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マタイ伝第8章
分類
4 ガリラヤにおけるイエスの御業 8:1 - 10:42
4-1 イエスの奇蹟と伝道 8:1 - 9:38
4-1-イ らい病人潔めらる 8:1 - 8:4
(マコ1:40-44) (ルカ5:12-14)
註解: 山上の垂訓を述べ給える主イエスは、いわゆる学者教法師らのごとく口に真理を語りてその実行はこれを他人に託するがごときことはなかった。山上に高く神の預言者たりしことを示し給いしイエスは、直ちに山を下りて悩める者の友となり病める者を癒し給うた。この両面を具備して始めてイエスの救い主に在し給うことを信ずることができる。
8章1節 イエス
口語訳 | イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。 |
塚本訳 | イエスが山を下りてこられると、多くの群衆がついて来た。 |
前田訳 | 彼が山をおりられると多くの群衆が従った。 |
新共同 | イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。 |
NIV | When he came down from the mountainside, large crowds followed him. |
8章2節
口語訳 | すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 |
塚本訳 | すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」 |
前田訳 | するとひとりのらい者が近よって彼に伏していった、「主よ、お心さえ向けばわたくしをお清めになれます」と。 |
新共同 | すると、一人の重い皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。 |
NIV | A man with leprosy came and knelt before him and said, "Lord, if you are willing, you can make me clean." |
註解: イエスの愛は多くの群衆よりも一癩病人の上に注がれた(ルカ15:4)。癩病はその不治なるの病なる点、遺伝病(▲・・・その後医学の進歩により癩病が不治の病にもあらず又遺伝性でもないことが知られるようになった)と思われすべての人に忌み嫌われる点、又必ずこの病によりて死ぬる点等が、人間の罪に極めて類似しているのであって罪の型と考えられている。而して癩病人を取扱うのは祭司の職務であった。然るにこの不治の病をイエスは容易に癒し給うた。これイエスが人間の力をもって潔め得ざる罪をも潔め得給うことの徴と見ることができる。「御意ならば」と言いてすべてをイエスの御旨に委せし謙遜の態度を示し「我を潔くなし給うを得ん」と言いてイエスの万能を信ずる信仰を表わしている。信仰とはかくのごとき態度を指していうのである。
8章3節 イエス
口語訳 | イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。 |
塚本訳 | イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。 |
前田訳 | そこでイエスは手をのばして彼にさわっていわれる、「よろしいとも、清くおなり」と。たちまちらい病は清くなった。 |
新共同 | イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。 |
NIV | Jesus reached out his hand and touched the man. "I am willing," he said. "Be clean!" Immediately he was cured of his leprosy. |
註解: 御言をもって万物を創造し給える神は、又御言をもって直ちに病を癒し癩病を潔め給う。手を彼に触れしは彼の穢れを身に受け給い、イエスの力を彼に注ぎし貌 であり「わが意 なり」云々はその癩病人の信仰に対するイエスの反響である。第一の奇蹟をば「ただちに」これを為し給うた。これ人を信ぜしめんがためであった。
8章4節 イエス
口語訳 | イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。 |
塚本訳 | イエスはその人に言われる、「だれにも言わないように気をつけよ。ただ(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を“祭司に見せ、”モーセが命じた供え者を捧げよ。」 |
前田訳 | イエスはいわれる、「気をつけて、だれにもいわないように。ただ行って体を祭司に見せ、モーセが命じたささげものをしなさい、人々への証(あかし)のために」と。 |
新共同 | イエスはその人に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」 |
NIV | Then Jesus said to him, "See that you don't tell anyone. But go, show yourself to the priest and offer the gift Moses commanded, as a testimony to them." |
註解: イエスはその行い給える奇跡を多くの場合に人に語るなと命じ給うた(引照参照)、その所以はイエスは人に見られん為に之を行い給うのでは無い事は勿論、更に深き理由としてイエスは人々が単に彼を地的メシヤと見、肉的利益を与えるものとの誤解を受けん事を憂い給うたのである。唯イエスは律法の破壊者にあらざる事を示さんが為に律法の命ずる如く行う事を薦め給うた。
要義 [奇蹟について] 奇蹟は全然有り得ないと信ずるもの、又は今日説明し又は経験し得る範囲内においてのみ可能であって、それ以上には有り得ないと信ずるもの、病気治癒の奇蹟は有り得るもパンの増加の奇蹟(マタ14:18−21。マタ15:34−38)、水上歩行の奇蹟(マタ14:25)等は有り得ないとするもの等、種々の思想が行われている。しかしながらキリスト者は神の万能を信じ、人間の発見せし宇宙の法則以上、又その以外の法則を神は造り給い、これに従って行動し給うことがあることを信じている。ゆえに奇蹟は有り得るのみならず、もし神の万能に在し給うことを信ずるならば奇蹟はむしろ当然の出来事となるのである。科学は今日すべての奇蹟を説明することができない。しかし説明は後より伴い来るのであって、説明ができない理由により事実そのものを否定することができない。もし奇蹟を否定するならばこれと同時に聖書の記者を虚偽者と認めなければならない。かかる大胆なる結論は容易にこれを引出してはならない。何となれば虚偽者の宗教が数千年の間多くの祝福を人類に与え、多くの正義の士を生むはずがないからである。キリストの降誕は宇宙的出来事である。かかる神の子に奇蹟を行う力が付与されしとするも決してこれを怪しむに足らない。
8章5節 イエス、カペナウムに
口語訳 | さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 |
塚本訳 | カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って |
前田訳 | 彼がカペナウムに入られると、百卒長が彼のところに来て |
新共同 | さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、 |
NIV | When Jesus had entered Capernaum, a centurion came to him, asking for help. |
8章6節
口語訳 | 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。 |
塚本訳 | 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」 |
前田訳 | 願っていう、「主よ、わが子が中風で家に寝ています、ひどく苦しんでいます」と。 |
新共同 | 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。 |
NIV | "Lord," he said, "my servant lies at home paralyzed and in terrible suffering." |
口語訳 | イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。 |
塚本訳 | 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」 |
前田訳 | いわく、「わたしが行ってなおしてあげよう」と。 |
新共同 | そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。 |
NIV | Jesus said to him, "I will go and heal him." |
註解: この百卒長は極めて善良なる信心深き人であった(ルカ7:4参照)。
辞解
[百卒長] ローマ軍人の隊長でローマ人である。日本の侍に類する一階級であった。
8章8節
口語訳 | そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 |
塚本訳 | 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。 |
前田訳 | 百卒長は答える、「主よ、わが屋根の下に来ていただく資格はありません。ただことばでおっしゃってください。すればわが子はいやされましょう。 |
新共同 | すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。 |
NIV | The centurion replied, "Lord, I do not deserve to have you come under my roof. But just say the word, and my servant will be healed. |
註解: これが信仰的態度の最も美わしきものである。信仰は理論(神学)でもない、神秘的神人交通(神秘主義)でもない、又信者の団体に加入すること(教会)でもない、神に対する謙遜と、神の能力に対する絶対信頼である。この百卒長はこの二つを持っていた。そしてキリストに対し神の子たるの崇敬と信頼とを献げた。同一の心持が時に異なった形式において表われることもある。マタ9:18、マタ9:20。
8章9節
口語訳 | わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。 |
塚本訳 | というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」 |
前田訳 | それはわたくしも権威に服する人間で、わたくしの下に兵卒がいます。これに『行け』といえば行き、かれに『来い』といえば来、僕(しもべ)にこれをせよといえばします」。 |
新共同 | わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 |
NIV | For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, `Go,' and he goes; and that one, `Come,' and he comes. I say to my servant, `Do this,' and he does it." |
註解: 権威ある者がその権威の下にあるものに命ずれば、直ちにその命のままに実行されることを百卒長は経験していた。彼「みづから権威の下にある者なるに」尚然り、いわんや最高の権威に在すダビデの子イエスにおいておや。彼はイエス命じ給えば病はこれに従うことを確信していた。
8章10節 イエス
口語訳 | イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 |
塚本訳 | イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。 |
前田訳 | 聞いてイエスはおどろき、従う人々にいわれた、「本当にいう、こんな信仰はイスラエルのうちでも見たことがない。 |
新共同 | イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 |
NIV | When Jesus heard this, he was astonished and said to those following him, "I tell you the truth, I have not found anyone in Israel with such great faith. |
註解: 最も信仰的国民であるイスラエルの中にも見ざる信仰をこの百卒長が持っていた。イエスが百卒長の信仰をかくまでも賞賛し給えることに注意しなければならぬ、かかる信仰こそイエスの喜び給う信仰であって、我らもまたかかる信仰を持つべきである。
辞解
[怪しみ] thaumazô サウマゾーは日本語訳にはすべて「怪しみ」と訳されているけれども、「驚異」の意味であって「奇怪」の意味は微弱である。
8章11節
口語訳 | なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 |
塚本訳 | わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が“東から西から”来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、 |
前田訳 | わたしはあなた方にいう、多くの人が東と西から来てアブラハムとイサクとヤコブとともに天国の宴につこう。 |
新共同 | 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。 |
NIV | I say to you that many will come from the east and the west, and will take their places at the feast with Abraham, Isaac and Jacob in the kingdom of heaven. |
8章12節
口語訳 | この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。 |
塚本訳 | (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」 |
前田訳 | しかし(いわゆる)み国の子らは外の闇に投げ出されよう。そこではなげきと歯ぎしりがあろう」。 |
新共同 | だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 |
NIV | But the subjects of the kingdom will be thrown outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth." |
註解: イエスは神の選民イスラエルを特に愛し給うた (マタ10:5。マタ15:24。マタ23:37以下) 。しかし信仰の前には民籍の区別がなかった。この百卒長のごとき信仰あるものは、たといイスラエル人(彼らは神の選びと約束により御国の子らであった)ではなくともイスラエルの始祖アブラハム等と共に天国に招かれ、不信仰なるイスラエル人は神の国以外に放逐されるに至ることを預言し給うた。イエスは今日の教会についてもかく言い給うであろう。
辞解
[外の暗] 明るい天国の祝宴場の外の暗闇のこと、これを霊界に譬えしもの、不信者は心に暗黒を有っている。ゆえに暗黒界はその住居として相応しい。
[哀哭、切歯] 自責の念に駆られて弱者は哭き、強者は切歯する。
8章13節 イエス
口語訳 | それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。 |
塚本訳 | それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。 |
前田訳 | そしてイエスは百卒長にいわれた、「お帰り、あなたが信じたようになるように」と。すると子はちょうどそのときいやされた。 |
新共同 | そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。 |
NIV | Then Jesus said to the centurion, "Go! It will be done just as you believed it would." And his servant was healed at that very hour. |
註解: イエスが病を癒し給うがためには「言」だけで充分であって(8節)距離は何らの妨害にもならなかった。すなわち患者との接触を要しなかった。百卒長の僕の癒されしは百卒長の信仰の結果であった。ゆえに心理療法とは同一ではない。
要義 [信仰の本質]イエスはしばしば信仰を賞揚し給う場合があった (マタ9:9、マタ9:22。マタ15:28。ルカ17:19。ルカ18:42等) 。而してこのいずれの場合においても、イエスの嘉納し給う信仰は極めて単純なものであった。百卒長の信仰のごときはその最も良き実例である。かかる信仰を摑得 するがためには神学研究や、座禅瞑想の必要はさらにない。又洗礼を受けて教会員となる必要もない。直截 簡明、唯イエスに対し神の子としての信頼と崇敬とを捧ぐるをもって足りるのである。しかしながら我らかかる信頼を要求し得る者は、キリストにより他には有り得ないのであって、その他のものにかかる信頼をもって臨む場合には、我らは偶像崇拝の誤謬に陥るのである。信仰礼拝すべき対象と、その信仰礼拝の態度とが両 つながら完全である場合にそこに真正なる宗教が成立するに至るのである。百卒長の場合はすなわちそれであった。今日信仰をもって何らか思弁的のもの、又は活動的事業(▲又は特別の形式や制度を必要とするもの)のごときものと解される傾向がある際に、この百卒長の単純なる信仰は充分にこれを玩味 しなれければならない。尚イエスは異邦人の信仰の例をもって暗にユダヤ人の不信を責め給うた。
8章14節 イエス、ペテロの
口語訳 | それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。 |
塚本訳 | イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった。 |
前田訳 | そして、イエスはペテロの家へ来られて、その姑(しゅうとめ)が熱病で伏しているのを見られた。 |
新共同 | イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのを御覧になった。 |
NIV | When Jesus came into Peter's house, he saw Peter's mother-in-law lying in bed with a fever. |
8章15節 その
口語訳 | そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。 |
塚本訳 | その手におさわりになると、熱が取れ、彼女は起き上がってイエスをもてなした。 |
前田訳 | 彼がその手にふれられると、熱は去った。そこで彼女は起きて彼に給仕した。 |
新共同 | イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした。 |
NIV | He touched her hand and the fever left her, and she got up and began to wait on him. |
註解: 罪より救われし者のイエスに仕うる有様もこれと同じ。
8章16節
口語訳 | 夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。 |
塚本訳 | 夕方になると、人々は悪鬼につかれた者を大勢イエスのところにつれて来た。イエスは言葉をもって霊どもを追い出し、また一人のこらず病人をなおされた。 |
前田訳 | 夕になったので彼のところに悪霊つきが大勢連れて来られた。そこで彼は諸霊をことばで追い出し、すべて病むものをいやされた。 |
新共同 | 夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。 |
NIV | When evening came, many who were demon-possessed were brought to him, and he drove out the spirits with a word and healed all the sick. |
註解: イエスの言はかかることを為すの力を有っていた。「言」によりて天地はなり、又この「言」によりて天地は滅ぼされるのである以上(Uペテ3:5−7)、言にて病を癒し給うことは何ら怪しむに足らない。
辞解
[悪鬼に憑かれた者] 一種の精神病者を新約聖書においてはかく呼んでおり、また実際悪鬼が憑いているとの思想を持っていた(マタ8:31等)。この思想は今日の医学者はこれを嘲笑しているけれども必ずしも無視すべき思想ではない。将来医学の発達と共に、或はかえってこれがこの種の精神病の真の原因であることを証明し得るであろう。
8章17節 これは
口語訳 | これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。 |
塚本訳 | “彼はわたし達の煩いを除き、病気を取り去るであろう”と、預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。 |
前田訳 | これは預言者イザヤによっていわれたことの成就するためであった、いわく、「彼はわれらの弱さを身に受け、われらの病を負うた」と。 |
新共同 | それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。」 |
NIV | This was to fulfill what was spoken through the prophet Isaiah: "He took up our infirmities and carried our diseases." |
註解: この病気治癒の奇蹟も、イエスのメシヤに在し給うことの証拠であってイザヤが既にこれを預言していた(引照参照)。この預言は罪を負う贖い主としてのイエスを指し、又疾患を負う治癒者としてのイエスを示していた。而して治癒の奇蹟をもって単にイエスがその力を自由に用い給えるの結果に過ぎないと思うならば、それはこの御業の重要なる一面を見逃したのである。イエスは事実我らの疾患を御自身に負い給うた。彼はその同情より病者の苦しみに等しき苦しみを感じ給うた。この愛なしに病を癒すことができない。
8章18節 さてイエス
口語訳 | イエスは、群衆が自分のまわりに群がっているのを見て、向こう岸に行くようにと弟子たちにお命じになった。 |
塚本訳 | イエスは自分のまわりの群衆を見ると、向う岸に行くようにと(弟子たちに)命じられた。 |
前田訳 | イエスは、囲む群衆を見ると、指図して向こう岸へ去ろうとされた。 |
新共同 | イエスは、自分を取り囲んでいる群衆を見て、弟子たちに向こう岸に行くように命じられた。 |
NIV | When Jesus saw the crowd around him, he gave orders to cross to the other side of the lake. |
註解: 群衆の中に見出すことができないものを人は寂寞 の中に見出すことができる。殊に祈りにおいてそうである。イエスは恐らく静かに祈らんことを求め給うのであろう。
8章19節
口語訳 | するとひとりの律法学者が近づいてきて言った、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」。 |
塚本訳 | すると一人の聖書学者が進み出て言った、「先生、どこへでもおいでになる所へお供をします。」 |
前田訳 | するとひとりの学者が近づいていった、「先生、どこへでもお供します」と。 |
新共同 | そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。 |
NIV | Then a teacher of the law came to him and said, "Teacher, I will follow you wherever you go." |
註解: ▲「従う」とは弟子となって随行すること。
8章20節 イエス
口語訳 | イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。 |
塚本訳 | イエスはその人に言われる、「狐には穴がある、空の鳥には巣がある。しかし人の子(わたし)には枕する所がない。(その覚悟があるか。)」 |
前田訳 | そこでイエスは彼にいわれる、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には枕するところがない」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 |
NIV | Jesus replied, "Foxes have holes and birds of the air have nests, but the Son of Man has no place to lay his head." |
註解: 軽卒にして燥急 なる決心をなせる者に対しては、イエスは彼に従う途の定めなき険阻 なるものなることを示して、彼をして尚熟慮せしめ給うた。燥卒なる決心は半途にて挫折し易いからである。ここに彼の愛と人を見るの力とを窺うことができる。
辞解
[狐、空の鳥] 「狐」は悪人、「空の鳥」は悪魔に譬えられる場合がある(ルカ13:32。マタ13:32)。ここではかく解する必要なきにしても、かく解することによりて一層「人の子」との対照を活かすことができよう。
[人の子] キリストが自ら呼んで「人の子」と称し給うた。彼以外に何人もこの名称をもって呼ばれることはなく、又何人も自己をこの名称をもって呼んだ人はなかった。ダニ7:13より出で「神より出でて人となり給えるメシヤ」の意味であって、現在の卑下と将来の栄光とを示し、最もキリストに相応しき称呼であった。又ユダヤ人はこの称呼がメシヤすなわち神の子を意味することを知っていた(ヨハ12:34。ルカ22:69、70)。
8章21節 また
口語訳 | また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。 |
塚本訳 | またほかの一人の弟子が言った、「主よ、(お共をする)その前に、父の葬式をしに行かせてください。」 |
前田訳 | いまひとりの弟子が彼にいった、「主よ、おゆるしください、まずわが父を葬りに行くことを」と。 |
新共同 | ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。 |
NIV | Another disciple said to him, "Lord, first let me go and bury my father." |
8章22節 イエス
口語訳 | イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。 |
塚本訳 | イエスはその人に言われる、「(今すぐ)わたしについて来なさい。死んだ者の葬式は、死んだ者にまかせよ。」 |
前田訳 | イエスは彼にいわれる、「わたしに従いなさい。死人に自分たちの死人を葬らせておきなさい」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。」 |
NIV | But Jesus told him, "Follow me, and let the dead bury their own dead." |
註解: 前節の学者とは反対にキリストはこの弟子の心中に、イエスに従うことを躊躇する心を認め給うた。そして父を葬ることをもってイエスに従うことよりも重大なることと考うる程、イエスに従うことを軽視しているのを覚 り給うた。それゆえにイエスはかかる強き語気をもって彼を戒め給うたのである。国家の危急存亡に際し戦場に出征しつつある者は、父の埋葬を為さんがために帰宅することができない。イエスに従うことは神の兵士として戦場に出づることに外ならない。ゆえにこの覚悟なしにキリストに従うことができない。
辞解
[死にたる者] 第一は霊的死者 (エペ2:1。Tテモ5:6。黙3:1) 、第二は一般的意味の死者を意味する。
要義 [適切なる教訓]イエスの教訓の最も驚異すべき点は、イエスがその相手方の心の奥底を洞察してその弱点の急所を衝き給うことである。福音書中のすべての教訓は皆この特徴を有っているのであって、この点を考えずして文字の外形のみより、イエスの教訓の内容を決定することは大なる誤りを生ずるのである。この二人の場合においても学者の決心は、イエスに従うことのいかに困難であるかを考えない決心であり弟子の場合は、イエスに従うことの重要さを知らない心であった。ゆえに燥急なる学者に対してイエスはその勝利の確実なることと未来の栄光の耀きとを示し給わずして(マタ26:64)、その行く手の困難と十字架とを示し給い、躊躇する弟子に対してはイエスに従うことが、人生の最大の義務なる父を葬ることよりも以上に重大なる事柄であることを示し給うたのである。寔 に適切なる教訓である。
口語訳 | それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 |
塚本訳 | 舟に乗られると、弟子たちも従った。 |
前田訳 | 彼が舟に乗られると、弟子たちが従った。 |
新共同 | イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。 |
NIV | Then he got into the boat and his disciples followed him. |
8章24節
口語訳 | すると突然、海上に激しい暴風が起って、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。 |
塚本訳 | するとにわかに湖に激しい嵐がおこって、ついに舟は波をかぶった。しかしイエスは眠っておられた。 |
前田訳 | すると見よ、大嵐が海におこり、舟は波をかぶるに至った。しかし彼は眠っておられた。 |
新共同 | そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。 |
NIV | Without warning, a furious storm came up on the lake, so that the waves swept over the boat. But Jesus was sleeping. |
註解: ガリラヤの湖上には突風が起って船を覆すことがしばしばある。これもその一つの場合であった。神に対する絶対の信頼を持ち給うイエスは最大の危機に際しても尚些 の恐れもなかった、かえって弟子が恐れるのを見て驚き給うた。神に信頼する者には恐れがない(マコ5:36)。
8章25節
口語訳 | そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起し、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。 |
塚本訳 | 弟子たちがそばに来て、「主よ、お助けください、溺れます」と言って起した。 |
前田訳 | そこで彼らは近づいて彼を起こしていう、「主よ、お助けを、おぼれます」と。 |
新共同 | 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。 |
NIV | The disciples went and woke him, saying, "Lord, save us! We're going to drown!" |
註解: 人生の嵐に際して我らもまた主に対してこの叫びを揚げなければならない時が来る。
8章26節
口語訳 | するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「なんでそんなに臆病なのか、信仰の小さい人たちよ!」それから起き上がって風と湖とを叱りつけられると、(たちどころに)大凪になった。 |
前田訳 | するといわれる、「何と臆病な君たちか、信仰の小さい人たちよ」と。そこで立ちあがって風と海とをたしなめられると、大凪(おおなぎ)になった。 |
新共同 | イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 |
NIV | He replied, "You of little faith, why are you so afraid?" Then he got up and rebuked the winds and the waves, and it was completely calm. |
註解: イエスは自然をも支配するの力を有 ち給うた。我ら罪の重荷と世の暴風の中に亡びんとする時も同じく、このイエスの御声を聴くことができ(ヨハ14:1)、これによりて我らの心は静まり世の暴風もその暴威を失ってしまう、弟子たちは「不信仰」ではなかったけれども「うすき信仰」であった。この両者には大差がある。
8章27節
口語訳 | 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。 |
塚本訳 | 人々は驚いて、「この方はどうした人だろう、風も湖も、その言うことを聞くのだが」と言った。 |
前田訳 | 人々はおどろいていう、「これはどういう人か、風も海も従うとは」と。 |
新共同 | 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。 |
NIV | The men were amazed and asked, "What kind of man is this? Even the winds and the waves obey him!" |
註解: 普通の人でないことは明らかである。けれども神の子に在 すことを彼らは信じなかった。
要義 [イエスと偕なるものの幸福]キリスト者及びキリストの教会はこの世の荒波と暴風の中に置かれているけれども、キリストは「世の終りまで汝らと偕に在るなり」(マタ28:20)と宣いて、決して我らを離れ給うことはない。我ら彼に乞い、彼に祈りてこの世の暴風と荒波とに打ち勝つことができる。彼こそこれを静むるの力を有ち給うがゆえである。
8章28節 イエス
口語訳 | それから、向こう岸、ガダラ人の地に着かれると、悪霊につかれたふたりの者が、墓場から出てきてイエスに出会った。彼らは手に負えない乱暴者で、だれもその辺の道を通ることができないほどであった。 |
塚本訳 | かくて向う岸、ガダラ人の地にお着きになると、悪鬼につかれた者が二人、墓場から出てきてイエスを迎えた。彼らは非常に狂暴で、だれもその道を通ることが出来なかった。 |
前田訳 | 彼が向こう岸のガダラ人の国へ来られると、墓から出て来たふたりの悪霊つきが彼を出迎えた。彼らがあまりものすごいのでだれもその道を通れなかった。 |
新共同 | イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。 |
NIV | When he arrived at the other side in the region of the Gadarenes, two demon-possessed men coming from the tombs met him. They were so violent that no one could pass that way. |
註解: 彼らは墓の中に住んでいた[ユダヤの墓は石の中に穿 った穴である]。我らも罪の奴隷となっている場合には、たとい金殿玉楼 の中に住んでいても墓の中にいるようなものである。
辞解
[ガダラの地] マルコ、ルカには「ゲラセネの地」とあり、いずれも今日その地点を確定することができないが、デカポリスの地方に属し、ガリラヤ湖の東岸であることだけは確かである。
その
註解: 悪鬼は非常に力強く、我らの心を支配している場合には道徳も社会的制裁もこれに打ち勝つことができない。この狂人の力はその中に宿れる悪鬼の力であった。ゆえに鎖や足枷 を断ち切ることができた。
8章29節
口語訳 | すると突然、彼らは叫んで言った、「神の子よ、あなたはわたしどもとなんの係わりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもを苦しめるのですか」。 |
塚本訳 | 彼らはいきなり叫んだ、「神のお子様、“放っておいてください。”まだ時でもないのに、わたしどもを苦しめるためにここに来られたのか。」 |
前田訳 | すると見よ、彼らは叫んでいう、「何のご用ですか、神の子よ。まだ時でないのにここに来て、われらを苦しめるおつもりですか」と。 |
新共同 | 突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」 |
NIV | "What do you want with us, Son of God?" they shouted. "Have you come here to torture us before the appointed time?" |
註解: 悪鬼は不信者よりもよくキリストを知って彼を恐れている(ヤコ2:19)。ゆえに「神の子よ」と呼んだ。悪鬼はやがてはキリストに亡ぼさるべきものであることを知っていたけれども、キリストの来り給うことがあまりに早いように感じた。キリストの再臨を待ち焦 れる者にとっては主の来り給うことが遅いように思われる。
辞解
[我らと汝と何の関係あらん] 干渉されることを拒絶する意味の慣用語である。
8章30節
口語訳 | さて、そこからはるか離れた所に、おびただしい豚の群れが飼ってあった。 |
塚本訳 | 折から、はるかかなたに多くの豚の群が草を食っていた。 |
前田訳 | 彼らから離れたところに多くの豚の群れが飼われていた。 |
新共同 | はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。 |
NIV | Some distance from them a large herd of pigs was feeding. |
8章31節
口語訳 | 悪霊どもはイエスに願って言った、「もしわたしどもを追い出されるのなら、あの豚の群れの中につかわして下さい」。 |
塚本訳 | 悪鬼どもは、「わたしどもを追い出されるなら、あの豚の中にやってください」と願った。 |
前田訳 | 悪霊は彼を呼んでいう、「もしわれらを追い出されるなら、豚の群れへつかわしてください」と。 |
新共同 | そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。 |
NIV | The demons begged Jesus, "If you drive us out, send us into the herd of pigs." |
註解: ユダヤ人は豚を食うことを禁じられていた。ゆえにこの豚の所有主は異邦人か又は売却を目的として飼育せるユダヤ人であったろう。悪鬼は人間に入ると同様動物にも入ることができる。ゆえに住家を失わないように豚に入ることの許可をイエスに乞うた。
8章32節
口語訳 | そこで、イエスが「行け」と言われると、彼らは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れ全体が、がけから海へなだれを打って駆け下り、水の中で死んでしまった。 |
塚本訳 | イエスが「行ってよろしい」と言われると、悪鬼どもは(二人から)出ていって豚に入った。すると群は皆(気がちがったように)けわしい坂をどっと湖へなだれこみ、水の中で死んでしまった。 |
前田訳 | そこでいわれる、「行け」と。彼らは出て行って豚に入った。すると見よ、群れ全体が崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。 |
新共同 | イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。 |
NIV | He said to them, "Go!" So they came out and went into the pigs, and the whole herd rushed down the steep bank into the lake and died in the water. |
註解: 悪鬼の支配を脱せる二人は常態に復し、悪鬼は豚に入りてやがて水中に陥 りてその審判を受けた。世の終りにおけるサタンの審判もかくのごとくであろう。
8章33節
口語訳 | 飼う者たちは逃げて町に行き、悪霊につかれた者たちのことなど、いっさいを知らせた。 |
塚本訳 | 豚飼たちは逃げ出して町に行き、ことの一部始終、ことに悪鬼につかれていた者に起ったことを知らせた。 |
前田訳 | 豚飼いたちはのがれた。彼らは町へ行って、すべてのこと、ことに悪霊つきに関することを告げた。 |
新共同 | 豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。 |
NIV | Those tending the pigs ran off, went into the town and reported all this, including what had happened to the demon-possessed men. |
8章34節
口語訳 | すると、町中の者がイエスに会いに出てきた。そして、イエスに会うと、この地方から去ってくださるようにと頼んだ。 |
塚本訳 | すると町中(の者)がイエスに会いに出てきて、イエスに会うと、その土地を去られるようにと頼んだ。 |
前田訳 | すると見よ、町じゅうが出かけてイエスに会いに来、彼を見ると、彼らの地方を去られるよう願った。 |
新共同 | すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。 |
NIV | Then the whole town went out to meet Jesus. And when they saw him, they pleaded with him to leave their region. |
註解: 豚を飼う者は非常に驚いた。町人殊にその豚の所有者はこれがために非常の損害を受けた。ゆえにイエスを町外に放逐せんとしたのである。
要義1 [このイエスの奇蹟は罪にあらざるか]イエスが多数の豚を、しかも他人の所有に属する豚を水中に殺し給えることは果して正しき行為なりや否やが論争の問題となっている。而して或は豚を飼育する者は利益を得んがために汚れし動物を飼う罪あるユダヤ人なるべしと想像し、それゆえにイエスの行為は正当の罰なりと説明するものもあり、又は豚そのものが汚れている動物ゆえ、これを殺すも差支えなしと説明するものもある。しかしこの奇蹟はかかる功利的立場から解釈せらるべきものではなく、イエスが悪魔の上にいかに偉大なる力を有ち給うかを示さんとしたものと解すべきである。然のみならず人の霊を救わんがためには物質的損害を他人に与うることは有り得るのであって、パウロはその伝道によりて、エペソの銀龕 (=細工棚:広辞苑)細工人の多数を失業せしめ(使19:27)、今日も信仰に入れるために、罪深き職業を廃業することによりて損失を招くごときは多くの実例がある。これらを普通の利害関係において他人に損害を与うることと同一視し、同一の道徳的標準をもって裁くのは明らかに誤っている。
要義2 「この奇蹟の性質」イエスの奇蹟はほとんどすべては恩恵によるものであった。唯この奇蹟の中、豚を死なせしめし事柄と無花果の木の奇蹟とは恩恵によるものではなく、未来の審判を示す処のものであった。イエスも父なる神と同じく愛と同時に義の神であった。ゆえに恩恵を施し給うと同時に又怒り給うた。唯怒り給うこと遅く、短きに反して恩恵を施し給うことは千代に及ぶの差異があるのみである。
マタイ伝第9章
4-1-ト イエス中風の者を医し給う 9:1 - 9:8
(マコ2:1-12) (ルカ5:17-26)
9章1節 イエス
口語訳 | さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。 |
塚本訳 | それから舟に乗って(湖を)渡り、自分の町(カペナウム)に来られた。 |
前田訳 | そこで彼は舟に乗って湖を渡り、おのが町へ来られた。 |
新共同 | イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰って来られた。 |
NIV | Jesus stepped into a boat, crossed over and came to his own town. |
註解: ガダラ人の要求により「己が町」すなわちカペナウムに渡り給うた。
9章2節
口語訳 | すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。 |
塚本訳 | するとそこに、人々が寝床にねている一人の中風の者をつれて来た。イエスはその人たちの信仰を見て(驚き)、中風の者に言われた、「子よ、安心せよ、いまあなたの罪は赦された。」 |
前田訳 | すると見よ、床についた中風やみを運んで来た人々がある。イエスは彼らの信仰を見て中風やみにいわれた、「安心なさい、わが子よ、あなたの罪はゆるされます」と。 |
新共同 | すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。 |
NIV | Some men brought to him a paralytic, lying on a mat. When Jesus saw their faith, he said to the paralytic, "Take heart, son; your sins are forgiven." |
註解: 群衆に遮られてイエスに近付くことができなかったので屋根を破って彼を床のままイエスの前に釣下した(マコ2:4。ルカ5:19)。信仰より来た熱心が彼らをしてかく為さしめたのである。
イエス
註解: 「彼ら」は床を持ち運べる人々及び患者を総称している。イエスはその病者の心の中に罪の自覚が強く感せられていることを知り、先ず無限の愛をもって彼を慰め給うた。「汝の罪ゆるされたり。ゆえにその結果病も癒されるであろう。心配することは一つもない」と。主を信ずる者はこの言のみをもって安心することができる。
9章3節
口語訳 | すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。 |
塚本訳 | すると数人の聖書学者がひそかに思った、「この人は神を冒涜している。」 |
前田訳 | すると数名の学者が心の中でいった、この人はけがしごとをいう、と。 |
新共同 | ところが、律法学者の中に、「この男は神を冒涜している」と思う者がいた。 |
NIV | At this, some of the teachers of the law said to themselves, "This fellow is blaspheming!" |
註解: いずれの世においても最も多くのことを知っていながら、最も大切なことを知らないのは学者である。この場合でも学者は律法と預言者に精通していながらイエスの神の子に在 し給うことを知らなかった。ゆえにイエスが罪を赦し給えるを聞き、神を涜 すものと考えたのである。
辞解
[神を涜 す] 「神を涜 す」ことは神に不当の性質を帰する場合、または神にその当然の性質を帰しない場合、又は神のみに属する性質を神以外に帰する場合である。
9章4節 イエスその
口語訳 | イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。 |
塚本訳 | イエスは彼らの考えを知って言われた、「なぜ悪いことを心の中で考えているのか。 |
前田訳 | イエスは彼らの心を見抜いていわれる、「何ゆえ心の中に悪を考えるか。 |
新共同 | イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。 |
NIV | Knowing their thoughts, Jesus said, "Why do you entertain evil thoughts in your hearts? |
9章5節
口語訳 | あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。 |
塚本訳 | あなたの罪は赦された、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、いったいどちらがたやすい(と思う)か。 |
前田訳 | 『あなたの罪はゆるされる』というのと、『起きて歩め』というのと、どちらがやさしいか。 |
新共同 | 『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。 |
NIV | Which is easier: to say, `Your sins are forgiven,' or to say, `Get up and walk'? |
註解: イエスは常に人の心の中の状態を注意しこれを見透し給う。学者らは「彼は神を涜 すことを言っている。罪を赦すというだけならば何も難しいことはない。どこにも証拠がないのだから」と心の中に言ったであろう。これに対しイエスは「そんならば一層困難なことを例に示して予が罪を赦す権のあることを示そう。「起きて歩め」ということは容易ではない、何となればもし病者がこの言に従わなければ予に罪を赦すの権がない証拠となるからである。従ってもしこの言に従って病者が立ち上がるならば、予には罪を赦すの権があることは明らかではないか」というのがイエスの御言の意味である。
9章6節
口語訳 | しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。 |
塚本訳 | では、人の子(わたし)は地上で罪を赦す全権を持っていることを知らせてやろう」と言っておいて、中風の者に言われる、「起きて寝床をかついで、家に帰りなさい。」 |
前田訳 | しかし人の子が地上で罪をゆるす権威を持つことをあなた方に知らせよう」と。そこで中風やみにいわれる、「起きてあなたの床をあげて家にお帰り」と。 |
新共同 | 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われた。 |
NIV | But so that you may know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins...." Then he said to the paralytic, "Get up, take your mat and go home." |
註解: 中風の者に一言をもって命じ、これによりてキリストが地上において既に罪を赦す権のあることを示し給うた。これによりて天においては凡ての権威を有 ち給うことが当然であることが解かる。
口語訳 | すると彼は起きあがり、家に帰って行った。 |
塚本訳 | すると彼は起き上がって、家に帰って行った。 |
前田訳 | すると彼は起きて家へと立ち去った。 |
新共同 | その人は起き上がり、家に帰って行った。 |
NIV | And the man got up and went home. |
9章8節
口語訳 | 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。 |
塚本訳 | 群衆はそれを見て恐ろしくなり、こんな全権を人に授けられた神を賛美した。 |
前田訳 | それを見た群衆は畏敬し、そのような権威を人々に与えたもうた神をたたえた。 |
新共同 | 群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。 |
NIV | When the crowd saw this, they were filled with awe; and they praised God, who had given such authority to men. |
註解: これを見て学者はイエスが罪を赦し給うことを批難することができなかった。又群衆はこの偉大なる力に驚くと共に人類にかかる能力を与え給えることは著しき出来事であるので神を讃美した。
9章9節 イエス
口語訳 | さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。 |
塚本訳 | イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。 |
前田訳 | イエスはそこを去るとマタイという人が収税所にすわっているのを見受けて、彼にいわれる、「わたしについて来なさい」と。すると立って従った。 |
新共同 | イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 |
NIV | As Jesus went on from there, he saw a man named Matthew sitting at the tax collector's booth. "Follow me," he told him, and Matthew got up and followed him. |
註解: マルコ、ルカにはレビの名をもって記さる。マタイは恐らく以前にもしばしばイエスに接してその教えを聞き、彼の弟子の一人に加えられていたことであろう。彼はイエスの召しに応じて直ちに従った。先には無学の漁夫(マタ4:19、20)を召し給い、今又人に賤しめられる取税吏を召し給うた。イエスの神学校はガリラヤの湖水でありこの世の風波である。
9章10節
口語訳 | それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。 |
塚本訳 | イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。 |
前田訳 | イエスが家で食卓につかれると、見よ、多くの取税人と罪びとが来てイエスと弟子たちと同席した。 |
新共同 | イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 |
NIV | While Jesus was having dinner at Matthew's house, many tax collectors and "sinners" came and ate with him and his disciples. |
註解: この家はマタイの家であった(ルカ5:29)。マタイはその旧友に別れを告げたのであろう。取税人や罪人(すなわち普通のユダヤ人の道徳的標準にも達せず第六戒第七戒等を破った人)と共に食することは当時のユダヤ人中の真面目な分子にとっては非常に汚らわしきことであった。イエスもその弟子も当時すでにこの悪習の束縛を脱していた。
9章11節 パリサイ
口語訳 | パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。 |
塚本訳 | パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」 |
前田訳 | するとパリサイ人が見て弟子たちにいった、「なぜあなた方の先生は取税人や罪びとと食をともにするのか」と。 |
新共同 | ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 |
NIV | When the Pharisees saw this, they asked his disciples, "Why does your teacher eat with tax collectors and `sinners'?" |
註解: パリサイ人及び学者ら(マルコ、ルカ)は自己を取税人、罪人らに比して義しきものと自信していた。ゆえにイエスが彼らと共に食することを怪しみ、これをもってイエスの不完全なる教師であることの証しとして弟子達に示さんとした。
9章12節
口語訳 | イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。 |
塚本訳 | 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。 |
前田訳 | 彼は聞いていわれた、「医者を要するのは健康人ではなくて病人である。 |
新共同 | イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 |
NIV | On hearing this, Jesus said, "It is not the healthy who need a doctor, but the sick. |
註解: 「健やかなる者」「病める者」は次節の「正しき者」「罪人」と相対している。イエスは彼を必要とする者、すなわち病める者、罪人のために来り給うたのである。健やかなる者、正しき者は彼を必要としない。しかし実際においてはすべての人が病める者、罪人である(ロマ3:10)、ゆえにキリストを必要としない者は一人もない。パリサイ人はこのことを知らなかった。ゆえにイエスは裏面よりこのことを彼らに覚らしめんとしてい給う。
9章13節 なんぢら
口語訳 | 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 |
塚本訳 | “わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない”という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」 |
前田訳 | 出かけて学びなさい、『わが欲するはあわれみでいけにえではない』とは何か、を。わたしが招きに来たのは義人をではなく罪びとをである」と。 |
新共同 | 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 |
NIV | But go and learn what this means: `I desire mercy, not sacrifice.' For I have not come to call the righteous, but sinners." |
註解: パリサイ人は憐憫の心よりもむしろ律法を形式的に守り犠牲を神に献ぐることに熱心であった。ホセ6:6にエホバはこれを好み給わず、自ら憐れむことを好み給うことを示している。イエスが取税人、罪人と食を共にするは、かかる者をあわれみ、これを救わんがためである。
要義 [義人なし一人だになし]9−13節によりキリストは唯罪ある者のためにのみ来り給い、罪あるものを求め給うことを知ることができる。然らば果してこの世にキリストを必要としない義人があるであろうか。パリサイ人は自ら義 しと信じ、取税人・罪人とは異なっていると信じていた(ルカ18:11)。これに向いキリストは「我はかかる人を招かんがために来たのではない」と言い給うた。ゆえにこれを表面より見れば、かかる人々はキリストの救いを必要とせざる種類の人のごとくに見える。しかしながらイエスのこの御言はイエスの憐憫のいかに深いかを示し、これを聞けるパリサイ人らをして自らを顧みて憐憫の心なきを覚り、イエスの赦しを乞わしめんがためであった。実際の処彼らパリサイ人らは最も多くキリストを必要とする最大の罪人であった(ヨハ9:41)。今日もこれと同様であって自ら罪なき義 しき人と信じて憐憫の心なき者は最大の罪人である。
9章14節 ここにヨハネの
口語訳 | そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。 |
塚本訳 | そのあと、洗礼者ヨハネの弟子がイエスの所に来て言う、「わたし達とパリサイ人とは断食をするのに、なぜあなたの弟子は断食をしないのか。」 |
前田訳 | そのころ彼のところにヨハネの弟子が来ていう、「なぜわれらとパリサイ人は断食するのに、あなたの弟子は断食しないのか」と。 |
新共同 | そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。 |
NIV | Then John's disciples came and asked him, "How is it that we and the Pharisees fast, but your disciples do not fast?" |
註解: バプテスマのヨハネの弟子たちはその師に傚 いて厳格なる生活を送り、常に断食の修養を行っていた。然るにイエスの弟子はこれを行わず、かえって「飲食さえした」(ルカ5:33)。前段(9:10−13)はイエスの行為に対する質問、この一段は弟子の行為に対する質問であった。いずれも内心にこれを批難しつつも穏かに質問の形を取ってその非難を表明したのである。▲イエスとその弟子たちは、当時の宗教熱心家が習慣的に行っていた行事には甚 だ冷淡であった。保守的な人々の反対はその結果でもあった。
辞解
[断食] モーセの律法には断食は年に一回あるのみであったが、その後増加して現今ではユダヤ人は一般に年に二十八回の断食を行う、その他国民的大事件に際してしばしば断食が行われた (U歴20:3。エレ36:6-10。ネヘ9:1。ヨエ1:14。ヨエ2:15。イザ5:8) 。個人的には悲哀、苦痛、憂慮に際して断食を行った場合は多い。主イエスの時代には月、金の二日が断食日と定められていた。断食の程度には種々あった。
9章15節 イエス
口語訳 | するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「婚礼の客は花婿がまだ一しょにいる間に、(断食をして)悲しむことが出来ようか。しかしいまに花嫁を奪いとられる時が来る。すると彼らは(いやでも)断食をするであろう。 |
前田訳 | そこでイエスは彼らにいわれる、「花むこがともにいる間、婚礼の客は悲しめようか。花むこが取られる日が来よう。そのときには彼らは断食しよう。 |
新共同 | イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。 |
NIV | Jesus answered, "How can the guests of the bridegroom mourn while he is with them? The time will come when the bridegroom will be taken from them; then they will fast. |
註解: キリストは己を新郎に譬え給うた。これ一面ヨハネの言(ヨハ3:29)を利用したのであるけれども他面キリストの重要なる一性質であった、弟子は今彼と共に婚筵 の席にある、その歓喜の中に断食のごとくに苦痛の表徴を示さんとするならばそれは不自然で偽善である。しかしキリストはやがて十字架につけられ取られる日が来る、その時には断食と弟子の心持とが完全に調和するであろう。律法的形式固執主義は大なる禍いである。
辞解
[新郎] キリストが新郎であり、教会が新婦であることは聖書中の重要なる真理であり、神の奥義であった。あたかもイスラエルが妻で、エホバが夫であるとの譬のごときものであった(イザ54:5−10。ホセ2:12)。いずれも神とキリストの愛と誠実とを示している。
9章16節
口語訳 | だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。 |
塚本訳 | 真新しい布切で古い着物に継ぎをする者はない。当て切は着物をひきさき、裂け目はますますひどくなるからである。 |
前田訳 | だれも織りたての布で古い衣につぎをあてない。つぎは衣からやぶけて、裂け目は前よりひどくなる。 |
新共同 | だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。 |
NIV | "No one sews a patch of unshrunk cloth on an old garment, for the patch will pull away from the garment, making the tear worse. |
9章17節 また
口語訳 | だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。 |
塚本訳 | 新しい酒を古い皮袋に入れることもしない。そんなことをすれば、皮袋が破れて酒は流れ出し、皮袋もだめになる。新しい酒は新しい皮袋に入れる。そうすれば両方とも安全である。」 |
前田訳 | 新しい酒を古い皮袋に入れる人もない。さもないと皮袋は裂け、酒はこぼれて皮袋は使えなくなる。新しい酒は新しい皮袋に入れるもの。すればともに長持ちする」と。 |
新共同 | 新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」 |
NIV | Neither do men pour new wine into old wineskins. If they do, the skins will burst, the wine will run out and the wineskins will be ruined. No, they pour new wine into new wineskins, and both are preserved." |
註解: 新しき自由なる福音と古き律法主義とは全く別物である。前者は後者の完成したものではあるが(マタ5:17)、この二者を繋ぎ合せたり、又は古い形式の中に新しい精神を盛ろうとする場合には、両 つながらその本質を失ってしまい、かえって悪い結果となる。新しい福音は全く新しい形式の中に入れらるべきものである。而してこの新しい福音の取るべき形式は「自由」であって、キリスト取られる日に自ら断食するがごときすなわちこれである。外形的には断食は古き断食と異ならない、しかしその本質は全然異なっている、あたかも古き革袋と新しき革袋とは同じく皮袋であってもその本質を異にするのと同様である。
9章18節 イエス
口語訳 | これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。 |
塚本訳 | こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」 |
前田訳 | こう彼らに話しておられるところへ、見よ、ひとりの司が来て、ひれ伏していう、「娘がいま死にました。しかしいらしてお手を置いてくだされば生き返るでしょう」と。 |
新共同 | イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」 |
NIV | While he was saying this, a ruler came and knelt before him and said, "My daughter has just died. But come and put your hand on her, and she will live." |
註解: この司は会堂司でヤイロと称していた。この出来事はマルコ、ルカに一層詳細に述べられている。彼が位 卑 きイエスを「拝した」のは彼の信仰より来れる謙遜であった。「死にたり」はマルコ、ルカには「今わの時」であると記されている。そして途中においてヤイロはその娘の死ねる報知に接した。マタイはその報知を受けし後のヤイロの信仰をその以前の言と併せてここに記したものであろう。
9章19節 イエス
口語訳 | そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。 |
塚本訳 | イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。 |
前田訳 | イエスは立ちあがって彼について行かれた。弟子たちもいっしょであった。 |
新共同 | そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。 |
NIV | Jesus got up and went with him, and so did his disciples. |
註解: 信仰による祈りは神をも直ちに起 たしめる力がある。
9章20節
口語訳 | するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。 |
塚本訳 | するとそこに、十二年も長血にかかっていた女が近寄ってきて、後ろからイエスの上着の裾にさわった。 |
前田訳 | すると見よ、十二年長血の女が近よって、うしろからお着物の裾にさわった。 |
新共同 | すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。 |
NIV | Just then a woman who had been subject to bleeding for twelve years came up behind him and touched the edge of his cloak. |
9章21節 それは、
口語訳 | み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。 |
塚本訳 | 「お召物にさわるだけでも、なおるにちがいない」と、ひそかに思ったのである。 |
前田訳 | 彼女はひそかに思っていた、「お着物の裾にさえさわれば救われよう」と。 |
新共同 | 「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。 |
NIV | She said to herself, "If I only touch his cloak, I will be healed." |
註解: 彼女はその病のためにその身代を浪費し尽くしても尚癒えず、絶望の中に陥っていた。医学の力は常に有限である、この絶望に陥りて彼女は心よりの謙遜と祈願と信仰とをもってイエスに近付いたのである。而して主は医術の為し能わざることを信仰に対して為し給う。そしてこの女も幸いにもその信仰によりて癒されたのである。
辞解
[血漏を患いたる女] 穢れたるものと認められ(レビ15:25)、その触れたものは皆穢れ、又神殿に近付き得なかった。神と人とより遠ざけられし憐れな人であった。
[衣の總 ] 民15:38−40に記されし律法によってユダヤ人が衣の裾に下げていたもの、イエスもかかる習慣において常人と異なる風をなし給わなかった。
[救われん] sôthêsomai は日本語の「助からん」に相当する意味を有し、「癒されん」との意味にも多く用いられている。この場合もその一つである。尚マコ6:56。ヨハ11:12。
[心の中にいへるなり] この信仰が根本であった。キリストの御衣に力がある訳ではない。信仰によってキリストに連なることが必要である。
9章22節 イエスふりかへり、
口語訳 | イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。 |
塚本訳 | イエスは振り向いて、女を見ながら言われた、「娘よ、安心しなさい、あなたの信仰がなおした。」するとちょうどその時から、女はなおった。 |
前田訳 | イエスは振り向き、彼女を見ていわれた、「安心なさい、娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と。すると女はそのときから救われた。 |
新共同 | イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。 |
NIV | Jesus turned and saw her. "Take heart, daughter," he said, "your faith has healed you." And the woman was healed from that moment. |
註解: 我らもこの女のごとく心卑下 り、悔改むる場合にはイエスはふりかえりて憐れみの目を注ぎ、愛の御言を発し給う、又主の助けは適当の時機に必ず与えられる。
辞解
[辞解] マルコ、ルカによればこの女の病いえたのは、イエスの御衣に触れた時であって御言を聞く以前であった。すなわちマタイの「この時」とは必ずしもイエスが御言を出し給える後の意味ではなく、もっと広い意味に用いられている。
9章23節 かくてイエス
口語訳 | それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。 |
塚本訳 | やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、 |
前田訳 | イエスは司の家へ来て笛吹きや騒ぐ群衆を見るといわれた、 |
新共同 | イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、 |
NIV | When Jesus entered the ruler's house and saw the flute players and the noisy crowd, |
9章24節 『
口語訳 | 「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。 |
塚本訳 | 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。 |
前田訳 | 「立ち去りなさい。少女は死んだのではなく眠っているのだ」と。彼らはイエスをあざ笑った。 |
新共同 | 言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。 |
NIV | he said, "Go away. The girl is not dead but asleep." But they laughed at him. |
註解: 我ら復活を信じる者にとってはすべての死者は寝たる者であって、この少女の場合と同じく主来りて呼び給えば直ちに甦えるのである。しかしながらかかる信仰をば人は「嘲笑 う」こと今も昔も変りがない(使17:32)。
辞解
[笛ふく者] 当時の習慣として、死人のある家にては子供の死ならば笛、大人ならばその他の楽器を奏せしめた、これがために雇われる専門の哀歌楽手があった。
[騒ぐ群衆] 大家であればある程喪の際に大騒ぎをする習慣であった。イエスはかかる群衆を退けて唯両親とペテロ、ヨハネ、ヤコブの三人のみを従えて中に入り給うたのであって、この世は死の苦痛を騒擾 と音楽の響きをもって葬り去らんとしている。かかる伝統的喧騒は人間の生死とは全く無関係な事柄であることを暗示し給うた。
9章25節
口語訳 | しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。 |
塚本訳 | 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。 |
前田訳 | 群衆が外へ出されると彼は入って少女の手をお取りになった。すると少女は起きあがった。 |
新共同 | 群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。 |
NIV | After the crowd had been put outside, he went in and took the girl by the hand, and she got up. |
口語訳 | そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。 |
塚本訳 | この評判がその土地全体に広まった。 |
前田訳 | このうわさがその土地一帯にひろまった。 |
新共同 | このうわさはその地方一帯に広まった。 |
NIV | News of this spread through all that region. |
註解: 詳細はマルコ、ルカを見よ。
要義 [死者の復活について]イエスはその御在世中に三度死者を甦らしめ給うた(ルカ7:11以下。ヨハ11:1以下及びこの場合)。これによりて彼は(1)未来において彼の再臨の時に死者の復活のあり得ること(詳細はTコリ15章の註を見よ)。(2)死人を甦らしむる者はキリストであり、彼に復活の力があることを示し給うた。復活を信ずることを欲しない者は、この明瞭なる福音書の記事を種々の口実をもって否定しようとしているけれども、いずれも復活がないという前提から出発して推測しているに過ぎないのであって、記事それ自身の証明力を少しも減ずる力はない。三福音書ともこの記事を如実に記載していることを見、而して神の子に在し給うイエスにこの力が与えられしことを信ずる時、この記事の事実であることを疑う余地は少しもない。
9章27節 イエス
口語訳 | そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。 |
塚本訳 | そこから出かけられると、二人の盲人が「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と言って叫びながら、イエスについて来た。 |
前田訳 | そこを去るイエスにふたりの目しいがついて来て叫んだ、「われらをあわれんでください、ダビデのみ子!」と。 |
新共同 | イエスがそこからお出かけになると、二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。 |
NIV | As Jesus went on from there, two blind men followed him, calling out, "Have mercy on us, Son of David!" |
註解: 霊のことにつきて盲目なる我らもまたこの信仰と熱心とをもってイエスに祈りかつ彼に従わなければならない。「ダビデの子」はメシヤという意味。
9章28節 イエス
口語訳 | そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。 |
塚本訳 | そして家にかえられると、盲人たちがそばに来たので、イエスが言われる、「わたしにそれが出来ると信じるのか。」「はい、主よ」と二人がこたえる。 |
前田訳 | 家に入られると目しいたちが近よったのでイエスがいわれる、「わたしにそれができると信ずるか」と。彼らはいう、「はい、主よ」と。 |
新共同 | イエスが家に入ると、盲人たちがそばに寄って来たので、「わたしにできると信じるのか」と言われた。二人は、「はい、主よ」と言った。 |
NIV | When he had gone indoors, the blind men came to him, and he asked them, "Do you believe that I am able to do this?" "Yes, Lord," they replied. |
註解: イエスは家に入るまで盲人らの乞いに対して答え給わなかった。かくのごとく主は時に我らの祈りを容易に聴き給わない場合がある。しかしながら失望してはならない、これイエスが我らの信仰を試みんとし給うためである。ゆえにこの盲人らのごとくに答えを得るまでイエスに祈らなければならぬ。而してイエスは「確かにこのことを為し得給う」と信じて祈らなければならない、不信仰の心、半信半疑の心による祈りは決して聴かれない。この盲人らは「主よ、然り」と答えてその堅き信仰を告白したことは幸いである。
9章29節
口語訳 | そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。 |
塚本訳 | そこで彼らの目にさわり、「あなた達の信仰のとおりに成れ」と言われると、 |
前田訳 | そこで彼らの目にさわっていわれる、「あなた方の信仰どおりになれ」と。 |
新共同 | そこで、イエスが二人の目に触り、「あなたがたの信じているとおりになるように」と言われると、 |
NIV | Then he touched their eyes and said, "According to your faith will it be done to you"; |
註解: 「神光あれと言い給いければ光ありき」(創1:3)
9章30節
口語訳 | すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。 |
塚本訳 | 二人の目があいた。するとイエスは(急に)いきり立ち、二人にむかって、「気をつけて、だれにも知られないようにせよ」と言われた。 |
前田訳 | すると目があいた。イエスは彼らをいましめていわれる、「気をつけて、だれにも知らせるな」と。 |
新共同 | 二人は目が見えるようになった。イエスは、「このことは、だれにも知らせてはいけない」と彼らに厳しくお命じになった。 |
NIV | and their sight was restored. Jesus warned them sternly, "See that no one knows about this." |
註解: 我ら霊の盲人に対するイエスの御業もまたこれに等しい。我ら霊の盲目と暗黒に耐えずしてイエスに来る。そして彼必ずこの霊の目を開き得給うと信じて彼に祈る時、彼の言なる聖書が我らの心に響きて我らの目を開くのである。イエスはここでもまたこの奇蹟の発表を厳禁し給うた(マタ8:4)。
9章31節 されど
口語訳 | しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。 |
塚本訳 | しかし彼らは出てゆくと、その土地全体にイエスのことをふれまわった。 |
前田訳 | しかし外へ出ると彼らはイエスのことをその地一帯にいいふらした。 |
新共同 | しかし、二人は外へ出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた。 |
NIV | But they went out and spread the news about him all over that region. |
註解: 彼らはイエスの言に単純に従わなかった。肉の心はイエスの御言より自己の感情に重きを置き易い、而して目を開かれし歓喜は純なる感情であるだけ、それだけこれを発表することにはたといそれがイエスの御言に反しても、何ら差支えなしと思われる節がないではない(カトリック教会の教父等は多くこの盲人の行為を賞賛した)。しかしながら人は御言よりも自己の感情に重きを置く時多くの誤りに陥るものであることを忘れてはならない。
9章32節
口語訳 | 彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。 |
塚本訳 | ちょうど二人と入れ違いに、人々が悪鬼につかれた唖をつれて来た。 |
前田訳 | 彼らが外に出ると、見よ、悪霊つきの唖者が連れて来られた。 |
新共同 | 二人が出て行くと、悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。 |
NIV | While they were going out, a man who was demon-possessed and could not talk was brought to Jesus. |
9章33節
口語訳 | すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。 |
塚本訳 | 悪鬼が追い出されると、唖が物を言うようになった。群衆が驚いて、「こんなことはかってイスラエル人の中で起ったためしがない」と言った。 |
前田訳 | 悪霊は追われて唖者は話しはじめた。群衆はおどろいていう、「いまだかつてイスラエルにこのようなことは見られなかった」と。 |
新共同 | 悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。 |
NIV | And when the demon was driven out, the man who had been mute spoke. The crowd was amazed and said, "Nothing like this has ever been seen in Israel." |
註解: 最も困難なる病者をもイエスが容易に癒し給うたのを見し時は、単純素朴なる群衆は非常に驚き、二千年来神の特別の保護の下にありしイスラエルにすら前代未聞のことがらであると讃嘆した。これ素朴正直なる群衆の偽らざる讃美であった。
9章34節
口語訳 | しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。 |
塚本訳 | しかしパリサイ人は、「あれは悪鬼どもの頭(である悪魔)を使って悪鬼を追い出しているのだ」と言った。 |
前田訳 | しかしパリサイ人はいった、「彼は悪霊の頭によって悪霊を追い出す」と。 |
新共同 | しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。 |
NIV | But the Pharisees said, "It is by the prince of demons that he drives out demons." |
註解: イエスはときに狂人と思われ(ヨハ7:20)、又は人を惑わす扇動者(ヨハ7:13)或は罪ある者(ヨハ9:16)と呼ばれ、または悪鬼の首 を使役して奇蹟を行う者と誤解せられ給うた。信仰により聖霊に導かれない者は、イエスを神の子ということができない(Tヨハ4:2)。▲「罪人」と呼ばれた「群衆」が、自ら最も立派な信者をもって任じたパリサイ人よりも、純真な心をもってイエスを判断したことに注意しなければならなぬ。いずれの時代、いずれの国民でも、真の信仰に最も縁遠いものは自ら宗教家をもって任じている人々である。
9章35節 イエスあまねく
口語訳 | イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。 |
塚本訳 | それからイエスは町や村をのこらず回りながら、その礼拝堂で教え、御国の福音を説き、またありとあらゆる病気や煩いをなおされた。 |
前田訳 | そしてイエスはすべての町々村々をめぐり、その会堂で教え、み国の福音を伝え、すべての病とすべてのわずらいをいやされた。 |
新共同 | イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 |
NIV | Jesus went through all the towns and villages, teaching in their synagogues, preaching the good news of the kingdom and healing every disease and sickness. |
註解: 4:23の反復であって、第5章以下の全体の要約とも見るべきこの部分にはイエスの伝道の成功の方面が記されてある。
9章36節 また
口語訳 | また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。 |
塚本訳 | そして“羊飼いのいない羊が”疲れきって、(地に)倒れている“ような”群衆を見られて、かわいそうに思われた。 |
前田訳 | 群衆を見てあわれまれたが、それは彼らが牧者のない羊のごとく疲れて見捨てられていたからである。 |
新共同 | また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。 |
NIV | When he saw the crowds, he had compassion on them, because they were harassed and helpless, like sheep without a shepherd. |
註解: ユダヤ人の群衆は牧者なき羊のごとくどこに行くべきかを知らず、何人に従うべきかを知らず、どこに食を求むべきかを知らず、不安と不満とに生きていた。あたかも今日の宗教界のごとくその祭司、教師、牧者は彼らを導く所以 を知らなかった。それゆえに彼らは或は悩みかつ或は飢えに倒れ或は豺狼 に斃 されていた。イエスはこれを見て深き憐れみの心を起し給うた。
9章37節
口語訳 | そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。 |
塚本訳 | そこで弟子たちに言われる、「刈入れは多いが、働き手は少ない。 |
前田訳 | そこで弟子たちにいわれる、「取入れは多く、働き手は少ない。 |
新共同 | そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。 |
NIV | Then he said to his disciples, "The harvest is plentiful but the workers are few. |
9章38節 この
口語訳 | だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。 |
塚本訳 | だから刈入れの主人に、刈入れのため(多くの)働き手を送られるよう、お願いしなさい。」 |
前田訳 | 取入れの主に彼の取入れのための働き手を送るよう祈りなさい」と。 |
新共同 | だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」 |
NIV | Ask the Lord of the harvest, therefore, to send out workers into his harvest field." |
註解: 神は収穫の主に在 し給うた。人の霊を刈り採りて御自身のものとなし給う。神の田畑は著しく色付いている。然るに労働人は少ない。この状態は今日も同様であろう。それゆえにイエスは弟子たちをして祈らしめ、これに自己の祈りを加えて父なる神より許しを得、遂に次章において十二弟子の派遣となったのである。これによって色付ける田の面は刈り取られ、迷える羊は牧者を得、遂に救いは全世界に宣べ伝えられた。