マタイ伝第22章
分類
9 イエスの受難問題 21:1 - 27:26
9-2 エルサレムにおけるイエス 21:12 - 22:46
9-2-ヘ 王子の結婚の譬喩 22:1 - 22:14
(ルカ14:16-24)
22章1節 イエスまた譬をもて答へて言ひ給ふ[引照]
口語訳 | イエスはまた、譬で彼らに語って言われた、 |
塚本訳 | イエスは言葉をつづけ、また譬をもって(パリサイ人たちに)話された、 |
前田訳 | イエスは語りつづけ、ふたたび譬えで彼らにいわれた、 |
新共同 | イエスは、また、たとえを用いて語られた。 |
NIV | Jesus spoke to them again in parables, saying: |
註解: イエスはその敵を訓戒、覚醒せんがために21:28より25:46に至るまで多くの譬をもて語り給う。
辞解
[答える] 質問なくとも相手方の心の中の反対に対して語るゆえ「答える」ということができる。
22章2節 『天國は己が子のために婚筵を設くる王のごとし。[引照]
口語訳 | 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。 |
塚本訳 | 「天の国は、王子のために結婚披露の宴会を催す王にたとえられる。 |
前田訳 | 「天国をたとえると、子のための婚宴をそなえる王に似る。 |
新共同 | 「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。 |
NIV | "The kingdom of heaven is like a king who prepared a wedding banquet for his son. |
22章3節 婚筵に招きおきたる人々を迎へんとて僕どもを遺ししに、來るを肯はず。[引照]
口語訳 | 王はその僕たちをつかわして、この婚宴に招かれていた人たちを呼ばせたが、その人たちはこようとはしなかった。 |
塚本訳 | 家来たちをやって宴会に招いた人たちを呼ばせたけれども、だれも来ようとはしなかった。 |
前田訳 | 彼は僕をつかわして婚宴に招かれたものを呼ばせたが、彼らは来ようとしなかった。 |
新共同 | 王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。 |
NIV | He sent his servants to those who had been invited to the banquet to tell them to come, but they refused to come. |
註解: 婚筵が天国の民と神及びキリストとの関係に譬えられし場合は、聖書に数多く見出される
(イザ61:10。イザ62:5。ホセ2:21[新共同訳]。マタ8:11。マタ9:15。ヨハ3:29。Uコリ11:2。エペ5:22以下。黙19:7−9)
。王は神、子はキリスト、すでに招かれし人々はユダヤ人、僕どもを遣わししことはヨハネ及びキリストが「悔改めよ、天国は近付きたり」と叫びて彼らを招きしことを指す(マタ3:1。マタ4:17)。神がユダヤ人を選み置き給えるは彼らをして先ず第一にキリストの婚筵の席に列せしめんがためであった。然るに彼らは王の召命に従わず、ユダヤ人はヨハネ及びキリストの叫びに耳を傾けなかった(ただしこの譬においては王の子の花嫁たるべきものの誰なるかは問題とされていないのであって、エペ5:22以下のごとき教会をもって花嫁とするの観念をここに混入することはこの比喩の目的に叶わない。かつキリストは一方に神の僕の一人であり(マタ8:17。マタ12:18以下も同様)同時に王子として示されている。この二つの資格を持つことは別段差支えがない)(Z0)。
22章4節 復ほかの僕どもを遣すとて言ふ「招きたる人々に告げよ、視よ、晝餐は既に備りたり。我が牛も肥えたる畜も屠られて、凡ての物備りたれば、婚筵に來れと」[引照]
口語訳 | そこでまた、ほかの僕たちをつかわして言った、『招かれた人たちに言いなさい。食事の用意ができました。牛も肥えた獣もほふられて、すべての用意ができました。さあ、婚宴においでください』。 |
塚本訳 | 王は、招いた人たちにこう言え、と言って、重ねてほかの家来たちをやった、『いよいよ食事の用意ができました。牛と肥し飼いの家畜とを屠って、すっかり用意ができています。さあ、宴会においでください。』 |
前田訳 | また別の僕をつかわしていった、『招かれたものに告げなさい、見よ、わが食事はでき、わが牛と肥し飼いの家畜はほふられ、すべてがそろいました。婚宴においでください』と。 |
新共同 | そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 |
NIV | "Then he sent some more servants and said, `Tell those who have been invited that I have prepared my dinner: My oxen and fattened cattle have been butchered, and everything is ready. Come to the wedding banquet.' |
註解: 洗礼者ヨハネ及びイエスの招きは簡単であったが、次に神はほかの僕どもなる使徒たちを遣わし、キリストの十字架により罪は赦され、キリスト復活昇天し給いてその婚筵はまさに開かれんとし、すべての準備は整っていることを示してユダヤ人らを招いた。
22章5節 然るに人々顧みずして、或者は己が畑に、或者は己が商賣に往けり。[引照]
口語訳 | しかし、彼らは知らぬ顔をして、ひとりは自分の畑に、ひとりは自分の商売に出て行き、 |
塚本訳 | しかし彼らはそれに構わず、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 |
前田訳 | しかし彼らは無関心に立ち去った。ひとりはおのが畑に、ひとりは商いに、 |
新共同 | しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、 |
NIV | "But they paid no attention and went off--one to his field, another to his business. |
註解: 神に選ばれし民でありながら、天国の歓喜よりも自己の生活の安全や利益に没頭して、神の招きに応じなかった。始めより特に選びてその子の婚筵に招きおける者共が、その王の意思を無視せることは甚だしき罪である。
22章6節 また他の者は僕を執へて、辱しめかつ殺したれば、[引照]
口語訳 | またほかの人々は、この僕たちをつかまえて侮辱を加えた上、殺してしまった。 |
塚本訳 | ほかの者は家来たちを捕らえてひどい目にあわせた上、殺してしまった。 |
前田訳 | あとのものは僕を捕えて虐待して殺した。 |
新共同 | また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。 |
NIV | The rest seized his servants, mistreated them and killed them. |
註解: 王の招命は王を無視せる高慢なる者共を怒らする結果となった。かくて彼らはマタ21:45の祭司パリサイ人らのごとく、ついに王に対する公然の敵対行動を取るに至ったのである。蓋し放蕩息子が親兄弟の訓戒を仇に思うと同じく、神に叛ける者にとっては神の恩恵はかえって彼らを怒らしむる原因を作るのである。これ彼らは全く神の御旨を忘れているからである。使徒行伝はこの実例に充ちている。すなわち「執へ」
使4:3。使5:18。使8:3。
「辱め」
使5:40。使14:5、使14:19。使16:23。使17:5。使21:30。使23:2。
「殺し」
使7:58。使12:2。Tテサ2:15
のごとし
。
22章7節 王怒りて軍勢を遣し、かの兇行者を滅して其の町を燒きたり。[引照]
口語訳 | そこで王は立腹し、軍隊を送ってそれらの人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 |
塚本訳 | 王は憤り、軍隊をやってその人殺しどもをうち滅ぼし、その町を焼き払った。 |
前田訳 | 王は怒って兵をつかわして人殺しを滅ぼし、彼らの町を焼いた。 |
新共同 | そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。 |
NIV | The king was enraged. He sent his army and destroyed those murderers and burned their city. |
註解: この預言はエルサレムの陥落によりて実現した。神の御旨を無視する民の当然の刑罰として、神はローマの軍勢を用いてエルサレムを陥れ給うたのである。
22章8節 かくて僕どもに言ふ「婚筵は既に備りたれど、招きたる者どもは相應しからず。[引照]
口語訳 | それから僕たちに言った、『婚宴の用意はできているが、招かれていたのは、ふさわしくない人々であった。 |
塚本訳 | それから家来たちに言う、『宴会の用意はできているが、招いた人は(客たる)資格のない者(ばかり)だ。 |
前田訳 | そして僕にいう、『婚宴はそなわったが招かれたものはふさわなかった。 |
新共同 | そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 |
NIV | "Then he said to his servants, `The wedding banquet is ready, but those I invited did not deserve to come. |
22章9節 されば汝ら街に往きて、遇ふほどの者を婚筵に招け」[引照]
口語訳 | だから、町の大通りに出て行って、出会った人はだれでも婚宴に連れてきなさい』。 |
塚本訳 | だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』 |
前田訳 | 町の大通りへいって人を見つけ次第、みな婚宴に招け』と。 |
新共同 | だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 |
NIV | Go to the street corners and invite to the banquet anyone you find.' |
註解: この比喩はここより方向を転じて福音がユダヤ人を去って異邦人に向うことを示している。使13:46はよき註解である。すなわち予め招かれしユダヤ人が福音を拒み、神の召しに応ぜざりし結果、これまで特別の招きを受けなかった路傍の人たる異邦人が個々別々に(一国民としてではなく)招かれることとなったのである(ロマ11:11)。このことはすでに旧約聖書に預言せられし処であった(イザ52:15。イザ55:5。詩18:43、44)。
22章10節 僕ども途に出でて、善きも惡しきも遇ふほどの者をみな集めたれば、婚禮の席は客にて滿てり。[引照]
口語訳 | そこで、僕たちは道に出て行って、出会う人は、悪人でも善人でもみな集めてきたので、婚宴の席は客でいっぱいになった。 |
塚本訳 | 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。 |
前田訳 | そこで僕は通りへ出かけて、見つけたものはみな悪いものもよいものも呼んだ。そして婚宴の間は客で満ちた。 |
新共同 | そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。 |
NIV | So the servants went out into the streets and gathered all the people they could find, both good and bad, and the wedding hall was filled with guests. |
註解: 異邦人といえども必ずしも善人のみ招かれて悪人は除外されるのではない。「悪しきも善きも」(原文の順序)みな共に招かれるのであって、彼らは罪人たる点においては一つである。而して彼らはみなキリストによってその罪を洗われて、主イエス・キリストを着ることができるので(ロマ13:14。エペ4:24)、みな王子の婚筵に列する資格と実質とを与えられる。従ってその席は客が一杯になった。しかしながらこれらの人々もみな無条件にてその席に坐することを許されるのではない、そこにもまた一つの必要条件があることを次に示している。
22章11節 王、客を見んとて入り來り、一人の禮服を著けぬ者あるを見て、[引照]
口語訳 | 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、 |
塚本訳 | 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着ていない者が一人いるのを見て |
前田訳 | 王が客を見に入ると、そこに婚礼の服をつけぬ人が目にとまった。 |
新共同 | 王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 |
NIV | "But when the king came in to see the guests, he noticed a man there who was not wearing wedding clothes. |
22章12節 之に言ふ「友よ、如何なれば禮服を著けずして此處に入りたるか」かれ默しゐたり。[引照]
口語訳 | 彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。 |
塚本訳 | その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、 |
前田訳 | 王はいう、『友よ、どうして君は婚礼の服をつけずにここへ入ったか』と。彼は黙した。 |
新共同 | 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、 |
NIV | `Friend,' he asked, `how did you get in here without wedding clothes?' The man was speechless. |
註解: 王は最後に席に着くのが東洋諸国の習慣であった。そしてかかる祝宴には王より客に対して礼服を贈呈するのが普通であった。この場合においても客には一々これを贈られしものと想像しなければならぬ。これをもって礼服を着けなかった客が詰問されて返答に窮して「黙し居る」理由を知ることができる。我らの罪のまま神の招きに応じその御前に立つ時、我らは平服のままそこに出るのではなく新しき衣、キリストの衣、潔き細布(黙19:8)を与えられてこれを着ることを許されているのである(ルカ15:22)、すなわちキリストの贖によりキリストの義(Tコリ1:31)を着て神の前に立つべきであって、然らざるものは礼服を着ずして王の前に立つものに相当し、キリストの死を徒然ならしむる重き罪であり、王の怒を免れることができない。キリストを着て我らはキリストと同じ姿に化し愛と義とに充つるに至るのである。
22章13節 ここに王、侍者らに言ふ「その手足を縛りて外の暗黒に投げいだせ、其處にて哀哭・切齒することあらん」[引照]
口語訳 | そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。 |
塚本訳 | 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』 |
前田訳 | そこで王は召使いにいった。『彼の足と手を縛って外の闇へ投げ出せ』と。そこではなげきと歯ぎしりがあろう。 |
新共同 | 王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』 |
NIV | "Then the king told the attendants, `Tie him hand and foot, and throw him outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.' |
註解: マタ8:12註。国王の招待の際その国王の給与せる衣服を着けざる者は、国王を侮辱せるものと考えられていた。キリスト万民のために死に給いしにこれを信ぜざる者は神に対する反逆者である。
22章14節 それ招かるる者は多かれど、選ばるる者は少し』[引照]
口語訳 | 招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」。 |
塚本訳 | ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」 |
前田訳 | 召されるものは多いが、選ばれるものは少ない」。 |
新共同 | 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」 |
NIV | "For many are invited, but few are chosen." |
註解: 民14:22−30。Tコリ10:1−10。招かれて聖書を読み、教会に列し、礼拝に加わりつつあるものは非常に多い、然れどもついにキリストを信じてその贖に与り、キリストを着て神の前に出づることを得るものは少い。かかる少数こそ真に選ばれし者である。すなわち真に選ばれしものは選民たるユダヤ人でもなく、又招かれし名義上のキリスト者でもなく、真に信仰によりて義とされる少数の者である。
要義 [この比喩の意義]この譬には二つの事柄が示されている。一はユダヤ人がキリストを拒んだがために救はユダヤ人を離れて異邦人に及んだこと。二はかくして招かれし異邦人も、キリストの義を着て神の前に立つにあらざれば、天国の祝宴に与ることができなことである。この二方面を区別してこの譬を学ぶことが必要である。而して王なる神の望み給う処は我らがその独子の婚筵に与るものとならんことである。すなわち王と共に神の国に座し、王とその歓びを共にすることであって、我らが自己の小なる義に誇ることではなく、又僅かの修養や事業に満足することでもない、神と共にその最大の歓びを頒つことである。而して我らこの資格を得ることは容易である。何となればその婚筵には「悪しきも善きも」招かれ、必要なる礼服は自らこれを購入するの必要なしに我らに与えられるからである。
9-2-ト 納貢問題 22:15 - 22:22(マコ12:13-17) (ルカ20:20-26)
22章15節 ここにパリサイ人ら出でて、如何にしてかイエスを言の羂に係けんと相議り、[引照]
口語訳 | そのときパリサイ人たちがきて、どうかしてイエスを言葉のわなにかけようと、相談をした。 |
塚本訳 | するとパリサイ人は(そこから)出ていって、イエスを(彼自身の)言葉で罠にかけることを決議し、 |
前田訳 | そこでパリサイ人は立ち去って、イエスをことばでわなにかける相談をまとめた。 |
新共同 | それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 |
NIV | Then the Pharisees went out and laid plans to trap him in his words. |
註解: マタ21:23以下の試が失敗したのでパリサイ人らはさらに相謀りて故意にイエスを陥れんとした。今日日本のキリスト者に向っていわゆる国粋主義者等によって試られると同様の方法である。イエスはその行為において非難すべき点がなかった。ゆえに「言のわな」にかけんとしたのである。
22章16節 その弟子らをヘロデ黨の者どもと共に遺して言はしむ[引照]
口語訳 | そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。 |
塚本訳 | その弟子たちをヘロデ党の者と共にイエスのところにやって言わせた、「先生、あなたは正直な方で、本当のことを言って神の道を教えられ、だれにも遠慮されないことをよく承知しております。人の顔色を見られないからです。 |
前田訳 | そしておのが弟子たちをヘロデ党の人々とともに彼につかわしていわせた、「先生、わたしたちにはよくわかります。あなたは誠実な方で、神の道を真実な形で教え、だれにも気がねされません。人の顔つきをうかがわれないからです。 |
新共同 | そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。 |
NIV | They sent their disciples to him along with the Herodians. "Teacher," they said, "we know you are a man of integrity and that you teach the way of God in accordance with the truth. You aren't swayed by men, because you pay no attention to who they are. |
註解: 「ヘロデ党」はユダヤ人中のヘロデ王統支持者であって、パリサイ人らの宗教政治の反対の立場に立っていた人々である。平日はパリサイ人らと犬猿啻ならざる間柄であった、けれどもイエスの迫害についてはについては彼らは目的を共にするために相共働した。
『師よ、我らは知る、なんじは眞にして、眞をもて神の道を教へ、かつ誰をも憚りたもふ事なし、人の外貌を見給はぬ故なり。
註解: これは次に発せんとする質問の前提として準備せられし防御線であって、極めて用意周到にイエスに対していた。すなわちユダヤ人は本来心からローマの政府に服従しているのではなく、ローマ政府に貢を納むる者も心ならずこれを行い、すなわち人の外貌を見、政府の権威を憚ってこれを納めていた。ゆえに神の道(ユダヤ人に特に与えられし)を真をもって教え人の面を恐れざる者は、ローマ政府に反対し、貢を納むべからずと教うべきであると彼らは考え、イエスはこの答を発し給うはずであると想像したのである。
22章17節 されば我らに告げたまへ、貢をカイザルに納むるは可きか、惡しきか、如何に思ひたまふ』[引照]
口語訳 | それで、あなたはどう思われますか、答えてください。カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか」。 |
塚本訳 | それで御意見を聞かせてください──(わたし達は異教人である)皇帝に、税を納めてよろしいでしょうか、よろしくないでしょうか。」 |
前田訳 | ところでおっしゃってください、どうお思いですか、皇帝(カイサル)に税を納めてよいのですか、いけませんか」と。 |
新共同 | ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」 |
NIV | Tell us then, what is your opinion? Is it right to pay taxes to Caesar or not?" |
註解: もし納むべしと言わば、人の貌を見て真理を語らざる者との非難を彼に加うる証拠を得、もし納むべからずと言わばカイザルに反する不敬漢として彼を捕えんとしたのである。
22章18節 イエスその邪曲なるを知りて言ひたまふ『僞善者よ、なんぞ我を試むるか。[引照]
口語訳 | イエスは彼らの悪意を知って言われた、「偽善者たちよ、なぜわたしをためそうとするのか。 |
塚本訳 | イエスは彼らの悪意を知って言われた、「なぜわたしを試すのか、この偽善者たち、 |
前田訳 | イエスは彼らの悪意を知っていわれた、「なぜわたしを試みるのか、偽善者ども。 |
新共同 | イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 |
NIV | But Jesus, knowing their evil intent, said, "You hypocrites, why are you trying to trap me? |
註解: イエスは彼らの心事を洞察し、而して彼らの言えるごとく真をもて人の外貌を恐れず彼らを叱責し給う。
22章19節 貢の金を我に見せよ』彼らデナリ一つを持ち來る。[引照]
口語訳 | 税に納める貨幣を見せなさい」。彼らはデナリ一つを持ってきた。 |
塚本訳 | 税の貨幣を見せなさい。」デナリ銀貨を差し出すと、 |
前田訳 | 税に使う硬貨を見せなさい」と。彼らはデナリ銀貨を手渡した。 |
新共同 | 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、 |
NIV | Show me the coin used for paying the tax." They brought him a denarius, |
註解: 「デナリ」は約三十五銭。▲デナリについてはマタ18:28脚注参照。
22章20節 イエス言ひ給ふ『これは誰の像、たれの號なるか』[引照]
口語訳 | そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。 |
塚本訳 | 言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」 |
前田訳 | そこでいわれる、「この像はだれのか、そしてこの銘は」。 |
新共同 | イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。 |
NIV | and he asked them, "Whose portrait is this? And whose inscription?" |
22章21節 彼ら言ふ『カイザルのなり』[引照]
口語訳 | 彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 |
塚本訳 | 「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。」 |
前田訳 | 彼らはいう、「皇帝のです」。するといわれる、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ」と。 |
新共同 | 彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 |
NIV | "Caesar's," they replied. Then he said to them, "Give to Caesar what is Caesar's, and to God what is God's." |
註解: 当時ユダヤ人が納貢に使用せる貨幣はローマ帝国の通貨で、カイザルの像をその面に印刻してあった。
ここに彼らに言ひ給ふ『さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ』
註解: この世の一市民として政治上の問題につきては、カイザルに服従して彼に納むべきもの(貢その他の義務)を納め、天国の市民としては、神に服従して神に納むべきもの(全心身の信頼)を納むべきであることをイエスは彼らに教え給うた。この世のことにつきカイザルに服従することと、天国のことにつき神に服従すること、この二者はキリスト者の義務であってこの二者は何ら抵触するものではない。唯神に対する服従が主であることは勿論である。ユダヤ人はこの二者は本質的に矛盾するもののごとくに考えた。これメシヤの国をもって地上の国と考えたからである。なおキリスト者のこの世の支配者に対する関係についてはロマ13:1−7。Tペテ2:13−17参照。
22章22節 彼ら之を聞きて怪しみ、イエスを離れて去り往けり。[引照]
口語訳 | 彼らはこれを聞いて驚嘆し、イエスを残して立ち去った。 |
塚本訳 | 彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。 |
前田訳 | 彼らはそれを聞いておどろき、彼を残して立ち去った。 |
新共同 | 彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。 |
NIV | When they heard this, they were amazed. So they left him and went away. |
註解: その返答の真理にしてかつ巧なるに驚いた彼らは、イエスが到底彼らの敵にあらざることを発見し旗を巻いて退却した。
要義 [キリスト者と国家]由来キリスト者は非愛国者と見られ易いものである。イエスが既にその嫌疑を受け給いしのみならず、使徒もまたこの点において非難せられていた。そして「この曹輩は皆カイザルの詔勅にそむき他にイエスと云う王ありと云う」(使17:7)のがその非難の理由であった。今日もキリスト者は往々非愛国者をもって目されている。その理由は明らかである。すなわち神を知らざるものは人の外貌を恐れ、権力者の前にその信念を主張することができないのに反し、キリスト者は真理を真理として人の前を恐れずこれを主張することができるからである。すなわちキリスト者は真理を愛せざる王者にとって邪魔者であり、真理を実行せんとする王者にとって至宝である。而して「上にある権威に服う」のがキリスト者の義務なるゆえに(ロマ13:1)キリスト者は神に服うと同時に、神に従う心をもってその主権者に服うべきものである。
9-2-チ 復活問題 22:23 - 22:33(マコ12:18-27) (ルカ20:27-40)
22章23節 復活なしといふサドカイ人ら、その日みもとに來り問ひて言ふ[引照]
口語訳 | 復活ということはないと主張していたサドカイ人たちが、その日、イエスのもとにきて質問した、 |
塚本訳 | 同じ日にサドカイ人たちが近寄って、復活なしと主張しながら、イエスにこう言って質問した。 |
前田訳 | その日サドカイ人が彼のところに来て、復活はないといい、彼に問うた、 |
新共同 | その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。 |
NIV | That same day the Sadducees, who say there is no resurrection, came to him with a question. |
註解: イエスはこの世を去り給う日近付くに従って、あらゆる種類の人々があらゆる種類の反対をもって彼を苦しめ奉った。
22章24節 『師よ、モーセは「人もし子なくして死なば、其の兄弟かれの妻を娶りて、兄弟のために世嗣を擧ぐベし」と云へり。[引照]
口語訳 | 「先生、モーセはこう言っています、『もし、ある人が子がなくて死んだなら、その弟は兄の妻をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 |
塚本訳 | 「先生、モーセは(その律法に)、“もし人が子がなくて死んだ場合には、弟に兄嫁をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ”と言っています。 |
前田訳 | 「先生、モーセがいいました、『もし人が子なしで死ねば、弟が兄よめをめとって兄弟に子孫をもうけよ』と。 |
新共同 | 「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 |
NIV | "Teacher," they said, "Moses told us that if a man dies without having children, his brother must marry the widow and have children for him. |
註解: 申25:5、6に示すがごとく、その子孫を絶たざらんがための制度であった。
22章25節 我らの中に七人の兄弟ありしが、兄めとりて死に、世嗣なくして其の妻を弟に遺したり。[引照]
口語訳 | さて、わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男は妻をめとったが死んでしまい、そして子がなかったので、その妻を弟に残しました。 |
塚本訳 | ところがわたし達のところに七人の兄弟があって、長男が結婚して死に、子がなかったので、その妻を弟にのこしました。 |
前田訳 | わたしたちのところに七人の兄弟がありました。長男がめとって死に、子なしなので妻を弟にのこしました。 |
新共同 | さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。 |
NIV | Now there were seven brothers among us. The first one married and died, and since he had no children, he left his wife to his brother. |
22章26節 その二その三より、その七まで皆かくの如く爲し、[引照]
口語訳 | 次男も三男も、ついに七人とも同じことになりました。 |
塚本訳 | 同じように、次男も三男も、ついに七人まで(子をのこさずに)死んで、 |
前田訳 | 同様に次男も三男も、七人とも死に、 |
新共同 | 次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。 |
NIV | The same thing happened to the second and third brother, right on down to the seventh. |
22章27節 最後にその女も死にたり。[引照]
口語訳 | 最後に、その女も死にました。 |
塚本訳 | 一番しまいにその女も死んでしまいました。 |
前田訳 | 皆のあとで妻が死にました。 |
新共同 | 最後にその女も死にました。 |
NIV | Finally, the woman died. |
22章28節 されば復活の時、その女は七人のうち誰の妻たるべきか、彼ら皆これを妻としたればなり』[引照]
口語訳 | すると復活の時には、この女は、七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんながこの女を妻にしたのですが」。 |
塚本訳 | すると(もし復活があるなら、)復活の折には、この女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしましたから。」 |
前田訳 | 復活に際して、女は七人のどれの妻になりましょうか。皆が彼女をめとりました」と。 |
新共同 | すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」 |
NIV | Now then, at the resurrection, whose wife will she be of the seven, since all of them were married to her?" |
註解: 彼らはかかる愚なる疑問をもってイエスを苦しめ、彼をして彼らの説(復活を否定する)を信ぜしむるか又は復活後の不合理なる状態を告白せしめんとした。すなわちイエスを結局律法を否定するか復活を否定するかのジレンマに陥れんとしたのである。
22章29節 イエス答へて言ひ給ふ『なんぢら聖書をも神の能力をも知らぬ故に誤れり。[引照]
口語訳 | イエスは答えて言われた、「あなたがたは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。 |
塚本訳 | イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。 |
前田訳 | イエスは答えていわれる、「あなた方はまちがっている、聖書も神の力も知らないから。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。 |
NIV | Jesus replied, "You are in error because you do not know the Scriptures or the power of God. |
註解: 彼らの誤謬に陥っている理由は二つあった。その一は聖書にいかに記されているかを知らないこと、その二は神の力がいかなることをも為し得ることを知らないことである。この第二は30節、第一は31節にこれを説明している。
22章30節 それ人よみがへりの時は、娶らず嫁がず、天に在る御使たちの如し。[引照]
口語訳 | 復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。 |
塚本訳 | 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。 |
前田訳 | 復活に際してはめとりもとつぎもせず、天のみ使いのようである。 |
新共同 | 復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。 |
NIV | At the resurrection people will neither marry nor be given in marriage; they will be like the angels in heaven. |
註解: 神の力は人間の体を変化して復活の時には天の使のごとき体とすることができる(Tコリ15:42以下)。ゆえによし両性の区別があるとも結婚生活を送る必要はない。
22章31節 死人の復活に就きては、神なんぢらに告げて、[引照]
口語訳 | また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。 |
塚本訳 | 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。── |
前田訳 | 死人の復活について、神がいわれたことを読まないか、 |
新共同 | 死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。 |
NIV | But about the resurrection of the dead--have you not read what God said to you, |
22章32節 「我はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神なり」と言ひ給へることを未だ讀まぬか。神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり』[引照]
口語訳 | 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。 |
塚本訳 | “わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である”と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。)」 |
前田訳 | 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と。彼は死者の神でなく生者の神である」と。 |
新共同 | 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」 |
NIV | `I am the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob' ? He is not the God of the dead but of the living." |
註解: 出3:6よりのこの引用はエホバの神が現在もアブラハム、イサク、ヤコブと霊において相通じ、彼らの神として存在し給うことを意味している。ゆえにもし彼らが全く死してその存在を失ってしまったならば、神との間にかかる交りを得ることはできないであろう。ゆえにもしサドカイ人にして聖書を知っていたならば、彼らは誤謬より免れることができたであろう。
辞解
[アブラハムの神云々] 「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と言わない理由は、その一人一人について彼は神に在し給うたからである。ゆえに神は予の神であり、又汝の神である。
22章33節 群衆これを聞きて其の教に驚けり。[引照]
口語訳 | 群衆はこれを聞いて、イエスの教に驚いた。 |
塚本訳 | 民衆はこれを聞いて、その教えに感心してしまった。 |
前田訳 | それを聞いた群衆は彼の教えにおどろきいった。 |
新共同 | 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。 |
NIV | When the crowds heard this, they were astonished at his teaching. |
註解: マタ7:29参照
要義 [聖書と神の力]聖書を知り、かつ神の力を知ることはキリスト者にとって非常に必要である。この二者の中一つを欠く時は過誤に陥りやすい。すなわち聖書を知りて神の力を知らないものは、聖書の文字を死せる儀文として解しやすく、文字に囚われて神の力の自由なる活動を見ることができず、反対に神の力を知って聖書を知らないものは、神の力がいかなる方向に働くかを知ることができない結果悪魔の力をも神の力と混同する場合がある。聖書に示されし神の黙示は人間の思想の圏外にあり、「人の心未だ思わざりし処のもの」である。それゆえに唯聖書を信ずることによって初めて神の御旨を知ることができるのである。今日のキリスト教界においてもこの二者の欠乏は甚だしいのであって、大体においてその思想がサドカイ人に類しているのもその結果であろう。
9-2-リ 誡律問題 22:34 - 22:40(マコ12:28-34) (ルカ10:25-28)
22章34節 パリサイ人ら、イエスのサドカイ人らを默さしめ給ひしことを聞きて相集り、[引照]
口語訳 | さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。 |
塚本訳 | イエスがサドカイ人を言いこめられたと聞くと、パリサイ人は一しょに(イエスの所に)集まった。 |
前田訳 | パリサイ人は、イエスがサドカイ人を黙らせたと聞いていっしょに集まった。 |
新共同 | ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。 |
NIV | Hearing that Jesus had silenced the Sadducees, the Pharisees got together. |
22章35節 その中なる一人の教法師、イエスを試むる爲に問ふ[引照]
口語訳 | そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、 |
塚本訳 | そしてそのうちの一人の律法学者がイエスを試そうとして尋ねた、 |
前田訳 | そしてそのうちのひとりの律法家が彼を試みて問うた、 |
新共同 | そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 |
NIV | One of them, an expert in the law, tested him with this question: |
註解: パリサイ人らにとってイエスは目の敵であった。イエスを陥れるまでは彼らの心平らかなることができなかった。神の子とサタンの子らとは共にいることができないからである。
辞解
[教法師] nomikos 律法に精通せる学者であって場合により[教法学者]nomlodidaskalos ルカ5:17、ルカ5:21とも呼ばれ、「学者」grammateusとほとんど同種類の人で、この問の厳密なる区別はない(マタ2:4註)。
22章36節 『師よ、律法のうち孰の誡命が大なる』[引照]
口語訳 | 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。 |
塚本訳 | 「先生、どの掟が律法の中で最大ですか。」 |
前田訳 | 「先生、掟のうちでどれが最大ですか」と。 |
新共同 | 「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 |
NIV | "Teacher, which is the greatest commandment in the Law?" |
註解: この質問を発してイエスの律法の知識のいかんを試み、自己の博識を誇り、これによりてイエスを陥れその名声を墜さんとした。教法師らは誡命の大小につき詳細なる議論を闘わすを常としていた。
22章37節 イエス言ひ給ふ『「なんぢ心を盡し、精神を盡し、思を盡して主なる汝の神を愛すべし」[引照]
口語訳 | イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「“心のかぎり、精神のかぎり、”思いの“かぎり、あなたの神なる主を愛せよ。” |
前田訳 | 彼はいわれた、「『なんじの神である主を愛すること心いっぱい、魂いっぱい、意志いっぱいにせよ』、 |
新共同 | イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 |
NIV | Jesus replied: "`Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind.' |
22章38節 これは大にして第一の誡命なり。[引照]
口語訳 | これがいちばん大切な、第一のいましめである。 |
塚本訳 | これが最大、第一の掟である。 |
前田訳 | これが最大で第一の掟である。 |
新共同 | これが最も重要な第一の掟である。 |
NIV | This is the first and greatest commandment. |
註解: モーセの十戒の第一部(モーセの十戒は二部に分れ第一部は神に対するもの、第二部は人に対するものである)すなわち神に対する誡命の要約であって、イエスは先ずこれを掲げて教法師をして彼を非難する余地なからしめている。而して全心全霊が神に充され全心全霊をもって神を愛し全心全霊をもって、神に帰依することより外に我らの守るべき誡はないのであって、イエスはこれをもって大なる第一の誡と称し給うた。
辞解
[心、精神、思い] 申6:4には「心」「精神」「力」とあり七十人訳には「思」「精神」「力」とあり。「心」は意識の中心であり、「精神」は生命の諸活動を意味し、「思」は知識、理解の働きを意味する。要するに「全人格を以て」の意味である。
22章39節 第二もまた之にひとし「おのれの如くなんぢの隣を愛すべし」[引照]
口語訳 | 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。 |
塚本訳 | 第二もこれと同じ(く大切である)。──“隣の人を自分のように愛せよ。” |
前田訳 | 第二のもそれに似る。『なんじの隣びとを自らのごとく愛せよ』。 |
新共同 | 第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 |
NIV | And the second is like it: `Love your neighbor as yourself.' |
註解: これ十戒の第二部の要約である。おのれを愛すべからずというのではない、「神を愛する者は利己心なしに適宜に自己を愛するであろう」(B1)。而してこの自己を愛する心をもって隣人を愛することも同様に大なる誡である。唯順序において第二たるに過ぎない。
22章40節 律法全體と預言者とは此の二つの誡命に據るなり』[引照]
口語訳 | これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 |
塚本訳 | 律法全体と預言書と(聖書)は、この二つの掟に支えられている。」 |
前田訳 | このふたつの掟に律法と預言のすべてがかかっている」と。 |
新共同 | 律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 |
NIV | All the Law and the Prophets hang on these two commandments." |
註解: この二つの誡命は旧約聖書全体の枢軸であって、その一つを除くものは律法全体を破壊するものである。ロマ13:8以下。ガラ5:14。
辞解
[律法と預言者] 旧約聖書のこと。
要義 [律法の中心]ユダヤ人は律法を極端に重んじた結果、その内容を無数の細目に区分し二百四十八の積極的誡律(人体の部分の数)、三百六十五の消極的誡律(一年の日数)、合計六百十三(十誡の文字の数)の誡律に区分し、その中或は儀式礼典に関する律法をもって大なりとし、或は道徳的律法を大なりとし、多岐亡羊帰着する処を知らなかった。イエスは同じく律法の中よりこの二大原則を抽出して全律法をこれに懸らしめ、神に対する愛と人に対する愛より外に大なる律法がないことを明らかにして我らに帰着点を明らかにし給うた。我らはこの律法の中心に立ちて始めて律法の軽重を知ることができる。
9-2-ヌ ダビデとキリスト 22:41 - 22:46(マコ12:35-37) (ルカ20:41-44)
22章41節 パリサイ人らの集りたる時、イエス彼らに問ひて言ひ給ふ[引照]
口語訳 | パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、 |
塚本訳 | イエスは(そこに)集まっているパリサイ人にお尋ねになった、 |
前田訳 | 集まっているパリサイ人にイエスは問われる、 |
新共同 | ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。 |
NIV | While the Pharisees were gathered together, Jesus asked them, |
註解: イエスは退却しつつあるパリサイ人らをさらに追撃して彼らの律法の無智を暴露し、彼らをして沈黙せしむるがためにこの質問を発し給うた。
22章42節 『なんぢらはキリストに就きて如何に思ふか、誰の子なるか』かれら言ふ『ダビデの子なり』[引照]
口語訳 | 「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。 |
塚本訳 | 「あなた達は救世主のことをどう思うか。だれの子だろうか。」「ダビデの子」と答えると、 |
前田訳 | 「キリストについてあなた方はどう思うか、だれの子か」と。彼らはいう、「ダビデの子です」と。 |
新共同 | 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」彼らが、「ダビデの子です」と言うと、 |
NIV | "What do you think about the Christ ? Whose son is he?" "The son of David," they replied. |
註解: イスラエル人の考えとしてはメシヤが「神の子」であることも「人の子」なることも信じ難いけれども「ダビデの子」(Uサム7:12)なることはこれを容易に信ずるのであって、聖書を固持しているパリサイ人もまたこの観念の上に立っていた。
22章43節 イエス言ひ給ふ『さらばダビデ御靈に感じて何故かれを主と稱ふるか。曰く[引照]
口語訳 | イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「ではダビデが御霊に感じて、救世主を主と呼んでいるのはどういう訳だろう。彼はこう言っている。── |
前田訳 | 彼はいわれる、「それなら、ダビデが霊にあふれてキリストを主というのはなぜか。ダビデはいう、 |
新共同 | イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。 |
NIV | He said to them, "How is it then that David, speaking by the Spirit, calls him `Lord'? For he says, |
22章44節 「主わが主に言ひ給ふ、われ汝の敵を汝の足の下に置くまでは、我が右に坐せよ」[引照]
口語訳 | すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。 |
塚本訳 | “(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足の下に置くまで』と。” |
前田訳 | 『主がわが主キリストにいわれた、なんじの敵をなんじの足下にわたしが置くまで、わが右に座せ』と。 |
新共同 | 『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』 |
NIV | "`The Lord said to my Lord: "Sit at my right hand until I put your enemies under your feet."' |
註解: ダビデは「御霊に感じて」預言的精神をもってメシヤを「主」と呼んだ。これを見てもメシヤなるキリストがダビデの子ではなく、ダビデ以上のものであることを見ることができる。イエスは当時の学者がこの詩にダビデがメシヤを「主」と呼ぶことにつき解し得なかった点を捕えてイエスのキリストに在し給うことを証明し、聖書をもって彼らに逆襲し給うた。
辞解
[主わが主に] 第一の主は神、「わが主」はメシヤを指す。この詩がダビデの作なりや否やの歴史的事実はここには問題ではない。ダビデの預言としてメシヤについて言われしこの言の意義いかんが問題である。
[敵] キリストの敵で世の終に至れば、キリストはすべての敵を征服してその足台となし給う、その時栄光の国が実現する。それまでキリストは神の右に坐して権を取り給う。
22章45節 斯くダビデ彼を主と稱ふれば、爭でその子ならんや』[引照]
口語訳 | このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。 |
塚本訳 | だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいる以上、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」 |
前田訳 | もしダビデが彼を主と呼ぶならば、どうして彼の子か」と。 |
新共同 | このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」 |
NIV | If then David calls him `Lord,' how can he be his son?" |
註解: 「いかでその子ならんや」は「いかにしてその子なりや」と訳すべきで、相手方に質問した形である(M0)。これよりイエスはメシヤはダビデ以下に位すべきものでないことを示し、暗にイエスのメシヤとしての資格を示し給うた。ここにおいてパリサイ人らはこの聖書の解釈を受入れなければならず、又イエスがこのメシヤに在すことを信じなければならない立場に立たせられた。
22章46節 誰も一言だに答ふること能はず、その日より敢へて復イエスに問ふ者なかりき。[引照]
口語訳 | イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。 |
塚本訳 | これにはだれ一人、一言も答えることが出来ず、またその日以後、もう問おうとする者もなかった。 |
前田訳 | するとだれもひとことも彼に答えられず、まただれもその日からあえて彼に問おうとはしなかった。 |
新共同 | これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。 |
NIV | No one could say a word in reply, and from that day on no one dared to ask him any more questions. |
註解: 「いかにしてその子なりや」との問に対して答うることができなかった。ここにおいて彼らは完全に敗北し最早やイエスの敵にあらざるを覚って、この後また彼を試みんために彼に問う者なきに至った。
マタイ伝第23章
9-3 イエス、パリサイ主義を痛撃し給う 23:1 - 23:39
註解: パリサイ人、サドカイ人、祭司長、学者等の反対に対してイエスがいかなる態度を取り給うたかは前章の問題であった。本章においては、イエスがいかにパリサイ人学者等の偽善を悪み、これに痛撃を与え給いしかを示している。
23章1節 ここにイエス群衆と弟子たちとに語りて言ひ給ふ、[引照]
口語訳 | そのときイエスは、群衆と弟子たちとに語って言われた、 |
塚本訳 | それからイエスは群衆と弟子たちとにむかって語られた、 |
前田訳 | そこでイエスは群衆と弟子たちに語られた、 |
新共同 | それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。 |
NIV | Then Jesus said to the crowds and to his disciples: |
註解: パリサイ人らが退いたので群衆や弟子たちがイエスに近寄って来たのであろう。ここにマタイによりて一ヶ所に集められしパリサイ人らに対するイエスの攻撃は、ルカ20:45−47、マコ12:38−40にわずかにその片影が記されているに過ぎない。ただルカ11:39以下に他の機会に語り給へるものとして、パリサイ人に対する同様の攻撃が記されている。イエスは度々この種の攻撃をパリサイ人らに対して向けられたのであろうけれども、マタイはその記述法に従い(緒言参照)、これを一章に集め、最も適当なる個所としてここに挿入したのであろう。
9-3-イ 教権主義を排す 23:2 - 23:12(マコ12:38-39) (ルカ20:45-46)
23章2節 『學者とパリサイ人とはモーセの座を占む。[引照]
口語訳 | 「律法学者とパリサイ人とは、モーセの座にすわっている。 |
塚本訳 | 「聖書学者とパリサイ人はいまモーセの(後継ぎとしてその)椅子に坐っている。(彼らにはモーセの権威がある。) |
前田訳 | 「学者とパリサイ人らはモーセの座を占めている。 |
新共同 | 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。 |
NIV | "The teachers of the law and the Pharisees sit in Moses' seat. |
註解: 彼らは立法者として又民の判官としてモーセの後継者たる地位を占め、自ら宗教上の権威をもって任じ民の崇敬の対象であった。今日の法王、監督、神学博士のごとし。
23章3節 されば凡てその言ふ所は守りて行へ、されどその所作には效ふな、彼らは言ふのみにて行はぬなり。[引照]
口語訳 | だから、彼らがあなたがたに言うことは、みな守って実行しなさい。しかし、彼らのすることには、ならうな。彼らは言うだけで、実行しないから。 |
塚本訳 | だからなんでも彼らがあなた達に言うことを行い、また守れ。しかし、そのすることを真似てはならない。あの人たちは言うだけで行わないのだから。 |
前田訳 | それゆえ彼らがあなた方にいうことはすべて行ない、また守れ。しかし彼らのわざにはならうな。彼らは言って行なわぬから。 |
新共同 | だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。 |
NIV | So you must obey them and do everything they tell you. But do not do what they do, for they do not practice what they preach. |
註解: パリサイ人らの教権主義に対する非難の第一は、その言行の不一致であった。彼らはその教権を握ることをもって満足していた。ゆえにモーセの律法を口にしていたけれどもこれを実行せず、たとい形式的に実行するがごとくに見えても、それを真の意味において実行しなかった。ゆえに彼らに傚いて我らも偽善者とならざるを得ない。
23章4節 また重き荷を括りて人の肩にのせ、己は指にて之を動かさんともせず。[引照]
口語訳 | また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。 |
塚本訳 | すなわち重い荷をたばねて人の肩にのせながら、自分では(担ってやるどころか、)指一本でこれを動かしてやろうともしない。 |
前田訳 | 彼らは重荷をからげて人々の肩に置き、自らはそれを指一本で動かそうともしない。 |
新共同 | 彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。 |
NIV | They tie up heavy loads and put them on men's shoulders, but they themselves are not willing to lift a finger to move them. |
註解: 多くの律法を課しその重荷を負わせて人をしてその重さに耐うることを得ざらしめ、しかも己はこれを指にて動かさんともせず、いわんや肩に負うことをしない。これ彼らの言うのみにて行わざる一例である。然るにイエスは「凡て労する者、重荷を負ふものわれに来たれ」と宣い自ら我らの重荷を頒ち給う(マタ11:28、29)。
23章5節 凡てその所作は人に見られん爲にするなり。[引照]
口語訳 | そのすることは、すべて人に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、 |
塚本訳 | そのすること為すことがことごとく、人に見せびらかすためである。たとえば、(人の目につくように)経箱の幅を広くしたり、上着の総を大きくしたりする。 |
前田訳 | 彼らのするわざはすべて人に見られるためである。彼らは経札(きょうふだ)を幅広くし上着の総(ふさ)を大きくする。 |
新共同 | そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。 |
NIV | "Everything they do is done for men to see: They make their phylacteries wide and the tassels on their garments long; |
註解: マタ6:1−18とは反対にすべての所作は神の前に為されずして、人の前に人よりの誉を得んがために虚栄心に支配されてこれを行う。ゆえに心のいかんはこれを問わずして唯外形のみ敬虔を装っているのである。
即ちその經札を幅ひろくし、衣の總を大くし、
註解: 「経札」は羊皮紙のリボンのごときものであって、その上に申11:13−32。申6:4−10。出13:11−17等の聖句を記しこれを小さき箱に入れ、出13:9。出13:16。申6:8。申11:18の規定に従い祈祷の時これを肩間又は左の腕に帯ぶるを常としていた。この幅を広くするは、特にその敬虔の態度を目立たしむるがためである。「衣の総」(マタ9:20辞解)はユダヤ人らが律法に従いエホバの諸の誡命を記憶してこれを行うために付けているものであった。ゆえにこれを大きくすることはその律法に対する熱心を示さんがためであった。これらは心の問題を形式に変化してしまったのであって、信仰が形式に化するや否や、必ずこれを人に示さんとの希望が起り、又反対に人に見られんとの希望が心に発芽するや否や信仰は形式に化してしまうのであって恐るべきことである。
23章6節 饗宴の上席、會堂の上座、[引照]
口語訳 | また、宴会の上座、会堂の上席を好み、 |
塚本訳 | また宴会の上座や礼拝堂の上席、 |
前田訳 | 彼らが好むのは食事での上座、会堂での上席、 |
新共同 | 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、 |
NIV | they love the place of honor at banquets and the most important seats in the synagogues; |
23章7節 市場にての敬禮、また人にラビと呼ばるることを好む。[引照]
口語訳 | 広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。 |
塚本訳 | 市場で挨拶されることや人から先生と呼ばれることを喜ぶ。 |
前田訳 | 広場であいさつされること、人々から先生(ラビ)と呼ばれることである。 |
新共同 | また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。 |
NIV | they love to be greeted in the marketplaces and to have men call them `Rabbi.' |
註解: いずれも衆人の中にて目立つ事柄である。すなわち彼らは教会の有力者、地方の名望家、多くの子弟の先生等の地位にいることを好み、反対に人に目立たず、崇められずいわゆる割の悪き地位にいることを好まない、これパリサイ人の精神であって我らの肉の心も自らこれを有っているのである。
辞解
[ラビ] ヘブル語で「先生」「夫子」等の意味。
23章8節 されど汝らはラビの稱を受くな、汝らの師は一人にして、汝等はみな兄弟なり。[引照]
口語訳 | しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。 |
塚本訳 | しかしあなた達は『先生』と呼ばれてはならない。あなた達の先生はただ一人(救世主だけで)、あとは皆兄弟であるから。 |
前田訳 | あなた方は先生と呼ばれるな。あなた方の先生はひとりであなた方は皆兄弟である。 |
新共同 | だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。 |
NIV | "But you are not to be called `Rabbi,' for you have only one Master and you are all brothers. |
註解: イエスはその弟子たちと信徒との間に宗教上の階級が発生することを禁じ給うた。そしてかかる階級が生ずる原因は主として弟子自身の虚栄心にあることゆえ、特にこれを戒め給うた。パリサイ人らの間にはラビと呼ばるべき人々と然らざるものとの間に厳然たる階級ができ、これによりて宗教の堕落を来したのであって、これを防がんためにイエスは祭司階級の発生を禁じ給い、ラビは唯一人すなわち神のみなることを教え給うた(ヨハ6:45)。この教訓がキリスト教界に無視せられてローマ法王およびその宗教制度が生じ、長老、監督等の階級が発生するに至ったのである。ただしイエスの言を文字のまま形式的に守ることはイエスの望み給いしことと正反対である。この精神を実現しなければならぬ。
23章9節 地にある者を父と呼ぶな、汝らの父は一人、すなはち天に在す者なり。[引照]
口語訳 | また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。 |
塚本訳 | また地上の者を『父』と呼んではならない。あなた達の父はただ一人、天の父上(だけ)であるから。 |
前田訳 | 地上のものを父と呼ぶな。あなた方の天の父はひとりにいます。 |
新共同 | また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。 |
NIV | And do not call anyone on earth `father,' for you have one Father, and he is in heaven. |
註解: ユダヤにおいて宗教上の管長階級の人を「父」と呼びて非常なる尊敬を示していた。イエスはかかる尊敬は唯一人すなわち天に在す者にのみ払わるべきであることを教え給うた。カトリック教会は名称においても事実においてもこの教訓に違反している。
23章10節 また導師の稱を受くな、汝らの導師はひとり、即ちキリストなり。[引照]
口語訳 | また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。 |
塚本訳 | 『師』と呼ばれてもいけない。あなた達の師はただ一人、救世主である。 |
前田訳 | 導師と呼ばれるな。あなた方の導師はキリストひとりである。 |
新共同 | 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。 |
NIV | Nor are you to be called `teacher,' for you have one Teacher, the Christ. |
註解: 「導師」kathêgêtêsは或は「ラボニ」(マコ10:51。ヨハ20:16)のことならんと解し(Z0)、或はギリシャの哲学者に対する弟子たちの称呼であると解する(M0)。いずれとも決定することはできないけれどもイエスの教えんとし給える意味は明瞭であって、ユダヤ人殊にパリサイの徒の間に行われる宗教的特権階級となってはならないことを弟子たちに戒め給うたのである。
23章11節 汝等のうち大なる者は、汝らの役者と[ならん](なるべし)。[引照]
口語訳 | そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。 |
塚本訳 | あなた達のうちで一番えらい者が召使になれ。 |
前田訳 | あなた方の最大のものは僕であれ。 |
新共同 | あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。 |
NIV | The greatest among you will be your servant. |
註解: 「大ならんと思う者」(マタ20:26)ではなく事実「大なる者」であって、イエスは弟子たち相互の間、及び弟子と群衆との間にその信仰において、またその能力において大小の差異あることを無視し給わない。しかしこれらの大なる者が、ラビ、父、導師の称を受くることを許し給わず、又人がかく呼ぶことを禁じ、大なる者は役者となるべきことを命じ給うた。
辞解
[役者とならん] マタ20:26、27と同じく「役者となるべし」と訳し命令的未来と見る方が適当であろう。
23章12節 凡そおのれを高うする者は卑うせられ、己を卑うする者は高うせらるるなり。[引照]
口語訳 | だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。 |
塚本訳 | だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。 |
前田訳 | 自らを高めるものは低められ、自らを低めるものは高められよう。 |
新共同 | だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。 |
NIV | For whoever exalts himself will be humbled, and whoever humbles himself will be exalted. |
註解:
ヨブ22:29。箴29:23。エゼ17:24。Tペテ5:5。ヤコ4:6、ヤコ4:10。
要義 [宗教上の階級について]ここにイエスがラビ、父、導師と呼ばれるべからずと命じ給える目的は、使徒、預言者、教師(Tコリ12:29)等の特種の職務及びこれに相当せる名称を有つことを禁じ給うたのではない。又我が国にて先生と呼ぶ習慣を廃する必要もない、父を父と呼ぶことは勿論差支えがない。ただかかる名称の結果としてそこに信者相互の関係が単に兄弟姉妹の関係ではないようになり、そこに祭司階級のごとき特種なる一権力階級ができることを戒め給うたのである。蓋しかかる階級の出現は当然の結果としてかく尊敬されるものの堕落を来し宗教の職業化となり、遂に福音を枯死せしむるに至るからである。
9-3-ロ 彼らは天国と没交渉なり 23:13 - 23:15(ルカ11:52)
23章13節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、なんぢらは人の前に天國を閉して自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは人々を天の国から締め出して、自分が入らないばかりか、入ろうとする者をも入らせないからだ。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。天国を人々の前に閉ざしてあなた方も入らず、入ろうとする人々も入らせない。 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You shut the kingdom of heaven in men's faces. You yourselves do not enter, nor will you let those enter who are trying to. |
註解: これよりイエスは直接に学者パリサイ人らの偽善に対し、聖憤に燃え彼らに対して攻撃の弾雨を注ぎ給う。この章に七度「禍なるかな」を繰返して、山上の垂訓における七つの福なるかなと対応せしめ、天国の民の幸福と偽善者の禍とを明示し給う。第一の禍は彼ら自ら天国の何たるかを知らず、宗教上の制度、組織、伝統をそのまま天国と考うるの誤謬を懐き(今日のキリスト者殊にその指導者たちがキリスト教会に対して有つのと同じ誤謬である)、従って自らこの制度、組織、伝統の下に安住して天国の門をばこれを閉じて自ら入らず、従って又入らんとする者をも入らしめない。何となれば彼らは真の天国に入る人を見て、そのどこに行くかを知らないからである。▲「天国」即ち「神の国」は神の霊によって支配される心の中にある。
辞解
[偽善] マタ6:4要義を見よ。
23章14節 [なし][引照]
口語訳 | 〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕 |
塚本訳 | 〔無し〕 |
前田訳 | 〔わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。やもめの家々を食いつくし、うわべで多くを祈る。受ける裁きは大きかろう〕。 |
新共同 | (†底本に節が欠落 異本訳)律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。だからあなたたちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。 |
NIV | |
註解: マコ12:40。ルカ20:47。
23章15節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは一人の改宗者を得んために海陸を經めぐり、既に得れば、之を己に倍したるゲヘナの子となすなり。[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちはたった一人の改宗者を作るために海と陸とを飛びまわり、そして(改宗者が)できると、自分たちより倍も悪い地獄の子にするからだ。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。海や陸をめぐってひとりの改宗者を得ようとし、得ればそれをあなた方に倍する地獄の子にする。 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You travel over land and sea to win a single convert, and when he becomes one, you make him twice as much a son of hell as you are. |
註解: 「汝らの伝道は極めて熱心である。しかしながらその結果他国人をユダヤ宗に改宗せしめて、結局これらの人々を汝らよりも以上に天国に相応しからぬものと為してしまう」そのゆえは学者パリサイ人等の偽善に傚いてこの世に属する制度、組織、神学、伝統等をもって天国と同一視し、改宗者をこの中に閉じ込めるからである。
辞解
[ゲヘナ] マタ5:22参照
要義 [教会の堕落]イエスが先ず第一に偽善なる学者パリサイ人を非難し給える点は、彼らが天国を閉じて自ら入らず人をも入らしめず、自己の宗派に人を引き入れて彼らを地獄の子たらしむる点にあった。勿論学者やパリサイ人らは彼らこそ最もよく聖書を学び、最も厳格に律法を遵守し、彼らの宗派に入るものは救われ、然らざるものは地獄の子であると思っていたであろう。今日のカトリック教会は絶対的にこれを主張し、新教各教派も皆多少の度においてかかる思想をいだいている。これに対してイエスは革命的宣言を発し、彼らは天国とは関わりなきものであることを宣言し給うた。もしイエスが今日この世に来り給うならば今日の教会に向ってこの言を発し給うであろう。何となればパリサイ人らは教理、形式、制度、組織、伝統をもって彼らの信仰の要素と思惟し、神の御旨に従い神を愛し人を愛することを忘れていたからである。これが教会の堕落であってイエスはパリサイ人らの死守せんとするこの塁壁を破壊して、彼らを信仰の本体に立ち帰らしめんとし給うたのである。これゆえにパリサイ人らがイエスに反対することは当然であり、今日の教会も同様にイエスに反対するであろう(多くの註解家がこの13−15節の意味を解するに苦しみ種々の解を加えているのは、彼らが既に堕落せる教会制度の病の中にいるからであろう。マイヤー等参照)。
9-3-ハ 盲目なるパリサイ人 23:16 - 23:22
23章16節 禍害なるかな、盲目なる手引よ、なんぢらは言ふ「人もし宮を指して誓はば事なし、宮の黄金を指して誓はば果さざるベからず」と。[引照]
口語訳 | 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち目の見えない案内人!君たちは言う、『お宮にかけて誓う者はなんでもないが、お宮の黄金(の器や飾り)にかけて誓う者は、(その誓いを果す)義務がある』と。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、目しいの指導者。あなた方はいう、『宮にかけて誓うものは問題ないが、宮の黄金にかけて誓うものは義務を負う』と。 |
新共同 | ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。 |
NIV | "Woe to you, blind guides! You say, `If anyone swears by the temple, it means nothing; but if anyone swears by the gold of the temple, he is bound by his oath.' |
註解: イエスはパリサイ人、学者らを偽善のみならず、又盲目のゆえをもって非難し給うた(17、19、24、26)。彼らは神に対して盲目なる結果神を恐れず、人民を欺きて宮に献ぐる黄金を宮よりも重んぜしめんとした。蓋しこの手段により人民を欺き自己の利慾を充すことができたからである。
23章17節 愚にして盲目なる者よ、黄金と黄金を聖ならしむる宮とは孰か貴き。[引照]
口語訳 | 愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 |
塚本訳 | 愚かな人たちよ、目の見えない人たちよ、黄金と黄金を清くするお宮と、いったいどちらが尊いのか。 |
前田訳 | 愚かものよ、目しいよ、黄金と黄金を聖める宮とどちらが大切か。 |
新共同 | 愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を清める神殿と、どちらが尊いか。 |
NIV | You blind fools! Which is greater: the gold, or the temple that makes the gold sacred? |
註解: 黄金が宮より貴いのではない、宮が黄金より貴きがためにこれに献げられし黄金は聖められて貴きものとなる。然るに宮よりも黄金を貴きものとして人民を欺くものは、利慾のために見る明りを失いし盲人である。かかる者に手引きされる人民は禍である。
23章18節 なんぢら又いふ「人もし祭壇を指して誓はば事なし、其の上の供物を指して誓はば果さざるベからず」と。[引照]
口語訳 | また、あなたがたは言う、『祭壇をさして誓うなら、そのままでよいが、その上の供え物をさして誓うなら、果す責任がある』と。 |
塚本訳 | また(君たちは言う)、『祭壇にかけて誓う者はなんでもないが、その上の供え物にかけて誓う者は、(その誓いを果す)義務がある』と。 |
前田訳 | またいう、『祭壇によって誓うものは問題ないが、その上のささげものによって誓うものは義務を負う』と。 |
新共同 | また、『祭壇にかけて誓えば、その誓いは無効である。その上の供え物にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。 |
NIV | You also say, `If anyone swears by the altar, it means nothing; but if anyone swears by the gift on it, he is bound by his oath.' |
註解: 前と同様に無意味な主張であって祭壇を指して誓う場合にはその誓を果すに及ばず供物を指して誓う場合には、これを果さなければならぬとの言伝えを作り出しているのである。かくして無智の民衆を欺き彼らをして供物を重んぜしめようとしているのである。
23章19節 盲目なる者よ、供物と供物を聖ならしむる祭壇とは孰か貴き。[引照]
口語訳 | 盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。 |
塚本訳 | 目の見えない人たちよ、供え物と供え物を清くする祭壇と、いったいどちらが尊いのか。(お宮は黄金に、祭壇は供え物にまさってはいないのか。) |
前田訳 | 目しいよ、ささげものとささげものを聖める祭壇とどちらが大切か。 |
新共同 | ものの見えない者たち、供え物と、供え物を清くする祭壇と、どちらが尊いか。 |
NIV | You blind men! Which is greater: the gift, or the altar that makes the gift sacred? |
註解: 祭壇に献げられることによってその供物が聖となるのであって、供物よりも祭壇の方が貴いこと勿論である。
23章20節 されば祭壇を指して誓ふ者は、祭壇とその上の凡ての物とを指して誓ふなり。[引照]
口語訳 | 祭壇をさして誓う者は、祭壇と、その上にあるすべての物とをさして誓うのである。 |
塚本訳 | だから、祭壇にかけて誓う者は、祭壇と、その上の物一切にかけて誓うのである。 |
前田訳 | ゆえに、祭壇によって誓うものは、祭壇とその上のものすべてによって誓う。 |
新共同 | 祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。 |
NIV | Therefore, he who swears by the altar swears by it and by everything on it. |
註解: ゆえにもし供物を指して誓うことが有効であるならば祭壇を指しても無効なはずがない。
23章21節 宮を指して誓ふ者は、宮とその内に住みたまふ者とを指して誓ふなり。[引照]
口語訳 | 神殿をさして誓う者は、神殿とその中に住んでおられるかたとをさして誓うのである。 |
塚本訳 | またお宮にかけて誓う者は、お宮と、そこにお住みになっている方とにかけて誓い、 |
前田訳 | 宮によって誓うものは宮とそこに住みたもうものによって誓う。 |
新共同 | 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのだ。 |
NIV | And he who swears by the temple swears by it and by the one who dwells in it. |
註解: 宮を指して誓う者は結局神を指して誓うものであって、その誓いは果さなければならない。
23章22節 また天を指して誓ふ者は、神の御座とその上に坐したまふ者とを指して誓ふなり。[引照]
口語訳 | また、天をさして誓う者は、神の御座とその上にすわっておられるかたとをさして誓うのである。 |
塚本訳 | 天にかけて誓う者は、神の御座と、その上にお坐りになっている方とにかけて誓うのである。 |
前田訳 | 天によって誓うものは神のみ座とその上に座したもうものによって誓う。 |
新共同 | 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。 |
NIV | And he who swears by heaven swears by God's throne and by the one who sits on it. |
註解: (▲最も大切なことは、黄金、供物、祭壇、神の宮等に心を奪われることなく、常に神の前に在る信仰生活に入ることである。すべて目に見えるものを超越して直接に神との交わりに入るべきである。)それゆえにすべての誓いは結局神に対する誓であって皆果すべきものであり、この間に全く差異があるはずがない。
要義 [宗教的形式の過重]洗礼の形式について浸礼と滴礼との効力の差を論ずるがごとき、又晩餐の形式において種なしパンの必要の有無を論ずるがごとき、又晩餐洗礼を授くる資格のある者は一定の方法により試験せられてその資格を得たる者に限ると論ずるがごときは、すべてこの形式の末に拘泥して相争うパリサイ主義に比すべきものであろう。イエスはかかる形式上の差別を無視し給い、結局すべての形式はそれが神に中心を置くものであるならば同一の意味に帰することを示し給い、この結論をさらに進めていくならばマタ5:34におけるがごとく「誓う勿れ」「ただ然り然り否否と云え」なる教訓に帰着するのである。パリサイ人らに対してはこの最後の境地に彼らを導く前に先ず彼らの愚なる拘泥そのものを除くことが必要であった。
9-3-ニ 彼らは事の大小を混同す 23:23 - 23:24(ルカ11:42)
23章23節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは薄荷・蒔蘿・クミンの十分の一を納めて、律法の中にて尤も重き公平と憐憫と忠信とを等閑にす。[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは薄荷や蒔蘿やクミンの(収穫の)一割税は(神妙に)納めるが、律法の中でもっと大切な正義と憐れみと忠実とをすてて顧みないからだ。しかしこれこそ行うべきである。だがあれもすててはならない。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。薄荷(はっか)、いのんど、ういきょうの十分の一は納めて、掟の、より重要なものである公平とあわれみと真実を無視する。これこそ行なうべきもの、しかしあれも無視すべきでない。 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You give a tenth of your spices--mint, dill and cummin. But you have neglected the more important matters of the law--justice, mercy and faithfulness. You should have practiced the latter, without neglecting the former. |
註解: レビ27:30。民18:21。申14:22−27によりその生産物の十分の一を祭司に納める習慣があった。パリサイ人らはこの義務を一層厳格に守らんがために薄荷、蒔蘿、クミン等の普通看過される小植物にまでもこれの十分の一税を及ぼしていた。そのくせ他方に最も重要なる公平、憐憫、忠信等律法の中心たるべきものをばこれを等閑に付していた。すなわち彼らは律法の末節に関して熱心であって、律法の中心問題については盲目であった。
されど之は行ふべきものなり、而して、彼もまた等閑にすべきものならず。
註解: イエスはパリサイ人らが十分の一税を厳格に守ることをば否定し給わず、ユダヤ人としての義務はこれを等閑にすべからざることを教え給うと共に、最も必要なる律法の中心真理はこれを行うべきものであることを彼らに教え給うた。この中心の真理を行ってのみ末葉は完全にこれを行うことができる。
23章24節 盲目なる手引よ、汝らは蚋を漉し出して駱駝を呑むなり。[引照]
口語訳 | 盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。 |
塚本訳 | 目の見えない案内人よ、君たちは(律法を守るために、酒の中に落ちた)一匹の蚋をこし出しながら、駱駝を飲みこんでいる。 |
前田訳 | 目しいの指導者よ、あなた方はぶよをこし出しながららくだをのみ込む。 |
新共同 | ものの見えない案内人、あなたたちはぶよ一匹さえも漉して除くが、らくだは飲み込んでいる。 |
NIV | You blind guides! You strain out a gnat but swallow a camel. |
註解: 蚋は葡萄酒の中にまじる虫である。ユダヤ人は葡萄酒を飲む際にこれを漉していかに小さき虫にてもこれを呑まないようにしていた。すなわち小さいことにも厳密に注意していることの比喩である。パリサイ人らはこの点に極めて厳格であることは嘉すべきことであるにしても、一方大切なる道徳を無視して駱駝のごとき大きな動物をも呑むごとき重大なる過誤を演じている以上小事に厳格であることも無意味になってしまう。
要義 [信仰による行為の大小について] キリスト者として満たさなければならない義務には自然大小の差別がある。小事に極めて厳格なる者は、一見最も忠実なる信徒のごとくに見えるけれども、これらの人々は往々にしてキリスト教の最も重要なる真理を忘却し去る場合がないではない。パリサイ人らはその最もよき一例であった。而してその大小はその行為の外面的の大小ではない、又形式的に律法に叶っているからではない、その内面において愛と真理と公平とに叶っているや否やにある。大規模なる慈善事業であっても、必ずしも大なる行為ではない、キリストの御名のために小さき信徒に水一杯を与うる行為にかえって大なる行為があり得るのである。厳格に禁酒禁煙を守っていてもその人にして、もし正義と公平と愛とにおいて欠けているならば、その人は蚋を漉して駱駝を呑むものである。要するにこの場合においても律法の文字と形式とに囚われるものは、必ずこの大小を顚倒するの過誤に陥るのであって、これもまたパリサイ主義の最も著しき欠点であることをイエスは指摘し給うたのである。▲愛を欠いた律法主義ほどイエスの心に反する存在はない。
9-3-ホ 彼らは内醜外麗なり 23:25 - 23:28(ルカ11:39-44)
23章25節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、されど内は貪慾と放縱とにて滿つるなり。[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は貪欲と放縦とで満ちている。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは杯や皿の外側は清潔にするが、内側は掠め取った物と不節制とでいっぱいだからだ。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。あなた方は杯や皿の外は清めるが、内は盗みとわがままでみちている。 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You clean the outside of the cup and dish, but inside they are full of greed and self-indulgence. |
註解: この食物の例はパリサイ人らより他人に対する場合、27節の白く塗りたる墓は他人よりパリサイ人らを見る場合として考うべきであろう。偽善なる学者パリサイ人らは他人との交渉が起る場合に、あたかも甘き葡萄酒を盛れるごとくに思わしむる美わしき潔き酒杯と、山海の珍味を盛れるがごとき立派な皿とをもってその人の前に提供する。すなわち彼ら自身をいかにも正しき潔き者なるがごとくに装いつつ人に対する。しかしながらその心中には貪慾と放縦とが充満しているのである。
23章26節 盲目なるパリサイ人よ、[引照]
口語訳 | 盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。 |
塚本訳 | 目の見えないパリサイ人よ、まず杯の内(の物)を清潔にせよ。そうすれば外も(おのずと)清潔になるであろう。 |
前田訳 | 目しいのパリサイ人よ、まず杯の内を清めよ、すれば外も清くなろう。 |
新共同 | ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。 |
NIV | Blind Pharisee! First clean the inside of the cup and dish, and then the outside also will be clean. |
註解: 彼らは盲目である、何となればかかる偽善によりて他人を欺き得るものと愚にも考うるがゆえである。
汝まづ酒杯の内を潔めよ、さらば外も潔くなるべし。
註解: 心の中に貪慾、放縦の心がない場合には、外面を飾るの必要は全くない、外面は自然に潔くなって行くのである。木立ちて道生ず、キリスト者の行くべき道は、この根本内心を潔むることである。人は欺かんとしてかえって欺くことができない。「蔽われたるものにあらわれぬはなし」(マタ10:26)。
23章27節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とにて滿つ。[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは白く塗った墓に似ているからだ。外側はりっぱに見えるが、内側は死人の骨とあらゆる汚れとでいっぱいである。 |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。あなた方は白くぬった墓に似る。それは外は美しく見えるが内は死人の骨やあらゆるけがれで満ちている。 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You are like whitewashed tombs, which look beautiful on the outside but on the inside are full of dead men's bones and everything unclean. |
註解: ユダヤ人の墓は毎年アダルの月の十五日にその墓を石灰をもって白く塗る習慣があった。これ人が知らずして墳墓に触れることによりて己を穢すことなからんためであった。この白く塗りたる墓がパリサイ人らの姿に似ているのであって、外観の美わしさをもって内面の著しき汚穢を掩隠しているのが彼らの有様である。
23章28節 かくのごとく汝らも外は人に正しく見ゆれども、内は僞善と不法とにて滿つるなり。[引照]
口語訳 | このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。 |
塚本訳 | そのように君たちも、外側はいかにも信心深そうに人に見えるが、内側は偽善と不法とで一ぱいである。 |
前田訳 | そのようにあなた方も外は人に正しく見えるが、内は偽善や不法に満ちている。 |
新共同 | このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。 |
NIV | In the same way, on the outside you appear to people as righteous but on the inside you are full of hypocrisy and wickedness. |
註解: 内心を見透すことにおいて最も鋭敏に在ししイエスの前には、彼らの内面がさながらに顕われて最早隠すことができない。▲人のみを相手にして神を無視する者は、外面の白さをもって満足する。
要義 [心の内と外]心の内の汚穢を潔むることなしに唯外面のみを潔からしめんとすることは、パリサイ人らの主義であったのみならず、ほとんどすべての道徳の陥る弊害であった。ゆえに美しき酒杯、白く塗りたる墓の比喩を読む場合においては、何人もこの語が我らすべてにそのまま適中していることを感ずるであろう。何人もこの数節を読んでその心を刺されないものはないであろう。この意味においてキリストにより新に生れないもの、すなわち心の内より潔められない者は皆パリサイ人であることを知るのである、我らはこのパリサイ主義より脱して神の力により心の内より潔められなければならない。
9-3-ヘ 彼らは預言者と迫害す 23:29 - 23:36(ルカ2:47-51)
23章29節 禍害なるかな、僞善なる學者、パリサイ人よ、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言ふ、[引照]
口語訳 | 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、 |
塚本訳 | ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは(先祖が殺した)預言者の墓を建てたり、義人の記念碑を飾ったりして |
前田訳 | わざわいなのはあなた方、偽善の学者とパリサイ人。預言者の墓を建て、義人の碑を飾っていう、 |
新共同 | 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。 |
NIV | "Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You build tombs for the prophets and decorate the graves of the righteous. |
23章30節 「我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに與せざりしものを」と。[引照]
口語訳 | 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。 |
塚本訳 | こう言うからだ。──『わたし達は先祖の時代にいても、預言者の血を流す仲間にはならなかっただろう』と。 |
前田訳 | 『もしわれらが先祖の時に生きていても、預言者の血を流す仲間にはならなかったろう』と。 |
新共同 | そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。 |
NIV | And you say, `If we had lived in the days of our forefathers, we would not have taken part with them in shedding the blood of the prophets.' |
註解: 29−36節を読む場合に、学者パリサイ人らのイエスに対する猛烈な反対を背景としてこれを味うことが殊に必要である。キリストの精神は預言者の精神であった。祭司主義、伝統主義、形式主義、外面主義に陥っていたユダヤ民族を、かかる堕落より救い出して真の神に立帰らしめんとするのが預言者の精神であると共に又イエスの精神であった。然るに人はこれに耐えることができない、ゆえにかえってかかる預言者を迫害する。ユダヤ人の先祖が預言者を迫害した精神は又パリサイ人らがイエスを迫害する精神と同一であった。然るにイエスを迫害する学者パリサイ人らはこの預言者らの言に従わず、その行いに傚わずして唯預言者の墓をたて義人の碑を飾っている。「偽善者はその生時には忍び得ざりし預言者らを死後に敬うことを常としている」「蓋し死者の灰は最早厳しき叱責によりて彼らを困らせないからである」(C1)。これ非常なる偽善であり矛盾である。しかも自らこの矛盾に気が付かないのは彼らがいかに悪魔の捕囚となっているかを証明している。今日のキリスト教会に対する適切なる教訓である。
23章31節 かく汝らは預言者を殺しし者の子たるを自ら證す。[引照]
口語訳 | このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。 |
塚本訳 | だから君たちは、預言者殺しの子孫であることを自分で証明している。 |
前田訳 | それこそあなた方は預言者を殺した人の子孫であることを自ら証している。 |
新共同 | こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。 |
NIV | So you testify against yourselves that you are the descendants of those who murdered the prophets. |
註解: 前2節のごとく表面立派なる行為を為し、正しきことを言っていながらイエスを迫害する汝らは、全く汝らの祖先が預言者らを迫害したのと同一の態度であって、「彼らの子」と称えられるに適していることを自ら証明している。
23章32節 なんぢら(も亦)己が先祖の桝目を充せ。[引照]
口語訳 | あなたがたもまた先祖たちがした悪の枡目を満たすがよい。 |
塚本訳 | では君たちも(ひと奮発して預言者の中の預言者を殺し、まだ一ぱいになっていない)先祖たちの(罪の)枡を一ぱいにしたらどうだ。 |
前田訳 | あなた方も先祖の枡を満たすであろう。 |
新共同 | 先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。 |
NIV | Fill up, then, the measure of the sin of your forefathers! |
註解: 「もし我らを殺さんとするならば殺せ」との意味が言外に溢れている、而して彼らは果して先祖の枡目を充してイエスを十字架に釘け奉った。
辞解
[枡目を充す] 先祖の罪を量る枡一杯に罪を盛ること。
23章33節 蛇よ、蝮の裔よ、なんぢら爭でゲヘナの刑罰を避け得んや。[引照]
口語訳 | へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。 |
塚本訳 | 蛇!蝮の末!どうして君たちは地獄の刑罰を免れることができようか。 |
前田訳 | 蛇よ、まむしの末よ、どうしてあなた方は地獄の裁きをのがれえよう。 |
新共同 | 蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。 |
NIV | "You snakes! You brood of vipers! How will you escape being condemned to hell? |
註解: 蛇、蝮は悪意と狡計とに充ちている者の意味であって、パリサイ人らの祖先はこの蝮のごときものであった。かかるものの子孫は到底地獄の刑罰を免かれることができない。彼ら自ら義なりと思うことは神の前にはことごとく粉砕されてしまうであろう。
23章34節 この故に視よ、我なんぢらに預言者・智者・學者らを遣さんに、其の中の或者を殺し、十字架につけ、或者を汝らの會堂にて鞭うち、町より町に逐ひ苦しめん。[引照]
口語訳 | それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。 |
塚本訳 | だから、わたしが預言者や知者や聖書学者を派遣すると、君たちはそのある者を殺し、また十字架につけ、ある者を礼拝堂で鞭打ち、また町から町へと(追いまわして)迫害するであろう。 |
前田訳 | それゆえ、見よ、わたしはあなた方に預言者と知者と学者をつかわす。そのあるものをあなた方は殺し、十字架につけよう。あるものをあなた方は会堂で鞭打ち、町から町へと迫害しよう。 |
新共同 | だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。 |
NIV | Therefore I am sending you prophets and wise men and teachers. Some of them you will kill and crucify; others you will flog in your synagogues and pursue from town to town. |
註解: 「この故に」すなわちパリサイ人らが先祖の枡目を充たす輩であるから、イエスの遣わし給う預言者、智者、学者らをあらゆる方法をもって迫害するであろう。
辞解
[智者、学者] 預言者に次で智恵又は知識を与えられた人々。
[殺し] 使徒ヤコブは殺された。
[十字架につけ] ペテロ、アンデレ等は十字架につけられたと言伝えられている。
[会堂にて鞭ち] 使徒たちは時々この運命に逢った(引照4参照)。
[町より町に逐ひ苦しめん] パウロは到る処この種の迫害に逢った(引照5参照)。
23章35節 之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんぢらに報い來らん。[引照]
口語訳 | こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。 |
塚本訳 | これは、(こうして君たちが迫害する預言者の血だけでなく、最初の殺人であった)義人アベルの血から、聖所と祭壇との間で君たち(の先祖)が殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、(今までに)地上で流されたすべての正義の血(に対する罰)が、君たちに負わされるためである。 |
前田訳 | かくて、あなた方にこそ地で流された義の血がすべてかかろう、義人アベルの血から、あなた方が宮と祭壇の間で殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで。 |
新共同 | こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。 |
NIV | And so upon you will come all the righteous blood that has been shed on earth, from the blood of righteous Abel to the blood of Zechariah son of Berekiah, whom you murdered between the temple and the altar. |
註解: (▲それらの血の報いが皆今の代に集って来る。すなわちイエスを殺すことによってすべての過去の罪の総計が今の世において報復される。)聖書の最初に出ているアダムの子アベルが、兄カインに殺されしその血を始めとして、聖書の最後の虐殺事件なるザカリヤの血に至るまで、ユダヤ人の歴史を通して多くの義人の血が流されたのであるが、これらの罪の責任は人民の代表ともいうべき学者やパリサイ人等の頭上に負わされるであろう。
辞解
[バラキヤの子ザカリヤ] おそらくU歴24:22にあるエホヤダの子ザカリヤのことであろう。U歴はその当時の聖書の最後に位していた。そえゆえに創とU歴との例をもって聖書全体の例を網羅したのである。なぜにエホヤダをバラキヤと呼んだかは不明である(二つの名称を持っていたのであると解する人、預言者ザカリヤの父パラキヤと取りちがえて筆写した人があったのであると説明する人等がある。ルカ11:51参照、その他ヨセフスの歴史にあるバルクの子ザカリヤ又はバプテスマの父ザカリヤのことであると解する人もあるけれども信じ難い)。
23章36節 まことに汝らに告ぐ、これらの事はみな今の代に報い來るべし。[引照]
口語訳 | よく言っておく。これらのことの報いは、みな今の時代に及ぶであろう。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、これら(に対する罰)は、ことごとくこの時代(の君たち)に臨むであろう。 |
前田訳 | 本当にいう、これらすべてはこの世代にのぞもう。 |
新共同 | はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」 |
NIV | I tell you the truth, all this will come upon this generation. |
註解: 今の代の人はエルサレムの陥落により、又遂にはキリストの再臨によりて、これらのすべての罪の報いをその身に受けるであろう。何となれば今の代の人は昔から多くの実例をもって祖先の過誤を知らされているからである。
要義1 [預言者を迫害する心]預言者は直接に神の言に接し、直接に神の声を聴く、そしてそれが現代の人の心を傷つけるや否やを顧みず、人の面を恐れることなしにこの神の言を人々の前に述べる。然るに神の言は罪ある人の耳には常に耐え難いのであって、パリサイ主義に陥れる人々にとっては神の言はあまりに乱暴に聞え、あたかも彼らの最も重要視している宗教制度や、その教理を破壊するもののごとくに考え、神に対する反逆のごとくに信ずるに至るのである。キリスト及び使徒たちを迫害せるユダヤ人らは、皆信仰に熱心なものであった。しかしながらこの熱心は神の声を直接に聴きてこれに従うの熱心ではなく、彼らの宗教組織、宗教思想擁護の熱心であった。而して宗教は神と人との直接の関係なるがゆえにこの関係を離れて信仰が形式化し、制度化し、教理化する時、その信仰は神の御旨に反し、従って神の声を直接に語る預言者の言に反するに至るのである。ここにおいて彼らの熱心は誤れる熱心となって神の僕を迫害する。而してこの現象は今日にも及んでいるのであって、教会が形式化し、制度化し、教理化する時、そこに神の言を宣ぶる預言者を迫害せんとする精神が起っているのである。
要義2 [パリサイ主義の内容]この一章は極めて明確にパリサイ主義の何たるかを示している。これによればパリサイ主義は必ずしも誤れる教訓を与えているというのではない(3節)、又信仰に不熱心であるというのではない、否かえって極めて熱心であって律法の細則までもこれを守らんとし(23節)、その信仰の伝道のためには海陸を経廻り(15節)、その信仰に反するものはこれを迫害する(34節)、これらの意味においてパリサイ人らは一見極めて立派なる宗教的団体であるというべきである。然るにイエスがこの主義とこれらの人々に対して口を極めてこれを非難し給える所以は、第一に彼らがその人に教うる教訓を自ら実行せず、人を愛するの愛に欠けていること(3、4節)、第二に彼らが宗教上の特権階級を造り宗教を一の職業化せんとしたること(5−12節)、第三に信仰の本質の何たるかを弁えず、唯その保持する形式をもって天国なるかのごとくに思惟すること(13−15節)、第四に些末なる形式と律法の小節に拘泥して信仰の対象なる神と、神の御心である正義と愛と忠信とを忘却し去っていること(16−24節)、第五に外面のみ美わしくして内心は汚穢に充ちていること(26−28節)、而して第六にかかる堕落の結果神の御旨に遠ざかっており、従って神の言をそのまま彼らに伝うる預言者をもって、或は神の教会の破壊者と誤認し、又は過激なる扇動者と見做してこれを迫害することである(29−36節)。今日のキリスト教会がこのパリサイ主義に陥っているならば禍なるかなである。
9-3-ト エルサレムに関する預言 23:37 - 23:39(ルカ13:34-39)
23章37節 ああエルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、[引照]
口語訳 | ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。 |
塚本訳 | ああエルサレム、エルサレム、預言者を殺し、(神から)遣わされた者を石で打ち殺して(ばかり)いる者よ、雌鳥がその雛を翼の下に集めるように、何度わたしはお前の子供たちを(わたしの所に)集めようとしたことか。だがお前たち(エルサレムの者)はそれを好まなかった。 |
前田訳 | ああ、エルサレム、エルサレム。預言者を殺し、つかわされたものを石打ちした町よ。なんじの子らを何度わたしは集めようとしたことか、めんどりがひなを翼の下に集めるように。しかしあなた方は欲しなかった。 |
新共同 | 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。 |
NIV | "O Jerusalem, Jerusalem, you who kill the prophets and stone those sent to you, how often I have longed to gather your children together, as a hen gathers her chicks under her wings, but you were not willing. |
註解: イエスはユダヤ人の中心なるエルサレムの市に向ってその愛の労苦の叫びを発し給うた。而してエルサレムの民は不幸にも「預言者や神に遣わされし者に対する迫害の民」なる名称をもって呼ばれなければならなかった、神の都がサタンの占領する処となっていたからである。
牝鷄のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんぢの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや、されど汝らは好まざりき。
註解: 暴風雨が襲来する時、又は敵来りてその雛を襲わんとする時親鶏は雛をその翼の下に集めてこれを保護する。今エルサレムは悪魔の襲う処となり、悪魔は学者、パリサイ人らを用いてエルサレムの民を餌食とせんとするに対し、イエスはメシヤとしてその民を保護せんとし給うのである。然れど彼らはメシヤなるイエスの御翼の下に来ることを肯んじなかった。
辞解
[幾度ぞ] マタイはイエスが唯一回エルサレムに来たりしことを記しているに過ぎないけれども、ヨハネは数回のエルサレム入りを記している。
23章38節 視よ、汝らの家は廢てられて汝らに遺らん。[引照]
口語訳 | 見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。 |
塚本訳 | そら、“お前たちの町は(宮もろとも神に)見捨てられ(て荒れ果て)るのだ。” |
前田訳 | 見よ、あなた方の家は捨てられる。 |
新共同 | 見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。 |
NIV | Look, your house is left to you desolate. |
註解: (▲erêmos[荒廃れて]なる語のある写本に由ったものであろう。)エルサレムの破壊に対する預言である。紀元70年ローマ軍はエルサレムを占領しその民の家と宮とを破壊した。これメシヤを拒み、預言者を拒んだ刑罰である。
23章39節 われ汝らに告ぐ「讃むべきかな、主の名によりて來る者」と、汝等のいふ時の至るまでは、今より我を見ざるベし』[引照]
口語訳 | わたしは言っておく、『主の御名によってきたる者に、祝福あれ』とおまえたちが言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう」。 |
塚本訳 | お前たちに言っておく、お前たちが(わたしを迎えて)、“主の御名にて来られる方に祝福あれ。”と言う時まで、わたしを見ることは今後決してないであろう。」 |
前田訳 | わたしはいう、『祝福あれ、主のみ名によって来たるもの』とあなた方がいうまで今後わたしを見まい」。 |
新共同 | 言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」 |
NIV | For I tell you, you will not see me again until you say, `Blessed is he who comes in the name of the Lord.' " |
註解: 「汝エルサレムよ、汝は我を受けざるゆえ我は間もなく十字架にかかって汝を棄て去らなければならぬ、而して我が再来の日に汝が我をメシヤとして迎うるまで(マタ21:9)、再び我を見ないであろう」。イエスはその愛するエルサレムに対し心も裂けんばかりの愛の叫びを発し、その愛子が彼に叛くの苦痛を吐露し給うた。而してイエスがエルサレムを離れなければならないことは、エルサレムにとっての審判であったにもかかわらず、エルサレムはこのことに心付からざるもののごとくであった。もしイエスの叫びによりて悔改めたならば、彼らは滅亡を免れたであろう。
要義1 [イエスの愛国心]イエスは人としてはユダヤ人として生れ給うた。それゆえにユダヤ人として特にその民を愛し給うことは他のユダヤ人らにも優っていた。彼は神の子として万人を愛し給い、人の子としてユダヤ人を特に愛し給うことにおいて何らの矛盾もなかった。我らも人間であって神の子とせられしものである。神の子として四海同胞主義を信じつつも、人の子として各々その国を愛しその同国民を思うことは当然である。イエスの愛国心のいかに強きかを見るならば、キリスト者に愛国心なしとの非難の当らないことを知ることができよう。唯キリストの愛は正義に即していたと同じく、我らの愛国心もまた正義に一致するを要する。それゆえに愛国心とは国家国民の不義と私欲とを助長、黙認することではない。これと闘うて己を十字架につけることである。この意味においてイエスこそ真の愛国者であるということができる。
要義2 [イスラエルの救い]エルサレムをもってユダヤ国民全体を示すものと解し、このイエスの御言を神がイエスを通して語り給い、世の創よりイエスの時まで幾度もイスラエルを神の翼の下に呼集めんとし給えることを意味するものと解し、キリスト再臨の日に全イスラエルは救われて「讃むべきかな主の名によりて来るもの」と叫びてイエスを迎うるであろうと解することもできる。