マルコ伝第3章
分類
2 ガリラヤにおけるイエスの活動 1:21 - 7:23
2-2 イエスに対する反対の興起 2:1 - 3:12
2-2-ホ 安息日に醫し給う 3:1 - 3:6
(マタ12:9-14) (ルカ6:6-11)
註解: 前章末尾の安息日問題を一層深刻ならしむる事件が起った。
3章1節 また
口語訳 | イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。 |
塚本訳 | ふたたび(ある安息日に)礼拝堂に入られると、そこに片手のなえている人がいた。 |
前田訳 | ふたたび会堂に入られると、手のなえた人がそこにいた。 |
新共同 | イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 |
NIV | Another time he went into the synagogue, and a man with a shriveled hand was there. |
註解: イエスは深き憐憫をもってこれに目を留め給い、イエスの敵はこの不具者には目もくれず、イエスの態度を悪意をもって注目した。
辞解
[会堂] どこの会堂か不明マタ12:9。ルカ6:6には冠詞あるゆえカペナウムの会堂と解し得る可能性あり。
[なえたる] 分詞形ゆえ生まれながらの不具にあらざることを示す。
3章2節
口語訳 | 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。 |
塚本訳 | (パリサイ派の)人々がイエスは安息日にこの人をなおされるかどうかと、ひそかに様子をうかがっていた。訴え出る(口実を見つける)ためであった。 |
前田訳 | 人々は安息日にこの人をいやされるかどうかと見守っていた。それは彼を訴えるためであった。 |
新共同 | 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 |
NIV | Some of them were looking for a reason to accuse Jesus, so they watched him closely to see if he would heal him on the Sabbath. |
註解: これは学者パリサイ人等であった。悪意をもって人の行動を注視することは最も卑 むべき行動である。マタイ伝はマルコ伝とややこの場合の記事内容を異にす。
口語訳 | すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、 |
塚本訳 | イエスは(それと知って)、手のなえた人に「立って真中に出てこい」と言っておいて、 |
前田訳 | 彼は手のなえた人にいわれる、「立って真ん中に来なさい」と。 |
新共同 | イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 |
NIV | Jesus said to the man with the shriveled hand, "Stand up in front of everyone." |
註解: 「中に立て」は原語「立ちて真中に出でよ」との意あり、衆人環視の中に、彼らに真理の戦闘を挑み給うたのであった。
3章4節 また
口語訳 | 人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。 |
塚本訳 | 彼らに言われる、「安息日には、善いことをするのと悪いことをするのと、命を救うのと殺すのと、どちらが正しいか。」彼らは黙っていた。 |
前田訳 | そして人々にいわれる、「安息日に善をなすのと悪をなすのと、いのちを救うのと殺すのと、どちらが正当か」と。彼らは黙っていた。 |
新共同 | そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 |
NIV | Then Jesus asked them, "Which is lawful on the Sabbath: to do good or to do evil, to save life or to kill?" But they remained silent. |
註解: 為すべき善を為さざるは悪を為すことであり、救うべき生命を救わざることは殺すことである。聴者がこの意味を解せりや否やは不明なるも、善と悪との明瞭なる対比でもあり、殊に安息日にても死なんとする者を救うことは許されていたこと故、彼らはこのイエスの問に対して答うる処を知らなかった。
辞解
[孰 かよき] 「孰 か正当か」または「律法上許されるや」等の意。
註解: 「善を為す方がよろし」と言えばイエスの治病は正当となり、「善を為すは宜しからず」と言えば彼らの道徳観が誤っていることとなり、結局彼らの安息日の律法を擁護せんがためには、沈黙より以外に方法は無かった。
3章5節 イエスその
口語訳 | イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。 |
塚本訳 | するとイエスは怒気をふくんで人々を見まわし、彼らの心の頑ななのをふかく悲しんで、その人に言われる、「手をのばせ。」のばすと手が直った。 |
前田訳 | そこでイエスは怒りをもって人々を見まわし、彼らの心の頑(かたくな)なのをなげいて、その人にいわれる、「手をおのばし」と。すると手がなおった。 |
新共同 | そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 |
NIV | He looked around at them in anger and, deeply distressed at their stubborn hearts, said to the man, "Stretch out your hand." He stretched it out, and his hand was completely restored. |
註解: このイエスの感情と態度とに注意すべし、「何たる頑固さであろう」と怒気を含んで彼らを見廻し給うたけれども心の中は彼らに対する同情の憂い悲しみ(▲sullupeomai はまた「心の中に苦悶する」意味にも用いられる。彼らの頑固な心と、病者に対する同情が無いのを怒り悲しみ給うた。)に充たされ給うた。
辞解
[憂ひ] sullupeomai はそれらの人々のために憂い悲しむ意味。
註解: かくしてイエスは安息日の律法を超越して安息日に善を為し給うた。善を行うがためには何をも懼れざるその態度を見よ。
3章6節 パリサイ
口語訳 | パリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちと、なんとかしてイエスを殺そうと相談しはじめた。 |
塚本訳 | パリサイ人たちは出ていって、すぐヘロデ党の者と、イエスを殺す相談をはじめた。 |
前田訳 | パリサイ人は出て行って、ヘロデの一味とともに彼をなきものにする相談をはじめた。 |
新共同 | ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 |
NIV | Then the Pharisees went out and began to plot with the Herodians how they might kill Jesus. |
註解: 出31:14の規定によりイエスを殺さんと相談を始めた。彼らはその宗教上の形式に忠実なるあまり善悪の判断を誤り、律法的形式に忠実なることのみを善事と考うるに至った。宗教が一つの形式に堕落する時、往々にして善悪の判断を誤りまたは判断力が曇らされる。
辞解
[ヘロデ党] ローマの支配に反対してヘロデ王朝を擁護する立場を取る一種の政治的結社である。宗教上政治上パリサイ人とは反対の立場を取ったけれども、その保守的なる点において共通点があり、イエスに反対する場合にのみ彼らは共力した。
要義 [イエスとパリサイ精神]パリサイ人は聖書に偽善者と呼ばれる故、往々にして善を装って悪(道徳的悪事)を為すものと誤解され易いが、実は然らず神の御旨に反しておりながら、自らこれに忠実であると信ずる人々である。すなわち道徳的偽善者にあらず宗教的偽善者である。宗教が一つの制度と化し職業と化する時、神の御旨の本体は忘却せられ、唯その制度の擁護と職業の遂行を神の御旨と考うるに至り、ここに善悪の判断が転倒するに至る。それにもかかわらず彼らは自らを最も美しく最も宗教的なりと信ずるが故に、イエスは激しくその偽善を責め給うた。
3章7節 イエスその
口語訳 | それから、イエスは弟子たちと共に海べに退かれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆がついて行った。またユダヤから、 |
塚本訳 | イエスが弟子たちを連れて湖の方へ立ちのかれると、ガリラヤから来た大勢の人の群がついて行った。またユダヤ、 |
前田訳 | イエスは弟子たちとともに湖へと立ち去られた。ガリラヤ出の大勢の群衆が従って行った。またユダヤ、 |
新共同 | イエスは弟子たちと共に湖の方へ立ち去られた。ガリラヤから来たおびただしい群衆が従った。また、ユダヤ、 |
NIV | Jesus withdrew with his disciples to the lake, and a large crowd from Galilee followed. |
註解: イエスはパリサイ人らの攻撃と群衆の蝟集 とを避けんとて海辺に退き給うた。それでも彼はなお夥多 しき民衆に押迫られざるを得なかった。(▲イエス自身から神の力が溢れ出たからである。)如何に集めんとしても集らない今日の教会と比較すべし。
口語訳 | エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた。 |
塚本訳 | ことにエルサレムから、イドマヤや、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)や、(遠く)ツロ、シドンあたりから(までも)、大勢の人の群が彼の所にあつまって来た。しておられることをみな、聞いたからである。 |
前田訳 | エルサレム、イドマヤ、ヨルダンのかなた、ツロ、シドンあたりからも、大勢の群衆が彼のなさることのすべてを耳にして、おそばに集まって来た。 |
新共同 | エルサレム、イドマヤ、ヨルダン川の向こう側、ティルスやシドンの辺りからもおびただしい群衆が、イエスのしておられることを残らず聞いて、そばに集まって来た。 |
NIV | When they heard all he was doing, many people came to him from Judea, Jerusalem, Idumea, and the regions across the Jordan and around Tyre and Sidon. |
註解: これはパレスチナの東南隅、
ヨルダンの
註解: すなわちペレヤ地方、
およびツロ、シドン
註解: 北方フェニキヤの地中海岸
の
註解: イエスの風評が四方に広まりたる有様を記す。この光景は必ずしも短時日の出来事を記したのではなく、長期に亙れる現象の要約である。マタ4:25参照。
辞解
[夥多 しき民衆] 前節のそれと文字の順序を異にす、本節は「民衆数多」と訳してこれに応ずることを得。
3章9節 イエス
口語訳 | イエスは群衆が自分に押し迫るのを避けるために、小舟を用意しておけと、弟子たちに命じられた。 |
塚本訳 | イエスは自分のために小舟を一艘用意しておくようにと、弟子たちに言いつけられた。群衆に押しつぶされないためであった。 |
前田訳 | そこで弟子たちに自分のため小舟を用意するよういいつけられた。それは群衆に押しつぶされぬためであった。 |
新共同 | そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。群衆に押しつぶされないためである。 |
NIV | Because of the crowd he told his disciples to have a small boat ready for him, to keep the people from crowding him. |
註解: マルコ特有の一節。熱心なる群衆を避くることは愛の主なるイエスに似合しからざるがごときも、常に人間の要求に応うことをすることが必ずしも愛ではない。時にはその反対が真の愛である場合がある。
3章10節 これ
口語訳 | それは、多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきたからである。 |
塚本訳 | 大勢の者をなおされたので、病気になやむ者がみな彼にさわろうとして、どっと押し寄せたのである。 |
前田訳 | いやされた人が多く、わずらうものが皆彼にさわろうと押しよせたからである。 |
新共同 | イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。 |
NIV | For he had healed many, so that those with diseases were pushing forward to touch him. |
註解: イエスが病める者を醫し給えるはその愛の現れであった。しかしイエスの愛はこれに止まらなかった。しかるに病者がイエスに押迫るのは唯その病を醫されんとの私慾からであった。12節の戒めも、前節の回避もみなこのためであった。かかる者の治癒に一生をささぐるはイエスの使命ではないからである。
辞解
[病] mastix 風土的流行病。
[觸 る] イエスが觸るまでもなく彼らがイエスに觸ることにより醫された。
3章11節 また
口語訳 | また、けがれた霊どもはイエスを見るごとに、みまえにひれ伏し、叫んで、「あなたこそ神の子です」と言った。 |
塚本訳 | また汚れた霊どもはイエスを見ると、その前にひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫ぶのであった。 |
前田訳 | けがれた霊どもは、彼を見るとひれ伏して、「あなたは神の子」と叫ぶのであった。 |
新共同 | 汚れた霊どもは、イエスを見るとひれ伏して、「あなたは神の子だ」と叫んだ。 |
NIV | Whenever the evil spirits saw him, they fell down before him and cried out, "You are the Son of God." |
註解: 群衆はイエスに醫されんとして集って来たけれども、彼を神の子と信仰したるものなく、弟子たちも同様であった。唯悪鬼に憑かれし者のみ、これを知ることができた。悪鬼はこの点において人間よりも賢い。
口語訳 | イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。 |
塚本訳 | イエスは自分のことを世間に知らせるなと、きびしく戒められた。 |
前田訳 | イエスはご自身を公にせぬようにと、彼らをきびしくいましめられた。 |
新共同 | イエスは、自分のことを言いふらさないようにと霊どもを厳しく戒められた。 |
NIV | But he gave them strict orders not to tell who he was. |
註解: イエスは神の命のままに動き給うが故に人に顕されることを必要とせずまたこれを好み給わなかった。伝道者は人に顕われんことを望んではならない。
要義1 [群集とイエスの治癒]孰 れの時代でも人はその病を醫されんことを最大の願いとして持っている。それ故に治病を標榜して人を引寄せる宗教は、常に門前市をなすに至るものである。イエスは反対に治病を標榜せずできるだけ隠微の中に愛の治病を行わんとした。それにもかかわらずイエスの門前市を為すに至った。これ人間がその病を忌む感情が古今同一だからである。しかしながらイエスの宗教と病気治癒を表看板とせる宗教との差別はイエスがこれをできるだけ隠されんことを望んだことによりてもこれを知ることができる。イエスの生涯は人を喜ばせんとすることではなく、神を喜ばせんとすることにあったからである。
要義2 [人はイエスの中に何を見るべきか]群衆はイエスの中に治病力を見出してこれを利用せんとした。狂人はイエスの中に神の子を見出して畏れおののいた、我らは彼の中に恩恵に充てる救い主としての神の子を見出さなければならぬ。イエスのごとき偉大なる存在は見る人の見方と見られるイエスの特質の方面とによりて種々の差異を生ず、従って正しくイエスを見、イエスが我らに与えられし使命においてイエスを見得るものは幸いなり、然らざる方面にイエスを利用せんとする者はイエスを無にするものである。
3章13節 イエス
口語訳 | さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。 |
塚本訳 | それから(近くの)山に上り、自分でこれぞと思う人たちを呼びよせられると、あつまって来た。 |
前田訳 | それから山に上って、お望みの人々を呼ばれると、彼らはおそばに来た。 |
新共同 | イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。 |
NIV | Jesus went up on a mountainside and called to him those he wanted, and they came to him. |
註解: イエスはここに十二弟子を選び給う。充分にこれを訓練して責任をもってイエスの神の国宣伝を助くる者たらしむることを要し給うたからである。
辞解
[山] 冠詞ありガリラヤ湖に臨む山。
[来る] 凡てをすてて来れることの意あり(B1)。
口語訳 | そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、 |
塚本訳 | そこで十二人(の弟子)をお決めになった。そばに置くため、またこれを派遣して、教えを説かせたり、 |
前田訳 | そこで十二人をお決めになった。彼の近くに置くため、またつかわして福音をのべ、 |
新共同 | そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、 |
NIV | He appointed twelve--designating them apostles --that they might be with him and that he might send them out to preach |
註解: 十二はイスラエル民族の特愛の数、黙示録註解の緒言参照。殊に十二の支族に因みたるものである(マタ19:28。ルカ22:30)。
註解: この二ヶ條はマルコ特有である。訓育のためおよびイエスに事 えしむるためにイエスと共にいることが使徒の任務の第一であり、また教えを宣べ、悪鬼を逐い出すために遣されれることはその任務の第二である。この間に矛盾(L2)はない。
3章15節
口語訳 | また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 |
塚本訳 | 全権をさずけて悪鬼を追い出させたりするためであった。 |
前田訳 | 悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。 |
新共同 | 悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。 |
NIV | and to have authority to drive out demons. |
註解: (▲14節後半および15節の口語訳は原文の構造を破壊している。文語訳の方が正しい。すなわち原文では十二使徒選任の目的は、一は「御側に置くため」、二には「彼らを派遣するため」であり、そして「宣教」と「権威を有つこと」は派遣の目的内容を為す。)イエスよりこの権を受けてイエスに代りてこれを用うることが使徒の任務であった。
3章16節
口語訳 | こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、 |
塚本訳 | すなわち十二人を決めて、シモンにペテロという名をつけ、 |
前田訳 | すなわち十二人を決めて、シモンをペテロと名づけ、 |
新共同 | こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。 |
NIV | These are the twelve he appointed: Simon (to whom he gave the name Peter); |
註解: ペテロは「岩」でイエスの教会の礎石をなす人物。マタ16:18はこれより後、ヨハ1:42はこれより前にこの名を付けられている。おそらく時期としてはヨハネ伝が精確ならん。
3章17節 ゼベダイの
口語訳 | またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。 |
塚本訳 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟のヨハネと──この二人にはボアネルゲ、すなわち「雷の子」という名をつけられた。── |
前田訳 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネとはボアネルゲ、すなわち雷の子らと名づけられた。 |
新共同 | ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。 |
NIV | James son of Zebedee and his brother John (to them he gave the name Boanerges, which means Sons of Thunder); |
註解: 何故にかかる名を与え給いしや不明であるがおそらく彼らの激しい性急なる性質(マコ9:38。マコ10:35−37。ルカ9:54)より来れるものならん。なおボアネルゲの原語の綴り方、起源等不確実にして性格に知り難い、普通ベネー・レゲシ(「雷の子」ベをボアと発音することにより)の写音と見られている。
口語訳 | つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 |
塚本訳 | アンデレとピリポとバルトロマイとマタイとトマスとアルパヨの子ヤコブとタダイと熱心党のシモンと |
前田訳 | さらにアンデレとピリポとバルトロマイとマタイとトマスとアルパヨの子ヤコブとタダイと熱心党のシモンと |
新共同 | アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、 |
NIV | Andrew, Philip, Bartholomew, Matthew, Thomas, James son of Alphaeus, Thaddaeus, Simon the Zealot |
註解: トロマイの子を意味す。
マタイ、
註解: レビの別名、マコ2:14参照。
トマス、アルパヨの
註解: またの名はレバイ、
註解: 熱心党は反ローマ政府を主義とする過激主義。
3章19節
口語訳 | それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、 |
塚本訳 | イスカリオテのユダ。この人は(あとで)イエスを売った。 |
前田訳 | イスカリオテのユダ。これはイエスを売った人である。 |
新共同 | それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。 |
NIV | and Judas Iscariot, who betrayed him. |
註解: 十二使徒選任の記事は三福音書および使徒行伝にあり、十二人の地位、分類、順序、能力、性質等につきてはマタ10:2−4註参照。
3章20節
口語訳 | 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。 |
塚本訳 | 家にかえられると、また群衆が集まってきて、みんなは食事すら出来なかった。 |
前田訳 | 家に帰られると、また群衆が集まったので、彼らは食事さえできなかった。 |
新共同 | イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。 |
NIV | Then Jesus entered a house, and again a crowd gathered, so that he and his disciples were not even able to eat. |
註解: 20、21節はマルコ伝特有なり、陰に陽に多くの反対が醸成しつつあったにもかかわらず、イエスの霊力とその名声とは多くの人を引付け、彼のいる処、何処にも群衆が殺到し、彼らはその雑閙 のため食事もできないほどであった。かくして彼のいる処は異常なる光景を呈した。
辞解
[食事をする暇もなかりき] 直訳「パンを食うことすら能わざりき」。
3章21節 その
口語訳 | 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。 |
塚本訳 | 身内の者たちが(イエスの様子を)聞いて(ナザレからカペナウムへ)取りおさえに出てきた。「気が狂っている」と思ったのである。 |
前田訳 | 身うちのものがこれを聞いて、彼を押えに来た。人々がイエスは気がふれたといったからである。 |
新共同 | 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。 |
NIV | When his family heard about this, they went to take charge of him, for they said, "He is out of his mind." |
註解: 31節のイエスの母と兄弟がこの親族の者と同一であろう。すなわちイエスの家族は、家を離れ行きしイエスがカペナウムの附近において非常なる人気を博しいるを聞き、これを狂気の沙汰と考え彼を迎えんとしてカペナウムに赴いた。全く神に支配せられし者の心は常人には狂人のごとくに見える。
辞解
[親族の者] 原語「彼の近親の者」で種々の意味に解せらる、「親族」と見るのが最も適当ならん。
[狂へり] イエスを狂人とすることを不適当と思う人は、そのためこの原語 exestê を「疲れ果てたり」「逃亡せり」等その他種々に解せんとしているけれどもその必要はない。マルコ伝が最も事実の修飾なき点に注意すべし。
3章22節
口語訳 | また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。 |
塚本訳 | またエルサレムから下ってきた聖書学者たちは、「あれはベルゼブル[悪魔]につかれている」とか、「悪鬼どもの頭[悪魔]を使って悪鬼を追い出している」とか言った。 |
前田訳 | エルサレムから下って来た学者も「イエスはベルゼブルにつかれている」とか、「悪霊の頭によって悪霊を追い出す」とかいった。 |
新共同 | エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。 |
NIV | And the teachers of the law who came down from Jerusalem said, "He is possessed by Beelzebub ! By the prince of demons he is driving out demons." |
註解: 学者や宗教家は他人の悪口を創造することにおいて達人である。殊に彼らは嫉妬心強くイエスの名声の隆々たるを見てこれを悪 み、イエスを悪鬼に憑かれし者と言った。すなわち狂人よりも一層悪質の精神状態にある者をいう。かくして群衆をイエスより離さんとした。
辞解
[学者] マタ12:24にはこれを「パリサイ人」と録している。
[ベルゼブル] ヘブル語のベエル(すなわちバアル)ゼブール(家の主人)より転化せる語で悪鬼の名称として用いられた。
かつ『
註解: イエスが多くの悪鬼に憑かれし者より悪鬼を逐い出し給うたのは彼自身にも一層強力な悪鬼の首が憑いているためであると言う。かく言いてイエスの治癒力を悪性の力として非難しているのである。すなわちイエスが父なる神にのみ導かれ聖霊に充されて為し給う凡てのことを悪鬼の業と呼んだのあった。
3章23節 イエス
口語訳 | そこでイエスは彼らを呼び寄せ、譬をもって言われた、「どうして、サタンがサタンを追い出すことができようか。 |
塚本訳 | イエスは彼らを呼びよせ、譬をもって話された、「悪魔にどうして悪魔が追い出せるか。 |
前田訳 | そこで彼らを呼んで、譬えで話された、「どうして悪魔が悪魔を追い出せよう。 |
新共同 | そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 |
NIV | So Jesus called them and spoke to them in parables: "How can Satan drive out Satan? |
註解: 一つのサタンは他のサタンと同一の性質傾向を有する以上、彼らは協力することができても、一つが他を逐い出すことはできない(心理的または道徳的に不能である)。
3章24節 もし
口語訳 | もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。 |
塚本訳 | もし国が内輪で割れれば、その国は立ってゆけない。 |
前田訳 | 王国が内輪で割れれば、その王国は立ちゆかない。 |
新共同 | 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 |
NIV | If a kingdom is divided against itself, that kingdom cannot stand. |
3章25節 もし
口語訳 | また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。 |
塚本訳 | また、もし家が内輪で割れれば、その家は立ってゆけない。 |
前田訳 | 家が内輪で割れれば、その家は立ちゆかない。 |
新共同 | 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 |
NIV | If a house is divided against itself, that house cannot stand. |
註解: 一国一家内の分争を仮定し、かかる国や家が立つ能わざることを示しこれより次の節の結論を誘導する。イエスの推論は常に巧妙にして力強い。
3章26節
口語訳 | もしサタンが内部で対立し分争するなら、彼は立ち行けず、滅んでしまう。 |
塚本訳 | (同じように)悪魔(の国)が内輪もめで割れれば、立ってゆけず、ほろびてしまう。(だからわたしが悪鬼どもの頭を使うわけはないではないか。) |
前田訳 | 悪魔が内輪もめして割れれば、それは立ちゆかずに滅びる。 |
新共同 | 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。 |
NIV | And if Satan opposes himself and is divided, he cannot stand; his end has come. |
註解: ここではサタン全体を一つの統一的存在と見、その中に多くの仲間があるごとき心持である。すなわち仲間の分争は「己に逆う」こととなる。而してかかる状態に立到れば最早サタンとしての統一的存在は亡びてしまう。それ故に「悪鬼の首をもって悪鬼を逐い出す」というごときことは有り得ないことである。
3章27節
口語訳 | だれでも、まず強い人を縛りあげなければ、その人の家に押し入って家財を奪い取ることはできない。縛ってからはじめて、その家を略奪することができる。 |
塚本訳 | まず強い者を縛りあげずに、だれも強い者の家に入って家財道具を掠め取ることは出来ない。縛ったあとで、その家を掠めるのである。(だから悪鬼が追い出されるのは、悪魔がすでに縛られた証拠だ。) |
前田訳 | 強いものの家に入ってその持ちものを奪うには、まず強いものを縛らねばならない。縛ってからその家をかすめる。 |
新共同 | また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。 |
NIV | In fact, no one can enter a strong man's house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man. Then he can rob his house. |
註解: この譬は間接に「それ故にイエスが悪鬼を逐い出したことは悪鬼の首なるサタンまたはベルゼブルよりも強くしてこれに打勝ち給える証拠である」との意味となる。イエスはこれを自己に適用しこれによって22節後半の非難を打砕き給うた。
3章28節
口語訳 | よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。 |
塚本訳 | アーメン、わたしは言う、人の子らの(犯す)罪も、また、いかなる冒涜の言葉でも、すべて赦していただける。」 |
前田訳 | 本当にいう、人の子らのいろいろな罪も、どんなけがしごとをいっても、皆ゆるされよう。 |
新共同 | はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。 |
NIV | I tell you the truth, all the sins and blasphemies of men will be forgiven them. |
3章29節
口語訳 | しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。 |
塚本訳 | しかし聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠の罪に処せられる。」 |
前田訳 | しかし聖霊をけがすものは永遠にゆるされず、永遠の罪に処せられる」と。 |
新共同 | しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」 |
NIV | But whoever blasphemes against the Holy Spirit will never be forgiven; he is guilty of an eternal sin." |
註解: 「誠に」は原語「アーメン」である。かく言いてイエスは重大なる宣言を発し給うた。すなわち人の子らがその肉の弱きより犯せる凡ての罪、または人に対してなせる凡ての非難(涜しの言)とは赦されるけれども、イエスが聖霊によりて行い給えることを非難することは、サタンの働き以外の何ものでもなく、永遠に赦されざる永遠の罪である。イエスは、その神に導かれ給いし純真なる御心より流れ出づる御業に対してサタン呼ばわりを為す者に対して満腔の憤怒を吐露し給うた。マタ12:32には「人の子に逆う罪」を「聖霊に逆う罪」と対比している。人間イエスに反対する者は赦されるけれども聖霊に逆う者は赦されない。
3章30節 これは
口語訳 | そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。 |
塚本訳 | こう言われたのは、彼らが(聖霊によるイエスの業を罵って)、「あれは汚れた霊につかれている」と言ったからである。 |
前田訳 | これは「イエスがけがれた霊につかれている」と彼らがいったからである。 |
新共同 | イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。 |
NIV | He said this because they were saying, "He has an evil spirit." |
註解: すなわちイエスの中にある聖霊を穢れし霊と呼んだこととなる。これ直接に神を冒涜したのである。キリスト者の正しい信仰を非難する者はこれと同じく永遠の刑罰をその身に受ける。
要義1 [聖霊を涜すこと]最も聖なるものに対してこれを聖と感ぜざるに至ることほど恐るべきことはない。聖なるものを聖と感ぜざるに至れば罪を罪と感ずることができない。罪を罪と感ぜずしてはもはやキリストの救いに与ることはできない。ゆえに聖霊を涜す罪は永遠に赦されることがない。
要義2 [狂人と思われしイエス]ヨハネのバプテスマを受けんがために漂然として家出せられしイエスは、その後家に帰らずに四十日間荒野にさまよい、その後直ちにガリラヤに行きて福音を伝え給い、上よりの力に満ちて寝食を忘れて人の病を醫し給うた。近親の者よりこれを見たならば、これまで三十年間のこの生涯とはあまりに大なる変化であったので、気が狂ったものと思うのも無理もなかった。彼らはイエスの神の子たることを知らなかったからである。神の霊に動かされる時人は別人のごとくになる。
3章31節
口語訳 | さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 |
塚本訳 | そこにイエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていてイエスを呼ばせた。 |
前田訳 | 彼の母と兄弟たちが来て、外に立ったまま人をやって彼を呼ばせた。 |
新共同 | イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 |
NIV | Then Jesus' mother and brothers arrived. Standing outside, they sent someone in to call him. |
註解: 外に立ったのは群衆のために入ることができなかったからである(マコ3:20、マタ12:46)。
3章32節
口語訳 | ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。 |
塚本訳 | 大勢の人がイエスのまわりに坐っていたが、彼に言う、「それ、母上と兄弟姉妹方が、外であなたをたずねておられます。」 |
前田訳 | 彼のまわりに群衆がすわっていて彼にいう、「あのように、あなたの母と兄弟姉妹が外であなたをたずねています」と。 |
新共同 | 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 |
NIV | A crowd was sitting around him, and they told him, "Your mother and brothers are outside looking for you." |
註解: 異本には「汝の姉妹」を欠く、31節と一致せしめんがためならん。事実として何れが実際であったかは知る由もない。
3章33節 イエス
口語訳 | すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。 |
塚本訳 | イエスは「わたしの母、兄弟とはだれのことだ」と答えて、 |
前田訳 | イエスは答えられた、「だれがわが母と兄弟たちか」と。 |
新共同 | イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 |
NIV | "Who are my mother and my brothers?" he asked. |
註解: 天なる父の御心に充され給いしイエスにとって、彼は今戦場において激戦中の大将軍のごとく、その家族を顧るべきではなかった。
3章34節
口語訳 | そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
塚本訳 | 自分のまわりを取りまいて坐っている人々を見まわしながら、言われる、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。 |
前田訳 | そしてまわりにすわる人々を見まわしていわれる、「ここにわが母、わが兄弟たちがいる。 |
新共同 | 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 |
NIV | Then he looked at those seated in a circle around him and said, "Here are my mother and my brothers! |
註解: この時のイエスの力ある風貌を目のあたり見るごとくである。
『
3章35節
口語訳 | 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。 |
塚本訳 | 神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である。」 |
前田訳 | 神のみ心を行なうものこそわが兄弟、姉妹、また母である」と。 |
新共同 | 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」 |
NIV | Whoever does God's will is my brother and sister and mother." |
註解: イエスはその周囲に集っている群衆の老幼男女に対し、限り無き愛の目を向け、これを母と呼び兄弟姉妹と呼び給うた。イエスにとりて最大の関心事は神の御意を行うことであった。かかる者こそ天国の家族であって、母以上の母、兄弟以上の兄弟である。かくして肉の家族よりもさらに高度の家族は神の家族、霊の家族であることを示し給う。
要義1 [イエスの肉親とその不信]イエスの兄弟たちは、後にイエスの復活を見てよりイエスを信ずるに至ったらしく、殊にその中でもヤコブはエルサレムの信徒の柱石ともなったけれども、この当時は勿論イエスを普通の兄弟以外の何者とも思わなかったので、彼を信ぜず(ヨハ7:5)これに対し狂人扱いをした。これかえって自然の事実に相違なく、イエスを神の子と信ずることは決して容易のことではない。マリヤのごときは種々の神託をうけつつもなおこれを確信するに至らなかった。この事実は、肉体にて来り給えるイエスを神の子キリストと信ずることの如何に難いかの証拠である。
要義2 [神の国における家族と地上の家族]地上の家族は天上の家族の雛型である。ゆえに神の国の家族関係が完全に成立する場合、地上の家族関係そのものも化してこの真の潔き家族関係の中に融け込んでしまう。しかも地上における親子、夫婦、兄弟の関係の認識は消滅することなく、これが凡て完全なる形において成就せられているのを見るに至るであろう。
マルコ伝第4章
2-4 イエス譬話を用い給う 4:1 - 4:34
2-4-イ 種蒔の譬 4:1 - 4:9
(マタ13:1-9) (ルカ8:4-8)
註解: 1−3節は全章の序言のごときもの、
口語訳 | イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。 |
塚本訳 | イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が集まってきたので、舟に乗り、湖の上で坐(って教え)られた。群衆は皆陸にいて湖の方を向いていた。 |
前田訳 | 彼はふたたび湖畔で教えはじめられた。大勢の群衆が彼のところに集まって来たので、舟に乗って湖の上ですわられた。群衆はみな湖畔の陸にいた。 |
新共同 | イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。 |
NIV | Again Jesus began to teach by the lake. The crowd that gathered around him was so large that he got into a boat and sat in it out on the lake, while all the people were along the shore at the water's edge. |
註解: マコ2:13参照。家は狭くして群衆を容れるに足らなかった。
註解: (▲塚本訳「陸にいて海の方を向いていた」が適訳。)海辺もなおこの大群衆を教うるに適せず、イエスは舟の上より彼らを教え給う。会堂も(マコ1:21)家も(マコ2:2)イエスの教場たるに足らず、山に(マコ3:13)海辺に(マコ3:7)その声をあげ給う。
辞解
[夥多 しき] 原語「一層夥多 しき」で群衆が益々増加し来ることを示す。
[舟] マコ3:9
[坐す] 教える時の姿勢。
4章2節
口語訳 | イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、 |
塚本訳 | 譬をもって多くのことを教えられたが、その教えの中でこう話された、 |
前田訳 | 彼は多くのことを譬えで教えられ、教えのなかでこういわれた、 |
新共同 | イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。 |
NIV | He taught them many things by parables, and in his teaching said: |
註解: 譬を用い給う理由は11−12節。
4章3節 『
口語訳 | 「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。 |
塚本訳 | 「聞け、種まく人が種まきに出かけた。 |
前田訳 | 「聞け。種まきが種をまきに出かけた。 |
新共同 | 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 |
NIV | "Listen! A farmer went out to sow his seed. |
4章4節
口語訳 | まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 |
塚本訳 | まく時に、あるものは道ばたに落ちた。鳥が来て食ってしまった。 |
前田訳 | まくうちに、あるものは道ばたに落ち、鳥が来て食べた。 |
新共同 | 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 |
NIV | As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up. |
註解: 意味の説明は13節以下に主自らこれを為し給う。
辞解
「聴け」の次に「視よ」なる語あり。
4章5節
口語訳 | ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 |
塚本訳 | またあるものは土の多くない岩地に落ちた。土が深くないため、すぐ芽を出したが、 |
前田訳 | あるものは土の多くない岩地に落ち、土が深くないのですぐ芽を出したが、 |
新共同 | ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 |
NIV | Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow. |
口語訳 | 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
塚本訳 | 日が出ると焼けて、(しっかりした)根がないので枯れてしまった。 |
前田訳 | 日がのぼると焼けて、根がないので枯れた。 |
新共同 | しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 |
NIV | But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root. |
註解: 「磽地 」 petrôdes はガリラヤ地方に多く見受くる、岩盤の上を薄き土墝 が掩 っているもの。
4章7節
口語訳 | ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。 |
塚本訳 | またあるものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が伸びてきて押えつけたので、みのらなかった。 |
前田訳 | あるものは茨の間に落ち、茨がのびて押えつけたので実らなかった。 |
新共同 | ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。 |
NIV | Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants, so that they did not bear grain. |
4章8節
口語訳 | ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。 |
塚本訳 | またあるものは良い地に落ちた。伸びて育ってみのって、三十倍、六十倍、百倍の実がなった。」 |
前田訳 | あるものはよい地に落ち、のびて育って実り、あるいは三十倍、あるいは六十倍、あるいは百倍の実がなった」と。 |
新共同 | また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 |
NIV | Still other seed fell on good soil. It came up, grew and produced a crop, multiplying thirty, sixty, or even a hundred times." |
註解: 種は同一であってもその落つる土地の如何によりてその結果を異にす、この譬の事実は聴いている人々が熟知している事柄で何人も反対し得ない。ただしその中の幾人がこの真の意味を悟ったことであろう。
口語訳 | そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。 |
塚本訳 | そして「耳の聞える者は聞け」と言われた。 |
前田訳 | そしていわれた、「聞く耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 |
NIV | Then Jesus said, "He who has ears to hear, let him hear." |
註解: イエスはその教訓を聴者が覚るや否やをば全く聴者の心に一任し給うた。神は人の心を機械のごとくに取扱い給わない。
口語訳 | イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。 |
塚本訳 | ひとりでおられた時、弟子たちが十二人とともにこれらの譬(の意味)を尋ねると、 |
前田訳 | ひとりでおいでのとき、十二人とともに彼のまわりにいた人が譬えについておたずねした。 |
新共同 | イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。 |
NIV | When he was alone, the Twelve and the others around him asked him about the parables. |
註解: 35、36節によればイエスは続いて舟の中に居給いしごとくに見ゆる故、この人々を離れ居給うたのは(すなわち10−20節の出来事は)後日の出来事であろう。
註解: 「御許にをる者ども」は十二弟子以外の弟子、「問ふ」はマタ13:10によれば譬にて話す理由を問うこととなり、ルカ8:9によれば譬の意味を問うこととなる。マルコは双方を意味したのであろう。なお「此等の」とあるを見てもこの質問は他の譬を語られし後と思われる。
4章11節 イエス
口語訳 | そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。 |
塚本訳 | 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密が授けられている(のでありのままに話す)が、あの外の人たちには、すべてが譬をもって示される。 |
前田訳 | するといわれた、「あなた方には神の国の奥義が与えられている。しかし、あれら外の人々にはすべてが譬えで示される。 |
新共同 | そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。 |
NIV | He told them, "The secret of the kingdom of God has been given to you. But to those on the outside everything is said in parables |
註解: 弟子たちとその以外の者(外の者)とはイエスの言葉が全く反対の結果を来す。信ずる者には救いとなり信ぜざる者には審判となる。
辞解
[奥義を与ふ] マタイ伝、ルカ伝と同じく奥義を知る能力をも与うること。
[外の者] イエスの周囲の者以外、書簡においてはキリスト者以外の者を指す(Tコリ5:12以下。コロ4:5。Tテサ4:12。Tテモ3:7)。
4章12節 これ「
口語訳 | それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。 |
塚本訳 | これは(聖書にあるように)“彼らが見ても見てもわからず、聞いても聞いても悟らないようにする”ためである。“そうでないと、心を入れかえて(わたし[神]に帰り、罪を)赦されるかも知れない。”」 |
前田訳 | 彼らが見に見ても見えず、聞きに聞いても悟らぬためである。さもないと、彼らは心を入れかえてゆるされよう」と。 |
新共同 | それは、/『彼らが見るには見るが、認めず、/聞くには聞くが、理解できず、/こうして、立ち帰って赦されることがない』/ようになるためである。」 |
NIV | so that, "`they may be ever seeing but never perceiving, and ever hearing but never understanding; otherwise they might turn and be forgiven!' " |
註解: この節はイエスが譬にて語り給う目的がこれを聴く者をして救われざらしめんがためであるように見えるけれども、これはイザ6:9、10すなわち「汝此の民の心を鈍くし、その耳をものうくしその目をおほへ」の精神を反映せるもので、神はその民に対し審判の言を浴びせることによりて彼らを悔改めしめんとしているのである。マタ13:15にては幾分これを緩和している。
4章13節 また
口語訳 | また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。 |
塚本訳 | また彼らに言われる、「この(一番簡単な)譬がわからないのか。それで、どうしてほかの譬がわかろう。(では説明しよう。)── |
前田訳 | また彼らにいわれる、「この譬えがわからないのか。それでどうしてすべての譬えがわかろう。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。 |
NIV | Then Jesus said to them, "Don't you understand this parable? How then will you understand any parable? |
註解: 10−12節の概論より14節の説明に移る橋渡しの一節。種蒔の譬が解らぬくらいならば他の譬は到底解り得ないであろう。イエスは弟子の無理解に深き失望を感じ給うた。
口語訳 | 種まきは御言をまくのである。 |
塚本訳 | 種まく人は(神の)御言葉をまく。 |
前田訳 | 種まきはことばをまく。 |
新共同 | 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。 |
NIV | The farmer sows the word. |
註解: イエスは種蒔人であり、ペテロ・パウロその他弟子はイエスの僕としてイエスの御言の種を全世界に播く。
4章15節
口語訳 | 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 |
塚本訳 | 道ばたのものとは、御言葉がまかれて、それを聞く時、すぐ悪魔が来て、その人たちにまかれた御言葉をさらってゆく人たちである。 |
前田訳 | 道ばたのもの、それはことばがまかれてそれを聞くと、すぐ悪魔が来てまかれたことばを取り去る人である。 |
新共同 | 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。 |
NIV | Some people are like seed along the path, where the word is sown. As soon as they hear it, Satan comes and takes away the word that was sown in them. |
註解: 多くの人の足や車の轍に踏まれし固き道路のごとく、多くの伝統やこの世の経験や先入主の観念に心頑固となっている者は神の言を心の奥に受けつけない。サタンは諸種の機会を捉えて御言を彼より奪う。
4章16節
口語訳 | 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 |
塚本訳 | 同じく岩地にまかれたものとは、御言葉を聞く時すぐ喜んで受けいれるが、 |
前田訳 | 同じように、岩地にまかれたもの、それはことばを聞くとすぐよろこんで受けるが、 |
新共同 | 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、 |
NIV | Others, like seed sown on rocky places, hear the word and at once receive it with joy. |
4章17節 その
口語訳 | 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 |
塚本訳 | 自分の中に(しっかりした信仰の)根がなく、ただその当座だけであるから、あとで御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人たちである。 |
前田訳 | 自分に根がなく、おざなりなので、ことばゆえの苦難や迫害がおこると、すぐつまずく人である。 |
新共同 | 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。 |
NIV | But since they have no root, they last only a short time. When trouble or persecution comes because of the word, they quickly fall away. |
註解: 浅薄なる人物、軽信なる人、感情に動かされて強き意思を欠く人、粗忽 にして深慮を欠く人はこの種類に属する。それ故にあまりに簡単に福音を受ける人は必ずしも安心ができない。
4章18節 また
口語訳 | また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 |
塚本訳 | また他のものは、茨の中にまかれたものである。これは御言葉を聞くが、 |
前田訳 | ほかのもの、それは茨の中にまかれた人で、彼らはことばを聞くが、 |
新共同 | また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、 |
NIV | Still others, like seed sown among thorns, hear the word; |
註解: ▲塚本訳は原文のままを表している。
4章19節
口語訳 | 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 |
塚本訳 | (しばらく信じているうちに、)この世の心配や富の惑わしやその他の欲が入ってきて御言葉を押えつけて、みのらない人たちである。 |
前田訳 | この世のわずらいや富の惑わしやそのほかの欲が入って来てことばを押えて実らなくなる。 |
新共同 | この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。 |
NIV | but the worries of this life, the deceitfulness of wealth and the desires for other things come in and choke the word, making it unfruitful. |
註解: 霊肉共に多くの慾望を有する人はこの種に属する、かかる人よりその茨を取り去る時、最も有望なる土墝となるけれども、茨は頑固に土墝 に喰い入り容易に取り去ることができない。最もなやみ多き人である。
4章20節
口語訳 | また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。 |
塚本訳 | また良い地にまかれたものとはこれである、それは御言葉を受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちである。」 |
前田訳 | よい地にまかれたもの、それはことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人である」と。 |
新共同 | 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 |
NIV | Others, like seed sown on good soil, hear the word, accept it, and produce a crop--thirty, sixty or even a hundred times what was sown." |
註解: その心は柔軟従順にして神の言を受くるに足り、その思いは深くして御言の根を深く卸さしめ、その心は純真にしてこの世の慾の妨ぐるもの無き処こそ、神の言の播かれる良き地である。神の言を受けんとするものは先ずこれを受くべき良き地を耕さなければならない。
要義 [人間の天性は宿命的なりや]路傍、磽地 、茨地等のごとく人間の性質は生れながら備わりこれを変更し得ざるや、すなわち福音を受けて実を結び得る者は心に良き地を有する者のみなりや、もし然りとすれば他の者の救いは如何になるべきか。心配無用である。何となれば神は時に大なる苦難を与えて堅き磽地 を砕き、茨を焼き尽くしこれを良き地たらしめ給う、人生における苦難はこの意味において神の賜物である。
4章21節 また
口語訳 | また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「(しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、ただしばらくである。)明りを持って来るのは、枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではあるまいか。 |
前田訳 | また彼らにいわれた、「明りを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためであろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「ともし火を持って来るのは、升の下や寝台の下に置くためだろうか。燭台の上に置くためではないか。 |
NIV | He said to them, "Do you bring in a lamp to put it under a bowl or a bed? Instead, don't you put it on its stand? |
註解: マタ5:15参照。「真の光なるイエス」(ヨハ1:9)に照らされたる弟子たちは「世の光」(マタ5:14)である。ゆえに公然世人の前にその光を耀かし、イエスの言を宣伝えなければならぬ。
4章22節 それ
口語訳 | なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。 |
塚本訳 | 隠れているもので現わされるためでないものはなく、隠されているもので現われるためでないものもないからである。 |
前田訳 | 隠されたものは皆現わされるためであり、おおわれたものは皆明らかにされるためである。 |
新共同 | 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 |
NIV | For whatever is hidden is meant to be disclosed, and whatever is concealed is meant to be brought out into the open. |
註解: 凡ての重要なる奥義は一時は隠されているけれども、それはやがて時到りて顕わされるために過ぎない。神の国の福音はこれまで隠されていた。今やこれが全世界に顕さるべき時が来たのである。汝らは大にこれを全人類の前に顕さなければならない。
口語訳 | 聞く耳のある者は聞くがよい」。 |
塚本訳 | 耳の聞える者は聞け。」 |
前田訳 | 聞く耳あるものは聞け」と。 |
新共同 | 聞く耳のある者は聞きなさい。」 |
NIV | If anyone has ears to hear, let him hear." |
註解: 一般の群衆は勿論弟子たちも果してこの譬を理解せしや否やはイエスの憂い給う点であった。
4章24節 また
口語訳 | また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。 |
塚本訳 | また彼らに言われた、「(わたしから)聞くことに気をつけよ。(わたしの言葉を)量る量りで、あなた達も(神に)量られる。そして(よく聞く人は、持っている上になお)つけたして与えられる。 |
前田訳 | また彼らにいわれた、「あなた方が聞くことに心せよ。自らはかる量りであなた方ははかられ、つけ加えられる。 |
新共同 | また、彼らに言われた。「何を聞いているかに注意しなさい。あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、更にたくさん与えられる。 |
NIV | "Consider carefully what you hear," he continued. "With the measure you use, it will be measured to you--and even more. |
註解: イエスの言を聴き、これを大なる升に入れて量るならば、それと同じ升をもって量って与えられ、さらにこれに加えて与えられ、反対に小なる升に神の言を盛る者は小なる升をもって量り与えられるに過ぎない。ゆえにその聴く処に注意し、できるだけ多く学び、かつ充分にこれを理解するようにしなければならぬ。なおマタ7:2には人を審く場合の教訓としてこの語が録され、やや異なれる意味に用いられていることに注意すべし。
4章25節 それ
口語訳 | だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。 |
塚本訳 | 持っている人には(さらに)与えられ、持たぬ人は、持っているものまで取り上げられるのである。」 |
前田訳 | 持つものは与えられ、持たぬものは持っているものをも取られよう」と。 |
新共同 | 持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」 |
NIV | Whoever has will be given more; whoever does not have, even what he has will be taken from him." |
註解: この世の経済社会においてはこの現象が行われ、富める者は益々富み、貧しき者は益々貧しくなるを常とする。霊界においてもまたかくのごとく、イエスの言を充分に豊かに有つことが必要であり、然らざれば益々貧弱なる信仰となってしまうことは人みなの経験する処である。
要義 [キリスト者の責任]キリスト者は退嬰 的であってはならない。稀有の光に照らされ、天国の宝を豊かに与えられている以上、できるだけ大なる升をもって天国の真理を己がものとなし、これを全世界に顕さんがためにその光を公然と耀かさなければならない。この大望と大活動とは、キリスト者に欠くべからざる要素である。イエスは11−25節の言をもってこれを弟子たちに示し給うた。
4章26節 また
口語訳 | また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 |
塚本訳 | また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、 |
前田訳 | またいわれた、「神の国はこのようである。ある人が地に種をまく。 |
新共同 | また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、 |
NIV | He also said, "This is what the kingdom of God is like. A man scatters seed on the ground. |
註解: 26−29節はマルコ特有の教訓、30−32節(マタ13:31以下。ルカ13:18以下)は神の国の発展の有様を示し、この一段は神の言の自力による発展を示す。また3−9節の種播きの譬は播かれる畑地の如何の問題であって種自身の力の問題ではない。イエスが常に天然を観察してこれを諸方面より福音の真理に適用し給えることを見る。
口語訳 | 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 |
塚本訳 | 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。 |
前田訳 | 夜昼寝起きするうち、種は芽生えて育つが、その人はわけを知らない。 |
新共同 | 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 |
NIV | Night and day, whether he sleeps or gets up, the seed sprouts and grows, though he does not know how. |
註解: 種を播いて置きさえすれば、その後は平常通りの生活をしていさえすればとの意。
註解: 育て給う者は神であって、人間は唯種を播き水を注ぎ得るに過ぎない。種の中に芽を造ることもできずこの芽を一寸も引伸ばすことができない。
口語訳 | 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。 |
塚本訳 | (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。 |
前田訳 | 地はひとりでに実を結ぶ。まず茎、次に穂、次に穂の中に熟した粒。 |
新共同 | 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。 |
NIV | All by itself the soil produces grain--first the stalk, then the head, then the full kernel in the head. |
註解: ここでは「地」の力と見られているけれども勿論種子自身に有する力を除外したのではない。地の力と種の力との合作であり要するに自然の力、神の力である。人間はこの力の前に沈黙しなければならない。
辞解
[おのづから] automatê 「自動的に」の意。
註解: 神の言の種子は唯これを良き地に播きさえすれば、順序を逐 うて次第次第に発展しついに実を結ぶに至る。人力をもってこれをなすことができずまた為さんとしてはならない。▲最も重要なことは種子そのものが真の種子であり、生命をもつものであることである。これは生命であって知識や形式や制度ではない。制度と形式を定め、福音に関する知識を与えただけでは神の国はできない。今日の教会と神の国とは別物である。
4章29節
口語訳 | 実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。 |
塚本訳 | 実が熟すると、すぐに“鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。”」 |
前田訳 | 実りとなると、すぐ鎌を入れる。取入れ時が来たのである」と。 |
新共同 | 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 |
NIV | As soon as the grain is ripe, he puts the sickle to it, because the harvest has come." |
註解: 神の国の民の数が満つるに至れば神は世の四方の極よりその民を集め給う。
要義 [神の言の発展]神の国の種子たる神の言は、唯これを人の心の畑に播きさえすれば、言自身に発芽力発展力を有し、神秘なる力をもってついに豊かなる穀物となる。勿論この場合、農夫が畑を耕すこと、肥料や水を施すことを無用視したのではない。しかしながらかかる労作と、種子より苗、穂、穀物にまで発育せしむる力とは、到底同日の論ではない。後者に比すれば前者は無視されて相当である。それ故に人は自己の力にて神の国を造り上げようと考えてはならない。唯神の言の種を播き、水を灌ぎ、害虫を除き、風水の害を防ぎ、サタンが毒麦を播くことを注意することのみが、人間に与えられた仕事である。それ故に神の国の福音を宣伝うる者は専ら神の言の種を播くこととその発育を助くることとに全力を尽すべきであり、その他を凡て神の力に委 すべきである。
4章30節 また
口語訳 | また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。 |
塚本訳 | また言われた、「神の国を何にたとえようか。どんな譬で表わそうか。 |
前田訳 | またいわれた、「神の国をどうたとえようか。どんな譬えで示そうか。 |
新共同 | 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。 |
NIV | Again he said, "What shall we say the kingdom of God is like, or what parable shall we use to describe it? |
4章31節
口語訳 | それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、 |
塚本訳 | (神の国は)芥子粒のようである。地にまかれる時には、地上のあらゆる種の中で一番小さいが、 |
前田訳 | それはからし種のようである。地にまかれるときはすべての種のうちでもっとも小さいが、 |
新共同 | それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、 |
NIV | It is like a mustard seed, which is the smallest seed you plant in the ground. |
4章32節
口語訳 | まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。 |
塚本訳 | まかれると、伸びてきてすべての野菜の中で一番大きくなり、大きな枝を出して、“その(葉の)陰に空の鳥が巣をつく”れるようになるのである。」 |
前田訳 | まかれると、のびてすべての野菜のうちでもっとも大きくなり、大きな枝を出して、その葉陰(はかげ)に空の鳥が巣を作れるほどになる」と。 |
新共同 | 蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」 |
NIV | Yet when planted, it grows and becomes the largest of all garden plants, with such big branches that the birds of the air can perch in its shade." |
註解: 芥種は種子の中の最小なるものとして例示される場合が多い(マタ17:20。ルカ17:6)。イエスはこの譬により神の国の現在と未来との比較をここに示し、現在は如何に微々として目にも留らないようであるけれども、やがては思いもよらざる大木となることを示し給うたのである。「空の鳥」云々は単にこれをその木の大きさを示す形容と見ても差支えないけれども、聖書に一般に空の鳥は不吉なる方面に用いられる場合多き故(マタ8:20。マタ13:4。エゼ31:3−15。黙18:2等)この場合も、かく解し、神の国の拡張は、同時にその中に危険の分子の潜入をも意味するものと見ることができる。なおマタ13:31、32註参照。
要義 [神の国の譬喩]マルコ伝はここに「種播き」(3−20節)、「燈火」(21−25節)、「種の発育」(26−29節)、「芥種」(30−32節)等のイエスの譬話を集め、イエスは神の国のことに関しては専ら譬をもって語り給えることを明かにした。而してこれらの譬は神の国の諸方面を巧みに示しているのであって、神の国が如何なる場所に発展するか(種播きの譬)、如何にして宣伝えられるか(燈火と升量の譬)、如何にして育つか(結実の譬)、如何に小より大に発展するか(芥種の譬)を我らに示す処の重要なる教訓である。これによってこれを見るに(1)我らは神の言の種を播くべき心の畑の如何を充分に注意し、良き地を選び、悪しき地を良き地たらしむる必要があることは勿論であるけれども、種を播く者必ずしも土地の如何のみに拘泥せず、大胆にこの種を播き、而してその結実の如何をあまりに苦慮すべからざること、(2)神の言を充分に受けて、大胆にこれを世界に向って宣伝うべきこと、(3)神の国は時至ればそれ自身自然に発達する本性を有しているもの故、人間的なる技工や計画や運動をもって神の国の速成を企画すべからざること、(4)而して神の国は現在において如何に微小無力であってもやがては非常なる力として顕れ来るものなることを教えているのである。
4章33節
口語訳 | イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。 |
塚本訳 | イエスは聞く人々の力に応じて、このような多くの譬で御言葉を語られた。 |
前田訳 | 人々の聞く力に応じて、イエスはこのような数多くの譬えでみことばを語られた。 |
新共同 | イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 |
NIV | With many similar parables Jesus spoke the word to them, as much as they could understand. |
4章34節
口語訳 | 譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。 |
塚本訳 | 譬を使わずに語られることはなかった。が弟子たちには、人のいない時に何もかも説明された。 |
前田訳 | 譬えなしでは語られなかったが、おのが弟子たちには、人のいないときすべてを説き明かされた。 |
新共同 | たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。 |
NIV | He did not say anything to them without using a parable. But when he was alone with his own disciples, he explained everything. |
註解: イエスの教訓法の特徴は譬喩をもってのみ語り給うことであった。これには偉大なる能力と洞察力とが必要であって非凡の才能を有するにあらざれば不可能である。
辞解
[人々] 弟子以外の一般の人々、マタ13:34の「群衆」に相当す。
[人なき時] kat’ idian は「個人的に」の意。
要義 [譬をもって語ることの益]重大なる真理を、一般の群衆に語る場合、譬をもってすることは、種々の点において有益である。すなわち(1)如何に無智無学なる者といえども少なくとも譬そのものだけはこれを心に留めて置くことができること。(2)その意味を解するのに聴く人の能力に応じて如何なる程度にもこれを解し得ること。(3)その含蓄する意味が無限なること。(4)敵に対する非難すらも非礼に亘 らずしてしかも辛辣適切なること(マタ23章参照)。(5)比較的正確に後の代に語り伝えられることである。しかしながら凡ての重大な問題を譬をもって語ることは、非凡の才を要することであって、必ずしも凡ての人の企ておよぶ処ではない。イエスがこの方法のみにより給いしことはイエスの偉大さの然らしむる処であると同時に、またこれが今日の我らに与えし偉大なる感化の原因であった。
口語訳 | さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。 |
塚本訳 | その日、夕方になると、「向う岸に渡ろう」と言われる。 |
前田訳 | その日、夕方になると、弟子たちにいわれた、「向こう岸へ行こう」と。 |
新共同 | その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。 |
NIV | That day when evening came, he said to his disciples, "Let us go over to the other side." |
註解: その日は1節より連続して譬を語り給える日の意。ただしマタ8:18、マタ8:23は別の日のごとく見ゆ、マルコは一般に日時につき必ずしも精確ではない。ルカ8:22は不定の日を指す。
『いざ
註解: 群衆を避けて静なる処に休息を欲し給うた。
4章36節
口語訳 | そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。 |
塚本訳 | 弟子たちは(岸に立っている)群衆を解散して、イエスが舟に乗っておられるのを、そのままお連れする。幾艘かほかの舟もついて行った。 |
前田訳 | 彼らは群衆に別れて、舟にお乗りのままのイエスのお伴をした。ほかに何隻かの舟も同行した。 |
新共同 | そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。 |
NIV | Leaving the crowd behind, they took him along, just as he was, in the boat. There were also other boats with him. |
註解: イエスの舟に弟子たちは乗込み、他の舟はこの時もまたイエスに従い来った。▲「離れ」 aphiêmi には「あるものを自分から離す」意味と、「あるものから自分が離れる」意味とがある。本節は後者であろう。
辞解
[共に乗り出づ] 「彼を携えゆく」の意。
4章37節
口語訳 | すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。 |
塚本訳 | すると激しい突風がおこり、波が舟に打ち込んできて、もう舟にいっぱいになりそうになった。 |
前田訳 | するとはげしい嵐がおこって、波が舟に打ち込み、はや舟いっぱいになるほどであった。 |
新共同 | 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。 |
NIV | A furious squall came up, and the waves broke over the boat, so that it was nearly swamped. |
註解: ガリラヤ湖の周囲の山より突風起こりて湖上の舟をなやますことはしばしばであった。
4章38節 イエスは
口語訳 | ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。 |
塚本訳 | しかしイエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちが「先生、溺れます、構ってくださらないのですか」と言って起した。 |
前田訳 | しかし彼自身は艫(とも)で枕をしてお眠りであった。弟子たちはお起こししていった、「先生、おぼれます。よろしいのですか」と。 |
新共同 | しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。 |
NIV | Jesus was in the stern, sleeping on a cushion. The disciples woke him and said to him, "Teacher, don't you care if we drown?" |
註解: 自然界の大怒号の中にも泰然として眠ることは非常なる大胆さによるかまたは神に対する絶対信頼によるより外に不可能である。イエスの場合は勿論この後者であった。
辞解
[茵 ] proskephalaion は(1)座蒲団のごときもの、(2)枕、(3)舟の一部に首を安むるに適するようにしつらえる木製の部分等種々の説あり。
註解: イエスの泰然として熟睡し給うのに比して弟子たちは死の恐怖にその度を失い、イエスを起してこれを訴えた。弟子たちにとりてはイエスの熟睡は全く不可解であり、その事実のみをもってしてもイエスの常人にあらざることを思わざるを得なかった。弟子たちはイエスをもって愛なき人のごとくに感じた。信仰に立ちて動かざるものは時に愛なき者のごとくに見られることがある。
4章39節 イエス
口語訳 | イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 |
塚本訳 | イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。 |
前田訳 | お起きになって風をいましめて湖にいわれる、「黙れ、静かにせよ」と。すると風はやんで大凪(おおなぎ)になった。 |
新共同 | イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。 |
NIV | He got up, rebuked the wind and said to the waves, "Quiet! Be still!" Then the wind died down and it was completely calm. |
註解: イエスは無生物に対しても命令を発し給うた(マコ11:14、マコ11:23)。神の子は神と等しく自然界をもその権力の下に置き給うことを示す。暴風は悪鬼の業と考えられていたので、イエスは悪鬼を警 めたのであると解する学者があるけれども(W2)、かく解すべきではない。
辞解
「風と海とに対しいましめて言い給う」との意味に解することを得るように思われる。かく解して次の言がよく了解せられる。
『
註解: 風に対しては「黙せ」海に対しては「鎮れ」と命じ給うた。
註解: イエスの力がこの奇蹟をなした。弟子たちは荒れ狂う風波を叱責し給うイエスの姿の中に、人間とは思えない神々しさを見出した。
4章40節
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」 |
前田訳 | 彼らにいわれた、「なぜそんなに意気地なしか。信仰がないのはどうしたことか」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 |
NIV | He said to his disciples, "Why are you so afraid? Do you still have no faith?" |
註解: 絶対に神に信頼する者には恐怖はない。生死の間に立ちて泰然としてこれに処することができる。イエスはそれ故に弟子たちの信仰なきを見て強くこれを叱責し給うた。如何なる危険の中にありても凡てを神に委 せて泰然としているのが真の信仰である。
4章41節 かれら
口語訳 | 彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。 |
塚本訳 | 弟子たちはすっかりおびえてしまって、「この方はいったいだれだろう、風も湖もその言うことを聞くのだが」と語り合った。 |
前田訳 | 彼らは大いにおそれた。そして互いにいった、「この方はいったいどなただろう、風も湖も従うとは」と。 |
新共同 | 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。 |
NIV | They were terrified and asked each other, "Who is this? Even the wind and the waves obey him!" |
註解: 彼らは未だイエスを神の子と信ずるには至っていなかった。それ故にこの事実を見ていたくイエスを懼れ、かつ彼の何たるかを怪しんだ。
要義 [神の懐に在し給うイエス]神の懐にいだかれる者にとりては、自然の凡ての姿が神の懐そのものである。うららかなる春の日も荒れ狂う冬の空も、共に神の御手の中にある。それ故にイエスは暴風激浪の中にあって、なお母のふところに在る嬰児のごとくに安らかに睡り給うた。絶対の信頼すなわち信仰は平安である。この世の浪風が如何に荒れ狂いて我らを呑み尽さんとする場合でも、神を信じ彼に依頼む者には絶対の平安がある。