マタイ伝第12章
分類
5 イエス逆境に陥りたまう 11:1 - 16:12
5-2 パリサイ派等イエスの反対す 12:1 - 12:50
5-2-イ 安息日について 12:1 - 12:8
(マコ2:23-28) (ルカ6:1-5)
12章1節 その頃イエス安息日に麥畠をとほり給ひしに、弟子たち飢ゑて穗を摘み、食ひ始めたるを、[引照]
口語訳 | そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。 |
塚本訳 | そのころ、ある安息日にイエスは麦畑の中を通られた。弟子たちは空腹を覚えたので、穂を摘んで食べ始めた。 |
前田訳 | そのころイエスは安息日に麦畑を通り抜けられた。弟子たちはひもじかったので麦穂を摘んで食べはじめた。 |
新共同 | そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。 |
NIV | At that time Jesus went through the grainfields on the Sabbath. His disciples were hungry and began to pick some heads of grain and eat them. |
12章2節 パリサイ人見てイエスに言ふ『視よ、なんぢの弟子は安息日に爲まじき事をなす』[引照]
口語訳 | パリサイ人たちがこれを見て、イエスに言った、「ごらんなさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています」。 |
塚本訳 | パリサイ人が見てイエスに言った、「あなたの弟子は、あんな、安息日にしてはならぬことをしている。」 |
前田訳 | それを見てパリサイ人が彼にいった、「あのように、あなたの弟子たちは安息日にしてならぬことをしています」と。 |
新共同 | ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。 |
NIV | When the Pharisees saw this, they said to him, "Look! Your disciples are doing what is unlawful on the Sabbath." |
註解: ユダヤ人は申23:25により平日に他人の麦畑にて穂を摘むことを許されていたけれども、出16:22の精神を敷衍し、その後タルムッド等に次第に詳細に規定せられし処によれば安息日には穂を摘むことを禁じられていた。イエスの弟子達は、これを無視するほど自由なる思想を有っていたけれども、伝統の墨守をもって何よりも重要なことと信じている盲目なるパリサイ人にとっては、これは非常なる冒涜の行為に見えた。従って早速彼らの咎むる処となったのである。▲伝統に盲従し、これを墨守することが往々にして信仰の主体であるごとくに考えられ易いものである。カトリック的信仰もこの種に属する。
辞解
[安息日に為すまじき事] 当時安息日に為すまじき事柄を三十九と定め、その各々が又六つの細目に区別せられ、これらを安息日に行うことを禁じていた(S1)。
12章3節 彼らに言ひ給ふ『ダビデがその伴へる人々とともに飢ゑしとき、爲しし事を讀まぬか。[引照]
口語訳 | そこでイエスは彼らに言われた、「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「あなた達は、ダビデ(王)と供の者とが空腹の時に何をしたか、(聖書で)読んだことがないのか。 |
前田訳 | イエスはいわれた、「ダビデとお伴がひもじかったとき何をしたか読まなかったのか。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。 |
NIV | He answered, "Haven't you read what David did when he and his companions were hungry? |
12章4節 即ち神の家に入りて、祭司のほかは、己もその伴へる人々も食ふまじき供のパンを食へり。[引照]
口語訳 | すなわち、神の家にはいって、祭司たちのほか、自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである。 |
塚本訳 | ──彼が神の家に入って、ただ祭司のほかはだれも、自分も供の者も食べてはならない“供えのパンを”(彼らと)食べたことを。 |
前田訳 | どうして彼は神の家に入って供えのパンを食べたか、それは祭司だけは別として、ダビデにもお伴にもゆるされぬことであったのに。 |
新共同 | 神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。 |
NIV | He entered the house of God, and he and his companions ate the consecrated bread--which was not lawful for them to do, but only for the priests. |
註解: イエスがいかに聖書に通じ給えるかの一つの証拠である。ユダヤ人はダビデを尊敬し、その行為を非難する者がなかった。ゆえにイエスはTサム21:4−7を引用して弟子の行為の正しきことを教え給うたのである。
辞解
[神の家] 宮が建てられる前で幕屋を指したものである。
[供のパン] 幕屋の金の案の上に二累に積上げし十二のパンであって安息日ごとに引換えられた(レビ24:5)。
12章5節 また安息日に祭司らは宮の内にて安息日を犯せども、罪なきことを律法にて讀まぬか。[引照]
口語訳 | また、安息日に宮仕えをしている祭司たちは安息日を破っても罪にはならないことを、律法で読んだことがないのか。 |
塚本訳 | また、祭司は安息日に宮で(いろいろな務めをして)安息日を犯しても罪にならぬことを、律法で読んだことがないのか。 |
前田訳 | 律法で読まなかったか、祭司は宮で安息日を犯しても罪に問われないことを。 |
新共同 | 安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。 |
NIV | Or haven't you read in the Law that on the Sabbath the priests in the temple desecrate the day and yet are innocent? |
12章6節 われ汝らに告ぐ、宮より大なる者ここに在り。[引照]
口語訳 | あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。 |
塚本訳 | わたしは言う、(ダビデ王よりも、祭司よりも、)宮よりも大きい者が(今)ここにいる。 |
前田訳 | わたしはいうが、宮以上のものがここにいる。 |
新共同 | 言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。 |
NIV | I tell you that one greater than the temple is here. |
註解: 民28:9、10によれば燔祭は安息日にもこれを行わなければならないこととなっており、すなわち神の宮の中にて神に仕うるため祭司らは、一見安息日に反するごときことを行っていたけれども罪がなかった。キリストは宮より大なるものであった(神は手にて造れる宮に住み給わないけれどもキリストの中に住み給い、民は宮において神に近付いたのであるが、キリスト者はキリストに在りて一層近く神に接することができる)。ゆえに彼の祭司たる弟子らはキリストに仕うるために外形上安息日を犯しても罪なきは当然である。
12章7節 「われ憐憫を好みて犧牲を好まず」とは、如何なる意かを汝ら知りたらんには、罪なき者を罪せざりしならん。[引照]
口語訳 | 『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろう。 |
塚本訳 | もしあなた達に、“わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない”という(神の言葉の)意味がわかっていたなら、罪もないこの人たちを(安息日違犯だと言って)咎め立てしなかったであろうに。 |
前田訳 | もしあなたが、わが欲するはあわれみでいけにえでない、が何のことか知っていたら、罪のないものを責めなかったろう。 |
新共同 | もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。 |
NIV | If you had known what these words mean, `I desire mercy, not sacrifice,' you would not have condemned the innocent. |
註解: 「この聖句、ホセ6:6の示すごとく神は形式的祭祀を好まず憐憫の心を好み給う。ゆえに汝らも罪なき弟子らをば愛と憐憫とをもって扱い、飢えたる彼らのために食を与うべきである。然らば彼らが形式的に律法に従わないとの理由のみで、彼らを罰することはしないであろう」(マタ9:13註)。
12章8節 それ人の子は安息日の主たるなり』[引照]
口語訳 | 人の子は安息日の主である」。 |
塚本訳 | (わたしの弟子たちに罪はない。)人の子(わたし)は安息日の主人であるから。」 |
前田訳 | 人の子は安息日の主であるから」と。 |
新共同 | 人の子は安息日の主なのである。」 |
NIV | For the Son of Man is Lord of the Sabbath." |
註解: キリストはすべての律法の上に立ち給い、彼自身律法の主又安息日の主に在し給う、律法も安息日も彼の精神に従うことによりて完全にこれを守ることができる。ゆえに彼に従うことが律法に従う所以であって、彼を離れて律法に従うことができない。安息日の律法も彼によりて支配さるべきであって彼がこれに支配さるべきではない。ゆえに彼の許しによりて行える弟子らの行動は律法に叶っているのである。
要義 [安息日問題]イエスは弟子らが、安息日に関する律法の形式に違反することを許し給えるのみならず、またしばしば安息日に病める者を癒し給うた。マタ12:9以下の治癒を始め
マコ1:21、マコ1:29。ルカ13:14。ルカ14:1。ヨハ5:9。ヨハ9:14
等、ことさらに安息日を選んで病を癒し給えるがごとくに思われるほどである。而してパリサイ人らがその都度これに反対していたのであって、イエスは勿論この反対を予期しつつこれを為し給うたことは意味多き事柄である。蓋し当時のパリサイ人らは律法をもって愛以上に置いていた。憐憫を好まずして儀式を好んでいた。かくして律法の真の精神は蹂躙せられ、偽善が支配するに至ったのである。かかる場合においては彼らを教えんがためにことさらにこの形式を破壊することが必要であった。イエスはここにその身に及ぶ非難を冒して取税人、罪人らと共に食事し、今またその身を襲う危険を冒して安息日の形式を破り給うたのである。「我律法また預言者を毀つために来れりと思うな、毀たんとて来たらず、反って成就せん為なり」(マタ5:17)とはこの意味であって、一見律法破壊のごとく見えたイエスの行為がかえってこれを成就する所以であったのである。我らもまたこの意味において律法を成就しなければならぬ。
5-2-ロ イエス安息日に治癒し給う 12:9 - 12:14(マコ3:1-6) (ルカ6:6-11)
12章9節 イエス此處を去りて、彼らの會堂に入り給ひしに、[引照]
口語訳 | イエスはそこを去って、彼らの会堂にはいられた。 |
塚本訳 | そこを去って、(ある安息日に)礼拝堂に入られた。 |
前田訳 | そこから移って彼らの会堂に入られた。 |
新共同 | イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。 |
NIV | Going on from that place, he went into their synagogue, |
12章10節 視よ、片手なえたる人あり。人々イエスを訴へんと思ひ、問ひていふ『安息日に人を醫すことは善きか』[引照]
口語訳 | すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。 |
塚本訳 | するとそこに、片手のなえた人がいた。(パリサイ派の)人々がイエスに、「安息日に病気をなおすことは正しいだろうか」と尋ねた。イエスを訴え出る(口実を見つける)ためであった。 |
前田訳 | すると見よ、片手のなえた人がいた。彼らは問うた、「安息日にいやしがゆるされますか」と。彼を訴えるための問いであった。 |
新共同 | すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。 |
NIV | and a man with a shriveled hand was there. Looking for a reason to accuse Jesus, they asked him, "Is it lawful to heal on the Sabbath?" |
註解: これは学者・パリサイ人らの質問であった(ルカ)。彼らはイエスを訴うることをもって律法の擁護と考えていた。愛なき者は正義を行うと信じて罪を犯している。伝統は、生命の危機に関せざるものを安息日に癒すことを禁じていた。◎注意 ルカには時期及び事柄の順序やや異なる。
12章11節 彼らに、言ひたまふ『汝等のうち一匹の羊をもてる者あらんに、もし安息日に穴に陷らば、之を取りあげぬか。[引照]
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。 |
塚本訳 | 彼らにこたえられた、「あなた達のうちには羊を一匹持っていて、もしそれが安息日に穴に落ち込めば、引っぱり上げてやらない者がだれかあるだろうか。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「あなた方のだれかが羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちれば、それを捕えて引きあげないか。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。 |
NIV | He said to them, "If any of you has a sheep and it falls into a pit on the Sabbath, will you not take hold of it and lift it out? |
12章12節 人は羊より優るること如何ばかりぞ。さらば安息日に善をなすは可し』[引照]
口語訳 | 人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。 |
塚本訳 | ところで、人間は羊よりもどれだけ大切だか知れない。だから安息日に良いことをするのは正しい。」 |
前田訳 | 人が羊にまさることはいかほどか。それゆえ安息日にいいことをして結構」と。 |
新共同 | 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」 |
NIV | How much more valuable is a man than a sheep! Therefore it is lawful to do good on the Sabbath." |
註解: 当時はこの羊のごとき場合に、これを穴より救い出すことを当然のことと思っていた。イエスはこの例をもって羊よりも遥かに優れる人間を癒すことは何の差支えもなく、善事を為すことを禁ずる律法はないことを示し給う。恐るべきものは律法主義の堕落である。これによりて人は自明の理すらこれを忘れるに至るのである。
12章13節 ここにかの人に言ひ給ふ『なんぢの手を伸べよ』かれ伸べたれば、他の手のごとく癒ゆ。[引照]
口語訳 | そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。 |
塚本訳 | それからその人に言われる、「手をのばせ。」のばすと直って、片方の手のようによくなった。 |
前田訳 | そこでその人にいわれる、「手をお伸ばし」と。彼は伸ばした。それはいま一方の手のようによくなった。 |
新共同 | そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。 |
NIV | Then he said to the man, "Stretch out your hand." So he stretched it out and it was completely restored, just as sound as the other. |
12章14節 パリサイ人いでていかにしてかイエスを亡さんと議る。[引照]
口語訳 | パリサイ人たちは出て行って、なんとかしてイエスを殺そうと相談した。 |
塚本訳 | パリサイ人たちは出ていって、イエスを殺すことを決議した。 |
前田訳 | パリサイ人は外へ出て、彼をなきものにする相談をした。 |
新共同 | ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。 |
NIV | But the Pharisees went out and plotted how they might kill Jesus. |
註解: イエスの偉大なる能力に対する嫉視と律法に対する無益の熱心より、イエスに対する反対は次第にその勢いを加うるに至っている。
5-2-ハ 隠れたるイエス 12:15 - 12:21(マコ3:7-12) (ルカ6:17-19)
12章15節 イエス之を知りて此處を去りたまふ。多くの人したがひ來りたれば、ことごとく之を醫し、[引照]
口語訳 | イエスはこれを知って、そこを去って行かれた。ところが多くの人々がついてきたので、彼らを皆いやし、 |
塚本訳 | イエスはそれと知って、そこを立ちのかれた。すると大勢の者がついて来たので、一人のこらずその病気をなおして、 |
前田訳 | イエスはそれを知って立ち去られた。彼に従った人々は多く、彼はそのすべてをいやされた。 |
新共同 | イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、 |
NIV | Aware of this, Jesus withdrew from that place. Many followed him, and he healed all their sick, |
12章16節 かつ我を人に知らすなと戒め給へり。[引照]
口語訳 | そして自分のことを人々にあらわさないようにと、彼らを戒められた。 |
塚本訳 | 自分のことを世間に知らせるなと戒められた。 |
前田訳 | そして彼のことを公にせぬよういましめられた。 |
新共同 | 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。 |
NIV | warning them not to tell who he was. |
註解: 時来るまではイエスは強いて迫害に身をさらし給わない、これママタ9:16に叶っている。又人に知らせることを望み給わなかった。神癒を吹聴して歩き回る伝道者らはこの主の行いに倣うべきである。
12章17節 これ預言者イザヤによりて云はれたる言の成就せんためなり。曰く、[引照]
口語訳 | これは預言者イザヤの言った言葉が、成就するためである、 |
塚本訳 | 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。── |
前田訳 | これは預言者イザヤのことばが成就するためであった。いわく、 |
新共同 | それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 |
NIV | This was to fulfill what was spoken through the prophet Isaiah: |
12章18節 『視よ、わが選びたる我が僕、わが心の悦ぶ我が愛しむ者、我わが靈を彼に與へん、彼は異邦人に正義を告げ示さん。[引照]
口語訳 | 「見よ、わたしが選んだ僕、わたしの心にかなう、愛する者。わたしは彼にわたしの霊を授け、そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。 |
塚本訳 | “これがわたしの選んだ僕、心にかなったわたしの最愛の者。わたしは彼にわたしの霊を与え、彼は異教人に(わたしの)正義を告げる。 |
前田訳 | 「見よ、わがえらびの僕、わが心よろこぶいとしのもの、わが霊を彼に置こう。彼は諸国民に裁きを告げよう。 |
新共同 | 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。 |
NIV | "Here is my servant whom I have chosen, the one I love, in whom I delight; I will put my Spirit on him, and he will proclaim justice to the nations. |
註解: 「我が僕」なる語は「子」の意味もあり旧約聖書においては、モーセ又はメシヤを指す場合に用いられることがある(B1)。ここではキリストがエホバの選べる子であり、神の愛の目的であって神の霊が彼に注がれることマタ13:16、17に記されしごとくである。而して彼は罪悪を裁くことにより異邦人に正義を示すであろう(これはパウロによりて実現した)。
辞解
[正義] 原語クリシス krisis は「審判」の意味である。元訳には「審判」とありこの方が正しく、改訳は二三学者の解釈により意訳したものであろう。
12章19節 彼は爭はず、叫ばず、その聲を大路にて聞く者なからん。[引照]
口語訳 | 彼は争わず、叫ばず、またその声を大路で聞く者はない。 |
塚本訳 | 彼は争わず、叫ばず、大通りにその声を聞く者もあるまい。 |
前田訳 | 彼は争いも叫びもせず、だれも通りで彼の声を聞くまい。 |
新共同 | 彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。 |
NIV | He will not quarrel or cry out; no one will hear his voice in the streets. |
12章20節 [正義](審判)をして勝ち遂げしむるまでは、傷へる葦を折ることなく、煙れる亞麻を消すことなからん。[引照]
口語訳 | 彼が正義に勝ちを得させる時まで、いためられた葦を折ることがなく、煙っている燈心を消すこともない。 |
塚本訳 | 傷ついた葦を彼は折らず、くすぶる燈心を消さない、(わたしの)正義に勝利を得させるまでは。 |
前田訳 | そこなわれた葦を彼は折らず、くすぶる燈心を消しもすまい、裁きを勝利に導くまでは。 |
新共同 | 正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。 |
NIV | A bruised reed he will not break, and a smoldering wick he will not snuff out, till he leads justice to victory. |
註解: メシヤなるイエスの姿は柔和と謙遜そのものであった、大声叱咤、傲慢不遜は彼にはこれを見ることができなかった。傷える葦のごとく心に患みを有ち捨てられるより外になき有様に陥っている者をも折り捨てずにこれを救い、又燃ゆべくして燃え兼ねつつその煙の暗黒の中に燻っている心、すなわち良心の光が唯わずかに存するのみであって、何の力も熱もなき心をも絶望に陥らしめず、やがてはこれに熱を与えてこれを燃やし給うのである(マタ11:28、29)。キリストはかかる柔和なる態度をもって「審判が勝を制するまで」すなわち最後の審判において、正義が勝利を得るまで続け給うであろう。
12章21節 異邦人も彼の名に望をおかん』[引照]
口語訳 | 異邦人は彼の名に望みを置くであろう」。 |
塚本訳 | 異教人は彼に望みをかけるであろう。” |
前田訳 | 諸国民は彼の名に望みをかけよう」と。 |
新共同 | 異邦人は彼の名に望みをかける。」 |
NIV | In his name the nations will put their hope." |
註解: ゆえにパリサイ人の反対にすら姿を隠し給える柔和なるイエスこそ異邦人の望みに在し、異邦人すら彼によりて救われるに至るのである。◎注意 イザ42:1−6よりの引用であるけれども記憶による引用であって逐語的に一致していない。聖霊の導きによる聖書の引用は逐語的たるを要しない。
要義 [苦難のキリスト]イザ53:1以下におけると同じく、この数節にキリストの真の姿の一面が明らかに示されている。旧約聖書の預言によればメシヤすなわちキリストには二つの姿があった。その一つは栄光のメシヤであって王として世界を支配すべき運命を預言せられ
(マタ9:6、7。マタ11:1。エレ23:5等)
、他は苦難のメシヤ、卑賤のメシヤである(イザ53:1。41:1以下。創4:4。ヘブ10:18及び四福音書)。而して世界の王として来り給うべきメシヤは、先ずイエスとして最も卑き姿を取りて、この世に来り給い苦難の中にその生涯を終え給うた。彼の初臨においては世界の王たるべき姿はどこにもこれを見出し得なかった。ゆえに彼に関する旧約聖書の預言は唯その一半のみが実現したに過ぎない。而して他の一半は彼が再び来り給う時に実現するのである。彼の初臨は我らの罪を除かんがためであった。ゆえに罪人となる人類と同じ姿を取りて来り給い、裁くよりも救わんがために来り給うたのである(ヨハ3:17)。彼の再臨は世を支配せんがためである。ゆえに王たるダビデの姿を取って来り給いすべての人類を裁き給うであろう。
5-2-ニ 治癒の奇蹟とパリサイ人の讒侮 12:22 - 12:37(マコ3:20-30) (ルカ2:14-23)
12章22節 ここに惡鬼に憑かれたる盲目の唖者を御許に連れ來りたれば、之を醫して、唖者の物言ひ見ゆるやうに爲し給ひぬ。[引照]
口語訳 | そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。 |
塚本訳 | そこに、悪鬼につかれた盲の唖をつれて来られたので、それをなおされると、唖が物を言い、目が見えるようになった。 |
前田訳 | そのとき目しいで唖者の悪霊つきが連れられて来たので、それをなおされると、唖者が口をきき、目が見えた。 |
新共同 | そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。 |
NIV | Then they brought him a demon-possessed man who was blind and mute, and Jesus healed him, so that he could both talk and see. |
12章23節 群衆みな驚きて言ふ『これはダビデの子にあらぬか』[引照]
口語訳 | すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。 |
塚本訳 | 群衆が皆呆気にとられて言った、「もしかしたらこの人は、ダビデの子ではなかろうか。」 |
前田訳 | 群衆は皆おどろいていった、「これはダビデの子ではないか」と。 |
新共同 | 群衆は皆驚いて、「この人はダビデの子ではないだろうか」と言った。 |
NIV | All the people were astonished and said, "Could this be the Son of David?" |
註解: ダビデの子すなわち来るべきメシヤにあらずば、誰がかかる驚くべき業を為すことができようか。数理的高慢と教派的偏見なき未信者の本能的直感が往々最も正確である。今日キリスト教会内に行なわれる虚構の祈りや、虚飾の行為に対して最も敏感なものは未信者である。
12章24節 然るにパリサイ人ききて言ふ『この人、惡鬼の首ベルゼブルによらでは、惡鬼を逐ひ出すことなし』[引照]
口語訳 | しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブルによるのだ」。 |
塚本訳 | しかしパリサイ人は聞いて、「悪鬼どもの頭ベルゼブル[悪魔]を使わなければ、この人に悪鬼を追い出せるわけがない」と言った。 |
前田訳 | しかし、パリサイ人はそれを聞いていった、「悪霊の頭ベルゼブルに頼らずにこの人が悪霊を追い出せるはずはない」と。 |
新共同 | しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。 |
NIV | But when the Pharisees heard this, they said, "It is only by Beelzebub, the prince of demons, that this fellow drives out demons." |
註解: パリサイ人は既に党派的偏見に捕われていたためにキリストを見誤った、そしてキリストの働きと悪鬼の働きとはかくも相似ているのである。
12章25節 イエス彼らの思を知りて言ひ給ふ『すべて分れ爭ふ國はほろび、分れ爭ふ町また家はたたず。[引照]
口語訳 | イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。 |
塚本訳 | イエスは彼らの考えを知って言われた、「内輪割れをするいかなる国も荒れ果て、内輪割れをするいかなる町も家も立ってゆかない。 |
前田訳 | 彼らの考えを見抜いていわれた、「内輪もめする王国はすべて滅び、内輪もめする町や家もすべて立たない。 |
新共同 | イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。 |
NIV | Jesus knew their thoughts and said to them, "Every kingdom divided against itself will be ruined, and every city or household divided against itself will not stand. |
12章26節 サタンもしサタンを逐ひ出さば、自ら分れ爭ふなり。さらばその國いかで立つべき。[引照]
口語訳 | もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。 |
塚本訳 | (同じように)悪魔が悪魔を追い出しているとすれば、それは(悪魔の国が)内輪で割れたのであるから、どうしてその国が立ってゆこう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。) |
前田訳 | もし悪魔が悪魔を追い出すなら、内輪もめしているから、どうしてその王国は立ちゆこう。 |
新共同 | サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。 |
NIV | If Satan drives out Satan, he is divided against himself. How then can his kingdom stand? |
註解: サタンの国は厳然として立ち、この世を支配する力を持ち、空中の諸権を握っている(マタ4:11要義参照)。もしその国に内部に分離があるならばかかる力がないであろう。これを見てもサタンを逐い出すものはサタン以上の力であることがわかる。
12章27節 我もしベルゼブルによりて惡鬼を逐ひ出さば、汝らの子(ら)は誰によりて之を逐ひ出すか。この故に彼らは汝らの審判人となるべし。[引照]
口語訳 | もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。 |
塚本訳 | それから、(あなた達の言うように)わたしがベルゼブルを使って悪鬼を追い出すとすれば、(同じことをしている)あなた達の弟子は、いったい何を使って(悪鬼を)追い出しているのか。(まさかベルゼブルではあるまい。)だから(このことについては、)あなた達の弟子に裁判官になってもらったがよかろう。 |
前田訳 | もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すなら、あなた方の子らは何によって追い出すか。それゆえ彼らこそあなた方の裁き人になろう。 |
新共同 | わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。 |
NIV | And if I drive out demons by Beelzebub, by whom do your people drive them out? So then, they will be your judges. |
註解: パリサイ人らの中にもこの当時尚悪魔払いの術が行われていた(マコ9:38)。パリサイ人はこれを神の力によるものと信じていた。ゆえにもしキリストがベルゼベルによりて悪鬼を逐い出すものというならば、彼らの子らをもかく呼ばなければならない。その子らは汝らの正しいか誤っているかを裁くであろう。
12章28節 されど我もし神の靈によりて惡鬼を逐ひ出さば、神の國は既に汝らに到れるなり。[引照]
口語訳 | しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。 |
塚本訳 | しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。 |
前田訳 | もしわたしが神の霊によって悪霊を追い出す(という)なら、神の国はあなた方にのぞんでいる。 |
新共同 | しかし、わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。 |
NIV | But if I drive out demons by the Spirit of God, then the kingdom of God has come upon you. |
註解: 神の霊が悪鬼の国を占領し、神の国をそこに建てたのである。メシヤの在す処にそこに神の国がある。▲イエスの霊が支配(basileuô)する処、そこに神の「支配」(basileia)があり、すなわちそこが神の国(basileia)である。
12章29節 人まづ強き者を縛らずば、いかで強き者の家に入りて、その家財を奪ふことを得ん、縛りて後その家を奪ふべし。[引照]
口語訳 | まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。 |
塚本訳 | また、まず強い者を縛りあげずに、どうして強い者の家に入って家財道具を掠め取ることが出来ようか。縛ったあとで、その家を掠めるのである。 |
前田訳 | 強いものの家に入ってその持ちものを奪うにはまず強いものをしばらねばならない。しばってからその家をかすめる。 |
新共同 | また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 |
NIV | "Or again, how can anyone enter a strong man's house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man? Then he can rob his house. |
註解: これと同じくキリストが悪鬼どもを逐い出し給えるは、先ずベルゼブルを縛った証拠ではないか。
12章30節 我と偕ならぬ者は我にそむき、我とともに集めぬ者は散すなり。[引照]
口語訳 | わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。 |
塚本訳 | (だからわたしは言う、ベルゼブルはすでに縛られている。神と悪魔との戦いは始まっている。)わたしの側に立たない者は、わたしに反対する者、わたしと一しょに集めない者は、散らす者である。 |
前田訳 | わたしといっしょでないものはわたしに反対し、わたしとともに集めぬものは散らす。 |
新共同 | わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。 |
NIV | "He who is not with me is against me, and he who does not gather with me scatters. |
註解: キリスト者はキリストと共におり、彼と共に収穫を集める任務を有っている。ゆえにこれを為さぬ者はキリスト者ではない。神の国には中立がない。
12章31節 この故に汝らに告ぐ、人の凡ての罪と涜とは赦されん、されど御靈を涜すことは赦されじ。[引照]
口語訳 | だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。 |
塚本訳 | (あなた達はわたしをもって働く神の霊の働きをベルゼブルの働きと罵った。)だからわたしは言う、人の(犯す)いかなる罪も冒涜も赦していただけるが、御霊の冒涜は赦されない。 |
前田訳 | それゆえいうが、人の罪やけがしはすべてゆるされようが、霊をけがすのはゆるされない。 |
新共同 | だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。 |
NIV | And so I tell you, every sin and blasphemy will be forgiven men, but the blasphemy against the Spirit will not be forgiven. |
12章32節 誰にても言をもて人の子に逆ふ者は赦されん、されど言をもて聖靈に逆ふ者は、この世にても後の世にても赦されじ。[引照]
口語訳 | また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。 |
塚本訳 | 人の子(わたし)を冒涜する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒涜する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。 |
前田訳 | 人の子にさからうことをいってもゆるされようが、聖霊にさからうことをいえばこの世でも来世でもゆるされない。 |
新共同 | 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」 |
NIV | Anyone who speaks a word against the Son of Man will be forgiven, but anyone who speaks against the Holy Spirit will not be forgiven, either in this age or in the age to come. |
註解: ここにキリストは「聖霊を涜し」「聖霊に逆う」ことを神の御名を涜しキリストに逆うことより重き罪として示している。蓋しパリサイ人らは確かにイエスの治癒の神の霊によるものであることを聖霊によって示されているに関わらず、強いてこれをベルゼベルと呼び、また強いてイエスに逆っているのは、聖霊彼自身がパリサイ人らに働いているにも関わらず、知りつつ故意にこれを涜しこれに逆ったのであって、神を知らずにこれを涜し、キリストを知らずにこれに逆うことに比して非常に大なる罪であり、サタンと全く同質となるのであって永遠に赦される見込みなき罪である。神を涜しキリストに逆らう罪は悔改めることによりて赦される。しかしながら聖霊我らに働く時、これを知りつつも故意にこれを涜しこれに逆うことは最早悔改むる余地もなきサタンの性質であって、寔に恐るべき堕落である。我らはかかる堕落に陥らないように心がけねばならない。
12章33節 或は樹をも善しとし、果をも善しとせよ。或は樹をも惡しとし、果をも惡しとせよ。樹は果によりて知らるるなり。[引照]
口語訳 | 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければ、その実も悪いとせよ。木はその実でわかるからである。 |
塚本訳 | 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである。 |
前田訳 | 木がよければその実はよく、木が悪ければその実は悪い。木はその実でわかる。 |
新共同 | 「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。 |
NIV | "Make a tree good and its fruit will be good, or make a tree bad and its fruit will be bad, for a tree is recognized by its fruit. |
註解: パリサイ人らは聖霊を涜し、これに逆らう悪しき果を有ちながら自ら善き樹を以て任じ、而してキリストを以てその善き果にも関わらず、悪しき果とせんとしているけれどもかかることはあり得ない。
12章34節 蝮の裔よ、なんぢら惡しき者なるに、爭で善きことを言ひ得んや。それ心に滿つるより口に言はるるなり。[引照]
口語訳 | まむしの子らよ。あなたがたは悪い者であるのに、どうして良いことを語ることができようか。おおよそ、心からあふれることを、口が語るものである。 |
塚本訳 | 蝮の末よ、あなた達(自身)が悪いのに、どうして善いことが言えよう。心にあふれて口に出るのだから。 |
前田訳 | まむしの末よ、悪いくせによいことがいえるか、心があふれて口に出るから。 |
新共同 | 蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。 |
NIV | You brood of vipers, how can you who are evil say anything good? For out of the overflow of the heart the mouth speaks. |
註解: イエスはパリサイ人らの言(24節)を責めんがために、これを語ったのであって、悪しき言を出したことはすなわちその心の中に悪が満ちていることを示している。
辞解
[蝮の裔よ] マタ3:7註
12章35節 善き人は善き倉より善き物をいだし、惡しき人は惡しき倉より惡しき物をいだす。[引照]
口語訳 | 善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。 |
塚本訳 | 善人は(心の)善い倉から善い物を取り出し、悪人は(心の)悪い倉から悪い物を取り出す。 |
前田訳 | よい人はよい倉からよいものを出し、悪い人は悪い倉から悪いものを出す。 |
新共同 | 善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。 |
NIV | The good man brings good things out of the good stored up in him, and the evil man brings evil things out of the evil stored up in him. |
註解: 「人、倉、物」すなわち「人、心、言」の三者は常に一致する。
12章36節 われ汝らに告ぐ、人の語る凡ての虚しき言は、審判の日に糺さるべし。[引照]
口語訳 | あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。 |
塚本訳 | わたしは言う、人の話すいかなる無駄言も、(最後の)裁きの日にかならずそれについて責任を問われる。 |
前田訳 | わたしはいうが、人の話すむなしいことばはすべて裁きの日にその勘定を取られよう。 |
新共同 | 言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。 |
NIV | But I tell you that men will have to give account on the day of judgment for every careless word they have spoken. |
12章37節 それは汝の言によりて義とせられ、(また)汝の言によりて罪されるなり』[引照]
口語訳 | あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされるからである」。 |
塚本訳 | なぜなら、あなたはあなたの言葉で義とされ、あなたの言葉で罪とされるのだから。」 |
前田訳 | あなたはみずからのことばで義とされ、みずからのことばで罪とされようから」と。 |
新共同 | あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」 |
NIV | For by your words you will be acquitted, and by your words you will be condemned." |
註解: 言のみではさほど罪が重くはないと思うのは大なる誤りである。言は心より出で心はその根本の人格と関係している。ゆえに人の語る無駄話は必ず終りの日に裁かれるのである、実に恐るべく謹むべきである。蓋し人の罪されるも義とされるもその言によるからである。かく言いてキリストはパリサイ人がキリストに与えし非難に対し(1)彼ら自身の矛盾より(25−30)、(2)聖霊に対する罪である点より(31−32)及び(3)言はその人の本質を示す点より(33−37)彼を駁撃し給うた。
要義 [聖霊に対する罪]罪の中の最大なるものはこの罪である。聖霊が我らに明らかに一つの事柄の聖霊の働きであることを啓示し給う時、我らもし何らかの利害のためにこれを否定し、又はこれに逆らうならばこれ聖霊を涜すの罪である。同様にもし聖霊が一つの事柄の聖霊の働きにあらざることを明らかに示し給う時、尚これを固執しているのも明らかに聖霊を涜し、又これに逆らう罪である。今日キリスト教界の実際においてかかる事実があることは懼るべきことであって、この罪は到底赦されることができない。ゆえに我らはいかなる場合にもすべての点において聖霊の指示に従わなければならない。
5-2-ホ イエスを信ぜざるものの審判 12:38 - 12:45(マコ2:29-32) (ルカ2:24-26)
12章38節 ここに或學者・パリサイ人ら答へて言ふ『師よ、われら汝の徴を見んことを願ふ』[引照]
口語訳 | そのとき、律法学者、パリサイ人のうちのある人々がイエスにむかって言った、「先生、わたしたちはあなたから、しるしを見せていただきとうございます」。 |
塚本訳 | すると数人の聖書学者とパリサイ人が口を出して、イエスに言った、「先生、(では、神の子である証拠に)あなたの(不思議な)徴を見せてください。」 |
前田訳 | そこで何人かの学者とパリサイ人がいった、「先生、あなたの徴(しるし)を見せてください」と。 |
新共同 | すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。 |
NIV | Then some of the Pharisees and teachers of the law said to him, "Teacher, we want to see a miraculous sign from you." |
註解: 「徴」は奇蹟的の能力の発現である。学者パリサイ人らは22節の徴をもって足れりとせず、さらに他の徴を見んことを願った。これ彼らは信仰を求めていたのではなく、イエスを陥れんとする機会を求めていたからである。
12章39節 答へて言ひたまふ『邪曲にして不義なる代は徴を求む、されど預言者ヨナの徴のほかに徴は與へられじ。[引照]
口語訳 | すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。 |
塚本訳 | 彼らに答えられた、「この悪い、神を忘れた時代の人は、(信ずるのに)徴をほしがる。しかしこの人たちには、預言者ヨナの徴以外の徴は与えられない。 |
前田訳 | 彼は答えられた。「悪と不信の世代は徴を求めるが、預言者ヨナの徴のほか徴はこの世代に与えられまい。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 |
NIV | He answered, "A wicked and adulterous generation asks for a miraculous sign! But none will be given it except the sign of the prophet Jonah. |
註解: 「不義」は普通「姦淫」と訳される文字で神に対する離反を意味している(ヤコ4:4)。悪念を懐き信仰を失える代は、イエスがこれまで行い給える徴を見ても尚信じない(マタ11:5)のであるから、彼らには最早ヨナの徴(イエスの復活)より外に与えられない、すなわちイエスの御在世中には最早彼ら信仰を得るの機会を失って、遂には異邦人に裁かれるに至るであろう。
12章40節 即ち「ヨナが三日三夜、大魚の腹の中に在りし」ごとく、人の子も三日三夜、地の中に在るべきなり。[引照]
口語訳 | すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。 |
塚本訳 | すなわち“ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中にいた”ように、人の子(わたし)も三日三晩地の中におるのである。 |
前田訳 | ヨナが三日三夜大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三夜地のふところにいよう。 |
新共同 | つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。 |
NIV | For as Jonah was three days and three nights in the belly of a huge fish, so the Son of Man will be three days and three nights in the heart of the earth. |
註解: ヨナが三日三夜大魚(海の怪物)の腹中に在りて後に陸に吐き出されしはイエスが三日三夜陰府に下りて後に復活し給えることの型であった、イエスは既にこの時よりその復活を預言し給うた。
辞解
[三日三夜] 精確に言えばイエスが墓にい給いしは一日二夜であった。唯ユダヤにおいては端数を全一日と数うる習慣があるので、金曜の夜より日曜の朝までを三日三夜と言ったのである。
[地の中] 「地の中心」で陰府を意味する。
12章41節 ニネベの人、審判のとき今の代[の人]とともに立ちて之が罪を定めん、彼らはヨナの宣ぶる言によりて悔改めたり。視よ、ヨナよりも勝るもの此處に在り。[引照]
口語訳 | ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。 |
塚本訳 | しかし人々は信じない。(だから)ニネベの人がこの時代の人と一しょに(最後の)裁き(の法廷)にあらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、ニネベの人はヨナの説く言葉に従って悔改めたが、(この人たちは、)いまここにヨナよりも大きい者がいる(のに、その言葉に従わない)からである。 |
前田訳 | ニネベの人々は裁きの時にこの世代とともに立ちあがってそれを罪しよう。ヨナの宣教に人々は悔い改めたが、見よ、ヨナ以上のものがここにいる。 |
新共同 | ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。 |
NIV | The men of Nineveh will stand up at the judgment with this generation and condemn it; for they repented at the preaching of Jonah, and now one greater than Jonah is here. |
註解: 終末の審判に際しては、神の選民にあらざるニネベ人が神の選民たる今の代のユダヤ人を訴えてこれを罪に定めるであろう。何となれば彼らはヨナの宣告によりて悔改め、ユダヤ人はヨナよりも勝れるイエスの宣言と徴とによりて悔改めないからである。
12章42節 南の女王、審判のとき今の代[の人]とともに起きて之が罪を定めん、彼はソロモンの智慧を聽かんとて地の極より來れり。視よ、ソロモンよりも勝る者ここに在り。[引照]
口語訳 | 南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果から、はるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。 |
塚本訳 | また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。 |
前田訳 | 南の女王は裁きの時にこの世代とともに現われてそれを罪しよう。彼女は地の果てからソロモンの知恵を聞きに来たが、見よ、ソロモン以上のものがここにいる。 |
新共同 | また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」 |
NIV | The Queen of the South will rise at the judgment with this generation and condemn it; for she came from the ends of the earth to listen to Solomon's wisdom, and now one greater than Solomon is here. |
註解: 北のニネベの人のみならず南のシバの女王来りて、神の民なるユダヤ人の罪を定めるであろう。これソロモンよりも勝るイエスの無限の智慧を聴かんとせざるその頑迷と高慢とのためである。イエスは以上二つの例をもって、イエスの教えを聴き、その徴を見ても悔改めざるユダヤ人は罪に定められ、彼らが異邦人として賤みつつある者が、この罪を訴うる地位に立つであろうことを示し給うたのである。キリストの名を持つことをもって誇りとするキリスト教国又はキリスト教会員はこれを聞きて自ら顧みなければならない。▲原子爆弾をもって人類を殺戮しようとするキリスト教国は、彼らの卑しむ異教国民によって罪を定められるであろう。
12章43節 穢れし靈、人を出づるときは、水なき處を巡りて休を求む、而して得ず。[引照]
口語訳 | 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 |
塚本訳 | 汚れた霊が(追い出されて)人間から出てゆくと、砂漠をあるき回って休み場所をさがすが見つからない。 |
前田訳 | けがれた霊が人から出ると、水のない荒地を通って休み場を求めるが、見つからない。 |
新共同 | 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。 |
NIV | "When an evil spirit comes out of a man, it goes through arid places seeking rest and does not find it. |
12章44節 乃ち「わが出でし家に歸らん」といひ、歸りて、その家の空きて掃き淨められ、飾られたるを見、[引照]
口語訳 | そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 |
塚本訳 | そこで『出てきた自分の家にもどろう』と言って、かえって見ると、空家になっていて、掃除ができて、飾り付けがしてあった。 |
前田訳 | そこでいう、『出て来たわが家にもどろう』と。もどると空家で、清め整えられていた。 |
新共同 | それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。 |
NIV | Then it says, `I will return to the house I left.' When it arrives, it finds the house unoccupied, swept clean and put in order. |
12章45節 遂に往きて己より惡しき他の七つの靈を連れきたり、共に入りて此處に住む。されば其の人の後の状は前よりも惡しくなるなり。邪曲なる此の代もまた斯くの如くならん』[引照]
口語訳 | そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。 |
塚本訳 | そこで行って、自分よりも悪い、ほかの七つの(汚れた)霊を一しょに連れてきて入りこみ、そこに住む。するとその人のあとの有様は、(追い出す前よりも)もっとひどくなるのである。この悪い時代の人も、それと同様であろう。」 |
前田訳 | そこで出かけて自分より悪いほかの七つの霊を連れて入り込んでそこに住む。その人ののちの様は前よりも悪くなる。この悪の世代もそのようになろう」と。 |
新共同 | そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」 |
NIV | Then it goes and takes with it seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that man is worse than the first. That is how it will be with this wicked generation." |
註解: ここにイエスは偶像を離れて神に帰せるイスラエルを、穢れし悪魔がその住居であったイスラエルの人々の心より出でしことにたとえている。この悪魔は人の心をその住居とすることを好むのであって従って悪魔の住家である砂漠を巡り歩いても安息の場所がなく、再び己が出でし家に帰り来た、然るにエルサレムは偶像を離れて神に帰したとはいえ、今は神を忘れ、ただ律法と祭祀にのみ専念していた。ゆえにその家は清浄であり立派に飾られているけれども主人なき家であった。イスラエルは神の子イエスを迎えてその主人たらしむるべきであった。彼こそは律法の成就者に在し給うたのである。然るに彼らはイエスを迎うることをしない。ゆえに悪霊はさらに己よりも悪しき霊を引連れてイスラエルの人の心(この代)を支配するであろう。イエスを陥れんとする学者パリサイ人らのごときは、かかる悪霊の住家となった人々である。
5-2-ヘ 真の骨肉 12:46 - 12:50(マコ3:31-35) (ルカ8:19-21)
12章46節 イエスなほ群衆にかたり居給ふとき、視よ、その母と兄弟たちと、彼に物言はんとて外に立つ。[引照]
口語訳 | イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。 |
塚本訳 | イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。 |
前田訳 | まだ彼が群衆に話しておられるとき、見よ、彼の母と兄弟が外に立っていて彼に話したがっていた。 |
新共同 | イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 |
NIV | While Jesus was still talking to the crowd, his mother and brothers stood outside, wanting to speak to him. |
註解: 彼は神のことを思いこれらは人のことを思う。
12章47節 或人イエスに言ふ『視よ、なんぢの母と兄弟たちと、汝に物言はんとて外に立てり』[引照]
口語訳 | それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。 |
塚本訳 | 〔無し〕 |
前田訳 | だれかがいった、「あなたの母上と兄弟方が外に立っていて話したがっています」と。 |
新共同 | そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 |
NIV | Someone told him, "Your mother and brothers are standing outside, wanting to speak to you." |
12章48節 イエス告げし者に答へて言ひたまふ『わが母とは誰ぞ、わが兄弟とは誰ぞ』[引照]
口語訳 | イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。 |
塚本訳 | しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、 |
前田訳 | イエスはいわれた、「だれがわが母でだれがわが兄弟か」と。 |
新共同 | しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」 |
NIV | He replied to him, "Who is my mother, and who are my brothers?" |
註解: 人間としての肉親を軽蔑し給うたのではなく霊の父をさらに重んじ給うたことを示している。
12章49節 かくて手をのべ、弟子たちを指して言ひたまふ『視よ、これは我が母、わが兄弟なり。[引照]
口語訳 | そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
塚本訳 | 弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。 |
前田訳 | そして弟子たちに手を向けていわれた、「これがわが母、わが兄弟。 |
新共同 | そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
NIV | Pointing to his disciples, he said, "Here are my mother and my brothers. |
12章50節 誰にても天にいます我が父の御意をおこなふ者は、即ち我が兄弟、わが姉妹、わが母なり』[引照]
口語訳 | 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。 |
塚本訳 | だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」 |
前田訳 | 天にいますわが父のみ心を行なうものこそわが兄弟、姉妹また母である」と。 |
新共同 | だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 |
NIV | For whoever does the will of my Father in heaven is my brother and sister and mother." |
註解: 霊によりて生れしものは霊によりて父と連なり、肉によりて生れしものは肉によりて父母に連なる。而して霊によりて天の父より生れしものは神の子であって父の御旨を行う者である。かかる者は皆互いに神より生れし霊の一家族である。キリスト者の間の微妙なる親しみは実にこの霊の一家族たることより生れてくるのである。而して真の霊の一家族は父の御言を只「聞く」だけではなく「信ずる者」でも「宣伝うる者」でも「解釈する者」でも又「味わう者」でもなく実にこれを「行う者」である。これが信者の最善の証拠である。
要義 [人間の不信]一時はその教えとその奇蹟とによりて衆望を集め給いしイエスは、学者・パリサイ人らの反対と、民衆の不信とによりて次第に困難の地位に立ち給い、世との反対が益々明らかにされるに至った。人々はイエスの心を解せず、唯少数の者のみ嬰児のごとき信頼を彼に捧ぐるに過ぎなかった。死せる律法を墨守する者はイエスの自由なる愛の律法を理解しなかった。唯父の御意を行わんとするイエスと、この世の思いに満されている人との間には、遂に共通なるあるものを見出すことができなかったのである。かくしてイエスの正義は益々光を発すると共に、彼は益々迫害の中に深入りするに至ったのである。かくして彼の伝道の失敗はこれより益々甚だしきに至り、遂に彼は十字架にまで釘き給うた。しかしながらこの失敗は敗北ではなく勝利であった。これ人間の不信と彼の愛とを示すがためであった。第十三章以下はこの心持をもって読みてこれを了解することができる。
マタイ伝第13章
5-3 イエス譬喩(ひゆ)をもてパリサイ人らを戒め給う 13:1 - 13:58
5-3-イ 種蒔の譬 13:1 - 13:9
(マコ4:1-9) (ルカ8:4-8)
註解: 山上の垂訓をもって天国の福音を説き給い、多くの能力ある業を行い給えるイエスは、ここに民衆の不理解と有識者階級の嫉妬のためにその運命の一転機に立ち給うた。ここにおいてイエスは多くの譬をもって天国について語り給うた。これ悟り得る者に取っては天国の状態を明瞭に思い浮ぶることを助け、今直ちに天国の真理を悟り得ざる者に取っては、これを記憶に留むることを得しめ後に至ってこれを思い出すことによりて天国においての真理を悟らしめんとし給うたのである。而してイエスの譬の実に巧なることはその簡単なる語の中に、多くの真理を包含していることと、しかも比喩が適切に事実に適応していることをもってこれを知ることができる。
13章1節 その日イエスは家を出でて、海邊に坐したまふ。[引照]
口語訳 | その日、イエスは家を出て、海べにすわっておられた。 |
塚本訳 | その日イエスは家を出て、湖のほとりに坐って(教えて)おられたが、 |
前田訳 | その日イエスは家を出て湖畔にすわっておられた。 |
新共同 | その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 |
NIV | That same day Jesus went out of the house and sat by the lake. |
13章2節 大なる群衆みもとに集りたれば、イエスは舟に乘りて坐したまひ、群衆はみな岸に立てり。[引照]
口語訳 | ところが、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。 |
塚本訳 | 大勢の群衆が集まってきたので、舟に乗って坐られた。群衆は皆岸に立っていた。 |
前田訳 | そこにあまり多くの群衆が集まったので彼は小舟に乗ってすわられた。群衆は皆岸に立っていた。 |
新共同 | すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 |
NIV | Such large crowds gathered around him that he got into a boat and sat in it, while all the people stood on the shore. |
註解: 山上の垂訓においてはイエスは山上に坐し弟子を中心として群衆にもこれを叙べ、もって地上における天国の民の高さを示し、ここにはイエス舟に坐し群衆を主とし弟子にも天国の民が最後の審判に至るまで、地上においていかなる状態に留まらなければならないかを示し給うた。
13章3節 譬にて數多のことを語りて言ひたまふ、『視よ、種播く者まかんとて出づ。[引照]
口語訳 | イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 |
塚本訳 | 譬をもって多くのことを語られた。──「種まく人が種まきに出かけた。 |
前田訳 | 彼は多くのことを譬えで語られた、「見よ、種まく人が種まきに出かけた。 |
新共同 | イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 |
NIV | Then he told them many things in parables, saying: "A farmer went out to sow his seed. |
13章4節 播くとき路の傍らに落ちし種あり、鳥きたりて啄む。[引照]
口語訳 | まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 |
塚本訳 | まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。 |
前田訳 | まくうちに、あるものは道ばたに落ちて、鳥が来て食べた。 |
新共同 | 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 |
NIV | As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up. |
13章5節 土うすき磽地に落ちし種あり、土深からぬによりて速かに萠え出でたれど、[引照]
口語訳 | ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 |
塚本訳 | あるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、 |
前田訳 | あるものは土の多くない岩地に落ちて、土が深くないのですぐ芽を出したが、 |
新共同 | ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 |
NIV | Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow. |
13章6節 日の昇りし時やけて根なき故に枯る。[引照]
口語訳 | 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
塚本訳 | 日が出ると焼けて、しっかりした根がないので枯れてしまった。 |
前田訳 | 日がのぼると焼けて、根がないので枯れた。 |
新共同 | しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
NIV | But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root. |
13章7節 茨の地に落ちし種あり、茨そだちて之を塞ぐ。[引照]
口語訳 | ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 |
塚本訳 | あるものは茨の(根が張っている)間に落ちた。茨が伸びてきて押えつけてしまった。 |
前田訳 | あるものは茨の間に落ちて、茨がのびて押さえつけた。 |
新共同 | ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 |
NIV | Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants. |
13章8節 良き地に落ちし種あり、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍の實を結べり。[引照]
口語訳 | ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 |
塚本訳 | しかしあるものは良い地に落ちた。そしてあるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実がなった。 |
前田訳 | あるものはよい地に落ちて、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍の実がなった。 |
新共同 | ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 |
NIV | Still other seed fell on good soil, where it produced a crop--a hundred, sixty or thirty times what was sown. |
註解: この譬の意義は、9節以下において主自ら説明し給うた。
辞解
[種播く人] 単数にして冠詞あり。すなわちキリストを指す。
[磽地] 礫多き地ではなく岩石の層の上を薄く土壌が覆うている地であって、種子は太陽の熱を受くること多く発芽は早いけれども根を張ることができない。
13章9節 耳ある者は聽くべし』[引照]
口語訳 | 耳のある者は聞くがよい」。 |
塚本訳 | 耳のある者は聞け。」 |
前田訳 | 耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | 耳のある者は聞きなさい。」 |
NIV | He who has ears, let him hear." |
註解: マタ11:15註。
5-3-ロ 譬喩を用いる目的 13:10 - 13:17(マコ4:10-12) (ルカ8:9-10)
13章10節 弟子たち御許に來りて言ふ『なにゆゑ譬にて彼らに語り給ふか』[引照]
口語訳 | それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。 |
塚本訳 | 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、 |
前田訳 | 弟子たちが彼のところへ来ていった、「なぜ譬えで彼らにお話しになりますか」と。 |
新共同 | 弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。 |
NIV | The disciples came to him and asked, "Why do you speak to the people in parables?" |
13章11節 答へて言ひ給ふ『なんぢら(に)は天國の奧義を知ることを[許され](賜はり)たれど、彼ら(に)は[許され](賜はら)ず。[引照]
口語訳 | そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 |
塚本訳 | 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。 |
前田訳 | 彼は答えられた、「あなた方には天国の奥義を知ることがゆるされているが、彼らにはゆるされていない。 |
新共同 | イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 |
NIV | He replied, "The knowledge of the secrets of the kingdom of heaven has been given to you, but not to them. |
註解: これを見てもイエスがこの譬を「彼ら」すなわち群衆を主として語り給うたことを見ることができる。蓋し群衆は未だ天国の深い事柄を理解する力を与えられていなかったのでメシヤの国が直ちに実現すべき外的の国と考えていたのを、その誤りを正して、それが内面的に心の中より発芽成長しなければならぬものなることを示さんとし給うたのである。▲マタイ伝の「天国」は他の福音書の「神の国」と同義に用いられている。「天国」は死後に行く処ではなく、神の支配の下にいる者すなわち「神の国」を指す。
13章12節 それ誰にても、有てる人は與へられて愈々豐ならん。されど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし。[引照]
口語訳 | おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 |
塚本訳 | だれでも持っている人は(さらに)与えられてあり余るが、持たぬ人は、持っているものまでも取り上げられるのである。 |
前田訳 | 持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持っているものも取られよう。 |
新共同 | 持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 |
NIV | Whoever has will be given more, and he will have an abundance. Whoever does not have, even what he has will be taken from him. |
註解: この事実は経済社会においてもこれを見ると同じく霊界においても真理である。有つ者はイエスの教えを保有する者、有たぬ者はこれをすてた者であるゆえに弟子たちはイエスの福音をきいて益々富み、群衆は彼を受けずして益々貧し。
13章13節 この故に彼らには譬にて語る、これ彼らは見ゆれども見ず、聞ゆれども聽かず、また悟らぬ故なり、[引照]
口語訳 | だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。 |
塚本訳 | だから、あの人たちには譬をもって話すのである。“見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない”からだ。 |
前田訳 | それゆえわたしは彼らに譬えで語る。『見て見えず、聞いて聞こえず、悟らず』である。 |
新共同 | だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。 |
NIV | This is why I speak to them in parables: "Though seeing, they do not see; though hearing, they do not hear or understand. |
註解: この一節は前後の関係上「これ彼らは見れども見えず、聞けども聞えずまた悟らぬゆえなり」とか又は一層直訳して「これ彼らは見て見ず、聞きて聴かずまた悟らぬゆえなり」と訳すべきであろう(ルカ8:10)。蓋し群衆は見る力を持っていながらわざと見ないという意味ではなく、彼らは「長い間イエスの行為を見ていながらこれを見分くる明がなく(ヨハ6:26、ヨハ6:36)、その教えを聞きながら聴き分くる力がなく又悟らなかった」(Z0)ことを意味しているからである。ゆえにイエスはその無辺の愛よりせめて、譬をもってなりとも彼らをして悟らしめんとして語り給うのである。
13章14節 かくてイザヤの預言は、彼らの上に成就す。曰く、「なんぢら聞きて聞けども悟らず、見て見れども認めず。[引照]
口語訳 | こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。 |
塚本訳 | こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──“あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい。 |
前田訳 | イザヤの預言は彼らに成就する、いわく、『あなた方は聞きに聞いても決して悟るまい、見に見ても決してわかるまい。 |
新共同 | イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。 |
NIV | In them is fulfilled the prophecy of Isaiah: "`You will be ever hearing but never understanding; you will be ever seeing but never perceiving. |
13章15節 この民の心は鈍く、耳は聞くに懶く、目は閉ぢたればなり。これ目にて見、耳にて聽き、心にて悟り、飜へりて、我に醫さるる事なからん爲なり」[引照]
口語訳 | この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。 |
塚本訳 | この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているのだから。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、心を入れかえて(わたし[神]に帰り)、わたしに直されるかも知れない。” |
前田訳 | この民の心はにぶり、耳は遠くなり、目は閉じているから。そうでなければ、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、立ちかえって、わたしが彼らをいやすであろう』と。 |
新共同 | この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』 |
NIV | For this people's heart has become calloused; they hardly hear with their ears, and they have closed their eyes. Otherwise they might see with their eyes, hear with their ears, understand with their hearts and turn, and I would heal them.' |
註解: このイザヤの預言は成就した。ユダヤ人は心が腐敗しているがために、その腐敗が目、耳をも腐らしめ遂にイエスをすら認め得ざるに至ったのである。ユダヤ人の頑迷にしてイエスを受けざることの罪深さが、このイザヤの語をもって極めて適切に言い表わされているので、他に数回引用せられている。
13章16節 されど汝らの目なんぢらの耳は、見るゆゑに聞くゆゑに、幸福なり。[引照]
口語訳 | しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。 |
塚本訳 | だが、あなた達の目は見、耳は聞くから幸いである。 |
前田訳 | しかしあなた方の目は見、耳は聞くからさいわいである。 |
新共同 | しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。 |
NIV | But blessed are your eyes because they see, and your ears because they hear. |
13章17節 まことに汝らに告ぐ、多くの預言者・義人は、汝らが見る所を見んとせしが見ず、なんぢらが聞く所を聞かんとせしが聞かざりしなり。[引照]
口語訳 | あなたがたによく言っておく。多くの預言者や義人は、あなたがたの見ていることを見ようと熱心に願ったが、見ることができず、またあなたがたの聞いていることを聞こうとしたが、聞けなかったのである。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、多くの預言者と義人とは、あなた達が(いま)見ているものを見たい見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたい聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。 |
前田訳 | 本当にいう、多くの預言者と義人はあなた方が見ているものを見たく思っても見られず、あなた方が聞いているものを聞きたく思っても聞けなかった。 |
新共同 | はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」 |
NIV | For I tell you the truth, many prophets and righteous men longed to see what you see but did not see it, and to hear what you hear but did not hear it. |
註解: 弟子たちは霊的の事柄を理解し、キリストの行為を見、その教えを聞きてこれを悟る力を有っていた。これほど幸いなることはない。昔から多くの預言者義人は神の霊に感じて唯キリストを望み、キリストにつき預言していたけれども(イザ53:1以下。ヨブ19:25等)弟子たちのごとく面のあたり彼を見、直接彼の御言を聞くの幸いを持つことができなかった。今日の我らは肉によれるキリストに接することができないけれども、キリストの遣わし給える「助手」が永遠に我らと共にい給うがゆえに(ヨハ14:16)、見ゆる目、聞ゆる耳を有つ者はこの弟子らと同じ幸いを得、然らざる者はユダヤ人のごとく不幸である。
5-3-ハ 種蒔の譬の解説 13:18 - 13:23(マコ4:13-20) (ルカ8:11-15)
13章18節 されば汝ら種播く者の譬を聽け。[引照]
口語訳 | そこで、種まきの譬を聞きなさい。 |
塚本訳 | だからあなた達には種まく人の譬を説明してあげよう。── |
前田訳 | それゆえあなた方は種まきの譬えを聞きえよう。 |
新共同 | 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 |
NIV | "Listen then to what the parable of the sower means: |
13章19節 誰にても天國の言をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯かる人なり。[引照]
口語訳 | だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 |
塚本訳 | だれでも御国の言葉を聞いて悟らないと、悪者[悪魔]が来て、心の中にまかれたものを奪ってゆく。これは道ばたにまかれた人である。 |
前田訳 | み国のことばを聞いて悟らないと、悪者が来て心にまかれたものをうばう。これは道ばたにまかれたものである。 |
新共同 | だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。 |
NIV | When anyone hears the message about the kingdom and does not understand it, the evil one comes and snatches away what was sown in his heart. This is the seed sown along the path. |
註解: いかに頑固にて道路のごとく固き心を持っている者も、一度天国の言を聞いた者はたといこれを悟らずとも既に種はその心に落ちているのであって、もし「悪しき者」すなわち悪魔をしてこれを奪わしめないならば、それが発育する見込みがある。ゆえにその心が頑固にしてその種を心に深く受入れない者は、その心を打ち砕き柔らかにしてこれを悟るようにしなければならぬ、もし打ち砕き得ざる程心の固き者はその心を主の御前にささげるならば、主イエスはこれを砕き給うであろう。
辞解
[悪しき者] 空の鳥は往々悪魔の例に用いられている(マタ8:20。エゼ31:6。ダニ4:9)。
[路の傍] 堅くして種を受入れない、これ道路は多くの人に踏まれているからである。ゆえに昔からの人の踏みならした伝統の道に固着している人の心は常に頑固であって、他の事柄を悟ることができない。ゆえにキリストをすら拒むに至るのである。
13章20節 磽地に播かれしとは、御言をききて、直ちに喜び受くれども、[引照]
口語訳 | 石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 |
塚本訳 | 岩地にまかれたもの、これは御言葉を聞いてすぐ喜んで受けいれるが、 |
前田訳 | 岩地にまかれたもの、それはことばを聞いてすぐよろこんでそれを受けるが、 |
新共同 | 石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 |
NIV | The one who received the seed that fell on rocky places is the man who hears the word and at once receives it with joy. |
13章21節 己に根なければ暫し耐ふるのみにて、御言のために艱難あるひは迫害の起るときは、直ちに躓くものなり。[引照]
口語訳 | その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 |
塚本訳 | 自分の中に(しっかりした信仰)の根がなく、ただその当座だけであるから、御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人である。 |
前田訳 | 自らの中に根がなくて長つづきせず、ことばゆえに苦しみや迫害がおこると、すぐつまずく。 |
新共同 | 自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。 |
NIV | But since he has no root, he lasts only a short time. When trouble or persecution comes because of the word, he quickly falls away. |
註解: 磽地のごとくに熱し易い人は頼りにならない、一時はその信仰が速やかに成長するごとくに見えるけれども「御言のために」起る故障によりて、直ちに躓くのはこの種の人である。
13章22節 茨の中に播かれしとは、御言をきけども、世の心勞と財貨の惑とに、御言を塞がれて實らぬものなり。[引照]
口語訳 | また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 |
塚本訳 | 茨の中にまかれたもの、これは御言葉を聞くが、(しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしが御言葉を押えつけて、みのらない人である。 |
前田訳 | 茨の中にまかれたもの、それはことばを聞いても世のわずらいや富の惑わしがことばを押さえて実らなくなる。 |
新共同 | 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 |
NIV | The one who received the seed that fell among the thorns is the man who hears the word, but the worries of this life and the deceitfulness of wealth choke it, making it unfruitful. |
註解: 茨が発育し得る土壌は土が相当深く肥沃である。従って御言の種もそこに根を下し発育することができる、すなわち御言を悟ることはできる。唯、名誉、地位、成功、金銭等の心労や惑のために実を結ぶに至らず、結局無駄になってしまうものである。
13章23節 良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり』[引照]
口語訳 | また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。 |
塚本訳 | しかし良い地にまかれたもの、これは御言葉を聞いて悟る人で、きっと実を結び、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になるのである。」 |
前田訳 | よい地にまかれたもの、それはことばを聞いて悟るもので、たしかに実を結んで、あるいは百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍になる」と。 |
新共同 | 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」 |
NIV | But the one who received the seed that fell on good soil is the man who hears the word and understands it. He produces a crop, yielding a hundred, sixty or thirty times what was sown." |
註解: かかる者は悟るのみならず実を結ぶことができる。実を結ぶ程度の差異はその人の天稟によるのであって問題とするに足らない。
要義1 [四種類の土地]以上の譬によりて示されし四種の土地は、実に適切に人間性の種類を網羅したものと言うことができる。而して福音を受入れる上において最も困難なのは第一種の人々であって、彼らには多くの場合福音の種子が無益に播かれているのである。これに次いで望み少なきものは第二種の人々であって一度は教会の門に出入し、一時熱心なる信者であった人が後に消えて跡形なきに至っているのは、多くこの種の人である。第三の種類の人は中でも最も有望であって、もしその心より茨さえも除くことができるならば必ず実を結び得る望みがあるのはかかる人である。ゆえに彼らにとってはこの世の境遇が不孝に陥り、その財産を失い、健康を傷えるごとき場合にかえって福音の実を結び得ることは事実である。かくのごとくこの四種の人間性は神の言より見て最も適切なる順序に排列せられているのである。
要義2 [いかにして良き地となるべきか]福音の畑として見たる心の良否は、ある程度までその天性にもよるけれども、しかしたといいかなる天性に生れ付いたにしても、すべての人はこれを良き地として神の言を受入れなければならないはずである。而して悪しき地(すなわち路傍、石地、茨地)を良き地たらしむるにはやはり開墾より他に途があるはずがない。石を砕き草を採り土地を耕して、始めてそこに良き地ができるのである。しかしながら人間の心の土地は非常に開墾し難い場所であって、人間は全力を尽くしてこれを開墾せんとしても尚砕き得ざる石があり、又全力を注ぎて除草を行っても直ちに茨が繁茂することは事実である。ゆえに我らは遂に我らの心をすべて神の御前に投出さなければならない。その時神は我らの心の岩を打砕き給うであろう(エゼ36:26)。
5-3-ニ 麦と毒麦の譬 13:24 - 13:30
13章24節 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は良き種を畑にまく人のごとし。[引照]
口語訳 | また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。 |
塚本訳 | またほかの譬を群衆に示して言われた、「天の国は畑に良い種をまく人にたとえられる。 |
前田訳 | もうひとつの譬えを彼らに示していわれた、「天国は自らの畑によい種をまく人に似る。 |
新共同 | イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 |
NIV | Jesus told them another parable: "The kingdom of heaven is like a man who sowed good seed in his field. |
13章25節 人々の眠れる間に、(彼の)仇きたりて麥のなかに毒麥を播きて去りぬ。[引照]
口語訳 | 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 |
塚本訳 | 人々が(夜)眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦をまいて行った。 |
前田訳 | 人々が眠っているうちに敵が来て麦の間に毒麦をまいていった。 |
新共同 | 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 |
NIV | But while everyone was sleeping, his enemy came and sowed weeds among the wheat, and went away. |
辞解
[人々] 畑を見守る人々のこと(B1)。
[仇] 原語に「彼の仇」とあり、人々の仇にあらず、播く人すなわちキリストの仇である。
[毒麦] 麦に似て有害なる実を結ぶ草、ヘブル語のゾーニーン。
13章26節 苗はえ出でて實りたるとき、毒麥もあらはる。[引照]
口語訳 | 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。 |
塚本訳 | 苗が芽生えて実を結ぶと、その時毒麦も現われた。 |
前田訳 | 苗がのびて実ると、毒麦も現われた。 |
新共同 | 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 |
NIV | When the wheat sprouted and formed heads, then the weeds also appeared. |
註解: 実を結びて始めて毒麦なることが知られるのであって、苗の時は互いに酷似しており見分けがつかない。
13章27節 僕ども來りて家主にいふ「主よ、畑に播きしは良き種ならずや、然るに如何にして毒麥あるか」[引照]
口語訳 | 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。 |
塚本訳 | 使用人たちが来て家の主人に言った、『ご主人、畑には良い種をまかれたのではないですか。すると毒麦はどこから来たのでしょうか。』 |
前田訳 | 僕たちが来て家主(いえあるじ)にいった、『ご主人、ご自分の畑にまかれたのはよい種のはずですのに、毒麦はどこから来たのですか』と。 |
新共同 | 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 |
NIV | "The owner's servants came to him and said, `Sir, didn't you sow good seed in your field? Where then did the weeds come from?' |
註解: 多くのキリスト者は彼らの間に悪魔が常に毒麦を播かんとしていることを知らずにいる、彼らは目をさましてこれを見守らなければならない。
13章28節 主人いふ「仇のなしたるなり」[引照]
口語訳 | 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。 |
塚本訳 | 主人がこたえた、『敵のしわざだ。』使用人たちが言う、『では、行って抜き取りましょうか。』 |
前田訳 | 彼はいった、『敵のしわざだ』と。僕たちはいう、『それならわたしたちが行って毒麦を集めましょうか』と。 |
新共同 | 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 |
NIV | "`An enemy did this,' he replied. "The servants asked him, `Do you want us to go and pull them up?' |
註解: 主人すなわちキリストは仇の働きを知り給う。
僕ども言ふ「さらば我らが往きて之を拔き集むるを欲するか」
註解: 僕は麦と毒麦との区別を明かにすることができると信じていた。しかしこれは不可能である。
13章29節 主人いふ「いな、恐らくは毒麥を拔き集めんとて、麥をも共に拔かん。[引照]
口語訳 | 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 |
塚本訳 | 主人が言う、『いや、毒麦を抜き取ろうとして、麦まで一しょに引き抜くかも知れない。 |
前田訳 | 彼はいう、『いや、毒麦を集めれば麦もいっしょに抜きかねない。 |
新共同 | 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 |
NIV | "`No,' he answered, `because while you are pulling the weeds, you may root up the wheat with them. |
註解: 人間の知識をもって信者と不信者との限界をあまりに明瞭にせんとする時は、往々にして不信者を除かんがために信者をも抜くことがある。而して一人の信者を排斥する罪は大なる罪である。何となれば彼もキリストの血によりて贖われし者であるから。それよりはむしろ毒麦を忍びても麦を犠牲にしない方が必要である。ただし茨と薊のごとく明瞭に麦と区別し得る者に対してはこれを除くべきことは勿論である。
13章30節 兩ながら收穫まで育つに任せよ。收穫のとき我かる者に「まづ毒麥を拔きあつめて、焚くために之を束ね、麥はあつめて我が倉に納れよ」と言はん」』[引照]
口語訳 | 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。 |
塚本訳 | 両方とも刈入れまで育つままにしておけ。刈入れの時、わたしが刈入れ人たちに言いつける、まず毒麦を抜き取り、束にしばって焼きすてよ、麦の方は集めて倉に入れよ、と。』」 |
前田訳 | 両方とも取入れまで育つにまかせよ、取入れのとき取入れ人にいおう、まず毒麦を集めて、束にして焼け、そして麦をわが倉に集めよ』」と。 |
新共同 | 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」 |
NIV | Let both grow together until the harvest. At that time I will tell the harvesters: First collect the weeds and tie them in bundles to be burned; then gather the wheat and bring it into my barn.'" |
註解: 人は審判の日に先立ちて自ら他を裁いてはならない、誤れば恐らく彼もまた裁かれるであろう。ゆえに毒麦はこれを除かずして収穫の日を待たなければならない。▲この譬は、一般に教会などで行われているように、信者と不信者とを人間的判断によって明白に区別することは不可能であり、人間的誤謬が必ずこれに伴うことを示す。
5-3-ホ 芥種の譬 13:31 - 13:32(マコ4:30-32) (ルカ13:18、19)
13章31節 また他の譬を示して言ひたまふ『天國は一粒の芥種のごとし、人これを取りてその畑に播くときは、[引照]
口語訳 | また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、 |
塚本訳 | またほかの譬を彼らに示して言われた、「天の国は芥子粒に似ている。ある人がそれを畑にまいた。 |
前田訳 | もうひとつの譬えを彼らに示していわれた、「天国はある人がつまんで自らの畑にまいたからし種に似る。 |
新共同 | イエスは、別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、 |
NIV | He told them another parable: "The kingdom of heaven is like a mustard seed, which a man took and planted in his field. |
13章32節 萬の種よりも小けれど、育ちては他の野菜よりも大く、樹となりて、空の鳥きたり其の枝に宿るほどなり』[引照]
口語訳 | それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。 |
塚本訳 | これはあらゆる種の中で一番小さいが、育つと、野菜の中で一番大きくなり、(大きな)木になって、“空の鳥が”来て“その枝に巣を作る”ようになるのである。」 |
前田訳 | 種という種のうちもっとも小さいが、育つと、野菜のうちでもっとも大きくなり、木になり、空の鳥が来て枝に巣くうほどになる」と。 |
新共同 | どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」 |
NIV | Though it is the smallest of all your seeds, yet when it grows, it is the largest of garden plants and becomes a tree, so that the birds of the air come and perch in its branches." |
註解: イエスが(人)御在世の間に蒔かれし福音の種は、唯ガリラヤの一角とユダヤの一部サマリヤの小部分に過ぎなかった。その弟子も極めて少なくイエスが十字架に釘き給える時には、彼らすら彼を捨て去るくらいであった。「その代の人のうち誰か彼が活ける者の地より断たれしことを思いたりしや」(イザ53:8)。しかるにこの種が発育して今日は、他のすべての野菜よりも大きい芥の樹となった。唯悲しいかな、勢力が増すに従い、その中に悪魔(空の鳥)が宿るに至るのであって、ローマ旧教会にも今日の新教教会にも悪魔の力のいかに強大であるかを見るならば、このイエスの御言の適切であることを知るであろう。
辞解
[芥種] 種子は小さいけれども成長すれば小潅木の高さとなる。
[人] イエス
[畑] 世界
[空の鳥] 悪魔を示すものと見るべきであろう。この譬の説明として最も適切なのはエゼ31:3−15であろう。次節付記参照。▲31−33節は神の国の拡大性とその腐敗性とが相伴っていることを示すもので、全く事実に叶った預言となった訳である。これは教会に対するイエスの警告であった。
5-3-ヘ パン種の譬 13:33(ルカ13:20-21)
13章33節 また他の譬を語りたまふ『天國はパンだねのごとし、女これを取りて、三斗の粉の中に[入るれ](かくせ)ば、ことごとく脹れいだすなり』[引照]
口語訳 | またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。 |
塚本訳 | またほかの譬を彼らに語られた、「天の国はパン種に似ている。女がそれを三サトン(二斗)の粉の中に混ぜたところ、ついに全体が発酵した。」 |
前田訳 | もうひとつの譬えを彼らにいわれた、「天国はパン種に似る。女の人がそれを取って三サトンの粉に入れると、みな醗酵した」と。 |
新共同 | また、別のたとえをお話しになった。「天の国はパン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」 |
NIV | He told them still another parable: "The kingdom of heaven is like yeast that a woman took and mixed into a large amount of flour until it worked all through the dough." |
註解: 天国には腐敗の分子(パン種)が非常に入り易い。悪魔(女)がその少量を多量の粉の中に隠して置けば全体が直ちに膨れ出してしまう。教会主義、理智主義、新神学、高等批評、俗化主義等が始めは極めて少量であっても遂には全教会をこれに浸潤せしむるに至るのは恐るべきことである。
辞解
[パン種] 聖書において常に腐敗、世俗主義の代表として用いられている(引照を一々参照せよ)。
[粉] 神の享け給う素祭の材料で(レビ2:1−3)教会を示す。
[女] 標徴的意味においては悪しき者を意味する(黙2:20。黙17:1−6)。
附記 [芥種とパン種の譬について]通説はこの二つの譬を以上のごとくに解せずして、単に天国が非常な大きさに成長し膨張することを示すものと解せられているけれども、予は通説に反し上のごとくに解釈した、その理由は(1)「パン種」を善き意味に解することは聖書全体の解釈、殊にイエス御自身が他の場合に用い給いし意味(マタ16:6−12。マコ8:15)に反する例外を作ることとなり、(2)もしこれを天国が全く膨張してこの世界が、完全に神の国と化する意味であるとすれば、24−30節の毒麦の譬と矛盾することとなり、(3)粉の中にパン種を隠す行為は、畑に種を播く行為に比して、天国拡張の譬として適当ではないこと、(4)イエスが伝道の結果パリサイ人等の反対に遭い給い、その受難をも予知し給いて、天国が決して多くの人の予想するごとく、完全なる姿をもって実現せざることを示さんとせられたものであって、単に天国が容易に拡張すべしとの楽観主義を教え給うたのではないこと、(5)通説によれば「空の鳥」「女」等の語の比喩的意味を失ってしまうこと等である。(6)天国の拡張の意義ならば、芥種の譬のみにて言い尽くしていること等である。少数の註解書はこの解を採っている。
5-3-ト 麦と毒麦の譬の説明 13:34 - 13:43(マコ4:33-34)
13章34節 イエスすべて此等のことを、譬にて群衆に語りたまふ、譬ならでは何事も語り給はず。[引照]
口語訳 | イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。 |
塚本訳 | イエスはこれらのことを皆譬をもって群衆に語り、譬を使わずには何も語られなかった。 |
前田訳 | これらすべてをイエスは譬えで群衆に語られた。譬えなしでは彼らに何も語られなかった。 |
新共同 | イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。 |
NIV | Jesus spoke all these things to the crowd in parables; he did not say anything to them without using a parable. |
13章35節 これ預言者によりて云はれたる言の成就せん爲なり。曰く、『われ譬を設けて口を開き、世の創より隱れたる事を言ひ出さん』[引照]
口語訳 | これは預言者によって言われたことが、成就するためである、「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」。 |
塚本訳 | “わたしは口を開いて譬にて語り、世の始めから隠されていたことを打ち明けよう。”と、預言者をもって言われた言葉が成就するためであった。 |
前田訳 | これは預言者によることばの成就するためである。いわく、「譬えでわが口を開き、世のはじめからの奥義を語ろう」と。 |
新共同 | それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「わたしは口を開いてたとえを用い、/天地創造の時から隠されていたことを告げる。」 |
NIV | So was fulfilled what was spoken through the prophet: "I will open my mouth in parables, I will utter things hidden since the creation of the world." |
註解: かくイエスが普通の教訓法を離れて、譬にて語り給えることもマタイはこれを預言(詩78:2)の成就と見たのである。イエスにおいては偶然なことは一つもない。
13章36節 ここに群衆を去らしめて、家に入りたまふ。[引照]
口語訳 | それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。 |
塚本訳 | それから群衆を解散して家にかえられた。弟子たちが来て「畑の毒麦の譬を説明してください」と言うと、 |
前田訳 | そこで群衆に別れて家に入られた。弟子たちが彼のところに来ていうには、「畑の毒麦の譬えのご説明を」と。 |
新共同 | それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 |
NIV | Then he left the crowd and went into the house. His disciples came to him and said, "Explain to us the parable of the weeds in the field." |
註解: 第一節に記された家のこと。
弟子たち御許に來りて言ふ『畑の毒麥の譬を我らに解きたまへ』
註解: マコ4:34に「弟子たちには人なき時に凡てのことを釋き給へり」とあり、群衆には形を示し弟子には内容をも示し給うた。
13章37節 答へて言ひ給ふ『良き種を播く者は人の子なり、[引照]
口語訳 | イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。 |
塚本訳 | 答えられた、「良い種をまく者は人の子(わたし)である。 |
前田訳 | 答えていわれる、「よい種をまくものは人の子、 |
新共同 | イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 |
NIV | He answered, "The one who sowed the good seed is the Son of Man. |
13章38節 畑は世界なり、良き種は天國の子どもなり、毒麥は惡しき者の子どもなり、[引照]
口語訳 | 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。 |
塚本訳 | 畑は世界である。良い種、これは御国の子供たちである。毒麦は悪者[悪魔]の子供たちであり、 |
前田訳 | 畑は世、よい種はみ国の子らである。毒麦は悪の子らで、 |
新共同 | 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 |
NIV | The field is the world, and the good seed stands for the sons of the kingdom. The weeds are the sons of the evil one, |
13章39節 之を播きし仇は惡魔なり、收穫は世の終なり、刈る者は御使たちなり。[引照]
口語訳 | それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。 |
塚本訳 | それをまいた敵というのは悪魔である。また刈入れは世の終りであり、刈入れ人は天使たちである。 |
前田訳 | それをまいたものは悪魔である。取入れは世の終わりで、取入れ人はみ使いである。 |
新共同 | 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 |
NIV | and the enemy who sows them is the devil. The harvest is the end of the age, and the harvesters are angels. |
註解: 世の終末まで天国の子どもと悪魔の子どもとは混合して世界に存することは、主のこの御言によって明らかである。ある楽観的キリスト者の信ずるごとく、キリスト教の福音が世界に宣伝えられ、この世は次第々々に福音化せられて、遂に天国が完全にこの世に実現するであろうということは聖書の教えではない(ルカ18:8)。而して人間の罪性もこのことを裏書する。かかる安価なる楽観は人間の発見であって一種のパン種である。−「御使」マタ24:31。
13章40節 されば毒麥の集められて火に焚かるる如く、世の終にも斯くあるべし。[引照]
口語訳 | だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。 |
塚本訳 | だから世の終りには、ちょうど毒麦が抜き取られて火で焼きすてられるようであろう。 |
前田訳 | 毒麦が集められて火で焼かれる、そのように世の終わりもなろう。 |
新共同 | だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。 |
NIV | "As the weeds are pulled up and burned in the fire, so it will be at the end of the age. |
13章41節 人の子その使たちを遣さん。彼ら御國の中より凡ての顛躓と[なる物と]不法をなす者とを集めて、[引照]
口語訳 | 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、 |
塚本訳 | (すなわち)人の子(わたし)は自分の使たちをやり、“(人を)誘惑する者と不法を働く者とを”皆御国から抜き取って、 |
前田訳 | 人の子は彼の使いをやって彼の王国からすべてのつまずきと不法者を取り去り、 |
新共同 | 人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、 |
NIV | The Son of Man will send out his angels, and they will weed out of his kingdom everything that causes sin and all who do evil. |
13章42節 火の爐に投げ入るべし、其處にて哀哭・切齒することあらん。[引照]
口語訳 | 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 |
塚本訳 | 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう。 |
前田訳 | 彼らを燃える炉に投げ入れる。そこではなげきと歯ぎしりがあろう。 |
新共同 | 燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。 |
NIV | They will throw them into the fiery furnace, where there will be weeping and gnashing of teeth. |
註解: ゆえに我ら天国の子となってこの災禍を免れなければならない。而して神の子と悪魔の子との区別はローマ法王を信ずるか信せざるかの区別ではない。洗礼を行うか浸礼を行うかの区別でもない、土曜日安息と日曜安息との区別でもない。唯神の子の躓きとなならぬこと、不法を行わないことである。我ら果して自ら天国の子であるか試して見なければならぬ。その試金石はUコリ13:5にあるごとく「イエス・キリスト」我らの中に在すや否やである。
13章43節 其のとき義人は父の御國にて日のごとく輝かん。耳ある者は聽くべし。[引照]
口語訳 | そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。 |
塚本訳 | その時、“義人たちは”彼らの父の国で、太陽のように“照りかがやくであろう。”耳のある者は聞け。 |
前田訳 | そのとき義人は彼らの父の国で日のごとく輝こう。耳あるものは聞け。 |
新共同 | そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」 |
NIV | Then the righteous will shine like the sun in the kingdom of their Father. He who has ears, let him hear. |
註解: 彼らは既にキリストに在りて復活し又はキリストに取り上げられて(Tテサ4:17)、栄光の体と化し父の国においてキリストの花嫁として耀くであろう。
5-3-チ 畑に隠れたる宝の譬 13:44
註解: 以上四種の譬は一般の群衆に向って語られ、各々「また他の譬を語りたまふ」なる語をもって始まっている。而して内容は天国の中にいかに悪魔の働きの強烈なるかを示して、パリサイ人らのキリストに叛くことの当然なることを示し、又神の子らのこの世における生活を警戒し、次の三種は弟子たちに語り給えるものであって「天国は」をもって始められており、キリストの贖い及び終りの審判を示す。
13章44節 天國は畑に隱れたる寶のごとし。人見出さば、之を隱しおきて、喜びゆき、有てる物をことごとく賣りて其の畑を買ふなり。[引照]
口語訳 | 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 |
塚本訳 | 天の国は畑に隠されていた宝に似ている。人がそれを見つけると、(またそこに)隠しておいて喜んで立ち去り、持っているものをみな売って、その畑を買うのである。 |
前田訳 | 天国は畑に隠された宝に似る。人がそれを見つけて隠し、よろこんで出かけて全財産を売ってその畑を買う。 |
新共同 | 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 |
NIV | "The kingdom of heaven is like treasure hidden in a field. When a man found it, he hid it again, and then in his joy went and sold all he had and bought that field. |
註解: 前の譬に主の説明せられし如く「畑」は世界であり「人」はキリストである。「宝」は神の愛し給う人の魂である。現世においてはこの宝は世の中に隠れ未だその栄光を顕わさざるにいる、主はこれを見出し、これを「隠しおき」て大切に保存し給い、これを見出し給える喜びにより有てる物をことごとく売り、神の栄位をことごとく棄て、十字架上に己の生命をも棄て(ピリ2:6−8)てこの世界をその主人の悪魔より買取り給うたのである(Tペテ1:18)。ゆえにすべての罪人はキリストによりて贖われ、やがて悪魔は皆この世より逐い出されるであろう。信ぜざる者はこの新たなる不信の罪によりて亡ぼされるのである。尚異解につきては45節付記を見よ。▲この二つの譬諭(44と45-46)は「付記」に掲げてある通説のように解釈する方が、一層適当であると考えるようになった。すなわち天国を得るためには人は自分に属するもののすべてを犠牲にしなければならないこと、そしてぜひともこれを獲得しようとの熱心を有たなければならないことを示したものと解する。この方が素直で自然な解釈だからである。すなわち44節は天国の神秘性とこれを得るための苦心や犠牲の大きさを示し、45、46節は天国の価値の大きさとこれを得るための努力の大きさを示す。
5-3-リ 真珠の譬 13:45 - 13:46
13章45節 また天國は良き眞珠を求むる商人のごとし。[引照]
口語訳 | また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 |
塚本訳 | さらに、天の国は良い真珠をさがしている商人に似ている。 |
前田訳 | また、天国はよい真珠を探す商人に似る。 |
新共同 | また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。 |
NIV | "Again, the kingdom of heaven is like a merchant looking for fine pearls. |
13章46節 價たかき眞珠一つを見出さば、往きて有てる物をことごとく賣りて、之を買ふなり。[引照]
口語訳 | 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。 |
塚本訳 | 高価な真珠を一つ見つけると、持っているものをことごとく売って、それを買うのである。 |
前田訳 | 高価な真珠ひとつを見つけ、出かけて全財産を売ってそれを買った。 |
新共同 | 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 |
NIV | When he found one of great value, he went away and sold everything he had and bought it. |
註解: 前節が全人類に対するキリストの教えを示すものとすれば、本節は個々の霊魂の救いを示すものであろう。キリストは一匹の迷える羊のためにその全力全愛を注ぎ給う、パウロはキリスト「我がために」(我らのためではなく)十字架につき給うたことを言い表わしている(ガラ2:20)。我ら各もまたこの経験を持つものである。実に各人の霊は神の目に真珠のごとくに貴い(Tペテ3:4)キリストは己を十字架に釘けて一人の人の霊魂を買取り給うたのである。「汝らは値をもって買われたる者なり」(Tコリ6:20)。▲▲この二つの譬諭は「付記」に掲げてある通説のように解釈する方が、一層適当であると考えるようになった。すなわち天国を得るためには人は自分に属するもののすべてを犠牲にしなければならないこと、そしてぜひともこれを獲得しようとの熱心を有たなければならないことを示したものと解する。この方が素直で自然な解釈だからである。すなわち44節は天国の神秘性とこれを得るための苦心や犠牲の大きさを示し、45、46節は天国の価値の大きさとこれを得るための努力の大きさを示す。
附記 [以上の二つの比喩の解釈について]通説は「宝」及び「真珠」をキリストの福音又はキリスト、又は天国と解し、人はこれを見出した時にはそのすべての所有を売ってこれを求めることと解し、44節と45節との差は前者を偶然の発見、後者を求めて為せる発見と解する。この解釈は多くの長所があり、求道者の熱心を激励するに足る解釈である。唯聖書全体の傾向に照らして左の困難あるを免れない。(1)「畑」「人」等の譬を前四種の比喩の場合と全く異なり、これを「信者」を意味すと解せざるべからざること、これこの解釈の一つの弱点である。(2)福音もキリストも神の国も隠れていない、公に宣伝えられている。(3)福音を見出してこれを「隠し置く」べきではない。世の光としてこれを耀かさなければならない。(4)我らに何ら売るべき価値あるものはない全く無価値である、我らの財貨はこれを売らずにすべてこれを神に捧げる。ゆえに売るというは当らない、(5)福音はこれを買わない、値なしにこれを受ける(マタ10:8)。キリストは神の賜であり恩恵である(ヨハ3:16。ロマ8:32)。以上のごとき理由によりて、この解釈を取るには相当の困難がある。唯キリストのためにこの世のすべての名誉も財貨もこれを塵芥のごとくに思いて、キリストを逐い求むべきことは勿論であってこのことを否定する意味ではない。尚畑の宝をイスラエル殊にその失われし種族、真珠を教会と解する説(G2)、畑を教会、宝をその中の真の信仰、真珠をキリストにある真理等と解する説(A1)その他種々あり。▲本付記に関しては前頁脚註参照(44、46節註)。難点(1)は根本的障害ではなく(2)(3)は福音の神秘性を示すと解すべき、(4)(5)はイエスに従うものは己を棄て己が十字架を負うのであるから、大きい犠牲であることの意味と解することにより、自然と理解される。
5-3-ヌ 網引の譬 13:47 - 13:50
13章47節 また天國は、海におろして各樣のものを集むる網のごとし。[引照]
口語訳 | また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。 |
塚本訳 | さらに、天の国は地曳網を海におろしてあらゆる種類(の魚)を取るのに似ている。 |
前田訳 | また、天国は海に投げてあらゆる種類の魚をとる網に似る。 |
新共同 | また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。 |
NIV | "Once again, the kingdom of heaven is like a net that was let down into the lake and caught all kinds of fish. |
13章48節 充つれば岸にひきあげ、坐して良きものを器に入れ、惡しきものを棄つるなり。[引照]
口語訳 | それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。 |
塚本訳 | 網が一ぱいになると岸に引き上げ、坐って、良いのは集めて入れ物にいれ、わるいのは投げすてるのである。 |
前田訳 | 網が満ちると岸に引きあげ、人々はすわってよいのは器に入れ、悪いのは外に投げる。 |
新共同 | 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。 |
NIV | When it was full, the fishermen pulled it up on the shore. Then they sat down and collected the good fish in baskets, but threw the bad away. |
13章49節 世の終にも斯くあるべし。御使たち出でて、義人の中より惡人を分ちて、[引照]
口語訳 | 世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、 |
塚本訳 | 世の終りもそれと同じであろう。すなわち天使たちがあらわれ、義人の中から悪人どもを引き出して、 |
前田訳 | 世の終わりにもそのようになろう。み使いがきて義人の中から悪人を分け、 |
新共同 | 世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、 |
NIV | This is how it will be at the end of the age. The angels will come and separate the wicked from the righteous |
13章50節 之を火の爐に投げ入るべし。其處にて哀哭・切齒することあらん。[引照]
口語訳 | そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 |
塚本訳 | 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう。 |
前田訳 | 彼らを燃える炉に投げ入れる。そこではなげきと歯ぎしりがあろう。 |
新共同 | 燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 |
NIV | and throw them into the fiery furnace, where there will be weeping and gnashing of teeth. |
註解: 13:24−30の譬は悪魔の働きを示し、ここではキリストの審判を示す、同一事の重複ではない。キリスト必ずこの審判を行い給う。今日の人々は神の審判につきて厳粛に考えない、これ神をもって甘い父親のごときものに解しているのである。彼らは世の終りにおいて必ず哀哭切歯するに至るであろう。▲▲現世で正確に義人と悪人とを区別し、信者と不信者とを区別しようとする試みは失敗する。「教会以外に救いなし」という主張はカトリック教会の意味とすれば誤っている。
5-3-ル 新旧の宝庫の譬 13:51 - 13:52
13章51節 汝等これらの事をみな悟りしか』彼等いふ『然り』[引照]
口語訳 | あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。 |
塚本訳 | あなた達はこれが皆わかったか。」「はい」と弟子たちがこたえる。 |
前田訳 | あなた方はこれらがわかったか」。彼らは「はい」と答える。 |
新共同 | 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。 |
NIV | "Have you understood all these things?" Jesus asked. "Yes," they replied. |
13章52節 また言ひ給ふ『この故に、天國のことを教へられたる凡ての學者は、新しき物と舊き物とをその倉より出す家主のごとし』[引照]
口語訳 | そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「(これがわかれば、すべてがわかるのである。)だから天の国のことに通じた学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものとを(心のままに)取り出す家の主人に似ている。(古い教えと新しい教えとを自由に使いこなすことが出来る。)」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「それゆえ天国に学ぶ学者はだれでも、自分の倉から新しいものと古いものとを取り出せる家主に似る」と。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」 |
NIV | He said to them, "Therefore every teacher of the law who has been instructed about the kingdom of heaven is like the owner of a house who brings out of his storeroom new treasures as well as old." |
註解: イエスはここに弟子をもって「天国のことを教えられたる学者」と呼び、イエスに反対する学者パリサイ人等に対立せしめた。何となれば後者は天国のことを教えられていないからである(マタ13:11)。而して前者はその心の中に旧き真理、すなわち旧約聖書に記されしものを蔵すると同時に、イエスによりて啓示されし新しき真理、すなわち今日我らに新約聖書として与えられし真理をその倉に貯蔵し時に応じてこれを出す家主にも比すべきものである。旧のみに固執せる固陋者にあらず、新のみを持つ浮薄者でもない。
5-3-ヲ イエス故郷にて受納れられ給わず 13:53 - 13:58(マコ6:1-6)
13章53節 イエスこれらの譬を終へて此處を去りたまふ。[引照]
口語訳 | イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。 |
塚本訳 | イエスはこれらの譬を終えると、そこを去り、 |
前田訳 | イエスはこれらの譬えを話し終えられてそこを去られた。 |
新共同 | イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去り、 |
NIV | When Jesus had finished these parables, he moved on from there. |
13章54節 己が郷にいたり、會堂にて教へ給へば、人々おどろきて言ふ『この人はこの智慧と此等の能力とを何處より得しぞ。[引照]
口語訳 | そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。 |
塚本訳 | 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。 |
前田訳 | そして郷に来て会堂で人々を教えられた。彼らはおどろいていった、「この人はこの知恵と力をどこから得たのか。 |
新共同 | 故郷にお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。 |
NIV | Coming to his hometown, he began teaching the people in their synagogue, and they were amazed. "Where did this man get this wisdom and these miraculous powers?" they asked. |
註解: 人間としてのイエスのみに心を奪われて、このイエスの神の子に在し給うことを信じない者は、この智恵と力との出所を解することができない。ゆえに遂にはイエスの奇蹟もその復活も否定するに至るのである。かかる者の間にイエスは留まり給わない。
13章55節 これ木匠の子にあらずや、其の母はマリヤ、其の兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダにあらずや。[引照]
口語訳 | この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。 |
塚本訳 | これはあの大工の息子ではないか。母はマリヤで、兄弟はヤコブとヨセフとシモンとユダではないか。 |
前田訳 | この人は建築家の子ではないか、母はマリヤで兄弟はヤコブやヨセフやシモンやユダではないか。 |
新共同 | この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。 |
NIV | "Isn't this the carpenter's son? Isn't his mother's name Mary, and aren't his brothers James, Joseph, Simon and Judas? |
13章56節 又その姉妹も皆われらと共にをるに非ずや。然るに此等のすべての事は何處より得しぞ』[引照]
口語訳 | またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。 |
塚本訳 | 女兄弟たちは、みんなわたし達の所に住んでいるではないか。するとこの人は、こんなことを皆どこから覚えてきたのだろう。」 |
前田訳 | 姉妹は皆われらのところにいるではないか。これらのことすべてをどこから得たのだろう」と。 |
新共同 | 姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」 |
NIV | Aren't all his sisters with us? Where then did this man get all these things?" |
13章57節 遂に人々かれに躓けり。[引照]
口語訳 | こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。 |
塚本訳 | こうして人々はイエスにつまずいた。しかしイエスは彼らに言われた、「預言者が尊敬されないのは、その郷里と家族のところだけである。」 |
前田訳 | そして彼につまずいた。イエスはいわれた、「預言者はおのが郷(くに)や家以外でははずかしめられない」と。 |
新共同 | このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、 |
NIV | And they took offense at him. But Jesus said to them, "Only in his hometown and in his own house is a prophet without honor." |
註解: イエスを神の子と言い表わし得るに至るのは血肉の働きではなく、父なる神及び聖霊の御働きである(マタ16:17。Tヨハ4:2)。ナザレ人はこの聖霊の賜を受けなかったゆえにイエスを拒んだのである。我らはイエスに躓くことなく、彼を神の子と信ぜんがために聖霊を賜わらんことを願い求めなければならない。
イエス彼らに言ひたまふ『預言者は、おのが郷おのが家の外にて尊ばれざる事なし』
13章58節 彼らの不信仰によりて其處にては多くの能力ある業を爲し給はざりき。[引照]
口語訳 | そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。 |
塚本訳 | 彼らの不信仰のゆえに、そこではあまり奇蹟を行われなかった。(出来なかったのである。) |
前田訳 | 彼らの不信のゆえにそこでは多くの奇跡をなさらなかった。 |
新共同 | 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。 |
NIV | And he did not do many miracles there because of their lack of faith. |
註解: 目ありても見ず、耳ありても聞えない人々は、イエスの人間としての生涯を見聞した結果、その以上のイエスを見ることも聞くこともできなかった、その結果最も幸福であるはずの(マタ13:16、17)イエスの故郷とその家庭とは最も不幸なものとなった。イエスがその不信仰に対して奇蹟を行い給わなかったのは一つは豚に真珠を投げ与えざらんがためであり、又一つは信仰なき処にイエスはその力を用いることがたとい可能であっても、これを為すことを欲し給わなかったからであろう。▲マコ6:5には「何の能力ある業を行うこと能わず」とあり、心理的に不可能であったことを示す。