第2コリント第11章
分類
6 パウロの自己辯明(其の二)
10:1 - 12:18
6-2 パウロの優越に対する誇り
11:1 - 11:33
6-2-イ パウロの知識と其の犠牲的態度
11:1 - 11:15
註解: 本章においても前章に引続き、偽教師に対するパウロの反対をコリントの信者に示し、同時にパウロの自己の優越に対する誇と、その自己弁護とを種々の方面より示している。
11章1節
口語訳 | わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのだ。 |
塚本訳 | わたしの少しばかりの馬鹿さ加減を今しばらく我慢して(聞いて)くれるといいのだが!いや、あなた達はもう我慢していてくれるのだ! |
前田訳 | わたしの少しばかりの愚かさを忍んでください。実際、あなた方は忍んでおいでです。 |
新共同 | わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。 |
NIV | I hope you will put up with a little of my foolishness; but you are already doing that. |
註解: パウロは斯くの如く凡ての方面に亘 って詳細なる自己弁護を行っているのも、要するにコリントの信徒のための愛の労苦であって、自己の名誉回復の目的ではなかった(Uコリ12:20)。故に自己の誇りをあまりに多く述ぶる事は「馬鹿」な事であるのを知りつつも、パウロはこれを為さざるを得なかった。パウロの反対者より見ればこれは「馬鹿げた事」と思われたであろう。故にパウロは予じめこの反対に備えて自らを愚 と呼び、而して彼らがこの愚 を忍ばんことを要求したのである。併しながらこの愚 は信仰の立場より見て賢こいのであって、彼はこれによりて福音の純真を護ることができた。
辞解
[愚 ] アフローシュネーaphrosunēは思慮なき事、「馬鹿な事」と云う心持に近い、これを反語的(アイロニカル)に解する人があるけれども、パウロの心持は寧ろ実際これを「愚 」と考えつつ言ったのであろう。但しパウロの態度全体に就いて云えば決して愚 にあらざること勿論である。11章、12章に8回までもこの愚 を繰返しているのを見ても、全篇を通してこの観念が中心を為していることが解る
11章2節 われ
口語訳 | わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである。 |
塚本訳 | わたしは神(御自身)の熱愛をもってあなた達を熱愛しているのだから。なぜなら、(わたしは自分の子である)あなた達を、(来臨の時)キリストに嫁入りさせるため、純潔な処女として、たった一人の夫(であるそのキリスト)の許嫁にしたのである。 |
前田訳 | わたしは神の熱意をもってあなた方に熱意をいだき、あなた方をキリストにささげるため、清いおとめとしてただひとりの夫である彼にいいなずけしました。 |
新共同 | あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。 |
NIV | I am jealous for you with a godly jealousy. I promised you to one husband, to Christ, so that I might present you as a pure virgin to him. |
註解: パウロはここにキリストと教会とが、花婿と花嫁の関係である事の原則を持来りて、これをコリントの教会とキリストとの関係に応用し、パウロ自ら媒介人としてその愛するコリントの信徒を、その愛するキリストに許嫁せる事に喩 えている。故にパウロは「神の嫉妬を以って汝らを嫉 み」(かく訳する事が適当である)コリントの信徒がその心をキリストより離さずして潔き処女としての貞操を保ちて、再臨のキリストの前に立たん事はパウロの切なる願であった。
辞解
[[熱心]「慕う」] 共に同一語であって、出20:5の「嫉 む神」もこれと同文字を用いている、嫉妬は他人のものに対する羨望の念としてあらわれる時は不正なる心情であり、己のものに対して当然なる愛の要求である場合には正しい心情である、神がその民について嫉 むのも(イザ54:5。エレ3:1以下。エゼ16:8以下)、パウロがコリントの信徒に対して嫉 むのも何れも愛の結果なる正しき心情である
11章3節 されど
口語訳 | ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。 |
塚本訳 | しかしわたしは、“あの蛇が”計略を使ってエバを惑わし(、彼女と夫とが神に背い)たように、あなた達の考えが誘惑されて、キリストに対する単純な信頼と純潔とから離れるようなことになってはと、心配しているのだ。 |
前田訳 | ただ、わたしはおそれます、蛇が悪巧みでエバをだましたように、あなた方の思いが損なわれて、キリストへの純情と貞潔とから離されはしないかと。 |
新共同 | ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。 |
NIV | But I am afraid that just as Eve was deceived by the serpent's cunning, your minds may somehow be led astray from your sincere and pure devotion to Christ. |
註解: パウロは嫉 み且つ恐れた点はエデンの園におけるエバと蛇の如くに、コリントの教会が偽使徒(11:13)によりて惑わされ、キリストに対する純潔なる信仰を失わん事であった。コリントの信者がパウロより離れる事も勿論彼の悲しみの原因ではあったろうけれども、それにもまされる悲しみは彼らがキリストより離れる事であった。基督者として最も大切なものはキリストに対する真心と貞操とであり、最も恐るべきものはこれを失わしめんとするサタンの力である
11章4節 もし
口語訳 | というのは、もしある人がきて、わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、あなたがたはよくもそれを忍んでいる。 |
塚本訳 | なぜかというと、(あなた達は至極寛大で、)だれかがあらわれて、わたし達が説いたのではないほかのイエスを説いても、あるいは(わたし達から)受けたのではない別の霊を、または(わたし達から)受け入れたのではない別の福音をあなた達が受けても、よくもまあ我慢しているのだから。 |
前田訳 | それは、だれかが来て、われらがのべ伝えなかった別のイエスをのべ伝え、あるいは、あなた方が受けなかった別の霊を受け、受け入れなかった別の福音を受けても、あなた方はよく忍ぶからです。 |
新共同 | なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。 |
NIV | For if someone comes to you and preaches a Jesus other than the Jesus we preached, or if you receive a different spirit from the one you received, or a different gospel from the one you accepted, you put up with it easily enough. |
註解: 「よくこれを忍ばん」は寧 ろ「よくもこれを忍ぶ」と訳する方が明瞭である(マコ7:9参照)。然るにこの一句はまた「汝らの忍ぶは宜し」とも訳する事を得、従ってこの全節は二様の意味に取る事ができる。(1)通説は後の訳に従っており、「若し他の人がパウロの述べし処と異なるキリストを述べ、汝らも異なる霊、異なる福音を受けたのであるならばこれを忍んでも忍ぶ理由があろう、併しもし同じキリスト、同じ福音を述べているのであるならば彼らを忍んでこれを受ける理由は無い」と解し、(2)は前者に従い「パウロの述べし処と異なるキリストを述べ異なる福音を教うる偽教師等をば、汝らよくもこれを忍んでおり乍ら、正しき福音を伝うるパウロをば忍ぶことができないとは甚だ誤っている」との意味に解する(W2)。日本語改訳は後者を取って訳したのであって、この解釈が優っている。
辞解
[他のイエス] イエスの神性、復活、贖罪等を除き去り単に人としてのイエスを宣ぶる如きは「他のイエス」を宣ぶるものである
[他の霊] 聖霊に類する悪霊がある、聖霊を受くると称してサタンの霊を受くる場合は他の霊を受けたものである
[他の福音] 罪の赦しの福音では無く、律法主義やまたは単に神の愛に対する感激等を以って福音なりとする場合の如し
11章5節
口語訳 | 事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも劣ってはいないと思う。 |
塚本訳 | だが、わたしは何一つあの「特別使徒諸君」に劣っていないと思っている。 |
前田訳 | わたしは超使徒たちに少しも劣らないと思っています。 |
新共同 | あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。 |
NIV | But I do not think I am in the least inferior to those "super-apostles." |
註解: 「偽使徒をばよくもこれを忍びつつ我パウロをば忍び得ないとは何事であるか、我は何事についてもペテロ、ヤコブ、ヨハネ等の大使徒に劣らないと信じている」とパウロは主張している、ペテロにすら劣らないのが彼の自信であった。この「大使徒」を「偽使徒」(Uコリ10:13)を指して言える反語であると解する学者もあるけれども適切で無い
11章6節 われ
口語訳 | たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでない。わたしは、事ごとに、いろいろの場合に、あなたがたに対してそれを明らかにした。 |
塚本訳 | なるほど弁舌にかけては全くの素人であっても、(説く福音の)知識の点ではそうではない。かえってこれ(の秘密)をわたし達は、あらゆる点で、とくにあなた達に、現したのである。 |
前田訳 | ことばに拙くても、知識には然らずで、つねに何につけてもそれをあなた方に明らかにしました。 |
新共同 | たとえ、話し振りは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点あらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。 |
NIV | I may not be a trained speaker, but I do have knowledge. We have made this perfectly clear to you in every way. |
註解: パウロが他の大使徒らに劣らざる所以はその価値においてのみならずその態度においてである。その価値の点より云えばギリシャ人の如く雄弁術に長じていないけれども、知識においては優れているのであった。この事はコリント人には万事につきて明らかにされている筈▲4−6節にはアポロ党に宛てて言われた部分もある様である。
11章7節 われ
口語訳 | それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、罪になるのだろうか。 |
塚本訳 | それとも、あなた達が(神に)高くされるためにわたしは(使徒の権利をすてて)自分を低くし、(テント造りをしながら)ただで神の福音を伝えたので、罪を犯したのだろうか。 |
前田訳 | それとも、あなた方が高められるために自らを低くし、神の福音をただで伝えたのは罪を犯したのですか。 |
新共同 | それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。 |
NIV | Was it a sin for me to lower myself in order to elevate you by preaching the gospel of God to you free of charge? |
註解: パウロの態度の特質は、パウロがその使徒たる権威を放棄し、自給伝道をなし(引照)貧困に身を保っていた事であった。これを見て偽使徒らはパウロの真の使徒にあらざるの証としてこれを非難したのであろう。これに対しパウロは、これ却ってコリントの人々を福音に導き彼らの信仰を高めん為の自己犠牲であった事を示し、「これは罪なりや」と反問してその罪にあらざる事を明かにしている。パウロの行動は常にキリストに対する愛と、コリントの信徒に対する愛とに終始していた。
11章8節
口語訳 | わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、 |
塚本訳 | わたしはあなた達への(無料の報酬で)任務に就くために、ほかの集会を強奪してそこから給料を取ったのである。 |
前田訳 | わたしは、あなた方への奉仕のために、他の諸集会をかすめて報酬を受けたのです。 |
新共同 | わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。 |
NIV | I robbed other churches by receiving support from them so as to serve you. |
註解: 「他の教会」はマケドニヤの教会であった(11:9)コリント人に福音を伝えんがためには、パウロはかかる手段をも辞しなかった。その他なお天幕製造の手伝いをしてその生活を支えていた、この事はここに必要なきを以て略されている(使18:3)。
辞解
[奪い取り] マケドニヤより得たる俸給をその地のために用いずして、これをコリントのために用いる事はある意味においてマケドニヤより奪う事となる
11章9節
口語訳 | あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかった。わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。 |
塚本訳 | そしてあなた達の所にいて不自由したときも、だれの厄介にもならなかった。わたしの不自由は(みな)マケドニヤから来た兄弟たちが補ってくれたのだから。こうして、わたしはあらゆることで自分があなた達の重荷にならないようにしていた。これからもそのつもりである。 |
前田訳 | あなた方のところにいて窮乏したときも、だれにも負担をかけませんでした。わたしの欠乏を補ってくれたのはマケドニアから来た兄弟たちです。何につけてもわたしはあなた方の重荷にならないようにしましたし、これからもそうしましょう。 |
新共同 | あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。 |
NIV | And when I was with you and needed something, I was not a burden to anyone, for the brothers who came from Macedonia supplied what I needed. I have kept myself from being a burden to you in any way, and will continue to do so. |
註解: パウロは天幕製造によりて生活しその不足をばかくして補った。斯くまでも用意周到にコリントの教会のために考え、その権威を主張しなかったのである。これをききてコリントの信徒は大いに恥ずべきであった。「ああ今日マケドニヤ人の如何に少なくしてコリント人の如何に多き事よ」(C2)。
辞解
[煩わさず] 原語は「重荷を負わせず」との意
註解: この事はここにも後にも言っている事柄である(Tコリ9:1-18。Uコリ12:14)かかる愛の奉仕こそ真の使徒たるに相応しきものであった。たとへそれが為に偽使徒等の非難の原因となっても、以後決してこの態度を改めないであろう
11章10節
口語訳 | わたしの内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、決してない。 |
塚本訳 | わたしの中にあるキリストの真理にかけて誓う、──この自慢が、アカヤ地方で封じられることはないようにするであろう。 |
前田訳 | わがうちにあるキリストのまことによって申します。アカイア地方でわたしのこの誇りは封じられないでしょう。 |
新共同 | わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイア地方で妨げられることは決してありません。 |
NIV | As surely as the truth of Christ is in me, nobody in the regions of Achaia will stop this boasting of mine. |
註解: キリストはパウロの中に生き(ガラ2:20)また語り給う(Uコリ13:3)従ってキリストの誠実はパウロの中に働いていた。故に彼の言はキリストのそれの如くに一点の虚偽、偽善すら無かった。この絶対的誠実を以てパウロは何等の理由ありとも、この誇りをばアカヤ地方において阻まれない事を誓っている。これのみが彼の誇りであったので、彼は生命を賭してもこれを守らんとした(引照2)。
11章11節 これ
口語訳 | なぜであるか。わたしがあなたがたを愛していないからか。それは、神がご存じである。 |
塚本訳 | なぜか。それはわたしが(マケドニヤの兄弟達を愛して、)あなた達を愛しないから(だというの)か。(すべては)神が御存じである! |
前田訳 | なぜですか。わたしがあなた方を愛していないからですか。神がご存じです。 |
新共同 | なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。 |
NIV | Why? Because I do not love you? God knows I do! |
註解: パウロのこの態度は、コリントの人々に対しよそよそしき態度であると解され易かった(Uコリ12:15)。パウロはその然らざる事を断言して次にその理由を述べている
11章12節
口語訳 | しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者どもから、その機会を断ち切ってしまうためである。 |
塚本訳 | とにかく、わたしはいましていることを、これからもしよう。それは、(あなた達の厄介になりつつ福音を説くことを使徒の権利と)自慢している人たちが、わたし達と同じに自分たちを認めさせたいと機会をねらっているから、その機会を断ち切るためである。 |
前田訳 | わたしは今していることを、なおもしましょう。それは、誇りうる点でわれらと同じものを見出す機会を欲している人々から、その機会を切りとるためです。 |
新共同 | わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。 |
NIV | And I will keep on doing what I am doing in order to cut the ground from under those who want an opportunity to be considered equal with us in the things they boast about. |
註解: 多くの解釈を生んだ難解の一節である。その中主要なるもの(1)は偽使徒等はコリントの教会より俸給を受けおるものと解し、彼らはもしパウロがその行う処(すなわち無報酬の伝道)を止めるならばこの機会を持って彼らの正義の証とせんとしているので、パウロは従来の主義を一貫することによりて彼らにかかる機会を与えず、却って彼らをしてこの点につきパウロと同一の行動に出でしめんとしているのであると解する。(2)は偽使徒等もパウロと同じくコリント教会より報酬を受けおらざりしものと解し、従ってパウロはその従来の主義を一貫することによりて、彼らに非難される機会を造らず、また彼らをしてパウロ以上なりとの誇りを為すを得ざらしめんとしているのであると解する(その他なお種々の重要ならざる解釈がある)。本文の如くに訳する場合にはこの中第1が優れる解釈である。何となれば偽使徒等はコリント教会より報酬を受けおりしものと解する事が事実に近いからである(11:20)。然るに本文の如き訳語のほかに次の如くに訳する事も可能である(A1・B1・Z0)。「我が行う所をなお行わん、これその誇る所につき我らの如くならんとする機会をうかがう者の機会を断たんが為なり」。これによれば「その誇る所」は一般に偽使徒等は「己に誇り」(Uコリ10:12)パウロ等に劣らざるものの如くに自己を示していた、故に若しパウロがコリント教会より報酬を受けるならば、彼らはこれを以て自己もパウロと異なる所なきを見出し、これを機会に自己に誇らんとする勇気を生ずるであろう。パウロはその主義を一貫する事によりて、この機会を彼らに与えざらんとしているのである。これコリント人を愛し、彼らを迷わす者より救い出すが為に必要なる事柄である。予はこの翻訳及び解釈を以て最も優れるものと考える
11章13節 かくの
口語訳 | こういう人々はにせ使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に擬装しているにすぎないからである。 |
塚本訳 | こんな人たちは、キリストの使徒に変装している偽使徒、悪賢い働き手だからである。 |
前田訳 | そのような人々は偽使徒、まやかしの働き人で、キリストの使徒に変装しているのです。 |
新共同 | こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。 |
NIV | For such men are false apostles, deceitful workmen, masquerading as apostles of Christ. |
註解: これ迄パウロは明かにそれと指示しなかったものを、Uコリ3:1。Uコリ5:12。Uコリ10:2、Uコリ10:10。Uコリ11:4等ここに至って遂に明かに偽使徒と呼んでいる。かかる者は労働人の如くに見えるけれども詭計 を以って人を陥れんとする者であり、またキリストの使徒の如くに扮 いて己の利を図る者である。真と偽とは明かにこれを区別しなければならない。而して最も危険なる福音の敵は真なるが如くに見ゆる偽の使徒教師である
11章14節 これ
口語訳 | しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。 |
塚本訳 | そして驚くに当らない。悪魔自身が光の天使に変装するのだから、 |
前田訳 | しかし驚くことはありません。サタンも光の天使に変装しますから。 |
新共同 | だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。 |
NIV | And no wonder, for Satan himself masquerades as an angel of light. |
註解: 「光の御使」は「神の御使」を意味する、何となれば神は光であって(Tヨハ1:5)光の中に在し(Tテモ6:16。Tヨハ1:7)給うが故である。而して神の敵なるサタンは自己を扮装して、神の御使の如くに見えしむる技能を有 っている。サタンの恐るべきはこの点であって、人は往々にしてサタンを神の御使と間違える事があるのはこの為である。若しサタンが常に暗黒の国の住民、コロ1:13。エペ6:12の如き姿において来るならば、我らは容易にこれを防ぐ事ができよう、然るに事実は往々にしてその反対であって、これ極めて警戒を要する所以である
11章15節 その
口語訳 | だから、たといサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなろう。 |
塚本訳 | だから、その(悪魔の)部下が義の部下に変装することはなんでもない。しかし彼らの最後は、その仕業相当であろう! |
前田訳 | それで、その僕たちが義の僕たちのように変装しても大したことではありません。彼らの末路はそのわざによるでしょう。 |
新共同 | だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう。 |
NIV | It is not surprising, then, if his servants masquerade as servants of righteousness. Their end will be what their actions deserve. |
註解: サタンの子分たる彼ら偽使徒らが、神に事 うる義の使徒の如き風を扮 う事は難事ではない。コリントにおける偽使徒らもこの輩である。唯彼等の終局はその虚偽と詭計 とに相応せる審判を受けるであろう。
辞解
[大事にあらず] 容易である。
要義 [偽使徒に対する警戒]パウロはその宣伝うるキリスト、その受けし霊、その信ずる福音が神より出でし真正なるものである事を確信し、また自己の凡ての行動が、この確信とコリント人に対する愛より出でし事を疑わなかった。故に彼はかかるパウロ彼自身に反対する敵人の中にサタンの姿を発見したのである。我らは外貌 の如何によりてサタンの使と、神の御使とを区別する事ができない。すなわちその教会の所属、その告白する信仰個条、その行為等によりてこれを知る事ができない。サタンの使を見分くる最良の方法は自らキリストの僕となり虚偽なき生活を送る事である。これが最も有効なる偽使徒に対する警戒である。パウロはこれにより偽使徒を見分くる事ができた。而してコリントの信徒に向いこのパウロの心持を理解する事によりて、偽使徒の詭計 に陥らない様に警戒したのである。
口語訳 | 繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいにされてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。 |
塚本訳 | もう一度言う、だれもわたしを馬鹿者だと思わないでもらいたい。そうできないなら、馬鹿者としてでもよいからわたしを受け容れて、少しばかりわたしにも自慢させてもらいたい。 |
前田訳 | 繰り返しますが、だれもわたしを愚かと思わないでください。しかしやむをえないなら、わたしも少しく誇りうるように、愚かものとして受け取ってください。 |
新共同 | もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。 |
NIV | I repeat: Let no one take me for a fool. But if you do, then receive me just as you would a fool, so that I may do a little boasting. |
註解: パウロは再び11:1に立帰り、その愚 に見ゆる誇りを繰返さんとしている。而してこれ必要なる自己弁明なるが故に、これを愚 と思うなとの希望を述べている
もし
註解: 「我を思慮なき馬鹿者と思うならばそれでもよいが、唯少しく誇るべき事がある故暫く愚 なる者として我を受納れん事を」との意味である。パウロをしてかく迄も己を卑 くするの必要を感ぜしめたのは、恐るべき偽使徒の詭計 と無理解なる信徒の過誤とであった。
辞解
[少しく誇る機を得させん為に] 直訳すれば「我も少しく誇るべければ」となる
11章17節
口語訳 | いま言うことは、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのである。 |
塚本訳 | (ただ)わたしがいま語るのは主の心を体して語るのではなく、(しばらく)馬鹿になったようにして、(自分も負けずに)自慢できる(んだ)という(心の)状態で語るのである。 |
前田訳 | わたしが語るのは主によってではなく、愚かものとして、誇りうる確信のうちに語るのです。 |
新共同 | わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。 |
NIV | In this self-confident boasting I am not talking as the Lord would, but as a fool. |
註解: パウロは常に主よりの直接の導きによりて語っていた、それ故に稀にこの直接の導きによらざる場合は特にこれを断っている(Tコリ7:10、Tコリ7:25。註及びTコリ7:24要義4参照)。この場合にもパウロはかくの如く愚 にも大胆に誇るべき事を一般的真理として、主より命ぜられたのでは無かった。この場合の事情止むを得ず「馬鹿らしい事」と知りつつ誇らざるを得ざるに至ったのである。故にパウロのこの行動は全体として聖霊の導きの下に在ったのであって、悪魔の支配の下に在ったのでは無い。けれども誇りの内容そのものは主によりて言ったのでは無い。従って我らも濫りにこれに倣うべきではない。▲この一節はこれを意訳すれば「これから言う事は信仰的な言い方ではないが、愚 かな人間の一人として人間的立場を遠慮なしに云わせて貰おう」と云うような意味。
11章18節
口語訳 | 多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。 |
塚本訳 | 大勢の人が人間的に(目に見えることを)自慢するから、わたしも自慢してみよう。 |
前田訳 | 多くの人が肉によって誇りますから、わたしも誇りましょう。 |
新共同 | 多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。 |
NIV | Since many are boasting in the way the world does, I too will boast. |
註解: 「肉によりて」は前節の「主によりて」に対立しているのであって、パウロは仮に肉の人(性来 の人、Tコリ2:14。ヨハ3:6)の地位に自己を置きて偽使徒らと比較し、それでも充分に誇る事ができる事をコリント教会に示したのである
11章19節
口語訳 | あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。 |
塚本訳 | あなた達賢い方々は、喜んで馬鹿者どもを我慢しているからだ。 |
前田訳 | あなた方は賢いから、よろこんで愚かものを忍ぶでしょう。 |
新共同 | 賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。 |
NIV | You gladly put up with fools since you are so wise! |
註解: コリント人は自らの智慧に誇っていた、智者は愚 者を忍ぶ事は当然である、故にパウロはその愚 を忍ぶことをコリントの信徒に要求した▲これも一種の皮肉である。
口語訳 | 実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。 |
塚本訳 | 実際、だれかが(来て)あなた達を奴隷にしても、だれかが(使徒だからと)あなた達を食いつぶしても、だれかが巻き上げても、だれかが横柄であっても、だれかが(「黙れ!」と)あなた達の横っ面を張っても、あなた達は我慢しているのだ!(見上げたものだ。) |
前田訳 | たとえだれかがあなた方を奴隷にしても、だれかが食いつくしても、だれかが奪っても、だれかが威張っても、だれかが顔をたたいても、あなた方は忍んでいます。 |
新共同 | 実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。 |
NIV | In fact, you even put up with anyone who enslaves you or exploits you or takes advantage of you or pushes himself forward or slaps you in the face. |
註解: 支配欲を恣 にする事
註解: 貪欲を恣 にしてコリントの教会の人々より奪い取る事
註解:狡猾 なる手段を以てコリント人の財を掠めること
註解: 自己を使徒の位置に置くことによりて
註解: 偽使徒らがかくの如き態度と行動とを以って汝らに対してさえ、汝らこれを忍ぶ以上、我が少しの愚 を忍び得ざる理由はない、本節は前節の理由の説明である
11章21節 われ
口語訳 | 言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。 |
塚本訳 | (わたし達はあなた達に弱いと言われる。)面目ないが、わたし達は(そんなことをするにはあなた達に対しあまりに)弱かったと、わたしは(正直に)言わねばならない。しかしだれかが勇敢に(自慢)できることならば馬鹿になって言うのだが──、わたしも勇敢にできる。 |
前田訳 | 恥をしのんでいいますが、われらは弱かったのです。もしだれかが誇るならば、愚かになっていいますが、わたしもあえて誇ります。 |
新共同 | 言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。 |
NIV | To my shame I admit that we were too weak for that! What anyone else dares to boast about--I am speaking as a fool--I also dare to boast about. |
註解: 「偽使徒等が前節の如くに大胆に行動するのに比較すれば、一見我らは実に弱き者の如くに見えていた。23節以下。全く恥かしい程である。されど人が雄々しく誇る所は我もまたこれに負ける事は無い、かく言い争うは馬鹿らしいことではあるが」。
辞解
[われ恥じて言う] また「われ言いて汝らを恥かしむ」と訳する学者もあれど適当ではない
11章22節
口語訳 | 彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。 |
塚本訳 | あの人たちはヘブライ人だというのか、わたしもだ。イスラエル人だというのか、わたしもだ。アブラハムの子孫だというのか、わたしもだ。 |
前田訳 | 彼らがヘブライ人ですか。わたしもです。イスラエル人ですか。わたしもです。アブラハムの末ですか。わたしもです。 |
新共同 | 彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。 |
NIV | Are they Hebrews? So am I. Are they Israelites? So am I. Are they Abraham's descendants? So am I. |
註解: 偽使徒等の肉の誇りを次に列挙してパウロが肉の方面においても、彼らに劣らざる事を示している。肉による人々の誇りを打破らんが為に、往々にして我らも肉による知識や力を用うる必要がある場合がある。偽使徒らは国民としては各国に散布せるユダヤ人以外の、生粋のヘブル人、神政政治としてはイスラエル、ロマ9:4。ロマ11:1。メシヤの約束を与えられしものとして、アブラハムの裔たる事を誇っていた。併しこれらは凡てパウロの所持する処であった。
11章23節
口語訳 | 彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。 |
塚本訳 | キリストに仕える者だというのか、気違いになって言う、わたしはもっとそうだ。(伝道の)苦労において(彼らより)なお一層、牢屋に入れられることにおいてなお一層、打たれることにおいて(彼らより)もっともっと、死の危険において度々だ。 |
前田訳 | キリストの僕ですか。気がふれたようにいいますが、わたしは彼ら以上です。労苦においてより多く、入獄においてより多く、鞭打ちははるかに多く、死にかけたこともしばしばです。 |
新共同 | キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 |
NIV | Are they servants of Christ? (I am out of my mind to talk like this.) I am more. I have worked much harder, been in prison more frequently, been flogged more severely, and been exposed to death again and again. |
註解: 彼らはキリストの役者と自称しているけれども我はキリストの役者以上である、かかる言い方は狂せるものの如くであるけれども、この点において彼らと同列にいる事ができない。「かく云いてパウロは仮に彼らをキリストの役者と呼びつつ、事実においてこれを否定している」(M0)
わが
註解: 「更に多く」は偽使徒に比較して一層多き事を言う、パウロはその過去を顧みて如何に多くの苦難を経しかを思い、かかる事は真にキリストに事 うるが為にあらざれば耐え得ざる程度であって、偽の使徒はかかる困難に耐える事ができない事を暗示している。真偽の区別は理論によりて定まらず事実より来る
11章24節 ユダヤ
口語訳 | ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、 |
塚本訳 | ユダヤ人から「四十マイナス一」の笞の刑を五度受けた。 |
前田訳 | ユダヤ人から四十ひく一の鞭を受けたこと五度、 |
新共同 | ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 |
NIV | Five times I received from the Jews the forty lashes minus one. |
註解: 申25:3に違反する事無からん為に、39の笞刑 を与うる規則であった(S1)。この刑は殆ど死刑に近く中にはこの為に死する者すらある程であった。使徒行伝には本節に関する記事を省略している
口語訳 | ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある。 |
塚本訳 | (ローマの)笞で打つ刑を三度受けた、一度石打ちされた、三度難船し、一度は一昼夜漂流した。 |
前田訳 | (ローマの)笞が三度、石打ちが一度、難船が三度、一昼夜は海の淵の上でした。 |
新共同 | 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 |
NIV | Three times I was beaten with rods, once I was stoned, three times I was shipwrecked, I spent a night and a day in the open sea, |
註解: これは前節と区別せられロマ人よりの笞刑 である。その中一回は(引照1)に記され、他の二回は歴史に残っていない
註解: ルステラにおける出来事を指す(引照2)
註解: 聖書にその記事が無い。使27の破船はこの時より以後の出来事である。以上を見ても使徒行伝の記事が、如何にパウロの伝道史の一部分に過ぎないかを知る事ができる
11章26節 しばしば
口語訳 | 幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、 |
塚本訳 | 度々旅行して、川の危難、強盗の危難、同国人の危難、外国人の危難、都会の危難、荒野の危難、海の危難、偽兄弟の危難に遇った。 |
前田訳 | しばしば旅し、川の難、強盗の難、同族人の難、異邦人の難、町の難、荒野の難、海の難、偽兄弟の難に会い、 |
新共同 | しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 |
NIV | I have been constantly on the move. I have been in danger from rivers, in danger from bandits, in danger from my own countrymen, in danger from Gentiles; in danger in the city, in danger in the country, in danger at sea; and in danger from false brothers. |
11章27節
口語訳 | 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいたこともあった。 |
塚本訳 | 苦労し辛苦した、度々徹夜し、飢えまた渇いた、度々絶食し寒く着る物がなかった。 |
前田訳 | 労し、苦しみ、しばしば徹夜し、飢え渇き、しばしば絶食し、こごえ、裸でした。 |
新共同 | 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 |
NIV | I have labored and toiled and have often gone without sleep; I have known hunger and thirst and have often gone without food; I have been cold and naked. |
註解: 以上の中引照に示すが如き既に知られいる場合と、然らざるものとがある。けれども大体においてパウロの30年の伝道の生涯が如何に艱難に充てる克己の生涯であったかを見る事ができる。このパウロの生涯のみにても、既に福音の価値を立派に証明している。
11章28節 ここに
口語訳 | なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。 |
塚本訳 | (その上、)ここで言えないことは別として、毎日わたしに押し寄せる(山のような)事件、すべての集会のための心配。 |
前田訳 | このような外からのことのほかに、日ごと迫りくること、すべての集まりの心づかいがあります。 |
新共同 | このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。 |
NIV | Besides everything else, I face daily the pressure of my concern for all the churches. |
註解: コリントの教会に関する心労の如きもその中の一つであった。パウロの労苦は内外より彼に迫った。
辞解
異本に「これら外部の事の外に日々の憂慮、凡ての教会の心労あり」とあり。「諸教会」は「凡ての教会」と直訳する事ができ、パウロ自身の建設せるものと然らざるもの(コロ2:1の如き)とを問わず、その心に宿れる凡ての教会についての彼の心労は絶える事が無かった
11章29節
口語訳 | だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。 |
塚本訳 | ああ、だれかが弱って、わたしが弱らないことがあるか、だれかが罪にいざなわれて、このわたしが(悲しみに)燃えないことがあるか。 |
前田訳 | だれが弱ってわたしが弱らないでしょうか。だれがつまずいて、わたしが燃え立たないでしょうか。 |
新共同 | だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。 |
NIV | Who is weak, and I do not feel weak? Who is led into sin, and I do not inwardly burn? |
註解: 二様の解釈を容す。(1)23節以下を受け甚 だしき困難労苦の中にありて「予パウロこそは何人よりも先に弱り、また何人よりも先に心が反対の情に燃やされるであろう」(2)前節の諸教会の心労の説明であって、「教会の中に何人かが弱っている場合に予パウロはこれに対する同情で弱らざるを得ない。また教会の中何人かが躓く場合に予が心はその躓きし人々に対して苦痛の情に堪えず、心は熱く燃えざるを得ない」後の解釈が優っている
11章30節 もし
口語訳 | もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。 |
塚本訳 | (ああ、なんと弱い人間であろう!なんの誇りがわたしにあろう!)もし(使徒の権威を示すために)自慢せねばならないなら、わたしは自分の弱いことを自慢しよう。 |
前田訳 | もし誇らねばならないのなら、わたしはわが弱さを誇りましょう。 |
新共同 | 誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 |
NIV | If I must boast, I will boast of the things that show my weakness. |
註解: 「偽使徒らはその学問や弁舌やその身分につきて誇っている、併し予は寧ろ以上の如き諸々の困難苦労の中に感ずる己の弱さについて誇るであろう」。パウロはこれにより偽信徒と自己との区別を明らかにし、その誇りの差はまたその本質の差を示すものなる事を暗示している
11章31節
口語訳 | 永遠にほむべき、主イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じである。 |
塚本訳 | 永遠に讃美すべきお方、主イエスの神また父は、わたし達が嘘をつかないことを御存じである。 |
前田訳 | 主イエスの父なる神は永遠にほむべき方で、わたしが偽らないことをご存じです。 |
新共同 | 主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。 |
NIV | The God and Father of the Lord Jesus, who is to be praised forever, knows that I am not lying. |
註解: 私訳「永遠に讃むべき者なる主イエスの父なる神は、我らの偽らざるを知り給う」(エペ1:3。ロマ15:6。Tコリ15:24)。パウロは次に32、33節にダマスコにおける受難につき述べて前諸節を補わんとし、コリントにこの事件を目撃せる証人なきを思い、主イエスの父なる神を証者として呼びかけている。この事件は後にルカにより使9:21−25に記された
11章32節 ダマスコにてアレタ
口語訳 | ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったが、 |
塚本訳 | (そうそう、)ダマスコでアレタ王の総督がわたしを捕らえようとしてダマスコ人の町を見張りしていたので、 |
前田訳 | ダマスコでアレタ王の代官がわたしを捕えるためにダマスコ人の町に見張りを立てました。 |
新共同 | ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、 |
NIV | In Damascus the governor under King Aretas had the city of the Damascenes guarded in order to arrest me. |
註解: 「アレタ王」はアラビヤ人でヘロデ、アンテパスの義父であり、一時この市の王であった。この総督はユダヤ人をして門を守らせた(使9:24)、ユダヤ人が彼を慫慂 (▲「けしかける」こと)したからである。
11章33節
口語訳 | その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた。 |
塚本訳 | わたしは窓から篭で城壁づたいに吊りおろされて、その手をのがれたこともあった。 |
前田訳 | しかしわたしは窓から籠で城壁づたいに下ろされて、その手をのがれました。 |
新共同 | わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。 |
NIV | But I was lowered in a basket from a window in the wall and slipped through his hands. |
註解: 市を囲む塁壁の上部にある小窓より下りたものであろう。パウロはかく迄も弱き一浮浪人であった。
要義 [弱きパウロ]パウロは斯くの如く到る処に艱難苦労を嘗めつつ、その弱さを示した。彼はローマ法王の如き権力の保持者ではなく、到る処に迫害される弱き一浮浪人であった。恰 も主イエス・キリストの地上におけるその生涯が全く弱き生涯であって終に迫害に倒れ給いしと同じく、パウロの生涯もまた斯くの如きものであった。神のみが彼の力でありイエス・キリストのみがその拠り処であった。我らもまた基督者としてこの世を過ごす場合にこの弱さを期待しなければならない。我らは拠り頼むべき権力、金力、兵力を有 たない。唯信仰のみの上に立ち、弱きを誇りつつこの世を過ごさなければならない。これがイエスの弟子たる者の進むべき途である。
第2コリント第12章
6-3 パウロの体験に対する誇り
12:1 - 12:10
6-3-イ 神秘的体験
12:1 - 12:6
註解: パウロは更に進んでその受けし黙示と、その弱き中に与えられる力とを述べ、以ってその自己弁護を継続している。
12章1節 わが
口語訳 | わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。 |
塚本訳 | わたしは(もう少し)自慢せねばならない。なんの役にも立たないことではあるが。そこで、主の幻と啓示と(を見聞きしたこと)に進もう。 |
前田訳 | 無益ではあってもわたしは誇らねばなりません。主の幻と啓示とを話しましょう。 |
新共同 | わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。 |
NIV | I must go on boasting. Although there is nothing to be gained, I will go on to visions and revelations from the Lord. |
註解: パウロは人の誉れを求めない、故に誇る事は無益であるけれども、その使徒職を弁護せんが為には止むを得ない
註解: パウロの誇りは己に関するものより、更に進んで主の幻像(まぼろし)と啓示とに及ばんとしている。▲口語訳は原文に近い。
辞解
[顯示 ] オプタシヤoptasiaは眼に見ゆる幻象
[黙示] アポカリュプシスapokalypsisは見ゆると見えざるとに関わらず、従来隠れていたものが顕わされる事、故に神より与えられる黙示を意味する
口語訳 | わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた—それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 |
塚本訳 | キリストにある一人の人が、十四年前──肉体をもってであったか、わたしは知らない、肉体を離れてであったか、わたしは知らない、神が御存じである、──この人が第三の天にまでさらってゆかれたことを、わたしは知っている。 |
前田訳 | わたしはキリストにあるひとりの人を知っています。十四年前に、体のままか、わたしは知らず、体の外か、わたしは知らず、神がご存じですが、このような人が第三の天まで連れられました。 |
新共同 | わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 |
NIV | I know a man in Christ who fourteen years ago was caught up to the third heaven. Whether it was in the body or out of the body I do not know--God knows. |
註解: パウロはこれより彼に取って最も貴重なる一の神秘的体験を語らんとしている。彼が第三人称を用いてその経験を語っているのは、かかる経験には自己の関与し得る範囲は全く無く、我は我にして我にあらず、唯神の力によりて左右せられつつある第三者の如き状態であったからである。
辞解
[キリストに在る人] 基督者の事
この
註解: 紀元43年頃でパウロがアンテオケまたはタルソに居た頃に当るであろう(使11:25)。「第三の天」T列8:27に「天も諸 の天の天も」とあるより、ラビの中には三つの天ありと主張する者があった、七つの天ありとの思想が生じたのは第2世紀頃である(S1)。パウロは最高の天まで取り去られた体験を持っていた
(
註解: パウロの神秘的状態は非常に特異であったので、肉体のまま第三の天まで携え挙げられしか、または霊魂のみが肉体を離れて携え挙げられしか彼自身これを知らなかった、神は勿論これを知り給う。これを見ればこの経験が普通のものにあらざる事を知る事ができる
12章3節 われ
口語訳 | この人が—それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである— |
塚本訳 | すなわちその人が──肉体をもってであったか、肉体なしであったか、わたしは知らない、神が御存じである、── |
前田訳 | そしてこの人が、体のままか、体の外か、神がご存じですが、 |
新共同 | わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 |
NIV | And I know that this man--whether in the body or apart from the body I do not know, but God knows-- |
註解: 「斯くの如き人」は次節に説明される如き人で、「肉体にてか云々」は前節と同一の意味で、次節の如き言を肉体にて聞いたのか、また肉体以外にて霊を以って聞いたのか、自分には解らないとの意味である
12章4節 かれパラダイスに
口語訳 | パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。 |
塚本訳 | 彼が極楽にさらってゆかれて、口にしてはいけない、人が語ってはならない(聖なる)言葉を聞いたことをわたしは知っている。 |
前田訳 | パラダイスに連れられ、口でいえない、人間には語ることが許されないことばを聞きました。 |
新共同 | 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。 |
NIV | was caught up to paradise. He heard inexpressible things, things that man is not permitted to tell. |
註解: 七天説を主張する人は、パラダイスは第三の天以上の処にありと解するけれども誤りであって、パウロは第三の天とパラダイスとを同一視しているのである(A1、S1)そこで彼は肉体にありてか否かは分らないけれども、人が語らんとして語る事ができず、また語る事ができても語ることを許されない神秘的な言をきいた
12章5節 われ
口語訳 | わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。 |
塚本訳 | こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。 |
前田訳 | この人については誇りましょう。しかしわたし自身については弱さのほか誇りますまい。 |
新共同 | このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。 |
NIV | I will boast about a man like that, but I will not boast about myself, except about my weaknesses. |
註解: かかる神秘的体験を与えられし事は、パウロに取って非常に貴重なる出来事であり、かかる人に対しては誇る理由が充分にあった。唯かかる人は己にして己にあらず、パウロにしてパウロにあらず恰 も他人の如きものである。故に之を誇っても恰 も他人のことにつきて誇る如きものであった。故にパウロ自身に就いては弱き事以外には誇らない決心をパウロは為していた
12章6節 もし
口語訳 | もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。 |
塚本訳 | もっともわたしが(こんな啓示を)自慢したところで、「馬鹿者」(と言われるほどのこと)ではなかろう。本当のことを言うのだから。しかし差し控える。わたしを見、あるいはわたしから聞く以上に、(何か特別のものでもあるように)だれかがわたしを買いかぶらないためである。 |
前田訳 | もし誇ろうと思っても、真理をいうのですから、愚かにはなりますまい。しかしわたしは控えます。人がわたしについて見たり聞いたりする以上に、わたしのことを評価しないためです。 |
新共同 | 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、 |
NIV | Even if I should choose to boast, I would not be a fool, because I would be speaking the truth. But I refrain, so no one will think more of me than is warranted by what I do or say. |
註解: Uコリ11:1、Uコリ11:16。等と異なり誇りの内容が自己の価値や状態ではなく、全く自己を超越せる神秘的事実である以上、誠実を持ってこれを語る場合に愚 なる者とはならないであろう
辞解
[▲「誠實 ならば」] 「誠実なれば」の誤訳。口語訳が正しい。
されど
註解: 若しパウロが受けし顯示 と黙示とを凡て語ったならば、これを聞くものその不可思議に驚きパウロを実際以上に崇め、その見聞せる事実以上にパウロを買被る様になるであろう、故にパウロは誇ることを罷 めた。神秘的宗教(たとえば禅宗の如き)は著しくその神秘的体験を誇示する傾向がある。パウロとは正反対の態度である。
12章7節
口語訳 | そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 |
塚本訳 | そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。 |
前田訳 | 啓示があまり素晴らしいので、わたしが高ぶらないよう肉に刺が与えられました。それはわたしが高ぶらないよう打つためのサタンの使いです。 |
新共同 | また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 |
NIV | To keep me from becoming conceited because of these surpassingly great revelations, there was given me a thorn in my flesh, a messenger of Satan, to torment me. |
註解: パウロは自己の肉の誇(Uコリ11:16−22)、弱さの誇(Uコリ11:23−33)を述ぶる場合には大胆であった、これ何人もパウロのこの誇を聞きてパウロを過度に崇める者は無く、寧ろ彼を愚 と思うだけの事であった。然るにパウロはその鴻大 なる黙示につき誇る事を非常に謹み、且つ自己の肉体に与えられし刺を以て高ぶる事無からん為めに、神より与えられし刺であると信じていた。この「刺」の何であるかについては、古来幾多の説を生じ(例一、冒涜、淫欲、過去の罪の悔恨等を起こさしむる悪魔の襲撃。二、反対党の攻撃、その聖職に伴う困難。三、憂鬱病、頭痛、ヒポコンデリー、癲癇 、眼病、その他の疾病)、要するに何れとも決定し難いけれど、この「刺」が(1)黙示に対する高ぶりを止め(2)肉体に苦痛を与え(3)急激に彼を「撃ち」倒す如き性質のものであり(4)サタン的性質をもち(5)これを除く事が可能なる点(8節)等より考うれば、ラムゼーの主張する低地ガラテヤ地方の地方病なる、一種の間欠的マラリヤ病の如きものであったろう
註解: この刺はサタンの使であった。サタンがパウロにこの高き動機を与えんとしたのでは無い、サタンは唯彼を撃つ事を好んだ、而して神はこのサタンを用いてパウロをして高ぶる事無からしめ給うた。
辞解
[撃つ] 急に激しく打つ事
[サタンの使] サタンは多くの従者を有 っており、これ等が彼の使となった
12章8節 われ
口語訳 | このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 |
塚本訳 | この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、 |
前田訳 | このことについて主に三度それを除くよう願いました。 |
新共同 | この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。 |
NIV | Three times I pleaded with the Lord to take it away from me. |
註解: パウロはキリストにこの刺を去らしめ給わんことを二度祈っても応えられず、三度目に次の如くに主の答えを得た
12章9節
口語訳 | ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 |
塚本訳 | 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。 |
前田訳 | しかし主はいわれました、「わが恩恵はあなたに足りている。力は弱さのうちに全うされるから」と。それで、キリストの力がわたしをおおうために、むしろ大いによろこんで弱さを誇りましょう。 |
新共同 | すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 |
NIV | But he said to me, "My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness." Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ's power may rest on me. |
註解: 「最大の苦痛の中にも恩恵は有り得る」(B1)パウロに対するキリストの恩恵は欠けるところが無かった。キリストは鴻大 なる黙示と共に耐え難き弱さをパウロに与え、これによりてパウロに一方に偉大なる確信を与えると同時に、これを高ぶること無からしめんがために他方に弱さを与え、而もその弱きに失望せざらんが為に弱き中にキリストの能力を充たし給うた。これにまさる恩恵は無い。人は神の偉大と自己の弱少とを知るとき最も幸福である。
さればキリストの
註解: このキリストの御言をききてパウロの心は一変した、その弱さは彼の誇となり、彼は自ら強からんとせずして却ってキリストの能力に庇 われて、キリストの能力によりて彼の弱さが全うせられ強きものとされる事を望むに至った。ここに至ってUコリ11:30。12:5の理由が明かとなった。
辞解
[庇 う] 「天幕の中に入れる」事であって恰 もキリストの能力の中に住むが如き状態を指している
12章10節 この
口語訳 | だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 |
塚本訳 | それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。 |
前田訳 | それゆえ、キリストのために、わたしは弱さ、侮り、困難、迫害、行きづまりに甘んじます。弱いときにこそわたしは強いのです。 |
新共同 | それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 |
NIV | That is why, for Christ's sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong. |
註解: パウロの最も強き時は、主の黙示によりて第三の天に携え挙げられ、言い得ざる語るまじき語を聞きて高ぶっている時ではなく、キリストのために恥辱、艱難(寧ろ困窮の意味)、迫害、苦難等に逢いて弱きを感じている時である。これキリストの力が彼を掩 うからである。故に彼はその場合に於いても尚欣然 としてこれを受け納れることができた。
辞解
[喜ぶ] エウドコーeudokôはここでは「満足に思う」との意味で歓喜に溢れる意味ではない
要義1 [神秘的体験の価値]神は時に我らをして、絶妙なる神秘的体験に入らしめる事がある。多くの宗教または哲学はその極致をこの体験に置き、これを以て最上の誇としている。然るにパウロの場合においては之に反し、この体験をば恰 も第三者に関するものの如く、これを以て神の特別の働きと見、己に取って誇るべき何物でも無いことを主張している事は注意すべき事柄であって、基督教はかかる体験を軽視せざると同時に、その基礎をかかる体験に置かず、かえって之を与え給えるキリストに置き、その誇りをかかる特別の境地に置かずして、キリストの為に苦しむ弱き自己に置く事を忘れてはならない。要するに神秘的体験はその実質内容において極めて崇高であるに関わらず、常に(1)例外的であり(2)不可解であり(3)瞬間的であり(4)而して日常生活と直接の関係が無い点において、真の救いの福音で有り得ない事は何れの神秘主義においても共通の欠点である。
要義2 [弱き時に強し]基督者には恥辱、困窮、迫害、艱難は必ず付随して来る。それにも関わらず彼らがその中にありてなお力を失わざるのみならず、却って喜びてこれに耐える事ができる所以は何であるかと云うに、彼等の力の秘訣がキリストに在るからである。その弱き時にキリストの能力は全うせられ、反対に自ら強しとして誇る間はキリストの能力は彼を離れているのである。
この意味においてパウロの誇りは反対に偽使徒等の誇りを挫 くの原因となるのである。彼等は自らを高くし、自らの力に誇りパウロの弱さを嘲りつつ、これを以て彼の使徒にあらざる証拠となさんとしていた。これに対しパウロは反対にその弱きを誇る事によりて彼らの誤りを示し彼らが強きが如くにして却ってキリストより離れ、キリストの能力に庇 われざる弱きものなる事を明かにしているのである。
口語訳 | わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。 |
塚本訳 | わたしは(とうとう)馬鹿者になってしまった。あなた達がわたしを強いたのだ。あなた達に推薦してもらわねばならなかったの(に、してくれなかったの)だから。わたしは無価値であっても、何一つあの「特別使徒諸君」に劣っていなかったではないか。 |
前田訳 | わたしは愚かになりました。あなた方がそれを強いたのです。本当はあなた方から推薦されるべきでした。たとえわたしには取り柄がなくても、何ら超使徒たちに劣ってはいません。 |
新共同 | わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。 |
NIV | I have made a fool of myself, but you drove me to it. I ought to have been commended by you, for I am not in the least inferior to the "super-apostles," even though I am nothing. |
註解: 前節の叫びを発して後、パウロは第11章以下を回顧して、「予がかくの如くに愚 になり果てたのも汝らに強いられたからであって、その責任は汝らに在る」と云っている。パウロはその愚痴の結局最も賢こき途である事を知っていた。唯彼らが彼を目して愚痴となし暗黒と嘲ることを知り、これを利用して彼らの責任を覚らしめんとしたのである
註解: 「偽使徒らが汝らに誉められており、我が誉められていない事は誤りである。汝らがかかる誤りに陥っている故止むを得ず予も愚 となったのである」
註解: 「数うるに足らぬ者」即ち無価値なる者として、パウロは自己を神の前に卑下 らしめつつも、何事においてもかの大使徒(引照3、4)らに劣らない事を再びここに主張している。これは彼の偽らざる確信であった。
辞解
[大使徒] 偽使徒を指すものと解する事につきてはUコリ11:5註参照
12章12節
口語訳 | わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。 |
塚本訳 | 実際、使徒の印はあなた達のあいだで、あらん限りの忍耐をもって、かずかずの徴や不思議なことや奇蹟によって、行われたのであった。 |
前田訳 | 使徒としての徴はあらゆる忍耐をもってあなた方の間でなされました。それは徴ばかりでなく、不思議と力あるわざによってです。 |
新共同 | わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。 |
NIV | The things that mark an apostle--signs, wonders and miracles--were done among you with great perseverance. |
註解: 「使徒の徴」とは使徒たる事を示すに足る徴であってマタ10:1。マコ3:13−15、パウロはこれを狭義の「徴」と不思議と能力ある業とに区別している。パウロは種々の困難の中に忍耐を以てこれ等を行った。これ彼の使徒たる証拠として充分である。
辞解
[徴]はその力の源が天に在る活動を意味し「不思議」はその現象の異常なるものを意味し「能力ある業」または「能力」はその活動の性質より見てこれを名付けたものであって、奇跡その他の偉大なる活動を指す
12章13節 なんぢら
口語訳 | いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。 |
塚本訳 | いったい、あなた達はほかの(人が建てた)集会に比べて、ひけを取ったことが何かあるのか、このわたしが(あの諸君とは違い、)御厄介にならなかったことを除いては。この不正(だけ)は(どうか)ゆるしてもらいたい! |
前田訳 | あなた方が他の諸集会よりも軽く扱われた点といえば、わたしの方からあなた方に負担をかけなかったことだけではないでしょうか。この不公平についてはゆるしてください。 |
新共同 | あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。 |
NIV | How were you inferior to the other churches, except that I was never a burden to you? Forgive me this wrong! |
註解: パウロがコリントの信徒より俸給を受けなかったこと、換言すれば彼等がパウロを扶養しなかった点を除いては、コリントの教会は何れの点より見るも、他の教会に劣っていない
註解: パウロは当然の権利として俸給を受くべきであった、これを受けなかった事は一種の「不義」である(邪悪の意味の不義ではなく、義を行わない意味の不義である(B1))。パウロはコリントの教会に向い、その恕 を乞うた。たしかにコリント教会がパウロに俸給を払わんとする場合にもこれを受けないのは、その愛を受けない事で決して最善の態度ではない。唯パウロの主義に忠実なる結果ここに至っているのである。故にパウロは謙遜なる態度を以ってこの点の恕 を乞い、その他の点において彼の使徒としての地位を主張している。(注意)本節を反語的に解し、パウロが厭味(いやみ)を言っているものと解する人があるけれども、かく解する場合にはこの語があまりに下等になる恐れがある故、予はこれを採らない
12章14節
口語訳 | さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。 |
塚本訳 | わたしはあなた達の所にもうこれで三度目に行く準備がしてある。(今度も)御厄介になるまい。わたしはあなた達のものをねらっているのではなく、あなた達自身をねらっているのだから。子供が親のために貯えるのは当然でなく、親が子供のために貯えるのが当然ではないか。 |
前田訳 | 今三度目にそちらへ行く用意があります。しかしあなた方に負担はかけますまい。わたしの求めるのはあなた方の持ちものでなく、あなた方自身です。子は親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです。 |
新共同 | わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。 |
NIV | Now I am ready to visit you for the third time, and I will not be a burden to you, because what I want is not your possessions but you. After all, children should not have to save up for their parents, but parents for their children. |
註解: パウロは此の度もコリント人を煩わさないよう準備をしていることを告げ、彼らに対する愛の深さを表わしている。
辞解
[三度] 「三度目に」であって第二回訪問につきてはUコリ1:16辞解参照
註解: パウロの伝道には利益を求むる念慮は更に無く、唯如何にもして一人でも多くの霊魂を求めて、これをイエスに導かんとするのみであって、純潔の極みであった
それ
註解: パウロは親子間のこの心理を自己に適用する事ができるほど、コリント教会を愛していた。故に子の為に貯える事こそ彼に相応しいのであって、子の所有を求めることは彼の全く望まない処であった
12章15節
口語訳 | そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。 |
塚本訳 | しかしわたしは(魂の父であるから、)大喜びで(物を)捧げ(るばかりでなく)、あなた達の魂のためには、命をも捧げ尽くそう、わたしが特に強くあなた達を愛するので、そのためより少なく愛されねばならないのだろうか。 |
前田訳 | わたしはあなた方の魂のために、大いによろこんで費用を出し、自らを使いつくしもしましょう。わたしはあなた方を愛しすぎるがゆえに、愛されることが少ないのですか。 |
新共同 | わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。 |
NIV | So I will very gladly spend for you everything I have and expend myself as well. If I love you more, will you love me less? |
註解: 愛する者の為には惜しみなく与う、パウロはコリントの教会のためにその財やその労働の果を費やし、更に己自身をすら費やす事をこの上もなく喜んでいた。パウロの伝道の報酬はここにあった(Tコリ9:18)
註解: パウロは斯くの如く多くコリント教会を愛しその俸給を受けずにいるのに、その為に却ってパウロを疑い、パウロを愛する事少ないのは何たる事であるか。真の愛を誤解して却ってその人を憎む事は往々にして有り得る事柄である。(注意)本節はまた「たとい我汝らを多く愛するによりて、汝ら我を少なく愛するとも我は大いに喜びて云々」と読む事もできる
12章16節
口語訳 | わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。 |
塚本訳 | わたしが、あなた達に重荷を負わさなかったことは、そのとおりであるにしても、しかしわたしは「悪賢くて、計略であなた達から巻き上げた」というのだ! |
前田訳 | あなた方に重荷を負わせなかったにせよ、わたしはずるくて、あなた方をだましてかちえたといわれます。 |
新共同 | わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。 |
NIV | Be that as it may, I have not been a burden to you. Yet, crafty fellow that I am, I caught you by trickery! |
註解: 「或人いわん」estô deは「それはそうとして」と云う如き意味、反対者の中にはかかる言葉を設けてパウロを非難する者もあった
12章17節
口語訳 | わたしは、あなたがたにつかわした人たちのうちのだれかをとおして、あなたがたからむさぼり取っただろうか。 |
塚本訳 | わたしはあなた達の所にやった者たちのだれかを使って、あなた達をごまかしたのではなかろうか。 |
前田訳 | わたしはそちらに人をつかわして、あなた方を欺いたのですか。 |
新共同 | そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。 |
NIV | Did I exploit you through any of the men I sent you? |
註解: 人を遣わし金銭を要求する等の方法によりて汝らを掠 めた事は決して無い
12章18節
口語訳 | わたしは、テトスに勧めてそちらに行かせ、また、かの兄弟を同行させた。テトスは、あなたがたからむさぼり取ったことがあろうか。わたしたちは、みな同じ心で歩いたではないか。同じ足並みで歩いたではないか。 |
塚本訳 | わたしはテトスに勧め、そして(一人の)兄弟(のB)を一所にやったが、テトスがあなた達をごまかしでもしたというのか。(まさかそんなことはあるまい。)わたし達は同じ御霊で歩かなかったろうか。同じ足跡を踏んで歩かなかったろうか。 |
前田訳 | わたしはテトスに依頼し、あの兄弟を同行させました。テトスがあなた方を欺いたのですか。われらは同じ心で、同じ足どりで歩いたではありませんか。 |
新共同 | テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。 |
NIV | I urged Titus to go to you and I sent our brother with him. Titus did not exploit you, did he? Did we not act in the same spirit and follow the same course? |
註解: その名は我らこれを知る事ができないUコリ8:18註参照
テトスは
註解: パウロとテトスは共に聖霊によりて歩み、共に同じキリストの足跡(Tペテ2:21)を歩んでいた、即ち彼らは同心一体であり、決して私欲のために汝らを掠 める様なことは為した筈がない。
要義 [金銭問題の重要さ]使徒パウロに対して金銭上の疑惑を投げかけし者がある事は、今日より考うれば驚くべき事であると云わなければならない。しかしそれは事実であった。金銭問題に就いては人は往々最も卑劣なる心情を起すものである。パウロの如くにその伝道に関し、他人に金銭的負担を負わせざりし場合においてすらなお然りであること故、況 や金銭によりてその信徒に支持される場合はなお更かかる誤解や疑惑が起り易い。それ故にパウロの如くに金銭上の支持を受けずに伝道する事は伝道者の義務では無いにしても少なくとも非常に有益である事はこれを疑う事ができない。パウロが死を賭 してもこの主義を固持せし所以の一はここにあったのであろう。
分類
7 パウロの自己弁明の目的
12:19 - 13:10
7-1 建徳と悔改めのため
12:19 - 12:21
12章19節
口語訳 | あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対して弁明をしているのだと、今までずっと思ってきたであろう。しかし、わたしたちは、神のみまえでキリストにあって語っているのである。愛する者たちよ。これらすべてのことは、あなたがたの徳を高めるためなのである。 |
塚本訳 | あなた達は(この手紙を読みながら、)わたし達があなた達に(自分を)弁明していると、ずっと前から思っていたであろう。(そうではない。)わたし達は神の前に、(責任をもち、)キリストにあって語っているのである、愛する者たちよ、しかしすべてはあなた達(の信仰)を造りあげるためである。 |
前田訳 | あなた方は前からわれらが弁明しているとお思いでしょう。しかしわれらは神の前に、キリストにあって語っているのです。親しい方々、すべてはあなた方の形成のためです。 |
新共同 | あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。 |
NIV | Have you been thinking all along that we have been defending ourselves to you? We have been speaking in the sight of God as those in Christ; and everything we do, dear friends, is for your strengthening. |
註解: 「この手紙を見て汝らは我らが汝らを審判人と仰ぎ、汝らの好感を得んとする如き態度を以て汝らに対して弁明し、汝らの信頼を恢復せんとする意気地なき態度を取っているものと思ったであろう。しかしそうでは無い、我らは「人の審判によりて審かれることを最も少き事とし」(Tコリ4:3)「神の前に」語っているのである。故に人が如何に思うかは眼中に無い、また「キリストに在りて」語っている。故に真実にして利欲や虚偽は無く、人の歓心を買わんとする如きことは毫 も無い
註解: パウロが自己弁明の如き事を永々と繰返した目的を、パウロはここに始めて言明しているのであって、それは自己弁明ではなくコリントの信徒の徳を建てその信仰の進歩発達の為であった。即ちパウロに対する誤解が多くの悪事(次節に列挙される如き)の源を為しているのみならず、また真の福音を受けず他のキリストを信ずる如き事も皆パウロの使徒職、人格、行動を誤解するより起るのである。故にこれを弁明する目的はこれによりて汝らを矯正し、信仰を建て上げんが為であるとパウロは主張しているのである。
12章20節 わが
口語訳 | わたしは、こんな心配をしている。わたしが行ってみると、もしかしたら、あなたがたがわたしの願っているような者ではなく、わたしも、あなたがたの願っているような者でないことになりはすまいか。もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、ざんげん、高慢、騒乱などがありはすまいか。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしが行って、わたしが願っているようでないあなた達を見たり、あなた達が願っていないような(きびしい)わたしをあなた達に見られることがあってはと、心配しているのだから。すなわち、(まだあなた達の間に)争い、嫉妬、激怒、利己的行動、そしり、陰口、高ぶり、無秩序(など)があってはと、心配している。 |
前田訳 | わたしはおそれます。そちらへ行ったとき、あなた方はわたしの欲するものでなく、わたしもあなた方の欲するものでないことになりませんか。争い、妬み、怒り、対立、そしり、陰口、高ぶり、騒ぎがありはしませんか。 |
新共同 | わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。 |
NIV | For I am afraid that when I come I may not find you as I want you to be, and you may not find me as you want me to be. I fear that there may be quarreling, jealousy, outbursts of anger, factions, slander, gossip, arrogance and disorder. |
註解: パウロの自己弁明は一方コリント人に誤解を示して、彼ら自身の行為の改むべき点を覚らしめ、他方彼らをして真の使徒の如何なるものなるかを示して、パウロに対する正しき期待を持たしめんが為であった。コリント人がパウロの望みの如くならざる場合は20及び21節に記され、パウロがコリント人の望みの如くならざる場合は13:1以下に記されている
かつ
註解: 偽使徒が勢力を逞 しくし、正しき使徒に対して悪評をなしコリント教会を分離せしむる場合には、ここに列記せる如き悪結果が生ずる事は自然であって、パウロは第一にこれを恐れていたのである。
12章21節 また
口語訳 | わたしが再びそちらに行った場合、わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはすまいか。 |
塚本訳 | わたしが行ったとき、もう一度わたしの神があなた達の所でわたしに面目を失わせられるのではないか、そして前に罪を犯し、(なお)その行なった汚れと不品行と放蕩とを悔改なかった大勢の人(のこと)を惜しみ悲しまねばならないのではないか、それをわたしは心配している。 |
前田訳 | わたしがふたたび行くとき、わが神がわたしをあなた方の前ではずかしめたまわないでしょうか。そのうえ、前に罪を犯し、そのなした汚れと不義と色ごとを悔い改めない多くの人のことを悲しまないでしょうか。 |
新共同 | 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。 |
NIV | I am afraid that when I come again my God will humble me before you, and I will be grieved over many who have sinned earlier and have not repented of the impurity, sexual sin and debauchery in which they have indulged. |
註解: パウロの訓戒が少しも遵法 せられずにいるならば、彼は神の前に恥ぢしめられるであろう、これ第二の恐れであった
註解: 私訳「前に罪を犯し、而してその行える不潔と姦淫と好色とを悔改めざる多くの、人々につき我が悲しむことあらんかと恐る」。パウロの思想はここに10−12章に論じたる自己の誇の問題より遡って再びUコリ1:23−2:11。Uコリ7:5−16等の問題に立ち返っている。これ彼の心を支配していた重大問題であった。而してコリントの状態が彼の努力にも関わらず、なお其の不潔を改めざる如き場合を彼は恐れていた。
要義 [パウロの行動を支配する原則]12:19節はパウロの行動の原則を示して遺憾なき一節である。彼はその愚 を標榜しつつ縷々 として自己の弁明を行った。これを聞きて人或はパウロを以って名を求むるに汲々たる者となし、またコリント人の歓心を得る事に熱心なるものと解したであろう、しかしながらこれ等は凡て誤解であった。彼の求めしものは名では無く、コリント教会の人々の徳を建つる事であった。彼の欲したものはコリント人の歓心ではなく、神の喜び給う事であった、故に彼は「キリストに在りて神の前にて語った」のである。故にその弁明がたとへ自己弁護であるにしても、毫 も卑劣なる心持を発見する事ができないのはそのためであって、若しこのパウロの弁護が、自己の名誉の擁護や勢力の扶植が目的であったならば、到底我らはこれを聴くに耐えないであろう。一見類似の行動であってもその動機と態度との差によりて非常なる差異が生ずる事あるはこれによりて知る事ができる。