ルカ伝第7章
分類
4 伝道の前進 6:12 - 8:56
4-4 病を醫し死者を甦らせ給う 7:1 - 7:17
7章1節 イエス
口語訳 | イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。 |
塚本訳 | イエスはこれら一切の話を人々に聞かせ終った後、カペナウムにかえられた。 |
前田訳 | 民にすべてのことを聞かせてから、彼はカペナウムに入られた。 |
新共同 | イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。 |
NIV | When Jesus had finished saying all this in the hearing of the people, he entered Capernaum. |
註解: 山上の垂訓が終るや否や2節以下の百卒長の僕の治癒の奇蹟が行われた。マタ8:5−13も同様の順序となっている。ただし内容の詳細はルカ伝と異なる点あり、同一資料をルカが変更せるものか、または始めから異なった資料があったのかについて問題がある。
7章2節
口語訳 | ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。 |
塚本訳 | すると、ある百卒長の大事な僕が病気で、もう危篤であった。 |
前田訳 | ある百卒長のかけがえのない僕が病気で死にそうであった。 |
新共同 | ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。 |
NIV | There a centurion's servant, whom his master valued highly, was sick and about to die. |
註解: 百卒長はローマの軍隊の将校でローマ人であるが、この百卒長はユダヤ人を愛していた人(5節)で、会堂を自費で建設して寄進した処を見るとあるいは改宗者(使2:10参照)であったかもしれない。
7章3節 イエスの
口語訳 | この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。 |
塚本訳 | 百卒長はイエスのことを聞くと、ユダヤ人の長老たちをイエスの所に使にやって、是非僕を直しに来てほしいと頼ませた。 |
前田訳 | 彼はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをつかわし、僕を救いに来てくださるようお願いした。 |
新共同 | イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。 |
NIV | The centurion heard of Jesus and sent some elders of the Jews to him, asking him to come and heal his servant. |
註解: マタイ伝によれば(マタ8:8)百卒長本人直接にイエスに逢った。ただしイエスに「来り」給わんことを願わず、唯「御言を賜う」ことを願ったのみであった。言い伝えの差異か資料の差異であろう。あるいはマタイ伝の場合記述を簡略にしたのであるとの見方もある。何れにしてもルカ伝の特徴は百卒長が遠慮あるいは謙遜のために一回もイエスに逢わないことであった。
7章4節
口語訳 | 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。 |
塚本訳 | 長老たちはイエスの所に来て、こう言って熱心に願った、「あの人はそうしていただいてもよい人です。 |
前田訳 | 彼らはイエスのところに来てしきりに願っていった、「あの人はそうしていただくにふさわしい人です。 |
新共同 | 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。 |
NIV | When they came to Jesus, they pleaded earnestly with him, "This man deserves to have you do this, |
7章5節 わが
口語訳 | わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。 |
塚本訳 | (異教人でありながら)わが国民に好意をもち、自分でわたし達に礼拝堂を建ててくれたのですから。」 |
前田訳 | わが民を愛して自らわれらに会堂を建ててくれました」と。 |
新共同 | わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」 |
NIV | because he loves our nation and has built our synagogue." |
註解: 「請う」なる動詞が未完了過去形で継続的動作を示し、かつ「切に」とあるを見ればマタ8:7とは異なり、イエスは容易に、百卒長の許に往くことを承諾されなかったかのごとくに見える(Z0)。主としてイスラエル中心に伝道しておられたイエスとしては、あるいはこの方が事実に近いようにも思われる。原文5節は4節の「相應し」の理由(gar)を示している。すなわちこの百卒長はユダヤ人を愛するのみならず自費をもってユダヤ人のために会堂(シナゴグ)を建立寄進したのであった。支配者として高慢な態度を取るローマ軍人の中でかかる事実は甚だ稀有のことであった。真理に対して忠実であり、かつ謙遜である彼の性格が窺われる。
7章6節 イエス
口語訳 | そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。 |
塚本訳 | イエスは彼らと連れ立って行かれた。しかし、すでにその家から程遠からずなったとき、百卒長は友人たちをやって言わせた、「主よ、ご足労くださらぬように。わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 |
前田訳 | イエスは彼らといっしょに行かれた。しかし、すでにその家からほど遠からずなったとき、百卒長は友人たちをやっていわせた、「主よ、ご足労なく。わが屋根の下にお入りいただく資格はわたしにありません。 |
新共同 | そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 |
NIV | So Jesus went with them. He was not far from the house when the centurion sent friends to say to him: "Lord, don't trouble yourself, for I do not deserve to have you come under my roof. |
7章7節 されば
口語訳 | それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。 |
塚本訳 | だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。 |
前田訳 | それで、わたし自らお近くに出るのはふさわないと思いました。ただ、おことばでおっしゃって、僕をおなおしください。 |
新共同 | ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。 |
NIV | That is why I did not even consider myself worthy to come to you. But say the word, and my servant will be healed. |
註解: 何故百卒長が急にその態度を変えたかは不明である(L2)。あるいは最初はその僕を醫したい念願にのみ心を奪われ他を顧みる余裕がなかったためであろう。やや落付きを回復して自己の無思慮を反省し恥じたのであろうか。どのように立派な人間にもかかることはあり得ないことではない。かくしてイエスがその家に近付き給うた頃に百卒長のイエスに対する信仰と謙遜な態度とが現れてきたのであった。彼はイエスが一言を発し給えばその僕は醫されることを確信した。悪鬼でさえもイエスに服従することが当然であると考えたからである。その理由は次節に記されている。
7章8節
口語訳 | わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。 |
塚本訳 | というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」 |
前田訳 | わたしは権威に服する人間で、部下に兵卒がいます。これに『行け』といえば行き、別のに『来い』といえば来ます。僕に『これをせよ』といえばします」と。 |
新共同 | わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 |
NIV | For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, `Go,' and he goes; and that one, `Come,' and he comes. I say to my servant, `Do this,' and he does it." |
註解: マタ8:9と同一、百卒長はイエスを神の子として明かに信じたものと断定し得ないにしても、非常に高い権威を持ち給うものと考えたことは明かである。他人の権威の下にある自分とイエスとを比較してイエスの一言が僕の病、または病の原因たる悪魔をも服従せしめ得ることを疑わなかった。
7章9節 イエス
口語訳 | イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。 |
塚本訳 | イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」 |
前田訳 | イエスはこれを聞いて彼に驚嘆し、ついて来た群衆に振り返っていわれた、「わたしはいう、イスラエルの中にもこんな信仰を見たことはない」と。 |
新共同 | イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」 |
NIV | When Jesus heard this, he was amazed at him, and turning to the crowd following him, he said, "I tell you, I have not found such great faith even in Israel." |
註解: イエスの最も喜び給うものは、この百卒長に見るような、単純にして絶対的な信仰であった。そしてイスラエルの救いのために心を労するイエスにとってこの異邦人の立派な信仰はことさらに強くその心を動かし、これをイスラエルに告げてその反省と悔改めとを促し給うたのであった。
7章10節
口語訳 | 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。 |
塚本訳 | 使の者が家に帰って見ると、僕は元気になっていた。 |
前田訳 | 使いの人たちが家に帰ると、僕はなおっていた。 |
新共同 | 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。 |
NIV | Then the men who had been sent returned to the house and found the servant well. |
註解: マタ8:13のごとき、御言をイエスは発し給うたのをここでは省略したとみるべきであろう。それによって僕は癒えたのであった。「健康となれり」は醫されたという意味よりさらに進んで健康状態を続けていたことを意味す。
要義 [絶対服従]イエスの賞揚し給うたのはこの絶対服従の信仰であった。それは人間が神に対して取るべき当然の態度であるからである。君主・主人・父・夫等に対してそれぞれ絶対の服従を聖書は要求しているのであるが、それは、これらを神の定め給える秩序として考えるからであり、従ってその意味の範囲内における服従は結局神に対する絶対服従の一部であって正しい道徳である。反対に神以外のものに対する服従のために、神に対する絶対的服従の態度を毀損するならば、それは罪であり偶像崇拝である。
7章11節 その
口語訳 | そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。 |
塚本訳 | そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。 |
前田訳 | そののち、彼はナインと呼ばれる町へ行かれた。弟子たちと多くの群衆がお伴した。 |
新共同 | それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。 |
NIV | Soon afterward, Jesus went to a town called Nain, and his disciples and a large crowd went along with him. |
註解: ナインはナザレの東南エンドールの近くにあり。
7章12節
口語訳 | 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。 |
塚本訳 | 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。 |
前田訳 | 町の門に近づかれると、ちょうど、あるひとり息子が死んで、かつぎ出されるところであった。その母はやもめで、町のかなりの群衆がいっしょにいた。 |
新共同 | イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。 |
NIV | As he approached the town gate, a dead person was being carried out--the only son of his mother, and she was a widow. And a large crowd from the town was with her. |
註解: 直訳「而して視よ、寡婦なりし母の独息子死にて舁 き出さる」。最も悲惨なる同情すべき境遇に彼女は陥った。泣いても泣き切れなかった。イエスも自然と同情に動かされた。
註解: 全町民の同情も自然にそこに集ったことが知られる。
口語訳 | 主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。 |
塚本訳 | 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、 |
前田訳 | 主は彼女を見てあわれみ、「泣かないで」といわれた。 |
新共同 | 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。 |
NIV | When the Lord saw her, his heart went out to her and he said, "Don't cry." |
7章14節
口語訳 | そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。 |
塚本訳 | 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。 |
前田訳 | そして近よって棺(ひつぎ)に手をかけられた。かつぐものが立ちどまったのでいわれた、「若者よ、あなたにいう、起きよ」と。 |
新共同 | そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。 |
NIV | Then he went up and touched the coffin, and those carrying it stood still. He said, "Young man, I say to you, get up!" |
註解: イエスがその寡婦を憐み給う御心が、また彼の奇蹟力の源であった。愛は力を生む。愛なき力はサタンの業である。イエス「泣くな」と言い給う時、すでに彼を甦えらしめんとの決心を示し給うたことは周囲の人々にも明かに感じられた。
辞解
[主] イエスを呼びかける場合に多く用いられたけれども、イエスに関する記事において「主」と称したのはこれが最初である。
[柩] soros は上部が開いているもの。
イエス
註解: 甦えりの日にイエスはかくして死者によびかけるであろう。イエスにより生命を与えらるべきものは死者でも活ける者のごとく、反対に永遠の死に入るべき者は生きていても死んだものと同様である。
7章15節
口語訳 | すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。 |
塚本訳 | すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは“彼を母に渡された。” |
前田訳 | 死人は起きあがって話しはじめた。イエスは彼を母に渡された。 |
新共同 | すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。 |
NIV | The dead man sat up and began to talk, and Jesus gave him back to his mother. |
註解: 神の力の片鱗が、この場合イエスにおいて発揮されたのであった。しかも極めて事もなげに行われていることに注意すべし。
7章16節
口語訳 | 人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神をほめたたえた。 |
塚本訳 | 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。 |
前田訳 | 皆がおそれを抱き、「大預言者がわれらのうちに現われた」。また、「神はその民を顧みたもう」といって神をたたえた。 |
新共同 | 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。 |
NIV | They were all filled with awe and praised God. "A great prophet has appeared among us," they said. "God has come to help his people." |
註解: この懼れは神を敬う心から起った懼れと見るべきである。ルカ9:20のような告白には至り得なかったけれどもルカ4:14以下のイエスの活動とを併せて、人々は少なくとも彼が偉大なる預言者であることと、神が特別の愛をもってイスラエルの上に臨み給うたこととを信ずるに至った。
7章17節 この
口語訳 | イエスについてのこの話は、ユダヤ全土およびその附近のいたる所にひろまった。 |
塚本訳 | イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。 |
前田訳 | イエスについてのこの話は全ユダヤとその周辺一帯にひろまった。 |
新共同 | イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。 |
NIV | This news about Jesus spread throughout Judea and the surrounding country. |
註解: ユダヤは広義すなわちパレスチナ全部、最寄の地はその周囲の地方。すなわちイエスの風評はイスラエル以外にも及んだ。なおこの奇蹟はヤイロの娘の復活(ルカ8:40以下)、ラザロの復活(ヨハ11:1以下)と共にイエスが死人を甦えらせ給える三つの記事の一つである。
要義 [泣くな]我らも愛する者の死に遭い、泣かざるを得ないことがしばしばある。かかる場合イエスは我らに対 い「泣くな」と言い給う。そしてそれは単に空虚な慰藉 の言ではなく、イエスは事実終りの日にその死にたる者を甦らせ給う。ゆえに我らには世の人々のごとくに絶望的悲しみに陥ることがない。悲哀慟哭の中にも明白なる希望を保持し、結局信ずる者には凡てのこと相働きて益を為すことを発見する(Tテサ4:13以下。ロマ8:28)。
7章18節
口語訳 | ヨハネの弟子たちは、これらのことを全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、 |
塚本訳 | 洗礼者ヨハネの弟子たちがこれら一切のことをヨハネに報告すると、彼は弟子を二人ほど呼びよせ、 |
前田訳 | ヨハネの弟子たちはこれらすべてを彼に告げた。 |
新共同 | ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、 |
NIV | John's disciples told him about all these things. Calling two of them, |
7章19節 ヨハネ[
口語訳 | 主のもとに送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。 |
塚本訳 | 主の所にやって、「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。 |
前田訳 | ヨハネは弟子たちからふたりのものを呼び、主のところにやっていわせた、「あなたが来たるべきお方ですか、それともほかの人を待つべきですか」と。 |
新共同 | 主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」 |
NIV | he sent them to the Lord to ask, "Are you the one who was to come, or should we expect someone else?" |
註解: 18−35節は大体マタ11:2−19に相当しているがマタ11:12−15はルカに欠け、ルカ7:20、21はマタイに欠けており、その他若干の小差別がある。ヨハネが投獄されていることはルカ3:20にすでに録されているが、本節の場合も獄中の出来事と見るべきである。彼は獄中にても弟子との面談を許されていたとみることができる。ヨハネの弟子たちは、イエスの説教や奇蹟を直接間接に見聞しており(22節)、これを獄に在るヨハネに告げた。ヨハネはイエスが果して期待せられしメシヤなりや否やにつき、なお充分なる確信に到達しなかったのでその弟子の中の二人をイエスの許に送って質問を放った。▲「両三人」は duo tinas の誤訳で「ある二人」の意、口語訳が正しい。
『
註解: イスラエルの救主として来るべき者であるかどうかとの質問である。
7章20節
口語訳 | そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマのヨハネからの使ですが、『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか、とヨハネが尋ねています」。 |
塚本訳 | その人たちはイエスの所に来て言った、「洗礼者ヨハネから来ました。『来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか』とおたずねするよう申しつけられました。」 |
前田訳 | その人たちはイエスのところに来ていった、「洗礼者ヨハネからつかわされました。『あなたが来たるべきお方ですか、それともほかの人を待つべきですか』と申しています」と。 |
新共同 | 二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」 |
NIV | When the men came to Jesus, they said, "John the Baptist sent us to you to ask, `Are you the one who was to come, or should we expect someone else?'" |
7章21節 この
口語訳 | そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、 |
塚本訳 | その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、 |
前田訳 | そのとき、彼は多くの人を病と苦しみと悪霊からいやし、多くの目しいを見えるようにされていた。 |
新共同 | そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。 |
NIV | At that very time Jesus cured many who had diseases, sicknesses and evil spirits, and gave sight to many who were blind. |
註解: 直訳は「多くの者を病および疾患、および悪霊より醫し」となる。イエスはルカ4:40、ルカ5:17以下、ルカ6:18以下のごとく、この時も種々の奇蹟的治癒を行い給うたので直ちに次節のごとくに答え給うた。
辞解
[病] nosos は永続的の病気、「疾患」 mastix は疫病その他の苦痛を与える事柄。
[得しめ] charizomai で恩恵として与えること。
7章22節
口語訳 | 答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 |
塚本訳 | 答えられた、「行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──“盲人は見えるようになり、”足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、“貧しい人は福音を聞かされている”と。 |
前田訳 | 彼は答えられた、「行ってあなたが見聞きすることをヨハネに告げよ、目しいは見、足なえは歩み、らい者は清まり、耳しいは聞き、死人はよみがえり、貧しい人々は福音に接する。 |
新共同 | それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 |
NIV | So he replied to the messengers, "Go back and report to John what you have seen and heard: The blind receive sight, the lame walk, those who have leprosy are cured, the deaf hear, the dead are raised, and the good news is preached to the poor. |
註解: イエスはその為し給える諸種の事実をもってヨハネに答え給うた。この点ではヨハネも、その他の古来の預言者たちもイエスに比すべきものが無かった。殊に貧しき者が福音を伝えられるということは著しい事実であった。イエスが何であるかはこれらの事実から判断さるべきものである。イエスの教説は勿論卓絶せるものではあるが、その奇蹟的事実がこれに伴うことによって何人にもイエスのメシヤたることが明らかに証明されたのであった。かくしてイザ35:5以下、イザ61:1以下の預言がイエスにおいて成就したのであった。
口語訳 | わたしにつまずかない者は、さいわいである」。 |
塚本訳 | わたしにつまずかぬ者は幸いである。」 |
前田訳 | さいわいなのはわたしにつまずかぬ人!」と。 |
新共同 | わたしにつまずかない人は幸いである。」 |
NIV | Blessed is the man who does not fall away on account of me." |
註解: イエスを政治的、この世的救い主と考える者は、上述のごときイエスを見て躓く、ヨハネもイエスに躓くの危険を充分にイエスは感じてかく警戒を与え給うたものと思われる。
7章24節 ヨハネの
口語訳 | ヨハネの使が行ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。 |
塚本訳 | ヨハネの使が立ち去ると、群衆にヨハネのことを話し出された。──「(さきごろ)あなた達は何を眺めようとして、荒野(のヨハネの所)に出かけたのか。風にそよぐ葦だったのか。(まさかそうではあるまい。) |
前田訳 | ヨハネの使いが去ると、彼は群衆にヨハネのことを話しだされた、「何を見にあなた方は荒野に出かけたのか。風にそよぐ葦か。 |
新共同 | ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。 |
NIV | After John's messengers left, Jesus began to speak to the crowd about John: "What did you go out into the desert to see? A reed swayed by the wind? |
註解: イエスは本節以下において、一般の人々のヨハネを理解することの足りないことを叱責すると同時にイエスに対する無理解をも暗に批難し給うた。
『なんぢら
註解: 野に出でてヨハネの弟子となろうとしたのでないか、然るにこのヨハネの真価を認め得ないというのはどうしたのか一体何を見ようとて荒野に出たのか。
註解: これならば荒野に到る処に生えている。しかしヨハネはそんな弱々しい存在ではない。
7章25節 さらば
口語訳 | では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。 |
塚本訳 | それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかい着物を着ている人か。見よ、りっぱな着物をきて贅沢をしている人ならば、宮殿にいる。 |
前田訳 | それでは何を見に出かけたのか。柔らかい着物を着た人か。見よ、立派な着物を着て派手に暮らしている人々は宮殿にいる。 |
新共同 | では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。 |
NIV | If not, what did you go out to see? A man dressed in fine clothes? No, those who wear expensive clothes and indulge in luxury are in palaces. |
註解: かかる者は荒野には居るはずがないから、かかる者を見んとて荒野に出たのではないことは明かである。
註解: かかる者を見るためならば荒野に出る必要はない。
7章26節 さらば
口語訳 | では、何を見に出てきたのか。預言者か。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。 |
塚本訳 | それでは、何を見ようとして出かけたのか。預言者か。そうだ、わたしは言う、(預言者だ。)預言者以上の者(を見たの)だ。 |
前田訳 | それでは何を見に出かけたのか。預言者をか。しかり、わたしはいう、預言者以上のものをである。 |
新共同 | では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。 |
NIV | But what did you go out to see? A prophet? Yes, I tell you, and more than a prophet. |
註解: 預言者ヨハネを見んとて荒野に出たのであるならば、汝らの目的は達された。否、達された以上である。何となればヨハネは預言者以上の人物であるから。かく言いてイエスは極力ヨハネを推奨し給うた。これはヨハネの人格そのものよりも、むしろ次節に述べられている彼の大使命の故であった。
7章27節 「
口語訳 | 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。 |
塚本訳 | “(神は言われる、)『見よ、わたしは使をやって、あなたの先駆けをさせ、”あなたの“前に道を準備させる』”と(聖書に)書いてあるのは、この人のことである。 |
前田訳 | 『見よ、わたしは使いをあなたの前につかわし、あなたの前に道をそなえさせよう』と書かれているのはこの人である。 |
新共同 | 『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。 |
NIV | This is the one about whom it is written: "`I will send my messenger ahead of you, who will prepare your way before you.' |
註解: マラ3:1よりの自由なる引用で原個所は神がイスラエルを救わんとて来たまう時、先駆としてその御使いをイスラエルのところに遣し、エホバの救いの準備を為さしめることの意味である。而してこの預言の成就として神の子イエスが来る準備の使いとしてヨハネが遣されたとの意味である。ここに「汝」はイエスを指すものと解されたのであった。
辞解
引用の個所、マラ3:1は原文とも異なりまた七十人訳とも異なる。原個所の意味をイエスとヨハネとの関係に適応するように変更したのであり、このような引用法は当時一般に行われた。
7章28節 われ
口語訳 | あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。 |
塚本訳 | わたしは言う、女の産んだ者の中には、ヨハネより大きい者は一人もない。しかし神の国で一番小さい者でも、彼より大きい。 |
前田訳 | わたしはいう、女の生んだもののうち、ヨハネ以上のはひとりもない。しかし神の国でもっとも小さいものも彼以上である。 |
新共同 | 言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」 |
NIV | I tell you, among those born of women there is no one greater than John; yet the one who is least in the kingdom of God is greater than he." |
註解: イエスはかく言いてヨハネを人間中の最も大なる者であることを断言し給うた。それは人類の救いのために神の子が来り給う場合の先駆者たる光栄を担ったのはこのヨハネであったからである。しかし彼の偉大さは女の産みたる者の中での偉大であって、神によりて生れし者(ヨハ1:13)すなわち神の国の民の中で比較的小さい者でもヨハネよりも偉大である。それは彼には神の生命が宿り、神の子とされていたからである。いわんや神の国において支配し給うべきイエスがヨハネに対して如何に優れてい給うかは自明の事柄である。イエスはこの点を暗示し給うたのであった。むしろそのためにヨハネのことを述べ、イエスに対する群衆の無理解を間接に警告し給うた。
註解: 29、30節の二節はイエスの24−28節の御言に対しルカが挿入し、31節以下と連絡せしめた解説であり、ヨハネが荒野において活躍せる時代の事実を指している。
7章29節 (
口語訳 | (これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めた。 |
塚本訳 | (ヨハネの説教を)聞いた民衆は皆、税金取りまで、ヨハネの洗礼を受け(ることによっ)て神の正しいことを認めた。 |
前田訳 | 彼に耳傾けた民は皆、取税人までもヨハネの洗礼を受けて、神を正しいとした。 |
新共同 | 民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。 |
NIV | (All the people, even the tax collectors, when they heard Jesus' words, acknowledged that God's way was right, because they had been baptized by John. |
7章30節 されどパリサイ
口語訳 | しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。) |
塚本訳 | しかしパリサイ人と律法学者とは、彼から洗礼を受けることをせず、彼らをも救おうとされた(せっかくの)神の御心をないがしろにした。 |
前田訳 | しかしパリサイ人と律法学者は彼から洗礼を受けずに、彼らのためを思う神のお心を無にした。 |
新共同 | しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。 |
NIV | But the Pharisees and experts in the law rejected God's purpose for themselves, because they had not been baptized by John.) |
註解: 次のごとくに私訳す。「凡ての民および取税人までも聞きてヨハネのバプテスマを受けて神を正しとしたれど、パリサイ人、教法師らはそのバプテスマを受けずして各自に対する神の御謀らいを拒みたり」。ヨハネの出現はイエスの前駆として、その準備を為さしめんとする神の企画によることであった。ヨハネは神のこの御旨に従いヨルダン河にてバプテスマを施した。このバプテスマを受けた民衆殊に一般に蔑視された取税人らは、神を義とし神の御図らいを信受したこととなり、反対にパリサイ人や教法師らは、バプテスマを受けなかったので、神がヨハネを遣して彼らを救う準備をなし給える御謀らいを拒否したこととなった。その結果またイエスをも拒んだのは当然のことであった。この思想が次節より35節までの理解に役立つ。
7章31節 さればわれ
口語訳 | だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。 |
塚本訳 | だから、(気ままな)この時代の人々を何にたとえようか。彼らは何に似ているだろうか。 |
前田訳 | さて、この時代の人々を何にたとえようか。彼らは何に似ていようか。 |
新共同 | 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。 |
NIV | "To what, then, can I compare the people of this generation? What are they like? |
7章32節
口語訳 | それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった』と言うのに似ている。 |
塚本訳 | 子供達が市場に坐って(嫁入りごっこや弔いごっこをしながら)、こう言って互に(相手の組と)呼びかわすのに似ている。──笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに、泣いてくれない。 |
前田訳 | 子どもが広場にすわって互いに呼びあうのに似る、『われらが笛を吹いたのにあなた方は踊らず、哀歌をうたったのにあなた方はなげかなかった』と。 |
新共同 | 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』 |
NIV | They are like children sitting in the marketplace and calling out to each other: "`We played the flute for you, and you did not dance; we sang a dirge, and you did not cry.' |
註解: 「たがひに」はマタ11:16のごとく「友を」の意味に取るべきであろう。童らの表顕する歓喜にも悲嘆にもその他の者は共鳴しない無感覚無理解である。この状態が今の代の人々の姿である。彼らはヨハネをも理解せずイエスをも理解しない。市の広場に演劇を行っている児童らに対する一般の無理解は、その演劇を破壊し落莫たる光景を呈する。
辞解
[たがひに] 童子らが互に叫ぶことの意味に取るのが自然であり、悲しむ者と躍るものとの間の無理解を示すごとくに見えるけれども、かく解すればイエスとヨハネとの間の無理解を意味することとなり、この世の譬としては不適当である。
7章33節 それはバプテスマのヨハネ
口語訳 | なぜなら、バプテスマのヨハネがきて、パンを食べることも、ぶどう酒を飲むこともしないと、あなたがたは、あれは悪霊につかれているのだ、と言い、 |
塚本訳 | なぜならあなた達は、洗礼者ヨハネが来てパンを食べず酒を飲まないと、『悪鬼につかれている』と言い、 |
前田訳 | なぜなら、あなた方は、洗礼者ヨハネが来て、パンを食べず、ぶどう酒を飲まないと、『悪霊につかれている』といい、 |
新共同 | 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、 |
NIV | For John the Baptist came neither eating bread nor drinking wine, and you say, `He has a demon.' |
註解: ヨハネは蝗 と野蜜とを食とし(マタ3:4)葡萄酒も濃き酒をも用いなかった(ルカ1:15)、また衣にも住にも極めて禁慾的の生活を行っており常人とは甚だしく異なった生活をしていた。
「
註解: このヨハネの態度が世人の浮華軽跳 を戒め悔改めしめんがためであることを知らずに世の人は彼を狂人扱いにしていた。
7章34節
口語訳 | また人の子がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。 |
塚本訳 | 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。 |
前田訳 | 人の子が来て飲み食いすると、『大食漢、酒飲み、取税人、罪びとの友』という。 |
新共同 | 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。 |
NIV | The Son of Man came eating and drinking, and you say, `Here is a glutton and a drunkard, a friend of tax collectors and "sinners."' |
註解: イエスは罪の赦しを与うる歓喜の福音を宣伝うるために来り給うたので、禁慾生活は彼に相応しくなかった。それ故彼は自由に飲食し、また如何なる人とも(殊に一般に嫌われ賤 められている人と)交わったのであった。然るに世の人はこれを理解せず冷眼をもってイエスを批評し、彼を放恣無頼 の徒のごとくに非難した。
7章35節 されど
口語訳 | しかし、知恵の正しいことは、そのすべての子が証明する」。 |
塚本訳 | しかし(神の)知恵の正しいことは、(税金取り、罪人など、)その子供たちがみんなで証明した。」 |
前田訳 | しかし知恵の正しさはその子ら皆によって示される」と。 |
新共同 | しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」 |
NIV | But wisdom is proved right by all her children." |
註解: 智慧は神というに同じ、智慧の子らは神の子らである。すなわちヨハネを受けイエスを信ずる者は智慧の子である。彼らは神を義とし、ヨハネの意義を認め、イエスが神の子救い主たることを信ずる。この世の人は神の御旨を拒んでいるのであるが彼らはこれを信じ受けてイエスに依り頼んだ。滔々 たる不信の浪の中に泛 ぶ者の中にも少数のものはかくして救われるのである。
辞解
[智慧] 旧約聖書においては智慧が神の本質であるとして取扱われている場合が多い。すなわち智慧とは神を抽象せる名称と考えられた。所謂「智慧文学」に属する部分には殊にこの傾向が強い。ここでも神という代りに「智慧」を用いたと見るべきである。またマタイ伝では「己が凡ての子」の代りに「己が霊」とあり自然意味は異なって来る。
要義 「躍らず泣かず」イエスが「今の代」と言い給うた時よりすでに千九百年余を経過したにもかかわらず、今日もまたその当時と同じくヨハネをもキリストをも受けない。世はその罪に泣かず、イエスの救いに躍らない。しかし今日もその当時と同じく少数の智慧の子たちがあり、神の御旨を受け、イエスを信じてイエスに来る。自己の罪に泣く者は、やがてイエスの贖いによって、喜び躍ることができるのである。
註解: 本節以下50節までの記事とマタ26:6−13。マコ14:3−9。ヨハ12:1−8にある類似の記事との異同について附記を参照すべし。
7章36節 ここに
口語訳 | あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。 |
塚本訳 | (シモンという)ひとりのパリサイ人が一しょにお食事をと願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。 |
前田訳 | パリサイ人のひとりがごいっしょに食事をと彼に願ったので、そのパリサイ人の家に入って食卓につかれた。 |
新共同 | さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。 |
NIV | Now one of the Pharisees invited Jesus to have dinner with him, so he went to the Pharisee's house and reclined at the table. |
註解: このパリサイ人の名はシモンであった(40、43、44)。彼は必ずしもイエスに信頼していなかったこと、むしろ批判的態度を彼に対して持っていたことは、39節から、および彼の徹底的にパリサイ主義的であることから想像し得る処であるが、彼がイエスを招いたのは彼にも幾分イエスを尊敬する心と、疑問の人物としてイエスの真相を把握したいとの考えがあったのであろう。イエスがこの程度の招待にも応じ給うたことは、彼の非宗派的精神を示す。そしてこれがこのパリサイ人に偉大なる教訓を与えようとして神が供え給うた機会であった。
口語訳 | するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、 |
塚本訳 | すると、その町に一人の罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食卓についておられることを知ると、香油のはいった石膏の壷を持ってきて、 |
前田訳 | そのとき、その町にひとりの罪の女がいた。イエスがパリサイ人の家で食事中と知って、香油の入った石膏の壺を持参し、 |
新共同 | この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、 |
NIV | When a woman who had lived a sinful life in that town learned that Jesus was eating at the Pharisee's house, she brought an alabaster jar of perfume, |
註解: 原語「罪人なる一人の女」。これを姦淫の罪を犯せるまたは犯しつつある女と見る説があるけれども(Z0)多くの学者は売春婦として知られている女と解している(B1、M0、J0)。後者が適当である。
イエスのパリサイ
7章38節
口語訳 | 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。 |
塚本訳 | 泣きながら後ろからイエスの足下に進み寄り、しばし涙で御足をぬらしていたが、やがて髪の毛でそれをふき、御足に接吻して香油を塗った。 |
前田訳 | 泣きながらうしろからお足もとに寄り、まず涙でみ足をぬらし、やがて髪の毛でそれを拭い、み足に口づけして香油をぬった。 |
新共同 | 後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。 |
NIV | and as she stood behind him at his feet weeping, she began to wet his feet with her tears. Then she wiped them with her hair, kissed them and poured perfume on them. |
註解: この女はイエスのことについて聴き知っていたのであろう。そして何時かは彼の前に、その罪を懺悔告白したい願いに充たされていたのであろう。イエスがその町のパリサイ人シモンの家に入られたことを確めたので矢も盾もたまらず、冷眼視するシモン始め多くの客の前をすら憚 らず、イエスの後に泣いてその悔改めの心を表白し、その御足の上に涙を流し、これをその美しい髪の毛で拭い取り、さらにその御足に貴重な香油を塗り接吻しつづけて(これらの動詞は未完了過去)いた。何という美しい光景であろうか、彼女の砕けた心には、イエスがすでにその罪を赦し給うたことを直感し、感謝の心に溢れ、イエスを愛する心で一杯であった。心と心との感応である。なおZ0はこの女は以前からイエスを知り、イエスによって罪の赦しを得ていたものと解しているが不適当であり、その必要がない。
辞解
[後に立ち] 当時の風習としてはユダヤ人の食卓は高さの低い机で、食卓につく者は床に腰を下し、左の肱をその食卓に支え、両脚を斜め右に伸ばす習慣であった。この姿勢を考慮に入れるならば、女がその後に立ち(立つというよりむしろ跪 いたのであろう)イエスの御足に対してその愛と感謝とを表示した姿を想像することができる。
7章39節 イエスを
口語訳 | イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。 |
塚本訳 | イエスを招待したパリサイ人が見て、ひそかに思った、「もしもこの人が(ほんとうの)預言者だったら、自分にさわっている者がだれだか、どんな女だか、──罪の女だと分るはずであるのに!」 |
前田訳 | 彼を招いたパリサイ人がそれを見てひそかに思った、「もしこの人が預言者なら、自分にさわったものがだれか、どんな女か、すなわち罪の女とわかるだろう」と。 |
新共同 | イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。 |
NIV | When the Pharisee who had invited him saw this, he said to himself, "If this man were a prophet, he would know who is touching him and what kind of woman she is--that she is a sinner." |
註解: このパリサイ人はルカ7:32−34節の場合のごとくイエスの御心とこの女の心とに対しても無感覚であった。自らを義と考えるので、罪と汚れとを蛇蝎 のごとくに嫌い、罪人を冷眼をもって蔑視していた。他の人々もほぼこれと同一の態度に出ていたのであろう。そしてイエスが如何なる態度に出るかが、彼らのイエスを評価する標準であった。もしイエスがその女に対し顔を顰 めて、これを叱りその足をもって蹴飛ばしたならばパリサイ人らはイエスを義人と考えたであろう。義人をもって任ずるキリスト者の中にも、かかる人々を見ることが少なくない。
口語訳 | そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「シモン、あなたに言わねばならぬことがある。」彼が言う、「先生、言ってください。」イエスが言われる、 |
前田訳 | イエスがいわれた、「シモン、あなたにいうことがある」と。彼はいう、「先生、おっしゃってください」と。 |
新共同 | そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。 |
NIV | Jesus answered him, "Simon, I have something to tell you." "Tell me, teacher," he said. |
註解: イエスはシモンの心中を読み取り、これに答え給うた。
『シモン、
註解: イエスは特にシモンの注意を促し給うた。
7章41節 『
口語訳 | イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。 |
塚本訳 | 「ある金貸しに二人の債務者があった。一人は五百デナリ(二十五万円)、一人は五十デナリ(二万五千円)を借りていた。 |
前田訳 | 「ある金貸しにふたりの借り手があった。ひとりは五百デナリ、ひとりは五十デナリを借りていた。 |
新共同 | イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。 |
NIV | "Two men owed money to a certain moneylender. One owed him five hundred denarii, and the other fifty. |
7章42節
口語訳 | ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。 |
塚本訳 | 返すことができないので、金貸しは二人(の借金)をゆるしてやった。とすると、二人のうち、どちらが余計に金貸しを愛するだろうか。」 |
前田訳 | 返すものがなかったのでふたりともゆるしてやった。そこで、ふたりのうちどちらが金貸しを多く愛するか」と。 |
新共同 | 二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」 |
NIV | Neither of them had the money to pay him back, so he canceled the debts of both. Now which of them will love him more?" |
7章43節 シモン
口語訳 | シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。 |
塚本訳 | シモンが答えた、「余計にゆるしてもらった方だと思います。」イエスは「あなたの判断は正しい」と言って、 |
前田訳 | シモンが答えた、「多くゆるしてもらったほうと思います」と。彼はいわれた、「あなたの考えは正しい」と。 |
新共同 | シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。 |
NIV | Simon replied, "I suppose the one who had the bigger debt canceled." "You have judged correctly," Jesus said. |
註解: イエスはシモンの心中の疑問を少しも取り上げず、かえってシモンの心中の罪を指摘し、その悔改むる心の無きことを責め給う。そのために二人の負債者の例をもって語り給うた。罪人たる女との比較の前提である。
7章44節 かくて
口語訳 | それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。 |
塚本訳 | 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。 |
前田訳 | そして女のほうに振り向いてシモンにいわれた、「この女の人が見えるか。わたしがあなたの家に来たとき、あなたは足洗いの水をくれなかったのに、彼女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。 |
新共同 | そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 |
NIV | Then he turned toward the woman and said to Simon, "Do you see this woman? I came into your house. You did not give me any water for my feet, but she wet my feet with her tears and wiped them with her hair. |
7章45節 なんぢは
口語訳 | あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。 |
塚本訳 | あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。 |
前田訳 | あなたは口づけしてくれなかったのに、彼女はわたしが来てからわたしの足に口づけしつづけた。 |
新共同 | あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。 |
NIV | You did not give me a kiss, but this woman, from the time I entered, has not stopped kissing my feet. |
7章46節 なんぢは
口語訳 | あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。 |
塚本訳 | あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。 |
前田訳 | あなたは頭に油をぬってもくれなかったのに、彼女は香油を足にぬってくれた。 |
新共同 | あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。 |
NIV | You did not put oil on my head, but she has poured perfume on my feet. |
註解: シモンと罪ある女との態度の差を対比してその心の差を明かにし給う。親しい客、または貴い客を接待する時は家に入る前にその家の家僕または時には妻が盥 に水を入れて客の足を洗うのが礼であった。また客を迎えてこれに接吻し、またはその頭に油を抹 ってその姿を端正にすることも行われた。シモンはその一つをも行わず、その女は極めて自然なる衝動から、これに類する凡てのことを行ったのであった。
辞解
[油] elaion は橄欖(オリーブ)の油で普通の比較的安価な油、「香油」 myron は外国産の高貴な香料を交えた貴高き品。
7章47節 この
口語訳 | それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。 |
塚本訳 | だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」 |
前田訳 | それゆえあなたにいう、彼女の多くの罪はゆるされている。多く愛したゆえにである。ゆるされることの少ないものは愛することも少ない」と。 |
新共同 | だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 |
NIV | Therefore, I tell you, her many sins have been forgiven--for she loved much. But he who has been forgiven little loves little." |
註解: 愛すること大なるが故に多くの罪が赦されたとの意味ではない。かく解する時は41、42節の譬話とも矛盾しまた次に来る句とも矛盾する。かく解することから種々の問題を起した。しかしこの一句の意味は「その女の多くの罪は赦されている。その証拠は、またはかく言い得る理由は、その愛することが大きいということである」と解するべきである(B1、M0、L2、Z0等)。すなわちその女の大なる愛は多くの罪の赦しの原因ではなく二者は即一的同時的事実である。この女の罪は如何にして何時赦されたか、それは女の心はその罪の悔改めのために泣きくずおれ、而してイエスの心から罪を赦す愛がその砕けし心の中に流れ込んだからである。以心伝心の罪の赦しであった。
註解: シモンがイエスを愛することが少ないのはその罪が赦されたという経験を持たないからである。この一句において、明かに愛が罪の赦しと同時的となっていることに注意すべし。
7章48節
口語訳 | そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。 |
塚本訳 | そしてその女に言われた、「あなたの罪は赦されている。」 |
前田訳 | 彼女にいわれた、「あなたの罪はゆるされている」と。 |
新共同 | そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。 |
NIV | Then Jesus said to her, "Your sins are forgiven." |
註解: すでに赦していた事実の確認また宣言である。シモンおよび会衆に対する教訓もこの中に多分に含んでいた。
7章49節
口語訳 | すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。 |
塚本訳 | 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」 |
前田訳 | 同席のものはひそかに考えはじめた、「この人はだれだろう、罪をもゆるすとは」と。 |
新共同 | 同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。 |
NIV | The other guests began to say among themselves, "Who is this who even forgives sins?" |
註解: 同席の者はイエスが神の子として地上に罪を赦す権威があることを知らなかった。
7章50節 ここにイエス
口語訳 | しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。 |
塚本訳 | しかしイエスは女に言われた、「あなたの信仰があなたを救った。“さよなら、平安あれ。”」 |
前田訳 | 彼は女にいわれた、「あなたの信仰があなたを救った。やすらかにお帰り」と。 |
新共同 | イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。 |
NIV | Jesus said to the woman, "Your faith has saved you; go in peace." |
註解: 女を救ったのはその愛の行為ではなく、イエスを救い主として全き信頼をささげたその信仰であった。この信仰から罪が赦されたとの確信が湧き出で、その喜びが転じてイエスを愛する大なる愛となり、また罪を赦され神に受納れられることによる心の平安となる。
辞解
[安らかに往け] 「平安の中に往け」とあり、平安の中に入りまたその中に在って去りゆけとの意味。
要義1 [信仰と罪の赦し]罪ある女が信仰によってその罪を赦され、救われるに至った径路は、純然たる主観であって、イエスの人格に対する絶対的信頼であった。そこに一片の神学的思索の影をも見ることができず、またイエスを神の子と信じたかどうかも判明せず、またその罪悪意識も罪の本質にまで深く掘り下げ、神に対する反逆の意識まで到達したものとも思われない。唯自己の過去の不倫汚穢の生活に耐えかねて、その罪を懺悔告白したのであった。イエスは愛をもってその罪を赦し給うたのである。しかしイエスは同時にこの女が神に対して果すべき凡ての負債を自己の上に負うて十字架につき給うたのであった。イエスが自由に罪の赦しを宣言し給うたのは、同時に自らその凡ての罪の責任を負い給うたからであった(ルカ8:48。ルカ17:19。ルカ18:42)。
要義2 [罪とその責任]罪は一面対人的行為(不孝・殺人・姦淫・虚偽・貪慾・窃盗等)であり、他面精神的行為(偶像礼拝・神名冒涜等)である。しかして対人的行為も神の律法に違反する意味において精神的行為とともに神に対する反逆をその基礎的罪と為しているものである。対人的罪過は人に対する懺悔によってその人より赦しを得るのであるが、相手に与えた各種の損害はこれを償わなければならない。然るに人に対する罪も結局神に対する罪であり、凡ての罪は要するに神に対する反逆の罪である以上、この反逆の罪の責任を何をもって果すことができるか。これは自己の死をもってするより外にない。そして神に対し、自己の罪の責任を果さない者は真に悔改めたものではない。従って凡ての人は自己の罪の責任を負うて死ななければならない。血を流すことなくば赦されることなし(ヘブ9:22)。然るにイエスは我らの凡ての罪を負い十字架上に贖いの血を流し給うた。彼によって悔改むる我らの罪過の責任は解除され、完全なる罪の赦しを得るに至ったのである。本章の罪ある女の赦しの背後にイエスの贖いがあることに注意しなければならない。
附記 イエスに油を抹った女の記事は四福音書に各々一回ずつ掲げられている。マタ26:6−13。マコ14:3−9。ヨハ12:1−8とルカ伝のこの記事とである。マタイとマルコとはほぼ同一であるが、ヨハネはやや異なりルカは甚だしく異なっている。唯共通の点は饗宴の主人がシモンという名の人であることと女子がイエスに油を塗ったことだけである。唯全体として類似の感じが多いので古来これを同一事実の三つの変奏曲であるとする説と、あるいは二つの事件または三つの事件、甚 だしきは四つの異なった事件と見る説がある。この中最も正しいと思われる説はルカ伝のみが別の事件で、他の三福音書の記事は同一事件を取扱っているとする説である。すなわち二つの事実があったと見るのである。この二つの間の差異は(1)時、(2)場所、(3)主人の性質、(4)物語の主眼、(5)周囲の反応等であって、これを同一の事件と見ることができない。他の三福音書の記事は一致点が多く、唯ヨハネ伝が幾分修正の目的で記されたことが認められるだけである。
ルカ伝第8章
4-6 弟子たることに関する校訓 8:1 - 8:21
4-6-イ イエスに従う人々 8:1 - 8:3
註解: 6:20以下7:50までルカはマルコ伝に欠けている材料のみを排列していたけれども8:4−9:50は再びマルコ伝の順序に従って記事を進めている。この間の特徴は、イエスが専ら巡回伝道に従事し給えること、弟子たちの活動の場合を一層多くしたこと、また弟子たちの訓練に特に力を入れたことである。8:1−3はその緒言である。
8章1節 この
口語訳 | そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。 |
塚本訳 | その後、イエスは町から町、村から村へと回りながら、神の国を説き、その福音を伝えられた。十二人(の弟子)がお供をした。 |
前田訳 | そののち彼は町々村々をまわって神の国をのべ伝え、その福音を説かれた。十二人がお伴をした。 |
新共同 | すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。 |
NIV | After this, Jesus traveled about from one town and village to another, proclaiming the good news of the kingdom of God. The Twelve were with him, |
註解: 十二弟子の選任はルカ6:12−16において行われたのであったが、その後ルカ7:11以外は弟子の活躍せる様子が見えず、主としてイエスの活躍と説教とが中心であった。
8章2節 また
口語訳 | また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、 |
塚本訳 | また悪霊や病気をなおしていただいた数名の女たち、すなわち、七つの悪鬼を追い出されたマグダラの女と呼ばれたマリヤと、 |
前田訳 | 悪霊や病からいやされた何人かの女たち、すなわち、七人の霊から解放されたマグダラの女ことマリヤ、 |
新共同 | 悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、 |
NIV | and also some women who had been cured of evil spirits and diseases: Mary (called Magdalene) from whom seven demons had come out; |
8章3節 ヘロデの
口語訳 | ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。 |
塚本訳 | ヘロデ(・アンデパス王)の家令クーザの妻ヨハンナと、スザンナと、そのほか大勢の女たちも一しょであった。女たちは自分の財産を持ち出して、みなを賄った。 |
前田訳 | ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナとスザンナ、そのほか多くの女たちもいっしょであった。彼女らは自分の財産を出して彼らに奉仕した。 |
新共同 | ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。 |
NIV | Joanna the wife of Cuza, the manager of Herod's household; Susanna; and many others. These women were helping to support them out of their own means. |
註解: 四福音書中婦人に関し特に注意深く録しているのはルカである。婦人の愛はイエスをその苦難の中に慰め、その奉仕は彼らの伝道を助けること多大であった。
辞解
[マグダラ] ガリラヤ湖の西岸の小村落。このマリヤは七つの悪鬼による特に重き病から醫された女であった。イエスの死、埋葬、復活の記事に重要な地位を占めている(ルカ24:10。マタ27:56、マタ27:61。マタ28:1。マコ15:40、マコ15:47。マコ16:1。ヨハ19:25。20:1−18)。
[ヘロデ] ヘロデ・アンテパスでヘロデ大王の子、クーザはその大蔵大臣のごときもの、その妻ヨハンナは当時寡婦であったものと思われる。この種の貴顕 の助力は社会的に好影響が有ったろう。ヨハンナとスザンナはルカ伝のみに記されている(ルカ24:10)。
要義 [婦人と信仰]婦人の人格の完全に認められたのはイエスに始まる。これは神の子としての男子と婦人の平等を知っただけではなく、婦人が真の信仰を得る場合は始めて人格的に男子の尊敬を得るに足る性格を持つに至るからである。
8章4節
口語訳 | さて、大ぜいの群衆が集まり、その上、町々からの人たちがイエスのところに、ぞくぞくと押し寄せてきたので、一つの譬で話をされた、 |
塚本訳 | (ある時)大勢の群衆が集まり、また町々からも人々が押しよせてきたので、イエスは譬を用いて話された、 |
前田訳 | 大勢の群衆が集まり、町々からも人々が押しよせたので、彼は譬えでいわれた、 |
新共同 | 大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。 |
NIV | While a large crowd was gathering and people were coming to Jesus from town after town, he told this parable: |
註解: 場所も時も明示されていない。この種蒔きの譬話はマタイ、マルコも共にこれを掲げているがルカ伝は最も簡単である。ルカが農業にあまり興味を有たないためであろう。ただし内容の理解には差支えがない。
8章5節 『
口語訳 | 「種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、ある種は道ばたに落ち、踏みつけられ、そして空の鳥に食べられてしまった。 |
塚本訳 | 「種まく人がその種をまきに出かけた。まく時に、あるものは道ばたに落ちた。踏みつけられたり、空の鳥が食ったりした。 |
前田訳 | 「種まきが種をまきに出かけた。まくうちに、あるものは道ばたに落ちて、踏みつけられ、空の鳥が食べた。 |
新共同 | 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。 |
NIV | "A farmer went out to sow his seed. As he was scattering the seed, some fell along the path; it was trampled on, and the birds of the air ate it up. |
8章6節
口語訳 | ほかの種は岩の上に落ち、はえはしたが水気がないので枯れてしまった。 |
塚本訳 | またほかのものは岩の上に落ちた。(生えるには)生えたが、湿り気がないので枯れてしまった。 |
前田訳 | あるものは岩の上に落ちた。生えたが、水気がないので枯れた。 |
新共同 | ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。 |
NIV | Some fell on rock, and when it came up, the plants withered because they had no moisture. |
8章7節
口語訳 | ほかの種は、いばらの間に落ちたので、いばらも一緒に茂ってきて、それをふさいでしまった。 |
塚本訳 | またほかのものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が一しょに生えて押えつけてしまった。 |
前田訳 | あるものは茨の間に落ちた。すると茨がいっしょに生えて押えつけた。 |
新共同 | ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。 |
NIV | Other seed fell among thorns, which grew up with it and choked the plants. |
8章8節
口語訳 | ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ」。こう語られたのち、声をあげて「聞く耳のある者は聞くがよい」と言われた。 |
塚本訳 | またほかのものは善い地に落ちた。生えて(育って)百倍の実を結んだ。」こう言ったあとで、「耳の聞える者は聞け」と叫ばれた。 |
前田訳 | あるものはよい地に落ち、生えて百倍の実がなった」と。こういってから、「聞く耳あるものは聞け」と叫ばれた。 |
新共同 | また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。 |
NIV | Still other seed fell on good soil. It came up and yielded a crop, a hundred times more than was sown." When he said this, he called out, "He who has ears to hear, let him hear." |
註解: イエスはかく言いてその内容を群衆に説明し給わなかった。その理由は10節に示されている。それ故イエスはこの譬えを語ったまま暫く沈黙して後、次の語を発し給うた。
これらの
8章9節
口語訳 | 弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。 |
塚本訳 | 弟子たちがこの譬はどういう意味かと尋ねると、 |
前田訳 | 弟子たちがこの譬えの意味をおたずねすると、 |
新共同 | 弟子たちは、このたとえはどんな意味かと尋ねた。 |
NIV | His disciples asked him what this parable meant. |
8章10節 イエス
口語訳 | そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。 |
塚本訳 | 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、ほかの人たちには譬をもって話すのである。これは(聖書にあるように、)“彼らが見ても見えず、聞いても悟らない”ようにするためである。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「あなた方には神の国の奥義を知ることがゆるされているが、ほかの人たちには譬えで話す。彼らが見ても見えず、聞いても悟らないためである。 |
新共同 | イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密を悟ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、/『彼らが見ても見えず、/聞いても理解できない』/ようになるためである。」 |
NIV | He said, "The knowledge of the secrets of the kingdom of God has been given to you, but to others I speak in parables, so that, "`though seeing, they may not see; though hearing, they may not understand.' |
註解: 「為なり」は目的を表す。何故に弟子たち以外には神の国の奥義を解らせないのであるか。それは彼らに知らせないためであるとイエスは言い給う。この強い言はイザ6:9の引用で、神はさらにイザヤに命じて「なんぢこの民の心を鈍くし、その耳をものうくし、その眼をおほへ、恐らくはかれらその眼にて見その耳にてきき、その心にてさとり、翻りて醫されることあらん」(イザ6:10)と言い給えるごとく、イエスをして民の目と耳とを塞がしめんとし給う意味である。すなわち不信の民の上に下る審判であるが、この審判は愛の審判で結局これにより彼らを励まし、彼らをして真理をさとらしめんがためである。事実、真理は譬諭の中に隠されており、表面に出ていない。しかも譬諭はこれを記憶し易い。そして熱心に真理を求める者はこの隠された真理を譬諭の中から取り出そうと努力することによって、かえって真理を発見する。すなわち隠されることによってかえって顕わされる。マタイ伝(マタ13:13)はややこの語気を弱めている。なおマタ13:14、15に上掲イザ6:9、10を引用しているがそれは七十人訳によったものである。
口語訳 | この譬はこういう意味である。種は神の言である。 |
塚本訳 | 譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。 |
前田訳 | 譬えはこうである。種は神のことばである。 |
新共同 | 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。 |
NIV | "This is the meaning of the parable: The seed is the word of God. |
註解: この神の言を語るものはイエスであり、イエス自身が神の言である。そして弟子たちはこれを播く者である。
8章12節
口語訳 | 道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。 |
塚本訳 | 道ばたのものとは、(御言葉を)聞くと、あとで悪魔が来て、彼らを信じて救われることのないように、その心から御言葉をさらってゆく人たちである。 |
前田訳 | 道ばたのものとは、聞くがそのあとで悪魔が来て、彼らが信じて救われないようにと、その心からことばを取り去る人々である。 |
新共同 | 道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。 |
NIV | Those along the path are the ones who hear, and then the devil comes and takes away the word from their hearts, so that they may not believe and be saved. |
註解: 道路沿いの地は人に踏まれて固くなっているので種子が地中に入らない。習慣や伝統によって固まっている心には神の言は容易に深入りし得ず、信仰に入り難い。その間に種々の事情が、彼らの心より神の言を奪い彼らを救いから遠ざける。これはサタンの働きである。
8章13節
口語訳 | 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。 |
塚本訳 | 岩の上のものとは、御言葉を聞く時、喜んで受け入れるが、この人たちには(しっかりした信仰の)根がないので、その当座は信じているが、試みの時に離れおちる人たちである。 |
前田訳 | 岩の上のものとは、聞いてよろこんで受け入れるが、この人たちは根がないので、しばらくは信じているが試みの時に離れる人々である。 |
新共同 | 石地のものとは、御言葉を聞くと喜んで受け入れるが、根がないので、しばらくは信じても、試練に遭うと身を引いてしまう人たちのことである。 |
NIV | Those on the rock are the ones who receive the word with joy when they hear it, but they have no root. They believe for a while, but in the time of testing they fall away. |
註解: 岩の上は土壌が薄い、路傍とはちがい習慣や伝統に踏み固められていない故、如何なる真理でも容易に受ける。岩は太陽熱を受けて種子の発育を早める。感じ易い人、軽薄な人、単純な人に相当する。かかる人は急に一時信仰に燃えるけれども間もなく枯死する。日光や熱の甞試 に耐え得ないからである。「退く」は信仰を離れること。
8章14節
口語訳 | いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである。 |
塚本訳 | 茨の中に落ちたもの、これは(御言葉を)聞く(と、しばらくは信じている)が、とかくするうちに人生の心配や富や快楽に押えつけられて、実の熟さない人たちである。 |
前田訳 | 茨の間に落ちたものとは、聞いて、人生のわずらいや富や快楽に押えられて、実らない人々である。 |
新共同 | そして、茨の中に落ちたのは、御言葉を聞くが、途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて、実が熟するまでに至らない人たちである。 |
NIV | The seed that fell among thorns stands for those who hear, but as they go on their way they are choked by life's worries, riches and pleasures, and they do not mature. |
註解: 素質は福音を受け納れるに適しているけれども、現世的慾望をも強く心に蔵している種類の人である。かかる人はこの世の慾に支配されて神の言の種子を発育せしめない。まずこの世の何たるか、その頼りなきものなることを認め、神に祈ってその慾求を除去されるより外にない。
8章15節
口語訳 | 良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。 |
塚本訳 | しかし良い地のもの、これは御言葉を聞くと、りっぱな善い心でこれをしっかり守り、忍耐をもって実を結ぶ人たちである。 |
前田訳 | よい地のものとは、よい正しい心でみことばを聞いて守り、忍耐をもって実る人々である。 |
新共同 | 良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。」 |
NIV | But the seed on good soil stands for those with a noble and good heart, who hear the word, retain it, and by persevering produce a crop. |
註解: 正しく善き心は伝統や習慣に支配されず、それらの中から善悪を見分け得る心であり、またあらゆる世の試誘 に対し忍耐をもってこれに耐え得る者には多くの果が結ばれる。柔らかくして深みがあり、雑草の繁茂 を許さざる土壌が良き地であると同じく、かかる心に播かれし種は多くの果を結ぶ。なおマタ13:23要義一、二参照。
要義1 [我が心の土壌]人は遺伝・家庭・教養・環境等の影響下に、種々の心の土壌が出来上って来るのであって、我らは充分に自己を反省して、自己の心の性格を明らかにしなければならない。そして一見これらの性格の大部分は宿命的に固定しているかのごとくであるけれども、農夫が開拓と肥料と、異なる性質の土壌を混合すること等によって土質を変化するのと同様、我らの心の土質もある程度の変更は可能であり、また必要である。また我らは神の言の力をその真の力をもって我らの上に及ぼすならば、小粒の原子爆弾が一都市を破壊するごとく、我らの心の岩や、踏みなれた道路をも打砕くことができる。種播きの譬喩の示す四種の土地は各人に宿命的に固定して動かし得ないものと考えてはならない。
要義2 [性格の差]良き地、良き土壌とても凡てがみな同一の性質ではなく、また同一であってはならない。異なった性格の土壌は異なった植物に適当する。これと同様人間の性格の差異は決して詛わるべきものではなく、かえって神の御旨である。各々異なった性格を有しつつみなこれを良き地とすることができる。路傍の地・石地・茨の地等は土地そのものの性格というよりもむしろその遺伝・環境・教養等の結果である場合が多い。
8章16節
口語訳 | だれもあかりをともして、それを何かの器でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである。 |
塚本訳 | (しかし外の人たちに神の国の秘密が隠されるのは、ただしばらくである。)だれも明りをつけて器でおおい隠したり、寝台の下に置いたりする者はない。(部屋に)入ってくる者にその光が見えるように、かならず燭台の上に置くのである。 |
前田訳 | だれも明りをつけて器でおおったり寝台の下に置いたりはしない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 |
新共同 | 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。 |
NIV | "No one lights a lamp and hides it in a jar or puts it under a bed. Instead, he puts it on a stand, so that those who come in can see the light. |
註解:蝋燭 でもランプでも蝋や油自身に光は無いが外からこれに火を点ずれば光を放つ。イエスの弟子たちも彼ら自身が光るのではないが、イエスに火を点ぜらる場合光を放つ。この光はこれを隠さず、凡ての人を照らしてこれに真理を示し道を照らさなければならない。これが弟子たちの使命でる。
8章17節 それ
口語訳 | 隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。 |
塚本訳 | 隠れているものであらわにならぬものはなく、隠されているもので(人に)知られず、また現われないものもないからである。 |
前田訳 | 隠れたものであらわにならぬものはなく、秘められたもので知られぬままで明るみに出ないものはない。 |
新共同 | 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。 |
NIV | For there is nothing hidden that will not be disclosed, and nothing concealed that will not be known or brought out into the open. |
註解: それ故に聴いたことはこれを行為に顕わさなければならぬ。学んだことはこれを人に教えなければならぬ。桝の下に置く燈火は消え、実行に顕わさず他に与えない真理は死骸となる。
口語訳 | だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。 |
塚本訳 | だから、気をつけよ、聞き方が大切である。(よく聞いて守れ。)持っている人は(さらに)与えられ、持たぬ人は、持っていると思うものまで取り上げられるのである。」 |
前田訳 | それゆえ、聞きかたに心せよ。持つ人は与えられ、持たぬ人は持つと思うものまでも取られる」と。 |
新共同 | だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」 |
NIV | Therefore consider carefully how you listen. Whoever has will be given more; whoever does not have, even what he thinks he has will be taken from him." |
註解: 「如何に聴くべきかに注意せよ」と訳すべし。良き地に播かれし種のように、正しく聴く場合は、聴いた真理がその人の真の所有となる。正しく聴くとは、真理を聴いてこれを実行することである(21節)。
註解: 有てる人は教えを聴いてこれを実行し、またこれを人に伝える人である。かかる人は実行によって教えが自己の生命と化し、さらに新たに真理を求めてこれを自己のものとする。また人に与えることによってあたかも水道の中の水のように、新たなる水が水源から供給される。これに反し教えを聴いてこれを実行せず、またこれを人に伝えないものはそれが自己の生命とならず、また水溜りの水のごとく死滅し腐敗する。これは有てるにあらず有てりと思っているに過ぎない。マタイ伝、マルコ伝に「有てるものをも」とあるは言い方としては不精確である。
要義 [世の光、地の塩]真理はこれを他に与うることに由ってこの使命を全うし、かつ自らも益々豊かになるものである。蝋は自らを燃やすことによってその光を増し、塩は自己を溶かすことによって益々多くの味を与える。水道の水はこれを流れ出さしめることによって新鮮さを保ち、新しい水の供給を受ける。イエスの弟子はその与えられた真理を他に与うることによって益々その使命を全うし、かつ益々与えられる結果となる。伝道心なき信徒の信仰は死滅し、枯渇し、生命を失う。
8章19節 さてイエスの
口語訳 | さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。 |
塚本訳 | (ある時)イエスの母と兄弟たちがイエスの所に来たが、人だかりのため、そばへ行くことができなかった。 |
前田訳 | 彼の母と兄弟が彼のところに来たが、群衆のためいっしょになれなかった。 |
新共同 | さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが、群衆のために近づくことができなかった。 |
NIV | Now Jesus' mother and brothers came to see him, but they were not able to get near him because of the crowd. |
8章20節
口語訳 | それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。 |
塚本訳 | 人々が「母上と兄弟がたが、お会いしたいと外に立っておられます」と知らせると、 |
前田訳 | 「母上とご兄弟方がお会いしたいと外にお立ちです」と知らせがあった。 |
新共同 | そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。 |
NIV | Someone told him, "Your mother and brothers are standing outside, wanting to see you." |
8章21節
口語訳 | するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。 |
塚本訳 | イエスは答えられた、「わたしの母、わたしの兄弟は、神の御言葉を聞いて行う人たちである。」 |
前田訳 | 彼は答えられた、「わが母、わが兄弟は、神のことばを聞いて行なう人々である」と。 |
新共同 | するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。 |
NIV | He replied, "My mother and brothers are those who hear God's word and put it into practice." |
註解: マタイ伝とマルコ伝には一層詳細にこの光景を叙述しているけれども、内容においては大差はない。ルカは「神の言を聴き、かつ行ふ」ということによって18節との思想の関連をもたしめている。肉の父母兄弟はこの世限りの父母兄弟であり、神にある父母兄弟は永遠の父母兄弟である。而して神にあるとは神の言を聴いてこれを行う者をいう。肉親のみを重んずる者は肉親以外の者を疎 ずる。これに反し主にある父母兄弟を愛する者は肉の父母兄弟をも愛する。
口語訳 | ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。 |
塚本訳 | ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗って、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われるので、船出した。 |
前田訳 | ある日のこと、彼は弟子たちと小舟に乗って、「湖の向こう岸へ渡ろう」といわれるので、船出した。 |
新共同 | ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。 |
NIV | One day Jesus said to his disciples, "Let's go over to the other side of the lake." So they got into a boat and set out. |
註解: 種蒔きの譬えを語り給える日の夕方であった。マコ4:35。
イエス
8章23節
口語訳 | 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 |
塚本訳 | 渡ってゆくうちに、イエスは寝入ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは水をかぶって危険になった。 |
前田訳 | 渡る間に、彼は眠り込まれた。すると突風が湖に吹きおろし、彼らは波をかぶってあぶなくなった。 |
新共同 | 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。 |
NIV | As they sailed, he fell asleep. A squall came down on the lake, so that the boat was being swamped, and they were in great danger. |
8章24節
口語訳 | そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。 |
塚本訳 | 弟子たちがそばに来て、「先生、先生、わたし達は溺れます」と言ってイエスを起した。イエスが目をさまして風と浪とを叱りつけられると、(たちどころに)静まって、凪になった。 |
前田訳 | 彼らはおそばへ来て、「先生、先生、おぼれます」といってお起こしした。彼が目を覚まして風と波をたしなめられると、静まって凪になった。 |
新共同 | 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。 |
NIV | The disciples went and woke him, saying, "Master, Master, we're going to drown!" He got up and rebuked the wind and the raging waters; the storm subsided, and all was calm. |
8章25節 かくて
口語訳 | イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。 |
塚本訳 | 彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。 |
前田訳 | 彼はいわれた、「あなた方の信仰はどこにあるのか」と。彼らはおそれ、おどろき、互いに語りあった、「この方はいったいだれだろう、お命じになると風も波も従うとは」と。 |
新共同 | イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。 |
NIV | "Where is your faith?" he asked his disciples. In fear and amazement they asked one another, "Who is this? He commands even the winds and the water, and they obey him." |
註解: 第一に注意すべきことはイエスが沈みかかっている舟の中で熟睡していたということである。生命を神に委 せたものの信仰的態度である。第二に弟子たちの懼れ戦 いている態度である。神の言を人に伝える使命を持たされた弟子としては、この場合主の態度と同じ態度に出づべきであった。然るに狼狽して主を呼び起した。第三にイエスが風と浪とを禁 め給うたその態度であった。風は気圧の差異から生ずるのであってイエスの言に従うはずがないと人は考える。しかし神にはその気圧を動かす力があると考えなければならない。イエスは時々神の子としての力を表わし給うた。第四にイエスの弟子たちを叱責し給えるその言の力強さである。弟子たちは終生この御言を忘れ得なかったであろう。第五に「こは誰ぞ」との驚愕の叫びである。やがて彼らはイエスの神の子に在し給うことを知るに至った。神の子の姿の著しい発露を我らはこの一つの出来事の中に見ることができる。
8章26節
口語訳 | それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地に渡った。 |
塚本訳 | かくて一行はガリラヤの向い側にあるゲラサ人の地に渡った。 |
前田訳 | 彼らはゲラサ人の地に渡った。ガリラヤの向こう岸である。 |
新共同 | 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。 |
NIV | They sailed to the region of the Gerasenes, which is across the lake from Galilee. |
註解: 異本にゲルゲセネとあり、これを採用する説もある(Z0)。ガリラヤ湖の東岸ガダラの南方ならんとのこと、紀元四百年頃はすでにその地名が喪失していたようである。イエスがこの地に行き給える目的はおそらく伝道のためではなく、ユダヤ人の群衆を離れて弟子たちのみを静かに教育するためであったろう。この記事は大体マルコ伝に近く若干の加除あり。
8章27節
口語訳 | 陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた。 |
塚本訳 | イエスが陸にあがられると、その町の者で、悪鬼につかれた一人の男が迎えた。この男は長い間着物を着ず、また家にすまずに墓場にすんでいた。 |
前田訳 | 舟から陸にあがられると、その町のある男が迎えた。彼は悪鬼につかれていて、かなりの間着物を着ず、家にでなく墓に住んでいた。 |
新共同 | イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。 |
NIV | When Jesus stepped ashore, he was met by a demon-possessed man from the town. For a long time this man had not worn clothes or lived in a house, but had lived in the tombs. |
註解: サタンの支配する罪人の姿とその居所とはかくのごときものであろう。かかる人は、住むべき所に住まず着るべき衣を着ない。
8章28節 イエスを
口語訳 | この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。お願いです、わたしを苦しめないでください」。 |
塚本訳 | イエスを見ると、叫びながらその前にひれ伏し、大声で言った、「いと高き神の子のイエス様、“放っておいてください。”お願いです、わたしを苦しめないでください。」 |
前田訳 | イエスを見ると、叫びながらみ前にひれ伏し、大声でいった、「何のご用です、いと高き神の子、イエスさま。お願いです、わたしを苦しめないでください」と。 |
新共同 | イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」 |
NIV | When he saw Jesus, he cried out and fell at his feet, shouting at the top of his voice, "What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? I beg you, don't torture me!" |
8章29節 これはイエス
口語訳 | それは、イエスが汚れた霊に、その人から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。 |
塚本訳 | これはイエスが汚れた霊に、その人から出てゆけと命じたからである。汚れた霊は何度も何度もその人をつかんだ。いかに鎖と足桎でつながれ監視されていても、その繋ぎをひきちぎり、悪鬼に追われて荒野にいったのである。 |
前田訳 | これは、イエスがけがれた霊にその人から出るよう命じられたからである。霊は何度もその人をとらえた。彼は鎖と足かせでつながれて監視されていたが、そのつなぎを切って、悪霊に追われて荒野に行ったのである。 |
新共同 | イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。 |
NIV | For Jesus had commanded the evil spirit to come out of the man. Many times it had seized him, and though he was chained hand and foot and kept under guard, he had broken his chains and had been driven by the demon into solitary places. |
註解: この人がイエスに向って叫ぶ前に、イエスはその憐れむべき姿を見て穢れし霊にその人より出づべきことを命じ給うた。イエスの鋭い感覚はかの狂人を支配していた悪霊を直覚し給うたからであった。同様に悪鬼もまたイエスの何であるかを知る鋭い感覚を有っていた。狂人のイエスに対する懇願は悪鬼が彼をして語らしめたのであった。罪の中に安住する人間が聖なるものに対して自然に反撥心を起すのは、かかる人を支配しているサタンの働きである。
この
註解: この句と次節とはルカ特有の説明なり。
辞解
[けがれし霊に] 原文に略されている。
[しばしば] 「多くの時の間」。
[拘 へる] 原語「引き握んでさらって行く」貌。動きが取れない状態。
註解: 狂暴性に富み、共同生活を嫌い、荒野で野獣のごとき生活を続けていた。我らの罪も良心の束縛を好まず、その繋ぎを断ち切って悪鬼に逐 われるままに野獣のごとき生活に我らを逐 いやるものである。我らはこの狂人の生活を嘲笑う資格がない。
8章30節 イエス
口語訳 | イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた。彼の中にたくさんの悪霊がはいり込んでいたからである。 |
塚本訳 | 「あなたの名はなんというか」とイエスがお尋ねになると、「軍団です」とこたえた。悪鬼が大勢、(一軍団も)彼の中に入りこんでいたからである。 |
前田訳 | イエスはおたずねになった、「何という名か」と。彼はいった、「軍団(レギオン)です」と。大勢の悪鬼が彼に入り込んでいたからである。 |
新共同 | イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。 |
NIV | Jesus asked him, "What is your name?" "Legion," he replied, because many demons had gone into him. |
註解: イエスは勿論その狂人の本名を問うたのであったが悪鬼が彼に代って答えたのであった。それほど完全に彼は悪鬼の支配の下にあったのである。レギオンはローマの軍隊の一部隊の名で六千人から成っていた。
8章31節
口語訳 | 悪霊どもは、底知れぬ所に落ちて行くことを自分たちにお命じにならぬようにと、イエスに願いつづけた。 |
塚本訳 | また、地の底に行くことをお命じにならぬようにと願った。 |
前田訳 | また、悪鬼は地の底に行けとお命じのないようお願いした。 |
新共同 | そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。 |
NIV | And they begged him repeatedly not to order them to go into the Abyss. |
註解: 悪鬼どもの最も恐れることは、神の力によって底なき所すなわちサタンの投げ込まれる場所(黙20:3)に往かされることであった。
8章32節
口語訳 | ところが、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。 |
塚本訳 | 折から、そこの山で多くの豚の群が草を食っていた。悪鬼どもは、それに乗り移ることを許されたいと願った。お許しになると、 |
前田訳 | ちょうどそこの山でかなりの豚の群れが飼われていた。悪鬼どもはそれに移り入ることをお願いした。彼はおゆるしになった。 |
新共同 | ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。 |
NIV | A large herd of pigs was feeding there on the hillside. The demons begged Jesus to let them go into them, and he gave them permission. |
註解: この事実はこの地方はユダヤ人の地域ではなく異邦人の住んでいる地方であったことを示す。ユダヤ人は豚を食せず、従って豚を畜 わなかった。
註解: 悪鬼どもの願いは狂人の口を通して為されたと見るべきであろう。悪鬼はイエスの前に立ち得なかったからであろう。
8章33節
口語訳 | そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。 |
塚本訳 | 悪鬼どもはその人から出ていって豚に乗り移った。すると群は(気がちがったように)けわしい坂をどっと湖へなだれこみ、溺れて死んだ。 |
前田訳 | 悪鬼どもは人から出て豚に入った。すると群れは崖を湖へなだれ込んでおぼれ死んだ。 |
新共同 | 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。 |
NIV | When the demons came out of the man, they went into the pigs, and the herd rushed down the steep bank into the lake and was drowned. |
註解: ガリラヤ湖の東岸には、急に屹立 せる崖の連続する丘陵がある。その丘陵の上は平地であり居住に適している。豚はかかる丘陵を駈け下って湖水に溺れたのであった。悪鬼が人を出でて豚に入るというような事実が有り得るかどうかは困難な問題であるが、人間同士の間にすら催眠術が行われる以上動物の精神状態をある特殊な精神力をもって支配することも有り得ないことはないであろう。
8章34節
口語訳 | 飼う者たちは、この出来事を見て逃げ出して、町や村里にふれまわった。 |
塚本訳 | 豚飼たちはこの出来事を見て逃げ出し、町や部落に知らせた。 |
前田訳 | 豚飼いたちは出来事を見て逃げ出し、町や里にふれまわった。 |
新共同 | この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。 |
NIV | When those tending the pigs saw what had happened, they ran off and reported this in the town and countryside, |
8章35節
口語訳 | 人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。 |
塚本訳 | 人々はこの出来事を見に出て来たが、イエスの所に来て、悪鬼を追い出された人が着物をき、正気にかえって、イエスの足もとにじっと坐っているのを見ると、恐ろしくなった。 |
前田訳 | 人々は出来事を見に出て来たが、イエスのところに来て、悪鬼が出た人が着物を着、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、おそろしくなった。 |
新共同 | そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。 |
NIV | and the people went out to see what had happened. When they came to Jesus, they found the man from whom the demons had gone out, sitting at Jesus' feet, dressed and in his right mind; and they were afraid. |
註解: 豚飼いたちはいたく懼れてこの事実を附近にふれ回り、附近の人々も恐いもの見たさに出て来て、思いがけない変化を見て、事情はよく解らなかったが(36節)いたく懼れた。我らがサタンの僕たる有様から解き放されて神の僕とせられる時の変化は、これよりも一層大きい変化である。
辞解
[イエスの足下に坐し] 弟子がその師に対する態度である。
8章36節 かの
口語訳 | それを見た人たちは、この悪霊につかれていた者が救われた次第を、彼らに語り聞かせた。 |
塚本訳 | また(現場を)見ていた人たちは、悪鬼につかれていた者がどんな風にして救われたかを、その人々に知らせた。 |
前田訳 | 目撃者たちは悪鬼につかれた人がどのように救われたかを人々に知らせた。 |
新共同 | 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。 |
NIV | Those who had seen it told the people how the demon-possessed man had been cured. |
8章37節 ゲラセネ[
口語訳 | それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ。彼らが非常な恐怖に襲われていたからである。そこで、イエスは舟に乗って帰りかけられた。 |
塚本訳 | ゲラサ地方の住民は皆すっかりおびえ切って、イエスに自分たち(の所)からでて行ってもらいたいと頼んだ。そこでイエスは舟に乗って帰られた。 |
前田訳 | ゲラサ地方の住人は皆大いにおそれて、イエスにお立ち去りくださるようお願いした。彼は小舟に乗って帰られた。 |
新共同 | そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。 |
NIV | Then all the people of the region of the Gerasenes asked Jesus to leave them, because they were overcome with fear. So he got into the boat and left. |
註解: 彼らこの事実の原因であった事情、すなわちイエスの偉大なる霊力をきき、さらにこれを附近の人々に伝えたのであろう。彼らはイエスを魔術師のごとくに考え、また豚に対するごとき大損害が彼らに加えられんかを恐れたのであろう。イエスをその地より退去するように請うた。狂人はイエスを師と仰ぎ、常人は彼に退去を懇請する。いずれが狂人か、いずれが常人か、「幸福なるかな狂人、汝は神の子をうけることができた。禍なるかな常人、汝は神の子を拒む狂人である」と叫ばなければならないのではあるまいか。
ここにイエス
8章38節
口語訳 | 悪霊を追い出してもらった人は、お供をしたいと、しきりに願ったが、イエスはこう言って彼をお帰しになった。 |
塚本訳 | (帰ろうとされる時に、)悪鬼を追い出された男がお供をしたいと願ったが、(許さず、)こう言ってお帰しになった、 |
前田訳 | 悪鬼が出た人はお伴をと願ったが、こういってお帰しになった、 |
新共同 | 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。 |
NIV | The man from whom the demons had gone out begged to go with him, but Jesus sent him away, saying, |
8章39節
口語訳 | 「家へ帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったか、語り聞かせなさい」。そこで彼は立ち去って、自分にイエスがして下さったことを、ことごとく町中に言いひろめた。 |
塚本訳 | 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした。 |
前田訳 | 「家に帰って、神があなたになさったことのすべてをお話しなさい」と。すると彼は立ち去って、イエスが彼になさったことのすべてを町じゅうにひろめた。 |
新共同 | 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。 |
NIV | "Return home and tell how much God has done for you." So the man went away and told all over town how much Jesus had done for him. |
註解: イエスに醫されし狂人はイエスの愛の深さに感激し、生来嘗 て味わなかった歓喜を感じた。そして生来彼に対して冷淡であった同郷の人々の許に帰ることを欲せず、イエスの許に居ることを願った。しかしイエスは、それよりも彼が異邦人に「神」の大なる御業を証することを望み給うた。我らの救いは我ら自身の安佚 のためではない。然るに彼はこのイエスの御言に服 ったけれども、その町に言い広めたのは「神」の為し給えることではなく、「イエス」が如何に大なることを為し給いしかを告げた。彼にとって神とイエスとの区別がつかなかったのであった。美しい信仰である。なおマコ5:20要義一、二、附記参照。
註解: 40−56節のヤイロの娘の復活と血漏の女の治癒の奇蹟は三福音書の中マルコ伝に最も詳しく、マタイ伝に最も簡略でルカはマルコによりこれに若干の変更を加え、技術的に改良している。唯マルコ伝のごとき素朴さと生気とは欠けているように感じられる。
8章40節 かくてイエスの
口語訳 | イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである。 |
塚本訳 | イエスが(カペナウムに)帰ってこられると、群衆は喜んで迎えた。皆待っていたのである。 |
前田訳 | イエスが帰られると、群衆は歓迎した。皆お待ちしていたのである。 |
新共同 | イエスが帰って来られると、群衆は喜んで迎えた。人々は皆、イエスを待っていたからである。 |
NIV | Now when Jesus returned, a crowd welcomed him, for they were all expecting him. |
註解: 場所はゲラセネの対岸おそらくカペナウムであろう(マタ9:1)。イエスはルカ8:26節に群衆を避けて(註参照)ゲラセネに赴き給うたのであるから、群衆はその帰来を待ち焦がれていた。
8章41節
口語訳 | するとそこに、ヤイロという名の人がきた。この人は会堂司であった。イエスの足もとにひれ伏して、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った。 |
塚本訳 | するとそこに名をヤイロという人が来た。この人は礼拝堂の役人であった。イエスの足もとにひれ伏し、家に来ていただきたいと願った。 |
前田訳 | するとそこにヤイロという名の人が来た。この人は会堂司であった。イエスのお足もとにひれ伏して、家においでくださいと願った。 |
新共同 | そこへ、ヤイロという人が来た。この人は会堂長であった。彼はイエスの足もとにひれ伏して、自分の家に来てくださるようにと願った。 |
NIV | Then a man named Jairus, a ruler of the synagogue, came and fell at Jesus' feet, pleading with him to come to his house |
8章42節 おほよそ
口語訳 | 彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ところが、イエスが出て行かれる途中、群衆が押し迫ってきた。 |
塚本訳 | 十二歳ばかりの一人娘があって、それが死にかけていたのである。(ヤイロの家に)行かれる途中、群衆はイエスを押しつぶしそうであった。 |
前田訳 | 十二歳ばかりのひとり娘があって、死にかけていたのである。しかし彼がお出かけのとき、群衆が彼に押し迫って来た。 |
新共同 | 十二歳ぐらいの一人娘がいたが、死にかけていたのである。イエスがそこに行かれる途中、群衆が周りに押し寄せて来た。 |
NIV | because his only daughter, a girl of about twelve, was dying. As Jesus was on his way, the crowds almost crushed him. |
註解: ユダヤ人中の有力者ともいうべき会堂司が一平民のイエスの足下に伏したことは一面その心の苦しみから凡ての習慣を無視してその真情を吐露したのであり、他面イエスの崇高なる威厳が司をして自然かかる態度を取らしめたのであろう。マルコ伝には十二歳であることを最後に(マコ5:42)記しかつ一人娘であることは記されていない。51、56節などを見ても一人娘ということは事実と見るべきである。ルカの記事の方が始めから会堂司の苦悩や全体の事実の真相を明かに示す点において優れている。
辞解
マルコ伝では「会堂司たちの一人」としてあるがルカはこれを無視している。
イエスの
註解: 次節以下48節までの血漏の女の物語を引き出すために本節をその背景として掲げる。
口語訳 | ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。 |
塚本訳 | すると十二年このかた長血をわずらって、だれにもなおしてもらえなかった女が、 |
前田訳 | すると、十二年来長血で、だれにもなおしてもらえなかった女が |
新共同 | ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。 |
NIV | And a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years, but no one could heal her. |
註解: ヤイロの娘も十二歳ほどであることが二者の間に奇縁があるかのごとくにルカに思われたのかもしれない。
註解: 重要な写本の中にこの句(マコ5:26による)を欠くものがあり、ネストレはこれを欄外に出している。ルカは医者の立場から、医者に対する批難の口吻 を含むこの句を好まなかったのであろう。
註解: 十二年間の無益な苦痛と失費の後であるから、この女は最後の希望をイエスに繋いだことであろう。
8章44節 イエスの
口語訳 | この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。 |
塚本訳 | 近寄ってきて、後からイエスの上着の裾にさわった。すると、たちどころに血の出るのがやんだ。 |
前田訳 | 近よってうしろから彼の上着の裾にさわった。するとたちまち出血がやんだ。 |
新共同 | この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。 |
NIV | She came up behind him and touched the edge of his cloak, and immediately her bleeding stopped. |
8章45節 イエス
口語訳 | イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「わたしにさわったのはだれか。」皆が知らないとこたえると、ペテロが言った、「先生、(なにしろ)群衆が(こんなに)あなたを取り巻いて、もみ合っているのですから。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「わたしにさわったのはだれか」と。皆が知らないと答えると、ペテロがいった、「先生、群衆があなたをかこんで、もみあっています」と。 |
新共同 | イエスは、「わたしに触れたのはだれか」と言われた。人々は皆、自分ではないと答えたので、ペトロが、「先生、群衆があなたを取り巻いて、押し合っているのです」と言った。 |
NIV | "Who touched me?" Jesus asked. When they all denied it, Peter said, "Master, the people are crowding and pressing against you." |
8章46節 イエス
口語訳 | しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。 |
塚本訳 | イエスが言われた、「(確かに)だれかがさわった。わたしの中から力が出ていったのを感じたから。」 |
前田訳 | イエスはいわれた、「だれかがさわった。わたしから力が出て行ったのを感じたから」と。 |
新共同 | しかし、イエスは、「だれかがわたしに触れた。わたしから力が出て行ったのを感じたのだ」と言われた。 |
NIV | But Jesus said, "Someone touched me; I know that power has gone out from me." |
註解: 女がイエスの衣の總 に触ったのはマコ5:28にあるとおりその謙遜な心と態度とをもってイエスに対する絶対的信仰を顕したのであった。イエスの衣そのものに治癒の力があると考えたのではなく、自分の信仰の心を衣を通してイエスに伝えんとしたのであった。この熱心がイエスの心に通じ、イエスの有ち給う治癒力を彼より引き出したのであった。この種の霊的感応は、決して有り得ないことではない。弟子たちには勿論この事実は解らなかった。イエスの御言を奇異に感じたのは(45b)そのためである。
辞解
[及び共におる者ども] 重要なる写本には欠けている(ネストレも欄外)。マコ5:31の「弟子たち」からここに修正的に挿入されたものであろう。
8章47節
口語訳 | 女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。 |
塚本訳 | 女は隠しおおせないのを見て、震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、さわった訳と、たちどころに直ったこととを皆の前で話した。 |
前田訳 | 女は隠せないのをみて、ふるえながらみ前に出てひれ伏し、さわったわけと、たちまちなおったことを皆の前で話した。 |
新共同 | 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。 |
NIV | Then the woman, seeing that she could not go unnoticed, came trembling and fell at his feet. In the presence of all the people, she told why she had touched him and how she had been instantly healed. |
註解: イエスの驚くべき洞見力の前に女は恐れ戦 いた。そして、イエスの「我に觸りしは誰ぞ」との質問に答えずにいることの恐ろしさを感じ、御前に平伏して凡ての事実を告白した。神が我らの心の中を凡て見給うことを知るまでは人は自己の罪を告白することを欲しない。
8章48節 イエス
口語訳 | そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。 |
塚本訳 | イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。“さよなら、平安あれ。”」 |
前田訳 | 彼はいわれた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安らかにお帰り」と。 |
新共同 | イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」 |
NIV | Then he said to her, "Daughter, your faith has healed you. Go in peace." |
註解: イエスはここにもまた女の信仰を賞揚し給うた(ルカ7:50。ルカ17:19。ルカ18:42)。「安らかに」は「平安の中に」で心の平安である。身体に病気があるものは自然心に不安があるのであるが、肉体の病の治癒によって得る肉的平安または安心をイエスは言い給うたのではない。神の愛の守護の下にあることの確信より生ずる心の平安である。
8章49節 かく
口語訳 | イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司の家から人がきて、「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」と言った。 |
塚本訳 | イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家からひとりの人が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。先生にこれ以上御迷惑をかけられないように。」 |
前田訳 | まだ彼がお話しのところに、会堂司の家から人が来ていった、「あなたの娘さんはなくなりました。もう先生をわずらわさぬように」と。 |
新共同 | イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」 |
NIV | While Jesus was still speaking, someone came from the house of Jairus, the synagogue ruler. "Your daughter is dead," he said. "Don't bother the teacher any more." |
8章50節 イエス
口語訳 | しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。 |
塚本訳 | イエスは聞いて監督に言葉をかけられた、「こわがることはない。ただ信ぜよ。そうすれば助かる。」 |
前田訳 | イエスはそれを聞いて司にいわれた、「おそれるな。ただ信ぜよ。そうすれば助かる」と。 |
新共同 | イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」 |
NIV | Hearing this, Jesus said to Jairus, "Don't be afraid; just believe, and she will be healed." |
註解: 会堂司は娘の死の報に接し愕然として驚いたことであろう。イエスは彼の心を察しこれに「答へて」唯イエスを信じ、その能力に全く信頼すべきことを教え給うた。人間の凡ての力に絶望せる者にとって、イエスに対する絶対的信頼のみが唯一の希望である。そしてイエスはこの希望を空しくし給わない。「娘は救はれん」と言い給える時、已 にイエスは、彼を甦らせ給うことの確信を持ち給うた。
8章51節 イエス
口語訳 | それから家にはいられるとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブおよびその子の父母のほかは、だれも一緒にはいって来ることをお許しにならなかった。 |
塚本訳 | 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。 |
前田訳 | 家に来られると、ペテロとヨハネとヤコブと、子の父と母のほかはいっしょに入ることをゆるされなかった。 |
新共同 | イエスはその家に着くと、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、それに娘の父母のほかには、だれも一緒に入ることをお許しにならなかった。 |
NIV | When he arrived at the house of Jairus, he did not let anyone go in with him except Peter, John and James, and the child's father and mother. |
註解: 最も重要なる場合、特にこの三人の弟子を近くに置き給うた。十二人の中の特選の三人であり、弟子中の弟子であった。イエスに従い来った多くの群衆は家に入ることを許されなかった。ヨハネをヤコブより先に立てたのはルカのみで、当時となってヨハネの霊的地位はその兄ヤコブの上に在ったためであろう。(ルカ9:28。使1:13)。
8章52節
口語訳 | 人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。 |
塚本訳 | (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」 |
前田訳 | 皆が泣いて子を惜しんでいた。彼はいわれた、「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ」と。 |
新共同 | 人々は皆、娘のために泣き悲しんでいた。そこで、イエスは言われた。「泣くな。死んだのではない。眠っているのだ。」 |
NIV | Meanwhile, all the people were wailing and mourning for her. "Stop wailing," Jesus said. "She is not dead but asleep." |
8章53節
口語訳 | 人々は娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。 |
塚本訳 | 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。 |
前田訳 | 人々は死んだと知っていたので彼をあざけった。 |
新共同 | 人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った。 |
NIV | They laughed at him, knowing that she was dead. |
註解: 死人の埋葬に際して会衆がことさらに悲哀慟哭の態度を強調する習慣があったが、この場合は心からこの少女の死を悲しみ、その父母に同情したものも多かったであろう。イエスが「寝 ねたるのみ」と言い給うたのは、その甦りを確信し給うたからであった。復活を確信する者にとっては死は唯寝 ねたるのみである。復活の信仰は今日も人の嘲笑に晒されている。マコ5:40に彼らをみな外に逐い出したと録されていることは一層この場合に相応しい光景である。
8章54節
口語訳 | イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさい」。 |
塚本訳 | しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、 |
前田訳 | しかし彼は子の手を取って、声を高めて「子よ、起きよ」といわれた。 |
新共同 | イエスは娘の手を取り、「娘よ、起きなさい」と呼びかけられた。 |
NIV | But he took her by the hand and said, "My child, get up!" |
口語訳 | するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。イエスは何か食べ物を与えるように、さしずをされた。 |
塚本訳 | 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。 |
前田訳 | すると子の霊がもどって、子はすぐ立ちあがった。そこで彼は食べ物を与えるよういいつけられた。 |
新共同 | すると娘は、その霊が戻って、すぐに起き上がった。イエスは、娘に食べ物を与えるように指図をされた。 |
NIV | Her spirit returned, and at once she stood up. Then Jesus told them to give her something to eat. |
註解: キリスト再臨に際し、主にあって眠れる凡ての者をイエスはかくして呼起し給うことであろう。肉体を離れし霊が再びその肉体に「立帰る」 epistrephô と考えられていることに注意すべし。
イエス
註解: ルカ伝のみに録されている医者らしい注意である。両親も他の者どもも驚きのあまり、かかる細かい注意を忘れていたのであろう。
8章56節 その
口語訳 | 両親は驚いてしまった。イエスはこの出来事をだれにも話さないようにと、彼らに命じられた。 |
塚本訳 | 両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。 |
前田訳 | 両親はおどろきいった。彼はこの出来事をだれにもいわぬようお命じになった。 |
新共同 | 娘の両親は非常に驚いた。イエスは、この出来事をだれにも話さないようにとお命じになった。 |
NIV | Her parents were astonished, but he ordered them not to tell anyone what had happened. |
註解: もしこのイエスの注意が与えられなかったならば、両親は無我夢中にこの事実を周囲に言い振らしたであろう。イエスの欲し給うことは人々の心が愛の神に立帰ることであって、自分の欲望を充すために神の子を利用することではなかったからである。なお、マコ5:43の要義一、二参照。
要義1 [汝の信仰汝を救えり]イエスはその数多き奇蹟的治病の際にしばしば「汝の信仰汝を救えり」なる言を発し給うた。これは勿論各人の信仰の力が自己を救ったことを意味したのではなく、神は各々の信仰に応じてその上に治癒の力を及ぼし給うたことを意味している。すなわち信仰とは神に絶対に信頼することであり、神に向っておのが心の門を開き、神が自由に己の上にその働きを及ぼし得る態度を取ることである。病に悩む者はその弱さを知り、神に依り頼む以外に途なきことを知っているので、かかる態度に出るのであって、イエスはこれを信仰と呼んでいるのである。それ故この場合の「信仰」とは「イエス・キリストの贖罪」を信ずるとか、またはイエスが「神の子」に在し給うことを信ずるとかいうごとき神学的なものではなく、またその「救」も永遠の救いという意味よりも病よりの救いを意味しているのであるが、その心の態度、心の状態は両者全く同一であることを知らなければならぬ。この心の態度をもって聖書により神の言に接するとき、我らはその凡てに対し絶対の信頼をささげることができる。
要義2 [死にたるにあらず寝ねたるなり]イエスが完全に死んでしまったヤイロの娘(tethnêken 49節)について、表題のごとくに言い給うたことは、我々にとって重大なる事実を示しているものと思われる。すなわち主にある凡ての人は死んでも死なない(ヨハ11:26)。その肉体の死は一時の眠りである。イエス再び来りて「起きよ」と言い給えば、我々はみな甦ることができるのである。ヤイロの娘の復活はこの事実を我々に示さんとの神の御旨の顕れであると考えることができよう。