黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第11章

分類
6 偶像に関する諸問題 8:1 - 11:1

分類
7 集会礼拝に関する諸問題 11:1 - 14:40

註解: パウロは更に転じてコリントの信徒の礼拝集会に於ける二三の悪習につき注意を与えなければならなかつた。本章に於ける婦人の被物と聖餐の問題、12-14章に於ける霊の賜物の問題是である。

11章1節 ()がキリストに(なら)(もの)なる(ごと)く、なんぢら(われ)(なら)(もの)となれ。[引照]

口語訳わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。
塚本訳わたしがキリストのまねをする者であるのと同じに、わたしのまねをする者になってもらいたい。
前田訳わたしがキリストにならうように、あなた方もわたしにならうものになってください。
新共同わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
NIVFollow my example, as I follow the example of Christ.
註解: 此の一節は恐らく前章に入るべかりしものであろう。即ち偶像問題につき彼らをしてパウロ自身の態度にならわしめんとしたのである。而してパウロはキリストに(なら)う者である結果パウロに(なら)う者は結局キリストに(なら)う事となるのである(ロマ15:3)。

7-1 婦人の被物の問題 11:2 - 11:16

11章2節 (なんぢ)らは(すべ)ての(こと)につきて(われ)(おぼ)え、(かつ)わが(つた)へし(ところ)をそのまま(まも)るに()りて、(われ)なんぢらを()む。[引照]

口語訳あなたがたが、何かにつけわたしを覚えていて、あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う。
塚本訳わたしはあなた達を褒める。何事にもわたしを忘れず、わたしが伝えたとおりに、言伝えをしっかり守っているからである。
前田訳わたしはおほめします。あなた方は何につけてもわたしを思い出して、わたしがお伝えしたとおりいい伝えを守っておいでです。
新共同あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。
NIVI praise you for remembering me in everything and for holding to the teachings, just as I passed them on to you.
註解: 先づパウロはコリントの信者の誉むべき点を掲げて、彼らをして次の非難を受くる場合に絶望に陥る事無く、却て容易に奮起するを得しめんとしているのであつて、愛を以て人を教うる者の尊き心持である。

7-1-イ 霊界の秩序より 11:3 - 11:6

11章3節 されど(われ)なんぢらが(これ)()らんことを(ねが)ふ。(すべ)ての(をとこ)(かしら)はキリストなり、(をんな)(かしら)(をとこ)なり、キリストの(かしら)(かみ)なり。[引照]

口語訳しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。
塚本訳それで、(意見を求められた女のベールの問題であるが、)あなた達にこのことを知ってもらいたい。──すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、キリストの頭は神である。
前田訳それで知っていただきたいのは、すべての男の頭はキリストで、女の頭は男で、キリストの頭は神であることです。
新共同ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。
NIVNow I want you to realize that the head of every man is Christ, and the head of the woman is man, and the head of Christ is God.
註解: 今叙べんとする大切なる真理を知らない事は、知識に富めるコリントの信者としては望ましからざる事である。故にパウロは三方面よりその真理を説明せんとしているのであつて、第一は霊界の秩序を以て之を証明し(3-6節)第二は男女の創造の意義によつて之を証明し(7-12)第三に自然の感覚に訴えて之を説いている(13-16)。即ち地上生活には秩序があるのであつて婚姻により妻は夫を頭として戴き、信仰により男はキリストを頭として之に連り、キリストと神との間には親子の関係が成立っていて神を頭として之に従い給うのであつて、地上生活の諸相は各天上生活の諸相の縮写である。此の天上の関係を地上に実現するのが信者の義務である。但し信仰によりてキリストに連る天的関係に於ては男も女も同じく直接にキリストに連る事勿論である。ガラ3:28
辞解
[頭] なる文字は三者の間に密接の関係あると同時に、上下の不平等の地位の差別を示している。

11章4節 すべて(をとこ)(いのり)をなし、預言(よげん)をなすとき、(かしら)(もの)(かぶ)るは()(かしら)(はづか)しむるなり。 [引照]

口語訳祈をしたり預言をしたりする時、かしらに物をかぶる男は、そのかしらをはずかしめる者である。
塚本訳男が祈りあるいは預言するとき、頭にかぶるのは、その頭(であるキリスト)を侮辱するのである。
前田訳すべて男が祈りまたは預言するとき、頭をおおっているのは、頭をはずかしめます。
新共同男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。
NIVEvery man who prays or prophesies with his head covered dishonors his head.
註解: 集会に於ける祈祷又は預言をなすに当り、若し男子が頭に面帕(かおおおい)を被つて其の頭を被うならば、それは人間に対する服従又は従順を示しているのであつて、自己の頭並に之を以て表顕される真の頭なるキリストを辱かしむる事に当つている。何となればキリストは見えざる処に在し給うが故である、夫故に男は被物をいただかないのが正しい態度である。 コリントの男子の信者がかく被物を戴き乍ら祈り又は預言した事実があるのではなく、次節の女子の場合を教えんが為めに先づ男子の例を仮定して説明したのであろう。
辞解
[物を被る] 当時のギリシヤ人は男子は物を被らず女子は被るのが通則であつた。ユダヤ人は祈の時には物を被る習慣であつた。ギリシヤ人に取つてパウロは其の習慣を尊重し其の習慣の中に天的意義を読み出したのである。

11章5節 すべて(をんな)(いのり)をなし、預言(よげん)をなすとき、(かしら)(もの)(かぶ)らぬは()(かしら)(はづか)しむるなり。[引照]

口語訳祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。
塚本訳しかしすべての女が祈りあるいは預言するとき、頭にベールをかぶらないのは、その頭(である男)を侮辱するのである。それは(頭を)剃ったのと全く同じであるから。
前田訳すべて女が祈りまたは預言するとき頭をおおわずにいるのは、頭をはずかしめます。それは頭を剃ったのと全く同じだからです。
新共同女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
NIVAnd every woman who prays or prophesies with her head uncovered dishonors her head--it is just as though her head were shaved.
註解: 男子とは反対に女子は男子に対する服従を示すが為めに頭に物を被る事が正当である。若し被物を脱ぐならば服従を放棄せる事を意味する、当時基督教徒の婦人の中には、パウロの所謂「自主も奴隷もギリシヤ人もユダヤ人も男も女もなし皆主にありて一である」(ガラ3:28)事の真理を直ちに地上の関係にも適用して、女子にして男子と同一の態度を以て或は祈り或は預言せる者があつた。パウロはかかる態度を戒めんとしたのである。(注意)後にTコリ14:34、35に女は教会にて黙すべき事を命ぜられているのとの間に矛盾がある如くに見えるけれども、本節の場合は祈及預言であつて自己に与えられし感想の類であり、Tコリ14:34、35は男子の上に立ちて之を教うる態度を取る場合であろう。

これ薙髮(ていはつ)(こと)なる(こと)なし。

11章6節 (をんな)もし(もの)(かぶ)らずば、(かみ)をも()るべし。されど(かみ)()(あるひ)()ることを(をんな)(はぢ)とせば、(もの)(かぶ)るべし。[引照]

口語訳もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。
塚本訳女がベールをかぶらないのなら、いっそ(頭を)刈ったがよい。しかし刈ったり剃ったりするのが女にとって恥ずかしいことなら、ベールをかぶらなくてはいけない。
前田訳女が何も被らないならば、髪を切りなさい。髪を切りまたは剃ることが女にとってはずべきならば、頭をおおいなさい。
新共同女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。
NIVIf a woman does not cover her head, she should have her hair cut off; and if it is a disgrace for a woman to have her hair cut or shaved off, she should cover her head.
註解: 女が髪なきは恥づべき事とされていた、即当時奴隷たる女は髪を()つていた。又ユダヤでは姦淫の罪を犯せる女は薙髪(ていはつ)の刑を受けた民5:18。茲に薙髪(ていはつ)を恥づべき事と云つたのは、それが自然に女子の美観を()ぐのみならず、かかる恥づべき事柄との連想を有つているからであつた。パウロは此の婦人の自然の感情、又は習慣を理由として、之に反する行為を以て恥づべきものとし、頭に物を被らずに祈り又は預言するものは(あたか)薙髪(ていはつ)と同様恥づべき行為であることを示し、もし之を望まないならば物を被るべきである事を教えている。

7-1-ロ 男女創造の意義より 11:7 - 11:12

11章7節 (をとこ)(かみ)(かたち)(かみ)榮光(えいくわう)なれば、(かしら)(もの)(かぶ)るべきにあらず、されど(をんな)(をとこ)光榮(くわうえい)なり。[引照]

口語訳男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。
塚本訳なぜか。男は“神の影像”であり、反影であるから、頭にベールをかぶるべきではないが、女は男の反影であるから(、そのしるしにベールをかぶるべき)である。
前田訳男は頭をおおうべきではありません。神の像(すがた)また栄光だからです。女は男の栄光です。
新共同男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。
NIVA man ought not to cover his head, since he is the image and glory of God; but the woman is the glory of man.
註解: パウロは更に進んで男女が創造せられし事実により其の被物の問題を決定せんとしているのである。即ち男子は創1:27によれば神の像に創られしものであつて、神に代つて地上を支配すべき権を有ち、又此の意味に於て神の栄光である。故に物を被りて此の栄光を掩い、服従の形を取つて神より与えられし権を(おお)ってはならない。然るに女は(かたち)は男と異るけれども其の美わしき服従によりて男の栄光となるのである。其の故は

11章8節 (をとこ)(をんな)より()でずして、(をんな)(をとこ)より()で、[引照]

口語訳なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。
塚本訳男は女から出たのではなく、女が男から出たのだから。
前田訳男が女から出たのでなく、女が男から出たのです。
新共同というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、
NIVFor man did not come from woman, but woman from man;

11章9節 (をとこ)(をんな)のために(つく)られずして、(をんな)(をとこ)のために(つく)られたればなり。[引照]

口語訳また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。
塚本訳また、男は女のために創造されたのでなく、女が男のために、(男を助けるために)創造されたのだから。
前田訳男が女のためにでなく、女が男のために造られたのです。
新共同男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。
NIVneither was man created for woman, but woman for man.
註解: 創2:18-24の記事の如く、女は男の助者となるために男の肋骨より創造られしものであつて、従属的地位を取るのが其の本来の身分であり男女同権では無い、故に女は服従によりて男の栄光となるべきものである。

11章10節 この(ゆゑ)(をんな)御使(みつかひ)たちの(ゆゑ)によりて(かしら)(けん)[の(しるし)]を(いただ)くべきなり。[引照]

口語訳それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。
塚本訳このゆえに、女は(祈りの時、悪い)天使たちに用心し、(身を守る)力のしるし(としてベール)を頭にかぶらねばならない。
前田訳それゆえ、女は天使たちのために頭に権威のしるしを持つべきです。
新共同だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。
NIVFor this reason, and because of the angels, the woman ought to have a sign of authority on her head.
註解: 女は服従によりて男の栄光となるのであつて、天の御使たちも集会に加わりて其の有様を目撃していることゆえ(ルカ15:7ルカ15:10エペ3:10Tテモ5:21)服従の徴、すなわち即権の徴を戴くことが必要である。

11章11節 されど(しゅ)()りては、(をんな)(をとこ)()らざるなく、(をとこ)(をんな)()らざるなし。[引照]

口語訳ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。
塚本訳とにかく、主に(ある関係に)おいては(同等で)、男がなければ女もなく、女がなければ男もない。
前田訳ただし主にあっては、男なしで女なく、女なしで男なしです。
新共同いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。
NIVIn the Lord, however, woman is not independent of man, nor is man independent of woman.

11章12節 (をんな)(をとこ)より()でしごとく、(をとこ)(をんな)によりて()づ。(しか)して萬物(ばんぶつ)はみな(かみ)より()づるなり。[引照]

口語訳それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。
塚本訳なぜなら、女が男から出たように、男も女によるのであるから。だが、(男にせよ女にせよ、)すべては神から出たのである。
前田訳女が男から出たように、男は女によって生まれ、すべてが神から出ています。
新共同それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。
NIVFor as woman came from man, so also man is born of woman. But everything comes from God.
註解: 男女の関係は以上の如く権力と服従の関係にあるけれどもキリストに対する関係に於ては二者同一であつて、互に相助け合いつつキリストに連るべきものである。此の間に上下の差別は無い。(あたか)も人類の創造に際してはアダムからエバが取り出され、其の後の生成は女から男が生れ出でし如く、双方とも神によりて創造られたものであつて此の間に差別が無いからである。パウロは茲に生理上の事実を捕えて巧に男女の霊的平等を示している。

7-1-ハ 自然の感覚より 11:13 - 11:16

11章13節 (なんぢ)()みづから判斷(はんだん)せよ、(をんな)(もの)(かぶ)らずして(かみ)(いの)るは(よろ)しき(こと)なるか。[引照]

口語訳あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。
塚本訳あなた達自身で判断してみよ。女がベールをかぶらずに神に祈ることはふさわしいだろうか。
前田訳あなた方ご自身で判断してください。女が覆いなしで神に祈るのはふさわしいですか。
新共同自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。
NIVJudge for yourselves: Is it proper for a woman to pray to God with her head uncovered?
註解: パウロは以上の議論の外に「自ら判断せよ」と云いて人間の直観に訴えて此の問題を考えている、茲に祈の場合をあげ、神に祈る最も厳粛なる場合に物を被らない不謹慎なる態度をする事が差支ないと思うかとの質問を発している。

11章14節 なんぢら自然(しぜん)()るにあらずや、(をとこ)もし(なが)(かみ)()あらば()づべきことにして、[引照]

口語訳自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、
塚本訳(15節と合節)もし男が長い髪をしていれば、男の恥であるけれども、女が長い髪をしていれば、女の名誉であることを、天性そのものもあなた達に教えてはいないか。髪はかぶり物として女に与えられたからである。
前田訳自然自体が教えるではありませんか、男が長髪ならその恥であり、
新共同-15男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。
NIVDoes not the very nature of things teach you that if a man has long hair, it is a disgrace to him,

11章15節 (をんな)もし(なが)(かみ)()あらばその光榮(くわうえい)なるを。それ(をんな)(かみ)()被物(かぶりもの)として(たま)はりたるなり。[引照]

口語訳女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである。
塚本訳(14節と合節)
前田訳女が長髪ならその名誉であることを。髪は被りものの代わりに女に与えられているからです。
新共同
NIVbut that if a woman has long hair, it is her glory? For long hair is given to her as a covering.
註解: 我らの自然の直感によるも男子が長髪を(たくわ)える事は恥づべき事であり、反対に女には長き髪がある事がその光栄である様な心持がすると云うのは、男女間の自然の差別を感ずるからでは無いか。蓋し女の髪は被物即ちヴエールとして(原語ヴエールの代りに)与えられたもので之を見ても被物が必要である事を示すからである。此の習慣が支那の辮髪を除いては殆んど如何なる人種に於ても共通であるのはパウロの議論を裏書するものである。

11章16節 假令(たとひ)これを坑辯(あらが)(もの)ありとも、()くのごとき(れい)(われ)らにも(かみ)(しょ)教會(けうくわい)にもある(こと)なし。[引照]

口語訳しかし、だれかがそれに反対の意見を持っていても、そんな風習はわたしたちにはなく、神の諸教会にもない。
塚本訳もし(この問題について)だれかに異論があるとしても、わたし達には(女がベールをかぶらずに祈るような)そんな慣例はない。各地の神の集会にもない。
前田訳たとえだれかが反論したくても、われらにはそのような習慣はなく、神の集会(エクレシア)にもありません。
新共同この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。
NIVIf anyone wants to be contentious about this, we have no other practice--nor do the churches of God.
註解: パウロは茲まで論じ来つて(あたか)も議論好きなるギリシヤ人の反対論を予期せるものの如く、如何にも其の議論の(しげる)に堪えざるものの如くに此の言を発しているのであつて、たとい議論が如何様であろうとも女が被物なしに教会に於て祈る如きは我ら(パウロ及その同志)の間にも一般に諸教会にも存在しないと言い切つている。
要義1 [パウロの保守的思想]キリストに在りて新に創造られし基督者は凡ての事皆新しくなったのであって、従来の伝統も風俗習慣も皆之を棄て去って新奇なる風俗に移り、奇抜なる態度を取る事を好むことは往々基督教会内に起り得る事柄であって、コリント教会の場合に於ても、従来の奴隷的状態より解放せられし女子が勢に乗じて従来の美わしき伝統をも無視して奇抜なる態度をなし、パウロが唱えし「今はギリシヤ人もなく、奴隷も自由もなく、男も女もなし、汝らは皆キリスト・イエスに在りて一体なり」(ガラ3:28)との霊界の原則を此の世の風俗にまで及ぼさんとして茲に論ぜし如き悪習を生ずるに至った。此の点に於て今日の日本の教会にもかかる事柄が少くは無い、之によりて他人の目に基督者が(いやし)められる事が多いのは事実である。パウロは之に対し保守的態度を取っているのであって、従来の風俗習慣伝統も、それが神の御旨に叶ふ秩序である場合には飽く迄之を尊重すべきであって、之を破壊する者は神の規定に反するものである事を論じている。夫故に彼は此の一見些細なる事件の如くに見ゆる婦人の服装に就て長々と論議し、殊に男女の関係、神人の関係の霊的意義、人類創造の歴史的意義より説き来って丁寧親切に之を説明したのも全くパウロが当時のギリシヤに行われし習慣を保存せんが為めに其の中に深き意義を見出さんとした努力を明かに読む事が出来る。我ら今日も亦此のパウロと同じ態度を取るべきであって、地上生活の種々の秩序の中に多く神の御旨によるものがあり、之が信仰と直接に違反せざる範囲に於て、濫りに之を破壊すべからざるものである事を知らなければならぬ。コリント信者の失敗は我らに良き亀鑑(きかん)を与える。
要義2 [男女同権論につきて]男女同権を以って最上の真理と信じている欧洲人は、パウロが茲に婦人の従属的地位と服従の態度とを主張するのを見て躓く者は少くない。或者は之を以てパウロ時代の古き思想と見、今日かかる思想を墨守(ぼくしゅ)するの必要が無いと主張している。併し乍ら被り物云々の如き形式は時代と国とによりて異っているけれども、女子の本来の体格、性状、素質、傾向等に至ってはパウロの時代と今日と少しも異る処が無い。故にパウロが男女の霊的関係、創造の歴史、自然の直覚の諸方面より女子が男子を頭とし権として戴くべきものであると結論するに至った事は、決して其の時代のみに適する結論では無く、永遠に真理であり天地の公道に基いているのである。女子の服従が男子の栄光である事を思う時此の真理は決して之を破滅に帰せしめてはならない。而してキリストに在りて信仰による平等が男女の間に存し、神の前に共に平等なる人格である点に於て其処に差別と平等の完全なる調和を見出す事が出束るのである。
要義3 [此の教訓の日本に於ける適用如何]日本の婦人は帽や面帕(かおおおい)(ベール)を用いない、此の場合にパウロの此の言を律法として遵守する必要は無い。日本婦人として夫に対する服従を示すべき態度と、神の教会の良習慣を破らない事とが行われているならば、パウロの精神が実現しているものであると見る事が出来る。之を破って却て人を躓かしむべき風俗を輸入する必要は無い。

7-2 聖餐に就て 11:17 - 11:35

11章17節 (われ)こ[れら]の(こと)(めい)じて(なんぢ)らを()めず。(なんぢ)らの(あつま)ること(えき)()けずして(そん)(まね)けばなり。[引照]

口語訳ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。
塚本訳(次に)わたしは(主の晩餐につき)指図をするに当って、あなた達の集まりが利益にならず害になっていることは、褒めるわけにはゆかない。
前田訳このことを指図するに当たって、ほめえないことがあります。それは、あなた方が集まると、よりよくならず、より悪くなることです。
新共同次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。
NIVIn the following directives I have no praise for you, for your meetings do more harm than good.
註解: 「我は以上の如くに命じたが次に汝らが有害無益な集会をする事について、汝らを次の如くに非難しなければならない」

11章18節 ()(なんぢ)らが教會(けうくわい)(あつま)るとき分爭(ぶんさう)ありと()く、われ(ほぼ)これを(しん)ず。[引照]

口語訳まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。
塚本訳なぜなら、まず第一に、集会の会合に集まるとき、あなた達の間に仲間割れがあることを耳にしているのだが、わたしは一部それを信ずる。
前田訳まず、あなた方が集まりにつどうとき分裂があると聞いており、ある程度それを信じます。
新共同まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。
NIVIn the first place, I hear that when you come together as a church, there are divisions among you, and to some extent I believe it.

11章19節 それは(なんぢ)()のうちに(これ)とせらるべき(もの)(あらは)れんために黨派(たうは)(かなら)(おこ)るべければなり。[引照]

口語訳たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。
塚本訳──(信仰の)試練済みの者があなた達の間で明らかになるためには、あなた達の間に党派もできねばならないから。──
前田訳たしかに、あなた方の中の試練ずみの人たちが明らかになるためには、分派もできねばなりません。
新共同あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。
NIVNo doubt there have to be differences among you to show which of you have God's approval.
註解: パウロが第一に戒めんと欲した事柄は教会に集る際に分争徒党が起つて来た事であつた。此の分争徒党は始めに1-4章に述べたものを云うのでは無く次に20節以下に示される聖餐の際に於ける分争を指している。
辞解
[先づ] 即ち「第一に」であつて「第二」は第12-14章に記されし事柄であろう、パウロは「第二に」と記す事を忘れたらしい(M0、A1)。
[分争、党派(徒党)] 茲では此の二者の間に差別は無い、唯前者は双方対立の形、後者は主なる団体より一部が分離せる形。
[現われんため] 「明かにせられんため」の意であつて出現せん為めの意では無い。

11章20節 なんぢら一處(ひとつところ)(あつま)るとき、(しゅ)晩餐(ばんさん)(しょく)すること(あた)はず。[引照]

口語訳そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。
塚本訳それであなた達は一しょに集まっても、主の晩餐を食べることができない。
前田訳ところで、あなた方が集まるとき、主の晩餐をいただいていません。
新共同それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。
NIVWhen you come together, it is not the Lord's Supper you eat,

11章21節 (しょく)する(とき)おのおの(ひと)(さき)だちて(おのれ)晩餐(ばんさん)(しょく)するにより、()うる(もの)あり、()()ける(もの)あればなり。[引照]

口語訳というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。
塚本訳なぜなら、その食事の際、めいめいが(持って来た)自分の晩餐を(勝手に)先に食べるので、ある人は(貧しくて持って来られず)空腹であるのに、ある人は酔っぱらう(有様だ)からである。
前田訳食事のとき、めいめいが自分の晩餐をとるので、ある人は飢え、ある人は酔っています。
新共同なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。
NIVfor as you eat, each of you goes ahead without waiting for anybody else. One remains hungry, another gets drunk.
註解: 当時聖餐式は今日の如き形式に於て行われなかつた。信者は多く主日(日曜日)の夕刻に(使20:7)各々弁当持参にて集り食事を共にした。之を愛餐と称し(ユダ1:12)其の終りに主のパンを割き葡萄酒を飲んだ。是れ出来るだけキリストの最後の晩餐に(かたど)ると共に、信者の愛を増さんが為であつた。然るにコリントに於ては教会等にて「一つ処に」信者が聖餐即ち愛餐のために集る時、当時ギリシヤに行われていた宴会などの影響をうけて富者と貧者との間に食物が平等に分配せられず、富者は先づ己の持参せるものを飽食し貧者は食物に乏しくして飢うる如き事実が行われた。是れ悪魔に処を得させたのであつて、かかる有様では最早や主の晩餐を食するものと云う事が出来ない。▲多くの場合にそうである通り、聖餐式も初めの間は極めて自然で生気に溢れる集会であった。それが儀式化すると共に精神は死滅する。
辞解
[主の晩餐] 前述の愛餐と一体をなしていたけれども後に之が分離し、夕の代りに朝に之を祝する様になつた。
[食すること能はず] 原語「食するにあらず」但し語の位置より極めて強き意味を表わしている。

11章22節 (なんぢ)飮食(のみくひ)すべき(いへ)なきか、(かみ)教會(けうくわい)(かろ)んじ、また(とぼ)しき(もの)(はづか)しめんとするか、(われ)なにを()ふべきか、(なんぢ)らを()むべきか、(これ)()きては()めぬなり。[引照]

口語訳あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。
塚本訳いったいあなた達には飲み食いする家がないとでもいうのか。それとも、あなた達は神の集会を軽蔑し、また持たぬ人たちに恥をかかせるのか。あなた達になんと言ったらよいのか。褒めるべきであろうか。(残念ながら、)このことでは褒めるわけにはゆかない。
前田訳あなた方には飲み食いする家がないのですか。それとも神の集会(エクレシア)を軽んじ、何も持たぬ人々をはずかしめるのですか。何といいましょう。あなた方をほめるべきでしょうか。このことではほめません。
新共同あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。
NIVDon't you have homes to eat and drink in? Or do you despise the church of God and humiliate those who have nothing? What shall I say to you? Shall I praise you for this? Certainly not!
註解: パウロの心に溢れる奮慨が此の文より溢出でている、聖晩餐を乱して普通の飲食と異らない様にした事は其の一(普通の飲食ならば他の家で為すべきで教会で之を為す必要が無いではないか)、特に重んずべき教会の集会を軽んじて之を不一致なものにした事が其の二、貧者を辱しめて之を飢えしめた事が其の三であつて、何れも基督者として重大なる罪である。パウロはTコリ11:2に一般的にコリントの信者を誉めたけれども此の点については誉める事が出来なかつた。夫故にパウロは次に聖晩餐の真正の意義を示して彼等の過を矯正せんとしているのである。

11章23節 わが(なんぢ)らに(つた)へしことは(しゅ)より(さづ)けられたるなり。[引照]

口語訳わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、
塚本訳なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
前田訳わたしは主から受けたことを、さらにあなた方に伝えました。すなわち、主イエスは、(敵に)引き渡された夜、パンを取り、
新共同わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
NIVFor I received from the Lord what I also passed on to you: The Lord Jesus, on the night he was betrayed, took bread,
註解: 前にもパウロは主の晩餐の事をコリントの信徒に伝えていた、之は彼が主より授けられたものであつてパウロの一個の思想又は人の伝説の受売では無い、故に主の権威に服従する心を以て之を守らなければならぬ。
辞解
「我が」ego「主より」apo tou kuriou 等の原語の意味よりパウロは主の晩餐の際に列席して居なかつたけれども、之を主より直接に何等かの黙示により奇跡的に受けたのであると主張する学者もあるけれども(M0、G1、A1、反対はI0、C1)予は其の必要を認めない。主は他の使徒又は其の弟子を通して之をパウロに授け給う事は有り得るからである。

(すなは)(しゅ)イエス(わた)され(たま)(よる)、パンを()り、

11章24節 (しゅく)して(これ)()き、(しか)して()(たま)ふ『これは(なんぢ)()のための()(からだ)なり。()記念(きねん)として(これ)(おこな)へ』[引照]

口語訳感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
塚本訳(神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
前田訳感謝して裂き、こういわれました、「これがあなた方のためのわが体です。わたしの記念にこのようになさい」と。
新共同感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
NIVand when he had given thanks, he broke it and said, "This is my body, which is for you; do this in remembrance of me."
註解: 此の事が起つたのは主イエスが付され給いし夜で最も厳粛なる瞬間であつた。主そのパンをさきて其の来たるべき死を示し之を一同に頒ち、「是汝らのための我が体なり」と云い給いて其の全身体を我らのために差出し給うた。而して信者は之を食い此の式を行う事により「キリストを記念し」彼を思い起すの幸を味う事が出来る。故に此の厳粛の態度を欠き、キリストの死を思わず又其の食を頒つ事をせず、キリストの身体を受けつつも彼を思う事をせざるコリントの教会の愛餐は全く聖晩餐の性質を失い之を涜すものであつた。

11章25節 夕餐(ゆふげ)ののち酒杯(さかづき)をも(まへ)(ごと)くして()ひたまふ『この酒杯(さかづき)()()によれる(あたら)しき契約(けいやく)なり。()むごとに()記念(きねん)として(これ)をおこなへ』[引照]

口語訳食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
塚本訳食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの“血”の犠牲を払った“新しい約束”である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
前田訳食後、杯をも同じようにしていわれた、「この杯は、わが血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしの記念にこのようになさい」と。
新共同また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
NIVIn the same way, after supper he took the cup, saying, "This cup is the new covenant in my blood; do this, whenever you drink it, in remembrance of me."
註解: 主がパンをさき給える後暫く夕餐がつづき最後に改めて酒杯を取りて之を祝し「此の酒杯は・・・」と述べ給うた。モーセはシナイ山に於て十戒を授けられし後、献げられし犠牲の血を取りて民に注ぎ之を以てエホバと民との間の契約の証とした(出24:8)。是れ旧約の血であつて、キリストは之に対し、その酒杯の葡萄酒を以て表示せられしキリストの血を以て新なる契約の血となし給うた。而して旧約は神の律法と之を行うものに対する祝福及び之を破るものに対する刑罰であり、新約は罪の赦しと聖霊の賜与(しよ)によりて神の御旨を行う事である(エレ31:31-34)。而して此の約束を得たる我らは此の酒杯より飲む毎にキリストを思い起すべきものである、是が主の命であつた。▲主が聖餐の式を「行え」と命じ給うたと云う記事は正確に言えば此箇所だけである。そしてパウロは主の最後の晩餐の列席者でないので「主より授けられた」事の意味及び場合は不明である。尚、ルカ22:19、20の註および補註参照。

11章26節 (なんぢ)()このパンを(しょく)し、この酒杯(さかづき)()むごとに、(しゅ)()(しめ)して()(きた)りたまふ(とき)にまで(およ)ぶなり。[引照]

口語訳だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。
塚本訳すなわち、主が(ふたたび)来られるまで、あなた達はこのパンを食べこの杯を飲むたびごとに、主の死(の意味)を、(このことを行なうことによって)宣べ伝えるのである。
前田訳主が来たりたもうまで、このパンを食べ、杯を飲むたびに、あなた方はその死を告げ知らせるのです。
新共同だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
NIVFor whenever you eat this bread and drink this cup, you proclaim the Lord's death until he comes.
註解: 聖餐は主の死の標徴(ひょうちょう)である、主はその死によりて体を我らに与えその宝血を流し給うた。今は神の右に在し、やがて再び来り給うまで我ら其の現臨在を見る事が出来ない。故に聖餐によりて彼の見ゆべき臨在に代らしめ、再び来り給うまで之を行うのである。主再び来り給う時は父の国に於て新しき宴会が開かれるであろう(マタ26:29)。故に聖晩餐に於て主の死を示さず、主を思い起さなかつたならば其の聖晩餐は無意義である。

11章27節 されば(よろ)しきに(かな)はずして(しゅ)のパンを(しょく)し、(しゅ)酒杯(さかづき)()(もの)は、(しゅ)(からだ)()とを(をか)すなり。[引照]

口語訳だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。
塚本訳従って、これにふさわしくない有様で主のパンを食べまたは杯を飲む者は、主の体と血とに罪を犯すのである。
前田訳したがって、ふさわないまま主のパンを食べ杯を飲むものは、主の体と血とを犯すのです。
新共同従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
NIVTherefore, whoever eats the bread or drinks the cup of the Lord in an unworthy manner will be guilty of sinning against the body and blood of the Lord.
註解: 「宜しきに適わず」とは種々の意味に解せられているけれども茲では主の十字架の贖罪の死を示さず、又再び来り給う主を憶わずして飲食する事を云うのである。即ち自ら罪を悔改めて主の救を信じ其の主を切に念い其の来り給うを待つ心なしに之に与る者を云う。かかる者は主の体と血に対し冒涜を行うのであつて恐るべき事である。コリントの信徒は之を宴楽の会とする事によりて聖餐を(けが)した。今日も諸教会に於て種々の意味に於て宜しきに適わない聖餐が行われていることは悲しむべき事である。

11章28節 (ひと)みづから(かへり)みて(のち)、そのパンを(しょく)し、その酒杯(さかづき)()むべし。[引照]

口語訳だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
塚本訳人は自分をしらべてみて、それからパンを食べ、杯を飲みなさい。
前田訳だれでも自らを調べて、そのうえでパンを食べ、杯を飲むべきです。
新共同だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。
NIVA man ought to examine himself before he eats of the bread and drinks of the cup.
註解: 自己の心が果して前述の如き意味に於て、聖餐に与り得るや否やを試した上にすべきであつて、コリントの信者の如き罪深き心の状態を以て之に与つてはならないのみならず軽率に、又は無意識に、又は他の人々に引づられて無意義に之に与る事は自らを省みずして聖餐に与る事であつて、宜しきに適わず主の体と血とを犯すのである。

11章29節 御體(みからだ)(わきま)へずして飮食(のみくひ)する(もの)は、その飮食(のみくひ)によりて(みづか)審判(さばき)(まね)くべければなり。[引照]

口語訳主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。
塚本訳なぜなら、食べまた飲む者が、この(主の)体(と血との特別の意味)をわきまえないならば、食べまた飲むことによって自分に罰を招くからである。
前田訳主の体をわきまえずに飲み食いするものは、自らへの裁きを飲み食いしているのです。
新共同主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。
NIVFor anyone who eats and drinks without recognizing the body of the Lord eats and drinks judgment on himself.
註解: キリストの御体を「(わきま)える」事は前節の自己を省みる事と相伴わなければならない、即ち主の体を示すパンと血を示す酒の聖なる事を(わきま)えず、普通の飲食の如くに之を食するものは審判を受けなければならぬ。勿論茲では永遠の滅亡を意味して居ない、主の愛よりの懲治(ちょうじ)である(32節)。(直訳)「そは御体を(わきま)えずば、飲食する者は己が審判を飲食すべければなり」主の救の新なる約束を示す聖餐に於て自己の審判を飲食する事は甚しき不幸である。

11章30節 この(ゆゑ)(なんぢ)()のうちに(よわ)きもの()めるもの(おほ)くあり、また(ねむり)()きたる(もの)(すくな)からず。[引照]

口語訳あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。
塚本訳それゆえに、あなた達の間に大勢の体の弱い者や病人があり、かなり多くの者が眠りについているのである。
前田訳それゆえあなた方の中に弱いものや病人が多く、永眠した人もかなりあるのです。
新共同そのため、あなたがたの間に弱い者や病人がたくさんおり、多くの者が死んだのです。
NIVThat is why many among you are weak and sick, and a number of you have fallen asleep.
註解: コリントの信者の中に病者死者の多いのは、此の聖餐に於ける罪により自己の審判を飲食した結果である。故に信者は試練を受くる時、殊に自らを顧みなければならない。

11章31節 我等(われら)もし(みづか)(おのれ)(わきま)へなば(さば)かるる(こと)なからん。[引照]

口語訳しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。
塚本訳しかしもしもわたし達が自分をわきまえるならば、罰せられないであろう。
前田訳もしわれらが自らをためすならば、裁かれないでしょう。
新共同わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。
NIVBut if we judged ourselves, we would not come under judgment.
註解: 自己の中に聖餐に与り得ない様な罪がありや否や、聖餐に真の意味に於て与り得る心の状態にありや否やを試した上に与るならば、かかる審判はうけないであろう。

11章32節 されど(さば)かるる(こと)のあるは、(われ)らを()(ひと)とともに(つみ)(さだ)めじとて、(しゅ)(こら)しめ(たま)ふなり。[引照]

口語訳しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。
塚本訳たとい主に罰せられても、こらしめられるのであって、それはこの世と共に(永遠に)罰せられることのないためである。
前田訳ただ、主に裁かれるのは、われらがしつけられるのであって、この世とともに罪に定められないためです。
新共同裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。
NIVWhen we are judged by the Lord, we are being disciplined so that we will not be condemned with the world.
註解: かかる諸種の不幸が神の審きとして我らに下つた場合には、是は神の懲治(ちょうじ)である事を思い速に悔改むべきである。さすれば罪に定められ、永遠に亡ぼされる事を免れるであろう。神の愛の如何に深きかを思うべきである。
辞解
[自己を(わきま)える] デアクリネスタイ diakrinesthai「審判かる」クリネスタイ krinesthai「罪に定めらる」カタクリネスタイ katakrinesthai 皆同語源より生ぜる文字であつて審きの度の強さの順序を示している。「罪に定められる」場合は永遠の滅亡に至るより外は無い。

11章33節 この(ゆゑ)に、わが兄弟(きゃうだい)よ、(しょく)せんとて(あつま)るときは(たがひ)()(あは)せよ。[引照]

口語訳それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。
塚本訳従って、わたしの兄弟たち、食事のために集まるときには、互に待ち合わせよ。
前田訳それゆえ、わが兄弟方、食事に集まるときは互いにお待ちなさい。
新共同わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。
NIVSo then, my brothers, when you come together to eat, wait for each other.

11章34節 もし()うる(もの)あらば、(なんぢ)らの集會(つどひ)審判(さばき)(まね)くこと()からん(ため)に、(おの)(いへ)にて(しょく)すべし。[引照]

口語訳もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。
塚本訳もし(待たれないほど)空腹の人があるなら、(前もって)家で食事をせよ。あなた達が(主の晩餐のために)集まって(、かえって)罰を受けることがないためである。なお(これについての)ほかのことは、わたしが行った時に決めよう。
前田訳空腹の人は家で食事をなさい。集まって裁きを受けることのないためです。そのほかのことはそちらへ行ったとき決めたく思います。
新共同空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。
NIVIf anyone is hungry, he should eat at home, so that when you meet together it may not result in judgment. And when I come I will give further directions.
註解: パウロが最後に此の実際的の訓戒を与えているのは、彼の論の空論に終らざらんが為である(Tコリ10:31-33参照)。待ち合せる事が出来ない程飢うる者があるならば態々(わざわざ)「審判を招きに集まる」(直訳)必要は無い自分の家で食事すべきである。パウロがかかる卑近(ひきん)なる結論を引出さんが為めに、聖餐の根本論にまでも遡つた事は一見不必要の様であるけれども、此の根本論がある為めに後世の人々が異れる実際問題に遭遇しても、之を正しく解決する事が出来る事は感謝すべきである。

11章35節 その(ほか)のことは(われ)いたらん(とき)これを(さだ)めん。[引照]

口語訳
塚本訳
前田訳
新共同
NIV
註解: 重要の程度少なきもの又は緊急の必要なきものを後廻しにした。間もなくコリントに行く事を計画していたから(Tコリ16:5)。
要義1 [聖餐について]主の晩餐の記事は聖書に四ケ所に記されている(マタ26:26-28。マコ14:22-24。ルカ22:19、20及び此処)。其中此のパウロの記事が最古である事に注意しなければならない。マタ、マコは相類似し、ルカ、Tコリは相類似している。▲ただ注意すべき事は「我が記念のために之を行え」と命じ給うた様に録されているのはTコリ11:24、25のみである事である。尚ルカ22:19、20註及び補註参照。
ユダヤ人は永年の間過越の祝を行い、羔を屠り其の肉を食い、又其の儀式に際し祝福の酒杯を全家族にて飲む習慣があった。此のユダヤ人の過越はキリストの十字架の型であって、キリストは自ら此の事を意識し給い、自ら過越の羔として屠られ給い(Tコリ5:7)其の死によりて人類を罪のエジプトより救い出し、其の血によりて罪より贖い出して、罪の赦しの新なる契約を立て給い、此のパンと葡萄酒とを以てユダヤ人の過越の祝に代らしめたのである。故に聖餐は過越の祝の継続ではなく、又之と並立すべきものでもない、過越の祝は型であって之がキリストによりて実現して全く其の必要を失い、之に代って我らのために十字架に釘きて血を流して我らを罪より救出し給えるキリストを憶い彼を記念する聖晩餐が行われるに至ったのである。
聖餐がギリシヤに於ては愛餐アガパイ Agapai と共に行われていた事は前述の通りである。是が終には種々の弊害が生じたので愛餐と分離し遂に愛餐は消滅して聖餐のみ一の儀式として残ったのである。
聖書によれば聖餐は主が「かく行え」と命じ給えるものであった。併し乍ら是も他の凡てと同じく律法ではない、若し聖餐そのものが主の体と血とを犯す如き場合に於ては之に与って審判を受けるよりも之に与らない事が却て主の御旨である。
要義2 [聖餐の意義]「是れ我肉なり是れ我血なり」との主の御言に対し、古来教義上種々の解釈が行われた。カトリック教会に於ては司祭の祝祷によりてパン及び葡萄酒が変質してキリストの肉及血でとなるものとの解釈を採り、ルーテルは聖餐のパンと葡萄酒は信仰に取っては事実キリストの肉及血である事を主張し、又ツイングリは反対に此の二者はキリストの肉と血を表徴するものなる事を唱え、カルビンはルーテルとツイングリの中間の説を取り、パンと酒は主の肉と血を表示するに過ぎないけれども、キリストの体は同時に霊的に之に伴う事を主張している。是等の差異の生ずる所以は、各人の信仰の諸相の差別より生ずるのであって、我ら聖書によりて示されしまま聖餐に与る事によりて主の死を示し主を記念する事を以て足れりとすべきである。此の解釈の差を以て宗派分立の原因とする事は(はなは)だしき無用の事と云わなければならぬ。
要義3 [宜しきに適わざる聖餐参加]Tコリの場合に於ては罪を懐きつつ之を悔改むる事をせず、聖餐の真意を没却して、之を理解せずして自己の快楽の為に飲食する如き方法を以て聖餐を行ったので、パウロは之を戒めたのである。併し乍ら其の他にも尚種々の方法を以て主の体と血とを犯す事が出来るのであって、例えばキリストの贖罪の死を信ぜざる場合、又は罪をいだきて之を告白懺悔せざる場合等は勿論宜しきに適わない。其他聖餐夫自身としても自己の教会に属せざる理由を以て、聖餐を拒む如きは聖餐其ものが罪の心を以て行われているのであり、又教理上の些細なる差異より聖餐に与らず又与らしめざる如きも宜しきに適わざるものである事は明かである。何となればキリストの死を示し之によりて罪の赦されし事を信じ、彼を主と仰ぎて彼を記念せんとする者が聖餐に与り得ざる理由が無いからである。其の他相互の間に愛なしに行わる場合もキリストの体の一致を欠くのであって、之を犯すものである等種々の相に於て宜しきに適わない行為となり得るのである、故に「自ら顧み」且つ「御体を(わきま)える」事が是非必要である。

第1コリント第12章
7-3 聖霊とその賜物に就て 12:1 - 12:31
7-3-イ 聖霊の本質 12:1 - 12:3

註解: 第12-14章に於てパウロは霊の賜物と其の秩序ある用い方について述べているのであつて、第11章以来教会に於ける礼拝に関する問題について論ぜし継続として、コリントの教会内に霊の賜物を濫用するもの、又は異言を用うるものを過度に尊敬する等の風潮が生ぜし事に対する警戒を与えたのである。而して問題は実際問題であつても議論としては何れも根本的な教理に立入つているのであつて、パウロは第12章に於て霊の賜物の差別と霊の一致につきて述べ、第13章に於て此の種々の賜物を用うる根本原則たるべき愛に就て語り、第14章に至つて始めてコリントの教会に於ける異言の濫用に就て語つている。

12章1節 兄弟(きゃうだい)よ、(れい)[の賜物(たまもの)]に()きては、(われ)なんぢらが()らぬを(この)まず。[引照]

口語訳兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。
塚本訳また霊の賜物について(求められたわたしの意見)は、兄弟たちよ、知らずにいてもらいたくない。
前田訳兄弟方、霊のことについて知らずにいないでください。
新共同兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。
NIVNow about spiritual gifts, brothers, I do not want you to be ignorant.
註解: Tコリ10:1Tコリ11:2と同じくコリントの信者に重要なる知識を与えん事を欲して「知らぬを好まず」、又は「知らん事を願う」と云つているのである。今日の基督信徒にも同じく之を望む事が必要である。
辞解
[霊の賜物] 「霊的のもの」原語プニユーマテイカ pneumatika (中性と見て)であり、後に49283031節に「賜物」と訳されたのはカリスマ charisma である、前者は賜物の性質を表わす語、後者は賜物の源を示す語である。

12章2節 なんぢら異邦人(いはうじん)なりしとき、(さそ)はるるままに(もの)()はぬ偶像(ぐうざう)のもとに(みちび)()かれしは、(なんぢ)らの()(ところ)なり。[引照]

口語訳あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。
塚本訳あなた達がまだ異教人であった時、(不思議な力に)魅惑されたかのように、口のきけない(木や石の)偶像に引き寄せられた様子は、あなた達が知っているとおりである。
前田訳ご存じのとおり、あなた方は、まだ異教徒であったとき、物いわぬ偶像へと導かれるままに導かれました。
新共同あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。
NIVYou know that when you were pagans, somehow or other you were influenced and led astray to mute idols.
註解: ギリシヤにはジユピター、マース、ヴィナス等の神殿があり偶像崇拝が盛んであつた(日本は此の点に於て一層甚だしい)。而して彼らは、かかる啞の偶像を拝する事によりて、決して心の目は開かれず暗黒の中にいたのである。

12章3節 ()れば(われ)なんぢらに(しめ)さん、(かみ)御靈(みたま)(かん)じて(かた)(もの)は、(たれ)も『イエスは(のろ)はるべき(もの)なり』と()はず、また(せい)(れい)(かん)ぜざれば、(たれ)も『イエスは(しゅ)なり』と()(あた)はず。[引照]

口語訳そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
塚本訳だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。
前田訳それではっきり申しますが、だれでも神の霊によって語るものは、「イエスは呪われよ」とはいわず、だれでも聖霊によるのでなければ、「イエスは主」とはいえません。
新共同ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
NIVTherefore I tell you that no one who is speaking by the Spirit of God says, "Jesus be cursed," and no one can say, "Jesus is Lord," except by the Holy Spirit.
註解: 斯の如く従来偶像を拝して心の暗黒に捕われていたのが今神の御霊によりて心の目が開かれた。然るに其の歓喜が往々にして適度を超過した結果、聖霊と聖霊にあらざる霊との区別が不明になり誤りに陥り易かつた。夫故にパウロは茲に[聖霊に感ずる事の如何なる事であるか、誰が真に聖霊に感じたのであり誰がそうでないか]を明かにせんとしたのである(G1)。此の区別は要するにイエス(キリストではなく肉体となりて来り給えるナザレのイエス)を如何様に告白するかにある。霊的傾向の豊であつたギリシヤ人に取つては、神の霊が肉体を取りてイエスとなり給える事を信ずる事は困難であつて、却て凡ての肉体的、具体的事物を無視する事多きに従い、聖霊が豊に彼らに下つたのであると云う思想があつた、ドケテイズムスやグノスヂシズムスは之より起つた。勿論教会の信徒の中に「イエスは詛わるべき者なり」と言う人は有つたとは思われない。併し乍ら霊を高調する結果自然イエスを無視するに至り、霊的キリストを高調する結果、其のキリストは結局自己の霊の影に過ぎない様な傾向があるならば、是は或る意味に於て「イエスは詛わるべきものなり」と信ずる事である。其の反対に「イエスは主なり」と告白するものは、如何に霊の働きが豊でなくともイエスを離れて其の霊が過誤の中に陥る事が無い。故に此の二つの告白は単に口頭の形式的告白の意味では無く心の状態である。従つて「イエスを主」と告白しつつ彼を拒んでいる者もあるべく、又表面彼を拒まずして心に於て拒んでいる者もあろう。今日多くの所謂基督者の如くにイエスを神の子と信ぜず、従つて彼を主と仰がない者は「イエスは詛わるべき者なり」と云うと同じである。何となれば若しイエスが神の子にあらずは、凡ての人と同じく其の罪のために詛われなければならないからである。 
辞解
[▲感じて▲感ぜざれば] 「感じて」は en の訳としては不適当である。「御霊に在りて」又は口語訳の如く「御霊によりて」の方が正しい。
[イエスは詛わるべきものなり] [アナテマ、イエズス」anathema Ieesous 「イエスは主なり」は「キュリス、イエズス」kurios Ieesous であつて共に心の底より(ほとばし)り出でた叫び声である。形式的信仰告白ではない。アナテマはギリシヤに於ては本来神に献げられし物の事を意味していた、之を旧約聖書に於て用うる場合には特有の意味を帯び来つたのであつて、詛われ、滅ぼされんが為めに神に献げられる事を意味している場合が多い、新約聖書にては凡て詛われし人の意味に用いられている。

7-3-ロ 賜物の差別と霊の一致 12:4 - 12:11

12章4節 賜物(たまもの)(こと)なれども、御靈(みたま)(おな)じ。[引照]

口語訳霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。
塚本訳ところで、(神の霊の賜物は同じものではない。しかし)賜物はいろいろあるが、同じ御霊(の働き)である。
前田訳賜物は種々ですが霊は同じです。
新共同賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
NIVThere are different kinds of gifts, but the same Spirit.

12章5節 (つとめ)(こと)なれども、(しゅ)(おな)じ。[引照]

口語訳務は種々あるが、主は同じである。
塚本訳役目はいろいろあって、しかも同じ主(が与えるもの)である。
前田訳奉仕は種々ですが、主は同じです。
新共同務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
NIVThere are different kinds of service, but the same Lord.

12章6節 活動(はたらき)(こと)なれども、(すべ)ての(ひと)のうちに(すべ)ての活動(はたらき)()したまふ(かみ)(おな)じ。[引照]

口語訳働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。
塚本訳力の働きはいろいろあって、同じ神(から出るもの)であり、このお方がすべての人の中にすべてのことを行なわれるのである。
前田訳働きは種々ですが、すべてにすべてを働かせたもう神は同じです。
新共同働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
NIVThere are different kinds of working, but the same God works all of them in all men.
註解: 賜物は御霊により信者の各々に其の天稟(てんぴん)に従つて与えらるものを云い、「務」は此の賜物を受けし信者が主の命によりて為さしめられる実際の職務を云い、「活動」は此の賜物を以てこの職務にありて為す事実上の行動を指している。而して是等は人によりて一々異れる種類態様を示しているけれども賜物を与える「御霊」、務を果すべき「主」、万人の活動の源なる「神」は一つであり、此の三つは一体であつて結局あらゆる差別は皆一に帰してしまうのである。此の大原則を明かにするにあらざれば次に述ぶる真理は解らない。▲父と子と聖霊の三位から各人に別々の賜物と働きとが与えられる。

12章7節 御靈(みたま)顯現(あらはれ)をおのおのに(たま)ひたるは、(えき)()させんためなり。[引照]

口語訳各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
塚本訳御霊が(このように)それぞれの人に現われるのは、(集会全体の)利益のためである。
前田訳各人に霊の示しが益になるように与えられ、
新共同一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
NIVNow to each one the manifestation of the Spirit is given for the common good.
註解: 互に相排斥して争わんが為では無い。

12章8節 (ある)(ひと)御靈(みたま)によりて智慧(ちゑ)(ことば)(たま)はり、[引照]

口語訳すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
塚本訳すなわち、ある人には御霊をもって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には同じ御霊によって知識の言葉が、
前田訳ある人には霊によって知恵のことばが、他の人には同じ霊によって知識のことばが与えられ、
新共同ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
NIVTo one there is given through the Spirit the message of wisdom, to another the message of knowledge by means of the same Spirit,
註解: パウロは8-10節に於て九種の賜物を列挙し、之を更に三種に区別している(此の境界毎に allos アロス「他の人」の代りに heteros ヘテロス「性質の異つた人」なる語を用いている)。第一、二は智的の賜物、第三ないし第七は信仰的の賜物、第八、九は言語上の賜物である(M0)。「智慧」は神の御経綸と人の心とを覚り、人事を神の御旨に従つて導く事の能力であつて、「言」は之を発表する賜物である。

(ある)(ひと)(おな)御靈(みたま)によりて知識(ちしき)(ことば)

註解: 「知識」は福音の教義を深く理解し広く知悉(しりつく)していることであつて、之を表顕することも同じ霊の賜物である。

12章9節 (ある)(ひと)(おな)御靈(みたま)によりて信仰(しんかう)[引照]

口語訳またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
塚本訳他の人には同じ御霊において信仰が、ほかの人にはその一つの御霊において治療の賜物が、
前田訳また他の人には同じ霊によって信仰が、他の人にはひとつ霊によっていやしの賜物が、
新共同ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
NIVto another faith by the same Spirit, to another gifts of healing by that one Spirit,
註解: 之より第二種の賜物であつて、「信仰」は茲では基督者に一般的共通の罪の赦しの信仰を意味しているのではなく、人生の凡ての困難に打勝ち病苦や貧困の中にありて完全なる信頼を神に捧げ得る英雄的信仰を意味している、かかる信仰は御霊の特別の賜物である。

ある(ひと)(ひと)御靈(みたま)によりて(やまひ)(いや)賜物(たまもの)

註解: 御霊は力であつて病を医す事の方面にも其の作用を及ぼすことが出来る。

12章10節 (ある)(ひと)異能(ちから)ある(わざ)[引照]

口語訳またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
塚本訳ほかの人には奇蹟の力の働きが、ほかの人には預言が、ほかの人には霊の見分けが、他の人には各種の霊言が、(また)ほかの人には霊言の解釈が、与えられる。
前田訳他の人には力のわざが、他の人には預言が、他の人には諸霊の識別が、他の人には諸種の異言が、他の人には異言の説明が与えられます。
新共同ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
NIVto another miraculous powers, to another prophecy, to another distinguishing between spirits, to another speaking in different kinds of tongues, and to still another the interpretation of tongues.
註解: 或は死人を甦らしめ或は悪鬼を逐い出す如き、又使5:1-10。使28:3-6の如き是である。

ある(ひと)預言(よげん)

註解: 人の思索や決意より出づるにあらず、神の霊に感じて之に支配せられて、神の國の過現未(かげんみ)につき語るものが預言である、其の結果はTコリ14:3にある如し。

ある(ひと)(れい)(わきま)へ、

註解: 霊の神より出づるや否やを(わきま)えるカも亦聖霊の働きである(Tヨハ4:1-3)。御霊の賜物と似ていて而も悪魔の霊より来るものもあり、此の区別は困難である。

(ある)(ひと)異言(いげん)()ひ、

註解: 以下第三種の賜物である。異言を語る事(使2:4-13。使10:46使19:6Tコリ14:2以下)の何であるかは古来問題であつて多くの解釈があるけれども、之に関連する諸節より推論すれば、聖霊に感じて恍惚の状態に於て、他人の解する事能わざる言語を以て語ることと解するより外にない。

(ある)(ひと)異言(いげん)()能力(ちから)(たま)はる。

註解: 異言を以て語れる場合、これを解釈することも聖霊の賜物であつた。

12章11節 (すべ)(これ)()のことは(おな)(ひと)つの御靈(みたま)活動(はたらき)にして、御靈(みたま)その(こころ)(したが)ひて各人(おのおの)()(あた)へたまふなり。[引照]

口語訳すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。
塚本訳しかしこれら一切のことはただ一つの同じ御霊が行なうのであって、その思いどおりに、それぞれの人にそれ特有のものを分けてくださるのである。
前田訳これらすべてを働かせるのはひとつで同じ霊であり、これがその欲するよう各人に賜物を分けるのです。
新共同これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
NIVAll these are the work of one and the same Spirit, and he gives them to each one, just as he determines.
註解: 故にたとい賜物に大小ありとも誇るべからず失望すべからず、又賜物に差異ありとも分争すべからず、大小差別は御霊の思召(おぼしめし)によるのである。

7-3-ハ 肢体の一致の必要 12:12 - 12:31

註解: 以上に於てパウロは賜物の差異と御霊の一致とを説明した。此の大原則をキリストの教会に適用したのが12-31節である。即ち賜物の差異と御霊の一致を身体の各肢体の差異と其の一致とに譬え、教会が賜の差異より或は争い或は誇り、或は失望する事無からん為めに戒を与えている。

12章12節 (からだ)(ひと)つにして(えだ)(おほ)し、(からだ)(えだ)(おほ)くとも(ひと)つの(からだ)なるが(ごと)く、キリストも(また)(しか)り。[引照]

口語訳からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。
塚本訳なぜか。体はただ一つであって、それに多くの器官があるけれども、この体の器官が皆、多くあっても、一つの体を成しているように、キリスト(の体である集会)の場合も同じである。
前田訳ちょうど、体はひとつで多くの部分があり、体のすべての部分が多くてもひとつ体であるように、キリストもそのとおりです。
新共同体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。
NIVThe body is a unit, though it is made up of many parts; and though all its parts are many, they form one body. So it is with Christ.
註解: 人体と其の四肢五体との関係は最もよくキリストと其の教会との関係を表示している。即ち肢体は如何に多くとも人体は一つであり、賜物は基督信徒の間に如何に多く分れていても、此の凡てがキリストに在りて一体である。

12章13節 (われ)らはユダヤ(びと)・ギリシヤ(びと)奴隷(どれい)自主(じしゅ)(わかれ)なく、一體(いったい)とならん(ため)に、みな(ひと)御靈(みたま)にてバプテスマを()けたり。(しか)してみな(ひと)御靈(みたま)()めり。[引照]

口語訳なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。
塚本訳また、わたし達は皆、ユダヤ人にせよ異教人にせよ、奴隷にせよ自由人にせよ、一つの体になるために、一つの御霊で洗礼を受けたからである。そしてわたし達は皆一つの御霊を飲まされた。
前田訳それは、ひとつ霊においてわれらすべてがひとつ体へと洗礼されたからで、ユダヤ人とギリシア人、奴隷と自由人とを問いません。われらはすべてひとつ霊でうるおされたのです。
新共同つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。
NIVFor we were all baptized by one Spirit into one body--whether Jews or Greeks, slave or free--and we were all given the one Spirit to drink.
註解: (▲本節初頭に kai gar 「その故は」がある。口語訳参照)人種及宗教に於て極端に異れるユダヤ人とギリシヤ人、境遇において全く相反せる自主と奴隷の如く、此の世に於て氷炭相容れざる者がキリストを信ずる事によりて一体となり新なる人となる(エペ2:14-15)。是れ唯一の御霊にてバプテスマを受けて一体となりバプテスマにより、又此の一つの御霊を注ぎ込まれるからである。前者は聖霊が我らの上に働きて我らを救い給う事、後者は聖霊が我らに内住し給う事を示す、而して此の何れに於ても聖霊は一であつてニつは無い。

12章14節 (からだ)(いち)(えだ)より()らず、(おほ)くの(えだ)より()るなり。[引照]

口語訳実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。
塚本訳ほんとうに、体は一つの器官でなく、多くの器官から成っているのである。
前田訳そして体はひとつの部分でなく多くの部分です。
新共同体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。
NIVNow the body is not made up of one part but of many.

12章15節 (あし)もし『(われ)()にあらぬ(ゆゑ)(からだ)(ぞく)せず』と()ふとも、(これ)によりて(からだ)(ぞく)せぬにあらず。[引照]

口語訳もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
塚本訳たとい足が、「自分は手でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
前田訳もし足が、「自分は手でないから体に属さない」といったからとて、体に属さないでしょうか。
新共同足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
NIVIf the foot should say, "Because I am not a hand, I do not belong to the body," it would not for that reason cease to be part of the body.

12章16節 (みみ)もし『それは()にあらぬ(ゆゑ)(からだ)(ぞく)せず』と()ふとも、(これ)によりて(からだ)(ぞく)せぬにあらず。[引照]

口語訳また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。
塚本訳またたとい耳が、「自分は目でないから、体に属していない」と言ったからとて、それゆえに体に属していないことにはならない。
前田訳もし耳が、「自分は目でないから体に属さない」といったからとて、体に属さないでしょうか。
新共同耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。
NIVAnd if the ear should say, "Because I am not an eye, I do not belong to the body," it would not for that reason cease to be part of the body.
註解: 第一にパウロは足耳の如く賜物の劣れるものが、手や眼の如くその勝れる者よりも劣れる地位にあるを不満として教会を離れ教会に属せずと主張するものを戒め、たといかく主張しても真の基督者である以上、此の比喩の示すと同じ理由によりてキリストの体たる教会を離れる事は不可能であつて、事実之に属している事を例示したのである。元来神が体に種々の肢を置き給えるは夫々必要があつたからである、コリントには実際かかる傾向があつた。

12章17節 もし全身(ぜんしん)()ならば、()くところ(いづ)れか。もし全身(ぜんしん)()(ところ)ならば、()ぐところ(いづ)れか。[引照]

口語訳もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。
塚本訳もし体全体が目であったら、どこに聴覚があるのか。もし体全体が聴覚であったら、どこに嗅覚があるのか。
前田訳もし全身が目なら、どこに聞くところがありますか。もし全身聞くところならば、どこに嗅ぐところがありますか。
新共同もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。
NIVIf the whole body were an eye, where would the sense of hearing be? If the whole body were an ear, where would the sense of smell be?

12章18節 げに(かみ)御意(みこころ)のままに(えだ)をおのおの(からだ)()(たま)へり。[引照]

口語訳そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。
塚本訳しかし実際は、神は御心どおりに、器官をひとつびとつそれぞれ(の用途に従って、)体に配置された。
前田訳しかし現に神は部分のおのおのを御意のままに体にお置きでした。
新共同そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。
NIVBut in fact God has arranged the parts in the body, every one of them, just as he wanted them to be.

12章19節 ()しみな(いち)(えだ)ならば、(からだ)(いづ)れか。[引照]

口語訳もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。
塚本訳もし全体が一つの器官であったら、どこに体があるのか。
前田訳もしすべてがひとつ部分ならば、どこに体がありますか。
新共同すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。
NIVIf they were all one part, where would the body be?

12章20節 げに(えだ)(おほ)くあれど、(からだ)(ひと)つなり。[引照]

口語訳ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。
塚本訳しかし実際は、器官は多いが、体は一つなのである。
前田訳しかし現に部分は多く、体はひとつです。
新共同だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。
NIVAs it is, there are many parts, but one body.
註解: 種々の肢がある事も、それが皆夫々特別の場所を占めている事も皆神の御旨であり、従つて此の差別は如何に多様であつても、神は是等をキリストの体として一に帰せしめん事を定め給うたのである。故に之は感謝して受くべきものであつてもしこの神の定めを破つたならば、醜くして不便なる下等勤物の如き単純なる生物となつてしまうであろう。故にキリストの体たる信者の一部が体からはなれる事は出来ないのみならず(14-16)、又為すべきものでは無い(17-20)。

12章21節 ()()(むか)ひて『われ(なんぢ)(えう)せず』と()ひ、(かしら)(あし)(むか)ひて『われ(なんぢ)(えう)せず』と()ふこと(あた)はず。[引照]

口語訳目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。
塚本訳目は手に、「お前はいらない」、あるいはまた頭は足に、「お前たちはいらない」と言うことは出来ない。
前田訳目が手に向かって、「わたしはあなたが要らない」とか、頭が足に向かって、「わたしはあなたが要らない」とはいえません。
新共同目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
NIVThe eye cannot say to the hand, "I don't need you!" And the head cannot say to the feet, "I don't need you!"
註解: パウロは次に、21-27節に於て眼、頭の如く霊の賜物を豊に有つものが手足の如き之を有つこと少きものを軽蔑して[我汝を要せず]として排斥すべからざる事、即ち是等凡てが互に相寄り相助けて進むべきものなる事を示している。即ち15、16と反対に強き信者を誡めたものである。

12章22節 (いな)、からだの(うち)にて(もっと)(よわ)しと()ゆる(えだ)は、(かへ)つて必要(ひつえう)なり。[引照]

口語訳そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
塚本訳いや反対に、体の中でわりあいに弱いと見える器官こそかえって必要であり、
前田訳否、むしろ体の部分で、より弱いと思われるものが大切です。
新共同それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。
NIVOn the contrary, those parts of the body that seem to be weaker are indispensable,
註解: 心臓や肺臓の如き最も弱き部分は最も必要なる機関である。一見目立たない何の役に立つか分らない様な弱い信者が、教会に取つて最も必要なるものである事は唯、神の國にのみ存する幸福なる真理である。

12章23節 (からだ)のうちにて(たふと)からずと(おも)はるる(ところ)に、(もの)(まと)ひて(こと)(これ)(たふと)ぶ。()(われ)らの(うるわ)しからぬ(ところ)は、一層(ひときは)すぐれて(うるわ)しくすれども、[引照]

口語訳からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、
塚本訳また体の中でわりあいにりっぱでないとわたし達が思う器官は、これにことさらにりっぱなものをまとわせるのである。またわたし達の見苦しい部分はことさらに体裁よくするが、
前田訳体のあまり立派でないと思われる部分にわれらは、とくに立派なものをまといます。そしてわれらの不格好なところはとくによい格好にします。
新共同わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。
NIVand the parts that we think are less honorable we treat with special honor. And the parts that are unpresentable are treated with special modesty,

12章24節 (うるわ)しき(ところ)には、[(もの)(まと)ふの](えう)なし。[引照]

口語訳麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。
塚本訳(始めから)体裁のよい部分は、その必要がない。むしろ、神は劣っている部分にことさらにりっぱなものを与えて、体(全体)を統合された。
前田訳しかし格好よいところはそれを要しません。神は劣るところに、とくに立派さを与えて体をお組み立てでした。
新共同見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。
NIVwhile our presentable parts need no special treatment. But God has combined the members of the body and has given greater honor to the parts that lacked it,
註解: 尊からずと思われる処は胴体であつて之をば衣服を以て掩う。之と同じく教会内の美わしからぬ所、即ち霊の賜物の目立たない人々をば之を排斥しないで其の醜き処を掩う様にすべきである。何となれば体の一部の恥は全身の恥であるから。

(かみ)(おと)れる(ところ)(こと)尊榮(たふとき)(くは)へて、(ひと)(からだ)調和(てうわ)したまへり。

12章25節 これ(からだ)のうちに分爭(ぶんさう)なく、(えだ)一致(いっち)して(たがひ)(あひ)(かへり)みんためなり。[引照]

口語訳それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
塚本訳これは体の間に仲間割れがなく、(多くの)器官が一致して互に心を配り合うためである。
前田訳それは体に分裂がなく、諸部分がひとつになって互いに心を配るためです。
新共同それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。
NIVso that there should be no division in the body, but that its parts should have equal concern for each other.
註解: 神の調和は所謂賜物の平等なる分配では無い、却て之を不平等に分配し、其の分配の少なきもの即ち弱き信者を強き信者が愛護し、却て之を尊む事によりて其処に機械的ならざる調和が行われるのである、是れ各肢の間に分争なく却て互に相顧み相助くる事を神は望み給うたからである。神の智慧は深いかな。若し教会に於て此の事が守られていたならば今日欧洲に行われている分離は行われなかつたであろう。

12章26節 もし(ひと)つの(えだ)(くる)しまば、もろもろの(えだ)ともに(くる)しみ、(ひと)つの(えだ)(たふと)ばれなば、もろもろの(えだ)ともに(よろこ)ぶなり。[引照]

口語訳もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
塚本訳もし一つの器官が苦しみをうければ、(ほかの)すべての器官が一しょに苦しみ、もし一つの器官がとうとばれれば、(ほかの)すべての器官が一しょに喜ぶのである。
前田訳もしひとつの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、ひとつの部分が尊ばれれば、すべての部分が共によろこびます。
新共同一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
NIVIf one part suffers, every part suffers with it; if one part is honored, every part rejoices with it.
註解: 完全なる連帯関係である。是れ愛によりてのみ生じ得る関係である。故にかかる弱き肢がある事は却てその一致を堅くする所以であつて之を分争せしむる所以では無い。体の各肢は其の(おのおの)の苦楽に対して常に同情を持ち之を(あか)たなければならない。ある教会の不振を見て他の教会がよろこぶ如きは苦々しき邪曲である。

12章27節 (すなは)(なんぢ)らはキリストの(からだ)にして各自(おのおの)その(えだ)なり。[引照]

口語訳あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
塚本訳(同じことをあなた達についても言うことが出来る。)あなた達はキリストの体であり、ひとりびとりとしては器官である。
前田訳あなた方はキリストの体で、おのおのがその部分です。
新共同あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
NIVNow you are the body of Christ, and each one of you is a part of it.
註解: 前節迄の要約であつて後節を引出している。
辞解
[各自] 原語 ek merous はTコリ13:9、10、12に「全からず」と訳せられている語で「部分的に其の肢なり」との意味である。即ちコリントの信者はキリストの体の肢全部を形成するのではなく(もろもろ)の肢の一部を成している事を意味する。

12章28節 (かみ)第一(だいいち)使徒(しと)第二(だいに)預言者(よげんしゃ)第三(だいさん)教師(けうし)、その(つぎ)異能(ちから)ある(わざ)(つぎ)(やまひ)(いや)賜物(たまもの)補助(たすけ)をなす(もの)(をさ)むる(もの)異言(いげん)などを教會(けうくわい)()きたまへり。[引照]

口語訳そして、神は教会の中で、人々を立てて、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師とし、次に力あるわざを行う者、次にいやしの賜物を持つ者、また補助者、管理者、種々の異言を語る者をおかれた。
塚本訳神はある人々を集会に置かれた、第一に使徒として、第二に預言者として、第三に教師として、次に奇蹟を、次に治療の賜物、援助、(集会の)管理、各種の霊言(など)を。
前田訳神はこれらの人々を集会(エクレシア)の中で第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、それから奇跡を行なうもの、それからいやす賜物を持つもの、助けるもの、管理者、種々の異言を語るもの、としてお置きでした。
新共同神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
NIVAnd in the church God has appointed first of all apostles, second prophets, third teachers, then workers of miracles, also those having gifts of healing, those able to help others, those with gifts of administration, and those speaking in different kinds of tongues.
註解: 茲にパウロは賜物及役目の重要さの程度に従いて之を排列し、之が凡て神の置き給えるものにして人之を除くべからざるものなる事を示している。異言を最後に置いたのはコリント教会に於て特に暴威を振える此の種の信者を戒める意味である。
辞解
[補助(たすけ)をなす者] 貧民病者の取扱の如き執事の職とも見るべき種類の事を為す人(M0)。
[治むる者] 長老の職の如き教会の政治につき働く人。

12章29節 (これ)みな使徒(しと)ならんや、みな預言者(よげんしゃ)ならんや、みな教師(けうし)ならんや、みな異能(ちから)ある(わざ)(おこな)(もの)ならんや。[引照]

口語訳みんなが使徒だろうか。みんなが預言者だろうか。みんなが教師だろうか。みんなが力あるわざを行う者だろうか。
塚本訳皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇蹟をするのであろうか。
前田訳皆が使徒ですか。皆が預言者ですか。皆が教師ですか。皆が奇跡を行なうのですか。
新共同皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。
NIVAre all apostles? Are all prophets? Are all teachers? Do all work miracles?

12章30節 みな(やまひ)(いや)賜物(たまもの)()てる(もの)ならんや、みな異言(いげん)(かた)(もの)ならんや、みな異言(いげん)()(もの)ならんや。[引照]

口語訳みんながいやしの賜物を持っているのだろうか。みんなが異言を語るのだろうか。みんなが異言を解くのだろうか。
塚本訳皆が治療の賜物を持っているのであろうか。皆が霊言を語るのであろうか。皆がそれを解釈するのであろうか。
前田訳皆がいやす賜物をもつのですか。皆が異言を語るのですか。皆がその解釈をするのですか。
新共同皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。
NIVDo all have gifts of healing? Do all speak in tongues ? Do all interpret?
註解: 28節に於て神が是等の賜物を教会に置き給える事を示し、29、30節に於ては神が如何様に之を置き給えるかを示している、即ち凡ての人に同一の賜物が与えられるのではなく人によりて異る賜物が与えられる。従つて或一人が凡ての賜物を完備する事は無い。夫故に教会に或る賜物の欠乏する事がなく、又其の中の或者が凡てを具有して欠けたる点なきに誇るが如き状態を生ずる事が無い。従て教会の全員は其の賜物の高下に関らず互に相倚り相助くるにあらざれば立ち行き得ないのがその本質である。

12章31節 なんぢら(すぐ)れたる賜物(たまもの)(した)へ、(しか)して(われ)さらに()(みち)(しめ)さん。[引照]

口語訳だが、あなたがたは、更に大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、わたしは最もすぐれた道をあなたがたに示そう。
塚本訳ただあなた達は(絶えず)より大きい賜物を得ようと努力せよ。それで、(これらの賜物より)なお一層すぐれた道をあなた達に示そう。
前田訳よりすぐれた賜物を求めてください。
新共同あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。
NIVBut eagerly desire the greater gifts. And now I will show you the most excellent way.
註解: 賜物は神が与え給うものであるけれども、同時に我らの方より之を慕い求むべきである、而して慕い求むるには優れたる賜物を目的とすべきであつて異言を語る事の如きは、左程熱心に求むべき程のものでは無い。而して単に優れたる賜物を慕い求め劣れる賜物を求めないだけでは不充分であるから、パウロは「予は更に優れたる途を示さん」と云いて愛の途を示し、之によりて此の途をはなれては如何に優れたる賜物と雖も無用である事を示している。
要義1 [教会の有機体的構成]キリストは教会の(かしら)教会は其の体である事は実に教会の奥義である(エペ1:22エペ5:2コロ1:18等)。而して此の関係は規則や教義によるのでは無く霊によりて結合せられし有機的結合である。夫故に此の霊体の各肢の間の関係も亦有機体のそれに極めて類似しているのであって、パウロは本章に此の事を叙べたのである。故に有機体に関する原則は殆んど皆此の霊体なる教会に適用する事が出来る、即ち(1)一の中枢即ち(キリスト)に連り之に従って働く事、従て之に連絡の無いものは其の有機体の一部では無い。(あたか)も帽子や下駄が人体の一部では無いと同じである。(2)各部分が複雑であればある程其の有機体は高等である、之と同じく教会各員の賜物が複雑であればある程キリストの体として相応わしい状態にある。故にある一種の賜物(例えば癒しの如き、又は神学的知識の如き)のみを強調して一派を作りて教会より分立し、又は他を排斥せんとするものは、其自身の本性にに矛盾する行動であって自らを下等なる有機体たらしむるものである。(3)有機体は其の高等なるものに至るに従って一部分に対する刺激が全体に及ぶ事強く且つ速かである。同様に教会は其中の最も弱く目立たない一肢の栄辱(えいじょく)を全体が速に且つ強く感受し、之と哀楽を共にする場合に最も優れたる状態にある事を知る事が出来る。(4)下等なる有機体は其の一部を切断しても其の生存に差支が無いけれども、高等なるものとなるに従って身体の極めて小部分の損失が全体の生存に大なる影響を与える。霊の賜物を異にする教会各員の中の最も少なるものの損失すら全体の生存を危くする事を思うならば、教会の分争の原因を除く事が出来よう。(5)有機体の各肢が互に相補い相助くると同じく、霊の賜物を異にする人々も亦互に相助け相補う事が其の生存の必要条件である。互に相排斥する事は有機体の本質に反する。是等及其の他の諸点より教会が凡ての点に於て有機体的である事を知る事が出来よう。有機体は生命である故に之を一定の規則制度の中に押込む事が出来ない。今日の教会が制度、教義等の中に教会を押込めんとし少しく賜物が異なる者を排斥するは大なる過誤である。
要義2 [弱者の幸福]「からだの中にて最も弱しと見ゆる肢は反って必要なり」との聖言は非常に慰め多き言である。此の世界の競争場裡(じょうり)に於ては優勝劣敗、強食弱肉が本体である事ダーヴ井ンも認めている通りである。然るにキりストの教会に在りては弱者が却て必要であるとして重んぜられる事は誠に感謝すべき事である。(あたか)も無智の時代に於ては心臓や肺臓や胃腸の必要を知らなかったと同じく、今日我らは弱き信者の必要を知らずに却て是らを邪魔物と思うかも知れない。併し乍ら内臓の一を失えば死ぬる点より見れば手や足の如く活動する信者よりも却てかかる弱き信者が教会の生命である事を思わなければならない。故に弱き信者、賜物の少き者を愛護する事は教会の生命の為めに必要である。而して神の国とは実にかかるものであろう(ルカ14:21)。