黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版ルカ伝

ルカ伝第19章

分類
9 ユダヤにおけるイエス 18:31 - 21:38
9-1 ユダヤ人に対する警告 18:31 - 19:48
9-1-ハ ザアカイ、イエスを迎う 19:1 - 19:10  

註解: 1−10節のザアカイの物語はルカ伝特有。

19章1節 エリコに()りて()ぎゆき(たま)ふとき、[引照]

口語訳さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。
塚本訳エリコに入って、(そこを)通っておられた。
前田訳彼はエリコヘ入って町をお通りであった。
新共同イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
NIVJesus entered Jericho and was passing through.

19章2節 ()よ、()をザアカイといふ(ひと)あり、取税人(しゅぜいにん)(かしら)にて()める(もの)なり。[引照]

口語訳ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。
塚本訳すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
前田訳そこにザアカイという名の人がいた。取税人の頭で、金持であった。
新共同そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
NIVA man was there by the name of Zacchaeus; he was a chief tax collector and was wealthy.
註解: 前章終りの盲人はエリコの入口すなわち東にて醫され、ザアカイの出来事はエリコの西側で起った。エリコは香料の産地でその税額も多いので大きい収税署があり、取税長も置かれていた。彼は富んでいたということは多くの取税人と共通の現象であったろう。この物語も学者パリサイ人らの不信と、彼らが軽蔑する取税人の信仰とを示している。
辞解
[ザアカイ] ヘブル語で「罪無き」「正しき」等の意味。

19章3節 イエスの如何(いか)なる(ひと)なるかを()んと(おも)へど、(たけ)(ひく)うして群衆(ぐんじゅう)のために()ること(あた)はず、[引照]

口語訳彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。
塚本訳イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
前田訳イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため果たさなかった。
新共同イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
NIVHe wanted to see who Jesus was, but being a short man he could not, because of the crowd.

19章4節 (まへ)(はし)りゆき、(イエスを()んとて)(くは)()にのぼる。イエスその(みち)()ぎんとし(たま)(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。
塚本訳それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
前田訳それで彼を見ようと前のほうへ駆け出して桑の木にのぼった。そこをお通りのところであったからである。
新共同それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。
NIVSo he ran ahead and climbed a sycamore-fig tree to see him, since Jesus was coming that way.
註解: ザアカイはイエスのことを以前より聞き及んでいたのであろう。彼の態度の中に是非ともイエスを見んとの熱情がこもっていることが窺われる。これは好奇心からではなく、彼の内心の霊的飢渇がイエスによって醫されるであろうことを感じたからである。
辞解
[思へど] 「熱心に求めつつあった」こと、未完了過去形で継続的動作でしきりにこれを欲したことを示す。
「イエスを見んとて」は訳語を欠く。

19章5節 イエス此處(ここ)(いた)りしとき、(あふ)()()ひたまふ『ザアカイ、(いそ)ぎおりよ、今日(けふ)われ(なんぢ)(いへ)宿(やど)るべし』[引照]

口語訳イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。
塚本訳イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
前田訳イエスはその場所へ来られると、目をあげていわれた、「ザアカイよ、急いでお降り。きょうはあなたの家に泊まることになっているから」と。
新共同イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
NIVWhen Jesus reached the spot, he looked up and said to him, "Zacchaeus, come down immediately. I must stay at your house today."
註解: (▲「べし」は dei で「必要」を示す。ここでは「汝の家に宿らなければならない」でザアカイの熱心がイエスをここに到らしめた。)如何にしてイエスがザアカイの名を知り給うたかは判らないが(同行者の中に彼を知る者があってイエスにその名を示したか、または彼の霊的直観力によったものと解する以外に途はない)、少なくともザアカイの熱心な心持は、これを洞察し給うたことは疑いない。イエスの使命感(10節)はザアカイの心に共鳴したのであった。イエスを我が家に宿すこと、イエスが我が心の中に主となり給うこと、これにまされる幸福はない。

19章6節 ザアカイ(いそ)ぎおり、(よろこ)びてイエスを(むか)ふ。[引照]

口語訳そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。
塚本訳ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
前田訳ザアカイは急いで降りて、よろこんでお迎えした。
新共同ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
NIVSo he came down at once and welcomed him gladly.

19章7節 人々(ひとびと)みな(これ)()(つぶや)きて()ふ『かれは罪人(つみびと)(いへ)()りて(きゃく)となれり』[引照]

口語訳人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。
塚本訳皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
前田訳皆はこれを見て、「彼は罪びとのところに入って客となった」といってつぶやいた。
新共同これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
NIVAll the people saw this and began to mutter, "He has gone to be the guest of a `sinner.'"
註解: 一般のユダヤ人からは異邦人のごとくに疎遠に扱われ、罪人として卑しめられていたザアカイの家に、彼が心中深く崇拝して止まなかったイエスが突然宿り給うのであるからザアカイの喜びは大きかった。あたかも我ら罪人の心の中にイエスが宿り給うた時の喜びに等しい。ただし旧い伝統に支配されている一般のユダヤ人は、イエスのこの態度について呟き、彼を非難した。
辞解
[客となれり] 「旅装を解く」「宿る」の意。

19章8節 ザアカイ()ちて(しゅ)()ふ『(しゅ)()よ、わが所有(もちもの)(なかば)(まづ)しき(もの)(ほどこ)さん、()しわれ()(うった)へて(ひと)より()りたる(ところ)あらば、()(ばい)にして(つくの)はん』[引照]

口語訳ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
塚本訳しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
前田訳しかしザアカイは立って主にいった、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、もし人から何かゆすったならば四倍にして返します」と。
新共同しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
NIVBut Zacchaeus stood up and said to the Lord, "Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount."
註解: イエスより何らの要求もないのであったが、その心中に自己の罪を感ずる心が起って来、かつイエスが、彼の砕けた心を受納れ給うに相違ないことを感じ、その悔改めと歓喜の心の表顕として所有の半を貧者に施し、不正の方法で取ったものがある場合四倍にして償うことを申出た。四倍は窃盗の場合の規定にあり(出21:37)。ただし資産を施したり、または償ったりする分量の多少が問題ではなく、その心の態度が問題である。
辞解
[()ひ訴へて人より取る] sukophanteô は密輸出を行う者を暴露する人を指した語、これが濫用されるので訳語のごとき意味となる(ルカ3:14)。

19章9節 イエス()(たま)ふ『けふ(すく)はこの(いへ)(きた)れり、()(ひと)もアブラハムの()なればなり。[引照]

口語訳イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。
塚本訳イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
前田訳イエスは彼にいわれた、「きょう救いがこの家に入った。彼もまたアブラハムの子である。
新共同イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
NIVJesus said to him, "Today salvation has come to this house, because this man, too, is a son of Abraham.
註解: 「来たれり」 egeneto 「成れり」で、発生したこと、救いは個人的であるけれども、主人の信仰は一家を信仰に導く起因となることが多い(ヨハ4:53使3:25)。
辞解
[アブラハムの子] ユダヤ人、彼も当然救わるべき人である。

19章10節 それ(ひと)()(きた)れるは、()せたる(もの)(たづ)ねて(すく)はん(ため)なり』[引照]

口語訳人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。
塚本訳人の子(わたし)は“滅びうせた者をさがして”救うために来たのである。」
前田訳人の子が来たのは失われたものを探して救うためである」と。
新共同人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
NIVFor the Son of Man came to seek and to save what was lost."
註解: イエスがこの世に来給うた目的がザアカイの場合に実現した。イエスの喜びが推察される。
要義 [富める青年とザアカイ]ルカ18:18以下の富める青年の場合は、イエスはその全財産を売って貧者に施すことがその救いに必要であることを教えられ、ザアカイの場合はその幾分を施す決心をしただけで、救いがその家に起ったことを喜ばれた。この二つの事実を見ても知り得る通り、人の霊魂の救いは、それが神のみに依り頼むか如何かに懸かっているのであって、資産の処分の方法または程度の問題ではない。もしイエスが富める青年にその資産の半分を売って貧者に施せと命じ給い、もし青年がこれに従ったとしても、もし彼の心が他の半分に依り頼んでいたならば、彼は永遠の生命を得ることができなかったであろう。富の分配問題は社会問題、経済問題としては重要な問題であるけれども信仰問題の中心課題ではない。

9-1-ニ ミナの譬喩 19:11 - 19:27
(マタ25:14-30)   

19章11節 人々(ひとびと)これらの(こと)()きゐたるとき、(たとへ)(くは)へて()(たま)ふ。これはイエス、エルサレムに(ちか)づき(たま)ひ、(かみ)(くに)たちどころに(あらは)るべしと(かれ)らが(おも)(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。
塚本訳人々がこれを聞いているとき、さらに一つの譬を話された。それはイエスが(いよいよ)エルサレムに近づかれたので、今にも神の国が現われるように人々が考えたからである。
前田訳人々がこれを聞いているとき、彼はもうひとつの譬えを話された。それは、彼がエルサレムに近づかれて、神の国がたちまち現われると人々が思ったからである。
新共同人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。
NIVWhile they were listening to this, he went on to tell them a parable, because he was near Jerusalem and the people thought that the kingdom of God was going to appear at once.
註解: 富める青年への訓戒、ザアカイの悔改めとその教訓等を聞き、人々はこのイエスこそメシヤであり、彼のエルサレム行きによって神の国がたちどころに実現するであろうと考えたので ─ 弟子たちもその例に洩れなかった。彼らはルカ18:31、32を解し得なかったからである ─ イエスはその誤謬を訂正し、神の国の完成はイエスの再臨の時であり、それまでの間に各人には地上の生活における責務が与えられ、やがてキリスト来りて各人が如何にその任務を果したかを審べ、その成果を精算するであろうことを告げ給うた。使徒たちの場合はそれが福音伝道の任務である。

19章12節 (すなは)()ひたまふ『(ある)貴人(きにん)(わう)(けん)()けて(かへ)らんとて(とほ)(くに)()くとき、[引照]

口語訳それで言われた、「ある身分の高い人が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
塚本訳それで言われた、「ある高貴な人が王の位を授かって来るために、遠い国に行った。
前田訳彼はいわれた、「ある高貴な人が王位を受けて来るために遠いところへ旅立った。
新共同イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。
NIVHe said: "A man of noble birth went to a distant country to have himself appointed king and then to return.
註解: 彼は還って来る時には王としての権威をもって来るであろう。キリストの再臨はすなわちその時である。例えばヘロデ王の死後その子アケラオがローマに行き、皇帝からユダヤの王の位を受けようとした場合のごときがその実例である。

19章13節 (じふ)(にん)(しもべ)をよび、(これ)(きん)(じふ)ミナを(わた)して()ふ「わが(かへ)るまで商賣(あきなひ)せよ」[引照]

口語訳そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』。
塚本訳(出かける時、)彼は十人の僕を呼んで、一ミナ[五万円]ずつ十ミナを渡し、『かえって来るまで(これで)商売をしておけ』と言った。
前田訳その人は十人の僕を呼んで十ミナを渡していった、『わたしの留守中これで商売しなさい』と。
新共同そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。
NIVSo he called ten of his servants and gave them ten minas. `Put this money to work,' he said, `until I come back.'
註解: 「僕」は使徒その他の弟子たちで、各々に一ミナを付したのは人間としての仕事の種類は異なってもその使命の価値は神の目に同一であることを示す。
辞解
[一ミナ] 銀としては(15節)約20日分の労働賃に相当している。なおマタ25:14−30との差別については附記を見よ。

19章14節 (しか)るに()()(たみ)かれを(にく)み、(のち)より使(つかひ)(つかは)して「(われ)らは()(ひと)(われ)らの(わう)となることを(ほっ)せず」と()はしむ。[引照]

口語訳ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。
塚本訳ところが国民は彼を憎んでいたので、あとから使者をやって、『われわれはこの人を王に戴きたくない』と言わせた。
前田訳住民は彼を憎んでいたので、あとから使いをやっていわせた、『われらはこの人を王に戴きたくない』と。
新共同しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。
NIV"But his subjects hated him and sent a delegation after him to say, `We don't want this man to be our king.'
註解: イエスの死後も世の人はイエスを信じようとしない。彼の王たるべき人であることを認めようともしない。なおアケラオの王位継承に反対して人民はローマ皇帝に訴えたことがあるが、この寓話に類似しており、イエスはその事実に暗示を得たのかもしれない(Z0)。「不義なる裁判人」(ルカ18:2−8)「不義なる支配人」(ルカ16:1−13)等のごとく、イエスは神の国のことにつき悪しきものの比喩を自由に用い給うたのであるからこの場合もアケラオの例を念頭に置いたとしても不思議ではない。この三つの寓話とも他の三福音書にないのは、あるいはこの点が憂慮されて除かれていたのかもしれない。これをルカのみ採り入れたのであるとも考えられる。

19章15節 貴人(きにん)(わう)(けん)をうけて(かへ)(きた)りしとき、(ぎん)(わた)()きたる(しもべ)どもの、如何(いか)商賣(あきなひ)せしかを()らんとて(かれ)らを()ばしむ。[引照]

口語訳さて、彼が王位を受けて帰ってきたとき、だれがどんなもうけをしたかを知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼んでこさせた。
塚本訳さて、その人は王の位を授かって帰ってくると、だれがどんな風に商売をしたか知ろうとして、金を渡しておいた僕たちを呼ばせた。
前田訳さてその人が王位を受けて帰ると、だれが何を商売したかを知るために、金を渡しておいた僕らを呼ばせた。
新共同さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。
NIV"He was made king, however, and returned home. Then he sent for the servants to whom he had given the money, in order to find out what they had gained with it.
註解: 王の権を受けて帰ったことはあたかもキリストが王として再臨し給う時に相当する。そしてその時、使徒たちや弟子たちの任務の遂行如何につき知らんとするであろう。

19章16節 (はじめ)のもの(すす)()でて()ふ「(しゅ)よ、なんぢの(いち)ミナは(じふ)ミナを(まう)けたり」[引照]

口語訳最初の者が進み出て言った、『ご主人様、あなたの一ミナで十ミナをもうけました』。
塚本訳第一の者があらわれて言った、『御主人、あなたの一ミナは十ミナをかせぎました。』
前田訳第一のものが現われて、いった、『ご主人、あなたの一ミナは十ミナをもうけました』と。
新共同最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。
NIV"The first one came and said, `Sir, your mina has earned ten more.'

19章17節 (わう)いふ「(ぜん)いかな、()(しもべ)、なんぢは小事(せうじ)(ちゅう)なりしゆゑ、(じふ)(まち)(つかさ)どるべし」[引照]

口語訳主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。
塚本訳主人が言った、『感心々々、善い僕よ、ごく小さなことに忠実であったから、十の町の支配権を持たせる。』
前田訳主人はいった、『よい僕、小事に忠実であったから、十の町の権限を与えよう』と。
新共同主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』
NIV"`Well done, my good servant!' his master replied. `Because you have been trustworthy in a very small matter, take charge of ten cities.'
註解: 十ミナを得たことに対して十の町の司たることは賞が大きすぎるようであるが、天国において得る賞の大きさは我らの想像を絶するものであろう。

19章18節 (つぎ)(もの)きたりて()ふ「(しゅ)よ、なんぢの(いち)ミナは()ミナを(まう)けたり」[引照]

口語訳次の者がきて言った、『ご主人様、あなたの一ミナで五ミナをつくりました』。
塚本訳第二の者が来て言った、『御主人、あなたの一ミナは五ミナをこしらえました。』
前田訳第二のものが来ていった、『ご主人、あなたの一ミナは五ミナをつくりました』と。
新共同二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。
NIV"The second came and said, `Sir, your mina has earned five more.'

19章19節 (わう)また()ふ「なんぢも(いつ)つの(まち)(つかさ)どるべし」[引照]

口語訳そこでこの者にも、『では、あなたは五つの町のかしらになれ』と言った。
塚本訳これにも言った、『あなたも五つの町を支配せよ。』
前田訳これにもいった、『あなたには五つの町の権限を』と。
新共同主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。
NIV"His master answered, `You take charge of five cities.'
註解: マタ25:21−23の場合は同じく全力を尽くした者は能力の大小に関係なく全く同一の賞詞を主人より受けているけれども、この場合は、金銭を委托されし者の任務遂行の誠実さが問題とされているので17節の同一の賞詞を与えられず、利益に相当なる賞が与えられる。

19章20節 また一人(ひとり)きたりて()ふ「(しゅ)()よ、なんぢの(いち)ミナは此處(ここ)()り。(われ)これを袱紗(ふくさ)(つつ)みて(をさ)()きたり。[引照]

口語訳それから、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様、さあ、ここにあなたの一ミナがあります。わたしはそれをふくさに包んで、しまっておきました。
塚本訳またほかの者が来て言った、『御主人、これがあなたの一ミナです。風呂敷に包んでしまっておきました。
前田訳もうひとりが来ていった、『ご主人、これがあなたの一ミナです。ふくさに包んでしまっておきました。
新共同また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。
NIV"Then another servant came and said, `Sir, here is your mina; I have kept it laid away in a piece of cloth.

19章21節 これ(なんぢ)(きび)しき(ひと)なるを(おそ)れたるに()る。なんぢは()かぬものを()り、()かぬものを()るなり」[引照]

口語訳あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人なので、おそろしかったのです』。
塚本訳あなたは預けないものを取り立て、まかないものを刈り取られる厳しい方だから、恐ろしかったのです。』
前田訳あなたはきびしい方で、預けぬものを取り立て、まかぬものを刈られるので、こわかったのです』と。
新共同あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』
NIVI was afraid of you, because you are a hard man. You take out what you did not put in and reap what you did not sow.'

19章22節 (わう)いふ「()しき(しもべ)、われ(なんぢ)(くち)によりて(なんぢ)(さば)かん。(われ)(きび)しき(ひと)にて、()かぬものを()り、()かぬものを()るを()るか。[引照]

口語訳彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間だと、知っているのか。
塚本訳彼に言う、『悪い僕よ、あなたのその言葉で罰してやろう。このわたしが、預けないものを取り立て、まかないものを刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。
前田訳彼はいう、『悪い僕、いまそちらの口から出たことばでそちらを裁こう。わたしがきびしい人で、預けぬものを取り立て、まかぬものを刈ると知っていたのか。
新共同主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。
NIV"His master replied, `I will judge you by your own words, you wicked servant! You knew, did you, that I am a hard man, taking out what I did not put in, and reaping what I did not sow?

19章23節 (なに)ぞわが(きん)銀行(ぎんかう)(あづ)けざりし、さらば(われ)きたりて元金(もときん)利子(りし)とを請求(せいきう)せしものを」[引照]

口語訳では、なぜわたしの金を銀行に入れなかったのか。そうすれば、わたしが帰ってきたとき、その金を利子と一緒に引き出したであろうに』。
塚本訳では、なぜわたしの金を銀行に預けなかったか。そうすればかえって来たとき、利子をつけて受け取ることができたのに。』
前田訳では、なぜわたしの金を銀行に預けなかったか。そうすれば帰ったとき利子つきで受け取れたのに』と。
新共同ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』
NIVWhy then didn't you put my money on deposit, so that when I came back, I could have collected it with interest?'
註解: もし汝に誠実さがあるならば、自己の能力を考慮して最も適当な処置を取ることを知ったであろう。これを為さなかったのは汝の不誠実の結果である。

19章24節 かくて(かたは)らに()(もの)どもに()ふ「かれの(いち)ミナを()りて(じふ)ミナを()てる(ひと)(わた)せ」[引照]

口語訳そして、そばに立っていた人々に、『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい』と言った。
塚本訳それからそばに立っていた人たちに言った、『その一ミナをその男から取り上げて、十ミナを持っている者に渡しなさい。
前田訳そして居合わせた人々にいった、『その一ミナを取りあげて十ミナを持っているものに渡しなさい』と。
新共同そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』
NIV"Then he said to those standing by, `Take his mina away from him and give it to the one who has ten minas.'

19章25節 (かれ)()いふ「(しゅ)よ、かれは(すで)(じふ)ミナを()てり」[引照]

口語訳彼らは言った、『ご主人様、あの人は既に十ミナを持っています』。
塚本訳
前田訳〔彼らはいった、『ご主人、あの人はもう十ミナ持っています』と〕。
新共同僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、
NIV"`Sir,' they said, `he already has ten!'

19章26節 「われ(なんぢ)らに()ぐ、(すべ)()てる(ひと)はなほ(あた)へられ、()たぬ(ひと)()てるものをも()らるべし。[引照]

口語訳『あなたがたに言うが、おおよそ持っている人には、なお与えられ、持っていない人からは、持っているものまでも取り上げられるであろう。
塚本訳わたしは言う、だれでも持っている人は(さらに)与えられるが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
前田訳『わたしはいう、だれでも、持つ人は与えられ、持たぬ人は持つものまで取りあげられよう。
新共同主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。
NIV"He replied, `I tell you that to everyone who has, more will be given, but as for the one who has nothing, even what he has will be taken away.
註解: 信仰はこれを働かせることによって益々力を加えられ、これを眠らせることによって益々萎縮する。自己の使命の全力を尽くすことによって始めて神の心に叶う結果を得ることができる。

19章27節 (しか)して()(わう)たる(こと)(ほっ)せぬ、かの(あた)どもを此處(ここ)()れきたり、()(まへ)にて(ころ)せ」』[引照]

口語訳しかしわたしが王になることを好まなかったあの敵どもを、ここにひっぱってきて、わたしの前で打ち殺せ』」。
塚本訳ところで、わたしを王に戴くことを好まなかったあの敵どもをここに引っ張ってきて、わたしの見ている前で斬り殺してしまえ。』」
前田訳しかし、わたしを王に戴きたがらなかったあの敵どもをここに引いて来て、わたしの目の前で斬り殺せ』」と。
新共同ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」
NIVBut those enemies of mine who did not want me to be king over them--bring them here and kill them in front of me.'"
註解: ルカ19:14節の叛逆者は王の前にて殺される。イエスに反抗し続ける者は、その再臨の時、彼の前で(さば)かれるであろう。以上の寓話により神の国が成るのはイエスのエルサレム入りによって来たらず、イエスはまず苦難を受けて十字架の死を遂げなければならず、そして昇天して神の御許に行き、やがて再び来りて死ぬる者と生ける者とを(さば)き給うまで、地上においては神はその福音の伝道を使徒たち弟子たちに托し給うであろう。而していよいよイエス、王として再び来り給う場合は各人によってその運命に著しい差異が生ずるであろう。この点を今から考慮しなければならない。
附記 マタ25:14−30とこの寓話とが如何なる関係を持つかは決定に困難である。多くの類似点を持つのであるが、詳細に観察する場合さらに多くの差別がある。(一)マタ25章の場合は主人の旅行不在中の問題であり、本章の場合は主人が王の権を受けて帰る場合の問題である。従って前者においては使命の達成という点に重点を置き、後者においては、王を迎える態度に重点を置く。(二)マタイの場合は能力に応じて預けられた金額が相違し、ルカの場合はみな同一であった。(三)従ってマタイの場合は褒賞が功績の程度如何にかかわらず同一であり、ルカの場合はその成績の差異を責務を果すことの心の熱心に比例するものと見てその褒賞を異にしている。(四)その他これに伴える若干の小差別があるのであるが、要するにマタイとルカとはこの寓話の中心点を異にして編纂したのであるか、またかかる二種の伝説が伝わったのであるかは不明である。もし後者とすればイエスは時に異なったしかも類似した二つの寓話を語られたのであるか、または同一の寓話が聴く者の心の置き所の異なるに従って、かかる二種の異なった物語として残されたものであろう。これらの問題については決定的な説はない。
要義 [能力の差異と使命の平等]各人に能力の種類および程度の差異があり、これによってこの世においてその人の与えられる職業や地位は異なっている。ある者は大臣となりある者は属吏(ぞくり)となる。ある者は学者となりある者は職工となる(タラントの例)。しかしこれらの差異にかかわらずその使命はみな同一の重要さを持つ(ミナの例)。その故は各神より与えられた使命だからである。ゆえに自己の使命を果さない大臣よりも、その使命を完全に果した属吏(ぞくり)の方が神の喜び給うところであり、その使命をその能力に応じて完全に果した大臣と属吏(ぞくり)とは同一の賞与に与ることができる(マタ25:21、23)。そして天国においては、地上におけると異なり、能力の差異によって地位が定められず、使命を完遂する程度によって定められるのであって、地上において完全に使命を果した者はこの世において(ひく)い地位の者でも高い栄誉を得て多くの責任を負わしめられ、少なく果した者は少ない栄誉を得、少ない責任を負わしめられる(ルカ19:17、19)。そして使命を果さない者、またはイエスに叛いた者は天国における栄誉に与ることができず、外に棄てられることとなる。それ故に我らは地上において神より与えられし使命を完全に果たさなければならず、またこれが同時に天国における褒賞と責任とに関係があることを知らなければならない。キリスト者であっても、その使命を果すことを怠った者は天国において恥じしめられるであろう。

9-1-ホ 驢馬に乗りてエルサレムに近付き給う 19:28 - 19:40
(マタ21:1-9) (マコ11:1-10)  

19章28節 イエス(これ)()のことを()ひてのち、(さき)だち(すす)みてエルサレムに(のぼ)(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスはこれらのことを言ったのち、先頭に立ち、エルサレムへ上って行かれた。
塚本訳このことを話したのち、イエスは進んでエルサレムへと上って行かれた。
前田訳これらのことを話してから、彼は前進してエルサレムヘ上られた。
新共同イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。
NIVAfter Jesus had said this, he went on ahead, going up to Jerusalem.
註解: イエスの態度はルカ9:51の場合と異ならず、御顔を真直ぐにエルサレムに向けて進み、自ら先頭に立ち、弟子たちを後に従わしめ給うた。死が彼を待っているいることを予知しつつ11−27節の比喩の実現に向って進み給うた。

註解: 29−40節はイエスが驢馬に乗ってエルサレムに入り給う時の光景を叙す。驢馬は軍馬と異なり平和の君の入城に相応しい。

19章29節 オリブといふ(やま)(ふもと)なるベテパゲ(およ)びベタニヤに(ちか)づきし(とき)[引照]

口語訳そしてオリブという山に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子をつかわして言われた、
塚本訳いわゆるオリブ山の中腹にあるベテパゲとベタニヤとの近くに来られると、こう言って弟子を二人使いにやられた、
前田訳いわゆるオリブ山にあるベテパゲとベタニアとに近づかれると、ふたりの弟子をつかわして、
新共同そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、
NIVAs he approached Bethphage and Bethany at the hill called the Mount of Olives, he sent two of his disciples, saying to them,
註解: オリブ山はエルサレムの東にありケデロンの谷を隔ててエルサレムの宮と相対す。その山頂よりはエルサレムとその神殿の全貌を見下ろすことができる。ベテパゲはオリブ山の西南、ベタニヤは東南の麓にあり、エリコの方よりエルサレムに上るにはベタニヤが先であるが、弟子たちはエルサレム中心に考えてベテパゲを先に言い慣らしたためにこの順に録されたのであろう。ベテパゲよりは下り坂となってケデロンの小川を渡る途となる。

[イエス]二人(ふたり)弟子(でし)(つかは)さんとして()(たま)ふ、

註解: この二人の弟子が誰であったかは不明。

19章30節 (むかひ)(むら)にゆけ、其處(そこ)()らば、一度(ひとたび)(ひと)()りたる(こと)なき驢馬(ろば)()(つな)ぎあるを()ん、それを()きて()ききたれ。[引照]

口語訳「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい。
塚本訳向いの村まで行ってきなさい。村に入ると、かつてだれも乗ったことのない一匹の子驢馬がつないであるのが見える。それを解いて引いてきてもらいたい。
前田訳こういわれた、「向かいの村へ行きなさい。そこに入ると、だれも乗ったことのない子ろばが一匹つないであるのが見えよう。それを解いて引いて来なさい。
新共同言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。
NIV"Go to the village ahead of you, and as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here.
註解: イエスはエルサレム入城のために人の乗りたることなき驢馬の子を用いんとし給うた。未だ一回も使用しない動物のみが神の用に供えらるべきだからである(民19:2申21:3Tサム6:7)。死期が近付いて益々鋭敏の度を加えたイエスの霊眼がかかる驢馬の子のいることを直観したものと見るべきであろう。この驢馬の所有主がイエスの知人であり、イエスは驢馬のことを知っていたと解する(Z0)説はこの記事からは断定することができない。
辞解
[向ひの村] ベタニヤからはオリブ山の山側を隔てて向側となる。

19章31節 (たれ)かもし(なんぢ)らに「なにゆゑ()くか」と()はば、()()ふべし「(しゅ)(よう)なり」と』[引照]

口語訳もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、『主がお入り用なのです』と、そう言いなさい」。
塚本訳もし『なぜ解くか』と尋ねる者があったら、『主がお入用です』と、こう言えばよろしい。」
前田訳もし、『なぜ解くか』とたずねるものがあったら、『主のご用』といいなさい」と。
新共同もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」
NIVIf anyone asks you, `Why are you untying it?' tell him, `The Lord needs it.'"
註解: 主の必要とし給うものは無条件にこれを提供するのが人間の義務である。驢馬を曳き往く理由としてこれで充分であった。ただし普通の場合ならば、未知の人がかかる理由を述べただけで、他人の所有物を持ち去ることはできないのであるから、この場合一種の奇蹟的了解が彼らの間に行われるであろうことをイエスは予知したものと見るべきであろう。

19章32節 (つかは)されたる(もの)ゆきたれば、(はた)して()(たま)ひし(ごと)くなるを()る。[引照]

口語訳そこで、つかわされた者たちが行って見ると、果して、言われたとおりであった。
塚本訳使の者たちが行って見ると、はたしてイエスの言葉どおりであった。
前田訳使いが行くと、はたしていわれたとおりであった。
新共同使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。
NIVThose who were sent ahead went and found it just as he had told them.
註解: 彼らはこの不思議な適中に驚いたことが文章の裏面にあらわれている。神の御言に(したが)う者に失敗はあり得ない。

19章33節 かれら驢馬(ろば)()をとく(とき)、その持主(もちぬし)ども()ふ『なにゆゑ驢馬(ろば)()()くか』[引照]

口語訳彼らが、そのろばの子を解いていると、その持ち主たちが、「なぜろばの子を解くのか」と言ったので、
塚本訳子驢馬を解いているとき、持ち主たちが「なぜ子驢馬を解くか」と言ったので、
前田訳子ろばを解いているとき、持ち主たちが、「なぜ子ろばを解くか」といったので、
新共同ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。
NIVAs they were untying the colt, its owners asked them, "Why are you untying the colt?"

19章34節 (こた)へて()ふ『(しゅ)(よう)なり』[引照]

口語訳「主がお入り用なのです」と答えた。
塚本訳「主がお入用です」とこたえた。
前田訳「主のご用」と答えた。
新共同二人は、「主がお入り用なのです」と言った。
NIVThey replied, "The Lord needs it."
註解: 凡てがイエスの預見し預言し給える通りに実現した。この凡ての事実が、イエスの最後のエルサレム入城の事実に伴える奇蹟的進展と見るべきであろう。

19章35節 かくて驢馬(ろば)()をイエスの(もと)()ききたり、(おの)(ころも)をその(うへ)にかけて、イエスを()せたり。[引照]

口語訳そしてそれをイエスのところに引いてきて、その子ろばの上に自分たちの上着をかけてイエスをお乗せした。
塚本訳二人はそれをイエスの所に引いてきて、自分たちの着物を子驢馬の上に投げかけ、イエスをお乗せした。
前田訳ふたりはそれをイエスのところへ引いて来て、自分たちの着物を子ろばの上に投げかけ、イエスをお乗せした。
新共同そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。
NIVThey brought it to Jesus, threw their cloaks on the colt and put Jesus on it.
註解: 弟子たちは自分の衣を驢馬にかけてイエスを乗せ、彼らの主を思う真心を表白した。そえにもかかわらず驢馬に乗って入城し給うイエスの姿は、極めて貧弱なものであったに相違ない。軍馬に鞍を置ける凱旋将軍が大軍を率い、堂々として入城するのに比して極めて貧弱であった。しかしこれこそ平和の君の入城に相応しいものであった。ゼカ9:9の預言はかくして成就したことがマタ21:5に録されているのもそのためである。肉の人間は軍馬に跨れる凱旋将軍を喜び、霊の人は柔和なる姿をもって驢馬の子に乗り、十字架の死に向って進み給う神の子イエスを喜ぶ。

19章36節 その()(たま)ふとき、人々(ひとびと)おのが(ころも)(みち)()く。[引照]

口語訳そして進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。
塚本訳イエスが進んでゆかれると、人々はその着物を道に敷いた。
前田訳彼が進まれると、人々はその着物を道に敷いた。
新共同イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。
NIVAs he went along, people spread their cloaks on the road.
註解: 徒歩者を非常にいたわる時または尊敬する時は衣や敷物を地上に布く例があった。人々のイエスに対する心からの尊敬の表示である。かかる群集が数日の後にイエスを十字架に()けよと叫んだ。頼りないのは群衆の心理である。

19章37節 オリブ(やま)(くだ)りあたりまで(ちか)づき(きた)(たま)へば、()れゐる弟子(でし)たち(みな)(よろこ)びて、その()しところの能力(ちから)ある御業(みわざ)につき、(こゑ)(たか)らかに(かみ)讃美(さんび)して()(はじ)む、[引照]

口語訳いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、
塚本訳すでにオリブ山の降り口近くに来られたとき、弟子の群は皆喜んで、彼らが見た(イエスの)あらゆる奇跡の(すばらしさの)ゆえに、こう言って大声に神を讃美し始めた。──
前田訳すでにオリブ山の降り口に近づかれたとき、弟子の群れは皆よろこんで、彼らが見たあらゆる奇跡ゆえに大声で神を讃美しはじめた。彼らはいった、
新共同イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
NIVWhen he came near the place where the road goes down the Mount of Olives, the whole crowd of disciples began joyfully to praise God in loud voices for all the miracles they had seen:
註解: 「能力ある御業につき」はマタイ、マルコに無し、イエスを歓迎せる理由の主なるものは、その奇蹟を見たからであった。その奇蹟力をもってエルサレムに入り、エルサレムを中心に神の国を建設し給うであろうと考えたのが、群衆や弟子たちの当時の心持であった。然るにイエスはその歓呼の中を真直ぐに十字架に向って進み給うた。
辞解
[弟子たち] 広義に用いられている。

19章38節 ()むべきかな、(しゅ)()によりて(きた)(わう)(てん)には平和(へいわ)至高(いとたか)(ところ)には榮光(えいくわう)あれ』[引照]

口語訳「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ」。
塚本訳“主の御名にて来られる”王に、“祝福あれ。”天には平安、いと高き所には栄光あれ!
前田訳「祝福あれ、主のみ名によって来たもう王に、天には平和いと高きところには栄光あれ」と。
新共同「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」
NIV"Blessed is the king who comes in the name of the Lord!" "Peace in heaven and glory in the highest!"
註解: 「主」は「エホバ」に相当す。イエスは地上の「王」として来り給う。地上には暗黒と恥辱とがあるのみであるが、イエス王として来り給いて地上に光明と栄光とが下ったのである。詩118:26の歓呼に相当す。ただし群衆のこの歓迎はやがて一変して彼の上に注がれた詛いとなった(ルカ23:18ルカ23:23)。イエスがやがて再び来り給う時再びこの歓呼が真の意味で聞かれるであろう(ルカ13:35参照)。なおこの一節異本多し。

19章39節 群衆(ぐんじゅう)のうちの(ある)パリサイ(びと)ら、イエスに()ふ『()よ、なんぢの弟子(でし)たちを(いやし)めよ』[引照]

口語訳ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。
塚本訳群衆の中にいた数人のパリサイ人がイエスに言った、「先生、お弟子たちを叱ってください。」
前田訳群衆の中の数人のパリサイ人が彼にいった、「先生、お弟子たちをおたしなめください」と。
新共同すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。
NIVSome of the Pharisees in the crowd said to Jesus, "Teacher, rebuke your disciples!"
註解: パリサイ人は群衆や弟子のイエスに対する歓呼が普通でなかったのでこれを嫌悪しまたこれを嫉ましく思ったのであろう。その不体裁を制止することをイエスに求めた。ダビデ王がエホバの(はこ)の前に踊ったのを見てサウルの女ミカルがこれを賤しめたのと同様、人は外貌を見、神は心を見る(Uサム6:14−16)。

19章40節 (こた)へて()(たま)ふ『われ(なんぢ)らに()ぐ、()のともがら(もだ)さば、(いし)(さけ)ぶべし』[引照]

口語訳答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。
塚本訳答えて言われた、「わたしは言う、この人たちが黙ったら、石が叫ぶであろう。」
前田訳彼は答えられた、「わたしはいう、この人たちが黙れば、石が叫ぼう」と。
新共同イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
NIV"I tell you," he replied, "if they keep quiet, the stones will cry out."
註解: イエスのエルサレム入城とその十字架の死による人類の救済とは宇宙的事件であり、天と地はみな歓呼の声を挙げつつあるのであるから、人間もこれに伴って歓呼することは当然である。たといこれを制止しても神の御業の力を制止することができず、石すら叫ぶであろうから無駄である。イエスは喜んで群衆と弟子の歓呼を受納れ給うた。最後の二節はルカ伝特有である。
要義1 [イエスの凱旋]イエスは平和の戦に勝ちたる凱旋将軍の態度をもってエルサレムに入城し給うた。しかしながらこの凱旋将軍は、多くの将兵や家臣に君臨してこれを駆使し、金銀宝石の王冠と錦繍綾羅(きんしゅうりょうら)の玉座をもって自己を飾ることをせず、多くの人の贖償としてその生命を与え、十字架の上にその血汐を流さんがために入城し給うたのであった。そしてこの死は彼の恥辱ではなく光栄であり、敗北ではなく彼の永遠の勝利であった。この世の凱旋将軍は多くの人の血を己がために(そそ)がしめ、己は栄誉と権勢とを(ほしいまま)にし、神の国の凱旋将軍は多くの人のために己が血を(そそ)ぎて彼らを生かし、己は恥辱と苦難との中に死して人々に光栄と祝福とを与え給う、軍馬と驢馬との差は、適切にこの両者の差異を表徴する。
要義2 [主の用なり]主がこれを要し給う場合、我らは直ちにそれを主に献げなければならない。我らは主の用のために造られたのであるから、主に用いられることは我らの存在の目的である。主一度呼び給えば、我らは我らの持てる凡てのもの、己が生命をすら直ちに主にささげるのである。これが我らの最大の喜びであり、我らの生存の意義の達成である。

9-1-ヘ エルサレムのために泣き給う 19:41 - 19:44  

19章41節 (すで)(ちか)づきたるとき、(みやこ)()やり、(これ)がために()きて()(たま)ふ、[引照]

口語訳いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、
塚本訳いよいよ(エルサレムが)近くなって(はじめて)都が見えると、イエスは都(に臨もうとしている裁き)を思い、声をあげて泣きだされた。
前田訳近づいて都が見えると、都のために泣いて、いわれた、
新共同エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、
NIVAs he approached Jerusalem and saw the city, he wept over it
註解: ベテパゲよりケデロン川に沿いてオリブ山の裾を下り行く時、エルサレムの都は左手に絵画のごとくに浮び上る。イエスはイスラエルの信仰の中心とも言うべきエルサレムの不信を思い、やがてその上に下るべき神の審判を思っていたく慟哭し給うた。▲エルサレムはイスラエルの神制政治の主都であり、神の人類救済の経綸を象徴する中心地であった。従って大なる歓喜と期待とをもって神の子を迎うべきであった。然るにイスラエルを迎えたのは頼りない民衆の一部に過ぎず、その主脳者は如何にしてイエスを殺そうかとの計画に苦心していた。神の都が神の子を拒む、その結果エルサレムは滅亡より外にないことをイエスは明白に予感し給うた。
辞解
[泣く] kleiô はヨハ11:35の「涙を流す」 dakruô と異なり声を立てて慟哭すること、イエスの悲嘆の爆発であった。

19章42節 『ああ(なんぢ)、なんぢも()しこの()(あひだ)に、平和(へいわ)にかかはる(こと)()りたらんには――されど(いま)なんぢの()(かく)れたり。[引照]

口語訳「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……しかし、それは今おまえの目に隠されている。
塚本訳そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。
前田訳「もしきょうの日におまえにも平和への道が見えたなら!しかし今はそれがおまえの目から隠されている。
新共同言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。
NIVand said, "If you, even you, had only known on this day what would bring you peace--but now it is hidden from your eyes.
註解: 神に対する反逆者は神の審判の下に在り、そこに平和はない。神との間の平和、およびこれより生ずる我らの心の平和は唯イエス・キリストを信ずることである。これは今日中に決定すべく迫られている緊迫せる問題である。もし今日直ちに悔改めてイエスを受けるならばエルサレムは審判を免れるであろう。しかしこのことは彼らの目に隠されていた。これを思いイエスは慟哭を禁じ得なかった。

19章43節 ((なんじ)(うえ)に)()きたりて(てき)なんぢの周圍(まはり)(るゐ)をきづき、(なんぢ)取圍(とりかこ)みて四方(しはう)より()め、[引照]

口語訳いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、
塚本訳やがて時が来て、敵はお前のまわりに塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め立て、
前田訳時が来て、敵がおまえのまわりに塁を築き、おまえを取り巻いて四方から攻め、
新共同やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、
NIVThe days will come upon you when your enemies will build an embankment against you and encircle you and hem you in on every side.

19章44節 (なんぢ)とその(うち)にある()らとを()打倒(うちたふ)し、(ひと)つの(いし)をも(いし)(うへ)(つかは)さざるべし。なんぢ眷顧(かへりみ)(とき)()らざりしに()る』[引照]

口語訳おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。
塚本訳お前と、そこにいる“お前の子供たちを地べたに叩きつけ、”お前の中に、そのまま重なっている石が一つもないようにするであろう。恩恵の時を知らなかった罰である。」
前田訳おまえとおまえの子らとを地に倒し、重なっている石がおまえのうちにひとつもなくさせよう。おまえが神の顧みの時を知らなかったためである」と。
新共同お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
NIVThey will dash you to the ground, you and the children within your walls. They will not leave one stone on another, because you did not recognize the time of God's coming to you."
註解: 神の審判によりエルサレムは敵に包囲され、住民は殺され城壁は破壊されるであろう。これは神がイスラエルを顧みて救い主を遣し給うたことを知らないためである。この記事が紀元七十年ローマの軍隊によるエルサレムの滅亡の際に実現した。そのためにこの二節を事後の預言と解し、ルカ伝がその事件の後に録されたとする説の理由として掲げられているけれども、必ずしもかく解さなければならない理由はない。イザ29:3詩137:9(七十人訳)等より一般の戦争の光景を録したものと考えることができる。「眷顧(かえりみ)の時」は神が人類を救わんために子イエスを遣し給うた時。

9-1-ト 宮潔め 19:45 - 19:46
(マタ21:12-13) (マコ11:15-17)  

19章45節 かくて(みや)()り、(あきな)ひする(もの)どもを()()しはじめ、[引照]

口語訳それから宮にはいり、商売人たちを追い出しはじめて、
塚本訳やがて(エルサレムに着いて)イエスは宮に入り、物を売る者を追い出し始めて、
前田訳宮に入ると、彼は物売りを追い出しはじめて、
新共同それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、
NIVThen he entered the temple area and began driving out those who were selling.

19章46節 (これ)()ひたまふ『「わが(いへ)(いのり)(いへ)たるべし」と(しる)されたるに、(なんぢ)らは(これ)強盜(がうたう)()となせり』[引照]

口語訳彼らに言われた、「『わが家は祈の家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたはそれを盗賊の巣にしてしまった」。
塚本訳こう言われた、「“わたしの家は祈りの家であらねばならぬ”と(聖書に)書いてあるのに、あなた達はそれを“強盗の巣”にしてしまった。」
前田訳こういわれた、「『わが家は祈りの家たるべきである』と聖書にあるのに、あなた方はそれを強盗の巣にしてしまった」と。
新共同彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
NIV"It is written," he said to them, "`My house will be a house of prayer' ; but you have made it `a den of robbers.' "
註解: 宮潔めの記事はマタ21:12、13。マコ11:15−19に詳細に掲げられている故、その箇所を参照すべし。イエスはエルサレムの宮がその本質を失い、俗人の私慾に汚され、殊に祭司階級の営利の場所とされているのを見るに忍びずついに憤怒の鞭を(ふる)ってこれを潔め給うた。宮潔めのことは39−44節の記事が先行する場合に、最も適切にイエスの心境を理解することができる。ルカはかかる意味でこの事件を記したものと見るべきであろう。
要義 [エルサレムの滅亡の預言]もしある学者たちの想像するごとく、ルカがこの福音書を紀元七十年、すなわちローマ軍によってエルサレムが攻略された後に書いたものとすれば、43、44節は「事後の預言」として認められるのであるが、これをエルサレム陥落前に録したものとすれば(緒言を見よ)この預言は極めて適切に事実に(あた)っていると言わなければならない。そしてイエスのごとき霊的眼光を有する人は数十年後に起るべき事実を達観することは決して不可能ではない。それはかかる人は神の御意を最も深く理解しており、かつ、イスラエル(エルサレムはその中心的代表的存在)が如何に神の御旨を拒みつつあるかを知っている故、神の審判がエルサレムに下ることは如何にしても避け得ないことを直感し得るからである。そして都市の上に審判が下るということは地震等の天災か、敵軍の侵入による等の原因によることが多い以上、イエスがかかる預言を為し給うたことは決して承認し得ない事実ではない。否イエスの脳裡には明かにエルサレムの断末魔の光景が浮び出でたことであろう。預言者の言を蔑する群衆は禍である。

9-1-チ 宮にて教え給う 19:47 - 19:48
(マタ21:14-16) (マコ11:18)  

19章47節 イエス日々(ひび)(みや)にて(をし)へたまふ。祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)(およ)(たみ)重立(おもだ)ちたる(もの)ども、(これ)(ころ)さんと(おも)ひたれど、[引照]

口語訳イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者また民衆の重立った者たちはイエスを殺そうと思っていたが、
塚本訳イエスは毎日宮で教えておられた。大祭司連、聖書学者たち、それに国の名士たちも、イエスを殺そうと思ったが、
前田訳彼は日ごとに宮で教えておられた。大祭司、学者、民のおもだったものたちは彼を殺そうと思ったが、
新共同毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、
NIVEvery day he was teaching at the temple. But the chief priests, the teachers of the law and the leaders among the people were trying to kill him.

19章48節 (たみ)みな(みみ)(かたむ)けてイエスに()きたれば、()すべき(ちから)()らざりき。[引照]

口語訳民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった。
塚本訳どう仕様もなかった。だれもかれも皆イエスの話に聞きとれていたからである。
前田訳どうすることもできなかった。民が皆彼に耳傾けて心酔していたからである。
新共同どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
NIVYet they could not find any way to do it, because all the people hung on his words.
註解: イエスの最後の一週間、すなわち受難週間のイエスの活動(20:1−22:38)と、これに対するユダヤ人の首脳者たちの敵対的態度をこの二節に要約している。息詰る瞬間の光景である。神に仕えていると自認している祭司・律法学者たちが、最も激しく神の子を迫害するという事実は、全く奇怪の至りであるが、この事実は今日もなお存することを忘れてはならない。

ルカ伝第20章
9-2 ユダヤ人の反抗 20:1 - 21:4
9-2-イ イエスの権威 20:1 - 20:8
(マタ21:23-27) (マコ11:27-33)  

20章1節 (ある)()イエス(みや)にて(たみ)(をし)へ、福音(ふくいん)()べゐ(たま)ふとき、[引照]

口語訳ある日、イエスが宮で人々に教え、福音を宣べておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと共に近寄ってきて、
塚本訳ある日、イエスが宮で人々を教え、福音を説いておられた時のこと、大祭司連、聖書学者が長老たちと共に進み寄って、
前田訳ある日、宮で民を教え、福音を説いておられたときのこと、大祭司と学者が長老たちと進み出て、
新共同ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
NIVOne day as he was teaching the people in the temple courts and preaching the gospel, the chief priests and the teachers of the law, together with the elders, came up to him.
註解: イエスの教訓は神学者のいわゆる福音すなわち十字架による罪の赦しの福音という狭い意味の福音ではなかった。唯、神がその独り子を遣して人類を救い給うという意味において彼の語り給う処はみな福音であった。

祭司長(さいしちゃう)學者(がくしゃ)らは、長老(ちゃうらう)どもと(とも)(ちか)づき(きた)り、

20章2節 イエスに(かた)りて()ふ『なにの權威(けんゐ)をもて(これ)()(こと)をなすか、()權威(けんゐ)(さづ)けし(もの)(たれ)か、(われ)らに()げよ』[引照]

口語訳イエスに言った、「何の権威によってこれらの事をするのですか。そうする権威をあなたに与えたのはだれですか、わたしたちに言ってください」。
塚本訳イエスに言った、「なんの権威であんなことを(宮で)するのか。あの権威を授けた者はだれか、言ってもらいたい。」
前田訳彼にいった、「何の権威でこれらのことをするのか、だれがこの権威をあなたに与えたか、いってください」と。
新共同言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
NIV"Tell us by what authority you are doing these things," they said. "Who gave you this authority?"
註解: イエスの奇蹟や、教訓や、また時には宮潔めのごとく他人の為し得ないことをイエスが自由に為し、祭司や長老のごとき宗教界の権威者を全く眼中に置かないその態度を彼らは非難しようとし、まずそのことを為す権威をイエスが果して主張し得るや否やを試みんとし、その権威の性質と出所とを彼に問うた。彼らにとっては人間の造った制度によって人類が授けた権威が必要と思われた。制度としての教会の権威もこの類である。

20章3節 (こた)へて()(たま)ふ『われも一言(ひとこと)なんぢらに()はん、(こた)へよ。[引照]

口語訳そこで、イエスは答えて言われた、「わたしも、ひと言たずねよう。それに答えてほしい。
塚本訳答えて言われた、「ではわたしからも一つ尋ねる。それにこたえよ。
前田訳答えていわれた、「わたしもひとつたずねたいことがある。それをいってもらいたい。
新共同イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
NIVHe replied, "I will also ask you a question. Tell me,

20章4節 ヨハネのバプテスマは(てん)よりか、(ひと)よりか』[引照]

口語訳ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか」。
塚本訳──ヨハネの洗礼は天(の神)から(授かったの)であったか、それとも人間からか。」
前田訳ヨハネの洗礼は天からであったか人からであったか」と。
新共同ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
NIVJohn's baptism--was it from heaven, or from men?"
註解: イエスは彼らの問いに直接に答えず、彼ら自身に答えしめようとして彼らに反問を発し給うた。すなわちヨハネのバプテスマは天より権威を受けてこれを行ったのかまたは人より権威を受けてこれを行ったかとの問いであった。イエスはもとよりこれを「天からの権威」によるものと考えたのであった。ヨハネはイエスと同じく何人からもかかる権威を授けられなかったからである。

20章5節 (かれ)(たがひ)(ろん)じて()ふ『もし「(てん)より」と()はば「なに(ゆゑ)かれを(しん)ぜざりし」と()はん。[引照]

口語訳彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
塚本訳彼はひそかに考えた、「もし『天から』と言えば、『なぜヨハネを信じなかったか』と言うであろうし、
前田訳彼らは互いに論じあった、「もし、『天から』といえば、『なぜ彼を信じなかったか』といおう。
新共同彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
NIVThey discussed it among themselves and said, "If we say, `From heaven,' he will ask, `Why didn't you believe him?'

20章6節 もし「(ひと)より」と()はんか、(たみ)みなヨハネを預言者(よげんしゃ)(しん)ずるによりて、(われ)らを(いし)にて()たん』[引照]

口語訳しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」。
塚本訳もし『人間から』と言えば、人民どもは(冒涜だと言って)皆でわたし達を石で打ち殺すにちがいない。彼らはヨハネを預言者だと信じこんでいるのだから。」
前田訳もし、『人から』といえば、民が皆でわれらを石打ちしよう。民はヨハネが預言者であると思い込んでいるから」と。
新共同『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
NIVBut if we say, `From men,' all the people will stone us, because they are persuaded that John was a prophet."
註解: イエスは巧みに彼らを、ヂレンマに陥れ給うた。彼らはヨハネに対しても、イエスに対すると同様に真面目に物事を考えず、単に自己の擁護にのみ専念していた。すなわちヨハネを受納れこれを信ずることは彼らの地位身分の高さに対してこれを恥じ、反対にヨハネには正当の権威なしとしてこれを排斥することは、群衆の反感を恐れ自己の安全を脅かすことであり、その何れにも態度を定め得ずにいる状態であった。真理を愛する者はかかる態度に出ることはできない。

20章7節 (つい)何處(いづこ)よりか()らぬ(よし)(こた)ふ。[引照]

口語訳それで彼らは「どこからか、知りません」と答えた。
塚本訳そこで、どこからか知らない、と答えた。
前田訳そこで、「どこからか知らない」と答えた。
新共同そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
NIVSo they answered, "We don't know where it was from."

20章8節 イエス()ひたまふ『われも(なに)權威(けんゐ)をもて(これ)()(こと)をなすか、(なんぢ)らに()げじ』[引照]

口語訳イエスはこれに対して言われた、「わたしも何の権威によってこれらの事をするのか、あなたがたに言うまい」。
塚本訳イエスは言われた、「ではなんの権威であんなことをするか、わたしも言わない。」
前田訳イエスはいわれた、「わたしも、何の権威でこれらのことをするのか、あなた方にいわない」と。
新共同すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」
NIVJesus said, "Neither will I tell you by what authority I am doing these things."
註解: この答えざる答によってイエスの確信が彼らに明かにされたことであろう。イエスはヨハネを天より遣されし先駆者と信じ給うた。従ってイエス自身はさらに一層天より遣されし者であることを確信し給うた。然らば何故に単純にそのことを祭司、学者、長老等に告げなかったか。それは彼らに押付け得る事柄ではなく、彼らの心が開かれているや否やの問題であったからである。たといこれを告げてもヨハネの場合と同じく彼らはこれを信じなかったであろう。
要義 [真理と便益]真理は便益と両立しない場合も、真理は真理なるが故にこれを受容れなければならない。それが自己に利益を与うるや否やはこれを問題としてはならない。信仰を世俗的利害と両立せしめようとする時、そこに不純なる動機が混入し、真理を真理として受容れる心を失ってしまう。宗教の堕落はほとんど凡ての場合その原因をここに持っている。

9-2-ロ 悪しき農夫の比喩 20:9 - 20:19
(マタ21:33-46) (マコ12:1-12)  

20章9節 かくて(つぎ)(たとへ)(たみ)(かた)りいで(たま)ふ『ある(ひと)葡萄園(ぶだうぞの)(つく)りて農夫(のうふ)どもに()し、(とほ)旅立(たびだち)して(ひさ)しくなりぬ。[引照]

口語訳そこでイエスは次の譬を民衆に語り出された、「ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た。
塚本訳そして人々にこの譬を話し出された、「ある人が“葡萄畑をつくり、”小作人たちに貸して長い旅行に出かけた。
前田訳民にこの譬えを話しだされた、「ある人がぶどう園を作り、農夫たちに貸して長い旅に出た。
新共同イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。
NIVHe went on to tell the people this parable: "A man planted a vineyard, rented it to some farmers and went away for a long time.
註解: 権威の問題によって祭司や学者たちの心事の陋劣(ろうれつ)さを見たイエスは進んでこの譬を語り出で、彼らの態度が何を意味するか、またこれによって神の子イエスの上に臨むべき運命が何であるかを示し給う。この場合イザ5:1−7がイエスの比喩の基礎であることは明かである。すなわち葡萄園を作ったというのは、ある人すなわち「神」が特にイスラエルを選んで自分のための農園となし、これをその農夫であるイスラエルの祭司長老等に委托して、「遠く旅立し」しばらくその葡萄園を彼らの為すままに任せていたことを示す(なおマタ21:33参照)。そして彼らは神の農園を耕作すべき農夫でありながらその農園を私用しているとの意味である。

20章10節 (とき)(いた)りて、葡萄園(ぶだうぞの)所得(しょとく)(をさ)めしめんとて、一人(ひとり)(しもべ)農夫(のうふ)(もと)(つかは)ししに、農夫(のうふ)ども(これ)()ちたたき、空手(むなで)にて(かへ)らしめたり。[引照]

口語訳季節になったので、農夫たちのところへ、ひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を出させようとした。ところが、農夫たちは、その僕を袋だたきにし、から手で帰らせた。
塚本訳(収穫の)時が来たので、葡萄畑の収穫の分け前を納めさせるために、一人の使用人を小作人の所に使いにやった。しかし小作人はそれをなぐりつけ、手ぶらでおい返した。
前田訳季節になったので、農夫たちにひとりの僕をつかわして、ぶどう園の収穫の分け前を納めさせようとした。しかし農夫たちは彼をなぐって、手ぶらで追い帰した。
新共同収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。
NIVAt harvest time he sent a servant to the tenants so they would give him some of the fruit of the vineyard. But the tenants beat him and sent him away empty-handed.
註解: 僕はイスラエルの歴史においては預言者に相当する。イスラエルは預言者を迫害してその警告に耳を貸さず、彼らの罪を反省せず、神より委托された農園を私慾をもって支配していた。

20章11節 (また)ほかの(しもべ)(つかは)ししに、(これ)をも()ちたたき、(はづか)しめ、空手(むなで)にて(かへ)らしめたり。[引照]

口語訳そこで彼はもうひとりの僕を送った。彼らはその僕も袋だたきにし、侮辱を加えて、から手で帰らせた。
塚本訳さらにほかの使用人を一人やると、それをもなぐりつけ、かつ侮辱した上、手ぶらでおい返した。
前田訳さらにもうひとりの僕をやったが、それをもなぐって、はずかしめて、手ぶらで追い帰した。
新共同そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。
NIVHe sent another servant, but that one also they beat and treated shamefully and sent away empty-handed.
註解: 預言者を迫害する程度が以前よりも一層甚だしくなり、イスラエルの不信は増加わった。

20章12節 なほ三度(みたび)めの(もの)(つかは)ししに、(これ)をも(きず)つけて()()したり。[引照]

口語訳そこで更に三人目の者を送ったが、彼らはこの者も、傷を負わせて追い出した。
塚本訳かさねて第三の者をやると、これも怪我をさせて(葡萄畑から)放り出した。
前田訳さらに第三のものをやると、これをも怪我させて追い出した。
新共同更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。
NIVHe sent still a third, and they wounded him and threw him out.
註解: 葡萄園の主は忍耐深くも三度までその使いを遣して、農夫より所得を納めようとした。これは当然の要求であった。神が人類よりその凡ての霊魂と才能と所有とを要求し給うことも、また、これと同様に神の当然の権利である。人類はこれらの農夫と同じく、この神の要求を彼らに伝うる者を迫害する。

20章13節 葡萄園(ぶだうぞの)(ぬし)いふ「われ(なに)()さんか。()(いつく)しむ()(つかは)さん、(あるひ)(これ)(うやま)ふなるべし」[引照]

口語訳ぶどう園の主人は言った、『どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそう。これなら、たぶん敬ってくれるだろう』。
塚本訳そこで葡萄畑の持ち主が考えた、『どうしたものだろう。…よし、最愛の(独り)息子を使にやろう。これなら多分恐れ入るにちがいない。』
前田訳ぶどう園の主人はいった、『どうしよう。よし、わがいとし子をやろう。きっとこれならおそれいろう』と。
新共同そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』
NIV"Then the owner of the vineyard said, `What shall I do? I will send my son, whom I love; perhaps they will respect him.'
註解: 如何に農夫が私慾の奴隷であっても、主人の子ならばこれを尊敬するであろうと考えた。神はその独り子をイスラエルに遣したならば、如何に頑固なイスラエルでも、ことによればと彼を敬うであろうと考えた。
辞解
「或は之を敬ふなるべし」と神が言い給うたところに注意すべし、神は如何に堕落せる人類に対しても、始めより絶望し給わない。万一の希望をこれにかけ給う。

20章14節 農夫(のうふ)ども(これ)()(たがひ)(ろん)じて()ふ「これは世嗣(よつぎ)なり。いざ(ころ)して()嗣業(しげふ)(われ)らの(もの)とせん」[引照]

口語訳ところが、農夫たちは彼を見ると、『あれはあと取りだ。あれを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と互に話し合い、
塚本訳すると小作人たちはそれを見て、互に相談して、『これは相続人だ。殺してしまおう。そしてその財産をおれ達のものにしよう』と言いながら、
前田訳農夫たちは彼を見て互いに話しあった、『これは跡継ぎだ。殺そう。そうすれば財産はわれらのものだ』と。
新共同農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
NIV"But when the tenants saw him, they talked the matter over. `This is the heir,' they said. `Let's kill him, and the inheritance will be ours.'

20章15節 かくてこれを葡萄園(ぶだうぞの)(そと)()()して(ころ)せり。[引照]

口語訳彼をぶどう園の外に追い出して殺した。そのさい、ぶどう園の主人は、彼らをどうするだろうか。
塚本訳葡萄畑の外に放り出して殺してしまった(という話)。それで(尋ねるが、)葡萄畑の持ち主は小作人たちをどうするだろうか。
前田訳そして彼をぶどう園の外に追い出して殺した、そこで、ぶどう園の主人は農夫たちをどうしようか。
新共同そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人は農夫たちをどうするだろうか。
NIVSo they threw him out of the vineyard and killed him. "What then will the owner of the vineyard do to them?
註解: この行為により、農夫どもがその主人に対して絶対的反逆の態度を明かにしたのであった。人類はイエスを殺すことによって神に対する絶対的反逆の態度を明かにした。人類殊にその選民イスラエルの罪は、神の子を殺すことによってその頂点に達したのであった。

さらば葡萄園(ぶだうぞの)(ぬし)かれらに(なに)()さんか、

20章16節 (きた)りてかの農夫(のうふ)どもを(ほろぼ)し、葡萄園(ぶだうぞの)(ほか)(もの)どもに(あた)ふべし』[引照]

口語訳彼は出てきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園を他の人々に与えるであろう」。人々はこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
塚本訳(もちろん)来てこの小作人たちを殺し、葡萄畑をほかの人に貸すにちがいない。」人々はこれを聞いて(驚いて)言った、「とんでもない、そんなことが!」
前田訳来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに渡そう」と。人々はそれを聞いていった、「とんでもない」と。
新共同戻って来て、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。
NIVHe will come and kill those tenants and give the vineyard to others." When the people heard this, they said, "May this never be!"
註解: マタ21:41の場合は祭司、長老たちが答えたことになっており、本節ではイエスが自問自答をなし給うたことになっている。すなわち神がイスラエルに与えた選民たる特権を奪い、これを他の者に与え給うとの意味である。事実イスラエルはイエスを拒んだことにより福音は異邦人に伝わったのであった。

人々(ひとびと)これを()きて()ふ『(しか)はあらざれ』

註解: 祭司、長老たちはイエスのこの御言が彼らおよびイスラエルに当てていることを感受したのであろう。イスラエルがその選民たる特権を失うようなことがあっては大変であるとの心持を言い表しているのはそのためである。

20章17節 イエス(かれ)らに()()めて()(たま)ふ『されば「造家者(いえつくり)らの()てる(いし)は、これぞ(すみ)首石(おやいし)となれる」と(しる)されたるは(なに)ぞや。[引照]

口語訳そこで、イエスは彼らを見つめて言われた、「それでは、『家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった』と書いてあるのは、どういうことか。
塚本訳イエスは彼らをじっと見て言われた、「では、こう(聖書に)書いてあるのはなんの意味であるか。──”大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。”
前田訳彼は人々を見つめていわれた、「では、聖書にこうあるのはどういうことか、『家造りが捨てた石、それが隅の土台石になった』。
新共同イエスは彼らを見つめて言われた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。』
NIVJesus looked directly at them and asked, "Then what is the meaning of that which is written: "`The stone the builders rejected has become the capstone ' ?

20章18節 (おほよ)そその(いし)(うへ)(たふ)るる(もの)(くだ)け、(また)その(いし)(ひと)(うへ)(たふ)るれば、その(ひと)微塵(みじん)にせん』[引照]

口語訳すべてその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
塚本訳(救世主なる)その石の上に(つまづき)倒れる人は一人のこらず打ち砕かれ、(最後の裁きの日に)その石が倒れかかる人は、粉微塵になるであろう。」
前田訳その石の上に倒れるものは皆打ち砕かれ、また、その石が倒れかかる人は粉々になろう」と。
新共同その石の上に落ちる者はだれでも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」
NIVEveryone who falls on that stone will be broken to pieces, but he on whom it falls will be crushed."
註解: 「目を()め」て特に聴者の注意を曳き彼らの心の中に御言の(くさび)を打ち込み給う。イエスは詩118:22を引用し、イエスはイスラエルに棄てられ給いながら、それがかえって神の国の家の隅の首石(おやいし)となり、最も重要な石となり給うことを示している。そしてイエスに躓いてその上に倒れるものは砕かれて亡び、またイエスが審判の力をもって人の上に落ちる時その人は微塵に打砕かれる。祭司・長老・学者らはイエスを棄ててしまい、これを十字架に殺そうとしているけれども、このイエスがやがて神の国の首石(おやいし)として、凡て彼に躓き彼に敵する者を滅ぼし給うであろうことを示す。

20章19節 ()のとき學者(がくしゃ)祭司長(さいしちゃう)ら、イエスに()をかけんと(おも)ひたれど、(たみ)(おそ)れたり。この(たとへ)(おのれ)どもを()して()(たま)へるを(さと)りしに()る。[引照]

口語訳このとき、律法学者たちや祭司長たちはイエスに手をかけようと思ったが、民衆を恐れた。いまの譬が自分たちに当てて語られたのだと、悟ったからである。
塚本訳この時聖書学者と大祭司連は、イエスが自分たちに当て付けてこの譬を言われたことを知ったので、(怒って)イエスに手をかけようと思ったが、人民(が騒ぎ出すの)を恐れた。
前田訳このとき学者と大祭司は、彼が自分たちに当ててこの譬えを話されたことを知って、彼に手をかけようとしたが、民をおそれていた。
新共同そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。
NIVThe teachers of the law and the chief priests looked for a way to arrest him immediately, because they knew he had spoken this parable against them. But they were afraid of the people.
註解: この一節は次節よりも前節に密接に連絡すると見る方が適当である(マタ21:45、46参照)。「この時」は直訳「この同じ時刻に」すなわち「その時直ちに」の意。当時エルサレムの宗教界の首脳者たる祭司長や学者は、神の葡萄園たるイスラエルを委托された農夫であった。彼らはイスラエルの歴史により、預言者たちを迫害したのはその宗教家であったことを知っていた。またイエスが彼らを指してそのことを諷刺したのであることをも悟った。これは同時にイエスが自己を神の愛子たる世嗣であると主張し給う意味であることをも彼らは悟ったのであった(13、14節)。一方に彼らの自己に対する誇り、すなわち彼らの固執している形式と伝統のみが真の宗教であるとの思想、また他方に不知不識(しらずしらず)の間に彼らを動かしている自己保存、私利擁護の本能が彼らをしてイエスに敵対せしめ、これが彼らを盲目ならしめてイエスが神の子であるとの主張を涜神的なるものと考えしめたのであった。単純なる真理を誤認しまたは見落すものは多くの場合職業的宗教家である。
要義 [職業宗教家の陥る危険]自己保身、私益擁護の本能は必ずしも宗教家に限ったことではなく、万人共通であるが、この本能は宗教に関する限り、最も致命的な禍害を与えるのである。それは宗教殊にキリスト教においては自己を支配するものは自己ではなく神であるべきはずだからである。そして自己保存の本能は人の心を真理に対して(くら)まし、盲目ならしめる恐るべき作用をなす。キリスト教も教団としての自己保存、職業宗教家としての自己保身の本能に支配されるならば、その結果真理として受納れる能力を失ってしまう。

9-2-ハ カイザルの物と神の物 20:20 - 20:26
(マタ22:15-22) (マコ12:13-17)  

註解: 葡萄園と農夫の比喩によってイエスから痛撃を喰わされた彼らは、イエスに対して正面より迫害や闘争をなさず、間接に意地悪い方法でイエスを陥れようとした。カイザルに対する納貢の可否がその一つであった。

20章20節 かくて(かれ)(をり)(うかが)ひ、イエスを(つかさ)支配(しはい)權威(けんゐ)との(した)(わた)さんとて、その(ことば)(とら)ふるために、義人(ぎじん)(さま)したる間諜(まはしもの)どもを(つかは)したれば、[引照]

口語訳そこで、彼らは機会をうかがい、義人を装うまわし者どもを送って、イエスを総督の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした。
塚本訳そこで彼らはイエスをつけねらい、信心深そうな風をした回し者をやった。イエスの言葉質をとって、総督の役所や官庁に引き渡すためであった。
前田訳彼らは折をうかがい、義人をよそおう回し者をやった。ことばの端をとらえて総督の支配と権威に引き渡すためであった。
新共同そこで、機会をねらっていた彼らは、正しい人を装う回し者を遣わし、イエスの言葉じりをとらえ、総督の支配と権力にイエスを渡そうとした。
NIVKeeping a close watch on him, they sent spies, who pretended to be honest. They hoped to catch Jesus in something he said so that they might hand him over to the power and authority of the governor.
註解: イエスの教訓には正面より反対すべき何ものも無かったので、彼らはイエスの言を故意に曲解して彼を罪ありとして司に付す機会を捉えんとした。このために遣された間諜(まわしもの)マタ22:15、16。マコ12:13によればパリサイ人とヘロデ党の人々であった(それらの箇所の註参照)。
辞解
[機を窺ひ] (わな)をかけて獲物を狙うこと。
[司] ローマより派遣された総督(E0)。
[義人の様したる] 真面目に問題の解決をイエスに求めるふりをしてイエスに質問した。

20章21節 ()(もの)どもイエスに()ひて()ふ『()よ、(われ)らは(なんぢ)(ただ)しく(かた)り、かつ(をし)へ、外貌(うはべ)()らず、(まこと)をもて(かみ)(みち)(をし)(たま)ふを()る。[引照]

口語訳彼らは尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられることが正しく、また、あなたは分け隔てをなさらず、真理に基いて神の道を教えておられることを、承知しています。
塚本訳回し者がイエスに尋ねた、「先生、あなたは正直に物を言い、また教えられ、すこしもわけ隔てをせず、本当のことを言って神の道を教えられることをよく承知しております。
前田訳彼らはたずねた、「先生、あなたは正しく言い、かつ教え、別け隔てをなさらず、真実をもって神の道をお教えのことを存じております。
新共同回し者らはイエスに尋ねた。「先生、わたしたちは、あなたがおっしゃることも、教えてくださることも正しく、また、えこひいきなしに、真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。
NIVSo the spies questioned him: "Teacher, we know that you speak and teach what is right, and that you do not show partiality but teach the way of God in accordance with the truth.

20章22節 われら(みつぎ)をカイザルに(をさ)むるは、()きか、()しきか』[引照]

口語訳ところで、カイザルに貢を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。
塚本訳(それでお尋ねしますが、わたし達は異教人である)皇帝に、貢を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」
前田訳われらは皇帝(カイサル)に貢(みつぎ)を納めてよいですか、よくないですか」と。
新共同ところで、わたしたちが皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」
NIVIs it right for us to pay taxes to Caesar or not?"
註解: 21節は22節の答を引出す準備であり、しかもイエスにとって最も不利益な答を引出すための陥穽(おとしあな)であった。21節はそれ自身としては、イエスの性格を正確に捕捉しているのであるが、唯、彼らはイエスの唱うる神の国と、彼らの考えていた地上の国との差別を知らなかった。22節の質問は「善し」と答うる場合、ユダヤの国粋主義者たる熱心党やパリサイ人は、これに反対の立場を取り、「悪し」と答うる場合ヘロデ党はローマの官憲に対する反逆の扇動者としてこれを罪することができる巧妙なる質問であった。

20章23節 イエスその惡巧(たくみ)()りて()(たま)ふ、[引照]

口語訳イエスは彼らの悪巧みを見破って言われた、
塚本訳彼らの悪賢い考えを見破って言われた、
前田訳彼らの悪巧みを見抜いていわれた、
新共同イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた。
NIVHe saw through their duplicity and said to them,

20章24節 『デナリを(われ)()せよ。これは(たれ)(かたち)、たれの(しるし)なるか』『カイザルのなり』と(こた)ふ。[引照]

口語訳「デナリを見せなさい。それにあるのは、だれの肖像、だれの記号なのか」。「カイザルのです」と、彼らが答えた。
塚本訳「デナリ銀貨を見せなさい。そこにはだれの肖像と銘があるか。」「皇帝のがあります」と彼らが言った。
前田訳「デナリ銀貨を見せなさい。そこにはだれの像と銘があるか」と。彼らはいった、「皇帝のです」と。
新共同「デナリオン銀貨を見せなさい。そこには、だれの肖像と銘があるか。」彼らが「皇帝のものです」と言うと、
NIV"Show me a denarius. Whose portrait and inscription are on it?"

20章25節 イエス()(たま)ふ『さらばカイザルの(もの)はカイザルに、(かみ)(もの)(かみ)(をさ)めよ』[引照]

口語訳するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。
塚本訳イエスは彼らに言われた、「それなら皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」
前田訳彼はいわれた、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と。
新共同イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」
NIV"Caesar's," they replied. He said to them, "Then give to Caesar what is Caesar's, and to God what is God's."
註解: 当時ユダヤ人の人頭税としてローマの政府に納める税金にはデナリ貨幣が用いられていた。それにはローマの統治権が及んでいる表示としてカイザルの像と記号とが刻印されていた。イエスはこれを利用して、巧みに神に対する義務と地上の支配者に対する義務との関係を彼らに教え給うた。すなわち本来、我らの身も心も凡て「神のもの」であるが、神が地上の政治をカイザルに委任したのであるから(ロマ13:1、2、7)、その範囲においてカイザルに納むべきものがある故、それは当然カイザルのものであり、貨幣の表面の印刻はそのことを示したものであるとの意味である。これはイエスの瓢箪鯰(ひょうたんなまず)主義や八方美人主義ではなく、イエスの神の国観の高さを示す適確なる真理の告白である。真理の上に堂々闊歩する者は決して小人の(わな)に陥ることはない。

20章26節 かれら(たみ)(まへ)にて()(ことば)をとらへ()ず、(かつ)その(こたへ)(あや)しみて(もく)したり。[引照]

口語訳そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。
塚本訳彼らは民衆の前でイエスの言葉質をとることができず、そのうけこたえぶりに驚きながら黙ってしまった。
前田訳彼らは民の前でことばの端をとれず、そのうえ答えぶりにおどろいたので、黙りこんだ。
新共同彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。
NIVThey were unable to trap him in what he had said there in public. And astonished by his answer, they became silent.
註解: イエスの答は、彼をローマの官憲に引渡すこともできず、またユダヤの極右黨にも口実を与えない巧妙な答であった。彼を陥れようとした間諜(かんちょう)も、彼に対して施す術を持たなかった。
要義1 [政権と宗教]制度としての宗教は政治的権力の擁護があれば安易に存続し繁栄する、これに反し政権の圧迫の下には萎縮し、また往々にして消滅する。同様に政治は宗教的信仰を利用することによって成功し、これを無視または排斥することによって失敗する。それ故に制度としての宗教と政治的権力とは往々にして苟合(こうごう)し妥協し易いものである。その結果宗教は政権に阿附(あふ)してその真理を歪曲することとなり易く、またはその存在を擁護するために政権を利用し易い。また政権は宗教が純粋にその真理を主張することを(いと)い、権力をもってこれを左右せんとし宗教はまた自己を擁護せんために政権を利用して真理を圧迫する。納貢問題をもってイエスの言を捕捉しようとしたのも、この関係を利用しようとしたのであった。宗教はそれが制度としての存在を超越する場合、始めて政治的権力から完全に独立することができる。かくして始めて信仰の純真さを保持することができると同時に政権をしてその有るべき場所に在らしむることができる。
要義2 [何がカイザルの物であるか]万物が神のものである以上、この世にカイザルにのみ専属する物はあり得ない。しかし神はこの世の秩序を維持するために必要なる権をこの世の支配者に与え給う(ロマ13:1−3)。支配者は神の御旨に反せざる範囲において神の御旨を行うためにこの世の物の上に権威を持っている。その意味でそれらはカイザルの物であり、カイザルにそれらを帰することによって人間は神に従うこととなるのである。この世の支配者に(したが)ってその命令を遵奉し、納税の義務を果すことも結局において神の御意に反することではなく反って神の御旨を行うことである。神の物とカイザルの物とは区別され対立している別物ではなく、神よりカイザルに委任せられし物と、神のみに属せしめられる物との差別である。

9-2-ニ 復活問題の論争 20:27 - 20:40
(マタ22:23-33) (マコ12:18-27)  

註解: パリサイ人らに代ってサドカイ人(マタ3:7辞解参照)もまたイエスを言によって捕えんとした。彼らは復活を否定する立場をとっているのでイエスをこの点で問い詰めようとした。

20章27節 また復活(よみがへり)なしと言張(いいは)るサドカイ(びと)(ある)(もの)ども、イエスに(きた)()ひて()ふ、[引照]

口語訳復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、
塚本訳復活の存在を否定するサドカイ人が数人近寄って、イエスにこう言って質問した、
前田訳復活の存在を否定するサドカイ人が数人近よって彼にたずねた、
新共同さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。
NIVSome of the Sadducees, who say there is no resurrection, came to Jesus with a question.

20章28節 ()よ、モーセは、(ひと)兄弟(きゃうだい)もし(つま)あり()なくして()なば、()兄弟(きゃうだい)かれの(つま)(めと)りて、兄弟(きゃうだい)のために嗣子(よつぎ)()ぐべしと、(われ)らに()(つかは)したり。[引照]

口語訳「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。
塚本訳「先生、モーセは(その律法に、)“もし死んだ兄に、”妻があって“子がない場合には、弟はその女をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ”とわたし達のために書いています。
前田訳「先生、モーセはわれらのために書いています、『妻のある兄が死んで子がなければ、弟がその女をめとって兄のためにたねをもうけよ』と、
新共同「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
NIV"Teacher," they said, "Moses wrote for us that if a man's brother dies and leaves a wife but no children, the man must marry the widow and have children for his brother.
註解: 申25:5の規定を指す。これは男系血統を重視するユダヤの習慣によったものであって、弟によって生れた子を死去した兄の子と見なし、これを兄の嗣子としたのであった。

20章29節 さて(ここ)七人(しちにん)兄弟(きゃうだい)ありて、(あに)(つま)(めと)り、()なくして()に、[引照]

口語訳ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、
塚本訳ところで(ここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子がなくて死に、
前田訳さて、七人の兄弟があって、長男が妻をめとり、子なしで死に、
新共同ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。
NIVNow there were seven brothers. The first one married a woman and died childless.

20章30節 第二(だいに)第三(だいさん)(もの)(これ)(めと)り、[引照]

口語訳そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、
塚本訳(この律法に従って、)次男、
前田訳次男も、
新共同次男、
NIVThe second

20章31節 七人(しちにん)みな(おな)じく()(のこ)さずして()に、[引照]

口語訳七人とも同様に、子をもうけずに死にました。
塚本訳三男と、(つぎつぎに)その女をめとり、ついに七人とも同様に子を残さず死んで、
前田訳三男もその女をめとり、同様に七人とも子を残さずに死んで、
新共同三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。
NIVand then the third married her, and in the same way the seven died, leaving no children.

20章32節 (のち)には()(をんな)()にたり。[引照]

口語訳のちに、その女も死にました。
塚本訳しまいにはその女も死んでしまいました。
前田訳そののちにその女も死にました、
新共同最後にその女も死にました。
NIVFinally, the woman died too.

20章33節 されば復活(よみがへり)(とき)、この(をんな)(たれ)(つま)たるべきか、七人(しちにん)これを(つま)としたればなり』[引照]

口語訳さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。
塚本訳すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
前田訳復活に際しては、この女はだれの妻になりましょうか」と。
新共同すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
NIVNow then, at the resurrection whose wife will she be, since the seven were married to her?"
註解: これはサドカイ人が復活を否定する論拠の一つとして有力なるものであったに相違ない。復活の時一人の女が七人の男子の妻となることは甚だ不合理であるとするならば、復活そのものもまた不合理であるというのである。この難問に対してイエスが如何に答えるか、彼らは固唾を呑んでその答を待ちイエスが答弁に窮することを望んでいた。

20章34節 イエス()(たま)ふ『この()()らは(めと)(とつ)ぎすれど、[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、
塚本訳イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
前田訳イエスはいわれた、「この世の子らはめとり、とつぐ。
新共同イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、
NIVJesus replied, "The people of this age marry and are given in marriage.

20章35節 かの()()[るに、](り)死人(しにん)(うち)より(よみが)へるに相應(ふさは)しとせらるる(もの)は、(めと)(とつ)ぎすることなし。[引照]

口語訳かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。
塚本訳あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
前田訳しかし、あの世に入って、死人から復活するにふさわしいとされるものは、めとりもとつぎもしない。
新共同次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。
NIVBut those who are considered worthy of taking part in that age and in the resurrection from the dead will neither marry nor be given in marriage,

20章36節 (かれ)()ははや()ぬること(あた)はざればなり。御使(みつかひ)たちに(ひと)しく、また復活(よみがへり)()どもにして、(かみ)子供(こども)たるなり。[引照]

口語訳彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。
塚本訳復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
前田訳彼らは復活の子らであり、天使にひとしく、神の子らであって、もはや死ねないからである。
新共同この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。
NIVand they can no longer die; for they are like the angels. They are God's children, since they are children of the resurrection.
註解: イエスの来世に関する思想の一部がここに示されている。永遠の生命をもってかの世に甦るに相応しい者は、死ということが無いので従って結婚の必要がない。天の御使いたちと同じく、復活して神の子供とせられるのである。従ってこの世における夫婦関係がかの世にまでも継続するのではない。ただし復活の朝に、かの世において親子・兄弟・夫婦等が互に相認識し得ないものかどうかはここに考えられていないが、互に認識し得るものと考うべきであろう。
辞解
「かの世に入ること」と「甦ること」との二つが「相応し」に懸かっている。ただしこれを二つの別の事実と見る(B1)よりも同一事実と見るべきである。

20章37節 ()にたる(もの)(よみが)へる(こと)は、モーセも(しば)(くだり)に、(しゅ)を「アブラハムの(かみ)、イサクの(かみ)、ヤコブの(かみ)」と()びて(これ)(しめ)せり。[引照]

口語訳死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。
塚本訳死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を“アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)”と言ってこれを示している。
前田訳死人が復活することは、モーセも柴のくだりで、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで示している。
新共同死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。
NIVBut in the account of the bush, even Moses showed that the dead rise, for he calls the Lord `the God of Abraham, and the God of Isaac, and the God of Jacob.'

20章38節 (かみ)()にたる(もの)(かみ)にあらず、()ける(もの)(かみ)なり。それ(かみ)(まへ)には(みな)()けるなり』[引照]

口語訳神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。
塚本訳ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」
前田訳神は死者の神でなく生者の神である。すべてのものが神によって生きているから」と。
新共同神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」
NIVHe is not the God of the dead, but of the living, for to him all are alive."
註解: 出3:6をここに引用して、凡ての人が神の前に死なずに生きていることの証拠として掲げている。もしアブラハム、イサク、ヤコブが死と共に全く存在しないものならば、神はもはや彼らの神ではあり得ないはずである。神がモーセに向ってかく言い給える所以は、神の前には彼らがなお生きていたからである。従ってやがて時至って彼らが甦るべきことは当然である。38節末尾の一句はルカ特有である。
辞解
[柴の(くだり)] マコ12:27辞解を見よ。
「皆」は以上の三人のみならず、死人の中より甦るに相応しい者は皆の意。

20章39節 學者(がくしゃ)のうちの(ある)(もの)ども(こた)へて『()よ、()()(たま)へり』と()ふ。[引照]

口語訳律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。
塚本訳すると数人の聖書学者までが、「先生、りっぱなお答えです」と言った。
前田訳すると数人の学者が答えた、「先生、よいお答えです」と。
新共同そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。
NIVSome of the teachers of the law responded, "Well said, teacher!"
註解: 学者はサドカイ人の中に属していない人々であったに相違ない。パリサイ人の一人であったろう。イエスが快刀乱麻を断つごとくに答えたことに対して感嘆し、同時に彼らのサドカイ人と意見を異にする根拠を説明してもらったことを喜んだのであった。

20章40節 (かれ)()ははや何事(なにごと)をも()()ざりし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。
塚本訳彼らはもう何一つ、問おうとしなかった。
前田訳もはや彼らは何ひとつたずねようとしなかった。
新共同彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。
NIVAnd no one dared to ask him any more questions.
註解: この「彼ら」は「学者ら」ではなく、サドカイ人らを指すと見るべきである(Z0)。サドカイ人の沈黙せしめられたのを見て、学者らが賞讃の叫びを挙げたのであった。
要義 [イエスの来世観]イエスの再臨に関する思想は次章に記されているが、27−40節の復活観の中にもイエスの来世観の一部を窺うことができる。すなわち肉体的に死んでも神を信じ神に生きる者は、霊的に不滅であって神に対して生きており、これがやがて不死の体を与えられて復活するということである。霊的生命の厳存 ─ 殊に神に在るものの永遠の生命を明白に体験せるイエスにとっては、肉体の死と共にその霊の生命も死滅するものと考えることは不可能であった。すでにそれが不死である以上、やがてそれが復活体を与えられることを想像するこは当然の理論である。かかることについてイエスは当時一般人の思想に支配されたと見るよりも、霊魂の実在を最も明白に把握したために、復活については寸毫(すんごう)も疑い得なかったと見るべきであろう。イエスがすでに確信していたものを我らが疑うとすれば、それには充分なる根拠があることが必要である。近代科学は未だ不充分であって復活を否定するだけの権威はない。

9-2-ホ ダビデの子にあらず 20:41 - 20:44
(マタ22:41-46) (マコ12:35-37a)  

20章41節 イエス(かれ)らに()ひたまふ『如何(いか)なれば人々(ひとびと)、キリストをダビデの()()ふか。[引照]

口語訳イエスは彼らに言われた、「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか。
塚本訳イエスは人々に言われた、「人はどういう訳で、救世主はダビデの子である、と言うのであろうか。
前田訳彼らにいわれた、「どうして人々はキリストをダビデの子というのか。
新共同イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
NIVThen Jesus said to them, "How is it that they say the Christ is the Son of David?
註解: ダビデ王の子孫の中からメシヤすなわちキリストが生れることがイスラエルの信念であった。その結果キリストをダビデの子と呼ぶのが一般に行われ、群衆はしばしばイエスをかく呼んだ。イエスはその称呼を直接に否み給わなかったけれども、その意味を誤解しないようにかつキリストの真の意味を明かにするように次の注意を与え給うた。イエスは聖書に対する独特の烱眼(けいがん)を持ち給うた。

20章42節 ダビデ(みづか)()(へん)()ふ「(しゅ)わが(しゅ)()ひたもふ、[引照]

口語訳ダビデ自身が詩篇の中で言っている、『主はわが主に仰せになった、
塚本訳ダビデ自身が詩篇の中でこう言っているではないか。──“(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、
前田訳ダビデ自身『詩篇』でいう、
新共同ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。
NIVDavid himself declares in the Book of Psalms: "`The Lord said to my Lord: "Sit at my right hand

20章43節 われ(なんぢ)(てき)(なんぢ)足臺(あしだい)となすまでは、わが(みぎ)()せよ」[引照]

口語訳あなたの敵をあなたの足台とする時までは、わたしの右に座していなさい』。
塚本訳わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足台にしてやるまで』と。”
前田訳『主はわが主にいわれた、わが右に座せよ、わたしがなんじの敵をなんじの足台にするまで』と。
新共同わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで」と。』
NIVuntil I make your enemies a footstool for your feet."'

20章44節 ダビデ()(かれ)(しゅ)(とな)ふれば、(いか)でその()ならんや』[引照]

口語訳このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。
塚本訳だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいるのに、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」
前田訳ダビデがこのようにキリストを主と呼ぶのに、どうしてダビデの子であろうか」と。
新共同このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
NIVDavid calls him `Lord.' How then can he be his son?"
註解: マコ12:35註参照。イエスは詩110:1を引用してキリストがダビデ王以上のものでなければならないことを証明し給う。すなわちダビデ王はキリストを「わが主」と呼ぶ以上はそれはその子(子孫)を呼んだのではなく、従ってキリストはダビデの子以上であるというのである。ダビデはイスラエルの尊崇する王者であるがキリストはさらにそれ以上でなければならないことをイエスは示さんとし給うたのであった。この詩は近代の学者によりダビデ王の作でないものと考えられ、従って「わが主」はその詩人の讃称の目的となれる「王」を指すと解されている。 これが正しいとしても、イエスの御言が全部誤ったということはできない。イエスは当時一般にこの詩をメシヤ預言と解していたので、その立場からメシヤすなわちキリストとダビデとの真の関係を明かにしたのであった。すなわちキリストがダビデの子以上である理由はこの詩にダビデがかく言ったからではなく、本質的にそうであるからである。その事実を理解せしむるためにはこの詩を当時の人の解釈に従って引用することが最もで適当であった。たといダビデがかく言わなくともイエスにはダビデ以上であることの自信があったに相違ない。

9-2-へ 学者らに心せよ 20:45 - 20:47
(マタ23:1-36) (マコ12:37b-40)  

20章45節 (たみ)(みな)ききをる(うち)にて、イエス弟子(でし)たちに()(たま)ふ、[引照]

口語訳民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、
塚本訳民衆が皆聞いているまえで、弟子たちに言われた。
前田訳民が皆聞いているとき、弟子たちにいわれた、
新共同民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。
NIVWhile all the people were listening, Jesus said to his disciples,
註解: 1−44節にイエスに対抗した人々はみな去った後の出来事であったと見るべきである。

20章46節 學者(がくしゃ)らに(こころ)せよ。(かれ)らは(なが)(ころも)()(あゆ)むことを(この)み、市場(いちば)にての敬禮(けいれい)會堂(くわいだう)上座(じゃうざ)饗宴(ふるまひ)上席(じゃうせき)(よろこ)び、[引照]

口語訳「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、
塚本訳「聖書学者に用心せよ。あの人たちは(人の目につくように)長い衣を着て歩くことが好きで、市場で挨拶されることや、礼拝堂の上席、宴会の上座を喜び、
前田訳「学者に心せよ。彼らは長い衣を着て歩むことを好み、広場でのあいさつ、会堂の上席、食卓の上座をよろこび、
新共同「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。
NIV"Beware of the teachers of the law. They like to walk around in flowing robes and love to be greeted in the marketplaces and have the most important seats in the synagogues and the places of honor at banquets.
註解: イエスは学者らの偽善を指摘して弟子たち並びに民衆に警戒を与え給う。第一に学者は虚栄心の固まりである。「長き衣」は華美な上衣、公衆の中に尊敬されることは敬礼・上座・上席等にあらわれる。学者の最も欲する処は、かかる態度によって多くの人から外部的尊敬をかち得んとすることであった。

20章47節 また寡婦(やもめ)らの(いへ)()み、[引照]

口語訳やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。
塚本訳また寡婦の家を食いつぶし、長く、見かけばかりの祈りをする。あの人たちは人一倍きびしい裁きを受けるであろう。」
前田訳やもめの家を食いつぶし、見かけの長い祈りをする。彼らの受ける裁きは人一倍きびしかろう」と。
新共同そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
NIVThey devour widows' houses and for a show make lengthy prayers. Such men will be punished most severely."
註解: 寡婦の弱さと無援とに乗じてその家を自分たちの自由にすること。

(そと)()をつくりて(なが)(いのり)をなす。

註解: 外面的に敬虔らしさを装う、そして内心は狼のごとくにかかる人々を喰い荒す。

()()くる審判(さばき)(さら)(きび)しからん』

註解: 一般人が同一の行為を為す場合よりも、民衆の指導者をもって任ずる彼らの責任は一層重く、従って神の審判は一層甚だしく厳格である。これは同時に弟子たちへの警戒でもあった。
要義 [学者、宗教家の危険]学者、宗教家等は最も多く虚栄的、偽善的になりやすいものである。それは彼らには金銭や権力において成功すべき途がなく、ただ名誉のみが彼らの唯一の望みであるためである。そして彼らは神にあって永遠の栄誉を求めず、唯人間の前に一時的栄誉を求めるが故に、虚栄的、偽善的とならざるを得ない。かくして一面人間の前に自己を飾るためにその反動として他面常人すら容易に陥らない罪に陥ることが往々にしてあり得るのである。これは真に恐るべく警戒すべきことである。もし彼らが偽善と虚栄とをもって自己を飾らず、天真爛漫その弱点を掩わないならば、反動的の大罪からも免れ得たであろう。