第2コリント第12章
分類
6 パウロの自己辯明(其の二)
10:1 - 12:18
6-3 パウロの体験に対する誇り
12:1 - 12:10
6-3-イ 神秘的体験
12:1 - 12:6
註解: パウロは更に進んでその受けし黙示と、その弱き中に与えられる力とを述べ、以ってその自己弁護を継続している。
12章1節 わが
口語訳 | わたしは誇らざるを得ないので、無益ではあろうが、主のまぼろしと啓示とについて語ろう。 |
塚本訳 | わたしは(もう少し)自慢せねばならない。なんの役にも立たないことではあるが。そこで、主の幻と啓示と(を見聞きしたこと)に進もう。 |
前田訳 | 無益ではあってもわたしは誇らねばなりません。主の幻と啓示とを話しましょう。 |
新共同 | わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。 |
NIV | I must go on boasting. Although there is nothing to be gained, I will go on to visions and revelations from the Lord. |
註解: パウロは人の誉れを求めない、故に誇る事は無益であるけれども、その使徒職を弁護せんが為には止むを得ない
註解: パウロの誇りは己に関するものより、更に進んで主の幻像(まぼろし)と啓示とに及ばんとしている。▲口語訳は原文に近い。
辞解
[顯示 ] オプタシヤoptasiaは眼に見ゆる幻象
[黙示] アポカリュプシスapokalypsisは見ゆると見えざるとに関わらず、従来隠れていたものが顕わされる事、故に神より与えられる黙示を意味する
口語訳 | わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた—それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。 |
塚本訳 | キリストにある一人の人が、十四年前──肉体をもってであったか、わたしは知らない、肉体を離れてであったか、わたしは知らない、神が御存じである、──この人が第三の天にまでさらってゆかれたことを、わたしは知っている。 |
前田訳 | わたしはキリストにあるひとりの人を知っています。十四年前に、体のままか、わたしは知らず、体の外か、わたしは知らず、神がご存じですが、このような人が第三の天まで連れられました。 |
新共同 | わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 |
NIV | I know a man in Christ who fourteen years ago was caught up to the third heaven. Whether it was in the body or out of the body I do not know--God knows. |
註解: パウロはこれより彼に取って最も貴重なる一の神秘的体験を語らんとしている。彼が第三人称を用いてその経験を語っているのは、かかる経験には自己の関与し得る範囲は全く無く、我は我にして我にあらず、唯神の力によりて左右せられつつある第三者の如き状態であったからである。
辞解
[キリストに在る人] 基督者の事
この
註解: 紀元43年頃でパウロがアンテオケまたはタルソに居た頃に当るであろう(使11:25)。「第三の天」T列8:27に「天も諸 の天の天も」とあるより、ラビの中には三つの天ありと主張する者があった、七つの天ありとの思想が生じたのは第2世紀頃である(S1)。パウロは最高の天まで取り去られた体験を持っていた
(
註解: パウロの神秘的状態は非常に特異であったので、肉体のまま第三の天まで携え挙げられしか、または霊魂のみが肉体を離れて携え挙げられしか彼自身これを知らなかった、神は勿論これを知り給う。これを見ればこの経験が普通のものにあらざる事を知る事ができる
12章3節 われ
口語訳 | この人が—それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである— |
塚本訳 | すなわちその人が──肉体をもってであったか、肉体なしであったか、わたしは知らない、神が御存じである、── |
前田訳 | そしてこの人が、体のままか、体の外か、神がご存じですが、 |
新共同 | わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 |
NIV | And I know that this man--whether in the body or apart from the body I do not know, but God knows-- |
註解: 「斯くの如き人」は次節に説明される如き人で、「肉体にてか云々」は前節と同一の意味で、次節の如き言を肉体にて聞いたのか、また肉体以外にて霊を以って聞いたのか、自分には解らないとの意味である
12章4節 かれパラダイスに
口語訳 | パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。 |
塚本訳 | 彼が極楽にさらってゆかれて、口にしてはいけない、人が語ってはならない(聖なる)言葉を聞いたことをわたしは知っている。 |
前田訳 | パラダイスに連れられ、口でいえない、人間には語ることが許されないことばを聞きました。 |
新共同 | 彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。 |
NIV | was caught up to paradise. He heard inexpressible things, things that man is not permitted to tell. |
註解: 七天説を主張する人は、パラダイスは第三の天以上の処にありと解するけれども誤りであって、パウロは第三の天とパラダイスとを同一視しているのである(A1、S1)そこで彼は肉体にありてか否かは分らないけれども、人が語らんとして語る事ができず、また語る事ができても語ることを許されない神秘的な言をきいた
12章5節 われ
口語訳 | わたしはこういう人について誇ろう。しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをすまい。 |
塚本訳 | こんな人のことをわたしは自慢しよう。しかしわたし自身のことは、弱いこと以外は自慢するまい。 |
前田訳 | この人については誇りましょう。しかしわたし自身については弱さのほか誇りますまい。 |
新共同 | このような人のことをわたしは誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。 |
NIV | I will boast about a man like that, but I will not boast about myself, except about my weaknesses. |
註解: かかる神秘的体験を与えられし事は、パウロに取って非常に貴重なる出来事であり、かかる人に対しては誇る理由が充分にあった。唯かかる人は己にして己にあらず、パウロにしてパウロにあらず恰 も他人の如きものである。故に之を誇っても恰 も他人のことにつきて誇る如きものであった。故にパウロ自身に就いては弱き事以外には誇らない決心をパウロは為していた
12章6節 もし
口語訳 | もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないだろう。しかし、それはさし控えよう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたりしている以上に、人に買いかぶられるかも知れないから。 |
塚本訳 | もっともわたしが(こんな啓示を)自慢したところで、「馬鹿者」(と言われるほどのこと)ではなかろう。本当のことを言うのだから。しかし差し控える。わたしを見、あるいはわたしから聞く以上に、(何か特別のものでもあるように)だれかがわたしを買いかぶらないためである。 |
前田訳 | もし誇ろうと思っても、真理をいうのですから、愚かにはなりますまい。しかしわたしは控えます。人がわたしについて見たり聞いたりする以上に、わたしのことを評価しないためです。 |
新共同 | 仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、 |
NIV | Even if I should choose to boast, I would not be a fool, because I would be speaking the truth. But I refrain, so no one will think more of me than is warranted by what I do or say. |
註解: Uコリ11:1、Uコリ11:16。等と異なり誇りの内容が自己の価値や状態ではなく、全く自己を超越せる神秘的事実である以上、誠実を持ってこれを語る場合に愚 なる者とはならないであろう
辞解
[▲「誠實 ならば」] 「誠実なれば」の誤訳。口語訳が正しい。
されど
註解: 若しパウロが受けし顯示 と黙示とを凡て語ったならば、これを聞くものその不可思議に驚きパウロを実際以上に崇め、その見聞せる事実以上にパウロを買被る様になるであろう、故にパウロは誇ることを罷 めた。神秘的宗教(たとえば禅宗の如き)は著しくその神秘的体験を誇示する傾向がある。パウロとは正反対の態度である。
12章7節
口語訳 | そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 |
塚本訳 | そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。 |
前田訳 | 啓示があまり素晴らしいので、わたしが高ぶらないよう肉に刺が与えられました。それはわたしが高ぶらないよう打つためのサタンの使いです。 |
新共同 | また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。 |
NIV | To keep me from becoming conceited because of these surpassingly great revelations, there was given me a thorn in my flesh, a messenger of Satan, to torment me. |
註解: パウロは自己の肉の誇(Uコリ11:16−22)、弱さの誇(Uコリ11:23−33)を述ぶる場合には大胆であった、これ何人もパウロのこの誇を聞きてパウロを過度に崇める者は無く、寧ろ彼を愚 と思うだけの事であった。然るにパウロはその鴻大 なる黙示につき誇る事を非常に謹み、且つ自己の肉体に与えられし刺を以て高ぶる事無からん為めに、神より与えられし刺であると信じていた。この「刺」の何であるかについては、古来幾多の説を生じ(例一、冒涜、淫欲、過去の罪の悔恨等を起こさしむる悪魔の襲撃。二、反対党の攻撃、その聖職に伴う困難。三、憂鬱病、頭痛、ヒポコンデリー、癲癇 、眼病、その他の疾病)、要するに何れとも決定し難いけれど、この「刺」が(1)黙示に対する高ぶりを止め(2)肉体に苦痛を与え(3)急激に彼を「撃ち」倒す如き性質のものであり(4)サタン的性質をもち(5)これを除く事が可能なる点(8節)等より考うれば、ラムゼーの主張する低地ガラテヤ地方の地方病なる、一種の間欠的マラリヤ病の如きものであったろう
註解: この刺はサタンの使であった。サタンがパウロにこの高き動機を与えんとしたのでは無い、サタンは唯彼を撃つ事を好んだ、而して神はこのサタンを用いてパウロをして高ぶる事無からしめ給うた。
辞解
[撃つ] 急に激しく打つ事
[サタンの使] サタンは多くの従者を有 っており、これ等が彼の使となった
12章8節 われ
口語訳 | このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 |
塚本訳 | この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、 |
前田訳 | このことについて主に三度それを除くよう願いました。 |
新共同 | この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。 |
NIV | Three times I pleaded with the Lord to take it away from me. |
註解: パウロはキリストにこの刺を去らしめ給わんことを二度祈っても応えられず、三度目に次の如くに主の答えを得た
12章9節
口語訳 | ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 |
塚本訳 | 主は(その都度)言われた、「わたしの恩恵はあなたに十分だ。力は弱さの中に完成されるのだから。」、それでわたしはキリストの力がわたしに住みついてくださるように、大喜びで、むしろ(自分の)弱いことを自慢しよう。 |
前田訳 | しかし主はいわれました、「わが恩恵はあなたに足りている。力は弱さのうちに全うされるから」と。それで、キリストの力がわたしをおおうために、むしろ大いによろこんで弱さを誇りましょう。 |
新共同 | すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 |
NIV | But he said to me, "My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness." Therefore I will boast all the more gladly about my weaknesses, so that Christ's power may rest on me. |
註解: 「最大の苦痛の中にも恩恵は有り得る」(B1)パウロに対するキリストの恩恵は欠けるところが無かった。キリストは鴻大 なる黙示と共に耐え難き弱さをパウロに与え、これによりてパウロに一方に偉大なる確信を与えると同時に、これを高ぶること無からしめんがために他方に弱さを与え、而もその弱きに失望せざらんが為に弱き中にキリストの能力を充たし給うた。これにまさる恩恵は無い。人は神の偉大と自己の弱少とを知るとき最も幸福である。
さればキリストの
註解: このキリストの御言をききてパウロの心は一変した、その弱さは彼の誇となり、彼は自ら強からんとせずして却ってキリストの能力に庇 われて、キリストの能力によりて彼の弱さが全うせられ強きものとされる事を望むに至った。ここに至ってUコリ11:30。12:5の理由が明かとなった。
辞解
[庇 う] 「天幕の中に入れる」事であって恰 もキリストの能力の中に住むが如き状態を指している
12章10節 この
口語訳 | だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 |
塚本訳 | それゆえわたしは弱いことを、虐待、艱難、また迫害と苦悩をうけることを、キリストの故に喜ぶ。わたしは弱い時には、(彼の力によってかえって)強いのであるから。 |
前田訳 | それゆえ、キリストのために、わたしは弱さ、侮り、困難、迫害、行きづまりに甘んじます。弱いときにこそわたしは強いのです。 |
新共同 | それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 |
NIV | That is why, for Christ's sake, I delight in weaknesses, in insults, in hardships, in persecutions, in difficulties. For when I am weak, then I am strong. |
註解: パウロの最も強き時は、主の黙示によりて第三の天に携え挙げられ、言い得ざる語るまじき語を聞きて高ぶっている時ではなく、キリストのために恥辱、艱難(寧ろ困窮の意味)、迫害、苦難等に逢いて弱きを感じている時である。これキリストの力が彼を掩 うからである。故に彼はその場合に於いても尚欣然 としてこれを受け納れることができた。
辞解
[喜ぶ] エウドコーeudokôはここでは「満足に思う」との意味で歓喜に溢れる意味ではない
要義1 [神秘的体験の価値]神は時に我らをして、絶妙なる神秘的体験に入らしめる事がある。多くの宗教または哲学はその極致をこの体験に置き、これを以て最上の誇としている。然るにパウロの場合においては之に反し、この体験をば恰 も第三者に関するものの如く、これを以て神の特別の働きと見、己に取って誇るべき何物でも無いことを主張している事は注意すべき事柄であって、基督教はかかる体験を軽視せざると同時に、その基礎をかかる体験に置かず、かえって之を与え給えるキリストに置き、その誇りをかかる特別の境地に置かずして、キリストの為に苦しむ弱き自己に置く事を忘れてはならない。要するに神秘的体験はその実質内容において極めて崇高であるに関わらず、常に(1)例外的であり(2)不可解であり(3)瞬間的であり(4)而して日常生活と直接の関係が無い点において、真の救いの福音で有り得ない事は何れの神秘主義においても共通の欠点である。
要義2 [弱き時に強し]基督者には恥辱、困窮、迫害、艱難は必ず付随して来る。それにも関わらず彼らがその中にありてなお力を失わざるのみならず、却って喜びてこれに耐える事ができる所以は何であるかと云うに、彼等の力の秘訣がキリストに在るからである。その弱き時にキリストの能力は全うせられ、反対に自ら強しとして誇る間はキリストの能力は彼を離れているのである。
この意味においてパウロの誇りは反対に偽使徒等の誇りを挫 くの原因となるのである。彼等は自らを高くし、自らの力に誇りパウロの弱さを嘲りつつ、これを以て彼の使徒にあらざる証拠となさんとしていた。これに対しパウロは反対にその弱きを誇る事によりて彼らの誤りを示し彼らが強きが如くにして却ってキリストより離れ、キリストの能力に庇 われざる弱きものなる事を明かにしているのである。
口語訳 | わたしは愚か者となった。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのだ。実際は、あなたがたから推薦されるべきであった。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからである。 |
塚本訳 | わたしは(とうとう)馬鹿者になってしまった。あなた達がわたしを強いたのだ。あなた達に推薦してもらわねばならなかったの(に、してくれなかったの)だから。わたしは無価値であっても、何一つあの「特別使徒諸君」に劣っていなかったではないか。 |
前田訳 | わたしは愚かになりました。あなた方がそれを強いたのです。本当はあなた方から推薦されるべきでした。たとえわたしには取り柄がなくても、何ら超使徒たちに劣ってはいません。 |
新共同 | わたしは愚か者になってしまいました。あなたがたが無理にそうさせたのです。わたしが、あなたがたから推薦してもらうべきだったのです。わたしは、たとえ取るに足りない者だとしても、あの大使徒たちに比べて少しも引けは取らなかったからです。 |
NIV | I have made a fool of myself, but you drove me to it. I ought to have been commended by you, for I am not in the least inferior to the "super-apostles," even though I am nothing. |
註解: 前節の叫びを発して後、パウロは第11章以下を回顧して、「予がかくの如くに愚 になり果てたのも汝らに強いられたからであって、その責任は汝らに在る」と云っている。パウロはその愚痴の結局最も賢こき途である事を知っていた。唯彼らが彼を目して愚痴となし暗黒と嘲ることを知り、これを利用して彼らの責任を覚らしめんとしたのである
註解: 「偽使徒らが汝らに誉められており、我が誉められていない事は誤りである。汝らがかかる誤りに陥っている故止むを得ず予も愚 となったのである」
註解: 「数うるに足らぬ者」即ち無価値なる者として、パウロは自己を神の前に卑下 らしめつつも、何事においてもかの大使徒(引照3、4)らに劣らない事を再びここに主張している。これは彼の偽らざる確信であった。
辞解
[大使徒] 偽使徒を指すものと解する事につきてはUコリ11:5註参照
12章12節
口語訳 | わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきた。 |
塚本訳 | 実際、使徒の印はあなた達のあいだで、あらん限りの忍耐をもって、かずかずの徴や不思議なことや奇蹟によって、行われたのであった。 |
前田訳 | 使徒としての徴はあらゆる忍耐をもってあなた方の間でなされました。それは徴ばかりでなく、不思議と力あるわざによってです。 |
新共同 | わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。 |
NIV | The things that mark an apostle--signs, wonders and miracles--were done among you with great perseverance. |
註解: 「使徒の徴」とは使徒たる事を示すに足る徴であってマタ10:1。マコ3:13−15、パウロはこれを狭義の「徴」と不思議と能力ある業とに区別している。パウロは種々の困難の中に忍耐を以てこれ等を行った。これ彼の使徒たる証拠として充分である。
辞解
[徴]はその力の源が天に在る活動を意味し「不思議」はその現象の異常なるものを意味し「能力ある業」または「能力」はその活動の性質より見てこれを名付けたものであって、奇跡その他の偉大なる活動を指す
12章13節 なんぢら
口語訳 | いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではないか。この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。 |
塚本訳 | いったい、あなた達はほかの(人が建てた)集会に比べて、ひけを取ったことが何かあるのか、このわたしが(あの諸君とは違い、)御厄介にならなかったことを除いては。この不正(だけ)は(どうか)ゆるしてもらいたい! |
前田訳 | あなた方が他の諸集会よりも軽く扱われた点といえば、わたしの方からあなた方に負担をかけなかったことだけではないでしょうか。この不公平についてはゆるしてください。 |
新共同 | あなたがたが他の諸教会よりも劣っている点は何でしょう。わたしが負担をかけなかったことだけではないですか。この不当な点をどうか許してほしい。 |
NIV | How were you inferior to the other churches, except that I was never a burden to you? Forgive me this wrong! |
註解: パウロがコリントの信徒より俸給を受けなかったこと、換言すれば彼等がパウロを扶養しなかった点を除いては、コリントの教会は何れの点より見るも、他の教会に劣っていない
註解: パウロは当然の権利として俸給を受くべきであった、これを受けなかった事は一種の「不義」である(邪悪の意味の不義ではなく、義を行わない意味の不義である(B1))。パウロはコリントの教会に向い、その恕 を乞うた。たしかにコリント教会がパウロに俸給を払わんとする場合にもこれを受けないのは、その愛を受けない事で決して最善の態度ではない。唯パウロの主義に忠実なる結果ここに至っているのである。故にパウロは謙遜なる態度を以ってこの点の恕 を乞い、その他の点において彼の使徒としての地位を主張している。(注意)本節を反語的に解し、パウロが厭味(いやみ)を言っているものと解する人があるけれども、かく解する場合にはこの語があまりに下等になる恐れがある故、予はこれを採らない
12章14節
口語訳 | さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしている。しかし、負担はかけないつもりである。わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきである。 |
塚本訳 | わたしはあなた達の所にもうこれで三度目に行く準備がしてある。(今度も)御厄介になるまい。わたしはあなた達のものをねらっているのではなく、あなた達自身をねらっているのだから。子供が親のために貯えるのは当然でなく、親が子供のために貯えるのが当然ではないか。 |
前田訳 | 今三度目にそちらへ行く用意があります。しかしあなた方に負担はかけますまい。わたしの求めるのはあなた方の持ちものでなく、あなた方自身です。子は親のために蓄える必要はなく、親が子のために蓄えるべきです。 |
新共同 | わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。 |
NIV | Now I am ready to visit you for the third time, and I will not be a burden to you, because what I want is not your possessions but you. After all, children should not have to save up for their parents, but parents for their children. |
註解: パウロは此の度もコリント人を煩わさないよう準備をしていることを告げ、彼らに対する愛の深さを表わしている。
辞解
[三度] 「三度目に」であって第二回訪問につきてはUコリ1:16辞解参照
註解: パウロの伝道には利益を求むる念慮は更に無く、唯如何にもして一人でも多くの霊魂を求めて、これをイエスに導かんとするのみであって、純潔の極みであった
それ
註解: パウロは親子間のこの心理を自己に適用する事ができるほど、コリント教会を愛していた。故に子の為に貯える事こそ彼に相応しいのであって、子の所有を求めることは彼の全く望まない処であった
12章15節
口語訳 | そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのであろうか。 |
塚本訳 | しかしわたしは(魂の父であるから、)大喜びで(物を)捧げ(るばかりでなく)、あなた達の魂のためには、命をも捧げ尽くそう、わたしが特に強くあなた達を愛するので、そのためより少なく愛されねばならないのだろうか。 |
前田訳 | わたしはあなた方の魂のために、大いによろこんで費用を出し、自らを使いつくしもしましょう。わたしはあなた方を愛しすぎるがゆえに、愛されることが少ないのですか。 |
新共同 | わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。あなたがたを愛すれば愛するほど、わたしの方はますます愛されなくなるのでしょうか。 |
NIV | So I will very gladly spend for you everything I have and expend myself as well. If I love you more, will you love me less? |
註解: 愛する者の為には惜しみなく与う、パウロはコリントの教会のためにその財やその労働の果を費やし、更に己自身をすら費やす事をこの上もなく喜んでいた。パウロの伝道の報酬はここにあった(Tコリ9:18)
註解: パウロは斯くの如く多くコリント教会を愛しその俸給を受けずにいるのに、その為に却ってパウロを疑い、パウロを愛する事少ないのは何たる事であるか。真の愛を誤解して却ってその人を憎む事は往々にして有り得る事柄である。(注意)本節はまた「たとい我汝らを多く愛するによりて、汝ら我を少なく愛するとも我は大いに喜びて云々」と読む事もできる
12章16節
口語訳 | わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、人は言う。 |
塚本訳 | わたしが、あなた達に重荷を負わさなかったことは、そのとおりであるにしても、しかしわたしは「悪賢くて、計略であなた達から巻き上げた」というのだ! |
前田訳 | あなた方に重荷を負わせなかったにせよ、わたしはずるくて、あなた方をだましてかちえたといわれます。 |
新共同 | わたしが負担をかけなかったとしても、悪賢くて、あなたがたからだまし取ったということになっています。 |
NIV | Be that as it may, I have not been a burden to you. Yet, crafty fellow that I am, I caught you by trickery! |
註解: 「或人いわん」estô deは「それはそうとして」と云う如き意味、反対者の中にはかかる言葉を設けてパウロを非難する者もあった
12章17節
口語訳 | わたしは、あなたがたにつかわした人たちのうちのだれかをとおして、あなたがたからむさぼり取っただろうか。 |
塚本訳 | わたしはあなた達の所にやった者たちのだれかを使って、あなた達をごまかしたのではなかろうか。 |
前田訳 | わたしはそちらに人をつかわして、あなた方を欺いたのですか。 |
新共同 | そちらに派遣した人々の中のだれによって、あなたがたをだましたでしょうか。 |
NIV | Did I exploit you through any of the men I sent you? |
註解: 人を遣わし金銭を要求する等の方法によりて汝らを掠 めた事は決して無い
12章18節
口語訳 | わたしは、テトスに勧めてそちらに行かせ、また、かの兄弟を同行させた。テトスは、あなたがたからむさぼり取ったことがあろうか。わたしたちは、みな同じ心で歩いたではないか。同じ足並みで歩いたではないか。 |
塚本訳 | わたしはテトスに勧め、そして(一人の)兄弟(のB)を一所にやったが、テトスがあなた達をごまかしでもしたというのか。(まさかそんなことはあるまい。)わたし達は同じ御霊で歩かなかったろうか。同じ足跡を踏んで歩かなかったろうか。 |
前田訳 | わたしはテトスに依頼し、あの兄弟を同行させました。テトスがあなた方を欺いたのですか。われらは同じ心で、同じ足どりで歩いたではありませんか。 |
新共同 | テトスにそちらに行くように願い、あの兄弟を同伴させましたが、そのテトスがあなたがたをだましたでしょうか。わたしたちは同じ霊に導かれ、同じ模範に倣って歩んだのではなかったのですか。 |
NIV | I urged Titus to go to you and I sent our brother with him. Titus did not exploit you, did he? Did we not act in the same spirit and follow the same course? |
註解: その名は我らこれを知る事ができないUコリ8:18註参照
テトスは
註解: パウロとテトスは共に聖霊によりて歩み、共に同じキリストの足跡(Tペテ2:21)を歩んでいた、即ち彼らは同心一体であり、決して私欲のために汝らを掠 める様なことは為した筈がない。
要義 [金銭問題の重要さ]使徒パウロに対して金銭上の疑惑を投げかけし者がある事は、今日より考うれば驚くべき事であると云わなければならない。しかしそれは事実であった。金銭問題に就いては人は往々最も卑劣なる心情を起すものである。パウロの如くにその伝道に関し、他人に金銭的負担を負わせざりし場合においてすらなお然りであること故、況 や金銭によりてその信徒に支持される場合はなお更かかる誤解や疑惑が起り易い。それ故にパウロの如くに金銭上の支持を受けずに伝道する事は伝道者の義務では無いにしても少なくとも非常に有益である事はこれを疑う事ができない。パウロが死を賭 してもこの主義を固持せし所以の一はここにあったのであろう。
分類
7 パウロの自己弁明の目的
12:19 - 13:10
7-1 建徳と悔改めのため
12:19 - 12:21
12章19節
口語訳 | あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対して弁明をしているのだと、今までずっと思ってきたであろう。しかし、わたしたちは、神のみまえでキリストにあって語っているのである。愛する者たちよ。これらすべてのことは、あなたがたの徳を高めるためなのである。 |
塚本訳 | あなた達は(この手紙を読みながら、)わたし達があなた達に(自分を)弁明していると、ずっと前から思っていたであろう。(そうではない。)わたし達は神の前に、(責任をもち、)キリストにあって語っているのである、愛する者たちよ、しかしすべてはあなた達(の信仰)を造りあげるためである。 |
前田訳 | あなた方は前からわれらが弁明しているとお思いでしょう。しかしわれらは神の前に、キリストにあって語っているのです。親しい方々、すべてはあなた方の形成のためです。 |
新共同 | あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対し自己弁護をしているのだと、これまでずっと思ってきたのです。わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです。 |
NIV | Have you been thinking all along that we have been defending ourselves to you? We have been speaking in the sight of God as those in Christ; and everything we do, dear friends, is for your strengthening. |
註解: 「この手紙を見て汝らは我らが汝らを審判人と仰ぎ、汝らの好感を得んとする如き態度を以て汝らに対して弁明し、汝らの信頼を恢復せんとする意気地なき態度を取っているものと思ったであろう。しかしそうでは無い、我らは「人の審判によりて審かれることを最も少き事とし」(Tコリ4:3)「神の前に」語っているのである。故に人が如何に思うかは眼中に無い、また「キリストに在りて」語っている。故に真実にして利欲や虚偽は無く、人の歓心を買わんとする如きことは毫 も無い
註解: パウロが自己弁明の如き事を永々と繰返した目的を、パウロはここに始めて言明しているのであって、それは自己弁明ではなくコリントの信徒の徳を建てその信仰の進歩発達の為であった。即ちパウロに対する誤解が多くの悪事(次節に列挙される如き)の源を為しているのみならず、また真の福音を受けず他のキリストを信ずる如き事も皆パウロの使徒職、人格、行動を誤解するより起るのである。故にこれを弁明する目的はこれによりて汝らを矯正し、信仰を建て上げんが為であるとパウロは主張しているのである。
12章20節 わが
口語訳 | わたしは、こんな心配をしている。わたしが行ってみると、もしかしたら、あなたがたがわたしの願っているような者ではなく、わたしも、あなたがたの願っているような者でないことになりはすまいか。もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、ざんげん、高慢、騒乱などがありはすまいか。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしが行って、わたしが願っているようでないあなた達を見たり、あなた達が願っていないような(きびしい)わたしをあなた達に見られることがあってはと、心配しているのだから。すなわち、(まだあなた達の間に)争い、嫉妬、激怒、利己的行動、そしり、陰口、高ぶり、無秩序(など)があってはと、心配している。 |
前田訳 | わたしはおそれます。そちらへ行ったとき、あなた方はわたしの欲するものでなく、わたしもあなた方の欲するものでないことになりませんか。争い、妬み、怒り、対立、そしり、陰口、高ぶり、騒ぎがありはしませんか。 |
新共同 | わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。争い、ねたみ、怒り、党派心、そしり、陰口、高慢、騒動などがあるのではないだろうか。 |
NIV | For I am afraid that when I come I may not find you as I want you to be, and you may not find me as you want me to be. I fear that there may be quarreling, jealousy, outbursts of anger, factions, slander, gossip, arrogance and disorder. |
註解: パウロの自己弁明は一方コリント人に誤解を示して、彼ら自身の行為の改むべき点を覚らしめ、他方彼らをして真の使徒の如何なるものなるかを示して、パウロに対する正しき期待を持たしめんが為であった。コリント人がパウロの望みの如くならざる場合は20及び21節に記され、パウロがコリント人の望みの如くならざる場合は13:1以下に記されている
かつ
註解: 偽使徒が勢力を逞 しくし、正しき使徒に対して悪評をなしコリント教会を分離せしむる場合には、ここに列記せる如き悪結果が生ずる事は自然であって、パウロは第一にこれを恐れていたのである。
12章21節 また
口語訳 | わたしが再びそちらに行った場合、わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはすまいか。 |
塚本訳 | わたしが行ったとき、もう一度わたしの神があなた達の所でわたしに面目を失わせられるのではないか、そして前に罪を犯し、(なお)その行なった汚れと不品行と放蕩とを悔改なかった大勢の人(のこと)を惜しみ悲しまねばならないのではないか、それをわたしは心配している。 |
前田訳 | わたしがふたたび行くとき、わが神がわたしをあなた方の前ではずかしめたまわないでしょうか。そのうえ、前に罪を犯し、そのなした汚れと不義と色ごとを悔い改めない多くの人のことを悲しまないでしょうか。 |
新共同 | 再びそちらに行くとき、わたしの神があなたがたの前でわたしに面目を失わせるようなことはなさらないだろうか。以前に罪を犯した多くの人々が、自分たちの行った不潔な行い、みだらな行い、ふしだらな行いを悔い改めずにいるのを、わたしは嘆き悲しむことになるのではないだろうか。 |
NIV | I am afraid that when I come again my God will humble me before you, and I will be grieved over many who have sinned earlier and have not repented of the impurity, sexual sin and debauchery in which they have indulged. |
註解: パウロの訓戒が少しも遵法 せられずにいるならば、彼は神の前に恥ぢしめられるであろう、これ第二の恐れであった
註解: 私訳「前に罪を犯し、而してその行える不潔と姦淫と好色とを悔改めざる多くの、人々につき我が悲しむことあらんかと恐る」。パウロの思想はここに10−12章に論じたる自己の誇の問題より遡って再びUコリ1:23−2:11。Uコリ7:5−16等の問題に立ち返っている。これ彼の心を支配していた重大問題であった。而してコリントの状態が彼の努力にも関わらず、なお其の不潔を改めざる如き場合を彼は恐れていた。
要義 [パウロの行動を支配する原則]12:19節はパウロの行動の原則を示して遺憾なき一節である。彼はその愚 を標榜しつつ縷々 として自己の弁明を行った。これを聞きて人或はパウロを以って名を求むるに汲々たる者となし、またコリント人の歓心を得る事に熱心なるものと解したであろう、しかしながらこれ等は凡て誤解であった。彼の求めしものは名では無く、コリント教会の人々の徳を建つる事であった。彼の欲したものはコリント人の歓心ではなく、神の喜び給う事であった、故に彼は「キリストに在りて神の前にて語った」のである。故にその弁明がたとへ自己弁護であるにしても、毫 も卑劣なる心持を発見する事ができないのはそのためであって、若しこのパウロの弁護が、自己の名誉の擁護や勢力の扶植が目的であったならば、到底我らはこれを聴くに耐えないであろう。一見類似の行動であってもその動機と態度との差によりて非常なる差異が生ずる事あるはこれによりて知る事ができる。
第2コリント第13章
7-2 罪人を罰する必要なきに至るため
13:1 - 13:10
口語訳 | わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。 |
塚本訳 | わたしはあなた達の所にこれで三度目の訪問をする。“すべての事は、二人もしくは三人の証人の証言によって定められる”(と律法にあるではないか、三度の訪問が三人の証言に当る。) |
前田訳 | そちらへ行くのはこれで三度目です。「すべてのことは二人か三人の証人によって確認される」。 |
新共同 | わたしがあなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の証人の口によって確定されるべきです。 |
NIV | This will be my third visit to you. "Every matter must be established by the testimony of two or three witnesses." |
註解: Uコリ1:16。Uコリ12:14註参照
註解: 申命記の引用(引照2)であって、周知の律法である。パウロは己単独の決定によらず教会の主要なる人々を証人として、万事を慥 めんとしているのであってマタ18:16。Tコリ5:12、13と同一の方針によっているのである
13章2節 われ
口語訳 | わたしは、前に罪を犯した者たちやその他のすべての人々に、二度目に滞在していたとき警告しておいたが、離れている今またあらかじめ言っておく。今度行った時には、決して容赦はしない。 |
塚本訳 | (だから)わたしが二度目に行ったとき、前に罪を犯した者たちとほかのみんなに、あらかじめ言ったように、今離れていて、(同じことを)あらかじめ言っておくが、──わたしがもう一度行ったら、(その時こそ)容赦しない。 |
前田訳 | かつて罪を犯した人々と他のすべての人々に、二度目にそちらにいたときに前もっていい、今離れていても前もっていいますが、この次そちらへ行ったときには容赦しません。 |
新共同 | 以前罪を犯した人と、他のすべての人々に、そちらでの二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。今度そちらに行ったら、容赦しません。 |
NIV | I already gave you a warning when I was with you the second time. I now repeat it while absent: On my return I will not spare those who sinned earlier or any of the others, |
註解: 私訳「二度目に汝らに逢いし時に既に告げし如く、今離れていて前に罪を犯したる者とその他の凡ての人々とに予じめ告ぐ」。「他の凡ての人々」にも告ぐる意味は、彼らもまた各々省みてその罪を告白する様にすべき事、また必要なる処置を罪を犯せる者に対して取るべき事を警戒しているのである
われ
註解: 二度目に逢いし時も、かく告げたのであった。何故に二度目に彼らを罰しなかったかに就いては知る事ができないが、恐らく彼らを宥 さんがためにこれを忍んだのであろう。ロマ2:4
13章3節
口語訳 | なぜなら、あなたがたが、キリストのわたしにあって語っておられるという証拠を求めているからである。キリストは、あなたがたに対して弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い。 |
塚本訳 | あなた達はキリストがわたしにあって語っておられる証拠を求めているのだから、(願いどおり、彼がわたしによって働かれる力を見るであろう。)彼はあなた達に対して弱くない。いや、あなた達の間で強い。 |
前田訳 | あなた方はわたしの中に語りたもうキリストの証拠を求めているからです。彼はあなた方に対して弱くはなく、あなた方の中にあって強いのです。 |
新共同 | なぜなら、あなたがたはキリストがわたしによって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対しては弱い方でなく、あなたがたの間で強い方です。 |
NIV | since you are demanding proof that Christ is speaking through me. He is not weak in dealing with you, but is powerful among you. |
註解: コリントの人々は「パウロはキリストが己の中に在りて語り給うと主張しながら(ガラ2:20)実際、面を合わせる場合には至って弱虫である(Uコリ10:1、Uコリ10:10)。故にパウロが来ても、彼が口にて言うほど厳しくする事は無いであろう」と称えてパウロに挑んでいる。これ結局パウロの語る処はキリストに在りて語るのであって、真実にして偽りなき事の証拠を呈出せしめんとしているのである
キリストは
註解: 汝らが証拠を要求しており、我がうちに語り給うそのキリストは決して汝らに対して何事も出来ない弱者ではなく、汝ら教会の中に在して力強く働き給う御方である。故に彼に在りて我もまた汝らの中に力強く行うであろう
13章4節
口語訳 | すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。 |
塚本訳 | ほんとうに、彼は弱さのゆえに十字架をつけられ(て死なれ)たけれども、神の力によって、いま生きておられるからである。同様に、わたし達も彼と結びついているので弱いけれども、彼と共に、神の力により、あなた達に対して(強く)生きるだろうからである。 |
前田訳 | それは、弱さのゆえに十字架につけられ、神の力のゆえに生きたもうからです。われらも彼にあって弱いのですが、神の力によって彼とともにあなた方のために生きるでしょう。 |
新共同 | キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられるのです。わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています。 |
NIV | For to be sure, he was crucified in weakness, yet he lives by God's power. Likewise, we are weak in him, yet by God's power we will live with him to serve you. |
註解: キリストは肉体を取りて我らと同じ人間となり給い、「自らも弱きに纏 われ」給うた(ヘブ5:2)。その十字架は人としての弱さの結果である。然るにキリスト神の力によりて復活し給い、今現に強き力を以て活きて在し給う
註解: 我らも弱者であって、地位なく権力なく多くの艱難に晒されている。しかし我らはキリストに在り、彼と共に十字架上に死んでいる(ロマ6:4。ガラ2:20)
註解: キリスト神の能力によりて生き給うと同じく、我らもまたキリストと共に神の力によりて生き、汝らに対してキリストと同じく審判の権を行使するであろう。これによりて我にありて語り給うキリストの証拠を与えるであろう。「汝らに向う」は「神の力」の形容句ともなり、または「神の能力により彼と共に汝らに対して生きん」とも訳する事ができる。日本改訳は前者を取っており、予は後者を優れりと思う(A1・M0)。何となれば神の能力は本節前半のキリストに働けるものと同じく一般的のものであり、特にコリント人に対する神の能力に限られていない。而してパウロはここに特にこの力をコリントの教会に対して用うる事を明示する必要上、この力により「汝らに対して生きん」と云ったのである。
13章5節 なんぢら
口語訳 | あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。 |
塚本訳 | あなた達は(わたし達の使徒たる証拠を求めるより、)自分に信仰があるかどうか、自分自身を吟味し、自分自身をしらべてみよ。あるいは、もう(自分に信仰があって)イエス・キリスト(の霊)が自分の中におられることが、わかっていないのではないか。それではあなた達(の信仰)は明らかにまがい物なのだ! |
前田訳 | あなた方が信仰に生きているかどうか、自らをためし、自らをお調べなさい。イエス・キリストがあなた方のうちにいますことをご存じないのですか。それはあなた方が不適格でない限りのことですけれども。 |
新共同 | 信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが……。 |
NIV | Examine yourselves to see whether you are in the faith; test yourselves. Do you not realize that Christ Jesus is in you--unless, of course, you fail the test? |
註解: パウロに試みられる迄も無く彼ら自ら果たして信仰があるや否やを自分で試して見るがよい、そして信仰があるならばそれを証明するがよい。「試み」パイラゾー peirazô はある人または物の中にある善、または悪を験出する事であって、往々にして悪を験 し出す事の意味が主となる場合がある。「験 し」ドキマゾー dokimazô ある人または物の中にある善きものを験 し出す事のみに用いらる。故に神も悪魔も「試みる」事 peirozô はあるけれども、悪魔は「験 す」事 dokimazô は無い(T0)日本訳語は必ずしもかく一定していない。 (ヘブ11:17。創22:1。出15:25。ヤコ1:2、ヤコ1:22。マタ4:1。Tコリ7:5。黙2:10)
註解: (▲原文後半が三様に訳される可能性がある。即ち「(前半)君等はイエス・キリストが君等の中に在す事を知らないのか(後半)(1)もし棄てらるものでなかったら(そんな筈はない)(2)もし知らなかったら君等は棄てられる者である(3)もしキリスト、君等の中に在さなかったら君等は棄てられる者である。」文語訳は(3)口語訳は(2)RSVは(1)による。予は(3)を採る。)イエス・キリスト御自身が内在し給う事はその基督者たるの証拠でありまた条件である。而してこの事は、他人がこれを知る事ができず、自らこれを知る事ができる事柄である。而して若しイエス・キリストが我らの中に在し給わぬならば我らは棄てられるもの、亡ぶべきものである。基督者なりや否やの分れる点が宗派や、教義や行為によらずイエス・キリストが内在し給うや否やにある事は誠に幸なる事であって、これによりて自ら信仰の有無を験 す事ができる。若し我らキリストを信ずるならば彼は必ず我らの中に住み給うであろう(Tヨハ5:12、13を熟思せよ)。
辞解
[棄てられるもの] アドキモスadokimosは「験 す」事dokimazôの結果放棄される部分を云う、神は人類を験 してその中より信者を救い不信者を棄て給う、恰 も金銀を吹き分けて鋳屑 を棄つるが如し。マタ3:10。マタ7:9。マタ8:11等
13章6節
口語訳 | しかしわたしは、自分たちが見捨てられた者ではないことを、知っていてもらいたい。 |
塚本訳 | しかしそれにしても、わたし達はまがい物ではないことを認めてくれるように、わたしは望む。 |
前田訳 | われらは不適格でないことをお認めのよう、わたしは望みます。 |
新共同 | わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。 |
NIV | And I trust that you will discover that we have not failed the test. |
註解: パウロ自身はキリスト内在の確信があり、従って棄てられる者にあらざる事を知っていたけれども、彼はコリント人らもこの事を知る事を望んだ。これ「キリストが彼にありて語り給う」事を彼は実現し(Uコリ13:3)必要な場合には審判を行はなければならないからである
13章7節
口語訳 | わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈る。それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためである。 |
塚本訳 | けれどもわたし達が神に祈るのは、あなた達が何一つ悪いことをしないようにということである。(もちろん)それはわたし達が本物(の使徒)と見えるためではなく、わたし達はまがい物のようであっても、ただあなた達が(悔改めて)善いことをするようになるためである。 |
前田訳 | われらはあなた方が何の悪もしないよう神に祈ります。それはわれらが適格であることが明らかになるためでなく、われらが不適格のようであっても、あなた方が善をなすためです。 |
新共同 | わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。 |
NIV | Now we pray to God that you will not do anything wrong. Not that people will see that we have stood the test but that you will do what is right even though we may seem to have failed. |
註解: パウロはその使徒たる権を以て彼らを審判く事を望まない。従って彼らが少しも悪を行わない事を望んでいる、その希望が強い為に彼はこれを神に祈っている事をここに告白している
これ
註解: 前項の如くに神に祈る所以はこれにより彼らの悪が改められた結果、我らが使徒たる職務を全うしたとの誉を得んが為では無い。
辞解
[是 とせらるる] ドキモスdokimosは「棄てられるもの」の反対で神に義とせられ選び出される者の意
よし
註解: 自分たちの事は問題ではなく唯コリントの人々の善を行う事を願うのが、パウロの心である。ロマ9:3もこれと同じ心持を示している。
辞解
[棄てらるるものの如くなるとも] コリントの信徒が善を行へば、パウロ等は彼らを審判く機会を失い、恰もキリストの内在し給わざるものの如くに見えるであろう
13章8節
口語訳 | わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。 |
塚本訳 | というのはわたし達は神の真理に逆らっては何も出来ないが、真理のためには何でも出来るからである。 |
前田訳 | われらは真理に反しては何もできず、真理のためにのみ何かできます。 |
新共同 | わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。 |
NIV | For we cannot do anything against the truth, but only for the truth. |
註解: 彼らが真理に順 い、善を行う場合には我らはこれに逆らって力を出す事ができない、全くこれに対して無力である。反対に彼らが真理に反し悪を行う場合には、我らの能力が顕われて彼らを審判くに至るのである。パウロが能力ある如くに見ゆるのも、無き如くに見ゆるのも、要するにコリントの教会が真理の上に立つや否やによりて定まる
口語訳 | わたしたちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜ぶ。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが完全に良くなってくれることである。 |
塚本訳 | ほんとうに、わたし達は弱く(て何も出来なく)ても、あなた達が強い(ので善いことが出来るというの)なら、嬉しいのである。わたし達が祈るのは(結局)このこと、あなた達が完成されることである。 |
前田訳 | われらが弱くあなた方が強いときは、いつでもよろこびます。われらが祈り求めるのはあなた方の完成です。 |
新共同 | わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。 |
NIV | We are glad whenever we are weak but you are strong; and our prayer is for your perfection. |
註解: 前節の説明。彼ら真理に順 って強く、われらはその結果無力にして何等の権力を彼らの上に行使する機会が無い、しかしこれほど喜ぶべき事は無い
また
註解: 「全くならん事」は準備整い、全体に欠陥なきに至っている事。即ちパウロが到らんとき何等非難すべき点なきに至っている事をパウロが祈っているのである。
辞解
[全くなる] カタルティザインkatartizeinにつきTコリ1:10註参照
13章10節 われ
口語訳 | こういうわけで、離れていて以上のようなことを書いたのは、わたしがあなたがたの所に行ったとき、倒すためではなく高めるために主が授けて下さった権威を用いて、きびしい処置をする必要がないようにしたいためである。 |
塚本訳 | こういう訳で、(今度)一所にいるとき、主が授けてくださった全権によって、(あなた達に)きびしく振舞う必要のないために、(今)離れていてこれを書くのである。この全権は(あなた達の信仰を)造り上げるためのもので、破壊するためではないのだから。 |
前田訳 | それゆえ、このことを離れていて書くのは、わたしが行ったとき、主がわたしにお与えの権威によって、きびしく振る舞う必要のないためです。この権威は建設のためで、破壊のためではありません。 |
新共同 | 遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。 |
NIV | This is why I write these things when I am absent, that when I come I may not have to be harsh in my use of authority--the authority the Lord gave me for building you up, not for tearing you down. |
註解: Uコリ2:3。Uコリ10:4、Uコリ10:8、Uコリ10:11等の註参照。以上の諸節その他全書簡に充満する思想の結尾である。12:19以下ここに至るまでが本書を認 めし最も根本的の動機であった。
要義 [権威と愛との共働]若しパウロにしてその使徒たるの権威のみを用いたならば、コリントの教会は早く既に審判かれ、彼らはパウロの愛を感ずる事ができなかったであろう。若しまたパウロがその権威を用いずして愛のみに立ったならばコリント教会は彼を軽視したであろう。この二者その一を欠くとき使徒たるの職務を全うする事ができない。それ故に本書簡においてパウロは一方にその使徒職の権威を強調すると同時に、他方にこれを用いずに済ませんとの愛の希望が、熱烈に燃え上がっているのを見る事ができる。而してここにパウロにおいてこの二者の中常に愛が勝たんとしているのを見る事はまことに尊き事実であって、自己は棄てられるものとなりてもなおコリント教会を救わんとの熱望は、恰 も主イエスが十字架に懸かり給いて我らの罪を贖わんとし給えると同一の心情であった。コリント後書は実にパウロの十字架上の叫びであると云う事ができる。
分類
8 結尾の薦め
13:11 - 13:13
口語訳 | 最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。全き者となりなさい。互に励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。 |
塚本訳 | それでは、(愛する)兄弟たちよ、御機嫌よう。正しい道にもどってくれ。自分を戒めよ。思いを同じくせよ。平和を保て、そうすれば、愛と平和との神が一緒にいてくださる。 |
前田訳 | 終わりに、兄弟方、ごきげんよう。自らを全うし、互いに慰め、思いをひとつにし、平和であってください。愛と平和の神はあなた方とともにいますでしょう。 |
新共同 | 終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。 |
NIV | Finally, brothers, good-by. Aim for perfection, listen to my appeal, be of one mind, live in peace. And the God of love and peace will be with you. |
註解: 以上において厳格に彼等を叱責せるパウロは、ここに言葉を和らげて彼等に結尾の挨拶を為している(但し問題の中心は離れずに)。「汝ら喜べ」はパウロの書簡により気分が沈鬱にならない様にとの心使いであろう。基督者は一般に艱難の中に喜ぶべき事は勿論であるけれども(ピリ3:1。ピリ4:1。ロマ5:3)、この場合はこれを特にコリントの教会の現状に適用したものと見るべきであろう
註解: Uコリ13:9註参照。パウロの心にかかっている事は、コリント教会の不完全さであった
註解: 私訳「慰められよ」。Uコリ1:6、7誘惑と困難は当時の教会には必ず伴っており、常に慰められる必要が有った。神とキリストより及びパウロ等よりの慰め、また相互の慰めにより慰めらるべしとの事である
註解: 分離徒党を戒めている
註解: 直訳「平和なれ」。相互の間に紛争なき様にすべしとの事、心を一つにする結果自然にこれが行われるに至るであろう
註解: 心を一にし平和を保つ事は、愛と平和の神がともに在すに適当なる状態である、徒党と紛争のある処に愛と平和の神が宿り給う事ができない
13章12節
口語訳 | きよい接吻をもって互にあいさつをかわしなさい。聖徒たち一同が、あなたがたによろしく。 |
塚本訳 | 聖なる接吻で互に挨拶せよ。(この地の)聖徒たちみんなからあなた達によろしくとのことである。 |
前田訳 | 聖い口づけで互いにあいさつなさい。すべての聖徒があなた方によろしくいっています。 |
新共同 | 聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。 |
NIV | Greet one another with a holy kiss. |
註解: 「凡ての聖徒」はパウロにその当時接触していたマケドニヤ地方の信徒を一般的に指しているのである。当時の教会相互の親密なる交わりの表顕である
13章13節
口語訳 | 主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。 |
塚本訳 | 主イエス・キリストの恩恵と、神の愛と、聖霊の交りとが、あなた達一同と共にあらんことを。 |
前田訳 | 主イエス・キリストの恵みと神の愛と聖霊の交わりとが皆さんとともにありますように。 |
新共同 | 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。 |
NIV | All the saints send their greetings. |
註解: 三位の神が各々その特質を以て信者とともに在し給う。先ずキリストはその恩恵によりて我らを救い給い、我らこれによりて神の愛を直接に受くるを得るに至り、而して聖霊によりて神及びキリストと交わり相互に霊交を結ぶ事ができる。これが基督者の常態でなければならない。
13章14節 (無し:NIVのみ分節)
口語訳 | |
塚本訳 | |
前田訳 | |
新共同 | |
NIV | May the grace of the Lord Jesus Christ, and the love of God, and the fellowship of the Holy Spirit be with you all. |