エペソ書第2章
分類
3 教理の部 2:1 - 3:21
3-1 十字架の贖い 2:1 - 2:10
3-1-イ 旧き我 2:1 - 2:3
註解: 1−10節はエペ1:7の詳述である。原文においては1−7節が一つの文章で1−3節は完全なる文章を為しおらず、4節の「神は」が全文の主語をなす(ただし前章末尾と本章の初頭との連絡につき種々の異説あり。現行訳のごとくするを良しとす)。
口語訳 | さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 |
塚本訳 | 君達も(私達と同様に)自分の咎と罪によって死んだ者であって、 |
前田訳 | あなた方は過ちや罪に死んでいて、 |
新共同 | さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 |
NIV | As for you, you were dead in your transgressions and sins, |
註解: 異邦人の信者たる者は
[
註解: 「咎」 paraptôma と「罪」 hamartia とは区別なしとする説(I0、M0)または種々の区別を為す説あれど、語義としては大体「咎」は律法に違反すること、「罪」は神の求め給う目標より外れることすなわち神に向わずに他に向うことである。本節の場合は複数故、以上の結果として生ずる種々の悪行を指す故結局両者に大差なし(▲エペ1:7の脚注▲参照)。「死にたる者」は霊的に死にたる者の意味に解する(I0)よりも永遠の死に入るべき者と解す(M0、Z0)。要するに凡ての異邦人は永遠の死に入るべき罪人である。しかしながら実はこれは異邦人のみではなくユダヤ人も同様である(5節)。
口語訳 | かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 |
塚本訳 | かつてはこの世の世界の流れに従い、すなわち空中の権威と、今も不従順の子らの中に働いている(悪)霊との首領に従って、その咎と罪の中を歩いたのであった。 |
前田訳 | かつてはそれらを犯しつつこの世の時流に従い、空中の権威の支配下にありました。それは今も不従順の子らのうちに働く霊の権威です。 |
新共同 | この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。 |
NIV | in which you used to live when you followed the ways of this world and of the ruler of the kingdom of the air, the spirit who is now at work in those who are disobedient. |
註解: 原文は「この世の時代に従い」であるがこの「時代」 aiôn は本来一定の長さの時を意味するけれども、その時代に住む人間の性格を指す場合あり、俗に「時代がちがう」などいうがごとし。ゆえにここでもこの世の風潮または性格に従いの意。なお多くの異解あり。
註解: この「宰 」は archôn で支配者の意。「権」は exousia でエペ1:21の権威と同語で悪天使の総称としてここに用いられえいる故に、「空中の権の宰 」と訳すべきである。「空中」は悪霊の活動の場所と考えられていた。これらの点につきてはパウロは当時の一般人の思想をそのま活用した。そしてこの空中の権はまた一つの「霊」であり、この霊はサタンの霊であって今も不従順すなわち不信仰(ロマ5:19)の子らの中に働きこれを支配しているのである。従ってこの霊の宰 はサタンであって、凡ての不信者はサタンの支配の下に在る(エペ3:10。エペ6:12。コロ1:16。コロ2:10、コロ2:15を見よ)。
辞解
「空中」「権」「不従順」等につきなお種々の解あれど略す。
口語訳 | また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。 |
塚本訳 | (否、)私達も皆かつてはこの人達に伍して自分の肉の欲の中に生活し、肉と欲望の欲するままに振舞って、他の(異教)人達のように生まれながら(神の)怒りの(審判に定められた)子であった。 |
前田訳 | われらも同様で、皆かつては肉欲のうちに歩み、肉と官能の押すままをしました。生まれながらではわれらも他の人同様、怒りの子でした。 |
新共同 | わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 |
NIV | All of us also lived among them at one time, gratifying the cravings of our sinful nature and following its desires and thoughts. Like the rest, we were by nature objects of wrath. |
註解: 1節の「汝ら」に対しユダヤ人のキリスト者たる我らもみなの意、ユダヤ人といえども罪の点において異邦人と異なる処がない。
註解: 異邦人の中にてユダヤ人もその生活に影響されていた、「肉の慾」は単に肉慾のみならず神に向かって反する自己中心の生活より生ずる凡ての慾求、「日をおくり」は行動すること、すなわちユダヤ人といえども神を離れし罪人たる点においては同様であった。かくしてパウロは「義人なし一人だになし」の事実を指摘す(ロマ3:10)。
註解: 「肉」につきては前節註およびロマ8:13に続く要義一、二を見よ。「心」 dianoia は本来悪しき思いの意味ではないがここでは「肉」の次にありて「肉の心」(I0)の意味と解するか、または御霊に従うことに対して人間の念に従うことを意味す。
註解: 「怒の子」は神の怒りの下にある人間を意味す。この怒りは最後の審判における怒りのみならず、凡ての場合における神の怒りをも含む。「生れながら」は本来の性質上の意味で、人間はアダムより生れてその性質を受け、罪の子として神の怒りの下にある。かく異邦人とユダヤ人とは共に罪人である点において同一であるが、唯ここに二者の間に差異ある点は、異邦人は罪と咎とに死ねる者たるのみならず悪霊に従っていたが、ユダヤ人につきてはこのことを録していないことである。
要義 [人間自然の姿]人間の自然の姿は、一面より見ればそこに美わしきものがあることを否定し得ない。しかしながら、古今東西の凡ての人類につきて言い得ることは、その何れもが神の御意に従わず、自己の慾に従って生きているということである。これがすなわち罪の姿であり、サタンの僕たる姿である。この点を認識せるものにとりては、他の凡ての美しさは、消え失せて唯神の怒りの下にあるものとしての人類を見るのみとなる。人類の生れながらの真の姿はこれであって、これを発見するまでは真に人間を知ったものとは言い得ない。
口語訳 | しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 |
塚本訳 | しかし憐憫に富み給う神は、その大なる愛によって私達を愛し、 |
前田訳 | しかしあわれみにお富みの神は、われらをお愛しの大きな愛によって、 |
新共同 | しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 |
NIV | But because of his great love for us, God, who is rich in mercy, |
註解: 「死にたる者」にして「怒の子」なる我ら人類にとりて唯一の望みは神の憐憫のみである。
註解: 愛は最も根本的なる心の姿、憐憫はその具体的の事実に対する働きである。この愛をもって神は罪人を眺め給う時、彼は黙することができなかった。
2章5節
口語訳 | 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし—あなたがたの救われたのは、恵みによるのである— |
塚本訳 | 咎によって死んでいたこの私達をもキリストと共に活かし──君達が救われたのは恩恵によるのだ── |
前田訳 | 過ちに死んだわれらをもキリストとともにお生かしでした。あなた方は恵みによって救われています。 |
新共同 | 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― |
NIV | made us alive with Christ even when we were dead in transgressions--it is by grace you have been saved. |
註解: 罪咎の中にある者は「死にたる者」である(1節)。神はイエス・キリストに由り、その罪を贖い、これに新たなる生命を与え、キリストの生命に与らしめ、彼と共に活きるものになし給うた。
辞解
「咎によりて死にたる我等をすら」を前節の「愛する」に連絡せしめんとする説あれど(Z0)採らず、「キリスト・イエスに由りて」は原文次節にあり、かつ意味の上よりも次節の「甦らせ」と「坐せしめ」に懸ける方が適当なり。
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註解: 死ねる者が再び生かされるは神の恩恵による以外には不可能である。パウロはその救われし信仰の事実に自ら驚けるもののごとく、この一句を中間に挿入した。読者に特に注意を要求したのである。
2章6節 (キリスト・イエスに
口語訳 | キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。 |
塚本訳 | キリスト・イエスにおいて彼と共に蘇らせ、共に天上に坐らせ給うたのであるが、 |
前田訳 | 神はキリスト・イエスとともにわれらを生かして天の座にお据えでした。 |
新共同 | キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。 |
NIV | And God raised us up with Christ and seated us with him in the heavenly realms in Christ Jesus, |
註解: キリストが甦りて神の右に坐し給えるがごとくに彼と共に彼を信ずる者をもかくし給う。まことに思いにまさる偉大なる恩恵、我らにとりては偉大なる光栄である。そしてすでに甦らせられ、すでに坐せしめられしごとくに言うのは、未来に起るべき事実を信仰によりてすでに完成せりとみたるもの。▲パウロにとっては未来に受くべき凡ての祝福がみな悉 く現在の事実であった。ヘブ11:1。
2章7節 これキリスト・イエスに
口語訳 | それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。 |
塚本訳 | これはキリスト・イエスにおいて私達に与えられた慈愛による神の恩恵の豊富絶大なることを、来るべき代々(の人達)に示し給わんためである。 |
前田訳 | それは彼の恵みがいかに富み、キリスト・イエスによるわれらへの慈愛がいかに深いかを来世でお示しになるためです。 |
新共同 | こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。 |
NIV | in order that in the coming ages he might show the incomparable riches of his grace, expressed in his kindness to us in Christ Jesus. |
註解: 以上のごとく死ねる者が救われて活かされることにおいて神の我らに対する最も深き仁慈 があり、この事実の中に神の絶大なる恩恵がある。そしてこの復活、昇天などの恩恵が与えられるのは神の恩恵が我らのこの世限りの生活のみに顕れて、それで終ってしまうことなく、永遠に継続することによりて来るべき世すなわちイエスの再臨の後の世にもこの恩恵を示さんためであった。遠大なる神の経綸である。罪よりの救いは、決して個人々々のみの小問題ではない。これが神の能力の活動のあらわれとして永遠までその結果を残すべき偉大なる事実である。
註解: 本節以下10節までは4−7節の救いの性質の説明となる。
2章8節 (そは)
口語訳 | あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。 |
塚本訳 | 然り、君達は恩恵の故に、信仰によって救われた者である。これは君達の力によるのでなく、神の賜物である。 |
前田訳 | あなた方は恵みのうちにまことによってお救われです。それはあなた方からのものではなく、神の賜物です。 |
新共同 | 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。 |
NIV | For it is by grace you have been saved, through faith--and this not from yourselves, it is the gift of God-- |
註解: 4−7節の神の恩恵による救拯とその結果の偉大さとは8−10節のごとき理由によるのであって、凡てが神の御業、神の働きである。汝らの救われし原動力は神の恩恵(5節を見よ)であり、この恩恵が汝らのものとなったのは汝らの信仰である。
辞解
「恩恵により」と「信仰により」とは双方とも「より」と訳されているけれども文法上異なった形を取っている。
(
註解: 救いの成就する源は自己に関する何物でもない、自己の行為や功績の如何によりて救いが来るのではなく、全然神より出で、神の自由なる賜物として恩恵的に与えられるのである。救いは自己の中より生れて来ない。この事実を確保することによりて救いの確実性と救われることの幸福とがわかる。
辞解
[是 ] 「信仰」と解する説と「信仰によりて救われること」と解する説とあり。文勢としては後者が適切である(C1)。
2章9節
口語訳 | 決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 |
塚本訳 | 業によるのではない──誇る者の無からん為である! |
前田訳 | それは人の行ないからではありません。だれも誇らないためです。 |
新共同 | 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 |
NIV | not by works, so that no one can boast. |
註解: 前節後半は救いの客観的原因を掲げ本節はこれを主観的方面より見る。表裏両面より論じていることとなる。もし救われることが自己の行動 ─ 律法の行為のみならず一般に道徳的行為 ─ によるのであるならば、人は自己の救いに誇り得るはずである。しかしながら凡ての善きことは神より出で、救いも我らの価値如何にかかわらず神の恩恵の賜物として与えられるが故に、人間は誇るべき何物をも有たない。唯神に対する感謝と讃美とがあるのみとなる。
2章10節
口語訳 | わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 |
塚本訳 | 何故なら私達は神が予め準備し給うた善い業のため、その中を歩くために、キリスト・イエスにおいて創造られた神の作品である。 |
前田訳 | われらは彼のみわざで、よい行ないをするようにキリスト・イエスにあって創造されたものです。神はわれらがよい行ないのうちに歩むようあらかじめご準備でした。 |
新共同 | なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。 |
NIV | For we are God's workmanship, created in Christ Jesus to do good works, which God prepared in advance for us to do. |
註解: 神はキリスト・イエスの中に生きる新たなる霊的人類を創造し給う。旧き人類は天地開闢 の第六日に創造せられ、新しき人類は今やキリスト・イエスの中に創造せられつつある。「人もしキリストに在らば新に造られたる者なり」(Uコリ5:17)。この創造はキリストを離れてなされるにあらず、キリスト・イエスの中に(en)すなわち彼との霊の交わりの状態にあるものとして創造せられる。キリストにありて新生せる生命はこの新創造による神の作(poiêma)である。そしてこの創造は「善き業の為」(epi)であって、神は我らの救われるに先立ちて我らをしてこの善行を行い、その中に歩ませようと準備し給うのである。かくて我らの為すもろもろの善行すらもみな悉 く神の御旨の中にあったこととなる。そして神が我らを救い給える目的も、我を救い、我らに幸福を享 けさせるためよりも、むしろ我らをして「善き業に歩ませるため」である。そして神はこの善行に対して予 じめ準備し給い、我らをしてこれを行うことを得るようにし給うのである。それ故に救われし者は善行を為し得ないとの言い訳を為すことができない。
辞解
[神に造られたる者] 直訳「神の作」でこの「作」 poiêma なる語はこことロマ1:20にのみ用いられており、ここでは自然人としての我らではなく新生せる我等を指す。なお本節の訳語は原文の構造を変更している故、訳文よりこれを知ることができないけれども、(1)「神が善行を予 じめ準備し給うた」と読むべきか、(2)または「神が善行に対して予 じめ準備し給うた」と読むべきかにつき諸説あり、後者を取る(L1)。ルカ9:52参照。すなわち神は我らを予 じめ救いに定め給えるのみならず(ロマ8:29)、救われし者が善行を為し得るように凡ての準備を為し給うたとの意味と見るべきであろう。聖霊を与え、サタンとの戦いに対する軍備をなさしむるごとき是である。
註解: 11−22節はエペ1:10の詳述と見ることができる。
2章11節 されば
口語訳 | だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、 |
塚本訳 | だから記憶せよ、かつて君達は肉的には「異教人」で、手で施した肉的のいわゆる割礼者から「無割礼の者」と呼ばれ、 |
前田訳 | それでお忘れなく。かつてあなた方は、肉にある異邦人、肉にある手製のいわゆる割礼者によって無割礼といわれる人々であり、 |
新共同 | だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。 |
NIV | Therefore, remember that formerly you who are Gentiles by birth and called "uncircumcised" by those who call themselves "the circumcision" (that done in the body by the hands of men)-- |
註解: 11−22節においてパウロは、異邦人が救いに与りし結果、ユダヤ人と異邦人の間の障壁と差別は撤廃せられ、二つのものが一体となり、対立は解消して和解の状態に入りしことを論じている。本節および次節においては、ユダヤ人の目より見たる異邦人の姿をさらにパウロの信仰による批判の目をもって巧みに描いていることに注意すべし。ユダヤ人は自らを「割礼ある者」として誇り、異邦人を「無割礼の異邦人」として賤 んでいた。パウロはこの称呼をそのまま用いると同時に「肉によりては異邦人」と言いて、霊においては決して軽蔑すべきにあらざることを暗示し、「手にて肉に行ひたる割礼」と称することによりて、ユダヤ人の誇りも単に外部的肉的たるに過ぎず、異邦人といえども信仰によりて「手をもてざる割礼を受け」(コロ2:11)た者たることを暗示す。そして双方とも「称えられる」云々なる語法を用いて、これらが単なる一般的呼称に過ぎずして、信仰による新たなる創造(10節)によりこの称呼が無意味となることを暗示す。
2章12節
口語訳 | またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。 |
塚本訳 | その当時はキリスト無く、またイスラエルの民籍に縁無く、(従ってアブラハムとその子孫に対する神の大なる)約束に基づく種々な契約にも与らず、この世において希望なく、また神無き人であった。 |
前田訳 | あのころ、あなた方はキリストなしで、イスラエルの共同体からはなれ、約束された契約には無縁で、この世で希望を持たず、神なきものでした。 |
新共同 | また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。 |
NIV | remember that at that time you were separate from Christ, excluded from citizenship in Israel and foreigners to the covenants of the promise, without hope and without God in the world. |
註解: 救いに至る以前の異邦人の状態をユダヤ人の見方をもって描写す。異邦人がキリストの信仰に入る以前は(キリストなく)、多くの点において憐れむべき状態に在った。その一つは神の選民たるイスラエルの民籍とは縁なきものであること、その二はアブラハム (創12:2、3、創12:7。創13:15−17。創15:18。創17:19−20。創22:16−18) 以来、族長、モーセ、ダビデ等に与えられし約束に伴う民族の救拯と発展の契約に対して他人であること、その三は神に対する信頼なきが故にこれによりて生ずる希望を有せず暗黒なる生涯を送っていたものであったこと、その四は信じて依り頼むべき真の神を有せず、全く無神的であるかまたは偶像神を拝するに過ぎないことであった。これらの点において彼ら異邦人はイスラエルに比較して全然憐れむべき霊的状態にあった。
辞解
[曩 には] 「その時には」で前節の「曾 て」(欠訳)を受く。「キリストなく」が主体をなし、以下はその内容の説明である。
[世にありて] 「神なき」にのみ関係せしむる読み方あり、
[希望 ] 約束に対する希望のみならず一般的に人生の希望と解して可なり。
2章13節 されど
口語訳 | ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。 |
塚本訳 | しかしながら今やキリスト・イエスに在って、かつては“遠く”あった君達が、キリストの血によって“近く”なったのである。 |
前田訳 | 今やキリスト・イエスに結ばれ、かつて遠かったあなた方はキリストの血によって近くおなりです。 |
新共同 | しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。 |
NIV | But now in Christ Jesus you who once were far away have been brought near through the blood of Christ. |
註解: 「今は」は「曩 には」の反対、「キリスト・イエスに在りて」は「キリストなく」の反対を示す。すなわちキリスト・イエスが十字架に血を流し給えることによりて異邦人も罪を赦されて神の民となり、これによりてイスラエルとの間の距離すなわち差別が無くなりイスラエルと一つとなり、イスラエルの凡ての特権を己が所有となすことを得るに至った。
辞解
「遠き」「近き」はイザ57:19の思想を応用し、これをイスラエルと異邦人とに適用したのである。
[近づくことを得たり] 「近くせられたり」。
口語訳 | キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、[15節]数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、 |
塚本訳 | 何故なら、彼(キリスト)が私達の”平和”であって、(今まで離反していたイスラエルと異教人の)両者を一つにし、(その仲を割いていた)仕切りの籬なる敵意を取り除け給うたからである。すなわちその肉で、[15節](あらゆる)命令規則から成る律法を廃止し給うたのである。これは(今まで敵であった)この二つの者を己において一つの新しい人に創造りかえて平和を作るため、 |
前田訳 | 彼こそわれらの平和です。彼はふたつをひとつにし、お体によって敵意という隔ての垣をおこわしでした。[15節]彼は規則や条例の律法を廃止し、ふたりを彼にあるひとりの新しい人へと創造して平和をつくり、 |
新共同 | 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、[15節]規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 |
NIV | For he himself is our peace, who has made the two one and has destroyed the barrier, the dividing wall of hostility, [15節]by abolishing in his flesh the law with its commandments and regulations. His purpose was to create in himself one new man out of the two, thus making peace, |
註解: 単に我らの間を平和ならしむるはキリストであるとの意味ではなく、彼自身我らの罪の贖い主として神との間の平和を造り給えるが故に、彼がそのまま我らの平和であるとの意味である(Tコリ1:30)(B1)。
辞解
「彼は」は強調されている。「平和」は本節末の「敵意」の反対。
註解: 「廃して」に懸る。イエスの肉を割き血を流すことによりて人類の罪は赦され、神の怒りは宥められ神と人との間の障壁が取り去られしことを意味す。
註解: 直訳「規 よりなる誡命の律法を廃して」で、モーセの「律法」はその内容においては「誡命」であり、その形式においては「規 」すなわち宣言である。イエスの十字架の死によりて律法は律法としては終局となり、その任務を終え(ロマ10:4)、新たにイエスにある新生命より流れ出づる愛の律法がこれに代ることとなる(ロマ13:10)。これがすなわち「キリストの律法」(ガラ6:2)である。
註解: 11−12節におけるごとく神の経綸においては全然対立せる二つのものなりしイスラエルと異邦人とが、律法の廃止によりて一つとせられた(ガラ3:28。ロマ10:12。Tコリ12:13等)。これこの二者を分離し区別する原因たる律法が廃止せられた自然の結果であって、あたかもエルサレムの神殿の中に、イスラエルの庭と異邦人の庭を区別する障壁「隔 の中籬 」があったのが取り毀 たれ、その前に異邦人の立入ることを死刑をもって厳禁する旨の掲示、すなわち「規 」があったのが取りさられたと同様の結果となった。
辞解
[怨 なる隔 の中籬 ] 「隔 の中籬 すなわち敵意」と訳すべく、律法はイスラエルと異邦人との間に対立を来たらしむる事実を指したのである。なお14、15節の文章は構造複雑にして種々の読み方あれど一々論ぜず、最も適当と思われる処による。
これは
註解: 以下16節までは以上の神の御業の目的を示す。イスラエルも異邦人もキリストを信じ彼に在ることにより全く新しき人として創造せられる。しかもこれは二つの異なれる新しき人ではなく、キリストにある一人の新人であり一体たる存在である。従ってこの新しき人としては、イスラエルと異邦人との間に平和が存するのみならず、キリストによりて神との間にも平和が存することとなり凡ての区別と敵意とは消滅する。誠に驚くべき大変革であると言わなければならぬ。
辞解
[一つの] 原語男性「一人の」で(従って「二つの」も「二人の」と訳する方がよろし)全体を一つの人格者として取扱っている。
[己に於て] 「己にありて」または異本「彼にありて」でイエス・キリストとの交わりを指す。これなしには二つのものが一つとなることはできない。
[平和をなし] ユダヤ人と異邦人との間の平和を指すのであるが、しかし「彼にありて」の平和なる故、自然同時に神との平和もパウロの心中に在りしことは勿論である。
2章16節
口語訳 | 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 |
塚本訳 | かくてまた十字架によって二つの者を一つの体において神と和睦させ、十字架において(神と人との間の)敵意を殺すためである。 |
前田訳 | 十字架によってふたりを神に対してひとつ体に和解させて敵意をお殺しでした。 |
新共同 | 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 |
NIV | and in this one body to reconcile both of them to God through the cross, by which he put to death their hostility. |
註解: 私訳「かくして彼にありて敵意を滅ぼし、十字架によりて二者を一体として神と和がしめんためなり」。イエス・キリストに在ることによりてユダヤ人と異邦との間の敵意は消滅し、キリストの十字架によりて、この両者は共に神の子たる身分を獲得し、神の怒りは宥められて二者一体のまま神と和がしめられるに至ったのであった。かくしてキリストとその十字架は神と人類との関係、ユダヤ人と異邦人との関係を根本的に解決し終ったのである。
辞解
[十字架によりて] 原語「彼によりて」で「彼」は「十字架」を指すとも見ることができるけれども、前後の思想の中心がキリストに在る点よりキリストを指すと解するを可とす。
[二つのものを一つの体となして] 訳語としてやや不適当である。
[和 がしむ] apokatallassô につきてはコロ1:20辞解参照。
2章17節 かつ
口語訳 | それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。 |
塚本訳 | 且つ来て、“遠い”君達に“平和の福音を宣べ、また近い者にも平和の福音を宣べ給うた”のである。 |
前田訳 | 彼はおいでのうえ、あなた方遠い人々にも平和を、近い人々にも平和をお伝えでした。 |
新共同 | キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 |
NIV | He came and preached peace to you who were far away and peace to those who were near. |
註解: 「来りて」はこの場合(1)イエスの肉体にて来り給えること、(2)復活のキリスト、(3)使徒たちによる宣伝等を意味するのではなく、霊において来り給えるイエスを指す(I0、M0、E0、ヨハ14:18。Uコリ3:17。Uコリ13:5。ガラ2:20)。キリストは単に平和を造り給えるのみならず(14節)またこれを霊によりて宣伝え給うた。遠きものは異邦人たる信者であり、近きものはユダヤ人である。
辞解
「平和」を繰返したのは意味を強めるためである。
2章18節 そはキリストによりて
口語訳 | というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。 |
塚本訳 | というのは、(今)私達二つの者が、(イスラエル人も異教人も、)一つの霊で父(なる神)に近づくことが出来るのは彼によるのであるからである。 |
前田訳 | 彼によってわれらふたりともひとつ霊にあって父へ近づけるのです。 |
新共同 | それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 |
NIV | For through him we both have access to the Father by one Spirit. |
註解: 前節の理由を証明す。すなわちイエス・キリストの贖いにより我らはユダヤ人たると異邦人たるとを論ぜず同一の聖霊を与えられ、この聖霊にありて、すなわち同一の聖霊を有つことによりて父なる神に恐れることなく近付き得るに至っているからである。本節に父、子、聖霊の三位の神が列挙せられていることに注意すべし。
註解: 19−22節は信者の一体たる姿の描写である。
2章19節 されば
口語訳 | そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。 |
塚本訳 | だから、君達は最早余所の人でも居候でもなく、聖徒と同じ(天上の)市民また神の家族であり、 |
前田訳 | 今やあなた方は外国人やよそものではなく、聖徒と同国人かつ神の家人です。 |
新共同 | 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 |
NIV | Consequently, you are no longer foreigners and aliens, but fellow citizens with God's people and members of God's household, |
註解: 「旅人」は「国人」すなわち民籍所有者の反対であり、「寄寓 人」は「家族」の反対である。今や汝ら異邦人もキリスト・イエスにありてユダヤ人と一体となりたる以上、聖徒らと同様同じ民籍に属し、同じく神の家族であって、神の国の民となったのである。旅人や寄寓 者のごとき不安定なる存在ではない。なおヘブ11:13。Tペテ2:11にキリスト者は旅人また寄寓 者なることを述べているのと矛盾するごときも然らず、本節はキリスト者の天的身分を示し、これらの諸節はその地上の生活の状態を示す。
辞解
[神の家族] 神の国を一家族として見る場合しばしばあり、Tテモ3:15。ヘブ3:2、ヘブ3:5、6。ヘブ10:21。Tペテ4:17。
[聖徒] この場合パウロの心中にはユダヤ人一般を考えてかく言ったのであろう。パウロはユダヤ人は当然イエスを信ずべきものと考えていた。
2章20節
口語訳 | またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。 |
塚本訳 | 使徒と預言者なる土台の上に築き上げられた建物であって、キリスト・イエス御自身がその“首石”である。 |
前田訳 | あなた方は使徒と預言者の土台に建てられ、そのかなめ石はキリスト・イエスご自身です。 |
新共同 | 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 |
NIV | built on the foundation of the apostles and prophets, with Christ Jesus himself as the chief cornerstone. |
註解: 家族の比喩により転じて家屋の比喩となる。その神の家屋の基礎たるものは使徒、預言者であり、信徒はその上に積み重ねられる石材であり、この凡てを支える中心となるものはイエスである。従って汝らももはやこの神の家の不可欠の要素となったのである。
辞解
[使徒と預言者] 新約の使徒、預言者を指す、旧約の預言者にあらず(Tコリ12:10)。「使徒と預言者の基」はこの場合においては「使徒や預言者の置きたる基」(B1)と見るよりも「使徒および預言者そのものが基礎たること」を意味すると見る方が全体の比喩より見て適合する(I0)。Tコリ3:10の場合とは比喩の構成を異にす。同様にTコリ3:11にはキリストが基礎たることが録されているけれども異なった比喩であって本節と矛盾するわけではない。
「自ら」はまた「その」とも訳することができるが、「自らその」と訳することはできない。
2章21節 おのおのの
口語訳 | このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、 |
塚本訳 | そして建物全体は彼において(しっかり)つなぎ合わされて成長し、主に在る聖なる宮となるのであって、 |
前田訳 | 彼によって建物全体が組み合わされ、主にある聖い宮へと成長し、 |
新共同 | キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 |
NIV | In him the whole building is joined together and rises to become a holy temple in the Lord. |
註解: 私訳「建造物全体が彼にありて建て合せられ主にありて聖なる宮に成長するなり」。全教会の固き一体的実在たることと、その生成発育の姿を録す。そしてこの何れも「キリストに在りて」のみ実現可能である。
辞解
pasの後に冠詞なき故「おのおのの建物」と訳することは文法上の必要であるけれども、この文法上の規則は必ずしも絶対的ならざるもののごとく(L2)、全教会の一体観を示す比喩としては、一つの建築物全体と見る方が適当である(▲あるいは「各 の建物」と訳し、全世界に散っている多くの集会(教会)が主にありて一つの宮に建て合されると見る方が文法的にも適当であろう)。そしてこの建造物は、死せる固定物にあらず動植物のごとくに「成長し」(=彌増 に成る)て聖なる宮となる。キリストを隅の首石 とせる全教会の一致とその美しきことはエルサレムの神の宮にも比すべきである。
2章22節
口語訳 | そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。 |
塚本訳 | 君達も彼において一緒に建て合わされ、神の霊の御住居となるのである。 |
前田訳 | 彼にあってあなた方も共に建てられて霊による神の住まいにされるのです。 |
新共同 | キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。 |
NIV | And in him you too are being built together to become a dwelling in which God lives by his Spirit. |
註解: 聖なる神の宮はユダヤ人の信仰の中心でありまたその選民意識の旗印であるけれども、キリストの十字架の贖いにより「汝ら」異邦人もまたユダヤ人と共に一つとせられ、一つの神の宮に建て合せられ、神の住み給う処となる。神はその御霊によりて我らの中に住み、我らを一つの神の住居たらしめ給う。
要義1 [選民と異邦人]キリストの十字架の贖いの効果の著しき一面は選民イスラエルと異邦人とが一つにせられしことであった。異邦人の立場より考うる場合は、イスラエルが選民として特別の地位を有していたことが神の側に一つの不公平が存するかのごとくに思われ、従ってこの二者が一つにせられしことに特別の意義が存在せず、かえって神の不公平がこれにより辛うじて公平に復せしごとくにも思われるけれども、元来神がイスラエルを選び給いしことは、この民を特に唯一神の信仰に訓練し、この民の信仰を通じて万国民に祝福を与え、万国の民を唯一神の信仰に導かんがためであった(創12:3。創18:18。創22:18。創26:4。使3:25。ガラ3:8)。そしてイエス・キリストの贖いにより、ユダヤ人と異邦人の間の障壁が撤去せられ二つが一つに帰したことは、ユダヤ人を通して祝福が異邦人に及んだことであって、神の経綸が完成したのであり、パウロにとりては最も重大なる事実と感じたのであった。この意味をもって11−22節を読むべきである。
要義2 [神の選民たること]神の選民たることは至上の光栄であるけれども、単にその光栄の方面のみよりこれを観察することはその真相を見失う所以である。何となれば選ばれることは同時に責任を負わされることであり、またその責任に伴う鍛錬のために大なる苦難を与えられることをも意味しているからである。光栄の反面には必ずこの責任と苦難とを伴うのであって、もしこの責任を思い苦難を経験するならば、何人も神より選ばれることを欲しないであろう。ゆえに神の選びをもって不公平と考うる者はこの一面を無視するものである。
要義3 [信者の一体観]神の子キリスト・イエスが死にて甦り給えることによりて神とキリストと聖霊によりて新生せる人間(ユダヤ人も異邦人も共に)とが一体なることの新事実があらわれた。偉大なるしかも不思議なる事実である。天にある国の誕生である。三位が一体として人類を抱き、人類(信者)をその中に一体化せしめ、また同時に個々の独立の存在として信者を神の家族と見る。この至高の関係を表顕すべき適当なる言葉はない。パウロはこれを一体、神の家族、神の建築物等種々の用語と比喩とをもって表顕せんと苦心せる跡を見ることができる。
エペソ書第3章
3-3 奥義の知識 3:1 - 3:21
3-3-イ パウロの示されし奥義とその目的 3:1 - 3:13
3章1節 この
口語訳 | こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ— |
塚本訳 | この故に君達異教人のためにキリスト・イエスの囚人となっている私パウロは… |
前田訳 | このことゆえに、あなた方異邦人のためにキリスト・イエスのとりことなったわたしパウロです。 |
新共同 | こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは……。 |
NIV | For this reason I, Paul, the prisoner of Christ Jesus for the sake of you Gentiles-- |
註解: この一節は独立の一句をなし2−13節は括弧の中に入れられ14節に連絡する。パウロは14−19節の祈りを述べんとしてまず彼がイエス・キリストの故に囚人とされていること、しかもそれらが異邦人の使徒として異邦人の救いを述ぶるが故にユダヤ人に憎まれて囚人とされていることを示すことを必要と考えた。囚人たるが故に軽視すべきでないことを彼らに知らしめたかったからである。その結果この冒頭は自然に延長して2−13節に自己の使徒職の意義と、彼に示されし奥義の偉大さとを述べることとなった。
3章2節
口語訳 | わたしがあなたがたのために神から賜わった恵みの務について、あなたがたはたしかに聞いたであろう。 |
塚本訳 | 君達への(使徒たるべき)恩恵の職が神から私に与えられたこと、 |
前田訳 | あなた方のために神がわたしにお与えの恩恵の経綸をお聞きのはずです。 |
新共同 | あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。 |
NIV | Surely you have heard about the administration of God's grace that was given to me for you, |
註解: パウロは異邦人に対する使徒職をもって神より賜りたる恩恵と解していた。この恩恵を賜りたる神の経綸は次節以下に述ぶる処のごときものである。
辞解
[恩恵の経綸] 恩恵を与え給うに至った神の経綸と見る説(目的的第二格)と恩恵そのものがパウロに示せる経綸と解する説(主格的第二格)とあり前者が適当である。
[聞きしならん] 本書は直接エペソの教会に宛てられたものでないことを示す有力なる証拠である。緒言参照。ただし ei ge は確定的事実を指す場合に用いられることを主張して、この一節をもって本書がエペソの教会に宛てられたのではないとの証拠とはならないことを主張する説もある(M0)けれども、新約聖書の用法としてはかく断定することは困難である(L3)。
口語訳 | すなわち、すでに簡単に書きおくったように、わたしは啓示によって奥義を知らされたのである。 |
塚本訳 | すなわち黙示によって(大いなる救いの)奥義が私に示されたことを君達は聞いたに違いない。前に手短に書いた通りである。 |
前田訳 | 黙示によってわたしに奥義が知らされたことは先に短くお書きしたとおりです。 |
新共同 | 初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。 |
NIV | that is, the mystery made known to me by revelation, as I have already written briefly. |
註解: 「まへに云々」は「前述せるごとく」の意味に取るを可とす、すなわちエペ1:9、10(B1)またはエペ2:11−22(M0、I0)等を指す。他に紛失せる書簡があったのであると解する(C2)必要なし。
この
註解: 「奥義」は本章の場合は主としてユダヤ人と異邦人とが一つに帰せる事実を指す、これは一つの神秘的事実である。なおロマ11:25辞解参照。「黙示」は「啓示」を意味す、神がその御心の中に隠し置き給いし御旨を特に啓 き示し給うこと。パウロが何時この黙示を得しかは明言し得ないけれども、彼が異邦人の使徒たることを自覚した時であろう。
3章4節
口語訳 | あなたがたはそれを読めば、キリストの奥義をわたしがどう理解しているかがわかる。 |
塚本訳 | それを読めば私がキリストの奥義を理解していることを知ることが出来る。 |
前田訳 | それをお読みのあなた方はキリストの奥義をわたしが理解していることをお感じでしょう。 |
新共同 | あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、わたしがどのように理解しているかが分かると思います。 |
NIV | In reading this, then, you will be able to understand my insight into the mystery of Christ, |
註解: パウロは本書を受取る教会の人々に対し彼が示されし奥義の悟の重要さを強調し、これによりて彼らの注意を促さんとしているのである(エペソの信徒はすでにこのことを知っていた故、本節も本書が他の教会に宛てられしことの一つの証拠となる)。
辞解
[キリストの奥義] キリストに関する奥義(I0)と見るよりも「キリストなる奥義」の意(M0)と解すべきであろう。すなわちキリストによるユダヤ人と異邦人との一体化である。なおパウロがわざわざかかることに誇ることはパウロらしからずとして本書を偽作とする学者があるけれども、偽作者ならばかえってかかることに触れないのが普通であるとみるべきである。
3章5節 この
口語訳 | この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。 |
塚本訳 | この奥義は今は霊によりその聖なる使徒と預言者達とに(明らかに)顕されているが、他の時代の人の子らにはかく示されなかったもので、 |
前田訳 | それは前の世代には人の子らに知らされませんでしたが、今は彼の聖なる使徒と預言者に霊的に啓示されています。 |
新共同 | この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や“霊”によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。 |
NIV | which was not made known to men in other generations as it has now been revealed by the Spirit to God's holy apostles and prophets. |
註解: 「前代」は直訳「他の時代」で新約時代以前を指す。この奥義はこれまでは何人にも啓示されなかった。然るに今や新約時代となりて、この奥義は聖別せられし使徒や預言者に顕されたのであった。
辞解
「聖使徒」「聖預言者」のごとく特に「聖」なる語を添加することはパウロに相応しからずとする学者があるけれどもこれは聖別せられし意味であって「人の子ら」すなわち自然人との対照の意味をなす。パウロが自己に誇ってかく言えるにあらざることは8節を見れば明らかである。なおパウロはキリスト者を常に「聖徒」と呼んでいた(ロマ1:7。ロマ8:27。ロマ12:13等々)。
3章6節
口語訳 | それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。 |
塚本訳 | 異教人が福音により、キリスト・イエスにおいて(イスラエルと)共に(天上の王国の)相続人となり、共に一体となり、共に(恩恵の)約束に与る者となるということである。 |
前田訳 | それは異邦人も福音のゆえにみな共に世継ぎであり、ひとつ体であり、キリスト・イエスにある約束に共にあずかることです。 |
新共同 | すなわち、異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。 |
NIV | This mystery is that through the gospel the Gentiles are heirs together with Israel, members together of one body, and sharers together in the promise in Christ Jesus. |
註解: 前節の「奥義」の説明。異邦人は信仰に入り、キリスト・イエスによりて新生せる場合、その身分としてはユダヤ人と異ならず、彼らと共に神の嗣業を嗣ぐ者となり、その状態としてはキリストを首とせる一体たる教会となり、その希望においては旧約聖書にユダヤ人に対して与えられし約束(エペ2:12)に彼らと共に与る者となる。これは全く考え得られなかった奥義である。
3章7節
口語訳 | わたしは、神の力がわたしに働いて、自分に与えられた神の恵みの賜物により、福音の僕とされたのである。 |
塚本訳 | そして私はこの福音の世話役となったのであるが、これは神の力が働いて私に与えられたもので、神の恩恵の賜物である。 |
前田訳 | このことの奉仕者にわたしはなったのです。それはわたしに与えられた神の恩恵の賜物により、彼の力の働きによるものです。 |
新共同 | 神は、その力を働かせてわたしに恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。 |
NIV | I became a servant of this gospel by the gift of God's grace given me through the working of his power. |
註解: パウロには前節の奥義が示されしのみならず(3節)この福音を異邦人に宣伝えるための役者すなわち使徒とされたのであった。パウロは一面にこの奥義の悟とその使命とにつき充分なる誇りと自信とを有しつつも、しかもこの偉大なる使命を授けられしことは自己の価値によるにあらずして神の能力 の活動 が彼の上に及び、彼を回心せしめ、そうして後神はその恩恵により彼にこの大任を授け給えることを知っていた。ここにパウロの真の謙遜を見る。
3章8節
口語訳 | すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、 |
塚本訳 | 凡ての聖徒の中で一番小さいこの私に、こんな恩恵──異教人にキリストの測り難い富を宣べ伝え、 |
前田訳 | すべての聖徒のうち最小のわたしにもこの恩恵が与えられました。それは、キリストのはかり知れぬ富を異邦人に伝え、 |
新共同 | この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるわたしに与えられました。わたしは、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、 |
NIV | Although I am less than the least of all God's people, this grace was given me: to preach to the Gentiles the unsearchable riches of Christ, |
註解: パウロがここではTコリ15:9にも優りて、自己を凡ての信徒(聖徒)の中の最下位に置いたのは、一般的に罪人としての意識に基くのではなく、信徒を迫害せる過去の罪の創傷の痛みが何時も彼の心に残っており、時々激しく彼を苦しめたためであろう。ただしこの種の卑下 の語を無意識に濫用することは偽善である故慎まなければならない。なおピリ3:4−15。Uコリ11:16以下。Uコリ12:1以下参照。
辞解
[最 小 き者よりも小き] 形容詞の最上級にさらに比較級の語尾を附加せるもの、意味を強めている。▲原語は elachistoteros で英訳すれば smallester または less than the least というがごとし。パウロの鋳造した語。
キリストの
註解: パウロの使徒職の重点は異邦人の使徒たることであった。ガラ2:7、8。
辞解
[測るべからざる] ロマ11:33に「尋ね難し」と訳されている文字で、その辞解参照。
[富] キリストの救い、およびその結果の広範(▲(+)にして豊富)なるを指す。
3章9節 また
口語訳 | 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。 |
塚本訳 | また万物を創造り給うた神の中に世々隠されていた奥義の経綸の何であるかを露すこんな大きな恩恵が与えられたのである。 |
前田訳 | 万物の造り主にいます神のうちに世々隠されていた奥義の経綸が何であるかを明らかにするためです。 |
新共同 | すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。 |
NIV | and to make plain to everyone the administration of this mystery, which for ages past was kept hidden in God, who created all things. |
註解: パウロの使徒職の第二の重点は、前代未聞の新発見(5節)たる神の奥義の経綸(神の奥義を実現するに至る過程、手段)を闡明 することであった。この奥義の経綸は天地の創造主なる神の御心の中に従来秘められていた処であって、唯示されし人のみに明かにされる処のものである。パウロは恩恵によりてこの奥義を啓示されたのであった。
辞解
何故「萬物を造り給ひし」なる形容辞をこの場合に附加せしやにつき諸説あり、天地の創造主に在すが故に隠すも顕すもその自由の権限内にあるとの意味であろう。
3章10節 いま
口語訳 | それは今、天上にあるもろもろの支配や権威が、教会をとおして、神の多種多様な知恵を知るに至るためであって、 |
塚本訳 | これは今教会によって神の多種多様な知恵が天上における「権威」や「権力」達に示されるためであって、 |
前田訳 | それは今、天上にある支配者や諸権威に神の多面的な知恵が集会(エクレシア)をとおして知らされるためです。 |
新共同 | こうして、いろいろの働きをする神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、 |
NIV | His intent was that now, through the church, the manifold wisdom of God should be made known to the rulers and authorities in the heavenly realms, |
註解: 「為なり」は「為に」で前節に接続す。そして(1)「恩恵を賜りたり」に関連させる説(E0)、(2)「萬物を造り給いし」に関連させる説、(3)「世に隠れたる」(M0、I0、Z0)に関連させる説等あり第三説を取る(注意:本節辞解末尾の▲▲箇所参照)。かく解する場合次のごとき意味となる。すなわち「かつては隠されていたのであるが、それは今や新たに発生せる教会によりて、そこに発露せる神の豊麗多彩なる智慧が天にある御使いたちにまで知らしめられんが為であった。その為に従来隠されていたのである」との意味である。すなわち教会の出現が神の奥義の経綸の顕現であり、全宇宙に対するその宣言である。
辞解
現行訳は上記の中第一説を採用せるもののごとし、なお第三説による場合は本節の初めに「かく世に隠されしは」を補充して読むべし。
[豊なる] polypoikilos は豊麗多彩なる意味。
[政治と権威] エペ1:21註および辞解参照。「天にある政治と権威とに知らしむ」とは全宇宙に響き渡らせるというごとき心持。
▲▲原文の構造よりすれば第一説が最も自然であり、従って第三説を採用したことはこれを取り消す。これによってパウロの受けた使命の恩恵の大きさが宇宙大であることを示す。
3章11節 これは
口語訳 | わたしたちの主キリスト・イエスにあって実現された神の永遠の目的にそうものである。 |
塚本訳 | 神の永遠の計画に基づくものであるが、(今)神は私達の主キリスト・イエスにおいてこれを実現し給うたのである。 |
前田訳 | それは神がわれらの主キリスト・イエスにあってお作りの永遠のご計画に添うものです。 |
新共同 | これは、神がわたしたちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。 |
NIV | according to his eternal purpose which he accomplished in Christ Jesus our Lord. |
註解: 世に隠されていた奥義が今教会によって表わされるに至ることは決して神の一時の思い付きでもなく、また偶然の成行でもない。世の創の前よりキリストの中に定め給いし神の永遠の御旨によるのである。
辞解
[永遠より] 「御旨」に懸る。これを多くの世代 aiôn に関する御旨の意味に解し、「代々の御旨」と読む説あり、しかしむしろこれを「永遠の」の意味に解するを可とす。
[定め] 「実現し」と読まんとする説あれど(M0、Z0)その必要なし。
3章12節
口語訳 | この主キリストにあって、わたしたちは、彼に対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのである。 |
塚本訳 | そして私達はキリストを信ずる信仰により、彼に在って勇気を得、安心して神に近づくことが出来るのである。 |
前田訳 | キリストにあって、われらは彼のまことによる確信のうちに率直に神に接近しえます。 |
新共同 | わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。 |
NIV | In him and through faith in him we may approach God with freedom and confidence. |
註解: 後半私訳「確信をもって臆せず語り、また神に近づくことを得るなり」。神の御旨の決定の中心たるキリストに在り彼を信ずる信仰を有つことは、人間をして大胆ならしめ神に対して懼れなからしめる。これはパウロの使徒として活動する際の実験であった。
辞解
[疑わずして] 「確信をもって」と直訳し得る語で、「臆せず」と「神に近づく」との双方にかかっているものと解す(M0、I0)。
[臆せず] parrhêsia は大胆に語る意味。
3章13節 されば
口語訳 | だから、あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい。わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである。 |
塚本訳 | だからどうか君達のために私の受ける(種々な)患難に気を落とさぬように。この患難こそ(実は)君達の光栄(のため)である。 |
前田訳 | それゆえあなた方のためのわが悩みにお気落ちのないようお願いします。わが悩みはあなた方の栄光です。 |
新共同 | だから、あなたがたのためにわたしが受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです。 |
NIV | I ask you, therefore, not to be discouraged because of my sufferings for you, which are your glory. |
註解: パウロは異邦人の使徒たる立場に堅く立っていたためにユダヤ人に迫害されて幽囚の艱難に逢っていた(ピリ2:17)。パウロはこの患難が彼ら異邦人を落胆せしめ、パウロの福音の価値につき疑いを挿むことがないか憂え、そうしたことがないように彼らに懇願した。かつ彼らをしてパウロと同様の誇りを持たせるために、この患難が彼らの恥辱ではなく反対に彼らの誉(光栄)であることを附記している。患難をも喜べる(ロマ5:3)パウロの信仰がここに躍如として顕われている。たしかに当時のローマ帝国の絶大なる権力の下に囚人となっているパウロを見る場合、一般の人々は(たといキリスト者でも)悲歎絶望に陥ることがあり得るからである。
辞解
[されば] パウロの神より受くる恩恵の賜物はかくも偉大なるが故にとの意味。なお本節を「されば我は、わが汝らのために受くる患難につきて落膽せざらんことを(神に)求む。これ汝らの光栄なり」(B1)と解する説あり、文法上可能なれど、前後の関係上現行訳を採る。
要義 [前代未聞の奥義]ユダヤ人と異邦人とが同様に神の世嗣となり一体となることはパウロにとりては真に驚嘆にたえざる奥義であった。このことは今日の我らにとりてはその真義を理解し難くまた往々にしてかえって我らにとりて一種の民族的恥辱なるかのごとくに感じられるのであるけれども、パウロがユダヤ人を特別の民族と確信せる所以は、決して単なる盲目的の民族的自負心ではなく、神の約束を受け神を示され、神の世嗣たる希望をもって生き得る事実の偉大さをそのままに評価したからであった。殊にパウロにとりては「イスラエルより出づるものみなイスラエルなるに非ず」(ロマ9:6)、「信仰に由る者は、これアブラハムの子なり」(ガラ3:7)で、真のユダヤ人は信仰によりて神と一つとなれるものである。ゆえに異邦人がユダヤ人と共に世嗣たることの光栄は、この信仰を共にすることの光栄であって、民族的同化というごとき事実を指すのではないことを思うべきである。そして全世界の全人類がこの神の特別の恩恵に与り得ることは、パウロにとりては真に破天荒の発見であり、従来全く知られなかった神の奥義の黙示を賜ったのであると信じたのであった。
3章14節 - 15節 この
口語訳 | こういうわけで、わたしはひざをかがめて、[15節]天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。 |
塚本訳 | …この故に私(パウロ)は天上地上において凡て「父」と名のつくものの本源である父の御前に跪く──(14-15合節) |
前田訳 | このことゆえに、わたしは父に膝をかがめます。[15節]彼によって天と地のすべての族(やから)が名づけられています。 |
新共同 | こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。[15節]御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 |
NIV | For this reason I kneel before the Father, [15節]from whom his whole family in heaven and on earth derives its name. |
註解: パウロは心からの祈りの心持をもって父なる神に向った。その父は天と地とに在る諸々の族(すなわち天上の御使いたちと地上の諸民族と)を創造し給える神である。創造者なる父に祈ることは、その祈りの聴かれる確信があることを示す、またこの際創造者をかかる形容をもって呼ぶことはユダヤ人と異邦人の一体化(6節)とまたこの奥義を天の処にある政治と権威とに知らしめんこととが(10節)前に述べられていたからである。
辞解
[この故に] 第1節の反復と見て2章の末尾を受けると見る説(E0、I0)と2−13節とを受けると解する説(M0)とあり、前者を採る。
[諸族] patriaは本来同族すなわち父祖を共にする一族を意味す。家族、同種族、同国民等これなり。
[名の起る處] 直訳「彼に因りて名づけられる處」は、(1)諸族が神の子と呼ばれることを指すとする説(B1、L2)と、(2)「諸族」 patria なる名称は「父」 patêr より来れる故パトリヤなる名称の起源をなすところの父(パテール)に跪づくとの意味と解する説(M0、I0)と、(3)「名」は「実」を指すことは旧新約聖書を通ぜる思想である故、天地の諸々の族の起源たる父の意味に取る説(Z0)その他種々あり、第三説を採る。Tコリ8:6。
[跪づく] 必ずしもこの書簡を書きながら事実跪坐 したとの意味に解する必要はない。
3章16節
口語訳 | どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、 |
塚本訳 | 願わくはその栄光の豊富なるに相応しく、その霊により君達の「内なる人」に力を与えてこれを強くし、 |
前田訳 | 祈るらくは、その栄光の富を分け、彼の霊によってあなた方の内なる人への力をお強めくださいますように。 |
新共同 | どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、 |
NIV | I pray that out of his glorious riches he may strengthen you with power through his Spirit in your inner being, |
註解: パウロの有てる願望の第一は落胆せんとする人々(13節)を強くすることであった。父は栄光を有ち、力を有ち給う。父の栄光はその恩恵(愛)と真理(義)であり、これを仰ぎ見ればだれでも偉大なる歓喜と希望をいだくことができる。また父は自ら偉大なる力を有ち給う。この父がエペソ書の読者の内なる人を強くすることがパウロの願いであった。愛と義と力とは神の属性の主体である。そしてこれを働かするものは御霊である。
辞解
[内なる人] 「外なる人」に対立し、人間生れながらにして有する精神 nous,psychê の主体である。聖霊によりて新生せる人の場合でも、この内なる人は聖霊によりて強くせられ、信仰の戦いを闘う善き兵卒となることが必要である。
3章17節
口語訳 | また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 |
塚本訳 | 信仰によってキリストを君達の心の中に宿らせ、(また君達の言と行とをして悉く)愛に根を下ろし、(愛に)基礎を置くものならしめ給わんことを! |
前田訳 | まことによってキリストがあなた方の心にお住みになり、あなた方が愛に根ざし基礎づけられ、 |
新共同 | 信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。 |
NIV | so that Christ may dwell in your hearts through faith. And I pray that you, being rooted and established in love, |
註解: 直訳「信仰によりてキリスト汝らの心の中に永住し給い」、内なる人を強くしてもこれを永続的にするためにはキリストが常に心の中に留まり給うことが必要である。
辞解
[住ふ] katoikeô は一般に自動詞として用いられるため上記のごとくに直訳すべきである(ただし他動詞としても読み得ることを主張する学者もなきにあらず(Z0))。この語は「仮寓する」 paroikeô に対する語で、一時の宿を取ることではなく永住することを意味す。
3章18節
口語訳 | すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、 |
塚本訳 | かくて君達が凡ての聖徒と共に神の経綸の広さ、長さ、高さ、深さの如何ばかりなるかを悟り、 |
前田訳 | すべての聖徒とともにその広さ、長さ、高さ、深さを把握する力を得ますように、 |
新共同 | また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、 |
NIV | may have power, together with all the saints, to grasp how wide and long and high and deep is the love of Christ, |
註解: 力と信仰とのみで愛が無ければ、無益である故パウロはさらに進んで信者が愛に根ざして深く愛の生命を吸取り、愛を基として凡ての建築物を愛の上に建てることをすすめている。そしてこの活ける建築物の材料をなしているのは聖徒たちであって(エペ2:20)これら凡ての聖徒が一つとなってキリストを中心として神の家が建て上げられるのであって、この神の家の何たるかをその凡ての方面(すなわち広さ、長さ、高さ、深さ)において把握しなければならない。
辞解
この部分難問多し、「愛に根ざし、愛を基とし」文勢上は前の文章に属せしめる方が自然である(C3、A1)。けれども、意味の上よりは現行訳のごとく独立句と見るを可とす(I0、E0、Z0)。なお、「・・・・・基として」と訳して後文中に含ませる読み方あり(M0)。
[キリストの愛] 原文になき故「広さ、長さ、高さ、深さ」が何を意味するかにつき諸説あり、神の宮、神の愛、神の智慧、救いの御業、キリストの愛、十字架の奥義、神の満盈 等々諸説あり、数え尽し難い。パウロの脳中には2章後半および3:14以下において、ユダヤ人と異邦人とを一体とする神の家族、キリストを隅の首石 とせる発育する神の家等の観念が浮んでいた処より見て、キリストによりて充たされし神の家の広さ、長さ、高さ、深さを言えるものと解すべきであろう。一々広さは何を意味し、長さは何を意味すというごとくに解す(B1)べきではなく、また十字架の横木、竪 木、地中に埋没せる部分等にそれぞれを当て嵌 むべきでもない。「全貌」とか「全方面」とかいうが如き意味と解すべきである。
[悟る] 「把握する」の意
3章19節 その
口語訳 | また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。 |
塚本訳 | また(人の)知識を越ゆるキリストの愛を知ることが出来、かくて遂に神の中に充ち満つる凡てのものをもって満たされんことを! |
前田訳 | 知識を上回るキリストの愛を知りえますように、神の全き完成へとあなた方が全うされますように、との祈りです。 |
新共同 | 人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。 |
NIV | and to know this love that surpasses knowledge--that you may be filled to the measure of all the fullness of God. |
註解: 直訳「知識を超越せるキリストの愛」で、キリストに関して広さ、長さ、高さ、深さを悟る場合その中心を為す最大の重要なる事実はキリストの愛であり、これは人間の知識を超越せる処の愛である。この愛を知ることが聖徒にとりての最も必要な事柄である。
註解: 直訳「神の凡てのプレーローマに達するまで汝らが満されんことを」。神のプレーローマとは神の本質の万全充実完備の姿を指す語で一々列挙し得ざる底のものである。これを単に「充ち足れる徳」と訳しても不充分であり、または「完全」「栄光」等の語をもっても代えることができない。このプレーローマは具体化してキリストに宿り(コロ2:9)、我らもまたこのキリストのプレーローマに達し、神のごときものとなるべきである(エペ4:13)。これがパウロの祈りであった。偉大なる祈りである。
3章20節
口語訳 | どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、 |
塚本訳 | 願う、私達の衷に(御霊の)力を働かせて、私達が凡て求むるところ、然り、思うところに遥かに優って為し得給う御方に、 |
前田訳 | われらのうちに働く力によって願いまた思うことをはるかに越え、すべてにまさっておできの方、 |
新共同 | わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 |
NIV | Now to him who is able to do immeasurably more than all we ask or imagine, according to his power that is at work within us, |
3章21節
口語訳 | 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。 |
塚本訳 | 教会により、キリスト・イエスによって千代万代までも栄光あらんことを、アーメン! |
前田訳 | 彼にこそ集会(エクレシア)により、キリスト・イエスによって世々とこしえに栄光がありますように。アーメン。 |
新共同 | 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 |
NIV | to him be glory in the church and in Christ Jesus throughout all generations, for ever and ever! Amen. |
註解: 14−19節の祈願はその思想の雄大なるがために自らパウロをして頌栄の語を発せしむるに至った。ロマ11:33−36参照。パウロは神を指して我らの求むる処、思う処よりも遙かに偉大なることを為し得る者と呼んでいる。これ14−19節の祈りにより神必ず我らの求むる処以上を為し得給うことを信じていたからである。それ故にパウロは、その祈り求めし処はすでに与えられしもののごとくに信じて神に栄光を帰し奉ったのである。
辞解
[我らの中にはたらく能力に随ひ] 神の力が我らの中にはたらき、我らをして我ら自身の求むる以上のものたらしめる。
[世々限りなく] 「諸世代 aiônes の中の一世代 aiôn の諸時代 geneai に」なる複雑なる表顕法に由っているのであるが、これらの語の意味を一々考慮する必要なく漠然長年代の間の意味に取りて差支えなし(M0)。
[教会により、キリスト・イエスによりて] この両者が共に神の栄光を掲ぐべき者として考えられたのである。
要義1 [パウロの祈り]エペソ書は讃美と頌栄と祈祷の連続であるということができる。たしかにパウロの心は神の計画の偉大さ、その奥義の深遠さに強く打たれていたために、かかる祈りと讃美と頌栄とが口を衝いて出でたのであろう。そしてパウロがキリスト者に要求する処のものは、神がキリストに由りて成就し給えるこの偉大なる宇宙的経綸にキリスト者も即応すべきことであって、キリスト者はキリストに連なることによりてユダヤ人と異邦人とが一体となり、そこに神の家、神の建物が建て上げられ、この建物の中に神のプレーローマが充満すること、即ちキリスト者に神のプレーローマが満たされ、キリスト者がそのまま神のごとくになることがパウロの祈りの最終目的点であった。世にこれ以上に偉大なる祈祷を考うることができない。この祈りが聴かれる場合、我らは地上に神の国を見ることができる。キリスト者の野心はこれ以下であってはならない。
要義2 [教会の完成の理想]神のプレーローマをもって教会が充たされることは、我ら凡てのキリスト者の切なる努力でなければならない。我らの霊魂や行為の状態如何は我らが救われるや否やの原因ではない。しかしながら救われし我らは感恩による努力精進の生活を送り、かくしてキリストの体に相応しき教会とならなければならぬ。救いは凡てキリストにあり、全く神の恩恵にのみ因ることを理由として自らは怠慢の中に生きんとする者は真のキリスト者ではない。