黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版黙示録

黙示録第6章

分類
3 この世の審判と救 4:1 - 18:24
3-(1) 七つの封印の審判 6:1 - 7:17
3-(1)-(イ) 第一乃至(ないし)第四の封印開かる 6:1 - 6:8

註解: 本章より七つの封印の(さば)きに入りその第一より第六までを本章において論じている。始めの四つと後の三つとは異なれる群をなす。四と三の数(緒言参照)に(ちな)んだものである。

6章1節 羔羊(こひつじ)その(なな)つの封印(ふういん)(ひと)つを()(たま)ひし(とき)、われ()しに、()つの活物(いきもの)(ひと)つが雷霆(いかづち)のごとき(こゑ)して『(きた)れ』と()ふを()けり。[引照]

口語訳小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。
塚本訳そして仔羊が七つの封印の(最初の)一つを開いた時、見ると、私は(玉座の傍にいる)四つの活物の一つが雷のような(大きな)声で「来い」と言うのを聞いた。
前田訳そしてわたしは見た。小羊が七つの封印の第一を開いた。そして四つの生きものの第一が、雷鳴のように、「来たれ」というのを聞いた。
新共同また、わたしが見ていると、小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
NIVI watched as the Lamb opened the first of the seven seals. Then I heard one of the four living creatures say in a voice like thunder, "Come!"

6章2節 また()しに、()よ、(しろ)(うま)あり、(これ)()るもの(ゆみ)()ち、かつ冠冕(かんむり)(あた)へられ、()ちて(また)()たんとて()でゆけり。[引照]

口語訳そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
塚本訳そして見ると、視よ、白い馬が顕れて、それに乗っている者は弓を持ち、冠が彼に与えられた。そして彼は勝ちつつまた勝たんとして出て行った。
前田訳そしてわたしは見た。見よ、白い馬がいて、それに乗るものが弓を持っている。彼に冠が与えられ、勝ちまた勝つために出て行った。
新共同そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った。
NIVI looked, and there before me was a white horse! Its rider held a bow, and he was given a crown, and he rode out as a conqueror bent on conquest.
註解: 第一の封印が開かれし時に示されし幻象は弓を持てる騎士が白馬に跨って勝利より勝利へと進んで行く光景であった。白は勝利を表徴することと弓を持てることより推してこの幻象が征服者、覇者を意味するものと見るべきであろう。古来多くの征服者があり彼らは勝ちに勝ちつつ世界をその馬蹄の下に蹂躙(じゅうりん)する。彼らは人の目には英雄豪傑として仰がれるけれども、神の目には神の審判を行うための一の道具に過ぎない。
辞解
[四つの活物(いきもの)の一つ] 第一より第四に至る封印は地上における神の審判の光景故、四つの活物(いきもの)をもってこれに当てることは相応しいことである。
[来れ] 誰に対して言われたのであるかにつき(1)ヨハネに対す。(2)信ぜよとの意味。(3)キリストに対す(A1、S3)。(4)馬とその騎士らに対す(B3、I0)等の諸説あり。最後の説最も適当である。
[白き馬] 「白き馬」とその騎士は黙19:11のキリストと同一で従ってこの勝利は福音の勝利なりと解する説あり、然れどこの両者は同一ではない。またこの征服者はローマまたはその敵なる東方の強国パルテヤ国を意味すと解する説あれど(ラムゼー)かく特定する必要はない。また封印はこれを解くだけで巻物の内容が読まれしことは一回もないことに注意せよ。これ巻物は神の御旨を指し、これを解くことはこれを実現することを意味するからである。なお四つの活物(いきもの)の幻象はゼカ6:1−8によつたものであろう。

6章3節 第二(だいに)封印(ふういん)()(たま)ひたれば、第二(だいに)活物(いきもの)の『(きた)れ』と()ふを()けり。[引照]

口語訳小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。
塚本訳また彼が第二の封印を開いた時、私は第二の活物が「来い」と言うのを聞いた。
前田訳(小羊が)第二の封印を開くと、第二の生きものが、「来たれ」というのをわたしは聞いた。
新共同小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。
NIVWhen the Lamb opened the second seal, I heard the second living creature say, "Come!"

6章4節 (かく)(あか)(うま)いで(きた)り、これに()るもの()より平和(へいわ)(うば)()ることと(ひと)をして(たがひ)(ころ)さしむる(こと)とを(ゆる)され、また(おほい)なる(つるぎ)(あた)へられたり。[引照]

口語訳すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。
塚本訳すると赤い他の馬が出て来た。そしてそれに乗っている者に、地(上)から平和を奪い取ること、また(戦争と内乱とにて)互いに屠り合わせることを許された。そして大きな剣が彼に与えられた。
前田訳そして炎色の他の馬が出ていった。それに乗るものに、地から平和を取らせ、人が互いに殺すようにさせ、そして彼に大きな剣が与えられた。
新共同すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた。
NIVThen another horse came out, a fiery red one. Its rider was given power to take peace from the earth and to make men slay each other. To him was given a large sword.
註解: 第二の封印は戦争を意味する。赤は血の色であり、戦争により地より平和は奪われ人々互に相殺戮して流血は全地をその赤き色をもって(おお)う。赤馬の騎士は全地にこの状態を実現することをゆるされる。戦争は実にキリスト再臨の予兆、産みの苦難の始め(マタ24:8)である。

6章5節 第三(だいさん)封印(ふういん)()(たま)ひたれば、第三(だいさん)活物(いきもの)の『(きた)れ』と()ふを()けり。われ()しに、()よ、(くろ)(うま)あり、(これ)()るもの()權衝(はかり)()てり。[引照]

口語訳また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。
塚本訳また彼が第三の封印を開いた時、私は第三の活物が「来い」と言うのを聞いた。そして見ると、視よ、黒い馬が顕れて、それに乗っている者は手に秤を持っていた。
前田訳(小羊が)第三の封印を開くと、第三の生きものが、「来たれ」というのをわたしは聞いた。そしてわたしは見た。見よ、黒い馬がいて、それに乗るものが手に秤を持っている。
新共同小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が「出て来い」と言うのを、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた。
NIVWhen the Lamb opened the third seal, I heard the third living creature say, "Come!" I looked, and there before me was a black horse! Its rider was holding a pair of scales in his hand.

6章6節 (かく)て、われ()つの活物(いきもの)(あいだ)より()づるごとき(こゑ)()けり。(いは)く『小麥(こむぎ)五合(ごがふ)(いち)デナリ、大麥(おほむぎ)一升(いちしょう)五合(ごがふ)(いち)デナリなり、(あぶら)葡萄酒(ぶだうしゅ)とを(そこな)ふな』[引照]

口語訳すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、そこなうな」。
塚本訳そして私は、四つの活物の真中で声のようなものが(こう)言うのを聞いた、「小麦は一ケニックスで一デナリ、大麦は三ケニックスで一デナリ、油と葡萄酒を害してはならぬ。」
前田訳そして四つの生きものの間に、声のようなものをわたしは聞いた。いわく、「小麦一ますで一デナリ、大麦三ますでも一デナリ、オリブ油とぶどう酒とを損なうな」と。
新共同わたしは、四つの生き物の間から出る声のようなものが、こう言うのを聞いた。「小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな。」
NIVThen I heard what sounded like a voice among the four living creatures, saying, "A quart of wheat for a day's wages, and three quarts of barley for a day's wages, and do not damage the oil and the wine!"
註解: 第三の幻象は飢饉であって神の審判の一部として地上に行われる処のものである。黒色はその惨状を表わすに適し、小麦と大麦の價はその高價なることより飢饉状態を示している。油と葡萄酒も穀物と共に必要なる滋養であるが、これを「(そこな)ふな」との命令は飢饉の程度を緩和せよとの神の思いやりの表われと見るべきである。
辞解
[権衡(はかり)] 権衡(はかり)」をもって食物を計ることは飢饉の状態を示す(エゼ4:16)。レビ26:26。6節末尾の値は重さをもってせず量をもって計られているけれどもこれは「権衡(はかり)」をもって示される飢饉をさらに他方面より示したのである。
[小麦、大麦] 「小麦」は高等「大麦」は下等の食物。
[五合] 原語で一コイニツクス choinix で兵士または労働者一日の食料、五−六合に相当する。
[一デナリ] 兵士または労働者一日の賃銭で約三十五銭(マタ20:2参照)この相場はキケロの時代のローマの相場の十二倍にも相当する故(B3)非常な高価であって飢饉を示す。これをもって普通の相場と見、暴利取締りのために最高価を規定せるものと見るは不可なり(S1)。
[油と葡萄酒とを(そこな)うな] 穀物、油、葡萄酒の三つは地より産する必要の食料品としてたびたび一括して掲げられている(申7:13申11:14申28:51U歴32:28その他)。故にこれを(そこな)うなとは飢饉の被害をその程度に限らしめようとの神の御旨である。
[四つの活物(いきもの)の間より出づるごとき声] 誤訳で「四つの活物(いきもの)の中より出づる声の如きもの」である。声と明示しないのが本書の神秘的特徴である。

6章7節 第四(だいし)封印(ふういん)()(たま)ひたれば、第四(だいし)活物(いきもの)の『(きた)れ』と()ふを()けり。[引照]

口語訳小羊が第四の封印を解いた時、第四の生き物が「きたれ」と言う声を、わたしは聞いた。
塚本訳また彼が第四の封印を開いた時、私は第四の活物の「来い」と言う声を聞いた。
前田訳(小羊が)第四の封印を開くと、第四の生きものが、「来たれ」という声をわたしは聞いた。
新共同小羊が第四の封印を開いたとき、「出て来い」と言う第四の生き物の声を、わたしは聞いた。
NIVWhen the Lamb opened the fourth seal, I heard the voice of the fourth living creature say, "Come!"

6章8節 われ()しに、()よ、(あを)ざめたる(うま)あり、(これ)()(もの)()()といひ、陰府(よみ)これに(したが)ふ、かれらは()()(ぶん)(いち)支配(しはい)し、(つるぎ)饑饉(ききん)()()(けもの)とをもて(ひと)(ころ)すことを(ゆる)されたり。[引照]

口語訳そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。彼らには、地の四分の一を支配する権威、および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、与えられた。
塚本訳そして見ると、視よ、青ざめた馬が顕れて、それに乗っている者はその名を死という。そして陰府がこれに従っていた。彼らは地の四分の一に住む人々を、(あるいは)剣を以て、(あるいは)飢饉を以て、(あるいは)疫病を以て、(あるいは)また地の(野)獣によって殺す権威を与えられた。
前田訳そしてわたしは見た。見よ、青ざめた馬がいて、その上に乗るものがある。その名は「死」で、黄泉もそれに従う。地の四分の一を支配して、戦争と、飢えと、疫病と、地の獣によって殺す権威が彼らに与えられた。
新共同そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。
NIVI looked, and there before me was a pale horse! Its rider was named Death, and Hades was following close behind him. They were given power over a fourth of the earth to kill by sword, famine and plague, and by the wild beasts of the earth.
註解: 第四の封印は「死」と「陰府(よみ)」とである。征服者、戦争、飢饉の外に、なお剣、飢饉、疫病、悪獣の禍等あり、キリストの再臨に先立ちてこの種の不幸なる死が地の四分の一を支配する。
辞解
[青ざめたる] 草色と蒼白との二つの意味あり本節はこの後者で人間の死体の色に相当する。
[四分の一] 他の三つの封印との間に等分する意味(A1)に取るよりもむしろ「地」の数の「四」に(ちな)めるものと見るべきであろう。
[剣] 戦争以外の剣で暴君のためまたは争闘のため等に関する場合。
[飢饉] この場合は5、6節の飢饉のみならずこれによりて死に至る場合を指す。
[死] thanatos 本節の基礎となれるレビ26:23エレ21:7エゼ5:12−17等の疫病に相当する七十人訳の訳語で従ってこの場合「疫病」を意味する。
[地の獣] 獣が人の生命を奪う場合がある。
以上の四つはエゼ14:21にある「四つの厳しき罰」に相当し、ヨハネはこれを基本として描き出したものであろう。
要義1 [世界の進歩と神の審判]近代科学の進歩は自然を征服すると豪語している。しかしながら科学が自然を征服することの不可能なるは勿論、人間社会のことすらも近代科学の進歩によりてこれを左右することができない。科学の進歩は益々軍国主義の跋扈(ばっこ)を招き、戦争の危険は益々多くなりつつある。要するに征服、戦争、飢饉、疫病これらの(もろもろ)の禍害は、神の審判が行われる諸種の形態であって、世の進歩発達によりてこれを除き去ることができない。人類は神に背きつつ神無しにパラダイスを造らんとしつつある時、羔羊(こひつじ)は刻々にその封印を開きて人類をして神の畏るべきことを示さんとし給う。将来永遠に、この種の禍害は、神を畏れざる世界の上に降るであらう。
要義2 [禍害と世の終末]戦争、飢饉、疫病、地震等が起る時、これをもって世の終末であると考え易い。しかしながらこれは単に世の終末の序曲に過ぎない(マタ24:6、7)。これらの事件に遭遇して神の畏るべきことを知り、神に立還る者は幸いである。神の最後の審判が突然に来ることなく、かかる序曲を始めとして徐々に展開されるのは全く神の恩恵によることであって一人でも多くをその救いに入れんとの御旨に外ならない。
要義3 [これらの禍害の順序および回数]これらの禍害はこれを過去派の如くに一々歴史上の実際の事件に当てはめるべきではなくまた必ずしもこの封印の順序に起るものと考えるべきではない。黙示録が我らに示さんとする処の中心的真理は、第一にこれらの禍害が世の終末、キリストの再臨に先立ちて来るべきこと、第二にこれらが偶然に起るのではなく凡て神の御旨の展開であり封印せる巻物が開かれるためなることである。ゆえに我らはこれらがこの順序に(したが)い一回ずつ起るものと解釈すべきではない。黙示録の示さんとする処は原理であって具体的事実ではない。

3-(1)-(ロ) 第五および第六の封印解かる 6:9 - 6:17

6章9節 第五(だいご)封印(ふういん)()(たま)ひたれば、()つて(かみ)(ことば)のため、(また)その()てし(あかし)のために(ころ)されし(もの)靈魂(たましひ)祭壇(さいだん)(もと)()るを()たり。[引照]

口語訳小羊が第五の封印を解いた時、神の言のゆえに、また、そのあかしを立てたために、殺された人々の霊魂が、祭壇の下にいるのを、わたしは見た。
塚本訳また彼が第五の封印を開いた時、私は祭壇の下に、神の言のため、またその立てた証のために(かつて)殺された(殉教)者達の(多くの)霊を見た。
前田訳(小羊が)第五の封印を開くと、神のことばのゆえに、また守り抜いた証のゆえに殺された人々の魂を、祭壇の下にわたしは見た。
新共同小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。
NIVWhen he opened the fifth seal, I saw under the altar the souls of those who had been slain because of the word of God and the testimony they had maintained.
註解: 第五の封印よりはその光景一変する。前四者は世界一般の上に降れる審判であり第五は迫害の下にある教会の状態で殉教者の魂より発する祈の声である。ここに祭壇は天に在る真の宮の中にあるものとして想像され (黙8:3−5、黙9:13黙11:1黙14:18黙16:7) 、燔祭の壇(レビ4:7)に相当する。旧約の祭司は生命または魂を代表する血をこの祭壇の下に注いだ(レビ17:11レビ4:7参照)。キリストの殉教者の流せる血すなわち彼らの魂も同様に天における神の宮の祭壇の下に在るのを見ることができた。
辞解
[神の言のため] 黙1:9辞解参照、神の福音のために殉教者はその生命を失う、これを「唯一神の信仰」(S3)と解する人あれども不可。
[またその立てし証] 原語「その有ちし証」なるをもってこれをイエスの彼らに与え給える証と解する説あれども(B3)適当ではない、黙1:9と同じくイエスを証する証と見るべきである。
[殺されし] 黙5:6の「屠られたる」と同語、イエスの弟子たる殉教者はまた彼のごとくに屠られなければならない。
[霊魂] psychê はまた生命とも訳される文字、血は生命であること(レビ17:11)より殉教者の血が流されしことを意味す。
[祭壇] 馨香(かおり)の壇」なりや「燔祭の壇」なりやにつき論争あり、後者と見るを可とす。あるいはむしろかかる細別を眼中に置かないのが一層適切であろう。なお「祭壇の下にある霊魂」なる文字を基礎として信者の死後の状態如何を決することは無理である。本書はかかる目的をもって録されたのではない。

6章10節 (かれ)大聲(おほごゑ)(よば)はりて()ふ『(せい)にして(まこと)なる(しゅ)よ、何時(いつ)まで(さば)かずして()()(もの)(われ)らの()復讐(ふくしゅう)をなし(たま)はぬか』[引照]

口語訳彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。
塚本訳彼らは大声で叫んで言うた、「聖なる、真実なる主よ、何時まで審かず(に待ち給うのであるか。何時まで)地上に住む(不信)者どもに、(罪無くして流した)私達の血を復讐し給わないのであるか。(主よ、何時まで?)」
前田訳彼らは大声で叫んでいった、「聖かつ真にいます主よ、いつまであなたは裁きをせず、われらの血を地上に住むものどもにお報いなさらないのか」と。
新共同彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」
NIVThey called out in a loud voice, "How long, Sovereign Lord, holy and true, until you judge the inhabitants of the earth and avenge our blood?"
註解: 殉教者たちは、地に住む者が彼らに対して為せる不義、すなわち神に対して為せる反逆を、神は必ず復讐し給うことを信じ(ロマ12:19)唯その遅きを怪んでいた。殉教者のこの叫びは祈りとなりて神の御許に達し(ルカ18:7詩79:5−10)かくしてキリストの再臨と最後の審判が速められるのである。
辞解
[主] despotês は旧約聖書においては神を指し、新約聖書にてはキリストを指すことあれど(Uペテ2:1ユダ1:4)本節の場合は「神」を指すと解するを良しとす。
[復讐云々] ステパノの祈(使7:60)に比して低き信仰状態なるがごとくに言う学者があるけれども罪の赦されんことを(ねが)う愛の心と、不義の(さば)かれんことを求める義の心とは両立し得るのみならず両立しなければならない。審判を主題とする黙示録において後者が主となることは当然である。

6章11節 (ここ)におのおの(しろ)(ころも)(あた)へられ、かつ(おのれ)()のごとく(ころ)されんとする(おな)(しもべ)たる(もの)兄弟(きゃうだい)との(かず)滿()つるまで、なほ(しばら)(やす)んじて()つべきを(いひ)()けられたり。[引照]

口語訳すると、彼らのひとりびとりに白い衣が与えられ、それから、「彼らと同じく殺されようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように」と言い渡された。
塚本訳すると各自に白い上衣が与えられ、自分達と同じく殺されねばならぬ僕仲間と兄弟達と(が殺されて、神の定め給うたそ)の数が満つるまで、なお暫くの間休息んで(静かに待って)いるように彼らに言い聞かされた。
前田訳彼らのおのおのに白い衣が与えられ、なお少しの間、彼らと同じく殺されようとする仲間や兄弟が満たされるまで、静かにするようにいわれた。
新共同すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた。
NIVThen each of them was given a white robe, and they were told to wait a little longer, until the number of their fellow servants and brothers who were to be killed as they had been was completed.
註解: 前節のごとくに叫べる殉教者たちに対しては各々白衣を与えられた。これは純潔および勝利の印であって聖徒に相応しき衣服であり、最後に与えらるべき栄光の保証として彼らに与えられた。また彼らは血の復讐につきては決して焦慮することなく安んじているべきことを教えられた。その故はこれは決して無期限に延長するのではなく神の予定の中にある殉教者の数が満つる時までであり、この時はやがて間もなく到達するからである。
辞解
[白き衣を与えられ] 未だ最後の栄光に入つた意味ではない。それは千年時代の後である。白き衣につきては 黙3:4以下。黙4:4黙7:9黙7:13黙19:14等参照。
[数の満つるまで] メシヤの来臨は救われる者が神の予定し給える数に達して後であるとの思想は当時一般に行われていた (ルカ21:24ロマ11:12ロマ11:25) 。ここではそれを殉教者の数に応用したのである(経外典第四エズラ書4:35以下に殆んど同一の文言あり)。
[僕、兄弟] 同一のものを二重に説明したものと解する説あり(A1、B3)、この説によれば「僕すなわち兄弟」となる、ただしこの解釈は適当ではない。「同じ僕」は特に神に選ばれて福音の宣伝に従事せる人、「兄弟」は普通の信徒と見るべきであろう。また「殺されんとする」を「兄弟」のみにかけてその反対の意味に解する説あり、すなわち「兄弟」は殉教者、「同じ僕」は他の信徒となるけれどもこの説は適切でない。
[安んじて侍つ] 非常なる迫害の中にも最後の勝利を確信して安んじて待ち得る者は幸いである。
[「与えられ」、「言聞けらる」] これを与えまた命令する人の誰たるかは明示されていないが神の答と見るべきであろう。

6章12節 第六(だいろく)封印(ふういん)()(たま)ひし(とき)、われ()しに、(おほい)なる地震(ぢしん)ありて()(あら)()(ぬの)のごとく(くろ)く、(つき)全面(ぜんめん)()(ごと)くなり、[引照]

口語訳小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、
塚本訳また彼が第六の封印を開いた時、見ると、大きな地震が起こった。太陽は毛の荒布の(喪服の)ように黒くなり、(満)月はすっかり血のようになり、
前田訳そしてわたしは見た。(小羊が)第六の封印を開くと、大地震がおこり、日は毛の喪服のように黒くなり、月は全面血のようになり、
新共同また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、
NIVI watched as he opened the sixth seal. There was a great earthquake. The sun turned black like sackcloth made of goat hair, the whole moon turned blood red,

6章13節 (てん)(ほし)無花果(いちぢく)()大風(おほかぜ)()られて(なり)(おくれ)()()つるごとく()におち、[引照]

口語訳天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた。
塚本訳天の星は(丁度)無花果の樹が大風に揺られてその夏生りの無花果を落とすように地に落ちた。
前田訳空の星は地に落ちた、いちじくが大風にゆられて未熟な実が落とされるように。
新共同天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。
NIVand the stars in the sky fell to earth, as late figs drop from a fig tree when shaken by a strong wind.

6章14節 (てん)(まき)(もの)()くごとく()りゆき、(やま)(しま)とは(ことご)とくその(ところ)(うつ)されたり。[引照]

口語訳天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場所から移されてしまった。
塚本訳また天は巻き物が巻かれるように消え去り、山と島とは悉くその場所から動かされ(て見えなくなっ)た。
前田訳そして天は巻物が巻かれるように動かされ、すべての山と島はその場所から移された。
新共同天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。
NIVThe sky receded like a scroll, rolling up, and every mountain and island was removed from its place.
註解: 第六の封印は天地の大変動を来す。人をして世の終末至れるにあらずやと思わしむるほどの大天変地夭(てんぺんちよう)である。
辞解
[地震] マコ13:8には地震は戦争、飢餓等と共に産みの苦難の始めの中に数えられているけれども、本節の地震はハバ2:6以下(ヘブ12:26以下)の世の終りにおける天地の大異変を指す(なおイザ2:19イザ29:6参照)。
[荒き毛布] 毛織の黒衣で喪服に用う(イザ50:3)。
[日、月、星の変動] ヨエ2:10ヨエ3:4イザ13:10エゼ32:7その他に多く録さる。
[巻物を捲く如く] 当時の書籍または文書は巻物のごとき形で、これを捲くことによりてその位置が移される。
[去りゆき] 「裂けて」バラバラになると解する説あれど(S3)むしろその位置が変ることの意味に解するを可とす(A1、B3)。

13節の形容についてはイザ34:4を見よ。
[その処を移されたり] 地震に動かされてその位置が変動せること(黙16:20エレ4:24ナホ1:5)。以上の諸種の変動もこれを具体的に取るべきではなく、天地の大なる動揺の形容と見るべきであることは次節を見ても明かである。

6章15節 ()(わう)たち・大臣(だいじん)將校(しゃうこう)()める(もの)(つよ)(もの)奴隷(どれい)自主(じしゅ)(ひと)みな(ほら)(やま)巖間(いはま)とに(かく)れ、[引照]

口語訳地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。
塚本訳そして(これを見て)地(上)の王、貴人、将軍、富豪、権力者、また凡ての奴隷、自由人は(みな恐れて)洞穴や山の岩の間に身を隠した。
前田訳地の王たち、権力者、将軍、金持ち、有力者、すべての奴隷と自由人が、ほら穴や山の岩間に身を隠し、
新共同地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、
NIVThen the kings of the earth, the princes, the generals, the rich, the mighty, and every slave and every free man hid in caves and among the rocks of the mountains.
註解: 非常なる天変地異に際しては人々その為す処を知らざるまでに恐怖に襲われるのは当然である。ここに「七」種の人を挙げて凡ての人を代表せしめているけれども、その中特に高きもの有力なるものを多く掲げし所以は、平素意気揚々として暴威を振っている彼らすらも、否彼らが一層はげしく神の審判の前に戦慄することを示したのである。
辞解
[大臣] megistanes は高級官吏(かんり)で「王たち」と共にキリスト者を迫害する人々。
[将校] chiliarchoi は千卒長。
[富める者・強き者] 富も力も神の怒りの前には全く無力である。
[(かく)れ] イザ2:10、19。

6章16節 (やま)(いは)とに(むか)ひて()ふ『()(われ)らの(うへ)()ちて御座(みくら)()したまふ(もの)御顏(みかほ)より、羔羊(こひつじ)(いかり)より、(われ)らを(かく)せ。[引照]

口語訳そして、山と岩とにむかって言った、「さあ、われわれをおおって、御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。
塚本訳そして山や岩に(叫んで)言う、「我々の上に倒れ(かかっ)て、玉座に坐し給う者の御顔から、(烈しい)仔羊の御怒りから我々を隠してくれ。
前田訳山と岩にいう、「われらの上に落ちて、王座に座したもうもののお顔から、小羊の怒りから、われらを隠せ。
新共同山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。
NIVThey called to the mountains and the rocks, "Fall on us and hide us from the face of him who sits on the throne and from the wrath of the Lamb!
註解: 彼らは神とキリストの御怒りの前に立つことはできない、彼らの心には過去におけるあらゆる罪が浮び出で、それを(さば)かれる苦痛より逃れんためには如何に残酷なる死であってもかえってそれを(ねが)うに至る。柔和そのものなる羔羊(こひつじ)すら怒り給う。その怒りの激しさを思うべきである。
辞解
[山と巌とに(むか)いて言ふ] ホセ10:8ルカ23:30。非常なる苦痛の際における心持をあらわす。
[羔羊(こひつじ)の怒] 相矛盾するごとき二つの思想を結合してキリストの本質と罪に対する怒りの真相とを示す。羔羊(こひつじ)すらも全憤怒を注ぐほど人類の罪は重い。

6章17節 そは御怒(みいかり)(おほい)なる()(すで)(きた)ればなり。(たれ)()つことを()ん』[引照]

口語訳御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」。
塚本訳その御怒りの大なる日が来たのだ。誰が立つ(てこの審判に堪える)ことが出来よう!」
前田訳神と小羊の大いなる怒りの日が来た。だれがその前に立てよう」と。
新共同神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。
NIVFor the great day of their wrath has come, and who can stand?"
註解: 「大なる日」は神の最後の審判の日(ヨエ2:11ヨエ3:4ゼパ1:14ユダ1:6)。「御怒の日」も同様旧約聖書に最後の審判の日を指す(ゼパ1:15ゼパ1:18ゼパ2:3イザ22:5)。人々は大なる日未だ到らざるに、すでに至れりとして狼狽する。第六の封印が開かれて起る天変地異はかくも恐るべき激しさである。「誰か立つことを得ん」唯ルカ21:36の祈りによるより外にない。
要義1 羔羊(こひつじ)の怒]神の怒りにつきてはロマ1:18−23要義1、ヨハ2:13−22要義2を見よ。世の人の罪を負い給う神の羔羊(こひつじ)、屠場にひかれる羔羊(こひつじ)のごとき彼(イザ53:7)、(そこな)へる葦を折ることなく煙れる亜麻を消すことなき彼(マタ12:20)、柔和にして心(ひく)き彼(マタ11:29)が怒り給うというがごときことは不似合である。またもしキリストの怒りを示さんとならば彼を「ユダの族の獅子」(黙5:5)として表視する方が適切であるように思われる。しかしながら黙示録の記者が殊さらに彼を羔羊(こひつじ)として顕わし、この羔羊(こひつじ)が怒り給うことを記したのは故あることであって、怒ることがその自然の傾向である処のもの(例えば獅子のごとき)が怒ったとしてもその怒には格別の意義が無い。然るに元来怒らざる、怒り得ざる、また怒ることを好まざる羔羊(こひつじ)が非常なる忿怒を発し給えりと聞きて、この怒りの実に止むを得ざる怒りであり、愛をもって忍びに忍べる上の最後の怒りであることが判明(わか)る。最も恐るべきものはかかる怒りである。我らは恐れ(おのの)いて羔羊(こひつじ)の怒りより免れなければならない。
要義2 [進歩か退歩か]七つの封印の記事が我らに与える印象はその(すこぶ)る陰鬱であることである。人文主義者の考えるごとく、この世界は科学、交通、教育、産業の発達と共に次第に進歩して遂には地上に楽園が形成されるものと考えることができるならば、その前途は希望に充てるものとなる。然るに黙示録はこれに反し、非常に陰惨暗澹(あんたん)たる光景を我らの前に提示しているのであって、果してこの考え方が正しきやにつき疑いを挿むことは有り得る事柄である。しかしながら聖書全体の思想をその根本において把握するならば、我らは神を離れし世界の末路は全くこの黙示録の示すがごときものであることを思わしめられる。その故は神に反ける全世界はそのまま進歩発達してパラダイスを造り得るはずが無いからである。ゆえに本書の示すがごとくこの世界が(さば)かれ、そのサタンが(さば)かれて後始めて新天新地が顕出すると見ることは世界歴史の見方としては最も根本的なるものと言わなければならない。

黙示録第7章
3-(1)-(第一挿景) 十四万四千人印せらる(神の予定) 7:1 - 7:8

註解: 第六の封印を解き終り最後の第七の封印が開かれる前に中間挿景として神の救いの方面を示さんがために、第七章が、録されている。一方に神の審判が行われつつある間に神はまたその選びたる者を召し、これに完き救いを約束し給う。この両方面を巧に相交錯せしめた処にヨハネの優れたる筆致を見ることができる。これによりて読者は一方に審判の恐るべき光景を見ると同時に他方救われしものの祝福の光景を予見することができる。そして1−8節は救いの予定であり、9−17節は救われしものの天における祝福の光景である。

7章1節 この(のち)、われ四人(よにん)御使(みつかひ)()四隅(よすみ)()つを()たり、(かれ)らは()四方(しはう)(かぜ)引止(ひきと)めて、()にも(うみ)にも、諸種(もろもろ)()にも(かぜ)()かせざりき。[引照]

口語訳この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
塚本訳この後で四人の御使いが地の四隅に立って、地の四方の風を引き留め、風が地の上に、また海の上に、また一切の樹々の上に吹かないようにしているのを私は見た。
前田訳その後わたしは見た。四人の天使が地の四隅に立って、地の四方の風を押さえていた。それは風が地にも海にも、どの木にも吹かないためであった。
新共同この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。
NIVAfter this I saw four angels standing at the four corners of the earth, holding back the four winds of the earth to prevent any wind from blowing on the land or on the sea or on any tree.
註解: ユダヤにおいて世の終末に際し非常なる暴風が襲い来ることの信念があった。四人の使は「風の御使」で風を支配する権を持つ、すなわち神の審判の一方面を担当する御使である。今しばらく彼らは風を吹かせず神の救いの予定に従い印される者の数充つるまで待っている光景を示す。
辞解
[四] 地の数。
[樹] 特に風当りが強いためこれをここに加えたものであろう。なお原語では名詞の格の変化により「樹」に対して特に風当りの強いことを示しているけれども訳語にこれを表わすことはできない。
[御使] 風の御使の外に「火」「水」等の御使もあり(黙14:18黙16:5参照)、日本の火の神、風の神、水の神というと思想上相類似している。ヨハネは当時通有の信念を利用した。

7章2節 また(ほか)一人(ひとり)御使(みつかひ)の、いける(かみ)(いん)()ちて()()づる(かた)より(のぼ)るを()たり、[引照]

口語訳また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
塚本訳また私はもう一人(他)の御使いが、活ける神の玉璽を(手に)持って太陽の出る方から上(って来)るのを見た。彼は地と海(と樹々)とを害うことを許された四人の御使いに大声で叫んで
前田訳そしてわたしは見た。別の天使が生ける神の印(いん)を持って日の出る方から上って来た。彼は地と海とを損なうことを許されている四人の天使に大声で叫んだ。
新共同わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、
NIVThen I saw another angel coming up from the east, having the seal of the living God. He called out in a loud voice to the four angels who had been given power to harm the land and the sea:
註解: これによりて神の僕の額に印せんとしているのである。
辞解
[いける神] 死ねる神なる偶像に対して用いられる称呼。
[印] 本来公文書、証書、自己の所有物奴隷等に押捺してその有効なることまたはその所有権の証となすものである。この場合は神が己に属するものなることを保証すると同時にこれを保護して正義の中に止らしめ他より害を受けしめざることを表わす (Uテモ2:19Uコリ1:22エペ1:13エペ4:30ロマ4:11)。
[日の出づる方] 東方を指すこと勿論であるが何故に東方を選びしかにつき諸説あり、おそらくエゼ43:4より取りたるものであろう。その理由は日の東より出でて西に没して全地にその光を及ぼすがごとくに御使が神の印を印する行為が全地に及ぶ有様を描けるものであろう。なお東方より救いが来ること、パラダイスが東方にあること(創2:8創3:24)、メシヤが東より来る等の思想も当時存在した(ローマイヤー)。

かれ()(うみ)とを(そこな)(けん)(あた)へられたる四人(よにん)御使(みつかひ)にむかひ、大聲(おほごゑ)(よば)はりて()ふ、

7章3節 『われらが(われ)らの(かみ)(しもべ)(ひたひ)(いん)するまでは、()をも(うみ)をも()をも(そこな)ふな』[引照]

口語訳「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
塚本訳言うた、「私達が神の(玉璽でその)僕達の額に印をつけ(終わ)るまでは、地をも海をも樹々をも害うな!」
前田訳いわく、「われらが神の僕らの額に印をするまでは、地も海も木々も損なうな」と。
新共同こう言った。「我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。」
NIV"Do not harm the land or the sea or the trees until we put a seal on the foreheads of the servants of our God."
註解: この御使の言により1節にある四人の天使はその働きを中止した。神がその民を救い給う場合、神の審判はかれらに及ぶことができない。
辞解
[額に印す] 奴隷は額にその主人の名をもって印せられた。神の僕はその額に神の名をもって印されるは当然である。これはパウロの所謂聖霊をもって印することを指したのである。使徒時代以後においてはこの印をバプテスマと解するようになつたけれども聖書にはかく解した形跡がない。

7章4節 われ(いん)せられたる(もの)(かず)()きしに、イスラエルの()()のもろもろの(やから)(うち)にて(いん)せられたるもの[(あは)せて]十四萬(じふしまん)四千(しせん)あり。[引照]

口語訳わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
塚本訳すると(間もなく)私は印をつけられた者の数を聞いた。(曰く)──イスラエルのあらゆる種族の子達の中から印をつけられた者が(総計)十四万四千。
前田訳そしてわたしは印をされたものの数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの族(やから)すべてから印をされたものであった。
新共同わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。
NIVThen I heard the number of those who were sealed: 144,000 from all the tribes of Israel.
註解: ヨハネは額に印される有様を見ず、唯その数を耳にて聴くのみであった、かくしてイスラエルの子らのもろもろの族すなわち全人類の中より救わるべき凡ての人が額に印せられ神の所有として聖別された。これらがやがて9節に白き衣をきて顕われるのである。
辞解
[イスラエルの子らのもろもろの族] かくして印される人はあるいは(1)ユダヤ人の残れるもの、または(2)ユダヤ人中のキリスト者等と解せられているけれども、むしろイスラエルを霊的に解して全キリスト信者と見ることが正しい解釈である。その故は新約聖書では(a)教会は真のイスラエルであり (黙2:9黙3:9ロマ2:29ガラ6:16ヤコ1:1) 、(b)エルサレムは新しき神の国の都を代表し (黙20:9黙21:2黙21:10ガラ4:26) またその門にはイスラエルの十二の族の名を記す等のことあり、イスラエルと教会とを同視し、(c)黙14:1にも同じく十四万四千人につき記され、そこにては明かに教会を意昧すること等よりこれを知ることができる。
[十四万四千] 神の国の数なる十二の自乗を一千倍せるものであって、自乗は方形すなわち地の形に相応し千はその多数なることを顕わす。すなわち十四万四千は神の国の民として地より選まれし者の数を示す。以上のごとくに解するならば、ある学者のごとく、この部分をユダヤ教の黙示文学の資料によるものと解する必要はない。

7章5節 ユダの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)(いん)せられ、ルベンの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、ガドの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)[引照]

口語訳ユダの部族のうち、一万二千人が印をおされ、ルベンの部族のうち、一万二千人、ガドの部族のうち、一万二千人、
塚本訳(まずユダ族から始めるならば──)ユダ族から一万二千印をつけられ、ルベン族から一万二千、ガド族から一万二千、
前田訳ユダの族から一万二千が印をされ、ルベンの族から一万二千、ガドの族から一万二千、
新共同ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、/ルベン族の中から一万二千人、/ガド族の中から一万二千人、
NIVFrom the tribe of Judah 12,000 were sealed, from the tribe of Reuben 12,000, from the tribe of Gad 12,000,

7章6節 アセルの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、ナフタリの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、マナセの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)[引照]

口語訳アセルの部族のうち、一万二千人、ナフタリの部族のうち、一万二千人、マナセの部族のうち、一万二千人、
塚本訳アセル族から一万二千、ネフタリム族から一万二千、マナセ族から一万二千、
前田訳アセルの族から一万二千、ナフタリの族から一万二千、マナセの族から一万二千、
新共同アシェル族の中から一万二千人、/ナフタリ族の中から一万二千人、/マナセ族の中から一万二千人、
NIVfrom the tribe of Asher 12,000, from the tribe of Naphtali 12,000, from the tribe of Manasseh 12,000,

7章7節 シメオンの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、レビの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、イサカルの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)[引照]

口語訳シメオンの部族のうち、一万二千人、レビの部族のうち、一万二千人、イサカルの部族のうち、一万二千人、
塚本訳シメオン族から一万二千、レビ族から一万二千、イッサカル族から一万二千、
前田訳シメオンの族から一万二千、レビの族から一万二千、イサカルの族から一万二千、
新共同シメオン族の中から一万二千人、/レビ族の中から一万二千人、/イサカル族の中から一万二千人、
NIVfrom the tribe of Simeon 12,000, from the tribe of Levi 12,000, from the tribe of Issachar 12,000,

7章8節 ゼブルンの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、ヨセフの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)、ベニヤミンの(やから)(うち)にて一萬(いちまん)二千(にせん)(いん)せられたり。[引照]

口語訳ゼブルンの部族のうち、一万二千人、ヨセフの部族のうち、一万二千人、ベニヤミンの部族のうち、一万二千人が印をおされた。
塚本訳ザブロン族から一万二千、ヨセフ族から一万二千、ベニヤミン族から一万二千印をつけられた。
前田訳ゼブルンの族から一万二千、ヨセフの族から一万二千、ベニヤミンの族から一万二千が印をされた。
新共同ゼブルン族の中から一万二千人、/ヨセフ族の中から一万二千人、/ベニヤミン族の中から一万二千人が/刻印を押された。
NIVfrom the tribe of Zebulun 12,000, from the tribe of Joseph 12,000, from the tribe of Benjamin 12,000.
註解: 十二の支族の列挙は数所にあるけれどもその順序、時には名称も必ずしも一致しない。5-8節においても如何なる見地よりこの順序を取りしやは不明である。唯(1)メシヤの生れし族としてユダは最初に掲げられ、(2)ルベンは長子としてこれに次ぎ、(3)ダンは恐らく当時の信念により非キリストの生れる族として、あるいは最も速やかに偶像崇拝に堕落せる族として除外され、(4)その代りにレビ族が加入し、(5)エフライムの代りにヨセフが加えられたことは何れも信仰より見たる重要さよりかくせられしものであろう。その他の点においては最年少のベニヤミンを最後に置いたこと以外は説明すべき理由を持たない。一万二千は十二の千倍で神の国の数の十二と多数を示す千との積であってこの場合最も適当な数である。▲この十四万四千人を古今東西の全キリスト者の実数であるとして宣伝している一派があるが、聖書の読み方が誤っている一例である。

3-(1)-(第二挿景) 救われし者の讃美(救) 7:9 - 7:17

7章9節 この(のち)われ()しに、()よ、もろもろの(くに)(やから)(たみ)國語(くにことば)(うち)より、(たれ)(かぞ)へつくすこと(あた)はぬ(おほい)なる群衆(ぐんじゅう)、しろき(ころも)(まと)ひて()棕梠(しゅろ)()をもち御座(みくら)羔羊(こひつじ)との(まへ)()ち、[引照]

口語訳その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立ち、
塚本訳この後で(また)私は見た。すると視よ、誰も数えることの出来ない(ほど)多くの群衆が(あった。彼らは)凡ての国と種族と民と国語との中から集ま(った者であ)り、白い上衣を纏い、手に棕櫚(の枝)を持って、玉座の前、仔羊の前に立っていた。
前田訳その後わたしは見た。見よ、だれも数ええない大勢の群衆がいた。彼らはすべての国民と族と民族と国語からの出で、王座の前に、また小羊の前に立っている。彼らは白い衣を着、棕櫚の枝を手にしている。
新共同この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、
NIVAfter this I looked and there before me was a great multitude that no one could count, from every nation, tribe, people and language, standing before the throne and in front of the Lamb. They were wearing white robes and were holding palm branches in their hands.

7章10節 大聲(おほごゑ)(よば)はりて()ふ、『(すくひ)御座(みくら)()したまふ(われ)らの(かみ)羔羊(こひつじ)とにこそ()れ』[引照]

口語訳大声で叫んで言った、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる」。
塚本訳そして(讃美して)大声に叫んで言う、救いは玉座に坐し給う我らの神と仔羊とに!
前田訳そして大声に叫んでいう、「救いは王座にいますわれらの神と小羊に」と。
新共同大声でこう叫んだ。「救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、/小羊とのものである。」
NIVAnd they cried out in a loud voice: "Salvation belongs to our God, who sits on the throne, and to the Lamb."
註解: 9−17節は4−8節において印せられし人々すなわち十四万四千人が神の御座の前に表われし光景を叙述す。彼らは勝利の印また羔羊(こひつじ)の血によりて罪を洗われし印なる白衣を纏い、勝利の時に用いられる棕梠(しゅろ)の葉をもち神の御座と羔羊(こひつじ)の前に立ちて大声にその救いを讃美する。
辞解
[この後われ見しに] 前には唯印せられし者の数を聞くのみであつたのに今はこれを見ることができる。多くの学者はこの群衆と十四万四千のイスラエルの子らとは別人であることを主張する。その理由は(1)イスラエルの子らは数えられたけれどもこの群衆は数え尽すことができない。(2)前者は地上にありこれらは天上にある。(3)前者はイスラエルの族、後者は諸国民。(4)前者は苦難より保護せられ後者はすでに勝っていること等であるがこれらは何れも充分の理由とはならない。
[国・族・民・国語] 四つを挙げたのは四の数に(ちな)めるもの。
[数へ尽すこと能はぬ] 多数を示したに過ぎない。4−8節の人々と異なれる群衆であるとの意味ではない。かつ黙14:1の同数の群衆が明かに全キリスト者を意味することより見て上掲註解のごとくに解するを可とす(B3、A1)。
[救は云々] 彼らの讃美は救主なる神とキリストとに向いその救いに対してささげられた。

7章11節 御使(みつかひ)みな御座(みくら)および長老(ちゃうらう)たちと()つの活物(いきもの)との周圍(まはり)()ちて御座(みくら)(まへ)平伏(ひれふ)(かみ)(はい)して()ふ、[引照]

口語訳御使たちはみな、御座と長老たちと四つの生き物とのまわりに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、
塚本訳すると凡ての御使い達が玉座と長老達と四つの活物との周囲に立って、玉座の前に平伏し、神を拝して
前田訳また、すべての天使は王座と長老と四つの生きもののまわりに立っていた。そして王座の前に顔を伏せ、神を拝して
新共同また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏し、神を礼拝して、
NIVAll the angels were standing around the throne and around the elders and the four living creatures. They fell down on their faces before the throne and worshiped God,

7章12節 『アァメン、讃美(さんび)榮光(えいくわう)知慧(ちゑ)感謝(かんしゃ)尊貴(たふとき)能力(ちから)勢威(いきほひ)世々(よよ)(かぎ)りなく(われ)らの(かみ)にあれ、アァメン』[引照]

口語訳「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」。
塚本訳言うた──アーメン、願わくは讃美と栄光と知恵と感謝と栄誉と権能とが、永遠より永遠に我らの神にあらんことを、アーメン!
前田訳いう、「アーメン、讃美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠から永遠にわれらの神にあれ。アーメン」と。
新共同こう言った。「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」
NIVsaying: "Amen! Praise and glory and wisdom and thanks and honor and power and strength be to our God for ever and ever. Amen!"
註解: 群衆の讃美に和して天使の一団もまた平伏して拝しつつ祈りの声をあげ、神の「七つ」の属性を列挙して神を頌めたたえる(黙5:12参照)。最初のアアメンは「誠に」と訳しても可。

7章13節 長老(ちゃうらう)たちの一人(ひとり)われに(むか)ひて()ふ『この(しろ)(ころも)()たるは如何(いか)なる(もの)にして何處(いづこ)より(きた)りしか』[引照]

口語訳長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか」。
塚本訳すると長老の一人が答えて私に言うた、「白い上衣を纏うたこの人達は(一体)誰であるか。また何処から来たか(、お前はそれを知っているか。」
前田訳長老の一人がわたしに向かっていった、「これら白い衣を着た人々はだれで、どこから来たか」と。
新共同すると、長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たのか。」
NIVThen one of the elders asked me, "These in white robes--who are they, and where did they come from?"

7章14節 (われ)いふ『わが(しゅ)よ、なんぢ()れり』[引照]

口語訳わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存じです」。すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。
塚本訳わが主よ、貴方が御存知です」と私は彼に言うた。そこで彼が私に言うた、「この人達は(既に最後の日の)大なる患難を経て来た者である。彼らは仔羊の(流し給うた聖い)血でその上衣を洗ってそれを白くした。
前田訳わたしはいった、「わが主よ、あなたはご存じです」と。彼はいった、「これらは大きな苦しみを経た人々で、その衣を小羊の血で洗って白くした。
新共同そこで、わたしが、「わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです」と答えると、長老はまた、わたしに言った。「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。
NIVI answered, "Sir, you know." And he said, "These are they who have come out of the great tribulation; they have washed their robes and made them white in the blood of the Lamb.
註解: 「汝知れり」はヨハネの無智を示す。封印せられし十四万四千人がかかる光景を呈するならんとはヨハネの想像し得ない処であった。この無智を理由として十四万四千人とこの群衆との同一なることを否定する学者があるけれども、ここにかえってヨハネの幻象の深い意義(真のイスラエルはユダヤ人にとりては案外なるものなること)を見ることができる。

かれ()ふ『かれらは(おほい)なる患難(なやみ)より()できたり、羔羊(こひつじ)()(おの)(ころも)(あら)ひて(しろ)くしたる(もの)なり。

註解: ここより17節までは救われしものの天国における光景(黙21:1以下に示さるべき光景)が予めヨハネに示されたのであるが、これらは同時にまた凡てのキリスト者が現在においてすでにその前味を味うことができることでもである。「大なる患難」は世の終末の前に全世界に臨む(黙3:10ダニ12:1)。そしてキリスト者は無事にこの中より救い出されるのである。羔羊(こひつじ)の血に衣を洗うことは信仰によりキリストの十字架の血によりて贖われ、この血を通りて神の御前に出づること。かかる人はその血により緋のごとき罪が洗われて雪のごとくに白くせられる。白は勝利を表わすと共にまた純潔無罪を表示する。

7章15節 この(ゆゑ)(かみ)御座(みくら)(まへ)にありて、(ひる)(よる)もその聖所(せいじょ)にて(かみ)(つか)ふ。御座(みくら)()したまふ(もの)(かれ)らの(うへ)幕屋(まくや)()(たま)ふべし。[引照]

口語訳それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。
塚本訳この故に(今)彼らは神の玉座の前にあって、昼も夜もその聖所で彼に仕えているのである。そして玉座に坐し給う者は、彼らの上に天幕を張(って彼らを護)り給うであろう。
前田訳それゆえ彼らは神の王座の前にいて、日夜、宮で神に仕えている。そして王座に座すものは彼らと幕屋を共にしたもう。
新共同それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、/昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、/この者たちの上に幕屋を張る。
NIVTherefore, "they are before the throne of God and serve him day and night in his temple; and he who sits on the throne will spread his tent over them.
註解: キリスト者の神に対する奉仕の生活と、神との交りの生活を叙述す。羔羊(こひつじ)の血に己が衣を洗われし者すなわちキリスト者はみなことごとく祭司である(万人祭司主義、ヘブ10:19−22)。従って昼夜休むことなく神の前にありて礼拝をなす。換言すれば彼らはその全身を神にささげ神のみに(つか)えてその日を送る。そして彼らと神の間を隔つる罪はキリストの十字架の血によりて洗い潔められしが故に、彼らは(はばか)らずして至聖所に入り神の前に立つことができる、換言すれば彼らは祭司の仲保を要せずして直ちに神に近附くことができる。かかる者のために神はやがてその上に幕屋を張り神も共にその中に住み給うであろう。黙21:3、4参照(未来動詞。以下17節迄みな然り)。
辞解
[御座の前、聖所、幕屋] 三つの場所を同一物のごとくに取扱っていることに注意すべし。これらが全く同一物となる処に真の神人の関係が成立する。
[(つか)う] latreuô は奉仕する意味であるが礼拝の儀式に関しても用いられる。儀式に関して用いられる 1eitourgeô をここに用いない所以は群衆の数多くして宗教的儀式を行うに不適当だから(S3)ではなく、ヨハネは礼拝の儀式よりもその意味、すなわち人が神に(つか)えることに重きを置いたためである。なお黙21:22に「宮を見ざる」ことを録しているのは新天新地が完全に実現した時であるから。
[幕屋を張りたまふべし] 未来形、幕屋を張ることは神が共に住み給うことを意味す(レビ26:12ゼカ2:14エゼ37:27ヨハ1:14Uコリ6:16)。

7章16節 (かれ)らは(かさ)ねて()ゑず、(かさ)ねて(かわ)かず、()(ねつ)(かれ)らを(をか)すことなし。[引照]

口語訳彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
塚本訳彼らは最早飢えず、最早渇かず、太陽も如何な暑さも(最早)彼らを襲わないであろう。
前田訳彼らはもはや飢えず、渇かず、太陽も、どんな熱風も、彼らを侵さない。
新共同彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、/太陽も、どのような暑さも、/彼らを襲うことはない。
NIVNever again will they hunger; never again will they thirst. The sun will not beat upon them, nor any scorching heat.

7章17節 御座(みくら)(まへ)にいます羔羊(こひつじ)(かれ)らを(ぼく)して生命(いのち)(みづ)(いづみ)にみちびき、(かみ)(かれ)らの()より(すべ)ての(なみだ)(ぬぐ)(たま)ふべければなり』[引照]

口語訳御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
塚本訳玉座の真中にい給う仔羊が彼らを牧し、彼らを生命の水の泉に導き、また神は彼らの目から悉く涙を拭い去り給うからである。」
前田訳王座の正面にいます小羊は彼らを牧し、いのちの水の泉へと導き、神は彼らの目からすべての涙を拭われよう」と。
新共同玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、/命の水の泉へ導き、/神が彼らの目から涙をことごとく/ぬぐわれるからである。」
NIVFor the Lamb at the center of the throne will be their shepherd; he will lead them to springs of living water. And God will wipe away every tear from their eyes."
註解: イザ49:10イザ25:8を少しく変化したもので、キリスト者がやがて神の国に入るに及べば、彼らは絶対の満足、安全、歓喜の中に永遠に生きることができる。天災または迫害のために苦しむもの、また生命の涸渇になやむもの、人生の悲哀に泣くものにとってはこれらの言は無限の慰安であったろう。
辞解
[牧す] 羔羊(こひつじ)が牧するとは本末転倒のごときも羔羊(こひつじ)はキリストを指す故にこれは当然であり問題とすべきではない。牧することにつきては詩23:1以下の美わしき思想を参照すべし。
[御座の前に] 「御座の間に」の意。
[生命の水の泉] 原文は「生命」なる文字を特に強調す。
要義1 [第7章の概観]ユダヤ人の歴史、祭事、儀式はみな新約の型であり予表である。ゆえに旧約は新約によリて完成される。この意味において黙示録においては旧約の思想や事実や語句やを自由に取入れつつこれを新約的意義に用いた場合が非常に多いことを注意しなければならない。学者が文字の末に捉われて往々にしてその真意を見失うことあるはこれがためである。本章のごときも前半は全くユダヤ的に見え後半は全く新約的の外形を持っている。それ故に多くの学者はこの二者を別物として区別しているのである。しかしながらヨハネはこの場合においてもイスラエル人の十二の支族の名をもってキリスト者の全体を表わさんとしたのであって、このヨハネの精神を理解するならば、黙示録全体の解釈の鍵を握ることができ、また本章の意義を明かにすることができるであろう。
要義2 [神の救の終局]神が人類を救い給う目的は、結局において全被造物がことごとく神を讃美するに至らんためである。そして全被造物、殊に救われし人々が神を讃美するに至る時、神の喜びは充ち溢れて、神は彼らと共に住み、彼らを守り、彼らを永遠の生命に導き、彼らの悲しみを取り去り給い、彼らは昼夜休むことなく神に(つか)えるに至るのである。このことは世の終りにおいて神の国が完成する時に完成するのではあるが、今すでにキリスト者の中にその根本の性質が成就しているのである。すなわちキリスト者は今すでに天国の前味を味っているものであると云うことができる。しかしながらこれは終局ではなく、終局において神は完全なる形においてこの凡ての希望を実現し給う。
要義3 [神に(つか)うること]ユダヤの祭司は神の宮に入って神に(つか)えた。しかしながらこれ天の国において神に(つか)えることの型に過ぎない。神に対する真の奉仕、礼拝は神の前に在りて凡てを神にささげて生きることである。ヨハネの示されし聖徒の姿はこれであった。現在においても聖徒は凡て祭司として神に対しかかる意味において毎日毎夜(つか)えているのである。
要義4 [神の予定について]ロマ9:33附記を見よ。