黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第2章

分類
3 教会分離の問題 1:10 - 4:21
3-2 人間の智慧の過重 1:18 - 2:16
3-2-ハ 愚なる伝道法 2:1 - 2:5

註解: 前章に述べられし愚なる十字架の福音を、パウロは如何なる態度を以て之をコリントに宣伝えたか。此の事をパウロ自らここに告白している。当時コリントは哲学の一中心であり、雄弁術、詭弁学が盛に行われ、風采の堂々たるもの弁舌の爽やかな者が衆望の帰する処となつた。此の間に在りて、風采の揚らない言語の卑しいパウロが(Uコリ10:10)如何なる態度を取つたかは重大なる問題である。

2章1節 兄弟(きゃうだい)よ、[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。
塚本訳わたしもまた、兄弟たちよ、(はじめて)あなた達の所に行ったとき、(人間の)勝れた言葉や知恵を用いることなしに、神から賜った(福音の)証明を伝えていたのであった。
前田訳兄弟方、わたしもあなた方のところへ行くに当たって、すぐれたことばや知恵を用いて神の証をのべ伝えることをしませんでした。
新共同兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
NIVWhen I came to you, brothers, I did not come with eloquence or superior wisdom as I proclaimed to you the testimony about God.
註解: 此の書簡には「兄弟よ」なる呼びかけが非常に多い事に注意しなければならぬ。叱責を与えんとしてパウロは却て其の切なる親愛の情を注ぎ出している。

われ(さき)(なんぢ)らに(いた)りしとき、(かみ)(あかし)(つた)ふるに(ことば)智慧(ちゑ)との(すぐ)れたるを(もち)ひざりき。

註解: パウロは神の証を伝え、福音を宜ぶるのに雄弁術を用いず、又哲学的説明に依らなかつた。是れ肉のギリシヤ人らには歓迎されなかつた所以である。

2章2節 イエス・キリスト(およ)びその十字架(じふじか)()けられ(たま)ひし(こと)のほかは、[引照]

口語訳なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。
塚本訳あなた達の間では、イエス・キリスト以外には何も(言うまい)知るまいと、決心したからである、十字架につけられたあの方以外には!
前田訳それは、あなた方の間で、イエス・キリストのほか、とくに十字架につけられた彼のほか何も知るまいと決めたからです。
新共同なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
NIVFor I resolved to know nothing while I was with you except Jesus Christ and him crucified.
註解: 原語直訳「イエス・キリスト及び十字架に釘けられ給いし彼のほかは」であつて、人の自然性に取つては何等「見るべきうるわしき容なき」(イザ53:2)イエス・キリスト、殊に十字架に釘けられ、人の目には最も恥ずべき死を経給えるイエス・キリストの外は

(なんぢ)らの(うち)にありて(なに)をも()るまじと(こころ)(さだ)めたればなり。

註解: キリストとその十字架以外、ギリシヤの哲学も雄弁学も、ぞの他、人の肉的方面を喜ばすべき何事をも知る事は役に立たない事を断定した。
辞解
[心を定めたり] 原語 Krinein は「判断する」の意味であつて転じて「良しと決定する」事を意味する。かかる決定をなせる所以は節を逐って明かになるであろう。

2章3節 (われ)なんぢらと(とも)()りし(とき)に、(よわ)くかつ(おそ)れ、(いた)(おのの)けり。[引照]

口語訳わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
塚本訳[アテネではこの世の知恵で福音を説こうとしたので失敗した。]それでわたしは、弱く、恐れて、またひどく震えて、あなた達の所にいたのである。
前田訳わたしは弱さと恐れと多くのおののきのうちに、あなた方のところへ行きました。
新共同そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。
NIVI came to you in weakness and fear, and with much trembling.
註解: 心弱きを感じ、戦々競々として生活していた、堂々たる態度を取つていて少しも恐れる事無き学者雄弁家等に比し非常に見劣りがする貧弱なる姿であつた。パウロはギリシヤ哲学を研究して相当の博学を装う事が出来たであろう。併し彼はそれをせずに愚なる十字架の言を携えて、哲学、芸術の盛であつたギリシヤの首都に肉薄したのである、戦々競々として懼れたのも無理もない。

2章4節 わが談話(だんわ)も、宣教(せんけう)も、[引照]

口語訳そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。
塚本訳そしてわたしの話も説教も、人を感服させる知恵の言葉によらずに、(神の)霊と力との(直接の)立証によった。
前田訳わがことばと宣教とは、感心させる知恵のことばによらず、霊と力の現われによるものでした。
新共同わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。
NIVMy message and my preaching were not with wise and persuasive words, but with a demonstration of the Spirit's power,
註解: 談話は小さき会合に於て個人的談話をなす場合、宣教は多数の公衆に向つて宣教する塙合。

智慧(ちゑ)(うるわ)しき(ことば)によらずして、御靈(みたま)能力(ちから)との證明(しょうめい)によりたり。

註解: 「智慧の語」は人間の理智に訴え得べき哲学的用語、「美わしき」と訳せられし原語の意味は「人を説服する処の」、即ち人を説服し得べき哲学的用語を用いなかつたとの事、換言すればパウロは人の理智に訴える事をせず、御霊によつて動かされるままに証し、従つて力強き証をなす事を専一(せんいつ)としていた。

2章5節 これ(なんぢ)らの信仰(しんかう)の、(ひと)智慧(ちゑ)によらず、(かみ)能力(ちから)()らん(ため)なり。[引照]

口語訳それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
塚本訳それはあなた達の信仰が人間の知恵に基づくのでなく、神(御自身)の力に基づくためであった。
前田訳それはあなた方の信仰が人の知恵によらず、神の力によるためでした。
新共同それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。
NIVso that your faith might not rest on men's wisdom, but on God's power.
註解: 人の智慧に基礎を置く信仰は一寸賢く見えるけれども力が無く、反対に神の能力に基礎を置く者は御霊の働きによるのであつて決して動く事が無い。
要義 [哲学芸術と福音との差]パウロはアテネに於て(やや)哲学的説教を試みて失敢した(使17章)。夫故にコリントに於ては専ら御霊の働きによりキリストの証をする事に方針を変更したものであろう。今日と(いえど)も哲学や芸術に迎合せんがために理智的基督教を説き音楽礼拝等を盛んにせんとする者があるけれども、是等は外見の美と智慧とに過ぎず、神の智慧と能力とは是によって証される事が出来ない。要するに哲学的に基督の福音を説かんとする者は神の智慧を人の智慧にまで引下ぐるに過ぎない、決して取るべがらざる方針である。

3-2-ニ 神の智彗と人の智慧 2:6 - 2:16

註解: パウロは福音を宣伝えるのに智慧の言を用いなかつた。然らば福音は全然智慧に反し、理智と矛盾するものであろうか。パウロは決して其の然らざる事を叙べ、却て真の智慧、真の理智が其処に存する事を論じている。

2章6節 されど(われ)らは成人(せいじん)したる(もの)(うち)にて智慧(ちゑ)(かた)る。[引照]

口語訳しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
塚本訳こうは言うものの、(霊的に)成人した人たちの前では、わたし達も知恵を話す。ただそれはこの世の知恵でも、やがて滅びるこの世の支配者ども(すなわち悪魔の手下)の知恵でもない。
前田訳われらは成熟者の間で知恵を語りますが、それはこの世の知恵でもなく、この世の消えゆく支配者たちの知恵でもありません。
新共同しかし、わたしたちは、信仰に成熟した人たちの間では知恵を語ります。それはこの世の知恵ではなく、また、この世の滅びゆく支配者たちの知恵でもありません。
NIVWe do, however, speak a message of wisdom among the mature, but not the wisdom of this age or of the rulers of this age, who are coming to nothing.
註解: 此の節の原語は「智慧」なる文句を冒頭に置きて之を強めているのであつて、其の心持は「そは云うものの成人したる者の中にありては、我らは却て真の智慧を語るのである」との意味である、「智慧をこそ我らは語れ」と訳して(やや)原語の語勢に近いであろう。「成人したる者」はTコリ3:1の「幼児」の反対であつて、信仰に於て成熟し、高き智慧を解するの力を持つに至つたもの。

これ()()智慧(ちゑ)にあらず、

註解: 世は「時代」と訳するを可とする。此の時代、即ちキリストの再臨により天地が一新する迄の間の期間を意味する。堕落せる人間の自然性よりはかかる智慧は出て来ない(Tコリ1:21参照)。たといソクラテースの智慧であつてもパウロの所謂神の智慧に対しては此の世の智慧であり、更生せざるものの智慧である。福音の中心たる十字架と復活とは、此の世の智慧によりては之を解する事が出来ない。

(また)この()(すた)らんとする(つかさ)たちの智慧(ちゑ)にあらず、

註解: 此の世の政治上、宗教上の司たち即ち有力者、当局者等は皆盛者必滅の理法に支配せられているものであつて彼等の智慧も亦彼らと共に廃滅に帰するであろう。パウロの語らんとするはかかる智慧でも無い。

2章7節 (われ)らは奧義(おくぎ)()きて(かみ)智慧(ちゑ)(かた)る、[引照]

口語訳むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
塚本訳わたし達が話すのは神から来る(神の)秘密を示す知恵であり、(世に)隠されていた知恵であり、神がわたし達に栄光を与えるために、世の始めの前からあらかじめお定めになった知恵である。
前田訳われらが語るのは奥義の中にある神の知恵で、それは隠されています。神はそれをわれらの栄光のためにこの世以前からあらかじめお定めでした。
新共同わたしたちが語るのは、隠されていた、神秘としての神の知恵であり、神がわたしたちに栄光を与えるために、世界の始まる前から定めておられたものです。
NIVNo, we speak of God's secret wisdom, a wisdom that has been hidden and that God destined for our glory before time began.
註解: パウロは茲に「神の智慧」と「世の智慧」とを対立せしめている。[奥義]は従来知られずにいて今に至り神の啓示によりて始めて明かにせられし神秘的事実(ロマ16:25エペ3:4Tコリ15:51)。「奥義を解きて」は原語「奥義により」であつて「語る」に関連している。即ち我らの語る処は神の智慧であつて、此の世の智慧ではなく、語るに人の智慧の欲する説明を用いずして、奥義の啓示として之を語るとの意味である。▲本節上半は又「奥義なる隠れたる神の知恵を我らは語る」とも訳すことが出来る。en mysteriô を形容句と見る。

(すなは)(かく)れたる智慧(ちゑ)にして、(かみ)われらの光榮(くわうえい)のために、()(はじめ)(さき)より(あらか)じめ(さだ)(たま)ひしものなり。

註解: 「隠れたる」智慧は人間の力によりて発見する事が出来ず、然るに神は啓示によりて之を我らに示し給う、何たる幸であろうか、その智慧の目的は我らを天的の光栄に浴せしめんが為め、又その智慧の起源は「代々の以前より」神の定め給いしものである。実に偉大なる奥義である。

2章8節 この()(つかさ)には(これ)()(もの)なかりき、[引照]

口語訳この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
塚本訳この世の支配者のだれ一人、これのわかっていた者はなかった。もしわかったならば、栄光の主(キリスト)を十字架につけなかったはずであるから。
前田訳この世の支配者はだれもそれを知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
新共同この世の支配者たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
NIVNone of the rulers of this age understood it, for if they had, they would not have crucified the Lord of glory.
註解: いわんや、一般人民は尚更これを知らない。

もし()らば榮光(えいくわう)(しゅ)十字架(じふじか)()けざりしならん。

註解: 神の智慧は其の独子を我らに賜いて我らを救う事であつた。之を知るものは此の世の司たちではなく、天の父によりて啓示せられし人のみである(マタ16:17)。キリストを十字架に釘けたのは、神の智慧を持つていない事実上の証拠である。

2章9節 (しる)して『(かみ)のおのれを(あい)する(もの)のために(そな)(たま)ひし(こと)は、()いまだ()ず、(みみ)いまだ()かず、(ひと)(こころ)いまだ(おも)はざりし(ところ)なり』と()るが(ごと)し。[引照]

口語訳しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
塚本訳しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。“目も見ず耳も聞かず”、人の“心に起こらなかった”もの、“これを神は御自分を愛する者たちのために”用意された。
前田訳聖書にあるとおりです、「目が見ず、耳が聞かず、人の心に浮かばなかったもの、それを神はご自身を愛するもののためにお備えでした」と。
新共同しかし、このことは、/「目が見もせず、耳が聞きもせず、/人の心に思い浮かびもしなかったことを、/神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
NIVHowever, as it is written: "No eye has seen, no ear has heard, no mind has conceived what God has prepared for those who love him" --
註解: 神が人類のために準備し給える事即ち「キリストとその十字架」は全然人智を超越し人間の感覚思慮以外の事柄であつた。故に神の智慧によるより外に之を知る事が出来ない。此の事をパウロは茲に更に預言によりて証明せんとしている。此の引用は旧約聖書に文字通りの句を発見する事が出来ない。或は経外聖典エリアの黙示録より取れるものなりとの説もあるけれども、恐らくイザ64:3の七十人訳より引用して少しく之を変化せるものであろう。

2章10節 されど(われ)らには(かみ)これを御靈(みたま)によりて(あらは)(たま)へり。[引照]

口語訳そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
塚本訳しかしわたし達には、神が御霊によって(すべてを)あらわしてくださった。(わたし達に住ませてくださる)その御霊は、すべてのことを、神の(御心の)深いところまでも、見抜かれるからである。
前田訳われらにはそれを神がみ霊(たま)によってお示しでした。み霊はすべてを神の深みまでも探るからです。
新共同わたしたちには、神が“霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。
NIVbut God has revealed it to us by his Spirit. The Spirit searches all things, even the deep things of God.
註解: 我ら自らの目を以て見、耳を以て聞いたのではなく神自らその智慧を我らに啓示し給い、且つ人間の智慧に頼らず、御霊を賜うて、之を我らに顕わし給うた。

御靈(みたま)はすべての(こと)を[(きは)め]、(かみ)(ふか)(ところ)まで(きは)むればなり。

註解: 「すべての事」と云いて必ずしも全智の人となる事を意味せず、御霊を受けない人の究め得ない範囲の事、即ち此の世以外の神の事をも究め知る事が出来る事を意味する、そして進んで神の深き所即ち神意の奥底までも之を知る事が出来るのが御霊の働きによるのである。御霊によらざれば之を知る事が出来ない。(マタ13:11

2章11節 それ(ひと)のことは(おの)(うち)にある((ひと)の)(れい)のほかに(たれ)()(ひと)あらん、[引照]

口語訳いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
塚本訳なぜなら、(たとえば)人間のことも、その人間の中にある霊のほかに、いったいだれがわかっていよう。そのように神のことも、神の霊のほかに、わかった方はいままでなかった。
前田訳人のことは、人の中にある霊以外にだれが知っていましょう。そのように、神のことは神の霊以外にだれも知りません。
新共同人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
NIVFor who among men knows the thoughts of a man except the man's spirit within him? In the same way no one knows the thoughts of God except the Spirit of God.
註解: パウロは茲に人の霊を例として神の霊の事を証明せんとしているのである。我ら他人の喜怒哀楽につき知る事が出来るのは我らの中に「人の霊」があるからである。虫鳥獣にも魂はある。併し彼等には「人の霊」が無いので「人のこと」を詳しく解する事が出来ない。◎(注意)原文には「人の」なる文字あり、必要欠くべからざる文字であつて、改訳に之をはぶいたのは誤りである。

()くのごとく(かみ)のことは(かみ)御靈(みたま)のほかに()(もの)なし。

註解: 上述の例と同様に神のこと、即ち神の心情とその(わざ)と其の意味、尚詳言すれば神が人類の救拯のためにその独子キリストを賜い、かれを十字架に釘け給える意味は、「人の霊」を以て知る事が出来ず、神の霊のみ之を知る事が出来る。

2章12節 (われ)らの()けし(れい)()(れい)にあらず、(かみ)より()づる(れい)なり、[引照]

口語訳ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
塚本訳しかしわたし達はこの世の霊でなく、神から来るその霊を戴いた。それは、神から恩恵として賜わったもの(の何であるか)が、わかるためである。
前田訳われらは世の霊をでなく、神からの霊を受けました。それはわれらが神によって恵まれたものを知るためです。
新共同わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
NIVWe have not received the spirit of the world but the Spirit who is from God, that we may understand what God has freely given us.
註解: 我らは生れ乍らにして霊を持つている霊的生物である、此の霊は人の霊であつて神の事を知る事が出来ない。然るに我らキリストを信ぜし事によりて新に霊を注がれれた、此の霊は人の霊ではなく、神より出づる霊である。「世の霊」は人の霊と云うと同じ。

(これ)われらに(かみ)(たま)ひしものを()らんためなり。

註解: 神の賜いし物は其の独子イエス・キリストであつた。我ら神の霊によりてのみ之を知り、イエスをキリスト(救主)と云う事が出来る、Tヨハ4:2Tコリ12:3。故に此の信仰は凡て神の賜物である。エペ2:8

2章13節 (また)われら(これ)(かた)るに(ひと)智慧(ちゑ)(をし)ふる(ことば)(もち)ひず、御靈(みたま)(をし)ふる(ことば)(もち)ふ、[引照]

口語訳この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
塚本訳またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。
前田訳これについてわれらが語るのは、人間的な知恵が教えることばによらず、霊の教えることばによってです。霊のことを霊によって解くのです。
新共同そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。
NIVThis is what we speak, not in words taught us by human wisdom but in words taught by the Spirit, expressing spiritual truths in spiritual words.
註解: 此の神の賜物を人に語るに、たとい哲学的用語を用いても、人は之を解する事が出来ない、故にパウロは「智慧の美わしき(もっともらしき)言」を用いないで、御霊即ち神より出づる霊によりて導かれる用語を用いた。ギリシヤ人に通じにくかつたのは、其の為であると云う意味である。

(すなは)(れい)(こと)(れい)(ことば)()つるなり。

註解: (▲此の一句種々の解釈があるが、文語訳が最も適当と思う。パウロは、彼の語る言葉が非哲学的であるとの非難に答えているのである。)人の事に御霊の言が当はまらないと同様御霊の事に人の智慧の言、即ち哲学的用語が当はまらない。

2章14節 性來(うまれつき)のままなる(ひと)(かみ)御靈(みたま)のことを()けず、[引照]

口語訳生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
塚本訳しかし(御霊を持たない)生まれながらの人間は、神の霊から出てくることを受け入れない。彼にはそれが馬鹿なことなのである。またそれを理解することも出来ない。(霊のことは)霊的に判断されねばならないからである。
前田訳生まれながらの人は神の霊のことを受け入れません。それは彼にとって愚かだからで、それを悟りえません。それは霊的に判断されるものだからです。
新共同自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。
NIVThe man without the Spirit does not accept the things that come from the Spirit of God, for they are foolishness to him, and he cannot understand them, because they are spiritually discerned.
註解: 性来(うまれつき)のままなる人]の原語は「心的の人」で、十五節の[霊に属する者]即ち「霊的の人」に対立しているのであつて、前者は神の霊によりて更生する以前の性来(うまれつき)のままの自然人を意味し、後者は再生せる基督者を意味する。神の目の前には此の世の賢愚の差別は無く、再生せるや否やの差別、即ち「性来(うまれつき)のままなる人」であるか、又は「霊に属する者」であるかが重大なる区別である。此の性来(うまれつき)のままなる人は如何に深遠なる思想家であつても、又如何に賢明なる哲人であつても、又如何に博識なる学者であつても、神の御霊の事を受けない、之れ別世界の事柄であるからである。

(かれ)には(おろか)なる(もの)()ゆればなり。

註解: 世の智慧を持つている者に取つては、神のことは愚に見える、今日も亦同様である。(使17:32

また(これ)(さと)ること(あた)はず、[御靈(みたま)のことは](れい)によりて(わきま)ふべき(もの)なるが(ゆゑ)なり。

註解: ただに之を愚視して軽蔑するのみならず、たとい之を悟らんとしても悟る力が無い。再生によつて聖霊が与えられるにあらざれば、神の御霊の事を悟ることが出来ない。

2章15節 されど(れい)(ぞく)する(もの)は、すべての(こと)をわきまふ、[引照]

口語訳しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
塚本訳反対に、霊の人はすべてのことを判断することができるが、しかし彼自身はだれからも判断されることがない。
前田訳霊の人はすべてを判断しますが、自分はだれにも判断されません。
新共同霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
NIVThe spiritual man makes judgments about all things, but he himself is not subject to any man's judgment:
註解: 再生の霊を受け新なる生命に属しているものは此の世の事、人の霊の事のみならず、神の御霊の事をも、わきまえ知る力を持つている。

(しか)して(おのれ)(ひと)(わきま)へらるる(こと)なし。

註解: 未信者は基督者が持つ信仰と智慧と希望とを解する事が出来ないで、之を以て迷信の如くに考える。

2章16節 (たれ)(しゅ)(こころ)()りて(しゅ)(をし)ふる(もの)あらんや。()れど(われ)らはキリストの(こころ)()てり。[引照]

口語訳「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
塚本訳なぜなら(聖書に)、“だれが主の御心を知って、主を教えることができるか”とあるからである。ただわたし達(主キリストを信ずる者)は、キリストの(霊を持ち、その)心を持っているのである。
前田訳「だれが主のみ心を知って主を導くことができましたか」。しかしわれらはキリストの心を持っています。
新共同「だれが主の思いを知り、/主を教えるというのか。」しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。
NIV"For who has known the mind of the Lord that he may instruct him?" But we have the mind of Christ.
註解: 性来(うまれつき)の人に取っては主の心は高くして之を知ることが出来ず、いわんや之を教える事の如きは全く出来ない。されど我ら更生せる者は此の高きキリストの心を持っているのであって、性来(うまれつき)の人との間には非常なる程度の智慧の差別が生じているのである。
要義1 [神の智慧と人の智慧]基督教が哲学的に見て極めて幼稚であり、又大乗佛教の教理等に比して理論的に劣っている事は常に基督教に向って与えられる批難である。乍併、此の批難をなす者は未だ人の霊と神の霊との区別を知らず、神の智慧と人の智慧との区別を見ない人々である。神の霊によりて一度び更生の経験を有する者は、愚なるが如くに見ゆる十字架の福音の中に神の無限の智慧を見る事が出来、他方賢く見ゆる哲学的理論の極めて愚なる人造の議論に過ぎない事を発見するのである。「肉によりて生れるものは肉なり、霊によりて生れるものは霊なり」(ヨハ3:6)。此の二者の間に根本的区別がある。「人もしキリストにあらば新に造られたる者なり」(Uコリ5:17)。基督者は神の新なる創造である(エペ2:10)故に旧き人の見るを得ざりし世界を知る事が出来る。
要義2 [教会の一致と神の智慧]パウロが茲に神の智慧について論じた理由は、之によってコリント教会の分離を防がんとしたのであった。蓋しコリント教会はギリシヤ哲学の影響の下に、パウロの純なる福音を愚なるものと思い、彼等の哲学的要求を満足せしむべき方向に赴きパウロと分離せんとしたのであった。夫故に若しパウロの福音が実は神の智慧であって性来(うまれつき)の人の理解し得ざる高さを有っているものである事を知る事が出来たならば、コリントの信徒は分離の如き愚挙に出でなかったであろう。人若しキリストの福音に人間的智慧の満足を求めるならば、其の結果必ず福音より離れる事となるのである。パウロは此の根本的の最大の真理を闡明(せんめい)する事によりて教会の一致を来さしめんとしたのであって、今日多く行われる会議や妥協によりて教会の合同を来さしめんとするのとは根本的の差異がある事を見る事が出来る。基督教会は此の霊の新生なしに存在する事も出来ず、又其の一致を保つ事も出来ない。

第1コリント第3章
3-3 人間の働きの過重 3:1 - 3:23
3-3-イ 人の働きと神の御業 3:1 - 3:9

註解: コリント教会に分離が起つた更に一の原因は、人間の働きを過度にあがめる事であつた。之れコリントの信者がなお霊的に幼稚であつたからである。パウロはここに神の御業の絶大なる事と人の働きの極めて小なる事とを述べ(1-9)、次に人の働きの価値を示し(10-17)、最後に人の価値に誇るべからざる事を(いまし)めている(18-23)

3章1節 兄弟(きゃうだい)よ、われ(れい)(ぞく)する(もの)(たい)する(ごと)(なんぢ)らに(かた)ること(あた)はず、(かへ)つて(にく)(ぞく)するもの、(すなは)ちキリストに()幼兒(をさなご)(たい)する(ごと)(かた)れり。[引照]

口語訳兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
塚本訳そして兄弟たちよ、わたしは(以前、)霊の人と見てあなた達と話すことが出来ず、肉の人と見て、キリストにある幼児と見て話した。
前田訳兄弟方、わたしもあなた方には、霊の人に対するようにでなく、肉の人、キリストにある幼子に対するように話しました。
新共同兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。
NIVBrothers, I could not address you as spiritual but as worldly--mere infants in Christ.
註解: コリントの信徒は其の智慧に誇つていたけれども、パウロより見れば未だキリストにある幼児に過ぎなかつた。勿論キリストに在る以上全くの「性来(うまれつき)のままなる人」(Tコリ2:14)ではない、新生を経た人である。乍併、彼等の霊的新生命は未だ幼児の域を脱しなかつたので、彼らは大体に於て肉的であり、即ち「肉に属する者」であつた。故にパウロは彼らに対して霊の深所(ふかみ)を語る事が出来なかつたのである。「性来(うまれつき)のままなる人」と「肉に属する者」とは原語を異にしている。

3章2節 われ(なんぢ)らに(ちち)のみ()ませて(かた)食物(しょくもつ)(あた)へざりき。[引照]

口語訳あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。
塚本訳乳を飲ませて、固い食べ物は食べさせなかった。まだ消化出来なかったからである。いや、あなた達は今もまだ出来ない。
前田訳わたしがあなた方に飲ませたのは乳で、堅い食物ではありませんでした。それはまだあなた方には無理でした。今でもまだ無理です。
新共同わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。
NIVI gave you milk, not solid food, for you were not yet ready for it. Indeed, you are still not ready.
註解: キリストの十字架の贖、聖霊による新生、キリストの復活等は信仰の初歩であつて、乳に相当していて、神の経綸と神の予定、教会の奥義、キリストの再臨、万物の復興等は信仰の奥義であつて堅き食物に相当している。今日の基督者は此の乳すら与えられて居ない。

(なんぢ)()そのとき(くら)ふこと(あた)はざりし(ゆゑ)なり。

註解: コリント人は之を読みて自ら智慧ありと信じた事を恥じたであろう。

3章3節 (いま)もなほ(くら)ふこと(あた)はず、(いま)もなほ(にく)(ぞく)する(もの)なればなり。[引照]

口語訳あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。
塚本訳まだ肉の人だから。あなた達の間に妬みや争いがあるかぎり、肉の人であって、人間的な思いで歩いているのではないか。
前田訳あなた方はまだ肉の人だからです。あなた方の間に妬みや争いがある以上、肉の人であって人間的にお歩きではありませんか。
新共同相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。
NIVYou are still worldly. For since there is jealousy and quarreling among you, are you not worldly? Are you not acting like mere men?
註解: パウロが(かつ)てコリントを訪いし時に比して何等の霊的進歩もなかつた、之れ彼らの高慢の結果であつた。

(なんぢ)らの(うち)嫉妬(ねたみ)紛爭(あらそひ)とあるは、これ(にく)(ぞく)する(もの)にして()(ひと)(ごと)くに(あゆ)むならずや。

註解: 更生によりて神の子となつたものでも若し肉に属していて、其の霊性が幼児の状態にあるならば、其の歩みも自然肉的であつて、更生せざる世の人と何等(えら)ぶ処無いのは当然である、嫉妬紛争の如きも此の肉の働きの結果であつた、故に霊性の発達は、決してただ霊的知識の進歩ではなく、霊的歩みの上達である。

3章4節 (ある)(もの)は『われパウロに(ぞく)す』といひ、(ある)(もの)は『われアポロに(ぞく)す』と()ふ、これ[()の](ひと)[の(ごと)く]なるにあらずや。[引照]

口語訳すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。
塚本訳一人が「わたしパウロ(先生)に」と言い、他の一人が「わたしはアポロ(先生)に」と言うとき、あなた達は(ただの)人間ではないか。
前田訳ある人が、「わたしはパウロに」、といい、別の人が、「わたしはアポロに」というならば、あなた方はただの人間ではありませんか。
新共同ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。
NIVFor when one says, "I follow Paul," and another, "I follow Apollos," are you not mere men?
註解: (▲「これ世の人の如くになるに非ずや」も、口語訳「あなたがたは普通の人間ではないか」も、共に敷衍で、原文は「…と言うならば君達は人間ではないか」であり、パウロが基督者を人間以上のものとしている事を示す。)たとい如何に知識に誇るとも紛争徒党あらば是れ霊の嬰児に過ぎない。世の人と異る処が無い。世の人と教会との間に差別が無いのは教会の幼稚なる証拠である。

3章5節 アポロは(なに)(もの)ぞ、パウロは(なに)(もの)ぞ、(かれ)()はおのおの(しゅ)(たま)ふところに(したが)ひ、(なんぢ)らをして(しん)ぜしめたる役者(えきしゃ)()ぎざるなり。[引照]

口語訳アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。
塚本訳それなら、いったいアポロはなんだ、パウロはなんだ、(ただ)使用人で、彼らによってあなた達が信仰に入ったまでであり、しかもそれは、それぞれ二人に主がお命じになったように働いたのである。
前田訳アポロが何ですか。パウロが何ですか。彼らはあなた方を信仰へ導いた召使いであって、主がおのおのにお与えの分相応に仕えたのです。
新共同アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。
NIVWhat, after all, is Apollos? And what is Paul? Only servants, through whom you came to believe--as the Lord has assigned to each his task.
註解: 人の栄光に目を奪われて神を忘れる者は世の人と異らない。アポロもパウロも人としては偉大であろう、併し神に比しては無価値なる存在であつて、唯主の賜うところ、即ち主より与えられし才能に(したが)つて福音を伝道している役者即ち僕に過ぎない。かかるものを崇拝して徒党を作るに至るのは非常なる誤である。

3章6節 (われ)()ゑ、アポロは(みづ)(そそ)げり、されど(そだ)てたるは(かみ)なり。[引照]

口語訳わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。
塚本訳──わたしは植えた、アポロは水をやった、しかし神がこれまで成長させてくださった。
前田訳わたしは植え、アポロは水をそそぎました。しかし育てたもうたのは神です。
新共同わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
NIVI planted the seed, Apollos watered it, but God made it grow.
註解: 如何に有能なる伝道者でも信徒の霊性を発育させる力は無い。唯福音の種を蒔き、神の言の水を灌ぐ事を得るに過ぎない、新生命に更生するのも、又此の新生命の発育するのも皆神の力である。(ほま)れは唯神のみに帰すべぎである。今日は此の神の力を軽視して只伝道者と其の方法のみに重きを置くのは誤つている。

3章7節 されば()うる(もの)も、(みづ)(そそ)(もの)(かぞ)ふるに()らず、ただ[(たふと)きは](そだ)てたまふ(かみ)なり。[引照]

口語訳だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
塚本訳従って、植える者も水をやる者もなんでもなく、成長させるお方、神だけが偉いのである。
前田訳それゆえ、植えるものも水そそぐものも取るに足らず、育てたもう神が大切です。
新共同ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
NIVSo neither he who plants nor he who waters is anything, but only God, who makes things grow.
註解: 凡ての信徒の心が神の尊さに向けられる時徒党も紛争も止み、各々の役者の活動は数うるに足らず、その差別は眼中に入らない様になるのである。

3章8節 ()うる(もの)も、(みづ)(そそ)(もの)も[()する(ところ)は](ひと)つなれど、各自(おのおの)おのが(らう)(したが)ひて()(あたひ)()べし。[引照]

口語訳植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。
塚本訳植える者と水をやる者とは一つ(のことをするの)であり、ただ(働きが違うから、)めいめいが自分の骨折りに応じて、自分の褒美を受けるのである。
前田訳植えるものと水そそぐものはひとつで、おのおのが働きに従ってその報いを受けるでしょう。
新共同植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
NIVThe man who plants and the man who waters have one purpose, and each will be rewarded according to his own labor.
註解: 一見種々の点に於て差異ある如くに見ゆるパウロとアポロも「一つ」即ち同一不二である事をパウロは茲に明かにしている。些末(さまつ)なる差別によりて分離している今日の教会は此の神の言を無視しているのである。「人もし神の宮を(こぼ)たば神かれを(こぼ)ち給わん」分離を以て誇つている今日の教会は神の(こぼ)ち給う処となるであろう。乍併、パウロもアポロも同一の価値を持つていると云うのでは無い、従つて終の日に受くべき値は異つている。

3章9節 (われ)らは(かみ)(とも)(はたら)(もの)なり。(なんぢ)らは(かみ)(はたけ)なり、また(かみ)建築物(たてもの)なり。[引照]

口語訳わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
塚本訳なぜならわたし達は神の共働者であって、あなた達は神の畑、神の建築物である。
前田訳われらは神の協力者、あなた方は神の畑、神の建物だからです。
新共同わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。
NIVFor we are God's fellow workers; you are God's field, God's building.
註解: 私訳「そは我らは神の同労者、汝らは神の畠、また神の建築物なればなり」。パウロもアポロも一つなる所以は、其の働きの内容や、其の価値が同一であると云うのでは無い。パウロは読者の心を一転して神の畠、神の建築物に向けしめ、キリストの教会は即ち神の畠、又は建築物に比すべきものであつて神は其の所有者に在し其の中にありて常に働き給い、パウロもアポロもその中にありて神の同労者であると云うのである。故に神の命を受けて働く事が彼らの任務であつて、其の働きの性質や方面が如何に異つても神の命により神と共に同じ畠に又同じ建築場に働く点に於て一つである。是が教会一体の原則である。
要義1 [霊的成長の必要]基督者の中に肉的なるものと霊的なるものとがある。何れも聖霊を以て印せられし神の子であって、新生を経験している点に於て同一であるけれども、前者は此の新に生れし霊性が尚幼稚であって、其の力弱く、従って古き肉が暴威を(たくま)しくしている人であり、後者は霊性が発達して肉の力が弱くなった人である。前者は乳より以外に採る事が出来ず、何時も信仰の初歩に止まっていて、後者は進んで信仰の奥義を掴んでいる。而して教会に紛争を起す種類の人々は常に前者であって、彼らは霊性の偉大さ、キリストに在る事の幸福を充分に知らないが為めに、凡ての事に於て世の人と同じ態度に出で、同じ思想を持つ様になるのである。常に信仰の初歩にさまよっている事は非常に禍である。宜しく聖言を学び信仰の奥義に達しなければならない。
要義2 [神の国を大観する事は小なる紛争を止む]パウロは人々の眼を神の国に向けしめ、其の中に働く人々の差異を注視せざる様にし、之によりて教会の紛争を除かんとした。神の畠は巨大である。其の中には野菜、穀類より潅木(かんぼく)喬木(きょうぼく)に至るまで無いものは無い、是等に一々芽を生じ葉を与え、花と実を結ばせる者は神御自身の外にない。唯此の巨大なる畠の中には種々の労働者があって、或は蒔き或は雑草を除き、或は水灌ぎ、或は刈りなどして働いている。乍併彼らの為し得る事は実に神の働きの小部分に過ぎない。故に夫自身に於て極めて小なる価値を有するのみである。且つ彼等は各全く違った仕事を為していながら皆神の目的に助力している点に於て一つの仕事をしているのである。故に彼等の間の差異に注目して互に相争う事は、其の一体たる事を破壊する大なる罪であるのみならず、又神の御心を無視し神の価値を軽視して本来価値なき人の働きを重視する重大なる過誤に陥っているのである。今日の教会が互に相排斥しているのも、多くは此の種の小異を理由としているに過ぎないのであって、巨大なる神の畠の神に在る統一を思わない罪である。故に其の教理や礼拝の形式や教会の政治に如何に差異があっても皆一体である事を思うべきである。

3-3-ロ 人の働きの価値の差別 3:10 - 3:17

3章10節 (われ)(かみ)(たま)ひたる恩惠(めぐみ)(したが)ひて、熟錬(じゅくれん)なる建築師(けんちくし)のごとく(もとゐ)()ゑたり、[引照]

口語訳神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
塚本訳わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。
前田訳神に与えられた恵みによって、わたしは賢い建築家のように土台を据えました。そして別の人がその上に建てています。しかし、いかに建てるかを各人が見守ってください。
新共同わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。
NIVBy the grace God has given me, I laid a foundation as an expert builder, and someone else is building on it. But each one should be careful how he builds.
註解: 前節に至るまでパウロは神の畠の例を以て説明していたけれども、前節の最後に神の建築物なる語を用い、其の思想を一転して建築の例を以て説明せんと試ている。そしてパウロは自己を以て其の建築の基礎工事を完成せる熟錬なる建築師に譬えている、蓋し彼はキリストの教会の最初の最も重要なる労働をなし、其の基礎を置いたからである。

(しか)して(ほか)(ひと)その(うへ)()つるなり。()れど如何(いか)にして()つべきか、おのおの(こころ)して()すべし、

註解: 他の人即ちパウロ以外の牧者教師は勿論、凡ての信者が各々其の伝道や、行為や、信仰を以て其の基礎の上に建築するのであって、其の建築せらるべき基礎は明瞭で確固不動であるけれども、其の上に建てられる建物なる教理に永続的価値あるものあり、又一時的にして価値少きものもあり、又其の信徒の品性行為にも光り輝くものあり又然らざるものがある。是等種々の態容をなし種々の価値あるものが其の上に建てられ得る以上、之を建つる場合には皆用意周到に之を為し永続的にして価値ある建物を築き上げなければならない。−−−通説は「他の人」は「他の伝道者」を意味し、建物は彼等の「教義」を意味するものと考えている。宗教改革以来殊に教理論が(やかま)しかつた影響を受けたのである。パウロの時代に於ては僧俗の区別が未だ今日程截然と別れていないのみならず、アクラ・プリスキラの如く俗人としての伝道者も多く存し、且つ教理論は尚未だ詳細の点まで論議される様な事は無かつた。基督者は皆祭司であつてキリストの教会の建設者であると考えられていた。故に予は上述の如くに解する事を至当と考え、[他の人]を凡ての信者と見、従つて建築物は、教理、信仰、行為等基督者の資格の全体を指すものと解したのである。かく解して16節以下との関係も困難なしに説明する事が出来るであろう。

3章11節 (すで)()きたる(もとゐ)のほかは(たれ)()うること(あた)はず、この(もとゐ)(すなは)ちイエス・キリストなり。[引照]

口語訳なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
塚本訳なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。──
前田訳それは、だれもすでに置かれた土台以外のものを置けません。その土台とはイエス・キリストです。
新共同イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。
NIVFor no one can lay any foundation other than the one already laid, which is Jesus Christ.
註解: 今日の如くに些細なる教理上の差別よりキリストの教会が分裂する如き事はパウロは有り得べからざる事と考えた。然るにも関わらずパウロには唯一つ動かす事の出来ない條件があつた、是はイエス・キリストを基礎とする事、即ち神が人類を救わはんが為めに降し給える御子イエスが即ちキリストであり救主であると云う事であつた。是より以外に基礎を据えんとする者は、最早や基督者では無い、之が基督者と然らざるものとを分つ最後の唯一の標準である。

3章12節 (ひと)もし()(もとゐ)(うへ)(きん)(ぎん)寳石(はうせき)()(くさ)(わら)をもつて()てなば、[引照]

口語訳この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
塚本訳ある人がこの土台の上に金、銀、宝石、(あるいは)木、草、藁で建てれば、
前田訳もしだれかがこの土台の上に金、銀、宝石、木、草、わらで建てるならば、
新共同この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、
NIVIf any man builds on this foundation using gold, silver, costly stones, wood, hay or straw,
註解: 永続的価値ある教理、光輝ある品性、信仰的行為は金銀宝石等を以て建てられし建物であり、価値少き教理、劣等なる品性、肉的行為は木、草、藁等を以て建てられし部分であると見る事が出来る。

3章13節 各人(おのおの)(わざ)(あらは)るべし。かの()これを(あきら)かにせん、かの()()をもつて(あらは)れ、その()おのおのの(わざ)如何(いかん)(ため)すべければなり。[引照]

口語訳それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
塚本訳それぞれの仕事(が金か藁か)は、かならず明らかになる。(最後の裁きの)かの日がそれを明らかにするのである、その日は火で現われるから。そしてそれぞれの仕事がどんなであるかを、その火が試験して証明する。
前田訳各人の働きが明らかになるでしょう。それは、かの日が火の中に現われてそれをはっきりさせ、火が各人のわざがどんなものかをためすからです。
新共同おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。
NIVhis work will be shown for what it is, because the Day will bring it to light. It will be revealed with fire, and the fire will test the quality of each man's work.
註解: 「かの日」は即ち主の再臨の日。審判の日である。其の日には凡ての人の品性、行為、及びその教えし教理は験され、其の価値を定められ、あるものは其の試験に耐えて褒賞を得、あるものは之に耐えずして滅ぼされる。各人の(わざ)即ち働きの価値は皆顕われてしまう。その時迄は果して何れが価値多きか少きかは之を明かにする事が出来ない。

3章14節 その()つる(ところ)(わざ)、もし(たも)たば(あたひ)()[引照]

口語訳もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
塚本訳その(土台の)上に建てたある人の仕事がそのままのこれば、褒美を受け、
前田訳もしだれかの建てたわざが残れば、その人は報いを受けるでしょう。
新共同だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、
NIVIf what he has built survives, he will receive his reward.

3章15節 もし()(わざ)()けなば(そん)すべし。[引照]

口語訳その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。
塚本訳ある人の仕事が焼けてしまえば、罰を受ける。ただ彼自身は、火をくぐるようにして(やっと)救われるのである。
前田訳もしだれかのわざが焼ければ、その人は損をしますが、自らは火をくぐるようにして救われるでしょう。
新共同燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。
NIVIf it is burned up, he will suffer loss; he himself will be saved, but only as one escaping through the flames.
註解: 火を以て試みられる場合には其の建物の価値は明かになり、その火に耐うるものは小さくとも残されて神の褒賞に与り、耐えざるものはたとい外見如何に偉大であつても焼けて一物を存せず、其の終生の労働の結果は空しきに帰してしまうであろう。是れ各人が心して建てなければならない所以である。

()れど(おのれ)()より(のが)()づる(ごと)くして(すく)はれん。

註解: (いやしく)も正しき基礎即ちキリストの上に建てるならば、たとい其の(わざ)は火によりて焼き尽される程価値なきものであつても、己はキリストの故に救われて火の中より逃れ出づる事が出来るであろう。茲で火と云うのはカトリツク教会の云う練獄の意味では無い、終りの審判の火である。▲12-15節より、救いは信仰に由り褒賞はその(わざ)に対することが解る。

3章16節 (なんぢ)()らずや、(なんぢ)らは(かみ)(みや)にして、(かみ)御靈(みたま)なんぢらの(うち)()(たま)ふを。[引照]

口語訳あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
塚本訳(とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。
前田訳あなた方は神の宮であり、神のみ霊があなた方の中に住みたもうことをご存じないのですか。
新共同あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
NIVDon't you know that you yourselves are God's temple and that God's Spirit lives in you?
註解: キリストに在る信徒は一体であつて、神の御霊が其の中に住んでいるのである。「宮」なる文字は単数にして信徒全体を以て一の宮を構成している事を示す。故に信徒各人の働きとその(わざ)の性質価値には種々の差異があり、其の結果終の日にその総勘定が為される時に或は益を受け或は損を招くの差異があつても、是等全体が一の宮である事に妨げは無いのであつて、神の霊は此の一体たるその宮の中に住み給うのである。基督の教会の特権と其の尊貴とは茲にあるのである。

3章17節 (ひと)もし(かみ)(みや)(こは)たば(かみ)かれを(こは)(たま)はん。それ(かみ)(みや)(せい)なり、(なんぢ)らも(また)かくの(ごと)し。[引照]

口語訳もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。
塚本訳(だから、争いなどで)この神のお宮をこわす者があれば、神がその人を滅ばされる。神のお宮は神聖だから。──あなた達はそのお宮である。
前田訳もしだれかが神の宮を壊すならば、神はその人をお壊しでしょう。神の宮は聖です。それはあなた方のことです。
新共同神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
NIVIf anyone destroys God's temple, God will destroy him; for God's temple is sacred, and you are that temple.
註解: 蓋し人に取りて最も重大なる罪は神の宮を木、草、藁等にて建てる事では無い。かかる(わざ)の結果は自ら損を招くに過ぎないのであつて神の霊が其の中に住み給うの妨げとはならない。最大の罪は此の神の宮に分離紛争を生ぜしめて其の一体たる事を破壊する事である。聖なる神の宮なる信徒らを分離せしむる重大なる罪を犯す者は神之を(こぼ)たで措き給わないであろう。故に伝道者の能力価値の如何や、信徒の信仰の如何によりて教会に分離を生ぜしめてはならない。
要義1 [救拯と報償]此の二者を混同する時は聖書を理解する上に困難を生ずるであろう。救拯は罪によりて死すべき者を神の自由の恩恵を以て死より救い給う事であり(ヨハ3:16ヨハ4:10エペ2:8、9)、此の救拯は我ら現在既に我がものとする事が出来る(ルカ7:50ヨハ3:36ヨハ5:24ロマ8:1エペ2:6)。之に反し報償は救われし者の行為や(わざ)に対して与えられるものであって(マタ10:42ルカ19:17Tコリ9:24、25、Uテモ4:7、8、黙2:10黙22:12)主の再臨の時に始めて与えられるものである。前者は信仰に関連し後者は行為に関連する。
要義2 [働きの価値と種類の差異を教会分離の原因たらしめてはならない事]今日多くの教会に於て其の教理の点に於ても深浅種々の楷梯(かいてい)があり、又その信徒の品性、その活動に於ても種々の等差がある。乍併若し是等がキリストの基礎の上に為されているものであるならば、皆同じく神の宮を建築しているのであって、之を以て神の宮を毀つ理由としてはならない筈である。然るに今日の実際を見るに、是等が皆教会の分立の原因となっている事は悲むべき事であり、全く聖言と聖霊とに反する事であると云わなければならぬ。かかる教会はたとい如何に夫自身として価値があっても神の宮を(こぼ)つ理由により神より(こぼ)たれるであろう。

3-3-ハ 人の価値に誇るべからざる事 3:18 - 3:23

3章18節 (たれ)(みづか)(あざむ)くな。[引照]

口語訳だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。
塚本訳だれでも自分をごまかしてはならない。あなた達の中にこの世で知恵者だと思う者があるなら、まず馬鹿になれ。(本当の)知恵者になるために。
前田訳だれも自らを欺かないでください。もしあなた方の中で自らをこの世の知恵者と思う人がいたら、知恵者になるために、愚かにおなりなさい。
新共同だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。
NIVDo not deceive yourselves. If any one of you thinks he is wise by the standards of this age, he should become a "fool" so that he may become wise.
註解: (かしこ)からざるに(かしこ)しと思いて自ら欺く事は愚な事である。

(なんぢ)()のうち()()にて(みづか)(かしこ)しと(おも)(もの)は、(かしこ)くならんために(おろか)なる(もの)となれ。

註解: 或は十字架の福音を嘲り、或はパウロの伝道を非哲学的なりとして非難する如き輩は、自ら(かしこ)しと思つているのであるけれども、実は(かしこ)くは無いのであつて、神の智慧を知らない愚者である。故にかかる人は先づ自己の愚者なる事を知らなければならない。之を知つて始めて真に(かしこ)くなる事が出来るであろう。

3章19節 そは()()智慧(ちゑ)(かみ)(まへ)(おろか)なればなり。[引照]

口語訳なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、
塚本訳この世の知恵は、神の目には馬鹿なことであるから。“彼は知恵者達を、彼ら(自身)の策略を用いて捕らえられる”と書いてあるではないか。
前田訳この世の知恵は神のみ前では愚かだからです。聖書にあります、「神は知恵者たちをその策略の中で捕えたもう」と。
新共同この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、
NIVFor the wisdom of this world is foolishness in God's sight. As it is written: "He catches the wise in their craftiness" ;
註解: 此の世の智慧に誇つている人でも、神の前に立つてはまことに愚であつて、到底誇る事は出来ない。

(しる)して『(かれ)智者(ちしゃ)をその惡巧(たくみ)によりて(とら)(たま)ふ』

3章20節 また『(しゅ)智者(ちしゃ)(おもひ)(むな)しきを()(たま)ふ』とあるが(ごと)し。[引照]

口語訳更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。
塚本訳さらに、“主は”知恵者たちの“考えのたわいのないのを御存じである”とある。
前田訳またこうもあります、「主は知恵者の論議がむなしいことを知りたもう」と。
新共同また、/「主は知っておられる、/知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。
NIVand again, "The Lord knows that the thoughts of the wise are futile."
註解: ヨブ5:13詩94:11を茲に引用して智者の悪巧も結局己を(おとしい)れる係蹄(わな)に過ぎさる事、又智者の念の虚しくして之に依頼する事の極めて愚なる事を証明し、之に比して神の智慧の絶大なる事を示さんとしている。

3章21節 さらば(たれ)(ひと)(ほこり)とすな、(よろづ)(もの)(なんぢ)らの(もの)なればなり。[引照]

口語訳だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。
塚本訳従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。
前田訳それゆえ、だれも人間たちを誇らないでください。すべてはあなた方のものです。
新共同ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。
NIVSo then, no more boasting about men! All things are yours,
註解: 我はアポロに、我はパウロに属すと云いて人を誇とし其の人に信頼しているのは智慧あるが如くに見えるけれども、実は自ら自己を小さき範囲に局限しているのである。何となれは神は其の独子を賜うほどに我らを愛し給い、従て彼に添えて万物を我らに賜うたからである(ロマ8:32)。此の大なる神の智慧を思わずして小なる人の智慧に誇る事の愚かさよ。

3章22節 (あるひ)はパウロ、(あるひ)はアポロ、(あるひ)はケパ、(あるひ)世界(せかい)、あるひは(せい)、あるひは()、あるひは現在(げんざい)のもの、(あるひ)未來(みらい)のもの、(みな)なんぢらの(もの)なり。[引照]

口語訳パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。
塚本訳パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。
前田訳パウロでも、アポロでも、ケパでも、世界でも、生でも、死でも、今あるものでも、来たるべきものでも、すべてあなた方のものです。
新共同パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、
NIVwhether Paul or Apollos or Cephas or the world or life or death or the present or the future--all are yours,
註解: 人間のみならず、現象界全体(世界)、又其の中のあるゆる転変(生死)又時間の全体(過現未)を茲に掲げて是らが皆基督信徒のものである事を述べ、基督者の大なる富についての確信を与えている。前節の「万の物は汝らのもの」なる一節の説明である。

3章23節 (なんぢ)()はキリストの(もの)、キリストは(かみ)のものなり。[引照]

口語訳そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。
塚本訳しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。
前田訳あなた方はキリストのもの、キリストは神のものです。
新共同あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。
NIVand you are of Christ, and Christ is of God.
註解: 万物を支配する信徒は更にキリストに服従し、キリストは又神に服従して茲に万物が其の中心を神に発している事を示している。かく神に於て統一される時、徒党分離の如き本質上此の統一と相反している事は明かである。
要義 [神による帰一と人による分離]コリントの信徒の徒党分離の弊に対するパウロの態度の飽く迄も根本的である事は(まこと)に貴い教訓である。彼は各派の差異を研究し、妥協によって之を一致せしめんとせず、深く根本に立ち入りて分離の原因を除かんとしたのである。而して此の場合に於てコリントの信徒の分離の原因は大なる神の智慧によらずして小なる人の智慧を誇りし事であった。夫故に彼は断然コリントの信徒の心を神に向わしめ、その神に凡てのものが帰一する事、而して万物も皆それらの信徒のものなる事を示して小党分立の愚なる事を示したのである。かかる雄大なる思想を我らは何処に見出す事が出来るであろうか。若し今日の基督者にして此の雄大なる思想に到達するならば、些末(さまつ)なる教理の差異や、聖書の解釈の不一致等のために、多数の教派に分立する如き事は跡を断つに至るであろう。