黒崎幸吉著 註解新約聖書 Web版マタイ伝

マタイ伝第27章

分類
9 イエスの受難問題 21:1 - 27:26
9-6 受難前の出来事 26:1 - 27:26
9-6-ヌ イエス、ピラトに付され給う 27:1 - 27:2
(マコ15:1) (ルカ23:1) (ヨハ18:28)  

27章1節 夜明(よあ)けになりて、[引照]

口語訳夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、
塚本訳夜が明けると、大祭司連、国の長老たち(全最高法院)は満場一致でイエスを死刑にする決議をした。
前田訳朝になると、大祭司や民の長老は一致してイエスを死刑にする決議をした。
新共同夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。
NIVEarly in the morning, all the chief priests and the elders of the people came to the decision to put Jesus to death.
註解: この日はイエスの十字架につき給える日であった。

(すべ)ての祭司長(さいしちゃう)(たみ)長老(ちゃうらう)ら、イエスを(ころ)さんと(あひ)(はか)り、

註解: 祭司長、長老ら衆議所の役員全員が集まって来た、彼らの考えは皆イエスを殺すことに一致した。彼らはイエスをもって民を惑わすものと考えたのである。無意識に自己の属する階級の利益を擁護せんとし、有意識に従来の伝統思想をもって無謬のものと見てこれに反するものを迫害することは、いづれの時代においてもその特権階級の通弊(つうへい)である。

27章2節 (つい)(これ)(しば)り、()きゆきて總督(そうとく)ピラトに(わた)せり。[引照]

口語訳イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。
塚本訳それから彼を縛り、引いていって総督ピラトに渡した。
前田訳そして彼を縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。
新共同そして、イエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。
NIVThey bound him, led him away and handed him over to Pilate, the governor.
註解: ピラトは紀元26年より10年間ユダヤの総督であって、ローマ政府の官吏である。ユダヤ人らはピラトの決定を経ざればイエスを死刑に処することができないので彼に付した。

9-6-ル ユダの最後 27:3 - 27:10

27章3節 ここにイエスを()りしユダ、その()(さだ)められ(たま)ひしを()()い、[引照]

口語訳そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して
塚本訳その時イエスを売ったユダは、イエスの判決が決まったのを見て後悔し、(受け取ったシケル)銀貨三十枚を大祭司連、長老たちに返して、
前田訳イエスを売ったユダは彼が判決を受けるのを見て悔い、銀貨三十を大祭司と長老に返した。そしていう、
新共同そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、
NIVWhen Judas, who had betrayed him, saw that Jesus was condemned, he was seized with remorse and returned the thirty silver coins to the chief priests and the elders.
註解: ユダはイエスがかかる運命に陥り給うべしとは考えなかったのか、もしくは始めに漠然と予想したことが眼前に事実となったので、その感じを新たにしたのであろう。ただユダの悔いは神の前に自己の罪を悔改めて心を新たにしたのではなく、自己の行為の結果を見てこれを為さなければよかったと思う心持である。
辞解
[悔い] 原語metamelomaiはこの意味であって「後悔する」に当たる、「悔改め」と訳されるmetanoeô、metanoia は「懺悔する」「懺悔」に当たっている。新約聖書にては多く後者を用い、前者は五回用いられているのみである (マタ21:29マタ21:32マタ27:3Uコリ7:8ヘブ7:21) 。

祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)らに、かの三十(さんじふ)(ぎん)をかへして()ふ、

註解: 彼はその行為の結果を見て悔いたので、その結果をできるだけ早く打消そうとしてその得し銀を返さんとしたのである。しかし我らの罪はその結果を消滅せしむることによって消すことはできない。

27章4節 『われ(つみ)なきの()()りて(つみ)(をか)したり』[引照]

口語訳言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。
塚本訳「罪もない(人の)血を売って、悪いことをした」と言った。彼らがこたえた、「われわれの知ったことではない。お前が自分で始末しろ!」
前田訳「わたしは清らかな血を引き渡して罪を犯した」と。彼らはいった、「われらの知ったことではない。自分で始末せよ」と。
新共同「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。
NIV"I have sinned," he said, "for I have betrayed innocent blood." "What is that to us?" they replied. "That's your responsibility."
註解: 彼はその心の暗黒に掩われて、もはやイエスのメシヤに(いま)し給うことを認めなかった(B1)。ゆえにこれを単に「罪なき血」と言うだけであった。彼の後悔は「世の憂」であって「神に従う憂」ではなかった(Uコリ7:10)。
辞解
[罪なき血] haima athôon「死の罰に相当せざる人」「死の責任を負うべからざる人」を意味す、24節を見よ。

(かれ)らいふ『われら(なに)(あづか)らん、(なんぢ)みづから(あた)るべし』

註解: 「我らに責任はない、貴様の責任ではないか」と言う語気であって、神を知らざる者はその罪を共にして後にその責任を逃れんとする。24節もこれと同じ。

27章5節 (かれ)その(ぎん)聖所(せいじょ)()げすてて()り、ゆきて(みづか)(くび)れたり。[引照]

口語訳そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。
塚本訳ユダは銀貨を宮に投げ込んで去り、行って首をくくった。
前田訳そこで彼は銀貨を宮に投げて立ち去り、行って首をくくった。
新共同そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
NIVSo Judas threw the money into the temple and left. Then he went away and hanged himself.
註解: 聖所は祭司以外には何人も入るべからざる場所である。ユダは絶望の余りこの暴挙に出たのである。

27章6節 祭司長(さいしちゃう)らその(ぎん)をとりて()ふ『これは()(あたひ)なれば、(みや)(くら)(をさ)むるは()からず』[引照]

口語訳祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、「これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない」。
塚本訳大祭司連は銀貨を取りのけながら言った、「人殺しの代金だから、賽銭箱に入れるのはよろしくない。」
前田訳大祭司は銀貨を手にしていった、「これを宮の献金に入れることはゆるされない、血の代金だから」と。
新共同祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、
NIVThe chief priests picked up the coins and said, "It is against the law to put this into the treasury, since it is blood money."
註解: 申23:18の意味を汲めば血の価は妓女(ぎじょ)(いぬ)の値よりも一層エホバの憎み給う者であると考えなければならぬ。祭司長らはこの意味よりこの銀を宮の庫に納めなかった。

27章7節 かくて(あひ)(はか)り、その(ぎん)をもて陶工(すゑつくり)(はた)()ひ、旅人(たびびと)らの墓地(ぼち)とせり。[引照]

口語訳そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。
塚本訳そこで決議の上、その金で「瀬戸物屋の畑」(と言われた土地)を買って無縁墓地をつくった。
前田訳彼らは相談してそれで陶器師の畑を買って外人墓地にした。
新共同相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。
NIVSo they decided to use the money to buy the potter's field as a burial place for foreigners.
註解: この地所は伝説によれば、ヒノムの谷の東南エルサレムと谷を挟んで相対するところであると称せられている。
辞解
[旅人] ユダヤ人または改宗者にしてエルサレムに来りおる中に死亡せる者、異邦人を含まず。

27章8節 (これ)によりて()(はた)は、(いま)(いた)るまで()(はた)(とな)へらる。[引照]

口語訳そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。
塚本訳そのため、この畑は今日まで「血の畑」と呼ばれる。
前田訳それゆえにその畑は今日まで血の畑と呼ばれる。
新共同このため、この畑は今日まで「血の畑」と言われている。
NIVThat is why it has been called the Field of Blood to this day.
註解: 「血の畑」に相当するヘブル語はアケル、ダマ(使1:19)である。「今に至るまで」はマタイがこの書を記す時に至るまで。

27章9節 ここに預言者(よげんしゃ)エレミヤによりて()はれたる(ことば)成就(じゃうじゅ)したり。[引照]

口語訳こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである。すなわち、「彼らは、値をつけられたもの、すなわち、イスラエルの子らが値をつけたものの代価、銀貨三十を取って、
塚本訳その時、預言者エレミヤをもって言われた言葉が成就した。──“わたしは、値ぶみされた人、すなわちイスラエルの子孫たちが値ぶみした人の代金、銀貨三十枚を取って、
前田訳かくて預言者エレミヤのことばが成就した。いわく、「彼らは銀貨三十すなわちイスラエルの子らが人間につけた値段の金を取って
新共同こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者、すなわち、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。
NIVThen what was spoken by Jeremiah the prophet was fulfilled: "They took the thirty silver coins, the price set on him by the people of Israel,
註解: この預言はエレミヤ記にはなくゼカ11:12、13の七十人訳の文字をさらに幾分変更せるものであろう(なおこの引用があまりに原文と異なりかつエレミヤとゼカリヤとの誤認があるために他に種々の説明が与えられている。

(いは)く『かくて(かれ)値積(ねづも)られしもの、(すなは)ちイスラエルの()らが値積(ねづも)りし(もの)(あたひ)(ぎん)三十(さんじふ)をとりて、

27章10節 陶工(すゑつくり)(はた)(かわり)(これ)(あた)へたり。(しゅ)(われ)(めい)(たま)ひし(ごと)し』[引照]

口語訳主がお命じになったように、陶器師の畑の代価として、その金を与えた」。
塚本訳主が”わたしに“命じられたように、それを瀬戸物屋の畑の代金として渡した。”
前田訳主がわたしに命じられたように陶器師の畑の代として与えた」と。
新共同主がわたしにお命じになったように、彼らはこの金で陶器職人の畑を買い取った。」
NIVand they used them to buy the potter's field, as the Lord commanded me."
註解: 七十人訳もヘブル語もこれと異なった字句から成っている。マタイはその記憶からこの両者の字句を適当に混合引用してユダの事件の預言としてこれを解したものであろう。この引用の意味はイスラエルの子らがその牧者たるエホバ神に対する報酬(「値積られしもの」はエホバのことを指す)を銀三十をもって値積ったのであるが、この銀三十を彼ら(すなわち祭司ら)が取って陶工(すえつくり)の畑を買ったのであって、これがユダがキリストを売りてその金をもって祭司らが陶工(すえつくり)の畑を買ったことの預言となったのであると解しているのである。この内容はエレ19:1−5とも異り又ゼカ11:12、13とも異っている。ただベンヒノムの谷の南がアケルダマの場所に相当しているごとくであるので、かかる変更を与えて引用したものであろう(Z0)。
要義 [懺悔と後悔]懺悔は従来の心の態度を全部悪しと認めてその心を一新することを意味し、後悔は新に憂慮することであって自己の特定の行為又は思想を後より悔いて、その結果につき憂慮することである。Uコリ7章、に示すごとく前者は「神に従うの憂慮」であって、神に対して「まことに相済まない」との感じであり後者は「世の憂い」であって「困ったことになった」との感じである。前者は我らをして救に至らしめ、後者は我らをして死に至らしむる。この二者一見相類似しているにかかわらず、非常に相異っているのである。
附記 [ユダの死について]使1:18、19とこことは同一事件の内容を異にしているのであって、ユダの死に方もアケルダマの名称の由来も共に両者の間に差異があり、いかにしてもこれを調和することができない。おそらくユダの死はイエスの捕縛及び十字架の死とほとんど同時であったので、その混雑のために弟子たちには確実なる事実を捉える余裕がなく、後日に至りて種々の異れる伝説を生じたのであろう。

9-6-ヲ ピラトの裁判 27:11 - 27:26
(マコ15:2-21) (ルカ23:11-25) (ヨハ18:29-19:16)  

27章11節 さてイエス、總督(そうとく)(まへ)()(たま)ひしに、總督(そうとく)()ひて()ふ『なんぢはユダヤ(びと)(わう)なるか』[引照]

口語訳さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。
塚本訳さて、イエスが総督の前に立たれると、総督はイエスに問うた、「お前が、ユダヤ人の王か。(お前はその廉で訴えられているが。)」イエスは言われた、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。」
前田訳イエスが総督の前に立たされると、総督は彼に問うた、「おまえはユダヤ人の王か」と。イエスはいわれた、「仰せのとおり」と。
新共同さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
NIVMeanwhile Jesus stood before the governor, and the governor asked him, "Are you the king of the Jews?" "Yes, it is as you say," Jesus replied.
註解: 第二節と連絡している。この質問はユダヤ人が彼に対して訴えし語によったものである(ルカ23:2)。この返答いかんは彼自身に何らの興味もなかった(ルカ23:4)。

イエス()(たま)ふ『なんぢの()ふが(ごと)し』

註解: 先にイエスは「キリスト、神の子なるか」との質問に対して「汝の言える如し」と答え給い(マタ26:64)、ここにまた「ユダヤ人の王なるか」との質問に対し同じ答を発し給うたのはこの二つの事柄が最も大切な事柄であって、イエスは人類の救主に(いま)し給うと共にユダヤ人の王としてダビデの位に座し給う御方であったからである。ゆえにこれを明らかにし給うことだけは、イエスも少しも躊躇し給わなかった。

27章12節 祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)(うった)ふれども、(なに)をも(こた)(たま)はず。[引照]

口語訳しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。
塚本訳大祭司連、長老たちから(いろいろと)訴えられたが、何もお答えにならなかった。
前田訳そして大祭司や長老による訴えには何もお答えがなかった。
新共同祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
NIVWhen he was accused by the chief priests and the elders, he gave no answer.
註解: 答うる必要がなかったからである。イエスが神の子メシヤに(いま)し、ユダヤ人の王に(いま)すことを語り給える以上、これを信ずるや否やの決定がユダヤ人の責任に帰せられているのであって、答うべきはむしろユダヤ人であってイエスではない。

27章13節 ここにピラト(かれ)()ふ『()かぬか、(かれ)らが(なんぢ)(たい)して如何(いか)におほくの證據(しょうこ)()つるを』[引照]

口語訳するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。
塚本訳するとピラトが言った、「あんなにお前に不利益な証言をしているのが聞えないのか。」
前田訳そこでピラトが彼にいう、「こんなに不利な証言をしているのが聞こえないのか」と。
新共同するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
NIVThen Pilate asked him, "Don't you hear the testimony they are bringing against you?"
註解: ピラトはむしろイエスの口より答弁を出さしめて、彼に有利な判決を与えんとしたのであろう。

27章14節 されど總督(そうとく)(いた)(あや)しむまで、一言(ひとこと)をも(こた)(たま)はず。[引照]

口語訳しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。
塚本訳イエスはただの一言もお答えにならなかったので、総督は不思議でならなかった。
前田訳彼からひとこともお答えがないので総督はたいそう不思議に思った。
新共同それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。
NIVBut Jesus made no reply, not even to a single charge--to the great amazement of the governor.
註解: 荘厳な沈黙である。人を救わんがためには多くの語をもって語り給いしイエスも、自己を救わんがためには一言も語り給わなかった。語るも黙するもただ人類に対する愛のみより出でていた。

27章15節 (まつり)(とき)には、總督(そうとく)群衆(ぐんじゅう)(のぞみ)にまかせて、囚人(めしうど)一人(ひとり)(これ)(ゆる)(れい)あり。[引照]

口語訳さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。
塚本訳さて総督は(過越の)祭の都度、民衆の望む囚人を一人だけ(特赦によって)赦すことにしていた。
前田訳祭りの折に総督が民衆の望む囚人ひとりをゆるす習慣があった。
新共同ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。
NIVNow it was the governor's custom at the Feast to release a prisoner chosen by the crowd.
註解: これカイザルが総督に与えし特権であったらしい、この習慣の起源は不明である(シューラー)。

27章16節 ここにバラバといふ(かく)れなき囚人(めしうど)あり。[引照]

口語訳ときに、バラバという評判の囚人がいた。
塚本訳ところがその時、バラバ(・イエス)と言う評判の囚人がいたので、
前田訳そのときバラバという評判の囚人がいた。
新共同そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。
NIVAt that time they had a notorious prisoner, called Barabbas.
註解: 経外聖書には彼の名をイエス・バラバと記している。バラバは「父の子」の意味であって、彼の名は偶然ながら主イエスの名と酷似していた。彼は有名なる騒擾(そうじょう)罪、殺人罪を犯せる囚人であった。ルカ23:19

27章17節 されば人々(ひとびと)(あつま)れる(とき)、ピラト()ふ『なんぢら()(たれ)(ゆる)さんことを(ねが)ふか。バラバなるか、キリストと(とな)ふるイエスなるか』[引照]

口語訳それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。
塚本訳ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ(・イエス)か、救世主と言われるイエスか。」
前田訳人々が集まったときピラトはいった。「どちらをゆるしてあげようか、バラバか、キリストといわれるイエスか」と。
新共同ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」
NIVSo when the crowd had gathered, Pilate asked them, "Which one do you want me to release to you: Barabbas, or Jesus who is called Christ?"

27章18節 これピラト(かれ)らのイエスを(わた)ししは(ねたみ)()ると()(ゆゑ)なり。[引照]

口語訳彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。
塚本訳ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。
前田訳ピラトは人々が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたからである。
新共同人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
NIVFor he knew it was out of envy that they had handed Jesus over to him.
註解: 一方バラバは有名なる囚人であり、他方イエスの(わた)され給いし原因は(ねたみ)に過ぎないことをピラトは了知しているので、この二人の中の一人を赦す場合にイエスを赦さんことを願うであろうと思ったのであろう。

27章19節 (かれ)なほ審判(さばき)()にをる(とき)、その(つま)(ひと)(つかは)して()はしむ『かの義人(ぎじん)(かかは)ることを()な、(われ)けふ(ゆめ)(うち)にて(かれ)(ゆゑ)にさまざま(くる)しめり』[引照]

口語訳また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。
塚本訳ピラトが裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。
前田訳ピラトが席にすわっているとき、彼の妻が人をやっていわせた、「あの義人に何もしないでください。あの人の夢で昨夜苦しみました」と。
新共同一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」
NIVWhile Pilate was sitting on the judge's seat, his wife sent him this message: "Don't have anything to do with that innocent man, for I have suffered a great deal today in a dream because of him."
註解: 伝説によれば妻の名はクラウデヤ・プロクラであった。彼女はおそらくイエスのことを耳にし内心に尊敬を(あらわ)していたのであろう。この夢は神の御旨を示す意味はなく、正直なる女性の直観に往々利害を基礎とせる政治家等の判断よりも正しきものがあることを示すものと見るべきであろう。この夢の記事はマタイ伝特有である。

27章20節 祭司長(さいしちゃう)長老(ちゃうらう)ら、群衆(ぐんじゅう)にバラバ[の(ゆる)されん(こと)]を()はしめ、イエスを(ほろぼ)さんことを(すす)む。[引照]

口語訳しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。
塚本訳しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた。
前田訳大祭司と長老はバラバをゆるしてイエスを殺してもらえと民衆を説得した。
新共同しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。
NIVBut the chief priests and the elders persuaded the crowd to ask for Barabbas and to have Jesus executed.
註解: 扇動する祭司長、扇動される群衆、いずれも神の前に誠実をもっていない。神の前に不誠実なる者には正義と不義の観念するらも撹乱(かくらん)されるのであって、バラバとイエスとの間の優劣すらも誤せられるに至っている。

27章21節 總督(そうとく)こたへて(かれ)らに()ふ『二人(ふたり)(うち)いづれを()(ゆる)さん(こと)(ねが)ふか』(かれ)らいふ『バラバなり』[引照]

口語訳総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。
塚本訳総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいのか。」「バラバを!」と彼らが言った。
前田訳総督はいった、「ふたりのうちどれをゆるしてもらいたいか」と。彼らはいった、「バラバを」と。
新共同そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。
NIV"Which of the two do you want me to release to you?" asked the governor. "Barabbas," they answered.
註解: 彼は群衆の意向に従わんとしているのである。自己の内心にイエスを赦さんことを希望しているにも関わらず、明瞭なる正義感、真理観なき政治家ピラトは群衆の反抗を買うことを無益のことと考え、この打算よりイエスの処置を定めんとした。

27章22節 ピラト()ふ『さらばキリストと(とな)ふるイエスを(われ)いかにすべきか』[引照]

口語訳ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
塚本訳ピラトが言う、「では、救世主と言われるイエスをどうしようか。」みんなが、「十字架につけるのだ」と言う。
前田訳ピラトはいう、「キリストといわれるイエスはどうしよう」と。彼らは皆いう、「十字架につけよ」と。
新共同ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。
NIV"What shall I do, then, with Jesus who is called Christ?" Pilate asked. They all answered, "Crucify him!"
註解: ピラトの態度のいかに不徹底なることよ。責任の地位にありながらその責任を免れんとする人の態度はこれである。

(みな)いふ『十字架(じふじか)につくべし』

註解: 神より極刑に処せらるべき罪人らはかえって神の子に対して十字架の極刑を要求しているのである。人間の反逆的生活がその頂点に達した状態である。

27章23節 ピラト()ふ『かれ(なに)惡事(あくじ)をなしたるか』(かれ)(はげ)しく(さけ)びていふ『十字架(じふじか)につくべし』[引照]

口語訳しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
塚本訳ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫びつづけた。
前田訳彼はいう、「何の悪をしたのか」と。彼らはますます叫んで「十字架につけよ」といった。
新共同ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。
NIV"Why? What crime has he committed?" asked Pilate. But they shouted all the louder, "Crucify him!"
註解: ピラトがしきりにイエスを赦さんことを努力せる有様はヨハ19:1−16に詳しく記されている(その註 参照)。要するにピラトは常識と善意とを(そな)えていた行政官であるけれども、正義の上に立ちて動かざる(さむらい)ではなかった。

27章24節 ピラトは(なに)(かひ)なく(かへ)つて(らん)にならんとするを()て、[引照]

口語訳ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
塚本訳ピラトは(自分のすることが)なんの甲斐もないばかりか、かえって騒動が起りそうなのを見て、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗って言った、「わたしはこの人の血(を流すこと)に責任をもたない。お前たちが自分で始末しろ。」
前田訳ピラトはすべてがむだなばかりで騒動になりそうなのを見て、水を取って群衆の前で手を洗っていう、「わたしはこの人の血にかかりあいはない。あなた方が始末せよ」と。
新共同ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」
NIVWhen Pilate saw that he was getting nowhere, but that instead an uproar was starting, he took water and washed his hands in front of the crowd. "I am innocent of this man's blood," he said. "It is your responsibility!"
註解: 彼は結果を予想して恐怖した。結果に対する打算より事を定めんとする者は必ず誤る。群集の熱狂に対してピラトはその度を失ったのである。

(みづ)をとり群衆(ぐんじゅう)のまへに()(あら)ひて()ふ『この(ひと)()につきて(われ)(つみ)なし、(なんぢ)()みづから(あた)れ』

註解: 手を洗うことはユダヤ人の所作であって、ある事件に無関係なることを示さんとする場合にこれを行ったのを、ローマ人なるピラトがこの場合に応用した。かくして彼はその負うべき責任を免れんとしたのである。されど彼は勿論その責任を免れることができない。
辞解
[我は罪なし] 4節「罪なき血」の註参照「汝らみづから当れ」4節に同じ、ユダヤ人の慣用語である。使18:15

27章25節 (たみ)みな(こた)へて()ふ『()()は、(われ)らと(われ)らの子孫(しそん)とに()すべし』[引照]

口語訳すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
塚本訳民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、われわれが孫子の代まで引き受けた。」
前田訳民は皆いった、「彼の血はわれらと子孫の上に」と。
新共同民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
NIVAll the people answered, "Let his blood be on us and on our children!"
註解: 「よろしい引受けた」「よし全責任を負うであろう」など言う意味である(Uサム1:16T列2:37)。混乱の際における群衆のこの言は、やがて彼らに対して下った神の審判の預言であったことが後に至って明らかにせられた。事実イエスの血はユダヤ人とその子孫とに帰し、彼らの今日の運命を招致しているのである。

27章26節 ここにピラト、バラバを(かれ)らに(ゆる)し、イエスを(むち)うちて、十字架(じふじか)につくる(ため)(わた)せり。[引照]

口語訳そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。
塚本訳そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。
前田訳そこでバラバをゆるしてやり、イエスは鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
新共同そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
NIVThen he released Barabbas to them. But he had Jesus flogged, and handed him over to be crucified.
註解: かくしてイエスは神の御旨に従いて十字架につくことに定められ給うた、而してユダヤ人もロマ人もその罪深き性質をもってイエスを殺すことによりて、神がその御旨を遂行し給うことの器となった。
辞解
[鞭ち] 罪人を処罰する前に先ず彼を鞭うつのがローマの習慣であった。「付せり」はローマの兵卒に付すこと。

分類
10 イエスの受難 27:27 - 27:66
10-1 イエス嘲笑せられ給う 27:27 - 27:31
(マコ15:16-20) 

27章27節 ここに總督(そうとく)兵卒(へいそつ)ども、イエスを官邸(くわんてい)につれゆき、(ぜん)(たい)御許(みもと)(あつ)め、[引照]

口語訳それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。
塚本訳それから総督の兵卒らはイエスを総督官舎(プライトリオン)に連れてゆき、(王の茶番狂言を見せるために)全部隊を彼のまわりに集めた。
前田訳総督の兵隊はイエスを本営に連れて行き、全部隊を彼のまわりに集めた。
新共同それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。
NIVThen the governor's soldiers took Jesus into the Praetorium and gathered the whole company of soldiers around him.
註解: 裁判及び鞭打は官邸の前面にて行われた。「全隊」はその官邸の衛兵で兵卒はその一部である。彼らはイエスの周囲に集りて彼を嘲弄(ちょうろう)して楽しまんとしているのである。あたかも今日の異教徒がイエスを嘲弄(ちょうろう)するのと同一の心理である。而してこの嘲弄(ちょうろう)が無意識にイエスをメシヤとしユダヤ人の王として崇め、無意識にイエスに関する預言を成就していることは驚くべき事実である。

27章28節 その(ころも)をはぎて、緋色(ひいろ)上衣(うはぎ)をきせ、[引照]

口語訳そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、
塚本訳そしてイエスの着物をはいで(自分たちの)緋の外套をきせ、
前田訳そして着物を脱がせて緋の外套を着せ、
新共同そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、
NIVThey stripped him and put a scarlet robe on him,
註解: 王のごとき服装をもってイエスを飾った。11節のイエスの答をききて彼を愚弄したのである。霊の盲者に取っては真理の言も狂人の囈言(うわごと)のごとくに聴ゆる。
辞解
[緋色の上衣] chlamusは軍服で王侯もこれを着用した。ヨハ19:2マコ15:17には紫色となっている。

27章29節 (いばら)冠冕(かんむり)()みて、その(かうべ)(かむ)らせ、[引照]

口語訳また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。
塚本訳茨で冠を編んで頭にかぶらせ、右手に葦(の棒)をもたせて(王に仕立てたのち、)その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳!」と言ってなぶった。
前田訳茨で冠を編んで頭にのせ、右手に葦を持たせ、その前にひざまずいて、「ユダヤ人の王万歳」といってあざけった。
新共同茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。
NIVand then twisted together a crown of thorns and set it on his head. They put a staff in his right hand and knelt in front of him and mocked him. "Hail, king of the Jews!" they said.
註解: 一種の刺のある茨を編みて冠となし、彼を王者のごとにく飾って嘲弄(ちょうろう)した。彼に苦痛を与うるの目的ではなかった。

(あし)(みぎ)()にもたせ、(かつ)その(まへ)(ひざま)づき、嘲弄(てうろう)して()ふ『ユダヤ(びと)(わう)(やす)かれ』

註解: イエスを誇大妄想狂(こだいもうそうきょう)のごときものとして愚弄したのである。もしイエスが神の子でないならば彼は明らかに狂人であった。我らももし彼を信じないならば、このローマの兵卒の態度をもって彼に対すべきである。この中間にいるのは不徹底の態度である。
辞解
[安かれ] 「今日は」と言うべきごとき挨拶の語。マタ26:48註参照。

27章30節 また(これ)(つばき)し、かの(あし)をとりて()(かうべ)(たた)く。[引照]

口語訳また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。
塚本訳それから唾をかけ、葦(の棒)を取りあげて頭をたたいた。
前田訳そして彼に唾し、葦を取って頭をたたいた。
新共同また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
NIVThey spit on him, and took the staff and struck him on the head again and again.

27章31節 かく嘲弄(てうろう)してのち、上衣(うはぎ)()ぎて、(もと)(ころも)をきせ、十字架(じふじか)につけんとて()きゆく。[引照]

口語訳こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。
塚本訳こうしてなぶった後、外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために引いていった。
前田訳あざけってから外套を脱がせてもとの着物を着せ、十字架につけるために連れて行った。
新共同このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。
NIVAfter they had mocked him, they took off the robe and put his own clothes on him. Then they led him away to crucify him.
註解: このすべての嘲弄(ちょうろう)を静かに受け給えるイエスの御姿を思うべきである。イエスの御心の中には彼らを憐れむの念が満ち溢れておったのであろう。我らを迫害する人々に対しても我らはこの態度に出なければならない。

10-2 イエス十字架に釘き給う 27:32 - 27:44
(マコ15:21-32) (ルカ23:26-43) (ヨハ19:17-27) 

27章32節 その()づる(とき)、シモンといふクレネ(びと)にあひしかば、()ひて(これ)にイエスの十字架(じふじか)をおはしむ。[引照]

口語訳彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。
塚本訳(都を)出ると、シモンと言うクレネ人に出くわしたので、兵卒らはこの人に有無を言わせずイエスの十字架を負わせた。(イエスにはもう負う力がなかったのである。)
前田訳町を出るとシモンというクレネ人に出会ったので兵隊は強いて十字架を負わせた。
新共同兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
NIVAs they were going out, they met a man from Cyrene, named Simon, and they forced him to carry the cross.
註解: 総督の官邸を出て、始めの程は当時の習慣により、イエス自らその十字架を負い給うたヨハ19:17。その重さに耐え給わないのを兵卒は見たのであろう。クレネ人シモンなる者に(しい)てその十字架を負わしめた、シモンは苦しかったであろう。されど(しい)て負わされしこの十字架こそ彼の幸福の源であった。我らも往々好まざるに(しい)てイエスの十字架を負わなければならない場合がある。されどその時こそ真に喜ぶべき時である。
辞解
[シモン] マコ15:21によれば、アレキサンデルとルフとの父で、このルフ(原語ルフオス)はロマ16:13のルポス(原語ルフオス)と同人であるとすればシモンの家庭にキリストを信ずる人が出たこととなる幸なる結果を生じた。

27章33節 かくてゴルゴタといふ(ところ)(すなは)髑髏(されかうべ)()にいたり、[引照]

口語訳そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、
塚本訳ゴルゴダという所──すなわち「髑髏の所」──に着くと、
前田訳彼らがゴルゴタというところすなわち骸骨の所につくと、
新共同そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、
NIVThey came to a place called Golgotha (which means The Place of the Skull).
註解: この地点は今日確定することができない。エルサレムの聖墳寺のある処か又はエルサレムの北の小丘であろうと考えられている。この名称はその地形が髑髏(されこうべ)に似ていることから取ったのであろう。

27章34節 苦味(にがみ)()ぜたる葡萄酒(ぶだうしゅ)()ませんとしたるに、()めて、()まんとし(たま)はず。[引照]

口語訳彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
塚本訳人々は(苦痛をやわらげるために)“苦艾”を混ぜた葡萄酒を“飲ませようとした”が、なめただけで、飲もうとされなかった。
前田訳にがよもぎを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、なめただけで飲もうとされなかった。
新共同苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
NIVThere they offered Jesus wine to drink, mixed with gall; but after tasting it, he refused to drink it.
註解: ユダヤ人は死刑囚を処刑する前に麻酔剤としてこの種の飲料(マルコには没薬とあり)を用いた。イエスがこれを()め給えるは、この同情ある美わしき習慣を(よみ)し給うたのであろう。そしてこれを飲み給わなかったのは彼は十字架の苦痛をことごとく味い給うことが必要であったからである。

27章35節 (かれ)らイエスを十字架(じふじか)につけてのち、[引照]

口語訳彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、
塚本訳兵卒らはイエスを十字架につけると、“籤を引いて”その“着物を自分たちで分けた”のち、
前田訳彼を十字架につけてから、彼らはくじを引いて彼の着物を分け、
新共同彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、
NIVWhen they had crucified him, they divided up his clothes by casting lots.
註解: 御手と御足に釘にて十字架に打ちつけるのである。この処刑法は非常なる苦痛を伴った。

(くじ)をひきて()(ころも)をわかち、

註解: 詩22:18の預言が成就したのである(ヨハ19:24)。

27章36節 (かつ)そこに()して、イエスを(まも)る。[引照]

口語訳そこにすわってイエスの番をしていた。
塚本訳そこに坐って見張りをしていた。
前田訳そこにすわって見張っていた。
新共同そこに座って見張りをしていた。
NIVAnd sitting down, they kept watch over him there.

27章37節 その(かうべ)(うへ)に『これはユダヤ(びと)(わう)イエスなり』と(しる)したる罪標(つみふだ)()きたり。[引照]

口語訳そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。
塚本訳イエスの頭の上にはこれはユダヤ人の王イエスであると書いた罪状が掲げられた。
前田訳彼の頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた捨札がかかげられた。
新共同イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
NIVAbove his head they placed the written charge against him: THIS IS JESUS, THE KING OF THE JEWS.
註解: ヘブル、ロマ、ギリシヤの三国語にて記し十字架の(いただき)に打ちつけたのである。ヨハ19:20。罪標の文字は四福音書皆小異があるけれども、いずれも単に意味を示したものと見れば解釈上の困難はない。この標語は偶然にもイエスの御資格を示し、あたかもユダヤ人を審判くもののごとくに見えたであろう。ゆえに彼らはこれに反対してこれを書き換えんことを要求したけれども、ピラトは承認しなかった(ヨハ19:20−22)。

27章38節 ここにイエスとともに二人(ふたり)強盜(がうたう)十字架(じふじか)につけられ、一人(ひとり)はその(みぎ)に、一人(ひとり)はその(ひだり)におかる。[引照]

口語訳同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
塚本訳その時イエスと共に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられた。
前田訳そのとき彼とともに強盗がふたり十字架につけられた、ひとりは右にひとりは左に。
新共同折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
NIVTwo robbers were crucified with him, one on his right and one on his left.
註解: この二人の運命が次の瞬間において天地の差異を生ずるに至ることを誰が予想したであろう。

27章39節 往來(ゆきき)(もの)どもイエスを(そし)り、(かうべ)()りていふ、[引照]

口語訳そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって
塚本訳通りかかった人々が“頭をふりながら、”イエスを冒涜して
前田訳通りがかりの人々は頭を振ってイエスをののしっていった、
新共同そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
NIVThose who passed by hurled insults at him, shaking their heads
註解: これらの群衆の中にはかつて衣や樹枝(じゅし)(みち)に敷きて、イエスを迎えた者もあったであろう。頼るべからざるは人心である。
辞解
[首を振る] 何事かを拒む場合の身振り。ことに詩22:8(新共同訳)によれば悪意の嘲笑の態度である。

27章40節 (みや)(こぼ)ちて三日(みっか)のうちに()つる(もの)よ、[引照]

口語訳言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。
塚本訳こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」
前田訳「宮をこわして三日のうちに建てるものよ、自らを救え、もし神の子なら十字架からおりよ」と。
新共同言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
NIVand saying, "You who are going to destroy the temple and build it in three days, save yourself! Come down from the cross, if you are the Son of God!"
註解: 彼らの激しき嘲弄(ちょうろう)にもかかわらず、イエスは三日目に死人の中より(よみがえ)り給うて、その(こぼ)たれし身体の宮を再び建て給うた。我らの復活に対して嘲笑(ちょうしょう)する(やから)も、やがてキリスト再び来給う時、我らが立派に復活しているのを見なければならない。

もし(かみ)()ならば(おのれ)(すく)へ、十字架(じふじか)より(くだ)りよ』

註解: もし神の子イエスがその能力のみを用い給うごとき御方に在しましたならば、容易に己を救って十字架より下りることができ給うたであろう(ヨハ10:18マタ26:53)。しかるに彼の愛は己を救うにはあまりに深かった。彼は人類に対する愛ゆえに十字架より下りず己を救い給わなかった。群衆はこの愛を理解しなかったのである。

27章41節 祭司長(さいしちゃう)らもまた(おな)じく、學者(がくしゃ)長老(ちゃうらう)らとともに嘲弄(てうろう)して()ふ、[引照]

口語訳祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、
塚本訳同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
前田訳同じように大祭司らも学者も長老とともにあざけっていった、
新共同同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
NIVIn the same way the chief priests, the teachers of the law and the elders mocked him.
註解: イエスを嘲弄(ちょうろう)せる者は、始めに兵卒(27−31節)、次に群衆(39、40節)、次に祭司長、学者、長老ら(41−43節)而して最後に共に十字架につけられたる強盗どもであった(44節)、すべての人類を代表せるものと見るべきである。

27章42節 (ひと)(すく)ひて(おのれ)(すく)ふこと(あた)はず。(かれ)はイスラエルの(わう)なり、[引照]

口語訳「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。
塚本訳「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!
前田訳「彼は他人を救って自らを救えない。イスラエルの王で、今十字架からおりて来るなら、彼を信じよう。
新共同「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
NIV"He saved others," they said, "but he can't save himself! He's the King of Israel! Let him come down now from the cross, and we will believe in him.
註解: 彼らは嘲笑(ちょうしょう)の語としてこれを言ったのであるけれども実は事実を言っているのであった。実際イエスは人を救いて己を救うことができなかった、否人を救わんがために己を殺し給うたのである。

いま十字架(じふじか)より(くだ)りよかし、さらば(われ)(かれ)(しん)ぜん。

註解: 「ユダヤ人は(しるし)を請」いて(Tコリ1:22)、彼が奇跡的に十字架より下りんことを要求しているけれども、キリスト者は彼が十字架より下り給わずして十字架の贖を成就し給いしがゆえに彼を信じるのである。

27章43節 (かれ)(かみ)()(たの)めり、(かみ)かれを(いつく)しまば(いま)すくひ(たま)ふベし「(われ)(かみ)()なり」と()へり』[引照]

口語訳彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。
塚本訳“彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、”今すぐ“救ってくださろう”だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」
前田訳彼が神に頼り、神のみ心なら、今彼は救われよう。われは神の子といったではないか」。
新共同神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
NIVHe trusts in God. Let God rescue him now if he wants him, for he said, `I am the Son of God.'"
註解: 彼らはさらにその罵詈(ばり)を進め、神の彼を助け給わざるは彼が神の子に(いま)し給わざる証拠であるとして彼を嘲弄(ちょうろう)した。かくして彼らは図らずも詩22:7、8の預言を充したのである。

27章44節 ともに十字架(じふじか)につけられたる強盜(がうたう)どもも、(おな)(こと)をもてイエスを(ののし)れり。[引照]

口語訳一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。
塚本訳一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。
前田訳ともに十字架にかけられた強盗も同じように彼をののしった。
新共同一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
NIVIn the same way the robbers who were crucified with him also heaped insults on him.
註解: ルカ23:39−43にこの中の一人の悔改めにつきて記さる。彼は後に悔改めたものであろう。

10-3 イエス息絶え給う 27:45 - 27:56
(マコ15:33-41) (ルカ23:44-49) (ヨハ21:28-30) 

27章45節 (ひる)十二(じふに)()より()(うへ)あまねく(くら)くなりて、三時(さんじ)(およ)ぶ。[引照]

口語訳さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
塚本訳昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
前田訳正午から闇が全地をおおって三時までつづいた。
新共同さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
NIVFrom the sixth hour until the ninth hour darkness came over all the land.
註解: 特殊の自然現象の変調であって普通の日蝕ではない。この時刻より以後に起れる天然界の現象は、世の終においてキリスト地上の民を裁き給う時に起るべき現象の縮図であると見るべきである。イエスの十字架において人類の罪の審判が行われたからである。地上あまねく暗くなったのはマタ24:29の光景に相当している。

27章46節 三時(さんじ)ごろイエス大聲(おほごゑ)(さけ)びて『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と()(たま)ふ。わが(かみ)、わが(かみ)、なんぞ(われ)()()(たま)ひしとの(こころ)なり。[引照]

口語訳そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
塚本訳三時ごろ、イエスは大声を出して“エリ エリ レマ サバクタニ!”と叫ばれた。これは“わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!”である。
前田訳三時ごろイエスは大声で叫んで「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」といわれた。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てですか」である。
新共同三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
NIVAbout the ninth hour Jesus cried out in a loud voice, <"Eloi, Eloi, lama> --which means, "My God, my God, why have you forsaken me?"
註解: ここにイエスは人類の罪を負い、罪人となり給い、神より棄てられ給うた。一瞬間も神より離れ給わなかったイエスが神を見失い、神の審判を受け給う際の苦悶の叫びがこのエリ、エリ、レマ、サバクタニであった。もしイエスが我らに代ってこの叫びを出し給わなかったならば、すべての人類は世の終りにおいてこの声を発しなければならないであろう。イエスは詩22:1の冒頭にあるこの一句をもってその贖罪の死を示し給うたのである。この目的を達して彼は再び神の愛によりて復活し給うた。彼は死の苦痛を訴えているのではなく、「ただ神に棄てられ給いし苦痛を叫んでいるのである」(B1)。

27章47節 そこに()(もの)のうち(ある)人々(ひとびと)これを()きて『(かれ)はエリヤを()ぶなり』と()ふ。[引照]

口語訳すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
塚本訳そこに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「あの人はエリヤを呼んでいるのだ」と言った者が何人かあった。(エリをエリヤと聞きちがえたらしい。)
前田訳そこに立っていた何人かが、それを聞いて、「彼はエリヤを呼んでいる」といった。
新共同そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
NIVWhen some of those standing there heard this, they said, "He's calling Elijah."
註解: 群衆はこれを聞きちがえて(ヨハ12:28、29の場合のごとく G1)エリヤを呼ぶのであると思った。

27章48節 (ただ)ちにその(うち)一人(ひとり)はしりゆきて海綿(うみわた)をとり、()葡萄酒(ぶだうしゅ)(ふく)ませ、(あし)につけてイエスに()ましむ。[引照]

口語訳するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
塚本訳そのうちの一人がすぐ駆けていって、海綿をとり、“酸っぱい葡萄酒を”ふくませ、葦(の棒の先)につけて、イエスに“飲ませようとした。”(しかしお受けにならなかった。)
前田訳そのひとりがすぐ駆けていって、海綿をとり、すっぱいぶどう酒をふくませ、葦につけて飲ませようとした。
新共同そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
NIVImmediately one of them ran and got a sponge. He filled it with wine vinegar, put it on a stick, and offered it to Jesus to drink.
註解: ()き葡萄酒はローマの兵卒の平日の飲料であった。彼らの中にも幾分イエスの苦しみに同情するものもあった。

27章49節 その(ほか)(もの)ども()ふ『まて、エリヤ(きた)りて(かれ)(すく)ふや(いな)や、(われ)(これ)()ん』[引照]

口語訳ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
塚本訳「(もう少し生かしておいて、)エリヤが救いに来るかどうか、見ていよう」とほかの人々が言った。
前田訳ほかのものどもはいった、「エリヤが救いに来るか見ていよう」と。
新共同ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
NIVThe rest said, "Now leave him alone. Let's see if Elijah comes to save him."
註解: 「待て」は()き葡萄酒を飲ますることを一寸待てという意味ではなく(マコ15:36)、「しばらく様子を見てみよう」との意味、彼らはイエスの生命がエリヤによりて救われることに一()の望をつないでいた。

27章50節 イエス(ふたた)大聲(おほごゑ)(よば)はりて(いき)()えたまふ。[引照]

口語訳イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
塚本訳しかしイエスはふたたび(何か)大声で叫ばれると共に、息が切れた。
前田訳イエスはふたたび大声に叫んで息絶えられた。
新共同しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
NIVAnd when Jesus had cried out again in a loud voice, he gave up his spirit.
註解: かくしてイエスは死に給うた。福音書はイエスの死の意義はこれを説明せず、ただ簡単に死の事実を掲げており、書簡や使徒行伝にこの説明を譲っている。

27章51節 ()よ、聖所(せいじょ)(まく)(うへ)より(した)まで()けて(ふた)つとなり、[引照]

口語訳すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
塚本訳その途端に、宮の(聖所の)幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして地が震い、岩が裂け、
前田訳すると見よ、宮の幕が上から下まで二つに裂け、地が震え、岩々が裂けた。
新共同そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
NIVAt that moment the curtain of the temple was torn in two from top to bottom. The earth shook and the rocks split.
註解: 聖所の幕は、聖所と至聖所とを隔てている幕であって、従来は大祭司が年に一回至聖所に入ることができたのみであった。ゆえにこの幕が避けたのは旧約の犠牲の時代が終り人々の至聖所に入ることが自由となったことを示している。すなわちキリストの死によりてすべての人が「キリストの肉体たる(とばり)を経て我らに開き給える新しき活ける路より(はばか)らずして至聖所に入ることを得」るのである(ヘブ10:19)。

また地震(ちふる)ひ、(いは)さけ、

註解: 世の終りに天地に大変動が起ることの予表である。

27章52節 (はか)ひらけて、(ねむ)りたる聖徒(せいと)屍體(しかばね)おほく()きかへり、[引照]

口語訳また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
塚本訳墓が開いて、眠っていた多くの聖者たちの体が生きかえり、
前田訳そして墓が開いて、眠っていた多くの聖者の体が起きあがった。
新共同墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
NIVThe tombs broke open and the bodies of many holy people who had died were raised to life.

27章53節 イエスの復活(よみがへり)ののち(はか)をいで、(せい)なる(みやこ)()りて、(おほ)くの(ひと)(あらは)れたり。[引照]

口語訳そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
塚本訳墓から出てきて、イエスの復活の後、聖なる都(エルサレム)に入って多くの人に現われた。
前田訳そしてイエスの復活ののち墓から出て聖都に入り、多くの人に現われた。
新共同そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
NIVThey came out of the tombs, and after Jesus' resurrection they went into the holy city and appeared to many people.
註解: すべてが世の終末の予表であったと同じく、この聖徒の復活もまた世の終末にイエスの再臨の再にすべての聖徒の復活することの予表であった。この人類史上の最も重要なる機会における特別の神秘的出来事はこれを具体的に完全に記述することはできないのであって、いかなる姿において復活し、またこの復活せる聖徒らはその後どこへ行きしや等については記されていない。ただ当時の人々はこの場合に世の終末の縮図を幻のごとくに示されたものであろう。

27章54節 百卒長(ひゃくそつちゃう)および(これ)(とも)にイエスを(まも)りゐたる(もの)ども、地震(ぢしん)とその()りし(こと)とを()(いた)(おそ)れ『()(かれ)(かみ)()なりき』と()へり。[引照]

口語訳百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。
塚本訳百卒長および一しょにイエスの見張りをしていた兵卒らは、地震とこれらの出来事とを見てすっかり恐ろしくなり、「この人は、確かに神の子であった」と言った。
前田訳百卒長やいっしょにイエスを見張っていたものは地震やこれらのことを見て、たいそうおそれ、「本当に彼は神の子であった」といった。
新共同百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
NIVWhen the centurion and those with him who were guarding Jesus saw the earthquake and all that had happened, they were terrified, and exclaimed, "Surely he was the Son of God!"
註解: 彼らはイエスの口より出づる証言(マタ26:64)をばこれを単純に信ずることができず、地震とその他の出来事を見て神の審判なることを知りて(おそ)れて始めて彼を信じた。

27章55節 その(ところ)にて(はるか)(のぞ)みゐたる(おほ)くの(をんな)あり、イエスに(つか)へてガリラヤより(したが)(きた)りし(もの)どもなり。[引照]

口語訳また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。
塚本訳またそこには、遠くの方から眺めていた女たちが沢山いた。これはガリラヤからイエスについて来て、仕えていた人たちである。
前田訳そこでは多くの女たちが遠くから見守っていた。彼女らはガリラヤからイエスについて来て仕えていた。
新共同またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。
NIVMany women were there, watching from a distance. They had followed Jesus from Galilee to care for his needs.
註解: イエスが最後にエルサレムに上り給う時に従い来りし婦人たちであって、弟子たちがイエスを棄て去りし後にもこれらの婦人はなお彼を離れなかった。彼らが主としてイエスの臨終の目撃者であった。

27章56節 その(うち)には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの(はは)マリヤ、(およ)びゼベダイの()らの(はは)などもゐたり。[引照]

口語訳その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
塚本訳そのうちにはマグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、およびゼベダイの子らの母がいた。
前田訳そのうちにはマグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフの母マリヤとゼベダイの子らの母がいた。
新共同その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
NIVAmong them were Mary Magdalene, Mary the mother of James and Joses, and the mother of Zebedee's sons.
註解: マグダラのマリヤはヨハ12:1のマリヤとは別人であり又ルカ7:36の婦人とも混同してはならない。ヤコブとヨセフの母はアルパヨ(又の名はクロパ)の妻、ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)の母はサロメと称していた(マコ15:40)。
要義 [エリ、エリ、レマ、サバクタニについて]この語があまりに弱々しき響きをもっているので、キリストを信じることを欲せざる異教徒はこれに対して非難を浴せ、あたかもイエスがその臨終に際してその醜態を暴露せるもののごとく論じているのである。されどこれはイエスの死の意義を解せざるものの言である。イエスを信ぜし多くの聖徒が非常なる迫害の中に泰然たる態度を取り、従容として死に就いたことは教会歴史によって知ることができる事実である。ヨブすらも「彼われを殺すとも我は彼に依頼まん」(ヨブ13:15)と言っている。しかるを況んや彼らの主に在し給うイエスにおいて、その死に対する恐怖のためにかかる女々しき言を発し給うごときことはあるはずがない。この御言は全く彼が我らの罪を負いて神に棄てられ給いし瞬間の苦痛の叫びである。イエスの贖罪は神及イエスの御心に何らの実感をも起さざる外部的形式的代理関係ではない。実際神はイエスの上に人類の罪を置きてイエスを罪人と認め給い、イエスは神の御旨を奉じて人類に対する神の愛心より人類の罪を引受け給うた、神の審判がこの罪人なるイエスの上に下る時、神はイエスを棄て給いイエスはこの叫びを発し給うたのである。これ世の終において人類の発すべかりし叫声であった。幸にイエスを信ずるものはその罪を赦され世の終においてこの叫声を発することなしに喜びをもってイエスを迎え神の聖前に立つことができるのである。

10-4 ヨセフ、イエスを葬る 27:57 - 27:61
(マコ15:42-47) (ルカ23:50-56) (ヨハ19:31-42) 

27章57節 ()()れて、ヨセフと()ふアリマタヤの()める(ひと)きたる。(かれ)もイエスの弟子(でし)なるが、[引照]

口語訳夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。
塚本訳夕方になると、アリマタヤ生まれの金持でヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子であった。
前田訳夕になるとアリマタヤの出でヨセフという名の裕福な人が来た。彼もイエスの弟子であった。
新共同夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。
NIVAs evening approached, there came a rich man from Arimathea, named Joseph, who had himself become a disciple of Jesus.
註解: このヨセフは衆議所の一員であったのでルカ23:50、エルサレム中に住んでいたのであろう。彼は(ひそ)かにイエスの弟子となっていた(ヨハ19:38)。日没して安息日とならぬ(うち)屍体(したい)を埋めなければならなかった。ゆえに彼は未だ日全く没せぬ中にそこに行ったのである。
辞解
[アリマタヤ] エルサレムの北五里のラマなりとの説、またはエルサレムの北西十八里のラマタイムなりとの説(G1、G2、A1スミス)等あり。

27章58節 ピラトに()きてイエスの屍體(しかばね)()ふ。ここにピラト(これ)(わた)すことを(めい)ず。[引照]

口語訳この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。
塚本訳この人がピラトの所に行って、イエスの体(の下げ渡し)を乞うた。そこでピラトはそれを渡すように命じた。
前田訳彼はピラトのところへイエスの体をもらいに行った。そこでピラトはそれを渡すように命じた。
新共同この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。
NIVGoing to Pilate, he asked for Jesus' body, and Pilate ordered that it be given to him.
註解: ローマの官憲は死刑囚の(しかばね)に対する権利をもっていたので、ヨセフはピラトにこれを請うたのである。ヨセフのごとき高き地位の人が死刑囚の屍に対して礼を厚くしてこれを葬るごときは異常なる事柄であった。「彼は勿論多くの人の非難や反対を覚悟してこれを(なさ)なければならなかった。彼がこれを断行することができたのは神の恵によるのである」(C1)。
辞解
[屍體(しかばね)] 原語ソーマ sôma「體」 イエスの屍體をば福音書の記者は皆これを屍體プトーマ ptôma と言わず「體」と言っている、「ソーマ」も屍體の意味にも用いられるけれども「プトーマ」のごとく「死」の観念を多く含まない。

27章59節 ヨセフ屍體(しかばね)をとりて淨き亞麻(あま)(ぬの)につつみ、[引照]

口語訳ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、
塚本訳ヨセフは体を受け取り、清らかな亜麻布で包み、
前田訳ヨセフは体を受け取り、清らかな亜麻布で包み、
新共同ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、
NIVJoseph took the body, wrapped it in a clean linen cloth,
註解: 囚人の屍体(したい)は囚人の墓地に埋られるか、または露天に放置して鷲の餌食とするのを常としていた。しかるにイエスの死体が浄き亜麻布につつまれたことは、彼の栄光の始めであるということができる(B1)。香料を用いしこと(ヨハ19:40)についてはマタイはこれを省略している。

27章60節 (いは)にほりたる(おの)(あたら)しき(はか)(をさ)め、[引照]

口語訳岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。
塚本訳岩に掘らせた自分の新しい墓にそれを納め、墓の入口に大きな石をころがしておいて、立ち去った。
前田訳岩に掘った自らの新しい墓に納めた。そして大きな石を墓の入口にころがして立ち去った。
新共同岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
NIVand placed it in his own new tomb that he had cut out of the rock. He rolled a big stone in front of the entrance to the tomb and went away.
註解: 新しき墓は古き死体によりて穢されず、イエスを葬るに適当なる場所であった。又この墓より復活するものはイエスより以外になきことを証明することができた。この墓がヨセフの所有であったことは他の福音書には記されず、ヨハネ伝(ヨハ19:42)によればむしろしからざるもののごとくに思われる。恐らくヨセフがこの墓を買取りて主の埋葬に供したものであろう。

(はか)入口(いりくち)(おほい)なる(いし)(まろば)しおきて()りぬ。

註解: 岩石より成る地盤に穴を掘りてこれを墓となし、その上に石を(ころが)してこれを(ふさ)ぎ置く墓地はユダヤ地方に多く残っている。

27章61節 其處(そこ)にはマグダラのマリヤと(ほか)のマリヤと(はか)(むか)ひて()しゐたり。[引照]

口語訳マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。
塚本訳マグダラのマリヤともう一人のマリヤとはそこにのこって、墓の方を向いて坐っていた。
前田訳そこにマグダラのマリヤともうひとりのマリヤがいて、墓のほうを向いてすわっていた。
新共同マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。
NIVMary Magdalene and the other Mary were sitting there opposite the tomb.
註解: 男の弟子たちは一人も残らず去った後に、この二人のみ主を(しの)ぶ心の切なるがためにその墓側を去りかねていた。イエスに対する純真なる愛がそこに顕われている。男子の弟子たちもイエスを愛していたけれども彼らの心には野心、名誉心等があったがためにその愛心の発露が妨げられたのであった。

10-5 イエスの墓固めらる 27:62 - 27:66

27章62節 あくる()(すなは)準備(そなへ)()翌日(よくじつ)祭司長(さいしちゃう)らとパリサイ(びと)らとピラトの(もと)(あつま)りて()ふ、[引照]

口語訳あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、
塚本訳あくる日、すなわち支度日[金曜日]の次の日[安息日]に、大祭司連とパリサイ人とはピラトの所に集まって
前田訳あくる日、すなわち準備日(そなえび)(金曜)の翌日、大祭司とパリサイ人がピラトのところへ来ていう、
新共同明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、
NIVThe next day, the one after Preparation Day, the chief priests and the Pharisees went to Pilate.
註解: 準備日は金曜日であって安息日の前日に当る。その翌日故土曜日すなわち安息日である。ニサンの月の十六日。彼らはイエスの死後もなおその恐怖を除くことができず、イエスの復活の風説を恐れてこれを防がんと企てた。而してその計画がかえってイエスの復活の事実であることを証明する材料となったことに注意せよ。人間が狡猾(こうかつ)や計略をもって神に敵せんとしてかえって自己を(こわる)るに至ることは恐るべき神の力である。

27章63節 (しゅ)よ、かの(まどは)すもの()()りし(とき)「われ三日(みっか)(のち)(よみが)へらん」と()ひしを、(われ)(おも)ひいだせり。[引照]

口語訳「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
塚本訳言った、「閣下、あの嘘つきがまだ生きている時、『自分は(死んで)三日の後に復活する』と言ったことを思い出しました。
前田訳「閣下、あのうそつきがまだ生きているとき『わたしは三日ののちによみがえる』といったことが思い出されます。
新共同こう言った。「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。
NIV"Sir," they said, "we remember that while he was still alive that deceiver said, `After three days I will rise again.'
註解: 祭司長らやパリサイ人らは自ら教権主義の迷誤(めいご)に陥っていた結果、かえってキリストをもって人を惑わす者と思っていた。真理は往々にしてかえって人を惑わすもののごとくに思われる場合がある(Uコリ6:8)。イエスの復活の預言は弟子たちのみならず、祭司長、パリサイ人らにも知れ渡っていた。彼らはこれを思い出して又更に新なる憂慮(ゆうりょ)を加えたのである。自ら真理の上に立たざるもの、政策と方便によりて立っているものは常に憂慮(ゆうりょ)と恐怖が絶えることがない。

27章64節 されば(めい)じて三日(みっか)(いた)るまで(はか)(かた)めしめ(たま)へ、(おそ)らくはその弟子(でし)(きた)りて(これ)(ぬす)み、「(かれ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へれり」と(たみ)()はん。[引照]

口語訳ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。
塚本訳だから三日目まで墓を警備するように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て盗んでいって、人々に『イエスは死人の中から復活した』と言いふらさないとはかぎりません。そうなると、このあとの方の嘘は、(自分は救世主だと言った)前の(嘘)よりも始末が悪いでしょう。」
前田訳それゆえ三日目まで墓を守るよう命じてください。さもないと、弟子たちが来て彼を盗み、民に『彼が死人の中からよみがえった』ということでしょう。するとこのあとのほうのうそは前の(イエスの)より悪いでしょう」と。
新共同ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
NIVSo give the order for the tomb to be made secure until the third day. Otherwise, his disciples may come and steal the body and tell the people that he has been raised from the dead. This last deception will be worse than the first."
註解: 彼らのこの計画が不思議にもかえってイエスの復活の確証となった。何となれば番兵により墓を固めることにより何人もその屍体を盗むことができないはずであったのに、イエスの体はその墓の中に無かったからである。彼らが弟子たちが(いつわり)を言うならんと恐れたのは自己の心事から連想したのである。

(しか)らば(しりへ)(まどひ)(まへ)のよりも(はなは)だしからん』

註解: 彼らは人民を愛して彼らを迷誤に陥れざらんことを努力しているごとくに見える。彼ら自身も然りと信じていたであろう。しかしながら彼らに二つの誤謬があった。その一は彼ら自身が迷誤(めいご)に陥っていたことを知らなかったことである。その二は彼らの心中に不知不識(知らずしらず)の間に、自己の利益、地位、権限を防衛せんとする本能が働いていたことである。この二者が働く時保守的愛国者はキリスト教徒を迫害し、誤れるキリスト者は真理を主張する同信者を迫害しつつ、自ら正しきを行っているかのごとくに誤信するのである。

27章65節 ピラト()ふ『なんぢらに番兵(ばんぺい)あり、()きて(ちから)(かぎ)(かた)めよ』[引照]

口語訳ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。
塚本訳ピラトが言った、「番兵をかしてやる。行って、せいぜい(墓を)警備するがよかろう。」
前田訳ピラトは彼らにいった、「番兵をつかわしましょう。行ってできるだけ見張りなさい」と。
新共同ピラトは言った。「あなたたちには、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。」
NIV"Take a guard," Pilate answered. "Go, make the tomb as secure as you know how."
註解: 「なんぢらに番兵あり」は「汝らに番兵を与う」との意味であって、祭司長らが兵隊を所有していたのではない。「力限り」は原語「知るごとく」であって「汝らの知っている最善の方法で」との意味である。このピラトの返答は極めて簡潔であって、「兵隊をやるから勝手に好きなようにし給え」というがごとき語気を含み速やかに彼らを去らしめて自己の責任を回避せんとの心持を示している。

27章66節 (すなは)(かれ)らゆきて(いし)封印(ふういん)し、番兵(ばんぺい)()きて(はか)(かた)めたり。[引照]

口語訳そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。
塚本訳そこで彼らは行って(入口の)石に封印し、番兵を置いて墓を警備した。
前田訳そこで彼らは行って墓を守り、番兵とともに石を封印した。
新共同そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。
NIVSo they went and made the tomb secure by putting a seal on the stone and posting the guard.
註解: 封印を施したのは、番兵自身をも疑いてこれを為したのであって、彼らはこれだけの手段を取ればそれで安心であると思ったのである。
要義 [人間の計画と神の目的の成就]人間がいかに用意周到に計画をなし、神の目的に反する事柄のために努力しても、神はかえってその人間の計画をば失敗に帰せしめつつ、その人間の業を利用して、神御自身の目的の達成の手段となし給うことは驚くべき神の知恵と言わなければならない。キリストの受難とその十字架の前後の諸々の事件は一方より見れば全く人間の計画の遂行に過ぎず、しかも一時はこの計画が成功せるもののごとく見えたるにも関わらず神はこの人間の計画を虚しきに帰せしめ、かえって人間の業を利用して十字架の贖によりその愛の目的を達し給うた。その他の事柄においても同様であって、例えば神の福音によらずして、否、福音を迫害して、神によらざる幸福なる社会と人生とを創造せんとする努力が行われることは、昔も今も又今後といえども同様であるが、神はこれらの計画を空しきに帰せしめつつ、これを利用してその御旨を成就し給う。近世における欧州の文明は、神の国の実現であるかのごとき誇を持っておったけれども、神はこれをまさに虚しきに帰せしめんとしつつあり給うと同時に、この文明を利用して福音を全世界に伝え給うた。神の御旨がなることは感謝すべきことである。

マタイ伝第28章

分類
11 イエスの復活 28:1 - 28:20
11-1 女たちイエスの復活を示さる 28:1 - 28:10
(マコ16:1-8) (ルカ24:1-2) 

註解: 本章はイエスの復活の記事であって、復活の事実そのものが神秘的であると同じく福音書の記事もまた神秘的である。我らはここに神の大能の特別の働きのあらわれを信じつつこの記事に対すべきである。

28章1節 さて安息(あんそく)(にち)をはりて、一週(ひとまはり)(はじめ)()のほの(あか)(ころ)[引照]

口語訳さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
塚本訳安息日の(すんだ)後、週の初めの日[日曜日]の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤとが墓を見に行った。
前田訳安息日が終わって週の第一日の明け方、マグダラのマリヤとほかのマリヤが墓を見に来た。
新共同さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
NIVAfter the Sabbath, at dawn on the first day of the week, Mary Magdalene and the other Mary went to look at the tomb.
註解: 日曜日の明け方のことであった。キリスト者が自然に土曜安息日を廃したのは、一は安息日がユダヤ人に与えられし律法であって、異邦人をモーセの律法をもって束縛すべきでないためと(使15:10、11)、一はキリストの十字架の贖によりて律法は終りとなったためである(ロマ10:4)。而して日曜日(主日、黙1:10)を聖日として記念するに至ったのは、この日にイエスが甦りたまいしがゆえである。ゆえに土曜の安息日と日曜の主日との間にはその起源並に性質を異にし、従ってこれを守る方法をも異にしているのである。
辞解
この一句の原語の意味がやや不明で異れる説明を生じているけれども、この訳の意義そのままが最も適当なる解釈であろう。

マグダラのマリヤと(ほか)のマリヤと(はか)()んとて(きた)りしに、

註解: 最初に女の弟子がイエスの墓に行ったことはいかに彼らがイエスを思うことの深かりしかを示している。マコ16:1によれば彼らが墓に(おもむ)いたのはイエスの屍体(したい)に香料を塗らんがためであった。(注意)墓に(おもむ)ける女の数については四福音書とも区々(まちまち)の記録を残している(マコ16:1ルカ24:10ヨハ20:1)。恐らく復活の事実のあまりに大なる驚異であったために、附帯の事実については種々の言伝えを生じたのであろう。この不一致をもってこの記事を否定することはできない。又強いて一致せしめんとする(こころみ)牽強付会(けんきょうふかい)に陥るのみである。

28章2節 ()よ、(おほい)なる地震(ぢしん)あり、これ(しゅ)使(つかひ)(てん)より(くだ)(きた)りて、かの(いし)(まろば)退(しりぞ)け、その(うへ)()したるなり。[引照]

口語訳すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
塚本訳すると突然大地震がおこった。それは主の使が天からおりて来て(墓に)近寄り、(入口の)石をわきにころがし、その上に坐ったのである。
前田訳すると見よ、大地震がおこった。主の使いが天から下って近より、石をころがしてその上にすわった。
新共同すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
NIVThere was a violent earthquake, for an angel of the Lord came down from heaven and, going to the tomb, rolled back the stone and sat on it.
註解: 視よ神は人間の固め(マタ27:64、66)をそれがいかに堅くとも容易に破り給う。この地震については他の福音書には記されていない。この現象殊に天使の出現そのものが筆をもって記すにはあまりに不思議なる現象であった。その目撃者以外の者の冷静なる批評眼に映じたものとして記されているのではないことを注意すべきである。天の使の数はルカ24:4ヨハ20:12には二人として記されている。ヨハ20:12註参照。

28章3節 その(さま)電光(いなづま)のごとく(かがや)き、その(ころも)(ゆき)のごとく(しろ)し。[引照]

口語訳その姿はいなずまのように輝き、その衣は雪のように真白であった。
塚本訳その顔は稲妻のようにかがやき、着物は雪のように白かった。
前田訳その顔はいなずまのようで、衣は雪のように白かった。
新共同その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
NIVHis appearance was like lightning, and his clothes were white as snow.
註解: 変貌のイエス(マタ17:2)に似ていたけれどもその光輝の程度がやや劣っていた。天の使はこの後もこの姿をもって顕れた。使1:10使10:30

28章4節 守の(もの)ども(かれ)(おそ)れたれば、(おのの)きて死人(しにん)(ごと)くなりぬ。[引照]

口語訳見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
塚本訳見張りをしていた者たちは恐ろしさのあまり震え上がって、死人のようになった。
前田訳そのおそろしさで見張りのものは震えあがって死人のようになった。
新共同番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
NIVThe guards were so afraid of him that they shook and became like dead men.
註解: 彼らの(おそ)れは後に至って復活の証を為すの結果となり(11節)、たとい彼らは口止めされたにしても、尚この恐怖の印象は彼らの口より洩れたことであろう。

28章5節 御使(みつかひ)こたへて(をんな)たちに()ふ『なんぢら(おそ)るな、(われ)なんぢらが十字架(じふじか)につけられ(たま)ひしイエスを(たづ)ぬるを()る。[引照]

口語訳この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、
塚本訳天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
前田訳天使は女たちにいった、「あなた方はおそれるな。わたしは知っている、十字架につけられたイエスをあなた方が探していることを。
新共同天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
NIVThe angel said to the women, "Do not be afraid, for I know that you are looking for Jesus, who was crucified.
註解: 番兵の恐怖に対しては何らの慰めもなかったけれども、主に在るものの恐怖は直ちに慰めを受くることができる。
辞解
[こたへて] 女の懼れし態度に対しての意、「なんぢら」は番兵と対立し、「番兵は懼れても汝らは懼れる必要が無い」との意味。

28章6節 此處(ここ)には(いま)さず、その()へる(ごと)(よみが)へり(たま)へり。(きた)りてその()かれ(たま)ひし(ところ)()よ。[引照]

口語訳もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
塚本訳ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
前田訳彼はここにはおられない、かつていわれたようによみがえられたから。来て、彼が置かれたところを見なさい。
新共同あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
NIVHe is not here; he has risen, just as he said. Come and see the place where he lay.
註解: イエスの墓は空虚であった。彼の肉体は復活して霊体と化したのである(Tコリ15:44)。イエスの復活をその記事の不一致の点より否定せんとする者は、この墓の空虚であった事実を説明しなければならない。

28章7節 かつ(すみや)かに()きて、その弟子(でし)たちに「(かれ)死人(しにん)(うち)より(よみが)へり(たま)へり。()よ、(なんぢ)らに(さき)だちてガリラヤに()(たま)ふ、彼處(かしこ)にて(まみ)ゆるを()ん」と()げよ。[引照]

口語訳そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』。あなたがたに、これだけ言っておく」。
塚本訳それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
前田訳そして早く行って弟子たちに告げなさい、『彼は死人の中からよみがえられて、見よ、あなた方に先んじてガリラヤに行かれ、そこでお目にかかれる』と。これをあなた方に告げに来た」。
新共同それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
NIVThen go quickly and tell his disciples: `He has risen from the dead and is going ahead of you into Galilee. There you will see him.' Now I have told you."
註解: 事実その以前に、イエスは御自身を弟子たちに顕わし給うた。ルカ、ヨハネの記事参照。

()よ、(なんぢ)らに(これ)()げたり』

註解: 「この通り確かに申し渡したぞよ」との意。

28章8節 (をんな)たち(おそれ)(おほい)なる歡喜(よろこび)とをもて、(すみや)かに(はか)()り、弟子(でし)たちに()らせんとて(はし)りゆく。[引照]

口語訳そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
塚本訳女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
前田訳彼女らはおそれつつも大よろこびで急ぎ墓を去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
新共同婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
NIVSo the women hurried away from the tomb, afraid yet filled with joy, and ran to tell his disciples.
註解: (おそれ)と歓喜、悲痛と歓喜、苦悩と歓喜は霊的の事柄においては同時に存在することができる。女たちもこの心に満され、一方に御使の稜威(みいつ)と言とに(おそ)れつつ他方イエスの復活の事実をきき歓喜に耐えず、弟子たちに一刻も早くこれを知らせんとて走った。

28章9節 ()よ、イエス(かれ)らに()ひて『(やす)かれ』と()(たま)ひたれば、(すす)みゆき、御足(みあし)(いだ)きて(はい)す。[引照]

口語訳すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスのみ足をいだいて拝した。
塚本訳するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。
前田訳すると見よ、イエスが彼女らに出会っていわれた、「ごきげんよう」と。彼女らは近よってお足を抱いてひれ伏した。
新共同すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
NIVSuddenly Jesus met them. "Greetings," he said. They came to him, clasped his feet and worshiped him.
註解: ここに(おそ)れし、女たちを慰めんとてイエス自ら顕われて、最もこの場合に適切なる「安かれ」との御言を賜い、女たちはその畏敬と親愛との発露としてその御足を抱いて拝した。

28章10節 ここにイエス()ひたまふ『(おそ)るな、()きて()兄弟(きゃうだい)たちに、ガリラヤにゆき、彼處(かしこ)にて(われ)()るべきことを()らせよ』[引照]

口語訳そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。
塚本訳するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」
前田訳そこでイエスはいわれる、「おそれるな。行ってわが兄弟たちにガリラヤに行くよう告げなさい。そこでわたしに会えよう」と。
新共同イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
NIVThen Jesus said to them, "Do not be afraid. Go and tell my brothers to go to Galilee; there they will see me."
註解: イエスもまた同じことを繰返し給うたのは重複でもなく又無意味でもない、これを特に強く彼らに印象せしめんがためである。イエスに対する信仰新なる福音の発祥地、中心地はエルサレムの神殿でもなく祭司パリサイ人でもなく、ガリラヤの湖畔であり、その漁夫であった。ここにユダヤ教の革命が起ったのである。イエスは彼らを「我が兄弟たち」と呼び給うた(引照参照)。
要義 [イエスの復活について]イエスの復活は、そのこと自身が信じ難いために、ギリシヤ人らの間には既に早くこれに対する不信を示すもの多く(使17:32)又キリスト者の中にもこれを信じないものができた(Tコリ15:12)。近世に至りて科学の進歩によりこれを非科学的として否定し、更に福音書の記事そのものの不一致を理由としてこれを事実にあらずと主張しているものがある。しかしながら(1)万能の神がこれを為し給う以上は不可能なはずはなく、使26:8。(2)イエスのごとき罪なき神の子は空しく墓に朽ち果て給うべきではなく、使2:24−32。(3)神は人類の中より神の子たちを選び出して、これに栄を与えて天国の民を創造せんとし給うのであって、イエスは復活してその初穂となり給うたに過ぎない、Tコリ15:20、23。ゆえにこの世の人類の観念をもってこれを判断することはできない。(4)而してイエスの復活は実にキリストの福音の宣伝の起源であって、もしイエスが復活し給わなかったならば、弟子たちは再びガリラヤの漁夫の生活を送ったに過ぎなかったであろう。彼らがその伝道に際していかにイエスの復活を高調したかは、使徒行伝を注意して読む者はこれを見逃すことができない。 使1:22使2:24使2:31-32。使3:15使3:26使4:2使4:10使4:33使10:40-41。使13:30使13:33-34、使13:37使17:3使17:18使17:31-32。使23:6使24:15使24:21使26:8使26:23 。すなわち彼らの伝道の中心はイエスの十字架とその復活であったTコリ15:2。(5)その他、パウロの書簡その他にもイエスの復活のことが極めて重要なる信仰の内容として記されているのであって、イエスの復活を否定する者は、同時に我らの復活をも否定せざる可からざるに至り、これと共に聖書中の「希望」の内容は全部消失してしまうこととなるのである。ゆえにイエスの復活はその内外両面よりの証拠によりて、これが確実なる事実であったことを信ずることができる。復活の事実と復活の信仰とを区別し、事実は無かりしもその信仰は確実に存在したと説明するごときは、歴史的記録の確実さを否定し得ざる結果窮余の説明に過ぎない。その他種々の方法をもってこの復活の事実を否定しつつこの記事を説明せんとする試は皆信ずるに足りない。

11-2 虚偽の風説を伝搬す 28:11 - 28:15

28章11節 (をんな)たちの()きたるとき、()よ、番兵(ばんぺい)のうちの數人(すにん)(みやこ)にいたり、(すべ)()りし(こと)どもを祭司長(さいしちゃう)らに()ぐ。[引照]

口語訳女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。
塚本訳女たちが(まだ)歩いているあいだに、数人の番兵は都に行って、出来事の一部始終を大祭司連に報告した。
前田訳彼女らが歩いているとき、番兵が何人か都へ行って大祭司らに出来事のすべてを告げた。
新共同婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
NIVWhile the women were on their way, some of the guards went into the city and reported to the chief priests everything that had happened.
註解: 彼らは始めは事実をありのままに告げた、後に利益のために偽の証をなすようになったのである。事実を事実として述ぶることのできる心持は貴いものである。

28章12節 祭司長(さいしちゃう)ら、長老(ちゃうらう)らと(とも)(あつま)りて(あひ)(はか)り、兵卒(へいそつ)どもに(おほ)くの(ぎん)(あた)へて()ふ、[引照]

口語訳祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
塚本訳大祭司連は長老たちと集まって決議し、(警備をしていた)兵卒らにたっぷり金をやって、
前田訳大祭司らは長老たちと集まって相はかり、兵隊にかなりの金を与えていった、
新共同そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、
NIVWhen the chief priests had met with the elders and devised a plan, they gave the soldiers a large sum of money,
註解: 祭司長らは事実をききても尚これを信じなかった、かえって喰わすに利をもってして番兵らを沈黙せしめんとしたのである。商売化せる宗教家の態度は常にかくのごときものである。

28章13節 『なんぢら()へ「その弟子(でし)(よる)きたりて、(われ)らの(ねむ)れる()(かれ)(ぬす)めり」と。[引照]

口語訳「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
塚本訳言った、「『夜、弟子たちが来て、わたし達が寝入っているあいだにイエスを盗んでいった』と言え。
前田訳「『弟子たちが夜来て、われわれが眠っている間に彼を盗んだ』といえ。
新共同言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。
NIVtelling them, "You are to say, `His disciples came during the night and stole him away while we were asleep.'
註解: 虚偽はいかに(たくみ)であっても真実に打ち勝つことができない。祭司長らは自ら信ぜざる罪に加うるに兵卒らをして偽を言わしむるの罪を重ねた。何れの世において最も罪深きものは職業的祭司階級である。

28章14節 この(こと)もし總督(そうとく)(きこ)えなば、(われ)(かれ)(なだ)めて(なんぢ)らに(うれひ)なからしめん』[引照]

口語訳万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
塚本訳もしこのことが総督の耳に入ったら、われわれが執成して、お前たちには心配をかけないようにするから」と。
前田訳もしこれが総督の耳に入ったら、われわれが取り持ってあなた方が迷惑しないようにしよう」と。
新共同もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
NIVIf this report gets to the governor, we will satisfy him and keep you out of trouble."
註解: 「聞えなば」は「総督の前にて裁判沙汰になるならば」との意味である(M0、B1)かかる点にまで意を用いなければならないのを見るならば、虚偽を行う場合の苦心の程を察することができる。

28章15節 (かれ)(ぎん)をとりて()(ふく)められたる(ごと)くしたれば、()(はなし)ユダヤ(びと)(うち)にひろまりて、今日(けふ)(いた)れり。[引照]

口語訳そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
塚本訳兵卒らは金を受け取って、教えられたとおりにした。こうしてこの話は、今日までユダヤ人の間にひろまっている。
前田訳彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は今日までユダヤ人の間に伝わっている。
新共同兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。
NIVSo the soldiers took the money and did as they were instructed. And this story has been widely circulated among the Jews to this very day.
註解: マタイがマタイ伝を記せる際には、常にユダヤ人に対するキリストの弁護をもってその目的としていた。イエスの屍体(したい)を盗み去ったのであるとの説もユダヤ人の間にあったので特にこの説明を加えたのであって、他の福音書にこの事実を全く記さないのはユダヤ人以外の人に取っては興味なき事実なるが故である。

11-3 復活のイエスの顕現と命令 28:16 - 28:20

28章16節 (じふ)(いち)弟子(でし)たちガリラヤに()きて、イエスの(めい)(たま)ひし(やま)にのぼり、[引照]

口語訳さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
塚本訳さて、十一人の弟子はガリラヤに行き、イエスに命じられた山にのぼり、
前田訳十一人の弟子たちはガリラヤのイエスに指示された山へ行き、
新共同さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。
NIVThen the eleven disciples went to Galilee, to the mountain where Jesus had told them to go.

28章17節 (つい)(まみ)えて(はい)せり。されど(うたが)(もの)もありき。[引照]

口語訳そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
塚本訳お目にかかっておがんだ。しかし疑う者もあった。
前田訳彼にまみえてひれ伏した。しかし疑うものもあった。
新共同そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。
NIVWhen they saw him, they worshiped him; but some doubted.
註解: マタイはこの他の主の顕現をすべて省略している。彼らの中に疑う者もあったのを見ても、復活の主の顕現が、この世のあらゆる現象とその趣を異にしたものであることを想像することができる。恐らく肉体と霊体の中間状態のごときものであったろう。信ぜしものは彼を「拝した」。これ彼らとして最も当然の態度である。

28章18節 イエス(すす)みきたり、(かれ)らに(かた)りて()ひたまふ『(われ)(てん)にても()にても一切(すべて)(けん)(あた)へられたり。[引照]

口語訳イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
塚本訳イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
前田訳イエスは彼らに近よっていわれた、「天と地の全権がわたしに与えられた。
新共同イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。
NIVThen Jesus came to them and said, "All authority in heaven and on earth has been given to me.
註解: 神はイエスを甦らせて天上天下あらゆる権を彼に与え給うた。従来と(いえど)も神は彼に万物を委ね給うたけれども(マタ11:27ヨハ13:3)今より後は肉の束縛なく完全なる主権を掌握し給う。而して彼はすべての敵を亡ぼして国をその父なる神に付し給うまで(Tコリ15:24)、この権を握り給う。彼が神の右に坐し給うはあたかも摂政(せっしょう)のごとく神より権を受けてこれを(つかさど)っていることを意味する。而してこのことが彼が弟子を派遣して世界万国に伝道せしむる理由であった。何となれば天地の権を握り給うイエス・キリストが我らのために肉体を取りてこの地に来り、その贖を成就して神の右に坐し給う以上は、我らの罪はすべて赦され、神との平和は恢復(かいふく)せられ、彼に従うことによりて神の子たることを得るの道が開けたからである。単に一の宗教を伝うるのではなく、宇宙の創造主に(いま)し天地の権を有ち給う神の子の福音を伝うるのである以上、弟子たちは権威をもってこれを為すことができる。

28章19節 されば(なんぢ)()きて、もろもろの國人(くにびと)弟子(でし)となし、(ちち)()(せい)(れい)との()によりてバプテスマを(ほどこ)し、[引照]

口語訳それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
塚本訳それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
前田訳それゆえ、行ってすべての国の人を弟子にし、父と子と聖霊の名で彼らをきよめ、
新共同だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
NIVTherefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit,
註解: 弟子たちは各地に赴きて諸国民を弟子とするの義務があった。これによりて福音は先づユダヤの地に伝えらるべきものであることの制限(マタ10:5)は除かれて、福音の万国的性質が確立した。「父と子と聖霊の名による」とはかかる名称を単に口に唱うることではなく、バプテスマによりて一旦死して更に(よみがえ)り、神の民の一人となり其の時天の神を父と呼び奉り、キリストを神の子とたたうる信仰を得、聖霊が宿って我らを新に創造(つく)りかえるのである。かくして世のものなりし我らは全く神のものとなってしまうのである。此の事実を表示するものとしてバプテスマは最も適切なる形式である。唯この事実が最も重要なのであって、この事実ある場合には必ずしも三位の神の名を呼ぶことを要しない。使徒時代には多くの場合キリストのみの名によりてバプテスマを施していた(ロマ6:3ガラ3:27使8:16使2:38)。又弟子たち自らこれを施すことを必要としない(Tコリ1:17註参照)。
辞解
[名によりて] eis to onoma は「名に入れて」又は「名の中に」の意味でバプテスマによりて信徒は三位の神の中に没入することを示す。

28章20節 わが(なんぢ)らに(めい)ぜし(すべ)ての(こと)(まも)るべきを(をし)へよ。[引照]

口語訳あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。
塚本訳わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」
前田訳あなた方に命じたことをすべて守るよう教えよ。安んぜよ、わたしは世の終わりまでいつの日もあなた方とともにいるから」と。
新共同あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
NIVand teaching them to obey everything I have commanded you. And surely I am with you always, to the very end of the age."
註解: バプテスマを受くることが単に形式ではなく、これによりて父、子、聖霊の三位の神との霊的交通に入るのであるとするならば、その当然の関係においてキリストの命ぜじことを守るべきことを教えられなければならぬ。すなわち前者は神との関係であり、後者はその関係より生ずる人との関係である。信仰と神の命に(したが)うこととの関係についてはヨハ14:15ヨハ14:21ヨハ14:23参照。

()よ、(われ)()(をはり)まで(つね)(なんぢ)らと(とも)()るなり』

註解: 弟子たちがその伝道に際して多くの困難と迫害とに逢うべきことを予想し、これを力付けんがためにこの慰を与え給うた。天地の権を握り給う主イエス・キリストが世の終まで常に一刻も絶間なく我らと共に(いま)し給うことを知りて我らは最早や(おそ)るべきものを()たない。力と慰安とは常に彼より来ることを経験することができる(ヨハ14:18−21)。
附記 [復活の記事の不一致について]四福音書中にある復活の記事の間に、種々の差異あることは著しき事実である又Tコリント一五の記事とも一致しない点がある。しかしこれは復活の事実が虚偽であることを証明するものではなく、むしろ各福音書はその所有する経験及び伝説により、又これを適宜に取捨し選択して記したのであって、この伝説がかかる神秘的なる事実に関しては必ずしも一定の形を取ることができず、従って種々の記録を生じたのである。ゆえに或はガリラヤにおける顕現を主として記し(マタイ)、或はユダヤにおけるそれを主として記し(ヨハネ)、又はある事実の一部分のみを記して他を省略し、又はある事実を全部省略する場合等によりて記事の間に差異を生じたのである。ゆえにこれらの記事の不一致は互に相排斥するものでなく、互に相補充するの性質を有っているものであると見なければならない。かく解することによりてこれらの記事の不一致より生ずる困難は除かれるであろう。