリブ山とあるのも同一の場所を指したのであろう。ベタニヤはイエスにとりては沙漠中のオアシスであった。
11章20節
口語訳 | 朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが根元から枯れているのを見た。 |
塚本訳 | (次の)朝早く、通るときに見ると、(きのうの)無花果の木は根元から枯れていた。 |
前田訳 | 翌朝早く、彼らは通りがかりにいちじくの木が根元から枯れているのを見た。 |
新共同 | 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。 |
NIV | In the morning, as they went along, they saw the fig tree withered from the roots. |
註解: 受難週第三日の朝火曜日である(ニサンの月の十二日)。昨日まで葉が繁っていた無花果がイエスに詛われて急に枯れたのであった。イエスの能力が自然界の物質的現象に及べることは聖書にしばしば録されるとおりである。イエスにこの独特の力が備わっていたこと、而してこれが父なる神に対する信仰より出でたことは争い得ない事実である。奇蹟を否定せんとする者はイエスにかかる能力が備わっていた事実の存在を否定し、またその可能なることをも否定しなければならない。
辞解
マタイ伝には無花果が直ちに枯れたとして録されている。イエスの奇蹟力を強調せんとしたのであろう。
11章21節 ペテロ
口語訳 | そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。 |
塚本訳 | ペテロは思い出してイエスに言う、「先生、御覧なさい、お呪いになった無花果は枯れています。」 |
前田訳 | ペテロは思い出して彼にいう、「先生、ごらんください、お呪いになったいちじくの木が枯れています」と。 |
新共同 | そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」 |
NIV | Peter remembered and said to Jesus, "Rabbi, look! The fig tree you cursed has withered!" |
註解: マタ21:20には全弟子たちの質問の形においてこのことが記されている。例によりてペテロが全弟子の代言者の役をつとめたのであった。
口語訳 | イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。 |
塚本訳 | イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「神を信ぜよ。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。 |
NIV | "Have faith in God," Jesus answered. |
11章23節
口語訳 | よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。 |
前田訳 | 本当にいう、だれでも、この山に向かって、立って海に飛び込め、といって、心に疑わず、いうことが成ると信ずるものは、そのとおりかなえられよう。 |
新共同 | はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。 |
NIV | "I tell you the truth, if anyone says to this mountain, `Go, throw yourself into the sea,' and does not doubt in his heart but believes that what he says will happen, it will be done for him. |
註解: 神を信じ、神必ずこれを成し給うべしと信じて疑わずにいる時は偉大なる力がそこから生じて来る。力の秘訣はこの信仰である。而してこの信仰は一見不可能に見ゆることをも可能ならしむるものであり、イエスはこの大なる真理を「山を移す」ことの譬をもって弟子たちに教え給うた。
辞解
[此の山] オリブ山を指して語り給うたのであろう。山を移すことは文字通りに解すべきでないことはマタ5:29、30。マタ6:3等におけると同様なり。イエスの示さんとし給える処は、不可能を可能ならしむる信仰の力の偉大さであった。
[疑ふ] diakrinomai は心が二つに分れて統一せざること。
11章24節 この
口語訳 | そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。 |
塚本訳 | だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。 |
前田訳 | それゆえわたしはいう、祈り求めるものは皆得たと信ぜよ、そうすればそのとおりかなえられよう。 |
新共同 | だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 |
NIV | Therefore I tell you, whatever you ask for in prayer, believe that you have received it, and it will be yours. |
註解: 信仰と信頼の極致である。イエスは父なる神に対して常にこの態度を取り給うたものと思われる。主の御名によりて求むることは神必ずこれを成し給うと信じ切っている場合神はこれを無視することができない。祈祷の秘訣はここにある。疑いつつ神に求むるものはついに与えられない。
11章25節 また
口語訳 | また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。〔 |
塚本訳 | なお立って祈っている時に、だれかに恨みがあったら赦してやれ。これは天の父上からも、あなた達の過ちを赦していただくためである。」 |
前田訳 | 立って祈っているとき、だれかにうらみがあればゆるせ。天にいますあなた方の父があなた方の過ちをおゆるしになるためである」と。 |
新共同 | また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」 |
NIV | And when you stand praying, if you hold anything against anyone, forgive him, so that your Father in heaven may forgive you your sins. " |
註解: 〔26なし〕神に信頼することは自己の罪を認むるの結果であり、このことは同時に人の罪を赦しこれに対する怨みを忘れしめる。而して神の愛をもってこれを免 さんとの心が生ずるに至るものである。かく神に信頼して凡ての人に愛をもって対する時、天の父は我らの罪をも赦し給うに相違ない。信仰の力は他を動かし自己を動かし、ついに自己の救いに至らしむるものである。
辞解
本節は前との連絡が甚だ拙である。おそらく「祈」に関することが顕われし序をもって著者がここに編入したものであろう。イエスはこれを他の機会に語り給うたものなるべく、マタ6:5は適当なる場合である。
要義 [審判の奇蹟]無花果を枯し給える奇蹟は、罪無き植物に向って怒りを発し給える点、およびイエスの奇蹟は多く愛の心より出でしものなるにもかかわらず、この奇蹟は怒りより出でし点、および求むべからざる時期に果実を求めつつ、その果実なきを怒れる点においてイエスらしからざるものとして非難される処の奇蹟である。この意味においては宮潔めの行為もまた同様の批判の下に立たしめられる。しかしながらイエスは救い主であると共にまた審判主に在し給う。また形式のみ完備していながら善行の果実を結ばざるイスラエルの不信は必ず審 かれなければならない。イエスはこの心持を無花果の上に示して、来るべき審判を予告し、もってイエスに詛われる者の運命を示し給うた。マタ21:22要義参照。
口語訳 | もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。 |
塚本訳 | (無し) |
前田訳 | 〔もしあなた方がゆるさねば、天にいますあなた方の父もおゆるしになるまい〕。 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)もし赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない。 |
NIV |
註解: 本節より12章の終りに至るまで、数箇の重要なる論議を掲げ、当時のユダヤ教の重大関心を有する諸点に関しイエスの思想を表明している。
口語訳 | 彼らはまたエルサレムにきた。そして、イエスが宮の内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちが、みもとにきて言った、 |
塚本訳 | またエルサレムに来る。イエスが宮の中をぶらついておられると、大祭司連、聖書学者、長老たちがよって来て |
前田訳 | 彼らはまたエルサレムに来た。彼が宮の中をお歩きのとき、大祭司、学者、長老らがおそばへ来て、 |
新共同 | 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、 |
NIV | They arrived again in Jerusalem, and while Jesus was walking in the temple courts, the chief priests, the teachers of the law and the elders came to him. |
註解: エルサレムの民に神の国の福音を伝えんがためであった。
イエス
註解: 「長老」は祭司長、学者と共に衆議所の役員である。すなわち衆議所の役員たちが打揃ってイエスを攻撃せんとして来たのであった。
11章28節 『
口語訳 | 「何の権威によってこれらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたのですか」。 |
塚本訳 | 言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがそれをする権威を授けたのか。」 |
前田訳 | 彼にいった、「何の権威であのようなことをするのか。だれがああする権威を与えたのか」と。 |
新共同 | 言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」 |
NIV | "By what authority are you doing these things?" they asked. "And who gave you authority to do this?" |
註解: 職業的宗教家や、宗教政治家は人間より出づる権威または制度によりて与えられる権威を絶対視し、神より出づる権威に対して盲目でありかつこれを迫害する。彼らは自ら人より出づる権威を所有することを誇り、イエスがこれを所有せざるの故をもってイエスの行動の違法を指摘し、これを理由としてイエスを亡ぼさんとした。職業宗教家は常にかくのごとくにして真の信仰を迫害する。
辞解
[此等のこと] 主として宮潔めの行為を指すけれども、なおイエスが人々を教え給うこと、また王者のごとくエルサレムに入城し給えること等をも含むものと見ることを得。
11章29節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは彼らに言われた、「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「では一つ尋ねる。それに答えよ。その上で、なんの権威でそれをするかを言おう。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「ではひとつたずねよう。それに答えれば、何の権威でわたしがああするかをいおう。 |
新共同 | イエスは言われた。「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。 |
NIV | Jesus replied, "I will ask you one question. Answer me, and I will tell you by what authority I am doing these things. |
11章30節 ヨハネのバプテスマは、
口語訳 | ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい」。 |
塚本訳 | ──ヨハネの洗礼は天(の神)から(授かったの)であったか、それとも人間からか、それに答えよ。」 |
前田訳 | ヨハネの洗礼は天からであったか、人からか。答えよ」と。 |
新共同 | ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。」 |
NIV | John's baptism--was it from heaven, or from men? Tell me!" |
註解: イエスは巧みに敵の弱点を捉えて反問しこれをもって自己の答えとなし給うた。すなわち祭司長、学者、長老たちの関心は唯宗教政治的の方面であって、何が真理なりやを知らんとはせず、唯如何にして自己の勢力を維持せんかに在ったのをイエスは熟知し給うが故に、バプテスマのヨハネの権威如何の問題を提出して彼らに反問し給うた。かくしてイエスは彼らをヂレンマに追いつめ、ヨハネのバプテスマの天よりなることを肯定も為し得ず否定も為し得ざる立場に立たしめ給うた。その理由は次節以下に録されるごとくであって、彼らは正にイエスの術中に陥りイエスに翻弄せられたのであった。真理に立つ者は如何なる場合にも自由あり、虚偽の上に立つ者は常に行詰る。
11章31節
口語訳 | すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。 |
塚本訳 | 彼らはひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、 |
前田訳 | 彼らは内輪で論じあった、「もし天からといえば、『なぜ彼を信じなかったか』といおうし、 |
新共同 | 彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。 |
NIV | They discussed it among themselves and said, "If we say, `From heaven,' he will ask, `Then why didn't you believe him?' |
11章32節
口語訳 | しかし、人からだと言えば……」。彼らは群衆を恐れていた。人々が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからである。 |
塚本訳 | それとも『人間から』と言おうか。」──(だが)民衆(の反対)がこわかった。みんながヨハネをほんとうに預言者だと思っていたからである。 |
前田訳 | 人から、といおうか」と。しかし彼らは群衆をおそれた。皆がヨハネを本当に預言者と思っていたからである。 |
新共同 | しかし、『人からのものだ』と言えば……。」彼らは群衆が怖かった。皆が、ヨハネは本当に預言者だと思っていたからである。 |
NIV | But if we say, `From men'...." (They feared the people, for everyone held that John really was a prophet.) |
註解: 彼らの態度は果してヨハネのバプテスマは天よりの権威によるものなりや否やを究めんとせずして唯如何にして自己の立場を有利に導くべきかにあった。功利主義の立場に立つ宗教団体ほど醜悪なるものはない、彼らは正義の仮面の下に自己の利益を擁護することに汲々たるものである。彼らといえども心中竊 かにヨハネの天的存在たるを認めぬではなかったろう。しかもこれを告白することは、自己の特権の放棄である。さればと言って反対にヨハネを否定する勇気をも有たなかった。人を恐れたからである。天を恐れずして人を恐れる処に職業的教団の特徴がある。
11章33節
口語訳 | それで彼らは「わたしたちにはわかりません」と答えた。するとイエスは言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。 |
塚本訳 | そこで「知らない」とイエスに答える。彼らに言われる、「ではなんの権威であんなことをするか、わたしも言わない。」 |
前田訳 | そこで彼らはイエスに答えた、「知らない」と。イエスはいわれる、「それなら何の権威でああするか、わたしもいわない」と。 |
新共同 | そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」 |
NIV | So they answered Jesus, "We don't know." Jesus said, "Neither will I tell you by what authority I am doing these things." |
註解: 彼らは窮して恥ずべき返答をなし、イエスは何らの返答をも与えずに勝ち給うた。かくしてイエスを追窮せんとして来れるものは自ら窮地に追込められた。
要義 [職業的宗教団体の立場]人間の作成せる団体や組織はこれを維持するために人間より出づる権威とこれに対する服従とを必要とする。これに反し神より出づる権威はかかる人造の団体とその規則とによりて与えられず、神の自由の御旨によりて与えられる。それ故に人間的団体およびその組織を維持せんとすることと、神よりの権威を認めんとすることとは両立しない。人間的のものに神的の仮面を被せてこれを糊塗 するに過ぎない。