黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2コリント

第2コリント第10章

分類
6 パウロの自己辯明(其の二) 10:1 - 12:18
6-1 パウロの権威に対する誇り 10:1 - 10:18
6-1-イ 肉に従って歩まず 10:1 - 10:6

註解: 次の三章は最後の段落をなし、パウロが自己の価値につきて為せるの弁護である。3-7章はパウロの職務に関するもの、10-12章は彼の個人的価値に関するものである。

10章1節 (なんぢ)らに(たい)面前(まのあたり)にては(へりく)だり、(はな)れゐては(いさ)ましき(われ)パウロ、[引照]

口語訳さて、「あなたがたの間にいて面と向かってはおとなしいが、離れていると、気が強くなる」このパウロが、キリストの優しさ、寛大さをもって、あなたがたに勧める。
塚本訳さて、このわたしパウロが、キリストの温和と寛容とを指してあなた達に忠告する。「あなた達の所で面と向かっては意気地がないけれども、離れているとあなた達に対して勇敢だ」(と批評されるわたしだ)が、
前田訳わたしパウロが自らキリストの柔和と親切とによってお勧めします。わたしはあなた方のところで面と向かってはへりくだり、離れているとあなた方に対して強気です。
新共同さて、あなたがたの間で面と向かっては弱腰だが、離れていると強硬な態度に出る、と思われている、このわたしパウロが、キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います。
NIVBy the meekness and gentleness of Christ, I appeal to you--I, Paul, who am "timid" when face to face with you, but "bold" when away!
註解: パウロが前の書簡によりて激しくコリント人を責めしが為に、彼らの中に入り来たれる偽教師等は「パウロは目のあたり逢えば至て意気地が無い癖に、離れるとさもエラそうに威張り散らす人間である」と云う非難を与えていた。パウロはこの種の反対者の語を、そのまま利用して自己を弁護し、たとい外見において卑しくとも彼の真価は充分に有る事、またたとい場合によりては激越なる語を発するも、これ止むを得ざるに出づる事を述べんとしているのである。
辞解
[我パウロ] 原語「パウロ我自身」極めて強く自己を表示する場合にこの語を用う。

(みづか)らキリストの柔和(にうわ)寛容(くわんよう)とをもて(なんぢ)らに(すす)む。

註解: パウロの常に取っていた態度は、決して濫りに激越なる語を発するのでは無く、キリストの如く柔和(引照4、Tコリ4:21ピリ4:5)で且つ寛容であった。「勧む」は今後述べんとする事柄の全体に対している

10章2節 (われ)らを(にく)(したが)ひて(あゆ)むごとく(おも)(もの)あれば、()かる(もの)(たい)しては雄々(をを)しくせんと(おも)へど、(ねが)(ところ)()(なんぢ)らに()ふとき()(いさ)ましくせざらん(こと)なり。[引照]

口語訳わたしたちを肉に従って歩いているかのように思っている人々に対しては、わたしは勇敢に行動するつもりであるが、あなたがたの所では、どうか、そのような思いきったことをしないですむようでありたい。
塚本訳お願いだ、(今度)一所にいるとき、わたし達を人間的に歩くと考えているある人たちに対しては(今度こそ十分の)自身をもって勇敢に行動しようと考えているが、どうか、こんな自身をもって勇気を振う必要のないようにしてもらいたい。
前田訳わたしはそちらにいっても、この確信で強気にならないようにとありたいものです。確信とは、われらが肉に従って歩んでいると考える人々に対して勇気を振いうるとわたしが考えていることです。
新共同わたしたちのことを肉に従って歩んでいると見なしている者たちに対しては、勇敢に立ち向かうつもりです。わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むようにと願っています。
NIVI beg you that when I come I may not have to be as bold as I expect to be toward some people who think that we live by the standards of this world.
註解: 直訳「されど我願う、汝等に逢う時我らを肉に従いて歩むごとく思う者に対して雄々しくせんとする確信によりて、勇ましく為ざらん事を」パウロに反対する偽教師等はパウロが或は卑下(へりくだ)り、或は怒る如きは、彼の肉の傾向に支配せられ、人を恐れる心より発していると非難した。かかる者に対してはパウロは大胆なる態度を取る事を決心しているけれども、汝らに面会する際にはその必要無きに至っている事を願う。
辞解
[願う] 「神に」か又は「コリント人に」かに就いて説が分かれているけれども、この際には唯「かくならん事を切望する」との一般的意味に取るべきであろう

10章3節 (われ)らは(にく)にありて(あゆ)めども、(にく)(したが)ひて(たたか)はず。[引照]

口語訳わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。
塚本訳いかにも、わたし達は人間として歩いてはいるが、人間的には(歩いていない、)戦っていない。
前田訳われらは肉にあって歩んでいても、肉に従って戦ってはいません。
新共同わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません。
NIVFor though we live in the world, we do not wage war as the world does.
註解: コリントに於けるパウロ反対者の非難は誤っている。「何となれば」(直訳)パウロ等はこの世の生活に於いては、肉の弱さに付き(まと)われているけれども、彼らが福音の為に戦う場合には、この肉に従いその願いに応じその好悪に支配される様な事は無いからである。我らはキリストに在りて更生せる後もその前と同じく「肉にありて」(肉の中にen)歩み、我らの感覚も思想も能力も皆弱き肉によりて局限せられている。故に我らは肉の中にありて歎く(Uコリ5:2ロマ8:23)。されど我らは「肉に従いて歩まず」(ロマ8:4)また「肉に従って活きない」(ロマ8:12、13)霊に従って歩みまた活く。それ故に福音の使徒として戦う場合勿論キリストの霊を以って戦うのである。我らを肉に従って歩むと思う者は誤っている

10章4節 それ(われ)らの戰爭(いくさ)武器(ぶき)(にく)(ぞく)するにあらず、(かみ)(まへ)には城砦(とりで)(やぶ)るほどの能力(ちから)あり、[引照]

口語訳わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
塚本訳なぜなら、わたし達の戦いの武器は人間的のものではなく、(霊の武器であり、)神のために(あくまで)強力であって、(福音の邪魔をするすべての)砦を打ち破るからである。わたし達は(すべての)詭弁と、
前田訳われらの戦いの武器は肉のものでなく、神によって強く、砦を打ち破りえます。われらは種々な考えと、
新共同わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来する力であって要塞も破壊するに足ります。わたしたちは理屈を打ち破り、
NIVThe weapons we fight with are not the weapons of the world. On the contrary, they have divine power to demolish strongholds.
註解: パウロが福音の戦いの為に用うる武器は「神の武具」(エペ6:11エペ6:13)「義の武器」(Uコリ6:7を見よ(Tコリ9:7Tテモ1:18))であり、「誠、正義、平和の福音、信仰、救、御霊、神の言」(エペ6:14−17)である。これは「肉に属せず」霊に属しており、従って肉の如く弱からずして「神によりて」力強く如何なる敵の城砦をも破る事ができる。
辞解
[神の前に] その他「非常に」「神のために」「神によりて」等と訳することができる。何れも誤りではない。この註においては最後の意味を取る

我等(われら)はもろもろの論説(ろんせつ)(やぶ)り、

註解: 人間の肉の知識によりて造り出せる論説は、強きが如くに見えて弱く、霊の武器に抗する事ができない。而してかかる人造の論説はキリストに反する場合が多い

10章5節 (かみ)示教(しめし)(さから)ひて()てたる(すべ)ての(やぐら)(こは)ち、[引照]

口語訳神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
塚本訳神を知る知識に逆らい立つすべての(高慢の)櫓とを打ち破り、すべての(悪魔の)たくらみを捕虜にして、従順にキリストを受けいれさせようとしているのである。
前田訳神の知識に逆らって立つすべての高ぶりとを打ち破り、あらゆる計画をとりこにしてキリストへの従順に導きます。
新共同神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、
NIVWe demolish arguments and every pretension that sets itself up against the knowledge of God, and we take captive every thought to make it obedient to Christ.
註解: 「神の示教(しめし)」は「神の知識」と訳すべきであって、神に関する知識すなわち福音に反対して建てたる(やぐら)は高慢なる自己高挙に陥っているのであって、これらは皆霊の武具を以て(こぼ)たれるのである。ここに「(やぐら)」は原語「高き物」を意味し、城壁、砲塁、(やぐら)等を包み、福音に反するあらゆる思想、強き反対運動等凡て福音の進路を妨害するものを総称すると解する事ができる

(すべ)ての(おもひ)(とりこ)にしてキリストに(したが)はしむ。

註解: 3節以下パウロは戦争の例を以って一貫し、凡ての反対の議論、思想、妨害を打ち破りて凡ての心の念を捕虜にしてキリストに服従せしめ、これで完全なる勝利を得たのである。パウロの生存の目的は肉に従い、自己の肉の念の好むままに虚栄の生涯を送ることではなく、福音を信ぜずこれに敵する者の念を捕虜とし、自己の心中この悪念を殺してキリストに従わしめんが為に、霊の武器を以て戦う事である

10章6節 (かつ)なんぢらの從順(じゅうじゅん)(まった)くならん(とき)、すべての()從順(じゅうじゅん)(ばっ)せんと覺悟(かくご)せり。[引照]

口語訳そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。
塚本訳そしてあなた達の(集会の)従順が完全になりさえすれば、すべての不従順(な者ども)を(それぞれ厳重に)処罰する用意がある。
前田訳そして、あなた方の従順が全うされるとき、すべての不従順を罰する用意があります。
新共同また、あなたがたの従順が完全なものになるとき、すべての不従順を罰する用意ができています。
NIVAnd we will be ready to punish every act of disobedience, once your obedience is complete.
註解: コリントの信徒が大体キリストに対する従順を示すようになった後でも、なお他に不従順なる者が残っているならば(ユダヤ主義の偽教師は恐らくかかる者であろう)パウロはこれを罰せんと心を定めている。故にかかることに立至る必要なき様に願い(10:2)、柔和と寛容とを以て汝らに勧めるのである(10:1)。
要義 [伝道者に対する誤解]伝道者は誤解され易い。殊に衆人の目が彼に注がれているが為、また他の教師伝道者等の嫉妬のために種々の誤解や悪評にさらされ易い。パウロもその一人であった。彼は肉に従って歩む者と誤解せられた。今日と(いえど)もこの点において同様である。パウロの反対者の手紙にも相当もっともらしき点は有ったであろう。また或は今日も往々為されるが如くに「基督教は愛の教なるが故に基督者は怒るべからず」とか、または「基督者はかくあるべし」との一定の基準を定めてこれに照らして人を審く時、多くの人にこの種の非難を為し得る点はあるであろう。併しながら果たして肉に従って歩んでいるかいないかはその人の内心の問題であって、真なるものは永遠に滅びず偽なるものはやがて亡ぶる事によって、その真偽を知る事ができるのみである。唯伝道者は常にパウロの如くに、霊に従って戦いつつあることを主張し得る者でなければならない。この確信なき者はその敵を破る事ができない。

6-1-ロ 権威を乱用せず 10:7 - 10:11

10章7節 (なんぢ)らは外貌(うはべ)のみを()る、[引照]

口語訳あなたがたは、うわべの事だけを見ている。もしある人が、キリストに属する者だと自任しているなら、その人はもう一度よく反省すべきである。その人がキリストに属する者であるように、わたしたちもそうである。
塚本訳(とにかく)目の前の事(実、あなた達の集会がだれによって生まれたか)を見てもらいたい。もし自分をキリストのものだと信じている人があるのなら、その人は自分がキリストのものであるのと同じように、他方において、わたし達もそうであることをよく考えてもらいたい。
前田訳あなた方はうわべだけをごらんです。もしだれかが自分はキリストのものであると確信しているならば、その人は自分がキリストのものであるように、われらもそうであることを、もう一度自ら考えるべきです。
新共同あなたがたは、うわべのことだけ見ています。自分がキリストのものだと信じきっている人がいれば、その人は、自分と同じくわたしたちもキリストのものであることを、もう一度考えてみるがよい。
NIVYou are looking only on the surface of things. If anyone is confident that he belongs to Christ, he should consider again that we belong to Christ just as much as he.
註解: 10:110等の非難は皆コリント人が、パウロの外貌(うわべ)のみを見た事から起っている。然のみならずパウロは自己の使徒たる権威に誇っていたので(10:8)、これに対してかかる誇りは基督者らしからずとして非難するものもあったのであろう。皆皮相の観察より為せる判断である。パウロはこれに就きその理由をのべている。
辞解
[見る] 「見るか」と訳する学者もある。何れも反面に叱責の意を含んでいる

()(ひと)みづからキリストに(ぞく)する(もの)(しん)ぜば、(おの)がキリストに(ぞく)する(ごと)く、(われ)らも(また)キリストに(ぞく)する(もの)なることを(さら)(かんが)ふべし。

註解: 「コリントの偽教師等は自ら「キリストのもの」なる事を誇っているけれども、彼らは翻って我らも彼らと同様キリストのものである事を思うべきである」。パウロの反対者は(あたか)も自分等のみが真の基督者なるが如き態度であった。従ってパウロを以って濫りに誇るものとして非難したのである。しかしパウロには充分に誇るべき理由はあった

10章8節 假令(たとひ)われ(なんぢ)らを(やぶ)(ため)ならずして()つる(ため)に、(しゅ)(われ)らに(たま)ひたる權威(けんゐ)につきて(ほこ)ること(やや)()ぐとも(はぢ)とはならじ。[引照]

口語訳たとい、あなたがたを倒すためではなく高めるために主からわたしたちに賜わった権威について、わたしがやや誇りすぎたとしても、恥にはなるまい。
塚本訳なぜなら、(わたし達もキリストに召されて使徒の全権を授かったのだから、)わたし達の授かっているこの全権──これは主があなた達(の信仰)を造りあげるためにお授けになったもので、(ある人たちが言うように)それを破壊するためではないのだが──この全権についてたといわたしがもっと自慢したとしても、恥をかくことはあるまい。
前田訳主があなた方の破壊でなくて建設のためにお与えのわれらの権威について多少誇りすぎても、わたしの恥にはなりますまい。
新共同あなたがたを打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威について、わたしがいささか誇りすぎたとしても、恥にはならないでしょう。
NIVFor even if I boast somewhat freely about the authority the Lord gave us for building you up rather than pulling you down, I will not be ashamed of it.
註解: 偽教師はコリントの教会を破るためにその能力を用いておりながら、なおこれを誇っているとするならば、パウロが教会の徳を建てる為にキリストの賜える権威を誇り過ぎたとしても恥ではない、当然である。これを誇るが故に我を基督者らしく無いと云うべきではない

10章9節 われ(ふみ)をもて(なんぢ)らを(おど)すと(おも)はざれ。[引照]

口語訳ただ、わたしは、手紙であなたがたをおどしているのだと、思われたくはない。
塚本訳しかし、(わたしはそうしない。)手紙であなた達をおどそうとしているように見え(て信仰を破壊するようなことはし)たくないのである。
前田訳わたしは手紙であなた方をおどしているように思われたくありません。
新共同わたしは手紙であなたがたを脅していると思われたくない。
NIVI do not want to seem to be trying to frighten you with my letters.
註解: 私訳「かく言うはわれ(ふみ)をもて単に汝らを嚇すものの如くに思われざらんためなり」すなわちパウロがその(ふみ)の中にその権威につき誇り過ぎるとも、これは空なる威嚇にあらず当然の誇りである。(異訳)この一節には有力なる異訳あり(クリソストム等)、すなわちこの節を11節に連絡し「(ふみ)を以って威嚇すると思ってはならない、実際の行為も(ふみ)と同じである事を示すであろう」との意に解す、ラゲ訳参照。
辞解
[(ふみ)] この(ふみ)のみならず、前にパウロが送りし凡ての書簡をも含む

10章10節 (かれ)らは()ふ『その(ふみ)(おも)くかつ(つよ)し、その()ふときの容貌(かたち)(よわ)く、(ことば)(いや)し』と。[引照]

口語訳人は言う、「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」。
塚本訳というのは「手紙はいかにも重みがあって力があるけれども、御本人がお出ましになると貧弱で、話はなっていない」と(人は悪口を)言うのである。
前田訳彼らはいいます、「その手紙は重みがあって力強いが、体の様子は弱く、ことばは取るに足らない」と。
新共同わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
NIVFor some say, "His letters are weighty and forceful, but in person he is unimpressive and his speaking amounts to nothing."
註解: これがコリントにおける偽教師等のパウロに対する非難であって、パウロは容貌魁偉(ようぼうかいい)ではなかったらしい。またその弁舌も至って拙であったらしい。然るにその書簡が力に溢れ激越な語調であったので、反対者らはたといパウロが来ても何も恐れるに及ばないと豪語していた。
辞解
[その逢う時の容貌(かたち)] 原語を直訳すれば「肉体的臨在」となる。
[(いや)し] 「軽蔑に値している」事

10章11節 ()くのごとき(ひと)(おも)ふべし。(われ)らが(はな)れをる(とき)おくる(ふみ)(ことば)のごとく、()ふときの行爲(おこなひ)(また)(しか)るを。[引照]

口語訳そういう人は心得ているがよい。わたしたちは、離れていて書きおくる手紙の言葉どおりに、一緒にいる時でも同じようにふるまうのである。
塚本訳そんな人は考えてもらいたいのだが、わたし達は離れているときの手紙での言葉と、一所にいるときにすることが、全く同じなのである。
前田訳そのような人はこのことを考えなさい、われらは、離れていて手紙でいうことばのとおりに、そこにいてわざをするものであることを。
新共同そのような者は心得ておくがよい。離れていて手紙で書くわたしたちと、その場に居合わせてふるまうわたしたちとに変わりはありません。
NIVSuch people should realize that what we are in our letters when we are absent, we will be in our actions when we are present.
註解: 10:2bに云う如くパウロはその使徒の権威を以って、彼らを審判かなければならない様な場合に立至らざらん事を望んでいるけれども、若し必要であれば止むを得ず書簡にある如き強き態度を以って、行動する事を心得るべしとして警戒している。

6-1-ハ 範囲を越えて誇らず 10:12 - 10:18

10章12節 (われ)らは(おのれ)()むる(ひと)()へて(なら)び、また(くら)ぶる(こと)をせず、[引照]

口語訳わたしたちは、自己推薦をするような人々と自分を同列においたり比較したりはしない。彼らは仲間同志で互にはかり合ったり、互に比べ合ったりしているが、知恵のないしわざである。
塚本訳それで、わたし達は自分で推薦しているある(えらい)方々と、自分を並べたり比べたりするほど勇敢ではない。が、あの方々御自身は、悟りが(良いのか)悪いのか、自分を自分(の尺度)で測り、自分の標準に自分を比べて(自慢して)いる。
前田訳われらは、自己推薦をする人々とあえて自らを同じにしたり比べたりはしません。彼らは自らの問で自らをはかり、自らを比べて、浅はかなことをしています。
新共同わたしたちは、自己推薦する者たちと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。彼らは仲間どうしで評価し合い、比較し合っていますが、愚かなことです。
NIVWe do not dare to classify or compare ourselves with some who commend themselves. When they measure themselves by themselves and compare themselves with themselves, they are not wise.
註解: パウロはここに、彼に反対する偽教師等が「己を誉めて」独りで誇っている事に対して「我らは敢てかかる者の中に数えられ(「並び」の字義)またかかる者と対等の地位に立たんとはしない。我らは我らの誇るべき範囲内において誇り、主の誉め給う事を誉めるのである(10:13−18)」と云っている。かくしてパウロは謙遜なる態度を以って自己の誇りを局限しつつ、却って偽教師等との区別を明かにしている。光来る時暗黒は自ら明かにされると同じである

(かれ)らは(おのれ)によりて(おのれ)(はか)り、(おのれ)をもて(おのれ)(くら)ぶれば()なき(もの)なり。

註解: 彼ら偽教師らの誇りは愚である、何となれば他の大使徒等と己とを比較した上にその誇るべき点を誇るのではなく、また正しい尺度と標準とを以って計らずに自ら勝手に誇り、また自らの尺度と標準とを以って比較計量しているからである。若しペテロやパウロ等を尺度として彼らを計量したならば、彼らは誇るべき点なきを発見するであろう

10章13節 (われ)らは範圍(はんゐ)()えて(ほこ)らず、[引照]

口語訳しかし、わたしたちは限度をこえて誇るようなことはしない。むしろ、神が割り当てて下さった地域の限度内で誇るにすぎない。わたしはその限度にしたがって、あなたがたの所まで行ったのである。
塚本訳しかしわたし達は、(あの方々のように)限度を越えて自慢しようとするのではない。ただ神が割り当ててくださった(わたし達の伝道の職)分──これは実際あなた達の所まで及んだのであるが──この(職)分の限度に応じて自慢するだけである。
前田訳われらは度をこえて誇りはしません。神がはかってわれらに割り当てられた範囲の度にしたがって、あなた方のところまで行ったのです。
新共同わたしたちは限度を超えては誇らず、神が割り当ててくださった範囲内で誇る、つまり、あなたがたのところまで行ったということで誇るのです。
NIVWe, however, will not boast beyond proper limits, but will confine our boasting to the field God has assigned to us, a field that reaches even to you.
註解: たとい我らも誇るとしても、誇り得べき程度を越えて無制限に誇ることをしない

(かみ)(われ)らに(わか)(たま)ひたる範圍(はんゐ)にしたがひて(ほこ)らん。その範圍(はんゐ)(なんぢ)らに(およ)べり。

註解: 直訳「神の我らに分与し給える尺度なる準縄(はかりなわ)の度に従いて誇らん」。神は使徒らに各々基準を定め給いて、その活動の範囲を定め給うた。準縄(はかりなわ)をもて土地の範囲を決定するが如く、パウロ等もその(はか)られし範囲について誇っていたのである。そしてこの範囲はコリントに及んでいた。故にコリントの教会については誇ることができる(10:12−14

10章14節 (なんぢ)らに(およ)ばぬ(もの)のごとく範圍(はんゐ)()えて()(のば)すに(あら)ず、キリストの福音(ふくいん)(つた)へて(なんぢ)らにまで(いた)れるなり。[引照]

口語訳わたしたちは、あなたがたの所まで行けない者であるかのように、むりに手を延ばしているのではない。事実、わたしたちが最初にキリストの福音を携えて、あなたがたの所までも行ったのである。
塚本訳なぜなら、わたし達は(伝道が)あなた達に及んでいないのに、限度を越えて自分(の勢力)を広げるようなことはしない。実際あなた達の所まで行って、キリストの福音を説いたのだから。
前田訳われらは、そちらに行かなかったもののように度をこえて手をのばしたのではありません。実際われらはキリストの福音をもって、最初にそちらまで行ったものです。
新共同わたしたちは、あなたがたのところまでは行かなかったかのように、限度を超えようとしているのではありません。実際、わたしたちはキリストの福音を携えてだれよりも先にあなたがたのもとを訪れたのです。
NIVWe are not going too far in our boasting, as would be the case if we had not come to you, for we did get as far as you with the gospel of Christ.
註解: パウロ等はその活動の範囲がコリントまで到達しないのに、その範囲を越えて身を延ばし、(あたか)もコリントに到達せるものの如くして誇っているのではない。事実キリストの福音の使徒としてこれを宣伝えて汝らに到達したのである。この語の反面には偽の教師等が為しつつある態度を諷刺している▲パウロはコリントにおける福音伝道の業績については充分に誇っていた。然るに偽教師らが、自分は充分に伝道もせずにパウロの伝道地に手を伸ばし、パウロの労を自分の労であるかの如くに誇った。そして彼らはパウロを非難して彼の価値を信徒の目に(ひく)くしようとした。

10章15節 (われ)らは(おの)範圍(はんゐ)()えて(ほか)(ひと)(らう)(ほこ)らず、[引照]

口語訳わたしたちは限度をこえて、他人の働きを誇るようなことはしない。ただ、あなたがたの信仰が成長するにつれて、わたしたちの働きの範囲があなたがたの中でますます大きくなることを望んでいる。
塚本訳わたし達は他人の仕事(の実)を(自分の手柄顔に)限度を越えて自慢するのではない。むしろこんな希望を持っている、(すなわち、)あなた達の信仰があなた達の中で成長し(て、もはやわたし達の必要がなくなっ)た暁には、(神に割り当てられた)わたし達の(職)分に応じて、最大限度にまで発展したいのである。
前田訳われらは他の人の労苦をもって度をこえて誇りはしません。われらは、あなた方の信仰が成長し、われらの範囲に従ってあなた方によってますます発展する希望をもっています。
新共同わたしたちは、他人の労苦の結果を限度を超えて誇るようなことはしません。ただ、わたしたちが希望しているのは、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたの間でわたしたちの働きが定められた範囲内でますます増大すること、
NIVNeither do we go beyond our limits by boasting of work done by others. Our hope is that, as your faith continues to grow, our area of activity among you will greatly expand,
註解: 偽の教師らは己の範囲を越えて、パウロのコリントにおける労に就いて、これを自己のものであるかの如くに誇っていた。パウロはかかることをしないと断定している。パウロには武士的廉潔(れんけつ)があった

(ただ)なんぢらの信仰(しんかう)彌増(いやま)すにより、(われ)らの範圍(はんゐ)(したが)ひて(なんぢ)らのうちに(さら)(おほい)ならんことを(のぞ)む。

註解: パウロの希望はコリントの信徒の信仰がますます発達して、パウロ等の真価を認むるに至り、その結果パウロ等が益々大なるものとして崇められ、パウロ等の働きの範囲内においてその価値が益々認められるに至ることである。これコリントの信徒の信仰の維持の為、また福音が更に進展するが為に必要であった。現在においてはコリントの信徒の信仰の弱きがために、偽教師等の煽動によりパウロの価値が充分に認められていない。
辞解
[更に] 豊かにの意

10章16節 これ(ほか)(ひと)範圍(はんゐ)(すで)(そなは)りたるものを(ほこ)らず、(なんぢ)らを()えて(そと)(ところ)福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へん(ため)なり。[引照]

口語訳こうして、わたしたちはほかの人の地域ですでになされていることを誇ることはせずに、あなたがたを越えたさきざきにまで、福音を宣べ伝えたい。
塚本訳あなた達のはるかかなたの地方に福音を伝えたいのである。他人の(職)分を種に、出来上がっているものを自慢したくないのである。
前田訳それは、他の人の範囲で準備されたものを誇らないで、あなた方のところのかなたまで福音を伝えるためです。
新共同あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること、わたしたちが他の人々の領域で成し遂げられた活動を誇らないことです。
NIVso that we can preach the gospel in the regions beyond you. For we do not want to boast about work already done in another man's territory.
註解: コリントの信徒のうちに一層大ならん事を望むの理由は、パウロがコリントの方面にその働きを終えて更に一歩踏み出し、コリントを越えてローマ、スペイン等に福音を伝えんが為である。但しかく云うも偽教師等の為すが如くに、他人の縄張りに闖入(ちんにゅう)して他人がすでに成し遂げている処の事を誇る為では無い(パウロの皮肉を見よ)、前人未開の地に踏込まんが為である(その勇気を見よ)

10章17節 (ほこ)(もの)(しゅ)によりて(ほこ)るべし。[引照]

口語訳誇る者は主を誇るべきである。
塚本訳“誇る者は(ただ)主にあって誇れ”(と聖書にある。)
前田訳「誇るものは主にあって誇れ」。
新共同「誇る者は主を誇れ。」
NIVBut, "Let him who boasts boast in the Lord."
註解: エレミヤ記よりの引用であって(引照)神より賜わりしものにつき誇り、または神の悦び給うものにつき誇る事を「主によりて誇る」と云っているのであって、神の与え給わざる賜物、神の分与し給わざる範囲につき自己の尺度を以って誇る事は、主によりて誇るのと相反する

10章18節 そは(これ)とせらるるは(おのれ)()むる(もの)にあらず、(しゅ)()(たま)(もの)なればなり。[引照]

口語訳自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである。
塚本訳本物(の使徒)は自分で推薦する者ではなく、主が推薦される者だからである。
前田訳自己推薦をする人でなく、主が推薦なさる人こそ本物です。
新共同自己推薦する者ではなく、主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。
NIVFor it is not the one who commends himself who is approved, but the one whom the Lord commends.
註解: 主の是とし給う者は己を誉むる偽教師の類の者ではない。主に誉められるパウロの如き者である。故に如何に誇るも主によらざる誇りは虚しい。若しコリントの信徒がかかる虚しき誇りに欺かれないならば、パウロに対する不信の念を起こさないであろう。
要義 [愛による誇り]パウロがその使徒としての職務、価値、態度をコリント人に誇る事は、自己を誇って得意になる事を意味しない。パウロの誇りはコリント信徒と自己との関係につき、また彼の職務、価値、態度につき満足、喜悦の情、すなわち「誇らしさ」を示しているに過ぎない。これを不相応に自己誇張を為す意味の「誇り」と混合すべきではない(Uコリ1:12註解参照)。彼はコリントの信者に対する切なる愛より彼のこの誇りを傷つける偽教師の言動を黙許する事ができず、(あたか)も親愛深き親子の間に他人入り来たりてその親子の間を割かんとする場合の如く、パウロはその誇りを傷つけられし事に対して強き悲しみを感じ、ここにその弁護を為さざるを得ざるに至ったのである。この誇りは愛による誇りであって、凡ての伝道者は、その神の分け与え給いし範囲に対してこの誇りを持つべきである。(Tコリ13:4にある「愛は誇らず」は原語を異にし、異なれる性質の誇りを意味している)。

第2コリント第11章
6-2 パウロの優越に対する誇り 11:1 - 11:33
6-2-イ パウロの知識と其の犠牲的態度 11:1 - 11:15

註解: 本章においても前章に引続き、偽教師に対するパウロの反対をコリントの信者に示し、同時にパウロの自己の優越に対する誇と、その自己弁護とを種々の方面より示している。

11章1節 (ねが)はくは(なんぢ)()わが(すこ)しの(おろか)(しの)ばんことを。()(われ)(しの)べ。[引照]

口語訳わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのだ。
塚本訳わたしの少しばかりの馬鹿さ加減を今しばらく我慢して(聞いて)くれるといいのだが!いや、あなた達はもう我慢していてくれるのだ!
前田訳わたしの少しばかりの愚かさを忍んでください。実際、あなた方は忍んでおいでです。
新共同わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。
NIVI hope you will put up with a little of my foolishness; but you are already doing that.
註解: パウロは斯くの如く凡ての方面に(わた)って詳細なる自己弁護を行っているのも、要するにコリントの信徒のための愛の労苦であって、自己の名誉回復の目的ではなかった(Uコリ12:20)。故に自己の誇りをあまりに多く述ぶる事は「馬鹿」な事であるのを知りつつも、パウロはこれを為さざるを得なかった。パウロの反対者より見ればこれは「馬鹿げた事」と思われたであろう。故にパウロは予じめこの反対に備えて自らを(おろか)と呼び、而して彼らがこの(おろか)を忍ばんことを要求したのである。併しながらこの(おろか)は信仰の立場より見て賢こいのであって、彼はこれによりて福音の純真を護ることができた。
辞解
[(おろか)] アフローシュネーaphrosunēは思慮なき事、「馬鹿な事」と云う心持に近い、これを反語的(アイロニカル)に解する人があるけれども、パウロの心持は寧ろ実際これを「(おろか)」と考えつつ言ったのであろう。但しパウロの態度全体に就いて云えば決して(おろか)にあらざること勿論である。11章、12章に9回までもこの(おろか)を繰返しているのを見ても、全篇を通してこの観念が中心を為していることが解る

11章2節 われ(かみ)熱心(ねっしん)をもて(なんぢ)らを(した)ふ、われ(なんぢ)らを(きよ)處女(をとめ)として一人(ひとり)(をっと)なるキリストに(ささ)げんとて、(これ)許嫁(いいなづけ)したればなり。[引照]

口語訳わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである。
塚本訳わたしは神(御自身)の熱愛をもってあなた達を熱愛しているのだから。なぜなら、(わたしは自分の子である)あなた達を、(来臨の時)キリストに嫁入りさせるため、純潔な処女として、たった一人の夫(であるそのキリスト)の許嫁にしたのである。
前田訳わたしは神の熱意をもってあなた方に熱意をいだき、あなた方をキリストにささげるため、清いおとめとしてただひとりの夫である彼にいいなずけしました。
新共同あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。
NIVI am jealous for you with a godly jealousy. I promised you to one husband, to Christ, so that I might present you as a pure virgin to him.
註解: パウロはここにキリストと教会とが、花婿と花嫁の関係である事の原則を持来りて、これをコリントの教会とキリストとの関係に応用し、パウロ自ら媒介人としてその愛するコリントの信徒を、その愛するキリストに許嫁せる事に(たと)えている。故にパウロは「神の嫉妬を以って汝らを(ねた)み」(かく訳する事が適当である)コリントの信徒がその心をキリストより離さずして潔き処女としての貞操を保ちて、再臨のキリストの前に立たん事はパウロの切なる願であった。
辞解
[[熱心]「慕う」] 共に同一語であって、出20:5の「(ねた)む神」もこれと同文字を用いている、嫉妬は他人のものに対する羨望の念としてあらわれる時は不正なる心情であり、己のものに対して当然なる愛の要求である場合には正しい心情である、神がその民について(ねた)むのも(イザ54:5エレ3:1以下。エゼ16:8以下)、パウロがコリントの信徒に対して(ねた)むのも何れも愛の結果なる正しき心情である

11章3節 されど()(おそ)るるは、(へび)惡巧(わるだくみ)によりてエバの(まどは)されし(ごと)く、(なんぢ)らの(こころ)(そこな)はれてキリストに(たい)する眞心(まごころ)貞操(みさを)とを(うしな)はん(こと)なり。[引照]

口語訳ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。
塚本訳しかしわたしは、“あの蛇が”計略を使ってエバを惑わし(、彼女と夫とが神に背い)たように、あなた達の考えが誘惑されて、キリストに対する単純な信頼と純潔とから離れるようなことになってはと、心配しているのだ。
前田訳ただ、わたしはおそれます、蛇が悪巧みでエバをだましたように、あなた方の思いが損なわれて、キリストへの純情と貞潔とから離されはしないかと。
新共同ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。
NIVBut I am afraid that just as Eve was deceived by the serpent's cunning, your minds may somehow be led astray from your sincere and pure devotion to Christ.
註解: パウロは(ねた)み且つ恐れた点はエデンの園におけるエバと蛇の如くに、コリントの教会が偽使徒(11:13)によりて惑わされ、キリストに対する純潔なる信仰を失わん事であった。コリントの信者がパウロより離れる事も勿論彼の悲しみの原因ではあったろうけれども、それにもまされる悲しみは彼らがキリストより離れる事であった。基督者として最も大切なものはキリストに対する真心と貞操とであり、最も恐るべきものはこれを失わしめんとするサタンの力である

11章4節 もし(ひと)きたりて(われ)らの(いま)()べざる(ほか)のイエスを()ぶる(とき)、また(なんぢ)らが(いま)()けざる(ほか)(れい)()け、(いま)()()れざる(ほか)福音(ふくいん)()くるときは、(なんぢ)()(これ)(しの)ばん。[引照]

口語訳というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。
塚本訳なぜかというと、(あなた達は至極寛大で、)だれかがあらわれて、わたし達が説いたのではないほかのイエスを説いても、あるいは(わたし達から)受けたのではない別の霊を、または(わたし達から)受け入れたのではない別の福音をあなた達が受けても、よくもまあ我慢しているのだから。
前田訳それは、だれかが来て、われらがのべ伝えなかった別のイエスをのべ伝え、あるいは、あなた方が受けなかった別の霊を受け、受け入れなかった別の福音を受けても、あなた方はよく忍ぶからです。
新共同なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。
NIVFor if someone comes to you and preaches a Jesus other than the Jesus we preached, or if you receive a different spirit from the one you received, or a different gospel from the one you accepted, you put up with it easily enough.
註解: 「よくこれを忍ばん」は(むし)ろ「よくもこれを忍ぶ」と訳する方が明瞭である(マコ7:9参照)。然るにこの一句はまた「汝らの忍ぶは宜し」とも訳する事を得、従ってこの全節は二様の意味に取る事ができる。(1)通説は後の訳に従っており、「若し他の人がパウロの述べし処と異なるキリストを述べ、汝らも異なる霊、異なる福音を受けたのであるならばこれを忍んでも忍ぶ理由があろう、併しもし同じキリスト、同じ福音を述べているのであるならば彼らを忍んでこれを受ける理由は無い」と解し、(2)は前者に従い「パウロの述べし処と異なるキリストを述べ異なる福音を教うる偽教師等をば、汝らよくもこれを忍んでおり乍ら、正しき福音を伝うるパウロをば忍ぶことができないとは甚だ誤っている」との意味に解する(W2)。日本語改訳は後者を取って訳したのであって、この解釈が優っている。
辞解
[他のイエス] イエスの神性、復活、贖罪等を除き去り単に人としてのイエスを宣ぶる如きは「他のイエス」を宣ぶるものである
[他の霊] 聖霊に類する悪霊がある、聖霊を受くると称してサタンの霊を受くる場合は他の霊を受けたものである
[他の福音] 罪の赦しの福音では無く、律法主義やまたは単に神の愛に対する感激等を以って福音なりとする場合の如し

11章5節 (われ)何事(なにごと)にもかの大使徒(だいしと)たちに(おと)らずと(おも)ふ。[引照]

口語訳事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも劣ってはいないと思う。
塚本訳だが、わたしは何一つあの「特別使徒諸君」に劣っていないと思っている。
前田訳わたしは超使徒たちに少しも劣らないと思っています。
新共同あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。
NIVBut I do not think I am in the least inferior to those "super-apostles."
註解: 「偽使徒をばよくもこれを忍びつつ我パウロをば忍び得ないとは何事であるか、我は何事についてもペテロ、ヤコブ、ヨハネ等の大使徒に劣らないと信じている」とパウロは主張している、ペテロにすら劣らないのが彼の自信であった。この「大使徒」を「偽使徒」(Uコリ10:13)を指して言える反語であると解する学者もあるけれども適切で無い

11章6節 われ(ことば)(つたな)けれども知識(ちしき)には(しか)らず、(すべ)ての(こと)にて(まった)(これ)(なんぢ)らに(あらは)せり。[引照]

口語訳たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。わたしは、事ごとに、いろいろの場合に、あなたがたに対してそれを明らかにした。
塚本訳なるほど弁舌にかけては全くの素人であっても、(説く福音の)知識の点ではそうではない。かえってこれ(の秘密)をわたし達は、あらゆる点で、とくにあなた達に、現したのである。
前田訳ことばに拙くても、知識には然らずで、つねに何につけてもそれをあなた方に明らかにしました。
新共同たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。
NIVI may not be a trained speaker, but I do have knowledge. We have made this perfectly clear to you in every way.
註解: パウロが他の大使徒らに劣らざる所以はその価値においてのみならずその態度においてである。その価値の点より云えばギリシャ人の如く雄弁術に長じていないけれども、知識においては優れているのであった。この事はコリント人には万事につきて明らかにされている筈▲4−6節にはアポロ党に宛てて言われた部分もある様である。

11章7節 われ(なんぢ)らを(たか)うせんために自己(みづから)(ひく)うし、(あたひ)なくして(かみ)福音(ふくいん)(つた)へたるは(つみ)なりや。[引照]

口語訳それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、罪になるのだろうか。
塚本訳それとも、あなた達が(神に)高くされるためにわたしは(使徒の権利をすてて)自分を低くし、(テント造りをしながら)ただで神の福音を伝えたので、罪を犯したのだろうか。
前田訳それとも、あなた方が高められるために自らを低くし、神の福音をただで伝えたのは罪を犯したのですか。
新共同それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。
NIVWas it a sin for me to lower myself in order to elevate you by preaching the gospel of God to you free of charge?
註解: パウロの態度の特質は、パウロがその使徒たる権威を放棄し、自給伝道をなし(引照)貧困に身を保っていた事であった。これを見て偽使徒らはパウロの真の使徒にあらざるの証としてこれを非難したのであろう。これに対しパウロは、これ却ってコリントの人々を福音に導き彼らの信仰を高めん為の自己犠牲であった事を示し、「これは罪なりや」と反問してその罪にあらざる事を明かにしている。パウロの行動は常にキリストに対する愛と、コリントの信徒に対する愛とに終始していた。

11章8節 (われ)(ほか)教會(けうくわい)より(うば)()り、その俸給(ぼうきふ)をもて(なんぢ)らに(つか)へたり。[引照]

口語訳わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、
塚本訳わたしはあなた達への(無料の報酬で)任務に就くために、ほかの集会を強奪してそこから給料を取ったのである。
前田訳わたしは、あなた方への奉仕のために、他の諸集会をかすめて報酬を受けたのです。
新共同わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。
NIVI robbed other churches by receiving support from them so as to serve you.
註解: 「他の教会」はマケドニヤの教会であった(11:9)コリント人に福音を伝えんがためには、パウロはかかる手段をも辞しなかった。その他なお天幕製造の手伝いをしてその生活を支えていた、この事はここに必要なきを以て略されている(使18:3)。
辞解
[奪い取り] マケドニヤより得たる俸給をその地のために用いずして、これをコリントのために用いる事はある意味においてマケドニヤより奪う事となる

11章9節 (また)なんぢらの(うち)()りて(とぼ)しかりしとき、(たれ)をも(わづら)はさず、マケドニヤより(きた)りし兄弟(きゃうだい)たち()窮乏(ともしき)(おぎな)へり。[引照]

口語訳あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
塚本訳そしてあなた達の所にいて不自由したときも、だれの厄介にもならなかった。わたしの不自由は(みな)マケドニヤから来た兄弟たちが補ってくれたのだから。こうして、わたしはあらゆることで自分があなた達の重荷にならないようにしていた。これからもそのつもりである。
前田訳あなた方のところにいて窮乏したときも、だれにも負担をかけませんでした。わたしの欠乏を補ってくれたのはマケドニアから来た兄弟たちです。何につけてもわたしはあなた方の重荷にならないようにしましたし、これからもそうしましょう。
新共同あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。
NIVAnd when I was with you and needed something, I was not a burden to anyone, for the brothers who came from Macedonia supplied what I needed. I have kept myself from being a burden to you in any way, and will continue to do so.
註解: パウロは天幕製造によりて生活しその不足をばかくして補った。斯くまでも用意周到にコリントの教会のために考え、その権威を主張しなかったのである。これをききてコリントの信徒は大いに恥ずべきであった。「ああ今日マケドニヤ人の如何に少なくしてコリント人の如何に多き事よ」(C2)。
辞解
[煩わさず] 原語は「重荷を負わせず」との意

()(すべ)ての(こと)(なんぢ)らを(わづら)はすまじと(つつし)みたるが、()(のち)もなほ(つつし)まん。

註解: この事はここにも後にも言っている事柄である(Tコリ9:1-18。Uコリ12:14)かかる愛の奉仕こそ真の使徒たるに相応しきものであった。たとへそれが為に偽使徒等の非難の原因となっても、以後決してこの態度を改めないであろう

11章10節 (われ)()るキリストの誠實(まこと)によりて()ふ、(われ)この(ほこり)をアカヤの地方(ちはう)にて(はば)まるる(こと)あらじ。[引照]

口語訳わたしの内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、決してない。
塚本訳わたしの中にあるキリストの真理にかけて誓う、──この自慢が、アカヤ地方で封じられることはないようにするであろう。
前田訳わがうちにあるキリストのまことによって申します。アカイア地方でわたしのこの誇りは封じられないでしょう。
新共同わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。
NIVAs surely as the truth of Christ is in me, nobody in the regions of Achaia will stop this boasting of mine.
註解: キリストはパウロの中に生き(ガラ2:20)また語り給う(Uコリ13:3)従ってキリストの誠実はパウロの中に働いていた。故に彼の言はキリストのそれの如くに一点の虚偽、偽善すら無かった。この絶対的誠実を以てパウロは何等の理由ありとも、この誇りをばアカヤ地方において阻まれない事を誓っている。これのみが彼の誇りであったので、彼は生命を賭してもこれを守らんとした(引照2)。

11章11節 これ(なに)(ゆゑ)ぞ、(なんぢ)らを(あい)せぬに()るか、(かみ)()りたまふ。[引照]

口語訳なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。
塚本訳なぜか。それはわたしが(マケドニヤの兄弟達を愛して、)あなた達を愛しないから(だというの)か。(すべては)神が御存じである!
前田訳なぜですか。わたしがあなた方を愛していないからですか。神がご存じです。
新共同なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。
NIVWhy? Because I do not love you? God knows I do!
註解: パウロのこの態度は、コリントの人々に対しよそよそしき態度であると解され易かった(Uコリ12:15)。パウロはその然らざる事を断言して次にその理由を述べている

11章12節 (われ)わが(おこな)(ところ)をなほ(おこな)はん、これ機會(をり)をうかがふ(もの)機會(をり)()ち、(かれ)()をしてその(ほこ)(ところ)につき(われ)らの(ごと)くならしめん(ため)なり。[引照]

口語訳しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。
塚本訳とにかく、わたしはいましていることを、これからもしよう。それは、(あなた達の厄介になりつつ福音を説くことを使徒の権利と)自慢している人たちが、わたし達と同じに自分たちを認めさせたいと機会をねらっているから、その機会を断ち切るためである。
前田訳わたしは今していることを、なおもしましょう。それは、誇りうる点でわれらと同じものを見出す機会を欲している人々から、その機会を切りとるためです。
新共同わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。
NIVAnd I will keep on doing what I am doing in order to cut the ground from under those who want an opportunity to be considered equal with us in the things they boast about.
註解: 多くの解釈を生んだ難解の一節である。その中主要なるもの(1)は偽使徒等はコリントの教会より俸給を受けおるものと解し、彼らはもしパウロがその行う処(すなわち無報酬の伝道)を止めるならばこの機会を持って彼らの正義の証とせんとしているので、パウロは従来の主義を一貫することによりて彼らにかかる機会を与えず、却って彼らをしてこの点につきパウロと同一の行動に出でしめんとしているのであると解する。(2)は偽使徒等もパウロと同じくコリント教会より報酬を受けおらざりしものと解し、従ってパウロはその従来の主義を一貫することによりて、彼らに非難される機会を造らず、また彼らをしてパウロ以上なりとの誇りを為すを得ざらしめんとしているのであると解する(その他なお種々の重要ならざる解釈がある)。本文の如くに訳する場合にはこの中第1が優れる解釈である。何となれば偽使徒等はコリント教会より報酬を受けおりしものと解する事が事実に近いからである(11:20)。然るに本文の如き訳語のほかに次の如くに訳する事も可能である(A1・B1・Z0)。「我が行う所をなお行わん、これその誇る所につき我らの如くならんとする機会をうかがう者の機会を断たんが為なり」。これによれば「その誇る所」は一般に偽使徒等は「己に誇り」(Uコリ10:12)パウロ等に劣らざるものの如くに自己を示していた、故に若しパウロがコリント教会より報酬を受けるならば、彼らはこれを以て自己もパウロと異なる所なきを見出し、これを機会に自己に誇らんとする勇気を生ずるであろう。パウロはその主義を一貫する事によりて、この機会を彼らに与えざらんとしているのである。これコリント人を愛し、彼らを迷わす者より救い出すが為に必要なる事柄である。予はこの翻訳及び解釈を以て最も優れるものと考える

11章13節 かくの(ごと)きは(にせ)使徒(しと)また詭計(たばかり)勞動人(はたらきびと)にして、(おのれ)をキリストの使徒(しと)(よそほ)へる(もの)どもなり。[引照]

口語訳こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。
塚本訳こんな人たちは、キリストの使徒に変装している偽使徒、悪賢い働き手だからである。
前田訳そのような人々は偽使徒、まやかしの働き人で、キリストの使徒に変装しているのです。
新共同こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。
NIVFor such men are false apostles, deceitful workmen, masquerading as apostles of Christ.
註解: これ迄パウロは明かにそれと指示しなかったものを、Uコリ3:1Uコリ5:12Uコリ10:2Uコリ10:10Uコリ11:4等ここに至って遂に明かに偽使徒と呼んでいる。かかる者は労働人の如くに見えるけれども詭計(たばかり)を以って人を陥れんとする者であり、またキリストの使徒の如くに(よそお)いて己の利を図る者である。真と偽とは明かにこれを区別しなければならない。而して最も危険なる福音の敵は真なるが如くに見ゆる偽の使徒教師である

11章14節 これ(めづら)しき(こと)にあらず、サタン(さへ)も(おのれ)(ひかり)御使(みつかひ)(よそほ)へば、[引照]

口語訳しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
塚本訳そして驚くに当らない。悪魔自身が光の天使に変装するのだから、
前田訳しかし驚くことはありません。サタンも光の天使に変装しますから。
新共同だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。
NIVAnd no wonder, for Satan himself masquerades as an angel of light.
註解: 「光の御使」は「神の御使」を意味する、何となれば神は光であって(Tヨハ1:5)光の中に在し(Tテモ6:16Tヨハ1:7)給うが故である。而して神の敵なるサタンは自己を扮装して、神の御使の如くに見えしむる技能を()っている。サタンの恐るべきはこの点であって、人は往々にしてサタンを神の御使と間違える事があるのはこの為である。若しサタンが常に暗黒の国の住民、コロ1:13エペ6:12の如き姿において来るならば、我らは容易にこれを防ぐ事ができよう、然るに事実は往々にしてその反対であって、これ極めて警戒を要する所以である

11章15節 その役者(えきしゃ)らが()役者(えきしゃ)のごとく(よそほ)ふは大事(だいじ)にはあらず、(かれ)()終局(をはり)はその(わざ)(かな)ふべし。[引照]

口語訳だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。
塚本訳だから、その(悪魔の)部下が義の部下に変装することはなんでもない。しかし彼らの最後は、その仕業相当であろう!
前田訳それで、その僕たちが義の僕たちのように変装しても大したことではありません。彼らの末路はそのわざによるでしょう。
新共同だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。
NIVIt is not surprising, then, if his servants masquerade as servants of righteousness. Their end will be what their actions deserve.
註解: サタンの子分たる彼ら偽使徒らが、神に(つか)うる義の使徒の如き風を(よそお)う事は難事ではない。コリントにおける偽使徒らもこの輩である。唯彼等の終局はその虚偽と詭計(たばかり)とに相応せる審判を受けるであろう。
辞解
[大事にあらず] 容易である。
要義 [偽使徒に対する警戒]パウロはその宣伝うるキリスト、その受けし霊、その信ずる福音が神より出でし真正なるものである事を確信し、また自己の凡ての行動が、この確信とコリント人に対する愛より出でし事を疑わなかった。故に彼はかかるパウロ彼自身に反対する敵人の中にサタンの姿を発見したのである。我らは外貌(うわべ)の如何によりてサタンの使と、神の御使とを区別する事ができない。すなわちその教会の所属、その告白する信仰個条、その行為等によりてこれを知る事ができない。サタンの使を見分くる最良の方法は自らキリストの僕となり虚偽なき生活を送る事である。これが最も有効なる偽使徒に対する警戒である。パウロはこれにより偽使徒を見分くる事ができた。而してコリントの信徒に向いこのパウロの心持を理解する事によりて、偽使徒の詭計(たばかり)に陥らない様に警戒したのである。

6-2-ロ 肉の誇りに就いて 11:16 - 11:22

11章16節 われ(また)いはん、(たれ)(われ)(おろか)(おも)ふな。[引照]

口語訳繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。
塚本訳もう一度言う、だれもわたしを馬鹿者だと思わないでもらいたい。そうできないなら、馬鹿者としてでもよいからわたしを受け容れて、少しばかりわたしにも自慢させてもらいたい。
前田訳繰り返しますが、だれもわたしを愚かと思わないでください。しかしやむをえないなら、わたしも少しく誇りうるように、愚かものとして受け取ってください。
新共同もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。
NIVI repeat: Let no one take me for a fool. But if you do, then receive me just as you would a fool, so that I may do a little boasting.
註解: パウロは再び11:1に立帰り、その(おろか)に見ゆる誇りを繰返さんとしている。而してこれ必要なる自己弁明なるが故に、これを(おろか)と思うなとの希望を述べている

もし(しか)おもふとも、()しく(ほこ)(をり)(われ)にも()させん(ため)に、(おろか)なる(もの)として()()れよ。

註解: 「我を思慮なき馬鹿者と思うならばそれでもよいが、唯少しく誇るべき事がある故暫く(おろか)なる者として我を受納れん事を」との意味である。パウロをしてかく迄も己を(ひく)くするの必要を感ぜしめたのは、恐るべき偽使徒の詭計(たばかり)と無理解なる信徒の過誤とであった。
辞解
[少しく誇る機を得させん為に] 直訳すれば「我も少しく誇るべければ」となる

11章17節 (いま)いふ(ところ)(しゅ)によりて()ふにあらず、(おろか)なる(もの)として大膽(だいたん)(ほこ)りて()ふなり。[引照]

口語訳いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。
塚本訳(ただ)わたしがいま語るのは主の心を体して語るのではなく、(しばらく)馬鹿になったようにして、(自分も負けずに)自慢できる(んだ)という(心の)状態で語るのである。
前田訳わたしが語るのは主によってではなく、愚かものとして、誇りうる確信のうちに語るのです。
新共同わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。
NIVIn this self-confident boasting I am not talking as the Lord would, but as a fool.
註解: パウロは常に主よりの直接の導きによりて語っていた、それ故に稀にこの直接の導きによらざる場合は特にこれを断っている(Tコリ7:10Tコリ7:25。註及び7:24要義4参照)。この場合にもパウロはかくの如く(おろか)にも大胆に誇るべき事を一般的真理として、主より命ぜられたのでは無かった。この場合の事情止むを得ず「馬鹿らしい事」と知りつつ誇らざるを得ざるに至ったのである。故にパウロのこの行動は全体として聖霊の導きの下に在ったのであって、悪魔の支配の下に在ったのでは無い。けれども誇りの内容そのものは主によりて言ったのでは無い。従って我らも濫りにこれに倣うべきではない。▲この一節はこれを意訳すれば「これから言う事は信仰的な言い方ではないが、(おろか)かな人間の一人として人間的立場を遠慮なしに云わせて貰おう」と云うような意味。

11章18節 (おほ)くの(ひと)(にく)によりて(ほこり)れば、(われ)(ほこ)るべし。[引照]

口語訳多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
塚本訳大勢の人が人間的に(目に見えることを)自慢するから、わたしも自慢してみよう。
前田訳多くの人が肉によって誇りますから、わたしも誇りましょう。
新共同多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。
NIVSince many are boasting in the way the world does, I too will boast.
註解: 「肉によりて」は前節の「主によりて」に対立しているのであって、パウロは仮に肉の人(性来(うまれつき)の人、Tコリ2:14ヨハ3:6)の地位に自己を置きて偽使徒らと比較し、それでも充分に誇る事ができる事をコリント教会に示したのである

11章19節 (なんぢ)らは(かしこ)(もの)なれば(よろこ)びて(おろか)なる(もの)(しの)ぶなり。[引照]

口語訳あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
塚本訳あなた達賢い方々は、喜んで馬鹿者どもを我慢しているからだ。
前田訳あなた方は賢いから、よろこんで愚かものを忍ぶでしょう。
新共同賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。
NIVYou gladly put up with fools since you are so wise!
註解: コリント人は自らの智慧に誇っていた、智者は愚者を忍ぶ事は当然である、故にパウロはその(おろか)を忍ぶことをコリントの信徒に要求した▲これも一種の皮肉である。

11章20節 (そは)(ひと)もし(なんぢ)らを奴隷(どれい)とすとも、[引照]

口語訳実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。
塚本訳実際、だれかが(来て)あなた達を奴隷にしても、だれかが(使徒だからと)あなた達を食いつぶしても、だれかが巻き上げても、だれかが横柄であっても、だれかが(「黙れ!」と)あなた達の横っ面を張っても、あなた達は我慢しているのだ!(見上げたものだ。)
前田訳たとえだれかがあなた方を奴隷にしても、だれかが食いつくしても、だれかが奪っても、だれかが威張っても、だれかが顔をたたいても、あなた方は忍んでいます。
新共同実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。
NIVIn fact, you even put up with anyone who enslaves you or exploits you or takes advantage of you or pushes himself forward or slaps you in the face.
註解: 支配欲を(ほしいまま)にする事 

()(つく)すとも、

註解: 貪欲を(ほしいまま)にしてコリントの教会の人々より奪い取る事

(かす)めとるとも、

註解: 狡猾(こうかつ)なる手段を以てコリント人の財を掠めること

(おご)るとも、

註解: 自己を使徒の位置に置くことによりて

(かほ)()つとも、(なんぢ)らは(これ)(しの)ぶ。(べばなり)

註解: 偽使徒らがかくの如き態度と行動とを以って汝らに対してさえ、汝らこれを忍ぶ以上、我が少しの(おろか)を忍び得ざる理由はない、本節は前節の理由の説明である

11章21節 われ()ぢて()ふ、(われ)らは(よわ)(もの)(ごと)くなりき。されど(ひと)雄々(をを)しき(ところ)(われ)もまた雄々(をを)し、われ(おろか)にも()()ふなり。[引照]

口語訳言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
塚本訳(わたし達はあなた達に弱いと言われる。)面目ないが、わたし達は(そんなことをするにはあなた達に対しあまりに)弱かったと、わたしは(正直に)言わねばならない。しかしだれかが勇敢に(自慢)できることならば馬鹿になって言うのだが──、わたしも勇敢にできる。
前田訳恥をしのんでいいますが、われらは弱かったのです。もしだれかが誇るならば、愚かになっていいますが、わたしもあえて誇ります。
新共同言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。
NIVTo my shame I admit that we were too weak for that! What anyone else dares to boast about--I am speaking as a fool--I also dare to boast about.
註解: 「偽使徒等が前節の如くに大胆に行動するのに比較すれば、一見我らは実に弱き者の如くに見えていた。23節以下。全く恥かしい程である。されど人が雄々しく誇る所は我もまたこれに負ける事は無い、かく言い争うは馬鹿らしいことではあるが」。
辞解
[われ恥じて言う] また「われ言いて汝らを恥かしむ」と訳する学者もあれど適当ではない

11章22節 (かれ)らヘブル(びと)なるか、(われ)(しか)り、(かれ)らイスラエル(ひと)なるか、(われ)(しか)り、(かれ)らアブラハムの(すゑ)なるか、(われ)(しか)り。[引照]

口語訳彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。
塚本訳あの人たちはヘブライ人だというのか、わたしもだ。イスラエル人だというのか、わたしもだ。アブラハムの子孫だというのか、わたしもだ。
前田訳彼らがヘブライ人ですか。わたしもです。イスラエル人ですか。わたしもです。アブラハムの末ですか。わたしもです。
新共同彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。
NIVAre they Hebrews? So am I. Are they Israelites? So am I. Are they Abraham's descendants? So am I.
註解: 偽使徒等の肉の誇りを次に列挙してパウロが肉の方面においても、彼らに劣らざる事を示している。肉による人々の誇りを打破らんが為に、往々にして我らも肉による知識や力を用うる必要がある場合がある。偽使徒らは国民としては各国に散布せるユダヤ人以外の、生粋のヘブル人、神政政治としてはイスラエル、ロマ9:4ロマ11:1。メシヤの約束を与えられしものとして、アブラハムの裔たる事を誇っていた。併しこれらは凡てパウロの所持する処であった。

6-2-ハ 使徒として受けしパウロの苦難 11:23 - 11:33

11章23節 (かれ)らキリストの役者(えきしゃ)なるか、われ(くる)へる(ごと)()ふ、(われ)はなほ(まさ)れり。[引照]

口語訳彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。
塚本訳キリストに仕える者だというのか、気違いになって言う、わたしはもっとそうだ。(伝道の)苦労において(彼らより)なお一層、牢屋に入れられることにおいてなお一層、打たれることにおいて(彼らより)もっともっと、死の危険において度々だ。
前田訳キリストの僕ですか。気がふれたようにいいますが、わたしは彼ら以上です。労苦においてより多く、入獄においてより多く、鞭打ちははるかに多く、死にかけたこともしばしばです。
新共同キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
NIVAre they servants of Christ? (I am out of my mind to talk like this.) I am more. I have worked much harder, been in prison more frequently, been flogged more severely, and been exposed to death again and again.
註解: 彼らはキリストの役者と自称しているけれども我はキリストの役者以上である、かかる言い方は狂せるものの如くであるけれども、この点において彼らと同列にいる事ができない。「かく云いてパウロは仮に彼らをキリストの役者と呼びつつ、事実においてこれを否定している」(M0)

わが(らう)(さら)におほく、(ひとや)()れられしこと(さら)(おほ)く、(むち)うたれしこと(さら)(おびた)だしく、()(のぞ)みたりしこと屡次(しばしば)なりき。

註解: 「更に多く」は偽使徒に比較して一層多き事を言う、パウロはその過去を顧みて如何に多くの苦難を経しかを思い、かかる事は真にキリストに(つか)うるが為にあらざれば耐え得ざる程度であって、偽の使徒はかかる困難に耐える事ができない事を暗示している。真偽の区別は理論によりて定まらず事実より来る

11章24節 ユダヤ(びと)より四十(しじふ)(ひと)()らぬ(むち)()けしこと五度(いつたび)[引照]

口語訳ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
塚本訳ユダヤ人から「四十マイナス一」の笞の刑を五度受けた。
前田訳ユダヤ人から四十ひく一の鞭を受けたこと五度、
新共同ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
NIVFive times I received from the Jews the forty lashes minus one.
註解: 申25:3に違反する事無からん為に、39の笞刑(ちけい)を与うる規則であった(S1)。この刑は殆ど死刑に近く中にはこの為に死する者すらある程であった。使徒行伝には本節に関する記事を省略している

11章25節 (しもと)にて()たれしこと()たび、[引照]

口語訳ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。
塚本訳(ローマの)笞で打つ刑を三度受けた、一度石打ちされた、三度難船し、一度は一昼夜漂流した。
前田訳(ローマの)笞が三度、石打ちが一度、難船が三度、一昼夜は海の淵の上でした。
新共同鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。
NIVThree times I was beaten with rods, once I was stoned, three times I was shipwrecked, I spent a night and a day in the open sea,
註解: これは前節と区別せられロマ人よりの笞刑(ちけい)である。その中一回は(引照1)に記され、他の二回は歴史に残っていない

(いし)にて()たれしこと(ひと)たび、

註解: ルステラにおける出来事を指す(引照2)

破船(はせん)()ひしこと三度(みたび)にして、一晝夜(いちちうや)(うみ)にありき。

註解: 聖書にその記事が無い。使27の破船はこの時より以後の出来事である。以上を見ても使徒行伝の記事が、如何にパウロの伝道史の一部分に過ぎないかを知る事ができる

11章26節 しばしば旅行(りょかう)して(かは)(なん)盜賊(たうぞく)(なん)同族(どうぞく)(なん)異邦人(いはうじん)(なん)市中(しちゅう)(なん)荒野(あらの)(なん)海上(かいじゃう)(なん)(にせ)兄弟(きゃうだい)(なん)にあひ、[引照]

口語訳幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
塚本訳度々旅行して、川の危難、強盗の危難、同国人の危難、外国人の危難、都会の危難、荒野の危難、海の危難、偽兄弟の危難に遇った。
前田訳しばしば旅し、川の難、強盗の難、同族人の難、異邦人の難、町の難、荒野の難、海の難、偽兄弟の難に会い、
新共同しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
NIVI have been constantly on the move. I have been in danger from rivers, in danger from bandits, in danger from my own countrymen, in danger from Gentiles; in danger in the city, in danger in the country, in danger at sea; and in danger from false brothers.

11章27節 (らう)し、(くる)しみ、しばしば(ねむり)らず、()(かわ)き、しばしば斷食(だんじき)し、(こご)え、(はだか)なりき。[引照]

口語訳労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。
塚本訳苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった。
前田訳労し、苦しみ、しばしば徹夜し、飢え渇き、しばしば絶食し、こごえ、裸でした。
新共同苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
NIVI have labored and toiled and have often gone without sleep; I have known hunger and thirst and have often gone without food; I have been cold and naked.
註解: 以上の中引照に示すが如き既に知られいる場合と、然らざるものとがある。けれども大体においてパウロの30年の伝道の生涯が如何に艱難に充てる克己の生涯であったかを見る事ができる。このパウロの生涯のみにても、既に福音の価値を立派に証明している。

11章28節 ここに()げざる(こと)もあるに、なほ日々(ひび)われに(せま)(しょ)教會(けうくわい)心勞(こころづかひ)あり。[引照]

口語訳なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。
塚本訳(その上、)ここで言えないことは別として、毎日わたしに押し寄せる(山のような)事件、すべての集会のための心配。
前田訳このような外からのことのほかに、日ごと迫りくること、すべての集まりの心づかいがあります。
新共同このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。
NIVBesides everything else, I face daily the pressure of my concern for all the churches.
註解: コリントの教会に関する心労の如きもその中の一つであった。パウロの労苦は内外より彼に迫った。
辞解
異本に「これら外部の事の外に日々の憂慮、凡ての教会の心労あり」とあり。「諸教会」は「凡ての教会」と直訳する事ができ、パウロ自身の建設せるものと然らざるもの(コロ2:1の如き)とを問わず、その心に宿れる凡ての教会についての彼の心労は絶える事が無かった

11章29節 (たれ)(よわ)りて(われ)(よわ)らざらんや、(たれ)(つまづ)きて(われ)()えざらんや。[引照]

口語訳だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
塚本訳ああ、だれかが弱って、わたしが弱らないことがあるか、だれかが罪にいざなわれて、このわたしが(悲しみに)燃えないことがあるか。
前田訳だれが弱ってわたしが弱らないでしょうか。だれがつまずいて、わたしが燃え立たないでしょうか。
新共同だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
NIVWho is weak, and I do not feel weak? Who is led into sin, and I do not inwardly burn?
註解: 二様の解釈を容す。(1)23節以下を受け(はなは)だしき困難労苦の中にありて「予パウロこそは何人よりも先に弱り、また何人よりも先に心が反対の情に燃やされるであろう」(2)前節の諸教会の心労の説明であって、「教会の中に何人かが弱っている場合に予パウロはこれに対する同情で弱らざるを得ない。また教会の中何人かが躓く場合に予が心はその躓きし人々に対して苦痛の情に堪えず、心は熱く燃えざるを得ない」後の解釈が優っている

11章30節 もし(ほこ)るべくは、()(よわ)き[(ところ)]につきて(ほこ)らん。[引照]

口語訳もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
塚本訳(ああ、なんと弱い人間であろう!なんの誇りがわたしにあろう!)もし(使徒の権威を示すために)自慢せねばならないなら、わたしは自分の弱いことを自慢しよう。
前田訳もし誇らねばならないのなら、わたしはわが弱さを誇りましょう。
新共同誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
NIVIf I must boast, I will boast of the things that show my weakness.
註解: 「偽使徒らはその学問や弁舌やその身分につきて誇っている、併し予は寧ろ以上の如き諸々の困難苦労の中に感ずる己の弱さについて誇るであろう」。パウロはこれにより偽信徒と自己との区別を明らかにし、その誇りの差はまたその本質の差を示すものなる事を暗示している

11章31節 永遠(とこしへ)()むべき(もの)、すなはち(しゅ)イエスの(かみ)また(ちち)は、()(いつは)らざるを()(たま)ふ。[引照]

口語訳永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。
塚本訳永遠に讃美すべきお方、主イエスの神また父は、わたし達が嘘をつかないことを御存じである。
前田訳主イエスの父なる神は永遠にほむべき方で、わたしが偽らないことをご存じです。
新共同主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。
NIVThe God and Father of the Lord Jesus, who is to be praised forever, knows that I am not lying.
註解: 私訳「永遠に讃むべき者なる主イエスの父なる神は、我らの偽らざるを知り給う」(エペ1:3ロマ15:6Tコリ15:24)。パウロは次に32、33節にダマスコにおける受難につき述べて前諸節を補わんとし、コリントにこの事件を目撃せる証人なきを思い、主イエスの父なる神を証者として呼びかけている。この事件は後にルカにより使9:21−25に記された

11章32節 ダマスコにてアレタ(わう)(した)にある總督(そうとく)、われを(とら)へんとてダマスコ(ひと)(まち)(まも)りたれば、[引照]

口語訳ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、
塚本訳(そうそう、)ダマスコでアレタ王の総督がわたしを捕らえようとしてダマスコ人の町を見張りしていたので、
前田訳ダマスコでアレタ王の代官がわたしを捕えるためにダマスコ人の町に見張りを立てました。
新共同ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、
NIVIn Damascus the governor under King Aretas had the city of the Damascenes guarded in order to arrest me.
註解: 「アレタ王」はアラビヤ人でヘロデ、アンテパスの義父であり、一時この市の王であった。この総督はユダヤ人をして門を守らせた(使9:24)、ユダヤ人が彼を慫慂(しょうよう)(▲「けしかける」こと)したからである。

11章33節 (われ)(かご)にて(まど)より石垣傳(いしがきづた)ひに()(おろ)されて()()(のが)れたり。[引照]

口語訳その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。
塚本訳わたしは窓から篭で城壁づたいに吊りおろされて、その手をのがれたこともあった。
前田訳しかしわたしは窓から籠で城壁づたいに下ろされて、その手をのがれました。
新共同わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。
NIVBut I was lowered in a basket from a window in the wall and slipped through his hands.
註解: 市を囲む塁壁の上部にある小窓より下りたものであろう。パウロはかく迄も弱き一浮浪人であった。
要義 [弱きパウロ]パウロは斯くの如く到る処に艱難苦労を嘗めつつ、その弱さを示した。彼はローマ法王の如き権力の保持者ではなく、到る処に迫害される弱き一浮浪人であった。(あたか)も主イエス・キリストの地上におけるその生涯が全く弱き生涯であって終に迫害に倒れ給いしと同じく、パウロの生涯もまた斯くの如きものであった。神のみが彼の力でありイエス・キリストのみがその拠り処であった。我らもまた基督者としてこの世を過ごす場合にこの弱さを期待しなければならない。我らは拠り頼むべき権力、金力、兵力を()たない。唯信仰のみの上に立ち、弱きを誇りつつこの世を過ごさなければならない。これがイエスの弟子たる者の進むべき途である。