マタイ伝第19章
分類
8 ユダヤにおけるイエスの御業と御教 19:1 - 20:34
8-1 離婚問題 19:1 - 19:9
(マコ10:1-12)
19章1節 イエスこれらの
口語訳 | イエスはこれらのことを語り終えられてから、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤの地方へ行かれた。 |
塚本訳 | イエスはこれらの話を終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こうのユダヤ(人の住むペレヤ)地方に行かれた。 |
前田訳 | イエスがこれらの話を終えられたときのこと、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤ地方へ来られた。 |
新共同 | イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川の向こう側のユダヤ地方に行かれた。 |
NIV | When Jesus had finished saying these things, he left Galilee and went into the region of Judea to the other side of the Jordan. |
註解: 前章にてガリラヤの伝道は終り、これより十字架の贖いを成就せんがためにエルサレムに向って猛進し給うた。これがイエスの最後のユダヤ行きであってヨハネ伝にはこの以前のユダヤ行についても記されている。
辞解
[ヨルダンの彼方なるユダヤ] ヨルダンの東ペレア地方。
19章2節
口語訳 | すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。 |
塚本訳 | すると大勢の群衆がついて来たので、そこで彼らの病気をなおされた。 |
前田訳 | 多くの群衆が彼に従い、彼はその地方で彼らの病をいやされた。 |
新共同 | 大勢の群衆が従った。イエスはそこで人々の病気をいやされた。 |
NIV | Large crowds followed him, and he healed them there. |
註解: 病者を癒し給うことがキリストの日常の行事であったことを見ることができる。
19章3節 パリサイ
口語訳 | さてパリサイ人たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。 |
塚本訳 | そこにパリサイ人たちが近寄ってきて、イエスを試そうとして言った、「何か理由があれば、妻を離縁してもよろしいか。」 |
前田訳 | パリサイ人が彼を試みに来ていった、「何かの理由があればおのが妻を離縁してもよろしいか」と。 |
新共同 | ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。 |
NIV | Some Pharisees came to him to test him. They asked, "Is it lawful for a man to divorce his wife for any and every reason?" |
註解: 当時ユダヤにおいて離婚問題につき厳格なるシャムマイ派と自由放恣 なるヒレル派とが申24:1の「恥ずべき所」の解釈を異にしていた。前者はこれを姦淫のごとき重大なる欠陥に局限し、後者はこれを日常些末 の失錯 または夫の勝手気ままなる好悪の情をもこの中に含ましめた。そして当時ヘロデとヘロデヤとの問題に関連してこのことにつき与論喧々たる時であったので、パリサイ人らはイエスをこの問題をもって試みて、その答弁いかんによって、彼に対する反対の理由を捕えんとした。
19章4節
口語訳 | イエスは答えて言われた、「あなたがたはまだ読んだことがないのか。『創造者は初めから人を男と女とに造られ、 |
塚本訳 | 答えて言われた、「造物者が始めから“彼らを男と女とに造られた”こと、 |
前田訳 | 彼は答えられた、「あなた方は読んだことがないのか、創造主(つくりぬし)ははじめに彼らを男と女に造られたこと、 |
新共同 | イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」 |
NIV | "Haven't you read," he replied, "that at the beginning the Creator `made them male and female,' |
19章5節 「かかる
口語訳 | そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。 |
塚本訳 | また、“それゆえに人は父と母とをすてて妻に結びつき、二人は一体となる”と言われたことを、あなた達は読んだことがないのか。 |
前田訳 | それゆえ人は父母を離れて妻につき、ふたりは一体となるべきことを。 |
新共同 | そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。 |
NIV | and said, `For this reason a man will leave his father and mother and be united to his wife, and the two will become one flesh' ? |
註解: イエスはシャムマイ派ヒレル派等の争論より超然たる態度を取り、遠く人間創造の根本に遡りて創1:27。創2:24を基礎とし、神は人類を男と女とに造り、一人の男と一人の女とを合せて夫婦なる一体を造り給えることを示し給うた。すなわち神が選びて二人を合せ給うことによりて二人は不離の一体となり、従って父母より独立して夫婦一体の存在を営むことが夫婦関係の本体である。それゆえに夫婦関係は神の定めであって神聖、かつ不可離である。キリスト教の夫婦観は絶対にこの基礎の上に立っている。
19章6節 されば、はや
口語訳 | 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。 |
塚本訳 | 従って、もはや二人ではない、一体である。だから夫婦は(皆)神が一つの軛におつなぎになったものである。(どんな理由があっても)人間がこれを引き離してはならない。」 |
前田訳 | したがってもはやふたつでなくひとつの体である。神が結ばれたものを人が離すべきではない」と。 |
新共同 | だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 |
NIV | So they are no longer two, but one. Therefore what God has joined together, let man not separate." |
註解: 二人一体の関係は神の定め給える事実である。ゆえに姦淫のごときこの関係そのものを破る行為以外は(マタ5:32)これを解いてはならない。またこの二人は神が選びてこれを合せ給いしものゆえ、最善のものである。たとい互に心に叶わないことがあってもこれを離してはならない。神の御定めと神の御導きとを深く思うものには離婚は有り得ないことである。
19章7節
口語訳 | 彼らはイエスに言った、「それでは、なぜモーセは、妻を出す場合には離縁状を渡せ、と定めたのですか」。 |
塚本訳 | 彼らが言う、「それでは、なぜモーセは“離縁状を渡して(妻を)離縁することを”命じているか。」 |
前田訳 | 彼らはいう、「モーセが離縁状を渡して離縁することを命じたのはなぜですか」と。 |
新共同 | すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」 |
NIV | "Why then," they asked, "did Moses command that a man give his wife a certificate of divorce and send her away?" |
註解: (▲原文は文語訳に近い。口語訳は文語訳が誤解されないように訳しかえたものであろう。)彼らはイエス・キリストがモーセよりも優れるものであることを知らなかった。ゆえに申24:1を引用して彼を反駁 した。
19章8節
口語訳 | イエスが言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、妻を出すことを許したのだが、初めからそうではなかった。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「モーセはあなた達の心が(神に対して)頑固なために、妻を離縁することを許したので、始めからそうではなかった。 |
前田訳 | 彼らにいわれる、「モーセはあなた方が頑(かたくな)なので妻を離縁することをゆるしたので、事ははじめからそうではなかった。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。 |
NIV | Jesus replied, "Moses permitted you to divorce your wives because your hearts were hard. But it was not this way from the beginning. |
註解: パリサイ人らの反駁 は意味を為さない。モーセはむしろ男子の無情の下に苦しむ妻を救わんがためにこれを出すことを「許し」たのであって「命じ」たのではない。そして人類の元始の状態はかかるもではなく、人類が堕落して神の命に叛 き、神の言に従わないようになってから、かかる醜き関係が始まったのである。ゆえに人類が再び神に従うようになれば、この元始の義しき夫婦関係に立帰るのが至当である。
19章9節 われ
口語訳 | そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて、自分の妻を出して他の女をめとる者は、姦淫を行うのである」。 |
塚本訳 | わたしは言う、不品行のゆえでなくて妻を離縁し、ほかの女と結婚する者は、姦淫を犯すのである。」 |
前田訳 | わたしはいう、不品行のゆえでなく妻を離縁してほかの女をめとるものは姦淫をすることになる」と。 |
新共同 | 言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」 |
NIV | I tell you that anyone who divorces his wife, except for marital unfaithfulness, and marries another woman commits adultery." |
註解: 夫婦の一方の淫行は、その行為自身が夫婦一体の関係の破壊である。ゆえにこの場合に妻を出すことは当然である。しかしその他の場合は妻がいかに不徳でも、愚鈍でも、病身でも、醜悪でも、又子なくともその他いかなる理由があっても、夫はこれを忍び、かつ矯正すべき義務を負わされているのであって、これを出すことはできない。ゆえにこれを出して他に娶る者は神の前には姦淫の行為と同一である。
19章10節
口語訳 | 弟子たちは言った、「もし妻に対する夫の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。 |
塚本訳 | 弟子たちが言う、「夫婦の関係がそんな(面倒な)ものなら、結婚をしない方が得だ。」 |
前田訳 | 弟子たちは彼にいう、「もし人と妻とのことがそのようならば、結婚しないほうがよろしい」と。 |
新共同 | 弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。 |
NIV | The disciples said to him, "If this is the situation between a husband and wife, it is better not to marry." |
註解: 弟子はイエスの御言をあまりに空想的で実際に適応しないものと考えた。夫婦生活の実際においては性格の不和、道徳的知識的欠陥、家庭的能力の欠乏、他の家族との不調和等種々複雑なる事情があることを考えた。これらのすべてにも関わらず唯一つ淫行の場合を除きていかなる場合にも離婚を許さないならば、いかに多くの不愉快、不都合を生ずることであろうか、弟子たちはこの煩累 を思うて結婚せざるに如 かずと思うたのである。
19章11節
口語訳 | するとイエスは彼らに言われた、「その言葉を受けいれることができるのはすべての人ではなく、ただそれを授けられている人々だけである。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「そのことは(本当の意味がわかって実行すれば確かに得であるが、それは)だれにでも出来ることではない。(神から特別に力を)授けられる者だけに出来るのである。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「恵まれた人は別として、すべての人がこのことばを受け入れうるのではなく、 |
新共同 | イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。 |
NIV | Jesus replied, "Not everyone can accept this word, but only those to whom it has been given. |
註解: イエスは「娶らざるに如かず」と言いし弟子の言葉を否定し給わなかった。結婚生活が必ずしも幸福のみを与うる甘き生活ではなく、時に多くの苦き杯を飲まなければならぬことをイエスは充分に認め給うた。しかしながら又弟子たちの言のごとく簡単に独身生活を取るべきものではなく、又取り得るものでもない。唯その賜物を授けられたもののみこの生活に入ることができることを教え給うた。
口語訳 | というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。 |
塚本訳 | というのは、(同じ独身でも、)母の胎内から結婚できないように生まれついた者があり、また人から(無理に)結婚できないようにされた者があり、また天の国のために自分で(決心して)結婚しない者がある。(この最後のものが本当の独身である。)出来る者はしたがよかろう。」 |
前田訳 | 母の胎からの生まれつきの独身があり、人から独身にされたものがあり、また天国のゆえに自らを独身にしたものがある。このことを受け入れうるものは受け入れよ」と。 |
新共同 | 結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」 |
NIV | For some are eunuchs because they were born that way; others were made that way by men; and others have renounced marriage because of the kingdom of heaven. The one who can accept this should accept it." |
註解:閹人 は本来生理的に結婚不能なるもの、又は人為的手術によりてこれを不能ならしめたる者を指すけれども、ここでは道徳的にこれと同様の状態に立っている人をも指している。すなわち「生れながらの閹人 」とは先天的に独身性格を送り得るごとき性格を具えたる人か、または先天的に生理上の不具者で結婚不能なものの双方を指すものと見るべきである。
辞解
[閹人 ] ▲eunochos は本来古代の宮廷の後宮の管理をする役人で、そのために手術により性的不能者となった男子を指す。本節ではこれを生れながらの不能者又は自己の意思により結婚を断念した人も含ませている。口語訳の「独身者」は適訳ではない。
註解: 手術によりて結婚行為を不能にした人々。
また
註解: 福音を宣伝うるため、その他天国のために係累 なく専心に働き得んがために自ら結婚を避けその煩累 から脱し、独身生活を送るの決心を為した人々で、ここでは生理的に自己をえん人としたというのではなく、信仰により自己を神の道に捧ぐることによりて性欲を去りこれに打ち勝ち得る状態に到達せる人を指す。この種のえん人は最も貴きものである。
註解: 己の生理的素質のいかんと意思の強弱と信仰の大小を考慮して、独身生活を受け容れ得る自信がある者は独身生活を受け容れるべきであって、かかる人が真に「授けられたる者」である。一般の人はこれを為すべきではない。使徒すらもすべてこれを受け容れ得なかった(Tコリ9:5)。
要義 [イエスと独身生活]一方にイエスは一夫一婦の結婚生活が神の定め給いし本来の状態であることを強調しつつ、他方独身生活をも認め給うた。ただしカトリック教会が僧侶に独身生活を強要せるごとき態度ではなく、又反対に新教徒がTテモ4:3より独身生活を極力否定せるごとき態度でもなく、独身生活の賜物を授けられしものはこれを選び取るべしとの態度である。ただしこれにはその目的が限られているのであって「天国のために自らなりたるもの」であることが必要である。イエスもこの意味において独身の生活を送り給うたのであろう。今日新教の伝道者たらんとする者にして、この賜物を受けている者は進んで独身生活を選んだならば、イエスの御言にかない、天国のための奉仕となるであろう。尚Tコリ7:7註及び要義(Tコリ7:24)参照。
19章13節 ここに
口語訳 | そのとき、イエスに手をおいて祈っていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 |
塚本訳 | それから、イエスに手をのせて祈っていただこうとして、人々が子供たちをつれて来ると、弟子たちが咎めた。 |
前田訳 | そのころ、人々がイエスのところへ子どもを連れて来て、手を置いて祈っていただこうとしたのを弟子たちがとがめた。 |
新共同 | そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 |
NIV | Then little children were brought to Jesus for him to place his hands on them and pray for them. But the disciples rebuked those who brought them. |
註解: 偉大なる人格イエスより祝福を受けんがために、親たちはその愛する幼児らを彼に連れ来たった。弟子たちはかかることにその師を煩わすことを好まずこれを禁 めた。弟子の心は既に打算と功利との色彩を帯びている。然るにイエスの御心は唯愛の自然の流れのごとく清く自由であった。
辞解
[手をおく] 祝福が手を伝わって幼児に及ぶことを示す形式。按手礼の起源。
19章14節 イエス
口語訳 | するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「子供たちを放っておけ、わたしの所に来るのを邪魔するな。天の国はこんな(小さな)人たちのものである。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「子どもはそのままに。彼らがわたしのところへ来るのを妨げるな。天国はこのような人たちのものである」と。 |
新共同 | しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」 |
NIV | Jesus said, "Let the little children come to me, and do not hinder them, for the kingdom of heaven belongs to such as these." |
註解: 親たちがその幼児を愛するごとき愛をもってイエスは彼らを眺め給い、その無邪気にして表裏なき信頼の姿に天国の民の有様を見給うたのである。マタ18:4註参照。イエスは彼らを祝福せずにはいられなかった。
19章15節 かくて
口語訳 | そして手を彼らの上においてから、そこを去って行かれた。 |
塚本訳 | それから子供たち(の頭)に手をのせて祝福したのち、そこを去られた。 |
前田訳 | 彼らに(祝福の)手を置いて、そこを去られた。 |
新共同 | そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。 |
NIV | When he had placed his hands on them, he went on from there. |
註解: 「この節に嬰児浸礼の根拠がある。けれどもTコリ7:14によれば必ずしも嬰児の洗礼が必要であることを示しているのではない」(M0)。
19章16節
口語訳 | すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。 |
塚本訳 | するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいでしょうか。」 |
前田訳 | すると見よ、イエスのところへ来た人があり、「先生、永遠(とこしえ)のいのちを得るには、どんなよいことをすべきですか」といった。 |
新共同 | さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 |
NIV | Now a man came up to Jesus and asked, "Teacher, what good thing must I do to get eternal life?" |
註解: この富める青年は真面目な青年であった。その富も、その従来力 めて行って来た善行も、彼に永遠の生命を与うるごとき確信を与えなかったので、心中深く悶えていたのであろう。走り来りイエスの前に跪 きて(マコ10:17)いかなる善事を為すべきかを問うた。彼は善を行うことに熱心であった。只彼の従来行える以外に、何か彼に永遠の生命を与うるに足るべき善事があるだろうと想像したのである。彼は信仰が本 であって行為がこれより生れるものであることを知らなかった。尚マコ10:17以下参照。
19章17節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「なぜよいことについてわたしにたずねるのか、よい方はただひとりである。いのちに入りたければ、掟を守れ」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 |
NIV | "Why do you ask me about what is good?" Jesus replied. "There is only One who is good. If you want to enter life, obey the commandments." |
註解: 青年の心は「善き事」に囚われて「善き者」を忘れていたことをイエスは洞察し給うた。我らの心は善き行為を考うるよりも先に唯一の善き者なる神に向い、彼に導かれなければならない。---尚本節の解として「我」を「善き者」と対立せしめて善き事は善き者なる神にのみに問うべきであると言い給えると解する説もある。マルコ、ルカはイエスの答を他の形をもって掲げている。その所参照。
註解: 始めに律法を与え、律法の極まる処に福音を与うるのが神の順序である。律法を完全に行うことの報償は永遠の生命である。
口語訳 | 彼は言った、「どのいましめですか」。イエスは言われた、「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 |
塚本訳 | 「どの掟を」と彼が言う。イエスはこたえられた、「“殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、 |
前田訳 | 彼はいう、「どの掟ですか」と。イエスはいわれた、「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 |
新共同 | 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 |
NIV | "Which ones?" the man inquired. Jesus replied, "`Do not murder, do not commit adultery, do not steal, do not give false testimony, |
註解: 彼はイエスの口より彼の知らない重要なる律法を示されるであろうと期待した。
イエス
19章19節 「
口語訳 | 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。 |
塚本訳 | 父と母とを敬え、”また“隣の人を自分のように愛せよ。”」 |
前田訳 | 父母を敬え、隣(となり)びとを自らのごとく愛せよ」と。 |
新共同 | 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 |
NIV | honor your father and mother,' and `love your neighbor as yourself.' " |
註解: 然るにイエスは極めて平凡にモーセの十戒の第二部、すなわち対人関係の律法を例示し給うた。青年がこれを知らないはずはない。唯イエスはこの青年が真の意味において(マタ5:48要義2参照)この律法を遵守していないことを知り給い、これを教えんがために先ずこの律法を提示し給うた。
19章20節 その
口語訳 | この青年はイエスに言った、「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。 |
塚本訳 | 青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」 |
前田訳 | 若者はいう、「それらは皆守っています。何がまだ足りないのでしょう」と。 |
新共同 | そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」 |
NIV | "All these I have kept," the young man said. "What do I still lack?" |
註解: 青年はその神への信頼の有無をば問題にしないで、唯外形的にこれを守りて以て自らこれらの律法を遵守しているものと信じていた。それゆえに己の内心の不満足なる原因を未だ発見することができず、他に欠くる処あることを思いこれをイエスに尋ねた。
19章21節 イエス
口語訳 | イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「全くありたければ、行って持ちものを売って貧しい人々に与えよ。そうすれば天に宝を得よう。そのうえで来てわたしに従いなさい」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 |
NIV | Jesus answered, "If you want to be perfect, go, sell your possessions and give to the poor, and you will have treasure in heaven. Then come, follow me." |
註解: 青年の心は神に依り頼むことをせず、財貨に依り頼んでいた。イエスは青年の不安の原因がこれであったことを観取し、この偶像を棄ててイエスに従うことを命じ給うたのである。すなわち「これ忠告にあらずして命令であり、任意にあらずして絶対である。しかし一般的ではなく特別の場合であって、青年の霊の特別の状態に応じたものである。何となれば彼に従えるものの多くにイエスはこの命令を与え給わなかった。財貨を所有していても尚かつ全き者たり得ると共に、すべてを貧しき者に施しても全からざるものもあり得る」(B1)、すなわち唯一の問題は唯神のみを信じ、彼に依り頼むや否やにある。彼以外に何物かが我らの心を占領して、彼に依り頼むことを妨げるならば、イエスは我らにこれを棄てて彼に従えと命じ給う。
辞解
[全からんと思わば] マタ5:48と同じく「全き」はその質においての完全であって、量においての完全ではない。
19章22節 この
口語訳 | この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。 |
塚本訳 | 青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。 |
前田訳 | 若者はそのことばを聞いて、悲しみながら去った。財産が多かったからである。 |
新共同 | 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。 |
NIV | When the young man heard this, he went away sad, because he had great wealth. |
註解: この青年は永遠の生命をすてて財貨を選び取った。現在の一時の苦痛に耐え得ずして未来の永遠の苦痛を招いたのである。かくしてイエスに従わずして去る者はこの青年のみではない。我ら自身その一人にあらざるやを反省しなければならない。
19章23節 イエス
口語訳 | それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。 |
塚本訳 | イエスは弟子たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、金持が天の国に入ることはむずかしい。 |
前田訳 | イエスは弟子たちにいわれた、「本当にいう、金持が天国に入るのはむずかしい。 |
新共同 | イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。 |
NIV | Then Jesus said to his disciples, "I tell you the truth, it is hard for a rich man to enter the kingdom of heaven. |
19章24節
口語訳 | また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。 |
塚本訳 | かさねて言う、金持が天の国に入るよりは、駱駝が針のめどを通る方がたやすい。」 |
前田訳 | 繰り返すが、らくだが針の穴を通るほうが金持が神の国へ入るよりはやさしい」と。 |
新共同 | 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」 |
NIV | Again I tell you, it is easier for a camel to go through the eye of a needle than for a rich man to enter the kingdom of God." |
註解: 駱駝は針の穴を通ることができないと同じく、富める者は神の国に入ることができない。ゆえに我らは貧しくならなければならぬ。ここに富める者とは財貨金銀に富める者のみに限るべきではない。智識、学問、智恵、経験、地位、身分、その他何にてもこれを価値ありと認めてその価値に依り頼んでいるならば、その人はその点において富める者である。イエスは我らに向いこれらをすべて捨て去って彼に従うべきことを命じ給う。
19章25節
口語訳 | 弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、「では、だれが救われることができるのだろう」。 |
塚本訳 | これを聞いて、弟子たちは非常に驚いて言った、「ではいったい、だれが救われることが出来るのだろう。」 |
前田訳 | それを聞いて弟子たちははなはだおどろいていう、「それならだれが救われえよう」と。 |
新共同 | 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。 |
NIV | When the disciples heard this, they were greatly astonished and asked, "Who then can be saved?" |
註解: イエスが富める者の天国に入るは難しと宣 える意義が単に財宝の富を言ったのではなく、心の富める者(マタ5:3の反対の場合)をも意味していたことを弟子たちは悟ったのであろう。それゆえにもし然らば救われる者はないであろうと驚いたのである(単に財宝の富のみを意味するならば、貧者の多きこの世界に救われるもの少なきを憂うる必要はない)。
19章26節 イエス
口語訳 | イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。 |
塚本訳 | イエスは彼らをじっと見て言われた、「これは人間には出来ないが、“神にはなんでも出来る。”」 |
前田訳 | イエスは彼らを見つめていわれた、「これは人にはできないが、神にはすべてがおできになる」と。 |
新共同 | イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 |
NIV | Jesus looked at them and said, "With man this is impossible, but with God all things are possible." |
註解: この重要なる真理を語らんとしてイエスは特に彼らに目を注 め給うた。人は自ら自分を救うことはできない。己を棄ててキリストに従うことは人の自力をもってはこれを為すことができない。唯神はその恩恵と十字架の犠牲によりて人を救うことを得給う。人の救われるはすべて神の御業である。すべてのことを為し得給う神は、またこの頑固なる人の心をも砕きてこれを悔改めしむることを得給う。
19章27節 ここにペテロ
口語訳 | そのとき、ペテロがイエスに答えて言った、「ごらんなさい、わたしたちはいっさいを捨てて、あなたに従いました。ついては、何がいただけるでしょうか」。 |
塚本訳 | その時、ペテロが口を出してイエスに言った、「でも、わたし達は(あの金持とちがいます。)この通り何もかもすてて、あなたの弟子になりました。わたし達にはいったいなんの褒美があるのでしょうか。」 |
前田訳 | そこでペテロが答えていった、「このとおりわれらはすべてを捨ててあなたに従いました。いったい何がわれらに与えられますか」と。 |
新共同 | すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」 |
NIV | Peter answered him, "We have left everything to follow you! What then will there be for us?" |
註解: 弟子たちは始めより報償を約束し、これを交換条件としてキリストに従ったのではなかった。唯単純に彼の言に従ったのである。今イエスの御言によりこれが神の救いの御手が加わったのであることを彼らは知った。唯彼らはその終局がいかなる結果に立ち至るだろうかについて新たに疑問を起したのであろう。富める青年の行動が彼らが疑問を起すの原因となったのであろう。
19章28節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。 |
塚本訳 | イエスが彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、新しい世界が生まれて、人の子(わたし)が栄光の座につく時には、わたしの弟子になったあなた達十二人も十二の王座について、イスラエル(の民)の十二族を支配するのである。 |
前田訳 | イエスは彼らにいわれた、「本当にいう、新生のとき人の子が栄光の座につくと、あなた方わたしに従うものも十二の王座についてイスラエルの十二の族(やから)を裁こう。 |
新共同 | イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。 |
NIV | Jesus said to them, "I tell you the truth, at the renewal of all things, when the Son of Man sits on his glorious throne, you who have followed me will also sit on twelve thrones, judging the twelve tribes of Israel. |
註解: 本節は使徒たちに対する特別の報償(マルコ、ルカになし)29節は一般に対する報償の約束である。「世あらたまる時」すなわちキリストの再臨によりて聖徒の復活、万物の復興ある時 (イザ2:6−9。使3:21。ロマ8:19−23。Tコリ15:51。黙21:1−5) キリスト栄光の座位に坐し、十二使徒と共にイスラエルの十二の族を支配するであろう。けだしすべてを捨てし使徒らは、又そのイスラエルの民籍をすらこれを捨てた、彼らはイスラエルに排斥されるものとなった。しかしながら時来らばそのイスラエルは彼らの審きを受け(Tコリ6:2。ルカ22:30)彼らに支配されるに至るであろう(C1、S1、Z0)。彼らが教会の基礎となる栄誉を持つことは勿論であるがここには述べられていない。唯彼らの棄てしものに幾倍するものを与えられることを示したのである(このイスラエルを教会すなわち霊によるイスラエルと解する説もある。黙7章。ガラ6:16。黙21:12−14)。
辞解
[審く] ここでは「支配する」意味をも含むと見るべきであろう(Z0)。
19章29節 また
口語訳 | おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。 |
塚本訳 | そしてわたしのために家や兄弟や姉妹や父や母や畑をすてた者は一人のこらず、(この世で)その幾倍を受け、また(来るべき世では)永遠の命をいただくのである。 |
前田訳 | わが名のゆえに家や兄弟姉妹や父母や子や畑を捨てたものは、みな何倍もの報いを受け、永遠のいのちを継ごう。 |
新共同 | わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。 |
NIV | And everyone who has left houses or brothers or sisters or father or mother or children or fields for my sake will receive a hundred times as much and will inherit eternal life. |
註解: 「数倍」はマルコ伝及び異本に「百倍」とあり、マルコ、ルカには「今の時に」とあり、すなわちキリストの御名を信ずるゆえをもって、これらのすべてを棄つる者はこの世において既にその幾倍を受けるというのである。果してそれは事実であろうか。キリスト者は物質的に恵まれず、家庭的にも社会的にも迫害を受け不和を来すのが常である。然るにイエスはあたかもこの事実を無視するかのごとくにこの約束を与え給うた。しかしながらこの約束は事実である。財宝や家庭の快楽をイエスの御名のために棄てしものにとってはパンの一斤、兄弟の小さき愛の行為も、絶大の価値を有し、反対に自己の欲望を棄てない者にとっては巨万の富も満足を与えない。而して富とは結局主観的満足の総量であって客観的分量の大小でない以上、すべてを棄てるものはこの世においてすらその幾倍をうけることは事実である。最も富めるものは何をも持たない者である。而して終には永遠の生命をその報償として受けるのである。これはイエスの御名のためにすべてを棄つる人の皆経験する事実である。
19章30節 されど
口語訳 | しかし、多くの先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう。 |
塚本訳 | しかし(決して油断をしてはならない。)一番の者が最後になり、最後の者が一番になることが多い。 |
前田訳 | 最初のものが最後になり、最後のものが最初になることが多かろう。 |
新共同 | しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」 |
NIV | But many who are first will be last, and many who are last will be first. |
註解: イエスは使徒たちの高ぶりを防がんがために、この一節を付加し、さらに20:1−16の比喩をもって彼らに教え、その結末にも同一の語をもって結んでいる。すなわち先に選ばれたる者ももしそのことに安心しているならば、後より来るものがかえって彼らに先立つに至るであろう。信仰の道は一刻も油断してはならない。
要義1 [心の富める者は天国に入り難し]財宝に富めるものがこれに寄り頼みて神に寄り頼まざるがために天国に入ることができないと同様、自己の理性を神として崇め、神の言を理性に照して排斥する者、その他自己の地位、身分、名誉、経歴、経験等の棄て難きがためにイエスに従いかねている者は皆天国に入り難き者である。何となれば彼らはたとい金銀に富まずとも、これらの無形の財宝に富んでいる富者であって、イエスは富める青年に対してその所有を売ることを命じ給いしと同じく、これらの人々に対してもこれらの無形の財貨を棄ててイエスに従うこと命じ給うであろう。而してこの命令をききて悲しみて去る人はいかに多いことであろうか。哲学や、芸術や、科学や、社会運動やをもって満足せずしてイエスに来る者は今日といえども少なくはない。しかし彼らの中に結局悲しみて去るもの多きは何故であろうか。彼らはその所有を棄て難しと思うからである。我らはすべてを棄ててイエスに従わなければならぬ。然らざれば神の国に入ることができないであろう。
要義2 [神はすべてのことをなし得るなり]天地万有を創造し給える神は、又我らの中に新しき人を造ることを得給う。我らは自らすべてを棄てんと欲しても、我が心の中に罪の法(ロマ7:23)があって、我らを妨げる。我らのすべての努力は我らを全きものたらしむることができない。しかるに神は石よりアブラハムの子を造り得給う(マタ3:9)ごとく、キリストの十字架上に我らのすべての罪をおきて彼の肉において罪を罰して我らの罪を赦し給うた。この神の愛を知る場合には、いかなる頑固なる石の心も砕かれずにいることができない。かくして神は我らを新たなる生命に更生せしめ給い、我ら自己の努力によりては不可能であったことを成就し給うのである。いかなる富者といえども、この神の御手が彼に加えられる時、彼は救われるのである。ゆえに有形無形の財に富める者は、イエスよりこれを棄つべき命令を受けし際に悲しみて立去ることをせず、その無力を告白して無力のまま神に寄り頼む時、神は彼をしてすべてを棄つることを得しめ給う。
マタイ伝第20章
8-5 葡萄園の労働人の譬喩 20:1 - 20:16
20章1節 (そは)
口語訳 | 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。 |
塚本訳 | (なぜであろう。)天の国は、家の主人が夜の引明けに出ていって、葡萄畑に労働者を雇うのに似ているからである。 |
前田訳 | 天国をたとえるとこうである。家の主人が朝早く出かけて、ぶどう畑に労務者をやとった。 |
新共同 | 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 |
NIV | "For the kingdom of heaven is like a landowner who went out early in the morning to hire men to work in his vineyard. |
註解: この比喩はマタイ伝特有であって、前章末節を受けてこれを敷衍したものである。この比喩において主人は神を表示し、労働人はイスラエル、使徒又はその他のキリスト者等神に選ばれて神の国に働くものを指している。
20章2節
口語訳 | 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。 |
塚本訳 | 一日一デナリ[五百円]の約束で、労働者たちを葡萄畑にやった。 |
前田訳 | 労務者と一日一デナリの約束ができて彼らをぶどう畑にやった。 |
新共同 | 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 |
NIV | He agreed to pay them a denarius for the day and sent them into his vineyard. |
註解: 最初に遣わされし者は主人の約束を信じて葡萄園に行き、自己の労働に対する報酬として一デナリ(当時の一日の労銀)を得る期待を有 っていた。すなわち最初に選ばれし使徒らのごとく、その天国のための労働に対して充分の報償を期待し得るがごとき人々である、また国民としてこれを見るならば、神の約束をもって選ばれしイスラエルに相当している。これらの人々にはその最初に選ばれしこととその勤労の価値を誇って神の恩恵に依り頼まざる危険があったので、イエスはこれを誡めんとし給うたのである。
20章3節 また
口語訳 | それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。 |
塚本訳 | また九時ごろ出ていって、ほかの労働者が何もせずに市場に立っているのを見て、 |
前田訳 | 九時ごろ出て行って、市場に別の労務者らが働かずに立っているのを見て、 |
新共同 | また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 |
NIV | "About the third hour he went out and saw others standing in the marketplace doing nothing. |
20章4節 「なんぢらも
口語訳 | そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。 |
塚本訳 | 『あなた達も葡萄畑に行きなさい。やるだけのものはやるから』と言うと、 |
前田訳 | いった、『あなた方もぶどう畑に行きなさい。しかるべきものを払おう』と。彼らは行った。 |
新共同 | 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 |
NIV | He told them, `You also go and work in my vineyard, and I will pay you whatever is right.' |
註解: これらの者は最初に選ばれし者に比してその労働の価値は少ない、ゆえに自ら誇るべき点の少なきことを自覚している。しかし主人は「相当のもの」を与うることを約束し給う以上、その正義と愛とに信頼して葡萄園に行った。
辞解
[九時ごろ] 原語「第三時」とあり。ユダヤにては日出より日没までを十二に区分して時を数う、日本訳は現代の時計に合わせて大略の時刻により意訳せるものである。5、6節も同じ。
20章5節
口語訳 | そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。 |
塚本訳 | その人たちも行った。十二時ごろと三時ごろにまた出ていって、同じようにした。 |
前田訳 | また正午ごろにも三時ごろにも出かけて同じようにした。 |
新共同 | それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 |
NIV | So they went. "He went out again about the sixth hour and the ninth hour and did the same thing. |
註解: その労働の時間が少ない結果、労働の価値は益々少なく、主人の恩恵を信じて相当のものを与えられることを期待して園に行ったに過ぎなかった。
20章6節
口語訳 | 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。 |
塚本訳 | (最後に)五時ごろ出ていって見ると、(まだ)ほかの労働者が立っていたので、言う、『なぜ一日中何もせずに、ここに立っているのか。』 |
前田訳 | 五時ごろ出かけると、ほかのが立っているのでいう、『なぜあなた方は一日じゅう働かずにここに立っているのか』と。 |
新共同 | 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 |
NIV | About the eleventh hour he went out and found still others standing around. He asked them, `Why have you been standing here all day long doing nothing?' |
註解: 神は常にその労働人を求め給う。「空しく立つ者」はこの神の御旨を知らず、これに従うことが人生の目的であることを自覚せず、無益のことにその生涯を空費しているものである。
口語訳 | 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。 |
塚本訳 | 彼らがこたえる、『だれも雇ってくれないのです。』彼らに言う、『(まだ一時間は働ける。)あなた達も葡萄畑に行きなさい。』 |
前田訳 | 彼らはいう、『だれもわれわれを雇ってくれなかったからです』と。彼はいう、『あなた方もぶどう畑に行きなさい』と。 |
新共同 | 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。 |
NIV | "`Because no one has hired us,' they answered. "He said to them, `You also go and work in my vineyard.' |
註解: 福音が宣伝えられない場合には、神の召しを知らずにいるのであって、かかる人は神に雇われることができない。
註解: 彼らは行きて約一時間労働した、彼らは何らの報酬の約束も受けずして唯主人を絶対に信頼しつつ労働に往いたのである。
20章8節
口語訳 | さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。 |
塚本訳 | さて夕方になると、葡萄畑の主人が監督に言う、『労働者たちを呼んで、賃金を払ってやりなさい、(逆に)最後の者から始めて最初の者まで。』 |
前田訳 | 夕になるとぶどう畑の主人が番人にいう、『労務者を呼んで報酬を払いなさい、最後のものからはじめて最初のものへ』と。 |
新共同 | 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 |
NIV | "When evening came, the owner of the vineyard said to his foreman, `Call the workers and pay them their wages, beginning with the last ones hired and going on to the first.' |
20章9節 かくて
口語訳 | そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。 |
塚本訳 | そこで(まず)五時ごろの者が来て、一デナリずつ貰った。 |
前田訳 | 五時ごろのものが来て一デナリずつもらった。 |
新共同 | そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 |
NIV | "The workers who were hired about the eleventh hour came and each received a denarius. |
註解: 家司はキリストである(マタ11:27。ヨハ5:27。ヘブ3:6)。主人が後のものに最初に賃金を払わしめ、しかも一デナリを与えられし所以は一見これを解するに苦しむ点である。勿論ある学者らの言うごとく最後の者が一時間内に最初の者と同量の仕事をしたからではない(もし然りとすればこの比喩は無意味なる当然である)。この比喩の教えんとする処は、報酬は神の恩恵の自由なる賜物であって、行為の価値に対する代価にあらざること、及び僕はいかに完全にその義務を果しても「無益なる僕、為すべき事を為したるのみ」(ルカ17:10)であることであった。神は必ずその約束をば実行し給う、しかしその心にかなえる者に自由に恩恵を施し、恵まんとする者を恵み、憐れまんとするものを憐れみ給う(出33:19)。この比喩の場合において自己の功績や価値に頼ること最も少なく、すべてを神の恩恵に委せし最後のものが最も多く神の御旨に叶ったのである。ゆえに彼は最初にしかも一デナリすなわち一日の労働に相当する完全な報償を受けたのである。信仰は神の目に偉大なる尊さを有 っているのである。
20章10節
口語訳 | ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。 |
塚本訳 | 最初の者は来て、(あの連中が一デナリなら、)自分たちは余計に貰えるものと思っていたところ、彼らも一デナリずつ貰った。 |
前田訳 | 最初のものが来て、もっともらえようと思ったが、彼らも一デナリずつもらった。 |
新共同 | 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 |
NIV | So when those came who were hired first, they expected to receive more. But each one of them also received a denarius. |
註解: 使徒たちは勿論その他多く働きしキリスト者といえども、もしかくのごとき期待を持ったならば、彼らは失望に終らなければならない。
口語訳 | もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして |
塚本訳 | そこで貰ったとき、家の主人に向かって不平を |
前田訳 | もらったとき彼らは家の主人に不平をいった、 |
新共同 | それで、受け取ると、主人に不平を言った。 |
NIV | When they received it, they began to grumble against the landowner. |
20章12節 「この
口語訳 | 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。 |
塚本訳 | 言った、『この最後の者は(たった)一時間しか働かなかった。われわれは一日中、重労働と暑さを辛抱したのに、あなたは同じ扱いをされたではないか。』 |
前田訳 | 『この最後のものは一時間しただけなのに、あなたは一日中の負担と暑さに耐えたわれらと同じになさる』と。 |
新共同 | 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 |
NIV | `These men who were hired last worked only one hour,' they said, `and you have made them equal to us who have borne the burden of the work and the heat of the day.' |
註解: 常識的に道理ある抗議である。自己の行為の価値をもって神の前に立たんとするもの、又は先に選ばれしことを誇るユダヤ人らは、労働の価値少なきもの、又は後に選ばれしキリスト者らが同等以上の取扱いを受くることを忍ぶことができない。これ彼らはその労働それ自身が無価値なることを知らないからである(ルカ15:29、30)。尚「つぶやく」ことは使徒又はキリスト者の例とすれば不適当であるけれども、かかる誘惑 に陥ることは可能である。
20章13節
口語訳 | そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。 |
塚本訳 | 主人がその一人に答えた、『君、わたしは何も間違ったことをあなたにした覚えはない。一デナリの約束ではなかったのか。 |
前田訳 | 主人は彼らのひとりに向かっていった、『友よ、わたしは何もあなたに不正をしていない。一デナリと約束したではないか。 |
新共同 | 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 |
NIV | "But he answered one of them, `Friend, I am not being unfair to you. Didn't you agree to work for a denarius? |
註解: 主人の答は正当であった。行為をもって神の前に義とせられんとする者は恩恵の賜物の意義を解することができない。されど神は遂にその約束を実行し給う(ロマ9:6。マタ11:1、2)。而して神の約束により行為の価値に対して報償を受くる者よりも、神に対する信頼の結果、神の自由の恩恵を受くる者は遥かに幸福である。
辞解
[友よ] 親密を表わす場合よりも、むしろ不快の情を表わさんとする場合の呼びかけに用いられる(マタ22:12。マタ26:50)。
20章14節
口語訳 | 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。 |
塚本訳 | 自分の分を取って帰りたまえ。わたしはこの最後の人に、あなたと同じだけやりたいのだ。 |
前田訳 | あなたの分を取ってお帰り。わたしがしたくてこの最後の人にあなたと同じだけ与えるのだ。 |
新共同 | 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 |
NIV | Take your pay and go. I want to give the man who was hired last the same as I gave you. |
20章15節 わが
口語訳 | 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。 |
塚本訳 | わたしのものを、わたしがしたいようにしてはいけないのか。それとも、わたしが親切をしてやったのが羨ましいのか。』 |
前田訳 | わたしのもので、わたしのしたいことをしていけないのか。それとも、わたしはよいのにあなたの目が悪いのか』と。 |
新共同 | 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 |
NIV | Don't I have the right to do what I want with my own money? Or are you envious because I am generous?' |
註解: 「我が意 なり」直訳「われ欲す」、すなわち神はその欲するままに行う権威を有 ち給う(ロマ9:14−21)。神は何者にも束縛されることがない。呟くことなしにこの絶対権に服従する者は幸いである。ゆえに神がその権に属する物を自由に処分し給う時、これに向って呟く者は誤っている。彼はその誇りと自らを正しとする念とによりて心の目を暗くしたのである。
辞解
[我よきが故に汝の目あしきか] 「我が恩恵を与うることに対して汝は呟くのであるか」との意味。
20章16節 かくのごとく
口語訳 | このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。 |
塚本訳 | このように、最後の者が一番になり、一番の者が最後になるであろう。」 |
前田訳 | このように、最後のものが最初に、最初のものが最後になろう」。 |
新共同 | このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」 |
NIV | "So the last will be first, and the first will be last." |
註解: 前章末節と相応している。神の国の賞賜 もまたこれと同じく先なる者必ずしも先ではなく後なるもの必ずしも後ではない。この比喩のごとく前後が反対になる場合も有り得るのである。それゆえに先に召され選ばれし者必ずしも安心することができない。要は信仰の問題であり神の自由なる恩恵の賜与 の問題である。異本に「それ召される者多けれど選ばれる者少なし」とあり。
要義 [葡萄園の比喩の中心]この比喩は最も難解なる比喩の一であって、従って種々の解釈が行なわれている。或は(1)天国における報償の平等を示すものと解し、或は(2)労働者の雇われし時刻の差をもって人々が信仰に入る年齢の差を示し、この差は天国における報償には無関係であることを教うるものと解し、或は(3)この差別はアダムより使徒時代に至るまでの歴史の各時代を示すものと見、或は(4)ユダヤ人と教会との関係を示すものと見る。このいずれも相当の理由とそれぞれの欠点があって容易にいずれとも決定することはできない。予はこの比喩をもって神の恩恵の賜の性質を説明するものと見、先に選ばれ、多く働けることが必ずしも天国における誇りとならざることを示せるものと解釈した。この意味にこれを解釈するならば前記諸種の解釈のいずれにも共通にこれを適用することができる。▲親が多くの子の各々に対する愛が平等であることもこれと同一の原理と見ることができよう。
20章17節 イエス、エルサレムに
口語訳 | さて、イエスはエルサレムへ上るとき、十二弟子をひそかに呼びよせ、その途中で彼らに言われた、 |
塚本訳 | いよいよエルサレムへ(の道を)上り出されるとき、イエスはまた十二人(の弟子)だけをそばに呼んで、道々こう話された、 |
前田訳 | イエスは、いよいよエルサレムに上るにあたって、十二人だけを連れ、道すがら彼らにいわれた、 |
新共同 | イエスはエルサレムへ上って行く途中、十二人の弟子だけを呼び寄せて言われた。 |
NIV | Now as Jesus was going up to Jerusalem, he took the twelve disciples aside and said to them, |
註解: イエスのこの場合の御態度は、特に厳粛荘重であった。
20章18節 『
口語訳 | 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、 |
塚本訳 | 「さあ、いよいよわたし達はエルサレムへ上るのだ。そして人の子(わたし)は(そこで)大祭司連と聖書学者たちとに引き渡される。彼らは死刑を宣告して |
前田訳 | 「いよいよわれらはエルサレムへ上る。人の子は大祭司や学者に渡される。彼らはわたしを死刑にし、 |
新共同 | 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して、 |
NIV | "We are going up to Jerusalem, and the Son of Man will be betrayed to the chief priests and the teachers of the law. They will condemn him to death |
20章19節 また
口語訳 | そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。 |
塚本訳 | 異教人に引き渡し、異教人はなぶり、鞭で打ち、ついに十字架につけるのである。しかし三日目に復活する。」 |
前田訳 | 異邦人に渡し、あざけり、鞭打ち、十字架につけよう。そしてわたしは三日目によみがえろう」と。 |
新共同 | 異邦人に引き渡す。人の子を侮辱し、鞭打ち、十字架につけるためである。そして、人の子は三日目に復活する。」 |
NIV | and will turn him over to the Gentiles to be mocked and flogged and crucified. On the third day he will be raised to life!" |
註解: ここではマタ16:21。マタ17:22、23よりも一層詳細にその死と復活とを預言し給うた。彼の敵が宗教家と聖書学者であって、イエスがこれを意識し給えることは殊に注意を要する点である。今日も真の活ける信仰の敵は、形式主義の教会や文字主義の聖書学者であって、我らはこれを警戒すべきである。
20章20節 ここにゼベダイの
口語訳 | そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。 |
塚本訳 | その時、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネと)の母がその(二人の)子をつれてイエスの所に来て、ひざまずき、何かお願いしようとした。 |
前田訳 | そのときゼベダイの子らの母が子らとともに彼のところへ来てひれ伏し、何かを願おうとした。 |
新共同 | そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 |
NIV | Then the mother of Zebedee's sons came to Jesus with her sons and, kneeling down, asked a favor of him. |
註解: 「ここに」はイエスがその受難につき深く思いに沈み給う際のこと、ゼベダイの子らはヤコブとヨハネで、彼らもその母と同じ希望を有っていた(マコ10:35参照)。
20章21節 イエス
口語訳 | そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。 |
塚本訳 | 彼女に言われた、「何の願いか。」彼女が言う、「(来ようとしている)あなたの御国で、この二人の子が一人はあなたの右に、一人は左に坐るよう御命令ください。」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「何をお望みですか」と。彼女はいう、「あなたのみ国で、わがふたりの子のひとりが右に、ひとりが左にすわるようお命じください」と。 |
新共同 | イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 |
NIV | "What is it you want?" he asked. She said, "Grant that one of these two sons of mine may sit at your right and the other at your left in your kingdom." |
註解: 「何を望むか」は「何を欲するか」との意味である。而して彼女の要求は神の賜物を強要せんとする無謀の要求であり、又その野心はこの世的野心の一変形に過ぎなかった。我らはかかる野心をすて神の賜物をばその恩恵によるものとして、すべて感謝してこれを受くべく決してこれを強要すべきではない。
辞解
[右、左] 日本の右大臣左大臣のごとく、王に次ぐ最高の地位である。彼らはマタ19:28の約束を思い、ペテロその他の使徒を出し抜きて天国における最高の地位を得んとしたのであった。野心の中の最大なるものである。
20章22節 イエス
口語訳 | イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。 |
塚本訳 | イエスが答えられた、「あなた達は自分で何を願っているのか、わからずにいる。(ヤコブとヨハネに聞くが、)わたしが飲まねばならない(苦難の)杯を飲むことが出来るのか。」「出来ます」と二人がこたえる。 |
前田訳 | イエスは答えられた、「あなた方は求めるものをわきまえない。いったいわたしが飲むべき杯を飲むことができるのか」と。彼らはいう、「できます」と。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、 |
NIV | "You don't know what you are asking," Jesus said to them. "Can you drink the cup I am going to drink?" "We can," they answered. |
註解: 「汝らははその求むる所のことがいかなる内容を有 った事柄であるかを知らずに求めている。それは苦難を経なければ到達のできない処であり、又これを与うることは唯父の自由の選択によるのである。汝らは我が受けんとする十字架の苦痛を受けることができるか」とイエスは彼らに反問し給うた。ルーテル曰く「肉は十字架に釘 けられる前に崇められんこと、卑下 らしめられる前に高く挙げられんことを欲するものである」と。
辞解
[酒杯] 喜びを表わす場合もあるけれども(詩23:5。詩116:13)ここではイエスの苦難とその死を表徴する。マコ10:38以下及びマタイ伝の異本に「酒杯」とバプテスマとを並称している。この「バプテスマ」も同じく彼の死を表徴している。尚イザ51:17、イザ51:22。エレ49:12参照。
20章23節 イエス
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。 |
塚本訳 | イエスは言われる、「いかにも、あなた達はわたしの杯を飲むにちがいない。しかしわたしの右と左の席、それはわたしが与えるのではなく、(あらかじめ)わたしの父上から定められた人々に与えられるのである。」 |
前田訳 | 彼はいわれる、「あなた方はわが杯を飲もう。しかしわが右とわが左にすわることはわたしが与えるものではなく、わが父によってそなえられた人々のものである」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」 |
NIV | Jesus said to them, "You will indeed drink from my cup, but to sit at my right or left is not for me to grant. These places belong to those for whom they have been prepared by my Father." |
註解: イエスはヤコブとヨハネが、イエスの苦難をその身に受け得るとの返答を承認し給うた(事実上ヤコブは殉教の死を遂げたけれども、使12:2、ヨハネは天寿を全うした。問題は実際死の杯を飲みしや否やではなく飲み得るや否やにあった)。しかしながらイエスの左右に坐する特権を与うることはこれは父の権限内にあることであって、イエスの関知せざる処であることを示し給うた。
辞解
[我が父より備へられたる人こそ与へられるなれ] 原語を直訳すれば「されど我が父より備えられし人々には」とあり、その後に「かかる地位が与えられるであろう」との意味を補充して読むの通説である。この読み方によればイエスの権限が制限されていることとなるので、これを避けんがために「されど」 alla を「除きては」の意味に取り「我が父より備えられし人々を除きては我が与うべきものならず」と読み、与うる権限をイエスが持ち給うものと解する説もある(C1、B1、A1)。尚人の子の権限の有限なることについてはマタ24:36註参照。
20章24節
口語訳 | 十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。 |
塚本訳 | (ほかの)十人(の弟子)はこれを聞いて、二人の兄弟のことを憤慨した。 |
前田訳 | それを聞いて十人はふたりの兄弟のことを怒った。 |
新共同 | ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。 |
NIV | When the ten heard about this, they were indignant with the two brothers. |
註解: 憤る者の心中にも二人の兄弟に等しき野心が蔵 れていたのであろう。
20章25節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。 |
塚本訳 | するとイエスは彼らを呼びよせて言われた、「あなた達が知っているように、世間では主権者が人民を支配し、また(いわゆる)えらい人が権力をふるうのである。 |
前田訳 | イエスは彼らを呼びよせていわれた、「あなた方の知るように、異邦人の間では長(おさ)たちが人々をおさめ、偉い人たちが力を持つ。 |
新共同 | そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 |
NIV | Jesus called them together and said, "You know that the rulers of the Gentiles lord it over them, and their high officials exercise authority over them. |
註解: イエスはここにおいて十二人の弟子のすべてに教訓を与うるの必要を知り、「かれら」を呼びて曰う「汝ら互に地の上の権力を握らんことを望むならば、それは神を知らずにこの世の栄誉を求めている異邦人の王のごときものの為すことである。」
辞解
[大なる者] 大臣たち。
20章26節
口語訳 | あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 |
塚本訳 | あなた達の間では、そうであってはならない。あなた達の間では、えらくなりたい者は召使になれ。 |
前田訳 | あなた方の間ではそうあってはならない。あなた方の間で偉くなりたければあなた方の召使いになれ。 |
新共同 | しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 |
NIV | Not so with you. Instead, whoever wants to become great among you must be your servant, |
20章27節 (
口語訳 | あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。 |
塚本訳 | 一番上になりたい者は奴隷になれ。 |
前田訳 | あなた方の間で一番になりたければあなた方の僕になれ、 |
新共同 | いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。 |
NIV | and whoever wants to be first must be your slave-- |
註解: 神の国の民に在りては上下大小の差別はこの世の思想とは正反対である。愛をもって人に仕うる役者 は大なる者であり、人の僕となるものはその首 である。位置身分の高下はその点について問題ではない。ピリ2:6、7。神の位をすてて人となり給えるイエスが彼らの例であるべきである。我らかかるものが真の偉大であることを思わなければならない。
20章28節 かくのごとく、
口語訳 | それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。 |
塚本訳 | 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。」 |
前田訳 | ちょうど人の子のように。彼が来たのは仕えられるためではなく、仕えて、多くの人のあがないとしておのがいのちを与えるためである」。 |
新共同 | 人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」 |
NIV | just as the Son of Man did not come to be served, but to serve, and to give his life as a ransom for many." |
註解: この意味においてイエスは最も低き地位まで下り給うた。人に仕うるの途に種々の程度がある。労役金銭を与えて仕うることもでき、又人の病苦を慰めることによってこれに仕うることもできる。しかしながら仕うるものの最大の犠牲は己の生命を人に与うることであり、仕えられるもの最大の喜悦は、その最も恐れる死と滅亡とより贖い出されることである。イエスはこの最大の犠牲を払いて人に仕え、人類に最大の幸福を持来 し給うた。ゆえに神は「彼を高く上げてこれに諸般の名にまさる名を賜うた」のである。ピリ2:9。我らも彼に倣いて人に仕うるならば神よりの賞賜 に与ることができるであろう。
辞解
[贖償 ] 贖い代金であって、他のものに捕われている者を贖い返すために、その者と同価値の代金を払うことを意味している (レビ19:20。イザ45:13。出21:30。民35:31) 。人類は罪とその結果なる死の下に捕われている。今イエスの死の代償によりて罪人を死より救い出したのがこの贖償 である。
要義1 [価値の顚倒]天国においてはすべてのものの価値は顚倒している。幸なる者は、富める者、迫害する者、与えられる者にあらずして、貧しき者、迫害される者、与うる者である(マタ5:3−12)。生命を得んとするものは失い、失うものはこれを得る(マタ16:25)。罪の増す処恩恵もいよいよ増し来る(ロマ5:20)。パリサイ人、学者らよりも罪人、遊女は先に天国に入る(マタ21:31)等、すべてにおいて世の一般普通の見方とは正反対の見方を持っているのである。同様に大なるものは人を使うものにあらずして人に仕うる者なること、首たらんとするものは僕たらざるべからざること等、我らはこの顚倒せる思想の中に神の国の真理を見出さなければならない。世の人の思う処とは正反対なる世界が神の国である。ゆえにもしキリスト者が世人のごとくに思い、世人のごとくに行動するならば神の国より排斥されるであろう。
要義2 [イエスの代贖の死]イエスの十字架の死が我らの罪の贖 apolutrôsis であることは、パウロが特にこれを強調せる真理であるけれども、福音書においては唯この第28節に一回(マコ10:45と共に)主の御言として出ているに過ぎない。唯一節であるけれども重要なる一節であって、他人に対する愛の奉仕の究極は贖罪の死でなければならないことを示しているものである。『人が自ら自己を解放し得ざる捕囚の状態にあることは、イエス自らこれをしばしば述べ給うた (マタ5:26。マタ6:12。マタ18:23−35) 。而してこの贖い代はオリゲネスその他の唱うるごとく、悪魔に払われたものではなく「身と霊とをゲヘナに滅ぼし得る」もの(マタ10:28)すなわち神に払われたものである(ルカ23:46)』(Z0)。そのゆえは、神の正義は血を流すこと(即ち死)なしに人の罪を赦すことができないからである。近代の学者は贖罪の奥義を理解すること浅きがためにこの代償の意義を弱めんとし、又はこれを否定し、或はこの節がイエス御自身の口より出でしことを否定せんとしているけれども、それはこの節の生命を殺す処の妄断である。イエスは勿論神学説をここに述べ給うたのではない。愛の極致は当然この代償にまで至るのである。
20章29節
口語訳 | それから、彼らがエリコを出て行ったとき、大ぜいの群衆がイエスに従ってきた。 |
塚本訳 | 一行がエリコ(の町)を出ると、大勢の群衆がイエスについて来た。 |
前田訳 | 彼らがエリコを出ると多くの群衆が彼に従った。 |
新共同 | 一行がエリコの町を出ると、大勢の群衆がイエスに従った。 |
NIV | As Jesus and his disciples were leaving Jericho, a large crowd followed him. |
註解: ペレアより(マタ19:1)エルサレムに行く途に当り、死海に近くエリコの町がある。以下の記事はイエスの最後のエルサレム行きの途中の出来事である。ルカ18:35には「エリコに近付き給うとき」とあり。
20章30節
口語訳 | すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。 |
塚本訳 | すると二人の盲人が道ばたに坐っていたが、イエスのお通りだと聞くと、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を」と言って叫んだ。 |
前田訳 | すると見よ、ふたりの目しいが道ばたにすわっていて、イエスのお通りを聞いて叫んだ 「主よ、あわれんでください、ダビデのみ子よ」と。 |
新共同 | そのとき、二人の盲人が道端に座っていたが、イエスがお通りと聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。 |
NIV | Two blind men were sitting by the roadside, and when they heard that Jesus was going by, they shouted, "Lord, Son of David, have mercy on us!" |
註解: 霊界の盲人たる我らもかかる熱心をもって主を呼び求めなければならない。「ダビデの子」はメシヤに対する呼称でこの盲人はイエスをメシヤと信じていた。マルコ、ルカには一人の盲人について記す、二人の中の主なる一人につき記したのであろう。
20章31節
口語訳 | 群衆は彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます叫びつづけて言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。 |
塚本訳 | 群衆が叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます大声で、「主よ、ダビデのお子様よ、どうぞお慈悲を」と言って叫んだ。 |
前田訳 | 群衆はたしなめて黙らせようとしたが、彼らはますます大声で叫んだ、「主よ、あわれんでください、ダビデのみ子よ」と。 |
新共同 | 群衆は叱りつけて黙らせようとしたが、二人はますます、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫んだ。 |
NIV | The crowd rebuked them and told them to be quiet, but they shouted all the louder, "Lord, Son of David, have mercy on us!" |
註解: 切にイエスを呼び求める者は群衆の非難嘲笑に対してこれらの盲人のごとくに無関心でいるべきである。
20章32節 イエス
口語訳 | イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。 |
塚本訳 | イエスは立ち止まって、二人を呼んで言われた、「何をしてもらいたいのか。」 |
前田訳 | イエスは立ちどまって彼らを呼んでいわれた、「何をしてもらいたいのか」と。 |
新共同 | イエスは立ち止まり、二人を呼んで、「何をしてほしいのか」と言われた。 |
NIV | Jesus stopped and called them. "What do you want me to do for you?" he asked. |
註解: イエスは切に求むる者の呼び声に応じて立ち止まり給う。この質問は彼らをしてその求むる処を一層明瞭に意識せしめんがためである。
20章33節
口語訳 | 彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。 |
塚本訳 | 彼がこたえる、「主よ、目があくといい。」 |
前田訳 | 彼らはいう、「主よ、目をあけてください」と。 |
新共同 | 二人は、「主よ、目を開けていただきたいのです」と言った。 |
NIV | "Lord," they answered, "we want our sight." |
註解: これが彼らの切なる求めであった。我らもまた我らの切なる求めを主の御前に告白することが必要である。そして我らの霊の目を暗くして見ることが能わざる時、この盲人のごとく「目の開かれんこと」を主に請い求むべきである。
20章34節 イエス[いたく]
口語訳 | イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。 |
塚本訳 | イエスが不憫に思ってその目にさわられると、すぐ見えるようになって、イエスについて行った。 |
前田訳 | イエスがあわれんで目にさわられると、彼らはただちに見えるようになって、彼に従った。 |
新共同 | イエスが深く憐れんで、その目に触れられると、盲人たちはすぐ見えるようになり、イエスに従った。 |
NIV | Jesus had compassion on them and touched their eyes. Immediately they received their sight and followed him. |
註解: イエスは「我らを憐み給え」との切なる願いをききて「憐み」の心を起し給うた。イエスの奇跡の奥にはこの愛憫 の御心が働いている。
要義 [聖書の不一致について]聖書の記事、殊に四福音書の記事中には往々にして相一致せざる点があることは争われない。この盲人開目の奇跡のごときもその一つであって、共観福音書を比較するならば奇跡の行なわれし場所(エリコの入口と出口)、その人数(二人と一人)その方法(手にて触ることと言を出すこと)等、いずれも異っているのを見出すであろう。その他イエスの系図(マタ1:1−16とルカ3:23−38)、十字架に釘き給える時刻 (マタ27:45、マコ15:33。ルカ23:44とヨハ19:14) 、悪魔につかれし者 (マタ8:26−34。マコ5:1−21。ルカ8:26−40) 、最後の晩餐と過越の祭との関係(共観福音書とヨハネ伝との差異)等、数え来れば尚多くの場合を挙げることができる。聖書無謬説を堅く主張せんとする者は種々の苦心を払ってこの矛盾を除かんとし、また聖書の神の言たることを信じない者はこの矛盾を利用して聖書の権威を否定せんとしている。この両者はいずれも聖書の本質を誤解しているのであって、聖書は神が人類をその罪より救い給う経綸を記したものであって、歴史的事実の記載を目的としたものではない。ゆえに歴史的又は科学的に見て種々の誤謬があっても、これが人類の罪の救いの問題に関係なき限り、その誤謬又は矛盾を承認して何の差支えもない。聖書は人の手を経て書かれたものであって、神はその聖旨を示す上に差支えなき誤謬や矛盾はこれを放置し給い、かくして聖書崇拝より免れしめんとし給うたのであろう。その意味において神の拯(救い)の業と無関係なる誤謬や矛盾がいかに多くとも、聖書が神の言たることを否定することができない。いわんやこれらの極めて少き(小さき)においておや。