黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版第1コリント

第1コリント第5章

分類
4 教会内の道徳問題 5:1 - 6:20
4-1 淫行の者に対する心得 5:1 - 5:13
4-1-イ 之をサタンに付すべし 5:1 - 5:5

註解: コリントの市が淫蕩(いんとう)の盛な市であつた事は既に緒言に於て之を述べた。此の風習は初期基督者にも影響を与えた。当時の人々は淫行を左程の罪悪とも思わなかつたのであろう、基督者も自然之に誘われ易かつた、乍併聖霊は之に反抗しかかる者を除くのであつて、是れ基督教会の特徴である。茲にパウロが(いまし)めている場合は其の中の最も(はなは)だしき例である。

5章1節 (げん)()(ところ)によれば、(なんぢ)らの(うち)淫行(いんかう)ありと、(しか)してその淫行(いんかう)異邦人(いはうじん)(なか)にもなき(ほど)にして、(ある)(ひと)その(ちち)(つま)()てりと()ふ。[引照]

口語訳現に聞くところによると、あなたがたの間に不品行な者があり、しかもその不品行は、異邦人の間にもないほどのもので、ある人がその父の妻と一緒に住んでいるということである。
塚本訳いったい、聞くところによればあなた達の間に不品行があり、しかも異教人の間にすらないような不品行で、父の妻(であった婦人)を妻にしている者があるほどだというではないか。
前田訳実際に聞くのですが、あなた方の間に不品行があり、それは異邦人の間にさえないほどのもので、父の妻をもつ人があるとのことです。
新共同現に聞くところによると、あなたがたの間にみだらな行いがあり、しかもそれは、異邦人の間にもないほどのみだらな行いで、ある人が父の妻をわがものとしているとのことです。
NIVIt is actually reported that there is sexual immorality among you, and of a kind that does not occur even among pagans: A man has his father's wife.
註解: 父の妻は普通後妻即ち継母であると解せられている。レビ18:8。「妻」の原語 gunee は、女、既婚の女、妻、妾、等の意味を有する語である、従て茲でも父の妾の意味にも取る事が出来る。その継母たると父の妾たるとを問わず之と不倫の関係に入つている事は異邦人の中にすら無き破倫の行為であつた(父の生存中であつたから尚更である。IIコリ7:12)
辞解
[現に] 「一体全体」という様な意味がある(7:7。15:29)。

5章2節 ()くてもなほ(なんぢ)(ほこ)ることをなし、かかる行爲(おこなひ)をなしし(もの)(のぞ)かれんことを(ねが)ひて(かな)しまざるか。[引照]

口語訳それだのに、なお、あなたがたは高ぶっている。むしろ、そんな行いをしている者が、あなたがたの中から除かれねばならないことを思って、悲しむべきではないか。
塚本訳それなのにあなた達は得意になっているのか。むしろ悲しんで、その行いをした者をあなた達の中から除こうとはしなかったのか。
前田訳しかもあなた方は思いあがっている。そのことを行なったものを仲間から除こうとして、むしろ悲しむこともなかったのですか。
新共同それにもかかわらず、あなたがたは高ぶっているのか。むしろ悲しんで、こんなことをする者を自分たちの間から除外すべきではなかったのですか。
NIVAnd you are proud! Shouldn't you rather have been filled with grief and have put out of your fellowship the man who did this?
註解: (▲原文では「なしし者の」と「除かれん」との間に「汝等の中より」とあり之が後代の破門制度の基礎となったのであるが、本来法律的なものではなく、かかる者が群の中に留まることは、信仰の証とならず主の体を汚すから之を遠ざけたのであった。)「よし仮に汝らに他に誇る理由があるにしても、此の一事だけでもその誇を全く失うに充分では無いか、然るに汝らは尚も誇り、且つかかる者の汝らの中より除かれん事を願つて悲まないのは如何なる理由であるか。若し聖霊汝の中に宿るならばかかる者を教会の中に同居せしむる事に耐えないであろう」、我らも亦我らの中よりかかるものの除かれん事を願いて悲しまなければならぬ。

註解: ▲▲3-5節の訳は口語訳によるを可とす。

5章3節 われ()(なんぢ)らを(はな)()れども、(こころ)(とも)()りて其處(そこ)()るごとく、かかる(こと)(おこな)ひし(もの)(すで)(さば)きたり。[引照]

口語訳しかし、わたし自身としては、からだは離れていても、霊では一緒にいて、その場にいる者のように、そんな行いをした者を、すでにさばいてしまっている。
塚本訳現にわたしとしては、体ではそこにいないが、霊では居合わせて、そんなことを仕出かした者に対し、(わたし自身が)居合わせたかのように、すでに決断を下してしまった。
前田訳わたしは、体では離れていても霊ではそこにいますから、現にそこにいるものとして、そのようなことを行なったものについて、すでに主イエスの名によって次のように決めました。
新共同わたしは体では離れていても霊ではそこにいて、現に居合わせた者のように、そんなことをした者を既に裁いてしまっています。
NIVEven though I am not physically present, I am with you in spirit. And I have already passed judgment on the one who did this, just as if I were present.
註解: コリントの信徒は何等の所置を取らないのみならず、尚且誇つているけれども「予はたとい遠隔の地に居りてもかかる事柄を放置する事が出来ず、心の中に既に其の処置が決定している」。(▲▲▲その決定の内容は4、5節)後にコリントの信徒は之を実行した、IIコリ2:6参照。

5章4節 すなはち(なんぢ)(およ)()(れい)の、(われ)らの(しゅ)イエスの能力(ちから)をもて(とも)(あつま)らんとき、(しゅ)イエスの()によりて、[引照]

口語訳すなわち、主イエスの名によって、あなたがたもわたしの霊も共に、わたしたちの主イエスの権威のもとに集まって、
塚本訳すなわちあなた達が主イエスの名を呼んで集まったとき、わたしの霊も主イエスの力を持って一しょにそこにいて、
前田訳すなわち、あなた方とわが霊とがわれらの主イエスの力をもって集まったとき、
新共同つまり、わたしたちの主イエスの名により、わたしたちの主イエスの力をもって、あなたがたとわたしの霊が集まり、
NIVWhen you are assembled in the name of our Lord Jesus and I am with you in spirit, and the power of our Lord Jesus is present,

5章5節 ()くのごとき(もの)をサタンに(わた)さんとす、[引照]

口語訳彼の肉が滅ぼされても、その霊が主のさばきの日に救われるように、彼をサタンに引き渡してしまったのである。
塚本訳こんな男は、悪魔に引き渡してその肉体を滅ぼさせることにしたのである。これはその霊が主の(裁きの)日に救われるためである。
前田訳そのようなものをサタンに引き渡したのです。それは肉が滅ぼされて、霊が主の日に救われるためです。
新共同このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは主の日に彼の霊が救われるためです。
NIVhand this man over to Satan, so that the sinful nature may be destroyed and his spirit saved on the day of the Lord.
註解: コリントの信徒が集る時パウロの霊もイエスの能力によりて彼らと共に一体となり、此の一体がかかる者をイエスの名によりてサタンに(わた)し、之を教会の体以外に置く事をパウロは決した。パウロー個人の考によらず又コリント信徒のみの審きによらず、個人的絶交の意味にはあらずして教会なるキリストの体の中にかかる者を置かない事を意味する。之れはパウロや教会の審判ではなくキリストの審判そのものである。
辞解
4、5節は尚三種の意味に訳する事が出来るけれども多くの学者が此の日本訳の意味を最善としている。
[サタンに(わた)す] 教会より破門するの意味である。併しながらパウロは今日の教会に於ける如くに法律的意味に之を解したのではなく、キリストの支配し給う教会の外、即ちサタンの支配に(わた)し、神の国より悪魔の国に移す事を意味した。コロ1:13の反対。此のサタンの国に於て肉体は種々の困難苦痛に(あらわ)されるのである。或は此語を以て「体刑を課する」事を意味すと解釈する説もある。

(これ)その(にく)(ほろぼ)されて、()(れい)(しゅ)イエスの()(すく)はれん(ため)なり。

註解: 肉(サルクス)は神の霊によりて更生せざる性来(うまれつき)の人を意味する。此の肉はサタンに(わた)される場合即ちキリストの体より除斥(じょせき)され時は霊はその苦痛に堪えない。「肉が亡ぼされる」とは此の苦痛の結果肉の思を破壊する事を表わしているのである。かくして彼の肉は破壊せられて霊は自由となり主の再臨の日に救われるであろう。是がパウロの薦むる破門の目的であつて、単にかかる信者を罰するのみが目的では無かつた。而してパウロは確かに此の目的を達した。Uコリ2:8。
要義 [破門の行為は愛の心に反せずや]罪を犯した者を教会より排斥してしまう事は一見愛なき行為であり罪人を赦し、敵をすら愛するキリストの教に反するが如くに思われる。乍併(1)キリストの体たる教会は一の有機体の如きものであって、其の中に有害なる成分が入り来る時は聖霊の作用により自然に之を排斥せずにいる事が出来ないのであって、是が聖なる体を健全に保持する所以である。(2)然のみならず罪を犯したものを教会内に包容する事は一見愛の行為である様に見えるけれども、之によりて肉は殺されずして益々その暴威を(たくま)しくし、反て彼をして(ほろび)に至らしむる所以であって、彼を愛する事とはならない。肉が罪の中にある時之を殺して霊を生かすの方法を取る事が最も必要であって、それが為には基督者一体の交りより除外する事が有効である。斯の如く必要上よりも又自然の作用よりも共にかかる者を教会より除く事が至当であり且つ有益である事を見る事が出来る。▲破門とマタ13:29の毒麦の場合と異なるのは、破門の場合はその毒性が明白だからである。

4-1-ロ 教会聖潔の原理 5:6 - 5:8

註解: パウロは他の場合と同じく此の場合にも、その教訓を単に一時の思付きや感情によりて支配せしめなかつた。彼が以上の如く教えるには深い根底があつたのであつて、彼はこの事をここに述べているのである。

5章6節 (なんぢ)らの(ほこり)()からず。(すこ)しのパン(だね)の、(こな)團塊(かたまり)をみな(ふく)れしむるを()らぬか。[引照]

口語訳あなたがたが誇っているのは、よろしくない。あなたがたは、少しのパン種が粉のかたまり全体をふくらませることを、知らないのか。
塚本訳(こんな仲間がいる中で、)あなた達の自慢は誉めたことではない。(一人だけだと言うかも知れないが、)少しのパン種が捏粉全体を発酵させることを、あなた達は知らないのか。
前田訳あなた方の思いあがりはよくありません。わずかなパン種が粉の塊全体をふくらませることをご存じないのですか。
新共同あなたがたが誇っているのは、よくない。わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。
NIVYour boasting is not good. Don't you know that a little yeast works through the whole batch of dough?
註解: かかる罪人を認容しつつ誇るのは宜しくない、パン種は罪人、悪の原則等の意味に用いられる。僅少(きんしょう)の罪又は少数の罪人でも全団体に感化を及ぼし易い。

5章7節 なんぢら(あたら)しき團塊(かたまり)とならんために(ふる)きパン(だね)()(のぞ)け、(なんぢ)らはパン(だね)なき(もの)なればなり。[引照]

口語訳新しい粉のかたまりになるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは、事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは、すでにほふられたのだ。
塚本訳新しい捏粉であり得るために、古いパン種を掃き出せ。実際あなた達は種なしパンなのだから。また、わたし達の“過越の小羊”キリスト“は屠られた”のだから。
前田訳あなた方は新しい粉の塊であるために、古いパン種を除きなさい。事実あなた方はパン種なしです。われらの過越の羊としてキリストがほふられたからです。
新共同いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。
NIVGet rid of the old yeast that you may be a new batch without yeast--as you really are. For Christ, our Passover lamb, has been sacrificed.
註解: 新しき団塊(かたまり)は新鮮なる団塊(かたまり)を意味する。旧きパン種は旧き人すなわち肉的の力である。「汝らはパン種なき者なればなり」とあるは既にパン種を除いてしまつた者と云うのではなく、本質上パン種なき者との意味である。一度び死せる基督者も日々に死する事が必要であり、一度び全く聖められし信者も次第に潔められて行く事が必要である(ガラ2:20。ロマ8:13)。故に「パン種なき者」なる汝らも「汝らの中よりパン種を除」かなければならない。

(それ)われらの過越(すぎこし)羔羊(こひつじ)すなはちキリスト(すで)(ほふ)られ(たま)へり、

5章8節 されば(われ)らは(ふる)きパン(だね)(もち)ひず、また(あく)邪曲(よこしま)とのパン(だね)(もち)ひず、眞實(まこと)(まこと)との(たね)なしパンを(もち)ひて(まつり)(おこな)ふべし。[引照]

口語訳ゆえに、わたしたちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって、祭をしようではないか。
塚本訳それゆえに、古いパン種をもってでなく、また悪と悪意とのパン種をもってでなく、純潔と真実との種なしパンをもって、(永遠の過越の)祭りをしようではないか。
前田訳それゆえ、われらは古いパン種や悪と不正のパン種によらず、純潔と真の種なしパンで祭りをしましょう。
新共同だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。
NIVTherefore let us keep the Festival, not with the old yeast, the yeast of malice and wickedness, but with bread without yeast, the bread of sincerity and truth.
註解: 茲にパウロはキリストの教会をイスラエルに比較し*過越(編集者:この*の意味不明)をキリストの十字架に比較している。イスラエルはエホバの命により各戸羔羊を屠つて其血を家の門口の柱と鴨居とに塗つた。エホバは此の血を見て其の戸口を過越し、審判は唯エジプト人の家々の初子にのみ及んだ。イスラエルは此のエホバの過越を記念せんが為めに毎年ニサンの月の十四日より二十一日まで各戸羔羊を屠りて食し全家よりパン種を完全に除き種なしバンを以て此の祝を守つた。此の恙羊はキリストであり、その血は十字架の血汐であつた。而して十字架の陰に立ちて救われたものは教会であつた。夫故に基督者及びその教会は此の過越の祝と同じくその全生涯の間罪と腐敗を代表するパン種を其の中より除き、聖潔と精進とを守らなければならない。即ち教会は古き肉の原則、悪と邪曲との分子を全然除き去つて新しき団塊(かたまり)とならなければならない。是れキリストの血によりて救い出されし新なる団体なるが故である。
要義 [基督者は終生過越の祭を守るべき事]過越の祝はイスラエルに取って最も重大なる祭典であって、此の期間は彼らの心はエホバの救を讃美し、種なしパンを以て罪と(けがれ)とを去り、屠られし羔羊を焼きて食う事によりて其の最も記念すべき日を祝した。基督者も之と同じく終生十字架の上に血を流し給えるキリストを思い之によりて我らを救い給える神の愛を讃美し、肉と(けがれ)の分子を其の中より除きて聖潔なる一団として此の世に歩むべきである。故に淫行のものを除斥(じょせき)する所以は教会が神に救われし聖なる一団であるからであって此の根本的性質を無視しては教会の聖潔は保たれない。

4-1-ハ 教会の内と外との差別 5:9 - 5:13

註解: 但し前掲の原則はキリストの名を称うる兄弟にのみ摘用せらるべきものであつて、一般に之を応用せよとの意味ではない。

5章9節 われ[(まへ)の](ふみ)にて淫行(いんかう)(もの)(まじわ)るなと()(おく)りしは、[引照]

口語訳わたしは前の手紙で、不品行な者たちと交際してはいけないと書いたが、
塚本訳(前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、
前田訳わたしは前に不品行の人々と交わるなとお書きしました。
新共同わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、
NIVI have written you in my letter not to associate with sexually immoral people--

5章10節 ()()淫行(いんかう)(もの)、または貪欲(どんよく)のもの、(うば)(もの)、または偶像(ぐうざう)(をが)(もの)(さら)(まじわ)るなと()ふにあらず[引照]

口語訳それは、この世の不品行な者、貪欲な者、略奪をする者、偶像礼拝をする者などと全然交際してはいけないと、言ったのではない。もしそうだとしたら、あなたがたはこの世から出て行かねばならないことになる。
塚本訳あれはこの世の不品行な者や貪欲な者、略奪者や偶像礼拝者などと決して付き合うなというのではない。もしそうならば、あなた達はこの世から出てゆかねばならないからである。
前田訳それはこの世の不品行のもの、貧欲のもの、略奪者、偶像礼拝者と全くつき合うなというのではありません。もしそうならあなた方は世を去らねばならないからです。
新共同その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。
NIVnot at all meaning the people of this world who are immoral, or the greedy and swindlers, or idolaters. In that case you would have to leave this world.
辞解
[前の書] 紛失して今日に伝つて居ない。
[此の世] 「キリストの教会」以外を意味している、基督者は「世より選び出されたる」者である。
[淫行] 自已に関し、「貪欲の者、奪う者」は他人に対し、「偶像を拝む者」は神に対する罪悪を示している。
[交る] 交渉関係を持つ事を意味する。かくて本節の意味は明かである。

(もし(しか)せば()(はな)れざるを()ず)

註解: 当時コリントの市にはかかる罪悪が充ちていた。其の中に在りて生活している基督者が、かかる人と全然交渉の無い生活を送る事は不可能であつた。もし之を為さんとするならば此の世より隠遁(いんとん)しなければならない。併し是は基督者の義務ではない。「基督者は地上にさまよう間は荊棘(いばら)の中に生活しなければならぬ」(クリソストム)(注意)此の10節は種々に訳せられる可能性を持つている、カルビン註解を見よ。

5章11節 ただ兄弟(きゃうだい)(とな)ふる(もの)(うち)に、(あるひ)淫行(いんかう)のもの、(あるひ)貪欲(どんよく)のもの、(あるひ)偶像(ぐうざう)(をが)(もの)、あるひは(ののし)るもの、(あるひ)(さけ)()ふもの、(あるひ)(うば)(もの)あらば、()かる(ひと)(まじわ)ることなく、(とも)(しょく)する(こと)だにすなとの(こころ)なり。[引照]

口語訳しかし、わたしが実際に書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、不品行な者、貪欲な者、偶像礼拝をする者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪をする者があれば、そんな人と交際をしてはいけない、食事を共にしてもいけない、ということであった。
塚本訳しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。
前田訳今お書きしましたのは、兄弟と呼ばれるもので、不品行、貪欲、偶像礼拝、そしり、酒酔い、略奪をするものがあれば、つき合わず、そのようなものとともに食事をしないように、ということです。
新共同わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。
NIVBut now I am writing you that you must not associate with anyone who calls himself a brother but is sexually immoral or greedy, an idolater or a slanderer, a drunkard or a swindler. With such a man do not even eat.
註解: 「兄弟と称うるもの」即ち名義のみの基督者の中にかかる罪を犯す者あらば之と交つてはならないのみならず親密なる交りの印として食事に招待し又されることすらしてはならない。もしかかる態度を取るならば教会はかかる罪を認容していると認められるであろう。
辞解
[(ののし)るもの、酒に酔うもの] この二つは第10節になきものを茲に追加している。団体の平和を乱すの行為であつてパウロの心に新に浮び出でたのであろう。
[食事する事] 聖餐に加わる意味に解する説があるけれども、此の語中にかかる意味はない。

5章12節 (そと)(もの)(さば)くことは(われ)(あづか)(ところ)ならんや、(なんぢ)らの(さば)くは、ただ(うち)(もの)ならずや。[引照]

口語訳外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。
塚本訳なぜというのか。(主を信じない)外の人たちを、なんでわたしが裁くことがあろう。あなた達は、内輪の者たちだけを裁くべきではないのか。
前田訳外の人たちを裁くことがなぜわたしに関係しましょう。あなた方が裁くのは内の人ではありませんか。
新共同外部の人々を裁くことは、わたしの務めでしょうか。内部の人々をこそ、あなたがたは裁くべきではありませんか。
NIVWhat business is it of mine to judge those outside the church? Are you not to judge those inside?

5章13節 (そと)にある(もの)(かみ)これを(さば)(たま)ふ。かの()しき(もの)(なんぢ)らの(うち)より退(しりぞ)けよ。[引照]

口語訳その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。
塚本訳外の人たちは神が裁かれる。“あなた達の中から悪人を取ってのけよ。”
前田訳外の人々は神が裁きたまいます。あなた方自身の間から悪ものを除きなさい。
新共同外部の人々は神がお裁きになります。「あなたがたの中から悪い者を除き去りなさい。」
NIVGod will judge those outside. "Expel the wicked man from among you."
註解: 茲にパウロは「内の者」と「外の者」とを別ち、前者を以てキリストの教会内にある兄弟姉妹を意味し後者を以て其の以外の「世の人」を意味せしめている。而して「外の者」は神之を審き給うが故に基督者はその神の審きに委せて之を放置し之と普通の交渉を持つ事が出来るけれども、「内の者」をば信徒自ら之を審き之に適当の所置を取らなければならぬ。「汝らの中より退けよ」とは此の意味である。勿論「内の者」の罪をも神は審き給う(11:30-32)併しそれと同時に信徒自身に此の義務が与えられている事を忘れてはならない。
要義1 [教会を聖潔に保つ事の必要]教会を以て政治的社会的勢力たらしめんと欲する時は、其の人数の多き事を望むは自然である。夫故に種々の罪悪も不問に附せられている事が多い。乍併是れ教会の天的性質を汚すものであって、教会は飽く迄もキリストの体であり、その花嫁であり、神によりて世より救い出されしイスラエルである以上、その身を「神の悦び給う潔き活ける供物として神に献げ」なければならない(ロマ12:1)。又「潔き処女として一人の夫なるキリストに献げ」られなければならない(IIコリ11:2)。夫故に個人として、その手罪を犯さば之を切りて捨てなければならないと同じく、教会として其の中に淫行その他の罪を犯しているものがあるならば之を其の中より排斥しなければならない。是れ教会の聖潔を保つに必要の事柄である。乍併之を行うに愛の心を以てしなければならぬ。其の人が悔改めて再び帰り来る事をその目的としなければならぬ。義と愛は神の性質である故に、又教会の性質でなければならぬ。愛と称して如何なる罪をも許容するは神の愛では無い。
要義2 [審く可き場合と審くべからざる場合]4:1-5に於てはパウロは時到らざるに審判すべからざる事を述べ、茲には教会内に於ては審かなければならぬ事を教えているのは矛盾では無いかとの疑問が生じ得るであろう。乍併パウロは前者の場合には信徒の信仰如何につきて論じ、後者の場合には行為如何につきて論じているのであって、信仰は神との関係であり又神の賜物であって、神のみ之を審く事ができるけれども、行為は神の律法により我ら凡てに明かであって従って又他人の行為でも之を審く事が出来るのである。而して此の審判を行わなければならないのが信徒の義務である。但し之と同時に誇りによる審きは罪であり、愛による審きは義である事を思わなければならない。コリント人は愛によりて審くべき場合に審かず、審くべからざる場合に誇によって審いていた。

第1コリント第6章
4-2 信徒相互間の訴訟に就て 6:1 - 6:8

6章1節 (なんぢ)()のうち(たがひ)(こと)あるとき、(これ)聖徒(せいと)(まへ)(うった)へずして、(ただ)しからぬ(もの)(まへ)(うった)ふることを()へてする(もの)あらんや。[引照]

口語訳あなたがたの中のひとりが、仲間の者と何か争いを起した場合、それを聖徒に訴えないで、正しくない者に訴え出るようなことをするのか。
塚本訳あなた達のひとりが(信仰の兄弟である)他の人に対して訴訟があるとき、聖徒でなく、(主を信じない)不正な人たちに訴える(ような不見識な)ことを、恥としないのか。
前田訳あなた方のだれかに他の人と争いがあるとき、聖徒にでなく、あえて不正の人に訴えるのですか。
新共同あなたがたの間で、一人が仲間の者と争いを起こしたとき、聖なる者たちに訴え出ないで、正しくない人々に訴え出るようなことを、なぜするのです。
NIVIf any of you has a dispute with another, dare he take it before the ungodly for judgment instead of before the saints?
註解: 当時コリント信徒相互間に訴訟問題が起つた、そして之を訴うるに当つて信仰を持たない裁判人に訴えたと云う事をパウロは聴き、之を戒めたのが本章1-8節の文字である。
辞解
[聖徒] Iコリ1:2を見よ。
[正しからぬ者] 信徒は神との正しき関係に立つている義しき者であり、未信者は反対に「正しからぬ者」である。凡ての道徳的不義は此の信仰的態度の正しからざるより生ずる結果である。
[敢てする者あらんや] 「敢てする者あるか」と訳するを可とす。
[▲あらんや] 「有りや」とする方正し。

6章2節 (なんぢ)()らぬか、聖徒(せいと)()(さば)くべき(もの)なるを。[引照]

口語訳それとも、聖徒は世をさばくものであることを、あなたがたは知らないのか。そして、世があなたがたによってさばかれるべきであるのに、きわめて小さい事件でもさばく力がないのか。
塚本訳それとも、(最後の日には)聖徒がこの世を裁くことを、あなた達は知らないのか。そしてあなた達(が着く裁判席)の前でこの世が裁かれるというのに、ごくつまらない事件をさばく資格が、あなた達にはないのか。
前田訳それとも聖徒が世を裁くことをご存じないのですか。世があなた方の前で裁かれるはずなのに、あなた方はごく小さい事件をも裁けないのですか。
新共同あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって裁かれるはずなのに、あなたがたにはささいな事件すら裁く力がないのですか。
NIVDo you not know that the saints will judge the world? And if you are to judge the world, are you not competent to judge trivial cases?
註解: 未来に於てキリスト再び来り給うふ時、凡ての聖徒は復活又は栄化してキリストと偕に千年の間地上に王となり「世」即ち世の人を審くべき雄大なる資格を持つている者である(マタ19:28。黙2:26、27。20:4)。此の事についてパウロは屡々(しばしば)コリントの信徒に告げたので忘れた筈がない。
辞解
[▲審くべき者] 原語は現在形であるから「審いている者」と訳すべきである。現在でも基督者の存在そのものが世を審いていると見る方が正しい。---要するにパウロは弟子たちに基督者としての衿持(ほこり)を持つべきことを強調している。

()もし(なんぢ)らに(さば)かれんには、(なんぢ)(いと)(ちひさ)(こと)(さば)くに()らぬ(もの)ならんや。

註解: 「世界の万民をすら審くべき資格ある信徒が、信徒間の小紛争を審き得ない筈は無い。然るに、汝ら之を未信者に訴うるとは何事であるか。」

6章3節 なんぢら()らぬか、(われ)らは御使(みつかひ)(さば)くべき(もの)なるを、ましてこの()(こと)をや。[引照]

口語訳あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。
塚本訳わたし達は(かの日)天使をさえ裁くのだ、まして日常のことはなおさらであるということを、あなた達は知らないのか。
前田訳われらは天使たちをも裁くことをご存じないのですか。まして日常のことをです。
新共同わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを、知らないのですか。まして、日常の生活にかかわる事は言うまでもありません。
NIVDo you not know that we will judge angels? How much more the things of this life!
註解: パウロは更に再び「汝ら知らぬか」と繰返し、かつて彼等に語れる事柄を忘却せるが如き彼等の態度を叱責している。即ち基督者はやがてはキリストの花嫁となり、彼と同じく神の子たる資絡を受け、宇宙万物を従わすべき運命を持つているのである(ヘブ2:6)。故にやがては天の使よりも高き位に挙げられ、彼らをも審くの地位に立つのであつて、此の事を考うるならば此の世の些事を審く如きは、彼らに取つて容易の事柄であるべき筈である。

6章4節 (しか)るに(なんぢ)(さば)くべき()()(こと)のあるとき、教會(けうくわい)にて(かろ)しむる(ところ)(もの)審判(さばき)()(すわ)らしむるか。[引照]

口語訳それだのに、この世の事件が起ると、教会で軽んじられている人たちを、裁判の席につかせるのか。
塚本訳あなた達は日常のことの事件がある場合に、(日ごろ)集会で軽蔑されている(不正な)人たち、あんな者を裁判席に着かせるのか。
前田訳もし日常のことで争いがおこると、集まりの中で軽んぜられている人たちを裁きの座につかせるのですか。
新共同それなのに、あなたがたは、日常の生活にかかわる争いが起きると、教会では疎んじられている人たちを裁判官の席に着かせるのですか。
NIVTherefore, if you have disputes about such matters, appoint as judges even men of little account in the church!

6章5節 わが()()ふは(なんぢ)らを(はづか)しめんとてなり。(なんぢ)()のうちに兄弟(きゃうだい)(うち)のことを(さば)()(かしこ)きもの一人(ひとり)だになく、[引照]

口語訳わたしがこう言うのは、あなたがたをはずかしめるためである。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することができるほどの知者は、ひとりもいないのか。
塚本訳あなた達を辱めるために言うのだ。そんなに、あなた達の間には、兄弟と兄弟との間を調停することの出来る分別のある人が、たった一人もないのか。
前田訳あなた方をはずかしめるためにこういうのです。このように、あなた方の中には、兄弟の間を整えうるような知恵者がひとりもいないのですか。
新共同あなたがたを恥じ入らせるために、わたしは言っています。あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。
NIVI say this to shame you. Is it possible that there is nobody among you wise enough to judge a dispute between believers?
註解: 基督信徒の身分、資格はかく高いにも関らず之を忘れて、教会にて軽視している未信者をして審判人たらしむる事は非常なる恥辱では無いか。かく云うは必ずしも兄弟の前に訴うる事がよいと云う意味ではない、唯汝らをして良心に恥ぢしめんがためである。
辞解
[坐らしむるか] 「坐らしむ」又は「坐らしめよ」とも訳する事が出来る、最後の解釈をとる人は「教会にて軽しむる所のもの」をば「教会の中にて最も無能なる人」を意味するものと解している。かく解すれば全文が一の皮肉となり、5節との連絡には適切となるの長所がある。「坐らしむ」は単に事実を事実として述べたのである、意味は「坐らしむるか」と異らない。何れにしても結局、パウロの言わんとする目的には何等の変化もない。

6章6節 兄弟(きゃうだい)兄弟(きゃうだい)を、(しか)()信者(しんじゃ)(まへ)(うった)ふるか。[引照]

口語訳しかるに、兄弟が兄弟を訴え、しかもそれを不信者の前に持ち出すのか。
塚本訳それどころか、兄弟が兄弟を訴え、しかも不信者の(裁判席の)前に持ち出すのか。
前田訳それで、兄弟同士裁かれ、しかもそれを不信者の前でするのですか。
新共同兄弟が兄弟を訴えるのですか。しかも信仰のない人々の前で。
NIVBut instead, one brother goes to law against another--and this in front of unbelievers!

6章7節 (たがひ)(あい)(うった)ふるは(すで)(まさ)しく(なんぢ)らの失態(しったい)なり。(なに)(ゆゑ)むしろ不義(ふぎ)()けぬか、(なに)(ゆゑ)むしろ(あざむ)かれぬか。[引照]

口語訳そもそも、互に訴え合うこと自体が、すでにあなたがたの敗北なのだ。なぜ、むしろ不義を受けないのか。なぜ、むしろだまされていないのか。
塚本訳その上、そもそも(信仰の兄弟でありながら)、互に裁判沙汰にすることが、すでにあなた達の失敗である。なぜむしろ不正をさせないのか。なぜむしろ奪い取られないのか。
前田訳そもそも互いに争いがあることが、すでにあなた方の敗北です。なぜむしろ不義を受けませんか。なぜむしろだまし取られませんか。
新共同そもそも、あなたがたの間に裁判ざたがあること自体、既にあなたがたの負けです。なぜ、むしろ不義を甘んじて受けないのです。なぜ、むしろ奪われるままでいないのです。
NIVThe very fact that you have lawsuits among you means you have been completely defeated already. Why not rather be wronged? Why not rather be cheated?
註解: 兄弟同志の争を兄弟の間で処埋するならばせめてもの事であるのに、是すら為さずして不信者なる裁判官に訴うる事は実に言語道断で全く論外である。前に兄弟が審き人となるべき事を言つたのは、未信者の前に訴えるに比して優つている事を言つたに過ぎないのであつて実は互に訴うる事すら既に大体間違つている。基督者として取るべき真の態度は不義を受けて之に反抗せず、寧ろ欺かれて欺き返さぬ事である。「人もし汝の右の頬をうたば左をも向けよ。なんぢを訴えて下衣を取らんとする者には上衣をも取らせよ」(マタ5:39、40)。基督者の愛はかかる者の悔改むることのみを望むのであつて、自己の利益を主張する事を考えない。故に基督者に取つて訴訟は無用である。「主の僕は争うべからず」(IIテモ2:24)、パウロは遂に此の最後の断案に達したのである。

6章8節 (しか)るに(なんぢ)不義(ふぎ)をなし、詐欺(あざむき)をなし、兄弟(きゃうだい)にも(これ)()す。[引照]

口語訳しかるに、あなたがたは不義を働き、だまし取り、しかも兄弟に対してそうしているのである。
塚本訳あなた達は自分の方でかえって不正をし、奪い取っている、しかも兄弟たちに対して。
前田訳あなた方こそ不義をし、だまし取り、しかもそれを兄弟に向かってしています。
新共同それどころか、あなたがたは不義を行い、奪い取っています。しかも、兄弟たちに対してそういうことをしている。
NIVInstead, you yourselves cheat and do wrong, and you do this to your brothers.
註解: 基督者は前節の如き高き理想を持つべきものであるのに、汝らは此の理想を実現せざるのみならず、信徒相互の間に不義や詐欺を行つている事は(はなは)だしき堕落と云わなければならない。此の一節を連鎖としてパウロは次節より11節まで兄弟達が益々聖潔に進むべき事を教えている。
要義 [信徒相互の訴訟に対するパウロの態度]パウロの態度の最も尊き点、即ち霊の導きの豊である事を思わしむる点は、最も恥づべき信徒相互の訴訟沙汰に対し、単に普通に行われる如き平凡なる訓戒を与えず深く信仰の奥義に立ちて之を批評訓戒した点であった。彼によれば基督者としての最良の態度は全く訴訟を為さず、不義を受け詐欺にかかっても之を意に止めずに相手方を愛して行く事であった。是が敵を愛する者の当然の態度である。之が出来ない場合には、せめて信者同志の間で此の問題を解決すべき事がパウロの願であった。それは世間一般の考の如くに、外聞が悪いからでは無く、聖徒には元来その資格が充分に備わっているからであった。斯くパウロは一時の便宜や虚栄的立場より此の問題を解決しようとはせずに、深く信徒の信仰の本質、及びその身分の如何を示し、此の根本原則よりこの問題を解決しようとしたのである。夫故に此の解決は今日も尚お其の力を失わない。

4-3 神の宮を聖潔に保つべき事 6:9 - 6:20
4-3-イ 神の国を嗣ぐ者は聖潔を要す 6:9 - 6:11

6章9節 (なんぢ)()らぬか、(ただ)しからぬ(もの)(かみ)(くに)()ぐことなきを。[引照]

口語訳それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、
塚本訳それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
前田訳それとも、不義の者どもは神の国を嗣がないであろうことをご存じないのですか。まちがわないでください。不品行のものも、偶像礼拝者も、姦淫するものも、男娼も、男色するものも、
新共同正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、
NIVDo you not know that the wicked will not inherit the kingdom of God? Do not be deceived: Neither the sexually immoral nor idolaters nor adulterers nor male prostitutes nor homosexual offenders
註解: 前節に示すが如き不義者は神の子ではない悪魔の子である、故に神の国の世嗣となる事が出来ない。

(みづか)(あざむ)くな、淫行(いんかう)のもの、偶像(ぐうざう)(をが)むもの、姦淫(かんいん)をなすもの、男娼(だんしゃう)となるもの、男色(なんしょく)(おこな)(もの)

6章10節 (ぬすみ)するもの、貪欲(どんよく)のもの、(さけ)()ふもの、(ののし)るもの、(うば)(もの)などは、みな(かみ)(くに)()ぐことなきなり。[引照]

口語訳貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。
塚本訳泥坊も、貪欲な者も、大酒飲み、罵る者、掠奪者も、神の国を相続することはない。
前田訳盗人も、貧欲なものも、酒酔い、そしるもの、略奪者も、神の国を嗣がないでしょう。
新共同泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、決して神の国を受け継ぐことができません。
NIVnor thieves nor the greedy nor drunkards nor slanderers nor swindlers will inherit the kingdom of God.
註解: 信仰を持ちて信徒の仲間に入つてさえ居れば、如何なる行為をするとも神の子とされる事は確実であると考うる無律法主義的理論(アノミズム)を作つて自ら欺いていた信徒があつたのであろう。パウロは「自ら欺くな」と称して之を戒めている。「淫行のもの」以下の罪悪の列挙は、之によりて凡ての罪悪を網羅したのではなく、当時コリントに於て一般に行われ、何人も之を重大なる罪悪と認め得るものを列挙したに過ぎない。淫行、姦淫、男娼、男色は肉慾の罪であつて其の中に偶像崇拝を加えているのは、是が前掲諸罪悪に密接の関係があつた事(あたか)も今日の日本の淫祠(いんし)(=邪神を祭ったやしろ:広辞苑)に於けるが如くであつたからであろう。盗、貪欲、罵言、掠奪は人に対する罪であつて其の中に酔酒を加えたのは、是が同じく前掲の罪と密接の関係があるからであろう。かかる事を常に行つているものが神の国を嗣ぐ事能わざるは勿論である。之を見ても汝らが目下陥つている第8節の罪は之に比すべき罪である以上、之を除かなければ神の国を嗣ぐ事が出来ない。▲「信仰のみで救われる」とは信仰さえあればどんな悪事を為しても良いと云う意味ではない事勿論である。

6章11節 (なんぢ)()のうち(さき)には()くのごとき(もの)ありしかど、(しゅ)イエス・キリストの()により、(われ)らの(かみ)御靈(みたま)によりて、(おのれ)(あら)ひかつ(きよ)められ、かつ()とせらるることを()たり。[引照]

口語訳あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。
塚本訳そして(かっては)あなた達も幾人かは、こうした者であった。しかしもはや(洗礼を受けて汚れを)洗っていただいたのであり、聖別されたのであり、義とされたのである、主キリストの名によって、またわたし達の神の霊によって。
前田訳あなた方の何人かは前にこのようでした。しかし主イエス・キリストの名とわれらの神の霊によってあなた方は洗われ、きよめられ、義とされたのです。
新共同あなたがたの中にはそのような者もいました。しかし、主イエス・キリストの名とわたしたちの神の霊によって洗われ、聖なる者とされ、義とされています。
NIVAnd that is what some of you were. But you were washed, you were sanctified, you were justified in the name of the Lord Jesus Christ and by the Spirit of our God.
註解: コリントの信徒の以前の状態と、信仰に入りてよりの状態との間に如何に大なる差異がある筈であるかを茲に示して、コリントの教会の中には少しの罪も残存すべからざることを教えている。即ち基督者は(あたか)も洗礼の形式がよく之を表徴するが如くにキリストの御名に入れられてキリストに属し、聖霊のバプテスマにより凡ての罪を「洗われ」、神のものとして「聖め別たれ」、神の前に[義なるものとせられ]たものである。即ち一般のコリント人とコリントの信者とは全く異つた状態にいるのであつて 此の貴き資格を与えられし信徒が未信者と同じ道徳状態にいる事は有り得べからざる事である。信徒は此の資格を顧みて慎まなければならぬ。
附記 11節に就て。「己を洗い、かつ潔められ、かつ義とせられる事を得たり」なる一節につき解釈上議論が起り易い点は、普通の順序は此の三つの階段を逆に経過するからである。人は信仰によりて義とせられ、聖別せられ、(茲に潔められと訳されている)そして罪より洗われるのである。然るに茲には順序が転倒しているので、是等の語を普通の意義と異る意味に解せんとしている学者もある。乍併それは必要ではない。パウロは茲には主として聖潔について論じているのであって、先づ始めにその事を叙し、その余勢が及んで「義とせられし事」即ち最初の原因にまで説き及ぼしたのと見る事が出来よう。

4-3-ロ 特に淫行を戒む 6:12 - 6:20

註解: コリントの信徒に対しては前数節の一般的訓戒のみでは足らないのであつて、特に淫行を避くべき事を教うる必要があつた。其故は当時コリントに於ては淫風が盛であり、人々別に之を罪と思わず、基督者も亦種々の口実を設けて此の罪を是認していたからである。而して当時コリント人等が淫行の口実としていた処のものは、「性慾は食慾と同じ事である、之を適当に満足することは何等差支が無い」と云う事であつた。パウロは之に対し淫行の根本的悪であることを示したのである。

6章12節 一切(すべて)のもの(われ)()からざるなし、()れど一切(すべて)のもの(えき)あるにあらず。一切(すべて)のもの(われ)()からざるなし、されど(われ)(なに)(もの)にも支配(しはい)せられず、[引照]

口語訳すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。
塚本訳「万事はわたしに自由である」(とあなた達は言う。そのとおり。キリストを信ずる者はモーセ律法にも縛られない。)しかし万事が有益ではない。(たしかに)「万事はわたしに自由である」。しかしわたしは何ものにも支配されようとは思わない。(キリストによって自由であるわたしは、肉の欲に支配されない。)
前田訳すべてがわたしに許されていますが、すべてが役立つわけではありません。すべてがわたしに許されていますが、わたしは何ものにも支配されますまい。
新共同「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。
NIV"Everything is permissible for me"--but not everything is beneficial. "Everything is permissible for me"--but I will not be mastered by anything.
註解: 「一切のもの我に可からざるなし」とは恐らくパウロがコリントの信徒に向つて常に語つていた格言であろう(10:23。ロマ8:28)。食慾も性慾も皆神の創造り給えるもので結構なものである。だからと云つて我らそれに支配されてはならない。又凡てのものが何時も益を与えると限らない。其処に注意と分別とを必要とする。

6章13節 食物(しょくもつ)(はら)のため、(はら)食物(しょくもつ)のためなり。されど(かみ)(これ)をも(かれ)をも(ほろぼ)(たま)はん。()淫行(いんかう)をなさん(ため)にあらず、(しゅ)(ため)なり、(しゅ)はまた()(ため)なり。[引照]

口語訳食物は腹のため、腹は食物のためである。しかし神は、それもこれも滅ぼすであろう。からだは不品行のためではなく、主のためであり、主はからだのためである。
塚本訳(肉の欲と言っても一様にはゆかない。あなた達のいうとおり、)「食べ物は腹のため、腹は食べ物のためにある」。しかし神はそれをもこれをも消えゆかせられるのである。これに反して、体は不品行のためにあるのでなく、主の(御用の)ためにあり、主は(わたし達の)体のために(命をすてられたので)ある。
前田訳食物は腹のため、腹は食物のためです。しかし神はどちらをも滅ぼしたまいます。体は不品行のためでなく主のためであり、主は体のためです。
新共同食物は腹のため、腹は食物のためにあるが、神はそのいずれをも滅ぼされます。体はみだらな行いのためではなく、主のためにあり、主は体のためにおられるのです。
NIV"Food for the stomach and the stomach for food"--but God will destroy them both. The body is not meant for sexual immorality, but for the Lord, and the Lord for the body.

6章14節 (かみ)(すで)(しゅ)(よみが)へらせ(たま)へり、(また)その能力(ちから)をもて我等(われら)をも(よみが)へらせ(たま)はん。[引照]

口語訳そして、神は主をよみがえらせたが、その力で、わたしたちをもよみがえらせて下さるであろう。
塚本訳そして神は主を生きかえさらせたばかりか、(最後の日には)わたし達(の体)をも御力をもって生きかえらせてくださるのである。
前田訳神は主をよみがえらせたまいました。そのみ力によってわれらをもよみがえらせたもうでしょう。
新共同神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。
NIVBy his power God raised the Lord from the dead, and he will raise us also.
註解: 此の二節は一の対句の形をなし食慾と性慾即ち飲食と淫行との間には重大なる差異がある事を示す。即ち食物は腹のため腹は食物のためで其の中の一が欠ければ他は存在の意義を失い、「身は主のため主はまた身のため」であつて主イエス・キリストと我らの身との間に食物と腹との関係の如き密接なる関係がある点に於ては互に相似ている。けれども、やがて世の終末に至り、我らの復活に際しては、食物も腹も皆亡ぼされて存在を失うべき性質のものであるのに反し、身はキリストと共に神の能力によりて復活せられるのである。前者は滅亡に定められし一時的の関係であり後者は不滅に定められし永遠の関係である点に於て此のニ者に著しき差別があるのである。
辞解
[身] 原語は sôma であつて全体を意味し、血、肉、肢体、霊魂等の如き個別的のものでは無く、是等の種々なるものが結合したる体を意味する。淫行は此の「身」全体に関聯せる行為である。

6章15節 (なんぢ)らの()はキリストの肢體(したい)なるを()らぬか、[引照]

口語訳あなたがたは自分のからだがキリストの肢体であることを、知らないのか。それだのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体としてよいのか。断じていけない。
塚本訳あなた達は知らないのか、あなた達の体は(すでに)キリストの器官であることを。(もちろん、知っているはずだ。)では、わたしはキリストの器官(であるこのわたしの体)を取って、遊女の器官にしてよいだろうか。もっての外だ。
前田訳ご存じないのですか、あなた方の体はキリストの肢体であることを。それなのに、キリストの肢体を取って遊女の肢体にすべきですか。断じて否です。
新共同あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。キリストの体の一部を娼婦の体の一部としてもよいのか。決してそうではない。
NIVDo you not know that your bodies are members of Christ himself? Shall I then take the members of Christ and unite them with a prostitute? Never!
註解: 「キリストは教会の首、教会は其の肢体である事は既に幾度か之を告げたでは無いか。故に汝等はキリストと不可離の関係に立つている者である事を考えなけれはばならぬ。」(エペ1:23。5:30)

(しか)らばキリストの肢體(したい)をとりて遊女(あそびめ)肢體(したい)となすべきか、(けっ)して(しか)すべからず。

6章16節 遊女(あそびめ)につく(もの)は[(かれ)と](ひと)(からだ)となることを()らぬか『二人(ふたり)のもの一體(いったい)となるべし』と()(たま)へり。[引照]

口語訳それとも、遊女につく者はそれと一つのからだになることを、知らないのか。「ふたりの者は一体となるべきである」とあるからである。
塚本訳それとも、遊女に結びつく者はそれと一つの体であることを、あなた達は知らないのか。“二人は一体となる”と(聖書は)言うではないか。
前田訳それとも、遊女につくものはひとつ体になることをご存じないのですか。「ふたりがひとつ肉体になる」と聖書にいわれています。
新共同娼婦と交わる者はその女と一つの体となる、ということを知らないのですか。「二人は一体となる」と言われています。
NIVDo you not know that he who unites himself with a prostitute is one with her in body? For it is said, "The two will become one flesh."
註解: 男女は其の結合によりて一体となる事は天地創造の時の神の御旨であつた。パウロは此の聖句を引用して(引照2)淫行を行う者はキリストの肢体たる身分から切り離されて遊女と一体となるものであつて、従つて滅亡に至るべき事を教えたのである。此の行為がキリストに与える苦痛は此の意味からも之を察することが出来、又此の罪の如何に重き罪であるかをも知る事が出来る。

6章17節 (しゅ)につく(もの)(これ)(ひと)(れい)となるなり。[引照]

口語訳しかし主につく者は、主と一つの霊になるのである。
塚本訳しかし主に結びつく者は(主と一つの体、)一つの霊になるのである。
前田訳主につくものはひとつ霊になります。
新共同しかし、主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。
NIVBut he who unites himself with the Lord is one with him in spirit.
註解: 信者はキリストと霊的一体の関係に入るのであつて、身も魂も皆神のものとなつてしまい、之を離す事が出来ない状態に入るのである。故に淫行を行う事が出来ない(Tヨハ3:6)。

6章18節 淫行(いんかう)()けよ。(ひと)のをかす(つみ)はみな()(ほか)にあり、されど淫行(いんかう)をなす(もの)(おの)()(をか)すなり。[引照]

口語訳不品行を避けなさい。人の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
塚本訳不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。
前田訳不品行をお逃げなさい。人が犯すすべての罪は体の外のことです。しかし不品行をするものは自らの体の中へと罪を犯すのです。
新共同みだらな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて体の外にあります。しかし、みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯しているのです。
NIVFlee from sexual immorality. All other sins a man commits are outside his body, but he who sins sexually sins against his own body.
註解: 悪魔に対しては之に立向ひ、之と戦うべきであり、淫行に対しては之より逃げて之を避くべきである。人は身の外即ち外界に対して罪を犯すのであつて、「窃盗」は他人の財産に損害を与え「殺人」は他人の生命を奪い、其他父母を敬い、貪慾を戒むる等、皆「身の外」に対して影響を与える罪を戒めているのである。然るに淫行は「自己の身に対して罪を犯すなり(私訳)」、であつで一種特別の性質を持つた罪である事を知らなければならない。

6章19節 (なんぢ)らの()は、その(うち)にある(かみ)より()けたる(せい)(れい)(みや)にして、(なんぢ)らは(おのれ)(もの)にあらざるを()らぬか。[引照]

口語訳あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
塚本訳それとも、あなた達の体は神からいただいた聖霊の住んでおられるお宮で、自分のものでないことを、あなた達は知らないのか。
前田訳それともご存じないのですか、あなた方の体はあなた方の中にある聖霊の宮で、神から受けたものであり、自分のものでないことを。
新共同知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
NIVDo you not know that your body is a temple of the Holy Spirit, who is in you, whom you have received from God? You are not your own;
註解: 我らはキリストを信ずる事によリ聖霊によりて新に生れ、聖霊我らの中に宿り給う。故に我らの身は最早や我らのものではなく、神のものであり、神の宮である。故に我らは己の慾に従つて淫行を行い之を汚してはならない(ガラ5:16)。却て我らの中に住み給う聖霊に全身を渡し、自由に之を使用していただくべきものである。

6章20節 (なんぢ)らは(あたひ)をもて()はれたる(もの)なり、(しか)らばその()をもて(かみ)榮光(えいくわう)(あらは)せ。[引照]

口語訳あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
塚本訳なぜというのか。あなた達は(キリストの血の)代価を払って買われたのである。だからあなた達の体をもって神を賛美せよ。
前田訳あなた方は代価をもって買われたのです。あなた方の体で神の栄光をあらわしてください。
新共同あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。
NIVyou were bought at a price. Therefore honor God with your body.
註解: 「汝らは大なる価、即ちキリストを代価として神より贖われたものである(テト2:14)。然るにも関わらずその身を以て神の栄光を汚すならば、神の前に罪の重き事幾何(いくばく)ぞや、汝らは宜しく其の全身を以て神の栄光を顕わし、一言一行の微に至るまで神の栄光とならなければならない。淫行の如きは此の栄光を汚す最大の罪悪である」。
要義1 [淫行の罪の特に重き罪なる所以]此の世の人々に取って淫行は重大なる罪では無い。勿論此の世の人々の中にも淫行を避けよとの教訓が無いではない。乍併其の理由とする処は極めて薄弱なる便宜主義から来ているのであって淫行は或は悪疾(あくしつ)を招く事、又は財産を振蕩(しんとう)する事、又は信用を失う事、又は時間を空費する事、或は事業を(おろそか)にする事等の理由より之を否としているに過ぎない。夫故に是等の理由を一々注意して防ぐならば淫行は絶対の罪悪にはなり得ないのである。故に神とキリストとを知らざる社会に於てはそのコリントたると日本たるとを問わず淫行は飲食と大差なき本能行為とみなされているのである。乍併神は人間の身をその宮として其の中に宿り、我らをキリストの身体として彼と一体とならん事を熱望し給う。神は我らがサタンに囚われているのを忍ぶ事が出来ない。故にキリストを以て我らを贖い給うたのである。かくしてキリストの身体となり聖霊の宮となったものに取って、淫行は重大なる罪となって来る事は上記パウロの説明によりて明かである。淫行に関するかかる根本的否定は神とキリストとを知らざる他の宗教や哲学に於て之を見る事が出来ない。
要義2 [夫婦関係と淫行との別]然らば何故に夫婦関係は我らをキリストから離して妻又は夫と一体たらしむる事とならないのであろうか。『二人のもの一体となるべし』なる語は夫婦の関係に就て云われたのである以上、かかる疑問が第16節に就て起り得るのである。乍併夫婦は神の合せ給えるものであって、此の夫婦は一体として更に共にキリストに(つらな)りて一体となるのである。然るに淫行は神の合せ給えるものでは無い。故に遊女と一体となる者は神の意思に反して居り、キリストとの一体の関係を破壊するのであって、夫婦の関係とは全く異っている。
要義3 [凡てのもの我によからざるなし]基督教以外の哲学の中には人間の肉体は凡ての肉慾と共に悪であり、此の肉慾を殺し、肉体を離れて霊界に活きる事が善であるとの思想が多く行われていた。之に対しパウロは人間の肉体も肉慾も、又その霊魂も皆神の創造り給えるもので「我によからざるなし」である。唯之を神の御旨に(したが)って働かする事が善であり、自己の意思、悪魔の命に(したが)って働かする事が悪であると云うのである。故に禁慾主義にあらずして而も禁慾主義の長所なる厳格さを有し、快楽主義にあらずして而も天より賜われる快楽を感謝を以て味う者は基督者である。
附記 [汝ら知らずや]なる語はコリント前書、殊にその6章に非常に多く繰返されている(2、3、9、15、16、19)。是れパウロが既に是らの事については繰返しコリント人に告げていた事を示しているのであって、彼らが如何に頭脳の信者であり、その心が新になっていなかったかを表わしているのである。知るのみであって之を行わない者の最良の例としてコリントの信徒を挙げる事が出来るのは、彼等に取って大なる不名誉である。