黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第2コリント

第2コリント第6章

分類
3 パウロの自己弁明(其の一) 1:12 - 7:16
3-5 使徒職の光栄と神の使者としてのパウロ 3:1 - 6:10
3-5-チ キリストの使徒の心掛 6:1 - 6:10

6章1節 (われ)らは[(かみ)と]ともに(はたら)(もの)なれば、(かみ)恩惠(めぐみ)(なんぢ)らが(いたづ)らに()けざらんことを(さら)(すす)む。[引照]

口語訳わたしたちはまた、神と共に働く者として、あなたがたに勧める。神の恵みをいたずらに受けてはならない。
塚本訳それで、(この和睦の福音のために)わたし達は(神と)御一緒に働いているのであるから、なおこのことを勧める、あなた達は神のこの恩恵を受け取って(実を結ばせ)、むだにしないようにせよ。
前田訳(神の)協力者として、神の恩恵をむだに受けないようお勧めします。
新共同わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。
NIVAs God's fellow workers we urge you not to receive God's grace in vain.
註解: Uコリ5:20に神と和らぐことを先ずコリント人らにすすめ、ここに「更に」かくして神と和らぐに至れるは神の恩恵によるため、この恩恵を空費しないことを勧めている。若しこの恩恵をコリント人らが(いたずら)に受けないならば、その結果は彼らの信仰状態に表われてくるであろう。そしてこのように勧める理由は、パウロ等が「神と共に働く」ためであって神はその恩恵を与え給う以上、我らも彼の同労者として汝らにこの恩恵を(いたずら)に受けない事をすすめなければならないとの意味である。但し「神とともに働く者」と訳せられし原語には「神と」なる文字がない、従って或は「キリストと」(M0)或は「汝らと」(B1、Z0)を補充することができる。最後の説が最も適当であると思われる。その理由はUコリ3:1以下にパウロはその使徒の職について述べつつあり、神との同労者なる観念よりも神の役者(Uコリ3:6Uコリ4:1Uコリ5:18、19。Uコリ6:4)なる観念が支配していて、且つUコリ6:3-10節においてパウロはこの恩恵が自己の上に働きて如何なる果を結んだかを述べ、その同労者たるコリント人らも、パウロの如くならんことを勧めているものと見るべきがためである

6章2節 (かみ)いひ(たま)ふ『われ(めぐみ)(とき)(なんぢ)()き、(すくひ)()(なんぢ)(たす)けたり』と。[引照]

口語訳神はこう言われる、「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、救の日にあなたを助けた」。見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。
塚本訳“恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。”と神は仰せられるではないか。見よ、今や“大いなる恵みの時”、見よ今や“救いの日”!
前田訳神はいわれます、「わたしはよい時にあなたの願いをかなえ、救いの日にあなたを助けた」と。じつに今こそ恵みの時、今こそ救いの日です。
新共同なぜなら、/「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
NIVFor he says, "In the time of my favor I heard you, and in the day of salvation I helped you." I tell you, now is the time of God's favor, now is the day of salvation.
註解: この聖句(引照1)によりて示される如く、キリストの十字架の贖罪が完成して神との和らぎが成就してより、キリストの再臨(それは間もなく来るべきものとパウロは信じた)迄の間は、神が我らの祈りをききて我らを助け給う時期であって、恵の時、救いの日である。この時期が終れば我ら主の審判の座に立たなければならない。
辞解
[恵の時] 原語は「神の御旨にかないて受納れられる時」を意味する

()よ、(いま)(めぐみ)のとき、()よ、(いま)(すくひ)()なり)

註解: 今こそこの大切な時期であるから早く神の恩恵を(いたずら)にせざる決心が必要である。この機会を逸して、悔いない様にしなければならぬ(マタ25:11−13)。
辞解
[恵の時] 前節の「恵」とは異なれる文字を用い一層意味を強めている

6章3節 我等(われら)この(つとめ)(そし)られぬ(ため)何事(なにごと)にも((けっ)して)(ひと)(つまづ)かせず。[引照]

口語訳この務がそしりを招かないために、わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、
塚本訳わたし達は(神に託された)この役目が嘲けられないように、何事にも何一つ躓きを与えていない。
前田訳このつとめがそしられないために、われらは何につけてもだれにも反発させないようにし、
新共同わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、
NIVWe put no stumbling block in anyone's path, so that our ministry will not be discredited.
註解: コリントに在る偽信徒の中にパウロを(そし)るものがあったけれども、パウロは「何事にも」「決して」人を躓かせない様に努力しているのであって、この事は次の諸節に明かである。パウロは神の憐みによりて受けしその職をこれ程までも重んじ、従ってその同労者(1節)とも云うべきコリント人にも、彼の如くならん事を勧めているのである

6章4節 (かへ)つて(すべ)ての(こと)において(かみ)役者(えきしゃ)のごとく(おのれ)をあらはす、[引照]

口語訳かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、
塚本訳そればかりではなく、あらゆることによって、神に仕える世話役として自分を推薦している、すなわち、(あるいは)大いなる忍耐によって、──たとえば苦難により、艱難により、苦悩により、
前田訳何につけても神の奉仕者として自らを推薦しています。ひじょうな忍耐により、苦しみ、困窮、挫折、
新共同あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、
NIVRather, as servants of God we commend ourselves in every way: in great endurance; in troubles, hardships and distresses;
註解: 基督者はパウロの様に全てにおいてこの態度を取り、誰が見ても神に仕える者として恥かしくない様に振舞わなければならぬ。パウロは次の数節に「凡てに於いて」の内容と「神の役者」らしき態度とを説明している

(すなは)患難(なやみ)にも、窮乏(ともしき)にも、苦難(くるしみ)にも、

6章5節 ()たるるにも、(ひとや)()るにも、騷擾(さわぎ)にも、勞動(はたらき)にも、(ねむ)らぬにも、斷食(だんじき)にも、(おほい)なる忍耐(にんたい)(もち)ひ、[引照]

口語訳むち打たれることにも、入獄にも、騒乱にも、労苦にも、徹夜にも、飢餓にも、
塚本訳打たれることにより、牢に入れられることにより、暴動をおこされることにより、労働により、徹夜により、飢餓によって──であり、
前田訳鞭打ち、入獄、暴動、労務、徹夜、飢えにより、
新共同鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、
NIVin beatings, imprisonments and riots; in hard work, sleepless nights and hunger;
註解: 忍耐は神の役者に相応わしく且つ必要である、ここに忍耐を必要とする九つの場合が挙げられ、三つずつ三種類にこれを区別する事ができる(B1)第一種の患難(4節引照2、使9:16)窮乏、苦難は一般的の場合、第二種の打擲(ちょうちゃく)(引照1。Uコリ11:23−25)、牢獄(引照1、使24:23使28:16)騒擾(引照2、使13:50使14:19使16:19)は迫害に関する場合、第三種の労働、不眠(使20:31)。断食(引照3及び4)は自己の意思により自ら苦痛を受ける場合である、この何れの場合においてもパウロは「大なる忍耐」を用いていた

6章6節 また廉潔(いさぎよき)[引照]

口語訳真実と知識と寛容と、慈愛と聖霊と偽りのない愛と、
塚本訳(あるいは)純潔により、知識により、寛容により、親切により、聖霊により、偽らぬ愛により、
前田訳純潔、知識、寛容、親切により、聖霊と偽らぬ愛により、
新共同純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、
NIVin purity, understanding, patience and kindness; in the Holy Spirit and in sincere love;
註解: 金銭上のみならず一般に純潔なる事

知識(ちしき)

註解: 福音の奥義に通じ神の御旨に通暁(つうぎょう)していた

寛容(くわんよう)

註解: 反対者等に対して迫害を与えなかった

仁慈(なさけ)

註解: 寛容のみならず進んで親切を尽した、以上の二つとも愛の結果である(Tコリ13:4

(せい)(れい)

註解: 以下は神より出でし諸性質を揚げている。すなわち神の役者たる事を表わすには聖霊を豊かに持つ事が必要である

虚僞(いつはり)なき(あい)と、

註解: 原語「偽善ならざる愛」虚偽の愛は人の嫌忌するところとなる

6章7節 (まこと)(ことば)[引照]

口語訳真理の言葉と神の力とにより、左右に持っている義の武器により、
塚本訳真理の言葉により、神の力によってであり、(あるいは)右と左とに持つ義の武器をもって、
前田訳真理のことば、神の力によって、右手左手の義の武器をもって、
新共同真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、
NIVin truthful speech and in the power of God; with weapons of righteousness in the right hand and in the left;
註解: 真の教理を教えた。以上は神の役者としては勿論信者一般においても守るべき諸性質である。これより進んでパウロはその使徒としての諸性質を揚げている

(かみ)能力(ちから)

註解: 神の能力は福音を伝えるパウロ等の中に働いて外に発露していた。
辞解
以上忍耐以下に列挙された九種についてパウロはenなる前置詞を用いてその状態を示し、以下の五種についてはdiaなる前置詞を用いて、その自己を表顕すべき武器を示す

左右(さいう)()ちたる()武器(ぶき)とにより、

註解: 右には攻撃左には防禦の武器を取り、神の義、キリストの義によりて悪魔の(たくみ)(こぼ)ち、律法による義を破る

6章8節 また光榮(くわうえい)恥辱(はづかしめ)と(により)[引照]

口語訳ほめられても、そしられても、悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは、人を惑わしているようであるが、しかも真実であり、
塚本訳名誉と恥辱とをもって、悪評と好評とをもってである。(あるいはまた)嘘つきと言われながら、真実な者として、
前田訳名誉と恥辱を受け、悪評と好評を受けながら、そうしています。われらは、偽るもののようで真実であり、
新共同栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、
NIVthrough glory and dishonor, bad report and good report; genuine, yet regarded as impostors;
註解: パウロ等は基督者としての光栄を()ち、且つその上に使徒としての光栄を()っていた、しかし同時に使徒は「御名のために辱められる」ものであって(使5:41)、かかる恥辱は、同時に神の役者として己を表示する役に立つのである

惡名(あしききこえ)美名(よききこえ)とによりて[(あらは)す]。

註解: 悪名はパウロ等を知らざるものまたはこれを害せんとするものより起り、美名は彼等を理解し尊敬する者より発する。しかしこの何れも、神の役者たる事を表わすの原因となる、何となれば神に背ける者より美名を受くる事は却て神を(けが)す所以であるからである

(われ)らは(ひと)(まどは)(もの)(ごと)くなれども(まこと)

註解: イエスを神の子と唱え、律法の不要を説く等一見人民を惑わすものの如くに見える(イエスすら惑わす者と目せられ給うた、ルカ23:2ルカ23:14)しかし最も真であって一点の虚偽もない。基督者は今もなお斯くの如くである

6章9節 (ひと)()られぬ(もの)(ごと)くなれども(ひと)()られ、[引照]

口語訳人に知られていないようであるが、認められ、死にかかっているようであるが、見よ、生きており、懲らしめられているようであるが、殺されず、
塚本訳(世間では)無名人でありながら、(神の前では)有名人として、“死にかけてい”ながら、いまここに“わたし達は生きている!”“そしてまた(神に)こらしめられるが、殺されない者”として、
前田訳名もないようで知られており、死にかけたようで、このとおり生きており、こらしめられているようで殺されず、
新共同人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、
NIVknown, yet regarded as unknown; dying, and yet we live on; beaten, and yet not killed;
註解: 基督者は所謂(いわゆる)知名の士ではないけれども、思いがけなきところに知己(ちき)を持ち、また人からは誤解され易いけれど、また往々にして心の奥底より理解してくれる人がある

()なんとする(もの)(ごと)くなれども、()よ、()ける(もの)

註解: パウロ等に対する激しき迫害を見て、人は彼がまさに死なんとしつつあるものの如くに思ったけれども、驚くべき事には彼らはなお生きていた。Uコリ4:7−12。Uコリ11:23−25はこの節のよき註釈である

(こら)さるる(もの)(ごと)くなれども(ころ)されず、

註解: 詩118:18。パウロが敵のために種々の困難に逢ったのは(Uコリ11:26)神より懲しめを受けているが如くであるけれども、殺される迄に至らないのは、神の保護の下にある事を証明している

6章10節 (うれ)ふる(もの)(ごと)くなれども(つね)(よろこ)び、[引照]

口語訳悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている。
塚本訳悲しんでいるが、しかしいつでも喜んでいる者として、貧乏であるが、しかし多くの人を金持にする者として、何一つ持たないで、何もかも持っている者としてである。
前田訳悲しんでいるようでつねによろこんでおり、貧しいようで多くの人を富ませ、何も持たぬようですべてを持っています。
新共同悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。
NIVsorrowful, yet always rejoicing; poor, yet making many rich; having nothing, and yet possessing everything.
註解: パウロ等は種々の憂慮を()っていた(Uコリ11:27―29)。それにも関わらず常に喜んでいた。患難をも喜び(ロマ5:3)、聖霊の喜びを()ち(ロマ14:17)牢獄の中にあっても常に喜悦に溢れていた(ピリ緒論を見よ)

(まづ)しき(もの)(ごと)くなれども(おほ)くの(ひと)()ませ、

註解: 物質的に貧しくとも霊の富を多くの人に(わか)つことができた

(なに)()たぬ(もの)(ごと)くなれども(すべ)ての(もの)()てり。

註解: 無一物ではあるけれども、神はキリストと共に万物を基督者に賜うの約束を与え賜える以上、すでに凡ての物を所有したと変わる事が無い。パウロはこの心持を言表しているのである。

分類
4 コリント人に対するパウロ 6:11 - 7:16
4-1 愛と聖別とを薦む 6:11 - 7:1

6章11節 コリント(ひと)よ、(われ)らの(くち)(なんぢ)らに(むか)ひて(ひら)け、(われ)らの(こころ)(ひろ)くなれり。[引照]

口語訳コリントの人々よ。あなたがたに向かってわたしたちの口は開かれており、わたしたちの心は広くなっている。
塚本訳コリント人たちよ、(気持ちはすっかり直った。)わたし達の口はあなた達に向かって開いている。心は広くなっている。
前田訳コリントの方々、あなた方に向かってわれらの口は開き、われらの心は広くなっています。
新共同コリントの人たち、わたしたちはあなたがたに率直に語り、心を広く開きました。
NIVWe have spoken freely to you, Corinthians, and opened wide our hearts to you.
註解: 本節は2:14以下の諸節の結尾である(Z0)。パウロが以上の如く自己の職務の尊さとこれを果すに就いての彼の心掛けと、コリント人に対する勧めを述ぶる際に、彼はその口を凡て開いて何等の隠し立てをせず凡ての事を皆彼らに語り、また彼の心はコリント人に対する愛によりて広く開け、彼らとの霊の交りが密であった。この心を以ってパウロはこれまでこの書簡を(したた)めてきた。而して次にコリント人がパウロを愛すべき事(12、13節)及びこの世の汚穢(けがれ)に交わるべからざる事(6:14−7:1)をすすめている

6章12節 (なんぢ)らの(せま)くせらるるは(われ)らに()るにあらず、(かへ)つて(おの)(こころ)()るなり。[引照]

口語訳あなたがたは、わたしたちに心をせばめられていたのではなく、自分で心をせばめていたのだ。
塚本訳わたし達の(心の)中であなた達はすこしも狭苦しい扱いを受けてはいない。あなた達が狭苦しい扱いを受けているのは、自分の心の中でのことだ。
前田訳あなた方はわれらによって束縛されたのでなく、自らの心によって束縛されたのです。
新共同わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。
NIVWe are not withholding our affection from you, but you are withholding yours from us.
註解: コリントの信者の中には或はパウロが彼等を愛する事が足らないとか、またはパウロが、彼らの自由を束縛するが如くに思っている人があったのであろう、また偽教師の言に動かされてパウロに対する愛心が冷却した人もあったのであろう、これはパウロの責任ではなく、パウロを誤解し、パウロを理解しなかったコリント信者の心に()るのである

6章13節 (なんぢ)らも(こころ)(ひろ)くして(われ)(むくい)をせよ。((われ)わが()(たい)する(ごと)()ふなり)[引照]

口語訳わたしは子供たちに対するように言うが、どうかあなたがたの方でも心を広くして、わたしに応じてほしい。
塚本訳だからお返しに──(自分の)子供に物言うように言うが──あなた達も広くなりなさい!
前田訳わが子へのようにいいますが、あなた方の方でも心を広くして、われらへの相応の報いをなさい。
新共同子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。
NIVAs a fair exchange--I speak as to my children--open wide your hearts also.
註解: パウロは、親が子に対して孝を要求すると同じくコリント人に対して愛を以って、その心を開かん事を要求している。パウロの愛に対してコリント人らが愛を以って報いなかった事は大なる悲劇であった。これがパウロの熱情溢れる書簡となってあらわれし原因であった

6章14節 ()信者(しんじゃ)(くびき)(おな)じうすな、[釣合(つりあ)はぬなり、][引照]

口語訳不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。
塚本訳不信者と一緒に不似合いな軛を負うようになってはいけない。なぜというか。義と不法とはなんの共同関係があろう。また光は暗闇に対しなんの共通性があろう。
前田訳不信者とちぐはぐな軛(くびき)を共になさるな。正義と不法とに何の係わりがありますか。光と闇とに何の交わりがありますか。
新共同あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。
NIVDo not be yoked together with unbelievers. For what do righteousness and wickedness have in common? Or what fellowship can light have with darkness?
註解: 異教徒は勿論の事、また真の信仰を()たない名義上の基督者と、同じ束縛を受け同じ義務を負う如き事業や地位や身分に自己を置いてはならない。パウロは申22:10「汝牛と驢馬とを(あわ)せて耕すことを為すべからず」を念頭に浮べ、一つのくびきを二匹の異種の動物に負わしめし場合の不便を以って、信者不信者の共同事業の不便を示したのである。蓋し信者と不信者とはその行かんとする目的地を異にし、その活動の動機を異にしているからである。コリントの市は俗化の力が強かったので、殊に信者をこの点において警戒するの必要があった。
辞解
[釣合わぬなり] 原語になし

()不義(ふぎ)(なに)干與(あづかり)かあらん、

註解: 以下五つの質問を以ってパウロは基督者と不信者との間の差異を明かにし、この二者が共同一致し得ざる所以を明かにしている。第一に基督者は(ただ)しき者である、神との(ただ)しき関係に立ち義を行って行く者である。不信者は神との間に(ただ)しき関係を()たず、罪にある生活を当然の事と考えている。故に義と不義とは相反するところの両極端であって一致する事ができない。
辞解
[干與(あづかり)] 同僚となる事を意味す

(ひかり)(くらき)(なに)交際(まじはり)かあらん。

註解: 光は(やみ)の反対である。基督者は光であって、(やみ)と妥協して行く事ができない。(やみ)の中に居る者はまた光を(にく)んでこれを避ける(ヨハ3:20)故にこの二者の間に交際(まじわり)一致が有り得ない。
辞解
[交際(まじはり)] Tコリ10:16註及びTヨハ1:3Tヨハ1:6、7を見よ

6章15節 キリストとベリアルと(なに)調和(てうわ)かあらん、[引照]

口語訳キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。
塚本訳キリストがベリアルに対してなんの調和があろう、また信者は不信者となんの共同があろう。
前田訳キリストとベリアルとに何の調和がありますか。また、信者と不信者とが何を共有しますか。
新共同キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか。
NIVWhat harmony is there between Christ and Belial ? What does a believer have in common with an unbeliever?
註解: キリストとサタンとは共同に事を為す事ができない、キリストはサタンの業を(こぼ)たんが為に来給い(Tヨハ3:8)、サタンはまた常にキリスト及び基督者を誘惑して神より離れしめんとする(マタ4:1以下。エペ4:27エペ6:11)。キリストは生命の主に在し(Tヨハ5:12)サタンは死の権を()つもの(ヘブ2:14)である。この二者に調和はあり得ない。
辞解
[ベリアル] 邪悪の意味であったのが転じてサタンの別名の如くに用いられるに至った(申13:14士19:22士20:13Tサム1:16その他)。日本訳には「ベリアルの子等」を「(よこしま)なる子等」と訳している。
[調和] 同意する事

信者(しんじゃ)()信者(しんじゃ)(なに)關係(かかはり)かあらん。

註解: ここに「関係(かかわり)」と訳せられし語は「分け前」の意味であって、一物を互に分ち合う事を意味する。すなわち親密なる関係、共同関係等の意である。信者は「天の嗣業(しぎょう)の分け前に与るもの」(コロ1:12)であり、不信者は「悪魔とその使たちの為に備えられたる永久の火」(マタ25:41)に与るべきである故に同一物の分け前に与る事ができない

6章16節 (かみ)(みや)偶像(ぐうざう)(なに)一致(いっち)かあらん、(われ)らは()ける(かみ)(みや)なり、[引照]

口語訳神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう」。
塚本訳神の宮が偶像となんの一致があろう。わたし達はたしかに生ける神の宮である。神がこう仰せられた。──“わたしは彼らの間に住みまた歩むであろう、わたしは彼らの神になり、彼らはわたしの民になる”
前田訳神の宮と偶像と何の一致がありますか。われらは生ける神の宮です。神が言いたもうとおりです−−「『わたしは彼らの間に住み、また歩もう。そして彼らの神となり、彼らはわが民となろう。
新共同神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。そして、彼らの神となり、/彼らはわたしの民となる。
NIVWhat agreement is there between the temple of God and idols? For we are the temple of the living God. As God has said: "I will live with them and walk among them, and I will be their God, and they will be my people."
註解: 神の宮に偶像を安置する事が出来ないと同様に、活ける神(死せる偶像にあらず)の宮たる我ら基督者の心の中に偶像を共に鎮座せしむる事が出来ない。
辞解
[一致] 原語は「共に坐する」事

(すなは)(かみ)()(たま)ひしが(ごと)し。(いは)く『われ(かれ)らの(うち)()み、また(あゆ)まん。(われ)かれらの(かみ)となり、(かれ)()わが(たみ)とならん』と。

註解: レビ26:11、12の七十人訳、或はエレ31:33の引用であって、神の霊が基督者全体を宮としてその心に内住し給い神と人との霊交が極めて密接となり、神が聖霊として我らの中に生きまた動き給う事を意味する、信者の状態は斯くの如きものでなければならない

6章17節 この(ゆゑ)に『(しゅ)いひ(たま)ふ、「(なんぢ)()かれらの(うち)より()で、(これ)(はな)れ、(けが)れたる(もの)()るなかれ」と。[引照]

口語訳だから、「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。そして、汚れたものに触れてはならない。触れなければ、わたしはあなたがたを受けいれよう。
塚本訳それゆえに、“あなた達は彼らの中から出よそして離れよ、”と主は仰せられる、そして“清くないものに触れるな”と。“そうすればわたしはあなた達を受け入れる、”
前田訳それゆえ彼らの中から出よ、彼らを離れよ』と主はいいたもう。『汚れたものにさわるな。そうすればわたしはあなた方を受け入れ、
新共同だから、あの者どもの中から出て行き、/遠ざかるように』と主は仰せになる。『そして、汚れたものに触れるのをやめよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
NIV"Therefore come out from them and be separate, says the Lord. Touch no unclean thing, and I will receive you."
註解: イザ52:11を自由に変化したる引用ならん、基督者はこの世より選び出されし者である(ヨハ15:19)。故に(あたか)もイスラエルが異邦人を穢れしものと見てこれと交る事を好まなかったと同じく、基督者は不信者と行動を共にする事によりて神の宮を穢してはならない。故に彼らの中より出で、彼らを離れなければならぬ。但しこれは霊的の意味であって隠遁生活を送るべしとの意味では無い。Tコリ5:10を見よ

「さらば(われ)なんぢらを()け、

6章18節 われ(なんぢ)らの(ちち)となり、(なんぢ)()わが息子(むすこ)むすめとならん」と、全能(ぜんのう)(しゅ)いひ(たま)ふ』とあるなり。[引照]

口語訳そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」。
塚本訳“わたしは”あなた達の“父になり、”あなた達は“わたし達の息子”娘“に”なる、“と全能者である主が仰せられる。”
前田訳あなた方の父となり、あなた方はわが息子、娘となろう』と、全能の主がのたもう」と。
新共同父となり、/あなたがたはわたしの息子、娘となる。』/全能の主はこう仰せられる。」
NIV"I will be a Father to you, and you will be my sons and daughters, says the Lord Almighty."
註解: 16節よりも一層密なる関係を示している。すなわち不信者の中より出て来たりし信者は神の受くるところとなり、神との間に父子の親密なる関係が成立つのである。若し信者が不信者とくびきを同じうしてその中に交わり、その穢れに染むならば、神との間にこの父子の密なる関係が成立つ事ができない。かくして神の恩恵を(いたずら)に受ける事となるのである(1節)。なお7:1は本節の継続であって6:14以下の結尾である。
辞解
本節はUサム7:14を少しく変化せる引用である。
要義 [基督者と不信者との関係]基督者はこの世より選び出されしものであり、世を離れたものである。しかしながら彼らはなお旅人の如くにこの世に寄寓しているのである(ヘブ11:13)。故にこの世の中に歩みつつもその歩みの原則は天につけるものでなければならない。また世の人と全く交わらない事はできない(Tコリ5:10)。しかし交わっても彼らと同じ(くびき)の下に束縛せられてはならない。斯くの如く基督者はこの世より見るならば一種特別の存在であって、多くの点において彼らには不可解である(8−10節の如きその例である)。故に彼らに理解せられんとして却って彼らと(くびき)を共にするの過ちに陥り易いのである。基督者の不信者に対する態度は、彼らと(くびき)を共にせずして、彼等の為に十字架を負い給えるキリストと(くびき)を共にする事(マタ11:29、30)である。
而してパウロの生涯(4−10節)を見るも、またパウロがコリントの信者に要求せる事柄より見るも(14−18節)、基督者の生活と世の人の生活との間に非常なる差異の存する事を見る事ができ、この差異が消滅するならば基督者は神の恩恵を空しく受けた事となるのである。

第2コリント第7章

7章1節 されば(あい)する(もの)よ、(われ)らかかる約束(やくそく)()たれば、(にく)(れい)との汚穢(けがれ)より(まった)(おのれ)(きよ)め、(かみ)(おそ)れてその清潔(きよき)成就(じゃうじゅ)すべし。[引照]

口語訳愛する者たちよ。わたしたちは、このような約束を与えられているのだから、肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、神をおそれて全く清くなろうではないか。
塚本訳だから愛する者たちよ、こんな(神の)約束がわたし達にはあるのだから、肉と霊とのあらゆる汚れから自分を清め、神を恐れて完全に聖くなろうではないか。
前田訳親愛な方々、このような約束を持つゆえに、われらは肉と霊とのあらゆる汚れから自らを清め、神をおそれて聖潔(きよき)を全うしましょう。
新共同愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。
NIVSince we have these promises, dear friends, let us purify ourselves from everything that contaminates body and spirit, perfecting holiness out of reverence for God.
註解: この一節は前章の継続であって6:14節以下の結尾となるべきものである。我らは活ける神の宮であり、また神我らと共に座す事の約束を得た以上は、神の宮たるに相応しき状態に我らを置かなければならない。神の宮として必要なるは、淫行、好色、酔酒、宴楽、奢侈(おごり)等の肉の汚穢、偶像崇拝、怨恨、紛争、嫉妬、徒党、分離、異端等の霊の汚穢を洗い潔め(ガラ5:19−22)、神を畏れる心を以て完全にこの世の不信者とその汚穢から聖別される事である。
辞解
[愛する者よ] 信者に対する呼びかけ
[己を潔め] 原語katharizôで洗い清める事
[その清潔] 原語hagiôsunên聖め別つ事、すなわち不信者とくびきを共にせず神の宮に偶像を置かざる事

4-2 パウロ其の愛を示す 7:2 - 7:16

7章2節 (われ)らを()()れよ、[引照]

口語訳どうか、わたしたちに心を開いてほしい。わたしたちは、だれにも不義をしたことがなく、だれをも破滅におとしいれたことがなく、だれからもだまし取ったことがない。
塚本訳(コリント人たちよ、このとおりわたし達の心は広くなっている。)どうかわたし達を受け入れて貰いたい!わたし達は(ある人達が非難するような)間違ったことを(あなた達の)だれにもした覚えはない。だれも堕落させた覚えはない。だれもごまかした覚えはない。
前田訳われらに心を開いてください。われらはだれにも不正をせず、だれをも損なわず、だれをもだましませんでした。
新共同わたしたちに心を開いてください。わたしたちはだれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。
NIVMake room for us in your hearts. We have wronged no one, we have corrupted no one, we have exploited no one.
註解: Uコリ6:13の意味を反覆したのであって、以上数章において述べ来りし凡ての方面より見てコリント人がパウロに対して反感を()つ理由なき事は明かである以上、福音の使徒としての我らを汝らの心に愛を以て受け容るべきである。
辞解
[受け容れよ] 「場所を造る」こと

われら(たれ)にも不義(ふぎ)をなしし(こと)なく、(たれ)をも(そこな)ひし(こと)なく、(たれ)をも(かす)めし(こと)なし。

註解: パウロの反対者等は或はパウロが信者を審判く態度を以て義しからずとなし、またはパウロは律法を無視する事によりて人を害う(原語は腐敗せしむる意)となし、または金銭を集めてエルサレムの聖徒に送ると称して(Uコリ9:1)、彼らを(かす)めるものであるとの理由を以て彼を非難していたのであろう(Uコリ12:16、17)。パウロは決してかかる事の無き事を断言し、彼らの心を開きてパウロ等を受け納れん事を薦めている

7章3節 わが()()ふは、(なんぢ)らを(とが)めんとにあらず、そは()(すで)()へる(ごと)く、(なんぢ)らは(われ)らの(こころ)にありて、(とも)()(とも)()くればなり。[引照]

口語訳わたしは、責めるつもりでこう言うのではない。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである。
塚本訳これは(かっての)罪を責めるつもりで言うのではない。前にも言ったように、あなた達はわたし達の心の中にあって生死を共にする人だからである。
前田訳責めるためにこういうのではありません。前にもいったように、あなた方は共に生き、共に死ぬためにわれらの心の中にあります。
新共同あなたがたを、責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしたちの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。
NIVI do not say this to condemn you; I have said before that you have such a place in our hearts that we would live or die with you.
註解: 生くるにも死ぬるにもコリント人はパウロ等の心から離れた事が無い程、パウロ等は彼らを愛していた事はこれ迄この書簡において反覆これを述べた (Uコリ1:6Uコリ1:13-14。Uコリ2:4Uコリ3:3Uコリ4:12Uコリ6:11−13) 。これを見ても前節に言いし言はコリント人を罪に定めんためでなく(「咎むる」の原語は「罪に定むる」ロマ8:1)、却って彼らとパウロとの間に、その愛を妨ぐる障害物を除きたいからである。この事を誤解せざらん事を望むとパウロは言うのである

7章4節 (われ)なんぢらを(しん)ずること(おほい)なり、[引照]

口語訳わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている。
塚本訳あなた達へのわたしの信頼は大きく、あなた達についてのわたしの自慢は大きい。わたしはいま慰めに満ちている。わたしはどんな苦難をわたし達がうけるときにも喜びにあふれている。
前田訳あなた方へのわが信頼は大きく、あなた方についてのわが誇りは大きいのです。わたしは慰めに満たされ、どんな苦しみの中でもよろこびにあふれています。
新共同わたしはあなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな苦難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。
NIVI have great confidence in you; I take great pride in you. I am greatly encouraged; in all our troubles my joy knows no bounds.
註解: この「信ずる」の原語の意味は心に(わだかま)りの無きこと、すなわちパウロは心の底から彼らを愛し、彼らに対し心を充分に開き(Uコリ6:11)少しのわだかまりも無く信じ切っている事

また(なんぢ)()をもて(ほこり)とすること(おほい)なり、

註解: 立派な子供に対して親が誇らしき心を()つと同じく、パウロはその労働によりて成りしコリントの教会に就いて、たといその中に彼に反対なる分子があるにしてもなお彼らを愛し、且つUコリ1:13-14に彼自ら云う如く彼らを誇っていた

(われ)慰安(なぐさめ)にみち、(すべ)ての患難(なやみ)(うち)にも喜悦(よろこび)あふるるなり。

註解: 私訳「凡ての患難の中に我は慰安にみち喜悦あふれるなり」この患難はパウロが前にUコリ4:8−10。Uコリ1:3−11等に記し更に次節に記さんとしている処のものである。慰めは6713節等に記され喜悦は7813節等に記されている。コリントの信徒の状態がかくまでパウロの心を動かす事は、如何に彼が彼らを愛しているかの証拠であって、これに対してもコリント人はパウロ等を受納るべき義務がある

7章5節 マケドニヤに(いた)りしとき、(われ)らの()はなほ(いささ)かも平安(やすき)()ずして、樣々(さまざま)患難(なやみ)()ひ、(そと)には分爭(ぶんさう)(うち)には恐懼(おそれ)ありき。[引照]

口語訳さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。
塚本訳というのは、わたし達が(トロアスからこの)マケドニヤに来たときにも、体が全く休まらず、あらゆることに悩まされた、外には(福音の敵との)戦い、内には(愛する集会のための)心配があったのである。
前田訳マケドニアに来たとき、われらの身には安らぎがなく、事ごとに悩まされました。外には戦い、内には恐れでした。
新共同マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。
NIVFor when we came into Macedonia, this body of ours had no rest, but we were harassed at every turn--conflicts on the outside, fears within.
註解: パウロはこの事をすでにUコリ2:14に暗示していたのをここに明示している。その目的は彼が受けし慰安と喜悦とを一層明かにせんが為である。パウロ言う「我トロアスよりマケドニヤに渡った時も種々の患難が襲い来り、外部に対しては迫害と戦わなければならず、内心にはコリントの状態など思い廻らして恐怖の念がたえなかった。
辞解
[身] sarxで一般に「肉」と訳される文字である、人物の生まれながらにして有する肉体及び感性の凡てを指す
[分争] 戦争、または闘争を意味する文字である

7章6節 ()れど(あはれ)なる(もの)(なぐさ)むる(かみ)は、テトスの(きた)るによりて(われ)らを(なぐさ)(たま)へり。[引照]

口語訳しかるに、うちしおれている者を慰める神は、テトスの到来によって、わたしたちを慰めて下さった。
塚本訳しかしあわれな者を慰めてくださる神は、テトスの到着によって(この)わたし達を慰めてくださった。
前田訳しかし、気落ちしたものを慰めたもう神はテトスを来させてわれらをお慰めでした。
新共同しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。
NIVBut God, who comforts the downcast, comforted us by the coming of Titus,
註解: かかる時の慰めは殊に深く感ぜられるものであり、また神は患難にあるものを必ず慰め給うものである。故に神を「哀れなる者を慰むる神」と呼び奉る事は非常にふさわしき称号である▲この辺パウロの純情とコリントの信者を如何に愛していたかが見られる。

7章7節 (ただ)その(きた)るに()りてのみならず、[引照]

口語訳ただ彼の到来によるばかりではなく、彼があなたがたから受けたその慰めをもって、慰めて下さった。すなわち、あなたがたがわたしを慕っていること、嘆いていること、またわたしに対して熱心であることを知らせてくれたので、わたしの喜びはいよいよ増し加わったのである。
塚本訳いや、彼の到着によってというだけでなく、彼があなた達のところで慰められたその慰め(を聞いたこと)によってでもある。彼は(わたしに会いたいという)あなた達の熱望と、(罪を悔いる)あなた達の悲嘆と、わたしに対するあなた達の熱意とをわたし達に報告してくれたのである。こうしてわたしはますます喜んだ。
前田訳彼が来たことばかりでなく、彼があなた方によって慰められた慰めによっても、われらは慰められました。彼はあなた方のあこがれと、あなた方の嘆きと、わたしへのあなた方の熱意とを知らせてくれましたので、わたしはますますよろこびました。
新共同テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
NIVand not only by his coming but also by the comfort you had given him. He told us about your longing for me, your deep sorrow, your ardent concern for me, so that my joy was greater than ever.
註解: 来たりし事がすでに大なる慰めであった事は、彼が来たらざりし場合のパウロの不安の心持(Uコリ2:13)を見てもこれを知る事ができる。しかしパウロの慰められしは唯その為のみではなかった

(かれ)(なんぢ)らによりて()たる慰安(なぐさめ)をもて(なぐさ)(たま)へり。

註解: テトスはコリントの信徒の状態如何ならんかまた前の書簡及び訪問の影響如何ならんかと憂慮しつつコリントに行ったのであったが、その地の信徒の状態や態度によりて非常に慰められ、この心持をパウロに告げたのでパウロも慰められた

(すなは)(なんぢ)らの(われ)(した)ふこと、

註解: コリントの信者は大体において(例外Tコリ4:18を見よ)、パウロを慕い彼のコリント訪問を待ち焦がれていること

((なんぢ)らの)(なげ)くこと、

註解: 教会内の淫行、不秩序その他によりてパウロを怒らしめ悲しましめし事を歎き、またこれらの事に対しての自分たちの処置が悪かった事を歎くこと(Tコリ5:2参照)

((なんぢ)らの)(われ)(たい)して熱心(ねっしん)なることを(われ)らに()ぐるによりて、(われ)ますます(よろこ)べり。

註解: 熱心にパウロの叱責に耳を傾け、熱心に彼に服従せんとする心持をコリントの信徒は()っていた。これパウロをして益々喜悦に溢れしめし所以である。
辞解
原文には「汝らの」を三度繰返してその意を強めている。日本訳にもこれを加うる方が適当であろう

7章8節 われ(ふみ)をもて(なんぢ)らを(うれ)ひしめたれども()いず、その(ふみ)(なんぢ)らを(しばら)(うれ)ひしめしを()て、(まへ)には()いたれども(いま)(よろこ)ぶ。[引照]

口語訳そこで、たとい、あの手紙であなたがたを悲しませたとしても、わたしはそれを悔いていない。あの手紙がしばらくの間ではあるが、あなたがたを悲しませたのを見て悔いたとしても、
塚本訳というのは、あの(烈しい)手紙であなた達を悲しませたにしても、(もはや)わたしは悔いないからである。(前には)悔いたにしても、──わたしは認める、あの手紙が一時はあなた達を悲しませたにしても、……
前田訳それで、たとえあなた方を手紙で悲しませたにせよ、わたしは悔いません。たとえ悔いたにせよ、あの手紙があなた方を悲しませたのはほんのしばらくであったことを知っているからです。
新共同あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、
NIVEven if I caused you sorrow by my letter, I do not regret it. Though I did regret it--I see that my letter hurt you, but only for a little while--
註解: コリント前書においてパウロは種々の点に就いて、はげしく彼らを責めた為に(殊にTコリ5章を見よ)彼らは一時は憂いに沈んだ、第二回に訪問せる際にこれを見てパウロは前にはあまり激し過ぎたかと悔いたけれども、今は悔いずに却って喜んでいる。その理由は次節にあり

7章9節 [わが(よろこ)ぶは](なんぢ)らの(うれ)ひしが(ゆゑ)にあらず、(うれ)ひて悔改(くいあらため)(いた)りし(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳今は喜んでいる。それは、あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めるに至ったからである。あなたがたがそのように悲しんだのは、神のみこころに添うたことであって、わたしたちからはなんの損害も受けなかったのである。
塚本訳(とにかく)今は喜んでいる。(もちろん)あなた達が悲しんだからではなく、悲しんで悔改めたからである。あなた達は神の御心に沿って悲しんだ、だから何事においてもわたし達から害を受けなかったのである。
前田訳今はよろこんでいます。それはあなた方が悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなた方は神に従って悲しんだので、われらからは何の害も受けなかったのです。
新共同今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
NIVyet now I am happy, not because you were made sorry, but because your sorrow led you to repentance. For you became sorrowful as God intended and so were not harmed in any way by us.
註解: コリント人を憂いしめて喜ぶ様なパウロでは無い、彼はコリントの信徒を愛していた。故に彼らが憂いて悔改めに至ったことを聴いて非常に喜んだのである

(なんぢ)らは(かみ)(したが)ひて(うれ)ひたれば、我等(われら)より(いささ)かも(そん)()けざりき。

7章10節 それ(かみ)にしたがふ(うれひ)は、(くい)なきの(すくひ)()るの悔改(くいあらため)(しゃう)じ、()(うれひ)()(しゃう)ず。[引照]

口語訳神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。
塚本訳なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。
前田訳神に従っての悲しみは悔い改めをさせて悔いのない救いを得させますが、この世の悲しみは死をもたらします。
新共同神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。
NIVGodly sorrow brings repentance that leads to salvation and leaves no regret, but worldly sorrow brings death.
註解: 憂苦に二種ある、一は神に従うの憂いであって、神に対して相済まない、申訳が無いと思う心がそれである。他は世の憂いであって罪の結果叱責を受け、または困難を生ずる場合等において困った事になったと思う心持である。而して前者は悔なきの救いを得るがための悔改を生じ、救われて永生に至るの原因となり、後者は唯(いたずら)に憂うるのみであって何等の果を結ばず霊的の死を招く、真の悔改めと然らざるものとの差別はここにある。イスカリヲテのユダの場合は後者であった(マタ27:3)。而してパウロがコリント人を叱責せる場合、彼らは世の憂を持たず、却って神に従いて憂いし結果、パウロ等の叱責が少しの悪結果をも残さなかった、これコリント人の態度が立派であった結果である

7章11節 ()よ、(なんぢ)らが(かみ)(したが)ひて(うれ)ひしことは、如何(いか)ばかりの奮勵(はげみ)辯明(べんめい)憤激(いきどほり)恐懼(おそれ)愛慕(したひ)熱心(ねっしん)(つみ)()むる(こころ)などを(なんぢ)らの(うち)(しゃう)じたりしかを。[引照]

口語訳見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。あなたがたはあの問題については、すべての点において潔白であることを証明したのである。
塚本訳見よ。神の御心に沿ってあなた達が悲しんだこと、それがどれほどの熱心を、そうだ弁解を、そうだ(事件に対する)憤慨を、そうだ(わたしの怒りに対する)恐れを、そうだ熱望を、そうだ熱誠を、そうだその処罰(の決意)を、あなた達にもたらしたことであろうか!あなた達はあらゆることで、あの事件に関して自分の罪のないことを現した。
前田訳じつに、神に従って悲しんだというこのことがいかほどの熱心をおこさせたでしょう。さらに、弁明を、憤りを、恐れを、あこがれを、熱意を、処罰をおこさせました。あのことについて、あなた方はあらゆる点で自らが潔白であることを証明しました。
新共同神の御心に適ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。
NIVSee what this godly sorrow has produced in you: what earnestness, what eagerness to clear yourselves, what indignation, what alarm, what longing, what concern, what readiness to see justice done. At every point you have proved yourselves to be innocent in this matter.
註解: 神に対し自己の罪を悔改めし結果、これではならないと「奮励」し、それに加うるにテトスやパウロ等に対して「弁解」し、更にその教会のかかる有様に就て「憤激」し、神を「恐懼」してその審判の前にかしこみ、パウロ等を「愛慕」してその来るを待ち、「熱心」にかかる状態を改めんとし、従来微弱であった「罪を責むる心」が彼らの中に起る様になった、すなわち非常に好結果を生じたのである。
辞解
奮励以下七か条をパウロはここに揚げる場合に、その各々の間に一々alla(ここでは「これに加うるに」の如き意味)を挿入して一か条毎にその意味の強さが加わっている事を示している。日本語にこの語気を移す事ができない

(なんぢ)()かの(こと)()きては(まった)(きよ)きことを(あらは)せり。

註解: 以上の如き結果を起こしたのを見れば、この事件に関してはコリント人は全く潔白であった。すなわち悪しき心を以って行動しなかった

7章12節 されば(まへ)(ふみ)(なんぢ)らに()(おく)りしも、不義(ふぎ)をなしたる(ひと)(ため)にあらず、また不義(ふぎ)()けたり(ひと)(ため)にあらず、(われ)らに(たい)する(なんぢ)らの奮勵(はげみ)の、(かみ)(まへ)にて(なんぢ)らに(あらは)れん(ため)なり。[引照]

口語訳だから、わたしがあなたがたに書きおくったのは、不義をした人のためでも、不義を受けた人のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱情が、神の前にあなたがたの間で明らかになるためである。
塚本訳それゆえわたしはあれを書いたにしても、間違ったことをした者の(制裁の)ためでもなければ、間違ったことをされた者の(満足の)ためでもない。ただわたし達に対するあなた達の熱心があなた達のところで神の前に現されるためであった。
前田訳それで、わたしがあえて手紙を書きましたのは、加害者のためでも被害者のためでもなく、われらへのあなた方の熱心があなた方のところで神のみ前に明らかにされるためでした。
新共同ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。
NIVSo even though I wrote to you, it was not on account of the one who did the wrong or of the injured party, but rather that before God you could see for yourselves how devoted to us you are.
註解: 「不義をなしたる人」はTコリ5:1の姦淫者、「不義を受けた人」はその父と解する事もでき、またはこの単数名詞を複数の意味に取り、一層一般的に教会内の腐敗分子とこれによりて煩わされし人と解する事もできる。コリント前書の書かれし所以はかかる個人的または部分的の目的ではなく、コリントの信徒全体が従来神を忘れて堕落し使徒等に対する熱心が冷却して、銘々自己の愚なる状態に誇っていた事より覚醒して、パウロ等に対する熱心(奮励)を増し、その訓戒に従い、教会の腐敗を除き、ますますパウロ等に心を寄せ神に近付ける生活を送る様にならんが為であり、而してこの事がコリントの信徒自身にも明かに自覚せられんが為であった。パウロはある個人の問題を捕えて全コリント教会をその惰眠より醒ましたのである

7章13節 この(ゆゑ)(われ)らは慰安(なぐさめ)()たり。[引照]

口語訳こういうわけで、わたしたちは慰められたのである。これらの慰めの上にテトスの喜びが加わって、わたしたちはなおいっそう喜んだ。彼があなたがた一同によって安心させられたからである。
塚本訳[目的は達せられた。]そういうわけだから、わたし達は慰められたのである。しかしわたし達のこの慰めに加え、わたし達は、テトスがあなた達一同から安心させられたことを喜ぶのを見て、何にもまして喜んだ。
前田訳それゆえわれらは慰められたのです。
新共同こういうわけでわたしたちは慰められたのです。この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。
NIVBy all this we are encouraged. In addition to our own encouragement, we were especially delighted to see how happy Titus was, because his spirit has been refreshed by all of you.
註解: 以上の目的が達したので、一時は憂いた事もあったけれども今は慰めを得ている

慰安(なぐさめ)()たる(うへ)にテトスの喜悦(よろこび)によりて(さら)(よろこ)べり。そは(かれ)(こころ)なんぢら一同(いちどう)によりて(やす)んぜられたればなり。

註解: テトスがコリントの教会を訪問し、内心憂慮に耐えなかったその心がコリントの信徒らによりて安んぜられ、大なる喜悦をその顔にたたえてパウロに復命した。それ故にパウロはテトスの報告をききて慰安を得たのみならず、その喜悦安心の顔付を見て一層その喜悦を深くした

7章14節 われ(さき)(かれ)(まへ)(なんぢ)らに()きて(ほこ)りたれど()づることなし、[引照]

口語訳そして、わたしは彼に対してあなたがたのことを少しく誇ったが、それはわたしの恥にならないですんだ。あなたがたにいっさいのことを真実に語ったように、テトスに対して誇ったことも真実となってきたのである。
塚本訳というのは、わたしが彼にあなた達のことを多少自慢しておいたけれども恥をかかずにすみ、むしろ、わたし達があなた達に語ったことがすべて真実であったように、わたし達がテトスに(あなた達の)自慢をしたことも真実になったからである。
前田訳わたしはあなた方についてテトスにいくらか誇りましたが、それはわたしの恥になりませんでした。それは、われらがあなた方に語ったことがすべて真実であったように、われらがテトスに誇ったことも真実になったからです。
新共同わたしはあなたがたのことをテトスに少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、わたしたちはあなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実となったのです。
NIVI had boasted to him about you, and you have not embarrassed me. But just as everything we said to you was true, so our boasting about you to Titus has proved to be true as well.
註解: 若しパウロがテトスに向って誇れる事が、コリント教会の現状と異なっていたならば、パウロは恥じざるを得なかったであろう。またパウロがコリント前書にも後書にも、激しくコリントの教会を責めたにも関わらず、大体においてコリントの教会に就いて誇っていた事を知る事ができる。これ彼がコリント教会を愛していたからである

(われ)らが(なんぢ)らに(かた)りし(こと)のみな誠實(まこと)なりし(ごと)く、テトスの(まへ)(ほこ)りし(こと)もまた誠實(まこと)となれり。

註解: パウロはコリント人に対して万事誠実を以って語っていた。それ故にテトスに語れる事が偽とならなければよいと内心憂いていた事が言外に顕われている。然るに幸これが真実となったので彼の喜びは大であった。換言すれば、パウロがコリント人はかくある筈であると信じ、且つ願っていた通りであった事をよろこんでいるのである

7章15節 (かれ)(なんぢ)()みな從順(じゅうじゅん)にして(おそ)(おのの)き、(おのれ)(むか)へしことを(おも)()して、[引照]

口語訳また彼は、あなたがた一同が従順であって、おそれおののきつつ自分を迎えてくれたことを思い出して、ますます心をあなたがたの方に寄せている。
塚本訳そして彼は、あなた達一同の従順、恐れ震えて彼を迎えてくれた様子を思い出して、あなた達にいま特別の好意を寄せている。
前田訳そして皆さんが従順で、恐れとおののきをもって彼をお迎えのことを思い出して、彼の気持ちはますますあなた方へと向かっています。
新共同テトスは、あなたがた一同が従順で、どんなに恐れおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。
NIVAnd his affection for you is all the greater when he remembers that you were all obedient, receiving him with fear and trembling.
註解: 「従順」はパウロの訓戒に対し、またテトスに対して示された従順である。「畏れ(おのの)き」はパウロより遣わされしテトスを迎うる事において彼らの示せる真面目にして熱心なる態度を示す

(こころ)(なんぢ)らに()すること増々(ますます)(ふか)し。

註解: テトスに対してコリントの信徒は非常に好印象を与えた為に、彼はその愛を彼らに寄する事ますます深くなってきた。この事がまたパウロの大なる喜びであった

7章16節 われ(すべ)ての(こと)(なんぢ)らに()きて(こころ)(つよ)きを(よろこ)ぶ。[引照]

口語訳わたしは、あなたがたに全く信頼することができて、喜んでいる。
塚本訳わたしはあらゆることであなた達に信頼できる(ようになった)のを喜んでいる。
前田訳わたしはあなた方に万事信頼しうることをよろこんでいます。
新共同わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを喜んでいます。
NIVI am glad I can have complete confidence in you.
註解: 「心強き」の原語タレオーtharreôは「心勇む事」「希望満々たる事」「信頼している事」等の意味があり、この節においてはパウロは万事に就いてコリントの信者につき「大丈夫」と云う感じを与えられ、元気付けられている事を喜ぶの意味である。
要義 [神に従う憂いと世の憂い]パウロがコリント前書を認めて多くの非難を浴びせかけし事は、勿論彼がキリストの使徒としてキリストの教会を愛する事から起っていた事であったけれども、実はパウロに取っては危機一髪の場合であった。コリントにはパウロの反対派も多かった、また偽使徒もまた彼らの中に入り込んでいた。故に若しパウロの非難のためにコリントの人々が反感を起こして彼より遠ざかり、その訓戒に従う事を拒んだならば、その結果は如何であったろうか。コリントの教会の堕落が改まらないのみならず、パウロとの間の交わりはここに断絶してしまった事であろう。然るに事実はこれに反し全く希望通りの結果を生ぜし所以のものは、一はパウロの愛心が何等利己的党派的根性によりて、穢されなかった為でもあるけれども、一はコリントの信徒がパウロの言をききて「神に従う憂い」を持つ事ができたからである。他人より非難を受けし場合に、その非難を神の前に持ち行き、神より受けしものとして憂うる事を得るものは幸である。かかるものはこれによりて永生に至る悔いなきの救いに与る事ができるであろう。若しこれに反しコリントの信徒がパウロの非難を受けて肉につける念をいだき、或は彼を怨み、或は徒党を造り、その他単に自己の恥辱に関して「世の人の如き憂」をいだき神に従うの憂をいだかないならば、その結果は全く異なれるものであったに相違ない。故に我らは常に自己の罪、失敗、不名誉等につき神の前に憂うるものとならなければならない。