第1コリント第3章
分類
3 教会分離の問題
1:10 - 4:21
3-3 人間の働きの過重
3:1 - 3:23
3-3-イ 人の働きと神の御業
3:1 - 3:9
註解: コリント教会に分離が起つた更に一の原因は、人間の働きを過度にあがめる事であつた。之れコリントの信者がなお霊的に幼稚であつたからである。パウロはここに神の御業の絶大なる事と人の働きの極めて小なる事とを述べ(1-9)、次に人の働きの価値を示し(10-17)、最後に人の価値に誇るべからざる事を
誡 めている(18-23)
3章1節
口語訳 | 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。 |
塚本訳 | そして兄弟たちよ、わたしは(以前、)霊の人と見てあなた達と話すことが出来ず、肉の人と見て、キリストにある幼児と見て話した。 |
前田訳 | 兄弟方、わたしもあなた方には、霊の人に対するようにでなく、肉の人、キリストにある幼子に対するように話しました。 |
新共同 | 兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。 |
NIV | Brothers, I could not address you as spiritual but as worldly--mere infants in Christ. |
註解: コリントの信徒は其の智慧に誇つていたけれども、パウロより見れば未だキリストにある幼児に過ぎなかつた。勿論キリストに在る以上全くの「性来 のままなる人」(Tコリ2:14)ではない、新生を経た人である。乍併、彼等の霊的新生命は未だ幼児の域を脱しなかつたので、彼らは大体に於て肉的であり、即ち「肉に属する者」であつた。故にパウロは彼らに対して霊の深所 を語る事が出来なかつたのである。「性来 のままなる人」と「肉に属する者」とは原語を異にしている。
3章2節 われ
口語訳 | あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。 |
塚本訳 | 乳を飲ませて、固い食べ物は食べさせなかった。まだ消化出来なかったからである。いや、あなた達は今もまだ出来ない。 |
前田訳 | わたしがあなた方に飲ませたのは乳で、堅い食物ではありませんでした。それはまだあなた方には無理でした。今でもまだ無理です。 |
新共同 | わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。 |
NIV | I gave you milk, not solid food, for you were not yet ready for it. Indeed, you are still not ready. |
註解: キリストの十字架の贖、聖霊による新生、キリストの復活等は信仰の初歩であつて、乳に相当していて、神の経綸と神の予定、教会の奥義、キリストの再臨、万物の復興等は信仰の奥義であつて堅き食物に相当している。今日の基督者は此の乳すら与えられて居ない。
註解: コリント人は之を読みて自ら智慧ありと信じた事を恥じたであろう。
3章3節
口語訳 | あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。 |
塚本訳 | まだ肉の人だから。あなた達の間に妬みや争いがあるかぎり、肉の人であって、人間的な思いで歩いているのではないか。 |
前田訳 | あなた方はまだ肉の人だからです。あなた方の間に妬みや争いがある以上、肉の人であって人間的にお歩きではありませんか。 |
新共同 | 相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。 |
NIV | You are still worldly. For since there is jealousy and quarreling among you, are you not worldly? Are you not acting like mere men? |
註解: パウロが嘗 てコリントを訪いし時に比して何等の霊的進歩もなかつた、之れ彼らの高慢の結果であつた。
註解: 更生によりて神の子となつたものでも若し肉に属していて、其の霊性が幼児の状態にあるならば、其の歩みも自然肉的であつて、更生せざる世の人と何等簡 ぶ処無いのは当然である、嫉妬紛争の如きも此の肉の働きの結果であつた、故に霊性の発達は、決してただ霊的知識の進歩ではなく、霊的歩みの上達である。
3章4節
口語訳 | すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。 |
塚本訳 | 一人が「わたしパウロ(先生)に」と言い、他の一人が「わたしはアポロ(先生)に」と言うとき、あなた達は(ただの)人間ではないか。 |
前田訳 | ある人が、「わたしはパウロに」、といい、別の人が、「わたしはアポロに」というならば、あなた方はただの人間ではありませんか。 |
新共同 | ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。 |
NIV | For when one says, "I follow Paul," and another, "I follow Apollos," are you not mere men? |
註解: (▲「これ世の人の如くになるに非ずや」も、口語訳「あなたがたは普通の人間ではないか」も、共に敷衍で、原文は「…と言うならば君達は人間ではないか」であり、パウロが基督者を人間以上のものとしている事を示す。)たとい如何に知識に誇るとも紛争徒党あらば是れ霊の嬰児に過ぎない。世の人と異る処が無い。世の人と教会との間に差別が無いのは教会の幼稚なる証拠である。
3章5節 アポロは
口語訳 | アポロは、いったい、何者か。また、パウロは何者か。あなたがたを信仰に導いた人にすぎない。しかもそれぞれ、主から与えられた分に応じて仕えているのである。 |
塚本訳 | それなら、いったいアポロはなんだ、パウロはなんだ、(ただ)使用人で、彼らによってあなた達が信仰に入ったまでであり、しかもそれは、それぞれ二人に主がお命じになったように働いたのである。 |
前田訳 | アポロが何ですか。パウロが何ですか。彼らはあなた方を信仰へ導いた召使いであって、主がおのおのにお与えの分相応に仕えたのです。 |
新共同 | アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。 |
NIV | What, after all, is Apollos? And what is Paul? Only servants, through whom you came to believe--as the Lord has assigned to each his task. |
註解: 人の栄光に目を奪われて神を忘れる者は世の人と異らない。アポロもパウロも人としては偉大であろう、併し神に比しては無価値なる存在であつて、唯主の賜うところ、即ち主より与えられし才能に随 つて福音を伝道している役者即ち僕に過ぎない。かかるものを崇拝して徒党を作るに至るのは非常なる誤である。
3章6節
口語訳 | わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。 |
塚本訳 | ──わたしは植えた、アポロは水をやった、しかし神がこれまで成長させてくださった。 |
前田訳 | わたしは植え、アポロは水をそそぎました。しかし育てたもうたのは神です。 |
新共同 | わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。 |
NIV | I planted the seed, Apollos watered it, but God made it grow. |
註解: 如何に有能なる伝道者でも信徒の霊性を発育させる力は無い。唯福音の種を蒔き、神の言の水を灌ぐ事を得るに過ぎない、新生命に更生するのも、又此の新生命の発育するのも皆神の力である。頌 れは唯神のみに帰すべぎである。今日は此の神の力を軽視して只伝道者と其の方法のみに重きを置くのは誤つている。
3章7節 されば
口語訳 | だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。 |
塚本訳 | 従って、植える者も水をやる者もなんでもなく、成長させるお方、神だけが偉いのである。 |
前田訳 | それゆえ、植えるものも水そそぐものも取るに足らず、育てたもう神が大切です。 |
新共同 | ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。 |
NIV | So neither he who plants nor he who waters is anything, but only God, who makes things grow. |
註解: 凡ての信徒の心が神の尊さに向けられる時徒党も紛争も止み、各々の役者の活動は数うるに足らず、その差別は眼中に入らない様になるのである。
3章8節
口語訳 | 植える者と水をそそぐ者とは一つであって、それぞれその働きに応じて報酬を得るであろう。 |
塚本訳 | 植える者と水をやる者とは一つ(のことをするの)であり、ただ(働きが違うから、)めいめいが自分の骨折りに応じて、自分の褒美を受けるのである。 |
前田訳 | 植えるものと水そそぐものはひとつで、おのおのが働きに従ってその報いを受けるでしょう。 |
新共同 | 植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。 |
NIV | The man who plants and the man who waters have one purpose, and each will be rewarded according to his own labor. |
註解: 一見種々の点に於て差異ある如くに見ゆるパウロとアポロも「一つ」即ち同一不二である事をパウロは茲に明かにしている。些末 なる差別によりて分離している今日の教会は此の神の言を無視しているのである。「人もし神の宮を毀 たば神かれを毀 ち給わん」分離を以て誇つている今日の教会は神の毀 ち給う処となるであろう。乍併、パウロもアポロも同一の価値を持つていると云うのでは無い、従つて終の日に受くべき値は異つている。
3章9節
口語訳 | わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。 |
塚本訳 | なぜならわたし達は神の共働者であって、あなた達は神の畑、神の建築物である。 |
前田訳 | われらは神の協力者、あなた方は神の畑、神の建物だからです。 |
新共同 | わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。 |
NIV | For we are God's fellow workers; you are God's field, God's building. |
註解: 私訳「そは我らは神の同労者、汝らは神の畠、また神の建築物なればなり」。パウロもアポロも一つなる所以は、其の働きの内容や、其の価値が同一であると云うのでは無い。パウロは読者の心を一転して神の畠、神の建築物に向けしめ、キリストの教会は即ち神の畠、又は建築物に比すべきものであつて神は其の所有者に在し其の中にありて常に働き給い、パウロもアポロもその中にありて神の同労者であると云うのである。故に神の命を受けて働く事が彼らの任務であつて、其の働きの性質や方面が如何に異つても神の命により神と共に同じ畠に又同じ建築場に働く点に於て一つである。是が教会一体の原則である。
要義1 [霊的成長の必要]基督者の中に肉的なるものと霊的なるものとがある。何れも聖霊を以て印せられし神の子であって、新生を経験している点に於て同一であるけれども、前者は此の新に生れし霊性が尚幼稚であって、其の力弱く、従って古き肉が暴威を逞 しくしている人であり、後者は霊性が発達して肉の力が弱くなった人である。前者は乳より以外に採る事が出来ず、何時も信仰の初歩に止まっていて、後者は進んで信仰の奥義を掴んでいる。而して教会に紛争を起す種類の人々は常に前者であって、彼らは霊性の偉大さ、キリストに在る事の幸福を充分に知らないが為めに、凡ての事に於て世の人と同じ態度に出で、同じ思想を持つ様になるのである。常に信仰の初歩にさまよっている事は非常に禍である。宜しく聖言を学び信仰の奥義に達しなければならない。
要義2 [神の国を大観する事は小なる紛争を止む]パウロは人々の眼を神の国に向けしめ、其の中に働く人々の差異を注視せざる様にし、之によりて教会の紛争を除かんとした。神の畠は巨大である。其の中には野菜、穀類より潅木 、喬木 に至るまで無いものは無い、是等に一々芽を生じ葉を与え、花と実を結ばせる者は神御自身の外にない。唯此の巨大なる畠の中には種々の労働者があって、或は蒔き或は雑草を除き、或は水灌ぎ、或は刈りなどして働いている。乍併彼らの為し得る事は実に神の働きの小部分に過ぎない。故に夫自身に於て極めて小なる価値を有するのみである。且つ彼等は各全く違った仕事を為していながら皆神の目的に助力している点に於て一つの仕事をしているのである。故に彼等の間の差異に注目して互に相争う事は、其の一体たる事を破壊する大なる罪であるのみならず、又神の御心を無視し神の価値を軽視して本来価値なき人の働きを重視する重大なる過誤に陥っているのである。今日の教会が互に相排斥しているのも、多くは此の種の小異を理由としているに過ぎないのであって、巨大なる神の畠の神に在る統一を思わない罪である。故に其の教理や礼拝の形式や教会の政治に如何に差異があっても皆一体である事を思うべきである。
3章10節
口語訳 | 神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。 |
塚本訳 | わたしは戴いた神の(特別の)恩恵によって、熟練した棟梁として土台をすえた。他の人がその上に建ててゆく。だが建て方は、その人その人が気をつけるべきである。 |
前田訳 | 神に与えられた恵みによって、わたしは賢い建築家のように土台を据えました。そして別の人がその上に建てています。しかし、いかに建てるかを各人が見守ってください。 |
新共同 | わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。 |
NIV | By the grace God has given me, I laid a foundation as an expert builder, and someone else is building on it. But each one should be careful how he builds. |
註解: 前節に至るまでパウロは神の畠の例を以て説明していたけれども、前節の最後に神の建築物なる語を用い、其の思想を一転して建築の例を以て説明せんと試ている。そしてパウロは自己を以て其の建築の基礎工事を完成せる熟錬なる建築師に譬えている、蓋し彼はキリストの教会の最初の最も重要なる労働をなし、其の基礎を置いたからである。
註解: 他の人即ちパウロ以外の牧者教師は勿論、凡ての信者が各々其の伝道や、行為や、信仰を以て其の基礎の上に建築するのであって、其の建築せらるべき基礎は明瞭で確固不動であるけれども、其の上に建てられる建物なる教理に永続的価値あるものあり、又一時的にして価値少きものもあり、又其の信徒の品性行為にも光り輝くものあり又然らざるものがある。是等種々の態容をなし種々の価値あるものが其の上に建てられ得る以上、之を建つる場合には皆用意周到に之を為し永続的にして価値ある建物を築き上げなければならない。−−−通説は「他の人」は「他の伝道者」を意味し、建物は彼等の「教義」を意味するものと考えている。宗教改革以来殊に教理論が喧 しかつた影響を受けたのである。パウロの時代に於ては僧俗の区別が未だ今日程截然と別れていないのみならず、アクラ・プリスキラの如く俗人としての伝道者も多く存し、且つ教理論は尚未だ詳細の点まで論議される様な事は無かつた。基督者は皆祭司であつてキリストの教会の建設者であると考えられていた。故に予は上述の如くに解する事を至当と考え、[他の人]を凡ての信者と見、従つて建築物は、教理、信仰、行為等基督者の資格の全体を指すものと解したのである。かく解して16節以下との関係も困難なしに説明する事が出来るであろう。
3章11節
口語訳 | なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。 |
塚本訳 | なぜなら、(すでに)置かれている(ただ一つの)もののほか、他の土台をだれもすえることは出来ないのだから。──この土台はイエス・キリストである。── |
前田訳 | それは、だれもすでに置かれた土台以外のものを置けません。その土台とはイエス・キリストです。 |
新共同 | イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。 |
NIV | For no one can lay any foundation other than the one already laid, which is Jesus Christ. |
註解: 今日の如くに些細なる教理上の差別よりキリストの教会が分裂する如き事はパウロは有り得べからざる事と考えた。然るにも関わらずパウロには唯一つ動かす事の出来ない條件があつた、是はイエス・キリストを基礎とする事、即ち神が人類を救わはんが為めに降し給える御子イエスが即ちキリストであり救主であると云う事であつた。是より以外に基礎を据えんとする者は、最早や基督者では無い、之が基督者と然らざるものとを分つ最後の唯一の標準である。
3章12節
口語訳 | この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、 |
塚本訳 | ある人がこの土台の上に金、銀、宝石、(あるいは)木、草、藁で建てれば、 |
前田訳 | もしだれかがこの土台の上に金、銀、宝石、木、草、わらで建てるならば、 |
新共同 | この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、 |
NIV | If any man builds on this foundation using gold, silver, costly stones, wood, hay or straw, |
註解: 永続的価値ある教理、光輝ある品性、信仰的行為は金銀宝石等を以て建てられし建物であり、価値少き教理、劣等なる品性、肉的行為は木、草、藁等を以て建てられし部分であると見る事が出来る。
3章13節
口語訳 | それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。 |
塚本訳 | それぞれの仕事(が金か藁か)は、かならず明らかになる。(最後の裁きの)かの日がそれを明らかにするのである、その日は火で現われるから。そしてそれぞれの仕事がどんなであるかを、その火が試験して証明する。 |
前田訳 | 各人の働きが明らかになるでしょう。それは、かの日が火の中に現われてそれをはっきりさせ、火が各人のわざがどんなものかをためすからです。 |
新共同 | おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。 |
NIV | his work will be shown for what it is, because the Day will bring it to light. It will be revealed with fire, and the fire will test the quality of each man's work. |
註解: 「かの日」は即ち主の再臨の日。審判の日である。其の日には凡ての人の品性、行為、及びその教えし教理は験され、其の価値を定められ、あるものは其の試験に耐えて褒賞を得、あるものは之に耐えずして滅ぼされる。各人の工 即ち働きの価値は皆顕われてしまう。その時迄は果して何れが価値多きか少きかは之を明かにする事が出来ない。
口語訳 | もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、 |
塚本訳 | その(土台の)上に建てたある人の仕事がそのままのこれば、褒美を受け、 |
前田訳 | もしだれかの建てたわざが残れば、その人は報いを受けるでしょう。 |
新共同 | だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、 |
NIV | If what he has built survives, he will receive his reward. |
口語訳 | その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。 |
塚本訳 | ある人の仕事が焼けてしまえば、罰を受ける。ただ彼自身は、火をくぐるようにして(やっと)救われるのである。 |
前田訳 | もしだれかのわざが焼ければ、その人は損をしますが、自らは火をくぐるようにして救われるでしょう。 |
新共同 | 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。 |
NIV | If it is burned up, he will suffer loss; he himself will be saved, but only as one escaping through the flames. |
註解: 火を以て試みられる場合には其の建物の価値は明かになり、その火に耐うるものは小さくとも残されて神の褒賞に与り、耐えざるものはたとい外見如何に偉大であつても焼けて一物を存せず、其の終生の労働の結果は空しきに帰してしまうであろう。是れ各人が心して建てなければならない所以である。
註解:苟 も正しき基礎即ちキリストの上に建てるならば、たとい其の工 は火によりて焼き尽される程価値なきものであつても、己はキリストの故に救われて火の中より逃れ出づる事が出来るであろう。茲で火と云うのはカトリツク教会の云う練獄の意味では無い、終りの審判の火である。▲12-15節より、救いは信仰に由り褒賞はその工 に対することが解る。
3章16節
口語訳 | あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。 |
塚本訳 | (とにかく、)あなたは達は神のお宮であり、神の霊があなた達の中に住んでいてくださることを、あなた達は知らないのか。 |
前田訳 | あなた方は神の宮であり、神のみ霊があなた方の中に住みたもうことをご存じないのですか。 |
新共同 | あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。 |
NIV | Don't you know that you yourselves are God's temple and that God's Spirit lives in you? |
註解: キリストに在る信徒は一体であつて、神の御霊が其の中に住んでいるのである。「宮」なる文字は単数にして信徒全体を以て一の宮を構成している事を示す。故に信徒各人の働きとその工 の性質価値には種々の差異があり、其の結果終の日にその総勘定が為される時に或は益を受け或は損を招くの差異があつても、是等全体が一の宮である事に妨げは無いのであつて、神の霊は此の一体たるその宮の中に住み給うのである。基督の教会の特権と其の尊貴とは茲にあるのである。
3章17節
口語訳 | もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。 |
塚本訳 | (だから、争いなどで)この神のお宮をこわす者があれば、神がその人を滅ばされる。神のお宮は神聖だから。──あなた達はそのお宮である。 |
前田訳 | もしだれかが神の宮を壊すならば、神はその人をお壊しでしょう。神の宮は聖です。それはあなた方のことです。 |
新共同 | 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。 |
NIV | If anyone destroys God's temple, God will destroy him; for God's temple is sacred, and you are that temple. |
註解: 蓋し人に取りて最も重大なる罪は神の宮を木、草、藁等にて建てる事では無い。かかる工 の結果は自ら損を招くに過ぎないのであつて神の霊が其の中に住み給うの妨げとはならない。最大の罪は此の神の宮に分離紛争を生ぜしめて其の一体たる事を破壊する事である。聖なる神の宮なる信徒らを分離せしむる重大なる罪を犯す者は神之を毀 たで措き給わないであろう。故に伝道者の能力価値の如何や、信徒の信仰の如何によりて教会に分離を生ぜしめてはならない。
要義1 [救拯と報償]此の二者を混同する時は聖書を理解する上に困難を生ずるであろう。救拯は罪によりて死すべき者を神の自由の恩恵を以て死より救い給う事であり(ヨハ3:16、ヨハ4:10、エペ2:8、9)、此の救拯は我ら現在既に我がものとする事が出来る(ルカ7:50、ヨハ3:36、ヨハ5:24、ロマ8:1、エペ2:6)。之に反し報償は救われし者の行為や工 に対して与えられるものであって(マタ10:42、ルカ19:17、Tコリ9:24、25、Uテモ4:7、8、黙2:10、黙22:12)主の再臨の時に始めて与えられるものである。前者は信仰に関連し後者は行為に関連する。
要義2 [働きの価値と種類の差異を教会分離の原因たらしめてはならない事]今日多くの教会に於て其の教理の点に於ても深浅種々の楷梯 があり、又その信徒の品性、その活動に於ても種々の等差がある。乍併若し是等がキリストの基礎の上に為されているものであるならば、皆同じく神の宮を建築しているのであって、之を以て神の宮を毀つ理由としてはならない筈である。然るに今日の実際を見るに、是等が皆教会の分立の原因となっている事は悲むべき事であり、全く聖言と聖霊とに反する事であると云わなければならぬ。かかる教会はたとい如何に夫自身として価値があっても神の宮を毀 つ理由により神より毀 たれるであろう。
口語訳 | だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに、自分がこの世の知者だと思う人がいるなら、その人は知者になるために愚かになるがよい。 |
塚本訳 | だれでも自分をごまかしてはならない。あなた達の中にこの世で知恵者だと思う者があるなら、まず馬鹿になれ。(本当の)知恵者になるために。 |
前田訳 | だれも自らを欺かないでください。もしあなた方の中で自らをこの世の知恵者と思う人がいたら、知恵者になるために、愚かにおなりなさい。 |
新共同 | だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。 |
NIV | Do not deceive yourselves. If any one of you thinks he is wise by the standards of this age, he should become a "fool" so that he may become wise. |
註解:智 からざるに智 しと思いて自ら欺く事は愚な事である。
註解: 或は十字架の福音を嘲り、或はパウロの伝道を非哲学的なりとして非難する如き輩は、自ら智 しと思つているのであるけれども、実は智 くは無いのであつて、神の智慧を知らない愚者である。故にかかる人は先づ自己の愚者なる事を知らなければならない。之を知つて始めて真に智 くなる事が出来るであろう。
3章19節 そは
口語訳 | なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かなものだからである。「神は、知者たちをその悪知恵によって捕える」と書いてあり、 |
塚本訳 | この世の知恵は、神の目には馬鹿なことであるから。“彼は知恵者達を、彼ら(自身)の策略を用いて捕らえられる”と書いてあるではないか。 |
前田訳 | この世の知恵は神のみ前では愚かだからです。聖書にあります、「神は知恵者たちをその策略の中で捕えたもう」と。 |
新共同 | この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、 |
NIV | For the wisdom of this world is foolishness in God's sight. As it is written: "He catches the wise in their craftiness" ; |
註解: 此の世の智慧に誇つている人でも、神の前に立つてはまことに愚であつて、到底誇る事は出来ない。
3章20節 また『
口語訳 | 更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。 |
塚本訳 | さらに、“主は”知恵者たちの“考えのたわいのないのを御存じである”とある。 |
前田訳 | またこうもあります、「主は知恵者の論議がむなしいことを知りたもう」と。 |
新共同 | また、/「主は知っておられる、/知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。 |
NIV | and again, "The Lord knows that the thoughts of the wise are futile." |
註解: ヨブ5:13、詩94:11を茲に引用して智者の悪巧も結局己を陥 れる係蹄 に過ぎさる事、又智者の念の虚しくして之に依頼する事の極めて愚なる事を証明し、之に比して神の智慧の絶大なる事を示さんとしている。
3章21節 さらば
口語訳 | だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。 |
塚本訳 | 従って、(自分の先生はだれだ、彼だなどと、)人間のことを自慢する者があってはならない。万物はあなた達のものではないか。 |
前田訳 | それゆえ、だれも人間たちを誇らないでください。すべてはあなた方のものです。 |
新共同 | ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。 |
NIV | So then, no more boasting about men! All things are yours, |
註解: 我はアポロに、我はパウロに属すと云いて人を誇とし其の人に信頼しているのは智慧あるが如くに見えるけれども、実は自ら自己を小さき範囲に局限しているのである。何となれは神は其の独子を賜うほどに我らを愛し給い、従て彼に添えて万物を我らに賜うたからである(ロマ8:32)。此の大なる神の智慧を思わずして小なる人の智慧に誇る事の愚かさよ。
3章22節
口語訳 | パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。 |
塚本訳 | パウロでもアポロでもケパでも、世界でも命でも死でも、現在起こっていることでも将来起こることでも、万物はあなた達のものである。 |
前田訳 | パウロでも、アポロでも、ケパでも、世界でも、生でも、死でも、今あるものでも、来たるべきものでも、すべてあなた方のものです。 |
新共同 | パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、 |
NIV | whether Paul or Apollos or Cephas or the world or life or death or the present or the future--all are yours, |
註解: 人間のみならず、現象界全体(世界)、又其の中のあるゆる転変(生死)又時間の全体(過現未)を茲に掲げて是らが皆基督信徒のものである事を述べ、基督者の大なる富についての確信を与えている。前節の「万の物は汝らのもの」なる一節の説明である。
3章23節
口語訳 | そして、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものである。 |
塚本訳 | しかしあなた達はキリストのもの、キリストは神のものである。 |
前田訳 | あなた方はキリストのもの、キリストは神のものです。 |
新共同 | あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。 |
NIV | and you are of Christ, and Christ is of God. |
註解: 万物を支配する信徒は更にキリストに服従し、キリストは又神に服従して茲に万物が其の中心を神に発している事を示している。かく神に於て統一される時、徒党分離の如き本質上此の統一と相反している事は明かである。
要義 [神による帰一と人による分離]コリントの信徒の徒党分離の弊に対するパウロの態度の飽く迄も根本的である事は寔 に貴い教訓である。彼は各派の差異を研究し、妥協によって之を一致せしめんとせず、深く根本に立ち入りて分離の原因を除かんとしたのである。而して此の場合に於てコリントの信徒の分離の原因は大なる神の智慧によらずして小なる人の智慧を誇りし事であった。夫故に彼は断然コリントの信徒の心を神に向わしめ、その神に凡てのものが帰一する事、而して万物も皆それらの信徒のものなる事を示して小党分立の愚なる事を示したのである。かかる雄大なる思想を我らは何処に見出す事が出来るであろうか。若し今日の基督者にして此の雄大なる思想に到達するならば、些末 なる教理の差異や、聖書の解釈の不一致等のために、多数の教派に分立する如き事は跡を断つに至るであろう。
第1コリント第4章
3-4 王者の生活と奴隷の生活
4:1 - 4:21
3-4-イ 審判すべからず
4:1 - 4:5
註解: コリントの信徒はアポロ、パウロの間を審判いていた、是れ果して正しい事であろうか、之に対しパウロは先づ茲に其の不可なる所以を論じている。
4章1節
口語訳 | このようなわけだから、人はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。 |
塚本訳 | いずれにしても(わたし達はキリストの福音のために働いているのであるから、)人はわたし達をキリストの部下、神の秘密の管理人と考えなくてはいけない。 |
前田訳 | それゆえわれらをキリストの従者、神の奥義の管理人と考えてください。 |
新共同 | こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。 |
NIV | So then, men ought to regard us as servants of Christ and as those entrusted with the secret things of God. |
註解: (▲口語訳「このようなわけだから」は正しい。)パウロは茲に自己の天職を示して天職に伴う当然の要求を呈出している。我ら即ちパウロ、アポロ、ペトロ等はキリストに仕えて彼の旨を行う役者であり、同時に亦神の人類に対する奥義の経綸を司り、之を人々に示す任務を持つている家司の如きものである。
辞解
[家司] 此の時代に「家司」は奴隷であつて主人に直属し労働人等に賃銭を支払う等の役目を行つていた。即ち全然主人に隷属して自己の権力も無く、自己の財産もなく、凡ては唯その主人より給与される者であつた。日本の封建時代の臣下の如きものである。
[奥義] キリストにより啓示せられし神の経綸であつて、従来隠されていた処のものを意味している。パウロは自己の職が当 に是らの如きものである事を主張し、且つコリントの信者がパウロを見るに此の心持を以てすべき事を教えている。
口語訳 | この場合、管理者に要求されているのは、忠実であることである。 |
塚本訳 | この際、管理人にはなお、その人が(主人に)忠実であることが求められる。 |
前田訳 | ところで、管理人に要求されるのはその人が真実であることです。 |
新共同 | この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。 |
NIV | Now it is required that those who have been given a trust must prove faithful. |
註解: 才能、学識の有無等も家司に必要であろう。乍併主人は見る処ありてその家司を選ぶ以上、才能学識等は彼を選べる主人の責任に帰し、彼の責任では無い。彼の唯一の責任は忠実の点である。主人は彼に忠実を要求する事が出来、彼は又此の忠実を主人に尽すの義務がある。此の義務さえ尽せば彼は完全な家司であり、此の義務を怠る場合に他に如何なる長所があつても彼は良き家司では無い。
4章3節
口語訳 | わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。 |
塚本訳 | しかし(そのことについて、わたしはだれにも判定してもらおうと思わない。)あなた達によって、あるいは人間の裁判所によって判定されることなど、わたしには全くつまらないことである。いや、わたし(自身)でさえ自分を判定しない。 |
前田訳 | わたしについては、あなた方によって、あるいは人間的な裁きの日によって裁かれても何でもありません。また、自分自身を裁くこともしません。 |
新共同 | わたしにとっては、あなたがたから裁かれようと、人間の法廷で裁かれようと、少しも問題ではありません。わたしは、自分で自分を裁くことすらしません。 |
NIV | I care very little if I am judged by you or by any human court; indeed, I do not even judge myself. |
註解: 「コリントの信徒」はパウロやアポロを審いていた、併しパウロは之を歯牙にかけるに足らない事と思つていた、又「人」即ち他人の批評によりても動かされなかつた、のみならず自分目身すら自己について審かなかつた。自ら顧みて罪なしと思つても、果して主の御旨に叶えるや否やは之を知る事が出来ないからである。彼は唯徹頭徹尾キリストに対する忠実を以て終始一貫していたのである。苟 もキリストの御心さえ満足しまつる事が出来るならば、信者や其の他の人の審判、並に自己の審判は無用の事柄であつた。
4章4節
口語訳 | わたしは自ら省みて、なんらやましいことはないが、それで義とされているわけではない。わたしをさばくかたは、主である。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしは身にすこしも(務めをなおざりにした)覚えはないが、だからと言って、これで義とされているのではない。わたしを判定される方は主(御自身)である。 |
前田訳 | わたしにやましいことはありませんが、それによって義とされるのではありません。わたしを裁く方は主です。 |
新共同 | 自分には何もやましいところはないが、それでわたしが義とされているわけではありません。わたしを裁くのは主なのです。 |
NIV | My conscience is clear, but that does not make me innocent. It is the Lord who judges me. |
註解: 我は主の家司であつて他人の雇人ではない、主こそ我が価値を審判する当事者であり、そして彼には彼独特の判断の標準がある、故にたとい我みづから責むべき所無しと感ずるとも、此の感じは我らを義とし、神の前に義しきものとするに足らない。
4章5節
口語訳 | だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう。 |
塚本訳 | だから主がおいでになるまで、まだ時でないのに、あなた達は何も裁いてはいけない。主は(来て)、暗闇に隠されたことを(何もかも)明るみに出し、(人の)心のなかの企てをお現わしになる。するとその時、栄誉がひとりびとりに、(善い行いに対して)神からあたえられるであろう。 |
前田訳 | それゆえ、主が来られるまでは、何ごとも時に先んじて裁かないでください。主は闇に隠れたものに光をあて、心の思いをあらわになさるでしょう。そのときおのおのが神からおほめをいただくでしょう。 |
新共同 | ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。 |
NIV | Therefore judge nothing before the appointed time; wait till the Lord comes. He will bring to light what is hidden in darkness and will expose the motives of men's hearts. At that time each will receive his praise from God. |
註解: (▲マタ13:24以下の毒麦と麦の譬話を参照すべし。)主イエス再び来りて各人を審判し給う、其の審判は人の外貌によらず、又人の智慧の有無、活動の多小等人の目に見ゆる処によらず、心の中の事即ち隠れたる事を明かにし、人が或は虚栄心により、或は党派心により為した事柄をも皆明かにし、反対に忠実に家司の務を果した者には之に相当する報賞を与え給うであろう。夫故に其の時迄は基督者は伝道者の優劣、或はその適否等につきて審判すべきでは無い、之は神の仕事である。
要義 [人の審判は虚し]今日の教会は、或は教理の正否より、又は礼拝式の当否より、又は教会政治の良否より、又は教会の活動の多少によりて互に審判き合い、自己を正しとし他人を正しからずとしている事は誤りである。唯一の問題は主の家宰 として忠実であったかどうかに在る。教理に対する理解の程度、礼拝の形式其他は神が各人に与え給える賜物であって、神は各人に各々御旨によりて賜物を与え給い、之を選びて伝道其他の職に従事せしめ給う、故に其の賜物の差異より他の人々を審判く事は神を審判く事である。神は各人が其の与えられし賜物の凡てを以て忠実に仕うる事を以て満足し給う、而して忠実なりや否やは心の中の問題であり、神のみよく之を明かにし得るのであって、人は之を充分に知る事が出来ない。故に他人を審く事は如何なる点より見るも不当である。「なんぢ如何なる者なれば他人の僕を審くか、彼が立つも倒れるも其の主人に由れり」(ロマ14:4)。尚賜物の差異につきてはTコリ12:1以下及びエペ4:2-16参照。
註解: 最後にパウロは自己の状態とコリントの信徒の状態とを対比し、其処に著しき差異がある事を示し、彼等をしてパウロに
傚 いて反省せしむる事によりて、教会分離の禍根を絶たんと試みている。
4章6節
口語訳 | 兄弟たちよ。これらのことをわたし自身とアポロとに当てはめて言って聞かせたが、それはあなたがたが、わたしたちを例にとって、「しるされている定めを越えない」ことを学び、ひとりの人をあがめ、ほかの人を見さげて高ぶることのないためである。 |
塚本訳 | しかし(誤解があってはならない、)兄弟たちよ、これらのことをわたしとアポロとの例によったのは、あなた達の(理解の)ためである。それは、(わたし達二人が一つ心で主のために働いていることをあなた達に知らせ、)わたし達のことから、あなた達が「(聖書に)書いてあるところをふみ越えないこと」を学び、(あなた達のうちの)だれもが、ある一人(の先生)をかつぎ、他の一人をけなして得意になる、ということのないためである。 |
前田訳 | 兄弟方、以上のことはわたし自らとアポロとにあてていいましたが、それはあなた方のためです。すなわち、あなた方が、われらを例にして、聖書にあることをこえないことを学ぶため、また、ひとりがあるひとりのために高ぶって他に対抗することのないためです。 |
新共同 | 兄弟たち、あなたがたのためを思い、わたし自身とアポロとに当てはめて、このように述べてきました。それは、あなたがたがわたしたちの例から、「書かれているもの以上に出ない」ことを学ぶためであり、だれも、一人を持ち上げてほかの一人をないがしろにし、高ぶることがないようにするためです。 |
NIV | Now, brothers, I have applied these things to myself and Apollos for your benefit, so that you may learn from us the meaning of the saying, "Do not go beyond what is written." Then you will not take pride in one man over against another. |
註解: 併し此の問題は一般的の問題であつて、唯パウロとアポ口のみに関する処の問題ではない。▲併し実際問題としてコリントに於ける徒党の大原因をなしたのは、アポロの雄弁と知恵であったと思われる。
これ
註解: 聖経即ち今日の旧約聖書に録されし事は、神のみに栄を帰すべきものであり、人間は虚しきものに過ぎないと云う事である。然るにコリントの信徒の如く人々を批評し、或者をあげ或者を貶 して徒党を造る事は、此の録されし処を踰 える態度であつて、虚しき誇 即ち自己の価値を過信し、又他人の価値をも過度に評価する事より起つて来るのであつて、之を誡めんが為めにパウロは自己とアポロの例をあげて論じたのである。
口語訳 | いったい、あなたを偉くしているのは、だれなのか。あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか。 |
塚本訳 | いったいだれが、あなたをそんなに偉いと言うのか。あなたは持っているもので戴かなかったものが、何かあるのか。しかも(何もかも)戴いたのなら、なぜ戴いていないかのように自慢するのか。 |
前田訳 | だれがあなたを偉いとするのですか。あなた方が持つもので、受けなかったものがありますか。もし受けたのなら、なぜ受けないように高ぶるのですか。 |
新共同 | あなたをほかの者たちよりも、優れた者としたのは、だれです。いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか。 |
NIV | For who makes you different from anyone else? What do you have that you did not receive? And if you did receive it, why do you boast as though you did not? |
註解: 若し自己に何等かの長所があるならば之を与えたのは勿論神である。
なんぢの
註解: 自己の長所は勿論その他あらゆる物は皆神より受けているのであつて、一物として自ら造り出したものは無い、之を恰 も自己の力を以て造り出した如くに誇る事は重大なる過 である。学問も知識も、雄弁も、信仰すらも皆神の賜物であつて、感謝こそすべけれ決して之によりて高慢となる可きでは無い。然るにコリントの信者は、恐るべき高慢に陥つていた、次節以下は其の事を述べている。
4章8節 なんぢら
口語訳 | あなたがたは、すでに満腹しているのだ。すでに富み栄えているのだ。わたしたちを差しおいて、王になっているのだ。ああ、王になっていてくれたらと思う。そうであったなら、わたしたちも、あなたがたと共に王になれたであろう。 |
塚本訳 | あなた達はもう満腹し切っている。もう全く裕福になった。わたし達ぬきで(一足先きに神の国に入って)、王様になったのだ!ほんとうにあなた達が王様になってくれたらよかったのに!わたし達も一しょに王様になれるから。 |
前田訳 | もうあなた方は飽き足りています。もう富んでいます。われらを差しおいて王になっています。むしろわれらも共に王になれるように、あなた方が王になってくれるべきでした。 |
新共同 | あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。いや実際、王様になっていてくれたらと思います。そうしたら、わたしたちも、あなたがたと一緒に王様になれたはずですから。 |
NIV | Already you have all you want! Already you have become rich! You have become kings--and that without us! How I wish that you really had become kings so that we might be kings with you! |
註解: 本節以下13節迄はパウロの状態とコリントの信者の状態とを対比して、彼らをして自己の誇り高ぶれる態度を羞 じしめんとして愛に満てるパウロの筆より流れ出た文章である。曰く「汝らは其の智慧に満足し、心は最早や貧しからずして富み、我等をば差措きて支配者の態度を取つて誇つている。然るに我らは第11節に記される如く「飢え、渇き、また裸となり、また打たれ」ている。肉の念は前者を欲して後者を嫌う。併し乍らキリストに従う汝らは我らと同じく此の十字架をも負わなければならぬ。
辞解
[王となれり] 「支配せり」との意味であつて、基督者は世の終末には万物を支配し、神の国を建てる事が出来るのであるが、茲ではコリントの信者が「既に」此の世に於て「パウロ等をば加えずに」支配し、神の国を誇つているとの意味である。▲▲「王となる」basileuô は「支配する」の意。
われ
註解: 汝らが神の国に於て支配者となる事は勿論わが願である、併しそれはキリストの再臨の時我ら(パウロら)も共に王となり、共に支配者とならんがためであつて、現在の如く、此の世に於て我らをばあらゆる困難にさらしつつ、汝らのみが支配者となる事は望ましからざる現象である。汝らの党争分離も是から起るのである。
4章9節
口語訳 | わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々にも見せ物にされたのだ。 |
塚本訳 | なぜなら、わたしはこう思うのだ。神は使徒であるわたし達を(人間の中で)一番下の者、(闘技場の)死刑囚のようにされたと。というのは、わたし達はこの世に対し、天使と人間とに対して、見せ物になっているからである。 |
前田訳 | わたしは思います、神は使徒たるわれらを死罪に定められたものとして、最終列にお引き出しでした。われらは世に対して、天使と人々に対して見せものにされたのです。 |
新共同 | 考えてみると、神はわたしたち使徒を、まるで死刑囚のように最後に引き出される者となさいました。わたしたちは世界中に、天使にも人にも、見せ物となったからです。 |
NIV | For it seems to me that God has put us apostles on display at the end of the procession, like men condemned to die in the arena. We have been made a spectacle to the whole universe, to angels as well as to men. |
註解: 使徒らは神の国に於て最も高き栄光に位すべき人々であるけれども、此の世に於ては神は彼等を死刑に判決せられし囚人の如く最も卑しきものとして取扱い、全宇宙のもの即ち天使等並に全人類の観物とし給うた。パウロは当時の劇場に於て死刑囚が衆人環視の中に獅子や虎の餌食に供せられている事を思い浮べたのであろう。
辞解
[後の者] 最も賤しき者との意、又善悪の御使、及人々を総称して「宇宙のもの」と云つている。
[▲宇宙のもの] 「宇宙にも」と訳すべきである。パウロの雄大なる使徒観に注意すべし。
4章10節
口語訳 | わたしたちはキリストのゆえに愚かな者となり、あなたがたはキリストにあって賢い者となっている。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊ばれ、わたしたちは卑しめられている。 |
塚本訳 | わたし達はキリストのために(こんなに)馬鹿である、あなた達はキリストにあって(そんなに)賢い。わたし達は弱い、あなた達は強い。あなた達には名声がある、わたし達には屈辱がある。 |
前田訳 | われらはキリストのゆえに愚か、あなた方はキリストにあって賢いものです。われらは弱く、あなた方は強いのです。あなた方は尊く、われらはいやしいのです。 |
新共同 | わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。 |
NIV | We are fools for Christ, but you are so wise in Christ! We are weak, but you are strong! You are honored, we are dishonored! |
註解: 我らは愚なる十字架の福音を宣べ伝え、汝らは慧 き哲理を論じ、我らは弱くして迫害せられ汝ら強くして人を審き、我らは卑しくして衆人の観物となり汝らは尊くして自ら誇つている。何たる対照(コントラスト)であろうか。
4章11節
口語訳 | 今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしであり、 |
塚本訳 | いまこの時まで、わたし達は空腹で、渇いて、裸で、ぶたれて、宿なしで、 |
前田訳 | 今に至るまで、われらは飢え、渇き、裸で、打たれ、宿なしです。 |
新共同 | 今の今までわたしたちは、飢え、渇き、着る物がなく、虐待され、身を寄せる所もなく、 |
NIV | To this very hour we go hungry and thirsty, we are in rags, we are brutally treated, we are homeless. |
註解: あらゆる困難と迫害とを忍んでいるのに汝らは飽き、富み、且つ王となつている。
4章12節
口語訳 | 苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫害されては耐え忍び、 |
塚本訳 | 自分の手で働きながら苦労している。罵られては(神の)祝福を求め、迫害されては我慢し、 |
前田訳 | われらは苦しんで自分の手で働いています。はずかしめられつつ祝福し、迫害されつつ忍耐し、 |
新共同 | 苦労して自分の手で稼いでいます。侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、 |
NIV | We work hard with our own hands. When we are cursed, we bless; when we are persecuted, we endure it; |
口語訳 | ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。 |
塚本訳 | そしられては親切な言葉をかける。いまでもなお、この世の屑、すべての人のかすのようになっている。 |
前田訳 | ののしられつつ慰めています。今なおわれらは世のちり、すべてのものの滓のようにされています。 |
新共同 | ののしられては優しい言葉を返しています。今に至るまで、わたしたちは世の屑、すべてのものの滓とされています。 |
NIV | when we are slandered, we answer kindly. Up to this moment we have become the scum of the earth, the refuse of the world. |
註解: パウロは使徒たる権利を行使して信徒の献金によりて衣食する事をせず、愛敵の心を以て一貫し、右の頬を打つ者には左の頬を向け、一里の公役を強いる者と共に二里ゆくの態度を取つた。罵 られ、責められ、譏 られるその中に在りて彼等はあくまで信仰的であつた。然るにコリントの信徒等は之に反し、互に徒党を造つて罵り合い、責め且つ譏 り合つていた。
註解:啻 に存在を認められざるのみならず其存在が邪魔物視され、之を除く事が却て神々の心にかなうものと考えられていた。▲▲7-13節はパウロの痛烈なる皮肉である。
辞解
[塵芥 ] 室内の掃除の際に集められる塵埃 (=ちり、ほこり:広辞苑)を意味し、同時に世の所謂やくざ者を意味し、其の人の悪行の為めに神が其の地と人民とを詛う如き人を指し用いられていた。故にかかる人を犠牲としてささぐる事が神の意にかなうとの意味より塵埃 は又犠牲を意味する様になつた。パウロは此の意味に此の語を用いたのであろう。「垢」もほぼ同意義である。
4章14節 わが
口語訳 | わたしがこのようなことを書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、むしろ、わたしの愛児としてさとすためである。 |
塚本訳 | わたしはあなた達を辱しめるために、これを書いているのではない。むしろわたしの可愛い子供として注意を与えるためである。 |
前田訳 | わたしがこのことを書くのは、あなた方をはずかしめるためではなく、愛するわが子としてさとすためです。 |
新共同 | こんなことを書くのは、あなたがたに恥をかかせるためではなく、愛する自分の子供として諭すためなのです。 |
NIV | I am not writing this to shame you, but to warn you, as my dear children. |
註解: 以上によつてコリントの信徒は深く自己の状態を恥ぢたに相違ない。併しパウロの目的は彼らを恥ぢしめて快を貪 らんが為ではなく、彼らが恥ぢて其の態度を改めんが為であつた。父がその愛子を訓誡するの心持である。
4章15節
口語訳 | たといあなたがたに、キリストにある養育掛が一万人あったとしても、父が多くあるのではない。キリスト・イエスにあって、福音によりあなたがたを生んだのは、わたしなのである。 |
塚本訳 | たとえキリストにある家庭教師は無数にあなた達にあっても、お父さんは沢山はないのだから。キリスト・イエスにあって、福音により、わたしがあなた達を生んだのではないか。 |
前田訳 | たとえあなた方にキリストにある一万人の後見人があっても、多くの父はありません。わたしはキリスト・イエスにあって、福音によってあなた方を生んだのです。 |
新共同 | キリストに導く養育係があなたがたに一万人いたとしても、父親が大勢いるわけではない。福音を通し、キリスト・イエスにおいてわたしがあなたがたをもうけたのです。 |
NIV | Even though you have ten thousand guardians in Christ, you do not have many fathers, for in Christ Jesus I became your father through the gospel. |
註解: パウロはイエス・キリストにあつて、福音を宣伝うる事によつてコリントの信徒を生み出した父であつた。其後彼らを教育指導する人は多数にあるけれども生みの親はパウロより以外に無いのであつて、パウロは此の点に於て自己の資格を主張して譲らなかつた。
辞解
[守役] 当時の家庭教師であつて、子女の世話及び教育を掌 つている奴隷である。
4章16節 この
口語訳 | そこで、あなたがたに勧める。わたしにならう者となりなさい。 |
塚本訳 | だからあなた達に勧める、わたしのまねをする者になってもらいたい。 |
前田訳 | それでお勧めします。わたしにならうものにおなりなさい。 |
新共同 | そこで、あなたがたに勧めます。わたしに倣う者になりなさい。 |
NIV | Therefore I urge you to imitate me. |
註解: 「キリストに在り福音によりて汝らを生んだのは我であれば、我に効 うことがキリストに在り福音を信ずる事に外ならない。我に効 わないならばキリストを離れ、福音を蔑 する事となるであろう。而して我に効 いてキリストの福音に堅く立つならば必ず前掲せる如く、貧困、迫害、嘲弄、軽蔑の的となるのであつて汝らの如く高ぶりたる態度を取る事が出来る筈のものでは無い」。
4章17節
口語訳 | このことのために、わたしは主にあって愛する忠実なわたしの子テモテを、あなたがたの所につかわした。彼は、キリスト・イエスにおけるわたしの生活のしかたを、わたしが至る所の教会で教えているとおりに、あなたがたに思い起させてくれるであろう。 |
塚本訳 | それゆえにこそ、わたしはテモテをやった。彼は主にあってわたしの愛する忠実な子供であり、わたしが到る所で、すべての集会において教えているとおりに、キリスト・イエスにあるわたしの道を、あなた達に思い出させてくれるであろう。 |
前田訳 | そのためにわたしはあなた方のところへテモテをつかわしました。彼は主にあってわが愛する忠実な子です。彼はわたしが至るところで、すべての集まりで教えるとおり、あなた方に、キリスト・イエスにあってわが歩む道を思い起こさせましょう。 |
新共同 | テモテをそちらに遣わしたのは、このことのためです。彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう。 |
NIV | For this reason I am sending to you Timothy, my son whom I love, who is faithful in the Lord. He will remind you of my way of life in Christ Jesus, which agrees with what I teach everywhere in every church. |
註解: 「之がために」即ちコリントの信徒がパウロに効 うや否やを知らんが為めにテモテを遣した。此のテモテは「主に在りて忠実なるもの」であつて神の家司の資格を具えていた。Tコリ4:1。
註解: パウロの各教会に於ける教訓即ち行為であつて、彼には教訓と行為とが、即一不二であつた。テモテは之をコリントの信徒に思い起させるの任務を持つて行つたのである、彼らは之をきいてパウロに効 う事が出来る。
4章18節 わが
口語訳 | しかしある人々は、わたしがあなたがたの所に来ることはあるまいとみて、高ぶっているということである。 |
塚本訳 | ある人たちは、わたしが(引け目を感じているので)あなた達の所に行くことはないと考えて、得意になっている(とのこと)。 |
前田訳 | ある人々は、わたしがそちらに行くまいと思いあがっています。 |
新共同 | わたしがもう一度あなたがたのところへ行くようなことはないと見て、高ぶっている者がいるそうです。 |
NIV | Some of you have become arrogant, as if I were not coming to you. |
註解: 茲にパウロは突知として反パウロ党の誇りに向つて一撃を与えている、蓋し彼らの中にはパウロは再びコリントに来る勇気が無いとして誇つているものがあつたのであろう。(Uコリ10:1)
4章19節 されど
口語訳 | しかし主のみこころであれば、わたしはすぐにでもあなたがたの所に行って、高ぶっている者たちの言葉ではなく、その力を見せてもらおう。 |
塚本訳 | しかし主の御心ならば、大急ぎでわたしは行く。行けば、得意になっている人たちの(口先だけの)言葉ではなく、(実際の)力がみせてもらえる。 |
前田訳 | しかし主のみ心ならば、わたしはじきにそちらへ行きます。そして思いあがった人々のことばでなく、力を見せてもらいましょう。 |
新共同 | しかし、主の御心であれば、すぐにでもあなたがたのところに行こう。そして、高ぶっている人たちの、言葉ではなく力を見せてもらおう。 |
NIV | But I will come to you very soon, if the Lord is willing, and then I will find out not only how these arrogant people are talking, but what power they have. |
口語訳 | 神の国は言葉ではなく、力である。 |
塚本訳 | 神の国は言葉にはなく、力にあるのだから。 |
前田訳 | 神の国はことばにではなく、力にあります。 |
新共同 | 神の国は言葉ではなく力にあるのですから。 |
NIV | For the kingdom of God is not a matter of talk but of power. |
註解: パウロは是らの美辞を以て誇る者と直面して其の能力を試さんとしたのである、巧言美辞は人を驚かす事が出来よう、併し神の国に於ては何等の価値もない。神の国に於て価値あるものは其の霊的実力である。此の能力あるものは美辞を用いずとも人を動かし、悪魔に打勝つ事が出来る。パウロは此の点に於てコリントの信徒に向つて挑戦した。
辞解
[主の御意ならば] パウロの心は常に主の御意を行うより外に無い、之れは習慣的用語では無い。
4章21節
口語訳 | あなたがたは、どちらを望むのか。わたしがむちをもって、あなたがたの所に行くことか、それとも、愛と柔和な心とをもって行くことであるか。 |
塚本訳 | あなた達はどちらを望むのか。わたしが笞をもって行くことなのか、それとも、愛とおだやかな心とをもって行くことなのか。 |
前田訳 | どちらをお望みですか。笞をもってあなた方のところへ行きましょうか、それとも愛と柔和の霊をもっていきましょうか。 |
新共同 | あなたがたが望むのはどちらですか。わたしがあなたがたのところへ鞭を持って行くことですか、それとも、愛と柔和な心で行くことですか。 |
NIV | What do you prefer? Shall I come to you with a whip, or in love and with a gentle spirit? |
註解: 若し彼らが尚も悔改めずして其の高慢を続け分離を重ねるならばパウロは笞をもて彼らを罰しなければならない。是れパウロに取りても彼らに取りても大なる苦痛であつた。夫故に彼らが悔改めて党派心を去り謙遜 りて教会の一致を実現するならばパウロは愛と柔和の心とをもて到る事が出来るであろう。「此の何れを汝らは希望するか、勿論後者であろう、故に速に悔改めよ」とパウロは切に薦めているのである。
要義 [教会の分離の原因]1:10より4:21に至るまでパウロは教会の分離徒党の傾向について論じている。而して今日教会合同論者の唱うる如き態度を取らずして、パウロは深く教会分離の根本に其の目を注ぎ其処に其のメスを触 れることに由って此の病源を絶たんとしていたのである。
パウロの除かんとせる教会分離の原因は以上の分解が示す如く、其の一は人間崇拝(1:10-17)、其の二は人間の智慧に対する誇り(1:18-2:16)其の三は各人の働きの効果を重視する事(3:1-23)、其の四は使徒等の如き謙遜の生活を送らざる事(4:1-21)であった。而して各々の場合にパウロは、かかる原因を除くべき根本的の教理を教えている。即ち第一の場合には我らはバプテスマを受けてキリストに属けるものにして決して他の人に属するものにあらざる事、第二の場合には神の智慧こそ人間の智慧を遙に超越せるものなる事、第三の場合には各人の働きに差異があっても皆神の畠の同労者であり、神の宮の共同建築者である事、第四の場合にはパウロに効 いて人を審かず謙遜忍従の生涯を送るべき事を示し此の根本的解決を以てコリント教会の分離を止めんとしたのである。今日の教会と雖 も此の態度を取るより外に分離の病根を除く事は出来ないであろう。