第1コリント第4章
分類
3 教会分離の問題
1:10 - 4:21
3-4 王者の生活と奴隷の生活
4:1 - 4:21
3-4-イ 審判すべからず
4:1 - 4:5
註解: コリントの信徒はアポロ、パウロの間を審判いていた、是れ果して正しい事であろうか、之に対しパウロは先づ茲に其の不可なる所以を論じている。
4章1節
口語訳 | このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 |
塚本訳 | いずれにしても(わたし達はキリストの福音のために働いているのであるから、)人はわたし達をキリストの部下、神の秘密の管理人と考えなくてはいけない。 |
前田訳 | それゆえわれらをキリストの従者、神の奥義の管理人と考えてください。 |
新共同 | こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。 |
NIV | So then, men ought to regard us as servants of Christ and as those entrusted with the secret things of God. |
註解: (▲口語訳「このようなわけだから」は正しい。)パウロは茲に自己の天職を示して天職に伴う当然の要求を呈出している。我ら即ちパウロ、アポロ、ペトロ等はキリストに仕えて彼の旨を行う役者であり、同時に亦神の人類に対する奥義の経綸を司り、之を人々に示す任務を持つている家司の如きものである。
辞解
[家司] 此の時代に「家司」は奴隷であつて主人に直属し労働人等に賃銭を支払う等の役目を行つていた。即ち全然主人に隷属して自己の権力も無く、自己の財産もなく、凡ては唯その主人より給与される者であつた。日本の封建時代の臣下の如きものである。
[奥義] キリストにより啓示せられし神の経綸であつて、従来隠されていた処のものを意味している。パウロは自己の職が当 に是らの如きものである事を主張し、且つコリントの信者がパウロを見るに此の心持を以てすべき事を教えている。
口語訳 | この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。 |
塚本訳 | この際、管理人にはなお、その人が(主人に)忠実であることが求められる。 |
前田訳 | ところで、管理人に要求されるのはその人が真実であることです。 |
新共同 | この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。 |
NIV | Now it is required that those who have been given a trust must prove faithful. |
註解: 才能、学識の有無等も家司に必要であろう。乍併主人は見る処ありてその家司を選ぶ以上、才能学識等は彼を選べる主人の責任に帰し、彼の責任では無い。彼の唯一の責任は忠実の点である。主人は彼に忠実を要求する事が出来、彼は又此の忠実を主人に尽すの義務がある。此の義務さえ尽せば彼は完全な家司であり、此の義務を怠る場合に他に如何なる長所があつても彼は良き家司では無い。
4章3節
口語訳 | わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。 |
塚本訳 | しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。 |
前田訳 | わたしについては、あなた方によって、あるいは人間的な裁きの日によって裁かれても何でもありません。また、自分自身を裁くこともしません。 |
新共同 | わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。 |
NIV | I care very little if I am judged by you or by any human court; indeed, I do not even judge myself. |
註解: 「コリントの信徒」はパウロやアポロを審いていた、併しパウロは之を歯牙にかけるに足らない事と思つていた、又「人」即ち他人の批評によりても動かされなかつた、のみならず自分目身すら自己について審かなかつた。自ら顧みて罪なしと思つても、果して主の御旨に叶えるや否やは之を知る事が出来ないからである。彼は唯徹頭徹尾キリストに対する忠実を以て終始一貫していたのである。苟 もキリストの御心さえ満足しまつる事が出来るならば、信者や其の他の人の審判、並に自己の審判は無用の事柄であつた。
4章4節
口語訳 | わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である。 |
前田訳 | わたしにやましいことはありませんが、それによって義とされるのではありません。わたしを裁く方は主です。 |
新共同 | 自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。 |
NIV | My conscience is clear, but that does not make me innocent. It is the Lord who judges me. |
註解: 我は主の家司であつて他人の雇人ではない、主こそ我が価値を審判する当事者であり、そして彼には彼独特の判断の標準がある、故にたとい我みづから責むべき所無しと感ずるとも、此の感じは我らを義とし、神の前に義しきものとするに足らない。
4章5節
口語訳 | だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。 |
塚本訳 | だから主がおいでになるまで、まだ時でないのに、あなた達は何も裁いてはいけない。主は(来て)、暗闇に隠されたことを(何もかも)明るみに出し、(人の)心のなかの企てをお現わしになる。するとその時、栄誉がひとりびとりに、(善い行いに対して)神からあたえられるであろう。 |
前田訳 | それゆえ、主が来られるまでは、何ごとも時に先んじて裁かないでください。主は闇に隠れたものに光をあて、心の思いをあらわになさるでしょう。そのときおのおのが神からおほめをいただくでしょう。 |
新共同 | ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。 |
NIV | Therefore judge nothing before the appointed time; wait till the Lord comes. He will bring to light what is hidden in darkness and will expose the motives of men's hearts. At that time each will receive his praise from God. |
註解: (▲マタ13:24以下の毒麦と麦の譬話を参照すべし。)主イエス再び来りて各人を審判し給う、其の審判は人の外貌によらず、又人の智慧の有無、活動の多小等人の目に見ゆる処によらず、心の中の事即ち隠れたる事を明かにし、人が或は虚栄心により、或は党派心により為した事柄をも皆明かにし、反対に忠実に家司の務を果した者には之に相当する報賞を与え給うであろう。夫故に其の時迄は基督者は伝道者の優劣、或はその適否等につきて審判すべきでは無い、之は神の仕事である。
要義 [人の審判は虚し]今日の教会は、或は教理の正否より、又は礼拝式の当否より、又は教会政治の良否より、又は教会の活動の多少によりて互に審判き合い、自己を正しとし他人を正しからずとしている事は誤りである。唯一の問題は主の家宰 として忠実であったかどうかに在る。教理に対する理解の程度、礼拝の形式其他は神が各人に与え給える賜物であって、神は各人に各々御旨によりて賜物を与え給い、之を選びて伝道其他の職に従事せしめ給う、故に其の賜物の差異より他の人々を審判く事は神を審判く事である。神は各人が其の与えられし賜物の凡てを以て忠実に仕うる事を以て満足し給う、而して忠実なりや否やは心の中の問題であり、神のみよく之を明かにし得るのであって、人は之を充分に知る事が出来ない。故に他人を審く事は如何なる点より見るも不当である。「なんぢ如何なる者なれば他人の僕を審くか、彼が立つも倒れるも其の主人に由れり」(ロマ14:4)。尚賜物の差異につきてはTコリ12:1以下及びエペ4:2-16参照。
註解: 最後にパウロは自己の状態とコリントの信徒の状態とを対比し、其処に著しき差異がある事を示し、彼等をしてパウロに
傚 いて反省せしむる事によりて、教会分離の禍根を絶たんと試みている。
4章6節
口語訳 | 兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。 |
塚本訳 | しかし(誤解があってはならない、)兄弟たちよ、これらのことをわたしとアポロとの例によったのは、あなた達の(理解の)ためである。それは、(わたし達二人が一つ心で主のために働いていることをあなた達に知らせ、)わたし達のことから、あなた達が「(聖書に)書いてあるところをふみ越えないこと」を学び、(あなた達のうちの)だれもが、ある一人(の先生)をかつぎ、他の一人をけなして得意になる、ということのないためである。 |
前田訳 | 兄弟方、以上のことはわたし自らとアポロとにあてていいましたが、それはあなた方のためです。すなわち、あなた方が、われらを例にして、聖書にあることをこえないことを学ぶため、また、ひとりがあるひとりのために高ぶって他に対抗することのないためです。 |
新共同 | 兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。 |
NIV | Now, brothers, I have applied these things to myself and Apollos for your benefit, so that you may learn from us the meaning of the saying, "Do not go beyond what is written." Then you will not take pride in one man over against another. |
註解: 併し此の問題は一般的の問題であつて、唯パウロとアポ口のみに関する処の問題ではない。▲併し実際問題としてコリントに於ける徒党の大原因をなしたのは、アポロの雄弁と知恵であったと思われる。
これ
註解: 聖経即ち今日の旧約聖書に録されし事は、神のみに栄を帰すべきものであり、人間は虚しきものに過ぎないと云う事である。然るにコリントの信徒の如く人々を批評し、或者をあげ或者を貶 して徒党を造る事は、此の録されし処を踰 える態度であつて、虚しき誇 即ち自己の価値を過信し、又他人の価値をも過度に評価する事より起つて来るのであつて、之を誡めんが為めにパウロは自己とアポロの例をあげて論じたのである。
口語訳 | いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。 |
塚本訳 | いったいだれが、あなたをそんなに偉いと言うのか。あなたは持っているもので戴かなかったものが、何かあるのか。しかも(何もかも)戴いたのなら、なぜ戴いていないかのように自慢するのか。 |
前田訳 | だれがあなたを偉いとするのですか。あなた方が持つもので、受けなかったものがありますか。もし受けたのなら、なぜ受けないように高ぶるのですか。 |
新共同 | あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。 |
NIV | For who makes you different from anyone else? What do you have that you did not receive? And if you did receive it, why do you boast as though you did not? |
註解: 若し自己に何等かの長所があるならば之を与えたのは勿論神である。
なんぢの
註解: 自己の長所は勿論その他あらゆる物は皆神より受けているのであつて、一物として自ら造り出したものは無い、之を恰 も自己の力を以て造り出した如くに誇る事は重大なる過 である。学問も知識も、雄弁も、信仰すらも皆神の賜物であつて、感謝こそすべけれ決して之によりて高慢となる可きでは無い。然るにコリントの信者は、恐るべき高慢に陥つていた、次節以下は其の事を述べている。
4章8節 なんぢら
口語訳 | あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと共に王になれたであろう。 |
塚本訳 | あなた達はもう満腹し切っている。もう全く裕福になった。わたし達ぬきで(一足先きに神の国に入って)、王様になったのだ!ほんとうにあなた達が王様になってくれたらよかったのに!わたし達も一しょに王様になれるから。 |
前田訳 | もうあなた方は飽き足りています。もう富んでいます。われらを差しおいて王になっています。むしろわれらも共に王になれるように、あなた方が王になってくれるべきでした。 |
新共同 | あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。 |
NIV | Already you have all you want! Already you have become rich! You have become kings--and that without us! How I wish that you really had become kings so that we might be kings with you! |
註解: 本節以下13節迄はパウロの状態とコリントの信者の状態とを対比して、彼らをして自己の誇り高ぶれる態度を羞 じしめんとして愛に満てるパウロの筆より流れ出た文章である。曰く「汝らは其の智慧に満足し、心は最早や貧しからずして富み、我等をば差措きて支配者の態度を取つて誇つている。然るに我らは第11節に記される如く「飢え、渇き、また裸となり、また打たれ」ている。肉の念は前者を欲して後者を嫌う。併し乍らキリストに従う汝らは我らと同じく此の十字架をも負わなければならぬ。
辞解
[王となれり] 「支配せり」との意味であつて、基督者は世の終末には万物を支配し、神の国を建てる事が出来るのであるが、茲ではコリントの信者が「既に」此の世に於て「パウロ等をば加えずに」支配し、神の国を誇つているとの意味である。▲▲「王となる」basileuô は「支配する」の意。
われ
註解: 汝らが神の国に於て支配者となる事は勿論わが願である、併しそれはキリストの再臨の時我ら(パウロら)も共に王となり、共に支配者とならんがためであつて、現在の如く、此の世に於て我らをばあらゆる困難にさらしつつ、汝らのみが支配者となる事は望ましからざる現象である。汝らの党争分離も是から起るのである。
4章9節
口語訳 | わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしはこう思うのだ。神は使徒であるわたし達を(人間の中で)一番下の者、(闘技場の)死刑囚のようにされたと。というのは、わたし達はこの世に対し、天使と人間とに対して、見せ物になっているからである。 |
前田訳 | わたしは思います、神は使徒たるわれらを死罪に定められたものとして、最終列にお引き出しでした。われらは世に対して、天使と人々に対して見せものにされたのです。 |
新共同 | 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。 |
NIV | For it seems to me that God has put us apostles on display at the end of the procession, like men condemned to die in the arena. We have been made a spectacle to the whole universe, to angels as well as to men. |
註解: 使徒らは神の国に於て最も高き栄光に位すべき人々であるけれども、此の世に於ては神は彼等を死刑に判決せられし囚人の如く最も卑しきものとして取扱い、全宇宙のもの即ち天使等並に全人類の観物とし給うた。パウロは当時の劇場に於て死刑囚が衆人環視の中に獅子や虎の餌食に供せられている事を思い浮べたのであろう。
辞解
[後の者] 最も賤しき者との意、又善悪の御使、及人々を総称して「宇宙のもの」と云つている。
[▲宇宙のもの] 「宇宙にも」と訳すべきである。パウロの雄大なる使徒観に注意すべし。
4章10節
口語訳 | わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。 |
塚本訳 | わたし達はキリストのために(こんなに)馬鹿である、あなた達はキリストにあって(そんなに)賢い。わたし達は弱い、あなた達は強い。あなた達には名声がある、わたし達には屈辱がある。 |
前田訳 | われらはキリストのゆえに愚か、あなた方はキリストにあって賢いものです。われらは弱く、あなた方は強いのです。あなた方は尊く、われらはいやしいのです。 |
新共同 | わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。 |
NIV | We are fools for Christ, but you are so wise in Christ! We are weak, but you are strong! You are honored, we are dishonored! |
註解: 我らは愚なる十字架の福音を宣べ伝え、汝らは慧 き哲理を論じ、我らは弱くして迫害せられ汝ら強くして人を審き、我らは卑しくして衆人の観物となり汝らは尊くして自ら誇つている。何たる対照(コントラスト)であろうか。
4章11節
口語訳 | 今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、 |
塚本訳 | いまこの時まで、わたし達は空腹で、渇いて、裸で、ぶたれて、宿なしで、 |
前田訳 | 今に至るまで、われらは飢え、渇き、裸で、打たれ、宿なしです。 |
新共同 | 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、 |
NIV | To this very hour we go hungry and thirsty, we are in rags, we are brutally treated, we are homeless. |
註解: あらゆる困難と迫害とを忍んでいるのに汝らは飽き、富み、且つ王となつている。
4章12節
口語訳 | 苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、 |
塚本訳 | 自分の手で働きながら苦労している。罵られては(神の)祝福を求め、迫害されては我慢し、 |
前田訳 | われらは苦しんで自分の手で働いています。はずかしめられつつ祝福し、迫害されつつ忍耐し、 |
新共同 | 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、 |
NIV | We work hard with our own hands. When we are cursed, we bless; when we are persecuted, we endure it; |
口語訳 | ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。 |
塚本訳 | そしられては親切な言葉をかける。いまでもなお、この世の屑、すべての人のかすのようになっている。 |
前田訳 | ののしられつつ慰めています。今なおわれらは世のちり、すべてのものの滓のようにされています。 |
新共同 | ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。 |
NIV | when we are slandered, we answer kindly. Up to this moment we have become the scum of the earth, the refuse of the world. |
註解: パウロは使徒たる権利を行使して信徒の献金によりて衣食する事をせず、愛敵の心を以て一貫し、右の頬を打つ者には左の頬を向け、一里の公役を強いる者と共に二里ゆくの態度を取つた。罵 られ、責められ、譏 られるその中に在りて彼等はあくまで信仰的であつた。然るにコリントの信徒等は之に反し、互に徒党を造つて罵り合い、責め且つ譏 り合つていた。
註解:啻 に存在を認められざるのみならず其存在が邪魔物視され、之を除く事が却て神々の心にかなうものと考えられていた。▲▲7-13節はパウロの痛烈なる皮肉である。
辞解
[塵芥 ] 室内の掃除の際に集められる塵埃 (=ちり、ほこり:広辞苑)を意味し、同時に世の所謂やくざ者を意味し、其の人の悪行の為めに神が其の地と人民とを詛う如き人を指し用いられていた。故にかかる人を犠牲としてささぐる事が神の意にかなうとの意味より塵埃 は又犠牲を意味する様になつた。パウロは此の意味に此の語を用いたのであろう。「垢」もほぼ同意義である。
4章14節 わが
口語訳 | わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。 |
塚本訳 | わたしはあなた達を辱しめるために、これを書いているのではない。むしろわたしの可愛い子供として注意を与えるためである。 |
前田訳 | わたしがこのことを書くのは、あなた方をはずかしめるためではなく、愛するわが子としてさとすためです。 |
新共同 | こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。 |
NIV | I am not writing this to shame you, but to warn you, as my dear children. |
註解: 以上によつてコリントの信徒は深く自己の状態を恥ぢたに相違ない。併しパウロの目的は彼らを恥ぢしめて快を貪 らんが為ではなく、彼らが恥ぢて其の態度を改めんが為であつた。父がその愛子を訓誡するの心持である。
4章15節
口語訳 | たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。 |
塚本訳 | たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。 |
前田訳 | たとえあなた方にキリストにある一万人の後見人があっても、多くの父はありません。わたしはキリスト・イエスにあって、福音によってあなた方を生んだのです。 |
新共同 | キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。 |
NIV | Even though you have ten thousand guardians in Christ, you do not have many fathers, for in Christ Jesus I became your father through the gospel. |
註解: パウロはイエス・キリストにあつて、福音を宣伝うる事によつてコリントの信徒を生み出した父であつた。其後彼らを教育指導する人は多数にあるけれども生みの親はパウロより以外に無いのであつて、パウロは此の点に於て自己の資格を主張して譲らなかつた。
辞解
[守役] 当時の家庭教師であつて、子女の世話及び教育を掌 つている奴隷である。
4章16節 この
口語訳 | そこで、あなたがたに勧める。わたしにならう者となりなさい。 |
塚本訳 | だからあなた達に勧める、わたしのまねをする者になってもらいたい。 |
前田訳 | それでお勧めします。わたしにならうものにおなりなさい。 |
新共同 | そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。 |
NIV | Therefore I urge you to imitate me. |
註解: 「キリストに在り福音によりて汝らを生んだのは我であれば、我に効 うことがキリストに在り福音を信ずる事に外ならない。我に効 わないならばキリストを離れ、福音を蔑 する事となるであろう。而して我に効 いてキリストの福音に堅く立つならば必ず前掲せる如く、貧困、迫害、嘲弄、軽蔑の的となるのであつて汝らの如く高ぶりたる態度を取る事が出来る筈のものでは無い」。
4章17節
口語訳 | このことのために、わたしは主にあって愛する忠実なわたしの子テモテを、あなたがたの所につかわした。彼は、キリスト・イエスにおけるわたしの生活のしかたを、わたしが至る所の教会で教えているとおりに、あなたがたに思い起させてくれるであろう。 |
塚本訳 | それゆえにこそ、わたしはテモテをやった。彼は主にあってわたしの愛する忠実な子供であり、わたしが到る所で、すべての集会において教えているとおりに、キリスト・イエスにあるわたしの道を、あなた達に思い出させてくれるであろう。 |
前田訳 | そのためにわたしはあなた方のところへテモテをつかわしました。彼は主にあってわが愛する忠実な子です。彼はわたしが至るところで、すべての集まりで教えるとおり、あなた方に、キリスト・イエスにあってわが歩む道を思い起こさせましょう。 |
新共同 | テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。 |
NIV | For this reason I am sending to you Timothy, my son whom I love, who is faithful in the Lord. He will remind you of my way of life in Christ Jesus, which agrees with what I teach everywhere in every church. |
註解: 「之がために」即ちコリントの信徒がパウロに効 うや否やを知らんが為めにテモテを遣した。此のテモテは「主に在りて忠実なるもの」であつて神の家司の資格を具えていた。Tコリ4:1。
註解: パウロの各教会に於ける教訓即ち行為であつて、彼には教訓と行為とが、即一不二であつた。テモテは之をコリントの信徒に思い起させるの任務を持つて行つたのである、彼らは之をきいてパウロに効 う事が出来る。
4章18節 わが
口語訳 | しかしある人々は、わたしがあなたがたの所に来ることはあるまいとみて、高ぶっているということである。 |
塚本訳 | ある人たちは、わたしが(引け目を感じているので)あなた達の所に行くことはないと考えて、得意になっている(とのこと)。 |
前田訳 | ある人々は、わたしがそちらに行くまいと思いあがっています。 |
新共同 | わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。 |
NIV | Some of you have become arrogant, as if I were not coming to you. |
註解: 茲にパウロは突知として反パウロ党の誇りに向つて一撃を与えている、蓋し彼らの中にはパウロは再びコリントに来る勇気が無いとして誇つているものがあつたのであろう。(Uコリ10:1)
4章19節 されど
口語訳 | しかし主のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの所に行って、高ぶっている者たちの言葉ではなく、その力を見せてもらおう。 |
塚本訳 | しかし主の御心ならば、大急ぎでわたしは行く。行けば、得意になっている人たちの(口先だけの)言葉ではなく、(実際の)力がみせてもらえる。 |
前田訳 | しかし主のみ心ならば、わたしはじきにそちらへ行きます。そして思いあがった人々のことばでなく、力を見せてもらいましょう。 |
新共同 | しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。 |
NIV | But I will come to you very soon, if the Lord is willing, and then I will find out not only how these arrogant people are talking, but what power they have. |
口語訳 | 神の国は言葉ではなく、力である。 |
塚本訳 | 神の国は言葉にはなく、力にあるのだから。 |
前田訳 | 神の国はことばにではなく、力にあります。 |
新共同 | 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。 |
NIV | For the kingdom of God is not a matter of talk but of power. |
註解: パウロは是らの美辞を以て誇る者と直面して其の能力を試さんとしたのである、巧言美辞は人を驚かす事が出来よう、併し神の国に於ては何等の価値もない。神の国に於て価値あるものは其の霊的実力である。此の能力あるものは美辞を用いずとも人を動かし、悪魔に打勝つ事が出来る。パウロは此の点に於てコリントの信徒に向つて挑戦した。
辞解
[主の御意ならば] パウロの心は常に主の御意を行うより外に無い、之れは習慣的用語では無い。
4章21節
口語訳 | あなたがたは、どちらを望むのか。わたしがむちをもって、あなたがたの所に行くことか、それとも、愛と柔和な心とをもって行くことであるか。 |
塚本訳 | あなた達はどちらを望むのか。わたしが笞をもって行くことなのか、それとも、愛とおだやかな心とをもって行くことなのか。 |
前田訳 | どちらをお望みですか。笞をもってあなた方のところへ行きましょうか、それとも愛と柔和の霊をもっていきましょうか。 |
新共同 | あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。 |
NIV | What do you prefer? Shall I come to you with a whip, or in love and with a gentle spirit? |
註解: 若し彼らが尚も悔改めずして其の高慢を続け分離を重ねるならばパウロは笞をもて彼らを罰しなければならない。是れパウロに取りても彼らに取りても大なる苦痛であつた。夫故に彼らが悔改めて党派心を去り謙遜 りて教会の一致を実現するならばパウロは愛と柔和の心とをもて到る事が出来るであろう。「此の何れを汝らは希望するか、勿論後者であろう、故に速に悔改めよ」とパウロは切に薦めているのである。
要義 [教会の分離の原因]1:10より4:21に至るまでパウロは教会の分離徒党の傾向について論じている。而して今日教会合同論者の唱うる如き態度を取らずして、パウロは深く教会分離の根本に其の目を注ぎ其処に其のメスを触 れることに由って此の病源を絶たんとしていたのである。
パウロの除かんとせる教会分離の原因は以上の分解が示す如く、其の一は人間崇拝(1:10-17)、其の二は人間の智慧に対する誇り(1:18-2:16)其の三は各人の働きの効果を重視する事(3:1-23)、其の四は使徒等の如き謙遜の生活を送らざる事(4:1-21)であった。而して各々の場合にパウロは、かかる原因を除くべき根本的の教理を教えている。即ち第一の場合には我らはバプテスマを受けてキリストに属けるものにして決して他の人に属するものにあらざる事、第二の場合には神の智慧こそ人間の智慧を遙に超越せるものなる事、第三の場合には各人の働きに差異があっても皆神の畠の同労者であり、神の宮の共同建築者である事、第四の場合にはパウロに効 いて人を審かず謙遜忍従の生涯を送るべき事を示し此の根本的解決を以てコリント教会の分離を止めんとしたのである。今日の教会と雖 も此の態度を取るより外に分離の病根を除く事は出来ないであろう。
第1コリント第5章
分類
4 教会内の道徳問題
5:1 - 6:20
4-1 淫行の者に対する心得
5:1 - 5:13
4-1-イ 之をサタンに付すべし
5:1 - 5:5
註解: コリントの市が
淫蕩 の盛な市であつた事は既に緒言に於て之を述べた。此の風習は初期基督者にも影響を与えた。当時の人々は淫行を左程の罪悪とも思わなかつたのであろう、基督者も自然之に誘われ易かつた、しかしながら聖霊は之に反抗しかかる者を除くのであつて、是れ基督教会の特徴である。茲にパウロが誡 めている場合は其の中の最も甚 だしき例である。
5章1節
口語訳 | 現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。 |
塚本訳 | いったい、聞くところによればあなた達の間に不品行があり、しかも異教人の間にすらないような不品行で、父の妻(であった婦人)を妻にしている者があるほどだというではないか。 |
前田訳 | 実際に聞くのですが、あなた方の間に不品行があり、それは異邦人の間にさえないほどのもので、父の妻をもつ人があるとのことです。 |
新共同 | 現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。 |
NIV | It is actually reported that there is sexual immorality among you, and of a kind that does not occur even among pagans: A man has his father's wife. |
註解: 父の妻は普通後妻即ち継母であると解せられている。レビ18:8。「妻」の原語 gunee は、女、既婚の女、妻、妾、等の意味を有する語である、従て茲でも父の妾の意味にも取る事が出来る。その継母たると父の妾たるとを問わず之と不倫の関係に入つている事は異邦人の中にすら無き破倫の行為であつた(父の生存中であつたから尚更である。Uコリ7:12)
辞解
[現に] 「一体全体」という様な意味がある(Tコリ7:7。Tコリ15:29)。
5章2節
口語訳 | それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。 |
塚本訳 | それなのにあなた達は得意になっているのか。むしろ悲しんで、その行いをした者をあなた達の中から除こうとはしなかったのか。 |
前田訳 | しかもあなた方は思いあがっている。そのことを行なったものを仲間から除こうとして、むしろ悲しむこともなかったのですか。 |
新共同 | それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。 |
NIV | And you are proud! Shouldn't you rather have been filled with grief and have put out of your fellowship the man who did this? |
註解: (▲原文では「なしし者の」と「除かれん」との間に「汝等の中より」とあり之が後代の破門制度の基礎となったのであるが、本来法律的なものではなく、かかる者が群の中に留まることは、信仰の証とならず主の体を汚すから之を遠ざけたのであった。)「よし仮に汝らに他に誇る理由があるにしても、此の一事だけでもその誇を全く失うに充分では無いか、然るに汝らは尚も誇り、且つかかる者の汝らの中より除かれん事を願つて悲まないのは如何なる理由であるか。若し聖霊汝の中に宿るならばかかる者を教会の中に同居せしむる事に耐えないであろう」、我らも亦我らの中よりかかるものの除かれん事を願いて悲しまなければならぬ。
註解: ▲▲3-5節の訳は口語訳によるを可とす。
5章3節 われ
口語訳 | しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。 |
塚本訳 | 現にわたしとしては、体ではそこにいないが、霊では居合わせて、そんなことを仕出かした者に対し、(わたし自身が)居合わせたかのように、すでに決断を下してしまった。 |
前田訳 | わたしは、体では離れていても霊ではそこにいますから、現にそこにいるものとして、そのようなことを行なったものについて、すでに主イエスの名によって次のように決めました。 |
新共同 | わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者を既に裁いてしまっています。 |
NIV | Even though I am not physically present, I am with you in spirit. And I have already passed judgment on the one who did this, just as if I were present. |
註解: コリントの信徒は何等の所置を取らないのみならず、尚且誇つているけれども「予はたとい遠隔の地に居りてもかかる事柄を放置する事が出来ず、心の中に既に其の処置が決定している」。(▲▲▲その決定の内容は4、5節)後にコリントの信徒は之を実行した、Uコリ2:6参照。
5章4節 すなはち
口語訳 | すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、 |
塚本訳 | すなわちあなた達が主イエスの名を呼んで集まったとき、わたしの霊も主イエスの力を持って一しょにそこにいて、 |
前田訳 | すなわち、あなた方とわが霊とがわれらの主イエスの力をもって集まったとき、 |
新共同 | つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、 |
NIV | When you are assembled in the name of our Lord Jesus and I am with you in spirit, and the power of our Lord Jesus is present, |
口語訳 | 彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。 |
塚本訳 | こんな男は、悪魔に引き渡してその肉体を滅ぼさせることにしたのである。これはその霊が主の(裁きの)日に救われるためである。 |
前田訳 | そのようなものをサタンに引き渡したのです。それは肉が滅ぼされて、霊が主の日に救われるためです。 |
新共同 | このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。 |
NIV | hand this man over to Satan, so that the sinful nature may be destroyed and his spirit saved on the day of the Lord. |
註解: コリントの信徒が集る時パウロの霊もイエスの能力によりて彼らと共に一体となり、此の一体がかかる者をイエスの名によりてサタンに付 し、之を教会の体以外に置く事をパウロは決した。パウロ一個人の考によらず又コリント信徒のみの審きによらず、個人的絶交の意味にはあらずして教会なるキリストの体の中にかかる者を置かない事を意味する。之れはパウロや教会の審判ではなくキリストの審判そのものである。
辞解
[4、5節] 尚三種の意味に訳する事が出来るけれども多くの学者が此の日本訳の意味を最善としている。
[サタンに付 す] 教会より破門するの意味である。併しながらパウロは今日の教会に於ける如くに法律的意味に之を解したのではなく、キリストの支配し給う教会の外、即ちサタンの支配に付 し、神の国より悪魔の国に移す事を意味した。コロ1:13の反対。此のサタンの国に於て肉体は種々の困難苦痛に露 されるのである。或は此語を以て「体刑を課する」事を意味すと解釈する説もある。
註解: 肉(サルクス)は神の霊によりて更生せざる性来 の人を意味する。此の肉はサタンに付 される場合即ちキリストの体より除斥 される時は霊はその苦痛に堪えない。「肉が亡ぼされる」とは此の苦痛の結果肉の思を破壊する事を表わしているのである。かくして彼の肉は破壊せられて霊は自由となり主の再臨の日に救われるであろう。是がパウロの薦むる破門の目的であつて、単にかかる信者を罰するのみが目的では無かつた。而してパウロは確かに此の目的を達した。Uコリ2:8。
要義 [破門の行為は愛の心に反せずや]罪を犯した者を教会より排斥してしまう事は一見愛なき行為であり罪人を赦し、敵をすら愛するキリストの教に反するが如くに思われる。乍併(1)キリストの体たる教会は一の有機体の如きものであって、其の中に有害なる成分が入り来る時は聖霊の作用により自然に之を排斥せずにいる事が出来ないのであって、是が聖なる体を健全に保持する所以である。(2)然のみならず罪を犯したものを教会内に包容する事は一見愛の行為である様に見えるけれども、之によりて肉は殺されずして益々その暴威を逞 しくし、反て彼をして亡 に至らしむる所以であって、彼を愛する事とはならない。肉が罪の中にある時之を殺して霊を生かすの方法を取る事が最も必要であって、それが為には基督者一体の交りより除外する事が有効である。斯の如く必要上よりも又自然の作用よりも共にかかる者を教会より除く事が至当であり且つ有益である事を見る事が出来る。▲破門とマタ13:29の毒麦の場合と異なるのは、破門の場合はその毒性が明白だからである。
註解: パウロは他の場合と同じく此の場合にも、その教訓を単に一時の思付きや感情によりて支配せしめなかつた。彼が以上の如く教えるには深い根底があつたのであつて、彼はこの事をここに述べているのである。
5章6節
口語訳 | あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。 |
塚本訳 | (こんな仲間がいる中で、)あなた達の自慢は誉めたことではない。(一人だけだと言うかも知れないが、)少しのパン種が捏粉全体を発酵させることを、あなた達は知らないのか。 |
前田訳 | あなた方の思いあがりはよくありません。わずかなパン種が粉の塊全体をふくらませることをご存じないのですか。 |
新共同 | あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。 |
NIV | Your boasting is not good. Don't you know that a little yeast works through the whole batch of dough? |
註解: かかる罪人を認容しつつ誇るのは宜しくない、パン種は罪人、悪の原則等の意味に用いられる。僅少 の罪又は少数の罪人でも全団体に感化を及ぼし易い。
5章7節 なんぢら
口語訳 | 新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。 |
塚本訳 | 新しい捏粉であり得るために、古いパン種を掃き出せ。実際あなた達は種なしパンなのだから。また、わたし達の“過越の小羊”キリスト“は屠られた”のだから。 |
前田訳 | あなた方は新しい粉の塊であるために、古いパン種を除きなさい。事実あなた方はパン種なしです。われらの過越の羊としてキリストがほふられたからです。 |
新共同 | いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。 |
NIV | Get rid of the old yeast that you may be a new batch without yeast--as you really are. For Christ, our Passover lamb, has been sacrificed. |
註解: 新しき団塊 は新鮮なる団塊 を意味する。旧きパン種は旧き人すなわち肉的の力である。「汝らはパン種なき者なればなり」とあるは既にパン種を除いてしまつた者と云うのではなく、本質上パン種なき者との意味である。一度び死せる基督者も日々に死する事が必要であり、一度び全く聖められし信者も次第に潔められて行く事が必要である(ガラ2:20。ロマ8:13)。故に「パン種なき者」なる汝らも「汝らの中よりパン種を除」かなければならない。
5章8節 されば
口語訳 | ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。 |
塚本訳 | それゆえに、古いパン種をもってでなく、また悪と悪意とのパン種をもってでなく、純潔と真実との種なしパンをもって、(永遠の過越の)祭りをしようではないか。 |
前田訳 | それゆえ、われらは古いパン種や悪と不正のパン種によらず、純潔と真の種なしパンで祭りをしましょう。 |
新共同 | だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。 |
NIV | Therefore let us keep the Festival, not with the old yeast, the yeast of malice and wickedness, but with bread without yeast, the bread of sincerity and truth. |
註解: 茲にパウロはキリストの教会をイスラエルに比較し*過越(編集者:この*の意味不明)をキリストの十字架に比較している。イスラエルはエホバの命により各戸羔羊を屠つて其血を家の門口の柱と鴨居とに塗つた。エホバは此の血を見て其の戸口を過越し、審判は唯エジプト人の家々の初子にのみ及んだ。イスラエルは此のエホバの過越を記念せんが為めに毎年ニサンの月の十四日より二十一日まで各戸羔羊を屠りて食し全家よりパン種を完全に除き種なしバンを以て此の祝を守つた。此の恙羊はキリストであり、その血は十字架の血汐であつた。而して十字架の陰に立ちて救われたものは教会であつた。夫故に基督者及びその教会は此の過越の祝と同じくその全生涯の間罪と腐敗を代表するパン種を其の中より除き、聖潔と精進とを守らなければならない。即ち教会は古き肉の原則、悪と邪曲との分子を全然除き去つて新しき団塊 とならなければならない。是れキリストの血によりて救い出されし新なる団体なるが故である。
要義 [基督者は終生過越の祭を守るべき事]過越の祝はイスラエルに取って最も重大なる祭典であって、此の期間は彼らの心はエホバの救を讃美し、種なしパンを以て罪と穢 とを去り、屠られし羔羊を焼きて食う事によりて其の最も記念すべき日を祝した。基督者も之と同じく終生十字架の上に血を流し給えるキリストを思い之によりて我らを救い給える神の愛を讃美し、肉と穢 の分子を其の中より除きて聖潔なる一団として此の世に歩むべきである。故に淫行のものを除斥 する所以は教会が神に救われし聖なる一団であるからであって此の根本的性質を無視しては教会の聖潔は保たれない。
註解: 但し前掲の原則はキリストの名を称うる兄弟にのみ摘用せらるべきものであつて、一般に之を応用せよとの意味ではない。
5章9節 われ[
口語訳 | わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、 |
塚本訳 | (前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、 |
前田訳 | わたしは前に不品行の人々と交わるなとお書きしました。 |
新共同 | わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、 |
NIV | I have written you in my letter not to associate with sexually immoral people-- |
5章10節
口語訳 | それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。 |
塚本訳 | あれはこの世の不品行な者や貪欲な者、略奪者や偶像礼拝者などと決して付き合うなというのではない。もしそうならば、あなた達はこの世から出てゆかねばならないからである。 |
前田訳 | それはこの世の不品行のもの、貧欲のもの、略奪者、偶像礼拝者と全くつき合うなというのではありません。もしそうならあなた方は世を去らねばならないからです。 |
新共同 | その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。 |
NIV | not at all meaning the people of this world who are immoral, or the greedy and swindlers, or idolaters. In that case you would have to leave this world. |
辞解
[前の書] 紛失して今日に伝つて居ない。
[此の世] 「キリストの教会」以外を意味している、基督者は「世より選び出されたる」者である。
[淫行] 自已に関し、「貪欲の者、奪う者」は他人に対し、「偶像を拝む者」は神に対する罪悪を示している。
[交る] 交渉関係を持つ事を意味する。かくて本節の意味は明かである。
(もし
註解: 当時コリントの市にはかかる罪悪が充ちていた。其の中に在りて生活している基督者が、かかる人と全然交渉の無い生活を送る事は不可能であつた。もし之を為さんとするならば此の世より隠遁 しなければならない。併し是は基督者の義務ではない。「基督者は地上にさまよう間は荊棘 の中に生活しなければならぬ」(クリソストム)(注意)此の10節は種々に訳せられる可能性を持つている、カルビン註解を見よ。
5章11節 ただ
口語訳 | しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。 |
塚本訳 | しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。 |
前田訳 | 今お書きしましたのは、兄弟と呼ばれるもので、不品行、貪欲、偶像礼拝、そしり、酒酔い、略奪をするものがあれば、つき合わず、そのようなものとともに食事をしないように、ということです。 |
新共同 | わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。 |
NIV | But now I am writing you that you must not associate with anyone who calls himself a brother but is sexually immoral or greedy, an idolater or a slanderer, a drunkard or a swindler. With such a man do not even eat. |
註解: 「兄弟と称うるもの」即ち名義のみの基督者の中にかかる罪を犯す者あらば之と交つてはならないのみならず親密なる交りの印として食事に招待し又されることすらしてはならない。もしかかる態度を取るならば教会はかかる罪を認容していると認められるであろう。
辞解
[罵 るもの、酒に酔うもの] この二つは第10節になきものを茲に追加している。団体の平和を乱すの行為であつてパウロの心に新に浮び出でたのであろう。
[食事する事] 聖餐に加わる意味に解する説があるけれども、此の語中にかかる意味はない。
5章12節
口語訳 | 外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。 |
塚本訳 | なぜというのか。(主を信じない)外の人たちを、なんでわたしが裁くことがあろう。あなた達は、内輪の者たちだけを裁くべきではないのか。 |
前田訳 | 外の人たちを裁くことがなぜわたしに関係しましょう。あなた方が裁くのは内の人ではありませんか。 |
新共同 | 外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。 |
NIV | What business is it of mine to judge those outside the church? Are you not to judge those inside? |
5章13節
口語訳 | その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。 |
塚本訳 | 外の人たちは神が裁かれる。“あなた達の中から悪人を取ってのけよ。” |
前田訳 | 外の人々は神が裁きたまいます。あなた方自身の間から悪ものを除きなさい。 |
新共同 | 外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」 |
NIV | God will judge those outside. "Expel the wicked man from among you." |
註解: 茲にパウロは「内の者」と「外の者」とを別ち、前者を以てキリストの教会内にある兄弟姉妹を意味し後者を以て其の以外の「世の人」を意味せしめている。而して「外の者」は神之を審き給うが故に基督者はその神の審きに委せて之を放置し之と普通の交渉を持つ事が出来るけれども、「内の者」をば信徒自ら之を審き之に適当の所置を取らなければならぬ。「汝らの中より退けよ」とは此の意味である。勿論「内の者」の罪をも神は審き給う(Tコリ11:30-32)併しそれと同時に信徒自身に此の義務が与えられている事を忘れてはならない。
要義1 [教会を聖潔に保つ事の必要]教会を以て政治的社会的勢力たらしめんと欲する時は、其の人数の多き事を望むは自然である。夫故に種々の罪悪も不問に附せられている事が多い。乍併是れ教会の天的性質を汚すものであって、教会は飽く迄もキリストの体であり、その花嫁であり、神によりて世より救い出されしイスラエルである以上、その身を「神の悦び給う潔き活ける供物として神に献げ」なければならない(ロマ12:1)。又「潔き処女として一人の夫なるキリストに献げ」られなければならない(Uコリ11:2)。夫故に個人として、その手罪を犯さば之を切りて捨てなければならないと同じく、教会として其の中に淫行その他の罪を犯しているものがあるならば之を其の中より排斥しなければならない。是れ教会の聖潔を保つに必要の事柄である。乍併之を行うに愛の心を以てしなければならぬ。其の人が悔改めて再び帰り来る事をその目的としなければならぬ。義と愛は神の性質である故に、又教会の性質でなければならぬ。愛と称して如何なる罪をも許容するは神の愛では無い。
要義2 [審く可き場合と審くべからざる場合]Tコリ4:1-5に於てはパウロは時到らざるに審判すべからざる事を述べ、茲には教会内に於ては審かなければならぬ事を教えているのは矛盾では無いかとの疑問が生じ得るであろう。乍併パウロは前者の場合には信徒の信仰如何につきて論じ、後者の場合には行為如何につきて論じているのであって、信仰は神との関係であり又神の賜物であって、神のみ之を審く事ができるけれども、行為は神の律法により我ら凡てに明かであって従って又他人の行為でも之を審く事が出来るのである。而して此の審判を行わなければならないのが信徒の義務である。但し之と同時に誇りによる審きは罪であり、愛による審きは義である事を思わなければならない。コリント人は愛によりて審くべき場合に審かず、審くべからざる場合に誇によって審いていた。