黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2コリント

第2コリント第7章

分類
3 パウロの自己弁明(其の一) 1:12 - 7:16
4 コリント人に対するパウロ 6:11 - 7:16
4-1 愛と聖別とを薦む 6:11 - 7:1

7章1節 されば(あい)する(もの)よ、(われ)らかかる約束(やくそく)()たれば、(にく)(れい)との汚穢(けがれ)より(まった)(おのれ)(きよ)め、(かみ)(おそ)れてその清潔(きよき)成就(じゃうじゅ)すべし。[引照]

口語訳愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
塚本訳だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか。
前田訳親愛な方々、このような約束を持つゆえに、われらは肉と霊とのあらゆる汚れから自らを清め、神をおそれて聖潔(きよき)を全うしましょう。
新共同愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。
NIVSince we have these promises, dear friends, let us purify ourselves from everything that contaminates body and spirit, perfecting holiness out of reverence for God.
註解: この一節は前章の継続であって6:14節以下の結尾となるべきものである。我らは活ける神の宮であり、また神我らと共に座す事の約束を得た以上は、神の宮たるに相応しき状態に我らを置かなければならない。神の宮として必要なるは、淫行、好色、酔酒、宴楽、奢侈(おごり)等の肉の汚穢、偶像崇拝、怨恨、紛争、嫉妬、徒党、分離、異端等の霊の汚穢を洗い潔め(ガラ5:19−22)、神を畏れる心を以て完全にこの世の不信者とその汚穢から聖別される事である。
辞解
[愛する者よ] 信者に対する呼びかけ
[己を潔め] 原語katharizôで洗い清める事
[その清潔] 原語hagiôsunên聖め別つ事、すなわち不信者とくびきを共にせず神の宮に偶像を置かざる事

4-2 パウロ其の愛を示す 7:2 - 7:16

7章2節 (われ)らを()()れよ、[引照]

口語訳どうか、わたしたちに心を開いてほしい。わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない。
塚本訳(コリント人たちよ、このとおりわたし達の心は広くなっている。)どうかわたし達を受け入れて貰いたい!わたし達は(ある人達が非難するような)間違ったことを(あなた達の)だれにもした覚えはない。だれも堕落させた覚えはない。だれもごまかした覚えはない。
前田訳われらに心を開いてください。われらはだれにも不正をせず、だれをも損なわず、だれをもだましませんでした。
新共同わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
NIVMake room for us in your hearts. We have wronged no one, we have corrupted no one, we have exploited no one.
註解: Uコリ6:13の意味を反覆したのであって、以上数章において述べ来りし凡ての方面より見てコリント人がパウロに対して反感を()つ理由なき事は明かである以上、福音の使徒としての我らを汝らの心に愛を以て受け容るべきである。
辞解
[受け容れよ] 「場所を造る」こと

われら(たれ)にも不義(ふぎ)をなしし(こと)なく、(たれ)をも(そこな)ひし(こと)なく、(たれ)をも(かす)めし(こと)なし。

註解: パウロの反対者等は或はパウロが信者を審判く態度を以て義しからずとなし、またはパウロは律法を無視する事によりて人を害う(原語は腐敗せしむる意)となし、または金銭を集めてエルサレムの聖徒に送ると称して(Uコリ9:1)、彼らを(かす)めるものであるとの理由を以て彼を非難していたのであろう(Uコリ12:16、17)。パウロは決してかかる事の無き事を断言し、彼らの心を開きてパウロ等を受け納れん事を薦めている

7章3節 わが()()ふは、(なんぢ)らを(とが)めんとにあらず、そは()(すで)()へる(ごと)く、(なんぢ)らは(われ)らの(こころ)にありて、(とも)()(とも)()くればなり。[引照]

口語訳わたしは、責めるつもりでこう言うのではない。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである。
塚本訳これは(かっての)罪を責めるつもりで言うのではない。前にも言ったように、あなた達はわたし達の心の中にあって生死を共にする人だからである。
前田訳責めるためにこういうのではありません。前にもいったように、あなた方は共に生き、共に死ぬためにわれらの心の中にあります。
新共同あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。
NIVI do not say this to condemn you; I have said before that you have such a place in our hearts that we would live or die with you.
註解: 生くるにも死ぬるにもコリント人はパウロ等の心から離れた事が無い程、パウロ等は彼らを愛していた事はこれ迄この書簡において反覆これを述べた (Uコリ1:6Uコリ1:13-14。Uコリ2:4Uコリ3:3Uコリ4:12Uコリ6:11−13) 。これを見ても前節に言いし言はコリント人を罪に定めんためでなく(「咎むる」の原語は「罪に定むる」ロマ8:1)、却って彼らとパウロとの間に、その愛を妨ぐる障害物を除きたいからである。この事を誤解せざらん事を望むとパウロは言うのである

7章4節 (われ)なんぢらを(しん)ずること(おほい)なり、[引照]

口語訳わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。
塚本訳あなた達へのわたしの信頼は大きく、あなた達についてのわたしの自慢は大きい。わたしはいま慰めに満ちている。わたしはどんな苦難をわたし達がうけるときにも喜びにあふれている。
前田訳あなた方へのわが信頼は大きく、あなた方についてのわが誇りは大きいのです。わたしは慰めに満たされ、どんな苦しみの中でもよろこびにあふれています。
新共同わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
NIVI have great confidence in you; I take great pride in you. I am greatly encouraged; in all our troubles my joy knows no bounds.
註解: この「信ずる」の原語の意味は心に(わだかま)りの無きこと、すなわちパウロは心の底から彼らを愛し、彼らに対し心を充分に開き(Uコリ6:11)少しのわだかまりも無く信じ切っている事

また(なんぢ)()をもて(ほこり)とすること(おほい)なり、

註解: 立派な子供に対して親が誇らしき心を()つと同じく、パウロはその労働によりて成りしコリントの教会に就いて、たといその中に彼に反対なる分子があるにしてもなお彼らを愛し、且つUコリ1:13-14に彼自ら云う如く彼らを誇っていた

(われ)慰安(なぐさめ)にみち、(すべ)ての患難(なやみ)(うち)にも喜悦(よろこび)あふるるなり。

註解: 私訳「凡ての患難の中に我は慰安にみち喜悦あふれるなり」この患難はパウロが前にUコリ4:8−10。Uコリ1:3−11等に記し更に次節に記さんとしている処のものである。慰めは6713節等に記され喜悦は7813節等に記されている。コリントの信徒の状態がかくまでパウロの心を動かす事は、如何に彼が彼らを愛しているかの証拠であって、これに対してもコリント人はパウロ等を受納るべき義務がある

7章5節 マケドニヤに(いた)りしとき、(われ)らの()はなほ(いささ)かも平安(やすき)()ずして、樣々(さまざま)患難(なやみ)()ひ、(そと)には分爭(ぶんさう)(うち)には恐懼(おそれ)ありき。[引照]

口語訳さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。
塚本訳というのは、わたし達が(トロアスからこの)マケドニヤに来たときにも、体が全く休まらず、あらゆることに悩まされた、外には(福音の敵との)戦い、内には(愛する集会のための)心配があったのである。
前田訳マケドニアに来たとき、われらの身には安らぎがなく、事ごとに悩まされました。外には戦い、内には恐れでした。
新共同マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。
NIVFor when we came into Macedonia, this body of ours had no rest, but we were harassed at every turn--conflicts on the outside, fears within.
註解: パウロはこの事をすでにUコリ2:14に暗示していたのをここに明示している。その目的は彼が受けし慰安と喜悦とを一層明かにせんが為である。パウロ言う「我トロアスよりマケドニヤに渡った時も種々の患難が襲い来り、外部に対しては迫害と戦わなければならず、内心にはコリントの状態など思い廻らして恐怖の念がたえなかった。
辞解
[身] sarxで一般に「肉」と訳される文字である、人物の生まれながらにして有する肉体及び感性の凡てを指す
[分争] 戦争、または闘争を意味する文字である

7章6節 ()れど(あはれ)なる(もの)(なぐさ)むる(かみ)は、テトスの(きた)るによりて(われ)らを(なぐさ)(たま)へり。[引照]

口語訳しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
塚本訳しかしあわれな者を慰めてくださる神は、テトスの到着によって(この)わたし達を慰めてくださった。
前田訳しかし、気落ちしたものを慰めたもう神はテトスを来させてわれらをお慰めでした。
新共同しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。
NIVBut God, who comforts the downcast, comforted us by the coming of Titus,
註解: かかる時の慰めは殊に深く感ぜられるものであり、また神は患難にあるものを必ず慰め給うものである。故に神を「哀れなる者を慰むる神」と呼び奉る事は非常にふさわしき称号である▲この辺パウロの純情とコリントの信者を如何に愛していたかが見られる。

7章7節 (ただ)その(きた)るに()りてのみならず、[引照]

口語訳ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。
塚本訳いや、彼の到着によってというだけでなく、彼があなた達のところで慰められたその慰め(を聞いたこと)によってでもある。彼は(わたしに会いたいという)あなた達の熱望と、(罪を悔いる)あなた達の悲嘆と、わたしに対するあなた達の熱意とをわたし達に報告してくれたのである。こうしてわたしはますます喜んだ。
前田訳彼が来たことばかりでなく、彼があなた方によって慰められた慰めによっても、われらは慰められました。彼はあなた方のあこがれと、あなた方の嘆きと、わたしへのあなた方の熱意とを知らせてくれましたので、わたしはますますよろこびました。
新共同テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
NIVand not only by his coming but also by the comfort you had given him. He told us about your longing for me, your deep sorrow, your ardent concern for me, so that my joy was greater than ever.
註解: 来たりし事がすでに大なる慰めであった事は、彼が来たらざりし場合のパウロの不安の心持(Uコリ2:13)を見てもこれを知る事ができる。しかしパウロの慰められしは唯その為のみではなかった

(かれ)(なんぢ)らによりて()たる慰安(なぐさめ)をもて(なぐさ)(たま)へり。

註解: テトスはコリントの信徒の状態如何ならんかまた前の書簡及び訪問の影響如何ならんかと憂慮しつつコリントに行ったのであったが、その地の信徒の状態や態度によりて非常に慰められ、この心持をパウロに告げたのでパウロも慰められた

(すなは)(なんぢ)らの(われ)(した)ふこと、

註解: コリントの信者は大体において(例外Tコリ4:18を見よ)、パウロを慕い彼のコリント訪問を待ち焦がれていること

((なんぢ)らの)(なげ)くこと、

註解: 教会内の淫行、不秩序その他によりてパウロを怒らしめ悲しましめし事を歎き、またこれらの事に対しての自分たちの処置が悪かった事を歎くこと(Tコリ5:2参照)

((なんぢ)らの)(われ)(たい)して熱心(ねっしん)なることを(われ)らに()ぐるによりて、(われ)ますます(よろこ)べり。

註解: 熱心にパウロの叱責に耳を傾け、熱心に彼に服従せんとする心持をコリントの信徒は()っていた。これパウロをして益々喜悦に溢れしめし所以である。
辞解
原文には「汝らの」を三度繰返してその意を強めている。日本訳にもこれを加うる方が適当であろう

7章8節 われ(ふみ)をもて(なんぢ)らを(うれ)ひしめたれども()いず、その(ふみ)(なんぢ)らを(しばら)(うれ)ひしめしを()て、(まへ)には()いたれども(いま)(よろこ)ぶ。[引照]

口語訳そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、
塚本訳というのは、あの(烈しい)手紙であなた達を悲しませたにしても、(もはや)わたしは悔いないからである。(前には)悔いたにしても、──わたしは認める、あの手紙が一時はあなた達を悲しませたにしても、……
前田訳それで、たとえあなた方を手紙で悲しませたにせよ、わたしは悔いません。たとえ悔いたにせよ、あの手紙があなた方を悲しませたのはほんのしばらくであったことを知っているからです。
新共同あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
NIVEven if I caused you sorrow by my letter, I do not regret it. Though I did regret it--I see that my letter hurt you, but only for a little while--
註解: コリント前書においてパウロは種々の点に就いて、はげしく彼らを責めた為に(殊にTコリ5章を見よ)彼らは一時は憂いに沈んだ、第二回に訪問せる際にこれを見てパウロは前にはあまり激し過ぎたかと悔いたけれども、今は悔いずに却って喜んでいる。その理由は次節にあり

7章9節 [わが(よろこ)ぶは](なんぢ)らの(うれ)ひしが(ゆゑ)にあらず、(うれ)ひて悔改(くいあらため)(いた)りし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。
塚本訳(とにかく)今は喜んでいる。(もちろん)あなた達が悲しんだからではなく、悲しんで悔改めたからである。あなた達は神の御心に沿って悲しんだ、だから何事においてもわたし達から害を受けなかったのである。
前田訳今はよろこんでいます。それはあなた方が悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなた方は神に従って悲しんだので、われらからは何の害も受けなかったのです。
新共同今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
NIVyet now I am happy, not because you were made sorry, but because your sorrow led you to repentance. For you became sorrowful as God intended and so were not harmed in any way by us.
註解: コリント人を憂いしめて喜ぶ様なパウロでは無い、彼はコリントの信徒を愛していた。故に彼らが憂いて悔改めに至ったことを聴いて非常に喜んだのである

(なんぢ)らは(かみ)(したが)ひて(うれ)ひたれば、我等(われら)より(いささ)かも(そん)()けざりき。

7章10節 それ(かみ)にしたがふ(うれひ)は、(くい)なきの(すくひ)()るの悔改(くいあらため)(しゃう)じ、()(うれひ)()(しゃう)ず。[引照]

口語訳神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
塚本訳なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。
前田訳神に従っての悲しみは悔い改めをさせて悔いのない救いを得させますが、この世の悲しみは死をもたらします。
新共同神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
NIVGodly sorrow brings repentance that leads to salvation and leaves no regret, but worldly sorrow brings death.
註解: 憂苦に二種ある、一は神に従うの憂いであって、神に対して相済まない、申訳が無いと思う心がそれである。他は世の憂いであって罪の結果叱責を受け、または困難を生ずる場合等において困った事になったと思う心持である。而して前者は悔なきの救いを得るがための悔改を生じ、救われて永生に至るの原因となり、後者は唯(いたずら)に憂うるのみであって何等の果を結ばず霊的の死を招く、真の悔改めと然らざるものとの差別はここにある。イスカリヲテのユダの場合は後者であった(マタ27:3)。而してパウロがコリント人を叱責せる場合、彼らは世の憂を持たず、却って神に従いて憂いし結果、パウロ等の叱責が少しの悪結果をも残さなかった、これコリント人の態度が立派であった結果である

7章11節 ()よ、(なんぢ)らが(かみ)(したが)ひて(うれ)ひしことは、如何(いか)ばかりの奮勵(はげみ)辯明(べんめい)憤激(いきどほり)恐懼(おそれ)愛慕(したひ)熱心(ねっしん)(つみ)()むる(こころ)などを(なんぢ)らの(うち)(しゃう)じたりしかを。[引照]

口語訳見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。あなたがたはあの問題については、すべての点において潔白であることを証明したのである。
塚本訳見よ。神の御心に沿ってあなた達が悲しんだこと、それがどれほどの熱心を、そうだ弁解を、そうだ(事件に対する)憤慨を、そうだ(わたしの怒りに対する)恐れを、そうだ熱望を、そうだ熱誠を、そうだその処罰(の決意)を、あなた達にもたらしたことであろうか!あなた達はあらゆることで、あの事件に関して自分の罪のないことを現した。
前田訳じつに、神に従って悲しんだというこのことがいかほどの熱心をおこさせたでしょう。さらに、弁明を、憤りを、恐れを、あこがれを、熱意を、処罰をおこさせました。あのことについて、あなた方はあらゆる点で自らが潔白であることを証明しました。
新共同神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。
NIVSee what this godly sorrow has produced in you: what earnestness, what eagerness to clear yourselves, what indignation, what alarm, what longing, what concern, what readiness to see justice done. At every point you have proved yourselves to be innocent in this matter.
註解: 神に対し自己の罪を悔改めし結果、これではならないと「奮励」し、それに加うるにテトスやパウロ等に対して「弁解」し、更にその教会のかかる有様に就て「憤激」し、神を「恐懼」してその審判の前にかしこみ、パウロ等を「愛慕」してその来るを待ち、「熱心」にかかる状態を改めんとし、従来微弱であった「罪を責むる心」が彼らの中に起る様になった、すなわち非常に好結果を生じたのである。
辞解
奮励以下七か条をパウロはここに揚げる場合に、その各々の間に一々alla(ここでは「これに加うるに」の如き意味)を挿入して一か条毎にその意味の強さが加わっている事を示している。日本語にこの語気を移す事ができない

(なんぢ)()かの(こと)()きては(まった)(きよ)きことを(あらは)せり。

註解: 以上の如き結果を起こしたのを見れば、この事件に関してはコリント人は全く潔白であった。すなわち悪しき心を以って行動しなかった

7章12節 されば(まへ)(ふみ)(なんぢ)らに()(おく)りしも、不義(ふぎ)をなしたる(ひと)(ため)にあらず、また不義(ふぎ)()けたり(ひと)(ため)にあらず、(われ)らに(たい)する(なんぢ)らの奮勵(はげみ)の、(かみ)(まへ)にて(なんぢ)らに(あらは)れん(ため)なり。[引照]

口語訳だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
塚本訳それゆえわたしはあれを書いたにしても、間違ったことをした者の(制裁の)ためでもなければ、間違ったことをされた者の(満足の)ためでもない。ただわたし達に対するあなた達の熱心があなた達のところで神の前に現されるためであった。
前田訳それで、わたしがあえて手紙を書きましたのは、加害者のためでも被害者のためでもなく、われらへのあなた方の熱心があなた方のところで神のみ前に明らかにされるためでした。
新共同ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。
NIVSo even though I wrote to you, it was not on account of the one who did the wrong or of the injured party, but rather that before God you could see for yourselves how devoted to us you are.
註解: 「不義をなしたる人」はTコリ5:1の姦淫者、「不義を受けた人」はその父と解する事もでき、またはこの単数名詞を複数の意味に取り、一層一般的に教会内の腐敗分子とこれによりて煩わされし人と解する事もできる。コリント前書の書かれし所以はかかる個人的または部分的の目的ではなく、コリントの信徒全体が従来神を忘れて堕落し使徒等に対する熱心が冷却して、銘々自己の愚なる状態に誇っていた事より覚醒して、パウロ等に対する熱心(奮励)を増し、その訓戒に従い、教会の腐敗を除き、ますますパウロ等に心を寄せ神に近付ける生活を送る様にならんが為であり、而してこの事がコリントの信徒自身にも明かに自覚せられんが為であった。パウロはある個人の問題を捕えて全コリント教会をその惰眠より醒ましたのである

7章13節 この(ゆゑ)(われ)らは慰安(なぐさめ)()たり。[引照]

口語訳こういうわけで、わたしたちは慰められたのである。これらの慰めの上にテトスの喜びが加わって、わたしたちはなおいっそう喜んだ。彼があなたがた一同によって安心させられたからである。
塚本訳[目的は達せられた。]そういうわけだから、わたし達は慰められたのである。しかしわたし達のこの慰めに加え、わたし達は、テトスがあなた達一同から安心させられたことを喜ぶのを見て、何にもまして喜んだ。
前田訳それゆえわれらは慰められたのです。
新共同こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。
NIVBy all this we are encouraged. In addition to our own encouragement, we were especially delighted to see how happy Titus was, because his spirit has been refreshed by all of you.
註解: 以上の目的が達したので、一時は憂いた事もあったけれども今は慰めを得ている

慰安(なぐさめ)()たる(うへ)にテトスの喜悦(よろこび)によりて(さら)(よろこ)べり。そは(かれ)(こころ)なんぢら一同(いちどう)によりて(やす)んぜられたればなり。

註解: テトスがコリントの教会を訪問し、内心憂慮に耐えなかったその心がコリントの信徒らによりて安んぜられ、大なる喜悦をその顔にたたえてパウロに復命した。それ故にパウロはテトスの報告をききて慰安を得たのみならず、その喜悦安心の顔付を見て一層その喜悦を深くした

7章14節 われ(さき)(かれ)(まへ)(なんぢ)らに()きて(ほこ)りたれど()づることなし、[引照]

口語訳そして、わたしは彼に対してあなたがたのことを少しく誇ったが、それはわたしの恥にならないですんだ。あなたがたにいっさいのことを真実に語ったように、テトスに対して誇ったことも真実となってきたのである。
塚本訳というのは、わたしが彼にあなた達のことを多少自慢しておいたけれども恥をかかずにすみ、むしろ、わたし達があなた達に語ったことがすべて真実であったように、わたし達がテトスに(あなた達の)自慢をしたことも真実になったからである。
前田訳わたしはあなた方についてテトスにいくらか誇りましたが、それはわたしの恥になりませんでした。それは、われらがあなた方に語ったことがすべて真実であったように、われらがテトスに誇ったことも真実になったからです。
新共同わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。
NIVI had boasted to him about you, and you have not embarrassed me. But just as everything we said to you was true, so our boasting about you to Titus has proved to be true as well.
註解: 若しパウロがテトスに向って誇れる事が、コリント教会の現状と異なっていたならば、パウロは恥じざるを得なかったであろう。またパウロがコリント前書にも後書にも、激しくコリントの教会を責めたにも関わらず、大体においてコリントの教会に就いて誇っていた事を知る事ができる。これ彼がコリント教会を愛していたからである

(われ)らが(なんぢ)らに(かた)りし(こと)のみな誠實(まこと)なりし(ごと)く、テトスの(まへ)(ほこ)りし(こと)もまた誠實(まこと)となれり。

註解: パウロはコリント人に対して万事誠実を以って語っていた。それ故にテトスに語れる事が偽とならなければよいと内心憂いていた事が言外に顕われている。然るに幸これが真実となったので彼の喜びは大であった。換言すれば、パウロがコリント人はかくある筈であると信じ、且つ願っていた通りであった事をよろこんでいるのである

7章15節 (かれ)(なんぢ)()みな從順(じゅうじゅん)にして(おそ)(おのの)き、(おのれ)(むか)へしことを(おも)()して、[引照]

口語訳また彼は、あなたがた一同が従順であって、おそれおののきつつ自分を迎えてくれたことを思い出して、ますます心をあなたがたの方に寄せている。
塚本訳そして彼は、あなた達一同の従順、恐れ震えて彼を迎えてくれた様子を思い出して、あなた達にいま特別の好意を寄せている。
前田訳そして皆さんが従順で、恐れとおののきをもって彼をお迎えのことを思い出して、彼の気持ちはますますあなた方へと向かっています。
新共同テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。
NIVAnd his affection for you is all the greater when he remembers that you were all obedient, receiving him with fear and trembling.
註解: 「従順」はパウロの訓戒に対し、またテトスに対して示された従順である。「畏れ(おのの)き」はパウロより遣わされしテトスを迎うる事において彼らの示せる真面目にして熱心なる態度を示す

(こころ)(なんぢ)らに()すること増々(ますます)(ふか)し。

註解: テトスに対してコリントの信徒は非常に好印象を与えた為に、彼はその愛を彼らに寄する事ますます深くなってきた。この事がまたパウロの大なる喜びであった

7章16節 われ(すべ)ての(こと)(なんぢ)らに()きて(こころ)(つよ)きを(よろこ)ぶ。[引照]

口語訳わたしは、あなたがたに全く信頼することができて、喜んでいる。
塚本訳わたしはあらゆることであなた達に信頼できる(ようになった)のを喜んでいる。
前田訳わたしはあなた方に万事信頼しうることをよろこんでいます。
新共同わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。
NIVI am glad I can have complete confidence in you.
註解: 「心強き」の原語タレオーtharreôは「心勇む事」「希望満々たる事」「信頼している事」等の意味があり、この節においてはパウロは万事に就いてコリントの信者につき「大丈夫」と云う感じを与えられ、元気付けられている事を喜ぶの意味である。
要義 [神に従う憂いと世の憂い]パウロがコリント前書を認めて多くの非難を浴びせかけし事は、勿論彼がキリストの使徒としてキリストの教会を愛する事から起っていた事であったけれども、実はパウロに取っては危機一髪の場合であった。コリントにはパウロの反対派も多かった、また偽使徒もまた彼らの中に入り込んでいた。故に若しパウロの非難のためにコリントの人々が反感を起こして彼より遠ざかり、その訓戒に従う事を拒んだならば、その結果は如何であったろうか。コリントの教会の堕落が改まらないのみならず、パウロとの間の交わりはここに断絶してしまった事であろう。然るに事実はこれに反し全く希望通りの結果を生ぜし所以のものは、一はパウロの愛心が何等利己的党派的根性によりて、穢されなかった為でもあるけれども、一はコリントの信徒がパウロの言をききて「神に従う憂い」を持つ事ができたからである。他人より非難を受けし場合に、その非難を神の前に持ち行き、神より受けしものとして憂うる事を得るものは幸である。かかるものはこれによりて永生に至る悔いなきの救いに与る事ができるであろう。若しこれに反しコリントの信徒がパウロの非難を受けて肉につける念をいだき、或は彼を怨み、或は徒党を造り、その他単に自己の恥辱に関して「世の人の如き憂」をいだき神に従うの憂をいだかないならば、その結果は全く異なれるものであったに相違ない。故に我らは常に自己の罪、失敗、不名誉等につき神の前に憂うるものとならなければならない。

第2コリント第8章

分類
5 施済(ほどこし)に就て 8:1 - 9:15
5-1 マケドニヤの教会の状態 8:1 - 8:5

註解: 前章においてパウロの自己弁明の第一段(1:12以下)は終りを告げ、殊にUコリ7:2−16においてコリントの教会に対するパウロの愛着を吐露して後、ここに最も適当なる順序として8、9章において新に施済(ほどこし)の事を論じている。施済(ほどこし)の事はすでにTコリ16:1以下にこれを薦めており、今更にその後の成行の結果をまとめんとしているのである。まさしくパウロはこれによりて当時最も貧困に苦しめるエルサレムの母教会を賑わし、且つ異邦人の信徒に対してキリストの全教会の一体たることを事実を以って教え、また同時に自己の真の使徒たる職分を尽さんとしたのである▲エルサレムの貧困な聖徒に対する救済運動はパウロの生涯における最大の社会的活動であった。彼はこれによりユダヤ人も異邦人もキリストに在って一体である事の信仰を事実を以って証明しようとした。使24:17Tコリ16:1−4、ロマ15:25−28及び本章並びに次章は皆この運動について記す。

8章1節 兄弟(きゃうだい)よ、(われ)らマケドニヤの(しょ)教會(けうくわい)(たま)ひたる(かみ)恩惠(めぐみ)(なんぢ)らに()らす。[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。
塚本訳さて、兄弟たちよ、わたし達はマケドニヤ各地の集会に賜わった神の恩恵をあなた達に知らせる。
前田訳兄弟方、マケドニアの諸集会に与えられた神の恩恵をお知らせします。
新共同兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。
NIVAnd now, brothers, we want you to know about the grace that God has given the Macedonian churches.
註解: マケドニアの教会は施済(ほどこし)の事において熱心であった、故にこの例を以ってコリントの教会に薦めて彼らを励ます事は最も適当なる方法であった。そうしてマケドニヤの教会が施済(ほどこし)の心に富んでいたその事は神の賜いし恩恵であって、施済(ほどこし)の事の行われないのは、この恩恵に欠けている証拠である故に戒心しなければならない

8章2節 (すなは)患難(なやみ)(おほい)なる試練(こころみ)のうちに(かれ)らの喜悦(よろこび)あふれ、[引照]

口語訳すなわち、彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。
塚本訳すなわち苦難の大試練に耐えぬいた彼らのあふれるばかりの喜びと、どん底の貧乏(生活)とは、彼らの物惜しみをしない心の豊さとなってあふれたのである。
前田訳苦しみという激しい試みの中で、彼らのあふれるよろこびと極度の貧しさとが惜しみなく施す富へとあふれ出ました。
新共同彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。
NIVOut of the most severe trial, their overflowing joy and their extreme poverty welled up in rich generosity.
註解: マケドニヤの教会は大なる患難により(Tテサ1:6Tテサ2:14使16:20以下。使17:5)、試練を受けながらその喜悦は一杯に満ち溢れていた。これが神の恩恵をうけている証拠であって世の人は患難なき生涯を以って、神の恩恵の証拠としているのと正反対である

(また)その(はなは)だしき貧窮(まづしさ)(をしみ)なく(ほどこ)(とみ)(あふ)るるに(いた)れり。

註解: 彼らの極貧は溢れて(おしみ)なく施す鷹揚(おうよう)の態度となった。患難の中に喜悦溢れ貧困の中に豊かに施す事は、神の恩恵によらざればできない事柄である。マケドニヤの教会の霊状が如何に恵まれしものであったかを見る事ができる。
辞解
[甚だしき貧窮] 原語を直訳すれば「ドン底の貧窮」となり意味明瞭となる。
[(をしみ)なく施す] 原語ハプロテースhaplotêsは単純素朴等の意味を有し、これより転じて自己の生活に拘泥せず(おしみ)なく施す態度の意味に用いられる様になった(Uコリ9:12、13)
[(をしみ)なく施す富] この「富」は財宝の意味ではなくこの性質を豊富に持っている事。

◎(注意)本節は次の如くに訳すべしとの説もある「すなわち患難の大なる試練のうちに彼らの満々たる喜悦とドン底の貧窮とが満ち溢れて(おしみ)なく施す〔性質に〕富むに至れり」(Z0、B1)。これによれば彼らの境遇は患難の大なる試練であって、その中にありて非常なる喜悦とドン底の貧困との生活をなし、この喜悦と貧困とが溢れて、(おしみ)なく施す性質を豊かに彼らに与うるに至っているとの意味に解するのである

8章3節 - 4節 われ(あかし)す、(かれ)らは聖徒(せいと)(つか)ふることに(あづか)(めぐみ)(せつ)(われ)らに()(もと)め、みづから(すす)みて、(ちから)(おう)じ、(いな)これに()ぎて[施濟(ほどこし)をなせり。][引照]

口語訳わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、[4節]聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、
塚本訳というのは、わたしは証人であるが、彼らは力相応に、いや力以上に、自分から進んで、[4節]聖徒たちのための援助に参加することを、(つまり)この贈物をさせてもらいたいとわたし達に懇願したのである。
前田訳わたしは証します、彼らは力に応じ、さらに力をこえて、自ら進んで、[4節]非常な熱心でわれらに頼んで聖徒たちへの奉仕にあずかる恩恵を求めたのです。
新共同わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、[4節]聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。
NIVFor I testify that they gave as much as they were able, and even beyond their ability. Entirely on their own, [4節]they urgently pleaded with us for the privilege of sharing in this service to the saints.

8章5節 (われ)らの(のぞみ)のほかに()(おのれ)(しゅ)にささげ、(かみ)御意(みこころ)によりて(われ)らにも()(ゆだ)ねたり。[引照]

口語訳わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたのである。
塚本訳それも予期したような(ただ醵金を、という)ふうにではなく、(神の御心によって)、彼ら自身を第一に主に捧げ、それからわたし達にも捧げてくれた。
前田訳それもわれらの期待をこえ、神の御意によって自らをまず主に、さらにわれらにゆだねました。
新共同また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
NIVAnd they did not do as we expected, but they gave themselves first to the Lord and then to us in keeping with God's will.
註解: 以上三節は一の文章であってその中心は「己をささげ」にある。すなわち単にその金銭をささげるのみならず、己をささげそうして金銭はその結果として自然にささげられるのである。この文章の他の部分はこのささげ方を説明したものとみるべきであって、原文の順序に従えば(1)力に応じ、否―我敢て保証するのであるが−その力以上にささげ(2)自ら進みてその自由意思よりこれをなし、我らに強いられていやいやながら人前を造るが為にこれを為さず(3)聖徒に(つか)える事の恵と、交わり(聖徒に(つか)える事に共に与ること)とを、切に我らに請い求め(4)而して我らが彼らに希望するよりも遙かに以上に(5)先ず自己を神にささげ(6)次に神の御意によりてパウロ等にも身を委ねパウロ等の望むがままに従った、実に美わしい奉仕の心と働きである。▲貧困のドン底にあるマケドニヤの聖徒のこの態度は、まことに立派なものである。かかる愛の事業の真の価値は第一にその信仰如何による事であって、富の多少によるのではない。
辞解
[施済(ほどこし)をなせり] 原文になく意味によりて附加せるもの。
「己をささげ」と「身を委ね」とは原語では共に「自身を与う」。

5-2 コリントの教会に対する薦め 8:6 - 8:15

8章6節 されば(われ)らはテトスが(まへ)()慈惠(めぐみ)のことを(なんぢ)らの(うち)(はじ)めたれば、(また)これを成就(じゃうじゅ)せんことを(すす)めたり。[引照]

口語訳そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。
塚本訳そこで、わたし達はテトスに、この贈物を、彼が前に始めたからには(今度)あなた達のところで完成もするようにと勧めることにしたのである。
前田訳それでわれらはテトスに勧めて、彼が前に始めていたように、この恩恵をあなた方のところで全うするようにしました。
新共同わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。
NIVSo we urged Titus, since he had earlier made a beginning, to bring also to completion this act of grace on your part.
註解: テトスがさきにコリントにおいて施済(ほどこし)のために、寄附金の募集を始めたのを完成することを勧めている

8章7節 (なんぢ)()もろもろの(こと)、すなはち信仰(しんかう)に、(ことば)に、知識(ちしき)に、(すべ)ての奮勵(はげみ)に、また(われ)らに(たい)する(あい)()めるごとく、()慈惠(めぐみ)にも()むべし。[引照]

口語訳さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。
塚本訳それで、あなた達がすべてのことに、然り信仰にも、弁舌にも、知識にも、あらゆる熱心にも、またわたし達から出てあなた達にあふれている愛にも、ぬきんでているように、この贈物をすることにも、ぬきんでてもらいたい。
前田訳あなた方は、何につけても、すなわち信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、われらから出てあなた方の間にある愛にも、満ちあふれていますから、この恩恵にもあふれてください。
新共同あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
NIVBut just as you excel in everything--in faith, in speech, in knowledge, in complete earnestness and in your love for us --see that you also excel in this grace of giving.
註解: 本節以後はコリントの信者に対する直接の勧めである。他の凡ての点において富んでいても慈恵を欠いているならば取るに足らない。こうしてコリントの信徒は信仰、その他の基督者に必要なる素質に富んでいた故、パウロは之に加えるに施済(ほどこし)を好む性質を持たせようとしているのである。
辞解
[言に知識に] Tコリ1:5の「言と悟」と同語、その註参照。
[我らに対する愛] 原語を直訳すれば「汝らより出でて我らに留まる愛」となる。異本に「我らより出でて汝らに留まる愛」とあり、これを「我らの教訓の結果、汝らに植付けられし愛」と解すれば、(ほぼ)類似の意味となる(A1)。

8章8節 われ()()ふは(なんぢ)らに(めい)ずるにあらず、ただ(ほか)(ひと)奮勵(はげみ)によりて、(なんぢ)らの(あい)眞實(まこと)(こころ)みん(ため)なり。[引照]

口語訳こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。
塚本訳わたしはこれを命令として言うのではない。ただ他の人の熱心を語って、あなた達の愛の純粋さをも見届けようとしているのである。
前田訳わたしは命令としていうのではなく、他の人々の熱心をもってあなた方の愛の純粋さをためすのです。
新共同わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。
NIVI am not commanding you, but I want to test the sincerity of your love by comparing it with the earnestness of others.
註解: 施済(ほどこし)を行う事をパウロはコリントの信者に命令したのではない。命令によりて強いて行う慈善は偽善となる。パウロは唯マケドニヤの信徒の奮励努力の例を示して、コリントの信徒が真正の愛を()っているや否やを、試みようとしたのである。真正の愛があるならば慈善の行為は自ら生まれてくる

8章9節 (なんぢ)らは(われ)らの(しゅ)イエス・キリストの恩惠(めぐみ)()る。(すなは)()める(もの)にて(いま)したれど、(なんぢ)()のために(まづ)しき(もの)となり(たま)へり。[引照]

口語訳あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
塚本訳──あなた達はわたし達の主イエス・キリストの恩恵を知っているではないか、彼は(神の子として)富んでおられたのに、あなた達のために(人間となって)貧しくなられた、この方の貧しさによってあなた達が富むためである。
前田訳あなた方はわれらの主イエス・キリストの恩恵をご存じです。彼は富んでおられたのに、あなた方ゆえに貧しくおなりでした。それはあなた方が彼の貧しさによって富むためです。
新共同あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
NIVFor you know the grace of our Lord Jesus Christ, that though he was rich, yet for your sakes he became poor, so that you through his poverty might become rich.
註解: 「若し汝らの愛が真正の愛であるならば、キリストの如くに行う筈である。汝らはキリストの恩恵(慈恵と同語)に就いては充分に知っているであろう。すなわちキリストは神の子に存し給う資格に伴うあらゆる権威、富、稜威を持ち給いしにも係らず、汝らのためにこれらをすてて普通の人間として生まれ給うた。ピリ2:6

これ(なんぢ)らが(かれ)貧窮(まづしさ)によりて()める(もの)とならん(ため)なり。

註解: キリストは自らは貧しくなり給いて、我らには豊かに其の恩恵を賜い、我らを神の子となし多くの霊の賜物を与え、我らに彼の「聖と義と智慧と救贖」とを賜いて我らを富ましめ給うた。すなわちキリストの愛は己を貧しくして、人を富ましめし慈恵となりて顕われたのである

8章10節 施濟(ほどこし)のことに()きて(われ)ただ意見(いけん)()ぶ、これは(なんぢ)らの(えき)なり。[引照]

口語訳そこで、わたしは、この恵みのわざについて意見を述べよう。それがあなたがたの益になるからである。あなたがたはこの事を、昨年以来、他に先んじて実行したばかりではなく、それを願っていた。
塚本訳それで、この際わたしは意見(だけ)を述べる。なぜなら、これはあなた達に有益だ(と思う)からである。あなた達は(この醵金)を昨年から、実行ばかりか、願いもし始めたではないか。
前田訳これについての意見を述べます。それはあなた方に役立ちます。あなた方は昨年からこのことを先んじて実行しはじめたばかりでなく、心から願いはじめたのでした。
新共同この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
NIVAnd here is my advice about what is best for you in this matter: Last year you were the first not only to give but also to have the desire to do so.
註解: 9節は中間の挿入であって、本節は再び8節と思想の連絡がある。「意見」は「命令」と対照し単に忠告または注意までにこれを述ぶる事の態度を、パウロは殊に入念に表示している。これ慈善を強制的にする事をパウロは非常に嫌ったからである。「これは」はパウロが命令せずに単に意見を述ぶる事を意味する。すなわちこの態度はパウロが自分の評判を善くせんが為では無く、コリントの信徒の益となり彼らに愛による慈善の行為が溢れんが為である

(なんぢ)らは()(こと)をただに一年(ひととせ)(まへ)より[(ひと)に](さき)だちて(おこな)ひしのみならず、(また)これを(ねがひ)(はじ)めし(こと)なれば、

註解: 「人に先立ちて」はマケドニヤの信徒よりも前にと解すべきであろう。すでに彼らよりも以前にこれを実行したのみならず、これを心に願った事すらも彼らに先立っていた位であるから

8章11節 (いま)これを()()げよ、(なんぢ)らが(こころ)より(ねが)ひしごとく、所有(もちもの)(おう)じて()()げよ。[引照]

口語訳だから今、それをやりとげなさい。あなたがたが心から願っているように、持っているところに応じて、それをやりとげなさい。
塚本訳だから今その実行を完成して、この願いの心からの気持どうりに、その完成もするようにせよ。(もちろんあなた達の)持物に応じてである。
前田訳今やその実行を全うなさい。あなた方が心から願うように、持っているものによって全うなさい。
新共同だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
NIVNow finish the work, so that your eager willingness to do it may be matched by your completion of it, according to your means.
註解: 慈善を行い施済(ほどこし)を為さんとの願望が、すでに早くも汝らの心の中に起ったのであるから、これを実行によりて完成するが為に所有に応じて施済(ほどこし)を為すべきである。そうすれば直ちにこの実行が完成するであろう。
辞解
[心より願いし如く] 原語の意味は「施済(ほどこし)をしたいと願う心が常に働いていること」12、19節に「志望」と訳せられているのも、原語ではこれと同文字prothumiaである

8章12節 [(ひと)]もし志望(こころざし)あらば、()()たぬ(ところ)()るにあらず、()()(ところ)()りて嘉納(かなふ)せらるるなり。[引照]

口語訳もし心から願ってそうするなら、持たないところによらず、持っているところによって、神に受けいれられるのである。
塚本訳心からの気持ちさえあれば、人は持たないもの(までをも用立てること)によらず、持っているもの(を用立てること)によって、(神に)喜ばれるからである。
前田訳善意があれば、持たないものによらず、持っているものによって受け入れられます。
新共同進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
NIVFor if the willingness is there, the gift is acceptable according to what one has, not according to what he does not have.
註解: 施済(ほどこし)をしたいと云う心が常に働いているならば、()たないものまでも施す必要は無く有てるものを施すだけで充分に神に嘉納されるのである。

8章13節 これ(ほか)(ひと)(やす)くして(なんぢ)らを(くる)しめんとにあらず、(ひと)しくせんとするなり。[引照]

口語訳それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようとするのではなく、持ち物を等しくするためである。
塚本訳なぜなら、ほかの人たちに安楽があるためにあなた達に難儀があってはならず、平等の原則によって、
前田訳これは、他の人々には安易、あなた方には苦しみ、というのではなく、平等のためです。
新共同他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
NIVOur desire is not that others might be relieved while you are hard pressed, but that there might be equality.
註解: 所有の平均は最も望ましき状態であって、当時エルサレムの教会においてはこれがある程度まで実行されていた(使2:44、45)。パウロはこれを命令しなかったけれども切にこれを薦めていた。若し今日これが実行されるならば、階級闘争を主とする社会問題は無くなるであろう

8章14節 すなはち(いま)なんぢらの(あま)るところは(かれ)らの()らざるを(おぎな)ひ、(のち)また(かれ)らの(あま)(ところ)(なんぢ)らの()らざるを(おぎな)ひて、(ひと)しくなるに(いた)らんためなり。[引照]

口語訳すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補い、後には、彼らの余裕があなたがたの欠乏を補い、こうして等しくなるようにするのである。
塚本訳現在はあなた達のあり余るものがあの人たちの足りないところに用立ち、(あとでは)あの人達のあり余るものがあなた達の足りないところに用立つようにしたいのである。平等が実現するためである。
前田訳今の時にはあなた方の余裕が彼らの不足を補い、彼らの余裕があなた方の不足を補うでしょう。それは平等になるためです。
新共同あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
NIVAt the present time your plenty will supply what they need, so that in turn their plenty will supply what you need. Then there will be equality,
註解: 基督者は皆キリストに連れる兄弟姉妹であって一体である。故に有無相通ずるは其の愛の当然の結果である。パウロはこの状態の実現を希望した、今日はこの必要が更に一層甚だしい。
辞解
[今] 「今の時において」で、目下の事情においては殊にこれが必要であるとパウロは主張するのである。(注意)前節の終「均しくせんとするなり」を本節の文章の一部となし「平等の原則に従って今汝らの余る所は……云々…」と読む事もできる

8章15節 (しる)して『(おほ)(あつ)めし(もの)にも(あま)(ところ)なく、(すくな)(あつ)めし(もの)にも()らざる(ところ)なかりき』とあるが(ごと)し。[引照]

口語訳それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足りないことはなかった」と書いてあるとおりである。
塚本訳“多くを集めた者も多過ぎず、少く集めた者も不足しなかった”と(聖書)に書いてあるとおりである。
前田訳聖書にあります、「多く得たものも余らず、少なく得たものも不足しなかった」と。
新共同「多く集めた者も、余ることはなく、/わずかしか集めなかった者も、/不足することはなかった」と書いてあるとおりです。
NIVas it is written: "He who gathered much did not have too much, and he who gathered little did not have too little."
註解: 荒野においてイスラエルが天よりマナを賜りし時の状態であって(引照)各人丁度その必要だけを与えられし理想の状態であった。パウロは物質生活においてこの事を理想として実現せしめんとしたのである。
要義 [財産の共有または平分]財産の法律的共有及び機械的平分は何等霊的の意義を()っていない。しかしながら一方に其の日の生活にも窮するものがあるにも係わらず、他方に余分の財産を()つ者がこれを顧みざる事は慈恵の心なき証拠である。若しキリストにある愛と慈恵とがあるならば、かかる状態のままに過ごす事ができないであろう。資本主義の経済組織が今日の如き弊害を発生するに至ったのは、このパウロの薦めに従う事をしなかったからである。今日の基督者は殊にこの点に力を注ぎ、再びパウロの時代の如き慈恵の行為を成就する事が必要であろう。

5-3 施済(ほどこし)の事務 8:16 - 8:24

8章16節 (なんぢ)らに(たい)する(おな)熱心(ねっしん)をテトスの(こころ)にも(たま)へる(かみ)感謝(かんしゃ)す。[引照]

口語訳わたしがあなたがたに対して持っている同じ熱情を、テトスの心にも与えて下さった神に感謝する。
塚本訳テトスの心に、あなた達に対する(わたしと)同じ熱心を下さった神に感謝せねばならない。
前田訳テトスの心にわれらのと同じあなた方への熱意をお与えの神に感謝します。
新共同あなたがたに対してわたしたちが抱いているのと同じ熱心を、テトスの心にも抱かせてくださった神に感謝します。
NIVI thank God, who put into the heart of Titus the same concern I have for you.
註解: 「同じ熱心」すなわち、パウロの心にある施済(ほどこし)に就いての熱心

8章17節 (かれ)はただに(すすめ)()れしのみならず、[引照]

口語訳彼はわたしの勧めを受けいれ、そして更に熱心になって、自分から進んであなたがたのところに行った。
塚本訳というのは、彼は(わたしの)勧めを受け入れ、いや、非常に熱心で、自分から進んであなた達の所に行くのである。
前田訳彼はわれらの勧めを受け入れ、さらに熱意を増して、進んでそちらへ出かけました。
新共同彼はわたしたちの勧告を受け入れ、ますます熱心に、自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。
NIVFor Titus not only welcomed our appeal, but he is coming to you with much enthusiasm and on his own initiative.
註解: 6節の勧めであって、テトスはこれを承諾してこの仕事にかかっている

(はなは)熱心(ねっしん)にして、(みづか)(すす)んで(なんぢ)らに()くなり。

註解: けれどもパウロの勧めは彼の行動の大なる原因ではなく、彼は自ら進んでこれに従事せんとしてコリントに行ったのである。パウロは凡ての場合において人の自由意志を尊重し、人を制度や規律の下に束縛せんとする意志なかりし事は、この場合においてもこれを窺うことができる▲「行くなり」は「行きたるなり」。

8章18節 我等(われら)また(かれ)とともに一人(ひとり)兄弟(きゃうだい)(つかは)す。[引照]

口語訳わたしたちはまた、テトスと一緒に、ひとりの兄弟を送る。この兄弟が福音宣伝の上で得たほまれは、すべての教会に聞えているが、
塚本訳またわたし達は兄弟のAを彼と一所にやる。福音(伝道)のことにおいての彼の名声はすべての集会の間に聞えている。
前田訳彼とともに兄弟を送りました。福音に関してその人はすべての集まりで評判です。
新共同わたしたちは一人の兄弟を同伴させます。福音のことで至るところの教会で評判の高い人です。
NIVAnd we are sending along with him the brother who is praised by all the churches for his service to the gospel.
註解: テトスと共にパウロは二人の兄弟を派遣した(▲▲22節参照)。18、19両節はその中の一人に関する紹介である。彼の誰であったかについては多くの推測が行われており、バルナバ説、ルカ説、マルコ説等があるけれども、何れもこれを証明する事ができない

この(ひと)福音(ふくいん)をもて(しょ)教會(けうくわい)のうちに(ほまれ)()たる(うへ)に、

註解: 彼は「福音をもて」すなわち福音を信じ、宣伝し、弁明したかどで全キリスト教会中に誉を得ていた。所謂熱心なる信者で教会の柱石であった

8章19節 (しゅ)(御自身(ごじしん))の榮光(えいくわう)(われ)らの志望(こころざし)とを(あらは)さんがために、(つかさ)どれる()慈惠(めぐみ)()きて、(しょ)教會(けうくわい)より(われ)らの道伴(みちづれ)として(えら)ばれたる(もの)なり。[引照]

口語訳そのうえ、彼は、主ご自身の栄光があらわれるため、また、わたしたちの好意を示すために、骨を折って贈り物を集めているわたしたちの同伴者として、諸教会から選ばれたのである。
塚本訳そればかりではない。主御自身の栄光のため、またわたし達の熱意の(実現の)ため、いまわたし達が世話をして(集めて)いるこの贈物を届けるわたし達の道連れに、彼は(マケドニヤ)各地の集会から選挙された者である。
前田訳それだけでなく、彼は諸集会から選ばれた、われらが奉仕するこの恩恵のわざの道連れです。この恩恵のわざは主ご自身の栄光のため、またわれらの願いのためです。
新共同そればかりではありません。彼はわたしたちの同伴者として諸教会から任命されたのです。それは、主御自身の栄光と自分たちの熱意を現すようにわたしたちが奉仕している、この慈善の業に加わるためでした。
NIVWhat is more, he was chosen by the churches to accompany us as we carry the offering, which we administer in order to honor the Lord himself and to show our eagerness to help.
註解: 彼はマケドニヤの教会より選ばれて、パウロらの道伴となったものである、選ぶ方法は不明である、またマケドニヤの教会にて選びし人をアカヤの教会に紹介するのを見るならば、諸教会間に愛の一致があった事がわかる。而して彼を選びし目的は施済(ほどこし)の事に就いての処理を為すが為であった。而してこの慈善事業は単に社会政策的、経済的意味のものではなく、一は「主御自身の栄光のため」であって、基督者のこの行為は当時の異教の社会に、如何に主御自身(我らの栄光にあらず)の栄光を揚げしかは想像に余りある。今一は「我らの志望」(11節辞解参照)に駆られてこれを行うのであって、愛のために止むに止まれずこれを行うのである。

8章20節 (かれ)(つかは)すは、()(おほい)[なる醵金(きょきん)]を(つかさ)どるに、(ひと)(とが)めらるる(こと)()けんためなり。[引照]

口語訳そうしたのは、わたしたちが集めているこの寄附金のことについて、人にかれこれ言われるのを避けるためである。
塚本訳彼をやるのは、わたし達が世話をしているこの多額の故に、人から(とかくの)疑いを受けることを避けたいからである。
前田訳これはわれらの奉仕するこの多額の寄付について、とやかくいわれるのを避けるためです。
新共同わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。
NIVWe want to avoid any criticism of the way we administer this liberal gift.
註解: 直訳「彼を遣わすは我らの(つかさど)るこの多大(なる醵金(きょきん))につき誰も我らを咎めざらんが為なり」パウロはかかる事柄に就いては極めて常識的であった。多額の金銭を取扱う場合に万一過誤を生じ、または他人の中傷によりて(とがめ)を受くる事が有ってはならないので、テトス一人を遣わすよりも数人を共に遣わすことにより、神の御榮を(けが)さざらんことを望んだ、この周到なる用意を我らは学ばなければならない

8章21節 そは(しゅ)(まへ)のみならず、(ひと)(まへ)にも()からんことを(おもん)ぱかりてなり。[引照]

口語訳わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人の前でも公正であるように、気を配っているのである。
塚本訳わたし達は“主の御前”ばかりではなく、“人の”前で“も、立派であるように心がけている”のだから。
前田訳われらは主のみ前ばかりでなく、人々の前でも、よい事を心がけているのです。
新共同わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。
NIVFor we are taking pains to do what is right, not only in the eyes of the Lord but also in the eyes of men.
註解: 主の前にさえ正しければ人は如何に思うとも問う処では無いと云うのは、取るべき手段や踏むべき道が唯一つしか無い場合に就いてのみ真理である。何れを取るも正しき場合には人の前にも善からん事を慮りて(引照2、Tテモ3:7)神の栄光を揚げなければならぬ(箴3:4

8章22節 また一人(ひとり)兄弟(きゃうだい)(かれ)らと(とも)につかはす、[引照]

口語訳また、もうひとりの兄弟を彼らと一緒に送る。わたしたちは、多くの事について彼が熱心であったことを、たびたび認めた。彼は今、あなたがたを非常に信頼して、ますます熱心になっている。
塚本訳なお(もう一人)わたし達の兄弟のBをこの二人と一所にやる。わたし達はいろいろな機会に、たびたび、彼が熱心であることを見届けた。しかし今は、あなた達に対する大きな信頼の故に、彼は一層熱心になっている。
前田訳彼らとともになおひとりの兄弟をつかわしました。われらは彼が多くのことについて熱心であることを、たびたび認めました。今はあなた方への信頼のゆえにますます熱心です。
新共同彼らにもう一人わたしたちの兄弟を同伴させます。この人が熱心であることは、わたしたちがいろいろな機会にしばしば実際に認めたところです。今、彼はあなたがたに厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。
NIVIn addition, we are sending with them our brother who has often proved to us in many ways that he is zealous, and now even more so because of his great confidence in you.
註解: この兄弟の誰であるかに就いても18節と同じく推測説が多い、何れも証拠なき推測に過ぎない

(われ)らは(おほ)くの(こと)につきて屡次(しばしば)かれの熱心(ねっしん)なるを(みと)めたり。(しか)して(いま)(かれ)(なんぢ)らを(ふか)(しん)ずるに()りて、その熱心(ねっしん)(さら)(くは)はるを(みと)む。

註解: 「熱心」は7、8節に「奮励」と訳せられし文字であって奮励、勤勉、努力、熱心等を意味する。而してパウロはこの性質を非常に尊重した

8章23節 テトスのこと[を()へば、]()(とも)なり、(なんぢ)らに(たい)して()同勞者(どうらうしゃ)なり。[引照]

口語訳テトスについて言えば、彼はわたしの仲間であり、あなたがたに対するわたしの協力者である。この兄弟たちについて言えば、彼らは諸教会の使者、キリストの栄光である。
塚本訳(とにかく、)テトスについて言えば、わたしの仲間またあなた達のための共働者であり、(二人の)兄弟たちはと言えば、各地の集会の使者、キリストの栄光である。
前田訳テトスは、わが仲間またあなた方への協力者。われらの兄弟たちは諸集会の使いで、キリストの栄光です。
新共同テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。これらの兄弟について言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています。
NIVAs for Titus, he is my partner and fellow worker among you; as for our brothers, they are representatives of the churches and an honor to Christ.
註解: パウロは更にこの三人の使を改めて紹介推薦している。すなわち「テトスの為に弁ずれば彼は我同僚で、汝らコリントの教会に対して我と共に働いた者であって密接なる関係がある」

この兄弟(きゃうだい)たちの(こと)[をいへば、](かれ)らは(しょ)教會(けうくわい)使(つかひ)なり、キリストの榮光(えいくわう)なり。

註解: 他の二人はパウロとの関係はテトスほどではないが、諸教会の使として全教会の信頼を受けている選手であり、キリストの栄光とも言うべき教会の誇りである

8章24節 されば(なんぢ)らの(あい)(われ)らが(なんぢ)らに()きて(かれらに)(ほこり)れる(こと)との(あかし)を、(しょ)教會(けうくわい)(まへ)にて(かれ)らに(あらは)せ。[引照]

口語訳だから、あなたがたの愛と、また、あなたがたについてわたしたちがいだいている誇とが、真実であることを、諸教会の前で彼らにあかししていただきたい。
塚本訳だから(どうか)、あなた達の(熱い)愛と、あなた達についてわたし達のこの人たちに対する自慢(に偽りがないこと)との証拠を、各地の集会の前に示してもらいたい。
前田訳あなた方の愛とあなた方ゆえのわれらの誇りとの証拠を彼らに諸集会の前で示してください。
新共同だから、あなたがたの愛の証しと、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りの証しとを、諸教会の前で彼らに見せてください。
NIVTherefore show these men the proof of your love and the reason for our pride in you, so that the churches can see it.
註解: パウロはコリントの信徒に薦めて、彼らの愛とパウロが彼らにつきて誇れる如き事柄を以上三人の使の前にて顕わさしめ、これにより其の結果コリントの教会の状態を諸教会の前にて顕はさしめんとした、何となれば是等三人はパウロを始めその他の諸教会から遣わされしものであったからである。
要義 [施済(ほどこし)に対するパウロの態度]以上の諸節によりパウロが施済(ほどこし)に対する態度を総合すれば(1)彼は施済(ほどこし)の事が神に己をささげしものの当然の心であり、真正の愛の発露である事、5、8節(2)キリストに(なら)う者の為すべき行為なる事、9節(3)強制せられず自ら進んで為すべき事、3、4節(4)生活状態の平衡を目的とすべき事、13、14節(5)単にこれをすすむるに止(とど)めこれを命令すべきにあらざる事、6、10節(6)而してこの実行に当たっては多くの常識的注意を要することである16-24節。これ等の諸点は今日と(いえど)もそのままにこれに(したが)う事ができるであろう。