黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マルコ伝

マルコ伝第15章

分類
6 イエスの受難週間 11:1 - 15:47
6-4 イエスの受難と埋葬 14:43 - 15:47
6-4-ニ ピラトの裁判 15:1 - 15:15
(マタ27:1-26) (ルカ23:1-5、17-25)   

15章1節 夜明(よあく)るや(ただ)ちに、祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)學者(がくしゃ)ら、(すなは)(ぜん)議會(ぎくわい)ともに(あひ)(はか)りて、イエスを(しば)()きゆきて、ピラトに(わた)す。[引照]

口語訳夜が明けるとすぐ、祭司長たちは長老、律法学者たち、および全議会と協議をこらした末、イエスを縛って引き出し、ピラトに渡した。
塚本訳夜が明けるとすぐ、大祭司連は長老、聖書学者と共に、すなわち全最高法院で決議をすませたのち、イエスを縛り、引いていって(総督ピラトに)渡した。
前田訳明け方早く大祭司らは長老と学者と法院全体と会議をし、イエスを縛って引いて行って、ピラトに引き渡した。
新共同夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老や律法学者たちと共に、つまり最高法院全体で相談した後、イエスを縛って引いて行き、ピラトに渡した。
NIVVery early in the morning, the chief priests, with the elders, the teachers of the law and the whole Sanhedrin, reached a decision. They bound Jesus, led him away and handed him over to Pilate.
註解: 彼らは夜明けにまた会議を開催してついにイエスをピラトに付すこととした。これによりてイエスを死刑に処せしめんとしたのである。彼らの眼中唯イエスを除くことより外になかった。
辞解
[ピラト] 紀元二六−三六年の間ユダヤの総督(hegemôn,procurator,governerなり。使13:7、8。使18:12の総督 anthupatos,proconsul と異なる)であった。紀元六年アケラオ王の失脚の後はユダヤはシリヤの代官の下に属せる総督によりて支配せられ、紀元四十一年までの七人の中の第五代の総督がピラトであった。当時の歴史に残れる処によればピラトは貪慾にして残虐なることをもって有名であったがイエスに対する態度は割合に同情あり、また人民やユダヤ人に対しては割合に譲歩的であった。平生はカイザリヤにいたけれども祭の際などはエルサレムに上るを常としていた。

15章2節 ピラト、イエスに()ひて()ふ『なんぢはユダヤ(びと)(わう)なるか』(こた)へて()(たま)ふ『なんぢの()ふが(ごと)し』[引照]

口語訳ピラトはイエスに尋ねた、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは、「そのとおりである」とお答えになった。
塚本訳ピラトはイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」答えて言われる、「(そう言われるならば)御意見にまかせる。」
前田訳ピラトは彼に問うた、「あなたはユダヤ人の王か」と。彼は答えられた、「あなたはそれをいう」と。
新共同ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。
NIV"Are you the king of the Jews?" asked Pilate. "Yes, it is as you say," Jesus replied.
註解: 一回も暴力に訴えたことはなく、未だかつて政治的運動を起したこともなく、カイザルに租税を納むべからずと教唆(きょうさ)せることもなく(ルカ23:2誣告(ぶこく)である)、唯一人無力のままピラトの前に立ち給えるイエスが決してカイザルに反逆を企ててユダヤ人の王として立たんとする人間でないことはピラトには勿論明かであった。祭司長らがイエスを陥れんためにピラトに斯くと訴えたのである。それ故にピラトのこの質問は半ば、諧謔(かいぎゃく)的であったものと見るべきである。それ故に「なんぢの言ふ如し」との返答も、彼を大逆罪とするに足らなかった。もしこれが政治的意味においての質問応答であったならば、イエスはそのまま大逆罪に問われたであろう。この間にマタ27:3−10にはユダの悲劇的最後の記事あり。
辞解
[汝の言ふが如し] 直訳「汝は云う」で「仰せの通り」というごとき意、なおこれを「如何ようにでも言い給え」というごとき意味と解す説あれども(L2)、前者が通説である。

15章3節 祭司長(さいしちゃう)ら、さまざまに(うった)ふれば、[引照]

口語訳そこで祭司長たちは、イエスのことをいろいろと訴えた。
塚本訳大祭司連が(いろいろ罪状をあげて、)しきりにイエスを訴えた。
前田訳大祭司らは多くのことを訴えた。
新共同そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。
NIVThe chief priests accused him of many things.

15章4節 ピラトまた()ひて()ふ『なにも(こた)へぬか、()よ、如何(いか)(おほ)くの(こと)をもて(うった)ふるか』[引照]

口語訳ピラトはもう一度イエスに尋ねた、「何も答えないのか。見よ、あなたに対してあんなにまで次々に訴えているではないか」。
塚本訳そこで、またピラトが問うた、「何も答えないのか。そら、あんなにお前を訴えているではないか。」
前田訳ピラトはまた彼に問うた、「何も答えないのか。見よ、あれほど訴えているではないか」と。
新共同ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。彼らがあのようにお前を訴えているのに。」
NIVSo again Pilate asked him, "Aren't you going to answer? See how many things they are accusing you of."

15章5節 されどピラトの(あや)しむばかりイエス(さら)(なに)をも(こた)(たま)はず。[引照]

口語訳しかし、イエスはピラトが不思議に思うほどに、もう何もお答えにならなかった。
塚本訳しかしイエスはもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
前田訳しかしイエスはもはや何もお答えにならなかった。それはピラトがおどろくほどであった。
新共同しかし、イエスがもはや何もお答えにならなかったので、ピラトは不思議に思った。
NIVBut Jesus still made no reply, and Pilate was amazed.
註解: 二節の問答をもってイエスを罪に定むることができないのを見て祭司長らは種々の誣告(ぶこく)を為してイエスを訴えたけれどもイエスは完全に沈黙を守り給うた。それらに答うることの無意味なるを知り給いしが故である。沈黙は時に最大の雄弁よりも雄弁である。祭司長らは唯イエスを殺さんとの悪意のみより行動し、イエスは凡てを神の御旨に委せて静かに立ち給う。この両者の間の対照の著しきを見よ。ピラトすら是非曲直の何れにあるかを判断することができた(10節)。

15章6節 さて(まつり)(とき)には、ピラト(たみ)(ねがひ)(まか)せて、囚人(めしうど)ひとりを(ゆる)(れい)なるが、[引照]

口語訳さて、祭のたびごとに、ピラトは人々が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやることにしていた。
塚本訳さてピラトは(過越の)祭の都度、人民から願い出る囚人を一人だけ(特赦によって)赦していた。
前田訳祭りのたびに総督は民が願い出る囚人ひとりをゆるしていた。
新共同ところで、祭りの度ごとに、ピラトは人々が願い出る囚人を一人釈放していた。
NIVNow it was the custom at the Feast to release a prisoner whom the people requested.
註解: これはローマの法律ではなく、ピラトがその仁政を誇らんがために毎年祭の時に来ってかかる赦免を行ったのであろう。

15章7節 (ここ)一揆(いっき)(おこ)し、(ひと)(ころ)して(つな)がれをる(もの)(うち)に、バラバといふ(もの)あり、[引照]

口語訳ここに、暴動を起し人殺しをしてつながれていた暴徒の中に、バラバという者がいた。
塚本訳ところが暴動の折、人殺しをして繋がれていた暴徒の中に、バラバという者があった。
前田訳暴動のとき殺人をしてつながれていた暴徒の中にバラバというものがあった。
新共同さて、暴動のとき人殺しをして投獄されていた暴徒たちの中に、バラバという男がいた。
NIVA man called Barabbas was in prison with the insurrectionists who had committed murder in the uprising.
註解: これは政治犯人であってこれこそローマの政府にとりては罪深き者であったけれども、ユダヤ人はむしろローマに対する反逆を歓迎し、イエスのごとくに暴力を用いざるメシヤに失望したのであった。

15章8節 群衆(ぐんじゅう)すすみ(きた)りて、(れい)(ごと)くせんことを(ねが)()でたれば、[引照]

口語訳群衆が押しかけてきて、いつものとおりにしてほしいと要求しはじめたので、
塚本訳群衆が(官邸に)上がってきて、いつもするように(してもらいたい)と願い始めた。
前田訳群衆が上って来て、いつもするように、と願いはじめた。
新共同群衆が押しかけて来て、いつものようにしてほしいと要求し始めた。
NIVThe crowd came up and asked Pilate to do for them what he usually did.

15章9節 ピラト(こた)へて()ふ『ユダヤ(びと)(わう)(ゆる)さんことを(ねが)ふか』[引照]

口語訳ピラトは彼らにむかって、「おまえたちはユダヤ人の王をゆるしてもらいたいのか」と言った。
塚本訳ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」
前田訳ピラトは彼らに答えた、「ユダヤ人の王をゆるしてもらいたいのか」と。
新共同そこで、ピラトは、「あのユダヤ人の王を釈放してほしいのか」と言った。
NIV"Do you want me to release to you the king of the Jews?" asked Pilate,

15章10節 これピラト、祭司長(さいしちゃう)らのイエスを(わた)ししは、(ねたみ)()ると()(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳それは、祭司長たちがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにわかっていたからである。
塚本訳ピラトは大祭司連が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
前田訳彼は大祭司らが妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
新共同祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
NIVknowing it was out of envy that the chief priests had handed Jesus over to him.
註解: イエスの罪無きを知れるピラトは何とかして彼を赦さんことを望めると同時に、また他方ユダヤの民衆の反対を招くことを恐れていた。彼は智慧と洞察力とを有つ政治家であったに相違ない。彼はすでに祭司長らの嫉みが事件の原因であることを知ったのであった。9節はユダヤ人の気を引かんがためになせる質問であった。もしピラトにして単に一片の政治家たるのみでなく、正義に立ちて動かない人間であったならば容易にイエスを赦すことができたであろう。
辞解
[すすみ来りて] 原語「上り来りて」でピラトの座敷は一段と高くなっている故、その近くまで上って来たことを意味す。なお異本には「上り来りて」の代りに「声を揚げて」とあり、13節の「また」に対してはこの方が好都合なれど原文批評の上よりは前者を可とす。またマタ27:19およびマタ27:24、25にピラトの妻の諫言(かんげん)とピラトの洗手のことが録さる。

15章11節 ()れど祭司長(さいしちゃう)群衆(ぐんじゅう)(そその)かし、(かへ)つてバラバを(ゆる)さんことを(ねが)はしむ。[引照]

口語訳しかし祭司長たちは、バラバの方をゆるしてもらうように、群衆を煽動した。
塚本訳しかし大祭司連は、(彼よりは)バラバの方を赦してもらえと群衆を煽動した。
前田訳しかし大祭司らはバラバのほうをゆるしてもらうよう群衆をそそのかした。
新共同祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。
NIVBut the chief priests stirred up the crowd to have Pilate release Barabbas instead.
註解: 群衆の中の若干の者を使嗾(しそう)して反対の声を揚げしむることにより群衆の大部分を雷同せしむることは比較的容易である。祭司長らは予めかかる手段を講じていたものと思われる。数日前にイエスのエルサレム入城を歓迎せる群衆は今や一変してイエスを詛う者となった。何れの時代においても有力なるは民衆であると共に頼りないのも民衆である。

15章12節 ピラトまた(こた)へて()ふ『さらば(なんぢ)らがユダヤ(びと)(わう)(とな)ふる(もの)をわれ如何(いか)()べきか』[引照]

口語訳そこでピラトはまた彼らに言った、「それでは、おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。
塚本訳ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。」
前田訳ピラトはまた彼らにいった、「あなた方がユダヤ人の王という人をどうしようか」と。
新共同そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。
NIV"What shall I do, then, with the one you call the king of the Jews?" Pilate asked them.

15章13節 人々(ひとびと)また(さけ)びて()ふ『十字架(じふじか)につけよ』[引照]

口語訳彼らは、また叫んだ、「十字架につけよ」。
塚本訳「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。
前田訳彼らはまた叫んだ、「十字架につけよ」と。
新共同群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」
NIV"Crucify him!" they shouted.
註解: ピラトは自己の確信を遂行する勇気がなくまたイエス一人を殺すことが彼自身の利害に何らの影響を与えないのでついに多数の声に圧せられて民衆の意向を求めた。民衆は祭司長らの教唆(きょうさ)に従い彼を十字架につけよと叫んだ。「なんぢらがユダヤ人の王ととなふる者」と特に説明しているのは、民衆がイエスを王として歓迎せる事実を知りこれを揶揄したのであろう。それにも関らず民衆はさらに反省せず、彼を十字架につけよと叫んだ。彼ら凡てすなわち祭司長より民衆に至るまで今まさに彼らの神なるエホバの遣し給える独り子を十字架につけんとしているのである。
辞解
[また] 「再度」で第一回は8節かまたは11節の叫びならん。

15章14節 ピラト()ふ『そも(かれ)(なに)惡事(あくじ)()したるか』かれら(はげ)しく(さけ)びて『十字架(じふじか)につけよ』と()ふ。[引照]

口語訳ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
塚本訳ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。
前田訳ピラトは彼らにいった、「何の悪をしたのか」と。彼らはますます叫んだ、「十字架につけよ」と。
新共同ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。
NIV"Why? What crime has he committed?" asked Pilate. But they shouted all the louder, "Crucify him!"
註解: ピラトがイエスを赦さんとする心はなおもやまなかった。それと同時に群衆の意を迎えんとする気持ちも充分に見えていた。それがために群衆は益々ピラトの弱腰につけ込んで声を揚げて「十字架につけよ」と叫んだのであった。あらゆる人間の罪、弱さ、利己心、名誉心等の混沌たる渦巻きの中にただイエス一人完全なる潔さと栄光とをもって無言のままに立ち給うその神々しき姿を想像せよ。

15章15節 ピラト群衆(ぐんじゅう)(のぞみ)滿(みた)さんとて、バラバを(ゆる)し、イエスを(むち)うちたるのち、十字架(じふじか)につくる(ため)にわたせり。[引照]

口語訳それで、ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
塚本訳ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。
前田訳ピラトは群衆を満足させるためにバラバをゆるしてやり、イエスを鞭打ってから、十字架につけるよう引き渡した。
新共同ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
NIVWanting to satisfy the crowd, Pilate released Barabbas to them. He had Jesus flogged, and handed him over to be crucified.
註解: ついにピラトは群衆の声に抗することができず、イエスを十字架につけるために渡した。その前に(むちう)ったのは十字架の処刑の前にはかくする規定があったからである。これによって十字架上の苦痛を軽減する目的より来れるものの由。
辞解
[わたせり] ローマの兵卒に渡すこと。
要義 [ピラトとイエス]ピラトは政治家でありイエスは神の子であった。ピラトには政治家に共通なるあらゆる虚栄心、貪慾心、利己心、智謀、策略、打算等が豊かに備わっていたけれども、唯一つ正義をもって一貫せんとの心がなかった。而してイエスには唯神の御旨に(したが)い正義をもって一貫せんとする心より以外に何をも持ち給わなかった。この二つが極めて鮮やかなる対照をなして相対立しているのである。而してピラトはイエスを死に付すことによりて易々としてイエスに打勝ったけれども、イエスは十字架上に死に給い而して甦えり給えることによりて永遠にピラトに勝ち給うた。キリストとこの世との間には正にこのイエスとピラトとのごとき対立がある。この世はキリスト者にかつことによりてこれに負け、キリスト者はこの世に負くることによりてこれに勝つ。

6-4-ホ イエス嘲弄(ちょうろう)せられ給う 15:16 - 15:20
(マタ27:27-31)   

15章16節 兵卒(へいそつ)どもイエスを[官邸(くわんてい)(なか)(には)](邸宅(ていたく)(すなは)官邸(かんてい)(うち))に()れゆき、(ぜん)(たい)()(あつ)めて、[引照]

口語訳兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の内に連れて行き、全部隊を呼び集めた。
塚本訳兵卒らは官邸、すなわち総督官舎、の中にイエスを引いてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を呼びあつめた。
前田訳兵士らは官邸すなわち総督公舎の中へ彼を引いて行き、全部隊を集めた。
新共同兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。
NIVThe soldiers led Jesus away into the palace (that is, the Praetorium) and called together the whole company of soldiers.
註解: ピラトは判決を与えて後イエスを十字架につけるために兵卒どもに付して奥に引込んだ。兵卒は全隊を集めてイエスを嘲弄(ちょうろう)し始めた。兵卒にはイエスの価値がわからず、十字架につくべき罪人故悪人に相違なしと考え、退屈まぎれに彼を玩弄物(がんろうぶつ)視してこれを嘲弄(ちょうろう)したのであろう。しかしながら彼らはこれによりイエスに対する異邦人の罪を代表したのであった。かくして図らずも全世界がイエスを否んだこととなったのである。始めに弟子、中にも殊にユダ、次にユダヤ人、最後に異邦人である。
辞解
[官邸の中庭] 誤訳で「中庭 aulê の奥すなわち官邸」と読むか(M0、E0)、または aulê を邸宅または宮殿と読み「邸宅すなわち官邸の中」 praitôrion = praetorium (L2、I0、B1)と読むべきである。アウレーには中庭の意味と宮殿の意味とあり、兵卒は全隊 speira(レギオンの十分の一すなわち六百人)に属する兵卒でピラトの近衛兵のごときものであったろう。全隊を集めたというのは必ずしも六百人をみな集めたと見る必要はない。

15章17節 (かれ)紫色(むらさき)(ころも)()せ、(いばら)冠冕(かんむり)()みて(かむ)らせ、[引照]

口語訳そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、
塚本訳彼らはイエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせて(王に仕立てたのち、)
前田訳彼らは紫の衣を彼に着せ、茨の冠を編んでかぶせた。
新共同そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、
NIVThey put a purple robe on him, then twisted together a crown of thorns and set it on him.

15章18節 『ユダヤ(びと)(わう)(やす)かれ』と(れい)をなし(はじ)め、[引照]

口語訳「ユダヤ人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめた。
塚本訳「ユダヤ人の王、万歳!」と(叫んで)喝采した。
前田訳そして「ユダヤ人の王万歳」と喝采しだした。
新共同「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。
NIVAnd they began to call out to him, "Hail, king of the Jews!"

15章19節 また(あし)にて、()(かうべ)をたたき、(つばき)し、(ひざまづ)きて(はい)せり。[引照]

口語訳また、葦の棒でその頭をたたき、つばきをかけ、ひざまずいて拝んだりした。
塚本訳それから葦(の棒)で頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいておがんだ。
前田訳そして葦で頭をたたき、唾し、ひざまずいて拝んだ。
新共同また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。
NIVAgain and again they struck him on the head with a staff and spit on him. Falling on their knees, they paid homage to him.
註解: イエスを王に仕立てて嘲弄(ちょうろう)した。兵卒らはイエスがユダヤ人の王と自称したために罰せられしを聞き知ったからである。しかしながら彼らはこの嘲弄(ちょうろう)の態度と虚偽の礼拝をなしつつあった中にも、イエスに対して当然に為すべきことの真似を為していたのであった。不思議なる神の摂理でありまた神の嘲弄(ちょうろう)である。彼らは神を嘲弄(ちょうろう)しつつ自ら神に嘲弄(ちょうろう)せられていたのであった。神はイエスを裏切れるユダの行為を用いて神の経綸を実現し給い、イエスを嘲弄(ちょうろう)せんとする心を用いて彼を拝せしめ給う。
辞解
[紫色の衣] 王者の着る衣。マタ27:28には緋色の外套とあり、兵卒もこれを用い得る故、この方が事実に近からん。またマタ27:29、30の記事の方が嘲弄(ちょうろう)の態度が順序よく記されている。
[安かれ] chaire は「喜べ」の意であるけれども、別段かかる意味なく「今日は」というごとき心持を示す。書簡の冒頭に用いられる chairein (ヤコ1:1)も同語なり。

15章20節 かく嘲弄(てうろう)してのち、紫色(むらさき)(ころも)()ぎ、(もと)(ころも)()十字架(じふじか)につけんとて()(いだ)せり。[引照]

口語訳こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らはイエスを十字架につけるために引き出した。
塚本訳こうしてなぶった後、紫の衣を脱がせてもとの着物を着せた。兵卒らはイエスを十字架につけるために(都から)引き出した。
前田訳こうしてなぶってから、紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せた。そして十字架につけるために外へ引き出した。
新共同このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。
NIVAnd when they had mocked him, they took off the purple robe and put his own clothes on him. Then they led him out to crucify him.
註解: 兵卒のかかる行為に対してもイエスは全く無抵抗の態度を取り給うた。兵卒は全く知らずして神の独り子に対しあらゆる無礼を働いていたのである。今日の全世界の人々にしてイエスを信ぜず、これを迫害する者もまたこの兵士らのごとき態度を取っているのである。知らずとは言えその罪決して軽くはない。

6-4-ヘ イエス十字架に釘き給う 15:21 - 15:32
(マタ27:32-44) (ルカ23:26-43) (ヨハ19:17-27)  

15章21節 (とき)にアレキサンデルとルフ[ルポス]との(ちち)シモンといふクレネ(びと)田舍(ゐなか)より(きた)りて(とほ)りかかりしに、()ひてイエスの十字架(じふじか)()はせ、[引照]

口語訳そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
塚本訳するとアレキサンデルとルポスとの父であるシモンというクレネ人が、野良から来て通りかかったので、有無を言わせずイエスの十字架を負わせる。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
前田訳アレクサンデルとルポスとの父でシモンというクレネ人が田舎から来て通りかかったので、イエスの十字架を無理に負わせる。
新共同そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
NIVA certain man from Cyrene, Simon, the father of Alexander and Rufus, was passing by on his way in from the country, and they forced him to carry the cross.
註解: 刑罰を受くべき者が自ら己の十字架を負う慣わしであったけれども、イエスの場合始めにこれを負い給えるのみで(ヨハ19:17)、後に護送の兵卒はクレネ人シモンを捕え強いてこれにその十字架を負わしめた。何故にここにシモンを捕えてイエスの十字架を負わせしめたのであるかは不明であるが、シモンはあるいはイエスの弟子の一人、またはその同情者の一人であったのではあるまいか、イエスの十字架の重さに耐え兼ね給う御姿を路傍に立ちて眺めつつ、いたく同情を寄せているのを兵卒らが認めたのではあるまいか。少なくともシモンは主イエスの十字架を負うの光栄を持つことができたのは兵卒に強いられたからであった。強いて十字架を負わしめられることは苦痛ではあるが幸福である。
辞解
[アレキサンデル] 使19:33Tテモ1:20Uテモ4:14と同一人とは思われず。
[ルフ] ロマ16:13のルポス(原語同一)ならん、マタ27:32註および辞解参照。
[田舎より来りて] この時来たのであると解する必要なし。「田舎より来れるクレネ人シモン」の意。

15章22節 イエスをゴルゴダ、()けば髑髏(されかうべ)といふ(ところ)()()けり。[引照]

口語訳そしてイエスをゴルゴタ、その意味は、されこうべ、という所に連れて行った。
塚本訳兵卒らはイエスをゴルゴダという所──訳すると「髑髏の所」──につれて行く。
前田訳彼らはイエスをゴルゴタというところ(訳すと骸骨の所)へ連れて行く。
新共同そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
NIVThey brought Jesus to the place called Golgotha (which means The Place of the Skull).
註解: エルサレムの門外ならん、形状が髑髏(されこうべ)に似ていることより名付けられし丘ならん。(▲または死刑囚の死骸は処刑場に放置され、髑髏(されこうべ)がその附近に散乱していることから、かく名づけられたとの説あり。)アダムの髑髏(されこうべ)を埋めたる地と称する伝説は信ずるに足らない。
辞解
[ゴルゴタ] ヘブル語。

15章23節 (かく)沒藥(もつやく)()ぜたる葡萄酒(ぶだうしゅ)(あた)へたれど、()(たま)はず。[引照]

口語訳そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
塚本訳人々は(苦痛をやわらげるために)没薬をまぜた葡萄酒をやろうとしたが、お受けにならなかった。
前田訳彼らは薬を混ぜたぶどう酒を与えたが、お受けにならなかった。
新共同没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
NIVThen they offered him wine mixed with myrrh, but he did not take it.
註解: 処刑される罪人に麻酔剤を与うる慣わしがあった。没薬を混ぜたる葡萄酒にはかかる効果があったものと思われる。イエスがこれを受け給わなかったのは、与えられた苦痛を充分に味わんがためであろう。なおマタ27:34には没薬の代りに「苦味」とあり、またイエスはこれを嘗めたけれども飲み給わなかったと録している。

15章24節 (かれ)らイエスを十字架(じふじか)につけ、(しか)して(たれ)(なに)()るべきと、(くじ)()きて()(ころも)(わか)つ。[引照]

口語訳それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた。
塚本訳兵卒らはイエスを十字架につける。それから、だれが何を取るかと、“籤を引いて、”その“着物を自分たちで分ける、”
前田訳彼らはイエスを十字架につける。そして、彼の着物を分けあい、だれがどれを取るかとくじを引いた。
新共同それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
NIVAnd they crucified him. Dividing up his clothes, they cast lots to see what each would get.
註解: 十字架はローマの法律による処刑法で人身の高さよりも少しく高き十字架にまず罪人を()け、両手を広げ、両手両足の先を釘つけにし、股の間を木片にて支え、而して後十字架を立てる方法によるものである。死刑囚の衣服を分配することはローマの習慣であったが同時にこれが詩22:18の実現となった。ヨハ19:23、24には一層詳しくこれを記載す。

15章25節 イエスを十字架(じふじか)につけしは、(あさ)九時(くじ)(ころ)なりき。[引照]

口語訳イエスを十字架につけたのは、朝の九時ごろであった。
塚本訳十字架につけたのは朝の九時であった。
前田訳十字架につけたのは朝の九時であった。
新共同イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
NIVIt was the third hour when they crucified him.
註解: 原語第三時とあり、ヨハ19:14にはピラトの裁判が第六時(すなわち十二時頃)とあり時刻は一致しない。ヨハ19:14註参照。

15章26節 その罪標(すてふだ)には『ユダヤ(びと)(わう)』と(しる)せり。[引照]

口語訳イエスの罪状書きには「ユダヤ人の王」と、しるしてあった。
塚本訳罪状札には ユ ダ ヤ 人 の 王と書いてあった。
前田訳捨札(すてふだ)には「ユダヤ人の王」と書いてあった。
新共同罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
NIVThe written notice of the charge against him read: THE KING OF THE JEWS.
註解: 罪名を板に書き記して罪人の首にかけるかまたは見易き処に掲ぐることは当時の習慣であった。ヨハ19:20によれば、ヘブル語、ローマ語、およびギリシャ語の三つの国語にて録されたとのことである。今日のパレスチナ地方では官庁の公示などは、英、仏、ヘブルの三語を用う。「ユダヤ人の王」と記したのはピラトであり、これは一面彼の無罪を示すと共に、他面ユダヤ人らがその王を殺すの罪を犯していることを示す意味ともなり、ユダヤ人にとりては甚だ苦痛であった。そのためにこれを変更せんことを乞いてピラトに拒絶せられしことがヨハ19:20−22に記されている。

15章27節 イエスと(とも)に、二人(ふたり)強盜(がうたう)十字架(じふじか)につけ、一人(ひとり)をその(みぎ)に、一人(ひとり)をその(ひだり)()く。[引照]

口語訳また、イエスと共にふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
塚本訳またイエスと共に二人の強盗を、一人をその右に、一人を左に十字架につけた。
前田訳そして彼とともにふたりの強盗を、ひとりを右に、ひとりを左に、十字架につけた。
新共同また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
NIVThey crucified two robbers with him, one on his right and one on his left.
註解: 〔28なし〕群衆の目にはこれらの強盗とイエスとの間の差別が判明(わか)らなかった。なお28節は「彼は異邦人とともに数えられたりと云える聖書は成就したり」とあり(ルカ22:37イザ53:12)。マルコは旧約の引用少なし、これは後代の挿入ならん。

15章28節 [なし][引照]

口語訳〔こうして「彼は罪人たちのひとりに数えられた」と書いてある言葉が成就したのである。〕
塚本訳(無し)
前田訳〔かくて、「彼は不法のもののひとりに数えられた」とある聖書は成就した〕。
新共同(†底本に節が欠落 異本訳)こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。
NIV

15章29節 往來(ゆきき)(もの)どもイエスを(そし)り、(かうべ)()りて()ふ『ああ(みや)(こぼ)ちて三日(みっか)のうちに()つる(もの)よ、[引照]

口語訳そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって言った、「ああ、神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ、
塚本訳通りかかった人々が“頭をふりながら、”こう言ってイエスを冒涜した、「へへえ、お宮をこわして三日で建てるという人、
前田訳道行く人々は頭を振りながら彼をけがしていった、「はあ、宮をこわして三日で建てる人、
新共同そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
NIVThose who passed by hurled insults at him, shaking their heads and saying, "So! You who are going to destroy the temple and build it in three days,

15章30節 十字架(じふじか)より()りて(おのれ)(すく)へ』[引照]

口語訳十字架からおりてきて自分を救え」。
塚本訳自分を救ってみろ、十字架から下りてきて!」
前田訳十字架からおりて自分を救え」と。
新共同十字架から降りて自分を救ってみろ。」
NIVcome down from the cross and save yourself!"
註解: 一般の民衆もイエスにつき若干聴き及んでいた(マコ14:58)。彼らはイエスが己を救い得ざりしことがイエスの言い給える所に矛盾するものと思い、イエスを単に大言壮語するのみにて何らの実力なき誇大妄想家と考えてこれを嘲弄(ちょうろう)した。自ら己を救い得ざりし処にイエスの偉大さがあることを彼らは考うることだにできなかった。
辞解
[首を振る] 驚きと嘲弄(ちょうろう)とを兼ねし態度。詩22:7の実現と見るべきである。
[ああ] 原語ウーア。

15章31節 祭司長(さいしちゃう)らも(また)(おな)じく學者(がくしゃ)らと(とも)嘲弄(てうろう)して(たがひ)()ふ『(ひと)(すく)ひて、(おのれ)(すく)ふこと(あた)はず、[引照]

口語訳祭司長たちも同じように、律法学者たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。
塚本訳同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
前田訳同じように、大祭司らも学者といっしょに互いにたわむれあっていった、「あれは人を救ったが自分は救えない。
新共同同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。
NIVIn the same way the chief priests and the teachers of the law mocked him among themselves. "He saved others," they said, "but he can't save himself!

15章32節 イスラエルの(わう)キリスト、いま十字架(じふじか)より()りよかし、()らば(われ)()(しん)ぜん』[引照]

口語訳イスラエルの王キリスト、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
塚本訳救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。
前田訳キリスト、イスラエルの王、今十字架からおりよ。それを見たら信じよう」と。ともに十字架につけられたものどもも彼をののしった。
新共同メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
NIVLet this Christ, this King of Israel, come down now from the cross, that we may see and believe." Those crucified with him also heaped insults on him.
註解: 祭司長、学者らはその目的を達成してついにイエスを十字架に()けた。イエスがこの際、以前にしばしば行い給える奇蹟のごとくに奇蹟力をもって十字架より下り給うこと無きやは、彼らの内心にいたく懼れていた処であろう。然るに29節の群衆の叫びにもかかわらず、イエスは十字架より下り給う形跡も無いので彼らは益々勢いを得て、本節のごとき語をもってイエスを嘲弄(ちょうろう)した。しかしながら不幸にしてこれらの嘲弄(ちょうろう)の語そのものがイエスのイエスらしさを最もよく示す処のものであった。イスラエルの王でありながら人を救いて己を救い能わず、十字架より下りなかった処にイエスの真の贖罪がある。この「不能」は道徳的不能であって、能力の上の不能ではない(マタ26:53)。イエスはかくして苦しむことを父の御意と信じ聖書の預言の成就と考え給うた。

(とも)十字架(じふじか)につけられたる(もの)どもも、イエスを(ののし)りたり。

註解: かくしてイエスは兵卒、群衆、祭司長、学者、罪人にまで嘲弄(ちょうろう)せられまた罵られ給うた。己をかくのごとくにも嘲弄(ちょうろう)罵詈(ばり)する者の罪をも負い給うところに、イエスの愛の無限の大きさがあり、かかるイエスをも嘲弄(ちょうろう)し罵る処に人類の罪の無限の大きさがある。ルカ23:39−43にはその中の一人の悔改めに関する美しき記事があり。ルカはおそらく異なれる伝説によりて録せるものならん。
要義 [己を救い能わざる者]イエスはその偉大なる力を終生、御自身のために用い給わなかった。それ故に彼は己を救い得る力を充分に所有し給うたにもかかわらず、これを用いずしてついに十字架の上に万人の嘲弄(ちょうろう)の中に死に給うた。これで終っても彼の神の子に在し給うことの事実は充分であると言える。しかしながらもしこれで終ったならば、彼は無力のために死に給えるものにあらずやとも考えられ、彼の神の子に在し給うことの証明がないこととなる。然るに神はイエスのこの絶対的従順を(よみ)し給いて彼を甦えらしめ給い、彼をして死に打勝たしめ給うた。イエスの復活により、十字架上の彼に対して嘲弄(ちょうろう)の言を投げかけた凡ての者は永遠に(さば)かれ、十字架上に空しく死に給えるイエスは完全に勝利を得給うた。「己が生命を救はんと思う者はこれを失ひ、わがために己が生命をうしなふ者は之を得べし」(マタ16:25)はイエス御自身これを実行しこれを実現し給うた。

6-4-ト イエス息絶え給う 15:33 - 15:41
(マタ27:45-56) (ルカ23:44-49) (ヨハ19:28-30)  

15章33節 (ひる)十二(じふに)()に、()のうへ(あまね)(くら)くなりて、三時(さんじ)(およ)ぶ。[引照]

口語訳昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。
塚本訳昼の十二時になると、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
前田訳正午になると全地が闇になって三時までつづいた。
新共同昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
NIVAt the sixth hour darkness came over the whole land until the ninth hour.
註解: 当時は満月の時なるが故に日食は有るはずがなく、従って他の自然界の異変によりて天日が暗くなったのであった。霊界の特種の現象は往々に自然界の変動を伴う。

15章34節 三時(さんじ)にイエス大聲(おほごゑ)に『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』と(よばは)(たま)ふ。(これ)()けば、わが(かみ)、わが(かみ)、なんぞ(われ)()()(たま)ひし、との(こころ)なり。[引照]

口語訳そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
塚本訳三時に、イエスは大声を出して“エロイ エロイ ラマ サバクタニ!”と叫ばれた。訳すると、“わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!”である。
前田訳三時に、イエスは大声で叫ばれた、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と。訳すと、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てですか」である。
新共同三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
NIVAnd at the ninth hour Jesus cried out in a loud voice, <"Eloi, Eloi, lama> "--which means, "My God, my God, why have you forsaken me?"
註解: ゲツセマネにおけるイエスの切なる祈りに神は応え給わずして彼を棄て、これを十字架に()け、イエスは神に棄てられ神の御顔を見失い給うたのであった。肉体の苦痛も勿論大きいには相違ないけれども、神に棄てられ給える意識はイエスにとりて最大の苦痛であった。殊にイエスは人間を愛し神を愛し正義を愛するが故にここに至ったのであって神に棄てらるべき何らの理由も無かった。それにもかかわらず神は事実彼を棄て給うたのである。それ故に彼の心の底から詩22:1の叫びが(ほとばし)り出でたのである。而してこの詩は全体として見るとき深き信頼の心より出でた詩であって、やがてはエホバの救いを讃美する詩である故、イエスは神に棄てられつつも絶対に神に服従しおおせ給い、この絶対服従によりて絶対的絶望の叫びの彼岸に希望の光が輝いていたのであった。イエスがこの希望を意識し給えるや否やはこの一節よりこれを知ることができないけれども、再三その「復活」を予告し給える点より見るも、おそらくこの希望をいだきて神に信頼し続け給うたのであろう。
辞解
[エロイ、エロイ] アラム語、これに相当するヘブル語はエリ、エリ、なり。エリの方はエリヤと間違うる可能性がある(35節)。なおイエスが神に捨てられたというごときことは不可解だというので、この一節は古くから種々の問題を起せる一節である。

15章35節 (かたは)らに()(もの)のうち(ある)人々(ひとびと)これを()きて()ふ『()よ、エリヤを()ぶなり』[引照]

口語訳すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。
塚本訳そばに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った者が何人かあった。(エロイをエリヤと聞きちがえたらしい。)
前田訳そばに立っていた人の何人かがそれを聞いていった、「見よ、エリヤを呼んでいる」と。
新共同そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
NIVWhen some of those standing near heard this, they said, "Listen, he's calling Elijah."
註解: ローマの兵卒はおそらくエリヤのことを知らないであろう。従って傍らに立つ者はユダヤ人の群衆である。彼らは詩22:1を思い起さず、かえってエリヤを思い起した。かかる間違いは有り得ないとする(L2)必要はない。群衆はイエスがエリヤを呼びその助けを求むるものと誤解した。

15章36節 一人(ひとり)はしり()きて、海綿(うみわた)()葡萄酒(ぶだうしゅ)(ふく)ませて(あし)につけ、イエスに()ましめて()ふ。[引照]

口語訳ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。
塚本訳ひとりが駆けていって、“酸っぱい葡萄主を”海綿に含ませ、葦(の棒の先)につけて、「(もう少し生かしておいて、)エリヤが下ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに“飲ませようとした。”
前田訳ひとりが駆けて来て、すっぱいぶどう酒を海綿に含ませ、葦の先につけて彼に飲ませようとしていった、「待て、エリヤがおろしに来るかどうか見ていよう」と。
新共同ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。
NIVOne man ran, filled a sponge with wine vinegar, put it on a stick, and offered it to Jesus to drink. "Now leave him alone. Let's see if Elijah comes to take him down," he said.
註解: これを詩69:21による嘲弄(ちょうろう)の意味(L2)と解する説もあるけれども、むしろイエスの苦痛を和らげんとする同情ある処置であると見るべきであろう。かくして幾分その生命を延ばしてエリヤの助けが来るや否やを見んとしたのであろう。

()て、エリヤ(きた)りて、(かれ)(おろ)すや(いな)や、(われ)(これ)()ん』

註解: マタ27:47はこの言を他の者が言えるものとしている。これも嘲弄(ちょうろう)と見るべきではない。

15章37節 イエス大聲(おほごゑ)(いだ)して(いき)()(たま)ふ。[引照]

口語訳イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。
塚本訳しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。
前田訳イエスは大声を出して息絶えられた。
新共同しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
NIVWith a loud cry, Jesus breathed his last.
註解: その声は天地に響き渡った。その大声はルカ23:46およびヨハ19:30のごときものであったろう。

15章38節 聖所(せいじょ)(まく)(うへ)より(した)まで()けて(ふた)つとなりたり。[引照]

口語訳そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
塚本訳(その途端に、)宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
前田訳宮の幕が上から下まで真二つに裂けた。
新共同すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
NIVThe curtain of the temple was torn in two from top to bottom.
註解: マタ27:51−53には地震および聖徒の復活の記事あり種々の異なる伝説が伝わっていたことは想像し得ることろである。聖所の幕は聖所と至聖所とを隔つる幕であって、年に一回大祭司がこれに入り、エホバの前に立つことを得るのみで他の何人もこれに入ることができないのであるが、今やこの幕が裂けたことはキリストの贖罪の死によりてキリストの肉体たる(まく)を経て、彼を信ずる凡てのものは臆することなく神の前に立ち得るに至ったのであることを表徴する。すなわち聖所の(まく)が避けたことは、凡ての信徒が祭司の仲介を要せず、キリストの贖いによりて直接に神の子とせられ神に(まみ)ゆることを得ることを示す。万人祭司主義の根本なり。▲ヘブ10:19参照。

15章39節 イエスに(むか)ひて()てる百卒長(ひゃくそつちゃう)、かかる(さま)にて(いき)()(たま)ひしを()()ふ『()にこの(ひと)(かみ)()なりき』[引照]

口語訳イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人は神の子であった」。
塚本訳イエスと向かい合ってそばに立っていた百卒長は、こんなにして息が絶えたのを見て、「この方は確かに神の子であった」と言った。
前田訳百卒長が彼と向かいあってそばに立っていたが、このように息絶えられるのを見ていった、「本当にこの方は神の子であった」と。
新共同百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
NIVAnd when the centurion, who stood there in front of Jesus, heard his cry and saw how he died, he said, "Surely this man was the Son of God!"
註解: イエスの死が上記のごとく、如何にも神らしかったので、ローマ軍隊の百卒長は、非常に感動してかく叫んだのであった。
辞解
「神の子」の意味はキリスト者の言うごとき意味ではなく、異教の多神教的意義に考うべきで、換言すれば「偉人」というに等し。

15章40節 また(はるか)(のぞ)()たる(をんな)たちあり、その(なか)にはマグダラのマリヤ、(せう)ヤコブとヨセとの(はは)マリヤ(およ)びサロメなども()たり。[引照]

口語訳また、遠くの方から見ている女たちもいた。その中には、マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメがいた。
塚本訳また遠くの方から眺めていた女たちもいた。そのうちにはマグダラのマリヤ、小男ヤコブとヨセとの母マリヤ、およびサロメもいた。
前田訳女たちもいて、遠くから見守っていた。その中にはマグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセの母マリヤとサロメもいた。
新共同また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
NIVSome women were watching from a distance. Among them were Mary Magdalene, Mary the mother of James the younger and of Joses, and Salome.

15章41節 (かれ)らはイエスのガリラヤに居給(ゐたま)ひしとき、(したが)(つか)へし(もの)どもなり。()(ほか)イエスと(とも)にエルサレムに(のぼ)りし(おほ)くの(をんな)もありき。[引照]

口語訳彼らはイエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たちであった。なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。
塚本訳──この三人はイエスがまだガリラヤにおられた時に、ついて回って仕えていた人たちである。──(そこには)このほかに、イエスと一しょにエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた。
前田訳彼女らはイエスがまだガリラヤにおられたとき、お伴をしてお世話していた。このほか彼とともにエルサレムへ上った女たちも多くいた。
新共同この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。
NIVIn Galilee these women had followed him and cared for his needs. Many other women who had come up with him to Jerusalem were also there.
註解: イエスに従える男子の弟子の外に多くの女弟子もあった。これらの女弟子は男子の弟子団に加わってこれを助けていた。男子がイエスを棄てた後も女子はこれに従っていた。
辞解
[マグダラのマリヤ] ベタニヤのマリヤ(マコ14:3ヨハ12:1)にあらず、またルカ7:37のマリヤとも異なり七つの悪鬼の出でしマリヤである(ルカ8:2)。
[小ヤコブ] 十二使徒の一人アルパヨの子ヤコブである。小は大ヤコブに対す、年齢の点か身長の点かにつき諸説あり、むしろ使徒としての小ならん。またヨハ19:25によればこのマリヤに相当する者をクロパの妻マリヤと呼んでいる故クロパとアルパヨとは同人ならん。ヘブル文字を同うす。
[サロメ] ゼベダイの妻でヨハネとヤコブの母であった。
要義 [イエスの死]徹頭徹尾人間らしさを失わず、しかも人間らしさの中に一点の私慾私意を挿まざる死はイエスの十字架上の死であった。英雄豪傑の死は壮観であるが、そこに多分に努力鍛錬による作為があり、泰然従容たる死であってもそこに子供のごとき自然さがない。然るにイエスの死は子供のごとく自然であり人間らしくあった。それにもかかわらず唯正義をもって一貫することと父なる神の命ならば凡てに全く服従することとを措いて他に何も無かった処に、全く神らしき彼の姿を見るのである。彼は完全に人間であり而して完全に神であった。人間を神らしく仕立上げた英雄ではなく、また人間離れのした聖者でもなかった。しかも英雄のごとき努力の跡もなく、聖者のごとき作為の影もない。全く人類の歴史における唯一の死であった。

6-4-チ イエスの埋葬 15:42 - 15:47
(マタ27:57-61) (ルカ23:50-56) (ヨハ19:31-42)  

15章42節 ()(すで)()れて、準備(そなへ)()すなはち安息(あんそく)(にち)(まへ)()(なりければ)[となりたれば]、[引照]

口語訳さて、すでに夕がたになったが、その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
塚本訳もはや夕方になった。その日は支度日、すなわち安息日の前の日[金曜日]であったので、(日が暮れると安息日になって、死体を十字架にかけておくことを許されなかった。そこで)
前田訳はや夕方になった。準備日(そなえび)、すなわち安息日の前日であったので、
新共同既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
NIVIt was Preparation Day (that is, the day before the Sabbath). So as evening approached,
註解: 準備日は金曜日である。この時はちょうど金曜日の黄昏午後三時から六時の間頃であったので、なお安息日の開始まで若干の時間があった。この短時間の間にイエスの屍体を処置しなければならなかった。
辞解
[日既に暮れて] 「黄昏となりて」でこの「黄昏」opsia はあるいは午後の三時より六時頃までをいい、あるいは午後六時より九時ごろまでの間をも指す。マタ14:23(Grimm-Thayer)。
[安息日の前の日となりければ] 誤訳で「前の日なりければ」。

15章43節 (たふと)議員(ぎゐん)にして、(かみ)(くに)()(のぞ)める、アリマタヤのヨセフ(きた)りて、(はばか)らずピラトの(もと)()き、イエスの屍體(しかばね)()ふ。[引照]

口語訳アリマタヤのヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのからだの引取りかたを願った。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。
塚本訳名望の高い最高法院の議員であるアリマタヤ生まれのヨセフが来て、臆することなくピラトの所に行き、イエスの体(の下げ渡し)を乞うた。彼も神の国(の来るの)を待ち望んでいた一人であった。
前田訳令名ある議員で神の国を待ち望んでいたアリマタヤ出のヨセフが来て、おくせずピラトのところに入ってイエスのお体を求めた。
新共同アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。
NIVJoseph of Arimathea, a prominent member of the Council, who was himself waiting for the kingdom of God, went boldly to Pilate and asked for Jesus' body.
註解: この記事によりて見るもこのヨセフは真面目なる人間であったらしく(ひそ)かにイエスの弟子となり(ヨハ19:38)これに同情しこれを尊敬していた人であった。徳は孤ならず思わぬ処にイエスは同情者を有ち給うた。彼は多くのユダヤ人の非難を尻目に見て勇敢に自力をもってイエスの体を丁重に埋葬せんと決心した。かかる態度に出ることは何人にも容易ではない。
辞解
[アリマタヤ] 位置につきてはマタ27:57辞解参照。
[貴き] また「立派なる」とも訳す(M0)。
[屍體(しかばね)] 原語、体 sôma で福音書にはイエスの屍體につき ptôma なる文字は用いられていない。復活すべき体を屍體と称することが不適当なためであろう。なお屍體はローマの官憲の権利の下に属していた。

15章44節 ピラト、イエスは()()にしかと(いぶか)り、百卒長(ひゃくそつちゃう)()びて、その()にしより(とき)()しや(いな)やを()ひ、[引照]

口語訳ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。
塚本訳ピラトはイエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百卒長を呼んで、とうに死んだかどうかを尋ね、
前田訳ピラトはもうなくなったかといぶかり、百卒長を呼んで、なくなってから時がたったかどうかたずねた。
新共同ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。
NIVPilate was surprised to hear that he was already dead. Summoning the centurion, he asked him if Jesus had already died.

15章45節 (すで)()にたる(こと)百卒長(ひゃくそつちゃう)より()()りて、屍體(しかばね)をヨセフに(あた)ふ。[引照]

口語訳そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
塚本訳百卒長からそうと聞くと、なきがらをヨセフに下げ渡した。
前田訳百卒長からそうと聞くと、なきがらをヨセフに渡した。
新共同そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。
NIVWhen he learned from the centurion that it was so, he gave the body to Joseph.
註解: 十字架上における処刑は完全に息絶ゆるまで相当の時間を要するのが常であったので、ピラトは入念にその死を確めて後これをヨセフに与えた。

15章46節 ヨセフ亞麻(あま)(ぬの)()ひ、イエスを取下(とりおろ)して(これ)(つつ)み、(いは)()りたる(はか)(をさ)め、(はか)入口(いりくち)(いし)(まろば)()く。[引照]

口語訳そこで、ヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとりおろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておいた。
塚本訳そこでヨセフは(日が暮れぬうちにと大急ぎで)亜麻布を買い、イエスを(十字架から)下ろして亜麻布で巻き、岩に掘ってあった墓に横たえ、墓の入口に石をころがしておいた。
前田訳ヨセフは亜麻布を買い、彼をおろして亜麻布で巻き、岩から掘り抜いてあった墓に横たえ、墓の入口に石をころがしておいた。
新共同ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。
NIVSo Joseph bought some linen cloth, took down the body, wrapped it in the linen, and placed it in a tomb cut out of rock. Then he rolled a stone against the entrance of the tomb.
註解: ヨハ19:39によればニコデモ(ヨハ3:1)も香料を持ち来って埋葬の手伝いをしたとのことである。香料は日曜日に女たちが墓に持参したのであった(マコ16:1、2)。囚人の屍体はかかる丁重なる取扱いを受けず、囚人の墓地か、または露天に放置されるを常とした。イエスの死体に対しかかる特別の処置が取られたのも神の摂理であったろう。
辞解
[墓] 多く水平に岩盤の上に掘られ死体を横たえてその上に石を転ばせて置くのであった。この墓は何人をも埋葬せることなき新しきものであったことが他の三福音書に記されているのは、イエスの墓として相応しきことを示すためである。

15章47節 マグダラのマリヤとヨセの(はは)マリヤとイエスを(をさ)めし(ところ)()ゐたり。[引照]

口語訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスが納められた場所を見とどけた。
塚本訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、なきがらの納められた所を見ていた。
前田訳マグダラのマリヤとヨセの母マリヤは彼が納められた場所を見ていた。
新共同マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。
NIVMary Magdalene and Mary the mother of Joses saw where he was laid.
註解: 彼らは後に日曜日にイエスの屍体に香油を塗らんために来る時にその場所を見届け置くためと、一つはイエスに離れることの悲しさのために墓まで従い行ったのであった。

マルコ伝第16章

分類
7 イエスの復活と昇天 16:1 - 16:20
7-1-イ 女たちイエスの復活を知る 16:1 - 16:8
(マタ28:1-10) (ルカ24:1-11)   

16章1節 安息(あんそく)(にち)(をは)りし(とき)[引照]

口語訳さて、安息日が終ったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求めた。
塚本訳(翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。
前田訳安息日が終わると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが香油を買った。彼にぬりに行くためであった。
新共同安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。
NIVWhen the Sabbath was over, Mary Magdalene, Mary the mother of James, and Salome bought spices so that they might go to anoint Jesus' body.
註解: 土曜日の夕、日没後のこと、彼らも安息日は規則通りに守っていた。

マグダラのマリヤ、ヤコブの(はは)マリヤ(およ)びサロメ()きて、イエスに()らんとて香料(かうれう)()ひ、

註解: 死体に香油を塗ることはユダヤの習慣であった。この女たちはイエスの死を遙かに望み(マコ15:40)、また墓に納められる処を目撃せる人々である。

16章2節 一週(ひとまはり)(はじめ)()()()でたる(ころ)いと(はや)(はか)にゆく。[引照]

口語訳そして週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行った。
塚本訳そして(あくる朝、すなわち)週の初めの日[日曜日]の朝、ごく早く、日が出ると墓場に行く。
前田訳そして、週の初めの日の朝、ごく早く、日の出のころ彼女らは墓に行く。
新共同そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。
NIVVery early on the first day of the week, just after sunrise, they were on their way to the tomb
註解: 日曜の朝である。前夜に求めし香料を携えて彼らは墓に行った。一週の始めの日がキリスト者にとりて特別の日となり日曜安息の習慣が生ずるに至ったのは、この日にイエスが甦り給えるが故である。マタ28:1註参照。

16章3節 (たれ)(われ)らの(ため)(はか)入口(いりくち)より(いし)(まろば)すべきと(かた)()ひしに、[引照]

口語訳そして、彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
塚本訳「だれか墓の入口から石をころがしてくれる者があるだろうか」と互に話しながら、
前田訳そこで互いにいった、「だれが墓の入口から石をころがしてくれるでしょうか」と。
新共同彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。
NIVand they asked each other, "Who will roll the stone away from the entrance of the tomb?"

16章4節 ()()ぐれば、(いし)(すで)(まろば)しあるを()る。この(いし)(はなは)(おほい)なりき。[引照]

口語訳ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。
塚本訳(ふと)目をあげて見ると、石はもうころがしてあった。(彼らが心配したのは)石が非常に大きかったからである。
前田訳目をあげると、石がころがしてあるのが見えた。石ははなはだ大きかった。
新共同ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
NIVBut when they looked up, they saw that the stone, which was very large, had been rolled away.
註解: 墓の全体を掩う石蓋は相当に大きく重いものであった。女らの心配は誰かこれを転ばすべきかにあった。しかるに案外にもその墓の蓋がすでに転ばしてあるのを見た。彼らの驚きは非常に大きかったに相違ない。
辞解
[この石は甚だ大なりき] 「この石は甚だ大なりければなり」とあり、3節の心配の理由と見れば思想的には連絡がつくけれども、文法上の連絡が遠すぎ4節前半の理由としては不調和である。従って多くの解釈論を生じているけれども4節前半に「いたく驚きたり」なる意味を含ましむる時は、3節4節前半を合した理由と見ることを得(B1)。

16章5節 (はか)()(みぎ)(かた)(しろ)(ころも)()たる若者(わかもの)()するを()(いた)(をどろ)く。[引照]

口語訳墓の中にはいると、右手に真白な長い衣を着た若者がすわっているのを見て、非常に驚いた。
塚本訳墓に入ると、白い衣をきた一人の青年が右手の方に坐っているのを見たので、ぎょっとした。
前田訳墓に入ると、白い衣を着た若者が右にすわっているのを見て、おどろきいった。
新共同墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。
NIVAs they entered the tomb, they saw a young man dressed in a white robe sitting on the right side, and they were alarmed.
註解: マタ28:2、3によればこれは天使であって石の上に坐しており、ルカ24:4によれば二人の人となっている。これのみならず、復活の記事につきては四福音書の間に多くの不統一がある。このことにつきてはマタ28:10要義およびマタ28:20附記を参照すべし。

16章6節 若者(わかもの)いふ『おどろくな、(なんぢ)らは十字架(じふじか)につけられ(たま)ひしナザレのイエスを(たづ)ぬれど、(すで)(よみが)へりて、此處(ここ)(いま)さず。()よ、(をさ)めし(ところ)此處(ここ)なり。[引照]

口語訳するとこの若者は言った、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。
塚本訳青年は彼らに言う、「驚くに及ばない。あなた達は十字架につけられたナザレ人イエスをさがしているが、もう復活されて、ここにはおられない。そら、ここがお納めした場所だ。
前田訳彼はいう、「おどろくことはない。あなた方は十字架につけられたナザレ人イエスを探しているが、彼は復活なさった。ここにはいらっしゃらない。見よ、お納めした場所はここだ。
新共同若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
NIV"Don't be alarmed," he said. "You are looking for Jesus the Nazarene, who was crucified. He has risen! He is not here. See the place where they laid him.
註解: イエスの墓の空虚なりし事実はイエスの復活の有力なる証拠である。なおTコリ15:4−8には復活のイエスの顕現について語っているけれども空虚なる墓のことはこれを叙べず、ヨハ20:1−10には女たちがペテロとヨハネに告げ彼ら墓に至りてこれを検査せる詳細の記事であり。

16章7節 ()れど()きて、弟子(でし)たちとペテロとに()げよ「(なんぢ)らに(さき)だちてガリラヤに()(たま)ふ、彼處(かしこ)にて(まみ)ゆるを()ん、(かつ)(なんぢ)らに()(たま)ひしが(ごと)し」』[引照]

口語訳今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。
塚本訳さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」
前田訳さあ、出かけて行って、弟子たち、ことにペテロにいいなさい、『彼はあなた方に先立ってガリラヤへ行かれる。あなた方に彼がいわれているように、そこでお目にかかれよう』と」。
新共同さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
NIVBut go, tell his disciples and Peter, `He is going ahead of you into Galilee. There you will see him, just as he told you.'"
註解: ルカ伝は復活のイエスがエルサレムにおいて現れ給いし事実を録し、ヨハネ伝もまずエルサレム次にガリラヤにおける顕現を録す(ヨハ21章)。マタイ伝は簡単にガリラヤにおける顕現を録す。何れも多少の差異あり、この種の事実は精確に伝わり難きもの故多くの伝説が分れるに至ることも止むを得ない。

16章8節 (をんな)たちいたく(をどろ)きをののき、(はか)より()()でしが、(おそ)れたれば一言(ひとこと)をも(ひと)(かた)らざりき。[引照]

口語訳女たちはおののき恐れながら、墓から出て逃げ去った。そして、人には何も言わなかった。恐ろしかったからである。〔
塚本訳女たちは墓から逃げ出した。びっくりして震えあがったのである。そしてだれにも何も言わなかった、恐ろしかったので。……
前田訳彼女らはふるえてわれを失っていたので墓から出て逃げ去った。だれにも何もいわなかった、おそろしかったのである。
新共同婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
NIVTrembling and bewildered, the women went out and fled from the tomb. They said nothing to anyone, because they were afraid.
註解: マルコ伝はここで終っているのかまたはこの後にもマルコ伝の本来の結尾が有ったのであるかは不明であるが9−20節は、後日の挿入であることは一般に認められている。その故は、(1)重要なる写本にこれを欠くのみならず、(2)写本によりて9−20節と異なる短き結尾を有するものもあり、(3)またこの9−20節の中にマルコ伝の他の部分に用いられずまた三福音書にも用いられず、むしろヨハネ伝やパウロの書簡にのみ用いられるごとき用語を多く見出し、(4)7節に預言せられしガリラヤにおける顕現につき記されず、(5)かつその記述の内容は他の福音書よりの引用を要約せるものであり、(6)マルコの他の部分のごとく簡潔雄勁(ゆうけい)ではなく、(7)1−8節と矛盾する多くの点があること等の理由によるのである。それ故に9−20節が本来のマルコ伝の一部にあらざることは今日一般に認められている説である。唯第8節が本来のマルコ伝の真の結尾なりしやまたは他に結尾がありしやにつきては学者間にも異説ありて相対立す。マルコ伝の書き始めが唐突であるごとく、その結尾も唐突であることがあるいはマルコ伝に相応しきものであるかも知れない。

7-1-ロ イエス屡々(しばしば)現れ給う 16:9 - 16:18  

註解: 9−20節につきては8節註を見よ。

16章9節 一週(ひとまはり)(はじめ)()拂曉(あかつき)[引照]

口語訳週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある。
塚本訳【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
前田訳週の第一日の朝早く彼は復活してまずマグダラのマリヤに現われられた。前に七つの悪霊を追い出していただいた女である。
新共同〔イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。
NIV When Jesus rose early on the first day of the week, he appeared first to Mary Magdalene, out of whom he had driven seven demons.
註解: 2節を見よ、同じ拂曉(あかつき)が重複して居る。

イエス(よみが)へりて()づマグダラのマリヤに(あらは)れたまふ、(さき)にイエスが(なな)つの惡鬼(あくき)()ひいだし(たま)ひし(をんな)なり。

註解: マタ28:9ヨハ20:1ヨハ20:14−19。ルカ8:2等の記事の要約である。

16章10節 マリヤ()きて、イエスと(とも)にありし人々(ひとびと)の、()(かな)しみ()るときに(これ)()ぐ。[引照]

口語訳マリヤは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいる所に行って、それを知らせた。
塚本訳この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
前田訳彼女はお伴していた人々か泣き悲しんでいるところへ行って知らせた。
新共同マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。
NIVShe went and told those who had been with him and who were mourning and weeping.
註解: 8節と矛盾しヨハ20:18によれるもの、また外典ペテロの福音の中にこの記事あり、弟子たちの泣き悲しみ居る記事は他に無いけれども、弟子たちの悲しみは事実である。

16章11節 (かれ)らイエスの()(たま)へる(こと)と、マリヤに()(たま)ひし(こと)とを()けども(しん)ぜざりき。[引照]

口語訳彼らは、イエスが生きておられる事と、彼女に御自身をあらわされた事とを聞いたが、信じなかった。
塚本訳この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。
前田訳しかし、彼が今生きておられて、彼女がお見受けしたことを聞いても、彼らは信じなかった。
新共同しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。
NIVWhen they heard that Jesus was alive and that she had seen him, they did not believe it.
註解: ルカ24:11の敷衍なり。なおヨハ20:25参照。

16章12節 ()(のち)その(うち)二人(ふたり)田舍(ゐなか)()(みち)(あゆ)むほどに、イエス(こと)なりたる姿(すがた)にて(あらは)(たま)ふ。[引照]

口語訳この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。
塚本訳そのあとで、そのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、別の姿で自分を現わされた。
前田訳そののち、彼らのうちのふたりが田舎へ歩いているとき、別の姿でお現われになった。
新共同その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。
NIVAfterward Jesus appeared in a different form to two of them while they were walking in the country.

16章13節 ()二人(ふたり)ゆきて、(ほか)弟子(でし)たちに(これ)()げたれど、なほ(しん)ぜざりき。[引照]

口語訳このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。
塚本訳この人たちも、行って残りの人たちに知らせたが、この人たち(の言うこと)も信じなかった。
前田訳ふたりも行って残りの人々に知らせたが、この人たちは信じなかった。
新共同この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。
NIVThese returned and reported it to the rest; but they did not believe them either.
註解: ルカ24:13−31のエマオの途上におけるイエスの顕現の記事の要約である。
辞解
[田舎] エマオのこと。

16章14節 ()ののち(じふ)(いち)弟子(でし)(しょく)しをる(とき)に、イエス(あらは)れて、(おの)(よみが)へりたるを()(もの)どもの(ことば)(しん)ぜざりしにより、()信仰(しんかう)なきと、()(こころ)頑固(かたくな)なるとを()(たま)ふ。[引照]

口語訳その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
塚本訳その後、十一人(の弟子)が食事をしているとき自分を現わして、彼らの不信仰と心の頑固とをお責めになった。復活されたのを見た人々(の言うこと)を信じなかったからである。
前田訳そののち、十一人が食事しているときに現われて、彼らの不信と頑さをお責めになった。復活された彼をお見受けした人々を彼らが信じなかったからである。
新共同その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。
NIVLater Jesus appeared to the Eleven as they were eating; he rebuked them for their lack of faith and their stubborn refusal to believe those who had seen him after he had risen.
註解: ルカ24:25−26、ルカ24:36−49。ヨハ20:19−29。弟子たちがイエスよりその復活の預言を繰返し聞かされつつもなおこれを信じ得ざりしことはその心の頑固さを物語るものと言わなければならない。

16章15節 (かく)(かれ)らに()ひたまふ『全世界(ぜんせかい)(めぐ)りて(すべ)ての(つく)られしものに福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へよ。[引照]

口語訳そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
塚本訳彼らに言われた、「行って、全世界のすべての人間に福音を説け。
前田訳彼らにいわれた、「行って全世界のすべての人に福音を伝えよ。
新共同それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
NIVHe said to them, "Go into all the world and preach the good news to all creation.
註解: 弟子たちは不信仰を責められる場合悔改めて主イエスの復活を信じ、その福音を全世界に宣伝えなければならない。これはマタ28:19の主の御言である。

16章16節 (しん)じてバプテスマを()くる(もの)(すく)はるべし、()れど(しん)ぜぬ(もの)(つみ)(さだ)めらるべし。[引照]

口語訳信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
塚本訳信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる。
前田訳信じて洗礼されるものは救われ、信ぜぬものは裁かれよう。
新共同信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。
NIVWhoever believes and is baptized will be saved, but whoever does not believe will be condemned.
註解: 信ずることと相並べて形式的にバプテスマを受くることをも重要なる事項として記載せるは、この思想の内容のすでにイエスおよび使徒の時代を離れしものなることの感じを与える。

16章17節 (しん)ずる(もの)には(これ)()(しるし)、ともなはん。(すなは)()()によりて惡鬼(あくき)()ひいだし、(あたら)しき(ことば)をかたり、[引照]

口語訳信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
塚本訳そして信じた者(の伝道)には、次のような(不思議な)徴が伴うであろう。──わたしの名を使って悪鬼を追い出し、新しい(霊の)言葉を話し、
前田訳信じたものにはこのような徴が伴おう−−わが名によって悪霊を追い出し、新しいことばを話し、
新共同信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。
NIVAnd these signs will accompany those who believe: In my name they will drive out demons; they will speak in new tongues;
註解: 悪鬼を逐い出すことは使徒たちに与えられた能力であった (マタ10:8マコ3:15マコ9:38ルカ9:1ルカ10:17使8:7等) けれども「新しき言をかたる」ことがもし「異言をかたる」を意味するならば(引照参照)これは必ずしも常に使徒たちに与えられた能力ではなかった。異本に「異なる言」とあり。この方は異言となる。新しき言は各国語をもって話すことの意と考うることを得。

16章18節 (へび)(にぎ)るとも、(どく)()むとも、(がい)()けず、()める(もの)()をつけなば()えん』[引照]

口語訳へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
塚本訳 蛇をつかむことができ、たとえ毒を飲んでも決して害をうけず、病人に手をのせれば(かならず)癒えるであろう。」
前田訳蛇をつかみ、毒を飲んでも害されず、病者に手を置けばいやされよう」と。
新共同手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
NIVthey will pick up snakes with their hands; and when they drink deadly poison, it will not hurt them at all; they will place their hands on sick people, and they will get well."
註解: 前半の二項は福音書に見出されない事柄で蛇のことは使28:2以下の記事、毒を飲むとも害を受けないことは使徒時代以後の伝説としても記録され、また使徒ヨハネに関してもかかることありしとの伝説がある。これらの二つの要件は福音書的というよりもむしろ経外聖書の思想を移したものである。手をつけて病を醫すことはイエスもこれを行い給うたけれども、また使徒につきても言われている(使28:8)。何れにしても福音書的新鮮さを欠くことは明かである。

7-1-ハ イエスの昇天 16:19 - 16:20

16章19節 (かた)()へてのち、(しゅ)イエスは(てん)()げられ、(かみ)(みぎ)()(たま)ふ。[引照]

口語訳主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
塚本訳 主は(このように)彼らに語った後、“天にあげられて”“神の右にお座りになり、”
前田訳主〔イエス〕はこう彼らに語ったのち天に挙げられて神の右におすわりになった。
新共同主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
NIVAfter the Lord Jesus had spoken to them, he was taken up into heaven and he sat at the right hand of God.
註解: イエスの昇天と神の右(神に次げる最高の地位)に坐し給うこととは、復活の当然の結末でありまたその目的である。ただしその有様を今日の我らの能力の範囲内において完全に理解することは不可能である。これを純粋に霊的に解しても不可でありまたこれを純粋に物質的に解すべきではない。
辞解
ルカ24:51使1:2にも語り終えて後直ちに昇天し給える記事あり、その他イエスの昇天の預言とその思想は、福音書の諸所に散在す。

16章20節 弟子(でし)たち()でて、(あまね)福音(ふくいん)宣傳(のべつた)へ、(しゅ)(また)ともに(はたら)き、(ともな)ふところの(しるし)をもて、御言(みことば)(かた)うし(たま)へり〕[引照]

口語訳弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕
塚本訳 弟子たちは出ていって到る所で教えを説いた。すると主は彼らと共に働いて、(その伝道に)いろいろな(不思議な)徴をともなわせ、(彼らが説く)御言葉(の正しいこと)を保証された。】 別 の 附 録【しかし女たちは(今)命じられたことの一切を、手短かにペテロたちに告げた。そのあとで、イエス自身も彼らをもって、東から西まで、永遠の救いの、聖なる朽ちざるおとずれを、おくられた。
前田訳弟子たちは出かけて至るところに福音を説いた。主はともに働き、伴う徴をもって彼らのことばの証拠とされた。
異本に
〔女たちは命じられたことのすべてをペテロたちに手短に伝えた。そののち、イエスご自身も、永遠の救いの聖なる朽ちない音信(おとずれ)を、彼らを通じて東から西まで送られた。〕
新共同一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。〕〔婦人たちは、命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短に伝えた。その後、イエス御自身も、東から西まで、彼らを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた。アーメン。〕
NIVThen the disciples went out and preached everywhere, and the Lord worked with them and confirmed his word by the signs that accompanied it.
註解: これは福音書よりもむしろ使徒行伝の要約とも言うべきもので昇天後のイエスが弟子たちを通して福音書を宣伝え、奇蹟を行い御言を堅うし給えることを録す。聖霊につきて記していないのはイエス伝としての結尾たらしめんがためであろう。