ヨハネ伝第19章
分類
4 受難週
12:1 - 19:42
4-4 イエスの受難
18:1 - 19:42
4-4-2 イエスの訊問
18:12 - 19:16
4-4-2-ハ イエスの有罪決定
19:1 - 19:16
註解: ピラトはなおもイエスを免す機会を狙っている。その方法としてまずユダヤ人らの同情を惹起せんとした。
口語訳 | そこでピラトは、イエスを捕え、むちで打たせた。 |
塚本訳 | そこでピラトは、(何とかしてイエスを赦してやろうと思い、ユダヤ人を納得させるために、)今度はイエスを鞭で打たせた。 |
前田訳 | そこでピラトはイエスを引き取り、鞭で打たせた。 |
新共同 | そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。 |
NIV | Then Pilate took Jesus and had him flogged. |
註解: ピラトはこの方法によりて、まずユダヤ人の同情を求め、イエスを十字架に釘 けずに済まそうとした。姑息の手段である。この手段を取ったのはおそらくピラトの妻が彼に忠告した後であろう(マタ27:19)。
辞解
[鞭 つ] ローマの刑罰として笞刑 と磔刑 とは相伴っていたらしい(G1、マタ20:19。ルカ18:33)。笞は樹枝または革紐にて作られ先端に鉛または骨片を附す。
19章2節
口語訳 | 兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、 |
塚本訳 | また兵卒らは茨で冠を編んで頭にかぶらせ、紫の上着をきせて(王に仕立てたのち、) |
前田訳 | 兵卒らは茨で冠を編んで彼の頭にのせ、紫の衣を着せた。 |
新共同 | 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、 |
NIV | The soldiers twisted together a crown of thorns and put it on his head. They clothed him in a purple robe |
辞解
[茨にて冠冕 をあみ] マタ27:29註参照。
[紫色の上衣] マタ27:28註参照。
19章3節
口語訳 | それから、その前に進み出て、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。そして平手でイエスを打ちつづけた。 |
塚本訳 | 進み出て「ユダヤ人の王、万歳!」と言った。そしていくつも平手打ちをくらわせた。 |
前田訳 | そして彼のところに来ては「ユダヤ人の王、万歳」といって平手で打った。 |
新共同 | そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。 |
NIV | and went up to him again and again, saying, "Hail, king of the Jews!" And they struck him in the face. |
註解: ピラトはまた兵卒がイエスを嘲弄するに任せた。而してかかる嘲弄の目的物は人民の依頼に値せず、ユダヤ人らもこれを恐れるに及ばないことを示さんとした。兵卒はイエスを王者のごとくに仮装して彼を嘲弄した。蓋しローマの兵卒のごとく真理に対し無関心なる者にとっては、ユダヤ人の望みなるメシヤも、イエスがそのメシヤに在すこともいずれも馬耳東風で、イエスは唯嘲弄の目的たるに過ぎなかった。ただし兵卒の嘲弄の語はそのままイエスに関する預言であったことに注意せよ。
19章4節 ピラト
口語訳 | するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」。 |
塚本訳 | ピラトはまた外に出ていって、ユダヤ人に言う、「見よ、あの人をお前たちの前に引き出す。あの人にはなんらの罪も認められない訳がわかろう。」 |
前田訳 | またもやピラトは外に出て人々にいった、「見よ、この人をあなたの前に引き出す。わたしは彼に何の罪も認めないことをわかってもらいたい」と。 |
新共同 | ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」 |
NIV | Once more Pilate came out and said to the Jews, "Look, I am bringing him out to you to let you know that I find no basis for a charge against him." |
註解: ピラトはなおもイエスの無罪を主張してユダヤ人らを説服せんとした。
19章5節 ここにイエス
口語訳 | イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人だ」。 |
塚本訳 | イエスが茨の冠をかぶり紫の上着をまとって、(しずかに)出てこられた。ピラトが言う、「見よ、この人だ。」 |
前田訳 | イエスは茨の冠をかむり、紫の衣を着て出て来られた。ピラトがいう、「見よ、この人だ」と。 |
新共同 | イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 |
NIV | When Jesus came out wearing the crown of thorns and the purple robe, Pilate said to them, "Here is the man!" |
註解: イエスのこの御姿は何人の目にも憐憫を起すに足るものであった。而してピラトは憐憫の心より「視よ、この人」 ecce homo と言いてユダヤ人の憐憫を起さしめんとした。ただしイエスのこの御姿が世界万民のために苦しみ給うメシヤを示すと同じく、ピラトのこの言もまた多くの預言的含蓄がある。ピラトが見て憐れむべき一人の人間であったイエスは(イザ53:2、3)信ずる者の目にはその罪の贖い主、人類の王であった。ユダヤ人の目に罪人であったイエスは信ずる者の目に罪なき真の人であった。「視よ、この人」この語は世界万民に向って発せられし神の言であると見ることができる。
19章6節
口語訳 | 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。 |
塚本訳 | すると大祭司連や下役らはイエスを見て、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫んだ。(イエスのみじめな滑稽な姿を見ては、さすがのユダヤ人も心をやわらげるであろうという、ピラトの当てははずれた。)ピラトが言う、「(もし、そうしたければ、)お前たちがこの人を引き取って、十字架につけたらよかろう。この人には罪を認められない。」 |
前田訳 | 大祭司と手下とはイエスを見ると、「十字架に、十字架に」と叫んだ。ピラトは彼らにいった、「あなた方が彼を引き取って十字架につけよ。わたしは彼に何の罪も認めない」と。 |
新共同 | 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」 |
NIV | As soon as the chief priests and their officials saw him, they shouted, "Crucify! Crucify!" But Pilate answered, "You take him and crucify him. As for me, I find no basis for a charge against him." |
註解: ユダヤ人には自らイエスを十字架につける権がない(ヨハ18:31)。ゆえにピラトが「なんぢら自らとりて十字架につけよ」と言ったのは彼らがこれを為し得ざることを知っての上での揶揄であった。而して自己の責任を逃れんとする下心であった。
19章7節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人たちは彼に答えた、「わたしたちには律法があります。その律法によれば、彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当る者です」。 |
塚本訳 | ユダヤ人が答えた、「われわれには律法があって、その律法によると、当然死刑です。神の子気取りでいるのだから。」 |
前田訳 | ユダヤ人は答えた、「われらには律法があります。律法によれば死刑は動きません、自分を神の子としたのですから」と。 |
新共同 | ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」 |
NIV | The Jews insisted, "We have a law, and according to that law he must die, because he claimed to be the Son of God." |
註解: 本来ならばユダヤ人自らイエスを死刑に処すべき充分なる理由がその律法(引照1)に基いて存していた。ユダヤ人らはこの点を主張してピラトがこれを尊重すべきことを強要した。もしイエスが真に神の子に在さなかったならば、彼は確かに死に値していたであろう。すなわちユダヤ人らは正しき原則を知っていたけれどもその適用を誤ったのである。これ注意を要する事柄である。
口語訳 | ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますますおそれ、 |
塚本訳 | ピラトはこの(神の子という)言葉を聞くと、いよいよ薄気味悪くなり、 |
前田訳 | ピラトはそのことばを聞くと、ますますおそれた。 |
新共同 | ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、 |
NIV | When Pilate heard this, he was even more afraid, |
註解: ユダヤ人に反対せられんことを恐れたのではなく、その妻の夢(マタ27:19)等によりて一種の迷信的恐怖を持ちイエスに手を下すことを恐れたのである。肉の世界における権力者なりしピラトも霊界における無力者であった。
19章9節
口語訳 | もう一度官邸にはいってイエスに言った、「あなたは、もともと、どこからきたのか」。しかし、イエスはなんの答もなさらなかった。 |
塚本訳 | また総督官舎に入ってイエスにたずねる、「お前はいったいどこから来たのか。(本当に天から来たのか。)」イエスは返事をされなかった。 |
前田訳 | そしてまた総督邸に入ってイエスにいう、「あなたはどこの出か」と。イエスは何の答えもされなかった。 |
新共同 | 再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。 |
NIV | and he went back inside the palace. "Where do you come from?" he asked Jesus, but Jesus gave him no answer. |
註解: この問いはイエスの生地を問うたのではなく、天より出でしものなりや、また地より出でしものなりやについての質問である。
イエス
註解: イエスの沈黙は最も至当であった、何となればイエスはもはや死を免れんがために弁護し給う必要がなく、またもし答を発し給うたならば徒 にピラトの迷信を助長するに過ぎずして善き証とはならず、またイエスとしてはかかる不真面目なる利己心からの質問に応うる必要を感じ給わなかったからである。
19章10節 ピラト
口語訳 | そこでピラトは言った、「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」。 |
塚本訳 | するとピラトが言う、「このわたしに口をきかないのか。わたしはお前を赦す権力があり、お前を十字架につける権力があることを、知らないのか。」 |
前田訳 | そこでピラトはいう、「わたしに何もいわないのか。わたしにはそちらをゆるす権威もあり、十字架につける権威もある」と。 |
新共同 | そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」 |
NIV | "Do you refuse to speak to me?" Pilate said. "Don't you realize I have power either to free you or to crucify you?" |
註解:曩 に霊的に無力なりしピラトはここに再び肉的の権力者としての自己を示していることは一つの喜悲劇である。ピラトはイエスの沈黙によりその威厳を毀損せられしごとくに感じ、自己の権威を振り翳 して強いて彼をして答えしめんとした。俗吏 の心情の発露である。
19章11節 イエス
口語訳 | イエスは答えられた、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」。 |
塚本訳 | イエスは答えられた、「あなたは上[神]から授けられないかぎり、わたしに対してなんの権力もない。だから(あなたの罪はまだ軽いが、)わたしをあなたに売った者[ユダ]の罪は、あなたよりも重い。(あなたは官憲として神の命令を行なうだけだが、彼は自分の発意でやったのだから。)」 |
前田訳 | イエスは答えられた、「あなたは天から与えられねばわたしに対して何の権威もない。それゆえわたしをあなたに売ったものの罪はあなたのよりも重い」と。 |
新共同 | イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」 |
NIV | Jesus answered, "You would have no power over me if it were not given to you from above. Therefore the one who handed me over to you is guilty of a greater sin." |
註解: ピラトが一般人民の上に有する政治上の権力さえも、ピラトが自ら誇りつつあるにもかかわらず、実は上より賜わりしものでなければならぬ(ロマ13:1)。いわんやキリストに対してはなおさらである。ゆえにピラトはキリストに対しては殊に神の御旨すなわち上よりの示しによって行動しなければならぬ。
この
註解: キリストをピラトに付しし者はユダヤ人すなわち祭司長、司らであった(衆議所)。彼らは神の命により神のことを掌 る人々であり、かつ異邦人の司なるピラトとは異なり、彼ら自らその上よりの使命を知っていた。「この故に」彼らが神に従わずして神の子イエスをピラトに付したことは一層大なる罪である。
19章12節 ここにおいてピラト、イエスを
口語訳 | これを聞いて、ピラトはイエスを許そうと努めた。しかしユダヤ人たちが叫んで言った、「もしこの人を許したなら、あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」。 |
塚本訳 | このためにピラトは(ますます恐ろしくなり、なんとかして)彼を赦そうと思ったが、ユダヤ人が叫んだ、「この男を赦せば、あなたは皇帝の忠臣ではない。自分を王とする者はだれであろうと、皇帝の敵である。(それを助けるのだから。)」 |
前田訳 | それを聞いてピラトは彼をゆるそうと努めたが、ユダヤ人は叫んだ、「これをゆるせば、あなたは皇帝(カイサル)の味方でない。自分を王とするものは皆皇帝(カイサル)の敵である」と。 |
新共同 | そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」 |
NIV | From then on, Pilate tried to set Jesus free, but the Jews kept shouting, "If you let this man go, you are no friend of Caesar. Anyone who claims to be a king opposes Caesar." |
註解: 従来とてもピラトはイエスを赦さんとしていたけれども、今イエスの御言を聴き、ピラトは益々神の怒りを恐れ、イエスを赦さんと努力した。
されどユダヤ
註解: ユダヤ人の用いし最後の最も有効なる武器はピラトの地位身分を危険に陥らしむべき事柄であった。王位に対する叛逆者を赦すことはすなわち自ら叛逆者となることであり、而して当時のカイザル・チベリウスは殊に王位を窺う者を恐れていた。このユダヤ人の叫びはこれを知るピラトにとっては致命的であった。
19章13節 ピラトこれらの
口語訳 | ピラトはこれらの言葉を聞いて、イエスを外へ引き出して行き、敷石(ヘブル語ではガバタ)という場所で裁判の席についた。 |
塚本訳 | ピラトはこの言葉を聞くと(心を決し、)イエスを引き出して、「敷石」──ヘブライ語でガバタ──という所で裁判席に着いた。 |
前田訳 | ピラトはこれらを聞いて、イエスを外に引き出し、石だたみ−−ヘブライ語でガバタ−−と呼ばれるところで裁判席についた。 |
新共同 | ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 |
NIV | When Pilate heard this, he brought Jesus out and sat down on the judge's seat at a place known as the Stone Pavement (which in Aramaic is Gabbatha). |
註解: ピラトはここにいよいよ最後の判決を与えんとして審判の座についた。場所をも示したのは事の重大なることを指示しているのみならず、ヨハネがこの場所の名に両様とも通暁 していたことを示す。
辞解
[敷石] 石をモザイク式に並べし床の名がその場所の名となりしもの(Z0)。「ガバタ」は種々の語源を想像することができ「高き処」「皿」「禿頭」等種々の意義に解せられている。「敷石」の意味はない(Z0)。
口語訳 | その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった。ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。 |
塚本訳 | それは過越の祭の支度日で、昼の十二時ごろであった。ピラトがイエスを指さしながら、ユダヤ人に言う、「見よ、お前たちの王様だ。」 |
前田訳 | それは過越の準備の日で、時は正午ごろであった。彼はユダヤ人にいう、「見よ、あなた方の王だ」と。 |
新共同 | それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、 |
NIV | It was the day of Preparation of Passover Week, about the sixth hour. "Here is your king," Pilate said to the Jews. |
註解: 準備日は安息日の前日すなわち金曜日「過越の準備日」は過越の週間に相当せる金曜日を意味する(Z0)。この場合は過越の食を14日に終えし翌日で15日であった。学者の多数はこの解に反対し「過越の準備日」を過越の羊を屠るべきニサンの月の14日と解する。従って共観福音書と矛盾することとなる。
註解: 昼を12時間に分ちてその第六時すなわち午前11時頃より正午頃までの間をいう。マタ27:45。ルカ23:44に比しやや時刻が後れているけれども、その差は些少である。唯マコ15:25と調和せしむることは困難である。((1)これを調和することを絶対に不可能とするもの(M0)、(2)9時乃至 12時を一括して概略同時刻を示すとするもの(C1、G1、L2)、(3)マルコの記事を訂正せるものとするもの(Z0)、(4)ヨハネの時刻計算法はローマ時刻によれりとするもの、(5)写本の誤りとするもの(B1)等種々の説あり)
ピラト、ユダヤ
註解: ピラトはすでに自己の良心を欺きてユダヤ人の要求に従うことの止むを得ざることを決心していたのであろう。唯このことが彼の意に反するが故に彼は最後の嘲弄をユダヤ人らに与えた。而して暗に彼がイエスに対する敬意を示した。この言はイエスに関する預言と見ることができる。
19章15節 かれら
口語訳 | すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。ピラトは彼らに言った、「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」。祭司長たちは答えた、「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。 |
塚本訳 | すると彼等が、「片付けろ、片付けろ、それを十字架につけろ」と叫んだ。ピラトが言う、「お前たちの王様を、わたしが十字架につけてよいのか。」大祭司連が答えた、「われわれには皇帝のほかに王はない。」 |
前田訳 | 彼らは叫んだ、「片づけよ、片づけよ、十字架につけよ」と。ピラトは彼らにいう、「あなた方の王をわたしが十字架につけるのか」と。大祭司らは答えた、「われらには皇帝(カイサル)のほかに王はありません」と。 |
新共同 | 彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。 |
NIV | But they shouted, "Take him away! Take him away! Crucify him!" "Shall I crucify your king?" Pilate asked. "We have no king but Caesar," the chief priests answered. |
註解: ユダヤ人らの激しき叫びに対するピラトの答はユダヤ人に対する最後の嘲弄と非難の意味を含んでいる。「汝らの嫌ってるローマの官吏 なる予に、汝らの王なるこの人を十字架に釘 けよと言うのか」との意味で、ユダヤ人はこれを主張し承認することによりて、彼ら自ら自己の王を侮辱の中に殺すと同時に、ピラトの責任を免ずることとなる。
註解: 宗権保持者はその真心を偽りてまでも自己擁護のために世俗の権を利用し、またはこれと妥協する。ユダヤ人らは心にてはカイザルを嫌い、一日も早くその束縛を脱して彼らの王なるメシヤに従う日を待望んでいた。今イエスによりてその期待が満たされたにもかかわらず、彼らは私慾のためにこのイエスを除かんとしてカイザルに対する臣従を誓ったのである。この誓いにより彼らは自らユダヤの神政政治の撤廃を宣告せることとなり、イスラエルが異邦人中に没落するの原因を作った。
19章16節 ここにピラト、イエスを
口語訳 | そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。 |
塚本訳 | ここにおいてピラトは、十字架につけるためにイエスを彼らに引き渡した。さて彼ら[兵卒ら]はイエスを受け取り、 |
前田訳 | そこでピラトは十字架につけるようイエスを彼らに引き渡した。 |
新共同 | そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。 |
NIV | Finally Pilate handed him over to them to be crucified. So the soldiers took charge of Jesus. |
註解: ピラトはついにその信念を貫徹するの勇気がなかった。この刑の実行はローマの兵卒によって行われた。
要義 [イエスとカヤパとピラト]ここに我らは三人の代表的人物を見出すことができる。イエスは代表的信仰の人と示し、真理の上に立ちて凡ての利害と策略とに超越せる至純の性格を表わし、カヤパは宗教的熱心と自己擁護の私心とを結合せる代表的宗教商売人を示し、従って虚偽と術数とはその常用手段であり、ピラトは代表的政治家であって、権力に対する子供らしき誇りと、霊的事物に対する無智と、鈍き良心と、形勢の移趨を察するの明とを示している。キリスト者はカヤパやピラトのごとくであってはならぬ。今日かかるキリスト者は決して少なくないことは悲しむべき現象であると言わなければならない。
4-4-3 イエスの十字架
19:17 - 19:42
4-4-3-イ イエス十字架につき給う
19:17 - 19:22
19章17節 イエス
口語訳 | イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた。 |
塚本訳 | イエスは自分で十字架をかついで、いわゆる「髑髏の所」──ヘブライ語でゴルゴタ──へと(都を)出てゆかれた。 |
前田訳 | 彼らはイエスを引き取った。イエスはみずから十字架を負って、いわゆるされこうべのところ−−ヘブライ語でゴルゴタ−−へと出て行かれた。 |
新共同 | イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。 |
NIV | Carrying his own cross, he went out to the place of the Skull (which in Aramaic is called Golgotha). |
註解: ユダヤ人らはイエスを受取った。イエスは途中まで十字架を負い後にクレネのシモンこれを負う(マタ27:32)。イエスを市外において十字架に釘 けたのはモーセの律法に遵 ったのである(レビ24:14。民15:35。T列21:13。使7:58。ヘブ13:12、13)。なおマタ27:32、33註参照。
19章18節
口語訳 | 彼らはそこで、イエスを十字架につけた。イエスをまん中にして、ほかのふたりの者を両側に、イエスと一緒に十字架につけた。 |
塚本訳 | そこで彼らはイエスを十字架につけた。またほかに二人(の囚人)が、イエスを中にしてあちらとこちらで、一しょに十字架につけられた。 |
前田訳 | そこで彼らはイエスを十字架につけた。そしてほかのふたりがあちらとこちらにイエスを真ん中にしていっしょにつけられた。 |
新共同 | そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。 |
NIV | Here they crucified him, and with him two others--one on each side and Jesus in the middle. |
註解: 十字架の礫刑 は最も苦痛多き残酷なる処刑法で、両手両足を釘付けして自然に苦痛の中に絶息せしめる処刑法であった。マタ27:35参照。二人の囚人につきては共観福音書参照。二人の囚人の中央にイエスを置きし所以は彼をもって盗賊の一人、しかもその中の最悪のものと見しことを暗示している(C1)。
19章19節 ピラト
口語訳 | ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上にかけさせた。それには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いてあった。 |
塚本訳 | ピラトはまた捨札を書いて十字架の上に掲げさせた。ナザレ人イエス、ユダヤ人の王と書いてあった。 |
前田訳 | ピラトは捨札(すてふだ)を書いて十字架に添えた。「ナザレ人イエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。 |
新共同 | ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。 |
NIV | Pilate had a notice prepared and fastened to the cross. It read: JESUS OF NAZARETH, THE KING OF THE JEWS. |
註解:罪標 を書くことは普通の習慣でその罪人の罪名と姓名とを記した。イエスの場合この文言は何らの罪を示さざるのみならず、ユダヤ人の罪を暗示する処のものであり、なお深くこの文言を考うる時、神がピラトの手を動かしてキリストを崇めしめたのであることを認めることができる。
19章20節 イエスを
口語訳 | イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル、ローマ、ギリシヤの国語で書いてあった。 |
塚本訳 | 多くのユダヤ人がこの捨札を読んだ。イエスが十字架につけられた場所は、都に近かったからである。かつ捨札は、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書いてあった(ので、だれにでも読むことが出来た。こうしてピラトは、イエスが救世主であることを全世界に証ししたのであった。) |
前田訳 | この捨札を読んだユダヤ人は多かった。イエスが十字架につけられたところは都に近かったからである。捨札はヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書いてあった。 |
新共同 | イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。 |
NIV | Many of the Jews read this sign, for the place where Jesus was crucified was near the city, and the sign was written in Aramaic, Latin and Greek. |
註解: ヘブル語はユダヤ人の国語なるアラミ語のこと、ロマ語すなわちラテン語は支配者なるローマ政府およびその国民の用語、ギリシャ語は当時の世界一般に通用する国語であった。この三ヶ国にてイエスがユダヤ人の王たることを示したことは、この事実を世界の万民に表示せることに相当し、而して「ユダヤ人の王」たることは諸国民が彼によって祝福を受くべきことを示している(マタ2:2、Tサム7:12−16)。ユダヤ人がイエスに対する大罪はかくして神の摂理によりてイエスをして人類の罪の贖いを完成せしめ、彼が人類の救い主たることを公示するの機会と化した。
19章21節 ここにユダヤ
口語訳 | ユダヤ人の祭司長たちがピラトに言った、「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」。 |
塚本訳 | するとユダヤ人の大祭司連がピラトに抗議して言った、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この者は、ユダヤ人の王と自称した』と書き直してください。」 |
前田訳 | すると、ユダヤ人の大祭司らがピラトにいった、「『ユダヤ人の王』でなくて、『この人は、わたしはユダヤ人の王、といった』と書いてください」と。 |
新共同 | ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。 |
NIV | The chief priests of the Jews protested to Pilate, "Do not write `The King of the Jews,' but that this man claimed to be king of the Jews." |
19章22節 ピラト
口語訳 | ピラトは答えた、「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」。 |
塚本訳 | ピラトが答えた、「わたしが書いたものは、わたしが書いた通り。」 |
前田訳 | ピラトは答えた、「わたしが書いたものは書いたもの」と。 |
新共同 | しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。 |
NIV | Pilate answered, "What I have written, I have written." |
註解: 祭司長らはこの罪標 を見て神の力が彼らの良心を搏 つことを実感し、苦痛に堪えずしてその改訂を請求した。ピラトの記せる罪標の文言に神の経綸が加わったことはこれをもっても認めることができる。これに対するピラトの拒絶は絶対的であった。原語は「書いたものは書いたんだ!」というごとき語気を示している。ピラトはここでは神の御手によりてその信念を貫くことができた。
要義 [人間の行為と神の経綸]ピラトがイエスを赦さんとして目的を達せざりしことも、カヤパその他のユダヤ人がその目的を達してイエスを十字架に釘 けたことも、共に神が神御自身の計画を実行し給う妨げとはなり得なかった。否、妨げとならざりしのみならずこれがかえって神の計画を実現するの手段となった。その他イエスの十字架の死の最後における彼らの行動は、彼ら自身全く予期せざる意味において神の御旨が成就して行く手段となっていたのである。ヨハネがこの記事を認 むる場合にこの驚くべき神の手段を感得しつつあったのであろう。ゆえにこの記事をこの心で読むことが必要である。
19章23節
口語訳 | さて、兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。 |
塚本訳 | 兵卒はイエスを十字架につけると、イエスの上着を四つに分け、四人の兵卒がめいめいその一つを取った。下着もそうしようとしたが、下着には縫い目がなく、上から(下まで)全くの一枚織りであった。 |
前田訳 | 兵卒はイエスを十字架につけると、彼の上着を取って四切れに分け、兵卒のおのおのに一切れずつあてがった。下着もそうしようとしたが、下着は縫い目なしで、上からすっかり一枚織りであった。 |
新共同 | 兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。 |
NIV | When the soldiers crucified Jesus, they took his clothes, dividing them into four shares, one for each of them, with the undergarment remaining. This garment was seamless, woven in one piece from top to bottom. |
19章24節
口語訳 | そこで彼らは互に言った、「それを裂かないで、だれのものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書が成就するためで、兵卒たちはそのようにしたのである。 |
塚本訳 | それで、「これは裂くまい。だれが取るか、籤できめよう」と話し合った。これは、〃彼等は互いにわたしの着物を自分たちで分け、わたしの着るものに籤を引いた。〃という聖書の言葉が成就するためであった。兵卒どもはこんなことをしたのである。 |
前田訳 | そこで互いにいった、「これは裂くまい。だれのものになるか、くじを引こう」と。これは聖書が成就するためである。いわく、「彼らは互いにわが衣を分け、わが着物にくじを引いた」と。兵卒はこれをしたのである。 |
新共同 | そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。 |
NIV | "Let's not tear it," they said to one another. "Let's decide by lot who will get it." This happened that the scripture might be fulfilled which said, "They divided my garments among them and cast lots for my clothing." So this is what the soldiers did. |
註解: ヨハネがかかる事柄をかくも詳細に叙述せる目的は、これが詩篇(引照1)の成就であることを示さんがためであった。神の言はかくも驚くべき方法をもって異邦人の兵士によりて成就したのである。詩22:18の本来の意味は必ずしも下衣とは限らず、全財産というごとき意味であるけれども、本来の意味如何はここに問題とすべきではなく(C1)、キリストの預言であるこの詩の文字が如実に成就したことがかえって驚くべき事実であるという意味である。
19章25節 さてイエスの
口語訳 | さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。 |
塚本訳 | ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。 |
前田訳 | イエスの十字架のそばに母と母の姉妹・クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。 |
新共同 | イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。 |
NIV | Near the cross of Jesus stood his mother, his mother's sister, Mary the wife of Clopas, and Mary Magdalene. |
註解: ヨハネ自身がそこにいたことは次節により知ることができる。他の弟子たちはおそらく少し離れて立っていたのであろう。(注意)多くの写本は「母の姉妹すなわちクロパの妻マリヤ」と読んでいる。従って婦人の数は三人となる。かく解する場合にはマタ27:56よりこのマリヤはヤコブとヨセフの母でクロパとアルパヨとは同一人の別名となる。また婦人を四人として解する場合は「母の姉妹」はゼベタイの子ヤコブとヨハネの母サロメならんと想像せられている(マコ15:40。マタ27:56)。なお本章末尾附記二参照。いずれの解釈にもそれぞれ相当の困難がある。なおマタ27:56註参照。マグダラのマリヤについてはルカ8:2。マコ16:9参照。
19章26節 イエスその
口語訳 | イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。 |
塚本訳 | するとイエスは母上と、そのそばに立っている自分の愛する弟子とを見て、母上に言われる、「女の方、これがあなたの息子さんです。」 |
前田訳 | イエスの母とそばに立っていた愛弟子とを見て、母にいわれる、「母上、ここにあなたの子が」と。 |
新共同 | イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。 |
NIV | When Jesus saw his mother there, and the disciple whom he loved standing nearby, he said to his mother, "Dear woman, here is your son," |
19章27節 また
口語訳 | それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。 |
塚本訳 | それからその弟子に言われる、「これがあなたのお母さんだ。」この時以来、その弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 |
前田訳 | ついでその弟子にいわれる、「ここにあなたの母上が」と。このときからその弟子は彼女をおのが家に迎えた。 |
新共同 | それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 |
NIV | and to the disciple, "Here is your mother." From that time on, this disciple took her into his home. |
註解: イエスはまず神の御旨に服従し給いて後、次にその母親を顧み給うた。あたかもモーセに与えられし十誡の順序に相当している。而してその愛子を失わんとする母マリヤを、愛する弟子ヨハネに託し給うた。孝道の原則がここに示されている。臨終の刹那においてすらイエスの人間的関心が唯その母の上に注がれていたとすれば、平日における彼の孝心を思うことができる。
辞解
[をんなよ] ヨハ2:4辞解参照。
[愛する弟子] ヨハ13:23註参照。
19章28節 この
口語訳 | そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。 |
塚本訳 | こうしたあと、イエスは(自分のなすべきことが)何もかもすんだことを知って、(最後に)聖書の言葉を成就させるために、「〃渇く〃」と言われた。 |
前田訳 | こののち、イエスは、もはやすべてが終わったことを知って、聖書が成就するように、「渇く」といわれる。 |
新共同 | この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 |
NIV | Later, knowing that all was now completed, and so that the Scripture would be fulfilled, Jesus said, "I am thirsty." |
註解: イエスはその母を愛する弟子に託してもはや地上において彼の為し給うべき凡てのことが完成した。唯一事の残っていることは彼の行為ではなく彼の死であった。而してこの死は人類の罪のために自ら選び給える死であった。「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」がその死の霊的苦痛を示すと同じく「われ渇く」はこの死の肉的苦痛を表徴している。聖書は詩69:21を指したのであろう。
19章29節 ここに
口語訳 | そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。 |
塚本訳 | 酸っぱい葡萄酒の一ぱい入った器がそこに置いてあった。人々はその[酸っぱい葡萄酒を]一ぱい含ませた海綿をヒソプの(茎の先)につけて、イエス(の口許)に差し出した。 |
前田訳 | すっぱいぶどう酒を満たした器がそこに置いてあった。彼らはそのすっぱいぶどう酒を含ませた海綿をヒソプにつけてイエスの口ヘと差し出した。 |
新共同 | そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。 |
NIV | A jar of wine vinegar was there, so they soaked a sponge in it, put the sponge on a stalk of the hyssop plant, and lifted it to Jesus' lips. |
註解: この「酸き葡萄酒」はローマの兵卒の飲料であった。これを受刑人のために備えていたことは海綿とヒソプの準備してあったことをもって知ることができる。
辞解
[ヒソプ] 葦のごとき草で長さ一尺乃至 一尺五寸位である。イエスの十字架は普通に描かれているよりも低いのが事実であるらしい。
19章30節 イエスその
口語訳 | すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。 |
塚本訳 | イエスは酸っぱい葡萄酒を受けると、「(すべて)すんだ」と言って、首を垂れて霊を(神に)渡された。 |
前田訳 | すっぱいぶどう酒を受けると、イエスは「事は終わった」といわれた。そして、頭を垂れて息を引き取られた。 |
新共同 | イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 |
NIV | When he had received the drink, Jesus said, "It is finished." With that, he bowed his head and gave up his spirit. |
註解: 始めに麻酔剤を交ぜて彼に与えられし時イエスはこれを拒み給うた(マタ27:34註)。今や万の事終りたる以上彼はこの好意を受け給うたのである。「事畢 りぬ」と言い給いしは、彼の地上に降り給える凡ての使命が果されたからであった。永遠にわたる人類の救いは彼の十字架の死によりて完全に成就したのである。「霊をわたし給ふ」とは彼自らその死を味わい給うことを示している(ヨハ10:18)。マタ27:50の叫びはこれであった。ルカ23:46はこの叫びの続きである。
要義 [十字架上の七語] 次の順序であろう。
(1)「父よ彼らを赦し給え。その為す所を知らざればなり」(ルカ23:34)
(2)「われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし」(ルカ23:43)
(3)「おんなよ、視よ、なんぢの子なり」「視よ、なんぢの母なり」(ヨハ19:26、27)
(4)「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタ27:46。マコ15:34。詩22:1)
(5)「われ渇く」(ヨハ19:28)
(6)「事畢りぬ」(ヨハ19:30)
(7)「父よ、わが霊を御手にゆだぬ」(ルカ23:46。詩31:5)
19章31節 この
口語訳 | さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。 |
塚本訳 | ところで、その日は支度日、(すなわち安息日の前の日(金曜日))であったので──(ことに)その安息の日は(過越の祭りの第一日で)大切な日であったから──ユダヤ人は安息日に(三人の)体を十字架の上にのこしておかないために、脛を折って(体を)取りおろしてくれとピラトに願い出た。 |
前田訳 | さて、その日は準備日(そなえび)であったので、ユダヤ人は安息日に死体を十字架上に残したくなかった。その安息日は大切な日であった。そこで脛を折って死体をおろすようピラトに願った。 |
新共同 | その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。 |
NIV | Now it was the day of Preparation, and the next day was to be a special Sabbath. Because the Jews did not want the bodies left on the crosses during the Sabbath, they asked Pilate to have the legs broken and the bodies taken down. |
註解: 申21:22以下によれば、木に懸けて曝されし屍体は詛われたる者なれば、聖地の汚されざるためにその日の中に埋葬しなければならなかった。殊にそれが安息日であればなおさらのことであり、しかも「大なる日」であったのでユダヤ人は一層切にこれを要求した。ローマにおいてはかかる習慣がなく木の上に懸けたるまま空の鳥の餌食とした。
辞解
[準備日] 14節註参照。
[大なる日] 過越の祭の週間に当たる安息日のこと、また一般にニサンの月の15日は過越の祭の初日で、安息日と同じ取扱いを受けていた(レビ23:7−15)。この日が安息日すなわち土曜日と重なる時これを「大なる日」という。この説によればイエスの十字架はニサンの月の14日となる。
[脛ををり] 死を早め、またはこれを確実にする方法。
19章32節 ここに
口語訳 | そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。 |
塚本訳 | そこで兵卒らが来て、イエスと一しょに十字架につけられた第一の者と、もう一人の者との脛を折った。 |
前田訳 | そこで兵卒らが来て、イエスとともに十字架につけられた第一のものの脛を折り、もうひとりのものもそうした。 |
新共同 | そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。 |
NIV | The soldiers therefore came and broke the legs of the first man who had been crucified with Jesus, and then those of the other. |
19章33節
口語訳 | しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。 |
塚本訳 | しかしイエスのところに来て、すでに死んでおられるのを見ると、脛を折らずに、 |
前田訳 | イエスのところに来ると、すでになくなったのを見て、脛は折らず、 |
新共同 | イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。 |
NIV | But when they came to Jesus and found that he was already dead, they did not break his legs. |
註解:曩 にイエスを嘲弄せる兵卒らも、死屍に対しては幾分の人情味を示したのは極めて自然の事柄である。36節の預言は全く預言を知らざるローマの兵卒によりて成就されたのであった。
19章34節
口語訳 | しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。 |
塚本訳 | (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。 |
前田訳 | 兵卒のひとりが槍でその脇を突いた。するとすぐ血と水が出た。 |
新共同 | しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。 |
NIV | Instead, one of the soldiers pierced Jesus' side with a spear, bringing a sudden flow of blood and water. |
註解: これは侮辱の行為ではなく兵卒の入念の行動であった。万一生命の幾分か残存することあらんとて槍にて突いたのである。
註解: この現象はヨハネが次節に示すごとく間違いなき事実であった。而してこれを生理的または心理的に説明せんとする多くの試みがあったけれども、必ずしも充分の説明ということができない。イエスの多くの奇蹟と共にこの事実も説明を超越するものと見るべきであろう。ヨハネ殊に入念にこのことを記したのは、むしろ彼がこの事実を目撃してその霊的意義に感じたからである。すなわち「血」は贖罪の血を示し、「水」は再生の霊を意味する(ヨハ7:38、39)。而してこの再生は水のバプテスマをもって表徴せられ、贖罪の血は聖餐の葡萄酒をもって表徴せらる。「聖礼典はキリストの脇より流れ出でたり」(A2 )。(Tヨハ5:6、Tヨハ5:8)
19章35節
口語訳 | それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。 |
塚本訳 | (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。 |
前田訳 | 目撃者がそれを証している。その証は真である。彼はいうことが真であることを知っている。この証はあなた方も信ずるためである。 |
新共同 | それを目撃した者が証ししており、その証しは真実である。その者は、あなたがたにも信じさせるために、自分が真実を語っていることを知っている。 |
NIV | The man who saw it has given testimony, and his testimony is true. He knows that he tells the truth, and he testifies so that you also may believe. |
註解: 著者ヨハネはここに自己を第三人称をもって呼んでいる。ヨハネは以上の三つの事実(脛を折らなかったこと、槍にて脇をついたこと、水と血とが流れ出でたこと)が非常に重大なる意義があることを思い、その確実なることをここに立証している。すなわち自己が目撃者なること、偽りを語らざること、また自らその真なることを知っていることを保証している。かく念を入れてこれを証しする目的は、これによりて読者をしてイエスの真の救い主に在すことを信ぜしめんがためである(単にこの事実を信ぜしめんがためではない)。
19章36節
口語訳 | これらのことが起ったのは、「その骨はくだかれないであろう」との聖書の言葉が、成就するためである。 |
塚本訳 | このことがおこったのは、〃彼の骨は砕かれない〃という聖書の言葉が成就するためであるからである。 |
前田訳 | これらは聖書が成就するためにおこったことである、いわく、「彼の骨はくだかれまい」と。 |
新共同 | これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。 |
NIV | These things happened so that the scripture would be fulfilled: "Not one of his bones will be broken," |
註解: 原文「何となれば」とありて、読者にキリストを信ぜしめんと要求する理由をここに示している。すなわちこの聖句(引照1)(出12:46、民9:12)の成就せんがために以上の事実(脛 を折らないこと)が起ったのであって、決して偶然に起ったのではなく、従ってイエスは聖書に示されし過越の羔羊であることが明らかである以上(Tコリ5:7、8)、彼を贖い主として信ずべきであるという意味である。
辞解
[骨くだかれず] 過越の羔羊は骨を折ってはならないことが律法に定められていた。イエスに関して偶然の出来事のごとくに見ゆる経過がこの型の実現となりて聖書が成就したことは驚くべきことである。
19章37節 また
口語訳 | また聖書のほかのところに、「彼らは自分が刺し通した者を見るであろう」とある。 |
塚本訳 | さらに、〃彼らは自分の突き刺した者を見るであろう〃と言うほかの聖書の言葉もある。 |
前田訳 | また別のところにいわく、「彼らはその突き刺したものを見よう」と。 |
新共同 | また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。 |
NIV | and, as another scripture says, "They will look on the one they have pierced." |
註解: ゼカ12:10は始めにユダヤ人らが迫害殺戮せるエホバを後に至りて悔いて彼を仰ぐことの預言であって、イエスを刺せるユダヤ人はこの聖書に叶いて再びイエスの来給う時、己を刺したる傷跡を持ち給う主を見るであろう(黙1:7)。
要義 [聖書の成就]マタイは特に旧約聖書とイエスとの関係を詳述したけれども、ヨハネもまたイエスをもって聖書の成就と見ている点においてマタイと異ならなかった (ヨハ12:15、ヨハ12:38。ヨハ13:18。ヨハ15:25。ヨハ17:12。ヨハ19:24、ヨハ19:28、ヨハ19:36) 。かくのごとき意味においてイエスの生涯を眺むる時、その凡ての出来事はみな旧約聖書の中に型として録されていたのを使徒らは見出したのである。ここにおいて従来彼らの面を掩っていた面帕 は剥ぎ落され、彼らは旧約聖書の真の意義を発見すると同時に、イエスにおいて真のメシヤを見出し、旧約と新約とを一つにせる神の救拯の経綸を見出すことができたのである。ヨハネが一々聖書を引用して我らに信仰を要求しているのもこの意味である。
19章38節 この
口語訳 | そののち、ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。 |
塚本訳 | そのあとで、アリマタヤ生まれのヨセフが、──この人はユダヤ人(の役人たち)を恐れて、隠れてイエスの弟子になっていた人である──ピラトに、イエスの体を取りおろしたいと願い出た。ピラトが許すと、彼は行って体を取りおろした。 |
前田訳 | こののち、アリマタヤ出のヨセフが−−彼はユダヤ人をはばかってひそかにイエスの弟子であったが−−イエスの体を引き取りたいと願い出た。ピラトがゆるすと、来て体を引き取った。 |
新共同 | その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。 |
NIV | Later, Joseph of Arimathea asked Pilate for the body of Jesus. Now Joseph was a disciple of Jesus, but secretly because he feared the Jews. With Pilate's permission, he came and took the body away. |
註解: アリマタヤにつきてはマタ27:57辞解参照。アリマタヤのヨセフは衆議所の一員で(ルカ23:50)高位の人であった。かつ富んでいたので(マタ27:57)、公けにイエスに対する信仰を告白し得ずにいた。然るに今やユダヤ人を懼れず公然とピラトにイエスの屍体を請いこれを引取り、かつ荘厳にこの一囚徒の屍体を葬ったことはヨセフにおいては驚くべき変化であって、彼はイエスの死を見て心砕かれ、新たなる生涯に入ったものと見るべきであろう。ピラトに請いし所以はローマ官憲は死屍の上に権利を有っていたからである。
19章39節 また
口語訳 | また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。 |
塚本訳 | すると以前に、夜、イエスの所に来たニコデモも、没薬と沈香とを混ぜた物を百リトラ(三十二キロ八百グラム)ばかり持って来た。 |
前田訳 | ニコデモも来た。前に夜イエスのもとに来た人である。彼は没薬(もつやく)と沈香(じんこう)の混ぜたものを百リトラほど持参した。 |
新共同 | そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。 |
NIV | He was accompanied by Nicodemus, the man who earlier had visited Jesus at night. Nicodemus brought a mixture of myrrh and aloes, about seventy-five pounds. |
註解: ヨハ3:2。ヨハ7:50に記されし臆病なるニコデモも、イエスの死により新生を獲得し大胆なる人間と化した。「イエスの死はその生よりも大なる力を持っている」(C1)。かかる多量の没藥沈香を携え来りしは、ニコデモのイエスに対する尊敬がイエスの死に際して特に豊かに表われしことを示している。
辞解
[没藥] smyrna マタ2:11辞解。
[沈香] aloê 香木でこれを粉末にして没藥に混じ、屍体を包める布の上に撒布して棺を充填した。
19章40節 ここに
口語訳 | 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。 |
塚本訳 | 彼らはイエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料をふりかけた亜麻布でこれを巻いた。 |
前田訳 | 彼らはイエスの体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣どおり、香料を加えて亜麻布で包んだ。 |
新共同 | 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。 |
NIV | Taking Jesus' body, the two of them wrapped it, with the spices, in strips of linen. This was in accordance with Jewish burial customs. |
註解: この埋葬は一囚徒の葬りではなく、立派なる貴人の埋葬に比すべきものであった。これイエスの復活と栄光の準備として相応しきようにその屍体を取扱わしめんとの神の定めであった。
19章41節 イエスの
口語訳 | イエスが十字架にかけられた所には、一つの園があり、そこにはまだだれも葬られたことのない新しい墓があった。 |
塚本訳 | ところがイエスが十字架につけられた場所(の近く)に園があって、園の中に、まだだれも納められたことのない、新しい墓があった。 |
前田訳 | 彼が十字架につけられたところには園があった。園にはまだだれも納められたことのない新しい墓があった。 |
新共同 | イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。 |
NIV | At the place where Jesus was crucified, there was a garden, and in the garden a new tomb, in which no one had ever been laid. |
19章42節 ユダヤ
口語訳 | その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた。 |
塚本訳 | その日はユダヤ人の支度日であったので、その墓が近いのをさいわい、(安息日が始まらないうちにと、急いで)そこにイエスを納めた。 |
前田訳 | ユダヤ人の準備日であったし、墓が近くにあったので、そこにイエスをお納めした。 |
新共同 | その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。 |
NIV | Because it was the Jewish day of Preparation and since the tomb was nearby, they laid Jesus there. |
註解: 新しき墓は死人の中より初めに甦り給うべきイエスを葬るに適当である。ニコデモとヨセフの考えは単にその墓の近きがままに便宜上そこに納めたに過ぎなかった(遠方まで運ぶ時間がなかったので)。しかし神はイエスの復活に最も適当なる場所をそこに供え給うたのである。この墓がヨセフの所有であったことがマタ27:60に録されているけれども、この2節にはかかる形跡を認め難い。唯、他人の墓に濫りに葬ることは有り得ざること故、おそらくヨセフはイエスを葬らんがためにこれを買収したものであろう。
要義 [アリマタヤのヨセフとニコデモ](1)二人とも真理に対する感受性を持っていた。従ってユダヤ人の祭司長学者らの虚偽と教権擁護の邪念に比して、イエスの真実とその力に打たれ、或は密にその弟子となり(ヨハ19:38)、或は夜彼を訪い(ヨハ3:2)、或はそれとなく彼を庇護した(ヨハ7:50)。彼らは心にイエスを充分に尊敬していたことがこれによって窺い知ることができる。(2)しかしながら彼らはあまりに富みまたはその位があまりに高かったがために、これを犠牲にしてまでもイエスに対する信仰を告白するの勇気がなかった。彼らはおそらくこの自己の意気地なきに苦しんだであろう。彼らはこの点において卑怯であった。しかしながら棄つべき富も地位もなき者が信仰を公に告白し得たりとて彼らを批難する権利はない。人はみな彼らと同じ弱点をもつが故である。(3)故にイエスはかくのごときものを弟子と称し給うた(ヨハ19:38)。「我らはこれにより神が如何にその民に対して恩恵深く取扱い給うか、また如何に父らしき親切さをもって彼らの罪を赦し給うかを知ることができる」(C1)。(4)而してかかる卑怯なる人々もみなイエスの死を見てその心が一変した。彼らの卑怯なる罪すらもこれを赦さんがために、これを負いて十字架につき給える主を仰ぎ見て彼らは自己の罪に責められたことであろう。イエスの死によりて彼らは新たに生れて、勇気ある生涯に入ることができたのである。
附記1 [イエスの死に給いし日の計算]福音書の批評的研究の諸問題中で、最も重要にしてかつ困難な問題は、イエスの十字架に釘 き給いし日がニサンの月の十四日であったか、または十五日であったかの問題である。而して第二世紀以来今日に至るまでこの問題は学者の間の大なる争論の題目となっているのであって、おそらく永久に決定的解答を得ることができないであろう。
この問題の起る所以は、共観福音書によればイエスの最後の晩餐は過越の食であった(マタ26:17−19)。而して過越の食はニサンの月の十四日の終る頃より十五日にかけて行われた(ユダヤ人は日没を一日の起算点とする)。それ故にイエスは十五日の昼に十字架につき給うたこととなる。然るにヨハネ伝によれば最後の晩餐はニサンの月の十三日夕に普通の食事として行われ、過越は未だ食せられず(ヨハ18:28)、イエスは過越の小羊として十四日に屠られ給うたもののごとくに録されており(ヨハ19:36)、この二者の間の矛盾が存するからである。これに対して大要左(下記)のごとき解決法が試みられている。
第一説 ヨハネ伝によるもやはり13章の最後の晩餐は14日に過越の食として行われ、十五日に十字架に釘 き給えりと解し、四福音書の間に完全なる一致ありとするもの(Z0その他)。
第二説 反対に共観福音書の最後の晩餐を13日に行われたりとして、14日に十字架につき給えりと解し、四福音書の間の一致を主張するもの(G1その他)。
第三説 この両者間の矛盾は到底解決し得ざるものとするもの(M0その他)。
第四説 日数の計算法に二種ありとなし、双方ともそのまま真なりとするもの(S2その他)。
本註解においては第一説を採用した。しかしこの解釈も多くの困難を伴うのであって、ヨハ19:14の「過越の準備日」ヨハ18:28「過越の食」等をやや不自然に解するの欠点があり、またヨハネ伝全体の印象として晩餐には過越の晩餐らしき点なく、イエスの死を過越の羔の死に一致せしめしごとき形跡あること(例えばヨハ19:36のごとき)の争うべからざる事実を無視しなければならない欠点がある。第二説によれば(イ)最後の晩餐を13日に行われし普通の食事と見做し、または14日の代りに13日に過越の食を予め行い給えるなりと見做し、(ロ)かつ15日の祭の最初の日に武器を携うこと(マタ26:47等。マタ26:51等)は律法に違反し、また「準備日」(マコ15:42。ルカ23:54)は十四日とするを普通とし、また「亜麻布を買うこと」(マコ15:46)「香料と香油とを準備すること」(ルカ23:56)も祭日にはでき得ない故にイエスの死は14日であると主張する。しかし(イ)は共観福音書の明瞭なる記事に矛盾し、(ロ)は必ずしも事実にあらざることをユダヤの諸法典より発見することができ、従って第二説も必ずしもこれを受入れることができない。第三説は共観福音書をもヨハネ伝をも最も無理なしに自然に解釈することができるけれども、かかる重大なる(全新約聖書中最大の)事件につきその日付に矛盾錯誤ありとの事実を説明することができない欠点がある。第四説はパリサイ派とサドカイ派との間に過越の祭の計算方法につき二種ありしことを基礎として、この矛盾のごとき双方とも事実であると主張する。しかしながらこれはあまりに不自然なるからくりに過ぐるごとききらいがある。要するにこの解決は目下の処不可能であるというのが事実に近いであろう。
附記2 [主の兄弟に就いて]福音書中の難問題の他の一つは「主の兄弟」とアルパヨの子らとの異同である。少数の教父とカトリック教会と少数のプロテスタント学者はこれを同一と見、多数の教父および新教学者はこれに反してこれを別人と見ている。この二者の混同され易き理由は、(1)主の兄弟は「ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ」であり(マタ13:55。マコ6:3)、(2)アルパヨ(またの名クロパ)の子は同じくヤコブとヨセフであり(マタ27:56。マコ15:40)、それにもしルカ6:16。使1:13を「ヤコブの子」と読まずして「ヤコブの兄弟」と読むならば(文法上かく読むことを得)アルパヨの子もヤコブ、ヨセフ、ユダとなり、イエスの兄弟四人中の三人と同名となる。(3)かつアルパヨの妻マリヤはヨハ19:25の異本によればイエスの母マリヤの姉妹に当たることとなる。ゆえにイエスとアルパヨの子らとは従兄弟となり、ヘブル語の用法によりこれを「兄弟」と呼ぶことも有り得るのである。しかしながら(1)聖書によれば主の兄弟たちは始めは主を信ぜず(マタ12:46等。マタ13:55等。ヨハ7:3、ヨハ7:5)、主の復活を目撃して後始めて主を信じて弟子たちの中に加わり(Tコリ15:7。使1:14)アルパヨの子らは始めよりイエスの弟子であった点、(2)聖書にアルパヨの子らと主の兄弟らとは常に別々に録されて決して混同せられない点、(3)使徒ヤコブは十二使徒の中でいたって顕著ならざる地位にいたのに反し、主の兄弟ヤコブはエルサレム教会の監督として「義なるヤコブ」と称せられ非常なる人望と勢力とを持っていた点、(4)かつヨハ19:25のイエスの母マリヤの姉妹は、或はサロメを指せるものと見るべき点などより見て、アルパヨの子らは主の兄弟と呼ばれているのではないと結論すべきである。その他アルパヨをイエスの父ヨセフの兄弟なりとなし、またはイエスの兄弟らをヨセフの先妻の子と見るなども凡てマリヤの終身童貞説の弁護のための捏造説である。
ヨハネ伝第20章
分類
5 イエスの復活
20:1 - 21:23
5-1 ユダヤに於ける顕現
20:1 - 20:31
5-1-1 空虚なる墓
20:1 - 20:10
口語訳 | さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。 |
塚本訳 | (翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。 |
前田訳 | 週の第一日に、マグダラのマリヤが朝早く、まだ暗いうちに墓に来て、墓から石が移されているのを見た。 |
新共同 | 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 |
NIV | Early on the first day of the week, while it was still dark, Mary Magdalene went to the tomb and saw that the stone had been removed from the entrance. |
註解: すなわち安息日終りて日曜日、キリスト者が日曜日礼拝を行うに至りし原因。マタ28:1参照。
註解: 多くの悩みより救われしマグダラのマリヤは(ルカ8:2。マコ16:9)イエスに関する懐かしき追憶に耐えず、心ゆくばかりその墓前に泣きかつ祈らんがために、未だ日の昇らざる前に墓に赴いたのであろう。なお彼らはイエスの屍に香料を塗らんがために準備していた(マコ16:1)。ヨハネ伝に唯このマリヤのみを記して他の婦人(マタ28:1。マコ16:1。ルカ24:10)につき記さない理由は、一同が必ずしも同一行動を取ったのではなく(マコ16:2)、従ってヨハネは他の婦人に関する記事を省略したのであろう。
20章2節
口語訳 | そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。 |
塚本訳 | そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」 |
前田訳 | そこで走ってシモン・ペテロとイエスの愛されたもうひとりの弟子のところへ来ていう、「主が墓から移されました。どこに置かれたかわかりません」と。 |
新共同 | そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 |
NIV | So she came running to Simon Peter and the other disciple, the one Jesus loved, and said, "They have taken the Lord out of the tomb, and we don't know where they have put him!" |
註解: 共観福音書の記事は多くの婦人と十一弟子とのこの場合の行動を総括して簡略に記しているけれども、ヨハネ伝にはマグダラのマリヤとペテロ、ヨハネの行動の詳細を記載している。これヨハネの目撃者としての実録である。「我ら」と言いてマリヤのみにあらず他の婦人もこれを目撃していることを暗示している。ペテロとヨハネ(イエスの愛し給いし弟子)とに告げたのは彼らが弟子の首位を占めていたから。「の許に」を反復したのは二人に別々に話したからである(B1、G1)。
口語訳 | そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。 |
塚本訳 | そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ。 |
前田訳 | そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて墓に行った。 |
新共同 | そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 |
NIV | So Peter and the other disciple started for the tomb. |
20章4節
口語訳 | ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、 |
塚本訳 | 二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。 |
前田訳 | ふたりは並んで走っていたが、ひとりの弟子がペテロを走り越して、先に墓に来た。 |
新共同 | 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 |
NIV | Both were running, but the other disciple outran Peter and reached the tomb first. |
註解: 二人とも走りたるを見ればマリヤの報告に非常に驚いたことがわかる。ヨハネが先に墓に到着したのは彼が若くして体力が優っていたことを示している。その事件の当事者にあらざれば、かかる微細の点に亙 って真を穿 つことは困難である。
20章5節
口語訳 | そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。 |
塚本訳 | 身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。 |
前田訳 | かがむと亜麻布が置いてあるのが見えた。しかし中には入らなかった。 |
新共同 | 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 |
NIV | He bent over and looked in at the strips of linen lying there but did not go in. |
註解: 思慮深き敏感なるヨハネは薄気味悪き墓の中に入ることを躊躇していた。
20章6節 シモン・ペテロ
口語訳 | シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、 |
塚本訳 | 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。 |
前田訳 | つづいてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 |
新共同 | 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 |
NIV | Then Simon Peter, who was behind him, arrived and went into the tomb. He saw the strips of linen lying there, |
20章7節 また
口語訳 | イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。 |
塚本訳 | また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。 |
前田訳 | 頭にかけた手拭も見たが、それは亜麻布といっしょには置いてなく、それだけでひとところにまるめてあった。 |
新共同 | イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 |
NIV | as well as the burial cloth that had been around Jesus' head. The cloth was folded up by itself, separate from the linen. |
註解: ペテロは老年のため走ることには後れたけれども、その直情径行の性質が露 われて直ちに墓の中に飛び込んだ。このヨハネとペテロの性格の微妙なる顕われが、ここに巧みに描き出されていることに注意せよ。而して身体を包みし布が置かれしことおよび手拭を巻きあることは、そこに屍体の盗去のごとき急激なる事件がなく、静かにこの変化が行われしことを想像せしめる。ゆえに「見る」「視る」 theôreô なる文字を用いて、これを眺めて思いに耽ったことを示している。
20章8節
口語訳 | すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。 |
塚本訳 | すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。 |
前田訳 | そこへ先に墓に来たもうひとりの弟子も入って、それを見て、信じた。 |
新共同 | それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 |
NIV | Finally the other disciple, who had reached the tomb first, also went inside. He saw and believed. |
20章9節
口語訳 | しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。 |
塚本訳 | イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。 |
前田訳 | 「彼は死人の中から復活されねばならぬ」という聖書のことばが、彼らにはまだわからなかったのである。 |
新共同 | イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 |
NIV | (They still did not understand from Scripture that Jesus had to rise from the dead.) |
註解: この9節は「そは彼らは彼の死人の中より甦り給うべきことを録せる聖書を未だ悟らざりければなり」と訳すべきである。ヨハネはイエスの墓の空虚なることとその布や手拭の状態を見て、始めてマリヤの言う処の真なることを信じた。ペテロは先に墓に入りて凡てを見たけれども、ヨハネはこの時までマリヤの言を信ぜずにいたのである。彼らはもしキリストの復活に関する聖言(詩16:10。詩110:1。イザ53:8その他のごとき)を悟っていたならば、その墓の空虚となるべきことは当然のことと信じ得たであろう。然るにこれを見て始めてその空虚なる事実を信じたのは彼らが聖書を悟らなかった証であった。(▲ただし聖書の真の意味は聖霊を賜わることによって始めて把握し得るのであるから、この時まで弟子が聖書を悟れなかったのは止むを得ない事実であった。)この「信ぜり」を多くの学者(A1、C1、D0、E0、G1、M0、Z0その他)はキリストの復活したことを信じた意味に解しているけれども、かく解する時は彼らがあまりに歓喜が少なきこと(10節、19節)、およびマリヤにこのことを語らざることが不可解であり、また17節のイエスの命令およびルカ24:12、ルカ24:24。マコ16:11等より見てペテロ、ヨハネがなお未だイエスの復活を信ぜず唯マリヤの言を信ぜしものと見、9節はその理由の説明と見るを可とする(A2、B1、L1、S3等少数の学者らはこの解を取る)。
口語訳 | それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。 |
塚本訳 | それから二人の弟子は家にかえった。 |
前田訳 | それで彼らはまた家路についた。 |
新共同 | それから、この弟子たちは家に帰って行った。 |
NIV | Then the disciples went back to their homes, |
註解: 驚きと不可解の感情とに充たされ、かつ彼らの心はまさに偉大なる啓示が与えられんとする前のごとき予感に支配せられつつ家路をたどったのであろうと想像せられる。
20章11節
口語訳 | しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、 |
塚本訳 | (二人について来ていた)マリヤは(ひとり)墓の外に立って泣いていた。(二人が去ったあと、)泣きながらかがんで墓の中をのぞくと、 |
前田訳 | マリヤは墓の外に立って泣いていた。泣きながら、墓にかがみ込むと、 |
新共同 | マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、 |
NIV | but Mary stood outside the tomb crying. As she wept, she bent over to look into the tomb |
註解: マリヤはなお未だキリストの甦り給えることを知らず、イエスの屍体に塗らんとて求めし香料(マコ16:1。ルカ24:1)を空しく懐きつつ、無残の最後を遂げ給いし主を追想して泣いていた。人間の死はもし復活の希望がないならば唯悲しみのみを与えるに過ぎない。マリヤのこの態度はそこに一点も信仰の要素を含まざる純人間的の感情であった。美わしくはあるが崇 さがない。なお他の婦人たちもそこにいたのであろう。
20章12節 イエスの
口語訳 | 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。 |
塚本訳 | 白い衣をきた二人の天使が、一人はイエスの体が置いてあった所の頭の方に、一人は足の方に坐っているのが見えた。 |
前田訳 | 白い装いの天使がふたり、ひとりはイエスの体が置かれていたところの頭のほうに、ひとりは足のほうにすわっているのが見えた。 |
新共同 | イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 |
NIV | and saw two angels in white, seated where Jesus' body had been, one at the head and the other at the foot. |
註解: マタ28:2に「一人の天使」とあり、マコ16:5に「一人の若者」とあり、ルカ24:4に「二人の人」とあり各々異なっている。かかる異象が現われし特別の機会に悲しみの中に陥れる数人の婦人は各々その全景を目撃し難かったであろう。従って種々の異なる伝説が伝わるに至った。これを強いて調和せんと試みる必要もなく、またこの不調和をもってこの事実を否定することができない。また何故にペテロ、ヨハネに見えざりしかを問う必要もない。天の使いは必要なる者に自己を示す。
20章13節
口語訳 | すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。 |
塚本訳 | 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」 |
前田訳 | 彼らはマリヤにいう、「女の人、なぜ泣くのか」と。彼女はいう、「わが主が移されて、どこに置かれたかわからないからです」と。 |
新共同 | 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 |
NIV | They asked her, "Woman, why are you crying?" "They have taken my Lord away," she said, "and I don't know where they have put him." |
註解: マリヤの心は全くその悲しみに占領せられて己に語れる者の誰たるかをすら弁 えず、ただその思いのままを答えた。単純なる記述の中に深き意義を蔵しているのを見よ。
20章14節 かく
口語訳 | そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。 |
塚本訳 | こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。 |
前田訳 | こういいながらうしろを向くと、イエスが立っておられるのが見えた。しかしそれがイエスとは気づかなかった。 |
新共同 | こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。 |
NIV | At this, she turned around and saw Jesus standing there, but she did not realize that it was Jesus. |
註解: 復活のイエスの御姿は肉のイエスとは異なっている点が有った。マリヤのみならず他の弟子たちも直ちに彼を認識することができなかった。ヨハ21:4。ルカ24:13−31。マコ16:12。
20章15節 イエス
口語訳 | イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。 |
塚本訳 | イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」 |
前田訳 | イエスは彼女にいわれる、「女の人、なぜ泣くのか。だれを探しているのか」と。彼女は園丁と思っていう、「あなた、もしあなたがあの方をお運びでしたら、どこにお置きかおっしゃってください。わたしがお引き取りします」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」 |
NIV | "Woman," he said, "why are you crying? Who is it you are looking for?" Thinking he was the gardener, she said, "Sir, if you have carried him away, tell me where you have put him, and I will get him." |
註解: イエスの御言は悲しむ者を慰め、その心を彼に導き給う。もし人の死に遭いて悲しむ者があるならばその人は復活のイエスを求むべきである。然らばイエスは彼の傍らに立ちて彼を慰め給うであろう。マリヤの答は13節と同じく唯主の肉の体の恢復に余念なきことを示している。しかしながら我らは肉によりてキリストを知る必要はない。霊の体に甦り給えるキリスト者を得るならば、それに優ったことはないことを知らなければならない。
20章16節 イエス『マリヤよ』と
口語訳 | イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 |
塚本訳 | (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。) |
前田訳 | イエスが彼女にいわれる、「マリヤ」と。彼女は振り向いてヘブライ語でいう、「ラボニ(訳せば先生)」と。 |
新共同 | イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 |
NIV | Jesus said to her, "Mary." She turned toward him and cried out in Aramaic, "Rabboni!" (which means Teacher). |
註解: マリヤにとって何物よりも慕わしかりし主の御声をききてマリヤは直ちにこれに応じて「師よ」と答えた。マリヤの歓喜は如何ばかりであったろうか。彼女は直ちにその御前に平伏し御足をいだかんとした(次節、マタ28:9)。かくのごとくにイエスの御声に接し、かくのごとく答うることを得る者は幸いである。
20章17節 イエス
口語訳 | イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。 |
塚本訳 | イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」 |
前田訳 | イエスはいわれる、「わたしにさわるな。まだ父のところに上っていないから。わが兄弟たちのところへ行って、『わたしは、わが父であなた方の父、わが神であなた方の神のところへ上る』と告げよ」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」 |
NIV | Jesus said, "Do not hold on to me, for I have not yet returned to the Father. Go instead to my brothers and tell them, `I am returning to my Father and your Father, to my God and your God.'" |
註解: マリヤは喜びの余り主イエスが十字架に懸かり給う以前のイエスと同一なりや否や等を考察する余裕もなく、唯何の思慮もなく、己を忘れてその愛せしイエスに触れんとしたのであろう。学者によりこのイエスが果して以前の肉体をもって甦り給えるのか、また単に霊であって肉体は一つの幻に過ぎざるかを確めんために、マリヤが彼に触れんとしたのであると解しているのは(M0)、この場合のマリヤをあまりに冷静に見過ぎている嫌いがある。イエスの答の意味は、マリヤの求むる者は地上におけるイエスとの交わりであるが、イエスの与えんとし給うものは、父の御許に昇り給いしイエス、すなわち父の御許より聖霊を賜わり聖霊によりて彼を信ずる者の中に永遠に留まり給うイエスとの交わりであることを示す(ヨハ14:16−20)。ゆえに父の御許に昇り給わざる現在のイエスとの交わりを持ち続けんことを欲するマリヤの態度を斥け給うたのである。(このイエスの答につきては多くの異なる解釈あり。G1参照)
註解: 「父」は愛の対象としての神であり、「神」は服従の対象としての父である。ここにイエスは父の許に昇り給うことを弟子たちに告げしめ、かつこのことは弟子たちを捨てて単にイエス一人そこに赴き給う意味にあらずして、イエスの昇天により父なる神は同時に凡てのキリスト者に対して、イエスにおけると同じく父となりまた神となり給うことを示したのである。それ故にイエスはその弟子たちを「我が兄弟」と呼び給うた(ロマ8:29。ヘブ2:11、12、ヘブ2:17)。すなわちイエスの昇天により神と人との霊の交わりは全く新たな状態に入ったのである。
20章18節 マグダラのマリヤ
口語訳 | マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。 |
塚本訳 | マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。 |
前田訳 | マグダラのマリヤは弟子たちのところへ行って、主を見たこと、これらを主がいわれたことを告げた。 |
新共同 | マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。 |
NIV | Mary Magdalene went to the disciples with the news: "I have seen the Lord!" And she told them that he had said these things to her. |
註解: 前節に主イエスがその復活を弟子たちに告ぐべく命じ給わなかった所以は、マリヤが勿論これを告ぐることを知り給うたからである。
要義 [復活の記事に就いて]以上の本文および註のみによっても明らかであるごとく、復活の記事としてはヨハネ伝が最も優れており、凡ての事実を網羅してはいないけれども、記されし事実そのものは最も事実の真相を示しており、真の目撃者の筆になっていることを示している。ヨハネ、ペテロ、マリヤ、その他後に記されるトマス等の性格がこの簡単なる記事の中に生き生きとして現われていることは、本書の価値を無限に高めるに足るものであり、たとえ一見共観福音書と一致せざる多くの記事があるにしても、この不一致は互いに相補足して一つの復活史を成しているのであって、この不一致がこのヨハネ伝の記事の歴史的価値を傷つけることは絶対に不可能である。
20章19節 この
口語訳 | その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。 |
塚本訳 | その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。 |
前田訳 | その日、すなわち週の第一日が夕方になって、弟子たちのいるところにはユダヤ人をおそれて戸に鍵がかけてあったが、イエスは入って彼らの真ん中に立ち、「ごきげんよう」といわれる。 |
新共同 | その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 |
NIV | On the evening of that first day of the week, when the disciples were together, with the doors locked for fear of the Jews, Jesus came and stood among them and said, "Peace be with you!" |
註解: この一日中にイエスはマグダラのマリヤのみならず(16節)、エマオに赴く二人の弟子(ルカ24:13−32。マコ16:12、13)およびペテロ(ルカ24:34)に現れ、またこの記事のごとき顕現があった(ルカ24:36以下。マコ16:14はこの記事に相当する)。ユダヤ人を懼れたのはイエスに対する迫害が彼らにも及ばんことを恐れたからであった。イエスの復活体はあたかも純霊体と肉体との間の過渡期にあったごとくに見える(ヨハ20:26−28節。ルカ24:25−30、ルカ24:43)。閉じたままの戸が開かずにイエスがそこに現れ給うたのであった。如何なる物質も彼の通過を妨げることができなかった。(ルカ24:31参照)。「平安なんぢらに在れ」はユダヤ人の間に今日もなお行われている普通の挨拶の語であるけれども、イエスはこれを一層深き意義に用い、主すでに十字架に懸り今は甦りまさに神の右に昇らんとしつつあり給う以上、彼らの罪は凡て赦され、悪魔はすでに敗北し、死は亡ぼされ、やがて神の栄光に入るべき望みが与えられたのであって、この世の迫害も困難も彼らを懼れしむるに足らず、彼らは全き平安を味わうことを得るに至ったことを示し給うたのである。
20章20節
口語訳 | そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。 |
塚本訳 | そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。 |
前田訳 | こういいながら手と脇とをお見せになった。弟子たちは主を見てよろこんだ。 |
新共同 | そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。 |
NIV | After he said this, he showed them his hands and side. The disciples were overjoyed when they saw the Lord. |
註解: イエスの顕現は最初にその弟子たちを驚駭と怪異の情をもって充たしたことであろう。それ故にイエスはその手と脇との傷跡を示してそのイエスなることを明らかにし給う。ここにおいて弟子たちの心の中にはあたかも暗黒の夜に曙の光が輝き初めしごとく大なる喜びがその心に湧き出づるに至った。この喜びは理論や神学や知識によりて来らず復活の主に見えし事実より来る。
20章21節 イエスまた
口語訳 | イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 |
塚本訳 | すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」 |
前田訳 | イエスはまたいわれた、「ごきげんよう。父がわたしをおつかわしのように、わたしもあなた方をつかわす」と。 |
新共同 | イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 |
NIV | Again Jesus said, "Peace be with you! As the Father has sent me, I am sending you." |
註解: イエスは同一の語「平安なんぢらに在れ」を繰返し給いて、キリストの残し給う平安の如何に大切であるかを示し、次にこの平安を基礎として彼らを伝道に遣わし給うたのである。而して復活の後始めて彼らに現れ給いしこの時に彼らにこの使命を授けられしことは、彼らをしてその使命が天につけるものなることを知らしめ、かつイエスの復活の証人ならしめた(使1:22)。
20章22節
口語訳 | そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 |
塚本訳 | こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。 |
前田訳 | こういいながら彼らに息を吹きかけていわれる、「聖霊を受けよ。 |
新共同 | そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。 |
NIV | And with that he breathed on them and said, "Receive the Holy Spirit. |
註解: 使命を授けて後これを果すべき力を与え給う。この力は聖霊である。而して昇天後のイエスは弟子たちをして使命を果さしめんがために、ペンテコステの日に聖霊を豊かに上より注ぎ給いしごとく、昇天前のイエスはまず弟子たちをしてその使命に立ち上らしめんがためにその聖霊の幾分を初穂として彼らに注ぎ給うた。
20章23節 なんじら
口語訳 | あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。 |
塚本訳 | 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」 |
前田訳 | 人の罪はあなた方がゆるせばゆるされ、ゆるさねばそのまま残ろう」と。 |
新共同 | だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 |
NIV | If you forgive anyone his sins, they are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven." |
註解: 弟子たちはその与えられし権威をもって福音を宣伝うる時彼らは天国の鍵を握っている。而して福音の主なる目的は人の罪を赦すに在るのであって、使徒らがこの福音を宣伝うる時これを聴く者が単にこれを人の声として聴くことなく神の言として聴く必要があるので、神は使徒にこの権を授け給うたのである。ゆえに使徒の言により福音を信じて罪の赦しを受けしものは天国においてその罪赦され、信ぜざるものはその罪とどめられて審判に至る(マタ16:19)。而してこの権威は一般の信徒にも与えられている(マタ18:18)のであって、ペテロの直系と自称するローマ法王の独占ではない。ただしこの権はキリスト者の人間としての固有の権ではなく、またある制度によりて与えられる権でもなく、聖霊によりて福音を宣伝う者のその行為に付随する権である。ゆえにかかる福音の使者を拒む者は神を拒むものである。
20章24節 イエス
口語訳 | 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。 |
塚本訳 | 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。 |
前田訳 | 十二人のひとりでデドモ(二子)ことトマスは、イエスが来られたとき彼らといっしょにいなかった。 |
新共同 | 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 |
NIV | Now Thomas (called Didymus), one of the Twelve, was not with the disciples when Jesus came. |
20章25節
口語訳 | ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。 |
塚本訳 | そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」 |
前田訳 | それでほかの弟子たちが、「われらは主にお目にかかった」といったが、彼はいった、「その手に釘跡を見なければ、わが指を釘跡にさし込まねば、わが手をその脇にさし込まねば、わたしは決して信じまい」と。 |
新共同 | そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 |
NIV | So the other disciples told him, "We have seen the Lord!" But he said to them, "Unless I see the nail marks in his hands and put my finger where the nails were, and put my hand into his side, I will not believe it." |
註解: トマスにつきてはヨハ11:16。ヨハ14:5参照。彼は具体的なる証拠を握るまでは容易に信じ難き性質であった。
トマスいふ『
註解: この語気の中に頑固なる彼の性質が髣髴しており、また自己の不信につき誇るがごとき心持さえも入っている。今日もキリストの奇蹟や復活を信ぜずしてその証明を科学に求めている者の中に、かかる頑固と高慢とを見出すことができる。自己の理解力をもって最上となすものは信仰を得ることができない。信仰の性質につきヘブ11:1参照。
20章26節
口語訳 | 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。 |
塚本訳 | 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。 |
前田訳 | 八日ののち、弟子たちはまた家にいた。トマスもいっしょであった。戸に鍵がかけてあるのにイエスは来て真ん中に立っていわれた、「ごきげんよう」と。 |
新共同 | さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 |
NIV | A week later his disciples were in the house again, and Thomas was with them. Though the doors were locked, Jesus came and stood among them and said, "Peace be with you!" |
註解: イエスの復活および顕現は多く日曜日に起った(ヨハ20:1、ヨハ20:19。黙1:10以下)。この日の顕現はおそらく特に信ぜざるトマスのためであったのであろう。一匹の迷える羊のために主は多く労し給う。
20章27節 またトマスに
口語訳 | それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 |
塚本訳 | それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」 |
前田訳 | それからトマスにいわれる、「あなたの指をここに出し、わが手を見よ。あなたの手を出してわが脇に入れよ。不信はやめて信ずるものになれ」と。 |
新共同 | それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 |
NIV | Then he said to Thomas, "Put your finger here; see my hands. Reach out your hand and put it into my side. Stop doubting and believe." |
註解: イエスは25節におけるトマスの語をほとんど繰返し給いて、トマスをしてその不信を悔いてイエスを信ぜしめんとし給うた。一人の魂を救わんがために主は往々その魂が疑問としている点に対し、特に答解を示し給うことがあることは多くの人の経験する事実である。トマスもかかる解決法を主より示され、主の復活を信ずる機会を与えられた。これトマスをして不信に陥らざらしめんとのキリストの愛の結果である。
20章28節 トマス
口語訳 | トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 |
塚本訳 | トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」 |
前田訳 | トマスは答えた、「わが主よ、わが神よ」と。 |
新共同 | トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。 |
NIV | Thomas said to him, "My Lord and my God!" |
註解: トマスは容易に信ぜざる性質を有っていたけれども、いよいよ信ずる場合には熱烈に単純にこれを信じた。イエスがトマスの心をも見通し給えることに驚き、今またその傷跡を示されて、トマスは唯主を拝してその聖前に跪 くより外はなかった。而して不信の谷底より信仰の絶頂に一躍せるトマスは、イエスを主とし神と呼び奉ることにより最も深き信仰の告白を為した。
20章29節 イエス
口語訳 | イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 |
塚本訳 | イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」 |
前田訳 | イエスはいわれる、「わたしを見たから信ずるのか。さいわいなのは見ないで信ずる人々!」と。 |
新共同 | イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 |
NIV | Then Jesus told him, "Because you have seen me, you have believed; blessed are those who have not seen and yet have believed." |
註解: この時までのトマスは復活のキリストを直接見ることができた人々以外のキリスト者の型であった。これらのキリスト者はみな復活のキリスト者を目撃することなく、使徒たちの言および聖書によりてこのことを教えられるだけである。復活のキリストを見て信じたる使徒たち、殊に特別にキリストが現れ給えるトマスは幸福であった。しかしながら見ずして信ずるものは直接に信仰の世界に突入するのであって、何ら五感によることなしに直ちに霊界の事実に接することができ、最も幸福なる者であることをイエスは宣告し給うた。而してかくして信ずる者は霊の眼をもって復活の主を見ることができる。「信仰は見ぬ物を真実とするなり」(ヘブ11:1)。
辞解
[信じたり] 「信ずるか」とも読むことができ、これを優れりとする学者もある(M0)。
要義 [イエスの復活に対する信仰]我らイエスの復活を目撃する能わざる者が、如何にしてこれを信ずることができるであろうか。これ蓋し至難の事柄であると言わなければならない。しかしながらこれを信ずることは決して不可能でもなくまた不合理でもない。すなわち(1)Tコリ15章にパウロが論ずるごとく、凡ての生命に体を賦与し給える神は、イエスの霊にもまた復活体を賦与し給うことは当然有り得べきこと、(2)罪なかりしイエスは罪人と共に腐朽に帰し給うべきものにあらずと考うることが道理に叶っていること、(3)弟子たちがこれを目撃せる記事をもって虚構無根の記事となすことは弟子たちを虚言者となし、従って聖書全体の印象と反すること、(4)イエスの復活が人類の復活の前提として見る時、人間世界の窮極如何の問題に関して最も明瞭にして適切なる解決を与うること、すなわち人生の帰趣 がこれによりて明らかにされること、(5)イエスの復活なしには罪の赦しの福音が架空の思想に過ぎざることとなり、キリスト教教理の全組織を破壊すること等、なお他に理由を掲ぐることができる。ゆえにこれを「見ずして信ずる者」がこのキリスト教教理の全体を理解することができ、反対にこれを見ざるが故に信ぜざるものはキリスト教の全体を破壊してしまうのである。イエスが「見ずして信ずる者は幸福なり」と宣いしはかかる者のみが真にキリスト者としてキリストの救いに与ることができるからである。
20章30節 この
口語訳 | イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。 |
塚本訳 | このほか、この本に書いてない、多くの徴[奇蹟]を、イエスは弟子たちの前で行われた。 |
前田訳 | このほかイエスはこの本には書いてない多くの徴を弟子たちの前でなさった。 |
新共同 | このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 |
NIV | Jesus did many other miraculous signs in the presence of his disciples, which are not recorded in this book. |
20章31節 されど
口語訳 | しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。 |
塚本訳 | しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。 |
前田訳 | しかしこれらを書いたのは、あなた方がイエスはキリストで神の子であると信ずるため、信ずるものがみ名によっていのちを受けるためである。 |
新共同 | これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 |
NIV | But these are written that you may believe that Jesus is the Christ, the Son of God, and that by believing you may have life in his name. |
註解: ここにヨハネは29節をもって一旦全福音書の結尾としていることがわかる。蓋しトマスの告白がヨハネが本書を認 めし目的の実現の頂点に達したものであり、而してこれに対するイエスの教訓がその後に来るべきキリスト者の態度の根底をなすからである。而してイエスが為し給いし徴すなわち奇蹟は本福音書に記されし以外のものも数多かったが、ヨハネはこの福音書を著す目的によりてこれを取捨して以上のごとき記録に止めた。この目的は「汝ら」すなわちこの福音書の読者(ヨハネは少数の特定の読者を考えたかもしれないけれども、事実は全キリスト教会を指すこととなる)が単にイエスの伝記に関する外部的知識を得ることではなく、イエスに対する信仰を得しめ、このイエスの御名に対する信仰によりイエスの生命を受けて永生を獲得することである。この信仰の内容を最も簡潔に言表わすならば、イエスは神の子にしてメシヤなりと信ずることに外ならない。31節は「福音の要旨」(B1)である。