黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第7章

分類
5 結婚問題に就て 7:1 - 7:40
5-1 独身生活と結婚生活の優劣 7:1 - 7:9

註解: 当時コリントの信徒間には一方前章の如き堕落が行われたと共に、他方真面目に純潔なる生活を送らんと熱望する者があつた。其の結果種々の疑問を生じ、是をパウロに書き送つて(1節)その意見をもとめた。その疑問は(1)結婚生活と独身生活と何れを選ぶべきか(答1-9)、(2)若し既に結婚生活を送つている者、殊に其の一方が未信者なる場合には如何にすべきか(答10-16)(3)自己の地位身分を如何に処理すべきか(答17-24)(4)処女及寡婦は結婚せしむべきか(答25-40)等であつた。パウロは順を逐うて之に対し答を与えている。キリストの再臨が近いと云うことが、パウロの答の全体を貫く骨子である。

7章1節 (なんぢ)らが(われ)()きおくりし(こと)()きては、(をとこ)(をんな)()れぬを()しとす。[引照]

口語訳さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。
塚本訳また、あなた達が(わたしに)書いている(結婚の)ことについては、(こう答える。)──(出来れば)男は女に触れないがよい。
前田訳あなた方がお書きのことについてですが、男が女に触れないのはよいことです。
新共同そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい。
NIVNow for the matters you wrote about: It is good for a man not to marry.
註解: パウロは先づ第一に人は必ず結婚しなければならぬものでは無い。独身生活で結構である、独身生活を送ると云う事は本来立派な事である。殊にキリストの再臨も近い事であれば尚更であると教えている。
辞解
[善しとす] 茲では道徳的善悪の意味では無い、即ち独身生活が善で結婚生活が罪悪であると云うのでは無い。パウロはかかる思想を決して持たなかつた。茲では「結構である」との意味である。
[何々に就きては] 此の用語は先方よりの質問に答うる形であつて尚Tコリ7:25Tコリ8:1Tコリ12:1Tコリ16:1Tコリ16:12

7章2節 ()れど淫行(いんかう)(まぬか)れんために、(をとこ)はおのおの()(つま)をもち、(をんな)はおのおの()(をっと)()つべし。[引照]

口語訳しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。
塚本訳ただ不品行をさけるために、それぞれ自分の妻を持て、またそれぞれ自分の夫を持て。
前田訳しかし、不品行を避けるために、男はおのおのその妻を持ち、女はおのおのその夫をお持ちなさい。
新共同しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。
NIVBut since there is so much immorality, each man should have his own wife, and each woman her own husband.
註解: パウロは茲で結婚の動機及本質が単に淫行を免れるが為である事を言うのでは無い。彼は結婚の意義が更に深く潔いものである事を知つていた(エペ5:22-33)。唯茲では独身生活は結構ではあるが、淫行の罪に陥る恐があるから、独身生活をして此の罪に陥るよりは、之を免れん為めに各結婚すベし、而も一夫一妻の関係に入るべしと云う意味である。

7章3節 (をっと)はその(ぶん)(つま)(つく)し、(つま)もまた(をっと)(しか)すべし。[引照]

口語訳夫は妻にその分を果し、妻も同様に夫にその分を果すべきである。
塚本訳夫は妻に対して(夫婦の)務めを果たせ、妻も同様に夫に対して務めを果たせ。
前田訳夫は妻に、妻は同じく夫に、その分を果たしなさい。
新共同夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。
NIVThe husband should fulfill his marital duty to his wife, and likewise the wife to her husband.
註解: 結婚した者も純潔なる生活を送るが為めに性交を断つべしとの意見に対して反対し互に其の分を尽すべきを示す。

7章4節 (つま)(おの)()支配(しはい)する(けん)をもたず、(これ)()(もの)(それ)なり。()くのごとく(をっと)(おの)()支配(しはい)する(けん)()たず、(これ)()(もの)(つま)なり。[引照]

口語訳妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である。
塚本訳(夫婦の体は共有で、)妻は自分の体を自由にする権利をもたない。夫がそれをもっている。夫も同様に、自分の体を自由にする権利をもたない。妻がそれをもっている。
前田訳妻は自らの体を意のままにしえず、夫がそうしえます。同様に夫も自らの体を意のままにしえず、妻がそうしえます。
新共同妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
NIVThe wife's body does not belong to her alone but also to her husband. In the same way, the husband's body does not belong to him alone but also to his wife.
註解: 夫婦の身は性的関係に於て最早や自分の自由に処置すべきものでは無く、他の一方が之を支配しているのである。

7章5節 (あひ)(とも)(こば)むな、ただ(いのり)()(ゆだ)ぬるため合意(がふい)にて(しばら)(あひ)(わか)れ、(のち)また(とも)になるは()し。これ(なんぢ)らが(じゃう)(きん)じがたきに(じょう)じてサタンの(いざな)ふことなからん(ため)なり。[引照]

口語訳互に拒んではいけない。ただし、合意の上で祈に専心するために、しばらく相別れ、それからまた一緒になることは、さしつかえない。そうでないと、自制力のないのに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑するかも知れない。
塚本訳互に(夫婦の務めを)拒んではならない。ただ、祈りに身を捧げるため、申し合せの上でしばらく間をおき、あとでまた一しょになるような場合は別として。自制力が足りないのに乗じて、悪魔があなた達を誘惑することのないためである。
前田訳互いに遠ざけないようになさい。ただ、合意の上で、しばらくの間、祈りに身をささげ、ふたたびいっしょになるのは別です。それは自制力のないとき、サタンがあなた方を誘惑しないためです。
新共同互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。
NIVDo not deprive each other except by mutual consent and for a time, so that you may devote yourselves to prayer. Then come together again so that Satan will not tempt you because of your lack of self-control.
註解: 婚姻生活は同棲の生活であつて、性的結合を継続すべきである、之を拒む事は却て不自然であり、之によつて情の禁じ難きに至り、サタンの誘う処となり淫行の罪に陥る恐がある。但し専心祈りに従事する為めに一定の時日の間、合意にて別れる事は此の限りでは無い。旧約時代に於ても、聖所に近付く場合等には(出19:15Tサム21:5)婦人を近付けなかつた。重大なる場合に専心に祈らんとする時は此の種の節制は必要である。異本に「断食と祈」とあるけれども後日の挿入である。

7章6節 されど()()くいふは(めい)ずるにあらず、(ゆる)すなり。[引照]

口語訳以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。
塚本訳(今わたしは妻を持った方がよいと言ったが、)しかしこれは(あなた達の弱さを思いやって)譲歩して言うのであって、命令するのではない。
前田訳これをいうのは譲歩であって、命令ではありません。
新共同もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。
NIVI say this as a concession, not as a command.
註解: 「即ち第2節に「各人結婚すべし」と薦めたのは之を命令する意味では無く、差支が無いとの意見を述べたに過ぎない」。第3-5節は本論より分れて岐論に入つたのであつて結婚生活者の義務を示していて、結婚生活の可否とは別の問題に(わた)つている。第6節は再び第2節に連絡している(異説あり)。

7章7節 わが(ほっ)する(ところ)は、すべての(ひと)()(ごと)くならん(こと)なり。()れど(かみ)より各自(おのおの)おのが賜物(たまもの)()く、(これ)()のごとく、(かれ)(かれ)のごとし。[引照]

口語訳わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている。
塚本訳(欲を言えば、)人が皆、わたしのよう(に独身)であってもらいたい。しかしそれぞれ神からいただいた独自の賜物があって、この人はこう、あの人はこうである。(独身も恩恵、結婚も恩恵である。)
前田訳わたしが願うのは、すべての人がわたしのようであることです。しかし、おのおのが神からの賜物を持っています。この人はこのように、あの人はあのようにです。
新共同わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
NIVI wish that all men were as I am. But each man has his own gift from God; one has this gift, another has that.
註解: 「結婚生活は差支が無いけれども、我が希望を云うならば我が如く独身生活を送る事である。併し乍ら是は独身生活を送るべき賜物(肉体的又は精神的、又は双方の)を受けているもののみ之を()くするのであつて、キリストも既に此の事を我らに示し給うた(マタ19:10-12)。賜物が異れば、其の生活も自ら異らざるを得ない。」

7章8節 (われ)婚姻(こんいん)せぬ(もの)および寡婦(やもめ)()ふ。もし()(ごと)くにして()らば、(かれ)()のために()し。[引照]

口語訳次に、未婚者たちとやもめたちとに言うが、わたしのように、ひとりでおれば、それがいちばんよい。
塚本訳しかし独身の者および寡婦に言う、もしわたしのようにして通すならば、それが(一番)よい。
前田訳独身の男性とやもめの女性に申します、わたしのようにしているのはよいことです。
新共同未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。
NIVNow to the unmarried and the widows I say: It is good for them to stay unmarried, as I am.
註解: 茲に「婚姻せぬ者」と訳せられし語の原語は「配偶者なきもの」の意であつて時に未婚の女にも用いるけれども、茲では主として未婚の男子及び妻を失える男を指していると見るべきである。何となれぼ「処女」に就ては25節以下に言つているからである。パウロはかかる人々がパウロと同じく独身生活を送る事が彼らの為めに(よろ)しい事である事を繰返している。蓋しパウロはキリストの再臨が近きことを感じていたからである。尚其の理由につきでは26節註及び40節要義一を見よ。

7章9節 もし(みづか)(せい)すること(あた)はずば婚姻(こんいん)すべし、婚姻(こんいん)するは(むね)()ゆるよりも(まさ)ればなり。[引照]

口語訳しかし、もし自制することができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。
塚本訳しかし自制ができないのなら、結婚せよ。情欲に燃えるより、結婚する方が善いからである。
前田訳自制できなければ結婚なさい。情に燃えるよりは結婚する方がよいからです。
新共同しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです。
NIVBut if they cannot control themselves, they should marry, for it is better to marry than to burn with passion.
註解: 独身生活の賜物が無い場合に独身生活を送るのは(よろ)しくない、かかる人は肉の慾のために胸が燃え、之によりてキリストを忘れキリストに対する忠誠を失う危険がある。故に婚姻はある意味に於て煩労ではあるけれども(Tコリ7:28-34)胸が燃えるに比して勝つている。

5-2 離婚に関する心得 7:10 - 7:17

7章10節 われ婚姻(こんいん)したる(もの)(めい)ず((めい)ずる(もの)(われ)にあらず、(しゅ)なり)(つま)(をっと)(わか)るべからず。[引照]

口語訳更に、結婚している者たちに命じる。命じるのは、わたしではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。
塚本訳しかし結婚した者に命ずる、命ずるのはわたしではなく主である。妻は夫と別れてはならない。
前田訳結婚した人たちに命じます。わたしでなくて主がお命じです。妻は夫から別れてはなりません。
新共同更に、既婚者に命じます。妻は夫と別れてはいけない。こう命じるのは、わたしではなく、主です。
NIVTo the married I give this command (not I, but the Lord): A wife must not separate from her husband.
註解: 「婚姻したる者」とは8節12節の人々以外のものであつて即ち夫婦の双方とも基督教徒の場合である。かかる者はキリストの命により(マタ5:32其他)姦淫の場合以外は絶対に離婚すべきでは無い。パウロが「命ずるは我にあらず主なり」と附言せる所以は12節25節等の場合と異る事を示す。

7章11節 もし(わか)るる(こと)あらば、(とつ)がずして()るか、(また)(をっと)(やわら)げ。[引照]

口語訳(しかし、万一別れているなら、結婚しないでいるか、それとも夫と和解するかしなさい)。また夫も妻と離婚してはならない。
塚本訳──しかし別れたのなら、独身でいるか、夫と仲直りをせよ。──夫も妻と離婚してはならない。
前田訳もしそれでも別れたならば、結婚せずにいるか、夫と和解するかになさい。夫は妻を離別してはなりません。
新共同――既に別れてしまったのなら、再婚せずにいるか、夫のもとに帰りなさい。――また、夫は妻を離縁してはいけない。
NIVBut if she does, she must remain unmarried or else be reconciled to her husband. And a husband must not divorce his wife.
註解: 基督者の夫婦と雖も事実別居の不幸が絶無であるとは限らない。(パウロはかかる事実を事実として取扱つている。)かかる場合に他に嫁ぐならばそれは姦淫である(マタ5:32)。それ故に嫁がずに居りて帰復の機会を作る事が当然の必要である。パウロは此の意味に於て「嫁がずに居」る事をすすめたのである。而してパウロは独身生活をすすめているにも関わらず、かかる機会を利用して別居生活を奨励するが如き事をしない。

(をっと)もまた(つま)()るべからず。

註解: 10節の妻に対する訓戒と同一事である。妻よりは「別る」と云い、夫よりは「去る」と云つたのは東洋の思想習慣により夫を基本として言つているのである。

7章12節 その(ほか)(ひと)(われ)いふ((しゅ)()(たま)ふにあらず)もし(ある)兄弟(きゃうだい)()信者(しんじゃ)なる(つま)ありて(とも)()ることを()しとせば、(これ)()るな。[引照]

口語訳そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
塚本訳しかしそのほかの人たちに、わたしが言う、主ではない。ある兄弟が不信者の妻を持ち、彼女が彼と一しょに生活することを喜ぶなら、離婚してはならない。
前田訳その他の人々に、主でなくわたしが申します。兄弟に信者でない妻があり、彼女がこころよくいっしょに住むならば、彼女を離別してはなりません。
新共同その他の人たちに対しては、主ではなくわたしが言うのですが、ある信者に信者でない妻がいて、その妻が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼女を離縁してはいけない。
NIVTo the rest I say this (I, not the Lord): If any brother has a wife who is not a believer and she is willing to live with him, he must not divorce her.

7章13節 また(をんな)()信者(しんじゃ)なる(をっと)ありて(とも)()ることを()しとせば、(をっと)()るな。[引照]

口語訳また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
塚本訳また、不信者の夫を持ち、その夫が彼女と一しょに生活することを喜ぶ場合の妻は、夫と離婚してはならない。
前田訳信者でない夫のある妻は、彼がこころよくいっしょに住むならば、彼を離別してはなりません。
新共同また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない。
NIVAnd if a woman has a husband who is not a believer and he is willing to live with her, she must not divorce him.
註解: 夫が信者で妻が不信者なる場合又は妻が信者で夫が不信者なる場合に対するパウロの態度を茲に示している。かかる状態は夫婦の一方のみが先に信仰に入りし場合、又は信者と未信者との結婚によつて生じて来る。キリストはかかる場合につきて教訓を与え給わなかつた。而してパウロも亦自己の判断が直接に主より霊感によつて受けているとの自信も無かつた。夫故に彼は特に自己の意見なる事を附言し、而して後、かかる場合には不信者なる一方の希望にまかすべきである事を教えている。是れ最も人情に叶い、事実に適合している処置である事は明かであるけれども、不信者により此の結婚が汚れたものとならないかどうか、と云う問題が尚お当時の信者の心に残されし疑問であつた。パウロは是に対し次の如くに説明している。

7章14節 そは()信者(しんじゃ)なる(をっと)(つま)によりて(きよ)くなり、()信者(しんじゃ)なる(つま)(をっと)によりて(きよ)くなりたればなり。[引照]

口語訳なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によってきよめられているからである。もしそうでなければ、あなたがたの子は汚れていることになるが、実際はきよいではないか。
塚本訳(夫婦は結婚生活で一体となるため、)不信者の夫は(信者の)妻によってすでにきよめられており、不信者の妻は兄弟(すなわち信者の夫)によってすでにきよめられているからである。そうでなければ、あなた達の子供は清くないはずであるが、現に彼らはきよい(と認められている)ではないか。
前田訳それは、信者でない夫は妻によってきよめられており、信者でない妻は夫によってきよめられているからです。そうでなければあなた方の子は汚れているのですが、現に彼らはきよいのです。
新共同なぜなら、信者でない夫は、信者である妻のゆえに聖なる者とされ、信者でない妻は、信者である夫のゆえに聖なる者とされているからです。そうでなければ、あなたがたの子供たちは汚れていることになりますが、実際には聖なる者です。
NIVFor the unbelieving husband has been sanctified through his wife, and the unbelieving wife has been sanctified through her believing husband. Otherwise your children would be unclean, but as it is, they are holy.
註解: 難解の一節である。蓋しパウロは常に家族が神の目に一体である事を信じていた(使16:31)。而して神の力と暗黒の力とが相合する時には、神の力が必ず勝つべきものなる事も亦彼の信仰であつた。夫故に一体となれる夫婦の一方が未信者なる場合に於て、他の一方の信仰によりて未信者も潔くなり、聖別せられしものと認められると云うのである(ロマ11:16Tテモ4:5

()なくば(なんぢ)らの子供(こども)(きよ)からず、されど(いま)(きよ)(もの)なり。

註解: (▲幼児洗礼の問題については附記2参照)「汝ら」とある点より見れば、信者全体を意味していると見なければならない。子供はその信者より生れしと未信者より生れしとを論ぜず、アダムの子として皆罪人である。然るに信者の子は(夫婦の一方が未信者であつても)潔いものと見られていた、即ち信者の如くに取扱われていた。其の理由は其子はその親の信仰によりて潔くせられたからである。故にパウロは言う「若し夫婦の一方の信仰によりて他方が潔くせられないものならば、同じ理由により信者の子供も潔くない筈である。然れど今は現在に於て既に潔い者である。是と同様に夫婦の一方も他方の信仰によりて潔くせられている」と。

7章15節 ()信者(しんじゃ)みづから(はな)()らば、その(はな)るるに(まか)せよ。()くのごとき(こと)あらば、兄弟(きゃうだい)または姉妹(しまい)、もはや(つな)がるる(ところ)なし。[引照]

口語訳しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させるために、召されたのである。
塚本訳しかし不信者の夫(なり妻なり)が別れるなら、別れさせよ。こんな場合に、兄弟なり姉妹なり(つまり信者)は(結婚に奴隷として)束縛されてはいない。神は平和な生活へあなた達をお召しになったのである。(無理があるのは、御心ではない。)
前田訳もし信者でないものが別れるならば、別れさせなさい。そのような場合には兄弟または姉妹は縛られません。神は平和へとあなた方をお召しになったのです。
新共同しかし、信者でない相手が離れていくなら、去るにまかせなさい。こうした場合に信者は、夫であろうと妻であろうと、結婚に縛られてはいません。平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。
NIVBut if the unbeliever leaves, let him do so. A believing man or woman is not bound in such circumstances; God has called us to live in peace.
註解: 茲には10、11節の主の命は適用されない。夫故にかかる場合には離婚は自由である。そして離婚した場合にその兄弟姉妹は更に他と結婚する事が出来る(カトリツク教会及びある学者は之に反対している)。蓋しパウロは此の場合は神の合せ給える結婚で無い故にマタ5:32マタ19:9に違反しないと考えたのであろう。
辞解
[繋がれる所なし] 「奴隷とせらる必要なし」と云う意味で39節の「繋がる」よりも強い意味の字である。

(かみ)(なんぢ)らを()(たま)へるは平和(へいわ)()させん(ため)なり。

註解: (私訳)「神は汝らを平和に在りて召し給いたればなり」故に本来平和の状態にいるべきものが未信者と争論の状態に陥る事は神が我らを召し給える本旨に反している。
辞解
[平和] 原語 in peace で into peace ではない故に難解ではあるがかく訳解すべきである。

7章16節 (つま)よ、(なんぢ)いかで(をっと)(すく)()るや(いな)やを()らん。(をっと)よ、(なんぢ)いかで(つま)(すく)()るや(いな)やを()らん。[引照]

口語訳なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。
塚本訳なぜか。妻よ、夫を(信仰に導いて)救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。また夫よ、妻を救うことができるかどうか、どうしてわかるのか。
前田訳妻よ、夫を救いうるか、どうしてわかりますか。夫よ、妻を救いうるか、どうしてわかりますか。
新共同妻よ、あなたは夫を救えるかどうか、どうして分かるのか。夫よ、あなたは妻を救えるかどうか、どうして分かるのか。
NIVHow do you know, wife, whether you will save your husband? Or, how do you know, husband, whether you will save your wife?
註解: 故に去らんとする相手方を改宗せしめんとて強て引留むる事は、自己のカを考えない僣越である。且つ、その為めに平和を失い神の召し給える本旨に反する事となるであろう。

7章17節 (ただ)おのおの(しゅ)(わか)(たま)ふところ、(かみ)()(たま)ふところに(したが)ひて(あゆ)むべし。(すべ)ての教會(けうくわい)()(めい)ずるは()くのごとし。[引照]

口語訳ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべきである。これが、すべての教会に対してわたしの命じるところである。
塚本訳むしろ、(何事も)主が各自に分けあたえられたところに即し、神が各自を召されたところに即して、歩かねばならない。そして(あなた達だけでなく)、すべての集会にわたしはこのように言いつける。
前田訳おのおのに主がお定めのように、おのおのを神がお召しのように、そのままに歩むべきです。このようにすべての集まりにわたしはいいつけています。
新共同おのおの主から分け与えられた分に応じ、それぞれ神に召されたときの身分のままで歩みなさい。これは、すべての教会でわたしが命じていることです。
NIVNevertheless, each one should retain the place in life that the Lord assigned to him and to which God has called him. This is the rule I lay down in all the churches.
註解: 但し各々の場合々々により或は留るをよしとする事情と、去るをよしとする事情とがあるのであるから、其の場合に応じて各々のキリストの分ち賜う処の境遇や性質の如何により、又神より召されし地位の如何に従つて行動すべきである。或物は信者と信者との結婚関係に於て召され或るものは一方不信者として召されている、後者は又不信者が結婚を継続する事を欲する場合と之を欲せざる場合とがあつて主の分ち賜う運命が異つている。是等(おのおの)の場合にそれに応じて行動すべきであつて、千変一律の規則は有り得ない。凡てが主の御業、主の賜物である。パウロは何れの教会に対しても斯の如くに命じていた。▲尚、要義1、要義2を参照すべし。

5-3 信者とその身分との関係 7:18 - 7:24

7章18節 割禮(かつれい)ありて()されし(もの)あらんか、その(ひと)割禮(かつれい)()つべからず。割禮(かつれい)なくして()されし(もの)あらんか、その(ひと)割禮(かつれい)()くべからず。[引照]

口語訳召されたとき割礼を受けていたら、その跡をなくそうとしないがよい。また、召されたとき割礼を受けていなかったら、割礼を受けようとしないがよい。
塚本訳ある人が割礼を受けていたときに召されたのか。(それなら信者になったからとて、)割礼の跡をもどすべきではない。ある人が割礼なしで召されているのか。(それなら信者になってからも、)割礼を受けるべきではない。
前田訳だれかが割礼されていて召されたのですか。その人は割礼を包み隠してはなりません。だれかが無割礼で召されたのですか。その人は割礼を受けてはなりません。
新共同割礼を受けている者が召されたのなら、割礼の跡を無くそうとしてはいけません。割礼を受けていない者が召されたのなら、割礼を受けようとしてはいけません。
NIVWas a man already circumcised when he was called? He should not become uncircumcised. Was a man uncircumcised when he was called? He should not be circumcised.
註解: 前節にパウロは「神の召し給うところに循いて歩むべし」と教えつつある間にパウロの思想は結婚問題より転じて信者の身分問題に入つて行つた。ユダヤ人は割礼を受くる習慣がある、故にユダヤ人として基督者となつたものは其の召されし所に循いその割礼を廃せずにして其の子等にも割礼を施すべきである。是れ基督者たるに何等の差支が無い。同様に割礼なくして召されし者、即ちユダヤ人以外の人で信者となつたものは割礼を受くる必要が無い、ユダヤ人にあらずとも何等恥づる処が無い。西洋人として召されし者は西洋人らしく日本人として召されし者は日本人らしく振舞うべし。

7章19節 割禮(かつれい)()くるも()けぬも(かぞ)ふるに()らず、ただ[(たふと)きは](かみ)誡命(いましめ)(まも)ることなり。[引照]

口語訳割礼があってもなくても、それは問題ではない。大事なのは、ただ神の戒めを守ることである。
塚本訳割礼も、なんでもない、割礼なしも、なんでもない。意味があるのは神の掟を守ることだけである。
前田訳割礼は何でもないこと、無割礼も何でもないことで、神のおきてを守ることが大切です。
新共同割礼の有無は問題ではなく、大切なのは神の掟を守ることです。
NIVCircumcision is nothing and uncircumcision is nothing. Keeping God's commands is what counts.

7章20節 各人(おのおの)その()されし(とき)(さま)(とどま)るべし。[引照]

口語訳各自は、召されたままの状態にとどまっているべきである。
塚本訳各自がお召しを受けた時の状態に留まっておれ。
前田訳おのおのが召されたときの状態にとどまっていなさい。
新共同おのおの召されたときの身分にとどまっていなさい。
NIVEach one should remain in the situation which he was in when God called him.
註解: ユダヤ人である事を以て誇とするに足らない、又然らずとも恥づるに足らない。基督教国民と異教国民も同様である。かかる事に少しの誇も差別も持つてはならない、唯神の誡命(いましめ)を守りて神を悦ばせ奉る事のみが重要問題である、故に各人召されしままに留つて少しの差支が無い。パウロが身分や形式を濫りに無視しないと同時に、信仰の点に於ては遙に是等に超越していた事に注意しなければならない。

7章21節 なんぢ奴隷(どれい)にて()されたるか、(これ)(おも)(わづら)ふな(もし(ゆる)さるることを()ばゆるされよ)[引照]

口語訳召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい。
塚本訳あなたは奴隷として召されたのか。それを気にすることはない。かえって、(釈放されて)自由人になることが出来るとしても、むしろ(奴隷たる身分を)利用せよ。(そのままにしていたがよい。)
前田訳奴隷として召されたのですか。それを気になさるな。むしろたとえ自由になりえても、奴隷状態を利用なさい。
新共同召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。
NIVWere you a slave when you were called? Don't let it trouble you--although if you can gain your freedom, do so.
註解: 信仰に入れられ、神の愛に目覚めし者に取つては奴隷の状態は非常に苦痛である。それにも関わらずパウロは云う「奴隷にて召された場合には思い煩うな」と。蓋し人間に取つて最も貴きは神の誡を守る事であり、神は之を最もよろこび給うのであつて奴隷たる地位にある者もキリストの霊に充されつつ美わしき生活を送り神を悦ばし奉る事が充分に出来るからである。即ち信仰は心の変化であつて如何なる地位にありても此の心の変化は完全に成就する事が出来、而して奴隷と(いえど)も人に仕うるが如くならず主に事うるものとして人に事うる事が出来る。コロ3:24エペ6:5、6。是れ其の心が一変しているからである。併しもし(ゆる)される機会あらば之を利用して(ゆる)されるべきである、是れ心の自由を実現するが為には好都合の境遇であつて、一層自由に神に事え奉る事が出来るからである。▲尚、要義3を参照すべし。
辞解
括弧内は「たとひ(ゆる)されるとも尚〔奴隷の状態を〕用いよ」とも訳し得るのであつて、此の意味に取る学者もあるけれども、不適当である。

7章22節 ()されて(しゅ)にある奴隷(どれい)は、(しゅ)につける自主(じしゅ)(ひと)なり。()くのごとく自主(じしゅ)にして()されたる(もの)は、キリストの奴隷(どれい)なり。[引照]

口語訳主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、また、召された自由人はキリストの奴隷なのである。
塚本訳なぜなら、奴隷として召されて主にある者は、(罪の奴隷の状態から)主によって釈放された自由人であり、同様に、自由人として召された者は、キリストの奴隷(になったの)であるから。
前田訳主にあって召された奴隷は主の自由人です。同じように、召された自由人はキリストの奴隷です。
新共同というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。
NIVFor he who was a slave when he was called by the Lord is the Lord's freedman; similarly, he who was a free man when he was called is Christ's slave.
註解: たとい奴隷であつても召されて主につける信者は主キリストに順う外何人にも順わず、たとい主人に順うとも主に従う意味に於て、又其の範囲内に於てのみ順うが故に、事実何人の奴隷でも無い「主につける自主の者」である。同様に自主の者もキリストに召されし場合にはキリストの奴隷であつて、自分には何等の自由が無い。故に一旦主に召されし場合には本質上奴隷も自主も同一である。故に強て奴隷たる状態を脱する必要が無い。

7章23節 (なんぢ)らは(あたひ)をもて()はれたる(もの)なり。(ひと)奴隷(どれい)となるな。[引照]

口語訳あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。
塚本訳あなた達は(自由人にせよ奴隷にせよ、キリストの血の)代価を払って買われたのである、人間の奴隷になるな。
前田訳あなた方は代価をもって買われたのです。人間たちの奴隷にならないでください。
新共同あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。
NIVYou were bought at a price; do not become slaves of men.
註解: 「汝ら」即ち奴隷たる信者も自主たる信者も皆キリストの血汐を以て贖われ、罪の状態より救い出されたものである。即ち贖われて神の奴隷となつたものである。故に人の奴隷となつてはならない。神の奴隷とならないものはたとい自主のものでも実は人の奴隷となつているのであつて、神の奴隷となつているものはたとい人の奴隷であつても実は人の奴隷では無い。故に「人の奴隷となるな」とは「キリストの奴隷となれ」との意味である。

7章24節 兄弟(きゃうだい)よ、おのおの()されし(とき)(さま)(とどま)りて(かみ)(とも)()るべし。[引照]

口語訳兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえにいるべきである。
塚本訳兄弟たちよ、各自が召された時の状態で神の前に留まっておれ。
前田訳兄弟方、おのおのが召された状態で神の前にいてください。
新共同兄弟たち、おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい。
NIVBrothers, each man, as responsible to God, should remain in the situation God called him to.
註解: 20節後半と同一の語に更に神と偕にいるべき事を附加している。召されし時の状は如何なるものであつてもそれが当然に神に反しているもの(例へば遊女、賭博、高利貸等の如き)でない限り其処に止つているべきであつて唯要は神(とも)に在し給うか否かによつて其の地位が或は潔められ或は汚れているのである。神と(とも)にいれば如何なる場所も天国である。
要義1 [パウロの結婚観]パウロは結婚の意義につきては高き思想を持っていた。夫婦の関係はキリストと教会の関係と同じく、二者一体であり、夫は妻の首であり、夫は妻を愛し妻は夫に従うの関係であると解していた(エペ5:22-33)。夫故に単に淫行を免れる為(2節)又は自ら制する能わずして胸の燃ゆる事を防ぐが為め(9節)に結婚すべしと云うは、結婚の本質に関する彼の考えではない。結婚はパウロに取っても確かに貴き神の賜物であった。乍併パウロの心は神の賜物を感謝して()くる事以上に、キリストに事えんとの心を以て充されていた。心よりキリストに事えんが為めには彼は之を(さまた)ぐる凡てのもの(結婚の恩恵をすらも)を犠牲にして悔いなかった。故に彼はしきりに独身生活の最善なる所以を高調しているのである(178353840節)。唯独身生活のために、主の御栄を汚す恐ある場合(淫行)又は主に事うる心を乱される場合(胸燃ゆる如き)は寧ろ結婚生活を(えら)ぶべき事を教えているのである。彼は徹頭徹尾キリスト中心であって、キリストを離れて結婚を考える事が出来なかった。
要義2 [離婚に就て]欧洲諸国に於ては政治と宗教との一致により、聖書的立場より離婚の許可又は禁止の法律が行われている。従って離婚が許されざる場合には法律上は婚姻の解消を行わずに事実上別居して夫婦生活を行わずにいる者が多い。パウロの時代の世界には未だかかる法律が無く、皆各人の良心の問題に委せられていた。従って別居(11節)と離婚(15節)との差異は法律上の差異では無く当事者の意思如何に関っていた。故に夫婦の双方とも信者である場合には彼らは神の御旨に従ふ者であり、そして主が既に離婚の禁止をなし給える以上(マタ5:32)彼らには事実上別居する場合が有り得るとしても離婚の意思を持ち得る筈が無い。コリントの信者が誤って、かかる意思を持つに至る事有らん事を恐れてパウロが之を戒めたのであって(10、11節)勿論当然の事であった。
信者と不信者との結婚の場合につきては主より直接の命令が無かった(何となればマタ5:32等はユダヤ人即ち皆神を信ずる者の間の事柄であったからである)。故にパウロの考としては若し不信者が信仰の為めに信者の夫又は妻を捨て去る時は離婚が成立したものであって単なる別居では無い。何となれば不信者は神に反いて去ったのであって神の合せ給える結婚が成立して居ないからである。(パウロが茲にマタ5:32の離婚の禁止を万人に対する律法と解しなかった事に注意しなければならぬ)。故に兄弟姉妹は更に繋がれる事無く、他と結婚する事が出来る。
要義3 [奴隷解放とパウロ]奴隷制度は確かに悪制度であるにも関わらずパウロは何故に之を認容したのであるか。パウロは信仰によりて人は如何なる制度の下に在りても心の自由を得る事が出来ると同時に、如何なる悪制度も之を善用する事も出来又如何なる善制度も之を悪用する事が出来る事を見て、要は人の心の問題であって制度の問題は小さい事柄であると考えたのであろう。奴隷制度と(いえど)も若し主人が心よりその奴隷を愛するならば之に対して子の如き態度に出づる事が出来、子の如き自由を与える事が出来るであろう。神の奴隷たる基督者に対し、神は子たるの資格と嗣業とを与え、子としての愛を注ぎ給う。▲奴隷制度そのものの悪制度である事は勿論であるが人類歴史の進歩の初期に於いては止むを得ず存在を許されたものと見なければならない。従ってその法律的(殊に事実的)廃止は神の喜びである事勿論である。
要義4 [神の黙示の程度]三段に区別する事が出来る。其の一は主イエスの口より直接に与えられし御言であって福音書中の記事がそれである(10節)。其の二は使徒等がその使徒たる資格に於てキリストの霊に導かれて語れる言であって、使徒等の書翰の記事の殆んど全部がそれである。其の三は使徒等が其の信仰の立場より一信者として意見を述べた言であって前二者の如き権威は無いにしても、而も最も深い信仰の所有者が場合に応じて示されし判断である以上、信者として与えられる最上の判断として之に(なら)うべきものである(122540節)。此の何れも神の黙示たる事を失わない。
附記1 [パウロは独身者なりしや]否やにつき第8節を基礎として二説あり、「婚姻せぬ者」なる文字が未婚者及び妻を失える男子に適用せられるので、パウロは前者であったか後者であったかに就て議論が別れるのである。結婚生活に深き理解を有する点より見れば(593233節)後者であったとの説も有力であり、パウロがダマスコ途上に於て回心せる時はまだ青年であった点より、其後結婚の機会が無かったろうと云う事から見れば前者であったとの説が有力である。何れとも確定する材料が無い。
附記2 [嬰児洗礼に就て]嬰児に洗礼を行ふ事を得ると云う根拠として第14節が主として引用せられるのを常とし、カトリック教会は勿論新教会も多く之を行って来た。但し当時コリントの教会其他に嬰児洗礼が行われていたかどうかと云う点に就ては此の第14節を基礎として全然異った二つの結論を生じている。多くの独逸の学者は此の節を以て当時嬰児洗礼なるものが無かった証拠と見ている。其故はパウロが茲に信者の子を潔しと認むる理由が、信者の信仰に在りて其の子の信仰や洗礼に在るのでは無く、此の点に於て信者を配偶者とする不信者の夫又は妻と同一であると論じているからである。然るに反対の学者は洗礼は潔い事の原因では無く其の証拠であるから、パウロが信者の子を「潔し」と断言したのは此の洗礼の事実があったからであると主張するのである。予は前説を正しいと思う。後者は嬰児洗礼の弁護のために牽強付会(けんきょうふかい)されたものである。
然のみならず此の節を以て嬰児洗礼を行うべきものとする理由は薄弱である。若し是を以て其の理由とするならば、夫婦の一方が先づ召されて信仰に入り、他の一方が之と結婚生活を続ける事を望む場合には、信者の信仰により他方も潔くされるのであって、彼らも同時に洗礼を受くる事が出来る筈である。然るに嬰児洗礼を主張する人々もかかる主張を為さないのは明かに矛盾である。

5-4 処女及寡婦の結婚に就て 7:25 - 7:40

7章25節 處女(をとめ)のことに()きては(しゅ)(めい)()けず、[引照]

口語訳おとめのことについては、わたしは主の命令を受けてはいないが、主のあわれみにより信任を受けている者として、意見を述べよう。
塚本訳また、(伝道する者を助けている)処女について(あなた達が書いて来ているが、これに)は、(離婚の場合のような)主の命令がわたしには(まだ)ない。しかし主の憐れみをうけて信頼されている者として、(わたし自身の)意見を述べる。
前田訳おとめのことについては、わたしは主の命を受けていません。わたしは主にあわれまれた信ずべきものとして意見をのべます。
新共同未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
NIVNow about virgins: I have no command from the Lord, but I give a judgment as one who by the Lord's mercy is trustworthy.
註解: 主キリストの御言によりても、又キリストの霊の黙示によりても、明かな命をパウロは受けた事が無い。

()れど(しゅ)憐憫(あはれみ)によりて忠實(ちゅうじつ)(もの)となりたれば、()意見(いけん)()ぐべし。

註解: パウロは忠実即ち信仰的である事を自任していたけれども、是をも主の憐憫に帰していた。「我が意見」と称して殊に主の命より区別している。

7章26節 われ(おも)ふに、目前(まのあたり)患難(なやみ)のためには、(ひと)その()るが(まま)にて(とどま)るぞ()き。[引照]

口語訳わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人は現状にとどまっているがよい。
塚本訳それで、わたしの考えでは、患難が目の前に迫っているのだから、これがよろしい、すなわち人は現状維持がよろしい。
前田訳今迫っている危機のため、わたしはこれがよい、すなわち、人がそのままにあるのがよいと思います。
新共同今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。
NIVBecause of the present crisis, I think that it is good for you to remain as you are.
註解: キリストの再臨は近い、其の前に大なる患難の日があるであろう(マタ24:8マタ24:19マタ24:21等)。故に最早や家庭の快楽を享楽すべき時ではない。

7章27節 なんぢ(つま)(つな)がるる(もの)なるか、()くことを(もと)むな。(つま)(つな)がれぬ(もの)なるか、(つま)(もと)むな。[引照]

口語訳もし妻に結ばれているなら、解こうとするな。妻に結ばれていないなら、妻を迎えようとするな。
塚本訳あなたはすでに妻に縛られているのか。解くことを求めるな。妻に結ばれていないのか。妻を求めるな。
前田訳あなたは妻に縛られていますか。それを解こうとなさるな。妻に結ばれていないのですか。妻を求めなさるな。
新共同妻と結ばれているなら、そのつながりを解こうとせず、妻と結ばれていないなら妻を求めてはいけない。
NIVAre you married? Do not seek a divorce. Are you unmarried? Do not look for a wife.
註解: 処女のみならず一般に、現状のままに留まる事が最上である事の原則を示す。

7章28節 たとひ(つま)(めと)るとも(つみ)(をか)すにはあらず。處女(をとめ)もし(とつ)ぐとも(つみ)(をか)すにあらず。()れどかかる(もの)はその()苦難(くるしみ)()はん、(われ)なんぢらを苦難(くるしみ)()はすに(しの)びず。[引照]

口語訳しかし、たとい結婚しても、罪を犯すのではない。また、おとめが結婚しても、罪を犯すのではない。ただ、それらの人々はその身に苦難を受けるであろう。わたしは、あなたがたを、それからのがれさせたいのだ。
塚本訳しかしたといあなたが結婚したからとて、罪を犯したことにはならない。またたとえ処女が結婚しても、罪を犯したことにはならない。しかしこんな人たちは、肉体に苦しみがあるにちがいない。わたしはあなた達をそんな目に合わせたくないのである。
前田訳たとえあなたが結婚しても罪を犯すのではありません。おとめが結婚しても罪を犯すのではありません。しかしそれらの人々は肉に苦しみを受けるでしょう。わたしはあなた方をその目にあわせたくありません。
新共同しかし、あなたが、結婚しても、罪を犯すわけではなく、未婚の女が結婚しても、罪を犯したわけではありません。ただ、結婚する人たちはその身に苦労を負うことになるでしょう。わたしは、あなたがたにそのような苦労をさせたくないのです。
NIVBut if you do marry, you have not sinned; and if a virgin marries, she has not sinned. But those who marry will face many troubles in this life, and I want to spare you this.
註解: パウロが現状維持を未婚の男女に薦むる所以の一は彼らを愛するからであつて、彼らが来る可き患難に際して彼らが結婚生活に入つているがために、その患難の益々大なるべきを思つたからであつた。或人の云う如く結婚が罪だからではなかつた。

7章29節 兄弟(きゃうだい)よ、われ(これ)()はん、(とき)(ちぢま)れり。されば(これ)よりのち(つま)()てる(もの)()たぬが(ごと)く、[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、
塚本訳兄弟たちよ、わたしが言うのはこのことである。──時は迫った。(だから)今から後は、妻を持つ者は持っていない者のように、
前田訳兄弟方、わたしはこのことを申します。時は迫っています。今からは、妻のあるものはないもののように、
新共同兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、
NIVWhat I mean, brothers, is that the time is short. From now on those who have wives should live as if they had none;

7章30節 ()(もの)()かぬが(ごと)く、(よろこ)(もの)(よろこ)ばぬが(ごと)く、()(もの)()たぬが(ごと)く、[引照]

口語訳泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、
塚本訳泣いている者は泣いていない者のように、喜んでいる者は喜んでいない者のように、(物を)買う者は(何も)持っていない者のように、
前田訳泣くものは泣かぬもののように、喜ぶものは喜ばぬもののように、買うものは何も持たぬもののように、
新共同泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、
NIVthose who mourn, as if they did not; those who are happy, as if they were not; those who buy something, as if it were not theirs to keep;

7章31節 ()(もち)ふる(もの)(もち)(つく)さぬが(ごと)くすべし。()()状態(ありさま)()()くべければなり。[引照]

口語訳世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
塚本訳(つまり、)この世と交渉のある者は交渉がない者のように、しなくてはいけない。この世の姿は(じきに)消え去るのだから。
前田訳世を用いるものは用い尽さぬもののようにしてください。それは、この世の様は過ぎゆくからです。
新共同世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
NIVthose who use the things of the world, as if not engrossed in them. For this world in its present form is passing away.
註解: 「兄弟よ」は信者全体に対しての呼掛である。「時は縮れり」キリストの再臨は近付いている。夫故に我らの心は此の世の過行く一時的の状態に執着せずして、全く之と異れる将に来らんとする神の国の事を以て充されなければならぬ。従て家庭の愉快も(妻を持てる者云々)其の他の喜怒哀楽も(喜ぶもの泣くもの云々)又此の世の売買交通等の政治経済的生活も(世を用うるもの云々)之に没入する事無しに、世人の一般とは全く異つた立場に立つ事が必要である、結婚問題も此の心持を以て考える事を要する。
辞解
[世を用うる] 家庭的、社会的、経済的、政治的のあらゆる活動を包含している。
[用い尽さぬ] 此の世の生活に関係しても之に捉われず、之と不離の関係無きものの如き立場を取るべき事を意味している。

7章32節 わが(ほっ)する(ところ)(なんぢ)らが(おも)(わづら)はざらん(こと)なり。[引照]

口語訳わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、
塚本訳ただわたしはあなた達が、(この世のことに)気をつかわないでほしいのである。独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のこと(ばかり)に気をつかうが、
前田訳わたしが欲するのはあなた方がわずらわないことです。結婚していない人は、いかにして主によろこばれるかと主のことに心を配り、
新共同思い煩わないでほしい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、
NIVI would like you to be free from concern. An unmarried man is concerned about the Lord's affairs--how he can please the Lord.
註解: 思い煩いに依りて心は主より離れる。

婚姻(こんいん)せぬ(もの)如何(いか)にして(しゅ)(よろこ)ばせんと(しゅ)のことを(おもん)ぱかり、

7章33節 婚姻(こんいん)せし(もの)如何(いか)にして(つま)(よろこ)ばせんと、()のことを(おもん)ぱかりて(こころ)(わか)つなり。[引照]

口語訳結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。
塚本訳結婚している男は、どうしたら妻に喜ばれるかと、この世のことに気をつかって、
前田訳結婚した人はいかにして妻によろこばれるかと世のことに心を配ります。
新共同結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、
NIVBut a married man is concerned about the affairs of this world--how he can please his wife--
註解: (おもんぱか)り」は「思い煩う」と同字であつて、パウロが思い煩わざらん事を欲すと云つたのは33節の世の事につき思い煩わざらん事を欲する意味であり、主の事を(おもんぱか)るのはパウロの最も望む処である。此の二節の中にパウロ自身が凡ての家庭的束縛より離れて唯キリストの事のみを(おもんぱか) つている心が躍動している。

7章34節 婚姻(こんいん)せぬ(をんな)處女(をとめ)とは()(れい)(きよ)くならんために(しゅ)のことを(おもん)ぱかり、婚姻(こんいん)せし(もの)如何(いか)にしてその(をっと)(よろこ)ばせんと()のことを(おもん)ぱかるなり。[引照]

口語訳未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。
塚本訳心が割れるのである。また独身の女と処女とは、身も霊もきよくあろうとして、主のこと(ばかり)に気をつかうが、結婚している女は、どうしたら夫に喜ばれるかと、この世のことに気をつかうのである。
前田訳心が分かれるのです。結婚していない女とおとめとは、身も霊もきよくあるようにと主のことに心を配り、結婚した女はいかにして夫によろこばれるかと世のことに心を配ります。
新共同心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。
NIVand his interests are divided. An unmarried woman or virgin is concerned about the Lord's affairs: Her aim is to be devoted to the Lord in both body and spirit. But a married woman is concerned about the affairs of this world--how she can please her husband.
註解: 女の場合も32、33節と同様である。主の事のみを(おもん)ぱかる女はその身も霊も神の為めに聖別している。之に反し婚姻せる女の身は夫之を支配している(4節)。故に此の両者の間に主に事うる上に、大なる差異が起る事は当然である。

7章35節 わが(これ)()ふは(なんぢ)らを(えき)せん(ため)にして、(なんぢ)らに(ほだし)()かんとするにあらず、(むし)(なんぢ)らを(よろ)しきに(かな)はせ、餘念(よねん)なく只管(ひたすら)(しゅ)(つか)へしめんとてなり。[引照]

口語訳わたしがこう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである。
塚本訳しかしこれはあなた達自身の利益のために言うのであって、(もちろん)罠に掛け(て束縛す)るのではなく、むしろあなた達が品位を保つため、かつまた、余念なく主のもとにあって動かされないためである。
前田訳このことをわたしはあなた方のためにいうので、あなた方にわなをかけるためではありません。むしろあなた方が折目正しく生きて、余念なく主に仕えるためです。
新共同このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです。
NIVI am saying this for your own good, not to restrict you, but that you may live in a right way in undivided devotion to the Lord.
註解: パウロが独身生活をかくも主張する事をきいて、或者は心ならずも結婚の意思を翻し、之によつて苦痛を感ずる者が無いとも限らない。パウロはかかる意思が少しも無き事を茲に明かにし、唯専ら彼ら(未婚の男女及其の親)に益を得させん事より他に余念なき事を弁明している。而して此の益とは主の傍に坐して専心彼に事うる事である。信者の幸之に優るは無い。
辞解
[(ほだし)] 動物を捕うる場合に之に投げかける綱。
[(よろ)しきに(かな)はせ] 次節の「(よろ)しきに(かな)わず」の反対であつて「具合よく」なる俗語に高尚なる気分を加えた如き意味がある。
[余念なく] 「熱心に傍に(はべ)る」こと。主イエスこ対するマリアの態度の如き是である。

註解: ▲36-38節の口語訳は文語訳と非常に大きい差異を生じている。之は近代学者の一部の学説に由った解釈に基づいたもので言語の意味の上からも又当時の結婚観と之に伴う習慣から見ても適訳ではなく一の改悪である。パウロ時代の社会通念を基礎として考うべきものである。

7章36節 (ひと)もし處女(をとめ)たる(おの)(むすめ)(たい)すること(よろ)しきに(かな)はずと(おも)ひ、(とし)(ころ)もまた()ぎんとし、かつ(しか)せざるを()ずば、(こころ)のままに(おこな)ふべし。これ(つみ)(をか)すにあらず、婚姻(こんいん)せさすべし。[引照]

口語訳もしある人が、相手のおとめに対して、情熱をいだくようになった場合、それは適当でないと思いつつも、やむを得なければ、望みどおりにしてもよい。それは罪を犯すことではない。ふたりは結婚するがよい。
塚本訳しかし(あなた達が言うように)、ある人が彼の処女に対して折り目正しくないものを覚えるならば、また自分の精力が余り、そうせねばならない(と考える)ならば、望みのことをせよ。彼は罪を犯すのではない。二人は結婚すべきである。
前田訳もしある人がそのおとめに対して穏やかでないと思い、力が余り、そのようにしなければならないならば、欲するままになさい。彼は罪を犯すのではありません。彼らは結婚すべきです。
新共同もし、ある人が自分の相手である娘に対して、情熱が強くなり、その誓いにふさわしくないふるまいをしかねないと感じ、それ以上自分を抑制できないと思うなら、思いどおりにしなさい。罪を犯すことにはなりません。二人は結婚しなさい。
NIVIf anyone thinks he is acting improperly toward the virgin he is engaged to, and if she is getting along in years and he feels he ought to marry, he should do as he wants. He is not sinning. They should get married.
註解: 此の時代に於ては娘の婚姻は当人の意思によらず父母の意思によつて行われていた。バウロは茲に此の問題につき親の自由を示し、娘を婚姻させる事によりて良心の苦痛なからしめんとしている。
辞解
[▲▲己が娘] 原語「己が処女」で、父又は後見人の監督の下にある娘のこと。
[(よろ)しきに(かな)はず] 理由は種々あり、娘を他人の誘惑に晒す如き其の最大なるものである。
[▲▲▲年の頃もまた過ぎんとし] hyperakmos は「適当の年令や物の度合を超過する」ことで「熱情をいだく」(口語訳)と訳する事は適当でない。
[かつ然せざるを得ずば] 娘の希望止み難き如き場合。
[▲▲▲▲婚姻せさすべし] gamizô は「結婚させる」「嫁にやる」意味で gameô(結婚する)と同一ではない。----異論あれど実例なし。

7章37節 されど(ひと)もし()(こころ)(かた)くし、()むを()ざる(こと)もなく、(また)おのが(こころ)(まま)になすを()て、その(むすめ)(とど)()かんと(こころ)のうちに(さだ)めたらば、(しか)するは()きなり。[引照]

口語訳しかし、彼が心の内で堅く決心していて、無理をしないで自分の思いを制することができ、その上で、相手のおとめをそのままにしておこうと、心の中で決めたなら、そうしてもよい。
塚本訳しかし(ある人が)心に堅く決しており、(結婚の)必要もなく、自分の欲望を支配する力があり、また自分の処女をそのままにしておこうと心に決めている(ならば、その)人は(もちろん)よいことをするのである。
前田訳しかし心に堅く決し、欲求もなく、自らの意志を支配する力があり、自らのおとめをそのままにしておくよう心に決めたならば、そうするのがよろしい。
新共同しかし、心にしっかりした信念を持ち、無理に思いを抑えつけたりせずに、相手の娘をそのままにしておこうと決心した人は、そうしたらよいでしょう。
NIVBut the man who has settled the matter in his own mind, who is under no compulsion but has control over his own will, and who has made up his mind not to marry the virgin--this man also does the right thing.
註解: 自己の決心、娘の心持、自己の意思に対する娘の態度等の凡ての点に於て、差支えなしに娘に独身生活を送らせようと決心する場合は善事をなしているのである。

7章38節 されば()(むすめ)(とつ)がする(もの)行爲(おこなひ)()し。されど(これ)(とつ)がせぬ(もの)行爲(おこなひ)(さら)()し。[引照]

口語訳だから、相手のおとめと結婚することはさしつかえないが、結婚しない方がもっとよい。
塚本訳従って、自分の処女と結婚する者はよいことをするのであり、結婚しない者はよりよいことをするのである。
前田訳したがって、自らのおとめと結婚する人はよいことをするのですが、結婚しない人はよりよいことをするのです。
新共同要するに、相手の娘と結婚する人はそれで差し支えありませんが、結婚しない人の方がもっとよいのです。
NIVSo then, he who marries the virgin does right, but he who does not marry her does even better.
註解: 前者は人間的善であり、後者は神の国の善である。
辞解
此の文章の構造よりいえばパウロは将に双方とも「善し」と云わんとして、後者のみを[更によし]と変更した形を取つている。

7章39節 (つま)(をっと)()ける(うち)(つな)がるるなり。()れど(をっと)もし()なば、(ほっ)するままに(とつ)自由(じいう)()べし、[引照]

口語訳妻は夫が生きている間は、その夫につながれている。夫が死ねば、望む人と結婚してもさしつかえないが、それは主にある者とに限る。
塚本訳妻は夫が生きている間は、(夫に)束縛されている。しかしもし夫が眠ったなら、望みの人と結婚することは自由である。ただ主にあって(信者とだけ)すべきである。
前田訳妻は夫が生きている間、縛られます。もし夫が永眠すれば、自らの欲する人と結婚する自由があります。ただ、主にあってそうすべきです。
新共同妻は夫が生きている間は夫に結ばれていますが、夫が死ねば、望む人と再婚してもかまいません。ただし、相手は主に結ばれている者に限ります。
NIVA woman is bound to her husband as long as he lives. But if her husband dies, she is free to marry anyone she wishes, but he must belong to the Lord.
註解: 当時妻を失える男子の再婚は当然認められていたけれども、夫を失える女子の場合は再婚せざるを以つて優れたる道徳と見ていた。パウロは男女の間に差別を置かずして、夫の死後は再婚の権を認めている。

ただ(しゅ)にある[(もの)にのみ()くべし]。

註解: 原語は「ただ主に在りて」とあり、故に全文を直訳すれは「然れど夫もし死なば唯主に在りて欲するままに嫁ぐ自由を得べし」と訳すべきである。之を「唯主にある者にのみ適くべし」と解する者と、「主に在るものとして主の心に従つて結婚すべし」と解する者とがある。予は後者を優れりと思う。其故は一旦「欲するままに」と云いて後、之を肉の思の赴くがままにと解すべきでは無い事を示さんが為めに「唯主に在りて」との制限を与えたものと見るべきであつて、信者のみと結婚すべしとの規則を与えたものと見るべきでは無い。但し主の御旨に従つて結婚し自己の肉の思によらざる場合には「主に在るものに()く」場合が普通であろう。

7章40節 ()れど()意見(いけん)にては、その(まま)(とどま)らば(こと)幸福(さいはひ)なり。(われ)もまた(かみ)御靈(みたま)(かん)じたりと(おも)ふ。[引照]

口語訳しかし、わたしの意見では、そのままでいたなら、もっと幸福である。わたしも神の霊を受けていると思う。
塚本訳しかしもしそのままにしておれば、より仕合わせである。これはわたしの意見であるが、わたしも神の霊をいただいていると思う。
前田訳しかしわたしの考えでは、彼女はそのままにしていれば、よりさいわいです。わたしも神の霊を受けていると思います。
新共同しかし、わたしの考えによれば、そのままでいる方がずっと幸福です。わたしも神の霊を受けていると思います。
NIVIn my judgment, she is happier if she stays as she is--and I think that I too have the Spirit of God.
註解: 此の場合に於てもパウロは又寡婦の独身を奨励し再婚を好まない。是を以てパウロー個の意見であると考えているけれども、而も尚神の御霊を有つているとの自信を示している。
辞解
[(こと)幸福(さいはひ)] 「更に幸福」の意。
[御霊に感じたり] 原語「御霊を有てり」。
要義1 [パウロの独身主義の理由と其の制限]茲に我らはパウロが特に独身主義を主張する理由を解する事が出来る。(1)彼は飽く迄彼の体験と彼の信仰を基礎として立論している(従って彼は決して之を他人に強制しようとはしない)。彼によれば主の再臨が目睫(もくしょう)の間(極めて接近している所:広辞苑)に迫っているのであり、其の前に大困難が臨む以上最早や地上生活及び其の単位又基礎たる結婚生活を考える(いとま)が無い。又人口増殖の問題も消滅している。地上生活はやがて間もなく破壊されてしまうであろう。故に結婚生活に入るものは好んで困難の中に自己を投ずるものである。(2)キリストに専心に事えんがためには自己の霊と身とをその一方に献ぐるにまさった事は無い。それほど潔い生活は他に有り得ない。(3)結婚生活は此の専心神に奉仕する事を妨げるが故に出来るだけ之を避けなければならね。
併し乍らパウロは之と同時に独身主義の制限をも示している。即ち(1)淫行を免れん為め(2)胸の燃えざらんが為め(3)処女の年齢其他の関係上(よろ)しきに(かな)わないと思う時等であって、何れも結婚せざる事により心が更に多く主より離れる場合に就て云っているのであって、パウロは「われら生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬ」(ロマ14:8)と云いしと同様、「婚姻するも主のために之をなし婚姻せぬも主のために之を為さない」のがパウロの根本主義あった。夫故に此の章をパウロの結婚観として見る時に多くの非難(劣情を主としたる事、主の再臨を近く見過れる事、婚姻関係の尊さと美わしさとを無視した事等)を為し得るけれども、彼の信仰の根本を見る時其処に極めて(たか)く尊いものがある事を認めなければならない。
要義2 [独身主義は今日無用なりや]パウロの此の教訓は主の再臨の時期の誤算によったものと解し、且つ基督教を現世の改善、現世の幸福を目的とするものと考える人々は今はパウロの此の教訓を無視している。又律法的独身主義(カトリック教会の)はルーテル等によりて反対せられ、今日は新教教会に独身奨励の面影すら無きに至った。今日欧米にある独身主義は寧ろ経済上の理由と自己の我侭なる生活とを目的とするのであって信仰の理由からではない。乍併心を一つにして余念なく只管主に仕えんとする者には独身生活は極めて善いものであるに相違ない、且つ主の再臨を切に慕う者に取っては独身生活が却て自然である。故に新教の牧者伝道者、其の他只管主に仕えんとする者は若しその賜物があるならば独身生活を送る事は非常に善い事であろう。新教が旧教の律法的僧侶独身主義に反対せんが為めに、独身の自由と利益をも失うに至らしめし如き結果となった事は新教教会の大損失であった。

第1コリント第8章

分類
6 偶像に関する諸問題 8:1 - 11:1
6-1 智識と愛 8:1 - 8:13

註解: 当時の世界一般、従てコリントも勿論、偶像崇拝が其の社会の主要の行事であつた。市民は犠牲を神殿に献げ、其の献物の一部は祭司の有に帰し、他の一部は市民に返された。其の市民は之を家に持帰り神殿に献げし肉として殊に之を貴び親戚故旧(こきゅう)を招きて宴を開いた。貧しき市民は其の肉の一部を市場に売り、祭司も亦其の有に帰せる肉を市場に払下げた、従つて市場にも偶像に献げられし肉が売られていた。かかる社会の中に生活する基督者は或は招かれてかかる肉の饗応に与る事もあり、又は市場に於てかかる肉を買う事もあつた。従て基督者の中にはかかる饗応に与る事の可否、又はかかる肉を食う事の可否に就て種々の意見を生ずるに至つた。パウロは之に対し福音の根本精神に立ちて之に解決を与えたのである。

8章1節 偶像(ぐうざう)供物(そなへもの)()きては我等(われら)みな知識(ちしき)あることを()る。[引照]

口語訳偶像への供え物について答えると、「わたしたちはみな知識を持っている」ことは、わかっている。しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
塚本訳また、(あなた達が書いている)偶像に供えた肉(を食べることの善し悪し)については、(なるほど)「わたし達は皆知識を持っている」ことを、わたし達は知っている。(しかし)知識は(人を)得意にするが、愛は(人を)高める。
前田訳偶像への供え物については、「われらがみな知識をもっている」ことを知っています。しかし知識は誇らせ、愛は建設します。
新共同偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
NIVNow about food sacrificed to idols: We know that we all possess knowledge. Knowledge puffs up, but love builds up.
註解: (▲口語訳「答えると」は適訳。)パウロ及びソステネ、のみならず此の書簡の読者なるコリントの信徒も皆知識を持つている筈である。其の知識の内容は4、5、6節に示す如くである。パウロは茲に愛なき知識の戒むべきものなる事を感じ、殊に知識に誇れるコリント人に次の二節余を挿入して訓戒し、此の問題に対する大前提を示している。

知識(ちしき)(ひと)(ほこ)らしめ、(あい)(とく)()つ。

8章2節 もし(ひと)みづから()れりと(おも)はば、()るべき(ほど)(こと)をも()らぬなり。[引照]

口語訳もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。
塚本訳もしある人が(愛がなくて)何か知っていると思うならば、彼は知らねばならぬようにはまだ知っていないのである。
前田訳もし人が何かを知ると思うなら、知るべきことをもまだ知っていません。
新共同自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
NIVThe man who thinks he knows something does not yet know as he ought to know.
註解: たとい知識があつても愛無き場合に於ては此の知識は有害である。何となれば之は其人に誇を持たしむるに過ぎずして他人に益を与えないからである。故に自ら此の問題に関して知識ありと自任して満足している者は、知らなければならない最も重要な事柄(即ち愛が無ければならぬ事)を知らない者である。故にある意味に於て最大の無智者である。
辞解
[徳を建つ] 原語は家を建て上げる意味であつて、霊的進歩を与える事。

8章3節 されど(ひと)もし(かみ)(あい)せば、その(ひと)(かみ)()られたるなり。[引照]

口語訳しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのである。
塚本訳しかしもしある人が(愛があって)神を愛するならば、その人は(神を知っているのである。いや、)神に知られ(、選ばれ)ているのである。(まことの知識は神を愛する者に神から与えられる。)
前田訳しかし、もし人が神を愛するなら、神に知られています。
新共同しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。
NIVBut the man who loves God is known by God.
註解: 「人もし神を愛せばその人神を知るなり」と言うべきに「神に知られたるなり」と云える点にパウロの深き(おもんぱかり)がある。蓋し神は己を愛するものを特に知り給い、その知り給う者、即ち己を愛する者に御自身を示し、其の奥義をも啓示し給う。故に当然の結果其人は神を知るに至り、且つ神の御旨の深き処をも示されるに至るのである。故に偶像の供物についても人もし神を愛し、又人を愛するならば神は我らに取るべき道を示し、真の智慧を与え給う(ガラ4:9も同様である)。故に神を愛する事は信仰生活の要諦(ようてい)である。

6-1-イ 我らの知識 8:4 - 8:6

8章4節 偶像(ぐうざう)供物(そなへもの)(くら)ふことに()きては、(われ)偶像(ぐうざう)()になき(もの)なるを()り、また唯一(ゆゐいつ)(かみ)(そと)には(かみ)なきを()る。[引照]

口語訳さて、偶像への供え物を食べることについては、わたしたちは、偶像なるものは実際は世に存在しないこと、また、唯一の神のほかには神がないことを、知っている。
塚本訳それで、偶像に供えた肉を食べること(の善し悪し)については、(問題は明らかである。)「世にいかなる偶像もなく、また、ただ一人のほかにいかなる神もない」ことを、わたし達は知っている。
前田訳それで、偶像への供え物を食べることについては、われらは偶像が世の中に存在しないものであり、唯一の神のほかに神はないことを知っています。
新共同そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。
NIVSo then, about eating food sacrificed to idols: We know that an idol is nothing at all in the world and that there is no God but one.
註解: 世人の信ずる如き性質を持てる偶像は存在しない、彼らは唯木片、石片に過ぎない事を基督者は知つている(イザ44章参照)。故にその供物も普通の肉たる性質を変じない。是が即ち信者の知識である。
辞解
[偶像の世になき者なる事] 又「世にありて偶像は何物にもあらざる事」とも訳する事が出来る。事実として偶像が存在する以上、後者を以つて一層の適訳とすべきであろう。但し意味には変化は無い。

8章5節 (かみ)(とな)ふるもの、(あるひ)(てん)(あるひ)()にありて、(おほ)くの(かみ)、おほくの(しゅ)あるが(ごと)くなれど、[引照]

口語訳というのは、たとい神々といわれるものが、あるいは天に、あるいは地にあるとしても、そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、
塚本訳なぜなら、たとい天にも地にもいわゆる神々があるとしても、──そして実際多くの神と多くの主とがあるけれども──
前田訳それは、たとえ天にであれ地にであれ、神々といわれるものがあっても、そして実際多くの神々や多くの主があっても、
新共同現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、
NIVFor even if there are so-called gods, whether in heaven or on earth (as indeed there are many "gods" and many "lords"),
註解: ギリシア人は日本人と同じく天地、山川林野に夫々神々のある事を信じていた。

8章6節 (われ)らには(ちち)なる唯一(ゆゐいつ)(かみ)あるのみ、萬物(ばんぶつ)これより()で、(われ)らも(また)これに()す。また唯一(ゆゐいつ)(しゅ)イエス・キリストあるのみ、萬物(ばんぶつ)これに()り、(われ)らも(また)これに()れり。[引照]

口語訳わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。
塚本訳少なくともわたし達(信ずる者)には、ただ一人の父なる神があり、一切のものはこのお方から出て、わたし達もこのお方に帰する。またただ一人の主イエス・キリストがあり、一切のものはこの方によってでき、わたし達もこの方によるのである。(従ってまことの神でない偶像に供えた肉はただの肉で、これを食べることは信仰と無関係である。)
前田訳われらには父なる唯一の神がいまし、彼からすべてが出、われらは彼のためにあり、また唯一の主イエス・キリストがいまし、すべてが彼によって存在し、われらも彼によって存在します。
新共同わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
NIVyet for us there is but one God, the Father, from whom all things came and for whom we live; and there is but one Lord, Jesus Christ, through whom all things came and through whom we live.
註解: 基督者の信仰によれば万物は「神より出で」(創1:1)「キリストに由りて」創造(つく)られ(ヨハ1:3コロ1:16) 「我ら」はキリストに由りて「新生を獲得したもの」であり、「我ら」即ちキリストの教会も其の終局は「神に献げらるべきもの」である(黙21:26)。故に我らには宇宙万物の創造主なる神とキリストより外に神は一つも存在しないと云うのが我らの有つている知識である。

6-1-ロ 弱き信者 8:7 - 8:13

8章7節 されど(ひと)みな()知識(ちしき)あるにあらず、(ある)(ひと)(いま)もなほ偶像(ぐうざう)()れ、偶像(ぐうざう)献物(ささげもの)として(しょく)する(ゆゑ)に、その良心(りゃうしん)よわくして(けが)さるるなり。[引照]

口語訳しかし、この知識をすべての人が持っているのではない。ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。
塚本訳しかしながら、(キリストを信ずる)すべての人にこの知識があるのではない。中には(異教から信仰に入り、)偶像に対する今までの習慣によって、偶像に供えた肉としてこれを食べるので、弱い良心が汚される人たちがある。
前田訳しかしすべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今までの偶像の習慣によって偶像への供え物としてそれを食べ、彼らの弱い良心が汚されます。
新共同しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。
NIVBut not everyone knows this. Some people are still so accustomed to idols that when they eat such food they think of it as having been sacrificed to an idol, and since their conscience is weak, it is defiled.
註解: 6節までの事は明瞭である様ではあるが中には此の点を充分に知つて居ない基督者もあつたらしい。故に或人は偶像にささげし食物に何等か特別の霊力が附加されるかの如くに思い、良心に恥ぢつつも之を食するの習慣を脱する事が出来なかつた。故に其の人の良心に偶像を拝したる如き意識生じて汚を受ける事となる。

8章8節 (われ)らを(かみ)(まへ)()たしむるものは食物(しょくもつ)にあらず、されば(しょく)するも(えき)なく、(しょく)せざるも(そん)なし。[引照]

口語訳食物は、わたしたちを神に導くものではない。食べなくても損はないし、食べても益にはならない。
塚本訳食べ物はわたし達を神に近づけるものではない。食べずとも損はなく、食べても得はない。
前田訳食物はわれらを神に近づけません。われらは食べなくてもおくれをとらず、食べてもすぐれるのではありません。
新共同わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。
NIVBut food does not bring us near to God; we are no worse if we do not eat, and no better if we do.
註解: 神の前に立ち得る資格を与えるものは食物の如何では無い、食するも食せざるも同様である。
辞解
[食するも益なく云々] 之を文字通りに解すれば、食する事に反対なる立場の人々を弁護し、食する事の自由を唱うる人々を非難するが如くに解せられ従て次節の「然れど」を「然れば」と訳する必要を生じ、又実際かく解し、かく訳する人がある。併し此の句はかく解すべきではなく、寧ろ「食するも食せざるも同じ事である」との意味即ち「食するも益なく食せざるも益なし」と同義に取るべきである。かくして基督者は此の点に関し完全なる自由を有つ事を示している。

8章9節 されど(こころ)して(なんぢ)らの()てる()自由(じいう)(よわ)(もの)躓物(つまづき)とすな。[引照]

口語訳しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきにならないように、気をつけなさい。
塚本訳しかし気をつけよ、(強い)あなた達のその自由が、弱い人たちにつまずきにでもなることがないように。
前田訳あなた方の特権が弱い人々の落とし穴にならないよう気をつけてください。
新共同ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。
NIVBe careful, however, that the exercise of your freedom does not become a stumbling block to the weak.
註解: 「愛は徳を全うするなり」(コロ3:14)。自由すら愛なしには罪を犯すに至らしむる事がある(ガラ5:13Tペテ2:16)。弱き者を躓かする如きは罪の最も深きものである(マタ18:6)。

8章10節 (ひと)もし知識(ちしき)ある(なんぢ)偶像(ぐうざう)(みや)にて食事(しょくじ)するを()んに、その(ひと)(よわ)きときは良心(りゃうしん)そそのかされて偶像(ぐうざう)献物(ささげもの)(しょく)せざらんや。[引照]

口語訳なぜなら、ある人が、知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのを見た場合、その人の良心が弱いため、それに「教育されて」、偶像への供え物を食べるようにならないだろうか。
塚本訳なぜなら、あなたが知識を持っているため、偶像のお宮で食事の席について(供え物の肉を食べて)いるのを、(知識を持たない)ある人が見たとすると、その人は弱いのに、その良心が(はたしてあなた達がいうように「強め」られるであろうか。いや全く)「強め」られて、偶像に供えた肉を(御利益でもあるように思って)食べる、ということにならないであろうか。
前田訳もしだれかが、知識のあるあなたが偶像の宮で食卓についているのを見ると、その弱い人の良心が強められて偶像への供え物を食べないでしょうか。
新共同知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。
NIVFor if anyone with a weak conscience sees you who have this knowledge eating in an idol's temple, won't he be emboldened to eat what has been sacrificed to idols?
註解: 強き者は愛を以て弱き者の徳を建つべきである。然るに汝等の中強き者が偶像の無きものなるを知りて偶像の宮に於て普通の場所に於て食すると同一の心を以て食事する場合に、弱き人は之を見て彼すら偶像の献物を食する以上自分も之を食しても差支が無いであろうと考うる事は有り得るのであつて、此の後者偶像を有るものと認めつつ之を食するが故に神を離れて偶像崇拝に陥つたのである。
辞解
[そそのかされ] 訳せられし原語は1節の「徳を建つ」と同語であつて、茲には(やや)皮肉に用いられ「愛を以て徳を建つべき処を、知識を以て飛んでもない徳を建つることになるではないか」との語気を含んでいる。

8章11節 さらばキリストの(かわ)りて()(たま)ひし(よわ)兄弟(きゃうだい)は、(なんぢ)知識(ちしき)によりて(ほろ)ぶべし。[引照]

口語訳するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。
塚本訳そんなことになると、弱い人、一人の兄弟があなたの知識に禍されて滅びるのである。キリストはその人のためにも死なれたのである。
前田訳その弱い人はあなたの知識によって滅びます。それは兄弟で、キリストはその人のために死にたもうたのです。
新共同そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。
NIVSo this weak brother, for whom Christ died, is destroyed by your knowledge.
註解: 信者は如何に弱き者と雖も、否弱き者であればある程、キリストが彼のために十字架上に死に彼を贖つて神の子たらしめ給うたのである。一人として神の御心に貴重なる宝でないものはない。「汝らは元来之を一人の弱き兄弟として之を助け之を安全ならしめる責任があるではないか、然るに汝の知識のためにかかる者の心に偶像を拝する心を起させ、かれとキリストとの間に障害を置き遂に彼を亡びに至らしむる事は大なる罪である」と。

8章12節 ()くのごとく(なんぢ)兄弟(きゃうだい)(たい)して(つみ)(をか)し、その(よわ)良心(りゃうしん)(いた)めしむるは、キリストに(たい)して(つみ)(をか)すなり。[引照]

口語訳このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、その弱い良心を痛めるのは、キリストに対して罪を犯すことなのである。
塚本訳このようにあなた達が兄弟に対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、(取りも直さず)キリストに対して罪を犯すのである。
前田訳このようにあなた方は兄弟たちに罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけて、キリストに罪を犯しています。
新共同このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。
NIVWhen you sin against your brothers in this way and wound their weak conscience, you sin against Christ.
註解: 「汝らは自らは知識に従つて行動しているのであるけれども此の行動を以て弱き者の良心を傷める事は、同時にキリストの御心を傷めまつる事であつて、其人に対する罪たるのみならずキリストに対する罪、即ち最も重い罪である」。愛なき信仰が恐るべき罪に陥るのは是が為である。

8章13節 この(ゆゑ)に、もし食物(しょくもつ)わが兄弟(きゃうだい)(つまづ)かせんには、兄弟(きゃうだい)(つまづ)かせぬ(ため)に、(われ)何時(いつ)までも(にく)(くら)はじ。[引照]

口語訳だから、もし食物がわたしの兄弟をつまずかせるなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは永久に、断じて肉を食べることはしない。
塚本訳それゆえに、食べ物がわたしの兄弟を罪にいざなうなら、わたしは兄弟を罪にいざなわないために、永遠に断じて肉を食べない。
前田訳それゆえ、もし食物がわが兄弟をつまずかせるならば、わたしはこれから永遠に肉を食べません。それはわが兄弟をつまずかせないためです。
新共同それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。
NIVTherefore, if what I eat causes my brother to fall into sin, I will never eat meat again, so that I will not cause him to fall.
註解: パウロの心を常に支配しているものは愛であつて神学的知識では無かつた。彼は知識に於て人に優れていたにも関わらず、愛なしに之を用いる事をしなかつたのみならず、愛のためには知識に従つて行動する事即ち偶像にささげし肉を食う事さへも之を控えた。理論に叶つている事、神学的組織に一致している事のみが必ずしも善ではない、否愛なしには是等は罪となるのである。故にパウロは基督教神学の組織者と称せられる程迄に知識に富んで居り乍ら尚おTコリ13章の愛の讃美の言を発し、又自ら此の愛を実行したのである。茲に「我は何時迄も肉を食わじ」と云いて「汝ら肉を食う事勿れ」と云わなかつた事に注意しなければならぬ。愛は外部より強制せられ得べき律法ではない。
要義 [パウロの偶像問題に対する態度]本章に於てはパウロは唯序論として知識は愛なしに罪に陥る事、弱き兄弟を躓かせる事が最大の罪であり殊にキリストに対する罪である事を論じ、次章に於て自己の行動を実例として愛による犠牲の如何を示し、第10章に偶像に関する注意の詳細を論じている、尚ロマ14章をも参照することが必要である。要するに此の章に表われしパウロの態度は、(ただ)に此の問題のみならず、其の他の多くの実際問題の信仰的解決の指針となるのであって、殊に信者と未信者とが相混じ、信者の中に知識ある強き信者と然らざるものらが相混じている場合に於ては、愛を以て其の解決の中心とするパウロの態度は最も貴い態度である事を思うのである。若しもかかる場合に於て単に一定の規律を与え(例えば羅馬教が日本の神社に対する態度の如く)信徒をして律法的に之に従わしめる場合に於ては、信者のあるものの良心が之によりて傷けられる場合が必ず起るのである。若しパウロも此の場合に於て、偶像に献げし肉は之を「食うべし」若しくは「食うべからず」なる外部的律法を与うるに過ぎなかったならば、一見明瞭なる帰着点を示し信者に取って従い易きが如くであるけれども、かくする事によって最も尊き愛の行為は失せ去って、唯冷き律法のみが残るのである、若しかくの如き状態に至るならぼ、キリストの福音は亡びてしまうであろう。故に本章に於けるパウロの解決は不得要領なるが如くにして、而も最も要領を得たる解決であり、我らは此の解決を他の凡ての問題にも応用することが出来、又応用しなければならない。此の一章が初代基督教に起った問題であるにも関わらず今日尚新鮮さを失わない所以は茲にあるのである。